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Title 宮廷恋愛詩の詩人と聞き手 - Kyoto University Research

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Title 宮廷恋愛詩の詩人と聞き手 - Kyoto University Research
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宮廷恋愛詩の詩人と聞き手 : ヴァルターの歌「皇帝と吟
遊詩人」の解釈を中心に
高津, 春久
ドイツ文學研究 (1980), 25: 1-30
1980-03-08
http://hdl.handle.net/2433/184973
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
ヴ ァ ル タ l の歌﹁皇帝と吟遊詩人﹂
久
の解釈を中心に││
春
宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
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宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
輿詩的性格をもつことを示している。しかし恋愛詩の多くは王侯への物乞いや戴冠式の奉祝歌などと異なり、語
期の格言詩人は自の前の王侯に物乞いしたり徳を説いているが、これらは宮廷詩が本来特定の機会に作られる即
人と宮廷人のその時ど きの関係 を反映する要素が歌の中 に入 りこんでくる。 例 えばシュベルフォ l ゲルなど 、 初
それぞれの歌は詩人がかなりの期間滞在した宮廷の、限られた王侯や騎士を前にしてうたわれた。そのため歌
時 代 別 の 変 化 の 多 く は 最 後 的 にこの問題と密接につながるのである。
には歌人と彼を取りまく少数の固定した聞き手の心理的関係が作品の性格を決める重要な要因として働く。歌の
廷文化を吸収し、さらに自己の立場から対応する過程の中から生まれたのである。社交詩としてのミンネザンク
と様式に多彩な変化をとげながらうたい継がれた。その多様な展開はドイツの歌謡伝統が新しいフランス系の宮
十二世紀 の半ば、ドイツの宮廷におこった社交的叙情詩、ミンネザングは、それ以後の一五0年間、 モチーフ
両
。
。 そ し て こ れ が恋 愛 詩 の 重 要 な 技 巧 の 中 に 取 り 入 れ ら れ
るべき定まった機会を持たない。歌の対象は歌人の心に長らく秘められた思いであるために、歌人と聞き手の関
係は、演出、隠ぺい、自己弁護などで複雑に色どられる
。 作家ただ一人が働き
る の で あ る 。 文 学 作 品 の 傾 向 と 主 張 は 、 中 世 に 限 ら ず 特 定 の 聞 き 手 や 読 者 の上 に効果を及ぼしてこそ意味を持つ
し か も 聞 き 手 に 及 ぼす 効 果 は 、 彼 ら の 受 け 入 れ の 状 況 、 心 の 準 備 の い か ん によって決まる
か け て 決 ま る の で は な い 。 こ と に 中 世 の 詩 に欠 く こ と の で き ね 視 点 は 、 聞 き 手 に 潜 在 す る 期 待 と 反 応 、 ま た そ れ
を予見して語り出す詩人との相互作用のもつ意味である。
一一入O 年 以 前 の 初 期 の 宮 廷 恋 愛 詩 、 読 人 不 知 の 歌 や デ ァ ・ フ ォ ン ・ キ ア lレγペルク、ディ 1 トマル・フォ
。 や が て ト ゥ ル パ ド ゥ 1 ルの
、 ミンネザ ング は よ う や く 社 交 詩 と し て の 意 識 を
ン ・ ア イ ス ト な ど の 作 品 で は 不 思 議 に 歌人 と 聞 き 手 の 立 場 は 反 映 さ れ る ことがない
芸 術 に 学 ぶ フリ ー ド リ ヒ ・ フ ォ ン ・ ハ ウ ゼ ン が う た い 出 す こ ろ
詩 の 中 に 表 現 し 始 め る 。 そ の 傾 向 は ハ イ ン リ ヒ ・ フ ォ ン ・ モ l ルンゲ ンの自由な空想の歌によって助長される。
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やがてヴアルタ l ・フォン・テァ・フォ l ゲ ル ヴ ァ イ デ の 歌 の 中 で 詩 人 が 聞 き 手 を 批 判 し 、 明 る 痛 烈 な 遊 戯 的 形
式をとった。ここではヴァルタ!の遊戯的社交詩の例として﹁皇帝と吟遊詩人﹂を解釈するが、本来彼の詩の
巧は 、 歴 史 的 に そ の 前 段 階 を 回 顧 し て 始 め て 正 し く 評価することができる。
初 期 の ミ ン ネ ザ ング の 作 品 は 生 活 と 歌 に 対 す る 作 者 の 素 直 な 喜 び と 関 心 の 中 か ら 生 ま れ た 。 そ の 歌 は 聴 衆 に 呼
、
びかける言葉を持たず、歌人の心にある表白衝動がすべてである。歌が宮廷の人 び とにどのように受け入れられ
るか、その作品がさらにどのように広められるかということに作者は何の関心も見せぬ。聞き手の前にいるのは
そ れ ぞ れ 現 実 の 状 況 の 中 から 素 直 に 自 分 の 体 験 を 訴 え て い る 人 物 で あ る 。 恋 す る 王 妃 自 ら
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﹁夜更けて私は城の上に出ていた﹂
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と語り出し、彼女が恋人の歌を聞くこととなった状況を説明する。
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﹁女と鷹狩の鷹 はたやすく 手なずけられる﹂
恋の自信家デァ・フォン・キュ l レンベルク はこのよ うに う た っ た 。 直 線 的 な 強 い 叙 述 に よ っ て 特 殊 な 状 況 の 中
から恋する貴婦人や騎士がその体験を語る。個性的な恋人たちの映像は永久に詩人とも歌の聞き手とも関わり合
ハウゼン以後 の盛
うことな く、素描 的省略によってむしろ十二分に生かされて忘れえぬ歌の主人公となっている。 H ・ブ リ ンクマ
