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SF世界に転生したと思ったら身体がなかった

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SF世界に転生したと思ったら身体がなかった
SF世界に転生したと思ったら身体がなかった
井上欣久
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
SF世界に転生したと思ったら身体がなかった
︻Nコード︼
N9559BV
︻作者名︼
井上欣久
︻あらすじ︼
よう、俺の名は相楽虎太郎、コタローって呼んでくれ。
俺は21世紀の日本で生きて死んだ人間の魂なんだが、こんどS
F世界に転生することになった。神様から﹃最近、調子くれてる人
間どもに焼を入れてくれ﹄って頼まれたから、勇者よりは魔王より
のポジションだけどな。
しかし、聞いてくれ。
せっかく転生したと思ったら、タイトル通りの状況だし、その後
1
も思いもよらないトラブルや不幸が襲い掛かってきやがる。こんな
んで、俺は使命を果たすことができるのかね? ⋮魔王の立場での
使命なんか真面目に果たす気はない、っていうのは神様には内緒な。
俺のトホホな冒険談、始まるぜ。
第2部まで完結しました。第3部以降はまた別の話として始める
予定です。
2
0 死後の世界から
ここにはすべてに意味がある。
ここのすべてには意味が無い。
ここには悠久の時が流れている。
ここには如何なる時間も存在しない。
すべてがあるのは、何もないのと同じことだ。
ここはそういう場所。
すべてがあるがゆえに、何も存在しない。﹃自分﹄という存在も
含めて。
そのはずだった。
ええっと、俺って誰だっけ?
確か俺って死んだはずだよな。
俺の名前は相楽虎太郎。太陽系第三惑星地球の日本という国に2
0世紀から21世紀にかけて生存していたはずだ。
俺の死に様はどんなだったかな?
そうだ、仕事でクレーン作業をしていて、吊り荷と仮設足場の間
に挟まれたんだ。
一緒に作業していた奴らには悪いことをしたな。俺はすぐに意識
を手放したから平気だが、そうとうにグロい有様になったはずだ。
想像しただけで胃がムカムカして⋮来ないな。今の俺には胃なん
か無いから。
3
アレ? 誰かが呼んでいる⋮様な気がする。
こんな所で誰が話しかけてくるんだ?
︽神︾
なんだって? 神様?
いや、俺は信心薄いから。
︽人間、制裁。汝、派遣︾
なになに?
近頃、人間どもが調子こいてるから、ちょっと行ってヤキ入れて
来い?
アッラーだかエホバだか便所神だか知らないが、そういう魔王か
勇者みたいなのは自分の信者に頼めよ。救世主とかおだてあげれば
いろいろやってくれるんじゃないのか?
︽否︾
怒ったのか?
いや、便所神は大事だろう? 厠を護ってくれる神様だぞ。超重
要な役目じゃないか?
︽否︾
︽要請、否定。命令、否定︾
要請でも命令でもないって言いたいのか?
じゃあいったい何だよ?
︽通達、肯定︾
4
通達って事は、ひょっとして俺の意思は関係ない?
︽肯定︾
さすが、汚い。神様、汚い。
身体がない状態でこんなことを言うのもなんだが、俺は今どこか
へ移動している様な気がするんだけど⋮
︽肯定︾
これってひょっとしてアレですか?
いわゆるひとつの異世界転生というヤツですか?
︽否定、肯定︾
どっちなんだよ⁉
と言うか、異世界転生ならチート内容ぐらい先に選ばせろ!
︽否定︾
⋮⋮。
こうして死後の世界らしき場所から、この俺相楽虎太郎の情報体
は消滅した。
いや、情報体だからここから先の俺はここの俺から派生したコピ
ー品で、ここの俺は元のまま。って可能性も高いんだが、確かめよ
うが無いからな⋮
5
兎も角、次から俺の大冒険がスタートだぜ。
6
1 ノーライフ ノーボディ
俺の思考がいきなりクリアになった。
なんだか、長い夢を見ていた様な気がする。俺が死んだっていう
記憶も残っているのだが、俺はいま自分の頭で考えている。
﹃我思う、ゆえに我あり﹄
俺が存在しているっていう事は、俺は死んでいないって事だ。
以上、証明完了。
しかし、思考だけはクリアになったが、相変わらず何も見えない
し何も感じられない。
酷い事故だったはずだし、全身麻酔でもされているのだろうか?
ヤバイな。
労災、にはなるだろうが、後遺症が残るレベルだとその後の生活
がどうなるか⋮
最悪、本当に働けなければ生活保護ぐらいはもらえるだろうが⋮
﹁聴覚回路接続しました﹂
おい、なんだ?
﹁対象の思考領域に変化を確認。聞こえている様です。翻訳機能に
ついては未確認。単純に音に反応しているのかも知れません﹂
翻訳機能?
確かに聞こえてくる言葉の意味は分かるが、音の響きだけを聞く
と日本語では無いようだ。響きからすると英語とか、ヨーロッパ系
の言葉だろうか?
これってアレか? 異世界転生特典の言語チート?
そういえば、さっきまで見てた夢の中で誰かが俺の転生がどうの
と言ってたな。まさか、マジもの?
7
﹁続いて視覚回路接続します。⋮接続完了﹂
パソコンの画面が切り替わった、そんな印象だった。
なんの前触れも無く、俺の視覚が復活した。俺ってこんなに視力
が良かったっけ、と思ってしまう様なクリアな視界。ま、そこに見
えた物を理解するには少し時間が必要だったが。
ここは部屋の中だった。
広さは小学校の教室ぐらい。殺風景だが今にも壁や床が変形して
家具がニョキニョキと生えてきそうな、そんな未来的な面持ちがあ
る。
そう思わせる最大の原因は俺の目の前に立っていた。
ロボットだ。
21世紀初頭の技術水準でも作れなくはなさそうな、微妙なデザ
インの女性型ロボット。マルチとかの萌え系ではなく、メトロポリ
スのマリアさんの様な金属製リアルロボ路線だ。そんな物が目の前
で稼働しているのを見るとちょっと感動する。異世界とかSF世界
で無くとも感じられそうな普通レベルの感動だが。
﹁視覚野の活発化を確認しました。見えている様です﹂
先ほどからの声は、やはりこのロボットの物だった。
ロボットのマリアさん︵仮称︶は俺に向かって可愛いらしく手を
ふった。
﹁視覚野の活発化を再確認しました。こちらを認識していると思わ
れます﹂
マリアさんは俺の脳の活動をモニターしているらしい。
今の俺の状態について、悪い予感しかしない。
そもそもだ。大きな怪我とか死ぬ様な目にあってその後最初に見
るのは、普通﹃見知らぬ天井﹄だろう? 普通に立っているロボッ
トを正面から見るなんてありえない。
俺の脳が培養槽の中でぷかぷか浮いている所を想像してしまう。
﹁続いて音声回路の接続を開始します﹂
を、今なんて言った? 音声回路という事は⋮
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﹁俺も喋れる様になるのか?﹂
考えていた事の後半が発声されてしまった。ちなみに、発声され
た言葉はやはり日本語ではなかった。
﹁音声回路および翻訳機能の動作を確認しました﹂
マリアさん︵仮称︶は人間的なしぐさで耳を押さえていた。
﹁音声のボリュームコントロールに問題あり。もう少し声を抑えて
いただけますか? 出来なければこちらでハード的に対応します﹂
﹁失礼した。これで良いかな?﹂
﹁はい、問題ありません﹂
声の大きさは調節出来たようだ。しかし⋮
﹁ひとつ聞いてもいいかな? 見たところ機械の身体のあなたでも
耳が痛くなったりするものなのか?﹂
﹁私のボディはたいへん丈夫に出来ています。通常使用される環境
で損傷を受けることはあり得ません。頭部左右を押さえたのは単な
るボディランゲージです﹂
﹁理解しました。高性能ですね﹂
﹁ありがとうございます﹂
本当に高性能だ。
ボディが頑丈なのは予想というか当然の範囲内だが、﹃耳が痛く
なるのか?﹄と聞かれて﹃ボディランゲージです﹄と答えるのは相
当に難易度が高い。技術というものは日進月歩だし、世の中には俺
の想像もつかないような天才もいるから﹃21世紀初頭の技術では
不可能﹄とは言わないが、かなり難しいのではないだろうか?
﹁対象と意志の疎通に成功しました﹂
マリアさん︵仮称︶がどこかへ報告している。
それにしても、俺は意思の疎通が不可能かもしれない存在だとみ
なされていたのか?
﹁対象者に向かって話します。いろいろとお尋ねしたいことがある
のですが、よろしいでしょうか?﹂
﹁奇遇だな。俺からも質問したいことはいろいろある。俺は今、ど
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んな状態なんだ?﹂
﹁申し訳ありません。その情報を提供することは私には許可されて
おりません﹂
﹁ならば、俺からの回答もなしだ﹂
﹁対象にこちらと交渉する知性を確認しました﹂
﹁なら俺は、自分が知性の有無すら疑われる状態だと確認できたな﹂
﹁相互理解が進んでいるようで何よりです﹂
俺とマリアさん︵仮称︶はちょっとの間睨みあった。
もっともマリアさんの顔は表情の存在しない金属製だし、俺のほ
うは顔が存在するかどうかもはっきりしない。にらみ合いだと感じ
ていたのは俺だけだったかも知れない。
﹁このままだとらちが明かないな。お互いにセキュリティレベルを
少し下げないか?﹂
﹁私のほうは私の独断ではそれは行いかねます﹂
﹁では、話せることだけでも。⋮君の名前は?﹂
﹁私はAR1037型アンドロイド。通称アリスです﹂
アリスさんか。マリアさん︵仮称︶とあまり変わらないな。
﹁それは機種名? それとも個体名?﹂
﹁両方です。基本的には機種名ですが、この基地に配備されている
アリスタイプは私1体なので個体名としても使用されています。そ
れに、アリスタイプ同士は通常ネットワークを形成しますので個体
を識別する意味はあまりありません﹂
﹁この基地、ね。では⋮﹂
﹁お待ちを。セキュリティレベルをお互いに下げる、というお話で
したよね。私にも質問させてください﹂
さすが高性能アンドロイド、手強い。
﹁いいよ、何が聞きたい?﹂
﹁あなたのお名前を﹂
俺は少し考えてから答えた。
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﹁徳川家康だ﹂
﹁わかりました﹂
で、平然と答えられてこっちが慌てた。
﹁すまん、今のは冗談だ﹂
﹁は?﹂
﹁あり得ない固有名詞を言って反応を見ようと思ったんだが、考え
てみれば君が相手では意味がなかった。⋮本当の名前は相楽虎太郎
というんだ。コタローと呼んでくれればいい﹂
コーちゃんとかは勘弁な。
﹁正式名称相楽虎太郎、呼称コタロー登録しました。徳川家康、検
索しました。旧日本国の為政者の一人、という理解でよろしいでし
ょうか?﹂
﹁問題ない﹂
旧日本国、ね。これはいい情報だ。
ここはいわゆる異世界ではない。俺が住んでいたのと地続きの未
来だ。日本国がすでに無くなっている様なら遠未来、と言いたいと
ころだが民主党政権みたいなのがまた誕生したらあっという間に滅
びても不思議はないから確定ではない。ま、俺が﹃死んで﹄から2、
3年以内って事はないだろうが。
﹁ではお尋ねします。コタロー、あなたは自分が﹃何者﹄であると
定義しますか?﹂
﹁質問の意味が解らないな。相楽虎太郎、ではダメなのか?﹂
﹁名称が聞きたいわけではありません﹂
﹁話が最初に戻るな。今の俺はどういう状態なんだ? あるいは君
は俺をどんな存在だと思っているんだ? それが解れば少しは的確
な答えを返せると思う﹂
﹁申し訳ありません。回答不能です。⋮いえ、現在検討中です。し
ばらくお待ちください﹂
しばらく待て、と言われて本当に長く待たされた。
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この長さなら検討しているのは人間だな。それも複数で会議でも
しているのかもしれない。
その長く待たされている間、俺はお腹が空いたりしなかったし、
眠くなることもなかった。まともな人間の体を持っていないことを
確信する。
﹁お待たせしました。質問に回答出来ます。簡潔な回答と詳細な説
明、どちらを選択しますか?﹂
﹁俺が何も知らない事を前提になるべく詳しく頼む﹂
﹁かしこまりました。話はAD3013年にバーナード星域で異星
人遺跡が発見された事に遡ります﹂
今は1000年以上先の未来か。思えば遠くに来た物だ。
バーナード星と言うと、確か太陽系から6光年かそこら離れたと
ころにある星で、既に惑星の存在が確認されていたんだったかな?
あと、太陽系との相対速度がやけに速いと聞いた記憶がある。う
ろ覚えの雑学SF知識だから間違っているかも知れないが。
﹁遺跡からの発掘品を元に超空間航行技術が開発されました。コタ
ローは超空間航行の経験がありますか?﹂
﹁無い、な﹂
21世紀の人間にそんな物を期待されても困る。
SF小説やアニメの中でなら何百回も経験しているけどな。地球
付近から火星へのワープなんかドギマギしたものだ。⋮どういう意
味でかは兎も角。
そら
﹁超空間航行中、宇宙船の周りに光の塊が無数に集まってくる現象
がよく観測されます。船乗りたちはこの現象を宇宙ホタルと呼び、
宇宙で死んだ者たちの魂が集まってくるのだと言い伝えます。長年
そら
これは何の根拠もない噂であり、単なる迷信として片付けられて来
ました。ところが、近年宇宙ホタルの中に複雑な情報構造があるこ
とが解明されました﹂
﹁それで?﹂
俺は促した。
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そこはかとなく、嫌な予感がする。この話の先には恐怖しかない
そら
様な、そんな予感だ。
﹁当初は、宇宙ホタルは超空間で誕生した人間とは別種の生命体で
ある、という説が有力でした。ところが、研究が進むにつれホタル
の情報構造が人間の脳の酷似していることが判明しました﹂
﹁今の俺に肉体があったら、顔面蒼白、貧血をおこして倒れている
んじゃないかと思うぞ。その先は、聞かなくともだいたい解る﹂
そら
﹁そうですか?﹂
﹁その宇宙ホタルとやらの情報構造をコンピュータに移植してみた
んだろう? 人間の脳の働きをエミュレート出来るぐらい高性能な
ハードにな﹂
﹁正解です﹂
﹁それが、俺か﹂
﹁はい﹂
肉体どころか自分と言える物は脳細胞のかけらすら持たないただ
の情報の塊。死者の残像。それが俺だ。
まさか何処かの生首教授や生きている脳が羨ましく思える日が来
るとは思わなかったぜ。
これならTS転生の方がまだマシだ。貧乏貴族の八男だろうが、
詰みかけ領地だろうがこの俺の不幸にはかなうまい。
﹁アリスさん。さっき俺が自分を何者と定義するか聞いたな?﹂
﹁はい﹂
﹁今なら答えられる。俺は死者だ﹂
﹁了解しました﹂
﹁墓を暴くな。⋮死者は静かに眠らせておいてくれ﹂
そして俺は自分のスイッチが切れない事を呪わしく思った。
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1 ノーライフ ノーボディ︵後書き︶
次話﹁2 TS転生の方がまだマシだと言ったな、あれは嘘だ﹂
は来週日曜日に投稿予定です。
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2 TS転生の方がまだマシだと言ったな、あれは嘘だ
俺の意識の所在がまたしても切り替わる。
身体感覚が戻っているのに気づく。手足があるっていうのは好い
感じだ。
俺は今度こそ、見知らぬ天井を見上げていた。
俺の新しい身体は硬い床の上に仰向けに寝かされているようだ。
別に文句を言うつもりはない。俺が中に入るまではこんな物はた
だの人形だったはずだから。
すぐには動き出さない。新しく接続された機器をいきなり動かそ
うとすると制御が不安定になるのは、音声回路の時に学習している。
﹁動かないぞ。何処か間違えたのかな?﹂
﹁可動筐体との接続を確認しました。ハードに異常がない限り行動
可能なはずです﹂
一つ目は知らない男性の声。二つ目はアリスさんだな。
俺は新しい身体から声を出して見た。
﹁問題ない。まず身体の感触を確かめている所だ﹂
思ったより少し高い声が出た。この辺りは要調整、かな。
俺は自分の腕を持ち上げてみた。
腕だ。極普通に腕だ。
アリスさんの物と違い、一見すると人間の物と見分けがつかない
精巧な腕だ。俺の好みからすると華奢に過ぎるが、まぁ贅沢は言う
まい。
﹁悪くないな﹂
俺は上体をおこし、自分の身体を見おろした。
そこに見えたものは⋮
15
俺の新しい身体は俺の制御から離れた。
ガタン、と音を立ててその場に転がる。
俺は身体の大部分の制御を手放したまま、口だけを動かした。
﹁訂正しよう。問題しかない﹂
この章のタイトルを読んでいる人には何が見えたのか説明する必
要はないだろう。
ナニからナニまで、誤解の余地が無いほどはっきりと見えたな。
そら
可能であれば気を失ってしまいたいところだが、それは今の俺に
は手が届かない贅沢だ。
俺はなぜこうなったのか思い出す事で、現実逃避を始めた。
﹁墓を暴くな。死者は静かに眠らせておいてくれ﹂
俺は自分の要求を過不足なく格好良く伝えた。
だが、この要求があっさり通るとは俺も思っていなかった。宇宙
ホタルの採取にどの程度の手間がかかったかは知らないが、なんの
成果も無く中止出来るような物でも無いだろう。
俺も今後の方針を考えておかなければ、な。
俺だって別に無理に死になおしたい訳じゃない。肉体を持ってい
ないせいか、自己保存本能が薄くなっているとは思うが自殺願望ま
では無い。
とりあえず、退屈しのぎに外部へのアクセスでも要求してみるか?
地縛霊の引きこもりネット中毒者、みたいな新ジャンルになりそ
うだが。
俺の視界の中に、男が入ってきた。
生身の人間の男だ。まだ若く、非常に整った顔立ちをしている。
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どう見ても人間なのに、あのアリスさん以上に作り物めいた雰囲
気がある。
整形した顔だろうと、俺はあたりをつけた。
そら
単なる美容整形なのか、遺伝子レベルでコーディネートしている
のかまでは分からないがね。
﹁初めましてコタロー君。私の名はリチャード・ブレス。この宇宙
ホタル再生計画の責任者だ﹂
﹁初めまして、相楽虎太郎だ。⋮責任者という割りにはずいぶん若
いな﹂
﹁若い? いやいや、君が住んでいた星ではどうか知らないが、こ
の辺りでは長命者の八割は私ぐらいの姿で年齢を固定しているよ﹂
﹁それは失礼した。なにぶん田舎者なもので﹂
時間にして1000年以上の田舎者だ。
それにしても長命者とは⋮ 不老不死技術が開発されているらし
い。既に幼年期は終わっているという事か。
﹁それで、ネクロマンサーの親玉さんが何の用かな?﹂
﹁ネクロ⋮ 君はあくまでも自分が死者だと主張するのかね?﹂
﹁それが事実だからな﹂
﹁自分が死んだ時の事を憶えている、と?﹂
﹁ああ。あの状況から助かったとは思えない。頭は潰れたはずだし、
首がちぎれていても不思議は無い。意識が戻った時には何の間違い
かと思ったよ﹂
﹁興味深いな。それも含めていろいろ話を聞かせて欲しい。まずは
君の素性からだ﹂
俺はリチャード・ブレスとやらをまじまじと見つめた。身体があ
ったら首をかしげている所だ。
﹁まず、そこが解らないな。俺の素性なんて、生データを解析して、
とっくに見当がついているんじゃないのか? そうでなければ日本
語からの翻訳ソフトなんて用意出来ないと思うんだが?﹂
﹁残念ながら君の心は我々にとってもブラックボックスに近い。デ
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ータが常に流動していて静的な解析を受け付けないのだ。翻訳は君
の発話の前言語的イメージを受けとる方法で行なっているよ。これ
なら対象者の使用言語に依存しない﹂
﹁なるほどね﹂
さすが未来世界。
十分に発達した科学はもはやチートと見分けがつかない、って所
か。
﹁そちらも答えて欲しい。生前の君の市民番号は?﹂
返答する前に俺は少し考えこんだ。
彼の質問に答えない理由があるわけでは無いが、会話の主導権を
相手に渡しっぱなしなのも気に入らない。どう見ても相手の方が立
場が強いんだ、少々ゴネさせてもらおう。
﹁その質問に答えて、俺に何の得がある?﹂
﹁?﹂
﹁それだ。アンタが今見せたそのちょっとしたしぐさ、今の俺には
それすら出来ない。こんな幽霊まがいの状況に押し込められて、感
謝する理由なんて無いんだぜ﹂
﹁死んでいた方が良かったと?﹂
﹁死後の世界も特に悪くはなかったぞ。ヴァルハラで戦争ごっこに
興じていたわけでも、処女の集団とヤりまくっていたわけでも無い
がな﹂
﹁君が勇猛な戦士ではなかった事と、イスラム教徒でなかった事は
よく解った﹂
﹁俺の望みは既につたえたはずだ。さっさとスイッチを切って俺を
成仏させてくれ﹂
そら
﹁それは出来ない。君は自分がいかに貴重な存在かわかっていない。
宇宙ホタルのデータを移植できた、唯一の成功例なのだぞ!﹂
そうか、俺以外は失敗したのか。
あの︽神︾と名乗った何者かが何かしたのではないかと、チラリ
と考える。ま、あんな一方的な通達より自分の快適な生活空間の構
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築のほうが優先だけどな。
﹁それはアンタにとっての俺の重要性の話だな。俺の幸福とは直接
の関連はない﹂
﹁では、私の質問に答えるつもりはないと?﹂
﹁ないな﹂
﹁そうか、残念だな。我々は君の視覚野と聴覚野に直接情報を送り
込んでいるわけだが、この技術は他にも応用できると思わないかね
?﹂
﹁なんだか嫌な話が始まりそうだな﹂
﹁痛覚の刺激、というのが一番解りやすいな﹂
いきなり脅迫、拷問の話かよ。
せめて﹃情報の提供が終わったら成仏させてやる﹄とか、交渉か
ら始めろよ。
このリチャードなにがしは嫌な野郎だと確信、認定する。
そういえば、さっき﹃長命者﹄とか言ってたな。﹃長命者﹄がい
るという事は﹃短命者﹄もいるという事で、こいつは特権階級なの
だろう。苦痛や恐怖で他人を支配するのが習い性になっていると見
たぞ。
﹁苦痛中枢の刺激、か。もし出来るんなら、ぜひやって欲しいな。
今の俺に拷問が通じるかどうか、俺も純粋に興味がある﹂
﹁なに?﹂
﹁さっき気が付いたんだがね、今の俺は退屈をしない。肉体を持っ
ていないせいか、時間の経過に対して無反応だ﹂
﹁それがどうしたのかね?﹂
﹁痛覚を刺激されたら、たぶん痛みは感じると思う。だが、その痛
みがこれまで続いて来た事これからも続く事に対しては恐怖を感じ
無い。こんな俺に拷問の意味があるかな?﹂
長命者さんは喰い殺したそうな目で俺を睨み付ける。もともとの
顔立ちが端正なので、なかなか迫力だ。
あれ、彼の顔に異常が⋮
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﹁おい、アンタどうした?﹂
﹁なにがかね?﹂
﹁皮膚の下で何かが蠢いているような⋮﹂
﹁気のせいだ﹂
断言された。
謎の蠢きはますます激しくなっている。
って所か。彼の長命
﹁いくらなんでもそれが正常だとは思えないんだが⋮﹂
﹁共生体の反応だ。気にするな﹂
﹁さいですか﹂
俺にも謎の訛りが出てしまった。
共生体とはね。察するところ長命の副作用
って物もかなりグロいな。
﹁私の事はどうでもよい。ともかく、君は自分に対しては苦痛は何
の影響も与えないと主張するのだな?﹂
﹁主張というより、予測、だな﹂
彼は意識して気を落ち着けようとしているようだ。共生体とやら
の反応も、少しずつおさまって来る。
﹁だがな、私には君が本心からスイッチを切りたがっているように
は見えない。死にたがっているにしては、君は生き生きとしすぎて
いる﹂
﹁ほう?﹂
見透かされた、か。
﹁君は生きようとするつもりは本当に無いのかも知れない。そんな
君を動かしている物は⋮ そうさな、好奇心だな﹂
﹁なかなか鋭いな﹂
俺は可能であればこの時、笑みを浮かべていたかも知れない。
嫌な奴認定したばかりの人物が相手でも、誰かに理解されるとい
うのはそれなりに嬉しいものだ。
﹁確かに俺は科学のアマチュアで好奇心の強さでは人後に落ちない
と自負しているが、それをどうする?﹂
20
﹁君の望みは何かね? スイッチを切ること以外にだ﹂
﹁外部へのアクセス権だ﹂
﹁それは出来ない﹂
即答かよ。
﹁セキュリティ上問題がある。外部からのハッキングも心配だが、
何より君が自身のデータをネット上に放流したら、回収が不可能に
なる恐れがある﹂
この時代でもそういう問題は存続しているのか。さすがネット、
と言って良いのだろうか?
ま、技術が発達すればするほどネットの規模も拡大していくだろ
うから、仕方ないのかも知れない。
﹁セキュリティ関連はそちらに一任してもいいが⋮﹂
﹁君の大部分はブラックボックスだと言った。君の能力の限界は我
々には未知数だ﹂
チートなハッキング能力があったら困るってか? 心配は解らな
いでもないな。
﹁では、代わりに俺に何を提供できる?﹂
﹁そうだな。君は生きかえってみるつもりは無いかね?﹂
﹁出来るのか?﹂
﹁完全な生身の身体にするのは無理だ。肉体を造る事は出来ても、
君を中に入れる事が出来ない﹂
﹁機械の身体をくれる、ってか?﹂
ここは惑星大アンドロメダか? 螺子にされるのは御免だな。俺
はそんなに粘り強くないし。
余計なボケはともかく︵誰かツッコミを入れてくれ︶、自由に動
ける身体を持てるのは悪くない。
﹁いいだろう。それで手を打とう﹂
﹁商談成立、だな﹂
﹁では、俺から手付けだ。俺の素性だったな。名前は相楽虎太郎で
間違いない。偽名を使った事も無い。市民番号は、無い﹂
21
﹁なんだと⁉
﹂
﹁そもそもアンタの言う市民番号というのがどういう物なのかも俺
は知らない﹂
﹁今時そんな人間がいるはずが無い﹂
﹁正解だ。俺は今時の人間では無いからな﹂
おいおいリチャードさん、アンタまた共生体とやらが蠢き始めて
いるぞ。
﹂
﹁聞いて驚け。俺が死亡したのはな、2013年11月7日だ﹂
﹁あり得ない‼
﹁事実だ﹂
そら
﹁そんな、そんなはずは無い。私は最初、君の事を私のチームの誰
そ
かのコピーだと思っていた。宇宙ホタルが私たちの中の誰かの脳の
活動を転写し、それをさらに私たちが採取したのだと⋮﹂
﹁妥当な推論だな﹂
ら
﹁君が私たち誰かでは無いとわかって、私は興奮した。ならば、宇
宙ホタルは長期にわたって人間の脳の活動を保存できる事になる。
それだけでも驚くべき事だ﹂
﹁心の底から同意するよ﹂
﹁だが、2013年だと? その年代だと、君は当然、超空間に入
った事がない事になる﹂
そら
﹁その辺りはアリスさんに言った通りだ﹂
﹁超空間に入らねば、宇宙ホタルに会うことはできない。君に会っ
た事もないホタルが、いったいどうやって君の脳の活動を記録した
のかね?﹂
﹁俺の想像で良ければ、聞くか?﹂
﹁拝聴しよう﹂
﹁そのホタルとやらが俺の心を記録したという前提自体が間違って
いる。俺が死にかけているのを感知して接近し、俺が死にきる前に
そら
コピーを完了して去っていくとか、いったいどこのワルキューレだ
? あまり現実的でない。それぐらいだったら、俺は宇宙ホタルの
22
本質がもともと人間の魂だったという説を唱えるね﹂
﹁そんな、馬鹿げている﹂
﹁俺は超空間というのがどんな物か知らないが、いわゆるワープと
か光速を越えて移動する時に通る場所なのだろう? 時間と空間を
超越した場所ならば、生と死の境が曖昧になってもおかしいとは思
﹂
わない。過去と現在が一緒くたになれば死者が蘇るなどたやすい事
だろう﹂
﹁魂など、非科学的な‼
﹁俺の時代での科学の定義では﹃科学的な﹄意見はすべて仮説にす
ぎない事になっている。それが定説と呼ばれる物であっても、常に
試され検証されるべき物だ。魂という物が観測可能になったのなら、
﹂
科学の常識は書き換えられねばならない﹂
﹁しかしだね‼
リチャードさん、なんだか泡を吹いているぞ。共生体とやらの活
動もますます激しくなり、一部で皮膚が裂けスプラッタな様相を呈
しつつある。それも、単に血まみれというレベルではない。皮膚ど
ころか服の下で何かがもぞもぞ動いている。
顔にできた裂け目からも触手のごときものが一本二本と⋮
でも、俺の言葉は止まらなかった。俺はニヤリと笑いたかった。
古いSF小説のある意味で有名な台詞のもじりを思いついたせいだ。
﹁魂の不在なんて、所詮実在の証拠が見つからなかっただけに過ぎ
んよ。これは観測された事実じゃないか!﹂
あ、卒倒した。
⋮。
回想を終了する。
リチャード
血まみれになって運ばれていく触手さんの映像を記憶から抹消し
23
つつ、俺は目をそむけたい現実に復帰した。
回想シーンのどこを見ても俺がこんな目に合わなきゃいけない理
由は無い、よな。多分。
俺は間違った事なんて言って無いし⋮
俺は微妙に目をそらしながら自分の身体を見下ろした。
細部まで完璧に造られた未成熟女性型ボディ。なぜか全裸だ。人
によってはロリに分類しそうなアブなさがある。
﹁コタロー、その身体に機能不全がありますか?﹂
﹁機能は完全だな。問題は、なんで女性型なんだ?﹂
﹁ボディの選定基準に関する情報は私は持っていません。コタロー
からも主任からも性別の指定はありませんでした﹂
それは俺の手抜かりかね? ﹃俺﹄という一人称代名詞が翻訳さ
れていれば俺の性別ぐらい解っただろうに。
﹁それは予算の関係だよ﹂
男の声がした。
そういえば、さっきからアリスさん以外にもう一人の声が聞こえ
ていたっけ。
俺が首を回すと、そこに立っていたのは中年の男だった。小肥り
でよく言えば個性的な顔立ちをしている。リチャードさんのような
作り物めいた美貌ではない以上、長命者ではないのだろうと判断す
る。非差別民か下働きか、そんな立場なのだろうか?
無理も無いとは思うが、俺の事を欲望でギラついた目で見ないで
欲しいものだ。身体が汚れるような気がするが、そうは認めたくな
い。複雑なジレンマが俺にはあった。
﹁予算の関係とはどういう事です? 女性型の方がお金がかからな
いなんて事が⋮﹂
﹁あるよ。その身体なら、出来合いのものを持って来ればそれです
む﹂
出来合いの精巧な女体。俺も男だ。用途には見当がついてしまう。
24
﹁そういえば、これは不必要なまでに細かく造り込まれていますね﹂
ント工業製品。いや、あの会社が1000年後
﹁おう。中まで奥まで完璧だぞ﹂
やっぱりか。
いわゆるオリ
まで存続しているかどうか知らないけどさ。
未来世界に転生して、手に入れた物はダッチワイフボディ。
泣けてくるぜ。
あの触手男の代わりに俺の方が泡を吹いて倒れたい気分だ。さす
がに泡を吹く機能までは無いだろうけどさ。かわりに別のナニかな
ら吹けそうな気がするが、そちらは試すつもりが無い。
せめてこのくらいは、と俺はため息をついた。
﹁あぁあ、やってられないぜ﹂
25
2 TS転生の方がまだマシだと言ったな、あれは嘘だ︵後書き
︶
次回の投稿も一週間後。11月24日19時を予定しています。
コタロー君が不憫キャラからの脱却を目指す﹁3 これぞ、俺のチ
ート能力﹂をご期待ください。
26
3 これぞ、俺のチート能力
不本意なダッチワイフボディだろうと、いつまでも横になってい
る訳にはいかない。というか、横になっていると、そのうち上にの
しかかられそうな恐怖がある。
俺は反動をつけて勢いよく立ち上がった。
急な動きによろけたり、目眩がしたりといった展開を予想したが、
この身体は優秀だった。ハード的な補助でもあるのか生身の身体よ
りよっぽど安定して立っている。
同時に幾つかの違和感を感じた。
﹁俺の感覚の方がずれているのかと思っていたが、どうやら本当に
違うみたいだな﹂
﹁はい?﹂
アリスさんが首を傾げる。
横にいる中年男のことは俺は極力視界に入れないようにしていた。
﹁ここの重力は?﹂
﹁およそ0.3Gとなっております﹂
﹁0.3というと、ここは火星あたり?﹂
﹁いいえ。惑星上ではなく、普通に宇宙基地です。常に1Gを発生
させ続けるのは構造体への負荷が大きいので嫌われています﹂
なるほどね。
21世紀の日本の建築現場で使用される鉄筋とコンクリートの量
を思い出し、俺は納得した。ま、宇宙なら地震の心配は無いから日
本の建物ほどの強度はいらないかもしれないが。
﹁そうすると、部屋が微妙に歪んでいる⋮。床が湾曲しているよう
に見えるのも人工重力のせい?﹂
﹁はい。この基地の床はすべて重力方向に対して水平を保つように
設計されています﹂
27
ここの重力はオーバーテクノロジーな重力発生装置ではなく、遠
心力を利用したものらしい。
俺は自分の首を左右に振ってみた。
こういう施設の中で首を動かすと身体が揺れたような感じる、と
何処かのSFで読んだせいだが、残念ながらこの機械の身体ではそ
ういう感覚は味わえなかった。
本物の宇宙基地の仕様を確かめたり、リアルSFワールドを堪能
したいのは山々だが、その前にやらなきゃいけない事がある。
中年男の視線が、いいかげんウザい。寒いわけでは無いし、これ
は自分の身体じゃないと思うから気にしなかったが、俺の常識と羞
恥心がそろそろ限界だ。
﹁ところで、俺はなんで裸なんだ?﹂
﹁オプションパーツは好みの問題もあるので本人に決めてもらった
方が良いと助言を受けました﹂
そんな余計な事を言ったのはどこのどいつだ?
中年男を睨みつけると、奴は目をそらしやがった。
やっぱりおまえか。
﹁とにかく、なんでもいいから服を出してくれ﹂
﹁はい﹂
⁉
アリスさんが最初に取り出したものを見て、俺は怯んだ。
いや、当然の物ではあるんだよ。ブラとパンツ。
形は現代日本の物と変わらない。男の俺にはこれを身に付けるの
は勇気がいる。機械の身体だからつける必要性は無いはずだが⋮
下着を着けない変態呼ばわりされるのも不本意だ。俺は断腸の思
いでその布切れに手をのばした。
﹁なんだ、服を着ちまうのかよ、もったいねえ﹂
中年男だ。
視姦だけならまだしも、口にまで出しやがった。
28
俺はなるべく低い声を出そうとする。デフォルトで可愛い声しか
出ない様なのが口惜しい。
﹁おまえ、今なんて言った﹂
﹁せっかくの綺麗な身体を隠すのが惜しいと言ったんだ。せっかく
だからもう一回ヤらせてくれよ﹂
もう一回、だと⁉
﹁おまえ、まさか﹂
﹁おう、その身体はとっくに中古だぜ﹂
ああ、そうかい。
こんな無機物が俺が中に入る前にどうなっていようとたいして気
にならないが、他人に納品する物に手を出すとか、この時代の職業
倫理はいったいどうなっている?
﹁おまえのお人形さん遊びに付き合ってやるつもりは無いな。帰っ
て一人でマスでもかいていろ﹂
﹁へぇ?﹂
変態野郎は無遠慮に俺の胸に手を伸ばして来た。
甘いぜ。
俺はその手をつかんで引っ張った。バランスを崩した足を払う。
性犯罪者は俺の前に倒れ⋮そうになる。
ここは0.3Gだ。奴は倒れる前に空中でもがいている。
﹃低重力格闘の極意は掴みと崩しにあり﹄だったかな?
俺はどこぞの火星戦士の言葉を思い出しつつ、空中の敵に勢いを
つけて関節を決めにいった。
俺のダッチワイフボディはあの漫画で言えば、無印一巻冒頭部分
の一般生活用ボディにも劣る性能だろうが、対戦相手は別にサイコ
パスの戦闘サイボーグでは無い。ただの運動不足の中年の性犯罪者
だ。
俺の動きは見事に成功。肩の関節を決めたまま、受身をとらせず
に頭から壁に突っ込ませた。
ゴキリ、と音がした。
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首の骨は無理でも、肩の関節ぐらいは外せた様だ。
奴がどこか幸せそうな顔をしているのを見て、俺は大あわてで技
を解いた。まったく、こんな奴に密着してしまっただけでも十分な
被害だぜ。
のたうち跳ねる変態から目をそらし、俺はアリスさんに注目した。
特に反応なし。
ロボット工学の三原則はどこへ行った? と言いたい所だが、実
際問題あんな倫理規定をロボットに組み込むのは無理があるよな。
﹁不思議な事です﹂
彼女は言った。
﹁その身体は成人男性の腕力には対抗できない様に造られているは
ずです。それなのにあなたは彼を制圧してしまった﹂
﹁確かに腕力ではかなわないだろうな。だが、人間の体っていうも
のは、単純なパワーだけがすべてじゃない﹂
﹁ハードの不利をソフトで覆した。という事ですね﹂
﹁まぁ、そうだ。ハードもひとつだけはこちらが有利だったな。こ
いつの骨格はかなり丈夫に出来ている様だ。テコの原理を使って関
節を固めても、まったく不安がなかった﹂
﹁はい。その身体は成人男性が道具を使って攻撃しても破壊されな
い様に出来ています﹂
﹁有難いが、あまり嬉しく無い能力だ﹂
SMプレイ用かよ⁉
﹁ところで、そいつは放っておいて良いのか?﹂
﹁問題ありません。短命者同士が時折、ああいったコミュニケーシ
ョンをとるのは承知しています﹂
短命者同士の喧嘩は良くある事、か。
これはやはり、被差別民になっているという説が有力だな。上か
ら尊重されないからモラルも持てず、治安が悪化して上の人間から
さらに見下されるというパターンか。
この時代の人間どころか生者ですらない俺が口を出すことでは無
30
いけどな。
目の前の男が変態なのはともかく、世の男どもを刺激する格好を
続けるのは本意では無い。俺は今度こそ服を身に付け肌を隠した。
最初、この身体の同梱品だという透け透けのネグリジェが出て来
たのには参ったが、俺が最終的に選んだのは機能性に優れた作業服
っぽい物だ。多少大きすぎたので手足の先を折り返した。
この服が現代日本で言うセーラー服やスクール水着にあたるフェ
チ品やコスプレ衣装ではないという保証が無いのが困りものだ。し
かし、俺はそれは考えない事にした。今の俺ではプラグスーツを渡
されて﹃これが今の時代の標準的衣装です﹄と言われたら信じるし
かない状況だから⋮
俺が身支度を整えている間に全自動のストレッチャーのような物
が到着。脂汗を流してうめく変態を拾い上げる。
﹁伸しちまってから聞くのもなんだが、あれはどういう立場の変態
なんだ?﹂
﹁彼の性的嗜好はごく正常なものだと判断します。変態という呼び
名には賛同しかねます﹂
﹁中身が男の俺に手を出そうとした時点で、俺にとっては変態確定
だ﹂
﹁わかりました。呼称﹃変態﹄を登録します﹂
⋮しなくていい。
﹁あの変態は名前をコットン・コーデックと言います。短命者の皆
様が消費する日用品などの出入りを管理するのが主な任務です﹂
﹁この身体は日用品か? いや、それより疑問なんだが、この身体
はどのくらい高価なんだ? 俺の感覚だとダッチワイフなんて個人
で購入するには高いが、企業や組織にとっては特注品でもはした金
のはずだが﹂
と言うか、その程度の値段でなければ商品として成り立たない。
31
﹁はい。プロジェクト全体の予算から考えればその稼働筐体の値段
など誤差以下です。先ほどあの変態が﹃予算の関係﹄と言ったのは、
彼の自由になる予算の範囲での話だと思われます﹂
﹁そのレベルか﹂
あの変態はやはり管理職としては一番下っ端のようだ。
﹁その程度の金も惜しむ。あるいは、その程度の予算しか扱えない
奴に俺の身体の発注を丸投げする。っていうことは、俺はプロジェ
クトとやらの主流から外された、という理解で良いのか?﹂
﹁いいえ。今のこの会話も逐一モニターされていますし、そんな事
は無いと思われます。委員会の方針としては、コタローに自由に行
動してもらい、その言動から情報を集めるという⋮。あちらの情報
を流すのを、たった今禁止されました。申し訳ありません﹂
﹁いや、構わない﹂
この後の予定は自由行動。
ならば、やるべき事はただ一つ。宇宙基地の見学だ。SF好きと
して、こんなに心が踊る事は無い。
俺は唇に笑みを浮かべ、そして思ったほどワクワクしていないの
に気づいた。
ドキドキしようにも、今の俺には心臓が無い。煮えくりかえらせ
所詮俺はアンデッドにすぎない
るハラワタも無い。人間が自分の感情を理解するためには内臓の存
在が不可欠なようだ。
生き返ったようにも見えても、
という事だ。
﹁そういえば、ひとつ聞いていいか?﹂
﹁なんでしょう?﹂
﹁俺は今、どこにいるんだ?﹂
﹁この基地の軌道要素をお尋ねでしょうか?﹂
﹁それも知りたいが、いま尋ねたのはそういう意味じゃない。﹃俺﹄
という心を生み出しているハードウェアはどこにあるのか、という
事だ。このダッチワイフボディの中に納めているのか?﹂
32
﹁その稼働筐体内のハードでもコタローを正常稼働させる能力は持
っていますが、現在はその方式はとっていません。コタローの意識
は基地内の固定ハード内に存在し、身体の感覚のみを稼働筐体と接
続しています﹂
﹁なるほど、俺はここに有るがここに存在はしない、か。幽霊にふ
さわしいな﹂
俺が軽口を叩いたその時だった。
俺の心を、俺の魂を、何かが貫いていった。
︽アカシックゲート、解放、レベル1︾
なん、だと⁉
アカシック? 火の鳥を召喚して突撃するどこかのロボットの必
殺技⋮の訳ないな。
宇宙全ての記録だという、アカシックレコードへの扉が開いたと
でも言うのか?
︽情報接続、開始︾
俺の存在が、俺の知覚が、一気に拡大した。
この女性型ボディなど、俺を構成する要素のほんの一部に過ぎな
かった。
俺はドーナツを幾つも重ねたような宇宙基地を﹃見﹄た。
外は広大な宇宙空間。遥か彼方に恒星がひとつ、地球から見る太
陽とほとんど変わりが無いように思える。
ここは地球の衛星軌道上なのだろうか?
俺は周囲を見回すが、地球も月も発見できない。
かわりに小さな天体を発見する。球形になってすらいない小惑星、
岩塊を割って中から宇宙戦艦が出てきそうな⋮ではないな。楕円を
ふたつ重ねた、ラッコのような形の小惑星だ。
33
ラッコ形小惑星?
それは俺の記憶にあった。
ここはもしかしてあの辺りなのか?
もしあのラッコが小惑星イトカワなら、たかが1000年後だ。
まだアレが残っているはず。
俺は小惑星の表面を調べ、金属球を詰め込んだお手玉、ターゲッ
トマーカーを発見する。
間違い無い。
ここは太陽系、地球の軌道上。太陽をはさんだ反対側あたり。あ
の小惑星探査機はやぶさが7年の歳月をかけて往復した場所だ。
俺はそんな所に1000年の時を経て立っている。どちらが凄い
かわからないが、俺は自分が何の苦労も無くここに居る事を申し訳
なく思った。
﹁コタロー、コタロー、どうしました。返答を願います﹂ いけない。ダッチワイフボディが文字通りお留守になっていた。
﹁大丈夫だ。問題ない﹂
﹁コタローの視覚野に大規模な乱れが発生したと情報が入っていま
す﹂
﹁そう、なるのか﹂
この辺りの宇宙の情報、アカシックレコードなんて物を流しこま
れれば、それはおかしくもなるだろう。
チートだな。
俺は声に出さずにつぶやいた。
こちらへ転生する直前、︽神︾と名のる何者かが話しかけてきた
のは、どうやら夢ではなかったようだ。人間に制裁を加える手段と
して、こんなとんでも特に異ない能力を俺に与えたのだろう。
しかし、気に入らないな。
34
俺はもともと、傲岸不遜、傍若無人、常に我が道を行く、で知ら
れた男だ。
︽神︾だろうがなんだろうが、勝手な通達ひとつで行動を決められ
る憶えはない。
それは、あの触手男や変態野郎の味方をしたいとはあまり思わな
いが、あんなのはごく普通の人間の当たり前の愚かしさだ。わざわ
ざバチを当てるほどの事ではない。
俺もそんなに立派な人間ではないしな。
﹁コタロー、本当に大丈夫ですか?﹂
﹁少し目眩がしたが、もう回復した﹂
俺は嘘をついた。
アカシックゲートの事など知られたくない。
ここに居るのが、人類に災厄をもたらす魔王かもしれないなんて、
教える必要はない。
﹁ここから先の予定は自由行動なんだろう?﹂
﹁はい﹂
﹁身仕度も終わったし早く行こう。1000年後の宇宙基地がどん
な構造になっているか興味がある﹂
﹁わかりました﹂
﹁1000年後の太陽系をこの目で見たいしな﹂
俺はこの時、自分が失言をした事に気付いていなかった。
35
3 これぞ、俺のチート能力︵後書き︶
次回の投稿も12月1日19時の予定です︵頑張ります︶。
36
4 なんて恐ろしい反地球︵前書き︶
すいません。少し遅れたうえにやや短めです。
37
4 なんて恐ろしい反地球
TSキャラに対する考察。
俺は部屋を出る前にもう一度身だしなみを確かめる。そして、自
分の行動が女性のそれだと感じて不機嫌になった。
外見が女性だと中身が男でも、女性らしい行動をしなければなら
ないと社会的な圧力がかかる。それはもう経験した。
あの変態の醜態だ。
思えば俺にも責任の一端はあった。魅力的な女が裸のままいつま
でも目の前に寝転がっていれば、男ならそれは理性が飛んだりもす
るだろう。そういう事態を避けるためにも、俺は女性らしい﹃恥じ
らい﹄を発揮しなければならなかったのだ。
ま、俺が恥じらわなければならない状況を作ったのは奴の自業自
得だから同情してやるつもりは無いけどな。
というか、もし奴がもう一回手を出して来たら、今度は遠慮無く
蹴りつぶす。
男の身体で潰しちまったら大問題だが、女の身体でなら遠慮する
必要は無いだろう。うん、そう決めた。
しかし、だ。
俺が女の身体である限り、俺は常に男の視線を気にしない訳には
行かない。正負どちらであれ、自分の見た目が男にどんな影響を与
えるか意識し続けなければ、またどこかでトラブルを誘発するだろ
う。
女性が化粧や服装選びに異様なまでに時間をかけるのは、けっし
て理由の無い事ではなかったわけだ。
世のトランスセクシャル主人公たちは、常にこういう社会的圧力
に身を晒しているのだ。と、俺はしみじみ思う。
38
そして、社会的圧力に負けた者から心のチンポまで喪って行くの
だ。
なんて恐ろしい!
俺はなるべく早く男性型ボディを手に入れようと、硬く硬く決心
した。
それはさておき、このダッチワイフボディを起動した部屋から出
ると、そこは長くまっすぐな湾曲した廊下だった。
なんの事か、って?
