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バ-ィ 草ン

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バ-ィ 草ン
「マンフレッド』試論
一自己との対峙一
木村佳恵
バイロン(Byron, George Gordon Noe1,1788−1824)の詩劇『マンフレ
ッド』(Manfred,1817)の主人公マンフレッドは,終始一貫して罪の意識に
とらわれている。この作品の始まりには,マンフレッドの運命を決定的なもの
とする重大な事件,つまり,血がつながっていながらも恋人だったアスタルテ
(Astarte)の死がすでに起こってしまっている。そして,悲しみを克服するた
めに,人間の力の及ぶかぎりの手段を講じてきたがむくわれなかったマンフレ
ッドは,更に超自然的な力に頼る。彼が求め続けていたのは, 「自己忘却』
(self−oblivion)1)であった。
マンフレッドは,忘れ去りたいと切望しているある罪への意識から,眠りを
失ってしまった。
My slumbers−if I slumber 一 are not sleep,
But a continuance of enduring thought,
Which then I can resist not:in my heart
There is a vigil, and these・eyes but close
To l60k within;
(Act I, sc.1, ll.3−7)
俺のまどろみは,一俺もまどろむことはあるのだが一眠りではなく
絶えぬ思いのくり返しだ。 ’
こういう時でも俺はそれに抗することができないのだ。心の中には
寝ずの番がいて,この目は
内側にあるものをじっと見つめるために閉じられるだけなのだ。
彼の心の中には,内側から見つめ続ける番人が絶えず存在し,常に落ち着かな
い気持ちにさせる。それは,マンフレッドが罪の意識に捕らわれており,監視
されることによって,後ろめたさを感じるからである。従って,この番人を消
し去って初めて眠る(sleep)ことができるようになるのである。
アスタルテの直接の死の原因は,作品中では明らかにされないが,二人が血
がつながっており,また,近親相姦が暗示されていることから,禁じられた愛
が破滅を引き起こしたと考えることは可能だろう。バイロンの作品を解釈して
一26一
いく際,主人公とバイロンの関係が常に問題となるところだが,マンフレ
ッドの中に作者であるバイロンの姿を見ることができるのも当然である。それ
は,マンフレッドが抱えている問題は,バイロン自身の問題であるからだ。っ
まり,異母姉オーガスタ・リー(Augusta Leigh)との近親相姦のうわさ,妻
と娘との別居といったスキャンダルの中でイギリスから自己亡命(self−exile)
の境遇に追いこまれたことが2),この作品で,マンフレッドに人間が足を踏み
入れることのない山頂や,悪魔たちの集まる邸にまでさまよい歩かせ,心の支
えとも救いともなるべき「自己忘却」を求めさせたと考えることができる。バ
イロンは,マンフレッドという身代わりを使って自分の過去を浄化することを
試みたのである。
しかし1バイロンの作品の登場人物には,作者の姿だけが重ねられているの
ではない。バイロンにはバイロニック・ヒーローという独自の人物像があり,
プラー一ツの定義による, 「(高貴なものと推測される)謎に包まれた生まれ,
燃えつきた情熱の跡,恐ろしい罪の疑い,憂うつな性質,青ざめた顔,忘れえ
ぬ目」3)というバイロニック・ヒーローの特徴に,マンフレッドもあてはめる
ことができる。しかし,この人物像の典型とされる初期の物語詩の主人公たち
は,マンフレッドとは異なって,勇敢に戦っている。彼らには理想に燃えた若
い詩人が写し出され,イギリス国内に留まっている詩人の代わりにはるか東方
の地で,正義のために情熱的に戦うのである。それに反して,マンフレッドは
敢然として立ち向かうことで直面している問題の解決をはからず,精霊や悪魔
たちに頼り,戦う人物像のイメージにはほど遠い。その原因には,マンフレッ
ドの敵となるのは,内面にいる番人の目であり,はっきりとした対立関係を描
