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前期B日程選択科目「倫理」(PDF

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前期B日程選択科目「倫理」(PDF
平成25年度前期入学試験
倫 理
試験期日
平成25年2月2日
試験時間
60分
問題数
5問
注意事項
1.試験開始の合図があるまで,この冊子を開かないこと。
2.解答は黒鉛筆を使用すること。
3.解答用紙に受験番号,氏名を忘れずに記入すること。
4.解答は解答欄に記入すること。
5.賦験終了後,問題冊子は持ち帰ること。
40-47
(1)
I
一
と一ノ
倫理解答用紙
受 験 番 号
氏 名
0101010
■’1111日
0101100
DIIOII■
■■□●■︽■■■■︽■守凸■
’︶
[2月2日]
、
_
ノ
第1問
問1
問2
問5
問6
問9
問3
問4
問7
問8
F
p
^
I
O
第2問
問1
問3
問2
問4
問5
(a)
(b)
(c)
(d)
問6
第3問
問1
著 者
著作名
『
』
問2
第4
(
1
)
(
2
)
(
3
)
(
4
)
(
5
)
(
6
)
(
7
)
(
8
)
(
9
)
(
1
0
)
第5
問1
問2
問3
評 点
ととなった。そして彼の弟子であった[豆]は、知識の対象として、⑨蝋
倫 理
第1問
によっては捉えられない永遠不変の真の存在を唱えることで、知識の確実性を
説明しようとした。さらに[豆]の弟子であった⑩アリストテレスも、師の
次の文章をよく読んで、問1∼問10に答えなさい。
影響を受けつつ、知識やその対象に関して独自の思想を展開した。
以上のような古代ギリシアにおける哲学的思索は、その後の西洋思想史にお
その本当のあり方を知りたいという根本的欲求に根差した精神的営みが、古来
11
西洋世界において、我々人間が自分自身と自分自身を取り囲む世界について、
けるものの「見方」の探求にとって、決定的な方向性を与えることとなったの
である。
よりphilosophia(哲学)と呼ばれている。そしてこのことは、哲学が人間や
世界に対する我々の「見方」そのものへの問いを含んでいることも意味してい
間1①に入る人物名をカタカナで答えなさい。
る。以下、ものの「見方」をめく、り、西洋哲学の故郷であるとされる古代ギリ
シアにおいていかなる思索がなされたのかを振り返ってみよう。
問2②に入る人物名をカタカナで答えなさい。
人類の発展と共に、世界や、世界の中で生きる人間のあり方は、先ずさまざ
まな「神話」によって描かれるようになった。西洋文明の源泉と言われる古代
問3下線部③をギリシア語で何と呼ぶか。カタカナで答えなさい。
ギリシアもその例外ではない。古代ギリシアを代表する伝説の詩人回の
作とされる『イリアス』にも、人間の運命は神々によって左右されるという「神
間4④に入る人物名をカタカナで答えなさい。
話的世界観」が示されている。その後古代ギリシアでは、今日一般に「自然哲
学」と称される原初の哲学が発生し、これが西洋世界における合理的・論理的
問5⑤に入る言葉は何か、文の形で答えなさい。
思考の萌芽であると評価されている。たとえば、自然哲学の祖であると伝えら
れる[蔓]は、⑥唾幽塑を『水』であると説いたとされ、その後万物の
究極の構成要素を『原子」(アトム)であると主張する[豆]などが現れた。
問6下線部⑥の人物について、関係のないものを、以下のa∼dの中から一
つ選び記号で答えなさい。
紀元前5世紀から4世紀にかけて、当時の政治的・文化的中心都市であった
アテネにおいて古代ギリシア思想は大きな展開を見せる。当時アテネにおいて
a.「汝自身を知れ」
b・問答法
職業的教師(ソフイスト)として名をはせていたブロタゴラスは、「[豆]」
c・知性的徳
d・魂の世話
と唱えることで、もののあり方や価値を測る絶対的な知識の可能性を否定した
