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中国少数民族神話から見た 「鏡訪イ云説」 の原型 斧 原 孝 守

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中国少数民族神話から見た 「鏡訪イ云説」 の原型 斧 原 孝 守
 ち ま と
も
中国少数民族神話から見た「餅的伝説」の原型
斧 原話守
1、はじめに
驕った長者が餅を的にして射たために没落したと説く餅的伝説」は、いわゆる長者
没落諄の一型である。古く奈良時代の『風土記』にみえ、中世の文献にも記録されてい
るほか、現代に至っても土地の伝説として各地に伝承されている。周辺諸国の文献や伝
承中にも類話は知られていないから、「餅的伝説」は古代以来連綿と語りつがれてきた日
本独自の伝説といってよいであろう。
だがこの伝説には、長者没落諄として固定する前に、もうひとつ前の姿があったよう
に思われる。私は中国の少数民族が伝承する神話の世界を通して、ここにその姿を追っ
てみることにしたい。いかにも日本的な古伝説の背後にも、東アジア的な大きな文化の
流れがあることを考えてみたいからである。
2、『豊後国風土記』の「餅的伝説」
「痴話伝説」の初出は、奈良時代に筆録された『豊後国風土記』である。その速見郡
の条には次のようにある。
昔者、郡内の百姓、此の野に居りて、多に水田を開き、糧を余して、畝に留め、大
きに己が富に奢り、餅を作りて的と為しき。時に、餅、白き鳥と化はりて、発ちて
南に飛びき。当年の問に、百姓死に絶えて、水田を造らず、遂に荒れ廃てたりき。
時より以降、水田に宜しからず。今、田野といふ。これその縁なり寧玉。
類話は鎌倉時代の『塵袋』にも同国面出郡の伝説としてみえη、また口承でもいくつか
の例がある。富山県下新川郡の伝説では宇奈.月町の下立の長者の話になっている。娘が
板東長者への嫁入りが決まった長者は、七日七晩かかってついた餅を板東長者の家まで
並べ、娘にその上を歩いて行かせる。嫁が歩き始めると餅は次々と白い鳥になって舞い
上がり、娘が板東長者の家に着くと餅は一つも残らなかった。下立の長者の家は衰え、
板東長者も衰えたといデ。ここでは餅を射る趣向が、嫁に餅の上を歩かせたことになっ
ているが、餅が白い鳥になって飛び去り、長者が没落するというのは、『風土記』とまっ
たく同じ構想である。
ところで『豊後国風土記』には、餅と白い鳥に関する、いまひとつの伝承が採録され
ている。それは総説に見える豊後国の由来説話である。
昔者、纏向の日代の宮に御宇しし大足彦の天皇、豊国直等が祖、菟名手に詔したま
ひて、豊国を治夢しめたまひしに、豊前の国の仲津の郡の中臣の村に往き到りき。
時に、日眠れて雨宿りしけり。明くる日の昧爽に、忽ちに白き鳥あり、北より飛び
来たりて、この村に翔り集いけり。菟名手、すなはち僕者に勒せて、その鳥を看し
一25一
めしに、鳥、餅と化為りき。片時の問に、また、芋草数千株と化はりき。花と葉と、
冬に栄えけり材。
この伝承は餅的伝説とは反対に、鳥が餅になり、餅がさらに芋になったと説いている。
芋の要素を除外すれば、ちょうど餅的伝説を裏返しにしたかたちになり、同じ豊後国の
伝えであることからも、この二つの伝承が無関係であるとは考えられない。その基盤に
は餅と鳥の互換をめぐる宗教的な観念があり、餅・(鳥)の飛去による福分の喪失と、鳥
・(餅)の飛来による福分の将来という、表裏の主題によって物語が成り立っている。白
鳥は福分の象徴たる餅の去来を説話的に表現したものであろう。
つとに柳田国男は、餅的伝説の背後に、餅を射る古い儀礼の存在を想定していた5。ま
た「白鳥化餅伝説」については、そこに水嚢田におりる白鷺と芋の膚の白さとの連想を
見たり%、また初期農耕時代の高冷地湿田では、白鳥糞の燐酸分が必須の条件であったた
