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ここから - ODN
自分史作成のための基礎作業
高校時代の手書きの日記をワードで入力しました。これから暫時、コメントなどを付けて判りやすくし、大学時代
や勤め始めた後のことなどを掲載したいと考える。日記帳から入力したまま掲載した。昭和30年代に北海道の北部
で高校時代を過ごした者の日記を見て下さい。今回は昭和32(1957)年5月16日(木曜)、すなわち私が高
校1年の時∼昭和34(1959)年12月27日(日曜)、すなわち高校3年の時までのものです。
昭和32(1957)年5月16日(木曜)、薄曇
ピアノの練習を中間試験のため今日から休むことにする。英語の時間、この前の答案用紙を返してもらったが、自
身満々で出したものが、なんと驚くべきほどの減点にあっているのではないか。がっかり残念と思ったが、自分の答
案を見るとあっちこっちにちょこちょことまちがっている。そしてその答案用紙見ていて自分というものが、間が抜
けていて、そそっかしいかを思い込まされた。
来る20日から中間試験に接する時は、慎重に慎重を重ねて答えを書こうと思う。
それと、自信があっても実力がないととんだ眼に会うということを我が身に知らせてくれたものである。今日の試
験答案用紙は非常に勉強になったわけである。
昭和32(1957)年5月17日(金曜)、薄曇
このごろ自分は、試験でより良い点数をとろうとかっちゃきになっている。それは良い点数をとろうとするのは良
いことである。しかし、今の自分は単に良い点数をとろうというのだけでない。目的は二つある。第一に見栄と言う
かうんと良い点数をとって早くいえばクラスの花形もしくは一学年の花形になろうというのである。しかし、点数が
良ければ花形になるとか、いばったりすることができるのであろうか。点数が良いと花形になれるという考えがまち
がっているのではないだろうか。
第二に、第二の目的は第一の目的と連なることであるが、皆よりもすぐれている点をかせいで、つまり級長たるべ
く資格をもとうというのである。もすこし掘り下げれば級長としてクラスの中を君臨しようとするのである。しかし、
点数がみんなよりもすぐれていることは級長となるべき資格であろうか。そうではあるまい。上のように自分の心は
動こうとしている、否定していたのである。級長たるものが上のような卑劣なことを考えていることは、もう自分と
いうものが級長になっているべきでないことを示すものであろう。
第一巻の日記帳の中にあるはずだ。勉強の目的、勉強は何のためにするのか、ということが書いてあるはず。それ
を読み返しておこう。
昭和32(1957)年5月18日(土曜)
今日は土曜日であるから、勉強を充分できるとよろこんでいたが、遠足のことでいざこざがあったため、バス会社
や学校を往復して浪費してしまった。全く残念無念である。
四月には雑誌ばかり読んでいたが、今ではなるべく高校時代を読んでいる。読むにつれて自分の勉強法について疑
問のところが出てきた。それで勉強法を研究しようと思っている。
明後日に自分が生まれて初めての通知表のための試験を経験するのである。テストで気をつけることは答えを落ち
着いてかつ慎重に書くことである。いつも数学では符号の付け方などをよく間違うし、英語では冠詞を置くことを忘
れるから、この点に気をつけたいと思っている。
昭和32(1957)年5月20日(月曜)
中間試験の第一日目であった今日であったが出来方は余り良くなかった。まず人文地理がすんごく悪く、次の幾何
もこれまた悪く、つぎ代数となったらもうあかん。Ⅲがわからないで目茶苦茶の態を催した。明日は商業・英語・国
語乙がある。これで今日のかたきをうちたいところである。
しばらく前から自分の勉強法を研究する必要があると考えていたが、今日に到り高校時代を読んだ結果人文地理の
勉強のしかたを変えようと思った。どのように変えるかと言うと、今まで図を書くことを軽蔑していたが、今日の試
験の失敗に会って何か図を書くことがいいことでないかなあと思っていた時に高校時代を読んだ訳である。
今日試験が終わってから遊んでしまったが明日はこんなことがないようにしたい。
昭和32(1957)年5月22日(水曜)
昨日は11時まで起きていたため朝はすっかり寝坊して、そのたたりがまだ残っている。どうも自分のこのごろの
1
勉強法・勉強のしかたが雑なような気がする。
一昨日の失敗からこんどから代数の勉強は必ず復習を怠りなくやって、教わったことはしっかり頭の中に入れてお
こうと思う。
今日、夕飯を食べてから散歩に出た。ぶらぶら歩いてまわったが春のなんともいえぬ快い気分であった。蛙が鳴き始
めて、こうやって日記をつけている自分のところまであの特有の鳴き声が聞こえてくる。
今日で中間試験が終わった。答案用紙を返してもらわなきゃわからないが余り出来が良くない、中でも代数、人文地
理はひどいことになってしまった。これからはうんと勉強の仕方を研究し、創意を入れてやろうと思う。
昭和32(1957)年5月24日(金曜)
きょうも補習授業がないのに家でろくに勉強できなかった。4時に帰ってきて、5時ちょっとすぎに森君のところ
へキャッチボールに出かけ、6時近くに家へ帰ってきた。それからすぐ勉強せばいいのに、本を読んですごしてしま
った。
7時半ごろにご飯を食べ始め8時半ごろに食べ終わり、9時まで高校時代を読み、それから勉強をはじめたわけで
ある。
こんな調子あるから身の入った勉強ができないことがはっきりわかるであろう。計画を立ててやっているがなんの
役に立たないことがはっきりわかる。
明日は遠足に行くかもしれないが帰ってきてからもかならず勉強をしようと思っている。
昭和32(1957)年5月25日(土曜)
遠足へ行った。余りおもしろくなかった。レクリェーションであるから楽しむべきであるが、体が非常につかれて
あまりあばれまわることは出来なかった。
清い水の流れ
水の流れのみ清い
川底にくろい
見るからにもいやな感じがする
水コケが生えている
コンクリートの溝の中を清らかに流れる水
弱く風が吹けば小さく波立つ
強く吹けば大きく波立つ流れの水面
風と水との静かなやりとりがつづく
緑色と空の青色とがおおいかぶさる春の川
どこにも不自然さがない水の従順さ
なんのくるしみのない国への水の従順さ
何もかも風にまかせる水
弱く風がふく
また
そしてまた波が立つ
清い水の流れ
昭和32(1957)年5月26日(日曜)
このごろ勉強の仕方が甘いようだ。馬力をかけてする。
2
英語の学習について単語を調べる場合、単語を調べる範囲を決めてからするように。
幾何をやらなかった明日するように。
昭和32(1957)年6月1日(土曜)
今日もあくせくと勉強し今寝ようと思ったが思い直し日記帳にむかった。まったくなさけないほどあくせくと勉強
していても試験になるとあんな点数しか取れない。つい2、3日前までは福原に居ったころのことを忘れ朝寝坊をて
いいっぱいやっていたが朝早く起きることは一日の生活をかたくするような気がして2、3日前から7時にははるか
早く起きている。それに福原に居ったことをも考えると早く起きて有ちゃんの手伝いをしなくちゃばちがあたる。
万年筆も欲しくなった。それに使うこともいよいよ多くなったからね。明日お金の使い方を考え余裕があれば買お
うと思う。
昭和32(1957)年6月2日(日曜)
心を決して万年筆を買った。僕は万年筆をつかいなれていない方だからペン先を悪くするような気がして使いにく
い。
やはり自習する時は得意な学科を先にしていくようにした方がいいようだ。数学の幾何代数とは学科の中では頭を
使うようだ。
明日は月曜日、来週の日曜には士別高校の体育祭がある予定である。いくつになっても体育祭というものがいやで
たまらない。いやかえっておおきくなるにつれてきらいにいくのかもしれない。
ところで今日は日曜だったが先先週の日曜日や先週の日曜日にくらべ少しましな生活をしたようだ。いつも日曜日
では日中勉強をしなかったに対し今日は12時から3時までやった。でも午前中にも勉強を多くやりたい。
昭和32(1957)年6月3日(月曜)
今日も早く帰ってきたにもかかわらず漫画やありきたりのくだらん小説を読んですごしてしまった。いつも早く帰
って古典や国語を読もうと思っているのだがいつも思うだけに終わっている。自分はいつもこうやって自分の意志の
弱いことを日記に書いているところでいい気持になっていやしまいか。自分はかく意志が弱いことを充分に知ってい
る、そして日記につけている。だから自分はいいことをやっていると思ってはいやしまいか。自分のことをこうたず
ねることはちょっと間の抜けたように思われるが自分の精神等は観察するにしたって結局は主観的になりやすいも
のであるから、自分が反省していることを、反省の方法についても正確な批評がいると思う。
話をもどして、いつも早く帰ってきたのにかかわらず漫画や小説を読みすごすということは自分が勉強に対する心
がまえが甘いからのようだ。計画の時間が来たなら必ずそれをやるという烈しい心がまえがいるようだ。
昭和32(1957)年6月6日(木曜)
自習基礎文法の本の中で機会を見つけて現在分詞をやるように。
昭和32(1957)年6月7日(金曜)
フィルハーモニー交響楽団の演奏を今日聞きに旭川までいったのだが今となっては眠くてやりきれない。生の交響
曲を聞いたがよくラジオで聞く場合低音がよく聞き取れないということであったが、実際聞いてみるとなるほどなあ
と思った。指揮の方であるが、自分が小さかったころ映画だったが楽団の演奏を見た時指揮者がどんな風にしていた
か覚えがなかったのだが、これを見て思い出したものだ。指揮であるが拍子など無視したように手を振っていたよう
に見えたがやはり力の入れるところはなど規則的に旋律が出る時など何分の何拍子の時に振る型どおりにやってい
たようだ。中島さんは大いに感激したように行っていたが残念といおうか余り自分は感激しなかった。それから、あ
まり良いことじゃないが最後の楽章が終りアンコールをする時自分はふざけるというのか余り神聖な気持なかった
ことが悔やまれる。
昭和32(1957)年6月9日(日曜)
体育祭も雨のため中止となり明日は校内の大掃除となった。
気温が非常に低く、その上に雨が加わり全く悪い日であった。
音楽の参考書の方の音楽通論をはやく読んでしまいたい。自分はいままで音楽を聞いてもその作曲者にも大して注
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意を払っていなかった。けれども新しい友人の稲村君の話を聞いてみると作曲者について大分知識をもっているよう
だから、自分もちまえの人に負けまいとする気持から少しずつおぼえてゆくとする。
先刻、何か非常に真面目な(人生に関することだと思うが)ことを考えていたがどういうわけか忘れてしまった。
昭和32(1957)年6月10日(月曜)
代数の勉強の方法:このごろ復習ばかりして予習をしなかった。これは、自分が未知の世界へ単独、独力でいけな
いことになりえるかもしれぬ。もっとも前に予習ばかり力を入れて復習など一つも顧りみることなどしなかったもの
だったが、高校生ともなるとこんどは復習ばかり、全く両極端を行っている。それに少し考慮を加えもっと能率の上
がるようにしなきゃならない。
能率ということばで思い出したのだが、今日ピアノ練習をやったが貴重な時間をさいているのにあっちをやったり
こっちをやったりしてちっとも前にすすまなく業を煮やして止めて来たが。あっちを弾いたりこっちを弾いたりして
練習するとぜんぜん練習にならないことを知っていながら、今日の例の如くやってしまう。意志が弱いことが原因で
あろう。このごろの朝寝坊をして勉強する時間がすぐつぶれてしまうのはみんな意志の弱いせいであろう。もっと精
神をバリッと持ちたいものである。
諺
"才能とは忍耐のことにほかならぬ"
昭和32(1957)年6月11日(火曜)
今日は補習授業がなかったため早く帰ってきた。それでうんと勉強しようと思っていたが、姉が風邪のため自家で
休んでいるため自分で御飯を作っていたためとんだ時間がかかり、ああそれから彰宣を選択屋に案内したり御飯の後
始末をする間に本を読んだりして時間をつぶしてしまった。それがたたって7時半近くになってやっと机に向かって
いるしだい。いやになっちゃう。それにしても炊事がこんなにめんどうくさいものかなあとつくづく思い知らされた。
めんどうくさい上に又時間が多く取られてしまう。自炊生活もいいなんて考えていたがこれじゃ全くやって行けない
だろう。食べ物に気を取られてしまうと勉強が出来ない、かといって
代名詞のうち"that"の用法を勉強せよ!至急
昭和32(1957)年6月12日(水曜)
今、武者小路実篤の書いた真理先生を読み終ったところである。読んでいる最中に色々とこれは何か自分のために
なるな、という感じのすることばや文があった。"自然はどっちにころんでも人間を生かす道を心得ている"という文
章も何か心に来た。
それから、文中の中の一人の画家が話をしている中に、自分の書いた絵が世界に知られなくても良い、このかたす
みで絵に精魂を入れて書けるというだけで満足であるという意味のところがあった。
これを読み自分が進もうとする音楽の道もこのような気持でやれるようになりたいと思った。
書道の大家といわれる一人が「大願成就」という字を書くくだりがあったが、自分のもつ力を全部出してかくとい
うのにくらべ自分がかく字は、おろそかのおろそか、なんというのか腹に力が入っていないのである。この日記帳の
字を見てもわかると思うが完全に書かれている字はすくないから、自分はもっと文字に対してもっと関心を持つよう
にしたいと思う。
上に文字に対してもっと関心を持つように書いたが書いているうちに間違ったことをいっているのに気がついた。
字は人格を表わすということばがある。ということはその人なりの人格が立派なものでなければ文字がよくならない
のではないだろうか、いな、そうでなければ文字はよくならないのである。であるから自分はもっと文字に関心をも
つより人格を立派にすることに力を入れるべきでないだろうか、いや疑問ではなく断定の人格を立派にすることに力
を入れるべきだ。
このごろ忘れかけていたが腹に力を入れていつも落ち着いた気持でおるようにということばである。
昭和32(1957)年6月14日(金曜)
入力抜け#
4
昭和32(1957)年6月16日(日曜)
自分のクラスに渡部悦子というのがおる。
自分はどういうわけかこの人の顔に何かひきつけられる気持がする。
その人の顔は美人というのではなく、かえって醜い人の顔なのであるが何かひかれる思いがするのである。その人
は何も特技をもつわけでもないし、クラスにおいてあまり目立たないのである。
それに反して松浦かほるという人もおる。この人は頭がよく副級長の任についていていつも授業においても正しい
発言をする人である。又顔も決して醜くなく自分が見た目で美人と見える人であるが、自分はこの人の顔を見ても何
も感じないといった、いつものようにその人の顔の美しさから何かほのかな気持が湧いてきたのにことなっていて何
か不思議というより面白く感じられるのである。
明日はどうぞやすらかな気持おってくださるように。
昭和32(1957)年6月17日(月曜)
今日学校から帰って来たのが3時15分ごろ。あまり早く帰ったのですることなしに(実はすることはたくさんあ
ったのだがそれを忘れてしまった)昼寝した。さて、昼寝からめざめた時すぐ勉強に取りかかればよいものに外のこ
とに色々と時間をつぶしてしまった。すぐ勉強しなかったのは何か勉強するのがいや気がさしてする気になれなかっ
たのである。全く馬鹿なことをしたと思う。
自分が最もやすらぎを与える時は勉強を熱心にやっている時である。それなのに自分は勉強をやるのを時々、しぶ
しぶとして勉強をやりだしてから、自分が自分を満足するというのか、やすらぎを与えられる時はこの時だなと思う
ことがしばしばある。今日は勉強を全然しなかったわけでないのだが時間の余裕に対して余りにすくない勉強時間で
あった。それなのにそのことを知っていながら自分のためになることをしなかったというのは間抜けというか馬鹿と
同様といえよう。
だから明日も大抵補習授業がないから早く帰ってこられると思う。もし早く帰ってくるようであれば必ず勉強する
ようにしたいものだ。
昭和32(1957)年6月22日(土曜)
このごろ時々胸にくることは死にもの狂いの精神で勉強をするということである。
こう思うようになった原因には中間試験も悪さもあるがなによりもそう思うようになった原因の一つとして、音楽
の方面で自分がどのくらいの能力をもつかというと、高等学校の水準からいうと余り高いものでないということに気
がついたことが大きな原因と思う。
自分はふだんからそうなんであるが、何か自分が他人よりすぐれていないと満足しないのである。中学時代音楽の
方面においては西和中学校の中では一番すぐれているという身のほど知らずというか自負していたものである。とこ
ろが高等学校に入って驚いたことは、稲村という同級生の中で非常に音楽のことについて深い知識をもっているとい
うことである。いろいろとつきあってみればみるほど高い水準であることがはっきりわかった。そこで自分が思った
ことはよっぽどがむしゃらにやらなきゃつまり死にものぐるいでやらなきゃだめだと強く感じたのである。
昭和32(1957)年6月24日(月曜)
日記をつけることをこのごろ怠っている。原因というとよほどの感激がった時とか、書き止めておきたいことがあ
った時に日記をつけるという方針を立てたからである。この方針は正しいと自分で思ってたてたのである。
であるが この方針の裏をさぐるとですね つまりひまがないということである。またその裏をさぐると意志の弱
さというものであろう。細かく書くと、高校生となって勉強の水準が高くなったため自分もそれにくいついてゆこう
と考え がむしゃらに勉強をする その勉強が終わるのはふつうは11時ごろ、それから日記をつけるのがおっくう
となる。このおっくうを正義つける、正当化するために前に書いたところの印象に残ったことを書くところの方針を
立てたのである。
反省されることは方針を立てたのは自分の怠慢心を正当化しようとして立てたのではない、ないではあるがちょっ
と考えただけで正当化しようと思ったことと同じことをやっている。
このことは自分には気がつかなかったけれど無意識に自分の怠け心を増長させていたことに気がつく。であるから
このようなことはこれからもあると思う。今後気をつけこんな馬鹿げたことはしないことである。
5
毎日 日記をつけるように。
昭和32(1957)年6月25日(火曜)
今、7時37分をすぎようとしている。いままで毎日勉強に追われる切羽つまった心境であったが、きょう思った
ことは毎日英語と数学をきちんとする。そして後の学科は時間がある時にするというすごくゆとりの計画を立てたわ
けでござる。
きょう 午後九時から歌劇「リゴレット」がある。これを聞こうと思う。これを聞くと約1時間がつぶされるがし
かたがない。
このごろは音楽への情熱がさめた状態になっているが、自分の音楽信仰は周期的に強くなったり弱くなったりする
らしいから、今あまり乗り気をしないが一応聞こうと思っている。
以上、今日日記をつけるためのことである。
昭和32(1957)年6月26日(水曜)
きょうはくだらん落語を聞いたばっかりに1時間ほどふいにしてしまった。どだい自分の勉強は中学時代の習慣か
ら夜やる癖をつけたため夜の時間というのは放課後から6時までの1時間と比較してみると6時以降の時間の方が
価値がある。それにかかわらず、その貴重な時間を無駄に使ったことは意志の弱いせいらしい。
昭和32(1957)年6月30日(日曜)
こうやって日付を見ると26日から30日までポンととんでいる何か寂しく感じる。25日に決心したばかりであ
るからなおである。
土曜日の朝、3時50分ころ起きて勉強をやりだした。何と調子がいい。それでこのことを習慣づけようと思う。
ところがである、それがあまりうまく行かないかもしれない。何故かというと姉はしょっちゅう役所へ行ったりする
ため、夜の戸締りを頼むのである。帰ってくるのが午後10時ごろである。それまで夜起きていたのでは睡眠時間を
必要とする自分にとっては非常に困ったことである。
といった事情でこのことももしかすると、もしかすると実現されず三日坊主で終わるかもしれない。
昭和32(1957)年7月4日(木曜)
しばらくつけなかった理由には晩御飯がいつものようにおそいということになる。大体において有ちゃんが帰って
めしを食べられるまでの時間は2・3時間ぐらいであるが全くかなわない。
きょうはどういう理由からか心がたるんで、ともすれば表情がたるんで自分ながらいやになってしまった。それに
森君と話す時は限ってニヤニヤとした顔で話し合ってしまって明日はこんなことがないようにしたい。「へそに力を
入れる」ということばを忘れたようだ。
一昨日、父が来てうちで泊って名寄までいったが、来た時にお金を少し置いていってくれたので非常に心強くなっ
たものだ。それから奨学資金が支給されるようになった。非常に心強い。
昭和32(1957)年7月6日(土曜)
今、自分は代数の問題を解いた。それを解き終わった時に感じたことは、いつもの自分は代数などの学科は予習す
るように心がけている。もしも、自分が今解いたところが予習をやって今見たくきれいに解けていたならきっと自分
だけがこの問題を解く力があると自惚れていたろうと思う。ところが友達の中の一人、森君の話を聞いてみるとなん
だかちゃんと解いてあるようなことを言っていたことを思い出し、冷汗が流れ出たように感じられた。
自分だけが解ける問題といって自分というものが天才のように思い込んでしまう馬鹿にも似た自惚れ、なんという
情けのないせまい心だろう。いつも自分が感じる優越感はきっと上のようなことでないだろうかと思い、何かしゅん
とした気持になったものだ。しゅんとなった気持の中に自分の抜けた考え方に気がついて何か落ち着いた気持になっ
た。落ち着いたというのはいつも自分の頭がいいと思う時何か落ち着かない気持が伴った。この落ち着かないという
気持は自然のうちに、それが自分の自惚れだと考えていたのかもしれぬ。それにはっきりと気がついたことによろこ
びを感ずる.人間達成のためによろこびを感ずる。
昭和32(1957)年7月8日(月曜)
きょうはどうしたわけか非常に気温の低い日だった。試験ももう少しの日を余してせまってきている。
6
中間試験においては驚くべき点数であったので、そのばんかいを今度の試験に秘めている。南無さん!よろしい点
数がとれますように。
昭和32(1957)年7月14日(日曜)
期末考査のため日記をつけられなかったということは情けのないことでないだろうか?日記をつける事を怠るば
かりでなく、自分が将来自分にためになることがわかっている音楽の勉強をも怠っていたのである。
自分はいつも学校に行って毎時間一心に勉強している。それなのに試験勉強だといって音楽の勉強や一日の反省の
しるしとなる日記をつけることを怠るということは何か考える余地があるのではないだろうか。中間の試験の時成績
が非常に悪かった。そしてその悪いということはいつもの自分のペースをくずしたからだ。いつもやっている勉強法
(合理的)からだと結論づけていたではないか。それなのに、それなのに又このように自分のペースをくずし試験勉
強のみしていることは心の中に不安を感じさせるのである。
昭和32(1957)年7月15日(月曜)
きょうは学校が早く終わって帰ったにかかわらずろくに勉強しなかった。明日は休みである。かならず勉強するよ
うに。
昭和32(1957)年7月16日(火曜)
きのう朝早く起きて勉強しようと考えていたのに今朝はさんざん寝坊してしまった。10時ごろだった起きたのは。
勉強をすぐしようとせず文庫を引きずり出して読み出したがなかなか興味深く何分の一かは読んでしまった。その本
の名前は『次郎物語』であった。これからも続きをなるべく読もうと思う。
毎日思っていて実行しないのだが自家に金が届いたことを届けることである。今日などひまがあったのだからする
ひまはいくらでもあったが遂に実行せずにおわった。小事でもなるべく几帳面にやりたいものだ。