∞巴から区別している。
﹁思考の文体﹂の包凶 HHWg
EmgE と呼び、
体験の文体﹂何広島円
ンは初期のドイツ叙情詩のもつこのスタイルを特に ﹁
期ミンネザ ングの新しい様式、
一 八O年 ご ろ ド イ ツ 西 南 部 、 ラ イ ン 河 ぞ い に 住 ま う 貴 族 た ち が プ ロ ヴ ァ ン ス 語 の 宮 廷 詩 の 韻 律 形 成 や メ ロ デ
一
ィー にな ら って フ ラ ン ス 風 の 宮 廷 恋 愛 詩 を ド イ ツ 語 に よ っ て 試 み た 。 皇 帝 フ リ ー ド リ ヒ 一 世 の 側 近 に あ っ た フ リ
) がこのミ ンネ ザングの改革運動の中心であった。初期の
ードリヒ・フォン・ハウゼン (一一五O?1一一九O
ドイツ叙情詩の作者は叙情的告白の主人公を 、多くは 自分の外に客観的映像として描いたが、 ハウゼンらは自ら
を主観的な告白の主人公とする。彼らは婦人奉仕が心に与える苦悩を仔細に独自的にうたっている。彼らの模範
であったト ヲルバ ドゥ l ルの 多 く が 貴 い 恋人 を ﹁ あ な た ﹂ と 呼 ぶ よ り 、 む し ろ は る か離れて深い 尊 敬 を こ め ﹁ あ
の方﹂と三人称によって呼んでいた。 ドイツの詩人が彼らから学ん だ の は ま さ に 貴 婦 人 に 対 す る こ の 隔 り と 畏 敬
宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
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いとしき方より遠く別れて来たことがつらい。
それゆえいまも傷は癒えず
私は病んでいる。
今では少しのなぐさめとなってほしい。
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その人への奉仕をつねに怠らなかったことが
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対する彼らの関係は同僚の聞から立ちあがってうたい出す任意の一人ではない。詩人は宮廷で自分より上位の社
る 、 よ り 低 い 地 位 の も の に 引 き 継 が れ た 。 こ れ ら 歌 人 の 多 く は 下 級 騎 士 、 ミ ユ ス テ リ ア l レであった。聞き手に
社 交 的 趣 味 の 道 と し て 貴 族 に 定 着 し た ド イ ツ の ミ ン ネ ザ ン グ は ハ ウ ゼ ン の 次 の 世 代 か ら う た うこ と を 職 業 と す
きな態度は人を感動させるものを持っている。
彼らは後の職業歌人たちの巧綾な遊戯性や多様な人称表現を知らない。ただ自らの恋の体験を訴えるそのひたむ
貴族愛好者の聞に生まれた歌の、このような一人称表現にはその身分にふさわしい節度と誇りが感じられる。
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よってしかうたうことを知らぬ孤独な詩空聞が、むしろ恋の悩みの痛切な表現を強めている。
だがこれらの歌は宮廷の聴衆を意識し、彼らに直接語りかけたり同意を求める言葉を持たない。歌人が一人称に
方﹂にふさわしい自分であろうと願う心の高ぶり、また恋の願いと破綻の苦しみを詩人は同僚貴族を前に訴えた。
い演ずる。 歌人は高貴な宮廷人に向かって一つの高遁な恋の範例として自分の場合を語った。 高潔な ﹁そのお
の心であった。こうしてハウゼンらは恋における自分の役割を精神的、心理的事件としてモノローグの形でうた
四
交集団に対立する歌の専門家と考えられる。その歌の心理は同等のものへの範例として自分の恋をうたうのでな
く、詩人が詩人でないものに語りかける対立の兆しを微妙に見せ始める。長︿ウィーンの宮廷歌人であったライ
ンマル(一一六O?l一二O五?) の作歌は彼の聴衆の批判に対立する意識でつらぬかれていた。高いミンネの
精神を内省的な言葉で表現した彼はハウゼンの精神の系譜の上に立つ。しかしその聴衆との関係はもはやハウゼ
ンの場合とちがっていた。貴婦人に対する彼の恋心の誠実を疑うものらに返す言葉、誓言と反発に彼の詩は満ち
ている。彼らは詩人の欄笑者、誤解者、または味方、慰め手といった風に区分して呼ばれる。ラインマルはこと
に批判的な宮廷人に対して、用心ぶかく距離を保ちながら彼らを三人称で呼ぴつづけた。歌の論争が白熱すると
き、彼は今にも二人称によって﹁君たち﹂と呼ばんばかりであるが、ウィーンの礼節を重んずる宮廷環境と彼の
自制がこの最後的な呼びかけから隔てていた。奉仕する貴婦人に向かってもラインマルは二人称で呼びかけるこ
とがない川。表面優雅に装われた詩人と恋人、詩人と宮廷人の間接的な関係は、やがてモ l ルンゲンの詩のゆたか
な空想性によって破られることとなる。
P--一一一二一一) の詩は伝統的な詩人と聞き手の隔りを最後的に
ハインリヒ・フォン・モールンゲン (一一五O
打ちゃぶった。彼は貴婦人も宮廷の聴衆もいわば詩の遊戯の圏内に引き入れ、ここに対面の新しい広がりと自由
を得たのである。彼の詩は他のミンネの歌人の及ばね空想の自由を持っている。架空の事柄を語る気安さが詩人
の言葉から抑制をうばう。現実の社交が求める対人関係の距離や限界が忘れられるとき、遊戯の中から詩的真実
いとしいお方、教えて下さいまし。
や詩人の願望があらわな形をとった。このとき詩人はようやく恋する貴婦人に﹁あなた﹂と語りかける。
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宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
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あのまばゆい方を見ても
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あの窓辺に
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ここを出て行ったあの美しい方への
使者となってください。
し て 行 わ れ た と い え る 。 後 者 の 典 型 的 な も の が ハ イ ン リ ヒ ・ フ ォ ン ・ フ ェ ル デ ケ ( 一 一 四O?
宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
。 二つは並行
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七
由来、恋人や聞き手に対する歌い手の親しくうち解 けた関係は、庶民がうたう民謡、春の 野にうた わ れ る 舞 踏
や心の遊びを取りもどすことである。
ができることといえば、大胆な遊戯によって前者の硬化した論証的思考をもみほぐし、叙情詩本来の自由な表現
に 達 し た と き 、 い つ か 姿 を あ ら わ す 機 を う か が っ て い た の で あ る。 高 尚 な 抽 象 的 な 歌 に 向 か っ て 野 卑 、 低 俗 の 歌
現の奥に、土俗歌謡のバイタリティーがひそんでいるように思われる。これはミンネザングの精神的洗練が限界
ルデケは﹁われわれ﹂という代名詞をしばしば用いている。 ミンネザングの表層を作る婦人奉仕や宮廷的な詩表
の 歌 声 の音 頭 取 り に す ぎ な か っ た 頃 の 古 い 歌 の 伝 統 を 伝 え る 人 で あ る 。 人 び と と 共 に う た う と い う 意 識 か ら フ ェ
彼以後の宮廷詩が精神集中とともに失った多くの歌の魅力をフ占ルデケの歌はもっていた。彼は詩人がまだ大勢
ある 。 披 の 歌 が 導 入 部 に 美 し い 自 然 描 写 を 持 つ こ と 、 恋 人 や 歌 の 聞 き 手 に 対 し て 隔 り な い 親 密 な 態 度 を と る こ と 、
で
神化する芸術に対して、以前から北フランスの歌謡の影響を受けた娯楽的で軽快な社交詩があった
うたい、高揚する憧れの極致を目ざして心を集中させる芸術、トゥルパドゥ l ルの歌のもつ憧れをドイツ的に精
れ ま で に も 宮 廷 叙 情 詩 は 大 き い 二 つ の 流 れ に そ っ て う た わ れ て き た 。 ハウゼンやライ ン マルのよ う に 婦 人 奉 仕 を
ミンネザングでは画期的ともいえるこの親密さは、だがモ l ルンゲンがはじめて生み出したものではない。こ
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小鳥のさえずりはやさし。
見わたすかぎり樹々に花咲きて
いざ、若ものら、ともに楽しまん。
低きしげみも今や萌え出ずる。
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ミンネザングが感性に背を向けた内省の詩であるとすれば、遍歴学僧の歌は外界に素直な喜びの目を注ぎ、同
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恋をする機会もあったのでその歌のリアリズムもうなずけるのである。
感覚がはじめてとらえ得るような新鮮な描出である。彼ら学僧は放浪の途上、これら羊飼の女や田舎娘と出会い、
現実の恋する女の姿態として、こぼれるばかりの魅力をふりまいている。それはあたかも人体美に鋭い古代人の
られる彼らの歌は宮廷歌謡に比べてはるかに軽快で自然な響ぎを持っている。その田園詩に登場する羊飼の女は
い 課 業 を 終 え た 解 放 感 か ら で も あ ろ う か 、 と に か く 力 い っ ぱ い 謡 歌 す る の で あ っ た 。 カ ル ミ ナ ・ ブ ラ i ナに収め
ていわ。これら若き放浪者はまばゆく輝く夏の自然を、また恋の楽しさ、飲酒の喜びを、いわば僧院学校の苦し
ったり、学資が続かなかったからである。彼らの多くは高僧の宮廷をまわりながら歌を披露しては生活の資を得
が多かった。彼らが放浪しなければならなかったのは、ただ学僧の数に比べて教会に奉職できるポストが少なか
た。放浪学僧とは、必ずしも学業を放棄して身を持ちくずしたものとは限らない。詩才、教養ともに優れたもの
間関係の直接性、率直な官能肯定によってミンネザングとは異質の歌謡として中世社会に行きわたり愛されてい
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歌 を 特 徴 づ け る も の で あ っ た 。 ま た 当 時 放 浪 学 僧 に よ っ て う た わ れ て い た ラ テ ン 語 の 歌 ( ︿mmg一
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僚 を 鼓 舞 す る歌 で あ っ た 。 当 時 こ れ ら 二 つ の 異 質 の 歌 謡 が 並 行 し て 行 わ れ て い た こ と に注 目 し て お こ う。
こ の よ う な 二 つ の 歌 の 流 れ が ヴ ァ ル タ 1 の 内 部 で 十 分消 化 吸 収 さ れ 、 や が て 彼 の 芸 術 を 支 え る こ つ の 柱 と な っ
た。宮廷に滞在してはまた通歴の旅にも出る、上下二つの生活圏に出入りした彼の生涯は、まさに二つの歌の要
素 を 融 合 さ せ る に ふ さ わ し い も の で あ っ た 。 初 め ウ ィ ー ン 宮 廷 で 内 省 的 な 宮 廷 詩の 名 手 ラ イ ン マ ル に 作 歌 を 教 わ
一 一 九 八 年 に 新 し い ウ ィ ー ン 宮 廷 の 君 主 と な っ た レ l オボルト六世とも感情のもつれがあり、
り、ミン ネ の 歌 人 と な っ た 若 き ヴ ァ ル タ lは、 観 念 的 な 恋 の 歌 に 不 満 を も っ て い た 。 や が て 師 の 歌 の 方 法 に 対 立
することとなる。
彼はオ 1 ス ト リ ー を 去 っ た 。 生 活 の 拠 り 所 を 失 っ た 彼 は 、 遍 歴 歌 人 と し て つ ぎ つ ぎ 新 し い 保 護 者 を 求 め て ド イ ツ
国内をさまよう。 フイリップ・ フ ォン・シ占ヴァ l ベン、 チュ l リンゲン方伯ヘルマン、 マイ セ ン 辺 境 伯 デ ィ l
