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農業の多面的機能の評価方法の問題点について

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農業の多面的機能の評価方法の問題点について
(財)電力中央研究所社会経済研究所ディスカッションペーパー(SERC Discussion Paper):
SERC11037
農業の多面的機能の評価方法の問題点について
林直樹*,杉山大志
(財)電力中央研究所社会経済研究所
要約:
農業には,農産物の生産以外にも,多面的な機能があるといわれ,例えば,そのうちの
洪水防止機能だけで,年間 3 兆 4988 億円の価値がある,という評価がある(日本学術会
議・三菱総合研究所)。このような多面的機能の評価結果は,農林業の現状維持に対する
国民負担を正当化するための議論で使用されることが多い。本稿では,このような既存の
評価について,その方法論的な問題点を検討した。分析の視点は,①水質汚染などの負の
効果が考慮されているか,②正の効果であっても,国民負担の根拠にならないもの,すな
わち,受益者が存在しないものを除外しているか,③機会費用の考え方に基づいて,農業
以外の土地利用と比較しているか,④技術的な仮定に大きな問題はないか―の 4 点である。
本稿の分析の対象としては,政府などで広く利用されている日本学術会議の「地球環
境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価(答申)」の関連付属資料を
用いた。同資料で,経済的に評価された機能,すなわち,洪水防止,河川流況の安定,地
下水かん養,土壌侵食防止,土砂崩壊防止,有機性廃棄物処理,気候緩和,人間性の回復
(保健休養・やすらぎ)について,その価値評価の方法論を分析した。
結果として,農業の現状維持に対する国民負担を正当化するためにそのまま使用できそ
うな方法論が適用されているのは,前述の諸機能のうち,有機性廃棄物処理だけであった。
洪水防止機能と河川流況の安定機能については,筆者らが別の仮定に基づく推計を行った
ところ,同資料よりも大幅に低い評価額になった。すなわち,前者は年間 3 兆 4988 億円か
ら 242 億円に,後者は 1 兆 4633 億円から 5027 億円になった。これらは予備的な試算であ
るが,方法論を再検討することで多面的機能の評価額は大幅に引き下げられることを示唆
している。
今後の農政として,農業を維持するとしても,農業以外も含めた土地利用の再構築を目
指すとしても,既存の多面的機能の評価方法については,いまいちど見直す必要がある。
免責事項
本ディスカッションペーパー中,意見にかかる部分は筆者のものであり,
(財)電力中央研究所又はその他機関の見解を示すものではない。
Disclaimer
The views expressed in this paper are solely those of the author(s), and do not necessarily
reflect the views of CRIEPI or other organizations.
*
Corresponding author. [e-mail: [email protected]]
■この論文は、http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/discussion/index.html
からダウンロードできます。
Copyright 2011 CRIEPI. All rights reserved.
1.
目的
農業には,農産物の生産以外にも多くの機能があり,それらは「多面的機能」と呼ばれ
ている。例えば,水田は雨水を一時的に貯留することで,治水ダムのように,洪水防止に
貢献しているといわれている。多面的機能の多くは,公益的なものであり,近隣の農家で
なくとも,それらの恩恵を受けることができる。そして,多面的機能の経済評価は,洪水
防止機能だけでも,年間数兆円にのぼるといわれている。
さて,栗山*1によると,多面的機能を評価する目的は,「これだけの価値を受けている
のだから国民も一部を負担すべきだ」と主張すること,農林業の現状維持に対する国民負
担を正当化することにあるという。この場合,国民負担は,公益的な多面的機能への対価
と位置づけられている。実際に,多面的機能の評価は,農林業の現状維持に対する国民負
担を正当化する場合に使用されることが多い。例えば,中山間地域等直接支払制度の目的
も,多面的機能の確保となっている*2。
しかし,国民負担の根拠とすることを念頭に置いて,農業の多面的機能の評価方法を分
析すると,水質汚染が考慮されていないといった多くの問題が見えてくる。本稿の目的は,
農業の多面的機能の一つ一つについて,評価方法の問題点,主にフレームワークの問題を
明らかにすることである。なお,経済評価が1兆円を超えるもの(人間性の回復は除く)に
ついては改善案も示す。
2.
