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日本型リスクマネジメント*

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日本型リスクマネジメント*
日本型リスクマネジメント *
蔡
錫
勲
(淡江大学国際研究学院日本研究所副教授)
【要約】
ビジネスの世界では、同じような失敗が繰り返されている。なぜ
名経営者でも失敗し、また企業は一体誰のものなのか。本稿では、
成果主義、時価総額経営とマスコミの力に着目して不祥事の発生経
緯を分析した上で、日本企業がどのように経営難関に対応していく
のかを浮彫りにしていきたい。
アメリカ型の成果主義や時価総額経営といった一連の経営改革は
企業経営の効率化を促進させ、日本企業の業績回復に大きく貢献し
たが、それと同時に不祥事も誘発した。また、経営者も従業員と同
様に成果を求められ、時価総額が経営者の業績の有無を判断する大
きな基準とされる。綺麗な財務報告は高い株価を維持する基本中の
基本であり、企業側は損失を処理する時に、粉飾決算の誘惑に負け
る可能性が極めて高い。不祥事企業にとって、最も怖いのは裁判所
の罰則よりマスコミと世論だろう。日本では、裁判官は罪を反省し
た容疑者に軽い処罰を与えがちであり、涙を流せばその効果はもっ
と大きくなる。
【キーワード】
不祥事、成果主義、時価総額、マスコミ
*
本稿は 2007 年 6 月 9 日に国立台中技術学院で開催された
「2007 年国際学術研討会議」
で発表された論文である。
-133-
問題と研究
一
第 37 巻 2 号
はじめに
近年、台湾、アメリカと日本では、一般大衆の信頼と期待を裏切
った粉飾決算やインサイダー取引などの企業不祥事が頻発している。
たとえば、台湾の中国信託フィナンシャルホールディングと力覇グ
ループの衝撃は政財界に大きな波紋を投げかけた。アメリカでは、
エンロンとワールドコムの不祥事が株式市場と財務報告に対する信
頼性を揺るがした。ライブドアは日本における粉飾決算やインサイ
ダー取引の一大不祥事であった。不二家やマクドナルドなど食品業
者の不祥事は「Made in Japan」の品質神話に暗い影を落とし、消費
者は「またか」「どこもやってる」と感じている。そして、2007 年の
世相を表す今年の漢字に「偽」が選ばれ、2007 年 12 月 12 日、京都・
清水寺の森清範貫主は京都市東山区の清水寺で今年の漢字「偽」を
書き上げた。こういった事情をみると、なぜ名経営者でも失敗し、
また、企業は一体誰のものなのかと思わせざるを得ない。
日本でも、不祥事は昔から存在しているが、90 年代から流行して
きた成果主義と時価総額経営が新たな原因である。マスコミの力の
増大もまた原因の一つである。本来、マスコミの役割は不祥事を監
査し、正確に報道するはずであるが、逆に視聴者の反応を煽ってい
ることも否定できない。
ビジネスの世界では、同じような失敗が繰り返されている。より
危機に強い組織を目指すために、リスクマネジメントが求められて
いる。リスクマネジメントとは、「企業経営者が企業経営を通じて利
益を追求していく上で、企業を取り巻くさまざまな事象が抱えてい
る不確実性(企業経営にマイナスの影響を与える不確実性だけでな
く、プラスの影響を与えるものも含む)というリスクに、個々に対
応するのではなく、経営理念、事業目的等に照らして、経営に重大
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日本型リスクマネジメント
2008 年 3 月号
な影響を及ぼすリスクを企業経営者が認識・評価し対応していくマ
ネジメントの 1 つ」である 1。
そこで本稿では、成果主義、時価総額経営とマスコミの力に着目
して不祥事の発生経緯を分析した上で、日本企業がどのように経営
の難関に対応していくのかを浮彫りにしていきたい。
二
成果主義の落とし穴
1980 年代は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の黄金期であり、
当時の日本型経営は世界的な手本となり、「Made in Japan」は品質保
証の文字であった。残念ながら、「失われた 10 年」の間に、一世を
風靡した終身雇用制、年功序列などの価値は大きく批判された。長
引く不況から脱却するために、日本企業はアメリカ型経営を参考に
しながら、新たな経営手法を模索した。確かに、アメリカ型の成果
主義や時価総額経営といった一連の経営改革は企業経営の効率化を
促進させ、日本企業の業績回復に大きく貢献したが、それと同時に
不祥事も誘発した 2。
現在、企業活動の是非を判断する世論が変化し、それに伴い司法
の判断も変わりつつある。司法当局は世論の変化を見極めながら、
眠っていた罰則を動き出させた。マスコミの力の増大によって、企
業の不正・不適切な行為が発覚される可能性が高まっている。多く
の従業員はゲームのルールが変わったことを知らず、今まで通りに
1
一橋大学イノベーション研究センター編『一橋ビジネスレビュー』東洋経済新報社、
2006 年 54 巻 3 号、p.43。
2
日本企業の再生プロセスは一橋大学イノベーション研究センター編『一橋ビジネス
レビュー』東洋経済新報社、2006 年 54 巻 3 号、pp.9-12;伊丹敬之・一橋 MBA 戦略
ワークショップ『企業戦略白書Ⅳ』東洋経済新報社、2005 年;
『企業戦略白書Ⅴ』2006
年を参照。
-135-
問題と研究
第 37 巻 2 号
仕事をして、法律や規則に反する行為を犯してしまう。もちろん、
社内教育は不慣れな法化社会との認識ギャップを縮めることができ
るが、一部のケースは新たなルールを認識していながらも違反して
しまったものである。それは従業員が業績を達成するために、追い
込まれた末の結果である。
成果主義のプラス面を評価する人もいるが、同時に日本社会への
批判も高まっている。たとえば、高橋伸夫は『虚妄の成果主義-日
本型年功制復活のススメ』の一書で年功序列の光および成果主義の
影を指摘している。一方、城繁幸は『若者はなぜ 3 年で辞めるのか?
