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A. イギリスと我々が読んでいる国の正式名称は(1) United Kingdom of

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A. イギリスと我々が読んでいる国の正式名称は(1) United Kingdom of
A.
イギリスと我々が読んでいる国の正式名称は(1)United Kingdom of Great Britain
and Northern Ireland である。グレートブリテン島のイングランド、スコットランド、ウェールズと、
アイルランド島北東部の北アイルランドからなる。
この国のの歴史は紀元前2400年までさかのぼることが出来る。Salisbury(ソールズベリ
ー)には巨石文明が残した遺跡(2)stonehenge が残る。30個の巨石が環状に並ぶ。建設目
的は諸説有り、いまだに解明されていない。ケルト人以前にブリテン島に住んでいた人によっ
て作られたことは明らかだ。遺跡から推測されることは、当時広範囲を支配する政治的な権力
が存在したことだ。
その後、(3)Celt(ケルト)系の民族がこの島にやってきたのは紀元前7世紀である。以降、7
00年間にわたり定着する。彼らは中央アジアの草原から馬と馬車や戦車を持ってヨーロッパ
に渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。彼らはおそらく青銅器時代に中央
ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文明を(紀元前
1200 年~紀元前 500 年)を発展させた。彼らは時間をかけて、ヨーロッパ中に足跡を残した。
(4)Wales, Scottish Highland, Ireland では現在もケルトの影響が文化、言語の面で大変
強く残っている。
紀元前55年に、ケルト民族討伐のためにローマ軍がブリテン島へ侵攻し、その後5世紀に
渡りこの島はローマ帝国の属州となる。ローマは各地に都市や道路を築き、進んだ文明をもた
らした。城壁を意味する地名の(5)caster, chesterはローマ時代の名残である。また、Bath に
はローマ時代の社交の場であった浴場跡が残っている。
a. stonehenge : b.
d.
e
Celt(ケルト)系の民族 : c.
caster, chester :
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland :
Wales, Scottish Highland, Ireland :
B. ロンドンの原型、(6)Londinium が彼らにより造られたのは紀元前47年だ。ローマから
穀物を送り出すための重要拠点として利用され、後に貿易都市として発展する基礎となった。
ローマの影響は4世紀に起きたゲルマン人の大移動により、広大なローマ帝国の支配が各地
で揺るぎ始めた。407年に、ローマはブリタニア属州を放棄、撤退する。
ローマ人に代わり、この島を支配したのは(7)Germanen である。彼らはドイツ北部からスカ
ンディナビア南部に原住していた群小部族集団である。インド・ヨーロッパ語族に属する。前 1
世紀にはゴート族などゲルマン人の一部が、現在のドイツ東部、ポーランドの地にひろがり、ま
た一部は、はやくからドイツ西部に侵入して、ガリアにすむケルト人をおびやかしていた。
Angles & Saxons & Jutes がユトランド半島(デンマーク)から来襲し、ローマ支配後も住ん
でいた Celts を Wales, Cornwall, Scottish Highlands などへ追いやった。ブリテン島に渡
来した者を(8)Anglo Saxon 人と呼ぶ。彼らは7世紀末までに7つの王国を形成した。この時
代を(9)Heptarchy と呼んでいる。8 世紀にはカンタベリーを有する Kent、南西部まで勢力を
拡大した Wessex、ロンドンを有する Essex、その南部に位置する Sussex、東部の East
Anglia、北部の Northumbria、内陸部の Mercia が覇権をきそう。
この間、ローマ人によってもたらされたキリスト教が 6 世紀末に
普及しはじめた。初代カンタベリー司教(のちに大司教)となったアウグスティヌスが布教をはじ
めたのだった。
9 世紀にはウェセックス王国のエグバートによりイングランド王国の基礎がつくられる。彼の孫
の(10)Alfred the Great,849-899 は、8 世紀末からはじまったバイキングの一派であるデー
ン人の侵入に対抗し、彼らを王国内にくみいれることに成功した。彼はまた法制度をととのえ、
学術を奨励したことでも知られ、大王と称された。
a. Anglo Saxon 人: b.
d.
Germanen : e
Londinium : c.
