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深瀬 啓介 - 一般社団法人ME応用心理学研究所

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深瀬 啓介 - 一般社団法人ME応用心理学研究所
一般社団法人ME応用心理学研究所 代表理事
深瀬 啓介
MEカラーセラピー特別資料
Mind Essence Color Therapy
http://www.cog.pw/
はじめに
こんにちは、一般社団法人ME応用心理学研究所の深瀬啓介です。
この度は『MEカラーセラピー特別資料』のダウンロードをありがとうございます。
MEカラーセラピーそのものについて、今まで詳しく書いたことはありませんでした。それは、 秘教 と
いうことではなく、私自身の準備ができていなかったためです。今は脳科学も心理学も超心理学も日々世界
中の研究者から沢山の報告があり、疑問があればその答えに関わるような研究や文献も楽に検索できるよう
にもなりました。とにかく疑問があれば調べていますが、つぎつぎと疑問は出て来るものです。心と癒しの
本質に迫りたく、多くの資料に囲まれながら研究の間に講座を行い、たくさんの方に体験をしていただき、
心理調査にご協力いただき、やっと今こうしてMEカラーセラピーのことについて書けるようになりまし
た。ご協力いただいたみなさまに感謝いたします。今回、MEカラーセラピーとはどのような癒しのメソッ
ドであるかを、その開発秘話からお話ししようと考えております。とりあえずMEカラーセラピーについて
の概要を知りたい場合は第4章から読み始めてください。その後、お時間があれば第1章からお読みいただ
ければと思います。
第1章:MEカラーセラピーの誕生
●選んだ色にはあなただけの意味がある
今気になっている色を一色思い浮かべてみよう。それから、その色を思い浮かべた時の感情、思い浮かん
だ考え、感じた感覚などを書き出してみよう。今度は、書き出した言葉を組み合わせて、「∼の状態」とい
う文を作ってみよう。数はどれくらいでも構わない。新しい言葉が必要だと思ったら、それを含めても構わ
ない。使わない言葉があったとしても構わない。いくつか書いてみたら、それらの状態があなたとどのよう
な関係を持っているのかを感じ取ってみてほしい。確かにそうだと同意できる状態かもしれないし、そのよ
うな状態になりたいという願いかもしれないし、決してそんな状態になりたくないという恐れかもしれな
い。これはMEのセラピーの基本の手法であり、『カラーリーディング』と呼んでいる。
『カラーリーディング』では、その色を選んだ人はどのような人かというようなことは言っていない。そ
の色を選んだから良いとか悪いとか、運気が高いとか低いとか、どのような運命が待ち受けているとか、ど
んな性格だとか、そんなようなことも言っていない。ただ、選んだ本人にとって何かの意味がある色という
ことは確かであり、その理由とは何なのかという疑問を解き明かそうとする手法である。選んだ色の意味
は、選んだ人の中にあるのだ。その色の意味を知りたいなら、それを選んだ人に聞くしかないのだ。聞いて
もすぐに答えなど出ないかもしれない。なので、本人が気づけるようサポートする必要があり、それがME
カラーセラピストの仕事でもある。
01
MEカラーセラピー特別資料
Mind Essence Color Therapy
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●あなたは世界を他の人と同じように見ているだろうか?
「母が見ている色と自分が見ている色は同じだろうか?」これは私が5歳の頃に抱いた疑問である。他者
も自分と同じ体験をしているのだろうか?というとだが、その頃の私には上手く質問することができなかっ
た。なぜなら、聞いても答えとして帰ってくるのは「赤色だよ」という色の名前か、「見えているよ」とい
う確認のしようがない答えだったからだ。私は色に興味があったのだが正確には自分の視覚的な体験に対し
ての興味だった。
小学校は図画工作の教育研究のための指定校だった。デッサンの授業では、担任の先生に「よく見て!ぜ
んぜん違うじゃないか!」と何度も言われた。私は絵を描くことに抵抗はなかったので描くこと自体が難し
いわけではなかった。ただ、先生にはそのように見えていないようなのだ。どうやら私の視覚的な体験は先
生とは違うようだった。私は他の人たちが見ていると思えるものだけを選んで描かなければならなかった。
特に色については難しかった。どうやら物体の輪郭線内にだけ色があって、空間に色があるということはな
いらしいのだ。
●認知は人それぞれ
中学では遺伝子に興味が向いた、遺伝子なら自分と他者の認知に対して答えが明確に出ると期待したから
だ。色盲ということなら認知は変わるということは分かった。しかし、同じような視細胞を持っている人な
らみんな認知は同じなのかについては解らなかった。そもそも夢の中では視細胞など使っていないのだ。さ
らに、空間に見えている色については全く解らなかった。
色に関心があった私は美術系の大学に入学した。その頃の私の考えは「 見える という体験は 感じる と
いうことと同じように、人それぞれなのではないだろうか?」ということだ。そして、モノクロの水墨画を
描きながら、そこに描かれていない色を人は想像で補うということに興味を持った。水墨画なら、輪郭線と
その中だけを描けばよいので空間の色の説明をしなくても良かったのもあった。さらに、印刷工程における
色の管理の勉強では、記憶色という色に対する思い込みと、実際の色の波長について工学的な知識を得た。
こうして認知心理学へと興味が移っていった。
●色に付ける意味も人それぞれ
色は人にとって単純な電磁波の波長の違いではない。赤は興奮、青は鎮静、緑は癒しで黄色は元気など、
色には意味がくっついているようだ。女の子のランドセルの色は赤、男の子は黒など、ジェンダーカラーの
問題は、ピンク色や赤色が好きだった子どもの頃の私の大きな悩みの一つだった。「色の好み、色に対する
意味は人類で共通しているのだろうか?」このような研究は色彩心理として長く研究されているようだが、
明確な答えは出ていないようだ。一部共通しているものもあるが、細かくは違うようで、細かい所にその人
の拘りが表れているようでもある。たぶん、どんなに資料を集めても、人類全てを調べることはできない。
せいぜいその地域に住む人たちの大まかな傾向ぐらいしか分からないのだろう。それならいっそ「色には意
味があるようだけど、その意味は多くの人で大まかなところは似ているかもしれないが細かなところは人そ
れぞれなのだろう」とした方が正確だと考えた。
02
MEカラーセラピー特別資料
Mind Essence Color Therapy
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●緑色が見えない人でも緑色は癒しの色なのか?
大学を卒業してから私は仙台にあるデザインの専門学校で講師の仕事に就いた。デザインの学校でも特定
の波長の色が見えない人はいる。緑色が見えないのに 緑色で癒しを表現する というテーマの絵を描く学生
もいた。しかし、その絵は茶色であった。私は「その人は、緑色が見えている人と同じように茶色でも癒し
を感じるのだろうか?」と疑問を持ってその人に質問してみたが、どうやらその人は頭の中で 他の人には
緑色というのが見えていて、それは癒しを意味するようだ と考えて絵を描いていたとのことだった。そも
そも緑色を見たことがないので緑色と茶色の意味の違いなど応えようがないのだろう。その電磁波の波長は
見える。しかし波長の違いを識別することはできない。そこで茶色も緑色もその人の中では同じ色である。
だから、茶色と緑色に対する感覚は、その人にとって同じ感覚なのだ。感覚が同じなら意味も同じになる。
その人に対して、緑色というのは癒しの色なんだと教えたところで知識にしかならないのだ。その学生も私
と同じように、多くの他の人たちが見ているように配色するために、思考で色を選んで使わなければならな
かった。私は輪郭線内の色として、彼は緑色としてである。これはとても抽象的な思考である。宇宙の果て
を見たことがない天文学者が宇宙の果てを思い浮かべるのに近い。
●意味の意味
色には意味を感じる。例えば、赤色に 怒り や 力 、青色に 悲しみ や 清らかさ などである。全人類に共
通する意味もあるのかもしれないが、環境や国や文化や生い立ちや年齢や色の認知などによって、個々の人
では感じる意味に違いがある。さらに同じ人であっても、体調や時間によっても意味が変わる。共感覚の持
ち主なら、色を見ると音が聞こえるらしい。任意の色を選ばせて、なぜその色を選んだのかと尋ねれば、そ
の人なりに様々な理由を述べる。「特に理由がない」という人もいるが、「なんとなくそんな気分だった」
と答えはする。では無理矢理でもいいので理由を答えて欲しいと言えば、それなりな理由を作ることさえ可
能である。面白いのは、今無理矢理に答えた理由でさえ、答えた後に「自分が本当にそう感じていたかもし
れない!」というように作った理由を信じる者もいることだった。私は その色になぜそのような意味が思
いつくのか? という所に、その人の今関心が向いているテーマが関係しているようだと考えた。例えば、
家庭や仕事の状況や感情や肉体の感じである。疲れている時には、その状況を表す色を、楽しい時にはその
ように感じる色を選んでいるようだ。その人が答えた色の意味の裏側には、その人の関心事に関わる意味が
関係しているのだろう。選んだ色に対して答えた意味は、その裏には、無意識であっても自分が今関心が向
いている事に関わっている意味が紐付いているのだ。
●色を使って心を調べる
選んだ色の意味を質問していくと、その人の思考や感情や感覚の話しになっていく。カウンセリングでは
なくても、そんなことをしている感じになっていく。そこで色の意味を調べればその人の思考や感情や感覚
を知ることができるのだろうと期待できる。その人の思考や感情や感覚を感じているのはきっと心のことな
のだろうと仮定すると、色を選んでもらったり、選んだ色の意味を聞くことで心を調べることができると私
は考えた。この考えはフロイトの自由連想法という心理分析と同じだろう。 ブランコ や 女の子 といった
ランダムな単語から、その人が何を連想し、どのようなことを語るのかというのを調べることで無意識を探
る方法だ。色は言葉よりも抽象的な情報である。その人の記憶や感情や感覚と結びついていて、選ばれる色
には、その人のその時の関心が表れ、理由をつければ深い欲求も表れてくるのだ。
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●色による類型化は可能か?