ト リ ヒ な ど の 宮 廷 に 彼 は 立 ち ょ っ た 。 こ の 中 性 歌 謡 の 天 才 が ウ ィーン の 宮 廷 詩 と ち が った 詩 法 に 触 れ 、 そ の 文 学
が 新 し い 領 域 に 目 覚 め る こ と に な っ た の も こ の 遍 歴 時 代 の こ と で あ る 。 チ L lリ ン ゲ ン で ヴ 7ルターはそ l ル ン
ゲ ン に 出 会 い 、 お そ ら く 彼 の 詩 か ら 大 き い 感 化 を 受 け た の で あ る 。 ま た 彼 が フ イ リ ップ の 宮 廷 に お も む い た 頃 で
あろう、当時ライン河流域で旅寝を共にした遍歴学僧たちの歌を知ったことは、彼にとって意味ぶかい経験だっ
た。やがて詩人は宮廷恋愛詩の中で、奉仕する女性の白百合のような頬にばらの紅を浮かばせ、えん然と詩人に
向かってほほえませるのである。彼の歌はこのとき詩人と愛する婦人と歌の聞き手を実体のある空間の中に住ま
わせたのである。もはや彼の芸術は宮廷というレトルトの中で作られた純粋培養ではない。詩人が生命と暮しを
賭けた遍歴の中から体得した鋭い観察、対象の急所をつく表現、さらに彼の詩を活躍させる自信にみちた遊戯性
を自分のものとした。この芸術の本質は歌い手と聞き手の自由な戯れを通して、歌の主題が効果的に訴えられる
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から解放することであった。
歌謡も試みたことのない領域に踏み入ったのである。それは中世ヒエラルキーを批判し、恋愛を人間主義の立場
には不敵な革命的な意図すらも感じられる。ヴァルタ ー によってドイツの詩は同時代のヨーロッパのどのような
ある。宮廷住まいと放浪者という、中世人を二分する身分と生活の相違を歌の中で皮肉に対立させる。この遊戯
とに一二O 五 年 か ら 十 五 年 間 に 作 ら れ た 歌 は 、 旧 態 依 然 の 宮 廷 人 に 異 質 の 歌 を 披 露 し て 彼 ら を 媛 に ま く と こ ろ が
帰りうたっている。その時彼はここの宮廷人の前に風変りな帰郷者として好奇的な視線を浴びて立っていた。こ
攻撃するべきものを攻撃し、宮廷文化を批判するのである。ヴァルタ lは遍歴中もいくどかウィーン宮廷に立ち
二人称で呼び出されたものは劇的な形で噺笑の矢面に立たされる。 詩人は遍歴生活で身につけた無遠慮な態度で
も 尊 敬 に あ ふ れ 、 聞 き 手 や 恋 人 か ら も 宮 廷 的 に 適 切 な 距 離 を 保 っ て い る 。 す る と 急 に そ の 隔 り は 取 り は らわれ、
所にある。彼の恋愛詩の多くは最初の部分で伝統的な宮廷歌謡と同質であることを装う。貴婦人に対する形容詞
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皇帝と吟遊詩人
自慢を申しあげてもよいならば、
私めに日ごろ加えられるあまたの無礼を
これぞ私が礼節を心得た男である証拠。
たしなめ る 力 を 持 ち な が ら 許 し て い る 、
世をあきらめた隠者ならこれに耐えるでしょうか。無理なことです。
私ほど仕返しの機会があれば、
隠者はほんの少しの腹立ちで
今私がこれほどおだやかに許すことも
お だ や か な ら ね 仕 返 し を い た す で し ょ う。
これゃあれやのことを私は訳あって耐えております。
奥方さま、つねづね私へのお諭しに、
その者に喜びを返せと、
私めの心を悲しませる者あらば
なればその者は恥じてついに優しくなろうよと。
あなたさまの教えがまことならば、自ら実行していただきます。
あなたさまは私が喜ばすと、私めを悲しませる。
いわせていただきますが、このなさり方を恥じて下さい。
宮廷恋愛詩の詩人と開き手
ご自分を嘘つきになさいますな。
優しくおなりなさい。 そ れ な ら あ な た は 偽 り の な い お 方。
あなたは大へん優れたお方、ただ優れた方からは優しさをいただきとうございます。
奥 方 さ ま 、 あ な た は お 美 し く高貴な方。
この二つの長所には慈しみが似合います。
はぬはず。
あなたを欲しがる者がいても、あなたに何の害も及、
心に想像することだけは勝手ですから。
私 は 望 み や 願 いを 自 由 に遊ば せ た く 思 います。
す る と 私 の 思 い は ど う し て も あ な た の 心 を 求 め る の で す。
訟の思いがあなたに歌を捧げようというのに、私はどうすることができましょう。
あなたはそれに目もくれぬでしょうが、
それでも私はこの奉仕から高い報酬を受けるのです。
私のほめ歌があなたの名を宮廷で高めれば、それが私の誉れです。
奥方さま、あなたはまことに高価な衣装を
お召しです、純潔の肉体という衣装を。
これ以上の衣装は見かけたことがありません。
この衣装を賢さと幸せの刺しゅうが飾ります。
あなたは美しく着かざったお方。
四
私は着古しの衣服をまだ人からもらったことはありませんが
この着古しばかりは生涯身につけたく思います e
こんな楽しい贈物を受けるためなら
皇帝もあの方の吟遊詩人になるでしょう。
皇帝よ、さあ、ここでうたいたまえ。いや、やっぱりよそでうたってもらおう。
第一節で詩人は皮肉な表現をえらび、ウィーン宮廷の聞き手に向かって自分の立場を弁護する。
﹁自慢を申し
あげてもよいならば﹂という冒頭の句がすでに聞き手への挑戦の言葉と受けとれる。ヴアルタ lは宮廷に置くに
しては慎みに欠ける男であった。法皇や君主を誹誘する彼の政治詩や、身分差にこだわらぬ恋人同志の関係を称
己
える彼の恋愛詩は尊大にゆずらぬ気性をよくあらわしていた。高慢ちきな直言家ということで彼は通っていた。
﹁ここで私の欠点である自慢が許されるならいいたいことがある。 宮廷で私に加えられるこれほどの無礼
ロ
︼