くことが不可能だということが挙げられよう。しかし,それ以上に,バイロン
の関心が勇敢な英雄像よりも,その英雄の内面へと移ったことがマンフレッド
の行動に表れているのである。
バイロンは, 『マンフレッド』を執筆し始めた1816年9月末頃,ス.イス・ア
ルプスを旅していた。彼はその自然の中に身をおいて,アルプスの山々の崇高
な姿に驚嘆はするのだが,その美しさもただ彼に過去の出来事を思い出させる
一27一
だけであった。つまり,バイロン自身の「自己忘却」をアルプスの山々は与え
ていない。
羊飼いの奏でる音楽も,大雪崩の砕かれる音も,滝も,山も,永河も,森
も,雲も,ほんの一瞬の間でも僕の心の重荷を軽くしてはくれなかったし,
僕の周りや,上や,下にある堂々として,力強く,栄光に満ちたものの中
で,自己の悲惨さを忘れ去ることもできなかった。 (9.月29日)4)
当時バイロンは,シェリー(P。B. Shelley)と親しくなり,シェリーの持つ
汎神論的な哲学に大いに影響を受けている5)。又,シェリーの勧めでワーズワ
ス(W.Wordsworth)の作品を読んだのもこの時期であり6),『マンフレッド』
よりも1年早く出版された『チャイルド・ハロルドの巡礼』(Childe Harold’s
Pilgrimage)第3巻には,自然の持つ豊かさ,神聖さ,美をたたえ,そこに自
己を一体化させて喜びを見出だそうとする,ワーズワス的な傾向が強く表れて
いる7)。しかし,バイロンには自然の高さとは対照をなす人間の,低い大地に
根ざした生活を無視することができない。
Are not the mountains, waves, and skies, a part
Ofme and ofmy Soul,,as l ofthem?
Is not the正ove ofthese deep in my heart
With a pure passion? should I not contemn
All objects, if compared w玉th these?and stem
Atide of suffering, l rather than forego
Such feelings for the hard and worldly phlegm
Of those eyes are only turned below,
Gazing upon the ground, with.thoughts which dare not glow?
(Childe Hαro ld, Canto 3,75)
山や海や空は,私の,そして私の魂の一部ではないのか。
私がそれらのものの一部となっているように。
これらのものへの愛情は,純粋な情熱とともに心の奥深く根ざしていない
一28一
のか。
私は,これらと比較しては,全てのものを軽蔑するべきではないのか。
そして,目を下の方にのみ向けて地面を見っめ,その考えることも光を放
とうともしない,そんな人間のかたくなで現世的な無気力のために
自然への愛情を捨て去るよりもむしろ,押し寄せる苦しみを食い止めるべ
きではないのか。
バイロンは「賢明なる受け身」(wise passiveness)8)の状態になって自然の
なすがままに身を預け,純粋に自然の中にいることを喜び,今までの行為を浄
化させることはできない。それどころか,完全に自然と一体化することも,絶
えずわきおこる自意識を捨てきることも不可能である。心は愛情で満たされ
ず,かえって嫌悪感が大きくなるのを実感し,自然と相容れないかたくなさを強
調することになるのだ。
『マンフレッド』の主人公がスイス・アルプスの最高峰の一つであるユング
フラウ(Yungfrau)から受けた自然感も同様である。
一My mother Earth!
And thou fresh breaking Day, and you, ye Mountains,
Why are ye beautiful?Icannot love ye.
And thou, the bright eye of the universe,
That openst over all, and unto all
Art a delight−thou shin’st not on my heart.