-年功序列が奪う日本の未来』で若者が就職できないというつらさ
を記述している。高橋伸夫は企業内部の人間を守ろうと主張してい
るが、城繁幸はその内部の既得権益を守るためのつけをアウトサイ
ダーとしての若者に回していると批判した。
日本人は内と外の関係をはっきりと区別する。外部の人間は内部
の人間に受け止められるまでに長い時間がかかる。同時に、一旦内
部の人間に受け止められれば、長く内部にとどまることができる。
内部の人間を裏切ることは許されない行為である。これは武士道精
神だとよくいわれる。切腹は忠誠心を払う行動だとよく比喩される
が、つまり、日本人は単なる集団に参加するだけではなく、集団に
帰属しているのである。
本来なら、企業も生き物であり、人間と同じように生老病死を避
けることができないという四種の苦悩がある。そのため、企業が経
営危機に直面することはよくある。アメリカの経営者は従業員の解
雇や工場閉鎖を当たり前のように行う。従業員もすぐ辞めて、転職
してしまう。台湾の実情はアメリカと同じである。台湾の経営者が
突然に工場を閉鎖するニュースなどはしばしば報道される。旧暦新
年が近づき、従業員はボーナスをもらった後、ジョブホッピングを
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当たり前のように行う。つまり、アメリカと台湾の経営者は経営責
任を従業員に転嫁しているのに対し、従業員の企業への帰属感もそ
れほど高くない。互いの絆は主に経済関係に基づいている。
日本の経営者は企業の存続のためになるべく解雇や工場閉鎖をし
ないように努力すると同時に、従業員も辞めないようにしている。
そして、企業と従業員は一つの共同体のように共存共栄を目指して
いる。その代わりに、早期希望退職、定年退職、新卒雇用の減少が
日本型人員削減の手法となる。定年に向かう人々がどんどん企業か
ら去り、新しい社員も入ってこないため、全体として人員は自然に
減っていく。そして、その重荷を若者世代に押し付けたあげくに、
非正規雇用社員やフリーターたちが大量に増え、正社員の採用が控
えられ、短期採用の非正社員が調整機能として採用されるようにな
る。
成果主義の下では、社員は自らの業績を重視するが、コンプライ
アンス(法令遵守)への意識は低下してしまう。個人の関心範囲が
狭小化し、長期的視点が欠如する。しかし、リストラにより人員が
削減されても企業全体の仕事量は変わらない。結局、社員一人一人
の仕事量は増える一方であり、企業と社員との心理的な距離感が拡
大してしまう。社員のリスク事情に対する感度やモラルが弱体化し、
企業に対する帰属意識も希薄化する。特に非正社員たちは自らが企
業の一員という感覚を持たず、企業に対する誇りもなく、企業イメ
ージの増減にも無関心である。どうせ、自分は使い捨てのコマとし
て都合のいいように使われているという風潮が蔓延している。結局、
非正社員・派遣社員は建前としてマニュアルに従うしかない 3。これ
3
失われた 10 年と不祥事の因果関係は、一橋大学イノベーション研究センター編『一
橋ビジネスレビュー』東洋経済新報社、2006 年 54 巻 3 号、pp.9-12、p.38 を参照。
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問題と研究
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こそが不祥事の温床である。
現在、日本経済は大企業を中心として回復しているが、中小企業
はまだ回復していないようである。経済回復に伴って、求人倍率は
改善しているものの、日本の労働市場はあくまでも新卒中心である。
既卒のレッテルが貼られると、正社員になることは難しい。また、
年功序列の制度では、女性は対象外である。女性たちは過去も今も
年功序列の制度に組み込まれていない。既卒の男性はかろうじて正
社員になる機会がまだあるが、女性はもっと難しい。
もちろん、各国は価値観が違う。台湾では女性が正社員として採
用されることはそれほど難しくない。夫婦 2 人の共働きが現状であ
る。給料が低く、夫一人の給料で家庭生活を支えられないからであ
る。また、台湾の社会的価値観では、勉強ができる女性がただの専
業主婦になるにはもったいないとされる。結局、台湾の問題は子供
の面倒を個人保育、安親班 4や外労 5に任せてしまう現状にある。つま
り、台湾の女性は仕事の権利を得ているが、子供の教育をある程度
犠牲にするしかない。
一方の日本は、男性は外で金を稼ぎ、女性は家庭や子供の面倒を
みるという分業体制の価値観を有している。日本の女性は仕事の権
