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吸血姫は薔薇色の夢をみる

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吸血姫は薔薇色の夢をみる
吸血姫は薔薇色の夢をみる
佐崎 一路
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
吸血姫は薔薇色の夢をみる
︻Nコード︼
N1136BT
︻作者名︼
佐崎 一路
︻あらすじ︼
事故で死亡したはずのボクは﹃エターナル・ホライゾン・オンラ
イン﹄の自キャラ吸血姫として目覚めた。ゲーム内の資産や領地、
部下のモンスターごとゲームと似て非なる異世界にトリップしてし
まったボクは、周りの戦ったらはっきり言ってボクより強い部下た
ちに祭り上げられ、ゲーム同様﹁私﹂として君臨せざる得なくて、
さらにはこの世界の魔物や獣人、亜人も従うようになり、気が付い
たら巨大帝国を樹立しちゃいました。さらに、謎の敵も現れて悩み
1
は尽きないばかりです⋮⋮。
◆新紀元社様より書籍版発売中です。※削除及びダイジェスト化は
ありません。
2
プロローグ1
その日は雪が降っていた。
真っ白な雪を染める薔薇の花のような血の染み。
走っていたトラックの荷台に積まれていた鉄骨が目の前で崩れて、
ボクはそれに巻き込まれてほとんど訳もわからず死んだ。
ひゆき
ただ雪に栄える血の赤は消え逝く意識に残って、ふと、自分の半
身とも言えるゲームキャラクター﹃緋雪﹄のことを最期に想った。
・・・ああ、ボクが消えたら彼女も存在しなくなるんだな。
、、
自分と彼女、二重の喪失を寂しく思いながら、ボクの意識は暗闇
の中へと溶けて行った・・・。
◆◇◆◇
、、
次に目が覚めた時、そこは薔薇の花が敷き詰められた豪奢な棺桶
の中だった。
﹁︱︱うわっ︱︱!?!﹂
3
なぜか本能的にそれを知っていたボクは、咄嗟に蓋に手をかけ力
いっぱい上体を起こした。
思いの外軽く開いたそこから身を乗り出し、慌てて周囲を見回し
た。
︱︱どこだここ?! 棺桶ってことは葬儀場か火葬場?! 燃や
されてる最中とかなら洒落にならないよ!
だが、予想に反してそこは中世の城の中、それも王族が使用する
ような天蓋つきの畳何畳あるのかわからないくらい大きく立派なベ
ッドと、これまた広くて立派な調度が揃った寝室だった。
﹁・・・へっ? ここどこ??﹂
そう一人ごちた声が妙に高くて可愛らしい。
というか着ている物も黒を主体とした絹のような光沢のドレスで、
そこに赤薔薇のコサージュをふんだんにあしらった豪華なものであ
る。
その上にふわりと垂れたベルベットのような光沢の長い黒髪はも
しかしなくてもボクのもので、視線を更に下に転じて見れば、微か
に膨らんだ胸と折れそうなほど細い腰、そして︱︱
﹁・・・ない﹂
股間の喪失感にまさかと思いながら、子供にように細くてなおか
つしなやかな自分のものらしい指を這わしてみれば、慣れ親しんだ
男性のシンボルが消え、代わりに未知なるスリットがその部分に鎮
座していた。
4
あまりの衝撃に呆然としていると、誰かが寝室の黒檀の扉をノッ
クする音がして、
﹁︱︱はい⋮﹂
反射的に﹁入ってます﹂と言いかけて言葉を飲み込んだ瞬間、
﹁失礼しますっ﹂
挨拶の声ももどかしげな様子で、1枚だけで3×2mくらいあり
そうな重厚な扉を軽々と押し開け、見事な金髪で金瞳の美丈夫が部
屋の中へ入ってきた。
その男、というか20歳前後と思えるタキシードをビシッと着こ
なした呆れるほど美形の青年は、物事の急展開についていけず唖然
呆然としているボクを見て、その整い過ぎた美貌に満面の笑みを浮
かべた。
いや、そっちの気はないつもりだったけど、ここまでの美形がこ
うしたフルスロットルの笑顔を浮かべるとか、ほとんど凶器だね。
ボクが女だったら惚れてるところだよ。あれ・・・いま女みたいだ
けど、じゃあア︱︱ッ!な危機なのかな?
なんて馬鹿なことを考えてるボクの前で、美男子は右手を胸に当
て、騎士の礼をとるように、その場で片足立ちで深々と頭を下げた。
てんがい
﹁姫のご復活、まことにもって祝着至極にございます。この天涯を
始め、領内のもの全てがこの日あることを衷心より願っておりまし
た﹂
美形がやるとなんでも形になるなぁ∼とか思っていたボクだが、
5
ふと、聞き逃せない単語を耳にして思わず素っ頓狂な声をあげてし
まった。
てんがい
﹁天涯!!?﹂
﹁・・・は、はい。どうかなされましたか姫?﹂
怪訝そうな質問には答えず、ボクはその美形を指差した。
ナーガ・ラージャ
﹁黄金龍??!﹂
﹁? はい。その通りですが・・・?﹂
瞬間、指差した先のところから透明なポップアップメニューのよ
うなものが現れ、美形にかぶさるような形で表示された。
ナーガ・ラージャ
てんがい
種族:黄金龍
ひゆき
名前:天涯
所有:緋雪
HP:556,800︵人間形態︶/1,948,800︵半龍
形態︶/61,234,800︵龍形態︶
MP:767,800︵人間形態︶/2,303,400︵半龍
形態︶/53,746,000︵龍形態︶
▼
ナーガ・ラージャ
黄金龍は元々ボクがやっていたゲーム﹃エターナル・ホライゾン・
超超レア
オンライン﹄のイベント用ボスとして配置され、その後限定イベン
ト用ガチャの景品としてSSR級アイテムとして販売されたものだ。
6
当時ボクも挑んだもののまったく掠りもせず、止む無くありった
けのゲーム内資産と多量のレアアイテムと交換とで手に入れた。恐
ナーガ・ラージャ てんがい
らくサーバ内でも5匹といないであろう超高レベルモンスターであ
る。
そしてボクは手に入れた黄金龍に天涯と言う名をつけたのだが、
まさかその当人?! いや当龍?!
混乱しながらなんとなく自分を指差してみたところ、同じように
半透明なポップアップメニューが浮かんだ。
ひゆき
種族:吸血姫︵神祖︶
てんじょうてんが
名前:緋雪
称号:天嬢典雅
HP:78,000
MP:95,500
▼
間違いなく、ボクがプレイしていた﹃エターナル・ホライズン・
オンライン﹄のキャラ名とステータスであった。
7
プロローグ1︵後書き︶
他作品を書いてる途中でなんとなく書いてみました。
思い出したように不定期で書く予定です。
8/15修正しました。
×ここまでの美形がここまでフルスロット↓ここまでの美形がこう
したフルスロットル
8
プロローグ2︵前書き︶
お陰さまで好評です。
まだまだ拙作ですががんばりますので
読んで下さっている皆様に感謝いたします。
9
プロローグ2
と、開けっ放しの扉の表面を儀礼的に軽くノックして、メイド服
を着た背中に3対6翼の翼をもったプラチナブロンドにアイスブル
ーの瞳のこれまた眩しいほどの美形の女性が部屋の中に入ってきた。
こちらの女性には見覚えがあった。もちろんモニター越しにだけ
ど。
てんがい
彼女は先に来て礼をとっている天涯に視線を送り、わずかに咎め
るような口調で話しかけた。
てんがい
﹁天涯殿、女性の寝室にずかずか踏み込むとは、いかに四凶天王の
長といえど不躾ではありませんか﹂
みこと
﹁︱︱むっ。すまん命都。姫が目覚められた魔力を感じて、つい居
ても立ってもいられなくて⋮⋮な﹂
反省はしているが後悔はしていないという口調での返答に、やれ
やれという感じで首を振り、彼女は続いてボクの方に改めて向き直
ると、背筋を伸ばし威儀を正して、優雅に一礼をした。
みこと
﹁姫様、お目覚めになられたこと、この命都、何に増しても得がた
い喜びにございます﹂
みこと
あー、やっぱし命都か。
念のために彼女を指してポップアップウインドウで確認してみる。
10
セラフィム
みこと
種族:熾天使
ひゆき
名前:命都
所有:緋雪
HP:27,960,000
MP:35,268,000
▼
・・・いや、もう笑うしかない能力値だね。ちなみに﹁▼﹂の部
分をクリックするともっと細かいステータスとかスキルとかが表示
されたけど、何十行あるんだっていう細かさだったから読み飛ばし
た。
ペット
というか、さっきの天涯の能力値もいろいろおかしかったけど、
命都の方も全然まともじゃないよ。
スーパーレア
彼女はボクがガチャで初めて当てたSR級の景品で、従魔として
は天涯より長く使用していたので、レベル的には天涯同様とっくに
カンストしてるけど、能力的にはボクとどっこいで、ここまでの数
値はなかった筈だ。
ペット
ナーガ・ラージャ
だいたい持ち主より従魔の能力が大幅に高いんじゃゲームする意
味ないし、だから黄金龍にしても、ガチャの景品になった時には大
ナーガ・ラージャ
幅に能力値は下げられて、半ばオシャレアイテム化していたのに、
あの数値って黄金龍本来︱︱イベントボスとして現れて、ボクを含
む3次転生カンスト組が150人以上かかって、処理落ちとも戦い
ながら2時間以上かけて倒した往年の数値そのままじゃないだろう
か?
11
セラフィム
で、熾天使ってのは天使種の最上位で、いまだMOBとして現れ
てはいないんだけど、いま見た感じだと﹃堕天の塔﹄の最上階にい
る1対2翼のMOB堕天使のレベルに比べて40∼50倍くらい高
いので、もしMOBとして実装されたらこれくらいになるんじゃな
いかな?と予想される数値だ。
ペット
どういう理屈かはわからないけど、従魔として設定されていたリ
ミッターが外され、野生の状態になってるってことだろうか? ど
っちにしてもこれは逆らったら瞬殺されるレベルだね。
・・・うん、下手に出て逆らわないようにしよう。
﹁あのー、お二人とも、ちょっとお聞きしたいんですけど・・・﹂
そう話しかけた途端、美形の男女二組がまるで雷にでも撃たれた
ように一気に背筋を伸ばし、愕然とした顔になった。
や、やばい。なんか間違えたかな・・・? どうしよう・・・
﹁姫っ! 我々如きにそのような丁寧な口の利きよう勿体のうござ
います!﹂
みこと
﹁姫様っ、もしや永き眠りのせいで我々のことをお忘れでは・・・
?﹂
てんがい
﹁え?! あー⋮⋮いや、覚えてるよ。天涯さんに命都さん、火力
と回復役でずっとお世話になってたし﹂
そういうと目に見えてほっと安堵の表情を浮かべる二人。
ん?ということはゲーム内での出来事とかは共通認識としてある
12
のかな・・・?
﹁それではどうかいままで通り名前で呼び捨てにしてください﹂
ペット
再度一礼した命都にそう言われたけど、いやいやっ、そもそもゲ
ーム内で従魔に話しかけたことなんてなかったよ!
ペット
あ、待てよ。確か仕様で、戦闘の時には従魔に向かって﹁行け!﹂
﹁怯むな!﹂﹁殲滅せよ!﹂とか声優さんのボイスが叫んでいたよ
うな・・・。
つまりアレのことかな・・・? 頭ごなしに命令する感じ??
恐る恐る二人の様子を窺ってみると、妙にキラキラした目でボク
の言葉を待っている。わんこだったらお座りしたまま尻尾を振って
る状態だ。
だ、大丈夫かなぁ・・・そんな居丈高に喋って、なんか隠しパラ
メーターかなんかで知らないうちに好感度とか下がって反逆とかさ
れたら、はっきり言ってボクなんかイチコロなんですけど・・・。
し、しかたないよね。あんまし待たせるのも危ないし。
ひゆき
ボクはゲーム内での緋雪としての口調を心がけながら二人に改め
て話しかけた。
﹁うむ。両名とも大儀であった。よくぞ私の眠りを妨げることなく
取り計らってくれたな。感謝しておるぞ﹂
﹁﹁ははっ、ありがたき幸せ!!﹂﹂
13
あー、なんかこれで良いみたいだね。
﹁・・・ときに私はいかほど眠っていたのか、前後の状況などを聞
きたいのだが?﹂
そう言うと天涯が片膝を着いた姿勢から直り、扉のほうを指し示
した。
﹁はい、そう仰られるだろうと考え、僭越ながら玉座の間に、主だ
った臣下の者どもを招聘してございます﹂
しちかせいじゅう
﹁わたくしども四凶天王を始め、七禍星獣、十三魔将軍、全て姫の
ご帰還を首を長くしてお待ちしておりました﹂
嬉しげに言い添える命都の言葉に鷹揚に頷き返したものの、ボク
の頭には疑問符で一杯だった。
四凶天王? 七禍星獣?? 十三魔将軍??? ・・・なにそれ?
優雅に手を添え、そっと壊れ物でも扱うように棺からエスコート
する天涯に手を引かれる感じで、床に下りたたったボクに近づき、
馴れた手つきで素早く取り出した櫛でボクの長い髪を梳く命都。
﹁それでは姫、参りましょうか﹂
そう言って先導する形で前を行く天涯と、後ろにかしずく命都に
挟まれる形で部屋からでたボクは、外見上は平然と︱︱中身はガク
ブルおしっこちびりそうに震えながら、屠殺場に連れて行かれる豚
さんか牛さんの気分でドナドナと︱︱やたら広い廊下を歩き始めた。
14
プロローグ3
じゃぼじゃぼじゃぼじゃぼーっと東西南北の獅子をかたどった彫
像の口から勢い良くお湯が噴き出している。
どーしてこうなった・・・?
立ち込める湯煙の中、階段状になった大理石の湯船の縁に腰を下
ひゆき
ろし、腰から下をお湯につける半身浴の体勢で、自分というか・・・
緋雪の名前の通り雪のように白いけど血色のある肌と︱︱キャラク
ターメイキングでこの肌色を調節するのは結構大変だったよ︱︱細
い姿態に視線を落としながら、ボクは目覚めて何度目になるかわか
らない自問をした。
真っ直ぐ玉座の間に向かうのかと思っていたら連れてこられたの
はこの浴室だった。
最初わからなかったよ。だいたい廊下の幅とか長さとか細かな意
匠とか、ゲーム見たのと比べ何倍あるんだよって違いがあって、デ
ザイン自体は確かに見覚えがあるのに、とにかく﹃せいぜい学校位
の大きさ﹄と思ってたこの城の規模と豪華さが﹃ヴェルサイユ宮殿
が犬小屋に見える豪華さで、23区がスッポリ入る﹄バカみたいな
広さなんだ。
みこと
そんなもんだから連れて来られた先が玉座の間だか浴室だかわか
らず、唖然としているうちに命都の手であっという間に全裸に剥か
れ︱︱ゲームと違って最終防衛ラインの下着上下ともあっさり脱げ
るものなんだねえ︱︱湯船へと案内された。
15
なんでも﹁長いこと眠っていたので入浴とお着替えが必要でしょ
う﹂ってのことだけど、そーいう気遣いは先に言ってよ! 本人に
わからない気遣いは気遣いじゃないんだからさ! と叫びたい所だ
けど、怖いのでもちろん口が裂けても言えない。
﹁︱︱そうであるな。久々に命の洗濯といこうか﹂
チキンな内心を押し隠してお風呂︱︱と言っても大理石をふんだ
んに使った﹃どこの神殿?﹄という感じの白亜の殿堂︱︱へと一人
足を踏み入れ⋮⋮ようとしたところで、ついに我慢ならなくなって
ボクは振り返って訊いた。
﹁・・・なんで付いてくるの?!﹂
てんがい
言われた当人︱︱というか当龍の天涯は、一瞬きょとんとした表
情を浮かべて、全裸のまままったく悪びれることなく、なにひとつ
隠すことなく当たり前のように答えた。
﹁無論、姫の入浴のお手伝いでございますが?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
⋮⋮いや。なんとなくはわかってたんだ。ボクが脱がされてる間
に隅の方でガサゴソやってたし、全裸のまま命都の隣に待機してて、
ボクが歩き出したら後を付いて来るし。
だけど普通ないでしょう?! 侍女か命都が入浴に付いて来るの
はまだわかるよっ。だけど普通に年端も行かない見た目の少女︵ボ
クというか緋雪のことだよ!︶の入浴に、筋骨逞しい青年が付いて
くるなんてあり得ないでしょう?!
16
アグネスさんじゃなくても、どっかでストップがかかると思って
たんだよ!
﹁・・・いや、いらないから。てゆーか、恥ずかしいし﹂
ぶっきらぼうにそう答えると、天涯はからからと笑った。
﹁はっはっはっ、なにをいまさら。姫と入浴するなど毎日の儀式の
ようなものではありませぬか﹂
そりゃアンタが龍形態だったからでしょうが! それにここのお
ペット
湯は1分間浸かると30分間毎秒HPの3%の自動回復効果と全属
性抵抗値の15%上昇効果があるから、戦闘に行く前に従魔も一緒
に入れるだけだっつーの!!
と思いっきり地団太踏んで騒ぎたいところだけど、どーせ言って
も無駄なんだろうな∼。
てか下手に逆切れして、それに逆切れで返されたら死ぬし。
﹁ささ、いつまでも脱衣所にいてはお体が冷えますので、浴室の方
へどうぞ﹂
どーしたもんかと思っているうちに、天涯に肩をつかまれ︱︱う
わわわっ。自分以外の他人の肌の感覚をもろに受けて全身が痺れ⋮
⋮というか腰が抜けそうになり︱︱そのまま湯船の方へエスコート
される。
﹁それでは失礼いたしまして︱︱﹂
ボクを湯船の階段状になったところへ座らせ、存在するだけで失
礼な全裸男が片膝を付き︱︱なるべく見ないようにしてたんだけど、
17
なにあのサイズ。ビール瓶?︱︱かけ湯をして、さらに両手に何か
のボトルの中身を振り掛け、泡立てると・・・ああ、ボディソープ
ね。
タオルやスポンジは肌を痛めるから掌で洗うのが一番良いんだよ
ねー・・・。
ぼんやりと現実逃避をしていたが、ぴとっと掌が体に当たった瞬
間、
﹁あひゃ⋮⋮!!﹂
思わず嬌声をあげたが、天涯はガン無視で﹁どこか痒いところな
どございませんか姫?﹂などと気楽に訊いてくる。
そんな感じで髪の先端から爪先、果てはおへその穴やまだボクも
内部を確認していない部分まで、余すところなくこねくり回され、
終わった時にはなんかレイプ被害者になった気分で、思わず湯船の
中でさめざめと泣いてしまった。
その後、ふらふらしながら浴室を出て、待ち構えていた命都の手
で先ほどのドレスと似たデザインながら、さらにスカートの幅が広
いドレスに着替えさせられ、今度こそボクたちは玉座の間へと向か
ったのだった。
18
プロローグ3︵後書き︶
プロローグは終了で次から本編の予定です。
12/18 誤字脱字修正いたしました。
×この肌色を調節のは結構大変だったよ↓○この肌色を調節するの
は結構大変だったよ
19
補足﹃エターナル・ホライゾン・オンライン﹄︵前書き︶
ご要望がありましたので、﹃エターナル・ホライゾン・オンライン﹄
について、簡単にまとめてみました。
VRMMORPGではなく通常のMMORPGです。
20
補足﹃エターナル・ホライゾン・オンライン﹄
HORIZON
ONLINE﹄
純国産MMORPGとして数社共同で開発されたもの。
>正式表記は﹃ETERNAL
︵通称﹃E・H・O﹄、﹃エタホラ﹄︶
>コンセプトは﹃王道にして無限﹄ということで、内容的には特に
目新しさはないが自由度が非常に高いため1人のプレーヤーが様々
なプレイで長く遊べる。現在可動から5年目。
>中世ヨーロッパ風の世界に人間や亜人、獣人、巨人、魔人などが
住みモンスターが徘徊し、各地にダンジョンがあるというありがち
な世界観だが、種族間抗争などはなく︵かつては抗争や差別があっ
たことになっているが︶現在は基本的に互いに不可侵条約を結んで
いる。
>基本無料、アイテム課金制ではあるが、課金で強力な武器が買え
るという訳でもないので無課金でもそれなりに楽しめる。
>課金アイテムの利点は、一部経験値増加アイテムや生産調整アイ
テムを抜かし、全て自キャラの見栄えに反映するものとなる。
>例として最初にゲームをDLしてプレイする場合、プレイヤーは
1アカウントで2名までキャラクターを作成可能︵主人公も一応サ
ブキャラを作ったものの絶賛放置︶で、先に挙げた人間や亜人︵エ
ルフ、ドワーフ、ホビット︶、獣人︵ワーウルフ、ワーキャット、
ワーラビット︶、巨人、魔人の9種類から選択可能。
21
>ここで課金アイテム﹃ランダム種族決定﹄を使用することで低確
率︵およそ0.2∼0.5%と推定︶ながらこれ以外の種族︵現在
確認されている限り、龍人、天使、吸血鬼︵女性キャラの場合は吸
血姫︶、妖狐の4種類︶が選択される場合がある︵主人公は奇跡的
に数回で吸血姫を選択できた︶。
>キャラクターメイキングは自由度が高く身長、体重、年齢、3サ
イズなど細かく設定できるが、この際に課金アイテムを使用するこ
とで、顔パーツや髪型などさらに種類を増やすことができる︵なお、
キャラクターは人間に近すぎると日本人は特に不快感を覚えるため、
人気イラストレーターの基になるパーツにより、イラストがそのま
ひゆき
ま自然に動いている風に処理されている︶。
ちなみに緋雪の設定年齢は13歳で、143cm、34kg、B
WH=74・50・76
>プレーヤーは﹃自由都市アドホック﹄で﹃冒険者﹄として登録す
るところからプレイを開始する。
ノービス
>この時点では全員﹃無職﹄であるが、中には当初から固有スキル
ペット
を持った個体もいる︵これはまったくのランダム︶。特殊種族は全
て固有スキル有り︵吸血姫は﹃魔眼﹄で、従魔の捕獲率が通常の2
倍︶。
>MOBは一部を除いて捕獲アイテムで捕獲可能︵相手のHPを半
分以下に落とさないと不可︶だが、MOBのレベルに反比例して捕
獲確率が下がるので課金アイテムで確率を上げない中盤以降はほぼ
捕獲不能。また、MOBの中にもまれに固有スキルを持ったレア個
体が存在するが捕獲し、鑑定するまで違いを判別することはできな
い。
22
BOSSは通常のダンジョンやフィールドにいるものは捕獲可能
だが、課金アイテムを使用しないとまず捕獲は不可能。
>称号はクエストや実績に応じて自動的に付与されるが、ゲーム内
てんじょうてんが
どくだんせんこう
の上位ランカーや有名人に対しては、運営側から遊び心で勝手に称
じじょうじばく
じゅうおうむじん
号を贈られることもあり︵緋雪の﹃天嬢典雅﹄の他﹃独壇戦功﹄﹃
自乗自爆﹄﹃獣王無刃﹄など︶、こうした者を﹃爵位保持者﹄など
と面白半分に呼んだりもしている。
>プレーヤーはレベル99になると転生して上級種族になることが
可能だが、転生後はレベルが1からの再スタートとなる。
吸血姫の場合は、吸血姫↓吸血姫︵真祖︶↓吸血姫︵始祖︶↓吸
血姫︵神祖︶となり、基礎能力の向上の他、日中のHP・MP減少
率の減の他、弱点である聖属性攻撃や銀の武器による攻撃ダメージ
率の減少などがある︵神祖はほぼ無いが、他の属性に比べて多少は
ダメージが加算される︶。
>ゲームは当たり判定がシビアで︵逆に弱点に当てるとクリティカ
ルも高い︶ターゲットロック機能などはないため、すべて目視で攻
ヘッドマウントディスプレイ
撃を当てる必要があることから、ある程度やり込む者は通常のモニ
ターではなく、より視界がクリアーなHMDを装着して、キャラク
ターの目とシンクロしてプレイするのが主流である。
23
補足﹃エターナル・ホライゾン・オンライン﹄︵後書き︶
8/15修正しました。
×ほほない↓○ほぼ無いが、他の属性に比べて多少はダメージが加
算される
24
第一話 円卓会議︵前書き︶
な、なんか1日であり得ない人数の方から評価やアクセスをいただ
いてるんですけど︵;´Д`A
本当にありがとうございます。
ご意見、ご感想、誤字脱字の指摘もどしどし︵できれば手加減して︶
お願いいたします。
25
第一話 円卓会議
その日、常闇に包まれた虚空紅玉城は100年ぶりに沸き立って
いた。
︱︱帰って来たのだっ。我ら臣民が敬愛する神に等しい至上の主
が!
︱︱還って来たのだっ。我らの血肉魂魄を捧げるあの尊き永遠の
美姫が!!
︱︱戻ってきたのだっ。我らが魔の王国﹃インペリアル・クリム
ゾン﹄に再び栄光と戦いの日々が!!!
◆◇◆◇
ボクはいろいろと後悔していた。
・・・なんでこんな趣味に走っちゃたんだろう。
イービルアイ
まあもともとの切っ掛けは吸血姫としての固有スキル﹃魔眼﹄︱
︱MOB・プレーヤー関係なく対象に使用することで攻撃の意思を
なくすことが出来る︵対象とのレベル差により成功率は変動︶︱︱
がMOBの捕獲確率にも影響があることがわかって、調子に乗って
26
ゲーム内の捕獲可能MOBをコンプリートしたり。
スーパーレア
ペット
セラフィム
みこと
次に、ちらっとボクは玉座の隣に控えるメイド姿の命都の横顔を
見た。
ペット
最初にやったガチャで運良くSRの従魔・熾天使を当てて舞い上
げって、以後従魔が景品の時には必ずガチャをやったり。
ペット
ついうっかりギルチャ︵ギルド・チャット︶で、課金で限界まで
増やした個人倉庫の枠からも従魔があふれそうだってこぼしたせい
で、レベルカンスト済みで暇をもて余していたギルメン︵ギルドメ
ンバー︶が調子こいて。
で、古代機械文明の名残という﹃廃棄庭園﹄のMOBがたまにド
ロップする﹃空中庭園﹄の設計図の破片36枚をいつの間にか全部
集めて復元していて。
そこからさらに必要な材料︱︱それこそカンスト組が10人くら
いで行かないと途中で全滅するという﹃次元迷宮﹄のボスやMOB、
宝箱や鉱物から数%の確率でしかドロップしない激レアな材料20
種類を集めることになり︱︱それが1種類に付き50個とかいうマ
ゾ仕様だよ!
自分の為ということで、この辺りでボクも参加して材料を集めて、
それを世界各地に点在する機械職人や錬金術師、仙人のところに持
って行き、そこでおつかいクエストをさせられたりして、やっと材
料を加工してもらい、たまに加工に失敗してまた材料を取りに行っ
たりと・・・ええ、ボクも途中から楽しんでたしムキになってたの
は否定しませんよ。
27
で、やっとこすっとこ空中庭園が完成したのが4ヵ月後だよ!
自慢じゃないけど、ボクがいたギルド﹃三毛猫の足音﹄は全員三
次転生カンスト済で、特別称号である﹃爵位﹄を持っていたのも5
人もいるというサーバ内でも知らないものが居ないくらいの高レベ
ル。
だってのに、それが4ヶ月! ・・・まあ皆良い暇つぶしになっ
たってギルメンは喜んでたし、転移魔方陣から浮き上がった島に転
移した時は正直ボクも感無量だったよ。
隣でギルメンが﹁バルス!﹂﹁バルスッ!﹂ってバルス砲を連発
てんじょうてんが
してたのと、気がついたら運営から﹃空中庭園﹄最初の保持者とい
うことで、﹃天嬢典雅﹄なんていう恥ずかしい称号が贈られ、爵位
持ちになって、世界チャットで流されたのが﹁なにこの公開レイプ
?!﹂って感じでアレだったけど・・・。
さらにその後調子に乗ったギルメンによって島は暗黒の城塞都市
へと変貌し︱︱そういういうのが好きな職人が好き勝手に魔改造し
たからねえ。
ボクとしては島に専用倉庫を置けて、お陰で倉庫枠がトータルで
ペット
2,000個近くになったということで他の事は割りとどーでも良
ペット
かったし、その上、島や城内のあちこちに捕獲した従魔を100体
展示しておけるということで、さらにレアな従魔を集めまくって展
示したもんだから、なんか仲間内から﹃魔王城﹄とか﹃怪物ランド﹄
とか呼ばれたけど当事はスルーしてた。
うん、タイムマシンがあったら当事のボクに文句を言いたい。
28
こうなるとわかってたら絶対に高レベルモンスターやダンジョン
ボス級モンスターは集めなかったのに︱︱︱︱っ!!!
玉座︱︱課金家具アイテムの﹃覇王の玉座﹄という黄金と宝石で
飾り立てられた派手なそれ︱︱に腰を下ろしたまま、冷や汗を流し
っ放しで、目の前にずらりと並んで跪拝するモンスター軍団を眺め
ながら、ボクは内心絶叫していた。
てんがい
と、ちょんちょんと二の腕の辺りに合図を送られ、見ると天涯が
微かに目配せをしていた。
ああ、なんか喋れってことだね。
・・・どーしよ。なんか偉そうに演説したほうが良いのかな? でもボクそんな語彙ないし、てゆーか、さっさと切り上げて頭から
布団かぶって寝たい。
いいや、もう適当で・・・
﹁︱︱皆の者、大儀である!!﹂
あれ? 日本語の使い方間違ってないかな???
﹃はは︱︱︱︱︱︱︱︱っ!!!!﹄
一斉に頭を下げるモンスターたち。中には勢いを付けすぎて床に
頭をぶつけて床にヒビを入れてるのまでいる。
・・・この建物って破壊不能アイテムのはずだったんだけど、ア
レって後で修理できるのかなぁ。
29
どうでもいいことを思ってたが、天涯がそんなモンスターたちを
見渡し、満足そうに口を開いた。
﹁姫のご尊顔を拝す栄誉を与えるっ。皆の者、面を上げよっ!﹂
途端にこれまた一糸乱れることなく、ばっと顔を上げるモンスタ
ーたち。
うわわわわわわわわわっ。こ、怖∼∼∼∼∼っ!!!
ペット
いや、確かに全員見覚えはあるんだ。ボクが捕獲して従魔にした
モンスターだから。
面影はあるし思い入れもあるんだけど、なんてーの⋮⋮熊のヌイ
グルミと正面から対峙したグリズリーの違い?
ボク
ゲームのモニター越しだと緋雪の後をちょこちょこ付いてきて可
愛かったあいつらが、どれもこれも夜道で逢ったら絶叫して気絶す
る迫力だよ。
おまけに︱︱
ボクは試しにこの中では比較的初期能力値が低い鬼眼法師のステ
ータスを見てみた。
ここのえ
種族:鬼眼大僧正
ひゆき
名前:九重
所有:緋雪
HP:6,255,000
MP:7,780,000
▼
30
﹁⋮⋮⋮﹂
ペット
これでも雑魚の方で、残りはほとんどBOSS級のモンスターば
かりだよ。
どーやら円卓ってそうしたレベルの従魔の成れの果てというか、
成り切っちゃった集団みたいだけど。
なんかもうボクなんて居なくても全然問題ないんじゃないの・・・
?
そう思うんだけど、なんか知らないけど皆でボクをガン見して、
﹁おおお、姫様だ﹂﹁本当にお戻りになられたのだな﹂﹁お変わり
なく麗しい﹂﹁なんという眼福﹂﹁再びお目にかかることができる
とは﹂感無量という感じで、中には実際に泣き出している奴らまで
いる。
こくよう
と、玉座の左側に立っていた暗黒騎士の刻耀が、手にしていた槍
うつほ
の石突をがしゃん!と床に落とし、さらにその隣に立っていた九尾
の妖狐である空穂が、手にしていた扇で一同を指し示しながらたし
なめた。
﹁御主ら栄えある円卓の魔将であろうに、まるで子供にようにだら
しのない。姫様の御前であるぞよ、少しはシャンとせぬか﹂
その言葉にまたその場に緊張感が増した。
・・・いやいや、けっこう場がほっこりしてて、ボク的には少し
は緊張がほぐれ掛けてたんですけど!
31
﹁それでは諸君、栄えある円卓の玉座に我らが至高の主上がお戻り
になられた。これをもって長き雌伏の時を終え、地上にある全ての
愚民どもに我らが王国﹃インペリアル・クリムゾン﹄の威光と栄誉
を再び知らしめようぞ!!﹂
﹃おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!﹄
天涯の激に全員が唱和し、その衝撃で玉座から転げ落ちかけたボ
クは咄嗟に肘掛に手をかけ、反動で床の上に降りた。
その途端、全員のものすご︱︱︱︱︱︱︱︱い期待に満ちた視線
が集中した。
・・・こ、これはつまり、なにかパフォーマンスしないとトンデ
モナイことになるという意味だよね。
このままなかったことにして、退場とかできないだろう・・・ね
え。
あー、もういいや、適当に天涯の尻馬に乗っておこう。
﹁︱︱立てっ、皆の者よ! 私と共に進み、勝利し、勝鬨を上げん
がために!!﹂
一瞬の間をおいて、跪いていたモンスターたちは一斉に立ち上げ
り、
﹃うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお︱︱︱︱っ!
!!!!!﹄
32
さっきの倍以上の声量で咆哮をあげた。
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱﹂
・・・はっと気が付いた。なんか数秒間、立って目を開けたまま
気絶してたっぽい。
正気に戻ったボクは当然、腰を抜かしてストンと玉座に腰を落と
したのだった。
33
第一話 円卓会議︵後書き︶
こくよう
ちなみに、暗黒騎士の刻耀は限定イベント︻暗黒皇帝の復活︼のB
うつほ
OSSドロップ︵低確率︶品。
ペット
九尾の妖狐である空穂も季節イベントの週間1位の者に贈られる限
定従魔
この二人に天涯と命都を合わせて四凶天王となります。
4人の特徴としては全員激レアでまず二度と手に入らないオンリー
ワンに近いこと。そのため命名としても﹁空﹂﹁時間﹂など形のな
いものを題材にしています。
12/18 誤字脱字修正いたしました。
×なんでこんな趣味に走っちゃんだろう↓○なんでこんな趣味に走
っちゃったんだろう。
×そいういうのが好きな職人が↓○そういうのが好きな職人が
34
第二話 暗中模索︵前書き︶
いつもご愛読ありがとうございます。
今回はちょっとシリアスっぽいお話になります。
35
第二話 暗中模索
﹁うおおおおおっ、姫様に続けーっ!!﹂
﹁インペリアル・クリムゾンも栄光あれーっ!!﹂
﹁我らが至高の主、緋雪様に勝利をーっ!!﹂
﹃︱︱勝利を!!!﹄
様々な歓声が玉座の間にこだまし、最終的に一つにまとまった。
ひと
・・・なんでこんなにノリがいいの、この魔将たち?!
気が付いたときには事態にすでにボクのコントロールを外れ︱︱
いや、始めから暴走しっ放しでコントロールできたためしはないん
だけどさ︱︱なにか取り返しの付かないところまで来ていた。
みこと
﹁さすがは姫様、見事なお言葉です﹂
命都がうっとりと微笑み。
わらわ
﹁これだけの魔将を前に眉一つ動かすことなく泰然としたあのお姿、
うつほ
あだ
さすがは妾が唯一の主と認めたお方であることよ﹂
口元を扇で隠した空穂が、婀娜な仕草で笑みを浮かべた。
﹁⋮⋮⋮﹂
思わず視線を逸らせる。
勢いで喋って、その後気絶して半分死んでました⋮⋮とは口が裂
けてもいえない。
36
そして気が付くと魔将たちは、どの国を最初に陥とすか、誰が一
番槍を立てるか、人口の何割を残すかなどと物騒な議題で討論を始
めていた。
止めるべきなんだろうけど、こいつ等まとめて相手するなんて、
それこそ﹃エターナル・ホライゾン・オンライン﹄の高レベルプレ
ーヤーが総力戦でもしない限り無理!
それなら、もうちょっと現実的な対応として、こいつ等のトップ
をピンポイントで倒せば・・・って、考えてみればそのトップがボ
ク自身な段階で破綻してるじゃないか!?
なんかもうどうなっても状況が詰んでる気がするんですけど?!
というかどこか論理がおかしいんだよ!
長いこと不在であった主が復活した。
めでたい!国としてこれで元通り機能できる。
じゃあ派手に戦争して世界征服しようぜ!!
・・・変だろう!? なんでいきなりそういう結論になるわけさ
?!?
﹁難しい顔をされて、どうかされましたか姫?﹂
﹁︱︱いや、こうなった説明が欲しいな、と﹂
てんがい
心配そうな顔で尋ねてきた天涯に、ボクは勢いでぽろりと内心を
こぼした。
37
はっとした顔で片膝を付く天涯。
﹁申し訳ございません。姫君の復活に浮かれ肝心な説明を失念して
おりました。この罰はいかようにも負う所存でございます﹂
﹁謝罪は後にして、説明を先に﹂お願いします︱︱という言葉を慌
てて飲み込む。
はっと一礼して立ち上がった天涯は、カンカンガクガクの討論︱
︱というか火だの岩だの魔方陣だのが飛んですでに言語以外でのお
話し合いになってる︱︱をしている魔将たちに向き直った。
﹁静かにせぬか痴れ者どもっ、姫の御前であるぞ!!﹂
一喝して、文字通り雷を降らせる。
・・・これ直撃したらボクなら即死するな。
ヒール
余波だけでHPの3割以上がごっそり削られた状況を確認して、
ボクは無言で自分自身に治癒をかけた。確認するまでもなくボクの
命はこの場では風前の灯なんだねえ。
それに対して直撃を受けた筈の魔将は数%程度のダメージで、議
論に水を差された程度の認識でいるんだろう。不承不承黙り込んだ。
﹁諸君らをこの場へ招聘したのは他でもない、姫のご復活を速やか
に伝えるためと、復活を果たされたばかりの姫に、現在の我々⋮い
や虚空紅玉城の置かれた状況を説明してもらうためだ。各自直奏を
許可する﹂
そう言った後、天涯は玉座の前︱︱何段か低くなった床の上に移
38
動して、片膝を立てて跪拝した。
﹁それでは姫、僭越ながらこの私めから姫が突如お眠りになられた
100年前から、現在に至る状況について説明させていただきます﹂
100年か・・・。人間の感覚だとけっこう前の時代って感じだ
けど、この世界だと感覚的にどーなんだろう?
﹁姫のお眠りは我ら臣民のいかなる術、また城にありましたあらゆ
る薬を飲ませてもまったく効く様子がなく︱︱﹂
﹁・・・ちょっと待った。寝てる私にどうやって飲ませたわけ?﹂
﹁失礼とは存じましたが、私めが口移しにて行なわせていただきま
した﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
しょ、しょうがないよね。非常時だったんだし、人工呼吸みたい
なものだし、それにまだしも相手が色男だったのが幸いだし・・・。
︱︱とか思った時点で、さらに残った心の中の何か大事なモノが、
ゴリゴリ音を立てて削れて行くような気がした。
﹁また、姫がお隠れになられたことで虚空紅玉城も雲上を漂うこと
となったのです﹂
まあ基本的にコントロール等は所有者以外できないから、たとえ
ギルメンでも︱︱
﹁他のギルメン⋮⋮らぽっくさんや、タメゴローさんは来なかった
の?﹂
39
ボクはギルドのサブマス2人の名を上げた。
﹁神人の方々ですか? いえ、残念ながら。それどころか転移魔方
陣を始め、転移魔法、果ては飛行による脱出すら不可能になったの
です﹂
その言葉に同意する形で、転移や移動魔法の使える者、それより
ももっと手軽に空を飛べる者が各々意見を出してきた。
曰く、もともと妨害魔法の掛かっている虚空紅玉城は別にして、
浮遊庭園内での転移は可能であるが、それ以外の場所に行こうとし
ても術自体が発動しない。
曰く、飛行して浮遊庭園の先に行こうとすると、浮遊庭園を囲む
闇に呑まれて気が付くと元の場所に戻ってしまうとのこと︵天涯で
も突破は無理だったらしい︶。
なので浮遊庭園からの脱出は諦め、残った意思の伝達可能な魔物
たち86,789名︵同じ種類の魔物は倉庫1枠に最大99匹収納
可能なため相当数倉庫には眠っていたが、どうやら全て開放された
状態になってるらしい︶で話し合った結果、魔物たちを暫定的に統
治する円卓会議と四凶天王や七禍星獣や十三魔将軍の役職を作り上
げたらしい。
ところがボクが眠りについて100年目の今年、異変が起きたら
しい。
力のある魔物が強引に闇を突破して、外の世界に飛び出すことが
出来るようになったとのこと。
ところが、そこで見たのは︱︱
40
﹁・・・違ったのですよ。我々の覚えている地形や国々、魔物の種
類が﹂
そしてある程度の調査を行なった上で円卓会議は結論を下した。
ここは我々の知る世界とは似て非なる世界である、と。
41
第二話 暗中模索︵後書き︶
話の内容からだいたいわかる人はわかると思いますが。
ギルド﹃三毛猫の足音﹄のギルマスは主人公です。
あと﹃七禍星獣﹄は一般MOBの特殊個体を強化した結果、偶然生
まれたBOSS並みかそれ以上の能力を持つ、いわば叩き上げの軍
人で。
﹃十三魔将軍﹄もともとダンジョンBOSS出身の、こちらはエリ
ート軍人みたいなものです。
8/15修正しました。
×引くなった↓○低くなった
8/16修正しました。
×積んでる↓○詰んでる
12/8 誤字修正しました。
×コントリール↓○コントロール
42
第三話 少年少女︵前書き︶
街へ着くまでは別視点となります。
緋雪ちゃんを第三者が見たらどーみえるかなというところで。
その後は緋雪の視点に戻る予定です。
43
第三話 少年少女
﹁くそっ、この犬っころがっ!﹂
力任せに振るった刃がウォードッグの体をわずかに捕らえるが、
分厚い毛皮に阻まれ、またインパクトの直前にかわされたため、ほ
とんどダメージを与えられずまた距離を取られた。
﹁︱︱ガウッ!!﹂
それどころか逆に体勢が崩れた瞬間を狙って、後ろに居たもう一
匹が留守になった少年の足首に噛み付いてきた。
﹁うわっ︱︱!?﹂
幸い分厚いブーツのお陰でどうにか牙が通らず、傷を負わずに済
んだが、相手は噛み付いたままさらに捻りを加えてブーツを食い破
ろうとしている。
ぶんぶん足を振り回しても放す様子もなく⋮⋮そこではっと気付
いて、焦りながらも剣を逆手に握って、その背中に剣先を突き入れ
ようとした瞬間、先ほどのもう一匹が今度は無防備な少年の首筋を
狙って跳躍してきた。
﹁うわわ︱︱っ!?!﹂
思わずへっぴり腰で、反射的に剣を盾にするようにしてその牙を
受け止めるが、不安定な体勢のまま勢いに押され、さらにウォード
44
ックに圧し掛かられ転んでしまった。
﹁・・・ひィ!!﹂
こうなればもう嬲り殺しとばかり、二頭のウォードックが真っ赤
な口を開けた︱︱刹那、なぜか同時に弾かれたように少年の体の上
から離れ、おどおどと周囲を見回した後、空を見上げた途端、
﹁︱︱キャン?!﹂
哀れな鳴き声とともに、尻尾を丸めてその場から一目散に逃げ出
した。
﹁・・・た、助かったのか・・・?﹂
エンシェント・ドラゴン
仰向けになったまま呆然と呟いた少年の体の上を、次の瞬間巨大
な影が覆った。
ワイバーン
﹁ワ⋮⋮飛竜?! い、いや⋮エ、真龍っ﹂
ワイバーン
ワイバーン
遠目にみたことがある都の竜騎兵が駆る飛竜どころではない、四
肢を備えた黄金色に輝く巨大な︱︱それこそ飛竜ごとき一飲みにす
る、あまりにも巨大な魔獣の王。
その黄金色の瞳がじろりと少年の姿を捕らえ、総毛立った少年は
目を瞠り、今度こそ完全に腰を抜かして、
﹁︱︱ひ、ひぃぃぃ!!﹂
エンシェント・ドラゴン
手にした剣を捨て、ダンゴ虫のように頭を抱えてその場に丸くな
った。︱︱その一瞬、真龍の背に人影のようなものが見えた気もす
るが、恐怖のあまりの錯覚であろう。
45
﹁・・・・・・﹂
だが、待てど暮らせど何も起こらず、周囲の光景にも変化がある
ようには思えない。
ひょっとして助かったのか・・・?
そう思ってそろそろと亀が様子を窺うように首だけ伸ばし始めた
少年の背中に、まるで銀の鈴を鳴らしたような澄んだ少女の声が掛
けられた。
ノンプレイヤーキャラ
﹁ねえ君、NPC? まさかプレイヤーじゃないよね?﹂
◆◇◆◇
変な女の子だ。
というのが少年︱︱今年15歳になる新米冒険者ジョーイの感想
だった。
訳のわからない質問に振り返って見た時、
﹁・・・月の女神様だ﹂
思わずポツリと口からこぼれたくらい、そこには信じられないく
らい綺麗な少女が立っていたのだ。
真っ白い肌は月光を溶かして塗り固めたようにシミ一つなく、腰
46
より長い黒髪は夜の闇と星々を散りばめたように艶やかで、不思議
な光沢を放つ赤い瞳は全てを見透かすように神秘的で、小振りな顔
かかし
の造作ときたら、年に一度祭りで決められる街一番の美女がカボチ
ャか案山子にしか思えない。
お伽噺で聞かせられる﹃絶世の﹄とか﹃傾国の﹄とかいう表現で
しか表せない息の呑むほどの美貌であった。
﹁︱︱そう真正面から褒められると、ちょっとこそばゆいものがあ
るねえ﹂
目を細め、照れた様子で頬のあたりを細い指先で掻く少女の仕草
に、やっと目の前にいるのが生身の人間だと認識したジョーイは、
はっと正気を取り戻して、のろのろと地面から立ち上がると、落ち
ていた剣を拾って鞘に収め、パンパンと軽く体についた土や砂を払
って、今度こそ冷静に少女に向き直った。
見た感じ年は10∼12歳くらいだろう。着ているものは値段の
想像もつかないくらい上等な、膝下までの黒のドレスでところどこ
ろまるで生きた花のような見事な赤い薔薇のコサージュが施されて
いる。
実際この取り合わせは神秘的なこの少女にピッタリで、ヘアバン
ドや真っ白いソックス、黒のローファーにも薔薇の飾りが付いてい
た。
ドレスのところどころで光っている飾りはガラス玉ではなく、ど
う見ても宝石の類だろう。
手にした真っ白いフリルをふんだんにあしらった日傘といい、到
底こんな場所にいるとは思えない深窓の姫君という風情である。
場違い。
47
一言で言うならこれしかないだろう。いろいろ言いたいことある
が、それよりもいまは先に確認すべきことが別にある。
エンシェント・ドラゴン
﹁な、なあ、いまさっき黄金色の真龍が飛んでなかったか?!﹂
その言葉になぜか一瞬目を泳がせた少女は、
﹁︱︱ああ、あれね。なんか一瞬で飛び去って行ったみたいだけど、
凄かったねー﹂
こう、ぴゅーっとね、と何もない空の彼方を指差した。
﹁⋮⋮そ⋮そうか⋮助かった⋮⋮﹂
大きく安堵の吐息を漏らすジョーイを、なぜか興味津々という顔
で見つめる少女。
﹁ふーん、反応は普通の人と変わらないみたいだね。やっぱしAI
とかじゃないか⋮﹂
そう言ってなにかに納得した顔で頷く。
一方﹃普通の人﹄扱いされたジョーイはなんとなくカチンときて、
﹁言っとくけど俺はプロの冒険者なんだ。そこいらの一般人と同じ
に考えるなよ﹂
そう言って胸を張ってみせた。
すると一転して目を丸くした少女が、子供のように目を輝かせて
少年を見た。
﹁へえーっ、冒険者! 本物の冒険者を生で見られるなんて感激だ
ねぇ﹂
48
思いがけない食いつきの良さに、気をよくしたジョーイは胸ポケ
ットからギルド証を取り出して見せた。
﹁そうだろう。こいつが証拠の冒険者ギルドのギルド証だ﹂
何で出来てるのかはわからないが、薄い金属の板に書かれたジョ
ーイの名前や所属、レベルなどを、少女は食い入るような目で確認
している。
﹁ジョーイ・アランド。15さい。アーラしぼうけんしゃ⋮ああ、
アーラ市冒険者ギルド所属、ね。
Fランク。けんし⋮⋮拳士じゃなくて剣士だよね、剣持ってるし。
ほうしょうちょうばつりれきなし。ひらがなとカタカナだけだと
読みづらいなぁ︱︱漢字って使ってないの?﹂
﹁カンジってなんだ?﹂
﹁・・・妙な具合にチャンポンしてる世界だねぇ﹂
なぜか難しい顔でため息をつかれた。
﹁︱︱まあいいか。ああ、ごめんね長話をして。お仕事中の邪魔し
ちゃ悪いからそろそろお暇しないと﹂
ぺこりと軽く頭を下げて踵を返そうとする少女を、ジョーイは慌
てて止めた。
﹁ちょ、ちょっと待てよっ。これからどこに行くつもりだ?﹂
﹁もちろん街だけど? さっき上から⋮ああ、いや、遠目にあっち
に街が見えたんで取りあえず向かうつもりだけど﹂
49
当然という顔で日傘の先をアーラ市の方角へ向け、ついでに日傘
を広げて差す少女のあまりにも無防備な様子にジョーイは頭を抱え
た。
ここから歩いて行ったら子供の脚では日暮れまでに着けば良い方
だろう。
いや、そもそもこんな美貌で高価な身なりをした少女が、一人で
歩いてたどり着けるわけがない。
ごろつき
さすがに山賊なんかはいないだろうが、どこにでも破落戸や犯罪
者はいるものだ。
さらっ
そんな連中から見てみれば、目の前の少女は、襲ってください、
誘拐してくださいと看板下げて歩くようなものだ。
まだ依頼を達成していないジョーイは一瞬悩んだが、ためらいを
振り切って決断した。
﹁・・・ああ、もういい。俺が街まで送ってってやるよ!﹂
言った言葉の意味がピンとこないのか、少女は可愛らしく小首を
傾げた。
50
第三話 少年少女︵後書き︶
応援ありがとうございます。
日計ランキングを見てビックリして、思わず画像を保存しちゃいま
したw
これも皆様のお陰です。
ご意見、ご要望があればどしどしお願いいたします。
51
第四話 護衛依頼︵前書き︶
ご意見ありがとうございます。
参考にして、そーいえば吸血姫でしたねー、という内容を追加して
みました。
まあ普通の食事でも栄養は取れるのですけど、性欲に近い感じでし
ょうか。
52
第四話 護衛依頼
わだち
ジョーイの﹁送って行く﹂という提案に、少女は馬車の轍の跡が
くっきり残っている一本道を指し示した。
﹁いや、別に子供じゃないんだから、道に迷うことはないと思うよ﹂
﹁そういうことじゃなくて⋮⋮。てゆーか、お前どう見ても子供だ
ろう? まだ11歳くらいじゃねーか﹂
その言葉になぜか微妙な苦笑いを浮かべる少女。
﹁・・・いちおう13歳なんだけどね﹂
とし
﹁︱︱えっ、そうなのか? わ、悪い﹂
このくらいの年齢の女の子は成長のバラつきがあるので、なかな
か判断が難しいところがあるが、例えばいま15歳の自分が13歳
に間違われたらムッとするだろう。
少女の表情をそういった意味にとらえて、ジョーイは素直に頭を
下げた。
男の自分でさえ背伸びしたい年頃なんだ。まして女の子で13歳
ともなれば、ジョーイの生まれた村ではもう結婚してる子もいたぐ
らいで・・・。
そう思った瞬間、胸がどきっと高鳴った。
とし
︵そうだよな、子供じゃなくてもう結婚できるくらいの年齢なんだ
よな︶
53
つつ
意識した瞬間、少女の艶やかな唇や慎ましげな胸元、細い脚に行
きかけた視線を大急ぎで外して、ジョーイは噛んで含めるように言
い聞かせた。
﹁あのさ、お前みたいに見るからに金持ちのお嬢様がのほほーんと
一人で歩いていたら、どんな奴らに絡まれて、その⋮⋮ひどい目に
あわされるかわかったもんじゃないんだ。だから街まで送って行く﹂
﹁ああ、なるほど。犯されて、殺されて、埋められるって奴だね﹂
ジョーイが濁した言葉の意味をあっさり理解したらしい少女は、
そこで不思議そうに少年の顔を見た。
﹁でも、いいの? 見たところ手ぶらのようだけど、仕事の途中じ
ゃないの?﹂
﹁・・・いいんだよ。どうせ討伐予定のウォードックは逃げちまっ
たし、2頭いるとも思わなかったから準備も足りなかったし。︱︱
だいたいここでお前を放り出したら寝覚めが悪いだろう!﹂
照れ隠しにそっぽを向いて怒鳴るように言った言葉に、少女は一
瞬呆気に取られた顔をして、次に嬉しそうに微笑んだ。
﹁君︱︱ジョーイ君だったっけ? 君は良い人だねえ﹂
﹁︱︱なっ、なに言ってんだお前! 馬鹿にしてないか?!﹂
﹁そんなつもりはないんだけど、気に触ったんならあやまるよ。・・
・だけど、ただ好意に甘えるだけというのも心苦しいかな。︱︱う
∼∼ん、それなら仕事として、私が街へ着くまでの護衛と街での案
内をお願いできないかな? できれば冒険者ギルドも見てみたいし﹂
54
﹁仕事か・・・﹂
﹁あれ? こういう直接依頼する仕事はひょっとしてNGなのかな
?﹂
﹁いや、ギルドポイントに反映されないだけで別に禁止はされてな
いけど、こういう場合は大抵前金払いで、それに通常依頼よりも割
り増し料金を取るのが普通で・・・﹂
もっとも、まだ見習いのG級をやっと卒業してF級になったばか
りのジョーイにしてみれば、通常の護衛依頼の報酬の相場も、割増
料金の掛け率もわからないので、幾ら報酬を貰えばいいのか判断が
できないのだ。
だが少女のほうはジョーイの煮え切らない態度を、﹃報酬の前払
いが支払えるかどうか﹄で懸念しているものと思ったのだろう。
腰の後ろ︱︱大きなリボンの飾りかと思ったらポシェットだった
らしい︱︱をガサゴソやって、硬貨を何枚か取り出した。
﹁じゃあこれでどうかな?﹂
﹁銀貨か?﹂
渡された1枚のいっけん銀色をした︱︱通常の1セル銀貨より3
回りは大きな︱︱それは、良く見ると表面が虹色に輝く見たことも
ないお金だった。
こうか
﹁虹貨だけどやっぱり見たことないかー。じゃあ金貨の方が良いか
55
な﹂
そう言ってジョーイの掌の上に金貨を10枚ばかり乗せた。
﹁・・・見たことのない金貨だなぁ。使えるのか?﹂
もっとも金貨自体ジョーイにとっては、いつも銀貨や銅貨を貰う
ギルド窓口の向こう側にあるのを、ため息と共に見るだけで精一杯
であったが。
インゴット
﹁どうだろうねぇ? 最悪、鋳潰して貴金属として売り払うことに
なるかもしれないね。その時には金額によってはその場で延べ棒で
払うけど?﹂
そういって再度ポシェットに手を回し、そこから大の男の二の腕
ほどもある金の延べ棒を引き出して見せた。
それを見て少年の顔色が変わる。
﹁︱︱ちょっ、ちょっと待て! それってもしかして物を入れても
重さや大きさが変わらないマジックアイテムか!?﹂
﹁そうだよ。︱︱ああ、なるほどこっちにもあるんだね﹂
﹁お前、ひと財産だぞそれっ! それだけで一等地に家が買えるぞ
!﹂
﹁へえ、ずいぶんと高い物なんだねえ。︱︱まあこれもかなり高額
ではあったけど﹂
﹁そうだろう。そんな簡単に人前で見せるなよ。ったく、やっぱ危
なっかしくて見てられないぜ。ホントどこのお姫様だよ﹂
56
ひゆき
﹃お姫様﹄と呼ばれて、なぜか自嘲するような笑みを浮かべながら、
﹁︱︱ああ、そういえば自己紹介がまだだったね、私の名は﹃緋雪﹄
なのでよろしくね、ジョーイ君﹂
少女は両手でスカートの裾をつまんで、軽くカーテシー︵片足を
後ろに引きもう片足の膝を曲げて行なう挨拶︶を行なった。
その優美な動作に内心ドギマギしながら、ジョーイは赤くなった
顔を見られないよう咄嗟に体の向きを変え、500mばかり離れた
ところの巨木を指して歩き出した。
﹁ヒユキか。ああ、﹃ジョーイ君﹄なんて言われると馬鹿にされて
エミュー
る気がするからジョーイでいいぞ。︱︱じゃあヒユキ、あの木の所
に俺の騎鳥が繋いであるので、少し歩くぞ﹂
エミュー
﹁騎鳥?﹂
首を傾げる緋雪の世間知らずに、いい加減耐性がついてきたジョ
ーイが、
﹁・・・まあ、直接見ればわかるさ﹂
と言って、そのままさっさと歩き始めた。
◆◇◆◇
てんがい
﹃姫、あのような無礼な小僧など雇わずとも、私めが姫の玉体に傷
ひとつたりと付けませぬが?﹄
その時ボクの傍︱︱というか内側から天涯の苛立たしげな声がし
57
た。
ペット
ペット
ペット
これって戦闘中、従魔の1体と合体することで、従魔のステータ
スや属性を付与してもらえる﹃従魔合身﹄機能によるものなんだ。
けど以前はせいぜいステータスの3割程度しか割り増し感がなか
ったのが、現在のボクのステータスは、
ひゆき
種族:吸血姫︵神祖︶
てんじょうてんが
名前:緋雪
称号:天嬢典雅
HP:61,312,800︵+61,234,800︶
MP:53,841,500︵+53,746,000︶
▼
どこのジンバブエ・ドル?っていうくらいインフレを起こしてい
るんだよ!
ナーガ・ラージャ
というか、これそっくりそのまま黄金龍のステータスが上書きさ
れているんだよね?!
ボクのステータスなんて、刺し身のツマどころかタンポポみたい
なもので、あってもなくてもどーでもいい感じなんですけど!?
てゆーか、この機能がわかって以来、あまりに普段とのステータ
ス差がありすぎて、いまだ怖くて魔法の一発も撃てないでいる。
ファイアーボール
このレベルで火炎系初級攻撃の火球とか使ったら、﹃今のはメラ
ゾーマではない、メラだ﹄どころか﹃いまのは水爆ではない、手榴
58
弾だ﹄レベルになる危険性が限りなく高い。
ちから
なのでなるべく能力を使うことなく︱︱とはいえ、今回の偵察は
天涯も同行することが最低条件だったので︱︱なるべく穏便に事を
済ませられるように、偶然目に入ったジョーイに接触したわけなん
だけど、天涯にしてみれば自分の力を信じてもらえないようでへそ
を曲げているんだろうね。
曲げすぎて﹁ここは実際に実力をお見せします!﹂とかハッチャ
ケたら、この国が一夜で滅びるよ! そうなったらもう坂道を下る
勢いで、ボクの魔王街道まっしぐらだろうし。
ここはなんとしても天涯のプライドを傷つけないよう、穏便に取
り計らわないと。
﹃無論、天涯、そなたの忠義と能力には全幅の信頼を寄せている。
しかしながらこうして民草に混じらないと得られぬものもある。私
のわがままであるが、どうか付き合ってくれぬか?﹄
﹃・・・短慮を申しました。申し訳ありませぬ姫様。私ごときが姫
様の深慮遠謀を推し量るなど、そもそも不敬の至りでございました。
︱︱つまりあの小僧は護衛役などではなく、あくまで・・・﹄
どうやらわかってくれたらしい、天涯の声が落ち着いたものに戻
った。
﹃うむ。私の個人的な︱︱﹄
えさ
﹃非常時の食餌でございますね﹄
・・・はい?!
59
しょくじ
﹃そういえばお目覚めになられてからまだ吸血をなされていません
えさ
でしたな。私めとしたことが失念しておりました。なんとお詫びし
てよいことか。
・・・まあ貧相な食餌ではありますが、童貞のようですので最低
限の口汚しはなりましょう。
ですが、もう少々お待ちいただければ、あのような貧相な小僧で
はなく口当たりの良い処女の生き血ををご用意いたしますが?﹄
エサ・・・生き血・・・処女・・・・童貞・・・。
頭の中でこれらの言葉が一つに組み立てられた。
そ、そーいや、ボク、吸血姫だったっけ!?
そーするとあれかい、今日、ジョーイと話していて密かにときめ
いた瞬間とか、健康的な手足を見て実は密かにドキドキしていたこ
の感情は、女の子になった影響とかではなくて、単なる食欲?!
やばいっ!!
なにも考えずにジョーイに護衛を依頼したけど、このまま一緒に
いるとマズいかも知れないっ。
な、なんか意識すると、ジョーイの健康そうな首筋とか、手足の
血管に行きそうになる視線を、ボクは無理やり外した。
60
第四話 護衛依頼︵後書き︶
ちなみに緋雪が高いと言った理由はガチャのオシャレアイテムとし
ての価値であり、ジョーイが想像しているマジックアイテムとして
の価値は皆無です。
だいたいあんなものチュートリアルでただでもらえるものですから
ねー。
あとお刺し身のタンポポですけど、あれは正確には食用菊なのです
が、緋雪はタンポポだと思い込んでます︵根がアホの子なので︶。
8/14誤字の修正と
×﹃いまのは手榴弾ではない、水爆だ﹄↓○﹃いまのは水爆ではな
い、手榴弾だ﹄
修正しました。
ご指摘ありがとうございます。
61
幕間 忠臣貞女︵前書き︶
今回は七禍星獣の補足回です。
基本的に本編に関係ないので読み飛ばしても問題ありません。
62
幕間 忠臣貞女
グリーンマン
虚空紅玉城内に数多ある酒場の一角で、全長3mを越える緑葉人
ソードドック
︵一見すると巨大なサボテンで、髪の毛の代わりに蔦が生えている︶
を相手に、こちらも2mを越える背丈で直立した魔剣犬︵額や背中
から1mを越える湾曲した剣が生えている︶が管を巻いていた。
﹁︱︱まったく、あのトカゲの若造めが、姫のご寵愛を良いことに
どこまでも図のぼせやがって!﹂
﹁・・・まあ止むを得ないだろう。もともと彼奴はそれだけの力を
持ち、姫を始め神人や魔王など天上人らが150人がかりで仕留め
たその実力は折り紙つきだ。そこに惚れ込んで姫が彼奴を臣下に加
えるのにどれだけの財を使ったか、知らぬお主ではなかろう﹂
﹁だからと言って奴が第一の忠臣面をするのがおかしいと言うのだ
!﹂
ソードドック
ダンっ!と勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけるように置く
魔剣犬。
﹁300年だぞ、300年! 俺たちは300年間、姫と片時も離
れず戦ってきたのだぞ! それをたかだか50∼60年間しか一緒
に居ない若造が調子に乗って、俺たちを顎で使いやがって!﹂
ひゆき
ここに緋雪がいれば、ゲーム内と彼らの認識する時間の差に頭を
抱えるところだろうが、どうやら彼らの中の共通認識では300年
間一緒にいたことになっているらしい。
63
わし
﹁しかしなあ、彼奴の忠義ぶりは儂から見ても文句の言えないもの
であるし・・・﹂
﹁貴様、いったいどっちの味方なんじゃ!﹂
﹁いや、味方とかなく・・・というか、お主酔ってないか?﹂
﹁この程度で酔うほど落ちぶれてないぞ! それよりお前こそ呑ん
でいるのか?! さっきから見ていると水ばかりじゃないのか!?﹂
セラフィム
みこと
﹁仕方なかろう儂は植物系の毒や薬は効かないんじゃ。酒なんぞで
酔うわけなかろう﹂
いき
そうじゅ
そこへ両手にジョッキを3個抱えた熾天使︱︱命都がやって来た。
﹁ずいぶんと意気軒昂ですね、壱岐殿、双樹殿﹂
﹁むっ、これは四凶天王、命都様﹂
慌てて立ち上がろうとする二人を押し留め、命都は持っていたジ
ョッキをテーブルの上に置いた。
﹁よしてください二人とも。肩書きは変わりましたが、もともと我
しちかせいじゅう
くかせ
ら3名は同期のようなもの。いままでどおり遠慮なく喋ってくださ
い。
いじゅう
ここのえ
︱︱それに第一、もともとお二人が辞退せねば、七禍星獣は九禍
すさ
星獣として、一の壱岐殿から九の九重殿まで揃ったものを・・・。
周参殿がよく嘆いていますよ、三から始まるのはどうにもしまら
ないと﹂
﹁むう⋮そうは言ってもな。ただ古くからいるだけという理由で選
64
ばれても﹂
﹁・・・儂らにもプライドというものがある﹂
ソードドック
渋い顔をする二人に持って来たジョッキを渡す命都。
﹁ほう、これは乳酒か! ありがたい﹂
グリーンマン
メートル
顔をほころばせる緑葉人の双樹とは対照的に、魔剣犬の壱岐は、
すさ
いままで上がっていた酔っ払い度数が急激に下がったようで、
﹁所詮俺たちは肝心なときに進化に失敗した出来損ないだ、周参た
ちのように2段、3段進化に成功した連中とは違う。どの面下げて
姫様の前に出られようか﹂
そういってジョッキの中身をあおるように呑んだ。
﹁・・・またそれですか。別に進化したからと言っても、使える能
力が多少増える程度ですから、要は戦い方次第だと︱︱﹂
﹁止そうその話は何度も蒸し返した。俺たちは俺たちの信念でいま
の立場に満足しているんだ﹂
﹁そうじゃな。時にいま姫様は地上でどうされておる?﹂
双樹の質問に、若干苦笑いを浮かべる命都。
﹁なんでもこの世界にも冒険者がいるようで、そのうち一人と接触
したので、この世界の冒険者の実力がどの程度あるのか、調べるた
めに冒険者ギルドへ行ってみるそうです﹂
﹁・・・冒険者か﹂
感慨を込めてその言葉を口に出す壱岐。
65
﹁そうじゃの、思い出すわい。初めて姫に拾われた時、姫様も冒険
者をしておったのぉ﹂
﹁そうですね、それからしばらくは私たち3名で姫をお守りして・・
・﹂
それぞれが当事の思い出をしみじみと思い出していた。
﹁そういえば・・・﹂ふと思い出した命都が続けた。﹁姫様がお二
方にお会いしたがっていましたよ﹂
﹁﹁な⋮なにぃ?!﹂﹂
同時に席を立ち命都に詰め寄る両名。
﹁ひ、姫様が俺たちに会いたがっていただとぉ?!﹂
﹁ほ、本当か? 忘れておらんかったのか?!﹂
その問いに力強く頷く。
﹁もちろんです。七禍星獣を紹介した際に﹃なぜ壱岐と双樹はいな
いのか?﹄とお尋ねになられたので、お話したところ・・・﹂
﹁お、おおおおおぅ・・・﹂
﹁ひ、姫。儂らごときを気にかけられるとは・・・﹂
無骨な男二人が滂沱の涙を流す。
﹁﹃お二人とも以前と変わりなくおります﹄と答えたところ、大変
お喜びになり是非逢いたいと﹂
66
もはや言葉にならずに泣き崩れる二人。
﹁﹃さらに死に物狂いで研鑽を積み、ここにいる円卓の魔将にも負
けない実力を身につけてございます﹄と続けたところ、目を潤ませ
﹃あの二人までが・・・!﹄と大変感じ入ったご様子でした﹂
と、不意に泣き止んだ二名は、お互いに眼を見合わせると、憑き
物が落ちた顔でしっかりと頷き合った。
﹁命都、代金はここに置いていく。すまんが精算を頼む﹂
﹁︱︱? なにか急用ですか二人とも﹂
﹁決まっておろう! 姫にお会いするまでにさらにこの身を鍛えお
かねば気が済まぬ﹂
﹁うむ、我らの忠信が決して誰にも負けぬことを姫にお目にかけね
ば!﹂
そういってきびきびと酒場から出て行く二人を見送り、命都は一
人ジョッキを口にして満足げな微笑を浮かべるのだった。
後日、極限まで鍛え抜かれた壱岐と双樹の二名に再会した緋雪が、
嬉しい︵?︶悲鳴をあげたのは言うまでもないことであった。
67
幕間 忠臣貞女︵後書き︶
ペット
ペット
裏設定としては従魔や武器・防具は進化及び強化可能で、従魔なら
最大5回、武器・防具は10回まで強化可能で、回数が上がるたび
に当然失敗が大きくなります︵アイテム課金で強化率をある程度は
上げられますが、成功率2倍でも、もともとの成功率が5%、2%、
ペット
0.3%とかの世界なのであまり意味はありません︶。
武器は失敗するとロストし、従魔はパラメーターが変動するだけで
進化回数が減る仕様です。また成功するとランダムで新しいスキル
が追加されます。
七禍星獣は最低でも4回以上進化した個体ばかりで、今回の2名は
緋雪がまだゲームを始めたばかりで課金アイテムを使用しなかった
ため進化が2回で終了してしまいました︵ただ思い入れがあるので
名前をつけてました︶。
8/19 サブタイトルを変更しました。
側近と忠臣↓忠臣貞女
68
第五話 冒険者達︵前書き︶
ご意見・ご感想ありがとうございます。
お陰さまでいろいろと参考にさせていただいています。
69
第五話 冒険者達
エミュー
騎鳥は成鳥なら足の長さだけでも1.7mを越え、羽毛に覆われ
た頭の先端までなら軽く3mを越える巨大な鳥だ。
飛ぶことができない代わりに走る速度は速く、また悪食なのでそ
ランドドラグ
の辺の雑草でも平気で食べる。
値段も馬や走騎竜に比べて遥かに安く、ジョーイのような貧乏冒
険者にとってはなくてはならない足といえる。
ただしその分欠点も多く、まず第一に馬どころかロバほども荷物
が背負えない。
また、あまりオツムが利口ではないので複雑な命令をこなせない。
エミュー
とどめに、妙に気が荒いので、馴れた相手以外にはなかなか懐か
ない。
エミュー
なので、繋いである自分の騎鳥を目にした途端、
﹁へぇー、あれが騎鳥?! チョコボみたいで可愛いねー﹂
止める間もなく満面の笑みを浮かべ、小走りに近寄っていった緋
雪の無防備な様子に、ジョーイは泡を食った。
﹁ま、まて! そいつはけっこう気性が荒くて︱︱﹂
エミュー
エミ
警告の叫びが終わるより先に、案の定、警戒した騎鳥が片脚を折
ュー
り曲げ、少女の小柄な体を蹴り飛ばそうとした︱︱刹那、緋雪と騎
鳥の視線が合った。
エミュー
その途端、表情がないはずの騎鳥の顔に驚きが浮かび、一瞬にし
70
エミュー
て警戒の姿勢を解いた騎鳥は、それどころかぺたんと地面に頭まで
つけて完全な服従の姿勢をとった。
﹁・・・え? え? なんで・・・?﹂
エミュー
混乱するジョーイを尻目に、緋雪は騎鳥の羽毛を触ったり、撫で
たりしながら、
﹁うわぁ∼っ、可愛いね∼この子。こんなのがいるんだねぇ。5∼
6匹もって帰りたいね﹂
のん気な感想を口に出していた。
ま、まあいいか、大事にならなかったことだし・・・。
あぶみ
ほっと安堵のため息とともにそう納得したジョーイは、木に繋い
であった手綱を外して、
エミュー
﹁よーしよし、よく怪我させなかった、良い子だ﹂
騎鳥の顎の下を撫でながら、背中の鞍の上に跨り、鐙に両足をか
け、しっかり体を固定した。
﹁じゃあヒユキ、俺の後ろへ乗ってくれ。もともと一人乗り用の鞍
だから狭いけど、お前ちっこいから大丈夫だろう﹂
﹁ちっこいは余計だよ﹂
わずかに頬を膨らませながら、緋雪がジョーイの後ろに両足を揃
えたお姫様乗りで座った。
・・・そ、そっかスカートだもんな。
そうした仕草に内心ドギマギしながら注意する。
﹁落ちないようにしっかり俺の腰に手を回しておいたほうが良さそ
71
うだな﹂
﹁う、うん・・・﹂
言われたとおり緋雪の細い体が、ジョーイの背中にピッタリ密着
した。
途端に、女の子独特の甘い花のような、砂糖のような、それ以外
の素敵な何かの匂いと、夜の風のような不思議な匂いとがして、そ
して双つの柔らかな︱︱想像していたよりもくっきりと感触のわか
る弾力が背中に当たり、ジョーイは全身が熱くなり、同時に男とし
ての衝動が爆発しそうになって、慌てて頭を振った。
﹁﹁や、やばい︱︱!﹂﹂
思わず呟いた声がなぜか唱和した。
﹁うん? なんか言ったか?﹂
振り返ると、一瞬ちらりとジョーイの首筋の辺りを見た緋雪が、
恥ずかしげに顔を伏せた。
﹁な、なんでもないよ。︱︱やっぱりどこかで食事をしないとまず
いかなと思ってね﹂
﹁なんだ⋮腹減ってるなら乾し肉くらいなら持ってるぞ? それか
アーラの街へ着いたら屋台でも食堂でもいくらでもあるし。我慢で
きるか?﹂
﹁い、いや、大丈夫だよ。一応、非常食はあるみたいだし・・・で
72
も、できれば安易に手を付けたくないんだ。まだ加減がわからない
から﹂
﹁ああ、そういうことか。確かにいま食いきっちまったら本当の非
常時に困るもんな。じゃあ我慢して街で美味いもの食おうぜ!﹂
﹁そーだね、我慢するよ﹂
エミュー
善は急げとばかり、手綱を引いて立たせようとしたが、なぜか言
エミュー
うことを聞かず、一瞬、騎鳥は緋雪の方へ伺いを立てるような視線
を送り、緋雪もそれを受けて軽く頷くと、そこで初めて騎鳥はジョ
ーイの指示に従って立ち上がった。
﹁なんだこいつ調子のいい奴だな。飼い主様より初対面の女の子の
方がいいってのか?﹂
エミュー
その様子にぶつくさ不満を漏らすジョーイと、笑って騎鳥の羽毛
を撫でる緋雪。
﹁あははは、光栄だねぇ。でも、ちゃんとジョーイの言うことを聞
かないとダメだよ﹂
エミュー
その言葉に、騎鳥は、承知とばかり一声高く鳴いた。
◆◇◆◇
73
ダンジョン
自由都市アーラは街道が交差する要所として栄え、また近くには
古代遺跡や大樹海が広がり、また良質な希少金属が採れる白龍山脈
を後背に従えることから、昔から商人や職人、そして一旗上げよう
と青雲の志を抱いて、田舎から訪れる若者たちの一大メッカであっ
た。
当然、冒険者ギルドもそれに応じた規模であり、石造り3階建て
の建物はこの街にあっても群を抜いて高く、大通りを歩けば嫌でも
目に付く威容を誇っていた。
登録冒険者数2万人以上、下は見習いのGランクから、上は単独
で竜すら狩れるAランクまで。
誰も彼も、癖の強い荒くれ者・変人・性格破綻者まで数多く見慣
れてきたそんなギルド職員だが、この日の夕暮れ、Fランクのひよ
っこに連れられてきた闖入者ほど、場違いで、そして目を引く相手
はいなかった。
さら
﹁ねえねえ、ジョーイ君、あれってどこのお姫様よ?! どうやっ
て誘拐ってきたのよ! それともまさか駆け落ち!?﹂
ギルドの安物のソファーに座って足をぶらぶらさせながら、興味
深げに周囲の様子を眺めている気の遠くなるほどの美貌の少女。
しかもその御召し物が、これまた見たこともないほどの手間隙と、
湯水の如き金額をかけたものと、素人目でもわかる逸品ときている。
どうみても、お忍びで街へ出ているどこぞの国の王女様といった
風情である。
普段であれば荒々しい熱気がひしめくギルド1階の受付・支払い
74
窓口も、この日ばかりは職員、居合わせた冒険者ともども息を飲ん
で、少女の一挙一動を見守っていた。
そんな中、その元凶を連れて来た当人であるジョーイの顔見知り
である、窓口の女性職員︱︱今年20歳になる猫人族のミーア︱︱
が、カウンターから身を乗り出さんばかりの態度でジョーイに詰め
寄った。
普段であれば、年上で、美人と言ってもいいミーアに話しかけら
れただけで、顔を赤らめ、キョロキョロと落ち着かない態度で、早
口で依頼の受付や報告をするジョーイだが︵ミーアもそんな青少年
の初々しい態度を意識してからかっていた節があるが︶、今回は触
れ合わんばかりに顔を近づけられても、白けたような顔をしたまま、
少年はため息をついた。
﹁・・・そんなわけないだろう、あれは単なる依頼主で護衛と案内
をしてるんだ。で、本人がなんかギルドが見たいって言うから連れ
て来たけど、まずかったかいミーアさん?﹂
﹁え、いや、別にそんなわけはないけど・・・﹂
普段とは落差のあるジョーイのすげない態度に軽くショックを受
け、再度、視線を少女にやって、内心大いに納得しつつも、そこは
複雑な乙女の心境で答えるミーア。
相手が冷静になったと見て、ジョーイは依頼の話を切り出した。
﹁ところで例の西の街道にでるウォードックの討伐依頼なんだけど、
まだ期間は大丈夫だったと思うんだけど﹂
﹁ああ、あれね﹂頭を切り替えて仕事モードに戻ったミーアが頷い
75
た。﹁5日の予定なのでまだ2日あるわ。なに、まだ見つけられな
いの?﹂
﹁いや、一応見つけて戦ったんだけどさ、一匹じゃなくて二匹いた
んだ。多分あれはツガイだな。危うくやられそうになったんで準備
し直そうと思って﹂
﹁ふーん、ツガイだったの。じゃあ一度依頼主に確認して報酬の引
き上げと、期間の延長を依頼してみるわ﹂
﹁そっか、助かる・・・﹂
﹁でもジョーイ君、はっきり言ってウォードックくらい1匹が2匹
でも、一人前の冒険者ならたいして変わらないものよ。︱︱やっぱ
りまだ討伐依頼は早いんじゃないの? もしくはどこかのグループ
に入れてもらうか﹂
ほっと息を吐くジョーイに向かって、弟のやんちゃを咎める姉の
ような口調で助言する。
﹁・・・だって、俺みたいなFランクの成り立てが入ったところで、
荷物持ちが良いところだろう?﹂
﹁荷物持ちも経験を積む上では大事なんだけどね﹂
なおも言い聞かせるミーアだが、ジョーイはいまひとつ納得でき
ないようだ。
それは確かに世の中には最初から一人で目覚しい功績をあげた冒
険者や、若くして名をはせた者もいる。だが、そうした人々は本当
に一握りの﹃天才﹄と呼ばれる人種だ。
76
それに比べ、この目の前の少年の技量はどう見ても並み。
地道な努力を積み重ねることで一人前になるしかない。
だから、どこかで妥協しないと、早晩冒険者の道を諦めるか、そ
れとも命を落とすか・・・。
けして長くはないギルド勤めながら、そうした若者たちを多く見
てきたミーアは、暗澹たる気分でため息をついた。
﹁︱︱それよか、ミーアさん。これって使えるのかな?﹂
と、暗くなりかけた雰囲気を変えるためか、ジョーイが気楽な口
調でポケットから硬貨をじゃらじゃらとカウンターの上に並べた。
﹁・・・見たことのない意匠の硬貨ね﹂
そのうちの金貨の1枚を取って手の上で重さを確認してみる。
ずっしりとした重さは紛い物ではない・・・どころか、金に銀を
混ぜ合わせて造られている大陸共通ペイン金貨よりも重い感じがす
る。
︵︱︱もしかして純金製?!︶
さらにもう1枚、金貨よりも2回り大きい、最初銀貨かと思った
それを手に取ったミーアは、燭台の光を反射して虹色に光るその光
沢に危うく叫び声を上げそうになり、慌てて息を呑んだ。
︵こ、これって⋮⋮ま、まさかオリハルコン︱︱?!︶
震えそうになる手を押さえつけて硬貨を元に戻し、素早くカウン
ターの後ろに居た職員に伝言を頼んだミーアは、半ば答えを確信し
77
ながらジョーイに尋ねた。
﹁ねえ、ジョーイ君。このお金はどこで手に入れたの?﹂
﹁ああ、あいつが今回の依頼の報酬だって寄越したんだけど﹂
ジョーイはいつになく真剣な眼差しのミーアの剣幕に気後れしつ
ほこり
つ、依頼ボードに張ってある各種依頼のメモ書きを愉しげに見てい
る少女を指差した。
その当人は部屋の埃でも気になるのか、たまに肩口や膝の辺りを
パタパタやっている。
﹁︱︱そう、やっぱり﹂
そこへ、先ほど伝言を頼んだ職員が血相を変えて戻ってくると、
ミーアになにか耳打ちした。
﹁ジョーイ君、悪いんだけど、いろいろ事情を聴きたいので、彼女
と一緒にギルド長の部屋に来てもらえるかしら?﹂
その言葉に、さすがに少年もただ事ではないと思ったのだろう、
見る見る顔色を青くしていった。
﹁ど、どういうことだ? これって盗品かなんかだったのか?﹂
﹁そういうことではないわ。ただあまりにも理解しがたいので事情
が知りたいの﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
逡巡するジョーイに替わって、いつの間にかカウンターのところ
へ来ていた少女が答える。
78
もっけ
﹁私なら構わないけど? それに私からも確認したいことがあるの
で、ギルド長に逢えるなら、勿怪の幸いというものだねぇ﹂
その言葉に、覚悟を決めたジョーイも頷いた。
﹁そう、よかったわ。ギルド長の部屋は3階にあるので案内します。
こちらへどうぞ︱︱﹂
そう言って先に立って階段に向かうミーアの後に続きながら、ま
た肩口の辺りをパタパタ掃うヒユキ。
﹁なあ、さっきからやってるけど、そんな埃っぽいかここ?﹂
後に続くジョーイの質問に、緋雪はどこか挑戦的とも言える笑顔
を浮かべて、なにかはぐらかすように答えた。
﹁いやぁ、さっきから蜘蛛の糸が気になってねえ。・・・まあ硬貨
の件がなくてもそろそろお呼びが掛かるとは思ってたけどさ﹂
79
第五話 冒険者達︵後書き︶
今回で、お弁当持参の遠足から、お弁当持参の観光へとなりました。
緋雪ちゃんこのまま冒険者ギルドに入るの?という流れを期待され
た方には申し訳ありませんが、しばらくは観光とグルメの予定です。
グルメというのはつまり、アレですが。
8/19 サブタイトルを変更しました。
冒険者ギルド↓冒険者達
ええ、まあ全部4文字に統一することにしまして︵;´Д`A
80
第六話 巨頭会議︵前書き︶
ご、誤字脱字の嵐がw
皆様、もうしわけありません&ご指摘ありがとうございます><
81
第六話 巨頭会議
ミーアと名乗ったワーキャットの女性に案内されてギルド長室の
扉をくぐったボクは、意外なほどシナリオ通りに動く事態の展開に、
喜んでいいんだか、嘆いていいんだか複雑な心境だった。
てんがい
もともとの経緯としては、一昨日の円卓会議の席上で、いまボク
たちがいるこの世界が元の世界と違うと、天涯らの口から語られた
ところから始まる。
﹁・・・で、それが何か?﹂
思わずそう訊いちゃったよ。
だってこっちは事故で死んだと思ったら、やっていたゲーム世界
のキャラクターになって生まれ変わりだか、復活だかしたわけだよ
! しかも到底ゲームとは思えないリアルさで。
現状がもともと異世界にいるのと一緒なんだから、そこにまた異
世界要素をプラスされても、正直、だからどーしたという感じで、
うっかり失言しちゃったわけなんだ。
なので、あっ、マズイ! と思った通り、さすがに天涯たちも一
瞬呆気に取られた様子で居たけれど・・・。
次の瞬間、なぜか満面の笑みを浮かべて、感じ入った様子でさら
に頭を下げた。
﹁まさに、まさにその通り! 我々の居場所は三千世界の中で姫の
82
お傍のみっ。そして我らの役割は、姫をお守りし、あらゆる外敵を
倒すことのみでありました! ︱︱申し訳ありませんでした姫っ、
この私めとしたところがその程度の自明の理を忘れ、醜聞をお見せ
しました!﹂
﹃その通り!! 我らの血、肉、魂、魄は全て姫様のため! 全て
を投げ打ち敵を倒そうぞ!!!﹄
再び唱和する魔将たち。
ま、またここに戻るのか・・・。
わかんねー世界なんだから、とりあえず侵略してみよーぜ。こっ
ちの世界の人間とかも、食ってみればわかるだろう。
またこのノリだよ!!
ここはなんとか軌道修正しておかないとマズイ、下手したらこの
世界が滅びる。
嫌だよ、ボクの手で地球破壊爆弾のスイッチを押すのは!
﹁とはいえ、こちらの世界の文明も言語も元の世界のものと酷似し
ているとは興味深い﹂
﹁はっ、それについては現在も調査は行なっていますが、どうもは
かばかしく参りません。具体的な成果を姫にお伝えできないことは
慙愧の念に堪えませんが、正直、我々はこうしたことは不得意でし
て、特に人間どもの間に混じっての調査となると・・・﹂
その言葉に、はっとしたね。これだよこれ! これを利用しない
なんて手はないよ。
83
﹁なるほど確かに。︱︱となると、直接に私がこの世界の人間や魔
物の力量を計るのも一興か﹂
みこと
うつほ
﹁﹁﹁︱︱なっ?!?﹂﹂﹂
こくよう
天涯、命都、空穂ら身近に居た三人が、ボクの提案に絶句した。
何も言わないが、刻耀も無言でボクの顔をじっと見て、反対の意
思を示している。
﹁驚くことはあるまい。もともと私は人間の街で暮らしていたこと
もある。そして常に戦いにも先頭に立っていた、ならば私が直接行
くのが妥当ではないか?﹂
そんでもって適当に時間を稼いでおこう。ギルド長とか国王とか
そんなホイホイ会えるもんでもないだろうしさ。
ボクとしてもしばらくこのモンスターハウスから離れられて、ひ
ゃっほーってなもんだし︵まあ作ったのはボクだけどさ︶。
﹁し、しかし・・・﹂
﹁まあ心配はいらぬ。冒険者ギルドの頭なり、国王なりの器量を計
って次の手を打つだけで、無理をするつもりはないからな。⋮⋮そ
れとも、私の手腕が信じられないと?﹂
◆◇◆◇
この街
そんなわけで何だのかんだのあって、現在ホイホイと実質的にア
ーラ市の最高権力者であるギルド長の部屋に至るわけなんだけど・・
84
・。
﹃さすがは姫様! これほどやすやすと敵の懐に入るとは。この天
てんがい
涯、まこと賛嘆の念を禁じ得ません!﹄
ペット
従魔合身機能で同一化している天涯の賞賛の声が胸の中で響く。
や
・・・なんかもう﹃敵の懐﹄とか、話し合う前から殺る気満々な
のはどーなのかと。
もっとラブアンドピースで行けないものかねぇ。
ボク
姫の味方以外は敵。
敵は殲滅するか蹂躙するかの二者選択。
ペット
こーいう価値観は早めに矯正したいんだけど、考えてみればそも
そも従魔の存在意義がそれなわけだから、犬に犬をやめろと言うく
らい無茶なのかも知れない。
﹃天涯、今回はあくまで相手の器量を見極める目的なので、軽はず
みな言動や行動は控えるように﹄
それでも一応、やんわりと釘を刺しておく。
﹃︱︱はっ。無論この私めの身命に賭けて、姫のお顔に泥を塗るよ
うな事態など起こり得ません!﹄
・・・なーんか会話のキャッチボールができてない気がするんだ
けど、ボクの気のせいかなぁ。
ペット
普通に考えれば、ボクの従魔が切れて暴れたら、当然管理責任は
飼い主のボクに来るわけなので﹃自重する﹄という意味だと思うん
85
だけど、管理責任を﹃疑った相手を抹殺する﹄と言ってる風に聞こ
えるのはボクの被害妄想なんだろうか?
さて、ギルド長の部屋は奥に執務机と書架が置かれて、手前に応
接セットが置いてあるだけの、意外なほど清潔に片付いた部屋だっ
た。
で、入ってすぐの扉の両側に1名ずつ2名のいかにも屈強そうな
護衛が立ち、執務机の前には﹃いかにもギルド長﹄という感じの、
顔に傷のある50歳くらいの筋肉隆々のおっちゃんと、35歳くら
いの眼鏡をかけた線の細そうな秘書らしい男性が立っていた。
﹁ギルド長、お客様をお連れしました﹂
一礼したミーアさんに頷いて、細身の男性がにこやかに一歩前に
出た。
﹁はじめましてお嬢さん。当アーラ市ギルド長のコラードです﹂
続いて筋肉のおっちゃんが強面のまま。
﹁同じく副ギルド長のガルテだ﹂
ありゃ、こっちの方がギルド長だったのか。
そう思った内心が表情に出たのだろう。ガルテ副ギルド長が、こ
こで初めてにやりと笑った。
ここらへん
﹁よく間違われるんだがな。所詮はギルドもお役所仕事なんで、俺
みたいな現場上がりは副ギルド長が精一杯なんだ﹂
﹁いやぁ、とんでもない。私みたいな頭でっかちの若造がギルドを
運営できているのも、すべてガルテさんが睨みを利かせているお陰
86
ですよ﹂
あっはっはっ、と気弱な笑みを浮かべるギルド長のコラード。
こ
これが本心だったら立場的に同情というか同調するところなんだ
の人
けど、ボク︱︱というか、ステータスウィンドウは騙せない。コラ
ードは魔術師だ。多分、戦ったらガルテ副ギルド長を圧倒するだろ
う。
まあ取りあえず楽にしてください、という言葉でボクたちは応接
セットに座った。
ボクの隣がカチンコチンに緊張しているジョーイで、白い大理石
のテーブルを挟んだ対面にギルド長が、その隣に副ギルド長が座っ
た。
﹁さて、急にお呼び立てしたのは他でもありません。今回、こちら
の﹁ジョーイです﹂︱︱ジョーイ君の依頼の件です﹂
ギルド長を素早くフォローするミーアさん。
﹁なにか不味かったですか?﹂
しらばっくれて世間知らずな子供のフリをして訊いてみる。
﹁なんでも今回依頼されたのは、西の荒地からアーラ市までの護衛
と市内の案内を・・・何日くらいの予定でしょうか?﹂
その一瞬光った目を見つめ返して、軽く肩をすくめて答えた。
﹁まあ2∼3日くらいかな﹂
﹁・・・ふむ。それに対する報酬が金貨10枚にオリハルコン貨が
1枚ですか﹂
87
﹁もらい過ぎだ!!﹂
唸るようなガルテ副ギルド長の声に、隣のジョーイがびくっと震
えた。
﹁小僧。お前のランクはまだFだろう? そのランクがいま言った
依頼を受けた場合の報酬なんざ﹁平均で銀貨2枚、追加報酬分も合
わせてもプラス銅貨80枚といったところでしょう﹂﹂
ミーアさんの補足に大きく頷くガルテ副ギルド長。
﹁わかってるのか小僧?! それを金貨10枚にオリハルコン貨だ
とぉ! 破格なんてもんじゃねえ、召使い込みで小さな領地くらい
買える金額だ!﹂
﹁え⋮⋮えええ⋮⋮???﹂
事態がいまひとつピンと来ないのだろう、ただお偉いさんから頭
ごなしに怒られているという現状に、青い顔をして脂汗を流すジョ
ーイ。
コラードギルド長が静かに続けた。
﹁ギルドとしましてもね、こうした横紙破りは困るんですよ。悪し
き前例ということにもなりますし、世間体というモノもあります。
あそこのギルドの冒険者は、世間知らずのお嬢さんを騙して大金を
せしめた。という悪評は必ず広がりますから。そうなるとジョーイ
君自身のためにも良くないと思いますね。そうした評判は着いて回
りますから恐らくギルドには居られないでしょう。またお金を狙っ
て最悪、命を狙われることもあるでしょう﹂
ここに至ってようやく事態が飲み込めてきたのだろう、ジョーイ
の顔色が蒼白になった。
88
﹁そんなわけで、ギルドとしては、ジョーイ君には前金をお嬢さん
に返していただき、お嬢さんは適正価格でやり直す︱︱ああ、その
場合にはギルドを通しての指定依頼ということでギルドポイントを
ジョーイ君に与えますよ。そのような形にできないかとご相談した
く、お呼び立てしたわけなのですが、いかがですか?﹂
﹁︱︱か、返しますっ! 俺、そんなつもり全然なくて⋮⋮ヒ、ヒ
ユキ、ごめんな、俺は・・・﹂
泣きそうな顔で、慌ててポケットから出した硬貨を、テーブルの
上に広げるジョーイ。
複雑な意匠が施されたきらびやかなそれを見据える、コラードギ
ルド長、ガルテ副ギルド長の目に一瞬、剣呑な輝きが宿ったのをボ
クは見た。
﹁ジョーイ君は了承してくださいましたが、お嬢さんはいかがでし
ょう?﹂
外見上は、あくまで柔和な表情を崩さないコラードギルド長の提
案に、ボクはふむ⋮と顎の下に拳を当て考え込む姿勢を示した。
﹁私としては一度約束して出したものを、はいそうですかと返され
るのは、私の沽券に関わるのでお断りしたいのですが?﹂
男に二言はないという奴だね。まあ現在は廃業中だけど。
その言葉にジョーイは酸欠のフナみたいに口をパクパクさせて気
死寸前になり、コラードギルド長、ガルテ副ギルド長の二人は、難
しい顔で黙り込んだ。
﹁⋮⋮そこをなんとかできませんか? 尊き身分の方々にとって、
89
一度口にした約束を違えるのがどれほど重要なことであるかはわか
りますが、前途ある若者の将来のためとなんとか筋を曲げていただ
きたいのです﹂
﹃下郎がっ! 姫のご慈悲をないがしろにするつもりか!﹄
暴れだしそうになる天涯をなんとか押さえる。
﹃まだ駆け引きの段階であるな。この程度で目くじらを立てていて
はこちらの器量が疑われるぞ天涯﹄
﹁う∼∼ん、それ言われるとジョーイにはお世話になったしつらい
なぁ。とは言え黙って受け取るのも・・・﹂
﹁それでしたら﹂
それまで黙って成り行きを聞いていたミーアさんが口を開いた。
﹁ジョーイ君はいままで正式な冒険者訓練や剣の指導を受けたこと
が無いので、今後ギルド指定の訓練所での訓練費を無料にする、と
いうことにすればいかがでしょうか?﹂
﹁ん? どういうことだ?﹂
怪訝そうに太い眉を寄せるガルテ副ギルド長。
﹁ですので、お嬢様はただ報酬を戻されるのが嫌だというのでした
ら、それをギルドの銀行でお預かりします。金額が金額なので利子
も膨大でしょう。
ジョーイ君には通常の報酬を払う代わりに、一人前になるまでギ
ルドの訓練所で訓練をできるよう取り計らい、その利子で訓練費を
払う。
一人前︱︱そうですね、Dランクになったところでお嬢様に元金
をお返しする、という形でどうでしょう?﹂
90
﹁なるほど、悪くないね﹂
落としどころとしては悪くないね。このミーアさんかなり頭の回
転が早いねえ、つくづく惜しいなぁ。
コラードギルド長も賛成のようだ。
﹁こちらとしても問題ないですね。ジョーイ君の方はいかがですか
?﹂
﹁も、もちろん願ったりです!﹂
﹁小僧、うちの訓練はハンパじゃないぞ! 覚悟しておけよっ﹂
大きく頷いたジョーイに、ガルテ副ギルド長がにやにや笑って言
い放った。
﹁さて、どうやら報酬のお話し合いも無事に済んだようで肩の荷が
下りました。︱︱おっと、お嬢さんは今夜の宿を決めてらっしゃい
ますか?﹂
﹁いや、まだだけど﹂
﹁それはいけない。︱︱ミーアさんお手数ですがお嬢さんの宿の手
配をお願いします﹂
﹁︱︱えっ!?﹂
﹁﹃えっ﹄てななんだ小僧。まさかこんなお嬢様を、お前の安宿へ
案内するつもりだったわけじゃないだろうな?﹂
﹁え?! え、いや⋮その⋮⋮﹂
91
まさにそのつもりだったらしいジョーイは、へどもどしながら下
を向いた。
﹁馬鹿か手前!? こんなお嬢様をそんな危ないところに連れて行
って護衛になると思ってるのか?! 根本からやり直さないと駄目
だな。︱︱まあいい、今日のところはこっちで宿は手配するから、
お前は帰って明日の朝にでも依頼手続きをやり直せ!﹂
ガルテ副ギルド長の言葉に立ち上がったジョーイは、コラードギ
ルド長、ガルテ副ギルド長の二人に頭を下げると、ボクに向かって
別れの挨拶をした。
﹁じゃあなヒユキ、今日はごめんな。明日こそきっちり案内してや
るからな﹂
﹁うん、楽しみにしてるよ﹂
もう一度頭を下げてジョーイが、ボクの宿の手配をするため出て
行くミーアさんと一緒に部屋を出て行った。
二人の気配が完全になくなったところで、ガルテ副ギルド長が立
ち上がって部屋の鍵を内側から閉めた。
さて、いよいよ本題の始まりか・・・。
92
第六話 巨頭会議︵後書き︶
緋雪は基本的に、こういうやり取りとかバランス感覚でギルマスを
やっていたので、駆け引きとかは面白がってますw
当初の予定ではジョーイの安宿に泊まって、ひとつのベットの中、
性欲と食欲のチキンレースのはずだったんですけど。
8/17 文書の訂正を行ないました。
93
第七話 紳士協定︵前書き︶
お陰さまでアクセスが10万とか♪︵*͡ー͡︶o∠★:゜*
毎日、夢のようです。
本当にありがとうございます。
94
第七話 紳士協定
鍵を掛けてソファーに戻ったガルテ副ギルド長は、じろりとボク
の顔を睨みつけた。
強面の顔のあちこちに傷があるもんだから、はっきりいって子供
が見たら泣くよこれ。
まあボクも見かけは子供なわけなんだけど、うちの家臣団に比べ
れば、正直赤ん坊が怒ってるのとたいして変わらないので平気だけ
ど。
﹁俺はしち面倒臭いことが嫌いなんでハッキリ訊くが、お前さん何
者だ?﹂
・・・何者なんだろうねぇ。そういえば。
﹁⋮⋮⋮﹂
どう説明したもんかと内心思い悩んでいると、その沈黙を黙秘と
とったのか、突然ガルテ副ギルド長は握っていた手を開いて、ボク
に見えるように掌を差し出した。
・・・生命線が短いねー。あと汗と脂で光って気持ち悪いんです
けど。
﹁見ろっ、この手を。お前さんがこの部屋に入ってから、ずっと汗
が流れっ放しだ。恐らく後ろの二人もそうだろう﹂
そう言われて振り返って、扉の両側に立っている二人の屈強そう
95
な護衛を見てみると、ボクと視線が合わないように青い顔で下を向
いていた。
﹁そいつらは二人ともBランクの生え抜きで、自慢じゃないが俺も
現役の頃はAランクだった。だから本能的にわかるんだよ。本当に
やばい相手って奴が﹂
え∼∼∼っ? ボクほど人畜無害な吸血姫とかいないと思うんで
すけどねぇ。
や
﹁若い頃は無茶もしたし、グリフォンやドラゴンと殺り合ったこと
もある。何度も死線はくぐりぬけてきたし、こいつには勝てねえ、
さっさと白旗上げてえって思った相手もいる。
・・・だけどよ、お前さんは別格、いや別次元だ。正直、さっさ
とこの場から逃げ出してぇ。命が助かる為だったら、どんなみっと
もない真似でもできる。お前さんの尻の穴をなめろと言うなら、喜
んでなめる!﹂
ア︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱ッ!!
ボクは思わずお尻を押さえてソファーごと後ずさった。
﹁ガルテさん、あなたという人はこんな年端も行かない少女に・・・
﹂
コラードギルド長が鬼畜を見るような目で、ガルテ副ギルド長を
見た。
﹁︱︱いやいや、まてまてっ! そういう趣味とかじゃなくてだな、
言葉の綾というか・・・!!﹂
必死に弁解するガルテ副ギルド長を制して、コラードギルド長が、
96
﹁まあまあこちらにお戻りください﹂と手招きするので、取りあえ
ずソファーの位置を戻した。もちろんガルテ副ギルド長からはなる
べく離れるように座ったけど。
﹁私は現場に行った経験がさほどないので、皆さんのように感覚で
わかる・・・ということはありませんが、それでも貴女が規格外な
のはわかります。お気づきでしょう、ギルド全体に張ってあった結
界と、私共の探知魔法を?﹂
﹁ああ、あの紙テープと蜘蛛の糸みたいなのね﹂
最初は壊さないようにそっと振り払うだけだったんだけど、しつ
こく絡み付いてくるから途中で面倒になって、力任せに振りほどい
ちゃったんだよね∼。
﹁B級モンスターの進入すら防ぐ防御結界が﹃紙テープ﹄で、国家
一級魔術師の探知魔法が﹃蜘蛛の糸﹄ですか・・・?!﹂
愕然とするコラードギルド長の言葉に、ボクも愕然となった。
﹁ええっ、あんなんでB級モンスターが防げるの?! で、あのレ
ベルで国家一級魔術師!? ︱︱弱っ!!﹂
思わず漏れた本音に、さすがにムッとしたらしいガルテ副ギルド
長が口を挟んできた。
﹁言っとくがこのギルドに登録されている冒険者は2万人、そのう
ちBランクが500人にAランクが60人いる。さらに国の正規兵
である駐留軍も500人からいる、お前さんがどんな化物か知らん
が、これだけの人数を相手に出来るか?﹂
虚勢なのか本気なのか自信満々で言うガルテ副ギルド長に対して、
97
ボクは指を3本立てて見せた。
﹁︱︱? なんだそりゃ﹂
﹁これだけだね。正面からぶつかれば、私一人だけでもこれだけの
時間で殲滅してみせるよ﹂
﹁・・・3日でできるだと?﹂
不満そうに唸るガルテ副ギルド長に対して、ボクは軽く首を横に
振った。
﹁いや、3分間もあれば。︱︱まあ私が連れて来ている部下なら、
1人でこの都市ごと3秒で跡形もなく消し飛ばすことができるだろ
うけど﹂
てんがい
﹃2秒もかかりません!﹄
天涯が胸の中で堂々と言い放った。・・・うん、本当だから困る
んだよね。
﹁⋮⋮馬鹿な⋮ハッタリだ⋮⋮﹂
自分に言い聞かせるように、うつろな目で言葉をつむぐガルテ副
ギルド長。
むっ、ちょっとカチンときたかな。
﹁お待ちくださいっ!! ︱︱まさか、﹃ならば実際にやってみせ
ようか?﹄などと言うつもりではないでしょうね?!﹂
慌てて静止するコラードギルド長の言葉に、そのつもりでいたボ
クは機先を制せられて軽く目を瞠った。
98
﹁・・・やはりそうですか。私は貴女の言葉を全面的に信じます。
ですので、どうか戯れにでも、貴女の様な超越的存在が、軽々しく
そうした発言をなさらないでいただきたいのです﹂
心労でうなだれる姿に、なんか普段の自分の姿が投影されて・・・
ゾクゾクと逆説的な喜びというか、﹃ふっふっふっふ、せいぜい皆
でボクの苦労を味わえ﹄的な感情が一瞬、沸き起こった。
この人
けどまあコラードギルド長に落ち度があるわけでもないし、あん
まり虐めるのもかわいそうなので、この辺で切り上げることにしよ
う。
﹁まあ少なくとも、そちらからちょっかいを掛けなければ、こちら
としては何もするつもりはないので﹂
﹁・・・信じるしかないのでしょうね。どうせ我々如きに止められ
るわけはないのですから。わかりました、こちらからは貴女の行動
に対して一切の手出しを行ないません。要望も可能な限り叶えるこ
とをお約束します﹂
﹁ふーん。じゃあ私からの要望はあとひとつ︱︱あっ、二つかな。
ひとつは私への監視も行なわないこと﹂
当然監視するつもりでいたのだろう、二人とも苦虫を噛み潰した
ような顔で、しぶしぶ頷いた。
﹁もうひとつは、私が滞在中に多分若い女性が何人か、夜に姿が見
えなくなって、茫然自失の状態で発見されることがあるかと思うけ
ど、命には別状ないし、しばらくすれば元に戻るので事件にしない
こと﹂
99
﹁︱︱おい、ちょっと待て! それって十分な重大事だぞ!? だ
いたい他の犯罪とどう区別つけるんだ?!﹂
なるほど、ガルテ副ギルド長の懸念も一理あるか。他の誘拐と重
なったら大変だもんね。
﹁ああ、そうだね。では、もうちょっと条件を狭めて、年齢は15
∼20歳まで、美人で健康的で処女であること、あとは姿が見えな
くなる前に金髪でものすごーい美形の男と話していた、とかかな﹂
﹁それでも結構幅が広いと思うがな。まあいい、要するにさっきま
ところ
でいたミーアみたいな娘が対象ってことだな?﹂
念を押しつつも自分のギルドの職員に手は出すなよ、という眼光
で睨むガルテ副ギルド長。
﹁まあそうだけどさ。ミーアさんは大丈夫だよ、確かに好みだけど
惜しいことに非処女だし﹂
﹁﹁﹁﹁な、なにぃ︱︱!?!﹂﹂﹂﹂
なぜかギルド長や護衛の二人も混じって、驚愕の声をあげる。
﹁︱︱で、では、モナは?! あの窓口の左から3番目の赤毛で清
楚そうな!﹂
先ほどまでの冷静な仮面をかなぐり捨てて、コラードギルド長が
必死に問いかけてくる。いや、あんた変わりすぎでしょう。
﹁あー、あの娘ね。たぶん2∼3人と遊んでると思うよ。複数の男
の臭いがしたから﹂
﹁ば、馬鹿な⋮⋮!?﹂
100
この世の終わりのような顔で、その場に膝を突き天を仰ぎ見るギ
ルド長。
なんかさっきのボクの発言よりもショックを受けてる気がするん
ですけど?
﹁だったらルチア⋮あの黒髪で目の下に泣きボクロのある彼女は?
!﹂
﹁エレナは?! 金髪でポニーテールの!﹂
護衛二人も掴みかからんばかりの勢いで口々に訊いてくる。
・・・あの、本能的にボクに近寄れないとかいう話はどーしたの?
それとも、そんな恐怖も忘れるほど重大な事なのコレ?!
プライバシー
﹁あ、いや、さすがに個人情報とかあるので、これ以上は・・・﹂
そういっても、なおも詰め寄ってくる二人と、ショックを受けて
いるギルド長、副ギルド長を横目に見ながら、ボクが言うのもなん
だけど、つくづく思った。
男って馬鹿ばっかり。
101
第七話 紳士協定︵後書き︶
ちなみにステータスで見ると、
コラードギルド長
種族:人間︵魔術師︶
名前:コラード・アドルナート
職業:アーラ市冒険者ギルド長
HP:1,730
MP:4,150
ガルテ副ギルド長
種族:人間︵重剣士︶
名前:ガルテ・バッソ
職業:アーラ市冒険者副ギルド長
HP:4,350
MP:1,220
で、ギルド長は国家一級資格があるので、ギルドレベル的にはAラ
ンク並みです。
緋雪が3分といったのは本気モードで同レベルのモンスター100
0匹倒すのにだいたい1∼2分なので、ある程度余裕を見込んで3
分と言ってます。
102
第八話 喪失世紀︵前書き︶
毎日誤字脱字、文法の誤りの指摘など本当にありがとうございます。
それにしてもホント間違いが多くてすみませんm︵。≧Д≦。︶m
103
第八話 喪失世紀
﹁遺失硬貨︱︱か﹂
もともとはどこぞの貴族の屋敷だったというこのホテル﹃オリア
ボク
ナ・パレス・ホテル﹄のテラスから、夜の闇に沈む街を眺めつつ︵
もっとも吸血姫の目には昼間と変わりなく見えるんだけど︶、ボク
は先ほどコラードギルド長から聞いた単語を口の中で転がした。
あの後、なぜかカオスな場と化したギルド長室︱︱茫然自失のま
ま帰ってこないギルド長と、娘の不貞を知った父親のような顔で自
分の殻に引き篭もっている副ギルド長、あまりのしつこさに根負け
して、ついつい教えた質問の内容﹁どっちも現在付き合ってる男が
イービル・アイ
いると思うよ﹂に泣き崩れる護衛二人︱︱の連中を落ち着かせるた
め、最終的には魔眼まで使い直前の記憶を操作して、どうにか場を
元に戻したんだ。
で、正気に戻ったギルド長に、ボクは気になった点を尋ねてみた。
なんか見た時の反応がみょんだったので、ボクの持っていたゲー
ム内硬貨について、なにか知っているんじゃないか?と言ったらそ
の答えが返ってきた。
こうか
なんでも記録に残っていない通称﹃喪失世紀﹄の遺産として、ご
くたまに発見されるもので、特にオリハルコンでできている虹貨に
関しては、そもそもオリハルコン自体の製造方法が不明なため、ほ
とんど出回ることはなく、どこぞの王国の宝物庫に1枚、どこぞの
帝国の銀行に1枚という具合で、確認されているだけでも世界に5
104
枚とないそうだ。
こうか
・・・まあ、ボクは虹貨500枚くらい持ってるし、城にはギル
メンの錬金術師が趣味で揃えた最高級の精錬施設があるのでオリハ
ルコンなんて幾らでもできるし、実際に山になって野積みになって
いるわけなんだけど。
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁・・・どうにもわからないなぁ、まったく﹃E・H・O﹄の影響
が無い世界でもないみたいだし﹂
イービル・アイ
﹁いかがなさいます姫。この街のギルドの上層部はすでに姫の魔眼
で操り人形も同然でございましょう。ならば、このような粗末なあ
てんがい
ばら家で一夜を過ごされるよりも、ここはいったん城へお戻りにな
ペット
られては?﹂
従魔合身を解いた人間形態の天涯が、いつものタキシード姿でそ
う進言してくる。
イービル・アイ
・・・いや、あそこで魔眼を使ったのは、別にコラードギルド長
やガルテ副ギルド長を操り人形にして、取り込むつもりとかじゃな
いんだけどねぇ。
と言うか逆の目的だったんだけど、そう言ってもどうせ曲解する
んだろうなぁ︱︱てか﹃あばら家﹄って、いちおうこのホテルって
王族も定宿にするようなアーラ市最高ランクらしいんだけど︱︱お
っと、王族で思い出した。なら、ここは適当に話を合わせておこう。
﹁確かに当初の目的は果たせたといえる。しかし﹃喪失世紀﹄とや
らどうにも気になる﹂
﹁左様でございますか? 取るに足らぬ伝説の類いかと思われます
105
が﹂
こうか
﹁しかし実際に虹貨の実物があるというのであれば、なんらかのつ
ながりがあるか。或いは私たち同様にこの地にたどり着いた同郷の
者が過去に居たか﹂
﹁なるほど、そうであれば我らにとって最大の障害となる可能性が
高うございますな﹂
旧交を温めあおうという発想はないらしい。
﹁とはいえ﹃喪失世紀﹄の記述については、各地の王族や神殿にし
か断片的にないらしい。やはり予定通り、次は王族と接触してみる
とするか﹂
﹁・・・わかりました、姫の仰せのままに。︱︱ところで、先ほど
の宿の食事は、やはりお口に召さなかったご様子。ギルド長の言質
も取りましたし、今宵あたり姫のご要望の品を調達して参りましょ
う﹂
あー、確かにソースがくどいし、香辛料が効き過ぎてる割に素材
の火の通し方がイマイチで、半分も食べられなかったなここの食事。
普通にとんこつラーメンでも食べたかったよ。
﹁そうか。では、明日の朝までに用意を頼む︱︱が、くれぐれもや
り過ぎぬよう加減するように﹂
正直、アレを口にするのは若干ためらいはあるけど、どーにも生
理的欲求が収まらないので、直接首筋に齧り付くより、天涯に調達
してもらって飲むことで折り合いをつけることにした。
﹁︱︱無論、承知しております﹂
106
その言葉と共に、天涯の姿がその場から消えた。
﹁さて、と。そういえばジョーイは元気にしてるかな?﹂
吸血姫の本領発揮となるこの時間帯、ふとボクはジョーイの別れ
際の泣きそうな顔を思い出した。
◆◇◆◇
粗末な夕食の乗った使い込まれた木のトレーを両手で持ち、ため
息をつきながらジョーイは、宿の2階にある自分の部屋へ戻るため、
階段を上がっていた。
思い出すのは今日の夕方のギルドでの出来事である。
自分の世間知らずのせいで迷惑をかけた女の子のことを考えて、
またため息をつく。
﹁軽蔑されたろうなぁ・・・﹂
終わったことだとは思うが、思い出すと自分で自分のことを思い
っきり殴りたくなる。
何度目になるかわからないため息をつきながら、ろくに鍵の掛か
らない部屋のドアを足で開けて、部屋の中へと入った。
﹁やあ、おかえりジョーイ﹂
107
ベッドを椅子代わりに座った緋雪にそう挨拶されても、ジョーイ
は最初それが現実とは思えなかった。
月の光が見せる幻影か、妖精の悪戯か、それともいよいよ自分の
頭がおかしくなったのか。
﹁約束の朝には早いけど、気になったので勝手に上がらせてもらっ
たよ﹂
にこやかに微笑む緋雪の声に、やっとこれが現実だと理解したジ
ョーイは、大慌てで夕食の乗ったトレーを緋雪の隣のベッドの上に
置き︵机なんてものはない︶、部屋のドアを閉めてチャチな鍵をか
けた。
﹁お、お前、どうやってここに?!﹂
ほんにん
上ずった声で訊くものの、当の緋雪はジョーイの夕食のほうに興
味津々の様子で、
﹁ああ、窓が開いてたから勝手に入ってきたよ﹂
食器の中身を見ながら上の空で答える始末。
﹁窓ってここ2階だぞ? だいたいお前のその格好だって・・・﹂
部屋着らしい、オフブラックのくるぶし丈のドレスの上にアイボ
リーのナイトガウンを羽織っただけの緋雪の格好に困惑を隠せない
ジョーイだが、本人はどこ吹く風で夕食の一つを指し示した。
﹁ねえねえ、なにこれ?﹂
﹁なにって、オートミールだろう。・・・知らないのか?﹂
これ以上訊いても無駄だと悟ったジョーイは、ため息混じりに答
108
えた。
﹁へぇ、これがそうなんだぁ。名前は聞いたことあるけど初めて見
たよ。一口食べてもいいかい?﹂
﹁そりゃ構わないけど、お前ギルドで宿をとってもらったんだろう
? そっちで晩飯食べなかったのか?﹂
﹁ん? ああ一応﹃オリアナ・パレス・ホテル﹄ってところの貴賓
室に泊まってるんだけどねぇ、あまり食事は美味しくなくて、ほと
んど食べなかったんだよ﹂
言いつつ早速、スプーンでオートミールを一口頬張る緋雪。
﹁︱︱ちょ、ちょっと待て、﹃オリアナ・パレス・ホテル﹄って言
ったら一泊するだけでも、市民の月給くらいするって聞いてるぞ!
? その貴賓室の食事がマズイなんて・・・﹂
聞こえてるんだか聞こえてないんだか、スプーンを口に入れたま
ま、微妙な表情で固まっていた緋雪は、口の中でオートミールを噛
んで、意を決した感じで飲み込んだ。
﹁・・・いや、城で食べる食事に比べて美味しくないというだけで、
別にマズくはないさ。それに比べてこっちは、正直とんでもなくマ
ズイねえ﹂
﹁︱︱まあ、俺たちみたいな金の無い、だけど体が資本だから腹一
杯食いたいって奴らの食事だからな﹂
説明しながら緋雪から返してもらったオートミールをすすり、パ
ンにバターを付け、ほんの申し訳程度にベーコンが入った馬鈴薯と
109
一緒に食べる。
﹁なるほど、見事に炭水化物ばかりだねえ。たまには野菜も食べな
いと体に悪いよ﹂
﹁いいんだよ、飯なんて腹一杯になれば!﹂
なんとなくイラついて叩きつけるように言った言葉に、緋雪は一
瞬目を見開き、続いて申し訳なさそうにうなだれた。
﹁・・・そうだね、私のはただの我がままだね﹂
﹁あ、いや、別にお前が悪いんじゃ・・・﹂
ただでさえ小さな体をさらに小さくしている緋雪の姿に、ジョー
イは食事を中断すると、大慌てで慰めの言葉を探した。
﹁︱︱ごめん。いまのは八つ当たりだ、なんか俺とお前の間にすげ
ーでかい壁があるような気がして、それが悔しくて﹂
その言葉にきょとんと首を捻る緋雪。
﹁別に壁なんてないよ。こうして触ろうと思えば触れるし﹂
そう言ってジョーイの頬にひんやりと冷たい掌を当て、すぐに離
した。
そんな思いがけない少女の行動に、ジョーイの胸の鼓動が高鳴り、
反射的に聞き返していた。
﹁・・・じゃあ、触ってもいいか?﹂
﹁︱︱う、うん﹂
照れた様子で、それでも頷いてくれた緋雪の方へジョーイは手を
伸ばし、ふと、どこを触っても壊れそうな気がしてためらったが、
110
覚悟を決めて、なんとなく二の腕の辺りを握ってみた。
﹁お前・・・こんな細いのになんでこんなに柔らかいんだ?! 本
当に骨入ってるのかこれ?﹂
﹁︱︱君もつくづく情緒がないひとだねぇ﹂
呆れた顔と口調で言われて、
﹁いや、だって村の女とか冒険者の女とか皆、女でもけっこう固い
ぞ﹂
必死に弁解するのだが、ますます呆れたような顔をされ、ジョー
イは気恥ずかしくなって手を離した。
﹁そういうのは農作業や労働で働いている女性の腕だよ、それはそ
れで尊いものだけど、普通の女性はだいたいこんなものさ。なんな
ら今度ミーアさんにでも頼んで触らせてもらえばわかるよ﹂
﹁・・・ミーアさんか。あの人、俺のことバカにしてる感じがする
からなぁ﹂
﹁それは思い違いだよ、あれほどできた女性はなかなかいないよ。
きついことや口うるさいことを言ってるように感じるかも知れない
けど、それもすべて相手のためを思ってのことなんだから。恋人や
連れ合いにするのならああいう女性を選ぶべきだね。特に君はどこ
か間が抜けているからピッタリだよ﹂
﹁余計なお世話だ! だいたいあんな年上の人が俺みたいなガキを
相手にするわけないだろう﹂
﹁そうでもないと思うよ、そこらへんは君の頑張りしだいじゃない
111
かな? ︱︱これは勘だけど、彼女はたぶん何年か前に恋人と別れ
るか、ひょっとすると死別したのかも知れない。そうした心の傷を
癒せるものを君の中に見ている気がするんだ﹂
﹁なんだそりゃ、オンナの勘って奴か?﹂
﹁う∼∼ん、そうだね。そういうことにしておこう。︱︱おや、す
っかり食事が冷めてしまったね。そろそろお暇するよ﹂
窓の外を見ながらそう言う緋雪。
﹁お暇って、まさか本当に窓から⋮﹂
刹那、緋雪の瞳が煌々と光った気がして、ジョーイの意識は急に
ぼんやりとしてきて︱︱
﹁おやすみジョーイ、また明日﹂
ふと、そんな挨拶の声が聞こえた気がして顔を上げた時には、部
屋の中のどこにも緋雪の姿はなく、鍵も内側から閉まっていた。
﹁・・・夢だったのかなぁ﹂
自分でも半信半疑のまま、ジョーイはすっかり冷たくなった夕食
を平らげた。
それでもさっきまであった鬱屈した気分がすっかり晴れ、その晩
は夢も見ないでぐっすり眠れたのだった。
112
第八話 喪失世紀︵後書き︶
もうちょっと甘酸っぱい展開になると思ってたのに
終わってみれば見事にヘタレなジョーイ君でした。
ミーアさんは裏設定で15才の時に同い年で冒険者だった恋人を亡
くして、なるべく同じ悲劇を起こさないようがんばってるとか、間
抜けさ加減がジョーイ君に似てるとか。
あとオートミールも具材とか上に載せるものでかなり美味しくなり
ますけど、ジョーイが食べているのは燕麦を水で煮ただけのポリッ
ジ︵粥︶です。
食事のメニューは1840年のイギリスの下級労働者の食事を参考
にしました︵だいたい下から2番目くらい。当事はお肉がどれくら
い食べられるかで稼ぎがわかる目安ですね︶。
8/17 修正しました。
×お前のそこ格好↓○お前のその格好
113
幕間 豚骨大王︵前書き︶
今回も番外編ですが、本編と微妙にリンクしてます。
夜中にラーメンが無性に食べたくなったりした時のため
孔明の罠で夜中にアップしようかと思ったのですが、順番が前後し
ないよう昼間となりましたw
114
幕間 豚骨大王
ラーメン屋﹃豚骨大王﹄は虚空紅玉城の城下町︱︱もともとはN
PCが運営する様々な種類の自動露天を設置できるエリア︵上限は
50軒までだったが、現在は当然のように規模が拡大し、さらにモ
ンスターが運営する店を含め2000軒を超えている︶︱︱の一角
に位置する、知る人ぞ知る隠れた名店である。
カウンター席しかない狭い店の前には常に長い行列が並び、店の
外までとんこつスープ独特の強烈な匂いが立ち込め、来店する客の
期待を否が応でも高めていた。
これだけ繁盛している店なのだから、もっと大きな店舗に移れば
いいと思うのだが、店主であるオークキングは頑固一徹なまでに自
らの手作りにこだわり、自分が一日に作れるスープの量から、この
規模の店が限界と言って、そうした誘いには決して首を縦に振らな
かった。
そんなある日、ちょうど寸胴鍋の向こう側のカウンターに座った
小柄な客が、待ちわびた様子でとんこつラーメンを注文し、その声
を耳にした店主は、ふと、どこかで聞いたことのある気がして内心
首をかしげた。
見たところは、身長140cmほどで、エルフかホビット並みの
体格で、頭の上から足の先まですっぽりと黒いローブをかぶってい
る。
インペリアル・クリムゾン
鼻から上を隠す赤い鬼面の仮面を付けているため、人相はわから
ないが︱︱この程度の怪しげな格好をした住人など、この国には掃
115
いて捨てるほどいる︱︱声の質からして子供か女、あるいはその両
方だろう。
初めて見る客だと思うのだが、なぜかどこかで逢ったことがある
ような気もする。
どうにも喉の奥に人の骨でも挟まった気がして、落ち着かなく思
いながらもそこは馴れた作業で、素早く調理を終え、目の前という
こともありカウンター越しに、その客の前に注文のラーメンを置い
た。
﹁︱︱へい、とんこつラーメン普通盛り、お待ちっ﹂
﹁うわぁ、すごい! これで普通盛りなんだ!?﹂
目の前に置かれたタライほどもあるドンブリ︱︱身長4m近い店
主にしてみればほんの小皿だが︱︱を見て、目を白黒させているそ
の客に向かい、エプロンで手を拭いながら店主はなにげない風に話
しかけた。
﹁嬢ちゃんはうちの店は初めてかい? だったらその半分以下の小
盛りもあったんだがなぁ﹂
ずいっと目の前に身を乗り出してきた巨体と、どーみてもイボイ
ノシシな凶悪な面構えに、その小柄な客は、あたふたと丸椅子の上
から転げ落ちそうになったが、椅子自体が大きいこともあり︵2∼
3mの客とか普通なので︶、どうにか体勢と気持ちを立て直したら
しく、コクコクと頷いた。
﹁︱︱う、うん。この辺の道で美味しいとんこつラーメンのお店を
聞いたら、ここを教えてもらったんだ。お店の前に行列があったか
116
らすぐにわかったよ﹂
呼び名のほうもどうやら﹃嬢ちゃん﹄で正解だったらしい、割り
箸をとって﹁いただきまーす﹂と言いながら口に運ぶその様子に好
感を抱き、店主は相好を崩した。
﹁ほう、そいつは運が良かった。うちはこの通り裏通りにあるから
な、知ってる奴はよほどの通か常連だろうな﹂
﹁そうなんだ。でもがんばって食べられるだけ食べてみるよ。︱︱
っ!? すごいっ! 美味しいよこれっ! こんな美味しいとんこ
つラーメン初めて食べたよ!!﹂
一口食べての絶賛に、店主はさらに笑みを深くした。
﹁そうだろう! うちのスープはそこいらにない特別製だからなっ﹂
そう胸を張ったところで、少女の前にお冷が置いてないことに気
が付いて、店主は一転して怒気もあらわに、店員のハイ・オークを
怒鳴りつけた。
ダシ
﹁馬鹿野郎っ! お客さんにお冷を出してねーじゃねーか! ちん
たらしてるとスープの出汁にするぞ!!﹂
︱︱ぶふぁっ!
途端、レンゲでスープを飲んでいた少女が咳き込んだ。
﹁ま、まさか・・・このスープって・・・﹂
﹁ん? ︱︱ああ、んなわきゃねーだろう。いちいち店員をスープ
にしてたら、従業員なんざ寄り着かねえさ﹂
﹁そ、そーだよね。びっくりしたぁ﹂
117
ほっと安堵のため息をついて再度スープを口に運ぶ。
﹁・・・まあ、もっとも俺は、魔力で普通のオークなら無制限に召
喚することができるけどよォ﹂
︱︱ぶふぉっ!
再度、少女が咳き込んだ。
ダシ
ホーン・ピック
﹁いや、だからって別にオークを出汁に使ってねーから、安心しろ
や。普通に農場で養殖してる一角豚の身と骨だから﹂
大丈夫かこいつ、という目で見る。
﹁ああ、いや、ごめん。そーだよね、とんこつラーメンに豚骨以外
使ってるわけないよね﹂
うんうん頷きながら、ちょうど店員が持ってきたお冷を口に運ん
で、気持ちを落ち着け食事を再開する少女。
﹁当たり前だろうがまったく。材料なんざどの店もたいして変わら
ん。要は料理人の腕だな、腕﹂
﹁うんうん。わかるよ﹂
オレ
ダシ
﹁それを同業者の中には、妙にひがんでうちの旨さの秘密は、隠し
味にオークキング、つまり店主自身が風呂に入って出た出汁を使っ
てる、なんて言う奴もいるくらいで︱︱﹂
︱︱ぶはああああっ!!!
﹁だから、ねーから! お前も落ち着きの無い奴だな、そんなんじ
118
ゃこれから先やって行けねーぞ。緋雪様がご復活されて、これから
また戦が待ってるってのに﹂
﹁・・・そ、そうなの? なんかそれって確定事項なわけ?﹂
﹁当たり前だろーがっ。緋雪様のいらっしゃるところ常に血で血を
洗う戦いありだ! ︱︱ん? ひょっとしてお前、緋雪様にお会い
したことがないのか?﹂
﹁あー、うん、直接会ったことはない、かなぁ・・・﹂
﹁かぁ! どうりでなあ。俺は今でも覚えてるぜ、俺はもともとチ
ンケな森を支配していたお山の大将だったんだが、あの日、完膚な
きまでに緋雪様に敗れ去り服従を誓った﹂
﹁ああ。そういえばウィスの森のフィールドボスだったっけ﹂
﹁なんだ知ってるのか? それからは緋雪様とともに世界各地を渡
り歩き、各地の猛者どもと戦い、この拳が乾いたためしなんざなか
ったぜ﹂
﹁う∼∼ん、やっぱ原因は自業自得か⋮⋮でも、それがなんでいま、
とんこつラーメン店の店主をしてるの? そのくらい強くて元フィ
ールドボスなら十三魔将軍に入るくらいできそうだけど?﹂
あく
﹁魔将軍? ︱︱はんっ、あんなもん目立ちたがり屋の名誉職だろ
うが。だったら、そんなヒマがあればとんこつスープの灰汁取りで
もしてた方がよほどマシだぜ。それに俺程度の強さの奴なんざ、こ
の近所の商店街にはごろごろしてるぞ。4人に1人くらいいるんじ
ゃねーか?﹂
119
﹁ご、ごろごろ・・・4人に1人・・・そ、そーだよね、フィール
ドボスもコンプリートしたし。でも、なんで皆、こんな張り切って
Lv99まで上げてるんだろう・・・﹂
﹁んなもん緋雪様のために決まってるだろーが! 嬢ちゃんもがん
ばって緋雪様の力になれよ!﹂
﹁︱︱う、うん、まあ⋮がんばって緋雪サマの身の安全くらい守れ
るようにするよ﹂
﹁その意気だぜっ﹂
話しているうちにいつの間にかドンブリは空になっていた。
﹁ごちそうさまっ。食べられないかと思ったけど、美味しくてする
する食べられたよ。︱︱代金はいくら?﹂
﹁おう、とんこつラーメン普通盛りで大銅貨8枚だ﹂
﹁ひい⋮ふう⋮⋮じゃあ、ちょうど8枚あるからここに置いておく
よ﹂
﹁毎度有り! ︱︱嬢ちゃんまた来いよ﹂
がいじん
﹁うん。そうさせてもらうよ。それじゃあまたね凱陣﹂
そう挨拶して出て行く少女。
聞き流しかけた店主︱︱だが、最後のその言葉に知らず全身に痺
れが走った。
120
がいじん
﹃凱陣﹄それは常連や従業員ですら知らない彼の名前。
尊きあのお方が付けてくれた彼の誇りであり全て。
がいじん
決してあのお方以外には呼ばせまいと封印していたそれが、あの
日と同じ声で、あの日と同じ口調で、この耳に届いたのだ。
﹁・・・ま、まさか・・・﹂
すでに雑踏の中に消えて行ったその後姿を目で探しながら、凱陣
は彫像のように固まった。
﹁マスター注文お願いします!﹂
その店員の声でふと我に返った彼は、カウンターの上に置かれた
銅貨を宝物のように握り締め、
﹁おう、わかった﹂
ひとつ大きく頷くと、常に無い上機嫌な様子で、麺を茹で、スー
プをかき回すのだった。
121
幕間 豚骨大王︵後書き︶
ちなみに時間軸としては、ジョーイの部屋から戻る途中、緋雪が無
性にとんこつラーメンを食べたくなり、城へ転移︵以前城外へ転移
できなかったのは転移先が不明であったためで、こちらの世界の特
定地点をマーキングすれば転移は可能となります︶して、変装して
ラーメン屋に行ってまた戻るをしました。
またオークキングは中級レベルの特殊フィールドボスです。
クエストを受けることでイベントが発生します。常に周りに子分の
オークを連れ、しかも時間の経過ごとに再召喚するのでかなりやっ
ペット
かいです。
従魔となると1度に3匹しか召喚しなくなりますが、当然この世界
ではそのあたり撤廃されていますw
8/20 誤字を修正しました。
×彫像にように固まった↓○彫像のように固まった
12/18 誤字脱字修正いたしました。
×灰汁取りでもしてた方がよほどマジだぜ↓○灰汁取りでもしてた
方がよほどマシだぜ
122
第九話 悪鬼蠢動︵前書き︶
気が付けば22万アクセスとか、本当にありがとうございます!
嬉しくて舞い上がる反面、そろそろ上げて落とされるんじゃないか
とガクブルです。
123
第九話 悪鬼蠢動
﹁くそっ、ちょろちょろしやがって、この犬っころ!﹂
かわ
ジョーイが力任せに振るった剣の軌道を易々と見切り、ウォー
ドッグは刃を躱して距離を取った。
﹁︱︱すぐに右手側に跳んで!﹂
途端、飛んできた指示に従って、咄嗟に右に跳んだジョーイの足
があった地点で、後ろから迫っていたもう一匹のウォードッグの牙
が、虚しく空気を噛んでガシッと硬質の音を立てた。
﹁そのまま距離を取って、二頭とも視界の中に入れておく!﹂
言われるまま剣を構えて距離を取る。
﹁︱︱畜生っ、もうちょっとなんだけどな!﹂
ジョーイの憎まれ口に、少し離れた大岩の上に座り、日傘を差し
たまま様子を窺っていた緋雪が柳眉をひそめた。
﹁・・・ちょっとどころか全然駄目だよ。動きが直線的で大振りだ
くわ
から簡単に避けられるし、振ったあとは体勢を崩すから隙だらけだ
し。なんか畑で鍬でも振ってるみたいだねぇ﹂
図星を指されてジョーイは耳まで赤くなった。
﹁しょうがねえだろうっ。実際、物心ついた時から畑仕事は手伝わ
されていたんだし⋮⋮だけど、口減らしで街に出ることになってか
124
らは、自警団の団員とかには稽古はつけてもらって、いい線いって
るって言われてたんだぞ!﹂
﹁そりゃあ若くて体力があるからさ。力任せに振るえば、村の盛り
を過ぎた力自慢相手には通じるかも知れないけど、生きたモンスタ
ーの反射神経を相手に、そんな見え見えの攻撃なんて当たりっこな
いよ﹂
警戒して唸り声をあげているウォードッグ2匹の様子を窺いなが
ら、ジョーイは口を尖らせた。
﹁じゃあ、どうすりゃいいんだよ?﹂
﹁相手の動きを見て、フェイント以外は自分から攻撃しないことだ
ね。その犬︱︱ウォードッグだっけ? そいつの攻撃は噛み付きだ
けみたいなので、そこだけ注意して、あとパターンは足を狙って動
きをとめて、首筋の急所を狙うだけと動きも直線的なので、動いて
からでも対応できるよ︱︱と、足っ!﹂
緋雪の言葉に注意を向けているジョーイの態度を好機と見たのか、
1頭が地を蹴り、言われるまま足元目掛けて振るったジョーイの剣
が、偶然にその頭を断ち割った。
﹁︱︱ギャン・・・!﹂
かわ
﹁やっ﹁前っ、もう1頭! 躱せないから突いて!﹂﹂
感慨に浸る間もなく、矢継ぎ早に飛んできた指示に従い、顔を上
げたところへ怒り狂ったもう1匹のウォードッグの真っ赤な口が目
前に迫り、反射的に突き出した剣先から鈍い感触が伝わり、必死に
もがく前脚の爪が腕を引っ掻いていたが、徐々に動きが緩慢になり、
125
やがてパタリと止まった。
途中から目をつぶっていたジョーイの耳に、パチパチと小さな拍
手が聞こえてきた。
﹁討伐依頼、達成おめでとうっ﹂
恐る恐る目を開いたところへ、その言葉と緋雪の満面の笑顔が飛
び込んできて、ジョーイは足元に転がる死体と、剣に串刺しになっ
たまま絶命しているウォードッグに視線を移し、ようやく言われた
言葉の意味を理解した。
どさっと音を立てて、強張っていた手から剣ごとウォードッグの
死骸が地面に落ち、ジョーイは爆発した感情ごと、握り締めた手を
天に向かって突き上げた。
﹁やったぜ︱︱っ!!﹂
◆◇◆◇
﹁へえ、ちゃんと仕留めたのね。ジョーイ君おめでとう﹂
依頼達成の証拠として、カウンターの上に出されてたウォードッ
グ2匹分の牙を見て、ミーアさんも素直に賞賛の声をあげた。
﹁へっへ、どんなもんだい!﹂
126
悪戯の成功した悪ガキみたいな顔で胸を張るジョーイの態度に微
苦笑をして、ミーアさんはその視線をこちらに向けてきた。
﹁実際、見ててどうだったのジョーイ君の戦いっぷりは?﹂
﹁ド素人もいいところだねぇ。今回のはマグレの域を出てないし、
見ていてハラハラしたよ﹂
肩をすくめたボクの言葉に、ジョーイが膨れ、ミーアさんは﹁や
っぱりねぇ﹂と含み笑いをした。
﹁まあ、でも良い経験にはなったろう。君は少し恐怖を覚えたほう
がいいよ。冒険者は兵士ではないんだから、相手を倒すよりも、自
分が生き延びることを最優先しないとね﹂
実際、聞いた話ではこの世界には蘇生魔術も蘇生薬もないらしい。
つまり死んだらそれでお終いだ。
そんなリスクの高い状況で冒険者なんてヤクザな商売をするなん
て、正直ボクには理解できないけど、この辺りも昨夜の食事の話と
同じで、恵まれた立場にいる者の傲慢なんだろうね。
だから辞めろとは言えない。
そんなボクの言葉にミーアさんも頷いた。
﹁そうね。そのあたり特にジョーイ君には、たっぷり訓練所で教育
する必要がありそうね﹂
﹁ちぇっ、なんだよ二人して! 少しは喜んでくれてもいいじゃな
いか﹂
不貞腐れるジョーイの子供っぽい態度に、思わずミーアさんと二
人顔を見合わせて笑ってしまった。
127
﹁そんなことないわよ∼。ジョーイ君の初の討伐依頼達成記念日で
すものね。なんなら頬にキスしてあげましょうか?﹂
悪戯っぽく微笑んでウインクするミーアさんの言葉に、ボクも一
口乗ってみることにした。
﹁いいね、それ。では、私も反対側の頬にキスしてバランスを取ら
ないとね﹂
ゆでだこ
﹁な、なっ、なに言ってるんだ、お前らいい加減に・・・!﹂
茹蛸のように真っ赤になるジョーイ。ちょっとワルノリし過ぎた
かな?
﹁・・・でも、まあ実際、これで私も肩の荷が下りたよ。昨日、ジ
ョーイに案内を頼んだせいで、先の依頼が駄目になったら心残りだ
ったからねぇ﹂
ひと
そんなボクの言葉に笑みを引っ込め、真顔になるミーアさん。
うん、本当に頭の回転が速い女性だね。
﹁心残りって⋮⋮ひょっとして、もう出立ですか?﹂
ここ
﹁そうなるかな。アーラ市でやるべき事も、知りたいことも、だい
たいわかったのでね。次は王都に行ってみるつもりだよ﹂
どうせ質問されるだろうと思って、次の行き先を前もって教えて
おいた。
﹁︱︱ちょっ、ちょっと待てよヒユキ! お前、予定では2∼3日
街の案内をしてくれって・・・なのに、今日だって俺の討伐依頼に
付き合って、肝心の街の案内とかぜんぜんしてないじゃないか!﹂
﹁まあ予定は予定ということでね。もともと期間は未定だったろう
128
? なのでちょっと早まったんだよ。ああ、別に依頼料をその分安
くするとかは無いので﹂
﹁違うっ、そうじゃなくて・・・﹂
泣きそうな顔のジョーイから視線を外して、ボクはミーアさんに
向き直った。
﹁︱︱では、そのようなことで、これで依頼終了ということでお願
いします﹂
﹁え、ええ。わかりました。︱︱でも、よろしいんですか?﹂
ちらりとジョーイを見るミーアさん。
﹁ええ、後のことはお任せします﹂
ひと
その言葉に複雑な表情をし、それでもコクリと頷いてくれたミー
アさんに、ボクは軽く頭を下げた。
お互いに何を言いたいのかはわかっている。本当に出来た女性だ。
ボクは再度ジョーイに向き直った。
﹁ジョーイ、短い間だけどいろいろお世話になったね。君のお陰で
本当に楽しめたよ。まあ別にこれが今生の別れってわけでもないし、
第一ここには君が一人前になるまで私のお金を預けておくんだ。早
く一人前になって返してくれると嬉しいねぇ﹂
・・・もっとも人間の死なんてのは、けっこう呆気ないけどね。
ボクは前世での自分自身の最後を思い出して、その言葉を飲み込
んだ。
129
﹁ヒユキ・・・俺は・・・﹂
うん、なにを言いたいのかはわかるよ。でもねぇ、君の幸せのた
めにはボクはいないほうが良いと思うんだ。
と、そんな空気を打ち破り、重い足音を立てながら強面の筋肉オ
ヤジ︱︱ガルテ副ギルド長が、急ぎ階段を降りてきた。
﹁どうかされたんですか、副ギルド長?﹂
ミーアさんの質問を無視して、ガルテ副ギルド長は真剣な顔で真
っ直ぐボクの方へと向かってきた。
﹁ちょうど良かった、お嬢ちゃん。すまねえが、ちょいとギルド長
が相談したいことがあるってんで、上に来てくれねえか?﹂
◆◇◆◇
焦げ臭い臭いが周囲に立ち込めていた。
オーガ
配下の群れ以外に生きるものの居なくなったニンゲンどもの巣を
オーガキング
見回し、それ︱︱頭に5本の角を生やした、通常の大鬼より3周り
は巨大な大鬼王は、不満の唸りを発した。
足りない。こんなささやかな餌では到底足りない。
もっともっと餌が必要だ!
130
その目はこの大森林より遥かな先、ニンゲンどもがウジャウジャ
と群れ集う巨大な巣を差していた。
その巣の名はアーラ。
大森林を抜け草原を横断しての大移動になるだろうが、途中途中
に小規模なニンゲンの巣があるのはわかっている、小腹が空いたら
そこで腹ごしらえをすればいいだろう。
オーガ
途中、邪魔しようとするニンゲンどもがいるかも知れぬが、問題
は無い。
なにしろこちらには大森林の大鬼の全部族約1500名と、配下
の妖魔約5000匹がいるのだ。
まったく問題にならんだろう。
オーガキング
瞬時にそう結論を下した大鬼王は、全ての配下に号令を下した。
すみやかに全軍をもってニンゲンどもの巣アーラへ進撃すべし!
!
131
第九話 悪鬼蠢動︵後書き︶
ジョーイ君と緋雪ちゃんくっつけチャイナよ!
というご意見もあるのですが、いまのところジョーイ君では心身と
も力不足かな、と判断しての今回の緋雪の決断でした。
まあ反対意見も多々ありそうですけど︵`−д−;︶ゞ
12/18 脱字の追加修正を行いました。
×いい線いってるて言われてたんだぞ!↓○いい線いってるって言
われてたんだぞ!
132
第十話 交渉決裂︵前書き︶
本日でこのお話の更新を始めてちょうど1週間!
こんなに反響をいただけるなんて夢のようです!!
なお第一章はもうちょっとで終わる予定です。
133
第十話 交渉決裂
2度目だけど見慣れた感のあるギルド長の部屋には、応接セット
を挟んでコラードギルド長と、25歳くらいの冒険者らしい革鎧を
つけた男性がいて先に座っていた。
難しい顔をしていたコラードギルド長だが、部屋に入ってきたボ
クとガルテ副ギルド長をみて、少しだけ緊張を解いた。
﹁︱︱よかった、これで全員揃いましたね﹂
マージャン
今回は必要ないと思われたのか護衛の姿は見えないので、全員と
いっても4人だけだけど⋮⋮なんだろう? いまから麻雀しようっ
て雰囲気でもないけど。
﹁取りあえず座ってください。少々込み入った話になりますが︱︱﹂
こうちゃ
言いつつ席を立ったコラードギルド長は、まめまめしく用意して
あったカップにポットの香茶を淹れ︱︱こういう気配りはガルテ副
ギルド長にはできそうにないし、これも適材適所なのかなぁ?︱︱
ボクの席の前に置くと、続いて執務机の上に置いてあった大き目の
紙︵ゲームと違って紙の普及率はけっこう高くて、羊皮紙なんて過
去の遺物らしい︶を机の上に広げた。
広げた紙はこの街を中心とした周辺の地図みたいだった。
かなり簡略化されている上に地形の縮尺や位置がズレてたりする
のは、測量の技術が未発達なのか、それとも軍事機密ってやつでわ
134
ざとこうしているのか、そのあたりはわからないけど、まあ大筋で
は間違ってないかなぁ。
オートマッピング
もっともボクにはプレーヤー必須スキルの﹃地図作成﹄︵歩いた
ここ
てんがい
場所を中心に半径500mほどの地図を作成できる。一部ダンジョ
ン等では使用不可︶があり、アーラ市に来る前に周辺を軽く天涯に
飛んでもらったので、ほとんどGPS並みの地図が頭の中で展開さ
れてるんだけどさ。
とはいえ、わざわざ手の内は明かす必要は無いので、見かけ上は
興味深そうに地図を眺めることにした。
﹁先に紹介しておきますが、こちらの冒険者は当ギルドに所属する
Cランク冒険者のフランコ氏です、冒険者グループ﹃アストラ﹄の
リーダーです・・・いえ、リーダーでした﹂
ギルド長のその紹介に、フランコって人の顔が悔しげにゆがんだ。
よく見れば鎧のところどころには真新しい、爪で引っ掻いたよう
な傷があちこちにあり、見える肌や顔の部分部分の皮膚の色が違う
のは、治癒魔法で治したばかりの傷跡なんだろう。
﹁フランコさん、こちらのお嬢さんは・・・現在、当市に滞在中の
やんごとなき身分の姫君です。非常時ということで、この場に同席
をお願いしました﹂
当たり障りの無いその紹介に、フランコは胡散臭そうな目でボク
を見ながら無言のまま、義務的にほんの気持ち頭を下げた。けど、
ボクの方は見えなかったフリをしてガン無視した。
だって挨拶とか礼儀とかって、それを受ける気のある相手にしな
いと無駄だもんね。無駄なことはしてもしかたないじゃない。
135
そんなボクらの非友好的雰囲気に軽くため息をつきながら、コラ
スタンピート
ードギルド長は話の矛先をボクのほうへ向けてきた。
﹁ところでお嬢さんは﹃暴走﹄という現象をご存知でしょうか﹂
プロレスの技以外には知らないなぁ。
首を傾げると、予想していたのかコラードギルド長は続けた。
﹁この大森林で時たま︱︱平均で15年に1度、短い時には数ヶ月
で起こった記録もある、魔物たちの集団移動現象です﹂
そういって地図の一点、アーラ市から北北東にずいぶんと離れた
場所、ほぼ地図の端にある、木を示すマークで覆われた地点を示す。
実際にはこれより角度が7度ほど東寄りで、距離も森の外れまでこ
の地図より30kmほど近いんだけどね。
﹁ふぅん、原因はわかってるの?﹂
﹁ええ、大体のところは。︱︱主な理由は3つですね。
一番多い理由は食糧不足によるもので、森の食物が不足したか、
逆に魔物たちが増えすぎてあふれたか。
二番目が森の中での権力闘争によるもので、破れた勢力が放逐さ
れ周辺の村などを襲うもの、まあどちらも所詮は烏合の衆なので、
こちらもある程度まとまった数で戦えば、問題なく倒せる規模なの
ですが。
問題なのは三番目の理由、森の中に魔物たちを統率する個体が発
生した場合です﹂
﹁統率者? よーするにフィールドボスみたいなものかなぁ﹂
﹁なんだそりゃ? 統率者っていうのは群れ単位ではなく、森全体
136
キング
をまとめ上げられるほど進化した魔物、つまりは﹃王﹄ってやつだ。
トレント
その時々で種類はさまざまだが、どいつもこいつも一筋縄じゃいか
スタンピート
ねえ化物みたいな強さを持ってやがる。
キング
実際、俺が若造だった時に起きた﹃暴走﹄の原因は、﹃妖樹﹄の
﹃王﹄が元凶だったんだが、野郎は地下から伸ばした根っ子で一度
に100人からの冒険者の血を吸ってたしな﹂
眉間に皺を寄せるガルテ副ギルド長の言葉に、ボクは少しだけ興
味を覚えた。
﹁へえ、それを倒したの? よく倒せたねえ﹂
﹁まあ元が木の化物だからな。本体の動きはのろいし、火にも弱い
ってんで、ありったけの火薬と魔術師の火の魔法、精霊使いなんか
ソ
も協力して、遠距離から根っ子とかチマチマ削っていって、最後は
Aランク全員で本体を叩いて燃やしてどうにか、な﹂
ロ
﹁ふぅん、まあ常道だね。ひょっとしてフィールドボス級なら、単
体で倒せる猛者とか、伝説のSランク冒険者とか出張るのかと思っ
たけど﹂
﹁お前なぁ、Sランクなんて言ったら世界に何人いると思ってんだ
?! 呼び寄せるだけで、どれだけ時間と金が掛かると思ってやが
る!?﹂
あ、いるんだSランク! これはちょっと楽しみだねぇ。
﹁︱︱ですが、今度の相手はそうした弱点がない上、機動力もある
ため厄介この上ありません﹂
忌々しげにコラードギルド長が舌打ちする。
137
あー、やっぱし。
キング
スタンピート
この話の流れからして、新たな﹃王﹄が生まれて﹃暴走﹄が起き
ているわけなんだねぇ。
﹁事の起こりは1ヶ月ほど前、大森林に隣接する開拓村からの連絡
が、一切途絶えたところから始まります﹂
もともと辺境なので最初はあまり気にしないでいたみたいだけど、
隣村から出立した行商人も戻らなくなり、なにかおかしいという話
が周辺の村に広がりだした。
そのうち周辺の村からも連絡が途絶えるようになり、さすがにギ
ルドも重い腰を上げてこのフランコがリーダーを務める﹃アストラ﹄
を始め、3組の冒険者グループに現地調査を依頼したらしい。
その結果がこれ。フランコ以外、全滅。
むさぼ
﹁・・・地獄だった。必死に逃げても仲間たちは次々にモンスター
に追いつかれ、生きたまま貪り食われ・・・俺が逃げられたのは奇
跡みたいなもんだ・・・﹂
フランコが死んだ目をして、当時の状況をポツリポツリと語る。
オーガ
﹁モンスターの数は数千匹、ひょっとすると万に迫るかも知れん。
オーガキング
その中心になってたのは、大鬼だって話だからな。おそらく今度の
は大鬼王だろう﹂
ガルテ副ギルド長の補足に、じゃあ文字通りの鬼ごっこだったん
だねえ、という感想が浮かんだけれど、さすがに不謹慎なので口に
は出さなかった。
というかさぁ・・・。
138
﹁それで私にどうしろと?﹂
ハッキリ言ってボクには関係ない話だよね。今日にもこの街を出
立するつもりだったんだから。
その言葉に、居心地悪そうに視線を交差させるギルドのお偉いさ
ん二人。
﹁・・・ご意見をお聞かせ願えませんか。貴女ならこの状況でどう
されるか﹂
コラードギルド長に訊かれ、ボクは﹁ふむ︱︱﹂と顎の下に拳を
当てて思案してみた。
﹁話し合いをしてみるとか?﹂
﹁バカを言うな! 化物と話が通じるわけがないだろう!!﹂
途端血走った目でフランコが絶叫した。
えーそうかなぁ。それだけの大群を統率するんだから、ある程度
知能はあると思うし、言葉が通じるなら話し合いが第一だと思うけ
どなぁ。
﹁無理だろう。あいつらには人間なんざ餌にしか見えん。実際、被
害にあった村では老人から赤子まで、骨のひとかけらすら残らず食
い尽くされている﹂
ガルテ副ギルド長もにべも無く首を振る。
う∼∼ん、ボクみたいに話の通じる吸血姫も居るんだし、やるま
えから諦めるのはどーかと思うけど。
てか、ちょっとシミュレーションしてみよう。
139
モンスター
うちの配下が人間の街を攻めることになった。
そこへ白旗を揚げた特使がやってくる。
なんだあれは?
人間だな。
じゃあちょっと味見してみよう。
・・・ごめん。話し合いとか無理。試食感覚で食べられるわ。
﹁じゃあ数には数で、こういう時のための軍隊なんだから、軍隊を
要請して倒してもらえば?﹂
﹁無論、国へ支援の要請はしていますが、軍というものは簡単に右
から左へ移動できるものではありません。議会の承認を経て、各地
に散らばる部隊を集め、編成から出立まで最低でも数週間は掛かり
ます。到底間に合わないでしょう﹂
うわー、めんどくさー。王国なんだから王様の鶴の一声で動かせ
ばいいじゃない。
やる
ウチなんて一声掛けないうちから、軍団どころか商店街のラーメ
ン屋の店主まで戦争する気満々なのに。
﹁じゃあ、その軍隊がくるまで篭城して持ちこたえるしかないんじ
ゃないの?﹂
﹁それも無理ですね、この街は自由都市の名の通り、申し訳程度の
城壁しかない街なので﹂
﹁それじゃあ諦めて全員で逃げれば?﹂
﹁︱︱貴様っ、さっきからふざけてるのか! 俺たちの仲間がこの
140
街を守るためにどれほど犠牲になったのか!!﹂
激高したフランコが掴みかからんばかりの勢いで立ち上がり、慌
てて止めようとしたガルテ副ギルド長ともども、ボクの目を見て息
を呑み、そのまま腰を抜かしたようにソファーに沈んだ。
スタンピート
﹁⋮⋮ふざけてる? ふざけてるのかって言いたいのは私の方だね。
何年かに一度起きる﹃暴走﹄、そんな場所にどうして開拓村なん
て作ったんだい? 定期的に落石する崖や、氾濫する川の中州に家
を建てるようなもんじゃないか。
︱︱いや、どうしてもそうせざるを得ない理由があるんなら、最
低限、毎日定期的に見回り、防御壁を作るとかしておくものだろう
? 君たちはなにかしたのかい? いや、できる最善を尽くしたと
胸を張っていたんだろうね。
でもね、そうした村々が犠牲になり、自分たちの番になってやっ
と偵察とかして・・・死んでいった村人たちに訊いてみたらいいん
じゃないかい? お前たちの犠牲は俺たちの身に危険が迫るのを知
る警報だったんだってさ。なんて答えるんだろうね﹂
ボクは正直いって腹の底から怒っていた。
こいつら他人の命をなんだと思ってるんだろう。
﹁・・・おっしゃる通りです、すべては私の不明とするところです。
ですが、アーラ市の冒険者ギルド長として、私にはこの街を守る義
務と責任があります。この際はっきり言います、どうか貴女のお力
をお貸しください﹂
苦渋の表情で頭を下げるコラードギルド長だが、ボクの怒りは収
まらない︱︱というか完全にキレていた。
﹁それで私になんの見返りがあるのかな? 金銀財宝なら腐るほど
ある。地位も必要ない。お前たちがありがたがる名誉もいらない。
141
︱︱では、なにを差し出せるんだい?﹂
﹁⋮⋮私の首一つで済むのでしたら差し上げます。どうかこの地に
生きる人々をお守りください!﹂
こ・い・つ・は∼∼∼∼っ!!!
ボクがなんで怒ってるのか全然わかっていない。そんな簡単に命
を差し出すとか、どんだけ価値が低いんだ!!
﹁・・・それは私人ではなく、アーラ市の代表者、冒険者ギルド長
としての言葉か?﹂
﹁はい﹂
迷い無く頷くその姿にボクの覚悟は決まった。
ジル・ド・レエ
﹁﹃薔薇の罪人﹄!﹂
ジル・ド・レエ
刹那、立ち上がったボクの右手に、漆黒でなおかつ半ば透き通っ
た刀身の長剣︱︱ボクの愛剣﹃薔薇の罪人﹄が握られていた。
目を剥く3人を無視して、ボクは剣先をコラードギルド長に向け
た。
ひゆき
とわ
﹁コラードよ、改めて名乗ろう。私の名は緋雪。天壌無窮に魔光あ
まねく王国﹃インペリアル・クリムゾン﹄の永遠なる唯一の主にし
て、神祖とうたわれし者っ! この私に貴様ごときの細首ひとつが
釣り合うと思ったか? それとも情に訴えればなびくと? 私も甘
く見られたものよ﹂
142
ジル・ド・レエ
蒼白になるコラードに向けていた﹃薔薇の罪人﹄の刀身を横にす
る。
﹁選ぶが良い。私が守るは我が臣民のみ! ならばこの街、人、命
をこの剣の下に差し出すがよい。ならば全身全霊を持って守り抜こ
う。しかしそれができぬのであれば、それはすなわちこの剣を向け
るべき相手。どうなろうと知ったことではないな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂苦悶の表情を浮かべていたコラードだが、弱
弱しく首を横に振った。﹁できません。この街は自由都市、たとえ
貴女様が神であろうともその下につけません﹂
﹁そうか﹂
高揚していた気持ちも一気に冷めた。というか正気に戻った。
・・・なんか勢いですごい恥ずかしい中ニ病じみた台詞を喋った
気がするけど、きっと気のせいだろう、うん。心の黒歴史フォルダ
に入れて二度と解凍しないことにしよう。
てんがい
﹃姫のご厚情を無にするとは愚かな﹄
天涯が胸の奥で嘲笑を漏らすけど、や∼め∼て∼、蒸し返さない
でっ!
と、そこへ慌てたノックの音とともにギルド職員が飛び込んでき
た。
﹁た、大変です! ここから2日ほどの距離に、信じられない規模
のモンスターの大群が!!﹂
その言葉にはっと生気を取り戻すコラードギルド長とガルテ副ギ
ルド長。
フランコの方は・・・ありゃ、完全に白目剥いてるわ︵きっと仲
143
間が死んだショックで心労が溜まってたんだろうねぇ︶。
ジル・ド・レエ
﹃薔薇の罪人﹄を消したボクは、開けっ放しになっていたドアに向
かった。
﹁逃げる時間もなさそうだねえ。まあこの地のモンスターと冒険者
の力も見たいので、高みの見物とさせてもらうわ﹂
じゃあねー、と手を振って部屋から出た。
144
第十話 交渉決裂︵後書き︶
前回のあとがきを受けて、ジョーイ君とくっつかなくてよかった、
ジョーイざまぁ、というご意見がエライ数きてます。
ジョーイ君、不憫な子・・・。
ジル・ド・レエ
なお、﹃薔薇の罪人﹄は緋雪の本気装備の一つで、鍛冶スキルで作
れる最高レベルの長剣を1000本以上駄目にしてできた10回の
強化MAX剣です、これを鍛冶と彫金スキル持ちが寄ってたかって
見た目を改造し、金の柄にルビーの意匠と薔薇の飾りが付いている
見た目もゴージャスな専用装備です。
8/18 修正
×シュミレーション↓○シミュレーション
×難しい顔でをした↓○難しい顔をした
8/20 修正
大森林までの具体的な距離をなくしました。
145
第十一話 孤軍奮闘︵前書き︶
毎日ご声援ありがとうございます!!
いままでは一日多くも5つくらいだったんですけど、最近は一気に
50とかになってまして、ありがたいのですがなかなかお返事でき
ません><
本当に申し訳ありません。
146
第十一話 孤軍奮闘
北の白龍山脈を別にして、アーラ市の東西南を占める大草原。
交通の要所として大小様々な街道が走る平坦な地形は、旅をする
ものにとっては非常にありがたいが、主だった遮蔽物や迂回路がな
く、あまりにも見晴らしが良すぎて、いざ戦いとなると正面からの
ぶつかり合い以外、ほとんど小細工を弄する場所というのがなかっ
た。
﹁・・・塹壕が精一杯か。せめて溝を掘るヒマがあればよかったん
だがなぁ﹂
ライダー
獣型の魔物に乗った敵の騎兵を見ながら、ガルテ副ギルド長は苦
い顔で一人ごちた。
オーガキング
しゃにむに
いかに大鬼王に率いられているとはいえ所詮はモンスター、なに
も考えずに本能に任せて、遮二無二こちらに向かってくるだろうと
考えていたのだが、意外なほど統制された敵集団の動きに、当初の
目論見を外された形となってしまった。
予定では、塹壕を掘って伏兵を潜ませ、一団となって襲ってくる
敵の集団に向けて、まずは遠距離から弓矢と投石器による攻撃を行
い、敵が混乱したところで、塹壕に隠れている魔術師や精霊使いが
魔法による中距離攻撃を行う。
ここで同じ塹壕に護衛として、数名で待機している冒険者たちが
飛び出し、個々に分断された敵に攻撃を行う。
147
オーガキング
場が十分に混乱したところで、虎の子の正規軍部隊を投入し一気
ライダー
に大鬼王の首を狙う︱︱というのが、こちらの作戦だったのだが、
どうやらあちらは騎兵により、一気にこちらの懐に入り弓矢や魔法
を封じ込め、そこへ本隊がなだれ込み、自分たちが圧倒的に有利な
白兵戦へと持ち込む腹積もりらしい。
﹁︱︱接近させる前に、なんとか弓矢と魔術師とで仕留められれば
いいんだが﹂
私には現場経験がありませんから、と言って今回の指揮権をすべ
て自分に委託して、一魔術師として前線に出ているギルド長を思っ
て、ガルテ副ギルド長は苦い唾を飲み込んだ。
と、その視線が、作戦指揮所︱︱草原に広げられた天幕︱︱の前
をウロチョロしている、武装した冒険者たちの一団の中にいた見知
った顔に当たり、反射的にその相手を呼び止めていた。
﹁おい、小僧っ!﹂
﹁は、はい!﹂
呼び止められた相手︱︱ジョーイは、思わずその場で直立不動の
体勢をとる。
﹁なにやってんだ、お前?!﹂
のっしのしとジョーイの目の前まで歩いて行きながら、呆れたよ
うに言うガルテ副ギルド長。
﹁も、もちろんモンスターの迎撃戦に参加するためです!﹂
﹁ハア? お前まだFランクだろう。Eランク以下には強制動員令
148
は出てないはずだが?﹂
﹁⋮⋮そうですけど、でもこんな時に黙って見てるなんてできませ
ん。俺だって剣を振るくらいはできます!﹂
﹁足手まといだっ。お前みたいな小僧は、さっさとこの場から離れ
ろ!﹂
子供の我がままと判断して、イラついた口調で吐き捨てる。
﹁・・・離れてどこに行くんですか? もう街の避難所には、女や
子供、老人、戦えない人たちで一杯じゃないですか。俺たちがここ
で負けたら、その人たちだって化物に食われるんでしょう?﹂
﹁うっ⋮⋮!﹂
図星を差されてガルテ副ギルド長は黙り込んだ。
確かにDランク以上のいわば一人前と言える冒険者の大多数は、
ギルドの強制動員令に従いこの作戦に参加してくれたが、その人数
は7000名。さらに駐留軍500名。市民の義勇兵が2500名
の合計1万人と敵の数約7000匹に比べて3000多いが、モン
スターを相手にするには最低でも3倍の数であたるのがセオリーだ。
現状では圧倒的に数が足りない。
この際、猫の手でも馬の骨でも借りたいのが実情であった。
﹁・・・だがなぁ、小僧、お前はまだ若い。お前さん一人くらい逃
げても誰も文句は言わんさ﹂
そう言うとジョーイは泣き笑いのような妙な表情を浮かべた。
﹁ミーアさんにもさっきそう言われて怒られました﹂
149
﹁ミーアか・・・﹂
この年になるまで独り身だったガルテ副ギルド長にとっては娘の
ような存在で、この作戦が始まる前にも避難するよう、何度も口を
酸っぱくして言ったのだが、頑として聞かずにいまもこの場所のど
こかで、物資の確認作業や救護班の調整をしているはずだ。
﹁︱︱それに﹂ジョーイは照れくさそうに笑った。﹁今朝、ひょっ
こりヒユキが顔を出したんです﹂
﹁・・・むっ﹂
その名を聞いて顔をしかめるガルテ副ギルド長。結局、あの後緋
雪は姿を消したままで、宣言どおりこちらを一切助けるつもりはな
さそうだ。
﹁あいつ﹃ジョーイ、君は弱っちいんだから、ミーアさんでも連れ
てさっさと逃げるんだよ﹄って、ホント余計なお世話だよな。俺っ
てそんな頼りないかっての﹂
﹁むぅ・・・業腹だが、俺も同じ意見だな﹂
﹁そんなことできねえ︱︱いや、できません。アイツも逃げないで
﹃せっかくなので、特等席で見物してるよ﹄とかわけわんねーこと
言ってるし。だったら化物がアイツんところへ行かないよう、俺が
前に出なきゃ!﹂
決意を込めて言うジョーイに、﹃お前さんが惚れた相手は、もっ
ととんでもないシロモノなんだぞ﹄と言いかけたガルテ副ギルド長
は、少年の表情を見てその言葉を飲み込み、かすかに目と口元を緩
めた。
150
︱︱小僧が、いっぱしの男の顔しやがって。
﹁小僧・・・いや、ジョーイ。俺たちは冒険者だ、この作戦でも生
き延びることを考えろよ。ましてやお前には、そんな風に心配して
くれる相手が2人いるんだからな!﹂
﹁わかってます!﹂
元気よく返事をして、足早に冒険者たちの一団に合流するジョー
イ。
◆◇◆◇
イービルアイ
﹁・・・こういうのを、女冥利に尽きるというのかねぇ﹂
魔眼により作られたバイパスを通して聞いた、ガルテ副ギルド長
とジョーイとの会話に、ボクは思わずそんな感想を漏らしていた。
まあ得がたい体験ではあるかなぁ・・・?
ナーガ・ラージャ
﹁どうかされましたか姫?﹂
てんがい
本来の黄金龍の姿に戻り、ボクを乗せたまま戦場の遥か上空を浮
遊していた天涯が怪訝そうに聞いてくるが、なんでもないと答えて
下を見た。
人間の目にはゴマ粒程度にしか見えないだろうけど、いまのボク
には個人の顔までハッキリ見える。
151
﹁どっちが勝つと思う、天涯?﹂
﹁魔物でしょうな﹂天涯はあっさりと断言した。﹁あの程度の武器
と数の差ではまったく問題になりません。力負けするのが目に見え
ております﹂
﹁うん⋮⋮まあ同意見かな。人間側が勝つとしたら、もともとの数
が上回っているんだから、EランクもGランクも関係なく戦える冒
険者2万人、それに戦う気があるならたとえ女子供でも動員して圧
倒的な数で押して、相手の動きを止めたところへ火力を打ち込むし
かないだろうねぇ﹂
まあその場合相当数の犠牲者も出るだろうけど。
﹁しかしあのギルド長にはそんな決断はできますまい﹂
﹁そうだね。いざとなれば100人を助けるにあたり50人を犠牲
にすれば済むところ、100人のうち99人を助けようとして全員
殺すタイプだね、あれは﹂
個人としては好感を持てるけど、上に立つものとしてはまったく
問題外だね。
だいたいあれだけヒントを出してあげたのに、情に訴えるだけで
ボクを利用する手段︱︱例えば﹃喪失世紀﹄の情報を優先的に集め
渡すとか、表向きは国に忠誠を誓いつつ裏でボクらと結託するとか、
幾らでもあったはず︱︱それができなかった段階で、交渉相手とし
ては失格と見なさざるを得ないんだよ。
﹁まこと人間とは愚かなものですな﹂
152
侮蔑もあらわな天涯に、そういえばボクはまだ中身人間なのかな
ぁ、そーいや最近はあんまし意識しないけど、外見と環境が影響し
てるかも知れないなぁ、と思いつつ語りかけた。
﹁まあ、いろいろ居るから面白いんだけどね﹂
それから、ふと、動き回る人間の一団の中にある見知った顔に、
そっと語りかけた。
﹁忠告はしたよジョーイ。だけど君はやっぱりそれを選んだんだね
ぇ﹂
◆◇◆◇
何匹モンスターを斬ったか、もう覚えていない。
ライダー
最初、前線は持ちこたえていたが、火力が途切れたところでつい
に敵の騎兵に突破され、その後はジリジリと前線を下げて対応して
いたが、いつしか人々は分断され各個でモンスターたちと戦ってい
た。
戦局はどうなっているのか、味方はどこにいるのかわからないま
ま、ジョーイも仲間たちと一緒に戦っていたが、いつしか一人倒れ、
二人食われ、また一人・・・と、気が付いたら一人になっていた。
血の付いた長剣を握ったまま戦場を走り、時たま出会う敵を斬る。
153
﹃距離を取って、視界の中に入れておく!﹄
﹃動きが直線的で大振りだから簡単に避けられるし、振ったあとは
体勢を崩すから隙だらけ﹄
﹃モンスターの反射神経を相手に、そんな見え見えの攻撃なんて当
たりっこないよ﹄
﹃相手の動きを見て、フェイント以外は自分から攻撃しないこと﹄
ほんの数日前に教えられた通りに動いただけで、自分でも驚くほ
どマトモに敵と渡り合えている。
だが、それでも敵の攻撃は少しずつジョーイの体に傷を作り、戦
うたびに著しく体力を消耗していった。
オーガ
その時、目の前に1匹の大鬼が現れた。
﹁︱︱ちっ! 寄りによって﹂
メイス
咆哮とともに振るわれた巨大な戦棍の軌道を読んでバックステッ
プで躱し、伸びきった腕を狙い長剣を振り下ろす。
オーガ
メイス
だが体力が限界にきていたのだろう、剣は軽く肉を切るだけに留
まり、これで怒り狂った大鬼の戦棍が横薙ぎに振るわれ、同時に突
き出されたジョーイの剣と交差した。
次の瞬間、ボロキレのように飛ばされた少年の体が地面をゴロゴ
ロと転がり、意識が途切れそうになるのを無理やり戻し、手から離
オーガ
れた長剣を探して霞む目で周囲を見回したジョーイの目に、首を長
剣で刺されて倒れる大鬼の姿が映った。
﹁・・・やった・・・けど、俺も限界、かな﹂
殴られた衝撃で骨の5∼6本も折れたろう。
154
残った体力も使い切った。
次の敵が現れたらもう戦うことはできないだろう。
﹁・・・ミーアさん、ヒユキ、あいつら無事に逃げたかなぁ・・・﹂
呟いて、ジョーイの瞼がゆっくりと落ちた。
155
第十一話 孤軍奮闘︵後書き︶
緋雪の中の評価では、ミーアさん>>越えられない壁>>ギルド長
というところですね。
あともう出番がないと思われていた︵w︶ジョーイ君の見せ場回で
した。
8/19﹁肉の壁﹂うんぬんの表現が、というご指摘をいただきま
して修正しました。
12/20 誤字修正しました。
×その人たちだって化物も食われるんでしょう↓○その人たちだっ
て化物に食われるんでしょう
156
第十二話 麗姫降臨︵前書き︶
アクセス数とか評価とかΣ︵゜Д゜;︶
みなさまのお陰でございます。
てか、みなさん前後の作品と間違えてませんかとガクガクブルブル
︵︵;゜Д゜︶︶。
157
第十二話 麗姫降臨
﹁︱︱死にましたな﹂
てんがい
天涯が面白くもなさそうな口調で事実を告げた。
﹁そうだね。まったく最後の最後まで格好つけて・・・格好いいの
モブ
と、格好つけは違うって言うのに履き違えてさ。君なんてその他の
雑魚なんだから、格好つけたらこうなるとわかってたろうに︱︱﹂
思わず愚痴をこぼしてから、ふと、天涯もボクと同じものを見て
いたことに気が付いた。
﹁天涯、君がジョーイのことを気にかけてたなんて意外だねえ﹂
﹁・・・別に気になるというほどのものではありませんが、数日間
姫とともにあの無礼な口を聞いていましたので、ふと目に入っただ
けでございます﹂
うわっ、なにこのツンデレ?!
﹁それはともかく、戦況もほぼ魔物側に傾いたようですな﹂
﹁そうだね﹂
人間側はほぼ総崩れと言っていいだろう。
本部周辺は冒険者の精鋭と、正規軍とでなんとかこう着状態を保
っているけど、所詮は多勢に無勢。包囲されたらそれで終わりだろ
158
う。
エターナル・ホライゾン・オンライン
こうして見ていて、この地の人間の冒険者の実力も、モンスター
の力もほぼ把握できた︵﹃E・H・O﹄なら、せいぜいチュートリ
アルが終わった後、2番目に着いた街近辺にいるモンスター程度だ
ろう︶。
ここで必要なことはほぼない、と思うんだけど⋮⋮。
なんだろうね、この胸の奥で渦巻くモヤモヤは?
別にボクが元人間なので、人間に味方したいとかそういうわけで
はないと思う。
だいたいこっちに転生してから逢ったモンスターを見ての感想は、
獣型を抜かせば思考パターンは人間と変わらないし、区別する必要
ないじゃんといったところだ。
そりゃ全長が3mで、皮膚が緑で、目玉が8個、牙の生えた口が
3個で火を吐き、腕が頭から生えてるのを合わせて7本とか、多少
見た目は違うけど︱︱というか夜中にトイレから戻る途中でばった
り出会った時なんか、﹁∼∼∼∼っ?!?﹂と声にならない悲鳴を
あげつつ、行く前だった完全に漏らしていたなぁとか思ったけどさ
︱︱怒り笑い嘆くその行動は、人間のような余計な損得とかしがら
みがない分、よほど正直で好感が持てる。
なので眼下の光景は、ボクにとっては遠い外国の戦争を見ている
ようなもんだ。
・・・だけど、なにか釈然としないんだよねぇ。
﹁ところで姫。あくまで私見なのですが︱︱﹂
159
﹁うん? なんだい?﹂
﹁この地の魔物は、我が﹃インペリアル・クリムゾン﹄配下に収め
なくてもよろしいのでしょうか?﹂
その言葉に、ボクの胸でくすぶっていたモヤモヤが弾けた。
﹁︱︱そーいえばそうだったね。一方にばかり確認して、もう一方
にも確認しないのは片手落ちだったねぇ。よく指摘してくれたよ。
じゃあ天涯、悪いけど念話で城から2∼3人、お話し合いの助っ人
に来てくれるよう話してもらえるかな?﹂
﹁承知しました﹂
それからボクは戦場の片隅に転がる、小さな遺骸を再度確認した。
﹁・・・それから君にもまだ依頼料を渡してなかったね﹂
◆◇◆◇
勝敗はほぼ決したと言っていいだろう。
次々と運ばれてくる負傷者を前に、ガルテ副ギルド長は指揮官と
オーガキング
してこの場から退却すべきか、それとも万に一つの可能性をかけ、
残った全戦力をまとめ上げ大鬼王相手に、最期の特攻をすべきか思
い悩んでいた。
160
﹁ガルテ副ギルド長っ!﹂
そこへ聞きなれた部下の若干焦りを含んだ声が掛けられた。
﹁ミーアか、まだこんなところにいたのか!? 負傷者を連れてさ
っさと後方へ避難しないか!﹂
﹁あの⋮ジョーイ君は、負傷者の中にジョーイ君がいないんですけ
ど、こちらに来ていませんか?!﹂
必死なその様子に一瞬胸を突かれたが、ガルテ副ギルド長は首を
横に振った。
﹁いや、前線に行ったままだ。少なくとも俺は見てない﹂
﹁そう⋮⋮ですか﹂
それだけで少年の安否がわかったのだろう、ぐっと唇を噛んだミ
ーアだが、ふと味方に肩を借りてこちらに向かってくる人物を確認
して、大きく目を見開いた。
﹁ギルド長っ! ご無事だったんですか!!﹂
ガルテ副ギルド長もその声に慌ててその人物︱︱コラードギルド
長のところへ駆け寄っていた。
﹁おうっ、生きてたのか!﹂
﹁・・・ええ、お陰さまで悪運は強い方でして﹂
とはいえ魔力も底を尽き、疲労困憊で歩くこともままならない様
子であった。
﹁だが、ちょうど良いタイミングだったな。︱︱ミーア、ギルド長
を連れて後方へ下がってくれ。ギルド長、悪いが少しでも体力が戻
161
ったら、俺の代わりに現場の指揮を頼む﹂
﹁あなたは・・・どうするんですか?﹂
﹁まあ、どこまで出来るかわからんが、最期の悪あがきと行こう﹂
﹁﹁⋮⋮⋮﹂﹂
にやりと獰猛に笑うガルテ副ギルド長とは対照的に、コラードギ
ルド長、ミーアともにその意味を悟り、無言で俯いた。
と︱︱
エンシェント・ドラゴン
﹁な、なんだあれは︱︱︱︱!?!﹂
﹁・・・エ、真龍だと?!﹂
﹁いや、違うっ! あんなバカでかい奴なんて聞いたこともないぞ
!!﹂
周囲の驚愕の騒ぎに3人が視線を向けたその先で、巨大な︱︱翼
幅200m、頭の先から尻尾の先までも同じくらいの長さがある︱
︱黄金に輝く龍が、いままさに天上より舞い降りようとしていた。
だが、3人の視線を釘付けにしたのはソレではなく、その頭部に
傲然と立つ、ドラゴンの巨体に比べあまりにもちっぽけな、しかし
それ以上の存在感を発する、漆黒と赤薔薇に彩られたドレス姿の少
女であった。
◆◇◆◇
162
まぶた
全身がぽかぽかと温かくなる、ぬるま湯のような気持ち良い感覚
に浸っていたジョーイは、ゆっくりと瞼を開いた。
﹁やあ、ジョーイ。体の調子はどうだい?﹂
ひゆき
地面に横たわった自分に覆いかぶさるようにして中腰で座って、
淡く輝く掌を向けていた緋雪の屈託のない笑顔に、ジョーイは一瞬
ここが天国で、目の前にいるのはやっぱり女神様なんじゃないかと
疑った。
﹁おま⋮⋮どうして⋮俺、死んだはずじゃ⋮⋮﹂
リザレクション
﹁うん。死んでたねぇ。こっちの世界でも完全蘇生が使えるかどう
かわからないから、ぶっつけ本番だったんだけど、効果があったみ
たいだよ。運がよかったねえ﹂
リザレクション
﹁完全蘇生・・・? なんだそりゃ?﹂
ジョブ
﹁ああ、私のスキルだよ。そういえば私の職業を教えてなかったけ
ど、実はダブルジョブでねえ。剣士の最高峰である﹃剣聖﹄と聖職
者の最高峰の﹃聖女﹄を取得してるんだよこれが。
ヴァンパイア
なかなかスパイスが効いてると思わないかい? 闇の眷属の最高
ギルメン
サギ
サギ
峰たる吸血姫が﹃聖﹄って名のつく職業を2つも持ってるんだから。
仲間からは良く﹁種族詐欺﹂﹁暗黒詐欺﹂って言われたもんさ。失
礼だね、まったく﹂
そう言ってぷりぷり怒る緋雪の姿に、いつもの日常を感じてジョ
ーイは笑った。
163
﹁ははっ、なに言ってるかわかんねーや。でも、お前ってやっぱり
凄い奴だったんだな﹂
﹁﹃凄い﹄の一言で片付ける君もなかなか大物だと思うけどねぇ。
それはそれとして、黄泉の国から引き戻したのには訳があってね。
考えてみれば今回のゴタゴタで、私はまだ君に依頼料を払ってなか
ったろう? だからまあ⋮三途の川の渡し賃みたいだけど、いまの
うちに払っておこうと思ってね﹂
そう言って、腰のポーチから大陸共通銀貨を3枚出す緋雪。
﹁確か平均が銀貨2枚に割り増し料金が8掛けだったけか? じゃ
あ延滞分も含めて3枚にしておくよ﹂
目の前に差し出された小さな掌に乗る銀貨を前に、ジョーイは困
惑の面持ちで黙り込んだ。
そんな二人︵正確には龍形態の天涯が周囲に睨みを利かせている
が︶の背後で、遠巻きに様子を眺めていた人間側の集団の中から2
名、いや︱︱もう1人が大柄な男の背中に背負われているので︱︱
3名が大慌てで飛び出してきた。
﹁ジョーイ君!﹂
﹁ジョーイ、お前、無事だったのか?!﹂
﹁なぜ貴女がここに・・・?﹂
﹁おや、皆無事だったんだねえ。とはいえあなた方には興味はない
ので、少し静かにしてもらえないかな?﹂
淡々としたその言葉に、近寄ろうとした3人の足がピタリと止ま
164
った。
﹁さあ、ジョーイ。この後も別件で用事があるので、受け取ってく
れないかな﹂
﹁・・・・・・嫌だ﹂
﹁︱︱? 金額に不満があるのかい?﹂
﹁そうじゃねえ。やっぱ仕事もしてないのに依頼料は受け取れねえ
よ。だからそいつはもらえない﹂
﹁いや、依頼主である私が十分だと判断してるんだけど。︱︱ねえ、
こういうケースってどうなるのかな、ミーアさん?﹂
不意に話を振られてミーアは一瞬うろたえたが、気を取り直して
答えた。
﹁そうした場合の対応について、先に明確に書面で契約していない
以上、依頼主と冒険者双方の話し合いとなります﹂
﹁ふーん、じゃあ結局は君がうんと言わないと宙ぶらりんか。どう
すれば受け取ってくれるのかな?﹂
訊かれたジョーイは数呼吸ほど考え、
﹁だからきちんと俺に街の案内とかさせろよ。それが終わったら依
頼料も受け取るから﹂
そうきっぱりと言った。
﹁・・・いや、案内といっても、街もこんな具合だし、私も次の目
的地に向かうつもりだしねぇ﹂
165
﹁じゃあお前がヒマになった時でも、案内すればいいんだろう?﹂
﹁そんなのいつになるかわからないよ?﹂
﹁いつだって構わないさ。だいたい﹃期間は未定﹄って言ったのは
お前じゃないか、だったら何年先でも契約上は問題ないってことじ
ゃないのか?﹂
その言葉に目と口を丸くする緋雪の唖然とした顔に、ジョーイは
これまでさんざん振り回されてきた溜飲が下がった思いで、悪ガキ
のような笑みを浮かべた。
﹁・・・参ったね。確かにそう言ったねぇ。それじゃあ仕方ない、
次に来るまで契約は続行しておくよ。︱︱これじゃあ観光が終わる
まで街を壊すわけにいかなくなったじゃないか。まったく、こうい
う天然のが、小賢しい理屈とか跳び越えてくるんだよねぇ﹂
軽く肩をすくめて一人ごちた緋雪の言葉に、はっとした表情で顔
を見合わせるコラードギルド長とガルテ副ギルド長。
﹁さて、では別件も片付けないといけないので、私はそろそろ行く
よ﹂
すくっと立ち上がった緋雪に向かい、ようやく上体を起こせるよ
うになったジョーイが寂しそうに訊いた。
﹁︱︱また、来るんだろう?﹂
﹁前にも言ったろう、ここには君が一人前になるまで私のお金を預
166
けておくんだから、君が一人前になる頃取りに来るさ﹂
﹁そうだったな。じゃあ、またな﹂
﹁ああ、君も元気で﹂それからちらりと後方に立ち尽くす3人を見
て続けた。﹁君達もね。︱︱ミーアさん、ジョーイはこの通り言っ
ても聞かない様なので、きちんと手綱を握った方がいいよ。ガルテ
副ギルド長、同じく訓練で頭よりも体に覚え込ませておいてね。コ
ラードギルド長、あなたは上に立つものとしては問題だけど、人と
しては立派だと思うよ﹂
オーガキング
最後にそう言って、後ろ手にひらひらと手を振って、大鬼王が率
いるモンスターたちが待つ方角へと、散歩にでも行く気安さで歩い
ていく緋雪。
ジョーイはもう一度口の中で﹁じゃあな、ヒユキ﹂と別れの言葉
を告げ、残り3人は黙ってその背中に一礼した。
167
第十二話 麗姫降臨︵後書き︶
今回で第一章終了予定だったのですが、もうちょっと続きます。
あと前書きにもありましたけど、本当に夢のようです!
なんか狐にでもつままれている気分です︵´д`ι︶
あとこの展開についてはご批判もあるかと思いますけど、当初から
予定していたプロットに従いまして、このような形となりました。
8/19 修正しました。
×配下に治なくても↓配下に収める
9/22 誤字修正を修正しました。
ルビで、○オークキング↓×オーガキング
168
第十三話 鎧袖一触
ジル・ド・レエ
﹁薔薇の罪人!﹂
ボクは右手に、漆黒の半ば透き通った刀身の愛剣︱︱特殊クエス
トや、BOSSドロップ品以外では鍛冶スキルで生み出せる最高の
ジ
攻撃力を誇る剣を1000本以上駄目にして10回の強化に成功し、
ル・ド・レエ
やっと作れたサーバ中でも5本の指に入る攻撃力を持つ剣︱︱﹃薔
薇の罪人﹄を呼び出し、一振りしてそれを握る。
ドロップし
ちなみに世の中には大変な変態もいて、Lv120のBOSSが
2000回に1回くらいしか落とさない超高レベルの剣を、なにト
チ狂ったか8回強化に成功させたプレーヤーもいたり︵うちのギル
メンだけどね! さすがに9回目は全員で止めたけど︶するので、
3本の指とかうかつに豪語することはできない。
アン・オブ・ガイアスタイン
﹁戦火の薔薇!﹂
途端、いままでまとっていたドレスが消え、黒と薔薇をあしらっ
たデザインは同じだけど︵まあ職人が同じだからねえ︶、鎖骨の辺
かわっ
りが露出したビスチェドレスで、足元も裾が膝上までのショートラ
インのものに変化した。
こちらも剣士系職業装備としては最高レベルの防具を元に、8回
アジリティ
クリティカル
強化に成功した︵さすがに途中で挫けた︶逸品を元に、特に速度に
関連するAGI=敏捷性と、命中確率に関連するCRT=命中を高
169
アン・オブ・ガイアスタイン
めるよう追加効果を与えてくれる専用装備の﹃戦火の薔薇﹄。
ラ・ヴィ・アン・ローズ
﹁薔薇色の幸運!﹂
腰のポシェットが消え、代わりに漆黒の翼がボクの背中から生え
た。
ラ・ヴィ・アン・ローズ
別に変身したわけじゃない。この﹃薔薇色の幸運﹄は、BOSS
ア
ドロップ品である﹃蒼王のマント﹄を元に職人の手で、見た目を課
ジリティ
デクステリティ
マジック・アタック
金ガチャの﹃堕天使の翼﹄に変えてもらった背中装備で、同じくA
GIと、DEX=器用さ、さらにMAG.A=魔法攻撃力まで底上
げしてくれる便利アイテムだったりする。
アイゼルネ・ユングフラウ
﹁薔薇なる鋼鉄!﹂
左腕に二の腕まである、中指ひっかけタイプで、指は全部でてい
る黒いロンググローブが現れた。
アジリティ
バイタリ
その表面には、生きた薔薇の花と蔦が這う形で意匠が施されてい
る。
ティ
見た目はこんなだけど、分類上は盾装備にあたり、AGIとVI
アイゼルネ・ユングフラウ
T=生命力を大幅に上げてくれる、こちらもボクの専用装備となる
﹃薔薇なる鋼鉄﹄だ。
さらにヘッドドレス、イヤリング、ネックレス、靴もすべて本気
170
かわっ
てんがい
装備に変えたところで、ボクの後に付いて歩いていた天涯が一声吼
えると同時に、まばゆい光を放ち人間形態へと変化した。
ペット
ただし、いつものタキシード姿ではない、お前はどこの王様かと
問い詰めたくなる、黄金の鎧と大剣を装備した︵従魔装備の最高峰、
﹃覇王﹄シリーズ︶剣士の姿だった。
と、同時に上空から舞い降りてきた3つの影が、天涯に併せてボ
こくよう
うつほ
クを中心に四方の角を守る形で地上に落ちると、即座にボクに向か
って跪拝した。
みこと
﹁遅かったな、命都、刻耀、空穂﹂
不満そうな天涯の声に、3人とももう一段頭を下げ、命都︱︱さ
すがにいつものメイド服ではなくて、戦闘装備である銀色に輝く、
布とも金属ともつかないレオタードのような鎧に、同じ素材のロン
グブーツ、二の腕の真ん中あたりまであるロンググローブに、金属
製のカチューシャ、右手に身長より長い聖杖をもっている︱︱が代
表して口を開いた。
﹁遅参をいたしまして、まことに申し訳ありませんでした姫様﹂
﹁なにしろ100年ぶりの姫との戦じゃからのぉ。円卓の魔将どこ
ろか、話を聞いた城中のやつばらが、我も我もと名乗りを上げおっ
てからに、話し合いが長引いてしもうた﹂
うつほ
こちらもいつもの人間形態で︵本気になると全長50mを越える
九尾の妖狐になる︶、巫女装束をまとった空穂︱︱ただし頭から真
っ白な狐耳と、着物の裾から真っ白い九本の尻尾が覗いている︱︱
が、愛用の扇を口元に当て、気だるげに天涯に答えた。
171
﹁ふんっ。被害はどの程度だ?﹂
パヴィス
こくよう
こちらはいつもと変わらない暗黒の全身鎧に槍、さらに同色の1.
5mの大盾を装備した刻耀を、じろりと見て確認する天涯。
てか、被害・・・?
﹁安心せい、死者はでないように手加減はしておいたわ﹂
﹁その代わり城の大広間と隣接する部屋や廊下、壁がほとんど崩壊
しましたが﹂
デフォ
ちょっと待て︱︱っ!! あんたらの話し合いって、毎回拳での
語り合いが前提なのかい?!
﹁そうか、その程度の被害なら問題は無いな﹂
いや、大問題だと思います!
そう思いっきり叫びたい、叫びたいけど・・・これからボクがや
ることを考えたら、ボクなら﹃お前が言うな!﹄とツッコむところ
なので、我慢せざるを得ないよ。
オーガキング
ちなみに悠長に喋ってるようだけど、その間にも大鬼王配下の魔
物たちが飛びかかってくる。だけど、4人とも羽虫を追い払う感覚
で、そちらを見もしないで瞬殺している。
ペット
ボクの全従魔中、最大火力を誇る天涯。
172
バイタリティ
ペット
リザレクション
最大治癒能力を持つ命都︵ただし従魔は完全蘇生を使えない︶。
HPが天涯に次いで高く、VIT=生命力が飛び抜け、光以外の
全属性に優位である闇属性であるため、総合的には最強の壁となる
刻耀。
光と闇以外の全属性を使える万能型の空穂。
フィールド
本気装備といい、この四凶天王といい、本来であればLv90以
上の戦場で使用していたので、オーバーキルもいいところなんだけ
ど・・・。
オーガキング
ま、まあ大は小を兼ねるって言うし、気にしないことにしよう。
話し合い
﹁︱︱では、久々の戦争だ。少々物足りない相手だが、大鬼王とや
らを検分に参るぞ﹂
﹃︱︱はっ﹄
一礼して立ち上がる四凶天王。
あいて
さて、お話し合いの大鬼王はどこかな∼?
