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株式会社伊場仙 - 週刊ビル経営

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株式会社伊場仙 - 週刊ビル経営
(1
5) 四
季
報 平成1
7年1
2月2
6日(月4回・月曜日発行)
週刊
平成6年11月24日第三種郵便物認可
第4
5
9号
ビル 業界 四 季 報
有限会社橘川製作所
東京都港区浜松町1―2
5―6
"
伊場仙ビル
サン・キツカワビル
"
株式会社伊場仙
東京都中央区日本橋小舟町4番1号
★会社概要
★会社概要
設立 昭和9年3月
代表者 吉田 誠男
事業内容 貸ビル業、団扇、扇子、
和紙製品の製造販売
所有棟 2棟
創業 大正4年3月
設立 昭和3
3年1
1月
資本金 5
0
0万円
代表 橘川 達史氏
事業内容 バルブ関連部品の販売
貸ビル業
★代表ビル概要
★代表ビル概要
名称
住所
竣工
設計
管理
規模
サン・キツカワビル
東京都港区浜松町1―2
7―1
4
昭和6
1年
笠井設計
サン・キツカワ
(子会社、
代表兼務)
地上9階
★入居テナント
1階 橘川製作所、サンプロパティ、シ
ードバレー 2階 アリサカ 3階 中
道リース 4階 デンソー 5階 あん
しん、エス・シー・ロジスティクス、熊
本交通運輸、太陽運輸、
日硝ハイウェー、
ボルテックスセイグン、両備運輸 6階
東京アド 7階 ジーテック 8階
Samac 9階 ペンタマリン
★沿革
大正4年に橘川氏の先々代が、現在の
サン・キツカワビルが建つ浜松町で橘川
達之助商店を設立し、バルブ・パッキン
等を製作する工場を開設した。
当時の日本は養蚕業が盛んな時代であ
り、蚕を生糸に加工する工程で同社が製
造したバルブが重宝された。その理由
は、当時日本で唯一スチームを制御でき
るバルブだったからだという。
昭和2
1年橘川工業株式会社に組織変
更。
昭和3
3年に製造業からは撤退し、バル
ブ関連の部品を販売する商社へと業務内
容を再編。有限会社橘川製作所に組織変
更し、工場等もその過程で全て整理を行
った。
昭和6
1年に部品部門以外からの安定収
益を得るため、サン・キツカワビルを建
設し、貸ビル業を始める。同年、ビル管
理会社サン・キツカワを設立し、部品部
門を橘川製作所、ビル管理はサン・キツ
カワが担当し、現在に至る。
★ビル経営
テナントとのコミュニケーションを第
一に考えているという。そのため、各テ
ナントの担当者を集めて、毎年5∼6月
にテナント会議を開いている。
「会議ではその年に行う予定の改修・
修繕計画とその日程を説明し、テナント
側からはビルに対しての要望等を発言し
てもらいます」
(橘川氏)
ビルの方針をテナントの要望に沿った
形にしていくために開催しているが、全
テナントが毎年欠かさず参加してくれる
ことに、非常に感謝しているという。
現在サン・キツカワビルは満室稼動を
維持しているが、数年前には多い時で4
フロア空いた時期があったそうだ。
「平成2年辺りから、新しいテナント
が決まりにくくなりました」
(橘川氏)
不動産業者等にテナント募集の告知を
行っても反応は鈍く、引き合いはほとん
どなかったそうだ。ビル経営としては苦
しい時代だったが、本業があったおかげ
で乗り切れたと橘川氏は振り返る。
「どちらか一方の業務だけでは潰れて
いたと思います。リスク分散を考えて部
品商社を行っていたわけではありません
が、結果としてそれぞれの仕事が互いを
支える形になりました」
(橘川氏)
現在ではビルの入居状況もかなり改善
されたが、引き合いの少なかった時代に
下げた賃料は、当分そのままになりそう
だという。
交 通 ア ク セ ス
JR山手線 浜松町駅 徒歩5分
都営浅草線、都営大江戸線 大門駅
徒歩3分
名称 伊場仙ビル
竣工 平成4年1
0月
規模 地下2階地上8階
延床面積 2
9
7
0
管理 平成ビルディング
!
★入居テナント
1階 日本橋小舟町郵便局 郵便 伊場
仙ショールーム 2階 日本橋小舟町郵
便局 貯金 保険 3階 日本乳化剤
企画部 経理部 総務部 購買部 4階
日本乳化剤 営業本部 5階 丸池藤
井 6階 ダン・ストローク レックス
アドバイザーズ 山本司法書士事務所
キャリアマネジメントコンソーシアム
(事務局マエダオフィス)インサポート
北濱郁男税理士事務所 7階 丸池藤
井 東京支店 シャンナーレ ファース
トステージ 神馬本店 東京企画 川口
組 8階 伊場仙
★沿革
創業4
0
0年、江戸時代に浮世絵の版元
として店を開き、その後、団扇、扇子、
和文具の製造販売を開始。
昭和9年3月、株式会社伊場仙に組織
変更。
昭和5
2年に、繊維会社で会社員をして
いた現在の取締役社長の吉田誠男氏が家
業を継ぎ、就任した。
「良い物を消費者に、お客様に満足を
与える」
をモットーとして、団扇、扇子、
和紙製品の製造販売、貸ビル業を営んで
いる。
★ビル経営
昭和3
5年、テナントビルの需要がとて
も大きかった背景もあり、先代はビル建
設し、ビル経営を開始したという。
「昭和3
0年代の日本は、高度成長が著
しかったため、英国石油公社のようなイ
ギリスの外資系の会社が、多く入居して
いました。また、先代は会社の社長と兼
任して特定郵便局長の職に就いていたの
で、竣工当初からテナントとして郵便局
が入っていました」
(取締役社長 吉田誠
男氏)
その後、税金対策から建替えを決意。
新たにビルを建設する為、アメリカへビ
ルの視察に行ったという。
「海外のビルを見学し、ゆとりと潤い
のあるビルにするべきだと感じました。
現在、屋上緑化を実践していますが、そ
れもゆとりと潤いあるビルへ実現の一環
です」
(吉田氏)
平成4年、『勝ち組みのビルを造る』
をコンセプトに新しく竣工するビルの設
計に携わり、建設に至ったという。
「当時としては珍しかった光ファイバ
ーをいち早く設置しました。また設備だ
けでなく、雰囲気のよいエントランスに
しました。上場企業の役員などが来訪さ
れることの多い、テナントへの配慮を考
えての事です。現在もエントランスの管
理、掃除、メンテナンスの徹底に重点を
置いています」
(吉田氏)
その他にも『勝ち組みのビル』を継続
する為に、随時気を配っていることがあ
るという。
「日頃から、保全やIT化に即した新
しい設備、便利な近代化設備の情報収集
は積極的に行っています。賃料の面でも
周囲のビルに比べて、高くも安くもなら
ないように心掛けています」
(吉田氏)
交 通 ア ク セ ス
JR 新日本橋駅 徒歩3分
地下鉄メトロ日比谷線 小伝馬町駅
徒歩4分
都営浅草線 人形町駅 徒歩5分
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