2.1.
分析の視点
負の効果が考慮されているか
例えば,水田は水質を改善するといわれているが,水田自体が肥料や農薬によって水質
を悪化させているという側面もある。国民負担を多面的機能への対価と位置づけるのであ
れば,負の効果も考慮しなければならない。このような負の効果を考慮しなければ,導き
出された評価も説得力を持たない*1。
2.2.
受益者が存在しないものが除外され
ているか
農業の多面的機能が存在していても,そ
れが必ずしも国民に利用されているとは限
らない。例えば,図1のように,下流部が無
人の場合,その水田の洪水防止機能の受益
者は存在しない。国民負担を多面的機能の
対価と位置づけるのであれば,正の効果が
あるとしても,受益者が存在しないものは
除外すべきである。
図1 下流部が無人の水田(著者撮影)
-1-
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2.3.
農業以外の土地利用と比較しているか
機会費用原理によると,農業の維持に対する国民負担を正当化するためには,農業以外
の土地利用と比較して,機能が等しい(あるいは高い)こと,なおかつ,維持費が安いこ
とを示さなければならない(速水・神門*3)。もしも,農業以外の土地利用のほうが機能
において高く,維持費も安い場合は,農業ではなく,そちらを維持することが支持される。
国民負担を正当化するための議論においては,農業以外の土地利用,しかも現実的な土地
利用との比較検討が不可欠である。
現実的な比較対象としては,図2のような
草地,森林,湿地などが考えられるが,何
が適切かは,土壌,地形,気候,労働力な
どによって決まるものであり,一つとも限
らない。つまり,全国一律に,例えば森林
に対する農地の評価額を求めても,実務に
おいては,あまり意味がないことを付け加
えておく。そのような評価額は,全体の傾
向を把握するための値にすぎない。
図2 耕作放棄地の雑草(著者撮影)
詳しくは第4章で説明するが,多面的機能
の経済評価の多くは,機能が無い状態,洪水防止機能であれば,雨水が一切貯留されない
状態と比較している。あえていえば,地表面をコンクリートで覆ったような状態であるが,
これは非現実的な状態であり,農業以外の土地利用と比較したことにはならない。
2.4.
技術的な仮定に大きな問題はないか
多面的機能の評価においては,豪雨時の水田の有効貯水量といった実際の農業生産とは,
あまり関係のないデータが必要になるが,観測データが存在することは,むしろまれであ
り,多くの技術的な仮定に基づく推計値が使用されることが多い。前述のように,本稿の
目的は,フレームワークの問題点を指摘することであるが,技術的な仮定などについて,
非現実的なものが見つかった場合は,問題点として指摘する。
3.
分析の対象
本稿の分析対象となった資料は,日本学術会議の『地球環境・人間生活にかかわる農業
及び森林の多面的な機能の評価(答申)』*4(以下「答申」),および,その関連付属資
料*5(以下「付属資料」)である。この答申および付属資料は,多面的機能評価としては
最も有力であり,現在でも政府などで広く利用されている*6。また,これらに関連する一
般向けの小冊子*7も参考にする。
答申で取り上げられた農業の多面的機能は下の枠内のとおりである。このうち,付属資
料で経済的に評価されたもの,すなわち,洪水防止,河川流況の安定,地下水かん養,土
-2-
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壌侵食防止,土砂崩壊防止,有機性廃棄物分解(処理),気候緩和,人間性の回復(保健
休養・やすらぎ)の評価方法について分析する。
答申で取り上げられた農業の多面的機能
1 持続的食料供給が国民に与える将来に対する安心
2 農業的土地利用が物質循環系を補完することによる環境への貢献
(1) 農業による物質循環系の形成
①
水循環の制御による地域社会への貢献
洪水防止
②
土砂崩壊防止
土壌侵食(流出)防止
河川流況の安定
地下水かん養
環境への負荷の除去・緩和
水質浄化
有機性廃棄物分解
大気調節(大気浄化
気候緩和など)
資源の過剰な集積・収奪防止
(2) 二次的(人工の)自然の形成・維持
①
新たな生態系としての生物多様性の保全など
生物多様性保全
②
遺伝子資源保全
野生動物保護
土地空間の保全
優良農地の動態保全
みどり空間の提供
日本の原風景の保全
人工的自然環境の形成
3 生産・生活空間の一体性と地域社会の形成・維持
(1) 地域社会・文化の形成・維持
①
地域社会の振興
②
伝統文化の保存
(2) 都市的緊張の緩和
4
①
人間性の回復
②
体験学習と教育
分析の結果
4.1.