﹁⋮⋮⋮﹂
見てもわかんないから、適当にモンスターが密集している方へ行
ってみよう。
10分後︱︱
173
迷った。
あいて
というか無駄に広いんだよここ! ゲームなら歩いて5分でフィ
ールドの端から端までいけたのに・・・てか、大鬼王も移動してな
オートマッピング
いかなこれ?
﹃地図作成﹄があっても、相手の位置が表示されるわけじゃないか
らイマイチ意味がないんだよねぇ。
レンジャー系だったら探知スキルがあるので、もうちょっとなん
とかなるんだけどさ。
・・・まあ無いものねだりをしてもしかたがない。こうなったら
いつものパターンで行くしかないねぇ。
﹁︱︱天涯﹂
﹁はっ︱︱!﹂
﹁歩くのも飽きた。駆けるので討ちもらした分は頼むぞ﹂
﹃!!﹄
言った意味を理解した四凶天王に緊張が走るけど、返事も待たず
にボクはその場からダッシュして、一気にトップスピードに乗った。
﹁さあ、死にたいやつはかかってこいっ!﹂
プレイヤー・キル
さて、基本的に現在のMMORPGではPKというのはできない
仕様になっている︵PKができるサーバとかもあるけどね︶、対人
戦は双方合意の試合形式で行なわれるか、領土を巡っての攻防戦で
行なうかのどちらかだろう、だけどボクはあんましこれが好きじゃ
174
ないんだよね。
モニターの前に居るのは人間同士なので、やっぱりたまに遺恨と
か妬みとか出るからねえ。
なのでほとんどAI相手な、でもってある程度歯ごたえのあるボ
ス戦を中心に行なってたんだけど、ボス戦でのプレーヤーに必須な
のは、ずばり﹃どれだけ固いか﹄で決まるんだよ。
どんだけ相手の攻撃に耐えて、攻撃を加えられるか。
または複数のプレーヤーが協力して強力な敵を倒す場合は、その
攻撃目標になって︵タゲをとるという奴だね︶全員の盾となれるプ
レーヤーがいるかいないかで、勝敗の鍵を握っていると言っても過
言ではない。
これもすご︱︱く暴論だけど、﹃盾﹄﹃回復﹄﹃火力﹄の3種類
の役割がいるかいないかで、安定性が全然違う。まあ、そんなわけ
で他の職業ってのは結構不遇なんだよ。
ジョブ
で、ボクの職業は﹃剣聖﹄と﹃聖女﹄なわけで、一見﹃回復﹄か
﹃火力﹄で役に立ちそうだけど、ここで﹃吸血姫﹄の種族特性が裏
目にでるわけさ。
マジック
インテリジェンス
デクステリティ
この﹃吸血姫﹄って種族は基本ステータスが完全に魔法職か、暗
アジリティ
ストレングス
殺者向きで、MAG=魔力、INT=知力は天使に準じ、DEX、
バイタリティ
AGIは全種族中最高を誇っている。反面、強さに関わるSTR=
力や、﹃固さ﹄に直結するVITは、通常の人間並みかそれ以下の
非力・紙装甲だったりする。
なので﹃火力﹄としては使えない。そして﹃回復﹄として最も大
事なことは、どんだけ死なないで仲間を回復できるかってことで、
つまるところ﹃固さ﹄が重要になってくるので、こちらでも使えな
い。
175
なので考えた。
結局、攻撃なんて当たらなきゃ問題ないんじゃないの?
ティ
デクステリティ アジリティ
バイタリ
ということで、わざわざ貴重なステータスポイントを使ってVI
Tに振るよりも、吸血姫本来の長所であるDEX、AGIに振って
Lv99まで上げ、さらに装備で底上げをした結果、ボクの速度と
回避率はトンデモナイ数値になった。
アタック
マジック・アタック
ちなみにモンスターのステータスってのも、ほとんどHP、MP
の多さと、ATK=物理攻撃力とMAG.Aの強大さに依存してい
て、レベルが上がってもここいらへんは意外とたいした事なかった
りするので、全員確認したわけじゃないけど、多分現在でもボクが
﹃インペリアル・クリムゾン﹄最速だと思う。
とは言えいくら数値が早くても、使いこなせなければ意味が無い
わけなんだけど︱︱。
オーガ
ライトニング
ホーリーハイロゥ
ボクの目の前に大鬼の群れが立ち塞がり、咄嗟に後方から追いか
けてきた天涯の手から雷光が、命都の手から光輪が放たれるが︱︱
遅い!
ジル・ド・レエ
届くより先に集団の中に飛び込んだボクは、﹃薔薇の罪人﹄を瞬
時に翻し、手近な数頭を一撃で葬り去ると同時に、剣聖技﹃七天降
ライトニングホーリーハイロゥ
刃﹄︵剣先が7つに分裂して一撃で複数の敵を倒せる︶を繰り出し、
走り抜けたところで雷光と光輪がやっと目標に命中した。
ライトニング
かわ
﹁おおっ、さすがは姫! 在りし日、天上人150名の中でただ一
人、私めの雷光を全て躱しただけのことはございます!﹂
176
天涯が感嘆の声をあげた。
エターナル・ホライゾン・オンライン
うん、もともと﹃E・H・O﹄は当たり判定とか、弱点破壊とか
ナーガ・ラージャ
けっこうシビアだったんだけど、ボクにはこの戦い方がすごく合っ
ライトニング
てたみたいで、﹃黄金龍襲来イベント﹄では、3次転生カンスト組
かわ
が150人以上の中でただ一人、上空から雨あられと降り注ぐ雷光
を全て躱し切ったりもしたんだ。
まあ参加者からは、﹁お前は宇宙世紀の人間か?!﹂とか﹁動き
があり得なくて変態的﹂とか﹁公式チート乙﹂とかさんざんな評価
だったけどさあ・・・。
ジル・ド・レエ
なのでマラソン勝負をかければ、大抵のボス級には勝てると思う
んだけど︵天涯は無理。﹃薔薇の罪人﹄の攻撃力と回復量がほぼ均
衡するので、ボクの集中が持たない︶、紙装甲なのは変わらないか
らねえ、1∼2発ボス級の攻撃を喰らったら死ぬので、城に居る時
は戦々恐々として心の落ち着くヒマもないよ、まったく。
オーガ
で、そんなことを︱︱よーするに殲滅だね︱︱やってたら、なん
オーガロード
オーガキング
か周りを偉そうな大鬼、いやステータスウィンドウで確認したら﹃
大鬼将﹄って表示されたので、大鬼王の側近てところかな?に囲ま
オーガ
れた、そいつらよりも二周りは体の大きな、角を5本生やして、胸
鎧をつけた、いかにも偉そうな大鬼がいた。
オーガキング
間違いなくこいつが大鬼王だろうね。
まあ、いちおうステータスウィンドウで確認し・・・て・・・
﹁︱︱ど、どうされました、姫?!﹂
177
ぐらりとよろけたボクを慌てて天涯が抱きとめる。
めまい
いや、なんてゆーか・・・。あり得ないものを見たので、眩暈が
しちゃったよ。
オーガプリンセス
種族:大鬼姫
名前:ソフィア
HP:1800,000
MP:520,000
※プリンセスは未婚の場合。結婚後はオーガクイーンとなる。
﹁︱︱あの、君ひょっとして女の子?﹂
オーガ
するとその5本角の大鬼が、厳つい顔を歪め轟然と叫んだ。
﹁あたりまえだ! あたしのどこをどう見ればオトコに見える!!﹂
ひゆき
とこしえ
・・・すみません。その厳つい顔といい、岩のような筋肉といい、
どこからどーみても男女の区別はつきません。
オーガプリンセス
﹁まあいいか。︱︱さて、大鬼姫よ、私の名は緋雪、永久に魔光あ
まねく王国﹃インペリアル・クリムゾン﹄の主である。お前には2
つの選択権を与えよう。私が与えるのは恐怖と力、すなわちこの私
の剣の下に服従を誓うか、或いはこの剣の前に立ち塞がり無駄に命
を散らすか﹂
178
﹁フザケルナ!!﹂
オーガロード
ボクの口上が終わらないうちに側近の大鬼将3匹全員が、いきり
立って向かってきたけど、刻耀の槍の一振りで2匹は原型を留めな
いほど四散し、もう1匹は、
﹁無粋よのぉ﹂
ジル・ド・レエ
空穂の扇子の一振りで真っ青な炎に包まれ、灰も残らず消え失せ
た。
オーガプリンセス
ボクは再度、大鬼姫へ、﹃薔薇の罪人﹄の切っ先を向け直した。
オーガプリンセス
オーガプリンセス
﹁返事を聞かせてもらおうかな、大鬼姫よ。服従か、死か﹂
﹁ぐぐぐぐぐ⋮⋮⋮っ﹂
しばらく苦悩していた大鬼姫だが、ガランと手にしていた巨大な
戦斧を地面に投げ捨てると、その場に両膝をつけた。
﹁・・・従おう﹂
﹁うむ、賢明な判断だ。私と我が﹃インペリアル・クリムゾン﹄は
君らの参加を心より歓迎しよう﹂
あー、よかった。やっぱり話ができる者同士、お話し合いで決着
をつけるのが一番だよねぇ。
・・・まあ、それ以前にこの辺り血の海のような気もするけど、
正当防衛というやつだよね、うん。
﹁安心せい、我らが姫様に従う限り、お主らには常に戦いと勝利の
美酒とが待っておろうぞ﹂
179
﹁うむ、この世界全てを制覇し、さらなる高みへと姫と共に至らん
!﹂
オーガプリンセス
空穂と天涯の言葉に半信半疑の表情を浮かべる大鬼姫。
うん、その気持ちはよ︱︱︱くわかるよ。ボクが一番信じたくな
いんだし。
﹁︱︱しかし、せっかく四凶天王が地上に降りたというのに、この
程度では、ちと食い足りないのぉ﹂
ぼやく空穂の言葉に同調して刻耀が大きく頷いた。
﹁ふむ、しかし人間相手はもっと歯ごたえがないしな。︱︱いや、
確かこの近辺にはダンジョンと、白龍が棲みついているという山が
あったな﹂
﹁ダンジョンとはまた懐かしいですね。それに龍種であれば多少は
楽しめるかと思いますし﹂
﹁うむ、善は急げじゃ。早速行ってみようぞ。︱︱そこな新入り、
お主も来い。我らの言葉がウソやハッタリでないことを、その眼と
魂に教えてくれるわ﹂
・・・なにこの急展開?
﹁さあ姫、参りましょう﹂
いや、参りましょうって、ボクも行かなきゃならないの・・・?
いい加減精神的に疲れたので休み︱︱って城に帰るってことだよ
ね。
180
なんか半壊して、仲間内でバトルロワイヤルやったらしい城へ。
オーガプリ
・・・まだダンジョンとか、フィールドボス狩りしてた方がマシ
かな。
﹁︱︱では、参ろうか﹂
ヤケクソでボクは先頭に立った。
ンセス
ダンジョン
その周囲を、いつものように四凶天王が固め、戦斧を拾った大鬼
姫が、おずおずと付いて来た。
そんなわけで、この日の内にボクらはアーラ市近郊の古代遺跡と
白龍山脈の主を制覇して、大森林も合わせた3箇所を、実質的に支
配下に置いたのだった。
181
第十三話 鎧袖一触︵後書き︶
第一章はこれで終了です。
次回は王都編ですが、その前に後日談と前日譚のようなお話が一話
入る予定です。
8/20 文章を一部修正しました。
×100回に1回くらいしか↓○2000回に1回くらいしか
なんぼなんでも確率が高すぎるということで、言われてみればその
通りですね︵´・ω・`︶
182
幕間 薔薇追想︵前書き︶
今回は本当の番外編です。
本編のお話とは一切関わりませんので、読み飛ばしていただいても
まったく問題ありません。
183
幕間 薔薇追想
私がその子に会ったのは、短期バイトで地元のスーパーに勤めた
時だった。
中学生くらいだろうか? 栗色の髪に真っ白な肌、中性的な顔立ちに、線の細い体。
綺麗な男の子だな、というのがひと目みての感想だった。
もっともとっくに中学は卒業していて、現在は通信教育で大検を
目指している、と後から聞かされて耳を疑ったものだが。
﹁身長とか、髪の色なんかは単に栄養失調のせいなんだよ﹂
そう自嘲して言った言葉を、私は最初冗談だと︱︱この現代社会
でそんな筈ないと根拠も無く思い込んでいたのだ︱︱思っていたの
だが、どうやらそれが本当のことだとわかったのは、随分と後にな
ってからだった。
そういう目立つ容姿をした子だったから、興味をもって話しかけ
るバイト仲間は何人もいたが、愛想よく答えながらも、どこか一線
を引いている彼のそっけない様子に、なんとなく近寄りがたい雰囲
気を感じて、だんだんと積極的に話しかける人もいなくなっていっ
たが、本人は逆に面倒がなくなったという風で、飄々としていた。
まあ、私は逆に俄然興味をもって、手の空いているとき、昼休み、
184
帰る時などどんどん話しかけたのだけれど。
﹁君もたいがい変な人だねえ﹂
お金がもったいないから、と渋る彼を説き伏せて帰り際、誘った
ファーストフード店︱︱お金がないという言葉通り、彼は一番安い
セットを注文した︱︱で、面と向かって言われて私は首を捻った。
﹁︱︱そう?﹂
﹁そうだよ。大抵空気を読んでボクには近寄らないものだけどねぇ﹂
﹁う∼∼ん、そう言われるとそうかも知れないけど、なんか興味が
あってさ。私の周りに君みたいに若いのに達観してる人っていない
から﹂
﹁好奇心猫を殺すの典型だねぇ君は。まあそのバイタリティにはあ
る意味、敬意を評するけど﹂
それから取り留め目もない話をした︵というか、私が一方的に質
問をして、彼が面倒臭そうに答えるというパターンだったけど︶。
両親を亡くして一人暮らしでいること。
あのスーパーには身元保証人の口利きで2年前からバイトしてい
ること。
休みの日は図書館で大検の勉強をしていること。
趣味はネットゲームなこと。
﹁ふーん、見事にオタクな生活ね∼﹂
﹁ほっといてくれ、お互いに仮面をかぶってるネットの方が、人間
185
関係のわずらわしさがない分、気楽だしね﹂
そんな話をして、帰り際に無理に誘ったのは私からなので、彼の
分も一緒に支払おうとしたのだが、こればかりは頑として受け入れ
てもらえなかった。
﹁こうした貸し借りは大嫌いでね。自分の分は自分で払うよ﹂
﹁別にこの程度、貸し借りでもないと思うけど。だいたい私が誘っ
たんだから、先にこっちに借りがあるんじゃないの?﹂
﹁違うね﹂どこか冷たい口調で彼は断言した。﹁どんな場合でも、
お金を出したほうが精神的に優位に立つんだよ﹂
それからも機会があるごとに、私たちは帰り際にお茶と雑談を楽
しんだ︵まあ楽しんでたのは私のほうだけだったかもしれないけど、
彼も付き合ってくれたんだから嫌がってたわけではないだろう︶。
とはいえお金がないという彼の懐を考慮して、毎回コンビニのコ
ーヒーとか、公園のベンチで缶ジュースとかだったけど。
何回か話しているうちに、だんだんと彼のプライベートな部分も
見えてきた。
﹁まあ生まれた時はけっこう裕福で、社会的地位もある両親もボク
を可愛がってくれたんだけど、10歳になる前に事故であっさりと
ね﹂
﹁それからはあっという間だったかな。優しい祖父母や親戚だと思
っていた親類縁者が、寄ってたかって両親の家屋敷、財産全てなん
だのかんだの理屈をつけて奪っていってね﹂
186
﹁で、最終的に後見人を名乗る、一つ年上の従兄弟がいる伯父夫婦
の家に引き取られたんだけど、まあそうなるとこれがよくある話で、
肉体的精神的な虐待でねえ。13歳の時からぴたりと身長も伸びな
くなってしまったよ﹂
﹁さすがに我慢できなくなって、学校や警察とかにも訴えたんだけ
ど、まあ・・・子供の言い分よりも、社会的地位も地域の名誉も持
ってる伯父とでは、行政もどちらの言い分を聞くかは明白でね。そ
れからは虐待もなおさら酷くなったねぇ﹂
﹁それよりも参ったのは一つ年上の従兄弟でね。中学くらいになる
と色気づくだろう? で、ボクはご覧の見かけなのでね、肉体的精
神的な虐待に加えて性的虐待もプラスされるようになってきてさ﹂
﹁まあ財産やなんかはボクが無知だったせいで、とられたのはある
意味自業自得だけど、最後に残ったこの身と命くらいは守らなきゃ
と﹂
﹁あてもなく家出したところ偶然ケースワーカーに拾われてさ。最
シェルター
近はそういう虐待とか暴力とか社会問題になってたこともあって、
隔離施設に連れて行かれて、いまにいたるという感じかな﹂
﹁ああ、別に自分が惨めだとか不幸だとかは思ってないよ、世の中
には生まれつき難病の人も居るし、世界を見回せば7割近くが、そ
の日飲む水にも苦労してるんだしね﹂
﹁うん、別に親戚や伯父がことさら悪人だったとは思わないなぁ。
この世の中には博愛や無私の愛なんてない、人は自分の都合のいい
ように考え、行動するのに、それを期待してしまったボクが甘かっ
187
たんだろうね﹂
﹁というか善人とか悪人とかあるのかな? あの日、両親が死ぬま
では彼らはボクにとっては善人だったし、いまでも他人からみれば
善人なんだろうからね﹂
﹁だから君がボクを達観してるって言ったのも的外れでね。単にボ
クは臆病なだけなんだよ﹂
それから程なくして彼はあっけなく事故で亡くなった。
その後、程なくして彼がよく遊んでいたというネットゲームも終
わったらしい。もともと会社としては5年を目処に運営していたが、
最近のネットゲーム離れで廃止を決定したとかなんとか、ネットの
書き込みで読んだ。
彼の葬儀が行なわれたかどうか、どこに葬られたかはわからない。
なので事故から1年後の今日、私は彼の事故現場に彼が好きだと
言っていた赤い薔薇の花束を置いて、そっと手を合わせた。
﹁薔薇は好きだねぇ、特に赤薔薇は。知ってるかい、フランスとか
でワインを作るブドウ畑には薔薇を植えるんだってさ。薔薇って病
気にすごく弱いからねえ、先に病気が入らないかどうかの警報代わ
りに昔からそうしていたんだってさ。そんな弱いのに棘で身を守ろ
うとするなんて、健気じゃないかな?﹂
そんな彼こそが薔薇のような人だった。
188
知ってたかな君は。赤い薔薇の花言葉は﹃情熱﹄﹃愛情﹄だよ。
君は口では愛なんて信じないなんて言ってたけど、本当は信じた
かったんじゃないかな?
それの答えはもう聞けないけど、私は君のことを愛していたよ。
189
幕間 薔薇追想︵後書き︶
緋雪の行動原理が矛盾しているのでは?
というご指摘が多かったので、ちょっとだけバックボーンを公開し
てみました。
﹁他人の命を奪わない﹂﹁他人の財産を奪わない﹂﹁他人の居場所
を奪わない﹂というのが緋雪の考える人間同士の最低限の約束です
が、人はしばしば自分の都合でそれを行なう、だから信じられない
し自己防衛するしかない、だけど本当は信じたい、という矛盾その
ものな行動をしたためその矛先がコラードギルド長へ向かったとい
う感じでしょうか。
シェルター
また、ゲームを始めたのは隔離施設に連れて行かれてからなので、
ネトゲの定石を無視したステータスの振り分けとかしちゃったわけ
です。
8/21 誤字修正しました。
×中世的↓○中性的
190
第一話 火中之栗︵前書き︶
第二章の開始です。
とはいえ、まだアーラ市から出てないですけどw
191
第一話 火中之栗
﹁・・・困ったことになりました﹂
1週間ぶりに会ったアーラ市のコラードギルド長は、眉間に皺を
寄せたまま深いふかぁ︱︱いため息と共にそう言った。
﹁いや、なんか会うたびにいつも困ってる気もするけど?﹂
思わず、ポロリと感想を漏らしたボクの顔を、恨みがましい目で
見るコラードギルド長。
﹁その8割方は陛下が原因なのですけれどね﹂
いつの間にかボクへの呼び名が﹃陛下﹄に変わっている。
最初この部屋に来て変装を解いた時には、平伏して﹁陛下におか
せられましては、畏くもおんみずから︱︱﹂とか始めたので、
﹁そういうのはいいから。いままで通り普通に喋ってくれればいい
から﹂
と止めたんだけど、﹃陛下﹄のほうは変える気はないみたいだね
え。
それはそれとして、8割方って、そんな困らせるようなことした
かなぁ?
えーと、最初に会った時はボクがジョーイへ渡した報酬の件で困
ってて。
次がボクとの密談の件で困って。
192
スタンピート
三回目は魔物の暴走の件で困って。
で、ボクに泣きついてきて交渉を断られて困り果てて。
魔物との戦いでけちょんけちょんに負け、困ったなんてもんじゃ
なくなって。
最後はボクが戦場に降りてきて困惑して。
つまり6回のうち4回くらいなんだから、えーと︱︱
﹁私が原因なのって67%、四捨五入しても7割くらいじゃないか
な?﹂
﹁7割が8割でもたいして変わりません!・・・っと、失礼しまし
た﹂
慌てて咳払いをして居住まいを正す。
さすがに戦場でのヘロヘロ状態から1週間も経てば体力も戻った
ろうけど、困ったという割には妙に元気で顔の色艶も良いんだけど・
・・。
﹁︱︱彼女でもできたの?﹂
︱︱ぶほっ!
こうちゃ
直球で聞いたみたら、ギルド長は口直しに飲んでいた香茶を気管
に入れ、思いっきりむせた。
﹁げほっ⋮げほげほっ⋮⋮な、なんでそうなるんですか?!﹂
オーラ
﹁いや、なんとなく。前と違って、こう⋮全身から幸せそうな、リ
ア充の気配が漂ってるものだからさ﹂
193
﹁む⋮⋮っ﹂
うち
威儀を正そうとしたが、次の瞬間、満面をこんにゃくみたいに崩
すコラードギルド長。
﹁いやぁ、わかりますか? でふふっ、いや∼、ギルドの窓口職員
にモナって娘がいるんですけどね﹂
ああ、ギルド長が片思いしてたんだけど、本人は現在進行形で3
イービル・アイ
人ぐらいの男と男女交際してる赤毛の娘ね。もっとも、そのあたり
のショックな記憶は、魔眼でギルド長の頭からは綺麗に消してある
んだけど。
あと、どうでもいいけどいい年こいた男が﹃でふふっ﹄は、気持
ち悪いからやめてもらいたいな。
﹁彼女から猛烈なアタックを受けまして、このたび正式にお付き合
いをすることになりまして﹂
えじき
﹁4人目の餌食か・・・﹂
﹁は? なにか??﹂
﹁いや、別になんでもないので﹂
まあ本人が幸せなら、ボクがどーこういうことじゃないからねえ。
﹁というか、私に会いたがってるというので来てみたんだけど、そ
んな惚気話をしたくて呼んだわけ?﹂
こっちは生前から彼女なんていたことないのに。・・・ったく爆
発しろ!
﹁そんなわけないでしょう!﹂
一転して憮然とした顔になるギルド長。
194
﹁魔物の襲来で生じた人的・物的被害の補填、風評による商人の往
来の減︱︱まあ、このあたりは時間を掛ければどうにかなるでしょ
う。問題は陛下の影響力です!﹂
お前が原因だと言われても、ボクはここ1週間ずっと城に篭って
いて、﹁どうして自分を呼んでくれなかったんですか姫様!?﹂﹁
イービル・アイ
姫、次の出番はいつですか!?﹂と陳情してくる部下たちの相手で
大忙しだったんだけど。
で、気分転換にネットでも見る感覚で、魔眼を通してのバイパス
で、コラードギルド長の様子を覗ってみたら、なんかボクと連絡を
取りたがっていたようなので、コレ幸いにと下界へ降りてきたわけ
なんだけどね。
﹁・・・なんかしたっけ?﹂
ダンジョン
﹁陛下が直接なにかをされたわけではありません。しかし、大森林
や古代遺跡、白龍山脈に現れるモンスターが口をそろえて﹃ここは
偉大なるヒユキ様の領土だ﹄﹃ヒユキ様のために死んでもらう﹄﹃
ヒユキ様ハアハア﹄と陛下の名前で領土宣言を行い︱︱﹂
最後のは何かの病気だと思うよ。
クレーター
﹁挙句、なんですかあれは?! 一昨日、白龍山脈の一角が突如吹
っ飛んでできた巨大な壊穴口は!? 噂ではあれも陛下が関係して
いるとかお聞きしましたが?!﹂
いき
そうじゅ
がいじん
﹁ああ、なんかあそこの一部妖魔がうちの国に非協力的だっていう
ので、壱岐と双樹と凱陣︱︱いや、なんかとりわけやる気があった
部下が志願して、現地での説得を試みたんだけど、説得に力が入り
195
過ぎちゃったみたいでねぇ﹂
﹁陛下の国では、説得というのはいちいち破壊活動を伴うのですか
!?﹂
﹁いやぁ⋮⋮できれば否定したいところなんだけどねぇ﹂
否定できない心当たりが多々あるなぁ。
﹁だいたい領土宣言といい、破壊活動といい、誰の許可を得て行な
ってるんですか?!﹂
なにそんなにいきり立ってるんだろう? ボクは首を捻りながら
答えた。
﹁どれもその地の主から、どうぞと許可を得たものだけど? とい
うかもう全員がうちの国の国民だからねえ。煮ようが焼こうが好き
勝手じゃないの?﹂
﹁そんな理屈が通るわけないでしょう! どこも我が国の領土です
よ!﹂
いや、国の領土なんて言うけどさ、そんなのは人間側が勝手に決
めたことじゃない? 先住民たる魔物の許可を得たわけじゃないん
だから。
と言ったら、﹁魔物に先住権があるわけないでしょう﹂と返され
た。
そっち
﹁・・・ん∼∼っ、じゃあ別に問題ないじゃん。うちの国は魔物ば
かりなんだから、人間側としては存在自体を認めないというスタン
スだよね? なら魔物がどう言おうとガン無視すればいいんじゃな
いの?﹂
196
﹁通常であればそうなのですが・・・﹂
ここでコラードギルド長は、苦虫を10匹くらい噛み潰したよう
な顔になった。
﹁陛下の影響力は圧倒的過ぎます。あの巨大なドラゴンは市街から
も見えたそうですし、ましてや間近に陛下と部下の方々のお力を見
た冒険者の中には、陛下に心酔する者まで現れ、市民や議会の議員
の間からも、この際﹃インペリアル・クリムゾン﹄と手を結ぶべき
ではという意見も出る始末で、火消しに大わらわですよ。ガルテさ
んがいないのもその辺りの調整のためです﹂
ああ、なんか物足りないと思ったら、ガルテ副ギルド長のでかく
て暑苦しい姿がなかったせいか。
とは言え、そんな恨み節をぶつけられても、ボクとしては所詮は
他人事だからねえ、適当に慰めるくらいしかできないな。
﹁ふう∼ん、大変だねえ。もともと向いてないんだから、ギルド長
とか辞めたら?﹂
﹁ええ、私もとっととこんな仕事は辞めて、モナといちゃいちゃし
たいところですが﹂
うん、なにげに本音がこぼれたね。
﹁誰もが尻込みして、後任になろうとしてくれません﹂
﹁最近は国の上層部や神殿からも、﹃自由都市アーラ市は表向きは
国に従っているが、裏で魔物とつながっているのでは?﹄などと痛
くもない︱︱﹂
言いかけてちらっとボクを見て言い直した。
﹁︱︱多少、痛い腹を探られる始末でして﹂
197
まあ実際にここでボクとナアナアの会話をしてる時点でアウトっ
ぽいよねー。
それ
﹁まあ確かに、面従腹背の腹芸ができるくらいなら、もうちょっと
上手く立ち回れたろうにねぇ﹂
﹁ええ、まったくその通りです﹂
憮然と同意するコラードギルド長。
﹁・・・んで? 私にどうしろと? 私たちこんなに仲が悪いんで
す、というアピールのために街中で二人で戦う猿芝居でもする?﹂
﹁やるわけないでしょうっ! という陛下の影響力は高いんですか
ら、そんなことすれば私が後ろから刺されます! 実際、訓練所で、
陛下と親しく話をしたと口を滑らせたジョーイ君は、訓練時間を8
時間から20時間に増やされ、日に日にやつれていく有様で・・・﹂
どこまでも阿呆⋮もとい、不憫な子だねぇ。
﹁なので、私からお願いしたいのは、しばらく陛下と部下の方々は
アーラ市近郊で、表立った騒ぎを起こさないでいただきたい、とい
うのが1点で﹂
ここ
﹁まあ、もともとしばらくアーラ市からは離れる予定だったからね。
大森林とか周りの騒ぎのほうは、いままで通りに戻ると思うよ﹂
スタンピート
テリトリーに侵入した人間を襲うなとか、食うなとか自戒を促す
つもりもないけど、今後は暴走のような無目的な侵攻は起きないだ
ろうね、と付け加える。
198
﹁それを聞いただけでもお話できた甲斐がありました。ところでも
う1点確認したいのですが︱︱﹂
﹁なにかな?﹂
﹁陛下はこの後、王都カルディアへ向われるとミーアから聞いたの
ですが﹂
ああ、そういば今回の騒ぎの前にぽろっと言ったっけか。
﹁いちおうそのつもりだけど?﹂
﹁⋮⋮正直、あまりお勧めできません﹂
苦悩をにじませるギルド長。
﹁なんで?﹂
別に喧嘩しに行くわけじゃないんだけどね。
その質問を最初から予期していたんだろうね、黙って執務机の引
き出しから2通の封筒を出して、ボクの前に置いた。
どちらも素っ気無い白の封筒で、蜜蝋で封印されているけど、出
所がわかるような宛名とか印とかは押されていない。
﹁︱︱なにこれ?﹂
﹁どちらも非公式なものですが、片方は貴族院議会からのもので、
もう片方は第三王子アシル・クロード殿下からのものです。なんら
かの形で陛下にお渡しするようにとのことで、やはり国は私どもの
関係を疑っているようですね﹂
199
﹁へえ﹂
ジル・ド・レエ
取りあえず封を開けて中身を確認しようと、﹃薔薇の罪人﹄を呼
び出したらギルド長が引っくり返った。
﹁︱︱そんな物騒なもの使わないでください! ペーパーナイフく
らい貸します!﹂
で、ペーパーナイフを借りて中身を読んだんだけど・・・。
﹁ふーん、貴族院の方は﹃国家を僭称する賊徒はすみやかに武装を
解除して、国の管理下に入るべし﹄だってさ﹂
﹁まあ、予想通りですね。目当てはそちらの財でしょう。遺失硬貨
の件も漏れているようで、国に献上するようずいぶんと横車を押さ
れましたよ。︱︱まあ適当に惚けておきましたけど﹂
悪い結果は予想はしていたけど、やっぱり悪い成績のテストが返
されたような顔で頷くギルド長。
﹁そうだね。ところでこの国の軍隊って何人くらいいるの?﹂
﹁常備軍に傭兵、各貴族の家臣団を合わせるなら全軍合わせて5∼
7万といったところでしょう。︱︱それがなにか?﹂
﹁なんだ意外と少ないんだね。そんなんじゃ円卓メンバー動員した
ら、手加減しても何分持つかなぁ﹂
﹁なんの話ですか?!﹂
ソファから飛び上がらんばかりの勢いで、慌てたコラードギルド
長に訊かれたけど、この手紙の内容って要するに、あれだよね?
200
﹁いや、宣戦布告されたようなのでツブそうかと?﹂
締まりのない口をパクパクとさせて言葉にならない様子のギルド
長。
﹁で、もう片方の王子様からは﹃麗しき姫君へ。後の世までこのつ
たない筆跡が残ろうともかまわない。愛しい薔薇のために書き残し
ておこう、この熱い胸のうちを・・・﹄ってなにこれ?﹂
﹁・・・恋文、のように思えますが﹂
どうやら少しは落ち着いたらしい、コラードギルド長の補足にボ
クは首を捻った。
﹁片方では宣戦布告しておいて、片方では恋文贈るなんて、この国
の上層部は錯乱してるの?﹂
﹁いえ⋮ですから、別に最後通牒というわけではないのですから、
一足飛びに宣戦布告とか理解しないでください。⋮⋮それと第三王
子は公人ではありますが、貴族院議会とはまったく関係がない、ど
ころかどちらかというと煙たがられている存在ですので、別個に考
えてください﹂
﹁王子が貴族に煙たがられているの?﹂
よほどアーパーなのか、貴族たちの既得権を侵害するほど有能な
のか︱︱いきなり会った事もない魔族の国の姫に恋文贈るとか、前
者っぽいけど。
﹁なにしろ英雄ですから。11歳の時に避暑地で暗殺者8人に狙わ
れた際に、5つ年下の妹姫を守ってこれを全て殲滅したのを皮切り
に、年に一度王都カルディアで行なわれる武芸大会剣の部で12歳
201
から5連覇。
また、実戦を積むためとして14歳の時に王都のギルドに自ら志
願し、16歳の時に﹃Sランク﹄の称号を得ています。
言っておきますが、王子という肩書きや武芸大会の成績とは関係
なく、純粋な能力と実績によるものです。
私にはよくわかりませんが、失礼ながらガルテさん曰く、純粋な
剣技では陛下を上回るのではないかとのことです﹂
ボクは黙って肩をすくめた。まあ所詮ボクのは自己流だからねえ。
とは言え、そういう本格的な訓練を積んだ相手にどこまで通じる
のか、試してみたくもあるかな。なにしろ相手はSランクらしいし。
﹁そんなわけで実力は折り紙つき、しかも若くてハンサムとあって
男女問わずに大人気です。なので王族はお飾りとしたい貴族院とし
ては、面白くないのでしょうね﹂
顔つきからして、ギルド長もどちらかといえば王子様寄りっぽい
ね。
﹁面倒なものだねぇ。・・・とは言え、王子様のほうは私に会いた
いと日時、場所まで指定してきたし、一度会ってみるのも良いかも
しれないね。万一罠なら食い破るだけだし﹂
そう言うと、コラードギルド長は諦め顔で訊いてきた。
﹁ふう・・・できれば聞かなかったことにしたいのですが、具体的
な日時と場所をお聞きしてもよろしいでしょうか?﹂
﹁来週の3日、王都で開かれる仮面舞踏会会場だってさ。タイミン
グ的にもちょうど良いかな﹂
手紙のその部分と同封されていた招待状とをひらひらさせて見せ
た。
202
﹁・・・なるほど、男女の密会としてはありがちですね﹂
﹁まあ、どうあっても色恋沙汰にはならないと思うけどねえ﹂
言いつつ、だいたい話は終わりかな、と判断したボクは席を立っ
た。
そんなボクの背中へ、コラードギルド長が切々と訴えてくる。
﹁陛下、万一貴族院なりアシル殿下なりが無礼を働いたとしても、
それは全ての貴族や王族の総意ではないのです、どうかそれだけは
お心に留め置きください﹂
︱︱ふむ? ボクはちょっと考えて問い返した。
﹁じゃあ一部とそうでないところはどう区別をつけるの? 黙って
見てたらそれは肯定していたことだし、そこら辺の区別の付け方が
わからないんだけど? というかさ、君は自分を刺した蜂が巣に逃
げ込んだら、いちいち一匹ずつ選り分けるのかい? 巣ごと潰すん
じゃないかな﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
そうした答えが返って来るのを、ある程度予想していたのか、ギ
ルド長は無言で目を閉じた。
ボクは貴族院からの手紙を指の間に挟んで振りながら続けた。
﹁自分は奪って、自分のものは奪われまいとするなんて、ずいぶん
と虫のいい話じゃないかい? 私がやろうとしているのは、こいつ
らが理想としている世界そのものなので、ずいぶんと公平だと思う
んだけどねぇ﹂
203
最後に、じゃあ恋人とよろしく∼、と続けようかと思ったけど、
それは止めておいた。
204
第一話 火中之栗︵後書き︶
噂の王子様と対面、の前にもう一人の重要人物と遭遇予定です。
8/21 誤字を修正しました
×がいしん↓○がいじん
×ボクがやろうとしているのは↓○私がやろうとしているのは
205
第二話 準備万端︵前書き︶
申し訳ありません。
昨日︵8/21︶の更新内容︵2∼4話︶の内容を修正をいたしま
す。
私の準備不足のため皆様の混乱を招く事態となりましたこと、本当
に申し訳なく陳謝いたします。
206
第二話 準備万端
さて、ギルド長室から退出しようとしたところで、コラードギル
ド長から待ったがかけられた。
﹁ちょっとお待ちください。確認したいのですが、陛下は王都カル
うち
ディアへはどのような手段で潜入されるお積りですか? あそこは
基本フリーパスな自由都市と違って、出入りもかなり厳しく制限さ
れていますが﹂
﹁そんなもの、ぴゅーとひとっ飛びだよ﹂
穴を掘るのも面倒臭いしね。
﹁ま、まさか、またあの派手なドラゴンに乗って行くお積りですか
?!﹂
泡を食うギルド長に、ないないと手を振って見せた。
くに
まあ日本の小さな県の面積にほぼ匹敵する空中庭園ごと移動して
行くわけだから、どっちが派手かは判断に迷うところだけどさ。
﹁⋮⋮とはいえ、まともな手段で潜入されるわけではなさそうです
ね﹂
﹁そりゃそうでしょう。私が正面から﹃こんちわ∼っ﹄と堂々と入
れるはずないしね﹂
名乗っただけで大騒ぎだよ。
そういうとコラードギルド長は諦め切った顔で、執務机から銀色
207
プレ
の︱︱以前ジョーイに見せてもらったギルド証に似ているけど、あ
ート
れよりも二周りは大きく、縁のところに飾り模様が入った︱︱金属
板と、封がしてある手紙︵ただしこちらはちゃんと裏にアーラ市冒
険者ギルドの印と、ギルド長の宛名が入っている︶を出してきて、
応接テーブルの上にこちら向きに置いた。
どうやらまだ話の続きがあるみたいだと判断して、ボクもソファ
ーに戻った。
プレート
﹁︱︱なにこれ?﹂
取りあえず金属板の方を手にとってみた。
﹁通行許可証です。アーラ市で発行された正式のものですから、そ
れがあれば王都へも問題なく入れる筈です﹂
﹁ふ︱︱ん、でもいいの、ここまであからさまに私の支援をして?﹂
﹁・・・しかたがありません。誠に不本意ですが、いまやアーラ市
は陛下の国土に三方を挟まれ、喉元に剣をつき立てられた状態です。
そちらにわずかな動きがあっただけで致命傷を負う、いわば運命共
同体ですから、王都で不要な騒ぎが起きないよう多少なりともリス
クを回避できるよう努力するのが、私の務めでしょう﹂
おおぅ、コラード君も清濁併せ呑む度量ができてきたみたいだね
ぇ!
やっぱり逆境は人間を成長させるのかなぁ。
それともあれかな、彼女の出来た余裕というモノかな?
﹁・・・なんですか、その生暖かいような、蔑んだような微妙な目
つきは?﹂
208
﹁べ∼つーにィ。︱︱まあ、ありがたく頂戴しておくよ。ところで
これ魔力が感じられるけど、なにか機能とかあるの?﹂
オープン
﹁ええ、誠に勝手ながら私の方で手を加えておきました。王都の門
をくぐる際に右上の﹃☆﹄マークを指で触って、﹃開錠﹄と唱えて
いただくと特殊な結界が発生して、王都の防御結界を一時的に無効
化できます。
まあ陛下のお力なら防御結界ごとき問題にはならないでしょうが、
力づくで破られればそれだけで非常事態だと知らせるようなもので
すからね﹂
ああ、そういえば防御結界なんてシロモノもあったねえ!
全然苦労しないで破ったので記憶に残らなかったけどさ、どの程
度の規模で張り巡らされているかわからないけど、最低限門や城壁
の上くらいまでは覆ってあるだろうから、夜陰に乗じて城壁を飛び
越えて王都に潜入しようとしたら、知らずに破ってあっさりボクの
存在がバレてた危険性もあったわけだねぇ。
これは反省しないといけないね。
いきなり大きな力を持って万能感に浸っていたけど、人間どこで
足元をすくわれるかわかったものじゃないからね。いまつくづく実
感したよ。
やはり中身の身の丈にあったところから固めていかないと、あと
あと取り返しの付かないことにもなったかも知れないねぇ。
それを思えば、そのことを教えてくれたコラードギルド長にも改
めて感謝しないとね。
﹁ありがとう、コラードギルド長。重ね重ね感謝するよ﹂
209
そう言って頭を下げたボクを、まるで見知らぬ化物を見るような
目で見るギルド長。
﹁︱︱な、なんの嫌がらせですか陛下?! それともなにかの婉曲
なイヤミですか!?﹂
﹁・・・いや、普通に感謝したつもりだけど?﹂
﹁陛下が? 私に! 感謝ァ?! ︱︱ま、まさか私を殺すので最
期の別れの挨拶ですか?!?﹂
慌てて腰を浮かせて逃げの体勢になる。
﹁ちょ、ちょっと待って! 私ってどんだけ物騒に見られてたのさ
!?﹂
﹁ご自覚がなかったんですか!?﹂
ジト目で見られたけれど、なんかあれだね、うちの部下の非常識
さを全部ボクのせいにされていないかい? ボク自身は無益な殺生
もしてないし、基本対話路線で過ごしているつもりなんだけどねえ。
﹁・・・自分ではかなりの平和主義者のつもりだけど?﹂
うわっ、駄目だこいつ! という顔を掌で覆って天井を向くコラ
ードギルド長。
﹁⋮⋮まあ、お互いの認識に多少のズレがあるのはわかりました。
それと補足としてソレの効果は30分間、1度使用すると半日使用
不能になります。範囲はせいぜい半径1∼1.5mほどですのでお
忘れなく﹂
210
気を取り直したか、開き直ったらしいギルド長の説明に、大いに
モヤモヤするものを感じつつも、ボクは黙って頷いた。
マスカレード
﹁それと、差し出がましいようですが、その結界の大きさではお連
れできる家臣の方は1人かせいぜい2人でしょうが、仮面舞踏会に
参加されるのであれば、女性は女性同士連れ立つほうが自然ですの
うつほ
で、女性の方を伴われたほうがよろしいでしょう﹂
みこと
﹁なるほど・・・﹂
と、なると命都かな。空穂は性格に多少難があるから。
﹁それとこちらの手紙は、王都の手前にある街道のファビオラ市の
ギルド本部宛です。中身については、陛下はクレス=ケンスルーナ
連邦の貴人であり、今回お忍びでアミティア王国の貴族と密会する
ために訪問されている。そのため国際問題にならないよう、秘密裏
に事を運べるよう協力するようにとの依頼文ですね﹂
そう言って、もう一方の手紙をボクの手元に押し出してきた。
﹁クレス=ケンスルーナ連邦? そんなのもあるの?﹂
うち
﹁あるんですよ。アミティア王国は独立国ですが、どちらかと言え
ば連邦と対立しているグラウィオール帝国の影響が強いですからね。
こう書いておけば、あちらのギルドと冒険者も深入りしようとは思
わないでしょう﹂
﹁ふぅん。いろいろと面倒なんだね。というか疑問なんだけど、通
行許可証があれば通過できるんなら、別に冒険者の手を借りる必要
とかないんじゃないの?﹂
見知らぬ第三者の手を借りると、その分、こちらの正体とかバレ
るリスクも高そうなんだけど。
211
そう言うと、再びコラードギルド長は深い深いため息をついた。
﹁陛下、まさかとは思いますが歩いて王都の門をくぐるお積りでは
ないでしょうね・・・?﹂
エミュー
﹁・・・騎鳥くらい借りたほうが自然かな?﹂
エミュー
﹁騎鳥だろうが、騎馬だろうが思いっきり不自然です! どこから
どう見ても貴族か王族のお姫様なんですから、お忍びとはいえそれ
なりの馬車に乗って、警備を固めて行くのが普通なんです!﹂
唾を飛ばして力説され、なるほどねぇとボクは納得した。
足元を見ないといけないと思った矢先からこれだよ。
言われないと気が付かないんだから、ボクって奴は本当に間が抜
けているね。
﹁それに比べてコラードギルド長は、本当に痒いところに手が届く
ねぇ。良いお嫁さんになれるよ﹂
﹁なんで私が嫁なんですか!? もらう立場でしょう!﹂
﹁いやぁ、ギルド長はどっちかと言うとお嫁さんの方が似合ってる
よ。家事能力も高そうだし﹂
自覚があるのか、うっと唸るギルド長。
﹁そ、それはまあ、男も30まで独身でいれば家事くらいできます
けどねえ・・・そういう陛下こそ、刺繍くらいは淑女のたしなみで
すので練習されたほうがいいですよ﹂
と嫌みったらしく言われたけど、あれ?ひょっとしてボクのこと、
212
戦い以外できない箱入りだと思ってるのかな?だとしたら、ちょっ
とプライドが傷つくね。
﹁刺繍や裁縫、料理、洗濯くらいは普通にできるけど?﹂
なにしろ小学生の頃から小公女みたいに働かされて、その後も一
人暮らしで全部やってきたんだし。・・・そう考えるとあれだね、
﹃他人に頼る﹄という感覚が、そもそもないのがボクの最大の欠点
なんだろうね。
ダンス
﹁失礼ながら、正直意外ですね。陛下にそうした面があるとは﹂
本当に失礼だね。
﹁そうしますと当然、舞踏のほうもかなりの経験が︱︱﹂
﹁全然経験ないけど、別にいいんじゃないの? 今回は名目だけで
王子様と密談するだけなんだし、適当に壁の花になっておけば﹂
ボクの答えに一瞬ぽかんとしてから、なぜか血相を変えて立ち上
がったコラードギルド長。
﹁じょ、冗談じゃありません! 仮にも舞踏会と銘打っているもの
に参加するのに、踊りの一曲も踊れないなんて恥なんてものじゃあ
りません!!﹂
真っ赤になりながら、なぜか机や椅子、テーブルを部屋の隅のほ
うへ片付け始める。
﹁いや、私が恥なだけで、別にギルド長が焦る必要は・・・﹂
﹁知らずにいたならともかくっ、知ったからには紳士として黙って
送り出すわけにはいきません!﹂
213
断固とした口調で言われ、勢いに押される形で聞き返した。
﹁そ、そういうもんなの・・・?﹂
﹁そういうものです! では、陛下、直ぐに立ってください。時間
キャビネット
もないので基本のステップだけになりますが、早速始めます!﹂
そう言いながら部屋の化粧棚から取り出したオルゴールを開けて、
音楽を流しだした。
﹁・・・あの、いまからここで始めるの?﹂
﹁当然です! 時間がないと言ったでしょう! さあ立って、体に
覚えるんです!!﹂
﹁うわー・・・﹂
◆◇◆◇
アーラ市冒険者ギルドのギルド長室には、その晩は遅くまで灯が
燈り。
オルゴールの音色と、人が複数で激しく動き回る足音。
そして︱︱
﹁違います、4拍子のカウントです!﹂
214
﹁ステップが早すぎます! 音楽に合わせるんじゃなくて相手に合
わせて!﹂
﹁タンタタタッタ・タッタ・タッタ、わかりますか!?﹂
ギルド長の怒鳴り声が一晩中響いていたとか、女の子の半泣きの
声がそれに応じていたとか、その後しばらく噂になったのだった。
215
補足 勢力情勢︵前書き︶
余り本編の内容とは関係ありませんが参考まで、この世界の国家に
ついてです。
216
補足 勢力情勢
大陸︵特定の名前はなく単に﹃大陸﹄と呼ばれている︶の形は大
雑把に﹃左側を向いたカバ﹄のような形をしていて、このうち顔に
当たる部分を﹃大陸西部域﹄、上半身部分を﹃大陸中央部﹄、下半
身部分を﹃大陸東部域﹄と呼んでいる。
文化的には﹃大陸西部域﹄>﹃大陸東部域﹄>﹃大陸中央部﹄と
見られている。
これは大陸最大宗教である﹃イーオン聖教﹄の教義︱︱﹁人間以
外の亜人、獣人などは生まれつき罪を犯した罪人であり、人間より
も劣った存在である﹂という考えが根底にあるもので、そのまま人
間種の国に占める版図の広さを表しているとも言える。
実際には各地それぞれの特色ある文化があり、一概にどこが上と
も言えない。
なお、大陸には大小60余りの国々がある︵また大陸以外にも、
諸島国家や未確認大陸なども存在する︶。
そのうち最大の面積を誇るのはクレス=ケンスルーナ連邦であり、
位置的には大陸中央部の下半分をほぼ占めるが、実態は亜人国家や
亜人との融和路線をとる国家が、イーオン聖教の弾圧から逃れるた
めに団結した寄せ集めの集団に過ぎず、いざという場合の共同歩調
にも難があることから、幾つかの周辺国を帝国に併合されている。
連邦の代表者は﹃主席﹄と呼ばれ、世襲制ではなく、各国代表者
から選抜される一代限りの名誉職となる。
217
二番目に強大なのが、大陸東部域から中央部域上端付近︵また、
一部西部域にも飛び地がある︶を支配するグラウィオール帝国。
こちらは強大な権力を手にした皇帝が支配する国で、たびたび周
辺国と武力紛争を起こしている。
ただし、かつての皇帝は絶対王政に近い権力を維持していたが、
現在は国土が広がりすぎてコントロールし切れない部分が垣間見ら
れるため、これが皇帝の意向によるものかどうかは不透明な部分が
ある。
外交や貿易にも力を入れており、特に大陸西部域諸国とは比較的
良好な関係を結んでいる。
三大強国の最後がイーオン聖王国。
大陸中央部に位置しており、その名の通りイーオン聖教を国教と
し、国民全てが教団員という宗教国家。
ジハード
国土面積としてはさほどではないが、大陸最大宗教ということで
各国に対する影響力は非常に強い。また、﹃聖戦﹄という高位聖職
者が使える魔術︵聖教でいうところの﹃神の奇跡﹄︶発動により、
教団員をすべて凶戦士として操ることが可能なため、他国から警戒
されている。
その教義ゆえに﹁罪人たる人間以外の種族は死して罪を償うべき﹂
との理由で、過去に何度も亜人国家や関連する国家との紛争・虐殺
を起こしているため、クレス=ケンスルーナ連邦との仲は最悪。
国交はもとより物流自体一切行なわれていない。
国の代表者は神託で選ばれた﹃大教皇﹄であるが、こちらはほぼ
神輿であり、実態は大司教以上の位階の者による合議体制で国の運
営は執り行われている。
閉鎖的であり、あまり積極的に他国との交流もない。
アミティア王国は大陸西部域に16ある国家のひとつで、国土面
218
積としては7番目、農作物の輸出量としては1番、国力としては5
∼6番目に位置している。
首都は王都カルディアではあるが、交通の便が悪いため人口とし
ては国内3番手に甘んじている︵1位は貿易港を抱える都市キトー
で、2位が交易路の中心である自由都市アーラ︶。
文化レベルはこの世界としてはそれなりに高いが、総じて平和ボ
ケしており、ここ数十年文化的魔法的な発明、発展はない。
国の代表者は国王であるが、実質的には有力貴族による貴族院が
実権を支配しており、単なるお飾りに過ぎない︵これは大陸諸国全
般に言える︶。
現国王には6男5女があり、国王も含めて毒にも薬にもならない
人柄だが、第三王子アシル・クロード︵とその実妹の四王女、アン
ジェリカ・イリス︶のみは、実績と能力、外見、人柄に優れ、国民
や一部軍人から熱狂的な支持を得ている。
ちなみに緋雪が最初にこの国を選んだのは、﹁緑が多くてのどか
そう﹂というただそれだけの理由から。
219
第三話 双姫邂逅︵前書き︶
修正しました。
以前の第二話にあたります。
220
第三話 双姫邂逅
アミティア王国は大陸西部域に版図を持つ中規模︵というか3大
強国の帝国、連邦、聖王国を抜かせば周辺国と併せてどんぐりの背
比べ︶国家であり、肥沃な土壌と温暖な気候から農業・牧畜が盛ん
で、国土面積・人口に比較しても国内消費量の数倍の収穫量を誇り、
農産物の輸出量では近隣諸国随一を誇る、西部域の台所としてなく
てはならない存在であった。
かつてはこの豊潤な国土を狙って侵略戦争なども行なわれたが、
周辺国との外交政略によりここ80年以上、小競り合いを抜かせば
本格的な戦争を経験したことはなく、時折発生するモンスターの被
オペラハウス
害を別にすれば、現在は平和を謳歌していると言っても過言ではな
かった。
マスカレード
そんなアミティア王国の王都カルディアにある歌劇場では、今宵
も着飾った貴族・富裕層が集っての仮面舞踏会が開催されていた。
マスカレード
ちなみに仮面舞踏会は、本来は宮廷で開催されたものだが、平和
な時代が長引くに連れて徐々に敷居が低くなり、現在では一般︵と
言っても参加できるのはそれなりの財産と地位がある者ばかりだが︶
にも広がり、こうした劇場などでも開催されるようになっている。
参加者は上は貴族から、下は成り上がりの商人まで様々だが、時
たまお忍びで参加する王族や他国の貴人まで居るとあって、参加す
る男女は鵜の目鷹の目で、仮面に隠された相手の素性を探ろうと、
221
ダンスもそこそこに雑談に興じるのが通例であった。
だが、そんな通例を悠々と打ち破る、本日は凄まじいばかりの存
在感を示す一組の主従がいた。
自然体で立っているだけで、超然とした存在感を醸し出す主たる
女性。
一見して上半身はウエストまでフィットしたデザインで、折れそ
うなほど細い腰を強調しつつ、ウエストから下はフレア状に広がっ
たドレープの黒のドレスに、生きた花と見まごうばかりの赤薔薇の
コサージュを随所にアレンジした、とてつもない手間隙と時間、金
を注ぎ込んだであろう衣装を身にまとった少女︱︱見た感じまだ十
代前半であろうか? 顔から上は紅い鬼面のマスクで隠しているた
め想像するしかないが、腰まで届く艶やかな髪といい、うっとりす
るほど白くホクロの一つもない肌、そして頬から下のラインから想
像できる素顔はいかほどの美貌であろうか・・・とため息をつくし
かない、まさに生きた芸術品である。
そしてその背後に付き従う侍女らしき、水色のロングトルソーの
ドレスをまとった17∼18歳ほどと見受けられる女性もまた、ま
ばゆいプラチナブロンドの髪と瑞々しい肌、白の仮面で鼻から上は
覗えないが、想像できる素顔はこれまた絶世の、と言うべき美女で
あった。
そんな二人であるから、入場した瞬間から会場の注目は釘付けで
あったのだが、あまりにも高嶺の花過ぎて︱︱身に着けている宝飾
品の類いも超一級品どころか国宝級であり、どうみてもお忍びで参
加した大国の姫とその侍女である︱︱誰もが遠巻きに眺め、ヒソヒ
222
マスカ
ソと憶測をささやき合うばかりで、声を掛けようとするような命知
らずな者は、いまだ誰一人としていないのであった。
◆◇◆◇
レード
﹁⋮⋮なんというか、思ったよりも退屈なものだねぇ、この仮面舞
踏会というものは﹂
魔法の明かりを使えば良いと思うのだけど、古式ゆかしくシャン
ボク
デリアの明かりの下で踊っているものだから、全体的に薄暗くて︵
まあ吸血姫の目には関係ないけど︶、まるでお化け屋敷の幽霊が踊
っているような感じなんだよねぇ。
みこと
同意を求められた命都︱︱いまはさすがに熾天使の翼は隠した状
態だけど︱︱は、微かに首を傾げた。
﹁この程度ではないでしょうか? 舞踏会と銘を打っているものの、
実質的には公然とした男女の享楽の場ですから﹂
﹁そうみたいだねぇ﹂
シャンデリアの光が届かない薄闇の中で、堂々とわいせつ行為︵
具体的にどこまでとは言わないけどさ、そういうのは別室でやりな
よ︶をしている複数の男女を見ながら︵何度も言うけどボクの目に
は丸見えだからねぇ︶、ボクは早々に来たことを後悔していた。
ダンス・パートナー
というか、いつになったら肝心の第三王子が来るんだろうね。
ひょっとして気が付かないのかな? 自分ではわかりやすい格好
223
できたつもりなんだけど、案外目立たない可能性もあるし、ひょっ
としたら地味過ぎたかな。
﹁・・・ったく、せっかく夜通しダンスの特訓をしたっていうのに﹂
﹁踊りたいのですか?姫様﹂
こてんと小首を傾げる命都。
﹁そういうわけじゃないけどね、貧乏性なせいか使えるんだから、
使わないのは損な気がしてねぇ﹂
﹁左様でございますか。それにしても姫様を呼び出しておいて、待
たせるとは不敬にもほどがございますね﹂
﹁いや、別に詳しい時間の指定もなかったわけだし・・・って、命
都、相手の王子様が遅れて来たからっていって、いきなり喧嘩腰に
ならないでよ﹂
いきなり無礼討ちとかしたら、まとまる話もまとまらないからね。
そう言うと、命都は心外そうにため息をついた。
てんがい
﹁天涯殿ではありませんから、下僕たるこの身が姫様の意を差し置
いて、そのような短慮を起こすはずなどございません。︱︱そも姫
と何百年ご一緒してきたと思ってらっしゃるのですか?﹂
いや、何百年って・・・せいぜい3∼4年じゃないの?
﹁まあ姫様のご指示とあれば、その無礼者を五寸刻みで成敗するこ
とに、一瞬の躊躇を覚える私ではございませんが・・・﹂
いや、躊躇しようよ!
224
だめだ。ウチで一番まともそうに見えても、根本的に武闘派なの
は変わらないんだよね。
﹁︱︱ところで﹂
命都がちらりとボクの顔︱︱というか、仮面を見て言った。
﹁お好きなのですか、その仮面は? 城下町で良く似た仮面の者が
ラーメン屋にいた、などとも聞き及んでおりますが﹂
﹁な、なんのこと、かなあ・・・?﹂
﹁さあ? まあ根も葉もない噂でございましょう﹂
﹁そ、そーだね﹂
バレてるなこりゃ。
ボク
と、トコトコいう感じで金髪で薄いピンクのドレスを着た、緋雪
と同じような背格好の女の子が、ボクの前までやってくると、ボク
のなんちゃってとは違う、馴れた仕草でティアードのスカートを両
手でつまみ、カーテシー︵片足を後ろに引きもう片足の膝を曲げて
行なう挨拶︶を行なった。
﹁こんばんは、素敵なお召し物ですね﹂
﹁こんばんは、貴女こそ可愛らしいお支度ですね。よくお似合いで
すわ﹂
取りあえず同じように挨拶を返して、よそ行きの口調で付け加え
る。
すると彼女はじっとボクの顔を見て︵仮面に隠されて顔かたちは
225
わからないけど、瞳はブルーだね︶、興味津々たる様子で訊いてき
た。
﹁ところで、先ほどから気になってたのですけれど、貴女のような
可憐な方にそのような恐ろしげな仮面は似合わないと思うのですけ
れど、それはなにか意味がございますの?﹂
後ろで命都も、﹁その通りですね﹂と頷いている。・・・うう、
評判悪いなぁ、これガチャのレア品だったのに。
﹁意味があるというか・・・実は、本日ここで人と会う約束をして
いるのですけれど、相手方に私だとわかりやすいようにと﹂
魔物の国のお姫様だし、こーいうのがわかりやすいだろうな、と
思っての腹積もりもあって選んだんだよね。
ところが、そう言うと相手の女の子は心底びっくりした顔で、可
愛らしく口元を押さえた。
﹁まあ! あに・・・いえ、そのお相手の方は、貴女にそのような
無体なことをおっしゃったのですか?!﹂
﹁ああ、いえいえ。これは私の判断です。相手方は場所と日時をお
っしゃられただけで、特に服装や目印を指定されませんでしたので、
私の独断で相手方にわかりやすいよう、こうしただけです。︱︱な
にぶん山出しの田舎者ですので、ご不快に感じられましたらお詫び
申し上げますわ﹂
﹁そのようなことはございませんわ。少々不審に思っただけのこと
で、とはいえ相手の方も不親切ですわね。一方的に呼び出しておい
て、肝心の目印などを指定しないなんて﹂
226
自分のことのように憤慨する少女の様子に、思わず口元が緩みそ
うになる。
﹁そうですね。なのでそろそろ退席しようかと思案しておりました﹂
﹁そうですか・・・﹂と頷きつつ、﹁あの、それでしたらわたくし
と別室で少々お話してはいただけないでしょうか?﹂
はい? と思わず相手の目を見つめ返したところ、
﹁実は兄に連れられて来たものの、同じような年頃の方はいらっし
ゃらないようで、少々退屈していましたの。
それで、思わず貴女に声をかけたのですけれど、いまお話してみ
ただけで俄然、貴女に興味がわいてしまいましたわ。ぜひ、じっく
りとお話してはくださいませんか?﹂
その女の子ははにかんだ仕草で、だけど滅茶苦茶キラキラした目
で訴えかけてくるんだよ。
・・・ううっ、苦手だ。こういう相手の空気を読まずに自分のペ
ースに巻き込む天然型は。
気のせいかなんか前にもこんなことがあったような・・・。
﹁ま、まあ多少でしたら・・・﹂
気が付いたら、思わず頷いていた。あーあ、なにしてんだろうボ
ク。
﹁嬉しいっ! あの、失礼ですけど、貴女のお年はいくつでらっし
ゃいます? わたくしは12歳になりますが﹂
﹁ええと、いちおう13歳ですわね﹂
227
設定上はね!
﹁あら、では1つお姉さまですわね。︱︱あの、お姉さまとお呼び
してもよろしいでしょうか?﹂
わくわくした様子で訊いてくる女の子。
なにこの生き物、妙に可愛いんですけど?
﹁え、ええ。貴女さえよろしければ﹂
逆らえるわけないよね。
﹁では、お姉さま、あちらの別室を借りておりますので、おいでく
ださいませ。お供の方もどうぞご一緒に﹂
﹁︱︱よろしいのですか?﹂
小声で確認してくる命都に、半分自棄で答えた。
﹁いいんだよ。来ない馬鹿王子が悪いんだから。後から来てその辺
ウロウロしてればいいのさ﹂
オペラハウス
わかりました、と頷く命都とともに、女の子に文字通り手を引っ
張られて、歌劇場の二階、個室が立ち並ぶ奥まった部屋の前まで連
れて来られた。
彼女はその部屋の扉を軽くノックして、
﹁お兄様、アンジェリカです。お客様をお連れしましたわ﹂
そう一声かけた。
﹃ああっ。入ってくれ!﹄
228
入室を促す若い男性の声と気配とに、
﹁﹁︱︱ッ!?﹂﹂
ボクと命都は本能的な警戒から、2∼3歩下がっていた。
そんなボクたちの方を向いて、彼女はかぶっていた仮面を脱いで
可愛らしい︱︱砂糖菓子のようにふんわりとした雰囲気の美少女だ
ね︱︱素顔をさらすと、改めて深々と挨拶をした。
﹁欺くような形になってしまって、誠に心苦しいですわお姉さま。
改めてご挨拶いたします。アミティア王国第四王女、アンジェリカ・
イリス・アミティア。馬鹿王子こと第三王子アシル・クロード・ア
ミティアの同腹の妹にあたります﹂
そう言ってにっこり笑う彼女を前に、ボクと命都はどういったも
のかと思わず顔を見合わせていた。
229
第三話 双姫邂逅︵後書き︶
ちなみに吸血行為は性衝動に似ているため、アンジェリカはいまい
ち緋雪の食指が動きません。
あと3∼4年経てばストライクなんですが。
230
第四話 英雄王子︵前書き︶
いただいたご意見を参考に、昨日UPした内容を訂正して再度UP
しました。
231
第四話 英雄王子
ボクは非常に不快な面持ちで噂の英雄という王子様の前に立って
いた。
仮面は部屋に入る前に脱いであるので、お互いに素顔のままなん
だけど、なんてゆーか・・・最初ボクの素顔を見て﹁ほう⋮⋮﹂と
妹のアンジェリカや、お付らしい黒髪の青年と一緒にあげた感嘆の
声は、まあわかるよ。皆同じような反応をするし。
で、その後の相手を値踏みするような鋭い目、これもお互いの立
場なら当然だろうね。
ところがその後の視線︱︱なんなのこれ?! 露出した肌や胸の
辺り、腰周りを中心にナメクジが這い回るような、なめ回されるよ
うな、この不快な感触は!?
よく女の人は、男が気が付かないだろな、とちょっと胸を見ても、
一発でわかるっていうけどさ、今日ほどその意味がつくづく実感さ
れた日はないね!
﹁︱︱お兄様、あまりじろじろレディを眺めるのは不躾ですわよ﹂
眉をひそめたアンジェリカの注意に、﹁おっと﹂とやっと視線を
外した王子は、馴れた仕草で恭しく膝をついた。
﹁失礼をいたしました陛下。アミティア王国第三王子アシル・クロ
ード・アミティアであります。本日は貴重なお時間を頂戴いただき
232
ましまして誠に光栄でございます﹂
そういってごく自然な流れでボクの手を取って、その甲に口づけ
をした。
や
・・・す、素早い。警戒するヒマもなかったよ。
みこと
ぴくり、と命都の片眉が一瞬吊り上って、﹃殺っていいですか?﹄
てんじょうてんが
と視線で訴えられたけれど、﹃いや、これが王族・貴族とかの挨拶
だから!﹄と、無言でなんとか押さえる。
ひゆき
﹁魔王国インペリアル・クリムゾンの国主、緋雪・天嬢典雅です。
本日はお招きにより参上いたしました﹂
取りあえず、相手に合わせて適当に長い名前を言っときゃいいだ
ろうと思って、名前の後に二つ名もつけて、ボクも自己紹介をした。
みこと
その後にお互いの従者︱︱ボクは命都を、アシル王子は黒髪でど
こか冷たい雰囲気をまとった青年カルロ卿︱︱を紹介して、席に着
いた。
いちおう国主たるボクの方が身分は上なので、ボクが上座に座り、
下座のソファーにアシル王子が、その隣にアンジェリカがちょこん
と座った。
その後ろに、お互いの従者が立つ。
﹁それにしても﹂座った途端、アシル王子はボクの顔を真正面から
ガン見して、﹁佳人だとは噂には聞いていましたが、まさに月すら
恥らう絶世の美姫ですな、ヒユキ陛下は﹂
感に堪えないという口調でべた褒めしてから、ふと真顔に戻って、
なんとなく恐る恐る訊いてきた。
﹁︱︱実はこの世のものとも思えぬ姿で、化けているということは
ありませんか?﹂
233
﹁見たままこの姿ですよ。生憎とそういう芸はもっておりません。
︱︱それと殿下、私のことは普通に﹃緋雪﹄か﹃姫﹄とでも呼んで
ください。そちらの方が呼ばれ慣れていますので﹂
そう言うと3人とも、ほっとした顔で胸をなで下ろした。
﹁そうなんですの! では、これからも﹃お姉さま﹄とお呼びして
もよろしいでしょうか、ヒユキ様?﹂
アンジェリカの弾んだ声に、ボクは﹁ええ、アンジェリカ様さえ
よければ﹂と、ぎこちない笑みを浮かべて頷くしかなかったよ。
嫌とはいえないわなぁ・・・。
それにしても、おねえさま⋮⋮おねえさま、ねえ⋮⋮。なんかそ
てんがい
ろそろ無くなりかけて来た男の尊厳とか、存在証明とかが、豪快に
ゴリゴリと削れて行く音が聞こえてきたよ︵だいたい初日に天涯に
体を洗われたり、ブラやパンツ履いたり、トイレ行ったりしたとこ
ろで9割方消えてなくなった︶。
﹁お姉さま・・・?﹂
不思議そうに聞き返す兄に向かって、うんうん頷くアンジェリカ。
﹁さきほどお願いしましたの。ヒユキ様って、お話していても本当
に﹃お姉さま﹄って感じですので!﹂
あー、おねーさまな感じなのかー。
そろそろ残りの弾も少なくなってきたかなぁ・・・。
﹁・・・ふむ、お姉さまか。︱︱ヒユキ姫﹂
234
なにか問題でもあるのか、難しい顔で考え込んだアシル王子は、
怖いほど真剣な瞳でボクを見た。
﹁なんでしょう?﹂
﹁俺⋮いや、私と結婚しませんか?﹂
︱︱ズルッ!!
アシル王子とアンジェリカ以外の3人が、一斉にずっこけた。
ねえ
﹁まあっ! お兄様、名案ですわ。そうすればわたくしも堂々と﹃
お義姉さま﹄とお呼びできますものね!﹂
いやいや、本人そんなコロンブスの卵を発見したみたいなドヤ顔
されても、どこをどうすればそんなぶっ飛んだ思考に行き当たるん
だい?!
﹁馬鹿ですか、貴方は!?﹂
一国の王子に対してアレだけど、思わずそう叫んじゃったよ。
で、普通は面前で自分の主人が罵倒されたら嫌な顔をするものだ
けど、後ろで従者のカルロ卿もうんうん頷いているところを見ると、
この手の発言は割りと日常茶飯事なのかもしれないねぇ。
苦労してそうだね彼も。
﹁・・・そんな馬鹿なことですか?﹂
ハンサム
赤毛に近い金髪に、端正な︱︱気品と同時に野性味も併せ持つ、
人の注目を集める美男子と言って過言でない︱︱顔一杯に疑問符を
235
浮かべるアシル王子に向かって、なんでこんな簡単なこと説明しな
きゃならないんだろうと思いながら、ボクは噛んで含めるように答
えた。
﹁いいですか、現状、この国は我が国を国家として認めておりませ
ん。まして我が国は魔物によって構成された国家ですので、人間側
が魔物に人間同様の権利を認めない以上、今後も法的に解決するこ
とはありえません。ましてや私は魔物ですので私と貴方との間で、
合法的に結婚できるわけがありません!﹂
うんうん頷く命都とカルロ卿だけど、肝心の王子の方は、
﹁そこらへんは二人で愛を育み周囲を納得させるしかありませんね。
なんでしたら、事実婚ということで先に子供の1人2人作るという
のはどうでしょうか?﹂
また斜め上の提案をしてきたよ。
てか、子供って⋮⋮⋮⋮ああ、ボクが産むわけか。
コウノトリが運んできたりカボチャ畑でとれるわけじゃないから
ねぇ。
そうすると、この王子と夜な夜な頑張って励むわけだね⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮うん。無理っ。
さすがにわずかに残ったソレが堤防となり、生理的な拒絶反応を
示した。
﹁・・・生憎と、私は結婚するまで清い体を保つつもりですので、
その案には乗れません﹂
やんわりと拒絶すると、アンジェリカも猛烈な勢いで頷いた。
﹁そうですわ。お兄様は結婚をあまりにも軽はずみにとらえていま
236
すわ!﹂
﹁︱︱というか、会って5分で結婚を持ちかける時点で、軽はずみ
そのものだと思いますけれど﹂
阿呆ですか貴方は、という口調で付け加える。
﹁そう言われると返す言葉もありませんが、それだけ貴女が俺⋮あ
あ、もうお堅い言い方でなく俺でいいですね? 俺にとって魅力的
で、一生をかけても構わないと思える、そんな運命の出会いだった
のです﹂
熱い視線で真剣にそう言われてもねえ、ジョーイの時はまだ子供
子供してて可愛らしく思えた部分もあるけど、17歳という割りに
身長も180cmを越えて胸板も厚く、男性ホルモンを全身から放
出しているムサイ男に告白されても、いまいちときめくものがない
んですけどねぇ。
﹁お姉さま、いきなりのことで信じられないのも当然かも知れませ
んが、兄がここまで一人の方に真剣になっているのを見るのはわた
くしも初めてです。立場上、兄はずいぶんと沢山の女性から秋波を
送られ、また、国内外を問わず数多くの縁談を持ち込まれましたが
全て断っております。その兄が自分から結婚を口に出したのは初め
てのことです。けしてその場限りの浮ついた気持ちではないと、そ
れだけは信じていただけませんか?﹂
アンジェリカからも切々と訴えられ、う∼∼ん、まあ信じないわ
けじゃないけどさ。
どっちかというと信じたくない、という感じかなぁ。
﹁︱︱とはいえ殿下、現実にヒユキ陛下を妻にというのは無理でし
237
ょう﹂
それまで黙っていたカルロ卿が口を開いた。
﹁仮に陛下を始めとした王族の方々のご理解が得られたとしまして
も、貴族院がそれを許さないでしょう。それどころかこれ幸いにと、
王子は魔族に魂を売った背信者として廃嫡、もしくは粛清の対象に
なるでしょう。︱︱というか、ここでの会話が漏れただけでそうな
ります﹂
あー、まあ、普通に考えてそうだよねー。
うん。なんか流れで危なく真剣に検討するところだったよ。
﹁貴族院か。どこまでも邪魔だな、あいつらは﹂
そう言ったアシル王子の横顔が、一瞬抜き身の刃のように見えた。
それから居住まいを正して、改めてこちらを向いた。
﹁︱︱そういえば、今回ご招待したのは、本来はこちらが本題だっ
たんですが、ヒユキ姫に貴族院から接触はありませんでしたか?﹂
訊かれてボクは肩をすくめた。
﹁ありましたねえ、アシル王子以上に熱烈な恋文が。﹃お前のすべ
ては俺のものだから、身ぐるみ剥いで差し出せ﹄って内容でしたけ
どね﹂
﹁ふん、連中の言いそうなことだな。それでヒユキ姫はどう対応さ
れるつもりですか?﹂
﹁軍団をもって首都に攻め込んで、抵抗する者と国の上層部は皆殺
しでしょうか? ︱︱ああ、貴方たちは別ですよ。好意を抱いてく
れる相手を殺すほど非道じゃありませんからね。まあ、立ち向かっ
238
てこない限りは﹂
その言葉に息を呑むアンジェリカとカルロ卿。
﹁立ち向かう者はともかく、上層部も皆殺しですか? あまりにも
理不尽だと思いますが﹂
思わず︱︱といった口調でボクを非難したカルロ卿の体が、ギン
じきそう
ッ!という金属が砕ける音とともに壁際に吹っ飛び、轟音を立て叩
きつけられた。
りょがいもの
﹁︱︱慮外者が。貴様如き下郎、誰が姫に直奏を許したかっ!﹂
いつの間に取り出したのか、愛用の聖杖を構えたまま命都が柳眉
を吊り上げ、吐き捨てた。
その目が、じろりといつの間にか立ち上がっていたアシル王子と、
その手に握られた折れた剣を見た。
あの一瞬、カルロ卿の命を奪うはずだった命都の一撃を受け止め
ようとして、受け切れないと悟り、剣が砕けるまでの数瞬の間に、
片脚でカルロ卿を安全圏まで蹴り飛ばした早業は、ボクと命都にし
か見えなかったろう。
当然、アンジェリカは訳がわからず、おろおろと兄と壁際にもた
れ掛かるように座ったまま、荒い息をしているカルロ卿とを見比べ
るだけだし。
とも
﹁すまん、部下の無礼は俺の責任だ。幾重にもお詫びしよう。だが、
こいつは俺の大事な友人なんだ、どうか命だけは助けてやってはく
れないか?﹂
そう言ってその場に両膝をついて、頭を下げるアシル王子。
239
﹁⋮⋮で、殿下⋮⋮﹂
その姿にカルロ卿が絶句し、唇を噛んで下を向いた。
﹁私の発言で、アシル王子やアンジェリカ王女の身を案じての忠信
からの無礼でしょう。不問にいたします﹂
それから命都に目で合図すると、しぶしぶという感じで聖杖の先
端を倒れたままのカルロ卿に向けた。
さらに追い討ちを?! と慌てたアンジェリカが席を立ったが、
こくよう
アシル王子の方はなにをするのか予想できたんだろう。軽く頭を下
げた。
ヒール
﹁・・・姫の寛容さに感謝するがよい﹂
治癒の光がカルロ卿の全身を包んだ。
てんがい
・・・よ、よかった∼っ、これが天涯か刻耀だったら、どんだけ
手加減しても絶対に殺していたよ。
240
第四話 英雄王子︵後書き︶
主な修正点は、
緋雪のアシル王子に対する対応。
お互いの立場による上下関係の明確さ。
カルロが緋雪に直接口を聞いた矛盾。
になります。
それと緋雪の﹃姫﹄という呼び名は、某西新宿のお煎餅屋さんが出
てくるシリーズでの呼び名が素敵でしたので、そこからきています
︵*・ω・*︶
241
第五話 仮面競演︵前書き︶
旧第四話です、修正しました
ゴシゴシ︵´pω・。`︶ネミネミ
242
第五話 仮面競演
﹁重ね重ね申し訳ありません﹂
再度頭を下げるアシル王子に、
﹁もう過ぎたことですので、王子も席に戻ってください。︱︱とい
うか、男が軽々しく頭を下げるべきではありませんよ﹂
やんわりと苦言を呈する。あんましペコペコするのは見ていて嫌
なモノだよ。
かなえ
みこと
﹁まったくですね。上に立つものの鼎の軽重を問われるというもの
うち
です﹂
姫は違うと言わんばかりの口調で、命都がイヤミを言うけど、ほ
んの2∼3日前にボクもコラードギルド長に頭を下げてるんだよね
ぇ。
︱︱やばい。ばれたら死ぬわ、・・・コラードギルド長がね!
ボクは命都からそっと目を逸らした。
ヒール
治癒が効いたのだろう、カルロ卿がよろよろと立ち上がり、その
場で膝をついて頭を下げた。
﹁ご無礼をいたしました。︱︱申し訳ありません、殿下﹂
﹁気にするな、それより陛下に感謝することだな﹂
そう言って肩を貸して、お互いに立ち上げるアシル王子たち。
﹁ずいぶんと仲がおよろしいのですね?﹂
243
﹁実は乳兄弟でして、お互いに生まれた時から同じ産湯を浸かって・
・・という奴です。俺が無茶をする分、いつも迷惑をかけています﹂
無邪気な子供のような顔で笑うアシル王子。
逆にカルロ卿は、いたたまれないという風に顔を伏せた。
ふむ、これが男の友情パワーというものかな? 友達いなかった
からよくわからないけど。
改めてアシル王子が席に着き、その後ろにカルロ卿が立った。
アンジェリカが振り返って、そんな彼を心配そうに見るが、大丈
夫ですという風に軽く首を振る。
ポーズ
﹁ところで、話の途中になっていましたが、ヒユキ姫が王都へ攻め
入るのを、しばらく待っていただきたいのです﹂
そのアシル王子の言葉に、ボクは﹁ふむ﹂と考え込む姿勢を取り
つつ、首を捻った。
﹁まあ、公式での通知や最後通牒というわけではないので、現段階
では即開戦︱︱というつもりはありませんが、なぜとお聞きしても
よろしいでしょうか?﹂
﹁︱︱風向きが変わるからです﹂
アシル王子がそういって王国の現在の情勢を、説明してくれた。
アミティア王国は王国を名乗ってはいるものの絶対王政ではなく
て、あくまで有力貴族を中心とした貴族院議会が国政を牛耳ってい
ること。
現国王はけして愚昧ではないが、英明とも言えず実質、議会の傀
儡であること。
244
そうした現状に不満を持っていた王権復古派やアシル王子を支持
する一部貴族や軍人、有力者などが密かに貴族院議員を打倒すべく
準備を行なっているとのこと。
ただし、圧倒的多数派の貴族院議員に対して、王子の派閥はあま
りにも非力なため、あと何年か準備期間を置くつもりで居た。
﹁そんなところへ降って湧いたアーラ市の騒ぎと、圧倒的な力を見
せた魔王国インペリアル・クリムゾンの存在です。貴族の横暴に苦
しむ民衆のみならず、これまで中立を保っていた貴族や有力者の中
からも、そちらと手を結ぶべきだ。停滞した国に新風を吹き込むべ
しという動きが出てきまして、そうした声を受けて我々の活動も急
激に活発になっているところなのですよ﹂
なるほどねえ。つまりボクらははからずしもこの国にとっての黒
船になったわけだね。
クーデター
﹁つまり、私たちと協力して武力蜂起を起こし、貴族院議員を倒し
たいと?﹂
クーデター
まあ普通、武力蜂起とかしても、単純に頭が変わるだけで現状は
変化ないような気もするけど、この王子の器量ならかなりマシにな
るかも知れないねぇ。
だけどそんなボクの質問に、アシル王子は意外なことに首を振っ
た。
﹁いえ、我々の活動は確かに現在国政を牛耳っている腐った貴族ど
もの打破ですが、必ずしも血を流すことを望んではおりません﹂
245
﹁︱︱?﹂
﹁ヒユキ姫は﹃民主主義﹄という理念をご存知でしょうか?﹂
キラキラとした目で、大切な宝物を見せるように話すアシル王子。
﹁⋮⋮⋮﹂
だけど、逆にボクの全身は一瞬にしてすうっと冷めていった。
﹁王族などと言うものはいままで通り飾り︱︱いえ、無くても構わ
ない。血統だけで民衆を支配する貴族ではなく、民衆が自分で考え、
国を運営できる基礎作り、それを現在草の根で行なっています。そ
して、すでに種は撒き終わりました、あとは芽吹かせ育てること、
それが俺の成すべき事であり、この国をより良くするため目指すと
ころです﹂
力強く語るアシル王子だけれど、ボクは途中から半分聞いていな
かった。
ただ心の中で思った。
アシル王子、ボクは君の言う理想の先の現実を知っているよ。
それは確かにいまの貴族制よりはマシかもしれない。
でもねえ、やっぱり君は王族なんだね。
どんなに崇高な目標を掲げても、人は腐るし、救えずに死んでい
く人間はいるんだよ。
﹁なのでこちらからお願いしたいのは、時間をいただきたい。その
間にまずは貴族院に対抗する衆議院議会を設立し、国政から徐々に
貴族院の力を排除していくつもりです。現在の情勢であれば民衆の
支持は確実に得られるはずですので、その後、我々と正式に国交を
結んでいただきたい、というところですね﹂
246
﹁⋮⋮まあ待つのは良いのですけれど、実際にそれは本当に近日中
にできますの? その間に正式に我が国へ、同じ内容の書面が送ら
れてきた場合には、私も我が国の国民を押さえるつもりはありませ
んが﹂
正確には押さえられない、だけどね。
﹁できますよ。そのために俺と仲間たちが努力してきたんですから。
まあ万一つまづいて、そちらの国と戦争になった場合には、俺は仲
れんちゅう
間とアンジェリカを連れてとっととそちらの国にでも亡命しますか
ら、その後、ヒユキ姫が貴族院議員をどうしようが、知ったことで
はないですね﹂
正直、言うほど簡単だとは思えないんだけど、アシル王子は不敵
に笑った。
﹁わかりました。では、私の方はしばし静観といたします。︱︱そ
れとこれを﹂
ボクは腰のポシェットから、一振りの剣を出してテーブルの上に
置いた。
手にとっても? と目で訴えるアシル王子へ頷く。
﹁・・・ふむ、良い剣ですね。魔力を感じるので魔剣のようですが
?﹂
﹁﹃風の剣﹄といって、風属性の力があるので通常の剣より軽く、
素早く扱える︱︱まあ、それだけの剣ですが、先ほど私の侍女が折
った剣の代わりとして差し上げます﹂
﹁︱︱なっ!﹂
247
カルロ卿が目をむいた。
アジリティ
ちなみにこれ、正確には﹃風の剣﹄ではなくて﹃風の剣+3﹄な
んだよね。効果としてはAGI18%増になっている。
ノンプレイヤーキャラ
まあ、正直こんなもの武器作成の初歩で作れるし、うちの城下町
の露天商︵元はNPCの露天だったんだけど、いまでは当たり前の
ように生きたドワーフが作って置いている︶を眺めれば、似た様な
初級装備は山ほど売ってるんだけど、こちらの世界では魔剣の類い
はほとんど出回っていないみたいだから、驚くのは無理もないかな。
アシル王子も驚いたようだが、すぐに嬉しそうな顔で折れた剣の
代わりに腰に差した。
﹁こいつはありがたいですね。お守り代わりに拝領いたしますよ。
ヒユキ姫との薔薇色の結婚生活のためにも、これは何が何でも貴族
連中に負けるわけには行きませんね﹂
﹁結婚とかは考えなくていいので! というか、今回アシル王子の
招待に応じたのも、噂のSランク冒険者の実力を見てみたかっただ
けなんですけどねぇ﹂
﹁いやぁ、それはちょっとご勘弁願いたいですね。本気で戦ったら
どうにも勝てそうにもありません。まあ純粋な剣技だけの勝負なら、
面白そうですけど﹂
口ではそう言っても目が負けないと言っていた。
﹁ふぅん。じゃあやってみる?﹂
﹁そうしたいのは山々ですが、いまは時期が悪いので、この件がひ
248
と段落ついてからにしませんか?﹂
この王子様、実質的には武人なんだろうね。本気で残念そうな顔
で首を振った。
﹁・・・やれやれ、しかたないですねぇ﹂
そういわれちゃ、毒気も抜かれたし、ここはいったん退散すると
しようか。
そう思って立ち上がりかけたところ、アシル王子に止められた。
﹁実はこの件が片付くまで、アンジェリカには王家の別荘のある王
都近郊のフルビア湖へ、保養の名目で避難してもらうことになって
いますので、ヒユキ姫も暇があればぜひお立ち寄りください﹂
ふーん。つまり万一失敗した時のための布石ってところか。
アンジェリカは、そのあたりまったく斟酌することなく、無垢な
笑顔でボクの両手を握ってブンブン振り回すのだった。
﹁素敵ですわ! お姉さま、ぜひご一緒いたしましょう!﹂
取りあえず適当に頷いておく。
﹁フルビア湖はとても水が綺麗で、その上近くに温泉が湧き出して
いるので、別荘にも温泉がありますの! おねえさまぜひご一緒に
温泉につかりましょうっ﹂
温泉・・・一緒のお風呂・・・。
頷いたことを凄く後悔した。
﹁では、帰りの馬車を用意させましょう。︱︱カルロ頼む﹂
249
﹁︱︱はっ﹂
マスカレード
カルロ卿が仮面舞踏会用の仮面をつけて部屋から出て行った。
マスカレード
それを見てボクは、ふと疑問に思ったことを訊いてみた。
﹁そういえば、私はてっきり仮面舞踏会会場で接触してくるかと思
ってたのですけれど?﹂
その言葉になぜか渋い顔をするアシル王子.
﹁最初はそのつもりだったのですが。なんですかヒユキ姫、あの変
なマスクは? あんな目立つ格好をしていたら話しかけられるもの
ではありませんよ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
なんでこんなに評判悪いんだろうね、このマスク。
﹁大変です、殿下! 賊徒が建物に入り込んだと言って、憲兵が建
物の周りを取り囲み、参加者の身元確認を行なっております!﹂
そこへカルロ卿が息せき切って戻ってきた。
思わず顔を見合わせるボクとアシル王子。
どちらも﹃賊徒﹄扱いされる身に覚えがあるからねぇ。
﹁・・・どうやらこちらの動きを読まれたようですね﹂
ため息をついて王子は立ち上がった。
﹁どうされるんですか?﹂
マスカレード
﹁どうするもなにも。せっかくの仮面舞踏会ですからね、こいつの
試し切りも兼ねて一曲踊るとしますよ﹂
250
剣の柄を叩きながら、白い仮面をかぶるアシル王子。
﹁そうですか、では、私もパートナーとして踊らせていただきます。
︱︱命都、アンジェリカを頼むよ﹂
ジル・ド・レエ
なんかやたら評判の悪い仮面をつけ、腰のポシェットから生命力
を強化する﹃水の剣+2﹄を抜いて︱︱﹃薔薇の罪人﹄はさすがに
目立つ上にオーバーキルもいいところなので、手加減を兼ねてこれ
にした︱︱ボクも後に続いた。
﹁承知しました姫様﹂
同じく仮面をかぶった命都がアンジェリカをかばう姿勢で立たせ
ながら、先ほどつけていた仮面をかぶらせた。
﹁︱︱さて、踊るとしますか姫﹂
﹁お手柔らかに王子﹂
廊下に出たボクたちは本当にこれからダンスを踊るようにお互い
に礼を交し合った。
251
第五話 仮面競演︵後書き︶
台詞をカルロのものからアシル王子へ変更しました。
252
第六話 月下苛刃︵前書き︶
お陰さまで累計で100万アクセスとなりました!
思わず5∼6回桁を見直しました。
こんなに見ていただけるとは、本当に感謝感激です!
皆様ありがとうございます。
253
第六話 月下苛刃
馬車の中には沈黙が流れてた。
や
あの後、立ち塞がる憲兵︱︱実態は、貴族院の遣わした刺客だろ
や
うね。殺る気満々の殺意と剣筋だったし、実際にアシル王子を見て、
﹁いたぞっ! 逆賊アシルだ、殺れ!!﹂
﹁討ち取れば褒賞は思いのままだ!﹂
﹁取り囲め。女を人質にしろっ!!﹂
とか口々に叫んで襲いかかってきたしね。
まあ、王子のほうは惚けて、
﹁王子? なんのことだか知らんなぁ。俺は国を憂える謎の仮面騎
士だ!﹂
ってノリノリだったけどさ。
で、ボクのほうもついうっかり興が乗って、
アウ
﹁同じく、通りすがりの謎の女剣士、マスク・ザ・ローズ見参っ!
命の惜しくない者はかかってこい!﹂
って啖呵を切って、ポーズまでとってしてしまった。
・・・うん。いまは反省してるよ。
ェー
オペラハウス
で、アシル王子と協力して難なくこれを突破して、仮面のまま敵
地と化した歌劇場から脱出。
即座にカルロ卿が用意しておいて、自分で御者を務める箱馬車に、
みこと
フラストレー
アンジェリカを抱え込むようにして飛び乗り、追っ手を食い止める
ション
よう命都は指示し︱︱まあ本人、王子との会見ではそうとう欲求不
254
みなごろし
満が溜まってたんだろうねぇ嬉々としてたよ︱︱彼女が追っ手と対
峙︵というか鏖殺︶するその間に、ボクらは王都から一時脱出する
ことにした。
・・・時たま後方で光とか爆発音とか聞こえるけど、たぶん知ら
ない人が花火でもやってるんだろうねぇ。
ちなみに目的地は、当初の予定を繰上げにする形で、王家の保養
所があるというフルビア湖を目指している。
夜中ということで替えの馬を用意できないため、途中から非常に
ゆっくりしたペースになったけど、おそらく今夜中にはたどり着け
るだろう、というのがアシル王子の意見だった。
また、王都から脱出するのにあたり、1枚しかない結界無効化の
通行証明書はボクが持ったままなので、命都は後から結界の張って
なさそうな上空まで昇って、迂回してこちらに合流する予定になっ
ペット
ている。だいたいの場所も教えてあるし、ある程度の距離になれば
主と従魔は、お互いの位置を確認できるので、この選択がベストだ
ろうね。
まあ命都の脱出にあたり、万一王都の上空まで防御結界があった
としても、命都にとってはそれこそシャボン玉を割るようなものだ
ろうから問題は無いし、こっちはもう逃げた後なので騒ぎが起きて
も関係ないところだね。
で、一息ついたところでボクらは仮面を脱いで、無言のまま︱︱
アンジェリカは襲撃のショックで青褪めているし、アシル王子はそ
んな妹姫の肩を抱いて落ち着かせている、そしてボクはそんな光景
を馬車の対面のシートに座ってじっと見てたんだけど︱︱いい加減、
沈黙とボクの目つきに耐え切れなくなったのか、アシル王子はおど
255
けた仕草で肩をすくめた。
かんばせ
﹁どうしました、ヒユキ姫。そのように険しいお顔をされては、せ
っかくの花の顔が台無しですよ﹂
﹁・・・3対7ってところかな﹂
﹁︱︱はい?﹂
﹁馬車に乗るまでに倒した敵の数だよ。ずいぶんと差をつけてくれ
るじゃないか﹂
イーブン
﹁いやいや、そこまでは差は無いでしょう。5対5か、まあ、俺の
首が目当てだったんですから、2人3人多かったかも知れませんけ
ど。⋮⋮って、ヒユキ姫口調が変わってませんか?﹂
﹁こっちが地でねぇ。人数的には大マケにまけて4対6としたとし
てもいいさ、だけどなんだいあれは? こっちがバタバタ斬ってる
隣で、全員殺さないように手加減してる余裕は? ︱︱なのでその
分を加味して3対7なのさ﹂
﹁いやぁ、別に余裕というわけではなく、まあ⋮彼らも貴族院の命
令に従っただけの我が国の国民ですからね﹂
困ったように頬の辺りを掻く王子。
﹁はん、金か名誉か知らないけれど、そんなものと引き換えに他人
なりわい
様の命を奪う連中なんだ、殺されるのが当然だと思うけどねぇ。そ
んな生業を選んだ時点で弁護の余地もないと思うし、いなくなった
ほうが世のためだと思うけどねぇ。︱︱だいたい君、11歳の時に
暗殺者を8人全員返り討ちにしてたんじゃなかったかい?﹂
256
妹
﹁・・・ええ、あの時はアンジェリカを守るために無我夢中でした
し、守れたことには悔いはありません﹂
ここで一息ため息をついた。
妹
﹁ですが、その後ずっと後悔してたんです。こんな殺し殺される殺
妹
伐とした関係が人の世なのかと、幼いアンジェリカに見せてしまっ
た自分の弱さに、だから俺はアンジェリカを真に守れ、人の世のよ
り良いもの、美しいものを見せられる強さを目指したんですよ﹂
その迷いのない目を見て、ボクは押し黙った。
いや別に気押されたとか、反論の言葉がなかったとかではなく、
もうこれ以上話しても無駄。お互いに平行線になるのがわかったか
ら︱︱というかなんだね。そう言われると、隣で人間をスパスパ大
根みたいに斬っていたボクが、まるで血も涙も無い殺人鬼みたいじ
ゃないかい!?
﹁︱︱やはり、面白くないねぇ﹂
﹁と、言われても・・・困りましたね。どうすればご機嫌を直して
いただけるんでしょうか?﹂
その言葉に、ボクはふむと考えた。
どうにもモヤモヤするのは、この太平楽な王子が原因なのは明白
だ。
ならうちの国のやり方でお話し合いするのが一番だろうね。
﹁そうだねぇ、いい加減街からも離れたし、追っ手もいまのところ
ない。おあつらえ向きに周りは誰も居ない荒野、ちょっと暗いのが
257
難点だけど、その辺りはお互いになんとかなるだろう? ならちょ
うどいい、降りて試合してみないかい?﹂
そのボクの提案にアンジェリカが息を呑んだ。
アシル王子も難しい顔で腕組みした。
﹁⋮⋮それは後日とお約束したはずですが?﹂
﹁試し合いだよ、別に死合いをしようってんじゃないさ。ただ、ど
ーにもその澄ました顔を、一発ぶん殴らないと気がすまない気分で
ね﹂
﹁レディのご不興を買ったのでしたら、この場で頬のひとつふたつ
殴られるのは覚悟のうえですが・・・それではお気がすまない?﹂
ヒステリー
﹁﹃さあどうぞ﹄と差し出されて殴ったら、それこそ、ただの女の
癇癪じゃないか。対等な条件で殴らないと気がすまないね﹂
﹁どう違うのかいまひとつわかりませんが。・・・しかたないです
ね﹂
諦めた顔でアシル王子は窓から顔を出し、御者をしているカルロ
卿にいったん街道から外れて止まるように指示した。
◆◇◆◇
荒涼とした大地を夜風が通り過ぎて行くばかり。
少し離れたところに止めてある馬車のランタンの光程度では、こ
258
ちらの様子なんて見えないだろうに、アンジェリカとカルロ卿が心
配そうにこちらを見ていた。
ドレス
﹁そんな高価そうな格好のままで、本当によろしいのですか?﹂
5mほど離れた場所から、そう心配そうにいうアシル王子こそ舞
踏会用の燕尾服のままなんだけどね。
﹁ご心配なく、慣れてますから﹂
・・・・・・。
うーむ、自分で言っといてなんだけど、ドレス着るのにも、スカ
ひゆき
ートのヒラヒラにも、スースーにも本当に慣れたなぁ。
というか緋雪として転生してからは、一回もズボン履いてないね
ぇ。
⋮⋮大丈夫かな自分。いろいろ心配になってきたよ。
﹁そうですか、では遠慮なく参ります﹂
言いつつボクが渡した﹃風の剣﹄を構えるアシル王子。
﹁︱︱そのままでは勝負にならないんじゃない? 本気を出したら
?﹂
途端、王子の顔に苦笑が浮かんだ。
﹁・・・お見通しですか﹂
再度、剣を構え直して半眼になり、体内の魔力を練り上げながら、
淡々とした口調で魔術的呪文だか自己催眠だかわからない、その言
葉を口に出す。
259
﹃我は無類無敵、我が剣に敵うものなし。︱︱我が一撃は眼前の敵
を討ち滅ぼす!!﹄
種族:人間︵魔法剣士︶
名前:アシル・クロード・アミティア
カン
職業:アミティア王国第三王子/アミティア王国冒険者︵Sラン
ク︶
9,200↓30,360
HP:21,500↓70,950
MP:
スト
﹁これはこれは⋮⋮さすがはSランク、この状態ならほぼ人間の上
限に近いね﹂
あくまでただの無印の人間としては、だけどね。
とはいえ正直舐めていたかな、初期のステータスを見てこんなも
のかと思ってたし。
﹁それはお褒めの言葉と受け取ってもよろしいのでしょうか?﹂
﹁うん。正直魔法剣士って言うから魔術併用型かと思ったら、すべ
て肉体強化に使うなんて、思い切ったことするねぇ。いまなら当た
れば私にダメージを与えられるだろうね﹂
﹁当たればですか?﹂
みこと
﹁うん、当たればね。︱︱まあどうなるかわからないけど、致命傷
だろうがなんだろうが私か、後から来る命都がいれば跡形もなく治
るので遠慮はいらないよ﹂
頷いてボクも﹃水の剣﹄を構えた。
260
﹁そうですか、それを聞いて安心しました。︱︱では、参ります﹂
ゼロ
刹那、気負いのない体勢から、アシル王子は一気にその距離を0
にした。
同時に斬線が薄暗がりを鮮烈に切り裂き、鋼の輝きと共に容赦な
くボクを両断せんと振り下ろされた。
261
第六話 月下苛刃︵後書き︶
緋雪と王子が劇場で大暴れするするシーンを期待されていた方には
申し訳ありません。
王子も一般人相手には俺TUEEEE過ぎるので、そのチートっぷ
りを発揮する相手として、こうなりました。
あと王子が唱える言葉の元ネタは﹃影●﹄と﹃王●伝﹄ですね。
262
幕間 魔将軍衆︵前書き︶
番外編です。
今回は十三魔将軍の内訳をちょっとご説明回です。
例によって本編には関係ありません。
263
幕間 魔将軍衆
ゆき
みこと
ひ
これは、彼らインペリアル・クリムゾン全住民が敬愛する主・緋
雪が、お供に命都を伴って王都へ向かう前日のことであった。
この数日間、すでに虚空紅玉城には浮き足立った空気が流れてい
たが、Xデーとも呼べる今日は、その緊張が最高潮に達し、朝から
臣下の者たち︱︱特に男性陣︱︱は落ち着きがなく、逆に殺気だっ
て、疑心暗鬼の目を、緋雪という同じ天を戴く同僚たちに向けてい
た。
うつほ
ついに円卓の魔将同士でさえ、意味もなく肉体言語による話し合
いを始めるに至り、静観を決め込んでいた四凶天王の命都と空穂も
さすがに看過できないと判断し、偉大なる主であり、今回の凶事の
収束をつけられる唯一の人物であろう緋雪の裁決を仰ぐこととなっ
た。
◆◇◆◇
相談したいことがあるので是非に︱︱ということで、猛烈に気が
進まなかったんだけど、臨んだ謁見の間には、すでに十三魔将軍が
勢ぞろいしていた。
264
もちろん全員跪拝してるけど、小さくなっているどころか、もと
パース
もとのスケールが違う上に、中には不定形で常時大きさが変化して
いるのもいるので、普通に見てても遠近感が完全に狂いまくってク
ラクラしてしまう。
ちなみに十三魔将軍は全員がLv110∼130クラスのダンジ
ョンボスばかりで、対するプレイヤーのレベル上限がLv99︵ま
あ実際は0↓1↓2↓3次転生に伴いステータスの上昇幅も上がる
ので、3次転生後は無印の実質Lv250くらいに相当するんだけ
ど、もともとこのクラスのボスは対カンスト組用なのであまり意味
が無い︶なので、強いなんてもんじゃない。
文字通りの化物。
敵モンスター
だいたいにおいて、一般Mobなら=プレーヤーのレベルで、ソ
ロでも普通に倒せるけど、基本ソロで倒せるボスというのは、安全
マージンを取ってLv20∼30下なのがセオリーだったりする。
ギルメン
ということで、こいつらはソロではなくてプレーヤーが集団でボ
コるのが前提︵なので捕獲には当然仲間以外にも知り合いの協力を
仰いだ︶なわけで、仮にボクにソロで戦えといわれれば、一番格下
の相手なら、完全装備でポーション使い放題なら数時間かければ倒
リンク
せるんじゃ? いや⋮どうかな? まあ、取りあえずがんばってみ
よう! ・・・でも途中で他の雑魚モンスターが1匹でも攻撃して
きたら確実に死ぬけどね!!
リスキー
という実に厄介な、しかもほとんだが16×16マスの即死・全
体攻撃とか使ってくるので、紙装甲でヒット&アウェイを繰り返し
てチマチマ削る、ボクの戦い方とは非常に相性の悪い相手だったり
する。
265
こう
どくだんせん
︱︱まあ廃人の中にはソロで全ボス撃破して、運営から﹃独壇戦
ギルメン
功﹄なんて称号をもらった変態もいるけどね! 例によってうちの
仲間だったけどさ!!
⋮⋮なので苦手意識が強いんだよね∼。
いくら味方と言われても、デコピン感覚で一撃入れられたら一発
で死ぬし。
だいたい見た目もダンジョンボスに相応しく、馬鹿でかくておど
ろおどろしいしさ。
なにしろ一番小さい奴でも全高︵全長じゃないよ!︶10m。一
番大きいのは50m︵さすがに部屋に入らないので、今回は小型化
しているけど︶という巨大さで、百鬼夜行どころかどーみても人類
殲滅に現れた邪神軍団です。本当にありがとうございました。
ヒヒ
というか、運営もこのあたりでネタに詰まったのか、双頭の狒々
の頭と触手を持つ爬虫類の姿をしたデモゴルゴンとか、触手をもっ
た霧であるプニーフタールとか、人面蛇身に朱色の髪を持つ共工と
か、世界各地の神話にでてくる邪神・魔神を題材にしてるので、実
体化したいまは本気でシャレにならない。
正気度
てか、クトゥルフ神話の邪神とか、見ただけでSAN値がごりご
り下がるはずなんだけど、大丈夫なのかね、ボクの精神? 知らな
いうちに壊れてないだろうかね。
そんなわけで、取りあえず部屋に入って数段高くなった壇上の椅
子に座りながら、いつでも逃げられるように素早く非常口のチェッ
クをした。
266
てんがい
こくよう
ちょうど椅子の後ろが馬鹿でかい観音開きの扉になっていて、ボ
クが出入りする時に使用するんだけど、開けるのに天涯と刻耀が一
人一枚ずつ、両手を使って開けていたから︱︱扉を見たときは﹃こ
の扉をくぐる者は一切の希望を捨てよ﹄ってフレーズが頭に浮かん
だよ︱︱たぶん咄嗟に逃げる際には、ボクの腕力じゃ追いつかない
ね。
となると廊下のあるボクから見て左側の扉か。
視界に入ったところで3箇所。
一番近いところまでは、ボクの逃げ足なら2秒とかからないだろ
うけど、まずいことに今日は5cmのヒールを履いている。
この不安定な足場では全力疾走は不可能。靴を脱いではだしにな
るまでのロスタイムが、生死を分けるかも知れないね。
こんなことならハイヒールでの全力疾走の訓練しとけばよかった
よ。
とか思っていたところで、十三魔将軍を代表してヴェールをまと
いかるが
った白髪で黒い肌をし人間の青年の姿をしたウムル・アト=タウィ
ル︵クトゥルフ神話に出てくるヨグ=ソトースの分身︶の﹃斑鳩﹄
が、一歩進み出てきた。
﹁天上人たる緋雪様のご尊顔を拝し奉り、我ら十三魔将軍一同、こ
の上なき栄誉を得てございます﹂
てんがい
こくよう
恭しく挨拶したところ、ボクの横に立っていた︱︱並びとしては、
天涯、命都、ボク、空穂、刻耀︱︱命都が、口を開いた。
﹁面を上げなさい、姫様への直奏を許可します﹂
267
はて・・・? 普通これって天涯の役目だと思ってたんだけど、
なぜか今日は本人、えらく不機嫌そうな顔で突っ立てるね。
﹁では、失礼ながら姫に確認したい仕儀がございまして、十三魔将
軍を代表してお聞きします﹂
その目がちらりとボクから見て右手側、天涯と命都が並んでいる
方を見た。
﹁姫、此度の行事に、ある特定の者のみ恩寵を与えた、という噂は
まことでございましょうか?﹂
あちゃーっ!! このタイミングで言われる行事っていったら、
明日から訪問する王都への同行者の件だよね。
今回はコラードギルド長の忠告を受けて、命都を連れて行くこと
にして本人以下、四凶天王には知らせてあるけど、他の円卓メンバ
ーからすればいい気がしないのも当然かも知れないね。自分たちの
頭越しにそういうこと決められてるんだし。
だいたい前回のお供も天涯一人だったことで、ずいぶんと七禍星
獣からも文句を言われたし・・・でもまあ今になってみると、それ
が良かったかも知れないねぇ。
ダンジョン
あの後、七禍星獣の気晴らしと現地調査を兼ねて、前回ボクらが
壊し廃墟と化したアーラ市近郊にあった古代遺跡︱︱一階ずつ攻略
するのは面倒臭いという空穂の我がままに従い、刻耀が一撃でダン
ジョンボス︵ちなみに5つ首のヒドラだった︶の部屋まで10階層
をぶち抜いた結果︱︱を、さすがに放置しておくのもマズイという
ことで、修理・改良のために派遣しておいたので、現在は城内には
いないからねぇ。
いたらさらに騒ぎがエスカレートしたろうにね。
268
それにしても、どうしたものかな、今回は人数制限がある上に﹃
人間型女性﹄というくくりがあるので、正直十三魔将軍の出番はな
いんだよねぇ。
でも、正直に言って暴れだしたらボク死ぬし。
﹁⋮⋮⋮﹂
どーしたもんかなぁ、と考え込んだボクに代わって、天涯が一歩
前に出た。
﹁くだらぬ邪推に過ぎぬ! 諸君らの懸念はまったくの的外れだ!﹂
そういった天涯に、なぜか十三魔将軍の本気の敵意を込めた視線
が一斉に注がれた。
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱ッ?!﹂
こ、こわ⋮⋮っ!! 邪神軍団が本気で殺気を込めた視線、その
余波に巻き込まれて、ボクは久々にしばらく意識が飛んでいたらし
い。
気が付いたら天涯と十三魔将軍とが喧々諤々と言い争いをしてい
た。
﹁だから、あれは姫様に飲んでいただくために用意した生き血だと
!﹂
﹁普段であればあのような締まりのない顔はしておらんでしょう!
?﹂
269
﹁とりわけ霊力の強い巫女の血だぞ、姫に喜んでもらおうと︱︱﹂
﹁嘘をつけ! 貴様だけ姫からご寵愛をいただいたのだろう?!﹂
﹁だからもらってないと言ってるだろう!﹂
◆◇◆◇
﹁⋮⋮なんの話?﹂
ボクの質問に命都が思いっきりため息をついた。
﹁今日は魔暦2月14日、バレンタインデーです。天涯殿が朝、手
に箱を持って歩いていたのを見て、姫様からチョコをもらったので
はないかと、十三魔将軍を始め、城の男たちが色めき立っておりま
して・・・﹂
﹁ほんに男衆ときたら、かようなことでくだらぬ騒ぎを起こし寄っ
てからに﹂
呆れ果てたという口調で、空穂が騒ぎから目を逸らした。
・・・・・・はい?
バレンタインデー? なにかと思えばそんなことでこの騒ぎなわ
け?!
というか、あんたら全員邪神・魔神じゃない? そんなのが十字
270
教関係の行事のシロモノもらうのに血眼になるわけ?! なんか間
違ってない??
頭を抱えるボクを余所に、議論はいよいよヒートアップして行こ
うとしていた。
そんなわけで、結局その後ボクは命都たちの助けを借りて、大量
のチョコを作って配りまくってどーにか事を収めたわけだけどさ。
・・・これ来月のホワイトデーのお返しの中身が凄く怖いんです
けど。
271
幕間 魔将軍衆︵後書き︶
十三魔将軍は全員Lv110オーバーですが、当然99クラスはご
ろごろいます。ここら辺に来ると、実力的にはほとんど差がありま
せんが、110オーバーはゲームの最終UPデートで実装されたも
ので、この国では名誉称号のような扱いになってます。
272
第七話 閃剣巧剣︵前書き︶
緋雪VSアシル王子の続きです。
とりあえずここで一区切りですね。
273
第七話 閃剣巧剣
頭上から振り下ろされた一撃を、色違いで同じ形をした剣で受け
止める。
ブースト
受けた剣を持つ腕が重い感触に痺れ、体全体がきしむ思いがした。
﹁︱︱なっ?!﹂
バフ
アシル王子は強い。付加魔術による肉体強化を施したいまのステ
ータスなら、一部はボクに迫る数値があるだろう。
だけどもともとの総合的なステータスポイントに大きな差がある
以上、到底ボクには追いつけない。
単純に正面からの力比べならば、どうしたってその壁が技量以上
の差を持って圧し掛かってくる。
だから、お互いの武器が互角である以上、剣と剣とのぶつかり合
いでは、どうしたってボクはアシル王子を圧倒できる。それがボク
の認識だった。
だけどそれができない。一撃を受けて様子見︱︱と甘く見ていた
のは確かだけれど、数値に表される単純なエンジン性能とは異なる、
王子のもつ剣の技量がその差を埋めている。
それは、いまこの瞬間にも、受け止めた剣にさらに加えられる圧
力によって、気を抜けば地面に膝を付きそうになっている自分の状
態からも明らかだった。
︱︱まずい!
274
この体勢はマズイ。距離を置いて、ボク本来のヒット&アウェイ
の戦法にきりかえなきゃ。
瞬間的に判断したボクは、スカートを翻して蹴りを放った。
不意を打ったつもりだけれど、アシル王子は予期していたかのよ
うに片脚を上げてこれをガード。
お互いの足が交差した瞬間にようやく力の均衡が崩れて、ボクは
反動で後方へと跳んだ。
﹁可愛らしい下着ですね。︱︱個人的には伝統を外され、ちょっと
残念ですが﹂
﹁ご期待に添えなくて残念でしたね∼。このとおり足癖も悪いもの
でね﹂
余裕のつもりか追撃もしないでその場に立って、本当に残念そう
に、ヤレヤレと首を横に振るアシル王子。
ちなみにこの手のドレスを着る場合、貴婦人は下着をつけないの
が通例なんだけど、さすがにボクはノーパンで歩き回るほど現代人
を止めていない。
なので、今回はドレスのインナーらしく、スリーインワン︵ブラ
ジャー、ウェストニッパー、ガーターベルトが一体になった下着︶
を装備している。 ﹁いやいや、足癖が悪いのはお互い様で︱︱﹂
その瞬間、アシル王子が足元の地面を蹴り、ボクの目前に爆発し
たように砕かれた大地が迫る。
275
咄嗟に左手側にステップを踏んでかわした︱︱その方向から気配
が!
ジャンプ
と、感じたのはさらにフェイントで、四方から押し包むような殺
気が迫り、判断に迷ったボクはその場で基本スキルの跳躍をして、
前方へと空中で2∼3回転しながら、その場から離れた。
本体は︱︱︱︱︱︱︱︱真後ろ。
いつの間にどうやって廻り込んだんだい?!
疑問の答えを導き出す前に追い討ちが迫る。
空中から地面に着地するその前に、アシル王子の姿が現前に迫り、
斬撃が襲いかかる。
それを迎え撃つべくボクも無理な体勢から剣を繰り出し、刃と刃
が絡み合い、鮮烈な火花が散った。
その勢いを利用して距離を取る。
後手に回ったらマズイとは思うんだけど、さらに迫り来る刃を受
け止め、弾き、かわしながら一方的に後退するしかなかった。
・・・なんなんだろうね、こう⋮⋮こちらの本領を発揮できない
土俵に持ち込まれて、じわじわと袋小路に追い詰められていくよう
な、このいやらしい戦い方は。
対戦ゲームってやったことないけど、あれの﹃待ち﹄ってこんな
感じなのかねぇ。
面白くないねえ。
1発と思ったけど、2∼3発殴るのを追加しないと気がすまない
276
ね。
脚力差を生かして一気に距離を置く、と同時に猛烈な踏み込みで
逆にこちらから王子に迫る。
袈裟懸けの一撃︱︱避けられた。
手首で返しての剣士系基本スキル﹃燕返し﹄︱︱これも上体のみ
後ろに反らせて避けられた。
さらに空中で軌道変更をしての剣士系基本スキル﹃横一閃﹄︱︱
孤を描くように振られた剣で弾かれる。
﹁︱︱ええぃ、いいかげん観念して、殴らせないかい!﹂
バフ
﹁・・・いやいや、こんなもん受けたら死にますよ。そっちこそ少
しは手加減してくださいよ﹂
﹁十分手加減してるよ!﹂
なにしろこっちは基本性能だけで、付加魔術は使ってないし、聖
職者系の攻撃魔術は一切使わず、剣も同等かやや劣るシロモノを使
レベル
い、使ってるスキルもプレーヤーの基本スキルと剣士系の基本スキ
ル。
要するにほぼ互角条件で戦ってるっていうのに、遥かに格下の相
手に互角・・・どころかさっきからこちらが押されっ放しじゃない
か!
ボクのプライドはもうメタメタだよ。
﹁なんか手加減するのもアホらしくなってきた。ちょっと本気を出
277
すよ﹂
﹁それは怖いですねぇ﹂
目を細めて身震いする真似をするアシル王子だけれど、その瞳は
さすがに笑っていなかった。
﹁まあ死んでも30分以内なら蘇生できると思うから、痛いのは最
初だけだ︱︱よッ!﹂
スラッシュ
剣士系の基本スキル﹃刺突﹄!
剣と剣とがぶつかり合い、ボクの突きがいなされる︱︱けど、こ
れは織り込み済み。その勢いを利用して王子の背後にあった岩を蹴
って三角跳び。
上から王子に向かって放つボクの本気、剣聖技﹃七天降刃﹄!
まやかしや残像ではない、実体のある分裂した7つの剣先が、か
わせないタイミングで同時に王子の全身を襲う。
﹁くっ︱︱!!﹂
咄嗟にもっとも手薄な左手方向へ逃げることで、そのうち3つま
ではかわすことに成功したみたいだけど、残り4つはかわせない。
そう判断したアシル王子は︱︱ボクが言うことじゃないけど︱︱
どんな反射神経をしてるんだい?!
1本の剣で2刀を同時に受け止め、もう1本を強化した左手の拳
で弾き、最後の1本︱︱ボクが握った本体に対しては、自分から体
ごと飛び込んでくる形で、剣の鍔元のもっとも威力が弱いところを
左肩で受けた!
軽く肩が斬られて血がにじんだけど、所詮はその程度。
278
とは言え、こちらからみれば目の前に首が差し出されたのと一緒。
半ば反射的に切っ先を返して、その首を薙ごうと剣を繰り出し、
アシル王子の剣がガードしようとするが︱︱遅い!
完全に捕らえたと思った瞬間、王子の剣が手元でくにゃりと曲が
ったような動きをして、逆にボクの手首が浅く斬られていた。
﹁︱︱ッ?!?﹂
さらに変化した鎌首が追いすがり、かわせないと悟った瞬間、ボ
クは全速力でバックステップをかけた。
勢いで、つま先が接触した地面に二条の溝を掘りながら、その場
から一気に20mほど離れる。
そんなボクに向かって、呆れたような声をかけるアシル王子。
﹁まったく・・・なんでもアリですね。とんでもないなぁ﹂
﹁それはこっちの台詞だよ。なんだい今のは?﹂
ナミノカスミ
﹁まあ、俺の奥の手のひとつの﹃浪之霞﹄って技ですね。普通なら
相手の手首の腱を切ってたところなんですけどね﹂
ヒール
治癒する必要もなく、夜間の吸血姫の身体能力ですでに塞がり、
傷跡ひとつない手首を見ながら、ボクは憮然とため息をついた。
﹁・・・まったく、これだから対人戦は嫌なんだよ、どんな意表を
突いてくるかわからないからねぇ﹂
﹁まあ非力な人間が勝つための小細工ですからね。卑怯と言います
279
か?﹂
﹁言わないよ。もともとこっちの基礎能力が卑怯なんだからね﹂
バ
それにしても、ここまでスペックに差があっても技で無効化して
フ
くるなんて、ずいぶんと甘く見てたよ。もちろん完全装備で、付加
ジル・ド・レエ
魔術やら魔術やら使い放題だったら、ほとんど問題にならないレベ
ルだけれど、逆に言えば同じ条件︱︱この世界に﹃薔薇の罪人﹄に
匹敵する装備やらがあるとすれば︵ボクは3大強国クラスにはある
んじゃないかと睨んでいる︶︱︱なら、ボク程度を倒す相手も存在
するってことだよね。
実際、この王子様も言っちゃ悪いけど中レベル国家のお山の大将
なんだから。
そう思えばずいぶんと収穫があったねぇ。
さて、続きを⋮⋮と思ったところで、上空から接近してくる馴れ
た気配と、遥か遠く闇の彼方からこちらに近づいてくる複数の馬車
が奏でる騒音とが、ボクの耳に聞こえてきた。
﹁︱︱姫様、お待たせして申し訳ございません﹂
みこと
案の定、上空から降りてきたのは3対6翼の翼をあらわにした熾
天使の命都だった。
初めて見るその姿にアシル王子は目を丸くしていたけど、こちら
は無視して命都に向き直った。
﹁ごくろう。追っ手は始末したのか?﹂
﹁はい、あの場にいた者はすべて排除いたしました。ただ、さきほ
ど上空から確認しましたところ、別口の追っ手らしき集団がこちら
280
や
に接近しつつあります。姫様のご命令があればこちらも対処いたし
ますが?﹂
このへんの律儀なところは命都ならではだね。
他の連中なら、﹃ついでに潰しとけ﹄ってお手軽に殺ってから、
事後報告になるからねぇ。
﹁・・・追っ手ですか﹂
戦う意思はないという具合に、剣を鞘に収めたアシル王子が難し
い顔をする。
﹁そうみたいだねぇ。まったくせっかく興が乗ってきたところだと
いうのに無粋だね﹂
ボクも剣先を地面に向けて、だらりと下ろした。
﹁いやぁ、これ以上はとても無理ですね。そろそろ肉体強化も切れ
る頃合ですし﹂
﹁はん。まだまだ奥の手を隠しておいてよく言うよ。だいたいまだ
切れてないんなら、もうちょっと続きができるってことだろう? さっきの傷のお返しもしたいし﹂
そう言って切っ先を向けたけど、アシル王子は肩の傷を指して、
﹁それを言ったらこちらも一太刀浴びてますしね、今日のところは
引き分けということにして、続きはお約束どおり後日ということに
しませんか?﹂
やる気が無いという風に肩をすくめた。
これは完全にやる気がないね。
﹁・・・仕方ないねえ、続きは君が勝った後にしよう。︱︱でもや
281
る前から貴族たちに勝つつもりでいるけど、浮かれてると足元をす
くわれるよ? せいぜい注意することだね﹂
﹁ええ、気をつけますよ。ではその条件でよろしいので?﹂
﹁いいよ。じっくり高みの見物とさせていただくよ﹂
﹁そうですか。俺もそれまで腕を磨いておきますよ﹂
そう朗らかに笑っていたアシル王子だが、ふと思い出したという
風に真顔で訊いてきた。
﹁姫の﹃ヒユキ﹄というお名前は代々続く通り名のようなものなの
でしょうか?﹂
﹁いや、私だけの名前だねぇ。まあ響きが同じ名ならあるかも知れ
ないけど﹂
重複した名前は弾かれるから、サーバにも一人だけだけど、読み
方を同じにする漢字なんて幾らでもあるから唯一ってわけでもない
だろうけどさ。
﹁そうですか。︱︱実は以前、父に教えてもらった喪失世紀の記載
に同じ名があったもので、偶然の一致か、それともなにか関係があ
るのかと思っただけでして﹂
﹃喪失世紀﹄︱︱思いがけなく出てきた単語に、驚いたボクは無意
識にアシル王子に詰め寄っていた。
﹁・・・それは、どういうことだい? 私の名があるって??﹂
その勢いにちょっと気圧され、困惑した表情で眉根を寄せる王子。
﹁いや、アミティア王家に残されているのは本当に断片的なお伽噺
282
のようなものばかりで、失われた時代には人々は神に迫る力を持っ
ていたとか、死や飢えというものが存在しなかったとか、巨大な城
が宙に浮かんでいたとか﹂
うん、その城はいまも元気に浮かんでいるよ。
﹁そうした超越者たちを束ねる存在があり、そのうちの一人の名前
が﹃ヒユキ﹄といったとか、その程度ですね﹂
エターナル・ホライゾン・オンライン
ふ∼∼む、まだまだ判断材料に乏しくて何ともいえないねぇ。
とは言え、直接か間接的にかこの世界が﹃E・H・O﹄とかかわ
りがあるのはほぼ確実だろうね。
﹁﹃喪失世紀﹄についてもう少し詳しい記載・記録はないのかな?﹂
﹁難しいと思いますよ。話した父も子供に聞かせるお伽噺程度の口
調でしたから。ただ、より詳しい資料が残された国があるとしたら、
おそらくはそれはイーオン聖王国でしょうね﹂
﹁︱︱イーオンか、確かがちがちの人間至上主義の狂信国家だった
けかな?﹂
﹁ええ、しかも信者でない他国人に対しても排他的ですので、ここ
で確認するのは至難の技でしょうね﹂
ふむ・・・と腕組みしたボクの耳に、いよいよ追っ手の馬車が迫
ってくる音が聞こえてきた。
﹁まあ考えるのは後にしよう。私と命都はここで追っ手を食い止め
ておくので、君たちは先に行きたまえ﹂
283
﹁ヒユキ姫たちはどうされるので?﹂
アシル王子の質問にボクはひらひらと片手を振った。
﹁聞きたいことも聞けたので、ここで追っ手を始末してお別れだ。
︱︱ああ、アンジェリカにはよろしく伝えておいてくれ。まあ、暇
ができたら顔ぐらい出すってね﹂
﹁・・・そうですか。では、しばしのお別れですね。再会の日まで
お健やかで﹂
そう挨拶して、またもボクの手を取り口付けするアシル王子。
ま、また反応できなかったよ・・・。
や
命都の目が、﹃やっぱり殺りますか?﹄と言ってるけど、﹃あー、
とりあええず追っ手で鬱憤晴らしといて﹄と、視線で答える。
ヒール
﹁再会というか、再戦の日までなんだけどねぇ﹂
言いつつ、ボクは王子の肩に手をやって治癒した。
﹁おっと、これは、まことにありがたき幸せ。︱︱では、また!﹂
そう言って颯爽とその場を後にするアシル王子。
やれやれ・・・。
アンジェリカとカルロ卿に二言三言喋りかけ、大急ぎで遠ざかっ
ていく︱︱アンジェリカは何度も心配そうにこっちを振り返ってい
たけどね︱︱馬車を見ながら、ボクはわずかに寂寞を覚えていた。
﹁さて、いくか命都﹂
284
ジル・ド・レエ
ボクは﹃水の剣﹄の代わりに呼び出した﹃薔薇の罪人﹄を構えた。
﹁承知しました姫様﹂
聖杖を構えた命都がその後に続く。
まあいろいろあったけど、楽しい兄妹だったねぇ。
兄貴のほうの青臭い理想がどこまで達成できるのかはわからない
けど、まあ成功するよう願うくらいはするさ。
285
第七話 閃剣巧剣︵後書き︶
アシル王子の身体強化魔術の効果は長くて30分。
全力で動き回れば15分というところですね。
12/18 誤字脱字修正いたしました。
×余裕のつもりが追撃もしないで↓○余裕のつもりか追撃もしない
で
286
第八話 鎮魂之鐘
︱︱そして王子様と王女様は幸せに暮らしましたとさ。めでたし、
めでたし。
◆◇◆◇
王都カルディアには鎮魂の鐘が鳴り響いていた。
人々は、老いも若きも俯いて悲しみに浸り、時たま王宮の方角を
向いて、彼らが敬愛したその魂が、安らかに天上へと導かれんこと
を切に願った。
また、王宮前に設えられた献花台には、国内外から集った多くの
弔問客が長蛇の列を作り、各自が持参した花束を供えていた。
涙を流す者、静かに瞑目する者、自らの信ずる神に祈る者、その
行いは様々だが、死者を悼むその気持ちは全員が一緒だった。
◆◇◆◇
287
﹁お伽噺のラストみたいにはいかなかったみたいだねえ。︱︱まっ
たく。
それにしても、こういう辛気臭いのは苦手だねぇ。だいたいなん
なのかなアレは、人が黙って瞑目している隣で﹃イーオン神よこの
穢れなき魂を御御許に⋮﹄とかゴチャゴチャ唱えるのは。そんなあ
りがたい神がいるなら、この世に悲劇なんて起こらないはずじゃな
いかい?﹂
﹁さあ? 我々が信奉する唯一の神は姫︱︱緋雪様だけですから﹂
﹁⋮⋮うっ。そーいえば、ある意味、うちもカルト集団と変わらな
いんだったけ﹂
献花を終えたらしい、ネックラインに白のクレープを用いた黒の
モーニングドレス、そして胸元に一輪の赤薔薇を差した少女と、そ
れよりも年上らしい薄墨色のドレスを着た女性が、連れ立って︱︱
というか主従の関係なのだろう、少女が先に立ち、女性が後に侍る
形で歩いていた。
どちらもベールハットに隠されて素顔は覗えないが、素肌の白さ、
瑞々しさ、その全体から発せられる凛としたたたずまいが、ただ者
でない気品と隠された美貌を漂わせていた。
﹁とはいえなんだね、実際問題こうなると馬鹿王子のいってた改革
を差す時計の針もずいぶんと後退しただろうし、こちらもある程度
方針を変更しておいたほうがいいかも知れないねぇ﹂
﹁滅ぼしますか?﹂
288
晩のおかずでも決めるような軽い侍女の口調に、少女は軽く肩を
すくめて答えた。
﹁滅ぼすのは簡単なんだけどね。うちは基本的に君臨すれども統治
せずの方針だろう? そうなると後々、この国は周辺国に掠め取ら
れるのが目に見えてるし、トンビに油揚げはちょいと業腹だからね。
できれば使えそうな人材に任せたいねぇ﹂
﹁あの王子のような人物ですか?﹂
﹁ああ、あれは駄目だね。あれならまだコラードギルド長のほうが
百倍ましだよ。少なくともギルド長は自分の物差しを持って、常に
周囲を推し量っていたけれど、あの王子は自分の物差しと周囲の目
盛りが合わないことすら気付いてなかったからねぇ﹂
だから足元に注意しろっていったのにねぇ、と付け加えた少女の
足がふと止まった。
彼女たちの前方、街路樹にひっそりと隠れるようにして、黒髪の
青年貴族︱︱カルロ卿が片膝をついて、二人を出迎えていた。
◆◇◆◇
﹁おや、意外と元気そうじゃないかい﹂
開口一番そう言われて、アミティア王国三王子アシル・クロード・
アミティアは、久方ぶりに口が笑いの形になるのを心地よく思った。
289
﹁・・・そう言ってくださるのはヒユキ姫だけですよ。誰も彼も腫
れ物にでも触るように慰めの言葉ばかりですからね﹂
﹁そりゃそんだけひどい顔︱︱は、まあ元々あまり変わらないけど
︱︱やつれて死にそうな顔をしてれば、慰めの言葉のひとつも言い
たくなるさ﹂
﹁・・・やれやれ、もともとそんなひどい顔でしたか?﹂
﹁たいていヘラヘラ笑ってるか、スケベな目で人の体を嘗め回すよ
うに見るかのどちらかしか記憶にないからねぇ。︱︱ああ、失礼さ
せてもらうよ﹂
みこと
軽く肩をすくめながら、アシル王子が座っている対面のソファー
に腰を下ろす緋雪。
各々の背後には、当然のようにカルロ卿と命都が従っている。
その言葉に苦笑の色をより強くしたアシル王子だが、ふと、緋雪
が身にまとっている衣装に気がついて、知らず尋ねていた。
﹁そのモーニングドレスは・・・?﹂
通常、モーニングドレスは葬儀で近親者がまとう衣装である。
﹁ああ、勝手なことをして申し訳ないけど。仮にも私を﹃お姉さま﹄
と呼んでくれた﹃妹﹄の弔問なのでね、はばかりながら着させても
らったよ。迷惑だったかい?﹂
ゆっくりと万感の想いを込めて、首を振るアシル王子。
﹁とんでもありません。それを聞いたらアンジェリカがどれほど喜
ぶことか﹂
290
その名が出たことで初めて緋雪の顔から笑みが消えた。
﹁このたびは気の毒だったね﹂
ただそれだけ。弔いの言葉とも言えぬ言葉だが、そこには百万言
を連ねても足りない深いいたわりの心が宿っていた。
その背後で、命都が主に代わり深々と頭を下げていた。
﹁いえ⋮⋮すべて俺の責任です。俺が警備の人間の確認をしてれば
防げたことです。⋮⋮なにしろ、犯人は俺が保養所の警備を依頼し
た青年会の連中だったんですから!﹂
血を吐くようなその言葉に、緋雪は眉をひそめた。
﹁裏で貴族派が手を引いた襲撃ではなかったのかい?﹂
﹁・・・だったらまだ、この怒りのぶつけようがあったんですけど
ね。手を下したのは、我々の政治運動に賛同する青年会に所属する
せ
15∼18歳の若者4人です。裏もとりましたがシロです。単純な
金目的の犯行でした﹂
や
﹁それはまた、なんとも遣る瀬ないねぇ・・・﹂
﹁奴らは保養所の中の警備を担当していたんですが、﹃お前ら王族、
貴族が贅沢三昧をしているから!﹄﹃俺たちの苦労を知れ!﹄﹃こ
れは正当な報復だ!﹄と言って保養所の家財を略奪し、さらにアン
ジェリカに暴行を加え⋮⋮。ようやく外を警備していた者どもが騒
ぎに気付いて、連中を取り押さえた時には、妹は護身用の毒を服毒
していたそうです﹂
緋雪は沈痛な表情で無言のまま首を振った。
291
﹁王家としてもこうした不祥事は表沙汰にできませんから、幸い︱
︱と言うべきか、アンジェリカは表向き病気療養のためフルビア湖
の保養所に行ったことになっていましたので、そこで容態が急変し
た⋮という形で公式には発表されています﹂
﹁ふーん、まあそれはいいけどさ。そのアンジェリカを襲った外道
連中は、当然始末したんだろうね?﹂
﹁・・・いえ、非公式に裁判を行い、おそらく近日中に処刑される
でしょう﹂
その言葉に緋雪の目が剣呑な光をたたえた。
﹁︱︱ずいぶんと悠長だねぇ。なんで君が処罰しなかったのさ?﹂
その言葉に、何かに耐えるように黙って俯いたアシル王子は、や
がて怒りと悲しみがない交ぜになった顔を上げた。
﹁正直、奴らを八つ裂きにしても飽き足らない!! この手で始末
してやりたいと、何度剣に手をかけたか! ⋮⋮でも、奴らを殺し
てもアンジェリカは帰ってこない。それに、血で血を洗うなって連
中に言ってたのは俺なんですよ。復讐はなにも生まないって︱︱﹂
﹁何も産まなくてもいいじゃないか。少なくとも君の気は多少は晴
れるよ﹂
そう言われてぐっと唇を噛み締めるアシル王子。
﹁まあ、あくまで君の気持ちの問題だからね、これ以上は言わない
けど、民主運動のほうはまだ続けるのかい? より良い世界を見せ
る妹さんはいなくなったわけだけど﹂
292
妹
﹁⋮⋮⋮続けます。アンジェリカには、天上でそれを見てもらいま
す﹂
その言葉に緋雪は肩をすくめた。
﹁あまり意固地になるのもどうかと思うよ。前にも言ったけど、足
元をおろそかにしないようにね﹂
﹁・・・はい。今度こそ肝に銘じますよ﹂
頷いたアシル王子の顔を見て、緋雪はソファーから腰を上げた。
﹁もうお帰りですか? そういえば再会の時は再戦の時の約束でし
たけど、そちらはよろしいのですか?﹂
﹁やめとくよ。チャンバラする雰囲気じゃないしね。第一、自殺の
片棒を担がされるなんて真っ平だよ﹂
﹃自殺﹄という言葉に、アシル王子ははっとした顔になった。
気が付かないフリをしていたが、自分が求めていた答えを指摘さ
れた顔であった。
﹁そういえば、アンジェリカの遺体には逢えるのかな?﹂
﹁いえ、すでに王家の墓所に移されたので、王族以外は会うことは
できませんが、綺麗な顔でしたよ﹂
妹姫の綺麗にされた遺体を思い出して、アシル王子は泣き笑いの
ような表情を浮かべた。
﹁そうかい。直接お別れが言えるかと思って、カルロ卿について来
たんだけど残念だね﹂
293
言いつつ胸に差している一輪の赤薔薇を取って差し出す。
﹁邪魔でなければ、次に君がアンジェリカに会いに行く時にこれも
一緒にあげてくれないかい?﹂
そう言った緋雪の目が一瞬、紅い光を放った気がした。
﹁︱︱わかりました。きっと﹂
頷いて受け取るアシル王子。
◆◇◆◇
帰りはここ︱︱王宮内の別棟である自室︱︱から外にお連れする
ようにと侍女に命じて、二人を送り出した後、アシル王子は緋雪か
ら手渡された薔薇を手の中でクルクルともてあそびながら、塞がっ
ていた心がずいぶんと軽くなっていることに気が付いた。
︱︱どうやら自分は本気であの風変わりなお姫様に心引かれてい
るらしい。
愛する者を失い凍りついたと思っていたが、まだ自分には誰かを
愛せる心が残っていた。
そのことが素直に嬉しかった。
﹁︱︱さて、カルロ。また明日から忙しくなるぞ!﹂
背後に立つカルロ卿にそう言って立ち上がったアシル王子の胸か
ら、ずぶっと鈍い音を立てて剣の先端が生えた。
294
﹁⋮⋮カ、カルロ⋮?﹂
驚いたというより信じられないという顔で振り向いたアシル王子
の目に、どこか途方に暮れた子供のような顔で、自分を刺したまま
その場に立つ、乳兄弟であり、腹心であり、親友でもある青年の顔
が映った。
﹁⋮⋮なぜ⋮⋮?﹂
﹁・・・なぜと問いたいのは私です殿下。なぜアンジェリカ様がお
亡くなりになったというのに、政治ごっこを続けるのですか?! こうならないよう、殿下が諦められるよう手を回したというのにっ
!﹂
﹁⋮ま、まさか⋮アンジェリカもお前が⋮⋮﹂
絶望を伴う質問にカルロは頷いた。
﹁直接私が手を下したわけではありませんが、段取りは整えました﹂
﹁⋮⋮なぜだ? お前は⋮⋮貴族派に⋮⋮?﹂
その質問には首を振る。
﹁いいえ、私は生まれた時から王家に忠誠を誓った身です﹂
﹁⋮⋮⋮﹂怪訝そうな顔をしていたアシル王子だが、はっと気が付
いて目を見開いた。﹁⋮⋮そうか、父上か﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
その質問には答えないカルロだったが、沈黙が雄弁に物語ってい
た。
295
あの毒にも薬にもならない父王は、貴族院に尻尾を振って邪魔な
息子を亡き者とすることにしたのだろう。
おそらくそれを命じられたカルロも苦悩したのだろう、そしてそ
の妥協点としてアンジェリカの襲撃を手配し、その痛手から自分が
政治運動から手を引くことを願っていたのだろう。
だが、その意に反して自分は運動を続けることを宣言してしまっ
た。
だからもう、こうするしかなかったのだろう。
﹃足元をおろそかにしないようにね﹄
さきほど別れたばかりの緋雪の言葉が甦った。
ああ。自分はちゃんと足元を見なかったのだな・・・。
だんだんと霞む目の中、アシル王子は手の中の赤い薔薇に語りか
けた。
﹁⋮⋮すみません姫。約束2つとも⋮守れそうにあり⋮ませ⋮⋮﹂
意識が暗闇に融ける間際、アシル王子は遠くから聞こえる鎮魂の
鐘の音を聴いた。
◆◇◆◇
296
アミティア王国第三王子アシル・クロード・アミティア暗殺され
る。
現場に残された遺留品である魔剣と薔薇の花から、犯人は人間で
はなく魔物と断定。
︱︱同日、アミティア王国は魔王国インペリアル・クリムゾンへ
宣戦布告を行なった。
なお、王家の墓所に安置されたアシル王子の遺体が、その3日後、
忽然と消えていることに気が付いた者は誰もいなかった。
297
第八話 鎮魂之鐘︵後書き︶
次回からついに戦争となります。
298
第九話 決戦間際︵前書き︶
タイトルを﹃首都決戦Ⅰ﹄とかにしようかかなり迷いましたけど、
別個ということにしました。
299
第九話 決戦間際
インペリアル・クリムゾンとアミティア王国との争いは、当初ア
ミティア王国上層部が想定していた、非難合戦、継続した交渉、水
面下での折衝、事務方による協議、双方の妥協点への収束などとい
うものをすべてすっ飛ばして、王都に隣接するアクィラ高原での総
力戦という形になった︱︱というか、ならざるを得なかった。
これもひとえにアミティア王国からの宣戦布告︱︱アミティアの
公式発表によれば、インペリアル・クリムゾンの第三王子アシル・
クロード・アミティアの暗殺による、実質的な宣戦布告に対する抗
議︱︱に対して、
﹁そんなに戦争したきゃ受けて立つよ。そっちの準備が整うまで待
つから、死にたい奴だけかかってきな﹂
というインペリアル・クリムゾン国主の返答により︱︱実際には
間に立った自由都市アーラの冒険者ギルド長コラードによる、婉曲
かつ修飾に富んだ内容での書簡となったが︱︱交渉なしの即開戦と
なった。
あまりにも国際常識を無視した対応に、アミティア王国側も困惑
モンスター
を隠せなかったが、程なくして王都に隣接するアクィラ高原へ、万
規模の魔物の明らかに統率された集団が、まるで天から降って湧い
たかのように現れるに至り、インペリアル・クリムゾン国主の言葉
に駆け引きや誇張など一切ないことを悟り、これを打破するため急
遽、国内の動かせる兵力をかき集め︱︱その間、﹃そっちの準備が
整うまで待つ﹄の言葉通り、インペリアル・クリムゾン側は一切の
300
侵攻や略奪行為など行なわず待機していた︱︱敵に数倍する規模の
軍団を編成するにいたった。
その内訳としては、司令官に貴族院議員でもあるジョヴァンニ・
アントニオ伯。
国の直轄軍が約5500名。
諸侯連合軍による騎兵が約3500名。
これに歩兵部隊として歩兵及び弓兵が約10000名。
傭兵及び冒険者の混成軍が約2500名。
義勇兵が約12000名。
さらに虎の子の魔術師部隊が150名。
ワイバーン
イーオン神殿から派遣された聖職者が約70名。
そして国の切り札とも言える飛竜を駆る竜騎兵が13騎。
合計して3万を遥かに超える、近年では未曾有の規模の大軍団と
化した。
彼らの共通した合言葉は一つ。
﹃アシル・クロード王子を殺害せし魔物に天誅を!﹄
◆◇◆◇
まろうど
﹁・・・ということで連中、アシル王子の弔い合戦らしんだけどね
ぇ。どう思う稀人?﹂
あちらさん
天下分け目の戦場︵アミティア王国側から見ればね︶にいるとは
301
思えない、緊張感のない周囲の面々の中︱︱なにしろ誰が先陣を務
めるかで、さっきから円卓メンバー全員がじゃんけんしてるしね。
時折、歓声や負けたらしい者のうめき声や地団太︵本当に地面が
地震みたいに揺れるんで止めてもらいたいんだけどさぁ︶の音。
﹁いまのは遅出しじゃろう!﹂という怒鳴り声。
﹁オレ、いまからパーを出すぜ!﹂などという駆け引きの声などが
聞こえて来るし。
プレートアーマー
ボクは隣へ控える、紅い全身鎧を着た︱︱ただし冑は装着しない
で素顔の上部を覆う赤い鬼面の仮面を付けた︱︱赤に近い金髪の騎
士に問いかけた。
﹁王子が聞いたら泣いて喜ぶでしょうね﹂
肩をすくめて気楽に答える騎士︱︱一見するとただの人間のよう
ドラクルア
まろうど
に見えるけど、肌の色が人間にはあり得ないほど青白い。ボクの眷
属たる吸血騎士の︱︱稀人。
﹁君は?﹂
﹁特にどうということは。なにしろいまの俺は姫様の剣に過ぎませ
んからね﹂
まろうど
﹁︱︱気安いぞ。口の聞き方に注意しろ稀人っ。貴様は姫の眷属で
まろうど
あっても新参者に過ぎんのだからな!﹂
てんがい
てんがい
イラついた天涯の注意に、稀人は恭しく頭を下げた。
﹁申し訳ございません、四凶天王筆頭・天涯様﹂
302
慇懃な態度だけど、仮面に隠されて内心がうかがい知れない、そ
んな稀人の内心を推し量るように目を細める天涯。
ボクは再度確認してみた。
﹁本当にこれでいいのかい? 君が望むならいつでも妹さんと同じ
場所に戻してあげられるんだけどねぇ﹂
あちら
﹁あの世には妹なんていませんでしたよ。どうやら俺は同じところ
には行けそうにないので、それなら敬愛する姫様のお傍にいるのが
望外の幸せってもんですよ﹂
﹁︱︱当然だな。口に出す程のこともない自明の理だ。稀人、貴様
まだまだ姫に対する畏敬の念に足りぬと見える﹂
鼻を鳴らした天涯だけど、ある程度は稀人に対する警戒を緩めた
のだろう。若干、態度が柔らかくなった。
申し訳ございません、と再度頭を下げた稀人だが、顔を上げたと
ころでボクのほうを向いて、なにか思い出したのか、えへらぁと思
いっきり口元を緩めた。
﹁実際俺にとっちゃここが極楽みたいなもんで、いやぁー・・・ま
さか出陣の儀式であんな役得があったとは﹂
そう言って、まだ湿り気を帯びている前髪を触る。
﹁うわーっ、うわーっ!!﹂
思い出したボクは、思いっきり聞こえないフリをして両耳を手で
押さえた。
てか、誰だよあれが儀式だって言い出したのは︱︱︱︱っ!?!
303
人が戦闘に備えてお風呂に入っているところに︵ボクの専用浴場
はゲーム中だと1分間つかると30分間の支援効果があったけど、
現在は分体位で効果が30分間延長されるようになったみたいでM
AXで48分入っていれば24時間持続する。ただし24時間以上
は延びないみたいだね︶、どかどかと当然のような顔で円卓メンバ
うつほ
ー全員入ってきて湯につかるのは?!
みこと
命都や空穂とかも平気で脱いでるし。
魔物って羞恥心がないの!?・・・・・・ないんだろうねぇ。
まあ、それだけだったらまだ我慢できたよ! ものすごーく拡大
解釈でペットとお風呂に入っている感覚だからね。
だけど今回は稀人も一緒ってのはどーいうこったい?!
﹁⋮⋮目に焼きついております。湯に染まり桜色になった肌と、さ
らに桜色の蕾みといまだ無垢な︱︱﹂
﹁うわーんっ!!﹂
泣きながら思いっきりぶん殴ろうとしたけど避けられた。ちっ、
こいつ吸血鬼化したら基礎能力も倍加してるので、ますます手に負
えなくなっているな。
てか状態がさらに深く病んだ病状へと悪化してるみたいだし、い
ろいろ間違ったかも知れないねぇ。
﹁・・・あのォ﹂
と、それまで空気だったコラードギルド長が、恐る恐るという感
じで手を上げた。
﹁喋ってもよろしいでしょうか?﹂
天涯がちらりとこちらを向いて伺いを立てたので、軽く頷いて見
304
せた。
﹁よかろう。直奏を許可する﹂
はあ、もったいなき幸せでございます、とか言いながらも腑に落
ここ
ちない顔つきで首を捻るコラードギルド長。
﹁⋮⋮なんで私が戦場にいるんでしょうか?﹂
その問いかけにボクは腕組みした。
﹁難しい問題だねぇ。人間はなぜ生まれここにいるのか、その答え
は各自が出すしかないんじゃないかな﹂
﹁いえ、そういう哲学的な問題ではなく、アーラ市のギルド長室に
いた私が、なぜここに拉致されてきたのかとお聞きしたいのですが・
・・﹂
ボクは思わず首を捻って拉致してきた当人︱︱天涯の方を向いた。
﹁理由を言わなかったの?﹂
﹁無論述べました。﹃姫がお呼びだ、すぐに参上せよ﹄と﹂
うん、それ理由になってないね。
﹁いや、急で悪いんだけど、君にはちょっとこの国の王になっても
らおうと思ってさぁ﹂
﹁はあ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮はいぃぃぃぃぃぃいっっっ?!?!﹂
意味を理解した途端に仰け反るギルド長。うーん、いつもながら
いいリアクションとるなぁ。これだけでも得がたい人材だね。
305
声にならない様子であわあわしてるところへ畳み掛ける。
﹁いや、ほら私らって人間の統治とか政治とか興味ないじゃない?
だからチャチャっとこの茶番を終わらせた後で、現在の頭をすげ
替えるので、代わりに誰か人間に統治してもらおうと思ってさ。で、
人の上に立つ経験もあり、バランス感覚にも優れたコラードギルド
長にぜひ︱︱﹂
﹁できるわけないでしょう!!!﹂
顔一杯を口にした感じで絶叫するコラードギルド長。
﹁いや、大丈夫だよ。いまの国の上層部なんて、ブラフでも私に喧
嘩を吹っかけてくるような馬鹿者集団だよ? 欲ボケで目先が曇っ
てんだか、特権意識が高すぎて見下すだけで全体が見えないんだか
知らないけど、それに比べりゃ君は100万倍はマシだからね﹂
﹁⋮⋮あまり褒められている気がしませんが、やはり無理ですよ。
私に国政のことなどわかりませんし﹂
ため息をつきながら頭を横に振るコラードギルド長。
﹁国政っていっても内政と外政でしょう? 外政の方は私らが睨み
を効かせるので、他国からの侵略はさせないし︱︱まあ仮にしてき
たらツブすだけだし、内政のほうは事務方を残しておけばどーにか
回せるんじゃないの?
人間の管理については、基本こちらからは口出ししないから君は
好き勝手できるし、なにより文字通り一国一城の主になるなんて男
子の本懐だろう? それにうちからもこの稀人をつけるから、かな
り役に立つと思うよ﹂
まろうど
紹介され一礼をした稀人を、胡散臭そうに見ていたコラードギル
ド長だが、はっと何かに気付いた顔で両目をこぼれ落とさんばかり
306
に開いて、震える指先を稀人に向けた。
まろうど
﹁⋮⋮ま、ま⋮まさか⋮⋮アシルでん⋮⋮!?﹂
、、、、
﹁人違いだろう。俺は姫様の忠実な下僕の稀人だ。まあそんなわけ
で、これからよろしく頼むよ国王陛下﹂
ポンポンと肩を叩かれ、魂が抜けたような顔で立ち尽くすコラー
ドギルド長。
﹁だから言ったろう、茶番だってさ﹂
ワイバーン
ボクが肩をすくめたところで敵軍に動きがあった。
敵陣から飛び立つ10数騎の飛竜︱︱あれが噂の竜騎兵って奴か
な?
くらし
同時にこちらでも壮絶なじゃんけん合戦に終止符が打たれたらし
い。
しちかせいじゅう
﹁︱︱よっしゃああっ! 勝ったで! ワイが先陣や!!﹂
全長10m余りの翼を持った虎︱︱七禍星獣の王天虎︱︱蔵肆が、
小躍りして喜んでいた。
・・・どーでもいいけど、あの肉球の前脚でどうやってじゃんけ
んしたんだろう?
﹁︱︱では、姫。戦に際してお言葉を賜りますよう、お願いいたし
ます﹂
天涯の言葉を合図に全員の視線が集中する。
あー、なんか言わないとマズイのか。どーしたもんかな、ボクっ
307
て基本的に人間関係希薄だったから、使える語彙が少ないんだよね
ー。
ペット
・・・まあいいか、ゲームで従魔に命令するデフォの掛け声と同
じノリで言えば。
﹁皆の者、立ち塞がる敵を殲滅せよ!﹂
﹃ははあ︱︱︱︱︱︱っ!!!﹄
その瞬間、周囲に緊張と殺気とが充満する。
てか、つい﹃殲滅﹄とか言っちゃったけど、いまさら取り消しは
聞かないよねぇ。
こいつらにシャレは利かないので、多分一兵残らず本気で殲滅す
るよねぇ・・・ま、まあいいか、兵隊さんはそれが仕事なんだし。
とりあえず勢いあまって、王都までふっ飛ばさないようにだけは
気をつけよう。
308
第九話 決戦間際︵後書き︶
ちなみに聖女の完全蘇生は30分以内でないと不可なので、妹姫は
もちろん無理。
あと眷属化もランダム要素がかなり強い上に、死亡時間や死体の状
態にもよって成功率が変わります。
それと吸血鬼化した場合、日中の活動がかなり制限されるので︵無
印の吸血鬼だとほぼ夜間の半分︶、実際には日中の稀人のステータ
スは生前より3割増し程度です。
ちなみに太陽の光に当たると灰になるというのは後の映画の影響で、
原点のブラム・ストーカーの小説でも、平気で日中歩いてます︵た
だ能力は人間並みに減衰するそうですが︶。
それと次回で説明しますけど、インペリアル・クリムゾン側の兵の
ほとんどは今回地元で味方につけた大森林や白龍山脈、古代遺跡の
モンスターです。
本家側は円卓メンバーにあと何名かの志願者のみの構成です。
あと何日も現地で待ってたわけではなく、順番で国に帰ったり戻っ
たりを繰り返す、通いの軍隊をしていましたw
309
第十話 先陣合戦
しちかせいじゅう
シークレット
鼻歌を歌いながら、嬉々とした足取りで空を駆け抜ける翼を持っ
くらし
た虎︱︱七禍星獣の№4︵№1と№2は枠外扱い。あと実は№0が
ワイバーン
いたりする︶︱︱蔵肆が、勇躍アミティア王国の最強部隊と名高い、
レッサー
飛竜に乗った竜騎兵13騎へと真正面からぶち当たる。
ワイバーン
ちなみに飛竜は下級ドラゴンの一種で、大きさは馬よりも二周り
ほど大きく、前脚がない代わりにコウモリ状の翼を持った魔物であ
る。
フレア・ランス
自分たちより遥かに格上で、なおかつ巨大な敵の存在に気後れし
ワイバーン
つつも、竜騎兵たちの指示に従い、散開してまずは遠距離から炎槍
︱︱口から放つ高温の炎︱︱を浴びせ始めた飛竜たち。
素早く空中で方向転換︱︱翼ではなく直接空気を足場にしている
くらし
ため、通常ではあり得ないアクロバッティブな動きでこれをかわす
蔵肆だが、数が多いためさすがに2、3発直撃を喰らった。
ワイバーン
﹁ふふん、ぬるいぬるい。もっとがんばりぃ!﹂
ウインド・カッター
激励しつつ手近な飛竜を前脚で薙ぎ払う。
ワイバーン
風刃をまとった一撃で、ほとんど爆発したかのように空中で乗り
手ごと粉微塵になる飛竜。
﹁軟弱やなぁ、ちゃんと飯食っとるんかいな?﹂
呟きつつ、慌てて距離を置こうとしてまとまった4∼5匹の集団
310
ハウリング
に向けて、口から虎咆︱︱超高密度に圧縮された空気の弾丸をぶつ
ける。
くらし
水風船が弾けるように一撃で四散した集団を置いて、もはや半分
いしゆみ
逃げ腰になっている残り7匹の敵へと向かう蔵肆。
フレア・ランス
ジェットストリーム
引き続き炎槍や鞍上の竜騎兵が弩やらで応戦してくるが、避ける
のも面倒なので、体の表面に超音速気流をまとわせ、すべて受け流
し、そのまま一匹に体当たりをかけ、さらに空中で直角に曲がって
もう一匹を口に咥え、乗り手ごと一気に噛み砕いた。
ワイバーン
﹁・・・まっずいなぁ。はよ帰って商店街の﹃たこ焼きクトゥルフ﹄
で大玉食べたいわ﹂
ジェットストリーム
ウインド・カッター
完全に戦意を喪失して、逃げ出した生き残りの飛竜に向け、開放
トルネード・カッター
した超音速気流をぶつけ、とどめに前脚から発する風刃を交差させ
た竜巻刃を、お手玉のようにぶつけ全滅させる。
﹁なんや、これで終いかい。もの足りんなぁ・・・﹂
エア・バースト
ついでとばかり、敵陣の一番奥、本陣で偉そうにふんぞり返って
くらし
いる連中めがけて自身の最強技、風気爆裂をお見舞いし、一撃で本
陣を吹き飛ばす︱︱その途端、強烈な光術による攻撃が蔵肆の背中
に浴びせかけられた。
﹁︱︱な、なんや?!﹂
到底無視し得ない威力の攻撃に、慌てて空中を跳躍してその方向
へと向き直る。
くらし
蔵肆へ一撃を浴びせた相手︱︱中心部に巨大な単眼を持ち、身体
311
いかるが
の各所から触手を生やした全長70mを越える光り輝く多面結晶体
︱︱十三魔将軍の筆頭、ヨグ=ソトースの斑鳩︵こっちが本体。通
くらし
常は位相空間にいて分身のウムル・アト=タウィルを操り会話する︶
が、不機嫌そうに蔵肆をたしなめた。
﹁やり過ぎだぞ。貴様の出番は先ほどのコウモリだけのはずだろう
に、後に続く者の分まで侵害するつもりか?﹂
いかるが
﹁なんや斑鳩かいな。多少は手強い相手がおるんかと期待したのに
なぁ。こいつら手応えがなさすぎて、ついやり過ぎたわ。すまんな
ー﹂
﹁ふん。わかったのならさっさと戻れ、まだまだ後につかえている
のだからな﹂
言われてちらりと自軍の本陣で、順番待ちをしている仲間たちの
様子を覗った蔵肆だが、眼に入った光景に、心底不思議そうに首を
捻った。
﹁︱︱なあ斑鳩。なんで他の連中がガッカリしてる中で、姫さん一
人ピョンピョン跳んで喜んどるんや?﹂
﹁ああ︱︱﹂斑鳩もちらりと視線をやって答えた。﹁手持ち無沙汰
だったのでな。お前が何秒でコウモリどもを倒すか賭けをしていた
のだが、43秒で姫の一人勝ちだ﹂
﹁なんや、ヒトが体張って戦ってとるのに、じぶんら気楽にトトカ
ルチョかいな!・・・つーか、わいらに緊張感が足りんとか何とか
ぼやいとった姫さんが、実は一番不真面目なんやないか?﹂
﹁姫にとってはこんなものは遊びに過ぎんさ。いつでも、どこでも、
312
そうだったろう?﹂
﹁・・・フム、それもそうやな。さすがは姫さんってとこやねぇ﹂
﹁そういうことだ﹂
﹁ほな、あとは任せるわ。︱︱あんじょう気張りや﹂
そう挨拶して、陽気な集団の元へ戻っていく蔵肆を見送り、斑鳩
は眼下にうごめく蟻の如き人間どもを見た。
プレーヤー
巨大な単眼に見られただけで恐慌状態になっているその様子に、
斑鳩は内心ため息を漏らした。
かつて10数人程度で自分を倒した天上人たる超越者たちと違っ
て、こやつらはなんと脆弱そうなことか。
﹁頑張りようがないな。相当手を抜かんと後の分まで無くしてしま
いそうだ﹂
◆◇◆◇
﹁よっしゃあ! 商店街飲食店のクーポン券1年分ゲット!!﹂
まろうど
外れ券が舞い散る中で、ガッツポーズを決めたボクを、稀人が仮
面越しにジト目で見た。
﹁・・・楽しそうですねー﹂
313
トトカルチョ
︱︱うっ。やばい。彼にとっちゃさっきの光景は胸中複雑なもの
があるだろうに、ついつい我を忘れちゃったよ。恐るべし賭け事!
﹁ま、まあ人生にたまには娯楽は必要だよ﹂
﹁ここの皆さんを見てると、娯楽の合間に人生を送っている気がし
ますが・・・﹂
上手いこと言うなぁ、と思いつつボクは、ふと問いかけた。
くらし
﹁そーいえば、なんかさっき蔵肆が本陣吹っ飛ばしたみたいだけど、
これで司令部もなくなったわけだし、ひょっとして開始1分で戦争
も終わりかな?﹂
まあさすがに投降する相手まで無差別に殺しはしないからねえ。
これで終わるならそれに越したことはないんだけど︵まあ勿論司
令官クラスは責任を負ってもらうけど︶。
﹁いえ、こうした混成軍の司令官はあくまでお飾りで、今回の司令
官であるジョヴァンニ・アントニオ伯も実戦経験の無い素人。もと
もと指揮権は各諸侯独自にあるので、司令部がなくなっても意味は
無いですね﹂
﹁指揮権がなくて、どうやって各部隊の連携をとるわけ?﹂
﹁連携なんてしませんよ。各貴族が自分の判断で自分だけ手柄や戦
利品を獲ようと行動するだけですね﹂
自嘲を込めたその言葉に、正直ボクは開いた口が塞がらなかった。
314
﹁それじゃあ、夜盗や山賊の集団と変わらないじゃないかい?!﹂
﹁実はその通りでして。名目はともかく、中身は変わりませんね﹂
ははははっと乾いた笑い声をあげる稀人。
﹁︱︱とすると、次は各諸侯軍がバラバラに攻めてくるわけか﹂
その途端、かっと爆発したかのような光の奔流が舞い踊り、敵の
ディメンジョン・スラッシュ
本陣そばにあった直営軍の部隊が丸ごと消滅した。
おはこ
斑鳩の十八番、次元断層斬だねぇ、あれは。
ゲーム中もあれには苦労したなぁ、ぜんぜん攻撃パターンが読め
なくて。
﹁⋮⋮てか、やり過ぎだよ、いまので全軍の5分の1くらい消し飛
んだんじゃない!?﹂
まあ、それでも十分に手加減してはいるみたいだけどさ。
とはいえ、こっちはまだ30人以上が出番待ちでウズウズしてる
わけだけど、絶対足りっこないよ敵軍。
じゃあどうなるか?
足りない分は他から補充すればいいじゃん。
遊び
ちょうど隣に人間がウジャウジャいるね。
この戦争が終わったらそちらで人間の粛清もするって姫言ってた
し。
じゃあ壊しても問題ないな!
︱︱やばい! そうなる。確実な流れで。
じわじわと気持ちの悪い汗が全身に流れてきた。
315
てんがい
﹁いかがなされましたか、姫?﹂
怪訝そうに訊いてくる天涯を無視して考える。
取りあえずこれ以上、円卓メンバーを投入するのは危険だ︵敵が
ね!︶、どうにかして手を抜いて、なおかつ周囲の同意も得られる
形にもっていかないと・・・。
てゆーか、敵の総大将が敵の被害を少なくしようと味方の力を削
ぐことに全力を注ぐって、なんか間違ってないかい?!
﹁う∼∼む⋮⋮﹂
考え込むボクに向かって、﹁そういえば﹂と稀人が展開する味方
軍を見て訊いてきた。
﹁いま拝見したところ円卓の魔将の皆様で問題なく対処できそうで
すが、味方の軍勢の意味はあったのでしょうか?﹂
意味ねえ・・・まあ、あるようなないような。
実は今回味方軍として参戦したのは、ボクの直参としては円卓メ
ダンジョン
モンスター
ンバーと数人の志願者。残りは全部、この地で新たにインペリアル・
クリムゾンの国民となった大森林や白龍山脈、古代遺跡出身の魔物
たち、総計約10000名だったりする。
円卓メンバーたちを連れてきたのは、いつも居残りだと不満が溜
まるのでガス抜きのためと、戦力の出し惜しみをして万一があった
ら困るから、というボクの心配性からきてるんだけど、その他の現
かかし
地雇用の新規国民はなんのためにここにいるのかというと、実は単
にアミティア王国にこちらの本気度を見せるための案山子だったり
する。
316
こんだけこっちは本気で軍を揃えてるんだから、そっちも本気を
出せよ、という示威行為の為だけに並べているんだよね。
まあ名目上は各自の忠誠を見せてもらうのと、経験値を稼ぐため
︵魔物はある程度経験を積むと進化する︶という理由で連れては来
た・・・って、これ使えるんじゃない?
﹁天涯﹂
﹁はっ、お呼びでしょうか姫?﹂
﹁円卓の魔将の力、まことに見事である。だが、それにも増して敵
のなんと不甲斐ないことか﹂
﹁はい、誠にもってその通りでございます﹂
﹁せっかくの名刀も鼠を相手にしていては意味がなかろう。なので
連中の相手は、新たにインペリアル・クリムゾンに加わりし者ども
に譲ってはどうかな?﹂
ボクの言葉に、なるほど確かに⋮と考え込む天涯。
﹁・・・確かにこれ以上得るものはなさそうですし、彼らにも姫と
同じ戦場に立てる誉れを与える良い機会かも知れませんな﹂
おっ、好感触だね。ここはもう一押しして置かないと。
﹁うむ、私は常に戦場にあり、これはという者を見出してきた。そ
うした者を新たにこの戦いで見出せるやも知れぬ﹂
﹁御意っ! まさに姫の仰る通り。この天涯、いつしかそのことを
317
失念しておりました。申し訳ございません姫!﹂
よしっ! これで一方的な殲滅はなくなった!
﹁︱︱聞いてのとおりだ諸君! 不満もあろうかとは思うが、後人
を育てるのも我ら円卓の魔将の務めだ。ここは彼らに花道を譲って
やろうではないか!﹂
しばらく不満を漏らす魔将もいたけれど、まあしかたないか、後
輩の面倒も見ないとなぁ、という風に意見もまとまった。
﹁よし、では待機中の軍勢に伝令を走らせろ! 諸君らの手腕に期
待していると!﹂
その天涯の言葉を最後に、円卓メンバーは警戒モードを解いて、
﹁んじゃ飯食って、酒でも飲んでるかー﹂という、テレビ見ながら
晩酌している親父モードへと一気にシフトダウンして、商店街の出
店︵今回付いて来た円卓メンバー以外の参加者︶へと、ちんたら歩
いて行った。
そんなわけで、インペリアル・クリムゾンとアミティア王国との
次の戦いは、双方の軍勢が入り乱れる混戦ということになった。
318
第十話 先陣合戦︵後書き︶
アミティア王国軍が28000、それに対してインペリアル・クリ
ムゾンの魔物軍が10000ということで、魔物1に対して人間3
が適正戦力とされるこの世界だと、ほぼ互角の戦力です。
319
幕間 否定告白︵前書き︶
カルロ卿のお話です。
どーでもいい裏話なのですが、多少の本編の補足にと。
320
幕間 否定告白
私の本名はジャンカルロ・エリージョ・ベルトーニ。
バロン
ベルトーニ家は貴族とはいえ下級の男爵家ですから、本来であれ
ば私ごときの身分で殿下のお傍に仕えることなどできなかったので
すが、私の父が若い頃に現国王陛下の近衛を行なっていた関係で、
父と陛下とは身分を越えた友誼を結んでいたと聞いています。
私と殿下ですか? さあどうでしょう、私はあくまで殿下の忠実
な臣下のつもりでいましたが。
そんな関係でちょうど私を出産したばかりの母が、同時期に産ま
れた殿下の乳母となったようです。
まあ、他にも何人か乳母はいたようですが、なぜか殿下は母以外
の乳母を嫌がったそうで︱︱そうですね、生まれつき女性の好みは
うるさかったのかも知れませんね。
・・・正直申し上げて私もヒユキ陛下ほど美しい女性はお目にか
かったことはございませんので、殿下が夢中になられたのも得心で
きます。、
ひと
とはいえ母も産まれたばかりの私を放って、一日殿下にかかりき
りになるわけにもいかず。
・・・そうですね、もともと庶民的な女性でしたので、他の貴族
の夫人であれば我が子を捨て置くのも躊躇わなかったでしょうね。
321
結果、もの心付く前から王宮で殿下と一緒に育てられることにな
りました。
本当の兄弟のようにですか? いえ気が付いた時には周囲から口
を酸っぱくして、お互いの身分の違いのことは強く言われていたの
で、必要以上に馴れ合うつもりはありませんでした。
そもそも私には他の兄弟がいますが、お互いに干渉することはあ
りませんね。実際、貴族社会であれ、庶民であれどこも同じです。
産まれた時から長子、次男、三男と明確な差があるものです。
︱︱ええ、その通りです。殿下ときたらそうしたことには無頓着
で、周囲の忠告にも耳を貸さずに、どこに行くにも連れ回されまし
たよ。
そうですね。仰られるように、恵まれた者の鷹揚さというか、鈍
感さと言えるかも知れませんが、多少なりとも私も楽しんでいたの
は確かですね。
そんなわけで幼い頃は殿下の遊び相手、もっと身も蓋もない言い
方をするなら﹃殿下のオモチャ﹄という扱いでしたね。
その役割が変化したのは殿下が11歳の時。ええ、暗殺者の襲撃
後です。
7歳になる頃には私も幼年学校に通うことになり、以前のように
頻繁に殿下とお会いする機会もなくなっていたのですが、あの襲撃
があった日から何日か経って、父と共に国王陛下の下へ呼び出され、
内密の話として切り出されました、殿下の侍従となるように、そし
て殿下の行動を逐一報告せよと。
おそらく国王陛下を始め王宮の皆様は恐ろしかったのでしょう、
322
わずか11歳にして手練れの暗殺者8人を返り討ちにする殿下を。
なので気を許している私に、猫の首の鈴になれという命令ですね。
ええ、勿論断ることなどできませんでしたし、命令どおりその日
あったことを逐一文書で報告していましたよ。
・・・殿下ですか? どうでしょう。ある程度私が侍従になった
理由は理解していたと思いますが、素直に喜んでくれましたよ。
﹁また一緒にいられるな!﹂と言って、それは嬉しそうに笑ってい
ました。
それからは本当に毎日が目まぐるしい日々でした。
殿下に付き合って冒険者の真似事までさせられ︱︱ええ、いちお
うCランクの冒険者証は持っています。
いえいえ、とんでもない。半分以上殿下のおこぼれに預かった結
果ですよ。
なにしろ殿下ときたらわずか2年で、大陸にも50人といないS
ランクを得たのですからね。
いえ、妬ましいという気持ちは一切ありません。
逆に誇らしかったですよ、これほど素晴らしい人物とともに歩め
る自分が。
私にとって殿下は羨望であり、見果てぬ夢の体現でしたから。
とは言えそうして庶民と交わるうちに、いつしか殿下の心に貧富
の差や身分制による弊害が重く影を落とすようになってきたようで、
表にこそ出しませんでしたが心の奥には忸怩たる思いがあったので
323
やから
しょう︱︱そして世の中には、そうした臭いを嗅ぎ分ける輩がいる
ものです。
言葉巧みに殿下に近づき、絵空事のような理想を吹き込み始めま
した・・・ええ、まったくその通りで、それほど立派な理想なら自
分で努力すれば良いと思うのですがね。
なんとか私もそうした輩から殿下を切り離そうとはしたのですが、
一度心に根を張った理想は存外深く、殿下の心に食い込んでしまっ
たらしく、私の目を逃れてまで連中と接触するようになる始末でし
て・・・。
この辺りで王宮側も危機感を抱いたようで、より密な情報を収集
するように言われました。
やむなく私も表向き殿下の理想に共感したフリをして、行動を共
にするようにしました。
ここで得られた情報を元に、連中の構成やアジト、人員の詳細に
ついては詳細に報告してありますので、恐らく今頃は一網打尽でし
ょうね。
・・・ええ、特にどうとも思いません。もともと絵空事ですし、
結局のところは自分たちの利権のために、殿下をそそのかした連中
ですから。
しいぎゃく
そしてもう一つ受けた命令が、これ以上殿下が政治に口出しする
ようなら、私の手で殿下を弑逆せよ、というものでした。
悩まなかったかと言えば勿論嘘になりますが、正直申し上げてそ
んなことにはならないだろう、こんなものは一時の熱病であり、英
324
明な殿下であれば現実を理解してくださるだろうと思っていました。
ですがその後も殿下は政治運動に邁進し、さらには事もあろうに、
魔物の国と取り引きまでしようとしている。
王宮のほうも大いに慌てましたよ。
そして、後手に回っているうちにお二人の会見が決定し︱︱まさ
かあれほどヒユキ陛下の腰が軽いとは思いませんでした︱︱至急、
伝えられた命令は、このまま殿下が外患を誘致するのであれば始末
せよ、というものでした。
しいぎゃく
私は殿下の無防備な背中を見ながらずっと悩んでいました。
この手で、いま、殿下を弑逆せねばならないのか。
とも
そんな私をかばって頭を下げ、私を﹃友人﹄と呼んで下さった殿
下に、その場で全てを告白して許しを請いたい気持ちが爆発しそう
でした。
﹁私は貴方にそんなことを言っていただく価値のない男なんです!
どうか貴方の手で私を罰してください!﹂
そう足元に取りすがれたらどんなに楽かと。
・・・ですが、できませんでした。私の失敗はベルトーニ家の失
態。
父個人が国王陛下と親しいといえ・・・いえ、だからこそ逆に、
宮廷スズメたちはここぞとばかり責め立てるでしょうから、我が家
程度の下級貴族はひとたまりもなく廃絶でしょう。
そうです、私は殿下の信頼と我が家とを天秤にかけ、殿下を裏切
ったのです。
325
ですが、幸いインペリアル・クリムゾンとの共闘は白紙となり、
これで幾ばくかの時間は稼げました。
そこで私は殿下と政治運動とを切り離す最後の賭けに出ました。
そうです、アンジェリカ様に犠牲になっていただくことで、殿下
に理想と現実の違いを知っていただく。また、感情的にも自分が守
ろうとしていた市民が、自分の最愛の者を奪ったことにより隔意を
抱くようにと。
保養所の人員の配置をして、もともと素行に問題のあったあの若
者たちを行動に移させるのは実に簡単でしたよ。
私の手の者がしたり顔で、
﹁君たちが1杯のスープを飲むのに苦労しているのに、王族はこう
してぬくぬくと贅沢をしている。これは君らの血税によって賄われ
たものだ、ならそれを取り戻すのは当然の権利じゃないかね?﹂
そう言っただけでその気になりましたからね。
・・・その通りですね。あの手の輩は、大義名分を与えられれば
ソレが正しいことと、疑わずにどんな非道なことでも当然のことと
して行いますからね。
ですが・・・・・・これは私が殿下を見誤っていたのでしょうか?
それほどの事があっても殿下は進むのを辞めなかった・・・。
その結果がこれです。
326
◆◇◆◇
﹁・・・それで、君の告解は終わりかな?﹂
面白くもなさそうな顔で、もとはアシル王子の使っていた椅子に、
黒よりも赤を強調したパゴダスリーブのドレスを着て座っていた緋
雪が、カルロ卿に確認した。
アシル王子の私室、その中央に安置された遺体は明日には神殿の
大司祭立会いの下、葬儀が執り行なわれ、王家の墓所に運ばれる手
はずになっている。
侍従として最後の別れの晩になる今夜、ただ一人遺体の傍で、ま
んじりともせずその顔を眺めていたカルロは、ふと夜風とレースの
カーテンのざわめき、そしていつの間にか開け放たれた窓の下に佇
む、月の化身のような美貌の主を確認し⋮⋮驚くよりも先に、どこ
かほっとした面持ちで、尋ねられるまま自分の内面を吐露したのだ
った。
﹁はい。ヒユキ陛下、私を罰しますか?﹂
むしろ罰して欲しいと懇願するような声音のカルロ卿に向かって、
緋雪は小ばかにするように小さく鼻を鳴らして答えた。
﹁なんでさ? これは君らの内部の問題だろう。私がとやかく言う
筋合いのことじゃないねぇ﹂
﹁しかし、貴族院は今回の事件をすべて陛下とお国へ擦り付ける腹
327
です。私がその原因でもあるのですから、陛下には私を処断する十
分な理由があるはずです﹂
いつになく必死な表情で重ねて訴えるカルロ。
﹁いやぁ、別に君個人が絵を描いたわけじゃないだろう? なら裏
で手を引いて虎の尾を踏んだ馬鹿どもに、責任を負ってもらうだけ
だね﹂
暗にお前の命などどうでもいいと言われて、カルロは唇を噛んだ。
その間にさっさと椅子から立ち上がった緋雪は、花で飾られた棺
の中に眠るアシル王子の顔を覗き込んだ。
﹁馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、最後まで馬鹿だったねぇ。馬鹿
は死ななきゃ直らないって言うけど、直るもんかねぇ﹂
後半は小声で呟いたせいでカルロの耳には届かなかったが、ここ
で顔を上げた緋雪は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
﹁最後のお別れをしたいんで、ちょっと顔を背けてもらえないかな
?﹂
﹁は、はい﹂
律儀に立って壁際まで移動して、カルロは背中を向ける。
その様子に目を細め、完全にこちらに背を向けているのを確認し
て、おもむろにアシル王子の顔に覆いかぶさるように口元を近づけ
た。
くちゃっというわずかに湿り気を帯びた音がカルロの耳に届き︱
︱数呼吸の間を置いて、緋雪の上体が戻る気配がした。
328
﹁︱︱まあ、こんなもんかな。あとは運次第だねぇ﹂
同時に立ち上がる気配がして、カルロは慌てて振り返った。
﹁このままお帰りになるのですか?﹂
﹁まあねえ、これからいろいろと忙しくなりそうだし。長居もして
られないさ﹂
そう言って不敵に笑った緋雪の口元から、常になく伸びた犬歯が
零れ落ちる。
﹁・・・本当に私を処罰されないのですか? 私はその心積もりで
全てを告白したのですが﹂
﹁だからそれは私の役目じゃないよ。話を聞いたのは、別れ際に王
子に付けといたバイパスがいきなり切れた理由が知りたかっただけ
だしねぇ。まあ、君にとっちゃ一生罪を胸に抱えていた方がつらい
んじゃないの?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
それから緋雪はひょいと肩をすくめた。
﹁まあ運が良けりゃ、そのうち処罰すべき資格のある者が、君を処
罰に訪れるかも知れないしね﹂
﹁︱︱それはどういう?﹂
﹁可能性の話だよ。いまのところ3割ってところだろうし、後は君
の信じる神にでも祈っておくしかないねぇ﹂
329
混乱するカルロを置いて、緋雪は窓際へと進んでいった。
﹁それにしてもさ。君たちは良く似ているねぇ﹂
﹁︱︱は?﹂
﹁逆境になると自殺したがるところとか、他人の手を借りたがると
ころとかそっくりだよ。君は友人ではないって言ってたけど、こう
いうのを類友って言うんじゃないかね?﹂
その言葉に、カルロは呆然と目を見開いた。
そして次に気が付いた時には、緋雪の姿は幻のように消えていた。
﹁友・・・﹂
カルロの呟きが開いた窓から夜風に乗って、夜の闇へと消えて行
った。
330
幕間 否定告白︵後書き︶
ちなみに作中で﹁カルロ卿﹂の場合は第三者視点、﹁カルロ﹂の場
合は本人の心情に近い、という感じです。
それと﹁卿﹂というのはロードもサーも日本だと貴族の敬称は一括
して﹁卿﹂で統一されてますので、卿をつけました。
ご指摘ありがとうございました。
それと吸血鬼の眷属化は、親になる吸血鬼が自分の血液を一定量相
手に注がないと不可能です。口付けしたわけではなく、がぶっと首
筋に噛み付いたので念のため。
331
第十一話 混戦乱戦︵前書き︶
戦闘シーンが難しいです︵つД`︶
332
第十一話 混戦乱戦
﹁諸君らに姫から直々のお言葉がある! 静聴して魂魄に刻み込め
っ! そしてそれを誇りとして、その命尽きるまで戦い抜けいっ!
!﹂
﹃︱︱うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!﹄
モンスター
相変わらずゴキゲンな勢いでボク本人を置いてけぼりにして超盛
ジル・ド・レエ
り上がる魔物︵×10000︶に圧倒されつつも、密かな疎外感を
てんがい
感じながら、薔薇の罪人を始めとする本気装備を着けて、ボクは龍
形態になった天涯の頭上から、戦意に逸る現地雇用の軍団をぐるり
見渡した。
爛々と輝く目がボクの一挙一動を見逃すまいと、食い入るように
見つめ、ほとんど圧力と化した注目が集まる。
うわ∼、なんか胃が痛くなってきたよ。
てんがい
姫御自ら兵たちを叱咤激励していただければ望外の幸せにござい
ギルメン
ます、という天涯の要請を受けた形なんだけどさぁ。
なに言えばいいだろう? 2∼3回、仲間に頼まれて参加した陣
営対抗攻防戦のノリで喋ればいいのかな?
﹁えーと、ただいまご紹介に預かりましたインペリアル・クリムゾ
ンのギルマス︱︱じゃなかった、国主の緋雪です。さきほど偵察の
報告で右手の森の中に伏兵が150名ほどいるのが確認できたので、
手の空いている方はこちらの対応をお願いします。
本陣のほうの守りとかはぜんぜん考えなくていいので、皆さん適
333
当に前進して敵を倒してください。あと、ヒマな人は念のために魔
術を使える魔物の護衛についてくれると助かります。この一戦で勝
てなくてもこちらでなんとでもなりますので、皆さんは死なない程
度にがんばってください。まあ死んでも、この戦場にいる限り私が
なんとかしますけど。
そんなわけで、皆さん今日は人間の軍隊相手に一泡吹かせてやり
ましょう!﹂
モンスター
一瞬、あれ?という顔をする魔物軍団に向けて、天涯が大音響で
咆哮をあげた。
﹁理解したか諸君っ! 我らが後に控えている限り、栄光あるイン
ペリアル・クリムゾンに敗北はあり得ぬ! 後ろを振り向くなっ、
我らに後退の文字はないっ、恐れるな、前進あるのみ! その先に
ある勝利を掴むまで、死ぬことは許さぬ! 姫がその背中を見守る
限り、力及ばずして倒れるなかれ! 力尽くさずして挫けるなかれ
! 命燃え尽きるまで戦い抜け!! ︱︱そう姫はおっしゃられた
のだ!!!﹂
数瞬の間をおいて、
﹃うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!!﹄
﹃インペリアル・クリムゾン万歳︱︱︱︱ッ!!!﹄
﹃緋雪様に勝利を!!!﹄
﹃我らが命は緋雪様のために︱︱︱︱ッ!!!﹄
一同は拳を突き上げ、爆発的な絶叫と言うか喊声をあげた。
そんなことぁ言ってねーんだけど・・・つーか、伏兵とか護衛と
かスコーンと抜けてるんだけど、大丈夫なのかねぇ。
あー、ほらもう何も考えないで、勢いで一斉に手近な敵に向かっ
334
て突っ走ってるし。
ほらほら森の中から弓矢飛んできてる。ああ、もう犠牲者でてる
よ。だから言ったのに!
げんば
﹁・・・しかたない。天涯、いつものアレやりにちょっと戦場へ行
ってくるんで、本陣の方は頼むよ﹂
﹁私めもご一緒しなくてよろしいので?﹂
﹁君がいちゃ新兵の経験値稼ぎにならないよ。見たところ脅威にな
りそうなレベルの攻撃はなさそうだし、問題ないさ﹂
まあ黙って突っ立って攻撃魔法とか受けて、タコ殴りにされたら
さすがに死ぬとは思うけど。
﹁わかりました。とはいえくれぐれもお気をつけください﹂
恭しく前脚でそっとボクを地面に下ろした天涯が、その場でかし
こまる。
みこと
﹁︱︱命都、君もサポート頼むよ﹂
﹁仰せのままに、姫様﹂
インベントリ
戦闘服姿の命都がボクの傍らに飛んできて、一礼をした。
ジル・ド・レエ
それからボクは薔薇の罪人を収納スペースに収納して、代わりに
聖女用装備の先端が三日月状になった長杖で、白銀に赤薔薇の意匠
が施してある専用装備を呼び出した。
ブルー・ベルベット
﹁﹃薔薇の秘事﹄!﹂
335
一振りして具合を確かめる。うん問題なく使えそうだ。
はいひと
こいつも鍛冶スキルで作れる聖職者専用装備を、7回まで強化し
て︵基本、廃人な人は7回以上強化した装備を使うのが普通だから
はいひと
ねぇ。これくらいでないと間に合わなくてさぁ。⋮⋮いや、ボクは
廃人じゃないよ? 一日のプレイ時間はきちんと決めてたし︶作っ
た専用装備で、回復量が桁違いに大きくなる。
とはいえ1回のスキルで使うMPは変わらないので、どうしたっ
て戦場ではガス欠になるんだよねぇ。
なのでMPポーションとか他で調節するしかない。
そんなわけでもう一つ秘密兵器を使うことにした。
あまり
﹁零璃﹂
﹁︱︱はい、姫様﹂
プロポーション
途端、空中に赤い血の塊のような水滴が集まり、凝固して起伏の
しちかせいじゅう
薄い肉体を薄いトーガで隠した、全身が赤い氷の彫像のような少女
が現れた。
あまり
ペット
彼女は零璃︱︱七禍星獣の№0であり、水の最上位精霊︵なぜか
ボクの従魔になったら水色から血の色に変化した︶、そして聖女モ
ードな時のボクの一番のパートナーだったりする。
その理由は︱︱
﹁味方の救援に向かう。いつものように従魔合体で行くよ!﹂
あまり
﹁承りました、姫様﹂
その言葉と同時に零璃が光の粒と化して、ボクの胸元に飛び込ん
できた。
336
その結果、現在のボクのステータスは、装備の底上げを含めて、
ひゆき
種族:吸血姫︵神祖︶
てんじょうてんが
名前:緋雪
1,428,000︵+1,350,000︶
称号:天嬢典雅
HP:
MP:13,796,000︵+13,700,500︶
▼
特にMPの増加分が多いのは零璃の能力に負うところが大きい。
さらに嬉しいのはスキル使用時にMPの消費量が半分になることと、
MPの自然増加率が30%増加するってところだね。
そんなわけで、零璃は戦闘能力にさほど優れているわけじゃない
けど︵まあ現在はボクに比べりゃぶっちぎりで強いけどさぁ︶、聖
女モードのボクにはなくてはならない存在だったりするんだ。
ちなみにこの状態のボクのことを、周りは﹃聖女の皮をかぶった
死神﹄とか﹃ホトケの聖女﹄とか呼んでいたらしい。前半はわかり
まろうど
やすいけど、後半の意味は﹃行く先々にホトケの山を築く聖女﹄と
いう意味らしい。失礼だねまったく。
﹁さあ、行くよ命都! 零璃!﹂
﹁﹃はい、姫様﹄﹂
げんば
で、勇んで戦場へ向かおうとしたところで、稀人に待ったをかけ
られた。
337
﹁すいません、俺も前線に出てもいいでしょうかね?﹂
﹁・・・まあいいけどさ、なんでまた?﹂
﹁いやぁ、どうやら諸侯連合軍は見たところ、市民義勇兵を捨て駒
にしようとしてるみたいでして﹂
﹁まあ当然だろうね、義勇兵なんて数は多くても所詮は素人の集団
だしね。壁にするくらいしか使い道がないからねぇ。非道とは思う
けど、効率的な運用なのは確かだね﹂
まあアーラ市の攻防戦でも、ボクも似たような作戦を考えたしね
ぇ。
とは言え、
﹁︱︱まさか助けたい、なんて言うんじゃないだろうね?﹂
答えによってはこの場で消し飛ばす︱︱という意欲満々で、天涯
と命都が身構えた。
まあそんなことしなくても、眷属の生殺与奪はボクの胸一つなん
だけどね。
てゆーか、ここで天涯がサンダーブレスとか吐いたら、余波だけ
でもえらいダメージを喰らいそうなのでやめてもらいたい。
﹁いやいや、そこまで積極的に関わろうってんじゃありません。た
だ何も知らずに王子の敵討って名目で集まった義勇兵を、貴族ども
が後ろから撃ってるのが気に食わないんで、ちょいと連中にお灸を
据えてやりたいんです﹂
どーにもなあなあな感じの答えだねぇ。
結局助けたいって言ってるようなもんだけどさ。
338
ボクは彼の真意を探ろうと仮面越しにその目を見た・・・けどよ
くわからなかった。
てゆーかこの仮面邪魔だよねぇ。あてつけにかぶらせたんだけど、
失敗だったかも・・・。
天涯と命都が、どうします?という風に目でお伺いを立ててきた。
フレンドファイア
﹁まあ⋮好きにすればいいさ。とは言えこちらも君が居ようが居ま
いが攻撃するので、せいぜい友軍攻撃には気をつけることだね。君
の場合、日中は能力も半減なんだし﹂
ボクの言葉に天涯と命都が構えを解いた。
﹁ありがたき幸せ、では、ちょっと行ってきます﹂
そう言ってボクが与えた長剣︱︱上級ボスドロップの﹃オーガス
トローク﹄を肩に担いで、悠々と戦場へと向かう稀人。
﹁︱︱よろしいのですか、姫。どうもあ奴は信用できぬところがご
ざいますが﹂
龍形態のまま顔を寄せてきて、小声で進言する天涯の鼻面をボク
はぽんぽん叩いた。
﹁裏切られるならそれまでのこと、それもまた一興﹂
まあ裏切るとしても直接ボクを裏切って反逆するとかはないだろ
うね。
﹁︱︱はっ、姫の深慮遠謀に対しいらぬ心配でした﹂
339
﹁そうでもないさ。助かるよ﹂
﹁なんと! ・・・身に余るお言葉でございます﹂
天涯
感動してうち震えている巨大怪獣は放っておいて、ボクは改めて
命都を見て、それから眼前に広がる戦場を見渡した。
フィールド
﹁さーて、今度の戦場はずいぶんと広いからね、大急ぎで回らない
とね。遅れたら置いていくよ、命都﹂
﹁一命をかけましても姫のお傍について参ります﹂
一礼した命都が姿勢を戻すのに併せて、ボクは早足で歩き出した。
﹁さーて、久々のゾンビアタックと行ってみようか!﹂
340
第十一話 混戦乱戦︵後書き︶
あまり
ちなみに零璃は戦闘力が弱いために、普段は表立って出てきません
けど、厳然とした円卓メンバーです。
341
第十二話 決戦終結
モンスター
開戦当初こそ、敵の魔物が放つ信じられない攻撃力と、大規模魔
法に度肝を抜かされ、戦意を喪失しかけた諸侯連合軍だったか、続
鉄砲玉
花
く攻撃がないことから、先ほどのものは連続しての攻撃が不可能な、
火
勢いだけの鉄砲玉と一発だけの花火と判断︱︱まあ、当の蔵肆や斑
鳩が聞いたら、リクエストにお応えして連射しただろうが、現在当
人たちはお酒飲んで戦場を眺めながら、やんややんやと喝采したり、
憤慨したり、したり顔で解説したりと大忙しである︱︱した。
モンスター
そしてそれを裏付けるように、ここアクィラ高原に数日前から待
機するばかりであった魔物の軍団が、ついに鬨の声をあげて一斉に
動き始めたのだった。
このことからも、諸侯連合軍の指揮官たちは、敵は奥の手は使い
切った状態で、通常戦力のみの白兵戦を仕掛けてきたと判断を下し、
がぜん生気と勝機とを見出したのだった。
モンスター
アミティア王国の残存勢力は28,000あまり、それに対して
敵の魔物の数は10,000。
モンスター
魔物1に対して人間3で戦うのがセオリーのこの世界において、
ほぼ互角の戦力と言えるが、個人での戦いと違い、団体での戦いに
なれば数の差は等比数列的に増加するものである。
﹃勝てる!!﹄
342
そう確信した各諸侯は、まずはいくつかの隊に分けて各自の指揮
下に取り入れていた義勇兵、これを最前線に投入することで自身直
轄の持ち駒を温存する作戦へと出た。
数は多いが素人に毛の生えた集団︱︱ましてや売国奴たる第三王
子に肩入れして集結した潜在的反逆者ども、と見なしている貴族た
モンスター
ちにしてみれば、ここで共倒れを狙って使い潰すのは当然のこと︱
︱それらが粗末な武器と防具とを持ち、なだれ込んでくる魔物たち
ライダー
へと必死に立ち向かうも、トロールの戦士になぎ払われ、怒涛とな
って突進してくるゴブリン騎兵に跳ね飛ばされる。
すさまじい混戦の中、目を覆わんばかりの阿鼻叫喚の地獄絵図が、
そこかしこで展開された。
と、そんな無秩序かつ混乱状態にあった前線へ向け、満を持して
待機していた諸侯連合軍の正規軍から、猛烈な勢いで弓兵による射
撃が降り注ぎ、さらに魔術師による無数の氷の矢が、敵味方分け隔
てなくその場に居たものを蜂の巣にした。
さらに、とどめとばかり騎兵による突撃で敵軍を消耗させ、後に
続く歩兵が生き残りを駆逐する︱︱似たような光景が戦場のあちこ
ちで繰り返された。
モンスター
勝負は決まった! 所詮は犬畜生にも劣る魔物ども、いくら数を
そろえたところで問題にもならん!