(act I. sc.】正. IL 7−12)
一母なる大地よ,
そして明け行く日よ,またおまえたち山々よ,
なぜおまえたちは美しいのか。俺にはおまえたちが好きにはなれない。
そしておまえ,宇宙の輝く目よ,‘
すべての物の上に見開き,すべての物にとって
喜びである目よ一おまえも俺の心に光を向けてはくれない。
一29一
マンフレッドが感じるのも,およそワーズワス的な,、恩恵豊かな自然ではなく,
彼が抱いているアスタルテへの罪の意識,そして,バイロニック・ヒーローの
憂うつさを取り除くことはない。つまり,自然は「忘却」を与えることができ
ないのである。
シェリーやワーズワスに感化され,自然や自然界を代表する精霊,または,
悪魔たちとさえ交流する作品を書いてはみたが,バイロンは,それらの力が全
ての問題を解決しうるほど万能なものとは認めてはいない。それは,マンフレ
ッドの要求に対して自然の方からそれを拒否させていることからも,また,バ
イロンと同じように,マンフレッドも自然に身をゆだねはしないことからも明
らかである。自然と人間とは,お互いの境界線を消して交わりあえるものでは
ない。人間の持つ苦しみに,人間以外の力の入りこむ余地などない。バイロン
は形而上的主題を扱うに足る知識や興味を持っていないと評されている9)。確
かに『マンフレッド』だけでなく,「創世記」を扱った『カイン』(Cain,1821)
でも主要な関心は,神や死の世界ではなく,それらの存在におびえる人間であ
ったように,バイロンはあくまでも人間に密着した詩人だったからである。
マンフレッドに「自己忘却」を与えられるのは,アスタルテのはずだった。
彼は,ようやく現れたアスタルテの亡霊に,「私を許してくれ,さもなくば死
を告げてくれ。」(forgive me or condemn me.)10)と呼びかける。しかし
アスタルテの亡霊は,マンフレッドの呼びかけに対して口を開こうとはせず,
「口をきいてくれ。](Speak to me)と6回も訴えるマンフレッドの姿には,
悲壮感さえ感じられる。そして,彼が得た亡霊の返事は, 「明日お前のこの世
での罪行が終わるのだ。」(To.morrow ends thine earthly ills.)11)という
ものだった。マンフレッドには,許しではなく死が与えられたのである。しか
しここで,バイロンの持つ死に対しての楽観的な姿勢が見られる。つまり,罪
の意識を感じ取る主体が消滅すれば,番人の目におびえることもなくなり,内
面にある罪の意識もこれ以上彼を苦しめることはなくなるであろうというのであ
る。この死に対する楽観的な姿勢は, 「邪宗徒」の場合と似通っている。 「邪
宗徒」は,「禾国などいらない,欲しいのは休息なのだ。」(Iwant no
Paradise, but rest.)12)と,死と休息を同じものと考えている。さらに,
一30−一一
And I shall sleep without the dream
Of what I was and would be still
, ,
(The Giaour, ll. 997−998)
そして,.おれは,今までの自分やこれからの自分のすがたを
夢みることなく眠ることだろう。
と語っており,これは,マンフレッドが「自己忘却」を得た状態と一致してい
る。しかし,マンフレッドは,本当に「邪宗徒」のように死ぬことによってす
べてから解放されるのだろうか。アスタルテの声を聞きたい,もう一度だけ話
をしたい,というマンフレッドの切実な願いにもかかわらず,アスタルテは死
の宣告の一言だけを口にした。その様子は,冷淡でかつ残酷であり,マンフレ
ッドが回想する優しさにあふれたアスタルテとは似ても似っかない印象を与え
る。しかも,復讐の女神ネメシスに呼び出されたアスタルテの亡霊が,本当に
マンフレッドを救うとは思われないのだ。
アスタルテが死んだ晩は,マンフレッ』ドが死の訪れを待っている晩と天候も,
あたりに漂う不気味さもすべてがよく似た晩だった。そして,これからマンフ
レッドの元に悪魔の迎えがやってくるように,その時もマンフレッドと共にそ
れら超自然的なものと交信しようとしていたと想像できる。そしてそれが彼女
の死の直接的な原因となっているとすれば,アスタルテはアリマネスのような
邪悪な力に魂を渡してしまったと考えることもできるのではないか。自然には
呼び出すことができなかったアスタルテの亡霊を,復讐の女神ネメシスが呼び
出せたのは,彼女がすでに悪の手先となってしまっていたからである。もし,
彼女が亡霊となって現れた時でも,その姿だけでなく,生前マンフレッドが愛
したままの性質を持っていたとするならば,彼女はマンフレッドに「死」では
なく,「許し」を与えたはずだ。しかしアスタルテは,マンフレッドに対して
愛情を抱いているそぶりを見せず,かといって憎しみをあらわにする様子もな
