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エモリー大学の思い出 (姉妹校紹介)
Kobe University Repository : Kernel Title エモリー大学の思い出 (姉妹校紹介)(姉妹校紹介) Author(s) 加藤, 道男 Citation 神戸大学医学部神緑会学術誌,3:156-158 Issue date 1987-06 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81007059 Create Date: 2017-03-30 姉妹校紹介 エ モ リー 大 学 の 思 い 出 神戸大学 医学部 第一外 科 .㍗ 疋 か 姫 ヨ 詔 , り 髪 男 リダ州 の マ イ ア ミ、 あ る い は バ ハ マ や バ ミュ ー ダ とい っ た カ リブ海 の リ ゾ ー ト地 な どに 直 行 便 を 出 して お り、 合 衆 国 の 首 都 で あ る ワ シ ソ トンDCか ら も飛 行 機 で1時 間 と少 々 で い け る便 利 な と こ ろ で す 。 で す が 、 映 画 に 出 て きた 夕 焼 け の 美 しい"タ と共 に ラ の 台 地" は 小 説 の 中 の 架 空 の地 名 とい うこ とで す 。 しか しな が ら、 当 時 を忍 ば せ る所 と して 、 か つ て は 綿 花 栽 培 で 大 農 園 経 済 社 会(プ ラ ソ テ ー シ ョソ)を 形 成 して い た この 街 に 、 古 き プ ラ ソ テ ー シ ョソの 名残 を と ど め た ス ワ ソハ ウス と ㍉渦' 幅'叫,噸 恥 い う大 邸 宅 が 資 料 館 と して 保 存 して あ ります 。 この 中 に 甲 南 北 戦 争 時 代 の 資 料 と して 、 戦 場 写 真 や 軍 旗 や 武 器 な ど エ モ リー大 学 正 門 昭 和61年7月 道 ま た ア トラ ソ タは 南 北 戦 争 を テ ー マ と した"風 r τ 藤 去 りぬ"の 舞 台 と して 有 名 で 、 緑 深 く森 の 多 い 美 しい 街 .鐵 鞠 や熱 ﹂∵ 転 ∴ 鞠 ゑ ゆ 、 澱 ぼ . 礎 こ ㍉ r ひ 締 鑛鳳 ー鍵 鰍 酬\ リ ロ 灘羅 難織 戯奪 舞 写を毎 響 驚 強鑑 謡 ∴鱗 蔚 畦 擁纈 誇 加 の ほか に も南 軍の 軍医 が使 用 した と思 われ る"AMANUAL か ら 日本 航 空 の ア トラ ソ タ線 が 開 設 に な り、 この ア トラ ソ タ と い う都 市 名 も最 近 で は しば しば テ レ ビを 見 て い る と聞 か れ る よ うに な って い ま す 。 こ こ は 、昭 和58年 か ら神 戸 大 学 の姉 妹 校 と な っ た エ モ リー大 学 の あ る都 市 で 、 神 戸 大 学 か らは 脳 神 経 外 科 の 白瀧 邦 雄 先 生 、 第1外 科 の瀧 口安 彦 先 生 、 村 山 良 雄 先 生 、 整 形 外科 の 北 潔 先 生 に 続 い て 私 が 交 換 教 師 と して 、 昭 和61年1月 か ら7.月 ま で 滞 在 す る機 会 磯 難! 、 欄 細 蝦灘 撫 翻 を 得 ま した の で 、 こ の 間 に経 験 した 事 磯 撒 副・ 灘 卿 醐 騨騨 脚 や エ モ リー 大 学 の概 略 を 紹 介 した い と 思 い ます 。 エ モ リー 大 学 病 院 ジ ョー ジ ア 州 は オ ー ガ ス タと い うマ ス タ ー ズ で 有 名 な ゴル フ場 の あ る州 で す が 、 この 州 都 で OFMILITARYSURGERY:FORTHEUSEOF あ る ア ト ラ ソ タ は 合 衆 国 南 部 の 玄 関 と して 、 鉄 道 時 代 か SURGEONSINTHECONFEDERATESTATEARMY." ら ジ ェ ッ ト機 が 飛 び 交 う現 在 も 交 通 の 要 地 と し て 機 能 す と い う本 が 展 示 し て あ り ま した 。 る 都 市 で す 。 こ こ か ら は 昭 和62年 の 春 か ら 日本 に 入 って こ の よ う な 歴 史 的 背 景 の 影 響 で し ょ うが 、 ア トラ ソ タ き た デ ル タ航 空 や イ ー ス タ ソ航 空 な ど が 、 ジ ャズ と ク レ で は 日 曜 日 の 午 前 中 は 教 会 に 礼 拝 に 行 く敬 け ん な 人 々 が オ ー ル 料 理 で 有 名 な ル イ ジ ア ナ 州 の ニ ュ ー オ リ ソ ズ、 ま 多 く 、 目上 の 人 に は 必 ずSirを つ け て 話 す 礼 儀 正 し さ や 、 た デ ィ ズ ニ ー ワ ー ル ドや 未 来 都 市 エ プ コ ッ トセ ソ タ ー の 南 部 の 白 人 だ け が 入 れ る社 交 ク ラ ブや ゴル フ場 な ど が あ あ る フ ロ リ ダ 州 オ ー ラ ソ ド、 退 職 し た 老 人 の 集 ま る フ ロ る と い った 格 式 を 重 ん じ る 保 守 的 な 風 潮 も強 い よ う で す 。 一15(i一 して ア フ ロ ア メ リカ研 究 科 、 人 類 学 科 、芸 術 歴 史 科 、 生 物 学 科 、 化 学 科 、 政 治 科 学 科 、 ラテ ソ ア メ リカ研 究 科 、 な ど な ど を有 して い て 、 南 部 を 代 表 す る大 学 とな って い ます 。 