人は何かと法則のようなものを調べたがるようで、赤色を選んだ人にはどんな傾向があって、青色を選ん
だ人にはどんな傾向があるのか、といった統計を取りたくなるものだ。それで数値の偏りが出てくるかもし
れないが、それで何が言えるのかは解らない。そして、分かったという何かが事実かどうかも分からない。
心理統計というのは目の前のその人を表しているのではなく、あくまでもサンプリングされた人々に共通し
ているようなものであって、それはとても大雑把な分け方でもある。なぜなら、細かく見ていけば必ず例外
は出てくるものだからだ。それでも人々は何かと法則を調べていくのだろう。そして、そのレポートは科学
者の手を離れたマスメディアによって100%であるかのように宣伝されてしまうこともあるのだろう。赤
色を選んだ人は「情熱的なリーダータイプで、自己主張が強い…」という類型論である。
もし私が儲けだけを考えたら、類型論は手っ取り早くお金になる商売であると考えて、 どんな色の服を
着ているかでその人がわかる や、 色を選んだだけで性格がわかる! というようなフレーズを使うかもしれ
ない。さらに、外れたと思わせないような仕組みとして 色を選んだだけで無意識のあなたが丸裸! という
ようなフレーズを使うかもしれない。これなら、本人が否定しても 無意識 は本人さえも分からないという
ことでセーフだ。類型論は分かりやすく、かつ人の興味を引きやすい。多くの人は、自分は何かと分類され
たがっているようだ。でも、それは遊びでやるなら楽しいけれど、私は本当のことを知りたいのだ。
●色に特性論を持ち込むことは可能か?
特性論というのがある。人の心理的傾向の共通要素を成分として分けた時、だいたいどれくらいに分ける
ことができるのだろうかという成分表を用いて、一人ひとりのその成分の違いを見ようとする考えだ。これ
なら、類型としてはっきりと分けなくても良く、一人ひとりの違いを共通の尺度で見ることができるように
なる。つまり、白か黒かという分け方ではなく、その間の無数のグレーも扱えるのだ。色も赤色、橙色、黄
色というように明確に分けることは本当はできないなめらかなグラデーションである。赤色と橙色という違
いはあるが、その間に無数の橙色っぽい赤色や赤色っぽい橙色が存在する。どこから赤色でどこから橙色か
は明確に分けられなくても、赤色と橙色に持つ意味は違うものがある。 真っ赤な夕焼け という表現と、 橙
色に染まった夕方の空 では感じ方が違う。そこで私は、意味が分かれる色というのは何種類あるのだろう
か?という疑問を持った。例えば、12色のクレヨンのセットを考えると何色があるだろうか。もうちょっ
と多い24色では何色を足すかという考えでもいい。しかし、茶色系なら、 土 とか 木 とか チョコレート
とか、だいたい意味は同じになる。赤色と言っても、絵の具にはクリムゾンレッドやローズレッドや朱色な
どいろいろな赤色があるけれど、微妙な感じ方の違いはあっても、一色だけ見せられればみな 赤色 であ
る。そして赤色には赤色族の意味がつく。では、意味が変わってくる色という項目で分けるなら、何色に分
けられるのだろうか。微妙な色にこだわりを持つ人だっているので、これも明確には分けられないが、シン
ボル辞典や言語辞典、神話や物語、色についての書籍をできるだけ集めて片っ端から色を集めて行った。す
ると、正確には 色 ではない金色や銀色、無彩色である白、黒、グレーも人にとっては意味がある 色 であ
ることが分かった。虹色というのを引いて、単色として集まったのは20色ぐらいだった。ぐらい…という
のは、世の中には4色色覚の者もいるようで、多分その者にとってはもう少し数が増えそうだというような
考えがあったからだ。意味で分けられる色の分類も完全に作ることはできないだろう。それでも、特性論の
ように、選んだ色を基準にして、そこから広げていけるような許容値を持たせれば色を分けることは可能だ
と考える。この20色を基準にして、細かな部分は色を選んだ本人に聞けば良いのだ。だから、「もっと暗
い赤色が好みだ」と言われてもいいのだ。
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●カラーセラピーを開発することはできるか?
私は色の認知に対して興味を持って調べて来た。そして心理カウンセリングのような分野にも入って来
た。人は色に意味を持つことができる。でも色そのものには意味はない。なので、色の意味はそれを選んだ
本人に聞く方が良い。色の意味を本人に聞くことは、結局その人の心の話しに耳を傾けることになる。それ
なら、これを積極的にカウンセリングという形にして、一つの手法を作ることができる。その人の個人的な
話しを聞き出すための仕掛けとして色が使えるのだ。色が心の癒しに使えるのなら、これはカラーセラピー
と呼んでもいいのではないかと考えた。そしてMEカラーセラピーの開発がスタートした。
●色は人の癒しにどのように使えるのか?
赤色の部屋に長時間いると、心拍数が上がり、時間の感覚が速く感じられるらしい。逆に青色の部屋に長
時間いると、心拍数が下がり、時間の感覚が遅くなり、眠くなってくるらしい。緑色だと目の筋肉が緩めら
れるらしい。黒い橋を他の色に塗り替えると自殺者が減るらしい。ピンク色を見ると筋肉がゆるまり、力が
出せなくなるらしい。赤色の服を着たウェイトレスは、他の色の服を着た時よりももらったチップの量が多
かったという実験もある。ある研究では、人の細胞をシャーレで培養して、赤色や青色や緑色の光をそれぞ
れ当て続けると、細胞の分裂速度が変わるという結果があるらしい。さまざまな研究で、電磁波の波長の違
いである色が、人の心理や生理に何らかの影響を与えるということが分かって来ている。色は心と体に何ら
かの信号を送っているようである。それは、波長という物理的違いなのか、それとも色という認知的違いな
のかと考えると、目隠ししても赤色の光の部屋の中では心拍数が上がるようで、たぶん物理的違いによるも
のだと分かる。しかし、赤色を想像させる誘導でも、同じような感じになるので、必ずしも物理的違いであ
る必要はないのかもしれない。それでも、太陽の光という物理的刺激がなければ、骨粗鬆(こつそしょう)
症やサルコペニアになりやすくなる。日光によってビタミンDが生成されるらしい。これは色の連想だけで
はだめなようだ。とにかく、色光は人にとって何らかの影響力を持つようだ。これらのことからも、色光は
癒しとして使うことができると考えられる。それも心だけではなく、体に対してもである。
色光という物理的な刺激が人の心や体に影響を与えるということを癒しとして使うなら、どのような波長
をどのくらいの強さで何分人体のどの部分に当てればどのような効果があるのか、その効果の個人差はどれ
くらいか、副作用はあるのかなどを細かく調べていくことになる。これは薬の開発と同じく、それは思い込
みによる効果なのか、それとも本当に色光の効果なのかという疑問を精査する必要も研究上はある。思い込
みで良いなら、実際に色光を使わなくても、ありありとイメージしただけで効果があることになる。これは
思い込みの効果である プラシーボ のことである。
●人はプラシーボが何かをまだ知らない!
カラーセラピーはプラシーボだと言い切る人がいる。でも、物理的な色光が人の心や体に影響を与えると
いうことがさまざまな実験から分かっているので、このような結論は早すぎるだろう。でもプラシーボがど
のようなものなのか、本当のことを調べようとすると、それはとてもすごいことであると分かる。なぜな
ら、人の意識が心と体の変化を引き起こすということであるからだ。実を言うと人はまだ意識の力を知らな
い。もともとプラシーボは薬を作る時に、本当に薬効があると言えるかどうかを確かめる上で用いられる考
えだった。しかし、逆を言えば、思い込むという意識の力が人の心と体に対して影響を与えるという証明で
もある。実際人の思い込みはどれくらい影響を与えるものなのか、最近になってさまざまな研究がされて来
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ている。お腹に赤色の光を思い浮かべる。その赤色はどんどん明るく、鮮やかに、強くなっていく。だんだ
んと暖かくなって来て、血行が良くなり、腸が活発になっていく。もしかするとお腹からぐぐっと音が出て
くるかもしれない。だんだんと赤色は広がって行って、お腹全体を温めていく。今とても気持ちが良い状態
になっている。…さて、この文章を読んだだけでどのような体験があっただろうか。思い込みの効果という
のは実に興味深いものである。プラシーボも色の癒しに積極的に使えるのではないだろうか。
●MEカラーセラピーの設計
認知についての疑問はまだまだ多いけれど、色を人の癒しに使えるということは分かって来た。そこで色
を癒しとして使う方法を考えてみた。できるだけ専門の複雑な道具や特殊な環境を必要としない、簡単な色
のカードか日常的に見かける色をそのまま使えるようにと考えた結果、三つの手法ができた。一つ目は長く
やって来た、色を使ったカウンセリング。これはフロイトの自由連想法と同じようなやり方である。二つ目
は、色をイメージしてもらう誘導瞑想。これは医療の現場でも使われているイメージ療法と同じであるが、
抽象的なイメージとして色を中心に使うという点で特徴がある。三つ目は簡単な塗り絵である。これは無心
に塗ることでストレスを解消するアートセラピーの要素と、描かれたものからその人の心理を分析するのを
一緒にできる手法である。そして、この三つの手法を組み合わせて、さまざまな流れで癒しを進めていくこ
とができるというのが分かった。こうしてまとめられたものを何と呼べば良いのか考え、とりあえず心の要
素として色を用いるので Mind Element(心の要素) という言葉を使ってみた。これがMEカラーセラピー
の始りである。
●色は人の心の扉を開く
MEカラーセラピーを始めて数年経ったある時、「色を使うと、すっと無意識に入っていけるのが凄いよ
ね。話しだけのカウンセリングよりも、無意識に入り込むのが速いよ。」と言われた。この手法の講座を開
いた時、コーチングをしている方からは「コーチングの最初に、突然悩みは何ですか、目標は何ですか、と
聞き出すよりも、何気なく色の話しから始める方が打ち解けやすく、その後のコーチングの進みが良い。」
という話しも聞いた。雑貨屋さんをされている店長さんからは、「お客さんがどんな色のものを手にとって
いるのかを観察して、それを話しのきっかけにすることができる。」というのも聞いた。看護師さんからは
「患者さんに話しかけるときに、色の話しはとてもしやすくて便利。女性は色にとても興味をもっているみ
たい。」と聞いた。どうやら色は人の緊張を解いて、警戒を解き、心の扉を開いてくれるようだ。そして、
一瞬で個人的な深い話しに入っていくことができるようだ。なので色はカウンセリングにおいてとても便利
な道具となり得る。
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第2章:「本来の自己」
●癒しとは何か?