今日は士別のお祭りである。今まで外を散歩の調子で歩いていた。今は8時である。
しばらく音楽の勉強をしなかったけれど又きょうから始めようと思う。明日は学校、補習授業もある。少しいやな
感じはするけれども将来ためになることだ。いやがってばかりおられまい。
昭和32(1957)年7月17日(水曜)
このごろはどうしたわけか日記をつけるのがルーズになりがちである。勉強は暑くても午後にすることを決めた。
朝はともすれば姉の都合でできなくなるし、そのつぐないと思う勉強は、朝は夕を思い、夕になれば朝を思いといっ
た調子でちゃんとした勉強はできないからである。
次郎物語を今読んでいるが、ラジオで聞いていた時のように、その中から教訓になることをさがそうとせず素直に
次郎の成長していく様を読んでいこうと思っている。
きょうはめずらしく7時きっかりに机に向かっている。どうも御飯をたべた後は精神がゆるみがちである。きょう
なども何もするのが嫌になり、あぶなく今の時間を逃すところであった。あぶない。あぶない。
昭和32(1957)年7月19日(金曜)
今日は学校の中でバレーの対抗が……
昭和32(1957)年7月21日(日曜)
きょうは第1回の模擬試験があったのはいいが、出来が全然だめ、全くあきれるほかないというところである。
自分が得意とする英語は単語が全然解らず、これも全然だめ、代数においては因数分解ができず、幾何はまあまあ
として生物となると比較的点数の多いところが全く解らない。人文地理など皆目見当がつかぬといったあんばい、な
さけない限りである。
夏休みが近い。夏休みの間に単語をもっと気違い的に覚える必要とするようだ。英語があまりできないというのは
単語の知識力がないというところに原因がありそうだ。きょうほど自分の力というものを知らされた感じである。
7
もっと性根を入れて勉強しなきゃならないぞ、これ!良久
昭和32(1957)年7月22日(月曜)
いよいよ夏休みが近づいた。高校生となって初めての夏休みである。ところで兄から前々聞いていたが補習授業がす
ごくあると聞いていたが百聞は一見に如かず、でほとんど夏休みはつぶれてしまう。正味の休みは何と11日間ばか
りである。あまり有難くないでござんす。ハイ
21日の模擬試験の成績が悪くくさってなかなか勉強に身が入らず困ったなあと思ったが、いざ英語の勉強をすると
闘志というのか湧いてきて、なんとなくうれしくなった。高校への入試への目的がなくなったため、少し気を抜いた
のが災いしたらしい。それにこのごろ単語を覚えることに余り熱を入れなくなった。全く悪い傾向である。
悪いことばかりであるが音楽の方のいわゆる和声学の方がおろそかにしがちでしばらく本を開いていない。
きょうなど時間があったのにおしいことをしたものだ。
昭和32(1957)年7月23日(火曜)
きょうは姉が仕事の都合で旭川に出張されあそばされたので、あまりありがたくないことである。炊事の仕事が自
分の手にかかってきたのである。それに加えて自分が食べた後ばかりでなく、朝姉が食べた後まで残してあったので
後始末をやった。
ところで、あれは 1 ヵ月前のころであったろうか。姉が2、3日いなかったことがある。その時も一日のお三度を
したが、3日目になるといやになって御飯を食べるのをしないでおったものだ。中学1年ころ居た学校の先生で独身
の人がおった。この人はやせていてヒョロヒョロ栄養失調にもかかったのかなと思うほど骨川筋衛門といった風情、
案の定炊事がいやでいやでたまらぬ。そこでパンを食べすましていた。パンのほかに何も食べなかった。栄養が足り
なくなったという。
その話を聞いた時、なあんだ炊事するのが嫌なのか情けないなあ、と思っていたが、どうしてどうして、いざ自分
がやってみるとなりほどなるほど、時間をかなりつぶし、その上に面倒くさいときている。これじゃ嫌になりやすい
と思った。
上のことで教わることは、人がしている事を見て簡単に笑ったり、馬鹿にしたりしないことである。
昭和32(1957)年7月24日(水曜)
きょうでどうやら一学期が終わったようだ。
きょう、この一学期を思ってみると、自分に大きな影響を与えたようだ。あの思い出しても嫌になる中間試験の悪
い点数を悩んだ時、そのことから自分が級長をしていることが嫌になったことなどである。
しかし幸いにもそれもどうやら打ち消して伸び伸びとしようとした時に行われた第一回模擬テストで、これは又め
ちゃくちゃの出来栄えで自信はあわのごとく消え去ってしまった。ああなんというはかないことだろう(エヘヘヘ)
明日から夏休みである、からといってのんびりしていられないようだ。宿題の代数、幾何、英語をさっそくやり始
めよう。
それから、一学期間に悟ったことがあるが、勉強は眠たくてもどうでもいいから、必ず少しずつすることである。
このようにせば、能率は非常に上がってくると思う。
昭和32(1957)年7月25日(木曜)
兄が札幌から帰って来て姉とうるさくおしゃべりしているため、日記をつけるのに非常に妨害される。
昭和32(1957)年7月29日(月曜)
今うちにいる。やはり何といっても自分の家ぐらい気持が落ち着くところはない。
けれども母がこのごろ体の調子が悪くて困っている。げんに今10時近くというのに起きて来て肩をたたかせたの
であるから。
代数の宿題に気を取られて幾何の方は何もしていなかった。明日から少し手をつけるかなあと思っている。
昨日は風邪にかかったので勉強がろくに出来なかったのが残念であった。補習授業が来月の一日から始まる。兄や
姉は夏休みに補習授業をすることに憤慨していたが補習に出るご本人の私は別に出るのが嫌でもないから憤慨する
のはあたらないが自分のために憤慨してくれるのだから黙っていることにする。明日は30日、明後日には帰るつも
りである。
8
昭和32(1957)年7月31日(水曜)
学生の本分
学生の本分とは何かというと、よく学びよく遊ぶよく寝ることである。ここのよくというのは中途半端になるなと
いう意味である。言いかえればそのことに集中せよということである。
ありふれた言葉であるが、これは自分が初めて自分から悟ったことである。世間の人がいっているのを真似たので
はない貴重なものである。
時々、御飯を勉強するのがおっくうになったことがある。そして、時々勉強をしないで遊んだことがある。そして
不安な気持で落着きがなくなって困ったことがあった。そして次の日は普通どおり勉強をしては、自分の本当のよろ
こびは規律正しく勉強する時であると思ったことがおろかにも幾度も繰り返していたのである。
今はどうやら勉強する時は絶対に甘やかすことなくしている。
明日から補習授業がある。補習授業に出席した時には講義を受けながら居眠りしたりしないようにする(もっとも
居眠りなど今まで一回もないが)。
昭和32(1957)年8月1日(木曜)
昨日は学生の本分となにやらぬかしていたが、今日はこの二、三日急に心の中に一つの信念がはっきりと出て来た
のでそれを記しておこう。
それは、日々の生活がその人に与える影響のことについてである。
その思いの中に読書についてのものがある。自分が小学生のころ学校に備えてあった子供生活百科辞典を興味本位
で読んでしまったことがある。僕はその時ただ無意識で読んでいたのであるが、今それを思い返すとそれが自分のた
めになっていたということである。ためになったというのは、その本の内容を覚えていてその事が直接役にたったと
いうのではなく、間接的なこと、そして一般のことに通ずること、科学に対する理解、これはその時に急に発達した
のではなく、今まで長い期間(長い期間といっても4、5年の間であるけれども、人生の中で子供ころから今ぐらい
のころまでが、一番長く感じて、その人の運命に影響をおよぼすころじゃないだろうか)育まれて来たのである。
ほかに書籍に対する心構えが非常に変わったことである。確かそのころだったと思うが、世界名作全集を、これも
学校にあったものであるが、読んだことがあるのを覚えている。その本の中からもかけがえのないものを得たような
記憶が残っている。
今となってありがたく思うのは自分が多くの本を読めたことである。高校生となってしばらくおろそかにしていた
が、これからも勉強と並行して読書を続けたい。
昭和32(1957)年8月2日(金曜)
明日のバイオリン演奏を聞くために永山に来ている。明日旭川に出るけれども演奏が行われる中央小学校なるもの
を知らないので心細くなるかと思いしかど現在は捨て身の心構えでいるためかさほど心細さも感じぬ(大げさだね)。
永山に来て勉強をしているがバアチャン何とみているかなあ、ちょっとばかり気がかりである。
少しばかり明日の予定を書いておこう。明日は少し早めに出て市内を歩きたいと思っている。今書いていて急に頭
に浮かんだことだけれど、バイオリンの演奏を聞くためにわざわざこんな風に出てくるなんて旭川の高校にも入学し
ていればこんなことをしなくてもすむのになあと思ったのです。
昭和32(1957)年8月3日(土曜)
今日はわざわざ旭川までくり出してバイオリンを聞きに行ったものです。
バイオリンを聞いての感想はいうと、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調は過去に聞いていたので、それ
と比較できたので比較的身を入れて聞けた。
過去に聞いた協奏曲ホ短調は管弦がバックのため、今日聞いたものは淡々としていて物足りないと感じた。肝心の
バイオリンについてはハイフェッツの演奏と比較すると、ハイフェッツの演奏には角があるといおうか完全の演奏と
も思え、心にびしびしと迫ってくるのと違い、ところどころ歯抜けのように物足りない感じがした。他の曲に着いて
はとやかく批評は加えられない。ところで曲を聞いていて困ったことは雑念が心の中に起きて落ち着いて聞いていら
れなかったということである。雑念というのは上層階級への反感である。バイオリンを持って、大きな顔して歩いて
いる連中へ何か痛い目に会わせてやりたいという衝動が起きてくるのだ。嫌になってしまう。このごろ本気に思うの
だが、自分が豊かでゆとりが出来てきたら、少し無理をしても良いから自分の子供に音楽教室に通わせようと思う。
生活にゆとりが出来たらではなく、自ら作り出さなければいけない。
9
昭和32(1957)年8月4日(日曜)
たいして変わったことにも会わずに永山から帰ってきたのである。
今日は、絶対に読もうとしてのが『赤毛のアン』である。自分もしばらく忘れていた純心な想像力をもとのように
したいと思う。自分はいろいろと想像というか想像しては楽しい思いをすることをいつの間にか止めていた。他の人
も自分が気がつかぬうちに自分の中から清い心がなくなって行ってしまうのだなあと思った。
今日ノートをしまいながらふと感じたことがある。正常な毎日の生活は気持を落ち着かせる働きがある、というこ
とだ。永山から帰ってきたのでいっそうそう感じたのだ。
昭和32(1957)年8月6日(火曜)
赤毛のアンを今読んでいる。学生のことについて書いているので興味深い。
今僕が住んでいるのは2階のため暑くて暑くて10時過ぎるというのに上半身を出してズボンをたくし上げても
なお暑い。上半身は油汗せみたいのが出てベトベトして気持が悪い。全くやり切れない。
英語の補習に出ている。滝村先生に習っている。今日、Elder をやっていたが、その中で日記のところがあった。
そこで、先生は、
The best way to study English is to keep a diary in English.
とおしゃいました。それで自分は今日から2,3行の英語日記を付けることにした。
August 6 Tuesday Much Rain
All study was over, decided to keep a diary from today. Sincerely wish that manage to keep a diary in English.
Today is rainy in spite of very hot in consequence didn't live today.
昭和32(1957)年8月7日(水曜)
今日、夏休み中の休み。形容がおかしいかも知れぬが仕方がない。
今日は七夕祭、本州、四国、九州より1か月遅れであるが、雨に見舞われ、道路で遊ぶ子らの声もなんとなくさび
しく感じた(気持の良い書き出しでしょう?!)。
以前は次郎物語を読んでいたがいつの間にやら石坂洋次郎となり、今はモンゴメリの赤毛のアンを読んでいる。
石坂のものは読み終わっているが、次郎物語の方は全部読んでいない、作者に対して不敬かな?
勉強の方法を日ごろから考えているがなかなか形が決まらず悩んでいる。今は7時から勉強をやり出し、初め学校
でして来たものを復習してから次は、英語と数学(代数、幾何は交代)を毎日やっている(但し夏休み以前)。国語
を少しやらなきゃ。
Aug. 7 Wednesdays Much Rain
Although I had thought how to spell 'Shiraku & Gyogi',I didn't think out it.
Here I went to book keeper for to know how to spell it in consequence of knowed how to spell it.
Shiraku is like this spell 'rebuku'.
Gyogi is like this spell 'behavior'.
New word
dread
恐れる
dreadful
恐ろしい
intend to ∼ しようと思う
full asleep 眠り込んでしまう
昭和32(1957)年8月8日(木曜)、薄曇
昨日ことだが風呂屋で昔僕の家族が三郷におったころアンパンを売りに来た人と会った。相手の人は気がつかなか
ったが。ところでその人に出会って愉快に感じたことはですね、その人の顔を見たら急にあのイーストのきいたパン
の匂いをなんとなく感じ、食欲が出たことである。何故そのような感じを受けたかというと条件反射の一種ではない
かと思う。あの人の顔見るといつもパンを買っていたのでいつのまにやら、その顔を見るとパンを思い出すという訓
練ができていたのではないかなあ、と。その人には失礼ではあるが愉快でしかたがない。その人の顔というのがちょ
うど顔が丸く色が黒くアンパンを黒く焼きすぎたような印象を与えるものであった。
10
Aug. 8, Thursday, Little Cloudy
I want to sleep; now it have passed ten of clock.
I have at a loss in home text summer, as there many.
昭和32(1957)年8月9日(金曜)
赤毛のアン・シリーズの『アンの青春』を全部読み終えた。読んでいて困ったことは、読んでいるうちに何か時の
流れあはれというかそういうことを感じられて、何か自分がこのように小説を勉強をそっちのけにして、のんびりだ
らりとしているようで、怠けているような気持になった。
この本にはユーモアがふんだんに盛られているが、それを受けて自分の幼いころを思い出された。三郷にいたころ
である。
今西さんから夕方暗くなるころ一人でテクテクと歩いたこと。今西さんの家を出ると向かいには小高い山が身近に
感じられて、山がすぐ5、6間前から始まっていて、山と平地にはきれいな水が流れている小さな川があった。そこ
から我が家に向かうのである。冷たい空気が流れ紫色のもやが歩くごとにこころよい粒となって身を包んでくれた。
途中に小高い丘があって、道が二手に分かれもっと先でまた一本道になっているところがあった。一方は丘のふもと
に沿って、もう一方は丘の上を越えていく。どちらが近いのかと良く考えたものである。また、秋の木枯らしが吹い
ているとき、5、6人の友達と唐きびの茎でちゃんばらごっこをしたのもセンチメンタルに思い出される。
また、その家のすぐうらには小さな川が流れ出している谷があった。そこの出口をコンクリートで固め大きなプー
ルを作りたいと夢みた。今こうやって記憶をたどっていくと秋のことばかり思い出される。やはり、自分の子供ころ
は秋が楽しいとともにもの悲しかったに違いない。
昭和32(1957)年8月10日(土曜)、晴
うっかり3時から4時までくだらん漫画をあさり4時から5時半ごろまで風呂屋行きに費やし、5時半から6時半
まで驚くほどの時間を浪費してしまった。大事な時間なのに。
風呂に入っている時頭の方で非常に痛みを感じて、勉強をし過ぎるせいかなあと思ったりした。
いつも自分がしていながらいつも自分がいやになることがある。それは、道を歩いている時家があると家の中をの
ぞき込みたくなり、人と出会うとその人の顔をじっと見たりすることである。自分で自分が下卑たように感ずるのだ
けど、ここ一ヵ月変な癖がついてしまった。いやな癖である、全く。
Aug. ten Saturday fine
Now today's study have finished, and I memorize some word. They were 'blame','deny','go into business'. Beside
I studied about Gerund.
Already now is late, so I think that I am going to sleep in bed.
Charge: 突撃する
Pastpone:=put off ????
昭和32(1957)年8月11日(日曜)、晴
この2、3日よい天気にめぐまれ補習授業が非常につらく感じられた。
しかし、その酷暑のおかげで今年初めての水泳をやった。
今11時半を過ぎている。理由は代数にぶつかっていたのだがなかなか前に進まず困っている。それに最も強く感
じたことは計算が遅いことである。さらに計算力がなっておらんのである。ちょっと長い計算になるとあっちこっち
で間違っているのである。いやはやなさけのないことである。
Aug. 11 Sunday fine
Now that time is very late, because I go to asleep.
昭和32(1957)年8月12日(月曜)、曇
もっと代数の計算力をつけないと駄目である。松田先生もおしゃっていたが1年生のうちにしっかりとした計算力
をもっていると2、3年生になって非常に便利だということだから、この夏休みのうちにたっぷり身につけて置きた
い。
11
Aug. 12 Monday cloudy
There is nothing for writing.
昭和32(1957)年8月13日(火曜)、雨
雨がすごく降っている。家の前の小さな川もかなり暴威をふるい、隣の家の花壇が水びたしになっている。お気の
毒に!
このごろ2、3日遅くまで起きていたので、今日はまだ10時だというのに眠くてならない。日記をつけないで寝
てしまおう思ったりしたが、ぐっとお腹に力を入れて、このとおり日記をつけているのです。
赤毛のアンを読んで、自分もしたいなあと思っていることは、自分の理想の家を形づくって見ようと思うのである。
ついでに理想の女性も!
Aug 13, Tuesday: Much Rain
Today memorized much new world.
I think that I will them.
'nurse', 'wound', 'Came print', 'examine', 'ensure', 'ability', 'ilarm', 'cottage', 'fetch', 'concentrate',
'crush', 'grain'
昭和32(1957)年8月16日(金曜)、曇
Aug. 16 Friday Cloudy
"A teacher is a man who teaches."I should like to be it. I think that business which is to teacher is very
fine , and it is good business for people.
Today's new words and idioms.
'foreign', 'Antecedent', 'charge', 'Postpone', 'spoil', ' ? ':間違いをする
昭和32(1957)年8月19日(月曜)、晴
しばらくの間日記をつけなかった。士別に帰る時、珍しく中学に通っている時と同じようなおセンチになってしま
った。
今日から2学期が始まったが全く計画も何もなしで困った。少し計画を立ててやろうか?
今日はすごく暑い。今こうやって日記をつけていても汗がにじんで来る。かなりの高温である。こうやって勉強する
には不都合であるかもしれないが、豊作になるのだからと思い我々は我慢しよう。
昭和32(1957)年8月22日(木曜)、蒸し暑い天気
ちょこちょこと日記をつけている。あまり良いもんじゃない。
今日の試験は完全に二つが間違い、あと2、3は減点あるいは間違っているかもしれないので良いところまで行く
まい。
一昨日の日だった。松田先生のところへ自分たちの試験の採点を手伝うために行った。色々話を聞いて今度から幾
何を少し力を抜いて代数、国語、英語に力を入れようとの考えに至った。今日から新計画である勉強時間の割り当て
である。「7時から11時」までを実行しようと思う。どうか行末に幸せがありますように。
昭和32(1957)年8月23日(金曜)、風が強い
今日クラスの役員改選があった。自分は仕事に内容が良くわからい代議員であったが、自分が再選されると思って
いたがさにあらず森君がなった。森君の方が適任だと思う。それにこのごろ自分は思い上がっていたがそれを冷やす
いい機会になったことに感謝する。自分はどちらかと言うと皆からチヤホヤされるといい気になる奴であるから、こ
のことは今後自分がどのような精神的な方向に伸びていくかを考える良い機会となった。
英文の日記は三日坊主になりそうだ。がんばれ良久!
有ちゃんは明日、自家に帰るそうだ。久生はどんな顔するかな?
昭和32(1957)年8月25日(日曜)
このごろは(about this time)は日記をつけるのがすっかりおっくうとなり困っている。昨日もつけなかったし
12
一昨日以前は3、4日間は全然つけなかったものだ。
今日は、自分にひどく影響を与えた日であった。
ある事柄が急にあらわれたでないにしろ大分打撃があった。それは何かと言うと、自分の自惚れというか敬虔な心
を無くしていたことにはっきりと目ざめたのである。
友達を見よ!自分と同じく行動しているものは幾人いるか?きっと、自分が自分の体を見ることが出来たら、自分
が学校でふるまっていたことがわかるであろうに!相手が勉強ができないと見ると、すっかり自分が人間として立派
であるとおろかに思い込んでしまい居丈高に暴惹無人に振舞っていた。それに比べて友達はどうであろうか。自分は
なんとおろかで厚顔であろうか。
友をやさしく包む心持たない自分、試験の点数だけで相手の人格を測る、なんと愚かなことであろうか。もっと敬
虔な自分は、自分が愚かな人間である、ということを頭において日々を賢くくらすべきである。
昭和32(1957)年8月26日(月曜)
自分のこの2ヵ月の心理状態を考えて見れば見るほど自分ほど思い上がっていたことが痛烈に感ぜられる。
松田先生のところに行った時、君は商人に向かないと言われたが、自分がおごり高ぶっていたからであろうと、ふ
と頭に浮かびハッとなった。自分はやはり静かな心境で平凡たることが一番いいようだ。
テニスをやったが去年と同じで全然だめ(困ったもんだ)。自分の運動神経がいかれているようだ。それに自分が
テニスをする時もっと腰を下してやった方がいいようだ。明日も今日よりひかえ目にそして卑屈にならないようにし
たいものだ。
Today memorize many word.
It is this,
Lend a hand(width), bloom, plough, weel, shovel, barrow, wheel, manure, sweep up, heap, stiff, nurse, make
up mind( =equal decide)
Long time didn't keep a diary it is very wrong.
