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きぼうの杜クリニックの前院長である佐藤榮一先生の診療体験
きぼうの杜クリニックの前院長である佐藤榮一先生の診療体験 東北大学医学部昭和 33 年卒の同窓会誌に「ある病理医のがんクリニック診療体験」と題し 掲載された診療体験談をご紹介いたします。 佐藤榮一前院長ご紹介 佐藤 榮一(さとう えいいち) 本籍地:宮城県 <学歴> 昭和 33 年 3 月 昭和 38 年 3 月 東北大学医学部医学科 卒業 東北大学大学院医学研究科博士課程病理系専攻修了 医学博士 <職歴> 昭和 38 年 4 月 東北大学医学部 助手 昭和 48 年 7 月 東北大学医学部 講師 昭和 50 年 6 月 鹿児島大学 教授(医学部第二病理学講座担当) 平成 5 年 4 月 鹿児島大学 医学部長 教授兼職 平成 11 年 3 月 鹿児島大学退官 鹿児島大学名誉教授 平成 11 年 4 月 今給黎総合病院 顧問 平成 20 年 11 月~平成 22 年 3 月まで きぼうの杜クリニック 院長として在籍 医師登録 昭和 35 年 6 月 登録 昭和 38 年 9 月~昭和 40 年 3 月 西ドイツ ハノーヴァ市立病理研究所 研究員 昭和 50 年 3 月~昭和 50 年 5 月 アメリカ合衆国ニューヨーク市スローンケタリング研究所 客員研究員 平成 9 年 7 月~平成 15 年 6 月 鹿児島県公安員会 委員 <受賞歴> 平成 10 年 6 月 医学賞(鹿児島県医師会) ある病理医のがんクリニック診療体験 ― がん免疫細胞療法に携わって一年 ― 佐藤 栄一 仕事の中身は後ほど詳しく説明するが、免疫細胞を用いてがんの増殖を抑え、がんと共生しつつ 現在の健康状態(QOL)を保つという通称BAK療法を、ガン患者へ説明して提案しながら何 がその患者のベストの治療法かをともに考え模索するコンサルタント的内容である。同じ病理医 である樋野興夫氏の著書に「癌哲学外来の話」というのがあり、彼が順天堂大学で三カ月ばかり 実施したがん外来体験を書いている。それはまさに死生学の哲学的実践を描いたものであるが、 そんな立派な哲学を小生は持ち合わせていないので、淡淡と若干の感慨をこめつつ体験を記すこ とにしたい。 実際に患者さんの話を聞いてみると、進行がん患者は主に腫瘍内科医の指導をうけてきまりきっ た抗がん剤が処方されていることが多いが、よく聞くと治療担当医の説明不足や放射線適応につ いての検討不十分、血液検査などについて異常値の意味とその対策に関する説明不足などが痛感 される。癌研や国立がんセンターなどからも、抗がん剤耐性のためこれ以上化学療法はできない と、がん末期の方が我が方に紹介されてくることもある。東北では放射線医療の診断部門はまあ まあと思えるが、放射線治療施設の不足・貧困が著しいと思う。日本の单端いわば田舎の鹿児島 のほうがピンポイント照射や呼吸運動同調性照射、重粒子線治療施設などでは進んでいるようで ある。 BAK療法について これは前述のように元細菌学教室の助教授で宮城県立がんセンター研究所にいられた海老名卓三 郎氏が開発したものである。最初血液 20cc を採血しこの中にある 1x10 の 7 乗個の免疫リンパ球 を特殊培地(無血清、四種の微量メタルを含む)で二週間培養し 1x10 の 10 乗(百億)個に増や す。二週間後これを 200cc リンゲル液に浮遊させ、点滴静注直前にインターフェロンアルファを 15 分作用させ、免疫細胞のさらなる活性化を図ると、NK細胞やガンマ・デルタT細胞は CD69+ となる。この両細胞が主な癌の殺し屋で、そのメカニズムは後述する。この自己活性化リンパ球 の点滴治療法は、できれば最低一年 12 回を勧めるが、経過を見て 1/4 クール、1/2 クールなども OK.としている。増殖させる細胞は NK 細胞を目標としているが、小生自身の培養細胞を実際に FACSで分析してみると、ガンマ・デルタ T 細胞とNK合わせて約半分強で、CD8+と CD4+ の免疫リンパ球(アルファ・ベータ T 細胞)が約半分弱、その他 NKT 細胞が尐量含まれるが B リンパ球は含まれない。NK とガンマ・デルタ T は優れて異常細胞を殺傷する能力を有する。異 常細胞とは正常細胞すべてに発現される HLA(MHC)抗原のうち class I 抗原を細胞表面に発現し ていない細胞を指す。