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中世イギリ ス女性の心と表現

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中世イギリ ス女性の心と表現
中世イギリス女性の心と表現
小 林 絢 子
現代の世界では女性がどのような形で自己主張をしようが、どのように
長くそれを続けようが、内容は別としてもその態度そのものは特筆に値し
ないであろう。しかし、言うまでもないごとであるが、時代を遡ってみれ
ば、中世の女性たちは現実の生活の中では無論のこと、文学作品の中でも
受け身、すなわち「従」の立場に置かれていた。そういう女性たちが、自
らの意見を述べたいと望んだ時はどのような方法でそれをしたのだろうか。
その点を中世の英文学の中で主としてChaucerの作品の中の女性たちの
姿勢から見ていきたいと思う。1
中世に遡る前に近代英文学の中での一つの例としてCharlotte Bronte
の“Jane Eyre”のJaneの姿勢を見てみよう。彼女ははっきりと意識的に
自分の主張を述べているといわれる女性の代表である。ここではその発言
の内容よりもその姿勢に注目する。Rochester氏がlngram嬢と結婚する
という噂をきいたJaneは引き止める彼に向かって言う。
“Iam no bird;and no net ensnares me, I am a free human being
with an independent will, which I now exert to leave you.”
「わたしは自由な意志をもった、束縛されない人間です。わたくしの
意志があなたとお別れしようとしているのです。」
また、後のSt. Johnの独善的な求婚に対しても“I repeat I freely consent
to go with you as your fellow−missionary, but not as your wife;Icannot
65
marry you, and become part of you.”「もう一度申しますけれどもわたく
し、あなたの伝導のお仲間として(インドへ)ゆくのでしたら喜んでまい
ります。でもあなたの奥さんとしてなら行きません。」2
このようなはっきりとした言い方をしているJaneに比べて、時代をも
う少し上ったShakespeareの作品の中の女性たちを見てみると、彼女たち
は自己主張をする機会を与えられてはいても、明確な姿勢を持って自説を
展開しているわけではない。“Much Ado about Nothing”のBeatriceは
恋人のBenedicに対し、“Taming of the Shrew”のCatherineは父親や
求婚者たちに対し、大変威勢の良い言葉を浴びせかけるが、それは自分の
主張というより、売り言葉に買い言葉という類いのものである。例えば
BeatriceはBenedicの椰楡を含んだ求愛“I do love nothing in the world
so well as you−is not that strange?... By my sword, Beatrice, thou
lovest me.”(IV−i・268−74)「私はこの世の何よりもあなたを愛しておりま
す。不思議でしょう?…この剣にかけて、あなたを愛しているのだ。」に対
して、“As strange as the thing l know not._Do not swear and eat it.”
(11.269,275)「そんな不思議なことって知りませんわ。…誓っておいて、呑
み込んでしまいませんように。」とやり返す。3Catherineの場合はすぐ夫に
調教されてしまう運命にあるが、結婚前はHotentioやGremioに対し、
“But if it were, doubt not her care should be/To comb your noddle
with a three legg’d stool,;And paint your face, and use you like a fool.”
(1−i−60−65)「もし結婚してごらんなさい。あなたの頭の毛は椅子の足のくし
でごしごしとかして、顔は爪の刷毛でまっかに塗りたてて、道化がわりに
使ってあげますからね。」と言う。4このような「滑稽談」系統の話ではなく
て、Shakespeareの作品中の女性の中には真面目に自説を述べている人
物、例えば“Merchant of Venice”のPortiaや“Macbeth”のMacbeth
夫人などもいるが、彼女たちも「このように申しあげます」などの構えた
前置きをしてから自説を述べるということはしていない。
一般に中世の女性たちの中で声高に過度に自説を開陳するのはファブリ
66
オ系の話の中の女性たちである。ファブリオは東方起源説もあるが12世紀
末にフランスで作られたといわれる。その代表である「リシュー」の女主
人公はひどく饒舌で品のないおしゃべりである。5また、「結婚の15の楽し
み」など女性を椰楡する語り口はChaucerのCanturbury Tales(−CT)に
おけるWife of Bathに顕著に見られる。
Wife of Bath即ちAliceは(提供する物語はナレーション形式である
が)その長い序において、結婚生活における女性の優位を大いに主張する。
そのAliceの自説の展開ぶりは注目に値する。彼女はキリスト様は女は1
回しか結婚してはいけないなんて仰有っていない、と冒頭から述べて、次
第に5人の夫のそれぞれの操縦法に話を発展させていく。中世の女性にし
ては大変生き生き大胆に結婚生活における自分の強さを語る。しかし、陽
気な人物とはいえ、彼女の自己主張の姿勢は言っている内容とは裏腹に決
して強くはない。彼女は巧みに質問形式を用いて自分の意見を述べる。6例
えば上述の結婚と離婚の回数については:
God bad us for to wexe and multiplye;_
But of no nombre mencion made he,
Of bigamye, or of octogamye;
Why sholde men thanne speke of it vileyneye?