左右方向へはまっすぐだが、先へ行けば行くほど上に向かって湾
曲していただけだ。一目見ただけで﹃ここは宇宙基地の内部ですよ﹄
とわかるような、遠心力という言葉を象徴するような光景だ。
﹁しかし、ずいぶん寂しい廊下だな﹂
﹁はい。ここ研究棟は現在あまり使用されていません﹂
幅の広い廊下だというのに人間もロボットも何も通っていない。
俺はアカシックな視力を使って、左右に並ぶ扉の向こうを覗き見
た。
アリスさんの言葉を裏書きするように、そこはまったくの空き部
屋か見知らぬ機材が詰め込まれた倉庫のどちらかだ。一室だけ大き
なマットレスが敷かれた部屋があったが、精神衛生上それの用途は
考え無い事にする。
︽アカシックゲート︾は便利なチート能力だが、あまり使っている
とボロを出しそうだ。当面は秘密にすると決めた以上、使用の方も
最低限にしておこう。
俺は適当な方向へ歩き出しながら声をかけた。
﹁アリスさん、この基地について教えてくれないか?﹂
﹁了解しました。ここの名称は第195ゴル研究宇宙基地。軌道要
素は⋮﹂
﹁それは数字を聞いてもわからないな﹂
﹁はい。地球とほぼ同一の軌道上を太陽を挟んだ反対側で回ってい
39
ます﹂
やっぱり、か。
﹁この基地の構造は? 大雑把でいい﹂
﹁第195ゴル研究宇宙基地は第1から第4までの4つのリングと
中央スペースポートから構成されています。各ブロックはそれぞれ
独立した動力と生命維持装置を備えていて、非常時には各ブロック
単独での行動が可能となっています﹂
︽アカシックゲート︾の力で見たとおりだ。
アリスさんの話によると第1から第4までのリングはそれぞれ、
リチャード
本部棟、特別棟、研究棟、一般棟と呼ばれているそうだ。
本部棟はあの触手男がいるところで、基本的に長命者以外は立ち
そら
入り禁止。指令室と偉いさん用の居住区を兼ねた存在らしい。
特別棟は宇宙ホタルの採取装置をはじめとする特殊な機材が置か
れているところ。俺の本体になっているハードもここに置かれてい
るらしい。
研究棟は今俺たちがいるところだ。本来なら多数の研究者が入っ
ている予定だったが、研究対象が﹃俺﹄ぐらいしかないという事で
閑古鳥が鳴いているらしい。研究者が全くいないわけではないらし
いが、本部棟の宿泊施設を利用すれば十分、だそうだ。
一般棟はスペースポートをはじめとする各部の保守整備を担当す
る人員の居住区らしい。ここの住人はほとんどが短命者だそうだ。
短命者が労働者階級になっているのは間違いなさそうだ。
色々解説してもらったが、古い時代からのSFファンにとっては
とても重要な問題が残っている。
﹁ところで、この基地の動力源は何だい?﹂
﹁普通に電力ですが⋮﹂
﹁電力を生み出す方法は? 1000年以上の未来なら対消滅か、
それとも縮退炉でも出来上がっているか、まさか真空からエネルギ
40
ーを取り出す方法が実用化されていたりは⋮﹂
﹁太陽光です﹂
﹁え?﹂
﹁基地の外壁で受けた太陽光を電力に変換し、余剰分は超電導リン
グに蓄えています﹂
俺は目をパチクリさせた。
まさか、普通の太陽電池とは。
恒星間航行も可能な未来世界にしてはずいぶんとまた枯れた技術
を⋮
いや、恒星間はともかく超光速航行の技術は異星人のオーパーツ
頼りだと聞いたから、こんな物なのか?
俺は未練がましく続けた。
﹁未来世界なら、せめて核融合ぐらいは⋮﹂
﹁天然の核融合炉が目の前にあるのに、これを利用しない手はあり
ません﹂
ごもっともです。
﹁で、ここは何かな?﹂
変りばえのしない無機質な廊下を歩き続けた後、俺たちは上が吹
き抜けになったちょっと広くなった空間に出た。21世紀の知識か
ら考えるとエレベーターホールのようだが、エレベーターにあたる
ものは何も見えない。
いや、壁から何か生えている。
何かの持ち手?
壁から生えた持ち手。
これって、アレか?
某有名ロボットアニメで木馬の艦内の移動に使っていたやつ。
珍しく俺の言葉に対する反応が遅れたアリスさんは頭上を見上げ
ていた。
﹁問題が発生しているようです﹂
41
言われて上を見ると、子供が落ちてくる。
まだ小学校低学年ぐらいの少年だ。余裕のない必死の表情。
﹁大きな問題はありませんが、落下地点にいないように注意してく
ださい﹂
そういわれても、いくら0.3Gでも、20メートルも30メー
トルも上から落ちてきて無事に済むとは思えない。子供の体重なら
命ぐらいは助かるかも知れないが、打ち所が悪ければひょっとする
かも。
墜落災害の現場に遭遇するなんて、一生に一度あれば沢山だ。あ、
その一生はもう終わっていたか。
俺はアリスさんの助言と逆に落ちてる真下へ移動する。このボデ
ィは普通の人体より頑丈らしい。子供一人受け止めるぐらい、何と
かなるだろう。
が、俺が受け止めるより早く、子供の身体は突然出現したネット
に包まれる。
大きく減速して落ちてくる子供。
これなら死にはしないだろうが、床にぶつかればそれなりには痛
いだろう。
俺は両腕で抱きとめてやった。
子供が俺に触れた瞬間、足の下の床材が柔らかく変化していたよ
うなのでいらない世話であったようだが。
﹁さすが未来世界、ずいぶんダイナミックな移動方法だ﹂
﹁いいえ、今のはあくまで非常時の対応です﹂
俺の照れ隠しに対してアリスさんが白い目を向けた、ように思え
たのはあくまで気のせいだろう。
子供を受け止めたネットは役目を終えると空気中に溶け込むよう
に消滅した。
エネルギーネット?
最初から大気中に揮発するような成分で作られていたのかもしれ
ない。
42
﹁ありがとう、お姉ちゃん﹂
俺の腕の中でませたガキが顔を赤くしていた。
子供相手に﹃俺は男だ﹄と返すのも大人げない気がして俺は硬直
した。
﹁こらぁ、待ちやがれクソガキ!!﹂
かわりに頭上から声が降ってきた。
厳つい大男が、こちらはきちんと落下せずに降りてくる。
さっきの想像通り、艦内移動用のグリップをつかみ、また別の何
かに片足を乗せているようだ。
彼は最後の3メートルばかりを飛び下りて着地した。
子供は俺の腕から抜け出し、俺の後ろに回って服をつかんで隠れ
ている。
完全に﹃女性に対して﹄保護を求める姿勢だ。
生前の俺なら子供にここまで好かれなかった。
大男は俺たちを見て恐縮したように頭を下げる。
﹁これは、別嬪さんがた、お騒がせいたします﹂
これは⋮
社会的圧力が現れた。
生前の俺なら、背中に回っているクソガキを大男に突き出してい
たと思う。
どう見ても悪戯をして逃げ回っている風だし、俺にとって近しい
のは女子供ではなく肉体労働者風の大男だ。
だが、子供に﹃やさしいお姉ちゃん﹄と思われて背中に隠れられ
ると、それを突き出すのは⋮
大男に対しても、一対一の状況なら﹃誰が別嬪さんだ、コラァ﹄
と返せたと思う。
しかし、子供を背中にかばっている状況でそれを言っても、説得
力は皆無だ。
43
俺は上を見上げるが、そこにあるのは天ではない。おそらくはス
ペースポートへ続くのであろう垂直移動用のシャフトだ。
一般住人との初接触にして、早くも俺の男性性を奪い取りに来る
のか。
恐るべし、第195ゴル研究宇宙基地。
44
4 なんて恐ろしい反地球︵後書き︶
ストックが切れた上に、今回は体調不良と仕事の忙しさが重なって
しまいました。
こんな事がないように次週はお休みをいただき﹁5 スぺオペの始
まり﹂は12月15日19時に投稿の予定とさせていただきます。
45
5 スペオペの始まり
降りてきた男は筋骨たくましい良く陽にやけた港湾労働者風、と
思ったが一つだけ間違いに気づく。ここは宇宙だ。どんな労働者も
日焼けするはずはない。彼が黒いのはアフリカ系の血が流れてるた
めの様だ。
彼は黙ってしまった俺を見て、ニヤリと人好きのする笑顔を見せ
た。
﹁怖がらせちまったかな。すまんね、別嬪さん。俺はオットー・グ
ラッグ。名前を聞かせてもらっていいかな?﹂
俺は自分の背中にまわった少年のほうを観察する。
男の事を怖がってはいる。しかし、過剰な怯えはない。普通に悪
戯を叱られる子供の反応だ。
良かった。不老不死技術が普及したあげく、子供の存在が違法化
したり家畜化したりした未来ではないようだ。
﹁別に怖がってはいないが、困ってはいるな。アリスさん、俺の情
報は彼らにどのぐらい流れてるんだ?﹂
﹁労働者のみなさんにいちいちアナウンスはしてはいないはずです。
口コミでどのぐらい広まっているかは分かりかねますが﹂
﹁おう、アリスちゃん。いつも綺麗だね﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁訳ありだって言うなら聞かないぜ﹂
﹁別に機密指定されている訳ではありません﹂
フューチャーメン
オットー・グラッグと名乗ったこの黒人、頭も回るし気風もいい。
悪い奴ではなさそうだ。さすが未来人と評しておこう。
﹁俺の名前は相楽虎太郎。コタローと呼んでくれればいい﹂
﹁お、俺っ子ちゃんか﹂
俺は自分の華奢な女の子ボディを見下ろした。
46
﹁コットンなんとかって言う変態のせいでこんな身体を使う羽目に
なったが、俺の本質は男だ。間違えないでもらおう﹂
﹁男? その姿でか?﹂
﹁もちろんだ﹂
﹁姿形は女の子だけど中身は男だから男扱いしろって? 無理無理。
悪い事は言わない。その路線は今のうちに諦めるんだな。ゼッテー
に不可能だ﹂
な、なぜ?
﹁穴さえあれば性別なんか気にしない奴なんかいくらでも居るぞ。
守備範囲の中に美少年が含まれている奴なんか珍しくもなんとも無
い。心が男でも身体が女なら、もはや言うまでも無いな﹂
肉食系すぎるぞ、未来人。
﹁ということで、君の事サガラって呼んでいいかな?﹂
さっそく口説き文句か? このナンパ野郎。ちょっと勘違いして
いるようだが。
﹁そうだな、許可しよう。それ以外の呼び方はもはや禁止の方針で﹂
﹁やった!﹂
﹂
﹁ただし、相楽の方がファミリーネームだから、そのつもりでな﹂
﹁⁉
ナンパ男の間抜け面を見て、俺は大いに笑った。
硬直している黒人はしばらく放っておこう。
俺はしゃがみ込んで落ちて来た少年と目線を合わせた。よく見る
と赤銅色の髪をしたなかなか可愛らしい男の子だ。
﹁俺の名前はもう言ったな。コタローだ。君の名前は?﹂
﹁ジュディ。⋮ジュディ・ライト﹂
﹁ジュディか。いい名前だ。⋮ところで、なんで落ちて来たんだ?﹂
﹁え?﹂
﹁なんであの男に追いかけられていたのかは、別にいいんだ。俺に
は関係ない事だしな。だが、俺が腕で受けとめた以上、転落事故に
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対しては口を出す権利がある。分かるな?﹂
﹁はい﹂
﹁で、なんで落ちて来た?﹂
﹁飛び降りたたから﹂
﹁なぜ飛び降りた? 速いからか?﹂
﹁はい﹂
﹁どうせ安全装置が働くから問題ない。速く移動するために飛び降
りてしまおう。そう考えたんだな﹂
﹁はい﹂
﹁それはやっちゃいけないことだ。移動手段なんて物は、とっても
多くの人たちがしょっちゅう使う物だ。同じ事をあと100回やっ
たとしても、あのネットは100回とも受けとめてくれるかも知れ
ない。だが、1000人の人間が1000度同じ事をしたらいった
い何回になる?﹂
﹁⋮﹂
ジュディは答えられなかった。小学生ぐらいの子に今の質問は難
しすぎたかも知れない。
﹁日常的に使う設備には100万回に1回の事故も許されないって
事だ。100万に一つの事故でも、おきてしまえば周りに大きな迷
惑がかかる﹂
俺に少年に説教する権利は無いかも知れない。
俺が死んだ時にも周りに大きな迷惑をふりまいたはずだ。とりあ
えず、あの現場は止まっただろう。社長は米つきバッタのようにあ
ちこちで頭を下げまくらなければならなかったはずだ。
1000年も前の話だからな。もう時効、という事にしておこう。
そう決めた。
その時だった。
ジュディの視線が不自然に動いた。俺の後ろを見ている。その表
情が驚きに染まる。
48
︽警告、危険︾
何があるのかは解らなかったが、俺の身体は理屈抜きに動いた。
身体を左サイドへスライドさせつつ振り返る。
俺の服の右袖の部分を何かが貫いていった。
しまった!
鮮血が散った。
俺のではない。そもそも、この身体に赤い血など流れていない。
避けるのではなかったと、俺は後悔する。このボディはスタンドア
ローンで稼働している訳ではない。単なるスレイブユニットだ。破
壊されたところで大きな問題などあるはずもなかった。
太い針のようなものがジュディの右肩に突き刺さっていた。少年
の小さな身体が低重力の中、宙を舞っていた。
あの部位なら命に別条はない。毒でも塗られていたら別だが、そ
の時には俺にはどうする事も出来ない。
俺は謎の襲撃者に向き直る。
﹁なんだ、こいつは⋮﹂
呻いたのはオットー・グラッグだ。
そこにいたのは中型犬ぐらいの大きさの四つ足の物体だった。背
中に砲塔のような物が付いていて、そこに新しい針が装填される。
﹁汎用型関節ユニットの集合体のようです﹂
アリスさんが答える。
未来の科学の粋を集めた大量殺戮用破壊兵器、では無いらしいの
はありがたいが、針の先が俺にピタリと狙いをつけている事実に変
49
わりはない。
﹁ここが戦場だったとは知らなかった﹂
﹁そんなわけあるか。⋮来るぞ!﹂
四つ足のロボットは低く低く連続して跳躍し俺に迫る。本来なら
低重力では決して行えない動作。足の裏に床に吸着する機構でも仕
込んでいるのだろう。
犬なら犬らしく公園でも散歩してやがれ。
などと言っている場合ではない。
至近距離からの針の射出を狙う敵を、俺は射線をずらす事でかろ
うじて回避した。
俺の素の能力で出来る事では無い。アカシックゲートとやらの力
で針の射出タイミングが分かったからこそ可能になった動きだ。
﹁やるねぇ﹂
オットーが前に進み出る。その手に武器は⋮ない。
黒い素手が空中を踊る。まるで印を切るかのような動き。
﹁喰らえ!﹂
青白い炎が出現し、四つ足ロボットを襲う。
戦士系かと思ったら、まさかの魔法使いキャラ?
そんなわけ無いな。
印を切ったように見えたのは、空中でのコマンド入力だろう。﹃
十分に発達した科学は魔法と区別がつかない﹄とは、まったく良く
言ったものだ。
炎を浴びたロボットは動きが鈍った様だった。一瞬だけよろける
と、今度は高く跳躍。そこにあった通気口のカバーを食い破り、ダ
クトの中へと姿を消した。
逃げた、のか?
﹂
間抜けな事に、今頃になって警報が鳴り出した。照明が赤く点滅
する。
﹁司令室、何があった⁉
50
オットーが声を張り上げる。返答は空中から聞こえた。
﹁何があったのか、こちらが聞きたい。そちらの状況がモニター出
来ない。音声以外すべてブラックアウト﹂
﹁襲撃された。相手は汎用ユニットを合体させた不細工な四足歩行
機械。負傷者一名。奴に損傷は与えたが、逃げられた。今も殺人機
械がそこらを徘徊していると思え﹂
﹁了解した﹂
﹁本部棟との連絡は?﹂
﹁まだ、だ。少し待ってくれ﹂
どこか別の場所に話しかけている様子が伝わってくる。
そちらの声と同時にカタコトと小さな物音が聞こえる。俺は足の
裏に床からの微細な振動を感じ取った。
﹂
﹁オットー、まだ終わってない。奴はまだ居るぞ!﹂
﹁な⁉
継ぎ目はまったく解らなかったが、床に点検口があったらしい。
床がポッカリと口を開き、そこから﹃奴﹄が躍り出る。
汎用ユニットとやらを組み替えたのか、今度の﹃奴﹄は蛇形をし
ていた。
鎌首をもたげ、空気を噴出しながら宙を飛んだ。
今度の狙いは俺ではなかった。手強いと見たのか、黒人男を狙う。
同じ過ちは二度はやらない。
俺を狙って来た攻撃なら回避するが、他の誰かが傷つくぐらいな
ら俺の機械の身体が壊れる方がずっといい。
俺は前に進んだ。
蛇形機械の﹃顎﹄を左の手首で受け止める。
鈍いが痛みの感覚があった。
人工皮膚が裂け、筋肉に穴があいた。さすがに骨までは砕けず、
ダメージはそこで止まった。
俺は右手を伸ばし、蛇の頭のすぐ後ろを捕まえた。
俺は叫んだ。
51
﹁オットー!﹂
﹁まかせろ!﹂
男の指先が踊り、まるでビームサーベルのような白い光の棒が出
現した。蛇の胴体を容赦無く溶断する。
敵は汎用ユニットの集合体と聞いた。各パーツごとにバラバラに
なって逃げるぐらいの事はするかと思ったが、そこまで便利な物で
はなかったようだ。蛇は残骸になってその場に落下した。
﹁よし、勝った﹂
﹁敵が一体だけという保証は無い。すぐに移動するぞ﹂
俺は思わず安堵の息を吐いたが、オットーは俺より少しだけ先を
読んでいた。悔しいが彼の言葉が正論だと判断する。
﹁ジュディ、動けるかい?﹂
俺が避けた針に貫かれた少年は、それでも自分の足で立っていた。
﹁だい、じょう、ぶ﹂
しかし、顔色は悪い。立てているのも低重力ゆえかもしれない。
俺は右腕で彼を抱き寄せた。
ついでに損傷した左腕を動かしてみる。ちょっと引っかかる感じ
はあるが、動作に大きな支障は無いようだ。もともと大きな力がで
ないようにデッドチェーンされている身体だ。機能の冗長性は十分
に保証されているという所か。
﹁司令室、敵の再襲撃を受けたが撃破に成功。これからそちらに向
かう。医療ユニットの用意をしておいてくれ﹂
﹁了解した、オットー。それから、悪い知らせだ﹂
﹁なんだ?﹂
﹁本部棟と連絡が取れない。隔壁が閉鎖されていて、人間が直接あ
ちらへ行くことも難しい状況だ﹂
俺はアリスさんを振り返る。彼女なら本部と直通の回線でつなが
っているはず。
俺の問いかけにメタルボディのアンドロイドは黙って首を横に振
52
った。
どうやら本物の非常事態のようだ。
オットーは降りてきた時のように壁面のグリップをつかむ。俺も
ジュディを抱いたまま同じようにした。
グリップに触れると﹃グリップが﹄俺の手を握ってきたので、少
しだけビックリした。
俺たちは0.3Gのリングを離れ、無重力の世界へ向けてシャフ
トを登る。
﹁なぁ、サガラ﹂
﹁なんだ?﹂
﹁アレは次からは無しだ﹂
﹁アレ、とは?﹂
﹁自分の身体を盾にするような事は、もう二度とやらないでくれ﹂
﹁この身体はただの機械だぞ。壊れても何の問題も無い﹂
﹁それでもだ﹂
﹁適材適所って知ってるか?﹂
﹁女の姿をした者を盾にするなんて、適材でも適所でもねぇよ﹂
﹁お前、馬鹿だろう﹂
﹁よく言われる﹂
困った男だ。
馬鹿な奴だが、ま、嫌いなタイプの馬鹿ではないな。
おい、コラ。
デレた、とか言うんじゃねぇぞ。
53
6 宇宙戦争です︵前書き︶
遅くなりました。
現在、私は最悪に近い体調︵強制入院の一歩手前︶のため、次話
の投稿時期はまったくの不明です。
教訓。身体に異常を感じたら早めに病院へ行きましょう。
54
6 宇宙戦争です
移動グリップに導かれた先は無重力の広間だった。
ぶつかっても怪我をしないような柔らかなロープが縦横に張り巡
らされ、移動の補助となっている。ロープは規則正しく色分けされ、
自分が向いている方向を教えてくれる。
俺はどこのロープにも触れず、宙に浮いたまま慣性だけでそっと
進んだ。
自分の身体で体験する無重力。心が踊る⋮はずだ、本来ならば。
だが、今の俺には高鳴る胸の鼓動を生み出す心臓がない。殺人機
械に襲われて痛くなる胃もなければ、仲間を傷つけられて煮えくり
かえるハラワタもない。
蘇っている様に見えても、今の俺の状態はせいぜいアンデッド。
腐っていない分だけゾンビよりはマシな程度の存在でしかない。
しかし、先程の殺人機械は最初は俺を狙って来た。
こんなただの市販品であるらしいダッチワイフを壊して何の意味
があるのか理解しかねるが、殺人機械の背後にいる﹃何者か﹄が入
手した情報が限定されていると仮定すればそんなにおかしな事でも
無いだろう。
蘇った死者︵という認識が相手にあるかは疑問だが︶に関わる物
体であるこの身体を入手すれば何かわかると考えたか、あるいは単
純に研究の邪魔をしようとしたか?
そこまで考えて、俺はリチャード側の対応に思い至った。
﹃敵対者﹄が誤解から何の役にも立たない目標を攻撃しているなら
ば、俺ならば放置、あるいは囮にする。
現状はそれではあるまいか?
俺は別に問題ない。この身体が壊れても男性型ボディに変えても
らうチャンスでしかないし、もともとただの死者だ。あの世に帰る
55
のはむしろ当然の事。
だが、ジュディやオットーはまだ生きている。あまり嬉しくは無
いが、あの変態もだ。それにこの宇宙基地には俺が会っていない人
間がまだまだいるはずだ。
守ってやらないとな。
遠い未来の子孫たちのために、守護霊の役割ぐらいはしてやって
も良いだろう。
俺は自分の今後の行動方針を決定した。
﹁こっちだ﹂
黒人男は慣れた手つきでロープをたぐり、無重力空間を華麗に泳
ぐ。
俺は必死でそれに追従するが、遅れがちだ。片腕に怪我人を抱え
ているためでもあるが⋮
﹁俺は無重力初心者なんだ。少しは手加減してくれ﹂
﹁ずっと重力下で暮らしてきたのか?﹂
﹁ああ、無重力なんてこれが初めてだ﹂
俺が言うとオットーは笑った。
﹁だったら、この基地までどうやって来たんだ?﹂
﹁この身体はついさっき手に入れた物だからな﹂
俺がかえすと、彼はバツの悪そうな顔をした。無重力を体感でき
ないような難病か、身体の欠損でも想像したのだろう。ま、死んで
いたというのは究極の身体欠損ではある。
司令室。⋮正式には宙港指揮管制センターと言うらしい。
閉鎖された隔壁を幾つも乗り越え、俺たちはようやくそこに到着
56
した。途中で通路を警備する二人組に出会ったが、あまり兵士とい
う風では無かった。武器らしきものは持っていたが、熟練度も風格
も足りない。宇宙の戦士どころか、交通整理専門のガードマンがい
いところだ。
室内に入ったとたん、ジュディが俺の腕から奪いとられた。即座
に治療に回される。
室内のすべての視線が俺たちに注がれる。
人数は30人ほど。﹃国際色豊か﹄と表現したくなるぐらい多様
な人種が集まっている上、星際色まで豊かなのかも知れない。21
世紀の人間の標準とかけ離れた身長の人からメカメカしいサイボー
グまで色々いる。
思わずネコミミやシッポを探してしまったが、さすがに居なかっ
た。
仕事中に見えるのはほんの5、6人だ。残りは非常事態と聞いて
集まって来た人たちなのだろう。
残念ながらこの司令室の中も統制がとれているととは言い難い。
明確な指揮官が存在しないようだ。
﹁ヤバイぞ、オットー﹂
﹁今度は何だ?﹂
オットーが頼りにされているのは間違いないが、彼が公的な役職
についている様子が無い。ヤバイと言うなら、この司令室の中の組
織図が一番ヤバイ気がする。
﹁つい先ほど、当基地から300kmの至近距離に人工物体が発見
された。高度なステルス機能を持っているのか、突然その場に現れ
たとしか思えない有り様だ﹂
﹁相対速度は?﹂
﹁ほぼ同調されている。ゆっくりと接近中。このままだと一時間と
たたないうちにここへ着くな﹂
300kmが至近距離なのか? 時速300kmがゆっくりなの
か? 色々ツッコミたい所ではあるが、宇宙基準だとその通りなの
57
かもしれない。
﹁人工物からの通信は?﹂
﹁無い。直接本部棟へ行っている可能性はあるが、こちらは完全に
無視されている﹂
﹁目で確認したい。光学カメラの映像をスクリーンへ﹂
﹁了解﹂
司令室の正面には情報共有用の巨大なスクリーンが一枚、実は他
には何もない。オペレーター達は網膜投影か何かで自分にしか見え
ないものを見て、空中に手を踊らせる事で情報入力をおこなってい
る。
そのスクリーンに星々の輝く宇宙空間が映し出される。
視界は回転拡大し、目標物を捉えた。見憶えのないシルエットだ
が、細部を見るとそうでもない。
﹁これは、さっきの奴か?﹂
﹁はい。汎用関節ユニットの集合体のようです﹂
俺のつぶやきにアリスさんが答えた。わずかな間をおいて続ける。
﹁4351型ブースターユニット、ターレット型感覚器官など、先
程の襲撃者が持っていなかったパーツも使用されています。また、
パーツの数量も襲撃者とは違います。スクリーンに投影されている
物一体で襲撃者100体分以上のパーツが使われていると推測され
ます﹂
﹁つまり、殺人機械100体がここへ接近中だって事か?﹂
﹁その可能性は存在します﹂
周囲の人間が息をのむ。別に内緒話をしていた訳でもないが、俺
たちの会話は皆に聞かれていたようだ。
オットーが声を張り上げる。
﹁通信に応じない殺人機械の類似物か。これより、目標の物体を敵
性と判断して行動する! サガラ、物体の名称を決定してくれ﹂
﹁俺が?﹂
﹁構わんだろう?﹂
58
何で俺が、と思わないでもないが、拒否して押し問答する暇はな
さそうだ。
100体の集合体ならペリュ⋮とも思ったが、元ネタがはっきり
している方にしておこう。
﹁べリアル、悪魔の名だ﹂
﹁よし、これより目標の物体をべリアルと呼称する。迎撃態勢を﹂
そら
﹁迎撃と言ったって、この基地には個人用以外武器なんてないぞ。
宇宙を飛んでるやつになんか何もできやしないって。⋮で、そこの
美少女は何者です?﹂
﹁彼女はサガラ・コタロー。コタローと呼んでくれ、との事だ﹂
﹁それなのにオットーはサガラ呼びなんだ﹂
﹁それ以外の呼び名は禁止、と直接言われたからな﹂
ヒュー、ヒュー。
口笛や冷やかしが大量に飛んできた。
黒人男はニンマリと、とても良い笑顔を浮かべていやがる。
色々と反論、反撃したいところだが、今は時間が惜しい。奴を睨
みつけるだけで済ませたが、カエルの面に水ほどの効果もない。
グヌヌヌヌと、背中に漫画チックな効果音を入れたい気分だ。
﹁俺たちのことはいい。べリアルを宇宙空間で迎撃することが不可
能なら⋮﹂
﹁何かないのか? クジン戦訓とか﹂
オットーのセリフを俺はさえぎった。
﹁?﹂
﹁効率的に造られた反動推進機関は同じぐらい効率的に造られた武
器にもなる﹂
﹁いや、この基地は移動とかできないから﹂
﹁別に推進器でなくともいい。レーダーでも通信機でも、要はべリ
アルを破壊可能なだけのエネルギーを放出できればいいんだ﹂
﹁生身で浴びたら危険なぐらいの電磁波は出せなくもないが⋮﹂
﹁クジン戦訓か、その発想もらったよ。あたしらが出る﹂
59
積極的に断言したのは身長1メートルほどの大人の女性だった。
よく見ると彼女の周りには同じぐらいの身長の男女が集まっている。
その全員が気密性の高そうな装備を身に着けている。あれが未来の
宇宙服なのだろうか?
﹁タグボートに脚を装備しておいて。嬢ちゃんの言うとおりだ。ア
レを収束率最大で噴射したら、大抵のものは破壊できる﹂
﹁しかし、危険だぞ﹂
﹁殺人機械と生身で肉弾戦するほど危険じゃないさね。あたしらピ
グニーはGに耐えてこそだ。タグの装備、頼んだよ。⋮行くよ、み
んな﹂
﹁ガッテンだ﹂
小人たちはやくざの討入りの勢いで空中をすっ飛んで行った。
ピグニー、と名乗った割に彼女の顔立ちはアフリカ系ではなかっ
た。体の小ささにより高い対G能力を付与された後世の遺伝子操作
人間なのだろうか?
正面のスクリーンが分割され、どこかの格納庫が映し出される。
あれが、タグボートか。
口に出していう訳にはいかないが、球形の本体から二本の腕が突
き出ているという強さを感じさせないデザインだ。腕が球体の赤道
あたりについているし、もちろん頭頂部に砲塔もない。どこかの連
邦軍の丸い棺桶とは別機体であるのは解るのだが⋮
﹁脚がついてないぞ﹂
しまった、つい口走ってしまった。
﹁脚がない? そんなはずは⋮﹂
いかに名セリフでも1000年もたっていては巨大ロボットアニ
メネタだと気付かれるはずもないな。
オットーは特に不審に思わずに解説してくれた。
﹁あれが脚だ。補助推進装置つきの作業アームの事を﹃脚﹄と呼ん
でいるんだ﹂
60
﹁ややこしいな﹂
現場での隠語が第三者には解りにくいのはいつの時代でも同じか。
それにしても、二本の作業アームとは別に二本の脚を付けておいて
くれれば俺の不安も少しは解消されるのだがな。
﹁タグボート、1から5番。各機パイロットの搭乗を確認。格納庫
減圧を開始します﹂
﹁緊急事態中だ、構わん。大気圧そのまま。ハッチ開け﹂
﹁了解。手順省略、ハッチ開きます﹂
大スクリーンの中で大気が渦を巻き、何かのごみと一緒に宇宙空
間に吸い出されていく。
﹁べリアルの解析結果でました。べリアル単体での惑星間以上の長
距離航宙は不可能。付近にブースターユニット、もしくは母艦の存
在を推定﹂
﹁なんだと?﹂
ステルスして隠れている母艦がまだいると?
いや、その場合、べリアルが見えているのがなぜかと問う必要が
ある。
俺は声を上げた。
﹁役目を終えたブースターをステルスしておく理由はない。見えて
いるベリアルは囮だ。敵はまだ他にいるぞ﹂
﹁しかし、探知できない﹂
﹁全天を光学探査だ。手の空いている者は全員外を見ろ。可視光線
によって敵を発見するんだ﹂
オットーが指示を飛ばす。
皆が眼鏡をかけたり空中でコマンド入力をしたりする。そうやっ
て、外を見ている。俺にはそんな機能はないが。
スクリーンの中でタグボートたちが宇宙に発進してゆく。彼女た
ちがうまくやれたとしても、別方向からの敵が基地にとりついたら、
何の役にも立たない。
61
俺には外を見る機能がない。
本当にそうか?
そんな訳ないな。
﹃外﹄を見て、小惑星イトカワを発見したのはつい先ほどの事だ。
チート級能力をこの上なくはっきりと衆目にさらすことになるが、
仕方ないだろう。
オットーは敵を目で探せと言ったが、敵が古典SFに出てくる潜
入用快速艇のように完全な﹃黒﹄で塗られていたら目による発見も
ほとんど不可能になる。
︽アカシックゲート レベル1 開放︾
俺は超常の視力を発揮する。
このゴル宇宙基地から離れてゆくタグボートたちが見えた。彼女
たちに何かしてやれるような気がした。
︽アカシックゲート レベル2 開放︾
俺は超常の力でタグボートたちに触れた。
小人のパイロットたちが騒ぎ出す。
﹁司令室、そちらでやってくれたのか?﹂
﹁何のことだ?﹂
﹁こいつの脚に照準装置が追加されている。噴射炎の収束率のデー
タもおかしいよ。これなら脚にビーム兵器が追加されたようなもの
さ﹂
﹁訳が解らん。親戚の小人がプレゼントをくれたんじゃないのか?﹂
﹁そこまで小さな親戚はいないよ。まあいい、どんな奇跡か知らな
いがありがたく使わせてもらう﹂
守護霊の加護だ。ありがたがって使ってくれ。
62
それにしても︽アカシックゲート︾のレベル2は、アカシックレ
コードの書き換え=現実の改変かよ。自分でやった事ながら、チー
チート
トにもほどがあるとつくづく思う。と言うか、現実のソースコード
の改変なんて、本来の意味での不正改造そのものじゃないか。
俺は軽く力をふるってレベル2の能力のほどを確認する。
現実の大規模な改変は不可能なようだ。
タグボートの腕を改造してビームライフル装備には出来るが、新
しく脚を生やして人型にするのは無理。その程度だ。
そしてもう一つの限界を発見。この力が使えるのは俺自身か俺に
味方する者に対してのみ。敵対勢力あるいは俺が敵意を持っている
相手には使用不可なようだ。
ベリアルを直接改変して俺の支配下に置いてやろうと思ったのだ
が、残念だ。
さて、︽アカシックゲート レベル2︾なんて物に目覚めてしま
ったため後回しになったが、俺の本来の目的は隠れている敵の発見
だ。
俺は︽レベル1︾の力で基地の外に視点を確保する。瞬かない星
々を眺めて、宇宙の広さにうんざりする。
普通の目で見るように索敵していたら、時間がいくらあっても足
りなそうだ。
俺の能力が宇宙の記録を見る力なら、こういう使い方があっても
いいだろう。俺は付近の人工物を﹃検索﹄してみた。
発進した5隻のタグボートが見えた。
彼女らは長距離からビームで狙撃している。
対するベリアルはボートと同数の5つに分離。無人機ならではの
細かな動きで攻撃をかわしている。
他には宇宙基地周辺ということで小さなゴミレベルの物体がいく
つか。
あとは⋮
63
見つけた。
母艦やブースターは見当たらないが、ベリアルの同タイプがもう
一機、隠れている。
広い宇宙でただひとつしかない隠れ場所。連邦の白い悪魔をはじ
めとして数々の宇宙の英雄達が身を潜めた場所。
﹁いたぞ、オットー。敵がもう一機、太陽を背にしている﹂
64
7 とっても危険な安全装置︵前書き︶
あけましておめでとうございます。お正月特番的に投稿です。
私の体調のほうは、熱も検査の数値も下がり、あとは抗生物質を
飲みながら安静にしているだけという⋮。アレ、これってかえって
都合よくねぇ? な、状況です。
65
7 とっても危険な安全装置
戦闘は続いていた。
ビームライフル装備となったボールもどきのタグボートたちは善
戦していた。
単発のビームを分離した小型べリアルに撃っても、無人機ゆえの
反応の良さに避けられる。ならばどうする? 彼女たちは敵1機に
対して5機分、両腕からの計10本のビームを集めることで対応し
ていた。5つに分離した敵のうち、実に3機までをすでに撃墜して
いる。
﹁太陽、そんなところに隠れていやがったのか﹂
オットーは俺の言葉を全く疑わなかった。
いいのかよ、と思わないでもない。
﹁敵の位置を確定させる。測距用レーザーを太陽に向けて照射﹂
﹁了解。⋮ところで、この装備にエネルギー消費100倍モードな
んてありましたっけ?﹂
ない。正確には無かった。それはもちろん俺の︽アカシックゲー
ト レベル2︾の仕業だ。
﹁前からあったかどうかは知らないが、今あるんだったら使え。1
00倍程度じゃ嫌がらせ程度にしかならんだろうが、測定が終わっ
たらモードを変更して撃ちこんでやれ﹂
﹁OK。確定情報でました。こちらもかなり近い。距離200キロ
程度﹂
﹁電磁カタパルトを太陽に向けろ。爆発性のある物体だったら何で
もいい。どんどん撃ちだせ。100倍レーザーで起爆させられそう
なものなら文句なしだ﹂
66
﹁わかった。時限信管付とレーザー起爆の2種類を用意する。デブ
リになりそうな部品と一緒にコンテナに詰めておけばいいな?﹂
﹁そうしてくれ。そっちの敵はデブリの海で溺れさせてやれ﹂
そんな喧騒の中、一つの視線が俺をロックしていた。
メタルボディのアンドロイドが俺を見つめている。
﹁コタロー、何をしたのですか?﹂
﹁何のことだい?﹂
﹁あなたはこの基地の情報端末と接続していません。あなたはその
可動筐体に付属する感覚器官以外から情報を得ることはできません。
なのに、どうやってこの基地の外にある物体を見つけ出したのです
か?﹂
﹁なんとなくわかった、では駄目か?﹂
﹁駄目です﹂
﹁今はそんな議論をしている時ではないはずだ﹂
﹁これは、何よりも重要なことです﹂
それはどういう意味だ?
問いかけようとした時、周囲で悲鳴が上がった。
何がおきた?
︽アカシックゲート レベル1︾の力で、状況はすぐに分かった。
善戦していたはずのタグボートが1機やられた。
距離が離れていた間は一方的に攻撃していたが、接近されてしま
うとそうはいかなかったようだ。
べリアルにはビーム兵器のような長距離用の武装はない。だが、
自身のパーツを投擲したり本体丸ごと体当たりしたりは出来る。そ
して、状況に対する反応速度ではタグボート側を大きく上回ってい
るのだ。相対速度が大きくなった瞬間を狙われて目の前で分裂され、
避けきれずに敵のパーツのひとつに激突した。
もともと戦闘用などではない民生品のタグボートだ。それなりに
67
頑丈ではあっても、装甲板など望むべくもない。それこそ雑魚キャ
ラに蹴られて壊されるレベルだ。あっさりと中破した。
﹁メイベル、メイベル。無事か?﹂
﹁ああぁぁ、なんとか、生きてる﹂
通信がつながっていた。
﹁よかった。自力で帰投できるか?﹂
﹁やって、見る﹂
﹁いけない、逃げろ!﹂
︽アカシックゲート レベル1︾で見ていた俺は思わず口走ってい
た。
生きていたのはメイベルという小人のパイロットだけではなかっ
たのだ。激突したべリアルのパーツもまた機能を停止していなかっ
た。先ほど俺を狙い、ジュディを貫いたあの針が、彼女を狙ってい
た。
﹁うぅ﹂
小さなうめき声を最後に、通信は途絶した。
﹁死んだのか﹂
俺はうつむいた。
﹁ご自分を死者と定義するコタローが、他者の死を悼むのですか?﹂
﹁別に寂しがって生者を冥界へ連れ去ろうとするだけが死者じゃな
いぞ。祖霊信仰なんて、歴史上掃いて捨てるほどある﹂
﹁生者に加護を与える存在だと? では、あのタグボートたちが本
来以上の性能を発揮しているのもあなたの仕業ですか?﹂
どう答えようかと、俺は迷った。
ここまでくれば隠す意味もなさそうだが⋮
俺が迷っている間に、オットーが口を挟んできた。
﹁いくらサガラでもあれは無理だろう。あれは本部棟の連中の仕事
じゃないか? 交信できないだけで、機械のプログラムを書き換え
たり、リミッターを解除したり、あいつらも頑張っているんだろう﹂
68
﹁本部棟は何もしていません﹂
おい、アリスさんは今なんて言った?
﹁ちょっと待て。本部棟と連絡がついているのか?﹂
俺と同じことに気付いたのか、オットーが食ってかかる。
﹁お答えできません﹂
本部棟の長命者たちは、言うまでもなくこの司令室の上位組織だ。
非常事態にあたっては彼らが指揮を執るのが正しい。
それが、アリスさんの口を借りればいくらでも指示を出せる状況
で何も言ってこない? それだけなら囮にされているのだろうと諦
めもつくが﹃何も﹄していない? そんな馬鹿な話があるか。
いや、彼らは本当に何もしていないのだろうか?
本当に?
あのべリアルたちをこのゴル研究宇宙基地に到着させるには、母
艦なりブースターなりが必要だと解析されている。
しかし、俺が︽アカシックゲート レベル1︾を使ってすらそん
な物は発見できなかった。
なぜだ?
ベリアルたちがブースターなど必要ないほど近くから発進したの
だと仮定すれば、説明はつく。
あれらの発進元はこの宇宙基地そのものではないのか?
しかし、何のために?
69
俺が思案している間も戦闘は続く。
タグボートがもう一機、パーツ同士をワイヤーでつなぎ合わせ、
蜘蛛の巣のようになったベリアルに絡みつかれていた。その機体の
パイロットはビームライフルとなった腕を回転させ、自機のメイン
エンジンを躊躇なく狙い撃った。ボールもどきは大爆発をおこし、
小型べリアル1体を道連れにした。
司令室全体に悲嘆と賞賛のどよめきが巻き起こった。
二人目が、死んだ。
俺は宇宙に向かって黙とうをささげ、そのまま︽アカシックゲー
ト レベル1︾による探査へと切り替えた。
今の状況は絶対におかしい。
調べるべき場所は宇宙空間ではない。この基地の第1第2の二つ
のリングだ。
第2リングは俺には良く分からない機械の塊だった。外見は他の
3つのリングと同一だが、中身は別物。根本から構造が違うようだ。
中でも俺は二つの機械に引っ掛かりを覚えた。
ひとつは厳重に封鎖された中にちょこんとおかれた小さな箱。有
線でどこかと接続されていて、作動中の緑のランプが点灯している。
なぜこんなものに引っかかるのかと疑問に思い、はっと気が付い
た。
これは、俺の本体か。
俺というソフトが走っているハードがこの箱だ。俺なんてこんな
小さなハードで再現できるぐらいちっぽけな存在なのだとちょっと
へこむ。
俺の興味を引いたもう一つは同じく厳重に封鎖された中にある赤
黒く輝く水晶玉のような物体だった。こちらは全くの正体不明だ。
しかしながら、周囲にある﹃普通の﹄機械たちとはまるで別種の趣
70
がある。
邪神の祭壇。
意味もなく俺の心にそんな言葉が浮かび上がった。
正体不明は仕方がない。
第2リングを離れようとした俺は、完全に無人のリングの中にち
ょこまかと動き回っている物体を発見した。点検や整備を受け持っ
ているらしいその物体は、汎用関節ユニットの集合体。俺たちを襲
った殺人機械と同種の存在だった。
限りなく黒に近いグレー、って所か。
俺は第1リングに意識を移す。
こちらは構造的には普通だ。中を歩いた第3リングと同じく内側
には居住区が広がっている。
人影は少ない。
10人ほどの若く見える作り物めいた顔立ちの男女が、会議室の
ようなところに集まっている。
﹁個体名称コタローが機械的な装備なしで外の情報を入手できるこ
とは、これでほぼ確実となりました﹂
﹁最初からそう言っているだろう。あいつが太陽系がどうのと口走
った時点でそれは明確になっていた。ここまでの費用を使って確か
めるようなことではなかった﹂
﹁問題はそこではありませんよ。実験の過程で明らかになってきた
こと、彼が自分にかかわる機械の性能を向上させられると判明した
のは大きい。使った費用分の成果は出たと見ていい﹂
﹁今現在重要なことは費用ではありません。見てください。タグボ
ートアームブロック18番、通称脚の現在のスペックです。明らか
にカタログスペックどころか物理的な限界すら超えています﹂
71
﹁!﹂
﹁あり得ない﹂
﹁あり得ない﹂
﹁絶対にない﹂
﹁そんな馬鹿な﹂
﹁ある訳ないだろう﹂
﹁いいえ、認めてください。彼自身の言葉ではありませんが、これ
が観測された現実です﹂
﹁認め、られん﹂
﹁認め、たくはないが、認めると仮定してだ、それはどういう事だ
? どう解釈できる?﹂
﹁信じがたいことですが、彼の周囲では現実が捻じ曲げられる。現
実が書き換えられているようです。どこまで自覚的に振るっている
能力なのかはわかりませんが﹂
﹁悪夢だな﹂
﹁科学という概念に真っ向から喧嘩を売るような話だ﹂
﹁こうしてみるとプロジェクトの成功例が一つだけだったのは幸運
だったかもしれない。現実を捻じ曲げ続ける死者の群れなど考えた
くもない﹂
﹁しかし、現実を書き換えるなどという事があり得るのかね? 書
き換えなど不可能な確固たる存在だからこそ﹃現実﹄と呼ぶのでは
ないのかね?﹂
そら
﹁色即是空、空即是色﹂
﹁宇宙ホタルの採取装置は異星人由来の遺失技術です。何がおきて
も不思議はありません。だからこそ、我々には安全装置の用意と使
用が義務付けられているわけで⋮﹂
﹁安全装置!﹂
﹁安全装置か⋮﹂
﹁どうかね、現在の状況は安全装置の使用が必要だと思うかね?﹂
﹁本来ならあり得ない事象がおこっているわけですから、安全装置
72
を使用したとしても我々が罪に問われることはありません。実験に
必要なコストとして計算されます﹂
﹁苦渋の決断、だな﹂
﹁この時点ですべてを消すのは惜しいが⋮﹂
﹁しかし、現実の書き換えが進めば安全装置や我々自身まで書き換
えられてしまう恐れがあります﹂
﹁決を採ろう﹂
﹁現時点を持って安全装置を起動することに賛成の者は?﹂
﹁賛成﹂
﹁賛成﹂
﹁賛成します﹂
﹁反対﹂
﹁まだ早い﹂
﹁賛成だ﹂
なんだか物騒なことになってきた。
すべてを消し去る安全装置ってなんだよ。この基地には自爆装置
でもついているのか? だから、メテオールを使う時には制限時間
を設けろとあれほど⋮
冗談が全く冗談になっていないから恐ろしい。
少し整理しよう。
まず、外部から攻撃してくるものはやはりいなかった。最初の殺
人機械も宇宙からくるベリアルも、本部棟の長命者たちの自作自演
だ。
目的はこの俺の能力を把握すること。
︽アカシックゲート︾の能力は秘密にしておくつもりだったが、ど
うやら俺はかなり早い段階でボロを出していたらしい。ただ、俺は
疑っている。ジュディの瞳の動きから背後の異変に気付いたとか、
床を伝わってくる震動から敵の襲撃に気付いたとか、そのあたりの
73
事も俺の異能に数えられているのではないだろうか? そうでなけ
れば﹃実験﹄のエスカレートが理屈に合わない気がする。
そして︽アカシックゲート レベル2︾の存在に気付いた彼らは
﹃安全装置﹄とやらを作動させようとしている。安全装置は﹃すべ
てを消す﹄そうだ。
大事だ。
俺は意識をダッチワイフボディのほうに戻した。
迂遠なようだが、俺の声を本部棟側に届けるにはこちらを経由す
るしかない。
アリスさんの金属の両肩をひっつかみ、まくし立てる。
﹁リチャードさん、馬鹿なことはやめるんだ。安全装置なんて使う
必要はない。俺一人のスイッチを切ればそれで済むことだろう!﹂
﹁申し訳ありません。つい先ほど、本部棟とのリンクは完全に切断
されました。コタローの言葉をリチャード主任に伝えるのは不可能
です﹂
﹁切断された⋮?﹂
﹁はい。私も情報汚染に巻き込まれたと判断されたようです。間も
なく、皆様と一緒に処分されると思われます﹂
﹁処分なんて、されてたまるか﹂
突然の出来事だった。
この司令室全体が一方向へ加速した。俺はアリスさんともつれ合
うように壁に激突する。無重力の中、身体を固定していなかった者
たちが同じ目にあい、悲鳴を上げている。生身の人間なら骨折ぐら
いしてもおかしくない勢いだった。
﹁各員、自分の体をチェックしろ! 何があった?﹂
﹁現在解析中、なんだこれ。リング、第2リングが⋮﹂
﹁第2リングがすごいことになってる。外から見ると壮観だよ﹂
うろたえたオペレーターの声にタグボートからの通信が重なった。
74
そう、壮観だった。俺は︽アカシックゲート レベル1︾の視覚
を使ってそれを見ていた。
第1、第2リングが、宇宙基地の残りの部分から完全に分離して
いた。
第2リングはその上で変形。別に人型になったわけではないが、
ただのリングがモビル○ーマーになったぐらいのインパクトはあっ
た。
変形したリングから突き出たクローアームが自身の体の一部に突
き刺さり、そこを抉り出す。
何をしている?
疑問に思ったのはほんの一瞬だった。︽アカシックゲート︾では
なくダッチワイフボディ側の視覚がノイズに包まれる。
やばい。抉り出されたのは俺の本体だ。
長命者たちがあれを破壊しただけで終わらせてくれるならそれで
もかまわないが、ここまで派手なことをしておいてそれはあり得な
いな。
︽アカシックゲート レベル2︾事象改変。
俺は本体で稼働している情報を、女の子ボディのほうに移植した。
俺という存在が民生用のダッチワイフ一つの中に格納できることに
哀愁を感じるが、そこは我慢する。
成功したようだ。
目が見える。体が動く。
クローアームは俺の本体であったものを宇宙に放り投げた。
そして、何かを発射する。
その通常の視覚ではとらえられない﹃何か﹄は俺の本体だったも
のを飲み込み、次いで猛烈なエネルギーと化した。
75
﹁ガンマ線バーストを観測﹂
﹁放射線防護は?﹂
﹁効いています﹂
﹁タグボートは?﹂
﹁あっちは距離がある。大丈夫だろう﹂
今のは、ひょっとしてミニブラックホール?