勝利を確信して、にんまり笑みを浮かべる諸侯連合軍の指揮官た
ちだったが、予想外に粘る敵と時間の経過とともに消耗していく自
軍の様子に、いらだたしげに眉根を寄せ、ほどなく冷や汗を流すよ
343
うになるのだった。
なんだこれは?! 敵はどこから湧いてくるのだ!? しかもま
ったく戦意を衰えさせぬ。まるで連中には死というものがないよう
ではないか!
そうしていったんはアミティア王国軍に傾いていた天秤の針は、
時間の経過とともに徐々にインペリアル・クリムゾン側へと傾き、
取り返しの付かない位置まで下がっていったのだった。
◆◇◆◇
オール・リザ
﹁まあもともと8×8マスだった広範囲蘇生の範囲も、半径50m
まで広がってたのは助かるんだけどさ⋮⋮﹂
オール・リザ
ボクは敵味方区別なく、血の海の中倒れている兵士たちの中央で、
聖女系スキルの広範囲蘇生を放った。
ブルー・ベルベット
淡い光がボクの持つ長杖・薔薇の秘事から優しく周囲に注がれ、
死体であったはずの彼らが、息を吹き返して狐につままれたような
顔で周囲を見回していた。
﹁敵味方判定なく全員生き返るってのは、便利なんだか不便なんだ
か・・ってゆーか、さっき巻き込まれて死んでいた得体の知れない
鳥が生き返って、アホアホ鳴きながら飛んでいったのを見たときは、
なんともMPの無駄を感じたもんだよ、まったく﹂
344
オール・リザ
そう独りごちながら、スキルの範囲外だったところへ留まること
リザレクション
なく移動して、再度広範囲蘇生を放つ。
オール・リザ
みこと
ちなみにこの広範囲蘇生、完全蘇生と違ってHPの20%しか回
エンジェル・レイン
復しないので、素早くボクの後についてきた命都が、自身の広範囲
回復スキルの天使の慈雨を降らせることで、回復を賄っている。
生き返った連中は、なにしろもともと敵味方入り乱れてのごった
煮状態だったので、慌ててまた戦おうとするんだけど、
﹁あー、復帰したインペリアル・クリムゾン兵士はさっさと前線へ
戻って! とっくに戦場は前に動いてるんだからね、遅れないで!
あと、アミティア王国義勇兵の諸君は、君らを後ろから撃った貴
族軍に殉じて抵抗するなら容赦しないし、もう復活はないので念の
ため。逃げるんだったら追いかけないので、勝手に逃げてかまわな
いよ。以上﹂
言いたいことだけ言って︵なにしろ蘇生可能なのは30分以内だ
からねぇ︶、さっさとその場を後にした。
実際、あとから聞いた話では、義勇兵の大部分が魂の抜けたよう
あまり
な顔で、ふらふらと戦場から撤退して行ったそうだけどね。
みこと
﹁・・・甘くなったと思うかい、命都、零璃?﹂
ふと、この戦場のどこかで戦っているであろう仮面の騎士を思い
出して、ボクは2人に尋ねた。
﹁特には。︱︱もともと姫様がお気になさるほどの事柄でもありま
せんから﹂
﹃⋮⋮姫様もともと気分次第で助けたり、無意味に虐殺とかしてた。
345
だから変わらなくて嬉しい﹄
﹁・・・そりゃどーも﹂
そーか、そうそんな風に思われていたのか⋮⋮。
﹁まあ取りあえず、がんばってみようーっ!﹂
そう自分を鼓舞して、ボクは戦場を風のように駆け回った。
◆◇◆◇
もはや完全に雌雄は決した。
四方から迫り来るまったく無傷のインペリアル・クリムゾン兵士
に対し、満身創痍で補給もままならないアミティア王国諸侯は個別
に、しかも徹底的に蹂躙され、一兵たりとも見逃されることなく壊
滅していった。
﹁︱︱に、逃げる・・・いや、撤退するぞ!﹂
生き残りの諸侯軍の貴族が自分の軍馬に跨り、大慌てで戦場を後
にしようとする。
陣幕に集っていた腹心の部下たちは顔を見合わせ、おずおずと確
認した。
﹁しかし、まだ味方の兵士は戦闘中ですが、引き上げの合図を行な
いますか?﹂
346
﹁馬鹿を言うな! 儂が撤退する時間を稼ぐのが、奴ら下々の者の
役目であろう! 連中が化物を抑えている間に、さっさとこの場を
後にするぞ!﹂
真っ赤な顔で怒鳴られ、腹心たちもお互いに頷きあい、我先にと
自分の馬へと群がっていった。
﹁⋮⋮いやいや、それはさすがに無責任ってもんじゃないかい?﹂
刹那、猛烈な爆風が陣幕を吹き飛ばし、驚いた馬たちが主を置い
て一斉に逃げ出した。
﹁主が主なら馬も馬ってところか・・・﹂
かち
風圧で馬から転げ落ちた彼らは、いつの間にかそこにいたのか、
徒歩で歩いてくる、赤い鎧に赤い仮面をかけた騎士らしく男を困惑
の目で見た。
︱︱この男、どこかで見たような・・・。
ロングソード
全員の胸に淡い既知感が湧いたが、その答えが出る前に男は肩に
乗せていた長剣を、こちらに向けて不敵に笑って言った。
﹁指揮官たるものが味方を犠牲にしてトンズラこくとはどうにもい
ただけないな。うちの姫様なんぞ、味方の一兵残らず助けるために
戦場を駆け回ってるってのにな﹂
﹁貴様、何者だ?!﹂
347
ひゆき
まろうど
たまりかねた貴族の配下の問いかけに、男は剣を構えて一言。
﹁インペリアル・クリムゾン、緋雪様の臣下の一人、稀人﹂
﹁な︱︱ッ!?!﹂
まろうど
顔色を無くす指揮官たちの間へ、稀人と名乗ったその男は、まる
で滑るような足取りで踊り込んでくると、手にした剣を優雅に横に
変化をつけて振り抜いた。
ウラナミノシブキ
﹁︱︱浦浪之飛沫﹂
その一撃で、剣を抜いて構えていたもの、剣を抜こうとしていた
者、逃げようとしていた者、全てが物言わぬ骸と化した。
ただ一人、腰を抜かしていた貴族の男を抜かして。
﹁⋮⋮まったく、こういう奴ほど悪運が強い。とは言え以前の俺な
らともかく、いまの俺には手加減をする理由もないしな。そんなわ
けで部下の待つ地獄へ行ってもらうぞ、ヴィッロレージ伯爵﹂
そう言って近づいてく男の足の運び、姿、そして何より自分の名
を呼んだ声に、すべての符号がピタリと合わさり、ヴィッロレージ
伯爵は大きく息を呑んだ。
﹁⋮マ、マロードだと? 違う、お、お前⋮いや、貴方はクロード
⋮⋮アシル⋮⋮﹂
﹁そんな名前の奴は死んだよ。ここにいるのは過去の残滓⋮⋮それ
ももうすぐ消え、ただの稀人が残るのさ﹂
348
その言葉とともに、大きく振りかぶられた剣が真っ直ぐに振り抜
かれた。
・・・動く者の居なくなった戦場の一角。
戦場とは思えない森閑とした周囲の静寂の中で、ひとつため息を
ついた稀人は誰にともなく呟いた。
﹁こんないまの俺を見てお前は悲しむかな。いや、それよりも、お
前を救えなかった俺を憎んでいるのかな⋮⋮﹂
﹁︱︱その答えは君が一番よく知っているだろう? 彼女の魂が君
の幸せを願わないと思うのかい?﹂
澄んだ声がそれに応えた。
﹁・・・これは、姫﹂
ブルー・ベルベット
薔薇の秘事を左肩にもたらせる姿勢で、いつからそこにいたのか
緋雪が佇んでいた。
﹁悪いけど、泣くのは全てが終わった後にしてもらえるかな? こ
っちの戦争はどうやら終わったみたいだけど、王都の方で暴動が起
きたみたいで、引き続きそっちの対応をしなきゃいけなくなってね
ぇ﹂
﹁暴動ですか・・・﹂
穏やかでない単語に稀人が仮面の下で顔を引き締めた。
軽く肩をすくめる緋雪。
349
﹁ああ、どうやらここの結果が逃げた義勇兵から伝わったみたいで
ね、これまで貴族に不満を持っていた民衆が一斉に蜂起したらしい。
︱︱まあ、誰かさんが撒いた種がやっと芽を出したってところかな﹂
﹁⋮⋮そう、ですか﹂
小さく呟き、ほっと・・・やっと重い荷物を下ろした旅人のよう
な、万感の思いを込めたため息をつく稀人。
﹁そんなわけで、これから全軍で王都に向かうんで君も遅れないよ
うに。遅れると君のやり残したこともできなくなるよ?﹂
﹁そうですね。まだやるべき事が残っていましたね﹂
なにを思っているのか、誰を思っているのか、どうするつもりか、
訊いてみたい欲求に駆られたが、あえて聞かずに緋雪はその場を後
にしようとした。
と、その背中に稀人の妙にサバサバした声がかけられた。
﹁姫、これが終わったら姫の胸を借りて思いっきり泣いてもいいで
すかね?﹂
﹁︱︱な、なんでさ?! 一人で泣けばいいじゃないか!﹂
咄嗟に胸を抱いてその場から後ずさる緋雪。
﹁いやあ、男って生き物は、つらい時に女の胸の中で泣きたいもの
なんですよ﹂
﹁だ、だったらこんな薄い胸でない方がいいじゃないかっ。ソフィ
アなんてどうだい? 胸の大きさといい、量といい申し分ないよ﹂
350
﹁・・・あのオーガの姐さんですか? 絞め殺されそうですね﹂
想像してげんなりしている稀人を置いて、緋雪は風のように走り
出した。
﹁やれやれ﹂頬の辺りを掻いて、稀人は王都の方角を向いた。﹁待
ってるかな・・・﹂
誰かの名前を呟いたが、その声は誰にも聞こえなかった。
351
第十二話 決戦終結︵後書き︶
がんばって手を抜いて全滅させずに済みましたw
次回で王都編は終了予定です。
352
第十三話 唇歯輔車︵前書き︶
終わりませんでした><
もう一話、エピローグ的な話が続きます。
353
第十三話 唇歯輔車
薄暗い地下道を数人の武官たちに先導され、身分卑しからぬ壮年
の男と、20台半ばの青年とが息を殺し、出来る限り早足で走り続
けていた。
﹁お急ぎください陛下、ここを抜けられれば首都郊外の山小屋に出
られます。その後は一時バルディ公爵の元に身を隠し、帝国か聖王
国の手を借りることで、逆賊と化物どもを国内から一掃いたしまし
ょう﹂
﹁わ、わかっておる。この国をあのような魔物や逆賊どもになどく
れてやるものか。必ずや余の手で取り戻してくれようぞ!﹂
壮年の︱︱顔立ちは悪くはないが︱︱どことなく覇気に乏しい男
が、小箱を大事そうに抱えたまま忌々しげにそう呟いた。
﹁勿論です父上、この国が誰のものか目にもの見せてやりましょう。
それにしても、魔物どもにも増して腹立たしいのは国民どもです!
父上の治世で豊かな生活を謳歌しておきながら、一転して我々を
非難し暴徒と化すとは︱︱あの忘恩の火事場泥棒どもめ!﹂
青年の方はもっと露骨に、ぎらぎらとした怨みの炎を瞳に燃やし
ていた。
﹁その通りです。幸いこの通路は王族以外の限られた者しか存在を
知りません。また城側の出入り口も塞いでおきましたので、まずは
一安心かと﹂
354
武官のその言葉に、その男︱︱アミティア王国現国王は、一瞬躊
躇いのような表情を浮かべた。
﹁・・・しかし、王宮にはまだ息子や娘、それに妃たちが残ってい
たのじゃが﹂
﹁やむを得ません。連れ立って歩けば人目にもつきますし、脱出に
も時間がかかります。しかし現国王たる父上と次期国王たる私、な
によりその国璽さえあればアミティア王国は安泰です。彼らも王族、
犠牲は覚悟の上でしょう﹂
断固とした口調で青年︱︱第一王子にして、次期王位継承権第一
位の息子に言われ、国王は手にした小箱に目をやり黙り込んだ。
と、その途端、彼らの足音だけしかしなかった地下道に、小さな
子供が立てるような可愛らしい拍手の音が響いた。
﹁︱︱な、なに奴?!﹂
慌てて立ち止まり、剣を抜いて拍手のした方向︱︱進行方向の闇
へと向き直る一同。
やがて、彼らが手にするカンテラ︱︱ロウソクではなく、魔法の
明かりを灯す魔導具なのでかなり明るい︱︱の光の範囲内に、薔薇
をあしらった黒の豪奢なドレスを着た、いまだあどけなさが残る容
マスク
姿でありながら恐ろしいほどの美貌をした少女が、赤色の鎧を装備
し顔の上半分に鬼面の仮面をかけた剣士を伴って現れた。
あまりにも場違いな闖入者に、一瞬、これは幽霊か精霊ではない
のか? と全員の頭に疑問が浮かんだが、少女のほうはそんな一同
355
の困惑に斟酌することなく、明るくもざっくばらんな調子で口を開
いた。
﹁ご立派ご立派。そうだよねー、王族だもん責任はとらないとねぇ。
当然その覚悟はあるよね、自分で言ったことだしねぇ﹂
そう言って腕組みしてうんうん頷く。
﹁何者だお前?! なぜこの場所にいる!?﹂
カーテシー
眼光鋭く問いただす第一王子を、一瞬冷ややかな視線で一瞥した
後、少女は優雅な仕草でお辞儀をした。
ひゆき
﹁わたくし魔王国インペリアル・クリムゾンの国主、緋雪と申しま
す。皆様にはお初にお目にかかります。︱︱で、さようなら﹂
﹁なっ⋮⋮なぜ、インペリアル・クリムゾンがこの抜け道を⋮⋮?﹂
声にならない一同の中、第一王子が辛うじてその問いを口に出し
た。
﹁︱︱さあ? もう居なくなるあなた方が知っても意味がないでし
ょう﹂
その言葉に、己の役目を思い出した武官たちが、各々剣を構えて
緋雪の元へと殺到してきた。
まろうど
﹁稀人﹂
長剣を抜いた赤い騎士がその前に立ち塞がり、これを迎え撃とう
とする。
とはいえ狭い地下道のこと、複数の方角から仕掛けられた攻撃は
356
さばききれないだろう、そう自分たちの勝利を確信した武官たちだ
が︱︱
カスミフブキ
﹁霞吹雪﹂
稀人と呼ばれた男が踏み込むと同時に、その姿がいくつにも分裂
して見え、同時に武官たちの目が驚愕に見開かれた。
﹁そ、その技は!!﹂
﹁あ、貴方様は︱︱!?﹂
﹁まさか、殿・・・﹂
一瞬の交錯。そして、稀人が歩き出すと同時に、武官たちは一人
残らず血煙を伴い倒れた。
﹁ひいいいいいいいっ!!﹂
剣を握ることもなく悲鳴をあげ、恥も外聞もなくその場から逃げ
ようとする第一王子の醜態に、稀人はため息をついて剣を一閃させ
た。
コゲツ
﹁孤月﹂
剣閃が闇を切り裂き、なにか重いものが転がる音がした。
ただ一人残った⋮と言うより腰を抜かして身動きが取れない、国
王に向き合う位置まで近づきながら、緋雪は﹁やれやれ﹂と首を振
った。
﹁言ってることとやってることがバラバラだねぇ。アシル王子の件
だってそうだよ、私たちの国と結託した外患誘致? じゃあ君らの
さっきの言葉はなんだい、﹃帝国か聖王国の手を借りる﹄って同じ
ことじゃないの? そういうのをダブルスタンダードって言うんだ
357
よ﹂
しかし国王はそんな言葉は聞いていないのだろう。土下座して手
にした小箱を差し出し、
﹁た、助けてくれぃ! こ、この国璽を渡す。これでこの国はオヌ
シのものじゃ。だ、だからどうか⋮⋮﹂
涙ながらに懇願する。
その様子に毒気を抜かれた表情で、緋雪はお手上げという風に両
ハンコ
手を上げた。
﹁こんな判子一つで国がどうなるもんでもないと思うけどねえ。ま
あ、後でコラード君にでも渡しておけば、何かのハッタリには使え
るかな? 取りあえずもらっておくよ﹂
そう言って小箱をつま先で軽く蹴り上げ、キャッチして背中のポ
シェットに収納した。
﹁⋮⋮こ、これでどうか、余の命ばかりは﹂
そう言って地面に額をこすりつける国王から、緋雪は冷ややかか
つ微妙に困惑した視線を稀人に移したが、﹃姫にお任せします﹄と
いう風に肩をすくめられ、ため息をついた。
﹁もうちょいマシな人物と聞いてたんだけど、期待はずれというか・
・・いや、ここまで卑屈だと一周回ってかえって清清しいねえ。︱
︱こりゃ確かに国璽のほうがよほど値打ちモノだわ﹂
そう言われても身を震わせ、うわごとのように助命を繰り返す国
王の姿に、呆れと蔑みをブレンドした生暖かい視線をやって、肩を
すくめる。
358
﹁わかったよ、なんかこの場で首級をとる価値もないみたいだし、
私とインペリアル・クリムゾンは一切手出しはしないよ﹂
﹁︱︱おっ、おおお⋮⋮!!﹂
その言葉に国王の顔が希望に輝いた。
﹁・・・なので、後のことはこの国の人間に任せるよ。これから王
宮前の広場に連れて行くので、あとは国民がどう判断するのか⋮⋮
まあ、君は善政で国を治め、国民に豊かな生活を謳歌させたそうだ
からね、みんな喜んで受け入れてくれるだろうさ﹂
続けての死刑宣告に等しい言葉に国王の顔が絶望に染まり、いや
いやをするように頭を振ってその場から後ずさろうとするが、稀人
にその襟首を掴まれ、駄々っ子のように涙と唾を流してその手を逃
れようとする。
てんがい
﹁見ちゃいられないねぇ。︱︱天涯﹂
その呼びかけに応えて、緋雪の胸元から淡い光の粒子が飛び、そ
の傍らに集まり金色の騎士と化した。
﹁︱︱はい、お呼びでございますか姫﹂
一礼する天涯に向け、
﹁悪いけど、コレ王宮前の広場に棄てといて︱︱ああ、出口は塞が
ってるみたいだから、適当なところぶち抜いて構わないよ。あと集
まっている市民にコレの始末をさせることも説明してもらえるかな
?﹂
生ゴミの始末を頼む気安さと口調とで、じたばたしている国王を
差す緋雪。
359
﹁承知いたしました﹂
天涯は再度一礼をして、稀人に替わって襟首を掴み、ずりずりと
無造作に引き摺って行く。
﹁い、いやじゃああーっ、よ、余がなにをしたというのじゃ︱︱︱
︱っ!!!﹂
﹁なにもしなかったから、その結果じゃない?﹂
すでに聞こえるはずもないが、地下道の彼方へ消え去った国王に
そう答え、緋雪は黙然と立ち尽くす稀人に視線をやった。
﹁・・・最期まで気が付かなかったみたいだね、第一王子も国王も。
部下でさえ気が付いたっていうのに﹂
﹁⋮⋮喜ぶべきか悲しむべきか、微妙なところですけど、この結果
が全てですね﹂
オーガストローク
武官たちと第一王子の遺体が転がる地下通路を見回し、稀人はど
うでもいいような口調でそれに答え、手にしていた長剣を一振りし、
血しぶきを拭って鞘に収めた。
﹁それじゃあ私はこの判子をコラード君に渡してくるよ。︱︱まあ、
相当嫌がるとは思うけどね﹂
その光景を想像して含み笑いをする緋雪。
﹁なら、俺はその間に野暮用を済ませてきます﹂
﹁ふーん、まあ、こっちは9割方片付いたんだし、ゆっくりしてく
ればいいさ﹂
無言で頷いた稀人は、真っ直ぐ王宮の方へと歩みを進め、それを
360
見送った緋雪は身を翻し、もと来た道を戻り始めた。
361
第十三話 唇歯輔車︵後書き︶
国王がこの後どう処刑されたかも入れようかと思いましたけど
本編に関係ないので割愛しました。
まあ寄ってたかってのリンチですね。
362
第十四話 真紅帝国︵前書き︶
王都編終了しました。
363
第十四話 真紅帝国
聞きなれた足音が部屋の前で止まり、一呼吸置いて部屋の扉が開
いた。
その人物︱︱逆光になって詳細は見えない影だが、ひと目見ただ
けで、カルロにはそれが待ち望んでいた相手だとわかり、椅子に腰
掛けたまま淡く微笑んだ。
﹁︱︱おかえりなさいませ殿下。間に合わないかと思っておりまし
た﹂
﹁悪いな、ここに来るまで誰彼かまわず襲ってくる馬鹿が多くてな﹂
懐かしい、それでいてつい先ほどまで聞いていた気がする声に、
カルロはそれだけで泣きたくなる気持ちで胸が一杯になり、続く言
葉が出なくなってしまった。
﹁それにしてもお前、全然驚いていないな。他の連中は幽霊でも︱
︱まあ、あながち間違いじゃないが︱︱見たような面をしてたもん
だが﹂
そう言われてカルロはより笑みを深めた。
﹁⋮⋮外の様子はどうですか?﹂
﹁ん? ああ、略奪は一段落して現在は生き残りの王族や貴族、関
係者の公開処刑中ってところか、そのうち火をつける馬鹿も出てく
364
ここ
るだろうから、王宮ももう終わりだろうな﹂
他人事のように言いながらも一抹の寂しさが伝わってくるその声
音に、カルロは目を細めた。
﹁それは良かった・・・いや、やはり残念ですね﹂
﹁なんだそりゃ? どっちなんだ?﹂
﹁・・・残念なのは、私と殿下との思い出の場所がなくなってしま
うこと︱︱﹂
その一瞬、お互いの胸に去来したのは、幼き日からの思い出の数
々だった。
全てが輝いていた。
全てが宝物だった。
全てがもう届かない日々︱︱。
﹁そうだな。お互いに探検ごっこなんて言って、王宮の地下道や抜
け道をよく歩いたもんだったな﹂
﹁お互いじゃありませんよ、私は殿下に付き合わされた結果ですか
ら。いま考えるとバレたら殿下はともかく、私は口封じに殺されて
いたところでしたね﹂
若干非難するように言うと、相手は決まり悪げに頬の辺りを掻い
た。
そんな変わらぬ癖に、カルロは頬を緩めた。
﹁悪かったな、でもまあ、今回はそのお陰で簡単に王宮内に入れた
365
し、途中でオヤジたちと鉢合わせすることもできたし、結果的には
良かったんじゃないか?﹂
﹁そんなのは本当に偶然の産物ですよ。毎回その行き当たりばった
りな行動のお陰で、私がどれだけ苦労したことか。︱︱それはそう
として、陛下は処断なされたのですか?﹂
﹁いや、アニキは逃げようとしたんで斬ったが、オヤジの方は泣き
喚いて命乞いするんで、姫も呆れて現在順番待ちの処刑の列に突っ
込むことにした。⋮⋮しかしなんだな、あれが倒すべきこの国の象
徴で現実かと思うと、俺がやってきた政治活動とかなんとか、本当
に馬鹿みたいな話に思えるよなぁ﹂
ガキの頃は絶対不変の存在に思えたもんだがなぁ、と続けてぼや
く。
﹁やっとわかったんですか? まったく、貴方はいつも行動してか
らじゃないと気が付かないんですから⋮⋮﹂
そんな憎まれ口に、影はうんざりした調子で、がりがりと髪を掻
いた。
﹁︱︱お前なぁ・・・聞いたところでは、姫には罪を償って処罰さ
れたいとかなんとか、しおらしいこと言ってたらしいのに、当の本
人を前にしてまた小言か?﹂
﹁そのつもりでいたのですが、本人を前にするとどうにも止まりま
せんね。⋮⋮まあこれが最後ですから、軽く聞き流してください﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
その言葉の意味を理解したのだろう、戸口に立ったまま影は口を
閉じた。
366
﹁︱︱そうそう、私が驚いていない理由と、良かったと言った理由
ですが﹂
話しながらカルロはせり上がってきたものを必死に飲み下し、懐
から1枚のメモを取り出した。
﹁?﹂
﹁⋮⋮実は王家の脱出路を使ったのは私も同類でして。殿下のこと
は言えませんね。そしてまことに不敬ながら、王家の墓所の副葬品
目当てに暴徒どもがなだれ込む危険がありましたので、先にアンジ
ェリカ様のご遺体をこちらの場所に移しておきました。後ほど殿下
の手で改めて埋葬なさってください。︱︱それともヒユキ陛下の手
で、殿下と同じようにこの世に戻られるのでしょうか?﹂
そうであれば逢ってみたい、という淡い期待を込めた問いかけに、
影は軽く頭を振った。
﹁いや、時間が経ちすぎていて姫の力でも難しいとのことだ。それ
に姫にもその気はないそうだ﹂
そう答えた影の脳裏に、緋雪と交わした言葉が甦った。
﹃これは死者の冒涜だよ。まあ、非業の死を遂げたとか、不慮の事
故とかなら私も考えないではないけどさ、自殺した人間を甦らせる
なんて非道だよ。地獄に戻すなんて可哀想じゃないか。だから、彼
女には普通に生まれ変わって欲しいねぇ。︱︱生まれ変わりなら私
も少しは信じられるから﹄
﹁︱︱そうですか、アンジェリカ様にも一言お詫びしたかったので
すが、まあそれはあちらですることになりそうですね・・・﹂
367
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁話は戻りますが、それでアンジェリカ様のご遺体を移送する際に、
殿下の棺を確認したところご遺体が消えていたことと、それらしい
ことを匂わせるヒユキ陛下のご発言があったこと、このことから⋮
⋮まあ希望的観測という奴でしょうかね﹂
﹁⋮⋮それでこの始末か。お前も存外馬鹿だったんだなぁ﹂
そう言いながら一歩部屋の中へ踏み出す影。
途端に濃密な、部屋一杯に充満していた血の臭いが、影の全身に
絡み付いてきた。
﹁まあ主が馬鹿でしたので、いつの間にか馬鹿がうつったんでしょ
うね﹂
まろうど
そう軽口を叩きながらも、顔一杯に死相を漂わせたカルロの手か
らメモを受け取り、稀人こと仮面を外したアシル・クロードは、全
身を斬られて立ち上がる力もない相手の姿に、ため息を漏らした。
﹁お前は剣の腕は凡才なんだから、無理する必要なんざなかったん
だ﹂
それから部屋の外の廊下に転がっていた暴徒の死体を思い出す。
恐らくこの部屋︱︱自身の私室であったここに略奪目的で押し入
ろうとした連中を、カルロが一人で体を張って押し留めた結果なの
だろう。
﹁そうは参りません、私はアシル・クロード殿下の侍従ですので﹂
﹁侍従か?﹂
368
オーガストローク
﹁⋮⋮いえ、ヒユキ陛下にも言われました。悪友という奴ですね﹂
嬉しそうに微笑む。
﹁違いない!﹂
破顔したアシル・クロードは、腰に下げていた長剣を抜いた。
﹁︱︱そろそろ限界だな。とどめは要るかい?﹂
﹁お願いいたします﹂
透徹した表情で頭を下げるカルロに向かい、幾分寂しげな表情で
剣を構えるアシル・クロード。
﹁なにか言い残した事はないか?﹂
﹁⋮⋮申し訳ありませんでした、殿下!!﹂
魂全てを振り絞っての慟哭に、アシル・クロードは微笑で返した。
﹁︱︱気にするな。俺とお前の仲だろう﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
刹那、闇の中一条の光が瞬いた。
◆◇◆◇
369
﹁はい、あげる﹂
満面の笑みを浮かべて差し出した小箱を、恐ろしい爆弾でも見る
ような目で凝視するコラードギルド長。
﹁⋮⋮なんですか、これは?﹂
﹁国璽だってさ。さっき元国王がプレゼントしてくれたんだけど、
私はいらないのであげるよ﹂
途端、目を剥いて大慌てで両手を振りながら後ずさりするコラー
ドギルド長。
﹁い、いりません! そんなもの受け取ったら後戻りできないじゃ
ないですか!﹂
いや、もう後戻りできないと思うよ。
うつほ
﹁︱︱おぬし、姫が下賜されたものを受け取らないと言うのかえ・・
・?﹂
様子を見ていた空穂が、妙に静かな口調で確認をした。
だけどよく見ると目が獣のものになって、扇で隠した口元からは
牙が覗いている。
併せて周囲を取り囲んでいた円卓メンバーや、魔軍の皆さんが殺
気だった様子でコラードギルド長を凝視した。
だらだらと脂汗を流しながら苦悩しているギルド長に向かって、
ボクは軽く肩をすくめた。
370
﹁いや、別に君がいらないならこんなものは棄てるよ。あったほう
が現国家の正統後継国家って感じで周辺国にアピールできるってだ
けのものだからさ。ただそうなるとこの国ってインペリアル・クリ
ムゾン直轄の植民地になるからねぇ、周辺国との軋轢もあるだろう
し﹂
オーガ・プリンセス
と、黙って聞いていた大鬼姫のソフィアが手を上げた。
﹁あの、この国が姫様のものになればニンゲン好きに食ってもいい
のか?﹂
うつほ
﹁無論であろう。食い放題の殺し放題、遊び放題であるな﹂
空穂が、うっそりと笑った。
﹁じゃ、じゃあ真っ先にこの間食えなかったニンゲンの巣のアーラ
食ってもいいのか?﹂
﹁アーラでも他国でも好きにすれば良いわ。人間なぞいくらでもお
るし、増えるからのう﹂
うつほ
空穂の答えに﹃うおおおおおおっ!!!﹄と俄然テンションが上
がる魔軍の皆さん。
・・・なんかもう他国を侵略することも規定事項みたいですね。
﹁⋮⋮ほら。君のせいで世界の危機だよ﹂
﹁わ、私のせいですか?!﹂
いきなり全責任を押し付けられ、素っ頓狂な声をあげるコラード
ギルド長だけど、同情はできない。素直に﹁はい﹂と言っておけば
問題なかったんだけよ。
371
魔物の管理責任? 知らん。
﹁まあそんなわけで、できればお互い平和的に話し合いで解決した
いんだけどさ﹂
悄然と肩を落とすコラードギルド長の前に、再度国璽の入った小
箱を差し出した。 ﹁貴女方の言う﹃平和﹄って言葉は、相手を恐怖と暴力とで押さえ
つけた状態を指すんですか? 海賊同士や民族紛争の手打ちでもも
うちょっと平和的だと思うんですけどねぇ﹂
﹁その辺りは見解の相違だねぇ。まあ﹃人生を簡単にするものは暴
力以外にある筈がない。﹄って言うし、手っ取り早いのは確かだけ
どね﹂
そんなボクの言葉を聞いてるんだか聞いていないんだか知らない
けど、コラードギルド長は深い深ーいため息をついて、目の前に差
し出された小箱を受け取った。
◆◇◆◇
インペリアル・クリムゾンとアミティア王国との戦争はわずか半
日で終了した。
同日、王都カルディアで反乱が勃発、王族、貴族の主だった者が
372
処刑され、事実上アミティア王国は崩壊するも、戦勝国であるイン
ペリアル・クリムゾンの後押しを受けた自由都市アーラと、これに
素早く賛同した国内冒険者ギルド及び商業ギルドが反乱の鎮圧に奔
走。
3日後には国内に平和を取り戻した。
程なく空位の国王に元自由都市アーラの冒険者ギルド長、コラー
ド・ジョクラトル・アドルナートが暫定国王として就任。国名をア
ミティア共和国と改める。
これは将来的に国王制を改め共和国制にするための布石と説明さ
れる︵コラード国王自身は、近しい者に﹁インペリアル・クリムゾ
ン国主に対する意趣返し﹂と説明していたとも言われる︶。
同月、インペリアル・クリムゾンとの相互不可侵条約を締結する
も、条約の内容から半ばインペリアル・クリムゾンの間接統治によ
る植民地化と見る向きが多数であった。
とは言え混乱は1月余りで収束し、大陸西部域の台所として、他
国に対する影響も最小限に抑えられたことから、コラード国王に対
する評価も高く、ひとまずは平和が訪れたのだった。
とはいえこの年は﹃インペリアル・クリムゾン﹄の名が大陸の歴
史書に初めて記された記念すべき年となったのだった。
◆◇◆◇
373
イーオン聖王国聖都ファクシミレ。
街自体が神殿である都市の中心部に、﹃蒼き神の塔﹄と呼ばれる
材質不明の天を突くほど巨大な塔があった。
高位聖職者はおろか大教皇でさえ許可がなければ入れないその塔
の最上階。
開いた窓から入ってきた、カラスほどの大きさで極彩色の羽を持
つ鳥が、﹁アホー、アホー﹂と鳴きながら止まり木に止まった。
その声に顔を上げた人物︱︱聖教の人間がこの場にいれば目を疑
ったろう、青い髪に青銅色の鱗状の肌を持った異形の男︱︱が、豪
奢な椅子から立ち上がると鳥の傍まで歩いて行った。
﹁戻ったか。どれ、なにを見てきたか教えてもらうぞ﹂
言いつつ鳥に手を伸ばし、一瞬でその首をひねって殺し、大きく
開いた口で丸呑みした。
その姿勢のまま、しばらくじっと目を閉じていたが、やがてその
口から押し殺した笑い声が漏れ始めた。
﹁⋮⋮くくくくくくっ、﹃インペリアル・クリムゾン﹄って聞いた
からまさかと思ったが、本当に緋雪ちゃんじゃないか。まさかいま
さらこっちで会えるとはなぁ﹂
それからギラリと欲望に輝く視線を、頭上に向けた。
﹁本当に楽しみだぜ、その花を手折るその時が。その時は念入りに
愛でてやるぜ。くくくくくっ⋮⋮﹂
374
男の笑い声が誰もいない最上階の部屋の中をこだました。
375
第十四話 真紅帝国︵後書き︶
アンジェリカちゃんの復活を望む声も多かったのですけど
当初から兄妹どちらかが犠牲になる予定でしたので涙を呑んで・・・
という形になりました。
ご期待されていた方申し訳ありません︵´・ω・`︶
376
幕間 龍狩会議︵前書き︶
EHOゲーム時代のお話です。
会話だけですけどw
377
幕間 龍狩会議
ナーガ・ラージャ
○某月某日、﹃エターナル・ホライゾン・オンライン﹄のTOPギ
ルドのギルドマスターが集まって、イベントボスである﹃黄金龍﹄
攻略についての話し合いが行なわれました。これはその時の会話ロ
グです。
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
ω・`︶チラッ ギルマス会議と聞いて、俺参上。
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
あ、むらさん、こんばんわーっ!
☆コンバンワ♪
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
しまさん︵*・ェ・*︶ノ
゜▽゜︶/しまやん、寒くなってきたからユ●クロのヒー●
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
︵
テック買って。
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
ユ●クロは敵ですしおすし。
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
しまさんこんばんわーっす。
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
378
パーティ
オープン
すみません、むらさんPT送るので、チャットはOPじゃなくこ
っちでお願いします。
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
おkです。
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
これで大体の面子は集まったかな?
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
もう2∼3人来る予定なんですけどね。
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
ようじょだ! ようじょ分が足りん!!
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
養女?︵?︳?︶
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
妖女?︵゜︳。︶?
あこがれるゥ。
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
ょぅι゛ょですね、わかります。
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
さすがしまさんわかってる! そこにシビれる
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
通報しますたm9っ`・ω・´︶
379
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
⋮⋮結局、なにが言いたいんだ? わけがわからないよ!
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
緋雪ちゃんのこっちゃない?
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
あー⋮⋮。
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
あー⋮⋮。
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
そのとーり! 緋雪たんが来ないならこんなところにいられるか、
さっさとダンジョン狩りにでも行ってるぜ!
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
それが兄貴を見た最後の姿でした⋮⋮。
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
︵−∧−;︶ナムナム
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
いや、緋雪さんも一応来る予定なんですけど、バイトがあるので
少し遅れるとか言ってました。
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
じゃあ俺の嫁が来るまで、パンツ脱いで待機してよう。
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
380
風邪ひくから履いてろ!
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
緋雪ちゃんならいま俺の隣で寝てますが、それがなにか?
デュエル
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
なにぃ! しまさん決闘だ! 申請送るから表に出ろ!
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
受けて立ちましょう、緋雪ちゃんの貞操を賭けて。
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
・・・この馬鹿二人がサーバ最強のTOP3ランカーなんだぜ、
ウソみたいだろう。
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
ちょっ、ちょっと待ってください。本当に出て行かないで! 会
議はこれからなんですから!
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
てゆーか、嫁とか貞操とか⋮⋮緋雪ちゃん中身は男子って、公言
してるよね︵`−д−;︶ゞ
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
中の人なんていません!
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
むしろご褒美ですが、それがなにか?
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
381
うわっ、駄目だこいつら、早目になんとかしないと!
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
あの、緋雪さん来たらそういうことは言わないでくださいね。本
人、リアでもけっこうそういうことがあるみたいで、気にしてまし
たから。
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
あ∼、そういやデブさんオフ会で直接本人に会ったことあるんだ
っけ。なに、本人そんな美少年なの?!
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
お前も美少年とか聞いていきなり態度が変わったな・・・。
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
これだからオタな女って奴は。
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
イヤ︵*´・д・︶︵・д・`*︶ネー
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
お前らが言うな!
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
お前らが言うな!
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
ナーガ・ラージャ
お前らが言うな!⋮⋮てゆーか、今日の議題は例のイベントボス
﹃黄金龍﹄攻略なんですけどねぇ。
382
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
あ、でぶさん緋雪ちゃんのオフの画像サンキューですた! 俺、
これだけでご飯三杯はいけました!!
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
はあ、どういたしまして。・・・って渡さないほうが良かったな。
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
清々しいほど会話が進まないわ。︱︱って画像あるの?! 見せ
て見せて!
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
お前も大概だなあ・・・。
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
つ□<JPEG
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
お⋮⋮おおおっ、なにこれ可愛い!! イメージ通りじゃない!
こっちのデブが邪魔だけど。
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
⋮⋮いや、これ本当に男か? それとも男の娘ってやつか?
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
本人は男だって言ってましたよ。あとそっちの趣味はないそうで
すから、ももさん。それと亜茶さんわかってて言ってますよね?
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
しかし肝心な部分を確認してない以上、その証言には不備がある
383
と言わざるを得ない。
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
いやいや! いきなり初対面で相手の性別確認するのにパンツ脱
がせる馬鹿がどこにいますか!?
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
でぶさん、次のオフ会の時は呼んでくれ! 直接、緋雪たんに会
って触って確認するから! 仮にあったとしても無問題! 俺はど
っちでもいけるぜ!!
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
うわっ、馬鹿がここにいた! つーか、兄貴って本当に兄貴だっ
たんだー・・・。
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
じゃあ前は兄貴に任せるので、後ろはわたしが担当しましょう。
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
お前ら、なんの攻略の話をしてる・・・? てか、ここになにし
に集まったか覚えてるか?
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
緋雪たんの攻略だろう?
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
緋雪ちゃんの攻略以外になにがあると?
ナーガ・ラージャ
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
いや、いちおう﹃黄金龍﹄攻略だったと思うんだけどさ、集会を
384
主催したデブさんの顔を立てないと。
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
⋮⋮いや、なんかもういいです。このメンツでまともな話し合い
をしようとしたのが、そもそもの間違いだったんですね。
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
あきらめたらそこで試合終了だよ?
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
あきらめました。
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
つーか、俺はまだ戦ってないんだけど、そんな凄いのか?
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
すごく・・・立派です・・・
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
ヒットポイント
昨日は上級プレーヤー500人がかりでしたけど、出現制限時間
の2時間でHP2割も削れませんでしたね。
サーバ
兄丸︻ギルド:兄貴と愉快な仲間たち︼
あれはひどい戦いだった⋮⋮。
亜茶子︻ギルド:午後のお茶会︼
どっちかというと人数が多すぎて鯖が処理仕切れなくて、処理落
ちで気が付いたら死んでる・・・って感じだったね。
デーブータ︻ギルド:メタボリック騎士団︼
385
<︶
ですねえ。無駄に人数を増やすよりも、カンスト組だけで人数を
絞って戦ったほうが良いかと思いますね。
ももんがい︻ギルド:ムー民倶楽部︼
なるほど。それでこの集会か。
緋雪︻ギルド:三毛猫の足音︼
こんばんわ! すみません、遅れました︵>
・∀・︶
︵´・ω・`︶︻ギルド:街のファッションセンター︼
あ、ぽこたんインしたお!︵
386
幕間 龍狩会議︵後書き︶
ちなみに緋雪はバイトで1日のゲーム時間が制限されているためラ
ンキングは100位以内にも入っていません。
個人で戦った場合でも対人戦に優れた真の廃人には1、2歩劣るっ
てところですね。
それと作中に登場したギルドやプレーヤーは実在のものとはまった
く関係がございません。あと、ギルド名とかプレーヤー名はアルフ
ァベッド小文字が使われる割合も高いのですが、読みづらいので今
回はあえて外しました。
387
第一話 邂逅奇縁︵前書き︶
新章開始となります。
388
第一話 邂逅奇縁
アミティア共和国の首都アーラ。
もとは自由都市として名をはせていた街だが、アミティアが王国
から共和国へ名を改めたのにあわせて、交通の便にいささか不便が
あった旧王都カルディアから遷都を行い首都となった。
通常、遷都となれば数年がかりの作業となるが、飾らない人柄で
あったコラード国王の意思により、王宮の建設などは行わず、都市
議会棟をそのまま流用する形で政治機能の移転を主目的としたため、
通常ではあり得ない短期間での遷都が可能となった。
ただし、いざ国王が拠点とする新首都へ凱旋︵もともとアーラ市
の出身ということで都市民としてはその意識が高かった︶した際に、
予定していなかった王宮︱︱赤いトンガリ屋根のお伽噺の王様が住
むようなお城︱︱を目にして唖然とした。
これは宗主国であるインペリアル・クリムゾン国主︵国によって
は﹃魔女帝﹄とか﹃魔皇﹄などと呼ぶ向きもあったが、その容姿か
ら一般的には﹃姫様﹄で通っていた︶の肝煎りで、密かに建造され
ていたものであり、資材、人材、費用など全てインペリアル・クリ
ムゾンが負担し、正式に下賜されたものであったことから、受け取
ったコラード国王はその場でがっくりと両手をついて、﹁意趣返し
仕返しされた⋮⋮﹂と呟いたとも言われている。
結果、半年余りで街の規模、人口ともにアミティア最大の街へと
変貌したのだった。
389
とはいえ民衆にとっては国王が替わろうが、国の名前が変わろう
が、魔物の国の傘下に収まろうが、明日の小麦の値段が変わらない
ほうがよほど重要事項であり、そうした面から言えば現体制に不満
はなく、人々は日々の平穏な生活に追われ日常を過ごしていた。
多少、以前に比べ変わったところといえば、貴族という身分が無
くなったことだが、もともと自分たちの生活に直接関わるものでも
なく、関わるとすれば徴税の時くらいで、現在は代わりに国の官僚
である徴税官がその仕事を賄っているため、特に変化を感じること
もなく、逆に地方ごとにバラバラだった徴税率が均一化されたため、
貴族の圧制に苦しんでいた地方にとっては朗報以外の何ものでもな
かった。
また、目に見えた変化としては、宗主国であるインペリアル・ク
リムゾンの要望により、人間社会に順応した魔物に人権を認めるよ
うになったため、街のそこかしこで値段交渉をするゴブリンや、オ
ークなどどいった以前では考えられない光景も見られるようになっ
たことがあるが、当初危惧された魔族の特権階級化ということもな
く、彼らに対しても通常の市民同様、納税の義務や犯罪を犯した際
の罰則を周知徹底したことにより、以前の貴族社会に比べよほど公
正かつ、平等、平和な社会が成り立ったのであった。
◆◇◆◇
首都の大通りに面した公園の席のひとつに腰掛けながら、街行く
390
人々の流れを見ていたジョーイは、ずいぶんとこの街も変わったな
ぁ、と漠然と思った。
目に見える範囲でも、通行人に獣人やエルフなど、西部地域では
亜人と呼ばれる人種が増えて︵地域によっては魔族扱いされる︶、
ダンジョン
サイクロプス
そればかりか以前は魔物として討伐することしか考えなかった大森
林のゴブリンや、古代迷宮のオーク、白龍山脈の一つ目巨人が我が
物顔で街中を闊歩している。
身近なところでも、ギルド長だったコラードさんがどーいうわけ
か国王陛下になったり。
﹁どーいうわけなんでしょうかね? 私が訊きたいですね、あはは
はは・・・﹂
ギルド長の引継ぎのために久々に逢ったコラードさんは、なぜか
うつろな目でそんなことを言っていた。
新ギルド長になったガルテ先生︱︱ギルドの訓練所ではずいぶん
としぼられた︱︱も苦笑いしていた。
﹁ところで、ジョーイ。お前さんをここに呼んだのには2つ理由が
あってな。ひとつはこれだ︱︱﹂
ガルテ新ギルド長の合図で、傍に控えていたミーアさん︵今度受
付から正式にギルド長の秘書になった︶が、見慣れた金属片︱︱ギ
ルド証を持ってきて、ガルテ新ギルド長に手渡した。
﹁ちょっと早いかとも思ったんだがな、うちの大将が国王陛下にな
った⋮まあご祝儀ってところだ。︱︱Dランク昇進。これでやっと
卵の殻が取れたな﹂
391
渡されたギルド証を見て目を丸くしているジョーイの胸を、ガル
テ新ギルド長がどんと叩き、その痛みにじわじわと実感がわいてき
たところで、ミーアさんが満面の笑みを浮かべて拍手してくれた。
﹁おめでとう、ジョーイ君。これで晴れて一人前ね﹂
その言葉に思わずガッツポーズをしたところで、コラードさんさ
んが、こほんと咳払いをした。
﹁おめでとうございます、ジョーイ君。私も離任するにあたり懸案
が一つなくなり安心しました﹂
その言葉に神妙に頷く。
﹁︱︱ところで、Dランクということで、もう一つの用件ですが、
例の約束を覚えていますか?﹂
﹃約束﹄︱︱その刹那、忘れた事などない少女の美貌が鮮やかに甦
った。
﹁も、もちろんです! 俺、あいつを案内するって・・・!﹂
意気込んで言った台詞に、なぜか眼鏡のつるを押さえて、コラー
ドさんがため息をついた。
﹁⋮⋮まあ、それについては、駄目もとというか、陛下に世間話の
ついででお話したんですが﹂
再度、大きくため息をつく。
﹁﹃あ、行く行く! ちょうど退屈だったし﹄って、我が国との協
議や他国との交渉が山積みになってるこの時期に、どこにそんなヒ
392
マがあるんでしょうね、あの方は⋮⋮﹂
﹁はあ・・・﹂
適当に頷く。そういや、ヒユキの奴って国王になったコラードさ
んより偉いとか聞いてるし、きっと大変なんだろうなー、などとの
ん気に考えるジョーイ。
じゃあそうなると、街の案内とか簡単にできねえのかなー、と続
けて思っていたところへ、ジョーイの前に一葉の封筒が差し出され
た。
﹁こちらに落ち合う場所と日時が書いてあるそうです。︱︱字は読
めますね?﹂
﹁あ、はい、訓練所で習いましたから、だいたいは・・・﹂
これって、つまりあいつに会えるのか! ジョーイの顔が一瞬で
輝いた。
﹁よろしい。では、せいぜい騒ぎを起こさないよう、しっかりあの
方の手綱を握っていてください。︱︱名目上はあくまで﹃一般人の
お嬢さんが観光するのを、ギルドの冒険者が護衛と案内をする﹄と
いう形ですから。国としても余計な手出しはしない方針です﹂
真剣な顔で釘を刺され、ジョーイはあいまいな顔で頷いた。
﹁︱︱でも、いいんですか?﹂
とはいえ本能的になんかヤバイんじゃないかな?と思ったので確
認したところ、またでっかいため息をつかれた。
﹁いいわけはないんですけどねー。下手に騒ぐと藪をつつく形にな
393
りますし、ならこちらとしても﹃なにも知らなかった﹄という姿勢
を貫くほうがマシというものです。なのでお願いしますよ、ジョー
イ君﹂
﹁はあ﹂
ジョーイの頼りない返事に、ああ、こいつ意味わかってねーな、
と全員が悟った。
﹁まあお前は余計なこと考えないで、しっかりエスコートしてこい
!﹂
不安を振り払う意味で、ガルテ新ギルド長がその肩を強く叩いた。
で、手紙に書いてあった時間と場所で待っているんだけど、あの
目立つ女の子の姿は見えない。
なんか間違えたかな?
ライトレザーアーマー
そう思ってズボンの後ろポケット︱︱護衛の役目もあるので、今
日は愛用の軽革鎧を着て剣を下げているため、使えるポケットがこ
れぐらいしかない︱︱から手紙を取り出し、しかめっ面で中身を確
認する。
﹁・・・間違いねーよな。なにやってんだあいつ﹂
そう独りごちたところへ、懐かしい涼やかな声が掛けられた。
﹁︱︱やあ、ごめんごめん。すまないね、遅れて﹂
遅いぞ!と言いかけて、一瞬相手が人違いかと思い、もう一度顔
394
を見て間違いないのを確認して、ジョーイは軽く息を飲み込んだ。
コットンの白いサマードレスに、薄い水色のリボンを巻いた白い
帽子をかぶり、そこに一輪だけ赤い薔薇の花を差した緋雪が、笑顔
を浮かべていた。
てっきりいつもの派手なドレスで来るものと思っていたジョーイ
は意表を突かれ、それにも増して新鮮かつ無防備なその格好に、胸
が高鳴るのを覚えた。
﹁お、お前、その・・・いつものドレスじゃないんだな﹂
﹁さすがにあの格好は目立つからねぇ、あと﹃いつもの﹄って言っ
たけど、君と会った初日はAラインのドレスで、2日目はプリンセ
スラインで全然別だったんだけど、ひょっとして区別がついてなか
ったの?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
どちらも同じものだと思っていたジョーイは言葉に詰まった。
﹁まあいいけどさ。そんなわけで変装してみたんだけど、似合わな
いかな?﹂
そういって、片手で帽子を押さえながら、その場で一回転する緋
雪。
ふわりと短いスカートがひるがえり、細くて真っ白い脚が目に焼
きついて、ジョーイは慌てて赤くなった顔をそらせ、
﹁いや、似合ってると思うぞ。それに、俺も最初誰だかわかんなか
ったし﹂
早口に思ったことを口に出した。
395
﹁そうかい。なら変装は成功かな﹂
嬉しそうに微笑む緋雪。
とは言えその容姿は、黙って立っていても周囲の注目を浴びるに
は十分過ぎるもので、さすがにそうした周りの反応に気が付いたジ
ョーイは、これ以上ここにいると騒ぎになると判断して、大急ぎで
椅子から立ち上がり、有無を言わせず緋雪の小さくて華奢な手を取
った。
﹁それじゃあ、そろそろ行ってみようぜ。どこか行きたいところと
かあるか?﹂
﹁いや、そのあたりは任せるけどさ。⋮⋮なんで手を握ってるわけ
? ︱︱しかも恋人繋ぎで﹂
最後の方は小声だったので耳に入らなかったらしい、ジョーイは
怪訝そうに聞き返してきた。
﹁ん? ミーアさんから街を案内する時は、こうするもんだって教
わったんだけど、なんか違うのか?﹂
あいている方の手で額の辺りを押さえる緋雪。
﹁あの人はまた⋮⋮ってゆーか、あれから8ヶ月も経っているのに、
ミーアさんとは仲良くなってないの?﹂
﹁いや、そんなことはないぞ。一緒に飯食ったり、俺が依頼を受け
て外に出る時とかお弁当作ってくれたり、親切だよなミーアさん!﹂
一点の曇りもないさわやかな表情で言い切るジョーイを、様々な
感情が入り混じり過ぎてなんとも言いがたい笑顔になった緋雪が見
396
つめ直す。
おくて
﹁ミーアさんが晩生過ぎるのか、こっちが鈍すぎるのか⋮⋮どっち
もどっちな気がするねぇ﹂
﹁なんかよくわかんねーけど、行き先はどこでもいいんだな?﹂
﹁任せるよ。君が行きたいと思うところで﹂
投げやりなリクエストに、ジョーイは少し考えて答えた。
﹁んじゃ、俺の行きつけの武器屋にしよう﹂
﹁・・・相変わらず脊髄反射で生きてるね、君﹂
まあこの世界の武器とか興味あるけどさ。普通、女の子を連れて
真っ先に行く場所かなぁ・・・? と、内心大いに疑問に思う緋雪
なのであった。
◆◇◆◇
1時間後︱︱
新品の剣を腰に下げ、ジョーイはホクホク顔で緋雪と二人、通り
を歩いていた︵もちろんまだ手は繋いだままである︶。
﹁本当にいいのか、こんな良い剣買ってもらって?﹂
あいてる方の手で剣の柄を触りながら、何度目かになる確認をす
397
るジョーイ。
﹁構わないさ。昇進のご祝儀代わりとでも思ってくれれば。それに
別に魔剣ってわけじゃない、普通の剣だし・・・だいたい前の剣を
下取りに出したんだから、全部が全部、私が払ったわけじゃないよ﹂
軽く肩をすくめる緋雪に、そっか、でも悪いな、と言いつつもジ
ョーイは嬉しげである。
﹁でも、武器屋のオヤジも﹃お嬢ちゃん良い目してるね。こいつを
打った鍛冶屋はまだ若いけど腕はぴか一だ﹄っていってたし、やっ
ぱお前って凄いんだな!﹂
﹁まあそれが同じ値段の剣の中で唯一+1で、耐久度も高かったか
らね。よく銘を覚えておいて、次に買い換える時も、その作者の剣
を買うのをお勧めするよ﹂
ふ∼∼ん、と頷いたジョーイだが、ふと視線を感じて首をひねっ
た。
﹁・・・なあ、あの獣人、お前の知り合いか?﹂
﹁︱︱?﹂
つられて視線の先を見た緋雪の瞳が、
﹁!?!﹂
これ以上ないというほど大きく見開かれた。
﹁⋮⋮そんな⋮⋮馬鹿な⋮⋮﹂
これまで聞いたこともないほど激しく動揺して、震える緋雪の声
と握られた手とに、ジョーイは驚いてその相手を凝視した。
年齢は20歳前後だろうか、にやにや笑いを絶やさない黒髪で、
398
前髪だけが金髪のメッシュが入った狼系と思われる獣人の若者。
服装は特に目立たない麻の上下で、目立つ特徴といえば両手足に
手甲、足甲を付けている事位か。
その男が、まさに獲物を前にした狼のような顔で、緋雪の顔をみ
ながら、ゆっくりと近づいて来た。
﹁よう、久しぶりだな、緋雪たん﹂
その挨拶に緋雪の口からかすれた声が漏れた。
アニマル
﹁︱︱ッ! あ、兄丸さん、貴方もここへ⋮⋮?﹂
じゅうおうむじん
ギルド﹃兄貴と愉快な仲間たち﹄のギルマスにして、緋雪同様の
爵位保持者︻獣王無刃︼たるその男は、その問いには答えず、楽し
げに笑みを深めるのだった。
399
第一話 邂逅奇縁︵後書き︶
ジョーイ君は動かしやすいんですよね∼。
アンチも多いのですけど。
400
第二話 剣拳相克︵前書き︶
今回はほぼ対人戦闘メーンです。
戦闘シーンは難しいですね︵;´Д`A
401
第二話 剣拳相克
その男のことしか目に入っていないのだろう。
無意識のうちにジョーイの手を放した緋雪は、ふらふらと男の方
へ近づいて行った。
﹁他の皆さんもいらっしゃるんですか⋮⋮?﹂
いままで握っていた手のぬくもり。その喪失の痛みに軽く胸を痛
めるジョーイの視線の先で、狼人らしい青年の笑いが一段と深くな
った。
︱︱いや違うっ、これは獲物をいたぶるチンピラか魔物の目だ!
﹁やばいっ、ヒユキ、そいつから離れろ!﹂
咄嗟に剣を抜いての警告に、緋雪はまったく意味が理解できない
という顔で、きょとんとジョーイを振り返った。
﹁いやー、緋雪たんとは積もる話もあるんだけどさ。その前に︱︱﹂
あにまる
男︱︱兄丸のつり上がった口元から鋭い牙が覗いた。
﹁︱︱一発やろうぜ!﹂
ブロウ
刹那、踏み込みと同時に下から、空気を切り裂き、突き上げるよ
うな一撃︱︱拳士系スキル﹃爆砕拳﹄︱︱が緋雪の胸元で炸裂した
︱︱が。
402
その直前、ジョーイの警告もあって、半ば反射的にバックステッ
プで回避できた緋雪の目前で、拳が空を切り、衝撃波が近くの民家
の屋根を吹き飛ばした。
一瞬の静寂。
続いて通りのあちこちから悲鳴があがり、通行人たちは我先にと
その場から逃げ出した。
﹁惜しい惜しいっ。ノーブラじゃなかったのか﹂
周囲の混乱や喧騒もどこ吹く風で、間一髪避けたとはいえ、余波
で裂けたサマードレスの左胸から剥き出しになった緋雪のチューブ
ブラを見て、兄丸は残念そうに舌打ちをした。
そんな兄丸を前に、驚愕と困惑もあらわに次の行動を決めかねる
緋雪。
﹁じゃあ次はブラといってみよーか!﹂
そう舌なめずりしながら一歩踏み出そうとした兄丸の背中へ向け
て、﹁でやああ!﹂ジョーイが斬りかかった。
﹁・・・なんだ、このガキ?﹂
ノックバック
振り向きざま、右拳でその渾身の一撃を受け止め、さらに押し返
す︱︱拳士系スキル﹃発勁﹄︱︱それだけで、ジョーイの新品の剣
が砕けて、拳圧に押されてその体がゴム毬のように跳び、無人にな
っていた露天の一つを巻き込みながら、地面に叩きつけられた。
﹁ジョーイ!?﹂
403
ンベントリ
ジル・ド・レエ
イ
この暴挙に及ぶに至り、眼前の兄丸が敵だと認識した緋雪は、収
サマードレス
納スペースから愛剣﹃薔薇の罪人﹄を呼び出した。
兄丸
ほとんど丸腰に近いいまの格好では心細いことこの上ないが、こ
の男が相手では、他の装備を呼び出す時間も隙も与えてくれないだ
ろう。
ジョーイが稼いでくれた、この一瞬の時間を無駄にできない。
咄嗟にそう判断した緋雪は、自分から先に動いた。
ダッシュからの前傾姿勢から、すくい上げるような一撃が兄丸の
バニシング
胴を狙った。だが、届かない。かわされたのだ。そのまま下がる兄
丸。下がりながらの拳の弾幕︱︱拳士系スキル﹃連打拳﹄︱︱が、
追撃を阻む。
十分距離をとったところで、今度は逆に兄丸が踏み込んでくる。
狙いは、宣言通り薄布一枚でガードされた左胸。右拳が一直線に衝
撃波を伴って迫ってくるのを、相手の左側面に身をかわしながら、
カウンター気味に迎撃する。
その剣先が止まった。
兄丸の左手の手甲がこれを阻んだのだ。
一瞬の均衡状態だが、じっとしていれば今度は蹴りが襲ってくる。
密着しての接近戦は相手の独壇場で、自分にとっては圧倒的に不
利。
そう判断した緋雪は離れ、同時に兄丸も離れた。
ふと気が付くと、胸元にむず痒いような痛みがあった。ちらりと
視線を落とすと、ブラの側面に3条の切れ目が走り、浅く皮膚が切
404
られて血がにじんでいた。
拳はかわせたが、切っ先までは読み切れなかった結果だ。
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁やるねえ緋雪たん。ハッピーマウンテンの頂上が拝めるかと思っ
たのに、ギリかわすとはたいしたもんだ。﹃E・H・O﹄では一度
も対人戦には参加しなかったけど、でてたらTOP20には入れて
たんじゃないかな?﹂
言いつつ、見せ付けるように右手の爪先、緋雪の血がついたそれ
を、長い舌で舐め取る。
ヒール
﹁常時、TOP3に君臨していた方に言われても、嬉しくもなんと
もないですね﹂
左手でその部分を治癒しながら、ぶ然と応酬する緋雪。
ジル・ド
少なくともいまの一瞬の交差でわかったことは、目の前の男が﹃
・レエ
E・H・O﹄のプレーヤーでなければ使えない技を使い、﹃薔薇の
罪人﹄の一撃を受けてもものともしない装備︱︱兄丸の専用装備だ
った手甲﹃干将﹄と足甲﹃莫耶﹄︱︱と同等のものを持っていると
いうこと。つまり、幻影やドッペルゲンガー︵知り合いの姿に化け
るそういうモンスターがいる︶でないのは確かだということだ。
緋雪の言葉に、兄丸は若干苦笑めいた表情を浮かべた。
﹁TOP3か・・・ナンバーワンでないところが残念というか﹂
その瞬間、同時に動いた。
アタック・ディフェンス
剣聖技﹃七天降刃﹄。分裂した七連突きを兄丸がかわし、両手で
ジル・ド・レエ
弾き、それでも足りない分は拳士系スキル﹃金剛剄﹄で防御する。
だが、防御しきれない。﹃薔薇の罪人﹄の攻撃力がそれを上回った
のだ。
405
兄丸がのけ反るようにして宙返りする︱︱と同時に、不吉な予感
を覚えて、緋雪は体をひねった。その一瞬前まで自分の顎があった
位置を、爪先が駆け抜けていく。
空中にありながら物理法則を無視して兄丸の縦の回転がさらに速
くなり、そこから手足が飛び出してきて、その余波だけで通りの石
畳や露天を粉々に砕いた。
拳聖技﹃阿修羅降龍拳﹄。
これに対して緋雪は横の回転で迎え撃つ。
剣聖技﹃天覇凰臨剣﹄。
生まれた竜巻が斬撃となり、周囲の瓦礫も巻き込んで空中の兄丸
を飲み込まんとする。
お互いの回転が拮抗するが、空中にいた分、姿勢が不安定だった
スラッシュ
兄丸の体が一瞬、コントロールを失う。
それを見逃すことなく緋雪の﹃刺突﹄が、兄丸の体を両断せんと
迫る。
バースト・アタック
だが、兄丸の目はその攻撃をとらえていた。
﹁でやっ!!!﹂
気合の叫びと共に︱︱拳士系スキル﹃爆裂掌﹄︱︱その両掌がこ
れを迎撃する。
圧縮した大気が爆発を呼び、周囲の瓦礫や粉塵をさらに巻き込ん
で視界を奪う。
︱︱はずした!
或いはかわされたのか、剣が空を切った感触に緋雪は内心ほぞを
406
噛みながらも、大至急その場から退避した。
もうもうと吹き荒れる砂塵の中、素早く兄丸の気配を探して左右
に視線を走らせるが、気配を捕らえられない⋮⋮。
ふと、緋雪は以前にも似たようなことがあったのを思い出した。
アシル王子。闇の中。四方から迫る気配。咄嗟に上に逃げて︱︱
﹃上?!﹄
ドミノのように、連鎖的につながった思考が最適の答えを導き出
し、緋雪ははっとして上を見上げた。
いた! 爆発の勢いを利用してさらに上に跳んでいた。そしてい
ま、その跳躍の頂点に到達しよとしていた兄丸と視線が合った。
煤と自身の血で汚れた顔に凄惨な笑みを浮かべ、兄丸が空中から
重力落下分の勢いをつけ、弾丸のように迫り来る。
HPの半分を犠牲にする代わり回避不能の攻撃を加える拳聖技﹃
気功剛影弾﹄。
﹁でやああああああああああっ!!﹂
兄丸の雄叫びが空気をビリビリと震わす。
ここで決める。そう決意して緋雪も跳んだ。
全てのMPを消費して敵に大ダメージを与える剣聖技﹃絶唱鳴翼
刃﹄。
﹁はああああ︱︱︱︱っ!!﹂
迎え撃っての気合。
あちらの攻撃が届くのが先か、こちらの攻撃が相手の残りHPを
削り切るのが先か。
とはいえお互いのHPの残量及び技の特性上、こちらがかなり有
407
利なのは確か!
そう自分に言い聞かせて、防御を捨てた緋雪の剣と、兄丸の拳と
が交差した︱︱一瞬、兄丸の拳が開手へと変化した。
そんな?! スキル発動後にキャンセルするなんて不可能︱︱!
!︱︱まさか、あの叫びも含めて、ブラフ!?
ジル・ド・レエ
愕然と目を見開く緋雪の前で、﹃薔薇の罪人﹄の剣先が、兄丸の
両掌で止められた。
拳聖技﹃白刃取り﹄。
これは完全にプレーヤーの技量によるもので、成功率はけして高
くはないが、TOPプレーヤーともなれば、繰り出される技とタイ
ミングがわかれば、かなりの高確率でできるのも確かである。
緋雪の技の余波で手がズタズタに裂けるのを無視して、兄丸はに
やりと笑った。
﹁︱︱まっ、このあたりが対人戦に慣れてる者と慣れてない者の差
だな﹂
ほぼ同時に繰り出された回し蹴りが、空中で定まっていない緋雪
の体を捕らえた。
緋雪の小さな体が爆発したように吹っ飛んだ。
ジル・ド・レエ
石畳の通りを滑り、何かに引っ掛かって跳ね、ゆっくりと転がっ
た。
その手から﹃薔薇の罪人﹄が離れ、地面に突き刺さった。
﹁⋮⋮くぅ⋮⋮﹂
帽子はとっくにどこかに飛んでいき、薄汚れボロボロになり、ろ
408
くに下着を隠す役割を果たせていないサマードレス姿の緋雪が、辛
スタン・ブロウ
うじて意識を繋ぎとめ、ふらふらと立ち上がりかけた。
みぞおち
﹁よっ、と﹂
その鳩尾へ、兄丸の拳士系スキル﹃寸勁﹄が打ち込まれ、一瞬に
して意識が刈り取られた。
﹁おっとと・・・!﹂
崩れ落ちる華奢な体を、左手一本で支えた兄丸は、意識のない緋
ブラ
雪の顔を覗き込んで、それから全身を舐めるように眺めた後、右手
を下着の下に差し込んでその感触を確認した後、ぺろりと舌なめず
りをした。
﹁ハラスメント規制とかはないみたいだな。なら、この場でつまみ
食いしてもいいんだけど、まあマグロは面白くないからなぁ、持っ
て帰ってじっくり美味しく食べることにするわ﹂
一名様お持ち帰りでーす、と鼻歌を歌いながらその場を後にしよ
うとしたところで、背後から瓦礫の地面を踏む足音がした。
﹁⋮⋮待てよ。ヒユキのこと置いていけよ﹂
﹁︱︱ん?﹂
ガキ
見ると先ほど殺したと思ったジョーイが、満身創痍で肩で息をし
ジル・ド・レエ
ながらも、熱い闘志を燃やした瞳で兄丸に対峙していた。その手に
は緋雪の愛剣﹃薔薇の罪人﹄が握られている。
﹁なんだガキ、まだ生きてたのか? 殺したと思ったんだが、意外
とさっきの剣の防御力が高かったか・・・﹂
409
﹁うるせえ! ごちゃごちゃ言ってないでヒユキを放せよ!﹂
激高するジョーイとは反対に、白けた顔で見返す兄丸。
﹁あのなぁ、ガキ。その剣はLv99装備だぞ、お前みたいなガキ
が握ってもただの棒と変わらんねーんだ。だいたいお前程度の腕で
どうにかなると思ってんのか?﹂
爆撃でも受けたかのような周囲の惨状を顎で指しても、ジョーイ
の決意には一瞬の迷いもなかった。
﹁だからどうした! 女いたぶって喜んでるような卑怯者に負ける
かよ!!﹂
そう雄叫びをあげなら兄丸に向かって、全力で斬りかかるジョー
イ。
﹁ば∼∼か﹂
ゴミを見る目で一言呟き、あいている右拳で無造作にカウンター
の一撃を加える兄丸。
ジョーイの剣と兄丸の拳とが交差し、拳で肉を叩く鈍い音がこだ
ました。
次の瞬間、猛烈な勢いで弾き飛ばされた兄丸の体が、石畳が破壊
され剥き出しになった地面に溝を作って転がった。
﹁なっ︱︱なんだとォ?!﹂
410
第二話 剣拳相克︵後書き︶
ということで、次回は激しい怒りで覚醒したスーパージョーイ君の
無双・・・はい、ウソです。
今回、緋雪ちゃんのピンチに間に合わなかった面々が、どーしてい
たかとかの説明になるかと思われます。
411
第三話 獅子咆哮︵前書き︶
今回は緋雪ちゃん台詞なしです。
412
第三話 獅子咆哮
ライトレザーアーマー
痛みが全身を支配していた。全身に裂傷ができて、ボロボロにな
った軽革鎧の下で濡れた感触が広がっている。
視界の端に炎とは違う赤が見えていた。だが、それがどうした︱
︱!
あの男がさっきまで自分の隣で笑っていた女の子を打ちのめして、
下種な笑みを浮かべて連れて行こうとしている。
許せるわけないだろうっ!!
自分を見下した目で、ごちゃごちゃ言ってるあいつを倒してヒユ
キを取り戻す!
それだけを考えて振り下ろした剣よりも先に、あいつの拳が目前
に迫る。
ざくろ
周りの惨状を見るまでもない、この一撃を受けたら自分の首から
上なんて石榴みたいに弾けるだろう。
だけど絶対に目は閉じない、最後の瞬間まで、たとえこの命が尽
きてもあいつに一太刀浴びせてやる!
人ジル・ド・レエ
だが、ジョーイの決意も虚しく、手にした緋雪の剣﹃薔薇の罪﹄
が空を切った。
︱︱だめだったか。ごめんよヒユキ。
413
覚悟を決めながらも、決然と瞳を開くジョーイの視界の中で、刹
那、あいつの体がボロキレみたいに宙を舞った。
剣を振り下ろした姿勢のまま唖然とするジョーイ。
いつの間にか自分の前に、壁のような男の背中が立っているのに
気が付いた。
⋮⋮誰だ?
かすむ目を必死に瞬いて、その背中の主を見る。
その男︱︱というより老人と言うべきだろう︱︱濃紺のローブを
羽織った、身長2mを越える白髪、白髭の厳しい顔をした、獅子と
しか表現し得ない獣人は、剣呑な光をたたえた視線で兄丸を見据え
たまま、いつの間に取り返したのか、緋雪の小さな体をそっとジョ
ーイに渡した。
ジル・ド・レエ
慌てて、﹃薔薇の罪人﹄を放して、両手で緋雪を受け止めるジョ
ーイ。
﹁・・・意地を通し、剣を捨て、女を取ったか少年。︱︱男だな﹂
老人の厳しい顔に、初めて好意的な笑みが浮かんだ。
あにまる
﹁誰だ、手前?! ふざけた真似してくれるじゃねえか!﹂
瓦礫を跳ね飛ばしながら起き上がった兄丸が、怒りに燃えた形相
で牙を剥き出しにした。
再び表情を変え、冷然とその顔を見返す老人。
﹁︱︱こちらは人間の屑というところか﹂
414
﹁・・・んだと、手前。誰に向かって言ってるのかわかってるのか
?﹂
﹁知りたくもないし知る必要もないな﹂
その一瞬で距離をつめた老人の拳が兄丸の顔面に飛ぶ。
﹁はん、こんな遅い攻撃︱︱がああああっ!?!﹂
余裕を持ってかわした兄丸のかわしたその位置に、まるで映画の
コマ落としのように、カクンと一瞬にして移動した老人の拳が炸裂
する。
顔面を捉えられ、地面にバウンドした兄丸だが、あり余る体力と
バニシング
耐久力にものをいわせて、その場から立ち上がり老人から距離を置
いた。
﹁死ねや!﹂
ダッシュしての拳の連打﹃連打拳﹄が老人の全身に振るわれるが、
視界に納めていたはずの老人の姿がふっと消えて、
﹁なに!?﹂
目標を見失った拳が虚しく振るわれる。その瞬間、いつの間にそ
こへ移動していたのか、死角になる側面に移動していた老人の足が、
兄丸の軸足を払い、無防備になったそのこめかみへ渾身の肘が打ち
込まれた。
轟音とともに、半ば地面にめり込む形で叩きつけられる兄丸。
﹁ガ・・・ハ・・・!﹂
なんとか立ち上がったが、脳震盪で足がぐらつく。
﹁馬鹿な、俺の方が数値的にも圧倒的な筈・・・それが、こんなジ
ジイに﹂
415
追い討ちをかけることなく、老人は淡々と言葉を繋いだ。
﹁フム⋮先ほどの戦いも見ていたが、お主、力は強いが、強さには
程遠いな﹂
﹁なんだと⋮⋮!?﹂
﹁お主の戦い方は圧倒的な力で相手を押し潰すやり方だ。いままで
それが通用してきたのは、恐らく自分に都合の良い状況で戦ってき
たか、常に弱者をいたぶってきたかのどちらかだろう。より強い相
手と命がけで戦った経験がないため、自分より強者と対峙した時に
どう戦えばいいのかわからず、ゆえに戦い方に創意工夫がない。違
うか?﹂
磁力すら感じるその視線に、わずかに気圧されるものを感じなが
ら、兄丸は口の中に溜まった血と唾を地面に吐いた。
﹁︱︱手前がその強者だって言うのか? 何者だ?﹂
﹁さて、名は捨てた。ただ人は儂を﹃獣王﹄と呼ぶな﹂
その名乗りに、緋雪を抱えたまま状況を見ていたジョーイの喉が、
ヒッと軽く鳴った。
︱︱獣王って、世界に5人しかいないSSランクの?!
兄丸の眉がぴんと跳ねた。
﹁ああン?! 獣王だぁ? そりゃ俺のこったぜ!﹂
﹁違うな、貴様如きチンピラが王を僭称するなど片腹痛いわ﹂
416
ようやく体調が戻ってきたらしい、兄丸が改めて構えをとった。
﹁だったら手前をぶち殺して、どっちが本物か教えてやるぜ!﹂
◆◇◆◇
首都アーラ近郊の大草原を、猛烈な勢いで土煙をあげながら疾走
する一団があった。
﹁どういうことだ?! 姫と連絡がつかぬとは!?﹂
てんがい
邪魔するものは人間だろうと魔物だろうと神だろうと蹂躙する勢
いかるが
ヨグ=ソトース
いで、先頭を走る龍人形態となった天涯が、苛立ちもあらわに傍ら
を併走する白髪の青年、斑鳩︵正確にはその本体の分身︶に問いか
けた。
﹁不明です。周囲を固めていた見張りの者どもが、ほぼ無抵抗で倒
されております﹂
﹁無抵抗だと?! 馬鹿な、今回送り込んだのは確かに戦闘よりも
諜報に優れた者ばかりだが、彼らも我が国の精鋭、この国の人間如
きに無抵抗で倒されるなど⋮⋮﹂
プレーヤー
唸るような天涯の言葉に、斑鳩はしばし考え込み、自身でも半信
半疑という口調で言い添えた。
﹁確かにこの国の人間には不可能でしょう。︱︱ですが超越者の放
つ技ならば、あるいは﹂
417
プレーヤー
﹁超越者だと?! そんなことが︱︱﹂
とは言え可能性として決してゼロではない。それどころか、以前
に遺失硬貨と喪失世紀について緋雪と話し合った際に、そんなこと
も話題に出したはずだ。
︱︱もっと本腰を上げて調べておけば。いや、姫の反対を押し切
ってでも私も現場にいれば!
なぜと後悔しても始まらないが、奥歯を噛み締め思わずにはいら
れなかった。
そもそもこんなまだるっこしく地を駆けるより、さっさと飛んで
行きたいところだが、アミティアとの協定の中で事前連絡なしに、
飛行して主要な街の近辺に降りることが制限されている以上、無理
を通せば姫の顔に泥を塗ることになる。
じりじりと焼けるような憔悴を押し殺して、天涯は駆ける足に力
を込めた。
どちらにせよこのペースなら、1分もしないでアーラに到着する
だろう、その後は︱︱
﹁急げ、諸君! 姫の身の安全を確認、確保するのだ! 邪魔する
者は容赦するな! 邪魔になるものは破壊しろ! たとえアーラ全
てを破壊し、皆殺しにしても構わん!!﹂
100%本気の鼓舞に、一団が怒涛の雄叫びをあげる。
と、彼らの進行方向に一人佇むきらびやかな鎧兜をまとい、赤い
裏地のマントをつけた剣士らしい人間が立っているのが見えた。顔
は下向きになっていて見えない。
418
なぜかその姿に懐かしいものを覚えながらも、
﹁邪魔だ! どけぃ!!﹂
天涯が咆哮を放つが、男はピクリともその場から動かなかった。
﹁どけ︱︱っ!!﹂
一団の中から人面のライオンの形態をしたマンティコアが、コウ
モリに似た翼を広げて踊りかかる。
グレートソード
刹那、男の持つ大剣が閃光となり、マンティコアを切り裂いた。
﹁がはあ︱︱?!﹂
全身を切り裂かれ大地に転倒するマンティコア。
辛うじて息はしているが、このまま放置すれば確実に死亡する。
ピクシー
慌てて治癒能力を持った小妖精が飛んでいって、その治療を行っ
た。
マンティコアはかなりの上級モンスターで、なおかつ今回同行し
た個体は3回の転生経験がある、いわば七禍星獣にも準ずる強さを
もった者であったはず。
それをこうまで容易く倒すとは・・・!
思わず立ち止まった一同の間に戦慄が走る。
一方、男のほうも本気で感心した口調で、
グレートソード
﹁ほう。たいしたもんだ、あの攻撃で即死しないとは﹂
大剣を一振りして腰に収め、顔を上げた。
その顔を見て、殺気立っていた一団に冷や水が浴びせかけられた。
と言っても顔色が変わったのは、インペリアル・クリムゾンのあ
419
る程度の上位階級の者ばかりだったが。
その男をもっともよく知る天涯が、大きく目を見開いて確認した。
﹁⋮⋮ラポック様﹂
金髪の20台半ばと思えるその青年は、軽く鼻を鳴らしてそれに
応えた。
﹁そういうこった。どうやら自己進化したらしいが、味方識別コー
ドはまだ生きてるみたいだな﹂
オーガ・プリンセス
﹁なあ、あいつ誰なんだ?﹂
事情を知らない大鬼姫のソフィアが、天涯同様に息を呑んで青年
を凝視している斑鳩の袖を引っ張った。
プレーヤー
それでいくらか我に返ったのだろう、斑鳩は困惑もあらわな顔で
口を開いた。
﹁あの方は姫様同様に天上人であらせられる超越者のラポック様だ﹂
﹁? よくわからんけど、邪魔するみたいなので倒していかないの
か?﹂
﹁それはできん!﹂断固とした口調で首を振る斑鳩。﹁あの方は姫
様の副官、我がインペリアル・クリムゾンの全国民にとって姫に次
ぐお立場の方、刃を向けるなどできようはずがない﹂
﹁そういうこったな﹂
その声が耳に届いていたのだろう、らぽっくが肩をすくめて頷い
た。
420
﹁ラポック様。現在、姫の身にただならぬ事態が迫っている可能性
がございます。そこをどいていただけませんでしょうか?﹂
焦りをにじませる天涯の懇願に、らぽっくは申し訳なさそうに首
を横に振った。
﹁悪いな、俺も緋雪さんには世話になったし、できれば味方したい
んだけどな。お前たちを足止めしろって命令なんだ﹂
﹁︱︱命令とは? あなた様は姫の副官、しかし姫は一度たりとあ
なた様に命令はしたことはなかったはず。誰の命令なのですか?﹂
﹁なかなか鋭いな。・・・そうだな、この世界の神様とでも言って
おくか﹂
どこか自嘲する口調でそう答えるらぽっく。
一方、本国の連中が手出しできないなら自分たちが・・・と身構
えたソフィア以下の面々だが、それに気付いた斑鳩が素早く制止し
た。
﹁よせ、無駄に死ぬだけだ﹂
﹁相手は一人だ。やってみなきゃわかんねぇじゃないか?﹂
てんじょうてんが
どくだんせんこう
﹁やらなくてもわかる。姫に︻天嬢典雅︼という別名があるように、
あの方にも別名がある。︻独壇戦功︼。この俺の本体を唯一たった
一人で倒した男。天上人中最強の男なのだ﹂
その言葉に唖然とする一同。
斑鳩の真の姿と力は前回の戦争で全員が目の当たりにしている。
421
あれを一人で倒すだと!?
﹁︱︱そいつはちょっと楽しめそうだ﹂
まろうど
その時、一人の男がふらりと一団から抜け出て、らぽっくに歩み
寄って行った。
﹁・・・誰だ?﹂
まろうど
怪訝そうに眉をひそめるらぽっくに向かい、その男︱︱稀人が剣
を構えた。
﹁姫様の眷属にして家臣の一人、稀人。まあ新参者だ﹂
﹁ふん、眷属か。緋雪さんの廉価版ごときが、緋雪さんより強い俺
に勝てるつもりか?﹂
言いつつ腰の剣を抜くらぽっく。
﹁まあやってみないとなぁ﹂
気負いのない様子で相対する稀人。
﹁稀人︱︱﹂
ジル・ド・レエ
止めようとするつもりかと、稀人は天涯にちらりと視線を投げか
けた。
﹁ラポック様の剣は姫の﹃薔薇の罪人﹄をも上回る剛剣だ。お前の
オーガ・ストロークでも長時間は保たんぞ。気をつけろ﹂
らぽっくの命に逆らうわけにはいかないが、緋雪の安否を確認し
に行かないわけにはいかない。
それゆえ、現状、出来うる限りギリギリの決断だったのだろう。
苦悩の色がありありと覗える天涯に向け、にやりと笑った稀人は
422
親指を立てた。
423
第三話 獅子咆哮︵後書き︶
獅子の獣王さんは、しぶい大人の男を出したいので登場させました。
基本的にはそれだけです︵ヲイ
味方識別コードは緋雪が﹁らぽっくさん? 殺していいよ☆﹂と言
えば解除できますが、現状では攻撃不能です。本気の天涯相手なら
らぽっくも負けますが、多分この国壊れると思います。
424
第四話 狂花狂爛
﹁すげえ⋮⋮﹂
あにまる
兄丸の暴風のような剛の動きに対して、体さばきとフェイントを
織り交ぜた柔の動きで対応する獣王。
目まぐるしく位置を変え、手足が交差し、再び距離を取る。
スタン・ブロウ ステ
互いに一瞬の停滞もない、氷の上で演舞でも踊っているかのよう
なその動きに、ジョーイが我知らず感嘆の声をあげた。
ータス
と、その声で気が付いたのか、或いは兄丸の放った﹃寸勁﹄の状
態異常が切れたのか、ジョーイにかばわれる形で意識を失っていた
緋雪が、﹁ん⋮⋮っ﹂と小さくうめいて、ゆっくりと瞳を開いた。
﹁ヒユキ! 気が付いたのか!? 痛いところとか、苦しいところ
とかないか?﹂
まだ意識がしっかりしないのか、喜色もあらわに呼びかけるジョ
ーイを、ぼんやりと見つめていた緋雪だが、
﹁︱︱!?﹂
はっとした顔で顔色を変え、次の瞬間、何かの発作のように一度
だけ大きく背を仰け反らせた後、何かに耐えかねるような様子で体
を丸めた。その拍子に長い黒髪が流れ、あらわになった真っ白い背
中が小刻みに震える。
﹁ど、どうしたんだ?! 痛いのか!?﹂
おろおろと心配そうに呼びかけるジョーイの耳が、緋雪の小さく
425
ささや
途切れ途切れで︱︱だが、切迫した焦りと必死さを伴った囁きをと
らえた。
﹁⋮⋮⋮⋮に⋮逃げ⋮⋮押さえられない⋮⋮ジョーイ、すぐに⋮ボ
クから逃げ⋮⋮⋮⋮﹂
髪に隠れ、下を向いていたためジョーイの目には入らなかったが、
ストレージ
緋雪の瞳が爛々と赤みを増し、その口元からは2本の長い牙がぞろ
りと姿を覗かせていた。
最後の気力を振り絞って、収納スペースから1本のポーションを
取り出したところで、緋雪の意識は真紅に染まったのだった。
◆◇◆◇
右手を掴まれた、と思った瞬間天地が逆転して、回転しながら地
面に叩きつけられる。目の奥に火花が飛び散り意識が乱れながらも、
本能的にはっと飛びのいたのと同時に、自分の頭のあった位置が震
脚で踏み抜かれる。
地面をハンマーで殴りつけたかのような衝撃と瓦礫が飛び散り︱
︱その中に紛れて投擲された鉄釘のような暗器が、無防備な兄丸の
左目に突き刺さった。
﹁があああああああああああああっ!!!﹂
426
左目を押さえて絶叫する兄丸の様子を淡々と見据え、
﹁︱︱ほう。丈夫なものだな。脳まで貫通するかと思ったが﹂
獣王はゆっくりと歩みを進めた。
バッシュ
その足元を兄丸の拳士系スキル﹃気斬﹄が襲い掛かるも、悠々と
かわす。
力任せに暗器を引っこ抜いた兄丸は、閉じた左目からだらだらと
血を流し、また残った右目に狂気の相を浮かべ、凄惨な面持ちで獣
王を睨み据えた。
﹁ジジイ!! 殺す殺す殺す! 本当の本気で殺すっ!!﹂
﹁本気とやらがあるなら出し惜しみせず、さっさと使えば良いもの
を﹂
小馬鹿にするような獣王に応えて、口を開きかけた兄丸の隻眼が
丸くなり、ふと︱︱獣王の背中越しに流れた。
すす
一瞬、痛みも怒りも忘れて驚愕の色を浮かべるその目と、背中の
ほうから聞こえる、﹁じゅる︱︱!﹂という粘質な何かを啜る不吉
な音に、獣王は警戒しながらそちらに視線をやった。
緋雪が立っていた。
薄汚れボロボロになった姿でうつむき加減に、しかし自分の足で
しっかりと立っている。
表情は長い黒髪に隠れて見えない。だがその口元には、蒼白を通
り越して紙のように白くなったジョーイの首筋がしっかりと咥えら
れていた。
427
生きているのか死んでいるのか、人形のように四肢を投げ出しピ
クリとも動かないジョーイの様子に、獣王の表情が厳しさを増した。
パーサーク
﹁くそっ、ジジイに時間をかけすぎた。吸血姫の狂化・・・いや、
オーラ
剣士系スキルの狂乱もか。︱︱ちィ、ステータスが読み切れねえ!﹂
全身に赤黒い燐光をまとわり付かせた緋雪の姿を目にし、事態を
理解した兄丸は忌々しげに吐き捨てた。
パーサーク
HPが1割を切った際に発動する剣士系スキルの狂乱︱︱爆発的
にステータスを増加させる代わりに、敵味方の区別が付かなくなり、
自身が死亡するか、一定時間経過するまで止まることない狂戦士と
化す。
吸血姫の狂化︱︱一定期間血液を摂取しないか、自身の生命に関
わる事態に直面した際に発動する種族特性。理性が消え、全能力の
リミッターが外れ、自己防衛本能の塊となり、見境なく周囲の者に
襲いかかる。
ジョブ
﹁両方同時に発動した状態なんざ聞いたこともねえが・・・﹂
レア
そもそも希少種族である吸血鬼︵姫︶の中でも、剣士系職業を習
得している物好きなど、緋雪くらいしかいないだろう。
そして兄丸が記録している限り、緋雪が狂化、狂乱したことはな
かったはずだ︵そこまでHPを削られたことがないか、紙装甲で即
死してるかのどちらかのため︶。
﹁⋮⋮どっちにしろ、止まらねえか﹂
その時、獣王が兄丸を無視して緋雪の方へと走り出した。
428
﹁よさんか!﹂
止めに入る獣王へ向かって、口に咥えたジョーイを顎と首の力だ
けで無造作に放り投げる緋雪。
砲弾のように飛んできた少年の体を、
﹁︱︱ぐっ!﹂
体全体で抱き止めた獣王の巨体が衝撃を殺しきれず、地面に溝を
掘りつつその場から1mほど後退した。
同時に、ドン!!と地面を揺るがすような踏み込みとともに、緋
雪が跳んだ。その部分の土が爆ぜて土柱があがる。
﹁どこへ行った?!﹂
きょろきょろと辺りを見回す兄丸。周囲を見回しても緋雪の姿は
見えない。どこに︱︱その瞬間、猛烈な殺気を感じて頭上を見上げ
る。
︱︱いた!
倒壊しかかった民家の壁面に両手両足の指を食い込ませて、蜘蛛
のように止まっていた。
兄丸が息を呑んだ瞬間、壁面が爆ぜて再度緋雪の姿が消えた。
違う、気が付いた時には兄丸の頭の真上にいた。ズタズタに裂け
たスカートがひるがえる。そこから伸ばされた右足の踵が迫る。
エターナル・ホ
咄嗟に両手を交差させた十字受けで受ける兄丸。信じられない速
ライゾン・オンライン
度だが、それにギリギリとはいえ反応できる兄丸も、さすがは﹃E・
H・O﹄のTOPランカーだけのことはある。
429
緋雪は素足、対する自分はLv99の拳士専用装備を+9まで強
ノックバック
化した手甲﹃干将﹄を装備している。ほぼ絶対に等しいこの盾を貫
けるわけがない。受け止めた瞬間に拳士系スキル﹃発勁﹄で押し返
す!
そう確信した兄丸の思考が次の瞬間猛烈な衝撃とともに途絶え、
気が付いた時には前のめりになる姿勢で、顔面から地面に叩きつけ
られていた。
⋮⋮な⋮⋮なにが?!⋮⋮⋮どういうわけだ⋮⋮?
口の中にある土と泥、そして折れた牙と歯とを吐き出す。
兄丸は隻眼を巡らせ、投げ出された自分の両手を見る。手甲﹃干
将﹄には歪み一つない。ならなぜ自分は倒れているんだ?
起き上がろうとしたところで、両手がピクリとも動かないことに
気が付いた。そこで初めて自分が倒れた理由に気が付いた。両手の
筋肉が残らず破裂して、さらに内側から皮膚を食い破って砕けた骨
が覗いている。
確かに手甲﹃干将﹄は緋雪の攻撃を受け止めた。だが、受け止め
た自分の肉体の方が、その衝撃を受け止められず両腕の骨、筋肉、
関節を砕かれたのだ。
つまり単純に力負けしたということだ。
愕然とする兄丸の脳裏に、先ほど獣王を名乗る老人と交わした会
話が甦った。
﹃お主の戦い方は圧倒的な力で相手を押し潰すやり方だ﹄
﹃より強い相手と命がけで戦った経験がないため、自分より強者と
対峙した時にどう戦えばいいのかわからず、ゆえに戦い方に創意工
夫がない﹄
430
、、、、、、、、
ああ、その通りだ。自分にはその戦い方しかなかった。いや、正
確にはそれしか知らないと言える。そうした生き方を強要された。
その結果がこれだ。だが、仕方ない所詮俺は・・・。
兄丸の髪の毛が無造作に掴まれ、風船のように持ち上げられた。
目の前にあるのは爛々と朱色に輝く緋雪の瞳と、真っ白な牙。
喰いにきたつもりが逆に喰われるのか。まったく皮肉が効いてい
る。
まあいいさ、このクソッタレな生が、アイツ以外の手で終わらせ
られるなら︱︱急速に消えていく意識の底で、兄丸は奇妙な安らぎ
少年
と充足感を覚えながら残った片目を閉じた。
◆◇◆◇
﹁ぬう⋮⋮﹂
受け止めたジョーイは辛うじて生きてはいたが、失われた血が多
すぎる。
ぞっとするほど冷たい体に気功による治療を施しているが、所詮
は焼け石に水。根本的な生命力が不足しているのだ。
かといって手持ちの丸薬や薬草程度では役に立たないだろう。な
にか方法はないか。
藁にもすがる思いで辺りを見回した獣王の目の端に、先ほどまで
あの少女が立っていた辺りに転がる一つのガラスに似た瓶が映った。
431
もしや薬か?
両手でジョーイを抱えたままその場所まで移動し、素早く拾った
瓶の蓋を開け臭いを嗅ぐ。
無臭。
ポーション
瓶にも特になにも書いていない。薄黄色い液体は毒とも薬ともと
れるが、錬金術師が作る霊薬に似ている気がする。
﹁⋮⋮どちらにせよこのままでは確実に死ぬ。ならば一か八か使う
しかないか﹂
覚悟を決めた獣王は、手にした瓶を一息で呷り、意識のないジョ
ーイに口移しで飲ませた。
結果は︱︱劇的な程効果があり、真っ白だったジョーイの肌にた
ちまち赤みが差し、体温、脈拍、呼吸とも通常と変わらないレベル
に快癒し、死相が浮いていた顔も、ただ午睡をしているだけと言わ
れても問題ない穏やかさになった。
男
ほっと安堵のため息をついた獣王の耳に、再度﹁じゅる︱︱!﹂
というおぞましい音が聞こえてきた。
少女
はっと顔を上げてみれば、さきほどまで争そっていた兄丸が完全
に打ち倒され、その喉元に牙を立てた緋雪により、いままさに最後
の血の一滴まで吸い尽くされたところであった。
ぽい、と飲んだジュースの空き缶を捨てるように、完全に息の根
が絶えた兄丸を投げ捨てた緋雪は、微妙に焦点の合っていない瞳で
獣王を見た。
432
︱︱来るか!?
ジョーイをその場に横にして身構えた獣王だが、緋雪の方は先ほ
どまでの狂騒状態がウソのような凪いだ雰囲気で、その場にじっと
していた︱︱が、次の瞬間操り人形の糸が切れたように、意識を失
いくたりとその場に崩れ落ちた。
どうやら戦いは避けられたらしい。そう判断して肩の力を抜いた
獣王。
同時に、おっとり刀で駆けつけてきた警備兵たちの気配を感じて、
やれやれとため息をついた。
◆◇◆◇
イーオン聖王国聖都ファクシミレ。
中心部﹃蒼き神の塔﹄最上階で、報告書を読んでいた青い髪に青
銅色の鱗状の肌を持った男は、パリンッと硬い音をたてて壁際に並
んでいた水晶球のひとつ︱︱中心部に黒と金の斑が入っていたそれ
︱︱が砕けたのを一瞥して、つまらなそうに鼻を鳴らした。
﹁死んだか。昔から口だけで役に立たん男だったが﹂
それから報告書の続きに目を通した。
433
第四話 狂花狂爛︵後書き︶
ということで、今回はついに非常食を使用しました。
緋雪の狂化についてはいただいた感想を元にさせていただきました。
ありがとうございます。
あと初めてのキスシーンが老人と少年というものですが、なんでこ
うなったんでしょうね。
ちなみに使ったのは万能薬︵HPとMPを大幅に戻す︶で、別に口
移ししなくても直接振り掛ければ効果はありました。
もともとは緋雪が自分にかけて狂化を止めようとしたものですけど。
434
幕間 美食礼賛︵前書き︶
前回の後日談的なものです。
435
幕間 美食礼賛
﹁豚肉が欲しいんだけど﹂
がいじん
開店前にいきなりやってきて、不躾なお願いをしたボクの言葉に、
ラーメン﹃豚骨大王﹄の店主こと、オークキングの従魔・凱陣は、
すっと目を細め、全てを悟った表情で重々しく頷いた。
﹁わかりやした姫様﹂
それから隅の方へ控えて、成り行きを見守っていた従業員のハイ・
オークへと顎をしゃくって指示を出した。
﹁おう。暖簾を閉まっておけ、あと休業の看板を出しておけ。︱︱
まだまだお前は半人前だが、店のことは頼んだぞ﹂
﹁⋮⋮へい、親方!﹂
涙ぐんで応える従業員。
﹁︱︱? なんで豚肉貰うのに今生の別れみたいになるのさ?﹂
この時点でかなり嫌な予感がひしひしとしていた。
あっし
﹁それは無論﹂打てば響くような感じで答えが返って来た。﹁豚肉
︱︱つまりオークキングの命が欲しいと仰られたからです﹂
あらかた予想通りの答えに、ボクはカウンターに突っ伏しそうに
なった。
﹁なんでそうなるのさ! じゃあこれが牛肉が欲しいって言ったら
436
どうなってたの?!﹂
しゆう
﹁斜向かいの牛丼屋の主人のミノタウロスか、鍛冶屋の蚩尤をぶち
殺してこいという意味ですな﹂
一転の曇りもない目で答える凱陣。従業員のハイ・オークもうん
うん頷いている。
﹁なら、野菜が欲しいって言えば!?﹂
﹁城の裏の世界樹の森を焼き払って、植物系モンスターと戦争とは、
腕が鳴りますな﹂
凱陣の目が光った。ちなみに世界樹は課金ガチャの景品だったの
をオブジェクトで5∼6本植えていたら、気が付いたら目を瞠るば
かりの巨木の森と化し、植物系モンスターやハイ・エルフの聖地み
たいになっていた。
あと1本だけ植えた﹃伝説の樹﹄というわけのわからん由来の大
木は今頃どーなってるんだろうねぇ。カップルの告白場所になって
たら、地道に腹立つんだけどさ。
つーかその森を焼き払うとか下手したら内戦だよ!? ボクが野
菜が欲しいとか言っただけで、内戦が起きるのかこの国は!!
・・・なので、やけくそで尋ねた。
﹁それじゃあ、羊肉が欲しい場合は?!﹂
凱陣が難しそうな顔で腕組みした。
﹁人間ですかい? ここには居ないので下まで獲りに行く手間がか
かりやすが・・・﹂
﹁なんで羊肉だと人間になるわけ?!﹂
437
﹁おや、ご存知でない? とある国では人間のことを﹃双脚羊﹄、
二本足の羊と言って喰ってたそうで・・・まあ、あっしは普通の動
物の肉の方が好きですなぁ。どうも人間は環境で味にバラつきがあ
るので、好みが分かれやす﹂
この場合、﹁普通に羊の肉はないの?!﹂か、﹁全部同レベルで
語るな!!﹂か、﹁なんで私も知らない知識を持ってるの!?﹂か、
どこでツッコミを入れればいいんだろうねボクは。
﹁んじゃあもう・・・鶏肉を探してる場合はどーなるの!?﹂
﹁表通りの肉屋をご紹介しますが?﹂
﹁なんで鶏肉だと普通に答えるわけ!? てゆーか、お肉屋がある
なら最初から教えてよ!!﹂
思わずここのところいろいろとあったストレスが爆発して、その
場で椅子を振り上げて地団太踏んだ。その途端に、顔色が変わった
凱陣が、
﹁いかん、姫様がまたご乱心だ! 手伝え、押さえるぞ!﹂
従業員に声をかけると同時に、スキル﹃オーク召喚﹄でその場に
オーク兵を1ダースばかり呼び出した。
﹁乱心じゃな︱︱︱︱い!!!﹂
﹁血だ! 血を用意しろ!!﹂
﹁豚の血ならバケツ5杯分ありますが!﹂
﹁なら、そいつで構わん! 俺らが抑えるから、お前はそれを姫様
に頭からかけろ!﹂
438
﹁かけるな∼∼∼っ!! てゆーか臓物も浮いてるよそれ!!﹂
というボクの叫びも虚しく、寄ってたかって取り押さえられたボ
クは︵狭い店の中、単純な腕力で勝てるわけないので︶、そのまま
豚の血と臓物まみれにされたわけなんだけどさ。
・
・
・
・
・
その後、お風呂を借りて着替えたボクは、改めて凱陣に一から説
明をした。
﹁・・・だから普通に料理をしたいだけで、変な意図はないんだけ
ど。ああ、できれば料理する場所も貸してもらえるとありがたいか
な﹂
﹁はあ⋮⋮。姫様が料理ですかい﹂
なんでみんなボクが料理すると言うと、犬が逆上がりすると宣言
したみたいな顔するんだろうね?
普通にリアルでは3食︵バイトがあるときはバイト先のスーパー
の2階にある社員食堂で食べてたけど︶自炊してたし、ゲーム中で
も無意味に料理スキルは上げてカンストしてたんだけどさぁ。
ピクシー
﹁別に姫様が料理されなくても、一声かければドラゴンの姿焼きだ
ろうが、小妖精の踊り食いだろうが、たちまち用意してご覧にいれ
やすが? つーか姫に食われるんなら、全員喜んでまな板の上に乗
りやすが?﹂
この国の住人はあれか、全員昔話に出てくる火の中に飛び込む兎
かい?
439
﹁いや、誰かに用意してもらうんじゃなくて、お見舞いなので自分
で料理したいんだけど﹂
﹁お見舞いですか⋮⋮?﹂
難解な方程式でも聞いた顔で首をかしげる凱陣。まあこの国の住
人には縁遠い概念だろうね。風邪とか絶対引きそうにないし。
取りあえずボクはついさっきあった出来事を話した。
◆◇◆◇
﹁本当にすまなかった。なんと言って謝ればいいのか・・・﹂
何回目になるかわからないボクの謝罪の言葉に、ジョーイは宿の
ベッドに上半身を起こした姿勢で、同じく何回目になるかわからな
い返事を返した。
﹁だから気にするなって、元はといえばあの獣人野郎が悪いんだし、
護衛を受けながらろくに守れなかった俺が一番悪いんだし﹂
実際、そのことではガルテ先生にずいぶんとこっぴどく怒られた、
と言って苦笑いするジョーイ。
﹃﹁守る﹂って言うのは、何も勝てねえ相手に無策で立ち向かうこ
とじゃねえ。俺たちは何でも屋だ、戦う以外のどんな方法でも使っ
440
て、依頼主の身の安全を守ることを考えるべきだったんだ。地の利
を生かして逃げ回るとか、さっさと俺たちに知らせるとかな﹄
そのあと、やっぱりDランクは早すぎたかな、と言われたから降
格させられるんじゃないかとヒヤヒヤしたぜ、つーか、また今回も
依頼が途中でできなくなったなぁ、と気楽に笑う。
しかしなんだね、死にかけたのはこれが2回目だっていうのに、
冒険者を辞めることなくまだ続ける気でいるのはある意味、大器と
言えるかも知れないね。
あにまる
とは言え、
﹁兄丸の件はともかく、その後、私が君にしたことは完全な過失だ
よ。獣王が処置をしてくれなかったら確実に殺しているところだっ
た﹂
ボクは軽く首を振って足元を見た。薔薇のコサージュを散りばめ
たバルーンスカートと床の境目が目に入る。
﹁いや、だってあれも病気みたいなもんなんだろう? だったらお
前が悪いわけじゃないさ﹂
いちおう吸血姫の特性とか説明はしたんだけど、どうやらそうい
う理解をしているらしい。この無邪気さが逆にいたたまれないとい
うか、罪の意識を増加させるというか・・・。
﹁⋮⋮そうなる可能性があったのに適切な処置をできなかったのは、
やはり私の過失だよ。やはり私の気が済まない。︱︱せめて一発殴
ってくれ!﹂
顔を上げて言った途端、ジョーイは目と口をぱかっと開けて、続
いてあたふたと首を横に振った。
441
﹁無理無理無理! できるわけねえだろう。だいたい女を殴るなん
て︱︱﹂
﹁別に女だと思わなくていいよ。気楽な男友達とか、憎い相手︱︱
あの兄丸でも目の前にいると思って、思いっきり殴ってくれれば﹂
﹁どーいう理屈だ?! つーか、絶対むり!﹂
うーむ⋮⋮確かにボクは見た目、まるっきり女の子だからねぇ、
そうは言われても難しいかも知れない。
﹁・・・困ったねえ﹂
﹁困ってるのは俺のほうなんだけど⋮⋮﹂
ジョーイがなにか言ってたような気もするけど、考えに沈んでい
たボクの耳を素通りした。
所在投げに視線をジョーイが泊まっている部屋のそこかしこに向
ける。Fランクの時に泊まっていた場末の安宿とは違って、ここは
中の下程度の宿らしい。部屋の大きさも一回り大きく、机や椅子︵
現在ボクが座っている︶、備え付けの衣装箪笥まで置いてある。
ベッドもそこそこ良いもので、枕元には小さなサイドチェストが
置いてあり、そこにはボクのお見舞いの薔薇の花束が花瓶に入れら
れ飾られてあった︵花瓶は宿の女将さんが貸してくれた上、生けて
くれた︶。
ふと、その隣に食べ残しの食器が置いてあるのを見て、ボクは首
をひねった。
﹁食欲がないのかい? まだ半分くらい残ってるけど﹂
442
﹁ああ︱︱﹂その視線に気が付いて、ジョーイが苦笑した。﹁病人
だからっていって、毎回リゾットを持ってくるもんで、いい加減飽
きちまって⋮⋮ちょっと眩暈がするくらいで、別にどこも悪くない
のにな﹂
﹁眩暈は血が足りないからだよ。体力が戻っても失われた血は戻ら
ないからねぇ﹂
とは言え確かに育ち盛りに毎回これでは飽きがくるのも当然かな。
ふむ、血が足りない︱︱となれば血を増やす食事が必要だね。血
の原料になるのはたんぱく質、となるとお肉だね。あとは乳製品、
チーズとか。それと野菜も血管を丈夫にするし、手っ取り早いエネ
ルギーは穀物や油、お砂糖とかかな。と、なるとアレがいいかな。
食べやすいし。
﹁︱︱なら、お詫びの意味を込めて、明日食べやすい料理を作って
お見舞いに持ってくるよ﹂
ボクの提案に、微妙な表情になるジョーイ。
﹁料理⋮⋮。お前が?﹂
﹁⋮⋮失礼だね。食べて腰を抜かしても知らないよ﹂
◆◇◆◇
﹁はあ、なるほど・・・﹂
443
わかったようなわからないような顔で相槌を打つ凱陣。
﹁で、姫様はなにを作られるおつもりで?﹂
﹁肉、チーズ、野菜、パン、脂ときたら決まってるじゃないか、チ
ーズバーガーだよ!﹂
スカラベ
﹁ハンバーガーですか? それなら表通りに﹃昇天バーガー﹄﹃バ
ーガー・イン・モンスター﹄﹃フン転がしのバーガーショップ﹄と
競合店が軒を連ねてやすが?﹂
どれも不安を覚えるネーミングのお店だね。
﹁⋮⋮いやぁ、こういうのは市販品でなく手作りじゃないとね﹂
お見舞いで今度こそとどめを刺したら目も当てられないからねぇ。
◆◇◆◇
ということで、翌日緋雪が持っていったチーズバーガーを食べて、
その美味しさに感激したジョーイが、
﹁美味っ! なんだこれ!?﹂
宣言通り腰を抜かさんばかりに喜んで食べているのを見て、緋雪
はふふんと胸を張った。
﹁どうだい、なかなかのものだろう?﹂
﹁すげえ美味い! 毎日こんな料理食えたら最高だろうなァ﹂
444
ちらっと意味ありげに見られた緋雪だが、まったく気が付かずに
眉根を寄せて小首を傾げ、
﹁毎日だとカロリーがきついかな? まあたまに食べるくらいなら
問題ないと思うから、後で宿の女将さんにでもレシピを教えておく
よ﹂
そう答えて、密かに少年の心にとどめを刺したのだった。
445
幕間 美食礼賛︵後書き︶
この後、この宿のハンバーガーが話題になって、大陸全土にハンバ
ーガーが伝わったとか。
そういうこともあるかも知れませんけど、たぶんどこかでインスパ
イヤされて別な料理になるんでしょうね。
12/18 脱字修正いたしました。
×適切な処置をできなかたのは↓○適切な処置をできなかったのは
446
第五話 三王三様
あの騒ぎの翌日、アーラ王宮にある王の私室には重い雰囲気が立
ち込めていた。
てんがい
と言っても、深刻な顔で黙り込んでいるのは、コラード国王とボ
クの後ろに立っているタキシード姿の天涯の二人で、同席している
こうちゃ
やたらでっかい獅子の獣人︱︱大陸に5人しかいないSSランクの
まろうど
冒険者資格を持つという︱︱﹃獣王﹄は、しらんぷりして香茶を飲
あにまる
んでるし、壁際に立って様子を窺っている稀人は面白そうに仮面の
下でニヤニヤしてるし、ボクはボクで兄丸の血が不味かったのか、
飲みすぎたのか、胃がもたれてイマイチ本調子になれていないし。
﹁⋮⋮取りあえず、民間人に死者が出なかったのは幸いです﹂
瞼の上から目を揉み解した後︱︱事後処理で徹夜したんだろうね。
目が真っ赤だし︱︱眼鏡を掛け直したコラード国王は、自分に言い
聞かせるように一同を見回して、話をまとめた。
﹁なにが幸いだと! 姫が襲撃されたのだぞ!? 貴様らいったい
︱︱﹂
激高する天涯を右手を上げて宥める。
﹁そこまで。もともとお忍びということで護衛を断ったのは私だし、
無防備に出歩いた責任は私にある。コラード君には罪はないよ。第
一、アレが相手では護衛が何百人いても意味がないさ。民間人に死
者が出なかったのは、確かに不幸中の幸いだね﹂
447
いかるが
まあ、ボクを密かに護衛・監視していた斑鳩の部下が何名か亡く
なったそうだけど、これはウチの国の話だからここでは話題に出さ
ない。
﹁⋮⋮ぐっ。しかし⋮⋮﹂
不満げに唸るけど、自分たちも間に合わなかったという負い目が
あるからだろう︱︱いや、実際再会した時は、責任感から憤死しか
マジックポイント
ヒットポイント
ねない様子で、いきなり手刀で腹を掻っ捌いて自害しかけたからね
マジックポイント
ぇ⋮⋮。ただでさえMPが足りなかった上に、膨大なHPを目の前
で削られたので、手持ちのMPポーションがぶ飲みしながらどうに
か治癒したけど、危うくもう一回狂化するところだったよ︱︱天涯
は悔しげに唇を噛んで下を向いた。
﹁まったくその通りで、現場に獣王老師がいてくださらなかたらど
うなっていたか⋮⋮ぞっとしますね﹂
さらわ
まあその時はボクは誘拐されて、犯されて、好き勝手⋮⋮てとこ
ろか。んでもって、怒り狂った国の全員が、一切ブレーキの利かな
い状態でこの世界全てを破壊してでもボクを探したろうね。︱︱う
ん、確かに二重の意味でぞっとする話だね。
﹁︱︱まあ、儂が居たのは成り行きという奴だ。それに最終的にあ
奴を倒したのは、お嬢さんだからな﹂
カップを口から放して軽く肩をすくめる獣王。
ヒットポイント
﹃お嬢さん﹄呼ばわりに天涯の眉がピクリと跳ねるが、ボクの命の
恩人ということで我慢したようだ。
あにまる
﹁そのあたりも獣王氏のお陰でしょうね。先に兄丸のHPを削⋮い
や、深刻なダメージを与えてくれたおかげで、短時間で決着をつけ
448
られたのですから﹂
実際あの暴走状態はそう長時間は持たないからねえ。兄丸が五体
アクティブ
満足で万全の状態だったら、恐らく戦ってる途中でガス欠になって
たろうね。
ビギナー
ノンアクティブ敵モンスター
実際、初心者時代はずいぶんと苦労したもので、周囲に能動的・
受動的MObが居る限り、暴れまわって、最終的にわずかに残った
HPを削られて自滅が常だったからねぇ。
なので、ああなった瞬間はモニターの前で、おわた!という感じ
で両手を上げるしかなかったよ。
﹁それにしても、我々の前にラポック様がお見えになるのと同時に、
姫の前に兄丸さ⋮いや、兄丸が現れるとは︱︱﹂
﹁まあ偶然じゃないだろうね。そもそもそっちは﹃足止め﹄って言
ってたそうだから、どう考えても手を組んでいたんだろうね。︱︱
てか、そっちこそよく死ななかったねぇ﹂
まろうど
感心した視線を稀人に向けると、はははっと軽い笑い声が返って
きた。
﹁確かにありゃ化物ですね。逃げ回るので精一杯でした﹂
﹁︱︱ほう。お主がそこまで言う相手か﹂
獣王が稀人の仮面をちらりと見た。Sランク冒険者とSSランク
冒険者、どうやらもともと馴染みがあったみたいで、ボクが稀人を
紹介したら、意味ありげに﹁ふふん、マロードか﹂と鼻で笑ってた
からね。
﹁なにしろ普通に振った剣圧だけで、地が割け、木がなぎ倒され、
449
岩が砕けるんですからねえ・・・人間の姿をした災害と戦うような
もんで、姫からいただいたこの剣と鎧がなければ、数合も打ち合わ
ずに真っ二つだったでしょうね。いや、もうちょい続いてたらやば
かったですね。︱︱﹃そろそろ時間だ﹄と言って引いてくれて助か
りました﹂
ぜつ
﹁らぽっくさんとその最強剣﹃絶﹄、アレを相手にまともに戦えた
だけでも賞賛に値するよ﹂
心の底からそう思った。うちの円卓メンバー相手に稽古もしてる
みたいだし、下手をしたらボクじゃもう勝てないかも知れないね。
﹁まあ相手も明らかに時間稼ぎで手を抜いてましたからね、なので
余裕を見せてるうちに速攻で・・・と思ったんですが﹂
ふむ。つまりは攻撃力不足か。オーガ・ストロークじゃそろそろ
力不足かも知れないね。もうちょい上の装備に変えても⋮⋮って、
なにげに周囲に自分より強い相手が、ますます増えていってるよう
な・・・。
まあ余計な心配をしても始まらないだろう。取りあえず、いまは
目前の脅威に対抗しないと。
﹁︱︱なるほどねえ。まあ、確かに相当手を抜いてたのは確かだろ
うね⋮⋮相手が使った剣は一本だけだったの?﹂
﹁そうですが。⋮⋮もしかして本来は二刀流ですか?﹂
嫌そうな顔で口元を歪める稀人に対して、ゲーム時代のらぽっく
さんの戦い方を思い出して、ボクは首を横に振った。
﹁うんにゃ、本気だと九本同時に使う。九刀流だよ﹂
ガクッとつんのめる稀人とコラード国王。獣王の方は、﹁ほう﹂
450
と一言言っただけで特に表情は変えなかった。
﹁九本って、そんなもんどうやって使うんですか?!﹂
唖然とした稀人の当然ともいえる質問。
﹁ん∼∼っ、まあ・・・剣を空中に浮かべて自動で攻撃する魔導具
みたいなのがあってさ。それを改良して、使い手の意思で自由自在
に動かせるようにして、七本バラバラに使うのと同時に両手に二刀
を持って戦うって感じかな﹂
言葉で言うと簡単だけど、こんな真似ができるのはボクの知る限
りらぽっくさんしかいない。
そもそも複数の剣を飛行させて、自動で攻撃するアイテムは背中
装備なんだけど、動きが単調な上にAIの融通が利かず、攻撃して
欲しい相手に攻撃せず、余計な相手に攻撃するとかで非常に使い勝
手が悪かった。
そのため後日、プレーヤーからの要望で手動で動きをコントロー
ルできる胸アイテムのコントロール珠が追加されたんだけど、考え
るまでもなく戦闘中にそんなもん同時並行でコントロールできるわ
けもなく、貴重な胸と背中の2スロットを塞ぐ価値がないと判断さ
れ、多くのプレーヤーからゴミアイテム扱いされたんだけど、唯一
人らぽっくさんだけがこの不可能を可能にしていた。
当時はボットを使ってるとか違法改造だとか、ずいぶんと陰口を
叩かれてたんだけど、ギルドマスターとして断言できる。誓ってイ
ンチキはしていない。仮にインチキだとすれば本人のスペックとい
うことになる。
多くの人が何らかのトリックだと思っていた空前絶後の九刀流。
その秘密は﹃並列思考﹄︱︱分割された作業を同時並行で進められ
451
る才能にあった︵とは言っても両手足の数は限られているので、キ
ーボードを増設しても全部同時には使えないので、メイン装備の﹃
絶﹄以外の何本か︱︱8本それぞれに﹃花・鳥・風・月・夢・幻・
泡・影﹄の名が付けられている︱︱には若干ラグがあるとも言って
たけど︶。
カンスト
なので本気になった、らぽっくさんを相手にするということは同
時に9人のレベル上限プレーヤーを相手にするのと同じことで、少
なくともボクでは絶対に勝てない。まだしも遠距離から強力な攻撃
ジョブ
の出来る手段を持った、魔法使い系のほうが相性はいいだろうね︵
とはいえ職業が、もともと防御力に優れた神竜騎士なので﹃まだし
も﹄だけど︶。
﹁⋮⋮とんでもないですね﹂
感心するのも通り越した、という感じで首を振る稀人。
﹁まあアレは正真正銘の天才だからねぇ。︱︱てゆーか、本当にら
ぽっくさん本人だったの?﹂
振り返っての問いかけに天涯はしっかりと頷き、それから怪訝そ
うにボクを見つめ返した。
﹁間違いございません。︱︱なにかご不明な点などございましたで
しょうか?﹂
どくだんせんこう
﹁不明と言うか、あのらぽっくさんが誰かの命令を聞くとか信じら
れなくてね。なにしろ︻独壇戦功︼だよ? 神様だかなんだか知ら
ないけど、誰かに顎で使われるってのが、どーにも腑に落ちないね﹂
とは言っても別にらぽっくさんの性格が破綻しているとかじゃな
くて、好き嫌いがハッキリしていて嫌なことはキッパリ断る人だっ
たってこと。
452
で、特に嫌いだったのが上から命令するようなタイプだったはず
なんだけどねえ。
﹁直接、私が話をできればそのあたり多少は違ったかも知れないけ
ど、こっちはこっちで兄丸さんに似た相手の対応で手一杯だったし
ねぇ・・・﹂
﹁﹃似た﹄ということは当人ではなかったということでしょうか⋮
⋮?﹂
﹁ん∼∼∼っ、そこらへんが微妙なところでねぇ。確かに回収した
死体も、残されていた手甲と足甲も、鑑定の結果﹃干将﹄﹃莫耶﹄
に間違いはなかったんだけど・・・﹂
だけど、なーんか微妙な違和感があるんだよねぇ。
﹁お互い忙しかったから直接話す機会はあんましなかったけど、あ
そこまで頭のネジが吹っ飛んだ人じゃなかったと思うんだよね∼﹂
まあモニター越しではわからなかったけど、実際の中身は実はこ
うでした・・・ということかも知れないけどさ。
だけど、それともまた若干違うような気がする。
﹁⋮⋮なんてゆーかな、根本的に人間性に厚みがないというか﹂
﹁それは儂も感じたな。子供と話しているような、どうにもチグハ
グな印象を覚えたな﹂
ボクの言葉に獣王も同意した。
﹁だけど、確かに兄丸さんとしか思えなかったし、なのでとりあえ
ずは﹃本人に限りなく近い可能性がある﹄というところかな﹂
まあボクとしても顔見知りの血を飲み干して殺しました、となる
453
とさすがに寝覚めが悪いので、そういう形に持って行きたいという
ところもあるけどね。
﹁⋮⋮そうなりますと、ラポック様も?﹂
﹁そうだね、取りあえずは﹃似た誰か﹄という形で周知してもらえ
るかな?﹂
﹁はっ! 承知いたしました﹂
天涯が一礼したのを確認して、獣王が飲んでいた香茶のカップを
テーブルに戻した。
﹁そちらの話も一段落したようなので、儂の話も聞いてもらえるか
な?﹂
その言葉に、室内の弛緩しかけていた空気が再度張り詰めた。
周囲の視線を受けて、獣王はなんてことないような口調で、続く
言葉を口に出した。
﹁別にそうたいした話ではない。儂の祖国であるクレス王国が現在
のクレス=ケンスルーナ連邦を脱退するので、そちらのお嬢さんの
治めるインペリアル・クリムゾンの傘下に入れてもらえないか、と
いう話なだけだ﹂
﹁なっ︱︱なんですってぇ!?!﹂
コラード国王が絶叫した。
454
第五話 三王三様︵後書き︶
次回、やっと辺境へ旅立ちます。
9/4 誤用がありましたので修正しました。
×平行思考↓○並列思考
9/5 誤字がありましたので修正しました。
×まるほどねえ↓○なるほどねえ
455
第六話 獣之巫女
吹き抜ける風と獣の遠吠えくらいしかしない真夜中の荒野を、真
っ白い日傘を差した少女が歩いていた。
年の頃は十代前半というところだろうか、夜の闇を束ねて絹糸に
したような長い黒髪は、あえかな闇の中にあっても煌き、月光を溶
ガーネット
かし込んだような瑞々しい肌は穢れを知らぬ純白、そして瞳は輝く
柘榴石を象嵌したかのような、まるで芸術品のように美しい少女だ
った。
デコルテ
また、着ている物もその容姿に似合った見事な逸品である。黒を
基調としたノースリーブのドレス︱︱胸まわりが開いたスクエアタ
イプで、スカートはドレープをたっぷり使った豪奢なもの︱︱そこ
に薔薇のコサージュを散りばめ、ヘットドレスや白いストッキング、
黒のパンプスにも薔薇のアクセントが加えられている。
とはいえ社交界にあってすら注目を浴びるだろうその姿は、この
時間、この場所にあっては異様としか言いようがなく、万一その姿
を見た者がいれば、見惚れた後我に返って、すわ亡霊か魔物かと肝
を潰して、祈りの言葉を口に出しながら一目散に逃げ出したことだ
ろう。
それほどあり得ない光景であった。
◆◇◆◇
456
﹁⋮⋮まあ確かに、こんな夜中にこんな場所にいるのは夜盗か魔物
くらいだろうね﹂
ボクは周囲のごつごつした岩場と荒地しかない光景を眺めて、た
め息をついた。
﹁というか獣人族の本拠地っていうくらいだから、もっと草花が生
い茂り、青々とした水をたたえる川やら池やらが点在するのかと思
ってたんだけどねぇ﹂
ペット
うつほ
﹃なんとも鄙びた・・・というより侘しい風情でありますのぅ、姫﹄
胸の奥︱︱﹃従魔合身﹄で一体化している空穂が嘆息した。
クレス王国
﹁そうだね。まあもともと獣人族自体が人間族との競合に敗れて、
落ち延びてきた場所だからねぇ、この国は﹂
﹃栄枯盛衰は世の習いとはいえ、獣の眷属がまこと不甲斐ないこと
よ。これで血族としての気概すら失っておるようなら、いっそ神獣
たる妾の手で滅ぼすのも慈悲というものかも知れませぬなぁ﹄
うつほ
いらだたしげな口調で物騒なことを呟く空穂。
空穂
⋮⋮う∼∼む。今回は獣人族の本拠地ということで、彼らにとっ
て神にも等しい九尾の狐を連れて来たんだけど、判断を誤ったかも
知れないね。
これから会う﹃獣王の後継者﹄とやらが腑抜けた相手だったり、
口だけ番長だったりしたら、下手したら今日が獣人族最後の日にな
るかも・・・。
457
うううっ、いちおう獣王から紹介状を書いてもらってはいるけど、
なんか信管の壊れた爆弾抱えて友軍の陣地に乗り込むような気がし
てきた。
と、ボクの足元の︱︱本来、月明かりに薄い影ができる程度のは
ずが、夜の闇の中にあってさえなお黒々とした闇が凝結したような
︱︱影がざわりと蠢いた。
﹁ん? ああ、着いたみたいだね﹂
テント
人間の目には見えないだろうけど、ボクの目にははっきりと地平
線の手前に作られた柵と堀、十数戸の天幕群とその天井から流れる
炊事の煙まで見える。
あれが獣王に聞いた﹃後継者﹄とやらがいる獅子族の移動集落で
間違いないだろう。
﹁さて、鬼が出るか蛇が出るか・・・﹂
ボクは歩む速度を少し速めた。
◆◇◆◇
テント
多少は揉めるかと思ったけど、獣王の紹介状と名前を出したとこ
ろ、あっさりと一番大きい天幕に案内され、緋色の絨毯が敷いてあ
る一段高い上座に案内された。
458
テント
篝火で赤々と照らされた天幕の中、スカートで隠されて見えない
けど、実はぺたんと行儀悪く割座︵通称・・・女の子座り。ネーミ
ングが引っ掛かるけど、足が痺れなくて楽なんだよ!︶で座ってい
るボクの前には、栗色のショートカットをした13∼14歳くらい
の目の大きい、快活そうな女の子と、60歳くらいの白髪で神経質
そうなおじいさんがひれ伏していた。二人とも頭には獅子の耳が付
いている。
ちなみに着ているものは・・・なんてゆーか、アイヌの民族衣装
っぽい。
カラフルな刺繍とかアップリケを施された、前で打ち合わせる形
式の和服にも似た短衣で、これを細い帯で抑え、下には動きやすい
ズボン、動物の革で作ったらしい靴を履いている。
女の子のほうは白に赤を基調としているのに対して、おじいさん
のほうはもっと目立たない深緑を基調としているけど、基本的に男
女にあまり差違はないみたいだ。
と、女の子のほうが顔を上げた。
ボクを見て一瞬ショーウィンドウのお人形さんを見たような顔を
してから、何事もなかったかのように居住まいを正した。
﹁お初におめもじいたします。わたくしは獅子たるン・ゲルブ族次
期頭首レヴァンの乳兄妹にして、内縁の妻に当たるアスミナと申し
ます﹂
その挨拶に思わずボクは仰け反った。
︱︱なにいっ!? 妻ぁ!! 義兄妹で内縁関係だと∼∼っ!!
! 許せん。そんなエロゲー野郎はもげろっ!
459
取りあえず、まだ会ってない獣王の後継者︱︱レヴァンとか言っ
たっけ?︱︱への好感度が一気にマイナス200くらいまで下がっ
た。この上、恋のライバルが5∼6人とか言い出したら⋮⋮よろし
い、戦争だ!
すると、おじいさんの方も顔を上げ、軽く咳払いをして横目でア
スミナを睨んだ。
﹁︱︱アスミナ様、冗談が過ぎますぞ﹂
しばらく目を泳がせていたアスミナだけど、視線の圧力に屈した
のか、再度ボクに向かって頭を下げた。
﹁・・・失礼しました。獅子たるン・ゲルブ族次期頭首レヴァンの
乳兄妹にして、筆頭巫女たるアスミナと申します。︱︱すみません、
妻の方は将来的な予定です﹂
てへぺろって感じで訂正する。
﹁⋮⋮⋮﹂
なんなんだろうねこの子。本当に巫女かい。ちょっとフリーダム
過ぎるんじゃないの?
﹁失礼いたしました陛下。それがしはン・ゲルブ族の相談役を勤め
させております、ジシスと申します。遠いところをご足労いただき
まして、まことに慶賀の念に絶えませぬ﹂
おじいさん︱︱ジシスさんが再度深々と頭を下げた。
﹁堅苦しい挨拶はいらないよ。それより、紹介状にも書いてあった
と思うんだけど﹃獣王の後継者﹄ってのに会いたいんだけど?﹂
ボクの言葉になぜか困惑した表情で顔を見合わせる二人。
460
﹁実は・・・まことに申し上げにくいのですが、レヴァン様は現在
この集落を離れて、この近くにございます霊山の山中にお一人でお
住まいになっておりまして・・・﹂
ありゃ、無駄足だったか。
そう思ったことが顔にでたのか、それとも巫女の直感かでわかっ
あに
たのか知らないけど、アスミナはやや躊躇いがちに提案してきた。
﹁それでしたら、ちょうどいまから義兄に日課の夜食と明日の朝食
を届けに行くところでしたので、伝言をお伝えいたしますが⋮⋮も
し、お急ぎでしたらご一緒いたしませんか?﹂
﹁フム⋮⋮。それじゃあ待ってるのも暇なので、一緒に行ってもい
いかな?﹂
﹁ええ、喜んでっ。︱︱では、すぐに支度してまいりますので﹂
そう言っていそいそと立ち上がったアスミナの背中に、思わず声
をかけた。
﹁︱︱それにしても、日課ってことは毎日そんな山奥まで届けるの
? 大変だねぇ﹂
﹁そうでもありません﹂
アスミナは振り返って向日葵みたいな屈託のない笑顔を浮かべた。
第一印象では、ちょっと変な子だと思ったけど、これは訂正しな
あに
いといけないね。
義兄思いの良い子だ。
461
と、アスミナはその笑顔のまま付け足した。
﹁第一、なかなか懐かない動物をエサで餌付けするのは常識ですか
ら﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
な、なんかいま、聞こえちゃいけない台詞が聞こえたような気が
する。
⋮⋮空耳だよね。
うん、いまのは聞かなかったことにしよう。
◆◇◆◇
テント
天幕の前でジシスさんと雑談をしながら待っていたところへ、
﹁お待たせしました﹂
程なく植物のツルで編んだらしい、小ぶりの背負い籠を担いだア
スミナが戻ってきた。
てっきり護衛とかも着いてくるのかと思ったんだけど、どうやら
一人で行くみたいなので、ちょっと心配になった。
﹁大丈夫なの、こんな夜道を女の子が一人で?﹂
﹁問題ないですよ慣れてますし、それにン・ゲルブ族にとってはこ
の程度、暗いうちに入りません﹂
そう言って瞬きした瞳が、薄闇の中で金色に光った。
なるほど、夜行性の動物の目が光を集めて増幅するあの仕組みな
462
わけね。なら、ボクほどではないにせよ、夜道も問題なしというこ
とだね。
﹁それに、道案内もいますから︱︱﹂
軽く衣装の胸の辺りの合わせを緩めると、そこから真っ白いオコ
ジョみたいな動物が飛び出してきて、アスミナの足元にまとわり着
いた。
﹃︱︱ほう。霊獣のようですの﹄
空穂がちょっとだけ感心したように呟いた。
﹁わたしのお友達のハリちゃんです。この子は異常があったり、危
険なモノがあればすぐに教えてくれるんですよ。︱︱ハリちゃん、
陛下にご挨拶して﹂
ハリ
促されてボクのほうをひと目見た霊獣は、﹁ぴぴっ!! ︱︱き
ゅう⋮⋮⋮⋮﹂最大限の警戒の叫びを出した後、その場で白目を剥
いて腹ばいになり死んだフリをした。
・・・なにげに失礼な動物だねぇ。
﹁⋮⋮あら? どうしたのかしらハリちゃん、今日は芸達者ね﹂
ハリ
わかっているのかいないのか、そんなお友達の尻尾を掴んでぶら
んぶらんさせるアスミナ。
つついてもくすぐっても断固として死んだフリをする霊獣を胸に
しまい込んだ。
ハリ
﹁なんか今日は調子が変なので、ご挨拶はあとからにさせますね﹂
﹁・・・いや別に挨拶とかはいいけど。大丈夫なの、霊獣がいなく
ても?﹂
463
﹁大丈夫ですよ。途中に危険な魔物はいませんし、通い妻として慣
れた道ですから﹂
良い笑顔で言うんだけど、なにげに不穏当な単語が混じるんだよ
ねぇ。隣でジシスさんがゴホゴホ咳払いしてるし。
﹁それに︱︱﹂アスミナは当然のような顔でボクの方を向いて続け
た。﹁今日は皆さんと一緒ですから﹂
⋮⋮﹁皆さん﹂ね。どうやらなんちゃって巫女とは違うらしい。
密かにボクを護衛している面々︱︱どころか、下手をしたら空穂の
ことも気付いてるかも知れないね。
ペット
こくよう
実際、さすがに自分が狙われた昨今、一人でのこのこ歩くほど能
天気にはなれないので、従魔合身中の空穂の他、影移動で刻耀が足
いずも
元に潜み、さらに頭上には十三魔将軍で斑鳩に匹敵する攻撃力を持
つアザゼルの出雲が待機中で、さらにその遥か上空には空中庭園そ
のものが追尾している。
あにまる
万一、兄丸さんの類いが現れたら、全員でボコボコにするつもり
だったんだけど、いまのところはその兆候はないし。
まあ、あとは噂の獣王が言っていた﹃後継者﹄ってのに会って、
この国に協力するかどうか決めるとしましょう。
﹁さあ、行きましょう!﹂
張り切って前を歩くアスミナに続いて歩きながら、ボクは夜の澄
んだ空気を存分に堪能しつつ独りごちた。
464
﹁ああ。︱︱今日はいい夜だねえ﹂
465
第六話 獣之巫女︵後書き︶
この導入でピンときた方、この後の展開も読めてるでしょうが、そ
うなります︵笑
今回は緋雪ちゃんに勝手に動いてもらいました。
なおご指摘をいただきまして、待機中の十三魔将軍はアザゼルへと
変更いたしました。
ありがとうございます。
9/5 誤字訂正いたしました。
×慶賀の念に絶えませね↓○慶賀の念に絶えませぬ
466
第七話 若獅子王︵前書き︶
なかなか展開が進みません︵≡ε≡;A︶⋮
467
第七話 若獅子王
近くの山、とは言うもののそれは獣人族の脚力があってのことで、
普通の人間の足では2∼3時間かかっただろう。
夜の闇の中、そこを1時間もかからずに走り抜けたアスミナは、
山の麓のところで一度立ち止まり振り返ってボクを見た。
﹁すごいですね、陛下。この距離を休みなしで走って息一つ乱さな
いなんて﹂
﹁まあこの程度ならどうということはないけど。⋮⋮この臭いには
閉口するねぇ。ああ、あと私のことは﹃緋雪﹄で構わないよ﹂
おそらくは火山ガスと硫黄の臭いなのだろう、夜間で特に空気が
クリアなせいで鼻が曲がりそうな周囲の臭いに、ボクは取り出した
ハンカチで鼻と口を覆いながら答えた。
﹁じゃあヒユキ様って呼びますね。わたしのことも気軽にアスミナ
って呼んでください。なんならアスミンでも、アスポンでもいです
!﹂
⋮⋮どーにもハイテンションな巫女さんだねぇ。基本ダウナー系
なボクとしては一緒に居て気疲れするなぁ、このタイプは。
﹁あ、ここから登りになります。砂利道で危ないので歩いて行きま
すけど、すぐに着きますから大丈夫ですよ﹂
指差す方向には禿山しかないんだけど、本当に人が住んでるのか
468
なぁ、相当変わり者なのかも知れないね、その﹃獣王の後継者﹄は。
﹁あと臭いの方は、これは慣れてもらうしかないですね。︱︱あ、
でもここで湧き出すお湯を浴びると肌がツルツルになるので重宝し
てるんですよ﹂
苦笑しながら、そう取り成すように付け加えるアスミナ。
ふむ、天然の火山性温泉が湧出してるってことか。
と、そう言った後で、アスミナがボクの顔︱︱というか、露出し
ている胸の辺りまで、下心満載の視線で、じっと見ているのに気が
付いた。
﹁︱︱な、なにかな⋮⋮?﹂
なんとなく両手で胸の辺りを隠して、2∼3歩下がる。
誰も居ない夜の月明かりの下、肉食獣系少女と二人きり、熱い視
線と舌なめずりする口元⋮⋮あれ、なにげにピンチ?
﹁いや∼っ、ヒユキ様ってお肌が綺麗ですね。なにか秘訣でもある
んですか?﹂
ああ、そっちの下心ね・・・。
﹁いや、秘訣と言うか。基本的にあまり太陽の下を出歩かないよう
にしてるくらいかな﹂
耐性があるとはいえ、やっぱり太陽の下は本調子には及ばないし、
けっこう肌荒れもするんだよね、これが︵なので普段から日傘を使
っている︶。
﹁う∼∼ん、それは難しいですね。うちの部族の場合は、日中どう
469
しても外で働かないといけませんから。他になにかありますか?﹂
﹁・・・あとは植物性の精油をつけるとか。︱︱私の場合はローズ
だけど﹂
﹁ほうほう、それならなんとかなりそうですね。精油ならなんでも
いいですか?﹂
目を輝かせて食いついてくるアスミナ。
あれ? なんかガールズトークになってないかい、これ?
なにしにここに来たんだっけ?
﹁基本的にはなんでもいいけど、匂いに好みがあるからねぇ。あと、
柑橘系のものはつけてすぐ陽に当たると刺激が強いとも言われてる
けど。⋮⋮あの、そろそろ出発しない?﹂
﹁︱︱ああ、そうですね。行きましょう!﹂
ふんふん興味深げに聞いていたアスミナもようやく我に返ったよ
うで、ボクの前に立って山道を登り始めた。
後について歩きながら、ほっとため息をついたところで、再び朗
らかな声が掛かってきた。
﹁︱︱で、精油の他になにかありますか?﹂
ま、まだ続くんかい、この話題!?
なんでこんな話しながら山登りするんだろう、と疑問符いっぱい
浮かべながら、ボクらは延々手作りの基礎化粧品の作り方とか、蜂
蜜パックでの後始末の仕方とかお喋りしながら、この霊山とかいう
禿山をてくてく登っていったのだった・・・。
470
あと、なんでボクにそんな知識があったかについては、半年以上
女やると舞台裏でいろいろ苦労したというか、なんというか⋮⋮ま
あ察してもらうしかないね。
◆◇◆◇
さて、登り始めて40分あまり。
﹁それにしても、その次期族長の︱︱﹂
にい
﹁レヴァン義兄様です、集落の者は﹃若長﹄と呼んでおります。ヒ
ユキ様﹂
﹁そのレヴァン若長はなんだってこんな辺鄙な山奥に一人で住んで
るの?﹂
いもうと
ボクの質問にアスミナも、難しい顔つきで首を捻った。
﹁さあ⋮⋮。1年ほど前に義妹であるわたしにも何も言わず、突然
集落を出てここに篭りきりで、理由を聞いても頑として答えてくれ
あに
ないもので、わたしにもわかりません。集落の者は霊山で修行を行
ってると思っているようですが、あの義兄がそんな殊勝なタマのは
ずないと思います﹂
⋮⋮なにげに辛辣だね。
﹁そーなんだ。でも意外だね、アスミナはずいぶんとレヴァン若長
471
のことを好きみたいだから、もっと高評価なのかと思ってたんだけ
ど﹂
あに
そう言うと、アスミナは恋する少女特有のうっとりとした目で、
あに
その場に妄想上の義兄が居るような感じで話し出した。
﹁勿論、義兄のことは好きです、愛してます。一緒に暮らしていた
あに
時には、ご飯をあーんしましたし、朝起こしに行く時は布団の中に
もぐり込みましたし、義兄の洗濯物はクンクン堪能してから洗いま
した﹂
ああ、レヴァン君、耐えられなくなって出て行ったんだね⋮⋮。
あに
だが、そこでアスミナは冷静な顔に戻って続けた。
﹁ですが、個人の嗜好と客観的に見た義兄の性格は別です。あれは
基本的に戦う以外に何も出来ない駄目人間ですから。︱︱まあ個人
的にはその駄目さも含めて可愛いところなので、夜討ち朝駆けでス
トレスでハゲができるまで可愛がっていたのですが﹂
再びへにゃとだらしない顔になるアスミナ。
︱︱レヴァン君頑張れ、超頑張れ!
ボクはまだ見ぬ獣王の後継者に密かに声援を送った。
あに
あと、この子は本当に義兄のことが好きなんだろうか?!
と、そこで我に返ったのか、アスミナは急にしょんぼりした。
﹁⋮⋮最近はわたしがこうして会いに行っても、迷惑そうな顔をさ
れる始末で︱︱ひょっとして嫌われているんでしょうか?﹂
う∼∼む、判断に迷うところだね。でもまあ、女の子が落ち込ん
472
でたら、まずは慰めないとね。
﹁そんなこともないと思うよ。本当に嫌いなら、毎日届けてもらう
お弁当も食べないと思うし、とっくにどこかに雲隠れしてると思う
君
からね。それが1年も同じところに居るってことは、口では何と言
ってもアスミナの来訪を待ってる証拠じゃないかな? まあ、素直
になれないオトコゴコロと言う奴だよ﹂
﹁なるほど、言われてみれば確かにそうですね﹂
ほっと安堵した顔で、アスミナは頷いた。無茶苦茶打たれ強いな
この子。
﹁それにしても、ヒユキ様はずいぶんと男性心理にお詳しいようで
すね。やはりご自分の経験から・・・?﹂
﹁まーね、男性心理は有無を言わさず長年味わったからねぇ﹂
実感を込めてしみじみ頷くと、アスミナがきゃーきゃーひゅーひ
ゅーと、嬌声を上げ口笛を鳴らして囃し立てた。
⋮⋮いちいち俗っぽい巫女だねホント。
と、そんなきゃぴきゃぴした雰囲気から一転して、不意に立ち止
あに
テリトリー
まったアスミナは片手でボクを制して、もう片方の手の人差し指を
自分の口元に当てた。
﹁︱︱しっ! ここから先は義兄の領域です。お静かにお願いしま
す﹂
テリトリー
いや、騒いでたのはアンタ一人だけなんだけど。あと領域ってな
に?
質問するよりも先に、アスミナは手近な石を拾って、砂利道の先
473
︱︱少し離れた場所に転がっていたY字型の小枝に向かって放り投
げた。
ガシャン!! 盛大な音を立ててトラバサミの罠が口を閉じた。
﹁・・・やはり罠がありましたか。ここから先は慎重に進まないと
危険です﹂
・・・・・・。
﹁⋮⋮なっ⋮なっ⋮な⋮⋮?﹂
なにが起きたの?とか、なんで罠があるの?とか、なんで知って
たの?とか、いろいろ聞きたいけど咄嗟に声が出ず、トラバサミを
指差した姿勢で硬直するボク。
とは言え、なにを言いたいのか、だいたいわかったのだろう。
あに
わたし
一つ頷いたアスミナは説明を添えてくれた。
﹁義兄の用意した罠です。ここから先は義妹が近づけないよう、無
数の罠が仕掛けられているので、決して余計なモノに触ったり、わ
たしが歩いた場所以外は歩かないようにしてください﹂
﹁え?! なにそれ⋮⋮?﹂
ハリ
﹁さっきのヒユキ様がおっしゃられた、素直になれないオトコゴコ
ロと言う奴です﹂
と言いつつ、復活したらしい霊獣を懐から出して、その後を付い
て歩くアスミナ。
474
その後姿を見ながらボクは心の中で断固として思った。
︱︱違う! 断じて違う! これは素直な拒絶の気持ちのあらわ
れだ!!
◆◇◆◇
その後も、落とし穴とか、痩せた潅木の間から飛び出してくる丸
太とか、落ちてくる岩とか、飛び出す竹槍とか⋮⋮数々の罠をくぐ
テント
り抜けて、ボクらはようやくレヴァン若長が一人暮らすという、小
型の天幕の傍までやって来た。
なんでこんな苦労してるんだろうと、苦労の元凶︱︱アスミナ︱
︱の後をついて歩きながら、心の底から後悔してたんだけど、よう
やくゴールが見えたところでほっとした。
テント
が、アスミナはなぜか直接天幕へ向かわずに、ここで脇道へ逸れ
た。
テント
テント
﹁・・・? 天幕へ向かわないの?﹂
あに
﹁この時間、義兄は天幕に居ません﹂
なぜか微妙に鼻息荒く答えるアスミナ。
テント
﹁なぜなら、いまは入浴時間。この下の温泉で入浴しているはずで
す。ちょうど絶好のポイントがあるので、十分堪能してから天幕に
475
向かうことにしましょう!﹂
テント
﹁⋮⋮。いや、別に男の裸とか興味ないので、天幕で待ってるって
わけには︱︱﹂
あに
﹁興味ない!! 義兄に魅力がないとおっしゃるんですか!?﹂
声を押し殺したまま怒鳴るという器用な真似をしながら詰め寄る
アスミナ。瞳孔が完全に開いていた。
﹁・・・スミマセン。興味シンシンデス﹂
あに
﹁この泥棒猫っ! わたしから義兄を奪うつもり!?﹂
思いっきり瞳孔が肉食獣と化していた。
わー、めんどくさー、恋する女めんどくさー。
そう思いながら、なんとか宥めつつ、揃って手掘りの温泉から7
∼8m離れた場所にある、絶好の︵覗き︶ポイントという、高さ1.
5m、縦横3m四方の大岩のところまでやってきた。
⋮⋮結局、覗かないといけないのか。
﹁この上からの眺めが絶景です。⋮⋮ヒユキ様お先にどうぞ﹂
一瞬考え込んで先方を譲ってくれたアスミナ。
とことんどうでもいいと思いつつ、片手を岩にかけてジャンプし
てその上に足を乗せた途端︱︱。
なにか薄い布を踏んだような感触がして、次の瞬間足首のところ
が輪になったロープで完全に絞められ、同時にびょーんと地面に横
倒しになっていた潅木が元に戻る張力を利用して、一瞬で木に逆さ
吊りになってしまった。
476
飛ばされる途中で、﹁やはり、新しい罠が仕掛けられてたわね﹂
というアスミナの呟きが聞こえた気がしたけど、この時は訳がわか
らず、目を白黒させながらボクは必死にスカートを押さえるしかな
かった。
と、その音で気が付いたのだろう、湯煙の中から褐色の肌にアス
ミナよりも濃い茶色い髪をした、15∼16歳くらいの少年が、腰
にタオルを巻いただけの格好で出てきた。
背はそこそこ高いけど、まだ成長途中らしく全体的な線が細い、
ただ体はかなり鍛えているらしく贅肉の一片もない細マッチョ体型
の彼は、ワイルドな面立ちに似合わない、面倒臭そうな顔でボクの
ほうを見た。
﹁また覗きにきたのか。お前いくら乳兄妹だからって言っても、ち
っとは恥じらいを︱︱﹂
その視線がボクと合う。
﹁⋮⋮誰だ、お前?﹂一瞬考えて付け足した。﹁︱︱痴女?﹂
ボクはぶるんぶるん思いっきり頭を振った。
477
第七話 若獅子王︵後書き︶
明日は夜のみの1回の更新となります。
あと中世レベルの文化だと現代の化粧水︵ただの水90∼95%+
グリセリン5∼10%︶すら作れないので︵ゼロからグリセリンの
抽出がクリアできそうにないですね︶手作り化粧品については適当
にぼかして書きました。
478
第八話 獣王後継︵前書き︶
おかげさまで200万PV達成しました!
これからもよろしくお願いします!!
479
第八話 獣王後継
﹁⋮⋮失礼の段、まことに申し訳ありませんでした﹂
テント
地面に直接獣毛が敷いてあるだけの床は、座るとお尻がごつごつ
ン・ゲルブ
痛いので、手頃な木箱を椅子代わりにしたボクに対して、狭い天幕
の入り口近くの下座に正座した獅子族若長のレヴァンが、どことな
くやつれた顔つきで深々と土下座した。
うつほ
こくよう
ちなみに着ているものは、さすがにタオル一枚ではなく︱︱まあ、
それもあの後、怒り狂った空穂と刻耀によって、ボコボコにされる
アスミナ
途中で脱げて、見たくないので顔を背けたけどさ︱︱現在、当然の
ような顔で隣に座ってる、義妹と良く似た民族衣装になっている。
アスミナ
ただし義妹が白と赤を基調としているのに対して、こちらは白と
青で、あとワンポイントで頭に青いバンダナをしているところが違
いといえば違いだろう。
あに
これに併せて、アスミナも一緒に頭を下げた。
﹁ヒユキ様、常識知らずで粗忽な義兄で、本当に申し訳ございませ
ん﹂
ボク
﹃お前が言うなっ!!﹄︱︱と喉元まで出かかった叫びを、大事な
お客様の手前、プルプル震えながらギリギリ押さえたらしいレヴァ
ン。
まあ、気持ちはわかるよ。ボクも危うく同じツッコミ入れるとこ
ろだったからねぇ。
480
﹁うぐぐぐぐ・・・﹂とレヴァンは喉の奥で呻き、歯軋りしつつア
スミナを横目で睨んだ。﹁・・・元はといえば覗きに誘ったお前が
うつほ
こくよう
原因じゃねーか。さっきはマジで死に掛けて、お花畑の向こうで手
招きする、死んだ親父たちが見えたぞ﹂
いずも
いや、死に掛けたというか・・・手加減抜きで空穂と刻耀が殴る
水死体
蹴るしたせいで︵上空の出雲とその他はさすがに止めた︶、100
リザレクション
%死んで温泉に土左衛門みたいにぷっかりと浮いてたのを、ボクが
完全蘇生したんだけどねぇ。
とはいえさすがは﹃獣王の後継者﹄。あの二人相手に瞬殺されず、
あに
アス
20秒近く全裸で頑張ったのはたいしたものだね。そこには感心し
ミナ
たよ。あと義兄がそういう事態になっているのに、原因を作った当
人が鼻の下伸ばして、かぶりつきで覗き続けていたのにも、ある意
味感心したよ。
にい
いもうと
﹁そもそも誰が来るかわからない山道に、はた迷惑にも罠を仕掛け
るレヴァン義兄様が原因でしょう﹂
そこらへんは馬耳東風で、さらりと受け流すアスミナ。
﹁お前が変態行為をしなきゃ、あんな真似もせんわ!﹂
小声で毒づくレヴァン。
あに
あに
義兄の入浴を覗くため、毎日2時間近くかけて山登りする義妹と、
それを阻止するためにいたるところに罠を仕掛ける義兄・・・なん
か、どっちもどっちだねぇ。
﹁︱︱まあその辺りは身内の話だからどーでもいいんだけどさ﹂
というか関わりになりたくない。
481
なので別の角度から︱︱来る前から気になっていた質問をレヴァ
ンに投げかけてみた。
﹁基本的な質問なんだけど、なんで君こんな山奥に暮らしてるの?﹂
いもうと
﹁頭のおかしい義妹から身を守るためですっ﹂
きっぱりとした答えが返ってきた。
⋮⋮いや、それは理解できるんだけどさ。
にい
﹁レヴァン義兄様、ヒユキ様は真面目な質問をされてるのですから、
いつものふざけた冗談ではなく、きちんとお答えしてはいかがです
か?﹂
たしな
嘆かわしい、という顔で窘めるアスミナの態度に、さすがに堪忍
袋の緒が切れたのか、人目もはばからずに怒鳴りつけるレヴァン。
ハリ
﹁冗談ではない! 里に居た時は勝手に俺の食器を処分して夫婦茶
碗にするわ、必ず布団に枕を二組用意するわ、24時間、霊獣で見
張って、道端で他の女と世間話しただけで攻撃法術飛ばしてくるわ
! 俺が居なくなったお陰で、やっとお前がまともに日中修行をす
るようになったと、ジシスも喜んでたぞ!!﹂
いもうと
﹁どれも可愛い義妹の邪気のない戯れじゃない﹂
﹁邪気も下心もありありだろうが!!﹂
なんか会話がまたもやループしてきたねぇ。
﹁・・・いや、私が聞きたいのはそういう個人的な理由ではなく、
この国の現在の情勢に対する君の立場としての問題なんだけど?﹂
482
韜晦してるのか、あえて話題の核心から目を背けようとしている
のかは知らないけれど、ここ︱︱﹃獣王の後継者﹄としての彼のス
タンス︱︱を聞かないことには話にならない。
数日前の獣王との対話を思い出しながら、ボクはずばり直線で訊
いてみた。
◆◇◆◇
﹃クレス=ケンスルーナ連邦の中核をなすクレス王国が連邦を脱退
し、インペリアル・クリムゾンの傘下に収まる﹄
まろうど
てんがい
さらりと爆弾発言をした獣王の言葉に、コラード国王は目を剥き、
稀人は再び面白そうなニヤニヤ笑いを浮かべ、天涯は﹁だからどう
した、世界は姫様のモノだ﹂と言わんばかりの表情で軽く受け止め、
ボクは︱︱首を捻った。
﹁︱︱なんで?﹂
﹁どうしてと言われもな。・・・身も蓋もない言い方をすれば、そ
れしかクレス王国が生き延びる道がないから、と答えるしかないな﹂
なるほど、わからん。
﹁クレス=ケンスルーナ連邦って大陸最大国家なんじゃないの? 483
その中核をなすクレス王国がなんで崖っぷちみたいな言い方をする
わけ?﹂
おじいちゃん、ボケたか?
﹁ところがその大陸最大が張子の虎もいいところでな。実態はクレ
ス王国とケンスルーナ国を中核とした寄せ集め集団に過ぎん﹂
軽く肩をすくめる獣王。
﹁ちなみにクレスは王国を名乗っていますが、明確な国王というも
のは存在しません。幾つもの獣人種族が部族単位で国を構成し、な
にか重要時には主要な部族長が集まり舵取りを行います﹂
コラード国王がすかさず注釈を加えてくれた。
﹁じゃあ﹃獣王﹄ってのは?﹂
﹁単なるお飾りの称号にしか過ぎんな﹂
軽く口元を歪めて笑って答えた獣王本人の言葉を、コラード国王
が全力で否定する。
﹁とんでもありません! ﹃獣王﹄は獣人族最強の戦士に贈られる
称号であり、基本的に強者に従う獣人族にとってはまさに﹃王﹄。
その威光はクレス王国のみならず、獣人族が支配する周辺国にも及
ぶ絶大なものです。仮に獣王老師の音頭の元、クレス王国が連邦を
脱退するとなれば、周辺国の少なくとも10カ国は同調するでしょ
う﹂
その言葉を特に否定もせず、獣王はふと気になった・・・という
風情でボクに訊いてきた。
484
﹁もともと﹃獣王﹄は喪失世紀以前に存在したという、神にも等し
い伝説上の獣人に敬意を表して定めた称号なのだが。︱︱そういえ
ば、あのタワケ者も﹃獣王﹄を名乗っていたようだが、お嬢さんは
あ奴と顔なじみなのだろう? なにか知っているかな?﹂
口調は軽いけど、こちらの反応を逐一確認するような鋭い眼光に、
ボクは軽く肩をすくめて答えた。
﹁さあ? まあ伝説は伝説なんだし、いままで通り伝説上の初代﹃
獣王﹄に敬意を表しておけばいいんじゃないの﹂
しばしボクの言葉を吟味するような感じで、黙ってこちらを見て
いた獣王だけど、ふっ︱︱と雰囲気を和らげて鼻を鳴らした。
﹁・・・違いない。まあ、過去の伝説はそれで良いとして、現在の
クレス=ケンスルーナ連邦なのだが︱︱﹂
ここで一旦、言葉を止めた獣王は再び爆弾発言をした。
﹁近いうちに滅びるな。グラウィオール帝国に敗れて﹂
﹁どっ︱︱どういうことですか?!﹂
息を呑むコラード国王。
﹁どうもこうも言葉通りだな。現在の連邦の頭︱︱主席のバルデム
とか言ったかな。こ奴が帝国に奪われた、かつての連邦領を取り戻
すために逆侵攻を計画している﹂
﹁そっ︱︱そんなことを!?﹂
﹁元々帝国に奪われた国はケンスルーナに属する陣営だったからな。
ここらで一世一代の博打をして、歴史書にでも名前を載せるつもり
か、或いは一代名誉職の主席の座を磐石にして、名実共に連邦の最
485
高権力者に居座るつもりか。・・・まあ、俗人の考えは推し量れん
よ﹂
﹁なっ︱︱なんてことを!!﹂
コラード国王の叫びを効果音替わりに聞き流し、驚愕の声にもい
ろいろバリエーションがあるなぁと思いつつ、ボクは獣王に気にな
った点を確認した。
﹁なんか負けるのが前提みたいだけど、勝てる可能性はないの?﹂
﹁ない﹂
きっぱり断言する獣王。
﹁理由は3つある。
一つが、そもそもこの逆侵攻のシナリオ自体が帝国の誘いなのは
明白でな、バルデムは電撃作戦と称しているようだが、帝国は既に
準備万端整え、手ぐすね引いて待っておるわ。
そして二つ目が、帝国とイーオン聖王国との密約だ。イーオンは
もともと我ら獣人とは不倶戴天の敵、単純に帝国への後方支援に徹
するか、最悪二面作戦で2国と戦うことになる。
最後の三つ目だが、これは簡単、我らクレス王国を始めとする周
辺国がこの戦争に反対して、参加を見合わせるからだ﹂
﹁国の半分が反対してるんだかから、戦争なんてしなきゃいいのに﹂
こう言ったら大きく頷いて同意する獣王。
﹁まったくもってそのとおり。ところが、現在のクレス=ケンスル
ーナ連邦議会では人間の考えた﹃多数決﹄というやり方か? あれ
がまかり通るようになっていてな。もともと人口が少なく、政治に
も無関心なクレス王国関係国の発言力はあってないようなものでな﹂
486
再度、それにフォローを入れるコラード国王。
﹁ちなみにクレス=ケンスルーナ連邦の代表者である主席は、各国
代表者から選抜される一代限りの名誉職なのですが、ここ4代ばか
りはケンスルーナの関係国からしか任命されていません﹂
﹁そういうことだ。人間族のやり方にウンザリして作られた連邦が、
人間のやり方を真似して悦にふけるとは⋮⋮﹂
﹁ふーん、ちなみにクレス王国では、意見が分かれた場合にどうや
って決めるの?﹂
なんとなく興味本位で訊いてみた。
﹁そんなもん、族長同士の話し合いで決めるに決まっておるだろう﹂
﹁話がまとまらなかった場合は?﹂
﹁まとまるまで話をするぞ。たとえ何日、何週間かかっても﹂
ああ、それじゃあ確かに議会制とは馴染まないのも当然だねぇ。
﹁お嬢さんの国では違うのか?﹂
﹁我が国の意思は姫の一存に全て決定されるに決まっている!﹂
天涯が唸るように答えた。あとは殴り合いで決めるね。
﹁ほう。それもわかりやすいのぉ﹂
﹁そんな国の傘下に収まるのに問題はないの? 言っとくけどそれ
って私に絶対の忠誠を誓うことを意味するんだけど? まあ君臨す
れども統治せずで基本不干渉だけどさ﹂
487
できればこれ以上、ボクの重荷を増やして欲しくないんだけどね
ぇ・・・。
これやったら大陸の5分の1くらい支配することになるんでない
? 着々と世界征服が進行してる気がするよ。
﹁かまわんよ﹂
そうしたボクの懸念を無視してあっさり頷く獣王。そう言った後
で、﹁だが︱︱﹂と続けた。
﹁現在の儂は隠居の身なのでな、表立って動くつもりはない﹂
﹁じゃあ誰が音頭を取るわけ?﹂
ここで初めて獣王は、にやりと肉食獣めいた笑みを浮かべて言っ
た。
﹁そんなもの、次代の獣王︱︱儂の後継者に決まっておろう﹂
488
第八話 獣王後継︵後書き︶
兄丸と現代の獣王の関係について、かなり鋭いご意見をいただきま
したけれど、まあこんな関係ですね。
あと族長同士が全員の意見がまとまるまで何日でもぶっ続けで話し
合うやり方は、アイヌのチャランケという会議を参考にしました。
489
幕間 薔薇乃棘︵前書き︶
番外編として書いたものですが、本編に係わり合いが深いので8.
5話というところですね。
今回は獣王対緋雪です。
490
幕間 薔薇乃棘
アミティア共和国の首都アーラ。その後背にそびえる白龍山脈の
麓にある高原で、大小二つの影が踊るように攻防を繰り返していた。
いわお
片や濃紺のローブを着た身長2mを越える巌のような堂々たる肉
体をもった獅子の獣人。雪のように白くなった髪と髭、そして厳し
い顔に刻み込まれた皺の数々が年輪を感じさせるが、衰えという印
象は一切無く、より重厚さを増すアクセントと化していた。
片や薔薇のコサージュをあしらった黒のドレスを着た12∼13
歳の少女。漆黒の髪に緋色の瞳、白い肌はまるで芸術品のような美
しさであり、ただ立っているだけでも華やかな輝きを放って周囲の
視線をひき付けずにはいられないだろう、恐ろしいまでの美貌の少
女であった。
その少女が片手に薔薇の花を装飾とした細身の長剣を持ち、老獅
子へと立ち向かっている。
傍目には無謀な対決としか思えない。身長差で60cm、体重に
至っては3分の1にしか満たない少女が、百戦錬磨と思える獅子と
対峙しているのである。
一瞬にして散らされる︱︱そう誰もが思うところであろう。
だが、その予測に反していまのところほぼ互角︱︱いや、見た目
には少女の方が一方的に押しているようにすら思えた。
491
◆◇◆◇
バフ
あにまる
﹁⋮⋮こっちはほぼフル装備で、補助魔法までかけてるっていうの
に、この有様かい。舐めていたわけじゃないけど、さすがは兄丸さ
んを圧倒しただけのことはあるね﹂
ヒット・アンド・アウェイで、前後左右上下まで使って攻撃を加
ジル・ド・レエ
えているというのに、全身に目があるように躱され、拳の先で両刃
の剣である﹃薔薇の罪人﹄の腹を弾かれベクトルを変えられ、さら
にカウンターで攻撃がくる。
ちょっと隙があると、軸足やら手首やらを掴まれ、一瞬にして投
げ飛ばされる。
一瞬たりと油断できない獣王の戦いっぷり。
この試合を始めてから何回目になるかわからない投げを食らって、
空中で姿勢を制御して地面に足をつけると同時に、踏み込みで距離
を置いたボクは、自分でもうんざりした口調で話しかけた。
こんなことなら気楽に、
﹃そういえば、私は意識がなかったんで見てないんだけど、どうや
って兄丸さんをあそこまで追い詰めたわけ?﹄
﹃どうと言われてもな。普通に戦っただけだぞ。なんなら手合わせ
でもしてみるか、お嬢さん?﹄
﹃あ、いいね。じゃあやってみよう﹄
なんて調子で試合するんじゃなかったよ︵で、なるべく人目のつ
かない、お互いに手加減なしで戦えるここにしたんだけど︶。
492
いしゆみ
﹁それはこっちの台詞だな。まるで四方八方から襲ってくる弩と戦
っておるようだわい。しかもお嬢さんは体重が軽すぎて、儂の投げ
もほとんど威力を殺されてしまう。おまけにほとんど集中を切らさ
ないから隙もない。あのタワケ者なんぞより、よほど手強いわ﹂
やれやれという感じで肩をすくめる獣王。
﹁まあその辺りは相性だろうねぇ。兄丸さんも接近戦メインだった
から噛み合ったんだろうし、あとは経験の差と慢心、未知のスキル
に対応できなかった応用力の足りなさが敗因ってところかな?﹂
いままでの獣王との試合の流れから、ボクなりに兄丸さんが敗れ
た要因を推測してみた。
それに対して獣王は察しの良い生徒の回答を聞いた教師のような
顔で微笑した。
﹁これだけでそこまで理解するとは、たいしたものだ。︱︱どうだ
お嬢さん、この試合が終わったら正式に儂の弟子にならんか? い
や、儂の方から頭を下げてお願いする立場か﹂
﹁ん∼∼っ、正直、私は強くなりたいとか、そーいうのは、あんま
し興味ないんだけど⋮⋮﹂
強さなんて相対的なものだし、いちいち上を見たらきりがないし、
現状この世界で生きていく分には十分過ぎる能力もあるしねぇ。
その内心が顔に出たのか、獣王は出来のよい生徒に満足した顔で
頷いた。
﹁そうだな。強さを遮二無二求めるのは強さを持たない弱者であり、
真の強者はそうした渇望からは無縁なところに存在する。お嬢さん
493
の選択は正しい⋮⋮とはいえ、目の前に荒削りの宝石があるのは、
どうにも我慢ができんところだな﹂
ふむ︱︱まあ確かにらぽっくさんも敵に回ったみたいだし、多少
まろうど
はアレに対抗できるくらいの努力は必要かも知れないね。
しろ
同時に稀人やジョーイ、まだ見ぬ獣王の後継者などといった、今
後まだまだ伸び代のありそうな︵いや、ジョーイはないか?︶面々
の顔が浮かんだ。
﹁んじゃ、クレス王国の件が片付いたら、私の個人的な師匠ではな
くてインペリアル・クリムゾンの武術指南役ってことでどうかな?
何人か他に教えて欲しい相手もいるし﹂
﹁よかろう、その条件で。ああ、クレス王国の件は成功しようが失
敗しようが、すでに儂の手を離れた話だからな。どちらにせよその
役は受けるぞ。せいぜい給料を弾んでもらうか﹂
﹁宮殿だろうが、ハーレムだろうが、金銀財宝だろうが好きなだけ
あげるよ﹂
とし
﹁この年齢でそんなものは邪魔なだけだな。まあ、せいぜい三食美
味い飯と美味い酒があればあれば十分だわい﹂
その言葉に、動物園の檻の中で寝転がってるライオンが連想され
た。
﹁⋮⋮そんなんで牙や爪は錆び付かない?﹂
﹁そんな柔には鍛えておらん﹂
﹁じゃあそのあたり本当かどうか、そろそろ奥の手も含めて見せて
494
もらおうかな・・・﹂
ボクの挑発を受けて立つ、という顔で獰猛な笑みを浮かべた獣王
が、初めて自分から動いた。
跳び込んでの中段突き。
ボク
早いことは早いけど対処できない速さじゃない︱︱というか、吸
血姫の目にはかなりスローモーに見える。
余裕を持って躱したところで︱︱いきなりカクン、とコマ落とし
のように拳の軌道が変わり、退避したその場所に待っていたかのよ
うに伸びた突きが、ボクのわき腹に当たり、
﹁︱︱覇っ!﹂
さらにそこから未知の衝撃が体を突き抜け、一撃でボクの体を数
m吹き飛ばした。
ゴロゴロと草叢を転がり、どうにか立ち上がったけど︱︱ダメー
ジが抜け切らない︱︱足が震える。
ヒットポイント
慌ててステータスウィンドウを見ると、いまだにじりじりとHP
が削られている。ステータス異常はないので、毒とかは使われてい
ないけど・・・そうなるとこれは貫通継続ダメージ?
この状態になる時は、体に矢や弾丸が残っているのが前提なんだ
けど、そうしたものが刺さっている様子はない。
と言うことはさっきの攻撃も含めて、これが獣王の奥の手ってこ
とか。
﹁︱︱どうかな、剄を使った攻撃を受けての感想は?﹂
﹁面白いねぇ。やっぱり積み重ねられた技術ってのは侮れないわ﹂
うん。学ぶだけの価値はありそうだね。
495
﹁他にも応用はいくらでもあるぞ。もう少々後学のため受けてみた
らどうかな﹂
﹁えーっ、痛いのは嫌だねぇ。それに︱︱﹂
﹁うん?﹂
﹁・・・一発受けて、大体の原理と対処方法はわかったよ﹂
ボクの言葉の真贋を判断しかねてか、獣王は軽く目を細めた。
﹁ほう、どうやるのかね?﹂
ソーン・オープン
﹁ん∼∼と、とりあえずは⋮⋮﹃薔薇の棘﹄﹂
アイゼルネ・ユングフラウ
キーワードを唱えると、ボクの左手装備﹃薔薇なる鋼鉄﹄の表面
に巻き付いていた薔薇の蔦が蠢き、離れてボクを中心に大地へと円
状に広がった。
﹁︱︱ふむ﹂
その輪の中に一歩踏み出そうとした獣王の爪先を掠めて、薔薇の
蔦が生き物のように跳ねる。
﹁ああ、それ棘には毒があるから気をつけたほうがいいよ﹂
ボクの警告に渋い顔をする獣王。
﹁まさか距離を置けば問題ないとでも思ったのかね?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
ボクは答えない︱︱いや、いまは答えられないと言うべきだろう。
496
失望したような顔で軽く肩をすくめる︱︱フリをすると同時に、
鉄釘に似た投擲武器を一瞬にして5本バラバラの軌道で投げつける
獣王。
それを素早く跳ね上がった蔦の壁が弾き返す。
だけど、一瞬視界が閉ざされた間隙を縫って、密度が薄くなった
正面から獣王が踊り込んできた。
それを迎え撃とうと、無数の蔦が鞭の嵐と化して襲いかかる。だ
が獣王のフェイントを取り混ぜた動きに対処しきれず、全て空を切
った。
﹁終わりだな﹂
獣王の右拳がボクの鳩尾を貫いた︱︱いや、正確には薄皮一枚を
触った瞬間、
﹁︱︱なに!﹂
獣王は息を呑んだ。自分が打ち抜いたはずのボクの体が、一瞬で
消え、直線状に伸び切った自分の腕の上に立っているのを見て。
同時にその姿勢からボクの爪先が獣王の顎を捉える。
だが、それが届くよりわずかに早く、後退しながらボクを払い落
とした獣王が、﹁しゅっ!﹂という気合と共に、突きを放つ。
素早く躱したボクの移動先へと、再びコマ落としのように動いた
拳が︱︱何もない空間に踊り、﹁!?﹂一瞬の驚愕の隙を突いて、
ほとんど地面に着くほど水平に両足を広げた姿勢で、それを躱した
ボクはそこから両足首のバネのみを使い、下からすくい上げるよう
な一撃でもって獣王の胴体を薙ぐ。
497
ギリギリ胸元のローブを真一文字に裂かれた獣王が、ボクから距
離を置いて、感嘆のため息をついた。
﹁ハッタリかとも思ったが、確かに儂の技に対応しておる。どうや
った?﹂
﹁んー・・・まあけっこう力技なんだけどね﹂
ボクは痛む頭に眉をしかめながら種明かしをした。
﹁﹃並列思考﹄だよ﹂
﹁ほう、お嬢さんのお仲間だったとかいう九刀流の騎士が使うとい
うそれかね?﹂
﹁真似事だけどね。以前にらぽっくさんにコツを教わって練習した
んだけど、私じゃ使うまでに数秒間、準備に時間がかかるのと、使
っても数分がやっとってところなんだよね﹂
なので、あんまし実戦向きじゃないんだけど、今回は使わないと
対処できないのがわかったからねぇ。
﹁︱︱で、さっきの﹃剄を使った攻撃﹄っての。あれって要するに
インパクトの瞬間ではなくて、超密着した間合いからやたら﹃重い﹄
攻撃を打ち込んでくる技だよね?﹂
ばれたか、という顔でにやりと笑う獣王。
﹁なのでわずかにラグがあるから、そのラグを利用して反撃したわ
け。あとあのカクカク動く攻撃は、こっちの動きを先読みして、無
駄を省いた最小限の動きで対応しているみたいだったから、本来の
動きとは別方向に動いてみたんだ﹂
498
そう言うと、今度こそ獣王は破顔した。
﹁わずか一当てでそこまで見抜いたか! たいした才能だ!﹂
﹁いや、どうかなぁ・・・? らぽっくさんみたいな本当の生まれ
つきの天才と違って、私の場合は努力してもこの程度なんだし﹂
単に器用貧乏なだけの気がするんだけどね。
﹁ふん、天才なんぞ面白みも教え甲斐もないわ。⋮⋮それよりもど
うするね、まだ続けるかな?﹂
インベントリ
﹁いや、やめとくよ。これやると頭がパンクしそうになるからねぇ。
続きはクレス王国から戻ってからにするよ﹂
ジル・ド・レエ
ボクは手にした﹃薔薇の罪人﹄その他を、収納スペースにしまい
込んだ。
それからふと気になって、獣王に訊いてみた。
﹁その﹃後継者﹄ってのも、同じくらい強いの?﹂
その質問に、﹁ふむ﹂と厳つい顔の額の辺りの皺を深める獣王。
﹁将来性はあるのだがな。いまの段階では普通に戦っても、お嬢さ
ん相手だと・・・まあ、2分保つかどうか、というところかな﹂
﹁ふ∼∼ん。まあ、判断に迷うようなら手合わせしても良いかもね。
3分保ったら一応認めるとか﹂
冗談で言った言葉に、獣王が重々しく頷いた。
499
﹁うむ。確かにその程度の腑抜けでは、儂も後継者に認めるわけに
はいかんな。存分に痛めつけてくれてかまわん﹂
ありゃ、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすを地で行くんだね
ぇ。
﹁まあ、なるべく平和的にお話し合いで終わればいいんだけどねぇ﹂
とは言え、相手は弱肉強食の獣人族。どう考えても話し合いとか
難しいんだろうなぁ、と思って肩をすくめた。
500
幕間 薔薇乃棘︵後書き︶
ご感想の中で獣王を緋雪の師匠に、というご意見がありました。
いちおう当初からその構想はあったのですけど、作中でも言ってま
すが緋雪の性格があまりガツガツした戦い向きではないので、どち
らかというとその他の戦力の底上げ要員という形になりました︵ジ
ョーイとかジョーイとかジョーイとか︶。
ちなみにこの二人、相性的に緋雪が有利なので、本気の死闘となる
と高確率で緋雪が勝ちます︵緋雪は短期決戦より時間をかけてのマ
ラソン勝負が本領ですので、高齢の獣王がもちません︶。
9/4 誤用がありましたので修正しました。
×平行思考↓○並列思考
501
第九話 霊山夜話︵前書き︶
前回の終わりを見て今回、緋雪VSレヴァンを期待された方、申し
訳ありません。
502
第九話 霊山夜話
この
ぶりょう
﹁クレス王国の現在の状況はわかってると思うけど、なんで﹃獣王
の後継者﹄たる君が、こんな山奥で無聊をかこってるわけ? やる
ことあるんじゃないの?﹂
ボクの言葉にレヴァンはぐっと唇を噛み締めた。
﹁それは、わかってます。⋮⋮ですがオレにはまだ﹃獣王﹄の名は
重過ぎます。だからここで自分を見つめ直していたいんです﹂
﹁?︱︱もうちょい具体的に言ってもらえないかな﹂
あに
﹁えーと、つまりですね・・・﹂義兄に代わってアスミナが口を開
いた。﹁﹃獣王になると責任と義務がついてまわって面倒臭いから、
あに
仕事しないで一人で気軽に遊びまわれるこの場所から動きたくない﹄
と義兄は言っています﹂
・・・それって﹁働きたくないでござる!絶対に働きたくないで
ござる!﹂と言ってるニートの主張じゃね?
ほんにん
まさかそんなことないよね? とレヴァンに視線で問いかけると、
﹁・・・そんなことはないですよ。修行のためです﹂
と答えたんだけど、一瞬、その目が泳いだのをボクの目は見逃さ
なかった︱︱をい!
そーいえば、アスミナが持ってきた夜食と朝食も普通に受け取っ
ていたし、食べて寝て遊べる環境に順応しまくってる感がありあり
503
だし、マジで駄目人間かこの男?!
﹃︱︱姫、このウツケを魂魄すら残さず滅してもよろしゅうござい
うつほ
ますね?﹄
空穂が質問ではなく、確認の口調でそう訊いてきた。
あー、なんかそれでも問題ないような気がしてきたなぁ・・・︵
ちなみに身体の欠損部分が大きいとさすがに蘇生できない︶。
レバー
いいよ、と答えるより一瞬早く、アスミナの肘打ちが神速の早さ
で、レヴァンのわき腹︱︱肝臓の辺りを的確にえぐるように打ち抜
いた。
﹁ぐおおおっ︱︱!!!﹂
あに
この
﹁勿論、義兄は誠心誠意、獣王の大役を務める所存ではあります!
そして近い将来、クレス王国のみならず、獣王を崇める全ての獣
人の先頭に立って、陛下のお役に立つ、そしてわたしを妻に迎えて
薔薇色の将来を約束してくれる︱︱そう常日頃から公言しています
!﹂
悶絶しているレヴァンを尻目にアスミナが一気呵成に言い放った。
﹁⋮⋮妻とか⋮言ってねえ⋮ぞ⋮⋮﹂
にい
そしてなんか呻きながら反論しているレヴァンの首根っこを掴ん
で、無理やり起こして、
﹁それに間違いないですよね! レヴァン義兄様!﹂
力任せに頭を掴んで、腹話術の人形みたいにガクガク首肯させた。
﹁・・・ということで、おわかりいただけましたでしょうか、ヒユ
キ様﹂
504
をとこ
やり遂げた漢のような、やたら良い笑顔のアスミナに向かって、
ボクはうんうん頷くしかなかった。
︱︱妹こわーっ、マジ怖い!!