利がそれほどないが、子供の面倒をきちんと見ている。
三
時価総額経営の誘発
また、経営者も従業員と同様に成果を求められ、時価総額が経営
者の業績の有無を判断する大きな基準とされる。時価総額とは企業
4
安親班とは、仕事をする親の心を安心させる塾であるが、基本的には、日本には安
親班という塾はない。
5
主に東南アジア出身の外国人労働者を指す略語。
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を株価で評価したもので、株価×株数で計算される。高い株価を維持
することは経営者の使命である。企業の財務報告書は高い株価を支
える基盤である。問題は会計操作によって吊り上げられる財務報告
であり、不祥事が発覚すれば、株価は直ちに急落する。
時価総額経営に誘発された不祥事は、直接金融の仕組みにより生
じたものである。つまり、間接金融を利用する企業にとって、株価
の上下は企業の経営にそれほど大きな影響を与えないが、直接金融
の下では、株価の上下こそが企業価値を左右する。
もともと時価総額経営はアメリカ型経営の特徴である。アメリカ
企業は比較的に経済的な目的で経営される。CEO は従業員に目標数
値の達成を命令し、それができなかった社員をクビにするなど、王
様のように企業を支配している。CEO は株主価値を強調しているが、
実際には自分の利益を追求し、ストックオプションを通じで巨額の
金額を手に入れる 6。そのため、時価総額は CEO の運命を左右してい
るといえる。同時に、CEO は株価をバイブルのように扱って、自ら
の経営手法を調整したり弁護したりする。株価が上がったら、CEO
は天国のような豪華な生活を享受でき、社用飛行機まで使える。株
価が下がれば、一般的には CEO はクビになるが、赤字を出しても巨
額のボーナスをもらったケースもある。
一つの典型的な事例は、「創業来最大赤字のフォード、CEO に巨額
ボーナス支給」という『読売新聞』の 2007 年 3 月 2 日記事である。
同記事によると、アラン・ムラリー社長兼 CEO への 600 万ドル(約
7 億 600 万円)のボーナス支給が決まり、ストックオプションの形で
6
ジェームス・C・アベグレン『新・日本の経営』日本経済新聞社、2005 年、第 7 章;
H・ミンツバーグ『MBA が企業を滅ぼす-マネジャーの正しい育て方』
(池村千秋訳)
日経 BP 社、2006 年、pp.139-143。
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問題と研究
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支給される。これは 2006 年 9 月の就任時に定められたボーナスの最
低保証額よりも 100 万ドル多い。しかし、企業の経営状況は決して
良いとはいえない。アラン・ムラリーの就任後初の通期決算となっ
た 2006 年 12 月期の純利益は創業以来最悪の 127 億ドルの赤字であ
った。また、2007 年 3 月現在、4 万人規模の人員削減などリストラ
を進めている。
アメリカ企業にとっては、株式市場は資金調達のための市場とい
うより、資金返還のための市場である。株価は経営者の経営成果を
評価している。アメリカの経営者は財務のテクニックをうまく操作
している。これは職探しと同じ状況である。アメリカ人はより高額
な処遇が得られるチャンスがあれば、すぐにジョブホッピングする 7。
日本型経営は株主よりステークホルダーを重視するものだとよく
いわれる。現在、上場企業にとって、「ものを言う株主」の声がます
ます大きくなり、経営者は株主の利益を考慮しなければならない。
だから、日本企業はますます株主利益に重点を置くようになり、株
式市場の反応を重視している。
結局、日本の経営者も時価総額経営の誘惑に陥ってしまう。綺麗
な財務報告は高い株価を維持する基本中の基本であり、企業側は損
失を処理する時に、粉飾決算の誘惑に負ける可能性が極めて高い。
最初の小さな嘘は、小さな経営問題を隠すつもりでも、また大きな
嘘で前の小さな嘘を隠さなければならず、最後には隠しきれなくな
る。一旦、世間に発覚すれば、雪崩れのように止められない。投資
家は企業の成績表である決算に疑義が生じれば、安心して投資する
ことはできなくなり、結局、株価は下落してしまう。
アメリカのエンロンのように、日本でもコンプライアンスなき企
7
詳しい内容は、伊丹敬之編著『日米企業の利益率格差』有斐閣、2006 年を参照。
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業は解体に追い込まれることがある。企業は決算を粉飾して、経営