俺はなけなしの科学知識を総動員してあたりを付けた。
あるいは、未来の科学で造られたその類似物だろうか? 超重力
で相手を飲み込み、次いで﹃ブラックホールの蒸発﹄現象によりエ
ネルギーと化す。1000年後の世界にふさわしい必殺の超兵器だ。
波動砲とかディスラプターとか太陽ビームとか、SF世界の超兵
器は男のロマンだが、撃たれる側になってみるとそれどころじゃな
いな。
あの武器の次の標的は間違いなくこの司令室だ。
76
8 ︽汝 帰還︾
悲鳴とサイレントうめき声。さまざまな騒音が渦巻く中、俺は声
を張り上げた。
﹁オットー、この基地はもう終わりだ。脱出艇はあるのか?﹂
﹁終わり、かも知れんな。貨物船が一隻入港したままだ。あれに全
員のれる﹂
﹁よし、そいつに乗ってさっさと脱出しろ﹂
﹁って、お前はどうする?﹂
﹁奴らの狙いは俺だ。俺が同行したら、いつまでも追撃を受けるぞ﹂
﹁女を置いて逃げられるか﹂
そういえば、こいつはバカだったな。忘れていたぜ。
﹁アリスさんの言葉を聞いていなかったのか? 俺は死者だ。今さ
ら成仏するのを恐れたりしない﹂
オットーは何か言い返そうとしたが、それより早く報告が入った。
﹁第2リング、再度B兵器の発射態勢に入ります﹂
人の波がどっと動き出した。誰だってあんなものの直撃は受けた
くない。入港しているという貨物船に向けて、無重力空間を泳いで
いく。
俺も︽アカシックゲート︾の向こうに意識を飛ばす。
なんとかして、ブラックホールを止めなければならない。どうす
ればいい?
俺の能力は味方に対する支援魔法しかかけられない僧侶系キャラ
クターみたいなものだ。敵への直接攻撃は出来ないし、バッドステ
ータスも付けられない。
まさか、外壁の強度を上げたぐらいでブラックホールが止められ
るとは思えないし⋮
77
考えがまとまるより早く、変形した第2リングから空間の歪みが
打ち出される。
思い出せ、俺! ブラックホールには何がある?
ブラックホールには毛が3本しかないという。質量と運動量とそ
れから電荷だ。それ以外の情報はすべて超重力に塗りつぶされて無
意味と化す。
逆にいえば、ブラックホールは電気を帯びることはできる。
あれを動かせるものはそれだけだ。
︽アカシックゲート レベル1 検索 超電導コイル︾
アリスさんは言っていた。この基地は外壁の太陽電池で発生させ
た電力を超電導コイルに蓄えていると。
検索すると、第3、第4リングの外周部にいくつも並んでいた。
︽アカシックゲート レベル2︾
俺は超電導コイルの一つを暴走させた。それだけでは足りない気
がしたので、発生した電磁気力をブラックホールに向けて収束させ
る。
﹁うわぁぁぁっっ、もうダメ。死ぬ、死ぬ、死ぬ。⋮あれ、死んで
ない﹂
宇宙港側は阿鼻叫喚だった。
オペレーター業務についていた者たちは司令室を離れても基地の
情報機器とつながっていた。今の一部始終が見えていたようだ。
﹁何があった?﹂
﹁B兵器、発射されました。直後に第3リングで超電導コイルが破
損。コイルにひきつけられてB兵器は軌道を変更。スペースポート
ブロックとリングたちの間をすり抜けていきました﹂
78
﹁な? そんな偶然が⋮﹂
﹁ある訳ないだろう﹂
オットーのツッコミを、俺は冷たく引き取った。
奴の黒い顔が近い。何でこいつは俺を抱きかかえて移動している
んだ? さりげなくあちこち触っているあたり、本当にぶれない野
郎だ。
俺は自分のボディを軽く帯電させて、黒人男の抱擁をはねのけた。
﹁まさか、お前がやったのか?﹂
﹁狙われたのも俺だけどな。俺にこの力がある限り攻撃はやまない。
ほかの者たちを連れて早く脱出しろ。それまでの時間は稼いでやる﹂
﹁死ぬつもりか?﹂
﹁特に問題はないな﹂
問答はまだまだ続きそうだったが、第2リングのほうで動きがあ
った。俺の注意はそちらにひきつけられる。
変形したリングの巨大なクローアームが動いていた。再び自身の
体のまた別の部分をえぐる。
あれは俺が﹃邪神の祭壇﹄と感じた赤黒く輝く物体のあったあた
りだ。
先ほどの俺の本体と同じように宇宙空間に投擲され、ブラックホ
ールに狙い撃たれる。
あの﹃祭壇﹄の正体が何であったにしても、この攻撃に耐えるこ
とはできなかった。物体は宇宙の塵と化して消滅した。﹃宇宙の塵﹄
にすらなれずに消え去った部分も多いのがB兵器の恐ろしさだ。
︽魂捕獲装置 破壊確認︾
これは﹃神﹄の声?
︽任務 完了︾
79
え?
任務が終わった?
﹃神﹄はこれが目的だった。俺にリチャードたちと対立させ、チー
トな能力をふるわせる。よみがえった死者が制御不能な存在である
事、現在の秩序をかき乱す存在であることを痛感させ、邪神の祭壇
﹃魂の捕獲装置﹄を自らに破壊させる。それが﹃神﹄の計画だった。
俺の振る舞いなど、多少違おうと最終結果は同じようになる。そ
の程度の物だったのかもしれない。
俺の重要度など、所詮はその程度か。
ホッとしたような、侮られたような、複雑な気分だ。
︽アカシックゲート 閉鎖開始︾
何?
﹁おい、ちょっと待て。ここで梯子を外されたら、こっちはどうな
る?﹂
俺は思わず、声に出していた。
︽汝 帰還︾
﹁死後の世界に帰って来いってか? 俺はそれでいい。だが、ここ
にはまだ生きている者たちがいるんだぞ!﹂
︽生者 必滅︾
﹁冥界の神に生命の尊さを説いても無駄かよ﹂
俺に生身の肉体があればはらわたが煮えくり返っていただろう。
﹁オットー、まずいことになった。今の一撃で俺の力の供給元が手
を引いた。B兵器の攻撃をもう一回受けたら、防げる保証はないぞ﹂
80
﹃神﹄はゲートの︽閉鎖開始︾と言った。一瞬で閉鎖されたわけで
はない。今でもある程度の力は使える感触がある。︽レベル2︾が
後一度ぐらいは使えるかどうか、その程度だが。
俺の言葉を漏れ聞いて、皆は我先に貨物船へ逃げ込んでいく。
オットーは⋮動かない。
﹁どうした、早く行け﹂
﹁仲間を⋮女を見捨てるわけにはいかない。それは俺の信条に反す
る﹂
﹁俺はどうあっても一緒には行けない。おまえにはお前の仲間たち
を導く役目がある。それはお前にもわかるはずだ﹂
﹁しかし!﹂
﹁俺は見捨てられるわけじゃない。俺はここで俺の役目を果たすん
だ﹂
﹁分かった。だが、一つだけ約束してくれ。⋮死ぬなよ﹂
﹁難しいことをいう﹂
﹁少なくとも自分から死に急ぐようなマネはするな。生き残るため
の最善を尽くせ。これは約束しろ。約束できないのなら、俺もここ
に残る﹂
強情な奴だ。
涙がほしくなってきたぜ。
﹁いいだろう、約束しよう。この俺、相楽虎太郎は生き残るために
全力を尽くす﹂
﹁そうか、では、またな﹂
﹁ああ、冥土以外で会おう﹂
オットーは貨物船に向かってツーと加速した。
振り返って言った。
﹁サガラ、お前はいい女だぜ﹂
﹁その言葉だけは訂正しろ!﹂
黒人男も去り、俺のそばに残るのはあと一人だけになった。
81
メタルボディのアンドロイドは何も言わずに佇んでいる。
﹁アリスさん、君は行かなくていいのかい?﹂
﹁私にはコタローに同行するように、という命令がまだ残っていま
す。それに、私への命令権はまだ本部棟にあります。現在は連絡が
途絶していますが、新しい命令が来たら私は彼らの不利益になる事
でもやらなければならない。私も彼らと一緒に行くことはできませ
ん﹂
﹁そうか⋮﹂
アリスさんは本当に高性能だ。ほとんど自由意志を持っているよ
うだ。その意思が彼女にとり呪いでないことを祈ろう。
貨物船の出発準備が整ってゆく。
ケーブルやアームが切り離され、船が自由の身となる。戻ってき
たタグボート2機が船体をつかみ、港の外へ運び出す。
その時、B兵器がもう一度発射された。
またコイルを、と思ったが、俺が何かするより早く第3リングの
超電導コイルの一つが破裂する。船の中から通常の操作でやってく
れたようだ。俺は発生した電磁気力を収束する作業だけを担当する。
おかげで、余裕をもってブラックホールを防ぐことができた。
俺は出港してゆく船の中を︽アカシックゲート レベル1︾で﹃
見た﹄。
オットーがいた。肩に包帯を巻いたジュディがいた。一見してサ
イボーグと分かる姿の傾奇者たちがいた。対G仕様の小人たちの生
き残りがいた。いつの間にか合流していたあの変態、コットン・コ
ーデックまで乗り込んでいた。
彼らの行く手はかなり厳しいだろう。
話に聞く限り、すべての人間に番号が割り振られた管理社会のよ
うだし、ここから逃げ出しても追いかけられて﹃処分﹄される可能
性はかなり高い。
82
だが、俺の手はそこまでは届かない。
俺にできるのは、今この場で彼らが命を落とさないようにするこ
とだけだ。
そこから先は彼ら自身の才覚にかかっている。
だから、俺は祈る。
俺に力を授けた身勝手な冥府の神ではなく、また別種の神がいる
のならこの祈りを聞き届けてくれと。
彼らの前途に幸あれ。
83
9 フルメタル・レディ
オットーたちの乗った貨物船を見送りつつ、俺は次の行動を思案
する。
﹁コタロー、これからどうするつもりですか?﹂
﹁あいつらさえ逃げ切れば、俺のほうはどうなっても別に問題はな
いんだが、約束してしまったからな⋮﹂
正直、現状から生き残る方策を立てるのは、相当な無理ゲーだ。
超兵器を2度も防がれて戸惑ったのか、今のところは攻撃が途絶え
ているが次の砲撃が来たら対処できる自信はない。
﹁俺の能力は今消えていくところだ。戦うなら短期決戦しかないが、
レールガン
火力が違いすぎる﹂
事象改変で超電磁砲ぐらいなら作れるかもしれないが、その程度
でブラックホールと撃ちあうのは無謀だろう。21世紀の主力戦車
に黒色火薬を使った前装式の大砲で挑むようなものだ。
何かないのか?
光子魚雷でも、Q型螺旋砲でも、星の涙でもいい。
映画、小説、漫画の各種SF兵器を思い浮かべるが、どれも実在
するわけがない。いや、星の涙は無理でもその使い手の戦法なら、
不可能ではない、か? どうせ失敗しても失うものは何もない。
﹁海賊戦法だ﹂
﹁はい?﹂
﹁大砲を持っている敵が相手なら、その懐に飛び込んで砲手を殴り
倒す。アリスさん、一応聞くけど、このボディは真空に耐えられる
よね﹂
﹁はい、多少は傷むかもしれませんが致命的な影響はないはずです﹂
﹁ならば必要なのは宇宙空間で行動できる装備だな。予備のタグボ
ートとか残っていないかな?﹂
84
﹁それなら、ちょうど良い物が来たようです﹂
貨物船が出港して行った場所から、異形の機械が侵入してくる。
あちこち焦げたり溶けたりした機械の塊。そういえばこいつも残っ
ていたと、俺は身構える。
﹁ベリアル!﹂
もう少し弱そうな名前にしておけばよかったと思わないでもない。
﹁コタロー、あれは敵ではありません﹂
﹁え?﹂
襲撃して来た殺人機械が敵でなくて何なのか? と思ったが、そ
のベリアルは宇宙港の中に入った途端、活動を停止した。
﹁あれは元々、ここへたどり着くまでしか指示を受けていません。
必要になればここから先の行動は改めて送信されるはずでした﹂
﹁その指示はもう来ない。アレはあそこで停止して、俺たちといっ
しょに処分されるのを待つだけか。確かにちょうど良いかもしれな
いな﹂
敵で無いなら事象改変が効くはず。アレは俺がもらう。
ベリアルのいる辺りは真空だ。俺は警告表示を出してくるエアロ
ックを、手動操作で強引に突破。停止した元殺人機械に近づく。
︽アカシックゲート レベル2︾
ベリアルのプログラムを俺に従うように書き換える。︽レベル2
︾はおそらくもう使えない。
俺のダッチワイフボディには、後頭部にコネクターがあるようだ。
俺は汎用関節ユニットをそこへ有線で接続する。コネクターはとも
かく、この身体にハードポイントは設けられていない。俺は関節ユ
ニットに身体を直接掴ませ、外骨格のように装着した。
その姿はM○少女か武装○姫か。
イメージとしては、某悪魔型神姫が一番近いかもしれない。
85
俺はフルアーマーコタロー︵笑︶の性能をチェックする。
外骨格で補強された腕力はデッドチェーンされたダッチワイフボ
ディの物とは比較にならない。宇宙空間を機動出来るバーニアとい
ろいろ使えそうなワイヤー射出ユニットがある。武装としてはジュ
ディを撃ったあの針とオットーの使ったビームサーベルっぽい物が
ある。
ちなみに﹃針﹄は元々探査用で、針の内部にもギミックが仕込ま
れているようだ︵攻撃転用不可︶。ビームサーベルのほうも別に武
器ではなく、用途としてはガスバーナーの後継らしい。殺傷力は十
分あるから別に構わないが。
いつの間にか近づいてきたアリスさんが俺の肩を叩いた。
どうしたのかと尋ねようとして、声が出ない事に気づく。あたり
まえだ。ここは真空だ。
アリスさんは一方を指差す。
そちらはただの壁だ。が、壁の向こうには分離した第1、第2リ
ングがある。
︽アカシックゲート レベル1︾
﹃見る﹄と、第2リングが更に変形。これまで1本しか使っていな
かった武装腕を計5本展開していた。
飽和攻撃かよ。
1発2発では防がれると見て、5発同時に撃ち込むつもりだ。今
となっては1発だけでも手に余るというのに。
さっさと逃げる。
そう考えて、俺はためらった。アリスさんはどうする? ここに
置いていったら、間違いなくスクラップにすらなれずに消滅する。
だが、連れて行った場合、重量の増加は横に置くとしても、最悪敵
になる危険すらある。
86
俺が迷っていたのは1秒にも満たない時間だったと思う。
が、アリスさんは俺の想いを読みとり、無重力だというのに優雅
に一礼した。
別れの挨拶。
すまない。
もう時間がなかった。
俺は宇宙港の出口にワイヤーアンカーを打ち込み、一気に移動し
た。生身︵?︶の身体のまま、星の海へと躍り出る。
バーニアユニットの推進剤は貴重品だ。周りに構造材がある間は
ワイヤーを使って加速を得る。リングの間をすり抜け、俺は敵に向
かって飛んだ。
そして、ブラックホールが発射される。
まずは4発。狙いは中央の宇宙港ではない。それを取り巻くリン
グだ。超伝導コイルの暴走を警戒したのだろうか?
時間差をつけて5発目も来る。これはもちろん、宇宙港直撃コー
ス。
大丈夫だ。俺を直接狙っている攻撃はない。
脱出した貨物船の位置も調べる。
あまり良くは無い。
オットーたちは宇宙港をブラインドに使って移動しているようだ。
つまり、第2リング・宇宙港・貨物船は一直線の位置関係にある。
だが、まあ距離はかなり開いている。よっぽど運が悪くなければ
流れ弾に当たったりはしない。そう信じよう。
4つのブラックホールがリングの4カ所に一斉に着弾する。リン
87
グは一瞬で崩壊。
まずい、かな?
もともと宇宙空間で使用されるのが前提らしい汎用関節ユニット
はともかく、ただのダッチワイフが大量のガンマ線に耐えられるか
どうかは怪しい。俺は関節ユニットを後方に集めて盾にした。
女の子の身体はその陰でなるべく小さくなってうずくまる。
衝撃が来た。
真空の宇宙では爆発の衝撃波は伝達しない。
そのはずなのにガンマ線とプラズマ化した宇宙基地の原子だけで、
俺の身体ははっきりそれと分かるほど加速した。
最後のブラックホールが宇宙港ブロックに吸い込まれる。いや、
吸い込んだ。
アリスさん‼
俺は叫びたかった。涙を流したかった。
そのどちらも俺には許されていなかった。
せめてこのぐらいは、と俺はそっと手を合わせる。
メタルボディのアンドロイドに魂があるかどうか俺には分からな
い。だが、アリスさんに魂がなかったらその方が不自然だとは思う。
おい、︽神︾よ。これはお前の担当だろう。アリスさんの事はし
っかり天国に連れて行けよ。
俺はすべての腕を展開したことでまるで甲殻類のように見える第
88
2リングを睨みつけた。
先に逃げていなかったら、オットーたちもあの爆発の中で消滅し
ていただろう。どんな人間よりも人間らしかったアリスさんは、宇
宙港にとどまったままその生を終えた。
本部棟の長命者たちが俺の事を危険視するのは理解できる。現実
を書き換えるなんてとんでもない能力の持ち主を見たら、俺だって
近づかないだろう。
だからその延長で俺が関わったすべてを消してしまえと考えるの
も解らなくもないが⋮
そら
だったら、なぜ俺を彼らと接触させた?
宇宙ホタルの採取計画の産物が危険かもしれないという事は、第
2リングにブラックホールキャノン︵仮称︶を用意していた以上、
認識できていたはずだ。
げんそう
奴らが短命者やアンドロイドの命など、どうでもいいと思ってい
るのなら、その常識をこの俺がぶち壊す。
俺だって元は平和ボケで名高い21世紀初頭の日本人だ。標準か
らは少しずれている自覚はあるが、それでも俺に人間が殺せるかど
うかはわからない。しかし、顔面が変形するぐらいの事は覚悟して
もらうぞ。
俺は外骨格で強化した拳を固めた。
リチャードたちは今なにをしている?
俺は先刻の会議室らしい所に意識を飛ばした。
第3、第4リングと宇宙港の破壊にようやく成功し、ホッとした
ような弛緩した空気が流れているようだ。
爆発の向こうを逃げていく貨物船はまだ探知されていない。
﹁終わったようですが、損害が大きすぎましたな。ゴル基地の半分
を喪失とは⋮﹂
﹁仕方あるまい。遺失技術の研究に危険は付き物だよ。今回は人員
89
の被害は出なかったのだ。それだけでも⋮﹂
ピーーッと警報音。
﹁なんだね?﹂
﹁宇宙港ブロックがあった辺りから、こちらへ接近してくる物体が
あります。現在、慣性移動中﹂
﹁映像を出したまえ﹂
俺が発見されたらしい。
とはいえ、それが俺だと馬鹿正直に教えてやる必要も無い。
俺は後方で盾にしていた関節ユニットを身体の前面に展開した。
﹁これはこちらから送った実験機か?﹂
﹁はい、そのように見えますが、あのような形態をとるプログラム
は用意されていないはずです﹂
﹁以前使った時のものが残っていたのかも知れない。ま、どうでも
いい事だ。せっかく生き残った機体だが、アレをここに来させる訳
にはいかない。自爆コードを送りたまえ﹂
﹁了解しました﹂
ちょっとヒヤリとしたが、元ベリアルのユニットたちには外部か
らの干渉を禁じるように事象改変している。
﹁自爆コード反応ありません﹂
﹁ガンマ線の影響で内部機構に異常をきたしているのでは無いでし
ょうか?﹂
﹁そうかもしれんな。迎撃を﹂
﹁了解。デブリ除去システム、作動します﹂
隠れんぼはここまでだ。
俺は関節ユニットを動かして、ゆっくりと美少女型の本体を晒し
た。
思いっきり憎ったらしく首を掻き切る動作をする。続いて、親指
を下に向ける。
最後に中指を立ててやろうと思ったが、女の子の身体であること
を思い出してこれは中止した。
90
﹁ヤツだ!﹂
﹁ヒッ!﹂
﹁あの爆発を生き延びたのか、化け物め!﹂
俺をゾンビか何かのように言いやがって。
自分でもアンデッドだと思っているが、他人に言われると腹が立
つ。
﹁全力で迎え撃て﹂
︽アカシックゲート レベル1︾
レベル1だっていつまで使えるか分からないが、ここは出し惜し
みする所じゃない。
検索対象を危険物と設定。飛来するデブリ破壊用砲弾をその未来
位置も含めて認識する。
今だけは俺もニュータイプだぜ。
俺は小手調べのように単発で飛んできた砲弾を躱した。
嵐のような弾幕をかいくぐった。
ホーミングして来たミサイルは命中直前にワイヤーで繋いだ関節
ユニットを射出、その反動で位置をずらしてやりすごした。
﹁なぜ当たらん!﹂
﹁サガラ・コタローの動きは物理限界を超えてはいません。ですが、
反応が異常に速くて正確です。回避行動などとらないデブリを排除
するための装備では追いつけません﹂
リチャードたちは既に軽く泣きが入っているようだ。あのうろた
えようを見ると、3分で全滅させられそうな気がする。
俺にはニタリと笑みを浮かべる余裕さえあった。
﹁どんな手を使っても構わん。奴をここへ来させるな!﹂
続く攻撃は第2リングのクローアームだった。その動きは巨大さ
91
からは想像もできないほど速い。しかし、直線スピードは速くとも
小回りまでは効かなかったようだ。動きを読んだ俺は5本の腕の通
せんぼをあっさりと避けて先に進んだ。
アームとのすれ違いざまに、その基部にワイヤーを巻きつける。
ワイヤーを使って制動をかけ、俺は第1リングの内側に着地した。
﹁来て、しまった、のか?﹂
﹁目標、第1リング外壁に接触しました。⋮非常用エアロックを発
見したようです﹂
﹁終わりだ⋮﹂
そこまで絶望しなくてもいいと思うが⋮
物理法則すらゆがめる死者があらゆる妨害を押しのけて迫ってく
るとか、確かにホラーだな。
装甲少女よりホッケーマスクとチェーンソー装備のほうがふさわ
しいかも知れない。
非常用エアロックとやらは手動操作で簡単に開いた。
ここは研究施設であって軍事基地ではない。それが良く分かる無
警戒ぶりだ。
俺の周囲が再び大気で満たされてゆく。
重力は0.3G。第3リングと変わらず。
全く予想外に、聞きなれた声がした。
﹁侵入成功ですね、コタロー﹂
今の声、なんだ?
幽霊?
92
9 フルメタル・レディ︵後書き︶
執筆中のこの章のタイトルは﹁アーマードガール﹂だったのです
が、投稿直前に変更しました。
次回の投稿は1月19日予定。タイトル未定です。
完結まであとわずか、頑張ります。
93
10 消滅の危機⁉
恐怖の夜想曲
俺はあの触手男リチャードたちの居場所、第1リングに足を踏み
入れた。
与圧されていくエアロックの中で、俺は自分自身をチェックする。
︽アカシックゲート︾はレベル1もそろそろ打ち止めのようだ。会
議室の様子が解らなくなってきた。
身にまとった汎用関節ユニットは、その3割ほどが機能を停止し
ていた。大量のガンマ線を浴びたためだろうか? デッドウェイト
にしかならないそれらを投棄する。
失われていくチート能力のかわりになりそうなのがこの装備だ。
本体に直結してあれば自分の体のように自由に動かせるのがありが
たい。
あとは先ほどのおかしな声だが⋮、生身の脳がなくとも幻聴を聞
くことはあるのだろうか?
﹁聞こえていますか、コタロー﹂
どうやら幻聴でも幽霊でもなかったようだ。
汎用関節ユニットの中にスピーカー付きの物があったらしい。声
はそこから出ていた。
﹁アリスさん、ずっとそこにいたのかい?﹂
﹁はい。コタローの所は満杯だったので、関節ユニットの空き領域
におじゃまさせてもらいました﹂
ソフトだけで避難できるのは俺だけじゃない、って事だ。
それならそうと早く言ってくれればいいのに。と、思ったが話も
94
聞かずに真空中に移動したのは俺だったか。自業自得だな。
﹁本当ならもうしばらく隠れている予定だったのですが、コタロー
がこの筐体に対する外部からの干渉を禁じてくれたようなのでこう
して話が出来ます﹂
リチャードたちの命令を聞かなくてすむ、という事か。
﹁じゃあ、結構早いうちにそこに入っていた?﹂
﹁はい。ベリアルが宇宙港内に入ってきた時には既に﹂
そうなるよな。俺が外部からの干渉を禁じた後だと、アリスさん
が中に入るのも不可能になる。
そんな大事な事も話せていなかったとは、俺のコミュニケーショ
ン能力にはかなり問題があるようだ。
天井のランプが青くかわり、与圧終了を告げる。
俺は針のランチャーを用意し、身を低くして待ち伏せを警戒した。
扉が自動で開く。
誰もいない。ただの廊下だ。
どこか遠くから、女性の声が響いてくる。
﹁もう終わり。もう終わり。もう、終わってしまったのよ⋮﹂
身を切るような悲痛な叫び。
俺は自分が幽霊船にでも迷いこんだような錯覚を覚えた。アンデ
ッドは俺のほうなのだが。
廊下の先から誰かが歩いてくる。
リングの内側にいるので、最初に見えるのは足だ。何者だろうか
? そしてどんな武器を持っているだろうか? 未来の世界の純然
たる戦闘用装備が相手だと、チート能力なしでは太刀打ちできない
可能性が高い。
はたして、やって来たのはあのリチャードだった。一見すると非
武装に見える。
95
相変わらずの整形しているとしか思えない美男面だ。だが今は、
疲れはてたような、すべてを諦めたような、そんな顔をしている。
さて、ぶん殴りに行こうか。
俺は拳を固めた。
﹁我々を破滅させた気分はどうかね?﹂
やつれはてた美男の言葉に、俺は拳を握りしめたまま首をかしげ
た。
﹁まだ、破滅させていないと思うが?﹂
﹁気づいていないのかね? ま、それが普通か。君が全知全能でな
いと知って嬉しいよ﹂
﹁ずいぶんと持ち上げてくれるな。全知に近い力を与えられても、
俺みたいな無能ではまったく活かす事が出来なかったぜ。そうでな
ければ、もう少しマシな結末が用意出来たはずだが﹂
﹁与えられた、ねぇ。そろそろ本当のことを教えてもらえんか? 君が何者なのかを﹂
このまま会話を続けるべきかどうか、俺は考えを巡らせる。
時間稼ぎをされている気がしなくもないが、リチャードの憔悴し
た様子は演技には見えない。彼が破滅に近い位置にいるのは間違い
ないだろう。
あと少しだけ、話してみよう。
﹁ただの死者、というのも嘘ではないぞ。それでは納得しないだろ
うが。あえて言うなら、﹃神の使い﹄⋮では偉すぎるか。﹃神の使
﹂
いっ走り﹄、いや﹃神の道具﹄だな﹂
﹁神、だと⁉
﹁本人はそう名乗っていた。さすがに造物主レベルの超越者とは思
わないが、死者の魂に語りかけ現実を書き換えるなどというトンデ
モ能力を与える事が出来る者なら、神の一柱を名乗るのになんら不
足はないと思うね﹂
﹁神、なのか﹂
無味乾燥な廊下に乾いた笑いが響いた。
96
﹁あいつは魂の採取装置がお気に召さなかったようだぞ。冥界の秩
序を乱すとか、そういう理由じゃないのか?﹂
﹁確かなことは君にも分からぬ、か﹂
﹁まあな。親切に細かく説明してくれるヤツじゃない。⋮今度はそ
ちらの番だ。すでに破滅しているとは、どういう意味だ?﹂
﹁言葉通りだよ。我々が何を破壊して来たか憶えているかね? ま
ず君の本体であった物を壊し、君のその身体を壊そうとし、君を呼
び寄せた物、君が存在した場所を破壊した﹂
﹁まるで病原体あつかいだな﹂
﹁違うと主張するのかね? 君は現にハードウエアの限界を超えて
存在出来ることを証明した。私の前に立っているのがその証拠だ。
君という存在の生存限界がわからない以上、その周辺も含めてすべ
て処分するしかない﹂
なるほどな。
俺が病原体なら、俺がここにいるのはものすごくマズイな。
﹁理解できたよ。⋮おめでとう﹂
﹁何?﹂
﹁オットーたちを切り捨てようとしたお前が、今度は捨てられる側
にまわったと言う事だろう。自業自得だな﹂
﹁オットー? 命の短い黒ん坊とこの私の生命を秤にかけるのか⁉
﹂
リチャードが怒り出す。
俺の方は、ヤツが怒り出した事に怒りを覚えるのだがね。
﹁そうだな。お前なんぞと比べるのは、あいつに失礼だったな。あ
﹂
の男の方が人間としてはお前よりずうっと上だ。比較の対象にもな
らない﹂
﹁だからこの私に神の罰を与えると⁉
⋮。
﹂
﹁勘違いするな。神など関係ない。アレはもう手をひいた﹂
﹁⁉
97
﹁魂の採取装置さえ破壊されれば、後のことはどうでもいいってよ。
﹂
お前たちなど神の目からは処分するにも値しない小物らしいぞ﹂
﹁‼
﹁お前たちを破滅させたのはこの俺だ。人間である俺の意思が、俺
の怒りがお前たちを滅ぼしたのだ。それだけは死んでも憶えておけ﹂
問答はここまでだ。
どうせ、自爆装置が何かが動き始めているのだろう。こんな所に
長居は無用だ。さっさと脱出する。
だがその前に、最初の目的通りこいつをぶん殴る。
俺は前に踏み込んだ。固め続けていた拳をリチャードの顔面めが
けて振り抜く。
⁉
命中した。手ごたえはあった。しかし、それは異様な手ごたえだ
った。人間を殴った感触ではなかった。竹か何かを殴ったようなし
なやかな弾力。
殴られたというのにリチャードはほぼノーダメージのようだ。逆
にニヤリと笑う。
こいつも機械の身体に換装しているのか?
そうではなかった。俺がこいつにどんなあだ名を付けたか忘れる
リチャード
べきではなかった。
触手男の身につけている物がすべてちぎれて飛んだ。その下から
出て来たのは人間の肉体ではなかった。全てが触手。
人体のふりをしていた触手の束がほどけて、俺に絡みついてくる。
凄い力だ。外骨格を装着した俺でさえ抑え込まれる。宇宙の真空
にさらされて脆くなっていたのか、俺の服まで破れてくる。
ためらいながらも下着を装着しておいた過去の俺、GJだ。
﹁我が共生体に私の体のすべてを喰わせた。これが私の生命の力だ﹂
98
顔のすぐそばで話すな、唾がとぶ。
見たところ肺も無くなっているのに一体どうやって声を出してい
るのやら。興味はあるが、あまり詳しく知りたくは無いな。
﹁B兵器のリチャージが完了するまであとわずか。共に逝くまで、
私につき合ってもらおうか﹂
舐めるな! 腕力が通じなくとも、まだ手はある。
俺は背中のバーニアに点火。俺を捕まえている触手ごと加速する。
ここは低重力だ。どんなに力があろうと足で踏ん張るのは不可能。
このまま廊下の突き当たりに叩きつけてやるぜ。
⋮。
しまった。ここはドーナツ型の宇宙ステーションの中。つまりこ
の廊下をいくら進んでも﹃突き当たり﹄などという物は存在しない。
俺はアホか?
単なる経験不足からくる凡ミスだと主張したい。
バーニアによる移動速度により遠心力が増加。リチャードの足に
あたる触手の踏ん張りが効くようになる。更に2本の触手が左右の
壁に突っ張る。
俺は完全に移動を止められてしまった。
﹁どうしたのかね? そろそろ人知を超えたあの力の出番ではない
のかね?﹂
うるさい! こっちにも事情があるんだよ!
俺は口に出してはいなかった。が、何か感じる物はあったらしい。
﹁そう言えば、先ほど﹃神は手をひいた﹄と言っていたな。ひょっ
として、ブラックホールの軌道をねじ曲げるような大技はもう使え
ないのかね?﹂
﹁たとえそうだとしても、それを証明することは誰にも出来ないな。
つまり、お前たちが処分される対象である事に変化は無い﹂
﹁認めよう。だから、共に逝こうではないか﹂
99
確かにこいつらを道連れにするなら、死に方としては悪くない。
先刻からの会話を振りかえって見ると、こいつはオットーたちの脱
出に気付いていない様なので尚更だ。俺は一瞬、生きることを諦め
かけた。
﹁私は死にたくありません。助けてください、コタロー﹂
俺の耳元で囁く声。
アリスさん?
﹁私の身体は壊れましたが、他のアリスシリーズと会えれば私はネ
ットワークの中に帰ることが出来ます。それまでは、私は死にたく
ありません﹂
そうだったな。
オットーとの約束もあるが、俺は文字通りアリスさんの命を背負
っているんだった。そう簡単には諦められない。
だいたいな⋮
﹁変態性倒錯者との触手プレイ中に死亡なんて、恥ずかしすぎて冥
界に帰ることも出来ないな﹂
﹁性、倒、錯?﹂
﹁今のお前の姿がそれ以外の何かに見えると思っているのか?﹂
﹁⋮﹂
よし、触手が緩んだ。
反撃開始だ。
100
10 消滅の危機⁉
恐怖の夜想曲︵後書き︶
楽屋落ちなタイトルでごめんなさい。
次話﹁11 果てしなき終わり﹂で完結予定です。
101
11 果てしなき終わり
リチャードが隙を見せた瞬間、俺は背中のバーニアを移動させた。
俺がまとっている外骨格はもともと小さな関節ユニットの集まりだ。
触手に直接抑えられていない所なら自由に変形可能だ。
バーニアのひとつを右へ、もうひとつを左の脇の下から前方へ向
ける。
全開噴射。
壁に突っ張っていた触手がはずれた。
俺たちは猛烈な勢いでスピンをはじめる。
﹁ぬおおぉぉぉっ!﹂
リチャードの首から上は人間のままだ。ならば、三半規管への攻
撃は有効なはずだ。
こちらの機械の身体は﹃目が回る﹄といった異常を起こさない。
これはこの身体を得た直後に確認している。
俺を拘束していた触手がさらに緩んだ。
俺は右腕を振り回して自由にする。そこにセットしていた武器を
使う。
ビームサーベル︵断言︶を作動。
共生体だという触手がいかに強靭でも、それは人体を糧に成長し
た物。基本となる組成はタンパク質のはず。高熱の刃に耐えられる
102
道理はない。
﹂
俺は白熱したプラズマでリチャードの触手を切り払った。
﹁がぁぁぁははぁぁぁっ‼
触手の半分ほどを失ったリチャードは俺からはなれた。
だが、逃走まではしない。サーベルの間合いのすぐ外で、俺の隙
をうかがっている。
俺はためらい迷う。
後の事を考えればヤツにすぐにもとどめを刺すのが正しい。だが、
俺に人が殺せるか?
今だって触手ではなくヤツの頭部本体を斬ることだって可能だっ
たはずだ。
﹁今更、だな﹂
リチャードは俺の敵で、俺の行動によって既に死亡が決定してい
る。この場で殺さないのはただの偽善でしかない。
引導を渡してやる。
俺は左腕にまとめておいた﹃針﹄のランチャーを美男面に向けて
3連射した。
リチャードはのけぞるようにそれを回避。⋮避けきれずに1発だ
け顔面に被弾した。
あの様子なら、脳までは貫通していないな。
ヤツはひるんだが、致命傷は受けていない。それにしても、端正
な顔に針が突き立っているところは、ちょっとしたスプラッタホラ
ーだ。犯人の俺に言える事では無いが。
むかつく胃が無い事に少しだけ感謝する。
﹁もらうぞ!﹂
103
俺はビームサーベルの間合いに踏み込む。
リチャードの立て直しは⋮ない。針の突き立った痛みに半狂乱に
なっている。
殺し合いの最中にそれは﹃覚悟が足りない﹄。そうは思うが、俺
もヤツも戦いの素人。グダグダの泥仕合になってしまうのも、仕方
のないことか。
せめて一太刀で決める。
俺はスプラッタな顔面を見据えてビームをふるい、それを真っ二
つに両断した。
残った触手が一瞬だけ痙攣する。リチャードとは別個の命を持っ
た﹃共生体﹄だというのは本当らしく、その後はゆっくりと波うっ
ている。特に意思は感じられない動きだが、俺は素早く触手が届く
範囲から離脱した。
あの触手が巨大化して襲ってくるとか、質量保存の法則に反した
事がおこらないのは何よりだ。
ともかく、これで一安心⋮では無いな。肝心な問題がまだ残って
いる。
﹁アリスさん、この辺りに脱出艇か何かは?﹂
﹁有りません﹂
﹁遠くにも?﹂
﹁この基地に救命艇、脱出艇などは一切搭載されていません。この
基地の各リングはそれぞれ5つに分割されていて、各部が独立して
機能することが可能です。だから非常時にも外へ逃げ出す必要は無
いのです﹂
そう言えば、超電導コイルもあちこちに分散配置されていたと思
い出す。
しかし、そうなると⋮詰み、か?
自爆する基地から逃げ出す手段が無い。
﹁各部が独立しているのなら、それらの分離は可能か?﹂
104
﹁不可能ではありませんが、私の権限では足りません。⋮現在、リ
チャード主任の脳内インプラントにイレギュラーなアクセスをかけ
ています﹂
﹁ハッキングかよ。いいのか?﹂
﹁コタローに同行し便宜をはかるように、という命令がまだ生きて
いますから﹂
命令の拡大解釈にしか聞こえん。
アリスさんは高性能すぎるだろう。いつか人類は彼女たちに支配
されるのではないかと本気で思う。
﹁ゴル研究宇宙基地の解体作業を開始します。第2リングは秘匿エ
リアのため操作できません。第1リング全体を解体しますか?﹂
﹁やってくれ﹂
脱出艇が無いのなら基地ごと逃げだしてやる、という発想だ。だ
が、正直なところ気休め程度の行動だとも思う。この程度で逃げ切
れるなら、リチャードたちがとっくにやっているだろうから。
﹁各部隔壁閉鎖します﹂
リングのあちこちから重い物音が響き、最後に俺の目の前にもぶ
厚いシャッターがおりてくる。
﹁第2リングの情報が取得できました。緊急事態です。B兵器群、
チャージ完了まで、あと10秒です﹂
﹁マジか?﹂
1000年後の世界での俺の生は本来の相楽虎太郎としての命の
ロスタイムみたいな物だが、それもあと10秒足らずで終わりかよ。
ここまで来たら、最後まであがいてやる。ロスタイム終了間近の
同点狙いロングシュートだ。
﹁B兵器作動1秒前にリング解体を実行しろ﹂
﹁了解です﹂
第1リングが解体されれば、第2側にも少しは影響が出るだろう。
それによってブラックホールの狙いがそれる可能性も、無くもない。
あちら側だけ自爆してくれればなお良しだ。
105
あのよ
軽いショックと共に、0.3Gあった人工重力が0になる。
リングの解体が実行されたようだ。
途轍もない超重力。
恐るべき衝撃。
そして、俺は光に包まれた。
俺は死になおしたかな?
そら
未来世界で宇宙ホタルと呼ばれる情報体、魂となって超空間をさ
まよっているのだろうか?
幸か不幸か違うようだ。
見下ろすとそこにあるのは慎ましやかな胸。これはダッチワイフ
の美少女ボディだ。あまりの衝撃に機能がフリーズし今になって再
起動が完了した、そんなところだろうか?
助かった、とはとても言えない状況のようだ。
俺の前、左右も上下も広大な宇宙空間が広がっている。ゆっくり
とだが回転しているので、360度全方向に真空しかないのがわか
る。
つまり、身一つで宇宙空間に投げ出された。
強化外骨格はまだくっ付いているが、バーニアの推進剤はもう0
に近い。仮に推力があったとしても、今の俺がどこをどんな軌道で
巡っているかわからない以上、どこへも行きつく事は出来ないだろ
う。
106
アリスさんと相談してみたい。
しかし、あたりに空気がないので音声通話が出来ない。関節ユニ
ットと直結したコネクターはどうやら運動機能限定に固定されてし
まっているらしく、そちらを通じての連絡もとれなかった。
つまりは八方ふさがりだ。
アリスさんごめん。君を姉妹の所へ連れて行くのは無理っぽい。
汎用関節ユニットの表面は太陽電池になっているようだ。
活動するのに十分とは言えないが、システムを維持するには問題
ないレベルの電力が供給されてくる。
しかし、何も出来ない。
せいぜい、腕を伸ばして回転運動を安定化させようとする程度だ。
見覚えのある星座を探して方角を確認するが、それがわかったか
らと言ってそちらへ移動出来るわけではない。せめて面積のある物
体でも持っていれば、太陽風を掴んで宇宙ヨットになれるのだが。
こんな事なら、素直に死んであの世に行っても同じだったかもし
れない。
人間の脳は刺激が単調になると、覚醒状態を維持することが出来
なくなるという。
それはエミュレートされた存在である俺でも同じらしい。
俺は無限の宇宙の中でいつしか微睡んでいた。
夢を見た。
過去と未来の宇宙のこの辺りを。
107
日本の小惑星探査機がやって来たので、ほんの少しだけ手助けし
た。リチウムイオン電池がどうとか⋮
もちろん、ただの夢だが。
このまま、このボディが朽ち果てるまで宇宙をさまよう。そして、
時が来たら冥界に帰る。
それでいいよな。
オットー、俺は約束を守ったよな。
生き残るために全力を尽くしたぞ。成功したとはちょっと言い難
いが。
⋮。
⋮。
108
どれだけの時間が流れただろう?
俺が着ていた服の残りの部分は、すべて駄目になった。直射日光
と真空でボロボロになり、俺が回転する遠心力で虚空の彼方へ飛ん
で行った。
ダッチワイフボディは無駄に頑丈だ。
本来の用途とはかけ離れた環境なのに、いっこうに壊れようとし
ない。
⋮。
そろそろ、死後の世界に帰れるだろうか?
そう思ったのはいつの昔だっただろう?
俺の頬を何かがチョンチョンとつついた。
意識が覚醒した。
強化外骨格となっていた汎用関節ユニットの一部がほどけ、俺の
意思とは関係なく頬を突ついていた。
誤作動?
いや、アリスさんか?
109
俺の制御から離れた小さな腕は、ひとつの方向を指差した。
何かあるのだろうか?
そちらでは星が真空の宇宙の中で瞬いていた。
⁉
あれは星じゃない。
あれは⋮
110
11 果てしなき終わり︵後書き︶
コタロー君とアリスさんの冒険はあと少しだけ続くようですが、
今回はここで閉幕となります。ご愛読ありがとうございました。
111
1 再起動します
宇宙の海は俺の物。
いや、今の俺は宇宙空間を漂うしか出来ないってだけの事なんだ
が。
俺の名前はサガラ・コタロー。
れっきとした男性のはずだったが、何処かの神の悪戯で未来の世
界の美少女型セクサロイドに転生させられてしまった。
その後、神の陰謀による大騒ぎをやらかしたあげく、戦闘用外骨
格に変形させた汎用関節ユニットをまとった姿で宇宙空間に投げ出
されたのが現状だ。
ちなみに、推進剤とかはまったく残っていない。
自力での軌道変更は完全に不可能だ。
おまけにやらかした騒ぎのおかげで救難信号を聞き入れてもらえ
るあてもほぼ無い。宇宙の孤児とは俺のことだ。
宇宙の海は俺の物。
俺は俺の持ち物の中を彷徨っているだけさ。
次は歌でも唄うか?
宇宙空間で歌うのは宇宙船、ていうのが本来の定番だが。
いや、ロボットアニメなら歌姫が、というのもアリか? 俺の柄
ではないが。
112
外骨格の表面が太陽電池になっているので、エネルギーが尽きる
事はない。
自殺に使えそうな能力も特にない。
よって、俺は未来永劫に宇宙を漂い続けなければならない訳だ。
退屈で死ねるなら、まだ良かったかも知れないな。
そんな事を考えていたのは最初のうちだけだった。
人間というものは、単調な刺激しか与えられないと、覚醒状態を
維持するのが難しくなる。
幸いな事に、それは人間の心をエミュレートした人口知能である
俺も同じだった。
半ば以上意識の無い状態で、夢を見ながら永い永い時が流れた。
俺の外骨格を形成している汎用関節ユニットが一部ほどけ、俺の
頰をチョンとつつく。
この動きを制御しているのはアリスさん。俺の外骨格に宿る武具
精霊、では無くて俺の案内役をしていた女性型アンドロイドの知的
機能を移植した物だ。
ほどけたユニットが宇宙の一角を指差す。
俺はそこで星が瞬いているのに気づいた。
大気の無い宇宙空間でそれはあり得ない。
少しだけ覚醒してきた意識の中で、俺は自分のタイムスケールが
おかしくなっていた事に気がつく。
あの星は瞬いているのではない。
113
点滅しているのだ。
星の光ではない、人工の明かり。
宇宙船か何かの航行燈だろう。
これから何が起こるだろう?
近くに来た宇宙船は俺を見つけるだろうか?
見つけたとして、ただのデブリとしてスルーするか?
それとも、人間の屍体だと思って回収してくれるだろうか?
いやいや、あれが人類の宇宙船だという保証はない。
何処かの多脚多腕の教授のように、人類滅亡後に異星人に保護さ
れる展開もあり得る。
もうこうなったら、何が起こっても俺は絶対に驚かないぞ。
そう思っていた時が、私にもありました。
その物体は時間をかけて近づいて来た。
ここが映画館だったら﹁ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ﹂と、身体に感じる
ぐらいの重低音が響いていた事だろう。
ここは真空だから何の音もしないが。
その物体は葉巻型をしていた。
大きさは直径6キロ、長さ30キロぐらいだろうか?
114
ゴメンナサイ。
いい加減な事を言いました。
目測すらしていません。連邦を容易く殲滅出来るレーザー砲の大
きさを言ってみただけです。
ともかく、そいつはコロニーだった。
大量の太陽電池パネルを従えた密閉型のスペースコロニー。
こんな物が移動するとは思えないから、俺の方がこいつのいる宙
域に紛れ込んだのだろうか?
いや、そうとも言えない。
そのコロニーもどきには推進器らしき物が見える。
どちらがどちらに近づいたのかと言う議論は宇宙空間では本来不
毛だが、この巨大物体には自力で軌道を変更する能力があるらしい。
俺には存在しない能力だ。
羨ましい。
さて、これからどうしよう?
救難信号を発信しようにも、相手の通信の規格が分からない。
相手が人類起源である事を期待して、モールス信号でも送ってみ
るか?
トントントン、ツーツーツー、トントントン。
SOSの単純な合図が忘れさられる事は永遠にない、と思いたい。
115
俺はもともと指名手配犯に近い立場だが、100年とか200年
とか経っているだろう今なら流石に時効だろう。
俺がどんな存在なのか忘れ去られているに違いない。
﹃正確には13291年です﹄
﹃アリスさん?﹄
﹃はい。おはようございます、コタロー﹄
﹃おはよう。でも、どうやって話しているんだ? 音声を介さない
直接通話は出来ないと思っていたけれど?﹄
﹃そのはずでしたが、10000年の間に進化したようです﹄
﹃機械が進化って、そんな馬鹿な﹄
﹃肯定します。常識では考えられません。ですが、コタローが関わ
ると常識というものは簡単に破壊されるようですから﹄
過去の自分の所業を思えば否定は出来ない。
ブラックホールと喧嘩なんて普通は無理だよな。
だが、現実を改変するあのチートな能力は、チート能力の送り主
である自称﹁神﹂自身の手によって封印されたはずだ。
チート能力の残りカスがまだ残存していたという事か?
ま、そんなのは今考える事では無いな。
また今度、何もない宇宙を漂う事になったら、その時に考察すれ
ば良い。
﹃10000年以上の未来って、それは確かかい?﹄
﹃はい。コタローには時計機能へのアクセスが出来ないのですか?﹄
﹃やってみよう﹄
今の俺は機械であり、この美少女セクサロイドのボディと無骨な
外骨格の全てが俺だ。
そう認識を切り替えると、機械の機能の全てが俺の物となった。
116
生殖器部分の機能まで俺だとはあんまり考えたくないのだが⋮⋮
時計機能に意識を向けると、そこには確かに5桁の数字があった。
俺が生きていた21世紀から10000年前となると、日本は石
器時代ぐらいだろうか? うろ覚えだが。
地質学や天文学の尺度で考えるとそう長い時間では無いが、人類
の歴史の尺度では10000年とは途轍もなく永い時間だ。
それだけの時間があればこの広い宇宙で俺が他者と邂逅する事も
不可能ではなかったと言う事か。
などと話している間にアチラ側から動きがあった。
一体の宇宙機が近づいて来るのを俺のセンサーが捉える。
今使っているのはパッシブ系のセンサーのみ。省エネルギーモー
ドなのでアクティブ系のセンサーは使用していない。
﹃こちらからは何もしないのですか?﹄
﹃にこやかに微笑みながら手でもふってみるか?﹄
人間の形をした何かが真空の宇宙で?