Cruel, view, footprint, dare, expression
昭和32(1957)年8月27日(火曜)
今、10時35分を過ぎようとしている。そして寝ようとしている。今日の試験は非常に悪かったのです。そのた
めでしょうか気持が憂うつになっています。ちょっと前の代数の問題が解けなかったからでしょうか。とにかく憂う
つです。
姉が風邪を引き寝込んでいます。気の毒にも。
今、自分は寝ようとしています。今日は、精神の、学習に糧になるものがなかったようで寝るのがなんだかいやな
のです。しかし、また眠たくもあるのです。
New word
Experience, partideparate
昭和32(1957)年8月31日(土曜)
時は財産であり、資産である。
自分がこの学校に入学してから5ヵ月間たった。その間に自分がどれだけ進歩したか、それは自分にははっきりと
わからない。しかしはじめ2階から階段つたいにおりる時、足元がおぼつかなかったが、このごろ楽におりられるよ
うになり、自分なりにしっくりとした感じになっている。このようなことにこの学校に慣れてきた、進歩したなと思
う。
自分が入学した時は大きな顔して校内を歩き回っていた。上級生と出会っても平然と相手の顔を見つめていた。最
初は特に感じていなかったが、今になって知恵や考えがなかったように思える。初めから何も知らないところに飛び
込み、そこで平然としていた、いや、時にはでしゃばっていたことをしていた。このごろ自分はおろかなものであり、
そして相手も自分と同じくおろかであり、互いに謙虚な気持で対面していこうと心がけている。
昭和32(1957)年9月1日(日曜)
ふだんから真面目に暮らしていけばいつかは良いことに恵まれる。今日も友達といっしょに映画を見に行った。真
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面目ということは映画に行くしにしたってどちらの方の映画がより良いものかと調べて行った。
今日見たのは「嵐」という劇映画であった。母親をなくした父親が子供達をどのように育て伸ばすかという道程を
描いたものだ。いたるところで、子を愛情でつつむ暖かい心がにじみ出ていて感激させられた。
その映画を見ての道すがら考えたものだ。今日このように自分の心に温かみを残し何かしらほのぼのとした思いを
与えた映画を見ることができた原因は何かと。それは自分の選択が正しかったからである。行く前、最初はドタバタ
劇らしい映画を考えたが、それは学生として役に立つものを見ようと思い直して士劇に来た結果なのである。これは
決して気まぐれからではない。自分の精神が働いていたからである。
今日の映画は、これからきっと島崎藤村に僕を近づけてくれるだろう。そしてこの機会をうまく利用して読書の幅
を広めよう。
昭和32(1957)年9月2日(月曜)
小田島君に、"君は少女小説を好む方だね"と言われた。たしかにその面はあるにしても彼は僕が「ああ無情」を読
んでいるからであったが。つい最近も「赤毛のアン」を読み、ある意味において打撃を受けたが、今読んでいる足長
おじさん(Daddy long-legs)を読んで、前の「赤毛のアン」で感じていたことが大きくなった。それは、私の日記
は"人生のこと"こだわりいつも爺くさいというか少年らしいユーモアというものが全然ないと思えてきた。今後の自
分の日記の文章の型を変えようと思うようになってきた。
そもそも日記をつける主なる目的は何か?日々の生活を反省し明日からの生活をよりよいものにするためである。
こんなことを書くとまたユーモアがないといわれるかもしれない。無理してまで日記にユーモアを入れなくて良いと
いわれそうだが、自分が言おうとしていることは日々の反省にユーモアを入れることである。
追記 初めの方の"小田島君に……"と書き始めた時書こうとしていたことからいつの間に離れてしまっていた。
昭和32(1957)年9月4日(水曜)
しばらくぶりの入浴で今10時40分になる現在、睡魔が襲ってきている。すきを見せては。
そもそも睡魔を防ぐ方法はどんなものがあるのか?例えば薬か?それとも習慣か?いやそれは精神力にほかなら
ぬ、と言うのが自分の結論だ。これが果たして合理的な解釈でよいのか?
昨日も今日も勉強する態度が悪かったように思うが……
昭和32(1957)年9月5日(木曜)
最も能率ある勉強法は何か?それは簡単である。ことである。"頭につめる"!?そんなことは古くさいと言われそ
うだ。しかし、そんなことが頭に浮かんで来たのである。生物、人文地理、国語は学校で習ったらその場でおぼえる、
記憶することは後の勉強においてプラスになるはずだ。
昭和32(1957)年9月9日(月曜)
今日永山へ行ってきたついでに東旭川へ行って来た。小さい時行って遊んだはずなのに春子とか和子とか彰という
人もわからなかったのだから驚く。もっとも驚くと言ったって7年間近くも行っていないのだから無理もないのだが
ね。
このごろ日記をつけるのを大分おこたっていた。何でも習慣化しているものをちょっとで中絶するとそれが長続き
するものらしい。
自分はどうかするとすぐに口が軽くなる。これには自分で閉口する。いつも軽薄にしゃべった後で筆に表せない。
いやな感じになる。しかも、それを知っていても何がきっかけになるかわからない。なにかきっかけがあると文字ど
おりベラベラしゃべり出すのである。自分は馬鹿なような気がして、ふだんにおいてもなんとなく自信がもてなくな
る。こんなことを他人が聞いたら笑われるかもしれないが本当のことだから仕方がない。また、しかも日記の前の方
で書いているが、おへそに力を入れ、いつも緊張していることが大切なようだ。
昭和32(1957)年9月10日(火曜)
今(午後8時20分)まで本を読んでいた。貴重な時間を割いて、しかし、貴重な精神の糧を得た。自分の今の生
活では7時から11時は一番貴重な時間である。それは、この時間帯は計画では自分の勉強時間になっているからで
ある。それだけに大事である。
その最も大事な時間をさいて本を読むのだからその本がくだらんものであったりすると後味の悪いものとなる。今
日読んだ本はリーダースダイジェストであったので自分なりに満足できてよかった。リーダースダイジェスト如き本
14
は大いに読むべきである。
昭和32(1957)年9月11日(水曜)
自分は日々反省するに際して今日はふざけ過ぎたのだとかもっと落ち着かなくてはいけないとか有頂天になった
とか反省していたが、今日ふとそのことについて考えが湧いた。自分はうわっつらばかりのことを考えていないだろ
うかと。自分は時々皆に誇るだけの知識をもっているのだと思うことがある。思うたってそんな馬鹿なことはない。
いつもお前はそんなことは思ったりしていやな感じがするのじゃないか。そんな馬鹿げたことを思いなさんなと頭の
中で言っていながらいつの間にやら、自分は素晴らしい人間だと思ってしまう。
こんな時だって自分は大抵は自分はもっと敬虔な気持にならなければいけないという考えがでるだけで満足して
そこで止まってしまう。このことから思うことは、自分が素晴らしくない人間だと心から思っていないことの表れだ
と思う。だから否定しても否定しても、自分が素晴らしいと思ってしまのうだ。
"お前ほどあはれなものはない。ちっぽけな知識でそれですべてだと思っている"ということを頭にしっかりと入れ
ておくべきだ。
昭和32(1957)年9月12日(木曜)
今日は代数の試験があった。今僕はカサもレインコートも満足なものを持っていない。それ故に雨の日に外出する
度にみじめな心になる。雨が降って陰気になるのでなお余計に感じるのかもしれないが、とにかくふさぎこんでしま
う。
今日も雨が降っている。風呂に行って来た。その道すがら考えた。「カサがない、レインコートがないといって悲
しむに当らない。カサやコートを使うのはちょっとの間。その時さえがまんすれば、家に着くと、ラジオがあり、椅
子があるのだ(自分で買った)。そして勉強のための時間、腕と手と指とがあり、さらに考えることのできる頭があ
る。このこととカサがないこととは比べようのないちっぽけなことだと。
それと温まった身体で歩くと空は黒く店頭の看板に反射する光線がぬれた道路の上に映り、時々自動車のヘッドラ
イトの光が雨の中を貫き、まわりの家を浮かび上がらせ、雨の降る跡が白く幾条の線となって降り注いでいる。こん
な場面を見ると思考することを忘れ茫然としている。
昭和32(1957)年9月13日(金曜)
どんな場合においても考えることのできる頭を持つこと。ちょっとした不規則な生活で乱れる頭をつくらないこと
である。今日の朝ラジオで娯楽物を聞いていると、それが終わった後にはもはや頭にカスミがかかった感じがした。
この感じは度々なる。家でなる。特に、日曜に多いのである。のんべんだらりとラジオを聞くのも悪くはないが、や
はり、そのような頭の働きにすぐになるというのは、まあ情けのないことだ。頭は酷使してこそ伸びると思うのだが。
大分前になるが、斉藤という友人から僕に"(下宿していること知っていて)家に帰ってから退屈しないか?"と言
われた。僕はいつも毎朝ざっとその一日の計画を立てて、それとともに実行するから、家に帰っても退屈しない、と
答えた。これは半分正しく半分嘘だ。"たいくつしない"というのが正しく、"毎朝その日の計画"というのは嘘で、体
裁を気にしての回答であった。これを言った後で、ありのままに言ってしまえば良かったなあと後ろめたい気がした。
これは物事を大げさにいう誇大的な癖なのかもしれない。
昭和32(1957)年9月14日(土曜)
どうもこの自分にはスピードがないようだ。粗雑で速いのではなく精密で速いという意味である。「高橋のおじさ
ん」という友人が言っていたが"お前はのろまだ"と。しかり、全く同感である。だが、そう言われるとスピードはな
いが用心深くしているのだと言い訳がましいことを言って、それが当たり前のようにしてしまう。よく使う術である。
自分の良心に恥ずる時、それにこのような逃げをする。その術を使ったわけである。
ラジオを買ってもらった。やはりうれしいものだ。
本を積みその上に自分の机を乗せて、椅子を用いて勉強している。より勉強しやすくするためだ。
昭和32(1957)年9月15日(日曜)
今日新たに認識したことがある。
それは藤山愛一郎に対してである。第1放送を聞いていると、記者メモから、いうのが出て来た。それは藤山氏が
財界人の大臣であって、ぐんぐんと外交に彼の性格を反映させて新しいスタイルを作って行くというのである。以前
から、藤山氏が大臣になったことが話題になってさわがれたが、私はなんとも感じていなかった。ところが、今日、
15
ラジオを聞いていると新しいスタイルで今までの政治家のからを破ろうとしているのを聞いて急にイギリスの政治
を思い出していた。今のイギリスの政治は非常に立派に運営されていると言う。しかし、そのイギリスの政治は約百
年前には今の日本の政治と変わりがなかったと言う。
するとイギリスの政治は進歩したということである。そういうことから考えると日本の政治の方も進歩するという
ことである。その進歩の段階が今、藤山氏において進められようとしているではないだろうかと思われてきたのであ
る。これが新たに認識したことである。
昭和32(1957)年9月19日(木曜)
平然として悠々と悩まず4日間も日記を付けなかった。いけないことだ。
風呂に入ってふとおかしく感じたことがある。それは毎日の生活の中にあり諸々な物に対しての印象を色として感
じられることである。今、入っている風呂にしても新品の時は原色を感じて何かしっくりと行かなかったものである
が、いつの間にやら、そう、ちょうど、地味な色になっている。それを匂いとして鼻で感じている。鼻から感じる?
そう自分は時々色を嗅覚から感じる時がある。
最初に書いたことから言い進んでいけば、自分が士高に入校した当時は、それこそ派手な青と赤とを対比させた感
じだった。
しばらく栄湯に行っていたので月曜日には寿湯に行くとなんとなく懐かしく、周りの鏡、モザイク・タイル画を見
ていた。
昭和32(1957)年9月24日(火曜)
日記が飛び飛びになっているがそれには構わないことにした
われら学生の本分は何か。毎日毎日の勉強。英語の記号、数学のプラス、マイナス、あるいは自乗、三乗にこだわ
って行くのが本分なのか。
人生について考えていかなければならないのではないか?いかが思う?答えはまだ解っていない。ある時は最初の
考え方になり、ある時は第二の考え方になる。どちらが良いのか?あるいは両方を折衷させたものなのか?あるいは
これ以外なのか?これらを考えるべきである。
今、自分は石坂洋次郎の『若い人』を読んでいる。書かれていることは大体わかる気がする。ところどころ急いで
先へと先へと読んでいるので十分理解せずに読み進むので全体像がつかめずモザイクのような理解となっている。た
だ、筋を追うような読み方になっている。誤った理解にならないよう気を付けよう。
昭和32(1957)年9月25日(水曜)
最近気がついたことがある。自分の話す言葉が自分の意思を乗せていない、そして乗せることがむずかしいことで
ある。
小説の一節に主人公が自分の言いたいことが言えなくて話せば話すほどから自分のいいたいことから離れたこと
を言っている、と言うのだ。自分の場合はこの小説とはかなり違っているが、自分が話す言葉に自分の意思を満足に
乗せられないことは同じだ。
学校において先生と話す時結局は意思は通ずるが話し出す時はとんでもない言葉から出たりして我ながら戸惑う。
こう書いていると本に書いていることから離れてしまったが書き足していく。
相手の先生は渡辺先生であった。先生が教室から出てくるところで言いこもっていると、先生が"なんだ"と言う。
自分はあわてて"今日補修に出られません"。なんともまずい返事だ。筋道が少しも乗っていない。自分はなんであわ
てているのだろうと思って、ただちにもう一度碌に考えもしないで、"今日、補修に出られません""なぜだ"少しも考
えずに、間を置かずに"コーラス、合唱、コーラスの練習に出るためです"と言った調子で軽率な言い方になってしま
う。もう少し会話に気をつけるべきだ。
昭和32(1957)年9月26日(木曜)
誰しも経験することであるが、国語などの時間で無性に眠たくなる時がある。僕は幸いにも1学期はこのようには
ならなかったが、このごろどういうわけか―特に国語の時間−に上のような状態になる。"いけない!いけない!"
このままでは眠くなるから危険だと思いながら、いつの間に睡魔のとりこなってしまう。
面白いことなど何かショックを与えられるともういかにしても眠れなくなることもあるのに。睡魔のとりこになる
場合、その直前に何か暗示があるようだ。この状態になる時に限って何の目的もなくただ漠然としている時である。
だから睡魔の危険を感じたら、別のものに気を集中するとかして、睡魔攻撃以前防止策をこうじなければならない。
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ええっ、こう書いているうちにも自分が書こうとしている気持が大体似かよったものであって、そのものずばりと
書けなくて、まどろっこしい。
昭和32(1957)年9月27日(金曜)
こんなおしゃべりは止めようと思いながらも次第に後悔を深めてしまうことがある。これもいやなのだが、おしゃ
べりでない場合がある。今日などがそうだ。級友に津田というのがいる。教室では僕よりかなり前に座っている。僕
は過去の経験から津田君のいるところに行くと面白くないことになることを知っていた(面白くなくなるというのは
別に津田が悪いのじゃない。いつも自分が勝手に一方的に面白くなくなるのだが)。そこへ今日何気なしにノコノコ
と出かけて行ったのである。頭の硬さを言い合っていたのだが、だんだん、これはいけないと思うようなことをやり
だしたのである。そこで止めれば良いのに後味の悪さをとりつくろうかのように、なおなおいけないことと思うこと
を繰り返していた。とうとう最後に津田君の頭に自分の頭を打ち付け津田君を怒らせてしまった。自分のだらしなさ
というかその何物かに物悲しくなった。
ところがこの後にまたもやいやなことをしてしまった。津田君を怒らせてから急に卑屈に謝り出したのである。で
きれば潔く相手の怒りを正面から受け止めて謝れば良かったのではないか?
昭和32(1957)年9月30日(月曜)
昨日合唱のラジオコンクール旭川地区予選に出場して来たが、他の学校の演奏を聴いて、背骨をハンマーでなぐら
れたような気がした。バスはきれいに響いているし、まとまりはあるし、音量もある。十分合唱を理解できない自分
でさえ、彼らのうまさがわかった。こういうすばらしいのを聴くと自分の力が思いやられる。文化祭が近づいた。少
し私は非協力的だ。
姉に大分前にお前の詩はくどすぎると言われたことがある。言われた当時は何とも思わっていなかったが、このご
ろになってはっきりと自分のくどさがわかるようになった。くどさは会話にも表れている。自分の思っていることを
言おうとして初め主題について言うと、そこにいる人は肯定するのだが、自分が続けようとすると皆いやな顔をする。
このようなことは1回や2回ではない。ことごとく全部だ。このことを意識すると余計にくどくなるとも思われる。
この日記を見てももっと簡潔に書けるところがある。
昭和32(1957)年10月1日(土曜)
はや10月になった。高校に入学してからあしかけ7か月、約半年となった。今思い出せばこの6か月の間、自分
は試金石の時期を過ごした。
あの点数のことについて悩んだ時のこと、当時は気が付かなかったけど精神的な疲れ、―この精神的疲れは昼寝の
癖となって表れていたようだ―のころを思い出すと天国もいて地獄を思い出す気がする。
このごろまた周期的に音楽に対する関心が強まっている。
昭和32(1957)年10月2日(水曜)
今日は学校に出てからも全く気分が優れなく悶々としていたが、よく考えてみると寝不足のせいらしい。このよう
な感じは大分前に感じていたことがあった。その時もやはり11時から12時半に寝ていたころだった。この2、3
日は11時まできちんと起きて勉強したからであろう。今日ははやく寝よう。
昭和32(1957)年10月5日(土曜)
今日は文化祭2日目である。今日の講演で感じたことは講師の方が変わったタイプであったことだ。時々、話を本
筋からずらすが、またいつのまにやら戻してしまうと言う方法や、冗談を交えることをよくしたことである。
講師の方は文学について今の自分にはかなり抽象的というのかレベルが高いと言うのか、そういう話をした。断片
的にわかったけれど全体として言おうとしているところがつかまえることができなかった。ただ、強く感じたことは
上手でも下手でも時間通りにやってほしいことである。今日みたく15分も長くしてほしくない。生意気かな?
昭和32(1957)年10月9日(水曜)
前から考えていたことがあるが、自分は初対面の人にすらその人をなぐりたくなる時がある。その感情はその人の
顔を見て出てくるらしい。ついこないだ前までは、そのことについて何も考えずにありのまま憎しみが湧いてきたら
憎しみをそのまま受け入れていたが、このごろになり、そうしていることが悪いような気がするようになった。
汽車に乗っていると見知らぬ人の顔を見て自分が好むか好まないかといった気持でながめている。たまたま、憎ら
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しげの顔、いや、間抜けた顔ですら、罪を意識するほど、憎しみをその人に向ける。この感情は平常なことであるの
か、あるいは、ないのか。
そのひとつの答えが、「平常である」というもの。それは、人は記憶に生きる動物である。記憶の中には悪い印象を
受けた人の顔、あるいはその一部があって、ある顔を見ると、記憶を呼び起こされ、そのような心理になる。この悪
い印象を解消し気分を晴らすためにこうなるのだと。
もうひとつの答えが「もってのほかだ」というもの。たとえ上のことがあっても、その人が自分に対して何もしてい
ないのだから。その人を白紙で見るべきで憎しみを感じるのはもってのほかだ。
昭和32(1957)年10月10日(木曜)
ご飯前に本を読んでいるうちに教訓になることを思いついた。いつも手帳を持っているのだが、ちゃんと活用して
いない。これを改善しようと思う。手帳ひとつ取っても利用の仕方により人生を変えるヒントが生まれるかも知れな
い。
鼻の病気にかかってしまった。何でも手術を要するとのこと。貧乏である我が家においては心配するものだ。
昭和32(1957)年10月11日(金曜)
内輪同士のみわかる話
今、徒然草を愛読している。古典としてではなく座右の身近で親しみの持てる本と思っている。偏読はいけないと
言われるが、とにかく自分は好きでたまらない。それは、自分が共鳴できるものがあるからである。
欲張っているようだが、ヴィクトルユーゴーのラ・ミゼラブルを読んでいる。学校の図書にあるもので3巻に分か
れている。1巻がかなり長い。自分はその1巻の中ごろまでやっと読破しただけだ。
徒然草に「多くて見苦しくみえるもの」として「硯に筆が多く、人と話して詞が多い、いたる当りに調度の多きな
ど」とある。現代ではどうなるか?
昭和32(1957)年10月14日(月曜)
中学1年の時始まり一時は中止していた日記も今に至って、中学3年から第三巻となった。
いかなるものかな、自分は案外と幸福である。ジャンバルジャンのあの恐るべき裁判の情景、被告たる無知なるも
のをせめゆく論告、現在でも罪人を作ることをつとめとする検事、その罪人を裁判するものを統治する裁判長の偏思
想。
現在悔い改めて正しき行いをする、正しき行い!それは、人間の愛憎を越えた精神、その人の告白も単なる罪悪の
事実を暴露する話にしかとれない人々、裁判長、そのような人々の中に生きて行くということはなんということだ、
そんな恐ろしいことがあるだろうか。一度悔い改めた人をも許せない環境に身を投ずることはなんという恐怖だろう。
しかし、幸いにも現在のこの世の中は、その人間の精神を越えた彼の中が真に理解できる世である。しかるに自分
はその世の中に住んでいる。そのことは喜びに価するものでないだろうか。新しいヒューマニズムのある世の中もも
っともっと立派にしていきたいものである。そして我々たる若人の義務でありかつ切実な生活の知恵であろう。
昭和32(1957)年10月18日
今非常に眠くてやりきれない。今からしようとする勉強は危ういものである。
昭和32(1957)年10月19日
きのうは思わぬ不覚をとってしまった。
日記帳にわずかに、「今非常に眠くてやりきれない。今からしようとする勉強は危ういものである。」と書き込ん
だのがすべてである。情けないことやなあ。
一昨日から初霜に見舞われ、きのうはストーブをつけるに一騒動をしたものだ。(寮の事か?)