﹃⋮⋮⋮﹄
さすがの空穂も絶句してる。
てか、いい加減頭を振り過ぎて、良い按配にレヴァンの脳内麻薬
がダダ漏れで、半分魂が抜けかけてるんだけど・・・問題ないんか
な。まあいいか、ツッコミ入れたくないし。
﹁えーと、じゃあ今後はクレス王国の連邦からの独立と、我が国へ
の所属を行うということで問題ないのかな?﹂
レヴァン
来る前はいろいろ懸念してたけど、案外簡単に話し合いで決まり
そうだね。⋮⋮気のせいか肝心の旗頭が蚊帳の外のような気もする
けど。
まあこの勢いなら問題ないだろうね。
あに
﹁わたし⋮じゃなくて、義兄はそれで良いのですが・・・﹂
白目を剥いているレヴァンをさり気なく膝枕しながら︱︱あまり
羨ましくないのはなぜだろう?︱︱そう答えるアスミナだけど、こ
こで若干歯切れが悪くなった。
あに
﹁恥を忍んで申しますと、実はこの義兄がスカポンタンなせいで、
他の部族から不安の声があげっておりまして﹂
スカの部分で思いっきりレヴァンの頭を叩くアスミナ。
﹁︱︱ぐほっ﹂
505
潰れた蛙のような声をあげるレヴァンの顔を見て、まあそーだろ
うね、と納得した。
﹁さすがに現獣王である大伯父様の手前、表立って反対はしており
ませんが・・・﹂
﹁大伯父?﹂
﹁あ、はい。私の祖父の兄に当たります﹂
﹁ほーっ﹂そういう関係か。
あに
﹁その関係で乳兄妹である義兄は、小さい時から才能を見出されて
稽古をつけらていたので、いつしか﹃獣王の後継者﹄などと呼ばれ
るようになったのですけど、中には色眼鏡で見る向きもありまして、
そうした煩わしさから逃れるために、ここに篭っているのかもしれ
ません﹂
おのこ
﹃なんとも不甲斐ない男子よのぉ。獣の眷属であれば戦う気概を見
せねば舐められるであろうに﹄
忌々しげに吐き捨てる空穂。
﹁そこへ振って湧いた、先日の大伯父のクレス=ケンスルーナ連邦
からの脱退と、インペリアル・クリムゾンの属国への加入について
の発言です。急遽族長会議を執り行い話し合いがもたれたのですが
⋮⋮最終的な結論としまして、﹃次代の獣王の判断に任せる﹄とい
うものに決まりました﹂
いもうと
﹁つまり、コレ次第?﹂
ボクは相変わらず義妹の膝の上で意識不明で、時々﹁⋮やめろ、
506
アスミナ、オレのパンツを⋮﹂と微妙に悪夢にうなされているらし
い、レヴァンを指差した。
﹁いえ、コレではなく﹃次代の獣王﹄です﹂
﹁︱︱? 他にも候補者がいるの?﹂
なんとなく頭の中に、本家だの次世代だの正統だの革新的だのと
いった獣王シリーズがずらりと並んだ光景が浮かんだ。
あに
﹁いままではいなかったんですけどねー。義兄に﹃獣王﹄たる資格
があるのかどうか、また他部族にも我こそ最強と自称する者も多い
ので、実際に戦って﹃獣王﹄を決定しようということになりました。
あ、勿論、現獣王たる大伯父も承知しています﹂
聞いてないよ! あんにゃろ、さては面白がって黙ってたな。
﹁︱︱それがいまこんな山の中に隠れてるってことは、自信がない
ので放棄したってことかな?﹂
﹃時間の無駄でありましたな、姫﹄
﹃そうだね﹄
あに
﹁いえいえ、そうではなく。義兄としては、やるまでもなく︱︱大
伯父は別にしても︱︱目に見えた勝負など馬鹿馬鹿しくて興味がも
にい
てないのです! でも実際はやる気十分です! そうですよね、レ
ヴァン義兄様!!﹂
﹃︱︱ウン、他ノ候補者ナンテボコボコニシテヤンヨ!﹄
死人踊りのような具合に背中で支えつつ、だらーんとしたレヴァ
507
ンの両手を取って無理やりポーズをつけ、裏声で声帯模写をするア
スミナ。
どんな反応すりゃいいのかね、この場合。
あに
﹁・・・と、このように義兄も内に秘めた闘志で武者震いしており
ます﹂
いや、それいま無茶な動きをさせたせいでの断末魔の痙攣。
﹁⋮⋮まあいいけどさ、じゃあその﹃獣王決定戦﹄とかには出場し
ヒール
て、優勝する自信はあるわけだね?﹂
ボクはレヴァンに治癒しながらアスミナに訊いてみた。
つーか、文字通りの傀儡だね、コレ。でも、まあこの子がいれば
本人がポンコツでも、なんとかなりそうな気がするねぇ。
﹁はい、大丈夫です!︱︱と言いたいところなのですが・・・﹂
意外なことにアスミナは若干、躊躇いをみせた。
あに
﹁これはわたしの巫女としての直感なのですが、獣人族の守り神で
ある神獣様の加護が義兄から離れているような・・・﹂
﹃まあ、確かにこんなウツケどうなろうと知ったことではないわな﹄
空穂が心底興味のない口調で同意した。
﹁そして、それ以外のなにか世界に渦巻く悪意の渦が伸ばされてい
るような、そんな気がするのです﹂
世界の悪意ねえ。そういえばらぽっくさんらしき男が﹃この世界
の神様の命令﹄って言ってたらしいけど、神様気取りの相手がいる
とすれば・・・考えてみればこれって、絶好の機会だよね。
508
獣王になりさえすれば、合法的にクレス=ケンスルーナ連邦の半
分を支配することになるんだし︵まあやってることはボクも同じだ
けどさ︶。
﹁ねえ、アスミナ。最近、他の部族︱︱狼人族、猫人族、兎人族で
エターナル・ホライゾン・オンライン
見知らぬ強力な戦士が急に現れたとか聞いたことない?﹂
ちなみにいま上げた3つはいずれも﹃E・H・O﹄でプレーヤー
が作成できたキャラクターの種族だ。
﹁狼人族、猫人族ですか? あまり交流がないので聞いたことはあ
りませんね。兎人族はそもそも代表が出場しないと思いますし。︱
︱あ、ただ、最近、他部族の間に見たこともない強力な武具が出回
っていると聞いたことがあります﹂
首を傾げたアスミナの言葉に、ボクも腕組みして考えた。
なるほど直接プレーヤーが顔を出すんじゃなくて、ワンクッショ
ン置いて強力なアイテムを与えて間接的に支配するつもりか。
考えてみれば﹃獣王﹄は獣人族の代表者。いくら強者に従うのが
習いとはいえ、どこの馬の骨だかわからない相手に従うのは反発も
あるだろうからね。
そうなるとどんなアイテムを使っているのか、現地で確認する必
要がありそうだね。
﹁その﹃獣王決定戦﹄に私も見学に行きたいんだけど、それって大
丈夫なのかな?﹂
﹁⋮⋮微妙なところですね。基本的に参加する部族の者のみが見学
を許されますので。ですが、ヒユキ様は今後、宗主国になるかも知
れぬ国の盟主ですから、ジシスと相談して族長会へ取り図れば、あ
509
るいは﹂
﹁︱︱ふむ。お願いできるかな?﹂
﹁はい、任せてください﹂
まあ駄目な時には空穂に登場願って、神獣のご威光で見学をお願
いすることにしてもいいしね。
﹃わかり申した姫。︱︱とはいえ、姫の希望を叶えぬなどと、たわ
けたことをぬかした時点で、族長会とやらの足りぬ頭の持ち主は全
員くびり殺してご覧にいれましょうぞ﹄
う∼∼む、できれば平和的に済めばいいんだけどねぇ。
510
第九話 霊山夜話︵後書き︶
この後、アスミナが意識のないレヴァンを背負って集落へ戻り、い
そいそと一緒の布団で眠りましたw
12/18 誤字脱字修正いたしました。
×ここに篭ってのかもしれません↓ここに篭っているのかもしれま
せん
×いままではいなかた↓○いままではいなかった
511
第十話 予選前日
さて、なんだかんだあってあれから2週間後、アスミナに貸して
おいた連絡用の使い魔が、ボクの見学許可を伝える族長会の決定と、
﹃獣王決定戦﹄の詳細について書いた手紙を携えて戻ってきた。
﹁︱︱ほう。腰の重い族長どもにしてみれば異例の速さですな﹂
と言うのは、このたび正式にインペリアル・クリムゾンの初代武
術指南役を襲名した獣王の言葉。
﹁当然であろう。姫の言葉は天の意、万難を排して優先されるべき
もの。これ以上ウダウダと待たせるようであれば、妾が直接乗り込
んで国ごと焼き滅ぼしていたところじゃったぞ。そも獣の眷属たる
もの、群れを守るために即断即決で動かずしてなんとする。︱︱こ
うつほ
れ獣王よ、この堕落、この体たらくの責任はお主にもあるのじゃぞ
?﹂
いつもの巫女姿でボクの隣に立っていた空穂が、愛用の扇子で口
元を覆いながら冷ややかな視線を獣王へと向ける。
﹁誠にもって汗顔の至りにございます、神獣・空穂様﹂
深々と頭を下げる獣王。
﹁まあ集団に対して、一概にだれがどうこう言ってもしかたないし、
それよりも問題の﹃獣王決定戦﹄の方なんだけど⋮⋮えーと、アス
あに
ミナの手紙によると、﹃前略、お元気ですかヒユキ様。獣王襲名の
ため里に戻った義兄は、毎日わたしと一緒にいられて嬉しい悲鳴を
あげています﹄・・・前置きはいいか﹂
512
で、内容を大まかに要約すると︱︱
戦いは今日から20∼24日後、クレス王国の聖地﹃聖獣の丘﹄
で行われる。
参加するのは各部族から選ばれた16名のつわもの達。
ふもと
これに先立ち8名ずつ2組に分かれて予選会が、20日後から3
日かけて﹃聖獣の丘﹄麓の東西にある、﹃魔狼の餌場﹄と﹃地竜の
寝床﹄双方で執り行われる。
双方を勝ち上がってきた勝者の決定戦が翌日﹃聖獣の丘﹄で行わ
れ、勝者が﹃獣王﹄となる。
戦いにはあらゆる武器、防具の使用が許可される。
ただし、弓矢、魔法などといった己の肉体を直接行使しないもの
は反則とする。
また﹃獣王﹄に相応しくないと思われる戦い、行為があった際は
即座に失格とする。
勝敗は相手が戦闘不能と判断されるか、負けを認めた場合に決定
する。
勝敗決定後はいかなる抗議も受け付けない。
また、対戦では双方の生死は問わず、お互いに遺恨を残さないこ
ととする。
だいたいこんな感じだった。
﹁ガチで殺し合いするんだねぇ﹂
ボクの感想に獣王は軽く肩をすくめた。
﹁まあそれくらいでないとお互いに納得せんからな﹂
513
てんがい
歯に衣着せぬ物言いに同席していた天涯が何か言いたげな顔をし
たけれど、彼の持つボクの﹃武術指南役﹄という肩書きに、不承不
承文句を飲み込んだみたいだった。
獣王の言葉に空穂も当然という顔で頷く。
﹁途中で大怪我とかしたら大変じゃ⋮⋮ああ、治癒魔術で治すのか﹂
ン・ゲルブ
﹁そうなるな。まあ、ある程度は巫女の癒し手︱︱獅子族だと、ア
スミナがかなりの使い手だが︱︱その能力で治せるが、四肢の欠損
等はどうしようもない。その場合に棄権するかどうかは本人の判断
になるのだが、まあ普通はそのまま戦いを継続して死ぬな﹂
不毛な民族だねぇ。逃げるが勝ちって考え方はないんだろうねぇ。
ちなみに獣王本人はこういう大会とか経ずに、その強さと高潔な
精神を認められ﹃獣王﹄の称号を冠せられるようになったらしい。
なら、こんな大会意味ないんじゃね? これで勝っても単に乱暴
者が﹃獣王﹄になるだけなんだから︱︱と訊いたら、今回の大会は
あくまで﹃次代の獣王﹄その候補を選定するもので、正式な﹃獣王﹄
ではないとのこと。
現獣王及び各族長が、その強さ及び精神を見定めて、問題ないと
認めて初めて正式な﹃獣王﹄になれる、というものだけど。それで
も今回のクレス王国の件は一任するということで、﹃国の行く末<
獣王の称号﹄という関係らしい。いい加減なものだねぇ。
﹁あと参加者名簿も添付されているけど、師匠の目から見てどうか
な、レヴァンは勝てそうかい?﹂
ボクは獣王の方へ参加者名簿を差し出した。
514
エターナル・ホライゾン・オンライン
この世界の獣人は基本3種類だった﹃E・H・O﹄と違って、種
類が多すぎて、どんな能力を持っているか予測できないんだよね。
みこと
﹁勝負は水物ですからな。蓋を開けてみるまでなんとも言えません
な﹂
言いつつ目を細め、命都経由でボクから受け取った名簿に視線を
走らせる獣王。
﹁ふむ、主だったところだと、虎人族の族長アケロン。確か部族間
紛争では負けなしで、﹃豪腕﹄の異名を持つ男だったかな。これは
手強い。馬鹿弟子の勝率は4割行くかどうか・・・。
次に豹人族の勇者ダビド。槍の名手で、槍一本で地竜を葬ったと
か。これも油断すれば負けますな。
熊人族の﹃巨岩﹄エウゲン。3mを越える巨体と700kgの体
重はそれだけで武器。正面から戦うのは無謀だが、はて、あの馬鹿
がからめ手を使えるか。
あとは、蛇人族の傭兵キリル。ただでさえ強靭な外殻と柔軟な動
き、そして毒牙で恐れられる民族の蛇人族にあって、さらに傭兵と
しての実戦も豊富ときては、はてさてどうなることか﹂
なんか不安材料を楽しそうに語る獣王。
﹁︱︱それってレヴァン、けっこうピンチっぽく聞こえるんだけど
?﹂
﹁実際かなり分は悪いな。︱︱とは言え、初めから勝てるとわかっ
ている勝負をしてもしかたあるまい?﹂
そーか? ボクは勝てる勝負しかやりたくないけど? つーか、
命をチップに博打とかするのは阿呆にしか思えないけどねぇ。
515
首を捻ったボクの表情から大体察したのだろう、
﹃まったく、これだから女は⋮⋮。所詮、男の浪漫をわからんのだ
なぁ﹄
という風な眼差しで、﹁ふっ︱︱﹂と軽く鼻で笑って、再び参加
者名簿に目を落とされた。
・・・なんかすげー悔しいんですけど。
﹁あとめぼしい相手は⋮⋮⋮うん?﹂
珍しく困惑の色もあらわにする獣王。
﹁どうかした?﹂
﹁兎人族だと? 冒険者クロエ・・・聞いたこともないが、女か?﹂
﹁珍しいの?﹂
﹁兎人族が参加すること自体普通ならあり得んのに、まして女とな
ると前代未聞だな﹂
どうなっとるんだ⋮⋮と小声で呟きながら首を捻る。
どうやら獣人族の感覚的には、横綱審査の対象に女性の力士が入
エターナル・ホライゾン・オンライン
っていた、というぐらい驚天動地の出来事らしい。
ボクとしては﹃E・H・O﹄で普通に、ウサミミ女子キャラの剣
士とかいたので、特に珍しいとは思えなかったけど⋮⋮って。
﹁・・・まさか、プレーヤー?﹂
途端、室内の注目がボクに集まった。
516
プレーヤー
﹁そのクロエなる者、超越者の可能性があるのでございましょうか
?﹂
眉をひそめた空穂の質問にボクも首を捻った。
﹁名前は聞いたことないかな⋮⋮少なくとも爵位持ちには居なかっ
たけど、可能性はあるかなぁ。本来あり得ない種族のあり得ない性
別の代表者が出てるってことは、よほどずば抜けた実力をもってる
ってことだろうからねぇ﹂
プレーヤーなら十分可能だね。
てっきりこうした直接的な手段は行使しないかと思ったけど、さ
っきの獣王の話しぶりからすれば、優勝さえすれば取りあえずはク
レス王国の舵取りは可能になるわけだから、どこの馬の骨かわから
ない、そのクロエだっけか? が優勝しても問題ないってことだよ
ね。
まあ他には本命は別に居て、手強そうな相手をプレーヤーが倒し
ておいて、最後に出来レースで本命に勝たせるとか。
或いはボクが見学に訪れるのが判明して、わざと目立つポジショ
ンにそれを配置して、こちらの注意を向けさせて、なにか仕掛けて
くるか。
・・・いまの段階では、どうにも判断がつかないね。
﹁どちらにせよ一筋縄ではいきそうにないねぇ。レヴァン君大丈夫
なのかな?﹂
まあ駄目なら駄目でわりとどうでもいいんだけど。
517
◆◇◆◇
テント
ン・ゲルブ
テント
そして予選会前日、各部族の天幕が点々と並ぶ﹃聖獣の丘﹄の麓、
﹃魔狼の餌場﹄の一角に見慣れた獅子族の天幕があった。
﹁やあやあ、調子はどうだい二人とも? 予選会はこっちの組に決
まったんだねぇ﹂
テント
密かに訪れた天幕の中、ジシスさんに案内してもらったその先に、
馴染みの顔があった。
﹁あ、ヒユキ様お久しぶりでーす! わたしは元気ですよ!!﹂
いつもの格好で、いつもの快活さでボクの両手を取って、ぶんぶ
ん振り回すアスミナ。
テント
後ろでジシスさんがアワアワいってるけど、当然のように聞いち
ゃ居ない。
﹁ただ︱︱﹂
ここで言いにくそうに視線を投げた先、天幕の隅のほうでレヴァ
ンが黄昏ていた。
﹁⋮⋮なにあれ?﹂
あに
﹁えーと、ですね。今日、予選の組み合わせが決まり、義兄の対戦
相手が決まったのですが、1回戦第一試合で相手が兎人族の女戦士
となりまして・・・﹂
518
ほうほう、いきなり本命とぶつかったわけだね。
﹁それを聞いてやる気がなくなり、ああしてやさぐれているわけで
す﹂
・・・・・・。
﹁︱︱いや、別に種族や性別は関係なく、強い人は強いよ?﹂
仮に相手がプレーヤーだとしたら種族や性別とか関係ないし。
﹁そう説得したのですけど、どうにもやる気が起きないようで・・・
﹂
ほとほと手を焼いた、という風なアスミナ。
﹁⋮⋮⋮﹂
むっ、なぜか胸の辺りがむかむかするものがあるねぇ。
おなご
﹃姫、あのタワケ者に女子がいかほど強き者か、しつけ直したほう
がよろしいかと?﹄
﹃うん、そうだね﹄
︱︱あ、いやいや、この場合は女子の立場じゃなくて、見た目と
か先入観で決めて掛かる相手が気に食わないという意味なので、悪
しからず。
﹁ほう、ずいぶんな自信だな﹂
テント
と、ボクが口を開くよりも先に、天幕の入り口の布を押し上げて、
見慣れた巨体が堂々と入ってきた。
﹁︱︱大伯父様!!﹂
519
﹁︱︱師匠っ!?﹂
﹁︱︱獣王様!﹂
慌てて立ち上がって礼をする三人。
レヴァン
いつもの濃紺のローブをまとった獣王は、いつもの自然体でそれ
を流し、じろりと弟子の顔を見た。
﹁ちょうど良い。儂が居ない間にどれほど腕を上げたか確認の意味
も込めて、お前、緋雪陛下に少々揉んでもらえ﹂
﹁はあ︱︱?!﹂
なにを馬鹿なという顔で、ボクと獣王の顔とを見比べるレヴァン。
ボケ
一方、アスミナの方は薄々ボクの力量を感じ取っていたんだろう。
まだ気が付かないのか、この義兄は! という顔で額を押さえて天
を向いた。
﹁陛下を相手に3分もったら合格。それ以下だったお前は破門だ。
この大会に出ることもまかりならん。︱︱よいな? 陛下もよろし
いでしょうか?﹂
﹁いいよ∼﹂
頷くボクと、まだ意味がつかめず目を白黒させているレヴァン。
こういう天狗の鼻をへし折るのが楽しいんだよねぇ。
520
第十話 予選前日︵後書き︶
う∼∼ん、妹ちゃんは動かしやすいんですけど、スカな兄貴は個人
的に嫌いなタイプなので動かし辛いですね︵`−д−;︶ゞ
521
幕間 男達之夜︵前書き︶
いきなりまた番外編です。
レヴァンVS緋雪を前面改訂中のため、手持ちの番外編をUPしま
した。
続きをお待ちの皆様本当に申し訳ございません><
522
幕間 男達之夜
︻第一夜:稀人side︼
剣と剣とが火花を散らし、合間合間に、手足が翻る。
片や花火のように鮮烈で可憐に激しく、片や流水のように自由に
淀みなく。
剛が柔を断たんとし、柔が剛を制しようとする。
何合目かの打ち合いになったろうか、盛大な不協和音とともに双
方の持つ剣が中ほどから折れた。
﹁︱︱ありゃ﹂
﹁︱︱おっと﹂
まろうど
お互いに剣を振り抜いた姿勢で動きをとめる緋雪と稀人。
﹁⋮⋮力負けか、けっこう良いレベルの剣だったんだけどねぇ﹂
折れた剣の断面を見ながら、やれやれと嘆息する緋雪。
実際、このレベルの剣は地上では購入することなどできないだろ
エンシェント・ウエポン
う。使っている材料、鍛冶師のレベル、強化に使われた魔法のどれ
をとっても最上級のもので、仮にこれが地上にあれば古代級武器と
して、宝物庫の奥深くに眠ることになっていたであろうから。
523
インペリアル・クリムゾン
とはいえここ常闇の国、真紅帝国においては、希少ではあっても
替えが効かないレベルの武器ではなく、﹃ちょっともったいなかっ
コロッセオ
た﹄程度の感慨しか緋雪に与えなかったようで、様子を見守ってい
た練習場︱︱と言っても、闘技場並みの広さと、柱や壁一面に描か
デス・ナイト
れた精緻な装飾等は宝物殿や神殿と見まごうほどの壮麗さを醸し出
している︱︱の係員の死霊騎士に折れた剣を渡した。
デス・ナイト
同じく、自分の方へきた別の死霊騎士︱︱身長2mを越える巨体
に、小山のような分厚い超重量級甲冑を着て、青白く光る鬼火が燈
った目をした骸骨︱︱の容貌に若干ビビりながら、差し出された手
に折れた剣を渡す稀人。
グリム・リーパー
ふと、気が付くと、いつの間に現れたのか、死神たちが地面に落
ちた剣の始末と、乱れた練習場の整地を行っている。
いい加減慣れたつもりになってはいたが、こういう光景を見ると、
とんでもないところへ来たなぁと思わずにはいられなかった。
とは言え居心地が良いのも確かで、飯は美味いし、道行くハイ・
エルフや天使族の女性はまさに天上の美貌︵とは言え目の前にはそ
れ以上の頂点がいるが︶、住民の魔物たちも気の良い連中ばかり、
それに地上では考えられない娯楽も枚挙に暇がなく、退屈という言
葉からは縁遠い環境にある。
要するに見た目は魔界なのだが、住んでみれば極楽というわけの
わからん国だった。
そしてなにより彼にとっては何よりも換えがたい至高の美姫が存
在する。
524
﹁︱︱うん? なにかな?﹂
そんな彼の熱い視線に気が付いたのか、緋雪が軽く首を捻った。
﹁いえ、どうもいまだに彼らに慣れないもので、よく姫様は平気で
すね﹂
デス・ナイト
グリム・リーパー
超重量の甲冑を着込んでるとは思えない滑らかな動きで、練習場
の外に下がる死霊騎士や、整地を終えたらしい死神を見て苦笑する
稀人に向かって、
﹁あははははははははっ﹂
と朗らかな笑いを放つ緋雪。笑いの意味は﹃もちろん怖いに決ま
きょうだ
ってるじゃない。さっきから動かないのは足がすくんで動けないか
らだよ!﹄というものだったが、稀人は自分の怯懦を笑い飛ばされ
たものと理解して、恥ずかしげに頬の辺りを掻いた。
﹁まあ、そのうち慣れるとは思いますが・・・﹂
﹁いやぁ、別に気にしないでいいよ﹂
ちなみにこれは、﹃ボクがいまだに慣れないのに、先に順応しな
いでくれる?!﹄という意味合いが込められた台詞だった。
うち
﹁⋮⋮まあそれはそれとして、真紅帝国で市販されてる剣ではこれ
でも最高級に近いんだけど、君にとっては力不足になってるみたい
だねぇ。前に渡したオーガ・ストロークもレベル的にはこの剣とあ
まり変わらないし、鎧も含めてそろそろ変え時かな﹂
525
◆◇◆◇
幅だけでも60mほどはあり、なおかつ全体に金銀彫刻等で精緻
かつ華美な装飾が施されている廊下︱︱一応は王宮で生まれ育った
稀人だが、この城の規模・壮麗さに比較すれば、あのようなもの犬
デス・ナイト
小屋よりも劣ると言える︱︱比喩ではなく廊下の先が地平線に隠れ
て見えないそこを、案内役の死霊騎士及び鬼神兵その他に守られて
歩きながら、少し先を行く、今日は珍しく白を基調としたドレスを
まとった緋雪に向かって口を開いた。
﹁それにしても相変わらず凄まじい規模の城ですねえ。よく迷わな
いで進めますね﹂
﹁︱︱はははははっ﹂
勿論笑いの意味は﹃案内がいなけりゃ迷子になるに決まってるじ
ゃないの﹄である。
ちなみに夜中にトイレに行きたくなっても、一人だと場所がいま
インベントリ
いちわかりにくい上に、下手をすると迷子になるか、お供が50名
ほどの大名行列になるため、密かに収納スペースにトイレ付きの簡
易ハウス︵課金ガチャの景品︶が、常時収納されているのは緋雪一
人の秘密であった。
で、廊下を進んだり階段を登ったり降りたり、巨大な門を何枚も
開けてくぐったりを繰り返すこと2時間あまり︵城内は転移魔法が
使えない阻害措置が施されているため足で歩くしかない︶。
廊下の突き当たりに、中央に薔薇と雪の結晶が掘り込まれた、ひ
526
ときわ巨大かつ重厚な扉が立ちはだかっていた。
扉の両脇には巨大な台座があり、全長50mほどもある青水晶の
ドラゴンと、甲羅の長さが30mほどもある黒水晶の亀が鎮座して
いる。
﹁まるで生きているようですね、この彫像﹂
﹁生きてるよ? 玄武も青龍も無断の侵入者がいると攻撃するので
気をつけてね﹂
稀人の感嘆の声に対して、軽く返す緋雪。
思わず反射的に後ずさりしかける稀人を置いて、さっさと扉へと
歩み寄る緋雪。
扉の5mほど手前に近づいたところで、巨大な扉が音も無く内側
へと左右に開き始めた。
その途端、ひんやりとした空気とまばゆい輝きが廊下へまであふ
れてきた。
扉の内側は、左右天井とも途方もない広さで、磨きぬかれた床も、
林立する巨木のような柱も、すべて一滴の血を流したような薄い紅
色の大理石でできている。
しかし、それよりも稀人の目を奪ったのは、手前の壁際から遥か
先まで続く輝きの原因であった。
金貨に白金貨、オリハルコン貨、黄金や希少金属の延べ棒の山、
箱からあふれる宝石や魔石、装飾品や彫像、美術品である剣、鎧、
盾、貴重な魔物の材料まで、うず高く︱︱上も奥行きも、果てが見
えないほど積み重なっていた。
﹁︱︱な⋮⋮なんですか⋮⋮これ?﹂
527
呆然と・・・ほとんど夢見心地で、稀人はどこか遠いところで自
分の声がするのを聞いた。
﹁なにって、宝物庫だよ﹂
なにを当たり前のことを、という口調の緋雪。
﹁⋮⋮どのくらいの量があるんですか⋮?﹂
インベントリ
﹁さあ? もともと私がもっていた収納スペースの中身に加えて、
ギルメンの共有財産もあったし、その後も国民から献上された分も
あるしねぇ、たぶんここを管理している番人も知らないんじゃない
かな⋮?﹂
﹁⋮⋮これだけあれば、大陸ごと買うこともできるのでは?﹂
﹁かも知れないけど、交換するほどの価値があるとも思えないしね
ぇ﹂
そんなことを言ってる間に、どこからともなくバラバラと、ドワ
ーフのようなずんぐりした妖精たちが数百人︵いや、物影にもっと
気配がするので全体の数は数千人か︶現れ、一斉に緋雪に対してひ
れ伏した。
﹁彼らは・・・?﹂
スプリガン
﹁宝物守護妖精だよ。なんか知らない間に生まれてたんだけど、宝
物の番とか整理とか喜んでしてくれるから便利だよ。︱︱あ、勝手
にそのあたりの金貨とか盗らないでね。そうすると彼ら怒って全員
巨大化して嵐を呼びながら地の果てまで追いかけてくるから﹂
528
内心、2∼3個くすねてもわかんないんじゃないかと思っていた
稀人は、あわてていつの間にか前に出ていた腕を引っ込めて、こく
こく頷いた。
﹁悪いけど、魔法の武器、鎧が置いてあるフロアに案内してもらえ
るかな?﹂
﹁ハイ、コチラヘドウゾ姫様﹂
スプリガンの頭領らしき妖精の案内で、さらに宝物庫の中を進む
こと30分あまり。
いいかげん周りの煌びやかさにも慣れた︱︱というか感覚が麻痺
した︱︱頃、装飾品ではない実戦向きの、それもどれもこれも高い
魔力を帯びた武器、鎧の類いがずらりと並ぶ一角へと到着した。
生唾を飲み込む稀人を前に、緋雪はそれらを指し示し、
﹁いまのオーガ・アーマーとオーガ・ストロークの代わりの武器と
鎧をここから見繕うつもりなんだけど﹂
ここで腕組みして、ちょっと困った顔をした。
﹁数が多すぎてどれがいいのか、また、いまの君にどれが合うのか
イマイチ不明なんだよねぇ﹂
それから、ふと武器フロアの奥、50m四方の祭壇のようになっ
た場所を見つめて、一言唱えた。
ざおう
﹁ということで、︱︱蔵王﹂
﹁⋮⋮お呼びでございますか、姫様?﹂
その声に答えて、祭壇の中央に青紫の巨大な火柱が上がり、それ
529
が角と翼を生やした巨大な人型をとった。
﹁彼はイフリートの蔵王、この宝物庫の番人の長をしてるんだけど。
︱︱蔵王っ、ここにいる稀人に合う武器と鎧を選んで欲しいんだけ
ど?﹂
﹁︱︱ふむ⋮⋮わかりました。姫様の思し召しとあらば。︱︱では
稀人とやら、こちらへ来るがよい﹂
手招きされるまま、稀人は階段状になった祭壇を登った。
﹁がんばってねーっ﹂
笑いを含んだ緋雪の黄色い声援に、猛烈に嫌な予感を覚えて振り
返りかえた稀人に向かって、蔵王の怒号が降り注ぐ。
﹁どこを見ておるか、馬鹿者! さっさと武器を構えんか!!﹂
﹁はあ︱︱?﹂
唖然とする稀人の背中に、緋雪の説明が飛んだ。
﹁蔵王はねぇ、自分で手合わせして納得したところで、相手に合っ
た武器とか選んでくれるの、だから油断してると死ぬよ﹂
﹁なあ⋮⋮?! ちょっ、ちょっと待っ︱︱﹂
﹁では、姫様開始の合図をお願いします﹂
﹁ほい﹂いつの間にか、スプリガンの長が恭しく持ってきた純金製
のゴングを、﹃カーン!!﹄と高らかに鳴らす緋雪。﹁始め!﹂
530
﹁うおおおおおっ! いくぞ小童っ!!﹂
蔵王が全身の力を漲らせ、咆哮とともに打ちかかってきた。
﹁まて、こら︱︱っ!!﹂
・
・
・
・
・
レジェンドリィ・ウエポン
その後、どうにかこうにか生き延びることに成功した稀人は、褒
美として伝説級武器﹃ハワルタ−ト・ブレード﹄と﹃水竜王の鎧﹄
を手に入れることに成功したのだった。
インペリアル・クリムゾン
真紅帝国、そこは享楽にあふれ、退屈という言葉からは無縁の場
所である。たまに命の危険に合うが・・・。
531
幕間 男達之夜︵後書き︶
第二夜としてジョーイ編を書く予定でしたけど、そちらは後日の予
定です。
9/6 用語の変更をいたしました。
役不足↓力不足
532
第十一話 心驕慢心︵前書き︶
やっとですが、緋雪VSレヴァンです。
533
第十一話 心驕慢心
﹁このあたりでよかろう﹂
一際大きな影︱︱濃紺のローブを着た獣王が、周囲を見回してひ
とつ頷いた。
﹁問題ないよ。てか、3分以内に片をつければいいんでしょ? 別
にここまで来ることなかったのに﹂
アン・オブ・ガイアスタイン
そう気楽な口調で応じたのは、膝上までの薔薇をあしらったショ
ートラインの黒いドレス︱︱﹃戦火の薔薇﹄を着た緋雪であった。
﹁まあ、面子が面子ですからな。どこに人の目があるかわかりませ
んので﹂
うつほ
その視線が緋雪と、その後ろにつき従う九尾を持った白面の獣人
︱︱人の姿をとった神獣である空穂を捕らえて、珍しく苦笑の形に
なる。
もっとも、目立つ目立たないで言えば獣人族の頂点ともいえる獣
王自身も、人に見つかれば騒ぎになること請け合いだが。
﹁あのぉ、神獣様⋮⋮﹂
獅子族の巫女であるアスミナが、珍しくも殊勝な態度でおずおず
と空穂へ呼びかけた。
﹁なんじゃな、獅子の巫女よ?﹂
﹁この大会が終わったら、ぜひ、わたしの部族のところへお立ち寄
り願えないでしょうか。部族をあげて御奉りいたしますので﹂
534
﹁︱︱ふむ。獲れたての馳走と美味い神酒があれば、妾は問題ない
のじゃが・・・﹂
閉じた扇子を口元にあて、面白そうな目でアスミナを見て︱︱ち
なみに彼女のことは結構気に入っていて﹁小気味良い女子でありま
すなぁ﹂と目を細め話していた︱︱続ける空穂。
﹁妾は姫様の臣下、姫様の許可なく勝手はできぬのぉ﹂
︱︱ストン、とアスミナの視線が、自動で緋雪の美貌へと︵身長
差の関係で︶落ちる。
﹁3分もてばね。もたなかったり無様な真似をすれば、正直知った
こっちゃないねぇ﹂
レヴァン
緋雪の返答に、血相を変えたアスミナが、隣でいまだ事態に付い
ていけず、呆然としている義兄の胸元を掴んでガクガク揺さぶる。
にい
﹁ちょっとっ。レヴァン義兄様、わかってるの!? いまって一族
存亡の危機どころか、獣人族としての存在意義までかかってるのよ
っ!! ヒユキ様に見捨てられたら一族はお終い。神獣様に見捨て
られたら子々孫々に渡るまで背徳者のレッテルが張られるのが!!
本当にわかってる!?﹂
﹁わかってるよ。勝てばいいんだろう、勝てば﹂
その手を強引に振り放して、面倒臭そうに答えるレヴァン。
ボケ
あ、この義兄わかってない。この期に及んで勝てる気でいやがる
!?︱︱そう瞬時に理解したアスミナは、絶望感からその場にふら
ふらと崩れ落ちた。
535
アシル王子
少し離れて一連のやり取りを見ていた緋雪が、どことなく不愉快
ジョーイ
そうな口調で獣王へと話しかけた。
﹁しかし、なんだねぇ。何も考えない阿呆とか、足元を見ない馬鹿
とか、あれはあれで愛すべき美点もあったけど、ここまで徹底して
相手を見ない愚者は初めてだねぇ。︱︱これって環境が作った後天
的な性格なのかな?﹂
﹁・・・いや、誠にもってお恥ずかしい﹂
苦虫を噛み潰したような顔で軽く頭を下げる獣王。
﹁少し痛い目にあわせる程度のつもりだったけど、これは徹底的に
壊さないと駄目っぽいね。︱︱そういえば、一応同じ師についた同
門ってことになるんだけど、兄弟子をケチョンケチョンにしても問
題ないわけ?﹂
﹁私闘というわけではなく、師匠の前でお互いの力量を見せ合う。
手加減するなど逆に儂の面目を潰すようなものですな﹂
﹁︱︱えっ、ヒユキ様も大伯父様の弟子、兄と兄妹弟子に当たるん
ですか!?﹂
その会話が耳に入ったのか、素っ頓狂な声をあげ立ち上がるアス
ミナ。
レヴァンもそれで多少は警戒する目つきになった。
﹁まあ最近教わり始めたばかりだから、弟弟子とか名乗るのはおこ
がましいけどね﹂
軽く肩をすくめる緋雪。
536
﹁そうなんですか。︱︱あと、弟弟子じゃなくて妹弟子ですよ﹂
アスミナの指摘に軽く目を泳がせる緋雪。
﹁⋮⋮ああ、そうだね。妹弟子、だね﹂
﹁そういうことだ。お互いに遠慮はいらんぞ﹂
獣王の重々しい声に、﹁わかりました﹂と同意して拳を握って構
えを取ったレヴァンだが、やはりどこか相手を舐めている︱︱妹弟
子だとはいえ始めたばかりの所詮、女子供だという︱︱雰囲気が如
実に伝わってきた。
﹁それじゃあ、私も﹂
同じく無手のまま︱︱こちらは拳を作らずに開手の︱︱構えを取
る緋雪。
ジル・ド・レエ
﹁﹃薔薇の罪人﹄は使われないのですか、姫?﹂
訝しげに首を傾げる空穂。
﹁まあ今日はご挨拶ということで。︱︱じゃあ行っくよ∼っ﹂
﹁来い!﹂
刹那、緋雪の超脚力が大地をえぐり、5mの距離をほとんど0秒
でゼロにした。
同時にその右手が翻り、唖然とするレヴァンの頬を、離れて見て
いたアスミナの目にも残像すら残さない速度で、瞬時に8往復した。
一瞬遅れて﹁ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴーん!!!﹂と
いう、景気の良いビンタの音がして、
537
﹁はっ﹂
次の瞬間、裂帛の気合と共に、緋雪は右の下段蹴りを、棒立ちに
なっているレヴァンの右足︱︱膝裏の靭帯のあたりへ、斜め上から
叩き込んだ。
ガクッと体勢が崩れたレヴァンの顔の側面に向け、スカートを翻
してその右足が軽々と跳ね上がり、
﹁しゅっ﹂
上段回し蹴りへと変化させて、そのまま振り抜いた。
ガン!と重い音とともにレヴァンの顔が弾かれたように明後日の
方を向き、あまりの勢いに足が地面から離れる。
﹁はああっ!﹂
緋雪はさらにそのまま右足を畳んだ姿勢で、左足を軸にコマのよ
うに回転をつけ、勢いを殺すことなく、空中のレヴァンの腹部に向
け、遠心力を加算した回し蹴りを瞬時に叩き込んだ。
ドンっ!!
太鼓でも叩いたかのような、重く痺れるような打撃音が響き、レ
ヴァンの体が爆発に巻き込まれたかのように、ほとんど地面と水平
に10m以上も吹き飛び、ようやく地面に接触したものの、勢いを
殺しきれずに数メートル地面に溝を掘り、最後にボロ雑巾のように
コロコロと転がって止まった。
﹁・・・決まり、ですのぉ﹂
退屈そうに、扇で隠した口元で欠伸をしながら空穂が呟いた。
538
﹁3分どころか、10秒ももたなかったか﹂
獣王も淡々と事実を告げる口調で同意した。
﹁まあ、こんなもんかなぁ︱︱?﹂
イマイチ消化不良という顔で嘆息する緋雪。
やれやれ、つまらん結果だったなぁ、と3人の顔に大文字で書か
れていた。
と︱︱。
﹃ガラッ﹄と、もうもうと立ち込める土煙の向こうで、何かが動く
気配がした。
見れば、完全に意識を失ったかに思えたレヴァンが、どうにか立
ち上がろうとしているところであった。
意外な闘志と打たれ強さ︱︱ではなく、3人の視線はそこから大
きく横に流れた。
あに
視線の先︱︱義兄に向かって両手を広げたアスミナの、その掌の
先から淡い光の靄が流れ、レヴァンへと流れ込んでいる。
﹁・・・あはは、実は試合前にはいつもわたしが強化の術をかける
のですが、今回はうっかり忘れてまして、途中からになっちゃった
んですけど。⋮⋮まずかった、でしょうか?﹂
アスミナが困った顔で言い訳をする。
誰が見ても、いま使っているのは強化ではなく治癒の魔法だとわ
かるものだが、空穂は興味なさげに無言を通し、獣王は軽く肩をす
くめ、そして緋雪は︱︱
539
﹁そっか、まあ過失じゃしかたないねぇ。いいよ、取りあえず1回
はね﹂
2回目はないよ、と暗にほのめかした言い方に、アスミナは固い
顔で頷いた。
﹁⋮⋮ちィ。油断した⋮⋮!﹂
アスミナの治癒魔法のお陰でダメージが回復したらしいレヴァン
が、口元の血を拭いながら立ち上がった。
にい
﹁油断とか、まだそんなこと言ってるのレヴァン義兄様!﹂
アスミナの叱責にも耳を貸す様子がないレヴァンの態度に、半眼
になった緋雪が、ちょいちょいと自分の方を指差した。
﹁どうも裏表、満遍なく叩きのめさないと無駄みたいだねぇ。さっ
きは私から攻撃したんだし、今度はそっちからどうぞ﹂
しんきゃく
ふみなり
﹁調子に乗るなっ︱︱!﹂
震脚とか踏鳴とも呼ばれる、足で地面を強く踏み付ける動作から、
地面を滑るような独特の歩法でレヴァンは緋雪の懐へと入った。
︱︱ふざけるなっ! オレは5歳の時から10年以上修行してる
んだ。昨日今日始めた素人に負けるはずがない!
心の中で叫びながら、獣王直伝の剄を使った右正拳突きを、緋雪
目掛けて全力で放った。
﹁無駄の多い動きだねぇ﹂
540
その打突を軽く評しながら、体に触れるギリギリ一瞬で側面に回
り、躱した緋雪の右手がレヴァンの右手首をがっちり掴み、
﹁な⋮?!﹂
驚愕の声をあげる間もなく、足を払うと同時に右手一本だけで、
一本背負いのように地面に叩き付けた。
﹁がはああああああっ⋮⋮!?!﹂
地面に転がってのた打ち回るレヴァンから、緋雪は視線を獣王へ
と移した。
﹁この技の欠点だけどさ。インパクトの瞬間に打点を固定するか、
ズラすと単純な打撃技になるってことだよね。︱︱まあ、いまのは
相手が未熟だったから、並列思考使うまでもなくできたんだけどさ﹂
﹁そうだな。若いうちは下手に小さくまとまろうとせず、パワーと
スピード任せのほうがよほど有効であり、基礎を磨く上でも必要な
のだが。・・・しかし、ここまで腕を鈍らせておるとは﹂
﹁まったく、身の程を知らぬ負け犬とは惨めなものよのぉ﹂
緋雪ののんびりした声と、獣王の心底呆れたという響きの受け答
え、空穂の嘲笑を受けて、
﹁貴様・・・っ!﹂
憤怒の表情で無理やり立ち上がった、レヴァンの行き場のない感
情、その全てが緋雪へと向けられた。
﹁許せんっ!!﹂
一声叫んで緋雪へと踊りかかる。
541
その姿はお世辞にも洗練された動きとは言えず、自信と誇りを粉
々に砕かれ、感情のままに襲いかかる手負いの獣だった。
それでも半ば反射的に放たれた中段突きを、反時計回りに回転し
て躱した緋雪の左肘︱︱充分に回転力をつけたそれが、レヴァンの
鳩尾目掛け放たれた。
﹁よっ︱︱と﹂
﹁ぐはっ⋮⋮﹂
数メートル吹き飛ばされるのと併せて、レヴァンの肺の中の空気
にい
は全て体外に排出され、急速に意識が薄い闇色のベールに包まれよ
うとしていた。
・
・
・
﹁さま﹂
にい
・
﹁義兄様!﹂
・
﹁しっかりして、レヴァン義兄様!﹂
いもうと
完全な闇に落ちる寸前、レヴァンは聞き慣れた義妹の声と、頬を
濡らす熱い滴りを感じ、かすむ目を開いた。
どうやら自分は大の字になって倒れているらしい。その自分に覆
いかぶさるようにしてアスミナが泣きながら呼びかけている。
わずか数秒にも満たない意識の消失であったが、それが怒りの感
542
情をリセットして、白紙の状態で立ち上げる結果となったらしい。
︱︱泣いている。オレのために⋮⋮。オレが泣かせたんだ。
アスミナ
心の底から自分を案じてくれる義妹。その姿に気が付いた時、レ
ヴァンは胸が掻き毟られる気がした。
そして、それと同時に、レヴァンは、師匠である獣王の自分を叱
責し、同時にいまでも見捨てずにいてくれる厳しい視線。また、自
分を打ち倒した緋雪の瞳の中にある気遣いと心配の感情に気が付い
て、身の置き所のない羞恥心に身悶えしそうになった。
︱︱オレは、なにをやってたんだろう⋮⋮。
﹃獣王の後継者﹄などと呼ばれ天狗になり、自分は強い、その気に
なれば何でも出来る、そんな驕りから、いつしか周りのことを考え
ず自分勝手に生きてきた。
その結果、周りどころか自分自身すら省みなくなっていた。
そして、自分は強い、負けないという自信を、自分より遥かに小
さな女の子に突き崩された瞬間、その慢心は自分自身の未熟を見据
えるのではなく、相手に対する恨みとなった。
なんと無様なことか。
他人を恨んでも自分自身は一歩も前進しない。それどころか待つ
のは自滅だけだろう。
それに気が付いた瞬間、レヴァンの全身に火が点いた。
︱︱このまま終わるわけにはいかん!
543
まなじり
かっと眦を開いたレヴァン。その瞳にはいまは一片の曇りもなか
った。
アスミナ
﹁だいじょうぶだ、アスミナ。心配するな﹂
そう微笑んで、子供の頃のように義妹の頭をポンポンと優しく撫
でる。
にい
﹁⋮⋮レヴァン義兄様?﹂
そのまま全身の痛みと吐き気に耐えつつ、脂汗を流しならどうに
か起き上がったレヴァンは、緋雪に向かって頭を下げた。
﹁陛下、いま一手、勝負をお願いしてもよろしいでしょうか?﹂
﹁はい。よろこんで﹂
嬉しそうに微笑んだ緋雪に向かい、再度礼をして構えをとる。
﹁ン・ゲルブ族次期頭首レヴァン、参ります﹂
インペリアル・クリムゾン
﹁真紅帝国国主、緋雪。受けて立ちます﹂
互いの挨拶が終わると同時に、レヴァンが踏み込んだ。正直なと
ころ到底戦える状態ではなかったが、それでも残った気力を振り絞
り、緋雪に向かって直突きを放つ。
いままでと違い、スピードこそ格段に落ちているが、だが、そこ
には無駄な動きがない基本に忠実な技だった。
微笑んで緋雪も同じ突きで応酬する。
544
互いの技が交差した瞬間、レヴァンと緋雪の間に、パンッと乾い
た音がした。
そして⋮⋮息を詰めて見守るアスミナの目前で、ゆっくりとレヴ
ァンの体が崩れ落ちた。
精神と体が限界を越えたのだろう、だがその顔は深い満足感に彩
られていた。
慌てて駆け寄ってきたアスミナに後を任せ、緋雪は最後のレヴァ
ンの突きを受け止めた左手に残る痺れに苦笑した。
﹁さて、トータルではどうにか3分はもったかな?﹂
﹁ずいぶんと下駄を履かせてだが、ぎりぎり及第点というところで
すな﹂
緋雪の問いかけに、厳つい顔を崩さず無表情に答える獣王。
﹁︱︱ふん。まあ多少は気概があったというところでしょうな﹂
空穂も多少は見直した、という目でちらりとレヴァンを見た。
﹁取りあえず予選前に棄権にならずに済んで良かったってところだ
ねぇ﹂
やれやれと緋雪が首を振った。
545
幕間 男達之夜︵前書き︶
第二夜、ジョーイ君が主役の回です。
546
幕間 男達之夜
︻第二夜:ジョーイside︼
ヒマがあったので夕方の4時頃、いつものように首都アーラの冒
険者ギルドの本部へ行くと、珍しくガルテ先生︱︱ギルド長だけど、
こっちのほうが呼び慣れているので、たいていこう呼んでる︱︱と、
その秘書をやっているミーアさんが1階の受付の傍にいた。
もう一人、自分より1∼2歳年下だと思える、金髪の冒険者らし
い少年もいて、3人でなにか話し込んでいた。
邪魔しちゃ悪いかと思って、軽く頭を下げて通り過ぎようとした
ところで、ガルテ先生に呼び止められた。
﹁おう、ちょうどいい。ジョーイ、お前さんにちょいと頼みがある
んだが﹂
﹁はあ・・・なんですか?﹂
こっちこいと手招きされたので行ってみる。
見慣れない少年はいかにも新人という感じで、傷ひとつない真新
しい革鎧に高そうな長剣を腰に下げていた。
にこにこと妙に親しげな笑顔を向けてくる顔は、男とは思えない
ほど整っていて、全体の印象としては苦労知らずのお坊ちゃんが、
遊びで冒険者始めてみましたって感じだった。
547
﹁実はこのへいか⋮いや、こいつは今日、冒険者登録したばかりの
新人なんだが、いきなり討伐依頼を受けたいなんて言ってるんでな。
悪いがお前さん、ちょっと手伝ってやっちゃくれないか?﹂
﹁はあ?!﹂思わず素っ頓狂な声が口から出た。﹁今日、登録した
ばかりでいきなり討伐依頼とか、なに考えてるんだお前!?﹂
思わず説教するような感じで、初対面の相手に怒鳴りつけてしま
った。
﹁︱︱まあ、そういう無茶はお前さんも他人のことはいえねぇが﹂
ニヤニヤしながらガルテ先生がまぜっかえしてるけど、聞こえな
いフリをして続けた。
﹁いいか、俺たちがやってるのは遊びじゃないんだぞ! 仕事なん
だ。﹃できませんでした﹄じゃ済まないし、その上、討伐依頼なん
て言ったら命に関わるんだぞ! 甘く見るなよ!﹂
その剣幕に驚いたように少年が目を丸くした。
﹁⋮⋮驚いた。ずいぶん立派なことを言うんだねぇ﹂
声変わり前の女の子みたいな声だった。
﹁⋮⋮いや、まったくなぁ﹂
﹁⋮⋮この調子で自分のことも鏡で見てくれるといいんですけどね﹂
ガルテ先生とミーアさんもうんうん頷いている。
﹁茶化すな! あと二人とも、俺のことよりこいつのことですよ。
なんで依頼を取り消さないんですか!?﹂
﹁いや、その⋮⋮﹂
548
﹁すでに依頼を受けた後だから、取り消すとなると違約金を払わな
いといけないのよ。だけどそのお金がないっていうから困ってたの﹂
なぜか歯切れの悪いガルテ先生に代わって、ミーアさんが説明し
てくれた。
﹁ちっ⋮⋮!﹂
一番駄目なパターンじゃないか!
﹁そんなわけでな、いきなり実績のない新人が借金できるわけもな
いし、悪いが骨を折っちゃくれねえか? その分のギルド・ポイン
トはお前さんの実績に加算するから﹂
なんとか頼む、と先生に頭を下げられちゃ断るわけにもいかない。
﹁しょうがねーな。その討伐対象と、討伐期間はいつまでなんです
か?﹂
﹁アーラから南へ行ったところに台地に古い墓地郡があるでしょう
? あそこにスケルトンが1体現れたっていうから、これをできれ
ば今晩中にお願いしたいの﹂
﹁今晩中か・・・﹂
エミュー
場所はわかるし、そう離れたところでもない︵とは言っても騎鳥
の足があればだけど︶、スケルトンは剣で相手をするのはちょっと
厄介だけど、手こずるって程の相手でもない。
準備に時間がないのが痛いけど、日帰りできる場所なので手持ち
の保存食とかでもなんとかなるだろう。
﹁︱︱わかりました。でも、こういうことはこれっきりにしてくだ
549
さいよ﹂
そう言うと二人ともホッとした顔を見合わせた。
どことなく妙な雰囲気に、俺が内心首を捻ってると、
﹁いやぁ、無理を言ってすまないね、ジョーイ﹂
その無理の原因が、悪びれた様子もなく頭を下げた。なんだこい
つ、いきなり呼び捨てとか、馴れ馴れしい奴だな。
﹁しょうがない。新人を助けるのも先輩の役割だからな。ところで
お前の名前はなんて言うんだ?﹂
﹁そりゃ勿論、ひゅ︱︱ああ、いや、えーと⋮ヒューだよ﹂
﹁ヒューか・・・﹂
俺はふと、ちょっと前に一緒にいた、似たような名前をした女の
子のことを思い出した。
思い出すと胸がぽかぽか温かくなって、同時に痛い思い出に耽っ
ている間に、なんか3人集まって小声で話をしてたみたいだけど、
断片的にしか聞こえなかったので無視した。
﹁⋮⋮そのままですなぁ﹂
﹁⋮⋮しょうがないだろう、咄嗟にでたんだから!﹂
﹁⋮⋮というか、なんでこれで気が付かないんでしょうね?﹂
﹁⋮⋮そりゃ﹂
﹁⋮⋮当然﹂
﹁﹁﹁ジョーイだから﹂﹂﹂
550
﹁ん? なんか呼んだ?﹂
◆◇◆◇
エミュー
そんなわけで俺はヒューと一緒に、ギルドを出たその足で、スケ
ルトンが出るという墓地まで、南の街道を騎鳥で下って行った。
エミュー
驚いたのは、気難しい俺の騎鳥がヒューをひと目で気に入ったみ
エミュー
たいで、嬉しげに喉を鳴らした鳴き声を出していたことだ。
ヒューのほうもどこか懐かしげに、騎鳥の腹の辺りを撫でて、
﹁元気だったかい?﹂
なんて言ってたし。
ただ俺の後ろに座る時に、女の子みたいに両足を揃えて座ろうと
したのには参ったけど。
﹁ああ、すまないね。つい前の癖で⋮﹂
って言ってたけどどんな癖だ? そういえば妙に仕草や歩き方も
可愛らしいというか、女みたいなところがあるし、こいつ変な趣味
ないだろうな?︱︱と思った通り言葉に出したら、﹁えっ⋮⋮﹂と
エミュー
絶句して、もの凄い落ち込んでたから多分大丈夫なんだろう。
ヒュー
そういえば騎鳥に誰かを乗せるなんて、あいつ以来だなぁ。まあ、
あいつはこいつみたいにゴツゴツしてなくて、もっと柔らかくて良
い匂いがして⋮⋮って、仕事前になに考えてるんだ俺!
551
さっきこいつにも説教したろう。きちんと仕事をこなさないと。
で、1時間ばかり街道を下ったところにある台地に、今回の依頼
の墓地が20基くらいにあり、こうした忘れられた墓地とかでは、
たまにこうしてゴーストとかアンデッドとかが生まれることもある
ので、Eランク、Fランクの新人が定期的に草刈とか管理の手伝い
をしてるんだけど、今回は運悪くスケルトンが生まれてしまったら
しい。
こういうのは神聖魔法の使える神官とかいれば一発なんだけど、
なんかいまこの国は魔物の国の支配だとかなんとかで、ほとんどの
神官が国外に退去してしまったそうだ。よくわからないけど。
まあ神聖魔法は別に神官でなくても使えるのが、最近はわかって
きたので︱︱だいたいあいつも、もの凄い神聖魔法使ってたしな︱
︱民間の使い手も増えてはきたけど、やはり絶対数が少ないのが現
状だ。
なので最近は、こうしたアンデッド狩りの依頼も増えている。
﹁そういや、お前ど新人の癖によく、スケルトン退治とか受けるつ
もりになったな?﹂
エミュー
目的に着いた時にはずいぶんと陽も傾いていたので、俺は急いで
騎鳥を適当な場所に繋いで、キャンプできそうな場所を選びながら、
隣をついて歩くヒューに訊いてみた。
﹁ああ、いちおうボクが持っているこの剣には、光の魔法がかかっ
ているからね。スケルトン程度ならかすっただけでも一発だと思っ
てね﹂
552
そう言って鞘からズラした刀身から、白々とした光が夕闇の中へ
こぼれた。
﹁︱︱魔剣か! すげえな!﹂
思わず羨望の目で見てしまう。俺の剣はついこの間、買い換えた
と思ったら粉々にへし折られたので、いまは新人の頃使ってた安物
の剣だっつーのに!
いや、安物なのが恥ずかしいんじゃない。せっかくあいつが買っ
てくれた剣をむざむざ無駄にした俺が情けないんだ・・・。
﹁どうしたんだい、急にしょんぼりして? 悩みがあれば聞くくら
いはするよ﹂
心配そうにそんなことを言うヒュー。
世間知らずのお坊ちゃんかと思ったら、意外に気が利くなこいつ
⋮⋮なんか、あいつみたいだ。
その後、キャンプ地も決めて、墓地にスケルトンが出てくるまで
の間、手持ち無沙汰になった俺たちは、すっかり暗くなった台地で、
焚き火を囲んでいろいろな話をした。
いや、ほとんどが俺が話して、ヒューが相槌を打つだけだったん
だけど、なんか昔からお互いに知り合いだったみたいに気楽に話す
ことができた。
あいつのこと。守りたくても守れなかったこと。悔しくて情けな
かったこと。
﹁⋮⋮あいつ平気な顔をしてたけど、きっと俺のこと何も出来ない
553
駄目な奴だと失望してたと思うんだ﹂
だから、普通だったら口に出さない弱音も出ていた。
だけどヒューの奴は、なんていうか⋮不思議な微笑を浮かべて言
った。
﹁そんなことはないよ。君は最後まで逃げずに、全力で守ろうとし
たんだろう? だったらその人も君を尊敬こそすれ、軽蔑するよう
なことはないと思うよ。それは絶対だよ﹂
そう言われて、なんか心の重荷がストンと落ちた気がした。
﹁⋮⋮そうか? そう思うか﹂
﹁勿論だよ!﹂
力強く頷いた後で、なんか小声で﹁それにしても、意識のない間
に胸揉まれてたのか⋮あっさり殺すんじゃなかったな⋮﹂ブツブツ
言ってたけど、よく聞き取れなかった。
﹁そっか、よかった。ミーアさんからも似たようなこと言われたん
だけど、お前にも言われてなんかスッキリしたな﹂
﹁へえ。そのミーアさんは何て言ったんだい?﹂
﹁いや、その後、あいつが見舞いに弁当を作ってもってきてくれた
って話したら、﹃それは絶対好意を持ってるわっ。いいこと、10
代前半の女の子がお弁当を作ってもってくるってことは、最大限の
愛情表現なのよ! ﹁受け取ってもらえなかったらどうしよう﹂、
﹁不味いって言われたらどうしよう﹂、﹁嫌な顔されたらどうしよ
う﹂という心の中の葛藤と不安を押し殺して、それでもなお相手に
喜んでもらいたい、この気持ちに気付いてもらいたい、そう考え実
554
践できる不屈の心を持った勇者だけが行われる神聖な儀式なの!!
だから嫌われてるなんてないわ!﹄って言われたんだ、そんな弁
当をパクパク食べて悪いことしたなぁ。⋮⋮ってどうした、急に頭
を抱えて?﹂
﹁︱︱あの人は、なんでこう変なところで乙女を発揮するんだろ。
自分でもうちょっと⋮⋮あ、いやいや、なんでもないよ。てゆーか、
それは考えすぎだよ! そこまで悲壮な覚悟完了でお弁当作る子な
んていないよ。相手は普通にお弁当作ってくれただけだと思うよ。
︱︱うん、他意はないよ﹂
﹁? なんでお前が断言するんだ?﹂
その後、夜中過ぎに現れたスケルトンをあっさり倒して︵ほとん
どヒューの剣が触れたら崩れた︶、俺たちは一晩キャンプ地で夜を
過ごしてアーラへ帰った。
◆◇◆◇
さらに翌日。依頼を受けようと窓口に行ったところで、ガルテ先
生が呼んでいるとということで、俺はギルド長室へ案内された。
﹁よう、ジョーイ。昨日はご苦労だったな﹂
椅子に座ったガルテ先生に労われたけど、俺としては実際ほとん
どヒューがスケルトンを倒したので、ついて行ったのは余計なお世
555
話だったような気がしてしかたない。
なのでそう言ったんだけど、
﹁いや、ヒューもずいぶんと感謝してたぞ。それでだ︱︱﹂
そう言って机の下から見覚えのある剣︱︱ヒューの魔剣を出して、
俺の前に置いた。
﹁ヒューから伝言だ。どうしても故郷へ帰らなけりゃいけない理由
ができたので、冒険者は続けられないので、世話になったお前にこ
の剣を使って欲しい、てことだ﹂
急な話に俺は息が止まった。
﹁ど、どういうことですか?! 昨日の今日でもう辞めるって!﹂
﹁詳しい事情は知らんよ。別れが寂しくなるからと言って、もうや
っこさんは街を出た。だからこいつはお前さんのものだ﹂
﹁そんな⋮⋮受け取れません。俺、なんにもしてないのに⋮⋮﹂
﹁そう言うな。ヒューは本当に喜んでたぞ。お前と一晩話せて楽し
かったって。だけど一緒には居られないから、こいつを代わりに残
すってな。︱︱なあ、お前がこの剣を使ってやれば、ヒューも一緒
に冒険者を続けられる気がしたんじゃなねえか? だからその気持
ちを汲んでやれ﹂
そう言われてもう一度差し出された剣を、俺は両手で受け取った。
﹁わかりました。だけどこれは俺が預かるだけです。いつかヒュー
が戻ってきたら、きっと返します!﹂
556
頷く俺をなんでか複雑な顔で見つめるガルテ先生がいた。
◆◇◆◇
ジョーイが退室した後。
﹁⋮⋮いいんですかい、陛下。こんな猿芝居までして﹂
その声に応えて、別室へと続くドアが開いて中からいま話題にな
っていたヒューが顔を覗かせた。
﹁う∼∼む、なんで妙なところで頑固なんだろうねぇ。折れた剣の
お詫びのつもりだったんだけど、普通に渡しても受け取らないと思
ったから、ここまで迂遠な手段をとったのにねぇ﹂
﹁普通に陛下が笑って﹃あげる﹄と言えば問題なかったのでは?﹂
様子を見ていたミーアも疑問の声をあげるが、ないないとヒュー
は手を振った。
﹁あそこまで罪悪感を持ってるのに、当の本人からもらえるわけな
いでしょ﹂
それから自分自身の体を見下ろしため息をついた。
﹁︱︱それにしても、この魔導人形やっぱり実用化は難しいみたい
だねえ。ウチの国の技師が趣味で作ったんだけど、遠隔操作中は魔
557
力を流しっ放しにしないといけないし、その間は本体が無防備にな
るし⋮⋮﹂
558
幕間 男達之夜︵後書き︶
だいたい獣王決定戦の日取りが決まるまでの暇つぶし期間中の出来
事です。
559
第十二話 予選開始︵前書き︶
第一回戦開始です。
それと、これの前のお話﹃第十一話 心驕慢心﹄は、﹃幕間 男達
之夜︻第二夜:ジョーイside︼﹄の前、昨日の14時頃更新し
たのですが、諸般の都合で︵まあ私の操作ミスですが︶更新自体を
知らない、という方もいらっしゃるかと思われます、まことに申し
訳ございませんでしたm︵。≧Д≦。︶m
560
第十二話 予選開始
次代の獣王を決める獣人族の戦い、その予選がここクレス王国の
聖地﹃聖獣の丘﹄の麓にある﹃魔狼の餌場﹄で、今日から3日間に
渡り執り行われる。
ちなみに丘の反対側にある﹃地竜の寝床﹄でも同様の予選が行わ
れ、4日目に決勝戦として﹃聖獣の丘﹄で予選を勝ち上がってきた
双方の勝者同士がぶつかり合うことになる。
やぐら
そんなわけで、いまボクは予選会場の﹃魔狼の餌場﹄︱︱そこに
作られた貴賓室に来ているわけなんだけど・・・。
﹁⋮⋮これって態のいい隔離だよねぇ﹂
テント
ボクは予選会場を一望できる、見通しの良い特製の櫓の上から見
える、会場の反対側にある天幕郡︱︱その中にいるであろう、獣人
族の各部族長・長老連中の慇懃でありながら、こちらの脅威度を本
能的に察して、腰が引けた状態になっていた姿を思い出して、ため
息をついた。
貴賓席というより、天井桟敷だよね、これは。
﹁ご不快でありますか、姫?﹂
てんがい
傍らに立つタキシード姿の天涯に訊かれ、ボクは一瞬考えて、正
直に答えた。
﹁︱︱不快だけど仕方ないねぇ。あちらさんにしてみれば招かれざ
る客なんだし﹂
561
実際、この櫓には勝手に食えとばかり、木の実や食べ物、飲み物
などが並べられてあるだけで、歓待しようという人間は誰もいない。
﹁少々お待ちいただければ、いますぐその原因を取り除いて参りま
すが?﹂
廊下に落ちているゴミを始末する感覚で、気楽に頭を下げて進言
する天涯。
いや、大会予選が始まる前にツブしてどうするわけ!?
﹁それはやらなくていいけど、まあ勝手にしろというなら、勝手に
させてもらうよ。︱︱と、いうことで。ちょっと頼まれてくれるか
な天涯﹂
﹁はあ⋮⋮?﹂
◆◇◆◇
ン・ゲルブ
予選1回戦第一試合に出場とあって、獅子族の天幕には緊張が漂
っていた。
﹁やあやあ、調子はどうだい二人とも? 昨日の怪我の影響はない
かい?﹂
あに
天幕前の広場で準備運動をしていたレヴァンと、その汗を拭いた
り、水分の補給をさせたり、なにげなく義兄の体を触ったりしてい
562
たアスミナが、ぱかっと揃って口を開けて、目立たないようローブ
を頭からかぶったボクの顔を見た。
﹁へ・・・陛下・・・?﹂
﹁なんでここに⋮⋮って、あれ?? 貴賓席にいます⋮よね?﹂
、、、
アスミナが指差す先、会場のどこからでも見える、5mほどの高
さの舞台みたいになった丸太造りの櫓の上で、ボクが平然とした顔
で周囲を見下ろしている。
﹁ああ、あれ替玉﹂
﹁か、替玉って、影武者ってやつですか⋮⋮?﹂
噂には聞いていたけど初めて見た、という顔であっちのボクを珍
しげに眺めるアスミナ。
﹁まあ正確には、私を模した魔導人形なんだけど、よほど近くから
見ないと区別はつかないと思うよ﹂
とはいえ傍に寄れば肌の質感とか、目の動きとか、体温とかでい
かにも﹃人形﹄って感じで一目瞭然なんだけどね。気が付かないの
まろうど
はよほどの阿呆だね。誰とは言わないけど。
あとアレの実物を目にした時に、稀人が目を輝かせて、﹁ぜひ1
体譲ってください!﹂って懇願してきたので、ボコボコにしておい
た。
で、カモフラージュの為、人形の隣に立っている天涯が渋い顔を
しているけど、やっぱりこういう娯楽はかぶりつきで見ないと面白
くないからねぇ。
563
﹁そういうことで、こっそり抜け出してきたんだけど、調子の方は
良さそうだね﹂
話しかけられてやっと我に返ったみたいで、レヴァンが口元に、
ふっと楽しげな笑みを浮かべた。
﹁ええ、お陰さまで﹂
いまから試合︱︱いや、死合だっていうのに、そこには気負いや
悲壮感のようなものは全然感じられない。というか晴れ晴れとして
一点のシミもない青空みたいな笑顔だった。
︱︱これはこれは、一晩でずいぶんと化けたものだねぇ。
いまのレヴァンが相手ならかなり良い勝負ができそうな気がして、
ボクも嬉しくなった。
﹁そりゃ良かった。︱︱うん。今日の君は良い顔をしてるねぇ。大
丈夫、勝てるよ﹂
﹁ありがとうございます。とはいえ、昨日までの駄目なオレを吹っ
飛ばしてくれたのは陛下ですから、今日はその礼を込めて、無様な
戦いをしないと約束します﹂
﹁そか﹂
勝つ勝たない以前に、全力を尽くすってことだね。うんうん、こ
れは本気で期待できるねぇ。
﹁⋮⋮あのォ、陛下﹂
あに
あに
そこへなぜか妙にドロドロしたアスミナの声が掛かった。
﹁妙に義兄と雰囲気が良いのですが、まさかわたしから義兄を奪う
564
つもり・・・ではありませんよねぇ﹂
底なしの洞窟のような瞳で見据えられ、ボクは慌てて全力で首を
横に振った。
﹁⋮⋮そ、それはともかく、ずいぶん軽装だけど、防具とかはつけ
ないの?﹂
レヴァンの衣装はいつもの民族服とほとんど変わらないもので、
違いといえば動きやすいように両手の袖がないくらいだった。
﹁はあ、余計な防具は動きの邪魔になりますし。︱︱マズイですか
?﹂
﹁うーん、普通だったら問題ないと思うけど、今回は相手方に強力
な武器が出回ってるって言うし、最低限の防具くらいはつけた方が
いいんじゃないかな?﹂
その時、ふと茶目っ気が起きて、ボクは腰の収納バックからとあ
る装備を出して、レヴァンに見せた。
﹁︱︱手甲と足甲ですか﹂
ばくや
飾り気のない黒のそれを見て、レヴァンの口から素直な感想がこ
ぼれる。
かんしょう
かんしょう
﹁そっ、手甲のほうが﹃干将﹄で、足甲が﹃莫耶﹄っていうの。こ
れくらいなら大丈夫かな?﹂
ばくや
受け取ったレヴァンがそれを装備した。﹃干将﹄は腕を通すとこ
ろが指貫の長手袋状になってるし、﹃莫耶﹄のほうもベルトで調整
できるので、いちおう装備することは出来るはずなんだけど。
565
﹁ちょっと大きくて重いかな⋮⋮まあ、邪魔になるほどでもないで
すね﹂
軽く手足を動かしてのレヴァンの感想。
﹁そりゃ良かった。君がそれに見合うレベルになれば、重さも大き
さもちょうど良い具合に、自動で調整してくれるし、本来の力も発
揮できるんだけど﹂
︱︱そして、誰が認めなくてボクは君を﹃獣王﹄と認めるよ。
ボクは心の中だけでそれを付け足した。
﹁まあ、いまのところは﹃凄く丈夫な防具﹄とだけ思っていればい
いよ﹂
ボクの言葉に殊勝な顔で頷くレヴァン。
﹁わかりました。お借りします﹂
﹁いや、いいよ。あげるよ。私が持ってても使い道がないしね﹂
﹁良いのですか、貴重なモノでは?﹂
﹁道具は道具さ﹂
あれだよね、最強の剣が手に入ったのに、凄いレアで使うと耐久
度が減ってもったいないからと倉庫にしまい込んで、それより劣る
武器で戦うプレーヤーとかいるけど、ボクの場合はあるものは使わ
ないでどーするの?って感じで躊躇なく、どんどん使い潰してたけ
どねぇ。
566
﹁わかりました。ありがたく頂戴いたします﹂
一礼をして受け取るレヴァン。
かつての獣王の装備がボクの手元に来て、現在の獣王の後継者が
受け取る。ボクは運命なんて信じちゃいないけど、こういうのも縁
というのかも知れないね。
﹁︱︱まあ、実際のところ、人のオッパイ揉んだりした変態の持ち
かんしょう
ばくや
物なので、持っていたくもないというか﹂
﹁はあ⋮⋮﹂
微妙な顔で、﹃干将﹄と﹃莫耶﹄に視線を落とすレヴァン。
◆◇◆◇
そんなわけで始まった予選第一回戦。
獅子族の次期頭首レヴァンVS兎人族の冒険者クロエ。
会場︱︱と言っても荒地を整地して、相撲の土俵みたいに100
m四方を周りから1段土盛りしただけの粗末なものだけど︱︱の周
りを囲む双方の部族及び、これから試合を控えた部族の関係者から
盛んな歓声やら怒声やらが上がっているけど、相手の兎人族に比べ、
獅子族の方にイマイチ盛り上がりに欠けるのは、昨日までのレヴァ
ンと同じく、相手が脆弱な兎人族の、しかも女だということで舐め
ているのだろう。
567
やがて審判役の合図で、双方の代表者が試合会場の中央に進んだ
わけだけど︱︱
﹁⋮⋮違うかな、アレは。プレーヤーじゃないっぽいね﹂
レヴァンの対戦相手の兎人族の女冒険者を見て、ボクは首を捻っ
た。
一方、隣で観戦していたアスミナが泡を食った様子で、ボクに掴
みかからんばかりの勢いで詰め寄ってきた。
﹁なんですかっ、なんですか、あれ?! あれって兎人族なんです
か!? 冒険者の女ってみんな、ああなんですか!?﹂
﹁⋮いやぁ、アレは特別じゃないかなぁ﹂
アレ呼ばわりされた相手︱︱兎人族の女冒険者クロエは、一言で
言ってゴツかった。
身長は2m近く、太い眉に鋭い目、四角い顎先は2つに分かれ、
全身の筋肉ははち切れんばかりで、二の腕の太さはボクの胸周りく
らいあり、胸だか胸筋だかわからない膨らみははち切れんばかり、
さらにビキニに似たアーマーを着ているため、8つに分かれた腹筋
や、女性らしいまろやかさのまったくない﹃兄貴の尻!﹄って感じ
のお尻。そして、そこから足にいたるラインも、巨木の根が絡み合
ったかのような筋肉の塊であった。
その頭の上に、申し訳程度にロップイヤーのウサ耳が垂れている。
うん、あれはプレーヤーキャラの限界を、ある意味超えてるね。
568
◆◇◆◇
レヴァンは目の前にそびえる対戦相手を見て、内心ほっとため息
をついた。
︱︱よかった。これなら遠慮は無用だな。
緋雪にはああは言ったものの、やはり女性相手に手を上げるのは、
内心忸怩たるものがあったのは確か。
だが、目の前にいるのは紛れもない﹃戦士﹄。ならば手加減する
など失礼というものだろう。
だから自然と口に出していた。
﹁︱︱よかったよ、貴女が1回戦の相手で﹂
その言葉に不快そうな顔で眉をひそめるクロエ。
﹁あん? そりゃアタシを舐めてるのかい?﹂
﹁違うよ。貴女が紛れもなく強敵だからだ。だからオレも自分の力
を遠慮なくぶつけられる。それが嬉しいんだ﹂
一瞬、呆けたような顔をしたクロエだが、次の瞬間、にやりと凄
絶な笑みを浮かべた。
﹁ふふん、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。なよなよした坊
やかと思えば、まあまあの男だね。︱︱さては周りによほどいい女
がいると見える﹂
569
いもうと
レヴァンは、ちらりと試合場の下で、かぶりつくようにして自分
の様子を見ている義妹と緋雪を見て、苦笑しながら答えた。
﹁そうだな。オレにはもったいない女たちがいてくれる。⋮ところ
でオレの評価は、﹃まあまあ﹄なのかい?﹂
﹁︱︱フン、アタシに勝ったら﹃いい男﹄と認めてやるよ!﹂
﹁そうか、では遠慮なく!﹂
こん
その途端、﹁はじめっ!﹂の合図と太鼓が鳴り、レヴァンは拳を、
クロエは赤い2mほどの棍︱︱棒状の打撃武器で通常は木製だが、
これは金属製らしい︱︱を構えた。
﹁ふん!﹂
気合の声を上げて、クロエの持つ棍の先端がレヴァンの顔面に迫
る。
余裕を持って躱そうとしたその瞬間、
﹁伸びろ!﹂
棍が予想を遥かに超える速度で滑り、目算を崩されたレヴァンの
顔面へと到達し、硬い音とともにその体を吹き飛ばした。
◆◇◆◇
にい
﹁レヴァン義兄様!﹂
570
血相を変え、いまにも駆け寄らんばかりに身を乗り出すアスミナ
を、ボクは宥めた。
﹁大丈夫、ぎりぎりガードが間に合ったし、派手に飛んでるようで
も、自分から跳んで威力を殺しているから、見た目ほどのダメージ
はないよ﹂
それから、若干険しい目で、クロエの持つ赤い棍を見た。
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁あれは﹃E・H・O﹄のドロップアイテム、﹃如意棒﹄じゃない
か。普通に出回るものじゃないし、やっぱり裏でなにか陰謀が動い
ているのかな・・・﹂
そんなボクに向かって、心配そうな顔を向けるアスミナ。
﹁大丈夫なんですか?﹂
﹁と、思うよ﹂
にい
﹁あと試合前に、レヴァン義兄様、あの女と親しげに話していまし
たけど、浮気の心配はないと思いますか?﹂
﹁⋮⋮君もブレないねぇ﹂
571
第十二話 予選開始︵後書き︶
ちなみに如意棒はボスドロップではなくMobドロップなので、さ
ほど珍しいものではありません。伸びるだけなので、ネタ武器扱い
されてます。
9/7 誤字の訂正をしました。
×せんかん↓○かんしょう
×きりぎり↓○ぎりぎり
同、表現を変更しました。
×まろみのない↓○女性らしいまろやかさのまったくない
572
第十三話 勝利条件︵前書き︶
今回はちょっと短めです。
あとクロエ姐さんが大人気ですねw
今回は女の豪腕対男の細腕です。
573
第十三話 勝利条件
こん
地面に転がった姿勢から、ひょいと起き上がったレヴァンは、棍
かんしょう
が顔面に被弾する寸前、咄嗟に十字交差させた両腕に装着された手
甲、﹃干将﹄の表面に傷ひとつ付いていないのを見て、改めて緋雪
に感謝した。
﹁早速、役に立ったか。まったく⋮確かにオレはいい女に恵まれて
いるな﹂
ほんにん
と、緋雪が聞いたら、大いに悩むようなことを呟いて、改めてク
ロエに向き直ると同時に、
﹁はっ﹂
しんきゃく
前日、緋雪に使ったのと同じ、震脚から地面を滑るような独特の
動きで、その差を詰める。
こん
棍の弱点である懐へ入れじと、クロエの攻撃が上下左右正面から
縦横無尽に振るわれるが、特に脅威になる動きではない。
いや、その動きはフェイントを取り混ぜた緻密なものではあり、
なおかつ距離感を狂わせる例の攻撃も織り込まれ、たとえ一流の技
量を持った戦士であってもダメージを受けるのは必至な、クロエを
中心とした暴風のような圏内が形作られている。
だが、﹃間合いが伸びる﹄という特性さえわかれば、レヴァンの
目で充分に対応できるものであった。
574
易々とその懐へ飛び込んだレヴァンの右手が掻き消え、次の瞬間、
複数の打撃音がほぼ同時に響き渡った。試合を凝視していた観客の
ほとんどの者の目にも留まらぬ、閃光のようなジャブであった。
﹁ちっ﹂
この密着した間合いでは棍は使えない、そう判断したクロエは右
手で棍を持ち、左の裏拳をレヴァンの背中に放つ。無論、この程度
の大降りの攻撃が当たるとは思っていないが、この場合は相手が避
けて距離を置くよう、突き放すのが目的なので当たり外れは考慮に
入れていない。だが︱︱
﹁はっ!﹂
﹁ふんっ!!﹂
その攻撃をかいくぐり、レヴァンの渾身の左肘が、ガラ空きにな
ったクロエの胴体へと吸い込まれた。
﹁⋮!﹂
激しい打撃音に、観客は勝負は決まったかと思ったが、攻撃を決
めたはずのレヴァンが驚愕に目を見張り、弾かれたようにクロエか
ら距離を置き、左肘を押さえて、わずかな苦痛の呻きをもらした。
◆◇◆◇
575
にい
﹁なんですか、なんですか、あれ?! 攻撃したレヴァン義兄様の
方が、苦しんでるように見えるんですけど??﹂
攻撃を決めた瞬間の喜色満面から一転して、血の気を失い騒然と
しているアスミナへ、やや呆然とした面持ちで緋雪が説明をした。
﹁攻撃が当たる瞬間に全身の筋肉を硬直させて、逆に相手の攻撃部
位の自滅を誘ったんだ。⋮にしても、どんな肉体強度してるんだろ
うね、あのおねーさん。いや、ほんとこの世界も広いわ⋮﹂
にい
﹁だ、大丈夫なんですか、義兄様は?﹂
﹁鋼鉄を力任せに殴ったようなものだからねぇ、拳だったら砕けて
たかも知れないけど、人体で一番丈夫な肘だから、多分砕けてはい
ないと思うけど・・・﹂
そう言いつつも首を捻る緋雪。
◆◇◆◇
﹁ふふん、なかなか鍛えてるじゃないか。所詮は男の細腕、一発で
砕く自信があったんだけどね。︱︱まぁ、でもしばらくは左手は使
えないだろう?﹂
クロエの言葉に苦笑で返して、レヴァンは痛む肘から右手を離し
拳を握って構えを取った。
576
﹁片手でまだやる気かい?﹂
﹁勿論、右手も両足も無事ですからね。それに、貴女のような﹃い
い女﹄を相手に、惨めな姿は見せられませんよ﹂
﹁はん、まあ⋮お世辞でも礼をいうべきかねぇ﹂
若干白けた顔で肩をすくめるクロエに向かい、レヴァンは大真面
目に返した。
﹁お世辞なんてとんでもない。生命力に溢れ、鮮烈な生き方を信念
を持っている、獣人族本来の姿を体現したような貴女は、とても美
しいです﹂
その言葉に今度こそ上機嫌にコロコロと笑うクロエ。
﹁嬉しいこと言ってくれるねぇ! いい女ってものがわかってるじ
ゃないか。あんた、まあまあの男から、そこそこいい男に認めてや
るよ﹂
﹁それは、光栄ですね。︱︱では、行きます!﹂
﹁あいよ!﹂
◆◇◆◇
﹁なんですか、あれは! 他の女のことを美人とか!! 筋肉です
577
か!? 筋肉が問題なんですか?!﹂
アスミナが隣の緋雪の肩を掴んでガクガク揺さぶっていた。ちな
みにジシスを始めとする他の獅子族の人間は、係わり合いを恐れて
二人の周りには近寄ってこない。
﹁いやぁ⋮⋮どうなんだろうねぇ⋮﹂
﹁わかりました! わたしも今日から筋肉つけます! 肉ですね肉
! あと、ヒユキ様、手っ取り早く筋肉付ける方法とかありません
か?!﹂
﹁え⋮えーと、プロテインとか、ステロイドとか﹂
なんか不毛かつ不穏な発言をしている二人がいた。
◆◇◆◇
再び、クロエの猛攻をかいくぐり、その懐へと入ろうとするレヴ
ァンだが、攻撃の中心は現在死角となっている左手側に集中してい
る。
︱︱手堅いな。
だが、相手の弱点を攻めるのは獣人族においては、なんら恥じる
ものではない。弱点をあからさまに出すほうが悪いのだ。
578
このままではジリ貧だと判断したレヴァンは、一か八かの賭けに
出た。
足元を狙ってきた棍の先端を、躱し際、震脚で踏み抜き、伝わっ
た震動に一瞬だけ両手の自由を奪われたクロエの懐へと飛び込む。
ある程度予想していたのだろ、瞬時に戻された棍が大気を裂いて、
レヴァンの左側面へと襲いかかってきた。
これを左手の手甲で受け止めるも、もともと力の入らなかった左
手は衝撃を殺せずに、鈍い音を立てた。
︱︱折れたか。
だが、これは織り込み済み。怪我をした左手をかばいながら動く
と、どうしても体捌きが不自然になり、そこに隙が出来る。また、
重心が安定しないと他の攻撃にも切れがでなくなる。なので、左手
の怪我はないことにして、普段どおりの動きで受けたのだ、こうな
る結果は予想していた。
頭の隅でその事実を確認しながら、左手の痛みは﹃ない﹄ものと
無視して、レヴァンはそのまま半回転しながら残った右肘に、全運
動エネルギーを乗せてクロエの鳩尾付近へ叩き込んだ。
﹁でやぁ!﹂
これを受けて、先ほどの二の舞とばかり、にっと笑うクロエ。
刹那、とても人体の衝突とは思えない巨大な打撃音が辺り一円を
こだまし、二人を中心にして土盛りした会場に、地割れのような亀
579
裂が縦横に走った。
﹁⋮⋮ふふん。なんだい、いまの技は? 体の芯を震動が通過して
いったよ﹂
﹁鎧の上から直接内部に衝撃を徹す技だ。︱︱正直、右手もくれて
やる覚悟だったんだけどな⋮⋮﹂
﹁⋮⋮そうかい。ところで、あんた最初から1回もアタシの顔を狙
わなかったけど、手加減してたのかい?﹂
﹁そんなつもりはない。ただ、まあ、男の矜持って奴だ﹂
﹁⋮⋮はん。馬鹿だね。だけど小利口な奴より、アタシは馬鹿の方
が好きだね。まあ、これから先⋮がんばりな。アタシもいい男に倒
されて満足だ⋮よ﹂
その言葉を最後に意識を失い、崩れそうになるクロエを支えるレ
ヴァン。
一瞬の静寂を置いて、観客たちから耳をつんざくような歓声と、
叫びが上がった。
◆◇◆◇
一回戦、第一試合終了。勝者:獅子族レヴァン ︱ 敗者:兎人
580
族クロエ
その後も順調に試合は進み。一回戦の4試合が無事に終了したの
だった。
◆◇◆◇
﹁一回戦の勝者は、﹃魔狼の餌場﹄予選の方は、レヴァンの他、豹
人族のダビド、熊人族のエウゲン、蛇人族のキリルと、このあたり
予想通りだねぇ。で、﹃地竜の寝床﹄予選では虎人族のアケロンが
相手を瞬殺、と。︱︱鉄板過ぎて面白くないね﹂
城に帰って今日の結果を確認して、ボクはため息をついた。
コーヒー
﹁まあそんなものでしょう。ところで馬鹿弟子の怪我の具合はどう
でした?﹂
ソファーに腰掛け、美味しそうに珈琲を飲んでいた︱︱いまのと
ころうちの国でしか飲めない︱︱獣王が、なにげない感じで訊いて
きた。
﹁アスミナの治癒魔術︱︱法術だっけ? あれが効いてすっかり元
通りだね﹂
まあボクがその場で治しても良かったんだけど、関係ない第三者
が治療したとなると、後で文句をいう奴も出てくるかも知れないの
で遠慮した。
581
ァン
レヴ
ちなみにアスミナは、治療に邪魔だからと言って、嬉々として義
兄を裸にひん剥いて、直接手で触れて治療してたけど、あれ意味あ
るんだろうか?
前に治癒した時には、普通に服の上から効果があった気もするん
だけど⋮⋮。
たぶん突っ込んじゃいけない部分なんだろうね。うん。
そう思って、話題を変えるために獣王の鉄面皮を見た。
﹁︱︱って言うか、弟子が心配なら見にくればよかったのに﹂
誘ってもなんだかんだ理由をつけて来なかったんだよね。
﹁まあ、大会にしろ、馬鹿弟子にしろ既に儂の手を離れた話ですか
らな﹂
みこと
﹁ふん。まあいいけどね。ところで命都。例の件は調べがついた?﹂
脇に控えていた命都が、一礼をした。
セン
﹁はい、例の兎人の冒険者が持っていた﹃如意棒﹄の入手経路です
ス・ライ
が、流れの武器商人から購入したと、本人は語っておりました。嘘
感知の魔法でも偽証の可能性はないと出ています﹂
﹁流れの武器商人ねぇ⋮⋮。なかなか尻尾をつかませないねぇ﹂
それからふと予選の時から気になっていた点を、獣王に訊いてみ
た。
﹁そーいえば、クロエは魔法の武器を使ってたわけだけど、それっ
582
て大会の規則に反しないの?﹂
﹁問題ないな﹂
あっさりと答えが返って来た。
﹁魔剣、神剣など魔法の武器は持てるのは、それに選ばれるだけの
﹃格﹄があると見なされ、逆に賞賛の対象になる﹂
﹁結構いい加減なものなんだねぇ。魔法の使用は不可で、魔剣は良
いなんて﹂
﹁まあそういうものとしか言いようがないな。だいたいそれを言え
ば、お前さんが﹃スキル﹄と呼ぶ秘術の類いまで使用不可になるだ
ろう?﹂
﹁スキルは使っていいわけ?﹂
﹁当然だな。修行の果てに身に着けた秘技だ。誰はばかることもな
いわな。それと、今日の相手はさほど高度なスキルは使っていなか
ったようだが、明日からは違うぞ。どいつもこいつも一癖どこでは
ない癖のある奴らばかりだ﹂
楽しげに笑う獣王。
テント
レヴァンも大変だねぇ。せめて今日はゆっくり休んで明日の英気
を養って・・・いや、無理か。同じ天幕にアスミナがいるし。
まあ、頑張れというしかないねぇ。
583
第十三話 勝利条件︵後書き︶
9/8 誤字を訂正しました。
×体の心を↓○体の芯を
584
第十四話 策謀袖裏︵前書き︶
前にちょっと名前が出た人と、ちょっと出た人がメインのお話です。
585
第十四話 策謀袖裏
クレス=ケンスルーナ連邦の首都ファーブラーは、連邦の政治・
文化の中心として、ケンスルーナ国のほぼ中心部に位置していた。
ファーブラーがケンスルーナ国にあるのは、連邦の中核をなす双
璧の片割れ、クレス王国がもともと遊牧民族である獣人族でほぼ1
00%構成されているため、基本的に定住した街をもたないことと
︵数百人程度の規模の町は点在する︶、政治、外交などに興味を示
さない獣人の気質が大きかったことに、大きな要因がある。
、、、、
それに対して、ケンスルーナ国は、人間、獣人、亜人に対して平
等を謳った人間の国であることから、他国同様の政治形態を取り入
れ、積極的な内政・外交を展開していた。
そのため、本来ケンスルーナ国単体であれば、中規模国家程度の
人口及び国力しかないのにも関わらず、クレス=ケンスルーナ連邦
の首都という格式と権威付けのためだけに、無駄としか思えない巨
大な都市と政治中枢を造り出していた。
その首都ファーブラーに存在する連邦主席官邸。
建前上は連邦の代表者の公邸に過ぎないそこだが、実質的には宮
殿であり、連邦の真の中枢であった。
現在の連邦主席バルデムは、ケンスルーナ国とも関係の深いユー
ス大公国の国主であり、見た目はお世辞にもハンサムとは言えず、
また中年太りしてきた体型は勇猛さとも無縁ではあるものの、どこ
か子供のような愛嬌があり、会う人に好人物との印象を与える︱︱
586
そんな人間族の男であった。
1時間に及ぶクレス王国代表議員との会談が、結局のところ物別
れに終わったばかりの彼は、相手のいなくなった応接セットの肘掛
椅子に腰を下ろしたまま、淹れ直してもらったばかりのお茶を飲ん
で、喉の渇きを潤した。
それから気を取り直して、秘書に別室にいる客を呼ぶように伝え、
ついでに前の客が残していったお茶を片付け、新しい︱︱より上等
な︱︱茶を用意するようにも付け加える。
待つほどのこともなく、煌びやかな鎧を身に赤い裏地のマントを
つけた︵ただし国名など所属がわかるようなものは一切ない︶金髪
の美丈夫が姿を現す。
こちらは予想通りだが、その隣に立つ頭からすっぽりとローブを
かぶった小柄な人物の存在に、バルデムは密かに眉をひそめた。
︱︱子供? 体格からいって後はエルフか⋮⋮いや、まさかな。
鎧の男の素性を考え、それはあり得ないと内心首を振る。
そんなバルデムの疑問に斟酌することなく、鎧の男はさっさと、
いましがたまでクレス王国代表議員が座っていたソファーに腰を下
ろした。フードの人物も当然のような顔でその隣に座るが、そのど
こか柔らかな仕草にバルデムの視線がわずかに細くなった。
︱︱女か。
﹁会談の結果はどうでしたか?︱︱と、聞くまでもないでしょうね、
その様子では。所詮はケダモノ、目の前の獲物に襲い掛かる以外、
587
なにもできない連中ですからね。国の大局を見るなどできるはずも
ありませんよ﹂
鎧の男がにこやかに、いましがたまでここにいた獣人族をあざ笑
う。
﹁⋮⋮確かにな。奴ら何を言っても﹃獣王の意に従う﹄だ。まった
く話にならん﹂
忌々しげに吐き捨てるバルデム。
彼自身を指して、野心家だとか、連邦の理念を忘れた変節漢など
と陰口を叩く向きもあるが、彼から見てみれば、神だの神獣だのと
いう胡散臭いものを祀り上げ、そこで思考停止したり、何もしない
口実に使う連中は唾棄すべき弱者であった。
現実主義者である彼は、どのような小さな決断でも常に自分で選
び、実行してきた。
無論のこと、そこには常に迷いと痛みがあったが、その迷いを叩
き伏せ、痛みに耐えて、自分自身の選んだ選択に恥じることない、
また悔いない生き方をしてきた。
そんな彼から見れば、今回のことにしても他力本願に﹃獣王﹄に
従うなどと繰り返す、獣人族の連中は実に甘いとしか言えなかった。
︱︱そもそも奴らは上に立つ者に必要な資質がわかっていない。
⋮⋮正しい力と技、心が揃ってこそ﹃王﹄だと!? 馬鹿馬鹿しい
! 真実、清廉な人間など無能なものだ。指導者は善良に見えさえ
すればいいのであって、実体などどうでもいい。ただ結果さえ出せ
ばいいというのに。
とは言え、連邦内での獣人族の影響力と戦闘力は脅威以外のなに
588
ものではない、現在は共同歩調をとってはいるものの、現在、彼が
密かに目論んでいる帝国への逆侵攻作戦︱︱帝国に奪われたかつて
の領土の奪還を強行すれば、文字通り国が二つに分かれるだろう。
そうなっては本末転倒。彼としてもそれは避けたい事態だ。
それを考えると目前の男が全ての鍵を握っていると言える。
﹁︱︱本当に、イーオンは今回の件に横槍を入れないのだな?﹂
バルデムの確認に飄々と答える︱︱イーオン聖王国の密使を名乗
り、実際に大教皇のサインと印が押された密書を携えていた︱︱男。
﹁無論です。我が国は常に中立ですから、一方的にどちらかに肩入
れすることはありませんよ。戦が長引いてグダグダにならないとこ
ろ⋮⋮そうですね、あなた方がかつての領土を解放した時点で、仲
介の名乗りを上げるようにします。ただし、条件としては開放した
国家は、国教としてイーオン聖教を信奉すること、獣人、亜人の定
住を認めないことが、最低限必要になりますがね﹂
﹁ふん。その程度の条件なら訳はないが。⋮⋮他にもあるだろう?﹂
あまりにも美味い話には裏がある。人間の善意など一片も信じて
いないバルデムは、底光りする目で男を見た。
﹁これは話が早い。現在の連邦内の問題、これを可及的速やかに解
決していただきたいのですよ﹂
朗らかな言葉の裏に隠された意味︱︱つまり武力行使をして鎮圧
しろ︱︱を理解して、バルデムはあからさまに顔をしかめた。
﹁連邦が分裂しないためにさっさと実績を作って、主権を完全に掌
握しようって時に、先に泥沼の内部抗争に持って行ってどうする。
589
それこそ本末転倒だろうが﹂
反対するバルデムの目を、男が覗き込んだ。
﹁もともと頭が二つあるのが問題なのでは? 一つしかなければ胴
体はどこに行くか選びようがないでしょう。実質、連邦はあなた方
が主権を握っているようなものですし、肝心の胴体が真っ二つにな
らないうちに手を打とうとしたのはあなたでしょう﹂
﹁それは、そうだが⋮⋮﹂
﹁ならば打つ手は早ければ、早いほど良いのでは?﹂
インペリアル・クリムゾン
躊躇うバルデムに、男の助言が悪魔のささやきとなって届く︱︱
が、
インペリアル・クリムゾン
﹁いや、やはり駄目だ。連中はこれを見越してか、真紅帝国と手を
結んでいる。真紅帝国の戦力が未知数な以上、下手な手出しをして
しっぺ返しを食らったら目も当てられん﹂
現実主義者である彼の克己心がこれに打ち勝った。
﹁なるほど、確かにその通りですね﹂
身を乗り出していたイーオンの密使を名乗る男は、ソファーに再
び背を預けると︱︱にやりと、悪戯をしかける子供のような笑みを
浮かべた。
﹁ですが、その問題もすでに片付いている、と言えば?﹂
﹁なに⋮⋮?﹂
バルデムの不審の声に答えるように、いままで黙って二人の会話
590
を聞いていた第三の人物が、かぶっていたフードを背中に下ろした。
﹁︱︱ばっ⋮⋮ばかな!?﹂
その下にあったのは予想通り女︱︱というより、緋色と漆黒に彩
られた少女のものであった。
年は12∼13歳といったところか、絹糸のような長い黒髪を結
わずに背中に流し、宝石のような緋色の瞳をし、完璧なバランスで
目鼻立ちの整った、総毛立つほど美しい少女であった。
それもただ面立ちが美しいだけではなく、女神と見まごうほどの
気品と神秘性を備えた絶世の美姫である。
だが、バルデムが驚愕したのは少女の美貌に対してではなく、そ
インペリアル・クリムゾン
の特徴的な容姿が報告書にあった一人の人物と完全に符号していた
からである。すなわち、真紅帝国国主、緋雪であると。
インペリアル・クリムゾン
﹁そんな馬鹿な⋮魔国である真紅帝国と、イーオンが手を組んでい
ただと⋮⋮!?!﹂
その様子に、男は悪戯の成功した子供の顔で笑みを浮かべる。
﹁表面では剣を交えるポーズをしていても、水面下では握手をして
いる、などというこは往々にしてあるものでしょう? 神の教義も
大切ですが、パンと水がなければ人間生きていけませんからね﹂
なるほど。その考え方はバルデムにとって、非常に納得のできる
ものだった。
ちらりと緋雪の方に視線を向けると、彼女も軽く肩をすくめて同
意した。
﹁まあねえ、私たちとしては協力するにしても勝ち目のある方に協
591
力したいからね﹂
思ったよりも低い、成人女性のような声で応える緋雪。
﹁すると、クレス王国に肩入れする気はない、ということですかな
陛下﹂
﹁いまのところないよ。取りあえず獣王を決める試合の方は面白そ
うだから見学に行ってるけど、それだけで他意はないね﹂
﹁⋮⋮なるほど﹂
﹁どうですか? 問題はないかと思いますが﹂
にこやかに話をまとめた男の言葉が、最終的な決断の後押しをし
た。
◆◇◆◇
応接室を退室した大小二つの影が、主席官邸の廊下を歩いていた。
大きいほうの煌びやかな鎧をまとった男が、傍らを歩く小柄な少
女に話しかけた。
﹁ヒヤヒヤしましたよ。どうにか﹃物まねカード﹄の時間内に終わ
って助かりましたけど﹂
592
﹁まあ、無事に済んだんだからいいんじゃないのぉ。︱︱それよか、
どう、緋雪ちゃんに似てた似てた? なんかいつもは、もっと丁寧
に喋ってた気もするんだけど?﹂
しな
先ほどまでと違い、ずいぶんと砕けた調子で、右手をうなじのあ
たりに当て、科を作る少女。
﹁いや、仲間内で話すときはそんな感じでしたよ。⋮喋った内容も、
本人が言いそうなことですしね﹂
﹁そかそか。じゃあ成功かな﹂
にやにや笑って頷く。
そんな彼女の姿かたちに、若干複雑な表情を浮かべて問いかける
男。
﹁そういえば、どうでした、緋雪さんの様子は? 変わりありませ
んでしたか。俺はこの間会えなかったもんで・・・﹂
﹁ん∼∼っ、どうかな? あたしも遠目から﹃物まねカード﹄に姿
を覚えこませただけだから、あんまし傍で見たわけじゃないけど。
⋮⋮う∼∼ん、思ってたよりも可愛かったかな。思いっきり女子に
溶け込んでたわ﹂
あれは反則だわね、と続ける少女。
﹁はあ⋮⋮。そうなんですか﹂
﹁ん?︱︱あんま、意外そうでもないけど、前からそうだったわけ、
もしかして?﹂
ギルメン
﹁いや、もともとあんまり性別とか感じない人で、そんなところも
含めて魅力だな⋮って仲間内でも話した記録があるので、そういう
593
のもアリかな、と﹂
へえ、と首を傾げた少女は、次の瞬間、にやりと淫靡な笑いを浮
かべた。
﹁だったらこの体で抱かれてあげよか?﹂
そんな相手の顔を、一転して冷ややかな表情で見据える男。
﹁そういう対象に見たことはありませんし、その姿で緋雪さんを侮
辱するような発言は、やめてもらいたいですね﹂
底冷えのする口調に、少女は悪びれた風もなく肩をすくめた。
﹁そりゃ、すまんかったね。︱︱ボスは喜んで抱いてくれたんだけ
どね﹂
︱︱もっとも、終わった後で、つまらなそうに舌打ちしてたけど
さ。
続く言葉は彼女の自尊心にかけて口には出さなかったが、その言
葉に、男の顔が歪み、何かに耐えるように両手が強く握られた。
◆◇◆◇
﹁︱︱くしょん!﹂
なぜか猛烈な悪寒がして、突発的にくしゃみが出たボクを、隣の
アスミナが心配そうに見た。
594
﹁風邪ですか、ヒユキ様?﹂
﹁いや、なんかいま急に鼻の奥がムズ痒くなっただけで、収まった
から大丈夫﹂
場所は昨日と同じ予選会場﹃魔狼の餌場﹄。かぶり付きで見てい
るボクらの前で、いよいよ2回戦第一試合、レヴァンVS熊人族の
﹃巨岩﹄エウゲンの試合が始まろうとしていた。
﹁さて、相手は700kgの巨漢だって話だけど、どういう試合展
開をするんだろうねぇ﹂
にい
﹁大丈夫ですよ、レヴァン義兄様は、普通に1000kgを超える
魔物でも、素手で倒してますから!﹂
自信満々でアスミナが答える。
トン
なるほど、体重差はあまり関係ないのか︱︱てゆーか、普通にゲ
ーム内のMobとか、あの大きさならどれも1t超えてるよねぇ。
言われてみれば、その程度はハンデにならないのが当たり前の世界
なんだっけね。
で、昨日と同じく審判役の合図で、双方の代表者が試合会場の中
央に進んだけど︱︱
﹁⋮⋮なにあの熊?﹂
思わず自分の口から呆けた声が漏れる。
﹁なにって熊人族ですよ。︱︱ああ、熊人族は見た目が完全に獣そ
のものですからね。見慣れない方には珍しいかも知れませんね﹂
595
﹁いや、それもあるけど、あれって⋮⋮﹂
それはまさに﹃巨岩﹄の名に相応しい巨大な男だった。
アスミナの言うとおり見た目は完全に直立した熊そのもので、頭
の先から足の先まで硬くて脂ぎった獣毛に覆われている。
ぴんと立った耳に、鋭い眼光、巨大な口にはずらりと並んだ牙が
覗き、ごつい両手に生えた爪は鋼鉄でも引き裂きそうな凶悪さだっ
た。
ただし獣人らしく、空手着に似た白い厚手で袖なしの胴衣を着て、
革のベルトで前を閉め、下も同じ色・素材のズボンを履いていると
ころが知性を感じさせるが、正面から向き合ったプレッシャーはど
う見ても野獣のそれだろう。
そしてなにより特徴的なのは、その体毛の色で、全身の毛は白い
のに、耳と目の周り、両手、両足は真っ黒という︱︱
﹁パンダじゃないかいっ!!﹂
思わずボクは絶叫していた。
﹁はあ⋮⋮? でも、熊ですよね?﹂
ボクの勢いに当惑した様子で、首を捻るアスミナ。
︱︱え、なに、もしかして驚くほうが変で、アレが常識なの!?
﹁そりゃそうだけどさぁ! でも、1回戦といい、獣人族って全員
ネタに走らないと生きていけないの!?﹂
ボクの素直な感想に、アスミナがますます困惑の表情で首を捻っ
た。
596
第十四話 策謀袖裏︵後書き︶
バルデム主席は政治家としては有能なんですけどね。
597
幕間 男達之夜︵前書き︶
レヴァンのお話では。
いちおう三部作でこれで終了予定です。
598
幕間 男達之夜
︻第三夜:レヴァンside︼
また、夜が来る。
レヴァンは沈む夕日を見ながらため息をついた。
やま
霊山の庵から里へ戻ってきて2日。
アスミナ
インペリアル・クリムゾン
戻ったというか、気が付いたら拉致されていた。
前後の記憶が曖昧なのだが、義妹の話では、真紅帝国国主︱︱あ
のやたらと綺麗な少女︱︱の前で話をしていたところ、突然具合が
悪くなって倒れたらしい。
いままでそんなことはなかったんだが、相手が相手だけに緊張し
ていたんだろうか? 状況を思い出そうとすると、なぜかわき腹が
ジンジン痛み出すんだが⋮⋮。
そんなわけで、獣王の後継者たる資格が問われる大会前に、一人
暮らしでは体調管理も大変だろうとジシスを始めとした里の者に懇
願されて、止む無く里に留まったわけなんだが、いまになって大い
に後悔している。
いや、別に里での暮らしが居心地悪いとかではなく、周りの人間
も次期族長ということで敬ってくれているし︵ちなみに族長だった
父は、4年ほど前に流行り病で母ともども亡くなっている。当事の
オレはまだ成人前ということで、族長の座は空位にしてジシスが代
行を行っているわけだが︶、昼間、里の男達と獲物を狩りに行くの
599
やま
も面白いし、霊山では飲み水一つ確保するのも大変だったが、ここ
ではそんな苦労もない。
やま
そう︱︱普通に考えれば、わざわざ不便な霊山になんぞ行く必要
はなかったんだが、唯一ここにはオレの自由にならず、そして俺の
いもうと
平穏と安寧を脅かす存在がいる。
言うまでもなく、乳兄妹の義妹アスミナだ。
いや、あいつがオレに好意を持って接して来るのはいまに始まっ
たことじゃないし、子供の頃は微笑ましく思えたものだ。
だが、ここ一年ほどでその傾向が、えらい勢いで加速して、人の
洗濯物を頬ずりしたり、手製の﹃お兄ちゃん抱き枕﹄と鼻息荒く同
やま
衾しているのを見たときは、正直、ウザイを通り越してキモイと思
えて、その足で発作的に出奔したのが、霊山へ篭った真相なわけな
んだが⋮⋮。
いもうと
で、里に戻ってきて、またそんな戦慄の日々が始まるのかと思っ
たが、幸い以前のようなあからさまな義妹の変態行為は見られなく
なった。
さすがに1年も経てばあいつも頭が冷えたか、節度を身に着けた
かと、ほっと安堵したのだが⋮⋮⋮甘かった。ある意味変な方向へ
とグレードアップしていた。
例えば朝︱︱
﹁おにいちゃん、朝だよ∼。早く起きないと朝御飯が冷めちゃうよ
∼﹂
600
という言葉と共に、腹の上に重みを感じて目を開けると、アスミ
ナが毛布越しに俺の上に跨っている。
﹁⋮⋮アスミナ﹂
﹁なあに、おにいちゃん?﹂
﹁⋮⋮なんで袴を履いてないんだ? 下着が丸出しなんだが⋮﹂
﹁きゃーっ、おにいちゃんのエッチー!﹂
わざとらしく上着の裾のあたりを押さえ、なおかつチラチラオレ
の様子を窺う。
例えば昼︱︱
仕切りで区分けされた部屋の中から、ガサゴソ音がするので覗き
こんで見ると。
﹁きゃーっ、おにいちゃん。開けちゃダメー! いま着替え中なん
だから! もう、おにいちゃん、本当にエッチなんだから﹂
半裸のアスミナが申し訳程度に肌を隠して、プンプン怒ったフリ
をする。
オレは半眼で問い返す。
﹁⋮⋮なんで、オレの部屋でお前が着替えをしてるんだ?﹂
601
例えば夕方︱︱
部屋の机の上にわざとらしく帳面が置かれていた。
なにかの伝達事項かと思って、パラパラと捲ってみると、
﹃今日はおにいちゃんが帰ってきた。なんて嬉しいんだろう! 胸
がドキドキして苦しい。
おにいちゃん、わたしの気持ちに気付いてるかな⋮おにいちゃん
のことを想っただけで胸が一杯で、ご飯も喉を通らない。
おにいちゃんの傍に居られるだけで、幸せだけど、わたしだけの
おにいちゃんでいて欲しい⋮⋮﹄
﹁きゃーっ! おにいちゃん、見ちゃダメ! ︱︱勝手に見ちゃダ
メなんだからぁ﹂
タイミングを計ってたかのように︵というか計ってたんだろう︶、
現れたアスミナがオレの手からその帳面を取り上げる。
﹁⋮み、見た、おにいちゃん?﹂
頬を染めて、ちらちらとオレの顔を見るアスミナ。
﹁⋮⋮アスミナ﹂
﹁な、なあに、おにいちゃん?﹂
にい
﹁オレの記憶が確かなら、オレが帰ってきてから﹃レヴァン義兄様
と一緒に食べるご飯は最高ね。飯うまー!!﹄と言って、朝からが
ばがばおかわりしていたと思うんだが?﹂
602
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮もう! やっぱり見たのね、お兄ちゃんのスケベ!﹂
そして夜︱︱
﹁⋮⋮おにいちゃん、今晩は風が強くて怖いの。一緒に寝てもいい
?﹂
寝巻き姿で枕を抱いたアスミナが、おずおずと部屋の中へ入って
きた。
ちなみに今夜は満月で、雲一つない天気。虫の音がよく聞こえて
いる。
﹁じゃあたまには皆で雑魚寝でもするか。ジシスのところにでもお
邪魔して︱︱﹂
﹁ちょっと待ったーっ!﹂
出て行こうとする俺の腰にしがみつくアスミナ。
﹁二人っきりで夜を明かして﹃いつまでたっても子供だな﹄とか﹃
小さい頃を思い出すね、おにいちゃん﹄という思い出話にひたるイ
ベントするのが、フラグ回収ルートでしょう!?﹂
﹁⋮⋮なんだそれは﹂
603
と、その時、興奮するアスミナの胸元から、夕方見た寝言が書い
てあった帳面とは違う、ずいぶんと上等そうな紙でできている帳面
が落ちた。
﹁︱︱なんだこれ?﹂
拾おうとしたところで、顔色を変えたアスミナが演技ではない必
至さで、
﹁きゃあああっ、見ちゃダメ!﹂
慌てて拾おうとしていたので、片手で押さえてもう片方の手で拾
って中身を確認した。
﹃義兄妹での正しい恋愛マニュアル by緋雪﹄
﹃義妹が朝起こしに行くのは鉄板。その際はベッドの上に乗るか、
寝てる義兄の上に跨って、パンツを見せること﹄
﹃さり気なく事故を装って着替えの現場に遭遇させること。自室・
お風呂場などが有効﹄
﹃自筆の日記や詩集など、さり気なく義兄の目に付くところに置い
ておき、義妹の気持ちに気付かせること﹄
﹃夜寝る時は、﹁今日は風が強くて怖いの﹂とか言ってか弱さをア
ピールし、保護欲を誘うこと﹄
﹃寝物語に昔の思い出話とかして、距離感を縮める。ただし﹁もう、
子供じゃない﹂ということを意識させるため、体を密着させること
は必須﹄
・
・
・
﹃注意。いずれの方法もやり過ぎるとあざとくなるので、さり気な
604
く不自然にならないように、時間をかけて行うこと。間違っても1
度に全部やろうとはしないこと﹄
﹁あざといし、やり過ぎだ!!﹂
オレは掌に通した気を﹃火気﹄に転化して、一気に手にした帳面
を燃やし尽くした。
﹁ぎゃあああああああああっ!!﹂
アスミナが悲鳴を上げるが無視する。
というか、裏にはあの方がいたのか。余計な事を︱︱!
﹁なんてことを! せっかくヒユキ様にお願いして書いていただい
た、オトコゴコロを鷲掴みにする攻略本なのに!!﹂
﹁やかましい!﹂
オレは掴みかかってきたアスミナの背中のツボを押さえて、しば
らく身動きをとれなくした後、手近な荷物を持って、その足で再び
夜の闇へと出奔した。
やま
やはりここはオレがいるべき場所ではなかった。獣王決定戦なん
ぞどうでもいい、オレは霊山で一人で暮らす!
◆◇◆◇
605
やま
と言うことで、走りに走って40分ほどで霊山の上がり口まで来
たところで、ほっと息を吐いた。
いもうと
まあ、ここに逃げてきても、また義妹は追いかけてくるだろう。
早めに罠を設置して、少しでも足止めをしなけりゃならんな︱︱
と、思っていたところ、つんつんと上着の裾を引っ張られて、正直、
内心肝を潰した。
このオレが引っ張られるまで全然気が付かなかったのだ。
﹁ねえねえ、お兄ちゃん、あたしの犬を見なかった?﹂
見るとまだ5∼6歳位だろう。狼人族らしい少女が、キラキラ光
る目でオレの顔を見上げていた。
なんでこんなところにこんな小さな子が?
訝しげに思うオレを無視して、彼女は続ける。
﹁あのね、このくらいの茶色い子犬で、首のところにお兄ちゃんの
頭みたいに赤い布が巻いてあるの。見なかった?﹂
オレは反射的に頭に巻いている青いバンダナに手をやった。
いつも巻いているので忘れかけていたけど、そういえば、こいつ
は﹃お守り﹄だって言って、糸の一本一本をアスミナが霊力を込め
て編んでくれた、ちょっとした防具にも負けない頑丈なモノだった
っけな・・・。
つい、思い出にひたったオレの沈黙を、犬のことを知らないと受
け取ったのだろう、女の子はがっかりした様子でその場から立ち去
ろうとした。
606
﹁おい、ちょっと待て。お父さんかお母さんは一緒じゃないのか?﹂
﹁おかあさんと山をお参りに来たんだけど、チコがいなくなったか
ら探してたの。そうしたら、おかあさんも居なくなっちゃって⋮⋮﹂
犬︵チコというのが名前だろう︶を探しているうちに親と離れて
迷子になったわけか。こんな小さい子供がいなくなったら、母親も
どれほど心配していることか・・・。
﹁わかった。チコはオレが明日の朝探してみるから、君⋮⋮ええと、
お名前はなんて言うんだい?﹂
﹁ナタラ!﹂
元気よく答える女の子︱︱ナタラ。
﹁ナタラちゃんは、まずお母さんのところへ帰ろう。お兄ちゃんが
送っていってあげるから﹂
オレは屈み込んで視線をナタラにあわせた。
﹁⋮でも、チコが﹂
躊躇するナタラに、オレはなるべく優しく言い聞かせた。
﹁チコのことも心配だけど、ナタラが居なくなったお母さんはもっ
と心配しているよ。まずはお母さんを安心させないと。チコは必ず
オレが見つけるから、どのあたりで居なくなったかだけ教えてくれ
るかな?﹂
﹁んー⋮とね、こんな風におっきくて尖った白い石が2つ、並んで
たところ﹂
607
﹁双牙岩か⋮⋮﹂
特徴的なその造形は間違いようがない。
﹁お兄ちゃん知ってるの?! だったらお願い、そこにチコがいる
の、連れて行って!﹂
必至に懇願するナタラを前にオレは考え込んだ。本当ならすぐに
でも親元へ届けるべきだろうが、子犬が一晩無事に過ごせるとも思
えない。明日の朝、その事を知ったらこの子の幼い心にどれほどの
傷をつけることか。
幸い双牙岩はっこからそう遠くはない。オレの足なら20分もあ
れば着けるだろう。
﹁わかった。それじゃあ一緒にチコを探しに行こう。それじゃあ、
お兄ちゃんの背中に乗って﹂
オレはナタラに背中を向けた。
﹁うん。ありがとうお兄ちゃん!﹂
﹁ちゃんとつかまっておけよ!﹂
子供の体温と重さを確認して、オレは立ち上がるとそのまま走り
出した。
﹁わあっ、高い! 早い! すごい、お兄ちゃん!﹂
ナタラの歓声に口元を緩めながら、なるべく背中を揺らさないよ
う、なおかつ大至急双牙岩へと向かう。
夜とは言え満月なのが幸いして、オレの目にはほぼ昼間のように
見える。
608
程なく双牙岩へ到達して、周囲を素早く見渡すが、生き物の気配
はない。
﹁ナタラ、どのあたりでチコはいなくなったんだい?﹂
﹁⋮⋮ん? えーと⋮⋮﹂
背中から眠そうなナタラの声が聞こえてきた。この時間だ、無理
もない。それに相当歩き疲れただろうし。
と、ナタラが不意にしっかりした声で、
﹁︱︱チコ!? いまチコの声がしたよ、お兄ちゃん!﹂
﹁? そうか、オレには聞こえなかったけど﹂
﹁間違いないよ、チコの声だよ。その下のほうから聞こえたの!﹂
言われるままに、オレはちょっとした崖の下を覗いた。
すると崖下、5mほどのところに出っ張りがあり、赤い布が揺れ
ているのが見えた。
﹁あそこか。よし、ナタラ、しっかり掴まってろよ!﹂
﹁うん!﹂
一瞬だけ呼吸を整え、オレは一気に崖下へと駆け下りて行った。
◆◇◆◇
609
﹁⋮⋮⋮﹂
崖下の窪みには、古びた赤い布切れと、バラバラになった子犬の
ものと思しき骨が散乱していた。
ただし、どれも昨日、今日のものではなく、相当な年数が経過し
ていると思われる古さだった。
﹁⋮⋮どういうことだ。ナタラ、これってチコのものかい? ナタ
ラ?﹂
眠ってしまったのかと思って、オレは屈み込んで、背中に回して
いた手を慎重に下ろした。
﹁︱︱ナタラ?﹂
振り返って確認すると、そこには子供の姿はなく、代わりに古び
た石の塊が転がっていた。
﹁⋮⋮⋮﹂
なぜかその石にナタラの笑顔が見えた気がして、オレはもう一度
大事にその石を抱き上げ、散乱していた犬の骨と布切れを集めて、
一つにまとめた。
◆◇◆◇
610
最初にナタラに会った場所、そのすぐ傍の藪の中に、古びた石塔
があった。脇には墓碑銘があり﹃ナタラ﹄と彫られていた。亡くな
ったのはもう7年も前の日付だ。
オレはその石塔の上に、持ってきた石を載せ︱︱誂えたようには
まった︱︱石塔の隣に穴を掘り、持ってきた犬の骨と布切れを埋め、
その上に近くにあった石を持ってきて立てた。
それから二つの墓に軽く手を合わせた。
﹁さて、と。帰るか︱︱﹂
すっかり遅くなったがアスミナの奴は待っているだろう。いや、
追いかけてきている頃か?
まあ、しかし、帰らないで心配かけるわけにはいかないからな。
オレはもう一度二つの石碑に頭を下げて、もときた道を戻るため
走り出した。
611
第十五話 巨岩爆砕︵前書き︶
今回は難産でした。
612
第十五話 巨岩爆砕
目の前に佇む山のような巨体。熊人族の﹃巨岩﹄エウゲンが、ハ
ッカ笹を口に咥え、すぱーっと一服しながら、じろりとレヴァンを
見た。
それからなにげない口調で、口を開いた。
﹁獅子族の若いの、お前さん親はいるかい?﹂
苦み走った落ち着いた男の声である。
﹁いや、二人とも流行り病で神獣の庭︵あの世︶へ旅立った﹂
﹁そうかい、気の毒に。︱︱なら悲しんでくれる女はいるかい?﹂
アスミナ
ふと、ずっと一緒に居た義妹と、なぜか最近知り合ったばかりの
緋雪の顔が脳裏に浮かんだ。
﹁⋮⋮いるって顔だな。悪いことは言わん、こんな見世物で命をか
けるなんざ馬鹿馬鹿しい、棄権しな﹂
エウゲンの物言いは単刀直入だった。とはいえ、そこには相手を
侮ったり、駆け引きをしようという姑息さはなく、真実そう考えて
の忠告であるのは明らかであった。個人的に嫌いなタイプではない。
﹁断ると言ったら?﹂
﹁⋮⋮あとは腕ずくしかあるまい﹂
﹁やるかやないか、単純明快だな。嫌いじゃないな。そういうのは﹂
613
にやりと笑ってレヴァンは右手右足を前にして、腰を落として半
身に構えた。
﹁⋮⋮やるか﹂
ぺっとハッカ笹を地面に吐き捨て、エウゲンは両手を広げた構え
をとった。
﹁ああ、やろうぜ﹂
それを合図に空気が張り詰め、気温まで下がったような気がした。
同時に審判が開始の合図を送る。
周囲の感覚とは逆に、レヴァンはエウゲンから流れてくる物理的
な圧力まで感じる殺気に、肌の表面がちりちりと焼ける気がした。
︱︱強いな。
手合わせするまでもなくそう素直に感じる。とはいえ、レヴァン
にはエウゲンに対する恐れも、巨体に対する気後れもなかった。眉
間、喉、鳩尾、脇腹、股間、膝など鍛えられない急所は数多い。
はっきりいってこの巨体を相手に、真正面から冗長な殴り合いを
する気は一切ない。さっさと急所に強烈な一撃を入れて、行動不能
にする︱︱一撃必殺が狙いであった。
エウゲンもそれがわかっているのだろう、うかつに飛び込んでき
てカウンターを合わせられるのを警戒して、自分からは動こうとは
しない。いや、じわじわと動いてはいるのだが、大技で一気に決め
ようという心積もりはないようだ。
生まれ持った肉体を過信することなく、詰め将棋のように戦略を
614
練り、自分の長所を生かした戦いに始終する。見た目とは違い、実
に手堅い相手であった。
◆◇◆◇
﹃まどるっこしいですのぅ。さっさとお互いに全力でぶつかれば良
いものを、非力な小物同士は余計な腹の探りあいで時間ばかりとっ
て⋮⋮﹄
うつほ
達人同士の駆け引きを、くだらないと斬って捨てる現在、従魔合
身中の空穂のぼやきに、ボクは苦笑をした。
こくよう
ちなみにこうしてお忍びで見学しているようでも、足元には影移
いかるが
動で刻耀が待機し、頭上には日替わりで、本日は十三魔将軍筆頭の
ツーマン・セル
斑鳩が待機。さらに隠密活動に特化した親衛隊︵⋮⋮そんなものま
であったの!?︶隊士が常に、二人一組で周囲を警戒している。
﹃まあ、こういうのも玄人受けする試合でなかなか楽しいよ。勝負
が一瞬で決まる、剣豪やガンマンの決闘みたいでハラハラするしね﹄
﹃左様でございますか。ところで姫、些事でございますが、この会
場に何人かネズミが潜んでいるのにお気づきでありますか?﹄
﹃ああ、なんか視線は感じるねぇ。他国の間者かな﹄
﹃大部分はそのようでございますのぅ。とりあえずほとんどの者は
親衛隊が捕獲してございますれば、姫はお気兼ねなく、この見世物
をお楽しみいただければ︱︱との、斑鳩からの伝言でございます﹄
615
﹃ふーん、捕まえた間者はちゃんと生きているの?﹄
ここのえ
この質問に対する答えが、なぜか若干、帰ってくるのが遅れたけ
ど⋮⋮まさか?
しちかせいじゅう
﹃︱︱大丈夫でございます。七禍星獣の鬼眼大僧正・九重は、死者
の尋問や拷問もできますので﹄
みなごろし
それ大丈夫じゃねえ! つーか、暗に鏖殺にしました、と言って
るようなもんだよね!?
これでまた各国でのボクの評判が、﹃吸血薔薇の女王﹄とか﹃鮮
血の魔女帝﹄とか呼ばれるんだろーねぇ。
何もしてないのに何もしてないのに!!
﹃︱︱おや、ようやく始まったようですの﹄
◆◇◆◇
最初に動いたのはレヴァンの方からだった。
受身に回っては、リーチ、重量ともに差がありすぎて圧倒される。
常に先手を取らなければ勝機は見出せない。
ジリジリとお互いが接近して、爪先がエウゲンの攻撃圏内に入る
寸前、レヴァンの体が疾風と化した。
神速の踏み込みから、側面に回り込み、下段蹴りで脛を刈ろうと
616
するレヴァンに対し、巨体からは考えられない瞬発力で素早く跳躍
して避け、さらに空中で左回し蹴りを放ってきた。
︱︱やる!
相手の反応速度に舌を巻きながら、攻撃を躱し様、エウゲンの着
地地点を予測して、距離を縮める。
﹁ふん!﹂
かんしょう
ばくや
瞬間、エウゲンの両手の爪が空中で交差して、X字を描いた。
本能的に、両手両足の防具︱︱﹃干将﹄﹃莫耶﹄で受けるも、勢
いに押されて、吹き飛ばされた。
観戦していた緋雪が、﹁へえ、風刃だねぇ。同じスキルがあるん
だ﹂と感心したように呟く。
吹き飛ばされたかに見えたレヴァンだが、
﹁はっ!﹂
その瞬間、掌底から発する気を﹃火気﹄に変換し、その爆発力を
利用して試合場の上を滑るように移動し、超低空から着地した瞬間
のエウゲンの虚を突き、その両足を刈る。
足元にスライディングキックを受けた、エウゲンの巨体が揺らぐ
が、まだダメージには程遠い。
密着した間合いを嫌ったエウゲンが半ば強引に押し返そうとし、
617
その隙をついて膝蹴りで突き上げると、わずかにエウゲンの巨体が
浮いた。
﹁ぬう﹂
再度、風刃を放とうとするエウゲンの懐へと、爆発したかのよう
な勢いでもぐり込んだレヴァンが完全に密着する。
ガッ!! ほぼゼロ距離から放たれた剄を伴う突きを受けて、エ
ウゲンの全身に衝撃が走った。
いまのをもう一発食らったらマズイ。
体内に浸透したダメージに足腰が抜けそうな感覚と、また横隔膜
の痙攣とで明らかに重くなった体のキレを意識して、エウゲンは目
の前のレヴァンを抱きしめるように、強引に風刃をまとい付かせた
両手を振るった。
この距離では自分もダメージを負うだろうが、肉体強度からいっ
て相手が追うダメージの方が遥かに大きいはず!
パン! 肉と肉を叩く音が響いた。
﹁なにぃ!?﹂
エウゲンが低く呻いた。必殺の両腕が自分よりも遥かに小柄で、
細身のレヴァンの両掌に止められたと知ったからである。
﹁双剄掌!﹂
受け止めたレヴァンの掌から気がほとばしり、気の衝撃波がエウ
ゲンの両手を突き抜けた。
弾かれたように跳び退ったエウゲンは構えをとろうとするが、両
手は力を失ってダラリと垂れ下がったままだった。
618
﹁どうだい? まだ続けるかい?﹂
レヴァンの質問に苦笑いを浮かべたエウゲンは、ゆっくりと首を
横に振った。
﹁いや、やめておこう。俺の負けだ﹂
一流の戦士らしい、引き際をわきまえた態度に、一瞬の間を置い
て、勝者敗者ともども、賞賛の声があがった。
◆◇◆◇
感極まって試合場に登って、レヴァンに抱きついているアスミナ
と、迷惑そうな顔のレヴァン。そして、治療を受けながら、その光
景をニヤニヤ笑って見ているエウゲン。
けっこうカオスっぽい状況から目を放して、取りあえずボクは安
堵のため息をついた。
﹁どうにか予選の決勝戦までは進んだか。次の相手は、豹人族の勇
者ダビドと蛇人族の傭兵キリルのどちらかか﹂
下馬評では、7対3でダビドが優勢と見られてるんだけど。
﹁⋮⋮まあ、いちおう試合のほうも観戦しておくか﹂
でも、できればダビドの方に勝って欲しいかな。蛇とかトカゲと
619
かあんまし好きじゃないし。
ちなみに蛇人族は蛇というよりも、どちらかというと直立して尻
尾のない恐竜って感じの種族だった。
まあ、全身に鱗がテラテラ光ってるのと、蛇特有のあの目はどー
にも生理的に受け付けられないところがあるんだよねぇ。
てんがい
あ、天涯クラスの巨大怪獣になると、そういう意識はなくなるの
で念のため︵だいたい鱗の大きさが1枚1.5mとかなると、完全
に別の生き物だよね︶、まあ龍人形態はぶっちゃけキモいけどさ。
⋮⋮怖いから言えないけど。
◆◇◆◇
そして、予選会2回戦第二試合。
勝負はほとんど一瞬で決まった。
双剣を自在に使うキリルの猛攻を受けきれずに、全身をナマスの
ように切り刻まれたダビドが血の海の中沈んでいた。
あれほどの傷、あれほどの大出血、どうみても致命傷なのは確か
である。
呆気なくも凄惨な光景に観客も声が出ない中、勝ち名乗りもそこ
そこに悠々と現場から下がるキリルの目と、ボクの目が一瞬合って、
明らかに面白がるような笑みがそこに浮かんだ。
620
こいつ⋮⋮。
﹁あ、あのキリルって、あんなに強かったんですか⋮⋮﹂
唖然としたアスミナと、険しい目でキリルの後ろ姿を見ているレ
ヴァンを横目に、ボクは内心ため息をついた。
プレーヤーの両手剣士スキルだったな、あれは。
どういう小細工をしたんだか知らないけど、あれはプレーヤーだ
ね。
で、プレーヤーが参加している以上、レヴァンの決勝進出はほぼ
絶望だろうね。
﹁さて、どうしたもんか﹂
とりあえず、どうやってあのキリルに闇討ちかけようかと考えつ
つ、ボクは一人ごちた。
621
第十五話 巨岩爆砕︵後書き︶
12/13 誤字修正いたしました。
×予算会↓○予選会
622
第十六話 忘他利己︵前書き︶
最近、影が薄いとか、負け癖がついているとか言われている緋雪ち
ゃんのターンですw
623
第十六話 忘他利己
蛇人族の天幕の奥、集中の邪魔になるから絶対に入るなと厳命さ
れたその一角に、二人の男が向き合っていた。
シミター
頭の天辺から足先まで鱗に覆われ、動き易い革鎧を着て、両方の
腰に2本の三日月刀を佩いた一方の男は、いま予選会第2試合を終
えたばかりの傭兵キリルである。
そして、向かい合っている︱︱というか、両手足に枷を付けられ
地面に転がされている︱︱のは、同じ蛇人族の男。⋮いや、他種族
の者には区別はつかないだろうが、蛇人族の者が見れば目を疑った
だろう。なぜなら、転がされているのもまた、間違いなくキリルそ
の人であったのだから。
まったく同じ姿をした男が二人、片方は立ち上がって侮蔑の視線
を見下ろし、もう片方が地面の上から憎憎しげな視線で見上げると
いう、本来ならあり得ない構図ではあるが、幸か不幸かこの場には
当事者たるこの2名しかいなかった。
﹁馬鹿だねお前も。最初から僕に協力していれば、そんな目に合わ
ずに獣王になれたってものを﹂
立ち上がっているキリルの口から、まだ少年のような声が漏れた。
﹁ふざけるな! 替玉で優勝だと?! 貴様、戦士の誇りを侮辱し
ているのか!!﹂
624
転がされている方から、こちらは30歳前後と思われる外見相応
の声が、血を吐くような口調で叩きつけられた。
﹁はン。理解できないねぇ。自分の手を汚さないで安全な場所から
結果だけ手に入れられるんだ。僕ならスキップして喜ぶけどねえ﹂
﹁⋮⋮貴様には戦士の心がわからん。誇りを捨てるくらいなら俺は
死を選ぶ﹂
その慟哭を鼻で笑う少年の声をしたキリル。
﹁まったくこれだから原始人は。⋮⋮まあ、死ぬのは勝手だけど、
大会が終わるまでは嫌でも付き合ってもらわないと。︱︱おっと、
﹃スタン・ブロウ﹄﹂
﹁ぐっ﹂
自分の毒牙を自分自身に突きたてようとしたキリルの動きを察知
して、一瞬早く繰り出されたスキルが、その意識を刈り取る。
素早く猿轡を噛ませて、舌打ちしたもう一人のキリルの姿が、不
意に水にぼやける絵画のように不鮮明になり、瞬きの間にそこにい
るのはキリルに比べ頭一つ背が低く、線も細い、水色の髪をした狼
人族の少年に変わっていた。
少年の方も自分の変化に気付いてため息をついた。
﹁効果切れか。一度記憶させても使えるのは24時間以内、変身で
きるのは30分だけ。﹃物まねカード﹄のこの縛りさえなければ、
こんな蛇さっさと殺しておいたのに﹂
ぶつぶつ言いながら、どこからともなく取り出した金属製のカー
625
ド。その鏡のように磨き上げられた表面に、転がっている本物のキ
リルの姿を映し込むこと30秒あまり、チーンと完了の音がして、
少年は面倒臭そうにそれをまたしまい込んだ。
さて、取りあえず明日の予選決勝までは、誰もここには来ないよ
うに言ってはあるけど、万一があるとまずいからな、この馬鹿︱︱
本物のキリル︱︱を、その辺の箱にでも閉まっておくか。
そう考えて周囲を見回した少年の視線が、乱雑に積み上げられた
おのの
荷物の上にちょこんと座っている人形のそれと正面からぶつかり、
ぎょっとした顔で慄いた。
等身大の幼女を模したと思しき、2.5頭身ほどのその人形は、
インペリアル・クリムゾン
真っ直ぐな黒髪を腰まで伸ばし、緋色の瞳に、薔薇をあしらった黒
のドレスを着込んだ、どう見ても真紅帝国国主、緋雪をデフォルメ
したものであった。
なんでこんなものがここに!?
と、唖然とする少年の前で、あろうことかその人形は人間のよう
なスムーズな動作で動き出し、腕組みすると、その口から銀の鈴の
ような声を出した。
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁⋮⋮なるほどねぇ、﹃物まねカード﹄という手があったんだね。
確かそれって﹃E・H・O﹄初期の頃にでた課金ガチャの景品だっ
たかな? その頃は私はプレイしてなかったんで、直接手にする機
会がなかったので思い出さなかったよ﹂
﹁︱︱お前、緋雪か? なんだいその姿は?﹂
猛獣の唸りのような問いかけに、ひょいとオーバーに肩をすくめ
626
て︵等身が小さいのでいちいちジェスチャーを大きくしないと伝わ
らない。また、なにげにその仕草が可愛らしい︶答える緋雪人形。
﹁うちの技師がお遊びで作った、魔導人形№3﹃ちびちび緋雪ちゃ
ん﹄というものらしいね。なかなか便利だよ、こうして諜報にも使
えるしね﹂
ちなみにこの﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄は一部に熱狂的なファンが
てんがい
まろうど
いるらしく、製作途中で数体が何者かに盗まれ紛失したとか、それ
と同時期に天涯や稀人他数人が、自室に客を入れるのを嫌がるよう
みこと
ガサ入れ
になったとか、いわく有りげな逸品なのであった︵この一件が片付
き次第、命都及び親衛隊により抜き打ち検査予定あり︶。
﹁くそっ、相変わらずふざけた野郎だな﹂
憎憎しげに吐き捨てる少年に対して、首を捻るちびちび緋雪ちゃ
ん。
﹁まあ、もとが野郎なのは確かだけどさ。⋮⋮ところで、﹃相変わ
らず﹄とか言われて申し訳ないんだけどさ、そもそも、君、だれ?
見たことあるような気もするけど?﹂
その台詞に、少年の顔が怒りと屈辱で赤くなった。
﹁僕を忘れただって!? お前なんかより、ずっと早く爵位を受け
た、この僕を!!﹂
﹁爵位持ちねえ。えーと⋮うちのギルドの他の4人は除外して、あ
とは⋮⋮﹂
指折り数えだすのだが、どーしても思い出せないという雰囲気で、
少年の顔を見てコテンと首を横にした。
﹁︱︱せめて所属ギルドだけでも教えてもらえないかな?﹂
627
﹁ふざけるな!! さんざん兄貴と一緒に顔を合わせていたろう!
馬鹿にしてるのか、お前!?﹂
怒りの咆哮と共に、一瞬の抜き打ち︱︱刀スキル﹃居合い﹄︱︱
で、ちびちび緋雪ちゃんをバラバラにする少年。
それでもまだ怒りが収まらない、という風に転がってきた胴体を
蹴飛ばすと、その拍子に人形のポケットから地図がこぼれ落ちた。
訝しげに拾い上げてみると、この予選会場から少し離れた場所に
﹃×﹄印が描かれていた。
﹁ここで待ってるってことか。ふざけやがって⋮⋮﹂
◆◇◆◇
待つほどなく、その場所︱︱以前、レヴァンと闘った人気のない
荒野︱︱に、キリルに化けていたプレーヤーの少年は現れた。
﹁ここに居たのか、ネカマ野郎!﹂
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁ネカマねぇ。⋮私は﹃E・H・O﹄でも、普通に性別は名乗って
たし、別段姫プレイをしたこともないけど?﹂
そのくせ、なんでか男女問わず﹃緋雪ちゃん﹄とか﹃姫様﹄とか
呼ばれたんだよねぇ。オフ会でさえそうだったし。解せぬ。
628
﹁男の癖に女キャラ使ってるのは、全員ネカマに決まってるだろう
!﹂
うわーっ、暴論だねぇ。ボクの知る限りほとんどの男性が女性キ
ャラのアカウント持ってたし、女性の男キャラ使用率もかなり高か
ったけど、それ言ったらネトゲやってるほぼ全員が、ネカマ・ネナ
ベってことになるよ。
﹁⋮⋮まあ、なんでもいいけどさ﹂馬鹿と議論をするだけ無駄なの
あにまる
で、ボクはとっとと本題に入ることにした。﹁君の目的と背後関係
について教えてもらえるかな? えーと⋮⋮兄丸さんのところの名
前は思い出せない、金魚のフンさん﹂
あにまる
いや、これ挑発とかではなくて、素でいまだに名前が出てこない
あにまる
んだよねぇ。﹃兄貴﹄って言葉でなんとなく、兄丸さんのところの
ギルドのサブマスターだったのは思い出したんだけど、いつも兄丸
さんの後に付いていた印象しかなくて、まともに会話した覚えがな
いんだよね、これが。
おとまる
﹁音丸だ! お情けで爵位を貰ったお前と違って、僕は兄貴同様に
シミター
実力で爵位を貰ったんだ。つまり、お前とは格が違うんだよ、格が
!﹂
その叫びとともに、少年の大きく振りかぶられた右手の三日月刀
が、真下の地面に向け、振り落とされた。
刀スキル﹃ライトニング・ソード﹄︱︱深々と地面に突き刺さっ
た刀身から、乾いた雷鳴が轟き、そこから青白い紫電が、四方八方
にほとばしった。
629
こくよう
パヴィス
ボクの方へ来た電撃は、躱すほどのこともなく、一瞬で影の中か
セラフ
みこと
ら現れた刻耀が大盾でガードしてくれる。それと同時に、あちこち
プリンシパリティ
の岩陰とかに潜んでいた、熾天使の命都とその直属で、ボクの親衛
隊隊員である権天使4名が翼をはためかせ、ボクの背後に降り立っ
た。
そして、上空からゆっくりと、身体の各所から触手を生やし、中
いかる
心部に巨大な単眼を持った光り輝く多面結晶体︱︱十三魔将軍の筆
頭、ヨグ=ソトースの斑鳩が、そしてそこに掴まっていたのだろう。
がいじん
﹁お待たせしやした、姫!﹂巨大なオークキングの凱陣が。
ペット
ソードドック
いき
ペット
グリーンマン
﹁おおおっ、姫様! また同じ戦場にたてるとは!!﹂ボクの最初
の従魔にして魔剣犬の壱岐が。
そうじゅ
﹁これぞまことに誉れにございます、姫﹂二番目の従魔、緑葉人の
双樹が。
呼んだ覚えはないんだけど、なぜか彼らまで意気揚々と数十メー
トルの距離を飛び降りてきた。
ペット
﹁はん、従魔をゾロゾロ連れて、やっぱりネカマ野郎は一人じゃ怖
くて戦えないってところか﹂
ふわらいどう
あにまる
﹁それは君のことだろう? いまの電撃で思い出したよ。雷系の魔
剣を使う双剣士︻不破雷童︼。兄丸さんのレべリングのお陰で、T
OPランカーに入れた﹃金魚のフン﹄を公式に認められた二つ名じ
ゃなかったかい?﹂
﹁ふざけるな、ネカマ野郎! 僕の爵位は実力だ!!﹂
おとまる
激高する音丸︱︱名前を聞いても、そうだっけ?という印象しか
ないけど︱︱の様子に、ボクは妙な引っ掛かりを覚えて内心首を捻
った。
630
怒るってのは、内心認める部分があるからこそ、そこを指摘され
て、その気持ちを否定するために行う行為だと思うんだけど、普通
ここまで感情を剥き出しにするかなぁ?
いや、それが行われた直後ならまだわかるよ。
だけどボクより先に爵位を受けたっていうなら、このくらいの悪
口雑言は日常茶飯事だったと思うんだけど、怒りってそんな持続す
るもんだろうか?
違うっていうなら確かに否定はするよ。さっき﹃ネカマ﹄って言
われた自分みたいに。けど時間の経過と共に怒りの感情ってのは、
普通は磨耗していくと思うんだけどねぇ。
なーんか違和感があるんだよね。あの兄丸さんみたいに。
まるで、﹃こう言われたら、こう返すのが当然だ﹄って形で演技
してるみたいに感じられて。
﹁︱︱まあ、詳しくは捕まえた後で尋問することにするよ。おとな
しくしていれば痛い目には合わないけど、無駄な抵抗をするかい?﹂
刻耀が一歩前に出て、命都以下、親衛隊がボクの周囲を守る形で
配置に付いた。後方にいる凱陣たちも、いつでも相手に飛びかかれ
る姿勢をとっている。
いずれも実力はボス級のモンスターに取り囲まれたプレーヤーが
一人。
普通に考えれば絶望的な状況に、音丸が下を向いて、そのまま肩
を震わせ⋮⋮⋮⋮爆笑をした。
631
﹁おめでたいな。こんなんで僕を罠に嵌めたつもりかい。さっきな
んで僕が﹃ライトニング・ソード﹄を打ったのか、全然気が付いて
いないんだから!﹂
その刹那、地面が地震のように揺れた。
﹁これは、地面の下⋮⋮?﹂
﹁姫、北東方面です。お気をつけください﹂
斑鳩の警告の声と同時に、彼方の砂漠地帯が突然爆発したかのよ
うに、数百︱︱ことによると数キロメートルの範囲で、火山の爆発
のように砂煙を吹き上げ、そこから巨大な何かが這い出してきた。
むかで
﹁あれは⋮⋮兄丸さんのギルド・ホーム・移動要塞﹃百足﹄?﹂
小型︱︱と言っても1つの区画が100メートルを超える︱︱ブ
ロックで構成されたそれに各々移動用の脚が取り付けられた、全長
で数キロメートルあるであろうその特徴的な姿に、さすがに唖然と
する。
あれもあそこまで馬鹿でかくなかったと思うんだけど、実体化す
るとあそこまで非常識な大きさになるんだねぇ。
インベントリ
﹁その通り! いまはボクの管理下だけどね。そして︱︱﹂
収納スペースから取り出したのだろう、音丸の手には紫色の結晶
があった。
﹁これで決まりだ! ︱︱デュエルスペース・オープン!﹂
そのキーワードとともに手にした結晶が砕け散り、同時に周囲の
空気が変わった気がした。
632
﹁︱︱これは?﹂
﹁はははははっ、対人戦をしたことがない腰抜けのお前は知らない
だろう。これでこの周辺は別空間になった! プレーヤーのうちど
むかで
ちらかの勝敗がつくまでは誰にも解く事はできない。つまり、お前
には増援は来ないってことだ! だけど僕には﹂
ペット
パチンと指を弾いて合図をすると、移動要塞﹃百足﹄の側面が開
いて、そこからゾロゾロと従魔があふれ出てきた。ボス級もけっこ
ういるね。
ペット
﹁1,000匹近い従魔がいる。どうする? 抵抗しないなら殺さ
ないくらいで我慢してやるぞ﹂
さっきのボクの台詞を真似してるんだろう、嘲笑混じりの言葉。
ペット
﹁⋮⋮ふーん、どうでもいいけど、君のところの従魔って名前がつ
いてないみたいだねぇ﹂
﹁あ⋮?﹂なにを馬鹿なこと言ってるんだという顔をする音丸。﹁
あたりまえだろう、名前をつけて能力が上がるわけでもないのに﹂
ペット
完全に従魔を道具としか見ていない発言に、ボクと他の仲間たち
が顔を合わせて、やれやれという顔で両掌の上にあげ、ヒョイと一
斉に肩をすくめる。
これでお互いに意思疎通が図れた。
﹁じゃあ取りあえず、あの僕ちゃんは私が相手をするということで﹂
ペット
﹁それでは、私たちはあの下郎どもを征伐して参ります﹂
命都が頭を下げ、他の従魔たちを連れて、百足の方へと向かって
633
いく。
移動要塞1基+モンスター1,000匹対9名。普通に考えれば
あり得ない戦力差だけど、全然彼らには気負いはなかった。という
か、戦を前に足取りが弾んでいた。
ペット
﹁⋮⋮なに考えてるんだ、お前のところの従魔は、馬鹿なのか?﹂
ジル・ド・レエ
﹁まあ、馬鹿には違いないけどね﹂
苦笑しつつ、ボクも愛剣﹃薔薇の罪人﹄を始め、本気装備を呼び
出す。
﹁最近は結構気に入ってるんだよ、あの馬鹿な連中が︱︱﹂
ジル・ド・レエ
そう言ってボクは﹃薔薇の罪人﹄の剣先を、音丸に向けた。
﹁さて、始めようか﹂
634
第十六話 忘他利己︵後書き︶
つばき
えのき
ちなみに、今回ついてきた命都配下の親衛隊の権天使︵1対2翼の
ひさぎ
ひいらぎ
天使としては最高位︶の4名は全員女の子で、それぞれ﹃椿﹄﹃榎﹄
﹃楸﹄﹃柊﹄の四姉妹です。
あと、タイトルの﹃忘他利己﹄は本来﹃忘己利他﹄で、﹁自分のこ
とを忘れて、他人に尽くす﹂の意味ですけど反対にしました。誰を
指してるかはお察しですね。
635
第十七話 歳月不待︵前書き︶
今回はモンスター戦です。
636
第十七話 歳月不待
いかるが
向かい来る敵の飛行モンスター群と、地面を蠢く数キロにも渡る
巨大な百足に似た移動要塞の威容を前に、斑鳩はその巨大な単眼を
笑いの形に歪めた。
﹁うむ。これこそ戦いだ。せいぜい楽しませてもらおう﹂
それから凛とした声で名乗りを上げる。
インペリアル・クリムゾン
﹁聞け、名もなき雑兵どもよ! 我が名は斑鳩、天上に魔光あまね
く真紅帝国の円卓魔将にして、十三魔将軍を束ねる者なり! いと
尊くも美しき我が唯一なる主、緋雪様の勅命により、汝ら逆賊を征
伐するためにここに参った!! その威光を恐れぬというならかか
って参れ!﹂
刹那、斑鳩の全身から放たれた虹色の光線︱︱赤外線、紫外線、
可視光線、X線、高周波、電磁波、自由電子など、ありとあらゆる
波長のレーザー︱︱が、迫り来る敵モンスターを薙ぎ払う。
半分がそれで消滅したが、残り半分がそれを耐えて、逆に斑鳩に
反撃してきた。
﹁ふむふむ。さすがに人間どもよりは歯ごたえがあるか﹂
正直、一撃一撃はさほど威力のある攻撃ではないが、なにしろこ
ちらは全長70メートル以上と的がでかいので、まとめて攻撃を受
けるとダメージも大きい。
637
バリアーでこれを遮断し、さらに重力線で叩き落とす。
むかで
第一群の敵があらかた消えたのと入れ替わりに、第二郡とそして
ついに移動要塞﹃百足﹄が動いた。鎌首をもたげて、一気に斑鳩へ
と迫り来る。
巨大な斑鳩も、この要塞の前では巨木の前のボールも同じである
が、特に慌てた様子もなく、その場に留まる。
﹁できればもう少し遊びたかったが。でかいのが来たしな。︱︱さ
らばだ﹂
刹那、斑鳩の触手の先端に闇が生まれ、それが周囲の光や空間、
重力さえも歪め始めた。
ディメンジョン・スラッシュ
﹁次元断層斬﹂
次の瞬間、凝縮した闇が時空連続体すら破壊する爆発となり、辺
り一体を綺麗さっぱり消滅させた。
挑んできた敵第二郡はもとより、有効範囲内にあった百足の前面
もスッパリと削ぎ落とされたが、ブロック構造になっている移動要
ディメンジョン・スラッシュ
塞は、ダメージを受けた箇所を切り離して、やや寸詰まりになりな
がらも、再び鎌首をもたげ、ただし次元断層斬を警戒してか、やや
距離を置いて砲撃や、ビーム、溶解液などによる遠距離攻撃にシフ
トしてきた。
﹁なかなかタフだな。とはいえ、そんな腰の抜けた攻撃では、私に
ダメージを与えることなど︱︱むっ?!﹂
その瞬間、四方から迫ってきた光の渦が、斑鳩を飲み込もうとし
638
た。
咄嗟にバリアーと重力線である程度相殺したが、思いがけない︵
とは言えHPの1割弱が削られただけだが︶ダメージに、斑鳩の目
が真剣みを帯びて、周囲を素早く警戒した。
その目が、自分の周りを取り囲むようにして五角形を描いている、
自分自身に良く似た︱︱というか、種類的には同じヨグ=ソトース
なのだろう。ただし、こちらは大きさが20メートルほどと、通常
版の従魔としてのサイズとレベルしかない、ダウングレード版であ
る︱︱敵を捕らえて、不機嫌そうに目が細まった。
﹁・・・同類か。理念もなく、道具として使われる哀れな者たちよ。
すぐさまその労苦より解き放ってくれよう。⋮⋮いや、綺麗事だな。
貴様らを見ていると歪な鏡で映された自身を見ているようで、我慢
がならんのだ。なによりも我が名は﹃斑鳩﹄。姫様より賜りしこの
名にかけて、我は唯一無二であればよい。︱︱消えろ、粗悪品ども
!﹂
ディメンジョン・スラッシュ
ディメンジョン・スラッシュ
再度、次元断層斬の光が瞬き、周囲のヨグ=ソトースを飲み込む
が、最も近くに居た1匹が消滅した他は、同じ次元断層斬である程
度相殺することに成功したのだろう、残り4匹がフラフラになりな
がらも健在であった。
﹁ふーむ、久方ぶりの戦いで勘が狂ったか。まさか一撃で倒せなか
ったとはな。とはいえ、もう一発︱︱﹂
その時、天空より飛来した4つの流星が敵ヨグ=ソトースの単眼
スピア
に激突する、その直前に花が開くように四方へと散開︱︱だが、勢
いはそのままに投擲されたオリハルコン製の聖槍が、敵ヨグ=ソト
ースの体のど真ん中を貫通して、たっぷりと運動エネルギーを開放
639
した。
スピア
四散する同類の姿と、すぐさま別の聖槍を用意して、残りの敵に
えのき
ひさぎ
ひいらぎ
向かって行く4人の天使の姿に苦笑する斑鳩。
つばき
﹁﹃椿﹄、﹃榎﹄、﹃楸﹄、﹃柊﹄の四季姉妹か。彼女らの手腕に
賞賛を贈るべきか、はたまた同類どもの不甲斐なさを嘆くべきか﹂
プリンシパリティ
本来であれば、彼女たちは権天使。階級的にはさほど高い能力を
もった種族ではないのに比べ、ヨグ=ソトースは強さ的には最上位
に位置する。絶対的な戦力差があるはずなのだが、あっさりひっく
り返してみせた。
﹁これが﹃名﹄と﹃志﹄あるものと、ないものとの差である。我ら
は幸せ者だな。あのような暗君ではなく、姫様の元にいられるのだ
から﹂
と、しみじみ呟くうちにもう1匹のヨグ=ソトースも四季姉妹の
いき
波状攻撃によって、空中にいられなくなり大地へと降り立った。
その瞬間、残像すら残さない神速で踊りかかって行った壱岐が、
その巨体を真っ二つに叩き割る。
﹁うおおおっ! 俺は緋雪様の第一の臣下、壱岐だ! 最も最初に
姫様から賜りしその名において、貴様ら下郎は、一歩たりとも姫様
に近づくことは許さん。全員、俺が叩き切ってやる!﹂
叫びつつ、全身の刃の長さを更に伸ばして、敵の軍勢の中に単騎
で飛び込んでいく。
慌てて攻撃しようとする敵モンスター群だが、混戦の中その速度
に追いつけずに、また目の前に来た瞬間には細切れとなるほどの早
640
業に、半ば同士討ちのような状況になってきた。
じん
がい
さらにそこへ、召喚したオーク兵100名ほどを引き連れて、凱
陣が雪崩れ込んでいく。
﹁おらおらっ! 俺の名は凱陣っ。畏れ多くも姫様よりその名を受
けた、ラーメン屋﹃豚骨大王﹄店主でぇ! てめーら、ヒョーロク
玉なんざ出汁にもならねえ、全員生ゴミにしてやるぜ!﹂
オーク兵と敵の生き残りとでさらに混戦がひどくなり、ふと気が
付くと4メートルを越える凱陣より頭一つ大きい、ゴーレムが目の
前に居て殴りかかってきた。
一発、顔にクリーンヒットをもらった凱陣だが、
﹁⋮⋮なんでぇ、このヘナチョコは﹂
効いた風もなく、両手の骨をぽきぽき鳴らすと、腰を落としてそ
のゴーレム目掛けて右ストレートを放った。
咄嗟に両手を上げて防御するゴーレムだが、その腕ごと一発でゴ
ーレムをバラバラにする凱陣。
﹁手前らの拳には根性がねえんだよ、根性がっ!﹂
それから、じろりと周りを取り囲むモンスターたちを見回し、コ
キコキと肩の鳴らして右手を振り回す。
﹁言っとくが俺の拳には、俺の根性と姫様の愛が篭って2倍どころ
か100倍増しで硬いぞ。覚悟しろや﹂
そうじゅ
そして、仕上げにやや離れた場所に居た双樹が、
﹁ふむふむ。若い連中は血気が盛んで結構なことよのぉ。どれ、ひ
とつ儂は取りこぼしの清掃と行こうか⋮﹂
641
そう呟き、その場で大地に根を下ろす。
たちまち大地の養分や水、魔力を吸い上げて、15メートルほど
の大木のような姿に変じた。
﹁⋮⋮荒野であるし、この程度が限界であるか。では、緋雪様の第
二の家臣にして、双樹の名を賜りし者。その名を辱めぬよう参る﹂
そのまま大地を滑るように移動する、その足元から槍状になった
根が四方八方、槍衾のように大地から飛び出し、正確に敵のモンス
ターのみを射抜き、さらに体内で生成した植物性の毒を流し込む。
モズの早贄のように体を突き刺されて息絶える者、辛うじて急所
は外れたものの、毒を流し込まれて痙攣して息絶える者、慌てて距
離を置いて双樹本体に攻撃しようとするものには、全身に生えた棘
を矢のように飛ばし、さらに口から猛毒の息をあたり一面に霧の幕
のように放射する。
一方的ともいえる殲滅速度を上空から眺めながら、やれやれ私の
出番は残りの同類と、あのでかい要塞くらいか、と思った斑鳩のそ
ヒール
の目の前で、残り2匹の敵ヨグ=ソトースが、地面にリンゴを落と
したように爆散した。
みこと
そこから涼しい顔で飛んできた命都が、斑鳩に治癒をかける。
﹁大丈夫ですか、斑鳩殿。少々傷を負ったご様子ですが?﹂
﹁こんなものはかすり傷であるな。それに多少は手傷を負った方が、
戦いの意気が上がるというもの﹂
﹁そうでしたか。では、余計な手当てでしたか?﹂
642
﹁いや、助かった。礼を言おう。それに第一、地上の方はああまで
乱戦になると、我ではうかつに攻撃できんからな。もはや手出しも
できぬだろう﹂
嬉々として動き回っている、壱岐、双樹、凱陣の様子を、若干羨
ましげに見る斑鳩だが、ふと、気が付いて命都に尋ねた。
こくよう
﹁そういえば、刻耀の姿をみていないな。どこにいる?﹂
困ったような顔で、下に視線を投げる命都。
﹁刻耀殿の狙いに雑魚はありません。狙うは本陣のみです﹂
その意味するところを悟って、斑鳩が敵の本陣︱︱巨大な移動要
塞に視線を戻した瞬間、
ガンッ! という猛烈な突き上げが、移動要塞﹃百足﹄の中央部
分で起こり、その衝撃に耐え切れずに﹃百足﹄の数ブロックが吹き
飛ばされ、空中で爆発した。
﹁︱︱始まったようですね﹂
パヴィス
ランス
見れば、左手に装備していた大盾を押し上げた姿勢で立っていた
刻耀が、右手に持った暗黒色の大槍を構え、そのまま分断された﹃
百足﹄の後部へ向け、今度は縦に引き裂く形で突進して行く。
慌てて上半身に当たる片割れが攻撃してくるが、なんら痛痒を感
じた様子もなく、数キロに渡る﹃百足﹄を、まるでバターナイフで
バターを切るように分断していく刻耀。
﹁⋮⋮やれやれ。これでは、本格的に我の出番はもうなさそうであ
643
るな﹂
﹁そのようですね﹂
微笑を浮かべて同意する命都。
﹁あとは姫様の首尾の方であるが⋮⋮﹂
つ
緋雪の居る方向へ視線を向ける斑鳩。
うつほ
﹁空穂も憑いていますし、あの程度の小物であれば問題はないかと
思いますよ﹂
プレーヤー
﹁ふむ。我もそう思うが、相手は超越者、どんな裏技を使うか油断
はできぬ﹂
﹁そうですね﹂
頷いた命都も、斑鳩が向いている方向へ視線を向けた。
644
第十七話 歳月不待︵後書き︶
あらかたの方が﹁勝負にならないんじゃ?﹂と予想されてましたけ
ど、はい、勝負になりませんでした︵笑
645
おとまる
第十八話 黒幕黒子
ひゆき
緋雪と音丸、二人の間には10歩ほどの距離が開いていたが、お
互いに一瞬で間合いを詰められる距離である。
シミター
身動ぎもせずに、剣と三日月刀を構えて対峙する二人︱︱通常で
あれば、ぴりぴりと張り詰めた空気が限界まで膨らんだ風船のよう
にあるはずだが︱︱そうした緊張感は微塵もなかった。
ジル・ド・レエ
シミター
八相で﹃薔薇の罪人﹄を構える緋雪の方は自然体から。
二刀の三日月刀を中段に構える音丸の方は余裕と侮りから。
﹁⋮⋮いっとくけど、僕のステータスはあの方のお陰で、いまのお
前とほぼ同じになっている。条件は互角、つまり、地力で劣るお前
には勝ち目がないってことだよ﹂
不意に口を開いた音丸の挑発に、訝しげな目で相手のステータス
を確認した緋雪の目が、軽く瞠られた。
うつほ
その言葉通り、音丸のステータスは現在、神獣である白面金毛九
尾の狐・空穂と従魔合身中の自分とほぼ同じ︱︱MPでは勝るもの
フェンリル
の、HPは相手が上回る︱︱であり、なおかつ緋雪を驚愕させたの
が、﹃従魔合身:神滅狼﹄という項目であった。
フェンリル
﹁神滅狼?! あれは確かティム不能のイベント・ボスだったはず
⋮!?﹂
いや、仮に何らかの裏技で従魔にできたとしても、通常であれば
646
インペリアル・クリムゾン
︱︱根性で限界突破した真紅帝国の住人ならいざ知らず︱︱所有者
であるプレーヤーのレベルを逸脱したステータスを持てるはずがな
い。
事実、先ほど音丸が呼び出した移動要塞から出てきた従魔たちは、
それ相応のステータスしか持っていなかった。だとすれば、この異
常なステータスの原因は︱︱。
﹁﹃あの方﹄って言ったけど。それって、らぽっくさんが言ってい
た﹃この世界の神様﹄と同一人物なわけ?﹂
﹁そうさっ。あの方こそ神! 全ての始まりさ﹂
﹁⋮⋮そのあたりを詳しく教えてもらいたいんだけど?﹂
﹁はン! 僕を倒せたらなんでも喋ってやるよ。まあ、そんなこと
天地が引っくり返ってもありっこないけど︱︱ね!﹂
その嘲笑とともに音丸が地を蹴り、同時に緋雪も前に出た。
ガキン!と、ほぼ中間地点で剣と刀が激突し、互いの斬撃が火花
を散らす。
﹁ふん!﹂
力と力のぶつかり合いで趨勢を傾けたのは、やはりというか体重
とSTR︵筋力︶に勝る音丸であった。
突き飛ばされた緋雪を追撃する音丸の双刀が螺旋を描く︱︱刀ス
キル・旋風刀に、さらに刀自体が持つ雷撃が付加された。
剣圧は竜巻となり、体の浮いていた緋雪に襲いかかる。
緋雪のスカートがはためき、その小柄な体が宙に浮く。さらに四
647
方から鎌首をもたげたスパークが迫る。
﹁はああっ!﹂
ジル・ド・レエ
気合とともに空中で回転しながら、﹃薔薇の罪人﹄を一閃させた
緋雪の斬撃が、一刀両断で雷撃もろとも竜巻を二分した。
束縛から解放された緋雪が足をつける前に、カタパルトから発射
スラッシュ
された砲弾のように、音丸が一直線に突進する。
剣士系基本スキル・刺突。
勢いのままに繰り出される直線的な攻撃に対して、横薙ぎの剣閃
で迎撃する緋雪。
着地の衝撃に上乗せして、静止した状態から全身の筋肉を急加速
させる動き︱︱獣王から学んだ剄の動きを取り入れたそれが、緋雪
本来の爆発力によって、凄まじい螺旋力へと変換された。
足元の地面が爆発する。
剣と刀、2回目の激突。
だが、今度は剣が力負けしない、速度で相手を遥かに上回った結
果である。
﹁!?﹂
予想外の結果に、音丸の顔に一瞬焦りが浮かんだ。
﹁ちっ!﹂
その弱気を自ら糊塗すべく、再度スキルを発動させようとする音
丸の鳩尾に、鍔迫り合いの体勢から、緋雪の蹴りが飛んだ。
ジル・ド・レエ
蹴られた勢いはそのままに、吐き気をこらえて慌てて距離を置き、
追撃に備える音丸。だが予想に反して、緋雪は﹃薔薇の罪人﹄を肩
648
に乗せた姿勢で、﹁う∼∼ん﹂となにやら思案し出した。
﹁⋮⋮やっぱり同じだねぇ﹂
﹁あン? なにがだ?﹂
﹁君の攻撃パターンだよ。兄丸さんと同じだね。基本的にスキルの
連発で、通常の攻撃はその中継ぎか、スキルが間に合わない場合に
力技で行うかのどちらかだねぇ﹂
﹁それがどうした! ちんたら斬ってたらいつまで立っても相手の
HPを削れないだろう!﹂
その言葉に緋雪は首を傾げた。
﹁それは痛みも何もないゲーム内のことじゃない? 現実の世界で
は通用しないと思うよ。急所を打たれれば痛みがあり、視界を塞が
れれば距離感が狂う。実際、それで兄丸さんも負けてるしね。まあ、
相手に合わせてスキルを連発した私が負けたのは自業自得だけど、
基礎も応用もできてないそのやり方は、早い段階で破綻すると思う
よ﹂
﹁馬鹿言うな、そんなのは力のない負け犬のいい訳だ! 絶対的な
力の差があれば、そんなものは関係ない﹂
﹁そうかい。じゃあ私はいまからスキルを使わないで、君を倒して
見せるよ。次で雌雄を決しようじゃないか﹂
﹁できるもんならやってみろ、このハッタリ野郎!﹂
雄叫びと共に縦横に振るわれる音丸の二刀︱︱刀スキル・連続斬
649
りを、緋雪は後退しながら躱し、いなし、弾き飛ばす。
﹁はン! 逃げるだけが!? この男女!﹂
牙を剥いて罵声を浴びせる音丸の態度にも、特に動じた様子もな
く隙︱︱スキルの終了直後の硬直を狙う緋雪の意図を察して、スキ
ルが終わる直前に足をとめた音丸。
そこへ緋雪の突きが流星となって襲いかかる。
﹁くそっ︱︱﹂
最短距離で自分の喉元を狙ってくる緋雪の剣を外すには、一瞬の
シミ
硬直が致命的な遅延となって響いている。いまからでは躱すのは不
可能。
ター
音丸は咄嗟にその刺突を外そうと、剣を打ち払うべく右手の三日
月刀の軌道を変えた。
刀スキル奥義・打壊。
自らの武器を相手の武器にぶつけた瞬間、相手の武器を払い除け
るか、破壊する技。
その代わり自分の武器にもそれ相応の負担をかける。
だが、緋雪の持つ武器はサーバ内でも知らないものがいない、ほ
ジル・ド・レエ
シミター
ぼ最高級の長剣を奇跡の10回連続強化に成功した神剣ともいうべ
き﹃薔薇の罪人﹄。それに比較して、自分の持つ三日月刀は、同じ
シミター
Lv99武器としてもかなり格は落ちる。
ジル・ド・レエ
結果、澄んだ金属音とともに三日月刀の刀身が砕け散り、無傷の
﹃薔薇の罪人﹄が残った。だがスキルの効果で、緋雪の手からすっ
ぽ抜けた剣が、クルクルと回転しながら音丸の後方に落ちる。
650
ジル・ド・レエ
反射的な行動なのだろう、飛んでいった﹃薔薇の罪人﹄の方へ、
シミター
左手を延ばした緋雪。だが、まだこれで終わりではない。こちらは
二刀、つまり左手の三日月刀は健在である。
勝利を確信した音丸は、口角を吊り上げ、緋雪のその白い肌の鎖
骨目掛けて、左手を振った。
﹁⋮⋮なーんちゃって﹂
体勢を崩しかけていたかに見えた緋雪は、すぐさま姿勢を正すと、
迫り来る白刃目掛けて無手の両手を差し伸べた。
かしわで
パン!と乾いた拍手のような音がして、音丸の刀身が止められた。
剣聖技﹃白刃取り﹄。
かつて兄丸が使い、緋雪が敗れた原因になった技である。
﹁︱︱て、てめーっ、スキルは使わないって⋮!?﹂
音丸の抗議をにっこり笑って返す緋雪。
﹁うん、ごめんね。あれ、ウ・ソ。︱︱で、こんな小細工もしてみ
ました﹂
アイゼルネ・ユングフラウ
その姿勢のまま、ぐいと刀身を捻る。と、その拍子に音丸の目に、
緋雪の左手装備﹃薔薇なる鋼鉄﹄の表面に装飾された薔薇の蔦先が
開放され、自分の背中の方へと伸びているのが見えた。
ジル・ド・レエ
はっと背後を振り返った音丸の胴体に、蔦の先に絡み取られた﹃
薔薇の罪人﹄が飛んできて、躱す間もなく突き刺さった。
651
﹁がはあっ!!﹂
ジル・ド・レエ
シミター
、、、
喀血し力の緩んだ音丸の手から、楽々と三日月刀を奪い取る緋雪。
先ほど飛んでいった﹃薔薇の罪人﹄の方へ左手を伸ばしたのは、
アイゼルネ・ユングフラウ
隙を見せて音丸の攻撃パターンを特定するためと、もう一つ、密か
に開放した﹃薔薇なる鋼鉄﹄の蔦を、絡ませて手元に引き寄せる目
的の一石二鳥であったのだ。
シミター
﹁やっぱり、君ら基礎も応用もできてないと思うよ﹂
苦しむ音丸の首筋に、奪い取った三日月刀を押し当てて、しみじ
み感想を述べる緋雪であった。
◆◇◆◇
むかで
﹁⋮⋮どうやらあっちも勝負は決まったようだねぇ﹂
シミター
遥か彼方で炎上崩壊する移動要塞﹃百足﹄の最後から視線を戻し、
レッドゾーン
イエローゾーン
ボクは再度、苦悶の声をあげる音丸に三日月刀を押し当てた。
まだHPは危険領域どころか注意領域にも突入していないけど、
痛みと大量の出血に戦意を喪失しているようだった。
だからゲームと現実の感覚は違うというのに⋮⋮。
﹁じゃあ、雌雄も決したわけだし⋮まあ、いちおういまは私も女な
フェンリル
わけなんだから、雌で私の勝ちだねぇ。そんなわけで、約束どおり、
君に神滅狼を植え付けた、﹃あの方﹄とやらの正体を洗いざらい喋
ってもらおうかな﹂
652
そんなボクの質問に、恨みがましい視線で答える音丸。
﹁誰が、手前みたいな⋮⋮卑怯者に教えるか⋮﹂
まあ、予想通りの反応だね。
てか、卑怯者って・・・移動要塞に1,000匹以上のモンスタ
ー軍団を用意して、なおかつこちらの増援が来ないよう、デュエル
スペースとやらの特殊空間に閉じ込め、さらにティム不可能のボス
モンスターまで繰り出してきた相手には言われたくないなぁ。
まあ、そう言っても無駄だろうね。この手の輩は、自分の意に沿
わないことは、全部相手のせいなんだろうからねぇ。
﹁まあ、話したくないというなら、話したくなるよう、こちらとし
ジル・ド・レエ
てはがんばるだけだよ﹂
シミター
言いつつ、素早く﹃薔薇の罪人﹄を抜き取って、代わりに相手の
三日月刀を突き刺す。ついでに軽く刀身を捻る。
うん、これでHPがイエローへ突入かな。
でも、こうしてみると、やっぱいくらHPが増えても所詮は生身
の人間。打たれ弱いね。ボクも気をつけないといけないねぇ。
﹁ぎゃあああああっ!!﹂
で、痛みでのた打ち回ろうとする、音丸を右足で押さえ込む。
ジル・ド・レエ
そっち
﹁悪いけど、﹃薔薇の罪人﹄は返してもらうよ。お気に入りなんで、
君の血で汚したくないからねぇ。代わりに三日月刀は返すよ。それ
と後は︱︱﹂
インベントリ
ボクは素早く収納スペースから予備の剣を5本ばかり引き出した。
空中に現れた剣が、剣先を下にして、ボクの周りに突き立つ。
653
﹁生憎と拷問とか心得がないんでね。取りあえず、喋るまで全身滅
多刺しにして、リアル黒○でもやることにするよ。︱︱ああ、死ん
でも生き返らせて続きをするので、ご心配なく﹂
﹁なっ︱︱﹂
痛みも忘れて目を剥く音丸に、有無を言わせず1本目の剣を突き
立てる。
﹁ぐあああああああああああっ!!﹂
フェンリル
﹁さすがに神滅狼と従魔合身してるだけのことはあるねぇ。HPが、
まだレッドにすら落ちないんだから﹂
感心しながら2本目を手に取る。
﹁⋮⋮ところで、このデュエルスペースっていつになったら開放さ
れるの? やっぱり相手を殺さないとダメなのかな?﹂
up﹄の声を合図に、デュエルスペー
﹁や、やめろ! 負けだ、僕の負けだ。なんでも話す!﹂
刹那、音丸の﹃Give
スが開放され、独特の閉塞感がなくなった。
﹁︱︱なーるほど、こういう仕組みなわけね﹂
要するに、どちらかが負けを宣告すれば終了する仕組みってこと
だね。
てんがい
だったら、とっとと﹃わたしまけましたわ﹄とでも言って空間を
解いて、天涯を呼んでボコらせれば良かった。
いまさらだけどそう思いつつ、ボクは音丸に2本目の剣を向けた。
654
﹁んで、黒幕の正体って?﹂
﹁そ、それは⋮﹂
キョドりつつも、音丸が何かを口にしかけた、その瞬間︱︱
﹃姫、お気をつけて!﹄
空穂の警告の声に、はっと飛び退いたのと同時に、飛来したスロ
ーイン・ダガーが音丸の喉に突き刺さった。
フェンリル
だけどその程度、神滅狼と従魔合身中の音丸にとっては、ダメー
レッドゾーン
ジ的にはまだ数%くらいで、問題になるレベルとは言えない。目に
見える変化としては、わずかにHPが減って、危険領域に突入した
かな、といったところだったんだけど⋮⋮。
刹那、いままでとは比較にならない様子で、胸を掻き毟り声にな
らない断末魔のような叫びを放つ音丸。
フェンリル
フェン
﹃いけませぬ。神滅狼が暴走しておるようです。離れてくだされ、
姫﹄
リル
空穂がそう言った瞬間、絶叫と共に音丸の胸から飛び出した神滅
狼が炎に包まれ、音丸ともども一瞬にして燃え尽きてしまった。
あまりの高温ですり鉢状に解けて固まった大地に呆然としている
と、聞き慣れない第三者の、苦々しい声が背中から聞こえてきた。
ジル・ド・
﹁だめですね。HPがレッドになると暴走するようでは、まだまだ
改良の余地がありますなぁ﹂
レエ
慌てて振り返りながら、手にした予備の剣を捨てて、﹃薔薇の罪
655
人﹄を構えたボクの視界に、ありえない人物の姿が飛び込んできた。
見た目は人間族の18歳程度の青年だろう。細い目に短い黒髪、
膨らんだリュックを背負って、だぶだぶのコートに前掛けを下げた、
どこから見ても﹃商人﹄というスタイルをしたこの男性、こんな場
所に居るには不釣合いな姿だけど、ボクには非常に馴染みのある姿
かたちだった。
かげろう
﹁⋮⋮影郎さん?﹂
ギルメン
確認の問いかけに、少しだけ嬉しそうな顔で頷く影郎さん︱︱か
つての仲間であり、いるかいないんだか素で存在感のないその容貌
めっしほうこう
と、極限まで追求したその暗殺術の凄さから﹃姿なき行商人﹄とも
恐れられ、︻滅死彷徨︼の二つ名を持つ伝説のスーパー商人その人
だった。
﹁はい、お久しぶりです。お嬢さん。またこうしてお会いできるの
は涙が出るほど嬉しいんですけど、いまの自分は他の旦那さんのと
ころで使われる身、愛しいお嬢さんとひと時の逢瀬を楽しむことも
できません⋮⋮﹂
最後は哀しげに顔を振る影郎さん。
つーか、ギルドでやってた﹃お嬢様と奉公人の秘められた恋﹄ご
っこの設定、まだひっぱてるのか⋮⋮。
﹁他の旦那ってことは、さっきの音丸と同じ雇い主ってこと?﹂
﹁もうしわけありませんが、いくらお嬢さんでもそれは教えられま
せん﹂
656
ふむ、見かけはこんなでも筋を通すところはきっちり通すのは相
変わらずだねぇ。
と、ふと思いついたことを訊いてみた。
﹁そういえば、クロエ・・・獣人の兎人族のおねーさんが、如意棒
を流しの武器商人から買ったって言ってたそうだけど﹂
﹁ああ。あのごっつい姐さんですか、確かに自分が売りました﹂
ふむ、間接的に同類だって認めたようなもんだね。
﹁︱︱とりあえず、旧交を温めるためにも、いろいろ話を聞きたい
んだけど?﹂
﹁すんません、すぐ帰るように旦那さんからきつく言われてるもの
で。本当に、すみませんお嬢さん﹂
心底申し訳なさそうに謝る影郎さんの姿が、ゆっくりと背後の景
色に溶けて行った。
影郎さんの十八番の﹃完全隠蔽﹄だ。
﹁待︱︱﹂
みこと
引き止める間もなく、完全にその姿を消した。
意気揚々と戻ってくる命都たちの姿を眺めながら、もう少しで手
に入りそうで、スルリと手の中から抜けていった手がかりの感触に、
ボクはため息をついた。
657
第十八話 黒幕黒子︵後書き︶
ということで、新キャラ︵緋雪の昔の彼?︶登場です。
9/12
黒子の設定について、某有名作品とモロかぶりとわかりましたので、
職業・風体・名前を変更しました。
12/18 脱字修正いたしました。
×神滅狼が暴走しておうようです↓神滅狼が暴走しておるようです
658
第十九話 獅子対虎︵前書き︶
決勝戦となります。
659
第十九話 獅子対虎
クレス王国の聖地﹃聖獣の丘﹄はその部分以外が、スッパリとナ
イフで削り取られたかのような垂直の崖で隔離された台地だった。
形としては元の世界にあったテーブルマウンテンに近いかな? あれをもっと容赦なく︱︱ぶっちゃけ、テーブルの上のホールケー
キみたいに︱︱切り取った感じで、台地の上は周囲の荒野とは打っ
て変わって、緑が生い茂る自然豊かなジャングルみたいになってい
る。
なんか見た目、デコレーションケーキみたいな場所だね。あと、
関係ないけど、死ぬ前にいっぺんホールケーキ丸ごと食べたかった
なぁ、10号くらいあるやつ。
で、その中心部付近に白くて真っ平らの100m四方ばかりの岩
があり、ここで神事とか奉納の舞とか、闘いとかが行われるそうで、
今回の﹃獣王決定戦﹄の舞台ともなっていた。
ちなみに、本来なら昨日はレヴァンVSキリルの予選最終戦の予
定だったんだけど、︵あの後、助け出した本物の︶キリルが試合前
に不戦敗を宣言して、あっさりとレヴァンの決勝進出が決まった。
﹁⋮⋮なんかやりました?﹂
と、レヴァンにすごーく不審そうに見られたけど、勿論ボクはな
ーんにもやってない⋮というか、助けたくらいなので、力一杯否定
しておいたけどね。
660
﹁大丈夫、後ろ暗いことはなにもしてないから!﹂
と、サムズアップ。
﹁ちなみに、後ろ暗くないことは、何かしたんでしょうか?﹂
と聞いてきたのはアスミナ。
﹁えーと⋮⋮﹂
なんて言って誤魔化そうかな。
大会で不正をやろうとしていたプレーヤーがいて、その陰謀を暴
こうとしたら、なんか昔の知り合いらしくて、一方的にストーカー
ばりの恨みをぶつけられて、襲ってきたので逆にボコボコにしたら
自爆して、結果的にそれの引き金になったのが昔のギルドのメンバ
ーで、いまはなんか敵対勢力の一員となっていたみたいで捕まえる
前に逃げられたんだ。︱︱これを簡潔に言えば。
﹁顔も覚えていないような知り合いに襲われて、危なかったんだけ
どなんとか切り抜けて、そこでばったり昔、とても親しくしていた
男に会って、詳しい話をしようとしたら逃げられた﹂
あれ? なんか違うような気もするね。と言うか、アスミナの目
が爛々と輝いてるんですけど?
﹁さ、三角関係のもつれですね! さすがはヒユキ様です。そのあ
たりもっと詳しくお話しましょう!﹂
うん、これは完全に入力すべきコマンドを間違えたね。
その後、やいのやいのと大きな⋮というか壮大なお世話のお節介
を焼こうとする︱︱まあ、恋する少女の同類を作りたいんだろうけ
661
ど、この娘の場合は半分病気なので一緒にされたくはないなぁ︱︱
アスミナを適当にいなして、虚空紅玉城に戻ったところ、なぜか影
郎さんが敵に回った情報が知れ渡っていて︵いや、あの現場にいた
のはボクと影郎さんと空穂しか居なかったんだから、消去法で犯人
はわかってるけどさ!︶、全員が腫れ物でも触るような感じで接し
て来るんだよね。
いやいや、お嬢様と奉公人の秘められた恋とか、影郎さんが妄想
した設定だからね!
全然、そーいう関係はなかったんだからね!
と、口を酸っぱくして言ってみても、﹃わかってますわかってま
す、姫のつらい気持ちは﹄と全然わかってない、優しい笑顔の返事
が返って来るし。
いや、ボクも普通にMMORPGをプレイするなら﹃なりきる﹄
こと自体はとても正しい態度だとは思うよ。
だけど、それを現実に持ってくるというのは⋮⋮ああ、でも、彼
らにとってはそれが﹃現実﹄なわけだったんだし、ややこしいとい
うか、変なところで現実化の弊害がでてるというか。
う∼∼む⋮⋮ある意味、らぽっくさん以上の難敵になったかも知
れないね、影郎さんは。
◆◇◆◇
662
そんなわけで、本日はいよいよ獣王を決定する決勝戦。
予選会場﹃魔狼の餌場﹄からは、獅子族の次期族長にして、現獣
王の弟子であるレヴァンが。
もう一方の﹃地竜の寝床﹄からは、下馬評通りの強さでもって、
虎人族族長である﹃豪腕﹄アケロンが勝ち上がってきた。
神聖な戦いということで、アスミナをはじめ何十人かの各部族か
ら選ばれた巫女が聖獣に捧げる舞を踊り、その幻想的な踊りに観客
も釘付けになっていたところで、
くらし
﹃︱︱おや、姫様。いま上空で待機していた蔵肆が、小腹が減った
と申して生きの良さげな獲物を捕らえたようですが、喰ろうても構
いませぬか、と尋ねてまいりました﹄
従魔合身中の空穂が、かなり投げ遣りな口調で口を開いた。
﹃それが⋮⋮?﹄
お弁当はないんだから、別に現地調達でパクパク食べればいいと
思うけど⋮⋮って。
﹃︱︱まさか人間じゃないよね?﹄
﹃それこそ、まさかでうのぅ﹄
即座に否定の言葉が返ってきて、ほっと一安心した。
﹃なら別に好きにすれば?﹄
﹃あい。どうやらこの地の主の聖獣らしいですが、餌は餌ですから
のぅ﹄
付け加えられたその意味を理解したボクは、周囲が石舞台に注目
663
している中、慌てて頭上を仰ぎ見た。
ボク
しちかせいじゅう
吸血姫の視力でどうにか見えた遥か先で、全長10メートルを超
える翼を持った虎︱︱七禍星獣の蔵肆が、角の先端までなら5メー
トルはあるような青い光に包まれた牡鹿を口に咥えて、ゴキゲンな
様子で空中に立っているのが見えた。
﹃わわわわわっ! まずいよ。いくらなんでも聖獣を食べちゃ! リリースリリース! ポイして、ポイ!﹄
嫌そうな顔をする蔵肆。
﹃足の一本くらいなら、どうかと尋ねておりますが?﹄
﹃⋮⋮んーっ、どうなんだろう。聖獣なんだしまた生えてくるかな
? ちょっと確認してみて﹄
すると聖獣が思いっきり首を横に振った。嫌みたいだねぇ。
﹃嫌がっておるようですな。︱︱これ、この地の主よ。我らが姫様
に忠誠を誓うのであれば、このまま放しても良いぞ﹄
空穂の提案︵というか脅迫だね︶に、ブンブンと首を縦に振る聖
獣。
﹃︱︱そういうことである。蔵肆よ、そ奴もただ今より姫様の臣、
食餌とすることはまかりならん。放してたもれ﹄
そう言われて、しぶしぶ聖獣を元の場所へ戻す蔵肆。
664
こ
危ない危ない、オヤツ感覚で聖地の要がうちの蔵肆の胃袋に収ま
るところだったよ。
バレたらえらい事になってたなぁ、と密かに胸をなで下ろしたと
ころで、いつの間にか巫女舞も終わっていたらしく、アスミナが獣
人族の巫女の格好と化粧のまま戻ってきた。
﹁どうでした、ヒユキ様。わたしたちの踊りは?!﹂
﹁⋮き、綺麗だったよ、とても﹂
密かにドタバタしていて、途中から見てないけどさ。
﹁ありがとうございます! 聖獣様にも喜んでご覧いただけたら幸
いなんですけど﹂
﹁ソ、ソーダネ﹂
聖獣はその時、死ぬか生きるかで、それどころじゃありませんで
した。とは言えないよねぇ。あとドサクサ紛れにボクの子分になっ
たとか。
つくり笑顔のまま、背中に冷や汗を流し、ボクは頷いた。
◆◇◆◇
長い式典が終わり、いよいよ決勝戦が始まろうとしていた。
レヴァンは自分の前に立つ長身の男、虎人族族長である﹃豪腕﹄
665
アケロンを見やった。
はな
男に対してこういうのは語弊があるが、実に﹃華﹄のある人物だ。
無駄のない筋肉に手首、足首、心臓、肩、腰を守る必要最低限の
防具をつけただけで仁王立ちしている、その姿には気負いはないが、
黙って立っているだけでも凄まじい威圧感を放っている。
年の頃は25歳前後というところか、金髪の非常に男臭い顔立ち
には常に不敵な笑みが浮かんでいる。難点を挙げるなら、その目の
光が非常に剣呑で、そこに魅力を感じるものと、危険さを感じるも
のとに分かれるということだろう。
審判役の注意事項が終わったところで、不意にアケロンが話しか
けてきた。
インペリアル・クリムゾン
﹁聞くところによると老師は、真紅帝国の後ろ盾⋮いや、属国にな
ることでクレス王国の連邦からの脱退を計画されているとか﹂
この場合の﹃老師﹄は現獣王を指す。
﹁ああ。その通りだ。正直、ケンスルーナと共同歩調をとる意味は
ないからな。︱︱虎人族は反対かな?﹂
インペリアル・クリムゾン
﹁半分はな。過度の干渉を行う連邦からの脱退は妥当だろう。だが、
その代わりに真紅帝国の走狗と成り下がるというのはいただけん﹂
断固とした口調で首を横に振るアケロン。
その言葉に固唾を呑んで石舞台の上を注目していた観客がざわめ
インペリアル・クリムゾン
き、ちらちらと様子を窺う視線が、貴賓席︵さすがに聖地というこ
とで、別棟の天幕が張られてた︶の豪奢な椅子に座る、真紅帝国国
主に向けられるが、当人は表情一つ変えずに︵なにしろ替玉の人形
なので︶泰然と座っているだけであった。
666
インペリアル・クリムゾン
﹁真紅帝国の国主は、直接統治には一切の興味は持たないと確約し
ているが? 事実、アミティアは共和国となって発展している﹂
ちらりと自分の妹がいる方向、その隣に居る頭からフードを被っ
た小柄な人物に視線を送り、レヴァンは答えた。
その視線に気付いたのだろう。﹁ん?﹂という顔で小首を傾げる
緋雪の無邪気な姿に、知らず微笑が浮かんでいた。
﹁連邦を創設した当初の力なき時代ならば、その選択肢もあったろ
うが、もはや他者の保護は必要なかろう。自力で自由を勝ち取り、
真実獣人族による、獣人族のための国を築き上げる番ではないのか
?﹂
アケロンの言葉には自分の部族のみならず、獣人族全体を思いや
る感情が込められていて、知らず頷きそうになるが、レヴァンの中
にはそれを容認できない感情があった。
﹁駄目だ。戦う者の後ろには弱い者もいる、彼ら彼女らへも戦えと
いうのか? 弱い者を切り捨てる考え方ではすぐに行き詰る。そう
した者たちを守る後ろ盾は必要なんだ。それに世界には獣人族以外
の様々な人たちがいる、お前の考え方は獣人族を差別する聖教の鏡
写しにしか思えない﹂
髪と同じ金色の瞳でじっとレヴァンを見つめ、その言葉を吟味し
ていたアケロンだが、残念そうに首を振った。
﹁お互いに自分の正しさは譲れないか。獅子族のレヴァンよ。決着
をつけよう﹂
﹁ああ、受けてたとう。虎人族族長アケロン﹂
667
開始の合図を待たずに、左右に跳躍して分かれた二人が、互いに
低く構えを取って睨み合う。
その途端、清涼な空気に包まれていた聖地の空気が、熱気と重苦
しい緊張感に満ちたものへと変貌を遂げた。
遅ればせながら、審判役が開始の合図をし、同時に二人が仕掛け
た。
互いにその姿がブレたかと思うほどの踏み込みから、一気にトッ
プスピードに乗ったアケロンの蹴りがレヴァンの顔面を捉える。そ
れを片手でガードしつつ、レヴァンはもう片手でカウンターの突き
を放った。
腹部に真っ直ぐな拳の一撃を受けた大柄な男の体が、後方へはね
跳んだ︱︱かに見えたが、アケロンは両手を床につけて回転する。
滑らかな動作で立ち上がったアケロンにはダメージの様子はなか
った。
﹁なかなかやるな﹂
心底嬉しそうな口調で言って、コキッ、コキッと左右の肩の関節
を鳴らすアケロン。
レヴァンは卒然と理解した、この男は自分の打撃力を理解するた
めにわざと受けたのだと。
ざわり、と背中に戦慄が走ると共に、心臓の鼓動が大きく鳴った。
アケロンの強さが、レヴァンの中に眠る何かを呼び覚ました。
その変化を感じ取ったのだろう、アケロンの笑みが太くなった。
﹁さて、挨拶は終わりだ。続きを始めようか﹂
668
そう言って構えを取るアケロンと同じような笑みを浮かべたレヴ
ァンが、構えを取って再び対峙した。
決勝戦は始まったばかりである。
669
第十九話 獅子対虎︵後書き︶
多分次で獣王編は終了の予定です︵多少伸びる可能性もありますが
︵≡ε≡;A︶⋮︶。
670
第二十話 月雲花風︵前書き︶
今回で獣王編は終了です。
長々とお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
671
第二十話 月雲花風
矢のように一直線にレヴァンがアケロンに襲いかかる。
受けてたつ、という不遜な顔で腰を落としたアケロンがその攻撃
に備える。一つの大きな音のように聞こえるほどの連続して繰り出
されるレヴァンの突きと蹴りを、両腕と脛とで受けるアケロンだが、
さすがにその威力を相殺できずに、数メートル後方へと押しやられ
た。
︱︱勝機!
守勢に回るアケロンに対し、さらに追撃を行おうとしたレヴァン
だが、ここまでの攻撃は無呼吸であったため、いったん息を整える。
だが、その隙を見逃すアケロンではなかった。
一瞬、動きを止めたレヴァンに対して、自ら距離を縮め左右の拳
から渾身の右ストレートを放つ。
間一髪、身を翻したレヴァンの顔の脇をアケロンの拳が通り過ぎ、
拳圧で肌がちりちりと焼けた。
︱︱さすがは﹃豪腕﹄。
そのまま半歩踏み込みながら、レヴァンは宙に舞った。跳びなが
ら回転を加えて右の踵を相手に叩きつける大技︱︱旋風脚がアケロ
ンの顔面を捉える。
ガキン!