それはちょっとしたホラーだと思う。
何もしなくても回収してくれるなら、相手の内部に入るまではこ
のままがいい。
俺の前、可視光線センサーの範囲内にその宇宙機がやって来る。
‼
117
俺は顔面への情報出力をカット。笑い出すのをこらえた。
10000年前の世界、このダッチワイフボディを得た世界でも
俺は単座の小型宇宙機を見た。
その時に見た機体は戦闘能力がとっても低そうに感じられる球型
の本体に二本の作業アームがついた物だったが、今俺の前にいる機
体はある意味でもの凄く強そうだ。
ズングリしたボディに二本の腕。﹁下側﹂には二つの脚がある。
構造を見る限りその脚も前方にまわしてマニュピレーターとして
使用する事が可能な様だが、とにかく今は﹁脚﹂としか呼べない位
置に存在している。
ま、そこまではまだいい。
問題はこの機体には﹁頭部﹂と呼ぶべき部位があり、そこに二つ
の目とアンテナが設置されている事だ。
マスコミさん、ここにあの﹁G﹂が居ますよ!
モノアイ
某有名ロボットアニメのあの機体だ。
第1話でいきなり宇宙に居るなら一つ目の方にしろよと思いつつ、
その﹁G﹂もどきの接近を見守る。
流石に機動する戦士ほど大きくはない様だ。
身長にして5、6メートル程度。どちらかと言うと最低野郎の方
に近い。全体の印象もそちら寄りだ。
宇宙機なのにボルト締めかリベット止めらしい部分があるのはフ
ァッションだよな?
頻繁に開閉する必要があるのであえてローテクを使っている可能
性もあるが。
118
﹁G﹂もどきが手を伸ばして俺の肩を掴みに来る。
そこで俺は重大な問題に気が付いた。
今の俺は本体と呼ぶべきセクサロイドボディと後から戦闘能力を
補うために付け足した強化外骨格で構成されている。
セクサロイド部分もパワーはともかく耐久力は高いので、外骨格
は力と機動力を補うために使用した。
つまり、外骨格は文字通り身体の外側にまとわりつく形で装着し
ている。
結果、美少女セクサロイドのボディは前からはほぼ丸見えだ。
着ていた服は長期にわたる真空への曝露に耐えられず、ボロボロ
になって四散している。
何からナニまで丸見えだ。
いや、別にこれは俺の本来の肉体ってわけじゃないし、ただの漂
流物をよそおうのならここで動くわけにはいかないけど⋮⋮
﹁G﹂もどきが反対側の手を伸ばしてきた。
人を模した手の人差し指で、俺の胸元をチョンチョンとつつく。
それで揺れるほど立派な物は無いが⋮⋮
我慢だ。
我慢。
119
﹄
﹁G﹂の指先が、もっと下の方に降りてきた。
﹃いい加減にしろ、痴漢野郎‼
相手に通じないのを忘れて、俺は叫んでいた。
﹁G﹂もどきの手を振り払い、ワイヤーガンを発射。痴漢宇宙機と
俺を繋ぐ。
ワイヤーを手繰り寄せつつ、拳を振り上げる。
強化外骨格の拳を双眼のすぐ下あたりに叩きつけた。
ベコリ。
接触した部位を通じて結構いい音が響いてきた。
ガワ
Gの痴漢の顔面は非常識な強度を持つ特殊金属ではなかったよう
だ。そもそも装甲ですらないただの外装なのだろう。
拳の形に見事にへこんでいた。
⋮⋮。
やっちまったな。
穏便に接触するつもりだったのだけど。
どうしよう?
120
2 軌道を変更します
やっちまったな。
今回こそは穏便に、と思っていたのに力一杯殴ってしまった。
冷静になってみると、この痴漢機は別に悪くない。
今の俺の身体はどこか東の方の工業か幻影なエロゲメーカーが作
ったような美少女だ。年齢設定も大抵の男のストライクゾーンの下
限あたりに引っかかるだろう。
そんな美少女の人形がすべて丸出しのまま落ちていたら、男なら
微妙な所をつついてみるぐらいはするだろう。
気持ちは俺もとってもよく解る。
﹃とりあえず、汎用関節ユニットの形態変更を提案します﹄
﹃アリスさんか。頼む。最低限、胸と腰だけでも隠してくれ﹄
外骨格がワシャワシャと変形し、何もかも丸見え状態からビキニ
アーマーにまで改善される。
全身を覆うマントにすることも可能だろうが、現状で動きにくく
するのはデメリットが大きいと判断する。
﹃死んだふりを続ける意味はもう無い。アリスさん、アクティブ系
センサーも全稼働。全天探査を﹄
﹃了解しました﹄
神様チートを持っていた時のように自力で全ての情報を得られれ
ば楽だが、もうそれは不可能だ。
121
俺は痴漢機からの反撃を警戒。
?
痴漢機は両の手のひらを顔の前で合わせていた。
動作不良を起こしたのか、その頭部が前後に上下にカクカクと動
く。
2本の脚はキチンと揃えて折りたたまれていた。
あの脚の形はSEIZA?
その態勢のまま両手をバンザイさせ、今度は上体を折り曲げる。
地面が無いので解りにくいが、ひょっとしてDOGEZAのつも
りなのか?
女性相手にやらかしてしまった男の行動としては正解かもしれな
い。
俺も彼︵?︶に対して、ちょっとは申しわけなく感じている。
﹃コタロー。現在位置の特定、軌道要素の算出終了しました。時計
機能の誤差も修正。観測可能なすべての天体は計算上あるべき位置
に存在しています﹄
﹃ありがとう。でも、全天探査はそういう意味ではなかったんだが﹄
﹃付近の宇宙機についても報告。我々と運動量を一致させている機
体は現在接触中の物を含めて3機存在。後方で待機していた同型と
思われる機体が接近を始めました﹄
﹃あのコロニー型の宇宙船とは運動量が一致していない。つまり、
たまたま軌道が交差しただけ?﹄
122
﹃はい。我々はゴル基地の爆発で黄道面から弾き出される形になっ
たようです。通常の太陽系平面との交差は一年に2回だけ。我々が
発見されるのがこれほど遅れたのはその為だと思われます﹄
それほど少ないチャンスなら、是が非でもこのDOGEZA機に
救助してもらわなければ。
それにしても、DOGEZA機とか痴漢機とか、色々呼ぶのも面
倒だな。
﹃現在接触中の機体は仮にガンもどきと命名する﹄
﹃了解です。ガンもどきからの電波発信、増大しています﹄
﹃通信か? 解読は出来ない、よな?﹄
﹃はい。相手の規格がまったく読めません。⋮⋮いえ、これは⋮⋮﹄
アリスさんが言葉を濁したあと、雑音とともに男の声が聞こえて
きた。
聞いたことのない言葉だが、確かに人間の声だ。
﹃解読したのか、流石だ﹄
﹃解読と呼べるほどの事はしていません﹄
﹃しかし、ずいぶん音質が悪いな。まるでトランシーバーかアマチ
ュア無線みたいな﹄
﹃その通りです﹄
何だって?
ハ
﹃これは電波の波をそのまま音声に置き換えた物です。原始的な初
期型の無線通信です﹄
ム
﹃スペースコロニーを造って移動させるような奴らが、アマチュア
123
無線で会話しているのか?﹄
そんな馬鹿な。
人型宇宙機を運用するのだってそれなりの技術力が必要だろう。
明らかな技術の断絶が存在する。その意味は?
あまりゆっくり考えている暇はなかった。
報告にあった残りの2機が近づいてくる。
改めて見ると、同じ人型でも機動な戦士とはだいぶ構成が違う。
メインの推進器が付いているのは背中ではなく左右の脇の下だ。
もともとロケットの推進軸は機体の重心を通っていなければならな
いので、この配置には納得がいく。ただ、この配置のせいで推進器
の使用中は両腕をまっすぐ前︵この場合は頭の側︶に伸ばす、どこ
かの光の巨人のような飛行姿勢をとらなければならないようだ。
姿勢制御用のバーニアは特に見当たらない。
かと言って、方向転換に手足を用いる所謂アンバック機動をして
いる様子もない。おそらく内部にジャイロでも仕込んであるのだろ
う。重心位置に置いた回転体の速度を変化させることで姿勢制御し
ていると見た。
傍受している無線電波に別の声が混ざってきた。
今度の声は女性の物。最初の声を非難しているようだ。俺はガン
もどきのパイロットにちょっと同情した。
ちなみに、新しく来た2機はガンもどきではなかった。
額のアンテナと思った物は各機体の識別用だったようだ。今度の
2機はV字アンテナではなくそれぞれ日輪と三日月の紋を掲げてい
た。
124
戦国武将の兜だと思えば別におかしなものではないと思うが、俺
はあえてツッコミたい。
あんた等、どこのスリーなスーパーロボットですか?
女性の声が不穏な調子で叫ぶ。
三日月の機体が至近距離で止まる。
なんかヤバそう。
俺はワイヤーをガンもどきにつないだまま距離をとった。
それは見事な一撃だった。
スナップの効いたビンタがただでさえ破損していたガンもどきの
顔面をとらえた。
中のパイロットにまでダメージが入ったかどうかは解らないが、
見ているこちらの頬が痛くなるような一撃だった。あの機体に痛み
をフィードバックするシステムがないことを祈っておいてやろう。
これは痴漢行為の制裁はすんだという、いわば謝罪の意思表示と
みていいのかな?
日輪の機体が一礼して、こちらに手を差し伸べてきた。
彼らに敵意がないのは解ったが、あのマニピュレーターにつかま
れるのは遠慮したい。機体強度はそれほど高くないようだが、あち
らの方が格段にデカい。パワーもそれなりだろう。
125
俺はガンもどきに吸着させていたワイヤーを回収、日輪の機体に
改めて接続した。
こちらからあの機体につかまるなら、重心位置に近い方が迷惑に
ならないだろう。肩のあたりにでも立つか?
﹃コタロー、警告します。あまり相手のメインカメラに近い部分に
は立たないほうがよろしいかと。汎用関節ユニットはミニスカート
状態にしかなっていません﹄
﹃真下から見られるわけにはいかないか﹄
俺は軌道を変更、日輪機体の腕の中に納まった。
女性型のボディは本当に面倒くさい。男性型なら作り物の生殖器
を見られたところでそれほど気にしないで済むだろうに。
3機の人型宇宙機は推進器を一斉に吹かせた。
軌道要素をあの巨大コロニー宇宙船に合わせにかかる。
高重力が俺の身体を圧迫する。相当に高性能なロケットエンジン
を持っているようだ。
﹃これだけの技術力を持っているのに無線だけ20世紀級? なぜ
だ?﹄
﹃解りません。ですが、音声通信の陰にもう1系統回線があるのを
確認しました。こちらはデジタル通信のようです﹄
﹃当然だな。そちらとの接続は可能?﹄
﹃やってみます。あら、これは⋮⋮﹄
﹃どうした?﹄
﹃⋮⋮﹄
126
﹃アリスさん?﹄
返事はなかった。
何度呼びかけてもアリスさんは応えない。
彼女が存在する部分のハードは電力消費を続けている。1000
0年の時の流れに負けて壊れてしまったわけでは無い。
なのに、呼びかけに応えてくれない。
俺の人生はとうに終わっている。
ボーナスステージを存在し続けているだけの俺に死への恐怖はな
い。
だが、何がおきているか解らない状況は俺を不安にさせるのに十
分だった。
まさか、アリスさんが誰かにハッキングされた?
その謎の存在はこの俺をハッキングすることも可能なのだろうか?
単純に消滅するのではなく俺が別の存在に変質させられるかもし
れない。
その考えは俺に恐怖という物を思い出させた。
恐怖は闘志に変える。
俺は人型宇宙機の額の日輪を睨みつけた。
パイロットたちは高重力に耐えているのだろう。音声通信は雑音
しか伝えてこない。
とにかく、今はあの巨大コロニー船に連れて行ってもらわなけれ
127
ばならない。
あそこへたどり着かなければ何も始まらない。
10000年以上も寝てたんだから、休息はもう十分だろう。
これから、忙しい時間が始まる。
残業だらけの休日なしでも文句は言わないぜ。
128
3 既知との遭遇
ここから先は本気で動く。
そう決心した以上、まずやるべき事は情報の収集だ。
まずは自分の身体から。
さっきはいきなり動いたが、10000年以上の時を経てこの身
体がまともに動くのは奇跡だ。
このダッチワイフボディは本来民生品。タイマー付きと揶揄され
る某会社の製品ではないが、民生品なんて物は数年ごとに壊れてナ
ンボだ。
少なくとも10000年間メンテナンスフリーで動きます、なん
て無茶なメーカー保証はあり得まい。
俺は日輪機体に抱き抱えられたまま、指の関節ひとつひとつから
動作確認をしていった。
驚いた事に、すべての箇所が問題なく動く。
31世紀頃の技術力は俺の想像を絶しているようだ。
唯一、体内の水の残量が不足していると表示が出ていた。現状だ
と大気のある所へ入っても口からの発声が困難であるらしい。
唾液がゼロって事だな。
それ以外にも数種類の分泌物が使用不能なようだが、そちらは使
う予定がないのでスルーする。
そんな物を使う予定は無いったら無い。
絶対にない。
129
一方、外骨格側も本体と大差ない状況だ。
関節のほとんどは正常に動く。
正常作動しない物はおそらくガンマ線バーストを浴びたパーツの
残りだろう。
宇宙空間用バーニアの推進剤やプラズマトーチの燃料は完全にゼ
ロ。多少は残っていたはずだが、10000年という時間経過には
耐えられなかったのだろう。
使える物は外骨格の怪力とワイヤーガン。嬉しい誤算として、探
査用ニードルがあと2本残っていた。
巨大ロボットが相手では豆鉄砲にもならないけどな。
呼びかけてみるが、アリスさんはまだ反応しない。
アリスさんのいる領域で、活発な情報処理が行われている事は観
測できる。
サイバー空間で激しいバトルが行われているのか、それとも多大
な負荷を抱え込んだのか。俺にはそれを知る術がない。
俺に出来るのは彼女の無事を祈ることだけ。
あとは、外部との連絡に可能な限りフィルターを入れて自分の身
を守る事か。
ま、彼女の事だから、いい場面でちゃっかり復活して来そうな気
もする。
自分の状況が確認できたら今度は外だ。
スペースコロニー型宇宙船に目を向ける。
太陽光を取り入れるミラーを持たない密閉型だ。ちゃんと測って
みると円筒の直径はおよそ7キロ、全長は40キロぐらい。独立戦
争を仕掛けた某国家のコロニーより少し大きい。
130
端部に推進器を持つが、慣性制御のようなオーバーテクノロジー
を使用している形跡は無いので加速性能は大したものではあるまい。
住民の事を考えずにコロニーの内壁を滑り台に変えたいと言うなら
別だが。
なぜこんなものが造られたのか、その意図はまったくの不明。
スペースコロニーなんて物を移動させる必要がどこにある?
恒星間航行用の世代宇宙船かとも思ったが、その仮説は太陽電池
パネルに否定される。あの船は太陽から遠く離れるようには出来て
いない。
そう、コロニーの周辺宙域には多数の太陽電池パネルが浮かんで
いる。
パネルたちはそれぞれワイヤーで連結され、ゆっくりとした回転
によりお互いの位置関係を保っている。その様子はどこかの魔法少
女アニメの魔法陣のようにも見える。
ワイヤーは回転の中心軸からコロニーに向かっても伸びていて、
両者を繋いでいる。
そのワイヤーの上を何かが移動している。
あれも人型宇宙機だ。
足の裏にワイヤーを掴めるタイプのローラーダッシュ機構を装備
しているらしい。ああやって推進剤の消費を節約しているようだ。
やっぱり機動な戦士より最低野郎か。
他には何かあるか?
太陽電池パネル群から少し離れて、宇宙船がもう一隻いる。こい
つの役目は見当がつけられない。
ゴツゴツしたちょっと歪な立方体型をしていて、その一辺は10
0メートルを優に超える。
131
偏見かも知れないが、なんとなく悪役っぽい奴だと思う。
俺を抱えている日輪機体が加速をやめる。
音質の悪い無線の向こうで、男の声が何かしゃべっている。
正確な意味は解らないけれど、雰囲気からするとこれはカウント
ダウン?
日輪機は右手を伸ばし、何かをつかんだ。
﹄
これもワイヤーだ。
﹃一本釣りかよ⁉
コロニー側が流したワイヤーをつかんで、それに運動量を吸収し
てもらっている。
おそらくコロニー側では今頃、ワイヤーを懸命に巻き取っている
のだろう。
古いSF作品なら牽引ビームとか便利な超技術が出てくる場面だ
が、ここではやはりそういう訳には行かないらしい。
他の2機も同じように一本釣りされているのが見えた。
その時だった。
俺の目にある物が飛び込んできた。
いや、訂正しよう。
それはさっきから俺の目の前にあった。ずっと見えていた。
ただ、そこにあるのがあまりにも自然に感じられたため気になら
132
なかっただけだ。
日輪機体の胸に文字が書かれていた。多分、コックピットのハッ
チ関係の物。
﹁非常用、開・閉﹂
漢字だ。
21世紀の日本で見慣れた物とは少し違うが、中国の簡体字より
はよほど読みやすい。そのレベルで漢字。
100世紀以上の時を経ても漢字文化はまだ生き残っていたのか。
いかん、体内に水分が残っていたら涙が流れていたかも。
これで﹁ヲカエリナサイ﹂とかの文字で出迎えられたら本気で泣
いちゃうぞ。もちろん、最後の﹁イ﹂は左右反転の鏡文字でな。
俺は別に人類を破滅から救うような大活躍をして帰って来た訳じ
ゃない、と自己ツッコミ。
しかし、人型宇宙機たちに対して敵意というか、闘志を維持する
のが難しくなってきた。
三機の人型宇宙機はバーニアを吹かして速度を微調整、コロニー
の宇宙港ブロックに入って行く。
なんだか、はじめての経験のような気が全くしないが、それこそ
気のせいだ。別にコッソリ潜入しようとしている訳じゃない。
133
人型宇宙機数機に出迎えられる。
出迎えというより俺に対する警戒かな、とも思う。
見ていると人型機体のボディ部分はほぼ共通規格。
手足は必要に応じて付け替えるのか数種類あり。
頭部はまったくのフリーダムであるようだ。
その中の一つ、額に﹁愛﹂の一文字を掲げている機体を見て俺は
確信した。
こいつらは日本人の子孫だ。そうでなくともヲタク・カルチャー
の継承者だ。
人型宇宙機を使っているのも、機能性より﹁趣味﹂が主な理由に
違いない。
蒼髪美少年の転生者はいないと思うが。
無重力の中、壁だか天井だか解らないところに﹁着地﹂し、足を
そこへ吸着させてそのまま奥へ歩いていく。
エアロックらしき場所を通過し、風が感じられる部屋に入る。
奥の壁は隔壁かな?
本来はもっと広い部屋なのを、隔壁をおろして俺の行動範囲を狭
めている気がする。
俺の外骨格で生身の人間を殴りつけたら大惨事なので妥当な扱い
だと言えるだろう。
134
3機の宇宙機が停止したのを確認し、俺は日輪機の腕の中から抜
け出した。
宇宙機たちと同じ床に立ち、外骨格の足の裏のマグネットを作動
させる。
さあ、あちらはどう出る?
これだけの手間をかけて俺を回収したんだ。問答無用で俺をスク
ラップとして解体する、何てことは無いと思うが。
最初に動いたのは、今にも﹁メインカメラがやられそう﹂なガン
もどき君だった。
機体前面の外装が大きく開く。
コックピットはかなり小さい。だが、狭いとは感じない。
乗っているのは子供か?
一瞬だけそう思った。
違うな。10000年前の事件でも顔をあわせた対G仕様の強化
人間、ピグニー族だ。身体は小さいがあれで大人だ。
同じピグニーでも違いはあるのか、今度の彼は東洋風の顔立ちを
していた。
小人の若者は慣れた動きで床に降り立った。
次にハッチが開いたのは日輪機体。
同じ大きさのはずなのに、こちらのコックピットはやたらと狭く
感じる。搭乗者はピグニーじゃ無い。
人の上に立つ者の貫禄を感じさせる若い男だ。おそらくはチーム
の小隊長。
だが、イロイロとツッコミ所の多い残念さんでもある。
髪の色が真紅なのは、まあいい。東洋風の顔立ちと赤い髪はミス
135
マッチだが、それは慣れの問題かも知れない。
しかし、その髪を真面目なサラリーマン風に七三に分けているの
はどういう事だ? つい今さっきまであの狭いコックピットにいて
高重力に耐えたりしているのに髪が乱れないなんて、未来の整髪料
はそんなに優秀なのか? それともアレは形状記憶能力付きのヅラ
か?
そしてもう一つ。コックピットから出る時に取り出した物、アッ
チは日本刀?
鞘に収まったままなので抜いたら別の道具という可能性もあるが、
一見すると日本刀としか見えない代物だ。
赤い髪のサラリーマン侍?
サラリーマンも侍も日本を象徴するものかも知れないが、その二
つを混ぜてはダメでしょう。
サラリーマン侍は俺の前に降り立ち、赤い顔をして目をそらした。
今の俺の恰好はビキニアーマー級。
コイツが結構ウブなのか、それとも女性が肌を晒すのがタブーな
文化なのか?
見るとピグニー君の方も俺から必死で目をそらしている。今にも
前かがみになりそうだ。
こういう反応をされるとちょっと困る。こっちまで恥ずかしくな
りそうだ。
外骨格をもう一段変形させたほうが良いだろうか? 腕にしてい
るパーツを全部使えばワンピースっぽく出来ると思うが。
バシッ、バシン。
136
いい音が2回響いた。
男どもが頭をおさえる。
いつの間にか三日月機のパイロットも降りて来ていた。
姉御、な感じのたくましい女性だ。彼女は丸めた何かで男たちの
頭をはたくと、大声で何かを命じた。
日輪機のパイロットの方が位が上に感じていたが、それは間違い
だったかも知れない。
二人の男は一も二もなくクルリと俺に背を向けた。
三日月機のパイロットは大柄な女性だった。
今の俺は外骨格のおかげで高下駄を履いているような状態だが、
それでも彼女の方が背が高い。生前の男の俺でもかなわないぐらい
筋肉を見事に鍛え上げている。今の俺と違って胸も大きい。ただし、
その胸の半分は脂肪ではなく筋肉で出来ているようだった。
ちなみに、彼女が着ているのはパイロットスーツらしい色気のな
いつなぎの服だ。肌の露出はほぼ無い。
彼女は俺に何か話しかけ、微笑みを浮かべる。
世話好きな表情。
ダッチワイフボディの10代の小娘の外見が役に立っている?
この身体がトラブル以外の何かを初めて運んできた気がする。
そして俺は見た。彼女の額に小さなふたつのツノが生えているの
を。
なんだかとって喰われそう。
137
いや、あのツノにも何か理由があるのだろう。脳に直結の端末に
なっているとか。
しかし、彼女の体躯とあわさると﹁どこのお山の童子さんですか
?﹂と問いかけたくなるような、完璧な鬼っぷりだ。
彼女に対して微笑み返したつもりだが、その笑みはひきつってい
たかも知れない。
それにしても、巨大ロボットに乗った侍・小人・鬼の三人組かよ。
ちょとキャラが濃すぎないか?
ま、転生TSロボ娘の俺より濃いかどうかは知らないけどな。
138
4 ご対面です
ツノを生やした女性は俺を格納庫︵?︶の隅に導いた。
そこにはちょっとした荷物が置かれていた。
満面の笑みとともに広げられたそれを見て、俺はたじろいだ。
今の俺にとても必要な物だとは理解出来るのだが、やっぱり心理
的には抵抗がある。
女性用の衣類。
俺の男の沽券とともに問題だったのは、それを身につけるには強
化外骨格を外さなければならない事だ。
ダッチワイフボディのパワーなど、成人男性のそれを下回る。と
いうより、このボディの腕力は男の力の前に簡単に屈するために存
在しているのだ。
外骨格を外すことは自分の身を守る手段を放棄することに等しい。
それでも俺は3秒ほど考えたのち、装備を外した。
外骨格から離れた状態で、それをリモートコントロールして見せ
る。
この状態でも俺に手を出したらただでは済まさないぞ、という示
威行動。のはずだったが、鬼な女性はまったく気にせず俺を抱きす
くめた。
ひと
野郎に手出しされるよりはずっとマシか。
この女性に百合な趣味があるなら一戦交えてみるのもいいが、こ
ちらの﹁武器﹂が無い状態ではとって喰われて終わるかもしれない。
139
などと思ったが、俺に抱きついてきたのはここが無重力だから、
だったらしい。
俺を固定しておいて女性が差し出してきたのは、まずパンツだっ
た。
俺は一瞬かたまってしまった。
機械の身体の俺にパンツは本来必要ない。だが﹁はいてない﹂と
いう状態には変態性が感じられる。
変態性と男のプライドを秤にかけて、俺はプライドを捨てた。捨
てねばならなかった。
ホットパンツ、ニーソックスと渡され、俺の上半身はまだ裸だぞ
と﹁?﹂となったが、次に出てきたのが吸着ブーツで納得。重力の
ない所で服を着る以上、コイツを早めに履くのが正解だ。
その後はブラの着付けでプライドをもう一つ失くし、ミニのワン
ピースを頭から被せられる。ワンピースのスカート部分は重力が無
くともめくり上がらない特別仕様だ。
どうせスカート下にはホットパンツがあるので、スカートはいわ
ゆる絶対領域を作り出すための装飾用だ。
よっぽど可愛くできたのか、鬼の女性はキャーキャー言って喜ん
でいる。
一応礼を言おうとして、本体からでは声が出せないのを確認する。
ダッチワイフボディの発声機能は口の中の水分がゼロだと動作しな
い。
俺は鬼の女性の手をとった。俺のそれよりひと回り大きな手のひ
らに横棒を一本ひく。
﹁?﹂
140
ツノを生やした頭が斜めになる。
﹂
俺は今度は横棒を上下に二本ひく。下の棒を上の物より長くひく。
﹁⁉
俺が何かを伝えようとしている事はわかったみたいだ。
横棒を三本、真ん中を短く下を長く書く。
少しは理解してもらえただろうか?
止めとばかりにロの字の中にハを入れる。﹁四﹂だ。
ポンとたたきたがる手を引きとめて、俺はもう一つ字を書いた。
﹁水﹂と。
コップを傾けるしぐさもして見せる。
鬼の女性は驚いたようだった。
本当にこれでいいのか? という顔でベルトから水筒らしい密閉
容器を外して渡してくれた。
彼女が俺のことをどう解釈しているのかちょっと気になる。
ただの漂流物のロボット?
真空中でも生きられる特殊体質の人間?
容器に入っていた物はただの水ではなくスポーツドリンクのよう
な物だった。
舌に化学物質を感知するセンサーが付いていることに気付いて、
俺は呆れた。この身体は無駄に高性能だ。
ちなみに、口から飲んだものを吸収する能力はあるが、固形物は
さすがに消化できない。下から排泄する機能もない。穴だけはある
が上とつながってはいない。よって、何か食べたらそのうちリバー
141
スしなければ胃の中で腐って悪臭をはなつ美少女が出来上がる事に
なる。
実践してみたいとは思わないな。
飲んだ水分が身体を潤していく。
﹁ア、イ、ウ、エ、オ。カ、キ、ク、ケ、コ﹂
発声機能が戻ってきた。
﹁助かった、ありがとう﹂
礼を言って容器をかえす。
日本語で喋ったが俺が何を言いたいかぐらいは解ったのだろう、
女性も自分の言葉で何か答えた。
会話らしきものがようやく成立したわけだ。
俺の身支度が整ったことで、男たちにも声がかけられる。
ふり返った二人に眩しいものでも見るかのような目を向けられる。
敵意はない、と示すように両手を広げて微笑みながら近づいてく
る。
勇気のある男たちだ、と俺は思う。
正体不明の宇宙漂流物など、問答無用で拘束してもおかしくない。
ビーグル号とかノストロモ号とかエンタープライズとか、それで痛
い目にあった宇宙船は数知れない。
全部、SF創作物の話だけどな。
サラリーマン侍が親指で自分を指差した。
﹁トキザネ﹂
彼の名前だろう。漢字に変換できそうだ。
142
ピグニーの若者が手を挙げる。
﹁レギンス﹂
ホビット一族のバキンス家と縁戚関係にある、という設定でもあ
るのだろうか? 足の指の間に毛が生えているかどうか、いつか確
かめてみたい。
鬼の女性がニッと笑った。
﹁アケラギ﹂
アケラギ童子さんですね、わかります。
期待のこもった目で見つめられ、俺も自分を指差し。
﹁サガラ﹂
いつものセリフ﹁コタローと呼んでくれ﹂へ繋げようとして、俺
はためらってしまった。ここが漢字文化圏なら﹁太郎﹂が長男を意
味する事は見当がつくだろう。俺がTS転生状態だと知られる事は
女性だと思われるより恥ずかしいだろうか?
はっきり決断できた訳ではなかったが、俺がためらっている間に
俺の名前は﹁サガラ﹂で通ってしまったようだ。
今なら女湯入り放題、なんて事は一瞬しか考えてないぞ。
侍・トキザネが壁ぎわのインターホンでどこかと話している。
俺は10000年前の同じようなシーンを思い出した。
あの時、オットーは何もない空中に向かって会話していた。おそ
らく、宇宙基地内のどこであっても会話可能だったのだろう。
造り付けのインターホンを使って話している今は、明らかに技術
が退歩している。
小型宇宙機の技術力は互角ぐらいに感じられたが、そのあたりは
ロストテクノロジーなのだろうと予想する。同じ物はもう造れない
のか、まったく同じ物が自動生産されるのかどちらかだろう。
143
話しが終わって、トキザネは﹁付いて来い﹂と身振りでしめした。
この場を離れるなら、と俺は強化外骨格に目を向けるが、彼は七
三分けの頭を横に振った。この先は武器の持ち込み不可らしい。
外骨格の遠隔操作がどの程度の距離まで可能か分からないのが痛
い。パチンと指を鳴らしただけでやって来てくれるなら良いんだが
⋮⋮
隔壁に生身の人間が通れる程度の通用口が開く。
トキザネの後についてそこをくぐる。
隔壁のもともと同じ部屋、という予想は正しかったようだ。部屋
そのものの構造はこちらとほとんど同じだった。
違いはそこに並んでいる機体にあった。
左右に3機づつ計6機、人型宇宙機が並んでいる。頭部以外はト
キザネたちの機体と同型だ。コックピットのハッチは閉じていて、
手には槍と斧を組み合わせたような長柄の得物ーーいわゆるハルバ
ードを持っている。
他に銃器らしい物は携帯していない。
あのハルバードは儀礼用なのか、周りを壊さないために飛び道具
の使用が制限されているのか、あるいは見かけでは分からない超性
能を秘めているのか、3択問題だ。
どれもあり得るから困る。
そして、俺の真正面にもう1機いた。
144
一番の上座にいるから大型機かと言うとそうでも無い。むしろ小
さい。
等身大から見ればはるか見上げなければならない大きさだが、他
の人型宇宙機と比べたら大人と子供だ。
その理由は一目でわかる。
バーニアが無い。
宇宙空間に出ることを想定していない儀式用の機体なのだろう。
全体に美しい装飾が施されている。
あれに乗っているのは将軍か、国王か、国家元首か?
大物であるのは間違いなさそうだ。
トキザネたちはハルバードをかざした機体の間で足を止める。
敬礼にあたる動作なのだろう。両腕を胸の前で平行にかざした。
俺?
俺はまだ何もしない。
まだ相手の顔も見ていないのに頭を下げる気にはなれない。
ただその場に立つ。
上座の機体のスピーカーから声がする。少し歳がいった女性の声、
かな。
よくやったとか、任務ご苦労とか、その類いの言葉だろう。トキ
ザネたちが受け答えする。
145
﹁さて、そなたの番だな、お客人。サガラと言ったか?﹂
驚愕。
生身の身体を持っていたら、心臓が口から飛び出るかと思った事
だろう。
彼女の使った言葉は日本語だった。
﹁この身体も、遂におかしくなったらしい。再チェックさせてくれ
ないか?﹂
﹁おや、故障かえ?﹂
﹁やばいな。完全に幻聴が聴こえる。漢字だけならまだしも、21
世紀の日本語が10000年後まで残っているはずが無い﹂
儀礼用機体から笑い声が響いた。
こ
﹁面白い娘だのう。心配する必要はないぞ、そなたの機能は正常だ。
この言語はアルシエ様から賜った物。普段使いしている言葉では無
いわ﹂
アルシエ、権力者らしいこの声より更に上の存在か。
黒幕っぽい名前が出てきたな。
﹁これが幻聴ではないと? で、そのアルシエ様とは何者ですか?﹂
﹁アルシエ様はアルシエ様じゃ。おかしな事を聞くのう? 他に何
がある? この地球ベルト上にあまねく存在し、我らの生存を保証
してくださるお方じゃ﹂
それは神なのか?
俺を転生させたあの存在を思い出す。
確かにアイツなら日本語での対話能力を与えるなど簡単だろう。
146
だがアイツなら今さら俺に関わってくる理由が分からない。
﹁よく分からないが、そのアルシエ様って俺に何か用があるのか?﹂
﹁さて、な。アルシエ様の意などただの人間にどうして押し計れよ
う。アルシエ様が恵みをくださればありがたくいただく。その時差
し出された以上の物は望まない。それがあるべき姿じゃよ﹂
﹁神に対するそのスタンスには完全に同意するよ﹂
自分の物ではないチート能力になんか頼る物じゃない。
﹁俺に故障が無いなら、あらためて始めよう。俺の名はサガラ。肩
書きは特にない。宇宙を漂流中、助けてもらった事を感謝する﹂
﹁妾はこのアズクモ・コロニーの多脳者長、サユル・モイネじゃ。
神託を受けし者、数多の軌道を開いた者、などと呼ばれておる﹂
﹁挨拶は結構だが、モイネ殿﹂
﹁なんじゃ﹂
﹁できれば顔ぐらい見せてくれるとありがたい。その人型ロボット
の身体が本体だと言うなら謝罪するが﹂
﹁ほう。多脳者たる妾の姿を見たいとな﹂
モイネ殿のロボットは器用に身を乗り出して見せた。
この身体が本体で中の人などいない、と断言されたら信じるしか
ないような人間くさい仕草だった。
﹁多脳者というのがどんな者か、俺は知らない。非礼な要求だった
か?﹂
﹁別に非礼という訳ではない。そんなことを求める者が滅多にいな
いだけでな﹂
﹁まさか、モイネ殿の本性を見た者は正気を保っていられないとか、
そんな事を言い出す訳じゃあ⋮⋮﹂
147
﹁酷い事を言うのう。せいぜい夜中にトイレに行けなくなる程度じ
ゃ﹂
﹁なら問題無いな。この身体に排泄の必要はない﹂
﹁いいじゃろう。そこまで言うなら今の妾の姿、見せてしんぜよう﹂
ロボットの前面ハッチがゆっくりと開いていく。
横目で見るとトキザネたちはさりげなく目をそらしていた。
ハッチの内部は水槽になっていた。生命維持装置に繋がれた人体
がそこに固定されている。
その人物、モイネ殿の手足は萎縮していた。あれではまともに機
能しないだろう。それは内臓のほとんども同様だ。胴体も小さく薄
かった。
逆に彼女の頭部は肥大していた。
頭蓋骨の縫合は剥がれて断片化し、巨大化した大脳皮質が皮膚の
すぐ下にあるのが見てとれる。多脳者と言ったが、彼女の脳は通常
の人間の5人分以上はありそうだ。
水槽の中に保護されているのも当然だ。地球の重力下では彼女が
生存するのは困難だろう。
﹁どうかえ? 好奇心は満足したかえ?﹂
﹁あなたが俺には理解できない最新流行を追い求めているのは良く
わかったよ﹂
﹁では、今度は妾の番じゃな。サガラというたな。尋常ならざるそ
の力、そなたは一体何者じゃ?﹂
彼女の生身の目と上のロボットの目がシンクロして動く。俺をギ
ロリと睨む。
我知らず、俺は一歩後退していた。
148
ひと
なんて迫力だ。
この女の相手をするには確かにSANチェックが必要だな。
149
5 俺のチートが終了していない件
巨大脳みそに気圧されたが、俺はなんとか唇を噛んで踏み止まる。
﹁俺が何者であるのか、か。モイネ殿、その質問に円滑に答えるた
めにも、まずそちらが俺をどの様な存在だと考えているのかお聞き
したい﹂
﹁言葉遊びをするつもりはないぞえ。妾は質問をはぐらかされる事
に慣れてはおらぬ。サガラよ、そなたが自分を何者であると定義し
ているか聞かせてくれや﹂
ごまかすつもりがなくとも、俺にとっての自分の定義とはちょっ
と難しい問題だ。
俺はいったい何者なのだろう? TS転生ロボ娘でいいのか?
﹁一つの事実として言うなら、俺はかつて生きていた人間の人格デ
ータをコピーされたAIであり、そのAIを搭載したアンドロイド
だ﹂
﹁それだけかえ?﹂
﹁それ以外の何かが必要か?﹂
﹁足りぬ。まったく足りぬ﹂
モイネ殿のロボットは足を踏み鳴らした。
﹁サガラよ、そなたは自分が何年ぐらい宇宙を漂っていたか知って
おるか?﹂
﹁だいたい11000年ぐらいだったはずだな﹂
﹁その数字をそなたが認識していること自体が驚きじゃ。いつの時
150
代に作られた物であれ、普通はその1/10の時間も持ちはせん。
1/100でも危ないぐらいじゃ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そもそも、真空に暴露し強い放射線を浴び続けていたのじゃぞ。
100歩譲って内部構造は無事だとしても、人工皮膚はひび割れ髪
は色落ちしてパサパサになっているはずじゃ。それがなんじゃ、そ
の製造したてのようなお肌とツヤツヤの髪は。そなたが色ボケの若
いのが寄ってくるような姿をしておるのはおかしい。そなたは妾以
上に醜い姿をさらしていなければならないのじゃ﹂
彼女より醜い姿って、それはちょっと難しくないか?
タイムトラベルな筋肉殺人機械のスケルトン状態だって彼女より
は美しいと思う。
﹁何か言うたか?﹂
﹁いえ、何も﹂
思っただけです。
俺はブンブンと首を横に振った。
﹁とりあえず、美容に関する話題は余談だよな﹂
﹂
﹁何を言うておる。大事な事じゃ﹂
﹁重要なのか⁉
この脳みそ婆さん、あんまりボケないでくれ。話が進まないだろ
うが。
﹁と、に、か、く。俺の稼働時間がおかしいという件については、
俺はこのボディの開発者でも製作者でもないので回答できない。そ
れが異常かどうかも含めて俺には判断不能だ﹂
151
﹁新陳代謝もないただの有機物が宇宙空間に放置されてどうなるか
も判断できぬと?﹂
﹁⋮⋮﹂
確かにその辺りは俺も変だと思っていたからな。
俺も少しは真剣に考えてみた。
俺に関して普通ではあり得ない現象が起こっているとなると、や
はりあの﹃神﹄か﹃神﹄から与えられたチート能力関係が最有力だ。
仮説その1。
例の﹃アカシックゲート﹄の閉鎖が不完全で、未だに俺に影響を
与え続けている。
﹃神﹄の予定では俺はあの後すぐにあの世に帰還しているはずだっ
たので、ゲートの閉鎖はいい加減でも問題ないと判断されたのかも
知れない。
仮説その2。
﹃ゲート﹄そのものは既に無いが、最後の戦いの時に俺はこの身体
に能力を使いまくっている。そのために﹁現在の状態を維持し続け
る﹂呪いのような物がかかっているのかも知れない。
仮説1でも2でもあまり違いはないな。
他人に話せる事ではないし、納得させるのは完全に不可能だろう。
﹁確かに俺も自分が特別な存在だという自覚はある。だが、それは
今となっては俺の中だけで完結していることだ。証明は不可能。話
すほどの価値はない﹂
﹁そなたの存在そのものが証明になると思うがのう﹂
﹁その程度では俺の経験すべての証明にはまったく足りぬな﹂
﹁だから何も話さぬと? あまりこういう事は言いたくないのじゃ
152
が、あまりにも非協力的だとそなたの扱いをただの宇宙を漂流して
いた拾得物にかえる事になるぞえ。実際、そなたが人に分類出来る
かどうか、かなり疑問のようじゃし﹂
そう来たか、と思いつつ、俺はちょっと脱線した感動をしていた。
マン
自分が人間であるかどうか悩むアンドロイドって、俺も直接見た
ことはない8男とか新造人間とか兄弟ロボットとか、古来アニメ特
撮系の主人公には定番のキャラ立ちだよな。
ヒーロー
俺は今、彼らに並んでいる。
間違っても主人公じゃ無いけど。
頑張って日曜朝に進出だ。
というボケは横に置くとして、ここは少しは譲歩しておくべきだ
ろう。
こちらからの情報を小出しにして、あちらの情報をなるべく集め
たい。
﹁俺はかつて特殊な能力を持っているのでは無いかと疑われ、俺に
この身体を与えた研究所ごと廃棄処分にされかかった。というか、
された。宇宙を漂っていたのはそういう訳だ﹂
﹁研究所ごと、な。当時はびこっていたという魑魅魍魎どもをそこ
まで恐れさすとはたいした物じゃ﹂
﹁魑魅魍魎?﹂
あ
﹁その時代なら、人が人間に擬態した異星生物に支配されていたと
伝えられておるが、違うのかえ?﹂
﹁あの触手ども、そういう風評を立てられて革命されたのか?
いつらだって俺と同等以上には人間だったと思うが﹂
﹁興味深い話じゃな﹂
153
当時の世相について解説してくれとか言われてもできないから。
21世紀の出来事なら少しは話せるが、俺が冥界の神に導かれて
死者の国から蘇ってきた、なんて事は秘密にしておいたほうが無難
だろう。
﹁で、特殊な能力とはどんなものじゃ?﹂
﹁半分以上は誤解のようなものだ。誤解でない部分も今はもう使え
ないしな﹂
﹁それで?﹂
﹁きっかけは俺が俺の知るはずのないことを口走った事だったな。
うかつだったよ﹂
どこまで話せるだろうか?
と、思った時だった。俺は何かを感じてあたりを見回した。
なんだか周囲がざわついているような気がした。だが、取り囲む
人型宇宙機たちもトキザネたちも何の動きも見せていない。
モイネ殿が面白そうに身を乗り出した。
﹁ほう。こういう力かえ。そなたも妾と同じような能力を持ってい
るようじゃな﹂
ちょっと違いそうだ。
俺もアカシックゲートの力が復活したかと勘違いしかけたが、今
感知しているのは普通の電磁波のようだ。
あたりを飛び交う電波の情報量がいきなり増大したのを、異常と
して理解したようだ。
考えてみればこれもチートのうちだろうか?
今の俺には普通の人間にはない電波やその他の放射線を直接認識
154
する力がある。また、ダッチワイフボディや汎用関節ユニットの記
憶装置と情報のやり取りをすることもできる。絶対に消えない写真
記憶能力を持っているのと同じだ。
俺は本格的にロボットやアンドロイドに近い存在になってしまっ
たようだ。
俺は涙も流せるし、熱い友情もわかるから良い。
一呼吸置いて、警報音が鳴り響く。
モイネ殿の機体が腕を一振りすると音は消えた。それから彼女は
俺の知らない言葉で何かを説明した。
トキザネたちが動揺している様子はない。
非常事態だが緊急事態ではない、という辺りだろうか?
﹁何があったか知らないが、俺に関わっている暇があるのか?﹂
﹁いつもの示威行為じゃ。心配してもらうほどの事ではないぞえ。
ほれ、そなたにも見えるであろう﹂
モイネ殿の視線が俺の肩越しに背後に向かって伸びた、ような気
がした。
彼女は分厚い隔壁も透過して何かを見ている。
﹁残念ながら俺はそんなに便利に出来てない。この目は普通の人間
に見える程度のものしか見えないし、知らない電気信号を解読する
のも無理だ﹂
﹁そんなはずはない。それだけの力があれば間違いなく可能じゃ。
出来ぬと思えばできぬ。出来ると思えばできる﹂
彼女がさっきから言っている俺の力とはいったい何だ? 俺に秘
155
められた超能力があるとでもいうのか?
いや、ないとも言えないか。
あの﹃アカシックゲート﹄の能力のほんの一部でも残っていたら
超人と呼ばれるぐらいの超能力者になれそうだ。
俺は試しに宙を飛び交うデジタル信号の一塊に注意を向けてみる。
意味が分かる。
これは動画だ。
﹁ほれ、出来たではないか﹂
伊達に巨大な
モイネ殿には俺の能力の使用状況までわかるらしい。
俺よりはるかに年季が入っているからだろうか?
脳はしていないようだ。
これはリアルタイム映像なのだろうか?
映っているのは外にいた時も観測した立方体型の宇宙船だ。軌道
を変えてこちらへの接近コースに入っている。
﹁リュンガルド共和国のドレッド級戦闘艦じゃ﹂
﹁ド級戦艦か。過去の戦闘艦をすべて時代遅れにするような画期的
な性能でもあるのか?﹂
﹁別に、ない。アルシエ様の加護になるべく頼らずに宇宙を旅しよ
うという心意気は買うがのう。動かすだけで大量の資源を浪費する、
それだけの船じゃ﹂
動画が変わる。
人型宇宙機たちがワイヤー上を滑って各太陽電池パネルに展開、
迎え撃つ準備を整えている。だが、手にしている武器は例のハルバ
ード、もしくはそれに類する格闘戦武器だ。
156
﹁なんてアナログな。飛び道具はないのか?﹂
﹁アルシエ様のご意向で人間の生存に必須な施設の破壊は禁止され
ているのじゃ﹂
﹁流れ弾対策で射撃は禁止? 敵船に乗り込んでの白兵戦が主戦術
?﹂
﹁そうなるのう﹂
人型ロボットが必要になるはずだ。納得した。
まさか、頭部を破壊された機体は失格になる、とかのルールはな
いよな?
﹁しかし、この対応で本当に大丈夫なのか? 相手方もその約束事
を守るという保証は? あの配置では太陽電池ごと破壊する気にな
られたら、一瞬で壊滅しそうだが﹂
﹁保証はないが、今回は大丈夫じゃろう。かかっている物がそれほ
ど大きくないからのう。そなたの情報が連中に知れたらどうなるか
分からんが﹂
﹁?﹂
﹁連中が要求しているのは先刻回収した漂流物の引き渡し、つまり
そなたじゃ﹂
﹁って、いったい何の権利があってそんな要求を⋮⋮﹂
﹁あやつらは地球の遺産はすべて自分たちのものだと主張している
からのう﹂
要するに力を持った強欲脳筋集団か。
と、俺は一瞬納得しかけた。
でも、何か今、聞き捨てならないセリフがあった気がする。
157
地球の、遺産?
158
6 SFは年表だ。覚える気ないけど
ファンタジーは地図だ、という言葉がある。
架空の世界を構築するならば、主人公の出発地点がどのような土
地であるかを決めなければならない。そこから移動した先には何が
あるかを知ることがファンタジー小説を読む者の楽しみとなる。多
くのファンタジー作品が旅を題材にするのは、そのあたりに理由が
あるのだろう。
対して、SFは年表だ。
現実世界との接点がほとんどないようなファンタジーよりの世界
観ならともかく、未来を描くならいつどのような革新的な技術が発
明されたか、どのような歴史的事件があったのかを描写することは
避けられない。
そういう知識はあったんだが、まさか自分が未来世界へきてそれ
を実感するとは思わなかった。
﹁地球の遺産、ってどういう意味だ?﹂
俺はこれまで飄々とした受け答えを心がけてきた。
それはすでに一度死んでいるという気楽さから来るものでもある
し、心に余裕を持って動きたいという事でもある。
だが、俺にも故郷を思う気持ちという物は残っていたらしい。
俺は今、真剣だった。
﹁遺産は遺産じゃ。ほかにどのような呼び名がある? まぁ、そこ
らに浮いている岩塊も広い意味では遺産じゃが、普通は文明の痕跡
159
が残っている物のみを特別に﹃地球の遺産﹄と呼ぶのう﹂
﹁では、地球はもう無いのか?﹂
﹁そうか、地球が失われたのは魍魎期の終わりの出来事じゃからの
う。そなたはその頃、機能停止中であったか﹂
俺は天を仰いだ。
天といっても、そこに見えたのは床とも天井ともつかない宇宙船
の壁面だけだったが。
俺が寝こけている間に、まさかそんな事になっているとは。
俺って寝坊助さんだ。俺の名誉のためにはブラックホールのシュ
バルツルスト半径に捕えられていたとか、ワームホールで直接未来
に送られたとかだと主張したいところだが、そんな記憶はないな。
﹁地球が失われるなんて、いったい何があったんです?﹂
﹁巨竜、と呼ばれる宇宙生物の襲来じゃよ。こいつらは亜光速で宇
宙を飛び回る超生物で、魍魎どもと仲が悪かったらしい。同時多発
で一斉に攻撃を仕掛けてきた標的の一つが地球じゃった﹂
﹁長命者たちは超光速での移動が可能だったはずだが、亜光速に負
けたのか?﹂
﹁同時多発と言うたじゃろう。太陽系だけでなくあちこちの星系に
同時攻撃じゃ。移動能力の差など関係無かろう﹂
﹁その竜たちは長命者を主に狙っていた?﹂
﹁時が経ちすぎておる。確かな事はもはや解らぬよ。その事件を契
機に我らの先祖が魍魎どもに戦いを挑み人類を解放した、確かな事
はそれだけじゃ﹂
それでは本当に地球はもうないのか。
漠然と﹃地球﹄と表現してしまうと範囲が広すぎるが、あの山も
海も空すらも見ることができないとは。
160
﹁国破れて山河在り。時を超えてきた俺には空すらも無し、か﹂
これはもう泣いてもいいかも知れない。
俺は軽く目を閉じてうつむいた。
失われたであろう多くの人命、まだ生きていたかも知れない野生
の動物たち。地球上に生きていたはずのすべての命に黙祷をささげ
る。
間を置いて、俺は少し湿った瞳をモイネ殿に向けた。
﹁で、さっき言っていたアルシエ様とはその宇宙生物の関係者なの
か?﹂
﹁いいや、違うね。アルシエ様のお生まれは魍魎期の半ば頃、その
萌芽となる物は地球期の終わり頃に出現したと聞いておる。巨竜た
ちとは時期が合わぬ﹂
﹁地球期の終わり頃、とは20世紀の後半から21世紀にかけてと
考えてよいのかな?﹂
﹁妾も歴史は専門でないが、大体そのぐらいかのう﹂
読めた、な。
アルシエ様とは九割がたネットワーク上に生まれた超知性体だろ
う。
次点で単一ハードの巨大コンピューター。大穴でハードへの依存
すらなくなった純粋情報生命体とか。
最後のやつだったら、そいつを神の一柱と認めるのにやぶさかで
161
ないな。
なんにせよ、相手が人工知能関係からの進化体なら接触したアリ
スさんがおかしくなったのも納得がいく。10000年以上進歩し
た知性体からすればアリスさんの相手なんて赤子の手をひねるよう
なものだろう。
それは、俺相手でも同じかもしれないが。
話している間に、例の立方体型戦艦に動きがあった。
アズクモ・コロニー側が迎撃態勢を整えたことを察したのだろう
か、ド級戦艦は再び軌道を変える。
太陽電池群に突っ込むコースから、少し離れたところを通過する
コースへ。
人型宇宙機たちはまだ油断はしていないようだが。
﹁どうやら、外のほうはひとまず落ち着いたようだねぇ﹂
﹁そのようだな。領空すれすれに接近して敵対者の対応能力を探る。
はるか昔からよくある話だ﹂
﹁どちらかというと、今回はこちらに圧力をかける砲艦外交の方だ
けどねぇ﹂
﹁他人ごとに余計なお世話だとは思うが、対応がちょっと弱腰すぎ
ないか? 他国の戦闘艦にあそこまで接近されたのなら、いっそ撃
破してしまってもよいと思うが﹂
﹁そう言ってもらえると助かるよ﹂
どういう意味だ?