めに白鳥が米の象徴たる餅になったとするなどη、説話に投影した民俗や生業を探ろうと
する試みもなされている。これはこれで重要な問題である。しかし、餅的伝説や白鳥化
餅伝説が説話というかたちをとっている以上、まずは物語形式の比較分析からどこまで
明らかにできるかを考えてみなければならない。殊にこれらの物語が稲作と深い関係が
あるとすれば、近隣の稲作民族のあいだに類似した伝承を探り、それを一つのモデルと
してこれらの物語の系譜を考えてみることも重要であろう。
松本信弘氏は、インドシナ諸民族における稲魂の観念が、たいへん怒りっぽい、嫉妬
心の強い、驚きやすい性質のものであり、未開時代にさかのぼればそれが動物の形で表
現される場合が多いことから、『風土記』の餅的伝説は「的にされて怒り、その家を飛び
去ってしまう稲の精霊の怒りっぽい性質を一面物語る説話」であると述べている、また
大林太良氏も、稲魂は「大変感じやすく、傷つきやすく、傷つくとすぐに逃亡してしま
う」と説き、餅的伝説をその痕跡であるとしている掌9。つまりは白鳥となって飛び去る餅
に、稲魂逃亡の観念を見ようとするわけである。
実際に東南アジアからインドにかけて居住する民族のあいだには、穀霊の逃亡と回帰
を主題とした多くの神話が伝えられている凡『風土記』の餅的伝説も、広い意味で穀霊
逃亡の観念を示していると言えるであろう。しかしそれは、あくまでも穀霊の逃亡とい
う宗教的観念の次元での一致にすぎず、物語形式の比較としてはさらに対象を限定する
必要がある。
3、「自動米」の神話
東南アジアに広く展開する穀霊の去来を説く神話群の中には、『風土記』の諸説話との
比較のうえで興味深い一群の伝承がある。それが「自動米」と称される神話である寧11。
これは原古にあっては米は自ら人問のところへやって来ていたが、ある時人間の無礼な
行為に怒ってやって来なくなったという、人類の黄金時代の終結を説く神話である。例
えば北タイに住むラワ族の神話は、こうである。昔、米は大きく自分からやって来た。
ある日、怠け者の男が米倉を作らないでいると、米がやってきた。男が米を放り出すと
米は砕けて小さくなり、それから自分で来ることはなくなつだ玉2。このような「自動米」
の神話は、東南アジアだけではなく中国大陸西南から南部の少数民族のあいだにも広く
一26一
知られている。
雲南省平静版納のタイ族の神話では次のようにいう。昔、嬬米は家鴨の卵ほどあり、
斗米も鶏卵ほどあった。米には羽が生えており家に飛んできた。族長の妻が米を自分の
家にだけ呼ぼうとしたが米は嫌がる。妻が米の羽を鞭で打ち落としたところ、米は家に
飛んで来なくなった。やがて女は米が大きすぎて食べるのに苦労すると文句を言う。族
長が米を石で砕いて田に蒔くと、米は現在のように小さい米になつだ13。ここでは米が
飛んで来なくなった訳と、米が縮小した理由を二段に分けて説いている。タイ族にはこ
のほかにも米を打った者を怠け者の男とする異郷もあり、そこでは倉を建てていないの
で帰れといわれた米が文句を言うと、男は棒で米を打ち砕いたことになっている常14。
雲南省羅平県に住むイ族の伝承も二段に分かれている。昔、穀物は鶏卵ほどあって、「穀
霊呼び」をすると、家の穀物囲いにやって来た。ところがある男の妻が穀物を煮るのを
億劫がり、さらに穀物で尻を拭いたりしたため、怒った天神は穀物が自分からやって来
ないようにした。次いで女が穀物を罵倒したため、天神は穀物の籾殻が取れないように
した。そこで妻が乱暴に穀物を揚いたところ、穀物は現在のように小さくなったといゲ15。
穀物じしんの意志ではなく、天神が関与しているところに特徴がある。
雲南のヤオ族の類話では穀霊逃亡の神話になっている。倉にやって来た穀物は、髪を
とかしている女に棒を投げつけられ、怒って天に逃げる。人間が困っているのを見た神
が、雀、猫、犬などを派遣するがみな失敗する。最後に派遣された鼠が穀物を噛んで飲
