Comments
Description
Transcript
厚底靴 - C-faculty
キャンパス模様(十三) 2000/7 月号 厚底靴 いましたいました厚底が。やはりいるんだ、というほど僅例です。中央大学は都心から 離れているので、流行の進入にタイムラグがあるのかと思われがちですが、そんなことは ありません。他の大学にあるものは、本学にもすべて時間差なくやってきます。 若い女性に昨年から、厚底サンダルが流行していましたが、坂のキャンパスにやってく るとは思いませんでした。今年から、モノレールの駅が目の前にできて、坂道を歩く距離 がぐーんと減ったので、歩行に差し障りがなくなったからでしょうか。よく見ると、足を 上げて歩くというのではなく、引きづり状態で、そぞろ歩きしかできないようです。厚底 にもいろいろあって、底部をくり抜いて軽くした厚底もあれば、プラスチックとなった厚 底もあります。でも、多摩キャンパスの厚底は捻挫を呼び込みそうです。他方、細身のサ ンダルに足をはみ出してのせているものもいますし、ハイヒールとまではいきませんが、 かかとの高い靴に足首をぐらつかせるものもいます。外反母趾にならなければというよう なよけいな気配りは、嫌みな思考のようです。スラッとしたいのが人情ですから。 大正期から昭和の初めにはやった編み上げ靴に袴スタイルの女子学生は、映像からみる と、細身の容姿でした。あのころはデモクラシーが流行し、女性が太陽とかいって、上を むき始めた時代でした。闊歩するには、足下よりも上を向いて歩かないと、さまになりま せん。編み上げ靴なら足下を気にしないで、がっがっと足を上げて歩けるようです。これ くらいの履物でないと、闊歩することはできません。引きずり型は下向き、不況の長引く 時代を背景に、上昇志向型ではない靴がはやるというと、偏見でしょうか。 日本にも昔から、高下駄もあったし、カッポという女性用の下駄もありました。底をく り抜いた舞子さんが履く楕円形の下駄です。だれもが背が高い颯爽たる麗人となりたい願 望をもっているので、苦肉の策かもしれません。私など昭和不況の申し子ですから、短足 胴長、短躯の典型です。学生を見上げながらの対応では権威も失墜するので、教壇の高さ を下駄に教職稼業を続けてきたようなものです。 試験の点数でも、あまり厳しい基準で採点すると、合格答案がなくなりますから、まあ まあと基準を下げているのが日本の大学の現状ではないかと思ったりします。こちらも下 駄をはかすといいますが、本家本元は背丈に足す下駄ですから、厚底を否定できないよう です。おみやげの菓子箱だって、上げ底といっていましたから。と、考えていたら、最近 では上げ底の菓子折りがめっきり減っています。本物志向の現代風潮は下駄を嫌うとなる と、この厚底靴の投げる意味は、時代をどう解釈すればよいか、混乱してきました。 足下を見ていますと、ときおり、スケーボーがみられます。これは同好会の仲間かもし れません。あのような一枚の板に乗ってエネルギーを集中するとは偉いものだと見ほれて しまいます。先だっては、すいすいと人の間をぬって、キックボードに乗った女子学生が 1 みられました。小さなリュックを背負って、颯爽たる雄姿です。これが第一号でしたが、 第二号は男子学生でした。やはり、最初の導入者は流行に敏感な女子学生かなと、感心し てみていました。しかし、この二例をみてから、もうキャンパスにキックボードは現れな くなりました。街角でもみかけなくなったので、ほんの一期の短命な流行でした。 教室で帽子着用の学生がちらほら見えるようになりました。男子学生で、つばの長い野 球帽をかぶったままです。片時もはなすものか、ぴしっとサイズが合っており、頭にくっ ついた決して脱げないスタイルです。学生帽を脱いで挨拶するというマナーしか知らない 私のようなものは、講義中にこのつば長帽にうろうろされると、つい口舌が散漫となりま す。しかし、帽子に隠された頭の形状はともあれ、ファッションに気が散るようでは修行 が足りません。講義中にペットボトルを卓上において、のどを潤す、優雅な学生が増えま した。ゆっくり聞いてくれるならそれもよし。講演なら壇上に水差しとコップが添えられ ますが、こちらは講義の一時間半くらいで、のどの渇きに耐えられないのはプロではない と、唾をのみこんで、口を湿らせます。このようなときに、チョークの粉末がのどを突き 刺すと、旧態然と鎮座する黒板が恨めしくなります。 「最近、大学が地味になりましたね」と、青山大学からいらっしゃる女性の先生がおっ しゃったので、キャンパスを眺めると、確かに色が暖色ではなくなっています。そうか、 環境豊かな本学の深草のみどりのせいではない、世はあげて地味なる風潮と観望していま した。経済学者は、これまた不況時代の陰影などと解釈してみました。これを女子学生に 聞くと、そんなことはないと、一蹴する返事でした。「教授、よーくみてください。ジー・ ジャンといって、今もっともはやっている上着です」 ジーンズ生地でつくられているの で、藍色になっているだけの話、決して地味ではありませんと教えられました。なるほど、 藍染は絣に使われたその昔、いともなまめかしい色であったと、思い起こしました。青山 大学の先生も少しお年を召されてか、現代的な派手さは寒色にあるということを、追尾で きずにいられたのかもしれません。 中央大学は、ダサイと評判されたりしますが、なかなか難しい問題です。まずは衣装の あでやかさから評価されているようです。これまた都心の大学から編入してきた女子学生 にその評判を聞きましたが、「そんなことはありません」という答え。そのにこりとした笑 いの返答には、割り増しがついていました。 就職面接にいくゼミの女子学生に、逆にダサイで売り込んでこいと私は元気づけていま す。これが励ましになるのか、蔑みになるのか、彼女らはいっこうに反応しません。しか し、着実に仕事のできる子も増えています。 白壁に塗り固められた校舎には、まだ歴史が染みこんでいません。後から後から新校舎 が増築されると、大学は豊かになり、可能性はいっぱい広がります。この広がった空間を なんで埋め込むのか、住人の目の向きが未来を占うだろうと思ったりします。 2