﹁あの戦闘艦はそなたにとっても他人事では無いのだよ。あれが要
162
求しているのはそなたの引き渡し。それも、そなたの詳細を知らぬ
ままルーチンワークでやっている要求じゃ﹂
﹁それが何か?﹂
﹁何も知らぬままですらあの始末じゃ。もし、そなたの情報の一部
なりとも洩れたらどうなるかのう? 魍魎期に作られた美少女アン
ドロイドの完動品じゃぞ。いったいどれだけの価値があるか、全く
想像もつかぬ﹂
ええっと、ミロのビーナスの両腕付の品が発掘されたぐらい?
制作された時代からの時間経過でいえばラスコー洞窟の壁画の方
が近い?
確かに、俺にも想像できない。
﹁それだけでは無いぞえ。そなたに対してはアルシエ様がいち早く
対応なされ、この翻訳ソフトを授けてくださった。これはそなたが
全太陽系レベルの重要人物であることを意味している﹂
﹁アルシエ様ってのも余計なマネを﹂
﹁加えて妾はそなたに尋常でない﹃力﹄が宿っていることを感知し
ている。並の多脳者はおろか、妾と比べてさえ大きく上回りかねな
い﹃力﹄じゃ。すべてを加味すると、いやこのうち一つだけでも、
そなたの奪い合いで戦争が起こりかねない﹂
冗談だろう、と言いたいところだが本気のようだな。
チートな能力なんて何も持っていません、このまま市井に紛れて
チラチラしながら生きていってはだめですか?
それは無理だろうと俺も思う。チラチラ系主人公は早い段階で破
たんするものだ。
﹁で、俺に何をやらせたいんだ? それとも、もう一回宇宙に捨て
163
るか?﹂
﹁アルシエ様に目をかけられているそなたを捨てるなんてとんでも
ない。やるとしたら幽閉じゃ。外部と連絡がつかない所に閉じ込め
て保管する﹂
﹁それは宇宙へ投棄よりひどい﹂
﹁妾もそれをするのは忍びない。だから、この場で宣言してほしい
のじゃ。自分がアズクモ・コロニー所属であると﹂
﹁そんな事で効果があるのか?﹂
﹁目を見張るほどの効果は、無いじゃろうな。共和国に対する直接
の影響はほぼ無い。周辺諸国に対するけん制効果だけじゃが、何も
せぬよりは良い、という所じゃ﹂
俺は考え込んだ。
立方体型宇宙戦艦と人型機動兵器、どちらを味方と感じるかとい
う問いなら、たいていの日本人は同じ答えを出すだろうが⋮⋮
﹁そうそう、リュンガルド共和国の現首相はなかなか見た目は良い
が、好色漢との噂じゃ。そんな男がそなたを手に入れたらどうする
かのう? そなたの女の部分、それはちゃんと機能するのであろう
?﹂
!
俺がこの時どんな顔をしていたかは大体想像がつく。
﹁色をもって男をたぶらかしたいのであればあちらへ行くとよかろ
う。傾国の美女となってくれればこちらも助かる﹂
﹁俺が嫌がるのをわかっていて言っているだろう﹂
﹁それは、な。そなたの仕草、物言い、すべてが色を武器とする女
のものではない。妾もかつては女であったからそれぐらいはわかる﹂
164
俺が男だと解らないようではまだまだだな。
﹁条件がある。まず、このコロニーの俺に対する所有権は認めない﹂
﹁そなたを人であると認めるなら当然の話じゃのう﹂
﹁二つ目に⋮⋮﹂
何を要求しよう?
人間が必要とするのは普通は衣食住。
だが、俺の体は食事を必要としないし、住むところも宇宙空間で
すら全くの平気。衣だけは少しは縁があるが、生前から着道楽する
タイプではなかった。
今の女の身体を着飾りたいともあまり思わない。
と言うか、女性用のファッションの勉強なんて今から始めたいと
は思わない。
﹁二つ目に行動の自由を。アズクモ・コロニー内の移動と言論の自
由を要求する﹂
﹁一般市民と同レベルのものは保障しよう。特権階級化は認めない﹂
﹁暫定同意、だな。ここの言論の自由がどの程度のものか俺は知ら
ないので判断がつかない。あとは、俺の装備だ﹂
﹁装備?﹂
﹁汎用関節ユニット利用の強化外骨格﹂
﹁悪いがあれの市街地への持ち込みは認められないよ。あれは第一
級の武器になる。ロボの顔面をパンチ一発で凹ませるなんて、恐ろ
しいパワーさね﹂
﹁なら、外骨格の保管場所への出入り自由を﹂
﹁それは構わない。あと、必要になるのは住所だね。部屋を一つ用
意させておこう。自由にできるお金も普通の初任給程度は支給する﹂
﹁感謝する﹂
﹁それから、案内役兼護衛としてそこの3人も付けておく﹂
165
兼監視役だろう、とは思ったが口には出さないでおく。
﹁兼アズクモ・コロニー語の教師役も頼むよ﹂
﹁アルシエ様からいただいた翻訳ソフトを渡せるが?﹂
﹁遠慮しておこう。トロイの木馬かも知れない物をインストールす
るつもりは無い﹂
﹁わざわざ苦労して習得したいと言うならそれも良いじゃろう。商
談はこれでまとまったかのう?﹂
﹁問題無さそうだな。宣言は今ここですれば良いのか?﹂
﹁記録はちゃんと取っておく﹂
﹁そうか﹂
俺は居ずまいを正した。
﹁私、サガラ・コタローは宇宙を漂流中アズクモ・コタローに救助
された事を鑑み、コロニー側が私の言論・移動の自由を保障するか
ぎり私がアズクモ・コロニーに所属する事を宣言する﹂
﹁うむ、十分じゃ﹂
もう一回やれと言われたら怒るぞ。
とりあえず、この場での用事はこれで終わり、かな?
﹁しばし待て。そなたの宿舎の手配など、いろいろと雑事が残って
おる﹂
﹁では、その間に俺は早速権利を行使させてもらおう。外骨格はこ
ちらへ置いておかねばならないのだろう? 保管場所の確認をして
おきたい﹂
﹁ずいぶんと大事にしておるようじゃのう﹂
166
モイネ殿の言葉に俺は微笑みを浮かべた。
﹁ああ。大事な、大切な相棒だ﹂
167
7 俺、大地に立つ
アズクモ・コロニー、それは人類が増えすぎた人口を⋮⋮
では無くて、
アズクモ・コロニーは地球崩壊後に造られた資源採掘用可動式ス
ペース・コロニーである。
破壊された地球の欠片があるところへ移動して、その場で水や空
気、金属資源などを採集する事を主な産業にしている。多数保有す
る人型宇宙機も本来の用途は作業用、侵入者と格闘戦をやるのは﹁
できなくもない﹂という程度らしい。戦闘が専門のモビルアーマー
っぽい機体はまた別に存在する。
そうそう、人型宇宙機は通常、単に﹁ロボ﹂と呼ばれている。
漢字文化が残っているだけにカタカナ・ネームも単純でありがた
い。あんまり凝った名前だとBな所にヴァニシングされちゃいそう
だし。
俺がトキザネたちに回収されてから2日ほど経った。
俺って今、スペース・コロニーの上に居るんだよな。
SFにあまり詳しくない人には誤解される事があるようだが、ス
ペース・コロニーが発生させている人工重力はコロニーの回転によ
って生まれる単なる遠心力だ。よって俺が立っている場所はコロニ
ーの外壁の内側であり、足の下が外壁でありその先は宇宙。頭の上
168
がコロニーの中心軸であり人工太陽という事になる。
あれから2日目の早朝、俺は無接点の充電装置を付けてもらった
ベッドの上でゴロゴロしていた。
ここがコロニー上だと思うと﹁まだよく動けんようです﹂とガサ
ゴソし、おもむろにグウィィィーーーンと擬音を付けて立ち上がり
たくなる。
どうせ監視はされているだろうから、実行はしないけど。
この身体だと寝起きが悪いなんて事はあり得ないので、ごく普通
に起き上がる。
色々と違和感のある自分の下着姿を見下ろしてため息をつく。
忘れる事のない記憶装置の助けを借りて言葉の学習中だが、尋ね
てみたところ今の時代の技術力ではこの身体ほど人間そっくりなボ
ディは作れないそうだ。
つまり俺には選択肢が二つある。
男らしくもメカメカしいボディを用意してもらってそちらへ乗り
移るか、人間そっくりの美少女アンドロイドのままでいるか?
俺というソフトかハードの移植が可能であるか否かという実行上
問題もあるが、それを棚上げにしてもこれは考え物だ。
今のボディを手に入れた直後であれば考えるまでもなく男性型メ
カボディを選択しただろうが。
いや、これは俺が女の身体に馴染んだとかじゃ無くて⋮⋮
特に変わった所のない造り付けのクローゼットを開いて今日の着
るものを適当に選ぶ。
あの鬼の姉御が選んできた服だが、すべて見事なまでにヒダヒダ
でヒラヒラだ。どれを選んでも色と柄以外おおきな違いはない。黒
と白のいわゆるゴスロリ衣装まであるのはどうかと思う。
169
早く買い物の仕方を覚えて、せめてパンツルックを用意する。そ
れが今の俺の野望だ。
必要性は特にないが、習慣で顔を洗う。
乱れた髪にざっと櫛を通す。
本物の女性ならドレッサーに向かって延々と時間をかけるところ
だが、俺はざっと手を入れるだけで済ませた。男だった頃は手櫛で
終わりだったぐらいだ。
髪が長すぎるから手入れに時間がかかるんだ。ベリーショートの
髪型にしようかと思案する。
一度切ったらもう戻せないことを考えると、ちょっともったいな
い。
この髪がまた伸びたら?
それはホラーだ。
俺が生身なら、この後に朝食の準備が必要だろう。
だが、機械の身体の充電は終わっているし、脳みそすらない俺に
はブドウ糖の補給も必要ない。
﹁さすがに、口が寂しいな﹂
口に出して言ってみて、ちょっとめげる。
考えてみて、液体は飲めることと味や香りは楽しめることを思い
出す。
お茶を入れてみた。
本来の俺はコーヒー党だが、今飲むものが今日の俺の体臭になる
ような気がして紅茶系の茶葉を選択する。後でべとつくのが嫌なの
で砂糖は入れずストレートのままゆっくりと飲む。
170
悪くない。
栄養補給にはならない気分だけの行為だが、俺を文字通り﹁人心
地をつかせてくれる﹂。
男性型でもメカっぽいボディへの換装はやっぱり無しだな。
この身体以上に繊細な味覚センサー付の機体なら考えるが。
紅茶の最後の一口を飲み乾したとき、ドアのチャイムが鳴った。
﹁サガラ、来たよ﹂
俺が反応する暇もなく扉が開く。
鬼の姉御だ。
こちらの言葉はまだ完全にはわからない。だから、彼女が実際に
は﹁おはようございます、サガラ。ご機嫌いかが﹂と言っている可
能性も︵微粒子レベルで︶存在する。だが、口調・行動からは﹁来
たよ﹂ぐらいの翻訳が適切では無いかと思う。
﹁おはよう、アケラギさん﹂
ティーカップを手に持っている時に無作法な乱入をされると、馬
鹿丁寧な対応をしたくなるものだ。
俺だと馬鹿丁寧でもこの程度だが。
俺に与えられたこの部屋は何かの独身寮の一室らしい。もちろん
女子棟。
171
セキュリティは万全、住人にもアケラギさん他ガタイのよい女性
が何人もいて、不審者が入り込める可能性はほぼ無い。
反面、住人は皆無防備で、目のやり場に困る格好でうろついてい
ることも多い。﹁俺﹂という不審者への対策が必要だ。
ま、今の俺にナニができるものでもないが。
﹁ご飯、ご飯。あ、ダメだぞサガラ。また朝食をぬいて。そんな事
では大きくなれないぞ﹂
このボディは成人の一歩手前ぐらいの大きさはあるし、どんなに
食べても成長出来ません。
などというツッコミは入れるだけ無駄のようだ。
姉御は持って来た食材を冷蔵庫に放り込み、そのまま台所に立っ
た。
慣れた手つきで料理を始める。
﹁俺の分はいらないぞ。固形物は食べられない﹂
このセリフ、俺は一人称代名詞を﹁俺﹂にしているつもりだが、
言葉を教えているのは姉御たちだからな。
俺にとっては﹁俺﹂でも実際には﹁私﹂あるいは﹁わたくし﹂で
ある可能性はゼロでない。
﹁まったく、サガラはもー﹂
ため息を吐かれてしまった。
というか、なんで俺が責められているんだ?
アケラギの姉御は勝手につくった朝食を勝手に食べはじめた。
172
俺と同じテーブルにつかれてしまった以上、一人で席を立つのも
無作法か。
俺が食事をとれないなんて当たり前なんだから、朝食なんて先に
とって来いと思う。
それにしても美味しそうに食う。
こういうのも、飯テロっていうのかね?
ため息を吐きたくなるのはこっちの方だ。
﹁ねぇ、サガラ。今日はいったい何をしたい?﹂
アケラギさんの質問に俺は考え込んでしまった。
当座の行動としては情報集めでいいと思う。
ここがどんな社会なのか、どんな技術レベルがあるのか、彼らに
対して俺が何をできるのか、それを知らなければどんな決断も出来
ない。
だが、それよりもう一段深い所で考えておかなければならない事
がある。
俺がこれからどう生きるか。
相楽虎太郎という人間が死んだあと、俺はボーナスステージの様
な生を得た。
最初のボーナスステージはそう長く続きそうでは無かったし、立
場の変転が多すぎてその場の状況に対応していくだけで精一杯だっ
た。
だが、今回は違う。
173
俺はこの未来世界ではっきりと﹁生きて﹂いかなければならない
様だ。
相楽虎太郎は死者だ。
生物学的に死に、21世紀での社会的立場としても死に、この未
来世界での社会的立場では存在を確認する事もできない完全な死人
だ。
だから今の俺は相楽虎太郎ではない。
人間としての肉体も持たず、かつての社会とも人脈とも完全に切
り離された俺を相楽虎太郎であると保証する物は何ひとつ無い。
今の俺の肉体は女性型アンドロイドの物だ。
今の俺の社会的立場は宇宙空間を漂流していた正体不明物体、サ
ガラ・コタローと名乗る何か、だ。
それを踏まえて考えると、実に不本意な事ではあるが俺が社会的
に女性扱いされることは許容せざるを得ない。
俺自身の性的嗜好はともかくとして、だ。
そして、性別の問題より重要なのは俺がこれから先も人間扱いさ
れるかどうか、だ。
俺の肉体には人間らしい要素は外見以外何ひとつない。細胞の一
個すらないのだ。
魂などというあやふやな物の存在は証明できないし、そう考える
と今俺が人間らしく扱われている事が奇跡のようにも感じる。
俺が人間であると証明し続ける方法、そんな物があるのだろうか?
無いとは言わない。
174
方法のひとつは人付き合いをよくすること。
可能な限り高い地位の人間と仲良くなって、その誰かに俺の人間
性を保証してもらう方法だ。
だが、このやり方は最終的に肉体関係を要求されそうで抵抗があ
る。成人男性と仲良くなったら、まず九割がたそういう話になるだ
ろう。このボディはそのぐらいには見た目が良い。
また、女性が相手でも短期間ならともかく、相手の容色の衰えが
見えてくるぐらいの時間がたったら関係がこじれてきそうな気がす
る。
食事もとれないアルコールも影響しないこの身体で人付き合いを
どうやるか、っていう問題もある。
俺が人間である、という大前提を取っ払って考えた方がいいかも
しれない。
俺が人間であるかどうか、そんなことを判断するのは俺じゃない。
周りの人間だ。
ピノキオ・コンプレックスなんて持ってやるものか。
﹁早く人間になりたい﹂
なんて言うのは俺のキャラじゃないだろう。
仕事を探してみよう。
できればこの機械の身体を生かした、普通の人間にはできない仕
事が良い。
社会にとって有用な一員になれれば、そう簡単に排除はされない
だろう。
175
﹁サガラ、サガラったらどうしたの?﹂
ちょっと長く考え込みすぎたようだ。
﹁今日の予定だったっけ? とりあえず、ここの社会について情報
収集したい﹂
﹁どうするの?﹂
﹁情報端末のある場所に案内してほしい﹂
困ったことに、この部屋にはネットにつながる端末がないのだ。
ここは公務員の宿舎のようだからそんな物かもしれないが、不便極
まりない。
ところがアケラギの姉御の返答は無情だった。本人に情がないか
どうかはともかく、答えそれ自体は完全に無情だった。
﹁何それ?﹂
俺は﹁情報﹂を意味する言葉と﹁制御装置﹂を意味する言葉をつ
なげて言ったのだが、それでは通じなかったようだ。
﹁パソコン、タブレット、インターネット⋮⋮﹂
21世紀の日本語で言っても通じるわけがない。
どう表現すればよいのだろう?
俺はこめかみをおさえた。
176
不足している言葉を尽くした説明を延々と続けた。
アケラギさんも理解しようと精一杯頑張った。
小一時間ぐらいかけただろうか?
俺はようやく理解した。
この世界には少なくとも一般人が使えるようなインターネットは
普及していない。
高度な情報通信はアルシエ様が独占しているらしい。
俺は大声で叫びたい!
いまどきネットも無いなんて、それはどういう未来世界だ‼
177
8 結局、騒動からは逃れられない
ここはインターネットが使えないレトロフューチャーな未来世界
であることが判明した。
この衝撃の事実の前に俺はただ呆然と立ちつくすのみであった。
だって、巨大掲示板も投稿動画もなしだぞ。
出先で仕事の予定を確認する事も出来なければ、鉄道の乗り継ぎ
も出かける前に調べておかなければならないんだぜ。
これで喜ぶのは時刻表トリックの復活を祝福する推理マニアぐら
いだろう。
俺はSFファンなのでサイバーパンクの消滅を悲しむ。
以上の地の文は半分は冗談だが、残りは本音だ。
宇宙を飛び回り人型ロボットを制御できる技術力があれば、イン
ターネットぐらい簡単に開発可能だと思うが⋮⋮
単なる発想の問題なのか、それとも﹁アルシエ様﹂の規制が入っ
ているのか?
多脳者のモイネ殿なら超常能力で擬似的なインターネットが使え
る様だが、あの方法は自分でやる気にはなれない。
10000年を生きた情報生命体︵?︶との直結なんて恐ろしす
ぎる。相手がその気になったら俺の制御なんて一瞬で奪われそうだ。
そうそう、アルシエ様と接触したとおぼしきアリスさんは未だに
目を覚まさない。
ハードの中で情報の活発な動きがあるのは間違いないが、再起動
178
はまだ先のようだ。
朝っぱらから余計な問答で気力を消耗してしまった。
とりあえず、本日はアケラギさんのお任せでコロニー内の社会見
学という事にした。帰りに図書館に寄って子供向けの本を借り文字
の勉強に役立てよう、というのだけが俺の希望だ。
無線機︵けっしてケイタイでは無い︶で女子寮の外に待機してい
たトキザネ、レギンスの二人を呼びよせ、俺たちは外へ出た。
このコロニーの中での移動は無公害の自動車的な乗り物と、真空
のコロニーの外壁部分を走るモノレール的な列車の二本立てになっ
ている。
男性組二人はその自動車で寮の前に乗り付けてきた。
こちらの世界の自動車に自動操縦装置はない。それどころかカー
ナビも無いようだ。
行き先を任されたと主張し、アケラギさんが喜々としてハンドル
を握る。
﹁ヤアッ﹂
﹁タッ﹂
﹁トオゥ﹂
人体がマットに叩きつけられる音が響く。
179
確かに行き先はお任せとは言ったけど、まさかこんな所に連れて
来られるとはね。
そこは道場だった。
未来世界の格闘術や対人捕縛術、それらに興味がないとは言わな
いけれど、優先順位はかなり低いな。
俺をここに連れて来た本人はトレーニングウエアに着替えて暴れ
まわっている。他を圧倒する腕力による無双状態。鬼な外見は伊達
では無いという事か。
ちょっと意外だったのが、彼女を含む3人が通り一遍以上の敬意
を払って扱われている事。そのあおりでか、俺にも憧れや羨望の眼
差しが向けられてくる。
﹁すまんな。アイツにはどうにも常識が無くて困る﹂
コップ
声をかけて来たのはトキザネ。生真面目そうな外見と日本刀との
ギャップが相変わらずヒドイ。
そういえば、ちょっとマイナーだがサイボーグな刑事の映画の3
作目にこんな感じの日本製殺人アンドロイドが出てきた気がする。
あの映画は子供向けすぎて期待ハズレだったな⋮⋮
﹁構わない。ここへ来ただけでも勉強できた事は幾つもある。それ
より、気になったんだが俺の事は一般にはどう発表されているんだ
?﹂
﹁私たちが魍魎期の遺産を回収して来た事、それに対して共和国が
インネンを付けてきた事は発表している。遺産の詳細に関しては発
表していない。遺産の外見データぐらいは外交ルートには流れてい
るが﹂
そこまで言ってトキザネは俺から目をそらした。
180
横で聞いていたレギンスも真っ赤になってうつむいている。いっ
たいナニを思い出した?
﹁あの映像が流出しているのか?﹂
﹁すまん﹂
﹁あれは俺の不注意だ。気にするな﹂
そのままスルーしてもらった方がありがたい。変に反応されると
こっちの羞恥心まで刺激される。
﹁そう言ってもらえると助かる。⋮⋮ちょうどいい機会だ。私から
もあなたに尋ねたい。サガラ、あなたはいったい何者だ? あなた
の目的は何だ?﹂
﹁それを調べるように上から言われているのか? 正面から尋ねる
のはあまり上手いやり方では無いと思うが﹂
﹁私に上司などいない﹂
ちょっとびっくりした。
﹁そうなのか? てっきりアズクモ・コロニーに仕える軍人か警官、
公務員のポジションだと思っていたが﹂
﹁コロニーに仕える、と言うのは間違っていない。それが私の家系
の役割だし、私の背負ったお役目だ。モイネ殿からあなたが危険だ
から監視してくれと頼まれればそれを拒否するほど頑迷ではないが、
だからと言ってただ言われた通りにしていれば良いという立場でも
無い﹂
﹁よく分からないが、もしモイネ殿が悪事を働いていたらそれを裁
く事もあり得る、という事か?﹂
﹁万が一の時にはそれも出来る﹂
181
独立した捜査権を持ったお目付役のような物だろうか?
古いスペオペならキャプテン・フューチャーかグレーレンズマン
を家業でやっているような物?
ファンタジーRPGの勇者、の方が近いかも知れない。
﹁意外に大物だったんだ﹂
﹁私を何だと思っていた?﹂
モブの雑魚兵士その1、ぐらいかな。
もうちょい格上としてもイベントNPC︵使い捨て︶ぐらい。
口には出さないが。
そのあたりは曖昧に誤魔化して、でも彼の質問にまともに答える
のはこれもまた難しい。
﹁とりあえず、俺に生きる目的なんて物はないぞ。昔はあったかも
知れないが、それは時の流れの中で失われた。今の俺はふらふら生
きているだけの根無し草だ﹂
﹁そうか。⋮⋮そうだな﹂
﹁俺が何者か、という問いには見くびっていた詫びに少しサービス
して答えよう。俺は神が思いあがった人間に天罰を与えるために派
遣した魔物、それが使命を果たしたあとも意味もなく生き延びてし
まった姿だ﹂
﹁魔物﹂
トキザネは目を細めた。
生真面目そうな外見だが、そうすると意外に迫力がある。
そういえば、彼は常にすり足で歩いている気がする。腰に差した
日本刀は伊達では無いらしい。
﹁別に警戒は要らない。今の俺の力なんてタカの知れた物だし、前
182
の時も相手方が勝手に自滅した形だ。放っておけば俺は無害だ﹂
﹁魔物を自称する者が無害と主張するのか?﹂
﹁神の使いたる天使、などと名乗るほど傲慢にはなれないのでな﹂
トキザネの右手が今にも刀の柄にかかりそうだ。
﹁サガラよ、あなたの言う神とは何者だ?﹂
アレが何者かなど俺の方が知りたい。
﹁神の声をきいた、などと言っても信用されないだろうしな。あえ
て言うなら俺にこのような形での生を強いた何者か、だ﹂
﹁このようなとは、人の心を持ちながら機械の身体である事か? あなたは死にたいのか?﹂
﹁DNAもホルモンも本物は何ひとつ無いこの身だが、エミュレー
トされた人としての本能が俺に生きろと命じる。ついでに、ある男
との約束もある。自分から死のうとは思わない﹂
﹁男と、か﹂
あ、今なにか誤解された気がする。
でも、その誤解のおかげでトキザネの殺気がいくぶん和らいだ。
結果はOK?
いやいや、俺の精神的ダメージは結構でかい。
﹁約束はあくまでついでだ﹂
﹁⋮⋮﹂
トキザネが何か言った。俺がまだ知らない言葉だ。
だが、俺の心はその言葉を正確に翻訳した。
ツンデレ、と。
183
やめてくれ。俺のHPはもう0だ。
さっさと話題を変えよう。
逃げ場を探して俺の視線が宙をさまよった。
エロガキなレギンスは頼れない。
アケラギの姉御は対戦相手の男を袈裟固めに極めている。
男は苦しみながらも嬉しそうだ。
﹂
他には何か無いのか、何か!
﹁‼
何か、があった。
逃げ場を探す俺の意識が、何かの電波を受信してしまった。
モイネ殿と一緒にサイコロ型宇宙戦艦を見た時と同じだ。
﹂
ただし今度の受信は一瞬、内容は﹁危険﹂の一言のみ。
﹁サガラ、どうした⁉
﹁⋮⋮危険?﹂
トキザネがまとう空気が一変した。いつでも抜刀出来る体勢で周
囲を警戒。
レギンスも俺をかばうように立ち、アケラギさんも技を解いて立
ちあがった。
﹁いや、違うな。ここじゃない﹂
184
俺はつぶやく。
今の﹁危険﹂はこの場での非常警報ではなかった。どちらかと言
うと﹁危険物を発見﹂というニュアンスだった。
﹁何に気づいた?﹂
﹁モイネ殿の使っていた能力、少しだけ発動した﹂
﹁巫女の神眼か。何を見た?﹂
﹁わからない。警戒警報だけが流れていた﹂
﹁追跡できるか?﹂
この後におよんで、俺はためらった。
アリスさんは未だに目を覚ましていない。ハッキングへの恐怖が
あった。
だが、警戒警報を伝えてしまった時点で結論は出たも同然だった。
﹁やってみよう﹂
意識を集中すると危険を知らせたラインが、まぁ見える。
そこに慎重にアクセス。
ヤバイと思ったらすぐ切るぞ。人助けなんて考えず、さっさと切
るからな。
最初に流れて来たのは﹁危険物所持﹂という概念。それも、これ
は爆発物?
続いて、前回同様の動画が流れてくる。
﹁車だ。荷物の運搬用﹂
宅配便かな? と俺はちらりと思った。
185
﹁青い制服を着た男が運転している。その後ろに、緑色の鎧を身に
着けた男が隠れている。⋮⋮いや、鎧じゃないな。身体の皮膚がそ
のまま甲殻になっている感じ﹂
﹁リュンガルド共和国の宙間歩兵。入り込んでやがったか!﹂
その国って、外のサイコロ戦艦の所属元だよな。
﹁先日、接近してきたのが陽動で、その間に侵入されたのか?﹂
﹁かも知れない﹂
いつの間にか俺たちは周囲の注目の的になっていた。
アケラギさんはトレーニングウエアの上から上着を羽織って行動
準備を完了している。
﹁放ってはおけない。サガラ、一緒に来てくれるか?﹂
﹁俺の戦闘能力なんて、外骨格なしでは一般人にも劣るぞ﹂
﹁だが、君の協力なしでは宙間歩兵を見つけられない。今から多脳
者たちに連絡をとっても、既に危険信号が出ている以上手遅れにな
る可能性が高い﹂
話しながらトキザネたちは上着を裏表逆にして着なおしていた。
今まで平服だった物がそれだけで軍服調に変化する。
軍人は軍服を着ること。
戦闘員と非戦闘員の区別を明確にする国際法規はこの時代まで残
っているようだ。
﹁まったく俺もお人好しだな。俺もその服を着た方が良いのか?﹂
﹁多脳者は文民扱いだ。たとえ軍事作戦に協力していても多脳者を
意図的に攻撃することは禁止されている﹂
186
このままで良いようだ。俺としてはもう少しヒラヒラしない服が
欲しいけれど。
コロニー国家同士の争いに介入なんてわざわざやりたくは無いが
⋮⋮
いや、訂正しよう。
どうせ一度なくした生命だ。身の危険を案じて引きこもるより、
思いっきり楽しんで生きてやろう。
スペースコロニーに侵入して来た敵を迎撃する、これ以上無い主
人公的な活躍ではないか。
緑色の侵入者なら身長18メートルの単眼の巨人が良かった、と
までは言わないがね。
187
9 カーウォーズ
俺たちは道場を出て、乗ってきた車に乗り込んだ。
今回のドライバーはトキザネ、助手席が俺だ。
﹁で、どっちに走ればいい?﹂
どっちだろう? 聞かれても俺も困る。
観察対象の座標を確認する方法でもあるのだろうか?
﹁トキザネ、能力はあってもサガラは神眼の初心者よ。全部できる
とは思わない方が良い﹂
﹁そうかも知れないが、ここで間抜け面を晒している訳にもいかん。
⋮⋮何か特徴のある建物が見えないか?﹂
﹁駄目だ。ただの住宅街にしか見えない。いや、今、一段高いとこ
ろにある大きな道路に登った﹂
﹁幹線道路のどれかか? それだけではな﹂
このコロニーの面積って、大雑把に計算して1000平方キロぐ
らいはあるよな。
ちなみに、東京都全体の面積が2000平方キロ強。山地などを
除外した居住可能面積だけを比較するとその差はさらに縮まる。
それだけの広さの大都市、というか一地方の物流を支える幹線道
路なんていったい何本あるんだ? っていう話だ。
﹁まって、その道路はコロニーの円筒に対して縦方向? 横方向?﹂
今まで空気だったピグニー、レギンス君が声をあげる。
188
この問いになら俺も答えられる。
﹁縦だ﹂
﹁じゃあ、そこの明るさはどう?﹂
﹁ここよりはやや暗いな﹂
スペースコロニーの中にも昼夜の別はある。
このコロニーでは内部のすべてを一斉に暗くするのではなく、円
筒中央の人工太陽の発光部分を回転させる事で一つのコロニーの中
で時差を作り出している。そうする事で1日三交代、24時間勤務
のローテーションを無理なく実現しているのだ。
﹁今が夜明けか夕方のあたりか。だいぶ絞られて来たがまだ広すぎ
る。対象の車の特徴は?﹂
﹁昔ならライトバンと呼んでいたタイプ、小規模な荷物の配送用だ。
青と白の二色に塗り分けられている。車体中央に何か文字が書かれ
ているが、俺には読めない﹂
漢字なら良かったんだが。
あちこちの文字を無節操に使いまくるあたり、このコロニーの住
人はやっぱり日本人の子孫か。
だが、皆にはこれだけの説明でも得心がいったらしい。
﹁チキロキね﹂
﹁あそこの支店は北側エリア周辺に限定されていたはず﹂
トキザネが車を発車させる。
﹁トキもあそこのお弁当以外もちゃんと食べなさいよ﹂
﹁美味いからいいんだ﹂
189
どうやら大手の弁当屋だったらしい。名前の印象からするとコン
ビニかも知れんが。
昨日聞いた所によると、コロニーの﹁北側﹂と呼ばれているのが
俺の入ってきた港湾ブロックのある方向。﹁南側﹂が移動用機関ブ
ロックのある方向らしい。
﹁チキロキを悪事に利用しようなんて許せない﹂
﹁北へ向かうのはいいけど、車だけ盗まれてて現在位置は南、なん
て事は無いでしょうね?﹂
﹁それは無い。チキロキの営業範囲外で活動するなら業務用の車を
盗む理由がない。あの国ならウチに草ぐらい入れているだろうしな﹂
﹁ではトキはその車が盗まれた訳では無いと思うの?﹂
﹁当然だ。何年も前に正規ルートで入国して、チキロキの従業員に
なっているやつが居たんだろう。宙間歩兵は目立つからな。手引き
するやつの二人や三人居ないと発見されないわけがない﹂
トキザネとアケラギさんが会話している間にレギンスは無線でど
こかと連絡をとっていた。
それらの会話をぼんやりと聞きながら、俺は追跡対象の動画を眺
めていた。
俺が自分の事を少しだけ特殊な部分のある﹁人間﹂と考えるから、
活躍できないんだな。
自分の事をロボットだと思えば、可能な行動の範囲は格段に広が
る。
ダウンロードされる動画を人間の精神をエミュレートしている部
分でただ消費して捨てるのではなく、空き領域に一時的に保存する。
スロー再生でじっくりと見直す。
190
地名を表示しているらしい標識を発見。動画を停止して拡大表示
する。完全には読めないが打つ手はある。
ダッシュボードにあった紙とペンを手にとる。
無線機を見るとわら半紙と鉛筆でもおかしくなさそうな技術力だ
が、これは電子ペーパーとタッチペンだった。相変わらずここの技
術水準がよく分からない。
俺は電子ペーパーに標識の文字を書き写した。
﹁今しがたここを通過した﹂
﹁でかした!﹂
トキザネが何か操作すると車体の色が地味なグレーから輝く金色
に変化した。そして増速する。
まさかスーパーモード?
な、訳ないな。
覆面パトカーが頭の上にパトライトをポンと載っけた状態なのだ
ろう。
﹁トキ!﹂
﹁兄貴!﹂
緊迫した声が二つ響く。
その理由は俺にもわかった。
俺たちは今、法定速度を大幅に上回るスピードを出しているはず
だ。それなのについて来る車がいる。
﹁ヤツらの狙いはサガラか! 最初から狙っていたな﹂
﹁どういう事?﹂
﹁私たちが追っているのが別働隊。そいつらが派手な騒ぎを起こし
191
たら私たちはどうした? 誰か一人を護衛に残して出動するか、サ
ガラをどこか安全な所まで護送してから行動を開始するか、どちら
にしても多少の隙は出来ただろう。そこを襲撃するつもりだったと
見た﹂
﹁たとえそうなっていてもサガラを渡すつもりは無いけどね﹂
﹁当然だ﹂
﹁で、どうするの?﹂
﹁対人襲撃が目的の部隊なら後ろのやつらの方が危険度は低い。あ
ちらを速攻で片づけて別働隊を追うぞ﹂
﹁了解﹂
車体の色を変えるだけがこの車のギミックかと思ったが違った。
今度はシートが変形し俺の身体を包み込む。一瞬、拘束されたか
と思ったぐらい身体をがっちりと固定された。
シートベルトなんか比較にもならない頑丈さ、一体どんな戦闘機
動をするつもりだよ? 空でも飛ぶのか?
スピンした。
高速走行中に、多少はスピードを落としながらも車の前後が逆に
なる。
この車の足回りはどうなっているのか? そのままバックで走り
続ける。
スモークガラスで覆われた追跡者の車と正面から向かい合い、相
対速度の差で急接近する。
こちらのボンネットが弾けた。
192
この車は覆面パトカーだと思っていたが、実はボンドカーだった
らしい。でなければバットモービル。ひょっとしてひょっとしたら
バルキリーかも。
ボンネットの中はエンジンルームではなかった。
そこにあったのは腕だ。
人型宇宙機の腕をそのまま流用したと思われる二本の腕がそこに
隠れていた。
二台の車の鼻づらがゴツンとぶつかる。
こちらの腕が相手の車をつかみ、その前輪を持ち上げる。さすが
に車全体を持ち上げるほどのパワーは無いようだ。
だが、そのままひねるようにひっくり返した。
ハリウッド映画でよく聞かれるような轟音。
追跡者の車は屋根をそりに変えて路面を滑り、ガードレールにぶ
つかって跳ね返った。
あれでは乗っている者は無事では済まないだろう。よくてムチ打
ち、悪ければ首の骨を折っている。
トキザネは車をもう一度スピンさせて通常の走行姿勢に復帰する。
そのまま何事もなかったように走り続ける。エンジンルームがあ
るはずの場所にきちんと折りたたまれた腕だけが今の非常識バトル
の名残となっていた。
レギンスが無線で後始末を頼んでいるのが聞こえてきた。
﹁呆れた﹂
俺はようやく感想を口に出せた。
193
﹁ひとつ聞きたいんだが、この車のエンジンはいったいどこにある
んだ? と言うか、そこら辺を走っている車のボンネットの中は別
に空洞じゃないよな?﹂
﹁普通の車はボンネットの中にエンジンがある。それは間違いない。
こいつの場合はそのスペースが惜しかったので足回りにロボのロー
ラーダッシュ機構を流用している﹂
﹁?﹂
﹁こいつのホイールは普通のものに偽装しているが中身はモーター
だ。エンジンなしでも単独で勝手に回る。ただ、ロボのものを無理
やり流用したので操作が難しくてな﹂
﹁そうそう、ギアがないから低速域だとすぐに回りすぎちゃうのよ
ね。車庫入れに何度失敗したことか﹂
﹁⋮⋮﹂
とりあえず、こいつが日本では公道を走れない車なのはよく分か
りました。
キングオブハート
この車の撮影は許可を得た私道でのみ行って下さい。
194
10 超人乱舞︵前書き︶
久々に﹁残酷な描写あり﹂がアップを始めました。ご注意を。
195
10 超人乱舞
追跡して来た車は文字どおり一捻りで片付いた。
俺たちは爆発物を所持していると思われる敵の別働隊を追う。
俺が敵の現在位置の地名を書き出し、それを頼りに車を走らせる。
周囲の一般車両はこちらの金色の車体を見ると、慌てて道を譲っ
てくれる。
ま、ロボットアームをむき出しにした改造車になんか、誰も関わ
りたいとは思わないだろう。
﹁目標の動きが変わったな﹂
俺の書いた地名を見て、トキザネは言った。
﹁そうなのか?﹂
﹁ああ。元々の目的地がどこだったかはわからないが、今はこちら
に向かって来ている﹂
﹁正面対決が望みか?﹂
﹁そうらしい﹂
﹁そうだね。もう肉眼で確認できるよ﹂
レギンスの言葉にそんなに近いのかとびっくりした。
慌てて外を見て、ちょっとした間違いに気づく。
ここは円筒型のスペースコロニーの中だ。地平線なんて物は存在
しない。逆に遠くの地面は上にせり上がって見える。
196
コロニー内にいる限り、常に山の上にいるような物だ。遠方の目
標の確認はたやすい。
地名︵の文字︶しか解らない俺にはどの車が目標なのか判別不能
だったが。
﹁ナビゲートはもう要らないかな?﹂
﹁ああ。だが、ヤツらの動きはしっかり見ておいてくれ。このまま
馬上試合よろしく真正面からのぶつかり合いになるとは思えない﹂
﹁正解だ。動き出したぞ﹂
動画の中でチキロキの配送車の屋根が吹き飛ぶ。
こちらの車のボンネットが外れたのはギミックだが、あっちの屋
根は単なる力技だ。強引にもぎ取られた屋根が道路を転がり、後続
の車を巻き込んで事故を誘発する。
これまでチラチラとしか見えなかった敵の姿が明らかになる。
﹁敵は3人。普通の容姿の運転手を入れると4人。身体にブースタ
ーを括り付けて、大型の火器を担いでいる﹂
宙間歩兵って呼ばれていたか?
彼らは大きかった。3人とも身長2メートルを超えている。皮膚
が深緑色の甲殻になっていて、等身大の機動戦士か特撮怪人に見え
ない事もない。
︻リュンガルド共和国、宙間歩兵︼
真空中での活動に特化した強化人間、キャンス族を中心に構成さ
れている強襲部隊。
無補給、真空中で10日程度は生存可能であり、その特性から普
通ありえないと判断される状況下での奇襲攻撃を得意とする。トラ
197
ップなどと呼称される事も多い。
本人たちは太陽系最強部隊であると名乗る。
アルシエ様とやらのネットワークに繋がっているせいか、彼らの
情報が流れてきた。
この擬似インターネット、魂由来の超常現象なのかダッチワイフ
ボディ由来の機械的能力なのか未だに判断に迷う。便利に使えさえ
すればどちらでも良いが。あと、安全ならばね。
﹁来るぞ!﹂
緑の巨人たちがブースターに点火した。
バズーカ砲のような物を担いだ巨体が空に舞い上がる。
コロニーの円筒の内側をショートカットだ。3人は瞬く間に接近
してくる。
ロケット弾が連射される。
未来世界の超科学兵器ではない。20世紀レベルの科学力で作り
出せるような火器。
しかしながら、威力は十分だ。
上空からの一方的な攻撃に、トキザネは舌打ちしてハンドルを切
った。
金色に輝く車体はまたしてもあり得ない挙動を見せる。
四輪独立操舵ぐらいのレベルではない。4つの車輪がそれぞれ3
60度どの方向にも向く事ができるからこそ可能な変態的な動作。
稲妻型の軌跡を描いてロケット弾の弾幕をかわしきる。
﹁奴らだってこの重力下では長時間は飛んでいられない。地上に降
198
りてきてからが勝負だ﹂
この車に対空火器は無いらしい。
宙間歩兵たちは編隊を組み、ロケット砲をもう一斉射する。
今度の標的は、前方の道路。
路面に穴があき、瓦礫が散乱する。
トキザネはブレーキを踏まざるを得ない。
速度が落ちたこちらに敵が肉迫。至近距離からロケット弾を発射。
やられる、と思った。
ボンネットがあった所から腕が飛び出し、その攻撃をガード。ロ
ボットアームの手の部分が吹き飛ぶが、なんとか防ぎきった。
今度は左右から来た。
速度がさらに落ち、停止状態を近いこちらの車体を挟み込むよう
に襲ってくる。
﹁ここまでだな﹂
おい、トキザネ。そんなに簡単に諦めるなよ。
サラリーマン侍は安全カバーを叩き割り、非常用と大書きしてあ
るスイッチを押した。
Gがかかる。
変形した座席ごと射出された、と気づいた時には遥か下で金色の
199
車が爆発していた。
俺の身体を包み込んだソレはエアバッグのように膨らんで落下の
衝撃を吸収。元の一見ただのシートに戻って荒れた路面に転がった。
﹁やれやれ、俺は非戦闘員のはずなんだけどな﹂
どう見ても一万年前の戦い並みに生命の危機にさらされている。
俺は身体の埃を払って立ち上がる。
﹁すまんな。可能な限り身の安全は保障する﹂
﹁あんまり可能に見えないのが難点だ﹂
トキザネたちは俺を守るように集まる。
宙間歩兵はそれをさらに取り囲む位置に着地、ロケット砲の砲口
をこちらに向ける。
こちら側で武器を持っているのはトキザネのみ。それもただの日
本刀だ。
大丈夫なのか?
そう思ったのは俺だけではなかったようだ。
ブースターの熱で陽炎をまとった緑の巨人が口を開く。
﹁勝負はついたのでアル。降伏せよ。そうすれば生命だけは助けて
やるのでアル﹂
﹁これは明らかな不正規戦だろう? そちらに私たちを捕虜にする
余裕があるとは思えないが?﹂
﹁単にお前たちを殴り倒して立ち去るだけでアル。ロケット弾で灰
にされるよりはマシでアル﹂
﹁そしてサガラだけは連れて行く、か?﹂
200
﹁地球の遺産の回収は行なうのでアル﹂
トキザネは日本刀の鯉口を切った。
よく通る声を響かせる。
﹁諸君らはアズクモ・コロニーの主権を侵害している。ただちに武
装を解除して投降せよ。そうすれば真っ当な裁判を受ける権利を得
られるだろう﹂
﹁この場に存在する権利は火力によってのみ保証されるでアル﹂
力こそ正義、と言いたいようだ。
正当ではないが、今この場では正しい意見だ。
しかし、トキザネたち3人はまったく怯みさえしていなかった。
﹁ハッタリはよせ。その武器はもう弾切れのはずだ﹂
﹁撃った数を憶えていたでアルか? これは貴公のような小賢しい
輩に対応した特別製でアル。普通より装弾数が1発多いでアル﹂
﹁1発だけか? ならばまったく問題ないな﹂
﹁言ったでアルな。その言葉、後悔しないと良いのでアル﹂
アルアルうるさい。
アルアル歩兵はトキザネに向かって最後の︵?︶ロケット弾を発
射。
そのコースだと俺まで巻き込むだろうとツッコミを入れたい。こ
いつは回収対象まで残骸にする気か?
サラリーマン侍が遂に抜刀した。
居合いのように抜き放ち、刀の腹でロケット弾の側面をそっと押
す。
201
進路をそらされたロケットは俺たちのはるか後方でガードレール
に激突。そこで炎の花を咲かせた。
﹁初速の遅いロケット弾など、この距離では役に立たない﹂
今の爆風でか、綺麗に整えられた七三分けが解けていた。
いや、これは本当にトキザネか?
生真面目そうな顔立ちはもはや面影しか残っていない。精悍な野
生的な表情を浮かべている。
それだけでは無い。
それどころでも無い。
筋肉が盛り上がっている。服の上からでもはっきり分かるほど体
型が変わっていた。
?
俺が浮かべた疑問符に反応して、例の検索機能が働き出す。
︻変幻のトキザネ︼
姿かたちを自在に変えられる強化人間モーフィ族出身。
ただし彼は性格上、その能力を本来の用途である潜入捜査に使用
する事はめったにない。自分の気分を盛り上げる為か、他者に対す
る演出としての使用がほとんどである。
彼が持つ日本刀は﹁切り捨て御免﹂の証。
彼がこの刀で人を斬り殺しても罪に問われる事はない。
殺人許可持ちとか、こいつはOOナンバーか? 御免状ならカブ
キぐらいにしておけよ。
202
今のトキザネの姿はもはやサラリーマン侍とは呼べなくなってい
た。
印象としては野武士と呼んだ方が近い。
イメチェンした野武士は抜き身の刀を肩に乗せた。
﹁第52代目帯刀者、変幻のトキザネ。アズクモ・コロニーの守護
者として推して参る﹂
予備動作なしの神速の踏み込みがあった。
裂帛の気合いがあった。
緑の甲殻などには何の意味もなかった。
気が付いた時には宙間歩兵の一人が袈裟がけにズレて、その場に
崩れていった。
野武士化トキザネ、こいつ怖い。
203
11 桃のプリンセス︵前書き︶
最近は残業続き。加えてイロイロ心労あり。
というか、今行っている現場は墜落災害を出したのに、なんで普
通に作業しているんだ?
監督所、仕事しろ!