この自分が泊っている部屋はちょっと風が吹くたびにスーっと風が入り込みかなり寒い。ただしストーブの近くは
驚くほど熱いのであるが、2mも離れると寒くてたまらないのである。やはり家は冬用につくるべきであるようだ。
夏は西日で悩まされ、冬は冬で寒さに痛めつけられいやはやまったく……よ。
人差し指が煤で汚れているため気になってしかたがないからまず手を洗おうとする。
昭和32(1957)年10月21日(月)
きのう〝英文法の研究〟というかなり高度の英語の参考書を買った。
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このごろ英語をどんどん読めるようにしたいと思っている。そして将来は英語の原書をも読みたいと思っている。
その時にこの本を買ったものであるからなおその決心を強めた。もし英語で書かれたむつかしい小説やほかいろいろ
なものがどしどし読めるようになったらいかにうれしいだろうかと思う。
24、25、26と試験がある。あっそうだ、今日はなんともいえないいやな日だった。一口に言えば何かしっく
りとした感じがなかったといおうかまあそんな状態だった。一日中落着かないでおるというのはつらいことだ。
昭和32(1957)年10月22日(火曜)
自分は時々自分の心が相手に当りはね返って来ることの多きを感ずるのです。自分が何か気まずいものをもってい
ると必ず相手の人も気まずくなりいたたまれなくなる。
このごろだってそうだ。森君に対して、この前の代数の試験が自分が悪かった。それに対して彼は満足で上位をし
めていた。その時のもんだから、こっちがそんなことを考えているようなきざしをなんてあらわさないようにと話し
合っているも、しだいに相手の人は暗い感じが与えつけられてくる。そうなってくるともうだめ、自分がそんなこと
を考えているからだ思い、だんだんと気まずい思いが濃くなって行くのである。こんな時なんてなんともいえないい
やさがあるものです。
ところでそのいやさをなくすにはいかにせばよいだろうかというと、明るいむらのない素直になれということでな
かろうかなあ。それともほかにあるかなあ、なにせいやなことである。もっともいやがっていたってしかたがないが
ね。
昭和32(1957)年10月23日(水曜)、雨
危なや我しばし目覚めんと思い廊下に水を飲みに行きけり。しかしそこで心に覚えることあり、寝んことの意志止
めたり。さて、その心に覚ゆることは何かなるものや、そは懈怠の心をいましめることばなり。そのことばとは徒然
草にみえるものなり。
〝大方人間は前にあることに真正面から、否、側面からもふれずしてそのことにおじけをついてぶつかっていかな
いものだ〟
このことはちょっと前の自分の心境に似ていた。
ことわざに〝汝自身を知れ!〟というのがある。自分はどのくらい自分の欠点に気をとめているのかをかぞえてみ
よう。
自分は男女間のことについてひどくロマンチック的な心情をもっている。これはいやなことだ。よく無知識層がよ
く読むとおもわれるような小説の中にでてくる力があって頭がよくて美男子でというような想像の中で自分をその
主人公としてしまう。このことはどこからくるのかわからないが、このごろはそのようなことを思うことは不健全な
心情と思っている故かかなりそのようなサッカリン的な安っぽい甘さが入ったようなことは考えなくなってきてい
る。又反面自分より力(物理的でない方)があるものを見るとやけに反感をもつこと。時間が切迫しているのでこれ
ぐらいとする。
昭和32(1957)年10月24日(木)、曇
毎日の生活において一こま一こま意識して過ごして考えてゆくことはたのしきことこそあれ、心がつかれるもので
はない。かえって漠然としてすごした後の空虚とした心の方がよほどつかれるものである。
しばらくの間日記に天気について何も書かなかったけれどやはり天気の移変というものも世の中のあはれの表れ
と思い、そのことについて意識しようと思う。
きのうに引きつづき自分というものを分解してみよう。
よく人の注意を自分に引きつかせようとする技巧、これは中学の時(それも西和中学校時代)に身につけたようだ
が、これがある。
このことは普通なんでもないがこれがなんともいえない下品というか浅はかことをしているという気持が急に押
しよせてくることがある。このことも自分のことながらいやになる。上のような姿態を取る原因としてどういうもの
があるのだろうか、最近は気取りのせいでないかと思っている。
昭和32(1957)年10月28日(火曜)、晴
いつもの年のように今年も秋が深くなり北海道特有といわれる秋晴れのよい天気である。
きのうときょうにかけて自家に帰って来た。さすが山の奥の景色は濃厚な油絵を思わせる彩度が目についた。
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今まで自分は、字の乱雑さを自慢のようにしていたが、内心ではうまくなりたいとは思っていた。このごろになり、
悦子の字が思い出され、もっと字に対して真面目な厳粛な心を持ってしようと思うようになっている。
悦子の字がなんでそのような思考をまねくかというと、悦子も比較的字についてあまり恵まれていない。しかし、
悦子はそれを埋め合わせるかのように一字一字に対し真面目にしかも尊い心境つまり無我の境地で字を書いていた
ようだ。しかし、そのように熱中しているにかかわらず下手くそであった。であったので悦子が書いた字を見ても"
ふん"といった調子であったが、今思い返すとかんじんなことを見落としていたことに気がついたものである。それ
はその字を見ると心にピンとくることがあった、その字に対する真面目さであった。それが今になって自分が字を書
くときの態度というのは、先を急ぐあまりそのかんじんである一瞬をおろそかにしていたのである。今はそのことを
反省し、もっと立派な字、精神の入った字を書こうと思う。
昭和32(1957)年11月22日(金曜)、曇
しばらくぶりの日記付けだ。先月の29日に病院に入院して鼻の手術を受けた。病名は「両側篩骨蜂窩炎」だ。難
しい字を必死になって覚えた。
芸能方面に何か進みたいと考えていたが、腹を据えて音楽の方面にしょうと決意した。少なくとも来年の2月に仕
上げたいものだ。それから文章の方へと思っている。
今日、幾分浮かれたようだ。長尾君が「山本さんらしくない」と言って顔を見つめていた。浮かれた心のなせる業
か。
もっときちょう面に。
17日間鼻の病気で入院していた。
昭和32(1957)年11月28日(木曜)、曇
鼻の病気と言うのは嫌なものだ。しばらく続いた頭痛も治ってきた。うれしいことだ。手術のためか鼻汁が出て、
毎日嫌な日を送っている。何かをしていても、すぐ鼻に気が移り熱中できないという代物である。
家に帰っても鼻に気を留め、しゅんしゅんと言わせたり、指をつっこんだりするので、指が汚れ、爪の間は鼻くそ
や血がはさまり全く休む暇もないといえよう。また、風呂にもしばらく行っていないので背中がかゆく手をつっこん
だりするとねっとりした感触が嫌だ。全く嫌な日々である。
昭和32(1957)年12月1日(日曜)
もはや12月に入ってしまった。今年も後わずかである。雪も降り昨日今日はかなりの寒さであった。
昭和32(1957)年12月4日(水曜)
ジラード裁判の判決において検察が控訴しなかったことをアメリカ関係当局は賢明だといっている。何が賢明だ。
日本の裁判が公平であることを称賛している。何が公平だ。人殺しをしたから死刑にせよととやかくいうのではない。
新聞からの知識であるが、この執行猶予2年の判決は非常に軽いということだ。
ダレス長官がこの判決についてその公平さを公然と称賛したというが、それではダレス長官は米人をさばく時、そ
の罪を軽くするのが当然だということではないか。この場合、日本人が人殺しをしたと同じぐらいの刑をいい渡すべ
きだと思う。
全くおもしろくない話だ。
昭和32(1957)年12月10日(火曜)
しばらく日記をつけるのを怠っていた。
一昨日に学校の寄宿舎に入った。今のところ生活が良いので気楽だ。犬も棒にあたるということは全くで、今、病
院内で知り合いになった村西という友人から借りた『君達はいかにいくべきか』というを、そこはかとなく(すずろ
に)読んでいると中に先々ためになるような考え方を説明していた。それはニュートンのリンゴの話から、当たり前
のことを一歩おしすすめて考えるとその中に驚くべき真理がかくされているということである。「人間分子の関係」
のことをなんとかと重大なことを発見したということである。
人間分子の関係、これは中学時代にも折々でてきた分業の関係のこと、ある一つのことがらに様々なことが連なっ
ているということ。
ミルク一つにしたって、ミルクをしぼる人、ミルクを運ぶ人、ミルクを製造する人、ミルクを荷造りする人、et
c。といったように様々な人が関連している。このことを人間社会においての一大特徴である。
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昭和32(1957)年12月15日(日曜)、吹雪
外は吹雪、心の中も冷えびえとしている。
自分寮に入って自分というものが世間の中に入ると強く感ずることを知った。
今、寮に入って、これほど孤独を感ずるとは思っていなかった。よいと思っていた友人がいやになってきた。ただ
単に飽きがきたというのではない。その人の性質の中というよりは生活状態に我慢できないことがあるのである。し
かし、自分が選んだ友である。その嫌さを乗り越えて心を左右されないようになりたい。この今の状態では緊張に緊
張でたまらない。ちょっとした語尾のことで気分が嫌になったりする。
カラーに関することでけんかをしたが、昨日いろいろ話して解決が着いたようであるが、何か嫌なことをしたよう
で気持が落ち着かない。文学的感動なんていまや過去のこととなった。ああ嫌だ。でもそれに負けてはいられない。
でも、でも嫌だ。
昭和32(1957)年12月16日(月曜)、晴
昨日また期末試験が返され、青息吐息といった塩梅である。高橋君も赤点だと騒いでいます。
昨日書き上げた手紙も4度も機会があったのに今まで出さずにしまっています。
今朝は、昨日の吹雪の名残で、ところどころ吹き溜まりになっていた。雪が、歩くたびにさらさらという音をたて
ていました。冷たい空気は吐く息を白く凍らしていました。青空は青く、冷たく、人々は小さく小さく体を縮めてい
ました。いよいよ寒さを感じさせます。
友達に恐ろしいことをしているものがいる。五寸釘を手裏剣のようにして学校の壁に刺しているのだった。嫌なこ
とをする。
昭和32(1957)年12月17日(火曜)、晴
今日は昨日に劣らず寒かった。それに今日は寝坊したので、寒い中で急がなければならなかったので、冷たさは倍
加したようだ。
学校の帰り夕もやが辺り一面覆っていた。夕もやを注意して見ると、もやに濃淡がありその濃淡が移り変わらない
ことに気がついた。なんという寺なのかそのまわりに松の木が植えていて松の木までが白くかすんでいた。
学校の音楽室から外をながめると、いつも変哲も無い景色だと思っていたものが、注意の目でもって見ると中々捨
てがたい気がした。窓に平行して道路が続き、そのまわりに冬特有の黒い色をした松が生えていり、その遠くに農家
があり、その格好、中々景色にあっていた。
今日は非常に寒かった。明日は暖かく頼みますだ。
昭和32(1957)年12月18日(水曜)、雨
昨日の願いが天まで届いたのだろうか、今ひどく雨が降っている。隣の部屋ではトランプに興じている。一時は仲
間に入ったが、今は抜け出て来て広い部屋でただ一人で勉強をしょうとしている。顔がほてってかなわない。どこか
の部屋でラジオが歌謡曲を奏じている。
今7時21分勉強はこれからという時刻である。窓の前の道路を自動車がよく通っている。今バスが通った。短い
響きを残して、その後はただ雨がしきりに降っている。
階下から本間先生が元気よく歌いながら上がってきた。僕の後ろの部屋は何をしているのかゴトゴトと音がする。
同室に何人も入っているから、ただ一人の時間をとれるのかなと懸念していたが、同室にいる二人ともトランプ遊び
に行っている。こういうときの一人の気持もよいものだ。
昭和32(1957)年12月19日(木曜)、曇
重大な報告と言ったものではないが僕の心に強くきたことがある。それは友から「山本君は背が小さいから」と言
われたのである。これぞ青天の霹靂である。小学時代から人より早く成長して他の人々を余裕のある目で見ていたも
のが他人から背が小さいと言われたのだも驚くのが当たり前である。
この言葉を聞いたのは一昨日であった。それを毎日考えこんでしまい急に自分の身体に自信がなくなってしまった。
全く。
高校コースを読んでみると学生間で小説を書くことが盛んに行われている。それに刺激されたかされないかは分か
らないが自分も書きたいと思うようになった。
自分にはいやらしいところがある。それは必要以上に自分の容貌に気をつけることである。容貌を美しく見せるこ
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とに専念することがある。全くいやらしい。自分ながらいやらしい。大体において各人の容貌の美しさはその内面か
ら生まれてくる美しさでなければならない。それであるのに自分が時々美しく?美しく見せようと鏡を見るなんて、
およそ軽蔑されるべきことである。はっきり心に留めて置かなければならないこと。つまり、各個人の容貌の美しさ
は内面から生まれてくるものでなければ本物ではないということである。
昭和32(1957)年12月20日(金曜)、曇
しゃくにさわることだ。今日はどっしり腰を落ち着かせて本を読もうとしたら明日から10時になったら電気を消
すなんていう。全くしゃくだ。
人間、しゃくにさわること多くありだ。
昭和32(1957)年12月21日(土曜)、曇
駄目である。今日一日ゆっくりと勉強をしてやろうと思っていたが予想したとおり何も出来なかった。
中学時代、自然の美しさに感動し、この感動を後々に残しておきたいとばかり脳裏にとどめようと努力したかいあ
って記憶に残っていることを記録にしておこうと思う。
「冬のかなり寒い日のことだった。風が山から吹き降ろしていた。空は青く晴わたっていた。近くには低い山が連な
り、低いがゆえに夏には私たちが登ることが出来たが、その遠くには遥に高く険しい山並みが青くそびえていた。冬
なので空気が澄み遠い山々が陽光を浴び、遠い山肌が肉眼で観察できるほどであった。そこで見えたものは、激しく
山肌を吹き降ろす風に純白の雲が四散する景色だった。自分はただただ窓ガラスをとおして自然が作り出す山と風と
雲と太陽の織り成すドラマを見入っていた」
むかし感動したことを筆で表そうとしたが全然駄目だった。
昭和32(1957)年12月22日(日曜)、曇
今日は思ったより勉強が出来なかった。友が遊びに来た。
大いに感謝する。このように元気に勉強できることを。貧乏を感ずるが、それはぜい沢というものだ。家に弟妹たち
がおり、寒い家で心身ともに心細くくらしていることを考えると何がいえようか。
あと少し残して冬休みに入る。兄貴も帰ってくるはずだ。会うことを楽しみしている。
冬休みが始まったら永山に行こうと思っている。ひょっとするとそこで会うかもしれない。
何か小説みたいなものを書きたいと思っている。何か恋愛より幼時のころを書きたいと思っている。
※ 彼は僕に向かって言った。
「俺がいなくなって清清したなんて言うなよ」と。
それはしかたがない。もしそれを言われるなら、それは彼自身がそれを言われるようなことをしているからではない
か。それは本当にしかたがない。言われるのが嫌であっても、それに耐える、それとも行動を正し、他人から言われ
無いようにするしかない。自分から出たことは真正面から向き合い、それに耐えるか、または、原因を取り除くこと
が大切だ。
昭和33(1958)年1月21日(火曜)、曇のち風
新年改まって初の日記をします。
一昨日、今日と勉強を何かせぬと落ち着かなくて困る。手が汚くて落ち着かない。
今年のうちに早いところレ・ミゼラブルを呼んでしまいたいものだ。今読んでいるところはマリウスとコゼットが愛
のささやきを交わしているところである。文章はところどころ古いなあと思わせる箇所はあるがその中に書かれてい
る情景や雰囲気の内に心を惹かれてしまう。今まで全部読んでいたが明日からは筋だけを追って読んで行こうと思う。
今読んでいるのをすんだら、次のモンテクリスト伯をやっつけてやろうと思う。
掃除で空中に散ったゴミを抜けて
窓にたったら
雪のにおいが
嗅覚を抜けた
昭和33(1958)年1月22日(水曜)、曇
なんだか落ち着かなくて嫌な一日だった。
22
高橋君は他人を批評する癖を持っている。
森君と金谷君とは顔を合わすとすぐ相手ができるといい、言い合いをやりだす。あまり見た目にいいもんではない。
ああいうことは自分も又相手がほめることを期待しているのであろう。自分をほめてもらうために相手をほめるとは
頭で考えていないかもしれないが、無意識にはあるのであろう。ああいうことはしない方がよいだろう。
昭和33(1958)年1月23日(木曜)、曇
日記は早くにつけるのに限る。
昭和33(1958)年1月24日(金曜)、曇
前によく書いていた、かつ、そう思っていたこと「このごろだらけているようだ」と思う心をいつのまにやら書か
なくなっていた。このごろ私はだらけているようだ。そのおかげで大分面白くない目にあっている。
ちょっと前に毎日毎日反省しているところを「どろ」くさいと思ったが、そのこと自体が間違っていたことに気が
ついた。なにがだらけているかというと倫理的に反するというか、ドライというか馬鹿げたことを思っていた。その
ため幾分行動をとったが、今となってはそのことを馬鹿げたことだと思うようになった。否、それも行動をとっても
利益を生まないと気がついたのかなあ。とにかく今の自分の精神状態はおかしなぐあいだ。
明日からは性根をしっかりすえるとしよう。
明後日、進学希望者対象の学力テストがある。今度のテスト熱中したことは過去にはない。つまり、初めてのテス
トによい点数をとってやろうと思っている。
昭和33(1958)年1月27日(月曜)、曇
すぐ心がゆるんで駄目である。いつも何事に対してもピンと張り切った緊張感をもっていなければならない。自分
はすぐこの緊張感を忘れてしまうのである。
自分は心なる友達というものを持っているのだろうか。DにしろTにしろ、Tak、M、K、O、N、Tu、TT
と色々な人を上げられるけれども真に友達という人はいない気がする。奥山君、現在学校で同じ席に座っているのだ
が、本当にざっくばらんにつきあっているのではない。自分がざっくばらんにつきあえる友を持たないというのは、
自分に中に根差しているあるもののせいか。ちょっと対等につきあっている友に塚田君がある。それとても。
昭和33(1958)年1月28日(火曜)、雪
今、幸福な家族を読んでいる。読後感ではないが読中感を書いてみよう。
どの人は主人公というのではなく登場人物がすべて個性を持ち、重要な位置を持っている。その中の親である人の
性質といえば、少し子供達に威厳を持つべきだと思ったが、子供が成長し一個人としての性格を持ったときに威厳を
見せることはかえって悪いかもしれない。又、母親が正蔵という人に細かく気をつけるのを本人が嫌がるのもうなず
けるし、母親がその気づかいを本人が受け入れない時に、さびしがるということも、我が家の例を思い出しても理解
できる。
その小説の中に、元気に振舞っていると父親も心が明るくなってくるとあったが、うん、なるほどと思われた。
現在、学校で不良グループに近いものができて学校の中を大きく動き学校が不良一色に塗りつぶされている気がす
る。それに関連して比較的勉学ができる人達の影が薄いことが気になる。
昭和33(1958)年1月29日(水曜)、風
昨日読んだ「幸福な家族」の感じは、読むにつれて、その性質・性格が違っているような気がする。父が家族から
馬鹿にされているよう見えるが実は、父として尊敬さているのだ。父が小馬鹿にされているのに、その中身をとらえ、
そのことばを平気にかつ気楽にやりとりしていることは、父の心の大きさを示しているのだろう。
武者小路実篤の人の作品は平均して、読むうちに何かその中から暖かい、生きるものへの暖かい思いが含まれてい
ることにもっとも気がつく。そのため時々甘いなあと感じるところがあるが、それはあくまで自分の現在の精神の狭
さで受け入れた結果であって、この人がもっと深い意味で書いているのかもしれない。
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昭和33(1958)年1月30日(木曜)、雪
「幸福な家族」を読み終えた。本の後ろにある解説を読んでみると漠然としていたことがはっきりと映像となって
表れた。この人の文章は本当にやさしく書かれていることである。又、その基調が明るいことである。最近は、やさ
しいものはつまらないものとなっているが、自分が読んだ感じは、その文の中に深い意味が隠されている事である。
その意味の深い意味とは?となると、それはこんなものだと云えないが何かが含まれているとだけ感じる。
"だが、生きているものは生きている間だけは生きている。"
この言葉は詩の一節だが、好きな句だ。
最初に書かなければいけなかったかもしれないが。
人間の義務の中で、結婚は大事なものだと述べている。そして二人の性格が合致して子孫を残していくことは大事な
ことである。しかし、それはただ人間を繁殖させるということでなく、精神的により立派なものにして行くことが大
事であるということだ。
昭和33(1958)年2月3日(月曜)、曇
土曜日、日曜日と殆ど無駄づかいをしてしまった。時間をだ。To Build a Fire を読んでやりましょうと考えてい
たが、不実行で終わってしまった。何とも甲斐の無さだ。
昨年の暮れ辺りから音楽を真面目かつ真剣に聞く態度がなくなった。今何かあるとすぐおだってしまう。これから以
前の聞く態度を復活させようと思う。
僕はこのごろあまりにも現実的になっていまいか。もっと夢のあることを考えても悪くないはずだ。たとえば、変
なことかもしれないが熱烈に愛する人がほしいと思う。心の中の偶像にマッチする人がほしい。もしもそんな人がい
たらどんなに生活が楽しくなるだろうか。愛する、そう理性的に好きでもいい、ただ夢中になる人でもよい。ただ心
を奪われたいのである。
昭和33(1958)年2月4日(火曜)、晴
美人論、美男子論を述べてみる。
一般に美人・美男子は美しいものだという。美しいというのは、鼻筋が通っていて、目鼻が整っていて非の打ち所
が無い人をいう。
これは誤りである。大体において美人の定義がいけない。僕が美人・美男子と思うのは内面から現れてくる美しさ
と思っている。つまり精神的美人である。深い教養、完全を目指す人の精神は健全であるので、その顔にはなにか落
ち着いた感じをまわりに与えるものである。僕はその整った感じが美人・美男子を決定する最大の要因と思うのであ
る。だから、その要因を持たない人は美人・美男子から排除すべきと考える。
昭和33(1958)年2月5日(水曜)、雪
なぜか悲しい
いつも胸を打つあなたのおもかげ
それがきょうも胸を打つ
あなたのおもかげが
今もまぶたに浮かぶ
あなたの声を思い
あなたのお顔を、あなたの姿を
心に浮かべると
私の胸はさわぐ
あなたの姿を見るたびに
あなたは私の心を満たす
でもあなたに会えば
心が慄きあなたをみつめることができない
今こうして暗い空をみると
あなたの優しい白い姿が
24
空に浮かぶ
人間すべからく品性、教養、趣味が一言一挙手に表れなければならない。
昭和33(1958)年2月11日(火曜)、
日記をつけるのを少しの間さぼってしまった。
物事に真面目に打ち込んでやればいつかきっと報いが来るのは確かなようだ。レ・ミゼラブルは初めは勉強のために、
教養のためにと読んでいたが今となっては面白くなって勉強のためとか教養のためとかといったことは念頭に全然
無く読んでいる。夢中になって惹きつけられるのはユーゴーの筆の特徴が好きになったからでもある。初め冗長だと
思ったことが、それに惹きつけられるようになった。
この物語は3巻に分かれている。一巻を読み終えた時は、あと2冊もあるのかと思い嫌になってしまった時もあった。
もしもあの時、読むのを止めていたら、今のように面白く読めなかったと思う。
悪事はいつかは露見するものなり。以前から先生方が焚くことになっていた石炭を持ってこようとして発見されて未
遂に終わってしまった。その時はそれですんだと思っていたが、今日先生に呼ばれ怒られてしまった。情けない話や。
昭和33(1958)年2月15日(金曜)、
自分は少し非人間的なことを平気でする。非道徳的と言った方が良いようだ。自分は努力型の人間だと思っている。
自分はある性質を伸ばしていく性格であると思っている。であるからにして、自分を道徳的にものを考える必要に思
われる。自分は偉大な人間にも悪魔にもなれる性質を持っていると思う。
しかし、不思議というか僕が寮に入らなかったら、君とも会えなかったかもしれないね。一生互いに存在を知らない
うちに死んでいったかもしれないね。
3人のめくらが象に言ったように、人は自分の見た面のみで判断する。かの少年時代の乱暴のみを見て、恐ろしい
ものと決め、彼が来ると眉をひそめ、かかわりのないようにと考える。その少年の純朴、正直さを思い出すことが出
来ないのだ。人々は愚かであり、その人々に軽蔑される少年こそが賢きものである。
人々は、穏やかな海を見て、海とはやさしいものだと思い、荒れた海を見ては海とはこのようなものだと思う。
しかし、この少年の穏やかな時を見ると「きっと一種の気まぐれなのだろう。なんとありがたいことだ」と言う。こ
の少年の本当の心を、本当の姿を仮の姿と見る。少年が鬼人のように荒れ狂う姿を見ると「また始まった。速く消え
てしまうがいい」と言う。
穏やかな心、それこそこの少年の悲哀である。
昭和33(1958)年2月13日(木曜)
電気スタンドを買った。マフラーも。パンツも。
電気スタンドは夜の闇のため。
マフラーは彼女のうるわしい顔を見るために必要なもの。
パンツはすべて身体の暖をとるため。
昭和33(1958)年2月15日(土曜)
中間テスト、期末テストは人々を早く学校から追い出す。ふだん緩慢なる人も素早く動き、時を稼ぐ。中間テスト
は14日から開始されたのである。もう一度言う。テストは学校をがら空きにし空虚のとりこにしてしまう。いつも
聞こえるピアノの音も聞こえてこない。テストなせる業か
昭和33(1958)年2月17日(月曜)、晴
今日は開寮祭とか何とか言って時間をつぶしてしまった。でも愉快な気分で過ごした。
自分はもっと哲学などを読まなければいけないような気持がする。自分は以前から文章を書くことになれて小説なり
物語なりを書きたいと思っていたがその元となる基礎知識が少なくて何も書けなくなってしまう。それを解決しよう
としてこう言うのである。「明日からふつうの勉強が始まる。また、毎日張りのある生活を営みたいと思っている」
と。
昭和33(1958)年2月18日(火曜)、晴
昨日、基礎知識がないと言って困ったようなことを言っていたが、それじゃだめだ。やはり、それなりに背伸びし
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て小説を書くことにより、もっと自分の教養を高め、自分の身体からあふれ始めて書けるはずだ。そういうことが必
要なのか知れない。
代数の試験が非常に悪かった。
昭和33(1958)年2月23日(日曜)、雪交じりの雨
何ということだ。今日中、日曜日いっぱいこれといって何も収穫のないままに無為に過ごしてしまった。論理学の
勉強、作曲の勉強、今日はそれらをするのに最も適していたのに何ということだ。また悪いことに食べ過ぎをやって
胃を少し変にしてしまい、今まだ直らず気分が優れない。
一日いっぱい遊んで過ごした理由には原因がある。11時ごろ塚田君が来て遊んでいったからである。つまり、塚
田君の出現は、一日遊んでくらせという神の示唆のように感じたらしい。それゆえ、市街を出て、いろいろと本屋に
寄ったり、食堂をのぞいたりして過ごしてしまったのである。
ああ、汝は罪なるかな塚田君よ!