み込んで帰ってくる。このため穀物は小さくなった串’6。これとほぼ同じ構想の伝承は、
広西壮族自治区に住むトン族にもあり、そこでは穀物に逃げられて困っている人間を見
た山雀が穀物を運んできてくれるが、かみ砕いたので穀物は小さくなったと伝える廓17。
縮小したとは説かないが、女に打たれて逃げた穀物を鼠が持ち帰るという話は雲南省の
プーラン族にもあり寧三8、逃げた穀物を動物が追うという話にも一定の広がりがあったも
のであろう。プーラン族には、女が砕いた穀物を穀神が蒔いたところ、小さい穀物にな
ったという伝えもある事19。
噛斗米」の類話は貴州省にも広がっている。すなわち貴州東部に住む黄平苗族の例
では、次のように言う。昔、穀物は鶏卵ほどの大きさで自分で倉にやって来た。ある年、
穀物がやって来ると怠け者の老婆が倉を掃除しておらず、老婆は早く帰れと罵った。そ
れ以来穀物は倉にやってこなくなり、人々は田に行って刈りとらなければならなくなつ
だ20。ここでは穀物を罵っただけだが、飛んできた穀物を子どもの尿尿を掃く箒で打っ
たという異型も伝わっている寧21。
世話はさらに東の湖北省湘西土家族苗族自治州に住む土家族にもある。昔、五穀は自
分で転がってきた。ある女が髪を結っている時に穀物がやって来たので、我々が背負う
からもう転がってくるなと言う。これより、穀物はやって来なくなったという灘。これ
らはみな少数民族の伝承だが、僅かながら漢族にもこの神話は知られている。広東省の
例である。米は自分から倉に転がって来たが、ある怠け者が倉の門を閉じて居眠りをし
ており、いくら呼んでも門を開けない。そのうち怠け者は、米に向かって明日来い、と
怒鳴ったので、怒った米は動かなくなったという『
このようにしてみると、中国大陸におけるこの神話の分布は、チュアン・タイ語族に
属するタイ族、トン族、ミャオ・ヤオ語族に属する苗族、瑠族、土家族に集中している
一27一
ことが分かる。またモン・クメール語族のプーラン族にもややまとまった分布があり、
雲南省南部にすむチベット・ビルマ語族のイ族や広東省の漢族にも分布している。明ら
かに中国大陸南部の水稲耕作民であるタイ系諸族からミャオ・ヤオ語族に分布の中心が
あり、イ族や漢族の事例はそこからの伝播であろうと思われる。いま、その基本的な形
式を整理すれば、次のようになる。
(1)[巨大米・黄金時代]
(2)[米への無礼な行為]
(3)[米の飛来停止(逃亡)]
(4)[黄金時代の終結]
原古、米は大きく、実れば自分から倉にやってきた。
ある女が米を打つ(または罵る)。
打たれた米は動かなくなる(または逃げてしまう)。
米は現在の大きさになり、刈り取らねばならなくなる。
先述したように、この神話は原古の豊かな黄金時代が没落して現在の秩序が構成され
たと説く、楽園喪失型神話の一型である。巨大米の逃亡が稲魂の逃亡を説話的に表現し
たものであることは間違いあるまい。日本にはいまのところこのような神話は知られて
いないが、私は以下に説くように、『豊後国風土記』に記録された二つの古説話は、この
ような奇跡の米の喪失にまつわる神話に還元されるのではないかと考えている。
4、「自動米」と『風土記』の古説話との比較
『豊後国風土記』にみえる餅米伝説の主題は、餅を的にしたために長者が没落するこ
とであった。これは「自動米」の基本形式の(2)(3)(4)の部分に一致している。
すなわち、米への無礼な行為、米の逃亡、黄金時代の終焉である。ただ黒駒伝説が特定
の長者の没落を説くのに対して、「自動米」神話では人類の黄金時代の終焉を説く点が異
なっている。だがそれは同じ主題を神話と伝説という異なった水準で述べたための相違
にすぎないのである。
そうしてみると、ここに興味深い古伝承がある。室町時代末にト部兼倶が『延喜式神
名帳』頭注に、『風土記』に早くとして記した、餅的伝説の評伝である。