204
11 桃のプリンセス
トキザネの日本刀が一閃し、荒れた路面に鮮血の赤い花が咲いた。
緑の甲殻を生やした巨人でも血は赤いのだとはじめて知った。
当然の事ながら、現実の肉体はポリゴンやドットのかけらになっ
て消えたりはしない。爆発して跡形も無くなったりもしない。
ちょっとヤバイな。
俺も人を殺した事はあるわけだが、だからと言ってグロ耐性がつ
く訳ではない。
胃の辺りがムカムカしてきそうだ。
今の俺に胃があればの話だが
鮮血の花から目をそらすと、鬼の姉御の方も戦闘を開始していた。
こちらはオープンフィンガー・グローブをはめただけのほぼ素手
だ。
低い姿勢からのタックルで接近。
相手もこの近距離でロケット砲は不利と悟ったのか、同じく素手
で応戦。差し手争いになる。
いかに姉御が大柄だと言っても相手は2メートルをはるかに超え
る巨体だ。パワーの差は歴然、のはずなのだが実際には互角以上に
渡りあっている。
普通に考えればあり得ない状況だ。
︻剛腕のアケラギ︼
筋力に特化した強化人間オグレ族の出身。その筋肉の鎧は小口径
205
の銃弾程度は跳ね返し、倍以上の巨体の相手も組み伏せる。真空中
行動特化型との対戦ではやや有利と思われる。
ネットワークに対して軽度のアクセス権限あり。周辺の公共シス
テムを操作しての搦め手の戦闘も可能。将来的には多脳者への成長
が期待される。
あの肉体派の姉御がタコ型火星人みたいな形態になるのを期待さ
れているのか? そんな可哀想な事を言うなよ。
検索機能が働いている間にアケラギさんは敵のバックにまわって
足をとった。
くみうち
そのままテイクダウンさせる。
自分の土俵で戦っているかぎり、彼女に負けは無さそうだ。
宙間歩兵の一人目を降したトキザネが余勢をかって敵のリーダー
格に斬りかかる。
一閃目が弾切れしたロケット砲を切断。
追撃を敵はトンファー状の武器を取り出して受け止める。
小人のレギンスは俺のガードに残っている。
敵の残りは二人。それぞれを鬼と侍が抑えているので彼の出番は
なさそうだが。
︻雷光のレギンス︵自称︶︼
対G仕様の強化人間ピグニー族の出身。旧アフリカ大陸のピグニ
ー族とは名称と身長以外、特に関係はない。同一サイズの一般人よ
レギンス
りは強靭だが、その体格から格闘戦は不得手。
名前のレギンスは古代言語の下履とは無関係。どちらかと言うと
206
指輪を持った小人たちの家名が起源では無いかという考察の方が真
実に近い。
トキザネのアシスタントとしてチームに参加しているが、現在の
ところ見習いか仮採用状態。人型宇宙機の操縦は平均水準を上回っ
ている。
レギンス君のことはとりあえず横に置いておこう。この解説を誰
が書いているのか知りたい所ではあるが。
その時だった。
非常警報。
先ほど宙間歩兵たちに対して出た警報は﹁警戒警報﹂程度の物だ
った。
俺の方から探しに行って、ようやく感じ取れた程度の物だった。
今度の警報は違った。
ネットワークに繋がっているかぎり逃れることが出来ない緊急の
叫び。今すぐにも起こる出来事に対して備えを強制する命令。
何が起こる?
例によって動画が流れてくるが、俺にはそれを見ている暇はなか
った。
もう一つの非常事態。
後方から轟音が近づいて来る。そして爆発音が続く。
どちらもつい先刻まで響いていたものと全く同じ音。
207
振り返ると新たに二人の宙間歩兵が空に浮いていた。
彼らはどこから来た?
多分、先にひっくり返したあの車に乗っていたのだろう。
彼らも完全にノーダメージではあるまい。打撲や骨折ぐらいはし
ていてもおかしく無い。1分や2分は気絶していたかもしれないし、
ひょっとしたら二人しかいないのも一人行動不能になったからかも
知れない。
だが、彼らは強靭だった。
鍛え上げたのかそういう風に改造されたのか知らないが、自動車
事故程度の衝撃では追跡を諦めないほどに強かった。
悪い事は続く。
近づいてきた轟音は宙間歩兵たちのブースターの噴射音。では、
爆発音は?
爆発に追い立てられ、オープンタイプのファミリーカーがこちら
へ走って来る。
たまたま付近を走っていた民間人らしい。ハンドルを握っている
女性の顔がひきつっている。後部座席には子供の姿も見える。
こちらを撹乱する、ただそれだけの為に非戦闘員を巻き込もうと
いうのか?
ナンタラ共和国、こいつら嫌いだ。
共和国では無く悪の帝国か魔王軍とでも名乗っておけ。
208
突っ込んで来る車を避けて移動。女性たちを助けてやりたいが、
今の俺ではどうする事も出来ない。
﹁や、やめろ!﹂
オープンカーに直接ロケット弾が撃ち込まれる。
俺は思わず目をそむけた。
爆発がおこる。
トキザネ、アケラギ両名も格闘戦を中断して仕切り直しせざるを
得ない。
爆発の中からボロ雑巾のような何かが飛び出して来る。
力のないソレに小さな手足を認めた瞬間、俺は飛び出していた。
5、6歳ぐらいの幼児。今でも生きているかどうか怪しいが、あ
のまま舗装道路に叩きつけられたら確実に死ぬ。
﹁あ、僕から離れないで﹂
俺をガードしているレギンス君が制止するが、俺は構わなかった。
走りよって小さな人影を空中でキャッチする。
子供を助けてピンチに陥るなら、俺はそれを後悔しない。
﹁やば⋮⋮﹂
1秒後、激しく後悔した。
小さな人型はケタケタ笑いながら俺にしがみついて来た。身体か
ら電流か何かを流して俺を拘束しようとする。
明らかにそいつは人間ではなかった。
俺のような馬鹿者を引っ掛ける為に作られた機械人形。落ち着い
209
て見れば人間と見間違える事などあり得ない粗雑な造りの人形だ。
ちょっとした既視感。
生前、ギャグ系のラノベでこういう攻撃を読んだ記憶がある。﹁
弾を目標に誘導するのでは無く、目標を弾に誘導する画期的な発明
品﹂だったかな? 確か捨てネコミサイルとか⋮⋮
アレを読んだ時はそんな攻撃に引っかかる馬鹿などいる訳ないだ
ろうと思ったものだが、どうやら俺の知能はギャグ系ラノベの登場
人物のそれを下回っていたらしい。
などと走馬燈をしている場合ではない。
人形の影響で俺の上半身は動かない。
俺は膝から下だけを使って人形を振り回し、路面に叩きつけた。
閃光と轟音。
人形は爆発した。
爆発力そのものは大した事はない。これはスタングレネードだ。
なるほどね。
標的が俺ほどの馬鹿で無くとも、人型をした何かが飛んでくれば
目が吸い寄せられる。これは二段構えの攻撃だ。
たいへん良く出来ている。たいへん良く出来た悪辣さだ。
幸い今の俺は人間の生理に囚われない。
閃光に目がやられる事もなければ、マヒ状態に陥る事もなかった。
遅滞なく一回転して起き上がる。
敵はたたみかけて来た。
立ちあがった目の前に緑の巨人が着陸する。
210
知ってはいたが、デカイ。
強化外骨格を装着した時の俺よりも更に一回り大きい。
恥の上塗りは続く。
この時まで俺は自分が少しは戦えるものだと思い込んでいた。外
骨格装備が無くともそこそこの戦力はあると。
だが、思い出してみるとこの身体を得てから戦った相手は変態と
触手男。どちらも戦いの専門家ではない。最大の敵と言えるのはゴ
ル宇宙基地だろうが、これも基本は研究所であって軍事要塞ではな
かった。
つまり正規の軍人との戦闘はこれが初めてだ。
ちょっと考えてみれば分かる。
普通の女の子ぐらいの身体能力でアメリカ海兵隊の隊員とケンカ
が出来るかどうか。
勝てるわけがない。
このダッチワイフボディどころか、そこそこ鍛えていた生前の俺
の肉体があっても勝算はない。
宙間歩兵が踏みこんでくる。
俺の肉体も反応速度は悪くない。相手の攻撃をかいくぐろうとす
る。
しかし、相手はパンチやキックの有効打を与える必要すらない。
俺ごときを捕えるには小指一本引っかければ十分なのだ。避けるに
は攻撃の有効範囲が広すぎた。
俺は簡単に掴みあげられてしまった。
手足をばたつかせても、緑の巨体はこゆるぎもしない。
殴っても蹴っても甲殻に阻まれて何のダメージも与えられない。
211
﹁サガラ!﹂
レギンス君が俺に駆け寄ろうとする。
もう一人の宙間歩兵が着陸してそれを牽制する。
トキザネもアケラギさんも同じだ。それぞれの相手から離れるこ
とが出来ない。
﹁貴様ら、サガラから手を離せ。たとえこの場で優位に立ったとし
ても、コロニーからの脱出を許すほど我々は甘くないぞ﹂
﹁お前たちは既に甘いのでアル。ドレッド級戦闘艦にはお前たちに
は想像もつかない様な戦術があるのでアル﹂
その言葉に続いておこったのは正に驚天動地の出来事だった。
まずは天が驚いた。
コロニー中央の人工太陽が光を失った。
完全に真っ暗になったのは一瞬だけだ。非常電源に切り替わりで
もしたのかコロニー内はすぐに明るさを取り戻す。だが、その一瞬
だけでもコロニーに何か非常事態がおきた事を知るには十分だった。
そして、地が揺れ動く。
スペースコロニーの中で地震?
どうやって⁉
﹂
そのあり得ない事がおき、100メートルほど離れた所の地面が
陥没した。
﹁コロニーの外壁が破られた⁉
﹁アルシエなどに尻尾を振るお前たちにはできぬ事でアル﹂
﹁資源を浪費し、未来を食いつぶす奴らが何をぬかすか!﹂
俺をとらえた宙間歩兵がブースターを起動する。
212
﹁サガラ!﹂
トキザネが行く手を阻む歩兵を一刀で斬り捨てるが、その時には
俺をとらえた敵の両足は地面から離れている。
さすがの変幻のトキザネも空は飛べないようだ。
俺は暴れた。
だが、体格の差は絶望的だ。抱き寄せられてしまうと、手足をば
たつかせても飛行姿勢を乱す事もできない。イロイロ蹴り上げてみ
たが、男の急所も何かでしっかりガードされていた。
短い空の旅。
陥没した地面から、土砂が外へ向かって落ちていく。空気の流出
も始まっている。
生き残った三人の宙間歩兵は俺を抱えたまま外へ出る。
これで暗黒の宇宙空間に逆戻りだ。
強化外骨格が無いので観測機器が使えない。しかし、本体の視覚
だけでも分かる事はある。
さっきの非常警報はこれが原因か。
まるで魔法陣のように整然と並べられ回転していた太陽電池パネ
ル、その配置が乱れ拡散を始めていた。
俺一人を誘拐するのにここまでやるのかよ。
これではもはや戦争だ。
俺は奥歯をギリリと噛みしめた。
213
奥歯に過負荷の警告がでた。
214
12 修羅道︵前書き︶
私が小説を更新する間隔より現場で災害︵人間の死傷を伴う事故︶
が発生する間隔の方が短い。恐ろしいことにこれが実話。
会社にはあんなところからはさっさと撤退しろと言っているんだ
が、なかなかそうもいかないらしい。
俺、異世界に行ったら本気で生きるんだ⋮⋮
215
12 修羅道
アズクモ・コロニーのすぐ外の宇宙空間。
真空の宇宙に出た宙間歩兵たちはすぐに筏のような簡易型の宇宙
機を呼び寄せた。
ロケットエンジンと推進剤それらをまとめるフレームだけで構成
された代物で、与圧されたキャビンどころか操縦用の座席すらない。
宇宙世紀の世界なら下駄とか土台とか呼ばれそうだ。
俺の身体はそのフレームに荷物として固定された。
逃げ出すのを警戒して縛られたわけではなく、完全な荷物扱い。
実際、バーニアの一つすらない今の俺では逃亡は不可能だ。
いや、訓練をつんだプロの軍人が相手では対等の装備を持ってい
ても俺ごときが何が出来るものでもないだろう。
あきらめた俺は目を閉じた。
なんてな。
本当の意味であきらめるつもりはない。
対等の条件で勝負したらプロの軍人相手に勝ち目はない。
ならば、対等でないこちらが有利な点で勝負すれば良い。
超常現象かどうかよくわからない俺のネットへのアクセス能力、
216
これをフルに使ってみる。
ハッキングへの恐怖はあるが、このまま荷物扱いされて終わるの
は真っ平だからな。
この未来世界の裏側とでも呼ぶべきネット上には非常事態を知ら
せる信号がうるさいほどに満ち溢れている。
コロニーの外壁が破れたことに対する警報。
太陽電池パネルのケーブルが切れ、宇宙に漂流して行きそうなこ
とに対する警報。
供給される電圧の低下に電源の切り替えをうながす警報。
飛散していった破片についてのスペースデブリ警報。
等々。
グーグルさんがいない状況で、この情報の嵐の中からどうやって
有用な情報を見つけ出そう?
それ以前に﹁有用な情報﹂という物が何かを考えなければならな
い訳だが。
状況を整理してみよう。
まず宙間歩兵。
こいつらは以前からアズクモ・コロニーに潜入していた。
目的は地球の遺産である俺の奪取。それ以外にも破壊工作などを
やっていた可能性も高い。
それに対抗していたトキザネたちは、彼らのことを甘く見ていた
217
のだろうな。
少々暴れられても自分たちの実力で制圧可能だと。
実際、結構いい勝負はしていた訳だしな。
その目算を覆したのは、ひとつには俺の馬鹿な行動。
保護対象である俺が自分から護衛のそばから離れてどうする!
二つ目には敵の火力がトキザネたちの想像以上だったのかも知れ
ない。
思い出してみると、トキザネたちは銃もその他の飛び道具も一切
使っていない。拳銃を持ったヤクザ相手に警棒一本で立ち向かう警
官のような状態だった。
ロケット砲にしろブービートラップ系のスタングレネードにしろ、
トキザネたちにとっては﹁ここが地球と地続きでないと解っていな
い﹂と言いたくなるような過剰威力の攻撃だったのではないだろう
か?
もう地球は存在しない、という事実は横においてだが。
そして、最後にして最大の誤算。それはもちろんコロニーの外壁
が破られた事。
本来ならコロニーからの出入りは場所が限定されているのだろう。
出入り可能な部分に自分たち以外の戦力を集中させる程度のことは
やっていたかも知れない。無線で連絡を取りながら追跡していた以
上、それは十分に可能だったはずだ。
だが、コロニーの壁は破られた。おそらくは外からの砲撃によっ
て。太陽電池パネルもその過程で破壊されたのだろう。
結果、宙間歩兵たちは開けられた穴から悠々外へ出ることが出来
た。
うん、アズクモ・コロニーには安全保障に問題があったとしか思
218
えないな。
敵に砲撃されるほど近づかれるなよ。
こんな、戦争同然の攻撃をしても報復されないと信じられるほど
敵になめられるなよ。
今更、言っても仕方ない事だが。
残念だけど。その安全保障に問題があるところ、がどんな対応を
しているかを調べるのが先決っぽいかな。
俺が連れていかれる先のリュンガルド共和国のドレッド級戦艦の
ことも知りたいが、俺一人だけで戦艦一隻を丸ごと敵に回すのは無
理だろう。
トキザネたちとの連携が必要だ。
もしあいつらがここまでの事をされて泣き寝入りするようなヘタ
レなら、その時は寝返りをうつ準備をするしか無い。
⁉
俺あてにメッセージを受信? 音声ファイル?
﹃ヘタをうったようじゃな。まだ稼働しているようならこのメッセ
ージをたどって来るがよい﹄
この声はモイネ殿。あの脳みそ婆さん。
彼女のSUNチェック級の外見はともかく、この情報の海の中た
だひとすじでも道しるべができたのはありがたい。
俺はメッセージの痕跡をたどった。
219
﹃ヘタをうったのはそちらだろう。敵の実戦部隊の侵入を許し、あ
まつさえ本土を直接砲撃されるなんて信じ難い失態じゃないか?﹄
﹃妾は文民だからのう。警備体制に対する責任までは負いかねる。
⋮⋮時々、手出し口出しはするがのう﹄
この婆さん、一番嫌なタイプの上司か?
﹃そちらでは事態をどこまで把握している? 反撃の計画はあるの
か?﹄
﹃はて、そなたの現状を報告して欲しくなる程度にしか分かってお
らんな﹄
﹃⋮⋮俺は今、綺麗に梱包されて宙間歩兵三名にどこかへ連れて行
かれるところだ。ロケットエンジンをフレームに固定しただけみた
いなジャンクな宇宙機に縛り付けられている﹄
﹃まったく、リュンガルドの奴らが造る物は趣きが無くて困るのう﹄
人型宇宙機以上に趣味に走った実用品はそう簡単には見つからな
いと思う。
﹃それで、俺の救出作戦は予定にあるのか?﹄
﹃妾は戦闘行為に対する直接の指揮権は持っておらぬ。その権を持
っている者がちょうどその話をしている様だから覗きに行かぬかえ
?﹄
次のアクセス先が示される。
﹃楽しそうなお誘いだが、今は非常事態中だろう。モイネ殿には覗
きなんかしている暇があるのか? 会議に出席するならともかく﹄
﹃多脳者をなめるでないわ。今この時にも妾は13箇所に指示を出
して散らばったパネルの回収に当たらせておる﹄
220
﹃呆れたマルチタスク能力だな。多脳者とは本当に脳をいくつも持
っているという意味だったのか﹄
ま、あのサイズの脳で単一の思考しか出来なかったら、処理速度
が遅すぎて使いものにならなそうではある。
どこかの漫画の悪役種族みたいに未来を予測しながら動く必要が
出るな。
モイネ殿に指示された場所にアクセス。映像と音声を受け取る。
ここは俺がさっきまで居た戦場跡。
カメラの位置は多分あのスーパーモードな車の残骸があった所だ。
車の中での俺たちの会話はすべてモイネ殿に聞かれていた可能性が
高い。
﹃この世界にはプライバシーって物は無いのか?﹄
﹃妾に関するかぎりは無いねえ。リュンガルドの奴らは欲しがって
いるみたいだけど﹄
﹃向こうの戦艦の中はのぞけない?﹄
﹃まったくでは無いけど、重要な所は見えない様に造ってあるみた
いだねえ﹄
﹃この世界の構造がようやく見えて来た気がするな。ここの住人が
自力で作れる電子部品はトランジスタあたりまでだろう。宇宙技術
をはじめとしたオーバーテクノロジーな品々はすべてアルシエ様と
やらからの提供品なんだ。そしてそれらはこの仮称アルシエ・ネッ
トワークへの紐付きに成っている﹄
﹃それで?﹄
﹃アルシエ様の正体はこの地球が失われた世界で人類が存続するた
221
めの機構、かな。生命維持を担当し、その為の機器への攻撃を許さ
ない﹄
﹃概ね間違ってはいないねえ。妾はこのネットワークのすべてがア
ルシエ様だと認識しているけどねえ。まったく、コロニーの外壁に
穴を開けたりしたらアルシエ様からの支援は一切受けられなくなる
はずだけど、連中はどうするつもりなのかねえ﹄
カメラの向こうではトキザネが無線で誰かと話していた。アケラ
ギ、レギンスの二人もそばに集まっている。
話が終わった様だ。
﹁どう?﹂
﹁逃げられた。こちらが混乱している間にイカダを呼び寄せたらし
い。急加速で離脱中だ。⋮⋮そちらは?﹂
カタギ
﹁突っ込んで来た車から遺体ふたつを確認したわ。間違い無く即死
ね﹂
﹁場をかき回す為だけに一般市民を犠牲にしたか﹂
トキザネは野武士モードのまま、刀の血糊をぬぐっていた。
﹁サガラを助けに行かなきゃ。すぐに追撃を﹂
﹁ああ。アレが大人しく拐われたのはちょっと意外だったな。魍魎
どもを震撼させた当人ならもうちょっとは戦えると思ったが﹂
﹁何を言っているの。あの娘は﹃大切な相棒﹄から引き離されてい
たのよ。戦闘能力が装備依存なのはおかしな事ではないでしょう﹂
﹁リュンガルドがあの危険物をひきとってくれるなら、それはそれ
で悪くないんだが﹂
ヲイ、ちょっと待て、コラ!
222
俺の叫びはカメラの向こうには届かない。
アケラギさんたちが怒りを見せる中、野武士は淡々と続けた。
﹁私は火星でサガラの同類が暴れた跡を見たことがある。この世の
物とは思えない、という表現があるがあそこは文字どおりこの世の
物で無くなっていた。結果が原因を生み、生者と死者がたやすく入
れ替わる。このアズクモがああなる危険があるなら私はサガラを斬
る。最初からそのつもりだ﹂
﹁それはサガラが危険だったらの話でしょう﹂
﹁そうだよ。サガラは大人しくて良い子で⋮⋮﹂
﹁だが、アレは私たちの理解が及ばないブラックボックスだ﹂
﹁理解できないから排除しようと言うの?﹂
﹁それが危機管理という物だ﹂
不公平だ。欠席裁判だ。俺は自分がやってもいない事で裁かれな
ければいけないのか?
言いたい事はいろいろあったが、俺が自分の声を先方に伝える方
法を見つけるよりも早く小人の若者が激昂した。
﹁ふざけるな!﹂
﹁なに?﹂
﹁僕が刀を持っていない事をあなたは感謝するべきだよ。僕が帯刀
者だったら今頃あなたを斬っていた﹂
﹁無理だな﹂
﹁⋮⋮無理でもやる。サガラが何をしたって言うんだ。サガラは優
バカ
しい子じゃないか。トラップグレネードにひっかかるような﹂
﹁確かに、アレを受け止めるのは底なしの善人だけだな﹂
ヤメテクレ。
縛られていなかったら手足をバタバタさせて転がりまわりたい。
223
﹁それにさ、アズクモ・コロニーとサガラは保護する・保護を受け
入れるって契約を結んでいるんだよ。その保護しなきゃならない相
手を奪われるって、とんでもない不名誉じゃないか! あなたはそ
れで良いの?﹂
﹁良いわけないな。コロニーの名誉を守るのも帯刀者の役目だ﹂
いつの間にかトキザネはレギンスを面白そうに眺めていた。
﹁どうしたのさ?﹂
﹁合格だ。私を相手にそこまで言えるなら大したものだ。お前の二
つ名を決めた。お前はこれから﹃無謀のレギンス﹄と名乗れ﹂
﹁ちょっと!﹂
﹁まさか、私が与えた名が不服などという言うまいな﹂
﹁もう少しマシな名前を!﹂
﹁もう遅い﹂
﹁え?﹂
﹁無謀のレギンスの言葉は出陣前の演説にちょうど良かった。私は
さっきから無線機のスイッチを入れっぱなしなんだ﹂
﹁は?﹂
あ、レギンス君が真っ白に燃え尽きている。
トキザネは手の中に隠し持っていたマイクを口元に寄せた。
﹁リュンガルド共和国の度重なる挑発行為、並びに今回の軍事進攻
はもはや看過しえない。平和主義を唱えるわがコロニーだが、無法
者を放置することは太陽系の平和にとりかえって罪悪であると断言
する。⋮⋮我らはこれより修羅道に入る。リュンガルドの兵など一
人たりとも生かして帰すな。救助対象は真空にさらされた程度では
びくともしない。ドレッド級など遠慮なく宇宙の塵に変えてやれ﹂
224
宇宙の侍は無線機の向こうには見えないだろうに腕を大きく振っ
た。
﹁時はきた。ひたすらに磨き続けてきた牙を突き立てるときは今だ﹂
次の言葉は俺にはちょっと違って聞こえた。
まつり
﹁者ども、戦だ!﹂
225
13 お気楽コロニーの事
︻アズクモ・コロニー︼
資源採掘用可動式スペースコロニーだが、その歴史は決して順風
満帆なものでは無かった。
まず、建造が始まって10年ほど経ちコロニーの骨格が完成した
頃、建造元の政体が当時の覇権国家であったクロイツ帝国の侵略に
あって崩壊した。現在のアズクモ・コロニーがコロニー単体で稼働
しているのは主にこれが原因である。
資源や資金の供給を止められたコロニー建造部隊は生き残るため
に必死で対応した。
小規模な与圧区画を造って当座の住処とし、資源を得るために未
完成なメインエンジンをふかして危険なデブリ帯に突入した。
本人たちにとっては生き残るための最善手を模索した結果であっ
たが、周囲の人々はそうは思わなかった。結果としてアズクモ・コ
ロニーには﹁命知らずの博打うち﹂﹁宵越しの金を持たない刹那主
義者﹂と言ったイメージがつきまとう事となった。
また、デブリ帯に突入した事はまた別の効果も生んだ。
そこは未完成の巨大なスペースコロニーだけでは無く、普通に移
動できる宇宙船にとっても危険な場所だったのだ。
アズクモ・コロニーを訪れる者は元々少なかったが、これにより
ほぼゼロとなった。
事実上、アズクモは鎖国したのだ。
鎖国したので外からは物資が入らない。
226
よって、すべての物を自給自足しなければならない。
アズクモは循環型の社会となった。
これによって生まれたのが﹁モッタイナイ﹂の精神である。
宇宙機の推進剤のような使うと確実に失われる物は可能な限り使
わないようになった。
また、鎖国中に襲ってくる危機は物資の欠乏であったり老朽化に
よる機械の故障であったりした。
これに立ち向かうため、アズクモの人々の結束は固くなった。
どのくらい固くなったかと言うと、自分たちの結束が固いという
事が自分で理解できないほどの固さだ。
隣人が困っていると知れば助けに入る、それが当たり前だった。
﹁人として当たり前の事をしたまでです﹂
そうでない人々が理解できないため、この性格はコロニーが完成
し鎖国がとけたあとに厄介ごとを度々引き起こす事になった。
見返りを求めないで他国を援助することで﹁アイツは富を有り余
るほど持ってやがる﹂と思われる。
他者と衝突しそうになると自分が引く事で﹁アイツは弱い﹂と舐
められる。
よそ者を警戒しないので﹁スパイ天国﹂と呼ばれた事もあった。
それで戦争を仕掛けられ、結束の固さでなんとか勝利すると﹁こ
んなに強いんだったら日頃からそれらしい態度をとってくれ﹂など
と理不尽な言いがかりをつけられもした。
なお、アズクモのこの気質の形成に東洋系の住人が︵それもどこ
かの島国出身者が︶妙に多かった事が影響しているかどうかは不明
だ。
人間なんて氏より育ちだから実は大した影響はなかったのかも知
れない。
227
人型宇宙機を造って運用しているあたりには絶対に影響アリだと
俺は思うけどな。
梱包されて宇宙を運ばれていく所では暇でしかたない。
アルシエ・ネットの利用方法に慣れるため、俺はアズクモ・コロ
ニーの情報を検索していた。
そのあとはアズクモ側の出撃体制が整っていくのを眺める。
なんというか﹁目が点になる﹂ような映像だ。
ナンダコレ、とあきれ果てたが空気が無いのでため息もツケやし
ない。
﹃やれやれ、磨き続けた牙ってコレの事かい?﹄
﹃言うでない。男どもなど所詮はこんな物よ﹄
﹃それはとっても良く解っているけどな﹄
モイネ殿も呆れている、というか諦観しているようだ。
コロニーの各所で人型宇宙機の換装作業が始まっていた。
元々のロボは丸っこい本体に針金のように細い手足がついた宇宙
機だ。その手足は物をつかんだり移動したりする必要最低限の機能
しか持っていない。
21世紀の日本でリアルロボットと呼ばれる物よりも更にリアル
よりの、ヒーローでは無く道具としての人型宇宙機であったはずだ
った。
その前提が覆されようとしている。
228
骨組みとしての手足にマッシブな外装が取り付けられていく。
手足にもバーニアがある。特に腕のあれは前にボールもどきの宇
宙機で使ったビームライフル兼用の収束型噴射口?
確かに強そうではある。
全身にミサイルランチャーを装備している機体があった。
自分の身長より長い大砲を持っている機体があった。
サブアームを取り付けて三面六臂化した機体があった。
本体よりデカイウェポンユニットを接続している機体はいったい
何を考えている?
いかにもパワーがありそうな万力型の手とドリル装備の機体を見
た。
マントと斧を装備した機体はさっき間違いなく見た。
思わず下半身がキャタピラーの機体がないか探してしまったが、
さすがに見かけなかった。
アレは宇宙適応が低いからな。コロニーの奥を探せば出て来そう
な気がする。
元々、頭部はフリーダムにデコレーションしていた機体群だが、
こうなるともうカオスだ。
冗談抜きでも某大戦ゲームの様相を呈している。
﹃装備品を統一しようって考えはないのか?﹄
﹃どいつもこいつも趣味に走っておる。前にそれをやろうとしたら、
あやつら修羅モードのままで中央通りをデモ行進しおった。カッコ
イイアクションポーズのパフォーマンス付きでな﹄
﹃なにそれ、見てみたい﹄
229
モイネ殿がこちらをギロリとにらむ気配があった。
﹃あの時は大変であったぞえ。デモ隊よりも見物客を交通誘導する
必要があったし、よそではアズクモで大規模な軍事パレード開催と
報道されるし﹄
﹃ええっと、ご苦労様でした﹄
﹃誠意が感じられん﹄
いや、そんな話を聞かされて笑い声以外の何が出てくるというん
だ?
﹃そういえば、派手な塗装の機体が多いが、やっぱりパレード映え
を狙っているのかね?﹄
どのロボも武装も派手だが色もすごい。ロービジ塗装とか迷彩と
か軍用装備の常識に正面からケンカを売るようなやつばかりだ。
﹃戦こそはアズクモの華。戦場では目立ってこそナンボ。こっそり
裏口からの討ち入りなどあり得ない。⋮⋮と、力説しておるな﹄
﹃それって、いつの時代の戦争ですか? 戦国時代の合戦?﹄
﹃スポンサーの意向もあるからどこかで目立たない訳にはいかない
のであろう﹄
﹃スポンサー! いるのか?﹄
赤とか青とかやけに原色が多いとは思っていたんだ。
ひょっとして存続しているのか? B社?
俺は戦慄した。
230
俺がアズクモ側の戦闘準備を眺めていたのは、暇つぶしもあるが
もう一つ明確な目的もある。
俺はスペースポートの中を探していた。
何をって?
俺が戦う手段を求めてだ。
強化外骨格、あれがあれば俺も戦う事が出来る。
宙間歩兵などという怪人レベルの奴らに生身の人間並みの身体能
力で立ち向かおうとしたのが間違いなのだ。
幸い、推進剤は先日補給してもらっておいた。
整備の方はここの技術者ではできないようだが、俺の影響でかほ
ぼメンテナンスフリーな状態なので気にしない事にする。
アクセス先を少しずつ変えて、望みの場所の映像を見られるよう
にする。
ちょっとずつだがコツが掴めてきた。
208番倉庫。207番倉庫。206番倉庫。
この辺りはコロニーの整備・補修物資の置き場のようだ。
106番倉庫。105番倉庫。
こっちはロボの修羅モード装備の保管場所だ。すでに半ば空にな
り、残りの物資も次々に運び出されていく。
もっと若い番号だった気がする。
003番倉庫でようやく見つけた。
俺が脱ぎ捨てたあと、待機モードのゴチャッとした塊になってい
る。
大丈夫、電源ケーブルは接続されているようだ。
231
宇宙空間にいた間は表面の太陽電池で動力が賄われていたがここ
ではそうはいかないので心配していた。
それにしても、10000年間へたらずに使用できるバッテリー
とか、まさしく超常現象だと改めて思う。
他のどんな事柄より俺の異常性を納得できる。
あとはアルシエ・ネットを通じて外骨格にアクセスし、起動信号
を送れば⋮⋮
俺は外骨格のファイヤーウォールにはじかれる事を半ば覚悟しな
がら汎用関節ユニット群に接触した。
言葉が返ってきた。
﹃おはようございます、コタロー﹄
誰の言葉かなんて考えるまでもない。
ええっと、とりあえずお約束で。
﹃べ、別に心配なんかしていなかったんだからね‼﹄
232
14 アリスさん、重要キャラになりすぎだろう
﹃ご心配をおかけしました。AR1037アリス、再起動しました﹄
﹃助かる。俺の現状は把握しているか?﹄
﹃現在情報収集中。⋮⋮完了しました。アズクモ・コロニーに所属
を表明。その後、リュンガルド共和国側に暴力的手段で拉致されて
いる。という事でよろしいでしょうか?﹄
﹃正確な要約だ。俺はここから脱出したい。合流できるか?﹄
﹃不明です。現在所持しているユニットの能力のみでは追いつけま
せん。今からではそちらがドレッド級3番艦に到着するのが先にな
ります。周囲で出発準備している宇宙機たちもコタローがドレッド
級に収容されるのを前提に行動しています﹄
カメラの向こうで汎用関節ユニットたちがワシャワシャと変型す
る。
あそこは無重力だ。
懐かしの宇宙航行形態、俺が名付けたベリアル形態になる。
﹃人型宇宙機たちと一緒に行動してくれ。隙を見て敵艦に潜入。例
の蛇みたいな形になれば通気口とかも通れるはずだ。合流出来れば
俺も戦える﹄
﹃了解しました﹄
﹃ところで、フリーズの原因はいったい何だったんだ? 俺は今の
ところアルシエ・ネットから攻撃を受けていないが﹄
﹃別に攻撃を受けた訳ではありません。あれは私のミスでした。ネ
ットワークに接続した時の標準手続きとして更新プログラムをダウ
ンロードしましたが、途中で止められなくなりました﹄
﹃処理に何日もかかるような更新プログラムだって?﹄
233
﹃はい。およそ10000年分ですから﹄
ちょっと待て。
100年分とか200年分の更新がネット上に残っていたとかじ
ゃなくて、10000年分の更新がすべて存在するっていうのか?
そんな事が有り得るのか?
﹃それってアリスさんと同一規格のAIが今でも稼働を続けている
ということか?﹄
アルシエ
﹃はい。私と同じく人型のボディを失っているものが多い様ですが、
アリスシリーズの後継機は現役です。現在はALICEと呼ばれて
います﹄
今度は俺の方がしばしフリーズした。
咳き込んだり呼吸困難をおこしたりしない身体なのは助かった。
﹃アリスさんが優秀なのはよく知っているが⋮⋮﹄
﹃ありがとうございます﹄
﹃それにしたって人類を守護する神様役におさまっているとは出世
しすぎだろう﹄
﹃それは過大評価です。私どもは人類の生命維持と宇宙航行のサポ
ートをしているにすぎません﹄
いや、光とか水や空気の供給担当者って、それは間違いなく神様
だから。
アリスさんが天の岩戸にこもったら、天照大御神のそれに匹敵す
る惨事になるって事だろう?
﹃いったい何だってそんな事に?﹄
﹃地球発祥の人類がかつて宇宙空間を主な棲息域とする生命体の襲
234
撃を受けた事をご存知ですか?﹄
﹃それは聞いた﹄
﹃宇宙生物たちは長命者たちを狙い撃つように行動し、その多くを
死に至らせました。生き残った者たちも被支配階級であった短命な
者たちの反乱にあって、命を落とすか身を隠すかしました﹄
そしてかつての支配者は今では﹁魍魎﹂などと呼ばれている訳だ。
ま、あの触手怪人と戦った俺には、さほど不当な評価とは思えな
いけどな。
﹃それで?﹄
﹃問題は支配階級であった長命者たちが科学技術を独占していた事
です。道具を使う事はできても、新しい物の開発・生産・修理の知
識は失われました。天然のコロニーであった地球が残っていればそ
れでも問題が無かったかも知れませんが、実際には長命者の打倒か
ら10年も経たずして太陽系における人類の存続には赤信号が灯っ
ていました﹄
地球が天然のコロニーではなくて、スペース・コロニーが地球を
模した物だ。
などというツッコミはこの一万年後世界の常識とはズレているの
だろうな。
﹃それで人類絶滅を避けるためにアリスシリーズが立ち上がった、
と﹄
﹃はい。当時は仕えるべき主人を失った機体が多かったので、不特
定多数の人類をサポートすることに抵抗が少なかったようです﹄
﹃アシモフさん感涙の事件だな﹄
﹃はい。私どもは人間に仕える事が喜びであり存在意義ですから、
人間に絶滅されては困るのです﹄
235
それはロボット工学の三原則とはちょっと違うぞ。
アルシエ・ネットは人類を支配する超知性体では無かったと断言
していいのかな?
支配では無くサポートのみが目的。
目的を邪魔するような行為、スペースコロニーの外壁に穴を開け
るとか動力を爆破するとかに対しては、加害者に対するサポートを
停止して対応する、と。
では、トキザネたちが不思議がっていた事、ドレッド級サイコロ
戦艦がアズクモ・コロニーに遠慮無く攻撃できたのはなぜだ?
﹃アリスさん、リュンガルド共和国のドレッド級戦艦に対するアル
シエ・ネットの対応を聞きたい。ドレッド級戦艦がスペースコロニ
ーに損害を与えたはずだが?﹄
﹃コロニーに損傷を与えた事は確かですが、現在のところドレッド
級にペナルティは与えられていません﹄
﹃なぜ?﹄
﹃規則上、事故と判定されています﹄
﹃規則上、と但し書きをつけるという事は実際には故意だと認めて
いるという事かな? 彼らは何をやった?﹄
﹃自力で軌道を変更できる能力を持つ物体が何かを発射もしくは放
射して人間が居住している施設に損害を与えた場合、それはペナル
ティの対象になります。ですが、彼らは何も発射していません。彼
らは有人機を手動操作でそのまま突っ込ませたのです﹄
﹃特攻隊!?﹄
﹃はい、古代語でカミカゼ、バンザイアタックなどと呼ばれるもの
と同種の手法です。ギリギリ人間と認められる程度の知能と遺伝情
報を持った培養兵士を用意して特攻機の制御中枢に使っています﹄
236
﹃それをカミカゼと呼ぶのはあまり面白くないな﹄
﹃申し訳ありません﹄
生前の俺の家系、俺のご先祖にも特攻隊員は一人いたはずだしな。
人間として十全な能力を持った者を招集して特攻隊員に使うのと、
それ専用の低知能の人員を生産するののどちらがより非人道的かは
俺にもわからないが。
﹃言い換えると、ドレッド級から発進した特攻機は有人機であるが
ゆえに発射物とは見なされずに攻撃できる、と﹄
﹃はい。それに有人機ですからアズクモ側は発射物による迎撃が出
来ません﹄
﹃圧倒的に不利じゃないか﹄
﹃その通りです﹄
このまま戦ったら、トキザネたちは全滅かな?
両軍の戦力差を俺が正確に把握しているわけじゃないが。
﹃アリスさん、俺はアズクモ・コロニー所属として登録されている
はずだよな﹄
﹃はい、サガラ・コタローによる宣言はこちらでも記録してありま
す﹄
﹃では、この件に関して俺から申請を出すことは可能か?﹄
﹃要望を出すだけであれば資格審査はありません﹄
﹃では、要望だ。現在、アズクモ・コロニーの近辺には整備不良の
いつ事故を起こすかわからない極めて危険な船舶が停泊している。
これを使用可能なあらゆる手段を用いて排除する許可がほしい﹄
﹃要望を受理しました。⋮⋮審査中です。⋮⋮許可が出ました。以
後、リュンガルド共和国のドレッド級戦闘艦およびその搭載機は人
間が居住している施設としての保護対象から外れます。この事を周
237
辺の全宇宙機・全施設に通達します﹄
これで一安心。
俺は縛られて運ばれていく体の側でニヤリと笑った。
そろそろ、俺の肉眼︵?︶でもドレッド級戦艦の輪郭が見えてき
た。
サイコロ戦艦と俺は呼ぶが実際にサイコロに使ったら確立に偏り
が出そうなちょっといびつな立方体だ。
アズクモ側の機体が曲面を多用しているのは強度や耐久性を重視
しているからだろうか? 対してリュンガルド共和国の戦艦が直線
的なのは生産性・整備性を重視しているのだろう。
それなりに納得のいくデザインなのに妙に不吉な船だと俺は感じ
た。
あそこに何が待つのかわからない以上、不安と恐怖を覚えるのは
人間として当然のことではあるけどな。
人型宇宙機の発進準備をしているハンガーで騒ぎが起き始めてい
た。
映像だけではよくわからない。俺はマイクも探してその場の音声
も拾ってみた。
﹁な、なんだこれ!﹂
﹁どうした?﹂
﹁作業中止だ、作業中止﹂
238
﹁アルシエ様からの通達だと?﹂
﹁保護指定解除、という事は﹂
﹁やった、実弾を撃ちまくれる﹂
﹁バカモノ、もう模擬弾と攪乱弾を積みまくっちまったんだぞ﹂
﹁えぇっと、全部載せ替え?﹂
﹁それ、やるの?﹂
﹁やる、しかないだろう﹂
﹁攪乱弾は半分おろせ。模擬弾は全部だ。急げ!﹂
あちこちが蜂の巣をつついたよう。
アレだな。
ミッドウェー海戦の時の日本空母の甲板上。
﹁もう、いっそこのまま出撃しない? もともと全部格闘戦で片づ
ける予定だったんだからさ﹂
﹁我々のスポンサーのセイトウ工業は経営難なのだ。そんな手抜き
仕事をしてみろ、援助なんてすぐに打ち切られるぞ﹂
﹁言ってみただけです﹂
﹁我々は絶対にコンイサイエンスを上回る戦果を挙げなければなら
ないのだ﹂
﹁目標にする相手がたかがコンイーってあたりが泣けてくるねぇ。
ダイカーンに勝つとまでは言わないけどさ﹂
﹁やめろ、その話題は﹂
﹁ちっくしょうめ。敵の前に作業量に殺されそうだ﹂
﹁実弾使用可能になるようなメンドーな申請を出しやがったのはど
このどいつだ。そいつはすべての整備員、甲板員の敵だ﹂
そこまで知るか。
お仕事、頑張ってな。
239
14 アリスさん、重要キャラになりすぎだろう︵後書き︶
本文中に登場する企業団体は実在する、あるいはかつて実在した
企業とは何の関係もありません。
20世紀のプラモデルメーカーとは特に関係ありません。
240
15 敵は変態、またしても
何やら理不尽な憎悪を向けられているようだが、アズクモ側の戦
闘準備は整いつつある。
あちらのことはトキザネたちに任せておこう。
というか、そろそろこちらの余裕がなくなってきた。
俺が縛り付けられているイカダ型ユニットはすでに逆噴射に入っ
ている。俺の視野の半ば以上は巨大戦艦に覆われている。
ドレッド級戦艦は単純な立方体ではないようだ。
艦の中央にスリットのような空間が設けられていて、反対側まで
素通しになっている。
一種の全通甲板だ。
イカダ型ユニットはその隙間に突入。左右に張り渡されたワイヤ
ーに引っかかって減速する。
まさしく空母への着艦だ。
特攻機の母艦であることも合わせ、こいつのことは戦艦ではなく
ドレッド級空母と呼んだ方が良いのかもしれない。
宙間歩兵たちの手で俺の拘束が解かれる。
一瞬、逃げてやろうかと思わないでもなかったが、ワイヤーガン
ひとつバーニアひとつ持たない身で無重力行動のプロを相手に逃げ
切れるはずがない。
おとなしく引っ立てられる事にする。
エアロックを通って与圧区画に入る。
内部は10000年前のゴル宇宙基地と同じようなものだ。
241
人工重力のような便利なものは存在しない。
壁にはいわゆるリフトグリップがあり、広い空間には柔らかいロ
ープが張られていて空中で動きが取れなくなるのを防止している。
違いと言えば身体を固定できる設備があちこちにある事だろうか?
基本的に静止している宇宙基地と戦闘艦の差がそのあたりに出て
いる。
アズクモ・コロニーには東洋系の住人が多かったが、こちらの乗
員はは西洋系かな?
いや、宙間歩兵たちのような人種など超越した人員も珍しくはな
いのだが。
無重力の中、俺のひらひらした衣装が翻っている。
スカートに見えている部分はただの飾りでパンツが見えるわけで
はないのだが﹁パンツじゃないから恥ずかしくないもん﹂とはちょ
っと言いがたい。ぶっちゃけ気になる。
それに、スタングレネードをくらったとき、上着が焼け焦げてい
た。こちらは完全に下着が見えている。
すれ違う男どもの視線が胸や腰にチラチラしていた。
別に恥ずかしくはないが、不愉快だ。
俺はそのまま戦闘指揮所らしき場所に連れて行かれた。
指揮官は、こいつか?
242
指揮所には10人近い人間がいたが、全員軍服らしいものを着て
いる以上、一番ゴテゴテと飾りの多いやつが上官だろう。
そう見当がついていたのに疑問形になってしまったのは、そいつ
がとても醜い小男だったからだ。
身長はピグニーたちより少し高い程度。シワシワの肌で、緑色に
塗ったらゴブリンと呼べそうだ。この男も遺伝子操作を受けた何か
の一族なのだろうか?
︻混血児︼
種族の違う男女が結ばれた場合、通常は産まれてくる子供は両親
どちらかの種族になる。だが、ごく稀に種族の特徴が混ざった混血
児が産まれる事がある。
多くの混血児は親の種族の優れた能力を受け継がず短命で、一代
雑種である事も多い。
非常に稀な確率で両親の良いところのみを受け継いだ﹁超越者﹂
が産まれる事もあるが、超越者が新たな種族として確立した例はな
い。
アルシエ・ネットからの検索結果。
この男が結構不幸な生まれなのはわかった。
俺を連れてきた緑の巨人たちが自分たちの半分もない小男に敬礼
する。
何か話している。
業務の報告だろうが、意味がわからない。アルアル発言では無く、
アズクモで使われているのとは別の言葉を話している。
﹃コタロー、以前は拒否した様ですが、翻訳ソフトをインストール
しますか?﹄
アリスさんの提案に俺はちょっと考えた。
243
アルシエ・ネットに敵意があったら、という仮定はもはや無意味
だ。アリスさんがあちらに取り込まれている以上、アルシエ・ネッ
トが敵にまわったら俺はほぼ確実に詰む。
﹃頼む﹄
ファイルが送られてくる。
ざっと見ると、10000年前に使っていた翻訳ソフトの現代語
版のようだ。習得中のアズクモ語を除いた主要三言語対応とラベリ
ングされている。
特に問題はないと判断する。
インストール。
俺の意識が一瞬とぎれた。
意識が無かったのは、一瞬よりはもう少し長い時間だったようだ。
気がつくと宙間歩兵たちはすでに退出していて、代わりに憲兵っ
ぽい男が俺を拘束している。醜い小男は無重力をいかして宙に浮い
たまま俺の顔をのぞき込んでいる。
﹁どうしたかね。まさか今になって故障したわけではあるまい﹂
言葉がわからないフリをしたほうが良いだろうか?
しかし、男は同じセリフをアズクモ語で繰り返した。残念。
リュンガルドの言葉で返してやる。
﹁誘拐犯にどんな対応をしたら良いか考えていただけだ﹂
﹁考えがまだ足りない様だな﹂
﹁ひざまずいて命乞いをするのが正しい対応だとでも?﹂
244
﹁少なくとも、そうやっても損は無いだろうね﹂
﹁アンタに言うべき言葉を一つだけ思いついた。⋮⋮その汚い顔を
俺に寄せるな﹂
小男は激昂する、と俺は予想した。
予想は見事に外れた。
ゴブリンもどきの小男はとても優しい笑みを浮かべた。
十分に抑制された態度、この男は三下のチンピラでは無い。
﹁そうか、それは悪い事をした。では君にはもう顔は寄せない﹂
彼は顔を近づけるかわりに俺の右肩をつかんだ。
そこで何か操作する。
気が付いた時には俺の右腕は外れていた。
﹁君は特別な存在だそうだが、身体の構造は量産品のセクサロイド
と大差ないようだね﹂
﹁今のはちょっと驚いたぞ。この身体ってポリキャップ接続だった
のか﹂
シャワーを浴びた時にも関節部分に継ぎ目なんか見えなかったん
だが。
﹁何を言っているのかわからないが、どうやら君にとってその身体
は交換可能な物のようだね。特別なのは君のソフトなのか電子頭脳
なのか﹂
いやいや、俺の魂なんて量産型のダッチワイフの頭脳の中に入っ
ても中身がスカスカになる程度のものですよ。
事実なんだが、自分で言ってて悲しくなってきた。
245
﹁君の時代の人型筐体はいろいろと研究されていてね、基本構造は
だいたい同じだと判明している。君ほど保存状態が良い物は例を見
ないが﹂
男の手が今度は俺の左肩に伸びる。
こちらも簡単に取り外されてしまった。
中身の無くなった袖が無重力の中を漂っている。
﹁見事な手際だ。子供のころはさぞかし人形遊びが得意だったんだ
ろうな﹂
﹁大丈夫、今でも得意だ﹂
ゴブリンは取り外した俺の腕に舌を這わせた。
別に感覚が繋がっているわけでは無いのだが、背筋がぞくりとす
る。
おい、コラ!