Wife of Bath(・WB)
Prologue ll.28−34
「神様は生めよ増やせよとわたしたちにお命じになっているというこ
とをわたしたちはちゃんと知っています。……キリスト様は二度の結
婚だとか入度の結婚だとか数のことは何も申されませんでした。それ
なら、どうして人はそれを悪いことだと非難するんでしょうか?」7
この疑問は複数回の結婚を「非難してはいけない」「非難しないでほしい」
という主張である。結婚そのものについても中世の処女崇拝の風潮につい
67
てAliceは語気鋭く、
Wher can ye seye, in any manere age,
That hye God defended8 mariage
By expres word?
WB Prologue ll.59−61
「いついかなる時代に、天なる神様がはっきりしたお言葉で結婚を禁
じられたなどどこに書いてありますか。) −
Or where comanded he virginitee∼
WB Prologue l.62
「それとも神様は処女であれとどこでお命じになりましたか。」
と問うのである。
質問形式以外の箇所での彼女の主張の仕方は強い調子のものではない。
“As to my wit”(WB Prologue l.41)(私の考えでは)、“I woot wel”(1.
55,79), (よく知っています)、“This is al and som”(1.91)(ここが肝
心なことなのですが)、“say ye no?”(1.123)(そうおっしゃるんですか)9
“Isay this”(1.126)(私はこう言っているんです)などの句が散見されるだ
けである。質問形式は上述の例の他にWB Prologue ll.70−71,115−7な
ど話の切れ目に使われていることかち、これは修辞学的に疑問の提示によ
って、主張を強めるという技法の一つに沿った主張のやり方なのではない
かと思われる。Aliceはgarrulous womanといわれているわりには伝統的
な人物像なのである。
Jill MannはChaucer and Medieval Estate Satire中で1°Aliceについて
述べる際、“ln felaweshipe wel koude she laughe and carpe”(CT 474)
というChaucer自身の観察を記述している。ここで使われているcarpen
(原形)の意味を調べてみても1200年代のはじめにはこれは‘To talk,
chat, converse, discourse’11という位の意味であった。“To chatter, gos一
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sip, talk frivolously, jest”のように饒舌の意味でこの言葉を使うようにな
ったのはMEDによるとこのAliceについての記述が初めてであるが、12
0EDではそのような意味の例としてAliceのことを引用してはいない。13
このことからもAliceの姿勢はそれほど攻撃的だったとは思えない。
それでは一般に中世では自己主張の強い人をgarrulous とか10qua−
ciOUSなどと評したのであろうか?作者のスタンスがよく見える
Chaucerの作品でも、物語を客観的に叙述する、例えば“Sir Gawain and
the Green Knight”でもこのような姿勢は見えてこない。下の単語に見る
ように、このような修飾語は中世以後に英語に入ってきている。(数字は初
出年代を示す。)
garrulous 1611 ‘chattering, talkative’
loquacious 1667 ‘talkative, given to much talking’
verbose 1672 ‘wordy, prolix’
prolix 1432 ‘wordy, tedious’
人物をwordy, chattering, talkativeなどと批評することは古くからあ
ったにせよ、上述のようなラテン系の語彙を使うこと、そしてそれに伴う
概念を付与するということは比較的新しい傾向であったのではないだろう
か。これらの単語のうちOEDの引用例で女性に対して使われているのは
loquaciousだけで、しかもそれは1712年になってからのことである。
多弁な自己主張が特に女性の特徴ととらえられていないとすると、中世
の女性はどのような形でそれを行なったのであろうか? ChaucerのCT
にある“Tale of Melibee”がその良い例を提供している。それは韻文では
なくてごくふつうの話し言葉で書かれている。Melibeeの妻のPrudence
はその名が示す通り大変考え深く、慎み深い。それでも彼女の自説は900行
にわたって開陳される。夫の言葉は妻の話を推進するための導入になって
いるにすぎない。
MelibeeはPrudenceとの間に1人娘Sophieをもうけたが、彼の留守中
69
に敵3人が家に侵入し、Sophieに大変な傷を負わせた。嘆く夫をしずめる
ためにPrudencehはまず次のように言う。
“Allas, my lord_/For sothe it aperteneth nat to a wys man to
maken swich a sorwe./
Youre doghter, with the grace of God, shal warisshe and escape./
And al were it so that she right now were deed, ye ne oughte nat,
as for hir deeth, youreself to destroye. ll.980−4.
