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日蓮聖人の生誕地(誕生寺、清澄寺)を訪ねて~ 「房総の

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日蓮聖人の生誕地(誕生寺、清澄寺)を訪ねて~ 「房総の
蓮照寺住職入寺一周年記念『房総の旅』 【1 泊 2 日】
~日蓮聖人の生誕地(誕生寺、清澄寺)を訪ねて~
檀信徒の皆様には益々ご清祥にてご精進のことと大慶に存じ申し上げます。
住職入寺一周年記念として千葉房総への団体参拝旅行を企画しました。
日蓮聖人の生誕ゆかりの誕生寺、出家得度された清澄寺に皆様と参拝し、日蓮聖人
の幼少から成年時代をすごされた息吹を感じ、信心増進の礎としたいと思います。
皆様お誘いあわせの上、是非ご参加くださいますようご案内申し上げます。
合掌
日時
参加費
募集人員
一次締切
持物
平成 24 年 10 月 10 日(水) ~11 日(木)
28000 円 (御開帳料含む)
40 名
8 月 16 日
※定員になり次第締め切らさせていただきます
蓮照寺輪袈裟をお持ちください(入寺記念品)
行程
<第 1 日目>
蓮照寺==一宮西 IC=(名神・東名) =横浜町田 IC=(東京湾アクアライン)=海ほたる【昼食】
7:00
11:30
==君津 IC==大本山清澄寺【御開帳参拝】--天津小湊温泉【泊】
13:00
14:30~16:00
16:30 頃
<第 2 日目>
天津小湊温泉--(徒歩)--大本山誕生寺【御開帳参拝】--(徒歩)-- 天津小湊温泉==買物==金谷港
7:50
8:00
9:30
11:20
~(東京湾フェリー)~久里浜港==記念艦「三笠」==横浜中華街【昼食】==横浜町田 IC
12:00
12:15~12:30
13:10
14:30
==(第二東名・名神) ==一宮西 IC==蓮照寺
19:30 頃
宿泊先
天津小湊温泉「吉夢」
TEL 047-095-2111
「房総の旅」申込書
平成 24 年
月
日
上記団参コースに参加しますので会費を添えて申し込みます
住所
氏名
電話
参拝するお寺のご案内
男・女
携帯電話
歳
≪大本山 清澄寺≫
日蓮聖人生誕の地・小湊の近くにある清澄山(標高 383m)の山頂に建つ日蓮聖人が出家得度したお寺
であり、初めてお題目を唱えられた聖地。聖人は十二歳(天福元年(1233 年))のとき生誕の海辺の小湊よ
りこの清澄寺に登られ、道善坊を師匠として学問に励まれ出家し、名を善日麿から蓮長と改める。
聖人は当時日本には各宗派の教えが広まっているが、世情の乱れに疑問を持ち、その肝要を知らな
いと釈尊(お釈迦様)の本意を得ることはできないと考え、この清澄寺の本尊である虚空蔵菩薩(智慧
と福徳を授ける菩薩)に「日本第一の智者となしたまえ」と願をかけ三七日不眠不休の修行をし、虚
空蔵菩薩より智慧の宝珠を頂いた。
そして、その後比叡山での 12 年にわたる遊学の後、この清澄寺に戻られ、建長五年(1253 年)四
月二十八日の朝、清澄寺の一角の旭ケ森にて、日の出に向かい、初めて「南無妙法蓮華経」を唱えら
れ法華経の弘通の第一歩を示された。これを立教開宗といい、日蓮宗では大切な聖日の一つである。
清澄寺はもと天台宗、江戸時代には真言宗であったが、昭和二十四年の日蓮聖人開宗七百年を記
念し日蓮宗に改宗し現在は日蓮宗大本山霊跡の一つである。日蓮聖人の出家した霊跡寺院であるこ
とより、現在でも日蓮宗僧侶が出家得度するときは必ずこの清澄寺に登り宗門より規定の認定式儀
礼を受けることとなっている。清澄寺の境内にある天然記念樹の千年杉は、日蓮聖人の幼少の頃か
ら修行時代を見てきた杉で房総の名物となっている。
≪大本山 誕生寺≫
日蓮聖人は貞応元年(1222 年)二月十六日にこの安房国小湊で誕生された。そのとき誕生の祝福
として、海辺に蓮華が咲き、鯛が群れ、館の庭に清泉が湧き出したという。現在の蓮華ケ渕、妙の
浦、誕生水井戸がそれにあたる。
現在あるこの誕生寺は、日蓮聖人が鎌倉で布教を続けておられた頃、文永元年(1264 年)に天津
城主・工藤吉隆公の願いにより一座の法話に向かう折、亡き慈父の墓参を兼ね、悲母の病気見舞い
に故郷の小湊の地を訪れられた。日蓮聖人は母君の病の重きことを知り、本尊をしたためて一心に
祈ったところ、母君が四年の間寿命をのばすことができた。母君は大いに感激し、このご本尊を祀
り一堂を建て、健治二年(1276 年)に日蓮聖人の弟子・日家上人が堂宇を創建し、日蓮聖人自らが「高
光山日蓮誕生寺」と命名したのが誕生寺のはじまりといわれている。
誕生寺ははじめ現在の妙の浦にあったが、明応七年(1498 年)の地震津波で流され、再建するも
元禄十六年(1703 年)の大地震で陥没。宝永年間に水戸光圀の外護を受けようやく現在の地に再興さ
れる。
現在の立派な祖師堂は天保三年(1832 年)から十年間かけてつくられ、十八間四面のお堂を支え
ている大きな欅柱五十四本は当時江戸城へ運ぶための材木が途中難破してしまったものをこの誕
生寺にもらってつくったといわれ、当時としては国内随一の大伽藍であったという。いまもこの祖
師堂は日蓮宗を代表する巨堂であり大変価値のあるものである。
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