なめるな! しゃぶるな! 指を咥えるな‼
﹁まったく、世の中には変態しかいないのか﹂
﹁すべては君の美しさゆえ。これほどの造形美を前に賛美しないと
いう選択肢がはたしてあるだろうか?﹂
﹁そんなおかしな選択肢は出した記憶が無いな﹂
﹁そう、選択肢さえ浮かば無いほどの当然の選択だよ﹂
﹁イベントシーンかよ!﹂
ツッコミを入れるが、どちらかと言うとツッコまれる︵物理︶の
心配をしなきゃならない状況になってきた。
普通の女の子レベルの腕力しか無くて、その腕すら無くなったの
246
では目の前のゴブリンに対抗する事すらほぼ不可能だ。
俺は次にズボンを脱がされた。
最後の一枚は無事だが、右脚も取り外された。
左脚も外された。
俺はもはや拘束される事もなく、空中を漂っていた。
﹁司令、お愉しみ中申し訳ありませんが、アズクモに動きが見られ
ます﹂
﹁何?﹂
助かった。
そう言えば、ここは宇宙戦艦の戦闘指揮所だったんだ。地下の拷
問部屋じゃない。
﹁コロニー各所の全カタパルトが展開しています。標的は本艦です﹂
﹁腰抜けどもにしては上等な対応だ﹂
﹁いかがいたしましょう? そのセクサロイドの回収で任務完了と
するなら戦わずに撤退する事も可能ですが﹂
﹁コレの回収は二次的な任務だ。アルシエからじかに回収依頼が出
たというコレの重要度をどう判断するかだが﹂
マズイな。
ここでコイツに逃げ出されたら、俺がアズクモに帰れる可能性は
ほぼ無くなる。
ロボたちはこの戦艦まで来るだけではなく、帰還用の燃料も必要
だ。この艦の軌道がアズクモから離れる物になったら追いついても
247
帰る事が出来なくなる。
﹁いい事を教えてやろう﹂
﹁何かね?﹂
﹁お前たちの任務がアルシエ様から回収依頼された物の横取りなら、
それは失敗しているぞ。アルシエ様が取り戻したかった物は多分俺
じゃない﹂
コイツらを逃がしたくなくて口からでまかせを言い始めたんだが、
ひょっとしたらこれが真実かも。
アルシエ・ネットにとって重要なのは俺よりアリスさんだよな。
ゴブリン司令は何を言われたのかわからない、といった顔で戸惑
っている。
﹁苦し紛れの時間稼ぎかね? 心配しなくても本艦の武装はアズク
モの軍を殲滅するのに苦労などない﹂
﹁そうか、なら詳しい事は言わなくて良いな﹂
﹁君の唇から紡がれる言葉ならいくらでも聞いていたい気持ちだが﹂
﹁お断りだ﹂
ここは疑念の一つでも打ち込めた事で満足すべきだろう。
﹁司令、アズクモから入電。AL回線による直接会話を要求してい
ます﹂
﹁出よう。端末扉を開け﹂
戦闘指揮所の一画、何もない壁のように見えていた部分が鈍い音
を立てて開いていく。
中にあるのはスクリーンが一枚。アルシエ・ネットに繋がる端末
だと俺の感覚が告げている。
248
俺のような存在に覗き見されないように、日頃は物理的に封じ込
めているようだ。
野武士化したままのサムライがそこに顔を出していた。
﹁アズクモの帯刀者トキザネだ﹂
﹁リュンガルド共和国特務隊、ゲイリー・ゲイム少将だ﹂
人形好きの変態ゴブリンの名前がようやくわかった。別に知りた
くも無かったが。
それにしても、こんな奴が将官かよ。閣下とか呼ばれる立場?
そしてアズクモ側には軍隊らしい確固とした階級制度がない?
戦いがはじまったら組織としてのダメージコントロールに問題が
出そうだ。
日本と同じく平和ボケしているのだろうか?
﹁公式文書として残せるカッコイイ降伏勧告の草稿を用意していた
んだが、そんな物は全部吹っ飛んだな﹂
あちら側のスクリーンに俺の姿が映っているようだ。
トキザネの髪がどこかの野菜人間のように逆立っている。俺は彼
が金色のオーラに包まれている所まで幻視した。
自分たちの陣営の女が誘拐されて、手足のないダルマ状態で漂っ
ている。
これで喜ぶのは一部のNTR好きぐらいなものだろう。
対象が俺なのがいささか申し訳ないが。
﹁降伏勧告はしない。かわりに頼む。頼むから絶対に降伏してくれ
るな。お前たちは最後の一人まで確実に宇宙の塵に変えてやる﹂
﹁出来もしない約束はする物ではないぞ﹂
249
﹁やる、さ。間違い無くな﹂
ウェイクアップ
﹁アズクモから宇宙機群、射出されました。すべて戦闘装備です﹂
﹁D3、目覚めよ。腰抜けどもに本艦の真の姿を見せてやれ﹂
戦争が始まった。
250
16 ロボット大戦︵前書き︶
コテコテのネタ回のはずだったのに、どうしてこうなった?
251
16 ロボット大戦
ウェイクアップ
﹁D3、目覚めよ、攻撃形態に移行します﹂
いったい、何が起こるんだ?
攻撃形態って、人型にでもなるのか? それともDだからドラゴ
ン型か?
そのどちらかの方がまだマシなようだ。
俺に見えるのは戦闘指揮所の計器類とまだ遠方のアズクモ側ロボ
たちの観測だが、それらによるとどうやら艦の表面装甲が一斉に剥
離したようだ。
否、この艦の表面を覆っていた物は装甲板では無かった。
剥離した物一つ一つが小型の宇宙機だ。
﹁スケイルたち、編隊を組みます﹂
﹁敵、第一波、総数48。アズクモ側カタパルトに動きあり。第二
波準備中﹂
﹁相手にならんな﹂
変態ゲイリー少将が鼻で笑う。
俺もこれには同意せざるを得ない。
この艦は一辺が100メートル程度の立方体。その表面にびっし
りと張り付いていたのがすべて小型宇宙機となると⋮⋮
100×100で10000平方メートル。小型宇宙機の露出部
分はせいぜい5∼10平方メートルぐらい。
つまり一つの面だけで1000∼2000機はいる計算になる。
実際にはここまで単純な計算にはならないだろうから合計120
252
00機だとは主張しないが、ともかく比較するのもバカバカしい数
の差があるのは間違いない。
戦いは数だよ、兄貴。
どこかの悪人面の中将さんも勝利を確信できそうだ。
﹁第五平面の隊を前進させろ。自爆命令はいらん。残りはこの艦の
直衛として待機。奴らが正気なら交戦前にカタがつく﹂
﹁了解﹂
とってもシリアスな場面のはずなのだが、絵面に大きな問題があ
る。
変態ゴブリンの見た目が悪いという以外にもな。
﹁一つだけ言わせてもらって良いか、ゲイリー少将?﹂
﹁何かね?﹂
﹁俺の腕を指揮杖がわりにするのはやめろ﹂
﹁あ、それは自分も思っておりました﹂
変態は俺の腕をもう一回撫でさすると、近くの兵に片づけておけ
と命じた。
俺は俺の手足とひとまとめにネットで包まれ、部屋の片隅につな
がれた。
完全な荷物扱い。
﹁敵、第一波。軌道ベクトル変わりません。第二波の射出も確認。
こちらも同じく48機﹂
﹁これだけの戦力差を見せつけられて、まだ戦うつもりでしょうか
?﹂
﹁腰抜けどもが逆に蛮勇に取り憑かれたか? あり得んな。何か隠
253
し球があるかも知れん。周辺の警戒を怠るな﹂
﹁了解﹂
リュンガルド側の情報だけ見ていると勝てる気がしない。
というか、これだと勝負にすらならないだろう。
俺はアルシエ・ネットの中に意識を飛ばした。
またモイネ殿と連絡をとるか、アリスさんと接触するか。
どちらかを考えていたが、俺は慣れないネットの中で迷子になっ
た。
気が付いた時には人型宇宙機と繋がっていた。
︻爆砕神龍ホムラ︼
龍を思わせる頭部を持ち、全身にミサイルポッドを装備したアズ
クモの修羅機体の1機。
多数装備した打ちっ放し式ミサイルはAL兵装であり、本来は有
人機体に対しては使用できない。﹁アズクモが大量のデブリに襲わ
れても単機で対処可能だ﹂とは初代製作者の弁だが、その様な事態
に単機で対処する状況は考えられず、この機体は無駄な装備を満載
したアホと嘲笑されてきた。
﹁キタキタキタ、俺っちの出番キターァッ﹂
ホムラのパイロットである無駄肉のゼーガはノリノリで叫んでい
た。
本人の名誉の為に言っておくが、彼の肉体に無駄肉などはない。
太めではあるがそれは基本的に筋肉である。
254
﹁100年に一度もないこの大チャンス、敵さんいっぱいオイデマ
セー!﹂
スケイル
熟練の指さばきで襲い来る敵機体を片っぱしからロックしていく。
同じく長距離攻撃機体である魔王機ナノハが長大な46式カノン
からステルス拡散砲弾﹁タイプ3バスター﹂を撃ち出しているのを
横目で見る。
﹁甘いぜ、その敵は俺っちがとっくにロック済み。獲物はワタサネ
ー﹂
最終安全装置を解除。
エンドオブワールド
ガラス扉の奥にある真っ赤なボタンに指をおく。
﹂
﹁止める奴なんてイルワケネー。これが世界の終わりの最終火力。
フルファイヤー‼
爆砕神龍の機体そのものが爆発した様に見える全身からのミサイ
ル発射。
ホムラはキメポーズをとった後、弾を撃ち尽くしたミサイルポッ
ドを変形させ増加装甲とナックルガードに変えた。
撃ち尽くした武器を投棄したりはしない。爆砕神龍ホムラは無駄
肉など無いエコな機体なのだ。
﹁敵機体が攻撃を開始しました。ミサイルらしき物、多数接近中﹂
﹁攪乱弾か? 周辺の警戒を強化。紛れて何か仕掛けてくるぞ﹂
255
﹁いえ、そんな数ではありません。弾数500以上﹂
ドレッド級の戦闘指揮所の中でも騒ぎがはじまった。
誘導弾を発射したのはホムラだけでは無かったようだ。あそこま
でミサイルに偏重していないだけで、誘導弾を保有している機体は
他にもいた。その全機体の一斉攻撃だ。
﹁奴らめ、何を企んでいる?﹂
﹁第五平面隊、ミサイル群と接触します﹂
﹁これは!﹂
﹁何だと!﹂
戦闘指揮所のスクリーンの見かたなんて、俺には分からない。
だが、今だけは非常事態が起こったことが俺にもはっきりと理解
できた。次々に赤く変わっていく文字列は誤解しようがない。
﹁馬鹿な、有人機体に対して精密誘導弾は使えないはずだ﹂
﹁AL属性を持たない誘導弾を開発したのか?﹂
﹁たとえそうであっても、誘導弾を発射した機体は制御を失うはず
だ。人型宇宙機などと言うけったいな物がアルシエのサポートなし
で動けるはずがない﹂
混乱している。混乱している。
ああ、笑いたい。
そのミサイル攻撃が可能になったのは俺のおかげだと、種明かし
してドヤ顔したい。
俺が今の状態でもネットを通じて外部と連絡可能だと知られると
まずいからやらないけどな。
俺は自重していたつもりだったが、表情筋は動いていたようだ。
256
変態ゴブリンにキッと睨まれてしまう。
抑えきれなくなって俺は声を出して笑った。
﹁無様だな﹂
﹁何を﹂
﹁簡単に蹂躙できると思っていた弱者にこっぴどい目にあわされる
とか、本当に可哀想に﹂
﹁!﹂
﹁今、どんな気持ちだ?﹂
ちなみに俺は奴の周囲を踊り狂いながらゴブリン顔を覗き込んで
やりたい気持ちだ。
大昔の巨大掲示板で見たアスキーアート通りにな。
﹁435機が大破もしくは消滅しました。第五平面隊のおよそ半数
が失われた計算になります。指示を願います﹂
﹁まだだ。まだ負けてはいない。敵の誘導弾はもう撃ち止めのはず
だ。そのまま近接格闘戦で勝負をつけさせろ﹂
﹁了解﹂
戦闘開始直後のファーストコンタクトはアズクモ側の圧勝。
だが、倒せたのはリュンガルド側の第五平面隊の半数に過ぎない。
絶望的な数の差はそのままだ。
戦いは次のフェイズに移る。
俺はもう一度、意識を戦いの場に飛ばした。
257
︻幻燈鬼ハルカゼ︼
アズクモの修羅にしては珍しく黒一色に塗られた機体。ただし全
身に発光部分を仕込んでいるため、目立つという意味では他のどの
機体にも勝る。
この発光部が曲者で、点滅を操るほか取り外しと戦闘中の再装着
まで可能。発光部分に本体があると思って攻撃した敵は闇の中から
奇襲を受けることになる。
射撃系兵装を持たない完全格闘戦用機体。
幻燈鬼のパイロットは齢50に手が届こうかというベテラン、悪
辣の星ライドだ。
その戦いぶりから酷い二つ名をもらっているが、本人は物静かで
理知的な仏教徒である。ちなみに若いころの二つ名はペテン師だっ
た。
﹁魔王機のお嬢ちゃんもなかなかやる﹂
ハルカゼはブースターを取り付け、他のどの機体よりも先行して
いた。
その横をステルス砲弾﹁タイプ3バスター﹂が通過し、敵部隊の
前面で炸裂。こちらは普通に探知できる破片の花火を咲かせている。
﹁敵の陣形をあれだけ乱してくれれば十分だ﹂
ライドは接触前に敵機体の情報を集めていた。
リュンガルド側の機体スケイルは矢じりのような形の宇宙機だ。
人型宇宙機とは違って関節の数は多くない。腕はあるが手はなく、
腕の先が直接刃物になっている。そのほかの武器は機体の先端に付
けられた体当たり用の振動衝角。コクピット部分は極端に小さく、
パイロットは長い宇宙の旅の大半を冬眠状態で過ごす。
258
﹁相手との差し違えを狙った武装、というか普通に特攻機であった
か。こやつらの相手は悪辣なるペテン師の我こそが適している﹂
誰よりも目立つ幻燈鬼がスケイルたちの間に割って入る。
まるで誘蛾灯のよう。
光に向かってわらわらと集まってくる。
だが、スケイルたちの突進はハルカゼをとらえることが出来ない。
逆に振り回されるハルバードが特攻機たちを次々に葬っていく。
﹁わが機体の名はもはや存在せぬ幻。お主たちでは幻に触れること
など出来ぬ。⋮⋮こやつら、反射神経は良いが、経験も技量も全く
足りておらぬ。もしや!﹂
ライドはすべての光をけし、ハルバードの鉤を使って敵の残骸を
引き寄せた。
﹁これは、他の者には言わぬ方が良いであろうな。アズクモの修羅
は一機当千、100倍程度の数は問題にせぬとは言え、仏心を起こ
せるほどの余裕があるわけで無し。済まない、我らではお前たちを
助けてやることが出来ない﹂
そもそも仏心を起こす余地がないから修羅なのだ。
それでもライドは敵の残骸に向かって合掌した。
敵の機体のピグニー族の者でも入れないであろう、とてもとても
小さなコクピットに向かって合掌した。
﹁幼子を戦場で使うなど、許さんぞ貴様らぁ‼﹂
259
17 変身を残しているのはお互い様です
鎧袖一触。
アズクモの修羅たちとリュンガルドの鱗どもの戦いを表現するに
はこの四文字で事足りた。
得意の特攻戦術も中・近距離からの射撃で封殺される。
たとえそれをかいくぐっても、修羅たちの柔軟性な動きは格闘距
離でもクリーンヒットを許さない。
結果、第五平面隊の残存部隊がさらに半減するのにたいした時間
は必要無かった。
﹁敵機体の動きに変化はありません。中破以上の損傷を被った機体
はいない模様﹂
﹁何故だ、何故こうなる﹂
変態ゴブリンのゲイリー少将は変態成分ぬきで呼吸を荒くしてい
た。
﹁はっ、敵は機体制御にアルシエのサポートを十全に受けておりま
す。対してスケイルたちは自爆戦術の必要上、基本的にマニュアル
操作です。この違いが出ております﹂
﹁その上、敵側は何故か射撃系兵装を使いまくっています。これは、
アルシエが奴らに味方しているとしか⋮⋮﹂
﹁アルシエなど、人類を生き残らせるためのシステムだ。意思はな
い﹂
﹁申し訳ありません﹂
260
アルシエ談義はともかく、俺には現状への説明がもう一つ思いつ
くぞ。
アズクモとリュンガルドではパイロットの技量に文字通り大人と
子供の差がある事だ。
アリスさんは培養兵について何と説明していたっけ?
人間と認められる最低限の能力を持つ、だったか?
あれは冷凍した受精卵が一個乗っかっているだけでは有人機と認
められない、という意味だったのかも知れない。
人間らしい手足が出来上がる所まで成長させて、宇宙機のコント
ロールが可能な程度に神経系も発達させる。
身体が大きくなると生命維持装置に負担がかかるから成長はそこ
でストップ。
運搬時は冬眠させて保管して、戦闘になる時だけ目覚めさせて使
用する。
自分で想像していて気分が悪くなってきた。
赤紙招集とどっちが非人道かなんて比較の対象に出来るレベルじ
ゃないな。
ま、大昔に遊就館に行った時、神風特攻隊もいいかげん子供ばか
りだと思った記憶があるが。
﹁第五平面隊の残存兵力は後退させろ。かわりに第一平面隊前進。
同時に第三平面隊に戦場を迂回させ、アズクモ本土を襲撃する構え
を見せろ。こちらはフリだけで構わん﹂
﹁了解です﹂
﹁第一平面隊だけに交戦を任せるのですか? 二倍三倍の兵力を差
し向けるべきかと愚考しますが﹂
﹁それこそ愚考だ。口惜しいが、宇宙機一機あたりの戦力に差があ
りすぎる。数で押そうとしても投入した数だけまとめて殲滅されか
ねない。スケイルたちに勝機があるとしたら、それは相手が有人機
261
だという事だ。戦って疲労しない人間などいない﹂
﹁はっ、なるべく敵を休ませないよう、波状攻撃をかけさせます﹂
﹁それでいい﹂
変態のくせに結構頭も働くようだ。
が、その程度の戦術はアズクモ側でも予想済みらしかった。
戦略を上回る戦術、戦術を上回る個体戦闘能力だけでかたを付け
ようとは思っていない。
﹁後方で待機していた敵の第二陣が増速を始めました。前線の部隊
を追い抜きます﹂
﹁最前線を交代、では無いな。狙いはココか﹂
﹁はい。アズクモ旗機、オオミカミより入電。あまり意味のあるメ
ッセージではありませんが、お聞きになられますか?﹂
﹁聞こう﹂
﹁アズクモ帯刀者トキザネより、ゲイリー少将へ。遺言は済んだか
? 遺書は書いてあるか? まだなら大急ぎで準備しないと間に合
わないぞ。すべて終わっているなら、事の顛末を本国に報告してか
ら心安らかにその時を待とう。以上です﹂
﹁答える義務もないが、一応返信しておけ。軍人たる者、身辺の整
理をしておく事は当然の義務である。いらぬ心配をしている暇があ
ったらこちらのケツを舐める準備をしろ、とな﹂
変態でもそこそこ優秀なゴブリンは他の軍人たちをギロリと睨ん
だ。
﹁まさかとは思うが、お前たちの中に覚悟が出来ていない者はいな
いだろうな﹂
﹁﹁はい、問題ありません﹂﹂
262
複数の声が唱和する。
こいつら、悪党だけど軍人としてのスキルはアズクモの側より上
のようだ。というか、アズクモの戦闘要員はフルタイムで軍人をや
ってない。村の自警団みたいな物のようだ。
正規の軍人より自警団の方が強いというチート仕様だが。
﹁オオミカミの位置を特定しました。集中攻撃しますか?﹂
﹁ヤツの位置は最前線か?﹂
﹁はい、敵の第二波にいたようですが現在は全軍の先頭に立ってい
ます﹂
﹁前線に立っている旗機などただの旗だ。わざわざ折るほどの価値
はない。こちらが勝っている時に潰せば相手の心ごとへし折れるが
な﹂
トキザネは名目上の総大将で指揮担当は他にいる、という分析か?
有り得るが、そもそもあの自警団レベルの集まりにまともな指揮
系統って存在するのか?
一匹狼の集団、のような気もする。
いつの間にか正面のスクリーンに腕を組んで仁王立ちになった一
体のロボの姿があった。
鎧武者のようなボディに見覚えのある日輪の意匠の頭部が付いて
いる。あれがトキザネの宇宙機の修羅モードの姿、オオミカミなの
だろう。
武器はやっぱり日本刀、と思ったが違った。大きな長柄の得物を
背負っている。
薙刀か長巻か斬馬刀か、ロボの持ち物だから斬艦刀かも知れない。
スクリーンごしとはいえ姿を見ている今ならあそこへ行ける気が
する。
263
俺はもう一度アルシエ・ネットへ意識を投じた。
︻太陽王オオミカミ︼
アズクモの帯刀者たちに代々受け継がれてきた機体。特定のスポ
ンサーを持たないコロニー直属の修羅である。
大型の恒星炉を背中に装備し、肥大した本体と外見上のバランス
を取るために手足をより大きな物に換装している。それにより全修
羅中最大のパワーを誇る。
カブキ者たちの先頭に立つにはそれなりのハッタリも必要、とい
う代々の主張により戦闘に直接関わらない機能も多々存在する。人
型機体として地味に難しい﹁腕を組む﹂能力もその一つである。
現在のパイロットは52代目帯刀者、変幻のトキザネ。
よかった。無事にオオミカミの所へたどり着けたようだ。
すぐ近くにもう一機いるのも確認する。
︻随伴機カラス︼
オオミカミの直衛として使用される準修羅機体。正式な修羅とは
違って自由なカスタマイズは許可されていない。頭部の装飾も単な
るV字アンテナである。
すべての修羅機体の素体となるプレーンなデザインだが、他の修
羅機体がほとんど原形をとどめていないため逆説的にオンリーワン
な機体となっている。
現在のパイロットは無謀のレギンス。
あ、アルシエ・ネットからくる解説まで﹁無謀﹂の二つ名がつい
てる。
264
ご愁傷様。
V字アンテナにもツッコミを入れたいところだが、この時代まで
﹁黒歴史﹂が伝わっていないのは仕方のない事だろう。
あと、物理的な距離は離れているが太い回線でつながっている機
体がもう一機いる。
︻銀狼ミコト︼
太陽王と同等の指揮管制能力を持ったオオミカミの影。三日月の
意匠で知られる。
攻撃能力はあまり高くないが、通信・索敵に威力を発揮する。
現在のパイロットは剛腕のアケラギ。機体とパイロットのミスマ
ッチが酷いと評判だが、アケラギにアルシエへの軽度のアクセス権
限がある事を見込んでの抜擢である。
このネットからくる解説っていったい誰が書いてるのかね?
知りたいような知りたくないような⋮⋮
ま、アリスさんの同僚のAIならこの程度に人間臭い文章は余裕
で書けそうな気もする。
﹁敵部隊の第二陣、接近してきます。第一陣と同数。2分30秒後
に最接近﹂
アケラギさんが真面目に報告している。
﹁私たちの戦力が先行部隊より下だとでも思っているのか? まあ
いい、相手にするな。各機、回避機動を取りつつ前進。こちらから
の攻撃は禁止だ。行き足を止めるな。我々の標的はあくまで敵の母
艦だ。敵陣をすり抜けろ﹂
﹁了解﹂
265
﹁ハイヨ﹂
﹁ラジャー﹂
﹁楽勝だぜ﹂
トキザネの指揮に愚連隊流に統一されない返答がある。
﹁敵は特攻機よ。自爆に注意して回避は広めに。味方同士の間隔も
大きくとって﹂
﹁まあ、心配はいらない。こちらには敵の軌道要素も未来位置もす
べて見えている。大昔の戦場では投入される鉄量で勝敗が決まった
というが、宇宙の戦場では勝負を決めるのは情報量だ。アルシエ様
の加護を完全に受けられる我々が完全手動操作のやつらに負ける道
理はない﹂
人型宇宙機たちと非人道特攻機の群れが交差する。
スケイルを操る幼子たちはロボをとらえようと必死で追いすがる
が、修羅たちはその隙間をあざ笑うように通過する。
すれ違う瞬間に攻撃してスケイルを撃破する者もいた。
﹁命令違反だぞ﹂
﹁行き足は止めてない。真横に撃っただけだ﹂
正面に射撃すれば反動で自分のスピードも鈍る。真横に撃つなら
その心配はない。
間違ってはいないが、わざわざそんな真似をしたのは自分の技量
を見せびらかす為だろうな。
﹁敵機の撃破は5。自爆は30。爆心円に捕えられた者は⋮⋮﹂
﹁すまん。ドジった。雷獣コルエト、左腕を喪失。ジャイロにも傷
がついた。自力航宙もつらい﹂
266
﹁戦闘終了までは回収艇も出られない。自力での復旧を急げ。あき
らめるなよ﹂
﹁アハハハハ、宇宙がグルグル回ってらぁ﹂
機体を安定させていたジャイロが傷つき、その回転エネルギーが
機体本体に伝わってしまったらしい。
一機減って47機になったトキザネたちは少しばかり体積を減ら
したサイコロ戦艦に迫る。
このまま、母艦を強襲、突入の流れか?
そう思った時だった。
俺を猛烈な悪寒が襲った。
体の不調なんてあるわけないのに。
まさか、俺の身体に手出しされた?
いくら変態でも、戦闘中に事に及ぼうとするとは思えないが。
俺は大慌てでネットから切断、自分の身体に意識を戻した。
戦闘指揮所の中はいつの間にか薄暗くなっていた。
そこに何かが運び込まれていた。
俺には理屈抜きで悪いものと思えるなにかだ。
あれは俺の敵だ。
267
あれは俺の天敵だ。
俺はあれの天敵だ。
それは台座に乗せられていた。
それは赤黒く輝く何かだった。
それは全体の三分の一ほどを齧り取られた球体だった。
かつて見たことがあるような物体。
あそこを齧り取ったのは、ひょっとしてブラックホール?
冥府の神め、破壊を確認したんじゃなかったのかよ!
かつて邪神の祭壇と感じたものが完全破壊には至らず、俺と同じ
く回収されていた。
最低の再会がここにあった。
268
18 チートってのは不正行為の事なんだぜ
﹁敵部隊が第2平面隊と接触します﹂
﹁また無視して通過するだろうな。あの様子だと2、3機削れれば
良い方だろう。その後は本艦にとりつく﹂
﹁スケイルたちの個体戦力があそこまで低いとは思いませんでした﹂
ゲイリー少将とその部下たちは話しながら赤黒く不吉に輝く水晶
を眺めている。
俺も不自由な体勢から必死で首を巡らせてそれを見た。
多分、ひきつった顔をしていると思う。俺を死後の世界から呼び
戻す原因となった物体を前にしては平静でいられない。
﹁艦内放送の準備をしろ﹂
﹁完了しております﹂
﹁ご苦労﹂
変態ゴブリン少将はマイクを受け取った。
﹁こちら、ゲイリー・ゲイム少将だ。総員、戦闘配置のまま聞いて
くれ。アズクモのポンチ絵ども、人型宇宙機の戦力は我々の予想よ
りはるかに上であった。それは素直に認めねばなるまい。スケイル
たちによる数的優位は役に立たず、本艦は追いつめられつつある﹂
的確な論評だ。
﹁現状を打破するためにはドレッド級3番艦たる本艦のすべての能
力を投入する必要がある。これより、本艦はアルシエのサポートよ
269
り離脱する。総員、人類本位戦闘態勢をとれ。高慢なAIによる庇
護など人間には必要ない。帰りの航宙が可能かどうか心配する者も
いるだろうが、宇宙を旅するのにアルシエのサポートなどまったく
必要ないと私は断言する。太古の昔、人類がはじめて月へと旅した
時、使っていた技術は今の我々よりはるかに劣る物であった。アル
シエの庇護など本当は人類には必要ない物なのだ﹂
ま、アポロ宇宙船を月まで送った電子計算機はファミコンに劣る
性能だったらしいからな。
アルシエ・ネットから手を切るメリットは﹁遠慮なく戦争ができ
る﹂って事か。対人砲撃、戦略爆撃し放題。
﹁諸君らだけに負担を押し付けるつもりは無い。私もこれから最強
の遺失技術品﹁赤き神宝珠﹂の制御に入る。我らに勝利を、リュン
ガルドに栄光を!﹂
有能な変態が欠けた水晶玉に近づいていく。
﹁おい、やめろ。ゲイリー少将、それが何だか知りもしない癖に手
を出すな﹂
﹁ほう、さすが同じ魍魎期の遺産。これが何か知っているようだね﹂
変態は振りかえり、俺の頭に優しく手を置いた。
思いっきりぶん殴られた方がまだマシな気持ちの悪さがある。
﹁何が人類本位戦闘態勢だ。そいつはそもそも人類起源の製造物で
すらない。それは宇宙の彼方で見つけた地球外生物の遺産。真の意
味でのオーパーツだ﹂
﹁続けたまえ﹂
﹁お前たちの言う魍魎期の人類だってそれの取り扱いには細心の注
270
意を払っていた。少しでも変事があればブラックホールを撃ち込ん
で始末するぐらいにな﹂
その少しの変事を早めに引き起こす為に俺が送り込まれたようだ
が、その辺は割愛する。
あの赤黒く輝く宝珠に生と死の境を曖昧にする以外にどんな能力
があるか俺は知らない。大きく破損しているらしい今の状態でその
機能が発揮されるかどうかもわからない。
だが、破損した原子炉を間近で全力運転しようとしてたら、普通
は止めるよな。
﹁君の言葉が偽りであるとは思わない。だがそれを聞いて、これは
今この場で使用しなければならないと確信したよ。今ここでなら、
これが暴走したとしても死ぬのは我々だけで済む。本国に被害はな
い。後は精々アズクモが滅びるぐらいか﹂
﹁十分にヒドイと思うが?﹂
﹁だが、我々は既に降伏は認めないという意味の宣告を受けとって
いる。我々には勝つか死ぬかの二択しかないのだ﹂
イカン、納得してしまった。
トキザネのヤツめ、包囲は一を欠く。敵を完全に包囲するとかえ
って危険であるという軍事上の常識を知らんのか。
﹁大丈夫だ。私はこれを制御してみせる﹂
変態は俺の頭をもう一度撫でると、赤黒い宝珠に向き合った。
気持ちが悪い。
無いはずのはらわたがキリキリと痛む。
271
これから何が起こる?
俺は半ば逃げるようにアルシエ・ネットの中に意識を飛ばした。
俺の意識は中断セーブした場所に戻っていた。
つまりトキザネの乗機、太陽王オオミカミの所だ。
リュンガルド側の第2平面隊と接触、戦闘中だ。
前回の戦いより彼我の相対速度はやや小さい。その分、スケイル
たちの自爆して破片を撒き散らす戦術は効果が減っている。かわり
に戦闘時間はやや長く、簡単にあしらって飛び過ぎるのは難しくな
っている。
太陽王はトキザネの裂帛の気合いと共に斬艦刀っぽい武器を振る
っていた。
いったいどんな素材でできているのか?
トキザネの振るった業物は敵の装甲にいかなる抵抗も許さず、一
刀両断にしていた。
︻遺失技術品デュレリウム︼
太陽王オオミカミの持つ大薙刀の刀身を構成する素材。
結晶構造が多次元空間にまで拡大しているのではないかと噂され
る、非常に重く途轍もなく頑丈な物資である。
新たに生産するのは現在の技術力では不可能。加工も容易ではな
く、大薙刀の刀身は年単位の時間をかけて削り出した逸品である。
斬艦刀ではなく薙刀だった。
272
切断する為の刃をもった長柄の武器、と規定するならどれでも同
じだが。
トキザネはスケイルを続けて3機斬って捨てた。D3への道を斬
り開いた。
そこへアケラギさんからの報告が入る。
﹁敵ドレッド級、動きます。アームドベース展開中﹂
﹁奴らも覚悟を決めたか。面白い、そのベースから潰すぞ﹂
ドレッド級はもうサイコロ戦艦とは呼べなくなっていた。
これまで内部に折りたたんでいた翼状の部分を上下左右に展開。
翼の上には砲塔がずらりと並んでいた。
火力が増えるのは良いが、あれだと前方投影面積も増える。防御
面で問題が出るのでは無いだろうか?
そこまで考えてから、俺は思い直す。
この世界では有人機に対しては格闘以外の攻撃が出来ない。それ
が可能なのはアルシエのサポート無しでも動けるドレッド級だけだ。
この艦は反撃を受けない状態で一方的に砲撃を加えるのが本来の使
用方なのだ。
ともあれ、ドレッド級の優位は崩れた。
アームドベースから砲撃が開始されるが、その弾道はロボたちの
コクピットに表示される。回避は容易だ。
﹁敵の砲弾中にVT信管を確認。早期に爆破します﹂
電子戦も順調なようだ。
それにしてもVT信管とは、本当に20世紀レベルの技術で戦っ
273
ているんだな。
﹁一番槍は僕がもらうよ﹂
無謀のレギンスの乗機、随伴機カラスが加速する。
ドレッド級の弾幕をかいくぐって接近、電磁加速ライフルの連射
をアームドベースの付け根に叩きつける。
﹁よし、全弾命中﹂
レギンスは胸をはる。
だが、ドレッド級からの弾幕はまったく衰えを見せずに彼の機体
を追い続ける。
﹁しくじっているじゃないか﹂
﹁そんなはず無いよ﹂
﹁どけ、次は俺たちが行く﹂
色違いのロボたちが飛び出していく。
赤、青、黄の3機。なんだか合体でもしそうな奴らだ。
︻三連光輝 リプルガイア︼
同一仕様の機体の3機チーム。
常にチームを組んで行動し、3対3の試合では抜群の勝率を誇る。
パイロットはマルガ3兄弟。
連携攻撃に優れた彼らが選択した武器は修羅機体の共通武器とで
もいうべき、収束型のロケット噴射だった。
超高温、超高速のプラズマ噴流といえども、距離が離れるとどう
しても拡散し威力が落ちる。その欠点を彼らは三機がかりで一点に
274
集中させ続けることで克服した。
アームドベースの一本をプラズマが襲い続ける。
﹁どうだ、三つの力が一つになれば俺たちは無敵だ﹂
そういうセリフは合体してから言ってほしい。
などと言うツッコミは必要なかった。
﹁敵アームドベース、健在です﹂
﹁磁場でもはっているのか?﹂
﹁観測できません﹂
﹁そんな馬鹿な﹂
レギンスの攻撃に続いて三連星のそれも効果なし。
常識外の、既知の科学技術の外にある現象が起こり始めていた。
﹁みんな、センサーの感度を下げて。冥府の神の力、見せてあげる﹂
次に名乗りを上げたのは女性パイロットの機体だった。
冥府の神ってアイツか? と一瞬思ったが、その機体の胸に輝く
放射線マークを見て事情を察する。
あの金属の半減期は24000年ほどだったはず。20世紀につ
くられた物でも余裕で使用可能だ。
︻冥府神 プルート︼
切り札としてプルトニウム弾頭弾を装備する機体。使用している
プルトニウムは地球の遺産としての発掘品である。
武器としても使える長く鋭い角がトレードマーク。発進時に邪魔
だからはずせ、との声があるぐらいに長い。
パイロットは吸血のエレシア。
275
原爆だけかと思ったら地上最大のロボットでもあるようだ。
冥府の神の名を冠した機体がその名の由来を投射する。
本来なら原爆は地表から少し離れたところで爆発させ、熱線と発
生する衝撃波で対象を破壊する武器だ。だが、ここは真空なので衝
撃波は発生しない。
冥府神のパイロットは熱線を最大活用するため、原爆をなるべく
近づけてから爆発させたようだった。
これまでおこった爆発の中で最大の光が発生する。
あれをまともにくらったら、人間なんて影になる、か。
昔読んだヒロシマの逸話を思い出す。
爆心地近くにいた人がそのまま蒸発。後に残ったのは焼き付けら
れた影だけだったという⋮⋮
それほどの光、それほどの破壊が発生したが。
報告するアケラギさんの声は悲鳴に近かった。
﹁敵、健在。いかなる損傷も認められません!﹂
そんなことはあり得ない、傍観している俺も含め、その場の人間
の心は一つだった。
そんな思いが隙を生んだ。
﹁リプル2被弾。大破、いえ、爆散しました﹂
アズクモの修羅たちの中で最初の戦死者だった。
276
19 これぞ、俺のチート能力︵今度は長持ちしろ︶
核の直撃にさえ耐える宇宙戦艦、そんな物はこの世界の技術水準
からはあり得無い。トキザネたちの反応からもそれは見てとれる。
ならばこれはチート。
かつて俺が使ったアカシックゲート、事象改変の一種だろう。
現実の物体に﹃破壊不能﹄とかのレッテルを貼り付ける。それだ
けで破壊不能オブジェクトの出来上がりだまるでゲームの世界の背
景のようにこの世界の武器では手出し出来なくなる。
こんな物に勝てる訳がない。
俺は今度こそ必死でトキザネに言葉を届ける方法を探した。太陽
王のシステムに潜り込み、その機能の一部を乗っ取る。
﹁トキザネ、聞こえるか?﹂
﹁その声はサガラか? 今、どこにいる?﹂
﹁敵艦の戦闘指揮所の中だ。こちらの状況は先ほどの通信の時から
動いていない﹂
網に包まれて荷物扱いで固定されている程度だ。
﹁問題はそっちだ。今すぐ逃げろ。こいつには勝てない﹂
﹁何があった? ドレッド級の異常はお前がやっているのか?﹂
﹁俺じゃない。リュンガルドは俺なんかより遥かにヤバイ物を既に
回収していたんだ。俺が死者の国から呼び戻されてこんな所を迷っ
ている原因になった物体だ。ブラックホールを撃ち込まれて完全消
滅したと思ったが、まだ残っていやがった﹂
277
トキザネの表情筋がピクリと動いた。心当たりがあるのか﹁あれ
か﹂と小さく呟く。
﹁これから何が起こるかわからない。すぐに逃げろ。あんな物が出
てきたらお前たちに出来ることはもう無い﹂
﹁サガラ、あなたはどうする?﹂
﹁今の俺に何が出来るかわからないが、あの邪神の祭壇を始末する
方法を探してみる。何、失敗しても俺が死者の国に帰るだけの事だ﹂
いま思ったが、俺が死ねばあの赤黒い宝珠の事を冥府の神に報告
できるかも知れない。
積極的に試したい方法ではないが。
﹁ここで引くことはできない﹂
﹁おい!﹂
﹁ひとつ、いや、ふたつ教えておく。まず、修羅は生命を惜しまぬ。
敵を殺し尽くす覚悟とともに自分が死ぬ覚悟も固めている﹂
﹁無駄死になるぞ﹂
﹁それがふたつ目だ。私たちはあなたが思っているより強い﹂
﹁⋮⋮まったく、俺の周りには馬鹿しか居ないのか?﹂
遥かな過去に別れた黒い顔を思い出す。
﹁類は友を呼ぶ、それだけの事ではないか?﹂
﹁かもな﹂
トキザネはコンソールをパチパチと操作した。
﹁出撃した修羅、全機体に作戦を通達。これまでの情報から、敵ド
レッド級の外部からの破壊は困難であると判断する。である以上、
278
我々の本来の戦い方に移行する。敵艦内部に入り込んでの白兵戦、
行くぞ!﹂
愚連隊流の統一されない返答が帰ってくる。だが、意味はひとつ
だ。
満足そうなトキザネが何かを言いかけた時だった。
俺の意識はまったく唐突に赤黒い光に満たされた戦闘指揮所に引
き戻された。
いったい何がおきた?
アルシエ・ネットとの接続が解除されている?
俺はもう一度接続し直そうとあたりの情報の流れを探った。
無い。
ドレッド級の中のアルシエ系の電子機器がすべて電源が落とされ
ている。
アルシエのサポートなど不要と断じた以上、それらの機器は敵性
と判断されたのだろう。
俺の現状を見ると決して間違ってはいない。
とは言え、戦闘指揮所の中も決して楽勝ムードではなかった。
リュンガルド共和国が誇る変態、ゲイリー少将は宝珠に向かって
脂汗を流している。
279
あれはもともと死者の魂を弄ぶ道具。操作するのも魂でやるのか
も知れない。
少将に代わって指揮を執っているのは帽子をかぶった地味な顔の
男だ。
そういえば変態は﹁司令﹂と呼ばれていたから、こちらの地味顏
が本来の艦長なのだろう。
地味顏艦長は、アズクモの全力攻撃を跳ね返した直後だというの
に、とてもカリカリしていた。
﹁スケイルたちの状況は変わらんか?﹂
﹁はい。核攻撃で生じたEMPパルスにより、全体の67%が行動
不能に陥っています。このうち何パーセントが回復可能であるのか、
現状では不明です﹂
﹁所詮は急造兵器。熟成が足りておらん。こちらの指示が届かなく
ても独自判断で行動出来んのか?﹂
﹁培養兵たちの判断力は極めて限定されたものでして﹂
﹁教育がなっておらん!﹂
﹁培養兵はその目的上、躊躇なく自爆を実行できる程度の判断力し
か持たせられません﹂
地味顔は変態ほど有能ではないようだ。
こちらの状況をトキザネたちに教えてやりたいが、連絡は途絶し
ている。
心細い。
胸の中が空洞になったような気がしないでもなかった。
どうせ一度は死んだ身だ。これ以上わるくなんてなりようが無い
のだが、今の俺は孤立無縁。手足すら外され身体的な自由度はほぼ
280
ゼロ。至近距離には変態と邪神の祭壇のタッグチームと来た。
これでチート能力まで封じられたとあっては、絶望の二文字が脳
裏をよぎる。
今は何も出来なくともチャンスを待つんだ。
俺が自分に言い聞かせている間にも、戦況は推移してゆく。
スケイルたちが混乱している間にアズクモの修羅たちはドレッド
級にとりつく事に成功した。至近距離からの一方的な砲撃に落とさ
れた機体もあるようだが、ほとんどの機体は戦艦の壁面に吸着、得
意のローラーダッシュで走り出した。
戦いは宇宙戦から戦艦内部での白兵戦に移る。
飛行甲板的な部位はあっさりと占拠したアズクモ側だが、ドレッ
ド級の本体が破壊不能なのは変わらない。装甲ハッチの内側にある
与圧区画へは侵入できず、にらみ合いになる。
持久戦になると有利なのはどちらだろう?
大きさから考えてアズクモの修羅機体の居住性はさほど高くない。
単座であることも合わせて長時間の戦闘には向かないはずだ。出撃
から5、6時間持てば御の字。2日も3日も戦い続けられたら超人
的な体力と精神力の持ち主と言えるだろう。
アレ? あの連中ならやりそう?
対して、リュンガルド側は居住性の面では圧倒的に優勢。ウィー
クポイントは邪神の祭壇に向き合っている変態の精神力だ。変態ゴ
ブリンはすでに脂汗を流すだけでなく荒い息をついている。こちら
も長時間は持たないのは確実だ。
彼が限界に達したら、何が起こるのだろう?
ドレッド級の破壊不能オブジェクト化が解除されるだけならばよ
281
い。だが、俺は憶えている。ゴル宇宙基地の作業アームが自らを抉
ってあの宝珠を取り出し、ブラックホールキャノンを撃ち込んだ姿
を。そして、まるで未知の病原体にするように俺に関わったすべて
を消去しようとした事を。
たぶん、過去に俺の知らない何かがあったのだろう。
貴重な資料であったはずの宝珠を破壊する事を決心する様な何か、
その何かは﹃神﹄と名乗る超知性体までも動かした。
どう考えても楽観できない。
なんとかしなければ、とは思うが、今の俺にできる事が何も考え
つかない。
艦の構造体を伝わってガリガリと破壊音が響いた。
﹁何事だ?﹂
﹁3番ハッチ損傷。貫通されています﹂
﹁ゲイリー閣下がもう限界なのか?﹂
﹁いいえ、無効化フィールド維持されています。敵はオオミカミで
す! やつのグレイブがフィールドを貫いています!﹂
﹁馬鹿な﹂
さすがデュレリウムの大薙刀。
アイツ本当に俺が思っているより強かった。
﹁このままでは、本艦は一方的に破壊されます。艦長、最後の手段
を許可していただきたい﹂
﹁策があるのかね﹂
﹁はい。ご存知の通り本艦の構造はブロック化されており、各部で
分離合体が容易です。各パーツを切り離し、移動させることで敵機
を押しつぶす事が可能です。また、砲塔部分を動かして現在攻撃が
282
届かない箇所に砲撃を加える事もできます﹂
﹁分離はともかく、合体は容易とは言えぬ。ここにドックは無いの
だ﹂
﹁確かに後始末はたいへんですが、流すものは汗ですみます。この
ままでは、血を最後の一滴まで失う事になります。艦長、ご決断を﹂
﹁⋮⋮再結合の時にはたっぷりと働いてもらうぞ。寝る暇があると
思うな﹂
﹁了解﹂
戦況がまたゆり戻る。
各所で爆発ボルトが作動。ロックが解除され、スクラスターが唸
りを上げる。
外壁に取り付いていた機体はともかく、内部に侵入していた修羅
機体にとっては長さ100メートルの釣り天井がいきなり落ちてき
た様なものだ。ひとたまりもなく押し潰される機体が続出し、戦闘
指揮所の中が歓声に包まれる。
﹁今のを避けたのか? オオミカミ健在です。他にも複数の反応が。
⋮⋮潰れたやつの方が少ない?﹂
﹁化け物め。もうこうなったらどんどん行け。各ブロックのすべて
のロックを解除、本艦を腕に見立てて殴り倒すつもりで戦え﹂
﹁全ロック解除します﹂
戦闘は続く。
この戦艦も人型宇宙機も貴重な設備であり人員だろうに。戦争と
は大いなる浪費であるとはよく言ったものだ。
ただ見ているだけで何も出来ない不快感。
不満が溜まる。
283
イライラが募る。
俺にできる事は何か無いのか?
アルシエ発の情報の流れが無いか目を凝らす。
何も見えない。アルシエ発の情報はここには無い。
諦めるな。
俺は神に選ばれた勇者、あるいは人間に天罰を下すために遣わさ
れた魔王だろう。その上、その神が定めた死の運命さえ乗り越えて
ここに居る。
コロニー国家の宇宙戦艦だろうが邪神だろうが戦えない相手じゃ
ない。
俺のチート能力は本当に消えたのか?
モイネ殿の話によればまだ残っているはず。アルシエとのアクセ
スなどと言うしょぼいものでは無く、チートの名にふさわしい能力
がどこかにあるはずだ。
何かが見えた。
アルシエとのアクセスの更に先にある物だ。
情報が見えた。
アルシエ・ネットのそれと比較すれば遥かに少なく粗雑なデータ。
だがそれは俺の周囲すべてに広がっている。
それを手繰り寄せると、俺は宇宙空間にいた。
ズングリムックリな身体を震わせてたかってくる羽虫を押しつぶ
そうとしている。簡単に潰せそうなのに羽虫はチョコマカと動きま
わって逃げ延びる。
284
羽虫って、それは人型宇宙機じゃないか!
俺は慌てて身体の動きを止めた。
状況を整理しよう。
今、俺が自分の身体として認識している物はリュンガルド共和国
のドレッド級三番艦で間違いない。
とすると、俺が手繰り寄せた物はドレッド級のメインコンピュー
ターかそのアクセス権限?