とされるが、同時にこうした主張は、真理と知識の絶対性をめく・り多くの思索
問7下線部⑦のような考えは一般に何と呼ばれるか。漢字で答えなさい。
を呼び起こすことにもなった。西洋倫理学の祖と評されることもある⑥ソクラ
ヱ皇は、⑦人間が善き生を送れるか否かは、もっぱら知識の有無にかかってい
問8⑧に入る人物名をカタカナで答えなさい。
ゑと主張し、人間の本質の探究を通して、普遍的な知識の意味を改めて問うこ
(4)
(5)
間9下線部⑨は何と呼ばれているか。カタカナで答えなさい。
第2間
次に挙げる(a)(b)(c)(d)の哲学者に関して、以下の問1∼問6に答えな
さい。
問10下線部⑩の人物によるとされる著作名を一つ答えなさい。
(a)ミル(リカント(c)ハイデッガー(d)デカルト
Fp^1(a)(bXc){d)の哲学者を、彼らの生没年に着目し、古い方から順に並べなさ
い。
問2次の(イ)∼(タ)のうちからmmの哲学者の著作をそれぞれ一つずつ、
また(dの哲学者の著作を二つ選びなさい。
『功利主義』
(
ハ
)
『プラグマティズム』
(
ホ
)
『純粋理性批判』
(
ト
)
『人間の条件』
(
リ
)
『道徳形而上学原論』
(
ル
)
『存在と時間』
(
ワ
)
『パンセ』
(
ヨ
)
『精神現象学』
j
j
ロI
ニj
ヘl
チj
ヌj
ヲj
力j
タ
く
I
I
I
く
く
く
(
イ
)
『エチカ』
『社会契約論』
『方法序説』
『随想録』
『哲学の改造』
『存在と無』
『死に至る病』
r単子論』
R3(a)の哲学者の説明として正しくないものを次の (イ)(ロ)(ハ)から一つ選
びなさい。
(イ)快楽には、低級なものと高級なものという、質的差異があると主張し
た
。
(ロ)世間の人々から与えられる非難などの外的制裁によって利己心を統
制することが重要であると主狼した。
(ハ)『自由論』を著し、思想・言論の自由の必要性を論じた。
(6)
(7)
間4(dの哲学者の説明として正しくないものを次の(イ) (ロ)(ハ)から一つ選
第3間
次の文章をよく読んで、下の問に答えなさい。
びなさい。
いろいろな事実について真の信念をもつことが人間生活にとって重要である
(イ)ルソーの著作を読むことで、因果律が支配する物体の実在を疑うよう
ことはあまりにもわかりきったことである。私たちは様々なもの、つまり諸実
在が限りなく有用とも限りなく有害ともなりうるような世界に生きている。そ
になった。
(ロ)感覚に与えられる現象の原因としての物自体は知ることができない
れらの実在のどれに望みを託するべきかを私たちに告げてくれる観念が、真理
化の最初の領域において真の観念と見なされるのであり、そのような観念を追
と考えた。
(ハ)「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」と考えた。
求することが人間の第一の義務である。真理を所有するということは、この場
合それ自身で目的であるどころか、他の必要な満足を得るための予備的な手段
R5(c)の哲学者の説明として正しくないものを次のK)(ロ)(ハ)から一つ選
であるにすぎない。もし私が森の中で道を見失って餓死しようとしているとき、
牝牛を通らせる小道らしいものを発見したとすれば、その道をたどっていけば
びなさい。
その終点に人の住み処があるに違いないと考えるのは、極めて重要なことであ
(イ)フッサールの現象学の影響を強く受け、存在の現れ(現象)の探究を
始めた。
る。なぜならば、私がそう考えてその道に従っていけば私は我が身を救うこと
になるからである。このぱあい真の観念が有用であるのは、その思考の対象が
(ロ)存在の意味について関心を抱く人間独自のあり方を「現存在」と呼び、
単に存在するだけの事物から人間を区別した。
(ハ)「現存在」としての人間の本質を自由そのものであるとみなし、「人
間は自由の刑に処せられている」と表現した。