Alfred the Great,849-899 :
Heptarchy :
C. この頃、(11)バイキングとしてブリテン島に侵入したノルマン人の一派がデーン人だ。5
世紀ごろからユトランド半島にすみだし、9 世紀ごろにはデンマーク王国をつくり、8 世紀末ご
ろからイングランドに盛んに侵入した。アングロ・サクソン人以来外敵の侵入に無縁であったイ
ングランドは、デーン人の略奪の格好の標的となった。1016 年デンマーク王子クヌットがイン
グランド王に即位した。その後、再びサクソン人の王がブリテン島を支配するが、これも短命に
終わった。
英国海峡の対岸にあったノルマンディー公Williamがブリテン島へ侵攻する。これが1066年
の(12)Norman Conquestである。ウィリアムはアングロ・サクソン勢力の所領をノルマン諸侯
にあたえ、イングランドの土地所有層はノルマン人で占められることとなった。また、王は土地
をあたえるかわりに諸侯に軍役義務を課したため、以後いわゆる(13)封建制がイングランド全
土に広がった。
フランスのノルマンディ公がイングランド王位についたことで、イングランド支配層の文化も変
化した。公的な言語がノルマン貴族のつかう(14)フランス語にかわり、それまで使用されてい
たチュートン語系の古英語は被支配階級の言葉とさげすまれた。同時にこれをきっかけに英
語自体にもフランス語風の語彙(ごい)が多数ふくまれるようになっていった。1085年、ウィリア
ムはイングランドの検地をおこない、征服後移動した土地所有状況を確定させた。この検地の
結果を記録した書物はのちに(15)”Doomsday Book”とよばれるようになる。
a. Norman Conquest : b.
d.
フランス語 : c.
封建制 : e バイキング :
”Doomsday Book” :
D. ロンドンは商業と交通の要所として常に栄えていた。民衆は豊かな財力を背景に、ウィリ
アムの支配に抵抗した。彼らの抵抗を前に、ウィリアムは(16)Tower of Londonという要塞を
築きロンドン市民を威嚇した。しかし、市民は脅しに屈することはなかった。権力者に抵抗した
り、擁護したりする強い経済力を常に発揮したことがロンドンの都市の性格となる。
ロンドンには様々な時代に活躍した文人が関わりを持った。出版社の集まるFleet Streetに
住んだ(17)Dr Samuel Johnsonは、1747年から、辞典編集の仕事にとりかかっていた。9年
近くを準備についやして、55年にすばらしい出来ばえのA Dictionary of the English
Language(2巻)が出版された。収録された約4万もの項目は、今日でも引用される明解な定
義と、広範な、わかりやすい用例で説明されている。「困難に遭遇してもくじけず、しいたげら
れたまずしい人々に同情し、不屈の精神で真実を探究した、卓越したヒューマニスト」である彼
は辞書以外でも、(18)理性の時代を代表するユニークな人物として知られている。
第一次世界大戦(1914〜18)中から戦後にかけて、ヨーロッパとアメリカに展開された美術
および文学上の運動に(19)Modernismがある。現代の人間が抱えている心の状況を、前衛
的手法で表現しようとした文学の動き一般を指す。反美学的、反道徳的な態度が特色だ。こ
の運動には、表現主義、イタリアの未来派、ダダ、(20)シュルレアリスム、ロシア・フォルマリズ
ムなどの革新的な芸術運動が含まれる。
a. Tower of London : b.
e
E.
Modernism : c.
理性の時代 : d.
シュルレアリスム :
Dr. Samuel Johnson :
ロンドンの東に、世界金融市場の中心地 (21)the Cityがある。ここで1917年頃に銀
行勤めをしていた、後にノーベル賞を授与されるアメリカ生まれの大詩人がいた。(22)T.S.