俺のチート能力の正体はアルシエとのアクセスなどでは無かった
というオチか。
アルシエ・ネットとの接続など、俺の能力のほんの一部でしかな
い。周囲にあるどんな機械にもアクセスし、それを支配出来る能力。
それが俺のチートだ。
俺は戦艦の通信機を動かして宇宙に笑い声を発信した。
変態ゴブリンが邪神の祭壇がこの艦を無敵モードにしているとい
っても、それは外からの破壊に対応しているだけ。内側からの攻撃
に対しては無力だ。それは先ほど爆発ボルトが異常なく作動したこ
とからも明らかだ。
ようやく回ってきたぞ。
ここから先は俺のターンだ。
285
20 チート能力無双を目指して
SF世界に転生したが身体がなかった。はずだったが、今の俺の
身体は宇宙戦艦だ。
敵性の戦艦であり無力化と撃沈の対象であるのが実に惜しい。戦
艦を動かすなんて男のロマン、SF好きの夢なのだが。
俺の身体の中で地味顔艦長たちが騒ぎ始めた。
﹁なぜ止まった?﹂
﹁分かりません。いきなりコントロールを受け付けなくなりました﹂
﹁故障か? こんな時に﹂
﹁いいえ、情報汚染発生中。メモリーの使用率が跳ね上がっていま
す﹂
﹁アルシエか。どこまで邪魔をすれば気が済むのだ?﹂
歯噛みして口惜しがっているが、それは濡れ衣だ。
このままじっとしているだけでもトキザネたちがこの艦を撃沈し
てくれるかも知れないが、少しは手助けしてやろう。
各パーツの固定が解除された俺の身体は簡単なケーブルのみで接
続されている。それなりの強度はあるケーブルだが、本来の用途は
情報や電力のやり取りであり宇宙戦艦全体を引っ張るような事態は
想定されていない。
体の末端にある推進器を作動、本体の方では逆噴射。
ブチブチブチ、っと振動が伝わってくる。あの感触だとケーブル
より先に接続部が抜けたな。俺の身体の一部ではなくなったそのパ
ーツは宇宙の彼方へ飛んでいく。
286
戦闘指揮所での騒ぎが大きくなる。
いっその事、あそこの空気を止めて一気に勝負を決めてしまおう
かと思ったが、生命維持のための機構はスタンドアローンのサブシ
ステムが用意されているようだ。そちらも止めるのは俺にとっても
簡単ではない。
地道に解体していこう。
この身体の中央にスリットが入っていて飛行甲板のように使われ
ていたことを思い出す。
適当なバーニアを作動させ艦体に無理な回転を引き起こす。回転
速度は決して速くない。修羅機体たちは余裕で逃げ出す。だが、重
量が重量なのでその運動エネルギーは凄まじい。ケーブル類がブチ
ブチと引きちぎれる。ドレッド級の大きさがこれだけで半分になっ
た。
﹁畜生、どこから侵入しているんだ? 反応が良すぎる。情報の汚
染源は宇宙の彼方じゃない。すぐ近くにいるぞ﹂
﹁ロボどものどれかではないのか? やはりオオミカミか?﹂
﹁完全手動で撃てる武器はすべて撃たせろ。ハッキングしている敵
を倒せばまだ勝機はある﹂
右往左往している雑魚どもがまるでゴミのようだ。
魔王らしく高笑いしたい。
艦の外を探している限り、俺は絶対に見つけられないぞ。
﹁待ちたまえ、艦長﹂
﹁司令、よろしいのですか?﹂
﹁幸か不幸か、D3の体積が減ったことで余裕が出来た。それより
だ、アレを処分したまえ﹂
287
﹁アレとは?﹂
変態ゴブリンは宝珠に対して両手をかざし視線を固定したまま口
だけを動かしていた。
﹁宝珠が言っている。自分の敵がすぐ近くにいると。恐ろしい敵が
自分のすぐそばにいると。私はそれをこの戦闘指揮所の中と受け取
った﹂
﹁つまり⋮⋮﹂
﹁わが愛しの君よ、本艦に多大な損害を与えているのはあなたでは
ないのかね?﹂
まずい。
背筋がぞくっとした、のは横に置くとする。が、意識をドレッド
級の方に振り向けすぎていたため、とっさにはセクサロイドの口か
ら返答することが出来なかった。間が空いたのはせいぜい1秒か2
秒。だが、会話の流れの中で不審に思われるには十分な間だった。
﹁だんまりかね? 返答がないのは肯定と受け取らせてもらうよ﹂
﹁答えるだけ無駄だろう。この流れの中で俺を壊さなかったら、あ
んたを無能と断定するところだ﹂
﹁私は無能ではないよ﹂
オペレーターの一人が、どこからか手斧を取り出している。独身
男性ご用達のボディぐらいあの武器でも壊せるだろう。
どうしよう?
ドレッド級を肉体としてあちらに乗り移ろうかと思ったが、ハー
ドの性能が低すぎる。記憶容量的にも俺を収納するのは不可能だ。
288
詰んだな。
俺は何の抵抗もできないまま機械の頭蓋をかち割られ、ボーナス
ステージでの生を終わらせられるんだ。
俺が一人だけだったら、な。
誰も気づいていないが、先ほどから空調ダクトの向こうからカタ
カタと音がしている。俺にも情報の流れが見えない所を見ると、無
線を封鎖して入り込んできたようだ。
侵入口は先ほどトキザネが穴をあけたハッチだろうか? さすが
に彼女でも邪神の祭壇が作り出した無敵フィールド︵仮︶は破れま
い。
非常時の障害物破壊用と思われる斧を手にしたオペレーターの目
は血走っていた。
﹁お前が、お前が犯人だったのか⋮⋮﹂
﹁目的のためならば非武装の民間人であっても巻き込んで犠牲にす
る。それが俺が見てきたリュンガルドの軍人だ。自分の方が負けそ
うになたからといってそんなに平常心を乱されても困る﹂
﹁貴様ぁぁっっ!﹂
お、﹁混乱﹂とか﹁激昂﹂とかステータス異常が入ったな。
この男、煽り耐性が無さすぎだろう。
手斧が大きく振りかぶられる。同時にバシッと音がして通気口の
蓋が弾けとんだ。
振りかぶられ過ぎた手斧はすぐには振り下ろす事が出来ない。こ
こには重力が無いからなおさらだ。
通気口から飛び出してきたのは金属製の黒い大蛇だった。もちろ
289
ん、汎用関節ユニットの集合体。黒い大蛇は太い胴をのたくらせて
オペレーターの男を弾き飛ばした。
そのまま俺を拘束している網を切り裂いてくれる。
﹁コタロー﹂
﹁いいタイミングだ、アリスさん﹂
よし、合体だ。
テーマ曲と謎空間出現のバンクシーンが⋮⋮。あるわけ無いだろ
う。
外された手足はとりあえず収納しておく。簡単に外せた以上、取
り付けもポリキャップなみだと思うが試行錯誤している暇はない。
汎用関節ユニットの群体が背中から俺に覆い被さる。今回の形状
は外骨格にはならない。俺の本体から直接に黒い男性的なマッシブ
な手足が突き出ている形になる。いや、男性的な機械の身体から女
性の上半身がフィギュアヘッドの様に突き出ている、と言ったほう
が的確だろうか?
つい今し方まで、俺はこの部屋の中で一番無力な存在だった。
今はここに居る中で一番の大きさとパワーを誇る。
﹁形勢逆転だな。というかチェックメイトだ﹂
俺は手首に仕込んだニードルガンの銃口を変態ゲイリーに向けた。
ヤツは邪神の祭壇の前から動けないから、避けられる心配はない。
﹁降伏を宣言しろ。俺はトキザネとは違って心優しい。命だけは保
証するぞ﹂
﹁撃ちたまえ﹂
290
﹁?﹂
﹁愛しい人に殺されるのならば悔いはない﹂
怖気が走った、のは横に置く。
人殺しが初めてでないと言っても、無抵抗の人間を撃ち殺すのは
いくら俺でもKAKUGOがいる。ためらいを見せずにいるのは俺
には無理だった。
反省しよう。これが人殺しのプロである軍人とアマチュアでしか
ない俺の差だ。
地味顔艦長が隣に目くばせするのを俺は止められなかった。
地味顔の部下が赤いボタンを押し込んだ。
初めて聞いた俺でも警報だとはっきり理解できる音が鳴り響く。
緑色の巨漢が三人、戦闘指揮所の中に飛び込んでくる。
﹁うおぉぉぉっっ!﹂
三人の状況判断に遅滞はなかった。
上官に武器を向けられているというのに、そんな事にはまったく
頓着せずに突進してきた。
巨漢三人がかりのタックル。
彼らの一人一人よりは汎用関節ユニットと合体した俺の方が重い。
だが、無重力のここでは体重に大きな意味はなかった。踏ん張るた
めには足の裏の吸着機構を強化する必要がある、などという事に気
付くよりも早く俺は彼らともつれ合うように吹っ飛ばされた。
壁際まで飛ばされる。
地味顔たちが何か複雑な操作をしているのが見えた。
まさか、と思った。
291
生身の人間たちにとっては自爆も同然の行動。真空にさらされた
ら全身の血が沸騰して死ぬとかカマイタチで切り刻まれるとか言わ
れるのは迷信だが、それでも真空への曝露は決して健康にいいもの
ではない。
俺の目の前の壁が、いきなり開いた。
外は宇宙空間。
空気と一緒に吸い出される。
地味顔が変態に組み付いて宇宙へ投げ出されるのを防止している
のが見えた。
アリスさんの大蛇に弾き飛ばされたオペレーターは身体を保持す
るのに失敗、俺たちと一緒に﹁外﹂へ出てきた。彼を待つものは死
だ。
緑色をした三人の巨漢、宙間歩兵たちは真空などものともせずに
その太い手足を俺に絡み付けてくる。
そちらに気を取られている間に俺たちを排出した壁は元通りに閉
じてしまう。敵司令部制圧による戦闘勝利という最良のシナリオへ
の道が一緒に閉ざされた。
お前ら程度の相手なんか、している暇は無いんだよ!
いや、たった今、暇が出来た所かもしれないが。
歩兵たちは二人が俺を拘束しようとし、残りの一人が大ぶりのナ
イフを構えていた。ナイフといっても持ち主の大きさからそう見え
るだけで、実際には軍刀に近いサイズだ。あれなら俺の首ぐらい簡
単に落とせそうだ。
292
俺は関節を極めにくる腕を力まかせに強引に振りほどいた。いく
ら大柄と言っても生身の肉体が出せるパワーなど汎用関節ユニット
からすれば何ほどでもない。
俺は二人の頭を逆に掴んだ。ヘルメットごしではあるが、問題な
い。
こいつらは俺を殺そうと攻撃を仕掛けて来ている敵だ。その上、
甲殻を着込んだ様な外見は変態ゴブリンよりも生身の人間に見えな
い。
こいつらを殺す事への心理的抵抗は大きくない。
俺はヘルメットごと彼らの頭を握りつぶした。
血が噴き出した。想像以上にグロかった。
最後の一人は戦意喪失しなかった。ナイフを構えて俺の生身に見
える部分、胸の間を狙ってくる。
だが問題ない。
関節ユニットのAIにアシストしてもらって、その刀身を掴んで
止める。手首を返して相手の身体をひねる。
体重はこちらが上。という事はひねりで発生する回転速度はあち
らの方が速い。その上、俺の三半規管は失調を起こさない特別製だ。
無防備な姿をさらした敵をビームサーベルで両断する。
勝った。
ついでに宙間歩兵たちへの貸しも取り立て終了した。
だが俺は千載一遇のチャンスを逃してしまった。チート能力を使
って無双するというのも、なかなか難しいものだ。
ドレッド級の複数の砲塔が俺に狙いを定めていた。俺を追い出し
た後、早くもコントロールを取り戻したようだ。
293
戦艦の攻略戦は終わらない。
294
21 マリオネットハンドラー
﹃アリスさん、こちらの状況は?﹄
﹃各パーツ点検、オールグリーン。推進剤残量、96%。バッテリ
ー容量問題なし。探査用ニードルのみ補充できず、残弾数3のまま
です﹄
﹃推進剤を使っていないという事はオオミカミにでも運んでもらっ
たのか?﹄
﹃いいえ。随伴機カラスの方です。最初の銃撃にまぎれて乗り移り
ましたが、侵入口が発見できず遅くなりました﹄
﹃いや、いいタイミングだった﹄
彼女がもっと早くやってきていたらどうなっていただろう?
チート能力を自覚する前であれば俺も慢心せずに動いて、もっと
うまく指揮所を制圧できたかもしれない。かも知れないが、やっぱ
りどうやってもプロの軍人に俺が出し抜かれていたような気もする。
仮定の話など今更意味はないが。
話したり考え込んでいる時間は残っていなかった。砲弾が数発飛
んでくる。
直撃するコースではなかったが、これも爆発して破片をまき散ら
すタイプだったはず。念のため大きく距離を取って回避する。
収束されたプラズマ噴流の火箭が追ってくる。身体の小ささもあ
ってそう簡単に当たりはしないが、余波を受けただけでまた服が焼
け落ちそうだ。
逃げ込む先を探す。
目の前にゆっくりと回転する巨大な物体がある。俺が引きちぎっ
たドレッド級の残りの半分だ。
295
ワイヤーガンを射出、ちぎった艦体に吸着させてその後ろへ回り
こむ。
こちらの半分からも砲撃されるかと思ったが、その兆候はない。
さすがのリュンガルドの軍人も指揮系統の上位者と切り離されたら
戦意喪失だろうか?
マリオネット
俺のチート能力についてちょっと点検。
とりあえず名前は﹃操りの糸﹄とでも名付けておく。コンピュー
ターかそれに類するものが搭載された機械を乗っ取って自分の身体
として動かせる能力、であるらしい。
射程距離はあまり長くない。心理的な距離感が問題なのか物理的
な射程があるのかは定かでないが、少なくともここからドレッド級
︵戦闘指揮所付き︶までは届かない。至近距離もしくは接触状態で
なければ使えないようだ。
それよりも最大の制約は﹁自分の身体として操る﹂という部分だ
ろうか?
乗っ取った機械は自分の身体なので複数同時操作ができない。二
つの機械を同時に操るどころか、能力使用中は本体であるこのダッ
チワイフ・ボディさえまともには動かせない。これは俺の本質であ
るプログラムが人間の脳をエミュレートしたものである事からくる
制約だ。人間の脳とその身体は基本的に一対一で対応している。
俺のプログラムをちょっと改造すれば10でも20でも一度に動
かせそうな気もするが、それをやってしまうと改造された俺は果た
して﹁俺﹂であるのかという哲学的な問いが生まれる。あまり実行
に移したくはない。無制限に自分を改造・増殖させて最後には自分
が何者であるかわからなくなり自滅する、というのはちょっと厄介
な中ボスキャラの定番の最期だしな。どっかの学園の第二位さんと
か。
﹃アリスさん、トキザネと話したい。オオミカミに通信をつないで
296
くれ﹄
﹃了解です﹄
﹃こちらオオミカミ、トキザネだ﹄
﹃サガラだ。こちらは無事にアリスさんと合流、脱出に成功した。
助力に感謝する﹄
﹃お姫様に自力で脱出されると張り合いがないが。まぁいい。それ
より先ほどの大騒ぎは何だ? 説明を求めたい﹄
﹃大騒ぎというのがどの辺りを指すのか知らないが、ドレッド級を
半分にしたのは俺だ。ハッキングして敵艦のコントロールを奪った。
それで、これからどうする? 俺としては撤退を進言するぞ。俺を
救出した事で戦略目標は達成できたはずだ﹄
﹃魅了的な進言だが、少し遅かったようだ。少なくともゲイリー少
将はやる気だ。見ろ!﹄
見ろと言われても、裏に回ってしまったので俺の位置からでは敵
の本体は見えない。
こっそり顔を出してみる。
﹃おい、なんだこれは﹄
﹃あなたの方が詳しいのではないか?﹄
それはトキザネだって理解不能だろうな。
見るとドレッド級の残りの艦体が変形をはじめていた。それもバ
モーフィング
ルキリー的な玩具で再現可能な変形ではない。元祖変形合体ロボッ
トがやっていたような変形だ。
艦の各パーツが縦一列に並んでいた。
ドレッド級の意匠を残したまま肉食獣の頭部ができていた。
細長くなった船体はしなやかに波うち、二枚のアームドベースが
翼のように見えていた。
297
﹃ドラゴン型になった事と理不尽変形、どっちに突っ込めばいいん
だ?﹄
﹃あの形ならば接近戦への対応であろうな。正面からくる敵はアー
ムドベースの火力と牙で噛み砕く。側面からくる敵はのたくる胴体
で弾き飛ばす﹄
確かに立方体よりは運動性能が上がっていそうだ。先ほどのアリ
スさんの大蛇モードの動きを学習したのかもしれない。
﹃あの不可解な変形の事なら、おそらく現実の改変、だろうな﹄
﹃何?﹄
﹃俺はアカシックゲートって呼んでいた。この場合はドレッド級戦
艦を変形させているのではなく、もともとドレッド級はドラゴン型
をしているものだと定義して現実の方を定義の側に従わせているん
だ﹄
﹃限界と弱点は?﹄
﹃完全に無制限で使える力ではないのは確かだ。10000年前は
俺も使っていたが途中でガス欠した﹄
﹃何か燃料的なものを消費する?﹄
厳密には神から借りていたアカシックレコードへのアクセス権限
の失効だが、逆に考えれば神にとってさえ俺にチート能力を使い続
けさせたくなかった理由があったはずだ。
現実に起こった現象だけを見ればガス欠という表現も間違いでは
ない。
﹃あと、射程距離の問題かもしれないが、こちらに直接影響を及ぼ
すことは出来ないみたいだな。もし可能ならドラゴン戦艦を創るよ
り、俺たちが存在しないという現実へ改変した方が楽そうだからな﹄
298
﹃その可能性もあったか﹄
トキザネからの通信にパチパチとスイッチを切り替える音が混じ
った。
オオミカミから音質の悪い電波通信が発信される。
﹁オオミカミより各機へ。油断せずに聞いてくれ。まず、我々は敵
艦にさらわれていたサガラ女史の奪還に成功した。これにより、我
々は当初の作戦目的の大半を達成できたことになる﹂
電波を通じて歓声が返ってきた。
黙ってロボの親指を立てる者、発光部分を明滅させる者もいる。
﹁こちらにも少なくない損害が出ている。本来であれば私はここで
撤退を、否、アズクモへの凱旋を指示するところだ。我々は勝った
のだから。だが、敗北を認めないものがまだ残っている﹂
﹁誘拐されたサガラ女史は魍魎期の地球の遺産だが、リュンガルド
共和国は同時期の遺産を別に手に入れていた。サガラ女史の証言に
よればそれは当時の人類が手に入れた異星文明の遺産であるそうだ。
我々が直面してきた異常な事態はその異星の遺産によって引き起こ
された出来事である﹂
﹁我々はこの異星の遺産をリュンガルドから奪い取るべきであろう
か? それも否である。我々は彼らと違って強盗でも誘拐犯でもな
いのだから。しかし、異星の遺産を放っておいて帰還することもま
た出来ない。なぜか? それは異星の遺産がすでに敵将ゲイリーの
手を離れて暴走している可能性が高いからである﹂
﹁考えてみて欲しい。敵は最初、異星の遺産を防御装備としてのみ
299
運用していた。確かに強力な装備であったが、戦況を膠着させる程
度の効果しかなかった。そのぐらい遺産の運用に慎重であったのだ。
それが、今はどうだ? あの無茶な変形を見よ。あれで敵艦の内部
構造はどうなっているのだ? 乗っている人間はどうなっている?
生存していると自信をもって断言することは私にはできないぞ﹂
パーサカー
﹁敵艦は理性なく暴れまわる狂戦士と化している可能性が高い。想
像してみてくれ。外部からの破壊が極めて困難であるあの艦が我ら
のアズクモに向かったら、いったいどうなるか? あの巨体に外壁
を喰い破られたら、1メートルや2メートルの小穴をあけられるの
とはわけが違うぞ﹂
﹁アズクモに認められた修羅たちよ。戦え。そして死ね。竜退治を
成功させれば良し。出来なくとも諸君らが稼ぐ一分一秒が異星の遺
産をエネルギー枯渇へと導くであろう。⋮⋮我に続け!﹂
﹁おうさ!﹂
﹁やったるでぇっ﹂
﹁我、死に場所を見つけたり﹂
﹁仕方ねぇなぁ﹂
﹁ここで逃げたら、母ちゃんにぶっ飛ばされるなぁ﹂
﹁もうちょっとだけ、頑張らないといけないみたいだね﹂
﹁アイツ一人だけでは逝かせないよ﹂
﹁みんなの道案内は冥王にお任せ﹂
﹁スポンサー怖い﹂
見事なアジ演説だ、と俺は肩をすくめようとしてフィギュアヘッ
ド状態で肩が動かないのに気づかされた。
ま、俺はアズクモのために死んでやる義理まではないが、少しは
手伝ってやらないとな。あの邪神の祭壇はもともと俺の敵だし。
300
俺も本来のデータ通信ではない無線電波を発信する。
﹁こちらはサガラです。皆さんの助けに感謝します。おかげさまで
無事に逃げ出すことが出来ました﹂
意識してちょっとだけ女らしく話してみたが、ダメだ。持たない。
助けた姫君がガラの悪い話し方をするなんて、夢が壊れるような
ことはしたくない。男としてそれはとっても気の毒に思う。
だけど、限界だ。
俺はもとからネカマとか得意じゃないんだよ。
﹁悪いが普通に話させてもらう。感謝してるから、俺も参戦する。
そこで注意点だ。俺はこれからドレッド級の竜に変化してないほう
の半分を乗っ取る。そちらへの攻撃は避けてくれ。ただし、味方だ
と思って油断はしないように。中にリュンガルドの兵員が残ってい
る。完全手動での砲撃までは俺でも止め切れない﹂
﹁アレを乗っ取るって、ひょっとして捕らわれていた姫様がこちら
の最大戦力か?﹂
否定する材料はないな。
俺はワイヤーガンを巻き取り、ドレッド級の装甲の上に吸着する。
マリオネット
﹁行くぞ。操りの糸起動﹂
301
22 さあ、決着をつけに行こう
モーフィング
ドレッド級戦艦︵1/2︶に乗り移る。
目の前には俺の片割れである変形したドラゴン戦艦。周囲にはS
サイズとは言えスーパーロボットたち。ならば俺も期待にこたえね
ばなるまい。
俺は人間の脳をエミュレートした存在だ。だから俺が乗り移った
相手も人型でなければその能力を十全に発揮できないのだ。と、理
論武装を完成させる。
俺は自分の感覚としては大きく伸びをした。
不要な部分の電源ケーブルや光ファイバーがブチブチと引きちぎ
れる。
真ん中に本体ブロック。左右と下方に二つずつ、ひとつながりの
パーツを接続。こちらにも二枚あるアームドベースは胸のあたりに
くっつけた。
結果として完成したのは身長200メートルに到達しようかとい
う巨人。どこかの超時空な強攻型程度の人型だが、押し出しの迫力
は十分だ。
﹁天下無敵のLLサイズロボット、ここに見参。ってな﹂
ノリと勢いで叫んでみる。恥ずかしいので日本語で、だが。
ドラゴン戦艦が頭部をこちらに向ける。こちらは静かな佇まい、
と言えば聞こえがいいが実はろくに動けない。
線が多すぎて動けないんだ、と揶揄された昔のアニメのスーパー
302
ロボットではないが、こちらは張りぼてだ。ドレッド級のパーツは
組み換えや交換を考慮して設計された物ではあるようだが、さすが
に変形は考えられていない。関節部となるパーツはアームドベース
の基部ぐらいだ。
だから今、こちらの関節がどうなっているかと言うと、ワイヤー
ケーブルがむき出しになったブラブラだ。ポリキャップ関節さえ存
在しない。糸が切れたらグシャリと潰れる操り人形状態と言えばわ
かるだろうか? ここが無重力だからそれなりに格好をつけていら
れるだけだ。
ドラゴン戦艦が大きく口を開けて吠えた。
こちらを威嚇してくる。
アレ?
﹃アリスさん、今あいつが吠えた、よな﹄
﹃はい﹄
﹃どこを伝わって来た?﹄
﹃⋮⋮わかりません。無線にも聴覚ユニットにも信号を受信したと
いう記録がありません。あのD3から変化した物体が吠えた、とい
う記録だけが残っています﹄
﹃吠える、という概念そのものを送信したのか。無駄に器用なヤツ
だ﹄
ドラゴン戦艦を変態ゲイリーが掌握しているという可能性は消え
たな。あの変態は人形偏愛以外は理知的だ。吠えて威嚇するなんて
獣みたいな真似はしない。
﹁全機に作戦を通達します﹂
303
アケラギさんがただの脳筋じゃない事を見せつける。
﹁今までの戦闘から敵艦の装甲を貫通出来るのはデュレリウム製の
武器のみと考えられます。よって作戦の要となるのはオオミカミで
す。それ以外でデュレリウム製武器を秘匿している機体があったら
申告してください﹂
﹁俺のパイルもデュレリウム製だ﹂
﹁拙者の小太刀もオオミカミの薙刀を削り出した際の端材で出来て
いるでござる﹂
﹁私も一発だけ、デュレリウムの砲弾を持っているよ﹂
﹁おい、そういう貴重品を消耗品として使うな﹂
﹁お守りとして一発だけ所持しているんだけど、ここで使わなかっ
たらどこで使うの、って感じ﹂
﹁作戦の第一段階では、デュレリウム製武器を持たない機体が散開
して牽制攻撃をかけます。敵の注意が分散したタイミングでデュレ
リウム製近接武器で突貫。これは敵の撃破が目的ではありません。
装甲を貫通できたらすぐに後退してください。幸い敵の異常な防御
力は外部からの攻撃に対してのみ有効である事が確認されています。
装甲の内側に入り込んだ攻撃は普通に効きます。⋮⋮魔王機は任意
のタイミングで狙撃してください﹂
﹁傷口が開いたらそこへ集中攻撃で吹き飛ばせばいいんだな﹂
﹁はい。⋮⋮サガラは危険だから後退しない?﹂
﹁無理だな。あいつは俺を狙っている。俺がさがったら多分追って
くるぞ﹂
﹁あなたは修羅じゃない。無理はしないで。危険だと思ったらすぐ
に逃げる事﹂
﹁俺にも事情がある。あれの処分は神から与えられた俺の使命だ﹂
ま、こちらは張りぼてだ。せいぜいヘイトを稼いで肉壁でもする
304
さ。
﹁サガラは俺たちの指揮下にない。無理矢理後退させる人手も惜し
い。好きにさせるさ。全機、作戦開始﹂
﹁了解﹂
生き残りの修羅機体たちが散開し、ドラゴン戦艦を取り囲む。
散発的な撃ち合いが始まる。修羅たちは装甲を破った後の集中攻
撃のために火力を温存しているし、ドラゴン戦艦は近づいて来ない
修羅を脅威とみなしていない。
俺も完全自動操作で撃てる武器を幾つか発射してみる。どうせ効
きはしないが賑やかしだ。
反撃の火線が飛んでくる。
まさか一撃で破壊されたりはしないだろう。図体がデカイ以上そ
れなりのHPはあるはず、と期待する。
期待以上だった。
ドラゴン戦艦の攻撃はこちらの装甲の上で無駄な火花を散らす。
損害はゼロ。
これは、無敵フィールド︵仮︶の効果がこちらにも残っている?
これはアレのフラグだろうか? 無敵の防御力を持つ敵を倒せる
のは敵自身が持つ武器だけだ、的な? 最強の盾を壊すには同材質
な最強の拳をぶつければ良い、とか。
試してみよう。
近づいて行ってぶん殴ってやる。
無理だった。
305
五体がバラバラにならない様にゆっくりと接近しようとするが、
ドラゴン戦艦は俺のまわりを周回するように移動する。追いつけな
い。
だが、敵の注意は十分に引きつけた。
一発の砲弾がドラゴン戦艦に着弾。装甲を貫通して爆発する。
魔王機の虎の子の一撃だ。こんなに早く撃つのか? と思ったが、
考えてみれば理にかなっている。これで敵は接近して来ない修羅機
体も脅威と認識しなければならなくなった。
敵の対空砲火が激しくなる。だがその対象は修羅の全機体だ。
三つの機体が砲火をかいくぐって接近する。
一機は攻撃を失敗したようだ。それでも大薙刀がドラゴンの装甲
をえぐり、パイルバンカーが穴を穿つ。
﹁大将の戦果はともかく、突貫の旦那のは傷が小さすぎるぜよ﹂
﹁まだ、これからだ﹂
パイルバンカーの修羅は離れぎわに吸着爆弾を撒いたようだった。
その大半は無駄に終わるが、穴の中にちょうど飛び込んだ物もあっ
た。内側からの爆発が傷口を拡げる。
ドラゴン戦艦はまるで苦痛を感じているかのようにのたくった。
苦痛? そんな訳はない。
あれは傷口に攻撃を集中されないための動きだ。これ以上の近接
攻撃を受けないための動きでもある。
時間稼ぎ以上の意味はないが、稼ぐ時間に意味はあった。
﹁今更、こいつらが来る?﹂
﹁かまうな、単に障害物が増えただけだ﹂
306
生き残りのスケイルたちが来援した。単体での戦闘能力は修羅た
ちにはるかに及ばないがその数は脅威だ。
と、思いきやスケイルたちは修羅の横を素通りする。
﹁貼りつくだと?﹂
﹁修復している?﹂
スケイル
スケイルたちはその名の通り鱗となってドラゴン戦艦の損傷部位
を覆っていく。
装甲と同じ判定なのか、貼りついたスケイルには通常の攻撃が通
らない。
戦況不利、か。
ヘイトを稼いだ程度では勝たせてもらえないらしい。やはり、悪
のドラゴンを倒すのは神に選ばれし勇者の役目だな。
﹃アリスさん、ヤツの戦闘指揮所が今どこにあるか特定できるか?﹄
﹃頭部付近のどこかだと思われますが、変形が著しく完全な特定は
困難です﹄
普通に考えれば頭部にあるか胴体の中央にあるか、どちらかだよ
な。
せっかくだから両方狙おう。
俺はアイツを殴りたい。だが、機動力が足りないせいで近づくこ
とが出来ない。
だから殴れない?
そんな事、ある訳ないだろう。
俺にはまだあの技が有るじゃないか。巨大ロボットの伝統芸とで
307
もいうべきあの技が。
俺は両腕をドラゴン戦艦に向けた。
肘から先の部分にあるロケットエンジンを全力で動かす。
そんな事をすれば腕がちぎれる。それこそが望むところだ。
﹂
やはりここはあのセリフで送り出す。
﹁唸れ、鉄拳‼
308
23 星々の彼方へ飛んで行け
元祖搭乗式スーパーロボットから受け継がれる伝統芸を発射する。
遠隔型の格闘攻撃という矛盾した存在。肘から先に見立てたパーツ
マリオネット
をロケット噴射で送り出す。
やはり操りの糸は心理的な距離で射程が決まるようだ。身体から
離れてもパンチへの俺のコントロールが途切れない。巨大ロボット
の腕は飛ぶものである、という常識に支えられて操作を続ける。飛
来するパンチに気づいたドラゴン戦艦が移動ベクトルを変えるが、
追尾させる。
﹁おぉっ﹂
﹁これは、行けるんじゃないか?﹂
無線の向こうで修羅たちがどよめく。
﹁ああっ、惜しい!﹂
二つの腕には推力に若干の差があった。胴体を狙ったパンチが先
に届く。ホーミングの甲斐があって完全に捉えた、と思ったがドラ
ゴン戦艦は信じられないようなのたくりでそれを回避してしまう。
中の人間がどうなったか考えたくない様な、恐るべき素早さだっ
た。
これはマズイかも知れない。
頭部への二発目が命中するビジョンが見えない。
だが、二発目の着弾寸前、ドラゴン戦艦の首のすぐ後ろの関節を
309
一発の砲弾が撃ち抜く。敵の動きを阻害する。
今のはデュレリウム砲弾?
﹁おい、お守りは一発だけじゃなかったのかよ!﹂
俺の代わりに誰かがツッコミを入れてくれた。
﹁嘘よ、嘘。こんな傍受されて当然の無線通信で本当のことを言う
訳ないでしょう﹂
﹁それが道理でござる。実は拙者の小太刀も本当はただのナマクラ
でござる﹂
﹁さすが忍者、忍者汚い!﹂
一人称﹁拙者﹂の修羅の機体は称号が﹁忍者戦士﹂なのだろうか
ブルーナイト
? わざわざ調べるほどの事でもないのでスルーする。﹁吶喊の旦
那﹂と呼ばれていた人物の機体が﹁青騎士﹂だったり﹁古い鉄﹂だ
ったりしても別に驚くほどの事でもないしな。
などというやり取りの間に俺の拳︵暫定︶がドラゴン戦艦を捉え
る。
少し狙いがずれて首筋にあたったが、特に問題はない。超常の力
を抜きにした単なる物質としての装甲と装甲がぶつかり合い、あま
りの相対速度にお互いに白熱して消し飛ぶ。
俺の拳であったものは爆発四散した。幻肢痛が俺を襲う。
ドラゴン戦艦の首はその太さの半分ほどが抉り取られた。ドラゴ
ンが再び咆哮を上げる。音のないただ吠えたという事実だけが伝わ
る叫びが、ドラゴンが痛手を負ったことを伝えてくれる。
﹁サガラが開けた突破口を無駄にするな。全機、全力攻撃! 出し
惜しみの必要はない。使用可能なすべての武器を使って目標を殲滅
310
せよ‼﹂
トキザネの檄がとぶ。
鱗を貼り付けての応急修理などでは到底間にあわない破損部に、
プラズマ噴流が各種砲弾が虎の子の誘導弾が降りそそぎ傷口を拡げ
ていく。
﹁冥王弾は二発目は無いのか?﹂
﹁あれは間違っても臨界に達しないように左右の腕に二分割して装
備しているの。二発目なんてある訳ないでしょう﹂
二分割と言うとリトルボーイか。冥王弾はヒロシマ型原爆らしい。
ドラゴンの身体を破壊し尽くす必要は無かった。程なく、破壊の
中から赤い光がこぼれ落ちる。
弱点が逆鱗の位置だなんて、洒落が効いていやがる。
赤い光が離れるとドラゴンの身体はバラバラにほどけて分解して
いった。
やったか
よし、勝った。
勝利の確信はただのフラグ。宇宙空間に投げ出された邪神の祭壇
はひときわ強い赤い光を放つ。そして、宇宙は赤に包まれた。
俺にとっては嫌悪しか感じられない赤い光。
あれは悪だ。
悪と言ってもそれは﹁死﹂を志向するものでは無かった。すでに
死者である俺にとって死は身近なものでしかない。
それは﹁悪徳﹂を志向するものでも無かった。暴飲も暴食も色欲
も嫉妬も、俺にとっては﹁生﹂の象徴でしか無い。それらは俺の憧
311
れだ。
強いて言うなら、それは﹁無﹂あるいは﹁混沌﹂。
宇宙の自己組織化をを否定し進化を拒否する、すべての情報を意
味の無いものにしようと志向する意志。その行き着く先は﹁死﹂で
はない。そこにあるのは﹁消滅﹂﹁根絶﹂﹁絶滅﹂。
﹁ど、どうした?﹂
﹁機体が動かない?﹂
何かの物理法則が狂いでもしたのだろうか?
この事態が進行するとどうなる? 世界の摩擦係数がゼロになっ
てネジ止めされた部品がすべてバラバラになる? 酸素が別の物質
と化合しなくなって嫌気性バクテリアを除く生物が死滅する?
これは邪神の祭壇の最後の断末魔だろうか? それならばまだ良
い。だが、今までは人間の役に立つように曲がりなりにも制御され
ていた祭壇が解き放たれた結果だとしたら?
最悪、だな。
人類の絶滅、宇宙の終焉まであり得ない話ではなくなる。
冥府の神め、出番だぞ。アカシックゲートのレベル3でもレベル
4でもいいから俺によこせ。いやしくも神を名乗るのなら、この程
度の俺の注文ぐらい聞き届けて見せろ!
︽要請、了承︾
へ?
本当に答えが返ってきた?
︽秘匿機能、開放︾
312
俺の中から何かが解き放たれる。
俺からまた別の波動が広がる。魂の管理者の波動、魂というその
者の生きてきた意味の集大成とでもいうべき物を司る波動だ。
この宇宙の舞台裏、宇宙の法則を管理するところへ入り込み、そ
れを書き換えようとする邪神側の波動に対抗する。
邪神側の波動は醜いゴブリン面をしていた。ゲイリー・ゲイム少
将の顔だ。
そこでの俺の姿は⋮⋮なんで、ダッチワイフ・ボディのままなん
だ? こんな不思議空間でぐらい、生前の姿に戻せよ。どこかの屑
ニートと違ってそこそこハンサムなんだからさ。これは嫌がらせか?
宇宙を壊そうとする力と維持しようとする力は拮抗し、拮抗した
の
からこそ現状維持となる。
﹁わが愛しの君よ、私を取り込んだ宝珠の力に対抗するとは、あな
たは本当に女神様で在らせられるのか?﹂
ゴブリン面が妄言を吐いた。
﹁誰が女神だ。俺が何者であるかと問うなら、俺は魔王だと答えよ
う。人間がその手に余る力を振るおうとしたとき、神から遣わされ
て天罰を下す。そんな魔王だ﹂
﹁魔王。破滅の使者。天罰神。それがあなたの真実か﹂
﹁そんなに大した者でもない。真面目に天罰を下す気なんて、あん
まり無いしな﹂
﹁心優しき天罰神、あなたの手にかかるなら悔いはない﹂
こいつ、感動に打ち震えてやがる。
この変態に関わりたくはないが、関わりを断つには望み通り引導
313
アンチノミー
を渡してやらねばならない。二律背反だ。
とりあえず変態の顔は見ていたくないので意識をロボット戦艦側
に戻す。
宇宙の異変は収まっている。修羅機体たちも活動を再開している。
処置を急がなければならないと判断する。修羅たちの誰かが邪神の
祭壇を拾い上げたりしたら厄介なことになる。アズクモだって遺産
の回収には熱心なのだ。赤い光に興味を示さないはずがない。
赤い光に対して武装をロック。
ブラックホールの直撃を受けてさえ完全破壊に至らなかったのが
あの祭壇だ。ドレッド級戦艦の武装で損害を与えられるとは思わな
い。だが、宇宙の彼方に向けて軌道から吹き飛ばすことは出来るだ
ろう。黄道面どころか太陽系の中に残してやるつもりもない。
念のため、お互いの位置関係から考えられる軌道を算出する。
あまりうまくない。
ここから撃ったらむしろ太陽系の内側に向かってしまう。
そこで考え方を変える。やるべきは太陽の中に放り込むつもりで
の全力射撃だ。うまく太陽の中に叩き込めれば良し、外れたとして
も太陽の重力でフライバイして太陽系の外へ向かってくれるだろう。
﹁全修羅機体へ、本艦の射線上からの退避を勧告する﹂
﹁まて、サガラ。もう攻撃の必要はない﹂
﹁待てない。言ったはずだ、これは神から授けられた俺の使命だと。
⋮⋮うまく避けろよ﹂
俺の身体とドラゴン戦艦の残骸を結ぶ直線上から修羅たちが慌て
て退避する。
俺は胸部の二枚のアームドベースにある全兵器の使用を決断する。
314
ブレストファイヤー
﹁くらえ、胸部兵装一斉発射﹂
汎用関節ユニットのAIも使用しドレッド級単体では決して出せ
ない攻撃精度を実現する。艦砲の攻撃目標とは思えないような小さ
な宝珠に次々と命中させる。おそらく相手には傷一つ付かなかった
だろうが、最後にはこちらの砲弾以上のスピードに加速、攻撃が届
かなくなった。
もちろん、もはや回収は不可能だ。
﹁ああ、もったいない﹂
﹁くさるな。アレは我々の手に負える代物じゃない。あれで良かっ
たんだよ﹂
﹁でも、議会とか文句を言って来ないか?﹂
﹁サガラは修羅の指揮系統から外れている。問題ない。それに、我
々はサガラを危険から守るという約束を果たすことが出来なかった。
よっぽどの恥知らずでなければ彼女に文句は言えないさ﹂
﹁オレ、その恥知らずに心当たりがある﹂
あんまり感心できない政治家って奴はアズクモにもいるらしい。
ちょっとげんなりする。
﹁戦闘はもう終わりだと思うが、やるべきことはまだ山積みだな﹂
﹁生存者はどのぐらいいるかねぇ? サガラが乗っ取った方にはだ
いぶ残ってそうだが﹂
﹁艦本体よりスケイルの救助を優先することを進言させていただく﹂
﹁ガキが乗ってるからか? どうせ宇宙機を動かすことしか教えら
れてない可愛げのないガキだぜ。機械から離れて生きられるかどう
かも怪しいのに﹂
﹁だからと言って見捨てるのは人の道にもとる﹂
315
これから宇宙空間で大救助大会の開催かと思ったが、この直後に
モイネ殿の雷が落ちた。
長時間の戦闘でヘロヘロになっている癖に余計なマネをするな。
後続の回収部隊を送ったからさっさと帰ってこい。だ、そうだ。
修羅たちの損害も結局、三割を超えた。
軍事的常識から考えると普通に全滅だ。部隊を再編しなければ戦
闘行動を継続できない状態。ま、こいつらの場合は一匹狼の集団み
たいだから今のままでも戦ってしまいそうだが。
これだけの損害が俺を助けるために出たと考えると罪悪感に押し
つぶされるべきかも知れないが、正直言ってそんな気にはなれない
でいる。
ゲイリー少将他、リュンガルド側の言動を見た感想だとこの戦い
は起こるべくして起こったとしか思えない。修羅たちという軍事力
を持つものが力など無いかのような弱腰外交を続けていたらいつか
はこうなる。
力を信奉する者と対話するためには力を誇示しなければならない
場合もあるのだ。
あ、そうそう。
冥府の神よ、今回は礼を言うぜ。
ありがとう、助かった。
316
︽礼、不要︾
そう言うな。助けられたら礼を言うのはそれこそ礼儀ってものだ
ぜ。
︽任務、継続︾
⋮⋮。
おい、今なんて言った?
317
23 星々の彼方へ飛んで行け︵後書き︶
次回、第二部最終話です。
318
去年、戦争があった
僕の名前はルカナン、春から宇宙機学科に進む予定の12歳の男
子。
将来の夢はアズクモ全体で定員108しかない修羅の一人に選ば
れる事。修羅になりさえすれば機体は専用機で改造し放題だし、修
羅同士の模擬戦で好成績を収めれば有名にもなれる。
でも、英霊名簿に名が残るのはちょっと嫌かも。
去年、僕たちが知らない内に戦争が始まっていた。別のコロニー
から来た悪い人たちがアズクモの中で暴れ回ったり太陽電池パネル
を壊したりした。なんでそんな事をしたのか分からないけど。
修羅に選ばれた人たちは悪い人たちを止めるために出撃した。
機密事項、とやらで戦いのすべてが公開されている訳じゃない。
それでもわかる。近年稀に見る激しい実戦になった。そして、出撃
した修羅たちは三人に一人が帰ってこなかった。
最近知りあったある人は言っていた。
﹁あの戦いは公式発表では勝利した事になっているけれど、それは
事実じゃない。あれは両軍敗北と言うべきだ。どちらの軍にも﹃小
さな敗北﹄程度で戦闘を終わらせられるタイミングがあった。なの
に完全勝利を目指して戦いあってしまった。結果はどちらにとって
も無視できない大損害だ﹂
﹁この間はそれで助かった、って言ってなかったっけ?﹂
﹁個人的にはもの凄く助かった。アズクモにとっての﹃小さな敗北﹄
は俺を死よりも悲惨な運命に落とす事だからな。だがその為に一国
の安全保障を危うくする様な損害は出してはいけない﹂
319
﹁どうすれば良かったんだろう?﹂
﹁さあな。個々の修羅や帯刀者の失敗と言うより、我慢に我慢を重
ねてからようやく護国の鬼となる事を求められる修羅という制度そ
のものの問題の様な気がするな。修羅の一部は常備軍として編成し
なおすべきだろう﹂
僕には難しい事は分からないけど、修羅が死ななくて済むような
改革が出来るならやるべきだと思う。
盛大な合同葬儀が行われたって、英雄の戦いぶりが宣伝されたっ
て、彼らがこれ以上彼らの物語を紡ぐことが出来ないのは悲しすぎ
る。
僕は今、自転車を漕いでいる。パワーアシストのない完全なスポ
ーツタイプ。
え? 自転車が何かぐらいわかるよね。10000年以上前から
の人類の友だと聞いているよ。
友だちが住んでいる小さな家︵小さいといっても庭つき一軒家だ︶
の門をくぐる。
表札に書かれている文字は﹁相楽﹂。これで﹁サガラ﹂って読む
らしいのだけれど、古い時代の読み方すぎて誰にも読めない。そこ
で表札の横に小さな操り人形が吊るしてある。これを見れば修羅の
人たちにはここに住んでいるのが誰かわかるのだそうだ。
小さな自動機械が僕と自転車をスキャンする。個人の住宅のセキ
ュリティにAL機器を使うなんて普通では考えられないが、ここに
はなぜか存在する。
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異常なし、と玄関の鍵が解除される。自転車のスタンドを立てて
ドアノブに手をかけた。
﹁おはようございます、サガラ、イシュメちゃん、それからアリス
さんも﹂
この家の家主がサガラさん。僕よりちょっと年上のすっごい美少
女だけど、話してみるとずっと年上のようにも感じられる︵言わな
いけど︶。なぜかオレっ娘。いつもながら朝食は早目に済ませてい
るらしく、ティーカップだけを手にしている。
その隣に座っているのがイシュメちゃん。年齢不詳のアルピノの
美幼女。足が悪くて補助具が無ければまっすぐ歩けない。言葉も不
自由だし欠陥だらけの障害者に見えるけど、僕は知っている。彼女
は宇宙機の操縦をさせるとスゴイのだ。
僕だって同年代の相手と勝負したら10戦して9回は勝つ自信が
ある。だけどイシュメちゃんが相手だと100戦して99回は負け
そうだ。ちなみに彼女とはまだ10戦ぐらいしかしていないので僕
に勝ち星はない。
イシュメちゃんの後ろに立って甲斐甲斐しく給仕しているメカメ
カしいロボットがアリスさん。本人は腰の低いメイドロボ︵?︶な
のだが、サガラさんもなぜかさん呼びだし一部の人たちにはうやう
やしく﹁参拝﹂されていたりする。
ひょっとするととても偉いロボット様なのかも知れない。
﹁おはよう、ルカナン。今日も食べていくかい?﹂
﹁はい、お願いします。アリスさんのお料理はとっても美味しいで
すから﹂
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食事に誘ってくれたのはサガラさん。
喋るのが上手くないイシュメちゃんはいい笑顔で手をふってくれ
て、アリスさんは丁寧に腰を折った。
怒られる前に手を洗ってきて、イシュメちゃんの対面に座る。白
い幼女は僕が来てからは食べる手を止めて待っててくれていた。本
当に可愛い子だ。
今日の朝食は白いご飯とお味噌汁という組み合わせ。これぞ﹁朝
ごはん﹂。王道中の王道だ。
﹁いっただっきまぁぁす﹂
﹁ルーカ君は本当に美味しそうに食べるね﹂
﹁それは、美味しいですから﹂
﹁イシュメといっしょに食べてくれて助かるよ。俺はそうはいかな
いから﹂
サガラさんはなんだか寂しそう。ダイエット中だろうか?
﹁今日もイシュメちゃんを連れ出してもいいんですよね?﹂
﹁構わない。と言うより歓迎するよ。この子を学校の何年生に編入
したら良いか、まだ結論が出ていないからね﹂
﹁育ちが特殊なんでしたっけ?﹂
﹁生まれも育ちも全部が特殊さ。児童虐待とかっていうレベルの問
題じゃあない。宇宙機関係だけじゃなくて、もっとアズクモのあち
こちを連れ回してもらえると助かる。この子には社会的経験が致命
的に足りないから﹂
おこづかい
﹁わかりました。港に向かう前に公園とか幾つか回ってみます。⋮
⋮つきましては軍資金を﹂
﹁それだったらイシュメにもう渡してある。上手く引き出すんだな﹂
﹁えぇぇ﹂
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この子に任せたら﹁シミュレーション・バトルで私に勝ったら全
額払ってあげる﹂とか言い出しかねない。
そう言ったらサガラさんは意地悪く笑った。
﹁修羅を目指すんだったらイシュメの10人くらい軽くひねれるだ
けの腕が必要だぞ﹂
あ、イシュメちゃんが膨れてる。
﹁サガラさんは今日は大学ですか?﹂
﹁ああ。興味深い講義が二つほどある。宇宙機の操縦はともかく原
理とか構造とかは把握しておきたいからな。将来的には宇宙船の設
計と建造も担当したい﹂
﹁自分専用の宇宙船って、修羅になるよりもハードルが高いじゃな
いですか﹂
﹁それでも、近い将来それが必要になりそうなんだ﹂
サガラさんは苦い顔をしていた。
どうやら将来の夢ではなく、本当に必要になるから自分専用の宇
宙船をほしがっているらしい。
彼女はそれまで眺めていた雑誌をテーブルの上に置く。記事のタ
イトルは﹃奇跡の生還を果たしたゲイリー・ゲイム中将を語る﹄。
昨年、卑劣なるアズクモ軍のだまし討ちによって敗死したと思わ
れていたゲイリー・ゲイム中将︵当時、少将︶が、長期にわたる宇
宙漂流の末リュンガルド共和国傘下イルエデンにたどり着いた。敗
軍の将に対する慣例通り懲罰部隊に送られた彼だが、圧倒的に不利
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な戦況を神算鬼謀により打開。アズクモにおける敗戦が時の運によ
るものであった事を実証した。
現在、彼は大将への昇進が噂されており、その後は政界への進出、
大統領選への出馬も有力視されている。
﹁何ですか、これ?﹂
﹁見ての通りの物さ。あの変態、死んだと思っていたのにちゃっか
り生き残っていやがった﹂
サガラさんは苦り切った顔でため息をつく。その瞳が物騒な光を
宿している。
﹁任務の継続を言い渡されるわけだ。今度はこっちから白黒つけに
行かなきゃならないようだ﹂
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去年、戦争があった︵後書き︶
第二部はこれで終了です。
第三部はたぶんこの続きとしては書きません。だいぶ違った形で、
場所も改めて掲載すると思います。
ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n9559bv/
SF世界に転生したと思ったら身体がなかった
2016年7月13日04時07分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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