業績を評価した投資家を欺いている。同時に、公認会計士もこの粉
飾決済を手伝っている。経営陣と公認会計士の間に、馴れ合いの状
況もある。市場の信頼を裏切ることによって、企業だけでなく、監
査法人も退出を迫られてしまう。
粉飾決算が公になれば、企業に対する衝撃はとても大きく、その
衝撃波が企業全体を振動させる。このようなシナリオは予測できる
のに、責任者は世間にばれるリスクを負ってまでも、ついつい粉飾
決算に手を出してしまう。個人の貪欲と倒産への恐怖が最大の原因
である。責任者は失敗時の損失見積もりを誤算し、自分は幸運だと
思い込み、自分の身に悲劇は生じないだろうと信じている。または、
自分は他人より賢く、隠し通せるだろうと信じ込んでいる。不正行
為の結果が経営破綻に繋がると分かっていても、経営者は経営破綻
を恐れるゆえ、かえって不正行為にもっと力を入れるというロジッ
クもある。
利益の追求にかまけ、信頼第一の基本を怠ることはあってはなら
ない。言うまでもなく、法律を厳格に適用することが必要である。
しかし、新しいことへの挑戦には失敗がつきものであり、小さなミ
スを叩き過ぎれば、かえって従業員の前向きな姿勢を抑えてしまい、
企業の競争力を削ぐことになる。
四
1
マスコミの力
報道前の段階
不祥事企業にとって、最も怖いのは裁判所の罰則よりマスコミと
世論だろう。世間の反応はマスコミの報道に影響されている。また、
マスコミは不祥事の波紋を長引かせる。それゆえ、経営者が不祥事
の対応を誤れば、企業は徹底的にバッシングされてしまう。不祥事
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の悪さが分かりやすければ分かりやすいほど、世論の反響はもっと
大きくなる。
マスコミの報道内容と報道日数は不祥事企業の運命に深く係わっ
ている。最も恐ろしい報道は挑発的なタイトルを付け、中身をわざ
と誇張して視聴者を誘導していくものである。おおげさに驚かせる
タイトルはスクープと同じように視聴率を狙っている。同じ事件に
対して、違うマスコミが全く異なる立場をとる記事を掲載すること
もよくある。世論は裁判の結果に影響を与えうるので、判決が決定
する前に、マスコミを操作して裁判の結果を左右していく。耳を澄
ませば、この操作の音は聞こえるはずである。
裁判官は罪を反省した容疑者に軽い処罰を与えがちであるが、涙
を流せばその効果がもっと大きい。また、マスコミに報道される前
に自白するか、報道後に謝罪するかで経営者の知恵が問われる。一
般的には、マスコミに報道される前に、経営者はできるだけ不祥事
を隠す。しかし、その不祥事に対して、内部で適切な処罰を行うか
どうかが、報道後の段階での大きな運命の分水嶺である。もし、適
切に処罰しなければ、報道期間は長引いてしまう。一方、きちんと
処罰すれば、ニュースの価値が大幅に低下するので、報道期間も短
縮される。言うまでもなく、直接の被害者に適切に弁償したかどう
かも報道期間の長さを決める要因である。
なぜならば、マスコミは市場原理の下で運営されているからであ
る。視聴率はマスコミの命に係わる数値である。もし、視聴者がい
なければ、報道の価値は自然になくなる。現在、マスコミは溢れ、
また、インターネットの登場が無線テレビ、有線テレビ、紙に印刷
された新聞などの優位性を脅かしている。さらに、消費者はインタ
ーネット上でも不祥事を議論している。インターネット上の議論は
口コミの効果を持っているが、そのスピードと勢いは巨大な殺傷力
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を持っている。
2
報道後の段階
「しまった、どうしよう」というのが、不祥事がマスコミに報道
された際の当事者と責任者の一般的な反応である。GE のジャック・
ウェルチは、多くの経営者は危機発生の初期に否認するが、その否
認の段階を跳ばした方がいいとし、五つの危機管理のステップを提
案している 8。
・
問題が表面的な報道より深刻だと想定すること。
・
世の中には秘密はなく、いつか誰かが見つけると想定すること。
・
自分自身や企業の危機処理が最悪の状態で描かれると想定する
こと。
・
企業のプロセスや従業員は変わると想定すること。危機の最後
段階には、ほとんど犠牲者が出る。
・
自分の企業は危機を乗り越えて、もっと強くなると想定するこ
と。
マスコミが不祥事を報道した直後に、世間から批判を浴びること
は一般的である。株価は直ちに低下してしまい、株式時価総額の毀
損額は実損よりはるかに大きい。株価激減、イメージ悪化、売上低
下、赤字決算、人員整理、合併・買収、再建という連鎖反応が起き