この二つの免疫細胞は異常細胞を認識するとその細胞に付着し、perforin という物質を出し異常細胞の表面に穴をあけ、 granzyme という物質を注入してこれを破壊する。 破壊された細胞は後でマクロファージにより貪食され処理清掃される。一方 CD8+細胞は HLA class I 抗原上に癌ペプチド抗原を発現した異常細胞を認識してこれを殺傷する(キラーT) 。また CD4+細胞は主に樹状細胞ががん細胞と接触し処理して得たがん抗原情報をもらって、B リンパ球 に伝達しいわゆるがん抗体(ワクチン)を作らせる働きをしている(ヘルパーT)。したがって当院 1 の BAK 療法は非特異的に異常細胞を攻撃するのがメインであるが、幾分かは特異的抗体の産生 に寄与している面もある。今後としてはさらに強いがん特異性を獲得するために樹状細胞の活用 が必要と考えているところである。 がん細胞と免疫細胞との戦い がんの塊が直径 1cm になるとこれは 1x10 の9乗個の細胞からなるといわれる。 これに対し BAK 療法では一回に 1x10 の10乗個の細胞がもろに攻撃するので、がんが1個で1㎝以下であれば がんを消滅させる可能性がある。ただしがん細胞が HLA class I 陰性である必要がある。ところ ががんもさる者おおよそ 70%から 85%のがん細胞だけがHLA陰性とされている。HLA は、が んの原発部位により陰性率が異なり、乳がんでは 85%、消化管では 75%が陰性といわれる。ま た原発巣が HLAclass1 の陽性率が高くてもリンパ節転移巣では殆ど陰性となるといわれる。そこ でがんの完全消滅を図るには NK やガンマ・デルタ T などの免疫細胞の攻撃を免れる class I 陽性 のがん細胞(15~30%)をいかに処理させるかが問題となる。また最近がんの中に幹細胞、stem cell があり、これの対策が問題となっている(がん化学療法に抵抗性であるため) 。この stem cell のマーカーが最近乳がんなどで明らかにされつつあり、CD44+,ALDH-1+といわれる。しか しこれらが、class I(+)か(-)か、はわかっていない。がんとの闘いはまだまだ果てしない。 免疫細胞によるがんの予防 われわれの体内では日常的に毎日 3000 から 8000 個(大方は 5,000 という)のがん細胞が発生し ており、これを免疫細胞が攻撃退治しているといわれる。加齢により免疫能が低下すると浸潤が んがはびこることになる。 そこで当院でも予防的に BAK を行うという方向で実施し始めている。 ちなみに開発者の海老名先生は毎年二回やっているそうである。小生も一回試みたが、培養後の 総数は九十二億個、家内は九十八億個で100億に達しなかった。やはり免疫力の低下の結果か もしれない。がんのない健康人40人の平均増生細胞数は 112 億個であり平均増殖率は約750 倍である。今後がんリスクの高い人にはこの療法がお勧めとも言えよう。ただし費用が高くかつ 施設によって料金がいろいろな上に保健適応になっていないのが問題ではある。 延命効果 海老名研究室からの報告(Biotherapy, vol.23,2009 年 3 月第2号)によると、延命効果は原発巣 により異なり、膵癌が最も悪く前立腺がんが最も有効で、食道がんも意外によろしいようである。 ただしそれは患者の免疫状態が大きくものをいうとされる。これは前述のアルファ 1 酸性糖たん ぱくの血中濃度が96mg/dl 以下であるとその効果が期待できるとのことである。またステージ 2で手術された患者27名では 3 年以上全員生存中であるという。時々ステージ2と言われ手術 したが1・2年後に再発する例が卵巣がんや乳がん肺がん或いは子宮体がんなどでみられるので、 上述のデータは術後の再発予防療法としてこのBAK療法は推奨できることを示すものといえよ う。手術によりかなりのがん細胞がばらばらと血中に入り込むとされているので、ステージ2と いえども油断がならない。 2 抗がん剤との併用 やってみなければ分からないのが抗がん剤の副作用との戦いである。つまり抗がん剤の副作用に 耐えうるか否かという問題で、人によってその程度が非常にまちまちである。いま多くの種類の 抗がん剤が開発されて腫瘍に対する有効性が優れているものも尐なくないが、反面死にいたる副 作用をもたらすものもある。