Eliotである。彼の作品Waste Land『荒れ地』はモダニズム文学の代表作である。” APRIL
is the cruellest month, breeding/ Lilacs out of the dead land, mixing / Memory and
desire, stirring / Dull roots with spring rain. ”で始まるこの作品は、現代社会の不毛を、
過去と対比させながらあざやかに表現した。複雑雑多な文明には、難解な暗示的、間接的
な方法が必要で、言葉を無理やり意味に従わせる、ねじ曲げていくことも辞さない手法が取
り入れられ難解な作品である。しかし、この作家は後に現代ミュージカル界の巨匠、Andrew
Lloyd Webberの(23)CATSの原作、Old Possum's Book of Practical Catsも書いてい
る。
シティからロンドン橋を渡るとテムズ川の南側は、19世紀末までロンドン市内ではなかった。
ここには不愉快で迷惑なものが集められていた。監獄もあった。その監獄に借金をして返せ
なくなったCharles Dickensの父も入れられていた。彼は貧しいこども時代をこの周辺で過
ごした。少年ディケンズは生計をたてるために靴墨工場での労働を余儀なくされた。そのとき
の屈辱感と諦念に終生つきまとわれた。(24)Oliver Twist(1837~39)は孤児としてそだち、
いじめられたり盗賊の手先につかわれるなど苛酷な運命にもてあそばれるが、純真で善良
な性質をうしなわず、人々の愛情によって幸運にめぐまれる人物を主人公にしている。彼の
イメージは19世紀の初め、(25)産業革命期の悲惨な下層階級の子供、孤児たちの姿であ
る。貧困者への配慮にかけた当時のイギリスの社会制度をきびしく糾弾しているのがこの小
説である。社会改良の熱烈な主張をユーモアをまじえてうったえたこの物語は、多くの人々
の共感をよび、救貧院改革の大きなきっかけとなった。
a. Oliver Twist(1837~39) : b.
d.
CATS : c.
T.S. Eliot :
the City : e 産業革命期 :
F. この19世紀にはNovel(小説)が流行した。技術革新により、印刷物が安価になり、鉄道
網の発達のために、素早く手にはいるようになる。平易な言葉で書かれた小説は、中産階級
の人にたやすく理解出来たので、1830年から1900年の間に、4万作品が製造された。この
頃の小説は「ありきたりの事柄を(26)忠実に描写すること」が目的であり、観察したことを偏
見なく客観的に書きとめている。これを(27)Realismと呼ぶ。また、このジャンルに共通する
欠点に、きまったかたちがあるわけではない人生を忠実にえがくことに気をとられるあまり性
格描写を偏重してプロットを軽視し、中産階級の暮らしや偏見をえがくのに夢中になって、ス
ケールの大きな問題をさけるという点がある。
ディケンズが描くような社会がイギリスに登場したのは次のような社会変化が原因であった。
第1次農業革命である。羊毛生産の向上をねらったジェントリー層により耕作地が大規模牧
羊地とされ、農民が土地から追放された。これを(28)囲い込み運動(enclosure
movement)と呼ぶ、土地所有形態が変化し、伝統的な農村共同体の解体された。つづく第
2次農業革命では、富裕な地主は土地の囲い込みによって所領を拡大し、新技術を導入す
ることで土地の生産性を高め、資本制農業を確立しようとした。飼料作物を栽培して家畜を
増産することで、それまでの三圃制では休閑地としていた土地を有効利用することに成功し
た。こうして農民は土地をおわれ、都市にながれて(29)工場労働者となることで産業革命を
ささえる。
世界ではじめて産業革命を経験した18世紀末のイギリスは、(30)世界の工場へと成長
する。18世紀のロンドンは世界の貿易ネットワークの中心となり、工業製品の輸出が拡大し
た。イギリスの輸出成長率は1780年以降、めざましく伸びた。
a. 忠実に描写: b.
d.
世界の工場 : c.