春の雨が降る
雪交じりの雪が
横なぐりに吹く風はきついが暖かい
暖かい春を暗示しているかのように
スピードを増して降ってくる
昭和33(1958)年2月24日
後から入力する
昭和33(1958)年2月26日(水曜)、吹雪
本当に物を必要とする時にその物を得ると本当にその物の価値がわかるものである。自分が今までに万年筆をかな
りの数を手に入れているが、昨日買い、今使っている万年筆を手にした時の気持は初めてである。この年になって(と
いう表現は生意気か?)、万年筆一本に喜んでいるなんて変なのだが、本当のことだからしかたがない。
昭和33(1958)年2月27日(木曜)、晴
今日一日に、二つの問題が与えられてしまった。一つは、マス・コミュニケーションの功罪という名の論文と、も一
つはスキーにおける傷害の内容とその応急手当という論文である。
今日は、スキーの問題の方をしたがあまりよい結果を得ることができなかった。明日には、図書室に行って右のもの
を調べたいと思う。
昭和33(1958)年3月1日(土曜)、しばれ
論文書きのために、時間を浪費してしまった。
昭和33(1958)年3月3日(月曜)
寮に入ってから少し勉強が他の人に引っ張られ、思うようにできないことが大きな欠点である。けんかをしたが嫌
な気持はぬぐわれないものだ。
昭和33(1958)年3月4日(火曜)
前にも書いたが僕が選んだ友がこのごろ本当にいやになった。ただ、けんかしたとかなんとなくいやだと言う軽い
気持からいやだというのでは、彼と僕との性格のあるところが似ているため、それが鼻に強くつくのでそれがいやな
のだ。彼の一番いやなところは土方的と言うか、けんか好きなところである。
昭和33(1958)年3月7日(金曜)
ちょびちょびと日記を付けているがあまりよい傾向じゃないが、このごろそのことに免疫を持ち始めたようだ。
彼は実にぱっちりと目を覚ました。天井の白さ、彼の頭の上にせまっている。天井の白さが、木に付いた雪からの
反射光が彼の目を快く射た。そして彼は、身体の怠惰の悪魔や疲労の小悪魔どもが寝ていることに気がついた。彼は
急に活動的な気持になって、勢いよく寝床を蹴った。いつもならぐずぐずしているのだが。
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彼は寝台を降りるとすぐに服を着替えようともせず、窓際にある机に歩み寄った。昨日暗記し損なった単語を思い
出そうとしたのである。
窓は氷で白っぽく凍結しており淡い光が部屋中に満ちていた。そこで彼が思い出そうとした単語が Impudence ある
ことを発見した。
昭和33(1958)年3月9日(日曜)
珍しく我が家に帰った。運悪く吹雪に会い全くひどい目に会ってきた。でも我が家に帰ることはうれしいことだ。
もっとも持参したキャラメルの功もあるようだ。
一つニュースがある。何だか今年の春に福原から出るようなことである。昨日聞いたのだが、交通の便のよいとこ
ろに出てほしいと思わずにはいられない。何卒、よいところに出られるよう神様お願いします。少し、気障かな。
昭和33(1958)年3月10日(月曜)
春休みが近いがちょっとばかり憂うつなことがある。学力低下したような気がするのである。早くそのような気分
から抜け出したいと思わずにいられない。
昭和33(1958)年3月11日(火曜)
7時に勉強し始め、その後もルースに時間を延長したり、短縮したりした。その上に、少し買い食いをやって20
分ばかり浪費してしまった。土曜日、日曜日、きのうとは身の入った勉強をしていないのでなおあせるのである。そ
れに今度の期末試験は成績不調なのでなおあせりを倍化させているのである。
つい最近思いつきまた残念がっているとのことがある。1年生に入ってからすぐ音楽部合唱部に入ったのにほかの
部に入らなかったことである。合唱部ではほとんど個人間の会話が行われていないので上級生の人格を感じられなか
ったのである。自分はいつも人格の高揚ということに力を注いでいるのでなるべく人格者に機会があれば会いたいと
考えている。来学期からは新聞部にでも入部したいと思っている。
昭和33(1958)年3月16日(日曜)
とにかく寮は遊ぶためには良いところである。きのうは午前2時ごろまでトランプ遊びをしたのである。
金曜日、土曜日と代議員会(予算委員会)が開かれたが、その進行は遅々として進まなくて、生徒会でも重要な機
関なのにこれでは心もとないと開会中たびたび胸に浮かんでいた。議長さんがとても頭のよい感じの鋭い人なので、
その進行は遅々として進まなかったのである。
土曜日に分散会が開かれたが、前述の如く予算委員会に時間がさかれて全く面白くなかった。二度とない記念を頭
に刻み込もうとしたのに。
昭和33(1958)年3月21日(木曜)
寮に入っていた阿部が俺の陰口の中で勝手だと言ったそうだ。以前にも高橋とけんかしてその後でそのけんかの原
因、結果を聞いて2年の西崎と言うのが、同じく俺のことを勝手だなあと感想をもらしたそうだ。二人からこんなこ
とを言われたのでは、俺として考えないわけには行かないであろう。
いつも感じるのだが自分の性格に時としておごり高ぶる。自分としては一番いやな癖である(癖といってよいの
か?)。これが時々押さえ切れなくて、顔を出す。そしてそれを出し切れないうちに押さえ付けてしまう。それを人
が見て横暴ととらず勝手と見るのであろう。こう考えると、横暴は勝手より手が悪いことになる。
昭和33(1958)年3月29日(土曜)
教科書を買うために士別に出てついでに永山に行こうと思っていたが、そのとおり実行した。そのためかなり勉強
にさしさわりでた。今夜はやや軌道に乗った勉強をしたが、日中浪費した時間を考えると軌道に乗ったとは言ってお
られないようだ。
前に書いたがどうか?論理学をひととおり学校が始まるまでにしてしまい、その後音楽の勉強をしようと考えてい
る。自分の進むべき道として教員の道も考えているが何を専攻しようということになるとハタっと行きづまってしま
う。ほんの少し考えてみると4月から音楽に力を入れて、あわよくば、うまくのびそうであれば音楽を主とした教員
となる修行を積んで行こうと思う。今の考えを言えばこんなところである。
昭和33(1958)年3月30日(日曜)、雪
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もうすぐ4月だというのに寒い日が続いている。全く緯度の相違による気候の違いというのは大きい。それに付随
して日常生活の不便さにつながりを持っていて、同じく3月の末日でありながら、この違いがうらめしく思うことが
ある。
母が知人と話しているとき、別の人の悪口を言っていたことを悲しく感じた。めったに他人のことについて言わな
い、他人の悪口を嫌がって言おうとしない母が、悪口を言ったので悲しみを感じたのである。
昭和33(1958)年4月2日(水曜)
陽ざしもいよいよ強まり、雲の割れ目からの一瞬の日光にも雪はその身体を縮める。そのような気候となった今、
もう少しで2年になろうとしている。去年の一年間はいよいよもってつらい思い出で過ごしたが、今年は楽しく過ご
してやろうと思う。
ところで、我輩のずさんな学習計画のせいというか、最早計画の一部は渋滞している。隔日の生物、人文地理など
はかなり遅れている。論理学などは学校が始まる前にやってしまおうと考えていたが、学校の始業まででは量は知れ
ている。このおかげで音楽の方の研究もかなり差しさわりが出てきた。このため、音楽の研究もかなり思うように行
かなかった。馬力をつけてやらなきゃ。
昭和33(1958)年4月4日(金曜)、晴れたり曇ったり
昨年の暑い盛りに補習に出て時々暑さにもがきながら、ふとこんなことをして何か利益になるのだろうか、と幾度
も頭に浮かんだりしていた。無理して押し殺したのではないが、結論は求めなかった。今、学校の新年度の開始に当
たり、その補習授業への参加について今から心配事のように胸の中にある。勉強のしやすい2学期の半ばごろはいい
として8月の暑い盛りでの補習はいやになってしまう。
昭和33(1958)年4月5日(土曜)、晴
ああだめだ、休みの当初に立てた計画のほぼ半分で挫折してしまった。主に人文地理と生物に力を入れて来たが人
文地理に少し無理があったようだ。あと残すところ6、7の2日間、そのうち7日は和寒に変えるため丸つぶれにな
るだろう。高校生となって2回目の春だ。おおらかに飛んで回ろうと思う。
少し2年生の学習計画を立ててみようと思う。リーディングの方を早くやっつけてやろうと思う。国語はやはり古
文を中心にやってみる。どんとこい2年の波よ。
幾何の試験が、学年初にあるそうだ。しっかりやっておこう。
昭和33(1958)年4月8日(火曜)、晴
不覚にも風邪を引き2年最初の日は学校を休んでしまった。
彼は生意気なことを言う。僕に対してでないが、こちらがはらはらする。そこまで言ったらまずいことになるので
はないかと危惧されるほどのことを言う。上級生に対してでも誰彼かまわず。僕は最初のうちはただはらはらしてい
たが、自分が時々言っていることが生意気だと感じ始めている。さっきの彼に向けている僕の感情と同じ感情が僕に
向けられていると思う。他人の姿の中に自分を見い出すことになる、思うようになった。
昭和33(1958)年4月9日(水曜)
きのう学校を休んだので、今日が2年生になって初めての登校である。議長の選挙をしたが、またもや自分は出過
ぎたことをしたようだ。少し自制を要するようだ。
昭和33(1958)年4月10日(木曜)
もっと考えなくていけない、何が?人生の問題について?何を考えたらよいか、それさえわからない。しかし何か
を考えなくてはいけない。
それをいつも思う。考える精力を体中にはりめぐらしているのに考えることが何も無い。何か考えなくてはいけな
い。その気がする、どうしても。
昭和33(1958)年4月11日(金曜)
知恵子抄を見て来た。明日の勉強を顧みずに。やはりよい映画であった。ときどき涙が出て困ったところがあって
困った。山村 聡の高村光太郎などの演技がうまいと感じる。はじめぎこちない演技だなあと思っていたが後半から
彼の演技がうまいと思うようになった。原節子の知恵子には落ち着かないと見ていた。何かな?そういう感じになる
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のは。演技が下手とは思わなかったけど、こういう思いになること自体、演技が下手だったと言うべきなのかもしれ
ない。
智恵子が気が狂い精神分裂を起こし、その上に結核に懸かった時、光太郎が友人に彼女が死んだら自分はどうすれ
ばいいかと訴えていたが、その箇所は少し強調しすぎるなあと思ったが、そこも光太郎の本質がわかったような気が
していいところだなあと思った。
昭和33(1958)年4月13日(日曜)
今日も不満足なる勉強の時間の量であった。大体において量が少ないとなんとなく気が落ち着かないものである。
昨日、一昨日と遊び過ごしてしまった。数学のことが気になる。なぜか日記を付けることに興が乗らなくて困ったも
のである。
昭和33(1958)年4月14日(月曜)
今日早速補習が始まった。代数のだ。土曜日の先生の話ではかなりの強行を行うようだ。英語の補習に至ってはそ
れらの成績が普通の授業にかかわりがあると言うのだ。これでは出ない訳にいかないであろう。今日はそのことでく
よくよし思っていたが今となってはそれに打ち勝って今の最大の目的にむかうとしよう。
昭和33(1958)年4月15日(火曜)
毎日6時半に起きてラジオ講座を聞くように昨日から実行しているのだが、今日はうっかりして6時半に目を覚ま
し準備も必要なので間に合わないと思い、ええい!このまま寝てしまえと思ったが、ええい!起きてしまえばなんと
かなると思い切って起きた。今では起きてよかったと思っている。
昭和33(1958)年4月18日(金曜)
試験の成績が悪いので言うんじゃないが、何かしら心を暗くさせることが少しの隙も見せずに私の心を押さえ付け
る。日一日と陽の明るさが強まって行き、残雪が身を縮ませていく季節となったのに。春の明るさが反動となってく
る。自然の空が青いというのに私の中の空は。
明日は早くに授業が終わる。そこで出来た余暇をいかに用いようか。
昭和33(1958)年4月23日(水曜)、晴
今日予算のことについて総会が開かれた。そこで自分は一つの失敗みたいなことをしてしまった。議長が採決する
時のことである。それは文化部の方であって、最初に執行部の方からの意見、弁論部の予算をとって総務の方にまわ
すという意見があったことを聞かないで質問の手を上げて弁論部からへずられる金はどこに行くのかと大きな顔を
してたずねてしまったのである。こう書いてしまうと何でもないことである。ただピントはずれの質問をしてしまっ
たと思えばなんでもないことだ。うんそうだ。
田崎というのがこの寮におるが今写真を置いていくとき気になることを言っていった。"よくお前の性質をあらわ
している"と言った。その写真というのはあまりいいかっこうのものじゃない。1枚目はおどけた。2枚目は調子乗
ったものである。気になることを吐きやがった。
昭和33(1958)年4月27日(日曜)
何をそう感じさせるのか。何かに愛されたい。また、何かを愛したい。
昭和33(1958)年4月28日(月曜)、雪
もう5月に入ろうとしているのに雪など降っていまだ寒い季節である。今日などは雪がかなり降っていた。今日母
さんが出て来て我輩の靴を買ってくれた。しかもそれは革靴だぜ。今日金銭出納帳を買って来た。これから付けよう
と思う。
先週の金曜日から眼鏡をかけだした。先週の月曜日病院で視力検査をしてもらったところ左右とも視力0.2とい
う驚くべき数字が出た。それで本決まりとなって金曜日に掛けることになったのである。
兄貴に手紙を書いて鞄の中に入れてあるがいつも忘れていまだに出さず仕舞いである。肉親の情愛が足りない所以
のものかな?
Today, decided to keep a diary in English every day and today is the first day.
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昭和33(1958)年4月29日(火曜)、曇
今日、天皇誕生日の休みの日にかかわらず補習授業が行われた。午前中だった。午後の時間活用は余り良かったと
は言えなかったようだ。『高校時代』の付録を学習しようと決心したが、今日などは一つも暗記せず挫折の格好にな
っている。
明日姉の結婚式が挙行される日である。なにとぞ姉夫婦に愛と幸福とが訪れるよう祈っている。
The thirtieth of April.Tue.Cloudy
Had a lesson for entrance examination in afternoon. The lesson was mathematic and very difficult. I am very
weak in mathematic,so that don't like the lesson.
昭和33(1958)年5月1日(木曜)
もはや5月となってしまった。
『高校時代』の4月号にあった勉強法をしようとしたが、その実行もあやふやな格好で5月になってしまったので
ある。化学などはいまだに五里霧中の中にありという調子だ。
数学の試験には2回つづけて低い点数を取ってしまった。自分の実力が停滞いや退化しているような心地する。今
日などはしばらくぶりに正常な勉強が。明日は映画に行くので明日はまたつぶれてしまう。
Whichever way tale will lead you railway station.
昭和33(1958)年5月3日(土曜)
しばらくぶりの休みだったので一日中勉強してやった。市外にも行かずやっと量から見れば満足するぐらいだが質
の方はどうも。
明日、明後日は補習授業がある。勉強の虫なってやろうと思う。兄に手紙を書こうと思う。
昭和33(1958)年5月7日(水曜)
大分前から書きたいと思っていることがある。今日書こうとしたが寝る時間を既に越えているので明日にする。今
日できることは明日に延ばすな、だが仕方がない。
昭和33(1958)年5月12日(月曜)
今日、国語の時間に意見の発表することが行われた。僕は無思慮と言うかなんと言うか腹案を作ってきた者は誰か、
と言った時ゆうゆうと手を上げ、前に立たされた。
前に立って困ったことが色々ある。話が支離滅裂になって収拾が取れなくなってしまった。話が終わってから感じ
たことであるが、自分の話し方において助詞の使い方とか語尾の変化がはっきりとしていなかったことだ。その結果、
先生は僕の話の一節の解釈を述べていたが、それは僕の意図と違っていた。あの個所であのように解釈されていたの
ではほかのところも僕の言うことを理解しなかったのかも知れない。
昭和33(1958)年5月23日(金曜)
今日はとんだ失策をやらかしてしまった。英語の時間に英文和訳が当って立往生してしまったのである。主語と述
語の関係がわからずうんうんと言ってふんづまってしまったのである。ついに自分の実力のほどが他人に知られてし
まったのである。これを契機に英語の実力をつけていきたい。
昭和33(1958)年5月25日(日曜)、雨
今日の第1回の模擬テストは全く、はあ!惨々であった。数学はミスばかりしていて点数が悪いようであり、英語
はてんでだめ!英語などは全く単語力がなかったため歯が立たなかった。英語は不作、教科書のリーディングに負か
し、英文法は古瀬良則の本をし、数学は教科書一点張り、国語は更科日記を読破しょうと思う。
昭和33(1958)年5月26日(月曜)
精神統一の心を自分はしばらく忘れていたようだ。英語数学の時間はおよそ雑念が頭に、ややもすると滑り込んで、
魂をすっかり奪われるほどでもないが、やや勉強の方がお留守になってしまう。
このごろ日が長くなって6時ごろは明るくてどうしてもご飯が遅くなったり、いろいろなことで学習時間に食い込
んだりしてしまう。このことをどうしても避けなくてはいけないだろう。
週番が寝ろとうるさい。これから寝ようと思う。
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昭和33(1958)年5月27日(火曜)、晴
失敗、Y談を話してしまった。平生、そのようなことを避けているのに今日はどうも。
今日聖書の研究という題目で英語の好きなものが集まり行った。何といっても英語の自信がほしいものだ。
昭和33(1958)年5月29日(木曜)、晴
今日も不満足な勉強をしてしまった。隣の部屋がさわいでしかたがない。
明日久しぶりに家に帰ろうと思っている。2ヵ月間も家に帰っていないので楽しみである。
昭和33(1958)年6月2日(月曜)
今学期最初の不調の原因が初めてわかったようである。一昨日その前の日と自家で遊び、昨日は義兄のところで遊
んだ。その結果として今日の試験は惨敗ということになった。今になってみれば学期が始まって間もない時はいつも
こんなことをして暮らしていたようだ。これを打開するのには勉強に継ぐ勉強でなければいけないようだ。
昭和33(1958)年6月4日(水曜)、晴
英語に全く自信がなくしてしまっていたが、今リーディングを読んで解釈に鈍いわけが解ったような解らないよう
な気がする。英語の補習に用いているリーダーを読むぐらいの力がほしい。あれなればうまくやくしてやろうと思っ
て日本文を心の中で練るぐらいの余裕がある。その余裕がリーディングの方に着いてくればよいのである。そこで、
その力を付けるのにはその余裕をつくることになるようだ。つまり、余裕=実力の増加、と言えよう。
昭和33(1958)年6月6日(金曜)
自分は自分の生活における自分の存在を考えなければいけないと思う。今は幸福である学生である。潤いのある暗
い窓から吹き込むそよ風が緑のにおいを運んでくる。その時に感ずることはなんであろうか?