る。緊急時の記者発表、お詫び広告はこの段階の優先課題になる。
企業はイメージを維持するために、当事者に対する処罰を厳しくし、
悪影響が及ばないようにする。いわゆる「トカゲの尻尾切り」であ
8
詳しい内容は Jack Welch and Suzy Welch, WINNING, New York: HarperCollins Publishers,
2005. 第 10 章“Crisis Management”を参照。
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る。トカゲは命を守るために、自らの尾を切り離して逃げる。
ある事件が起きれば、すべてのマスコミはそれを一斉攻撃する。
サメが獲物の血のにおいを嗅いで、集中攻撃するかのようである。
マスコミはスクープがあれば視聴率がすぐ上がる。そのため、スク
ープは記者たちが求め続ける目標であり、しかも経営者が記者の成
果を評価する判断基準である。記者はスクープ報道を追い求めて、
出世のために、法を犯してしまうこともある。
日本の社会ではマスコミへの信頼性が高いため、企業の不祥事は
なかなか忘れられない状況にある。日本人は「恥」の文化を持って
いる。信頼を一度失えば、回復することは非常に難しい。しかし、
台湾のマスコミはまるでワイドショーである。不祥事に対する大衆
の記憶はそれほど長くない。視聴者は次から次へ報道されるニュー
スに流され、10 日前の不祥事の記憶さえも色あせて思い出せない。
言うまでもなく、1 ヶ月前の不祥事に対する記憶を思い出せない人が
多い。
しかし、日本の経営者と台湾の経営者は企業不祥事への対応が違
う。日本の経営者は謝罪し、責任を取って、辞任することが多く、
結局、経営不振に陥って、他社と手を組んで再建を目指すケースが
よく見られる。また、台湾の基準からすれば、それほど悪質ではな
い不祥事企業でも倒産まで追い詰められてしまったケースもある。
一方、台湾では、不祥事を起こした組織や個人は短期間のマスコ
ミの集中攻撃に耐え、新たな不祥事を待ち続ける。当事者はなるべ
く目立たないようにする。ノーコメントはよく使われる手法である。
また、当事者はマスコミを悪用して、自らのイメージを加害者から
被害者へと操作することもよくある。新たな不祥事が報道されれば、
世間の注目はすぐ新たな不祥事に移り、そして前の不祥事が忘れら
れる。その結果、新不祥事が旧不祥事を泥沼から助けるという興味
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深いロジックが見られる。
台湾と日本における共通の現象は、不祥事がマスコミに報道され
た際に時代の寵児が天国から地獄に陥るスピードの速さである。し
かし、次の寵児はまだ出てくる。いつの時代にも、視聴者たちは寵
児を求め、寵児のニュースを消費している。
五
日本の不祥事
近年、日本では IT、食品、自動車、電機、建設業などさまざまな
業界で不祥事が相次いでいる。2007 年 4 月の各入社式では、好調な
企業業績を背景に、新入社員に積極性を求める言葉が多かったが、
相次ぐ企業不祥事を反映し、コンプライアンスの重要性を強調する
訓示も目立った。一方、2007 年の新入社員は実力主義の企業より年
功主義の企業を魅力的に感じている。だが、長期的に見れば、過去
のような年功主義に戻ることはないだろう。
ライブドア事件はまさに日本版のエンロンとワールドコムであり、
東京証券取引所の運営を一時的に停止させた。その他にも、村上フ
ァンドのインサイダー取引疑惑、5 年間で総額 2000 億円を超える粉
飾決算をしたカネボウ、大株主の持ち株比率を 47 年にわたって有価
証券報告書に虚偽記載していた西武鉄道、2 年間で約 400 億円の経常
利益を水増しした日興コーディアルグループ、三菱ふそうトラック
のリコール問題、リンナイ社製の開放式小型湯沸器(不完全燃焼防
止機能付き)による死亡事故、ソニー製電池の不具合、イーホーム
ズの耐震偽装などが挙げられる。
食品業界では、不二家が期限切れ原料を使用した問題が 2007 年の
一大事である。しかし、冷静に考えてみれば、期限切れ牛乳の使用
は確かに悪質であるが、なぜ山崎パンの傘下に入り、再建を図るま
で追い詰められたのか。こんなことは台湾ではあり得るだろうか。
-145-
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台湾では、病死の豚肉、漂白剤使用の鶏肉と割り箸など、食品関連
の不祥事は数え切れないほど挙げられる。生産者の悪質な行為もあ
れば、マスコミの誤った報道もある。要するに、食の安全・安心は