ヴアルターが'無礼であり、宮廷的礼節を学ぶべきである、といった人びとにことさら相手の放った
一つは詩人が別に発表した﹁はかなき願いの歌﹂に対する宮廷社会の不当な評価、もう一つはその歌を俸げ
矢の一つ一つを返すのである。ここで﹁無礼﹂といわれるものの内容は何であろう。それは二つの事柄にかかわ
はないか。﹂
Eomo) を許していることが、 かえって私が礼節ある男 (OEFERF258) であることをよく示しているで
、
〆戸
一五
﹁こんなことやらほかのととやら﹂(同呂﹀というのは詩人の心を悩ませるものが二つの分野に
宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
ったことをいう。
えておる﹂のも﹁訳あって﹂ 25)のことである。訳とは第二節でうたわれるように詩人を諭す奥方の言葉、があ
られた貴婦人が詩人の願いに耳をかさねことである。このような﹁無礼﹂を詩人が﹁おだやかに許し﹂また﹁耐
る
一六
わたる ことをいう。恋人の 不当 な態度に答えるのがこの詩の二、 三節と四節前半であり、宮廷人 に向か って 自己
弁護するのが一節と終節後半である。 二、 三 、 四 節 が ﹁ 奥 方 さ ま ﹂ と い う 共 通 の 呼 び か け に 始 ま る こ と が 、 こ の
構成の意味を明かしている。それにしても二つの方面への弁明が一つの詩に課せられて、破綻寸前の冒険を強い
ている。詩人 は宮廷人 に呼びかけ 、あるいは 奥方に呼びかける。 モール ンゲンは詩人の対面の自由をミンネザ ン
グに 聞いたが、ヴァルタ l のそれ は こ こで 放 恋 に 近 く技 巧 的 で さ え あ る 。 純 粋 な 恋 の 歌 が 宮 廷 人 を 相手 に 芸 術 論
の弁明 にも ふける。 この内容構成の二重性が彼の詩に無類の緊迫感そ与えた。 折しも恋愛詩の 表現法に ついては
詩 人 と 宮 廷 の 聞 に 大 き い 対 立 があった。そ の原因とな ったのは、 これより少し先に発表されたヴ ァルタ I の次の
詩節の歌とされている。
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はかなき願いの歌
これ から は 物 思 いの 許 す か ぎ り
その方の慈しみをあてに楽しくしていたい 。
誰も同じなのかも知れぬが
私はよい日があるときまって次は
心楽しまぬいやな日になる。
そんなときは想像が慰めてくれる。
幼いころから誰よりも私はそれを好んだ。
そんな楽しみを人から笑われてもかまわない。
いくどか私の心を楽しませた。
まこと願いと望みこそ
私の楽しい願いはあの方のかたわらに
∞
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また私があの方に勝ったあと、
その目にわが顔の写るばかり身近にねること。
こちらがたずねることすべてをあの方がうベなうこと。
﹁幸せな方、
また私を今までのように
苦しめるおつもり﹂とたずねると
その人はじつに美しいほほ笑みを見せる。
どうです、このように想像を描けば
願いによって私は孝せになれたではありませんか。
あこがれの悩みに悶えるたび
その人のためにこうむる私のつらさ、
報酬も感謝も受けずただ悲しんでいたのなら
それがあの方の心を得るのに何の役にも立たねなら
いっそ別の楽しいことをしよう。
その人にとっても悲しむより
楽しむ方がよいはず。私の願いも同じ。
もしその人が悲しみでも楽しみでもよいといえば
'無駄に終らぬ方の楽しみを
私はこれからしていきたい。
宮廷恋費詩の詩人と聞き手
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0 とは貴婦人を思い、かなわぬ願いを想像の楽しみで色どり、 喜 び に ひ た る 空
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想歌である。後期ミンネザソグでは空想の喜びに意味の重点がおかれ、
E に対する歌謡ジャンルの名称となる。 ヴァルタ l以前の詩人、
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この傾向の詩はある 。 し か し ヴ ァ ル タ ! の 願 い の 歌 は あ ま り に も 現 実 的 映 像 に 近 い た めに宮廷人には 危 険なもの
﹁恋人の自にわが顔の写るばかり身近 に﹂はこ
﹁わたしがあの方に勝ったあと﹂の闇房の二人の語らいと仕草の描写は、
と感じられた。ことに第二節は空想に淫することはなはだしい。
れまでにない奇抜なリアリズムであり、
宮 廷 文 学 で は 許 さ れ な か っ た 領 域 に 筆 を 進 め た と い え る。 ﹁まこと願いと望みこそ詩人の心をしばしば楽しませ
た﹂ の で あ る 。 こ の 詩 人 の 空 想 を 人 び と は 悪 意 に 解 し た 。 そ こ に 彼 ら は 自 分 た ち と は 異 な る 生 活 領 妓 に 由 来 す る
ものを感じとり、不気味に思ったからである。精神的ではあってもリアルな官能から遠い詩、かそけきこおろぎ
の鳴声のようなラインマルの歌に慣れた耳に、この卑俗な空想の詩は自分たちの冷静な精神に対立する何かであ
ると感じられた 。 今 ヴァルタ l の前に居ならぶのは、 美 し い 域 館 の 奥 深 く 、 そ の 挙 止 は 宮 廷 風 に洗 練 さ れ 、 宮 廷
詩人がうたう理想の愛、おだやかな詩句の文目に日ごと酔っていた人びとである。彼らにうたって聞かせる詩人
はといえば持ち前の激しい気持が身の仇となり、このような安穏な生活圏を追われ、ただ一人城館から滅館へと
わたり歩き、貴族の気まぐれな愛顧にすがって不安な日を送っていた。冬の暖炉の火も宿無しは、当夜の主人の
目をうかがいながらそっと手をかざすものである。夜はわざとおくれて宿に着き、早朝には早く旅立つ。これも