昭和33(1958)年6月8日(日曜)
日記を付けたり付けなかったり少しルーズな生活を送っている。今日は映画を見に行ったがあまりいいもんではな
かった。
数学の勉強が先生の授業から離れているような気がする。明日2時間あるのでまた引き離されてしまうようだ。
今日は午前中たっぷり勉強をしてやりましょうと思っていたが外の掃除などにつぶしてしまって全く残念である。
昭和33(1958)年6月10日(火曜)、晴
かなり前に姉が結婚したが、この2、3日留守宅(共稼ぎであるから)に行って本を読んできたときに、ご存知の
とおりあの部屋は2階でおりしも熱の洪水が押しよせる初夏の候となって階上はかなり暑かった。風を通そうと隣の
部屋に行って窓を開けたが、その時鏡台を見つけ、姉夫婦に子供ができた場合、その子供の成長とともにその鏡台も
古ぼけていくのだろうなあと思った。ちょうどうちにあるこわれかけた鏡台のように子供にとっても親にとっても過
去の夢を中にかくした鏡台のように。
昭和33(1958)年6月11日(水曜)、雨
全くまわりでのおしゃべりは参る。今日などはそれにつられ話し込んでしまった。いろいろ議論らしきことを話し
たが尻切れトンボで終わった。
昭和33(1958)年6月15日(日曜)
日曜だというのに思うように勉強ができなかったのは残念である。数学などは先生が先を進んでいる。
ピアノを専攻していくことに決めた。英語の試験の点数をよくして自信を高めることに決めた。
昭和33(1958)年6月16日(日曜)
ピアノを思い切り弾いてきた。明日からしっかりやって行こう。
急に音楽への愛好心がわいてきた。今日英語の補習のテストの答案を返してもらったが自分は悪い方だと思っていた
が案外と、相対的によかった。ただし相対的にはよかった。でもこの結果は自分の心を明るくしたようだ。このアポ
チューニトリィを契機に自信をつけよう。
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昭和33(1958)年6月17日(火曜)
クラスの親睦を謀るため今日クラス会を開く予定だったが失敗に終った。計画の不十分さはわかるが、どのように
計画を立てたらよいかもわからなかった。全体の親睦なのだから全員参加にすべきと思っていたが、そうでもないこ
とあった。いやなものを無理して参加させても親睦にはならないからである。初めから失敗するのはいやなことだが
へそに力を入れてそれを実現しようと思う。
昭和33(1958)年6月18日(水曜)
人に、特に貧乏でかわいそうな人にものを与えることはよいことであろうか?やはりよいことに違いない。でもそ
の与える人によってそのことも変わってくるだろう。比較的働くことのできる人はかえって害になるだろう。しかし、
本当にかわいそうな人にはよいことに違いない。『クオレの物語』
昭和33(1958)年6月19日(木曜)
思い切って先生にピアノを本格的に勉強したいと言ってしまった。さあ大変だぞ。今みたいに気楽な気分で弾いて
はおられない。月曜日から岩淵君と話し合って30分ぐらい時間をもらい練習をしている。弾いてて感じることがあ
る。それは今までの自分がピアノを弾く際力が足りなかったことである。中学時代習字の先生があなたの字には力が
入っていないと言っていたが実際自分は何をしても力が足りないようだ。
昭和33(1958)年6月21日(土曜)
名寄で何事があるということで休みとなったが、またもや補習でつぶれてしまったのである。さて、補習授業が終
り帰ろうと思い足を玄関に向けたがピアノの練習のために途中から音楽室に足を向けた。音楽室には夏の季節を思わ
せる暑っぽい空気がよどんでいた。 弾く手にも汗が滲み出て手の平が赤くなっていた。
昭和33(1958)年6月22日(日曜)、晴
日曜日だから勉強しようと思ったが、時間に対してあまかったため思うようにできなかった。明日、試験があるの
にのんきなものだ。
昭和33(1958)年6月23日(月曜)、晴のち曇
暑苦しい補習が終わってほっとしてから2、3人集まって雑談に花を咲かせた。話の途中でピアノなどの練習に立
った。学校が無人になった時に匂う匂いがさかんに廊下を流れた。
昭和33(1958)年6月24日(月曜)
受験(音楽大学)のことについて彼と話したが、いよいよこれはどっちかに力を入れることを決めなければならな
いようだ。そして話をしているうちに生やさしいものでないことを痛感した。
6時から勉強することに決めていたが、このごろ6時半ごろとなり中途半端な気分がしていやなもんだ。
昭和33(1958)年6月25日(水曜)
ニヤニヤして相手の顔を、ニヤニヤというより友好的な顔をしようとしたのに、相手は誤解してか、相手はこちら
をバカにしていやがる。自分が嘲笑されているような気分がして落ち着かない。去年もこのような落ち着かない気分
であった。
模擬テストが日曜日にあるが全然自信がない。
昭和33(1958)年6月26日(木曜)
明日は国語の試験、明後日は模擬テスト、火曜日には何かの試験があるはずだ。全くこのごろは試験で追われてい
る。
昭和33(1958)年6月27日(金曜)
風呂から上がってだらしのない格好で勉強していると落ち着かずよく勉強ができなかった。
昭和33(1958)年7月2日(水曜)、雨
32
今となって雨が降り出している。しばらく下に降りて玄関に立ち雨の音を聞いた。雨に、今日の雨のように、幼い
ころのことが思い出される。雨に、その匂いに雨と草の匂いが交じり合った自然を表わす自然の匂いをたっぷり含ん
だ微風が暗闇より入り来る。その瞬間に神を感じる。
去る日曜日に行われた模擬テストでたまたま良い点数を取ってしまった。自分の実力でとったようなとらないよう
ななんだか頼りどころのない点数である。この次の試験には実力で取ったと思い込めるようにしたい。
昭和33(1958)年7月4日(金曜)、曇
何か書こうと思っていたことをすっかり忘れてしまった。何だったけ?
昭和33(1958)年7月9日(水曜)
自分のうちに馬鹿を見い出す、なんといやなことか。このごろ学校でいつも何か馬鹿にされているように感じて参
っている。そのような気分になるのは自分のうちにその芽を持っているからしい。自分はすぐにいばりたがる、いや、
すぐ物事を自慢したがる。模擬テストでいい点数を取ったからといって(……だめだ!自分が書こうとすることでな
い方向に向いている)。
昭和33(1958)年7月12日(土曜)
明日、明後日にかけて今日に続いて期末考査が行われる。最も難点と思われることは、国語の乙と甲、そして明日
の化学がマークすべきである。今日の英語のできの悪さにはかなりの打撃を受けてしまった。今学期の成績は1年生
の時とくらべてかなり下がるであろう。しかし、来学期はそれをカバーし、それを打ち負かしてやろうと思うばかり
である。
昭和33(1958)年7月14日(月曜)
今日、試験が終わった。成績は芳しからぬ。
今日、クラスとして急にキャンプに行くこととなった。そのための色々な計画を立てることを余儀なくされた。な
にせキャンプに行くと言うのは自分がこの世に生を受けてから初めてのことであるので、色々な心配があるのである。
そのことで自然に3組のところに集まり気の合う3組のやつらと4組の数人で話し合ったものである。
またもや不幸なる知らせ。数学の出来が全く悪いこと。我が試験の最低のものであろう。前にも同じ体験をした。
そして二度と会わないと考えたが、こんなことになってしまった。
昭和33(1958)年7月16日(水曜)
来る27、28日に朱鞠内湖畔でキャンプを実行することに決まってこのごろ全く忙しい。勉強をしなければなら
ないが、この校内競技大会が終わるまでちょっとつらいことがあろう。
昭和33(1958)年7月18日(金曜)
今日、空に浮かんでいた雲は見事な美しさであった。白灰色の雲の縁が夕日に照らされ銀色をなしていた。濃厚な
油絵を見る気持であった。
このごろ、自分の精神はたるんでいる。今日などはかなり満足な勉強をした方であるが、1年生のときとくらべて
まだまだそれに及ばないようだ。しっかりしなきゃ。
昭和33(1958)年7月19日(土曜)
このごろたしかに自分はたるんでいる。日記を付けることさえいやになった時期がある。
昭和33(1958)年7月20日(日曜)
今日一日休みであるのに満足のいかない勉強だったので不服に思っている。
武者小路実篤の若き日の思い出の本を読んで、また、考えさせられた。
このごろ、高橋の"やろう"とあまりうまく行っていない。彼の誰でも悪口にのせる癖があるのでいつも裏切られて
いる気持がしていやなものだ。実際、どうしてこんなことになってしまったであろうか。
昭和33(1958)年7月22日(火曜)
6時から10時まで小説を読んだ。また、機会があれば1冊の本を読み通したいと思っている。
33
自分の欠点として自分の欠点を抑えることができないことだ。誰かと同じだが。
昭和33(1958)年7月23日(水曜)
明日に模擬テストあるとはね、このことは全く予想だにしていなかったことですよ、全く。25日だと思い込んで
いたので不意打ちと同じである。このごろ、英語には全く自信をなくしてしまい、とても心配でしようがない。
このごろの自分の勉強態度は崩れようとしている。
昭和33(1958)年7月24日(木曜)
このごろはあらゆる点でだらけている。大体において日常生活における最も大事である下着を清潔に保つことを怠
っていることである。
27日にキャンプに行くがそろそろその用意をしなければならない。
昭和33(1958)年8月12日(火曜日)、雨
いやはや、先月の24日から日記をつけていないことは全くあきれたものである。いつも、ただねむたいだけの理
由で日記をつけないのであった。ちょっとだらしないね。
毎年のとおり、今年も補習授業が行われている。じっとしていても汗がにじみしたたり落ちる暑さの中で6時間の
授業は全くつらいの一語で尽きるようである。
ところで、これが16日まであると思っていたところが14日で止めるときいて帰宅のことを考えている。
昭和33(1958)年8月13日(水曜日)、雨
北大教授の補習授業は、たしかに自分にある気概をもたらしたようだ。
計画をつくろうと思っている。少し、もっと計画を自分の学習の中に取り入れなければならないようだ。
きょう映画を見に行った(しかも100円を出して)全然おもしろくなくてやりきれなかった。一本はとっても世
の中はうまくできているの標本を見せるようなもの、もう一本は、大菩薩峠で、これも見ているうちにあきがきて困
ったものだ。時間をつぶし、金を使い、全く割の合わない遊びだ。
昭和33(1958)年8月15日(金曜日)、曇りのち晴
うちに帰って来ている。福原の田舎、盆踊りがやめられようとしている。
ランプをつけて机にむかうというのもなかなかいいもんである。これぞ灯火したしむの候というものである。
昭和33(1958)年8月18日(月曜日)、雨
きょうより2学期が始まる。初日そうそう英語の試験があった。出来栄えはあまりよいものではない。
6時に起きて、11時にねて勉強するというのは自分にとってあまり楽な生活じゃない。なんとかしなくてはなる
まい。
英語で暗記すべき短文があった。あれは何だったか?
昭和33(1958)年8月19日(火曜日)
どうも我輩は眠りたがり屋である。今は11時まで勉強の時間と定めているが10時ごろになると眠くてやりきれ
なくなる時がある。
きょうは、アンダーシャツ一枚では寒くて困るほどの天気である。今も秋雨が風まじりに降っている。
きょう古文をしたが、あすは現代文をするつもりである。
中学時代や小学時代は計画計画といってさわいだが、今は全然そんなことはしない。計画性を失ったわけである。
又、これを復活させようと思う。英語、国語、日本史などは大いに計画をもって発展せしめなければいけないであろ
う。
昭和33(1958)年8月20日(水曜日)
きょうは不意討ちに古語の時間に、現代文の試験をやられた。あの折居先生特有の天邪鬼的性格を充分に持った試
験であった。
このごろの自分は、試験に対して弱気である。なおさなければいけないだろう。
きょう学校の帰り塚田君と一緒になり映画を鑑賞した。『無法松の一生』という映画であった。松には三船敏郎が
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演じていたが眼の動き、顔の表面におきるしわ一本に実感がこもられていた。ところで、その帰り立野先生の家(塚
田君の下宿しているのだが)にあがりこみ、先生の母に映画はどうときかれたとき、自分たちはいい映画だといった
もんだが、はたしてどこがいいのかわからない。
きょうの映画を見たときの気持などは、良し悪しの別はあとにして、ただ映画を(漠然と言った方がよいか)みて
いたのであるから、どこが良いのか、悪いのかわかるはずもない。全体が良かったというべきであろうか。塚田君か
らの帰り、暗闇で自転車から上靴を落としてしまい、それをさがすのに一苦労をしたものである。
昭和33(1958)年8月21日(木曜日)
前にも書いたような気がすることだが、自分が今一番ほしいことは「力」である。精神的な力である。なんでもや
っていけるという気力というのではなく、今自分がほしいといっている力は、ものに熱中するために要するエネルギ
ーである。
合唱、劇の照明と今自分がしなければならないことはあるが、今の自分にはそれにうちこんでゆこうという気力は
まだできてないようだ。合唱においては全く腹の力がなく、部に留まっているのは全く意味がないみたいだ。
昭和33(1958)年8月26日(火曜)
なぜ今日まで日記を付けなかったがわからなくて当惑している。いやはや昨日は大失敗!6時に体の調子が変だと
いって床にごろりと横になったところが、こんこんと8時ごろまで寝てしまった。それから起きてもする気がなくと
うとうこの日は寝てしまった。人の歩く音、明々と点っている電燈の明かりでいつもと違った中で寝ていた。
昭和33(1958)年8月27日(水曜)、雨
天上によくまあこんなに水があるのかと驚くほど雨がとどむることなく降っている。
なぜ自分の笑い顔にそのような要素があるのだろうか。人は自分を馬鹿に感じせしめる要素を。僕が笑うと皆変な
顔をする。奇妙なことだ。決してこれは自分の錯覚じゃない。自分が心から笑えないからであろうか。
今日、クラス全体に問うことがあって、皆に聞いたところが最初僕の話を聞かなかった人達がいて、採決を取ろう
としている時に「何よ」「何よ」と言ったりしたので、今更何を言っていると思い、怒った調子で叫んでしまった。
今となって先に立ってリードして行く者から腹を立てたりするのはまずいことだと後悔している。
図書の本を3日間も忘れている。明日は絶対に返さなくては。
昭和33(1958)年8月28日(木曜)、雨
胃が痛んでいる。原因は何か判らぬ。昨日の決心の一つ図書の本返すの忘れた。どうかしている。その上にトレパ
ンまで忘れて行ったのだからなおなおである。
明日から仮装のことで遅くなってしまうだろう。今日いろいろと材料のことで相談して入手を考え、それを実行し
たのである。「題」は「地球人の火星征服」とした。計画の最中にいろいろと難点が出てきて果たしてそれに成功す
るか、それが疑問である。
昭和33(1958)年8月28日(木曜)、雨
いやになっちゃう。自分への敬称についての異常な感覚、自分が敬称なしで呼ばれたりすると自分でもはっきりと
意識できるほど顔がこわばってしまう。それに心の中で軽蔑しているようなやつにも呼びすてができない気の弱さが
ある。いやいやこんなことは第二義なことで、ことさらに日記に書き込む性質なものではないようだ。
一度に自分は敵を二人作ってしまった。いや三人かも知れない。精神的な争いの敵である。
昭和33(1958)年8月31日(日曜)、晴
日曜だったのでうちに帰って来た。9時からラジオ・リサイタル「夕鶴」を聞いた。聞くうちに何年前の感覚がよ
みがえる気持になった。なぜならこのように本腰を入れてこのようなものを聞くのが久しぶりだからだ。
木下順二の原作、団イクマ#の作曲であった。初め歌われている各曲の節がどうも西洋くさいと感じていたが聞く
うちに東洋的・日本的な匂いがさかんに流れた時、その旋律に聞きほれた。来週のこの時間も聞こうと思っている。
昭和33(1958)年9月1日(月曜)、晴
もはや9月に入ってしまった。これで高校時代の半分を過ごしたのだ。このごろといったら全く精神的に落着けな
くて困っている。人間性の堕落といったらいいのか。そんな高尚な問題じゃないかも知れぬ。自分には人を見下した
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ような態度がある。この態度で大分自分は迷惑を感じている(自分で困ってりゃ世話ないや)。中身、それそうとう
の実力があるならいばってもまあいいが、どうもその実力の自信もなし、その自信のなさが態度をあやふやなものに
している。このあやふやな態度は他人にとっては非常にいやなものらしい。
昭和33(1958)年9月2日(火曜)、晴
土曜にはその週の総復習に使い、日曜の晩には読書及び音楽鑑賞に使うと決心した。
今まで文学作品を読んでいないのでなんとなくおぼつかないのである。それを解消せんとするものである。今度の
日曜には、田山花袋の『田舎教師』をやっつけてやろう。
昭和33(1958)年9月8日(月曜)、晴
今日は月曜であるが、2、3日に続いた学校祭の代休日となり休みである。ふりかえってみると反省すべきことが
たくさんあることに驚く。
藤短期大学の教授宇野親美という先生が来て講演如きものをしたが、一つその中でいやなものがあった。それは人
間関係という意味をヒューマンリレーションを使ったことである。人間関係といえばわかるはずなのに、ことさら英
語を使わなくてもよいと思うのに。作り話というのをフィクションなんて言ったりもした。
2年生になって自分は1年生の時にくらべて一層落着きをなくした。
昨日など詩をつくっていると1年生の時にはよく感じた安定した気持になれた。
昭和33(1958)年9月9日(火曜)、晴
今朝からまたラジオ講座を聞き始めた。ここ1週間、遅く起きていたのでたまあに早く起きると午後11時現在眠
くてやり切れない。
明日、数学の試験がある。まだ理解しないところがあり、こんなに追いつめられたのは初めてだ。
昭和33(1958)年9月10日(水曜)、晴
数学のテスト、どうにか通り抜けたようである。
今日の国語の乙の時間に解釈が当った。先生の質問に答えられなかったり、訳し間違えたりと散々な目にあった。
ふだんから自分は国語ができると思われていたので間違えたことは不名誉なことである。家に帰ってから今でもそ
のことを思い出し、あの実力のないものが実力のほどを思い知らされた時に感じる悲哀を時々かみしめ、そしていつ
かはその雪辱しょうと張り切っている。7時ごろそのとちったところを徹底的に訳してやってうっぷんを晴らしてや
った。
最近、なんとなく日記が付けにくいと感じていたが、1年生の時は学習を始める前に付けていたのが、今は寝る時
(11時)に付けているかららしい。なぜなら今ごろになると頭の働きは不活発となってしまうからである。
昭和33(1958)年9月11日(木曜)
今日英語の補習が早く終わったので『こころ』を読もうとして姉のところ行ったが、そこにあった大衆小説の雑誌
に興味を持ち、それを1時間半ばかり読んだ。全く時間を浪費してしまった。
昨日の計画とおり勉強する前に日記を付けているがなんだか勝手が違った感じがする。
昭和33(1958)年9月12日(金曜)
しばらくぶりに合唱部の練習に出た。先生がいないので学生たちが自分で指揮をし、批評をし訂正する楽しい練習
ぶりだった。そしてこれが本当のクラブ活動の本来の姿であろうと思った。今までの練習といえばただ先生が指揮す
るぐらいのものであったのだ。明日、明後日と練習に出られないことがあって困ってしまった。なるべくなら出たい
のだが。
昭和33(1958)年9月16日(火曜)
僕の身体どっか悪いのであろうか、今日も疲れて頭がなんとなくぼんやりしていて頭の働きあまり良好でない。
毎日その時間ごとに終わったときその時学んだことを復誦することにする。
昭和33(1958)年9月17日(水曜)
学校における勉強も大切であるけれど家における勉強も大切である。
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精神統一は幸福感の第一歩であるのにこのごろの自分はこの精神統一ができず、あらぬ方を思い思いやるので能率
が上がらぬばかりでなく思いどおりやれなかったことに大きなあせりを持つのである。
ふと中学1年生の時自分のわがままから泣いたことを思い出して苦々しい思いに勉強中とらわれた。そしてそのわ
がままな気持は今でも続いていて十分に発達していないのではないか。そんな状態で、やれ人生はどうのこうのと論
ずることは、独善的な臭いがぷんぷんするのである。
なぜ自分はこう眠りたがるのだろう。自分は一日平均12時間睡眠を取らなくてはどうしてもいけないようだ。
昭和33(1958)年9月18日(木曜)、雨
化学の時間に先生のやさしい質問にへどもどして変な答えをしてしまい、その時の先生の顔に全くいやになってし
まった。
一時勉強するのが馬鹿くさく思われてしかたがなかった時があった。将来のこと、大学に入り、大学を卒業し、教
員となり、妻を娶り、子供をつくり、ちょうど親父と同じようなことになるのだねとの思いにとらわれたのである。
そんな時の心境にくらべるてみると今の心境は不思議に思われる。
昭和33(1958)年10月2日(木曜)、雨
今日行われた数学の試験全くあきれてしまった。意識してこんなに駄目だと思ったのは初めてだ。
いろいろと音楽部などの関係で忙しくて今まで見られなかった『現代文の研究』を今日初めて開いた。現代文の中
から、視野を拡大し現代人として活躍するために必要な文化の広い領域に参与するために多種多様な現代文を正しく
読み取り得る能力を培うために現代文を学ぼうとするのである。
昭和33(1958)年10月3日(金曜)、雨
書く内容を忘れた。
昭和33(1958)年10月4日(土曜)、晴
久しぶりに休校のために放送番組「青少年音楽会」を途中から聞くことができた。曲名はサンサースのチェロ協奏曲
とモーツアルトの交響曲第28番「プラーハ」であった。サンサースの方は途中からなので何も言うことができない。
モーツアルトの方は、彼独特の装飾に富んだみやびらかなものであった。バスがバイオリンと調和して下降するとこ
ろなど「感じがいい」という言葉で表現の仕方がないであろう。彼のものに対して一時は中身がないといって敬遠し
ていたが、なかなか彼の美しい表現などは驚嘆すべきであろう。
参考
交響曲『プラーハ』:モーツアルト31歳、都市プラーハで初演した。この曲はもと慈善事業に作曲したものである。
第3楽章なし「メヌエット」正しくは「交響楽38番ニ長調」
昭和33(1958)年10月5日(日曜)、雨
何事の処理に当って一番大切なことは、着々と一つの段階をすっかりやって、それを何段にも積み上げていかなけ
ればならないということである。数学なども一つごとにきちんとやっていかないと時によっては同じところ幾度も重
複していたりする。このことを一番感じるのは何かの曲をしっかりと覚えようとしたりまたは視唱しようとしたり時
など1節をきちんと覚えなければ何回やっても全部を覚えることも視唱したりすることもできなくなる。
昭和33(1958)年10月6日(月曜)、雨
今日は男子は作業に使われる運命にあったが幸いにも雨が降り中止となった。作業は午後から行う予定だったので、
正午で放課になった。1時ごろから田山花袋の『田舎教師』を読み上げてしまった。主人公の清三の病的なオセンチ
なところがいやだったが、その中で自分の片鱗を発見するたびに、それを認めまいとする心が動いた。自分の中に欠
点を認めまいとするかのように。
昭和33(1958)年10月7日(火曜)、曇
家での勉強が終わったら顔を洗ってから寝ようと思っていたが、いざその時となるとそのままで寝ようとする。も
はや計画のうちに終わるのである。
昭和33(1958)年10月8日(水曜)、晴
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鶴さん宅にいってマンガの本を引っぱり出して、夕食前に勉強をしようという計画を忘れてそれに熱中した。日曜
に第3回の模擬テストがある。明日から中間試験がある。
昭和33(1958)年10月9日(木曜)、晴
このごろいい天気になってよい気候だ。ただし、気温は少々低いのが難だ。食事あとに住宅街の後ろの丘に散歩に
行った。明日も行こう。
中間試験第1日目、2時限で終わったのでピアノ練習をしたのはいいが、寮に帰ってからはずるずるべったりと時
を過ごしてしまった。寝るには少し早いがこのまま起きていてもよい勉強ができそうもないので明日のために寝る。
昭和33(1958)年10月10日(金曜)、晴
今日もよい天気だった。あさって北大模擬テストがある。1年生の時は模擬テストがあっても別に構えず点数を取
ろうとは思わなかったが、最近では緊張するようになった。しかし、明後日の模擬テストなどはいたって気楽に、ま
だ何回もあるんだからそう困らなくてもいいんだと自分に言い聞かせているが、果たしてこのことは正しいことか誤
っていることか。それは結果を見るまでわからない。
昭和33(1958)年10月14日(火曜)、曇
修学旅行にいくやつらは今日士別をたった。昨日の晩から今日の午後1時まで志賀直哉の『暗夜航路』を読破した。
前半の謙作が精神の落着きをなくし芸者達とさわぐ件は全くあいてしまった。作品中に芸者たちがよく出てくるが昔
にはあんな事が行われていたのかと思ったりした。具体的な感想は後からにして、時々旅行に行った人達のことを思
い出したが、行けないことを気にしない自分を奇妙に思った。
昭和33(1958)年10月15日(水曜)、曇
一日を振りかえってもあまり具体的に今日覚えたことはあまりないが潜在的には知識(教養)を増したかもしれな
い。自分には直感的な心象の状態になる時がある。ことに、このような寒い晩に、しかも一人でいるとなおのことで
ある。
ラジオで何か三味線をやっているが、それは何も思考の邪魔になっていない。
昨日と今日と志賀直哉と夏目漱石の本を読んでいる。"三四郎"のところである。
冬に近い。部屋は非常に寒い。服を何枚も着て体がモコモコしている。ストーブをつけても悪くない気候となった
のである。
昭和33(1958)年10月26日(日曜)、雨
あぶないところであった。今日も日記を書かないで寝てしまうところであった。たまたま、小便に行ったら目が覚
めた。
堀 辰雄の『風立ちぬ』を読んだ。よくわからないが天然色のきれいな叙情的な短編映画を見るような感じがした。
昭和33(1958)年10月27日(月曜)、曇
猛然と目的にかかっていく勇気が湧いてきた。目的とは?彼がすごく良い点数をとった。いつかは彼の上を行って
やるんだ。野心満々の気持である。
昭和33(1958)年10月28日(火曜)、曇
学校で笹刈があった。
合唱部に存部するとやはり行事などに時間がつぶれて思うように出来ない。3年間勉強ともクラブ活動ともどっちつ
かずの状態であるより勉強を2年生のうちにがっしりとやって基礎をつくってから3年生になってからクラブ活動
にがんばった方がよいのではないか。
今自分が書いた日記文のうちで大事な語句を完全に忘れているところがある。これは試験の場合には零点になる文章
である。
昭和33(1958)年10月29日(水曜)、曇
全く寒い。この寮内ではいまだストーブをつけないのでなおのことである。
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昭和33(1958)年11月2日(日曜)
もはや11月となった。早いものだ。
内村鑑三の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』を読んでいる。何か得ることがあるよう意識している。
今日4校音楽会が中学校、高等学校とで劇場であった。時々、自分の歌の下手なことを思い出しては、来るべから
ざるところに来たとの思いにとらわれていた。そんな思いになるなら部をやめてしまえばよいものを。
ああ、その劇場で打撃を蒙った。ヒョットコみたいと言うある少女の言葉だ。ああなんたる残酷か。
昭和33(1958)年11月3日(月曜)
今日は文化の日だが、洗濯に明け暮れした、
自分はどちらかといえば現実生活において実際家的であるが、精神生活おいて非実際家的である自分で思う。とこ
ろが浪漫的な気持になって時を過ごすときがある。しかも、実際にそのようなことを求めてである。しかし、自分自
身としての感情といえばロマンチックなことより内心では冷酷なまでに落ち着いた科学者の態度というか、そのよう
な姿勢が好きでもあり、憧憬でもある。
午後 6時∼7時…数学
7時∼8時
(7時∼7時半まで、月、水、金、日…現代文)
(7時半∼8時まで、火、木、土、日…古文)
8時∼9時
(8時∼8時半まで英文解釈)
(8時半∼9時まで(好きなこと))
9時∼9時半まで…数学
9時半∼10時まで…英語(英文法)
10時∼10時半まで…化学
昭和33(1958)年12月4日(木曜)、曇
ちょうど一カ月日記を付けなかったことになる。
12月だというのに昨日などは雨が降ったりした。変な天気である。
倉田百三の『愛と認識』を読んでいるが、今読み終えた箇所は生理的に嫌悪感を感じた。なんとなく文章が誇張さ
れているような気がしてならない。乃木大将のことについての箇所である。それになんとなく感傷的なことが目につ
く。「電柱によりかかり慟哭した」なんという文章を読んだときは"あさましい"と思わず口にした。
昭和33(1958)年12月6日(土曜)
猜疑する心はいやなものだが、自分がそのような環境を作り出したことに原因があるのでしかたがない。
昭和34(1959)年1月9日(金曜)、曇
大陸性高気圧の故にこの2、3日寒い日が続いている。全くあっという間に元旦が過ぎ、明日で10日となる。
補習授業を受けるため寮にいる。授業第1日目から英語の時間で変な気持になって全くつまらない質問を先生に尋
ねてしまった。何だか寝覚めの悪い気持がしてならない。明日はあまりでしゃばった高い姿勢ではなく低く行こう(イ
ンキの出が悪くしゃくにさわる)。
今日、英語の対訳付きの『若草物語』を買って来たが前に買った『カンターバイル家の幽霊』を読み終っていない
のでまだ読み出すわけにいかない。
このごろ思うのだが俺の気力はなんとなく足りない、もっと意気をいれなくていけないぜ、と思っている。
『三太郎の日記』より
・ 15 生存の疑惑
ここの後半は我々貧乏人にとって共鳴するところなり、自分の身において考えれば、我が行っている試験勉強は、
ここで言う職業、創造の熱は自分のしたい論理学、哲学の勉強家?