色を使って心を癒すと言ってみたものの、色について話したとしても、心とは何か、癒しとは何かについ
ては何も分からない。完璧に分かることがなかったとしても、カラーセラピーと言っている都合上、最低限
セラピーがどのようなものであると捉えているか答えられなければならない。そこで、心と癒しについて調
べ出した。これが明らかになってくれば、どのように三つの手法を組み合わせれば効果的な癒しが可能かが
分かる。しかし、これが思ったよりも深かった。ちょっと沖まで泳いだら突然日本海溝に入ったというぐら
い深かった。心とは何かというのは心理学だけではなく、脳科学、人工知能、哲学、宗教と多くの分野にま
たがったテーマなのだ。そこでまず拠り所としたのはWHO、世界保健機関の健康の定義であった。WHOで
は、健康というのは、病気とか、弱っていないかというということではなく、肉体的にも、精神的にも、そ
して社会的にも、すべてが
満たされた状態にあるということとしている。ここに霊的、スピリチュアルと
いうのが入るようだという噂があるようだが、とりあえず今は入っていない。そして、目的の一つに、健康
を完全に達成するためには、医学や心理学や関連する学問の恩恵というのを全ての人に広げることが必要だ
とのことだった。この前文に私は感動した。MEカラーセラピーが限られた人しか使えないような手法で
あってはいけない。たくさんの人が使え、疑問があれば取り組み、改善し、そして科学や哲学とともに発展
していける手法でなければならないと考えた。癒しというのは心も体も社会的にも満たされるための道なの
だ。
●心はブラックボックス?!
さて、健康のために癒しを行うと言ってはみても、心とは何かについては分かってはいない。体は目視で
も確認できる。しかし、心は見えない。見たことがない。それでもなぜか根拠もなく信じられる。例えば、
目の前に飲んだことの無い缶ジュースがある。飲み物であることは表面から分かる。蓋を開けても中は暗く
てよく見えない。そのジュースがどのような味なのかを糖分や塩分の量や濃度、ビタミンやアミノ酸の種類
と量、その他の甘味料や保存料など細かく分類したところで味を知ることは難しい。それらのデータが統合
的にどのようなものを表しているのかは、飲んでみないと分からない。そこで、誰かに飲んでもらうことに
したら、75パーセントの人が「美味しい」と言って、20パーセントの人が「あまり美味しくない」と言っ
て、5パーセントの人が「まずい」と言った。このように統計は出せる、しかし、本当の味という体験は客
観的なものとしては定義付けられない。自分が75パーセントに入るのか、20パーセントに入るのか、そ
れとも5パーセントに入るのかを統計では知ることはできない。その味を本当に知るためには自分で飲んで
みるしかないのだ。さらに、舌が直接味を感じているのではなく、脳が味を作り出しているため、その時の
脳の状態も味を変化させる要因となるだろう。なので、自分の体験でさえ変化する。この体験をしている主
体というのを心というのだろうか、心がなければ体験はなりたたない。ジュースは美味しいか、あまり美味
しくないか、不味いか、そのような体験をしているのは、全く未知の何かであり、それをとりあえず「心」
と呼んでいるのだろう。缶ジュースのように中身はあるのはわかるけれど、それが何かはわからない、つま
り心というのはブラックボックスなのだ。
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●心こそ自分なのだろうか?
心と一言で言っても、そこには複数のものが含まれる。「気づいている意識の他に気づいていない、また
は気づけないけど私をコントロールしている何かがある。」という場合の心。「肉体と魂と心」という場合
の心。「処理と記憶と反応を起こすもの」という場合の心。何を心とするのかと決めればそれ以外のものは
心として扱わないと決められる。しかし、それ以外のものもやはり心と呼ばれる。これはややこしい。
心というのは実に不思議である。見たことがないのに、体が死んでも、心だけはあると信じられる。夢の
中では体は幻だけど、心は起きている時と同じなのだ。そうなると死んでからも同じ自分がいるのだろうか
とさえ思えてしまう。そこで魂という言葉が出てくる。肉体は死んでも魂はあり続け、そこに心があるのだ
と考えるのだ。男性では魂など信じないと言っている人が多いようだが、そんな人でも安いからといって自
殺者が出た部屋に好き好んで入る人はほとんどいないように、どこかで信じているのだ。魂は肉体と違う心
の乗り物だとするなら、心こそ自分だということになるが、その心とはどんなものなのだろうか。
●脳が心なのだろうか?
心と肉体は違うのだろうか。心は肉体と完全に切り離すことはできないのだろうか。脳が心を作り出して
いると言っている人がいるが、それは本当だろうか。ある脳科学者は、このような人間の脳機能を持つため
には、脳に情報を入力する体が必要であると言っている。体と脳は切り離すことができないので、脳だけ切
り取ってそこにコンピュータのようなものを接続しても人の体験ができるわけではないという。それができ
たとしても、もうそれは人ではない体験となるだろう。何かの刺激が脳に入力される、脳は反射的な反応を
命令し、それから認知を起こし、次の行動を誘発させ、そこに自覚をもたらす。この一つの流れの中のどこ
に心が関係しているのだろうか。
解離性同一性障害というのがある。つまりは多重人格のことだが、これは複数の心が一つの脳にあるとい
うことなのだろうか。どれだけ多くの人格を持っていても現れてくる時はどれか一人なので、脳は人格モー
ドを切り替えているに過ぎないのだろう。記憶もそのモードによってとり出せるものと取り出せないものが
あるらしいので、人格というモードは脳処理の中心的な役割を果たすのだろう。この症状から考えると、
私 が一つの脳にたくさんいることになる。自覚されている 私 が心なら、一つの脳に心をたくさん入れる
ことができるということになる。それなら、脳は心が働く土台ではあるが、心そのものではないことにな
る。心というのは脳処理のモードであり、これはラジオの番組ようなものなのだろう。脳は心という番組の
チューナーで、その番組の周波数に合わせた時に心を受信するのだ。受信した時にはスピーカーから聞こえ
てくる番組は一つである。つまり、脳は同時に一つの心しか処理できないのだ。ここから考えられるのは、
脳は心ではないということである。脳と心は深い関係があるのだろうが、完全なイコールではないのだ。
●私は心なのだろうか?
心という番組を受信して処理する基盤が脳であるなら、心はどこに保存されているのだろうか。これも脳
にということが予想されている。脳は番組というモードを作り、それを保存しながらそのモードの上で処理
を行うのだ。このモードを複数持ってしまう人がいて、その人を多重人格というのだろう。でも、ここでい
う心というのはモードのことである。モードというのは人格や性格のことである。では、その 私 という人
格を自覚している自分は何と言うのだろうか。「私の性格は〇〇です」と表現した時、すでに私はその性格
の外から観察していることになる。なので自覚している私はその性格ではないことは明らかである。性格と
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いうのは心が見ている対象になり得る。性格は私ではないので、誰かの性格と自分の(自分が持っている)
性格を比べることができるのだ。この自分が今何を考え、どのようなことを思い、どのような感覚を感じて
いるのかに気づいているという能力のことをメタ認知という。ある考えが浮かぶ、その時よく観察してみる
と、実は考えというのはどこからかやって来たものであると分かる。私という意識の空間にある時突然一つ
の考えが生まれるのだ。そして、その考えにとらわれずに、そのままにしていると、考えは一瞬でどこかに
消える。この考えを生み出しているのは自分ではない。だから、考えというのは自動的なものなのだ。その
ことを表現するために、わざわざ「自動思考」という言葉をつかわなければならないくらい自然な出来事で
ある。「あっ、私は今このような考えを持ったぞ」と気づいている意識こそ“私”なのだ。そうなると、脳の
処理モードという心を観察している“私”がいることになる。ここには特徴はない。自覚という“私”は常に一
つであり、全く無個性で、表面意識や深層意識や記憶や反応を起こすものではない。たとえ記憶が失われた
としても、今この瞬間を体験している主体である“私”は在り続ける。多重人格者であっても、一度に一つの
人格しか出てこないという、つまり、今この瞬間の体験者は常に自分一人なのだ。解離性同一性障害の治療
の必要性の一つに、社会生活における混乱を解消するという目的がある。無理に一つの人格にならなくて良
いのだ。一つに統合しようとすれば、どれかの人格にとっては死ぬことと同じように感じる。これは恐怖で
ある。なので、実際は無理に統合は行わない。しかし、これを治療としてではなく、“私”の実験として考え
た時にはどうだろうか。本当に「死ぬ」のだろうか。一つの人格は消えるのだろう。それでも、そこに今こ
の瞬間を体験している“私”はいるのだ。人格は消えても“私”は死ぬことはないのだ。“私”に個性などなく、
比べる対象もない。形もなく、時間もない。生まれた時から今まで、ずっと“私”は自分のままだったのだ。
この“私”は何かの特徴があるモードではないので心とは呼べないのだろう。“私”の心はあっても、“私”は心
ではないのだ。
●全てが心の姿である
今この瞬間を体験している主体は 私 であって、体験の土台となっているのは心である。その心の土台は
脳だとすれば、脳は 私 の観察の対象でもある。脳外科医であるW.ペフィールドは「脳と心の正体」という
書籍で、心という意識の流れは脳から独立しているということを語っている。脳によってもたらされる体験
と、それを体験している 私 は別なのだ。ペフィールドは心と 私 を細かく区別していないが、実際は脳と
いう土台の上に動いている心と、それを観察している 私 という三つの仕組みがあってこの世界の体験が作
られている。このような仕組みの上で心を定義するなら、心というのは 自分が認知している全て というこ
とになるだろう。 認知している全て であれば、体験している肉体も心となるし、体験している社会も心と
なる。心というのを 全て とするなら、この世界は心の有り様ということになる。これは哲学的な答えかも
しれないが、とてもシンプルで、大雑把すぎてかえって確かである。全てが心なので、他者も世界も 私 の
心の姿である。
●私はどこにいるのだろうか?