「ああ、わが主人……本当に、このようにお嘆きになるのは賢い人に
はふさわしいことではございません。あなたの娘は神様の恩寵を得て
回復し、死を免れることができるでしょう。たとえ娘がたった今死ぬ
ようなことがあったとしても、彼女が死んだからといって、あなたは
自分の身を滅ぼすべきではありません。」
これは、自らも手傷を負い、娘は身体の5カ所に致命傷を負っている母
親の言葉としては、驚くほど冷静である。そして彼女は夫に“Certes, wel
Iwoot attempree wepyng is no thyng deffended to hym that sorweful
is,”(1.988)「確かに、ほどほどに泣くというのであれば、それは……悲嘆に
暮れている人に禁じられるべきものではないことは知っております」とは
いう。しかしすぐに夫の泣くすがたをとがめて“why make ye yourself for
to be lyk a fool?”(1.980)(なぜあなたは自ら愚か者のようなふるまいをな
さるのですか)ときくのである。このような質問形式、または詰問調で相
手を説き伏せようという姿勢は先のAliceの場合と似ている。しかしPru−
denceはもっと他の手法も駆使する。
彼女の手法の中で使用回数が最も多いのはやはり一番ストレートな“ye
shu1”(あなたはこうすべき)を使うやり方で、これは下記のごとく“thou
shalt”形式を含めて38回使われている。 Sha11は義務の意味を持つ本動詞
として長く使われてきたのでその語感が残っていたのであろう。(Should
70
は仮定を含む場合以外殆ど使われていない。)以下にPrudenceの意見の中
に見られるこの形式の文を列挙してみる。全部夫あての発言であるが、第
11例と第12例のように1続きの文の中に2人称単数複数が混在しているの
は敬称の過渡的使い方を示していて興味深い。
1
Ye shul first in alle youre werkes mekely biseken to the heighe
God. 1.1115
2
First thou shalt make no semblant thee were levere pees or
34民U
werre 1.1149
thou shalt considere thy freendes and thyne enemys 1.1149
thou shalt considere which of hem been moost feithfu11.1154
and of hem shalt thou aske thy conseil, as the caas requireth.
1.1155
6
first ye shul clepe to youre conseil youre freendes that been
trewe 1.1157
7
shul ye eek considere if that youre trewe freendes been discrete
and wise 1.1162
8
by this same resoun shul ye clepen to youre conseil of youre
910
freendes that been of age, 1.1163
And thanne shul ye kepe this for a general reule: 1.1166
First shul ye clepen to youre conseil a fewe of youre freendes that
been especiale l.1166
11
Ye shul also han in suspect the conseillyng of swich folk as
conseille yow o thyng prively. 1.1195
12
Thou shalt also have in suspect the conseillyng of wikked folk.