放浪者の主人に対する遠慮からであった。食うや食わずの目、馬もなく杖にすがっての旅、冬の寒気は詩人の足
指を容赦なく苦しめたはずである。このような苦しい生活の中から、安逸の生活を享受する人びととその固匝の
芸術に対する反目が自然と生まれてきた。彼の詩が中世の階級差別に対する批判を宿しているのも、その窮亡放
浪 の 旅 を 通 じ て そ れ が 胸 に た く わ え ら れ たも の と 思 わ れ る 。 彼 は 高 貴 な 奥 方 へ の 無 条 件 な 奉 仕 に代って 、身分に
係わりなく心優しく魅力的な女性を恋の相手とすることをうたった。美しい自然の中での異性との自由な出会い、
恋の戯れ、宮廷恋愛詩がこのような素材に背を向け、 恋の 思 索 の 迷 路 に 入 っ て か ら ど れ だ け 長 い 時 聞 が 経 っ て い
ただろう。 ヴ ァルタ l の 恋 愛 詩 が 目 覚まし い男女の 出 会 いを描 き 出 したこ とでもそれ は ミ ン ネ ザ ン グ の 大 き い 改
﹁はかなき願い の歌﹂が 発 表 さ れ た と き の 宮 廷 人 の 悪 意 あ る 反 応 を う か が わ せ る 詩 が 一 つ 残 さ
革 で あ っ た 。 し か し ウ ィ ー ンの 宮廷人たちの反応は冷たかっ た。ヴァルタ 1は 彼 ら か ら 紀 律 と 節 度 あ る作詩を改
めて求められた。
れている。ヴァルタ l のいわゆる﹁防御の歌﹂である。
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誕~ボ~昔~~~..R~体 11 やは高唱tI身tIゐ~~。
その半分をうたうことは禁じられた。
私はいつもたしなみを忘れず
かような歌は宮仕えする歌人の作るまじきものとの仰せ。
優美な節度を守らねばならぬと。
たしなみというもの一つを守るため
私は多くのものを捨てている。
このように慎んでも宮廷で評判がよくならず、
かといって旅の歌人でもいけないというのであれば
もう家の戸を閉めてとじこもろう。
悲しいかな、これほど多くの人が私を非難するとは。
まことの宮廷の礼節を心得た人にこれを、氷久に訴えたい。
だがまことに雅やかな人の中でもあの方ほど髪飾りのよく似合う人はない。
その方は私が望んだほど
身近に居なければ
誰 し も き つ い 胸 の 痛 み を 感 じ る ほ ど の 美 しさ。
離れているのは苦しいから、誰しもその方のそばに居たいはずわ
たしなみ深い人には
そのため私は人から非難をうけねばならぬが、
絹の髪飾りをいただく人が似合いであろう。
宮廷恋聖詩の詩人と聞き手
ζ の歌は意図を含んだ言葉使いが多い。注釈を必要とする。
二四
﹁私の先の歌はあわれ真二つに引きさかれた。﹂
﹁かような歌は
﹂ の 野 蛮 な 空 想 歌 は 宮 廷 詩 の 伝 統 の 外 に あ る 放 浪 芸 人 の 戯 れ歌と
つまり﹁はかなき願いの歌﹂の、特にけしからん真中の詩節を人びとは詩人に禁じたのである。
宮仕えする歌人の作るまじきものとの仰せ。﹂
性質を同じくすると宣告された。 つまりこの歌は宮廷詩のあり方についてウィーンの宮廷人とヴァルタ l の対立
を主題とする、芸術論争の詩である。ヴァルターがその乱暴な歌で宮廷文化の優美な調和を一人乱すことのない
NZZ や﹁宮廷的礼節﹂
x に適う行為といえる。 自 分 の 作 詩 は 正 し く
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私は願いの歌はおろか、怒りの歌、喜びの歌、悲しみの歌の何
﹁まことの宮廷の礼節﹂とは人びとがいわゆる﹁宮廷
の礼節﹂の立場から放縦な空想の詩を難じたのに対して、自分の悲しみに耐え、人びとのため楽しい歌をうたう
自己弁護の第一節のあと、彼は第二節で攻撃に転ずる。
も作らず沈黙したい。
﹂れでは﹁もう家の一戸を閉めてとじこもろう。﹂
宮廷風をあきらめ遍歴歌人の流儀で礼節にかなう歌を試みると、これも﹁粗野﹂ということで評判がよくない。
宮廷的に振るまおうとしている。こうして慎んでいるのに宮廷での私の歌の評判は一向によろしくない。そこで
い宮廷的節度を説いている。本当は取引乱して悲しみの歌をうたいたいが、それをこらえ想像の喜びをうたって
悲しみを殺し喜びの歌をうたうことではないか。詩人の主張はここでも逆説的であり、宮廷人の予期しない新し
この規範にそっているではないか。頑なな貴婦人に拒絶されたまことの喜びに代って想像の喜びにふけるのは、
喜びを高めてこそ﹁たしなみ﹂
している。彼の反論の主旨はこうである。自らの心の悲しみを表さず、人前に出ては楽しい歌をうたい、宮廷の
ょう求められたとき、あえて彼は﹁たしなみというもの一つを守るため、私は多くのものを捨てている。﹂
と
返
ことを真の礼節とする立場をいう。ところでそのようなまことの雅びを心得た人の中でも私が愛する人ほど花冠
がよく似合う人もあるまい。私はかつて﹁その人の目に自分の姿が写るほど﹂とうたったが、誰しもあの方にそ
こまで接近しなければ憧れの苦しみを癒やすことのできぬほど美しい人だ。自ら礼節をわきまえたという人など
も 、 あ の 人 か ら 離 れ て い て は つ ら い に 違 い な い 。 詩 人 が そ の 人 に 憧 れ る こ と を 非 難 し た 者 自 身、 身 も だ え て 憧 れ
ている、というこの部分が攻撃の詩節の中心である。だから私に宮廷的節度がないという非難は、私が美しい人
を恋していることへの妬みから出ているのだ。だが私のように本当の節度を守っているものには、最も高価な髪
飾りをつけているあの美しい人が恋人として似合いであろう。こういって詩人は女性ゆえの妬みから出た論敵た
ちの非難をたしなめ、自分は宮廷的礼節を十分心得ていると反論し、自分の恋の願望はかなえられてしかるべき
だという。
﹁皇帝と吟遊詩人﹂はこれだけの応酬が詩人と聞き手の間にあった後で作られた。 いま再びこの歌の表現を先