洪水防止
機能の説明:
水田は雨水を一時的に貯留することで,治水ダムのよう
に,洪水防止に貢献している。
答申・
付属資料
評価方法の概要:
農政局別に「水田や畑の有効貯水量」と「有効貯水量
当たりのダムの減価償却費+ダムの維持管理費」の積を求め,最後に合計
している(代替法)。
評価額:
著者らの
試算
3兆4988億円/年
改善案1(有効貯水量に関する仮定を修正): 6335億円/年
改善案2(改善案1+比較対象を森林に): 242億円/年
-3-
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問題点:
3つの問題点が見つかった。第1に,受益者が存在しないもの,例えば,図1の
ような下流部が無人の水田,海岸付近の丘陵地の水田などが除外されていなかった。国民
負担を多面的機能への対価と位置づけるのであれば,受益者が存在しないものは除外すべ
きである。ただし,排水機場が必要になるほどの低平地の水田については,受益者が存在
しないものが除外されていた。むろん,低平地水田のすべてが除外されていたという意味
ではない。
第2に,3兆4988億円/年という評価額は,機能が無い状態,すなわち,雨水が一切貯留さ
れない状態に対するものであった。これは非現実的な状態であり,農業以外の土地利用と
比較したことにはならない。前述のように,国民負担を正当化するための議論においては,
農業以外の土地利用,しかも現実的な土地利用との比較検討が不可欠である。
第3に,水田には畦畔の高さまで雨水が貯留されると仮定していたが,これは著しく非現
実的なものである。雨が激しいとき,農家は田に水を張らないからである(宇根*8)。水
田の有効貯水量の推計値は,著しく過大になっていると考えられる。
改善案1:
水田には畦畔の高さまで雨水が貯留されるという非現実的な仮定を改める。
仮に水が貯留されたとしても,5cm~10cm 程度*9であろう。ここでは整備田,未整備田を
区別せず,一律7.5cm と仮定する。また,畑については放棄されても大きな変化はないと
思われるため,評価から除外する。この2点を改善すると,全国の水田の有効貯水量は11億
m3となった*10。
一方,付属資料は,畑を含めて,全国の有効貯水量59億 m3に対するダムの費用(減価償
却費+維持管理費)を,3兆4988億円/年と評価している。有効貯水量1m3当たりでみると,
年間596円である(全国一律)。この値を用いて,11億 m3に対するダムの費用,すなわち,
洪水防止機能の評価額を求めると,6335億円/年となった。
なお,最大水深を7.5cm から1cm 引き下げると,評価額は4927億円/年に,1cm 引き上げ
ると7743億円/年になった。最大水深に関する厳密なデータがない状況にあって,これらの
評価額は,非常に低い精度であることを明記しておく。
また,これらの評価額も,機能が無い状態に対するものであることに変わりはない。農
業以外の土地利用と比較すれば,評価額は大きく低下する。受益者が存在しないものを除
外すれば,さらに低くなるであろう。
改善案2:
森林に対する水田の洪水防止機能の評価額を求める。付属資料は,森林の洪
水緩和機能の評価額を,機能がほとんど無い状態に対して,6兆4686億円/年とみている。
今,この評価には大きな問題はないと仮定する。森林面積を2509.7億 m2とすると*11,1m2
当たり,年間26円である。そして,この値に評価対象の水田面積 *12 を掛け合わせると,
6093億円/年となった。これが森林に置き換えたときの評価額である。
改善案1の評価額は,機能が無い状態に対して,6335億円/年であったが,森林と比較し
た場合,すなわち,改善案1の評価額から森林に置き換えたときの評価額を差し引いた場合
-4-
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は,242億円/年に低下した。受益者が存在しないものを除外すると評価額がさらに低くな
る点は,改善案1と同様である。
なお,ここでは比較対象として森林を選択したが,これが最適ということではない。草
地や湿地と比較する場合の評価方法も必要である。
4.2.