伊奈利といふは、秦中家忌寸等が遠つ祖、伊呂具の秦公、珊瑚を積みて富み裕ひき。
乃ち、餅を用いて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊
禰奈利生ひき。遂に社の名と為しき。其の苗齎に至り、先の過を悔ひて、社の木を
抜じて、家に殖えて祷み祭りき。今、其の木を殖えて蘇きば福を得、其の木を殖え
て枯れば福あらず悩。
これは京都伏見の稲荷社の由来諄である。基本的には「餅的伝説」といえるが、一般
的な「餅的伝説」の構想からみれば不充分な点がある。まず餅を射たはずの伊呂具の秦
公が没落したとは説いていない点がある。のみならず秦公の苗薇が先祖の過ちを悔いた
と説き、子孫が続いていたことをも暗示しているのである。また餅が飛び去ったといい
ながら、鳥の降りた処に稲が生えたというのも没落諦としては不充分な結構である。そ
こでこの伝説には脱文や錯簡があるとし、苗喬が栄えたのは、絶えず祭祀を行ったため
に再び家運を挽回することができた、などと説く説も生まれることになったη㌔
しかしこれを「自動米」神話のごとき楽園喪失型神話だと見るとどうか。すなわち伊
呂具の秦公の行為はそれまでの黄金時代を終わらせたのである。つまり没落したのは秦
一28一
公平人ではなく人類全体だったわけである。してみると、秦公に苗齎があり、彼が祖先
の行為を悔いたのも、なんら不思議ではなくなる。そして白鳥が降りた処に生えた稲は、
没落の結果生じることになった現在の小さい米であったということになる。つまりこの
稲荷町の由来諄は、記録された時代こそ新しいものの、自動米神話と餅的伝説とをつな
ぐ重要な一例であったのである。
楽園喪失型神話には、必ず没落以前の黄金時代の情況が語られている。自動米神話で
言えば、巨大な米が飛来して人間は農作業にも、食うにも困らなかったと説く部分(1)
である。私は『豊後国風土記』総説に見える白鳥化餅説話こそ、楽園喪失神話のこの部
分の記憶を留めたものではなかったと考えている。この物語は餅的伝説とは反対に鳥か
ら餅への変換を説き、しかも同じ『豊後国風土記』に記録されている以上、本来学的伝
説とは不可分であったとみるべきである。餅的伝説としては脱落した黄金時代の情況が、
奇瑞課として残ったものであろう。
ところで「自動米1神話における黄金時代の描写で面白いのは、巨大な米がどのよう
にして倉までやってきたかという点である。土家族や広東の漢族では、巨大な米は自ら
転がってくるといい燭、またトン族などでは脚があって動物のように歩いてきたともい
う切。しかしほとんどの例では米は飛んできたといい、巨大な米が飛んできたという説
き方が本来的であったようである。しかも、面白いことにその中のいくつかの例では、
米に羽が生えていたと説いているのである。雲南西凹版納のタイ族の類話では、米には
羽が生えていて家に飛んできたといい伽、雲南省金平六十里村のヤオ族の例では粟にな
っているが、やはり羽があって家に飛んできていたという兇また雲南省のチノー族が
伝える穀物逃亡神話でも、ある女が新米ができたので古米に羽が生えて飛んで行けとい
うと飛んでいったというのである平米が飛来するという観念は、突飛なようにも思え
るが、中国大陸の少数民族のあいだでは一般的な説き方だったのである。
『=豊後国風土記』総説に見える白鳥化学説話では、飛来した白鳥が餅を経て芋に化す
という一時の奇瑞諦になっているが、このように見ていくと、その古い形は米そのもの
が飛来した黄金時代を表現した神話であったとみることができる。黄金時代に飛来する
奇跡の食物が、はたしてタイ族のような羽の生えた巨大米であったのか、それとも鳥の
姿で飛んできて餅に変化するものであったのか、あるいは餅や芋そのものであったのか。
残念ながらその点については分からない。ただ、羽の生えた巨大米と白鳥、巨大米と餅