台湾の一大事である。だから、日本の食品メーカーの不祥事対応は
台湾の反面教師になりうるはずである。
そのために、本稿では、ライブドアと食品の不二家を取り上げて、
二つの異業種から日本の不祥事を検討してみる。ライブドア事件は
ホワイトカラーの犯罪経緯を説明しているが、不二家は老舗再生の
道を示している。
1
ライブドア事件
アメリカでは、SEC(Securities and Exchange Commission:証券取
引委員会)がインサイダーや経営者による株価操作を厳しく取り締
まっているが、エンロンとワールドコムの事件を防止することはや
はりできなかった。経営者は株価上昇に大きな関心を集め、投機熱
を煽っていた。崩壊の前に、ウォール街の分析家や銀行マンはそれ
らの企業を高く評価し、多くの利益を得た。しかし、経営の破綻は
多くの投資家に損害を与え、エンロンとワールドコムの事件はアメ
リカ株式市場を大きく揺さぶることになった。粉飾の規模が凄まじ
かったため、ニューヨーク証券取引所は市場関係者からの信頼回復
に苦労した。残念ながら、日本版のエンロンとワールドコムの事件
はライブドアで起きた。
エンロン、ワールドコムとライブドアの不祥事の三大特徴は、株
価を武器にした M&A による急速な企業成長、経営者の自社株への
巨大な利益、株価維持のための会計操作であった。彼らは利益の水
増しで株価の維持を狙っていた。経営者は株式市場を通じて、企業
に対する投資家の期待を株価に取り換えた。このような企業不祥事
-146-
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は多数の上場企業に波及し、資本市場に対する投資家の信頼性を急
速に損なう事態に発展した。
ライブドアの堀江貴文前社長は一時的に希望の星だと持ち上げら
れたが、堀江前社長の逮捕・起訴は日本のベンチャービジネスと IT
業界に大きな衝撃を与えた。企業経営の面から、ライブドア事件は
台湾の反面教師になりうる。
ライブドアは吊り上げた株価の利益を企業に還流させていた。ラ
イブドアは「粉飾決算」「風説の流布」によって、株式市場を企業に
都合のいいように利用していた。堀江前社長はマスコミ報道に便乗
し、挑戦的な若手経営者というイメージを膨らまして、大勢の個人
投資家をひきつけた。マスコミは市場の期待を煽っていた。堀江前
社長の逮捕はその企業の虚の部分を一気に表面化させた。それに、
同企業がいろいろな情報を流して株価を操作していたことも明らか
になった。
堀江貴文前社長は学生ベンチャーから始めて驚異的な成長を遂げ、
時代の寵児になった。かつて、堀江前社長は「時価総額世界一」と
いう目標を掲げたことがある。彼は株式市場を活用して、いかに巨
額の金を生むかという錬金術を見つけた。これは株式市場という直
接金融の悪用であった。この手口は間接金融中心の構造では、動け
ないはずである。ライブドアの成長プロセスはエンロンのルートと
かなり似ており、つまり高株価を背景に次々と他企業を買収して事
業を拡大した。しかし、パンドラの箱が開いた後、ライブドアは一
体何の事業をやっていたのか、ばかばかしく思われた。単なるマネ
ーゲームの場を提供しただけではないか。
本来なら、ライブドアは将来の夢を株券として投資家に売却して
資金を集め、事業の経営に使うはずであったが、ライブドアは市場
とマスコミを悪用していた。ライブドア事件は、まさに伊丹敬之の
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問題と研究
第 37 巻 2 号
指摘通りである。つまり、「米国企業にとって株式市場は資金調達の
ための市場というより、資金返還のための市場となっている。」 9。
2007 年 3 月 16 日、堀江前社長は懲役 2 年 6 ヶ月の実刑判決を言い
渡された。粉飾決算などの証券取引法違反事件では、2 年 6 ヶ月は厳
しい判決である。この判決は金銭至上主義を否定するものではない
だろうか。堀江前社長は「粉飾した業績を公表して株価を不正に釣
り上げた」「一般投資家を欺き、企業利益のみを追求した犯罪」と非
難された。ライブドアは水増しされた業績や大幅な株式分割などの
手法で株価を吊り上げた。成長という蜃気楼を作り、一般投資家を
信じさせて欺き続けた。この判決は市場への監視の限界を示し、市
場への背信に一罰百戒になると期待されている。
同時に、裁判長はある母親からの手紙を紹介し、時代の寵児の重
要性を述べている。「大きな夢を持ち、企業を起こし、上場企業にま
でした被告に対し、あこがれに似た感情を抱いて働く力をもらった。
貯めたお金でライブドア株を購入して今でも持ち続けている。」
