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中面1 - 鴻巣市観光協会
歴史民俗資料コーナー (文化センター クレアこうのす内) G-5 マップ 三狐稲荷神社 D-2 箕田源氏のふるさと ―武蔵武士の本源地― 宝持寺 みなもとのつこう マップ 将軍家の休泊施設 国立歴史民俗博物館蔵 鴻巣御殿 【江戸図屏風】 より 石田堤史跡公園 関東の名城「忍城」 を水攻めの際に、石 田三成が築いた堤の跡地。現在、282m が史跡として残っています。公園内には、 当時の様子を知ることができる案内板も あり、 戦国の歴史にふれることができます。 映画 「のぼうの城」 でも紹介されました。 E-4 みなもとのあたる 箕田源氏の祖である源仕と父の源宛を弔うために渡辺綱が建 立したと伝えられています。 「渡辺姓発祥の地」といわれ、全国渡 辺会による顕彰碑が建立されています。 宝持寺の前にある氷川八幡神社には、源経基の徳、源仕と渡辺 綱の活躍や箕田の地が武蔵武士の本源地であったことが記され ている 「箕田碑」があります。 鴻巣は、五街道の一つである中山道の宿場で、江戸から 約12里(約48㌔)の距離にある将軍のお膝元の地域でした。 そのため、上州方面に備えた忍城とともに戦略的な要衝とし て、また、将軍家の鷹狩りの休泊施設として、慶長6年(1601 年)頃に、 「 鴻巣御殿」が築かれました。 もっ 鴻巣の歴史を もっとと 楽しみたい! ! 観光ボランティアガイドを ご利用ください。 料 無 コース例 中山道「鴻巣宿を歩く」 (鴻神社…法要寺…本陣跡…鴻巣御殿跡…勝願寺) 箕田源氏のふるさと「武蔵野の原」をたずねる 中山道「間の宿」吹上をたずねる 【お申込み方法】 ご希望日の2週間前までに、5名以上のグループで鴻巣市観 光協会(℡048-540-3333)鴻巣市人形1−4−20 鴻巣市 産業観光館「ひなの里」内へお申し込みください。 鴻巣散策の強い味方! 鴻巣市及び鴻巣市観光協会では、観光情報紙「観 光こうのす」をはじめ、中山道散策、元荒川橋りょう群 散策、川幅日本一散策等の各種パンフレットをご用意し ていますので、ご活用ください。 「こうのす歴史を描く」▶ 中山道の原風景 吹上冨士遠望 埼玉県歴史と民俗の博物館蔵 木曽街道(中山道)六十九次に描かれた鴻巣宿 の様子。絵は浮世絵師 「渓斎英泉」 により、富士 山を背景に旅人が行き交う姿が描かれています。 マップ G-6 鴻神社は、明治6年(1873年) に、雷電社、熊野社、氷川社を合祀し、 「鴻三社」 となり、その後、東照宮など多 くの社を合祀し、 「鴻神社」 となりました。境内には、樹齢500年以上と伝わる2本のイチョウの木があり、 「夫婦銀 杏」 として親しまれています。 ▲「観光こうのす」 ﹁鴻巣 吉見 ウォーキング& サイクリングMAP﹂ ◀ 岐岨街道 鴻巣 ▶ ﹁鴻巣吹上・元荒川 橋づくし散策マップ﹂ 鴻巣市文化セ ンター「クレアこ うのす」内の歴 史民俗資料コー ナーには、国指 定重要文化財の 「生 出 塚 埴 輪 窯 跡出土品」であ る埴輪が展示さ れています。 生出塚埴輪窯 跡は、東国最大級の埴輪製作跡で、 5世紀末から6世紀末の約100年に わたって埴輪が製作され、それらの 埴輪は、さきたま古墳群をはじめ、 東京湾沿岸地域の古墳へ供給され ていました。 マップ 「白井権八」 がこの近くの久下の長 土手で絹商人を殺害し、 金品を奪い取 ったところ、近くにお地蔵様のお堂があ ったため、 お地蔵様に 「どうか見逃して ください。 」 と手を合わせると、 この堂内 のお地蔵様が 「わしは言わぬが我言う な」 と口を聞き、 「もの言い地蔵」 と呼ば れるようになったといわれています。 鴻巣の歴史 再 発見!! 天 狐・地 狐・人 狐を ま つ る お 稲 荷 様 で、 良縁を結び悪縁を切 るといわれています。 B-2∼D-3 吹上地域を流れる元荒川には、 意匠を凝らし た17の橋りょうがあり、中でも 「新佐賀橋」 は、土 木学会の 「選奨土木遺産」 に認定されています。 各地に設置された句碑も見どころです。 鴻神社 国指定重要文化財を展示 5月初旬の勝願寺境内に、 まるで雪のような真っ白い 花を咲かせる「なんじゃもん じゃ」 の木があります。 もくせ い科の木で、真っ白いプロ ペラ型の花を咲かせます。 マップ のぼうの城を水攻め ! 鴻巣の地名のいわれの一つとされる ﹁こうのとり伝説﹂を 今に伝える鴻巣総鎮守 こうのとり 鴻巣宿 「こうのす」 の名の由来は、かつてこの地に无邪志国 の 国 府が 置か れ たことから「国 府 の 州」が「こうの す」と転じ、後に「鴻伝説」から「鴻巣」の字を当てる ようになったと伝えられています。市内には、先人 が築いた史跡や文化が数多く残されています。 G-6 温故知新 だね む さ しのくに B-2 造形に富む近代土木遺産 徳川家康の重臣「本多忠勝」の 娘「小松姫」 は、家康の養女となり、 その後、真田信幸へ嫁ぎました。 生前、中興二世円誉不残上人に深 く帰依していたことから、没後に墓 所が設けられたといわれています。 鴻巣歴史探訪 マップ マップ 小松姫墓 なんじゃもんじゃ? いにしえの鴻巣へタイムスリップ!! 権八地蔵堂 間の宿吹上は、鴻巣 宿と熊谷宿のほぼ中間 にあり、 また、 八王子千 人同心街道が交差す ることから、代表的な 立場 ︵茶 屋・休 憩 所︶ として発展しました。 伊奈備前守忠次は、徳川 家康に仕えて絶大な信頼 を得て、関東郡代として活 躍しました。特に、治水事 業に業績をあげた人物で、 墓所には、 忠次・忠治とその 夫人の墓4基があります。 もの言い地蔵 元荒川橋りょう群 〈伊奈忠次・忠治の墓〉 吹上 埼玉県 指定史跡 わしは言わぬが、 我言うな … 。 勝願寺は、十六世紀末期に、清厳上人によって中興 されたもので、やがて浄土宗関東十八檀林︵僧の養成 機関・学問所︶ の一つとなりました。境内には、丹後 の国田 辺城主﹁牧野家﹂や関東郡代の ﹁伊奈氏﹂、真田 氏に嫁いだ﹁小松姫﹂、小諸藩主﹁仙石秀久﹂などの墓 のほか、県及び市指定の文化財が数多くあります。 浄土宗関東十八檀林 徳川家康ゆかりの寺 勝願寺 伊奈氏墓