河川流況の安定
機能の説明:
水田から地下に浸透した水の一部は,時間をかけて河川に
向かう。つまり,利用ダムのように,河川の水量の安定に貢献している。
答申・
付属資料
評価方法の概要:
農政局別に「地下を経由して河川に戻る水の量(開発
流量)」と「開発流量当たりのダムの減価償却費+ダムの維持管理(年
間)」の積を求め,最後に合計している(代替法)。低平地以外の水田が
対象となっている。
評価額:
1兆4633億円/年
著者らの
改善案1(比較対象を草地に): 5027億円/年
試算
改善案2(比較対象を森林に): 9468億円/年
問題点:
3つの問題が見つかった。第1に,水資源かん養という点でみたときの負の効果,
すなわち,①取水時の河川水などの減少,②農薬などの地下水汚染が一切考慮されていな
かった。つまり,1兆4633億円/年という評価額は過大であると考えられる。なお,アメリ
カにおいては,農林業の環境保全ではなく,環境破壊のほうが注目されているという*1。
環境破壊に注目するという点については,わが国も見習うべきであろう。
第2に,洪水防止機能の場合と同様,受益者が存在しないものが除外されていなかった。
利用されることなく,そのまま海に向かう水も少なくないはずである。図1のように,下
流部が無人の場合,洪水防止機能だけでなく,河川流況の安定機能の受益者も存在しない。
第3に,1兆4633億円/年という評価額は,機能が無い状態,すなわち,水田から地下を経
由して河川に向かう水の流れが一切存在しない状態に対する評価額であった。これは非現
実的な状態であり,農業以外の土地利用と比較したことにはならない。
なお,河川還元率,すなわち,地下に浸透した水のうち,河川に向かう割合については,
利根川水系のものを全国にあてはめている可能性がある。そうであれば,開発流量の精度
は,かなり低いと思われる。ただし,原典が確認できなかったため,今回,問題として指
摘することは見送る。
改善案1:
草地に対する水田の機能の評価額を求める。この場合,かんがい用水,すな
わち,外部から流入する水はなくなり,水の供給は雨水だけとなる。前述の負の効果,水
質汚染などの問題は消滅する。草地からの地表水の流出はないと仮定すると,全国の水田
を草地に置き換えたときの開発流量は,409m3/秒となった*13。
-5-
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一方,付属資料は,全国の開発流量623m3/秒に対するダムの費用を1兆4633億円/年と評
価している。開発流量1(m3/秒)当たりでみると,年間23億円である(全国一律)。この値
を用いて,409m3/秒に対するダムの費用,すなわち,草地の機能の評価額を求めると,
9606億円/年となった。ただし,これは機能が無い状態に対する評価額である。
水田の機能の評価額は,機能が無い状態に対して,1兆4633億円/年であったが,草地と
比較した場合は,5027億円/年に低下した。なお,前述の負の効果,水質汚染などを考慮す
ると,評価額は大きく低下する。受益者が存在しないものを除外すると,評価額はさらに
低下するであろう。
改善案2:
森林に対する水田の機能の評価額を求める。付属資料は,森林の水資源貯留
機能の評価額を,機能がほとんどない状態と比較して,8兆7407億円/年と評価している。
森林1m2当たりでみると,年間35円である。そして,この値に水稲作付面積*14を掛け合わ
せると,5165億円/年となった。これが森林に置き換えたときの評価額である。
水田の評価額は,機能がない状態と比較して,1兆4633億円/年であったが,森林と比較
した場合は,9468兆億円/年に低下した。負の効果などを考慮すると評価額がさらに低くな
る点は,改善案1と同様である。
参考:
付属資料の評価額は,水田単独ではなく,水田とかんがい施設をあわせた場合の
評価額とみるべきである。参考のため,水田に直接降った雨水が作り出す開発流量と,そ
の評価額を求める。
水田が消費した水(土壌浸透+蒸発散)に対する雨水の割合は,27.6%となった*15。そ
れ以外は外部から流入した水,すなわち,かんがい用水の割合である。付属資料の開発流
量は623m3/秒であるが,このうち雨水が作り出したものは172m3/秒,全国一律のダムの費
用でみると4040億円/年となった。これは機能が無い場合と比較した場合の評価額であるが,
草地や森林のものより低い。評価額は負の値で,草地に対して,-5566億円/年,森林に対
して,-1125億円/年となった。
4.3.