ライブドアショックによって、東京証券取引所は一時運営停止を
強いられた。台湾の株式市場も一時的に下がった。東京証券取引所
の処理能力が非難され、投資家の信頼回復にも苦労した。ライブド
ア事件を契機に、敵対的買収者から企業の保身目的のために防衛策
を導入するという議論が盛んになった。かつて「日本的慣行」と批
判された株式持合いが復活する動きが見られている。
2
不二家事件
かつて、「Made in Japan」は品質を保証するマークであった。近年、
こうした品質神話は埃を被っている。不二家の事件が取り上げられ
9
伊丹敬之編著『日米企業の利益率格差』有斐閣、2006 年、p.207。
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日本型リスクマネジメント
2008 年 3 月号
たが、日本を代表する食品企業だっただけに、今回の不祥事は非常
に残念な結果である。伝統、歴史という最大の無形資産を失った不
二家は、企業存亡の危機に瀕している。この事件の結果をみれば、
日本の消費者の食品の安全・安心に対する評価はやはり厳しいこと
が分かる。不二家の事件は社員の認識ギャップによって生じた典型
的な不祥事である。これは一企業の内部問題にとどまり、株式市場
の信頼性を損なわなかった。
日本の消費者は本物にこだわっている。創業年代は日本の消費者
の評価基準となる。経営者は「大正 OO 年や明治 OO 年に創業した」
と掲げ、自らが何代目だということを消費者にアピールする。家業
を継ぐことは日本の伝統であるが、これは老舗の名誉を代々築くこ
とでもある。老舗の底力とは、長い歳月の間に生じた社会変革、生
活様式の変化、消費者の嗜好や趣味の移り変わりを乗り越えて、長
年存続し続けてきたパワーである。
不二家はずさんな品質管理が発覚し、老舗として長い年月をかけ
て築いてきたブランドイメージが一挙に崩れた。長期の販売停止や
消費者離れで業績の大幅悪化は避けられず、全面的な生産停止に追
い込まれていった。その後、不二家はチョコレートなどのお菓子の
生産を再開したが、多くの小売店は販売再開に慎重な姿勢を見せて
いる。小売店の慎重な姿勢は今回の傷の深さを示している。消費者
の間に広がる不信感が解消されないかぎり、不二家の商品は小売店
の足かせになる恐れがあるからである。
不二家がここまでバッシングされた要因の一つに、消費者の関心
が安全から安心へと急速にシフトしていることに対する経営者との
認識のギャップがあげられる。安全は科学的なデータで証明できる
が、安心は企業に対する心の信頼感である。現在の日本社会は安心
に対して過敏なほど関心を持っている。不二家の経営者は時代の変
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問題と研究
第 37 巻 2 号
化に対する認識が甘かった。安心こそが日本の消費者の購買欲を誘
う力である。
消費者の安心感への要求は米国産牛肉の事件にも見られる。米国
産牛肉の BSE(Bovine Spongiform Encephalopathy:狂牛病)問題の
発生後、アメリカ政府が日本政府にさまざまな圧力をかけたにもか
かわらず、日本は牛肉市場の開放になかなか踏み切らなかった。米
国産牛肉は美味しく、値段も安いと評判であるが、安全・安心面に
対する信頼感が弱いため、米国産牛肉を市場に開放しても、しばら
く様子見する消費者が多い。よって、アメリカは牛肉の安全・安心
のアピールに大いに力を入れている。
今回の不二家の事件は健康被害を出しておらず、また、経営者は
マスコミに報道される前にこの事実をすでに把握していた。消費者
の反発は、菓子の安全性ではなく、企業側が不正行為を直ちに公表
しなかったことにある。もし、不二家が期限切れ牛乳の問題が発覚
した段階で公表していれば、ここまで追い詰められることはなかっ
ただろう。経営者が犯した危機管理のミスとは、事実を隠蔽すると
いう判断である。
今回の不祥事については、同族経営の弊害により危機管理対応を
誤り、大きな信頼の失墜に繋がったとする報告が発表された。不二
家の最終報告は、「創業家の圧倒的威厳を背景にした一族支配で、社
員に『指示されたことだけやればいい』という意識が生じた」と指
摘している。同族支配が長く続くうち、同族支配の維持が経営の目
的になってしまう 10。結果として、創業家である藤井家出身の取締役
2 人は 2007 年 3 月 26 日付で退任し、また、不二家は山崎パンの傘下
10
『読売新聞』2007 年 4 月 10 日(http://job.yomiuri.co.jp/library/column/li_co_07041001.