心は世界も含めて認知される全てである。では認知している主体の 私 を何と呼べばいいのだろうか。こ
のことは宗教や哲学などさまざまな文献にも描かれているようで、 純粋意識 とも呼ばれているようだ。こ
の主体である 私 を純粋に体験してみようと考え、私は体験している主体に集中した。目を閉じてみる。そ
の時の視覚的な体験は真っ黒ではない。靄が見えている。そこに意識を集中すればはっきりと輝き出す。色
も見える。意識で形を変えることも可能である。今度は目を開ける。目の前の白い壁の上にそれも見ること
ができる。これは残像ではなく、私の意識が作り出した幻である。訓練すれば形も色も自由に変えられるよ
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うになり、白い壁じゃなくても普通の空間に見れるようになる。さて、この見ている自分はどこにいるのだ
ろうか。その意識というのはどこから出ているのだろうか。見えているものの外にいるのだろうか。誰が誰
に問うのだろうか。そうやって2年ぐらい、主体そのものを追っていった。目の奥にいるのだろうかと思え
ば、その目の奥を 見ている 存在がいることになり、目の奥にいないことが証明される。いつしか、この主
体は客体視できるものではないことに気づいて実験は挫折した。挫折してから数日後、宿泊していた東京の
ホテルで不思議な体験をした。真夜中にふと目覚めると、いつもと変わらない暗い部屋が見えたのだが、私
の捉え方がおかしくなっていた。テレビの輪郭線から中の領域は「テレビ」であり、机の上のランプの傘の
輪郭線の中は「ランプの傘」なのだ。視覚という一つの 絵 の中の部分部分が 私 に対して強く主張して来
る。私はそれに圧倒されながら、もしかすると普通はこのことに気づかないのだろうと考えた。私はこの視
覚という一枚の 絵 のいたるところに意味をつけて、その意味を見ていたのであって、視覚という体験その
ものには何の疑いもなく、三次元の世界だと思って見すごして来たのだ。この視覚という体験や、そこら
じゅうにある意味を生み出しているのは私自身である。 私 というのはこの空間そのものであって、 どこ
に という特定の地点などない。地点を見ようとするこの意識そのものが 私 なので、いつまでたっても 私
を特定することができないでいたのだ。さまざまなものへの気づきが生まれる空間というのが 私 自身であ
るなら、場所の特定は不可能である。当たり前すぎてこの感動を誰にも分かち合うことができない。それか
らすぐに図を描き始めた。この図には 意識の構造 という名前をつけた。
●意識の構造
フロイトは今現在気づいている意識の下には、気づいていない意識や気づくことができない意識というの
があるということを言った。 無意識 というやつだ。人は無意識で何かを感じ取り、それを処理し、結果を
決めてから表面の意識に上げているようである。大学の頃に読んだ書籍には表面的な意識は意識全体の12%
であると書いてあったが、30代の頃に読んだ書籍には3%であると書かれていた。ある脳科学者の書籍に
は、ヨーロッパの暗黒期と呼ばれていた頃の人はもしかすると0%であったのではないかということも書か
れていた。とにかく、ほとんど無意識なのだろう。神経学者のリベットの実験では、認知される前の無意識
の処理は人が思うより複雑であることが解った。研究が進むにつれ、無意識の処理はとてつもなく複雑で多
く、表面的な意識など確かに数%に近いのではないかということが解って来た。むしろ、表面意識というの
は無意識によってつくられた幻であって、本当は0%なのではないかということまで言われている。そのよ
うな幻よりも、脳の処理だけを見れば十分に人工知能の開発は可能となる。だからと言って「脳が心であ
る」という結論は早すぎる。心そのものがまだまだ解っていないからだ。
とりあえず、どうやら私たちは自分を意識的な存在であるという幻想を抱いているようだ。無意識をもう
少し細かく見ていくと、心理テストなどを行えば気づくことができる表面的な意識のすぐ下の意識と、さら
に下で処理をしている全く自覚できない意識がある。なので、表面意識の下を全て 無 と呼ぶのは乱暴であ
る。そこで、私は表面意識の下を 深層意識 と呼び、その中にテストで解るような浅い意識の 潜在意識
と、全く解らない意識の 無意識 を入れた。さらに、心理学者のユングは無意識には個人的なものと人類に
共通するような無意識とがあるという説を立てた。これを図に加えると全ての人は 集合的無意識 としてつ
ながっているという形になった。では、集合的無意識をどんどんつなげていくとどうなるのだろうか。そう
考えてみると、最終的には全てが一つとなった意識となる。なので、全ての者は一つの意識の中に共存して
いるのだ。これが意識の基本的な構造である。
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意識の構造
表面意識
深層意識
私
他者
表面意識
潜在意識
潜在意識
個人的無意識
個人的無意識
集合的無意識
▲人には自分が気づいていない深い意識がある
▲ユングは人類共通の意識である集合的無意識を提唱
私
私
集合的
無意識
▲そのような 私 を体験しているのが「本来の自己」
▲集合的無意識をどんどんつなげていくと
一つの大きな意識があることになる。
表面意識 他者
私
自我
深層意識
▲「本来の自己」は非二元の全体性という
気づきの 空間 である
深層意識
「導く意識」
「本来の自己」
▲「本来の自己」はすでに目覚めている。
生命というのは「本来の自己」の中にある
意志であり、夢の中で情報とエネルギーを持つ。
夢の中の 私 を目覚めに導くのは、
夢を見ていることを知っている記憶である
「導く意識」である。
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●「本来の自己」という空間
意識の構造を描いてみた時、一つの疑問が出てきた。それは、「心が在る空間とは何だろうか」というこ
とである。心が在るなら、それを存在させている 場 というのもあるからだ。そう考えた時、一つの仮説が
生まれた。もしかすると、無数の個性的な意識の集合体である一つの意識さえも実は幻なのではないか、と
いうことである。これは存在しないという意味の幻というよりも、何らかの現象として姿をとっただけの模
様、パターンのようなもののことで、それが表現されている場というのは、内側も外側もない、全てであ
る。ついでに、意識の図のような丸い 形 ではなく、シナプスのような複雑な網の目のような形をしていて
もよいのだから、形というのにとらわれず、もっともっと抽象的で想像もできない構造であってよいのだ。
人のイメージの限界を超えたもの、時空を超えたもので、これは非二元の全体性であると仮定できる。どこ
にも特定できない 空間そのもの が、このパターンを観察している者である。その者というのには形がな
く、幻によって作られているこの世に属してはいない。私はこの空間のことを「本来の自己」と呼んだ。純
粋意識と同じことを指すのだろうが、 意識 という言葉からも離しておきたい、意識ではない存在である。
なぜなら、意識の構造の全体を覆っている 場 そのもののことだからだ。「本来の自己」に特定の姿はない
が、 私は在る という 無為 と、 私は創造する という 意志 がある。「本来の自己」の意志によって意識の
構造が作られ、その中に世界が成り立ち、同時に「本来の自己」は 私 を見ているのだ。当然人格を超えて
いるので、「本来の自己」に統合しようとすれば個性的なこの 私 には死の恐れがやって来る。本当は死な
ないのだが、この愛着がある自分は消えてなくなるのは間違いない。「本来の自己」は死ぬことはない。な
ぜなら、永遠という 場 だからだ。
●この世は幻であると言える理由
では「本来の自己」という 場 は何によって支えられているのだろうか。「本来の自己」を支えているも
のも当然意識を超えたものである。意識を超えたものを人の頭では理解できない。なので、とりあえず「源
(source)」と呼ぶことにする。「源」は 場 を保存している、それだけである。たぶん「源」はその完全
さゆえ、 場 を支えられるのだろう。ここでイメージは終わる。「源」については何も言えない。言うこと
ができない。図としても描く事ができない。とりあえず押さえておくのは「本来の自己」として現れている
無個性で、透明な純粋な気づきが在るということだけである。
「本来の自己」は気づきに対しての現れが起こる空間である。そしてこの空間にさまざまな現象が展開さ
れている。現象が展開され、同時に現象を観察しているのが「本来の自己」である。これらの現象の一つが
私 なのだ。宮沢賢治の詩の中に わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体) というのがあるが、意識の構造から読むと、とても上手い表現だと思
う。認知されているものは、「本来の自己」の夢のなかで、 私 という主体で体験されている対象というこ
とになる。「本来の自己」という 場 においては主体と対象は一つであり、一瞬浮かんだ考えのようなもの
なので、この世は「本来の自己」の夢であると言えるのだ。なのでこの世は幻なのだ。それでも、この世で
生きる 私 にとっては、体験している目の前のものは 私 に対して物理的な影響を持つ。なぜなら、それは
私 と同じ成分で出来ているからだ。なので、この世で生きるということは、この人格を有する 私 にとっ
て大変興味深いことである。空間という透明な「本来の自己」なんかよりも、叩くと痛い目の前のコップの
方が現実味があるのだ。それでも「本来の自己」については、 私はここに在る という実感として忘れては
いないのだが。
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第3章:癒しの目的
●拠り所を与えるのがセラピーなのだろうか
さて、心を細かく考えてみたが、その目的は“癒し”とは何かを明確に定義づけることである。カラーセ
ラピーと表現した時、色で何をどうすることなのかということを言わなければならない。何となく気持
ちがいいからいいじゃない、何となく幸せな気分になれるからいいじゃないというなら、麻薬をやった
方が早い。社会的に問題があるからダメかもしれないが、私はとりあえず幸せなんだからいいじゃない
という一過性の思い込みには興味がない。私たちは幸せになりたい、でも嫌でも幸せであり続ける仕組
みで進化はしなかった。それはなぜだろうか。生きるということに苦しみが含まれるなら、この不快感
を感じなければいけない本質的な理由は何なのだろうか。なぜ苦しいのに生きるのだろうか。痛み止め
を打って、痛くないというのは健康になったということではない。痛みを感じていなくても皮膚の下で
は病気が進んでいる。だからやがてもっと痛い目にあう。だから痛くても治療が必要となるのだ。
薬にも症状を抑える薬と治療のための薬があるように、癒しの手法にも気分を和らげる手法と根本的
な手法があるのだろう。気分を和らげるだけなら、法的に認められているタバコでもギャンブルでもお
酒でも良い。また、何らかのタイプ論や占いや霊的アドバイスも速効性があるだろう。数年間効果が続
くものだってあるので悪くはない。でも、これらが最終的に何をもたらしてくれるのだろうかと考えた
時、ゴールが分かれてくるのは確かである。タバコは不健康な状態と罪悪感を、ギャンブルはお金の問
題と罪悪感を、お酒はアルコール中毒かお金の問題か酔ってやらかした後悔と罪悪感を与えてくれる。
それも人生なので悪いわけではない。楽しい範囲でほどほどにやれば幸せである。何らかのタイプ論や
占いや霊的アドバイスでは自分とは何かという拠り所が得られるかもしれない。誰かを亡くした悲しみ
を超えて生きるためにすがることができる拠り所が得られるかもしれない。しかも罪悪感は感じなくて
済む。高い壺を買わされてお金の問題を抱えることがないのなら、なんらかの団体に入るのも、助け合
える人たちとの出会いがあって安心を感じることができるかもしれない。だから私は宗教もカルトも否
定しない。これらに共通しているのは“拠り所”である。生きる為に、幸せになるために、安心のために何
かにすがるということである。それは悪い事ではない。むしろ良い事であり、拠り所がない人よりもあ
る人の方がストレスが低く、苦しい時を超えられ、生きる力も得やすい。“信じる力”というようなかっこ
いい言葉もある。信じている者は精神的に強い。それは戦場でもそうであることは歴史から見ても解
る。
では、癒しとは拠り所を与えることなのだろうか。それも、社会的に認められる形の、より安全で、
より信頼できる拠り所を与えるということなのだろうか。つまりそれは、痛み止めと同じである。生き
る過程の中で苦しみを感じているので、生き続けられるように痛み止めを打つということだ。問題があ
るとすれば、友人たちを失ったり家族から孤立して無援の状態になるか、金銭的な問題を抱えるか、健
康的な問題を抱えるかという社会的な問題である。これらの問題があるなら、それは拠り所というより
も脅迫的な執着、依存状態である。こうなるともっと苦しい状況に落ちてしまう。これを恐れて洗脳や
カルト集団や霊感商法を問題視しているのだ。拠り所を与えるだけなら生きやすさを提供できるかもし
れないが、拠り所に依存させて社会的に困窮させれば苦しみが増す。拠り所を与えるセラピーならそこ
に注意した方が良いだろう。でも、拠り所を与えるというのは痛み止めの薬と同じである。一生痛み止
めが効くこともあるのであまり問題ではないが、人生は何があるのか解らない。拠り所は一瞬で消える
かもしれない。その時は別の拠り所を探さなければならない。本当にこれでいいのだろうか?