672
肉体ではなく鋼鉄同士をぶつけたような音がして、二人は弾かれ
たように離れた。
すぐに両手をあげて構えの姿勢をとったアケロンに対して、レヴ
ァンは脇腹を押さえていた。
旋風脚を直前に十字交差させた腕で防がれた上に、おつりに膝を
もらっていたのだ。
︱︱油断もすきもない。まさに野生の虎だな。
アケロンから放射される熱気に呼応するように、レヴァンの体内
にも燃え立つ興奮が生まれて全身の血が沸騰するような感覚が駆け
巡った。
目の前の男は強い。ことによれば自分よりも遥かに強いかもしれ
ない。
だったらその強さを全て引き出して、その上で倒したい。
その衝動のまま、体を突き動かす。
◆◇◆◇
聖地の石舞台の上では、2人の男たちが互いのもつ力と技、そし
て信念をかけて一歩も譲らない闘いを繰り広げていた。
673
どちらか一方が攻勢もしくは守勢に回ることなく、互いに攻守を
入れ替えながら、まるで踊りでも踊るように石舞台の上を駆け巡っ
ている。
時折放たれる気合の叫びにあわせて、殴り、蹴り、投げにより叩
きつけられる激しい格闘の音が周囲に反響して、ぴんと張り詰めた
空気を震わせていた。
しわぶき
石舞台の周囲に立つ獣人族たちは、目を瞠り、耳をそばだて、咳
一つなく、一様に胸の詰まるような思いで、どのような決着がつく
のかわからない激闘を見守っていた。
にい
﹁⋮⋮レヴァン義兄様。⋮勝ちます、よね⋮⋮?﹂
隣に居るボクに質問する、というよりも自分に言い聞かせるよう
な口調で、アスミナが小さく呟いた。
あに
レヴァンの身を案じているのだろう、これまでにないほど青ざめ
た目で義兄の姿を追っていた。
﹁⋮⋮スピードと技はレヴァンの方が上、パワーと経験はあちらの
方が上という感じだね﹂
取りあえず客観的な感想を口に出したところ、アスミナはすがる
ような目で重ねて訊いてきた。
うつほ
﹁それは⋮引き分けになると言うことですか?﹂
﹁いや︱︱﹂
躊躇うボクの胸の中で、空穂があっさりと結論を述べた。
﹃小僧の負けですのぅ﹄
674
ボクの沈黙の意味には気が付いているのだろうけど、アスミナは
辛抱強く続きを待っている。
強い娘だね。
だからボクも、素直に続きを口に出すことにした。
﹁⋮あと5年、いや、3年あれば確実に勝てたろうけど、いまのま
まなら、時間の経過とともに体力と経験の差で圧倒される。︱︱も
っとも、それは戦ってる二人とも理解しているだろうし、それを理
解した上でレヴァンは恐らく体力のあるうちに起死回生の技を放つ
だろうから、それに対して相手がどういう返しをするのかで、ほぼ
勝負は決まるだろうね﹂
その言葉が終わらないうちに、石舞台での勝負に大きな進展が起
こった。
◆◇◆◇
﹁はっ﹂
アケロンの鋭い気合が響き、一気に距離が縮まった。そのまま左
右同時の二段突きが迫る。腰の入った、全身の運動エネルギーが凝
縮された連撃である。
その突きをレヴァンが掌底で払い除けた瞬間、
﹁ふん﹂
アケロンの神速の蹴りが繰り出された。だが、これを間一髪、体
を横に反転させたレヴァンが躱す。その体勢が崩れかけた上体に向
675
け、
﹁しゃっ!﹂
有無を言わせず、右拳による速攻が襲い掛かる。
レヴァンは両手首を重ねた十字受けでこれを受け止めると同時に、
アケロンの右手首を極めると同時に、そのまま右手を巻き込むよう
な形で回転の勢いをつけ投げを行った。
その瞬間、レヴァンの体が弾かれたように真横に吹っ飛び倒れ、
中途半端な投げを食らったアケロンも転がる。
怪我一つない様子で軽く立ち上がるアケロン。
対して、倒れたままのレヴァンの口から苦悶の声と、鮮血がこぼ
れた。
苦しげに見上げるレヴァンに対して、アケロンが口を開いた。
﹁寸打と言ってな。密着しての間合いからの内部へ浸透する攻撃︱
︱お前も使うらしいが、俺にも似たような技がある。密着した間合
いだろうが、ゼロ距離だろうが問題にならん﹂
とは言え、予選を含めていままでその技を見せたことはない。こ
の決勝戦を見越して温存しておいたというわけで、レヴァンは見事
に裏をかかれたことになる。
どうにか呼吸を整えて、立ち上がったレヴァンだが、その足取り
はお世辞にも軽快とは言えなかった。
無防備な状態で寸打を受けたせいで、内臓にもダメージを受けた
せいである。
﹁そして次の一撃で決める。⋮⋮いま負けを認めるなら死なずに済
むが?﹂
676
﹁⋮⋮⋮﹂
無言で構えをとるレヴァンの目に不退転の決意を読み取って、ア
ケロンはこれ以上の言葉は無用、いや戦士の誇りを汚すものと判断
して、構えをとった。
﹁行くぞ﹂
◆◇◆◇
この時、石舞台の脇でもちょっとした騒ぎが起こっていた。
アスミナがレヴァンの前に飛び出そうとしているのに気が付いて、
緋雪が慌てて羽交い絞めにして引き止める。
﹁ちょっ! いま試合場へ入ったら反則だよ!﹂
にい
﹁離してっ! このままじゃ、レヴァン義兄様が死んじゃう!﹂
体格では遥かに小柄で細身ながら、全ステータスで圧倒的な緋雪
を振り払えるわけもなく、駄々っ子のように暴れて泣き叫ぶアスミ
ナ。
﹁勝負の途中だよ! まだレヴァンはやる気なのに、君が信じてや
らないでどうするの! いま邪魔をするのは、レヴァンに対する裏
切りだよ?!﹂
677
にい
﹁裏切りでも、負けてもいい! 義兄さんさえ生きてれば!!﹂
◆◇◆◇
その声はレヴァンにも聞こえていた。
ふと、迫り来る圧倒的な死の足音を前に萎縮しかけていた自身の
心が、不意に軽くなる。
︱︱そういえば、ちょっと前にもこんなことがあったな。
いもうと
義妹の叫びと、それを宥める緋雪の声に、先日、師である獣王の
立会いの元行われた試合を思い出した。
︱︱まったく。オレも成長がない。
そう思うとこんな時だというのに笑いが漏れそうになる。まるで
霧が晴れたかのように心が澄み渡っていた。
その穏やかな表情に、アケロンは一瞬怪訝な顔で眉を寄せ、だが
集中を切らすことなくレヴァンの間合いに入ると同時に、
﹁はあっ!﹂
全身の剄を凝縮させ、右手の掌を突き出した。
内臓に深刻なダメージを負っているレヴァンにはこれを躱せるは
ずもなく、また仮に躱されたとしてもすぐさま、次の攻撃へと繋げ
678
られる自信があった。
だが、アケロンの掌がレヴァンの胸に触れた瞬間、それは起こっ
た。
まるで空気でも押したかのような柔らかな手応えとともに、アケ
ロンの攻撃が空を切った。
レヴァンは反時計回りに反転したのだが、風に飛ぶ羽毛のように、
アケロンに押されて回りましたと言わんばかりの自然な動きであっ
た。
そこから当たり前のように中段突きが伸びてくる。
最も基本にして、師に最初に教えられた技。そこには迷いも無駄
もなかった。あの日、緋雪に放ったあの時と同じように。
とん、と軽く叩いたかのように決まった突きであったが、その場
所から爆発したような膨大な衝撃波が発生し、さらに自らの渾身の
技がカウンターとなり加算され、アケロンは成すすべなく数十メー
トル吹き飛ばされ、石舞台の上から落ちた。
必死に起き上がろうとするアケロンだが、いまの衝撃で体中の骨
がいかれたのは明白である。内臓にも折れた骨が刺さっているかも
知れない。
そんなアケロンに向かって、レヴァンが頭を下げた。
﹁ご指南ありがとうございました、族長アケロン。あなたのお陰で
大切なモノを改めてこの身に刻み付けることができました﹂
その言葉に、一瞬目を丸くしたアケロンは、続いて愉快そうに噴
き出した。
﹁勝って礼を言うか。たいしたものだ。俺なんざ勝っても有頂天に
なるばかりだが。⋮⋮まったく、おれの負けだ﹂
679
会場全体にまで響くその声に、次の瞬間、はち切れんばかりの歓
声と拍手が沸き起こった。
にい
﹁義兄さん!!﹂
感極まったアスミナが涙を流してレヴァンに駆け寄る。
石舞台の下では、完全に拘束していた筈が、力任せに振りほどか
れた緋雪が、﹁え?! どうやって??﹂とあり得ない事態に唖然
としていた。
◆◇◆◇
インペ
こうして正式に﹃獣王の後継者﹄と認められたレヴァンは、大会
リアル・クリムゾン
終了後、各部族の族長を集めてクレス王国の連邦からの脱退と、真
紅帝国との正式な同盟の樹立を訴えた。
そうした中、クレス王国に謀反の疑いありとのことで、連邦政府
︵というかケンスルーナ国を中心とした関係国︶から、鎮圧の名目
で軍事派遣がされるに至り、獣人族の不満が爆発し、クレス王国派
とケンスルーナ国派とでほぼ国内が二分される事態となった。
当初、個々の戦闘力はともかく国単位で戦うには不利と見られて
いたクレス王国側だが、旗印である獅子族の若き族長レヴァンの下、
インペリアル・クリムゾン
虎人族を始めとする有力な部族の戦士が終結し、また補給等の間接
支援及び民間人の保護を真紅帝国が担ったことにより、人員、物量
680
において圧倒するケンスルーナ国と互角以上の戦いを行い、戦線は
一時硬直するかに見えた。
だが、この機を逃さずイーオン聖王国の後押しを受けたグラウィ
オール帝国がケンスルーナ国に侵攻を開始。
多方面での戦局の勃発に対応しきれず、辛うじて支えられていた
クレス王国との戦線も押し返される形となり、中立を守っていた連
邦内の各国もクレス王国側に寝返るなどし、最終的にケンスルーナ
国及びユース大公国等数カ国が帝国に割譲され、これによりクレス
ちっきょ
=ケンスルーナ連邦は事実上崩壊することとなり、連邦主席バルデ
ムは帝国内に永久蟄居となる。
このままあわや帝国と、連邦の残党たるクレス王国︵改めクレス
インペリアル・クリムゾン
自由同盟国︶との間で全面戦争の火蓋が切って落とされるかと思わ
れたが、クレス自由同盟国と真紅帝国との間で正式な帰属に関する
条約が締結され、先のアミティア同様にクレスがその属国と化した
ことで、戦争の長期化・拡大化を懸念したグラウィオール側から和
解案が勧告され、これに従い双方ともに矛を収める形となった。
以上、一連の流れはわずか1ヶ月半ほどで終結し、これにより大
陸三大強国の1位の座からクレス=ケンスルーナ連邦が消え、№2
インペリアル・クリムゾン
であったグラウィオール帝国が持ち上がり、代わって︵国土面積か
ら︶真紅帝国がその座に収まる、2大帝国+イーオン聖王国という
図式へと変貌するようになった。
インペリアル・クリムゾン
ちなみに属国であるアミティア共和国のコラード国王から、現在
の国際情勢を聞かされた真紅帝国国主の緋雪は、
681
﹁︱︱早まった。なんでこうなったんだろう⋮⋮?﹂
と、頭を抱えたとも言われるが、真相は定かではない。
682
第二十話 月雲花風︵後書き︶
次章は、若干国内に目を向ける︵と言っても基本他人任せですが︶
のと、グラウィオール帝国と関わる形になる予定です︵全面戦争に
は発展しません︶。
683
第一話 御前会議︵前書き︶
新章開始です。
684
第一話 御前会議
インペリアル・クリムゾン
常闇の国、真紅帝国本国、空中庭園﹃虚空紅玉城﹄。
﹁遅れてすみません。勅命により参上しました、レヴァンですが⋮
⋮﹂
ひゆき
御前会議の名目で召喚を受けやってきたクレス自由同盟国の盟主
︵仮︶である、獅子の獣人レヴァンは、案内された数多ある緋雪の
私室︱︱と言っても、その規模及び絢爛さは地上にある国々の謁見
室を遥かに凌いでいる。と言うより比較するのもおこがましい積み
木のオモチャである︱︱の入り口から室内を覗き込んだ姿勢で、広
大な室内に緋雪とその腹心の四凶天王、外様代表であるアミティア
共和国のコラード国王、他に数名しかいないのを見てキョトンとし
た顔になった。
﹁やあ⋮⋮来たね、レヴァン﹂
どことなく疲れた様子で、力なく手招きをしている緋雪︱︱黒に
赤薔薇をあしらった豪奢なワンショルダーのドレスを着ているが、
本人の美貌がそれを遥かに上回るので、これでもまだ地味に思える
︱︱の姿に非常に嫌な予感を覚えながらも、室内に足を踏み入れた。
ふわふわと雲の上を歩いているような弾力の床︵絨毯ではなくて
床の材質が未知のものらしい︶に悪戦苦闘しながら、指定された肘
掛つきの豪華な椅子︱︱コラード国王の隣だったので、軽く挨拶を
すると、どこか諦めたような顔での挨拶が返ってきた。これでさら
に内心で警戒のレベルを上げつつ︱︱に座る。
685
どうやらレヴァンの到着が最後だったらしい。緋雪が立ち上がり、
集まった面々の顔を見回した。
﹁えーと、みんなに集まってもらったのは他でもなく⋮﹂
そこで、コラード国王が遠慮がちに手を上げた。
﹁あの、よろしいでしょうか?﹂
﹁貴様っ、姫のお言葉の途中で︱︱!﹂
てんがい
激高する天涯を、﹁まあまあ、今日は非公式な場だから﹂と慣れ
た様子で緋雪がなだめ、しぶしぶ矛を収めさせる。
﹁いいでしょう、直奏を許可します。他の者も、本日、この場限り
みこと
においては許可いたしますが、特例であることを、ゆめゆめ弁える
ように﹂
納得しかねる様子の天涯に代わって、命都が凛とした声でその旨
を伝達した。
﹁はあ、ありがたき幸せにございます﹂
コラード国王以下その場にいた者が一礼したので、レヴァンも慌
ててあわせる。
インペリアル・クリムゾン
﹁それで、お聞きしたいのは本日は御前会議と伺ったのですが、集
まったのは我々だけなのでしょうか?﹂
﹁そうだよ﹂
﹁えっ﹂
あっさり頷いた緋雪に、思わず驚愕の声をあげると、真紅帝国側
686
の全員から、﹃姫のおっしゃることになんか文句あるのか、殺すぞ
!﹄という視線が一斉に放たれて、慌てて愛想笑いを浮かべて、レ
ヴァンはその場に縮こまった。
﹁⋮⋮他の重臣の皆様方がいらっしゃらないようですが、宜しいの
でしょうか?﹂
重ねて問いかけるコラード国王の態度に、実は内心、初対面の時
から﹃軟弱そうな男だな﹄と思っていたレヴァンだったのだが、そ
の先入観を180度改めることにした。
さすがは一国を支える国王だけあって、たいした胆力である、と。
一方、聞かれた緋雪の方は、なぜか遠い目をして、
﹁いや、一応この前、正式な御前会議は、円卓の魔将以下、列強と
インペリアル・クリムゾン
呼ばれる主だった実力者や、世界樹の森や基底湖の長とか集めて行
ったんだけどさ。︱︱あ、議題は﹃今後の真紅帝国のこの世界での
位置づけについて﹄ね﹂
﹁なるほど、興味深い議題ですね﹂
コラード国王同様、頷いてレヴァンも身を乗り出した。
﹁んで、壮絶な議論︵殴り合い︶の末、﹃全部征服しちゃえば問題
ないじゃん﹄という結論に達したわけなんだけど﹂
ずるっと椅子に座ったまま、コラード国王とレヴァンの二人がこ
けた。
﹁私が指揮を執って全軍で侵略するのと、主要国をピンポイントで
破壊するのと、全員好き勝手に暴れるのとで意見が対立してねぇ。
687
最終的な決断が私のところに持ち込まれたわけなんだけど。︱︱ど
ーしたもんだろうね。そこらへん、現地の意見も取り入れたいので、
君たちを呼んだわけなんだけど﹂
﹁⋮⋮いや、あの、世界征服とか簡単におっしゃいますが、そもそ
も可能なのでしょうか?﹂
﹁ん? 可能だよ。てゆーか、破壊だけなら天涯一人でも2ヶ月も
あれば可能なんじゃないかな?﹂
事もなげに答える緋雪の後を受けて、天涯が胸を張った。
﹁左様でございますな。1月と言いたい所ですが、森羅万象根こそ
ぎとなると、そのくらいはかかるかと﹂
﹁ちなみに全軍を投入したら、グラウィオール帝国クラスでも分単
位で倒せる思うよ﹂
いささかの誇張もない、水が高いところから低いところへ流れる
のを説明するような、緋雪の自然な口調と、当然だという周囲の雰
囲気に、それがまぎれもない事実だと悟った二人︱︱コラード国王
とレヴァンが、お互いに血の気の失せた顔を見合わせる。
いやぁ、なんか一人で核のボタン握ってる気分だねぇ、はははは
はっ⋮⋮と訳のわからない感想を付け加えて、から笑いをする緋雪。
﹁まあ、不安要素と言えば、らぽっくさんを始めプレーヤー達と神
様を名乗るその黒幕の存在かな?︱︱まあ、神の定義なんて様々だ
けど、やってることの質の低さから見て、中身は人間だと思うけど
さ﹂
688
﹁そのあたりを確認する意味合いを込めて、この世界に火を放てば
よろしいのでは?﹂
空穂が事もなげに提案をする。
なんかネズミを燻り出す感覚で、世界が危機に陥っている。
その事実を前に、戦慄するコラード国王とレヴァンの二人。あと、
実はほかならぬ緋雪自身が、一番恐怖しているのだが、そうした感
情が何周か回りすぎて、すでにメーターが壊れまくっているので、
見た目には平然と笑っていうようにしか見えない。
で、それを見て、円卓メンバーや列強の実力者たちは、﹃さすが
は姫、この程度のことは笑い事であるか﹄と大いに感じ入って、盛
大な勘違いをさらに深めたわけだったりするのだが。
﹁まあ、そーいうことでさ、なんか意見があれば聞きたいんだけど
?﹂
もう諦めた。世界征服でもなんでもすりゃいいじゃん。という投
げ遣りな気分で、二人に水を向ける緋雪。
﹁あの、そういう直観暴力に頼るやり方以外で、平和的に解決でき
ないでしょうか?﹂
恐る恐る提言するコラード国王に対して、
﹁姫が支配する世界こそが恒久平和であろう。愚か者が﹂
﹁平和というのは戦と戦の間の準備期間でしょう﹂
天涯と命都が小馬鹿にしたように答える。
他の者も概ね﹃平和? なにそれ美味いの?﹄という反応である。
自身の無力を悟って沈黙したコラード国王に代わって、レヴァン
689
が手をあげた。
﹁あの、そもそもの疑問なのですが、なんでそんな会議を開くこと
になったのでしょうか?﹂
言われて目を瞬き、﹁あれ?﹂という顔で考え込む緋雪。
ややあって、ポンと手を打った。
﹁︱︱思い出した。なんか最近、ヒマだからなんか暇つぶししたい
ねぇ、と私が言ったら、いつの間に御前会議とかなんとか大事にな
ったんだっけ﹂
﹃貴女が元凶なんですか!?﹄
﹃暇つぶしに世界征服しないでください!﹄
と、言いたげな表情で固まる、レヴァンとコラード国王の二人。
﹁︱︱いや、他にやることはいっぱいあると思うんですが﹂
それをぐっと飲み込んでレヴァンは訴えかけた。
﹁⋮⋮例えば?﹂
訊かれてレヴァンは考え込んだ。はっきり言って国の舵取りとか
こ
問題だらけで、それこそやることは山積みなのだが、個別案件につ
ちら
いて相談しても意味がないだろう。だいたいその辺りの裁量は、ク
レスに任されているわけだし。
宗主国の国主に持ち込むなら、問題はもっと根本的なところだろ
う。
そう、一言で言うなら︱︱
﹁うちの国って貧乏なんですが、これってどうにかなりませんかね
690
?﹂
実感の篭った切実な響きに、半分他人事で世界征服とか言ってい
た緋雪も、目が覚めたような顔で姿勢を正した。
﹁ああ、うん。そうだね、貧乏は嫌だねぇ﹂
うんうん、わかるよぉ⋮⋮としみじみ言われ、予想外の好感触に
レヴァンは内心首を捻った。
﹁じゃあ早速、国家予算を向こう100年分くらいあげようか?﹂
子供に飴玉でもあげる調子であっさりと言われて、レヴァンと隣
のコラード国王が慌てて、さすがに今度は口に出して止める。
﹁いやいやいやいや!﹂
﹁やめて下さいっ。そんなことをすれば市場が大混乱になります!﹂
﹁で、できれば我々獣人族や亜人族が自立できる国家体制造りの支
援をお願いしたいのですが﹂
冷や汗を流しながらのレヴァンの懇願に、緋雪は首を捻った。
﹁自立ねえ。︱︱いまのままだと難しいの?﹂
﹁正直言って、食うだけで精一杯ですね。それすら穀倉地帯を抱え
ていたケンスルーナ側が帝国に押さえられたせいで、事欠く有様で
す﹂
ふむ、確かにあの荒野ばかりでは農業も産業も育ちようがなさそ
うだねぇ、と思いながら思いつくままを緋雪は口に出した。
﹁クレスってなにか特産品とかないわけ? あと鉱物資源とか﹂
691
﹁特産品これといってありませんね。鉱山とかは山が聖地の場所も
多いので、おいそれとは掘れませんね﹂
﹁まあ、強いて挙げるなら獣人族そのものが資源でしょうか。外貨
の獲得手段としては、他国で傭兵や冒険者などをして稼ぐのが唯一
くらいですので﹂
コラード国王がすかさず言い添える。
﹁なるほどねえ。基本的に内需も外需もほぼ壊滅なわけか。ねえ、
コラード国王、君がここの国王だったらどうするの?﹂
水を向けられたコラード国王は、前もって準備していたかのよう
にスラスラと答えた。
﹁やはり農業基盤の整備しょうね。まったく水源がないわけではな
いので、その傍に水路等で水を引き、徐々に穀倉地帯を増やす。あ
とはやはり人材の育成でしょうね。国内で無理であれば、他国へ国
費留学生を送るなどして、将来の国の舵取りをする人材を育てる。
これは必要不可欠でしょう﹂
﹁う∼∼ん、長期的なスパンで見ればそれがベストなんだろうけど、
もっと短期的な計画とかないかな?﹂
﹁⋮⋮難しいですね。これといって産業も、観光になる目玉もあり
ませんし、地理的にも貿易の基幹はおろか中継ぎにもなりませんか
ら﹂
けんもほろほろなコラード国王の言葉に、目に見えて意気消沈す
るレヴァン。
692
﹁そっかー﹂
緋雪の脳裏に描かれたビジョンには地球のドバイのような、砂漠
の中で発達した国家が描かれていたのだが、あそこは観光ではなく
て基本的に貿易の中継地として発達した側面が強いので、単純に人
工的な︵某ネズミの棲家やカジノのような︶観光地を作っても、先
細りするだけだろう。
﹁せめて、帝国と自由貿易でも行えれば、新たな貿易路として発展
する要素もあったのですが﹂
﹁帝国か⋮⋮﹂
とは言え、ないものねだりをしても仕方がない。
﹁取りあえず、農地の拡充と人材の育成かな﹂
そんな感じで、この日の御前会議は有耶無耶に終わり、結局、世
界征服とかの話題が棚上げされたままだと緋雪が気付いたのは、コ
ラード国王とレヴァンの二人が退席した後だった。
693
第二話 女冒険者︵前書き︶
クロエ姐さん再登場です。
694
第二話 女冒険者
クレス自由同盟国の暫定首都ウィリデ。
もともとは大河ウィリディス川の河口付近に位置する人口2,0
00人程度の水運の町であったが、クレス自由同盟国の発足に伴い、
ハード
インペリアル・クリムゾン
ソフト
暫定首都へと昇格し、議会や各種ギルドなどの主要機関が瞬く間に
造られ︱︱建物は真紅帝国が、人材はアミティア共和国が協力し︱
︱形の上では、曲がりなりにも﹃首都﹄の体裁を整えることに成功
していた。
その港へ、遥か西部域に位置するアミティア共和国から、穀物な
ど物資を運んだ大型魔導帆船が入港していた。
降りてきた乗客や、乗務員、商人などを横目に眺めながら、兎人
族の冒険者クロエは約束の時刻に遅れないよう、やや足を速めた。
﹁師匠、大丈夫ですか、なんかフラフラしてますけど?﹂
﹁大丈夫、なんか陸に立っても地面が動いてる気がするだけだし。
あと、俺を師匠って呼ぶのはやめろよ﹂
﹁えーっ、でも、師匠は師匠なので⋮﹂
前を歩いていたまだ十代半ばと思えるカップル︱︱会話の内容か
らして、この大型魔導帆船の乗客だったのだろう︱︱を追い抜いて、
クロエは目的地のウィリデの冒険者ギルド本部へと向かった。
695
◆◇◆◇
ウィリデで最も堅牢かつ目立つ赤レンガ三階建ての建物。冒険者
ギルド本部の玄関をくぐったクロエは、即座に目当ての人物を見つ
けることができた。
なにしろギルド内の全ての視線がその人物に集まっているのだ、
どうしたって必然的に目にする形となるわけだが︱︱いや、例え街
中で自然にすれ違っただけでも注目を浴びずにはいられないだろう。
それくらい座っているだけでも光り輝くような気品と美貌の持ち主
である。
﹁やあやあ、すまないね。遠いところをわざわざ﹂
インペリアル・クリムゾン
そう気軽な口調と笑顔とで、ひらひらと右手を振る少女︱︱いわ
ずと知れた真紅帝国国主の緋雪︱︱の姿に、内心で盛大なため息を
つきながら近づき、片膝をついて挨拶をしようとしたところで、
﹁ああ、そういうのはいいから。気楽に座って。だいたいこんな場
所じゃ目立つじゃない﹂
と、ツッコミどころ満載の台詞で遮られて、とりあえず一礼をし
て対面のソファーに座った。
その緋雪の背後には、見事な金髪金瞳のタキシードを着たとてつ
もない美男子と、長いプラチナブロンドのこれまた人間離れした美
貌のメイドとが立っている。
その二人に挟まれる格好で座る、豪奢な黒と薔薇のドレスを着た
696
黒髪の女主人は、さしずめ太陽と月を従える夜と薔薇の化身といっ
たところであろうか。
柄にもなくそんな散文的なことを考えるクロエだが、見た目のイ
ンパクトで言えば2メートル近い鍛え上げられた肉体を持つ彼女も、
ある意味、負けず劣らずの存在感を発散しているといえた。
﹁で、早速で悪いんだけど、例の件は調べられたのかな?﹂
その質問に、クロエは首を振った。
﹁例の商人の足取りは、ケンスルーナ領に入ったところでぷっつり
と途絶えたままですね。以前ならともかく、いまじゃあそこは冒険
者でも獣人は入国できない始末で、あたしにゃいかんともしがたい
ところですわ﹂
その伝法な口調に金髪の美男子︱︱天涯が、ぴくりと眉をひそめ
るが、最初に依頼を持ち込んだ際に、﹁あたしゃ無礼が服着て歩い
てるような女ですからね、お姫様の気に触るかも知れませんよ。そ
れでもいいんでしたら受けますけど﹂と渋ったのを、緋雪が快諾し
たという経緯があるので、どうにか苦言を口にすることは押さつけ
たらしい。
だが、緋雪の方はいたって感心した顔で、苦い顔をしているクロ
エを見た。
﹁あの影郎さん相手に、そこまで足取りを追えたんだ、凄いね﹂
それから腕組みをして考え込む。
﹁それにしてもケンスルーナか、行き先は帝国か聖王国か。どちら
とも取れるし、どちらともいえないねぇ﹂
まあ、あの人に関してはさらに裏をかいて⋮⋮という可能性も高
697
いけど、と心の中で続ける。
﹁ま、あんまし考えすぎても疑心暗鬼になりそうなので、このあた
りにしておこうか。︱︱ありがとう、助かったよクロエさん﹂
﹁姫陛下に﹃ありがとう﹄とか﹃さん﹄づけされると面映いもんだ
ねえ﹂
言葉通り照れた仕草で笑みを浮かべるクロエ。
﹁いや、敬意を払いべき相手にそれを行うのは普通じゃないの?﹂
きょとんと不思議そうに首を傾げる緋雪に対して、﹃それができ
るお偉いさんは、あんたくらいなものさ﹄と思いつつ、さらに笑み
を深くするクロエ。
﹁そういえば、クロエさんはケンスルーナとの国境まで行ったんだ
よね。あっちはどんな風だったの?﹂
﹁ああ︱︱﹂思い出して、クロエは盛大に眉をしかめた。﹁一言で
言えば無法地帯だね﹂
﹁ありゃ、まあ。⋮そんなひどいの?﹂
﹁略奪、暴行、放火は戦の常とはいえ、あそこまで徹底的にやられ
ちゃね。国として機能するまで3∼4年はかかるんじゃないかね﹂
両掌をぱっと上に向けて、クロエは大仰に肩をすくめた。
﹁ふぅん、世界最大国家っていうからもうちょっと統制がとれてる
かと思ってたんだけど、やることはやっぱり押し込み強盗と同じか﹂
失望した口調でため息をつく緋雪。
698
﹁まあ、帝国からすれば対立してきた怨み骨髄の相手だからねえ。
それに皇帝の親征ってわけでもないから、末端の暴走は知らぬ存ぜ
ぬって腹だろうし﹂
﹁ん? 戦に皇帝が直接でてこないの? うちは私が陣頭に立つの
が普通なんだけどね﹂
あたしら
﹁獣人族だってそうですよ。ったく人間って奴らは戦いで先頭に立
つこともできない腰抜けが頭だってんですから、理解しがたいとい
うか。︱︱特に帝国のいまの皇帝なんざ、戦どころか国内でさえ禄
に公式の場に出たことがないってんですから、どれだけ臆病者なん
だか⋮⋮﹂
心底軽蔑した口調でのクロエの言葉に、ああなるほど、と納得顔
で緋雪が頷いた。
﹁それでか⋮⋮﹂
﹁どうかしましたか?﹂
あちらさん
﹁いや、実は先日、グラウィオール帝国から書簡が届いてねぇ﹂
軽く目を剥くクロエ。
気楽に話しているが、こんな誰が聞いているかわからない場で話
すような事柄ではないだろうと、柄にもなく落ち着かない気分で、
反射的に視線を周りに走らせるが、こちらを注目している人間は数
あれど、どれも遠巻きに眺めているだけで、幸い会話が漏れ聞こえ
る位置にいるものはいない。
︱︱ふと、先ほどここへ来る途中に追い抜いたカップルが、ギル
699
ドに入って来たのを目の端に捕らえたが、特に怪しい素振りもなか
ったので、取りあえず大丈夫だろうと判断して、再び視線を緋雪に
戻した。
﹁まあ、内容は予想通りというか、旧クレス=ケンスルーナ連邦の
国境線確定の交渉の件だったんだけどね﹂
﹁なるほど﹂確かにこの時期に接触を図ってきたとなると、それし
かないだろう。
﹁あちらは宰相がでてくるらしいんだけど、こちらはクレス自由同
盟国の代表を指名してきてねぇ﹂
﹁ああ、あの坊や⋮おっと、若大将ですか﹂
自分の対戦相手だったレヴァンのことを思い出して、クロエの口
元に笑みが浮かんだ。
﹁まあ、妥当な線なんじゃないですかね﹂
﹁そうなのかい? 私としては元首同士の直接対談で構わないと返
事をしたんだけど、あちらから丁寧なお断りの返事がきてね。なに
か意図があるのか、時期尚早すぎたかといろいろ考えてたんだけど、
単にあちらの皇帝がヒキコモリだっただけとはねぇ﹂
やれやれと首を振る。
﹁まあ皇帝といっても名目だけで、実権を握ってるのは宰相の方で
すからね。建設的な話し合いをするなら、そっちとしたほうがよほ
どマシでしょうね﹂
﹁ふぅん。じゃあレヴァンとの交渉にこっそり着いて行こうかな﹂
700
これには天涯も座視できないと見て、苦言を呈した。
﹁姫、それはあまりにも軽はずみかと、相手はたかだか人の宰相程
度。非公式に会談を行うにしても、姫が直接出向くとなれば、下手
に出たと取られて侮られます﹂
クロエもこれには同意した。
﹁そうだね、国同士の威信をかけてるんだから、お互いに強気にで
ないとね﹂
﹁面倒臭いものだねぇ。⋮⋮じゃあ発言しないで、こっそり侍女に
でも変装してレヴァンの後ろに立って、相手を観察するとかならど
うかな?﹂
これなら問題ないでしょ、とばかりに胸を張って言われたが、検
討するまでもなくクロエは一蹴した。
﹁⋮⋮いや、無理だね。姫陛下、自分がどれだけ目立つか自覚ない
みたいだから言っておくけど、どんな格好したって砂粒の中の宝石
みたいに光ってるんだから﹂
うんうんと頷く天涯と命都。
﹁そうかな?﹂いまいち納得できなそうなのは本人だけである。﹁
前にもお忍びで街に出たことがあったけど、そこまで目立たなかっ
たと思うんだけどねぇ﹂
﹁お忍びで? 一人でかい。ずいぶん無茶をするね﹂
感心よりも呆れが大部分の口調で感想を口に出すクロエに、これ
また盛大に同意する天涯と命都。
﹁いや、一人というか、知り合いの冒険者と一緒だったんだけど、
701
ちょうどあのくらいの⋮⋮あれ?﹂
緋雪が指差した先、さっきギルドに入ってきたカップルの片割れ
︱︱十代半ばほどかと思われる、これといって特徴のない少年︱︱
が、カウンターで何かの用件を済ませ、ちょうど顔を上げたところ
で偶然こちらを向いた。
その目が緋雪の姿を捕らえて、一瞬、幽霊でも見たような顔にな
り、続いてそれが幻でも他人の空似でもないのを理解して、目と口
をほとんどまん丸にし、全身で驚愕の叫びをあげる。
﹁﹁なんでここに!?﹂﹂
緋雪と少年の声が同時にギルド内に響いた。
702
第三話 迷宮探索︵前書き︶
久々に勢いだけで書いてみました。
多少後悔してます︵`−д−;︶ゞ
703
第三話 迷宮探索
西部域のアミティア共和国首都アーラにいるはずの冒険者ジョー
イと、ここ大陸を半周した中央部の南側、クレス自由同盟国の暫定
首都ウィリデの冒険者ギルド本部で偶然再会したボクなんだけど、
それよりも驚いたのが、ジョーイに連れがいたこと、それも同い年
くらいの女の子だということだった。
ミーアさんはどうしたの?! 若い子に乗り換えたの!?
そう問い詰めたい気持ちを視線に乗せて、ジョーイと女の子に交
互に眺めると、ジョーイはなぜか慌てた様子で両手を振った。
﹁︱︱ち、違うぞ! 誤解しないでくれ、こいつとはなんでもなく
て! ⋮⋮話し合おう﹂
﹁ほう。弁解があるなら聞きましょう﹂
ミーアさんの為にも。あと、何が違って、何が誤解なんだかよく
わからないけど。
﹁師匠∼っ、なんでもないなんてひどいですよォ∼﹂
と、人見知りするタイプなのか、おどおどした態度でジョーイの
背中に半分隠れながらも、軽く抗議する彼女。
⋮⋮しかし、なんだね。この子。背は大してボクと変わらないの
オッパイ
に、特定一部分の自己主張が激しい体つきをしてるねぇ。︱︱具体
的に言うと胸。何カップあるんだろ、あれ。
704
魔法使いなのかローブを着てるんだけど、下に着ている短衣の胸
元がいまにもはち切れそう。背は小さいくせに胸はおっきいという、
けしからんスタイルをしている。
そーか、なんかミーアさん相手にイマイチ反応が鈍いと思ってた
けど、胸か、胸が原因だったのか。この俗物め!!
と、思わずやっかみが先に立つ。⋮⋮う∼む、友人として彼女が
できたことを素直に祝福すべきなんだろうけど、相手がこの巨乳と
なると微妙に感情が納得できないものがあるねぇ。こっちなんて、
たまに自分のをさわってみるけど全然楽しくないし。こんなことな
らもうちょっと盛っておけば良かったかな? でも最近2センチば
かり増︱︱と、思考が明後日の方へ行きかけたのを制して、ジョー
イの顔を見た。
ちなみにクロエさんや、天涯たちは気を使ってか、少し離れた椅
子に移動したので、ボクがギルドのソファーに座って、その向かい
側にジョーイたちが立っているという構図になっている。
﹁⋮取りあえず座ったら? ずっと上を向いてるのも疲れるんでね﹂
そう促すと、そそくさと向かい合わせにジョーイが座って、その
隣にぴったり体を寄せるように少女が座り︱︱なんか挑発的に上目
遣いで一瞬見られたんだけど、なんだろね。初対面だと思うんだけ
どなにか気に触るような事でもしたかな? ⋮あれかな、密かに胸
をガン見してたのがマズかったかな?︱︱なぜか、慌ててジョーイ
が体を拳一つ分くらいそこから離して、その間に鞘ごと外した剣を
置いた。
﹁えーと、こいつは何回か依頼で組んだことがあるだけのEランク
705
冒険者でフィオレ。単なる同業者なだけだから﹂
なんか大事なことなのか﹃だけ﹄を2回繰り返すジョーイ。
﹁⋮⋮は、はじめまして、ジョーイ師匠の弟子をしてますフィオレ
です﹂
なんとなく儀礼的に頭を下げるフィオレ。ちなみにほどけばセミ
ロングくらいの薄い栗色の髪をツインテールにした、なかなか可愛
らしい顔立ちのいかにも女の子ってタイプだった。
﹁はじめまして、ジョーイの友人の緋雪です。︱︱師匠?﹂
ボクの挨拶に﹁⋮友人か⋮﹂となんかガッカリしているジョーイ
︱︱心の友とでも言えばよかったのかな? どこぞのガキ大将みた
いに︱︱へ、水を向けると違う違うと眉をしかめた。
﹁こいつが勝手にそう言ってるだけだ。俺がそんな偉そうに人に教
えられるわけないだろう?﹂
﹁そう? この間は﹃仕事は遊びじゃない﹄とか﹃命を大事にしろ﹄
とか、けっこう立派なこと言ってたじゃない﹂
﹁⋮⋮そんなことお前に言ったっけ?﹂
・・・・・・。
﹁︱︱ああああ・・・え、えーと、なんか初心者にそんなこと言っ
てたって、この間ガルテギルド長に聞いたんだよ﹂
取りあえず誤魔化してそう言うと、ジョーイは盛大に顔をしかめ
た。
﹁ヒューの時のあれか。先生も案外口が軽いんだな⋮⋮﹂
706
ごめんガルテギルド長。勝手にジョーイの中の株を下げて。
ボクは遠い空の下にいるであろう彼に、心の中で詫びを入れた。
⋮⋮というか、なんでこれで気が付かないんだろうね、ほんと。
﹁とんでもないです! 師匠はあたしの命の恩人です。あたしも師
匠を見習って、立派な冒険者になるのが目標なんですから!﹂
ここは譲れない線なのか、おどおどした口調から一転して力強く
言い切るフィオレ。
コレを目標にねえ。やめたほうがいいと思うけど。
それと、どーでもいいけど激しくポーズをとると、ゆさゆさと見
事に動くなぁ。
﹁命の恩人って⋮冒険者同士でチーム組めば、助け合うのが当然だ
ろう。たまたまあの時は、俺が近くにいただけで誰でも同じことし
たぞ﹂
当然のようにキッパリ言い切るジョーイだったけど、実際の緊急
時にそれを迷いなくできる人はそうそういないんだよねぇ。
でもまあ、なんとなくわかった。吊り橋効果かもしれないけど、
危ないところを助けてくれたジョーイに憧れて、このおっぱ⋮もと
い、フィオレが押しかけ弟子になったってところか。
﹁だいたいの事情はわかったけど、なんでここにいるわけ? 旅行
?﹂
﹁いや、護衛依頼でアミティアからの魔導帆船に同乗してきたんだ。
707
なにしろ今回の募集要件が﹃泳ぎができる者﹄ってことでさ。アー
ラだとなかなか泳げる奴がいなかったんだけど、俺、生まれが海辺
の村だからけっこう泳ぎが得意ってことで選ばれたんだ。︱︱で、
こいつは魔法使いなので、居るだけでも貴重ってことで付いて来た﹂
へえ、意外な特技とバックボーンがあったもんだね。
﹁あれ? でも帰りはどうするの? 魔導帆船の護衛って、往復な
わけ?﹂
﹁いや、片道だけ﹂
あっさりジョーイは首を振った。
﹁じゃあ自費で帰るわけ? ああいった船の相場って知らないけど、
かなり高いんじゃないの?﹂
﹁まあ、最悪自費で帰ることになるかも知れないけど、ちょっと帰
りのアテがあるんだ﹂
自信有りげにジョーイはにやりと笑った。
﹁アテって?﹂
﹁ダンジョンだよ。最近、この近くで見つかったダンジョンの地下
10階に転移魔法陣があるって話でさ。俺の魔力パターンはアーラ
の転移魔法陣に登録してあるから、上手く行けばこことアーラを行
き来できるようになるんじゃないかと思って来たんだ﹂
﹁ああ、なるほどね﹂
ボクは普通にセーブポイントを空中庭園へ決めてるので、﹃帰還﹄
スキルでどこからでも割とホイホイ帰れるほか、手軽にセーブ&リ
708
ターン可能な個人用の﹃転送石﹄も標準装備で常に複数個持ってい
るので、けっこう気楽に転移魔法を使ってるけど、こちらの世界で
はオーパーツ扱いで、たまに遺跡から転移魔法陣が見つかるくらい
らしい。
ちなみに転移魔法陣は移動させると座標がズレて使用不能になる
ので、基本的に先に魔法陣があった場所に街を作るというパターン
になるそうだ。
当然ながらこれ、どの国でも管理は厳重に行われ、例えばA地点
からB地点へ転移する場合、先に転移先のB地点での本人の魔力パ
ターンの登録と許可が必要になる。
で、A地点で高額の使用料を支払いB地点へ転移するわけだけど、
登録がない者や許可が取り消された者は、当然その場所へは転移で
きない。場合によっては時空の狭間に取り残されて、現世に戻れな
くなるので、けっこうハイリスク・ハイリターンな仕様なわけなん
だけど、今回ジョーイは先にアーラで登録は済ませてあるので、誰
も管理してないダンジョン内部の転移魔法陣を使って、ただでなお
かつ一瞬にして帰ろうって算段のようだ。
一見いいこと尽くめの計画なようだけど⋮⋮。
﹁⋮⋮ジョーイ、君って、ダンジョンとかもぐった経験あるの?﹂
そのあたりが非常に気になったので確認してみた。
﹁あるぞ、アーラのそばの古代遺跡。あそこの十八階までは降りた。
まあ臨時のチームに入ってだけどな﹂
ああ、やっぱそうか、とボクは内心で頭を抱えた。
709
あそこのダンジョンは前にボクと四凶天王とで破壊しちゃったん
で、大規模な︱︱文字通りの魔改造を施した結果、20層までは素
人でも死なない程度、それ以後は10層ごとに玄人向け、ベテラン
まろうど
向け、一流向けといった具合に難易度が上がるようになってるんだ
よね。ちなみにソロだと、S級冒険者だった稀人でもクリアできず
58層で撤退した︵最深部は70層︶。
そこを18層までしか、しかもパーティ組んででも行けなかった
ということは、ダンジョンに関してはものの見事にド素人というこ
とになる。
その発見されたダンジョンの難易度がどの程度かは知らないけれ
ど、多分この二人でのクリアは無理だろう。
﹁まあ、さすがに二人だけでいきなり知らないダンジョンに挑むほ
ど馬鹿じゃないので、一緒にもぐってくれるようなパーティを探し
に来たんだけど﹂
ああ、さすがにそこまで馬鹿じゃなかったか。
﹁条件が合うのがなかったんで、とりあえず二人で行けるところま
で行こうかと話してたところなんだ﹂
うん、やっぱ、どうしようもない馬鹿だね。
﹁まさか、それがここでヒユキと会えるなんてなあ。ヒユキこそな
んでここへいるんだ?﹂
﹁私は仕事の打ち合わせだよ﹂
﹁へえ⋮⋮こんなところまで仕事か。お前も大変だなぁ﹂
710
﹁まあ自分の国のことだからねぇ﹂
その言葉に怪訝そうな顔をするフィオレ。
ボク
つんつんとジョーイの袖を引っ張って、小声で質問していた。ま、
吸血姫の聴力には丸聞こえだけど。
﹁⋮⋮あの、師匠。ヒユキさんって、よく師匠が口に出していた彼
女ですよね⋮? 見たところ獣人ではないのに、自分の国って⋮?﹂
別に質問があればボクに直接訊けばいいと思うんだけど、よほど
人見知りが激しいのかな。あと彼女って、普通に三人称代名詞とし
ての彼女だよね?
﹁︱︱ち、違う! 早合点するな。あと、﹃自分の国﹄ってのは、
あれだ、ヒユキはコラードさんよりも偉い、コーテイだかジョテイ
だから﹃自分のもんだ﹄って意味で言ったんだと思うぞ﹂
﹁⋮⋮はあ? そうなんですか???﹂
うん、この説明だと全然わからないと思うけど、ここで水戸黄門
ごっこをやるのも悪趣味なので、放置することに決めた。
それにしても、ジョーイは勢いでダンジョンに突入するつもりら
すた
しいけど、目の前でおっぱ⋮もとい、女の子がむざむざ犠牲なるの
を見過ごすのも寝覚めが悪いねえ。第一、男が廃る︱︱とっくに廃
業はしてるにしても心理的なモノで︱︱というものだね。
10階くらいなら多分楽勝だし、多少手助けするのも悪くないか
な。
711
第三話 迷宮探索︵後書き︶
フィオレはもうちょっと内向的な性格に書きたかったのですが、難
しいですね。
712
第四話 砂塵迷宮
﹃砂塵の迷宮﹄︱︱もともとは単なる遺構︵遺跡の土台を成す痕跡︶
だと思われていた岩山だが、ウィリデの拡張に伴い周辺調査を行っ
た結果、発見されたばかりの地下迷宮である。
1層あたりの大きさはおおよそ1キロ×700メートルのスコッ
プ型。
スコップの先端が入り口になり、迷路状になった通路を進むと手
持ち部分にあたる直線の廊下があり、その先に下の階に落ちる階段
がある。階段を落ちると今度は逆向きにスコップの先端があり、以
下略という形でどんどん下へと落ちていく。
現在確認されている最下層は10階であり、脱出用の転移魔法陣
があり、特に転移先が登録されていない場合には入り口へと自動で
戻り、他に転移先が登録されている場合には、そちらを選択するこ
とができる。
主な棲息モンスターは、サンドワームに砂サソリ、ポイズンバッ
ドにサンドパイパーといった魔獣系、ミイラ、スケルトンといった
死霊系、そしてサンドゴーレムといった魔術生物系らしい。
﹁︱︱へえ、そうなんだ﹂
﹁し、素人にしては、な、なかなかですね⋮ヒユキさん﹂
歩きながらのボクの説明にジョーイが感心して、フィオレが微妙
にプロとして︵?︶対抗心を燃やしていた。
713
いや、こんなのギルドの資料を見れば簡単に調べられることなん
だけど、君らホントにノープランで行くつもりだったんだねぇ。
﹁⋮⋮ところで﹂ボクは隣に立つ⋮というか、そびえる女傑を見上
げた。﹁ホントにいいの、道楽にまでつき合わせて?﹂
﹁構やしないよ。あたしゃ、もともとこっちが本業だしね。それに
ここのダンジョンにも興味あったからねえ﹂
獣人族の冒険者︵ちなみにランクはA級らしい︶のクロエが、愛
用の赤い棍︱︱如意棒︱︱をぐるりと一振りして、カラカラと笑い
ながら答えた。
みこと
﹁︱︱と、そういえば、お付の二人はどうしたんだい?﹂
てんがい
天涯と命都の二人のことだろう。
別れた様子もないのに、いつの間にか姿を消した二人を探してキ
ョロキョロするクロエ。
﹁ああ⋮⋮一応、待機中﹂
﹁へえ、クソ真面目そうな二人だったから、てっきりお姫様のダン
ジョン行きなんて反対するもんだと思ってたけど、よく承知したね
え﹂
﹃⋮⋮私めの意見を言わせていただければ、いまでも反対なのです
が﹄
従魔合身中の天涯が胸の中で不満を漏らす。ちなみに命都は上空
で待機中になるので、ウソは言っていないね。
ちなみに今回はあくまでジョーイたちのサポートということで、
714
・ガイアスタイン
ブルー・ベルベット
アン・オブ
聖女装備の﹃薔薇の秘事﹄を手にしている他は、戦ドレスの﹃戦火
の薔薇﹄等、不測の事態に備えて、いちおう本気装備を着用してい
る︵ホントは聖女モードなので、従魔合身も命都のほうが良かった
んだけど、天涯に強固に反対されたんだよねぇ︶。
こくよう
よべ
まあ、噂の﹃砂塵の迷宮﹄がどの程度のレベルなのかは不明だけ
ど、いざとなれば影移動で刻耀も召喚できるし、大抵大丈夫だとは
思うんだけどね。
そんな感じで歩きながら四人で、お互いに近況とか世間話とかし
ながら︱︱まあ、フィオレは人見知りしてほとんどジョーイとしか
喋らなかったけど︱︱1時間ほどでその﹃砂塵の迷宮﹄へと到着し
た。
見た目は、いかにも﹃岩をどけたらダンジョンがありました﹄と
いう感じで、地面にぽっかりと穴が開いて階段が続いている。
そして、入り口のところに掘っ立て小屋があって、ここで受付を
して入場料や、入場手続きをするらしい。あと、関係ない露店が軒
を連ねているけど、特にめぼしいものもなかったのでスルーした。
で、受付で入場料を払って︱︱ここでジョーイたちがクレス自由
同盟国の通貨を持っていないことがわかったので、公平を期するた
め全員分立て替えておいた︵本当にこれでどーするつもりだったの
かと⋮⋮︶︱︱さらに受付用紙に名前とダンジョンに入った日付、
出る予定の日時をペンで記載する。
なんの気なしに前のページを見ると、ダンジョンから出た者は二
重線で名前とかが消してあるけど、中にはとっくに予定日時を過ぎ
ても名前が残っている者もいる。だいたい20人に1人ってところ
かな。これを多いと見るか少ないと見るかは判断に迷うところだろ
715
うね。
あと、受付でダンジョンの攻略MAPが売っていたので購入した。
◆◇◆◇
さて、ダンジョンに入って10歩と進まないうちに、ジョーイた
ちは難題に直面した。
﹁⋮⋮く、暗いですね師匠﹂
﹁だなぁ、アーラの古代遺跡はどの階も明るかったのに﹂
立ち止まって往生している様子の二人を見て、思わず薄闇の中で
顔を合わせるボクとクロエ。
吸血姫のボクには勿論暗闇の意味はないし︵と言うか直射日光の
照りつける外よりも快適︶、獣人族のクロエにしても、まだ入り口
の光が届くこの程度の暗さなど真昼も同じなのだろう。
﹃まあ、種族的な差だから仕方ないね﹄
という顔でお互いに頷き合う。︱︱いや、本当ならそれを想定し
て準備しておくもんだと思うけどさ。
あと、アーラの古代遺跡は親切設計過ぎたかも知れないね。もう
ちょい逆境に耐えられるような造りにしておけば良かったねぇ。
﹁まってろ、確か荷物にランプが⋮﹂
手探りで荷物をゴソゴソやるジョーイと、それを手伝おうとする
716
サンド・パイパー
ライト
フィオレの足元に、砂毒蛇がこっそり近づいていたので、クロエが
無言・無音のまま如意棒で叩きつぶしていた。
ブルー・ベルベット
﹁明かりだったら私がなんとかできるよ。︱︱光芒﹂
三日月型の﹃薔薇の秘事﹄の先端に丸い光の塊が生まれ、周囲を
真昼のように照らした。
その光の塊をポイと頭上に投げると、4人の中間あたりの空中に
浮かんで留まる。
﹁これで半日は持つと思うよ﹂
ボクが歩くと光の塊もそれに併せて移動する。
﹁へえ、便利なもんだねぇ﹂
﹁ヒユキがいてくれて助かったなぁ﹂
﹁な、な、なんですか、この魔法は?! こんなの聞いた事もない
⋮⋮﹂
三者三様の反応に軽く肩をすくめて応えた。
◆◇◆◇
視界が確保されたことで、その後は問題もなく。また攻略MAP
もあったお陰で1∼6階は割とサクサクと進むことができた。
サンド・パイパー
また、これらの階は出てくるモンスターも、先ほどの砂毒蛇や、
717
子犬ほどの大きさの砂サソリ、ポイズンバッドといった物理攻撃の
効く、比較的対処しやすい相手だったため、基本的にジョーイの剣
とフィオレの魔法に任せる形で、ボクたちはどうしても対処しきれ
ない時や、油断を突かれた時などにだけ手を貸す形にした。
ただ、唯一の例外は5階に出てきた、サンドワーム。思い出すの
もおぞましい、砂色をしたミミズかゴカイの化物。これだけは生理
的に無理だった。
小部屋に入った瞬間、床の砂の中から鎌首をもたげたんだけど、
この時ばかりはさして仲が良い訳でないフィオレと二人で、
﹁﹁きゃあああああああああっ!!!!﹂﹂
と抱き合って悲鳴をあげ、そのまま揃って硬直してしまった。
で、戦力外になったボクらの代わりに、ジョーイとクロエの二人
で斬って叩き潰したわけだけど、お陰で青緑の体液まみれになった
二人の姿に、
﹁﹁ぎゃあああああああああっ!!!!﹂﹂
と、再度揃って悲鳴をあげたのはさすがに悪かったと反省してい
る。
幸いサンドワームが出たのはそれ一回きりだったのが不幸中の幸
いだけど。
取りあえずジョーイとクロエの二人には、フィオレが魔法で出し
た水で体を洗ってもらって、その後はフィオレと二人で謝り倒した。
その後、6∼8階はMAPの空白地帯や細かな間違いなんかも出
てきて、若干移動速度が鈍ったけれど、ここらへんは出てくるモン
スターがミイラやスケルトンなどの死霊系になったので、ジョーイ
の光の魔剣がかなり役に立った。
718
﹁さすがは師匠です!﹂
と喝采の声をあげているフィオレだけど、彼女は彼女で魔法をア
ンデッドにも効果的な火に変えて攻撃する機転と汎用性があるのだ
からたいしたものだと思うけどね。
そんな感じでどうにか9階に続く階段が現れたところで一休みす
ることにした。
◆◇◆◇
﹁むう、9階から先は完全に空白だね﹂
攻略MAPを広げて、ボクはため息をついた。
書いてあるのは﹃9階のモンスターは、ゴーレム、サンドゴーレ
ム等﹄﹃10階のボスはスフィンクス﹄という殴り書きだけ。
チョキ
﹁⋮⋮ゴーレムか。俺の剣だとちょっと相性が悪そうだな﹂
グー
ちょっとどころかジャンケンの石に対する鋏と同じで無茶苦茶悪
いと思う。
まあ純粋な剣技で岩を切れるとか、力任せに砕ける腕力があるな
ら別だけど、ジョーイの場合はどっちも決定的に不足してるからね
ぇ。
フィオレ
ジョーイ
﹁まあゴーレムも中心になってる﹃核﹄を壊せばなんとかなるから
ね。方法としては、お嬢ちゃんの魔法を主体にして、坊やが撹乱を
719
して、徐々に削っていって、足を壊すなり、核を見つけたら斬るな
りするのが常道だろうね﹂
クロエが今後の方針について提案した。
ジョーイはなるほどと頷いたが、フィオレはそれを聞いて唇を噛
み締めて下を向いた。
﹁⋮⋮無理です﹂
やがてその唇から消え入りそうな声が漏れた。
﹁ん? 攻撃魔術は使えないのかい?﹂
そんなクロエの顔を泣き笑いのような顔で見返すフィオレ。
﹁使えます。でも、無理なんです⋮⋮﹂
それから嫉妬とも賞賛ともつかない目でボクの方を向いた。
﹁ヒユキさんは気が付いてますよね。⋮⋮あたしが魔法使いとして
半端だってことを﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮魔術の構築はできるけど、瞬間的に出せる魔法攻撃力も、総
合的な魔力量も常人よりちょっと多いくらい。小型の魔獣ならなん
とかなるけど、ゴーレムに攻撃をあててもダメージを与えられない、
そんな非力な魔術師なんです﹂
﹁︱︱いや、でも今日はお前、凄く調子よく魔術使ってたじゃない
か?﹂
バフ
﹁はい、師匠。今日は信じられないくらい調子がよかったです。⋮
⋮けど、これってヒユキさんの補助魔術のお陰ですよね?﹂
720
バフ
﹁⋮⋮確かに、かけられるだけの補助魔術はかけてあるよ﹂
これがもっと暗いところなら、ジョーイとフィオレの二人の体に
薄い光の膜が取り巻いているのが見えただろう。
﹁羨ましいです。⋮⋮とっても﹂
そう呟いて黙然と下を向く。
721
第四話 砂塵迷宮︵後書き︶
久々の1日3回投稿を目指したのですが、時間切れでした︵ノ︳・。
︶
9/16 誤字修正しました。
×なんとかあんるからね↓○なんとかなるからね
722
第五話 自縄自縛
﹃自分は魔法使いとして半端な出来損ないだ﹄
そういって膝を抱えてうつむいたフィオレ。
そういやギルド内にもこんなタイプのメンバーがいたなぁ。
そのメンバーの場合は好んで生産職を選択してたんだけど、やっ
ぱり生産職って戦闘では足手まといってイメージがあるみたいで、
臨時パーティ募集とかに応募しても、けんもほろほろに断られて、
中には悪し様に言われることもあったらしい。
けど実際のところは、生産職って意外と硬い︵生命力を示すVI
Tが高く︶し、腕力だってある︵同じくSTRも高い︶ので、普通
に戦う分には戦闘職と遜色はないと思うんだけどね。ただ、強力な
スキルがないから殲滅力に欠けるって一点だけで、戦闘では不遇職
に追いやられているけど。
﹁どうして生産職ってだけでこんなこと言われなきゃならないんだ
ろう⋮﹂
と、よく落ち込んでたものなんだけど、本人は楽しい人だったし、
ボク自身が非力・紙装甲剣士だったので、二人でよく数時間かけて
ダンジョン攻略とかやって、楽しかったものだけどねぇ︵らぽっく
さん一人なら20分で攻略できるダンジョンを2人で2時間半とか
ね︶。
ボクとしてはいちいち他人と比較していてもしかたないと思うし、
もっと自分を認めたほうが良いと思うんだけど、口で言っても多分
納得はできないんだよねぇ、こういうのって。
723
そう言ってあげたいけど、そもそもボクと比較して落ち込んでる
みたいなんだから、下手な慰めはかえって逆効果になりそうだし・・
・。
そのあたりを察したのだろう。クロエが口を開いた。
﹁ねえ、お嬢ちゃん。あたしゃ魔法はからっきしだけど、あんた少
なくとも水と火、それに攻撃魔術まで使えるんだろう?﹂
﹁⋮⋮風と土をあわせた四大元素魔術と、古代語魔術も少しだけ使
えます﹂
だからどうしたという口調で、膝に顔をうずめたままフィオレが
ぼそぼそと答える。
ひゅう、とクロエが軽く口笛を吹いた。
﹁その若さでたいしたもんだ。あたしが知ってる魔術師なんざ、1
種類か2種類の魔法しか使えなかったのにねえ﹂
﹁⋮⋮でも使えるだけです、実戦では役に立ちません。強力な1種
類の魔術が使えるほうがよほど優れています﹂
﹁そうかねえ。︱︱ねえ、姫さん。あんた使える魔術は何種類だい
?﹂
﹁神聖魔術1種類だけだよ﹂
﹁︱︱だってさ。それだけの種類の魔法を覚えたんだ、たいした努
力と才能じゃないか。もっと自分の努力を誇るべきじゃないかい?﹂
﹁実戦でこそ魔術師は認められます。⋮⋮誰にも認められない才能
724
なんて無意味です﹂
﹁それでも、認められたいから努力したんだろう、お嬢ちゃん?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
図星なんだろう。黙り込むフィオレ。
﹁魔術だって使い方次第だと思うけどねえ。︱︱武術だって地味で
愚直な努力の積み重ねでしか強くはなれないんだし。あたしに言わ
せれば才能だの限界だの言うのは、死ぬ間際にやるだけやって、そ
れでもダメだった時に言うべき言葉だと思うだけどね﹂
そう言ってこれで話はお終いだとばかりに立ち上がるクロエ。
一方、ボクは話の間ずっと空気だったジョーイを肘でつついた。
﹁︱︱な、なんだ?!﹂なぜ顔を赤らめる?
⋮⋮いや、なんだじゃなくてお仲間としてフォローすべきところ
だろう? と小声で囁くと、ジョーイは難しい顔で腕組みした。
﹁いや、なんか話してる内容がよくわからないんだけど﹂
相変わらず脳ミソがトコロテンだねぇ。
﹁俺は魔法なんて使えないからな。フィオレは凄くて、大助かりだ
から、なんで悩んでるのかわかんねー﹂
あっけらかんとした物言いに、クロエが吹き出し、フィオレも顔
を上げて唖然とした顔をした。
何を言われたのかいまだに理解できない、そんな表情だった。
さんざん悩んで、励まされて、それでも納得できないでいたのに、
こんな馬鹿馬鹿しいくらい真っ正直に﹁凄い﹂﹁大助かりだ﹂と手
725
放しで賞賛されて、にわかには信じられないのかも知れない。
けれど。だからこそ、ボクは苦笑して言った。
﹁︱︱ほら、ね。努力にはちゃんと成果がついてきてるだろう?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
フィオレは泣き笑いのような︱︱だけど嬉しそうな笑みを浮かべ
て、こっくりと頷いた。
◆◇◆◇
一時の休憩を終えて、持ち直したフィオレともども9階へ降りた。
で、この9階だけど、床や小部屋が砂に覆われていた、これまで
の階層から一転して、石造りの重厚な造りの迷路へと変貌したので、
オートマッピング
後衛のボクとフィオレとでマッピングしながら慎重に進むことにし
た。
ちなみにボクのスキル﹃地図作成﹄は、通常のダンジョンなら自
動で頭の中に歩いたところの地図が描かれるけど、こういう迷路型
のダンジョンだとリミッターがかかる仕様になっていて、それはこ
の世界に来ても健在だった。⋮⋮まったく変なところで使えないも
のだねぇ。
トラップ
さらにクロエ曰く、踏み床とか、落とし穴とか、回転扉とか罠も
満載ということで、ここは経験豊富なクロエに先導をお願いして、
その後ろにジョーイがついて歩いて罠の見分け方とか解除方法とか
を実演で学んでもらうことにして、その後ろにボクとフィオレが横
726
に並んで歩く形になった。
んで、途中にでてくる石造りのゴーレムはクロエが如意棒で粉砕。
砂で出来たサンド・ゴーレムは、ジョーイも手伝って、ザクザク
削って本体の核を探して、これを破壊するという形で倒す︱︱こん
な感じで、意外なほど順調に進むことができた。
それと、ここで役に立ったのがフィオレの魔法で、ゴーレムは土
系統の魔法で一瞬でも足止め。
サンド・ゴーレムはもっと単純に、水の塊をぶつけて粘性を高め
ることで、本来であれば物理攻撃が効きにくい体を破壊するのに非
常に有効だった。
やっぱり使い方だね。
フィオレもここでの経験でずいぶんと自信を取り戻したみたいだ
し。
ところが、ここらへんが罠だったみたいで、1時間くらい経過し
たところで、石の壁や床がガコンガコンと轟音を立てて、まるで積
み木を並べ替えるようにして変形をして、気が付いたら入り口のと
ころ。
そして迷路もさっきと全然違う形へと変貌していた。
﹁⋮⋮つまり、時間制限つきってことね﹂
どうりでMAPが白紙になってたわけだわ。
取りあえず相談のうえ、ここのダンジョンはタイムアタックを優
先することにして、途中の罠やモンスターはひたすら無視して、出
口を探すことにした。 727
﹁この中で一番速度と反射神経が良いのは私だと思うので、私が先
頭に立つから遅れないでね﹂
まあ本気で走ったら一瞬で全員を置いてけぼりにしちゃうので、
充分に手加減はするけどさ。
そんな感じで、右手の壁に沿う感じで進むことにして、分岐とか
で迷いながらも、どうにかトータルで約2時間ほどで9階を突破す
ることに成功した。
◆◇◆◇
そしてボス部屋の10階。
ここは上の階に比べてずいぶんと小さな︵と言っても300メー
トル四方くらいはあるのでかなりの大きさだけど︶フロアで、なお
かつ全体が一部屋になっていた。
古代エジプトの神殿みたいな柱が立ち並ぶ先、巨大な台座の上に
それに見合った大きさのスフィンクス︱︱ライオンの身体に人間の
女性の顔、鷲の翼を持つ怪物︱︱が寝そべっていた。
その台座の向こうに通路が見えるので、おそらくその先に転移魔
法陣があるのだろう。
スフィンクスはボクらに気が付くと、気だるそうに顔を上げた。
﹁ほう、また侵入者か。まったく、最近は眠るヒマもないな﹂
意外と穏やかな口調で一人ごちつつ、彼女︵?︶は続けた。
728
﹁では、招かざる侵入者たちよ。汝らに問おう。この質問に答えら
れれば、我の後ろを通って早々と戻るがよい。ただし、答えを間違
えれば我の食餌となってもらう﹂
おや、このパターンってアレ⋮⋮かな?
﹁朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か?﹂
思わず顔を見合わせるボクたち。
﹃⋮⋮これって、アレだよねぇ﹄
﹃⋮⋮アレだね﹄
﹃⋮⋮有名なアレですね﹄
なるほどねぇ、ボスが﹃スフィンクス﹄ってわかっていれば、戦
闘を回避して先に進めるってわけか。
道理で情報が少ないわけだわ。10階にまで来られれば、ほぼ問
題なく転移魔法陣を使えるわけだからね。
取りあえず転移魔法陣さえ使えればいいので、無駄な戦闘は回避
することでお互いにアイコンタクトで同意し、頷き合うボクら。
そのまま、なんとなく目で促されたので、代表をしてボクが答え
ることにした。
﹁答えは、にん﹁お化け?﹂﹂
﹁﹁﹁﹁⋮⋮⋮﹂﹂﹂﹂
一瞬早く、首を捻りながら馬鹿な答えをしたジョーイに、スフィ
ンクスも含めたこの場にいる全員の、信じられないものを見るよう
な視線が集中した。
729
﹁︱︱間違えたな人間! 汝らは全員、我のエサだ!!﹂
一転して、怒りの形相も猛々しく立ち上がったスフィンクスが翼
を広げ、四肢に力を込めて襲いかかる体勢をとった。
﹁あれ? 間違えたか⋮﹂
ポリポリと頭を掻くジョーイに向かって、
﹁し⋮⋮師匠の、馬鹿ーっ!!﹂
フィオレの本気罵倒の声がフロアに響き渡り︱︱それを合図にス
フィンクスが咆哮をあげ、台座のを蹴って上から飛び掛ってきたの
だった。
730
第五話 自縄自縛︵後書き︶
答えは﹁人間﹂ということで。
ちなみに答えられない場合は、その場から引き返すことも可能です。
731
第六話 転移装置
スフィンクスとの戦闘開始から20分後︱︱。
﹁し、死ぬかと思った⋮⋮﹂
虫の息で体を横たえたスフィンクスの隣で、荒い息を吐くジョー
イを、全員が﹃死ねば良かったのに﹄という冷めた目でみていた。
このスフィンクス、物理耐性はさほどではなかったけど、翼と獣
の四肢を使って縦横上下の立体を自在に移動する上に、幻影で分身
を作ったり、砂嵐で姿を隠したりと、とにかくトリッキーな動きで
非常に厄介な相手だった。
てんがい
そのため今回ばかりはボクも積極的に戦闘に参加︱︱と言っても
天涯との従魔合身の恩恵による、あり余るHPに物を言わせてタゲ
を取り続け、壁役に徹したわけなんだけど︱︱して、まずクロエが
如意棒で翼の一枚を射抜いて、床に叩き落し、すかさずジョーイが
脚の一本を斬って動きを止め、フィオレの炎を顔面に当て視界を奪
っところを、全員で攻撃を当て続けて仕留めたのだった。
よし
﹁︱︱ま、結果的には良い手土産ができたんだ。由としようかね﹂
そういいながら、スフィンクスにとどめを刺すべく、如意棒を振
り上げるクロエ。
スフィンクスは観念したのか、無機質な目で自分に死をもたらす、
その先端を眺めていた。
﹁⋮⋮待ってもらえるかな、クロエさん﹂
732
咄嗟に右手を上げて制したボクは、怪訝な顔をするクロエの前に
でて、スフィンクスに問いかけた。
﹁スフィンクス。この地の主よ。私は君の英明なる命を惜しむ。故
に問おう、このままその命の無に散らすか、それとも私の元でさら
なる高みを目指すか否か﹂
﹁⋮⋮なんだと? なにを言っている。そも汝は何者か?﹂
ラ・ヴィ・アン・ローズ
ボクはすかさず﹃薔薇色の幸運﹄︱︱堕天使の翼である漆黒の羽
ブルー・ベルベット
ジル・ド・レエ
インベントリ
を︱︱背中に装備して︵ハッタリも大切なのでね︶、手にした長杖
﹃薔薇の秘事﹄に代わり愛剣﹃薔薇の罪人﹄を収納スペースから取
り出した。
前に一度見たことのあるジョーイは、へえという顔で。
ボクの正体を知っているクロエは、ほほうともの珍しそうな顔で。
フィオレは完全に理解不能のなようで、ほええと目を剥いていた。
てんがい
こくよう
まあ、こっちは後で説明することにして、
﹁天涯、刻耀﹂
従魔合身中の天涯と、影移動で待機中だった刻耀とを呼び出す。
﹁︱︱はっ﹂
タキシード姿の天涯が合身を解いて現れ、すかさずボクの右手側
で一礼し、同時に現れた暗黒騎士、刻耀が左手側で恭しく騎士の礼
をとった。
ジル・ド・レエ
虫の息でも魔物としての格の違いはわかるのだろう、息を呑むス
フィンクスに向け、ボクは﹃薔薇の罪人﹄の刀身を突き出した。
733
インペリアル・クリムゾン
ひゆき
﹁改めて名乗ろう。私の名は緋雪。魔光あまねく永遠なる魔王国﹃
真紅帝国﹄の主にして神祖の名を冠する者である。スフィンクスよ、
お前には2つの選択権を与えよう。すなわちこの私の剣の下に服従
を誓い更なる力を求めるか、或いはこの剣の下、無駄に命を散らす
か﹂
唖然とするスフィンクスに向けて、問いかける。
﹁︱︱返答はいかに?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
瞑目して、しばらく考え込んでいたスフィンクスだが、ゆっくり
と気力を振り絞って立ち上がった。
警戒の姿勢を見せるクロエの気配を背後に感じたけど、スフィン
クスの目に敵意がないのを見て、天涯も刻耀も身動きしない。
﹁恭順しましょう。我が主よ﹂
そう頭を下げるスフィンクスに内心、ほっと胸を撫で下ろした。
よかったよかった。会話できる相手を無駄に殺生したくなかった
からねぇ。
◆◇◆◇
734
数日後、再度﹃御前会議﹄の名目で招聘された、コラード国王と
レヴァンは、先日とはまた違う緋雪の私室に通され、出されたお茶
を飲みながら一部始終を聞き終え、﹃はあ﹄と気のない相槌を打っ
た。
﹁⋮⋮それで、その後、転移魔法陣でお戻りになられたんですか?﹂
コラード国王の確認を込めた質問に、本日は薄いピンクのトレー
かぐや
ンのドレスを着た緋雪は﹁いや﹂と首を振った。
﹁取りあえず輝夜︱︱ああ、話に出てきたスフィンクスね。名前が
ないっていうから付けたんだけど︱︱の治療をして、あと私の正体
を知ってパニックになったフィオレを、クロエさんと二人で宥めて
⋮﹂
さぞかし肝を潰したろうに・・・と、知らない冒険者の卵の心中
を想って、しみじみと同情するコラード国王。
﹁ジョーイ君もその場にいたんなら、彼が説明するのが早かったん
じゃないですか?﹂
﹁はっはっはっ。いやだなぁ、コラード国王。ジョーイに的確で気
の利いた説明ができると思うかい﹂
ちょっと考えて、カマドウマよりも役に立たないと判断したコラ
ード国王は、無言で首を振った。
﹁ああ、それとクロエさんだけど、個人的に彼女を慕ってる仲間が
かなりいるそうなんだけど、このご時勢でなかなか大変みたいでね。
まとめて引き抜いて、諜報・工作部隊みたいのを作って指揮をお願
いしようかと思ってるんだけど、問題ないかな?﹂
735
うち
﹁クレス自由同盟国としちゃ問題ないですよ。あの姐さんなら、相
当な凄腕でしょうし、心強いですね﹂
﹁問題は権限や各地の拠点ですね。なにしろ皇帝の直轄部隊ですか
ら。事務方と協議が必要ですね﹂
レヴァンは快諾し、コラード国王は早速、組織の骨組みや運営に
ついて頭を悩ませ始めた。
﹁まあ、そのあたりはお任せするよ。︱︱で、いざ帰ろうとしたと
ころで、輝夜から待ったがかかってね﹂
﹁︱︱はあ﹂
﹁ははぁ⋮⋮﹂
レヴァンはピンとこないようだったが、元冒険者ギルド長だった
コラード国王は目星がついた顔で笑みを浮かべた。
﹁ご褒美の財宝ですか﹂
レヴァンも気が付いたのが、あっと声をあげた。
﹁そういうこと。輝夜が自分の座っていた台座を押すと、底がずれ
て隣の部屋に行く通路が開いてね﹂
なんか妙に部屋が狭いと思ったら、隠し部屋があったんだよね、
と続ける緋雪。
﹁で、輝夜に案内されて行った先にあったのが⋮転移装置﹂
﹁転移魔法陣ですか? 財宝ではなくて?﹂
736
﹁いや、いちおう財宝もあったよ。ほとんどが金細工とか金の像と
か壷とかで、それほどたいした量でもなかったけど﹂
﹃きっと一般人が見たらとんでもない量だったんだろうな﹄
と心中密かに想像する二人。
﹁問題は転移装置の方でね。ああ、コラード国王、転移﹃魔法陣﹄
じゃなくて、転移﹃装置﹄なんで、間違えないでね﹂
﹁⋮⋮? どう違うんですか﹂
﹁魔法陣の場合は、あくまで連動した二つの魔法陣の間でしか移動
ができないけど、装置の方は相手に装置がなくても一方的に移動さ
せることができる。ちなみに一度に送れるのは直径20メートルの
円の中にあるものなら人、物を問わない。ただし移動ポイントはあ
る程度限定されていて、いまのところ大陸各地の13箇所ってとこ
ろだね﹂
その言葉のもつ意味を理解したコラード国王の顔色が変わった。
﹁そ⋮そんなもの悪用したら、えらいことじゃないですか!?﹂
﹁そうだね。その気になれば他国に部隊ごと移動させることも可能
だしね。︱︱でも、まあ平和利用以外に使うつもりはないよ?﹂
﹁平和利用⋮⋮ですか?﹂
﹁そう。これってある意味流通革命だよね? これを使えば商人が
長距離の旅を時間をかけ、危険と隣り合わせの苦労しなくても済む
ようになるんだから﹂
737
その言葉に目からウロコが落ちたような顔になるコラード国王。
確かに、現在の転移移動は、転移魔法陣から転移魔法陣間に人間
一人を送ることしかできないため、場所と持てる荷物の量にも限り
がある。だが、これがもっと大量にしかも荷物ごと送れるようにな
るとなれば、多少高い費用を払ったとしても商人としては充分な利
益が見込めるだろう。
﹁そうなれば、装置のあるウィリデ︱︱ひいてはクレス自由同盟国
自体が、貿易の中継地として有効性を認められるんじゃないかな?﹂
﹁⋮⋮それは、確かに﹂
ごくりと唾を飲み込んでコラード国王も頷いた。
レヴァンもだんだんと理解が追いついてきたのか、高揚した顔で
身を乗り出して食いついてきた。
﹁しかし、他国がそれを危険視しないでしょうか?﹂
﹁そのあたりは今後の交渉次第だろうね。だからレヴァン︱︱がん
ばってね﹂
﹁はあ? なんでオレなんですか?!﹂
急に責任問題を振られて素っ頓狂な声をあげるレヴァン。
﹁いや、だって君、今度帝国の宰相と交渉するんでしょう? だっ
たらその席でこの話もしないと⋮⋮だいたい装置の移動先5箇所は
帝国領内だしねぇ﹂
そう言いながら、簡単に大陸の地図に転移装置の移動先を書いて
738
ものを見せる緋雪。
﹁⋮⋮なるほど。帝国が5箇所、西部域に3箇所、聖王国にはない
のは都合が良いといえば良いか。後あるのはほとんどが中小国家で
すから、帝国と我が方で協定を結べば、ほとんどが右倣えするでし
ょうね。︱︱これは、責任重大ですねレヴァン代表﹂
命都経由で受け取った地図を見ながら、どことなく楽しげに話す
コラード国王。
﹁いやいや、他人事だと思って気楽に言わないでくださいよ、二人
とも! オレにそんな交渉なんてできるわけないでしょう!?﹂
﹁大丈夫、なにしろ次期獣王だし!﹂
﹁ええ、貴方ならきっと達成できると確信してます!﹂
まあ、どーせ事務方がどーにかするだろうと思って、思いっきり
プレッシャーをかけまくる二人。
それを本気にして頭を抱えるレヴァン。
まさかこれが帝国に火種を放り込む結果になろうとは、この時点
では誰も予想していなかったのだった。
739
第六話 転移装置︵後書き︶
当初はスフィンクスは倒す予定だったのですが、ご感想でまた部下
にするのかな?かな?というご意見をいただきまして、そーいえば
緋雪ちゃんの基本スタンスは話せばわかるだったっけ、と思い直し
てこの形になりました。ご指摘ありがとうございました。
9/22
文の冒頭に緋雪の本来の性格を書いたのですがて、様々なツッコミ
がありましたので削除いたしました。
740
第七話 帝国宰相︵前書き︶
今回は緋雪はいるんだかいないんだかの状態ですw
741
第七話 帝国宰相
いまにも泣き出しそうな曇天の雲がここグラウィオール帝国の首
都アルゼンタムを覆っていた。
大門をくぐった当初こそ快調に疾走していた馬車であったが、中
心市街に近づくにつれ人通りが増え始め、どんどんとその歩みが遅
くなり、王城が見え始めた頃には人波に揉まれるような有様となり、
その足取りは亀よりもひどいものになってしまった。
一応、貴族・貴賓とわかる仕立ての馬車なため、通行人は道を譲
ろうとはするのだが、所詮は焼け石に水で、気の短い獣人族の同行
者は、さっさと降りて走ったほうが早いのでは、とイラついた口調
で主張する者もいたが、さすがにそれは礼儀に反するということで、
どうにか諌めて落ち着かせる。
﹁⋮⋮それにしても、すごい人ですね。なにかのお祭りですかね﹂
窓の隙間から見える佃煮のような人の数に、半ば呆れ、半ば感心
した口調でレヴァンが思ったままを口に出すと、その隣に座ってい
た薔薇のドレスを着た2.5頭身の美幼女︱︱魔導人形﹃ちびちび
緋雪ちゃん﹄︱︱が、苦笑気味の顔になって応じた。
﹁いやいや、これだけの規模の都市なんだから、ウィリデやアーラ
とは人口密度が違うよ。それに時間帯もちょうど一仕事終わった帰
り、その上この天気だからね。早めに買い物を済ませようってこと
で、これだけ混んでるんだと思うよ。逆に雨が降っていれば出歩く
人もいなかったんだろうけどね﹂
742
染色技術が未発達なこの世界では、水に濡れると服の染料が落ち
るので、ある程度上等の着物を着ている人間は、雨の時は出歩かな
いのが普通である。
﹁マズイ時にぶつかったってわけですか﹂
時間に縛られた仕事や天気に応じた買い物といったことはほぼ頓
インペリアル・クリムゾン
着しない獣人族の習性で、あまり考えないでこの時間、この天気で
の訪問︱︱と言うか獣人族の性急さと真紅帝国の機動力を使って半
ば無断で国境線を越えて帝国に進入し、帝都に入る直前に宰相へ連
絡するという非常識なやり方︱︱となったが、失敗だったかも知れ
ないなとレヴァンは内心ホゾを噛んだ。
事の発端は、先日、緋雪たちが発見した転移装置︱︱転移魔法陣
インベントリ
と違って、ある程度の移動は微調整可能とのことで、いったん所有
者である緋雪が収納スペースに収納して、地上に持って帰って設置
し直した︱︱これの処遇を巡っての協定を、追加で執り行いたい旨
を書簡に記して、帝国宰相宛に送ったことに始まる。
その内容︵転移装置の存在と、これを用いた自由貿易︶は当然な
がら帝国でも相当波紋を呼んだのだろう。程なく、文書でのやり取
りではなく直接事前協議を、できれば至急・秘密裏に行いたいとい
う内容の返事が帝国宰相から戻ってきた。
﹁秘密裏だったら、私も参加﹂
﹁﹁﹁﹁駄目です!!!﹂﹂﹂﹂
てんがい
みこと
ほいほいと腰の軽いことを言いかけた緋雪を、その場にいたコラ
ード国王、自分、天涯様、命都様の4名で封殺して、結局、装置が
743
ある当事国家の代表者で、なおかつ比較的動きやすい立場の自分が
赴くことへとなったのだが・・・。
﹁⋮⋮あの、姫陛下。このまま協議にもついてくるお積りですか﹂
見かけ通りの幼女のような態度で、もの珍しげにアルゼンタムの
街を見物している緋雪人形に尋ねてみた。
﹁そうだけど? 直接、来られないならこれで妥協するしかないで
しょ﹂
振り返って、若干不満そうに頬を膨らませる。
︱︱いや、別に来なくていいので、城でどっしり構えて報告だけ
待ってて欲しいんですけどね。
そう喉元まで出かかった言葉を飲み込むレヴァン。
﹁⋮⋮普通、幼児連れで事前協議に臨むことはないと思うんですけ
ど﹂
﹁ん∼、じゃあ協議中は人形のフリしてるから、誰か抱えて歩けば
いいんじゃない? 獣人族の伝統だとでも言えば、あっちはそーい
うもんかと納得するよ、きっと﹂
一般の認識では、獣人族って裸で槍構えて、バナナ食べながらウ
ホウホ言ってる程度なんだし、と付け加える緋雪。
︱︱貴女、獣人族をなんだと思ってるんですか?!
再度、必死に叫びたいのを堪えるレヴァン。一方、随員の獣人族
たちは自分たちにトバッチリが来ないように、一斉に顔を逸らせた。
﹃絶対にそんなお人形抱えて、会談に行きませんよ。行くくらいな
744
らこの場から逃げます!﹄
と、全員が無言のまま拒絶していた。
そうなると消去法で自分が連れ歩くしかないのか!? 帝国宰相
との密談現場に、幼女のお人形さん抱えて!! どんな罰ゲームだ
?!
暗然と頭を抱えるレヴァンの肩を、一見無邪気な笑みを浮かべて
ポンポンと気楽に叩く緋雪。
﹁まあまあ、妹でも連れて観光に来たとでも思えばいいんじゃない
の、お兄ちゃん♪﹂
いもうと
﹁義妹なら一匹でもうお腹いっぱいです﹂
﹁古い妹のことは忘れて、新しい妹を可愛がってよ、お兄ちゃま♪﹂
そう言ってレヴァンの腕にしがみ付いて、すりすりするちびちび
緋雪ちゃん。
﹁︱︱うっ﹂
冗談でやってるのはわかるのだが、見た目の可愛らしさが圧倒的
なので、思わず抱き締めて頭をなでなでしたい発作に駆られる。
◆◇◆◇
同時刻、獅子族の移動集落にて︱︱。
745
あに
瞑想して、義兄の無事を祈っていた巫女アスミナの脳裏に天啓が
走った。
﹁︱︱っ!!﹂
﹁どうされました、アスミナ様?﹂
にい
ジシスが眉をひそめるのを無視して、猛烈な胸騒ぎに襲われ仁王
立ちになるアスミナ。
﹁危険だわ! レヴァン義兄様へ危険が迫ってるわ!!﹂
﹁︱︱なんですと!﹂
わたし
﹁強敵が迫っているわ! なんか、このままだと、妹のポジション
が奪われる気がする!!!﹂
﹁⋮⋮なんですと?﹂
◆◇◆◇
﹁例の特使︱︱獣人族の﹃獣王﹄でしたか。街へ入ったそうですね﹂
執務机に向かって書類の決裁をしていた鷲鼻で壮年の男︱︱グラ
ウィオール帝国の侯爵であり、宰相でもあるウォーレンが、いった
ん手にしたペンを置いた。
746
彼が手を休めるタイミングを見計らっていたのだろう。来客用の
ソファーに座っていたその男︱︱いや、青年と言うべきか︱︱商人
のような格好をし、どこにでもいそうなやたら存在感の薄い彼の言
葉を耳にして、﹃そういえば居たな﹄という顔でウォーレンは顔を
上げた。
﹁正確には﹃獣王候補﹄だ。まあ、どちらでも大した違いはないが﹂
そんな余計なことを考える時間はないという顔で、積みあがった
書類に再び目を通す。
﹁非公式協議の予定なのでは? いちおう準備くらいはしておいた
方がよろしいんじゃありませんかね?﹂
﹁必要ない。どうせこの屋敷にはたどり着けんのだからな。まった
く、もう帝都とはな⋮⋮もう少し時間的余裕があれば強硬手段をと
らずに済ませられたものを。︱︱それとも、始末する自信がないか
?﹂
一瞬だけ、書類から顔を上げて、相手の顔を睨みつける。
﹁いや∼。もちろん仕事はきっちりこなしますけど、多少はアリバ
イ作りしとかんと、勘繰る連中も出てくるんと違いますか?﹂
﹁ふん。皇帝派か。連中は何かあれば全てこちらの陰謀だと騒ぎ立
てるからな。いちいち相手にしていても仕方あるまい。同じことな
ら無駄を省くに越したことがない﹂
人の命も会談のための設営も等価値であり、後は効率の問題であ
る。
酷薄︱︱というよりも、徹底的に命を軽視しているからこそ言え
る物言いに、青年は﹁そういうもんですか﹂と、これまたどうでも
747
いい口調で応じた。
﹁それと最終確認ですけど、例の﹃転移装置﹄︱︱ホントに壊して
も構わないんですか? あれば随分と役立ちそうですけど﹂
﹁いらんよ。余計な火種を抱える暇はない﹂
確かに一度に大量の人員・物資を移送できる転移装置は魅力的で
ある。意見を求めた参謀達の中にも、クレス自由同盟国から奪取す
べきとの意見が多々あった。
インペリアル・クリムゾン
だが、明確な武力侵攻となれば、間違いなくクレスの宗主国であ
る真紅帝国全体との総力戦となるだろう。
インペリアル・クリムゾン
いまだその本国がどこにあるかも不明な真紅帝国を、張子の虎と
軽視する者たちも多いが、ウォーレンは、わずか半年足らずで巨大
な版図を持つようになった相手の力を侮るようなことはしなかった。
いや、相手の脅威よりも問題なのは自国の現状である。
クレス=ケンスルーナ連邦が分裂し、そのドサクサ紛れに領土を
割譲することに成功したものの、これすら危うい賭けであった。長
期戦になればおそらく戦線を維持することができなかったろう。実
際のところ、いまの帝国には大規模な戦を行えるだけの余力がない
のだ。
長い歴史と優美な伝統に裏打ちされた格式高い大国グラウィオー
ル。
そんな謳い文句も、ウォーレンから見れば外面を取り繕った、体
のいい虚飾にしか聞こえなかった。
結局のところ、現在誇るべきものがないから過去をことさら賛美
748
して悦に入っているだけではないか。
現実には貴族達は民衆を搾取し、官民の間では賄賂が横行し、役
人は職権を乱用して私服を肥やし、民衆は何の努力もせず全ての責
任を国へ転嫁する。
伝統は悪弊となり、腐敗と怠惰、詭弁と責任転嫁ばかりの俗物を
生み出す苗床となってしまった。
なんとしてもこれらを駆逐せねばならない。だが、アミティア王
国の例を見るまでもなく、急激な社会体制の変革は反発を招く。時
間が必要だ。この国を立て直すための。
インペリアル・クリムゾン
︱︱新しいもの好きの帝のことだ、いまのところ私のところで押
さえているが、今回の件が耳に入れば後先考えず、真紅帝国との自
由貿易交渉に乗り出すだろう。
だが、それを行えばイーオン聖王国とのバランスを崩すことにな
る。
ならば帝の耳に入る前に、手を打つしかあるまい。
インペリアル・クリムゾン
クレス自由同盟国の特使は﹃不幸な事故﹄により、非公式会談前
に亡くなる。本来ここに居ないはずの人物だ。真紅帝国としても公
式に糾弾することはできないだろう。
無論、可能性としては個人の死を拡大解釈して、宣戦布告︱︱と
いうこともあるが、おそらくそれはないだろうとウォーレンは考え
る。
インペリアル・クリムゾン
真紅帝国は、これまでのところ自ら率先して戦を仕掛けたことも
なく、あくまで受けてたつ姿勢を標榜している。また、彼の国の国
主︱︱いまでは単に﹃姫﹄﹃姫陛下﹄と言えば彼女のことを指す代
749
名詞となっている︱︱の伝え聞く人となりや、送られて来た書簡︱
︱貴族社会にありがちな言葉遊びを排した、飾り気の無い文体で的
確に用件のみを伝え、なおかつ無味乾燥にならない細やかな心配り
の感じられる、いっそ小気味良いとすら感じられるそれ︱︱からも、
自分に似た合理性や整合性を感じられる。
ならば、こちらとしては遺憾の意を表すと共に、次回の領土交渉
で多少はあちらの言い分に色をつけて返してやってもよい。おそら
くその辺りが双方の落としどころとなるだろう。
そして、クレスの転移装置は﹃何者かの襲撃﹄により、破壊され
る。
それでよい。
もともと存在しなかったものが、元の状態に戻るだけなのだから。
ふと、気が付くとソファーに座っていた青年が消えていた。
毎度の事ながら、一言の挨拶もなく、また気配もなく消えた彼の
神出鬼没さに軽く眉をひそめて、ウォーレンはふと窓硝子の外を見
上げた。
曇天はいよいよ分厚く、まるで夜のように街を覆いつくし、遠く
に雷鳴も聞こえ始めた。強くなってきた風に窓枠がガタガタと鳴り
出した。雨が振り出すのも時間の問題だろう。
﹁︱︱今日は、荒れるかも知れんな﹂
ぽつりと呟いたウォーレンは、再び溜まっていた書類を決裁すべ
く、ペンに手を伸ばした。
750
第七話 帝国宰相︵後書き︶
ちびちび緋雪ちゃん人形が同席するのは、いただいたご意見からア
イデアをいただきました︵いや、いただいたご意見では№2の替玉
人形だったようですが、私が幼女人形を抱くレヴァンを想像して替
えましたw︶。
751
第八話 雨天決行
空模様がいよいよ怪しくなり始め、通りを行き交う人々も周囲の
ことなど眼中になく、急ぎ用事を済ませようと、まるで火事場のよ
うに大通りを無秩序に動き回り、いよいよもって馬車は一歩もその
場から歩けなくなってしまった。
﹁おいっ、いつまでモタモタしてるんだ!﹂
気の短い随員が窓から顔を出して御者を怒鳴りつけると、御者は
気弱な態度でペコペコと頭を下げた。
﹁⋮申し訳ありません。どうにも人通りが多すぎまして、どうにも
身動きがとれません。︱︱あの、いっそ裏道を通った方が早いかと
⋮⋮﹂
ちっと舌打ちした随員が、﹁どうします?﹂とレヴァンに訊いて
きた。
﹁しかたがない。これ以上遅れるわけにもいかないだろう。︱︱裏
道を行ってくれ﹂
窓越しに御者に言うと、﹁へい。ただ少々道が悪いので、多少揺
れると思います。しっかり掴まっていてください﹂という返事が返
ってきた。
︱︱もともと目星をつけていたのだろう。程なく人波が途切れた
瞬間を狙って、馬車をほとんど90度に曲げて、細い裏道に入って
752
行った。
﹁おっととと・・・﹂
その拍子に﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄の足元に置いてあった籐のバ
スケット︱︱馬車に乗る前から抱えていた荷物︱︱が、馬車の床を
滑りそうになった。
慌てて緋雪が現在の体のサイズを考えないで持ち手を押さえよう
として、逆にその重さに振り回されて一緒に転がりそうになる。
﹁︱︱おっと﹂
それを咄嗟にバスケットごと、ひょいと両手で膝の上に抱え上げ
るレヴァン。人形の為、甘い体臭はないが代わりに香水の匂いが鼻
をくすぐる。
﹁やあやあ、ありがとう。助かったよ﹂
にかっと無邪気に笑う緋雪。
その笑顔に緋雪本人の笑みが重なって、なぜか胸の鼓動が一度大
きく高鳴った。
そのことに、微妙な罪悪感を感じつつも、ことさら普段どおりの
態度を作って尋ねる。
﹁い、いえ、別にどうってことないですけど。なんですか、この荷
物は?﹂
表通りと比べて道幅も狭く、道路も舗装されていないため、御者
が言うとおりかなり揺れる車内。
結果的に落ちないように、緋雪人形を抱え込むことになってしま
ったレヴァンは、周囲の生暖かい視線に気恥ずかしい思いをしなが
ら首を捻った。
753
﹁これ? 最近飼い始めたペットのシンちゃん﹂
言いつつバスケットの片側の蓋を開けると、そこから茶色い動物
が顔を出した。
﹁⋮⋮嫌味ですか﹂
その動物︱︱まだ子供と思える仔ライオンの雄を見て、獅子族の
若長であるレヴァンが半眼になった。
﹁いや、別に深い意味はないんだけど、なかなか賢いんだよこの子。
︱︱ほい、お手﹂
差し出された緋雪人形のモミジのような手を胡散臭そうに眺めて
いた仔ライオンは、ぱくりとその手に噛み付いてもぐもぐして、食
べれないとわかるとぺっと吐き出した。
﹁⋮⋮すげー、頭悪そうに見えますけど﹂
﹁いやいや、ここがシンちゃんの凄いところで、即座にボケに回れ
るこの臨機応変さ! これぞまさに他の追随を許さぬ賢さだね!﹂
そーかなぁ、単に馬鹿なだけなんじゃないかなぁと車内の全員が
思ったが、賢明にも口に出す者はいなかった。
と、その時、馬車が急停車して、うわっと随員たちが座席から跳
ね飛ばされて、狭い車内で体をぶつけ合ったり、前の座席にぶつか
ったりして痛みに呻いた。
レヴァンも慣性に引かれて腰が浮きかけたが、両足を突っ張って、
どうにか自分の体と腕の中の1体と1匹を守り抜くことができた。
754
﹁なにをやってる︱︱﹂
先ほど御者を怒鳴りつけた随員が、痛みに眉をひそめながら、ま
た窓から顔を出して怒鳴った。
﹁すみません。道の真ん中に突っ立っている行商人がいまして。︱
︱おい、どかないか!﹂
御者の怒号が聞こえてきた。
﹁⋮⋮行商人だって?﹂
その単語に反応した緋雪の、切迫した声が腕の中から響いてきた。
﹁それって、黒髪で目が細い男性?﹂
﹁は? はあ、そうですが⋮⋮﹂
窓から顔を出していた随員が応じ、緋雪が大きく目を見開いた。
﹁逃げて! すぐに馬車を捨てて逃げないと、死ぬよっ!!﹂
刹那、必死の叫びが車内にこだまし、全員が呆気にとられて顔を
見合わせる。
﹁︱︱あの、それはどういう⋮﹂
事態についていけない全員を代表して、レヴァンが質問を重ねる
のを、もどかしげに︱︱そして、絶望に染まった顔で見つめ返す緋
雪。
﹁⋮⋮ダメ。もう、間に合わない⋮⋮﹂
唇を噛む緋雪に再度質問をしようとしたその矢先、馬車の扉が外
側から軽くノックされると同時に無造作に開けられた。
755
﹁おばんでやんす∼。今日は嫌な天気ですなぁ、とうとう降り始め
ましたわ﹂
そう言って体についた雨粒を払いながら、行商人の格好をした青
年が、知り合いの家にでも入る気安さで、馬車の扉から顔を覗かせ
た。
人間族だろう。会って会話しても記憶に残らないような、不思議
なほど存在感のないその青年は、意外な闖入者に唖然とする車内の
様子を一瞥して、軽く被っていた帽子を持ち上げた。
﹁勝手にお邪魔させていただきました。今日は仕事で皆さんに用が
あって伺いました﹂
かげろう
﹁なんだ、お前は⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮影郎さん﹂
青年︱︱影郎はレヴァンが抱えている﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄を
見て、細い目を軽く開いた。
﹁ひょっとして、お嬢さんですか? なんか、えらく可愛らしい︱
︱いやいや、普段も最高に可愛らしいですけど、イメチェンですか
?﹂
﹁⋮⋮お知り合いですか?﹂
﹁前に話した暗殺者が彼だよ﹂
﹃なっ︱︱!?﹄
気色ばむ一同の前で、影郎はにこやかに頷いた。
﹁どーもー。本業は歌って踊れてベタも塗れる商人ですが、副業に
暗殺者もやってます。今日はバイトでして、短い付き合いかと思い
756
ますが、皆さんよろしゅうに﹂
ぞくっ!︱︱本能的な恐怖を感じて、咄嗟にレヴァンは緋雪︵+
仔ライオン︶を抱えて、背中から体当たりする形で、反対側の扉を
破って馬車の外に飛び出した。
ちらっと御者がぬかるんだ地面に倒れているのが視界の端に見え
た︱︱刹那、馬車が内側からバラバラに砕け散り⋮言うまでもなく、
中に居た同乗者も同じ運命をたどり、降りしきる雨の中、赤い血飛
沫が一瞬花開いた。
﹁糸と針に気をつけて!﹂
悲しむ暇もなく、緋雪の注意が飛び、はっと目を凝らすと、空中
を斜めの線のようなモノが数本、こちらに向かって飛んで来るのを、
辛うじて視認することができた。
﹁︱︱くっ﹂
どうにか躱した背後で、民家の石塀がすっぱりと断ち切られて崩
れ落ちた。
﹁お嬢さ∼ん、あんましこちらの手の内バラさんでくださいよ。︱
︱それと、やっぱ雨降りはいけませんな∼。鋼糸の軌道がバレバレ
ですわ﹂
髪の毛よりも遥かに細い鋼糸を自在に展開させながら、影郎が愚
痴をこぼした。
影郎を中心に円を描くように、雨粒が空中で斬られて一瞬だけ鋼
糸が弧の字型に浮かび上がるが、あまりにも一瞬過ぎる。レヴァン
だからこそ、どうにか反応できた恐るべき攻撃であった。
﹁まあ、逆に針の方は雨粒に紛れて目立たんようでしたけど﹂
757
﹁⋮⋮ぐっ﹂
その言葉に応えるように、レヴァンは左肩に刺さっていた数本の
針をまとめて抜いた。
体が熱く、痺れるような感触がある。間違いなく毒が塗られてい
たのだろう。
﹁!! ちょっ︱︱私たちのことはいいから、早く逃げて!﹂
﹁いや∼、無理だと思いますよ∼﹂
はっと気が付くと、すぐ目の前に影郎がいた。その右手にダガー
が握られ、切っ先の向きは真っ直ぐにレヴァンの心臓に向けられて
いる。
﹁ほな、さいなら﹂
あっさりとダガーが振り抜かれる、その寸前︱︱
しんや
﹁震夜!﹂
緋雪の叫びに応える形で、その腕の中の仔ライオンが咆哮をあげ
る︱︱と同時に虹色の光を放った。
﹁な、なんでっか?!﹂
咄嗟にバックステップで距離を置き、目をかばう影郎の前で、鮮
やかな光が消え︱︱そして、うずくまっていたレヴァンと、緋雪人
形たちも煙のように消えてしまった。
﹁転送石? いや、あれはプレーヤーしか使えん筈。⋮⋮なにをし
たのかわからんけど、お嬢さんの仕業なのは間違いないやろな﹂
それから血のついたダガーの先端を眺めて、ため息をついた。
758
﹁深手を負わせた手応えはある、毒も回っている、とはいえ死体が
ないから生死不明か。こりゃ怒られそうですなぁ﹂
◆◇◆◇
そこはちょっとした森か林のように思えた。
藪の中に埋もれるようにして突っ伏していたレヴァンは、頬を舐
めるザラザラした感触と、雨とは違う生暖かい液体に、かすむ目を
見開いた。
目の前に緋雪が﹁シンちゃん﹂と呼んでいた仔ライオンが座って
いる。
どうやらこの子が自分の頬を舐めていたらしい。
﹁⋮⋮助かった⋮のか?﹂
体を起こそうとするが、毒のせいか体に力が入らない。
﹁⋮⋮いや、助かったとも言えないか﹂
それから、ふと、腕の中に﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄が居ることに
気が付いた。
﹁陛下⋮あれから、どうなったか、ご存知ですか⋮⋮?﹂
だが、﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄は文字通り人形のように身動ぎも
759
しなかった。
しばらく待っても、ゆすっても反応がないのを確認して、レヴァ
ンはため息をついた。
﹁ダメか⋮⋮孤立無援だな⋮﹂
緊張の糸が切れたせいか、急激にまぶたが重くなってきた。
仔ライオンが慌てて咆え、目を覚まさせようとするが、どんなに
がんばっても押さえつけられなり、崩れ落ちる一瞬、こちらを照ら
す明かりを見たような気がした。
760
第八話 雨天決行︵後書き︶
今回はお笑いが少ないですね。
761
第九話 九剣襲撃︵前書き︶
ついにあの人の戦闘となります。
762
第九話 九剣襲撃
﹁︱︱っ。切れた・・・!﹂
私室⋮⋮というか、どんだけ広いんだココ、山彦返ってくるんじ
ゃね?という、生前ワンルームのアパート住まいだった身としては
まったく寛げない部屋の中央で、魔導人形№3﹃ちびちび緋雪ちゃ
んVer.3﹄︵Ver.1は謎の紛失を遂げ、Ver.2は兄丸
さんの弟分の・・・名前は忘れたナントカに壊された︶の遠隔操作
をしていたボクは、強制的にパスが切断された衝撃で、乗り物酔い
みたいにクラクラする頭を抱えながら、占いに使う水晶球みたいな
コントロール珠に再度両手を押し当て、魔力を流してみたけど、そ
の先が糸の切れた凧みたいな手応えで、案の定まったく反応がなか
った。
﹁あまり根を詰められると玉体に障ります。︱︱まずは、落ち着か
れてはいかがでしょうか、姫﹂
てんがい
すかさず天涯がワイングラスに注いだ鮮血を差し出してきた。
長時間の集中と魔力の放出で消耗していたボクは、半ば反射的に
駆けつけ3杯どころか、ワインだったら急性アルコール中毒になる
勢いで、おかわりを繰り返してHP、MPともに満タンにした。
︱︱よし、復調!
どこの誰かは知らないけど、献血してくれたおねーさんたちあり
がとう!今日も貴女方の血潮がボクの活力となり、肉となり、脂肪
となって最近ウエストラインが⋮⋮うん、少し飲みすぎたから明日
763
からダイエットしよう。
と、心の中で複雑に感謝しつつ、ボクは勢いよく立ち上がった。
﹁それはそうと、そのご様子ですと、アルゼンタムでなにか変事で
もございましたか?﹂
ボクの様子から大体の事情を察したのだろう。
天涯の問いかけに、軽く頷いて返した。
﹁レヴァンたちが影郎さんに襲撃を受けた。随員は全員死亡、レヴ
ァンも行方不明になっている﹂
﹁なんとっ!﹂
天涯が軽く目を瞠った。︱︱おや? 意外とレヴァンのことを気
にかけて⋮⋮
﹁では、あの魔導人形も失われたわけですか!? もったいないこ
とを・・・﹂
⋮⋮る、わけないよね。うん。
みこと
心底悲嘆にくれた顔で額に手を当てて苦悩している天涯を、なぜ
か命都が氷点下の眼差しで眺めていた。
﹁それはさておき、これからどうなさるお積りですか、姫様﹂
命都の問いかけに、即断で救助隊を出撃させようとしていたボク
の頭が少しだけ冷えた。
他国の首都に勝手に武装した魔物の部隊を派遣したら、どー考え
てもテロだよねぇ。
いや、別に軍事衝突を起こすのを恐れるわけじゃないけど、そん
だけのことをして肝心のレヴァンが見つからなかったり、既に死ん
764
でたら本末転倒だし⋮⋮つーか、ウチの連中ならボクの安否以外は
どーでもいいので、勝手に暴れ回って街を破壊し、人々を襲い、下
手したら虫の息で転がってるレヴァンに気付かず止めを刺す可能性
もある。⋮⋮いや、絶対に当初の目的を忘れる。
つ、使えない! ウチの連中って。大規模破壊活動以外は、自己
啓発本よりも使えない!
イービル・アイ
こんなことなら魔眼でレヴァンにバイパス付けとけば良かった。
でも、あれ本人の意識がないと無効だし、それにレヴァンに迂闊に
下手な真似するとアスミナにバレそうだしねぇ⋮⋮あ!
﹁そーだよ。アスミナは巫女なんだし、レヴァンのことなら千里眼
みたいに勘がいいから、こっちからわかるかも知れないね﹂
兎に角、一刻の猶予もならない。
﹁︱︱お出かけですか?﹂
予想していた口調の命都に頷いた。
﹁ウィリデ経由で、アスミナのところに行ってみる。速度重視。飛
べる者で随行は構成して﹂
﹁かしこまりました﹂
◆◇◆◇
765
クレス自由同盟国の暫定首都ウィリデ郊外。
レヴァンたちが刺客に襲われていた同時刻︵こちらは時差の関係
でまだお昼前だが︶。
先日発見されたばかりの巨大な転移装置︱︱直径20メートルの
ストーンサークルに似た黒曜石とも金属ともつかないそれ︱︱の周
辺で警戒にあたっていた獣人族の戦士たちは、いささか緊張感の抜
けた態度で軽口を叩き合っていた。
﹁しかし、こんなもんが本当に俺らの飯の種になるのかねえ﹂
﹁若大将とその上の姫様のお考えだ、俺たちゃ、言われたとおり、
こいつをしっかり守ってればいいのさ﹂
﹁守るって言ってもなぁ。こんなでかいもの壊せるような奴も盗む
奴がいるわけないだろう﹂
﹁確かになぁ、違いない﹂
﹁︱︱おう。お前ら、ちょいと気を抜きすぎだぜ。ガチガチに緊張
しろとは言わねえが、締めるところは締めとけよ﹂
すぱーっとハッカ笹を吸いながら、警備隊長を任ぜられた熊人族
の﹃巨岩﹄エウゲンが苦言を呈した。
﹃も、申し訳ありません隊長﹄
﹁わかりゃいいってことよ﹂
インペリアル・クリムゾン
一斉に頭を下げた部下たちに、気にするなと手にしたハッカ笹を
振るエウゲン。
﹁︱︱む﹂
と、離れた位置の岩の上で結跏趺坐をしていた真紅帝国からの助
766
しちかせいじゅう
ここのえ
っ人︱︱姫陛下直属の魔将・七禍星獣﹃九重﹄と名乗った三眼の僧
が、緊張した面持ちで、とある荒野の一点に視線を定めた。
﹁どうかしやしたかい、旦那?﹂
やってきた当初から自己紹介以外は一言も喋らず、じっと瞑想し
ているばかりだった九重の態度の変化に、ただならぬものを感じて
エウゲンが確認する。
﹁それがしの張り巡らせておいた使い魔の布陣が一瞬にして破られ
た。侵入者︱︱それも只者ではない。おぬし等では相手にならん。
至急本国に増援を要請せよ﹂
言われてその方向を眺めるが、これといった人影は見えない。だ
が、百戦錬磨であるエウゲンの本能が、迫り来る脅威を感じて最大
限の警報を鳴らした。
並みの頭の固い指揮官であれば、﹃お前らは役に立たないから、
逃げて応援を呼べ﹄と言われても、はいそうですかと素直に従うも
のではないが、余計な問答はせずにエウゲンは素直にそれに従った。
インペリアル・クリムゾン
﹁わかりやした。聞いての通りだ! お前ら全員退避しろ、一刻も
早く真紅帝国本国に知らせるんだ!!﹂
怒鳴りつけ、あたふたと部下たちが退避するのを確認して、九重
に向かって深々と頭を下げた。
﹁ご武運をお祈りいたしやす﹂
全員が立ち去ったのを確認して、ひらりと金襴の袈裟を翻して岩
から降り立った九重は、どこからともなく取り出した髑髏と背骨で
できたような杖を振り上げた。
767
﹁いでよ、不死なる軍団よ﹂
その先端を地面に突き刺すと、そこから闇色の魔法陣が広がり⋮
⋮ポコポコと地面を割って各自武具を持ったスケルトン・ソルジャ
ーが100体あまり現れた。
さらにもう一度魔法陣を発動させ、リッチーを10体。死馬に乗
ったスケルトン・ナイトを5体。
そして最後に、巨大な骸骨で作られたモンスター、ネクロ・スコ
ーピオンとボーン・センチピードを各1体生み出した。
この通常であれば一軍にも匹敵する軍団の前に、程なく⋮⋮散歩
の途中のような気軽な足取りで、白銀色の鎧兜をまとい赤い裏地の
マントをつけた騎士が現れた。
﹁⋮⋮やはり貴方でしたか、ラポック様﹂
﹁そういうこった。見たところかなりの実力者、それも緋雪さんの
腹心のようだが、そこを通しちゃくれないかな?﹂
﹁通した場合、どうなされるのかお聞きしてもよろしいでしょうか
?﹂
﹁その邪魔な粗大ゴミを掃除することになるな﹂
転移装置を顎で指して、なんでもないような口調で﹃破壊する﹄
と断言する、らぽっく。
﹁では、お通しするわけには参りませんな。それがしもこの地の守
りを姫様から預かる身ゆえ﹂
﹁俺を相手に戦えるのかい?﹂
768
味方識別コードを指して言っているのだろう。試すように尋ねる
らぽっくに向かって、九重は淡々と応えた。
﹁姫様から許可はいただいております。邪魔をするようなら、痛め
ギルメン
つけても構わない。最悪殺しても生き返らせるので問題ない、との
ことです﹂
それを聞いて破顔する、らぽっく。
﹁緋雪さんらしいな。︱︱とはいえ、かつての仲間に、ちと薄情な
んじゃないかね﹂
﹁先に裏切られたのは、そちらの方かと。それに︱︱﹂
﹁それに?﹂
﹁姫様は貴方様を、本物のラポック様かどうかお疑いですので﹂
その言葉を耳にした瞬間、余裕の表情を崩さなかった、らぽっく
に一条の亀裂が入った。
﹁⋮⋮そうか﹂
呟くと同時に、らぽっくは両手で剣を引き抜いた。
ぜつ
つき
右手に握るのは、最強剣﹃絶﹄。左手に握るのは、対アンデッド
戦を考慮して光属性の大太刀﹃月﹄。
とり
かぜ
ゆめ
げん
ほう
えい
二刀で来るか、と九重が判断した瞬間、らぽっくの背に7本の剣
はな
が孔雀の羽のように広がった。
﹃花﹄、﹃鳥﹄、﹃風﹄、﹃夢﹄、﹃幻﹄、﹃泡﹄、﹃影﹄
各々が強力かつ、属性を付与した剛剣ばかりである。
769
レア
﹁悪いが時間をかけられないみたいだからな。最初から全力で行か
せてもらう﹂
﹁︱︱ぬぅ﹂
もともとが通常希少モンスターであった九重である。その後の進
化によりダンジョンボス並みの実力をもったとは言え、直接らぽっ
いかるが
くと剣を交えたことなどなく、伝聞でしかその実力は聞いたことが
なかった。そしてその逸話︱︱あの十三魔将軍・斑鳩を単体で倒し
たという実力は、脅威の一言でしかなかった。
自分一人ではおそらく勝負になるまい。
︱︱どこまで時間を稼げるかが真の勝負か。
らぽっくの殲滅力と自分の召喚力がどこまで拮抗できるかが勝負
の分かれ目だろう。
増援︱︱円卓メンバークラスが複数人集まれば、彼とてひとたま
りもないはず。
勝負を急ぐのもそのためだろう。
ならば、自分は全力で時間を稼ぐのみ!
﹁やれ!﹂
九重の指示に従いまずはリッチーが各々魔法を放つ。
まずは接近させないよう距離を置いて⋮⋮と判断した九重は目を
疑った。
7本の剣を盾にして、意に介さず突っ込んできたらぽっくが、ス
ケルトン・ソルジャーの群れの只中に突っ込むと同時に、風車のよ
うに両手の剣を振ると、たちまちスケルトン・ソルジャーたちが木
の葉のように粉々に砕け散った。
770
仲間に攻撃が当たるのを躊躇うリッチーに向かって、
﹁構わん、撃て!﹂
指示をすると同時に、素早く追加のスケルトン・ソルジャーを召
喚する。
さらに突っ込んできたボーン・センチピードの巨体を交差させた
剣で受け止めると、残り7本の剣が巨体の脚を切り飛ばし、自分の
体重を支えきれずに倒れたところで、唐竹割りに頭蓋骨を粉砕する。
︱︱なんという男だ!? これほどか!!
呼び出す端から消滅させられる軍団の姿に、時間稼ぎどころでは
ないのを悟った九重は、残ったネクロ・スコーピオンたちとともに、
らぽっくへと直接攻撃を敢行した。
押し寄せる有象無象のスケルトン・ソルジャーやナイトを相手取
る傍ら、ちらっとこちらを向いたらぽっくの元から、3本の剣がジ
グザグの機動で跳んでくる。
これの対処はネクロ・スコーピオンに任せ、ある程度距離を詰め
たところで、
﹁はっ!!﹂
九重の衝撃波が全開で放たれた。
﹁︱︱ちっ﹂
あおりを食らってスケルトン・ソルジャーたちが粉砕されるが、
らぽっくにもある程度のダメージを与えたようで、苦痛の声がその
口から漏れた。
さらに追加の攻撃を加えようとしたところで、7本の剣が空中で
771
輪を描き、凄まじい勢いで雨あられと放たれた。
咄嗟にネクロ・スコーピオンの巨体を盾にして、これを防ごうと
するが、ザクザクと豆腐でも切るようにネクロ・スコーピオンの体
が切り刻まれた。
﹁︱︱奥義・バーストライトニング﹂
﹁しまった!?﹂
そして、防御のために一瞬動きを止めた九重に向かい、らぽっく
のスキルが発動した。
﹁ぐううっ﹂
輝く剣から振り下ろされた雷光が、飛び退ろうとした九重を捉え
て串刺しにする。
︱︱だが、まだだ。この程度ならまだ耐えられる。
最強剣﹃絶﹄の攻撃力も加算され、1撃でヒットポイントの2割
程度を持っていかれたが、逆に言えばまだ2割。しかも奥義スキル
は一度放てばある程度のクールタイムが必要な筈、充分に取り返し
が効く。
そう判断した九重だが、すぐさま考え違いをしていたことを悟っ
た。
、、、、、、
、、、、、、
確かに一つの奥義スキルを放った後に同じ奥義を発動するにはク
ールタイムが必要だが、別系統の武器で別の奥義スキルを使う分に
は関係ないのだ。
772
そして、﹃絶﹄が大剣であるのに対して、左手の﹃月﹄は太刀で
ある。つまり︱︱
﹁︱︱奥義・疾風迅雷の太刀﹂
強風を伴う斬撃が九重の体を切り刻み、吹き飛ばした。
さらに追撃の剣が襲い掛かり、九重のHPを危険領域近くまで削
り取った。
﹁これで、決まりだ﹂
らぽっくが再度、右手の﹃絶﹄を振りかぶり、九重に止めを刺そ
うとしたその瞬間、雨あられと降り注ぐ雷撃が、その体を吹き飛ば
した。
﹁があ︱︱っ!?﹂
さらに追撃してくる雷撃を円形にした剣でどうにか防御するが、
それでもじりじりとHPを削られて行く。
︱︱この威力には覚えがある。
焦りを覚えた、らぽっくの周囲が急に暗くなった。
ナーガ・ラージャ
はっと顔を上げたそこにいたのは、
﹁やはり黄金龍。⋮⋮緋雪さんか﹂
瞳をこらすその先で、天涯の背に仁王立ちした姿で、不機嫌そう
にこちらを睨みつける緋雪の姿があった。
らぽっくの顔が、歓喜とも後悔ともつかぬ複雑な色で歪んだ。
773
第九話 九剣襲撃︵後書き︶
ちなみに戦闘自体はけっこうがんばって十数分もったというところ
でしょうか。九重はいちおう円卓の魔将でも後方支援タイプなので、
こんなものですね。あれです、﹁あやつは我々の中でも最弱︵ry﹂
という。
その代わり死者を呼び出したり、死人を拷問したりもできます。
9/19 誤字修正しました。
×らぽっぷの周囲が急に暗くなった↓○らぽっくの周囲が急に暗く
なった
※それと﹁らぽっく﹂はキャラクター名ですので、地の文や緋雪が
呼ぶ場合には平仮名で呼んでいますが、第三者が呼びかける際は﹁
ラポック﹂とカタカナで呼びかけてます。
774
幕間 環堵雑話︵前書き︶
久々の幕間です。
時列としては、ダンジョンを攻略して、転移魔法陣でアーラに帰っ
てきてから、2∼3日後くらいになります。
775
幕間 環堵雑話
女は謎だ。と言うか別な生物だと思えと、既婚者の先輩冒険者に
も言われたけど、本当に謎だ。
特にこいつは謎がドレス着て歩いているようなもんだよな、と緋
雪の無防備な寝顔を見ながらジョーイはしみじみ実感した。
上等のドレス︱︱と言ってもいつものズルズルした奴じゃなくて、
動きやすいミニスカートだけど、それでもふんだんに使われてるレ
ースや宝石からして、とんでもない価値だってのはわかる。たぶん
買ったら凄い値段がするんだろう︱︱しかし、それが皺になるのも
気にしないで、勝手に人のベッドでぐーすか横になってるってのは
どーいう了見なんだろう?
仮にも男の部屋なんだけどな。こいつ俺のこと男として見てない
のか⋮⋮見てないだろうな。
と、戻ってきたジョーイの気配に気が付いたのだろう、緋雪がぱ
ちりと瞼を開いた。
﹁⋮⋮やあ、お帰りジョーイ。勝手にお邪魔させてもらったよ。︱
︱いつの間にか寝てたみたいだけど﹂
ふぁと口元に手をあて、可愛らしく欠伸しながら、挨拶をする緋
雪。
﹁お前なぁ⋮⋮寝るなら普通に自分の家で寝ろよ﹂
776
﹁いやぁ⋮城だとなかなか落ち着かなくてねぇ。だいたい寝室もほ
ぼ日替わりだし、ベッドもキングサイズどころか中央にたどり着く
前に挫けそうなくらい大きいし。︱︱このくらいの狭い部屋の狭い
ベッドのほうが気分的に落ち着けるんだよねぇ﹂
かと言って、さすがに古式ゆかしく棺桶で寝るのは勘弁だけどね、
と一人ごちる。
﹁狭くて悪かったな﹂
﹁いやいや、なんでも大きければ良いってものじゃないよ。だけど
確かに⋮⋮これは、私も迂闊だったかも知れないね﹂
言いながら、ほとんど付け根付近までずり上がっていたスカート
を直す緋雪。
反射的にその細くて真っ白い素足に視線が釘付けになるジョーイ。
﹁お⋮おう⋮⋮!﹂
なんだ、意外とこいつも恥じらいとかあるんだな。
﹁こんなとこミーアさんか、フィオレに見られたら、君があらぬ誤
解を受けたところだからねぇ﹂
﹁お⋮おう⋮⋮?﹂
ん? なんか違うような気がする。
﹁そーいえばさ、あの二人ってどこで暮らしてるんだい? ミーア
さんはともかく、フィオレは弟子なんだからってっきり同室か隣部
屋かと思ってたんだけど違うみたいだね﹂
﹁だから弟子じゃねえって言うの⋮⋮ミーアさんは3年前からガル
テ先生のところに下宿してるって言ってた。あとフィオレは中央市
777
街に自宅があるって言ってたな﹂
﹁へえ、お嬢様なんだねぇ﹂
軽く目を瞠る緋雪を見て、お前が言うなと呟きつつ続けるジョー
イ。
﹁なんか魔術師の名門とか言ってたな。親は両方とも国家一級魔術
師とか、兄弟も全員国家資格持ってるとか﹂
﹁ますます大したものだねぇ。それがなんで、冒険者なんてヤクザ
な商売をしてるんだい?﹂
﹁ヤクザで悪かったな。⋮⋮えーと、確か国家魔術師の一番下の試
験に落ちて、ああ、なんかヒッキは問題なかったんだけど、ジツギ
で駄目だしされたとかで、ジツギを磨くためって言ってたな﹂
初めて出会って自己紹介をした1ヶ月ほど前の護衛依頼を思い出
しながら、ジョーイは答えた。
確かあの時は数人のソロの冒険者と、1組のチームが共同で依頼
を受けたんだっけ⋮⋮。
◆◇◆◇
﹁きゃう︱︱!?﹂
小さな悲鳴をあげて﹃魔術師﹄と自己紹介していた女の子が、ポ
イズンドッグに突き飛ばされ、尻餅をついたのが見えた。
778
なんで後衛の魔術師を誰も守ってないんだ!?
ちらりと今回の冒険者たちのまとめ役を買って出た、チーム﹃赤
巾旅団﹄リーダーを見たが、自分の仲間だけで固まってポイズンド
ッグの対応をするのに手一杯で、全体への配慮や指示などとうてい
できる様子ではなかった。
手にした杖にすがって必死に立ち上がった少女だが、ポイズンド
ッグの爪や牙には麻痺毒がある。
おそらく突き飛ばされた時に、爪がかすったのだろう、明らかに
足元がふらついていた。
恐怖に震えながらも呪文を唱えようとする少女へ向かって、ポイ
ズンドッグが踊りかかる。
﹁ひっ⋮!﹂
思わず呪文を中断して、ぎゅっと目を閉じる少女。
﹁おいっ、転がれ!﹂
駆け寄りながらのジョーイの叫びに、少女は咄嗟に身を捻って、
落ち葉や腐葉土の堆積した地面に倒れ込んだ。
間一髪、一瞬前まで少女の首があった辺りで、ポイズンドッグの
牙が空振りした。
その隙に、走る勢いをそのままにジョーイは剣を振り振り下ろし
て、少女を狙っていたポイズンドッグの頭を叩き切った。
﹁すごい⋮⋮﹂
呆然とする少女の背後に、もう一匹ポイズンドッグが突進してく
779
るが、気が付いている様子はない。
﹁おいっ、もう一匹くるぞ! 立て!﹂
慌てて立ち上がった彼女が、杖を構えて呪文を唱えようとする。
﹁馬鹿っ、死ぬ気か!? 俺の後ろに来い!﹂
﹁は、はい﹂
駆け足で彼女が自分の後ろに隠れたのを確認して、﹁よしっ﹂と
頷いたジョーイは剣を構えた。
﹁俺が前衛で戦うから、お前は適当にサポート頼む!﹂
﹁わ、わかりました﹂
こくこくと少女が頷くが、正直あまり期待しないで、ジョーイは
迫り来るポイズンドッグに向かって、大きく踏み込みながら剣を薙
ぎ払った。
﹁ぎゃん!﹂
脇腹を切られて距離を置くポイズンドッグ。そこへ背後から赤ん
坊の拳くらいの火の玉が投げつけられた。
咄嗟に躱したポイズンドッグの前脚の一本を斬り飛ばすジョーイ。
次の呪文を唱えようとしている少女に向かって、同時に指示を飛ば
す。
﹁火だと火事になる! 他の魔法に変えろ!﹂
﹁は、はいっ﹂
はっとした顔で呪文を中断する少女。その一瞬の隙を突いて、残
った3本足で跳躍してきたポイズンドッグの牙を剣で押さえ、捻り
780
を入れて突き飛ばしたところへ、人差し指くらいの氷柱が矢のよう
に飛んで刺さった。
ダメージ自体はそれほどではないようだが、不意打ちに怯んだと
ころを、返す刀で鋭い剣の一撃をその胴に叩き込んだ。
それで、二匹目のポイズンドッグも息絶えた。
◆◇◆◇
その後30分ほどで、どうにかポイズンドッグの群れを撃退する
ことができた一同は、負傷者の確認や護衛対象の商人や荷物に被害
がなかったか確認するため、小休止をとることになった。
﹁すごい、すごいです。あっという間に5匹もポイズンドッグを倒
すなんて!﹂
戦闘終了後、少女が歓声をあげてジョーイに抱きついてきた。
その拍子に、汗混じりの少女の甘い体臭と、豊かな胸の膨らみが
革鎧越しにでもはっきりと感じ取れた。
﹁お、おいっ﹂
慌てて体を引き離すと、少女も我に返ったようで、たちまち顔を
赤くして小さくなった。
﹁⋮⋮ご、ごめんなさい﹂
781
﹁いや、いいんだけどさ。ああ、さっきは援護サンキュー。助かっ
たぜ﹂
そう言うと、なぜか少女は驚いたような顔でジョーイの顔を見た。
﹁あの⋮⋮役に立ったんですか、あたしの魔法で⋮⋮?﹂
信じられないという口調に小首を傾げながら、ジョーイは思った
ままに答えた。
﹁ああ、ずいぶんと戦闘が楽だったぞ。やっぱり魔術師が後ろにい
ると、安心感が違うよな﹂
そう言った途端、大きく目を見開き⋮⋮なぜか、泣きそうな顔で
目を潤ませた。
﹁お、おい。俺、なんか変なこと言ったのか?!﹂
﹃︱︱君もつくづく情緒がないひとだねぇ﹄以前、緋雪に言われた
台詞がありありと甦った。
﹁⋮違うんです。⋮⋮嬉しくて﹂
はあ?なんのこっちゃ、と聞き返そうとしたところで、横合いか
ら野卑な声がかかった。
﹁おいおい、駄目じゃないか坊主、女の子を泣かせちゃ﹂
﹁そうそう、女は可愛がるもんだぜ﹂
﹁ひひひひひっ﹂
見るとチーム﹃赤巾旅団﹄のリーダー、シュミットが取り巻き2
人を連れて近づいてくるところだった。
﹁シュミット⋮さん﹂
782
戦闘中はろくに指示も出さないで、今頃のこのこと、よくもまあ
恥ずかしげもなく。
そう思いながら呼びかけたジョーイを無視して、シュミットは少
女に呼びかけた。
﹁よう、お嬢ちゃん。ソロは辛いだろう、なんなら俺たちのチーム
に入らないか? そのほうが便利だぜ﹂
﹁そうだぜ、新人は優しく教えてやるからなぁ﹂
﹁手取り足取り、な﹂
その視線が少女の豊かな乳房に注がれていた。
怯えてぷるぷる震える少女の前に、ジョーイが進み出た。
﹁ん? なんだ坊主、文句があるのか?!﹂
凄むシュミットだが、ジョーイは気圧された風もなく、真っ直ぐ
その目を睨み返した。
﹁シュミット⋮さん。その前に彼女に謝るのが先だろう。さっきア
ンタがきちんと指示を出さなかったから、危うくポイズンドッグに
やられるところだったんだ﹂
﹁あん?! 小僧がいっぱしの口を利くな! 俺は俺でやることが
あったんだ!﹂
﹁へえ、リーダーが指示も出さないでやることってなんだい? 仲
間と固まって震えることかい?﹂
ふと、あいつだったらこう言うんだろうな、と緋雪の顔を思い出
し︱︱結果、浮かんだ思い出し笑いが︱︱相手から見れば嘲笑する
ような顔つきに見えた。
783
﹁なんだと、てめえっ﹂
怒声をあげて剣を抜く三人組の沸点の低さに内心呆れながら、ジ
ョーイは腰の魔剣を抜いた。
﹁おい、魔法で援護できるか?﹂
﹁⋮は、はいっ﹂
シュミットたちから目を離さないままのジョーイの指示に従い、
背中越しに少女が杖を構えて呪文を唱える声が聞こえてきた。
やや怯んだ態度を見せながらも、
﹁けっ、こっちは3人だぜ。半人前が2人でなにができる!﹂
虚勢を張るシュミット。
だが︱︱。
﹁二人だけじゃないぜ。周りを見てみろよ﹂
言われて周囲を見ると、今回ソロで参加して、ポイズンドッグの
襲撃に際しても何の指示も受けずに、各個で戦わざるを得なかった
冒険者たちが、恨みの篭った目でシュミットたちを取り囲んでいた。
さすがに不利を悟ったのだろう。
﹁けっ、餓鬼相手にしても仕方がねえ。行くぞお前ら。︱︱小僧、
ギルドへに報告の時は覚えておけよ﹂
小物臭い捨て台詞を吐きながら、シュミットたちはそそくさとそ
の場から退散した。
784
ほっと肩の力を抜いたジョーイたちに向かって、周りの冒険者た
ちが、
﹁言わせとけ。俺たちが証人だ、あいつ等こそペナルティを与えて
やるさ﹂
﹁心配すんな、任せておけ﹂
﹁嬢ちゃんをしっかり守れよ!﹂
口々に労いの言葉をかけてくれた。
﹁どうもすいません﹂
﹁⋮あ、ありがとうございます﹂
慌てて頭を下げるジョーイと少女。
やがてひとしきり囃し立てられた後、二人きりになったところで、
少女がなにか決心した顔でジョーイの顔を真っ直ぐ見上げた。
﹁あ、あの、あたしフィオレっていいます﹂
﹁ああ、そういえば自己紹介してなかったな、俺はジョーイだ﹂
﹁ジョ、ジョーイさん⋮⋮ですか。あの⋮⋮あたしを弟子にしてく
ださい﹂
そういって深々と頭を下げるフィオレ。
﹁は⋮⋮はああ???﹂
いきなりのことに困惑するジョーイの目を、必死な面持ちで見つ
めるフィオレ。
﹁ご迷惑なのはわかってます、でも、あたしはもう誰かの足手まと
785
いや、負担になるわけにはいかないんです。ですから﹂
少女はその場で膝をつき、両手を地面に置いて、頭を下げた。
土下座である。
﹁どうか、あたしを弟子にしてください﹂
なんと答えていいかわからず、ジョーイは救いを求めるように頭
の上を見たが、そこには快晴の空が広がっているだけだった。
◆◇◆◇
﹁まあ、あいつも実家じゃミソッカス扱いらしいから、いろいろと
切羽詰ってたんだろうな﹂
﹁なるほどねぇ、それで冒険者修行で腕を磨くということか。見か
けによらず意外と行動力があるんだねぇ﹂
﹁まあなあ。なんか危なっかしくて見てらんないから、取りあえず
師匠とかはなしで、組んでるんだけど⋮⋮﹂
﹁ふぅん、君も相変わらずだねぇ﹂
喜んでいるような呆れたような緋雪の口調に、なんとなくほっと
するものを覚えながらも、ジョーイはぶっきらぼうに﹁悪かったな﹂
と返した。
﹁それにしても、そのチーム﹃巾着軍団﹄だっけ? そっちから嫌
786
がらせとかはなかったのかい?﹂
﹁﹃赤巾旅団﹄な。まあその後不正とかなんとかいろいろ発覚して、
ギルドを追放になったからよくわかんねーけど﹂
﹁ふむ。そういう下種な連中はしつこいからね、充分気をつけたほ
うが良いよ﹂
と言っても、ジョーイにその手の気遣いは無理そうだから、後で
ガルテギルド長にでも話しておこう、と思いながら緋雪は話を締め
くくった。
﹁︱︱さて、すっかり時間も遅くなったし、そろそろ帰らせてもら
うよ﹂
ベッドから降りて靴を履く緋雪。
﹁⋮⋮なにしに来たんだ、お前?﹂
﹁昼寝と雑談だろう? ああ、そうそう、この間のダンジョンのお
宝は本当に私が預かってもよかったのかい? 別に4人で山分けで
問題なかったんだけど?﹂
﹁そーいうわけにはいかないだろう。スフィンクスはお前に﹃やる﹄
って言ってたんだし、あの獣人族の姐さんも﹃あたしゃお姫様の護
衛で来たんでね。受け取る権利はないよ﹄っていうし、お荷物だっ
た俺らが受け取るわけにはいかないだろう﹂
﹁そんなに堅く考えなくてもいいと思うけどねえ。まあ、気が変わ
ったら言ってくれればいいさ﹂
軽く肩をすくめて、緋雪はドアを押し開けた。
787
﹁それじゃあ、また﹂
﹁おう、またな﹂
ヒラヒラと後ろ手に挨拶して出て行く緋雪を見送った、ジョーイ
は﹃狭い﹄と言われた部屋が、急に広くなったような気がして、た
め息をついた。
まったく、ヒユキもフィオレもミーアさんも謎だよなぁ。
788
幕間 環堵雑話︵後書き︶
この後、ジョーイは眠ろうとベッドに入ったところで、緋雪の残り
香で悶々として一睡もできませんでした︵≡ε≡;A︶
789
第十話 鈴蘭皇女
﹁久しぶりだね、緋雪さん。元気⋮ぐああっ﹂
てんがい
らぽっくさんの口上を無視して、天涯の雷撃が降り注がれる。
岩が砕け、大地は陥没し、イオン化した空気が鼻につくけど、天
どくだんせんこう
涯は一瞬たりとも攻撃の手は緩めない。と言うか緩めないよう前も
って厳命してある。
なにしろ相手は最強のプレーヤー︻独壇戦功︼。
そして、彼の強みは実際のところ九刀流でも並列思考でもない、
ボクみたいに速度特化とか、影郎さんみたいに暗殺特化とか、そう
いったピーキーな強さではなく、単純にすべてのバランスが良いと
ころにある。
要するに付け入る隙が極端に少なく、弱点らしい弱点がない。戦
う相手としては一番厄介なタイプになる。
だから、らぽっくさん相手は一瞬の油断が命取りになる。おちお
ちお喋りしてたら、その間に寝首を掻かれるかも知れない。
だから戦うなら最初から全力・最大火力をもって、力押しで行く
しかない。
天涯の猛攻に、さすがにその場から退避するらぽっくさんだけど、
アイギス
その左手装備がいつの間にか大太刀﹃月﹄から、超レアドロップ装
備﹃無敵﹄に変わっていた。
790
まったく⋮⋮これだから油断ができない。あれは﹃風﹄と﹃雷﹄
アイギス
属性だから、天涯の雷撃にもかなりの耐性がある。その上︱︱
﹁ちっ﹂
舌打ちする天涯の体のそこかしこが石化していた。﹃無敵﹄の中
央に位置する眼球が放つ、石化光線の効果だろう。︱︱ほらね、盾
の癖に攻撃力まであるなんて矛盾も良いとこじゃないかい。
すぐさまボクは天涯に状態異常の回復魔法と抵抗力アップの補助
魔法をかけた。
みこと
﹁申し訳ございません。姫の手を煩わせるとは、なんと不甲斐ない
⋮⋮﹂
ここのえ
﹁反省は後っ。兎に角、いまは攻撃の手を休めないで! ︱︱命都
っ、九重の治癒が終わったら、こちらを手伝って。九重、君も治り
次第戦線に復帰!﹂
﹁はいっ﹂
﹁承りました、姫様﹂
ちらっと見たけど、九重も八割方回復しているみたいだ。
本当に危機一髪だったよ。偶然、アスミナのところに向かう途中
でエウゲンたちに会って事情を聞かなかったら、絶対に間に合わな
いところだった。
九重には万一プレーヤーの襲撃があったら、無理をしないで撤退
するように伝えてあったんだけど、やっぱり引かなかったみたいだ
ね。
このあたりはボクの見通しの甘さが原因だ。最初は威力偵察程度
791
だろうと高をくくっていた。
せめて複数人は魔将を配置しておくべきだった。
奥歯を噛み締めたところで、﹁姫!﹂と天涯の注意を促す声が掛
かった。
ぜつ
ジル・ド・レエ
見ればらぽっくさんの﹃絶﹄を抜かした8剣が、それぞれランダ
ムな軌道でボク目掛けて襲い掛かってきた。
﹁防御はいらない! 攻撃の手を緩めないで!﹂
プリンシパリティ
咄嗟に回避しようとする天涯を止めて、ボクは﹃薔薇の罪人﹄を
構えて、迎え撃とうとした。
﹁﹁﹁﹁とうっ﹂﹂﹂﹂
つばき
えのき
ひさぎ
ひいらぎ
スピア
その前に、空中で待機していた親衛隊の四季姉妹︱︱権天使の﹃
椿﹄﹃榎﹄﹃楸﹄﹃柊﹄︱︱が、手にした聖槍で各々剣を叩き落し
た。
これで残りは4本! それが空中でドリルのように回転しながら、
こちらに向かってくる。
︱︱来るか!
腰を落とした瞬間、4本が一斉に空中でピタリと止まった。
﹁なんだと!?﹂
唖然としたらぽっくさんの声がするところを見ると、彼にも予想
外のことだったのだろう。
﹁︱︱うら∼∼っ!!﹂
792
びゃくや
陽気な掛け声と共に、頭に宝冠を被った巨大な三面六臂の白猿︱
アタック・キャンセル
︱十三魔将軍ハヌマーンの白夜が、上空から飛び降りざま残りの剣
をひと蹴りした。
となると、いまのは彼のスキル﹃攻撃無効﹄だね。
﹁なんだいなんだい、天涯の旦那。まだ手間取ってるのかい!? 腕が鈍ったんじゃないのかい!﹂
﹁遅参しておいて何を言うか! さっさと手伝え!﹂
天涯の怒号に、﹁へいへい﹂と首をすくめる白夜。
や
それから目を眇めて、地上のらぽっくさんを確認する。
﹁おやぁ? ありゃ⋮ラポックの兄さんじゃないか。殺ってもいい
のかい?﹂
﹁構わん。姫がなんとでもなされる! それよりも油断するな。ラ
ポック様といえど、あの強靭さは異常だ。円卓メンバー4人ががり
でまだ半分も生命力を残している﹂
こくよう
見ればいつの間にか復調した九重が衝撃波を放ち、同じく命都も
アイ
空中から聖光撃を連打、さらに刻耀が鍔迫り合いをしているけど、
ギス
らぽっくさんのHPはまだ4割くらいしか減ってない。いくら﹃無
敵﹄で相殺したり、躱したりしているにしても、確かにこのタフさ
とHPの量はあり得ない。
というか、天涯と従魔合身した時のボクのHPの7割近い数値じ
ゃない!
これってひょっとして例の黒幕が、兄丸さんの弟分に施した処置
と同じものじゃないの?!
793
レッドゾーン
ならマズイかも知れないね。またHPが危険領域に突入したら、
リザレクション
自爆する可能性があるってことだよ。さすがに跡形もなく消えたら
完全蘇生もできない。それに、九重の死霊交信も高レベルプレーヤ
ー相手には無効だから使えないし。
レッドゾーン
ある意味本人を人質に取られたようなもんだけど⋮⋮どうする?
なんとか危険領域ギリギリで拘束かな︱︱と、指示を出す前に手
加減抜きで魔将たちが波状攻撃を仕掛ける。
﹁かあああっ!!!﹂
天涯の口元に丸い雷で出来た円盤が生まれ、その中心部に穴が開
ラグナ・スプライト・ブレス
くと同時に青白い光となって一直線にらぽっくさんに向かった。
エレクトロン
サイクロトロン
天涯の必殺技・崩滅放電咆哮。
三千兆電子ボルトを超える円形粒子加速器を生成し、直撃した物
質そのものを消滅︱︱素粒子崩壊により、どんな物体でも電磁波に
変えられてこの世から無くなる︱︱させる大技に、慌てて他の魔将
たちが軸線上から避難する。
﹁︱︱ちいいいいいっ!?﹂
咄嗟に躱そうとするらぽっくさんだけど、次の瞬間真っ白い光が
視界を埋め尽くし、最後までその動きを追いきれなかった。
﹁⋮⋮うわーっ、すごい﹂
視界を取り戻したボクの目に、全身から煙を噴き上げるらぽっく
さんの姿と、地平線の彼方まですっぱり断ち切られた大地。そして
一片の雲もない空が映った。
どうやらもぎりぎり直撃は躱されたみたいけど、かなりのHPを
削り取ったようだ。
794
サイクロトロン
﹁︱︱さすがにこのままじゃあ分が悪い。今日のところは退散させ
ていただきますよ、緋雪さん﹂
苦笑いする、らぽっくさん。
﹁逃がすと思うか!﹂
まさに逆鱗に触れた勢いで、再度、天涯が円形粒子加速器を生成
しようとする。
⋮⋮さすがにオーバーキルでないかな?
アイゼルネ・ユングフラウ
その瞬間、﹁危ない、姫様っ﹂命都の叫びに、反射的に左手の盾
装備﹃薔薇なる鋼鉄﹄でガードしたその部分に、どこからともなく
飛んできた矢が直撃して、その威力に天涯の背中から転げ落ちそう
になった。
︱︱これは、アーチャー系のスキル、レイジング・アロー?!
伏兵がいたのか、と歯噛みした。そんなボクへ魔将たちの注意が
一瞬逸れた瞬間を狙い、らぽっくさんが転送石を起動させた。
﹁それじゃあ、また今度。︱︱それと仕事は果たせていただきまし
たので﹂
その捨て台詞に、はっと転移装置を見ると、地面を突き破って、
らぽっくさんの8剣が現れ、装置をズタズタに切り裂いたところだ
った。
完全に消えたらぽっくさんと、原型を留めていない転移装置に、
ボクはため息をついた。
﹁⋮⋮してやられたってところだねぇ。まったく﹂
795
﹁これからいかがなさいますか、姫?﹂
天涯の問いかけに、ボクは軽く頭を掻いた。
﹁取りあえず当初の予定通り、アスミナのところへ行って、レヴァ
ンの行方を捜してみるよ。こっちの後始末は、引き続き九重、君に
頼めるかな?﹂
﹁⋮⋮承知いたしました﹂
﹁まあ、さすがにもう襲撃はないと思うけど⋮⋮白夜、君も残って
警戒しておいて﹂
﹁︱︱なんでぇ、俺っちは留守番かい﹂
不満げに口を尖らす白夜。
﹁貴様っ、姫の指示に従わんつもりか!?﹂
﹁んなことはぁ、言ってねーだろ。ホント石頭だね、旦那﹂
どーもこの二人はとことん馬が合わないみたいだねぇ。やっぱり
ここで別行動にした方が良いだろう。
◆◇◆◇
ぎゅっと右手を握ると痺れはあるものの、問題なく拳は握れた。
796
︱︱3割方は回復したってところかな。
天蓋つきのベッドの上で、上半身を起こしてため息をつくレヴァ
ン。
﹁あらあら、もう起きられるようになったなんて、さすがに次期獣
王ですわ﹂
そんなことをいいながら12∼13歳と思えるフリルたっぷりの
白いドレスを着た端正な容貌の少女が、この客室へと入ってきた。
﹁これはオリアーナ皇女⋮!﹂
慌てて威儀を正してベッドから落ちようとするレヴァンを、﹁お
気になさらず、ゆっくり寝てらして﹂と鷹揚に手を振り、押し留め
る少女。皇族の証だという膝まで届く銀の髪が輝いて見える。
その足元に、ベッドの下で休んでいた仔ライオンのシンが嬉しそ
うにまとわりつく。
﹁あなたも元気そうね、シン。本当はもっとあなたと遊びたいんで
すけどね﹂
そういって、ポケットから取り出したビスケットを食べさせる。
﹁姫様、またこのようなところへ﹂
そこへ20歳を幾らか越えたと思しい年恰好のメイドが、彼女を
追いかけて部屋へと入ってきた。
﹁このようなところ、とは何事です。この方はクレス自由同盟国の
盟主。本来であれば国賓として遇すべき立場ですのよ﹂
797
叱り付けられたメイドは、ベッドに横になるレヴァンを胡散臭そ
うに見た。
﹁⋮⋮そうはおっしゃられましても、この者がクレス自由同盟国の
盟主という証拠はありません。血塗れで庭園に倒れていたなどど怪
しすぎます。宮殿に忍び込んだ曲者と言われた方がよほど辻褄が合
うかと﹂
その言葉に、少女は可笑しそうに足元のシンとレヴァンの枕元に
置いてある緋雪人形を見て、ころころと笑った。
﹁どこの世界にペットとお人形を連れて、忍び込む間者がいますか。
同じ荒唐無稽でも、まだしも、この方の証言のほうが説得力があり
ますわ。なにしろこの方の背後についているのは、噂の姫陛下その
方だというのですもの。なにがあっても可笑しくはありませんわ﹂
﹁ですが⋮⋮﹂
なおも渋るメイドに向かって、少女は凛と告げた。
﹁兎に角、この方の身柄については、わたしグラウィオール帝国皇
女オリアーナ・アイネアス・ミルン・グラウィオールの名において
保証をすると宣言いたします。それ以上なにか必要ですか?﹂
オリアーナ・アイネアス・ミルン・グラウィオール皇女。
現皇帝の唯一の実子にして、その可憐な容姿から﹃鈴蘭の皇女﹄
と謳われる、グラウィオール帝国次期皇位継承者であった。
798
第十話 鈴蘭皇女︵後書き︶
ちなみに緋雪が棘がある薔薇で、オリアーナは根に毒のある鈴蘭と
いう対比ですw
799
第十一話 肉肉野菜
いもうと
どうにも変わり者の皇女様だな、というのがレヴァンのオリアー
ナに対する感想だった。
あに
まあ、自分の周りには義兄を好き過ぎて頭おかしい義妹とか、常
識自体が迂回しているような非常識の塊の姫陛下とか、﹃変わり者﹄
なんて言葉を遥かに置き去りにした双璧がいるので、いまさら驚く
には値しない⋮⋮というか、まだしも常識人の範疇なのかも知れな
いけれど。
︱︱幸か不幸か、そんな風に考える彼の常識と非常識の垣根は、
とんでもなく低くなっていることに気付かないレヴァンなのであっ
た。
彼女の話では、自分はあの雨の日にここグラウィオール帝国の帝
都アルゼンタムの中心に位置する、宮殿の離宮、中庭のあたりに倒
れていたらしい。
そこを偶然通りがかったオリアーナ皇女︱︱なんでも、﹁雨が降
った直前とか、直後の緑の匂いが好きなのです﹂とのこと︱︱が、
仔ライオンのシンの鳴き声を聞きつけて様子を見に来たところ、血
塗れで藪の中に倒れていた自分を発見したとのこと。
﹁迷い猫でもいるのかと思ったら、随分と毛色の変わった猫を拾っ
たものですわね﹂
と、軽く口に出していた彼女だが、その時点で警備兵を呼ぶなり
800
するのが普通だと思うのに、なぜか先ほどの侍女らと協力して、内
密に自分の住まうこの離宮の客室へと運び込んで治療を行ったそう
だ。
理由を尋ねてみたところ、
﹁だって、どうみても貴方悪人ではないですし、獣人族の方と間近
でお話しするのは初めてなので興味がありました。それに、こんな
可愛らしいペットや人形を連れている理由とか、気になってしかた
がなかったんですもの﹂
という、実も蓋もないというか、剛毅な答えが返って来た。
そんなわけで最初の1∼2日は意識が朦朧としていてほとんど記
憶にないのだが、3日目くらいにはずいぶんとマシになり、簡単な
自己紹介をして、その後、ちょくちょく様子を見に来る彼女と、ぽ
つぽつ話をしていた。
4日目となると口を開く分には問題なく過ごせたので、自分がア
ルゼンタムに来た理由。
クレス自由同盟国で発見された転移装置の存在と、それを使った
各国との自由貿易交渉。その下準備の為、帝国宰相ウォーレンから
秘密裏の事前交渉を持ちかけられ訪問したこと、そこで暗殺者に襲
撃されて随員は皆殺しになり、自分もあわやというところで、おそ
らくは緋雪が行ったなんらかの魔術でこの場へ避難してきたことな
どを話した。
オリアーナ皇女は、それを聞いた驚いた様子で︱︱そもそも、転
移装置のことも、クレス自由同盟国との交渉のことも、自身はもと
より皇帝でさえ奏上されていないと言っていた︱︱難しい顔で考え
込んで、その日は退室したのだった。
801
いもうと
そして、5日目となる本日は、どうにか体を起こせるほどには体
力も回復してきた。
ベッドの脇に座って、自分が話す義妹の頭おかしいエピソードと
か、姫陛下の非常識さを面白おかしく聞いていた︱︱隣に立ってい
た侍女は、完全にホラ話だと決め付けて眉に唾つけていたが︱︱彼
女だが、一区切りついたところで、ふと、真顔になった。
﹁あの夜の件ですが、わたしのほうでも確認を行いましたが、諜報
部等の動きはありませんでした。おそらくはウォーレンの手の者か、
もしくは外部の協力者の手になる襲撃だと思われます﹂
﹁それは⋮⋮失礼ながら憶測ですよね?﹂
侍女が眉をしかめるが、オリアーナ皇女は出来の良い生徒を褒め
るような顔で頷いた。
﹁確かに物的証拠はありません。ですが、そもそもあの夜に襲撃が
あり、ましてクレス自由同盟国の密使が来たことも、犠牲者が出た
はら
こともなかったことになっております。クレスから問い合わせが来
ても知らぬ存ぜぬで通す肚のようですが、そんなことができるのは
宰相のウォーレンくらいでしょうね﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
殺された仲間たちが闇に葬られたことを知り、暗い顔をするレヴ
ァンの心中を慮ってか、しばらく無言で居たオリアーナ皇女だが、
﹁そういえば﹂と思い出したかのように口を開いた。
インペリアル・クリムゾン
﹁わたしはお会いしたことがないのですが、真紅帝国のヒユキ陛下
が傾国の佳人というのは本当のことでしょうか?﹂
言いつつレヴァンの枕元の﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄を抱き上げる。
802
﹁︱︱え⋮ええ。その人形に良く似た、もっと神秘的な麗人です﹂
﹁そうなんですか。一度お会いしたいものです。⋮⋮とは言え現在
の国内情勢ではまず不可能でしょうけれど﹂
憂いを含んだ彼女の言葉に、レヴァンは首を捻った。
﹁それは、どういう?﹂
﹁⋮⋮そうですね、いまさら隠すのもなんですから、素直に申し上
げますが、現在帝国の勢力は二つに分裂しているのです﹂
ため息混じりの声で言いながら、オリアーナ皇女はレヴァンの目
を改めて見据えた。
﹁宰相派と抵抗勢力ですか﹂
話の流れから言ってそうだろうな、と想像しながら口に出したレ
ヴァンだが、オリアーナ皇女は首を振った。
﹁抵抗勢力には違いありませんが、正確には、旗頭を父とした皇帝
派なのです﹂
﹁? 皇帝自らが宰相に反対して、それで国が二分するんですか?﹂
当然と言えば当然の疑問に苦笑いを浮かべるオリアーナ皇女。
﹁恥ずかしながらその通りです。そもそも今上帝である父が皇帝に
就かれたのは20年前、14歳の時に前帝が崩御されたからなので
すが、その際に年若いということで、大叔父⋮わたしから見れば曽
祖父の弟に当たる人物が摂政となったのですが︱︱﹂
ここで盛大に顔をしかめて、吐き捨てるように続ける。
﹁これがまたどうにもならない愚物で、国を私物化してただでさえ
傾きかけていた屋台骨を腐らせ、挙句、聖王国に多額の負債を肩代
803
わりしてもらう代わりに、無駄な戦争を起こし獣人族を迫害し、そ
の上、父が成人後も摂政を続け、3年前に98歳で亡くなる︱︱憎
まれっ子世にはばかるの典型ですわね︱︱まで最高権力者の座に居
座り続けたのですから﹂
なるほどねぇ、グラウィオール帝国の拡張政策の裏にはそういっ
たドロドロがあったわけか、と納得するレヴァン。
それとこの皇女様、見かけによらずさらりと毒を吐くな、と思っ
た。
﹁とは言え17年間も国の中枢を掌握していた摂政の息の掛かった
者共はすでに政・官・軍に多大な影響を及ぼしています。基本的に
は彼らのスタンスは、イーオン聖王国のご機嫌伺いをして、なあな
あでぬるま湯に浸ろうというものです。そうした不正や腐敗を取り
除くために、改革が必要であるというのが皇帝派の一致した見解な
のですが⋮⋮﹂
﹁旧摂政の流れを組む宰相派が、その障害になっている、と﹂
レヴァンの相槌に、微妙な表情を浮かべるオリアーナ皇女。
﹁最大の障害なのは確かですが、ウォーレンはもともと摂政とは関
係ありません、それどころか改革を推進する父の右腕だったとも聞
きます﹂
意外な話に困惑するレヴァン。
﹁それがなんでまた、旧摂政派の旗頭に?﹂
﹁⋮⋮結局のところ、見限られたのでしょう。父である今上帝の元
では改革は断行できないと。より現実的な力による改革を推し進め
るためには、旧摂政派やイーオン聖王国の力を借りたほうが有効で
804
あると。現在、表向きは皆、皇帝に忠誠を誓っては居ますが、実際
には政・官のほとんどがウォーレンに掌握されています。辛うじて
軍の3分の1が皇帝に従っているというところですね﹂
それから熱の篭った目でレヴァンの目を見た。
﹁時間がありません、わたしたちは何としてもこの均衡を崩さねば
ならないのです。たとえ外部からの力を借りても﹂
インペリアル・クリ
言いたいことはわかる。結局、連邦時代の自分たちがやったこと
と同じだろう。だが、問題もある。
ムゾン
﹁皇女のお話は大変興味深いです。ですが、我等が宗主国、真紅帝
国が手を貸すのはあくまで自身の身内のみ。本国からの派兵となる
と、この国を差し出すという意味になります。それができますか?﹂
途端、表情を曇らせるオリアーナ皇女。
﹁⋮⋮到底飲める条件ではありません﹂
﹁ならば、残念ですがオレから言えることはありません﹂
レヴァンの言葉に唇を噛んで無言になる彼女。
◆◇◆◇
グラウィオール帝国の首都アルゼンタムの下町に近いとある焼肉
店で、二人の少女が火花を散らしていた。
805
鉄板の隅でじゅうじゅうと肉汁を滴らせる牛肉︵ちなみに食用の
肉牛というのは存在しないので、基本牛肉は働けなくなった老牛か
乳牛である。そのため、肉のランクとしては、豚>羊>牛となる︶
に、少女二人の視線が集中する。
程よく焼けたところで、獣人族らしい目の大きな栗色の髪をした
少女が、再度肉をひっくり返そうとしたところで、こちらは場末の
焼肉屋にまったくそぐわない黒いフリルとリボンで飾られたドレス
を着た、長い黒髪のとんでもない美貌の少女の右手が、目にも留ま
らぬ速さで動いた。
カキン!!
逆手に握ったフォークが獣人族の少女が手にするフォークとナイ
フを弾いて、焼肉の中央に突き刺さった。
そのまま手元に引きようとする黒髪の少女だが、すかさず両手の
フォークとナイフで押さえ付ける獣人族の少女。
そのまま数秒間、膠着状態に陥る。
﹁ヒユキ様、これはあたしが育てていた肉なんですけど?﹂
﹁育てるも何も、注文したのは私のほうだけど?﹂
﹁別にこれを食べなくても、他にも食べるものは一杯あるんじゃな
いですか?﹂
﹁それはこっちの台詞だよ。さっきから見てたら、君ってお肉を食
べすぎだよ。私が﹃肉肉野菜肉野菜﹄のペースで食べてるのに、そ
っちは﹃肉肉野菜肉肉肉﹄なんだから、これは私の分だと思うんだ
806
よね。野菜食べないと体に悪いよ﹂
そのまま綱引き状態が続いたが、最終的に6:4の割合で獣人族、
黒髪の少女が妥協した。
﹁ところで﹂食後のお茶を飲みながら、黒髪の少女︱︱緋雪がなに
げない風に尋ねた。﹁レヴァンは本当に宮殿にいるの?﹂
あに
﹁間違いありませんっ﹂大きく頷く獅子族の巫女アスミナ。﹁あた
しの勘と占いでは、義兄はこの街の中心にいるとでています!﹂
ビシッと窓から見えるこの街の中心︱︱アルゼンタム宮殿を指差
す。
あに
﹁あと、あたしのアンテナが、義兄に近づく他の女の影を捉えてい
ます! さっさと行って確保しましょう、ヒユキ様っ﹂
う∼∼む、そのあたりが微妙に信頼性を損なってるんだよねぇ。
と若干不信感の混じった目で謎の電波を受信しているアスミナを見
るが、本人はいまから殴り込みかける気120%である。
︱︱他国の宮殿かぁ。また面倒臭いところを指定したものだねぇ。
どーしたもんかと考え込む緋雪であった。
807
第十二話 宰相受難
その日、いつものように王宮から︵物理的にも精神的にも︶離れ
た別館で執務を執り行っていた、グラウィオール帝国宰相ウォーレ
ンは、ふと慌しく廊下を行き交う使用人たちの足音と、屋敷全体を
取り巻く気ぜわしげな雰囲気に、神経質そうな眉をひそめた。
執務中は余人が傍にいると邪魔になるので常に一人でいるのだが、
さすがにたまらなくなって執務机の隅に置いてある呼び鈴︵魔道具
で隣室に控えている秘書の呼び鈴と連動している︶を鳴らした。
即座に飛んできた秘書官に向かい、ウォーレンは唸るように問い
かけた。
﹁何事だ、この騒ぎは?!﹂
﹁それが、その⋮⋮閣下に逢わせろと、娘が二人やってきて門前で
押し問答をしているそうでして⋮⋮﹂
言いにくそうに答える秘書をじろりと射すくめるように睨みつけ
る。
﹁なんだそれは。アポイントメントはあるのか?﹂
﹁いいえ。それどころか、片方の娘は獣人のようで⋮⋮﹂
﹃獣人﹄という言葉に、先日始末したクレス自由同盟国の密使のこ
とが脳裏に浮かんだ。
同時に、連中の代表者のみが生死不明ということで、仕事を任せ
808
た自称フリーの暗殺者︱︱実態は聖王国の二重スパイだろうと睨ん
でいる男︱︱を、さんざん罵倒して追い出したことも続けて思い出
した。
おそらくは跳ね上がり者の獣人が、連中の安否を確認に押しかけ
てきたのだろう⋮⋮それにしては二人、それも娘だけというのも不
可解だが、あるいは単に身内を心配してやってきた家族の者なのか
も知れない。
﹁くだらん。そのような者どもはさっさと追い返せ。そんな子供で
もできる仕事ができんのか、貴様らは?﹂
﹁も、申し訳ございません。ただ、もう一人の娘が身支度からして
明らかに貴人でございまして、手荒な真似をしてよいか、門番も迷
っているようで﹂
﹃貴人﹄という言葉に、なぜかぞくりと嫌な予感を覚え、居なくな
った暗殺者の存在が急に大きく感じられたが、表面上は平然と聞き
返した。
﹁名前は名乗っているのか?﹂
﹁いえ、尋ねても﹃知らないほうがお互いの為﹄と訳のわからぬ答
えが返って来るだけとか﹂
﹁名前も名乗らん相手と面会する必要はないな。多少手荒な真似を
しても構わん。さっさとお引取り願え﹂
﹁はっ。わかりました﹂
慌てて退室する秘書官の後姿を眺めながら、﹁この程度の判断も
809
できんのか。無能め!﹂と発作的に叫び出しそうになるのを押さえ
る。
つくづくこの国は腐っている。国の中枢を担う官僚︱︱当然、貴
族である︱︱でさえこの程度なのだから。
血脈こそが人間の資質のすべてであると考え、だからこそ生まれ
つき優れた存在だと驕り、そこから一歩も踏み出せずに居る者ども。
やはり改革が必要だ。その為には綿密な下準備をして、手回しを
行い、腐った患部を一気に摘出するための時間と手間隙を怠るわけ
にはいかない。
そう決意を新たに、次の書類に取り掛かった︱︱数分後、先ほど
の騒ぎを忘れかけたところで、執務室の扉が廊下側から轟音を立て
て吹き飛ばされた。
﹁な︱︱っ!?﹂
さすがに顔色を変えて立ち上がったところへ、壊れた扉の向こう
から、ひょっこりと小柄な影が顔を出した。
﹁神経質そうな中年、鷲鼻、目つき悪い、アッシュブロンド⋮⋮あ
あ、ここで間違いないようだね。突然だけどお邪魔するよ﹂
ウォーレンの特徴を指折り数えながら、納得いった顔で少女が入
ってきた。
年齢は12∼13歳ほど。腰まで届く長い黒髪を流し、緋色の瞳
をした凍えつくほどの美貌の少女。
黒を貴重とした豪奢なドレスに見事な赤薔薇のコサージュを施し
た衣装をまとった、彼女の姿をひと目見てウォーレンは驚愕に目を
810
剥いた。
インペリアル・クリムゾン
﹁真紅帝国の︱︱!? 馬鹿な、なぜここに?!﹂
﹁なんのことやら。私はちょっと焼肉を食べに来た観光客だよ﹂
わざとらしく肩をすくめる緋雪。
ごくりと唾を飲み込んだウォーレンは、それでも表面上は平静な
顔を取り繕い、椅子に再度腰を下ろした。
﹁その観光客がなんの御用ですかな? 生憎とここは観光コースか
らは外れていると思いますが﹂
﹁ん∼∼、まあ、実のところ探し人がいてさ。その行方を聞こうか
と思って来たんだけど、途中で目的はだいたい果たせたかな。さっ
きの秘書が必要な情報を教えてくれたし﹂
内心で秘書官の男を罵倒しながら、﹁ほう﹂と鷹揚な態度で聞き
返すウォーレン。
﹁拷問でもなさいましたか?﹂
﹁まっさかぁ! 邪魔する連中は︱︱まあ、彼らもそれが仕事なん
だから仕方ないけど、警告の上で排除⋮じゃなくて、﹃不幸な事故
イービル・アイ
で消えてなくなった﹄んだっけ?︱︱でお引取り願って、彼の場合
はそれを見て、魔眼使うまでもなく勝手にぺらぺらしゃべってくれ
たよ。ああ、あと残っていたほとんどの職員も逃げ出したね。⋮⋮
いやはや君って、つくづく人に好かれていないんだねぇ﹂
本気で同情しているらしい口調の緋雪に、苛立たしげにウォーレ
ンが反駁する。
﹁好き嫌いで仕事はやっておれませんからな。そうした屑どもを指
811
揮監督する立場の者が、迎合しては意味がないでしょう。兎に角、
目的が果たせたのならお帰り願いたいのですが?﹂
﹁そーかな、屑の親分はやっぱし屑だと思うけど? ︱︱まあ、所
詮は他人事なのでどーでもいいといえばいいんだけどさ、やっぱ、
うちの身内をだまし討ちしてくれたお礼はさせてもらうよ﹂
﹁⋮⋮私を殺すつもりですか? お国と帝国、聖王国との世界戦争
が起きますぞ?﹂
﹁そこで自力でなんとかしようと思わないところが、もう終わって
るねぇ。︱︱ああ、別に殺しはしないよ、私は平和主義者だからね。
まあ都合のいい平和じゃないと嫌だけど﹂
自嘲するように軽く肩をすくめて続ける。
﹁そんなわけで、私は2∼3百発殴るくらいで我慢するけど。︱︱
アスミナ、君はどうする?﹂
その言葉に応えて、廊下側から獣人族らしい民族衣装をまとった
にい
女の子が現れた。
﹁レヴァン義兄様の敵なんですから、あたしは八つ裂きにしても飽
き足らないですけど⋮﹂
﹁︱︱ん。じゃあ八つ裂きにする?﹂
晩御飯の買い物に一品追加する感覚で軽く言い放つ緋雪。
﹁いいえ、こんなのに時間をかけている暇はありません。さっさと
壊して晒し者にでもして放置しておけばいいと思いますっ﹂
﹁晒して放置って⋮⋮んじゃあ、全裸で大門の前にでも逆さ吊りに
でもする?﹂
812
﹁ああ、いいですね。あと全身を永久脱毛にして、股間に﹃短小﹄
って張り紙でもしておいて、あと下半身に○○でも突っ込んで、男
に生まれたことを後悔させておけば完璧ですね﹂
﹁⋮⋮君もなにげにえげつないねぇ﹂
最後のはさすがにいろいろ同情を禁じえないねぇ、とぼやきつつ
も止める気はまったくなさそうである。
そんな、軽いノリで話す二人の少女の姿をした悪魔を前に、ウォ
ーレンは今日まで自分の築き上げてきた全てが、ガラガラと足元か
ら崩れ去ろうとしているのを理解して戦慄した。
◆◇◆◇
その後、一仕事終えて、まったく爽やかでない汗を拭いながら、
大門を背に宮殿の方へ向かうボクとアスミナ︱︱大門の騒ぎを聞き
つけて、物見高い連中が大挙して押し寄せるので人の流れと逆行し
て歩くのはちょっと骨︱︱だったけど、正直、レヴァンの行方につ
いて目立った進展がなくてがっかりしていた。
ひょっとしたら宰相の方でなにか掴んでないかと思ったんだけど、
こちらでも実質空振りだったし︱︱まあ、個人的に制裁したのは半
分八つ当たりだね︱︱こうなると、アスミナの勘を信じて王宮に乗
り込むしかないんだけど、ボクが行くのはかなり難しいんだよねぇ。
813
国交がないどころか、現在紛争地帯を抱えている国同士なんだか
ら、公式訪問は難しそうだし、かといってこっそり忍び込もうとし
ても、絶対に防御結界が張ってあるから感知されると思うし、アミ
イービル・アイ
ティアの王宮みたいに秘密の抜け穴があって、その存在を宰相が知
ってるんじゃないかと、拳でのお話し合いの途中で魔眼を使って確
認してみたけど、知らない︱︱というか、ほとんど皇族と疎遠にな
っていて、そうしたものにはタッチしていないことがわかった。
﹁それで、これからどうやって宮殿に乗り込むんですか?﹂
アスミナが鼻息荒く尋ねてきた。
︱︱これは止めようがないねぇ。
﹁正面から乗り込むのは、戦争覚悟だけど⋮⋮まあ、宰相の情報が
確かなら、はりぼての軍隊らしいから問題なさげなんだけど、皇帝
一派は今回の件に無関係らしいので、できれば回避したいところだ
ねぇ﹂
﹁それじゃあ裏から忍び込んだらどうでしょうか?﹂
当然のように言われたけど、それが出来ないから悩んでるんだけ
どね。
と言うボクの懸念を理解してか、アスミナは大きく胸を叩いた。
﹁大丈夫ですよ。この都に来たときから、宮殿への潜入ルートはハ
リちゃんに探らせておきましたので﹂
そう言うアスミナの胸元からオコジョに似た霊獣︱︱ハリが顔を
出した。
あに
﹁この子の案内があれば、義兄の元へたどり着けるはずです。たと
814
え途中にどんな障害があろうとも!﹂
自信満々に言い放つアスミナだけど、前にも似たようなシチュエ
ーションを経験して逆さ吊りとなった身としては、大いに不安を覚
えるところなんだけどねぇ⋮⋮。
インベン
﹁︱︱いやいや、さすがに素人さんにはキツイんじゃないですかね﹂
と、不意に横合いから聞き覚えのある声がした。
﹁︱︱っ!!﹂
トリ
ジル・ド・レエ
咄嗟にアスミナを抱えてその場から飛び退いて、即座に収納スペ
ースから﹃薔薇の罪人﹄を呼び出して構えた。
かげろう
その声の主︱︱いかにも単なる露天商という風に、通りの隅で細
々とした雑貨や安物の指輪、装飾品を広げていた影郎さんは、被っ
ていた帽子を軽く持ち上げた。
﹁どーも、お久しぶり⋮⋮というか、先日ぶりですかね? なんに
せよ奇遇ですね、お嬢さん﹂
親しげな彼の態度に、
﹁⋮⋮お知り合いなんですか?﹂
アスミナが義兄のレヴァンと似たような反応をする。
﹁例のレヴァンたちを襲った暗殺者が彼だよ﹂
﹁なっ︱︱!?﹂
顔色を変えるアスミナに向け、細い目をさらに細める影郎さん。
815
﹁どーもー。本業は商人ですが、副業に暗殺者もやってます。先日
はバイトでお兄さんとも顔合わせもしました。まあ、お嬢さんとも
どもよろしゅうに﹂
悪びれることなく自己紹介する影郎さんの一挙一動に注意しなが
ら、ボクはアスミナを守る形で前に出た。
﹁まだこの街にいたんだね。てっきりもう移動してるかと思ったけ
ど、目的は宰相の復讐?﹂
﹁まさかまさか。こっちは途中で仕事を乾されてカツカツなんです
よ∼。そんで少しでも稼ごうと思って、本業の方でがんばってたと
ころで、いまさらあのオッサンがどうなろうと知ったことじゃあり
ませんわ。︱︱つーか、見てて面白かったですわ﹂
⋮⋮つまり、こちらの動きはマークしてたってことだね。
﹁バイトってことは、やっぱり宰相が黒幕ってわけじゃなかんだね。
それじゃあ、いまは真の黒幕の指示で動いているってわけ?﹂
﹁いやいや。ホントに今回は偶然なんですよ∼。ついつい愛しいお
嬢さんの姿が見えたもんで、こっそり伺っていただけで﹂
いちいちリアクションがわざとらしい彼の態度をアスミナも不快
に思ったのか、ボクの背中越しに聞いてきた。
﹁ストーカーですか?﹂
﹁うん﹂
間髪入れないボクの返事に、これ見よがしに右手を瞼に押し当て
﹁そないな殺生な⋮﹂と肩を振るわせる影郎さん。
816
﹁ウソ泣きですね﹂
﹁この人、基本ウソしかつかないからね﹂
ボクたちの冷めた感想に、
﹁まあ、それはそれとして⋮⋮﹂
変わり身も早く、まったく濡れていない顔を上げて話題を変えて
きた。
﹁お二人のお話を小耳に挟んだんですが、なんや、宮殿にあのお坊
ちゃんがいるとか。︱︱緋雪お嬢さんの仕業ですか?﹂
﹁⋮⋮そのあたりは企業秘密だね﹂
ボクの答えに、﹁そら仕方ないですなぁ﹂と両手を上げて降参の
ポーズをとる影郎さん。
にい
﹁それを知ってどうするつもり! まさか、これ以上レヴァン義兄
様に危害を加えるつもりなら⋮!﹂
興奮した猫みたいに敵意を剥き出しにするアスミナ。︱︱って言
うか、レヴァンが宮殿にいるのって君の山勘だけが根拠なんだから、
そこら辺が確定事項みたいに話をするのもどーかと思うんだけどね
ぇ。
﹁いや∼、もうその仕事は終わったことですし。自分はプロじゃな
いんで、別に最後まで始末つけないと沽券に関わるとか、そういう
意識はないので、いまさらどーでもいいことですね∼。銭にもなら
んし﹂
本気でどうでもいいという顔で、パタパタを手を振る影郎さんを、
多少毒気を抜かれた表情で胡散臭そうに眺めてから、言葉の真贋を
確認するような顔でボクを見るアスミナ。
817
う∼∼ん、この人の場合、言ってることは基本ウソなんだけど、
ウソと本当の境目が曖昧というかコロコロ変わるので判断がつきか
ねるってとこなんだよねぇ。
そんなボクの困惑を楽しみように、影郎さんは揉み手しながら続
けた。
﹁そんなわけで、いまいろいろと物入りでして、ちょうど手も空い
ていることですし、ひとつ王宮に忍び込むのに、自分を雇っちゃく
れませんかね? 確実に送り届けてみせますよ。あ、罠とかじゃな
いですよ﹂
その言葉に、ボクとアスミナは顔を見合わせた。
﹁⋮⋮ぜったい罠だね﹂
﹁⋮⋮どう考えても罠ですね﹂
期せずして二人の意見が一致した。
818
第十二話 宰相受難︵後書き︶
ちなみに凹るのはアスミナと二人で行い、その後の羞恥プレイは天
涯と刻耀の男性陣に任せました。
819
第十三話 鈴蘭乃毒
さて、時計の針を少しだけ戻してみよう。
インペリアル・クリムゾン
宰相派に対抗する為、真紅帝国との軍事協力の是非について、レ
ヴァンからスッパリと断られたオリアーナ皇女だが、しばし熟考し
た後、顔を上げた。そこには悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
インペリアル・クリムゾン
﹁真紅帝国の方針は理解しました。ですが、考えてみればいまわた
しがお話している相手は、﹃クレス自由同盟国の盟主﹄。そして、
問題の﹃転移装置﹄が存在するのも、クレスの首都近郊でしたね。
つまり自由貿易交渉の締結先はクレスという認識でよろしいのです
よね?﹂
﹁⋮⋮それは、確かに﹂
もともとが緋雪との御前会議︵笑︶の議題で、苦し紛れに﹁ビン
ボなんとかしてください﹂と懇願したのが事の発端であり、その結
果としてクレスが今後世界貿易の中枢もしくは中継となるよう、下
賜されたのが今回の﹃転移装置﹄である。
そのため貿易交渉もあくまでクレスによる、クレスのために、ク
レス名義で行う予定であった。
また﹃転移装置﹄本体についても、
﹁あの装置は煮ようが焼こうがフォークダンス踊ろうが、好きに使
ってかまわないよ﹂
と、緋雪からは無条件の裁量︱︱別名、丸投げともいう︱︱をも
らっている以上、実際にどうしようが彼女の性格からいって文句は
言わないだろう。
820
﹁大規模転移魔法による物流速度の飛躍的向上、いえ、物流だけで
はありませんわ、それが実現することで民間においても情報認知や
意思決定の即応性が求められますから、生産・販売過程での時間的
な圧縮をも可能にすることになることでしょう。結果的に全体規模
での経済性の大幅な向上に繋がるというわけですわね。⋮⋮そこま
で織り込み済みとすれば︱︱まあ、計算ずくでしょうね︱︱姫陛下
は、ただのお人形さんではないということで、ますます興味がわい
てきましたわ﹂
言いつつ﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄人形を撫でる鈴蘭の皇女。
その目と口元笑っているが、楽しげと言うよりも好敵手を見つけ
たギャンブラーのように挑戦的なものであった。
﹁⋮⋮はあ﹂
レヴァンの方は途中から彼女がなにを言ってるのか理解不能にな
ったので、適当に相槌を打つだけである。
うち
﹁ただ納得できないのは、いきなり国交のないグラウィオールへ話
を持ちかけてきたということですわね。言うなれば潜在的な敵国へ
わざわざ手の内を明かすメリットがあるかしら。わたしなら国内と、
せいぜい国交のある西部域の諸国間で使用して、その有効性を諸外
国へ周知してから交渉の道具に使いますけど⋮⋮いきなり、世界規
模で使いたいなどどう考えても方便。なにか別な思惑があると見て
間違いはないでしょうね。それがなんなのかは不明ですけれど、ど
うにも良い様に利用された気がして業腹ですわ﹂
そう結論付けると、オリアーナは﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄人形を
レヴァンの枕元に戻して、再びその目を真っ直ぐレヴァンに向けた。
821
﹁ですので別に意趣返しというわけではありませんが、わたしから
の提案です。﹃皇帝派﹄としましては、クレス自由同盟国との自由
貿易協定の締結に賛成いたします。使用目的はあくまで貿易の為、
ですがそこに有事の際の相互防衛の条文を追加したく思います﹂
なにやら穏やかならざる言葉にレヴァンは眉をひそめた。
﹁相互防衛ってどういうことですか?﹂
﹁言葉通りです。宰相派はもともとイーオンを後ろ盾としてケンス
ルーナへの軍事侵攻を強行し、結果的に成功させ、帝国内での地位
を磐石といたしました。このままの勢いでは早晩、皇帝など有名無
実⋮⋮いえ、退位させて自分に都合の良い御輿を据えるか、或いは
父の時と同じように、わたしを皇帝に据えて摂政を務め、黒子に徹
するほうが実利はあるかも知れませんわね。
それに残念ながらわたしは女ですので、自らの親族︱︱馬鹿息子
も何人かいるようですので、そのあたりを夫をあてがって実権を剥
奪し、生まれた孫を新たな御輿に据えるといったところでしょうか。
まあ、そうなれば個人的にも国としても非常に面白くない状況にな
ることは想像に難くありませんわ﹂
﹁⋮⋮そりゃ、まあ、好きでもない相手と結婚するのは嫌だとは思
いますね﹂
首を捻りながらのレヴァン言葉に、好意と憧憬を込めた眼差しを
送るオリアーナ皇女。
﹁︱︱あら。ずいぶんとロマンティストでいらっしゃるのですね。
獣人族の方々は皆様そうなのでしょうか? それと誤解のないよう
に言って置きますが、皇族、王族の婚姻について個人の感情はそう
大きな要因ではなく、わたしはそれ自体が嫌だと言っているわけで
822
はありません﹂
﹁好きでもない相手と結婚するのが問題ないんですか?﹂
渋い顔をするレヴァン。
確かに人間族の貴族や王族というのは政略結婚が主だと聞いては
いるが、情愛のない結婚についてはやはりあまり良い感情が持てな
い。
緋雪も、﹁女性をモノとして扱う前時代的な風習だねぇ﹂と嫌な
顔をしていたものだが⋮⋮。
﹁そうですね。確かにわたしどもも人間である以上、幸福を求める
のは当然の欲求だとは思います。ですが、それはあくまで国家の安
泰があればこそです。国民は自らの生活を庇護し、将来的な安寧と
繁栄をもたらすと思えばこそ、わたしどもを敬い、自らの働いた血
税を捧げてくださるのですから、その期待に応えることこそが皇族、
王族の務めでありましょう。婚姻は国の繁栄をもたらす手段の一つ
ですから、個人の欲求を優先するなど国民に対する裏切りですわ﹂
これまた⋮⋮随分と現実的なお姫様だなぁ、というのがレヴァン
の感想だった。見た目はいかにもたおやかなお姫様なのに、考え方
がとことん合理的で、なおかつ明確な理念をもって一切の妥協がな
い。女性にこういう表現をするのはなんだが︱︱実に割り切った男
らしい性格である。
姫陛下もかなりこのお姫様に近いけど、身内には甘いところがあ
ほんにん
るし、どこか可愛らしく柔らかな隙があるので、女性的な魅力では
あちらの方が遥かに上だな。⋮⋮などと、緋雪が聞いたら大いにシ
ョックを受けそうなことを、続けて考えるレヴァンであった。
﹁そこで話が先に戻るのですが、宰相派にこれ以上の専横を許すの
823
は危険すぎます。彼の考える改革の支持基盤がイーオン聖王国とい
うところに問題があるのです。彼の国は他国へ対しては中立を公言
していますが、我々の使う共通語や暦なども元をただせば聖教のも
の。実質的に世界を支配しているといっても過言ではありません。
宰相は彼らの影響を過小評価しているようですが、彼らと手を組む
ことはミイラ取りがミイラになる可能性が非常に高いと思います﹂
﹁なるほど﹂
彼女の迫力にほとんど呑まれる形で、レヴァンは頷いた。
﹁大昔ならいざ知らず、好むと好まざるとに関わらず多民族と交流
をもってこそ国の繁栄は成り立つでしょう。宰相の考える改革はこ
の国の腐った部分︱︱いわば患部を切除するというものですが、そ
んな乱暴なやり方では一時的な効果しか発揮できないどころか、﹃
手術は成功しても患者は死んだ﹄状態になる可能性が高いかと思わ
れます。必要なのは外部からの新しい血と、手術に耐えられるだけ
の体力づくりでしょう。そのために必要なのが、クレス自由同盟国
との相互防衛協定になります﹂
﹁そのあたりがよくわからないんですけど⋮⋮?﹂
﹁言ってしまえば、転移装置を使った非常時︱︱名目は災害時など
緊急避難措置として、軍の派遣を必要と認め、要請があった際に両
国間で融通し合うというものです﹂
インペリアル・クリムゾン
さらりと言われた言葉の重大さに、レヴァンはベッドに倒れこみ
そうになった。
﹁両国っていうのは、真紅帝国本国ではなく、クレス自由同盟国と
グラウィオール帝国⋮⋮というか、皇帝派との間のことですよね?﹂
824
﹁そう捉えていただいて構いません﹂
オレたち
﹁⋮⋮クレス自由同盟国をそちらの内戦に巻き込むつもりですか?﹂
彼女には命を助けてもらった恩もあるし、個人的には協力するに
やぶさかではないが、国同士となればことが大きすぎる。
思わず恨みがましい目で見てしまうが、オリアーナは顔色一つ変
えることなく、レヴァンの言葉に頷いた。一方、傍付の侍女は目の
前で語られる、ある意味国を左右する話に顔色が蒼白になっていた。
﹁身も蓋もない言い方を言ってしまえばそうなります。ですが、あ
なた方にも充分にメリットはある話かと思いますわ。第一に自由貿
易が全世界規模で行えるようになること。第二にわたしどもに協力
することで、帝国からイーオン聖王国の影響力を薄れさせ、間接的
にお国への軍事侵攻を抑えることになる点。第三に獣人族の世界的
な地位向上。⋮⋮いかがでしょうか?﹂
インペ
﹁なんだかんだ理屈をつけて、軍事同盟を結ぼうとしているように
リアル・クリムゾン
思えますね。はっきり言って、オレの権限を越えています。一度真
紅帝国本国と協議したいところです﹂
ここまでやり手の皇女様相手に政治の素人の自分では手に余る。
そう判断してレヴァンは返答を保留することにした。
それに対して、やや芝居がかった仕草で心外そうに口元に手を当
てるオリアーナ。
﹁︱︱あら。姫陛下は貴方にその程度の権限も与えないような狭量
な方でいらっしゃいますの?﹂
明らかな挑発に、レヴァンはため息をついた。
825
﹁⋮⋮姫陛下がこの場で、お国の現状を聞いてオレが協力すると言
えば、﹃じゃあ後腐れないように、すっぱりと宰相派を消してくる
よ﹄と、さらりと言って実行するでしょうね﹂
まつりごと
そんな恐ろしく荒っぽいことを聞かされても、オリアーナは平然
とした顔で言葉を返した。
﹁それはさすがに困りますわ。皇帝の意に不服を唱え、政を牛耳る
など本来であれば、臣下の分を越えたあるまじきこと。とはいえ、
元をただせば国の行く末を案じてのことですので、一概に断罪する
わけにも参りません。また、先ほども申し上げた通り、宰相派は国
内のあらゆる派閥に関与しております。これを処断すれば国内に混
乱が生じましょう﹂
ため息をつくオリアーナを見て、大国ともなるといろいろややこ
しいんだなぁ、と能天気に同情する一応は大国の代表者であるレヴ
ァン。
﹁それと、相互防衛協定といっても実際に軍事行動を起こすつもり
はありません。こういっては失礼ですが、内乱など起こればクレス
=ケンスルーナ連邦の愚を繰り返すことになりかねません。あくま
で抑止力としての機能を期待しているに過ぎませんので、その間に
地盤固めと宰相派の切り崩しを行うつもりです﹂
にっこりと笑うオリアーナは自信ありげだが、まさにその国内を
二分する内戦を経験したレヴァンとしては懐疑的にならざるを得な
い。
﹁そう上手く行きますかね。これまでずっと劣勢だったんでしょう
?﹂
﹁確かに状況は厳しいですが、まったく勝算がないわけではござい
826
ません。なるほどウォーレン宰相は智謀・経験に優れた方ですが、
その為か他者に対する感情が非常に希薄な人物なのです。自分がで
きることが他人ができないことが理解できないのでしょう。自分は
自分、他人は他人と違いを認めずに同じことを要求して、それが達
成できないために他者を厭います。彼の周囲に居るのは実利と恐怖
で縛られた者たちだけで、そこには愛情や忠誠は一切ございません﹂
オリアーナは軽く嘆息した。
﹁そこが彼のアキレス腱となるでしょう。それに比較して、父たる
今上帝は抜きん出た器量こそございませんが、おおらかなで人当た
まつりごと
りの良い性格で、なにより他者の才能を認めるのに一切の躊躇がご
ざいません。そもそも、成人前の一人娘であるわたしが、政に口出
しできるのも父の信頼があればこそです。そうした点は王者の資質
といえるのではないでしょうか? 要は人間は使い方です。王たる
ものは、各方面に長けた家臣を取りまとめられさえすればいいので
すから﹂
それでもなお懸念が晴れない様子のレヴァンに、やや挑戦的な笑
みを向けた。
まつりごと
﹁︱︱それと、いままで皇帝派が劣勢だったのは、わたしが政に口
出しできなかったからですわ。ですが、これからは違います。おめ
おめと宰相如きに負けるつもりはございません﹂
当然と言う口調で断言する白皙の美貌を唖然と見返すレヴァン。
﹁⋮⋮なんというか、いままで皇女のことを毒にも薬にもならない
お姫様かと思ってましたけど、とんでもない思い違いでした﹂
聞き様によっては非常に失礼な発言にも関わらず、オリアーナは
楽しげにくすくすと微笑んだ。
827
﹁ご存知ですか。鈴蘭というのは毒草なのですよ? 特に花と根に
は毒が強いんですから﹂
◆◇◆◇
轟々と音を立てて、縦横5メートル以上ある排水管から、アルゼ
ンタムの生活排水が水路に流れ込んでいた。
下水と言うことで覚悟していたほどの臭いも少なく、ほっと安堵
のため息をつきながら、ボクは周りを警戒しているらしい影郎さん
に聞いてみた。
﹁けっこう宮殿から離れちゃったけど、本当にここから行けるの?﹂
﹁ええ、間違いありません。途中の分岐からいまは使っていない宮
殿の副管に繋がる水路がありまして、古過ぎて宮殿でも管理してな
いんで、知ってる人間も数人くらいしかいないんと違いますかな﹂
﹁なんでそんな場所を知ってるんですか?﹂
アスミナの当然の疑問にも、﹁まあ、そこは蛇の道はナントカで﹂
と適当に躱す。
﹁︱︱まっ、いいけどさ。下水だと定番の未知の生物とかいないだ
ろうね?﹂
都市伝説の白い爬虫類とか、この世界では普通にいそうで怖いん
ですけど。
828
﹁だいじょうぶですよ。いっぺん確認しましたけど、居るのはネズ
ミにコウモリくらいで﹂
﹃⋮⋮まあ、それなら問題ないか﹄
という顔で、アスミナとアイコンタクトを取る。
ゴキブリ
﹁ああ⋮⋮あと、やたらでっかい油虫の大群がいましたけど、別に
実害があるもんでもないんで⋮⋮って、お嬢さん∼っ! なんでダ
ッシュで逃げ出すんですか!? 二人揃って!!﹂
829
第十三話 鈴蘭乃毒︵後書き︶
12/20 脱字を追加しました。
×﹃手術は成功しても患者は死んだ﹄状態にな可能性が高い↓○﹃
手術は成功しても患者は死んだ﹄状態になる可能性が高い
830
第十四話 同床異夢︵前書き︶
まだ宮殿に潜入できてません><
831
第十四話 同床異夢
大陸の東方に位置する最大国家グラウィオール帝国。
その帝都アルゼンタムの中心に位置する皇帝の御座所たる宮殿。
正門前にある広場から窺い見える、その歴史ある壮麗なたたずまい
に息を呑む田舎からのおのぼりさんたち。
そんな一団から離れたところで、雑談をしているらしき3人の男
女がいた。
一人は、白いレースの日傘を差した、ウエストをギャザーで絞っ
た黒の膝丈スカートのドレスに、赤を基調とした宝石と生きた薔薇
のようなコサージュが映える見事な装束の、明らかに貴人らしき十
代前半と見られる黒髪の美姫。
一人は、ボタンを一切使わない独特の赤と白の民族衣装をまとい、
栗色の髪をしたいかにも活発そうな十代半ばと思える獣人族の少女。
一人は、黒髪に紺色のだぼっとした服を着て前掛けを下げ、帽子
を被った商人らしき青年。こちらは見目鮮やかな女性陣と違い、年
齢に関しては20歳と言われても30歳を越していると言われても
納得できるような、とにかく茫洋とした雰囲気で存在感の希薄な人
物であった。
◆◇◆◇
832
さて、前日の思いがけない再会から一夜明けた本日。
﹁今日は遅いんで、明日にしましょ﹂
という影郎さんの提案で、昨日はいったん別れたんだけど⋮⋮同
てんがい
じ街中に影郎さんがいるのがわかったのでホテルなどは泊まらずに、
くらし
安全の為、天涯たちの背に乗って︵天涯がボク以外を背に乗せるこ
とを拒否したので、蔵肆を呼んでアスミナにはそちらに乗ってもら
った︶、上空で待機中の空中庭園まで移動して城の方で休んだ。
で、一夜明け約束の時間に戻ってきたのだけど、宮殿への進入ル
ートとして最初に連れて来られたのが下水道で、こちらは諸般の都
合により断固拒否したため、次に連れて来られたのがこの宮殿正門
前だった。
﹁⋮⋮ヒユキ様、この人どー考えても信用できないんですけど、本
当に雇うんですか?﹂
﹁⋮⋮信用も信頼もしてないけど、ビジネスが絡むと賃金分の働き
はきっちりする人だからねぇ﹂
﹁⋮⋮後ろから刺されませんか?﹂
﹁⋮⋮その懸念は高いけど、ビジネス中は多分やらないと思うよ。
ただ精神的に後からバッサリやられるとは思う﹂
﹁⋮⋮裏切るの前提ですか?﹂
﹁⋮⋮いやぁ、そもそも裏切る以前に敵のままだから﹂
﹁⋮⋮どーいう人なんですか?﹂
﹁⋮⋮基本的にペテン師だね。節操の無さと逃げ足の速さは天下一
品なので、騙されたと気が付いた時には手の届かないところにいる
という。要するに煮ても焼いても食べられない悪党だよ﹂
﹁⋮⋮本当に雇うんですか?﹂
833
気が付くと、昨日からアスミナと会話がループしていたりする。
﹁いや∼、そこまで警戒せんでも、ホンマ給料分の忠誠は誓います
よ﹂
もちろん聞こえよがしに話してるんだけど、彼の鉄面皮は変わら
ずで、気楽にパタパタ手を振っていた。
﹁⋮⋮ウソっぽいんですけど﹂
﹁⋮⋮ウソだろうねぇ﹂
とは言え、放置しておいたら絶対に姿を隠してボクらを監視する
だろう。
正直、暗殺者に四六時中ストーカー行為をされるのは精神的にキ
ツイ。なら、まだしも目の届く範囲内に居てもらったほうがストレ
スも少ないというのが、今回妥協した理由の一つだったりする。
まあ、円卓メンバーは身代わりに魔導人形を使うことを提案して
きたんだけど、同行するアスミナの安全の為には戦闘能力の無い人
形では不安だし、レヴァンの時みたいにいざと言う時に対処しきれ
ないと思う。あと、これは個人的な感傷だけど、アスミナとは友人
だと思っているので、人形越しではなくきちんと生身で手伝ってあ
げたいって気持ちが大きい。
そんなわけで危険は覚悟のうえ︱︱それと絶対に何らかの裏があ
るだろうけど、逆を言えばその目的を達成するにはボクらを利用す
るのが得と判断して接触してきたんだろうから、ある程度は利害が
一致するってことで︱︱周囲に親衛隊を配置したりして、最大限の
警戒をしながら協力してもらうことにした。
834
ちなみに報酬は、﹁あの獅子族の坊ちゃんの安否確認と、お嬢さ
んが万一、皇帝派と接触した場合の会話の中身を聞かせてもらうっ
てことでどうでっか? 情報は一番の財産ですから﹂ということで
決まった。
あと﹃皇帝派﹄とか﹃宰相派﹄とか知らなかったので、
﹁なにそれ?﹂
と訊いたら、引っくり返られた。
﹁知らんで宰相に喧嘩売ったんですか!?﹂
驚愕したらしい影郎さんに、この国の情勢を聞かされたけど、今
更だし、だからどうしたという感じだねぇ。
で、報酬については、美味しい話過ぎてかなーり怪しい条件だと
思って、疑いの目で見たら、
﹁⋮⋮でなければ、うちのボスが欲しがってるので、お嬢さんがい
ま穿いてる下着で手を打ちますが﹂
とか気色の悪いこと言い出したので、即座に前の条件でOKした。
﹁︱︱というか、黒幕が私の下着欲しがるとか、影郎さん絶対ウソ
ついてるよね?﹂
﹁嫌ですな∼。自分がお嬢さんにウソついたことなんてありません
わ∼﹂
そこがすでにウソだね。
﹁いや、でも、もしも⋮もしも、それが本当なら影郎さんたちのボ
スも変態ってことになるんじゃないの?﹂
835
﹁⋮⋮いや、自分からはなんとも﹂
そう言葉を濁して乾いた笑いを放つ影郎さん。⋮⋮をい、まさか
?!
この危険な話題から離れるためか、それともいいかげん埒が明か
ないと判断したのか、影郎さんは、ひょいとボクの前には右手を、
アスミナの前には左手を差し出してきた。
﹁⋮⋮なんの真似?﹂
ジル・ド・レエ
動脈でも切れという意味かな? えーと、日傘をしまって代わり
に﹃薔薇の罪人﹄を出して⋮⋮。
﹁お嬢さん、なんか物騒なこと考えてません?﹂
﹁気のせいだよ﹂
ステルス
﹁⋮⋮ま、いいですけど。手を握って貰えますか。忍び込むのにあ
たって﹃隠身﹄を使いますので﹂
ハイド
ハイド
そういいながら一瞬、影郎さんはすうっと透明になって、すぐま
たその場に現れた。
ステルス
ちなみに﹃隠身﹄は﹃隠蔽﹄の上級スキルで、﹃隠蔽﹄がその場
から動けないのに比べ、自由に移動することができる︵攻撃を受け
ると解けるけど︶。
当然、影郎さんはこのスキルをMAXまであげているんだけど、
実際に現実として目の前で使われるとその凄さが良くわかる。目の
前にいたのが一瞬で目に映らなくなったのは勿論、気配も体温も呼
吸の音すら感じなくなるんだから。確かに、これなら宮殿の中に忍
び込むなんて簡単だろうけど⋮⋮。
836
﹁凄いけど、どう考えても覗きに使うしかない技ですね﹂
﹁まあコレが覗き魔の変質者なのは確かだね﹂
アスミナが眉をしかめ、ボクも即座に同意した。
﹁︱︱なんかさっきから自分、フルボッコですなぁ⋮⋮﹂
さすがの厚顔な影郎さんも、若干笑顔が引きつり気味だった。
﹁で、手を握るとあたしたちも透明になるんですか?﹂
﹁そういうことですわ﹂
ステルス
ゲーム時代では、パーティメンバーに登録して5マス以内なら﹃
隠身﹄の効果を共有できたけど、こっちだとそういった形に設定が
変更されているらしい。
﹁そういうことで、手を繋いでもらえますか﹂
再度促されて、ボクとアスミナは顔を見合わせた。
﹁⋮⋮この人の手を握るんですか、ヒユキ様﹂
﹁⋮⋮でも握らないとGの大群に突っ込まないといけないし﹂
﹁⋮⋮Gとどっちがマシでしょうか﹂
﹁⋮⋮究極の選択だよねぇ﹂
ゴキブリ
﹁あれぇ!? なんか自分と手を繋ぐの油虫と天秤に掛けられて悩
むレベルなんでっか?!﹂
今回ばかりは素でショックを受けた顔をする影郎さん。
その後、アスミナと話し合った結果、﹁どっちも同じくらい嫌だ
けど、下水道よりはマシ﹂ということで、影郎さんと手を繋ぐこと
837
になった。
見た目は両手に花状態だけど、上機嫌なのは影郎さんだけで、ボ
クもアスミナも﹃うえっ﹄という顔をしていた。
﹁ほんじゃ行きます﹂
その言葉を合図に、ボクの体は、すうっと透明になっていく。
自分の体なので確認し辛いけど、少なくとも目に見える範囲はす
べて見えなくなっていた。
﹁ヒユキ様、ちゃんとあたしも消えてますか?﹂
なにもないところからアスミナの心配そうな声が聞こえてきた。
﹁大丈夫、全部消えてるよ。⋮⋮だけど、お互いに姿が見えないと
不便だね﹂
ステルス
﹁ええ、﹃隠身﹄するとお互いに視認できなくなりますので、気を
つけてください。万一手を放したらその場で術は消え、再度全員姿
を現して掛け直さんといけないもんで、ちょいとリスクがあります。
それと声も聞こえなくなりますけど、そのあたりに触った音とかは
聞こえますんで、余計なところに触らなんようお願いします﹂
ふむ、結構制限があるもんなんだねぇ。
確かに姿が見えなくなるのは利点だけど、お互いの姿が見えない
以上、誰がどんな失敗をするかわからないのでリスクも多い。けど
⋮⋮。
﹁姿が見えないって、影郎さんからも私たちの姿は確認できないの
?﹂
﹁ええ、なのではぐれないようお願いします﹂
838
握った掌越しに頭を下げる感じがした。
﹁そっかー、見えないのか⋮⋮⋮⋮ほれっ﹂
﹃ぶふぁ︱︱︱︱っ!!!﹄
その瞬間、影郎さんがおもいっきり息を吹き出す気配がした。
﹁⋮⋮やっぱ、そっちからは見えてるじゃない﹂
気管に唾が入ったらしく、ゲホゲホむせ返ってる影郎さんが居る
あたりを半眼で睨みつける。
﹁え?! なにがあったんですか⋮⋮??﹂
見えていないアスミナの戸惑った声が聞こえるけど、まあ話すよ
うなことでもないので無言を通す。
﹁げほ⋮げほほ⋮⋮お、お嬢さん。いまは女の子なんですから、慎
みもってくださいよ。いきなりなんちゅう破廉恥な⋮⋮﹂
﹁実験だよ実験。君の言うことは信用できないんでね。実際、ウソ
だったし﹂
まあ、多少は牽制になったかな。
﹁まったく⋮⋮確かに、正直なとこ自分からはお二人とも半透明で
見えますけどね。細部はやっぱよく見えないんで、ホントに余計な
ことはせんでくださいよ﹂
﹁わかったわかった、さっさと行こう﹂
﹁そうですね、早くこの手も放したいですから﹂
839
ボクとアスミナに促されて、ため息をつきながら影郎さんは歩き
出した。
ちょっと歩いたところで、思い出したように、
﹁︱︱それにしても、あんなちっちゃい布でよくケツ入りますなぁ﹂
ステルス
と呟かれたので、当てずっぽうで拳を振ったら、﹁あたっ!?﹂
顎に当たった手応えがあり、フレンドリーファイアで﹃隠身﹄が解
けたけど、多少は溜飲が下がったので気にしないことにした。
840
第十五話 双華絢爛︵前書き︶
やっと、緋雪とオリアーナが巡り合います。
なんでこんなに話が進まないんでしょう⋮?