い。感情のない機械のようであり,マンフレッドとは遠くはなれた別の世界に
属する存在となっている。そして彼女との隔たりこそがマンフレッドに新たな
絶望感を与えることになり,また,マンフレッドによって悪の世界の住人とな
ったアスタルテの復讐でもあるのである。
一31一
マンフレッドが目にした自然は,厳しく荒々しいもので,心を開き一体化する
ことのできないものだった。また,死んだ後でも心の支えとなるべきだったア
スタルテには冷たく突き放され,彼は死によって安らかな休息が与えられない
のである。『カイン』には,まだ存在していない死の世界を旅するカインの姿
が描かれているが,カインが見たその世界は,薄暗い空間に恐ろしい亡霊たち
がぷかぷかと浮いている,そのような巨大な深淵である13)。マンフレッドの
行く先も,このハデスと同様の所であり,永遠に休むことなく,自責の念に苦
しみながら浮かび続けることになるのだ。従って彼は自己を破壊するという手
段をもってしても,内面から自分を見つめる目と向かい合っていかなければな
らない運命からは逃れることができないのである。
バイロンは,常に現実の世の中に対する嫌悪感があり,死の世界を憧れ
る傾向をもっていた。サーザ詩群(Thyrza Poems)14)に存ま特にこの傾向
が見られる。そこには多分のセンティメンタリズムも感じられるが,詩人
が恋人を失った後で,「恐ろしい道」(dreary way)15)と人生を呪い,この
世の苦しみをもう感じなくてもよくなった恋人の境遇をうらやみ,さらに,生
まれてこなければよかったとまで語る16)ほどの絶望感が表れている。典型的な
バイロニック・ヒーロー像として現れる「邪宗徒」,ララ,コンラッドなどに
も,その特徴として陰うつさや,嫌悪感を持たせたのは,バイロン自身も同じ
ような喪失感を持っていて,そのために自分をこのような状態にさせた周囲を
嫌い,失ったものを追い求める傾向があったからである。そしてこれまではう
らやむばかりだった死の世界を具体的に考えてみたのが,『マンフレッド』で
あり,『カイン』であった。しかしここでも表されているのは,バイロンの分
身である主人公たちの絶望感であり,心の葛藤だった。そして死というものを
心を休める非難場所というイメージで捕らえるため,バイロンは,過去の出来
事によって生じた深い絶望感から,未来に対しての希望を抱けずに,一日も早
く死んでこの世から逃げ出したいという逃避の観念に捕らわれているという印
象を拭えない。マンフレッドにしても,絶え間なく襲う罪の意識から逃れるた
めにあらゆる手段を講じているのであって,決して戦うためではない。 「自己
忘却」して得られるのは,自意識からの完全なる解放ではなく,一時的な気休
めでしかないのである。
一32一
しかしバイロンは,自分の内面にある嫌悪感や絶望感を常に抱くその傾向を
見つめっづけた。なぜならば彼には自分自身こそが興味の対象であったからで
ある。初期の作品ではそれが,ララやコンラッドの人を寄せっけない厳しい表
情や,「サーザ」のような,周囲に対しての不平や,攻撃的でかつ外へと
発散するものとして表れていた17)。それがバイロン独自の単なるポーズであっ
たことは否めないが18≧スキャンダルのためイギリスを出て以来,自分の罪深
さを告白するかのような変化が見られる。その手段として,近親相姦や家族と
の別離を用いるのは,それが当時の読者ならば誰でも知っているモチーフだっ
たからにすぎないが,実際にこういった経験をし,それを通じて自分を表現し
なければならなくなった罪深さが彼にはあり,また,心の中に潜んでいる番人
に守られた自我とも言えるものが,すべての元凶となっていたからである。そ
して,のぞき込んだその自己の内面は,「暗黒」(‘Darkness’,1816)という
作品に表れているような暗闇の世界であり,そこは太陽や月や星のない,す
べてが止まってしまった静寂の中で,飢えと恐怖とですっかり荒廃してしまっ
た,人間の末期ともいえる異様な風景である。この誰もが目を覆いたくなるよ
うな情景から導き出す希望の「光」を求めるというひとっのイメージがここで
できあがる。マンフレッドにとっての光はアスタルテであり,その光が再び現
れれば辺りの闇が払われるのだが,この解決法は曖昧である。自己の問題を自
分の力で解決しようとするのではなく,周囲の助けに頼る消極的な方法だから
である。一人だけで,つまり孤独にこの暗黒の世界を見つめ続けると,『ショ
ン城の囚人』(The Prisoner of Chillon,1816)の中で見られるように,捕
らわれている牢獄こそが安心して生きていける隠れ家であると思われるほど,
運命に妥協してしまう恐れがある。しかし,アスタルテがマンフレッドに許し一
を与えなかったことは,導き手である光にも彼の境遇を打開するのに十分な力