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●メンタルケア
メンタルケアという目的で、医療機関と連携をとって社会的に信頼できるような仕組みで活動している人
たちもいる。このような人たちは公的機関との連携も取りやすく活躍の場が広がっている。霊感商法の問題
も起きにくいため安心できるのだろう。彼らは何をケアしているのかというと、それは社会的な心である。
心も体も社会的にも満ち足りた状態がWHOの言う健康なのだ。満ち足りた状態というのは人それぞれだ
が、法律で定められている基本的人権が守られ、健康で文化的な生活ができるようにサポートしているの
だ。この活動に 癒し という言葉を持ち込むなら、それは病気の治療となる。社会的に生きることが難しく
なる心の状態を治療するのである。サポートする人も治療や薬の処方は医師がやるので医療機関との連携は
必須となる。そこで病気のことも薬のことも一通り勉強する必要があるし、裁判などでその対応を問われた
時のためにも相談記録を書く必要がある。
日本の医療では少々薬に頼りすぎるところがあるかもしれないが、薬を使わないとどうしていいのか解ら
ないのが心の病気でもある。病気なのだから仕方がない。心のことなど科学で解っていなくても、脳機能の
ことなら解って来ているので、その点で何かできることは多く、そのほとんどは薬によるものである。彼ら
のカウンセリングには、ただ話しを聞いて気持ちを発散させるのが目的ではなく、心の病気の疑いがあるの
かないのかを観察し、必要があれば医療機関につなげるという目的もある。
メンタルケアでは拠り所について気にする必要はない。なぜなら、病院や医師やカウンセラーやセラピス
トが拠り所となるからである。そこには信頼できるだけの看板もあって、医師免許も医療保険適用も法的な
対応も看板になる。残るカウンセラーやセラピストだが、彼らは彼らで何らかの団体を作っている。団体に
信頼があれば、そこに属することで自分も看板を掲げられる。それが資格である。そこにマーケットがある
ならビジネスが成り立つ。こうして資格・検定ビジネスが乱立することになる。それはメンタルケアのサー
ビスが広がることにもつながるので悪くはない。ただし、これらが提供できるのも拠り所である。病気では
ない根源的な生きる苦しみは扱えない。この訴えを医師にすると、うつか強迫症か何らかの障害が疑われる
だけだろう。医師は病気の専門家なので、病気でなければ健康なのだ。医師ではなくカウンセラーに相談す
るのもいいだろうが、彼らがその問いに答えられるかどうかは解らない。これは医学的な問題でも社会的な
問題でもないからだ。実在の問題は哲学の話しなのだろう。宗教の方が上手く答えてくれそうだが、別の拠
り所が与えられるだけかもしれない。社会的に見て医療と宗教のどちらが安全で効果的かは、その時々によ
るのかもしれない。余命が宣告された患者にとっては宗教的な支えも必要となるだろう。それはスピリチュ
アルケアである。両方の良い面を合わせれば、もっと人に優しいケアが可能だと考える。一つの拠り所の足
りない所を、別の拠り所が補うということだ。
●「本来の自己」への目覚め
癒し というのを「本来の自己」から捉えてみる。「本来の自己」はあらゆるものが生まれては消えてい
く空間そのものである。そして、現れたものに気づいてもいる。この肉体を持った私という人格もその空間
に生まれた。「本来の自己」という永遠の中で、この私という幻は一瞬生まれた現象である。その一瞬の人
生の中で、消えることを恐れている。なので、消えないように自分というのを守ろうとするのだ。なので、
この私という現象は一つの 考え でなのである。その考えというのは、「この空間から独立した唯一の個性
的な存在として実在し続けることができるのだろうか」という考えである。「本来の自己」からすると不思
議なテーマである。幻が周りの他の幻から独立して実在できるかと悩むのだ。この考えが浮かんだ時、多重
人格の一つの人格のような恐怖も生まれるのだ。それは 私は死にたくない ということである。この恐怖に
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囚われて、自分の焦点が「本来の自己」から幻の人格の方へ移動してしまう。ちょうど怖い映画に没頭して
しまって現実を忘れてしまったような感じだ。この映画の主人公である幻の人格のことを「自我(ego)」
と呼ぼう。自己は「self」であり、自我は「ego」である。この違いは「self」は「本来の自己」を指すが、
「ego」は幻を指すということである。それでも何が「self」か解らなくなるようで、あえて「true self」と
呼んでいるのも見かける。それだけ自分とは何者かを忘れているのだろう。「本来の自己」からすれば、苦
しみを完全に終わらせるには、「自我」は自分ではないという事実に覚めるしかないことになる。本当の
癒し というのは「本来の自己」への目覚めということになる。「自我」に別の幻の拠り所を与えれば、今
度はその拠り所と同一化しようとする。それがあることで「自我」が強化されるからだ。自分を保存した
い、安心したい、強くなりたい、そういう願いは「自我」にとって賛美されることであり、そこに力を与え
るような拠り所があるなら、それを是非自分の一部としたいのだ。間違ってはいけない。「自我」は悪くは
ない。「自我」はただ欲しいだけである。そういう自己保存の考えなのである。「自我」を消そうと思わな
いでいいのだ。ただこの考えは「自我」であるということに気づいて、その考えがあることを認めて、赦し
て、やがて静かに消えていくことを観察し続けるだけでいいのだ。安心してほしい、「本来の自己」は死な
ない。 私 はもともと「本来の自己」なのだ、だから「自我」が消えた後は、恐れに囚われていたことさえ
忘れているだろう。
「本来の自己」への目覚めは痛みを抑える薬とは違う。そもそも痛み苦しむ者がいないということへの気
づきである。生まれてもいないので死ぬこともない。自分という個性的な人格も含めて、この世のどのよう
な拠り所も全て消える。でも、決して消えることがない、消すことができない、永遠の今この瞬間にある
「本来の自己」だけが唯一事実として在り続ける。このことは別に哲学や心理学や物理学などの学問で論じ
られなくても揺るぎない事実である。今ここに私は在るという事実は何かで証明されなくてもいいくらい明
確なのだ。
●プロビデンスの目
ユングは癒しの道を 個性化の過程 と表現した。そして、その地図のようなものを、人々の集合的無意識
に設定されていると考えられる曼荼羅に見出そうとした。人々はなぜか曼荼羅のうような図形に完全性や全
体性を感じる。宗教や神秘思想においても曼荼羅のような図が多く見られ、そして中心には偉大な何かがあ
るように感じる。ユングは、心の成長、癒しの過程というのは、曼荼羅の周辺から真ん中を目指して進むよ
うなものだという。それが 個性化の過程 である。では中心にあるのはなんなのだろうか。私は、ユングは
その真実に気づかず亡くなったのかもしれないし、もしかすると文献に残っていないがユングが最後に知っ
たものがあるのかもしれないと考える。それは 目 である。アメリカの1ドル紙幣に描かれているピラミッ
ドの上の目である、イルミナティやフリーメンソンと関係の深い『プロビデンスの目』もこれを表している
のだろうが、 目 が曼荼羅の真ん中、ピラミッドの頂点にあるのだ。ピラミッドを上から見るとちょうど曼
荼羅のように見えるのも面白い。 目 自体はシンボルであり、誰かの目ということではない。そして 目 は
二つではなく一つである。 目 とは視点の元である。そして視点の元にあるのが「本来の自己」なら、これ
は「本来の自己」としてこの世を体験している意識を象徴する。ユングの 個性化 の最終的なゴールはこの
「本来の自己」であるなら、それは 個性化 というよりも 無個性化 または 全個性化 か 超個性化 ではない
だろうか。ここに個人は存在しない。あるのは「本来の自己」としての 目 、すなわち体験だけである。 目
覚める という言葉の中にある 目 というのは、「本来の自己」としての意識のことなのである。これはも
う、信じるか信じないかはあなた次第かもしれないが。
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●生命の木
癒しの先は「本来の自己」であり、「本来の自己」へ向かう道は健康であるということなら、心の成長、
癒しの過程を進めば健康になるということである。そして、集合的無意識には癒しの過程に気づくべく曼荼
羅という地図があらかじめ設定されているというなら、人は特に問題を抱えなければ、自動的にその地図の
感覚から癒しの方向に気づいて進むことができるように設定されていることになる。それは宇宙の始まり
(始まりがあれば)、生命の誕生ということからも解る。種を植えれば芽が出るように、生命というのは本
来、生きるということが自動的に設定されている。傷ができれば再生される。しかし、形としては死ぬこと
もあるように見える。生命というのを大きな一本の木として考えてみれば、小さな枝、葉として生まれた形
は折れたり、枯れたりもする。しかし、大きな木は死ぬことなく、生命を営む。 私という現象 はこの木の
一枚の葉だとするなら、より大きな生命の営みの一部であり、葉が枯れても木は死なないということが解
る。それはどこかで生きているというようなことではなく、そもそも木であるということで生き続けるの
だ。本当のところ、 私 とは葉ではなく 生命の木 なのである。しかし、この生命という木には解りやすい
形というのがないように思える。それは情報を持ったエネルギーという感じである。時間も形も存在しない
営みをどのように理解すればいいのかは解らない。ただそれを見ている 目 はある。同時に 目 はそれを創
り出してもいる。自分で創り、自分で体験している。これが「本来の自己」の夢としてのこの世とここにい
る 私 である。
私たちは元から無意識で癒しの道に気づいているのだから、癒しの仕組みは 私 にあるのではなく、「本
来の自己」にある正常な記憶なのかもしれない。その記憶が健康な生命の状態へと導くのだ。しかし、意識