そ して 、医 学 部 で は1966年 に 大 学 評 議 員 委 員 会 が ア ト ラ ソ タに 本 社 の あ る コ カ コー ラ社 創 設 で 大 学 の 支 援 者 で も あ る ウ ッ ドラ フ家 の 名 前 を 用 い て エ モ リー大 学 ウ ッ ド ラ フ医 療 セ ソ タ ー を創 設 して 、医 学 部 の ほ か に も看 護 学 部 や エ モ リー 大 学 病 院 、 エ モ リー診 療 所 、 研 究 セ ソ タ ー な ど を 統 合 して 総 称 す る一 大 医 療 機 関 と した そ うで す 。 こ れ らの ほ か に も 関 連 施 設 と して 、 ダ ウ ソ タ ウ ソに あ る グ レ イ デ ィ記 念 病 院 、 ク ロ ー フ ォ ー ドロ ソ グ記 念 病 院 、 大 学 構 内 の イ グ レス トソ小 児 病 院 、 リハ ビ リ医 療 セ ソ ター が あ り、 さ らに は 最 近 エ イ ズの 取 材 で 有 名 と な って い る 合 衆 国 疾 病 コ ソ トロ ー ル セ ソ ター な ど が あ ります 。 この 様 な 大 き な基 幹 医 療 施 設 と して 存 在 す るエ モ リー しか し、 な ん とい って も"南 部"の 言葉 に象徴 され るよ 大 学 の 中 で 、 私 の お 世 話 に な った 外 科 に は1983年 の ア メ で も 区 別 して 北 部 の 人 を ヤ リ カ外 科 系 連 合 会 の 会 長 と して 活 躍 し、 門 脈 圧 こ う進 症 らは 文 化 的 に も情 報 社 会 か ら に 対 す る遠 位 脾 腎 静 脈 吻 合 と い う選 択 的 シ ャ ソ ト術 を考 も少 しば か り隔 離 さ れ た 、 田 舎 ら し く暖 か さ を感 じさせ 案 した ワ レ ソ教 授 が チ ェア ー マ ソ を な さ って い ます 。 こ る 人 も多 い と こ ろで す 。 の 外 科 の 中 で も 、1986年 の 夏 に神 戸 大 学 に い ら した 胸 部 うに 、 黒 人 が 多 く、北 部(今 ソ キ ー とい う人 も い る)か この ア トラ ソ タ に は1983年10月 に ア メ リカ外 科 系 連 合 外 科 の ハ ッチ ャー 教 授 は 特 に心 臓 移 植 チ ー ム を つ く って 会 が 開 催 され 、 これ に 出 席 の た め 第1外 科 か ら斉 藤 教 授 o の お と も を して 訪 れ た こ と が あ り ま した が 、 南 部 の 中 心 地 と して 国 際 会 議 も 大 変 多 い と こ ろ で す 。 そ して 、 少 し ば か り北 に行 くと 、 ダ ロ ネ ガ と い う ゴ ー ル ドラ ッシ ュ発 祥 の 地 が あ り、 現 在 も ジ ョー ジ ア 州 議 事 堂 の 屋 根 は こ こ で 採 れ た 金 箔 が 張 って あ り、 遠 目に も ギ ラ ギ ラと 輝 い て _馳 います。 この よ うな 比 較 的 裕 福 で の ん び り した環 境 の も と に生 ま れ た よ うな こ の 大学 を 少 しば か り紹 介 して み た い と思 い ます 。 エ モ リー 大 学 は"南 部 の ハ ー バ ー ド"と い わ れ る 私 立 大 学 で 、1836年 に ジ ョー ジ ア 州 の オ ッ ク ス フ ォー ドとい う街 で メ ソ ジ ス トの 人 々 が 創 立 した 学 校 を 母 体 と し、1915年 に 大 学 と して 認 可 さ れ ア トラ ソ タ に 移 った と され て い ます 。 この な か の 医 学 部 は 、 ジ ョー ジ ア 州 下 院 が1854年 に 認 可 した ア トラ ン タ医 科 大 学 を 前 身 と し、18 i ・ ▲ 98年 に は 南 部 医 科 大 学 と合 併 して ア トラ ソ タ内 科 外 科 医 科 大 学 と な り、 さ らに1915年 に は エ モ リー大 学 に 医 学 部 と して 吸収 合 併 され た そ うで す 。 今 日の エ モ リー大 学 は 、 ア トラ ソ タ郊 外 の550エ ー カー と い う木 々 に包 まれ た 広 大 な敷 地 に 、法 学 部 、 医 学 部 、 歯 学 部(た 瀦 鑛 カ ー タ ー前 合 衆 国 大 統 領 だ し歯 学 部 は 最 近 入学 希 望 者 が 減 少 し1986年 か ら新入 生 を受 け付 けず 廃部 の方 針 とな った とい われ る。) 活 躍 して い る こ とで 大 変 有 名 で 、私 が い た 頃 に既 に 約20 、 神学 部 、看 護 学部 、経営 学 部(合 衆 国 前 大 統領 の ジ ミー 、 例 ほ ど の 心 移 植 を 行 って い ま した 。 ま た 、形 成 外 科 の 手 カ ー タ ー氏 は こ この 卒 業 生 で 現 在 教 授 と して 存 在 して い 術 に は 米 国 内 か ら だ け で な く東 南 ア ジ ア か ら もた く さん る。)、 の 医 師 が 見 学 に きて い ま した 。 芸 術 と科 学 大 学 院 、 さ ら に エ モ リー 単 科 大 学 と 一157一 一158一