841
第十五話 双華絢爛
この離宮の客室に運び込まれて6日目。
だいぶ調子も戻ってきたので、ベッドの上で座禅を組んで、呼吸
法と体内の気を循環させることで自己治癒力を高める回復術を行っ
てみた。
︱︱毒の影響か、気脈の動きが鈍いな。
胸の傷の方もオリアーナ皇女付の治癒術師のお陰で見た目はうっ
こご
すら跡が残る程度で塞がっているが、やはり完治はしていないらし
く気に不自然な凝りがあった。
1時間ほど続けて、うっすら汗が出てきたところで、オリアーナ
皇女がいつもの侍女を連れてやってきた。
﹁あらっ。今日はずいぶんと顔色も良いようですこと﹂
﹁ええ、お陰さまで立って歩けるくらいは回復したと思います﹂
そう答えた後で、彼女の表情に複雑⋮⋮と言うか、オレに言いた
いことがあるのだが、言いあぐねる風な、珍しい躊躇いの色が伺え
た。
﹁⋮⋮どうかしました?﹂
先手を打って訊いてみると、一瞬目を伏せ、本当にかすかなため
息とともに躊躇いを振り切って、いつもの表情で顔を上げた。
﹁そうですね。あなたにとって良い話と、微妙な話と、非常に悪い
842
話があります。どれから聞きたいですか?﹂
悪い話は最後に聞きたいな。
﹁︱︱じゃあ微妙な話からお願いします﹂
取りあえずどうでもいい話から聞いてみることにした。
そう言うと、オリアーナ皇女はなぜか愉しげな笑みを浮かべた。
﹁これはゴシップ談のような話ですが、昨日の夕方近く、都大路に
ある大門で騒ぎがあったそうです。なんでも中年男性が無残な姿で
吊り下げられ、晒し者になっていたとか﹂
﹁猟奇殺人って奴ですか?﹂
それがなんでオレと関係あるんだろうな。
﹁殺されてはおりません。本人には目立った外傷はなく、白目を剥
いて気絶している状態だったそうですが⋮⋮なんというか、全裸に
されて男性の尊厳を踏み躙るような、それはそれはひどい有様だっ
たとか。︱︱詳細をお話したほうがよろしいですか?﹂
﹁⋮⋮いや、なんか聞かないほうが良い気がするので結構です。と
ころで、それがオレとなんの関係が?﹂
﹁直接は関係はありませんわ。ただ、その被害者のお腹の上に大き
く﹃ウォーレンさいしょう﹄と書かれていたとか、﹃さいしょう﹄
の部分から矢印が下腹部に向かっていたとか。問題の男性が救助さ
れた翌日︱︱つまり今朝から、ウォーレンが病気療養を理由に公務
からしばらく離れると、議会等に通知があったとか﹂
正解を知っているけどはぐらかす口調で、オリアーナが続けた。
﹁あの、まさか本人が⋮⋮?﹂
843
﹁さあ? 宰相側は事実無根を訴えていますが、噂によれば同じ日
に宰相が執務を取る離宮が何者かに襲撃されたそうで、宰相派も火
消しに大わらわのようですが、人の口には戸は立てられません。ま
して権力者の醜聞は事実かどうかは別にして、大衆の間に面白おか
しく尾鰭がついて伝播するものですわ﹂
にやりと不敵な笑いを浮かべるオリアーナ。
このお姫様、絶対この機会を逃さず宰相の権威を失墜させる流言
飛語を流したな。そう確信するレヴァンであった。
﹁お陰でこちらとしても時間と、思いがけずに宰相派を切り崩す大
鉈を振ることができますわ。切っ掛けを与えてくださったどなたか。
誰の仕業かはわかりませんが、いちおう礼を言うべきでしょうね﹂
その﹃どなたか﹄に礼を言うのになんで、オレの目を見て愉しげ
に笑うんだろう?
﹁はあ⋮⋮? で、あと良い話ってなんですか?﹂
﹁あなたの待ち人が現れたようですわ。なんでも、その事件現場の
近くで、あなたが着ている衣装と良く似た衣装をまとった獣人族の
少女と、人目を集めてやまない薔薇のドレスを着た大変な美貌の少
女が目撃されたとか﹂
それを聞いた途端、先の宰相の襲撃に関連する犯人が瞬時にわか
いもうと
り、オレは反射的にベッドの上で土下座していた。
﹁す、すいません! うちの義妹と陛下がとんでもないことを!﹂
﹁さあ。なんのことかしら。⋮⋮ともかく、その方々となんとか接
触を図ろうとしていますが、恥ずかしながら昨夜からぴたりと足取
844
りが追えない状態で、いまだ進展はありません﹂
若干悔しげに語るオリアーナの視線が、レヴァンの枕元の﹃ちび
ちび緋雪ちゃん﹄人形に向けられた。
﹁いや、大丈夫です。あの二人なら近いうちにここに来ると思いま
すから。⋮⋮ええ、絶対に﹂
オレは絶対の確信を持って断言した。あの二人なら世界最大国家
の宮殿だろうがなんだろうが、絶対関係なくやってくる。⋮⋮なん
かもう、そこまで来ている足音が聞こえる幻聴までする。
﹁︱︱?﹂
﹁それはそれとして、﹃非常に悪い話﹄ってのはなんですか?﹂
その言葉に、オリアーナの表情が目に見えて暗くなった。
﹁あくまで未確認情報ですが、クレス自由同盟国のウィリデ近郊に
設置されていた転移装置が、何者かの襲撃を受け破壊されたそうで
す﹂
﹁な︱︱っ!?﹂
﹁現在情報を収集中ですが、これが本当だとするとわたしどもの計
画は大きな修正を必要とするでしょう﹂
柳眉を寄せながらも、彼女は身を乗り出すようにして、オレの顔
を覗き込んだ。
﹁ですが、例え転移装置が破壊されたのが事実だとしても⋮⋮改め
て考え直せばおのずと事実は見えてきます。あなたへの襲撃と装置
インペリアル・クリムゾン
の破壊、一見して宰相の独断と思えるこれらですが、あまりにも手
際が良すぎます。そもそも次期獣王に深手を負わせ、真紅帝国の守
りを突破できるような駒が宰相の手元にあるのでしょうか? 聖王
845
国? たとえ彼の国の聖堂騎士であっても難しいでしょう。わたし
はここに外部からの干渉の意思を感じます。事は2国間の問題では
ないのではないでしょうか? その上で改めてわたしはクレスとの
相互防衛協定は必要と考えております﹂
それから転移装置が破壊されたというショックで呆然となったオ
レに向け、その白い右手を差し出した。
﹁レヴァン様、手を貸してください。これもまた人の上に立つもの
の使命。乗りかかった船です、後戻りはできません。共に手を携え
て、よりよい世界を築こうではありませんか﹂
その小さくて華奢な手に、思わず手を伸ばしかけたところで、不
意にベットの下にいたシンが、部屋の扉に一言咆えかけた。
にい
その瞬間、廊下側から両開きの扉が勢い良く開けられ、
﹁いた! やっぱり女を連れ込んでたわね、レヴァン義兄様!﹂
いもうと
やたら聞き覚えのある叫び声とともに、先ほど話題に出たばかり
の義妹が部屋に飛び込んできた。
﹁心配しましたっ。ご無事でなによりです!﹂
さり気なくオリアーナとの間に割り込んで、抱きついてくる。
﹁︱︱な、なんでお前がここにいるんだ?!﹂
冗談で想像してはみたものの、まさかいきなりこの場に現れると
は思わなかった当人の登場に、正直、度肝を抜かされた。
にい
﹁レヴァン義兄様が心配で飛んで来たに決まってます!﹂
﹁会話になってないぞ。をい﹂
846
その時、開け放しの扉を遠慮がちにノックして、こちらも見慣れ
た薔薇のお姫様が入ってきた。
﹁⋮⋮なんか勝手にお邪魔してすまないね。止める間もなく、気が
付いたら弾丸みたいに私たちを置いて、走り出してたもので﹂
続いて、
﹁一発で探し当てるなんて、どーいう嗅覚しとるんですか、あの娘
さん﹂
忘れたくても忘れられない、あの夜の暗殺者が当然のような顔で、
姫陛下の後に続いて入ってきた。
﹁!?!﹂
にい
信じられない取り合わせに、ベッドから飛び降りようとしたが、
﹁無理はだめですよ、義兄様﹂とアスミナに力づくで押さえつけら
れた。
普段であればこの程度、なんてことなく振りほどけるのだが、体
力が回復していない今では、その手を外すこともできなかった。
﹁ん? なんか本調子じゃないみたいだねぇ﹂
﹁ああ、自分の毒がまだ効いてるんと違いますか。それでもここま
で回復してるのは大したもんですけど﹂
﹁ああ、なるほどね﹂
暗殺者の男の言葉に納得した顔で、こちらに手を向けた姫陛下の
ディバインヒール
キュア・ポイズン
ホーリー・ブレス
手から様々な魔法の光が放たれた。
﹁﹃超治癒﹄、﹃毒回復﹄、﹃身体強化﹄﹂
847
たちまち体の芯に残っていた痺れも払拭され、体力も万全の状態
へと戻った。
ほっと息をついたオレは、アスミナに身振りで﹁大丈夫だ﹂と伝
えると、素早くベッドを降りて姫陛下の前に跪いた。
﹁陛下御自らの治療、まことに恐悦至極にございます。報告すべき
事柄は様々ございますが、まずはその前に、後ろの男がなぜこの場
にいるのかお聞きしてもよろしいでしょうか?﹂
ちらりと背後を振り返り、微妙な表情になる陛下。
﹁ああ、影郎さんは知り合いでね。今回、この宮殿へ忍び込むのに
あたり、自分から売り込んできたから雇ったんだよ﹂
﹁そういうことですわ坊ちゃん。あれも仕事、これも仕事ですので、
悪気はなかったんで、悪く思わんでや﹂
悪びれる様子もなく、ぬけぬけと言い放つ男に明確な殺意が沸く
が、なんとか押さえ込むことに成功した。
﹁ですが、その男は宰相の手先となって、オレの仲間を殺した仇。
ここで見逃すことなど⋮⋮﹂
オレの心からの叫びに、姫陛下は小さな顎の下に右手の拳を当て
て、﹁ふむ﹂と一声唸って、背後の男を振り返った。
﹁影郎さん﹂
﹁なんでっか?﹂
刹那、彼女の拳が電光のように男の鳩尾に叩き込まれた。
なんらかの技︱︱スキルといったか︱︱が使われたのだろう、大
848
きく痙攣した男の体が麻痺したように崩れ落ちた。
﹁ここまでくれば君は用済みだからね。油断しているうちに始末さ
せてもらうよ﹂
﹁⋮⋮お⋮嬢さん⋮⋮それ、悪人の台詞や⋮正義じゃないで⋮⋮﹂
意識が無くなる寸前の男の呻きに、姫陛下は軽く肩をすくめた。
﹁正義の味方だったことは一度も無いねぇ﹂
や
それから、再度オレのほうを向いた。
﹁で、どうする。殺る?﹂
床に転がる男を指されたが、さすがに意識のない無抵抗の相手を
殺すのには躊躇いがある。
﹁⋮⋮⋮﹂
悩んでいたところへ、横合いからオリアーナ皇女の声がかかった。
﹁お待ちください﹂
﹁ひ⋮姫様、危険です! お戻りくださいっ﹂
カーテシー
侍女が止めるのも無視して、つかつかとこちらに歩いてくると、
インペリアル・クリムゾン
優美な仕草で白いドレスのスカートをつまんで礼をした。
﹁真紅帝国のヒユキ陛下でいらっしゃいますね。わたしはグラウィ
オール帝国皇女オリアーナ・アイネアス・ミルン・グラウィオール
と申します。以後お見知りおきを﹂
若干、毒気を抜かれた表情で、姫陛下も同じく黒のスカートをつ
まんで優雅に返礼をした。
849
インペリアル・クリムゾン
﹁真紅帝国国主の緋雪です。本日は尋ね人を探して、勝手にお邪魔
させていただきました﹂
◆◇◆◇
薔薇の姫君と鈴蘭の姫君との歴史的な邂逅の瞬間である。
にい
﹁レヴァン義兄様、あの方とずいぶん親しげな距離に居ましたけど、
浮気してないですよねぇ⋮⋮?!﹂
﹁浮気も何も、お前とは乳兄妹なだけなんだが⋮⋮﹂
﹁なんですか、それが心配して来たあたしへの言葉ですか!?﹂
﹁感謝はしてる。だけど、時と場所を考えろ!﹂
ちなみにその背後でレヴァンとアスミナが痴話喧嘩を行い、オリ
アーナの足元には仔ライオンのシンがまとわりつき、緋雪は緋雪で
影郎が息を吹き返して逃げないよう、片脚で背中を踏ん付けた体勢
であった。
偶然に巡り合った麗しき花同士として、後世の歴史家が様々に脚
色して飾り立てた場面であるが︱︱実体はこんなもんであった。
850
第十五話 双華絢爛︵後書き︶
9/24 誤字訂正いたしました。
×切欠↓切っ掛け
851
第十六話 情報交換︵前書き︶
今回のお話はちょっと長いです。
その割にはぜんぜん話が進んでいませんが︵`−д−;︶ゞ
852
第十六話 情報交換
ペッカートル・トゥッリス
グラウィオール帝国の帝都アルゼンタム中央に位置する王宮。そ
の広大な敷地の外れに﹃罪人の塔﹄と呼ばれる修道院のような、重
厚な造りの尖塔があった。
皇族や貴人を収監するこの塔は、遥か神代の昔から存在すると言
われ、一見して石造りと見られる外壁は無双の強度を誇り、単体で
ドラゴンを狩る近衛筆頭騎士の剣技をもってしてもかすり傷を負わ
せるのがやっとで、それすらも一晩経てば修復され、またこの内部
ではあらゆる魔法が無効化されるという、ある意味これ自体が秘宝
ともいえる遺失文明の精華であった。
この日、現在のところこの塔の唯一の囚人である男︱︱元クレス
=ケンスルーナ連邦主席バルデムは、通常の見回りや食事でもない
この時間に、塔の扉が開かれ何人かが階段を昇ってくる足音を聞い
て、読んでいた本を机の上に置いた。
どこぞの貴族の私室といっても通用する、およそ監獄とは思えな
いこの最上階の部屋を見回し、いよいよ処刑の日が来たかと目を閉
じた。
だが、足音は塔の途中で止まり、ガチャガチャと鍵を開ける音が
して、続いて錆びた扉を開ける音と何か重いものを放り投げる音が
して、今度は逆の手順で扉が閉められ鍵がかけられ、やがて足音が
遠ざかっていった。
どうやら自分の他に誰かがこの塔に収監されたらしい。
それが何者なのか、多少の興味はあるが所詮はままならぬ身。知
853
ったところでどうしようもない。
︱︱誰かは知らんが気の毒にな。
ふん、と軽く鼻を鳴らして、彼は再び手を伸ばし、読んでいた本
の続きを探してページをめくりだした。ようやく中断していたペー
ジを探し当てた時には、新たな囚人のことは綺麗に頭から消えてい
た。
◆◇◆◇
どうにもやりづらい相手だなぁ、というのがこのグラウィオール
帝国の皇女様に対するボクの感想だった。
かげろう
﹃スタン・ブロウ﹄で気絶させた影郎さんの処遇について、レヴァ
ンと話しているところへいきなり口出ししてきて、
﹁聞けばこの者は宰相の手駒として、クレスの密使を襲撃した実行
犯であるとか。そうであれば我が国の国内法に基づきこちらで処分
を下すのが妥当と思えますが﹂
スキンシップ
たら
と、やたら論理的に法的根拠や正当性などを明示してきて、まず
は口八丁とさり気ない仕草でレヴァンを誑し込んで納得させてしま
った。
こういう自分の﹃女﹄を利用して男を手玉に取る手口は、女性な
あに
ら誰でも使うので、同性が見ればすぐにピンとくる。その分野の経
験の浅いボクでもわかったくらいなので、当然、義兄のことに関し
854
ては尖ったナイフよりも鋭いアスミナにはバレバレで、皇女を完全
レヴァン
に敵認定した目で見ていた。
まあ当の本人は上手に思考を誘導されたことも気付かずに、アス
ミナのいつものヤキモチだと思っているみたいだけど⋮⋮つくづく
ボクが言うのもなんだが、男って単純だねぇ。
一方ボクの方には引き渡した際の実益︱︱皇帝派が実権を握った
際の両国間の今後の関係改善と補償について︱︱を立て板に水で話
されたけど、まあ偉い人のその手の口約束は空手形と同義だからね
ぇ、正直どーでもいいんだけど。
ただし、現状ボクらが他国の宮殿へ不法侵入していることと、ア
スミナと二人で宰相をボコボコにした負い目があるので、そのあた
りを有耶無耶にできるんなら、こちらとしては渡すカードが影郎さ
んの身柄一つというのは助かる︱︱このお姫様の策が成功すれば御
の字で、ダメモトなんだから失うものはほとんどない。
ただし問題もある。これが普通の暗殺者ならともかく、相手は影
郎さん。
この通称﹃鈴蘭の皇女﹄様が考える、宰相がクレス同盟の密使を
暗殺したとか、転移装置を破壊した黒幕だと自白させるのは難しい
⋮⋮いや、あること無いことペラペラ喋るのが目に見えている。だ
から渡しても無意味だと思うんだけど、後からクーリング・オフと
か言われても責任負えないなぁ。
そう言ったところ、
﹁それならそれで構いません。自白したという証言さえあればどう
にでもできます﹂
と、やたら自信満々に胸を張られた。
855
う∼∼ん、まあ、ボクとしても若干、影郎さんを持て余していた
エターナル・ホ
のは確かだけど︱︱じゃあ短絡的に殺してしまえ⋮⋮というのも、
ライゾン・オンラインギルメン
せっかく掴んだ敵の尻尾を逃す形になるので惜しいし、正直﹃E・
H・O﹄で仲間だった情もある︱︱だけどねぇ、どだいプレーヤー
を長時間拘束しておくはできないだろう。彼の身柄を彼女に預ける
のは、せっかく捕まえた虎を野に放つようなものじゃないのかな。
ペッカートル・トゥッリス
そう思ったところを忌憚なく話したんだけど、これに対してもあ
っさりと反論された。
﹁ご安心ください。この宮殿には神代の昔から存在する﹃罪人の塔﹄
プレーヤー
というものがございます。この塔の内部に収監された者は、いかな
る魔術師︱︱いえ、例え魔物や魔王⋮⋮そして、超越者であろうと、
力を失うと謂われており、およそ脱出は不可能かと﹂
プレーヤー
﹃超越者﹄という言葉に、一段と力を込め言われた。
﹁へえ、プレーヤーを知っているの?﹂
撒き餌とはわかっているけど、聞き逃せない単語だけに、確認せ
ずにはいられないところだった。
﹁皇族に伝わる伝承程度は。⋮⋮いかがでしょう、お互いに情報交
換と参りませんか?﹂
にっこりと虫も殺せないような微笑みの裏のしたたかさに内心舌
を巻きながら、ボクも取りあえず表面上はニコニコと微笑み返した。
﹁そうですね。それが有意義な情報であれば⋮ですね﹂
暗に﹃ブラフやハッタリなら考慮しないよ﹄という意味合いを込
めた笑みに、
﹁ええ、失望はさせないつもりです﹂
856
同種の笑みが返ってきた。
表面上は穏やかに微笑み合いながら、お互いに腹の探りあいをす
る︱︱そんなボクらの様子を見て、レヴァンはトップ同士単純に話
が通じたと思って安堵のため息をつき、アスミナは﹃面倒臭いこと
してるわね﹄という顔でため息をついた。
⋮⋮まあ、そんなわけで。影郎さんの身柄は、手枷足枷付で一時
的に彼女の預かりとすることになったのだった。
◆◇◆◇
そんなわけで、場所を移して彼女の私室へ。
とは言っても面子は先ほど同様、あちらはオリアーナ皇女とその
侍女で名前はリィーナの二人だけ。こちらはボクとレヴァン、アス
ミナ、あとペットのシンの三人+一匹だけだったけど。
﹁︱︱私室ですので少々手狭で乱雑ですが、ご容赦くださいませ﹂
そう言って案内されたのは、20畳くらいのロココ調の部屋で、
壁と天井は白塗りでそこに金色の植物文様装飾が施され、中央には
コモード
コンソール
白を基調とした応接セットが、壁には流麗なタッチの油絵が飾られ、
壁際には横長整理箪笥や壁取付用装飾机が設置されていた。
﹁良いお部屋ですね﹂
お世辞ではなく本心からそう口に出ていた。
ウチもこれくらい狭くて飾り気のない部屋なら落ち着くのにねぇ。
857
﹁ありがとうございます﹂
嬉しそうに笑う皇女に勧められるまま、中央のソファー︱︱形式
的にボクが一番上座で、次にオリアーナ皇女が上座に近いところに
座り、次にレヴァン、アスミナという順番になる︱︱に座ったとこ
ろへ、リィーナが全員にお茶を注いだ。
﹁さて、まず最初に確認したいことがあるのですが、よろしいでし
ょうか薔薇の姫陛下?﹂
﹁その前に私からもよろしいですか、鈴蘭の皇女様﹂
まずはなにげなくお互いの呼称を確認してみた。しかし﹃薔薇の
姫陛下﹄ねぇ⋮⋮今後、浸透しないといいんだけど。この恥ずかし
げな愛称が。
﹁なんでしょうか?﹂
﹁皇女様は次期皇位第一位とはいえ、公式には政治的発言権はない
はずですが、実際のところどの程度、国政に対して影響力があるの
でしょうか?﹂
さっきから国を代表するような発言が目立つけど、彼女にはそれ
ほどの権限はない筈なんだよね。
確かに普通に話していてもその頭の回転と腹黒⋮もとい、計算高
さには目を見張るものがあるけれど、実権なき象徴と話をしても始
まらない。
ボクの問いかけに、﹁もっともなご懸念ですわね﹂とオリアーナ
皇女は苦笑した。
それからふと、壁に飾ってある油絵に視線を移した。
858
﹁姫陛下はこの絵をどう思われますか?﹂
彼女の愛称の元になった鈴蘭を手前に、高原と山々の景色を描い
た柔らかなタッチの風景画だった。
正直、ボクは絵の良し悪しはわからないけど︱︱ぶっちゃけ生前
は、写真やデジタル技術が発達した世の中で、絵画は前世紀の遺物
くらいに思ってたし︱︱描き手の細やかな心情がわかる良い絵だと
思った。
﹁よい絵ですね。鈴蘭⋮⋮皇女様に対する細やかな心配りが感じら
れる絵だと思います﹂
そう言うと、皇女は嬉しそうに微笑んだ。
﹁ありがとうございます。わたしもお気に入りの一枚なのです﹂
それから一言、秘密を打ち明けるように付け加えた。﹁父の作品
なのです﹂
これには驚いて全員その絵に視線が集中した。
﹁⋮⋮これはまた。玄人はだしですね。てっきり高名な宮廷画家の
作品かと思いました﹂
ボクの感想に、レヴァンもアスミナもうんうん頷く。
﹁ええ、娘の贔屓目かもしれませんが父にはこの方面の才能がある
と思います。後世の歴史書には﹃美術家皇帝﹄とでも記されるかも
知れませんね﹂
愉しげにクスクス笑う彼女だけど、このまま彼女がつつがなく即
859
位したら、どー考えても﹃女帝オリアーナの父﹄くらいにしか記載
されないだろうなぁと思った。
それから、笑いを口元に留めたまま、歌うように続けた。
﹁父は元来、繊細かつ温和なご気性で、少々夢見がちなところもあ
りますが、そうした点をひっくるめて、娘として個人的には好意を
抱いております﹂
それから一転して、難しい顔になった。
﹁ですが皇帝として、また男性として見た場合まったく尊敬すべき
ところはございません。現在もほぼ離宮に篭って好きな絵画、美術
の類いに没頭するばかりで、国政を預かる者としての自覚などなく
⋮⋮いえ、敢えて放棄しているのでしょう、目と耳を塞ぎ黙ってい
れば嵐が過ぎ去るものと、なんの根拠もなく思い込んでいる、どう
しようもない愚物。それが今上帝のウソ偽りない姿です﹂
思わず顔を見合わせるボクたち。
どこまで本当かわからないけど、これが本当のことだとしたらこ
の国先行き危ないんじゃないの?
まだしもあの宰相に実権握らせていたほうがマシな気がしてきた
よ。
早まったかな⋮⋮。
﹁そのようなわけで3年前に摂政が亡くなり、つつがなく今上帝が
即位された後、去就を決めかねていた家臣のみならず、正統な皇家
に対して支持していた者の中にも翻意されてしまった方々が多くい
らっしゃいます﹂
なるほど、あの宰相もその一人というわけか。
860
まつりごと
﹁当事はわたしは10歳、頑是無き子供で政についてもなにもわか
りませんでしたが、13歳と成人を迎えたことから、現在は国務の
ほとんどをわたしが代行しております。無論、わたしは世間知らず
の箱入り娘ですので、至らぬ点は多々ございますが、幸い譜代の廷
臣にはわたしを支持する方々も多く、実質的に皇帝派をまとめる立
場にあると自負しております﹂
なるほどねぇ。まあ﹃世間知らずの箱入り娘﹄の部分はツッコミ
どころがあったけど、現状、皇帝は開店休業状態で、この皇女様が
実質的な大黒柱になっているわけだね。⋮⋮まあわかるかな。この
娘なら皇帝なんかよりよっぽど優秀だろうからねぇ。
﹁わかりました。では、貴女をグラウィオール帝国皇室の全権代理
人として、以後認識することにいたします﹂
﹁ありがとうございます。陛下のご信頼には必ずお応えいたします﹂
皇女の水色の瞳が力強くボクの目を真っ直ぐ見つめた。
取りあえずこれでようやく交渉開始といったところかな。
﹁さて、それではさきほどの質問の続きなのですが。最重要課題と
して、ひとつ︱︱ウィリデにある転移魔法装置が破壊されたという
のは本当なのでしょうか?﹂
﹁本当だよ﹂
あっさりと頷いたボクの言葉に、レヴァンが息を呑む。
﹁⋮⋮まあ、壊されたのは偽物だけど﹂
続く言葉に、息を詰めていたオリアーナ皇女が、ほっと息を吸っ
て吐いた。
861
﹁やはりそうでしたか﹂
﹁︱︱え?! どういうことですか、偽物っていつから?﹂
唖然とするレヴァンに向き直った。
﹁最初からかな。あの装置はウチで急遽造ったハリボテみたいなも
のでね。だから最初に﹃あの装置は煮ようが焼こうが、好きに使っ
てかまわない﹄って言っておいたじゃない。﹃転移魔法装置﹄とは
一言も言ってないよ﹂
﹁したたかですわね。ですが、お味方を騙されるのはいささかやり
すぎでは?﹂
﹁それくらいでないと敵さんも騙されないからねぇ。⋮⋮まあ、確
かに悪趣味ではあったかな。すまなかったねレヴァン﹂
素直にレヴァンに頭を下げると、慌てた様子で両手を振った。
﹁お、オレなんかに頭を下げないでくださいよ! 陛下の深慮遠謀
であればそれに従うのが役目なんですから﹂
てんがい
﹃ふん。小童が多少は自分の分を知ったか﹄
従魔合身中の天涯が胸の奥で冷笑を漏らした。
そんなボクたちの様子を好意的な目で見ていた皇女が、小首を傾
げた。
﹁わざわざこれ見よがしに転移装置のハリボテを造って置いた意図
など、教えていただけますか﹂
﹁一番はどこから情報が漏れるかの確認かな。さっきの影郎さんが、
帝国方面に向かっていた足跡はたどれていたからね、こちらに情報
862
を流せば黒幕がどう反応するのか見たくて﹂
﹁その黒幕というのは宰相のウォーレンですか?﹂
﹁違う。あれは良いように緩衝材に使われただけだろうね。ミスリ
ードで帝国が関与したように見せかけるために。そうなると、怪し
いのは⋮⋮﹂
﹁︱︱イーオン聖王国、ですね﹂
ボクは無言で頷いた。
インペリアル・クリムゾン
﹁確かに彼の国は魔国である真紅帝国を目の敵としているでしょう。
ですが、上層部がそれに関わっているかと謂われれば、少々疑問を
挟まずにはいられません﹂
考え深げなオリアーナ皇女の言葉に、ボクは首を捻った。
﹁なんで?﹂
正直、あの国はほとんど鎖国体制をとっているので、他国に出回
る情報が極端に少ない。なので判断材料がないんだよね。ここでど
んな小さな手がかりでもあれば欲しいところだね。
﹁わたしは成人の儀を行うにあたり、一度彼の国の大教皇とお会い
することがありましたが﹂
ここで彼女にしては珍しく、明確に顔をしかめた。
﹁15歳の男子という年齢であればもう少し分別もあろうかと思わ
れますが、あれほど阿呆︱︱いえ、傍若無人で残念な頭の方が、陰
謀や暗殺など立案・計画に直接関わることはありえないと断言でき
ます﹂
863
よほどその大教皇との会談が不愉快だったのか、滔々と愚痴をこ
ぼし始めた。
なんでも会った時の第一声が、
﹁類い稀な美姫と聞いていたのに、なんだ⋮大したことはないな!﹂
だったそうで。そりゃ、どんな女性でも怒るよ。
その後も聞きたくもないのに、理想の女性像を延々と語られたそ
うで︵てか、それホントに聖職者の最高位なの?!︶。
豊かな髪はあふれこぼれ光を放つ黒髪で。
瞳は宝石のような紫か紅色。
肌は一片の穢れもない新雪の白。
唇はミルクに浮かんだ薔薇の花びら。
手足は早春の若木のようにほっそりしなやか。
涼やかな声は、風にそよぐ銀鈴のよう。
そんなお伽噺みたいな女がいるか! と一喝したくなるのを堪え
るのに苦労したそうだ。
﹁大変だったねぇ﹂
しみじみ同情したんだけど、ふと気が付くと、なぜか室内の全員
の視線がこちらに向いていた。
﹁⋮⋮なんかあたし、その条件にピッタリ合う方を知ってる気がす
るんですけど﹂
﹁⋮⋮奇遇だな。オレもその理想がドレス着て歩いてるのを見てる
気がする﹂
﹁⋮⋮お伽噺にしかいないと思ってましたのに。本当に、世の中っ
て広いのですね﹂
864
・・・・・・。
なぜか背中に嫌な汗が流れてきた。
﹁あの、姫陛下。万一、聖王国の大教皇とお会いすることがあれば、
充分に気をつけられた方がよろしいかと﹂
本気で心配しているらしいオリアーナ皇女だけど⋮⋮。
﹁⋮⋮ま、まさかそんなことないでしょう。私は魔物の国の国主で
すよ。聖教の大教皇が秋波かけるわけが﹂
﹁アレはとんでもないウツケですから﹂
盛大に眉をしかめて皇女は首を横に振った。
いかるが
いずも
うわーっ⋮⋮なんか係わり合いにならない方が良い気がしてきた
よ、聖王国。
いっそ、天涯、斑鳩、出雲の円卓最強TOP3で国土ごと吹き飛
ばしちゃおうかな︱︱とか、真剣に思案する。
﹁まあ、仮定の話をしてもしかたありませんので、現在のお話をい
たしましょう﹂
妙な雰囲気になった室内の空気を払拭させるためか、オリアーナ
皇女が話を変え、ついでにお茶のおかわりを指示した。
﹁転移魔法装置が無事だったのは朗報ですわ。実はレヴァン様には
先にお話してありましたが、今後の相互貿易協定について、こちら
から提案したいことがございます﹂
そう前置きをして、彼女は新しく淹れ直されたお茶で口を湿らせ、
その腹案と現在のグラウィオール帝国の現状を話し始めたのだった。
865
◆◇◆◇
ペッカートル・トゥッリス
﹃罪人の塔﹄中階にある、こちらはいかにも牢獄と言う風な殺風景
な部屋の中で、手足を拘束されていた男がゆっくりと目を開いた。
﹁⋮⋮あたたっ。お嬢さんも手加減せんなぁ、まったく﹂
それから周囲の様子と自分の状態を確認してため息をついた。
﹁まあ、どうにか目的は果たせたけど、この状態はなんとかせんと
なぁ。︱︱﹃フィンガー・クロウ﹄﹂
スキルを唱えて枷を外そうとするも、本来であれば五指の先に現
れるはずの魔力の爪が現れない。
﹁やっぱ無理か。﹃魔法無効化施設﹄まだ残っているとはなぁ。だ
けど、まあ、ゲームと違って抜け道はあるってとこで。︱︱出て来
いや、鉄鼠﹂
男の呼びかけに応えて、その胸から鋼鉄色をしたハリネズミのよ
うなモンスターが現れた。
﹁こいつのHPは15しかないからなぁ。お嬢さんも自分のHPの
端数までは覚えておらんかったろうし、気付かんようやったな﹂
呟きつつ、そのモンスター︱︱従魔﹃鉄鼠﹄の前に鉄で出来た手
枷、足枷を差し出す。
866
﹁ほれ、食え。大好物やろ﹂
言われて躊躇なく、枷に噛り付く鉄鼠。
コリコリコリコリと、栗鼠が木を削るような小さな音が、狭い牢
獄に響いた。
867
第十六話 情報交換︵後書き︶
王族の私室については資料をあたってみると、けっこう狭いみたい
ですね。
寝室のほうがよほど大きいみたいな︵まあ国や時代によって違いま
すけど︶、なので緋雪の感覚が異常だったりしますw
868
第十七話 神出鬼没
扉を特殊な鍵で開け、内部に入ると広々とした塔内は吹き抜けに
イレイズ
なっていて、壁に沿って螺旋階段が続いているだけだった。
ペッカートル・トゥッリス
なんでもこの塔﹃罪人の塔﹄は外側も内側も強力な消魔術の魔術
効果が恒常的に付加されているそうで、たとえプレーヤーでも内部
ではスキルを使えず脱出は不可能。
また外壁に関しても、
ジル
﹁たとえ近衛騎士総長や隊長クラスが数十人がかりでもかすり傷程
度しかつけられませんし、時間が来れば自動修復いたします﹂
と、オリアーナ皇女が誇らしげに言い切る強度とのこと。
インベントリ
なので、なんとなく壁を指差して訊いてみた。
﹁試してみても?﹂
﹁ええ、ご存分にどうぞ﹂
・ド・レエ
許可を貰ったので、もう一遍外に出て、収納スペースから﹃薔薇
の罪人﹄を取り出して、外壁に向け構えた。
そのまま一気にトップスピードに乗って、スキルを放つ。
全てのMPを消費して敵に大ダメージを与える、ボクの持つ最大
の攻撃力を持つ技︱︱剣聖技﹃絶唱鳴翼刃﹄。
﹁はあああああ︱︱︱︱︱︱っ!!﹂
869
勢いと共に眩いオーラを放つ剣先があっさりと分厚い塔の壁を貫
通し、さらにそこから内部に震動波を放出︱︱生物ならこれで全身
の体液や細胞を破壊され瞬時に絶命するところだけど、無機物の壁
ということで︱︱そこを中心に放射状にひび割れが走り、ボロボロ
に粉砕された壁をそのまま突破して、瓦礫と粉塵を振り払い、吹き
抜けになった塔の内部を一気に走破して、反対側の壁に内側からク
レーターを作ったところでボクの突進は止まった。
イレイズ
﹁へえ、外よりも内側のほうが消魔術の効果が高いみたいだね﹂
ズン!と衝撃が塔全体に響いたけど、パラパラと埃がこぼれてく
るくらいで完全破壊までには至らない。あれだね、話を聞いたとき
ピースゾーン
からもしやと思ってたけど、この手応えで確信したよ。この材質強
度にはすごく覚えがある。うちの城と同じ元破壊不能建築物だね。
これらはゲーム中では本来は破壊不能だったんだけど、現在はボ
クでもがんばれば壊せるレベルまで劣化してる︵まあ自動修復でほ
っとけばすぐに直るけど︶。ちなみに円卓メンバークラスなら宴会
の余興とかでも勢い余って壊したりするので、ウチの城は気が付く
とちょくちょく大穴が開いてたりする︵まあ城全体の面積がアホみ
たいに大きいので目立つほどではないけど︶。
つまり、彼女が自信満々で言うほど安全じゃないってこと。
そんなわけで、唖然とする一同に向けて、感想を述べてみた。
﹁でも外からの攻撃には弱いね。戦闘職のカンスト級プレーヤーな
ら鍵なんて意味ないと思うよ。やっぱ、そっちの用事が終わったら、
影郎さんの身柄に関しては、こちらで処断したほうがよさそうだね
ぇ﹂
870
はっと我に返った皇女は、複雑な顔で大穴の開いた壁面を眺め、
不承不承頷いた。
◆◇◆◇
さて、あの後、オリアーナ皇女が語る転移魔法装置を使用した相
互貿易協定と、有事の際の相互防衛協定について話を聞かされたん
だけど、
﹁いや、そもそもそれ貿易とは別個の話だよね?﹂
ドサクサ紛れに一緒くたにされてるけど、これって全然別の話だ
よねぇ。
そう指摘したところ、にっこり微笑えまれた。タヌキだね。
﹁ですが、その方が安全保障上も有意義なのでは?﹂
﹁交易そのものに対する安全保障じゃないよねぇ。先にそっちを協
議しないと﹂
その後、なんだかんだと狐と狸の化かし合いで話し合った結果、
それぞれ別個協議としてまずは相互貿易協定を結び、その結果をも
って相互防衛協定を結ぶ︱︱将来的にその予定であることは明文化
する︱︱ということで妥協した。
﹁まあ、こういうのは私が口出しすべきことじゃないと思うんだけ
どねぇ。当事者同士の問題であって﹂
871
にい
ちらりとレヴァンを見ると、決まり悪げに頭を下げてアスミナに、
﹁しっかりしてください、義兄様!﹂と怒られていた。
インペリアル・クリムゾン
﹁あくまで仮定の話ですが、わたしどもとクレスが相互防衛協定を
締結した場合、真紅帝国本国⋮⋮いえ、姫陛下の判断がすべてにお
いて優先されるのですよね? では、陛下はいかように判断された
のでしょうか?﹂
試すようなオリアーナの問いかけだけど、答えは決まりきってい
る。
﹁んー⋮⋮まあ、ご勝手にってところかな﹂
﹁つまり肯定されるということですか?﹂
﹁自己責任だね。こちらから口出ししない代わりに、手も貸さない
ってところ﹂
﹁ずいぶんと薄情ですこと﹂
これ見よがしに嘆息するオリアーナだけど、まあ対外的なポーズ
で彼女も同じ決断を下したろうね。
﹁いつまでもおんぶにだっこでは困るからね。自分の足で歩いても
らわないと﹂
軽く肩をすくめた。
その向こうではレヴァンがアスミナに頭を叩かれていた。
872
◆◇◆◇
その後、オリアーナ皇女が知る喪失世紀の記録︱︱というか神話
かげろう
を聞かせてもらい、なかなか興味深い時間を過ごした後、例の塔に
一時監禁している影郎さんの様子を見に行くことになった。
さすがにこちらは衛兵が護衛しないとまずいということで、侍女
のリィーナが呼びに行った。
どーでもいいけど、ボクらのこと衛兵になんて説明するんだろう
ね。
で、しばらくお茶の飲みながら雑談しているところへ、リィーナ
が二人の衛兵を連れて戻ってきた。
﹁遅かったですわね、リィーナ?﹂
説明に手間取ったのか、お茶を飲み終える頃に戻ってきたリィー
ナにオリアーナが声をかけると、無言のまま申し訳なさそうに頭を
下げた。
そんな感じで、衛兵が先頭に立って、その後をオリアーナたちが
ペッカートル・トゥッリス
歩き、その後を2∼3歩遅れる形で、ボクたちは王宮の外れにある
﹃罪人の塔﹄へと連れて来られ、冒頭のやり取りへと戻ったのだけ
ど。
取りあえず塔の強度については理解したので、次に機能について
確認してみることにした。
873
インベントリ
インベントリ
とりあえず塔の内部で、収納スペースからネックレスを取り出そ
うとしてみたけど︱︱失敗。
ふむふむ個人の亜空間スペースである収納スペースは使用できな
い、と。
続いて、腰のリボン型ポシェットから、さっき回収した﹃ちびち
みこと
び緋雪ちゃんVer.3﹄︵ちなみに長らく行方不明になっていた
Ver.0とVer.1も最近、命都の捜索で発見されたそうだけ
ど、なぜか発見場所は黙秘され、人形も廃棄処分された︶人形を取
インベントリ
り出してみる︱︱成功。
なるほどなるほど、収納スペースは魔法扱いで、魔導具は使用可
ということか。
けっこう抜け道があるねぇ。
これは下手したら、影郎さんすでに逃げてるんじゃないだろうか?
彼なら胃の中に収納バックくらい仕込むビックリ人間だからねぇ。
ボクのやることを興味深そうに見ていた、オリアーナに向き直っ
て、視線を螺旋階段の上に向けた。
﹁急ぎましょう。プレーヤー相手には正直この施設では不安です。
収監した影郎さんが現在もこの場にいるか、かなり危ういと思いま
す﹂
﹁わかりました﹂
硬い顔で頷いた彼女は、衛兵たちを急かせて螺旋階段を昇り始め
た。
全員で息せき切って駆け上がっていった先、塔の中ほどにあるい
かにもな牢屋の鍵を開けたそこにあったのは、何かに食いちぎられ
たような鋼鉄製の手枷足枷の残骸だけだった。
874
﹁︱︱っ!!﹂
半ば予想していたこととは言え、ここまで鮮やかに逃げられると
ある意味感心するね。
﹁そんな、どうやって!?﹂
﹁方法はわからないけど逃げたのは確か! でも、それほど時間は
経っていないはずだから、急いで追いかければ⋮⋮いや、ここまで
登る途中で会わなかったのも変。この階段の上ってなにがあるの?﹂
﹁貴人など身分のあるものの特別隔離施設になっています。現在は
︱︱っ! バルデム・インドレニウス・ザレヴスキが最上階にいま
すっ﹂
その名を聞いて、レヴァンとアスミナの顔色が変わった。
﹁﹁バルデム主席!?﹂﹂
﹁︱︱誰それ?﹂
どっかで聞いたことのある名前に首を捻ると、皇女が補足してく
れた。
﹁元クレス=ケンスルーナ連邦の最高権力者で、ユース大公国の大
公でもある人物です。先ごろのケンスルーナの敗戦の際に捕らえら
れ、帝都に搬送され蟄居⋮⋮というか、宰相が各方面と身代金交渉
をする間、押し付けられた形ですが﹂
﹁あんな男に払う金なんてビタ一文あるわけないですよ﹂
875
ぶ然とレヴァンが一刀両断した。
﹁ええ、実質的な連邦の後継国家であるクレス自由同盟国にはけん
もほろろに断られたため、元の領土であるユース大公国と交渉中の
ようですが、金銭的に折り合いがつかないようで⋮⋮﹂
まあ今回の戦争で帝国に占領された土地の荒廃はそうとうひどい
らしいからね。元の王様の身柄引渡しのお金も、ない袖は振れない
ってところか。
それに実質的に敵だったレヴァンにしてみれば、払ういわれはな
いどころか、なんで帝国でとっとと始末しないんだってところなん
だろうね。
﹁うだうだ考えても仕方がないので、取りあえず最上階まで行って
みましょう﹂
全員、頷いて再度螺旋階段を駆け上って行った。
876
第十七話 神出鬼没︵後書き︶
﹃絶唱鳴翼刃﹄︵兄丸さんとの戦いでは不発だったので、ふと思い
出してどんな技か公開してみました︶は現在天涯と従魔合身中であ
ったからこそ、あそこまでのパワーがありましたが、緋雪単体なら
壁に穴を開ける程度ですね。
まあ、それでも扉の鍵を壊すくらいは可能と言うところです。
11/11 誤字修正しまいた。
×方をすくめる↓○肩をすくめる
ご指摘ありがとうございました。
877
幕間 小鬼憧憬︵前書き︶
かなりどうでもいい話です。
878
幕間 小鬼憧憬
ゴブリン
我輩は小鬼である。名前はまだない。
いちじく
﹁じゃあ君の名前は﹃九﹄にしよう﹂
あ、いま決まったみたいです。
そんなわけで今日から俺の名はイチジクになりました。
ダンジョン
俺に名前をつけてくださった方は、一見してこの遺跡にやってく
るニンゲン︱︱冒険者とかいったかな?︱︱に良く似た外見の雌の
ようでしたが、まとう気配や魔力が連中とは明らかに別物でした。
俺なんか息をするより簡単に滅ぼせる、とんでもない存在なのが
本能的にわかりました。
それに⋮もう、見るからに外見から違うんですよね。いや、さっ
きの話と矛盾するみたいですけど、こんな美しい生き物がニンゲン
なわけないです。
もう、見ているだけで息が詰まるというか⋮⋮。
たか
そんな俺の気持ちの昂ぶり︱︱具体的には股間のあたりを見て、
そのお方は不可解な顔で首を捻られました。
﹁なんで生まれてすぐに発情してるわけ?﹂
ゴブリン
﹁はあ、ついつい貴女様に興奮してしまいまして﹂
自分、小鬼なもんで、魅力的な雌を見るとついつい発情します。
老若男女関係ありません。
879
そう正直に答えたところ、その方はより複雑な表情でため息をつ
ゴブリン
かれました。
﹁⋮⋮小鬼の赤ん坊にまでモテモテかい﹂
なんかよくわかりませんが、思い切って初の交尾をお願いしたら、
その場で張り倒されました。
よく死ななかったもんだと思いましたけど、なんか即死してその
場で生き返らせてもらったそうです。
﹁︱︱知能が高いレア個体で赤ん坊だから、今回は助けるけど、2
度目はないよ﹂
念を押されたんですが、なにがいけなかったんでしょうか?
ダンジョン
ちなみに、後から聞いたらこの方は、この遺跡の主様のさらに主
様だそうです。
偉いなんてもんじゃないそうです。
◆◇◆◇
ゴブリン
﹁つまり、小鬼如きでは交尾をしてもらえないということだな﹂
一週間後、いい感じに成長した俺が考え抜いた結論を口に出した。
﹁ドウシタ、イチジク?﹂
ゴブリン
あの日、名付けをしてもらった︱︱同じ場所で生まれた時に、あ
の方が偶然通りがかったとかで︱︱小鬼の中で、今日まで生き残っ
た︵他はより強い魔物に喰われたり、ニンゲンに殺されたりしまし
880
にのまえ
た︶﹃一﹄が怪訝な顔で振り返った。
ゴブリン
こいつは頭の程度は他の小鬼と変わりませんが、俺より体格が2
回り大きく生後1週間だというのに、成人︵と言っても1ヶ月もあ
れば成人しますが︶とほぼ変わらない上に、腕力は成人以上にある
ので利用価値が高く、最近は一緒にツルんで狩りをすることが常で
す。
﹁いや、交尾したい雌がいるんだが、俺なんかよりずっと強くて偉
い魔物なんで、どうしたら交尾できるかと思ってな﹂
﹁強クナレバイイ。ソノ雌ヨリ強クナレバイイ﹂
ニノマエの言うことは単純明快ですが、それだけに真実でもあり
ます。
ダンジョン
確かにあの方より強くなれば交尾し放題です。だけど、問題は俺
がこの遺跡内でも下から数えた方が早い弱さだということです。
ゴブリン
たお
ただし小鬼の古老︵なんと6年も生きている知恵者です︶から聞
いた話では、魔物は他の魔物を喰ったり、より強い魔物を斃すと、
より上位の魔物へ進化できるとか。
要するに上を目指すなら強い相手を斃さないとならなくて、強い
相手を斃すには強くないと無理です。なんかこの時点で無理っぽい
ような気がしますが、なんかしらやりようはあるはずです。
◆◇◆◇
881
三週間後、久しぶりに会ったあの方は俺を見て驚かれました。
﹁びっくりっ。もうホブ・ゴブリンに進化してるじゃない。どうや
ったの?﹂
ほとんど背丈が変わらなくなったあの方に、俺の考えた戦い方を
説明しました。
ダンジョン
は
まずは絶対に相手が一匹の時しか襲わないこと。
遺跡の地形や罠を利用して、相手を嵌めること。
尖った石とかを投げて、近づく前に相手に攻撃を当てること。
これを実践したことで、たまに反撃で痛い目を見ることもありま
したけど、ニノマエともども気が付いたらホブ・ゴブリンになって、
短い角も二本生えてました。
﹁へえ∼っ。たいしたもんだね。脳筋の冒険者よりも賢いんじゃな
いかな﹂
たか
褒められました。認めてもらえたのです。
ダンジョン
気持ちの昂ぶった俺は、前以上の熱意を込めて交尾をお願いし︱
︱気が付いたら、仰向けに引っくり返って遺跡の天井を見ていまし
た。
﹁⋮⋮まったく。賢くてもやっぱゴブリンはゴブリンなんだねぇ。
なんでこう下半身に直結するのかなぁ﹂
ぼやきながあの方が掌を俺の方へ向けていました。
﹁進化したご祝儀で生き返らせたけど、3回目はないよ?﹂
882
前にも同じことを言われた気がしますけど、それを言って怒らせ
ると本気でマズイ気がしたので、俺は黙って頷きました。
◆◇◆◇
さらに1ヵ月後、俺はゴブリン・チーフに進化し角が3本に増え
体も一回り大きくなり、ニノマエはゴブリン・ウォーリアに進化し
角が太く大きくなり、体もニンゲンの雄並みに大きく逞しくなりま
した。
コボルト
そんな俺たちの後ろには、俺の軍団︱︱通常のゴブリンが12匹
と、犬精鬼が20匹ほどついて歩いています。
あの後、俺は考えたんですがやっぱり2匹だけだとこれ以上の進
化は限界があるということです。
事実、2回目にあの方に張り倒された日から半月ほど、ニノマエ
と同じように狩りをしてましたが、いまひとつ体に漲る力が少なく
なってきたように思えました。
狩場で狩れる獲物の質が、今の俺たちには物足りなくなってきた
のだろう。
そう件の古老に言われて、俺たちはいまの狩場から下にある、も
ほ
ほ
っと強い魔物がいるという狩場に移動しましたが、一つ下に行った
てい
だけで魔物の強さがガラリと変わり、ニノマエと二匹で這う這うの
体で戻りました。
883
これはまずい。未知の土地なのでこれまでのように地形や罠を利
用することもできません。そうなると正面から戦わないとダメです
が、これがかなりキツイ状況です。
﹁どうしたらいいと思う、ニノマエ?﹂
﹁知ラン。考エルノハ、イチジクダ。俺ハ戦ウダケダ﹂
で、考えた結論が、二匹でダメなら数を揃えりゃいいんじゃない
か。
コボルト
と言うことで、取りあえず寝起きしていた群れを支配下に置いて、
俺たちよりひ弱で使いやすい犬精鬼を捕まえて、配下として使うこ
とにしました。
こいつらを使って下の階に下りて、まずは単独行動をしている魔
コボルト
物を見つける。
犬精鬼が餌になって俺たちが隠れている方へ連れて来る︵何匹か
途中で喰われたけど︶。
やってきたところで、集団で襲い掛かって斃す。
こんなことを半月ばかり続けていたところ、いつの間にか進化し
ていました。
◆◇◆◇
﹁⋮⋮逢うたびに進化してるのは、君らくらいだねぇ﹂
あの方が目を瞠ってそう言われました。
884
俺の後ろでは部下たちが、あの方の﹁料理スキルで作った出来合
いだけどね﹂と言って配われた﹃サンドウィッチ﹄とかいう、いま
まで喰ったことのない餌を喰って、感激の踊りを踊っていました。
﹁餌付けして大丈夫かなぁ⋮⋮? 野生失わないかな﹂
なにか悩みでもあるのか、しきりに首を捻るあの方。
俺は胸の奥がモヤモヤして、思わず聞いていました。
﹁⋮⋮なにか心配なことでも?﹂
﹁ああ、いや、心配と言うか。︱︱ん∼、そうだね。君の成長速度
だと、近いうちにこのお試し階の適正値を越えそうだから、どうし
ようかと思ってね﹂
﹁はあ﹂なんかよくわかりませんが、どうやら俺が原因で困ってる
みたいです。﹁俺が悪いんでしょうか?﹂
﹁いやいや。君は悪くないどころか、凄いよ。こんなイレギュラー
な個体はそうそういないだろうね﹂
これもよくわかりませんが、なんか褒められたっぽいです。
﹁すごいんですか?﹂
﹁凄いねぇ﹂
掛け値なしの感嘆の声で言われて、俺は嬉しくなりました。なの
で今度こそはと交尾を︱︱。
・
・
﹁⋮⋮いい加減、このパターンは飽きてきたんだけどねぇ﹂
885
不本意な表情で、あの方がいつものように掌を向けていました。
﹁ホントのホントに次はないからね!﹂
ハイ
いつものようにそう言われるのも、慣れてきた今日この頃です。
◆◇◆◇
イチジクです。
あれから2ヶ月経ちました。順調に進化を繰り返し、現在は上級
ゴブリンになり背丈もほぼニンゲン並となり、顔つきもスッキリし
オーク
てきました。ちなみにニノマエはゴブリン・ジェネラルとなり、背
丈は俺より頭半分大きい位ですが、筋肉で横に膨らみ豚面鬼あたり
と互角に殴り合いができるほどになりました。
ダンジョン
まあ最近は俺もニノマエも素手ではなく、冒険者が落としていっ
た剣とか斧を使ってますけど。
あと、素っ裸ではなくこれも遺跡内で白骨化していたニンゲンが
着ていたズボンとか、革の鎧とかを着ています。
配下も増えてゴブリンだけで30匹くらい。コボルトはしょっち
ゅう増えたり減ったりしているので正確な数はわかりませんけど5
0匹くらいいると思います。
で、頭数が増えると食料の調達も大変になりますが、下の階層の
方に喰うと旨くて、食べ応えもある芋虫がいる場所がありましたの
で、ここを拠点に活動して、たまに迷い込んでくる冒険者を狩った
886
りしていたのですが、どうやら俺たちの集団がニンゲンの目には煩
わしく思われたみたいで、現在、20∼30匹のニンゲンの集団に
奇襲を受けています。
﹁ギギ、イチジク。アッチが手薄ダ。アッチヘ行コウ!﹂
錆びた斧で向かってきたニンゲンの冒険者へ一撃を与えたニノマ
エが、指差す方向は確かに他よりも守りが薄いようです。
だけど俺にはピンときました。
俺もコボルトどもを使ってよくやった手︱︱わざと誘い込んで一
網打尽にするやり口です。
﹁そっちは罠だ。反対側だ! 反対側に全員で突撃するぞ!﹂
俺の掛け声を合図に全員が、一見して一番ニンゲンどもが多く見
られる方向へと、雄叫びをあげて突き進んでいきました。
ですが案の定、その途端ニンゲンどもに動揺が走ります。良く見
れば、こっちにいるニンゲンは数こそ多いですが、いかにも弱そう
な若い雄ばかりです。見せ掛けの数で威嚇して、罠に嵌めようとし
ていたのでしょう。
そう見切った俺は、中でも一番弱くて頭の悪そうな雄に斬りかか
りました。
﹁うわっ︱︱と! なんだこいつ、他のゴブリンと毛色が違うぞ!
?﹂
ですが、なんということか。ギリギリでその馬鹿そうな雄が俺の
剣を、自分の剣で受け止めました。
﹁いかん、ジョーイ! そいつは群れの大将格だ、お前じゃ歯が立
887
たん﹂
﹁やってみなきゃ、わかんねーだろ!!﹂
そのニンゲンと鍔迫り合いになり、俺が力任せに押し切ろうとす
るのに対して、
﹁ていっ﹂
よくわからん動きで剣を逸らされて、逆に相手の剣が俺の胴を薙
ぎにきました。
﹁ちっ﹂
咄嗟に後ろに下がって、それをギリギリ躱して周囲の状況を見る
と、完全にこの場は混戦模様で膠着状態になり、ニノマエも俺の傍
に他のニンゲンを近寄らせないよう斧を振るうのに懸命で、こちら
に手を貸す余裕はなさそうです。
ならば、さっさとこの相手を斃して先に進むのみ。
﹁こんなところで死ぬわけにはいかん。あの方のためにも!﹂
俺は自分に喝を入れました。
﹁な、なんだお前、喋れるのか?!﹂
驚いた顔をする雄に向かって剣を振り下ろすと、ガン!と火花が
散って、またも俺の剣が止められました。どうやら見かけは馬鹿そ
うでも腕の方はそこそこありそうです。
﹁無論だ。すべてはあの方の為、あの方と交尾をするために俺は高
みを目指す!﹂
﹁喋る相手と戦うのかぁ⋮⋮やりづれーな。︱︱てか、交尾って、
あの方って雌か?﹂
﹁それがどうした!﹂
888
お互いにガンガンと剣を打ち合いながら、相手の隙を伺いつつ、
なぜか言葉を交わす形になりました。
﹁いや、別にどーでもいいんだけど、ゴブリンにも惚れたとかいう
感情があるんだなぁと思ってさ﹂
﹁⋮⋮惚れたとはなんだ?﹂
﹁え、いや、その⋮⋮なにげなく相手のことを考えるとか、傍に居
てほしいな、とか笑って欲しいな、とか思うこと⋮じゃね?﹂
最後がなぜか俺の方に質問されましたが、そういわれてみれば心
当たりがある気がします。
﹁うむ。そうだな、あの方が沈んだ顔をされると、俺がなんとかし
てやりたくなる。あの方に釣り合う雄になりたいと思っている﹂
﹁お、そうか! そうだよな、やっぱそうだよな、わかるぞ!﹂
﹁そうか。お前にも交尾したい雌がいるのだな﹂
﹁こ⋮交尾って、お前それはいきなりはマズイだろう!﹂
﹁そういうものか?﹂
﹁そーだよ。最初は友達からで、だんだんと親しくなって、き⋮キ
スしたり、抱き合ったり、んで最終的にだな⋮⋮﹂
﹁ふむ。そういうものか。それでいつも交尾したい言うと殴られる
のか﹂
﹁そりゃ殴るぞ。⋮⋮俺だってまだキスの段階まで行ってないし﹂
﹁なるほど、参考になった︱︱うおおおっ!﹂
いつの間に背後から迫ってきていた連中の本隊だろう集団から、
一斉に矢が撃ち込まれてきました。
﹁うわっ、俺がいるのもお構いなしかよ!?﹂
889
気が付くとこちらの被害も甚大でしたが、逆にこれでどうにかこ
ちらのニンゲンどもは一掃できたようです。
ちらりと見ると、さっきまで俺とやり合っていた雄も、仲間の攻
撃に巻き込まれるのを恐れて、距離を置こうとしていました。
﹁よし、長居は無用だ。さっさと逃げるぞ!﹂
俺の叫びにニノマエ以下、生き残りが一斉にニンゲンどもと正反
対に逃げ出しました。
続いて俺も走り出そうとしたところで、その雄に一声かけました。
単なる気紛れです。
﹁おいっ。お前もがんばって意中の雌と交尾できるようになれよ!﹂
﹁ははん! まあ、お前もがんばれよ。心の中で応援くらいはする
ぜっ﹂
お互いににやりと笑って別れました。
◆◇◆◇
まあ、あの雄とはもう逢うことはないでしょうが、とりあえず生
き延びた俺たちは傷ついた体を癒し、再起を図ることになったので
す。
ちなみに、そのすぐ後、あの方がお見えになりましたが、
﹁うわ∼っ、また進化してるよ。いい加減お試しスポットだとキツ
890
イね。そろそろ上級コースに回さないとだめかなぁ﹂
とか言いながら、全員の傷を瞬く間に治してくださいました。
なのでとりあえず、俺はあの雄の助言に従い、キスをお願いした
のですが、なぜかまたも気が付くと天井を見ていました。
なにが間違いだったのでしょう⋮⋮?
891
幕間 小鬼憧憬︵後書き︶
時列的には、アーラのダンジョンを修復した後、様子を見に来たと
ころからはじまり、ジョーイが18階で撤退するまでの数ヶ月の間
のお話になります。
892
第十八話 釜中之魚
・レエ
ジル・ド
オリアーナ皇女は衛兵に任せて、ボクは全力で抜き身の﹃薔薇の
罪人﹄を握ったまま螺旋階段を駆け上った。
さすがに付いてこられる者はいないくて︱︱レヴァンが一番がん
ばってるけどまだこちらの半分も来ていない︱︱数秒で最上階まで
登ったところで、突き当りの重厚な造りの扉が開きっ放しになって
いるのを見て、そのまま姿勢を低くして、転がるように部屋の中へ
と飛び込んだ。
そこでボクが目にしたのは︱︱
﹁きゃーっ! お嬢さんのエッチ!!﹂
かげろう
パンツ一丁で因業そうな中年男の背後に抱き付いている影郎さん
の、あられもない姿だった。
﹁︱︱なにを⋮⋮やってるの! 貴方は!?﹂
ジル・ド・レエ
反射的に﹃薔薇の罪人﹄で斬りかかったけど、ひょいと部屋の奥
の方へ下がって躱された。
その拍子に、ばたん、と崩れ落ちた中年男︱︱これが話題のナン
トカ主席だろう︱︱の顔色は土色で、どう見ても息をしていなかっ
た。
だけどまだ死んで間がないようなら蘇生も可能な筈。
893
﹁ああ、もう殺してから30分経ってますから、蘇生は不可能です
わ。だいたいこの塔の中ではスキルは使えませんし﹂
ちらりと死体に視線を走らせただけど、それだけでこちらの意図
に気が付いたのだろう、﹁どーぞどーぞ、お好きなように﹂と促さ
れた。
シャクだけど影郎さんを置いて、この死体を抱えて塔の外までで
て確認するわけにもいかないので、蘇生は断念して影郎さんに集中
した。
﹁これはどういうことかな? 最初からこのつもりで私をハメたっ
て解釈でいいのかな? まさか、このおっさんと痴情のもつれで反
射的に殺しましたってオチじゃないだろうしね﹂
そう言うと影郎さんは困ったように頭を掻いた。
﹁⋮⋮お嬢さん、先に考えとった言い訳言われると、ネタに詰まる
んですけど﹂
﹁依頼主は誰!? いまさらこのバッテン主席を殺して得する人間
なんているの?!﹂
まともに話す気がないのはわかっているので、とにかく相手にペ
ースに嵌らないように一方的に話しかける。
﹁お嬢さん、バッテンやなくてバルデムですわ⋮⋮バしか当たっと
らんですよ﹂
﹁どーせ死んだ人間なんだから、名前なんてどーでもいいでしょ!﹂
﹁⋮⋮なにげにお嬢さんも鬼畜ですなぁ﹂
暗殺者のペテン師にはだけは言われたくないわ!
894
﹁まあ、取りあえずヒントとしては、確かに得をする人間は居ない
かもしれませんが、獄死だか客死だかしたことになれば、損をしな
い人間がいるってとこですなぁ﹂
﹁⋮⋮それは、現在身代金交渉を行っているユース大公国のことで
すか?﹂
ふと気が付くと、レヴァンや衛兵に守られる形で、入り口のとこ
ろに息を切らしたオリアーナやアスミナ、侍女のリィーナまでが立
っていた。
︱︱あちゃあ、なんで付いて来ちゃうかな。余計な足手まといに
なるのに!
やむなく影郎さんと入り口との軸線上に重なる位置に体を移動さ
せた。
そんなボクの意図には当然気がついているのだろう。﹃ごくろう
さんですなぁ﹄という顔で影郎さんが苦笑した。
﹁まあその辺は守秘義務がありますんで、明かすわけにはいきませ
んなぁ﹂
皇女のほうを向いて、肩をすくめる影郎さん。
﹁宰相の指示で行ったレヴァンたちの襲撃が上手く行かなかったの
で、途中で契約を打ち切られて、それでバイトしてるってのも当然
ウソだったわけだね?﹂
確認を込めてのボクの質問に、影郎さんは心外そうな顔で、パタ
パタを顔の前で手を振った。
同時に、はっとした顔でオリアーナ皇女が胸のブローチに手をや
895
った。
﹁いやいや、自分がお嬢さんにウソをつくわけないですわ。クレス
同盟の特使一行を襲ったのはいいんですけど、その坊ちゃんを逃が
した責任でウォーレンのおっさんから途中解雇されたのは本当でっ
せ⋮⋮そんなわけで、いまさら義理はないんで話しますけど。お陰
で大損ですわ。んで、他のバイト探してたら今回の仕事を頼まれま
してチャンスを窺ってたんですわ﹂
﹁それで宮殿への隠し通路とか知ってたわけね。︱︱だけどそれな
ら別に一人でも襲撃できたんじゃないの?﹂
ステルス
口を挟んできたアスミナの問いかけに、渋い顔をする。
イレイズ
﹁それなんですが、最初は見回りや食事の時に﹃隠身﹄で同行する
とが
予定が、この塔の消魔術の効果が結構半端ないもんで、5メートル
も近づくとうっすら透けて見えるので断念しました﹂
﹁⋮⋮だったら鍵を持ってる衛兵を殺して奪えば?﹂
たしな
どうにも腑に落ちない、という顔のアスミナを若干咎めるような
声で窘める影郎さん。
﹁貴女、人の命をなんだと思ってるんです? かけがえのないもの
なんですよ。それを簡単に殺すとか言わないでください﹂
﹁︱︱お前がそれを言うか!!﹂
レヴァンの叫びに大真面目に頷く。
﹁ええ言います。言わせていただきます。それは確かに自分は商売
で人を殺します。尊い命を踏みにじります。ですが快楽や憎しみ、
突発的な怒りなどで軽はずみに命を奪ったことも、名誉だ誇りだと
896
美辞麗句を並べ立てて殺したこともありません。自分に道徳を語る
資格はないのはわかりますけどな、主目的の為の手段として人を殺
すなんぞ、本末転倒ですわ﹂
う⋮⋮ウソくさ︱︱︱︱︱︱っ!!!
全員がそう思ったけど、言ってることはしごくまともで顔つきも
真剣なので、ツッコミを入れづらい雰囲気になった。
こーいう人なんだよねぇ。言ってることはウソかホントかわから
ないけど、妙なポリシーがあって憎みきれないというか⋮⋮。
﹁⋮⋮まあ、だいたいの流れはわかったかな。それで迂遠だけど私
たちと行動をともにして、わざわざ収監されるようにした、と﹂
﹁そういうことですな。ケツの穴まで調べてからパンツ一丁で、放
り込まれるとは思いませんでしたけど﹂
それでよく脱獄できたねぇ。
ジル・ド・レエ
﹁なるほどねぇ。じゃあそろそろ覚悟してもらおうかな﹂
ボクは﹃薔薇の罪人﹄を一振りした。
﹁それとも改心して黒幕のこと全部話してくれるかな?﹂
まあ無理だろうね︱︱と思った通り、影郎さんは首を横に振った。
﹁前にも言いましたけど、今度の旦那さんのことは喋れません。堪
忍してください、お嬢さん﹂
﹁そうかい。じゃあ敵同士ということで、遠慮はしないよ﹂
897
﹁へい。こんなんなっても気にかけて下さって、本当に涙が出るほ
どありがたいですわ﹂
暗に﹃いまから情を捨てて殺し合いをするよ﹄といった、ボクの
たお
言葉の真意を正確に汲み取って、影郎さんは軽く頭を下げた。
それからお互いに真剣な表情で向き合う。
影郎さんの背後は壁で、脱出しようとするならボクを斃すか出し
抜くかして、この牢獄唯一の出入り口に向かうしかない。
ちらりと背後を見たけど、さすがにオリアーナ皇女とリィーナは
下がらせて、その前に衛兵が立ち、出入り口のところにはレヴァン
が守る形で構えをとっていた。その2歩後ろにアスミナがいる。
この態勢ならば背後を気にせず影郎さんの相手をできる。スキル
は使えないけど、それはお互い様。正面からのぶつかり合いなら、
ほぼ互角のはず。
と、先手を取ったのはやはり影郎さんだった。
一瞬、背後に注意を向けた瞬間、ジャンプした影郎さんを空中で
迎え撃とうとしたところで、その足のつま先が部屋にあった重厚な
テーブルの上のテーブルクロスを抓んで、足首の動きだけで投擲し
てきた。
ばっと広がり目の前を塞ぐ白い布地を、斜めに断ち切った︱︱そ
こには、すでに影郎さんの姿がなく、代わりに手裏剣のように直進
してくる数本のペンがあった。
反射的に躱したところで、
﹁︱︱足元です!﹂
898
レヴァンの注意が飛び、はっと見ると蜘蛛のように這った姿勢で
ジル・ド・レエ
駆け抜けて行こうとする影郎さんがいた。
﹁このっ﹂
空中で一回転する勢いで﹃薔薇の罪人﹄を袈裟懸けに切り落とし
た。
それを倒立する形で躱した影郎さん。さらに腕の力だけで一気に
その場から出入り口まで飛び跳ねる。
﹁ちぃ!﹂
体勢を崩したボクが一瞬出遅れる間に、レヴァンがそれを迎え撃
とうと、ふわりと空中に舞い上がった。
てっそ
その蹴りが影郎さんに当たる直前、
﹁鉄鼠っ!﹂
その胸から光の粒子が飛び出し、鋼鉄色をしたハリネズミのよう
なモンスターになった。
ペット
︱︱影郎さんの従魔!?
しまった、こんな手が! そう思ってボクとレヴァンが唇を噛み
締め、影郎さんが勝利を確信したその刹那、
﹁ハリちゃん、お願い!﹂
ペット
てっそ
アスミナの叫びに応えて、飛び出したオコジョのような霊獣ハリ
が、影郎さんの従魔、鉄鼠を空中で捕らえ、即座に喉笛を噛み切っ
た。
﹁んなアホな!?﹂
唖然とする影郎さんの脇腹にレヴァンの蹴りが決まり、床に叩き
付けられて転がった。
899
軽く呻きながら起き上がった瞬間、﹃ズブッ﹄という鈍い音とと
ジル・ド・レエ
もに影郎さんの胸元から剣の切っ先が生えた。
言うまでもなく背後から貫いたボクの﹃薔薇の罪人﹄の刀身であ
る。
﹁やれやれ⋮⋮﹂
仕方ないなぁという顔で背後を振り返ろうとした影郎さんの心臓
部に、真正面からレヴァンの全力の肘がめり込み、肋骨を粉砕して
止めを刺した。
全身血塗れで倒れ伏した影郎さんの凄惨な様子に、離れて見てい
た侍女のリィーナが蒼白な顔で口元を押さえて螺旋階段を早足で降
りていった。
まあ、普通の神経ならそうなるだろうね。
顔色が悪いながらも震えもしないで、その場に留まっているオリ
アーナ皇女の豪胆さが特別なんだろう。
ボクはため息をついて影郎さんの死体を確認してみた。
HPは0になっている。状態も﹃死亡﹄と表示されている。完全
に死んでるね。
﹁⋮⋮終わったのですか?﹂
衛兵に守られながら、恐る恐る部屋の様子を窺うオリアーナに頷
いて見せた。
﹁そうだね。⋮⋮結局、さっきの自供だけで、宰相がクレスの密使
を襲わせたって証言がとれなくなったけど﹂
﹁それならばご安心ください。このブローチは記録装置になってま
900
すので、先ほどの証言は記録されているはずです。これがあれば充
分です﹂
自信有りげに胸元のブローチに手をやる皇女。
そういえば魔導具なら塔内でも使えるんだったね。なるほど、抜
け目がないねぇ。
﹁それとバルデムについては獄中で病死したことにいたしますので、
皆様もご内密にお願いできますか?﹂
気ぜわしそうにその場にいた全員の顔を見て念を押すオリアーナ。
まさか王宮内に隔離していた他国の人質が暗殺されました、とは
口が裂けても言えないだろうからね。当然の配慮だろう。
その上、宰相派から預けられたお荷物とはいえ、それを死亡させ
ました、ということで汚点を作ったわけだから彼女としては二重の
苦難ってところだろうね。
当然、全員が頷いた。
﹁それとこの暗殺者の方の遺体ですが、先ほどの証言と併せて証拠
物件︱︱首から上だけになりますが︱︱として扱いたいのですが、
こちらについては無理強いはできませんので、姫陛下の判断に委ね
ます﹂
まあ妥当な判断だね。画像と音声記録だけじゃ弱いからねぇ。処
断した首も揃ってワンセットだろう。
﹁構わないよ。死んでもそれで何か役に立つなら使えばいいさ。ま
あ、できれば体の方は野ざらしではなく、どこかにお墓でも作って
くれればありがたいかな﹂
901
ボクの提案に、オリアーナ皇女はしっかりと頷いて約束してくれ
た。
﹁わかりました。さすがに公にはできませんが、遺体を葬った後に
ご連絡いたします﹂
﹁ああ、頼むよ﹂
まあ、お墓に花ぐらいは供えてあげたいからねぇ。
⋮⋮そういえば、ボクが死んだ後ってどっかに葬られたのかなぁ。
ま、事故直後は現場に花一つくらいはあげられたと信じたいとこ
ろだけどさ⋮いや、今更どーでもいいか。
﹁︱︱後の始末はこちらで行います。皆様は一度離宮の方へお戻り
願えますか?﹂
﹁そうだね。こんな血生臭い場所には長居したくはないだろうしね﹂
頷いて、皇女の後に続いてボクも部屋を後にした。
レヴァンも自分の手で仲間の仇を討ったことで満足したのか、瞳
を閉じ大きくため息をついてアスミナともども歩き出した。
部屋を出る直前、影郎さんの遺体になにか声をかけようか迷った
けど、なにも思い浮かばなかったので無言でその場を後にした。
◆◇◆◇
902
全員が塔の外へと出てから程なく、影郎が最初に入っていた牢の
扉がゆっくりと開き、そこから侍女姿の一人の女性が出てきた。
着ているものは先ほどまでいたリィーナと同じものだが、中身は
まるで別人︱︱というか人間ですらない、長い耳、金緑の髪をした
エルフの娘である。
そのエルフは周囲の様子を再度窺い、完全に人気がないのを確認
して足早に螺旋階段を上って行った。
最上階の特別隔離室の中の様子を確認して、嘲笑混じりの冷笑を
浮かべながら影郎の死体を汚らわしそうに、爪先で蹴って仰向けに
して、精緻な彫刻のある瓶をどこからともなく取り出し、陥没した
心臓部分にその中身を無造作に振りかけた。
途端、映像の逆戻しのように影郎の体が修復され、
﹁︱︱ふう⋮⋮﹂
蘇生した影郎が大きく深呼吸をして、むくりと上半身を起こした。
﹁さすがは高額な課金アイテムの蘇生薬ね。たいした効き目ね﹂
中身が無くなると同時に本体の瓶も消え、空になった両手を広げ
て肩をすくめるエルフの娘。
﹁アチャの姐さんですか。どーもお手数をかけまして、すんません﹂
﹁まったくだわね。あんたがトロトロしてるから、途中で﹃物まね
カード﹄の効果がきれそうになって、誤魔化すのにたいへんだった
わ﹂
﹁そうなんですか。ところで、その衣装からしてアチャの姐さんが
903
化けてたのは、あの皇女様の侍女だと思うんですけど、どこで入れ
替わったんですか?﹂
﹁ああ、途中で衛兵を呼びに行くのに一人になったから、その時に
さくっとね﹂
や
それを聞いて、影郎の表情がかすかに暗くなった。
﹁⋮⋮殺ったんですか?﹂
﹁まあね。死体の方は骨も残さず従魔に食べさせたから、しばらく
は誤魔化せると思うわ。なんなら今日のことがショックで退職した
って形にしてもいいし。そういうのってあんた得意でしょう? ⋮
⋮ん。なによ、さっきの演説まさか本気だったわけじゃないわよね。
暗殺者さんが﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。現場確認に衛兵が来る前に急いで逃げましょ。例のも
のは場所もわかりましたし、鍵も手に入れました﹂
﹁上々ね。それじゃあ、あと緋雪ちゃんに気付かれないように工作
しておかないと﹂
スカートの下から取り出した収納バックから、影郎の着替えと、
影郎に良く似た男の死体らしきものを取り出すアチャと呼ばれたエ
ルフ。
﹁そんなモンまで用意してたんですか?﹂
いつもの格好に着替えながら、どことなく不機嫌な表情で尋ねる
影郎。
﹁勿論よ。やるからには徹底しないと﹂
904
そう言いながら、﹁こんなものだったかしらね﹂と平然とした顔
で死体に刺し傷やら打撃痕やらを作るエルフ娘。
一通り満足した状況になったところで、 ﹁それじゃあ、さっさと戻りましょ、次の仕事があるんだから﹂
バックを背負って影郎を促した。
﹁⋮⋮へい﹂
さっさと部屋を後にする彼女に続いて、出入り口に足をかけた影
郎は、先ほどの緋雪と良く似た表情で部屋の中を振り返り、ため息
をついて走り出した。
905
第十八話 釜中之魚︵後書き︶
2014 1/3 誤字の修正をしました。
×まあその辺は守秘義務がありますんで↓○まあその辺は守秘義務
がありますんで
906
第十九話 喪失神話
エターナル・ホライゾン
﹁﹃永遠なる地平﹄⋮⋮だって?﹂
オリアーナ皇女が交換条件として口にしたグラウィオール帝国の
皇族直系にのみに伝わる伝承の内容、その冒頭に語られた神話の舞
台になる世界の名前に、緋雪は柳眉をしかめた。
オリアーナが頷く。
﹁はい。遥かな昔、我々の祖先にあたる人々は﹃永遠なる地平﹄と
呼ばれる楽土に住んでいたと言われております﹂
﹁昔って具体的には何年くらいなの?﹂
﹁わかりません。そもそも喪失世紀というものは﹃世界が滅び。過
去・現在・未来が入り混じった﹄と言われ、そもそも時間の概念が
存在しなかった時代なそうなので、﹃いつ﹄と規定することができ
ないそうです﹂
﹁⋮⋮なんのこっちゃ﹂
﹁わたしにもさっぱりです。まあ、あくまで神話ですから、整合性
がないのもいたしかたないかと⋮⋮取りあえず聖教が起源を主張す
る千年前より昔なのは確かでしょうが﹂
実証的には完全に匙を投げた感じで、オリアーナはあくまで伝承
として語りだした。
907
遥かな昔、我々の祖先は﹃永遠なる地平﹄と呼ばれる豊穣なる世
界に住んでおりました。
その世界は四季を通じて温暖であり、花々は常に咲き乱れ、天災
も老いも病気もない⋮⋮まさに天上界であったといいます。
また、現在の世界と同様に魔物も存在していましたが、彼らも己
の領分を越えることなく、人々の住まう都市や村などを襲うことは
なかったそうです。
プレーヤー
そしてなにより違っていたのは、空想上の存在ではなく実在する
者として、神人や魔王など超越者と呼ばれる者達が居たことです。
彼らは人間とは完全に別の存在であり、外見こそ人間に酷似して
いましたが、人間が人間という枠から逃れられないのに対して、ま
るで魔物のように時間の経過と共に別の存在へと変化し、また年若
い者でも腕の一振りで魔物を斃し、また実質的に不滅の存在であり、
例え死亡しても即座に生き返ったとも言われています。
プレーヤー
そんな超越者達の中でも、特に頂点を極めた者達は各地に己の領
土を持ち、絶大な力と名声とを轟かせていました。
例えば移動する巨大な魔導の城に住む奔放なる獣神アニマル
例えば鋼鉄の城塞の主にして正義の龍騎士王ディーヴータ。
例えば海を支配する寡黙なる魔王モーンガイ
そして浮遊する巨大な宮殿の主にして夜と闇の美姫ヒユキ。
オリアーナは優等生が答え合わせをするような目で、緋雪の目を
真正面から見た。
908
﹁︱︱ここまでに間違いはございませんか?﹂
﹁さあ? そこらへんは所詮は三次情報だからねぇ。二次情報もあ
まり意味がないと思うよ。⋮⋮まあ個人的にはかなり脚色されてる
気もするけどね﹂
苦笑いする緋雪の言葉を曖昧な肯定ととらえて、オリアーナはう
っすら微笑んだ。
﹁⋮⋮なるほど、そして一次情報はいままさに目の前ということで
すね﹂
﹁失望させたかな?﹂
﹁とんでもございません。いまだかつてない興奮と感動を覚えてお
ります﹂
プレーヤー
さて、この超越者ですが、同じ﹃永遠なる地平﹄に生きるとはい
え、人間とは完全に隔絶した存在であり、そもそも人が足元の蟻に
注意を払わないのと同じようにほとんど会話にもならない⋮⋮そも
そも目に入っているのかすら不明で、いまでいうゴーレムのように
不気味で無機質であったと言われております。
プレーヤー
プ
その﹃永遠なる地平﹄にある日、唐突な破滅が襲い掛かりました。
レーヤー
世界は闇に沈み、超越者たちも何処かへ消えた⋮⋮いえ、最初に超
越者が姿を消し、しかるべき後世界に滅びが襲い掛かったそうです
から、因果関係としてはどちらが原因で結果であるかは不明ですね。
プレーヤー
残された力なき人々は従容と滅びを受け入れるばかりでしたが、
そこで最後まで残られた超越者が、不意に血肉を持った存在として
大地へ降臨され、残された大地にあったすべてのものを一箇所に集
909
め、新たな世界へと移り住み﹃神﹄となりました。
これが現在の大地であると伝えられております。
がっしょうれんこう
その後、生きとし生けるものたちはこの大地に広がり、人々はご
他聞に漏れず群雄割拠し、合従連衡を繰り返しておりましたが、1
000年前に聖王国が。400年ほど前に帝国が最大勢力として君
臨するようになり、現在に至っております。
ちなみに聖教では、この救い主を﹃蒼き神﹄と呼称して、唯一神
として信奉しているそうです。
◆◇◆◇
あれから2週間あまり。
レヴァン経由で受け取ったオリアーナ皇女の親書に目を通しなが
エターナル・ホライゾン・
ら、彼女が語ってくれた喪失世紀について、ふと思い出して頭の中
で整理してみた。
﹁⋮⋮まあ、ある程度符号は合うかな﹂
オンライン リソース
皇女が語った神話を信じるならば、やはりこの世界は﹃E・H・
O﹄の情報を元に生み出された世界ということになる。
あと、いままで出会ったプレーヤーの存在も謎だよね。伝承では
1人を除いて全員消えたことになってるし、まあ自分に都合の良い
ように話を変えたり伝播の過程で変質するのは当然かも知れないけ
ど。
910
てんがい
﹁そういや、天涯。君が覚えている昔のプレイヤー⋮⋮まあ私も含
めて、そんなゴーレムみたいに無口だったの?﹂
傍らに立っていたタキシード姿の天涯に訊いてみた。
プレーヤー
﹁あの与太話でございますか? そのようなことは一切ございませ
んでした。超越者の方々も常に陽気に会話されておりましたし、姫
もご同様で。⋮⋮まあ、我々も地に生きる者どもの動向などいちい
ち注意しませんでしたから、人間どもの目から見ればそう見えたか
も知れませんが、所詮は瑣事にございます。姫がお気になされるこ
とはございません﹂
ペット
ふむ。このあたりの認識の違いがちょっと気になるけど、従魔と
NPCの視点の違いもあるかも知れないね。
リソース
﹁⋮⋮或いは、その﹃蒼き神﹄と私では同じ情報を使っても、構成
が違うか﹂
そっちの方がありそうだねぇ。
そもそも時間経過もボクらの認識では100年で、こっちでは1
000年と開きがあるし。
﹁そうなるとこちらの方が外来種ってことになるのかな? 問題は
その神様になったプレーヤーが誰なのかだけど、今の段階では﹃男
性キャラ﹄ってことしかわかってないし﹂
みこと
﹁姫様のお言葉に疑問を挟むなど恐れ多いことながら、男性という
のはなぜおわかりに?﹂
同じく脇に立っていた命都が、怪訝そうに小首を傾げた。
かげろう
﹁影郎さんが教えてくれた﹂
911
﹁影郎様がですか⋮⋮?﹂
﹁そう、彼が何回も言ってたんだ黒幕を﹃今度の旦那さん﹄って。
つまり男性ってことだね﹂
﹁⋮⋮信用できますか?﹂
命都の当然の疑問にボクとしても苦笑いするしかなかった。
﹁あの人はウソツキだけど、こういう引っ掛けで﹃さあ言葉の裏を
読め﹄という悪戯をしかけるのが好きだったからね。割と信用でき
るんじゃないかと思うよ﹂
すべ
﹁なるほど。⋮⋮とはいえ、もうその真意を確認する術もございま
せんね﹂
命都にとっても、影郎さんはある意味思い出深い相手なのだろう。
実のところ彼はウチのギルド創設時からのメンバーなので︵サブ
マスとかは本人が嫌がってやらなかった︶、天涯よりも遥かに付き
合いが長かったりする。なのでボク同様その死には思うところがあ
るのだろう。
﹁まああの後、影郎さんの首と記録は動かぬ証拠として宰相派に突
きつけられ、かなり皇帝派⋮⋮というか、鈴蘭の皇女様が盛り返し
ているみたいだしね。なんだかんだで収まるところに収まった感じ
かな。ま、様子見がてら、そのうちお墓参りにでも行って見るつも
りだから、命都も付いてくればいいよ﹂
ちなみに案の定と言うかボクの﹃薔薇の姫陛下﹄という中二臭い
通り名は、グラウィオール帝国方面で定着しているらしい。
912
⋮⋮正直ほとぼりが冷めるまで、しばらく行きたくないところだ
ねぇ。
﹁はい。お供させていただきます﹂
楚々とした仕草で頷く命都。
﹁うん。︱︱まあ、行くとしても転移魔法装置を使った相互貿易協
定締結後だろうね。あっちはあっちで利権争いで大変みたいだし﹂
いざ転移魔法装置の存在を公表して皇帝派と交渉を始めたところ、
宰相派がいけしゃあしゃあと便乗してきたらしい。
で、結局は皇帝の代理人としてオリアーナ皇女が。実務的な補佐
としてウォーレン宰相が同行し、旧ケンスルーナ国の首都ファーブ
ラーで領土交渉と併せて、現在、協議を行ったいるらしい。
まあこのあたりはレヴァンに任せているので詳しくはわからない
けどね。
それにしてもあの宰相よく復帰したねぇ。さすが偉い人になると
面の皮の厚さが常人とは違うらしい。
まあ明らかにカツラだったとオリアーナ皇女の親書には書いてあ
るので、あの皇女様の性格を考えるといい様にこき下ろしたんだろ
うけどね。
あと、あの日同行した侍女のリィーナが一言の連絡もなく仕事を
辞め、実家から詫び状が着たと添えられていた。
あの日の光景がよほど衝撃的だったのでしょう申し訳ないことを
しました。と彼女にしては珍しく後悔ともいえることを力なく書か
れていたので、オリアーナもそうとう心細い想いをしているのだろ
う。ボクでなにか力になれればいいんだけどねぇ。
913
﹁取りあえず交渉が一区切りつけば、レヴァンからも連絡がくるだ
ろうから、それからかな﹂
﹁はい、姫様の仰せのままに︱︱﹂
その命都の表情が微妙なことに気が付いて、﹁どうかした?﹂と
訊いてみた。
﹁いえ、私は直接影郎様の最後に立ち会わなかったせいでしょうか、
どうにもお亡くなりなられたと思えないもので﹂
言われてみれば現場に居合わせたボクでも、影郎さんに関しては
﹃実は生きてました﹄というふうに思えてならない。
﹁まあ、私でもピンとこないからねぇ。漫画やアニメみたいにほい
ほい復活しそうな気がするね﹂
﹁楽しそうですね姫様﹂
﹁まーね。そう考えたらお互いに少しは気が楽になるんじゃないか
な。︱︱そのうち﹃盛り上がったところで奇跡の復活を遂げて現れ
る﹄なんて演出、いかにも影郎さんならやりそうだからねぇ﹂
ま、あくまで冗談だけどね。
﹁逆にいますぐ復活とかしたら、盛り上がりも何もないよね。漫画
だったら﹃もう復活しやがったのか﹄って文句言うところだねぇ﹂
914
幕間 階層突破︵前書き︶
次章に行く前に肩の力を抜くつもりで書きましたが、気が付いたら
やたらと分量が⋮⋮。
915
幕間 階層突破
アミティア共和国の首都アーラ近郊。
ョン
ダンジ
通称﹃姫君の落とし穴﹄と呼ばれる70層からなる巨大な地下迷
ニュービー
宮の20階層。
初心者向けの階層の最深部に位置し、初心者殺しとも言われる初
のフロアボスが君臨する階で、まだ少年の面影を色濃く残した冒険
者が、群がるスケルトン・ドッグを一刀の下に叩き斬っていた。
﹁くそっ、ゴチャゴチャ集まりやがって!﹂
苛立ってはいるが取り乱してはいない。
次々に襲い掛かるスケルトン・ドッグを的確に処理していく少年。
彼の腕と言うよりも剣の力と言うべきだろう。
ダンジョン
地下深くだというのに天井自体がうっすら輝いている不思議な構
造の地下迷宮の明かりの下でもはっきりとわかる。その長剣は白々
とした魔力の光を放つ、退魔の魔剣であった。
通常、魔剣を持てるようなものは騎士か貴族かよほどの金持ちか、
或いは腕利きの冒険者だけであるが、少年の身なりは一般的な冒険
者の標準的な革鎧に、要所要所を金属板で補強した防具で守ってい
るだけの、至ってシンプルな格好である。
この年齢の冒険者にしてはまずまず上等な部類ではあるが、それ
でもその手にした魔剣はいかにも分不相応である。
やがて、周囲にいたスケルトン・ドッグを一掃したところで、少
916
年は手の甲で顔の汗を拭い、周囲を見回しため息をついた。
﹁⋮⋮やっぱ襲撃のドサクサでハグレたか。ま、フィオレの奴はジ
ョンソンさんたちのチームと一緒だったから、大丈夫とは思うけど
⋮⋮﹂
ポーター
でも心配しているだろうな︱︱と思うと同時に、荷物も食料もあ
ちらのチームの荷物運びに預けたままで、現在位置不明の絶賛迷子
中。先行きが心細いことを思ってさすがに暗澹たる気持ちになって
きた。
﹁あれ? なにやってるの、ジョーイ。こんなところで?﹂
そんなところへ、聞き慣れた銀の鈴を鳴らすような声がかけられ
た。
◆◇◆◇
﹁︱︱美味い美味いっ﹂
ゴブリン
飢えた小鬼よりも夢中な様子で、緋雪が取り出したサンドウィッ
チを次々に腹に収めるジョーイを、呆れと感心が入り混じった表情
で眺めながら、収納バックから取り出した容器にポットのお茶を注
いで渡す。
﹁そんなにガッツクと喉に詰まらせるよ。︱︱はい、紅茶。熱いか
ら火傷しないでね﹂
917
﹁おっ、サンキュー! うん、これも美味いな。それになんか体の
疲れもとれる気がする﹂
味わってるんだか流し込んでるんだかわからない勢いで、山ほど
積んだサンドウィッチとシュークリームをパクパク口に運ぶジョー
イ。
こんなところ
﹁まあどっちもHPの微回復効果があるからねぇ。⋮⋮ところでな
んで地下迷宮に居るわけ?﹂
たお
﹁ん? ああ、話せば長くなるんだけど。他のCランク、Dランク
仲間と共同で20階層のボスを斃そうって話になって、ここまで来
たんだけどスケルトン・ドッグの群れが襲ってきたんだ﹂
いやー、助かったなぁ。美味いな∼、と言いながら再び食事を再
開するジョーイ。
・
・
﹁⋮⋮⋮で? 続きは?﹂
﹁︱︱? いや、それだけだけど⋮⋮﹂
全然長くもない上に要領を得ない話にげんなりしながら、緋雪は
ダンジョン
自分なりに話をまとめてみた。
﹁つまりここの地下迷宮って、ボス部屋のある20階・30階・4
ニュービー
0階・50階・60階にそれぞれ地上への転移魔法陣があるので、
そろそろ初心者を卒業したい冒険者たちが共同でチームを作って挑
むことになった。
で、まずは20階のボスを斃して転移魔法陣を使えるようにして、
今後さらに下の階に挑むための橋頭堡にしようと考えた。20階ま
918
で順調に降りたところで、ボス部屋を見つける前に運悪くスケルト
ン・ドッグの大規模な群れに襲われた。そこで光の魔剣を持って一
番戦力的に有効な君が﹃俺が後を引き受けるから、お前らは下がれ
!﹄とかハッスルして、気が付いたら置いてけぼり食らってた︱︱
ってとこかな?﹂
﹁⋮⋮見てたのか?﹂
﹁見なくてもわかるよ。まったく⋮⋮勇気と無謀は違うんだよ? そんな生き方してたらそのうち死︱︱ああ、もう経験してるんだっ
け。じゃあもう直らないね⋮⋮﹂
不治の病の患者を診る目でジョーイを見て、ため息をつく緋雪。
ジョーイの方は気が付いた風もなく、最後のサンドウィッチを食
べ終わると、﹁ごちそうさん。美味かった!﹂すっかり丸くなった
お腹をさすった。
﹁お粗末様。⋮⋮ああ、口の周りにクリームとか付いているね﹂
普通戦場では腹八分目くらいにしておくもんじゃないかなぁ、と
か思いながら緋雪はレースのハンカチで、手のかかる弟でも相手に
しているつもりで甲斐甲斐しくジョーイの口の周りを拭いた。
﹁お、おい!?⋮やめろよ。こんな高そうなハンカチで⋮⋮﹂
﹁構わないよ。ハンカチなんて汚れるものだからね﹂
ハンカチの香水の匂いと、女の子の甘い香り、手を伸ばせば抱き
締められる距離にあるしなやかな姿態に、ドギマギして赤くなった
顔を誤魔化すために、あちこち視線をさ迷わせたジョーイの目が、
すぐそこの林の先に見える重厚な石造りの扉を見つけた。
919
﹁あれっ。︱︱もしかして20階のボスの部屋か!?﹂
その視線を追って緋雪も姿勢を戻して、そちらを向く。
﹁ん? ああ、そうだよ。ここのボス部屋だよ。危ないから近づか
ないでね﹂
﹁へえ⋮⋮﹂
立ち上がってふらふらとその方向へ歩き始めるジョーイ。
ガシッ!とその肩が後ろから掴まれた。
﹁君は何を聞いてるの? ソロじゃ危ないから近づくなっていま注
意したばかりでしょう!﹂
﹁いや、せっかくなんで近くで見てみたくて。それにあれだ⋮えー
と⋮俺ってチーム本隊とはぐれたろ? だったらチームと合流する
ためには目立つところにいないとマズイんじゃね? んで、ここら
で一番目立つとこってあそこだろう。あ、そーだ、だいたい俺らの
目的もあそこなんだし。だったら、あそこで待ってた方がいいんじ
ゃね?﹂
単純に好奇心から行きたいだけで、思い付きを口に出しているだ
けのジョーイの言い訳だが、確かに合理的に考えてそれが最善の方
法なのも確かである。
ダンジョン
まあ緋雪が一緒に付いて引き返せば安全だが、そこまで冒険者の
仕事に干渉するつもりもないし、そもそも立場的には地下迷宮の裏
ボスみたいなものなので、知り合いとは言え冒険者を優遇するのも
考えたらおかしな話である。
そう判断した緋雪はしぶしぶ了承した。
﹁⋮⋮確かにね。でも絶対に門の中には入らないように﹂
920
﹁大丈夫だって。俺を信じろよ﹂
新しいオモチャを貰った子供みたいな顔に、一抹どころではない
不安を感じながら緋雪は、弾む足取りのジョーイを追って歩き出し
た。
◆◇◆◇
﹁へえ、ここがボス部屋へ通じる門か。案外小さいんだな﹂
壁際にある階段を登った先。2.5メートルほどの高さの門︱︱
と言っても扉はない完全な開け放しのそれ︱︱を、もの珍しげに眺
めながらジョーイが感想を口にする。
﹁まあ砂塵の迷宮に比べればね。下の方へ行くとどんどん大掛かり
になるんだけどね。︱︱ってどこに行くつもり!?﹂
階段を登り始めたジョーイを慌てて止めようとする緋雪だが、当
人はいたって平然とした顔で、
﹁いや、せっかくだから中も見てみようぜ﹂
門の先、石造りの通路になっている先を指差す。
﹁だから、君の実力だと魔剣があっても、ソロだと難しいから入る
なって言ってるだろう!﹂
一気にジョーイを追い抜いて、階段の上で通せんぼするように腕
921
組みする緋雪。
﹁んなこと言っても外をウロウロしてるのも危ないだろう。⋮⋮だ
いたい俺より先にチームの連中が来てるかも知れないし、確認しと
かないとマズイだろう?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
反論できないと見えて黙り込んだ緋雪の傍らを、ジョーイは軽い
足取りで通り過ぎた。
﹁⋮⋮むぅ。ちょっとだけだからね﹂
﹁だいじょうーぶだって。入り口だけだから。ちょっと入るだけで、
うぶ
絶対奥にはいかねーから﹂
まるで初心な娘さんにつけ込む、女ったらしの悪い男のような台
詞だが、本人は至って能天気なモノで、これっぽっちも悪意も計算
もない。
その天然に騙された緋雪は、しぶしぶ折れた形で腕組みをほどい
てジョーイの後を付いてきた。
たしな
まこと世間知らずの箱入りそのものの無用心さに、仮にこの場に
お節介な第三者がいれば、懇々とその軽はずみさを窘めるところで
あろうが、幸か不幸かそういう人物はいなかった。
石造りの回廊はところどころ魔法のカンテラが灯っているので、
さほど視界は悪くはないが、それでも光の届かない陰のところは存
在する。
不意打ちを警戒しながら、ジョーイはふと思い出して緋雪に尋ね
た。
922
﹁なあ、前に使ったあの明かりの魔法は使えないのか?﹂
﹁使えるけど⋮⋮心細いようなら、そろそろ引き返したら? けっ
こう奥まで来たけど、誰もいないみたいだしね﹂
心配してくれているのはわかるが、まるで子ども扱いされている
気がして、半ば意地になったジョーイはそれ以上はお願いしないで
ズンズンと先に進んだ。
◆◇◆◇
﹁ここがボスのいる場所か﹂
幸い途中にモンスターはいなかったようで、問題なく最奥まで進
んだところでちょっとしたホールと、突き当たりに観音開きの石の
扉。それと休憩所を兼ねているのだろう、ホールの手前に小部屋の
並ぶ区画があった。 ﹁そうだよ。ここを開けたらボスとご対面だ。あいつ相手だと、君
の装備だとひとたまりもないからね﹂
﹁ああわかってるよ。確かボスはゴーレムだっけか?﹂
﹁メタルゴーレムだね。砂塵の迷宮にいた奴と基本的には同じだけ
ど、大きさで2回り大きい上に、鋼鉄製だから普通の剣とかは通じ
ないよ。斃すとすれば重量級の打撃武器でダメージを与えるか、強
力な雷撃系の魔法で動きをとめて、弱点を攻撃するしかないだろう
923
ね。︱︱じゃあ、もういいだろう。戻ろう﹂
ああ、わかった︱︱と言い掛けたジョーイの返事が、不意に遮ら
れた。
﹁おっと、そうはいかねえな﹂
﹁手前には、この先に行ってもらおうか﹂
﹁動くなよ。この女の命が惜しかったらな﹂
いつの間に背後に忍び寄っていたのか、人相の悪い3人組の男達
が手に手に刃物を持って、緋雪を取り囲んでいた。
﹁︱︱お友達?﹂
状況がわかってるんだかわかってないんだか、首筋やら心臓の上
やら脇腹やらに剣先を当てられた状態で、呑気に小首を傾げる緋雪。
一方、どこかで見覚えのある連中に、訝しげに眉を寄せたジョー
イだが、その中の一人の顔を見て閃くものがあった。
﹁お前ら⋮⋮シュミット!! チーム﹃赤巾旅団﹄の!﹂
﹁覚えていたのか、小僧。ここで張ってた甲斐があったぜ﹂
元冒険者のチームリーダーだった男が、にやりと歪んだ笑いを浮
かべた。
仮にも冒険者だったほんの少し前と違って、その荒んだ身なりと
顔つきはどう見ても盗賊のそれである。
﹁⋮⋮張ってたってことは、狙いは俺か? だったらヒユキは関係
ないだろう、その手をどけろよ!﹂
924
﹁バカか手前、自分の立場がわかってねえな。命令できる立場だと
うそぶ
思ってるのか?﹂
そう嘯いて、ヒタヒタと緋雪の首筋に当てた剣をこれ見よがしに
動かすシュミット。
﹁くっ⋮⋮﹂
現在、自分達が陥っている危機的状況を改めて見せ付けられ、口
惜しげに呻き声をもらすジョーイ。
そんなジョーイの姿に溜飲を下げたのだろう。シュミットは聞か
れてもいないことをペラペラ喋りだした。
﹁こちとら手前らのせいでギルドを追い出され、せっかく上げたラ
ダンジョン
ンクもなにもかもパアだ。いつか恨みを晴らすつもりでいたが、都
合よく地下迷宮に入るって聞いてな。わざわざ後から様子を見てい
たんだぜ。そこへ好都合にチームと別れて女と二人きりだ。手前ら
がいちゃついてる間に先に小部屋に隠れてチャンスを窺ってたら、
のこのこやってきやがった。場所が場所だ、ここで手前が死んでい
ても誰も怪しまねえってもんよ。⋮⋮まあ、もう一人の女と一緒じ
ゃなかったのは、ちょいと残念だったがな﹂
﹁いやいや、兄貴。あっちの女魔術師よりこっちの方がとんでもな
い上玉ですぜ﹂
﹁まっ、胸は残念だけどな﹂
一瞬、緋雪の額に青筋が浮かんだのを、真正面から見ていたジョ
ーイの目は捉えた。
⋮⋮うん。あいつの前では胸の話はしないようにしよう。
それとも、ちっちゃい胸の方が好きだと言えばいいかな?
阿呆なことを考えて悩む︱︱見た目には人質を取られて煩悶する
925
︱︱様子に、どことなく白けた口調で、緋雪が口を開いた。
﹁⋮⋮えーと、私としてはこれどーすればいいのかな?﹂
はっと我に返ったジョーイが悲痛な叫びを上げる。
﹁悪いっ。俺の責任だ。きっと助ける! だから今はじっとしてい
てくれ!﹂
﹁じっと、ね。はいはい﹂
﹁はん。相変わらず威勢だけはいいな。まあその前に手前がくたば
るのが先だと思うがな。︱︱後ろの扉を開けろ。ボスのゴーレムの
相手をしてもらおうじゃねえか。確かボスを斃すと宝箱がでてくる
そうだからな。せいぜい健闘するこったな﹂
大方、自分達で直接手を下して反撃されるのを警戒しているのだ
ろう。
間接的に、ジョーイがボスになぶり殺されるのを高みの見物をし
て溜飲を下げるか、万一斃せそうだったり、相応のダメージ与えら
れたら後ろからジョーイを殺して宝箱を横取りという肚だろう。
唇を噛み締めたジョーイは言われるまま、背後の扉に手をかける。
扉は見た目の重厚さからは想像もつかないほど軽く開いた。
◆◇◆◇
開け放しにした︵この階と30階のボス部屋は退却可能。40階
926
以降は扉が閉じて勝負が付くまで逃げるのは不可となる︶扉の先、
演劇場ほどの広さの石造りの部屋の中央に蹲っていたメタルゴーレ
ムが、近づいてくるジョーイに反応して、意外なほどスムーズな動
作でむくりと立ち上がった。
ゴーレムというよりも黒鉄製の球体関節人形のようなそれの頭部
がジョーイを捉える。
眼も鼻も口もない頭部の中央に、握り拳大の赤い石がはめ込まれ
ていて、それが天井から煌々と降り注ぐ光を反射して、異質な輝き
を放っていた。
部屋の中央に進みながら腰の魔剣を抜いたジョーイは、自分の目
線よりも体半分高い位置にあるその赤い石を見ながら、思わず唸っ
た。
﹁︱︱こいつがメタルゴーレムか。弱点があるって言ってたけど⋮
⋮どこにあるんだ?﹂
﹁﹁﹁﹁見ればわかるだろう︵でしょう︶!!﹂﹂﹂﹂
入り口から中の様子を眺めていた4人が思わずズッコケて、同時
にツッコミを入れた。
﹁???﹂
﹁頭のところだよ! 赤い石! それが弱点!﹂
なおも首を捻るジョーイに緋雪がダイレクトに答えを伝える。
﹁⋮⋮ねーちゃん、あんな男と付き合って疲れないか?﹂
なぜかしみじみと同情するシュミット。
927
﹁⋮⋮確かに。今後の付き合いを辞めたくなってきたねぇ﹂
緋雪もこめかみの辺りを押さえて同意した。
その時、気合の声と共に走り出したジョーイが、メタルゴーレム
の足元目掛けて剣を振り下ろした。
ガキン!と金床と金槌を打ち合わせたような音がして、斬りつけ
た部分がわずかに傷を負った。
かいな
痛みを感じないゴーレムは、無造作に右手を振り下ろす。
振るう腕の一撃が床に穴を開け、壁にひび割れを作るが、それを
間一髪躱しまくるジョーイ。その時々に剣を振るうが、勿論彼の腕
では有効な攻撃を与えられる力がない。
状況はこう着状態に陥ってきたが、イラついてきたのは見ていた
元チーム﹃赤巾旅団﹄の三馬鹿である。
埒が明かないと見てか、緋雪の胸元にわずかに弾力でめり込む感
じで剣先を強めに押し付けた。
﹁なにトロトロやってやがる! さっさと始末しねえか!﹂
アン・オブ・ガイアスタイン
ため息をつく緋雪。いま着ているドレスは﹃戦火の薔薇﹄程では
ないがれっきとしたLv99装備。こんなナマクラで傷ひとつつけ
られるわけがない。
だが、それを知らないジョーイの注意が逸れた瞬間、メタルゴー
レムのタックルがまともに決まり、少年の体が鞠のように跳んだ。
﹁!!﹂
咄嗟に周りの連中を振り払って前に出ようとした緋雪だが、ふら
ふらしながらも立ち上がったジョーイの様子にほっと安堵のため息
をついた。
928
﹁このアマ! おとなしくしねぇか!﹂
勝手に動こうとした緋雪に向かって剣を突き出す三人組を、底冷
えのする瞳で振り返る。
その眼が赤々と輝いていた。
﹁君らこそ邪魔だよ。少し黙っていてくれないかな﹂
その途端、棒を呑んだかのようにその場に直立不動するシュミッ
こくよう
トたち。
﹁︱︱刻耀。悪いけど、そいつら適当な肉食モンスターがいる辺り
に捨ててきてくれる?﹂
その声に応えて、緋雪の足元の影が蠢き長身の暗黒騎士へと変じ
た。
跪いた暗黒騎士は一礼して、無造作に連中を片手で一まとめに掴
んで、そのままズルズルと外へと引っ張って行った。
それから急いで加勢しようとしたところで、ジョーイの持つ魔剣
の光が増しているのに気が付いた。
︱︱スキルに目覚めかけている? だったら⋮⋮!
﹁ジョーイ! 剣を構えて、全身の力を刀身から搾り出す気で振り
抜いて!!﹂
﹁おうっ!﹂
言われるまま、何も考えずにジョーイは全身全霊で魔剣を振り下
ろした。
929
刹那、魔剣の光が一段と強烈になり、そこから光の斬撃が飛び、
迫り来るメタルゴーレムの頭部︱︱弱点の赤い石に当たって、見事
にそれを砕いた。
反動で引っくり返ったジョーイがどうにか頭だけ上げたところ、
メタルゴーレムは壊れた人形のようにその場でバラバラになると、
という宝箱がせり出してきた。
どこからともなくファンファーレが鳴り、ゴーレムのいた床下から
いかにも
﹁⋮⋮誰かな、こんなの考えたの。緊張感が台無しだよ﹂
ぶつぶつ言いながら倒れたジョーイのところへ寄って、治癒をす
る緋雪。
﹁さ、サンキュー。︱︱あれ? 連中は??﹂
﹁ああ、君が勝ったんで恐れをなして逃げて行ったよ。︱︱具体的
には地獄に﹂
﹁ん? どこだって?﹂
﹁なんでもないよ。それよりせっかくだから宝箱を開けてみたら?﹂
言われて気が付いた顔で、立ち上がって体に異常がないのを確認
して宝箱に近づくジョーイ。
﹁なにが入ってるんだ?﹂
﹁さあ? このあたりはランダムだからね﹂
けっこうワクワクしながら開けてみると、金属製の上半身鎧が入
っていた。
﹁おっ、防具か! これ欲しかったんだ﹂
緋雪から見れば単なる鉄鎧でハズレっぽいけど、まあ本人が喜ん
930
でるからいいか。という感想だった。
早速いま着ている革鎧を外して装備しているジョーイを微笑まし
く眺めていたところで、不意にその足元の影が蠢いた。
﹁⋮⋮ああ、ご苦労様。ふんふん、肉食蜘蛛の巣へね。⋮⋮ああ、
なるほど、それはきっと本隊だね﹂
傍から見ていれば、ぶつぶつ独り言を言っているような緋雪を怪
訝そうに見るジョーイ。
﹁どうかしたか?﹂
﹁いや、どうやら君のチームがこの入り口に近づいている気配がし
てるんだけど、どうするの? ここのボスは15分で再生するけど。
戻ってもう一度チームでボスと戦うにしても、先に奥の転移魔法陣
に登録しておいたほうが便利なんじゃないかな﹂
﹁そっか。じゃあ登録してから戻るよ。お前はどうするんだ?﹂
新しくした鎧の重さや動かしやすさを確認しながら、いまさらな
がら、なんで緋雪がここにいるんだろうと思いながら尋ねるジョー
イ。
﹁私はこの後下へ降りる用事があるからね。ここで別行動するよ﹂
軽く肩をすくめる緋雪。
﹁そっか、気をつけろよ﹂
﹁それは私の台詞だよ﹂
そう言いながら揃って奥の通路へと進む二人。
クリスタル
突き当たりの小部屋にあった転移魔法陣の中央の結晶に掌を当て
て、魔力を登録したジョーイを確認して、緋雪は次の階へ降りる階
931
段に足を掛けた。
﹁それじゃ、俺はボスがまた湧かないうちに戻るから!﹂
﹁ああ、気をつけてね﹂
まあ、魔剣も使えるようになったことだし大丈夫だろうと思いな
がら、早速背を向けてこの場から走り出そうとするジョーイに手を
振る緋雪。
﹁じゃあな!﹂
こちらも手を振り返して、足取りも軽くジョーイはいま来た道を
戻って行った。
﹁︱︱ジョーイもだんだん一人前になってきたねぇ。さて、こっち
のアレはどこまで成長したかな?﹂
ダンジョン
目的の相手の進化を期待しながら、緋雪も散歩するような足取り
で地下迷宮を下って行った。
ちなみに先ほどの一撃でMPを使い果たしてスッカラカンだった
ジョーイが、2回目のボス戦で同じスキルを使おうとして失敗して
隙を見せ、あっさりメタルゴーレムに殴り飛ばされたのも良い経験
である。
932
幕間 階層突破︵後書き︶
イチジクは現在22層で元気に進化中です。
ちなみに各階のボスは基本地元雇用で、ある程度HPが低くなると
強制転移で本国へ戻され治療を受けられるようにしてます︵ゴーレ
ムは使い捨てですが︶。
あと70階のボスは本国のヒマな連中が日替わりで勤めていますが、
いまのところ誰も来ないのでやることがありません。
933
キャラクター紹介︵前書き︶
とりあえず新章に入る前にキャラクターの整理をしてみました。
今回はインペリアル・クリムゾンの面々です。
時間があれば随時追加予定です。
934
キャラクター紹介
インペリアル・クリムゾン
インペリアル・クリムゾン
緋雪:吸血姫︵神祖︶
ひゆき
︻真紅帝国︼
●
てんじょうてんが
真紅帝国国主。通称﹃姫﹄﹃姫陛下﹄﹃薔薇の姫陛下﹄。ゲーム
時代の特別称号は﹃天嬢典雅﹄。
単純なHP/MPではさほど強力ではないが、1VS1ならかな
り上位のモンスターとも対等に戦える。
スピードとコントロール重視の非力・紙装甲剣士︵剣聖︶及び蘇
エターナル・ホライゾン・オンライン
生可能スキルを持つこの世界唯一の聖女でもある。
※もともと﹃E・H・O﹄では回復職がかなり不遇なマゾ職であ
り、聖職者はVIT︵生命力︶がガックリ下がるうえ、治癒の実績
による経験値でしかスキルレベル上がらず、回復はともかく蘇生を
行えるにはその上で﹃聖者・聖女﹄までスキルカンストしないと不
可能なため途中で挫折するのが普通。そもそも蘇生は街の聖堂へ行
って一定の寄進︵中級者なら余裕の金額︶をすればデスペナルティ
なしで可能で、5%のデスペナルティを覚悟すればセーブポイント
での復活も可能︵Lv20以下はデスペナなし︶。また、どうして
も切羽詰った時は課金アイテムの蘇生薬︵1個500円︶を購入で
きたのでさほど需要がなかった。
性格は﹃自分のものを奪う﹄相手には容赦しないが、﹃家族﹄と
認めた相手にはけっこう手放しの庇護を与える。このあたりは生前
の生い立ちから来る周囲が敵ばかり&家族に飢えていたアンバラン
スさによるものと思われる。口が悪くて毒舌家だが、そこらへんも
理論武装して身を守る棘のようなもの。本来はかなり甘くて弱い性
格である。
935
外見は黒髪、緋瞳、白い肌の10代前半の美少女。ちなみに設定
年齢は13歳で、143cm、34kg、BWH=74・50・7
6だったが、最近なぜか微妙に成長している。精神的な部分が関与
していると思われるが不明。
なお、プレーヤーとその他の従魔の違いは、戦闘能力の切り替え
が可能か否かによる。従魔が常に全開フリーザ状態なのに比べ、プ
レーヤーは日常生活を送る上では見た目どおりの腕力しかだせない
が︵なので緋雪も普通はフィオレと腕相撲してどっこいくらい︶、
任意に切り替えが可能でありその際には通常の肉体がそのまま強化
された形になる。だいたい平均して腕力で15∼16倍、平均速度
は時速200km程度。
緋雪は腕力は平均以下だが、脚力が飛び抜けて高く瞬間的には音
速を超える。
HPは文字通り生命力だが﹁どれだけ死ににくいか﹂であり、肉
体強度とは関係がないので痛みはそのままダイレクトに感じる。そ
のため、どれだけ痛みに耐えられるかの最後は根性勝負になる。心
が折れると肉体強度も急速に落ちる。
余談だが従魔との合身時には当初、緋雪が予想していた全能力の
ブーストはなく、基本能力や肉体強度は変わらず、HPとMP、そ
れに従魔の持つ属性耐性だけ上乗せされる結果であった。このため
インペリアル・クリムゾン
プレーヤーにとってはお得だが、従魔にとってはデメリット︵憑依
主が死ぬと従魔も死ぬ︶ばかりの従魔合身だが、当然、真紅帝国の
てんがい
ナーガ・ラージャ
天涯:黄金龍
インペリアル・クリムゾン
全従魔は緋雪のために喜んで死ぬ覚悟である。
●
四凶天王の筆頭で実質的に真紅帝国の宰相にあたる。
また実力でも全従魔中最強である。
936
本体は全長220メートルのドラゴンだが、通常はタキシード姿
の美青年︵外見20歳ほど︶として緋雪の傍にいる。人間形態↓龍
人形態↓龍形態と変身することで、戦闘力も各段に向上する。
ラグナ・スプライト・ブレス
得意技は全身から降り注がせる雷撃であり、かつてはプレーヤー
エレクトロンボルト
数百人を屠った実績がある。
必殺技は三千兆電子を超える電磁ビーム・崩滅放電咆哮他多数。
セラフィム
命都:熾天使
みこと
性格は謹厳実直。姫様至上主義。
●
四凶天王の№2で、3対6翼の羽を持つ唯一の天使で、通常はメ
イド服を着て緋雪の傍らに侍る銀髪の美少女︵外見17∼18歳︶。
天涯が不在な際には代わりに取り仕切る。また緋雪の近衛ともい
うべき親衛隊の総隊長でもある。
治癒能力に関しては死者の蘇生ができないことを除けば、聖女で
ある緋雪と同程度の能力を持っている︵MPの高さから言えば遥か
に上︶。
従魔としてはほとんど最初期から緋雪の傍にいるため、人望とし
インペリアル・クリムゾン
ては天涯よりも上であり、天涯が同僚で唯一頭が上がらない人物で
もある。
基本は武闘派ばかりの真紅帝国においては、かなり常識人ではあ
うつほ
空穂:白面金毛九尾の狐
る。
●
四凶天王の一人で女性。本体は︵尻尾は別にして︶全長50メー
トルを越える九尾の狐であるが、通常は金髪で巫女服を着た婀娜な
美女︵外見23∼24歳︶。
神獣であり、他の魔獣や聖獣、霊獣などの頭領でもある。
武器を兼用している鉄扇で口元を隠すのを癖としている。
937
闇以外の全属性攻撃と耐性を持っているため、闇属性以外のすべ
ての敵に対して優位に立つことができるオールラウンダー。
9本の尻尾はそれぞれ﹁光﹂﹁地﹂﹁雷﹂﹁風﹂﹁水﹂﹁火﹂﹁
木﹂﹁月﹂﹁幻﹂の力を持っている。ある意味らぽっくの天敵。
刻耀:暗黒騎士
こくよう
性格は享楽的かつ攻撃的で、緋雪はけっこう苦手。
●
四凶天王の一人で男性。常に全身鎧の漆黒の鎧冑と長槍、戦闘時
には大盾を装備する。
城内にいる死霊騎士や首なし騎士など不死族で作る騎士団の団長
でもある。
闇属性の騎士でありそのため光以外の全属性に対して優位に立つ。
このため肉弾正面戦闘では四凶天王最強でもある。
特に防御能力は天下一品であり、ゲーム時代は主に緋雪の盾役と
して活躍した。
特殊能力として影移動があり、影があるところであれば一瞬で移
動できる。
性格は寡黙であり︵喋れないわけではない︶、常に緋雪の剣であ
ることを心がけている。
ちなみに四凶天王は緋雪がゲーム時代にもっとも多く信頼して使
斑鳩:ヨグ=ソトース
いかるが
った従魔なため、その後も国内において重臣という立場になった。
●
十三魔将軍の筆頭。実力的には天涯に次ぐ№2。
中心部に巨大な単眼を持ち、身体の各所から触手を生やした全長
70mを越える光り輝く多面結晶体。通常は位相空間にいて分身の
ウムル・アト=タウィル︵ベールを被った白髪黒人の美青年︶を使
938
って会話などを行う。
十三魔将軍は各々がLv110以上で、限界値がLv99である
プレーヤーよりも上のものばかりで構成されている。ちなみに斑鳩
はLv150。
十三魔将軍は各々が第一軍から第十二軍までの文字通り将軍であ
り、これらは空中庭園を時計のように12分割した防衛空域を受け
ディメンジョン
持ち配備されている。斑鳩は全軍指令であり直営の部下は各軍に均
等に割り振られている。
・スラッシュ
得意技は各種ビーム攻撃。必殺技は敵を空間ごと破壊する次元断
層斬他歪空間バリアーなど。
天涯を密かにライバル視しているが、普段は紳士的に接している。
かつてらぽっくに単体で敗れたが、それ以前に100回近く彼を
いずも
出雲:アザゼル
倒しているので、勝率1%のマグレ負けに等しい。
●
十三魔将軍の№2で実力的にも斑鳩に匹敵するLv145。
外見は漆黒の七首の蛇とも見える巨大な暗黒銀河のような回転す
る闇で、諜報部隊の隊長でもある。
攻撃方法は重力破砕波やダーク・マターを吐き出す暗黒ブレス。
白夜:ハヌマーン
びゃくや
名前だけでまだ未登場。
●
十三魔将軍の一人で、頭に宝冠を被った巨大な三面六臂の白猿︵
大きさは伸縮自在︶。
3つの顔はそれぞれ時間加速・時間停止・時間後退︵ほんの数秒
だが︶の能力を持つ。風属性で速度と風術は天下一品。また再生能
力も高く、頭を砕かれようが半身を吹っ飛ばされようがHPがある
限り即座に再生し、またHPの自動回復スキルも持っている。
939
しちかせいじゅう
周参:ゲイザー
すさ
性格は奔放で快活。そのため天涯とは馬が合わない。
●
七禍星獣№3にして筆頭。
触手と翼を持った単眼の怪物﹃見つめる者﹄﹃観察者﹄の異名を
持つ。
一般的な魔法の他、邪眼を用い、石化や睡眠、精神支配などを行
う。
また﹃分身体﹄を作り多方面の情報を収集する他、﹃分身体﹄自
身を爆弾として使う。
レア
なお七禍星獣は一般MOBの中にランダムで存在する特殊個体。
レア
これを課金アイテムで強化した結果、さらにランダムでスキルが
付加されたり強化されたりした偶然生まれた超特殊個体。
能力的にはフィールドボスをも凌ぐ面があるが、基礎能力の面で
十三魔将軍にはやはり及ばない。
別名ナンバーズとも呼ばれ、本来は№1∼№9まで名前に数字が
振られていたが、№1と№2は七禍星獣への入団を拒んだため、№
3の周参から始まる。
七禍星獣の担当区域は空中庭園外縁部から先になるため、事実上
しちかせいじゅう
蔵肆:翼虎
くらし
の国境警備隊であり、最前線の実行部隊となる。
●
七禍星獣№4。
全長︵尻尾を含めない︶13mの巨大な虎︵ちなみに虎が翼を持
つというのは、﹁鬼に金棒﹂と同じ意味︶。風術を得意として、空
ウインド・カッタートルネード・カッター
気を足場にアクロバッティブな動きを行う。
得意技は、手足の爪にまとい付かせた風刃及び竜巻刃、口から放
940
ハウリング
エア・バースト
ジェットストリーム
つ超高密度に圧縮された空気の弾丸虎咆、風の防御壁超音速気流。
必殺技は圧縮した空気を叩きつける風気爆裂。
きがんだいそうじょう
しちかせいじゅう
九重:鬼眼大僧正
ここのえ
性格は無邪気で呑気。
●
七禍星獣№9。
見た目は3眼の僧侶。戦闘能力では七禍星獣の中でもかなり低い
が、本来は支援要員である。
髑髏と背骨でできたような杖︵飢魂杖︶を持ち、アンデッドをそ
サイコソニック
の場で無限召喚できる。
直接戦闘力では、精神衝撃波を使用する、これは防御無効攻撃で
あるが射程が短いのと相手の精神力の強弱で当たり判定が大きいと
いう欠点がある。
直接戦闘に関係ないところでは、死者を呼び出して話を聞く死霊
ソードドック
くかせいじゅう
壱岐:魔剣犬
いき
交感が使える︵相手とのレベル差によって難しくなる︶。
●
本来は九禍星獣№1となる予定だったが、辞退したため現在は一
兵卒である。
外見は2.5mの直立した黒犬で、全身から1mを越える湾曲し
た剣が生えている︵戦闘時は最大4mまで伸ばすことが可能︶。
戦闘方法は、四足で高速で移動して全身の剣で敵を切り刻む。
緋雪がゲーム時に最初に従魔にし名前をつけた︵名称変更はゲー
ム内でネーム首輪を購入しないと不可能︶通常のMob。初心者用
のペット進化薬で2段階目までは進化成功したが、3段階目で2連
続失敗した。
本人はそのことを恥じているが、もっとも古参で初心者だった緋
雪を守っていたことが誇りでもある。
941
●
そうじゅ
グリーンマン
くかせいじゅう
双樹:緑葉人
本来は九禍星獣№2となる予定だったが、辞退したため現在は一
兵卒である。
外見は3mのサボテンで、髪の毛の代わりに蔦が生えている。
戦闘時は大地に根を張り、養分や水、魔力を吸い上げて、巨大化
する︵場所によって大きさは10∼40mと変化する︶。体内で植
物性の毒を生成して、口から霧状に吐いたり、地下から根を槍のよ
うに尖らせて刺し貫きそこから毒を注いだり、さらに毒針を飛ばし
たりする。
緋雪が2番目に従魔にした通常のMob。壱岐同様、2段階目ま
あまり
零璃:水の最上位精霊
では進化に成功したが、3段階目で失敗した。
●
七禍星獣の№0。
外見はトーガをまとった、全身が赤い氷の彫像のような少女。
HPが少なく、攻撃能力に乏しいため七禍星獣の番号外になって
はいるが、立場的には同等である。
徹底的に緋雪のサポートのみに特化しているため、普段は表に出
ることは滅多にない︵緋雪以外の命令は例え天涯であろうと無視す
る︶。
感情の起伏が平坦だが、緋雪に対する一途さではある意味最強︵
凱陣:オークキング
がいじん
同じ従魔であっても仲間意識は一切ない︶。
●
インペリアル・クリムゾン
全長4mのイボイノシシな顔をしたオーク。元はウィスの森のフ
ィールドボス。現在は真紅帝国の城下町商店街でトンコツラーメン
942
屋﹃豚骨大王﹄を開いている︵美味︶。
得意技はオーク召喚で、ほぼ無尽蔵にオーク兵を召喚できる。
ちなみに商店街の店主はフィールドボスクラスがゴロゴロしてい
るとのこと。
ちょくちょく緋雪も顔を出してラーメンを食べたり相談事をした
稀人:吸血鬼︵眷属︶
まろうど
りしている。熱血漢。
●
緋雪が自分の血を与えた眷属。親になる緋雪が神祖であったため、
通常の吸血鬼よりもかなり高位の能力を持ち、太陽の下でも人間だ
った当事程度の力は出せる。
ちなみに緋雪は一見完全に太陽を克服しているようだが、陽光下
ではHP・MPの回復が遅れ、能力値にもマイナス補正がかかって
いる。
元はアミティア王国の第三王子アシル・クロード・アミティアで
あり、Sランク冒険者でもあった剣豪。
得意技は肉体強化で、当事のレベルはおよそ56くらい︵この世
界の人間の上限値は獣王のLv70と見られる︶。現在は限界突破
親衛隊
してLv76くらいになっている。
●
プリンシパリティ
つばき
えのき
ひさぎ
ひいらぎ
命都の直営部隊。構成は様々な種族であるが、現在登場している
スピア
のは、権天使の﹃椿﹄、﹃榎﹄、﹃楸﹄、﹃柊﹄の四季姉妹。
ゆず
さくら
もみじ かえで
得意技は超高高度から落下しながら聖槍を投げつけるエンジェル・
フォール。
かえで
もみじ
もちろん他にも柚とか桜とかいっぱいいます。栬と楓の双子の姉
もみじ
妹がいて、ゲーム当時楓はらぽっくさんに譲られて、残された栬を
恨んでいるとか︵種類は同じでも切れ込みが5つあるのを栬といい、
943
かえで
もみじ
3つのものを楓と言って栬の方が上に見られるので、どうでもいい
自分を手放したんだと︶裏設定を考えたりもしましたけど、多分使
わないんでしょうね。
944
キャラクター紹介︵後書き︶
十三魔将軍とかけっこう抜けてますね︵壱岐とか双樹とか凱陣が出
張りすぎで︶。
こちらについてはこーいうのが!というご要望があればぜひお願い
いたします。
945
第一話 魔神封印︵前書き︶
新章開始です。
と言っても今回は前回の最終話の後日談ぽいですけど。
946
第一話 魔神封印
旧ケンスルーナ国の首都ファーブラーにあるホテルの貴賓室。
グラウィオール帝国宰相にして、つい先日まで帝国の実権をほぼ
ほしいままにしていたウォーレンは、目の前で大きなクシャミをし
た青年を、神経質そうな目で睨んだ。
﹁なんだ貴様、この大事な時に緊張感のない﹂
﹁へえ、申し訳ありません。どこぞで美人さんが自分の噂をしてる
ようで、モテる男は辛いですなぁ﹂
青年の軽口に、ちっと舌打ちした彼の面相は驚くほど変わってい
た。
以前はたわわだったアッシュブロンドの髪が見事に禿げ上がり、
尊大ながらも冷徹であった眼光が、落ち着きのない切羽詰ったもの
に塗りつぶされてていた。
わずか半月ほどの間に20歳も年をとったかのような精彩のない
顔色のまま、トントンと大理石のテーブルを叩いた。
﹁つまり、我々がどのような戦術や策謀、或いはなりふり構わぬ︱
インペリアル・クリムゾン
︱たとえ破滅覚悟の戦略を用いたところで、現存の帝国の戦力では
あの小娘⋮⋮いや、真紅帝国を討ち果たすことは不可能であると、
貴様は判断するわけだな?﹂
口調こそ淡々としたものだが、怒りを押し殺したウォーレンの問
い掛けに、青年︱︱影郎はごく自然に応じる。
947
﹁へい。その通りです。そもそもお嬢さんは吸血姫の神祖、まあ神
様みたいなもんです。その上周りを取り囲んでいる連中が1体で1
軍にも匹敵する文字通りの化物ですから。人間がどう足掻いたとこ
ろで蟷螂の斧ってもんですわ﹂
あくまで他人事というスタンスの影郎を怒鳴りつけかけ⋮⋮どう
にか奥歯を噛んで押さえつけたウォーレンは、動物の唸り声のよう
な声で詰問した。
﹁だが、我々には敵を大きく上回る人員と国力、そして各国に対す
るパイプがある。古来より、戦闘において個々の力が見劣りしてい
インペリアル・クリムゾン
ても、全体的な物量や補給が安定している側が勝利するのは鉄則で
あろう。ならば、こうした利点を生かして、真紅帝国に痛手を与え
る方策もあるのではないのか?﹂
インペリアル・クリムゾン
﹁そうですな∼。アミティア、クレスといった真紅帝国翼下の周辺
国、そしてあちら側に立った皇帝派といったお嬢さんに近しい連中
インペリアル・クリムゾン
を、いま言った帝国の利点を生かして殲滅することは確かに可能か
も知れませんが、実際のところ居なくなったところで、真紅帝国本
国には一切の痛手はありません。別に補給線を分担してるわけでも
ないですから。ぶっちゃけ世界中に味方が一人もいなくなっても、
痛くも痒くもないとこじゃないですか﹂
﹁果たしてそうかな﹂
若干、相手を宥めるような調子の影郎を、不満と不審混じりの目
インペリアル・クリムゾン
つきでじろりと一睨みするウォーレン。
﹁なるほど真紅帝国の国主は純粋な戦力としては確かに圧倒的では
あるが、精神的には極めて脆いように儂には思える。現に貴様がこ
うしてのうのうと儂の前に生き恥を晒しているのが良い証拠ではな
いか。明確に敵対した者に対して、友人と言うだけでの甘い対応。
愚かしいにもほどがある﹂
948
影郎は無言のまま片眉を上げて、嫌悪感もあらわに吐き捨てるウ
ォーレンを見た。
﹁そもそもが家族や友人であれこの世に絶対の﹃味方﹄などあり得
ん。まして自分以外のすべての人間は潜在的には、状況に応じて常
に﹃敵﹄と変化する可能性を内包している。つまり本来、自分以外
が﹃敵﹄と認識すべき関係であるのに対し、信頼や好意などという
曖昧な基準で﹃味方﹄と認めようとするなど甘えであり、未熟も良
いところだ。ならば味方のいなくなった精神的な痛手は、あの小娘
の大幅な戦力低下へと繋がるのではないのか?﹂
﹁いやいや、そりゃ逆ですわ。そんなことをすればお嬢さんの逆鱗
に触れます﹂
パタパタと顔の前で片手を振る影郎。
﹁確かにお嬢さんは精神的に未熟な部分があります。客観的に見て
必要のない味方を味方と思い込むところがありますけど、逆に言え
ばそういう味方を残らず殲滅した場合には、一切の躊躇なく総力戦
を挑んできます。あの連中はお嬢さんを縛る足枷なんですわ﹂
﹁なるほど、人質は生かしておかねば人質足りえんか⋮⋮﹂
ウォーレンは眉を寄せた。
﹁ならばその上で、儂に有利なように事態を展開させることも可能
なのではないか?﹂
﹁まあ、それは可能でしょうね﹂
ごくあっさりと影郎は頷いた。
﹁殲滅戦や暗殺、焦土作戦を交渉のカードとしてちらつかせること
で、お嬢さんを翻弄したり、意に沿わぬ妥協を引き出すことは充分
に可能でしょうな。ですが、わかってると思いますけど、最終的に
949
インペリアル・クリムゾン
真紅帝国を討ち果たすことだけは不可能ですわ﹂
﹁ぐぬぅぅぅぅぅっ!﹂
口惜しげに唸るウォーレン。
﹁ならば貴様の手であの小娘を暗殺すれば⋮⋮﹂
﹁無理ですわ﹂
皆まで言わないうちに間髪入れずに影郎が腕で×印を作った。
﹁プレーヤー相手に暗殺なんぞ、よほどのレベル差がなければ、一
発当ててお終いですわ。従魔合身してるお嬢さんを一撃で斃すなん
インペリアル
て、無茶ぶりもいいとこですな。まして毒なんぞ即座に解毒されま
・クリムゾン
すし。だいたい、お嬢さんを殺されたら洒落抜きで、残された真紅
帝国の残党がこの世界を完膚なきまで破壊します﹂
﹁つまり、現状儂にできることは、せいぜい自己満足の嫌がらせ程
度の妥協を引き出すのが限度ということか﹂
心底口惜しげにウォーレンは吐き捨てた。
﹁まあ、そういうことですな﹂
身も蓋もない調子で軽く肩をすくめる影郎。
内心忸怩たるものはあるであろうが、さすがにみっともなくわめ
き立てることなく、頭を切り替えたらしいウォーレンは、改めて影
郎の無個性な顔を見た。
﹁︱︱そちらについては改めて対応を決めることにする。⋮⋮それ
で、別件で調査させていた例の﹃ケンスルーナの秘宝﹄とやら、手
がかりは掴めたのか貴様。まさかこちらも﹂
﹁ああ、大丈夫ですよ。封印されてる場所も、封印の解き方もばっ
950
ちりですわ。依頼通り口封じをした後、死霊交信で霊魂に確認しま
したので拷問するより確実ですわ﹂
そう言って影郎は机の上にケンスルーナの地図を広げ、その一箇
所を指差した。
﹁この場所にその秘宝とやらが祀られてるそうで﹂
﹁⋮⋮かなり辺境だな﹂
ランドドラグ
﹁走騎竜でも行って帰ってざっと2週間ってとこですな﹂
ウォーレンの眉間の皺がさらに深くなった。
﹁なんとも言えんな。ケンスルーナの現大公︱︱バルデムの甥だっ
たか?︱︱これが身代金代わりに寄越した﹃鍵﹄と情報だが、肝心
の中身が不明では骨折り損になる可能性も高いか﹂
﹁金の為に身内も売るんですから、世知辛い世の中ですなぁ﹂
しみじみとした⋮と言うにはわざとらしい、影郎の慨嘆にウォー
レンが鼻を鳴らす。
﹁だから自分以外はすべて敵だというのだ。⋮⋮まったく。そのあ
たりの適切な判断がつかない小娘が、超越した力を持っているなど
実に愚かしいことだ﹂
そう忌々しげに独りごちながら、懐から取り出した掌ほどの銀色
の十字架を、先ほど影郎が指した地点へと置く。
﹁﹃絶大な力を持つ魔神。その力は神に匹敵し、すべての望みを叶
える﹄か。馬鹿馬鹿しいお伽噺にしか思えんが、大公家に密かに伝
951
エンシェント・ウ
えられ、直系親族のみがその在所を知るとなると、なんらかの︱︱
エポン
それこそクレスの転移魔法装置のようなものか、最低でも古代級武
器が眠っている可能性が高いからな。この際、使えるカードは1枚
でも欲しいところだが⋮⋮﹂
過度の期待は最初から放棄した顔で、ウォーレンは十字架の正面
を指先で叩いた。
﹁いいや、それが結構ガセでもないようでして﹂
にやりと笑う影郎の顔を、射抜くような目で睨みつけるウォーレ
ン。
﹁︱︱貴様、なにか掴んだのか?﹂
それには答えず、にやにや笑う影郎に軽く舌打ちをして、いった
ん席を立ったウォーレンが重そうな皮袋を持って戻ってきた。
﹁追加報酬だ。これで貴様が掴んだ情報を儂に寄越せ﹂
ドン!と目の前に置かれた皮袋の中身︱︱帝国金貨を1枚1枚確
認して、納得のいった顔で素早く懐に収めた影郎は、替わりに香水
の瓶のような、赤い液体の入った透明の瓶をウォーレンの前に置い
た。
イーコ
﹁まいどあり∼っ。で、こっちが例の封印場所⋮⋮土着の神さんの
ール
神殿になってたんですが、そこで密かに信者に配られている﹃神の
血﹄ですわ﹂
イーコール
﹁﹃神の血﹄だと? なんだそれは?﹂
胡散臭そうに瓶を眺めるウォーレン。
﹁まず結論から言いますと、﹃ケンスルーナの秘宝﹄ってのは魔導
具や魔剣の類いではなくて、かつて世界を支配しようとした魔神そ
952
のもののを指すようですわ﹂
﹁魔神⋮⋮また、神か﹂
神祖たる緋雪を連想して、ウォーレンは苦い薬を飲んだような顔
になった。
﹁あくまで言い伝えですから。で、この魔神が別の神さんと争そっ
て負けて、封印されたのがその神殿だそうで。⋮⋮ああ、言い伝え
ではクレス方面の荒野はこの時の戦いが原因でできたとか﹂
それこそ与太話という風に、ふんと鼻を鳴らすウォーレン。
﹁で、その魔神が封印されているっていう石棺があるんですけど、
イーコール
ここの溝からごくごく微量ですが、いまでも魔神の血が滴り落ちて
まして、そいつを神殿の連中が﹃神の血﹄と言って信者に法外な値
段で売り捌いてるという訳なんですわ﹂
﹁なるほど。これがその現物か。︱︱その能書き以外になにか霊験
あらたかな薬効でもあるのか?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁どうした?﹂
この男
影郎にしては珍しく躊躇うような素振りで、黙り込んだ後、しぶ
しぶという感じで口を開いた。
﹁飲むとあらゆる病気に効果があるそうです﹂
﹁︱︱ほう﹂
思わずという風に両手でその瓶を手に取るウォーレン。
﹁ただし、服用量を間違えると死ぬ危険性が高いそうです。それに
953
効いてもしばらくは体がだるくなり特に日中は暗いところにいない
と落ち着かなくなるとか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮毒ではないのか?﹂
一転して汚らわしげに瓶をテーブルへと戻す。
﹁ある意味猛毒でしょうね﹂
その影郎の口調に、ふと引っ掛かるものがあり、ウォーレンは重
ねて詰問した。
﹁貴様、なにか他にも知っているのではないのか?﹂
とある種族が眷属
日中は暗闇を好む
﹁⋮⋮知っているというか、推測ですけどね﹂
その血を体内に入れると活性化する
﹁勿体つけずに明瞭に話せ﹂
﹁
資格のないものがみだりに摂取すると死亡する
を生み出す際に発生する副作用にそっくりなんですわ﹂
﹁⋮⋮まさか﹂
そこまでヒントを出されればウォーレンにも心当たりがあるのだ
ろう、驚愕と嫌悪で複雑な表情になった。
﹁ええ、吸血鬼ですな﹂
あっさりと影郎がその名を口に出した。
954
第一話 魔神封印︵後書き︶
聖王国編に入る前に世界観や登場人物の整理を行うことにしました。
いま気が付いたのですが、この調子だとしばらく緋雪の出番があり
そうにないですね。やばい!
955
第二話 吸血公国
ユース大公国は、もともとがケンスルーナ国建国王の王弟にあた
る人物が辺境公として治めていた土地であり、その後ありきたりの
お家騒動を経て200年ほど前に独立国となった。
そのお家騒動の際に肝心のケンスルーナでは記録が散逸してしま
ったが、この国には一つの重要な使命があった。
すなわち﹃ケンスルーナの秘宝を守れ。決して世に出してはなら
ない﹄というものである。
大公家に代々厳命されてきた、ある意味ユース大公国の存在意義
にも関わる命題でもあったが、代を重ねるにつれいつしかそれは形
バルデム
骸化されていき、それに加えて此度の敗戦により詳細に伝承を継承
する直系親族に成り代わって、断片的にしかそのことを知らされて
いない傍系の親族が実権を得たことで、完全にその歴史に幕を閉じ
ることとなったのである。
◆◇◆◇
﹁⋮⋮またか﹂
レッサー・バンパイア
ボコボコと地面を割って現れた、青白い肌にボロボロの服を着た
亡者のような下級吸血鬼の首を一薙ぎで断ち切り、念のために心臓
に止めを刺しておく。
956
たちまち灰になって崩れ落ちる⋮⋮もとは単なる村人だったので
まろうど
あろう男の吊り上った口角と牙が消え、平凡な顔つきに戻ると同時
に転がっていた首もその後を追った。
﹁これで何匹目でしたっけ?﹂
仮面越しにでもわかるうんざりした顔の稀人の問いに、ボクもた
め息で応じた。
、
﹁国境線を越えてから22人目だよ﹂
﹁⋮⋮失礼しました。彼らも人でしたね﹂
レッサー・バンパイア
背後で謝罪する稀人だけど、確かに﹃一匹二匹﹄と数えたくなる
のも理解できる。下級吸血鬼ってまったく理性がなくて、吸血の欲
望だけで行動しているだけだもんね。
それでも見た目か弱そうなボクの方へばかり向かってくるところ
やしゃご
が、妙に小ずるいというか⋮⋮ある意味、見境がないよりも嫌らし
い。
第2
たべられない
﹁︱︱親から数えて劣化第4世代の玄孫くらいかな? もうちょい
上の孫世代くらいなら上位同族って見ればわかると思うんだけどね
ぇ﹂
﹁いやいや、姫様は充分おいしそうですよ。主に性的な意味で﹂
ジル・ド・レエ
後ろに立つ稀人に向かって、無言で手にした﹃薔薇の罪人﹄を振
り向きざま横薙ぎに振るった︱︱けど、余裕を持って躱される。
︱︱ちっ。さてはこっちの反応を予想して、喋りながら先にバッ
クステップで跳んでたな。
957
カテドラル・クルセイダーツ
﹁⋮⋮それはそうと、そろそろ聖堂十字軍の進軍が始まる頃合じゃ
ないですかね﹂
カテドラル・ク
この場所からだと、さすがに吸血鬼の視力でも見えるはずもない
ルセイダーツ
けど、地平線の彼方︱︱イーオン聖王国の誇る最強騎士団・聖堂十
字軍5,000名の威容を眺めるように、右掌を目の上に当てる稀
人。
﹁いきなり虎の子を繰り出してくるとは、腰の重い聖王国にしては
意外でしたね。まあ連中にしてもウォーレン宰相が謎の失踪を遂げ
てからこっち、帝国内での権威が右肩下がりですから。ここらで本
気度を見せて起死回生を計るつもりなんでしょうが⋮⋮﹂
﹁どうなのかな? 頭の居なくなった宰相派が巻き返しの為、聖王
国に泣きついたのは確からしいけど、幾らなんでも派兵が早すぎる、
まるで用意していたみたいだってオリアーナも不審がってたねぇ﹂
﹁ふむ。確かにタイミングが良すぎますね。︱︱ひょっとするとウ
ォーレンの失踪も連中のシナリオですか?﹂
顎の下に手を当てて首を捻る稀人。
思わず苦笑する。
﹁いつから陰謀論者になったんだい? 有力な協力者を亡き者にし
て、その上、一国を丸ごと滅ぼして国民をことごとく吸血鬼にする。
その上で自分たちの権威を見せ付けるなんて、さすがにデメリット
が大きすぎるよ。ま、このあたりは鈴蘭も同意見だったけど、ただ、
今回の聖王国の迅速な派兵については、大教皇からのトップダウン
︱︱勅命でもなけりゃ難しいだろうってことで、まったく無関係と
も思えないのでは?というのが彼女の見解。⋮⋮まあでも、あの阿
958
呆が自己判断できるわけないので、誰かが裏で手を回したに違いな
いけど、実際のところ、現段階ではパズルのピースが少なすぎると
も言ってたね﹂
ちなみに﹃あの阿呆﹄というのは、言うまでもなくイーオン聖王
国の大教皇のこと。よほど嫌っているらしい。
﹁なるほど。それはそれとして帝国軍は国境の警備と聖王国の補給
を分担するんでしたっけ?﹂
﹁らしいね。いちおうクレス側国境の監視にこっちからも人員を出
しているけど、お陰で余計な出費が増えたって鈴蘭が頭を抱えてい
たよ﹂
インペリアル・クリ
ちなみにクレス側ではレヴァン以下虎人族族長﹃豪腕﹄アケロン
ムゾン
しちかせいじゅう
いずも
が陣頭指揮を執って、数千人規模の部隊が展開している他、真紅帝
国からも七禍星獣全員と遊撃部隊。それに十三魔将軍№2の出雲と
その隠密部隊及び近衛軍の天使数十人が同行している︵さすがに国
境全部を蟻の這い出る隙間もなく、というのは物理的に不可能なの
で散兵線を維持できるよう機動力と連絡網を重視した結果である︶。
カテドラル・クルセイダーツ
﹁大丈夫ですかね? 聖堂十字軍がいくら精強だとはいえ所詮は生
身の人間。相手は少なく見積もっても数十万規模。その上、他国へ
の侵攻となると補給線がかなり延びると思うんですが、踏み止まれ
ますか? しかも相手は夜襲が本領の吸血鬼ですよ。どう考えても
長期間になると総崩れしそうな気がするんですが⋮⋮?﹂
ヒット・アンド・ア
﹁長期戦にする気はないんじゃないかな? 鼠算式に増えた吸血鬼
ウェイ
相手なら、大本の一人を斃せば自動的に全滅するからねぇ。一撃離
脱で敵の本陣に攻め込んで、さっさと大将を斃してお終いにする気
959
なんじゃないかな﹂
パーティ
﹁なるほど⋮⋮そうなると、連中は騒ぎの主催者がどこにいるのか
知っているってことですかね?﹂
すべ
﹁知ってるんだか、知る術があるのかは不明だけどね﹂
カテドラル・クルセイダーツ
﹁︱︱ふむ。もしもそうなら、ますます聖堂十字軍単独ではなく、
帝国とウチとの混成軍で包囲戦を展開したほうが確実だと思うんで
すが﹂
連中が失敗した場合は今後戦力の逐次投入という愚を犯すことに
なりそうな予想を立てているんだろう。稀人はなおさらうんざりし
た顔になる。
まあ、まして相手は吸血鬼。下手をすると大陸屈指の精鋭部隊が、
そっくりそのまま敵の手駒にされる可能性すらあるからねぇ。
あちらさん
﹁鈴蘭が間を取り持って、いちおう聖王国には打診したんだけど、
まあ、予想通り﹃魔国やそれに与する者の協力は必要ない﹄って取
り付く島もない返答だったみたいだねぇ﹂
予想通りの回答に二人揃って肩をすくめる。
﹁ま、連中から見れば吸血鬼であふれ返ったこの国も、ウチも同じ
ってとこですか﹂
﹁だろうね。︱︱まあ、あながち間違いでもないかな﹂
呟きながら、意図的に伸ばした自分の牙に触れる。
﹁そういや、いまさらだけど、君は食事の方はどうしてるの?﹂
960
﹁はっはっはっ、そんなもん街で適当な相手を見つけて一夜限りの
お相手をお願いするのに決まってますよ。いまのところ成功率はほ
ぼ100%ですね﹂
﹁⋮⋮うん。とりあえずモゲればいいと思うけど、間違っても血を
与えて眷族作ろうなんて思わないでね﹂
﹁まあ、この惨状を見れば軽はずみに眷属を作ろうとは思いません
けど。⋮⋮ああ、姫様との間に眷属作るのは俺としては望むところ
ですが﹂
ジル・ド・レエ
刹那、かなり本気の急所狙いで﹃薔薇の罪人﹄を次々と振るった
んだけど、ギリギリ躱された。
﹁ちょっ、ちょっと姫様。これは洒落になりませんよ!﹂
﹁変質者を相手に本気で抵抗してるんだから、当たり前だろ!﹂
カテドラル・クルセイダーツ
慌てて逃げる稀人を追いかけながら、取りあえず噂の聖堂十字軍
のお手並み拝見するつもりで、そちらの方向へと走っていった。
◆◇◆◇
このユース大公国の悲劇からおよそ1ヶ月前、物語の発端は旧ケ
ンスルーナ国の首都ファーブラーにあるホテルの豪奢な貴賓室で行
われていた。
961
﹁⋮⋮吸血鬼だと? それが魔神の正体だというのか貴様﹂
﹁確証はありませんけど、可能性は高いと思いますよ。それも封印
されたまま、いまだ健在ってことはそこいらのモンスターじゃない
でしょうね。始祖か⋮⋮いやいや、仮にも﹃魔神﹄っていうくらい
ですから神祖かも知れません﹂
くら
﹁神祖⋮⋮あの小娘と同類か。ならば使えるかも知れんな⋮⋮﹂
イーコール
なにを思いついたのか、ウォーレンは昏い目でテーブルに置いて
ある﹃神の血﹄を、じっと見詰ながら押し殺したような声を出す。
﹁︱︱あの、なんのお話でしょうか?﹂
その声に潜む狂気と自暴自棄の響きを感じて、影郎は恐る恐る尋
ねた。
インペリアル・クリムゾン
﹁決まっておる。真紅帝国の小娘は吸血姫の神祖であり、神にも匹
敵する力を持つゆえ現状の戦力では討ち果たすことができないと、
貴様は判断するのであろう。ならば話は単純だ。同じ神祖を戦力に
加えれば良いだけではないか﹂
﹁ちょ、ちょっ、ちょっと、ちょっと待ってください!﹂
珍しく、影郎が本気で狼狽した様子でウォーレンを制する。
﹁戦力に加えるって言っても、相手は仮にも魔神とか言われるとん
でもない相手ですよ。封印を解いたが最後、圧倒的な力で、逆に支
配下に置かれるのが関の山です!﹂
﹁⋮⋮妙に必死だな。他にもなにか知っていることがあるのか?﹂
﹁いやいや、自分が知ってるのは吸血鬼の怖さです。あれは同じプ
962
レーヤーとしてもある意味別格ですから。とにかく思い止まってく
ださい﹂
﹁ふん。いかに強大であろうと所詮は血肉を供えた存在であろう。
ましてや長年の封印で相当に衰弱しているのは想像に難くない。さ
らにこちらには封印の魔具もある﹂
銀色の十字架を掌中で転がす。
﹁逆に儂が恐れるのは封印を解いてはみたものの、肝心の魔神が弱
体で失望させられる結果だな。封印を解いた上で、使い物にならな
いようなら再封印すればいいこと。いや、さっさと始末したほうが
不確定要素を排除できるか﹂
少し醒めた様子でウォーレンは呟いた。
﹁仮に貴様の言うとおり魔神が制御できない存在であれば、放置す
るかクレス方面に誘導すれば良いだけのこと。自国領で暴れられれ
ばあの大甘の小娘は乗り出してくるであろう。そうなれば我々は傍
観し、双方の消耗を待てば良い。⋮⋮理想とすれば共倒れが望まし
いが、さすがにそれは虫が良すぎるだろう。どちらかが斃されたと
ころで介入すれば期せずして最小限の労力で最大の成果が得られる
というものよ﹂
冷然と言い放ち薄く笑うウォーレンの言葉を、内心頭を抱えなが
ら聞き流す影郎。
どうやらこのおっさん、お嬢さんにやられたことを根に持ちすぎ
て深く静かに壊れていたらしい。
︱︱えらいことになったなぁ。
封印の石棺に眠っているであろう、顔なじみのプレーヤー︱︱緋
963
雪以外で唯一超レア種族﹃吸血鬼︵神祖︶﹄となった男の、自分と
は別の方向でなにを考えているかわからない言動を思い出して、影
郎は密かにため息をついた。
964
第二話 吸血公国︵後書き︶
ちなみに吸血鬼が他の吸血鬼の血を摂取した場合は、拒絶反応で良
くて発狂、普通は消滅します︵血で結ばれた眷属関係なら大丈夫で
すが︶。
それと散兵線というのは、ずらりと前線を維持できる人数が居ない
場合、ぽつんぽつんと兵士の集団を配置して、前線を維持するやり
方です。
965
第三話 聖堂騎士
カテドラル・クルセイダーツ
イーオン聖王国の虎の子、最強騎士団﹃聖堂十字軍﹄
彼らは大教皇直属のエリート部隊であり、それぞれが敬虔な信仰
の下、より信仰篤く能力・霊力ともに常人より抜きん出て神の御許
に近い、選ばれし聖職者同士の聖婚により生み出された、生まれな
がらの純血種︱︱﹃神の下僕﹄である。
その個々人の技量は冒険者レベルで言えば少なくともS∼Aラン
ク、小隊長格でSSランク︵中隊長以上になると規定の測定では認
定不能となる︶。さらにその霊力は全員が国家1∼超級という、ま
さに超人集団である。
さらに付け加えるのなら、全員が身にまとっている揃いの青い鎧
ゴスペル・メイルゴスペル・シールド
エンシェント・ウエポン
兜と盾は、たとえドラゴンのブレスを浴びたところで歪み一つでき
ない聖唱鎧と聖唱盾。
そして、手にした武器はすべてが古代級武器に匹敵する聖剣・十
字剣という、一騎当千という言葉すら生ぬるい、5,000人とは
いえその総合戦闘能力は最盛期のグラウィオール帝国全軍をも上回
るとすら謳われた、他国の軍勢とは次元が違う文字通り大陸最強の
騎士集団であった。
エルダー・ドラゴン
もっとも長らくその活動は聖王国国内のみに限定され、通常の聖
騎士では対応できない古竜などA級以上の魔物の討伐に分隊規模の
編成で対処するのみ︱︱とは言え他国に対しては﹃設立以来1度の
負けも殉死者もなし﹄を標榜しているが︱︱で、大規模な出兵等を
行った記録がないことから、他国の騎士団からは﹃実戦なき最強騎
966
士団﹄と揶揄され、実戦能力を疑問視する向きもある存在であった。
カテドラル・クルセイダーツ
そんな聖堂十字軍史上初の、しかもほぼ全軍を繰り出した外征に
セイント
望み、過度の緊張も恐れもなく神敵を討ち果たすという目的の為、
一糸乱れぬ行軍を行う旗下の軍勢に囲まれ、騎士団長である﹃聖人﹄
ベルナルド・グローリア・カーサスは、謹厳な面差しの下かつてな
い興奮と充足感に包まれていた。
蒼神よ御照覧あれ! 我が騎士団は無敵・常勝! その神意に敵
うものなし! 実戦なき最強騎士団が実戦においても真に最強であ
ることを、大陸中の俗人どもに証明してみせましょう!
事実、国境線を越えてから5日。
散発的に襲ってくる吸血鬼どもは、こちらに触れることすらでき
ないまま霊光の一斉掃射で塵も残さず消し去っている。
手応えがなさ過ぎて逆に拍子抜けだが、ここで気を抜くほど彼も
彼の部下たちも無能ではなかった。このペースであれば、あと1日
2日で大教皇陛下が神より神託を受けたという、吸血鬼どもの首魁
レッサー・バンパイア
のいる﹃闇の城﹄とやらへ到着するであろう。
当然、これまでのような下級吸血鬼の衝動的な攻撃ではなく、知
能を持った吸血鬼どもが手ぐすね引いて待ち構えているのは想像に
難くない。真の戦闘はそこからとなるだろう。これまでの戦いは前
哨戦と言うのもおこがましい落穂拾いに過ぎかった。
ベルナルドは傾き始めた太陽を仰ぎ見て眉をしかめた。
﹁止まれ! 日のあるうちに野営の準備を行う。おそらく今夜あた
ヘキサグラム
りから本格的な夜戦となるだろう。当初の予定通り3交替で警戒に
当たる。外廓に聖印を刻んだ結界石を設置せよ。形態は六芒星だ。
内側に防御魔法陣は五重に描け!﹂ 967
﹁はっ﹂
即座に伝令が飛ぶのを満足げに眺めていたベルナルドだが、それ
と入れ替わるように斥候部隊の隊長が緊迫した顔で駆け寄ってきた。
﹁ご報告いたします。斥候からの報告でこの先の空に異常があると
のことです﹂
﹁⋮⋮異常だと?﹂
再度上空を仰ぎ見てみるが、彼らの行軍を神が祝福してか抜ける
ような青空が広がっているばかりである。
﹁はい。目的地点に近づくにつれて天空に黒雲が広がり始め、およ
そ30分も歩けばほぼ闇に包まれるとのことです。確認させたとこ
ろ、目的地を囲んでぐるりと円形に雲が広がっていますので、自然
現象ではなくなんらかの魔術によるものと考えられます﹂
話を聞いていた側近の者達に動揺が走る。
﹁天候を操る魔術だと?!﹂
﹁馬鹿なあり得ん!﹂
﹁まやかしではないのか!?﹂
﹁落ち着け馬鹿者! 我ら神の信徒はいかなる障害があろうとも︱
︱否、試練があればこそ、その信仰に従い乗り越えることに意義が
ある。さすれば天の門は開かれようっ。それとも、この程度のこと
で狼狽するほど貴様らの信心は浅いものか!?﹂
ベルナルドの一喝で、全員が夢から醒めたような顔で己の不明を
詫び、その場で神への祈りを捧げた。
968
﹁当初の予定通りここで野営の準備を行う。明日からは強行軍だ。
第一、第二部隊は私とともに呪われし吸血鬼の本陣を叩く。それ以
外は防御に回れ、昼夜のアドバンテージがなくなる以上、おそらく
敵は数に物を言わせて波状攻撃を繰り返すだろう。これを凌ぎ切る
のが兄弟諸君らの役割だ。主の名において負けることは許さん。わ
かったな!!﹂
﹃了解しました、ブラザー・ベルナルド﹄
普段の冷静さを取り戻した聖堂騎士たちが一斉に唱和したのを、
ベルナルドは満足げに見やった。
と︱︱。
その時、彼らの頭上から乾いた拍手の音がした。
慌てて音の出所を探して視線を上げると、いつの間にそこにいた
のか、翼の生えた醜悪かつ魁偉な肥満体の巨人の背に立つ一人の男
がいた。
まるで夜会の帰りのような、黒のシルクハットに燕尾服、マント
に赤い蝶ネクタイをしたその男は、白手袋越しに叩いていた手を止
めると、
﹁いやいや、ご高説ご立派ですね。しかし、こういうのもポジティ
ブっていうんでしょうか。狂信者の思い込みというのは、見ていて
面白いものですね﹂
心底愉しげに眼下の騎士達を見回して笑い声をあげる。
決して大きな声ではないというのに、なぜか全員の耳に届いたそ
の声に、何人かの隊長格の騎士達が、はっとした顔で周囲に警戒を
促した。
969
チャーム
マインド・レジスト
﹁魅了の魔力が籠もっている! 全員、精神防御せよ!!﹂
その叫びに全員が聖教の一部を唱え精神耐性を向上させた。
﹁おやおや、よく仕込んだものですね。それにしても神様ごっこと
は、まったく奴も趣味が悪い⋮⋮いやしかし、あれを神と奉るんで
すから皆さんもご苦労様ですね﹂
﹁貴様、何者だっ?﹂
ベルナルドは手信号で全員に戦闘態勢をとらせながら、慎重に体
内の霊気を全身に循環させつつ、頭上の男に問い掛けた。
わら
化物の上で、はははははっと陽気に嗤うその男は、佇まいと声の
調子からして青年のようだが、見事な白髪とそれに加えて顔全体を
マスク
覆う、三日月形のシンプルな目と口が描かれただけの笑い顔の白い
仮面のせいで、外見からは顔かたちも年齢も推し量ることはできな
い。
カントリー・ジェントルマン
衣装のコーディネートは紳士然としているが、なぜか全体的に野
暮ったく、貴族というより田舎郷士という印象の男であった。
﹁︱︱おっと、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。口で説明するの
は面倒なのですが私は、パーレン・アクサン・アポストロフィ・オ
ーム⋮まあ、ここから折り返しになるので省きますが、あなた方が
目的にしている城の主です。コンゴトモヨロシク﹂
そういって気軽にシルクハットを持ち上げる。
ホーリー・ライト
﹁貴様が首魁か!! 全軍第一次戦闘態勢! 聖光弾正射っ!!﹂
カテドラル・クルセイダーツ
刹那、聖堂十字軍5,000人からなる聖光が、雨あられとパー
レンと名乗った男に向け発射された。
970
﹁ダーク・サイレンス﹂
けれんみ
慌てた様子もなく、パチンと外連味たっぷりに指を鳴らしたパー
レンと、その騎獣たる巨人の周囲に闇色の球体が生まれた。
ホーリー・ライト
ほとんどの聖光弾がその闇を突破できずに輝きを失うが、隊長格
の放ったものはさすがと言うべきか、その守りをものともせず次々
と巨人に命中して明確なダメージを与えた。
﹃GUAAAAAAAAAAAA!!!﹄
ひときわ強烈な咆哮を轟かせた巨人が、空中からやや離れた地面
へと墜落する。
﹁おおっ!﹂
﹁やったか!!﹂
﹁見よ! 我等の神意を!﹂
﹁気を抜くな! まだとどめに至っておらんぞ!﹂
各隊長が喝采を上げる部下の手綱を締めると同時に、地面に蹲っ
しこ
ていた巨人が憤怒の表情も凄まじく、その場に立ち上がると同時に、
荒々しく両足で四股を踏んだ。
身の丈15mを越える腰巻を巻いただけの肥満体の巨人の足踏み
に、ずしんずしんと地面が激しく揺れる。
どうやらある程度のダメージは与えたようだが、致命傷には程遠
く、逆に相手の怒りに火をつけた形となったようだ。
﹁はっはっは。やはり属性的に光相手は辛いですね。まさかプレー
ヤーでもないNPCの成れの果てに突破されるとは﹂
971
きず
その足元に、こちらは無傷のパーレンが佇む。
﹁お陰で私の可愛いグレンデルの玉のお肌に瑕がつきましたよ﹂
ちなみにこのグレンデルが腰に巻いているのは腰巻ではなくマワ
シである。
ペット
﹁まったく、こんな愛嬌のあるグレンデルちゃんを﹃可愛くない﹄
ペット
と言って従魔にしなかった緋雪ちゃんの気が知れませんよ。これほ
どマワシの似合う従魔も居ないというのに!﹂
嘆かわしい、という風に仮面越しに右手で顔を覆って首を振るパ
ーレン。
同時に、ぐっと上半身を沈めたグレンデルが、両手を地面につけ
て立ち合いの姿勢になった。
カテドラル・クルセイダーツ
﹁よし! 時間いっぱい待ったなし! ︱︱行きなさいっ、魔法の
横綱・マジカル★ちゃんこちゃん!!﹂
﹃GUOOOOOOH!!!!﹄
グレンデルは雄叫びをあげ、猛然たる勢いで正面から聖堂十字軍
へと向かっていった。
ぶちかまし
小山ほどもある巨人の進撃を真正面から受けるとあれば、通常で
あれば泡を食って逃げるところであろうが、どの騎士達も動揺した
様子もなく、手にした十字剣を素早く地面に突き刺して霊力を練り
上げた。
﹁緊縛結界発動!! 強度S級! 各自押し込め!! 我らに神の
ご加護があることを忘れるな! 聖堂騎士の誇りに掛けて、忌まわ
しき怪物を討ち果たせ!﹂
﹁おおーっ!!﹂
972
聖堂騎士達が一斉に雄叫びをあげて、練り上げた緊縛結界を迫り
来るグレンデルに向け、次々と放つ。
光でできた鎖のようなモノがグレンデルの全身に絡みつくが、無
造作にそれを引きちぎりながら前進を止めない。
だが、まったく効果がないかというとそんなこともなく、明らか
にその勢いが落ちていた。
オーラ
もう一歩で先頭に手が届く︱︱というところで、鋼のような声が
戦場を支配した。
﹁どけっ﹂
全身からあふれ出る黄金色の霊光をまといながら、ベルナルドが
風のように駆けた。
レジェンドリィ・ウエポン
その右手に握るのは、大教皇陛下から下賜された正真正銘の神剣・
真十字剣。
その左手にあるのは、彼自身が古代遺跡から発見した伝説級武器・
滅剣クォ・ヴァディス。
防御を捨て2本の剣を同時に振るうこの姿こそ、ベルナルドの本
気の姿であった。
オーラ
右手の剣を上段から斬り落とし、斬り上げ、袈裟蹴りから5連続
突き。霊光をまとった剣が深々とグレンデルの剥き出しになった腹
部を抉る。
堪らず両膝をついたところを左手の剣が水平に腹部を切り裂き、
途中で手首を返して真上に斬り裂く。
オーラ
抜き出た刃を水平に構えて、﹁はああ!!﹂ドリルのように回転
する霊光とともに両手の剣を超高速で打ち出す。
973
ぐがしゃっ!!という破砕音と衝撃波を迸らせ、剣が根元どころ
か握った二の腕まで腹部を貫通し、自身の8倍はあろかという巨体
を吹き飛ばした。
ホーリー・ライト
白目を剥いて吐血しながらも踏みとどまろうとするグレンデルに
向け、再度聖光弾の一斉掃射が行われ、襤褸雑巾のようになったグ
レンデルは一瞬にして物言わぬ骸となった。
その途端、再び乾いた拍手の音が鳴り響いた。
﹁いやはや、ブラボー、素晴らしい。有象無象の集団かと思ってま
したが、フィールドボスのちゃんこちゃんを斃すとはたいしたもの
ですね。これは皆さんもぜひ私の王国の住人になっていただきたい
ものです﹂
つまり吸血鬼たる自分の眷属にするという宣言に、気色ばむ聖堂
騎士たち。
﹁ふざけるなっ。神の恩寵からこぼれし闇の住人よ。蒼神の御名に
おいて、この場で討ち滅ぼしてくれる!!﹂
﹁はっはっはっはっ。まあ頑張ってください。ファイトです﹂
ホーリー・ライト
そういって親指を立てるパーレンを無視して、三度聖光弾を放つ
体勢になる聖堂騎士たちだが、その瞬間、彼らを取り囲むようにし
レッサー
て次々と地面を割って吸血鬼たちが現れると同時に、躍り掛かって
きた。
﹁ちっ! なんて数だ﹂
ざっと数えただけでも万に達しようかという数である。
・バンパイア
しかも日が沈み始めたとあって、動きの早さが日中遭遇した下級
974
吸血鬼とは桁違いな上、ほとんどが粗末ながら武器を装備している。
ホーリー・ライト
﹁全隊車座になれ! 一匹も通すな。聖光弾に固執せず、各自の判
断で白兵戦に備えろ!﹂
素早く固まった聖堂騎士たちが、向かい来る吸血鬼たち︱︱ほと
んどが第二世代から第三世代の知性ある眷属である︱︱相手に奮戦
しているのを眺めながら、
﹁さすがさすが。この分なら15分も保たないで全滅かな。ま、補
充はいくらでもできるし、取りあえず挨拶は済ませたところで、今
日は帰りますノシ﹂
パーレンはその場で踵を返した。
﹁ま、待て! 貴様っ﹂
ホーリー・ライト
逃すまいと間断的に聖光弾が飛んでくるが、気にした風もなくヒ
ョイヒョイ躱す。
﹁ほ∼ら捕まえてごらんなさいホホホホ∼﹂
その上わざとらしく口元へ手の甲を当てて嬌声を上げる。
聖堂騎士たちの血管が切れそうになった瞬間︱︱。
﹁うおおお︱︱︱︱っ、とととと!?﹂
どこからともなく飛来した8本の剣が、その身を次々と串刺しに
した。
﹃やった!!﹄
勝利の雄叫びが上がりかけ⋮⋮地面に突き刺さったままの7本の
剣を残して、パーレンの姿が幻のように消えた。
975
シャドウ・ブランチ
スキル﹃影分身﹄︱︱分身を残して本体は数百m瞬間移動する技
である。
﹁あたたたた。滅茶苦茶痛いな、これ﹂
かぜ
背中側から貫通している最初に直撃を食らった細剣﹃風﹄。その
名の通り風属性を帯びた剣を力任せに引き抜いて捨てると、パーレ
ンはきょろきょろと周囲を見回した。
﹁ひさしぶり、それとも初めましてっていうべきかな、らぽっくさ
ん? なるほどなるほど本命はこっちか。で、姿が確認できないと
ころを見ると、影さんも一緒ってところかな? これに加えて愛し
の緋雪ちゃんがいれば最高なんだけど、いないかのかな? だった
ら残念。︱︱なら今日のところはこれでノシ﹂
﹃逃がすかっ!﹄
リタ
再び8剣が宙を舞うが、パーレンを守る形で吸血鬼たちが立ち塞
ーン
がり、彼らを始末し終えたところで、彼のプレーヤー基本スキル帰
還が完成して、今度こそその姿が消え失せた。
﹃︱︱っ!﹄
どこかで、らぽっくが歯噛みして⋮⋮その気配もやがて消えた。
◆◇◆◇
﹁⋮⋮姫陛下の名前を口に出してましたけど、お知り合いですか?﹂
976
まろうど
さっきまで自称パーレンなんとかが居たあたりを指差して、稀人
が微妙な口調で聞いてきた。どうやらこちらの姿は見つからなかっ
たみたいだけど、予想外の展開に二人揃って唖然って感じだねぇ。
﹁まあ、ね。なんとなくそーじゃないかとは思ってたけど、やっぱ
彼か﹂
吸血鬼騒動、それも一国丸ごと乗っ取る相手ということで、もし
かしたら⋮⋮と思ってたんで、これは納得。だけど意外だったのが
⋮⋮。
﹁︱︱らぽっくさんたちと敵対してるってところか﹂
﹁敵の敵は味方と行きませんか?﹂
さりげなく稀人が彼との共闘を提案してきたけど、現状だとちょ
っと判断し辛いね。
仲間割れに見せかけてこっちの油断を誘う姦計かも知れないし、
そもそもアレとは極力係わり合いになりたくない。生身の体になっ
たいまは特に。
カテドラル・クルセイダーツ
﹁まあ、それは後に考えるよ。取りあえず、聖堂十字軍の実力も知
れたし﹂
改めて確認すると1万人近くいた吸血鬼がことごとく掃討されて、
彼らには目立った損害がない程だった。
ゲームなら中級∼上級レベルのプレーヤークラスの実力だね。
﹁らぽっくさんたちも付いてるからね。勝てる公算が強いかな? 取りあえず結果が出てから考えるよ﹂
977
ってどーいうことです? いったい貴女、
﹁なるほど。わかりました。︱︱ところで﹂
愛しの緋雪ちゃん
﹁ん?﹂
﹁
何人の男を狂わせてるんですか?!﹂
﹁人を男を手玉に取る魔性の女みたいに言うな!!﹂
ジル・ド・レエ
真顔で非難されて、再び﹃薔薇の罪人﹄を振るいながら、逃げる
稀人を追いかけて、もと来た道を戻るのだった。
978
第三話 聖堂騎士︵後書き︶
緋雪が空気ですw
敵の正体は謎です。ちなみにパーレン﹁︵﹂アクサン﹁´﹂アポス
トロフィ﹁・﹂オーム﹁ω﹂ですけど、別に意味はないと思います
︵棒︶
それと﹃魔法の横綱:マジカル★ちゃん子ちゃん﹄は別な作品の企
画だったのですが、使う機会がなく今回使用しました。本来は女の
子が変身してちゃん子ちゃんになる話です。たぶん需要はないでし
ょうね。
979
第四話 黒子散華
セイント
神の御名の下、たとえ力及ばず倒れることがあろうと、その信仰
カテドラル・クルセイダーツ
は不動であり、その魂は不滅である。
そう固く信じていた聖堂十字軍騎士団長にして、﹃聖人﹄の認定
を受けし神に最も近い人間であるベルナルド・グローリア・カーサ
スであったが、その心を始めて恐怖と絶望とが支配しようとしてい
た。
︱︱なんだこれは?!
地平線を埋め尽くさんばかりの吸血鬼どもの群れ。
︱︱なんだあれは?!
真昼であるはずの時間帯を闇色に染める暗雲と聳え立つ漆黒の城。
︱︱なんだそれは?!
吸血鬼どもの先頭に立って向かってくる巨大な魔物の集団。
︱︱なんだなんだ、なんなんだ俺が見ているのは?!
そしてまるで天を食い尽くさんばかりに大口を開けた、言語を絶
する⋮⋮巨大という言葉すら生ぬるい腐った竜のような不浄な怪物!
ニドヘック
﹁はははははっ、いかがですか? 50万人からの成り損ないから
作り上げた私の傑作﹃廃龍﹄は! 縫製や編み物が得意なのでちょ
980
っと特技を生かして作ってみました﹂
相対的にゴマ粒のようにしか見えない頭の上で、吸血鬼どもの首
パーツ
魁を名乗る仮面の怪人パーレンが、心底愉快そうに腹を抱えて嗤っ
ニドヘック
ていた。
廃龍の部品と化した人々︱︱吸血鬼にもなれず死者でもない彼ら
が、溶け合いながら涙を流し、パクパクと声にならない苦痛と怨嗟
を叫び、手を伸ばして救いを求めていた。
地獄。陳腐な表現ではあるが地獄としか言いようのない光景であ
った。
グレンデル
まるで昨日の怪物を仕留めた立場が逆になった形で、楔形で突貫
を敢行した5,000名の大陸最強騎士団もいつしかその勢いを減
ぜられ、身動きがとれなくなったところで徐々にその数を減らされ
ていった。
死ぬのならまだ良い。天国の門は彼等のものであるのだから。
だが、ああ⋮⋮化物どもの先頭に立って、喜悦の表情を浮かべ、
人間にはあり得ない尖った牙を剥き出しにしているのは、さっきま
で隣に居た同僚ではないのか?!
﹁全員、これより敵首魁に向け突貫する! 一人でもよいっ、奴の
首をあげろ! 振り返るな! ︱︱突貫っ!!﹂
ベルナルドが残った手勢をまとめて玉砕覚悟の前進を仕掛けるの
を眼下に望みながら、
﹁おおっ。ド根性だね﹂
パーレンは嗤いながら、足元の顔の一つ︱︱かつてグラウィオー
ル帝国宰相の肩書きを持っていた男の悲嘆に暮れた顔︱︱を片脚で
981
蹴り飛ばした。
ニドヘック
﹁よし、行け。廃龍! 試運転だ﹂
ニドヘック
刹那、空が落ちてきたかのように、生き残りの聖堂騎士達の頭上
カテドラル
に廃龍の巨大な顎が迫り、一瞬の抵抗も虚しく、周囲の吸血鬼たち
・クルセイダーツ
もまとめて一飲みとされ、これにより大陸最強部隊と謳われた聖堂
十字軍は、あっけなくこの世から消滅したのだった。
﹁おやおや。これは腹の中で選り分けるのが面倒そうだね﹂
軽くシルクハットの位置を直しながら、パーレンはそう呟いた。
そこへランダムな軌道を描きながら、らぽっくの8剣が迫る。
シャドウ・ブランチ
﹁︱︱そう来るのは予想通り!﹂
ニドヘック
瞬間、影分身で移動したパーレンの分身を8剣が切り刻み、頭の
上だけで数百mはある廃龍の上から上に移動したパーレンが、パチ
ンと指を鳴らした。
その合図を受けて、地平線を埋め尽くさんばかりだった吸血鬼の
群れが、一斉に自分の首筋に尖った爪をあて、一気に動脈を切った。
吹き出る血潮が噴水のように大地を赤く染める。
その一箇所。一見なにもないように見えた空間がぐにゃりと曲が
って、一人は煌びやかな銀の鎧を着込んだ金髪の美丈夫に。もう一
人はこれといって特徴のない黒髪の青年へと変じた。
﹁しもた! これでも当たり判定が来るんか!?﹂
黒髪の青年が舌打ちしたところへ、間髪入れずに闇色の稲妻が飛
982
んできた。
ウォーロックスキル﹃ダーク・ブラスト﹄
﹁見つけたぞ!!﹂
咄嗟にらぽっくが盾を構えてこれを受けるが、その頭上から︱︱
ニドヘック
あまりにも巨大すぎて遠近感が狂っていたが、ほんの一伸びで距離
を縮めた廃龍が、その重量で覆いかぶさってきた。
﹁やばい!﹂
ニドヘック
技も何もない圧倒的な質量の塊の前には、らぽっくの剣技も意味
をなさない。
﹁逃げるで!﹂
咄嗟に影郎がらぽっくの肩に手をやった瞬間、廃龍が大地に激突
した。
音にならない轟音が大気を切り裂き、近くに居た者を埃のように
空中へと吹き飛ばし、離れていたものも軒並み衝撃波で地面に叩き
付けられた。
この衝撃は凄まじく、地震となって遠く国境付近まで振るわせた
という。
ニドヘック
﹁ふむ。逃がしたかな⋮⋮? しょぼーん﹂
手応えの軽さに廃龍の上でパーレンが首を捻り、﹁まあいいか﹂
と即座に気を取り直した。
﹁先に腹の中に入った連中で腹を満たすことにしよう。あの隊長は
なかなか美味そうだったし⋮⋮﹂
ニドヘック
そう独りごちる彼の体が、ずぶずぶと泥に沈むように廃龍の中へ
983
と吸い込まれていった。
◆◇◆◇
イーオン聖王国聖都ファクシミレ。
大聖堂に隣接する︱︱否、これを中心に大聖堂が造られ神殿が形
作られた﹃蒼き神の塔﹄の最上階。
四方に開いた窓から微風すら入らない、そこだけ別世界のような
ホール状の部屋の中心で、豪奢な椅子に座ったまま、報告を聞いて
いた青い髪に青銅色の鱗状の肌を持った異形の男が、眉間に皺を刻
んだ。
﹁⋮⋮全滅だと?﹂
﹁ええ、ものの見事に。︱︱ちゅうか、無理ゲーですわ、あんなの﹂
すす
どことなく煤けた身支度で、影郎が大仰に肩をすくめた。
その隣にぶ然とした顔で、らぽっくが立っている。
﹁貴様っ。おめおめと! そもそもなんの為にお前らをつけたと思
っている! 一度ならず二度も失敗するとは⋮⋮そもそもアレの封
印を解けなどと、誰が指示した!?﹂
﹁封印を解いたのはウォーレンのおっさんですよ。自分はあのおっ
さんのフォローをして、帝国を引っ掻き回せって言われた通りに動
いただけで⋮⋮﹂
984
と口に出した影郎の頬が派手な音を立てた。
無言で立ち上がった男が、有無を言わさず拳で殴りつけたのだ。
数歩タタラを踏んだ影郎がバランスを崩して石の床に倒れた。
その口元から、鮮血が一条こぼれる。
﹁⋮⋮あいた﹂
﹁どこまで無能だ?! 封印しておいたということはそれだけ危険
だということだろうが! 事実アレは好き勝手に暴れ回っている。
この結果の責任を貴様が取れるのか!?﹂
﹁別に、邪魔ならシマさんの命珠をぶっ壊せば済むことじゃないで
すか? てっきりなんかパフォーマンスの意味があって、自分ら派
遣されたのかと思ってましたけど違いますの?﹂
口元を手の甲で拭いながら、ちらりと壁際に並べられた色とりど
りの水晶球のようなものに視線を走らせる影郎。
8つあるうちの2個はすでに割れ、1個には始めから色がない。
ブレイカー
﹁それができるくらいならとっくにやっている! 奴は最初に生み
出したプロトタイプ、貴様らのような安全装置を仕込まなかった失
敗作だ。だが、当初の想定を上回る明確な自我を持った個体ゆえ、
何かに使えるかと封印しておいたものを﹂
男は怒りを押し殺した表情で、影郎を見下ろす。
自分達を完全にモノ扱いしている男の言動に、密かにらぽっくが
奥歯を噛み締めた。
﹁んじゃやっぱ、責任は旦那さんにあるんと違いますか? 失敗し
たのも放置したのも旦那さんですから、製造者責任と管理責任とも
に旦那さんですわ﹂
985
あっけらかんと言う影郎の襟元を掴んで、無理やり立たせる青い
男。
﹁貴様、言うに事欠いて⋮⋮誰に口を聞いているつもりだ。こので
きそこないが! 誰のお陰でこの世に生を受け、力と居場所を与え
てもらったと思っている! その恩を忘れたか?!﹂
﹁恩なんぞもらった覚えはありませんな﹂
醒めた目で一蹴して、軽く男の手を振り払う影郎。
﹁なんかここに居るのも飽きましたわ。お暇をいただきます﹂
﹁は⋮⋮? なにを言ってる貴様?﹂
﹁辞めさせてもらうと言ってるんですけど? なんか毎回理不尽に
ゴチャゴチャ言われますし、仕事といえば誰を殺せとか、どこそこ
を破壊してこいとか、そんなんばかりでウンザリですわ。︱︱そう
いうことで、抜けさせていただきます。んじゃ﹂
低頭して、影郎は背を向けた。
﹁貴様っ、どこまでもふざけたことを⋮⋮! ︱︱見ろっ﹂
刹那、伸ばした男の掌の上に壁際にあった水晶球のひとつ︱︱内
部に薄闇がわだかまったものが、一瞬にして移動してきた。
酷薄な笑みを浮かべて男が足を踏み出す。
﹁貴様の命珠だ。これに少しばかり力を加えればそれでお終いだ。
裏切り者には死︱︱いや、失敗作は破壊しなければならんな。貴様
が言い出したことだ。わかっているだろう? 貴様らの居場所は三
千世界のどこにもないことを﹂
影郎の足が止まった。
986
﹁自分の思うとおりにならないと脅迫か。⋮⋮まったく、こんなの
が最大ギルドのマスターだったちゅーんだから、つくづく自分はお
嬢さんのところでよかったわ﹂
しみじみ述懐する影郎に、嘲笑を浴びせる。
﹁語るじゃないか⋮⋮まるで自分が当事の当人のようにな。緋雪と
馴れ合って情が湧いたか? それとも錯覚でもしたか? 馬鹿馬鹿
しい! 貴様らはかつてのプレーヤーの幻影に過ぎん。魂のない木
偶人形が人間にでもなったつもりか? ここを出て行って緋雪のと
ころにでも転がり込むつもりかも知れんが、貴様の正体を知れば、
さっさと掌を返すだろうさ﹂
﹁⋮⋮どーですかね。お嬢さんは薄々感づいていた気がしますけど。
その上でしっかり情もかけてくださった。あんたお嬢さんのこと知
ってる風でぜんぜん知らないんと違います?﹂
刹那、男の顔から一切の表情がなくなった。怒りの感情が振り切
れて逆に平坦になったのだろう。
﹁⋮⋮⋮⋮死ぬがいい﹂
ミシッと水晶球にひび割れが走った。
﹁ぐっ⋮⋮確かにあんたが、自分を生み出したかも知れん⋮⋮けど、
死に際は自分で選ばせてもらうで⋮⋮!﹂
苦しげに胸元を押さえながら、影郎は手近な窓へと走り、自ら床
を蹴って外へと飛び出した。
その体が弧を描き塔から落下する。
﹁ふん⋮⋮!﹂
落下の途中で、男が手にした水晶球を粉々に砕くと、影郎は空中
987
で一瞬ピクリと仰け反り、そのまま力なく塔の下に流れていた堀へ
と落下した。
﹁⋮⋮こんなことで無駄に命珠を消費するとはな。まったく、どい
つもこいつも使えん﹂
小さな波紋が広がり、やがて浮き上がってきた影郎の背に侮蔑を
投げ掛けると、男は窓際から背を翻した。
﹁早急に次の手を打たねばならん! 大教皇を下に呼び出しておけ
!﹂
命令されたらぽっくは、水流に押されてゆっくりと遠ざかってい
る影郎の遺体から視線を剥がすと、弾かれたようにその場を後にし
た。
988
第四話 黒子散華︵後書き︶
12/20 誤字脱字の修正追加しました。
×魂のない木偶人形が人間でもなったつもりか↓○魂のない木偶人
形が人間にでもなったつもりか
×お嬢さんは薄々感ずいていた↓○お嬢さんは薄々感づいていた
989
幕間 国王縁談
カテドラル・クルセイダーツ
聖堂十字軍全滅する!
この情報は矢の様に大陸中を駆け巡り、各国の首脳部をまさに驚
天動地の混乱と恐怖へと叩き落したのだった。
◆◇◆◇
﹁なんだって!? その情報は本当なの!!﹂
アミティア共和国の首都アーラ。
内密の話があるということで、密かに冒険者ギルドの本部を訪れ
ていた緋雪は、飲んでいた香茶を危うく吹き出しかけた。
﹁間違いありません。本当です﹂
連絡をとった相手。アーラ市冒険者ギルド長ガルテ・バッソは傷
だらけの厳つい顔を歪め、沈痛な表情で頷いた。
﹁まさか⋮⋮そんなことになるなんて⋮⋮﹂
緋雪も悲痛な表情で唇を噛んだ。
﹁今度ばかりはどうしようもありません。年貢の納め時って奴です
な。事実を事実として受け止めるしか⋮⋮﹂
990
﹁それはわかってる︱︱けど、あまりにも重大事過ぎるよ。ことが
ことだし、私だって軽はずみなことはしたくない。けど⋮⋮﹂
そこで、二人揃ってため息をついた。
﹁﹁まさか、コラードが付き合ってるモナに子供が出来ちゃったな
んて﹂﹂
﹁⋮⋮悪夢ですね。ちっ﹂
﹁⋮⋮まったくだよ。普段忙しいとか言いながら。ふんっ﹂
﹁⋮⋮さすがに子供が授かった以上、身を固めないといけないでし
ょうね。けっ﹂
﹁⋮⋮そーだね、仮にも国王だからね。おめでたい話だよね。はん
っ﹂
お互いに喋っているうちにどんどんと瞳から光が失われていき、
洞窟のような目になってゆく。
﹃なんでこの二人、コラード様の出来婚でこんなに荒んでるのかな
?﹄
隣で様子を窺っていた秘書のミーアが不思議そうに首を捻った。
モテない同士のやっかみである。
﹁⋮⋮盛大に祝ってやろうじゃないですか。へっ﹂
スタンバイ
﹁⋮⋮ああ。とりあえず壁殴り隊の出番だから、手配してもらえる
かなギルド長?﹂
わら
﹁⋮⋮私的にすでに待機させてますので、いつでも行けます﹂
﹁⋮⋮流石だね。くっくっくっく﹂
﹁⋮⋮勿論です。ぐははははっ﹂
くら
ギルド長室に乾き切った二人の昏い嗤い声が、ユニゾンでこだま
した。
991
同日、実は妊娠したのは別に付き合っていた男の子供であり、ど
う言い訳しても計算上言い逃れができないと察したモナは、他の男
達から貢がれた金目の物やコラードとの間で共同預金にしていた金
インペリアル・クリムゾン
を全額引き落として、本命の男とコッソリ高飛びしたのだった。
逃げた先は、最後の足取りから、現在、真紅帝国と国交のないイ
ーオン聖王国と推定される⋮⋮とのこと。
そして、そのを事実を知らされたコラード国王は、その瞬間から
作動不能になったのだった。
◆◇◆◇
アミティア共和国初代国王コラード・ジョクラトル・アドルナー
トは、その私室に二人の来客を迎えていた。
正直、誰にも逢いたい気分ではなかったが、相手が宗主国の国主
である緋雪と、旧知の間柄の冒険者ギルド長ガルテということで、
逢わずに済ませるという訳にはいかなかった。正直、愚痴をこぼし
たい気持ちもある。
︱︱そして、すぐに後悔したのだった。
﹁やあやあ、今度は災難だったねぇ﹂
﹁女なんざ星の数ほどいるんだ、気にするな!﹂
﹁まあ、星ってのは大概手が届かないものだけどねぇ﹂
﹁上手い事を言いますな﹂
992
﹁﹁はっはっはっは!!﹂﹂
﹁あなた方、私を励ましに来たんですか!? それとも嘲笑いに来
たんですか?!﹂
額の辺りに血管を浮き上がらせたコラード国王の叫びに、緋雪と
ガルテは顔を見合わせ、﹃面倒臭いな﹄という表情から、取り繕っ
た笑みを浮かべた。
﹁勿論、励ましにきたに決まってるじゃないか。心の底から心配し
てるんだよ。普段の調子に戻ってもらおうと、はしゃいだのは悪か
ったけど﹂
﹁なんとか俺も陛下も、お前さんの助けになればと、それだけを思
っているだけだ。︱︱まあ、少々悪ふざけが過ぎたかも知れん。す
まんな﹂
揃って殊勝に頭を下げる。
そんな二人のつむじの辺りを不信感のみの視線で見下ろすコラー
ド国王。
﹁⋮⋮本音は?﹂
顔を上げた二人の顔がニマニマと人の悪い笑顔になっていた。
﹁今、どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち? ハッハッハッ﹂
﹁ハッハッハッ。バカやっちゃってるけど、今どんな気持ちだ?﹂
﹁出て行け︱︱︱︱ッ!!!﹂
コラード国王の怒号が王宮全体を振るわせた。
993
◆◇◆◇
﹁縁談?﹂
塩辛に生クリームを乗せて食べたような微妙な表情になって緋雪
が聞き返した。
再びアーラの冒険者ギルド本部ギルド長室。
やっこさん
﹁ええ、流石にコラード国王も気落ちしているようで、公務をして
も半分死んでるような状態だそうなんで、なんとか持ち直してもら
いたいということで側近たちが手配したようですね﹂
ガルテギルド長も似たような微妙な顔で相槌を打った。
﹁まあ、発想はわかるかな。女に逃げられた痛手を別な女をあてが
って癒そうってことなんだろうけど﹂
や
なんか不健康だし、女性をモノ扱いしてるみたいで嫌だねぇ、と
続ける。
っこさん
﹁まあ、世の中惚れた晴れたではどうにもなりません。ましてコラ
ード国王は仮にも国王。本来、正妻の他に側室の10人くらいいる
のが普通なんですから﹂
基本的に現代も変わらないが、ある程度の年齢で社会的地位のあ
る男性が結婚していない場合は半人前扱いされるのが常である。
﹁⋮⋮そのあたりの考えは理解できないねぇ。好きな相手がいるか
ら結婚したいならともかく、結婚したいから相手を探すのは順序が
逆だし、相手に対しても失礼だと思うんだけど﹂
994
﹁まっ、理想はそうなんですけどね。世の中、お伽噺のようにはい
きませんや。それとも、姫陛下は塔に閉じ込められたまま、いつか
来る王子様を待ってられますか?﹂
﹁まさか! 自力で逃げ出すに決まってるだろう。︱︱ああ、今回
のコラード君の場合は、自力で見つけたお姫様に裏切られたわけだ。
⋮⋮確かに傷が深いだろうね﹂
そう思って、流石にこの間はやりすぎたかなぁと反省するのだっ
た。
﹁んで、そんな簡単にお相手とか見つけられたわけ?﹂
﹁まあ、実際独身の国家元首ですからね。もともと国内外からかな
とう
りの数の縁談はきていたようです。今回のお相手は隣国の国王の姪
にあたるお姫様で、22歳と若干薹が立ってますが、なかなかの美
姫と評判ですよ﹂
ちっ、と舌打ちしながら吐き捨てるガルテギルド長。
ちなみにこの世界では結婚適齢期は女性の場合14∼18歳くら
いである。
﹁へえ、偉い人になるとやっぱ違うんだね﹂
﹁それを言ったら姫陛下こそ求婚だの縁談だの凄そうですけど?﹂
みこと
﹁⋮⋮いや? 昔、出会って1分で求婚したバカがいたけど、それ
セ
以外にはその手の話は聞いたこともないねえ。︱︱ねえ、命都?﹂
ラフィム
話題を振られた当の本人。緋雪の後ろに立っていたメイド姿の熾
995
天使の命都が、一瞬、目を泳がせた。
てんがい
﹁ええ⋮⋮まあ、ないことはありませんが、天涯殿が﹃このような
不敬な申し出など姫のお耳に入れることなどない﹄と﹂
﹁⋮⋮ああ、まあ、ある意味ナイス判断かな。ちなみにどの程度の
申し込みがあったわけ?﹂
緋雪の問い掛けに命都はため息をついて答えた。
﹁︱︱869%です﹂
﹁はい⋮⋮?﹂
﹁いまのところ大陸全土から申し込みが着ています。国別で100
%。重複も併せてトータルで869%になります﹂
﹁⋮⋮オールコンプって。あれ? 聖王国は別だよね⋮⋮?﹂
セラフィム
﹁⋮⋮⋮どこにでも背信者というのはいるものですね﹂
銀髪の熾天使がしみじみと語った。
◆◇◆◇
やけっぱち
縁談の話はトントン拍子に進み。
当人が半ば自暴自棄になっていたこともあり、気が付いたら隣国
ウェルバ王国の王城にある控え室で、先方の王族相手の挨拶の為、
コラードは侍女に手伝われて着替えを行っていた。
⋮⋮なんで私はここにいるんでしょう?