有用だからである。このようにして真の観念の実際的価値は、第一義的には、
その対象が私たちに対して有する実際的な有用性に由来する。確かに、観念の
諸対象がいつも重要であるわけではない。他の場合には私は家を必要とはしな
いかもしれないのである。そのような場合には、家の観念は、たとえ真理化さ
れようとも、実際的には的はずれなものであって、むしろ隠れて見えないでい
Fp16(d)の哲学者の説明として正しくないものを次のKMロ)(ハ)から一つ選
一
びなさい。
る方がよいのである。けれどもたいていはどんな対象もいつかは一時的に重要
となることがあるのだから、さしあたりは余剰である真理、つまり事情によっ
ては真理になるかもしれないというだけの観念を広く蓄えておくことの利益は
(イ)人間につきまとう偏見や誤解をイドラと呼び、これらを徹底して疑う
いうまでもない。私たちはそのような余剰の真理を記憶の周辺に蓄えている。
自分の参考書をそのようなありあまる蓄えで満たしているということである。
ことをはじめた。
(ロ)一切のことを疑ってみた結果、「われ思う、ゆえにわれあり」という
真理がきわめて確実であることに気づいた。
(ハ)「考えるわれ」の存在を第一原理として、そこから演繰法によって、
確実な真理を導こうと試みた。
(8)
そのような真理は実際にいざ必要となると、それは冷蔵庫から取り出されて現
実世界で働き出すことになり、それに対する私たちの信念が活動し始める。そ
のとき、その真理について、「それは真理であるから有用である」とも言えるし、
また「それは有用であるから真理である」とも言える。これら二つの言い方は
(9)
正確に同じことを、すなわち、それこそは充足され真理化されうる観念だ、と
いうことを意味している。真とは、どんな観念にせよ真理化の過程を始めさせ
第4間
次の文章をよく読んで、空欄(1)∼側に入るぺき用語を解答欄に記入
しなさい。
るような観念の名前であり、有用とは、その観念が経験のうちでその作用を完
成したことを表す名前なのである。
およそ紀元前九世紀の頃、アーリア人の部族は北インドの平原地帯をわたっ
(桝田啓三郎訳を一部改変)
問1この文章の著者、及び著作名を書きなさい。
て[画.河流域へとゆっくり移住を続けていた。紀元前七世紀の末頃には、
アーリア人は非アーリア人に互して匝.河流域をすでに占領していた。彼
らは組織されて、いくつかの従属国家もしくは独立国家へと分かれていった。
アーリア人は、自分たちの占領した地域のまだ流動的な社会的秩序の中で、
問2この文章が全体として主張している考え方はどういうものであるのかを
200字以内で論述しなさい。
上層を占めていた。彼らの下には非アーリア人がいた。この階級区分は厳しく
圃定したものではなかったが、つぎの四つの階級のなかでは司祭のく[豆]〉
が断然高い地位にいた。つまり、司祭階級のく[豆。>、その大部分が戦士
であった統治階級の王族くラージャニヤ>もしくは士族<r亘.>、職人や
農民からなる庶民階級くに豆]>、非アーリア系の原住民だったと考えられ
ている奉仕階級く[豆]>の、四つの階級がそれである。
こうした階級区分を信奉するくカースト制度〉は、ヴェーダ聖典の讃歌から
も支持と宗教的認可を受けていた。
ヒンドゥー教の経典には、主として二つのカテゴリーがある。〈シュルティ〉
すなわちく聴いて得たもの(天啓聖典)〉と、〈スムリティ〉すなわちく伝統も
しくは記憶さるべきもの(聖伝文学)〉とがそれである。『ヴェーダ』と
『[亘]』は、シュルティのカテゴリーに入る。これら聖なる著作は神から
の霊感にもとづくもので、〈リシ〉と呼ばれる古代の聖仙たちを通じて人類に啓
示されたものだと考えられている。
シュルティのテキストは、どれもがヒンドゥー教の基盤の重要な一部をなし
ている。四つのヴェーダ聖典が、最古のテキストとして、ヒンドゥー教第一の
教典となっている。これらの書物の正確な年代を割り当てることは困難である。
