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第3回「ハンガリー旅の思い出」2006年コンテスト作品

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第3回「ハンガリー旅の思い出」2006年コンテスト作品
第3回「ハンガリー旅の思い出」2006年コンテスト作品
重盛さんの作品
ハンガリーの旅の思い出
2005年6月にハンガリーを訪れて、もう一年にります。いまさら思い出を書かなくてもいいはずなの
に、止むに止まれぬ気持ちで書くことにしました。
「チエコ、スロヴァキア、ハンガリーの古都を訪ねる旅」というツアーに参加して、最初に訪れたのがハ
ンガリーだったのです。主人の友人夫婦と我々夫婦とで申し込んだのでした。両家ともウイーンを既に訪
れていたので、それが含まれていない中欧への旅をしようということで決めました。 「プラハの春」は既に知っていたけれど恥ずかしいことながら、ハンガリーの1989年の「ピクニック」
は、旅に出る前のにわか勉強で知った程度でした。ただ、「100年の予言」からも、ルーマニアにも革命
の嵐が起きたのが、同じく1989年であることを知って、我が老愛犬「ミッキー」の生まれた年とも符合
し、新生ハンガリーも今年で17年であることは数字に疎いわたしにもすぐわかります。1989年は平成
元年でもありますから、因縁を感じるのです。自由主義国家になるまでのせつない気持ちが、日本人の
私にも、僭越ながらわかるつもりになっていました。
ブタペストのフェリ・ヘジ空港に到着して、現地ガイドさんの背の高い男性が迎えてくださった。体躯は
大きいけれど、お顔、声は優しく、驕らない国民性を感じさせられたのが第1印象でした。大学でも教え
ておられるというインテリの方が案内してくださったことがさらに旅を心地よくしてもらえました。どこか哀
愁があり、物腰が柔らかく、ユーロに加盟しても、まだ、発展途上にあって、生活はそんなに豊かになっ
ていないもどかしさなどがおもんばかられたのです。
ブタペストには3連泊したのですが、ルーズベルト広場近くの立地の良いホテルでした。ドナウ川に面
した部屋の窓から、夜は夜で、くさり橋のライトや、対岸のブタ王宮やドナウを行き来する観光船を飽き
ることなく眺め、霧雨に煙る景色が感傷的にさせ、飛行機の長旅をも忘れさせたほどでした。意識せずと
も、ローマ帝国時代に街が起こり、その後、さまざまな侵略と抑圧の時代を経てきた街の重みが心にせ
まったのは確かです。
夜9時も過ぎた頃になって、ホテル内のレストランへと繰り出してくる人々を見ると、他のヨーロッパの
国々と同じように、オペラでも見てきた帰りだろうかと想像がふくらみました。
朝早く、夕べ見た景色は灯りが消えており、そのかわり、ホテルの眼下にはトラムが行き来し、通勤の
人々がせわしなく乗り降りして、現在の割合平穏な日々の営みを感じました。
「古都の旅」にふさわしく、ゲレルトの丘の聖イシュトバーン大聖堂、ヴァーツイー通りのマーチャーシュ
教会、エステルゴムの大聖堂、ショプロンへ向かう途中に寄ったエステルハージ宮殿などから豪華さの
陰にある複雑な歴史を教わりました。
夕食を摂ったレストランではジプシー音楽を聞き、ハンガリーの伝統舞踊を見ましたが、そこにも、オス
マン・トルコの影響やハプスブルグ家に治められていた時代の影響があるせいか、陽気なリズムであり
ながら、どこか哀愁を帯びて聞こえて仕方ありませんでした。衣装は赤と白のコントラストが効いて、本
当に見事なものです。
何でも見たい私と友人の奥様とは、ツアーの中で、ただ二人だけ、ゲレルト温泉に入り、温泉を楽しむ
というよりも、経験したという満足感に浸ったものです。受付の太った女性に更衣室を案内され、水着に
着替えて、なんとか、温泉に入ることが出来ました。下手な英語は通じず、二人で、マゴマゴしましたが、
終ってみれば、なんの心配もないことでした。お風呂のごとく裸の人も半数くらいいましたが、混浴ではな
く、日本人は、我々二人だけで、気おくれしながらも浸かったり、泳いだりして、ひと時、身体をほぐしまし
た。通路をはさんで女性用温泉浴場が二つ向かい合わせになっており、その他に、男女一緒に泳ぐ温
泉プールにも行かれる仕組みでした。プールへ行っても良かったのですが、その部分は、上から見物の
人たちの目にさらされるため、気恥ずかしさから、行かないことで、二人の意見は一致したのでした。水
温はぬるくて、30度は切れているという説明でした。
温泉にわれわれが入っている間に、歩いて7~8分くらいの中央市場に主人達二人は行って過ごしま
した。待ち合わせ場所にしていましたが、落ち合ったときには二人ともご機嫌で、どんないいことがあった
のでしょう。そこではワインを量り売りしており、グラスをかたむけながら、お店の主人と、地元の男性客
と主人と友人の4人で、英語混じりの、身振り手振りよろしく、愉しい話がはずんだそうです。
貴腐ワイン トカイ・アスーと赤ワイン エグリ・ビカヴェール(雄牛の血)が二人に、ハンガリーにはる
ばる旅していることの喜びを倍増させたようでした。
4泊目はショプロンでしたが、旧市街にあった石造りの地下の居酒屋で日本とは比べ物にならない廉
価のワインをいただきながら、最初から通して案内してくださったヤノさんに、最近のハンガリーのサラ
リーマンは少し郊外の新築の高層集合住宅に住み、車で通勤するとか、ゆとりのある人は別荘を持つ
ようになっていること、一般にクリスマスには家族が集まって決まった料理を賑やかに食べること、第二
外国語はロシア語だけではなく、思い思いの言語を選んで勉強するようになっていることなどを皆の質
問に厭なお顔をなさらず答えてくださった。
移動のバスからは一面のヒマワリのまだ花の咲かない緑の畑が見え、ところどころタバコの木が植え
られており、どこまでも農業国らしい広い平原が続き、時に集落があり、また平原が続くという繰り返しで
した。可愛い家の屋根には四角い暖炉の煙突があり、たまにコウノトリが巣を作っているのを見つけて
はヤノさんがすかさず教えてくださいました。絵本のような風景です。出来るだけ巣が出来ないように網
を張って、コウノトリさんも居場所を失いつつあるとのことなど話してくださるヤノさんはハンガリーをこよ
なく愛する気負いの無いとても親切な方で、日本語はとても流暢でハンガリーの印象を余計良いものに
しました。国境を越え、スロヴァキアの首都ブラチスラバでヤノさんとお別れしました。
ハンガリーには日本の自動車スズキの工場を見かけました。各方面で日本との友好な関係が益々発
展しますようにと祈ります。残念なことに一緒に旅したご主人が一年後の今年の6月、急逝なさってしま
いました。共有した旅の思い出をお話できなくなって残念至極ですが、旅の思い出は永遠です。
2006年8月
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