を持っていなかったことを示すものである。すると最終的にバイロンを自我か
ら解放するものとして,彼自身の意志の強さでもなく,彼を取り巻く人々の愛
情でもない,入間の限界を超えた能力を要求されたのは必然の成り行きである。
しかし,『マンフレッド』において,自然の力も,精霊や悪魔もマンフレッド
の要求に答えられなかったため.これらもバイロンにとっては頼れるものでは
lSかった。彼はついにこの問題に対する明確な解答を得られなかったのである。
一33一
内面を見つめ自己をあからさまにしていくことが,パイロニック・ヒーロー
に課せられた役割であるとするならば,「邪宗徒」、に始まる主人公の戦いは,
マンフレッドに至って集不成されると考えられる19)。つまり,バイロンが生き
ていく限り果てしなく繰り返されるべき,自己との対話は,現時点では打解の
見込みのない,詩入の側からの一方的な苦しみの吐露として終始しているから
である。『マンフレッド』以降,これほど真剣に自己と向き合った作品はなく,
これに続くものとして,内面を深く掘り下げずに,人間全体に渡る行為を広く,
そして痛快に風刺するいくつかの風刺詩,そして『ドン・ジュアン』(Don
Juαn)へと彼の作風が移っていくのは,バイロンが自我の問題を放棄したた
めだと言うことが可能なのである。
一34一
註
1)Manfナe4 Act I, Scene I, d.144.
なお,作品のテキストとしては,
Jerome J. McGann ed., Lord Byron:Complete poeticαl IVorks
vols.皿,皿,1V(New York, Clarendon Press,1980,1981,1986)
を使用した。
2)Leslie A, Marchand, BgUron:APortrait(Chicago, University of
Chicago Press,1970),P.253.
3)Mario Praz, The Romantic Agony(New York, Oxford University
Press,1933,1970),pp.60−61,
4)L・・li・. A M・r・h・nd・d・・ Bl!「・・’・傭・・…”・urn・1…1・5
(Cambridge, Balknap Press of Harvard University Press,1976),
pp.96−105.
1816年9月17日から29日tにわたるこの旅行の一部始終をバイロンは,異母
姉オーガスタに日記形式の書簡を送っている。これは,一般に「アルプス
日記」(Alpille Journal)と呼ばれているものである。
5)Andre Maurois,均γoη, trans、 by Hamish Miles
(London, Constable,1984),P.267.
6)Maurois, P.271.
7)Andrew Rutherford, Byron:ACritical Study(London,Oliver
and Boyd,1961),P.6L ・
8)W。Wordsworth,‘Expotulation and Reply,’ご.24.
9)Rutherford, P.9L
10)Manfred, Act H, sc.】V,6.105.
11)Man∫red, Agt.皿, sc. IV,ム152.
12) The Giaour, 1.1270.
1$)Cαin, Act∬, sc. H.
14)サーザ詩群は,‘To Thyrza’,‘Away, Away, Ye Notes of woe・,
‘One Struggle More, And I Am Free’,‘Enthanasia’,‘And
−35一
Thou Art Dead, As Young And Fair’,‘On A Cornelian H・art
Which Was Broken’(いずれも1812年発表)から成る一連の詩で, Thy−
rzaという名の少女の死に対する思いを扱った作品である。
15)‘Away, Away, Ye Notes of Woe,’d.29.
16) ‘Euthanasia’,1.36.
17)The Giαourでも,主人公の「邪宗徒」は,自分の情熱的な愛情を振り返
って,「おれの(愛情)は,あふれ出す溶岩のようなものだった。」
(tt_mine was like the lava flood”)(1.1101)と言っており,外へ
と発散する激しい感情の典型となっている。
18)Praz, p.72.
19)Paul G. Trueblood, Loγcl Byon(Boston, Twayne,1977), P.85.
一36一
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