地下水かん養
機能の説明:
答申・
付属資料
評価方法の概要:
「水田から浸透した水(地下水)のうち,農業以外に
利用された量」と「地下水割安額」の積を求めている(直接法)。これは
地下水を利用することで節約された水の使用料に相当する。
評価額:
問題点:
水田の水は地下に浸透して地下水になる。
537億円/年
2つの問題が見つかった。第1に,河川流況の安定機能と同様,水田による水質
汚染などが考慮されていなかった。負の効果を考慮すれば,評価額は低下する。第2に,
537億円/年という評価額は,機能が無い状態,すなわち,地下への水の浸透がない状態に
-6-
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対するものであった。草地や森林であっても,雨水は地下に浸透して,その一部は地下水
となる。これらと比較した場合の評価額を求めれば,かなり低くなると考えられる。
4.4.
土壌侵食防止
機能の説明:
答申・
付属資料
ように,土壌の浸食を防止している。
評価方法の概要:
「耕作放棄による土壌侵食増加量」と「計画貯砂量当
たり砂防ダム工事費」の積を求めている(代替法)。
評価額:
問題点:
水田に蓄えられた水,畑に植えられた植物は,砂防ダムの
3318億円/年
受益者が存在しないものが除外されていなかった。例えば,下流部が無人の場
合,土壌侵食防止機能の受益者は存在しない。
3318億円/年という評価額は,耕作放棄地に対するものであった。つまり,洪水防止機能
などの評価方法とは異なり,現実的な土地の状態と比較していた。ただし,具体的な状態
は明記されていなかった。耕作放棄地は,放棄直後は裸地であろうが,草地や森林に変化
する。どの時点を評価するにしても,具体的な説明が必要である。
なお,水田の場合,代かき・田植え時に,かなりの土壌が流出する。例えば,琵琶湖の
濁水問題は,水田が引き起こす環境問題として有名である。ただし,今回,そのような負
の効果が考慮されているかどうかは確認できなかった。土壌侵食防止の評価方法に限られ
たことではないが,計算の省略など,付属資料には説明不足が多いことを付け加えておく。
4.5.
土砂崩壊防止
機能の説明:
答申・
付属資料
べりなどの防止に貢献している。
評価方法の概要:
耕作放棄されることで増加する「地すべり災害」の被
害額を算出している(直接法)。
評価額:
問題点:
水田は地下水位の急激な上昇を防いでいる。つまり,地す
4782億円/年
4782億円/年という評価額は,具体的な状態は明記されていなかったが,耕作放
棄地に対するものであった。耕作放棄地についての具体的な説明が必要である点は,土壌
侵食防止機能の場合と同様である。
ただし,土砂崩壊防止機能については,これまでとは別の角度から,問題点を指摘して
おく。この評価で取り上げられている「地すべり」の面積は,あまり広くない*16。受益者
が限定的であるとすれば,土砂崩壊防止機能のすべてを公益的な機能とみなすことは難し
いのではないか。公益的な機能とみなすことができるものに限定した場合,評価額はかな
り低下するであろう。
-7-
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4.6.
有機性廃棄物処理
機能の説明:
答申・
付属資料
ている。つまり,ゴミの処分場のような働きがある。
評価方法の概要:
「農地還元される廃棄物などの量」と「処理容積当た
り最終処分場建設費」の積を求めている(代替法)。
評価額:
問題点:
農地には肥料として有機性廃棄物(し尿など)が投入され
123億円/年
123億円/年という評価額は,有機性廃棄物の処理能力がまったくない状態に対
するものであった。ただし,物質循環という点まで考慮すれば,自然の草地や森林の処理
能力は低いと思われる。今回は,これらと比較した場合の評価額とみなす。有機性廃棄物
処理の評価方法については,大きな問題は見られなかった。
4.7.