・ 16の(2)人間はある個性型に入って初めて人となる。または人間が人であるためにある方面の個性型に入る
べきと言っていると自分は解釈する。
・ 16の(3)芸術には技巧がいる、ここで言おうとしているのは(それが中心的な主題ではないとは思うが)、
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(以下の文章は意味不明なので削除)
昭和34(1959)年1月10日(土曜)、晴
映画「一粒の麦」「つづり方兄弟」をみて来た。以前の「すずかけの散歩道」よりも感動を受けなかったのはどう
したことだ。石坂の散歩道では物質的にも精神的にも恵まれた生徒によりよく魅せられたようだ。そして自分もあの
小説に描かれているような生活を送りたいと思うのである。一方、『一粒の麦』における学徒の苦しい就職について
の苦しみを見たとき自分のもっている不満など全く贅沢であることに気がつき見たことをありがたく感じた。
映画も一級品を見るべきだ。なぜならそこに深いことを表しているから。
昭和34(1959)年1月12日(月曜)、晴
何故か友と語るとき自分のふだん思っている行動と同じくしないのだろうか。
昭和34(1959)年1月18日(日曜)、快晴
今日から本質的に寮長となったわけだ。その名に負けないようにがんばるつもりだ。やはりその役になったからに
は何かをしていかなくてはいけないだろうから目標を決めておこう。
1. 東山寮生会をつくろうと思うのである。
2. 名簿の作成
を主なものと定めておこう。
昭和34(1959)年1月23日(金曜)
このごろは全く充実感のともなわない日々を暮らしている。それがこの日記を付ける状態に表れている。
昭和34(1959)年1月29日(木曜)、晴
早いものだ。あと2日で1年の12分の1が過ぎ去ってしまうことになるのだ。
西田幾太郎の『善の研究』を読んでいる。やはりこの本は読んでおくべき本であることが、哲学用語の定義が載っ
ていることからはっきりと感じられた。しばしばちょっとむずかしい本を読むと出てくる文字が次々と判明していく
のが愉快である。
今日久しぶりに廣に葉書の便りを出した。早く返事を見たいものだ。
昭和34(1959)年1月30日(金曜)、吹雪
今日はまあまあ満足のできる日だった。消灯の時間なので寝ましょう。何か詩でもつくりたい。
昭和34(1959)年1月31日(土曜)、晴
水道の水が凍り、ぞっとしたが、なんなく溶けて水が流れ出したのでほっとした。
日記に書くことは就寝時間が決まっている寮においては前もって構想を練っておかなければならないようだ。
明日は日曜。いつもの調子で朝寝坊にならなければよいが。
昭和34(1959)年2月2日(月曜)、曇
石坂洋次郎の『あかつきの合唱』を学海堂から買って来てさっそく読破した。なぜか彼の作品にいつも魅せられて
いるのだ。それに島崎藤村の『家』に手をつけてちょっと読んだ。
廣から葉書が来た。久しぶりなのでちょっとばっかり胸をとどろかせた。
今日は非常に暖かくて居心地がよかった。だんだん道々に春の匂いがかすかにしだした。
昭和34(1959)年2月3日(火曜)
8時半ごろから寮費のことであれこれ時間を食ってしまった。それでもまだ仕事が残っている。
昭和34(1959)年2月4日(水曜)
今日は国語の時間出すぎた質問?というより愚問をしてしまった、その後味はいやなのでそれを超越しようともが
いているが、この重さなかなか軽くならずだ。
40
昭和34(1959)年2月5日(木曜)、晴
ああつまらない人生何物ぞ。
昭和34(1959)年2月6日(金曜)、曇
昨日、今日と数学の時間自習になった。そこで寝てしまった。今日の後半は全く調子が崩れて困った。時間に追わ
れて日記もおちおち書けない。明日映画に行くことを決めた。
昭和34(1959)年2月7日(土曜)、風
大学に入りたくてもあまりいい学部がない。室蘭工大は数学があるし、小樽商大には入りたくないし、東北大学に
は生物の部がない。
この度、物理3単位と漢文2単位の抱き合わせと物理5単位とどちらにしたらいいか迷っている。自分としては生
物をやりたいが、漢文にも色気がある。
学大に入りたいがこれは特別の実技、音楽かまたは体育があるが、これが難関のような気がする。もっと高い希望
でことを解決するか!
映画鑑賞「かくし砦の三悪人」「都会とゆう港」等である。
夏目漱石集を買って来た。
昭和34(1959)年2月8日(日曜)、晴
明日から中間向けの受験勉強を行う。
島崎藤村の本を読んでいるが後で感想を書こう。
昭和34(1959)年2月10日(火曜)、晴
昔の俺もかなり変わっていただろうな。
昭和34(1959)年2月11日(水曜)、晴
明日から中間試験である。
昭和34(1959)年2月13日(金曜)
少し早いが寝ることにする。
昭和34(1959)年2月15日(日曜)
※ 記載なし
昭和34(1959)年2月16日(月曜)
今ラジオ講座で古文を読んでいた女の人の声があまりにもきれいなのでラブを感じた。全くきれいな声であった。
適度に色気があり、どこか芯のある声である。気持のよい音楽を聞いている心地がした。
昭和34(1959)年2月21日(土曜)
今週、放課から6時までの間は勉強できなかった。何かかんか用事が出来て参ってしまった。この時間を利用でき
た人と自分との間にかなり開きができただろう。
昭和34(1959)年2月23日(日曜)
書きたいことがあるが、これは長くて書き切れない。
昭和34(1959)年2月24日(火曜)
とかく時間に追われて満足に日記を書けない。
今日、店からラーメンとねぎを買って来てラーメンをつくって食べた。なかなか熱くて困ったものだ。
昭和34(1959)年2月25日(水曜)
今日はまたとにかくすごく凍れた。そのおかげでといったら責任転嫁もはなはだしいが数学の試験は全く駄目だっ
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た。
映画「風花」を見に行った。久我美子、岸恵子、有馬稲子等の出演だった。
この「天の紅」にも出演した新人の名前のわからない男優に何かひかれるものがあった。この映画の最も刺激のあ
ったところは、彼女が結婚直前に捨吉とはせ木のある土手でかたく抱擁し接吻するところであった。刹那的で果かな
い一瞬であったからである。
しかし、彼女のこの行動は捨吉の気持を動揺させたに違いないと思う。
ところで捨吉がそれ以上の行動を起こしていたら、この物語はどうなっていたのだろうか、と考える自分は不純な
のだろうか。
昭和34(1959)年2月26日(木曜)
国語二の教科書にだったか、映画鑑賞についての文章で、よい映画について"ひきつけられない映画はつまらない
映画だと断じてもよい"とあった。しかし、自分が思うには、その映画の水準が高い場合ななんとするか、4、5歳
の子供に論語を読んでもわからないような場合は何とするか。現に自分が一昨日見た映画はみる時は退屈していたが、
昨日、今日とその映画のことを思い出してあれこれと考えては満足している。これなど自分があまりにも見る時に冷
静であったことが原因していると思う。であるから一概にそのように言うことは危険でなかろうか。
昭和34(1959)年3月2日(月曜)
もはや3月である。
人の心が無常であるということは道理ながら、自分の心まで毎日毎日違っているのはいやなものだ。毎日成長して
いくので違っているのなら満足もしようがどうもそうでもないらしい。何がそう変化させるのだろう。
昭和34(1959)年3月15日(日曜)
今日、2年4組の分散会を行った。思いもかけずにうまくかつ面白くいった。
大した重大なことではないが、ある文芸評論に「文学青年がどこかに就職した時に俳句をやるものは上役の覚えが
よいが、小説を作るものはこれが悪い」を読んだ時は、僕は打撃を受けた。小説をつくりたいからである。このこと
は、自分にも立身にかなりの色気があるように思える。
昭和34(1959)年3月16日(月曜)
今日、ついに松田先生の送別会のことについて自分は皆に協議してもらい開会の段取りを作った。時々自分はおち
ょこちょいの性格の故にこの行動をとったかのように思われているので自分の気持をはっきりさせる上からもこれ
を書こうと思う。
僕達 A クラスの者は何かと先生の情熱的な気持を感じさせる姿などからいつの間にか感化を受けていた。そのほか
様々なことに影響を受け、それが何かよりどころとなっていた。この度去ることになったので、それを悪事をした人
のように黙って送ってしまうのはよくない。故にこれを行うのである。
中常盤2丁目 神埼ふじ子 方
昭和34(1959)年4月6日(月曜)、雪
今日から立野先生のところにお世話になっている。食事は全然いい。これは当然だが。
悦子の入学のことで色々としなければならないことがあって自分ののろまさに困っている。
昨日、今日にかけて非常に寒い。勉強もせず石中先生行状記や破戒などを読んだ。
明日から学校だが休みの間が何だか気になるが大丈夫であるはずだ。明日西元家に悦子と行くつもりである。財政
困窮しつつあり。月初めだというのに。
昭和34(1959)年4月7日(火曜)
いまだ風がやまない。機構のときから頭が痛くやり切れない寝不足らしい。西元に行って保証人の印などをもらっ
て来た。
新しいクラスは3年5組である。5組となってなんとなくうれしく思ったのは何故でしょう。
11時過ぎだ。今から寝るとする。
昭和34(1959)年4月8日(水曜)、曇
42
選挙運動たけなわということである。安い理髪店で百円ですました。明日、映画の鑑賞がある。楽しみである。
昭和34(1959)年4月9日(木曜)
初めこめかみのところが痛かったが、源氏物語を読むとそれが直ったから不思議だ。
ヘミングウェイの映画『老人と海』を見たからにはこの原書を読むべきだ思っている。
明日は源氏と『小公女と教科書』と数学に力を入れてやる。
昭和34(1959)年4月10日(金曜)
森鴎外の本を読まなきゃだめなようだ。
世界史や社会史の本を読むにつけても自分が常識といわれていることもわかってないことが多い。それを早く予見し
て補うようにしなきゃだめだ。
昭和34(1959)年4月11日(土曜)
5月に読むリーディングはヒルトンの『チップス先生さようなら』をすることに決めた。昨日『時事英文』を買っ
たがなかなかよい本である。
昭和34(1959)年4月13日(月曜)
自分の連想は四方八方に拡がってしまうので、文字で紙面に書いて固定するのである。
昭和34(1959)年4月15日(水曜)、晴
かなり前から今年のピアノ伴奏をしてくれと言われているが決心がつかない。だが、それにぶつかってできないま
でも努力することは人格形成にかなりプラスになると思う。
1週間数学の鬼になることを決心する。
昭和34(1959)年4月16日(木曜)
明日、ウィーン合唱団を聞きに行く。三好達治の『測量船』を読んでいるが、身体は緊張している、頭にはかすみ
がたなびく。
心がなんかの束縛から逃れ四方八方に飛んでいってしまう気持になる。
昭和34(1959)年4月17日(金曜)
なぜ音楽家を夢見るか、それは自分を他人の関心をひきつけておきたいからである。なぜそのような考えが浮かん
でくるのか?他人が自分を知らないのかとさびしく思うからである。なぜ、さびしい気持になるのか、それは自分が
弱いからである。なぜ自分は、ときどき孤独をよろこぶような気持になるのか。
英語 小説に重きを置く
英文法の研究
国語 現代文『現代文の研究』中心
古 文 源氏、古今集、大鏡中心
社会 世界史と社会2は日本史
数学 解析ⅠとⅡの研究を徹底的にやってしまう
理科 生物と物理
時間割 起床 7時20分
学校 5時まで
休憩 7時まで
勉強 12時まで
夏休みまで 数学、英語、国語の3本を実行(8、9月も同じ)
夏休み中
数学1本のみ
10、11、12、1、2月は社会、理科に重きを置く。
昭和34(1959)年4月18日(土曜)、雪
久しぶりに本格的にピアノの練習をした。自分も学大を受けられるように音楽を真剣に勉強する気なった。
43
受験する学校は、北大か小樽商大、東京教育大、北海道学芸大学である。
このごろは、全く数学の勉強に興味が薄れてしまっているから、これを回復しなければならない。
昭和34(1959)年4月19日(日曜)、晴
今日は9時半ごろに起き、すぐに映画を見に行った。「わんわん物語」「ターザン」であった。
このごろルーズに金を使ってしまってだめである。つつしまなきゃ。
塚田君は毎日遅くまで勉強よくやっている。それでいて眠たがらないのだからいい。
昭和34(1959)年4月20日(月曜)
毎日日記を付けることを決心した。昔の厳しく自分を躾ける態度・方法を復活させようと思う。
もっと学習に計画性を持たなくてはいけない。
昭和34(1959)年4月21日(火曜)
音楽において厳密な科学的な態度よりも直感的・感覚的にとらえたものを頭をとおさないで心をとおすべきである
と思う。たとえば合唱のように。
数学をあまりにもこのごろおろそかにし過ぎる。
昭和34(1959)年4月22日(水曜)、
この2、3日天気がよい。音楽とは力むべきものではない。力を抜き、楽な姿勢でかつ中に芯を持つべきものであ
る。
昭和34(1959)年4月23日(木曜)
手がかじかんでだめである。日記もろくに書けない。外は激しく吹いている。
昭和34(1959)年4月24日(金曜)
毎日古文15分間、英文1時間読むことを実行すべし。
昭和34(1959)年4月27日(月曜)
ピアノの練習するときは、あまりせかないで。一音一音弾いていくことが大切であるようだ。
昭和34(1959)年4月29日(水曜)
現代文の参考書を読んで新鮮な文学への情熱がよみがえった。私は気分というか、そういうものに重きを置く。で
あるから情熱をもって文学にあたる時の気分がいつも変わることなくつづいてほしいのである。しかし、それはでき
ないことである。そこに哀愁の心が起きるのだ。
昭和34(1959)年4月30日(木曜)
絵画はこの世における色の美妙を表現し得るものであり、音楽はこの世における音の諧調を表現しうるものであり、
文学は精神の微妙を表現しうる。
この春の色を残すことができるのは絵画による手段である。いくら言葉で表しても絵のように直感的でない。今の
自分は絵画の手段がほしい。
昭和34(1959)年5月7日(木曜)
明治時代の文章はなぜあのように大げさなのであろうか。古文の単語に対するには、一日に数より語義を深く追求
するようにする。
受験勉強に追われていると馬がよそ見をしないようにする目隠しをされている気分になる。たまによい文章に出会
うと生き返ったような気持となる。
昭和34(1959)年5月8日(金曜)
このごろの学習態度はいやな箇所、いやな時をひょっとひよっと避けている。勉強は努めて強くなる、つまり刻苦
に強くなることが必要である。勉強とは自ら苦しめる、自苦である。
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昭和34(1959)年5月9日(土曜)
毎日が試験なりとはよく言ったものだ。
母さんに書いた手紙を出すのを忘れた。文章や言葉はなるべく簡単簡潔にすることにしよう。
昭和34(1959)年5月11日(月曜)
昨日、土橋君と二人で花見に行く予定だったので、計画通りに行った。すごい混雑であった。昨日は朝が快晴だっ
たのでなお人出が多かったのであろう。
世界史の時間、先生はギリシア時代の民主政治は、ギリシア人の青年男子のみの民主政治だから、ことさらに大事
がらなくてもよいなどと言っていた。しかし、15∼16世紀に暗黒時代から抜け出すことができたのは、ギリシア
の民主制を復興し改良していこうというものであった。そしてこのことは現代にかなりの影響を与えているのでおろ
そかにはできないのである。
昭和34(1959)年5月12日(火曜)
今日の自分の態度はどうも敬虔なものでなかったらしい。この世には恐るべきことは多々ある。
昭和34(1959)年5月25日(月曜)
5時半ごろ風呂の疲れでごろッと畳の上に寝そべったら、そのまま8時ごろまで寝てしまった。この土曜日に模擬
テストがあるのに数学に全く自信がないのに、余裕しゃくしゃくたるものである。英語も後ろめたい気がする。
11日付けの日記の青年男子は成年男子の誤りであった。授業の時、これを間違えた友人がおり、教室の笑い種とな
った。自分も笑われるべきだろう。
昭和34(1959)年6月2日(火曜)
もはや過ぎ行きて6月2日になりぬ。
土、日曜日のことが頭から離れず、ああすればよかった、こうすればよかったとの思いが千々に乱れる思いがする。
この後悔は試験に慣れていないことに起因するのであるから、『蛍雪時代』や『ユースコンパニオン』の付録を利用
して抜け目のない答案を書くことを練習しよう。
昭和34(1959)年6月4日(木曜)
限界について
河盛好蔵の『翻訳論』を読んだが、ところどころしかわからなくなる。これは私の限界かなあと慨嘆したものだ。
2年生が模擬テストのトップを取ったことはどうしても腹糞悪い。挽回を期すつもりである。
昭和34(1959)年6月11日(木曜)
5時ごろから6時ごろにかけていやに気分が悪くなった。病的なぐらい気分が悪くなった。これが親父ならどなる
ところかなと思った(まさかね)。
昭和34(1959)年6月18日(木曜)
この部屋の中で一番不必要なものとは何かというとそれは目覚まし時計である。
昭和34(1959)年6月20日(土曜)
いつも12時過ぎるので、性格には前の日の出来事になるのだが。
南原 繁の著書の中に教育を人生の目的としている共通点を見い出した。うれしいことだ。そして自信を強められ
た。
昭和34(1959)年6月22日(月曜)
純なものをあなたは持っているか?