の二つの歌と比較しなければならない。これら三つの歌は時間的にもかなり接近して作られたものか、用語に深
﹁私に日ごろ加えられるあまたの無礼を許しているから、 自 分 は 礼 節 を 心 得 た 男
い関連がある 。 この関連を明らかにすれば、詩の成立に係わる詩人と聴衆の対立関係も最後的に見きわめること
ができる。
まず ﹁皇帝と吟遊詩人﹂
二五
﹁今私がこれほど (
ω
- 曲 。 ) おだやかに許す
・3 といったのは、先の﹁防御の歌﹂ に ﹁ ま こ と の 宮 廷 の 礼 節 を 心 得 た 人
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N) とあるのを聞き手に想いおこさせる。
(OEEgnF252) である﹂(円
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宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
六
一
一
ことも﹂ 3 3 という詩句で特に﹁これほど﹂と断るのは﹁防御の歌﹂で﹁家の一戸を閉めて﹂ 25)歌をあきら
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む)
めるといったのを指している。 また奥方に向かっては ﹁優しくおなりなさい﹂(ロ@) といい﹁あなたはそれに
ロ色白ロn
) を受けるのです﹂(口問∞
は目もくれぬでしょうが、それでも私はこの奉仕から高い報酬守口 yoyo
というが、これは先の﹁はかなき願いの歌﹂ の﹁その人のためにこうむる私のつらさ、それがあの方の心を得る
のに何の役にも立たぬなら、報酬も感謝も受けず(官。色SS--::﹂(口間同ム)と照応し、宮廷人にこの歌が先の
HN)
N)
wぽ一)が似合います。﹂ (
口
論争内容を引きつぐことを示している。 また ﹁この 二 つの長所には慈しみ(問。ロm
oロmEmw)をあてに楽しくしていたい。﹂(同
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とあるが、これは﹁はかなき願いの歌﹂を﹁その方の慈しみ (
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始めたのを改めて強調する。この歌と﹁はかなき願いの歌﹂の聞に作られた語句の呼応はかなり多い その中で
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ロ色042ロ
wロ
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白nv) を自由に遊ばせたく思います。﹂(口円切)と﹁はかな
最も明白なものは﹁私は望みや願い (
一つの詩の中で語を照応させる
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ロ
・
(円。
の際時をへだてて仕掛けてくる詩人の執念は空恐ろしいものを持っている。 元来、宮廷詩の聞き手はよき鑑賞者
o円角川口)より、異なるいくつかの詩の聞で一定の語句が呼応する方が聞き手を刺す攻撃力ははるかに大きい。こ
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廷の聞き手にとって争点となったテ 1 7用語を繰りかえしている。
これら三つの歌の間で宮廷の歌人と旅の歌人、望みと願い、まことの礼節、また貴婦人の慈しみなど詩人と宮
している。
で高めれば﹂(回口呂)というのは防御の詩でヴァルターを旅の歌人と呼んだ(同∞)ものたちへの強い反援を示
照応であり、論敵に立ち向かう詩人の執念を感じさせる。そのような観点から﹁私のほめ歌があなたの名を宮廷
ロロロ仏命名制図。ロ) いくどか私の心を楽しませた。﹂
き願いの歌﹂の﹁まこと願いと望みこそ(当此ロ凹nvo
で
と し て 離 れ た 詩 行 の 押 韻 箇 所 や 意 味 深 い テ l マ用語の反覆、呼応に対する優れた聴覚を求められる。ウィーンの
宮廷にはおそらく第一級の聞き上手が集まっていたと思われる。彼らは鋭敏な耳を持つためにかえって詩人の差
し出す苦杯を存分に嘗めることとなった。これを遊戯と呼ぶなら、聞き手にとって強いられたこの上なくつらい
遊戯であった。
しかしこの歌で最も衝撃的なのは皇帝その人を自分の歌の聞き手として呼び出す結びの二行である。この詩の
∞
ロ
(
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の﹁たしなみ深い人﹂が詩人その人を指すことをあらためて思い起こさせる。
Hlω)にたとえている。それによって﹁防御の歌﹂の﹁たしなみ深い人には絹の髪飾りをいただ
終節には手のこんだ連想や皮肉や自己弁護が集中してあらわれる。詩人はここで恋人の肉体をぜひ身に着けたい
高価な衣服(同︿
く人が似合いであろう。﹂
この言葉に関連して詩人は自分は誇り高く﹁着古しの衣服をまだ人からもらったことはない。﹂(円︿め)という。
) という人びとの批判を論
これによって﹁防御の歌﹂の﹁かような歌は宮仕えする歌人の作るまじきもの﹂(円 ω
﹁着古しをもらったことがない﹂と
破するのである。およそ遍歴歌人の中で身分低いものに対しては、歌を聞いた貴族が着用の古着を与え、上級の
芸術家と見られる者には新調の衣服か反物が贈られるという区別があった。
﹁こんな楽しい贈物を受けるためなら皇帝もあの方の吟遊詩人になるでしょう。﹂﹁はかなき願いの歌﹂
いう言葉はヴアルタ Iの空想的な歌が大道芸であるという批判を正面から否定する。しかしそれではまだ言い足
りない。
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のうたいぶりは、さながら﹁別の人たち﹂白ロao円ロ巳ゅのうたい方であると宮廷人はいった(防御の歌同 ω
