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「クール・ジャパン」VS.「クール・コリア」
林廣茂の経済・経営コラム 27 「クール・ジャパン」VS.「クール・コリア」 ~食のグローバル化への視点~ 同志社大学大学院教授 林廣茂 082310 この夏フランスとイタリアで 2 週間を過ごした。その折に私の中に、あるイメージが しっかりと形象された。直接この眼で見た文明商品・薄型テレビでの韓国勢の圧倒的な 強さの露出と、心と舌で味わった文化商品・日本食の美味しさと人気の高さである。 韓国の顔が見えないサムスンと LG 薄型テレビでは、シェア・データで得た知識と、自分の五感でまざまざと確認した事 実との違い、そのインパクトが大きかった。「韓国勢強し」が「ずしん」と私の中で打 ち響いた。韓国勢(サムスンと LG)は 09 年、全世界で 37%のシェアで日本勢を越えた が、欧州では、フランス 55%、イタリア 55%、イギリス 40%、ドイツ 30%など日本勢を圧 倒した。現地で直接観た韓国勢は、パリやローマの家電量販店の展示量シェアで優に 80%を超えていた。空港のパネル広告やテレビは、サムスンか LG だった。イタリア鉄道 では、北部の小さな駅・アスティをはじめ、途中のボローニアやフィレンツェ、終着の ローマの駅で、ホームや構内の夥しい数のテレビが、私が見た限り、全て LG 製だった。 典型的な文明商品・テレビは、その機能や性能、デザイン、価格などの客観的な評価 にイメージが統合されて、ブランド競争力を発揮する。そのブランド競争力でサムスン と LG が日本勢を突き放したのだ。なのに、韓国の顔が見えないままである。 韓国勢が優勢なアメリカで、大学生たちの 90%がサムスンや LG を日本の会社だと思 っているという(マッキンゼー報告)。欧州のデータはないが、似たり寄ったりではな いだろうか。かつての日本がそうだった。欧米で「日本は顔の見えない国」だった。ソ ニーやトヨタが強いブランド力を発揮して洪水輸出をしていたが、その母国である日本 はどんな国で、どんな「らしさ、ならでは」の文化を持っているのか、欧米の人たちは 全くイメージできなかった。だから今「韓国の顔が見えない」としても不思議ではない。 食は国や民族の顔 食は、まさにその国・民族の「らしさ、ならでは」の顔であり、文化大使である。「こ ころ(店の雰囲気やサービスの日本らしさ、ならでは)」と「かたち(味、調理、盛り つけ、色あいなどの日本らしさ、ならでは)」に文化が具現化されている。食べる場所、 食事そのもの、食べる作法のすべてに、「らしい、ならでは、の歴史や文化」が深く宿 っている。だから、日本食が好きな人たちは、日本の顔を見分けることができ、「歴史 や文化のソフトパワー=文化への共感」と「経済や技術の先進性=文明へのポジティブ な評価」を持っている人たちだと言えるだろう。 1 日本食のプレスティージ性 海外での日本食レストランは約 25000 軒あり更に増加中だ。その 9 割近くは、地元の 人たちや中国系、韓国系の人たちが経営している。アメリカ 10000 軒、アジア 9000 軒、 欧州 2000 軒である。 「クール・ジャパン現象」と言われる、日本文化への共感や日本文 明への評価が深く広く拡大するにつれて、日本食の人気が急上昇して、日本系以外の人 たちにも大きなビジネス機会を提供しているわけである。 パリの日本食レストラン約 600 軒のうち、いわゆる正統と言われる店は 50 軒で日本 人の経営である。ローマでは絶対数が少なく 60 軒で、日本人の経営は 6 軒くらいと言 う。今回は、両方であえて日本人経営の店で食事をした。ともにサービスは「日本のこ ころ」を前面に打ち出しているが、パリではそれでいて内装にフランスへの適応化がな された雰囲気があり、ローマでは内装が黒を基調にかの有名デザイナーが設計したので はと思うほどイタリア調だった。食事は両店とも、「日本のかたち」をしっかりと保っ ている正統日本料理と、料理そのものや盛りつけ、ソースやドレッシングなどで「フラ ンス料理やイタリア料理のかたち」を取り入れているものが両立していた。そして客層 は、地元の人たちが大多数で、その人たちにとって、「日本食を楽しむこと」は「日本 文化の通である」ことと同義に近い。かなり高いプレスティージな位置づけである。 私は、日本料理の「真贋論争」に関心がなく、日本食のグローバル化とは、「日本の こころとかたち」を守りつつ、地元の人たちの好みに合わせた適応化をして、地元の人 たちに愛されることだと思っている。日本人以外の経営も大歓迎だ。私自身が日本では、 日本人経営の店で、スパゲッティ明太子やヘムルタン(海鮮鍋)を楽しんでいる。 韓国食レストランの進化が必要 韓国食が大好きな私は、ローマでグレードが高い韓国食レストランを訪ねた。韓国を 再現した内装で、小さな「韓国の飛び地」造りをしていた。韓国人が「韓国を味わえる オアシス」だ。経営者は韓国人で、客層は殆んど韓国人だった。 私は食べなれた料理を注文した。ブルゴギ、トミクイ、テンジャンチゲなどだ。チャ ムイッスル焼酎も。料理の「こころとかたち」も韓国が再現されていた。ソウルに比べ ると「味はもの足りなかった」が、食材やその鮮度の違いと思い不満はなかった。 気付いたのは、私のような「ソウルの韓国料理を海外でも食べたい」少数派ではなく、 大多数の地元の人たちが喜んで訪れて美味しく・楽しく食べる店内と食事の「こころと かたち」の正統韓国と現地適応化のバランスがとれていないことである。これでは地元 の人たちは入り辛いだろう。「韓国らしい、ならでは」と「地元らしい、ならでは」の 両方のバランスを持った韓国食レストランに進化する必要があるだろう。 と同時に、「クール・コリア」が世界に浸透するように、国家をあげて「韓国らいし い、ならでは」の文化への共感と文明への評価を高めれば、300 万人の韓国系が住んで いるアメリカや、家電・自動車などの文明商品でブランド競争力が強い欧州で、まだま だ少ない韓国料理のファンが大いに増えることだろう。食のグローバル化に近道はない。 急がばまわれ、である。 2