工場労働者 :
Realism : e 囲い込み運動(enclosure movement) :
G. ロンドンの西の端、ウェスト・エンドにCovent Garden がある。18,19世紀には、ここに
は王立オペラ劇場と青果場が共存していた。そこを舞台に始まる作品がGeorge Bernard
Shawの(31)Pygmalion (1913)だ。この喜劇の傑作 は、映画作品やミュージカル喜劇「マ
イ・フェア・レディー」の原作として人気をたもってきた。下町なまりの少女が、言語学者に教
育を受け言葉だけでなく、知的文化も身につけレディーに成長し、学者の元から旅立ってし
まう物語だ。
British Museumやロンドン大学がある(32)文教地区Bloomsburyに集まった文化人の
集まりをブルームズベリー・グループという。彼らの共通意識は、19世紀後期の極端な形式
主義と無味乾燥なリアリズムに対する強い反発であった。その中にいた小説家がVirginia
Woolf
である。彼女は主観的な現実を、客観的な現実同様にしめすためにもちいられる文学技法
(33)Stream of Consciousnessを用いてTo the Lighthouseなどを書いた。登場人物の感
情、記憶、思考、行為などが、論理的ではなく、連想的につらなってゆくさまを、(34)作者に
よる注釈なしにえがきだされる。登場人物の印象や感情、考えの移ろいによって物語が展開
し、人間の精神生活と、それ以外の点では何の変哲もない状況が、並みはずれたものに思
える。
ロンドンの南にCanterburyがある。ここにはイギリスのゴシック建築中もっとも壮麗で、歴
史の古い、英国国教会の大本山Canterbury Cathedralがある。イングランドのカンタベリ
ー大司教(35)Thomas Becket (1118~70)は「教会の自由」を主張して国王と対立した。
これに国王は激怒し、同年12月29日、王の側近の4人の騎士がカンタベリー大聖堂内で大
司教を暗殺。1173年、聖人に列せられ、以後カンタベリーは巡礼の地となった。
a. Thomas Becket (1118~70) : b.
d.
文教地区 Bloomsbury : e
作者による注釈 : c.
Pygmalion (1913) :
Stream of Consciousness :
H. カンタベリー詣でを題材に、14世紀の詩人、(36)Geoffrey Chaucerは1380年代に
Canterbury Tales を書いた。聖地カンタベリーへ巡礼にでかける人々がそれぞれ話をか
たるという物語集。騎士から農夫まで、さまざまな身分の者が語り手になる。この集団は、さな
がら14世紀(37)イギリスの社会の縮図である。
この物語はを(38)Middle Englishで書かれている。この頃の発音では、so it is time to
see the shoes on the same feet now (ソウ・イトイズ・タイム・トゥー・スィー・ザ・シューズ・オ
ン・ザ・セイム・フィート・ナウ) という文章の発音はsaw it is team to say the shows on the
sarm fate noo. (サウ・イトイズ・ティーム・トゥー・セー・ザ・ショーズ・オン・ザ・サーム・フェー
ト・ヌー) という感じで発音されていた。これらの発音が(39)現代英語に近いものとなったの
が、この大母音推移によってである。この母音推移のプロセスは速く、数世代のうちに完成し
たと言われている。
この頃のイギリスはThe House of Plantagenet or the House of Anjou,(1154—1399)
によって統治されていた。 イングランド国王ヘンリー1世の娘マティルダとフランスのアンジュ
ー伯ジョフロワとの間に生まれたヘンリー2世が開いた王朝である。この結婚により、イギリスと
フランスにまたがる王国が形成された。宮廷での言葉はフランス語が使用された。プランタジ
ネット朝は、ヘンリー2世、リチャード1世、ジョン(欠地王)、ヘンリー3世、エドワード1世、エドワ
ード2世、エドワード3世、リチャード2世の8代にわたってつづいた。その後イングランドは、とも
にエドワード3世の血をひくランカスター家とヨーク家があらそう時代へとはいっていく。
エドワード1世の頃、彼の強力な指導力のもとで、イングランドは中世における最盛期をむ
かえた。WalesとScotlandを征服し、The Model Parliamentが構想され、後のイングランド
議会はしだいに、(40)二院制のかたちをととのえていく。
a. Geoffrey Chaucer : b.
d.
I.
現代英語 : e
二院制 : c.