気候緩和
機能の説明:
答申・
付属資料
同じような効果がある。
評価方法の概要:
気温の低下によって節約された冷房電気料金を算出し
ている(直接法)。
評価額:
問題点:
水田に張られた水は,周囲の気温を下げている。打ち水と
87億円/年
水田による気温低下は1.3℃となっているが,サンプル数が非常に少なく*17,全
国にあてはめることには,かなりの無理があると判断する。
87億円/年という評価額は,市街地に対するものであった*17。この先,市街地に変化する
水田は,おそらく少数であろう。確かに,現実的な土地利用と比較しているが,市街地と
比較することに大きな意味があるとは思えない。
4.8.
人間性の回復(保健休養・やすらぎ)
機能の説明:
農地は,訪問者にうるおいとやすらぎを与える。
評価方法の概要:
「農村での保健休養を目的とした旅行支出額(1世帯
答申・
当たり)」と「都市部世帯数」の積を求めている(家計支出)。なお,こ
付属資料
の機能については,農業だけの評価額ではない。農村全体の機能の評価額
とみるべきである。
評価額:
問題点:
2兆3758億円/年
2兆3758億円/年という評価額は,農村での保健休養を目的とした旅行が無い状
態に対するものであった。これでは現実的な土地利用と比較したことにはならない。ある
場所から農林業が完全に消滅しても,その場所への旅行者がいなくなることはない。この
ような最悪に近い状況と比較しても,評価額は,かなり低下するであろう。
-8-
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4.9.
まとめ
分析の結果を表1にまとめた。現時点で,国民負担を正当化するための議論に使用でき
そうなものは,有機性廃棄物処理(123億円/年)だけであった。洪水防止機能と河川流況
の安定機能については改善案を示した。改善案にも問題は残されているが,付属資料の評
価額より,大幅に低くなった。
表1 分析結果一覧
①
②
④
負
受
技
の
益
③農業以外の土地利用
術
効
者
との比較
的
付属資料の
著者らの改善案
評価額
の評価額
億円/年
億円/年
果
仮
定
洪水防止
34988
河川流況の安定
14633
×
地下水かん養
537
×
土壌侵食防止
3318
土砂崩壊防止
4782(5)
有機性廃棄物処理
気候緩和
人間性の回復(7)
×
×
×
×
×
6335(1), 242(2)
5027(3), 9468(4)
×
×
△耕作放棄地
△耕作放棄地
自然の草地や森林(6)
123
市街地
87
×
×
23758
①負の効果が考慮されているか,②受益者が存在しないものが除外されているか,③農業以外の土地利用と比較
しているか(現実的な土地利用と比較している場合は,その名称を記すが,説明不足であれば△印がつく,非現
実的な状態と比較している場合は×印),④技術的な仮定に大きな問題はないか。①,②,④については,大き
な問題が見つかった場合に×印。無印は問題がないという意味ではない。
(1)有効貯水量に関する仮定を修正。(2)有効貯水量修正+比較対象を森林に。(3)比較対象を草地に。(4)比較対象を
森林に。(5)公益的な機能とみなすことができるものに限定した場合,評価額はかなり低下するであろう。(6)物質
循環という点を考慮して,自然の草地や森林と比較したとみなした。(7)農業だけの評価額ではない。
5
多面的機能評価を活用するために
本稿は,多面的機能を,現状維持に対する国民負担の根拠とすることを念頭に置いて,
機能の評価方法の問題点を指摘した。前述のように,現時点で現状維持を肯定するために
使用できそうな評価は,有機性廃棄物処理についての評価だけであった。これらの結果は,
農業の多面的機能を活用して,まち・むらづくりを進めようとするかたにとって,歓迎で
きないものかもしれない。
なお,本稿は,多面的機能を維持するための公的な負担についての是非を論じたもので
-9-
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あって,多面的機能が無いといっているのではなく,また,多面的機能を守るための私的
な取り組みを否定しているものでもない。
第2章で触れたように,多面的機能の評価は,農業以外の土地利用の維持に対する国民負
担を正当化する際にも使用できる。農業を維持するとしても,農業以外も含めた土地利用
の再構築を目指すとしても,多面的機能の評価方法については,いまいちど見直す必要が
ある。
注
*1
栗山浩一「農林業政策における環境評価の役割」『林業経済研究』46(1),69-74,2000