との形象が類似しいるところがら、それらが変換することは十分にあり得ることであろ
う。
餅から芋への変化に、どのような観念がはたらいているのかは不明である。あるいは
何らかの「伝承上の混乱ユ馴であったのかもしれない。ただ「寄草数二野と化はりき。
花と葉と、冬に栄えけり」とあるからには、餅が単に芋に変化しただけではあるまい。
多量の奇跡の作物の出現を説いており、これはやはり現実と対比されるべき黄金時代の
情況とみるべきであろう。
このように考えてみると、『豊後国風土記』に記載されている二つの説話は、「自動米」
神話に還元できるように思われる。すなわち「餅的伝説」は、「自動米」の穀霊の逃亡の
部分が定型的な長者没落諏の形式を借りて伝説の水準で語られたものであり、「白鳥化物
説話」は、「餅的伝説」では脱落した「自動米」神話の冒頭の黄金時代を語る部分が奇瑞
一29一
謳として伝説化したものということになる。そして稲荷社の由来謬は、「餅的伝説」のか
たちを借りながらも、稲の二次的な起源神話の部分が保存されたものであろう。
5、日本の巨大米の伝承
「自動米」神話の分布は、今のところインドシナ半島からアッサム、雲南、華南から
華中の一部にまで広がっている。中国大陸ではミャオ・ヤオ語族からトン・タイ語族の
あいだに集中的に分布し、おそらく華中の非漢民族にも広く知られていた時代があった
ものであろう。このような分布像から判断すれば、「自動米」が日本列島にも伝わってい
たとみることは、充分にありうべきことことである。
目角に「自動米」神話が伝わっていたとするなら、それは「餅的伝説」以外に痕跡を
残していないであろうか。ここで興味深いのは、かつて中山太郎によって集成された近
世期の穂落とし伝説の資料のなかに散見する巨大な米の伝承である饗すなわち伊勢国
河津郡稲生村大字稲生の稲生神社には、日域最初の一寸八分の籾が天下ったのでそれを
祀るといい(『勢陽雑記』獲麟)、また羽前の米沢は元正朝の養老三年に桃の如き米が降
ったので米沢の地名を負ったという(『米沢地名選』)。さらに駿河国富士郡加島村の米
宮山清源寺と隣の米の宮浅間社の古伝には、むかし天から一寸の大きさの米粒が三つ降
り、米宮浅間社と天白社に納め、あと一つは消えたという(『吉井雑話』)。これらはみ
な、巨大な米が天下った伝承を伝えるものであるが、このほかに単なる巨大米の伝承も
ある。
上総国市原郡平三村大字米原に、籾中山大通寺という禅刹があるが、寺領に植える稲
は殊に大きく、色は少し赤く、数百年前には米粒が鶏卵ほどの大きさがあったので、一
粒ずつ炊いで仏に供えた。近年は漸く小さくなったが、それでも普通の米に数倍してい
るという(『房総雑記』)。また丹波桑田郡余野村に千年を経た農家があるが、その家の
棟の上には一寸六分の大きさの米粒があるといい(『勢陽提燈遺響』)、これと似た話と
して播磨国飾罫玉野里村の浄光山銀張寺の本尊:薬師如来の胎内には、行基が異僧から得
た一寸八分の米粒が納めてあるという(『播磨鑑』)。
このような近世期の巨大な米粒の伝承は、従来穂落とし伝説の類話として処理されて
きだ33。だが東南アジアから華南の稲作地帯に巨大な米が飛来した黄金時代を説く神話
が広く流布し、同時に『風土記』の古伝も「自動米」神話に還元できるとすると、近世
臨本の巨大米伝説を、中国大陸の巨大米伝説、つまり「自動米」神話との関係からも考
えてみなければならない。日本の巨大米伝説は「自動米」とは違って単なる奇瑞課にな
っているが、なかには日域最初の籾が巨大であったと説き、また巨大米が徐々に縮小し
たと説くなど神話的な色彩が強い例もあるのである。
ところで日本の巨大米伝説では、巨大な米粒が各地の寺社:や特定の農家に納められ、
保存されていると説く例が多い。これは伝説のひとつの説き方なのであろうが、面白い
ことに「自動米」神話が伝わる雲南シーサンパンナのモン・ハン寺にも、大根ほどの木