イギリスの社会の縮図 :
Middle English :
ロンドン南西部のウェセックス地方は、5~6世紀、侵略者アングロ・サクソン人とたたかっ
て数々の勝利をあげたとされる、なかば伝説上のブリトン人の王、(41)King Arthurの伝説
で有名である。Arthurian Legendは、ブリテンのアーサー王とその宮廷の騎士たちを主人
公とする、中世ヨーロッパ各地で書かれた物語の総称。史実と思われるものをもとに、ケルト神
話やさまざまな伝説が複雑におりこまれてできている。
アーサーの王朝(42)Camelotには優秀な騎士が集まっていた。彼らは(43)the Knights
of the Round Tableと呼ばれ、Gawain、Sir Lancelot など彼らの何人かについて個別に
多くの武勇伝が創作されている。
また、この物語は(44)Grail Quest(聖杯伝説)と結びつけられている。伝説によれば、アリマ
タヤのヨセフが、(45)処刑されたキリストの傷口からながれる血をこの杯でうけ、聖杯として保
管したのだという。その後、聖杯はブリテンへはこばれ、ヨセフの子孫に代々まもりうけつがれ
た。罪なき者のために食物をみたし、心のけがれた者の目をみえなくし、ふさわしくない者が
近づくと口がきけなくなるといった、奇跡をおこす力をもつと信じられた。
a. 処刑されたキリスト : b.
d.
J.
Camelot : c.
the Knights of the Round Table : e
Grail Quest(聖杯伝説) :
King Arthur :
イングランド南部、ハンプシャーのスティーブントンに生まれた(46)Jane Austen
(1775~1817)は、機知にあふれ、格調高い風刺小説で、18世紀の新古典主義から19世紀
のロマン主義に移行する過渡期のイギリス文学を代表する作家だ。するどい観察眼で、細部
までみのがさず、上層中産階級のイギリス人の静穏な田園生活がありありと描写されている。
成熟は幻想の喪失を通じて達成されるというのが、彼女のPride and Prejudice, 1813や
(47)Sense and Sensibility, 1811などの代表作の特徴的なテーマであり、登場人物の性格
上の欠点は、きびしい試練を教訓としてまなんではじめて修正される。彼女の明快なスタイル
の中では、どんなに地味な登場人物でもはっきりした個性をもっている。人間の普遍的な行動
様式をこまやかにとらえる感性ゆえに、彼女は卓越した小説家として高く評価されている。
同じく、イングランド南西部、ドーセットシャー出身の(48)Thomas Hardy (1840~
1928)は、かつてのアングロ・サクソンの王国ウェセックスにかさねあわせてえがき、のちにつ
づく「ウェセックス小説」をものした。ダーウィンの生物学とニュートンの物理学の決定論に支
配された信念が充満している。個人のさだめられた運命は、なにかの拍子でかわることもあ
るが、個々の人間の意志は、人生の必然に戦いをいどんでもまけるにきまっている。荒野、
野原、季節、天候の強烈で鮮明な描写によって、ウェセックスは小説の中で物理的な存在
感をもつようになり、登場人物の心理状態やこれからの運命をうつしだす鏡としての役割を
はたす。そしてこれらの運命を、ハーディは皮肉と悲しみをもってながめているのである。
彼の作品は(49)Naturalism,自然主義という文学ジャンルに属している。写実主義を引き
継ぎながらも、人間を客観的、経験的にえがかねばならないとする理論である。一方、彼自
身は「芸術とは現実をゆがめることである」と考えており、作品とは観察者のフィルターを通し
てみる「現実」の「印象」であるとする。一般的に言う客観的描写という意味で、彼の作品
(50)Tess of the d’Urbervilles, 1891などを語ることは出来ない。
a. Tess of the d’Urbervilles, 1891 : b.
Jane Austen (1775~1817) :
c.
Thomas Hardy (1840~1928) : d.
e
Naturalism,自然主義 :
K.