996
いまさらながら、失恋の痛みも癒え頭が冷えてきた。
冷静になってきたところで、コラードは茫然とここのところの出
来事を振り返ってみた。
大臣達から縁談の話を持ちかけられ、適当に頷いていた。そして
移動用の馬車に乗せられ、近衛兵と姫陛下が護衛につけてくれた直
属部隊に守られ、国境を抜け隣国へと入り、先導役のこの国の貴族
に挨拶をして、首都の街並みを眺めながら王城へと入った。
記憶にはある。だが、まるで実感がない。
なにかの映像の記憶のようにそこに付随する感情が一切なかった。
そして、この土壇場になってやっと﹃縁談﹄という実感が湧いて
きたのだった。
じわり⋮と背中に嫌な汗が流れる。
まずい、まずい、これは非常にまずい!
一生を決める問題が逃げられない形で目前に迫っているのを感じ、
自分がとてつもない巨大な蟻地獄に落ちた気がして、足元が震えそ
うになる。
着替えが終わったところで、衛兵に先導されて部屋を出ようとし
たところで、
﹁どうしたんです? 顔色が悪いみたいだけど?﹂
開いた扉の脇に立っていた今回、緋雪の頼みで警護についた兎人
族の女傑クロエが、怪訝な表情で首を捻った。
﹁⋮⋮いや、その、私はもともと平民の出なので、他国の王族とか
はどうにも苦手でね。どうしても緊張してしまうんだ﹂
適当に誤魔化すために口に出したが、半分は本当のことである。
997
﹁ああ、別に気にしなさんな。相手も人間、アンタも人間、堂々と
してりゃいいんですよ﹂
造りの大きな顔いっぱいに笑顔を浮かべるクロエ。
﹁そういうものかな⋮⋮﹂
気弱な笑みを浮かべるコラードの背中を、バン!と一発叩くクロ
エ。
﹁悩むより行動しな! 何も気負うことはないさ。大抵なんとかな
るもんだからね!﹂
危うく吹き飛ばされそうになりながらも、どうにか踏み止まった
コラードは、カラカラと笑うクロエの顔を、身長の関係で見上げた。
大雑把そうな言葉に込められた労わりと、優しげな目が嬉しかっ
た。
﹁ありがとう。元気が出たよ﹂
コラードが礼を言うと、﹁どういたしまして﹂茶目っ気たっぷり
にクロエがウインクした。
﹁陛下、そろそろ刻限ですので⋮⋮﹂
衛兵に促されてコラードは扉をくぐり抜けた。
不思議と心が落ち着いていた。
コラードは穏やかな表情で、真っ直ぐ廊下を進んで行った。
◆◇◆◇
998
﹁断った? なんでまた?﹂
隣国のお姫様との縁談の顛末を聞きに来た緋雪は、意外そうな顔
で目を瞬いた。
﹁それが、結婚にあたってはやはり自分が幸せにしたい相手を選び
たいとか抜かしたそうで。9割方進んでいた話もパアですな﹂
﹁ふむ。まだ失恋の痛手が残ってたのかな⋮⋮?﹂
﹁いや、それが⋮⋮﹂不可解な表情で眉に皺を寄せるガルテ。﹁こ
の間まで生きる屍みたいだった、アレがすっかり健康そのもので、
どーしたもんか関係者全員不思議がってます﹂
と、話を聞いていたミーアが口を挟んだ。
﹁あの、ギルド長。それは、もしかして、新しく好きな相手が出来
たのでは?﹂
﹁﹁はあ!?﹂﹂
予想外の発想に、同時に驚きの声をあげる緋雪とガルテ。
﹁好きな相手って⋮⋮ミーア、お前心当たりがあるのか?!﹂
﹁いえ。ですが、いまのお話を聞く限り、その可能性が高いかと﹂
﹁いや⋮⋮だが、この間まで半死人だった男だぞ? どうやって﹂
﹁そーだよね。出会いなんてなかった筈だし⋮⋮﹂
思いっきり頭を悩ませる二人だった。
999
幕間 国王縁談︵後書き︶
コラードさんと彼女の関係はどうなったのですか?
と、いただいたリクエストを元にしました。
家庭的で繊細なコラードさんと逞しく豪快な姐さんならピッタリの
相性の気がしますw
12/11 誤字の修正を行いました。
×相手の人間、アンタも人間、堂々としてりゃんですよ
←
○相手も人間、アンタも人間、堂々としてりゃいいんですよ
1000
第五話 少年教皇
大聖堂の礼拝堂にある祭壇の奥に隠された小部屋があることを知
る者は少ない。そして、実際にその部屋に足を踏み入れた者はさら
に限られている。
なにしろそこに入れる者はイーオン聖王国の最高位﹃大教皇﹄だ
けなのだから。
三人の人間が、祭壇に祈りを捧げていた。
普段であれば祭壇の奥には、蒼き神と異形の魔王や獣人達との壮
絶な戦いが描かれた壁画が真っ先に目に入る。だが、今宵ばかりは
その壁画が中央から真っ二つに割れて、人一人が通れるほどの隙間
から青白い光が漏れていた。
何者かの訪問を待つように、一人の少年を先頭に、三角形を描く
形で祈りを捧げていた三人が、ふと、顔を上げた。
﹁⋮⋮猊下。いらっしゃいましたぞ﹂
少年の背後で両膝を付いていた二人の老人の一人が呟いた。
三人がまとうのは穢れなき白き長衣。
老人二人は聖教枢機卿を示す紫の帯を巻いているのに対して、少
年は空のように青い帯を巻いていた。それはすなわち聖教最高位を
現す帯だった。
開かれた通路の奥から固い足音が近づいて来る。足音は徐々に大
きくなって来た。
一層頭を下げる一同の前に、ついに足音の主が姿を現した。
1001
その人物はマントを翻し、傲然と祭壇の前に立ち。それに一歩遅
れて翼を大きく広げ、ふわりともう一つの影がその背後に付き従う
ように降り立つ。
片や銀色の曇り一つない精緻な装飾を施した鎧に身を包んだ金髪
の青年剣士であり、片やその背に純白の一対の翼を持った紅い髪の
少女の姿をした天使であった。
﹁イーオン聖王国大教皇ウェルナー・バーニ﹂
剣士の前に一歩進み出た天使が口を開く。
﹁︱︱はっ﹂
少年が深く頭を下げる。
﹁同じく枢機卿アレッシオ・ダントーニ。枢機卿サンドロ・ブラー
ジ﹂
﹁﹁はっ﹂﹂
﹁面を上げなさい﹂顔を上げた三人を確認して、天使は淡々とした
仕草で首肯した。﹁⋮⋮相違ないことを確認しました。同席を許可
します﹂
﹁﹁﹁ははーっ﹂﹂﹂
再び深く頭を下げる三人。
それを確認して天使が再び青年の後ろへと下がる。
﹁まずは現状を確認したい。事態はいかに進展し、聖教はいかなる
対応をとる所存か?﹂
代わって青年が口を開いた。
1002
カテドラル・クルセイダーツ
セイント
﹁は。派遣いたしました聖堂十字軍は団長たる﹃聖人﹄ベルナルド・
グローリア・カーサス以下5,102名全員が未帰還︱︱﹂
アレッシオと呼ばれた老人が震える舌で、ようやく唾を飲み込み
ながら言葉に出した。
﹁また、ユース大公国の不浄なる魔物どもはいまだ健在であること
を確認いたしております。これにより⋮⋮遠征軍は任務に失敗し、
全滅したものと見なしております﹂
しんとした空気が礼拝堂を支配するが、青年剣士も天使も微塵も
動じた様子もなく、﹁それで?﹂と続きを促した。
﹁⋮⋮こ、これにより、現在第二次遠征軍の編成中でございます﹂
アレッシオに代わって、もう一人の枢機卿サンドロが答えた。
ジハード
﹁第五軍、第八軍を中心に聖騎士1万名。さらに徴収及び志願兵が
みことのり
5万⋮⋮さらに司教位以上の者が5名従軍し、現地にて﹃聖戦﹄の
詔を使用する所存でございます﹂
ジハード
﹃聖戦﹄はイーオン聖教の奥の手︵或いは禁じ手︶であり、高位聖
職者が唱えることで、教団員すべてを死を恐れぬ凶戦士として操作
することが可能となる。このためたとえ素人であろうと、並みの戦
士以上の戦力として使用することが可能となるが、使ったが最後、
味方を使い潰すことを前提とした自爆技でもある。
ニドヘック
︱︱合計6万の凶戦士か。並みの相手なら圧倒的なんだが、あの
廃龍相手には、無駄に餌をくれてやるようなもんだな。
らぽっく
悲壮な決意を固めた枢機卿たちとは反対に、青年剣士は鼻白んだ
面持ちで話を聞いていた。
その目がひれ伏したまま、震えて先ほどから一言も口を聞かない
少年︱︱大教皇ウェルナーに向けられる。
1003
︱︱やっぱ現状、自由に動かせる最大火力は緋雪さんのところだ
けか。理想としては緋雪さんが自発的に出張ってくれれば御の字な
インペリアル・クリムゾン
んだが、貸し借りもない見知らぬ他人を助けに来るわけもないか。
レッサー・バンパイア
事実、現在まで真紅帝国の魔物たちは、クレス領に進入しようと
する下級吸血鬼を撃退こそしているが、積極的に攻勢をかけようと
いう姿勢は一切見せていない。
やって来る相手を撃退することを、七面鳥撃ち感覚で楽しんでい
る様子すら窺えた。
彼らにとって見れば良い娯楽なのだろう。
インペリアル・クリムゾン
︱︱なら、多少節を曲げても真紅帝国と協力して事に当たるべき
だろうが、どう考えても聖教の石頭のジジイどもが納得するわけな
いしな。せめて、このガキがもうちょっと使えるんなら、トップダ
ウンで勅命が下せるんだが、そんな度胸も威厳もないし。
やはり、俺がこの場で意見するしかないかと、内心大いにため息
をつきながら、改めて威儀を正した。
﹁蒼神の意向を伝える。ユース大公国の現状を看過してはならぬ。
あのおぞましき者どもは神意に反するものであり、これを滅ぼすた
めであればいかなる手段を行使しても構わぬ﹂
ここまでは彼らも予想済みの言葉だろう。だが、問題は次だ。
﹁その為であれば、他国との協力もやむなしだ﹂
神妙な顔で伝えられる言葉を聴いていた二人の老人だが、はっと
した顔でお互いに顔を見合わせると、恐る恐る⋮⋮という口調で確
認をした。
﹁それは、つまり、グラウィオール帝国軍と共同戦線を張れ⋮⋮と
いう意味でございますか?﹂
1004
、、、
サンドロの問いに重々しく頷く。
﹁それもある﹂
﹁それも⋮⋮?﹂
怪訝な顔で眉を寄せるサンドロの隣で、なにかに気が付いたアレ
インペリアル・クリムゾン
ッシオの顔色が目まぐるしく変化した。
﹁ま⋮⋮まさか、真紅帝国と。滅ぼすべき魔物どもとも⋮⋮!?!﹂
そのままポックリ逝きそうな顔で、言葉にならない老人達に向か
って畳み掛ける。
﹁左様。聖典にもある通り、人ならざる者はすなわち神の恩寵を知
らぬ哀れな罪人。だが、此度の難事に対して蒼神は特別に慈悲をお
与えになられた。無論、奴らも滅ぼすべき対象ではあるが、その前
に現世において多少なりとも徳を積ませることで、哀れな彼らの来
世に多少なりとも恩赦を与えようという蒼神の思し召しである﹂
﹁し、しかしそれは⋮⋮﹂
反駁しかけた二人の老枢機卿は、青年と天使の確固たる眼差しに
見据えられ、慌てて頭を深く下げた。
ゆめゆめ
﹁蒼神の詔である。努々違えぬように﹂
﹁は、ははっ⋮⋮かしこまりました﹂
心臓を鷲掴みにされたような圧迫感に、二人は脂汗を垂らしなが
ら平伏した。
﹁では。大教皇ウェルナーよ、難事にあたり蒼神から直々の御神託
がある。重大な内容だ。これより神託の間へと移動する。付いて参
れ﹂
1005
﹁⋮⋮⋮﹂
らぽっく
礼拝堂の奥の通路を視線で指し示した青年剣士だが、平伏したま
ま返事のない少年の様子に首を捻り、﹁⋮⋮ああ﹂と腑に落ちた顔
をしてから渋面になった。
かえで
﹁︱︱楓。つれて来い﹂
面倒臭げに指示された天使がウェルナーの傍まで歩いて行き、そ
のまま猫の子でも扱うように首根っこを掴んで、ずるすると引き摺
って来た。
見れば少年の︱︱軽薄そうだが見ようによっては︱︱整った顔立
ちが完全に弛緩して、白目を剥いていた。
らぽっく
楓
どうやら緊張のあまり途中から気絶していたらしい。
﹁⋮⋮起こしますか?﹂
﹁いや、このまま連れて行く﹂
再度説明するのも面倒なので、青年剣士は天使に命じて、そのま
ま奥の小部屋︱︱﹃蒼き神の塔﹄への転移魔法陣のある場所︱︱へ
と、大教皇を引き摺って消えて行った。
◆◇◆◇
と言う名の声のみの指示と、神から下賜された﹃神器﹄を
30分後︱︱。
神託
受け取った少年は、青褪めた顔でフラフラと一人神託の間を出て行
1006
った。
あのバカ
﹁大教皇に﹃封印の十字架﹄なんて渡して大丈夫なんですか?﹂
らぽっくの当然ともいえる懸念を受けて、青い異形の男はフンと
軽い嘲笑を浮かべた。
﹁構わんよ。どうせあれは有り合わせで作った安物だ。一回使えば
粉々に砕けるだろうさ。︱︱まァ、その方が良いか。行方不明の本
物の対吸血鬼用封印魔具は、下手に残しておいたせいでバカが封印
を解いてしまったのだからな﹂
﹁⋮⋮別に封印しなくても、斃してしまえば良いのでは?﹂
ふと、窓際に立っていたもう一人︱︱エルフで狩人の恰好をした、
20歳前後と見られる女性が首を捻った。
﹁そう上手くはいかん。奴を生み出した際にセーブポイントとして
石棺を用意して置いたからな。たとえ死んでも多少弱体化する程度
ですぐに復活する仕様だ。前もって石棺を破壊しておけば良いのだ
が、おそらく奴のことだ発見できないよう隠蔽済みだろう。
面倒だが封印するのが確実だ。
とはいえ奴を封印するには同等以上の魔力がないと無理だからな。
この世界でそれができるのは、俺か緋雪くらいなもの。なにしろア
レは使用者の魔力に応じた効果しか与えられん魔具だからな﹂
﹁他の者が使った場合には効果はないのですか?﹂
エルフ娘の疑問に、ふむと顎の下に手を当てる男。
﹁おそらくはな。効果がないか⋮⋮お前らなら、数時間程度は動き
を止める事ができるかも知れんが、それだけだ。いちおう人間とし
てはかなり魔力の強い、さっきの大教皇クラスでは数分程度といっ
1007
たところか。︱︱ま、こればかりは当人を相手に実験できんからな﹂
ちなみに聖教では大教皇に選ばれる者は、神の神託によるものと
されているが、なんのことはない、聖王国内で一番魔力︵MP︶の
大きいものを選択しているだけで、そこには個人の資質や信仰心な
ど一切関与されていないのである。
﹁なるほど。それで﹃封印の十字架﹄をあのガキ経由で緋雪さんに
渡すわけですか﹂
納得した顔で頷いたらぽっくだが、再び不思議そうな顔になった。
﹁ですが、なんであのバカから直接渡すように指示したんですか?
間に人を挟んでも良かったと思いますけど?﹂
﹁バカだからいいのさ﹂侮蔑をたっぷり込めて男が断言した。﹁下
手に小賢しい奴や、凝ったやり方で渡すと緋雪のことだ、なにか裏
があると読んで使わない可能性があるからな。そこであのバカの出
番だ。緋雪の奴は、妙にあの手のバカの世話を焼きたがる傾向にあ
る。さほど疑わずに使うだろう。︱︱ま、一応保険は掛けておくか﹂
そう呟いて、男は窓際に立っていたエルフ娘に視線をやった。
﹁亜茶子。お前は大教皇の傍について、上手く渡せるよう誘導して
やれ。らぽっく、お前はタメゴローと協力して緋雪に万が一がない
よう救助できるよう待機しておけ﹂
﹁緋雪さんのサポートですか?﹂
戸惑いと若干の安堵をにじませる、らぽっく。
﹁ああ、相手が相手だ。緋雪の命を第一に優先しろ。⋮⋮なにしろ
緋雪はこの世界で唯一、俺と同じ本物の魂を持った大切な伴侶だか
らな。失うわけにはいかん。︱︱わかったな?﹂
1008
﹁はい。タメゴローにも伝えておきます﹂
﹁ええ、緋雪ちゃんの命は守ってみせます﹂
︱︱命だけはね。
内心でひとつの企てを目論み、冷笑を浮かべる亜茶子。
そんなことも知らず、青い男は遠い空の果て。緋雪を想ってほく
そ笑んだ。
﹁ま。緋雪も俺と同じ選ばれた人間だ。そうそう死ぬことはないだ
ろうが﹂
◆◇◆◇
その頃の空中庭園。
︱︱今日こそ死ぬかも知れない⋮⋮。
虚空紅玉城大広間で行われた、円卓会議終了後の四凶天王、七禍
レッドゾーン
星獣、十三魔将軍、八十八冥道長︵各魔族の有力者︶たちとの食事
会の席上で、ボクは危険領域に陥った自分のHPを確認して、今度
こそはと死を覚悟した。
﹁カレーに醤油をかけるとか、味音痴じゃないのか!﹂
﹁そっちこそソースなんて、ドロドロしたものかけて気持ち悪いだ
ろうが!﹂
1009
﹁ドロドロじゃないっ、ウスターソースだ!﹂
﹁どっちも似たようなもんじゃないの?﹂
﹁﹁胃腸薬かけてる貴様には言われたくないわっ!!﹂﹂
﹁︱︱んだとこら!?﹂
﹁まったく、若い者はこれだから⋮⋮おい、七味はないのか?﹂
﹁唐辛子ィ?! オイオイ、爺さんボケたか。カレーにはタバスコ
だろうが﹂
﹁かかっ。若いのぉ。七味の味もわからんケツの青い餓鬼が﹂
﹁おいおい。喧嘩はよしてくれ。つーか、隣で辛いものかけないで
くれるかな。せっかくのマヨネーズの風味が逃げるから﹂
﹁﹁そんなゲテモノどーでもいい!!﹂﹂
﹁まったく、普通になにもかけないのが一番でしょうに﹂
﹁あの、命都様⋮⋮麻婆豆腐にカレーを乗せるのはどーかと想うの
ですけど⋮⋮?﹂
﹁私の嗜好になにか問題でも?﹂
﹁あ、いえ・・・なんでもないです﹂
﹁まったく、カレーのトッピング如きで嘆かわしい﹂
﹁こりゃ、天涯よ。生卵や納豆、トマトケチャップをかけるのはお
主の自由じゃが、ぐちゃぐちゃ掻き回すのは、どうにも見苦しくて
いかんぞ。食欲が無うなる﹂
と、言うことで現在、大広間中に雷撃とか破壊光線とか火炎とか、
次元断層とか謎エネルギーとかが飛び交っています。
あまり
直撃こそしないものの、次々かする攻撃の余波で零璃と従魔合身
していてもHPの回復が間に合いません。
HPも残り数ドットというところで、MPも切れ始めました。
今度と言う今度こそダメかも知れないです。
なんか目の前が暗くなってきました。
︱︱おやすみパ○ラッシュ。
1010
誰だ、食事会にカレーなんて用意したのは⋮⋮?
1011
第六話 合従連衡
クレス自由同盟国の暫定首都ウィリデ。
ラバン
キャ
その近郊にある﹃転送魔法発送所﹄には、大陸各地へと向かう商
隊や団体客が長い列を作っていた。
元は人口2,000人程度の漁村に毛が生えた程度の町であった
のだが、首都機能の拡充と港湾の整備。そしてなにより、大陸中の
ここにしかない大規模転送魔法交易の発送所という目玉の登場によ
り、あれよあれよという間に市が立ち、商店が軒を連ね、それを目
当てに人々が集まり、気が付けばクレス自由同盟国最大の都市とな
り、名実共に首都として機能することになったのだった。
その行政機能を担う行政庁︵と言っても二階建ての商館程度の建
インペリアル・クリムゾン
物であるが︶の応接室で、同盟国の盟主︵仮︶であるレヴァンは、
自国の宗主国である真紅帝国からの使者を迎え入れていた。
豊満な胸を申し訳程度に薄絹で隠し、短い腰衣をまとった妖艶な
美女。
額飾りに耳飾り、首飾り、胸飾り、両の指には指輪、腕輪、足輪
とふんだんに飾り立てられ、それらすべて金細工の装飾が付けられ、
動くたびにシャラシャラと澄んだ鈴の音のような音を立てていた。
たなばた
耳目すべてを使い男を魅了して止まない、七禍星獣№7にしてア
プサラスの化身たる七夕。ちなみにアプサラスはインド神話に出て
くる天女で、修行中の僧侶をその美貌で堕落させることでも有名で
ある。
で、応接セットのソファーに座った彼女の膝の上。一見して2歳
1012
児くらいに見える美幼女人形﹃ちびちび緋雪ちゃん﹄が、可愛らし
く腕組みしていた。
﹁そういうことで鈴蘭から話が来てるんだけど、どう思う? 君の
意見としては﹂
﹁ええと、カレーにはラッキョウが合うんでしたっけ?﹂
ごくりと生唾を飲み込んで、七夕の胸の辺りからどうにか視線を
膝の上⋮⋮を軽くスルーして通り過ぎ、肉感的な太股を眺めながら、
対面に座ったレヴァンは緋雪人形の言葉に相槌を打った。
﹁⋮⋮カレーじゃなくて帝国と聖王国との共闘の件なんだけど、君
は一体なにを言ってるの⋮⋮? というか私の話聞いてる? あと
私、ラッキョウは嫌いなんだけど﹂
﹁はい、聞いてます。聖帝国が凶暴なのでラッキョウが嫌いになっ
たんですね﹂
当然上の空である。
︱︱う∼∼む、使者役を間違えたかな。この朴念仁がここまで魅
了されるとは⋮⋮。
まあ七夕がナチュラルボーンで男を幻惑するのはしかたないよ。
プロなんだし。
だけど仮にも次期獣王にして、クレス自由同盟国を背負って立つ
武道家なんだから、もうちょっと精神力鍛えたほうがいいと思うん
だよね。
このままだとどーにも話が進まないっぽいので、緋雪は対応を検
討することにした。
1013
﹁しかたがない、アスミナに連絡して少し締めてもらうしか︱︱﹂
刹那、レヴァンは正気に戻った。
﹁姫陛下っ。俺は平気です! 真面目に話をしましょう、そうしま
しょう!﹂
﹁お、おう・・・﹂
︱︱どんだけヤンデレ妹が怖いんだ?
カテドラル・クルセイダーツ
﹁で、話を戻すけど例の聖堂十字軍が全滅したらしいんだ。⋮⋮い
や、相手方に取り込まれたのかな? まあたいして変わらないけど﹂
﹁さんざん大口叩いていてこれですからね。大陸最強が聞いて呆れ
る﹂
ざまあみろと言わんばかりの口調で言い放つレヴァン。
元来が獣人や亜人を差別︵流石に近年はそこまで過激ではなくな
ってきたものの、200年ほど前までは無差別に惨殺してきた︶し
ている聖教の本家本元たるイーオン聖王国。
不倶戴天の敵の失態に喝采を叫びたくなるのも当然と言えば当然
だろう。
﹁まあ、気持ちはわからなくもないし、正直私としても余所の国の
話だし、こっちが無事ならどーでもいいんだけどね。実際、いまの
ところはクレスの国境線は破られてないだろう?﹂
﹁無論です。夜目の利かない人間族とは違って、俺達や本国の方々
は夜戦が本領ですからね。吸血鬼なんぞ︱︱っと。も、申し訳ござ
いません﹂
目の前に座る人形の本体が吸血姫だったのを思い出して、慌てて
1014
立ち上がって頭を下げるレヴァン。
﹁構わないさ。別に血族ってわけでもないんだし、気にしちゃいな
いし、容赦する必要もないよ﹂
緋雪人形は軽く肩をすくめ、﹁ただ・・・﹂と付け加えた。
ニンゲン
﹁最近、グラウィオール帝国国境側では、撃退する吸血鬼の数が増
あんばい
えてるそうなんだ。そろそろ公国内の食料が底を着いたのかも知れ
ないねぇ。︱︱こっちの按配はどうなの?﹂
﹁どうでしょう⋮⋮? ウチは基本的に避難民の誘導と警護、その
世話を主に行っていますので、最前線の戦闘は恥ずかしながら本国
の皆様にお任せしてる状況ですので﹂
このあたりが若さの発露と言うものか。前線に立って戦えないこ
とを歯がゆく思って、苦悩している様がありありと窺える。
﹁いやいや、それもとても重要な役目だよ。ウチの連中だとそうい
うことはできないからねぇ﹂
緋雪の取り成しを受けて、
﹁そうですね。現場で陣頭指揮を執っているアケロン族長からも言
われました。﹃戦いは目先の戦闘のみではない。勝つためには立場
にこだわることなく適材適所の働きをするのは、戦士たるものの当
然の務めだ﹄と﹂
レヴァンは自分に言い聞かせるように、そう言って頷いた。
﹁しかし、そうなると⋮⋮どうなのかな七夕? 国境線の様子は?
やっぱ増えてる?﹂
﹁そうですわね⋮﹂
肉厚の唇にそっと親指を当てて考え込む七夕。動作のいちいちが
1015
艶っぽいので、レヴァンはあまりそちらを見ないように目を逸らせ
た。
いずも
それでもハスキーボイスが耳からじわじわ浸透してくる。
すさ
﹁詳しい数値や内容は総指揮を執っておられる魔将軍・出雲様か、
国境一体に﹃目﹄を飛ばしておられる周参様のほうで把握されてい
らっしゃるかと思いますが、確かに体感としましては頻繁に攻めら
れる感じですわ﹂
﹃体感﹄とか﹃攻められる﹄とか蠱惑的単語を、熱い吐息とともに
語られて背筋がゾクゾクするような感覚と煩悩に刺激されるレヴァ
ン。
◆◇◆◇
にい
はん
﹁⋮⋮うふふふっ。感じるわっ。レヴァン義兄様に近づく雌狐の影
が!﹂
にゃ
その頃、周囲の静止を振り切って、獅子族の居留地から一匹の般
若が野に放たれた。
目指すは一番近い転送ポイント。
あに
普通の獅子族の脚でも4時間はかかるところだが、この吹き零れ
いもうと
るような義兄への愛があれば2時間で走破してみせる!
にい
﹁待っていてね義兄様! 可愛い義妹が必ず嫌な虫を追い払ってあ
げるから!!﹂
1016
◆◇◆◇
﹁︱︱うおっ!?﹂
猛烈な悪寒を感じでレヴァンは仰け反った。
﹁どうかした?﹂
﹁いえ、なぜか急に背筋に氷柱が入れられような、とてつもない寒
気を感じたもので⋮⋮﹂
レヴァンの言い訳に案の定、妙な顔をする緋雪人形。
﹁まあ、話を戻すけど、そのあたりのことも踏まえて、今後のこと
を鈴蘭が協議したいって言ってきてね﹂
﹁なるほど。では、当然オレも参加ですね﹂
﹁そーなるねー﹂
妙に浮かない顔の緋雪に首を捻るレヴァン。
﹁⋮⋮気が進まないんですか?﹂
﹁いや、重要性はわかるし、ほっとくと無限増殖するアレが、これ
以上力をつけるのも問題だとは思うんだけど﹂ため息をついて緋雪
は続けた。﹁︱︱ぶっちゃけ、アレには係わり合いになりたくない﹂
﹁そんなにマズイ相手なんですか?﹂
﹁う∼∼ん、単純な個人の戦力でどうにか互角くらい。国としての
総合的な戦力なら圧倒できるとは思うけど、たいへんな変態なので、
苦手なんだよねぇ﹂
1017
ここまで弱気になるのも珍しいな、と思ってまだ見ぬ今回の吸血
鬼騒動の首魁を思って眉を寄せるレヴァン。
﹁じゃあ今回のお誘いはお断りしますか?﹂
﹁ん∼∼っ、だったらだったで帝国と聖王国の混成軍の戦いになり
そうだけど、そうなったら負けて、敵の戦力増強に寄与することに
なるからねぇ。止めるべきなんだろうけど。⋮⋮というか、公国内
に生きた人間がいなくなってるなら、遠からず自滅するのは目に見
えてるんだから、待ちに徹して相手が疲弊するのを待つべきだと思
うんんだけど。あの鈴蘭がそんな基本的なことを考えないで、急遽
私と聖王国の大教皇を引き合わせて、非公式に﹃大陸三大巨頭会議﹄
を開くなんてよほどだと思うしね﹂
さらりと言われた言葉に、レヴァンは度肝を抜かされ、危うく引
っくり返るところだった。
﹁聖王国の大教皇!? それと姫陛下が同席!! そんな馬鹿な!
?!﹂
﹁それが意外とあっさり了承されたってことで、鈴蘭もビックリし
てた。あと﹃できればあのタワケにはお会いさせたくないのですが
⋮⋮﹄と言い添えられていたから、どーも本当っぽいよ﹂
﹁で、ですが、相手は聖教の最高権力者ですよ! 天敵どころでは
ないんじゃ⋮⋮!?﹂
﹁まあ、私は別にどーとも思ってないけど。相手がどう出るかだね
ぇ﹂
﹁⋮⋮行かれるおつもりですか?﹂
1018
﹁ま。顔を見るくらいはね。協力するかどうかは別問題だけど﹂
﹁正直、オレとしては気が進みません。聖教の連中と馴れ合うなん
て。⋮⋮ですが、姫陛下の意思を尊重します﹂
﹁ありがとう。別に私も馴れ合うつもりはないよ。ただ事態がひょ
っとすると私の予想を上回っている可能性がありそうなので、確認
したいだけ。その上でせいぜい高くウチの戦力が売り込めるなら、
恩を着せるのも良いかとは思ってるよ﹂
﹁それは⋮⋮オレ達、獣人族の安全の為ですか?﹂
もし、そのために姫陛下が骨折りされるというなら、自分達の誇
りにかけても阻止すべき。
そう固い決意で確認する。
緋雪はちょっと考え、
﹁⋮⋮コラード国王が、最近になってクロエと付き合ってるのは知
ってる?﹂
なぜか関係のないことを聞いてきた。
﹁いえ、初耳ですけど。あの姐さんとコラード国王がですか?﹂
正直意外な取り合わせである。
﹁これが意外なことにコラード君が熱烈に求婚してね。クロエも満
更でない様子で、見ていて妬けるというか⋮⋮﹂
﹁はあ、でもおめでたいことですね﹂
獣人族が一国の国王の后になるなどそうそうあることではない。
コラード国王なら人間性も問題ないし、悪い話ではない︱︱どこ
1019
ろか、手放しで祝福すべきだろう。
﹁近いうちに結婚するんじゃないかな﹂
﹁そうですか。その時には獣人族総出で祝福に訪れさせていただき
ます﹂
﹁うん、聖教がアミティア国内から撤退してる以上、また相手が獣
人族の女性と言うことになれば、式の形式も変則的にならざるを得
ないだろうね﹂
﹁いいんじゃないですか、お互いに幸福なら﹂
﹁そうだね。まあ、あの二人はそれでいいのかも知れないけど、周
りの目ってのもあるからねぇ。形骸化していても、形だけでも式を
あげてあげたいな、とか思うわけさ。そのために聖教のトップと顔
を合わせようと思っただけさ﹂
そう言ってヤレヤレと肩をすくめる緋雪人形。
﹁ま。それが断られるくらいなら、さっさと滅びればいいけどね﹂
﹁そんなもんですか?﹂
﹁そんなもんだよ﹂
韜晦してるのか、照れ隠しなのか、本気なのかわからないけれど、
自分達やコラード国王のためにできることは行う。あとは知らんと
言い切る緋雪の姿勢に、泣き笑いのような表情になるレヴァンなの
であった。
◆◇◆◇
1020
そして、﹃大陸三大巨頭会議﹄当日。
てんがい
いずも
すさ
現状の視察がてらユース大公国領上空を天涯、出雲、周参らを引
き連れて通過しようとした緋雪は、地平線の彼方まで延びる巨大な
竜とも、ナメクジとも、ナマコともつかない肌色の怪物を見て、唖
然とするのだった。
﹁なに、あれ⋮⋮?﹂
呆然とした呟きが、死の大地と化した領空に溶けて消えた。
1021
第六話 合従連衡︵後書き︶
12/20 脱字の追加を行いました。
×﹃目﹄を飛ばしてられる↓○﹃目﹄を飛ばしておられる
1022
第七話 廃龍暴走
デカァァァァァいッ説明不要!!
ムカデ
その怪物を目にして最初に浮かんだ感想がそれだった。
兄丸さんの移動要塞百足も大きかったけど、あれがワンボックス
に対する三輪車に思えるサイズだ。
てゆーか、キモッ! キモいよ、この怪物っ。
ムカデ
全体が肌色でテカテカして粘液みたいのズルズル流して⋮⋮。
百足はまだメカだったから許せるけど、これはないわーっ。チェ
ンジだわチェンジ!
キメラ
﹁︱︱ふむ。どうやら人間や家畜、動物、魔物まで渾然一体化した
合成生物のようですな﹂
﹃なに、あれ?﹄という先ほどのボクの疑問の声を受けて、分身体
﹃サーチ・アイ﹄を作って飛ばしたのだろう。
触手と翼を持った単眼のモンスター・ゲイザー︱︱別名﹃見つめ
しちかせいじゅう
る者﹄﹃観察者﹄の異名を持ち、ボクの従魔の中でもトップクラス
すさ
の強力で鋭敏な感知・分析能力を持つ、七禍星獣№3にして筆頭の
周参が、素早く走査の目を走らせた。
セル
﹁すべての部分が吸血鬼化、もしくはそれに準じた状態として一つ
の細胞として使用されております。中心核になる部分は存在しませ
セル
ん。全体が一つの擬似筋肉であり頭脳でもあります。破壊する場合
には、順々に細胞を破壊していくか、一撃ですべてを消滅させるべ
きでしょうな﹂
1023
取りあえず目に見える形で面に現れている部分に関しては、漏れ
なく把握・解説してくれる。
﹁ふうん。全体が吸血鬼ってことは、ナメクジというより蛭って感
じかな? こいつ自身は吸血鬼の本能はあるわけ?﹂
﹁ございます。いえ、その本能が特化して暴走状態といったところ
ですな。ご覧ください。奴が移動した場所を。すべて砂漠化してお
ります﹂
言われてみれば最初ナメクジが這ったよう⋮⋮と思われた跡は、
すべて砂漠化した大地の成れの果てだった。
﹁もしかして木や草も根こそぎ吸収してるわけ?﹂
なんぼ血に飢えて暴走しても樹液までは啜らないよ、ボクは。ど
んだけ飢えてるんだろう、こいつ。
と思ったら、答えはさらに予想を上回っていた。
﹁生き物どころか、空気や大地、それどころか光の精霊力をも吸収
しております。奴の周りでは光が歪んでいるのにお気づきでしょう
か? 本来、日中は活動が沈静化する吸血鬼ベースの合成生物が、
この時間帯に活動しているのもその影響かと︱︱おっと。近づいた
分身体が捕獲されました。爆破します﹂
ぽんっと音を立てて、怪物のそこかしこで湿ったカンシャク玉程
度の爆発が起きた。
周参の分身体の爆発は、ちょっとしたガスタンクの爆発並みの威
力があるのに、上空から見てほとんどダメージを与えた様子はなか
った。
1024
﹁凄まじい吸収力ですな。捕まった瞬間に分身体の生気があらかた
吸い尽くされました。接近するのは危険ですな﹂
﹁捕縛されるほど分身体を接近させたのか、周参?﹂
てんがい
カテドラル・クルセイダーツ
天涯の疑問に、周参は﹁いいえ﹂と首︵?︶を振った。
ホーリー・ライト
﹁撃墜されました。種類としては光術系魔術⋮⋮聖堂十字軍とやら
が使用した聖光弾と同一のものと確認したしました。ただし威力は
およそ20倍と桁違いですが﹂
﹁20倍!?って⋮⋮私が言うのもなんだけど、普通の吸血鬼が聖
光とか放って平気なの?﹂
セル
﹁いいえ。当然放った部分と周辺の細胞は反動で自滅しました﹂
そりゃそうだろうね。
耐性のある私だって自分で放つ時には若干反動で肌荒れがするん
だから。
﹁それって、分身体から吸収できた生気と攻撃に使ったエネルギー
量と釣り合ってるの?﹂
﹁まったく釣り合っておりません。大赤字ですな。つまりコヤツは
馬鹿です﹂
あっさりと断言する周参。
﹁あー、やっぱ馬鹿なんだ﹂
見るからに馬鹿っぽいもんね。
﹁いかがいたします、姫。このようなお目汚し早々に始末いたしま
1025
すが?﹂
いかにも目障りという口調で天涯が提案してきた。
ボルテックス
というかもう殺る気満々で、全身に雷光をまとわり付かせている。
いずも
そして随伴していた巨大な暗黒の渦巻き︱︱十三魔将軍の次席た
る出雲も、回転速度を上げてアップを開始した。
これは止められないな⋮⋮。
﹁あーっ⋮⋮まあ、会議に遅刻しないようにさっさと片付けてね﹂
﹁勿論でございます﹂
﹁⋮⋮承知いたしました。主様﹂
刹那、待ってましたとばかり、天涯の雷光の矢が怪物の頭部を中
心に撃ち付けられ、同時に出雲の全身から暗黒色の光線が次々に放
たれた。
突然の猛威に︱︱考えてみれば、通りがかりに遭遇して見た目が
キモイからと攻撃してるんだよねぇ。通り魔じゃね?︱︱怪物が身
悶えして、声にならない悲鳴をあげる。
セル
﹁細胞破壊率3%。このペースでは完全消滅まで15分ほどかかる
計算ですな﹂
周参の冷静なツッコミに天涯が咆えた。
﹁一撃で破壊してくれる!!﹂
﹁⋮⋮本気を出そう﹂
出雲も大技を出すタメに入った。
1026
セル
﹁細胞の修復率0.8%。ふむ、総エネルギー量は減少したままか。
修復しても見た目だけだな﹂
サイクロトロン
ラグナ・スプライト・ブレス
その時、天涯の口元に円形粒子加速器が形成され、そこから天を
も焦がす超超超高圧電流が放たれた。崩滅放電咆哮。素粒子崩壊に
グラビティ・アクチュエータ
より、いかなる物体も消滅させる天涯の必殺技。
そして、同時に出雲の奥義﹃重力加速消滅波﹄︱︱重力波を使っ
て物質の運動を加速させ消滅させる︱︱が放たれた。
どちらも本来は地上で使うような技ではないのだけど。
﹁⋮⋮つーか、普通の人間がいたら垂れ流しの放射線とかで死ぬレ
ベルじゃないかい?﹂
技の余波でおもろいほど削れる自分のHPを眺めながら、ボクは
みこと
密かにため息をついた。
現在、命都と従魔合身してない素の状態なら、たぶんひとたまり
もなかったろうねぇ。
轟音と閃光で、目を閉じていてもホワイトアウトした視界がよう
やく戻ってきたところで、地平線の彼方まで延々と黒焦げ⋮⋮とい
うか炭状になった怪物の屍骸が転がっていた。
上部のほとんどは抉り取られてなくなり、あちこちがぶつ切りに
寸断されている。
﹁ふん。まだ少々燃えカスがあったか。私としたことが不甲斐ない。
︱︱周参。こやつはまだ息の根があるか?﹂
サーチ
天涯の問い掛けに、周参がぐるりと走査の目を向け、愕然とした
セル
様子で大きく目を見開いた。
﹁現在、細胞の修復率12.3%! 修復速度が先ほどまでの25
1027
6倍! 総エネルギー量26.37倍に増加!!﹂
切迫したその言葉が終わらないうちに、炭化していた表面を破っ
て、無傷の肉面が膨張するように︱︱いや、確かに膨張と収斂を繰
り返しながら︱︱現れた。
﹁なんだとォ!?﹂
追撃の雷撃を放ちかけた天涯を、周参が慌てて静止した。
﹁お待ちください! こやつ、雷と重力波を喰うことを学習いたし
ました! 攻撃するのは餌を与えるだけですぞ!﹂
﹁⋮⋮うそ﹂
ヤバイなんてもんじゃない。天涯は基本、電撃と光撃がメインな
のでまだ光術スキルを持ってるけど、こいつもともと光を喰ってい
ダーク・マター
たみたいだから多分、光撃には耐性があるだろう。つまり現状打つ
手なし。
出雲にはもう一つの奥義で暗黒粒子ビームがあるので、これは有
効な筈だけど、天涯と二人で同時攻撃をして仕留められなかった相
手だ。
一撃で消滅させるのは無理。逆にこれを喰うのを学習されたら、
こちらの切り札が一枚無くなることになるから、いまは半端に攻撃
しないで手札は温存しておくべきだろう。
見る見る復元して以前より二周りも大きくなった怪物を見ながら、
ボクは唇を噛んだ。
甘く見ていた。
これまで天涯たちの力押しでどうにかなっていたので、今度もそ
れで通ると慢心していた。
初見の敵の相手をするのに、これだけの戦力があれば充分とか、
1028
これだけ離れていれば安全とか基準はないはず。できるのは悔いの
ないよう万全の戦闘準備をすべきだったのに、戦う前からそんな簡
単な心構えを忘れるなんて⋮⋮。
﹁分が悪すぎる。ここはいったん引くよ﹂
﹁姫っ。まだ私めには充分な勝算がございます! あのような下等
ボク
な害虫如き⋮⋮﹂
主の前で敵を斃し切れずに、それどころか逆に相手を強くしてし
まったことで、プライドを傷つけられた天涯がムキになって戦闘の
継続を進言する。
﹁天涯。別に1度撤退するのは恥じゃないよ。今日は相手の様子見
ができて幸運だったと思わないと。最終的に勝てばいいんだからね﹂
とんとんと背中を叩く。
﹁⋮⋮⋮。わかりました。この空域から離脱します。いくぞ、皆︱
︱﹂
苦渋と煩悶がありありと感じられる態度で、天涯が翼を広げた。
その時︱︱。
﹁えーっ、緋雪ちゃんいっちゃうのー? ゆっくりしていってよ!﹂
いつの間にかこの高度まで、怪物が鎌首をもたげていた。
その頭の上。
ちょっとした岬ほどもあるそこを、キコキコと三輪車を漕ぎなが
ら、白い笑い仮面を装備した男がこちらへとやって来るのが見えた。
この間見たときとは違って、もあもあの毛糸の帽子にセーターを
着たその男の変わらない姿に、若干、脱力するものを感じながら、
1029
ボクは自然とその名を呼んでいた。
﹁ユ○クロさん⋮⋮﹂
﹁︱︱しま○らですし、おすし!!﹂
ニドヘック
三輪車から降りて、その場で雄叫びを上げるシマさん。
﹁取りあえず、立ち話もなんなので、こっちの廃龍の上でお話しま
せんか? 緋雪たん﹂
ニドヘック
︱︱廃龍ね。
﹁悪いけど、今日はこれから用事があるので、玄関先で失礼させて
もらうよ﹂
ポン、と天涯の背中を叩いて、離脱するように指示する。
﹁まあ、そうイケズなこと言わんと﹂
猛烈な嫌な予感を覚えた。刹那、廃龍の全身が赤く輝いた。︱︱
いや、パーツになっている吸血鬼たちの目が一斉に爛々と輝いたの
だ。
その光を浴びて、ボクを含めた全員が空中で身動きが取れなくな
イービル・アイ
った。
イービル・アイ
﹁魔眼の金縛り︱︱!? そんな神祖の私が!?﹂
﹁馬鹿なっ! 姫の魔眼すらそうそう受け付けぬ私が、このような
下級の者に!?﹂
﹁ぐおおおおっ﹂
﹁ぐううっ、邪眼使いの私を束縛するとは⋮⋮そうか! 数で確率
を補ったな!!﹂
周参の分析に拍手するシマさん。
﹁そのとお∼り! 魔眼の効果はレベル差に応じて反比例してかか
1030
り難くなる。だから普通は自分より格上の相手にはかからないけど、
確率はゼロじゃないお。増殖したこいつら魔眼全部を使えば、確率
が0.00001%でも、どれかは効果があるってわけです。⋮⋮
ということで﹂
そこでいったん口上を切り上げると、シマさんはいきなり廃龍の
上を助走して、こちら⋮⋮というか、明らかに硬直しているボク目
掛けてジャンプした。
﹁緋∼雪∼たん︱︱好きじゃあああっ!!﹂
まるでどこぞの怪盗の三代目のように、飛び込みの姿勢で空中で
着ているものを脱いで、パンツ一丁になる。
﹁にょああああああっ!?!﹂
いきなりの貞操の危機に思わず本気の悲鳴が、硬直した口から放
たれた。
プリンシパ
と、シマさんが覆いかぶさってこようとした瞬間、横合いからサ
ンライト・フラッシュの攻撃が続けざまに彼を直撃して、
﹁のおおおおおおおおっ!?﹂
間一髪、撃墜。悲鳴をあげながら地面へと落ちて行った。
﹁姫様、ご無事ですか!?﹂
リティ
危ないところを助けてくれたのは命都配下のボクの親衛隊、権天
使である四季姉妹たちだった。
﹃どうやら間に合ったようですね﹄
従魔合身中の命都がほっとした声を出す。
どうやら気を利かせて急遽呼び寄せてくれたらしい。
ほっと胸を撫で下ろしたところで、身体の自由が戻っているのに
1031
気が付いた。
どうやらコントローラーのシマさんがダメージを受けた衝撃で、
魔眼の効果が切れたらしい。
﹁︱︱全員離脱!﹂
このチャンスを逃すわけにはいかない。急加速で、天涯を始め全
員がその場を後にした。
﹁うううっ、やっぱあの人の相手は嫌だなぁ⋮⋮﹂
余裕のつもりか追撃してこないシマさんと廃龍を振り返りながら、
ボクは改めて身震いした。
1032
第七話 廃龍暴走︵後書き︶
廃龍に対して、脱皮前なら、天涯・斑鳩・出雲のTOP3の力技で
倒せたのですが、現在は無理です。
あと物理的な光は効果はありませんが、聖光はまだ効果があります。
1033
第八話 会議紛糾
非公式⋮⋮といっても、公式にはグラウィオール帝国帝都アルゼ
ンタムをイーオン聖王国大教皇ウェルナーが訪問し、滞在先の聖教
のアルゼンタム大聖堂に皇帝が足を運んで表敬訪問を行い︵国力と
は関係なく。立場上、大教皇≧皇帝となるので、皇帝の方から足を
運ぶのが通例である。さすがにこの時は皇帝本人が訪問した︶。
その夜の晩餐会に大教皇を招待したという形で、午後にイーオン
聖王国関係者が王宮を訪問していた。
そして、同時刻、王宮内の離宮にあるグラウィオール帝国皇女オ
リアーナ︵通称﹃鈴蘭の皇女﹄︶の元を、前回の領土交渉の席で親
しくなった⋮と公言するところの、クレス自由同盟国の盟主レヴァ
ン。そして、その関係者と名乗る豪奢な薔薇のドレスを身にまとっ
た、輝く黒髪の美姫が私的に訪問していたとの証言が多く残されて
いる。
インペリアル・クリムゾン
ひゆき
だが公式には、同じ日、同じ王宮内に不倶戴天の敵同士であるイ
ーオン聖王国大教皇ウェルナーと、真紅帝国︽姫︾緋雪が滞在した
などという驚天動地の出来事など記録されてはなく。
ましてや、この両者が直接顔を合わせて言葉を交わしたなど、天
地が裂けてもあり得ないことであった。
事実はどうあれ、歴史上、大教皇ウェルナーと緋雪とは、生涯一
麗しき薔薇の姫君
を
度も顔を合わせたことはなかったのであるが、なぜかウェルナーの
私的な手紙の断片や、日記のそこかしこに
恋焦がれる記載が散見され、後年、歴史家の間で﹁やはり非公式会
談はあったのではないか﹂﹁いや、もっと踏み込んでこの二人の間
1034
に個人的な交流が生まれたのではないか﹂など諸説紛糾させる原因
ともなったのである。
まあ、後世の人間はさておき。
いま現在、一番頭を悩ませているのは、この非公式﹃大陸三大巨
頭会議﹄の場を設営し、取り仕切っているオリアーナ皇女であるの
は、ほぼ間違いがなかった。
ちなみに会場の席は﹃川﹄の字型に並べられ、中心部に互い違い
インペリアル・クリムゾン
になる形で、帝国の高官が並び、左端に聖王国の高位神官一同が、
右端に真紅帝国とクレス自由同盟国の代表者たちが並んでいる。
インペリアル・クリムゾン
ひとえに聖王国側が真紅帝国との直接対話を拒んだために、この
ような変則的な会議の席次となった次第であった。
もちろん同じ部屋にいるのだから嫌でもお互いの姿は目に入るが、
聖王国側は完全に帝国側以外は存在しないものとして徹底的に無視
インペリアル・クリムゾン
を決め込み、それをクレス自由同盟国の代表たちは親の仇でも見る
ような目で睨みつけ、真紅帝国側は聖王国側のポーズとは違い、心
底この場にいる全員を机や椅子同様、風景の一部と言う認識で退屈
そうに欠伸を漏らし、聖王国側の内心の怒りに火をつける結果とな
っていた。
そんなギスギスした雰囲気の中。場を取り成すように、﹃川﹄の
中心部の上座、侍従長と共に離れて部屋全体を見渡せる位置につい
たオリアーナ皇女が、微笑を浮かべながら愛嬌を振りまき、聖王国
の上座に座った大教皇ウェルナーは、魂の抜けたような顔で、対面
に座った緋雪を凝視し、緋雪は緋雪で︵人の悪い︶満面の笑みでこ
の茶番を見守っていた。
1035
﹁それでは、ユース大公国で発生中の吸血鬼大増殖事件ですが、現
状、同領内の生存者は絶望的と見なしまして、殲滅の為三ヶ国連合
軍による﹂
﹁待ちたまえ。これはあくまで我が国主導による第二次遠征軍の支
援会議と明言してもらいたい﹂
オリアーナ皇女の発言を、素早く聖王国の枢機卿の一人が待った
をかける。
﹁︱︱ふん。せいぜい第二次敗残軍とならんようにな﹂
すかさずクレス側から嘲笑の声が飛ぶが、一瞬目元をひくつかせ
ただけで、発言した枢機卿は聞こえないフリをする。
﹁名称については今現在はあくまで仮のものであり、公式なモノで
はございませんので、皆様方がどのように呼称しようと、わたくし
から干渉するつもりはございませんわ﹂
オリアーナがやんわりと﹃好きにしたら﹄と各自の裁量に任せた。
﹁ふむ。では、その第二次遠征軍の規模についてだが。我が聖教と
しては10万規模の兵力を予定している﹂
さり気なく﹃第二次遠征軍﹄と﹃10万﹄を強調する聖王国。
インペリアル・クリムゾン
名称はともかく10万という数に、帝国とクレス側双方が同時に
どよめき声を発した。
満足げに会議場を見渡す聖王国側だが、真紅帝国国主の阿呆を見
る目に気が付いて、むっと顔をしかめた。
﹁︱︱姫陛下。なにかご不審な点がございますか?﹂
1036
オリアーナもそれに気が付いて、さり気なく水を向けた。
﹁不審というか⋮⋮そもそも、君等は何と戦うつもりなのかな?﹂
﹁それは勿論、ユース大公国を滅亡させた吸血鬼です﹂
﹁具体的には?﹂
﹁元凶たる吸血鬼とその傀儡として吸血鬼にされた元ユース大公国
の住人たちでしょうか? その数は少なくとも50∼60万は存在
するものと思われます﹂
キメラ
その言葉に、ため息と共に肩をすくめる緋雪。
﹁合成獣の材料にされて、もういないよ﹂
はあ?という空気が会議室全体に流れた。
唯一、ウェルナー大教皇だけが緋雪の銀の鈴を鳴らしたような涼
やかな声を聴いて、目を輝かせ熱い視線を送ったが、話の内容を聞
いているのかは、いささか疑問がもたれるところであった。
キメラ
一方、オリアーナはなにか心当たりがあるのだろう。
﹁姫陛下。その﹃合成獣﹄とやらは、もしや蛇のような巨大な魔物
のことですか?﹂
柳眉をひそめての確認に、帝国・聖王国いずれも一部高官と諜報
部門及び軍関係者が、はっとした顔で視線を交換した。
﹁︱︱ふふん。やっぱりそっちでも情報は握っていたみたいだね。
そうそいつだよ。実体は吸血鬼事件の首謀者が、自身の眷属やそれ
に類する生命体を取り込んで作り上げた合成生物だけどね。そいつ
キメラ
が完全に他の吸血鬼を同一化して、現在北西国境線地帯に向けて進
行中ってところ。なので、敵は吸血鬼の親玉とあの巨大な合成獣だ
けだねぇ﹂
1037
﹁本当なのか!?﹂﹁俄かには信じられん﹂﹁そんな報告はどこか
らも!﹂等と小声で言葉を交わす聖王国側から、自国の高官たち方
へ視線を戻し、無言で問い掛けるオリアーナに対して、﹁我が方で
も未確認です﹂と代表して答える侍従長。
﹁⋮⋮姫陛下、誠に失礼な質問ですけれど、その情報は確かなもの
なのでしょうか?﹂
インペリアル・クリ
ピシっ!! その瞬間、緋雪の隣に座る天涯の足元から、背後の
壁に向かって一条の亀裂が走った。
﹁我が姫様のお言葉に疑問を挟むおつもりかな?﹂
ムゾン
殺気のない、むしろ淡々とした天涯の言葉に、居合わせた真紅帝
国関係者以外の全員が色を失う。
﹁疑うわけではございません。事実であれば事実として確認したい
だけです。上に立つものとして不確実な情報で、兵を死地に送るわ
けには参りませんから﹂
だが、オリアーナ皇女はまったく怯んだ様子もなく、天涯の目を
見つめ返した。大国を実質引っ張る王者の風格⋮⋮というよりも、
きちんと自分の信条を持った者の迷いのない瞳だった。
﹁ふん﹂と不快そうに鼻を鳴らす︱︱それでも矛を収めたところを
見ると、彼なりに相手の言い分を認めたのだろう︱︱天涯を横目に、
苦笑しながら緋雪が続けた。
﹁まあ当然の疑問だろうけど、情報の出所は私達自身が直接接触し
て、解析したものだから間違いはないよ。あと確認時刻はこの会議
の前の半日ほど前ってところかな﹂
それから具体的な状況を言う。
1038
偶然の接触。肥大化したその姿。草木や大地、光すら喰い尽くし
ながら進行する様子。天涯と出雲による攻撃。斃し切れず復活した
こと。その復元力と飽くなき飢え。魔眼による拘束。緋雪が自分で
見たこと分析させた事を︱︱ただし、シマさんとの接触の件は別に
して︱︱つぶさに語った。
会議室に、先ほどとは比べ物にならない驚愕と緊張が走る。
キメラ
﹁吸血鬼を材料に作られた合成獣だと!?﹂
﹁いや、待て目標が集中しているのなら、逆に一網打尽にできるの
では?﹂
﹁馬鹿を言うな。線での制圧が面に変わったのだぞ、これがどれほ
ど困難か!﹂
﹁そもそもそれほどの質量を相手にどうやって⋮⋮﹂
﹁質量よりも問題は、復元力だろう︱︱﹂
﹁まったく、余計な手出しを⋮⋮﹂
﹁だが、もっと早い段階であれば、確実に始末できたのではないの
か?﹂
﹁情報管制が裏目に出たという事は⋮⋮﹂
より混沌たるざわめきが会議室全体に飛び交う。
﹁︱︱どちらにしても﹂
オリアーナはため息混じりに誰にともなく言った。
﹁やるべきことは変わりません。もともと皆様を招いてこの会議を
開催した動機は、吸血鬼化した人々とは別に、巨大な魔物が敵の手
駒として存在することが確認されたことによるものです。正直、吸
血鬼の群れ程度であれば時間をかけての消耗戦を行えば確実にこち
らが勝つ目算がありました。ですが計算外の怪物、それも︱︱﹂
言葉を切って、ちらりと聖王国側を見る。
1039
カテドラル・クルセイダーツ
﹁聖堂十字軍を壊滅させるほどの脅威であれば、早晩、防衛線を破
られるのが目に見えておりますので。その為の対策会議であったの
ですから﹂
カテドラル・クルセイダーツ
﹃聖堂十字軍を壊滅﹄の部分で、聖王国側が一斉に眉をしかめ、反
駁しようと口を開きかけたが、どうせ建設的な意見ではないだろう
と判断して、それを覆い被せるようにしてオリアーナが言葉を続け
た。
キメラ
﹁ですが、いま姫陛下からお聞きした合成獣の具体的な数値と能力
の数々は、我々の想像を遥かに上回っております。姫陛下、我々は
インペリアル・クリムゾン
どのように対処すべきだと思われますか?﹂
視線を向けられ苦笑する緋雪。
﹁︱︱それって、私に聞くの?﹂
公式にはこの場に居ないはずの真紅帝国関係者︱︱その頂点であ
る︱︱ましてや同席している聖教関係者にとっては、本来は神に背
く異端のモノとして存在を否定している相手である。
さらに帝国・聖王国共同軍に参加を表明していない︵聖王国が共
同名義での派兵に断固たる拒否の姿を執っているため︶現在、連合
軍の今後の趨勢を占う会議の席で、それに意見するなど茶番もここ
に極まった、噴飯ものの提案であるだろう。
⋮⋮もっとも、逆に言えば事態がそれほど逼迫してるとも言える
が。
キメラ
﹁この際、お互いの立場やその他はさておきまして、ぜひご意見を
お聞かせ願いたいです。少なくとも直接、件の合成獣と戦闘を行い
生還したのは貴女だけですので﹂
﹁まあ、いいけどさ﹂
1040
熱意を込めたオリアーナの言葉に、軽く肩をすくめる緋雪。
聖王国側は、場の中心になっているのが神敵たる魔物の頭領であ
る緋雪であるのが面白くないのか、軒並み渋い顔である。⋮⋮かぶ
りつくように緋雪の全身を視線で嘗め回す、ウェルナー大教皇は別
にして。
そのあたり気が付いているんだか無視しているのかは不明だが、
緋雪は特に普段の調子を崩すことなく、飄々とした口調で言葉を繋
いだ。
﹁エネルギーを喰うといっても、吸血鬼ベースなのは変わらないか
らね。聖光が弱点になっているのは変わらないと、ウチの解析担当
者も言っている。下手に大規模魔術で中途半端なダメージを与えて、
学習されるよりも、ちまちまと物理攻撃や聖光で削っていく方が有
効だろうね。ある程度ダメージを与えてエネルギーを削れたら、こ
ちらの大規模魔術も有効だろうし﹂
﹁ですが、近づくと魔眼で操られる危険があるのでは?﹂
オリアーナが言う。
﹁魔眼というのは相手を認識しないと無意味だからねぇ。煙幕を張
ったりして、視界を塞げば防ぐことは容易なんだよ。だからある程
度距離を置いて、視界を塞いだ形で聖光の連射で相手のエネルギー
を削り、一定の水準まで相手の力を削ったところで、こちらの手勢
インペリアル・クリムゾン
を投入して大規模魔術で一掃する。このあたりが現実的な対応かな﹂
﹁なるほど。やはり真紅帝国のご助力がなければ不可能ですか⋮⋮﹂
﹁まあ、ウチ以上の火力の当てがあるなら、そちらを使えば良いと
思うけど?﹂
帝国・聖王国ともそんな当てはない。
1041
インペリアル・クリムゾン
いや、聖王国側には切り札とも言うべきものはあるが、今回は彼
のお方が介入しないことが明言されている。そして、真紅帝国と共
同して事に当たれという指示もまた成されている。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
このため彼らとしても忸怩たる思いで、オリアーナの問い掛ける
ような視線に沈黙で応じるしかなかった。
﹁ならば、こちらとしても膝を折って姫陛下に助力をお願いするし
かございませんわね。その為の条件や対応についてこれから打ち合
わせしたいと思いますが。皆様よろしいでしょうか?﹂
オリアーナ皇女が会議室全体を見回して尋ねる。
帝国、聖王国、クレスからも異論の声は上がらなかった。
1042
第八話 会議紛糾︵後書き︶
次回、アホ大教皇がはっちゃけます︵悪い方向へ︶。
10/8 文言修正しました。
×散逸され↓○散見され
1043
第九話 虜囚之華
﹁ヒユキ陛下。非常に⋮⋮わたくしとしても気が進まない、できれ
ば聞かなかったことにして、話を握りつぶしておきたい⋮⋮口に出
すのもおぞましい、世界一どうでもいいお話なのですが⋮⋮﹂
オリアーナが彼女にしては珍しい、苦悩と煩悶をありありと面に
出した顔と口調とで、これまた珍しい長い前置きを口に出した。
どうにか会議が終わって、お互いの妥協点︱︱こちらは、コラー
ド国王の結婚の承認と、希望する聖職者及び治癒術者のアミティア
への復帰。クレスに対する干渉の放棄。あちらはグラウィオール帝
国に対するウチの支援︵ま、お互いに不干渉な黙認だけどね︶︱︱
を見出したところで、取りあえず閉会となった。
で、用意された控え室へ戻ろうとしたところで、廊下でオリアー
ナに声を掛けられ、近くにあった小部屋へ案内され、﹁ご相談があ
ります﹂と切り出されたところ。
﹁なにかな? 今度の騒動に関わること?﹂
﹁⋮⋮あるといえばあるような。わたくし個人的には、おそらく関
係ないと思うのですが﹂
なおも奥歯にモノが挟まったような言い回しで、明言を避けるオ
リアーナ。
ここまで本題を先送りにするってことは、あんまし良い話ではな
いんだろうねぇ。
数呼吸ほど迷ってから、彼女は意を決したようにボクの目を真っ
直ぐに見詰めて言った。
1044
﹁はっきり言いましょう。聖王国のウェルナー大教皇が、姫陛下と
の個人的な面談をご希望されていらっしゃいます﹂
﹁ウェルナー大教皇⋮⋮?﹂
いたっけか、そんな人? 少なくとも会議中は一度も発言してな
いよね。
﹁︱︱聖王国側の一番上座に座っていた、アホ面下げて姫陛下を凝
視していた子供ですわ﹂
すかさずオリアーナの補足が入って思い出した。
ちなみに年齢でいえば彼女のほうが2∼3歳下のはずなんだけど
ね。
かんばせ
﹁ああ。あのなんか気持ち悪い目でじっとこっちを見てたスケベそ
うな⋮⋮﹂
﹁そうです。会議の最初から最後まで、姫陛下の顔やら胸やら腰や
らをずっと見て、一言も喋らなかったあの馬鹿です﹂
わかったわかった。思い出した。なんでこんなアホっぽい色餓鬼
がいるんだろうと思って、最初に見て後は無視していたんで、忘れ
かけていたけど。そーいや最初に紹介されたねぇ。
うんうん。どうりで彼女がここまで逡巡するわけだよ。
﹁つまり、前に話していた懸念が形になりそうだと﹂
懸念というのは以前にオリアーナが今の大教皇を指して言った言
葉。
初対面でブス呼ばわりされて、延々聞かされた理想の女性像。
﹃豊かな髪はあふれこぼれ光を放つ黒髪で。
瞳は宝石のような紫か紅色。
1045
肌は一片の穢れもない新雪の白。
唇はミルクに浮かんだ薔薇の花びら。
手足は早春の若木のようにほっそりしなやか。
涼やかな声は、風にそよぐ銀鈴のよう。﹄
これにどーやらボクがドストライクらしい。
なので。
︱︱あの、姫陛下。万一、聖王国の大教皇とお会いすることがあ
れば、充分に気をつけられた方がよろしいかと。
︱︱ま、まさかそんなことないでしょう。私は魔物の国の国主で
すよ。聖教の大教皇が秋波かけるわけが。
︱︱アレはとんでもないウツケですから。
﹁⋮⋮ナンパ?﹂
﹁おそらくは﹂
沈痛な表情︱︱いっそ﹁ご愁傷様﹂と言いたげな顔だ︱︱で、重
々しく頷くオリアーナ。
﹁⋮⋮非常口は?﹂
﹁あちらになりますので、ご案内させます﹂
ニドヘック
お互いに何も言わずとも、さっさとトンズラすることで意見の一
致をみた。
たわごと
﹁︱︱ああ、それと、いちおうあのノータリンからの言伝で﹃廃龍
と洋服屋の封印方法をお伝えしたい﹄というものが、ございました﹂
そのなにげない言葉に、出口に向かい掛けたボクの足が、知らず
ニドヘック
止まっていた。
﹁廃龍に洋服屋だって!?﹂
1046
なんでその単語を知ってるんだろう。さすがに情報をすべて開示
ニドヘック
キメラ
するつもりがなかったので、今日の会議でもあえてシマさんのこと
は伏せ、そのため﹃廃龍﹄という単語を避けて﹃合成獣﹄で通して
いたのに。
カテドラル・クルセイダーツ
それに﹃洋服屋﹄ってどう考えてもシマさんのことだよね。
まあ、ひょっとして聖堂十字軍が全滅したってのはブラフで、生
き残りが情報を持ち帰っていたってこともあるかも知れないけど、
シマさんは自分のこと﹃パーレン・アクサン・アポストロフィ・オ
ーム﹄って名乗ってたんだから、間違っても﹃洋服屋﹄なんて暗喩
がでてくるわけもないよねぇ。
﹁どうかされましたか?﹂
さぞかしいまのボクの顔はひどいものになっていることだろう。
怪訝そうに尋ねるオリアーナに、深いため息とともにボクは答え
た。
ペッカートル・トゥッリス
﹁⋮⋮どうやら、大教皇に訊かなきゃならないことが、いろいろあ
るみたいだねぇ﹂
◆◇◆◇
﹁⋮⋮で、ここかい﹂
なんとなく馴染みになった小道を通ってついた先が、﹃罪人の塔﹄
の正面玄関前だった。
自動修復が済んだのだろう。前に壊した穴は綺麗に塞がっている。
﹁申し訳ございません。あちら側の要望する条件︱︱人目につかな
1047
いこと。双方魔術を使えない形で安全が確保されること。双方1対
1でお話できて、第三者が入らないよう出入り口が1箇所であるこ
と。︱︱これらを兼ね備える施設がここぐらいしかございませんで
したので⋮⋮﹂
悄然と頭を下げるオリアーナ。
﹁まてっ。1対1ということは、私も同席できないということか!
? そのような条件を呑めるわけがなかろう!﹂
天涯が語気荒く反対の意を唱えた。
﹁あのアホの意向です。﹃極めて重要な件であり、たとえ家族・重
臣であっても同席せず、余人を交えずにお話したい﹄とのことです。
いまからでもお断りしますか?﹂
﹁当然であろう! 姫、このような胡散臭い話に乗る必要はござい
ません。大教皇とやらがそれほど重要な情報を握っているなど、私
めには信じられません。即、この話は断るべきです!﹂
あー、まあ、私も1対1とかすげー嫌だけど、いざとなればボコ
ボコにすればいいことだし、ここって内からも外からも移動魔法は
使えないからねぇ。
出入り口さえ押さえておけば、伏兵が魔術的移動もできないので、
お互いに条件は五分と五分ってのは確かなんだよね。まあ、遠距離
から大規模魔術撃ち込まれたらさすがに危ないけど、その為の護衛
だからねぇ。
あとは出入り口のところで、天涯に待機してもらえば、ある程度
は大丈夫だろう。
﹁⋮⋮まあ、念のためにこちらの衛兵を1名、部屋の扉の前に衛兵
待機させるのは了承させましたので、なにかあれば扉越しにすぐに
1048
声をかけてください﹂
心配そうなオリアーナと、なおも不満そうな天涯たちを連れて、
念のために先に塔の中に入って、仕掛けや伏兵などいないか入念に
チェックを行ったが、特に不審なところはなく、順々に階段を昇っ
て全員で最上階へと到着した。
その最上階の特別隔離施設は、カーペットやカーテン、家具もす
べて一新され、以前に来た時とはまったく違う部屋のようになって
いた。
さすがに殺人とかあった部屋だからねぇ。ほとんど全部模様替え
を行ったんだろう。
ま、もっともこの建物自体が牢獄なので、いままで何人の血が染
み込んでるのかわかったものじゃないけどさ。
で、この部屋も、天涯や命都、親衛隊の面々で隅々まで確認をし
て、問題なしと結論がでたところで、塔の扉が開いて誰かが昇って
くる足音が聞こえてきた。
﹁いらしたようですわね﹂
嫌そうに顔をしかめるオリアーナ。
﹁意外と響くもんだねぇ。これなら部屋の中から声をかけても、す
ぐに外に聞こえるね﹂
﹁ええ、ですので何かあれば、すぐに声を掛けてください。︱︱頼
みましたよ﹂
再度、そう念を押して、傍らに立つ中背の鎧兜をまとった衛兵に
声を掛けると、その衛兵は兜の下、くぐもった声で﹁はっ﹂と短く
1049
返事をして頭を下げた。
と、修道女らしきベールを被った女性を引き連れて、先ほどの会
議で空気だったウェルナー大教皇が、人が変わったかのようなにこ
やかな表情で、部屋の中へと入ってきた。
﹁いやーっ。お待たせしました緋雪様。元老のジジイどもがなかな
か折れてくれませんで、説得に時間がかかりました。さぞかし待ち
遠しかったでしょう! いや、申し訳ない﹂
そういいながら勝手に人の手を取って手繰り寄せる。
こっちの手を触る手つきが、すげー気持ち悪いんですけど⋮⋮。
てゆーか、こいつ本当に聖職者の最高位なの? なんか顔つきも
軽薄そうだし、いかにも甘やかされた子供って感じで、同い年のジ
ョーイと比べてもまったく覇気がないねぇ。
ボクはさり気なくその手を引き抜いて、いちおう作法どおり一礼
した。
﹁初めまして大教皇様。なにやら内密なお話があるとか、お伺いし
たのですが?﹂
いいからさっさと要件を話せ。
言外にそういう意味を込めてじっと睨んだんだけど、なんか逆に
喜ばせたみたいで、えへらぁという気持ち悪い笑顔で返された。キ
モッ!!
シスター
と、彼が連れてきた修道女が、ベール越しになぜかボクを睨むよ
うに見詰めてきた。
﹁︱︱なにか?﹂
1050
ほご
﹁⋮⋮失礼ですが﹂声を聴いた限りでは、かなり若い。まだ20歳
くらいだろう。﹁姫陛下は、猊下の示された条件を反古にされてい
らっしゃいますわね﹂
﹁ん? それは本当なのか、シスター・アンジェ?﹂
振り返ったウェルナー大教皇に向かって、大きく首肯する彼女。
﹁はい。間違いございません。わたしの︽天眼︾にははっきりと見
えております。姫陛下に付随する3匹の魔物が﹂
いっそ憎憎しげと言いたげな目つきで、ボクの胸元や影、空中な
ど順番に視線を飛ばす。
﹁⋮⋮ふむ。緋雪様、これは本当のことでしょうか? このシスタ
ー・アンジェは聖教の中でも稀な︽天眼︾の持ち主。その目は隠さ
れた真実を暴き、余も全幅の信頼を寄せている者。余は会談の前に
余人を交えずお互いに身一つでと申し入れた筈ですが、事実は余は
たばか
誠意を込めて身ひとつで参りましたが、彼女の言うことが本当であ
れば、余は謀られたということになりますな﹂
そう言いながら、﹃誠意﹄を示す証拠として、護身の為に帯に差
していた短剣を鞘ごと抜いて、傍らに控えるシスター・アンジェに
渡す。
受け取ったシスター・アンジェは、それを帝国側の衛兵︱︱出入
り口に控える予定になっている彼︱︱に、﹁猊下が退室される際に、
お返しください﹂と言って一時預けた。
ポーズかも知れないけど、ここまで無抵抗・無防備の姿勢をとら
れては、こちらとしても観念するしかない。
﹁申し訳ございません。確かに私の周囲には人知れず護衛がついて
ございます﹂
1051
こくよう
あまり
うつほ
合図を送ると、ボクの胸元から従魔合身中の空穂が、影の中から
刻耀が、空中からは零璃が次々と現れた。
﹁⋮⋮謀ったと誹りを受けても申し開きもございません。ご不快で
ありましたら、この場より退室いたします﹂
というか、なんかこいつ生理的に受け付けないタイプなので、質
問とかどーでもいいので、さっさと帰りたいところが本音になって
いる。
﹁ふん。余も随分と軽く見られたものだ。本来ならばこのような無
礼、看過しうるものではないが、これも蒼神の慈悲である。余は寛
容であるからな。一度だけなら見逃そう。︱︱シスター・アンジェ。
曲者はこれで終いか?﹂
促されて、再度、彼女がベール越しに視線を寄越した。
﹁︱︱はい、これですべてかと﹂
頷いた彼女の冷ややかな視線。
それにしても︽天眼︾ねぇ。そういえば初対面の時に、巫女であ
るアスミナも一目で合身や刻耀の存在に気が付いたみたいだし、あ
れと似たような能力なのかも知れないね。
﹁⋮⋮よろしいのですか、姫。護衛をなくしても?﹂
天涯が小声で確認してくるけど、まあ大丈夫じゃないかな。
﹁見た感じ、人間にしては跳び抜けてMPが高いみたいだけど、そ
れでも脅威になるレベルじゃないし、あっちも一人なら問題ないよ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
それでも不満そうに、続く言葉を探す天涯。
1052
﹁さて、仕切り直しになったが、これでどうやらお互いの誠意は示
されたであろう。そろそろ膝を割っての会談と行こうではないか。
その前に︱︱お主ら、邪魔だから早く出て行った出て行った﹂
シッシッとばかり手を振るウェルナー大教皇。
犬みたいに追い払われて、全員むっとした顔をしたけれど、しぶ
しぶ言われるまま足を踏み出す。
﹁それでは、部屋の外にこの者を配置しておきます。それと、30
分後にわたくしが確認に伺わせていただきますので、お二方ともご
了承お願いいたします﹂
﹁その際には、私めも同行させていただきます﹂
扉を閉める際にオリアーナが一言注意を加え。天涯が断固とした
口調で言い添えた。
﹁ああ、わかったわかった﹂
ウェルナー大教皇は部屋の中から、億劫そうに返事をした。
﹁すまないね。頼んだよ、二人とも﹂
私は部屋の外まで全員を送り出して、出入り口に立つ衛兵に会釈
をしてから、扉を閉めた。
﹁さて、ウェルナー大教皇⋮⋮⋮⋮あれ?﹂
振り返って見ると大教皇の姿がなかった。
思わずキョロキョロと部屋の中を見回すと、﹁こっちだ、こっち﹂
部屋の奥の寝室から声がした。
﹁?﹂
怪訝に思いながら、奥の寝室を覗いて見ると、天蓋つきのキング
1053
サイズのベッドの上にウェルナー大教皇がいた。首に十字架をぶら
下げただけの全裸姿で。
﹁⋮⋮な・ん・の・冗談ですか、それは!?﹂
おなご
﹁無論、男女の営みの準備じゃ。余は一目でそなたが気に入った。
まさに余の為に用意されたような女子である。大教皇たる余の寵愛
を受けるのだ。そなたにとっても、これほどの誉れもないであろう。
ささ、早う着ているものを脱げ。あまり時間を掛けられぬらしいか
らのぉ。まったく気の利かん小娘だ﹂
ベッドの上で、手招きをする大教皇。
うん。理解した。オリアーナがあんだけ嫌っていたのもわかる。
こいつ本当の馬鹿だ。
ボクの知っている馬鹿のランキングでも1位2位を争うレベルの
馬鹿だわ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
このバカ
心の底から虚しいため息をついたボクは、ベッドの上でワクテカ
しているウェルナー大教皇を、とりあえずボコボコにするため、足
音も荒く近づいて行った。
と︱︱。
目の前にバカが首に下げていた十字架が差し出された。
﹁???﹂
言っておくけど映画や小説と違って、ボクを含めたこの世界の吸
血鬼には十字架は効果はなく、見てもただのバツ印にしか過ぎない。
思わず怪訝な表情を浮かべたボクに向かって、得意げに語る大教
皇。
1054
吸血鬼の封印
。つまり、こういうことである︱︱封縛!!﹂
﹁これは我が神、蒼神より賜った神器﹃封印の十字架﹄である。効
果は
その瞬間、大教皇のいう﹃神器﹄に目の前の少年の全魔力が流れ
込むのを感じた。
﹁しまっ︱︱﹂
その魔力を吸い込んで﹃神器﹄が光り輝いた⋮⋮いや、違う、こ
れは物理的な光じゃ⋮なく⋮⋮精神に直⋮接⋮⋮意⋮識が遠く⋮⋮
マ⋮ズ⋮⋮⋮イ⋮⋮⋮⋮。
意識が遠のく寸前、﹃神器﹄がバラバラに崩れ去るのを見たよう
な気がした⋮⋮。
◆◇◆◇
﹁それでは、私と刻耀はこの場で待機する。命都、お前は親衛隊と
一緒に周辺の警戒を怠るな。それと空穂は上空の出雲と合流、念の
ためにこの街の四方を固める形で、円卓メンバーを配置するよう伝
えろ﹂
塔の入り口のところで、テキパキと仲間に指示を出す天涯に会釈
をして、いったんその場から離れるオリアーナ皇女に続いて歩きな
がら、修道女︱︱その恰好をした亜茶子は、ベールの下でほくそ笑
んだ。
︱︱お生憎様。あんたらの大事な大事な緋雪ちゃんは、いまごろ
1055
あの馬鹿大教皇のモノになってるわよ。それを知ったらどんな顔を
するのかしらね。それにアイツもそう。確かに﹁緋雪の命は守れ﹂
とは言われたけど、それ以外の指示は貰ってないんだから、これは
あの馬鹿の暴走ってことよね。
バカ
緋雪を一目見て心奪われた、あのウェルナー大教皇に、いろいろ
と吹き込んだ甲斐があった。
﹃あの娘はいまだ乙女。ウェルナー様が最初の殿方となれば、おの
ずと心まで差し出すことでしょう﹄
﹃そうなれば、魔国を手中にしたも同然。ウェルナー様の名は、魔
国を1夜にして掌握した聖教史上、最高の大教皇として永遠に語り
継がれるでしょう﹄
﹃そもそも﹁吸血鬼に対する封印の神器﹂を手渡されたということ
ちょうぶく
が、すなわちこのために使うよう蒼神が思し召したのではないしょ
うか﹄
﹃あなた様の神力ならば、かならずや彼女を調伏できますわ﹄
正直、穴があるどころか、普通に考えればありえない説明だが、
それを本気にする馬鹿さ加減はある意味、見ていて滑稽であった。
ふん、と密かに鼻を鳴らす亜茶子。
︱︱妻だの伴侶だの気持ち悪いこと言ってたけど、先にあの馬鹿
のモノになったって知ったらどうするのかしらね。せいぜい絶望す
ることね。
インペリアル・クリムゾン
まあ、これが原因で真紅帝国と聖王国との全面戦争になろうが、
主の怒りをかって命珠を壊されようが、はっきりいってどうでもよ
かった。
神様気取りのアイツに一泡吹かせられれば、彼女にとってそれは
満足できる結果だったのだから。
1056
︱︱まっ。緋雪ちゃんには悪いことしたけど、こっちはずっとア
ンタの身代わりでアイツの相手をさせられてたんだからね。八つ当
たりとは思うけど、お互いに不幸だったってことよね。
ちなみにオリアーナ皇女は気が付いていないようだが、出入り口
サイン
の衛兵は敬虔な聖教の信徒であり、前もってなにがあっても部屋の
中へ踏み込まないよう連絡してある。
サイン
念の為に出口を離れる際に、簡単な聖教の手印を結んだところ、
密かに同じ手印を返して寄越した。
︱︱あとはあのバカがヘマをしないように祈るくらいね。
そう思って、思わず日頃使い慣れた聖教の祈祷の形で祈りかけた
亜茶子は、苦笑を浮かべた。
なにしろ祈る相手を陥れるための計略なのだから。
1057
第九話 虜囚之華︵後書き︶
ちなみに1位2位のバカの一人は、生前のイトコです。
10/9 内容に加筆・修正を行いました。
12/20 誤字修正しました。
×30分後にをわたくしが確認に↓○30分後にわたくしが確認に
1058
第十話 散花狼藉
ペッカートル・トゥッリス
グラウィオール帝国帝都アルゼンタム。その王宮の外れにある﹃
罪人の塔﹄の最上階。
貴人用の特別隔離施設の扉の前で、仁王立ちして周囲の様子を窺
っていたグラウィオール帝国衛兵の鎧冑をまとった中背の男は、﹃
ドスドス﹄といかにも鼻息荒く、床を踏み締めて進む足音の後、一
拍置いてから、なにか軽いものが床に倒れる音を、扉越しに聴いて、
冑の下でため息をついた。
これからなにが起こるのかは予想できる。
できれば、そうならないように願っていたのだが、どうやら事態
は最悪の方向へ向かっているようだ。
﹁⋮⋮しかたない。これも成り行きか﹂
彼は手にした短剣︱︱先ほど預かった装飾過多の大教皇の懐剣︱
︱を無造作に剣帯に捻り込み、静かに背後の扉を開いた。
ペッカートル・トゥッリス
この﹃罪人の塔﹄は本来が監獄なのだから、当然、内側からは鍵
が掛からない。外から鍵を掛けるしかないのだが、今日は本来の用
途ではなく極秘会談の場所として使用され、またなにか事があれば
すぐに部屋の中に入れるように鍵は掛けずに、開けっ放しの状態に
なっている。
音を立てないように部屋の中に入った男は、奥の寝室から聞こえ
てくる、微かな衣擦れの音を聴いて、密かに安堵の表情を浮かべた。
︱︱どうやら、まだ事には至ってないようだな。
1059
さらに足音を忍ばせて︱︱重い鎧を着用しているというのに、ま
ったく物音を立てないその様は、騎士というよりも名うての間者か
暗殺者のようであった︱︱寝室へと足を進める。
影に注意しながら、体を沈めてそっと中の様子を窺うと、ちょう
どウェルナー大教皇が苦心しながら脱がせた緋雪のドレスを、ぽい
と無造作にベッドの下に放り投げたところであった。
残るは小振りの双丘と秘所を守る2枚の布のみ。
意識のない緋雪にのしかかって、雪のように白い肌の感触を堪能
している大教皇は、まったくこちらに注意を払っていない。
まったく鍛えていない、油断した腹回りや、生っ白い尻が丸見え
である。
︱︱ふむ。これなら少しぐらい大胆な行動をしても大丈夫だな。
そう判断した男は、自分の身支度を確認して、﹃ああ、これが手
頃か﹄という感じで一つ頷き、大教皇から預かっている短剣を抜い
た。
﹁ハァ、ハァ、なんという手触りだ。天女の羽衣もこれほどではあ
るまい﹂
大教皇が鼻息も荒く、最後の防波堤へと手を伸ばそうとしている。
﹁さて、それでは⋮⋮﹂
上下の下着の紐に指を掛けたところで、音もなくその背後に忍び
寄っていた衛兵がしゃがみこんで、手にした短剣の切っ先を、大教
皇の尻の中心部へと狙い定めた。
﹁はい、それじゃあいきますんでー。息を吐いて、力を抜いて楽に
1060
してくださいねー﹂
﹁ん?﹂
﹁3、2、1、ほいっ!﹂
男の手にした大教皇の短剣は、その本来の持ち主を鞘として、根
元まで深々と収まったのだった。
◆◇◆◇
﹁死ね! 死ね! このクズが! ゲスが! どこが聖職者! な
にが誠意だ! だまし討ちでレイプしようとするなんて!! 死ね
! 死ね! さっさと死ね!!!﹂
激高した緋雪が、下着姿のまま容赦なく、尻に短剣を生やしたま
ま、白目を剥いて口から泡を吹き、下半身からおびただしい出血を
しているウェルナー大教皇を、足で蹴り飛ばしていた。
ゴスッ!ゴスッ!と鈍い音がして、変わり果てた顔から流れ出た
鼻血が、負けず劣らずの血溜まりを作る。もの凄い勢いでHPが減
っていく大教皇の姿に、めちゃくちゃ引きながら、冑をとった衛兵
姿の黒髪の男が、恐る恐る声を掛ける。
﹁あ、あの⋮⋮お嬢さん、それ以上やったら、洒落抜きで死ぬんで、
そろそろ⋮⋮﹂
振り乱した黒髪の間から、ぎらりと凶暴な目つきで、男をひと睨
みする緋雪。
﹁殺すつもりだから、当然っ!﹂
1061
﹁いや、あの、お気持ちはよくわかるんですけど、さすがに殺すの
は、いろいろと問題が⋮⋮﹂
﹁問題なんてないよ! ごちゃごちゃ言うなら聖王国ごと消し飛ば
せばいいことだろう!!﹂
ここまで過激に激怒するとは男の方も予想外だったらしく、なん
とか緋雪を翻意させようと、大慌てで言葉を重ねた。
﹁いやいや、今回のことはあくまでこの馬鹿教皇の一存で、他は全
然知らんことなんで、さすがにそれはやり過ぎかと⋮⋮﹂
﹁んじゃ、百万歩譲っても、このゲスはこの場で殺しても文句はな
いだろう?﹂
本気で頭を潰すつもりで片足を振り上げる。
﹁ま、ま。気持ちが晴れんのはわかりますけど、ここでコレを殺し
たら、結局は戦争になるんで、なんとかこの半殺し状態で許しても
らえませんか? 自分の顔を立てると思って﹂
拝み倒しまくる男の姿を視界の端に納め、ふーっ、ふーっ、と荒
々しく肩で息をしながら、緋雪は上げていた足を思いっきり振り下
ろした。
ズンッ!と一撃でその足がベッドを踏み抜いて、絨毯を敷いてあ
る床まで貫通した。
細い足を引き抜いた緋雪は、ギリギリ直撃を逸れたウェルナー大
教皇のボコボコになった顔から、ついと視線を外した。
﹁こんなゲスの顔も見たくない! 今回は助けてもらった恩がある
から君の言葉に従って見逃すけど、今後、二度と関わるつもりはな
1062
いからね!﹂
﹁へえ、すんません﹂
頭を下げながら、懐から取り出したヒールポーションを、ほとん
ど死に掛けの大教皇へと、適当に振り掛ける男。
取りあえずHPは戻ったが、尻の花弁を散らして刺さったままの
短剣はそのままにして、手際よく両手足を縛る。
その間に緋雪は床に転がっているドレスやらソックスやら、大教
インベントリ
皇に触られた衣装を嫌そうな顔で拾って着込んでいた。塔の内部で
は、収納スペースが使えないために、着替えを用意できないせいで
ある。
塔を出たらさっさと着替えて、お風呂入って、今日着ていた衣装
はさっさと捨てようと決意する緋雪だった。
﹁そういえばさ﹂
最後に黒のパンプスを穿いて、トントンと具合を調節しながら、
ふと気になったという風に男に尋ねる緋雪。
﹁なんでここにいるの、影郎さん?﹂
訊かれた男︱︱衛兵に変装していた影郎は、ベッドの上でずっこ
けた。
﹁︱︱いまさらでっか!?﹂
◆◇◆◇
1063
﹁と、言うか、普通は﹃なんで生きてるの?﹄じゃないんですかね
?﹂
寝室から移動した隣部屋︱︱奇しくも以前に自分が殺された場所
の辺り︱︱の椅子に腰を下ろして、緋雪が手ずから備え付けの茶葉
で淹れてくれたお茶を、ありがたそうに飲みながら影郎が首を捻っ
た。
﹁⋮⋮⋮。ああ。そういえば死んだんだっけ﹂
忘れてた、と自分の分のお茶を飲みながら続ける緋雪。
﹁なんか自分の命、エラく扱いが軽いんと違います? 正確にはお
嬢さんらに殺されたんですけど?﹂
若干、恨みがましく言うも、緋雪は特に動じた風もなく、カップ
をソーサーに戻した。
﹁でも、死んでなかったんでしょ?﹂
﹁いや、しっかり死にましたよ。死んだフリしたのは確かですけど、
きっちり死んでましたから﹂
嫌そうな顔で訂正する影郎だが、元気一杯そういわれてもまった
く罪悪感の湧かない緋雪なのであった。
﹁それと、自分、いまは前の勤め先を辞めて、実質フリーなもんで、
ここにいるのは単に個人的な好奇心ですわ。三ヶ国協議とかいいネ
タになりそうだったもんで。︱︱ま、お陰でお嬢さんをお助けでき
たんで御の字でしたわ﹂
胡散臭げに影郎の顔を凝視する緋雪だが、相変わらずなに考えて
るのか知れない彼の表情から、その内心を推し量ることはできなか
った。
﹁⋮⋮まあ、それについてはお礼を言わせてもらうけど。でも、黒
1064
幕のところを辞めてフリーとかは、ちょっと信じられないね﹂
﹁ま。そうでしゃろね﹂
苦笑いする影郎。
﹁というか、そんな簡単に抜けたりできるものなの? 裏切り者に
は死、とかないわけ?﹂
リザレクション
エリクサー
﹁ありますよー。﹃死﹄というか﹃存在﹄を消されるので、これや
られると完全蘇生を唱えようが、蘇生薬を使おうが復活は無理です
なあ。︱︱ま、これがあるから他の連中も従ってるわけで﹂
エリクサー
ああ、そういえば課金アイテムに蘇生薬なんてあったなぁ。バイ
ト代で課金する時は、ほとんどガチャポンだったから忘れてたけど。
そう思いながら、緋雪は当然の疑問をぶつけた。
﹁なんでそれで生きてるわけ?﹂
﹁日頃の行いですわ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
悪びれることなく、ぬけぬけと言ってカップを空にした影郎は、
﹁お茶、もう一杯いいですか?﹂と厚かましく催促した。
無言で2杯目のお茶を淹れる、緋雪の慣れた手つきを微笑ましく
︱︱傍目には胡散臭い笑みにしか見えないが︱︱見守りながら、影
郎は続きを口に出した。
﹁まあ、一か八かの賭けだったんですけどね。ちょうど手元に万病
に効く変わった薬がありまして、これでちょいと体質を変えておい
たんですわ。で、気が付いた時には土左衛門みたいに流されてまし
て、焦りましたけど、どうにか死地を脱したということで。︱︱あ
あ、すんません﹂
礼をいって受け取ったカップの中身を美味そうに啜る。
1065
﹁ふうん。⋮⋮まあ、果てしなく怪しいとは思うけど、仮に、万一
その話が本当だとして、これからどうするの?﹂
﹁そうですねぇ。前の旦那さんと元同僚⋮3∼4人いるんですが、
これは自分が死んだと思ってるんで、しばらく身を隠すことにしま
す。︱︱それと、実は薬の副作用で、現在ちょいとままならないこ
とがありまして、こっちを先に何とかしないとマズイところですな﹂
困ったと言いながらも、まったく困窮した様子のない影郎を、胡
乱な目つきで見る緋雪。
なにげに敵の戦力を教えてくれているが、明言を避けたどっちつ
かずの態度に、ますます疑いの視線が強くなる。
﹁⋮⋮なんか他にも隠してることあるんじゃないの?﹂
影郎はあっさり頷いた。
﹁ええ、かなり隠してます。でも、まあ、これは個人的な事情なの
で、お嬢さんに直接関わる事ではないので⋮⋮ああ、そうそう、ち
ょっとお聞きしたいんですけど、お嬢さんはまだシマさんと戦う予
定ですか?﹂
訊かれた緋雪はしばし煩悶しつつも、しぶしぶ頷いた。
﹁まあ、正直、聖王国とはもう金輪際協力するつもりはないけど、
シマさんはシマさんで脅威だからねぇ。これ以上、どうしようもな
くなる前に叩いておくつもりだけど?﹂
﹁そうですか。なら、お嬢さんにお渡しするモンがありますわ﹂
そう言って懐から取り出したシロモノを見て、﹁っっっ!!!﹂
緋雪は顔色を変えて瞬時に椅子を倒し、咄嗟に部屋の出入り口まで
下がった。
1066
影郎は気にした風もなく、その掌に収まるほどの十字架をテーブ
ルの上に置いて、緋雪の方へと押しやる。
﹁﹃封印の十字架﹄。あっちで転がっている馬鹿ボンが使った粗悪
品ではなくて、シマさんを封印したのに使った正真正銘の本物です。
シマさん相手にするのに役立つと思うんで、お嬢さんが使ってくだ
さい﹂
十字架をテーブルの上に置いたまま、気楽な調子で再度、お茶を
啜る影郎。
﹁⋮⋮どーいうこと?﹂
﹁いや∼っ、自分が持ってても仕方ないんで。使い方と効果はさっ
き身をもって学習されたかと思いますけど?﹂
すでにトラウマになっている話を蒸し返され、渋い顔をする緋雪。
﹁これって使ったら、私まで反動で封印される仕様とかじゃないだ
ろうね?﹂
へっぴり腰でテーブルまで戻り、直接触らず、カップの脇のスプ
ーンで、手元まで引っ張ってきて確認する。
﹁さあ? 心配ならお嬢さんの眷属にでも頼んで、そのあたりの野
良吸血鬼封印して試してみればどうですか? 1回使ったら終わり
のパチモンではなく、これは繰り返し使えるらしいんで﹂
﹁⋮⋮そうさせてもらうよ﹂
指先で抓んで安全なのを確認して、腰の収納ポシェットにしまう
緋雪。
﹁だけど、なんでこんなもの持ってたの?﹂
1067
﹁いや、まあ、そこらへんは色々とありまして⋮⋮話すと長いんで、
ちょいと時間が足りませんなぁ﹂
言われて壁に掛かった時計を見ると、そろそろオリアーナたちが
来る時刻になろうとしていた。
2杯目のカップを空にした影郎は、立ち上がると脇に置いていた
冑を再び被った。
﹁取りあえず自分は持ち場に戻りますんで、できればこのまま一介
の衛兵ってことで見逃してもらえるとありがたいですな∼﹂
﹁はいはい。君は死人で存在しないってことだね。私の胸にしまっ
ておくってことで、これで貸し借りはなしのチャラにしておくよ﹂
﹁すんません。助かりますわ﹂
一礼して部屋の外へ出ようとした影郎だが、扉をくぐる寸前にふ
と尋ねた。
﹁︱︱お嬢さん。自分がお嬢さんの知る﹃影郎﹄でなくて、魂のな
いそのデッドコピーだとしたらどう思います?﹂
﹁別に﹂軽く肩をすくめる緋雪。﹁取りあえずここで出会って話を
してる君は君なんだし、魂とか有無とかよくわからないけど、別段
支障もないからいいんじゃないの﹂
﹁⋮⋮自分も大概ですけど、お嬢さんも軽いですなぁ﹂
見える口元を笑いの形に歪めて、影郎は扉をくぐって出て行った。
ほどなく塔の出入り口が開いて、数人の足音が慌しく螺旋階段を
早足で昇ってくる音が響いてきた。
1068
取りあえず、襲ってきたので返り討ちにしたという説明するしか
ないかなぁ。天涯を抑えるのが大変そうだけど⋮⋮と思いながら、
緋雪はすっかり冷めた自分のお茶を飲み干した。
1069
第十話 散花狼藉︵後書き︶
と言うことでタイトルは大教皇の花が散ったということです。
影郎さんは﹁なんか生きてる気がする﹂という鋭い意見もありまし
たけど、しっかり生きていました。
まあ今後はストーリーに絡む予定はありませんけど。
1070
幕間 進化錯誤︵前書き︶
イチジクのお話です。
1071
幕間 進化錯誤
シミター
ピカピカに磨かれた片刃曲刀が、俺の錆びた直剣にぶつかり火花
と鉄の破片が飛んだ。
見れば俺の剣は打ち合ったところがギザギザに弾け飛んでいた。
相手の手にしている武器に目立った傷はない。
マズイ。武器も力もなにもかも相手の方が上だ。
一瞬、怯んだところへ続けざまの連撃がきて、一撃はどうにか受
けたものの、続く剣尖が俺の肩口を抉った。
にのまえ
﹁イチジクッ!!﹂
慌てて一が俺と相手︱︱ぬめぬめとした緑色の鱗肌を持つ、トカ
バックラー
ゲの顔と尻尾をもった直立した半獣半人︱︱リザードマンの間に割
って入って、手にした錆びた斧を振り下ろす。
シミター
それをリザードマンは、余裕の表情で左手の円盾で受けて、右手
の片刃曲刀を横に薙いだ。
﹁グアアアアアッ!?!﹂
ぱっくりとニノマエの腹が割かれて、おびただしい量の血が流れ
た。
分厚い筋肉で守られたゴブリン・ジェネラルだからこそ、この程
度で済んだのだろうが、これが並みのゴブリンだったら両断されて
いたところだろう。
事実、滅多なことでは泣き言を言わないニノマエが、苦しげに斬
られた腹を押さえている。ひょっとすると傷はハラワタまで達して
いるかも知れない。
1072
ここに至って俺は決断した。
どうあってもこいつには勝てない。事実、1対多数で挑んでいる
というのに、俺が引き連れてきた精鋭のゴブリン・ナイトや精悍な
顔つきをしたコボルト・ウォーリアたちの半数は、すでに物言わぬ
骸と化している。
﹁いったん引くぞ、ニノマエ! ナイトとウォーリアは奴の足止め
をしろ! ︱︱行くぞ、ニノマエ!﹂
俺の指示に従って生き残りのゴブリン・ナイトとコボルト・ウォ
ーリア合計10匹がリザードマンに向かって行くが、奴の剣が翻る
たびに鼻くそみたいにポイポイ両断されて飛ぶ。
その間に、俺とニノマエとは這う這うの体でその場から逃げ出す
ことができた。
◆◇◆◇
いちじく
ダンジョン
まだハイゴブリンをやっている九です。
あの方に連れられて、仲間や部下達と遺跡迷宮の21階とやらに
案内された俺ですが、ここにきて、現在行き詰まりを感じています。
ここらへんに出る魔物は、上の階に棲んでいた連中とは違って、
とてつもなく手強いのが理由です。
例えば、上にもいた俺たちの主食だった︽イエローキャタピラ︾
によく似た姿で、身体がふた周り大きく赤い︽ワイルドキャタピラ
︾は、斃すのに最低でも20匹掛かりで、なおかつ毎回2∼3匹犠
牲になるのが普通です。
1073
他にも罠に嵌めようとしても、察知して逃げる頭のいい奴とか、
さっきのリザードマンのように単純に強い奴とか、どいつもこいつ
も一筋縄ではいかない連中ばかりです。
そんなわけで最初ここに来た時は80匹くらいいた俺の軍団も、
50匹くらいに減って、さしもの繁殖力の高いゴブリンとコボルト
であっても追いつかない状況です。
狩場としてここらへんは俺には荷が勝ちすぎたのかも知れません。
あの方は、﹁無理そうなら元の階層に戻すから、次に来た時にで
も言ってね﹂とおっしゃってましたので、お願いすれば元の狩場に
戻れるでしょう。
ですが、﹁君の成長速度なら大丈夫じゃないかな?﹂と言ってつ
れて来てくれたのもあの方です。
つまりそれだけ俺を期待しているわけです。
ならばここで無理ですといえば、俺はさぞかし弱い雄だと思われ
るでしょう。そうなったら一生、あの方と交尾できないのは明白で
す。雌は強い雄に惹かれるのが当然ですから。
﹁⋮⋮ならば、ここが頑張りどころだな﹂
たとえ仲間や部下を全員犠牲にしてでも、俺はさらに強くならな
いとダメなのです。
﹁とは言え、そうそう簡単に強くなる方法があるか⋮⋮?﹂
俺は考えました。そもそもこれまで出会った強い相手。その特徴
を。
﹁やはり、身体がでかくて、力が強い相手が厄介だな﹂
俺はちらりと、腹の傷に薬草をつけて転がっているニノマエを見
ました。もともとアイツはでかくて腕力がありました。つまり、そ
1074
ういったものは生まれつきの資質で左右されるということでしょう。
なら俺が身に着けるのは無理ということ。
それから、以前に剣を合わせたニンゲンの若い雄を思い出しまし
た。
あいつは体格も俺より小さくて、力も大したこともなかったのに、
俺と互角かそれ以上に戦いました。
﹁あれが技というものか⋮⋮﹂
ニンゲンの使う技とか格闘とかいう技術は、後天的に習得できる
ものらしいので、これを覚えるのは今後かなり有効そうです。
ただし問題は、魔物は基本生まれ持った力と能力で戦うのが普通
なので、そうした技を覚えるツテがないのと、仮にツテがあったと
してもおそらく一朝一夕で覚えることはできないだろうということ
です。
現在は逼迫した状態なので、そうそう時間を掛けることができそ
うにありませんから、もっと、すぐに強くなる方法を探さねばなり
ません。
そこで、俺は今日、リザードマンと打ち合って、ボロボロになっ
た剣を鞘から引き抜きました。
﹁︱︱アイツ、力やスピードもあったが、なにより武器の質が違っ
たな﹂
そう。ここに俺の求める答えがありました。
力は生まれつき。技は時間が掛かる。なら、強力な武器を使えば
いいのです。
問題はそうそう強力な武器が、おいそれと手に入らないことです
ね。
死んだニンゲンが持っていた錆びた武器や防具は、結構探せば見
1075
ダンジ
つかるものですが、ピカピカの良品となるとまず落ちていません。
ョン
なぜかというと、ゴブリン長老に聞いたところでは、この遺跡迷
宮のあちこちには、﹃宝箱﹄というものが転がっていて、︽レプラ
コーン︾という妖精族が、その中に使えそうな武器や防具をしまい
込むそうで、俺たちが目にする機会がなかなかないそうです。
それと﹃宝箱﹄は、残念ながら魔物は触れないようになっている
そうです。
ですが、逆に言えばニンゲンなら開けられるので、ニンゲンが開
てだれ
けた瞬間に襲うか⋮⋮いや、この辺りまでくるニンゲンはさっきの
リザードマンに負けず劣らずの手練で、その上、確実に集団でいる
のでタチが悪いです。
まだしもこちらも数を揃えて、連中を襲って略奪したほうが早い
でしょう。
﹁いっそニンゲンを1∼2匹飼っておくか﹂
上層の他の集落のゴブリンは、種付け用にニンゲンの雌を常時何
匹か飼うのが普通らしいですが、俺はいままで飼った事がないです。
まあ、理由としてはたまたま機会がなかったのと、飼うとなれば食
い扶持が増えるので、無駄飯喰いはいらんと思っていたからですが、
ここにきて宝箱を開ける要員として飼うのも良いかも知れないと思
い始めました。
あと贅沢を言うなら、ニンゲンの技も覚えたいので、そういう技
能を持ったニンゲンが欲しいところですが⋮⋮まあ、これも余裕が
できてからの話でしょう。
取りあえずは、もうちょっとマシな武器を調達する算段を立てね
ば。
そう思っていたところへ、食料調達に行っていた若いゴブリン達
1076
が戻ってきました。
まだ経験が浅いだけに、その手に持っているのは︽ロックワーム
︾や︽ブラッドバッド︾などという小物ばかり。これでは、全員に
餌が行き渡るかも難しいところでしょう。
せめて、今日、あのリザードマンに遭遇しなければ、俺たちがも
うちょっとマシな獲物を獲ってこられたのですが⋮⋮。終わった話
とはいえ、今更ながら考えて気落ちしてしまいます。
と、連中や奴隷のコボルト達があちこち火傷をしたり、毛が焦げ
ているのに気が付いて、声を掛けました。
﹁どうしたその怪我は?﹂
先頭に立っていた若手の中ではリーダー格のホブゴブリンが、直
立して答える。
﹁ハッ。アノ獲物ヲ狩ロウトシタトコロ、怪シイ術デ火ヲ飛バシテ
抵抗サレタ時ノ怪我デス﹂
ケット・シー
見れば、コボルトどもが木の棒︱︱いや、あれは杖か?︱︱に四
肢を縛ってぶら下げた、白い妖精猫を運んで持ってきたのが見えま
した。
猫の年はわかりませんけど、なんとなく年寄りの感じがします。
肉づきも悪くて、ほとんど喰うところもなさそうです。怪しい術と
言ってましたが、おそらく魔法でしょう。ニンゲンの冒険者の中に
も、同じように杖を持って魔法を使う連中がいたのを思い出して、
ふと俺は興味を惹かれました。
魔法⋮⋮魔法か! これもある意味強力な武器だな!
﹁あの獲物はまだ生きているのか?﹂
﹁ハイ。戦ッテイル途中デ、急二フラフラニナリ、簡単二生ケ捕リ
1077
デキマシタ﹂
﹁なるほど。おい、そいつをこっちへ連れて来い﹂
ケット・シー
おどおどしながらコボルトの若いのが運んできた妖精猫を、地面
に下ろさせ具合を見てみると、特に目立った怪我はないようですが、
ぐったりとして髭の先も垂れています。
﹁おいっ。爺さん聞こえるか? ちょっと確認したいんだが﹂
ケット・シー
すると妖精猫は伸びた眉毛の下から、力なく俺を見返してきまし
た。
﹁⋮⋮聞こえておるわい。⋮⋮ゴブリンなんぞに捕まるとは、情け
ない⋮⋮﹂
﹁ふん。﹃なんぞ﹄で悪かったな。確認したいのは、お前が魔法を
使えるかどうかだ?﹂
﹁⋮⋮使えるがいまは魔力を使い果たして、落ち葉に火をつけるこ
とすらできん。⋮⋮まったく年は取りたくないものよ。抵抗はせん
ので、喰うならとっとと喰え﹂
ケット・シー
ほうほう。やはりこの妖精猫は魔法を使えるらしいです。ならば、
こんなダシガラなような年寄りなら、この場で喰うよりも、魔法を
覚えるまで生かしておいた方が便利でしょう。
﹁なあ、爺さん。条件次第では、喰わずに生かしておいてやっても
いいんだぜ﹂
﹁ふん。この期に及んで命なんぞ惜しくはないわい。さっさと殺す
がいい﹂
﹁気の短い爺さんだな、別に爺さんにとっても損な話じゃないぜ﹂
ケット・シー
﹁⋮⋮なにがしたいんじゃい?﹂
怪訝そうに聞き返す妖精猫。
1078
ケット・シー
﹁俺︱︱いや、俺たちに魔法を教えて欲しい﹂
にやりと嗤って答えた俺の顔を、妖精猫の魔法使いが唖然とした
顔で見返しました。
◆◇◆◇
あれから1ヶ月後、俺とニノマエ、ゴブリン・ナイト、そしてゴ
ブリン・メイジに進化した、いつぞやの若手のホブゴブリンを連れ
メタルゴーレム
メンター
とやらを斃せば、武器
て、俺たちは上の階層との中間にある﹃ボス部屋﹄とやらに来てい
ました。
﹁この部屋にいる守護者
の入った俺でも触れる﹃宝箱﹄が手に入るんだな?﹂
ケット・シー
﹁そうじゃ。ま、斃せれば⋮⋮じゃが﹂
俺の質問にやや気弱げに妖精猫の魔法使い︱︱ニャンコ導師︱︱
が頷いた。
﹁どーした? 俺たちの腕が信用できないのか? アンタが魔法を
教えたんだろう﹂
﹁⋮⋮確かにお前さん方、特にお前さんの適性はたいしたものじゃ
が、まだまだ素人もいいところじゃからな。それにも増して、魔物
が﹃ボス部屋﹄の守護者を斃して、宝箱を得ようなんぞ普通は考え
メンター
んものじゃわい。こんなことが上の方にバレたらどういう制裁をさ
れるかと、儂は気が気でないわい﹂
あの方
のことか? だったら今度来た時に謝っ
背中を震わせて、落ち着かない様子で周囲を見回すニャンコ導師。
﹁上の方って、
ておけば大丈夫だろう﹂
1079
﹁︱︱あの方って誰じゃい?﹂
不思議そうに首を捻るニャンコ導師に、あの方のことを説明しよ
うとしたところで、先頭を歩いていたニノマエが、全員に聞こえる
よう注意を促す叫びをあげました。
﹁気ガツイタラシイ! ゴーレムガコッチヘ向カッテ来ルゾ! 全
員、戦闘準備!!﹂
ニノマエの指示に従って、ゴブリン・ナイトがばらばらとその背
後に着き、入れ替わりに俺の周りにいたゴブリン・メイジとゴブリ
ン・ソーサラーが先頭に踊り出ました。
俺も話を切り上げて、その列の中心に並びます。
赤い瞳
をこちらに向けて、ゆっくりと歩い
見れば鋼鉄の塊のような巨大なメタルゴーレムが、のっぺらぼう
の顔の真ん中にある
てくるところでした。
ニノマエよりも縦横ともに3回りは大きなこいつは、重量もかな
りのものなのでしょう。歩くたびに石の床が震動で揺れます。
﹁魔法隊は全員、最初の一発を撃ったら、即座にナイトの後ろに退
避! ナイトは魔法隊を死守! 魔法攻撃後、俺とニノマエで叩く。
魔力が戻り次第、遠距離から攻撃! 狙いは弱点だ。︱︱ニノマエ、
位置はわかるな?﹂
﹁目ノトコロダロウ。コンナモン、見レバ馬鹿デモワカル!﹂
ちらりと後ろを確認してみると、仲間達も全員頷いていた。まあ、
こんなあからさまな弱点なら、どんな阿呆だろうがゴブリンだろう
が見逃すわけもないですね。
俺は胸元の首飾り︱︱光る石の欠片をつなげただけの不恰好なも
のですが、なんでもこの石は﹃魔石﹄といって、魔法使いが魔法を
使う媒体になるそうで、最初に適性検査と言ってこの石に魔力を通
1080
してニャンコ導師に確認してもらったところ、俺を含めた群れのゴ
ブリンの5匹に適性があったので、狩り以外の時間を見つけては魔
法の使い方を教わり、最近では随分と上達して、狩りも楽になって
きました︱︱に魔力を通して、開いた手の間に﹁火﹂をイメージし
ます。
すると広げた掌の間に子ゴブリンの頭ほどの炎の塊が生まれまし
た。
他の魔法隊も同じように、それぞれ手の間に握り拳くらいの炎や
光、雷、風といった魔法を練り上げています。
なんでも魔法にはそれぞれ属性とやらがあり、こればかりは相性
で決まるとかで、俺以外は全員1種類の魔法しか使えません。ちな
みに俺は5種類の属性を使えます。それを知った時には、ニャンコ
導師が目を剥いて引っくり返ったものです。
﹁お主、ホントにただのハイゴブリンか?!﹂
とはいえ、いまだ魔法を習い始めて1ヶ月。いまのところモノに
なるのは火の魔法くらいですが。
﹁発射っ!﹂
俺の合図を受けて、魔法隊の魔法が次々にメタルゴーレムの頭部
へと放たれました。
真っ先に放たれた俺の炎が目に直撃するかと思われた瞬間、メタ
ルゴーレムは意外なほど滑らかな動作で、右手で弱点を防御。俺の
炎はその二の腕に焦げ跡を作った程度で四散。
何事もなかったかのようにその姿勢のまま歩みを進める、メタル
ゴーレムの身体のそこかしこに後続の魔法が炸裂するが、どれもダ
メージらしいダメージを与えられない。
1081
﹁⋮⋮ん?﹂
だが、一瞬動きが止まったのに気が付いて、俺は背後のニノマエ
を振り返った。
﹁いまの魔法は効果があったんじゃないのか?﹂
﹁ウム。雷ダッタナ﹂
ニノマエの言葉に、俺は弾かれたように雷魔法を使えるゴブリン・
ソーサラーを振り返った。
﹁お前の魔法が有効だ! 他の者はこいつのサポートにつけ! お
前はなるべく強力な雷を撃てるよう準備しておけ﹂
﹁﹁﹁﹁ワカリマシタ﹂﹂﹂﹂
﹁ニノマエ。行くぞ!﹂
俺は腰の錆びた剣を抜いた。
﹁オウ!!﹂
ニノマエも錆びた斧を振りかぶって、最前列へ躍り出た。
そのまま2匹揃ってメタルゴーレムへ討ちかかる。
ガツン!ガツン!と剣が斧が当たるたびに、こちらの武器が欠け
るが、後の事など知ったことではない。
巨大な鉄槌のようなメタルゴーレムの拳を躱しながら、なんとか
弱点の目を攻撃しようとするが、なかなかガードが固くて届かない。
そこへ、待っていた声が掛かった。
﹁︱︱雷魔法イキマス!﹂
その言葉に俺とニノマエが、素早く射線上から退避したところへ、
絶妙のタイミングで先ほどより一回り大きい雷魔法が飛んできて、
メタルゴーレムの胸に当たった。
その瞬間、予想通りピタリと動きを止めるメタルゴーレム。
1082
﹁ニノマエ!﹂
﹁マカセロ!﹂
ニノマエの斧が無防備になった目に当たる寸前、息を吹き返した
メタルゴーレムがわずかに身動ぎして、斧は目をわずかに外れて顔
面に溝を掘った。
﹁シマッタ!?﹂
逆に大技を繰り出した後の無防備になったニノマエへ向け、メタ
ルゴーレムの拳が唸りをあげる。
﹁くそっ!﹂
俺も雷の魔法を習得しておけば、こんなことにはならなかったも
のを!
一瞬後、血反吐を吐いて撲殺されるニノマエの姿を予想して、俺
はせめて一太刀なりと︱︱と全身全霊を込めて剣をメタルゴーレム
へと叩き付けた。
瞬間、俺の錆びた剣から雷のような火花が飛び散る。
﹁魔法剣じゃと︱︱?!﹂
一番後方に控えていたニャンコ導師の驚愕の声が響いた。
ニノマエに当たる寸前、俺の雷を浴びて動きを止めるメタルゴー
レム。
最大のチャンスに、俺は剣を返して、﹁食らえッ!﹂そのまま剣
先を奴の目へ突き入れた。
パリン!と案外軽い音がして、メタルゴーレムの目が割れた。
目を壊されたメタルゴーレムは、その場にガックリと倒れ込むと、
バラバラに砕け散った。
1083
﹁⋮⋮やったのか?﹂
﹁ウム。ヤッタナ、イチジク!!﹂
途端、仲間内から勝利の雄叫びが上がって、俺もボロボロになっ
た剣を振りかざして、歓声に応えた。
と︱︱。
どこからともなく妙な音楽が聞こえてきて、俺たちが戸惑ってい
る間に、メタルゴーレムの破片は床に沈み、替わりに木でできた箱
が出てきた。
﹁これが宝箱か?﹂
﹁そうじゃ。お前さんのものじゃな﹂
前に出てきたニャンコ導師に促されて、その宝箱を開けてみると、
中には1本の剣が入っていた。
﹁おおっ。これはいい、俺の剣はもう使い物になりそうにないから
なぁ﹂
ボロボロになって、ほとんど刃を残していない剣をその場に捨て
て、俺は新しい剣を掴んで抜いてみた。
曇り一つない刀身が俺の顔を映し出す。
気のせいか以前よりもさらに顔つきがニンゲンに近くなり、角も
オニ
長く、体型も無駄な肉がなくなり引き締まったような気がする。
ゴブリン
﹁⋮⋮進化したようじゃの。お主はもう小鬼ではない、︽妖鬼族︾
じゃな﹂
ほとほと呆れたという口調で、ニャンコ導師が説明してくれまし
た。
﹁それと、その剣じゃが、どうやら魔剣のようじゃな。どこまでも
規格外じゃのぉ﹂
1084
﹁ほう﹂
言われて剣に魔力を通してみると、一瞬にして螺旋状の形態に変
化しました。
﹁⋮⋮妙な武器だな。まあ気にいったので文句はないが﹂
﹁それでは、そろそろ戻ろうか。あまり長くいると、また守護者が
復活するからの﹂
﹁なに?! 守護者はまた復活するのか? なら斃せば、また﹃宝
箱﹄を得られるのか?﹂
﹁そうじゃが⋮⋮おい、まさか?!﹂
俺の言いたいことを予想できたのだろう、ニャンコ導師があたふ
たと周囲を見渡しました。
ええ、もちろん予想通りです。
﹁なら、他の連中の武器や防具も揃えんとな。俺一人では不公平だ
ろう? これの試し斬りもしたいしな﹂
頭を抱えるニャンコ導師とは対照的に、ニノマエ以下仲間達は意
気揚々と次の戦いの準備を始めています。俺は手にしたばかりの魔
剣を一振りして、仲間達と合流しました。
で、結局、この剣と新たに習い覚えた︽魔法剣︾の効果により、
その後腹が減るまで20連戦を行い、そこそこの武器・防具を得た
ところで俺たちはボス部屋を後にしました。
トロール
ちなみにこの戦いの間に、ニノマエは︽中鬼︾に進化して、体格
が2mを優に越え、宝箱から新品の巨斧も得られ、また他の者も順
次、より上位のハイゴブリン種へと進化できました。
1085
◆◇◆◇
オニ
﹁なんで、いきなり2段階進化で︽妖鬼族︾になってるわけさ!?
カラドボルグ
というか、周りもほとんど上位種族だし⋮⋮うわ︱︱っ、しかも
装備品が激レアの︽螺旋剣︾じゃない?!?﹂
その2∼3日後に、いつものようにサンドウィッチとシュークリ
ームという舌がとろけるような美味な餌を持ってきて、訪問された
あの方は、いままで見たこともないほど取り乱していました。
どうやら俺は期待以上の成果を上げられたようです。
ちなみにニャンコ導師は、このお方の麗しいお姿を見た瞬間︱︱
感激のあまりでしょうか?︱︱なぜか泡を吹いて卒倒しました。
﹁あなた様のためにがんばりました! ぜひ︱︱﹂
﹁交尾はしないよ!!﹂
あっさり断られました。
そういえば、以前、アホそうななニンゲンの雄が言ってました。
﹁えーと⋮⋮では、せめてキスを︱︱あ、別に口でなくていいので、
ハンサム
足の裏でもなんでも舐めますので﹂
﹁⋮⋮君、せっかく美男子に進化したのに、性格が残念になってき
てるねぇ﹂
ハンサム
﹁はあ。そうなんですか?﹂
美男子とか言われても、いまいち良くわかりませんが、﹃強くな
った﹄という意味でしょうか?
それから、あの方は喜び勇んで山盛りのサンドウィッチとシュー
1086
クリームを食べる仲間達やコボルトたちを見ていましたが、なにか
吹っ切ったようなため息とともに右手の甲を差し出してきました。
﹁⋮⋮まあ、がんばったご褒美に、ここに口付けするくらいは許し
てあげるよ﹂
うおおおおおおおおっ! 遂に! 遂に! 生まれて早5ヶ月!
ついに俺は交尾に至る一歩を踏み出すことに成功したのです!!
跪いて震える手であの方の手を受け取った俺は、そっと接吻しま
した。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮がぶっ!!﹂
﹁きゃあああああああああああああああ!! 食べられるぅ!!﹂
﹁オレサマオマエマルカジリ﹂
自分でも何をやっているのかわかりません。ぷにぷにと柔らかく
てすべすべの肌と雌の匂いを嗅いだ途端、俺の中の何かが弾け飛び
ました。
﹁いやあああああああああああああああ!!﹂
なんか凄まじい勢いで、あの方の拳が振るわれ、気が付いたら霞
む目で、ダンジョンの天井を眺めていました。
﹁うわっ、まだ生きてる!? やばい、このまま進化したらマジで
やばい! ここでトドメ差しておいた方がいいかも⋮⋮!﹂
あの方の可愛らしい声を聴きながら、俺の意識は真っ白に溶けて
いきました。 1087
幕間 進化錯誤︵後書き︶
気が付いたらほとんど別の話ですね。
イチジクを主役にこれだけで1本話が書けそうです。
なお、現在のイチジクの戦闘力はオーガ姫のソフィアとほぼ同等で
す。
1088
第十一話 蝸牛侵攻
﹁⋮⋮まーた妙なこと考えたね、しまさん﹂
ニドヘック
大地の精を残さず吸い尽くしながら、パーレンこと、しまさんの
駆る空前絶後の巨獣︱︱廃龍が、蠕動しながらゆっくりと北上して
いた。
遠からず帝国の国境を突破するだろう。
それと、コレ自体の姿かたちは最後に見た時と変わっていないけ
ど、その背中の上に余計な付属物が付いていた。
形としては土鍋⋮⋮いや、どちらかといえばモロッコのタジン鍋
に近いかな? 基底部分が浅くて黒いし、その上にモスク風の末広
ARUMAMIS
がりで上に向かって尖った城が蓋みたいに乗っている。
ニドヘック
かたつむり
しまさんの本拠地︽アルマミス︾。この元は巨大商業施設だった
巨大な城が、廃龍に乗ったその様は、まるで蝸牛のようだった。
ちなみに城には派手なネオンサインやノボリ、アドバルーンが随
所に上がっていたりする。
﹃ファッショントレンドを強制提案します﹄﹃春物一掃フェア開催
中﹄﹃らくらくぬくぬくフェア﹄﹃期間中︻1/1∼∞︼レジにて
値下げ300%﹄﹃なんといまならポイント350万倍﹄﹃夏物処
分の大安売り﹄﹃年に一度のこのチャンスにぜひお立ち寄りくださ
い﹄﹃極北でも使えるあったか不死鳥羽毛布団﹄﹃新作秋物入荷し
ました﹄﹃ほっこりスタイル﹄﹃本日、日月火水木金土曜日祭開催
中﹄﹃話題の冬物が俺参上﹄﹃冷やし中華始めました﹄﹃プレーヤ
ーの方はいまならなんと9∼10割引﹄﹃靴下、下着詰め放題実施
中﹄﹃早く来ないと行っちゃうよ﹄
1089
見れば、サクラだろう吸血鬼たちが、玄関の前にずらりと列を作
っている。
﹁︱︱天涯﹂
ボクは騎乗している天涯に落ち着いた声を掛けた。
﹁はっ﹂
雲の下に見えるしまさんのお城を指差して指示した。
﹁ちょっと品揃えを見てくるので、下に降りてもらえるかな﹂
﹁は︱︱はあ?﹂
﹁いや、しまさんの趣味がイマイチなのはわかるんだけどさ。ひょ
っとしてなんか掘出し物があるかも。⋮⋮ああっ! 国産コタツ布
団が上下組で3,000円だって! すぐに降りて! 売れちゃう
!!﹂
﹁あ⋮⋮いやいや、姫。どう考えても国産でその値段はないでしょ
う。罠です。正気にお戻りください﹂
﹁だからそれを確認しようと⋮⋮ってなんで引き返すわけ!? ち
ょっと見てくるだけだから!﹂
﹁⋮⋮この天涯、姫のご命令とあらば、たとえ地獄の底だろうとお
付き合いする所存ですが、あの胡散臭い店だけはお連れするわけに
は参りません﹂
断固とした天涯が一際大きく翼をはためかせ、一気にその場から
離脱した。
◆◇◆◇
1090
﹁⋮⋮恐ろしい罠だった﹂
危うく虎口を脱して冷静になったボクは、しみじみと嘆声を漏ら
した。
﹁バーゲンセールと長蛇の列。人間心理の裏の裏まで読み抜いた正
に孔明の罠。これに引っ掛からない主婦や日本人などいないという、
二重三重の姦計⋮⋮さすがはしまさん。おそろしい子⋮⋮﹂
周囲に集まっていた面々︱︱円卓メンバーや親衛隊、隠密部隊や
クレスの獣人部隊が、微妙な表情で首を捻っている。⋮⋮うーむ、
やはりこの罠の真の恐ろしさを理解してもらうことはできないのだ
ろう。
スーパーで閉店前の値引き品を買ったり、バーゲンセールで限定
この姿
の卵パックやトイレットペーパーを買うのに奔走していた前世の記
憶が久々に︱︱最近はなんとなく昔から緋雪で、女の子やっていた
錯覚に陥っている︱︱暴走して、こっちは危なく誑かされるところ
だったというのに。
﹁あの、ヒユキ様。その﹃バーゲン﹄とか﹃長蛇の列﹄とかって、
そんな危険なものなんですか?﹂
巫女として参加していたアスミナが、恐る恐るという感じで右手
を上げた。
﹁そうだねぇ⋮⋮君で言えば、いかにも怪しげな部屋の中に、手足
を拘束されたレヴァンがいて、その周りにガチホモの筋肉質の男達
が固めて、いまにもパンツ下ろそうとしている現場に居合わせて、
罠を警戒してその場に踏みとどまるくらいの精神力を要するところ
だね﹂
﹁なっ⋮⋮!!﹂
アスミナが事の重大さを理解して絶句し、隣で聞いていたレヴァ
1091
ンが﹁げっ﹂想像して吐きそうな顔をした。
﹁なんて恐ろしい罠! そ、そんな状況耐えられる訳が⋮⋮よく、
よく耐えられました。ヒユキ様! 心の底から尊敬します!!﹂
共感を得られたらしいアスミナが、ボクの手を取って滂沱と涙を
流した。
﹁わかってくれたの!?﹂
﹁わかります! わかりますとも! わからいでか! なんて卑劣
で悪辣なのでしょう、そのパーレンとやら! 許すまじっ﹂
改めてアスミナと固い友情が確認できた瞬間であった。
わざわざ
ニドヘック
﹁ごほんっ。︱︱それにしても態々本拠地ごと移動してくるとは、
なに考えてんでしょうね。あの廃龍とやらにしてもそうですけど、
わざわざ戦力を集中する意味がわかりません。的をでかくしてるだ
けに思えますけど﹂
妙なテンションになっているアスミナを押し退けるようにして、
レヴァンが前に出てきた。
﹁さあ? あんまり深い考えとかないかも。ほら、男の子って合体
変形する巨大ロボとか、他より強くて立派なカブトムシとか喜んで
集めるでしょう。あのノリじゃないかなぁ﹂
﹁はあ? イマイチ良くわかりませんけど、要するに趣味ってこと
でしょうか⋮⋮?﹂
﹁まあねえ。どっちかというと悪趣味の方だけど。あと城の方は、
明らかに私を意識した煽り文句だったので、多分、私に来いってい
う意思表示なんでろうねぇ﹂
私の見解にレヴァンが眉をひそめる。
﹁完全に罠じゃないですか。乗り込むつもりですか?﹂
﹁まっさか∼!﹂
1092
ボクは思いっきり首を横に振った。
﹁男の誘いに乗ってホイホイ付いていくなんて、金輪際やる気はな
いよ! 予定通り外から攻撃するのに専念するので、皆もそのつも
りで!﹂
﹁⋮⋮なんかあったんですか?﹂
怪訝な様子で聞き返すレヴァンに、思わず﹁ははははは﹂と虚ろ
な笑いで返す。
﹁余計な質問は不要だ。貴様らは姫のお言葉に粛々と従っていれば
いいだけのこと﹂
傍らに侍る天涯が断固とした口調で、居丈高に切り捨てた。
﹁申し訳ありません。差し出がましい口をききました﹂
謝罪するレヴァンを冷たい視線で一瞥する天涯。
やめたげてよぉ、それって単なる八つ当たりなんだから。
バカ
あの時は本当に大変だった。取りあえずあの大教皇に関しては、
﹁いきなり裸になって関係を迫ってきたので、反対に叩きのめした﹂
という説明で押し通したんだけど、天涯・オリアーナとも怒りが凄
まじく、被害者のボクのほうが引くくらいだった。
塵も残さず消し飛ばそうとする天涯と、平然と同意するオリアー
ナ。
いや、ボクとしても気持ち的には同じだったけどさ。影郎さんと
の約束もあったので、その後、場所を変えて、原型を留める程度に
バカ
殺しては復活させ殺しては復活させを繰り返して、なんか最後のほ
うでは大教皇が変な性癖に目覚めて、うっとりし始めたので全員う
んざりして止めたものだったけど⋮⋮。
バカ
その後、大教皇の身柄は非公式に聖王国側へ引渡し。
1093
オリアーナは一連の証拠資料とかばっちり記録して、今後、公式・
非公式に聖王国を追い詰めるネタにすると息巻いていた。
バカ
被害にあったボクを心配して終始沈鬱な表情だったけど、大嫌い
な大教皇を攻撃できる手札を握って、内心ではそうとう歓んでたね
あれは。
まあ、そういう政治のことは彼女に任せて、こちらは現場で混成
軍の指揮を執ることになった。
幸いオリアーナの尽力で、皇帝の勅命という形でグラウィオール
帝国軍の指揮権を一時的に預かることができることになったので、
こちらとしても指揮権を一本化できるので非常に助かるところ。︱
︱聖王国軍? 知らん。
ニドヘック
﹁兎に角、現在の進行速度から考えて、廃龍はあと5日もあれば国
境線を越えると思われる。この辺りはまだ難民キャンプもあるし、
まだ避難していない村も近隣にはあると推定されるので、獣人部隊
は彼らの避難誘導に当たること﹂
レヴァンや獣人部隊の主だった幹部たちが重々しく頷いた。
﹁本国の本隊は明日、日の出とともに攻撃を開始します。いちおう
どーでもいいことだけど、聖王国の聖騎士も同時刻に反対側から攻
撃をすることになってる。ま、別に連携は考えなくていいので⋮⋮
なんだったら巻き込むつもりで全力で攻撃してね!﹂
﹃うおおおおおおっ!﹄﹃承知いたしました、姫っ!﹄﹃必ずや姫
のご期待に応えて見せます!!﹄﹃貴様らっ、声が小さい!!﹄﹃
うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!﹄﹃姫様に勝利を!﹄﹃
ニドヘック
姫様っ! 姫様ーっ!!﹄﹃恐れるものは何もない! 敵は自分の
油断だけだ! 忘れるな!!﹄﹃うおおおおおっ!!﹄﹃廃龍なに
するものぞ!!﹄
1094
インペリアル・クリムゾン
たちまち飛び交う怒号・絶叫・雄叫び・鬨の声。
無聊をかこって今回の出兵に参加した真紅帝国の兵士約6,00
0名が、あらん限りの声で絶叫を迸らせていた。
数こそ聖王国の10万に遥かに及ばないが、その個々の身体能力
と質量は圧倒的で、空気はおろか地面が震えて立っていられない程
だった。
﹁︱︱どうぞ、姫﹂
素早く龍形態に戻った天涯の掌が差し出されて、ボクは反射的に
その上に乗った。
恭しく立ち上がった天涯が、胸元にボクを捧げたまま、轟雷のよ
うな鼓舞の声をあげる。
﹁姫のお言葉を聞こえたか諸君! 姫に敵対する愚か者の悶え苦し
む声を聞こうではないか! それこそ我らにとっては僥倖の音。今
こそ目障りなる害虫どもを突き崩し、完膚なきまでに叩き伏せよと
姫様も願っておられる。己が愛した姫様をお守る事が出来るのは、
共に戦う汝ら一人一人に他ならぬ。断固たる意思を持つ者こそ、己
が命を投げ出す事の出来る者こそ勝利を手にすることが叶うのだ。
私は世界の為、世の為などという大義を求めず、己が守りたい者の
為に戦う事のみを求めよう! いざ行くべしっ。いかな難攻不落の
要害だろうと敵を粉砕し、ことごとく死地に送り、その威に接した
者共には末代まで震えをきたすほどの畏怖を与えて永遠なる安寧を
姫様に捧げるべし!!﹂
再びもの凄い絶叫と熱い視線が集中する。
というか⋮⋮クレスの獣人部隊が一緒になって狂乱に巻き込まれ
ているのはまだわかるんだけど、なんでグラウィオール帝国軍兵士
まで一緒になって騒いでいる。
1095
なんかもうアイドルコンサートのようなノリに近い。
見れば挨拶した帝国の司令官や将校まで一緒になって、ウチの従
魔たちと一緒になって絶叫していた。老いも若きも一緒になって目
を血走らせて、狂騒状態になっていた。
なにコレ怖い⋮⋮。
取りあえず、ボクは引き攣った顔で手を振るしかなかった。
1096
第十二話 黎明決戦︵前書き︶
記念すべき第100話になります。
長々とお付き合いありがとうございます。
1097
第十二話 黎明決戦
ユース大公国と隣国グラウィオール帝国との国境︱︱峻厳な峰峰
が立ち並ぶ天然の要害を、まるで子供が砂山を崩すように意に介さ
ず、巨大なモンスターが直進していた。
ジル・ド・レエ
漆黒で両刃の細身の刀身が半ば透き通った愛剣﹃薔薇の罪人﹄を
地面に突き立て、両手をその薔薇の意匠が施された柄頭に置いた姿
インペリアル・クリムゾン
勢で、遠くほのかに白んできた地平線に浮かび上がる、巨大かつ魁
偉なシルエットを見据えながら、真紅帝国の︽姫︾緋雪は、厳しい
口調で呟いた。
ラ・ヴィ・アン・ローズ
﹁できれば機動力の生かせる平原で勝負を決めたかったけど、そう
アン・オブ・ガイアスタイン
も言っていられないか﹂
アイゼルネ・ユングフラウ
戦闘ドレス﹃戦火の薔薇﹄。戦闘黒翼﹃薔薇色の幸運﹄。左手盾
装備﹃薔薇なる鋼鉄﹄等々、すでに決戦装備を着用して、準備万全
たる様子である。
それから、ちらりと山脈の手前にある、わずかに拓けた平原に張
り付くようにして陣を張った、イーオン聖王国の聖騎士団1万余り
が、待機している様子を見下ろした。
ジハード
ニドヘック
当初は10万規模の志願兵・義勇兵を徴集して、﹃聖戦﹄による
凶戦士化で対抗しようとした聖王国側であったが、みすみす廃龍に
餌を与えるだけ、という緋雪の主張を全面的に受け入れたグラウィ
オール帝国皇女オリアーナの説得︱︱という名の脅迫により、今回
の出兵は正規軍の、それも攻撃魔術や回復魔術︵聖教でいう﹁神の
奇跡﹂︶が使える聖騎士・神官主体よる1万人規模のものへと変更
された。
1098
ニドヘック
聖王国側の手はずはこうなる。
接近してくる廃龍に対して、攻撃役の聖騎士2,000名がこれ
を取り囲む。さらにこの後ろに交替役の聖騎士4,000名が陣取
ホーリー・ライト
る。そのさらに後方に回復役の神官や、緊急時のバックアップ要員
を配置する。
前線の聖騎士は有効射程ギリギリから聖光弾等を連射。どれだけ
マインド・レジスト
魔力を消費しても、全員が出し惜しみせずに使用して攻撃を叩き込
む。回復役は回復と魔眼による精神防御に専念。
当然、前線の聖騎士は程なく魔力を使い果たすので、無理をせず
後続の者と入れ替わる。この形で間断なく攻撃を浴びせることで、
相手の再生力を上回る攻撃を蓄積させようというものである。
﹁︱︱まあ、考え方は間違ってはいないかな。要するにMMORP
Gでは定石の﹃チェイン・ヒール﹄だし。ボス級モンスターを相手
にする場合は、敵の攻撃力を上回る回復手段を用意するのは当然だ
からね﹂
いちおうの評価をしながらも、なぜか難しい顔をする緋雪。
てんがい
﹁ご懸念がおありですか?﹂
背後に控える天涯の問い掛けを受けて、厳しい言葉で緋雪が言い
継ぐ。
すさ
﹁問題はこの人数で支えきれるかどうかなんだよね。いちおう周参
ニドヘック
セル
の分析では、聖光による攻撃はダメージを与えられるし、現状、飛
び道具のない廃龍には有効な戦術だろうということだけど。全細胞
を削ぎ落とすまでに、最短でも8時間は持ちこたえなければ無理と
でている。
一応、バックアップ要員や交代制で聖騎士の負担を減らしている
と言っても、生身の人間が極度の緊張感を感じる前線で長時間持ち
1099
こたえられるか疑問だし、それに現状飛び道具がないと言っても、
ニドヘック
今後どうなるかは不明⋮⋮というか、多分、対応策を取ってくると
思う。
そして、廃龍だけならまだしも、しまさんが総力をあげて相互連
携攻撃を仕掛けてきた場合、聖騎士たちが持ちこたえられるかどう
かだけど﹂
いったん言葉を切った緋雪は、はっきりと首を横に振った。
﹁まず無理だね﹂
﹁⋮⋮やはり無理ですか﹂
後方に控えていたレヴァンが、呻くように言葉を挟む。
﹁どう考えても火力が足りなさ過ぎるよ。せめて1時間程度で斃せ
るなら、まだしも遣り様はあるだろうけど、正面から激突したら人
プレイヤー
間にどうこうできる相手じゃないよ、どちらも﹂
プレイヤー
本来、超越者に対抗できるのは超越者のみ。
その事実を緋雪の間近に接して、骨身に沁みて理解しているつも
りのレヴァンであったが、身も蓋もない調子で明瞭に自分達の力不
足を指摘されれば、やはり戦士として忸怩たるものがある。
そんな彼の心中を知ってか知らずか、緋雪は淡々と続ける。
﹁なので、彼らはあくまでいざと言う場合の足止めくらいに考えて、
日の出と共にこちらから先制攻撃をかける。できれば大規模火力で
一掃したかったところなんだけど、前回の戦いで光・雷・重力は封
じられたため、残念ながらあの質量を一撃で消滅させることは難し
いだろう。
まあそれ以外の攻撃手段も山ほどあるけど、中途半端な攻撃だと
ニドヘック
学習される危険があるからねぇ。
なら、廃龍を攻撃するよりも、大本である吸血鬼のしまさんを斃
1100
かたつむり
した方が早い。そんなわけで、なんとかして、彼に的を絞りたいと
ころなんだけど⋮⋮﹂
ここでため息をつく緋雪。
﹁あちらもわかっているからねぇ。すっかり蝸牛の殻に隠れて出て
こないし﹂
﹁なるほど。それで、どうやって殻から出させるんですか? ︱︱
なにか手が?﹂
首を捻ったレヴァンに向かって、自信満々な顔で頷く緋雪。
なぜか片手で長い黒髪をたくし上げ、白くて魅惑的なうなじをあ
らわにしながら、もう片方の手でスカートの裾を抓んで、太股のあ
たりまで軽く持ち上げる。
﹁うむ。とりあえず私が目立つところで、一枚ずつ脱いでいけば、
しまさんのこと、マッハで確実にかぶり付きに来る﹂
みこと
﹁﹁却下です!!!﹂﹂
すかさず天涯と命都のNGが入った。
﹁⋮⋮というのは冗談で﹂
いまの絶対、本気だったろうな⋮と思うレヴァンの前で、緋雪は
いかるが
白々しい笑みを浮かべて、側近達の列の先頭方向に立つ白髪で黒人
いずも
の美青年︱︱十三魔将軍の筆頭たる斑鳩︵の化身︶を振り返った。
ディメンジョン・スラッシュ
ニドヘック
アルマミス
﹁天涯と出雲の攻撃が通じない以上、現在使える最大の火力はヨグ
=ソトースたる斑鳩の次元断層斬のみ。ならば廃龍に乗った本拠地
に的を絞って、一発でこれを破壊︱︱できれば、しまさんごと吹っ
飛ばせればベストだけれど、たとえ直撃しても私ですら一発くらい
は耐えられるので、プレーヤー相手にさすがにそれは虫がいいだろ
う。なので、取りあえず裸にして、速攻で攻撃を加え、隙を見て私
が封印する予定﹂
﹁なるほど、最大の好機は。最初の一撃にあるというわけですな﹂
1101
斑鳩が大きく頷いて、緋雪の意を汲み取った。
ディメンジョン・スラッシュ
﹁そういうこと。しまさんがこちらの意図を見抜く前に、とにかく
速攻で次元断層斬を叩きつける。これが、成功すればかなり早い段
階で勝負をつけることができる。だから、斑鳩は手加減抜きで全魔
力を注ぎ込むこと﹂
﹁承知いたしました。姫様のご期待に応えられますよう、微力なが
ら私の全力を尽くしてご覧に入れます。⋮⋮無意味に手加減をして、
またも敵に塩を送るなど滑稽ですからな﹂
殊勝に片膝をついて一礼する斑鳩だが、一瞬、ちらりと緋雪の傍
らに従う天涯を見て冷笑を浮かべる。
﹁︱︱っっ!!﹂
明らかな自分への皮肉に気色ばむ天涯だが、﹁天涯殿っ﹂命都に
たしなめられ、踏み出しかけていた足を戻した。
代わりに一歩前に出た命都が、東の空に目を向けて緋雪に指摘す
る。
﹁姫様、太陽が地平線から昇り始めましたが、そろそろ予定時刻な
のではありませんか?﹂
﹁いや、戦闘開始は完全に日が昇ってからだよ。耐性があるとはい
たなばた
ほずみ
が
え、やはり太陽光は弱点足り得るというのが、周参の分析だからね。
⋮⋮とはいえ、そろそろ準備したほうがいいか﹂
頷いて、再び側近達の列に目を向ける。
もん
﹁斑鳩は上空で待機。対魔眼用の目くらまし班︱︱七夕、八朔、牙
門は、所定の配置について!﹂
﹁﹁﹁﹁はっ﹂﹂﹂﹂
名を呼ばれたものは、即座に位相空間に移動したり、騎獣に乗っ
て駆け出したり、その巨体で走り出したり、自らの翼で飛び立つな
1102
ニドヘック
ど、バラバラながら廃龍の進路上、所定の位置へと全力で向かった。
﹁天涯、こちらも全体の位置が見えるところに移動する。命都は私
と従魔合身。周参は分身体をできるだけ、戦場一杯に配置。いざと
言う時の全軍の指揮は任せる。
ニドヘック
他の者はこの場に待機、当初の作戦が失敗した場合は、各自の波
状攻撃により廃龍の殲滅を行う。ただし近づきすぎると喰われる危
険があるので、遠距離攻撃に終始すること。途中で相手が自分の攻
撃に耐性・捕食を開始したら即座に戦場から離脱、タイミングは周
参の指示もしくは親衛隊の天使に従うこと!
獣人部隊は帝国軍と協力して、聖王国軍が崩れた場合の穴を塞ぐ
か、無理なようなら即座に退却して国境線で待機。そこを最終防衛
線とする﹂
﹃はは︱︱︱︱っ!!!﹄
続けざまの指示に従い、全員が一礼したのを見届けてから、緋雪
は命都と従魔合身を行い、龍形態になった天涯の背中に乗った。
﹁行って、天涯!﹂
﹁はっ!﹂
即座にその場から飛び立った黄金龍の煌く巨体を、この地に集結
した三ヶ国の混成軍が見上げる。
姫陛下のお出ましに、︵聖王国軍の聖騎士達は別として︶期せず
して、戦場に地鳴りのような鬨の声があがった。
この世界に来て初めてとも言える、勝敗のわからない戦い。
密かに不安と恐怖に駆られていた緋雪だが、人々の声に後押しさ
れて、微かに笑みを浮かべた。
1103
第十二話 黎明決戦︵後書き︶
ちょっと時間がなくて、戦闘シーンまで書けませんでした、、、。
今回、名前が出てきた、八朔と牙門はそれぞれ七禍星獣と十三魔将
軍です。詳しい能力や姿は次回となります。
1104
第十三話 魔城破壊︵前書き︶
今回で七禍星獣全員がでました。
1105
第十三話 魔城破壊
ニドヘック
たなばた
まずは最初に廃龍の前に立ち塞がったのは、七禍星獣の№7.︽
アプサラス︾七夕であった。
ニドヘック
自前の純白の翼︱︱一見すると天使のような姿だが、これは白鳥
の化身たる彼女の象徴でもある︱︱で、廃龍の進行方向真正面に降
り立つと、速やかに翼を消し、恐れ気もなくその柔和⋮⋮というに
は妖艶すぎる顔に、蠱惑的な笑みを浮かべた。
ニドヘック
直径だけでも数百mはありそうな廃龍に比べれば吹けば飛ぶよう
だが、現在の彼女の身長は普通の人間の3倍ほどもある。
その両脇に彼女を守る形で2匹の麒麟が待機していた。⋮⋮いや、
ごうん
2匹というのは正確ではない、麒麟の﹃麒﹄は雄を指し、﹃麟﹄は
ごうん
雌を差すように雌雄2匹で1対の七禍星獣の№5.麒の﹃五運﹄と
麟の﹃五雲﹄である。
﹁⋮⋮このあたりでよかろう。なにかあれば我が盾となるゆえ。七
夕、汝は存分に姫様の勅命を果たすが良い﹂
﹁万一の怪我などがあれば、わたくしが癒しましょう。ご武運をお
祈りしていますわ﹂
ニドヘック
交互に声を掛ける同輩に微笑を返して、七夕はゆっくりと前進し
ながら廃龍との距離を縮める。その足取りは軽くすでに恍惚たる忘
我の域に入っていた。
短い腰衣をまとっただけで、豊満な胸を誇るように惜しげもなく、
さらけ出した美女。その魅惑的な全身には、額飾り、髪飾り、耳飾
り、首飾り、胸飾り、指輪、腕輪、足輪などがふんだんに飾り立て
られ、それらすべて金細工の装飾が施され、歩くたびにシャラーン、
1106
シャラーンと振るえ、鈴のような涼しげな音がこだましていた。
やがて全身でリズムをとり、七夕はその場で舞を踊り始めた。装
飾品を打ち鳴らし、ステップを踏みながら、手足の先、視線、髪の
先までもすべて淀みない流れのような、柔らかでかつ力強い動きで、
肢体すべてをゆるやかにくねらせる。
まさに神舞。霊妙かつ幻想的な音と動きは、見る者の魂まで引き
込まずにはいられない、天上の踊りであった。
周囲を警戒するため、この辺りまで先行していた聖王国と帝国の
ニドヘック
歩哨たちも、いつしか状況を忘れて見入っていた。いや、ろくな知
性がないはずの廃龍ですら、その場に留まり彼女の舞に目を奪われ
ているようであった。
やがて、周囲の光景が少しずつ色褪せ⋮まるで蜃気楼のように、
ゆらゆらと揺れ、自分が立っているのか座っているのかすらわから
ないような、感覚そのものが不明瞭となる不可思議な現象が、その
場にいた全員へと襲い掛かってきた。
マーヤー
﹁⋮⋮︽幻力結界︾。見事なものだ。こうして心構えをして、目を
閉じていた我々さえも、しかと現実と虚構とが区別できん﹂
溶けた絵の具で構成されたような周囲の光景を眺めながら、五運
が思わず⋮⋮という風に感嘆のため息を漏らした。
﹁ですが完璧でもありません。さすがにあの巨体すべてを結界に閉
じ込めるのは不可能でしょう。先頭部分を幻惑させても、それ以外
の部分が正気であれば、ほどなく力ずくで突破されるのは必至。注
意してください﹂
硬い声で窘める五雲。
﹁ふん。そのために他の者が配置されているのだろう。仮にも円卓
1107
の魔将、この程度の雑事がこなせぬようなら、さっさと引退するべ
きだな﹂
五運が嘲笑う。
◆◇◆◇
﹁ふん。図体ばかりでかいウスノロ相手というのは、いささか面白
がもん
みがないが⋮⋮まあ、他に能がない分、せめて大きさでなんとかし
ニドヘック
ようという肚か﹂
目の前で蠢く廃龍の横腹を眺め、十三魔将軍・牙門は﹁ふん﹂と
鼻を鳴らした。
とは言え、そういう彼自身も身長50mの巨人︱︱巨神である。
彫りの深い端正といっても良い顔立ちに分厚い胸板、鍛え上げら
れた腹筋、巨岩のような両足。ただし下半身には蛇のような尻尾が
生えとぐろを巻き、両腕はメインの逞しい2本を別にして、太さも
長さもまちまちな副腕が計98本の合計100本ある︱︱嵐の怪物
テューポーン。それが彼の真の姿であった。
﹁︱︱さて。どうやら七夕も始めたようだ。姫様もご覧になってら
っしゃる、こちらも無様な真似はできんか﹂
そう一人ごちながら、おもむろにすべての腕を広げる牙門。
﹁︱︱かああああああああああああああああっ!!﹂
咆哮とともにすべての掌の上に牙の生えた口が開いた。一見する
と無数の蛇のようである。
それらが一斉に周囲の空気を吸い込み始めた。
1108
ニドヘック
凄まじい勢いで吸い込まれる風に、土砂が舞い上がり、岩が削れ
て粉々になり、廃龍の巨体ですら、吸い寄せられられ、ズルスルと
引き伸ばされて来た。
程なく、充分な空気を溜め込んだ牙門の腕の口が、今度は先ほど
の勢いの数倍の威力で、轟々と風を吹き出し始めた。
ニドヘック
さらに両腕を振り回し、トドメとばかり、尻尾を基点に全身を回
転させる。
いつしか彼を暴風の中心として、凄まじい勢いの砂嵐が廃龍の巨
体すべてを、すっぽりと覆い尽くした。
ニドヘック
困惑した様子で身をよじる廃龍。
しかし、牙門の回転は留まることを知らず、暴風は竜巻と化して、
天に届かんばかりの砂色の柱と化した。
﹁行くぞっ﹂
牙門の巨体が自らの生み出した大竜巻に飲み込まれて浮き上がる。
ニドヘック
凄まじい回転エネルギーで加速しながら、一気に竜巻の最上部ま
で達した牙門は、真下に見える廃龍の中心部に狙いを定めると、弾
丸のような勢いで螺旋を描きながら、超弩級の蹴りを放った。
ニドヘック
音速を突破する勢いで放たれた50mの弾丸が、廃龍の中心部を
ごっそりと抉り取る。
ニドヘック
純粋な物理攻撃に、あらゆるエネルギーを吸収し得る、さしもの
廃龍も成すすべなく、身悶えして苦痛の声をあげた。
﹁︱︱ふむ。少し外したか? 一撃で両断するつもりだったのが﹂
着地の衝撃で作られたクレーターから、のっそりと這い出した牙
門が、攻撃の成果を見て、若干不満そうに呟いた。
1109
﹁おいおいおいおい! 面白いことやってるじゃないか、牙門! ︽ハヌ
てか、お前の役目って、足止めだったんじゃないのかよ、おい?﹂
白夜がやって来た。
びゃくや
そこへ愉しげな口調で、上空で待機していた十三魔将軍
マーン︾
同じ風属性ということで、牙門が作る︽暴風結界︾を維持するサ
ポート役のはずだったのだが、彼の行動を見て、押さえが利かなく
なって降りてきたらしい。
﹁ふん、︽暴風結界︾で足止めしろとは命令されたが、別に斃して
悪いとも言われておるまい。言われたことを言われたままに行うだ
けでは、忠臣とは言えまい。それに第一、面白みがない﹂
詭弁とも言える牙門の説明に、呵呵大笑する白夜。
﹁その通りだな! いや∼∼っ、お前、固い奴かと思ってたら、意
外とおもしれーわ! そーだよな。さっさと斃しちまえばいいんだ
もんな! よしっ、やるか!!﹂
ヴァジュラ
白夜も勇躍飛翔すると、風に乗って超高速で飛び回りながら、三
かつまこんごう
面六臂のそれぞれの腕に、金剛杵、三叉戟、金剛鈴、金剛剣、輪宝、
羯磨金剛を、どこからともなく取り出して構えた。
﹁ふん。肝心の︽暴風結界︾の維持を疎かにするなよ﹂
その背中に声を掛けつつ、再びその場に竜巻を作り出す牙門。
ニドヘック
﹁ぃやっほおおおおおおおおおおおおおおおっ!!﹂
ニドヘック
嬌声をあげながら廃龍の全身を、ズタズタに切り裂く白夜。
廃龍は怒りの唸りと共に、ついに全身に魔眼を開くが︱︱、
﹁はははははっ! そんなトロトロするわけねーぜっ!!﹂
まさに目にも止まらない動きに加え、瞬間的な時間の跳躍・停止・
逆行まで使用する白夜を捉えきれるわけもない。
1110
ニドヘック
ビーム
さらにそこへ再び、超加速で撃ち出された牙門の蹴りが炸裂する
︱︱かと思われた瞬間、廃龍の全身から、紫色の熱線が全方向へラ
ンダムに発射された。
ビーム
﹁︱︱ぬう。これは熱量もさることながら、痺れが⋮⋮!﹂
何本かの熱線の直撃を受けた牙門は、手足の先に痺れを感じて、
背中にある︽アルマミス︾を狙った蹴りが、大きく狙いを外して背
中の一部を削るに留まった。
ビーム
轟音と共に大地へ不時着した牙門へ、追撃の熱線が襲い掛かる。
﹁ぐううううっ。接近し過ぎたか⋮⋮﹂
ビーム
麻痺効果で身動きが取れない牙門は、じりじりと削れて行くHP
を感じて歯噛みした。
見れば白夜も、ほとんど無秩序な熱線の乱射に逃げるので精一杯
の様子である。
これまでか。
ビーム
そう思われた時、不意に牙門の前に現れた何枚もの鏡が、彼を直
ニドヘック
撃しようとした熱線をすべて反射した。
ニドヘック
自らの攻撃を自ら受け、身悶えする廃龍。
見れば、まるで雪の欠片のように、廃龍の周囲を、きらめく鏡が
覆って、ほとんどの攻撃を反射させていた。
ほずみ
﹁⋮⋮︽鏡面結界︾。八朔の仕事か。助けられたな﹂
ほっと息を吐いた牙門は、安堵と自虐がない交ぜになった口調で
呟いた。
◆◇◆◇
1111
戦場の上空。
はくたく
むつ
ばく
朝焼けを浴びて雲のように浮遊する白い獏︱︱七禍星獣の№6の
すさ
︽白澤︾陸奥に平行して飛行する、単眼にコウモリのような翼の生
えた同七禍星獣の筆頭・周参の分身体が、げんなりした口調で現状
ビーム
を説明していた。
ニドヘック
セル
ホーリー・ライト
﹁廃龍が熱線攻撃︱︱麻痺効果も付随しているな︱︱を獲得。基本
は以前に確認した細胞を自滅させての聖光弾と同一のものだが、ア
お調子者
レンジを加えてきおったな。よほどエネルギーが有り余っているの
か、はたまた牙門と白夜の二人が放った物理攻撃が功を奏したか⋮
⋮どちらとも取れんが、藪をつついて余計な攻撃手段を獲得させて
しまったわい。まあ、この調子で無駄弾を撃って、エネルギーを使
い果たしてくれれば御の字なのだが⋮⋮いかんな、やはり学習し始
めた。段々と牙門と白夜への集中が正確になってきた﹂
﹁まったく、好戦的な武闘派はこれだから困るねぇ。まぁ自業自得
ほずみ
とは思うけど、流石に見殺しにするわけにはいかないからねぇ。助
けないとまずいだろぅ⋮⋮お願いできるかなぁ、八朔ちゃん?﹂
陸奥が眠たげな口調で、かなりどうでもよさげに、自分の背中に
乗る同僚へと語りかけた。
﹁⋮⋮ん﹂
陸奥の背中の上、吹けば飛ぶような赤い着物を着た黒髪の小さな
︱︱10歳くらいの女の子が、無表情な顔で小さく頷いた。
その手の中には、4×4マスの小さな鏡でできたキューブが存在
する。
﹁1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が16枚、16枚が256枚、2
1112
56枚が65,536枚、65,536枚が⋮⋮﹂
ぶつぶつと言葉を発しながら、手の中のキューブを組み合わせる。
ミラー・ラビリンス
そのたびに少女の周囲に四角い鏡が現れ、次々と周囲の空間を埋め
尽くしていった。
うんがいきょう
﹁鏡は魔を映し、真実を暴き、魔を退ける⋮⋮︽鏡面結界︾﹂
ぽつりと最後に付け加える少女︱︱七禍星獣の№8.︽雲外鏡︾
八朔。
﹁さすがだねぇ﹂
﹁うむ。見事である﹂
陸奥と周参の賞賛の声にも特に感じた風もなく、八朔はさらにキ
ューブを操作する。
﹁︱︱展開っ﹂
ニドヘック
鏡が一斉に空中を移動して、あるものは牙門を守る形で、あるも
パラライズ・ビーム
のは白夜をフォローする位置へ、そして残りは廃龍の全身へと散ら
ばり、麻痺光線を完璧に反射した。
凄まじい勢いでキューブを操作する八朔だが、その顔にはまだま
だ余裕があり、涼しげですらあった。
﹁ふむ。牙門も離脱したか。まったく⋮⋮言われたことをやってお
れば良いものを、どうにもウチの連中は血の気が多すぎて連携には
向かんな﹂
慨嘆する周参。
ニドヘック
パラライズ・ビーム
目標がなくなり、攻撃がすべて反射される痛みに遅まきながら気
が付いたのか、廃龍の麻痺光線が、目に見えて少なくなってきた。
マーヤー
ミラー・
進行方向を欺く七夕の︽幻力結界︾。全体を砂嵐で囲んで惑乱さ
ラビリンス
せる牙門の︽暴風結界︾。そして反撃を無効化させる八朔の︽鏡面
1113
結界︾。
三重の結界を現状維持することで、足止めという当初の目標は達
成できたか。と、そう判断する周参。
ほずみ
ニドヘック
その目の前で、どことなく不満そうな表情で、八朔が素早くキュ
ーブを操作した。
﹁⋮⋮照魔光発射﹂
その途端、すべての鏡から浄化の光が放たれ、廃龍の全身を焼き
始めた。
﹁︱︱っ! なにをしておる、八朔!? 攻撃しろなどという指示
はだしておらんぞ!﹂
周参の怒号に、八朔はぷいと顔を逸らした。
﹁ずるい﹂
﹁なにがだ?﹂
﹁牙門と白夜だけ、好き勝手やって、ずるい﹂
だから自分も攻撃するというのか!?
唖然とする周参を取り成すように、陸奥が眠たげな口調で言い添
えた。
足止め
という意味を履き違
﹁まぁ、僕らなんだかんだ言って、全員、負けず嫌いの武闘派だか
らねぇ⋮⋮﹂
◆◇◆◇
﹁⋮⋮まったく。どいつもこいつも
1114
えているな﹂
いかるが
そこからさらに離れた上空を浮遊していた直径70mを越える光
り輝く多面結晶体。十三魔将軍の筆頭︽ヨグ=ソトース︾斑鳩が、
不満げな唸りを発した。
まあ、最初に調子に乗ったのは牙門と白夜の奴だからな、私の監
督不行き届きと言われればそれまでだが。
ニドヘック
取りあえずこの件が終わったら、あの二人には厳重注意を行うこ
とにして、斑鳩はその巨大な単眼を︽暴風結界︾に覆われた廃龍に
向けた。
いかなる分厚い雲や土砂に覆われていても、空間自体を感知でき
る彼にとっては、この程度の障害などないも同然である。
素早く全身を走査して、焦点を狙うべく急所︱︱敵の居城たる︽
アルマミス︾︱︱へと向ける。
﹁高エネルギー反応あり。このエネルギー量は間違いなくプレーヤ
ーだな。これ見よがしに城を乗せているので、或いは囮かと思った
がどうやらご在宅だったらしい。ふざけた相手と憤慨すべきか、肝
が据わっていると賞賛すべきか、少々判断に迷うところだな﹂
おそらく昔は戦ったこともある筈だが、ソロで立ち向かってきた
らぽっくや、自分の攻撃をことごとく避けて攻撃を加えてきた緋雪
と違って、今回の相手は生憎と彼の記憶にはなかった。
﹁⋮⋮つまりは記憶に残らぬほど小物だったというわけだな﹂
本来なら戦いに先駆けて名乗りを上げるのが彼の流儀で、今回の
ような不意打ち・闇討ちの類いは、好みから外れている。
︱︱まあ、その程度の相手なら好みだなんだ言うほどもあるまい。
ディメンジョン・スラッシュ
そう折り合いをつけて、斑鳩は全身の魔力を次元断層斬のため、
1115
集中し始めた。
ディメンジョン・スラッシュ
﹁全力で︽アルマミス︾を破壊せよとのことであるが、次元断層斬
をこの一点に集中した場合、確実にマントル層まで貫通するな。下
手をすれば中心核と地軸にも深刻なダメージを与え、地上の住人が
全滅する恐れもあるが⋮⋮まあ、いい。所詮は塵・芥のようなもの、
我の知ったことではない﹂
淡々と恐ろしい予測を立てて実行しようとする斑鳩。
﹁まてっ。斑鳩、姫からの指示が来た。そのまま少し待てとのこと
だ﹂
と、機先を制して、傍を併走していた周参の分身体から、待った
が掛かった。
﹁どういうことだ? すでにエネルギーは臨界なので、さほど時間
は置けんぞ?﹂
周参が斑鳩の質問に答える前に、天涯に乗った緋雪が、大慌てで
降下してきた。
﹁︱︱ちょっ、ちょっと待ったーっ!!!﹂
﹁これは、姫様。このような場で陛下の玉顔を拝し奉り、この斑鳩、
無上の慶び﹂
﹁いやいや、挨拶はいいから。とりあえず、マントル層破壊とかそ
れなし! なるべく他に被害がでないように、希望としては地味に、
限りなく目立たないように、世間に知られず控えめに、ひっそりと
何気なく殲滅してくれればいいから!﹂
緋雪のかなり無茶な要求に、﹁ふむ﹂と全身の触手をくねらせて
考え込んだ斑鳩は、なんでもない事の様にあっさりととんでもない
1116
提案を口に出した。
ニドヘック
マルチプル・ディメンジョン・スラッシュ
﹁それでは、一点突破ではなく広域殲滅︱︱多連複合次元断層斬に
て、この廃龍とやらを消滅させてご覧にいれましょう﹂
﹁消滅⋮⋮って、できるの?﹂
インペリアル・クリムゾン
いずも
最大火力を誇る天涯と、それに及ばないながらも破壊力だけなら
真紅帝国でも3本の指に入る出雲の2面攻撃でも、斃しきれなかっ
た相手を、あっさりと殲滅すると言い切る斑鳩に、当然のことなが
ら緋雪が疑問の声をあげる。
﹁勿論でございます。確かに私は天涯殿には破壊力で及びませんが、
その分、敵の占有する空間を捉えて、無駄にエネルギーを垂れ流さ
ず、最小限のロス︱︱計算したところ0.3%というところでしょ
ニドヘック
うか︱︱で効果的に空間破砕を行う自信がございます。これであれ
ば、確実に廃龍を消滅可能かと﹂
慇懃ながら、ところどころ皮肉る言葉尻に、天涯がギリギリと奥
歯を噛み締めた。
ニドヘック
﹁成功率97%。当方の計算でも斑鳩殿の攻撃で、廃龍を消滅させ
られると算定しております﹂
ニドヘック
周参も太鼓判を押したことで、緋雪も腹をくくったらしい。
﹁わかった。全力で廃龍を消滅させて!﹂
﹁承知いたしました。︱︱危険ですのでお下がりください﹂
﹁ふん! 私めが姫の玉体に傷ひとつつけるものか﹂
ニドヘック
斑鳩の指示に、ぶ然と答えて天涯がその場を離脱する。
﹁さて。行くか﹂
改めて︽暴風結界︾越しに廃龍を確認すると、諦めたように動き
1117
を止めているのが見えた。
的にしてください、と言わんばかりの態度に、一瞬ながら不審を
抱いた斑鳩だが、すでにエネルギーは臨界すれすれまで収束してい
る。
なにか相手が手を打つ前に破壊すれば良いまでのこと。
ニドヘック
そう判断した斑鳩は、全魔力を精密に測定した廃龍の全身へと叩
マルチプル・ディメンジョン・スラッシュ
き付けた。
ニドヘック
﹁多連複合次元断層斬っ!﹂
虹色の光芒が、廃龍が占有していた空間ごと、ごっそりと消し飛
ばした。
1118
第十三話 魔城破壊︵後書き︶
あまり
︻七禍星獣メンバー︼
いき
ソードドック
№0・・・零璃:水の最上位精霊︵番号外︶
そうじゅ
グリーンマン
№1・・・壱岐:魔剣犬︵欠番︶
すさ
№2・・・双樹:緑葉人︵欠番︶
くらし
№3・・・周参:ゲイザー
ごうん
ごうん
№4・・・蔵肆:翼虎
むつ
はくたく
№5・・・五運・五雲:麒麟の麒︵雄︶・麟︵雌︶
たなばた
№6・・・陸奥:白澤
ほずみ
うんがいきょう
№7・・・七夕:アプサラス
ここのえ
きがんだいそうじょう
№8・・・八朔:雲外鏡
№9・・・九重:鬼眼大僧正
1119
第十四話 天空襲来
いかるが
斑鳩の奥の手︱︱公式設定や攻略Wikiにそんなのなかったじ
ゃない! チートじゃん!? ボクに黙ってどんだけ切り札隠して
ディメンジョン・スラッシュ
マルチプル・
いるわけ?! お母さん怒らないから言いなさい!! と問い詰め
ディメンジョン・スラッシュ
たくなる必殺技︱︱通常の次元断層斬を遥かに上回る威力の多連複
合次元断層斬によって、︽暴風結界︾ごとごっそりと抉り取られた
ニドヘック
ためすっかり視界も確保され、日も昇った晴れ晴れとした青空の下、
少し前まで廃龍がいた場所に欠片一つないのを確認して、ボクは大
きく肩の力を抜いた。
終わった終わった。
帰って編み掛けのマフラーでも編んで、まったりしよう。
天気も良いので、お弁当作って公園のお花畑とかで食べるのも気
分が良さそうだなぁ︱︱そんなふうに考えていた時期がボクにもあ
りました。
﹁︱︱なんだとォ!?﹂
すさ
﹁︱︱こんな馬鹿な!?﹂
斑鳩と周参の分身体︵ちなみに本体は本陣で指揮の為に待機中︶
が、同時に驚愕の声をあげた。
あ、やばい。なんか失敗フラグの予感がひしひしと⋮⋮。
できればなかったことにして欲しいし、聞きたくないんだけど⋮
⋮確認する前に、答えの方が目の前に落ちてきた。
︽アルマミス︾が突如、空中へ転移したかのように
轟音とともに巨大なタジン鍋︱︱もとい、パーレンこと、しま○
らさんの居城
1120
現れて、そのまま重力に引かれて地上へと落下した。
﹁なんで?!﹂
我知らず、ボクの喉から疑問の声があがっていた。
ムカデ
自力移動可能な兄丸さんの機動要塞︽百足︾や、ボクの空中庭園
︽虚空紅玉城︾だって、通常航行しかできない。まして設置型のギ
ルドホームが瞬間移動するなんて⋮⋮いや、可能か!
インベントリ
ギルドホームも基本はアイテム扱いなんだから、プレーヤーが居
ない状況なら、所有者がいくつかの部品に分けて収納スペースにし
まいこむのはできる。ただし問題があって、これらの部品が1個あ
たりとんでもない重量値と容量値を持っていることで、筋力値が高
インベントリ
い生産職でもなければ、まず運べるシロモノではない︵それでも2
∼3個運ぶのがやっと︶。
少なくともボクは空中庭園を作る際には、収納スペースを空っぽ
にして、一番軽い部品をどうにか運べた程である。
筋力値がおそらくはボクより高いしまさんでも、基本は魔法職な
のだから持ち運びできる量は1個が限界。それ以上はオーバーウェ
インベントリ
イトで、その場から一歩も動けなくなるはず。だから咄嗟に︽アル
マルチプル・
マミス︾を分解して、収納スペースに突っ込んだとしても、その場
ディメンジョン・スラッシュ
から一歩も動けず、スキルも使えない状態で、斑鳩の放った多連複
合次元断層斬の直撃を浴びしかない︱︱というのはゲームでの常識。
だけど、この世界はゲームとは違う。たとえ本人が身動きとれな
くても、一体化オブジェクトのように移動不能なわけはない。現に
反則技で︽アルマミス︾はここまで移動してきた。なら、外部から
イン
の働きかけがあればオーバーウェイト状態のプレーヤーも動かせる
ということ。そして、それを成し得る存在は真下にいた。
ベントリ
つまり、攻撃が命中する寸前に︽アルマミス︾を分解して、収納
1121
ニドヘック
スペースに突っ込んだしまさんを、廃龍が思いっきり上空へと放り
投げ、自由落下しながらしまさんは再度、︽アルマミス︾を組み立
て直したってこと。
呆然と注目していたところ、さらに着地した︽アルマミス︾から、
ぞろぞろと吸血鬼たち︱︱あれ? 恰好からして、ひょっとして昨
日行列のサクラ役をやってた吸血鬼でないの?︱︱が現れ、スクラ
ムを組むとそのままドロドロと合体を繰り返して、気が付けば小型
ニドヘック
の⋮⋮長さでいえば前の3分の1。質量では10分の1にも満たな
い廃龍が生まれていた。
ニドヘック
﹁⋮⋮ずいぶんと小さくなったねぇ。これなら事によれば、聖騎士
でも斃せるんじゃないの?﹂
カタツムリ
イソギンチャク
申し訳程度に︽アルマミス︾の下に張り付いている廃龍を見て、
ボクは思わず首を捻った。これじゃあ蝸牛というより磯巾着だね。
﹁いいえ、姫様。見かけに騙されてはいけません。質量こそ減りま
カテドラル・クルセイダーツ
したが、エネルギー量は相当数保持しております。おそらくあの吸
HPとM
血鬼どもは第一世代か第二世代の直系眷属⋮⋮聖堂十字軍とやらの
P
成れの果ても相当数見受けられましたので、とりわけ保有エネルギ
ーの多い個体を選別した、中枢部分かと思われます﹂
周参がすかさず解説してくれた。
﹁つまり、あんまり効果がなかったってこと?﹂
﹁残念ながら。例えるなら、いわば﹃トカゲの尻尾きり﹄⋮⋮いえ、
﹃脱皮﹄が現状では正確かと。不要な部分を自ら捨て去ることで、
まんまとこちらの目を欺いたわけです﹂
﹁ああ、小型軽量化してスペックを上げたわけね﹂
まるでどこぞの有名漫画の主人公が宇宙へ行って以降の敵役みた
いだねぇ。まだ、何段階か変身を残してないだろうねぇ⋮⋮?
1122
﹁おのれっ、ふざけた真似を︱︱︱︱っ!!!﹂
一方、まんまと欺かれた当人である斑鳩が、怒りの声と共に全身
ディメンジョン・クローズ・スペース
の触手の先端を︽アルマミス︾へ向ける。
﹁次元閉鎖空間壁展開!﹂
虹色に輝くオーロラのような壁が︽アルマミス︾を囲う形で展開
された。
ディメンジョン・スラッシュ
﹁上下左右すべてに逃げ場はないぞ! 今度こそ葬り去ってくれる
! 次元断層斬!!﹂
ディメンジョン・スラッシュ
ニドヘック
ピンポイントで狙いを定めた次元断層斬が、今度こそ︽アルマミ
ディメンジョン
ス︾を直撃した︱︱瞬間、まるで舌のように薄く広がった廃龍が、
・クローズ・スペース
ぐるりと︽アルマミス︾本体を守る形で覆い被さり、さらに次元閉
鎖空間壁を打ち破って現れた。
ディメンジョン・スラッシュ
﹁むっ。次元波の吸収を獲得したようです。このまま次元断層斬を
ニドヘック
当て続けるのは、養分を与える結果になります﹂
周参の分析を裏付けるように、廃龍の厚みが増してきた。
一見すると花の蕾みのような形になってきた。
ディメンジョン・スラッシュ
﹁︱︱っ!?﹂
慌てて次元断層斬の照射を中断しようとした斑鳩だが、それを天
涯が止める。
﹁構わん! そのまま続けて敵の足止めをしろ! ︱︱姫っ。第一
作戦失敗と見なして、予備作戦へと移行します。よろしいでしょう
か?﹂
﹁オッケー! タイミングは任せるよ﹂
むさし
﹁よし。周参、武蔵を降下させろ!﹂
1123
﹁了解しました。⋮⋮武蔵、空中庭園から降下開始しました。着弾
まで残り15・14・13・12・11・10⋮⋮﹂
ソニックブーム
上空を見上げると、膨大な衝撃波を伴って、数百mはありそうな
円筒形の真っ白い筒⋮⋮よく見れば人面のようにも見える巨大な物
体が、ぐんぐんと高度を下げて降下してくるところであった。
シャローム
十三魔将軍の一人︽沈黙の天使︾武蔵。
通常は置物のようにじっと空中庭園の一角に腰を落ち着けている
が、ひとたび動き出せばその歩みを止める事はできない。ボクの従
魔の中でも3本の指に入る巨大な質量でもって、どこまでも執拗に
敵を追い詰め、最後には内蔵した全エネルギーを開放して膨大な自
バニッシャー
爆を行う︵中心核になっている部分は直前に転移するので、時間を
掛ければ元の大きさに戻れる︶。まさに︽神罰者︾。
ただし機動力に問題があるので、今回は第一作戦が失敗した時の
次善の策として、上空に待機した空中庭園から直接降下させる、文
字通り爆撃に使うことにした。
はっきり言って威力から言えば原爆なんて問題にならない筈なん
だけど。
﹁⋮⋮6・5・4﹂
﹁総員、退避! 斑鳩っ、バリアーを張れ!﹂
ディメンジョン・スラッシュ
ディメンジョン・バリアー
周参のカウントダウンにあわせて、その場から一斉に退避する。
斑鳩も次元断層斬の照射を止め、即座に全員へ次元障壁を張った。
﹁3・2・1︱︱﹂
瞬間、世界が終わったかのような凄まじい閃光が炸裂した。
もうもうと吹き上がるキノコ雲と、薙ぎ倒されてまっ平らになっ
1124
た国境の山岳地帯。
ニドヘック
そして、爆発の中心に立つ巨大な花弁︱︱廃龍と︽アルマミス︾
の複合体︱︱が、ほぼ無傷な状態で残っていた。
﹁化物め! これですら斃せんのか!?﹂
天涯の驚愕の声に、周参の淡々とした声が答える。
﹁いえ、直前で撃墜されました。重力波と次元波の複合技のようで
すが、さすがにエネルギーの消耗も激しく、復活してからいままで
蓄えた分とプラスマイナスゼロというところで︱︱いかん!!﹂
ニドヘック
周参の声がいきなり焦りを帯びた。
﹁廃龍が⋮⋮﹂
あとは聞かなくてもわかった。巨大な蛇はその体をほどくと同時
に、︽アルマミス︾を乗せたまま、全身で大地を打ったかと思うと、
その反動で一気に、まるでロケットの発射のように、真っ直ぐに上
空︱︱成層圏に浮かぶ空中庭園︽虚空紅玉城︾へと向かって飛んで
いったのだ。
大地が波のように揺れ、とてつもない量の土砂が吹き上がって、
ボクたちの視界を塞ぐ。
﹁空中庭園まで到達⋮⋮13・12・11・10・9・8・7・6
︱︱﹂
カウントダウンを続ける周参に向かって、天涯が緊迫した声を張
うつほ
り上げる。
﹁空穂へ緊急連絡! 即座に奴を迎撃せよ!﹂
◆◇◆◇
1125
難攻不落を誇っていた空中庭園に、この日、史上初めて激震が襲
った。
あちこちから悲鳴と困惑の叫びがあがり、血の気の多い住人のほ
とんどが外に飛び出した。
彼らが見たのは空中庭園の北端︱︱虚空紅玉城がある部分を南方
と見立てて、一番外れを北方としている︱︱民間施設からも程近い
場所に突如現れた、肌色の巨大な蛇か蛭のような化物の姿であった。
﹃空中庭園北方に侵入者あり!! 魔将及び列強級魔物は排除に向
アラーム
かえ! それ以外のものは退避せよ!﹄
国全体を覆い尽くす緊急警報が鳴り響く。
声の主は今回、留守居として残っていた四凶天王の空穂である。
彼女は何度かそれを繰り返したのち、半ば本性を顕わにした獣面
から青白い炎を吐きながら、背後に控える重臣たちを振り返った。
﹁なんたる失態であろうか! この妾がムザムザ敵の侵入を許し、
あろうことか姫様の御座所を穢すとは!! おのれ許さじ! 許さ
じ! かくなる上は妾自ら下郎を誅殺してくれようぞ!!﹂
憤怒の形相も凄まじく、即座にその場から現場へ向かおうとする
のを、慌てて周囲が止める。
﹁お待ちください。現在、円卓の魔将が現地へ向かっております。
万が一にも本陣が狙われ、姫様の玉座に傷がつくことがあれば、そ
れこそいかなる釈明もありますまい。お辛いでしょうが、空穂様は
この場にて玉座をお守りいただきとうございます﹂
1126
がいじん
切々と訴えられ、ようやく踏み止まった空穂は、手にした扇を二
つにへし折った。
◆◇◆◇
﹁なんでぇ、こりゃ?﹂
鍋の火を止め、現場に駆けつけた︽オーク・キング︾凱陣は、目
の前に聳え立つ巨大な肉の壁に眉をひそめた。
見たことも聞いたこともない魔物の姿に、修羅場で鍛えられた彼
の勘が最大限の警戒を促す。
﹁︽オーク兵召喚︾﹂
まずは一当たり。
そう考えて、手に手に槍や手斧を持ったオーク兵を3ダースばか
り召喚して、﹁行け!﹂突撃させる。
一斉に武器を振りかざしたオーク兵が肉の化物へと向かう。
ズブッと案外軽い手応えでその皮膚を破り、血を垂れ流す化物。
︱︱なんでぇ、見掛け倒しか。
そう思った瞬間、肉壁のそこかしこから細長い腕が生えて、圧倒
的な数でオーク兵たちを拘束して、そのままズブズブと肉壁の中へ
引きずり込む。
最初、抵抗しようとしたオーク兵たちだが、なぜか途中からがっ
くりと力をなくし、無抵抗のまま捕食されてしまった。
1127
﹁野郎っ!!﹂
怒りに燃えた凱陣の拳がそこへ放たれるが、ずぶっと硬い泥を叩
いたような手応えで、二の腕まで化物の腹に収まってしまった。
﹁うおおおおっ!?﹂
慌てて距離を置こうとするが、這い出した腕が全身に絡みつく。
HP
それでも全力で体を引き剥がそうとする凱陣だが、掴まれたとこ
ろから凄まじい勢いで、生命力が吸収されるのを感じた。
﹁ぐおおおおおおっ!!﹂
ソードドック
いき
思わず絶叫を放った瞬間、虚空に白刃が煌き、不意に体の拘束が
解けた。
﹁大丈夫か、凱陣﹂
見れば全身の刃を極限まで伸ばした︽魔剣犬︾壱岐が、その場に
立っていた。
HP
﹁おお、壱岐の旦那か。助かったぜ。だが、マズイぞ。こいつ直接
接触したところから生命力を吸いやがる。俺だからなんとか持った
が、列強クラスでなきゃひとたまりもねえ。蹴ったり殴ったりはヤ
バイ﹂
﹁⋮⋮なるほど。捕まったらお陀仏か﹂
基本、接近戦メインの壱岐も、難しい顔で眼前の敵を睨み据えた。
と、見れば他にも血気と義憤に駆られた住人たちが、雪崩を打っ
て化物に向かって行くのが目に付く。
﹁いかん! このままでは姫様の臣民が無駄死にすることになる。
俺はなるべく前線で連中のフォローに回るので、お前は後続を止め
てくれ!﹂
﹁おう! わかりやしたぜ﹂
1128
そのまま前後に分かれて走り出そうとした二人だが、化物の全身
に開いた目が赤く輝くと、その場から一歩も身動きができなくなっ
てしまった。
﹁な⋮⋮なんでぇ⋮⋮こりゃ⋮⋮﹂
﹁まさか⋮⋮姫様の魔眼⋮⋮?﹂
凝然と立ち尽くす二人に向かって、おぞましい触手が迫る。
﹁﹁ぐおおおおおおおっ!?!﹂﹂
ここのえ
絶望の唸りをあげた二人の前に、右手に金襴の袈裟をまとった三
目の僧侶が舞い降りてきた。
﹁喝っ!!﹂
精神波を伴ったその一喝で、二人の金縛りが解ける。
﹁九重か! 助かったぞ﹂
しちかせいじゅう
壱岐の言葉に軽く頷いた七禍星獣№9︽鬼眼大僧正︾九重。
﹁この場はそれがしにお任せあれ。お二方は急ぎ避難と誘導をお願
いいたします﹂
髑髏と背骨でできたような杖﹃飢魂杖﹄を地面に突き立て、アン
デッドを召喚しながら、早口で指示を飛ばす九重。
HP
﹁︱︱だが、貴様一人でこの化物を押さえるのは不可能だぞ?﹂
生命力を吸われ、魔眼の拘束で精神も消耗した凱陣に肩を貸しな
がら、壱岐が硬い声と表情とで問い掛ける。
﹁ご安心くだされ。それがしのみならず、円卓の魔将も集結しつつ
あります﹂
1129
言われて頭上を振り仰げば、巨大な影が次々とこの場に近づいて
くるのが見えた。
﹁わかった。頼んだぞ﹂
﹁お任せくだされ﹂
一礼した九重は、二人がこの場を後にしたのを確認して、飢魂杖
を大きく振りかざした。
﹁行けっ、不死なる軍団よ! 我が国土、我らが敬愛する姫の所有
物を穢した罪の重さ、魂の奥まで教えてしんぜよう﹂
ニドヘック
膨大な数のアンデッドたちが、一糸乱れぬ行軍で廃龍へと向かっ
て行った。
1130
第十四話 天空襲来︵後書き︶
予定では九重はここで戦死して、№9は別の彼にバトンタッチの予
定でしたけど、前回もさんざんでしたので今回見せ場を作りました。
彼の評価が微妙なところもありましたし。
1131
幕間 武者修行︵前書き︶
前後編になりました。前編です。
1132
幕間 武者修行
﹁伝説の勇者の剣? あるのそんなもの?﹂
何のヒネリもないその名前に緋雪が首を捻る。
﹁あるんですよ、どういうわけか﹂
コラード国王も困惑したような口調で、言葉を継いだ。
﹁なんでもかつてその国に恐るべき魔物が襲来し混乱に陥った時、
国王と国の精鋭たちがその身を犠牲にして時間を稼ぎ、ときの巫女
が自らの命と引き換えにする禁断の大魔術を行い、異世界から勇者
を召喚したそうで。その勇者が魔物を斃す為に、ドワーフの名工が
3人がかりで命と引き換えに鍛えたのが、その剣だそうです﹂
命と引き換え多いな∼、あと、やたら手垢の付いた設定だなぁ、
とか思いつつ取りあえず頷いておく緋雪。
﹁なんでもこの剣は凄まじい切れ味を誇り、それのみならず、持ち
主に栄光と無限の力を与えたそうです。なんでも召喚された勇者﹃
タロー・ヤマダ﹄はほとんど武芸の心得のない素人だったそうです
が、この剣の力で魔獣と互角に戦い、最後は剣自体が勇者の手を離
れて魔獣を翻弄し、宙を飛んでトドメを刺したとか﹂
﹁それ剣が主役で、勇者必要なくないんじゃなくない?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
気が付いちゃいけないことに気が付いた顔で、お互いに決まり悪
げに視線を交わす二人。
こほんと咳払いして、変な方向へ流れかけた話を元に戻すコラー
1133
ド国王。
﹁⋮⋮要約してるからそう感じるんですよ。吟遊詩人の語りとか、
地元のお伽噺では英雄譚として、巷間に流布しているので、間違っ
てもそういうツッコミを入れてはいけません。なにしろ今回はアウ
ェーですから﹂
それから、心配そうに目の前に座る緋雪︱︱普段の派手なドレス
から一転して純白の神官服を着た美貌の聖職者︱︱冒険者名スカー
レット・スノウという、そのまんまな謎の女性神官へと、再度確認
する。
﹁しかし、本当に姫陛下まで同行するんですか? 別にそれほどの
重大事とも思えませんし、正直、あちらの要求を聞かなくても、問
題はない⋮⋮というか、そもそも北方貿易はあまり盛んではありま
せんので、1箇所程度使用不能では、さほど不都合はないかと思う
のですが⋮⋮﹂
ブルー・ベルベット
手にした三日月の長杖︱︱聖女装備﹃薔薇の秘事﹄を支点に、ソ
ファーから立ち上がった。
﹁だってその国がOKすれば、実質自由貿易圏が大陸中コンプリー
トなんでしょ? だったらゲーマーとしては完璧を目指さないとね
ぇ。それに第一面白そうじゃない、﹃我が国は魔国に与する者とは
交易を結ばない。だが、伝説の剣に選ばれた者がそれを望むなら、
エターナル・ホライゾン・
謹んで受諾しよう﹄と言って、その候補者がこの国に居るなんてね。
神剣とやらと勇者様とやらの顔を拝んでみたいじゃない﹂
オンライン
まあさすがに普段の恰好だと目立つので、わざわざ昔︵﹃E・H・
O﹄時代︶使っていた聖職者服まで引っ張り出してきたのだ。
ちなみに現在、緋雪はコラード国王と会談のために来訪中という
ことで、表向きは魔導人形№2﹃緋雪﹄が、命都の遠隔操作で影武
者をこなしている。
1134
﹁それにしても予言の勇者がまさかアレとはねぇ。どんだけ人材難
なんだろう⋮⋮﹂
首を捻る緋雪に、コラード国王も重々しい顔で同意した。
﹁まったくです、世界も発狂したとしか思えませんね﹂
◆◇◆◇
﹁師匠ですか? しばらく山籠りすると言って1週間前から仕事も
休んでますけど?﹂
アミティア共和国の首都アーラにある、冒険者ギルド本部。
前もって呼び出しを受けていたDランク冒険者フィオレ︵つい先
ごろDランクへ昇格した︶は、案内されたギルド長室で、2∼3度
顔を合わせたことのあるこのギルドの最高責任者ガルテと、1度だ
け顔を合わせたことのある黒髪の美姫︱︱アミティア共和国の宗主
国国主であり、非人間種族の実質的神に等しい吸血姫︱︱緋雪を前
にして、部屋に案内された途端、気死寸前に追い詰められたが、お
茶を飲みながらの雑談を挟んだ会話を通して、二人のざっくばらん
な人柄に触れ、どうにか普通にやり取りが可能なほど、気持ちが回
復したのだった。
そして、何気ない様子で訊かれたのが、
﹁今日はジョーイの奴も呼び出したんだが、どうにも捕まらねえ。
お嬢ちゃん、なにか知らないかい?﹂
という質問であり、その答えが先ほどのものだった。
﹁﹁山篭り?﹂﹂
1135
予想外の答えに揃って目を丸くする緋雪とガルテギルド長。
﹁は、はい。昔、ギルド長から聞いて、あの⋮⋮なにかあったら使
うように、言われた場所だとか⋮⋮聞いてますけど?﹂
自身無げなフィオレの言葉に、ガルテがぽん!と手を打った。
﹁ああ、あそこか! 俺の自作の修行場だが、勝手に一人で行った
のか? それで1週間音沙汰なしか、ちとヤバイかも知れんな﹂
厳つい顔をさらに締めて、﹁う∼∼む﹂と唸るガルテの真剣な表
情に、思わず顔を見合わせる緋雪とフィオレ。
﹁⋮⋮そんな危ない場所なの?﹂
﹁そうですな。街からはさほど離れては居ないのですが、なかなか
地形も険しい上に、あちこちに罠が仕掛けられ、その上肉食の獣や
魔物も徘徊してますから﹂
ひょっとすると手遅れかも知れません。
ランドドラグ
そう重々しく言われて、再度、冷や汗を流しながら顔を見合わせ
る少女二人。
◆◇◆◇
その2時間後。
ギルドで用意してくれた走騎竜4頭立ての竜車で、緋雪たちはジ
ョーイの籠もる山へとやってきた。
レイピア
御者は別にして、この場に来たのは、護身の為に魔法使いのロー
ブと杖を装備したフィオレと、聖職者装備の緋雪、そして細剣を両
方の腰に差した、胸鎧にワンピース姿の15∼16歳と思える乳白
1136
色をした髪の少女であった。
しず
﹁彼女は私の護衛役でね。十三魔将軍でデモゴル︱︱といってもわ
かんないか、取りあえず名前は真珠、能力バランスの良さではうち
の国でもトップクラスなので、何があろうとも安心してね﹂
にこやかに緋雪に紹介されて、フィオレは反射的に頭を下げた。
しず
﹁は、初めまして、冒険者のフィオレです。今日はよろしく⋮おね
がいし⋮ます﹂
﹁初めまして、姫様の懐刀の真珠です。今回だけのご縁で、今後二
度と会うことはないと思いますけど、よろしくお願いします﹂
微笑みながら︱︱微妙に引っ掛かる部分もあるけれど︱︱自然な
し
様子で右手を出してきたので、これまた反射的にフィオレは握手し
た。
ず
ひんやりと冷たい手で、ぎゅとフィオレの右手を握りながら、真
珠はにこやかに続ける。
し
﹁ちなみにこの姿は便宜的なモノで、本来の姿は気の弱い方は発狂
するほどおぞましいモノですが、よろしくお願いいたします﹂
ず
う⋮⋮っ。と思わず引き掛けたフィオレの手を握って放さない真
珠。
﹁それと、私の役目はあくまで姫様の護衛ですので、もののついで
があれば貴女も助けますけれど、あくまで姫様の身を第一に考え、
しず
足手まといになるようでしたら、躊躇なく見捨てるかその場で喰い
ますので、ご留意ください﹂
朗らかとも言える笑顔のまま、ほとんど処刑宣告をする真珠から、
フィオレは泣きそうな顔で緋雪の方へ視線を向けるが、彼女は竜車
の中から大型のバスケットを取り出すため、背中を向けて、こちら
の様子は見ていなかった。
1137
﹁それとこの会話は姫様に聞こえないように遮断しておりますの、
余計なことを喋ればどうなるか⋮⋮貴女は聡明そうですのでおわか
りですね?﹂
念を押され、コクコク頷くフィオレ。
そこへ緋雪がバスケットを両手で下げて戻ってきた。
﹁ごめんね∼。お待たせ。︱︱ん? まだ握手してるの?﹂
しず
﹁はい、姫様。彼女とは気が合いそうで、ついつい長話をしてしま
いました﹂
にっこり微笑む真珠に合わせて、凄い勢いで頷くフィオレ。
﹁? ふーん⋮⋮それは良かった。取りあえず行ってみようか﹂
緋雪に促され、ようやく手を放してもらったフィオレが、大慌て
でその後ろへと着いた。
◆◇◆◇
ガルテギルド長から大体の場所は聞いているが、そう簡単には辿
り着けないでいた。
さほど険しい山ではないが、ところどころ崖のように険しい斜面
や断崖、生い茂る潅木とが、前進の妨げとなっているのだ。素人が
迷い込んだら遭難の危険もあるだろう。
玄人であるフィオレと、体力が無尽蔵の魔物二人のトリオだから
こそ、どうにかなっているのだ。
ちなみに山道を行く先頭は緋雪で、それにしっかりしがみ付くよ
1138
しず
うな形でフィオレが続き、最後がにこにこ笑いながらの真珠で、フ
ィオレの背中は鳥肌が立ちっ放しだった。
﹁確かこのあたりの⋮⋮あれ?﹂
と、緋雪の足元で、ぱきっと何かが折れた音がした。
すると藪の中から、先端が尖った丸太︱︱大人の胴体くらいある
︱︱が、振り子仕掛けで藪を切り裂きながら迫ってきた。
﹁⋮⋮なんかどこぞの山を思い出すなぁ﹂
のんびりと過去の思い出に浸る緋雪の前に飛び出した真珠が、迫
り来る丸太を面倒臭げに掌で受け止めた。
その彼女の足元で、また﹃ぱきっ﹄と音がして、反対側の茂みか
ら矢が3本。
真っ直ぐフィオレに向かって来るのを、ちらっとみて見なかった
フリをする真珠。
﹁ひえっ!﹂
なんとか躱したフィオレ。一瞬前まで彼女がいた地面に、矢が3
本刺さっていた。
起き上がろうとしたところで、右手がなにか紐のようなものに引
っ掛かって、﹃ぱんっ!﹄と何かが外れた音がした。
一瞬にして血の気が失せたフィオレ︱︱と言うか3人の頭の上に、
崖の上から大きな岩が落下してきた。
余計な手間を取らせやがって、という眼でじろりとフィオレを一
瞥して、真珠は手にしていた丸太を縛る縄を力任せに引き千切って、
そのまま迫り来る岩を殴り返した。
太い丸太が一撃で木っ端微塵になり、大岩はそのまま放物線を描
いて、崖の上に打ち返された。
ズン!という震動が頭上から響いてきた︱︱と、同時に崖の上か
1139
ら、謎の生物が飛び降りてきた。
上半身裸でボロボロのズボンを履き、ぼさぼさに伸びた髪の間か
ら光る眼を覗かせた謎の生物が、右手に光る魔剣を持ったまま、一
同に向け襲い掛かってくる。
﹁え⋮⋮? あれ? もしかして﹂
﹁へっ⋮⋮? あの﹂
﹁キシャアアアアッ!!﹂
雄叫びを発しながら剣を振り回す。それは変わり果ててはいたが、
間違いなくジョーイであった。
﹁し、師匠っ!? どうしたんですか?﹂
﹁あの、ジョーイ?﹂
﹁ウホウホウホ︱︱ッ!!﹂
必至に呼びかける二人を無視して、滅茶苦茶に剣を振るジョーイ。
﹁ちょっと、ジョーイ! 正気に戻って!﹂
﹁ガルルルルルッ!!﹂
セオリーもなにもない暴風みたいな攻撃を、自慢のスピードにモ
ノをいわせて避けながら呼びかける緋雪だが、まったく効果がない。
しょうがないぶん殴って止めるか、と思った矢先に、
﹁鬱陶しい﹂
ぽつり呟いた真珠の手刀が、一撃でジョーイの首を跳ね飛ばした。
﹁﹁あっ﹂﹂
◆◇◆◇
1140
﹁いやーっ、美味いなぁ! 久々に木の実や生の肉以外のもの食う
ぜ﹂
地べたに胡坐をかいて、バスケットの中身︱︱緋雪が急遽用意し
たサンドイッチ︱︱を、冬眠前の熊みたいにモリモリ食べるジョー
イ。身体は一回り細くなったようだが、その分密度が増した感じで
ある。
﹁それにしても師匠、どうしたんですか、さっきは?﹂
﹁さっき⋮⋮ああ、そうか。悪い、ちょっと修行に熱が入りすぎた﹂
﹁どう修行するとああなるわけ?﹂
緋雪の疑問に、決まり悪げに破壊された罠を指差す。
﹁ほら、ここってあっちこっち罠だらけだろう。その上、油断する
と魔物も襲ってくるし。だから、取りあえず動くものを見たら攻撃
するようになっちまうんだ﹂
﹁⋮⋮それって修行ではなくて、単に野生化しただけでは?﹂
フィオレの呟きに思わず、﹁うん﹂と同意する緋雪。
﹁人間の持つ潜在能力を開放する訓練だってガルテ先生は言ってた
けど?﹂
さすがに自分でも、ちょっとおかしいんじゃないかという感じで、
最後は疑問形で答えるジョーイ。
﹁いや、まあ、それはともかく、まずは無事でよかったよ﹂
最後、止めるのにちょっと真珠が殺して、慌てて蘇生させたわけ
だけど。
﹁ところで、なんでまた修行なんて始めたの?﹂
そう訊かれてサンドイッチを食べていた手をとめるジョーイ。
﹁⋮⋮勝ちたい奴がいるんだ。ほんの1月くらい前まではほとんど
互角だったんだけど、この間偶然会って剣を交わしたら、俺なんて
1141
全然勝てないくらい強くなってた。だから﹂
﹁なるほど、ライバルという奴だね。それで、修行の成果として、
勝てそうなのかい?﹂
無言のまま、ジョーイは首を横に振った。
﹁こんなんじゃ全然追いつけない。いまのままじゃダメだ﹂
﹁師匠⋮⋮﹂
心配そうに自分を見詰めるフィオレから、目を逸らすジョーイ。
﹁ふむ。強くなりたい、か。ジョーイ、君さえ良ければ、ちょっと
面白い話があるんだけどね?﹂
怪訝そうな顔をするジョーイに向かって、緋雪は今回の訪問の目
的を語りだし、それを聞いた少年の目が驚愕に見開かれたのだった。
1142
幕間 武者修行︵後書き︶
本当は別な﹁幕間﹂を書いたのですが、内容がまったく緋雪ちゃん
いらないところの新キャラ登場でしたので、思わず別作品でUPし
ました。
今回の話は、その後、急遽ネタをひっくり返したものです。
続きは本編が続いた後になります。
1143
第十五話 楽園之蛇
ニドヘック
巨象に絡みつく毒蛇のように、空中庭園に取り付いた廃龍が不気
インペリアル・クリムゾン
味に蠢いていた。
立ち塞がる真紅帝国の魔物たちを吸収・増殖しながら、ゆっくり
と移動していた。鎌首の狙う先は空中庭園の中枢・虚空紅玉城本体
である。
10万前後の魔物たちが暮らす魔の楽園にして、緋雪の愛した箱
つわもの
庭がいま1匹の毒蛇によって侵食されようとしていた。
無論、ここに住む住人達はどれもこれも一騎当千の兵ばかりであ
り、ごく一部を除いて全員が兵士であるのだが、この強大な侵略者
に対しては正直、攻めあぐねる⋮⋮というのが実状であった。
何と言っても目の前にそびえ蠕動する肉の壁は圧倒的で、数多の
魔物と戦ってきた彼らにしても、これほど巨大な魔物は経験したこ
とがなく。それを目にした者すべてが驚愕に目を瞠り、呻き声を漏
らすこととなった。
とは言え、驚きはあっては彼らには恐怖も惰弱の二文字も存在し
ない。
﹃敵﹄と認定すればこれを斃すまで。即座に実行に移す。
接近戦は厳禁との布告が早い段階で出たこともあり、全員が遠距
離攻撃に切り替えて、炎や氷、毒液、風刃など景気よく浴びせ掛け、
最初は調子よく効果的に攻撃が通じるかと思われたのだが、次第に
効果がなくなり、逆に相手が活性化するに至り、ようやく敵の特性
を理解した。
1144
︱︱こいつ、俺たちの攻撃を喰ってやがる!!