というのも、多くのものが数世紀にわたる口承の伝統を通じて少しずつ編み上
げられてきたからである。それらが文字に記されるようになったのは、それら
(10)
(11)
がこの世に現れてずっと後になってからのことでしかない。四ヴェーダの一つ
第5間
次の文章を読み、下の問に答えなさい。
には、神々への讃歌、詠唱、頒歌が収められている。
シュルテイ文書の最後のものに当たる奥義書『田]』が書かれたのは、
およそ紀元前七CO年から五○○年の間である。<r画。>という言葉には、
秘密の教えを伝授してくれる精神的導師・グルのく近くに坐する〉という意味
た い じ ● う い わ な り
体充問ふて日く、学問はよきもの也。しかれどもおほくはいらざること>芸
ぞんじそうろう
これ
人おほし。是はきこえたるやうに存候はいかず。
rとうが
師の日く、それはにせのがくもんをすきて心だて行儀むざとなる人あるを見
があり、『に画。』は、ほとんどすべてが学生と教師の対話という形式で書
かれている。実に、『に画。』の教えの多くは、ヒンドゥー教を支える恒常
不変の要素となるべき定めにあった。なかでも最も重要なのは、回(人間
也といふがごとし。正真の学問は食物をにる火、燈のごとくなれば、すこし
の行為は、やがて今生もしくは来世で、一つの結果を結ぶであろうこと)、
にては用に立がたし。にせの学問は家をやく火のごとくなれば、少しにてもわ
回(生まれ変わり、ないし霊魂が果てしなく誕生・再生を繰り返すこと)、
そして[瓦](果てしなき[画]からの解放)である。またこれに加えて
『
[
亘
]
』
で
は
、
個
人
の
魂
く
ア
ー
ト
マ
ン
>
と
宇
宙
の
魂
く
[
画
]
>
の
性
質
や
、
て、さやうのあやまりたるとりさたをなせり。それはたとへぱ家のやけたるを
見て、火はよきものなれどもすこしもちいたるがよし、おほくはいらざるもの
ともしび
たち
にせ
ざわひになるものなり。贋のがくもんをしてあしくなる人を見て正真のがくも
にる
んをきらふは、家をやく火をみて食物を烹火、ともしびをきらふにことならず。
このたとえ
と《Lん
此替にてよくよく得心あるべし。('翁問答』)
両者の関係の性質などが問われた。これらの問題は、ヒンドゥー教の発展と実
践において重要な役割を果たしてきた。
(M.B.ワング著、山口泰司訳『[シリーズ世界の宗教]ヒンドゥー教』より)
(12)
注・体充=師と問答している弟子の名前。
・むざとなる=いいかげんである。
(13)
。きこえたる=理解できる。
。とりさた=うわさ、評判。
問1この文章を著した中江藤樹に関する説明として最も適当なものを、次の
●
A∼Eから一つ選び、解答欄に記号で答えなさい。
ばつと
A上下定分の理を具体化した礼儀法度の厳守を説き、徳川幕藩体制にお
ける身分制度の確立に貢献した。
あなど
B父母に対する孝を人間関係の基本原理とし、上の者を敬い下の者を侮
らない愛敬の心で他者に接するべきことを説いた。
C孔子の教えの根本を仁・愛ととらえ、自分に対しても他者に対しても
偽りのない誠の心を日常生活で実践することにより、仁の実現を目指し
た
。
Bとけいむ●うり
D朱子学を信奉して居敬窮理の厳格な実践を説き、のちに儒学の理論に
よって日本の神を説明する独自の神道説を創った。
いつくんばんみん
E一君万民をとなえることによって幕藩体制に一石を投じ、私を滅して
忠を尽くすべきことを説いた。
問223歳のときに中江藤樹の門人となり、のち岡山藩主・池田光政に仕えて
治績をあげた、陽明学者としても名高い人物の名を、次のA∼Eから一つ
選び、解答欄に記号で答えなさい。
A熊沢蕃山
B山鹿素行
D石田梅岩
E富永仲基
C大塩平八郎
問3この文章で説明されている「学問」についての考えを、100字程度にまと
めなさい。
(14)
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