L1196
13
Thou shalt also eschue the conseillyng of yong folk, for his
conseil is nat rype. 1.1199
14
ye shal examyne youre conseil 1.1201
71
=﹂瓜U
−⊥−
ye shul considere manye thyngs 1.1202
Aldlerfirst thou shalt considere that in thilke thyng that thou
purposest 1.1203
コ⊥−⊥
ワ4QO
And after this thou shalt considere the thynges l.1205
Thanne shaltou considere what thyng shal folwe of that conseil−
lyng l.1206
Q
ゾ0
1⊥9白
And in alle thise thynges thou shalt chese the beste L 1208
Thanne shaltow considere of what roote is engendred the mati−
ere of thy conseil l.1209
−⊥り盈QJ
り盈つ乙9乙
Thou shalt eek considere alle thise causes l.1210
thanne shaltou considere if thou mayst parfourne it l.1212
ye shoulde first have cleped a fewe folk to your conseil
l.1242
24
ye sholden oonly have cleped to youre conseil youre trewe
frendes 1.1244
25
and of hem shul ye axen help youre persone for to kepe
l.1306
26
And after this thanne shul ye kepe yow fro alle straunge folk
1.1307
27
And after this thanne shul ye kepe yow wisely from all swich
manere peple l.1313
28
And after this thanne shul ye kepe yow in swich manere
I.1314
29
thou shalt considere if thy myght and thy power may consenten
l.1382
30
Thou shalt understonde that the vengeaunce, that thou purposest
for to take is the consequent l.1388
31
72
thou shalt understonde that the wrong that thou hast receyved
hath certeine causes l.1394
9白り0
り0り0
ne ye shul nat lene or bowe unto hire l.1448
ye shul fynde in manye thynges that I have shewed yow
I.1479
4︻
ρ3
0つ
74
3
つ﹂0
0
38
for thou shalt be alloone withouten any compaignye 1.1559
ye shul geten hem withouten greet desir l.1576
ye shul have God in youre herte l.1626
ye shullen do no thyng which may in any manere displese God
l.1626
ye sholde alwey doon youre bisynesse to gete yow richesses
l.1632
.1134),
他の助動詞としてはmay(ex:ye may nat deeme for the beste l
must(ex:ye moste avyse yow on it ful ofte l.1134;yow moste have
greet bisynesse 1.1636), ought(ex:yow ne oghte nat sodeynly ne hastily
procedep in this nede L l341;but that yow oghte purveyen and apprail−
1en yow in this caas with greeet diligence l.1342)が「要請」の意味で使
われている。また、物事を主語にした受動形、例えば、that youre consei1_
ne sholde nat... be called a conseilling l.1239やthe wordes of the
phisiciens ne sholde nat han been understonden in thys wise I.1284も
使われているし、一般的に「人は……すべき」という形式のand yet shal
he nat oonly bisie hym in keepyng of his good name,/but he shal also
enforcen hym alwey to do somthyng by which he may renovelle his
good name ll.1844−5がある。
Prudenceの心的状態を表すいわゆるmoodの助動詞(法助動詞)の使用
以外に彼女はもっと構えた姿勢でものを言うときがある。夫の仇討ちには
やる心が昂ぶると“Iseye”と前置きする(ll.1065,1066,1157,1231,
1454,1478,1852)。“Ispeke”も単に「話す」のではなくてBut now woI
Ispeke to yow of the conseil(1.1295)のようにお説教を告げるのである。
73
しかしconseilは動詞形にしてPrudenceの説諭の導入をすることが多い。
(ex:Iconseille you.. that ye make pees bitwene God and you L 1895;
11.1759,1796).lsette casということもある。(1.1852)lrede(ex:Irede
that thou apparaille thee thertol l.・1346;1.1139)やIteche(例now wol
Iteche yow how ye shul examine youre conseil l.1201)も使われている。
しかし考え深いPrudenceのこととて、単に夫に説教をする調子を続けは
しない。Ibiseke yow(1.1236)やIpreye yowという話の始め方も終わり
のほうに頻出している(ll.1721,1858,1862,1867)。
語り口は以上のように構えてはいても、態度はPrudenceは終始とても
謙遜である。語り手であるChaucaerは次のような彼女の姿勢を伝えてい
る。
Whanne dame Prudence, ful debonairly and with greet pacience,
hadde herd al that hir housbond like for to seye, thanne axed she
of hym licence for to speke, and seyde in this wise.