cfm)
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日本型リスクマネジメント
2008 年 3 月号
に入って経営再建を図る。両社の連合によって、巨大な菓子・製パ
ングループが誕生した。
不二家の事件をみると、消費者と世論の企業を見る目が厳しくな
ったにもかかわらず、こうした環境の変化を十分に認識していない
社員が従来通りのやり方を続けた結果、不祥事に繋がったことが分
かる。従って、コンプライアンスに対する社員の再教育が認識ギャ
ップによる不祥事を防ぐ有効な方法であるといえる。認識ギャップ
以外には、企業内部の構造的な変化も原因の一つである 11。
たとえ内部統制がきちんと整い、危機管理マニュアルを用意して
いても、実際に不祥事が起きた際に隠蔽するかどうかは経営者の判
断による。現時点から見れば、不二家は不正の報告を受けた時点で
直ちに公表し、問題解決に本気で取り組む姿勢を見せていたら、こ
んなひどい目に遭わずに済んだかもしれない。一般的に経営者は隠
蔽する傾向にあり、隠蔽が報道された際にどのように対処していく
かが危機管理の第 2 段階である。これも企業存亡の運命に係わる段
階である。
六
結論
日本の国内外では同じようなパターンの失敗が繰り返されている。
従業員と経営者は業績のために違法行為を辞めようと思いながらも、
ついつい 一線を越えてしまう。世論は不祥事企業の是非を裁く最後
の裁判官であるが、視聴者は常にマスコミに振り回され、それゆえ
マスコミの扱いが不祥事企業の生死を握っていることになる。
また、不祥事の殺傷力は直ちに株価と売上に反映される。そして、
11
詳しい内容は一橋大学イノベーション研究センター編『一橋ビジネスレビュー』東
洋経済新報社、2006 年 54 巻 3 号、pp.9-12、p.38 を参照。
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問題と研究
第 37 巻 2 号
株主は株を手放し、消費者は老舗の商品を買わなくなる。市場の信
頼を回復しなければ、企業の経営再建はますます遠のく。新しい企
業に生まれ変わろうと努力しても、失った信頼を回復させることは
極めて難しい。不二家の同族経営の難しさはまさに台湾と日本で高
視聴率をあげたテレビドラマ「華麗なる一族」の通りではないか。
経営危機に直面する時、日本の経営者は正社員の雇用確保を基本
方針としているが、その労働市場の流動性は低い。一方、アメリカ
の経営者は株主のための利益を優先するが、その労働市場の流動性
は高い。最近、マスコミに報道された台湾企業の従業員の抗議事件
は、経営者と大株主が利益を一方的に追求しながら、従業員の雇用
問題をあまりにも無視してしまったことに起因する。一方、従業員
側のジョブホッピング習性から、台湾の労働市場の流動性が高いと
いう事情も分かった。従って、それらの企業の経営手法は日本型経
営よりむしろアメリカ型経営に近いのではないか。また、台湾の経
営者が海外へ逃れて、引き渡されないといった事情は日米両国では
前代未聞である。
これらの不祥事を招いた背景の共通点は、株主中心のアメリカ型
経営が信奉され、金銭の強欲が崇高な価値観のように持ち上げられ
たことによる副作用である。経営監査の甘さと風通しの悪さも共通
原因である。アメリカ型経営とは、郭台銘氏の「権利と利益を追い
求める人々は好漢だ」という一言につきる。確かに欲望は進歩の原
動力であるが、犯罪に至るまでの深すぎる貪欲を政府は法律で規制
できない。経営者は建前として株主価値を創造するが、実際には個
人の私利私欲を追い求めている。株主はギャンブラーのように企業
の参加者になっている。だが、残された莫大な不良債権は株主だけ
ではなく、従業員、顧客、供給業者などのステークホルダーに大き
な負担をもたらす。
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日本型リスクマネジメント
2008 年 3 月号
ここでは最も厄介な課題は、パンドラの箱が開かないうちは誰に
も問題の箱がどこにあるか分からないことである。企業の運営には、
多かれ少なかれ問題がある。氷山の一角という諺のように、報道さ
れていない不祥事の方が多く、社内でもみ消されているだろう。報
道された企業は、報道されていない企業の分まで非難される傾向に
ある。報道前の段階では、いかに不祥事を隠すかが経営者の大きな
課題であり、報道後の段階では、いかに対処していくかが企業の運
命を決める分水嶺となる。
万一、うまく対応できない場合、不祥事企業の運命はタイタニッ
クと同じように沈没してしまう。タイタニックは沈没する直前、ガ
タガタと音を立てたが、音楽の演奏によって無知の乗客の不安をい
くらか和らげた。救助船の数が限られているため、船が氷山に衝突
したと分かった人々は救助船に乗って生き残った。残された人々は
タイタニックと一緒に海に沈んでしまったが、救助船に乗った人々
は海で必死に泳ぐ人々を救助する余裕はなく、残念ながら最後まで
生き残った人々は僅かであった。結論として、生き残るカギは不幸
な情報を早く入手することにある。言うまでもなく、こうした情報
の入手がインサイダー取引に繋がるかどうか注意すべきである。
〈参考文献〉
一橋大学イノベーション研究センター編『一橋ビジネスレビュー』東洋経済新
報社、2006 年 54 巻 3 号。
伊丹敬之・一橋 MBA 戦略ワークショップ『企業戦略白書Ⅳ』東洋経済新報社、
2005 年。
伊丹敬之・一橋 MBA 戦略ワークショップ『企業戦略白書 V』
、東洋経済新聞社、
2006 年。
ジェームス・C・アベグレン『新・日本の経営』日本経済新聞社、2005 年。
H・ミンツバーグ『MBA が企業を滅ぼす-マネジャーの正しい育て方』(池村千
秋訳)日経 BP 社 、 2006 年。
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問題と研究
第 37 巻 2 号
伊丹敬之編著『日米企業の利益率格差』有斐閣、 2006 年 。
Jack Welch and Suzy Welch, WINNING, New York: HarperCollins Publishers, 2005.
『読売新聞』。
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