が分離しているように見えるこの世においてはそのような記憶さえも分離した何らかの存在としてイメージ
されるだろう。人々が思い描いている天使や観音のような神聖な超人的存在とは、実はこの記憶・意識のこ
となのかもしれない。私はMEにおいてもこの記憶・意識は癒しにおいて最も重要なものだと捉えている。
そこで、この記憶・意識のことを「導く意識」と呼んだ。キリスト教を調べてみると、キリスト教における
聖霊というのは、もしかするとこの「導く意識」と同じなのかもしれないと考える。そうなると天使という
のは、プログラミング言語的に考えると、聖霊というクラス(class)のインスタンス(instance)というこ
とになる。プログラミングの目的は「本来の自己」への目覚めであり、この目覚めプログラムの大元の仕組
みは聖霊として設定されていて、その具体的な作業は聖霊の意思を継承した天使が行うということである。
生命にはもともと目覚めプログラムが実装されているのだ。なので、そのプログラムの処理をあえて邪魔し
なければ自動的に目覚めていくようになっているのだ。これは完全なる神のプログラムであるためバグはな
い。バグがないというプログラムを作ることは可能だろうかという考えは、残念ながら人の頭では答えられ
ない。数学さえもそこには行けない神の領域である。これを 智識 と呼ぶのだろう。癒しというのは、この
神のプログラムによって支えられている生命の木を信頼することから始まるのだろう。
●癒しのゴール
さあ、 癒し のゴールが揃った。一つは社会的に問題がない「自我」の拠り所を得ること。そして、もう
一つは「本来の自己」へ目覚めることである。「自我」の拠り所の方が理解しやすく、具体的で、即効性が
あるように思え、科学もついていきやすい。そして、「自我」の苦しみを取るという目的なら、倫理的に正
しく感じられ、社会的にも認められやすい。だから、「自我」を生きている人の権利として法律でも認めら
れている。誤解が起きないようにもう一度書いておくが、「自我」は悪くない。この世は「自我」と同じ成
分でできているので、この世にあるものは「自我」に影響を与えることができる、化学的で物理的な真実で
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ある。「自我」を生きている人にとって、この痛みや苦しみは解決されるべき問題であって、「自我」を守
ることに問題はない。「自我」は海の中の水の一滴のようなものであるため、その一滴が他の水とどう違う
のかということは大問題である。だから、つねに消えてしまわないよう真剣に、それこそ命をかけて働き続
けている。そんな健気な「自我」をいじめても仕方がない。そもそも実在しない「自我」という一つの考え
として暖かく見守り、その渇望が安らかに終わるよう祈るばかりである。でも、それと「本来の自己」への
目覚めは違う。「自我」の最高の拠り所は一生ものかもしれないが、「本来の自己」への目覚めは永遠であ
る。夢を見るのは病気ではないし、悪いことではない。楽しい夢なら良いし怖い夢なら辛い。それだけのこ
とだ。だからせめて幸せな夢になるよう、「自我」の不安を落ち着かせ、拠り所を与え、少しでも幸せな人
生となるようにサポートすることは大切なことなのだ。そのような 癒し もある。そしてもう一つ、その安
心の中で「本来の自己」へ目覚めていくという本筋の 癒し がある。拠り所を与えて落ち着いた所で、その
拠り所も、その拠り所を欲している「自我」も、そもそも幻想であるよう気づいて行くのが「本来の自己」
への目覚めである。
これはスピリチュアルなのだろうか。 spirit というのが魂のことなら、個別の魂というのがあったらそれ
は「自我」なので、「本来の自己」への目覚めというのはスピリチュアルな道とは言えないかもしれない。
でも、 魂は沢山あっても霊は一つである と定義して spirit を霊とするなら分離した魂ではないので、スピ
リチュアルな道と表現しても良いだろう。これは洗脳ではなく、正真正銘の脱洗脳である。「自我」という
洗脳からも究極的に目覚める道だからである。MEではこの「本来の自己」への目覚めを 癒し の本当の
ゴールとした。このゴールに向かう途中の目標として、拠り所を与えて「自我」を安心させる小さなゴール
というのもあって良い。小さなゴールを積み重ねてやがて本当のゴールを迎える、優しく目覚めていく道で
ある。それがMEの癒しである。時間軸で考えれば、このゴールは今世で達成できなくても良いゴールかも
しれない。しかし時間も「本来の自己」にとっては幻想なので、実はすでにゴールしている、いや、もとか
らスタートなどしていないのかもしれないが…。
●心のトータルケア
MEの目的は「本来の自己」への目覚めである。そこまでのステップは、「自我」の恐れを和げながら幸
せに目覚めていくということである。そのための道具の一つとして色も使える。そしてカラーセラピーは目
覚めのための方法であるなら、 Mind Element(心の要素) という表現はふさわしくない。確かに、色は幻
である個性的な心を構成する一つの要素ではあるが、それでは色のことしか表現していない。心の要素とい
うのを「自我」が感じとるあらゆるものと広げたとしても、それらは全て幻である。「本来の自己」への目
覚めという道そのものを表現するには改名が必要である。しかしMEカラーセラピーという名を使ってやっ
て来たので全く変えたくもない。そう悩んでいたら、どこからか Essence という言葉が降って来た。つま
り心を成り立たせている最も重要な本質である。それは霊的存在のこと、「本来の自己」である。こうし
て、「本来の自己」そのものの名を掲げたカラーセラピーとして、表記はそのまま『MEカラーセラピー』
で、その訳だけを改めた。真のMEは Mind Essence(心の本質) である。本質的な癒しというのは、「本
来の自己」への目覚めである。しかし、それだけでは「自我」が怯えるので、生きている間、夢の中ではそ
の登場人物として幸せに生きられるようサポートも行うのだ。こうして、心のトータルケアのカラーセラ
ピーとしてMEカラーセラピーは再スタートした。
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第4章:MEカラーセラピーのメソッド
●三つの基本メソッド
MEカラーセラピーには三つの基本メソッドがある。一つ目は、色を使ってその人の癒しのテーマを扱う
『MEカラーリーディング』、二つ目は、色を使って抽象的で微細な感覚を扱う『カラーイメージ法』、三
つ目は、塗り絵で深層心理を扱う『色彩投影法ワーク』である。MEカラーセラピストはこの三つのメソッ
ドを使って癒しを進めて行く。どのメソッドを単体で使っても癒しはあるだろうが、組み合わせて使うこと
でより効果的な癒しが可能だろう。MEカラーセラピーは、ブラックボックスである心をこの三つの基本メ
ソッドを駆使して扱うのだ。
●MEカラーリーディング
MEカラーリーディングでは基本の18色(金色と銀色を入れると20色)を使うが、別に何色であって
も構わない。全ての色を揃える必要もないので、たった6色でも可能だ。最近なぜか気になる色、街でよく
みかける色というテーマで1色だけ扱っても良い。基本の18色の中にはない色が気になっても良く、「赤
色を選んだけれど、今日はもっとマゼンタに近い赤色が良い感じがする。」というように自由に感じて構わ
ない。思いたいように思い、感じたいように感じる、そうやって感受性の扉を開けば、その中に入っている
深い感情を扱うことができる。深い感情は癒し甲斐がある。選ぶ色も一度に1色といわず3色あっても良
い。ただし、数が多いとそれだけ手間がかかるので、できるだけ少ない方が良い。初心者は1色の方が楽だ
ろう。色を選んだら、その色とつながり、浮かんだイメージを単語で良いので書き出していく。セラピスト
がいるなら、セラピストが書いてくれるだろう。それから、書き出した言葉から癒しのテーマに気づいて行
くのだ。これはとても単純な方法だが、かなり深い気づきを得ることができる。慣れたセラピストがサポー
トしてくれたら、自分だけでは気づけないようなことにたどり着くこともできるだろう。
癒しのテーマというのは大きく分けると二つある。一つは 恐れ を中心としたテーマである。これは「自
我」に属する。表面的に問題として扱えるのはほぼこの 恐れ に関わるものだと考えて良い。 恐れ はそれ
を埋め合わせる自分以外の何かを欲している。つまり 拠り所 である。安心や勇気といった感情的なものか
ら、お金、時間、モノ、人、地位など現物的なものまで、ありとあらゆる拠り所がターゲットとなる。しか
し、すべての根っこは同じ、「自我」にある 恐れ である。この 恐れ には理由があるのだが、それは癒し
が進んで行くとわかってくるだろう。
癒しのテーマのもう一つは、 愛 である。これは「本来の自己」に属する。癒しが進むにつれてこのテー
マが強く出てくる。ただし「自我」に属するテーマと違い、自分に無いということではなく、元からあった
ということに気づいていくテーマである。なので、このテーマを扱いだした時、この世の体験が変わってく
るだろう。今までの習慣が大きく変わることもあるかもしれない。この 愛 には大いなる秘密があるのだ
が、それも癒しが進んで行くとわかってくるだろう。
セラピストはセラピーを行っている時、どちらのテーマを扱っているのかに注意を向けている。そして、
セラピストは癒しの道を一緒に歩む者として、自らも目覚めていくことになるのだ。セラピーを提供してい
て苦しくなるのなら、それは間違った癒しを行っていることの合図なのだ。
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●カラーイメージ法
カラーブリージングと呼ばれる方法があるが、カラーイメージ法は若干捉え方が違う。正確に言うならカ
ラーブリージングはカラーイメージ法の一部分である。カラーイメージ法は自分の状態をある情報・エネル
ギーにつなげる手法である。これは条件付けや催眠療法と呼ばれるものでもある。カラーイメージ法には型
というのが沢山あるが、基本的には催眠誘導と同じである。セラピストがいればサポートしてもらえるが自