製の巨大米が供えられ欄、過宏にあった黄金時代を証明している。近世日本においても
黄金時代の没落の神話が伝わっていなかったとは言えないのである。
一30一
宰1小島理禮[校注]『風土記』角川書店(角川文民)1970p.214
串2植垣節也[校注]『風土記』小学館 1997p.587
孝3『日本伝説大系』第6巻、みつうみ書房1987p.191小柴直矩r越中伝説集』富山県郷土史会、1936
を引く。
*4、小島、前掲書 p.204
*5柳田国男「餅白鳥に化する話」、『柳田国男全集』第6巻 筑摩書房(筑摩文庫)1989p.468469
*6国分直一「日本神話と農耕遺跡」、講座日本の神話12『日本神話と考古学』有精堂 1978 p.1344
*7芦野泉「餅・的伝説(1)」、『歴史手帳』第15巻9号、1988p.10−11
『8松本信弘「稲作の問題」1959、『日本民族文化の起源』第3巻 講談社 1978p.249・250
零9大林太良「東南アジアの神話」、M,パノブ、大林太良他[著]、大林太良、宇野公一郎[訳]『無文字
民族の神話』白水社:1985p77
ホ10綾部恒雄「東南アジア大陸諸民族の穀霊観念」、『社会人類学』H−3、1959 p.40−41山田隆治「タ
ルブ・ムンダ族の学院逃亡観」、『民族学研究』29巻4一号、1965 一 蒲生正男ほか[編]『文化
人類学』角川書店 1967p432・433
*ll大林太良「南島稲作起源伝承の系譜」、渡部忠世、生田滋[編]『南島の稲作文化』法政大学出版局
1984 p.186
*12大林太良「北西タイ国、ラワ族とカレン族の神話と伝説」『民族学研究』29−2,1964p.l17
*13千田九一、村松一弥[編訳コ『少数民族文学集』平凡社1972p。321−324
零14岩温扁、征鵬[編訳コ『榛族民間伝説』中国旅遊出版社1983p61−63
*15陳建憲[選編]『人神供舞』湖北入民出版社 1994p44
串16陸文祥、黄門鉛、藍漢東[編]『二三民間故事選』広西人民繊版社 1984p.65・68
*17黄革E編]『広西少数民族民間隷事』広西民族出版社 1985p.275−277
宰18中国各民族宗教與神話大万骨編審委員会[編]『中国各民族宗教與神話大二二』門下出版社 1990
p。31・32
*亘9哀珂[編著]『申国民族神話詞二期四川省社会科学院出版社 董989p321
*20一定智「丹塞苗族的二神崇拝」『民間文学論壇:』1989年忌3期 p,74
*21陶陽、鐘秀[編]『閉門神話』上海文芸出版社 1990p577・578
*22帰秀文[編]『土家族民間故事選』上海文芸出版社 1989 p25・26
*23清水『太陽和月亮』1933,東方文化三局[複刻U971 p.24−25
*24秋本吉郎[校注]『風土記』(日本古典文学大系2)岩波書店 1958p。419
*25西田長男「稲荷祉の起源」、『神道史学』第5輯 1954 一 直江廣治[編]『稲荷信仰』渓水社 1983
P.237
零26帰秀文、前掲書p.25,清水、前掲書 p.24
*27黄革、前掲書 p,275
*28千田、村松、前掲書 p.321,岩、征[編]前掲書p.61. 『民間文学』1956年第ll期 一 傅光宇ほ
か[編コ『夜直民間故事選』上海文芸出版社 1985p.10
宰29『山茶』1989年第3期p.47。
*30劉恰、陳:平[編]『三江族民間文学集成』雲南人民出版社 1989 p.73
*31直木孝次郎、西宮一民、岡田精司[編]『鑑賞・日本古典文学、第2巻 臼本書紀、風土記』角川
書店 1977P。346
*32中山太郎「穂落とし神」、『日本民俗学・神事篇』大和書房 1976 p.107−l18.
*33同上。また大林太良『稲作の神話』弘文堂 1973p。131439。
*34千田、村松、前掲書、p324。
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