*2
耕作放棄地の増加等により多面的機能の低下が特に懸念されている中山間地域等において,農業生産
の維持を図りつつ,多面的機能を確保するという観点から,国民の理解の下に,直接支払を実施する(農
林水産省『中山間地域等直接支払制度骨子(平成11年8月
中山間地域等直接支払制度検討会)』1999)
*3
速水佑次郎・神門善久『農業経済論
新版』岩波書店,pp.290-295,2002
*4
日本学術会議『地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について(答申)』
2001
三菱総合研究所『地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価に関する調査研
*5
究報告書』(日本学術会議『地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について
(答申)』の関連付属資料)2001
*6
農林水産省,愛知県農林水産部,新潟県農地部,吉野側北岸土地改良区など。
*7
農林水産省・農村環境整備センター『21世紀への提言
Solution
農業・農村の多面的機能を見直そ
う』
*8
宇根豊「「生物多様性」と「多面的機能」を百姓は実感できるのか」『日本作物学会紀事』69,277-
285,2000
*9
畦畔には必要以上に水がたまらないように切れ込みが入っている。その部分の高さは,5cm~10cm 程
度である(京都府の農家の話)。
*10
有効貯水量=(最大水深7.5cm-平均湛水深3cm)×評価対象の水田面積23,640km2。評価対象の水田
面積=全水田面積24,850km2-低平地水田面積4,842km2+低平地水田面積×洪水防止機能受益率0.75。全水
田面積(本地面積)は,2000年の全国の値(農林水産省『耕地及び作付面積統計・長期累年』2007)。低
平地水田面積は,別の資料の値を使用(農業総合研究所「農業・農村の公益的機能評価検討チーム」『代
替法による農業・農村の公益的機能評価』1998)。
*11
林野庁『平成23年版
森林・林業白書』全国林業改良普及協会,2011
*12
注10の「評価対象の水田面積」と同じ,23,640km2。
*13
開発流量=地下に浸透する雨水の量545(m3/秒)×河川還元率0.75。地下に浸透する雨水の量=(降水
量4.63(mm/日)-蒸発散量1.45(mm/日))×低平地水田以外の水稲作付面積14,830km2÷(24時間×60分×60
秒)。降水量は全国の値(国土交通省水管理・国土保全局水資源部『平成23年版日本の水資源』2011),
1,690mm/年→4.63mm/日。蒸発散量は草地のもので,近藤が既往の文献から集めたデータ(第1表の33~35)
の平均(近藤純正「蒸発散量と降水量の気候学的関係―研究の指針」『天気』45(4),269-277,1998)。
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低平地水田以外の水稲作付面積は,別の資料の値を使用(農業総合研究所「農業・農村の公益的機能評価
検討チーム」『代替法による農業・農村の公益的機能評価』1998)。
*14
注13の「低平地水田以外の水稲作付面積」と同じ,14,830km2。
*15
雨水はすべて水田で消費されると仮定する。(降水量5.77(mm/日)÷水田減水深20.9(mm/日))×100。
4~9月の183日をかんがい期間とする。その期間の降水量は,観測点の平均で,1056mm(国立天文台『理
科年表
平成23年(机上版)』丸善,2010),つまり,5.77mm/日。水田減水深(水田が消費した水)は,
20.9mm/日(整備田22.8と未整備田19.0の平均)。
*16
地すべりの面積は,最大級でも100ha であり(斜面防災対策技術協会ホームページ),1集落の平均
面積239.8ha よりも狭い(農林水産省『2000年世界農林業センサス・第9巻』)。なお,地すべりの移動速
度は0.01~10mm/日程度(同ホームページ)であり,いわゆる「がけ崩れ」とは,まったく異なる。がけ
崩れの面積は,地すべりよりも狭い。
*17
農業環境技術研究所「都市近郊水田の夏期最高気温低減効果」『農業環境研究成果情報』13(平成8
年度成果),1997(http://www.niaes.affrc.go.jp/sinfo/result/result13/index.html)
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