分でもできる。しかし、カラーイメージ法で大切なことはそのやり方ではなく、どのような情報・エネル
ギーをつなげるのか、どれだけ強くつなげるのかということである。リアルでなくてもリアリティは重要で
ある。
カラーイメージ法は言葉となる前の微妙な状態を扱う。これを色に置き換えることで楽に扱えるのであ
る。色というのは抽象度がとても高いため多くの情報・エネルギーが扱える。同じ色でも、その時々でつな
がるものが違う。その色がどのような情報・エネルギーと結びついているのかは、今の自分で感じ取った方
が良いのだ。なので、この色に対して多くの人がこう感じるからといって、必ずしもそのように扱わなくて
良い。どのような色にどのような情報・エネルギーが感じられるのかはMEカラーリーディングにて調べる
ことができる。なので、カラーイメージ法はリーディングにつなげて行うとより効果的である。
●色彩投影法ワーク
多くの方からあまり重要と思われない手法がこの色彩投影法ワークである。一見するとただの塗り絵であ
る。心理分析とも見られる。しかし、本当はMEカラーリーディングとカラーイメージ法を一緒にした深い
癒しの手法なのだ。この手法は自分でじっくり行ってみると効果を実感することができるだろう。その後、
誰かと一緒にやりたくなるかもしれない。知らない人がこの作業だけをしてもただの塗り絵だが、セラピス
トが行うと深い癒しを可能にする。その違いはMEカラーリーディングとカラーイメージ法を一緒にした手
法という説明からも解るだろう。大切なのは作業そのものよりも、その目的なのだ。癒しのために行うな
ら、ただの塗り絵とは全く違うものになる。
●プロセス型セラピー
MEカラーセラピーの三つのメソッドは、セラピーの流れでその人その状況に合ったものをライブで組み
合わせて使う。その時、どのようなメソッドがどのように使われるのかは癒しの過程(プロセス)による。
決めるのはセラピストでもセラピーを受けている本人でもない。なぜなら、セラピーを受けている本人はす
でに迷っているのだ。迷っている人に道を尋ねても解らない。セラピストが知っているのかというと、ME
の基本は本人に聞け!なので答えられない。では、誰が知っているのか。それは「導く意識」である。セラ
ピストが見ているのは、耳を傾けているのは、感じ取ろうとしているのは、実は「導く意識」なのだ。これ
はスピリチュアルといえばスピリチュアルだろう、しかし科学的な見方も可能だ。起きていることが起きて
いるに過ぎない、そして間違いがあるなら、それが生まれた道の上でいくら解決しようとしても答えは得ら
れないのだ。この間違いの道を超えた所で見直さなければならない。MEカラーセラピーが大切にしている
のは、今ここで起きていることであり、今ここで感じていることである。そして何が 恐れ で、何が 愛 か
は「導く意識」が教えてくれる。どのようなタイミングで癒しが進んで行くのかも「導く意識」が決める。
セラピストはそこに大いなる信頼を寄せて目の前の人と共に体験するのだ。そして共に癒しの道を歩む。全
ては目覚めのためのプロセスである。どのようなプロセスも大切に一歩一歩、歩んでいく。それが遅いと
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か、速いとか、誰かと比べるものではない。常に自分のプロセスがあり、そこにセラピストがいるなら二人
の共通のプロセスがあるだけなのだ。
●荒々しい恩寵
MEカラーセラピーでは 拠り所 と「本来の自己」を別に扱う。 拠り所 なら 拠り所 として扱うのだ。そ
の効果は一時的であり、セラピストはそれが癒しのゴールではないと知って使う。知って使うのと知らない
で使うのとでは全く違う。それは 手離れ である。一度握られた 拠り所 は決して離してはいけないもので
はなく、タイミングをみて離した方がよいものである。いつまでもそこにしがみつこうとするなら、癒しの
プログラムが自動的にその指を離しにかかってくる。これは時として 荒々しい恩寵 として体験される。つ
まり、 拠り所 はいつかは自動的に消えるのだ。ならば、 拠り所 はそれが消えるまでの一時的な避難所と
して使い、注意は本筋に向けて癒しを進めていくしかない。嵐の海では救命ボートに乗ったからといって安
心はできないのだ。 拠り所 は一時的な幻であり、「自我」も同じである。「本来の自己」だけが在り、そ
れはこの世に属してはいない。これは宗教ではなく事実である。癒しを行うなら、この仕組みをよく理解し
ている必要がある。そうでなければ、「導く意識」を信頼できないし、つながることもできないため、何が
恐れ で何が 愛 かに気づくことができない。気づけないと対処を間違ってしまうのだ。ただし、対処を間
違ったとしても、いつか正されるので問題はないのだが、楽になるなら早い方が良いと思う。辛い人生とい
う夢も良いのだが、見ていて辛いものがある。そういう私も困難な人生が好きらしい…これは「自我」の声
である。MEでは「導く意識」とつながれるなら、セラピストは相手と一緒に癒されていくことができるの
で、セラピストが完全に癒されてからセラピーを行わなくて良い。なので、完璧な人にならなくて良いの
だ。完璧な人になろうという「自我」の誘いに乗らずに、ただ全ては癒しのプロセスにあると「導く意識」
を信頼して謙虚に歩んでいくだけである。
●MEカラーセラピーの道具
実はMEカラーセラピーには決まった道具というのはない。ただ、全くないとどうしたら良いかわからな
いものである。色のイメージも実際に見ていないと難しい。そこで、意味として分けることができる基本の
18色と金と銀を合わせた20色をカードにしたものを作った。さらに、それらの色のイメージの補足のた
めの資料も作ってみた。色のカードを作ってから気づいたのだが、カードを裏側にしてシャッフルし、任意
の一枚を選んで偶然目にした色であっても、何かしら今のテーマが出てくるということだ。どうやら人には
偶然というのはないのか、それともどのような色にでもテーマを見つけることができるのか、そういう才能
があるのだろう。実際に多くの人と裏側でリーディングをやってみた結果、全く何も意味が見出せないとい
う人に出会ったことはなかった。そもそもそういう人がいたとしたなら、きっと自分が感じている感情さえ
も切り離してロボットのように生きている人なのかもしれない。そういう人はカラーセラピーに興味を持つ
こともない。私はカラーセラピーではそういう人に出会わなかっただけだ。ただし、別な所では沢山出会っ
た。自殺防止のために人々のサポートしようとしている人にさえ見られた。なぜか男性に多い。
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第5章:MEカラーセラピーの学び
●あなたの先生
MEカラーセラピーは書籍で学べるようなものではないのかもしれない。それでも、何とかしようと考え
ているが難しい。その理由は、癒しにおいて大切なことは本人の中にあるからである。セラピストになりた
いなら、自分が抱いている疑問を全部吐き出して学んでいく必要がある。正直に疑問を持つ、そして同時に
癒しの道を信頼して進む必要がある。信頼するのは私でも、MEカラーセラピーでもない、自分とつながっ
ている「導く意識」である。私が講座の中で質問される疑問の中には、本人は軽いことと思っているけれ
ど、実は重要なことが語られている場合が多い。例えば、「オーラ」や「チャクラ」についてである。当然
「オーラ」も「チャクラ」も「自我」と同じ幻ではあるが、目の前のコップのように物理的なものではな
く、科学としても未知のものだ。このようなものの話しをする時は、それがどのような定義の上に語られて
いるのかを注意深く聞かなければならない。なので、「チャクラってあるでしょ」と聞かれれた時には、そ
れがどのようなものであるとしているのか私は尋ねることにしている。とくに相手がセラピストと名乗って
いるならなおさらである。 拠り所 としてなら軽い話しで盛り上がることができるが、もし本気にそれを重
要なテーマとして扱うなら注意が必要である。なぜなら「自我」を強化していくことになりかねないから
だ。「自我」を本気に扱ってはならない。ジョークのように楽しむ気持ちの余裕が必要である。そうでなけ
れば、人は簡単に人殺しさえも正当化する。それは歴史も証明している。このような一つ一つの疑問を丁寧
に扱う、その上に自分自身の気づきが起きるもので、その積み重ねがMEカラーセラピーを学ぶ上で大切な
ことなのだ。仕組みややり方を知っただけではあまり効果がない、それがこのセラピーの特徴であり、教科
書にしにくい部分ではある。講座では沢山のテキストを配っているが、これは講座のポイントだけを抑えた
に過ぎない資料である。大切なことは体験の中にある。なので、一応1日の体験講座と4日のセラピストの
ための講座を用意しているが、そんな短期間でセラピストになれるとは思わないでほしい。難しいのではな
い、けして難しくはないが、新しい学びは必要である。新しいことを学ぶというのは自転車に乗るのと似て
いる、乗れるようにはなるだろうが、それがいつかはわからないし、人によって乗り越えなければならない
課題は違うものである。MEカラーセラピーの本当の学びは教科書にはないのだ。あなたの先生は、私では
なく「導く意識」である。まずはそことつながれるように無垢な気持ちで学ぶことである。
●MEカラーセラピストの資格
私は資格や検定というのは、一つの見方として、ある一定以上の知識を有するということを第三者が認め
たものであると捉えている。資格というのはその人にとって信頼の証かもしれないが、それは他人にとって
重要視されるものであって、癒しの道の上には必要のないものである。MEカラーセラピーは公開されたメ
ソッドでありたい。そう思ってこの資料も書いているが、どうしても表現が難しい部分もある。それは簡単
に教科書にできない部分があるためである。MEカラーセラピストという資格とその検定講座も用意してい
るが、別にその資格を持たない者でもこのメソッドを使っていただいて構わない。トレーナーの資格という
のも用意しているが、資格を持たない者でもMEカラーセラピーを誰かに教えて構わない、ただし私はサ
ポートができないし、何かあっても責任を持てない。