﹁別の人たち﹂が吟遊詩人のことであることはまだ伏せられていたが、始めてここで明かされる。しかもあれほ
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ど美しい衣装(肉体)が引出物なら皇帝自身いやしき吟遊詩人になるだろうという。厳然たる階級社会の頂点に
宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
二人
座る人(皇帝)を底辺(吟遊詩人)に引き降ろそうという、遊戯を装う詩人の意図には太々しい真面目さも感じ
られるのであ恥。この短い詩句によって吟遊詩人の芸を落としめてならねことが警告されるだけではない。貴婦
﹁この衣装を賢さと幸せの刺しゅう
人への奉仕、本能の営みにかけては皇帝さえ最下等の人物と同列にあることを主張する。ヴァルタ l の詩句の一
つ一つ は宮廷風優雅の賞讃と人間本能を直視する立場の聞で動きつ 。つける。
﹂の歌が二一一二年、また
が飾ります﹂と奥方の精神を称えれば﹁この着古しばかりは生涯身につけたく思います﹂と奥方の所有を願って
いる。
﹁皇帝よ 、さあここでうたいたまえ。 いや、やっぱりよそでうたってもらおう。﹂
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はその翌年に時の神聖戸 l マ帝国皇帝オット l四世の面前でうたわれたとするヴィルマンスの推測が事実とすれ
ば、結びの詩句の効果は大へんなものであったろう。最後にヴァルタ!は皇帝に向かって彼が吟遊詩人としての
技伺をためすように要求する。しかし一瞬思い返して、できれば他の場所で演奏してくれと頼むのである。詩人
は皇帝が恋のライバルであることを好まぬからである。このような滑けい味と共に、この詩句は詩人の強い自負
心も表わ している。﹁詩人の職分は私だけのものである。皇帝の権力と能力も この領分には通用しない。 ﹂ と い う
のである 。 吟遊詩人の芸を非難されたヴァルターは、この詩の中で自分が吟遊詩人であることをきっぱり否定し
た。そのあともう一度吟遊詩人になってみせこの詩のさげをうたう。詩人自ら歌の中で吟遊詩人にな ったり、そ
れであることを否定する遊戯は、彼の歌が宮廷芸術といえるかどうかという、歌の中心テ 1 7を皮肉な形で示し
ている。勿論これほど無遠慮な皇帝に対する言葉は、虚構された吟遊詩人としていわれたために許されるのであ
る。それも詩人が計算したこの仮面の利点である。道化や身分低い芸人は宮廷でとくに無礼御免の特権をもって
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激として許されたのである。三つの詩の関係は、論敵たちの批評が詩人を少しもへこませることができ
によって
い た 。 高 貴 の 人 び と に対 す る 辛 ら つ な 語 り か け も 分 別 な き 馬 鹿 者 の い う こ と で あ る か ら 、 座 を 沸 か せ る 適 度
ます彼をほしいままにうたわせる結果に終わったことを示している。はじめ彼は﹁はかなき願いの歌﹂
恋人の所有を夢み、宮廷人を怒らせたのだが、彼はそれを無視してこの歌の最後の詩節で彼女の肉体を再び強く
求めるのである。
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これとならんでミ ンネザングの歌人と聞き手の関係について筆者に有益な視点を与えてくれたものとして次 の論文を
挙げたい。
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に恩恵を受ける所が多い。
宮廷恋愛詩の詩人と聞き手
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クラインによれば第一節に現れる隠者はトマシンのことである。第一
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特殊な個人に向けられた詩節と見るとき、
第二節以下との断層が大きくなるので、この見
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と を 求 め つ つ、 自 分 の 詩 句 の 独 自 性 を 印 象づ ける。
な い 。 内 容 的 に き わ め て 近 い も の で あ り 、 ハ ウ ゼ ンも皇帝ブロードリヒ・ パ ル パ ロ ッ サ の 前 で こ の 歌 を 請 し た と さ れ
る。しかしハウゼ ンが 自 分 の 恋 人 の 美 し さ を 称 え る た め に 、 敬 愛 を こ め て 皇 帝 を 引 き 合 い に 出 す の に 比 べ、 ヴ ア ル タ
ッ
ーの皇帝オットーへの言葉は何と辛らつなものであろう。詩人はオ トーを歌の中ふかくに引き入れ、悪意ある言葉
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でともに演技するよう命じるのである。 グ アルターはこうしてかなり遠い別の歌人の言葉までも聞き手が想起
おそらくヴァルタ l の脳裏にはミンネザソグの﹁思考の文体﹂の最初の確立者、ハウゼンのこの一節があったに違い
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立関係の中にこの歌を置くことができなくなる
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ヴ ィ ル マ ン 久 の こ の 解 釈 に よ れ ば 、 詩 人 は ウ ィ ー ン 宮 廷 で こ れ を う た わ な か っ た こ と に な り 、 彼 と ウ ィ ー ン宮 廷 の 対
。 そ の 点 で ヴ ィ ル マ ソ ス 説 は 考 慮 を 要 す る。
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