Sense and Sensibility, 1811 :
OxfordもCambridgeも12世紀末にはすでに重要な学問の中心地となっていた。二つ
の大学を総称し、(51)Oxbridgeと呼ぶ。ヨーロッパ本土から教師や学者が町にうつりすみ、
大学の基礎が形成された。オックスフォード、ケンブリッジ両大学は30以上のコレッジから構
成され、各コレッジは独自に活動をおこなっている。コレッジは学生に寄宿や食事、チュータ
ーとよばれる個人指導教師を提供し、社会・文化活動などを企画する。両大学とも現代に到
るまで、歴代の政府要人や科学者、思想家、文学者などあらゆる分野に人材を送り込んでき
た。
(52)Lewis Carroll (1832~98)はオックスフォード大、クライストチャーチ・コレッジの卒
業生で、数学の教授でAlice's Adventures in Wonderlandの著者でもある。アリスの物語
のおもしろさは、自由な空想、奇想天外な想像力とともに、言葉遊びの楽しさにある。ナンセ
ンスではあるが、巧みな語呂(ごろ)合わせや言葉の連想など、子供がごく自然におこなって
いる遊びが、ここにはふんだんに盛りこまれている。次のアリスと(53)ハンプティ・ダンプティ
の会話に含まれるのも言語にまつわる特徴を生かしたナンセンスの表現である。“tell me
your name and your business."/"My name is Alice, but---"/"It's a stupid name
enough!" Humpty Dumpty interrupted impatiently. "What does it mean?"/"Must a
name mean something?" Alice asked doubtfully./ "Of course it must," Humpty
Dumpty said with a short laugh: "my name means the shape I am---and a good
handsome shape it is, too. With a name like yours, you might be any shape,
almost."
つまり、(54)言語記号は「意味するもの」と「意味されるもの」で構成されている。例:犬(inu)
という音の連続(記号)は、犬という抽象的、一般的「観念」を思い起こさせる。ところが、Alice
(記号)には、特定のアリス性という概念は付属しない。つまり意味がないのである。
オックスフォード大学の教授には、The Lord of the Ringsの作者J. R. R. Tolkien
(1892~1973)やThe Chronicles of Narnia の作者C. S. Lewis (1898~1963)がいる。
Cambridge大学出身でShakespeare以降、もっとも偉大なイギリス詩人とうたわれるのが
John Milton, 1608~74である。熱心なピューリタン支持者だった彼は(55)Paradise Lost
『失楽園』(1677)を書いた。叙事詩は「創世記」にしるされたアダムとイブの楽園追放に題
をとっている。楽園追放のドラマは、これまでの叙事詩の伝統、つまり民族の英雄的行為を
たたえ、幸福な結末でおわるという伝統的な考え方からみると、適当な題材ではなかった。し
かし、結果的に全12巻からなる壮大な叙事詩となったのは、神の永遠の摂理を擁護し、楽
園を追放されてもなお人類にのこされる英雄性や救済を信じた詩人ミルトンの、切なる願い
があったからである。この作品は後の文学や大衆文化に大きな足跡を残した。
a. Paradise Lost『失楽園』(1677) : b.
d.
言語記号 : c.
Oxbridge : e ハンプティ・ダンプティ :
Lewis Carroll :
L. 当時ピューリタン革命 Puritan Revolution(1640~60)がおきた。この革命はスコット
ランド軍とたたかう費用を調達するため、1640年春に議会を召集したものの、議会が要
求を拒否した王権と議会の対立に端を発する。伝統的な議会を通じた穏健な改革から
軍事力による革命へと発展。暴力による政府の転覆、新しい制度の導入、事実上の独
裁政治をへて、古い伝統の範囲内で新しい慣行をとりいれた王政復古へとすすんだ。こ
の革命は、(56)信教の自由への道を開き、政治と宗教の新しい関係を生みだした。そ
の結果、(57)政府の権力は制限すべきであるというイギリスの伝統を拡大し、この影響
は、王政復古 Restoration(1660)後に残り、イギリス近代化のきっかけを与えた。
1455~85年に、イングランドの王位をめぐって、貴族がランカスター家派とヨーク家派にわ
かれてたたかった内乱は、両家の紋章を取ってWars of the Rosesと呼ばれる。当時のイン
グランドは、フランスとの(58)百年戦争(1339~1453)の敗北により、王家であるランカスター
家の権威がゆらいでいたことが原因だ。その後、1485年、ばら戦争最後の決戦でヨーク家
のリチャード3世をやぶってヘンリー7世として即位、Tudor朝をひらいた。
ヘンリー7世はその後、ヨーク家のエリザベスと結婚し、王位は2人の子のヘンリー8世に継
承され、つづいて彼の3人の子供たち、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世にうけつが
れた。最後の3人の君主はすべて子供をのこさないまま死去したため、エリザベス1世の死後、
ヘンリー7世の血をひくスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてむかえられ、
Stuart朝に移行した。
とくにElizabeth I の統治下で、イングランドは海洋大国へと発展し、エリザベスは国民の
人気をあつめた。この時期にイングランドの愛国意識が高揚したことが原因だ。愛国心が高ま
ったのは国家の危機を乗り越えたことによって生まれた。つまり、(59)カトリックの大国スペイ
ンのフェリペ2世は、長年にわたりイングランドの私掠船になやまされていた。1588年、(60)
The Invincible Armada 無敵艦隊を派遣するが大敗した。この結果、スペインは国際政治
における発言権を弱め、エリザベスの支配とイングランドの地位は不動のものとなった。プロテ
スタントも宗教的地位を高めた。
a. カトリックの大国: b.