「プルーデンス婦人はいとも優しく、また辛抱強く夫の言いたかった
すべてのことを聞き終えると、話をする許可を夫に求めてこのように
言いました。」
そして一旦発言の許可を得ると怒濤のごとく“Iseye”とか“ye shul”とか
意見開陳をするのである。(娘の傷の手当のことは最後まで出てこない)。
それから彼女は発言の機会をとらえるに非常に敏であったことが次の描写
で知られる。
Thanne dame Prudence, whan that she saugh how that hire hous−
bonde shoop hym for to wreken hym on his foes, and to bigynne
werre, she is ful humble wise, whan she saugh hir tyme, seide to
hym thise wordes:ll.1051−2
74
「この時プルーデンス夫人は、夫が彼の敵に復讐をし、戦いを始めよ
うという気がまえになったのを見てとると、頃合いを見計らって、非
常に謙遜な態度で夫にこのような言葉を言いました。」
ここにあるような“Whan she saugh hir tyme,(she)seide”という表現は
他に2回程(ll.979−80;1726−31)使われている。
彼女の自説展開のもう一つの手段は一旦相手の言うことに同意する姿勢
をとることである。時には相手の説をくり返して述べたりもする。そして
おもむろに「そうはいっても」と反論するのである。一歩譲歩する合図は
“Certes”または“for certes”であって、それは本当の同意の場合も含め
れば20回以上使われている。Soothly(1.1224)もsikerly(1.1384)も使われ
ているが、certesは彼女の主張に起爆剤のようにちりばめられている。Pru−
denceの主張の内容は「汝の敵を許せ」「人を信じすぎてはいけない」「慎重
であれ」ということであるが、彼女はこれらのことを夫に向かって、時に
は強く手綱を引き締めるように、時にはへりくだって優しく、自在に述べ
ていくのである。
Chaucerの作品にはこの他に、嘆きつつも運命に従うCustanceやSt.
Cecilia,“patient”なGriseldaなど、主張したいことはありながら、社会
的宗教的束縛によってそれを抑える女性が登場する。例えばCustanceに
っいてはMan of LawははじめからIn hire is heigh beautee, withoute
pride,/Yowthe, withoute grenehede or folye;... Humblesse hath slayn
in hire al tyrannie.(11.162−5)「彼女のうちには高慢さのない、高い美しさ
がやどり、未熟な青っぽさや愚かさのない若々しさがあります。……彼女
にあっては謙虚さがすべての傲慢を消しています。」といって従順の枠をは
めている。そのような設定のない、そしてファブリオでもない場面の女性
は中世でも以上に見てきたような工夫と英知をもって、自己主張をしたと
言ってよいだろう。この姿勢は現代の言論社会に生きる人々にもよい示唆
を与えてくれると思われる。
75
注
1
女性の自己主張は女流作家の輩出とも無縁ではないが、ここでは作品
中の女性の登場人物を対象とする。文学と女性の主張一般に関わりに
ついてはEllen Mores「女性と文学」(青山誠子訳)などを参照。
りρ00
Q.D. Leavis ed., lane Eyre, Penguin English Library,1966
G.B.Evans ed. Riverside Shaleesp ea re, Houshton Mifflin Co., Bos−
4π﹂ρ0
ton,1974 小野協一訳「シェクスピア全集」2 筑摩書房 1974
三神勲訳「シェクスピア全集」1 筑摩書房 1975
都倉俊一他訳「フランス中世文学集」第3巻 白水社1991
中世の書記法では疑問文に疑問符は必ずしもついていない。この論文
中の句読点はF.N. Robinson ed. The MZorks of GαかのChazacerに
よる。
7
桝井迫夫訳「カンタベリー物語」岩波書店 上巻1975年、中巻1995年、
下巻1995年。引用中の“he”はGodではなく、直前に出てくるCrist(1.
9)を指すので、和訳が「キリスト様」になっている。
8
H.Kurath他編Middle English Dictionaay, University of Michigan
Press, Ann Arbor, 1954− s.v. DEFENDEN 7(a)‘To forbid, deny’。初
出はc.1379年であるが、Chaucerの当該箇所も後の引用例として使用
されている。
ModEにおける‘To fight in defense of;To shelter, to protect’の意味
の初出は1300年頃である。
9
直訳すると「そうおっしゃるんですか」となるが、桝井訳では詰問調に
01
白1
り0
1
191
⊥
なっているように、ここは疑問文ではなくて強調と解するほうがよい。
Cambridge University Press,1973, p.127.
MEI)s.v. CARPEN v.1(a)
MED s.v. CARPEN v.3(a)
A.H. Murray他編Oxford English Dictiona7s,, Clarendon, Oxford,
1888−1933,s.v. CARP v.4(Obsolete).
76
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