資格や検定のもう一つの見方として、私は多くの人と共通の土台の上で話しができるようにする目的とし
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ても捉えている。MEというのは生きた癒しのメソッドであるため、セラピストやトレーナー同士の情報交
換や勉強会は常に必要である。今まではその都度、メールや講座で疑問に答えてきたけれど、実は多くのセ
ラピストやトレーナーと共有したい情報も沢山あった。そこで、ME応用心理学会を最低でも年1回開催す
ることになった。最先端の癒しの情報交換のためにも、学会や交流会に是非参加していただきたく、一応資
格・検定の形をとっている。4日のセラピストの講座は資格取得も簡単だと思う。トレーナーの資格は色々
と学びが多く難しいかもしれないが、是非挑戦してほしい。共通の土台があれば、その上でさまざまな情報
が交換できる。英語が話せるようになって世界が広がるのと同じである。
●MEカラーセラピー1DAY講座
今のところ、MEカラーセラピーの2時間体験会というのを開講している。ほんのちょっと、紹介しかで
きないが、MEカラーセラピストの資格を持つセラピストが開講している。また、実際の癒しの体験とME
カラーセラピーのメソッドを学べる1日や2日の講座もある。1日の講座ではMEカラーリーディングとカ
ラーイメージ法の流れを知ることができる。2日の講座では一通りのメソッドを学ぶことができる。内容
は、MEカラーセラピーの目的と対象と手法、MEカラーセラピーの癒しのメカニズム、MEカラーリー
ディングとカラーイメージ法、MEカラーセラピーの基本形から実践である。一回で全てを知ろうとするこ
は難しいだろうが、まずは1日の講座で自分の心を扱っていただければと思う。
このような話しをするとすぐに宣伝であると嫌う人がいるようだ。宣伝はお金を奪われる痛みと繋がって
いるので仕方がない。でも、私は講座の宣伝というよりも、MEカラーセラピーという手法を学ぶには実際
の体験やサポートが必要だと考えているので、その一つの提案をしているだけである。残念ながらまだ通信
講座というのを行ってはいない。私はいくらテキストを読んでも動画を見ても学ぶことができないことがあ
ると思っているし、個人的な興味や心の悩みから学んでいくことが最も効果的な学びであるとも考えてい
る。MEカラーセラピーはプロセスを重視しているから仕方がない。どうかご理解いただきたい。
●MEカラーセラピーの応用
MEカラーセラピーというのは一つの道具であり、その道具をどう使うか、何と組み合わせるかは使う人
の自由である。なので、他のセラピーとの接点を見つけて応用していただくのは、むしろ歓迎である。でき
ればそれを教えて欲しいくらいである。アロマも食べ物もヨガや瞑想も、その他さまざまなものがMEと併
用することができるだろう。何を行っても「導く意識」とつながっているなら、それは癒しの本筋であるこ
とに違いはない。私は神ではない、このメソッドを崇めなくても良いし、崇めてはならない。崇めるなら、
自分の無垢な神聖さを崇めて欲しい。信じるなら「自我」ではなく、「導く意識」を信じて欲しい。そして
のそれを生きるための道としてMEカラーセラピーを学び、応用していって欲しい。大切なのはあなたの人
生、あなたの幸せ、あなたの目覚めなのだ。そのために世界や人々を大切にするのだ。セラピストとして生
きるというのは「私は癒す」ということの宣言に他ならない。そこに誰をというのはあまり意味がない。あ
えて言うなら「自分を」である。
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おわりに
●癒しマニアの世界へようこそ!
私科学的な捉え方が好きです。再現可能であるもの、数学的に正しいもの、実証された現象…科学はさま
ざまな方法で謎に挑んでいます。しかし、世の中には再現不可能なもの、数学では説明できないもの、不可
解な現象などがあります。そしてそれこそが事実です。未知を認めるのが科学です。なので、科学にはロマ
ンがあります。オーラなど存在しないと言っている人は科学者ではありません。なぜならオーラの定義も
オーラの実在も未だ不明なのですから。それに白いカラスがいないことを証明するのは難しいのです。
心理学というのも、とても難しい学問の分野だと思います。それは哲学なのか、人々の思い込みか、どれ
だけ統計調査をしても、どれだけ脳を調べても解らないことばかりです。それでも私は科学の目で心を捉え
ようとしている研究者達を応援します。そして彼らの報告を集め続けます。もし、 曇りなきまなこ がある
なら、私は安易に信じないし、安易に否定もしません。さまざまな報告に照らし合わせてMEカラーセラ
ピーも進化し続けることは間違いありません。本当のことは多くの人に魅力を感じさせないかもしれません
が、それでも本当のことを求めている人たちと共に、私はセラピーの研究を続けていきます。
以前、『セラピストのための、カラーセラピーハンドブック』というのを書きました。それを本にして
Netで販売したのですが、実はNetではまだ100冊も売れていません。Net以外では、和み彩香というカ
ラーセラピーの開発者であるいずみ先生が、受講生さんにということでご協力くださいました。ハンドブッ
クはMEカラーセラピーのことを書いたものではありません。安易なタイプ分けの問題や、自分が行ってい
るメソッドについての理解、人の心と向き合う時の注意などを書いたのですが、お一人だけですが、自分の
考えと違うということでわざわざ返品された方もいらっしゃいました。疑問を持つ事は大切な事です、私も
カラーセラピーというメソッドに対してさまざまな疑問を持っています。常に疑問はありますので、それを
解決しようと研究も続けています。本当のことを知りたい、本当に相手のためになるのか知りたい、癒しの
先に何があるのか知りたい、忘れているなら思い出したい、眠っているなら目覚めたい、このような道は夢
で満足している人にとって迷惑になることもあります。ハンドブックはそういう人たちに刺激を与えてしま
う本だったのかもしれません。それでも、あえて進み続けます。本当のことを求めている人たちと共に。
この資料は、そんな本当のことを求める人たちのために残したい資料です。なので、すぐに使える便利な
定規ではないかもしれません。真っ暗な心の中に勇気を持って首を突っ込んで、そこに何があるのかをしっ
かりと観ようと考える稀な人たちのための資料です。長くカラーセラピーの講座をやってきて受講される方
の傾向を考えた時、多くの方はネットをしらみつぶしに検索し、ホームページや私のブログを読んで一人で
申し込んで来られたようです。そのような人たちをマニアと呼ぶのでしょうけれど、彼らは、ただ楽しそう
で…というような初心者ではなく、色の可能性を求め、癒しの手法を求め、セラピストとして、コーチとし
て、カウンセラーとして、看護師や医師として研鑽されている方々でした。MEカラーセラピーがそのよう
な方々に選んでいただけたこと、私はとても嬉しく思います。もし、あなたがマニアなら、きっと私がここ
に書けないもっと深いことも知りたいと思うかもしれません。もし、あなたが自分はマニアではないと思っ
ているなら、この書を読んでいる時点で、きっとこれからマニアになっていく人かもしれませんし、実は自
分も知らないうちに既にマニアなのかもしれません。
楽しい癒しマニアの世界へようこそ! そして、共に道を歩む仲間として学んで行きましょう!
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●最後に
MEカラーセラピーは私が一人で開発したものではありません。大昔から、心と癒しの道を探求されてき
た世界中の研究者や医者や聖職者たち、難しい研究や実験を行って発表し続けてくれている現在の科学者や
心理療法家たち、私の講座に参加してくれた人たち、みなさんのおかげでMEカラーセラピーを作ることが
できました。そして、私の個人的な研究だったカラーセラピーを講座として公開する機会を与えてくれた
ヒューマンアカデミー仙台校のスタッフのみなさん、そこから地元でMEカラーセラピーを広げてくださっ
た武田さん、仙台の中だけだった私の活動を外に広げてくださった福岡の 日本色彩心理学スクール の池尻
先生、多くの方を紹介していただいたり、様々なサポートをいただいた神戸の 和み彩香 のいずみ先生、
様々なカラーの可能性を示してくださっている 芦屋こころとからだのクリニック の春田先生、工学的な勉
強ばかりしていた私にセラピーという人と関わる大切さを教えてくれたビジョンダイナミックス研究所の栗
原先生とスタッフのみなさん、今でも長くMEカラーセラピーを学び続けてくれている高橋先生、それから
支えてくれている私の家族も、みなさんのおかげでMEのセラピーをこの世界に提供することができていま
す。私を効果的に生きることができています。ありがとうございます。
■著者
深瀬 啓介 ふかせ けいすけ
一般社団法人ME応用心理学研究所 代表理事
MEカラーセラピー開発者、心理トレーナー
1972年宮城県生まれ。「本来の自己」に目覚めた生き方を目的として、ME心理メソッドを研究・開発・
提供をしている。個人的にしていた色と心の研究を基にして、2007年頃よりカラーセラピーの講座を開講
する。現在は各種教育機関や企業、各種団体においてメンタルケアや瞑想の講座・講演も行っている。
■一般社団法人ME応用心理学研究所
脳科学と心理学を基としながら、心の本質(Mind Essence)を捉え、「本来の自己」に目覚めた生き方を目
的としたメンタルトレーニングやメンタルケアを中心に、コミュニケーション心理やデザイン心理などを、
個人や組織に役立てられるよう研究・開発・提供している。
http://www.cog.pw/
MEカラーセラピー特別資料
2016年7月19日 発行
2016年8月3日 改定2版
発行所:一般社団法人ME応用心理学研究所
〒983-0857 宮城県仙台市宮城野区東十番丁65−506
事務局 TEL:022-298-5766 FAX:022-292-8336
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