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(村上)配付資料(5/5)(PDF形式 64 キロバイト)

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(村上)配付資料(5/5)(PDF形式 64 キロバイト)
村上周辺の主な鉱山遺跡
名称
1
高根金山
操業時期
各鉱山のポイント
戦国期~江戸時代
明治時代(M27)~終戦前:
個人
・伝承では大同2(807)年砂金開発(相之俣弥三郎が発見)と言わ
れる。
・「慶長瀬波郡絵図」に登場する。駒嶽・金之丞・鳴海の三山。
・慶長期「越後黄金山」の中心となる金鉱山と推定される。
・元和5(1619)出雲崎代官高田小次郎が視察。
・「正保越後国絵図」(正保2(1645))に「高根山金山」として登場。
・江戸中期までの間の記録はなく、衰退したか?
・明和年間と天明年間(市島家)による開発。
・坑道跡や関連する遺物が良好に残る。
・鉱山労働者の集落と考えられる「元屋敷」がある。
・明治3~24(1870~1890)年まで吉田倍太郎が開発に当たった。
・生野銀山の近代化にも貢献した御雇外国人技師コワニエ(フラン
ス)が鉱石の分析を実施している。
・明治12(1879)大倉喜八郎が高根金山を視察。
猿田金山
戦国期~江戸時代
三面金山
江戸時代
2
・「慶長瀬波郡絵図」に登場。「正保越後国絵図」では消失。
・堀家の時代に「新金山」の見立が行われた。
・「慶長瀬波郡絵図」:「中邊村…家4軒、金山有」
・「正保越後国絵図」:「元山金山」と記される(規模縮小?)。
・坑道跡や石垣などが残る。
3 大毎金山
戦国期~江戸時代
明治時代(M27)~終戦前:
個人
4 (山ご俣の金山)
戦国期?
・「慶長瀬波郡絵図」:「山ご俣村(大熊田集落付近)」と「入谷村(現
在の中継集落の一部)に「金山有」と記される。
江戸時代
昭和時代(S12~18):大沢
金山鉱業株式会社
・「正保絵図」:「柴倉山金山」と登場
・記録では近隣の「葡萄鉛山」と区別され「ぶどう新金山」と呼称。
・小規模のためか短期間で衰退か?
・昭和期の事務所や選鉱場があった。
・現地には石臼や扣石が多数あったと言われている。
江戸時代
・江戸初期(堀家の時代)に高根金山に代わり開発が進められた。
・沼川の流域及びその支流域「猪ノ木沢」等一帯の総称
・沼川流域に採掘跡などが確認できない(河川での砂金採取主
体?)
・猪ノ木沢には採掘跡、石垣のほか、石臼が採集。
5
6
大沢金山
(柴倉山金山)
沼金山
[関川村]
朳差(胆振差し)金 古い時期の可能性あるが不
「十貫山」(運上金に由来する地名か?)記録がなく不詳
7 山
詳
昭和期に復活して採掘が行われた。
[関川村]
昭和時代(S14~28頃まで)
8 海浦(早川)鉱山
9 葡萄鉱山
江戸時代
・元和5(1618)年「早川銀山」として開発。渡辺藤兵衛を派遣して
管理。
・小規模であったためか長期間の操業は行われなかったか。
江戸時代
明治時代(M40 ~個人)
大正時代(T4~高田鉱業株
式会社、T8~葡萄鉱山株式
会社)
昭和時代(~S35)
・慶長年間(1596~1614)頃には開発が始まっていたといわれる。
・元和年間に採掘量が減少し、山師の税分の納負担が増え、その
負担分を解消するため沼金山の開発に当たらせたという。
・佐渡の鉛の買上記録からは江戸中期までの操業が推定される
が、それ以降は本格的な開発は行われなくなったか。
・明治40(1907)年頃に再開し、大正8(1919)年以降は葡萄鉱山株
式会社が設立され、昭和35(1960)年頃まで採掘が行われた。
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