昭和34(1959)年6月28日(日曜)
今日2回目目の模擬テストがあった。
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『アニマル・ファーム』を前から読もうと考えていたが、今になっても読んでいない。どうも気分が悪い。試験で
答えがわかっていて書き落としたような感じだ。
昭和34(1959)年6月29日(月曜)
日付だけでも書かなくちゃ。
また今年もキャンプのことでめんどうくさいことが起きそうだ。
問題提出 自然と人間
昭和34(1959)年6月30日(火曜)
何かを考えたい。ただ時が過ぎるのを傍観するのか!?
昭和34(1959)年7月7日(火曜)
夢の如く過ぎ行く時間
一瞬のかけら取りえずして
毎日は過ぎ行く
気紛れに日々を任せ
あとでそれを悔い
あだな惜しみをする
そして日々が過ぎて行く
昭和34(1959)年7月8日(水曜)
それがどれだけの価値を持っているかは知らないが、ある外的な動因なのか、ちょっとした瞬間に何かをつかんだ。
いやむしろ何かが自分をつかんだ感じがして、様々な詩句が浮かんでくる。それを文字に表していけば行くほど神経
が研ぎ澄まされて行き、筆が早くなって行く。この時こそよいものができる。このちょっとした瞬間はいつもの生活
の心の中に含まれているように思われる。これをつかみ出すには瑣事のことに関心をもっていて初めて得られるよう
に思われる。だから自分は、自分の中でそれが熟するのを待って創作したい。
昭和34(1959)年7月12日(日曜)
士別神社のお祭りが近いので午前などには期末考査がなければいいのにと幾度思ったか。しかし、そんなのじゃだ
めだ。そんな悲しいことではだめだ。人より優れようとするお前がねえ、そんなんじゃだめだ。もっと目を光らして
進んだら?
昭和34(1959)年7月14日(火曜)
自分の時間を持たないようになった。友の誘われたら、しなければならないことをほったらかしにして遊ぶ。入試
が近いというのに困った。
昭和34(1959)年7月15日(水曜)
映画「狐と狸」で商人たちの生命力には賛嘆の声を投げかけてもよいのか知れないが、その生活そのものが価値あ
るものと思うのなら考え物である。大学出の青年が最後に叔父と北海道について行くまでの心境が全く理解できない
のだ。これはこちらの責任か、それとも?
今日、昨日と瞬く間に5百円以上使ってしまった。キャンプに行くのに金がかかるというのに。
昭和34(1959)年7月16日(木曜)
14、15、16と3日間続けて映画を見たおかげでキャンプや写真のお金が足りなくなって困っている。同じ金
を使うのならキャンプの方がはるかによい。
昭和34(1959)年7月18日(土曜)
キャンプに使うテントを教育委員会が日程の変更により使用不可能となり少々あわてたが、3年1組渡部君等のク
ラスのが使えるようになり大助かりであった。全くあの時は袋小路に追い込まれた感じであった。
少し、いや、相当、金銭に関してだらしなく十分管理ができていない。しっかりしめていかなければならない。"
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知ってるわい"というセリフ。
昭和34(1959)年7月19日(日曜)
北海道新聞社に投書した歌詞の結果が明日発表になるはずである。楽しみだ。せめて佳作ぐらいになってほしい。
2時から4時まで昼寝をして時間を浪費した。あまりよい傾向じゃない。
夏休み中ヒューマニズム文芸のトルストイ、ホイットマン、ロマン=ロラン、メーテルリンクを読む。
昭和34(1959)年7月22日(水曜)
この月曜日から校内球技大会が行われているが、我がクラス全敗してしまい明日からはフリーである。よろこんで
いいか、わるいか。彼女も応援していたっけ。
今日から国語と英語の時間を取り替えて気分転換を行い勉強する。
昭和34(1959)年8月1日(土曜)
国語の補習テストは授業をサボりかなりのブランクがある。これを取り返すにはかなりの精力がいる。
昭和34(1959)年8月3日(月曜)
そこを征服すれば親しみが湧く。それを知れば親しみ湧く。
形而上的思索至上主義に傾斜することに気を留めるべし。
昭和34(1959)年8月4日(火曜)
1日に映画に行ったのでもう絶対に行かないと決心していただが、「昼下がりの情事」を見て来た。
昭和34(1959)年8月5日(水曜)
自分より優れている前では、人はそれに媚びるような態度をとるか、または、避けようとするものだろうか。
昭和34(1959)年8月6日(木曜)
他人について考えることは、決して今始まったことじゃない。今まで考える傾向は自分を抑えて日記などには書か
なかったのである。彼女のことについて考えるのだが、中学時代から美人で頭がよいということで、その上に金持で
あるということで評判され噂されていた彼女が正常にすなおに、育ってきたか、または、育っていくか、疑問が持た
れる。
気位が高いと表現すべきか、そのせいで美貌である点も大いに作用しているか、そのような理由で同性からかなり
の反感を持たれているようだ。また、彼女の一面にかなりのロマンチック的要素があると考えられる。彼女は昼食の
とき芝生で弁当を食べる。僕は思うのだが、昔から野外で食事をすることは美味しいものであり、そこに何かしらロ
マンスを匂わせる時があると。それを彼女は意識的に、または、無意識に追っているように思うのである。まわりの
目がうるさい彼女が自意識過剰にならないようにのびのびとふるまってほしい。
幾何 一日 4題
昭和34(1959)年8月8日(土曜)
石坂洋次郎の作品を座右の友にしよう。生活の知恵を与えてくれるものとして。
考えることを好む。考えることをしないで。
昭和34(1959)年8月9日(日曜)、曇
8月だというのに毎日北風が豆のつたをふるわし、乾いた冷たいほこりが道路に舞い立っている。6時ごろテレビ
を見るか見まいかで迷った。二つの間を彷徨したが、幸いにも正常な勉強の方にたどりいついた。
昭和34(1959)年8月11日(火曜)、曇
今日から朝早く起きることに決めた。今月は、1日から4日は映画、7日、8日はテレビ、昨日もテレビと少なく
見積もって16時間はロスしている。寸時をおろそかにするものは寸時に泣く。
昭和34(1959)年8月12日(水曜)、晴
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珍しく暑い日だ。この10日間の低温は農家を困らせているのだろう。
昨日朝家に電話した。兄弟姉妹に出てもらった。昇がが出た時には驚いた。彼の声が声変わりして男らしい声にな
っていた。
昭和34(1959)年8月17日(月曜)
14日に家に帰り今日帰って来た。色々と勉強しようとして本をたくさん持って行ったができなかった。有ちゃん
がまだ子供を産まないので、母さんが永山に行っているため炊事をやらされたわけである。
今使っている万年筆は13日に新たに買ったものである。小さいときは、持ってみたいという気持で買ったのだが、
これは必要性を考え千円の大金を投資したのである。
昭和34(1959)年8月18日(火曜)、曇
教えること、他人を諭し教えることに専念し、自分のことを考えない性の自分が教師となるには、多くの危険を持
つになることを覚悟しなくてはなるまい。
とかくこのごろは時間に対しルーズになって仕方がない。今も物理1時間の前10分の休みが、15分になりさら
に45分ともなればやる気がなくなる。結局1時間のロスとなる。
18歳の自分は切に性のことを考える。性の字に胸を動かす。いわんや性欲をや。時々切れる。思索の糸、漫然と
迷うは、夢幻の世界、とかく荒れ狂う、苦しみを一つの束縛とみる。
昭和34(1959)年8月19日(水曜)、曇
第2学期第1日目である。29日、30日の模擬テストに参加するかしないかと迷っていたが結局参加することに
した。受けないで自分の実力に不安を感じているより低くても実力を知った方がよいからである。
昭和34(1959)年8月20日(木曜)
英語の宿題として3百単語で夏休みの間における感想を書けと言われている。夕食を食べてから10時ごろ寝たの
で2時10分前現在までにどうやら宿題の原案が出来た。その期日は土曜日までであるから明日にはどうしても完成
させなければならない。
昭和34(1959)年8月21日(金曜)、晴
どうやら宿題は出来たようだ。
今日は別に書くべきこともない。
昭和34(1959)年8月29日(土曜)
模擬テストを受けないでしまった。19日の決心にもかかわらず。どうもこのごろの自分は行動が変だ。時々ばか
みたいに浮き浮きしたり、軽薄そのものとなったりする。気をつけよ。
昭和34(1959)年9月3日(木曜)、曇
いわゆる闘志が必要だと言われるが実際そうである。闘志と眼光である。頭脳の燃焼である。
昭和34(1959)年9月4日(金曜)、曇
今さら書くこともないが源氏物語の素晴らしさはたいしたものだ。一つ紫式部に会ってみたいものだ。真面目な願
いだ。
昭和34(1959)年9月19日(土曜)
もっと考え深くてもよくないか。浮ついた女のような心を持つ者に何が考えられる?
昭和34(1959)年9月27日(日曜)、雨
やっと今日文化祭における劇が終わった。自分は演出であった。この1週間というものは全く勉強ができなかった。
来週の今日は模擬テストがある。そのためにフルに精力を出さなくては。
昭和34(1959)年9月29日(火曜)、晴
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午前は全く快晴で秋晴れのよい天気であったが、午後になって曇ってしまった。
本格的に勉強をやり出した。このごろの自分はその深みというかそれをなくしているようである。
演劇のことが今日まで影響を与えている。土、日にかけての模擬テストは毎回ながら困っている。
昭和34(1959)年10月4日(日曜)、雨
今日は3教科の模擬テストがあった。数学は相変わらずだめ!
D.H.ローレンスの『Son and Lovers』を是非とも読みたい。
昭和34(1959)年10月12日(月曜)、雨
今のところ国語の学習が少し計画より前を行っているので何か詩でも読みたい。
秋となると人は考え深くなるという。実際そのとおりで何か考えたくてむずむずしている。変な表現だな。
土曜日に下宿人4人、塚田、渡部、藤、それに俺と本宅に近い方を勉強部屋とした。全く金つまりでピイピイして
いる。それにかかわらず明日もひょっとすると映画に行くかも知れない。
昭和34(1959)年10月13日(火曜)、曇
「めまい」英国(?)映画(ヒッチコック)を見た。久しぶりに心から面白いなあと思った。やはり映画は一流品
をみるべきである。
生物、日本史をおろそかにしていて心配である。
昭和34(1959)年10月15日(木曜)、曇
冬が近いので、朝など冷たい水で顔を洗うのはなんとなくいやだ。食欲の秋にふさわしく腹がすいてたまらない。
今晩もウドンを取った一杯60円は痛い。
昭和34(1959)年10月16日(金曜)、晴のち曇
昼方は非常に晴れていて典型的な「秋晴れの良い天気」であった。空はあくまで高く青く、稲のハセにかかってい
る色と溶け合いつつも互いに区別しあって輪郭がはっきりと見えた。
清水先生の黒板に書く字は影響力がある。歴史のノートを見たまえ。彼の字そっくりだ。大和時代に藁谷先生が良隆
君に与えた時と似ている。
昭和34(1959)年10月17日(金曜)、晴
今日から中間試験だ。
変な話だが彼女とは今まで交際などしなかったのに自分はなぜあんなになれなれしく話しかけたのであろうか。飯
作君の父の葬式に出たその時の帰りである。
いよいよ冬の匂いが身辺を包みだした。今、午前1時半。月はおそろしく澄み切っている。
昭和34(1959)年10月19日(月曜)、晴
4人でウドンを作って食べた。味付けに自分は失敗してしまい皆からひんしゅくを買ってしまい、いやはやどちら
も後味の悪いこと。参ってしまう。そんなに面白くないなら貴様達がやればよかったのに。もっとも口出しが出来な
いようにしたのは俺だが。疑えば俺が「それをするのはやめろ」と言った時、まずかったらうんと非難しようとてぐ
すねを引いて待っていたとも言えるようだ。彼の態度から推すと。自分の態度が悪かったわけだ。トンボ鉛筆のHB
は書きやすい鉛筆だ。
昭和34(1959)年10月26日(月曜)
1週間の休みも明日1日限りで終りである。家に帰った。つくづく家の貧乏の度合いの激しいことを認識させられ
た。
精神の沈滞少しも好転しない。切実な受験問題にぶつかってあえいでいる。よどみに浮かぶうたかたである。
昭和34(1959)年10月27日(火曜)
全く阿呆である。馬鹿である。気がつくのが遅かったぐらいである。てんで実力もないのに一人の秀才面して、特
に2年生のときである。顔から火が出る思いというのはこんなものかもしれない。そのおかげで数学がガタ落ちであ
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る。その上またもや3年生になった現在でも、またもや一人の秀才面しようとするいやなやつだ。
昭和34(1959)年10月28日(水曜)
生物が心配である。このごろの勉強は模範解答に頼りすぎる。すなわち自分で思考しようとしないのだ。このごろ
のお前は軽薄になりやすいぞ。
昭和34(1959)年10月30日(金曜)
やはり入試が近づくと神経が嵩ぶりやすい。時々神経症的兆候を感ずる時がある。このごろつくづく思うのだが3
年の初め文科系の大学に入りたいと思っていた時思い切って京大でも目指せばよかったと思う。重荷になっていたか
も知れないが第2志望で対応することも可能だったたのに。
勉強が出来る出来ないは性格的な要素がかなり影響しているのではないだろうか。
昭和34(1959)年11月2日(月曜)
もう2日である。明日は文化の日である。少し勉強が出来る。
人前で自分がすましていて花輪先生に見られていたことを思い出すたびに自分のくだらなさに情けなくなる。少し
ぐらいみっともなくてもありのままの方がもっとも美しいはずだ。取り繕って不恰好なのは大きな恥だ。
昭和34(1959)年11月3日(火曜)
つまらない日を過ごした。
昭和34(1959)年11月4日(水曜)
おかしな男だ。一人ですましている。何故すましているのでしょう。彼は秀才だと自分自身思い込んでいるのです。
なんと馬鹿気たことでしょう。
とうとう計画的に1時まで起きている。土・日に模擬テストがあるのを知って驚いた。北大模試はまだまだと思っ
ていたからだ。
昭和34(1959)年11月5日(木曜)
おおらかになろう。何をこせこせとするのか、もっとしっかり、かつ、のびのびしよう。
昭和34(1959)年11月7日(土曜)
今日模擬テストあった。
あまりにも自意識過剰ではないか。幾度も書くがもっと開放的になれないか。なぜそれほど自分の本心を出すのが
いやなのか。お前の心はむき出しのままでは汚らしいので、それを意識して取り繕っているのか。やましさか。
立野先生にお客が来ている。
昭和34(1959)年11月8日(日曜)
模擬テスト第2日目であったが、物理、数学がさんざんだった。実力を全部発揮できなかったと言った方がよい。
数学が目茶苦茶である。姿勢が悪かったし時間の配分に配慮しなかったのがまずかった。
昭和34(1959)年11月9日(月曜)
風邪で半日寝ていた。勉強をすればするほど数学に自信をなくしていく。しかし、大学に入るためにはこれを突破
しなければならない。自分は数学5割を目的とする。5割である。5割を確実に。
昭和34(1959)年11月10日(火曜)
今度の模擬テストの根本なる原因はとりもなおさず自分が考えることをしなかったことだ。例えば物理などは第1
番の力学的エネルギー保存の法則を用いて解くのを、ああこの問題に似たものはあの問題集に出ていたな。ところで
あの問題は俺は解くことが出来なかったぞ、さあ困った!解らないぞ!さあ困った!困った!困った!といった風に
時間を過ごしてしまった。生物に自分が解けるものがあったのに。
また、頭が固かったことがあるというのは生物の問題とはこういうものだと既成概念があったので予想だにしなか
った形の問題が出たときには全く手足を取られただるまさんのように何事もなさずに終わってしまったのである。
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昭和34(1959)年11月15日(日曜)、雪
今日は全く遅くまで眠っていたことか。昨日は午前1時半ごろ寝たのだが昼寝(2時間)しているので睡眠時間オ
ーバーである。勉強に夢中になっているこのごろとしては珍しいことである。明日辺り模擬テストの発表があるはず
で成績の悪いところを十分に眺めるとしようか。7日ころからの風邪で本校の模擬テストの時も少し変だったのが、
先週一杯頭脳暗愚、鼻はつまり、せきの連発と全くつらい週であった。残すところ北大の模擬テストまで1週間、し
っかりやろうぜ
昭和34(1959)年11月16日(月曜)、雪
ああ、2年生のときもっと勉強をしておけばよかった。そうであれば落ち着いてあの人とも話ができたのに。
この度の模擬テストは、5割強であぶない線である。この次の北大の試験が心配である。
4人でレンカ食堂まで行った。雪が厚く降っていた。凍れた雪のすべすべした道の上に薄く積もった粉雪が、歩く
たびに風に吹かれたように飛び散った。
このごろの自分を他人に見せつけているかのような気がする。そして他人の気持がわからなくなった。
昭和34(1959)年11月17日(火曜)、雪
あいかわらず雪は降り続けている。
今日は物理の勉強に予想以上に時間がかかり世界史、国語がかなり圧迫された。かなり眠たくなって来た。そろそ
ろ寝よう。家から3千円ほどの送金があった。
昭和34(1959)年11月18日(水曜)、雪
いつの間に自分はそこら辺の生徒と同じようなものとなってしまった。あんなに馬鹿にしていた教養らしきものは
全然ない、判断力は欠けている、長いものには巻かれろ式の自己が確立していない輩と馬鹿にしていた奴らと自分は
なんら異なるところはない。それどころか自分の方が人格的にも劣っていると思える。慢心の櫓の上にのんびりと浮
遊し遊んでいる間にこの態である。
昭和34(1959)年11月20日(金曜)、雪
いよいよ明日から北大の模擬テストである。英数が明日控えている。武者震いがでる思いだ。英語が少し弱い、こ
の1週間というものはあまり英語に力を入れてこなかったからだ。何としてでも文章を読んでおきたい。
昭和34(1959)年11月25日(水曜)
模擬テストは惨憺であった。下手すると自信をなくし本試験に失敗するかもしれない。理科、数学にもっと力を入
れる、社会は知識の整理に気をつけること!
昭和34(1959)年11月26日(木曜)
ますます自信がなくなっていくばかりだ。歯糞はたまるしふけは髪の間につもる。手の甲の皮膚はそば立つ。こめ
かみは痛む。全く困ったものだ。
昭和34(1959)年11月27日(金曜)
全く駄目である。何が駄目であるかわからないがなにせ駄目である。駄目で駄目でいやになる。このごろ睡眠が足
りない。いつもねぼけ顔であるみたい。朝はぎりぎりいっぱいまで寝て歯もみがくひまも惜しく飯を食べ玄関を飛び
出す。口におけるそしゃく消化作用は全く無意味。とかくいそがしいこのごろである。自信がなくなったとか、何か
足りないなどとあまり神経質に思うまい。
昭和34(1959)年12月15日(火曜)
このごろの自分は全く不真面目であるようだ。体内の細胞ができては消えていくように、以前自分が持っていた優
れたものがほかの排出物と一緒に排出されていたのだろうか。自分の今の身体は全くのぬけがらか。このごろは遅刻
はするし、2,3時間はさぼって受験勉強をするようになった。湯呑みは使って1週間は洗っていないし風呂にもあ
まり行かなくなってしまった。顔を洗うのにざっとなぜる程度、葉に歯糞が黄色くつくし全く世も末みたいな気持に
なっている。
51
勉強が出来る出来ないはかなり性格的な要素が影響しているのではないか。遅刻だけはやめたいと思うのだが思う
ようにならない。
時々思う。自分は人間的に退化した、と。俺は単純であるよ、全く。
昭和34(1959)年12月16日(水曜)
遅刻どころじゃない。8時5分まで寝てついに休むことになった。兄貴などはこんなことはしなかっただろうにな
あ。あまりコセコセしないで落ち着いて計画を実行しいかないと授業をさぼても仕方がないであろう。無駄に時間を
浪費しないことだ。しかし、このことはこれから大きな教訓となるだろう。
一つ。おごれたかぶることなかれというものである。今こんなに慌てているのは2年生の時ばかりでなく、3年にな
っても模擬テストが少しよかったことを鼻にかけたせいでもある。
一つ。自分に負担を感じさせない勉強は、かえって、自分は退化させるものであると。
点数の悪いことを恐れぬが、自分の価値がさがる思いがして自信が失われて一方である。全く。
昭和34(1959)年12月17日(木曜)、雪
今日は普通ど起きて学校を休んでしまった。こんなことして受かった例はあったことがないというが、これをしな
ければ自分の一生が変わってしまう。勉強のために休む。なにか変でないか。これは確かに正常な学校教育を乱して
いる。これは自分としては矛盾を感じる。社会が悪いといってそれをなすりつけることも出来るが原因は自分の内部
にあるのだ。なんとかしてこの地獄から抜け出たいものである。
昭和34(1959)年12月20日(日曜)
模擬テストあった。眠くてならない、このまま寝ることにする。
昭和34(1959)年12月27日(日曜)
『三太郎の日記』を読んだ。2年の時あえぎあえぎ読んだのに今回はわかりやすかった。その時思ったこと。最近
脱力感が襲う。突然身体から力が抜けるのである。体育館で四つに組んで相手の足をみつめているとすっと抜けてし
まうことが何度かあった。
外部との比較と他人の軽蔑とを生命とするいわゆる「自己肯定」はあだなものである。俺は偉大である、偉大なの
である何遍となくくり返すことによって顕現してくるものは、ただ偉大な意識である。底から根を張って来る偉大な
事実ではない。
何と今の自分を分析したことか。
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