死なないまでも白血球減尐は日常茶飯であるが味覚障害、口内炎、 皮膚の剥奪、手指の知覚障害、下痢、食欲不振など軽いものでも数え上げればきりがない。ジェ ムザールは膵がんによく使用されるが、これは免疫系にあまり影響を与えないとされる。しかし 副作用の面で耐えうる人と我慢できない人とがある。一方抗がん剤の中には BAK に影響をあた えるものと、与えないものとがあり併用を希望する向きもあるが、抗がん剤はもうこりごりと断 固拒否する人もいる。開発者の海老名さんは併用を勧めないが、小生は抗がん剤が細胞周期のど れに作用するか、分子標的薬剤かなどを検討しつつ患者さんの要望に応じ併用を勘案している。 また抗がん剤に含まれるが、乳がん・前立腺がんなどで使用されるホルモン剤は BAK には干渉 しないので、併用可能である。なお前述の有効例のように放射線との併用は推奨されるところで ある。 今後の課題 課題の第一はいかにしてもっとも消滅させたい癌病巣へ大量の免疫細胞を到達させるかというこ とである。正常の血液循環の関係で、静注された細胞はまず肺にいく。このため肺がんは大量の 免疫細胞のターゲットになりうるが、胸膜に広がった癌には直ちに攻撃するというわけにはいか ない。同じく腹膜播種のがんにも有効性をみるには時間がかかる。そこで胸腔や腹腔への直接投 与が考えられる。また肝転移に対しては肝動脈投与なども有力な方法である。がこれには入院設 備が必要で、外来だけでの現状では不可能で今後の課題である。一方本来の免疫力を高めるため にいろいろなサプリメント類(例えばタヒボ茶、マツマックスなど)が紹介されている。現に丸 山ワクチンなどの注射を受けた人の細胞数はかなり増える傾向があるので、ヨーグルトやニンニ ク、大豆たんぱくなどと合わせて免疫力アップをはかる有力な食物を探し出すことも重要である。 一年間の体験を通して学んだこと これは計り知れないほどたくさんある。今まで生きた人間としての患者さんと接触する機会はき わめて限られていたが、自分の命の限界を予感しつつ、現在を懸命に生きようとする姿にまず深 い感動を覚えることが多い。夫婦愛、家族愛を目の当たりにして何とかして助けてあげたいとい う思いに駆られるのは勿論である。がしかし自分でもどうにもならないくらいがんが進行してい る場合には心が痛み同情を禁じ得ないが、それを顔の表情に出ないようにし希望を持たせること に努めるようにしてきた。自分は十分に生きたからあとは世のため人のために残された人生を歩 むと発言する人もある。中にはバッハのコーフィーカンタータの歌詞を自分で翻訳し、フィッシ ャー デイースカウの昔のアナログ盤を CD に取り込んでプレゼントして呉れた全身骨転移の前 立腺患者さんもいる。これは形見として大切に保存している。 患者さんは通常のレ線写真のほかにCT, MRI,骨シンチなどの画像を持参してくる。小生は勿論 それらを正確に読むことはできないので、担当医が読んで書いてもらった所見を頼りにしている が、画像のみを持参してくる人も尐なくない。臨床データや画像の読み方については、今まで鹿 3 児島生協病院で毎月行われる CPC(三百回を超える)や、今給黎病院での毎週の術前術後の呼吸 器疾患コンファランス、消化器コンファに出席して、臨床家達の画像の読み方を見習ってきたこ とが大いに役に立っている。前者の病院では主に臨床検査と病状および病理所見関連性について コメントしていた。この程度の肺がんの病巣を読めないようでは CT の解像力が問題であると注 意し、CT 機を換えさせるにいたったこともあった。もちろん自分でも画像の読み方についての入 門書を読んだりして知識の吸収に努めたのではあったが…。 また免疫細胞の働きについては従来悪性リンパ腫の診断に携わって来たので、ある程度の知識は あったが、さらに近年明らかにされた機能発現の分子的メカニズムについては免疫学の教科書を 読み直したり、Basic Pathology を読んだりすることで習得する知識が多かった。またそれだけ書 物を読む時間的余裕があったことは幸せであった。抗がん剤の知識(細胞周期のどの時点に作用 するか、副作用など)や各種腫瘍マーカーの標準値はそのつど勉強した。そのうえ最近二年間の Cancer Research の主なものを抄録だけ目を通すことができ、特異的な免疫療法もがん治療法も 目を見張らせるような進歩はしていないなという印象を得ている。 4