d.
百年戦争(1339~1453) : c.
政府の権力 :
The Invincible Armada 無敵艦隊 : e 信教の自由 :
M. Elizabethan Eraは文学の黄金時代でもあった。The Faerie Queen(神仙女王)の著者
Edmund Spenser (1552?~99)やThe Tragical History of Doctor Faustus の著者
Christopher Marlowe (1564~93)などが活躍した。さらに史上もっとも偉大な劇作家
William Shakespeareが名作を生み出した。
彼は多様な登場人物たちの描写をとおして、人間を行動にかりたてる根源についての深
い見識を呈示している。音声表現と所作の多用によって統一された審美的な効果を生みだ
す、詩的かつ劇的な手法の採用は、彼の非凡な功績である。また、個人的、社会的、普遍
的な状況での人間の行動の根底的な動機づけを表現するために、劇中で詩を使用したこと
は、文学史におけるもっとも偉大な業績とされている。彼の劇は、ほかのどの劇作家の作品
よりも頻繁に、女王エリザベス1世と国王ジェームズ1世の宮廷で上演された。
彼の作品は歴史劇10本、喜劇15本、悲劇11本の36作品(一説には38作品)が
現代に伝わっている。これらの作品は全て(61)blank verseで書かれている。読ん
でみると英語のイントネーションが一定していることに気付く。心地よい弱強のリズム
が続くのである。また、彼は14行で(62)脚韻(rhyme)を踏み、独自の韻律パターン
の(63)ソネット(sonnet)を多数生み出した。授業中に取り上げたソネットの4行を見
るだけでも、上記の特徴を味わえる。”Shall I compare thee to a summer's day?
/ Thou art more lovely and more temperate: / Rough winds do shake the
darling buds of May, / And summer's lease hath all too short a date:”
授業では Romeo and Juliet を取り上げた。イタリア、ヴェローナの名門一家同士が
競い合っている。ロミオとジュリエットは、それぞれ the Capulets と the Montagues
家の世継ぎ同士だ。互いに一目惚れした二人は秘密の結婚をする。バルコニーの逢
い引き場面は有名だ。そのセリフ、“(64)O Romeo, Romeo! wherefore art thou
Romeo?/ Deny thy father and refuse thy name!”は有名。 “ wherefore”, “art”
“thou”, “thy”は現代英語ではそれぞれ “why”, “are”, “you”, “your”,である。そ
の間も、両家の争いは絶えず、使用人同士が喧嘩をした。ロミオの幼友達 Mercutio
がライバル一家の若者 Tybalt に殺される。ロミオが友人の敵を討つと、両家の抗争が
激しくなり町中が大騒動になる。ロミオとジュリエットの仲を取り持つ司祭の計画に行き
違いが起きてしまう。ジュリエットが死んだと思いこんだロミオは、早まって服毒自殺して
しまう。直後に仮死状態から蘇ったジュリエットが死んだロミオを発見する。彼の短
剣 ”dagger”で自らを刺しジュリエットが自殺する悲劇で物語は幕を閉じる。その場面
の台詞もまた有名だ。 ” (65)O happy dagger! [Snatches Romeo's dagger.] This
is thy sheath(鞘); there rest, and let me die. She stabs herself and falls [on
Romeo's body].
”
a. ソネット(sonnet) : b.
d.
blank verse : c.
O Romeo, Romeo! : e 脚韻(rhyme) :
O happy dagger! :
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