慌ててその場から離脱しようとした彼らだが、時すでに遅く、あ
る者は魔眼に囚われ、ある者は触手に絡め取られ、またある者は膨
大なその質量に力負けして、なすすべなく同化吸収されていった。
ニドヘック
無論、早い段階で廃龍の特性については、地上から説明があり円
卓メンバーとそれに並ぶ﹃列強﹄と呼ばれる実力者及び軍関係者に
は周知されてはいたが、現場に居合わせた民間の魔物は知る由もな
ニドヘック
く、各個撃破の標的となったしまった。
インペリアル・クリムゾン
この結果、廃龍襲来から僅か15分ほどで300名近い行方不明
者︵吸収されたと思われる︶を出す、真紅帝国本国における初の戦
闘及び未曾有の惨劇となった。
とは言え第一陣の犠牲者が出て以降、幸いにもさほど犠牲者を出
ニドヘック
さなくなったのだが、原因としては、逸早く現場に駆けつけた円卓
メンバーの尽力と、廃龍の戦闘方法の変化によるものがあった。
ニドヘック
いぼ
戦闘が開始されてから20分ほど、お互いにこう着状態になりか
けたところで、臓物にも似た廃龍の表面に、細かな疣もしくは膿の
ような突起が生まれ、次々とそこから無数の弾丸が都市全体に放た
れたのだ。
一見すると人間の身長ほどもある弾丸。それが着弾の衝撃で、ぐ
ちゃりと割れると、爛々と赤い目を輝かせた吸血鬼︱︱辛うじて四
肢と頭部を備えた人型であるが、もはや吸血鬼とも言えぬ腐りかか
ニドヘック
った化物︱︱と化し、手当たり次第にその場にいた動くものに襲い
掛かり、結果、本体である廃龍への対応を後回しにする形で、各地
で散発的なゲリラ戦を展開せざるを得なくなってしまった。
1145
◆◇◆◇
虚空紅玉城内部、評定の間。
﹁敵戦力が分散⋮⋮これの中身は吸血鬼というより、吸血鬼ベース
に作られた擬似生物といったところですわ﹂
うつほ
上半身が美しい白磁の肌をした黒髪の女性が、淡々とした口調で
現状の報告を空穂へと行っていた。アメリカ先住民の衣装を纏った
しおり
彼女だが、その下半身は巨大な蜘蛛となっている。十三魔将軍の情
報参謀﹃コクヤングティ﹄始織である。
一見黙ってその場に立っているだけのようだが、下半身の蜘蛛の
手足・副椀も総動員して、現在張り巡らされた超極細の糸を使い、
刻一刻と変化する状況の把握に努めていた。
﹁発射速度はおよそ毎分4000発。1個体として脅威としてはレ
ベル35程度で問題になるレベルではありませんが、すでに各地に
いずも
到達した分だけで6908⋮7026⋮加速度的に増えています﹂
﹁迎撃はなにをしておるか! 上空には出雲が出張っておるであろ
う!?﹂
空穂の怒鳴り声に、ゆるゆると首を振る始織。
﹁出雲殿はよく頑張っていらっしゃいます。およそ92パーセント
いかるが
は地上到達前に撃墜されておりますが、いかんせん精密射撃には難
があるところがございます。斑鳩様であれば、およそ100パーセ
さかき
ント近い数字を出すのですが、今回は運が悪かったとしか⋮⋮あら。
上空の親衛隊長・榊からです。撃ち漏らした分について、親衛隊の
天使達でカバーに回ることを提案しておりますが、いかがなさいま
1146
す?﹂
﹁ふむ﹂2呼吸ほど思案した空穂だが、即座に首を振った。﹁いや、
それは悪手であるな。報告によれば、アレに明確なダメージを与え
られるのは﹃聖﹄関係の攻撃のみ。ならば親衛隊は現状のまま本体
を攻撃させるが吉であろう。地上に落ちた分の掃討は、現場の者に
任せようぞ﹂
これが通常の人間や亜人の軍隊であれば、精神的な重圧からやが
ては総崩れになるところだが、基本的に全員が戦闘狂のこの国の住
人たち。その士気と能力、そして忠誠に全幅の信頼を寄せている空
穂にしてみれば、そのような心配など考えるまでもなかった。
事実、それを裏付けるように、
﹁現在の敵分体の掃討率は99.97パーセント。ほぼ100パー
セントと言ってもよろしいでしょう﹂
始織の報告があがる。
﹁︱︱100でないところが、もどかしいのぉ﹂
とは言え空穂にとっては、まだ不満なようだ。
﹁やはり過疎地区や非戦闘員地区に落ちたものに関しては、対応が
後手に回りますので。⋮⋮よろしければわたしも迎撃に回りますが
?﹂
始織の糸は感知のみならず、切るも縛るも自由自在である。
言わば伸ばした手足の延長線上で、敵が我が物顔で暴れ回ってい
るのを、常時感じているに等しい。さっさとその手で、一撃を入れ
たいというのが本音なのだろう。
﹁いや、お主にはいまは状況分析と感知に全力を注いでもらおう。
なにより、いまは時を待つのが肝要である。準備が出来次第、あの
デカブツ相手に反撃の狼煙をあげ、キツイ灸を据えてやらねばのぅ﹂
1147
﹁できますか?﹂
﹁⋮⋮可能でしょう﹂
すさ
それに答えたのは、いつの間にかこの場へ分身体を飛ばしてきた
周参であった。
﹁周参?﹂
キメラ
﹁奴は敵吸血鬼の祖が、自らの眷属をベースに群体として作り出し
た合成獣。構成に核となる部分はありませんが、この短時間にこれ
ほど水際立った動き及び規模での変則攻撃を行う以上、必ずや統制
する個体が存在すると思われます﹂
﹁つまり敵吸血鬼の祖がいて、それがあの化物を操る張本人である。
それを見つけ次第、誅殺すれば良いとのことであるな﹂
﹁はい﹂
口にするのは簡単だが、それがどれほどの難事であるか︱︱そも
そも地上組が失敗したからの現状である︱︱考えるまでもないこと
だが、空穂は口元に挑戦的な笑みを浮かべた。
﹁⋮⋮お急ぎください。この場へお一人で帰還されようとする姫を、
現在天涯殿以下全員で両手両足を押さえてお止めしている状況です
ので﹂
﹁なるほど。確かにそれは非常事態であるのう﹂
予備の扇子で口元を隠して、空穂はさらに口角を吊り上げた。
◆◇◆◇
虚空に漂う空中庭園のさらに上空。
500人近い天使達と、その5倍は居る各種色とりどりの竜種た
1148
ちを統括している銀翼の機甲天使︻メタトロン︼榊は、両手に持っ
た戦艦の主砲ほどもある巨大な機関砲の引金を引き続けていた。
ガチャの景品として登場した時には、そのメカニカルな装甲や武
装から、﹁世界観が違う﹂と非難された彼女ではあったが︵さすが
に運営の方でもクレームが多かったため、第二弾企画は没となった︶
、この戦場にあっては、﹃遠距離攻撃ができ、なおかつ属性を持た
ない純粋な物理攻撃﹄という戦闘スタイルが、絶大な効果を発揮し
ていた。
ニドヘック
巨大な弾倉が回転しながら弾を打ち出す機構のこの銃を両手で軽
々と扱いながら、榊は廃龍を包囲する形で展開する部下達に指示を
飛ばす。
﹁各自、そのまま待機して、合図があったところで一斉攻撃。周り
の雑魚は相手にするな。あくまで本体のみ。天使隊は化物の体を狙
え。竜戦士隊は奴の背中に乗っている建造物を集中して破壊せよ。
いいな、空穂様からの合図があってから攻撃だ﹂
いずも
激流もしくは滝のように銃口からあふれ出る銃弾で、彼女達のさ
らに上空、巨大な暗黒の渦巻状をした十三魔将軍副将・出雲の放つ
暗黒物質ビームの障壁の隙間から僅かに逃れて、降り注ぐ吸血鬼弾
を破砕しながら、榊は密かにため息をついた。
︱︱とはいえ後手に回るのは、我々の戦闘スタイルとしてはどう
にも歯がゆいな。いつまでも現状のまま進展がないと、いい加減部
下達の押さえが利かないぞ。
いつまでも終わる事のない敵の攻勢を前に、榊は厳しい顔で破壊
の元凶を睨みつける。
1149
◆◇◆◇
﹁さすがに厳しいか⋮⋮﹂
増殖する敵兵︱︱崩れた顔に爛々と光る左右非対称な赤い目、穴
が開いただけの鼻、紫色の舌が伸びた骸骨のような顎、そして人間
しちかせいじゅう
ここのえ
と昆虫を組み合わせたような歪な骨格の体と四肢を備えたそれ︱︱
を前に、七禍星獣・九重は果敢に戦っていた。
いつの間にか戦場は市街地を抜けて、王宮前の広場︵と言っても
ニドヘック
ちょっとした町程度の広大なものだが︶へと移っていた。より正確
には、廃龍の侵攻に併せて押し込まれていたと言える。
ニドヘック
いつの間にか都市部への擬似吸血鬼の放出は散発的になり、代わ
りに廃龍本体から、ずるりと抜け出すように擬似吸血鬼が地表付近
に産み落とされ、それらが土石流のような勢いで迫ってくる。
対抗して九重もアンデッド兵を召喚しているが、相手の増殖速度
に付いていけないのが現状であった。
各地の擬似吸血鬼を掃討し、危険性が低くなったと判断した味方
も続々とこの場に集結しているが、それでもまだ抑え切れない。
数に押し切られて前線の味方が崩壊する︱︱そこへ、涼しげな少
女の声が、不思議とよく通った。
﹁⋮⋮ったく、ちょータルいんですけど。なんだって姫様も見てな
いところで、サービス労働とかしなきゃいけないわけー﹂
乳白色の髪が風にそよいだ。嘆息するように言うワンピースを着
た少女が、九重の背後に立っていた。
面倒臭そうな動作でその左手が軽く持ち上げられ、迫り来る擬似
1150
混沌
と化して、そこへ襲い
吸血鬼の群れを指した途端、肩から先が爆発したかのように膨れ上
がり、あらゆる色彩が混じりあった
掛かる。
まさにひと薙ぎ。
一瞬で膨大な数の擬似吸血鬼の群れを飲み込んだ混沌のそこかし
こが、泥沼から噴出すガスのように膨らみ、弾けたところから、吸
収されかけた魔物たちが、王宮の手前へと吐き出されてきた。
と化している彼女を見て、九重がほっと吐息を漏ら
の領域を押し広げる︱︱いつの間にか両膝から下も溶け
混沌
混沌
衰弱はしているが辛うじて息はある彼らの姿と、涼しい顔でさら
に
崩れて
した。
しず
﹁真珠殿であるか⋮⋮﹂
ひとり しず
十三魔将軍の一柱真珠。﹃深淵に住む者﹄﹃混沌﹄とも謳われ、
その名を呼ぶことさえ厄いを呼ぶと恐れられた魔将の中の魔将︻デ
モゴルゴン︼。それが彼女の真の姿であった。
ニドヘック
ちらりと九重を横目に見た真珠は、ずるりと半身を混沌に変えな
がら、悠々と廃龍へ向かって進む。
混沌
貪欲
と私の
混沌
どちらが勝つかしらね﹂
の堆積が、膨大な量の津波と化して廃龍へと襲い掛か
ニドヘック
それを見た魔物たちが歓声をあげるが、まったく無視して進む彼
女の
った。
﹁さて、そちらの
最後に残った顔の半身がそう呟いて、ずるりと溶けた。
◆◇◆◇
1151
﹁むっ、始めたか!﹂
ひとり
しんら
虚空紅玉城正門前で待機していた巨大な白銀の獅子︱︱十三魔将
軍の一柱︻バロン︼森螺が、のっそりと立ち上がった。
空中庭園が普段航行している闇を纏った亜空間ではなく、通常の
成層圏にいるために白銀の体毛が陽光を反射して、全身がキラキラ
と光を反射している。
ニドヘック
一気に王宮前広場を走破した森螺は、巨大な廃龍相手に、じわじ
わと混沌の領域を押し広げている真珠を目に留め、にやりと笑い、
それから厳しい目でいまだ健在なその身体の大部分を眺めた。
たてがみ
﹁貴様は確か﹃聖光﹄が弱点であったな。ならば我こそは貴様の天
敵よ! 喰らえっっっ!!!﹂
ビーム
まさに獅子吼と呼べる咆哮と共に、森螺の鬣が扇のように広がり、
ニドヘック
そこから極太の熱線のように、凄まじい威力の聖光が放たれ、光に
ニドヘック
当たった廃龍の身体が、火に炙られたバターのように溶ける。
パラライズ・ビーム
さすがに苦痛を感じたのだろう、廃龍の全身から牙門と白夜を襲
パラライズ・ビーム
った麻痺光線が放たれるが、森螺に命中する直前、すべてその両の
目の中に吸い込まれ、一拍遅れて数倍に威力を増した麻痺光線が、
逆にそこから放たれた。
ニドヘック
﹁我にビームやレーザーの類いは効かんぞ! さっさとくたばるが
良い!﹂
スパスパとナイフでロールケーキを切り分けるように、廃龍の身
体を輪切りにする。
1152
切られた部分をなんとか融合させようとするが、通常の攻撃では
なく聖光で焼かれた部分は火傷のようで、容易に癒着しようとしな
い。
しかもこの時を満を持して待っていた、親衛隊の天使たちが、そ
うはさせじと﹃聖﹄属性の攻撃を傷口へと叩き込み、さらに増殖し
た真珠の混沌がこれを侵食する。
ニドヘック
不利を悟った廃龍が、この戦いの間ずっと囲っていた居城︻アル
マミス︼を守る肉の壁を移動させ、本体の質量に廻した。
﹁いまだ! 竜戦士隊全力で剥き出しになった敵の居城を攻撃!﹂
刹那、守りの薄くなった︻アルマミス︼へ向け、上空を舞うドラ
ゴンたちが一斉にブレスを放射した。
﹁﹃サンダルフォン﹄来い!﹂
親衛隊長・榊の声に応えて、巨大と言うのもおこがましい、ちょ
っとしたビルほどもある大砲︵?︶︱︱使用方法としてはバズーカ
発射!﹂
に近い運用で肩にかけた、バカみたいな兵器を装備して、真上から
ドーラ・インパクト
︻アルマミス︼へ向け照準を合わせる。
﹁フルチャージ! ズン!という大気を震わす腹の底に響く震動とともに、超巨大殲
滅兵器﹃サンダルフォン﹄の薬室に当たる部分が後退︵ちなみに1
発撃ったら終わりの使い切り︶、銃口からプラズマを伴った閃光が
流れ落ち、︻アルマミス︼を貫通し、一瞬遅れてこれを粉々に砕い
た。
◆◇◆◇
1153
空中庭園ではあり得ない地震のような突き上げに、広大かつ豪華
絢爛な廊下を小走りで走っていた、どこか野暮ったいスーツ姿の男
が、足を止めて﹁おやぁ?﹂と首を捻った。
﹁なんかいままでにない衝撃だったけど、ひょっとしてやられたか
な?かな? しょうがないにゃあ﹂
ふざけた調子で一人ごちる、彼の背後には6人ばかりの鎧冑姿の
カテドラル・ク
騎士らしい男達が続いていたが、誰も口も聞かず無言で男に従って
いた。
もしここに聖教関係者がいれば絶句しただろう。
ルセイダーツ
セイント
彼らの装備、武装、顔ぶれは間違いなく、全滅したはずの聖堂十
字軍、その騎士団長である﹃聖人﹄ベルナルド・グローリア・カー
サス以下、中隊長クラスの指折りの実力者ばかりであったのだから。
﹁まあ、気にしてもしかたないにゃ。さっさと目的を果たすよん﹂
そう言って先を促す男の顔には、真っ白い仮面が被せられていた。
にこりとも、一言の同意の声もなく、男の指示に従って人形のよ
うに動き出した騎士達だが、再び先頭を走る男の足が止まったこと
で、音もなくその場に整列した。
見れば廊下の先を立ち塞がるようにして立つ、大柄な2名の男の
姿があった。
そのうちの一人、白と蒼の鎧をまとい、赤い鬼面の仮面で顔の上
半分を隠した赤に近い金髪の青年が、肉厚の大剣を抜き身で持った
まま、一歩前に出た。
﹁念の為に待機してればビンゴか。ここで大将格を討ち取れるとは
な﹂
1154
その背後に控えている長身の青年よりもなお頭一つ大きな、こち
らは無手の大柄の老人が顎鬚を撫でながら同意する。
﹁おぬしの読み通りだったな。まさかここまで派手な陽動をすると
は思わんかったが﹂
﹁あー、すまんけど、そこ通してくれないかな? ちょっと急いで
いるもんで﹂
そんな二人へ向かって白仮面の男が、馴れ馴れしく語りかける。
﹁通したらどうするんだい?﹂
赤い仮面の青年が面白そうに聞き返す。
﹁もちろん! このまま緋雪ちゃんの部屋に行ってパンツを貰って
行きます!﹂
大真面目な口調で、ふざけた答えを返す男に向かって、青年は剣
の先を向けた。
﹁なら絶対に通すわけには行かないな。姫のパンツもなにもかも、
俺が貰うと決めてるんでね﹂
ライバル
大仰な仕草で肩をすくめる白仮面。
﹁おやぁ。もしや恋敵? むう、はじめて逢った時から、同じ仮面
同士として、白黒つけないといけないとは思ったけど、やはり相容
れるものはなかったようですね﹂
﹁そうだな。そういうことで、ここで決着をつけておこうか﹂
カテドラル・ク
無造作ともいえる足運びで距離を縮める青年にあわせて、老人も
自然体で足を進める。
﹁︱︱ふむ?﹂
ルセイダーツ
なんとなく身の危険を感じて後ろに下がった男の前に、元聖堂十
1155
字軍の聖騎士達が剣を抜いて進み出た。
﹁とりあえず、助さん格さん、やっておしまいなさい!﹂
男の投げ遣りな指示に従って、ベルナルド以下、騎士たちが二人
を包囲する形で広がった。
カテドラル・クルセイダーツ
﹁老師、こいつらの装備から見て、噂の最強騎士団聖堂十字軍の聖
騎士のようですよ﹂
﹁ほほう。音に聞こえた聖王国の虎の子か。これは楽しみだ﹂
﹁俺もですよ。思いがけない形ですが相手にとって不足はないって
ところですね。⋮⋮さて、一応名乗りはあげておくか﹂
まろうど
中段に大剣を構えたまま、青年は騎士達の隊長格らしい、鋼鉄の
インペリアル・クリムゾン
ような謹厳な顔立ちの男へ剣を向けた。
インペリアル・クリムゾン
﹁真紅帝国国主、緋雪様の眷属にして剣、稀人。参る﹂
﹁同じく真紅帝国武術指南役、獣王﹂
その名乗りに、これまで一言も口を聞かなかった男が、腰の二刀
カテドラル・クルセイダーツ
を抜いて始めて名乗りを上げた。
﹁元聖堂十字軍騎士団長ベルナルド・グローリア・カーサス。いざ
参る﹂
レジェンドリィ・ウエポン
レジェンドリィ・ウエポン
次の瞬間、稀人の伝説級武器ハワルタ−ト・ブレードと、神剣・
真十字剣及び伝説級武器クォ・ヴァディスとが、火花を散らして激
突した。
1156
第十五話 楽園之蛇︵後書き︶
緋雪がまったく出てないことにいま気が付きました。どーしましょ
う。
1157
第十六話 轟姫参戦
幅だけでも60メートルはある巨大かつ壮麗な廊下は静謐に包ま
れ、外の喧騒が一切聞こえない別世界のような幽玄さを、いまも醸
し出していた。
等間隔に天井から吊り下がった水晶製のシャンデリア︱︱比較対
象がないので判別し辛いが、枝を伸ばした1000年以上の樹齢の
巨木ほどのサイズがある︱︱が放つ煌々たる輝きと、白銀の柱に取
り付けられた黄金の飾り燭台の上でまたたく青白い魔法の炎が織り
成す幻想的な光と影の狭間で、2対6の男達による戦いの幕が切っ
て下ろされようとしていた。
﹁こいつの相手は俺がしますので、老師は周りの雑魚をお願いしま
す!﹂
まろうど
騎士団長ベルナルドの交差させた二刀と打ち合った瞬間、鍔迫り
合いの姿勢から即座に後方に跳ねた稀人の胸元近くを、ベルナルド
の二刀が通り過ぎる。
﹁気楽に言ってくれる。年寄りをあまり働かせるなよ﹂
5人一体となって襲ってくる聖騎士の包囲の輪につかまらないよ
う、巨体にも関わらず流れるような足運びで距離を保ちながら、隙
があれば即座に神速の踏み込みから距離をゼロにして、掌底や肘を
放つ獣王。
自分で﹁年寄り﹂を公言する年寄りほど、自分のこと年寄りだと
思ってないんだよなぁ、と苦笑しながら、10メートル程の距離ま
で下がり、再び大剣を構える稀人。
1158
ゴスペル・メイル
青を基調とした聖唱鎧の上に、青いサーコートを羽織ったベルナ
ルドの右手に握られているのは十字をかたどった柄の細身の長剣、
そして左手には他の聖堂騎士たちとは違って盾を装備しておらず、
代わって両刃の中剣が握られていた。
リーチ的には大剣を持った自分の方が有利だが、取り回しと手数
レジェンドリィ・ウエポン
では相手の方が上だな︱︱と、相対す稀人は素早く判断した。
レジェンドリィ
一合打ち合った感触では、あちらの武器もおそらくは伝説級武器、
ただし鎧に関しては、こちらが同じく伝説級の水竜王の鎧なのに対
して、2∼3歩劣る装備と見た。
︱︱ただしあちらは二刀。総合的な武装では互角⋮⋮ならば後は
純粋な腕の差が勝敗を決めるな。
そう肚をくくった稀人に向け、ベルナルドの鈍色の瞳が圧倒的な
気合を放つ。
僅かに浮かべていた笑みを消して、正面からそれを受け止めた稀
人の口元から、力強い声が迸った。
﹃我は無類無敵、我が剣に敵うものなしっ。︱︱我が剣技は眼前の
敵を討ち滅ぼす!!﹄
同時にほとんど万能とも思えるほど全身に力が漲り、全感覚が1
00パーセント開放された。僅かな躊躇も命取りになる。最初から
全力で当たらねば、到底勝てる相手ではない。
﹁⋮⋮魔術言語による、フルブーストか。緋雪ちゃんも面白い眷属
飼ってるなぁ﹂
1159
すっかり観客モードで、廊下に座って寛いでいるシルクハットに
・`ω・´︶﹄という表示
スーツ、蝶ネクタイを締めた白い仮面の男︱︱どういう仕組みにな
っているのか、その仮面の上に﹃︵;
がでた。
二刀流を相手にしたことはないが、右手を前に半身になったその
姿勢には、まったく無理がない。1手先を読む程度ならともかく、
このレベルの相手と2手3手先の読み合いをしても迷いを産む。な
らば、常に先手を打ち込むのみ。そう覚悟を決めた瞬間、稀人の右
足が床を蹴っていた。
﹁︱︱はっ﹂
床ギリギリの高さを滑空するように一瞬にして駆け抜け、剣を捻
りながら突き上げる。
一条の光とも見まごう剣閃を、ベルナルドは不動の表情で見切り、
交差させた剣でこれを受ける。激しい火花が散り、強化された稀人
の筋力と勢いに押されて僅かに相手が後退した。
オーラ
稀人は衝撃をそのままにくるりと身体を捻り、二撃目をほぼ真下
から切り上げる。
﹁はああーっ!!﹂
まだら
ベルナルドの全身から霊光︱︱かつては黄金色だったそれだが、
現在は赤黒い血の色に染まり斑になっている︱︱が放たれ、稀人の
追撃を軽々と右手の真・十字剣のみでさばく。
さらにお返しとばかり、左の剣が稀人の胸元に滑り込む。
オーラ
咄嗟に戻した剣の鍔元でこれを受け、その勢いで距離を置く稀人。
そこへベルナルドが突進してきた。十字剣が霊光をまとって神速
の突きとなる。
1160
﹁くっ﹂
オーラ
受けるのは危険と判断して稀人はその外側、相手の右手側へ死角
へと回避を試みる。
それに対して、ベルナルドの十字剣が翻り、錆びた黄金の霊光が
刀身から放たれた。
﹁くおっ!!﹂
咄嗟に大剣でカバーした稀人の長身が、激しい衝撃に翻弄され軽
々と吹き飛ばされる。
﹁このっ!﹂
空中で一回転してどうにか着地を決める稀人。
息継ぐ暇もなく、距離を縮めたベルナルドの右手が霞み5連続の
突きが稀人の全身へと叩き込まれる。
これを両手で握った大剣で可能な限り捌くが、勢いを殺しきれず
に鎧のあちこちを掠めた剣先が火花を散らしす。
右の5連続突きを捌かれたベルナルドの左手が、袈裟懸けの姿勢
から、右の切り上げ、水平切りへと移行する。その合間を縫って、
右の3連続突きが襲い掛かる。
﹁花霞︱︱白波之太刀!﹂
オーラ
そのすべてを捌きながら、僅かに無防備になった手首を狙っての
カウンターが、霊光を切り裂き本体へと通った。
﹁くっ!﹂
左手首の内側をざくりと切られたベルナルドが、咄嗟に距離を置
こうとバックしたのに併せて、稀人の全力の突きがこれを追尾する。
﹁鐘楼砕きっ!﹂
爆発したかのような踏み込みとともに、一条の砲弾と化したかの
勢いで大剣の先端が、ベルナルドの心臓目掛けて放たれた。回避し
1161
切れないと判断したベルナルドが、これを十字に交差させた二刀を
盾にして受け止める。
﹁いけーっ!!﹂
鋼鉄の塊のような手応えを無視して、そのまま全開で撃ち抜く。
貫通こそしなかったが、これまでにない確かな手応えを感じた稀
人。
ベルナルドの身体が、ガガン!!という金属音とともに跳ね飛ば
された。
﹁︱︱ダーク・インパルス﹂
﹁ぐああああっ!!!﹂
剣を構えなおして距離を詰めようとした稀人の身体が、次の瞬間、
暗黒色の雷に撃たれて跳ね飛ばされた。
﹁︱︱いかん!﹂
これまで傍観していた敵首魁の参戦に、さすがに獣王にも焦りが
浮かんだ。
素早く翻ったその左手から、先端を尖らせた太い鉄釘のようなも
の︵﹁手裏剣﹂﹁鏢﹂などと呼ばれる投擲武器︶が数本放たれる。
﹁ダーク・シールド﹂
白仮面の周囲に展開された半透明の障壁が、それを弾き返す。
﹁︱︱余計な真似を!﹂
火を吹くような形相で、主人に当たる男を睨むベルナルド。
男の方は、﹃のヮの﹄という表示を浮かべて明後日の方を向いて
いた。
1162
大剣を支えに立ち上がった稀人。
かすかに焦げ臭い臭いが漂うが、幸い鎧の防御力と吸血鬼として
の回復力のお陰で、致命傷には程遠いようだ。だが︱︱。
﹁⋮⋮いまので強化が切れたか。再度使えるまで魔力の回復を待た
ねばならんな﹂
明らかに重くなった︱︱精神的な消耗も含めれば傷は深い︱︱身
体に鞭打って、稀人は再び剣を構えた。
併せてベルナルドも剣を構えたが、鋼鉄のような顔立ちには深い
憤りと悲哀があった。
﹁⋮⋮惜しい。おぬしのような男と、このような無粋かつ公正さに
欠ける死合いをせねばならんとは。慙愧の念に耐えん﹂
﹁しょうがないさ。そもそも戦争に尋常な勝負を求めてもしかたな
かろう﹂
飄々とした稀人の言葉に、ベルナルドは最後の躊躇いを捨てた。
﹁その通りだ。マロードよ、黄泉路で逢おう﹂
前傾姿勢から一気に間合いを詰めようとするベルナルド︱︱その
半瞬前、
﹁い︱︱︱︱やっほーーーうっ!!﹂
陽気な掛け声とともに、銀色の帯のようなものがベルナルドに向
ハルバート
かって、ランダムな機動で襲い掛かってきた。
同時に巨大な斧槍が、回転しながら向かってくる。
その軌道上から咄嗟に横に避けた稀人と、前進に使用する予定の
ハルバート
運動のベクトルをすべて後退に回したベルナルドの目前の廊下に、
ハルバート
巨大な斧槍が突き刺さり、続いて銀色の帯が廊下に溝を作り、戻る
ついでとばかり斧槍の柄に巻きつき、一気に引き抜いて行った。
1163
﹁⋮⋮やっときたか、馬鹿弟子どもが﹂
オ
ガードした盾越しに剄を放って聖堂騎士を弾き飛ばしながら、獣
王がちらりとその方向を向いた。
ニ
見ればともに身長2メートルを越える、引き締まった体格の︻妖
鬼族︼の男女が二人その場に立っていた。
片方の狩衣に似た衣装を身にまとい、左胸のところにプロテクタ
ーを着けた3本角で黒髪、ワイルドかつ秀麗な顔立ちの青年鬼の手
にはドリルに似た螺旋状の剣が握られ、もう片方の胸鎧に動きやす
ハルバート
い短衣、手甲足甲を装備しただけの茶褐色の長い髪をした5本角の
美貌の女鬼は、両手に巨大な斧槍を装備している。
﹁申し訳ありません、師匠。この馬鹿がゴネやがって﹂
伝法な口調で女鬼が頭を下げながら、黒髪の鬼を横目で睨む。
﹁しょうがないだろう。緋雪様の前で良い格好できるって聞いたの
に、肝心の緋雪様がいないんじゃ意味ないだろう﹂
無理やり散歩に連れて来られた子供みたいな顔で、そっぽを向く
青年鬼。
﹁︱︱あの、老師。この二人って老師の弟子ですか?﹂
なんとなく毒気を抜かれた格好で尋ねる稀人。
新たな敵の出現に、聖堂騎士達も警戒してベルナルドの元に集ま
った。
奇妙な小康状態を保つ場の中で、自然体のまま獣王は頷いた。
﹁うむ。姫から鍛えてくれるように依頼されてな。二人ともなかな
か筋が良い。人間の武芸者のように、余計な癖がついていない分、
素直に吸収する上、ちょっとやそっとでは死なんからな。血塗れに
なりながらも向かってくるところなど、実に有望じゃわい。最近で
は熱が入って180時間ぶっ通しで稽古をつけておる﹂
1164
嬉しげになんかとんでもない修行内容をさらりと口に出す獣王。
俺直接この爺から指導されなくて良かったなぁと思いつつ、重ね
て尋ねる稀人。
﹁姫を知っているようですが、不覚にも俺は二人とも知らないんで
すが⋮⋮?﹂
くいん
﹁こっちの男︱︱九印は直接、姫が才覚を見込んで本国に連れて来
こはく
た後、ずっと儂のところで稽古していたから知らんのは無理もない
が、琥珀の方はおぬしも何度か会っておるぞ? いや、もっとも進
化して以後は会っておらんか﹂
そう言って、ちらりと弟子だという女鬼の方を向く獣王。
﹁あ︱︱﹂
﹃進化﹄﹃鬼﹄﹃女性﹄﹃五本角﹄これらの単語が稀人の中で、か
オーガ・プリンセス
ちりと組み合わさった。
﹁⋮⋮もしかして、大鬼姫のソフィアさんですか?﹂
こはく
恐る恐る尋ねると、当の本人から肯定の笑みが返ってきた。
﹁いまじゃ﹃轟鬼姫・琥珀﹄だけどね。この馬鹿弟弟子ともども、
姫様から正式にお名前を頂戴したんで、よろしく頼むよ﹂
こはく
かつての面影がどこにも︵まあ逞しい筋肉とか角の数とかにはあ
るが︶ない、美女化したソフィア改め琥珀にウインクされ、どうい
くいん
う反応をしていいのか咄嗟に思いつかず、曖昧に頷く稀人。
﹁あ、ああ。よろしく﹂
くいん
それから、不貞腐れたような顔をしている九印の方にも、いちお
う挨拶をする。
﹁君もよろしく、九印。お互いに姫のために頑張ろう﹂
くいん
あくまでこの国に生きる者としての社交辞令的な挨拶だったのだ
が、九印はジロリと胡散臭そうな目で、稀人を見た。
1165
﹁姫様のためェ? まさかお前もあの方と交尾するのが目的なのか
? だったら敵だぞ﹂
﹁はあああ?!﹂
くいん
いきなりとんでもないことを言われて、稀人の口から素っ頓狂な
声が漏れた。
そんな彼の前に、すたすたと九印が歩いてきて、念を押すように
凄んだ。
﹁いいか。俺が働くのはあくまであの方と将来的に交尾して、俺の
子供を産んでもらうためだ。邪魔するならお前も敵だ、わかったな﹂
﹁ちょっと待て。ちょっと待て!﹂
そこへ敵味方から完全にボッチ状態にされていた、白仮面が割り
込んできた。
カラドボルグ
くいん
﹁勝手なこと言わんでください。緋雪ちゃんは俺の嫁ですが、なに
か﹂
﹁なんだと!﹂
ガリアンソード
手にしたドリル剣︱︱螺旋剣を構えて気色ばむ九印と、こちらも
どこから取り出したのか蛇腹剣を出して、﹃︵`・ω・´︶﹄顔で
対抗する白仮面。
おかしな成り行きに稀人が、口元を思いっきり歪めた。
﹁⋮⋮あのな。貴様もややこしくなるから、余計な口を挟むなよ。
あとお前ら、本人の意思を無視して、勝手に家族計画とか嫁とか言
うな。そういうのは手順を踏め。︱︱言っとくが、俺はちゃんと口
頭で本人に結婚を申し込んだぞ﹂
言いながらハワルタ−ト・ブレードを構える。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
1呼吸置いて、3人が3人とも同時叫んだ。
1166
﹁﹁﹁お前ら二人とも敵だ!!﹂﹂﹂
わけのわからん三つ巴の戦いが勃発した瞬間であった。
◆◇◆◇
﹁あははははははは⋮やめ⋮⋮あはははっ⋮放して⋮⋮あは、あは
⋮⋮はーなーせー⋮⋮ひゃああああ⋮きゃははは⋮⋮やめ、やめ、
らめぇ⋮⋮﹂
その頃︱︱。
ニドヘック
リターン
廃龍が空中庭園に到達したのを知った緋雪は、即座にプレーヤー
てんがい
スキルの︻帰還︼で、セーブPである空中庭園に戻ろうとしたのだ
みこと
が、単独での帰還を断固反対する天涯らの手により、身動きの取れ
ない状況に拘束されていた。
具体的には、天涯の背中の上に押さえつけられる形で、命都以下、
親衛隊の四季姉妹ら天使の女の子たちにより、腹ばいの形で四肢す
べてを取り押さえられていた。
もともとカンストプレーヤーとしては非力な緋雪のこと、当然抜
もてあそ
け出せるわけもなく、そうした素振りを見せるだけで脇腹をくすぐ
られるなど、女子達によって言い様に玩ばれていた。
おぐし
﹁あら、姫様。御髪が乱れておりますわ。すぐに直さないと﹂
﹁あら、姫様。少し肩が凝ってらっしゃるようですわ。マッサージ
1167
したします﹂
﹁あら、姫様。日に近い場所にいるせいか、少々お肌が乾いている
ようですわ。すぐに全身にクリームをお塗りいたします﹂
﹁あら、姫様。この下着はどうかと思いますわ。せっかくの晴れ舞
台ですのに、こんな縞々の色気のないものではあんまりですわ。す
ぐに透けるような絹の下着とお取替えいたします﹂
﹁あははは、は⋮⋮やめ、やめて⋮⋮放し⋮ああん⋮⋮やーめーて
ー⋮⋮!!﹂
これはこれで本人にとっては大惨事なのかも知れなかった。
1168
第十六話 轟姫参戦︵後書き︶
自分でも意外な展開になりました。
それにしても、緋雪が本気で出番がないですね。
1169
第十七話 美姫麗王
ハルバート
さて、ストーカー三馬鹿が醜い潰し合いをしている傍らでは、仕
切り直しの一戦が行われていた。
﹁うら︱︱︱︱っ!!﹂
こはく
先手を打ったのは両手に持った巨大な斧槍を、風車のように振り
回した轟鬼姫・琥珀である。
ベルナルドを強敵と見るや否や、即座にこれに狙いを絞り、一気
呵成に攻めあげる。
同じ二刀でこれを捌くが、武器のリーチ、重さ、反応速度ともに、
常軌を逸した凄まじさで、技量こそ先ほどの剣士に比べて荒削りで
無駄が多いものの、逆にセオリーにない動きや本能に任せた勘の鋭
さで、ベルナルドを翻弄していた。
超高速での双剣と双斧槍の応酬が繰り返される。互いの武器が弾
かれ、阻まれ、二人の周囲に火花と閃光が花火のように飛び散り、
衝撃音が床と壁を伝わって抜けて行く。
互いに一歩も譲らぬ攻防が繰り返され、時折お互いの攻撃が掠め
て鮮血が飛ぶが、互いに人外同士、その程度の怪我など傷の内にも
入らない。とは言え人間ベースの吸血鬼であるベルナルドと、元か
ら魔物⋮それも体力と回復力には定評のある鬼の眷属である琥珀と
では、もともとのエンジンの馬力が違う。
いかに装備の違いと技、手数でベルナルドが圧倒していても、な
によりも恐れを知らぬその攻勢は、細かな技量やダメージを抜きに
して、互角以上の立会いを可能にしていた。
1170
まろうど
また、直前までの稀人との、しのぎを削る剣戟の応酬による疲労
もあって、天井知らずにギアを上げていく琥珀とは対照的に、徐々
にベルナルドのテンポが遅れてきた。
﹁緊縛結界!﹂
ペンタグラム
状況が不利と見た︵元︶聖堂騎士達が、素早くその周囲に散って、
琥珀を中心とした五芒星を描く位置についた。
﹁緊縛結界発動! 強度SS級! 展開せ︱︱ぐはっ﹂
仲間に指示を出していた男の身体が大きく弾き飛ばされる。
﹁︱︱どれ、少しは師匠らしいところを見せるとするか﹂
無論、この一撃を放ったのは獣王である。
結界を張るのに必要な一角を崩されたことで、術が不発となった
聖堂騎士達が、互いに目配せし合って邪魔者の排除を優先すること
とした。
一方、双掌打で数メートルも弾き飛ばされながらも、平然と立ち
上がった男の様子に、﹁ふむ﹂と小さく首を捻る獣王。
﹁腰骨を砕いた感触はあったのだが、打撃技では効果が薄いか。と
は言え生物である以上、不滅ということもあるまい﹂
そこへ、別な騎士の突きが飛んで来るのを躱し様、膝蹴りを入れ
るがこれは盾で防がれる。そのまま吸血鬼の怪力で押し込もうとす
るのを軽く捌いて、僅かに右に流れたのを見逃さず、右手の掌底が
鎧越しに心臓の真上に置かれ、
﹁ふんっ!﹂
一瞬置いて、騎士の心臓が内側から揺すられ、﹁ぐはああ!?﹂
悶絶したところ、背後を取って首を絞め落とす。
1171
ガクッと白目を剥いて落ちた男を床に投げ落とすと同時に、その
手から零れ落ちた十字剣を無造作に心臓に突き立てた。⋮⋮絶命し
た男の顔は不思議と安堵の表情であった。
警戒して距離を置く残り4人に向け、拳を向ける獣王。
﹁心臓を揺らされれば身動きが取れなくなり、脳への血流が絶えれ
ば意識がなくなる。人間だな﹂
獣王の忌憚のない感想に、なぜか取り囲む聖堂騎士達の間に、安
堵のような空気が共有された。
◆◇◆◇
ニドヘック
ニドヘック
十三魔将軍の投入で優勢に傾くかと思われた対廃龍戦であったが、
ここに来て混迷の度合いを深めようとしていた。
これまで多少なりとも方向性を持って進行してきた廃龍が、まっ
ビーム
たく無秩序に蠢き、身悶えし、跳ね回り始めたのだ。しかもその合
間に、魔眼・各種熱線・擬似吸血鬼弾を乱雑に吐き出し始めた。
うつほ
すさ
﹁戦略というよりも、苦し紛れの断末魔のようであるのう⋮⋮﹂
空穂の感想に、周参の分身体も同意する。
﹁御意。これではエネルギーのロスが大き過ぎますな。どうも先ほ
ニドヘック
どまであった、恣意的行動パターンから外れているように思えます。
現在は廃龍の原始的生存本能のみで行動しているように見受けられ
ます﹂
﹁ふむ? つまりコントローラーが不在ということかえ。榊らの攻
撃で︻アルマミス︼ごと、敵の首魁が滅びたか。或いは⋮⋮﹂
1172
しおり
難しい顔で言葉を濁した空穂の背後で、超極細糸のネットを張り
巡らせていた始織の顔色が変わった。
﹁!! なんということ!?﹂
﹁いかがいたした、始織?﹂
悠然と口元を扇で隠し振り返った空穂に向かって、忙しなく糸を
操作しながら始織がひれ伏す。
﹁このわたし一生の不覚にございますっ。城外の情報収集にかまけ
るあまり、敵の城内への侵入を見過ごしておりました!﹂
﹁なんじゃと!?!﹂
﹁敵の人数は7⋮⋮いえ、いま1名減りましたので6名。うち1名
は敵吸血鬼神祖と思われます﹂
﹁敵の首魁が、このお膝元に入り込んでいるじゃと?! どこから
進入した!?﹂
﹁進入経路は不明です。まるで空を飛んで︱︱あっ!﹂
口元に手をやった始織と同時に、その可能性に至ったのだろう。
周参が重々しく頷いた。
﹁左様。初回の擬似吸血鬼弾の乱射。あれは敵首魁がこの城へ乗り
込むための陽動の意味があったのでしょうな﹂
﹁⋮⋮まんまとしてやられたというわけかえ。︱︱先ほど敵の数が
減ったと申したな。誰ぞ交戦中であるか?﹂
オニ
歯噛みする空穂へ、始織が若干困惑した表情で答える。
﹁獣王老師と琥珀、それと稀人殿と⋮⋮もう一名は妖鬼の雄のよう
ですが、該当者不明です﹂
﹁ふむ、稀人か。連中を抑えているのだな?﹂
言いつつ席を立つ空穂。何も言わずとも自ら敵の首魁を首級を獲
りにいくつもりなのが明白である。
周りもさすがにこの期に及んで止めるつもりはなく。素早くその
1173
後ろに魔獣・聖獣系の部下がつき従った。
﹁獣王老師と琥珀は戦闘中ですが⋮⋮﹂
ここで一旦、言葉を切った始織はなぜか首を捻った。
﹁稀人殿たちは敵の首魁と口論中のようです。えーと⋮誰が姫様を
嫁にするか⋮⋮で﹂
﹁⋮⋮なんじゃそれは?﹂
足を踏み出しかけた空穂が、思いっきり不可解な顔で振り返った。
一方、一人残っていた周参の分身体が、その目を床︱︱さらにそ
の遥か下を見透かすように︱︱視線を落とした。
﹁⋮⋮ふむ、どうやら間に合ったようだな﹂
◆◇◆◇
ハルバート
﹁があああっ!!﹂
咆哮と共に斧槍を振り回す、技も何もない生来の体力と反射神経
に任せての連撃を、緻密な剣技の組み立てで防ぎきる。
オーラ
だが、その鋼鉄のような防御にもほころびが生まれてきていた。
オーラ
全身を覆う霊光が明らかに薄く弱まってきているのだ。これ以上
時間をかけてはジリ貧になる。
﹁はっ!﹂
瞬時に判断したベルナルドは、すべての霊光を両腕の剣へと集中
させた。
そのままダッシュとともに、身体を仰け反らせるほど引いた姿勢
から、右の斜め切りを解き放つ。
1174
﹁このっ!﹂
ハルバート
それをベルナルドばりに両手で交差させた斧槍の重ねた分厚い斧
部分で受け止める琥珀。
それでも勢いに押されて、踏ん張った床に二条の溝が掘られる。
﹁双竜十字剣!!﹂
オーラ
そこへさらに追加として左の剣が正確に右の剣の上に叩き込まれ、
ハルバート
霊光を伴った剣閃が十文字を描いた。
ハルバート
倍増された剣圧が、一撃で琥珀の斧槍を砕き、ぞむっと鈍い音と
ハルバート
共に柄だけになった斧槍を握ったまま、琥珀の右手が飛んだ。
﹁まだまだ︱︱っ!!﹂
だが、苦痛の色も見せずに琥珀は左手に持った斧槍の柄を、槍投
ハルバート
げの要領で投げ、同時に真下から蹴りを放った。
﹁くっ︱︱!﹂
咄嗟に身体を捻って斧槍を躱したベルナルドだが、続く蹴りは躱
ハルバート
しきれずに顎先に食らって、一瞬意識が刈られ棒立ちとなった。そ
こへ、空中を飛んでいた己自身の右腕を、斧槍の柄ごと口で噛んで
キャッチした姿勢のまま、琥珀は顎の力のみで投擲︱︱。
﹁がはあああっ!!﹂
見事に柄の先がベルナルドの心臓を貫いた。
同時に、力を使い果たし血を流しすぎた琥珀も、その場にがくり
と倒れ込む。
﹁ベルナルド様︱︱っ!?!﹂
2人目も獣王に倒され、3人に減っていた聖堂騎士たちが悲痛な
叫びをあげる。
﹁︱︱ありゃ。意外と脆いんでやんの﹂
お互いの隙を狙う三つ巴の戦いの最中、ベルナルドが斃されたの
1175
を見て白仮面がため息をついた。
﹁ずいぶんと余裕だな﹂
ガリ
左右上下突き︱︱フェイントを織り交ぜた稀人の大剣の剣技を、
アンソード
カラドボ
ふざけているとしか思えない、へらへらした動きと魔法、そして蛇
腹剣でもって、躱しまくる白仮面。
ルグ
そこへ、二人まとめて死ねとばかりに、炎弾と雷光を纏った螺旋
剣が突き入れられる。
﹁うおっ、と﹂
揃って距離を置く二人の中間で、ドリル状の刀身がほどけて渦を
描いて戻った。
ガリアンソード
露骨に舌打ちをして、再度魔法を放とうとする九印へ向け、お返
しとばかり蛇腹剣がその名の通り、鎌首をもたげた蛇のような動き
で突進していった。
﹁このっ﹂
これを大きく跳んで躱す九印。
状況は千日手の様相を呈してきた。
﹁⋮⋮どーにも状況が進展しないですねー。ここは私がそろそろ一
石を投じるといたしましょう﹂
﹃︵´・ω・`︶﹄な顔の白仮面の言葉に、稀人と九印はきな臭い
ものを感じて、一気にその場から飛び退く。
次に彼︱︱自称パーレン・アクサン・アポストロフィ・オーム。
緋雪が﹁しまさん﹂と呼ぶ男︱︱が取った行動は、特に目立ったも
のではなかった。
自らの手で被っていた仮面を脱いだだけのことである。
ざあ、と純白の長い髪が流れ、白い手袋をした指が、それをかき
あげるように払うと、その下から素顔があらわになった。
1176
︱︱美しい。
その場に居合わせた全員が、息を呑んだ。
瞳は明るい空色であり、顔立ちは男の勇ましさと女の優しさを兼
ね備えた、性差を越えた完璧な美貌に輝いているようであった。
まさに美神とも言うべきその容姿を前に、他の者同様目を奪われ
る稀人であったが、同時に既知感を感じていた。
︱︱似ている。まるで姫陛下を裏返しにしたようだ。
男と女、黒髪と白髪、青年と少女、緋色の瞳と空色の瞳⋮⋮まる
で、同じコインの裏表を見ているような錯覚に陥る稀人に向かって、
怖いほど魅惑的な笑みを浮かべるパーレン。
その気がまったくなくても、胸がざわめく笑みだ。
﹁さて、それでは、先を急ぎますので、お遊びはこのくらいにさせ
ていただきますよ﹂
まるで騎士のように胸に手を当てて会釈をし、再び顔を上げたと
ころで、白い歯を見せて微笑んだ。
その瞬間、九印がばたりと倒れ、稀人もいつの間にか両膝と片手
を床に付いていた。
﹁︱︱精神系の攻撃か﹂
チャーム
忌々しげに舌打ちする獣王も、足元が覚束ない様子であった。
イービル・アイ
﹁ええ、私は種族スキルの﹃魔眼﹄の他に﹃魅了﹄もカンストして
いますからね。ボス級モンスター以外には100パーセント効果を
及ぼします。この状態でまだ意識があるとは、あなた方はたいした
ものですが⋮⋮まだレベル3ですからね。どうもあなた方は純粋な
1177
戦闘力以上に厄介な気がしますので、一気にレベル10まで上げさ
せていただきます。では、良い夢を﹂
その声を最後に、稀人はうつ伏せに倒れ、数秒堪えた獣王も、が
っくりと膝を折った。
﹁さて、行きますよ﹂
その声に生き残りの聖堂騎士たちが、魂を抜かれたような表情で、
フラフラとパーレンの後に続く。
﹁ふむ。いちおう安全の為に、彼らにトドメを差しておいてくださ
い﹂
倒れた稀人ら︱︱瀕死の琥珀も含めて︱︱を指差して、後も見ず
に飄々とした足取りで一人先に行く。その背後で、聖堂騎士たちが
一斉に剣を構え、倒れ伏した稀人たちへ剣先を向けた。
一瞬の躊躇なく、ある者は心臓を、ある者はその首を刎ねようと
剣を振りかざす。
かぜ
その時、虚空紅玉城の森閑とした廊下に、一陣の疾風が吹き抜け
た。
それは黒と薔薇色に飾られた風だった。
聖堂騎士たちが認識するよりも早く、彼らの剣はことごとく跳ね
飛ばされ、驚愕に目を見開いた首が、揃って宙を舞った。
夥しい血飛沫とともに倒れた敵の胴体には目もくれず、即座にも
っとも怪我の程度の重い、琥珀の右手を切断された箇所にくっ付け
て治癒を行う。
行き過ぎようとしたパーレンが、無言のまま嬉しげに口角を上げ、
1178
ゆっくりと振り返った。
そこには漆黒の翼を持った天使が跪いていた。
﹁大丈夫、助かるよ﹂
そう優しく囁いて全員の治癒を終えた天使が、すっくと立ち上が
って、歩き出した。
その向かう先で微笑を浮かべて、大きく両手を広げるパーレン。
﹁ようこそ、緋雪ちゃん! お早いお着きだったね﹂
ジル・ド・レエ
そんな彼に向けて、緋雪は無言のまま右手に握った透き通った刀
身の両手剣︱︱﹃薔薇の罪人﹄を構えた。
1179
第十七話 美姫麗王︵後書き︶
︵´・ω・`︶さんも、緋雪同様にキャラクターメイキングにお金
を掛けてます。似たようになったのはそのせいですね。特に示し合
わせたわけではございません。
1180
第十八話 虚構真実
ニドヘック
﹁いいのかな、廃龍の相手をしなくても? まだ健在で大暴れして
いると思いますけど⋮⋮ああ、それとも私に逢う為に大急ぎで駆け
つけたため、それどころでなかったと? いやいや、男冥利に尽き
ますね∼﹂
ふっと甘いため息をついて微笑むしまさん。
エターナル・ホライゾン・オンライン
ゲーム︵﹃E・H・O﹄︶の画面越しに見るのと違って、生身の
肉体として、こうして間近に相対すると、視覚以外の要素︱︱魅惑
的なテノールの声、爽やかな汗の混じった体臭、体温、なにより圧
倒的な存在感︱︱が渾然一体となって、こちらに押し寄せてくる。
正直、男を見てときめいたことなどなかったけれど、これは魅力
的だと認めざるを得ないところだ。気を抜けばいままで意識してい
なかった、自分の未知の領域からの声に翻弄されそうになるのを、
辛うじて残っていた男の矜持で密かに抑え付けながら、ボクは普段
うつほ
の調子でそれに答えた。
﹁そっちの対応は空穂たちに任せてあるからね。おっつけ自慢の廃
物は消去される予定だよ﹂
そう言ってもしまさんは特に困った様子もなく、大仰なジェスチ
ャーで肩をすくめる。
﹁そうそう上手く行きますかね。⋮⋮まあ、万一アレが敗れても、
いくらでも替えは利きますから、どーでもいいですけど﹂
﹁私からも一つ訊いていいかな?﹂
﹁ええ、3サイズ以外なら﹂
1181
うん。とっても残念なイケメンだね。そう思ったらなんか急激に
冷えたよ。
﹁わざわざここまで乗り込んできた理由を教えてもらえないかな?﹂
﹁はっはっはっ。そんなもの緋雪ちゃんの下着をいただきに参上し
たに決まってますよ﹂
﹁⋮⋮それでこの場で回れ右するなら、パンツくらい脱いであげる
けど?﹂
本気でスカートの下に手を入れて、片膝20センチくらい上のと
ころまでずり下ろした。
まさかそう来るとは予想してなかったのだろう。一瞬キョドった
しまさんは、﹁⋮⋮う∼∼ん﹂と腕組みして煩悶した後、握った両
手を前に突き出して親指を立てた。
でもって、やたらいい笑顔で、
﹁うそです﹂
と告白した。
﹁うん。わかってるよ。本当のところはなんなわけ?﹂
パンツを戻しながらのボクの質問に、妙に真面目な顔でしまさん
が感想を述べた。
﹁︱︱緋雪ちゃん、えらくスケスケで派手なパンツ穿いてるんだね
ぇ﹂
ほっとけ!というかこれはボクの趣味でなくて、命都たちに勝手
に穿かされたものだよ!
ジル・ド・レエ
﹁取りあえず喋る気がないなら、問答無用でぶった斬るけど⋮⋮と
いうか、なんか無駄な気がするんで、もう斬るわ﹂
この相手と会話するだけ無駄と判断して、ボクは﹃薔薇の罪人﹄
を構えると同時にダッシュを敢行。一気にトップスピードに乗る。
1182
﹁ダーク・シー⋮⋮どわ?!﹂
ダーク・シールド
ガリアン
んなものチンタラ唱えさせるわけがない。一撃で首を刈りにいっ
ソード
たけれど、間一髪展開しかかっていた闇盾と、しまさん愛用の蛇腹
剣で防がれる。
ダーク・シールド
技の余勢で空中で回転しざま、剣閃︱︱剣聖技﹃七天降刃﹄︱︱
を放つ。
これなら闇盾越しにでも、貫通ダメージを与えられる筈!
﹁どへえええええっ!!﹂
ウォーロック
シャドウ・ブランチ
全身をズタズタに裂かれたしまさんの身体が空中に溶けた。
魔導師系スキル﹃影分身﹄︱︱ならば、本体はテレポーテーショ
ンで⋮⋮いた!
数百メートル離れた廊下の先を、こそこそと先に進もうとしてい
マ
る後姿を発見して、瞬時に追い駆ける。追いかけっこでこのボクに
ッハ
勝てると思うな。こっちはその気になれば時速1200キロ︱︱音
速を超える事ができるんだからね。
テレポーテーション
こちらに気が付いて、瞬間移動の連続で逃げようとするけれど、
スキルのクールタイムが必要なのだから、余裕で追いつける。
スラッシュ
ジェットエンジンめいた轟音とソニックブームを置き去りして、
音速を遥かに突破した﹃刺突﹄を、そのまま撃ち抜く。
い
﹁ふははははは、つーかーまーえーた!!﹂
ガリアンソード
﹁怖っ! なんか緋雪ちゃん目が往ってる!﹂
ジル・ド・レエ
再び薔薇の罪人と蛇腹剣が激突して、しまさんをそのまま押し込
む。廊下を一気に走破して、突き当りの壁に激突。なおも勢いは止
まらずに、分厚い壁を粉砕して、しまさんごともつれ合って飛び込
んだ先は、見慣れた玉座の間だった。
1183
﹁げほげほ⋮⋮おっ。ラッキー、いきなり目的地に着いてるじゃな
いの。やっぱ日頃の行いかな∼﹂
もうもうたる粉塵の中、瓦礫を跳ね飛ばしてうつ伏せに倒れた姿
勢から、上半身を起こしたしまさんが喜色満面に前方の玉座を見た。
﹁⋮⋮へええ。ここが目的地だったんだ。どんな魂胆があるわけ?﹂
その様子を下から見上げながら、いちおう尋ねる。
﹁ん︱︱?﹂
自分の真下からの問い掛けに、しまさんの視線が90度下がった。
そこで自分がクッションにしている相手︱︱つまりボク︱︱と目
が合い、ついでにその右手が掴んでいるもの︱︱ボクの左胸︱︱に
気が付いたらしい。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
妙な間を置いて、右手がふにふにと何か確認するように握られた。
﹁⋮⋮64、75のA?﹂
﹁62、76のBだよ︱︱この!﹂
獣王に習った剄と呼吸法を利用して、巴投げの要領で一気に蹴り
上げた。
﹁︱︱うおっと﹂
そのまま利き手を取って床に叩き付けようとしたんだけど、さす
がの反射神経で残りの手足のバネで、叩き付けたところの威力を殺
エターナル・ホライゾン・オンライン
された。そのまま力任せに掴んでいた右手を放される。
﹁緋雪ちゃん、いまのって拳士系スキル? ﹃E・H・O﹄で使っ
てたっけ?﹂
立ち上がりながら首を捻る、しまさん。
ジル・ド・レエ
﹁スキルじゃないよ。こっちの世界に来てから覚えた技術﹂
ボクも立ち上がりながら、右手に握ったままの﹃薔薇の罪人﹄の
1184
切っ先を向ける。
すると、なぜか、しませんが怪訝な顔で瞬きをしていた。
﹁﹃この世界の来てから﹄って⋮⋮緋雪さんも、アイツに生み出さ
れたんですよね?﹂
﹁違うよ﹂
多分、﹃アイツ﹄ってのはいままで現れたプレーヤー︵多分、こ
のしまさんもそうだと思うけど︶を操っている黒幕のことだろうね。
ボクの否定の言葉に、ますます困惑した顔で重ねて訊いてきた。
﹁それ本当? ⋮⋮緋雪ちゃんの本名ってなんていうんですか?﹂
﹁それってマナー違反じゃない﹂
思わず苦笑が漏れる。まあ、いまさらネチケットを云々言うのも
変な話だとは思うけど、いまじゃこの﹃緋雪﹄が自分なんだし、正
直、転生前の自分の名前なんてどうでもいい。
さくらあいこ
そうした内心が顔に出ていたのだろう。しまさんは困った顔で、
自分自身を指した。
﹁ちなみに私の本名は﹃佐倉藍子﹄といいます﹂
いづら
﹁⋮⋮藍子ねえ。女みたいな名前だねぇ﹂
まあ、ボクの本名も実は字面だけ見れば、ちょっと男には思えな
いんだけどね。
﹁ええ、女ですから﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮本当?﹂
﹁⋮⋮さあ?﹂
無言のまま斬りつけた。
1185
ガリアンソード
﹁︱︱いやいや! これは冗談じゃなくて、本当に真偽不明なんで
すよ﹂
ぎりぎり斜めに構えた蛇腹剣で受け止めたしまさんが、鍔迫り合
いの姿勢から早口で捲くし立てる。
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁私にはアイツに生み出された際の情報として、それだけしか与え
られていないんですよ。残りは﹃E・H・O﹄での会話ログから作
られた擬似記憶のみ。現実世界でのバックボーンは空っぽ。だから、
自分が本当は男なのか女なのかも判断できない。けど、緋雪さんは
そうじゃないんですか?﹂
訊かれてボクは改めて首を横に振った。
﹁違うよ。物心ついてからの記憶もある⋮⋮まあ、碌なモノじゃな
いけどね。その上で、あの世界の自分は死んで、どーいうわけかこ
こに﹃緋雪﹄として存在している。わけがわからないけど、あるも
のは、あると受け入れて、現在ここにいる、それだけだよ﹂
﹁だったらアイツとは無関係ってことですか?﹂
﹁無関係だよ。まあ、なんでか勝手に手出ししてくるけど︱︱って、
しまさんこそ黒幕の手下じゃないの?﹂
てっきり今回の件も黒幕絡みかと思ってたんだけど、違うのかな?
﹁まさか!﹂
思いっきり嫌そうな顔で否定された。
﹁あんな奴に従う義理はないですね。それを偉そうに命令しようと
したので、思いっきり暴れ回った結果、封印されたわけなんですけ
ど⋮⋮﹂
本当かなぁ?
﹁⋮⋮どちらにせよ、お互いに証明する手段はありませんね﹂
﹁そうだね。具体的な証拠がない、自己申告だけでは信じられない
1186
ねぇ﹂
俗に言う﹃悪魔の証明﹄ってやつかな?
﹁緋雪ちゃんがアイツの配下でないのなら、できればいまからでも
協力してアイツを斃す手助けをして欲しいところですが⋮⋮﹂
未練がましく誘いかけるしまさん。
﹁そーだね。しまさんがいままで殺した全員を生き返らせたら話し
合ってもいいよ﹂
にっこり笑って譲歩案を提示する。
﹁⋮⋮つまり協力は無理と言うことですか。私としては、アイツが
作り上げたこの世界の住人など、ことごとく屠ってもなんら痛痒を
感じませんので﹂
﹁うん。その考え方だと絶対に妥協できないねぇ。なので、結論と
して、やっぱ敵だね﹂
お互いの立ち位置を確認しあったところで、示し合わせたように
ゼロ距離で、しまさんの闇魔法﹃ダーク・ヘキサグラム﹄と、ボク
の光魔法﹃ホーリー・サークル﹄が激突した。
1187
第十八話 虚構真実︵後書き︶
10/21修正しました。
えーと、サイズをもうちょっと詳しくしました︵`−д−;︶ゞ
×75のA・76のB↓○64、75のA・62、76のB
こんなもん誰得なんざんしょ?
1188
幕間 勇者迷走︵前書き︶
説明が後になっていた﹃転移装置﹄の本物が登場します。
1189
幕間 勇者迷走
クレス自由同盟国の暫定首都ウィリデ。
この町の乾いた空気は常に活気に溢れ、猥雑さと混沌とが同居す
る、いまや南方域有数の交易地と化していた。
ダンジョン
その首都に程近い、元﹃砂塵の迷宮﹄と呼ばれた地下迷宮︱︱現
在は10層のボスであるスフィンクスが攻略され、その財宝が正体
インペリアル・クリムゾン
不明の冒険者︵?︶によって回収されたことで、ほぼ存在意義がな
くなったことから、クレスの宗主国である真紅帝国の肝煎りで改修
が施され、地上30階立てのタワー型迷宮︻ファルサス︼︵別名﹃
姫君の展望台﹄︶が建造された︱︱に程近い﹃転送魔法発送所﹄に、
男1名に女3人というハーレム構成の冒険者らしい少年少女たちが
やってきた。
長蛇の列を作る人の流れを眺め、唯一の男性である上半身に金属
鎧を着た剣士らしい少年が、ぽかーんとした顔で呟いた。
﹁これに並ぶのか⋮⋮?﹂
キャラバン
商隊が主な客層なために、延々と馬車や獣車、それに護衛らしい
パイロン
冒険者などが仏頂面で並んでいる︱︱それも一列で収まりきれずに、
円錐形塔で仕切って、ジグザグで何列も並んでいる︱︱のを見て、
早くもげんなりした様子である。
、、
﹁まーね。なにしろ転送装置は1つ⋮⋮いや、一匹しかいないから
ねぇ。どうしたって時間が掛かるんだよ。ま、それでも通常の移動
時間に比べたら微々たるものだけどね﹂
軽く肩をすくめてそれに応じるのは、一番小柄で黒髪のとんでも
1190
ない美貌の少女神官である。
見れば列の一番最後には、﹃さいごび:まちじかん3じかん﹄と
書かれたプラカードを持った獣人の係員が、声を張り上げて注意を
呼びかけていた。
それを見て、﹁コ○ケかネズミの国かい﹂と、意味不明の独り言
を呟く彼女。
﹁⋮⋮しょうがない、取りあえず並ぶか﹂
諦めた顔で少年が列の最後尾に向かおうとするのを、また黒髪の
少女が止める。
﹁そっちじゃないよ。先に移動先のチケットを買って、番号順に並
ばないとダメなので、チケットカウンターに並ぶんだよ﹂
そう説明しながら、少し離れたところにある石造り平屋建ての建
物を指す。見れば、こちらほどではないが結構な人数が並んでいた。
﹁面倒臭いなぁ。つーか、こんだけ並んでて、また並ぶのかよ⋮⋮﹂
肩を落とす少年を、一同の中で一番年長︵と言っても見た目16
∼17歳だが︶の、真珠色をした髪の軽剣士らしい装備の少女が、
心底小馬鹿にしたような目で見つめる。
﹁と言うか、前もってこの﹃転送魔法発送所﹄を使うとわかってい
て、なぜその程度の事前情報も調べていないのか理解に苦しみます。
この施設の開設に先立って、貴方も深く関与しているとお聞きしま
したが?﹂
﹁あ。いや、だって、目的地は北方域の国だって聞いていたし、ま
さかこんな大回りすると思わなかったから⋮⋮﹂
しどろもどろの弁明に、問い掛けた少女の目がさらに冷たくなる。
﹁なるほど、理解しました。貴方は馬鹿なのですね。人間は基本的
1191
に歩くか、騎獣に乗るかしか移動手段がないはずですが、貴方は西
部域のアミティアから、北方域まで何ヶ月かけて移動するつもりだ
ったのですか? 普通に考えれば、ここに転移魔法陣で転移できる
以上、ここからさらに転移魔法装置で目的地までショートカットす
るのが常識的でしょう。その程度の発想が導き出ないとは、脳に深
刻な障害があると考えられます﹂
﹁なんだとーっ。あのな、普通の冒険者がホイホイ高い金の掛かる
転移魔法とか使えるわけないだろう! ひたすら足で歩くのが常識
なんだよ!﹂
﹁やはり馬鹿ですね。﹃時は金なり﹄と言いますが、数ヶ月かけて
移動する労力と時間、危険、旅費と、転移魔法を使用するのに掛か
る料金では、雲泥の差でしょうに﹂
ぎゃーぎゃー喚く少年と、完全にゴミを見る目で淡々と返す少女
剣士。
この二人のやり取りを面倒臭げに眺める少女神官に向かって、一
行の最後の一人、栗色の髪をした魔法使いらしい、少年と同年輩の
少女が、こわごわと尋ねた。
﹁⋮⋮あのぉ、ヒユキ様。シズさんって、師匠の事が嫌いなんでし
ょうか?﹂
聞かれた少女神官は、顎の下にフリルの付いた白のフィンガーレ
ス手袋から覗く人差し指を当て、可愛らしく小首を捻った。
﹁いやぁ、別にジョーイを特定して嫌いってことはないと思うよ﹂
﹁そうですか?﹂
なおも感情的に言い返す少年と、すべてバッサリ切り返す少女剣
士の態度に、疑わしげに眉根を寄せる魔法少女。ちなみに3人娘の
中で一番地味な見た目に反して、胸の大きさは圧倒的である。
1192
ってだけで、馬鹿全般が嫌い
そんな彼女の心配を杞憂だというように、パタパタと手を振るヒ
馬鹿が嫌い
ユキと呼ばれた少女神官。
しず
﹁真珠の場合、単純に
なだけだから、他意はないよ。あと口が悪いのは、単に根が悪人な
だけだから、あんまり気にしないで﹂
﹃いや、その説明は無茶苦茶不安しかないんですけど!﹄
そう口に出して叫びたい魔法使いな彼女であった。
﹁︱︱それにしても、ジョーイもがんばるねー。普通あんだけ馬鹿
馬鹿を連呼されたら、多少なりとも凹むと思うけど、全然堪えた様
子もないし﹂
﹁⋮⋮それは多分、当人に一切の自覚がないから、ではないでしょ
うか?﹂
思いついたことをポロッと口にした後で、その可能性の高さに思
わず顔を見合わせる二人の少女。
﹁﹁あり得る︵ます︶ね﹂﹂
一切の自覚と反省のない馬鹿⋮⋮!
お互いの瞳に、戦慄と驚愕に引き攣った自分の顔が映っていた。
◆◇◆◇
﹁お久しぶりでございます、我が主﹂
円形のドーム施設︱︱﹃転送魔法発送所﹄を見下ろす形で、設え
1193
かぐや
うやうや
られた台座の上から飛び降りてきた、胸から上が女性でライオンの
身体に鷲の翼を持つ怪物︱︱スフィンクスの輝夜が、恭しく頭を下
げた。
﹁久しぶり∼っ、輝夜。元気だった?﹂
﹁はい、お陰様でつつがなく⋮⋮して、此度はいかような御出座し
でございますか?﹂
まあ、前もってアポも入れずに一般の客として入り口から入って
きたので、当然怪訝に思ってのことだろう。ちなみにあの後、4人
分のチケットを買うのに2時間待ちをした挙句、当日券は販売済み
とのことで、翌日まで1泊した。
なお時間も遅かったし、そもそもウィリデにはまともな︵従魔合
身中の天涯曰く︶宿泊施設がないとのことだったので、真珠に案内
された迷宮︻ファルサス︼の32階にあるボク専用秘密部屋︱︱ち
なみに31階は裏ルート﹃真のボス部屋﹄になるらしい︱︱に泊ま
って出直しとなった。
あと聞いたところでは、獣人族の聖地にも似たような隠れ家があ
るらしい。いいんだろうか⋮⋮?
﹁将来的には大陸中の50キロ圏内に1箇所は類似の施設を設けて、
姫のご不便を解消する所存でございます﹂
とか天涯に言い切られたけど、どこの全国チェーン店だそれ?
何を目指してるのか、ますますわからないねウチの国は。
そんなわけで一晩ぐっすり休んで英気を養った翌日、チケットを
持って出発のための行列に並んだ。
⋮⋮まあ、その前にジョーイが﹁せっかくだから、ここの迷宮ち
ょっとやってみようぜ!﹂とか、考えなしの発言をして、半眼にな
った真珠に﹁はい、どうぞ堪能してください﹂と有無を言わさず3
1194
1階の﹃真のボス部屋﹄に蹴り落とされ、裏ボスのジャバウォック
に瞬殺されて、八つ裂きにされて転がっていたのをパーツごと回収
して、プラモみたいに組み立て直したのも、旅の醍醐味と言えるだ
ろう︵蘇生させたら、真珠が露骨に舌打ちしてたけど︶。言えない
かも知れないけど、この際面倒なので言い切る。
で、なんだかんだで出発準備を終えて、この場に辿り着くまで4
時間掛かった。
まあ、ここらへん横車を押せば即刻出発できないこともないけど、
今回、一般客と一緒に並んだのは、あくまでお忍びだったのと、実
際に利用してみて周囲の反応とか見てみたかったからなんだけどね。
﹁︱︱ま、そんなわけで、今回は公務じゃなくて、個人的な旅行だ
から普通に転移を頼むよ﹂
﹁なるほどわかりました﹂
掻い摘んだボクの話に頷いた輝夜は、一緒にいる顔ぶれを眺めて
軽く目を瞠った。
﹁そこにいらっしゃるのは、十三魔将軍の真珠様であらせられる。
ご挨拶が遅れて申し訳ございません﹂
鷹揚に頷く真珠。
﹁よい。姫様を第一に奉ることは臣民の責務であるからな。︱︱ま、
いまごろ気が付くのは、少々状況判断能力に難があると言わざるを
得ないが﹂
うわぁ、このお姉さんの容赦のなさは本気で相手を選ばないなぁ
⋮⋮という、フィオレの呟きが聞こえた。
おなご
再度、真珠に謝罪した輝夜の視線が、そのフィオレとジョーイを
捉えた。
﹁おお、そこにるのは、いつぞやの魔術師の女子と⋮⋮我の出した
1195
おのこ
問い掛けに、唯一間違った答えを返した男子ではないか! 息災そ
うでなによりじゃ﹂
あー、やっぱりそういう覚え方してるのか。
懐かしげな輝夜とは違って、ぎこちなげな挨拶を返すフィオレと、
気楽に﹁よっ、久しぶり﹂と返事をするジョーイ。
真珠の視線がほとんど絶対零度まで冷たくなっているんだけど、
ストレスを感じない人間ってある意味無敵だねぇ。
﹁それで姫様、此度の目的地は何処を目指しておいでですか?﹂
取りあえず旧交を温めあった︵?︶輝夜が、肝心の質問をしてき
た。
﹁目的地は大陸北方域、シレント国だよ﹂
﹁シレント? ですが、彼の国は転移目的地から除外と承っており
ますが、よろしいのですか?﹂
﹁今回だけ特別に許可を貰っているから大丈夫だよ。あと運がよけ
れば、今後も転移可能になるかも知れないので、一応覚えておいて﹂
﹁⋮⋮ま。可能性は低いと思いますが﹂
じろりとジョーイの横顔を見て、言葉を続ける真珠。
﹁なんだよ!﹂
﹁はあ? ︱︱取りあえず、姫様方をシレントへ転移すればいいの
ですね?﹂
要領を得ない顔で確認してくる輝夜。
﹁そういうこと。悪いけど詳細は後日説明するよ﹂
しんや
﹁いえ、これが我が使命ですので。︱︱おおっ、申し訳ございませ
ん。我が子の挨拶が遅れておりました。⋮⋮これ、震夜よ。姫様の
お成りである。ご挨拶せよ﹂
1196
モノリス
その声に応えて、転移魔法装置︱︱という名目になっている、5
メートルほどの黒い石版の土台部が開いて、中から仔ライオンが出
てきた。
愛おしげにその背中を舐めた輝夜が、そっと前脚でその子をボク
らの方へ押しやる。
﹁ささ、姫様。我が子にぜひご祝福をお願いいたします﹂
促されてトコトコ歩いてきた仔ライオン︱︱実際は輝夜の子の男
スフィンクスで、ボクが﹃震夜﹄と名づけた︱︱を抱き上げる。
﹁シンちゃん、久しぶり∼。うわぁ、なんかまた一回り大きくなっ
たんじゃないの?﹂
とは言えゴロゴロ鳴いている様子は、相変わらずネコみたいだけ
ど。
﹁本当ですねー。シンヤちゃん、あたしのこと覚えていまちゅか?﹂
お腹の辺りを撫でるフィオレの声も、とろとろに蕩けていた。
﹁おっ、あん時のネコか。俺のことも覚えているか?﹂
懐かしげに頭のところに触ろうとしたジョーイの手を、いきなり
ガブリと噛み付く震夜。
﹁いでええええええっ!?﹂
噛まれた手を押さえて、ぴょんぴょんその場を跳び回るジョーイ。
﹁ほう。なかなか利発そうな子であるな﹂
感心感心と目を細める真珠に向かって、嬉しそうに﹁恐縮です﹂
と謙遜する輝夜。
まあ、そういうことで⋮⋮なんてことはない、﹃転移魔法装置﹄
なんていうのは実際は存在しないんだよね。あの日、輝夜に案内さ
れて行った﹃砂塵の迷宮﹄の宝物庫にあったのは、金銀財宝ではな
1197
くてこの子︱︱﹃転移魔法を使える魔物﹄︱︱震夜っていうのが実
体で、﹃装置﹄っていうのは対外的なブラフと保険なわけなんだよ
ね。
要するに宝物庫に隠してあったのは、金銀財宝より大切な子宝だ
った。⋮⋮ありがちな話だけど、その後、親子ともどもボクに従う
と言ってきたので、二人に名前を与えて、でもって震夜の特技を聞
いて﹃転移魔法装置﹄の設定を考えて、一緒にいたクロエ、ジョー
イ、フィオレには口止めをお願い︵口止め料を払おうとしたけど3
人とも受け取りを遠慮︶した。
これが﹃転移魔法装置﹄の真相だったりする。
ひとしきり再会を喜び合ったところで、輝夜が震夜を呼び戻した。
﹁さて、それでは名残は惜しいですが、そろそろ転移を行います。
準備の方はよろしいでしょうか?﹂
﹁大丈夫﹂
﹁は、はい﹂
﹁よろしく頼む﹂
﹁いてててっ﹂
全員問題ないのを確認して、輝夜が大きく頷いた。
﹁では、震夜よ。姫様方をシレント国へ転移させるよ。できるであ
ろう?﹂
﹁︱︱にゃ﹂
元気に一声鳴く震夜。
﹁問題ありません。それでは、よき旅を︱︱﹂
その刹那、震夜が一声あげると虹色の光がボクたちの全身を覆っ
た。
一瞬の浮遊感の後、ボクら4人は大陸の南の果てから北の果てへ
1198
と移動していたのだった。
1199
幕間 勇者迷走︵後書き︶
伏線は結構前に入れてたのですが、本編で回収する機会がありませ
んでしたので、今回、番外編での回収となりました。
1200
第十九話 四凶天王
エターナル・ホライゾン・オンライン
さて、ネトゲではありがちだけど﹃E・H・O﹄の魔法や種族に
は、火・水・地・風・闇・光・無の7つの﹃属性﹄が付加されてい
た︵あと、どうやらこれはこの世界でも準拠されているらしい︶。
そして、これらはお互いに相克関係にあり、
﹃地>水>火>風>地﹄
﹃闇>四属性>光>闇﹄
﹃全属性≧無﹄
という感じで、優位にある属性の武器・魔法どちらでも物理&魔
法攻撃力に圧倒的なプラス補正がかかる︵逆だとマイナス補正がひ
どい︶ので、これらを把握して戦闘を行うのがセオリー且つ有効な
のは言うまでもない。
ま、面倒臭い人は無属性を鍛えておけば、どの属性にも及ばない
にしても圧倒的に不利ということもないので、オールマイティに使
用できるのでお勧めだけどね。
ちなみにボクの場合は、種族が﹃闇﹄で職業が﹃光﹄、使用して
いる武器は闇属性ベースに四属性を付加。防具は無属性って感じで、
どの属性にも対応できるけど、逆に言えば中途半端。
対するしまさんは、種族が﹃闇﹄で職業も﹃闇﹄、武器も装備も
﹃無﹄ということで、吸血鬼としてはかなり基本に忠実だけど、﹃
光﹄に対しては当然不利な立場なわけ。
そして、こちらは知り合い全員から﹃種族詐欺﹄とも呼ばれた、
1201
光魔法系統最高峰の﹃聖女﹄をコンプリートしている⋮⋮つまり、
正面からのぶつかり合いなら、確実に力技で﹃闇﹄のしまさんを圧
サント
倒できる︱︱筈だったんだけど。
ウォーロック
ボクの聖女スキル攻撃魔法﹃ホーリー・サークル﹄と、しまさん
の魔導師系スキル﹃ダーク・ヘキサグラム﹄が衝突して、双方とも
にその場から跳ね飛ばされた。
﹁な⋮⋮っ!?﹂
お互いのダメージ量を確認するため、﹃鑑定﹄でしまさんに焦点
を当て、ステータスを観たボクの口から、知らず驚愕のうめきが漏
れていた。
﹁なにその滅茶苦茶なステータスは?!﹂
種族:吸血鬼︵神祖︶
じじょうじばく
名前:︵´・ω・`︶
称号:自乗自爆
HP:378,902,700/379,002,630
MP:411,991,128/420,003,547
▼
ちなみに現在、天涯と従魔合身中のボクのステータスがこれだよ。
種族:吸血姫︵神祖︶
てんじょうてんが
名前:緋雪ひゆき
称号:天嬢典雅
HP:61,304,120/61,309,800
1202
MP:51,992,500/53,841,500
▼
HPでおよそ6倍。MPだと8倍近い差があるじゃない!!
ニドヘック
﹁従魔合身?! ︱︱廃龍と? でも、さっき表で暴れてるのは見
たし、せいぜいこの3分の1程度のステータスだったはず⋮⋮?﹂
混乱するボクに向かって、契約書に判子を押させることに成功し
た詐欺師みたいな笑みを浮かべる、しまさん。
ニドヘック
﹁別に廃龍が1匹しかいないとは言ってないね。︱︱だいたい変だ
と思わなかったのかな、私が6人しか聖堂騎士を手駒に連れてきて
ニドヘック
カテドラル・クルセイダーツ
いなかったのを。残りの6,000人はどこへ行ったのでしょうか
?﹂
﹁まさか、いまそこに!?﹂
﹁正解∼っ。私が現在、従魔合身中の廃龍2は、聖堂十字軍6,0
00人を材料としていまーす。いやいや、さすがは大陸最強騎士。
吸血鬼化でステータスを底上げしたら、平均でHP5∼6万、MP
6∼7万台行くんだもんなぁ。たいへん美味しゅうございました﹂
そう言って、わざとらしく一礼するしまさん。
まずい。この差は洒落にならない。いまの一撃でのボクのダメー
ジが5,000くらい。対して相手のダメージは、見た感じ20,
000∼25,000ってところだろう。確かに属性的にボクの光
魔法の方がダメージがかなり高いけど、最大に見積もっても⋮⋮1
5,000発以上当てればHPを削り切れない計算だ。
そしてなにより、奥の手として温存してある、影郎さんから渡さ
れた﹃封印の十字架﹄︱︱実験の結果、MPが相手を上回らないと
完全封印ができないのがわかっている︱︱これが現状では使えない
ということだ。
1203
ニドヘック
ニドヘック
﹃姫、現在廃龍の対応に当たっている者どもを、至急この場に集結
させます﹄
﹃それは駄目。廃龍対応を疎かにしたら、後背を衝かれる恐れが高
い。現状のまま、削れるだけ削って! 弱いほうを先に斃すのはセ
オリーだよ﹄
天涯の進言に内心首を横に振る。
﹃しかし⋮⋮﹄
﹃大丈夫。数値の高さに目が眩んで判断を誤りかけたけど、考えて
みればHP差10倍程度どうってことはないよ﹄
そう、考えてみればボス戦はいつもその程度が普通だったんだよ
ね。
こくよう
だったらやり方はいつもと同じ。
﹁刻耀︱︱っ!﹂
パヴィス
ボクの呼び掛けに応えて、真下の影の中から全身に漆黒の鎧冑を
着込んで、右手には同じく暗黒の馬上槍、左手には1.5mの大盾
を握った暗黒騎士・刻耀が躍り出ると同時に、しまさんに向かって、
無言のまま砲弾のように駆けて行った。
ガリアンソード
﹁ダーク・インパルス﹂
しまさんの構えた蛇腹剣の先から、暗黒色の雷が飛ぶけれど、ま
ガリアンソード
るでシャワーでも浴びてるような涼しい顔で、一気に差を詰める。
﹁ぬっ︱︱﹂
さすがに危機感を覚えたらしい、しまさんの蛇腹剣が連結を解い
て、鞭のようにしなりながら刻耀を拘束しようと襲い掛かるけれど、
それを前方に突き立てた暗黒槍を回転させ︱︱スキル﹃サイクロン・
インパクト﹄︱︱一撃で、バラバラに砕いてしまった。
そのまま、顔を引き攣らせるしまさんへ、余勢を駆ってスキルを
1204
叩き付ける。
﹁のわっ!?﹂
パヴィス
ギリギリ躱したしまさんだけど、先読みしていた刻耀の大盾が、
その身体を弾き飛ばす。
ガン!というおよそ人体を叩いたとは思えない破砕音とともに、
しまさんの身体が再度壁を粉砕して廊下へと、押し戻され、そのま
まタイヤのように転がった。
﹁あいたたた⋮⋮さすがにアウェー、なかなか手強い⋮⋮﹂
髪や身体についた埃を掃いながら、しまさんが起き上がった。
ジ
とは言え、まだまだパーセント程度のダメージしか与えていない
し、余裕綽綽といった感じだ。
ル・ド・レエ
ボクを守る形で盾を構えた刻耀の脇を掻い潜る形で、ボクは﹃薔
薇の罪人﹄を構えて、武器がなくなったしまさんへと、一気に距離
を詰めた。
一瞬、防御するか攻撃するか逡巡した、しまさんの手から暗黒の
渦巻が放たれる。
﹁ダークソウルイーター﹂
指定した対象を中心に﹃闇﹄属性の魔法攻撃を行う範囲攻撃。さ
らに攻撃時にはHP・MPを吸収する効果がある。なるほど、両方
を狙ったか。
﹁ゴッドブレス﹂
﹁陰陽八卦封陣﹂
だけどそれがこちらに届く前に、ボクの身体に﹁光﹂属性のレジ
バフ
スト系スキル︵物理、魔法攻撃力、防御力上昇、HP、MP常時増
加効果︶の補助魔法が掛かり、反対にしまさんの攻撃に対する対魔
法用全属性防御結界が張られた。
1205
防御結界に阻まれ、大半の威力を殺された魔法攻撃がHPを削る
も、即座にゴッドブレスの効果で回復。
HP、MPともほとんど無傷の状態で、ボクは剣線を躱そうとし
たしまさんの正中線のど真ん中へ、剣聖技﹃絶唱鳴翼刃﹄を叩き込
んだ。
﹁はあああああ︱︱︱︱︱︱っ!!﹂
眩いオーラを放つ剣先が鈍い手応えとともに人体を貫通し、さら
に内部に震動波を放出する。
﹁ぐは︱︱っ!﹂
ジル・ド・レエ
ガガガァン!という炸裂音が轟き、全身から沸騰した血液を流し
ながら、しまさんが遥か後方へと跳ね飛ばされた。
﹁⋮⋮⋮﹂
無言のまま、しまさんの次の行動を警戒して、﹃薔薇の罪人﹄を
構える。
かなりのダメージを与えた感触はあったけれど、転がるしません
のHPを見る限り、勝敗を決するほどの量ではない。
エターナル・ホライゾン・オンライン
ロッド
﹁⋮⋮参った参った⋮緋雪ちゃんも強いわ。これでも﹃E・H・O﹄
インベントリ
のPV戦№2なんだけどね﹂
メメントー・モリ
収納スペースから取り出した、魔術師用Lv99専用装備の長杖
﹃死を記憶せよ﹄にすがるようにして立ち上がる、しまさん。
﹁血塗れで気持ち悪いな∼﹂
飄々とした姿勢を崩さないまま、一瞬彼の全身の装備が光ったか
と思うと、真新しい黒の燕尾服にシルクハットスタイルへと変貌し
インベントリ
ていた。
収納スペースから、直接指定した装備を交換するゲーム時代から
あった仕様で、ボクも基本的に戦闘時は、この早着替えを良く使っ
ている。
1206
﹁随分と余裕ですこと﹂
﹁どうせまた汚れるので無駄なことであろうに﹂
フ
みこと
バ
口々に憎まれ口を叩きながら、反対側の廊下から、いまの補助魔
法と防御結界を施してくれた相手︱︱完全戦闘装備の命都と、衣装
うつほ
こそ普段の巫女装備ながら、9本の尻尾をすべて広げた戦闘態勢の
空穂とが、悠然とした足取りでやって来た。
﹃空穂、貴様全体の指揮はどうした?﹄
ニドヘック
不機嫌そうな天涯の声に、軽く笑みを浮かべた空穂が、余裕の表
いかるが
情で返す。
﹁斑鳩に任せたわ。あやつは今回、廃龍相手にできんからのぅ。手
が空いたところでちょうど良いであろう? 適材適所というもので
あるな﹂
喋りながら、いつの間にかボクを中心に正三角形を組む形で、刻
耀が前に立ち、後方に命都と空穂が付いた。
﹃⋮⋮姫、私めも戦列の一端に加わっても、よろしいでしょうか?﹄
攻撃に出られないことに苛立ってだろう、天涯も従魔合身を解い
て、前線に出ることを要望してきた︱︱けど、いま素に戻ったら洒
落抜きでボク死ぬと思いますけど?
﹁天涯、お主はそのまま姫様をお守りせい。だいたい、城内でお主
の図体では邪魔でしかたがないわい。四凶天王の筆頭らしく、鷹揚
に構えておけばよいことじゃ﹂
そんな天涯を空穂が窘めた。
﹁そうですね。相手は闇属性、ならば私と刻耀殿が戦力として有効
でしょう。天涯様はその場で姫様をお守りするのが、この場合適切
かと存じます﹂
1207
命都からも宥められ、﹃⋮⋮⋮﹄しぶしぶ納得する天涯。
﹁さて、なにはともあれ四凶天王揃い踏みである。覚悟は良いか、
メメントー・モリ
そこなウツケよ。降参するならいまのうちじゃぞ?﹂
空穂の最後通牒に、﹃死を記憶せよ﹄を構えたしまさんが苦笑い
した。
﹁﹃四凶天王﹄とか、緋雪ちゃんも中二病まだ完治してないっぽい
ね∼﹂
ほっとけ! てゆーか、別にボクが付けたわけじゃないし!
1208
第十九話 四凶天王︵後書き︶
12/20 表現及び誤字脱字の修正を行いました。
×まだまだパーセントのダメージ↓まだまだパーセント程度のダメ
ージ
×しまさんの次の行動を経過して↓しまさんの次の行動を警戒して
1209
第二十話 経過観察
ゆったりと流れる雲の様に、浮遊大陸とも呼べる規模の巨大な人
ルビー
工の島が、地上の高々度上空を移動している。
その表面には紅玉を削り出したかのような、光り輝く眩くも壮大
な城︱︱おそらく惑星上にあったとしても宇宙から確認できる規模
だろう︱︱を中心として、背後には巨木が生い茂る森が、正面には
数多の建造物が立ち並び、整然とした城下町を形成している︵とは
いえ、城の規模に比べると笑えるほどチャチなものだが︶。
惑星の自転を無視して、ゆっくりと進むその巨大な島から、やや
距離を置く形で、2人の人間を乗せた怪物︱︱その姿は見えず、た
だ緑色の眼だけが光る︱︱﹃グリーンアイドモンスター﹄が姿を隠
し、息を殺して無言のまま追尾していた。
グレートソード
手綱を握る形でその上に跨っているのは、煌びやかな銀の鎧を着
込み、腰に一振りの大剣を下げた20台半ばと思える金髪の美青年。
涼やかなその目元が、いまは厳しい表情で島の上を徘徊している寄
生虫のような姿の巨大な化物を捉えていた。
そしてもう一人、紫色を主体にとろころどころリボンで飾り付け
られた、アフターヌーン・ドレスとキャミソール・ドレスを組み合
わせたようなワンピースを着た15∼16歳と思える、金色の宝杖
を持った菫色の髪をした少女が、その後ろに座っていた。
﹁⋮⋮タメゴロー、緋雪さんの方はどんな様子だ?﹂
ちらりと背後を振り返っての青年の問い掛けに、少女は眉の辺り
に皺を寄せて答える。
1210
﹁ちょっと待ってて、なんか城の規模がバカみたいにでかくなって
る上に、あっちこっちに蜘蛛の巣みたいな仕掛けがあって、あたし
! 何回言え
の使い魔がなかなか目的地に辿り着けなくてさ。︱︱あと、あたし
めい・いろは
の名は﹃タメゴロー﹄じゃなくて﹃皐月・五郎八﹄
ば覚えるわけ!?﹂
どこかネコを思わせる少女の抗議を、軽く肩をすくめて受け流す
青年。
メンバー
﹁いまさらだな。だいたい﹃タメゴロー﹄の方が憶えやすいし、言
いやすい。仲間全員を﹁○○さん﹂付けで呼んでいた緋雪さんでさ
えも、﹁メイイロハさん﹂なんて呼んでたのは、本当に最初の頃だ
けじゃなかったか?﹂
﹃メイさん﹄﹃ゴローさん﹄が組み合わさって﹃メイゴローさん﹄、
そしていつの間にか﹃タメゴロー﹄にあだ名が定着した経緯を思い
出して、青年の口元に笑いが浮かんだ。
﹁ぐうう⋮⋮。せめて緋雪さんには、最後まで﹁タケシさん﹂を貫
いたシズカちゃんポジションを守って欲しかったのに⋮⋮あっ、い
た! 見つけた﹂
恨みがましく、ここにいない緋雪に不満をこぼしていた少女の目
が、不意に鋭くなった。
﹁おっ⋮⋮! なんかいい感じでシマムラを圧倒してるじゃん。こ
りゃ、別にあたしらがフォローしなくても問題なくないかもね﹂
弾んだ声の少女とは反対に青年は硬い表情を崩さずに、再度島の
上で暴れる化物と島全体を透かし見た。
﹁だったらいいんだが。︱︱どうも気になるな。いま緋雪さんたち、
城のどのあたりにいるんだ?﹂
1211
﹁ん? ⋮⋮ん∼∼と、﹃玉座の間﹄って言ってるね。ゲーム時代
風に言うなら﹃コントロール・ルーム﹄だね﹂
﹁コントロール・ルームだと?!﹂
青年の表情が厳しさを増した。
その様子に少女の方は怪訝な表情で問い返す。
﹁なんか問題でもあるの? 緋雪さんがいる以上、空中庭園のコン
トロールを奪えるわけもないし、そもそも第三者に譲渡できるもん
ではないでしょ﹂
﹁⋮⋮確かにな。考えたくもないが、緋雪さんに万が一のことがあ
ったしても、所有権はサブマス⋮⋮俺か、お前のところに来るだけ
だしな﹂
むかで
かつて兄丸︱︱ギルド﹃兄貴と愉快な仲間たち﹄︱︱のギルドホ
ーム︻移動要塞﹃百足﹄︼の所有権が、ギルマスである兄丸の死後、
サブマスである音丸の元へ自動で移ったのを思い出して、青年は軽
く頷いた。
﹁︱︱ま。あの蛇男が生み出したわけじゃない、イレギュラーな存
在の緋雪さんとその所有物にまで、同じ法則が働くかどうかわから
ないけどね。第一、あたしらも⋮⋮﹂
﹁タメゴロー!﹂
自嘲する彼女を窘める青年。
﹁本物だとか偽物だとか、アイツが言うことをいちいち真に受ける
な。確かに俺たちはかつてのソノモノではないかも知れない。だが、
こうして生きて、自由意志を持っているのは確かなんだ。だったら
誰かの物真似ではない、いまの自分の意思で自分らしく生きるべき
だろう﹂
青年の熱い気迫が篭った言葉に、唖然と目を見張ってから⋮⋮か
1212
すかに笑みを浮かべる少女。
﹁変わったね、らぽー。前はなんか自暴自棄な様子だったのに﹂
﹁⋮⋮そうか?﹂
どくだんせんこう
﹁そうだよ。あんな蛇男に唯々諾々と従うなんて、どんだけ腑抜け
たんだと思ってたけど、いまのらぽーは、︻独壇戦功︼らしいよ。
︱︱なんかあったの?﹂
ちなみに彼女自身は、普段﹃蛇男﹄と呼ぶところの彼の元にいる
のを嫌って、積極的に大陸中を飛び回っている。
青年は苦笑いを浮かべて、どこか遠い目をした。
﹁影郎さんのことは聞いてるだろう?﹂
﹁あ⋮⋮ああ、うん⋮⋮﹂
﹁影郎さんがアイツに逆らって死ぬ時に言ってたんだ。﹃死に際は
自分で選ばせてもらう﹄って。勝手に作られて、いいように利用さ
れるだけの命だと思っていたけど、最後は自分の意思を貫いた。そ
れに比べて、俺はなにをやってるんだ⋮⋮そう思えて情けなかった﹂
この眼で見た友人の男気と、自分の不甲斐なさを想い、唇を噛み
締める青年。
﹁影さんもなに考えてるのかわからない人だったけどさ、最後まで
頑張ったのは、やっぱり緋雪さんの為だったんじゃないかな。影さ
ん、なんとなく緋雪さんのこと本気で好きだったような気がするよ。
あ、likeじゃなくてloveの方ね﹂
﹁⋮⋮あのな。緋雪さん中身は男だぞ。︱︱ま、いまじゃ限りなく
女子だけど﹂
ふと以前出会った時︱︱と言ってもほとんど問答無用の戦闘で、
ろくに口も聞いていないが︱︱の緋雪の物腰を思い出して、苦笑い
しながら苦言を呈する。
﹁まあ、あくまであたしの勘だからねえ。⋮⋮でも、緋雪さんが好
1213
きなのは、いまでも変わらないよ、あたしも﹂
あっけらかんと言い放った少女の言葉に、﹁そうだな﹂と青年も
同意した。
﹁だから、アイツの命令とかではなく、絶対に守ってみせる。︱︱
見ていてくれ、影郎さん﹂
抜けるような青空の向こう。いまは亡き友を想って、青年は強く
拳を握り締めた。
とも
︱︱親友よ、観ていてくれ。俺はやる。たとえこの命燃え尽きる
とも!
◆◇◆◇
﹁おっちゃん、この弓ぜんぜん景品に当たらんけど、なんかおかし
アカ抜けな
いんと違う?﹂
いかにも田舎臭い子供が、一向に当たらない玩具の弓矢と、的当
ての景品を見比べて口を尖らせる。
﹁はっはっはっ、お坊ちゃん、弓のせいにしちゃいかんよ∼。ちゃ
んとさっきは特賞を当てた子もいるんだから﹂
胡散臭い笑い声を上げながら、﹁わーい、当てたじょー﹂と若干
棒読み臭い演技⋮もとい、喜びようで︵どう考えても物理的に台の
サクラ
上から落とすのは無理だろう︶自分の背丈ほどもあるヌイグルミを
抱えて、周囲に見せびらかしている子供を指差す露天の主。
それを見て、もう一度挑戦すべく残ったお小遣いを、10本の矢
に換える子供。
1214
一方、隣の板の上で素焼きの粘土型に粘土を詰めて、出来た型の
複製品に極彩色の粉色を塗っていた子供の一人が、出来上がった型
を見せに来た。
﹁おっちゃん、この型はなんぼになるの?﹂
﹁どれどれ⋮⋮う∼∼ん、ここんところにひび割れがあるから1,
500点というところかな。ちょっとこの型は難しいかもしれんな
∼。どや、こっちの大きい型の方が、作り易いんと違うか? いま
までの点数と交換で、オマケして70銅貨にまけとくで﹂
その頃、北部域にある小国シレントの田舎町で、どこの誰かは知
らないけれど、黒髪細目でやたら影の薄い怪しげな商人が、子供相
手にインチキ商売をやって、小銭を巻き上げていた。
◆◇◆◇
﹁ごめん、なんか話が横道に逸れたけど。それで、なんでシマムラ
の奴はコントロール・ルームなんて狙ってるんだろうね?﹂
﹁俺としてはなんらかの方法でコントロールを奪うつもりなのかと
思ったんだが⋮⋮﹂
﹁そんな様子はないかな。ずっと戦ってるだけだし﹂
使い魔を通して見た光景を実況しながら首を傾げる少女。
﹁ふむ。それも妙な話だな。目的地がコントロール・ルームなら、
とっくになんらかのリアクションをするべきだろうに﹂
︱︱時間稼ぎをしている?
ふと、青年の頭にその可能性が浮かんだ。
1215
︱︱だが、なんの為に? どこからか増援でも来るのか?
そう思って地上を見下ろして見るが、それらしい異常はない。そ
もそも移動している空中庭園は、とっくにユース大公国領を通過し
て、グラウィオール帝国奥深くまで侵入している。
﹁︱︱っ。そういうことか!!﹂
この光景を見て、青年の中でバラバラに解けていたピースの欠片
が組み合わさり、一つの絵が描かれた。
﹁ど、どうしたの、らぽー?﹂
﹁奴の狙いがわかった。急いで緋雪さんに知らせないとマズイ!﹂
﹁知らせるって⋮⋮いや、なんか、いまあっちも取り込み中みたい
なんだけど?﹂
なぜか半笑いの表情で、使い魔が見た光景を伝える少女。
◆◇◆◇
﹁ふっふっふ、ついに私をこの姿にしてしまいましたね﹂
巨大な廊下に仁王立ちの姿勢で、しまさんがドヤ顔でこちらを見
下ろして、そんな風に嘯いてみせた。
﹁うわぁ⋮⋮﹂
見上げるボクの顔は相当引き攣っていたと思う。
は、ターゲットロック式ではなくて、FPSやTPSといったシュ
こちらを狙いを定めて放たれた魔法はすべて回避︵﹃E・H・O﹄
エターナル・ホライゾン・オンライン
ここまでは、けっこう順調に相手のHPを削れていた。
1216
こくよう
うつほ
ーティングゲームに近い、当たり判定が採用されている︶して、広
域魔術に対しては刻耀に壁になってもらい、または空穂のカウンタ
みこと
ー・マジックで対応。
ヒットアンドアウェイ
その合間に命都が、光魔法の遠距離攻撃を飛び回りながら連射。
そちらにしまさんの気が逸れた瞬間に、ボクが得意の一撃離脱で斬
り付けると同時に、反撃が来る前に退避︱︱これを小一時間繰り返
して、どうにか1割5分ほどHPを削ったかなぁ⋮⋮どうかな? サモン・モンスター
ウォーロック
サモナー
というところで、しまさんが周囲に魔法陣を生み出して、そこから
召喚獣を召喚︱︱ちなみに、しまさんは﹃魔導師﹄﹃召喚術師﹄﹃
魔剣士﹄﹃仕立屋﹄の4つのジョブをカンストしている。
最後の一つはあんまり意味がないけど、そんなわけで、召喚魔法
陣からバラバラと出てきたのは、かなり強力なデーモン系の魔物の
群れだった。
まあ、現在のメンバーなら、ほとんどこんなものはスライム同然
で、速攻で斃したんだけど、その僅かの隙に、距離を置いたしまさ
ニドヘック
んの胸が一瞬爆発したかと思った︱︱その勢いで飛び出してきたの
は、言うまでもなく従魔合身中の廃龍2だった。
ニドヘック
見る見る廊下に広がるかと思われた廃龍2だったけど、横方向に
ではなく縦方向に積み上がり、円柱状になったかと思うと、まるで
粘土細工のように伸縮を繰り返し、手が出て足が生え、やがて全身
がピクピクと蠢く気持ちの悪い、頭のない巨人の姿をとった。
いや、よく見れば頭はある。申し訳程度に胴体部分の上に乗った、
ニドヘック
晒し首みたいなしまさんの首が。
ヨートゥン
おそらく本体は廃龍2の胴体に埋もれているのだろう、それが高
らかに嗤った。
﹁ははははははっ! どうですか、この廃巨人は! 素晴らしいで
しょう!!﹂
1217
言いつつ、その場で筋肉を誇示したポージングを行う。
はっきり言ってキモかった。
1218
第二十話 経過観察︵後書き︶
ちなみに、人間1人の体積は平均71Lですので、6000人分だ
×
13
×
1.5
mとして︶が487.
と426,000Lですね。1m3=1,000Lなので、426
m3。
25mプール︵25
5m3なので、だいたい同じくらいでしょうか。あれが立ち上がっ
たと考えていただければ、大きさの想像がつくかと思われます。
1219
第二十一話 超越者達
やや広げた両足で床に立ち、両手を弓形にして胸を張る︱︱いわ
ヨートゥン
ゆる﹁リラックス﹂と呼ばれるボディビルポーズの基本的な姿勢か
ら、廃巨人は両拳を脇腹のところに当てるポーズに変えた。
﹁ラットスプレッド!﹂
ムキムキ、ゾワゾワした筋肉っぽい塊が蠢く。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁サイドチェスト!﹂
身体を捻って足を﹁く﹂の字に曲げて、側面を見せる姿勢で、ぐ
っと筋肉を膨らませた二の腕と胸と肩を強調させる。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁サイドトライセプス!﹂
姿勢はそのままに、両手を後ろ手にして、上腕三頭筋をさらに大
きくさせる。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁モストマスキュラー!!﹂
正面を向いて、両拳を合わせてぐっと力を込め、僧帽筋やら腕や
ら肩やらの筋肉を強調し、力強さをアピールする。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁ダブルバイセップスっ!!﹂
広げた両手を頭の高さに上げ力瘤を作り、逆三角形のシルエット
を強調する。全身の筋肉を見せびらかす、一番有名なポーズだ。
﹁⋮⋮⋮﹂
1220
﹁美しい!! この完成された肉体美! まさに美の巨人! 緋雪
ちゃんも感動のあまり声も出ないようですね!﹂
恍惚としたしまさんの声が、ワンワンと通路一杯に響き渡ってい
るけど、確かに言葉にもならない。
﹁⋮⋮⋮﹂
あまりの阿呆らしさとしょうもなさに。
それは他の全員も同じだったようで、命都はこめかみの辺りを押
さえて目を逸らせ、空穂は扇で口元を隠して﹁悪趣味じゃのぉ﹂と
露骨に顔をしかめ、刻耀は無言のまま︱︱なのはいつも通り、天涯
は苦々しげに、﹃姫、御目が汚れますので、あのような汚物は直視
なさらぬ方がよろしいかと﹄そう苦言を呈した。
実体としてこの場に立ち会っていたら、おそらく有無を言わさず
﹁汚物は消毒だ︱︱っ!!﹂とばかりブレスを吐いていたところだ
ろう。
さらにその場で、﹁オリバーポーズ!﹂とか悦に入って取ってい
るしまさんに、恐る恐る尋ねた。
﹁あの、しまさんってそーいう趣味なの⋮⋮?﹂
ヨートゥン
今度は後ろ向きになってポーズを決めている廃巨人⋮⋮というか、
中の人のしまさんが首だけぐるりと半回転して、こっちを向いた。
キモっ!
﹁そーいうとは、どーいう趣味ですか?﹂
﹁⋮⋮だから、筋肉もりも﹁そのとーり!!﹂﹂
力一杯肯定された。
﹁可愛いは正義! だが、筋肉はジャスティス!!﹂
同じだ同じ。
1221
﹁可愛くて筋肉満載はまさに桃源郷! マッチョ×マッチョ=アー
ッ! これぞ乙女のロマンどす!﹂
⋮⋮腐ってやがる。イロイロな意味で。
﹁と言うことで、この姿になった私は無敵・最強! 覚悟はいいで
すか、緋雪ちゃん?﹂
いや確かにボディは無敵とかかも知れないけどさ、剥き出しの頭
を狙ったら一発なんじゃないの? 従魔合身解いたわけだし。HP
は素の状態に戻ってるってことだよねぇ⋮⋮しまさん阿呆じゃない
かと思ってたけど、具体的に阿呆だったとは思わなかったわ。
﹁︱︱じゃあこっちも行くよ。皆狙いはわかってるね?﹂
﹁勿論でございます姫様﹂
﹁まあ、外しようはないところですの﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
全員の視線が、胴体の上のしまさんの首に集まる。
さすがにここで急所を見失う馬鹿はいないわな。⋮⋮普通いない
よねぇ。
﹁GO︱︱!!﹂
別に示し合わせていたわけじゃないけど、ボクの合図を受けて、
全員が弾かれたように四方へと散る。
﹁はああああっ!!﹂
ヨートゥン
まず露払いを買って出たのは空穂だった。
大きく跳躍した彼女目掛けて廃巨人が左右のパンチを放ったけれ
ど、風に舞う落ち葉のようにヒラヒラと躱す空穂を捕まえられず、
やすやすと内懐まで潜り込まれた。
﹁陰陽八葉大極波﹂
1222
ヨートゥン
空穂の九本の尻尾から、地・水・火・風・雷・木・震・影・無の
全力攻撃が、廃巨人の胸の上、引き攣った顔のしまさんの首目掛け
て放たれた。
ガガガガガガガガガガ︱︱︱︱ン!!!
斥力・絶対零度・超高熱・風撃・雷撃・腐食毒・衝撃波・次元刃・
物理攻撃︱︱これでもか、という具合に必殺技を使いまくる。
おそらく100レベルのダンジョンボスクラスなら、どれか一撃
ヨートゥン
でもHPの半分は削り取るだろう。そんな攻撃が連続して9連撃。
轟音とともに上半身が爆煙に包まれた廃巨人の巨体が、ぐらりと
背中向きに倒れ掛かった。
ヨートゥン
︱︱だけど倒れない。ギリギリで体勢を立て直した。
﹃内部に逃げ込みましたな﹄
ボク同様、インパクトの瞬間に、一瞬早く廃巨人の身体の中に沈
み込んだ、しまさんの本体を目にしたのだろう。天涯が面白くもな
さそうに呟いた。
ヨートゥン
ようやく爆発の煙が収まったそこには、胸から上の辺りが、ごっ
そりと抉られた廃巨人の姿があった。
かなりのダメージを与えたかに見えたけれど、ぐっと全身に力を
込めるポーズをとると、欠けていた肉体がたちまち修復され、元通
り⋮⋮というか首から上は、ふざけた絵文字みたいな顔が、しまさ
んに替わって生えていた。
﹁ふむ。命をカードに込めて、身体のどこかに隠している魔女のよ
うに、どこかにいる本体を斃さないと無駄のようですの﹂
自分の攻撃の結果を見て、眉をしかめる空穂。
﹁つまりバラバラに分解してもぐら叩きをするか、一気に全部消滅
1223
ニドヘック
させないと無理ってことだね﹂
基本は廃龍と同じだけど、あれよりも遥かにHPが高いこいつを
一撃で仕留めるのは、まず無理だろう。だいたいアレに比べて的が
小さいだけに、焦点を当てて広範囲魔法とか撃ち込んでも、楽々と
逃げられるのがオチ。ならば、現状のままチマチマHPを削るしか
ないんだけど⋮⋮。
﹁ならば︱︱っ!﹂
空中に舞い上がった命都の六翼が光り輝いた。
﹁ホーリー・フェザー・シャワー﹂
ヨートゥン
羽根のようなエフェクトとともに、文字通り光撃の矢が、雨あら
れと廃巨人の全身に注がれる。
HPを削るよりもどこかに潜んでいる、しまさんの本体を燻り出
すか、運が良ければマグレ当たりを期待したんだろうけれど、両腕
を全面に立てて防御体勢を取った、相手の表面を僅かに削り取る結
果にしかならなかった。
﹃あの姿勢を取るということは、心臓部か背面に本体が潜んでいる
のか?﹄
ヨートゥン
その天涯の分析が聞こえたわけでもないだろうけど、ほとんど同
時に影移動で敵の背後に回った刻耀が、廃巨人の背後から、一気に
その心臓部分を突き破った。
︱︱やったか?!
ヨートゥン
と、期待したのとは裏腹に、関節を無視した︱︱ま、元々骨なん
てないんだろうけど︱︱動きで、廃巨人が、小うるさい蝿でも振り
払うかのように、背面の刻耀を殴り飛ばした。
パヴィス
手にした大盾でそれを受け止め、軽々と跳躍して距離を置く刻耀。
1224
﹁さすがはしまさん。そんなわかりやすいところに弱点を置いてお
くわけないか⋮⋮﹂
これは本気で時間が掛かるかも知れないな。
ヨートゥン
そう懸念したところで、いままで、どちらかといえば防御に専念
していた、しまさんが操るところの廃巨人の雰囲気が不意に変わっ
た。
﹁⋮⋮そろそろ時間だ﹂
ぽつりと呟いたしまさんの声が、飾り物の顔から聞こえてきた。
◆◇◆◇
ケースレス
超銃身の対戦艦用ライフルから、無薬莢方式の徹甲弾頭が、高速
燃焼炸薬の爆圧でまるで機関銃のように弾き出される。
さかき
ニドヘック
休む暇もなく、上空で周囲に指示を出す傍ら、発砲を繰り返して
いた親衛隊長、銀翼の機甲天使︻メタトロン︼榊は、廃龍の変化を
感じ取り、微かに眉をひそめた。
﹁どういうことだ? いまさら何を考えている?﹂
HP
順調に相手の活力を削り、かなりの痛手を与えた手応えは感じて
いる。
ニドヘック
だが、いままで乱雑な反撃と、外部からの反応に応じて昆虫のよ
うに、でたらめに動き回るだけだった廃龍に、ここに来て再び明確
な行動の意思が芽生えたように感じたのだ。
﹁⋮⋮どうにも嫌な予感がするな。全隊一斉攻げ﹂
1225
ニドヘック
いずも
刹那、廃龍の魔眼が、上空にいた榊たち親衛隊と、その上空にい
た十三魔将軍の副将︻アザゼル︼出雲を捉えた。
﹁︱︱くっ。いまさらか!﹂
幸い味方の数が多かったことも幸いして、一度の魔眼の照射で影
響を受けたのは、全体の4分の1程度だったが、第2、第3と﹃視
マガジン
られる﹄とどうなるかわからない。
榊は慣れた手つきで弾倉を交換して、トリガーを絞る。
ニドヘック
廃龍の表面に命中すると、濛々たる煙幕を噴出し、その視線を遮
った。
続けざまに煙幕弾を連射し、その視線をすっぽり隠して、魔眼の
効果を遮断する。
マガジン
ニドヘック
﹁ま。多少こちらの視界も不良になるが、この程度誤差の範囲内だ
ろう﹂
し
再び弾倉を交換しようとした榊の目の前で、身をたわめた廃龍が、
ニドヘック
爆発したかのように一気に弾けた。
﹁︱︱なに?!﹂
ず
いや、弾けたのは廃龍ではない、十三魔将軍︻デモゴルゴン︼真
珠によって侵食されていた部分を、自ら切り離したのだ。
そして、切り離された部分は、狙い済ませていたかのように︱︱
しんら
実際、その通りなのだろう︱︱追撃していた、同じ十三魔将軍︻バ
ロン︼森螺に命中し、これを薙ぎ倒した。
﹁ぐおおおっ?!﹂
あらゆる光術を無効にする森螺もこれには堪らず、不定形をした
真珠を全身に纏いつかせた形で、揃って数百メートルも弾き飛ばさ
れた。
1226
とは言えお互いに深刻なダメージというわけでもない。
﹁⋮⋮重いぞ、真珠! どれだけ喰った?!﹂
自分に圧し掛かる真珠を、じろりと見上げて森螺は太い眉を寄せ
た。
﹁レディに失礼ねぇ!﹂
どこから声を出しているのかは不明だが、そこからずるりと身を
離す真珠。
ニドヘック
と、邪魔者を分離させることに成功した廃龍は、その場でぐるり
ととぐろを巻き始めたのだった。
◆◇◆◇
しまさんの台詞にとてつもなく嫌な予感を覚えたボクだったけど、
ヨートゥン
さりとて具体的にどうするという妙案もなく、再度命都たちに命じ
て攻撃態勢を取らせようとしたところで、廃巨人が右手を前方に向
けて垂直に立てた。
ホーリー・ライト
﹁一度に千人規模の聖堂騎士を犠牲にして放つ、超々々弩級聖光弾。
受けてみるかな、緋雪ちゃん﹂
その右手が肩のところから光り始めた。
マズイ、根本的に﹃光﹄系統の属性魔術に不利なのは吸血姫のボ
クも同じこと。また、通常なら盾役になる刻耀も同じ﹃闇﹄系統で
苦手にしている。
1227
どれほど威力の攻撃なのかは不明だけど、直撃を受けたらボクは
もとより、四凶天王クラスでも危ないかも知れない。
﹁全員、射線上から逃げて!﹂
ホーリー・ライト
慌てて散開するボクら。
ヨートゥン
幸い超々々弩級聖光弾とやらは、どうやらチャージに時間が掛か
るらしい、充分な距離を置く間があった︱︱けど、廃巨人はその姿
勢のまま、逃げたボクの方を見ようともしないで、前方に右手を差
し上げていた。
︱︱おかしい。なんでこっちを狙わないの?!
ヨートゥン
なぜか表情が変わらないはずの廃巨人の顔が、にやりとほくそ笑
ヨートゥン
んだ気がして、ボクは反射的に背後を振り返った。
廃巨人が狙う先、そこにあるのは玉座の間。
もしかして、最初からこれを破壊するのが目的じゃ?!
ヨートゥン
ホーリー・ライト
気が付いた時にはすでに遅く、廃巨人の右手が蒸発するのと同時
に、圧力すら感じられる極太の聖光弾が、廊下の窓をぶち破りなが
ら玉座の間目掛けて直進して行った。
誰にも止められない威力・タイミングで放たれた攻撃魔法が、玉
ホーリー・ライト
座の間を直撃する︱︱寸前、膨大な光術に匹敵する巨大な炎の渦巻
がこれを迎え撃った。
﹁ファイアー・ブレイク・インパクト!!﹂
﹃︱︱なっ?!﹄
その場にいた全員の驚愕の声が重なった。
なすすべなく玉座の間を粉砕するかに見えた超々々弩級聖光弾だ
ったけれど、光術そのものが系統としては最弱に近い。おそらくエ
1228
ファイアー・ブレイク・インパクト
ネルギー量としては、炎の渦巻を圧倒していたかとは思う。けれど
属性として﹃火>光﹄という明確なルールに従って、二つの大規模
ウ
魔術が激突した結果、その場で両方の魔術は対消滅をして消え去っ
たのだ。
ィザード
しーんと耳が痛くなるような静寂の中、いまの炎術を放った﹃魔
法使い﹄が、にこやかに手にした黄金の宝杖を振って、
﹁こんちゃ、緋雪さん久しぶり∼!﹂
年齢は15∼16歳くらいだろう。身長155センチ、菫色のシ
ョートカットの髪をした女の子が、気楽な口調で挨拶してくる。
その隣には、銀色の鎧に裏地が赤い白マントを下げた、金髪の2
0歳半ばと思われる剣士がつきしたがっている。
この場にいる誰もがよく知っている。本来ならばこの場にいてお
かしくない。だけど、居る筈のない二人だった。
﹁ラポック様⋮⋮﹂
命都が喘ぐように呟いた。
﹁⋮⋮タメゴロー様﹂
空穂が唸るように後に続く。
らぽっくさん、タメゴローさん。どちらもギルドメンバーであり、
さらにサブマスターとして、ほとんど毎日顔を合わせていた気心の
どくだんせんこう
知れた仲間であり、そしてボク同様、運営から贈られた二つ名を持
いっきかせい
つ﹃爵位保持者﹄である︵ちなみに、らぽっくさんが︻独壇戦功︼
で、タメゴローさんが︻一気火勢︼︶。
⋮⋮そして、いまはおそらく黒幕の手下と化している﹃敵﹄であ
った。
1229
第二十一話 超越者達︵後書き︶
10/24 訂正しました。
×﹁らぽっく様⋮⋮﹂↓○﹁ラポック様⋮⋮﹂
1230
第二十二話 呉越同舟
芽が出て茎が伸びて蕾が出来て⋮⋮という植物の微速度撮影の
﹁なんとまあ⋮⋮懐かしい顔の揃い踏みですね﹂
ような感じで、消失した腕を生え変わらせながら、しまさんが突然
現れた一組の男女︱︱らぽっくさんとタメゴローさんを順番に見た。
それから、突然の闖入者に唖然としているボクらの表情を見て、
得心した風に頷いた。
﹁このタイミング、意表を突かれた緋雪ちゃんたちの顔⋮⋮どうや
ら、お二人は緋雪ちゃんと違って、私の同類らしいですね∼。つま
いっきかせい
りアイツに作られた同類、同輩、後継作ということで、ある意味兄
どくだんせんこう
弟ですかね∼。なんなら一気火勢ちゃんの方は﹁お兄様﹂と呼んで
くれてもよろしくってよ。で、独壇戦功は︱︱さっさと死ね!﹂
言うなり再生したばかりの右手の表面に棘のようなものが、びっ
しりと生えたかと思うと、らぽっくさんに向け、散弾のように射出
された。
﹁剣?!﹂
良く見ればそれは十字架型をした剣︱︱聖堂騎士が装備していた
同一規格の長剣︱︱だった。どうやら丸ごと取り込んだ聖堂騎士の
武器を、一斉に投擲したらしい。
剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、
剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、
剣⋮⋮膨大な数の剣が雪崩打って、視界を埋め尽くす。
1231
剣というよりも、もはや巨大な質量︱︱鋼の塊とも言うべきもの
が、慌てて壁際に避難したタメゴローさんを無視して、一人廊下の
ぜつ
中央に立つらぽっくさんを押し包む。
グレートソード
﹁︱︱ふっ!﹂
腰の大剣︱︱サーバ内最強剣﹃絶﹄︱︱を抜いたらぽっくさん。
それで迎え撃つつもりなのか知れないけれど、例え9剣を使用した
としても、数の差は圧倒的で対応できるものではない。
見る間にその全身に、剣の山が轟音と共に降り注ぎ、次々とらぽ
っくさんの全身を覆い隠し、なお積み重なり駄目押しに押し潰さん
とばかりに降り注がれる。
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁はははははっ! 見たか! そっちが九刀流なら、こっちはさし
ずめ万刀流だな! ﹃E・H・O﹄では、さんざん手を焼いたけど、
こうなれば私の勝ちだ。なーにが№1だ。躱す暇もなく一撃じゃな
いか!﹂
剣の成れの果て︱︱鋼の残骸を前に高笑いを浮かべるしまさん。
躁状態なのはさっきまでと変わらないみたいだけど、これまでの余
裕あっての笑いではなく、懸案が払拭された反動で、一時的にタガ
が外れたように見える。
思うにそれほど脅威に感じていたのだろう、らぽっくさんを。
対人
ボクはPV戦に参加しなかったんであまり実感がないんだけど、
ゲーム時代ははっきりいってPV戦においては、らぽっくさんの一
人勝ちというか、絶対王者みたいな感じだったらしい。
要するに誰が彼に勝つかではなくて、どこまで粘れるか、それか
良い勝負ができるか⋮⋮って意味で。
そんな中でも、TOP3と呼ばれたのがしまさんと兄丸さんだっ
た︵№2というのは自称で、兄丸さんとどちらが上ともいえない。
1232
ランキングはちょくちょく変わってたので︶から、おそらく︵この
シマムラさんにも︶相当な苦手意識が刻まれていたのだろう。
で、その強敵を屠ったということで、現在は狂騒状態になってい
る⋮⋮ってところなんだろうけど︱︱。
﹁相変わらず派手なだけで、無駄の多い攻撃だな﹂
グレートソード
剣で出来たオブジェクトの中から、ため息混じりの感想が漏れた
のと同時に、大剣の一薙ぎで剣の山が崩れ、傷ひとつないらぽっく
さんが現れた。
しまさんが目を剥いて、声にならない悲鳴を漏らす。
﹁この数の剣は俺一人を狙うには明らかに多すぎる。直接俺の身体
に触れそうだったのは、せいぜい200∼300本だったぞ。他は
全部無駄弾だ。無駄に数を多くしたせいで、個々のコントロールが
つき
まったくなっていない。躱すまでもない、ムラの多いだけの半端な
攻撃だ﹂
言いつつ歩みを進めるらぽっくさんの左手には、大太刀﹃月﹄も
握られていた。
﹁コントロールの甘い投擲武器などどうということはない。散漫な
軌道の剣など簡単に迎撃できる。まだしも数を抑えての精密射撃や
トリッキーな動き、或いは投擲と見せかけて魔術や直接暴力を織り
交ぜても良い。だが、これは駄目だ。数が多すぎてお前自身攻撃を
把握しきれて居ないんだろう? おまけに自分の視界まで遮るもの
だから、次のリアクションが取れない。無駄に数を増やしたのが仇
になったな﹂
しまさんに向かって近づきながら、ちょっとした料理のコツでも
解説するような口調で、種明かしをするらぽっくさんだけど、口で
言うほど簡単な作業じゃないのは、曲がりなりにも剣聖であるボク
と魔剣士であるしまさんには良くわかっている。
1233
一斉に四方八方から高速で飛来する剣を瞬時に見定め、微動だに
エターナル・ホライゾン・オンライン
せず対応するなんて、少なくともボクにはできないし︵ボクならと
っとと距離を置いて躱す︶、﹃E・H・O﹄の他のTOPランカー
でも多分無理だろう。人間の認識力や空間把握力の限界を越えてい
る。さすがは生きたチート。らぽっくさん、お前が№1だ。
と︱︱。らぽっくさんの背後の空中に、﹃花﹄﹃鳥﹄﹃風﹄﹃夢﹄
﹃幻﹄﹃泡﹄﹃影﹄と各々銘のある、形状も長さもバラバラな⋮⋮
ヨートゥン
だけどいずれ劣らぬ高レベルの刀剣が現れ、剣先をしまさんに向け
た。
気押された様子で、無意識に一歩下がったしまさん︵の廃巨人︶。
いつの間にかその隣に駆け寄っていたタメゴローさんともども、
ボクらの前まで歩いてきて止まった。
しまさんに向かっていた視線がこちらに流れる。
︱︱来るか。
臨戦態勢になるボクらを目にして、苦笑いを浮かべるらぽっくさ
ん。一方、タメゴローさんは、
﹁おおおおおっ! これはまた、予想以上の美少女!! こりゃま
た反則だわっ﹂
無茶苦茶顔を綻ばせて、無防備に抱きついてきた。
らぽっくさんはともかく、タメゴローさんに関しては判断に迷っ
たのだろう。命都たちも困惑した顔で、顔を見合わせながら手を出
しかねている⋮⋮という風情で、いちおう武器を構えた。
けど、タメゴローさんは一切お構いなく、がっちりボクの肩を抱
いて頬ずりを繰り返す。
﹁うおおおおっ、柔らけーっ! なんだこの肌触りは! すべすべ
1234
しっとりで、けしからん! おまけにこの匂いが堪らん!﹂
くんかくんかと鼻息荒く人の匂いを嗅ぎ回る、少女の姿をしたお
っさんがここにいた。
その上、気が付いたら両方の胸の膨らみにタメゴローさんの両手
が覆い被さっていた。慣れた手つきで、やんわりとモミモミ。
﹁ちょ⋮ちょっと⋮⋮! なにやって⋮⋮!? んっ⋮⋮!﹂
壊れ物を扱うようでいて、なおかつ楽器でも鳴らすように、繊細
かつリズミカルな指のタッチに、腰が抜けそうになる。
﹁ふひーっ、ふひーっ、ここがええんか。ここかい。こちとらずっ
と少女やってるんだ、任せときなってば﹂
天涯、命都、空穂、刻耀︱︱絶句。
はあっ⋮⋮と、盛大なため息を漏らしたらぽっくさんが、持って
いた大太刀﹃月﹄の峰で、ゴキン!と思いっきり暴走するタメゴロ
ーさんの頭を叩いた。
﹁うおっ! 頭が割れた︱︱っ!!﹂
頭を抱えて床の上でじたばたするタメゴローさん。
ジル・ド・レエ
﹁⋮⋮なんなのいったい? 二人揃ってドツキ漫才やりにきたわけ
?!﹂
着衣の乱れを直しながら、﹃薔薇の罪人﹄の切っ先をらぽっくさ
んに向けて問い質すと、なぜか﹃絶﹄と﹃月﹄を床に刺して、降参
って感じに両手を上げた。
﹁今日は緋雪さんと戦いにきたわけじゃない。どっちかというと助
っ人に来たつもりなんだけど︱︱﹂
ボクの不信感丸出しの顔を見て苦笑いする。
﹁まあ、信じられないだろうな﹂
1235
﹁いや、でも本当なんだって! アイツを野放しにできないから、
蛇男の命令とかなしでも、できれば協力して封印して欲しいのよ、
緋雪さん﹂
復帰したタメゴローさんも言葉を重ねる。
う∼∼ん。影郎さんと違って、この二人は裏表がなく、面倒見も
黒幕
の手下になってるみたいだし︱︱さっきのしま
良かったから副ギルド長をお願いしてたんだけど、ゲーム時代と違
っていまは
さんの言葉を訂正しなかったってことは、そういうことなんだろう
︱︱額面通り受け止められるかというと、微妙なところだねぇ。
本人たちに他意はなくても、良い様に使われている可能性は高そ
うだし。
躊躇するボクを横目に、再び二刀を握ったらぽっくさんが、しま
さんに向かって歩みを進める。
﹁まあ、実際に行動で示したほうが早いか。ここは俺が抑えておく
ので、緋雪さんは急いでコントロール・ルームへ向かってくれ。空
中庭園の進路を変えるんだ﹂
﹁進路⋮⋮?﹂
言われた意味がわからず首を捻る。
ニドヘック
﹁気が付いていないようだけど、空中庭園は現在、相当に大陸内陸
シャローム
部に接近している。おそらく、当初の廃龍の進路に応じて上空に待
機させていたんだろう﹂
ニドヘック
うん。確かに十三魔将軍︻沈黙の天使︼武蔵を降下させるために、
廃龍にリンクさせるようにしていた。てっきり、目標がいなくなっ
たので、あの場から動かないで静止しているのかと思ってたんだけ
ど、予想進路に従っていまだ飛行ルートを飛んでいたらしい。
1236
ニドヘック
﹁シマムラの狙いは緋雪さんが
黒幕
って呼んでいるアイツだ。
おそらくは当初、陸路で廃龍を成長させながら、イーオンの首都フ
ァクシミレへ進撃するつもりだったんだろうけど、もっと手っ取り
黒幕
がファクシミレにいるって、
早くて巨大な乗物︱︱空中庭園を目にして、こちらに乗り換えたん
だろう﹂
何気なく喋ってるけど、これ
暴露しているんじゃないの?!
﹁とは言え、他人のギルド・ホームを乗っ取ることはできない。け
れど、コントロール・ルームを破壊すれば、自動修復されるまでの
間は完全に無防備になる。その瞬間に空中庭園の真上で、でかいロ
ケット花火を爆発させれば、コントロール不能の空中庭園は真っ逆
さまに降下して、ファクシミレを丸ごと粉砕ってわけだ﹂
ニドヘック
﹁︱︱姫様。上空の榊からの連絡で、廃龍が突如とぐろを巻いて、
動きを止めたそうでございます﹂
らぽっくさんの推理を裏付けるかのように、慌てた様子の命都が
報告してきた。
﹁まずい︱︱!﹂
ヨートゥン
一刻を争うと瞬時に判断して、ボクは全速力で玉座の間に戻ろう
とした︱︱その瞬間、廃巨人内部のしまさんが哄笑をあげた。
﹁残念っ。ちょっと遅かったようですよ!﹂
ボコボコボコ!! と廊下の赤い絨毯の下から、血管が浮き出る
ヨートゥン
ように何かが盛り上がり、ボクが辿り着くよりも早く玉座の間に到
達した。その根元は廃巨人の爪先に届いている。いつの間にかそこ
から絨毯の下を通って、先端部分を延ばしていたらしい。
﹁しまった!﹂
らぽっくさんの舌打ちの声。
1237
同時に絨毯を割って姿を現した、肌色をした人間の胴体ほどもあ
る大蛇のようなモノが20匹ほど、鎌首を持ち上げた。
﹁くっ!!﹂
ホーリー・ライト
取りあえず手近な大蛇を5∼6匹まとめて切り刻んだけど、一歩
遅れて残りの大蛇が、一斉に眩い聖光弾を、玉座の間目掛けて発射
した。
刹那、玉座の間が轟音と爆発に包まれたのだった。
ガラスというガラスが砕け散り、火柱を吹き上げた。それでも収
まらずに、連鎖的に壁そのものが爆散して、辺りへ破片を撒き散ら
しつつ、部屋全体が自らが吐き出した粉塵に飲み込まれていく。
咄嗟に身を伏せたボクの前に、らぽっくさんの7剣が壁を作り、
そして刻耀が飛んできて覆い被さってくれた。
爆発が収まったのを見計らって、顔を上げてみると、濛々たる白
煙と粉塵が周囲を覆いつくしていた。
咳き込みながら、大穴の開いた壁から玉座の間を見てみたけれど、
完全に破壊され、しばらくは使用できない状態と化していた。
﹁⋮⋮おのれぇ!! ようも玉座を穢してくれたなぁ!!!﹂
憤怒に震える空穂がその場で四足になると、九尾の狐としての本
性を現し始めた。
﹁おやおや、いいんですか、私を相手にする暇があるとも思えませ
んけど?﹂
しまさんの嘲笑に、この場にいた全員に緊張が走る。
そう、ここまでは前段階。最後のトドメが︱︱。
1238
ヨートゥン
廃巨人が器用に、指をぱちんと鳴らした。
﹁︱︱爆破﹂
ズドドドドドドドドドド︱︱︱︱︱︱︱︱︱ン!!!!!!!!
ニドヘック
後から聞いた話では、その瞬間、丸まっていた廃龍は、すべての
エネルギーを爆発に転用して、生物爆弾・武蔵に匹敵或いは凌駕す
る爆発を起こしたらしい。
空中庭園が引っくり返りそうな衝撃に、立っていたタメゴローさ
ヨートゥン
んが転がり、らぽっくさんは倒れこそしなかったものの、絶を杖代
わりにして片膝をついた。
﹁勝った!!﹂
そして勝利を確信したしまさんが、廃巨人の左肩の辺りから顔を
覗かせ、喜色満面で狂ったような笑い声をあげた。
﹃命都! 空中庭園の現状は?!﹄
ニドヘック
性急な天涯の問い掛けに、爆発の瞬間、空中に逃れていた命都が、
沈鬱な表情で答えた。
﹁かつてない大損害です。廃龍のいた表層から、最下降、及び基底
部分まで貫通破壊。現在、空中庭園は進路そのままに、イーオン聖
王国首都ファクシミレを通過し、あと30分ほどでイーオン領を抜
け大陸北部域に到達する予定です。また、破損箇所の修復までおそ
らく24時間は掛かるかと思われます﹂
﹁﹁﹁へ?﹂﹂﹂
期せずして、ボクとらぽっくさんとしまさんの声が唱和した。
﹁︱︱あの⋮⋮爆発の衝撃で降下してないの?﹂
1239
刻耀に手を貸してもらって立ち上がりながら、身体についた埃を
払いつつ、命都に確認した。
﹁多少、高度が下がりましたが現在は安定しております﹂
﹁なんで?﹂
﹁爆発のエネルギーをすべて逃がしましたので﹂
﹁なんじゃ、そりゃ!?﹂
ニドヘック
狼狽するしまさんを、ちらりと冷たい目で睨む命都。
﹁廃龍が爆発して空中庭園を落下させると、先に目的がわかれば対
処のしようは幾らでもあります。できれば無傷でなんとかしたいと
ころでしたが、今回は時間がなかったので少々強引な手を使わせて
いただきました﹂
﹁強引って⋮⋮?﹂
ニドヘック
﹁爆発に合わせて十三魔将軍が協力して、空中庭園を貫通する穴を
開け、廃龍の爆発力を上下に逃がしました﹂
あっさり言われたトンデモナイ手段に、プレーヤー一同唖然とす
る。
﹁空中庭園そのものが損なわれることを考えれば、この程度の被害
は止むを得ないかと﹂
何か問題が?と重ねて聞かれて、思わず﹁あー、いいんじゃない﹂
と答えていた。
﹁緋雪さんの従魔ってイロイロと規格外だねぇ﹂
パンパンと身体についた埃を払いながら、立ち上がったタメゴロ
ーさんにしみじみ言われる。
そーでしょう。こんなのが万単位でいるんだから、どんだけ毎日
心痛が絶えないことか⋮⋮。
1240
﹁兎にも角にも、これで当初の計画はご破算、ということだな。シ
マムラ﹂
らぽっくさんが再び9剣の切っ先を、剥き出しのしまさんの首に
向けた。
﹁じゃあ、あとはしまさんをチャチャっと斃すだけだねぇ﹂
ボクもその隣に立って剣を向ける。
﹁久々に3人でPTプレイと行きますか!﹂
嬉しげにタメゴローさんも、らぽっくさんを挟んで反対側に並ん
だ。
ヨートゥン
恨めしげにボクたちを一瞥すると、しまさんの生首が再び廃巨人
の中に潜り込んだ。
自分の両脇に立つボクとタメゴローさんをチラリ見て、口元に微
笑みを浮かべたらぽっくさんだけど、少しだけ哀しげに呟いた。
﹁ここに影郎さんが生きていれば、一緒に並んだのにな⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
後ろめたさから、思わずそっと視線を横に外したのは言うまでも
ない。
1241
第二十二話 呉越同舟︵後書き︶
この3人がPT組んで狩りを行う場合、ポジション的にメインはら
ぽっくさん、緋雪が遊撃兼回復、タメゴローさんが火力となります。
昔からヒーローではなく、ヒロインポジションだったのですね。
10/25 文章を訂正しました。
らぽっくさんの技・台詞等が他作品と類似とのご指摘があり、修正
を行いました︵´・ω・`︶
ちなみにイメージ的には某金ぴかさんVS黒のパーカーサーさんが
もし正気だったら、という感じですねぇ。
1242
第二十三話 二律背反
空中庭園を上下に貫通する巨大な破砕孔を前にして、榊ら親衛隊
の天使たちが眉をしかめる。
﹁最悪の事態は回避できた。だが、これでは到底当初の目的を完遂
できたとは言えんな﹂
﹁えーっ、いいじゃん。空中庭園は墜ちなかったんだし、こんな穴
ほっとけば直るもんだし、だいたい破壊は姫様も了承したんだろう
?﹂
気楽な口調でそう答えるのは、ユース大公国から急行︱︱単に手
びゃくや
持ち無沙汰の暇つぶしのため︱︱してきた、十三魔将軍︻ハヌマー
ン︼白夜である。
この良く言えば天真爛漫、悪く言えば考えなしの発言に、榊が額
の辺りを押さえる。
オールオアナッシング
﹁白夜殿、姫様が了承されたのは結果が出てからの完全な事後承諾
ニドヘック
であります。それと我々の仕事は、常にすべてか無か。一人の死者
も出すことなく、空中庭園に傷ひとつ付けることなく、廃龍を排除
できなかった時点で失敗したのと同じことなのです﹂
立場上、魔将軍である自分と同格である、親衛隊長榊の苦言に白
夜は面倒臭そうに、耳の穴をほじくる。
﹁聞いてるのですか、白夜殿!?﹂
﹁聞いてるけど、どーでもいいいじゃねーか。こうして無事なんだ
しよ。後は姫様を加勢して、敵の親玉ツブせば終わりだろう﹂
﹁そういった乱雑な考え方が、今回のような被害の拡大をもたらし
たのです。そもそも白夜殿には、常日頃から一天万乗の君を頂いた
1243
インペリアル・クリムゾン
栄えある真紅帝国の将であるという自覚が︱︱﹂
ニド
いよいよ投げ遣りな態度でそっぽを向く白夜に、苛立った様子で
ヘック
プラチナ
小言を並べる榊の前に、巨大⋮⋮という言葉すら生温い、往時の廃
龍すら上回るのではないかという、白金色のドラゴンと古代魚︵バ
タフライフィッシュ、ピラルクーのようなアレ︶を足したようなシ
ルエットの超弩級モンスターが、空中庭園の下層から雲を裂いて浮
き上がってきた。
﹁⋮⋮まあまあ、榊の嬢ちゃん。お前さんの気持ちもわかるが、せ
っかくのお祭り騒ぎだ。わざわざ水を差すこともあるまいて﹂
くおん
渋みのある老練な口調で窘められ、しぶしぶ口を噤む榊。
﹁︱︱久遠殿﹂
﹁けっけっけっ! さすがは爺さん。伊達に年は取っちゃいないね
ボトムレイク
ー。わかってらっしゃる。︱︱にしても珍しいな、御前会議にも代
理しか送らない爺さんが、基底湖から出てくるなんてよ﹂
ボトムレイク
空中で胡坐をかいた姿勢で、くるくるとその鼻先を飛び回る白夜。
バハムート
十三魔将軍にして、空中庭園最下層にある広大な基底湖の主であ
ボトムレイク
る︻神魚︼久遠。
せつな
通常は基底湖に引き篭もり、天涯の指示があっても、代理として
二足歩行をする象とも河馬ともつかぬ眷属︱︱ベヒモスの刹那を出
向させているのが常なのだが、どうやら今回は重い腰を上げたらし
い。
﹁ま、儂は見ての通りの図体じゃからして、おいそれと動き回るわ
けにもいかんが⋮⋮なにしろ、今回は天涯のひよっこではなく、姫
様がわざわざ直接儂のところに足をお運びになっての勅命であった
からのぉ。老骨とはいえ骨惜しみするわけにはいかんわい﹂
1244
からからと笑いながら身も蓋もない返事を返す久遠。
﹁だよなー。あのコチコチ頭とは、どーにも合わねーもんなー﹂
うんうん頷きながら同意する白夜。
ちなみに奔放な性格の白夜は性質的に天涯と馬が合わないが、久
遠は久遠で、同じ龍種として天涯を子ども扱いして軽んじている節
があった。
そのことに内心苦々しく思いながらも、相手は十三魔将軍の中で
も重鎮ということで、文句をぐっと押さえ込む榊の背中に、どこか
冷めた声が掛けられた。
﹁どうやらこちらの仕事は済んだ様子。わたしは主の下へ戻らせて
いただいてもよろしいか?﹂
振り返って見れば、一対の翼を広げた赤い髪の女天使が、面白く
かえで
もなさそうな顔で宙に佇んでいる。
﹁楓か。ああ、おぬしの伝言のお陰で早急な対策が講ぜられた。ラ
ポック様には、宜しく感謝の意をお伝え願いたい﹂
﹁承りました。では︱︱﹂
もみじ
儀礼的に頭を下げる彼女。
﹁待て。姉︱︱椛には会っていかないのか?﹂
飛び去ろうとした天使︱︱元緋雪の従魔にして、現らぽっくの従
魔である楓︱︱は、空中で一旦立ち止まると、ちらりと榊を振り返
り固い口調で答えた。
﹁必要ありません。︱︱次に逢う時は敵同士でしょうから﹂
そのまま足早に立ち去る彼女の背中を、榊は難しい顔で見送った。
や
﹁なー、おい。姫様の敵の親玉殺りに行かねーのか?﹂
そこへ、まったく空気を読まずに白夜が、うきうきと尋ねてくる。
1245
﹁少々お待ちください、命都様に確認いたします﹂
そう断りを入れて、念話で命都の指示を仰ぐ。
﹁⋮⋮現在、姫様とラポック様、タメゴロー様が交戦中。四凶天王
もバックアップを執り行っているので、これ以上の戦力の投入は混
乱を招きかねないため、必要ないとのことです。周囲の警戒に当た
ってください﹂
﹁なんでぇ、また出番なしかよ﹂
不貞腐れた様子で、ふらふらどこかに飛んで行く白夜。
﹁ふむ⋮⋮では、儂も帰って寝るか﹂
欠伸交じりに久遠もそう一人ごちると、再び雲海を割って空中庭
園基底湖へと戻って行った。
フリーダム過ぎる円卓メンバーたちに眉をしかめつつ、榊は再度
周囲を飛行している部下達に警戒を強めるよう指示した。
◆◇◆◇
イーオン聖王国聖都ファクシミレ。神殿中心部﹃蒼き神の塔﹄の
最上階。
﹁行ったか⋮⋮﹂
蒼神
はつまらなそうに鼻を鳴らした。
窓から入ってきた使い魔の鳥が見た情報を、肘掛け椅子に座って、
文字通り咀嚼しながら
﹁せっかく緋雪ちゃんと感動的な対面となるかと思っていたのだが。
⋮⋮まあいい、お楽しみはこれからだ﹂
1246
と、壁に背を預けていた、船乗りのような恰好でターバンを巻き、
赤いチョッキを着ただけの褐色の上半身の上に、銀色の刺青をした
目の鋭い青年が、仏頂面のまま淡々とした口調で口を開いた。
﹁いまのはかなり際どかったが⋮⋮ですが、空中庭園が墜ちていた
らかなり危なかったんじゃ⋮⋮危なかったのでは?﹂
﹁そうだな、ここ以外の聖都とその近郊は壊滅⋮⋮下手をすればイ
ーオン自体が消滅していたかも知れんな﹂
だからどうした、という口調で蒼神が返す。
﹁そう⋮ですか﹂
青年の方も単に事実を確認したという風に、顔色一つ変えず軽く
頷く。
﹁じゃあ、俺の出番はなさそうなので、帰還する⋮⋮させてもらい
ます﹂
態度こそ慇懃だが、言葉遣いの端々にこの場に対してか、或いは
目前の男に対してかは不明だが、辟易している様子がありありと透
けて見える。
﹁ふん。ならついでに少しゴミの処理をして行け﹂
﹁⋮⋮ゴミ?﹂
蒼神の指示に秀麗な眉をしかめる青年。
﹁最下層の地下牢に亜茶子を放り込んである。あの馬鹿、大教皇を
唆して俺の緋雪を襲わせようとしたらしい。まあ、未遂に終わった
のが不幸中の幸いだが﹂
忌々しげな蒼神の言葉に、さすがに青年の鉄面皮も崩れた。
﹁そんなことを︱︱。それで、亜茶さんはいま⋮⋮﹂
﹁死んではいないようだな﹂
ちらりと壁際に並んだ命珠︱︱掌に乗るサイズの水晶球の内、内
側に緑色の炎が揺れているもの︱︱を一瞥して、蒼神は椅子に座っ
1247
たまま白けた口調で続けた。
オーク
﹁まあ時間の問題だろう。強化した豚鬼の群れの中に、身一つで投
げ込んでかれこれ5日⋮⋮まだ生きているようなら、さっさと始末
して来い﹂
﹁いいのか? まだ利用価値はあると思うが⋮⋮﹂
明らかに気が進まない様子で、取ってつけた敬語も忘れて問い返
す青年。
壁際に並べられている8つの命珠のうち、いまでも光を放ってい
るのは半分の﹃白銀﹄﹃紫﹄﹃赤﹄﹃緑﹄の4つだけである。
蒼神は気にした様子もなく、嘲るような含み笑いを漏らした。
﹁構わんよ。いいかげんアレにも飽きた。所詮は代用品、正真正銘
の本物があるとわかった以上、邪魔にしかならん﹂
無表情でそんな蒼神をじっと眺めていた青年だが、何も言わずに
踵を返した。
﹁ああ、そうそう。さっきの爆音はさすがに聖都全域に聞こえただ
ろうからな。動揺を抑えるように大教皇に伝えておけ。本来ならあ
の餓鬼、八つ裂きにしても飽き足りんが、あそこまで自由に踊る人
形もそうそういないからな。もうしばらくは踊ってもらおう﹂
蒼神の声を背中に聞きながら、青年は部屋を後にした。
⋮⋮しばらく経過して、弱弱しく揺れていた命珠の緑色の炎が消
えたのを確認して、蒼神は満足げな笑みを浮かべた。
◆◇◆◇
1248
﹁緋雪さん、最初に言っておく﹂
並んで剣を構えながら、らぽっくさんが声を潜めて話しかけてき
た。
﹁まず、シマムラの奴は斃しても復活ポイントが定められているか
ら、完全に斃すのは無理と思ってくれ。斃した瞬間、多少のデスペ
ナ付きで、どこかにある復活ポイントで復活されてやり直しだ﹂
︱︱つまり無限コンテニュー!? なにそのチート!
なんか思わず戦う前からやる気がモリモリ失せてきた。
だけど同時に納得もできた。妙にしまさんの行動が刹那的だった
リザレクション
のは、そういうアドバンテージがあったからってわけだねぇ。それ
にしたって︱︱デスペナルティなしの完全蘇生が使えるボクが言う
のもなんだけど︱︱命の重さを軽く感じてるねぇ。
﹁そんなわけで、奴は斃すんじゃなく、封印することを第一に考え
てくれ。︱︱大教皇から﹃封印の十字架﹄は受け取っている筈だけ
ど、それは1度きりの使い切りだから、ここぞと言う時まで温存し
ていてくれ﹂
﹁︱︱あー、そうだね、封印ね。十字架ね。持ってるよ﹂
どーしたもんかな。実際は使い切りの方じゃなくて、連続使用可
能な本物なんだけど。正直に話して、戦略の幅を広げた方がいいか
なぁ。けど、それだと影郎さんとの約束を破ることになるしねぇ。
ヨートゥン
逡巡して判断を下すその前に、しまさんが操る廃巨人が、ずしん
と一歩踏み出して来た。
ニドヘック
﹁まったく⋮⋮ままならないものですね。いまにして思えば、アレ
コレ欲張らずに、最初の計画通り廃龍を成長させながら、陸路でア
1249
イツの首を狙いに行けばよかったものを。4∼5億も飲み込めば、
まずどんな相手にも負けなかったでしょうに⋮⋮﹂
﹁お前は昔から戦闘でもなんでも、見栄え重視で中途半端なんだよ﹂
ぶつくさと﹃IF﹄の話を蒸し返すしまさんを、一刀両断するら
ぽっくさん。
そーいえばそういうところもあるかな。わざわざギルドホームを
商店にして一儲け企んだけど、デザインセンスの問題で鳴かず飛ば
ず︱︱で、ウチにいた衣装関係で爵位持ちだった︵ボクの衣装のほ
とんどすべては彼女の労作だったりする︶マスター・クラフトを引
き抜こうとしたり、多人数が参加する狩りでも、時間が掛かると﹁
たるい﹂と言って途中で手を抜いたり⋮⋮あ。なんか思い出したら
腹が立ってきた。
﹁⋮⋮まあいいでしょう。またやり直せば良いだけのこと。取りあ
えず、何人かは道連れに死んでもらいますよ。さすがに欠損部分が
5割を超えたら、緋雪ちゃんでも復活はできないでしょうからね﹂
逃げ場のない空の上、居場所はモンスターハウスの中、そして目
の前には最強プレーヤー。
さすがにこの期に及んで、ここから生きて帰るのは無理だと判断
ヨートゥン
したのだろう。玉砕︱︱と言ってもデスペナ付きの復活前提の︱︱
覚悟で、廃巨人が歩みを進めてきた。
﹁︱︱来るよ! らぽっくさんと私が前衛に出るので、刻耀はタメ
ゴローさんのガードをお願い。命都は回復に専念。空穂はタメゴロ
ーさんが大技を放つまで、相手の注意を引いてひたすら回避!﹂
ヨートゥン
ボクが叫んだ瞬間。ぐっと腰を落とした廃巨人が、床を蹴って一
気に残りの距離を縮めると、剣先をメリケンサックのように生やし
1250
た拳を高々と持ち上げ、勢い良く振り下ろして来た。
1251
第二十三話 二律背反︵後書き︶
今回で蒼神の手駒が全員出揃いました。勘のよい方は消去法で、蒼
神の正体がわかったかと思われます。
1252
第二十四話 魔人封印
ヨートゥン
廃巨人の拳が轟音と共に振り下ろされ、弾力と硬度を併せ持つ、
所有者のボクも知らない謎物質でできた廊下に穴を開ける。
拳の先は十字剣で強化しているけど、所詮は元が脆弱な人体の集
ヨートゥン
合体。当然、こんな勢いで殴りつければ、負荷に耐え切れずに一撃
で剣は折れ、廃巨人の拳も水風船のように破裂する。
﹁にょええええ! 血が!! 変な汁が!? 目玉が、脳味噌が、
臓物がーっ!!﹂
﹁ぎゃああっ。汁が付いた! 臭ぇ∼っ! 緋雪さん浄化して浄化
!﹂
廊下一杯に飛び散る腐肉と汚物、血液体液謎液の飛沫に、タメゴ
ローさんともども悲鳴を上げながら、あたふた回避する。はっきり
言って直接的な攻撃よりも、こっちの被害を躱すほうが余程厄介だ
った。
ち
﹁こんにゃろ! ⋮⋮ヒトん家だと思って好き勝手やってくれるね
ぇ!﹂
命都と二人でドレスに付いた汚れを浄化したボクは、怒りを込め
て全力疾走。撃ち下ろしのパンチを軽く躱し、そのままギアを上げ
ジル・ド・レエ
て壁を駆け上がって、天井まで昇ったところで跳躍した。
ヨートゥン
﹁はあああ︱︱︱︱っ!!﹂
完全にこちらを見失った廃巨人の頭のど真ん中に、﹃薔薇の罪人﹄
を叩き付ける。
剣聖技﹃七天降刃﹄。分裂した七連突きを、意図して一箇所に集
1253
中させ傷を押し広げる。
すれ違い様、その傷口へ聖女系上級スキル﹃ホーリー・ディスク
ラプション﹄︱︱浄化の光で対象に物理・光ダメージを与える。残
存MP/最大MPに比例して威力が変動。またダメージ量は、対象
ヨートゥン
との距離に比例して減少するけど、ほぼ密着したこの距離なら10
0パーセント徹る︱︱を当てる。
ヨートゥン
光の多重魔法陣が発生し、それが渦を巻いて廃巨人の傷口へと流
れ込み、一気に爆発した。
巨体が衝撃でノックバックし、廃巨人は片膝をつく。頭部は完全
に粉砕され、ごっそりと抉られ部分は、光系の浄化攻撃のお陰です
ぐには再生する様子はない。
床に降り立つと同時に、その場で通常スキルの4連撃を放ち、さ
ヨートゥン
らに超高速で移動しながら﹃奥義﹄発動後のクールタイムを計りつ
つ、廃巨人の背後から唐竹割りに一撃を加え、こちらに意識を向け
ヨートゥン
させた一瞬の隙をついて、足の間を抜けて急制動を掛けた勢いその
ままに再跳躍し、さらに追撃の刃を放った。
ジル・ド・レエ
慌てて両手を身体の前で交差させて、防御の形をとる廃巨人。
それに対する下段からの斬り上げ。薔薇の罪人が赤いライトエフ
ェクトを伴って、超高速で撃ち出される。
剣聖技﹃昇龍月天衝﹄︱︱単発の純粋物理攻撃では、ボクの手持
ヨートゥン
ホーリー・ライト
ちスキルでも最強クラスの技が、その左腕を半ばまで断ち切ると、
空中にいるボク目掛けて廃巨人の全身から、聖光弾が連射された。
﹁こんなもの!﹂
ラ・ヴィ・アン・ローズ
当たらなければどーということもない。背中の翼︱︱漆黒の羽、
ヨートゥン
薔薇色の幸運を一振り︵飛べはしないけど姿勢制御くらいはできる︶
ホーリー・ライト
、手近にあった物体︱︱廃巨人に着地すると同時に、これを足場に
して走り回りながら、聖光弾を躱し、なおかつ聖女系単体攻撃ホー
1254
リー・フレアで対抗、さらに上下左右のコンビネーションで縦横無
尽に表面を斬り刻んで、足元を良い感じに均したところで、呼吸を
整えいったん距離を取って、一気にトップギアに加速して、全ての
ヨートゥン
MPを消費して敵に大ダメージを与える剣聖技﹃絶唱鳴翼刃﹄を放
った。
﹁はああああ︱︱︱︱っ!!﹂
たいかんまかはどま
いい加減ダメージが蓄積されていた廃巨人の左腕が切断され、千
切れ飛ぶ︱︱﹁大寒摩訶鉢特摩!﹂それを追って、空穂の氷系最上
位スキルが炸裂。一瞬で芯まで凍りついた腕を、らぽっくさんの7
ジル・ド・レエ
剣が回転しながら粉々に粉砕した︱︱さらに、鍔のところまで鳩尾
に突き刺さった薔薇の罪人から、震動波が放出される。
ヨートゥン
﹁ぐああああああああっ!?﹂
ヨートゥン
廃巨人のどこかに潜んでいる、しまさんにも攻撃が徹ったのだろ
う、ビクビクと全身を震わせた廃巨人が、コントロールを失った感
じで、ふらふらと後方へ倒れた。
首尾よく行けば、震動でしまさんが炙り出されるかと思ったんだ
ヨートゥン
けど、さすがにそうは行かなかったらしい。引っくり返った亀みた
インベントリ
いにもたつく廃巨人から、ボクはいったん離れて皆のいる後方まで
戻り、収納スペースから最上級MPポーションを取り出して飲んだ。
リジェネレート
現在の馬鹿みたいに高いMPに比べれば微々たる回復量だけど、
スキルは使えるようになったので、その場でHP・MP自動回復ス
キルを唱えて万全の状態に戻す。
ヨートゥン
スイッチ
そんなボクと廃巨人とを見比べながら、らぽっくさんがヤレヤレ
という感じで首を振りつつ、入れ替わりに攻撃役を交代して走り出
した。 ﹁さすがは緋雪さん、機動力と俊敏性、それに合わせて回復能力っ
1255
てのは完全なバランスブレイカーだよなあ∼﹂
あれぇ?! なんかチートのヒトにチート扱いされてるような⋮
⋮気のせいだよね?
ヨートゥン
と、ぶるぶる震えていた廃巨人の表面から、融合していた元聖堂
ヨートゥン
騎士︵現吸血鬼︶達が剥がれ落ち、剣と盾とを構えた。その数、約
100騎余り。
同時に、剥がれ落ちた廃巨人の肌の上に、びっしりと鱗のように
聖堂騎士達が装備しているのと同じ盾が並んだ。
﹁ほう。防御を固めて、面での制圧に切り替えたのか﹂
呟いたらぽっくさんが9剣を構えたけれど、その背中にタメゴロ
ーさんの気迫の籠もった叫びが追いすがる。
﹁雑魚は任せて、らぽー!﹂
その声を合図に、後ろも見ないで軸線上から、横にステップを踏
んだらぽっくさんのギリギリ脇を、緋色の炎の球が飛んで行った。
﹁フレア・バスター!﹂
慌てて盾で防御する元聖堂騎士達。その集団の中心部に命中した
ところで、炎の球が一気に膨張して、すっぽりと全員を覆うドーム
となり、渦巻く炎が一瞬にして元聖堂騎士達を消炭に変えた。
いっきかせい
さすがはすべてのステータスを火炎系魔術の威力向上に費やして
いる︻一気火勢︼。高レベルの吸血鬼眷属を一撃で斃すなんて、ま
ず他のプレーヤーにはできないだろう︵ちなみに運営からこの二つ
名を貰うまでは﹃放火魔女﹄﹃火力馬鹿﹄などさんざん言われてい
た︶。
ヨートゥン
あっさりと味方の騎士を消し飛ばされた廃巨人が、あたふたとし
た様子で盾でガードされた左右の拳を振るってくるが、らぽっくさ
1256
んはこれを躱し、剣でいなしてあっさりと敵の内懐︱︱足元へと潜
り込んだ。
ホーリー・ライト
﹁つくづくお前の考えは半端だな。守りを固めたのはいいが、その
せいで魔眼も聖光弾も使えなくなったわけだ﹂
吐き捨てるようなその言葉に、﹁うるさい! いい気になるな!﹂
しまさんの怒号が返って来ると同時に、左足の辺りに暗黒色の魔法
ライトニング・シールド
陣が生まれ、闇色の光がらぽっくさんを狙う。
﹁光盾﹂
バフ
﹁ホーリー・サイレント﹂
アンチ・マジック
ボクの補助魔法が、らぽっくさんの全身を覆い、同時に放たれた
命都の対抗魔術が、しまさんが放った﹃ダーク・ヘキサグラム﹄を
アンチ・マジック
打ち消す。
対抗魔術はレベル差に応じて成功率が変動するので、100パー
セント成功するものではないが、どうやら今回は成功したらしい。
ヨートゥン
﹁そして考えなしだ。そこにいると教えてくれているようなものだ
ろう?﹂
らぽっくさんの目が、廃巨人の左脛の辺りを捉える。
﹁︱︱くっ﹂
ヨートゥン
おそらく慌てて内部の位置を変えようとしているのだろう、左足
を上げた廃巨人の足の付け根辺りに、7剣が円を描くように突き刺
さり、逃げ場を押さえた。
同時にボクも走り出した。重装備のらぽっくさんでは、あの位置
まで手を伸ばすのは不可能。ならば、ここはボクがやるのが適任。
﹁はあああ︱︱っ!!﹂
ヨートゥン
剣聖技﹃天覇凰臨剣﹄︱︱剣を構えたまま横回転を繰り返し、竜
巻状の風の刃とともに廃巨人の左足付け根を斬り裂く。
1257
一撃で斬り落とすまではいかなかったけれど、即座に7剣がその
場に殺到して、一気に左足を斬り離した。
ニドヘック
グレートソード
ぜつ
切り離された左足が小型の廃龍と化して、その場から逃走しよう
とする。
﹁往生際が悪いぞっ﹂
追いすがるらぽっくさんの握る右手の大剣﹃絶﹄が白光を放つ。
クリティカル・ヒット
﹃奥義・ジャガーノート﹄︱︱自身のHP・MPの半分を犠牲にす
る代わりに、相手の防御・HPに関わらず3分の1の確率で致命傷
を与える技。
だけど、らぽっくさんの場合はこれだけじゃない。スキルが放た
れるコンマ0.5秒以内に、次の剣に持ち替える。さらに次の剣へ
⋮⋮常人なら1回成功させるだけでも至難の業ともいえるタイミン
グで、次々と剣を入れ替え、ついには9剣すべてが白光を放って空
中へ飛び⋮⋮そして、その両手に握られていた。
レイド
システムの抜け穴を使った、らぽっくさんだけのオリジナルスキ
ニドヘック
ル。数々の大規模戦闘モンスターを屠ってきた、その名も︱︱
﹁メテオ・バニッシャー!﹂
白々とした光の尾を伴って、9本の刃が廃龍の全身に突き刺さる。
クリティカル・ヒット
防御無効で致命傷の確率を数を増やすことで底上げして、なおか
つ連続して攻撃を加える。まあ確率自体は変動しないけど、もとも
と超レアドロップアイテム装備﹃絶﹄︵Lv120のBOSSが、
0.05パーセントの確率でしかドロップしない︶を、これまた天
クリティカル・ヒット
文学的確率で1発で8回強化に成功させた鬼運の持ち主、9発撃て
クリティカル・ヒット
ば確実に1、2発の致命傷を放つ︵ちなみにヨグ=ソトースを斃し
ニドヘック
た時は、9発のうち7発が致命傷だった︶。
クリティカル・ヒット
確実に致命傷を何発か受けた廃龍の動きが、ぴたりと止まる。
1258
そして全身を震わせ声にならない悲鳴を放った後、巨体を四方へ
と爆散させた。
﹁シマムラは?!﹂
マントで爆風から身を守りながら、後方へ下がったらぽっくさん
の叫びに、慌てて周囲を見回すけど、それらしい姿はない。
まさかいまので一緒に吹っ飛ばしたわけじゃないよね?!
困惑した顔を見合わせるボクたちの頭上、廊下に下がっている巨
大シャンデリアの辺りから、ガラスが割れるような音がした。
はっと見上げてみれば、シャンデリアの上に身を隠していた、し
テレポーテーション シャドウ・ブランチ
まさんが軽く呻きながら落下してきた。その足の甲には、なぜか短
いナイフが刺さっている。
どうやら爆発の瞬間に、瞬間移動か影分身であそこへ避難したみ
たいだけど⋮⋮誰が気付いて攻撃を当てたの??
﹁︱︱いまだ! 緋雪さん、急いで封印を!﹂
インベントリ
疑問は疑問として、切羽詰ったらぽっくさんの指示に従って、半
ば反射的にボクは収納スペースにしまい込んでいた﹃封印の十字架﹄
を取り出しながら、しまさんへ向かって走った。
ある程度︵具体的には最低でも3メートル︶距離が近くないと、
これは効果を発揮しない。
勿論、らぽっくさんが即座に9剣を飛ばせばこの場でしまさんを
テレポーテーション
斃すことはできるだろう。だけどそれじゃあセーブ&ロードでなに
も変わらない。
足に刺さったナイフを抜いて、瞬間移動で逃れようとするしまさ
ん︱︱けど、今回は一歩こちらが早かった。
﹁︱︱封縛!﹂
先日の阿呆大教皇の仕草を思い出し、﹃封印の十字架﹄にボクの
1259
いまある全魔力を注ぎ込んだ。
﹁くっ︱︱﹂
全身の魔力が強制的にごっそりと抜かれる。
刹那、しまさんの全身が光に包まれ、その中で苦笑いしている気
配がした。
﹁⋮⋮しょうがないにゃあ﹂
それと同時に、視界の端で廊下の柱の影に引っ込む人の姿が見え
た気がした。
︱︱影郎さん?
数秒後︱︱。
﹁⋮⋮ふう﹂
本日2回目となるMPすっからかんの状態で、がっくりと膝を折
ったボクの目の前に、完全に意識を手放したしまさんが人形のよう
に転がっていた。
﹁大丈夫ですか姫様?﹂
駆け寄ってきた命都に手を貸してもらいながら、またもやMPポ
ーションをがぶ飲みしつつ立ち上がる。
﹁うん。なんとか済んだかな。あとは、しまさんを厳重に保管して
⋮⋮それと﹂
ヨートゥン
なんか全部終わった気でいたけど、妙に周囲が騒がしいので、見
れば完全にコントロールを失った廃巨人の成れの果てと、らぽっく
さんたちがまだ戦っているところだった。
ジル・ド・レエ
﹁もう一仕事あるんで、雑事はそれが終わったら考えよう﹂
薔薇の罪人を肩に乗せて、ボクも最後の仕事を終わらせるべく参
戦した。
1260
第二十四話 魔人封印︵後書き︶
ちょっと最後が駆け足になりましたr︵ ̄︳ ̄;︶
10/27 修正しました。
クリティカルの確率計算についてご指摘がありましたので、表現を
変更しました。
同日、さらに詳細なご指摘がありましたので、再訂正させていただ
きました。すみません︵><︶
12/20 誤字の修正を行いました。
×しまさんの全身が光りに包まれ↓○しまさんの全身が光に包まれ
1261
幕間 勇者不現︵前書き︶
第五章エピローグ前の幕間です。
1262
幕間 勇者不現
大陸北部域にある小国シレント。
その首都リビティウム⋮⋮に続く、踏み均されただけの土の道を、
冒険者らしい4人の男女が歩いていた。
レイピア
一行の先頭を歩くのは16∼17歳と見える、革鎧の下にワンピ
ースを着て、細剣を腰に下げ、乳白色の髪をした少し気の強そうな
美少女。
その後ろに続くのは、背丈よりも長い三日月型の飾りの付いた長
プレートアーマー
杖を突いた、小柄な黒髪の神官らしい法衣を纏った12∼13歳ほ
どの輝くばかりの美少女。
若干遅れ気味で、重い足を引き摺っているのは、上半身に金属鎧
を装備して、腰に長剣を下げた15∼16歳ほどの特に特徴のない
少年。
最後に、明らかに疲労困憊した様子で、荒い息を吐きながらどう
にか付いて来ているのは、魔法使い風の帽子にローブを纏い、木製
の杖を突いた少年と同年輩を思える栗髪をツインテールにした少女
であった。
メラン・アリエス
周囲に視線を巡らせて見れば、山々に囲まれた盆地に、申し訳程
度に牧草が植えられ、もそもそと偽黒羊が草を食んでいる︱︱フリ
をして実は肉食魔物なので、この4人組を血に飢えた目で虎視眈々
と狙っていたりする︱︱が、先頭を歩く乳白色の髪をした少女に、
見透かされた目でじろりと射すくめられると、慌てて尻尾を向け﹃
あっしはもとから草食動物ですぜ﹄という顔で、ワザとらしく草を
食べるフリを続けていた。
1263
﹁風光明媚な場所だねぇ﹂
岩山ばかりで禄に緑もない険しい峰峰と、痩せた土地、羊の皮を
被った猛獣の群れを間近に眺めながら、神官らしい少女が呑気な感
想を述べる。
モノは言いようだなぁ、と思いながら少年は、先を行く二人に声
を掛けた。
﹁悪い、少しペースを落としてくれねーか。フィオレがバテてきて
るみたいだし、そろそろ休憩とった方がいいだろうから﹂
﹁だ、大丈夫ですよ、師匠⋮⋮このくらい平気です﹂
最後尾を歩いていた魔法使いらしい少女が、手にした布で汗を拭
いながら答える。
そう強がりを言ってはいても、限界に近いのは誰の目にも明らか
だった。
﹁︱︱あらら。ごめんね、気が付かなかったよ。じゃあ、そこの木
陰でいったん休もう。︱︱あそこまで我慢できる?﹂
立ち止まった黒髪の少女が、50メートルほど先にあった落葉樹
を指す。
﹁は、はい。すみません⋮⋮﹂
﹁いいのいいの、気にしないで。フィオレは荷物も重くて大変だろ
うから﹂
﹁⋮⋮? いえ、ヒユキ様に貸していただいた﹃収納バック﹄のお
陰で、ずいぶんと楽ですけど⋮⋮﹂
背中に背負った手提げかばんほどのリュックを、軽く揺すって大
丈夫をアピールする魔法使いの少女。
その拍子にチュニックを下から押し上げる豊かな膨らみが、大き
くたわみ上下する。
﹁︱︱あー、うん。まあ⋮⋮取りあえず、﹃収納バック﹄に入らな
1264
い荷物のことなんだけどさ。あと、それは貸したんじゃなくて、二
人にあげたつもりなので自由に持っててかまわないよ。﹃砂塵の迷
宮﹄のお礼代わりだとでも思ってくれれば﹂
あっさり言われた言葉に、同じ色違いのバッグを背負っていた少
年ともども、大慌てで辞退しようとする二人だったが、﹁まあいい
じゃない、冒険者をやるんなら今後も必須だろうし﹂頑として受け
入れない少女の態度に、しぶしぶ︱︱嬉しさ半分︱︱受け入れるの
だった。
メラン・アリエス
一方、一人先に立って安全を確保していた乳白色の髪の少女は、
襲ってきた偽黒羊のボスらしい、背中から触手の生えた取り分け大
きな個体を、手刀の一撃で屠り去り、一口食べて﹁不味い﹂と感想
を漏らして、死体を通り道から蹴り飛ばしていた。
◆◇◆◇
さて、出現ポイントが若干僻地だったものの︱︱首都から︵ボク
しず
なら︶5分の30kmほど離れた山中︱︱途中、これと言って障害
もなく︵先頭を歩く真珠がオヤツ代わりに、時々何か食べてたけど︶
、休みを挟みながら辿り着いたここが、シレントの首都リビティウ
ムだった。
首都と言ってもおおよそ500×500メートルくらいのサイズ
の都市で、人口も3000人程度。ランドマークになるものもない、
寂れた田舎街という風情だった。ちなみに国内には他に1000人
1265
規模の小都市が2∼3個点在するだけというので、たぶん総人口で
も1万人行くかどうかくらいだろう。
半鎖国状態を取るイーオン聖王国に隣接するため交易もほとんど
のどか
なく、半農半牧畜で成り立っている正直、現在の貿易目的の転移魔
法の出現ポイントとしては、あまり意味はない⋮⋮良く言えば長閑。
身も蓋もない言い方をすれば僻地なんだけど、ボクとしてはこの地
をぜひとも押さえておきたい理由があった。
なにしろ隣が謎多いイーオン聖王国。大陸最古とも言われる宗教
国家なので、﹃喪失世紀﹄についての記録も相当数具体的な形で保
存されているのではないか、というのがグラウィオール帝国の実質
エターナル・ホライゾン・オンライン
的指導者オリアーナ皇女︵通称﹃鈴蘭の皇女﹄︶の見解だったりす
る。
なのでこの世界と﹃E・H・O﹄との関連を調べるためには、な
んとかしてイーオンの資料に当たらないといけないんだけど、なに
しろ相手は人間至上主義の宗教国家。
よしみ
まともな方法ではコンタクトを取ることもできないということで、
多少なりとも草の根レベルで行き来のある、隣国のここと誼を結ぼ
うと考えたわけなんだよね。
で、そこへ振って湧いたのが今回の﹃勇者選定の儀式﹄。
なんでもこの国の宗教は表向きイーオン聖教になってはいるけれ
ど、それとは別に土着の﹃勇者信仰﹄があるらしい。
﹁まったく別な宗派の行事を当たり前のように行っているそうです。
おかしな話ですよ﹂
うち
と言うのは、この話を持ってきたコラード国王の感想。
﹁そんなもんなの?﹂
﹁普通はないですねぇ。アミティアもかなり形骸化しているとはい
え、いちおうイーオン聖教の系譜ですし。⋮⋮まあ、最近は姫陛下
1266
を神格化する向きもありますけど﹂
﹁うえーっ、そんなもんあるの? 不健康だねぇ。そーいうのは私
が死んだ後にでもやってよ﹂
﹁⋮⋮陛下が死ぬとかちょっと想像もつきませんけど。まあ、そん
なわけで勇者を召喚した﹃巫女﹄という役職が代々継承されている
そうで、現在でも政治的文化的発言力を持っているそうなんです﹂
どうにも理解しがたいという顔で説明をするコラード国王だけど、
こちらは正月に神社にお参りして、バレンタインデーにチョコ渡し
て、クリスマスにケーキ食べて、大晦日にお寺に行く、宗教に関し
ては節操なしの元日本人。複数の宗教がチャンポンになってても、
そーいうもんかと納得できるんだけどねぇ。
﹁︱︱で、その巫女様が、御告げで初代勇者が使った﹃伝説の剣﹄、
その後継者にとジョーイを指名した、と﹂
その部分がどーにも納得できないんだけど。
﹁正確にはジョーイ君が﹃初代勇者の生まれ変わり﹄と御告げがあ
ったそうです﹂
﹁ほー⋮⋮﹂としか言えないわ。
﹁⋮⋮それが本当だとしたら、どんな勇者だったんでしょうねー﹂
﹁⋮⋮そうだねー﹂
思わず二人揃って遠い目をしてしまった。
◆◇◆◇
アミティアならせいぜいが町⋮⋮ぎりぎり都市という規模の表通
1267
り︵と言っても砂利で舗装されているだけの粗雑なモノ︶を歩く、
明らかに他国人とわかる4人組を、通りを行く人々が胡散臭げに眺
めるが、いずれも年端も行かない少年少女ということで、釈然とし
ないながらも大目に見るか、という雰囲気で見過ごされていた。
﹁もう夕方だし、今日のところは宿をとって、明日、神殿だかに行
ってみようと思うんだ﹂
ジョーイの提案に、フィオレは諸手を上げて賛成をして、緋雪も
頷いた。
﹁そうだね。私もたまには一般の宿とか泊まってみたいし、うん、
そんなホテルとか、いちいち城に戻るとか面倒だしね! 宿に泊ま
ろう﹂
なぜか誰かに言い聞かせるように強く推す。
しず
﹁私は姫様の護衛役ですので、姫様に従います﹂
真珠は当然と言う顔で頷く。
﹁んじゃ、宿屋を探そう。えーと⋮⋮﹂
表通りを歩きながらキョロキョロ探すジョーイの目に、石造りの
堅固で立派な建物がどっしり建っているのが映った。
庇の下から屋号にちなんだ宿屋独特の看板︱︱この店は羊をモチ
ーフにしたもの︱︱が掛かっているのを確認して、ジョーイは扉を
開けた。
入ってすぐのところが、暖炉と粗末なテーブルと椅子が置いてあ
るだけの酒場になる。
﹁こんちわーっ! 泊まりたいんだけど、誰かいないかーっ!﹂
閑散と人気のないカウンターに向かって、ジョーイがしばらく宿
の人間を呼び続けていると、やっとカウンターの奥から因業そうな
親爺が顔を覗かせた。
1268
﹁4人なんだけど、泊まれるかな?﹂
この段階ですでにげんなりしている緋雪とフィオレのお嬢様コン
ビとは対照的に、ジョーイの方は別段気を悪くした風もなく、親爺
相手に交渉を始めた。
﹁︱︱︱﹂
4人をじろじろ値踏みしていた親爺だが、いかにも育ちの良さそ
うな︵金のありそうな︶緋雪とフィオレを見て、ぶっきらぼうに頷
いた。
﹁大き目の部屋がひとつ空いている。一人一泊銀貨5枚、4人なら
20枚、晩飯付なら30枚だな﹂
ちなみに銀貨1枚がだいたい1,500円くらいなので、銀貨3
0枚で4万5千円ということだ。
﹁4人一部屋で銀貨30枚!? もうちょっとなんとかならないか
? せめて男女別の部屋にするとか﹂
﹁気に入らなきゃ他の宿を探しな﹂
取り付く島もない物言いに、どうする?という顔で振り向くジョ
ーイ。
﹁あ、あたしは師匠と一緒の部屋でも大丈夫ですよ。だいたい外で
仕事をする時は交替で火の番をして、寝たりするから変わらないで
すし、し、師匠のことは信じてますから﹂
﹁私も気にしないよ。二人きりで同じ部屋で寝起きしても、手出し
も
しないヘタレ⋮⋮もとい、自制心の実績があるからねぇ﹂
﹁ま、何かしてきたら捥ぎるだけですが﹂
捥ぎるってなにを⋮⋮? と戦々恐々としつつ、ジョーイは諦め
て言い値で料金を支払った。
1269
◆◇◆◇
下男に案内されて2階の4人部屋︱︱と言ってもベットは2つし
かない、どう見ても2人部屋で、後から下男が床の上に薄いマット
レスを2枚敷いた︱︱に案内された4人は、相談の上、荷物はこの
場に置かないことにして、常時﹃収納バック﹄を持ち運ぶことにし
た。
﹁それにしても、あれだけ高いお金を払って、こんな木賃宿みたい
はたご
な部屋ですか。アーラなら高級宿屋に1人1部屋お風呂付で泊まれ
る値段ですよ﹂
﹁へえ、そんなものなの?﹂
なにげに普通の宿屋︵というか旅籠︶に泊まるのが初めてな緋雪
が、珍しくぷりぷり憤慨しているフィオレに尋ねた。
﹁ボッタクリも良いところですね。外国人だと思って足元見てるん
でしょう﹂
一方、自分の分の寝床︱︱薄いマットレス︱︱を女性陣からなる
べく離れた壁際に移動させながら、ジョーイは慣れた調子で肩をす
くめた。
﹁まあ、田舎の方にいくとこういうことはよくあるからなぁ。大方、
良い部屋は後からくる貴族とかの上客に割り当てるんだろう﹂
﹁ふうん。なら金貨や宝石であの親爺の横っ面を張り倒しておけば
良かったのかな?﹂
1270
﹁⋮⋮それはそれで他の客との諍いの元になるので、あんまりやら
ない方がいい。それに俺達がそれをやると悪い前例になって、ボッ
タクリの良い口実になるしな﹂
頭を振って緋雪の意見に反対するジョーイ。
ふと、言った後で、周りが妙に静かになっているのに気が付いて、
頭を上げた。
感心したような瞳が6個、ジョーイを見ていた。
﹁師匠、さすがです! そこまで考えてるなんて⋮⋮勉強になりま
す!﹂
﹁脳味噌の代わりにジャムでも詰まってるかと思いましたけど、意
外と考えてるんですね。評価をマイナス600から500に変えて
おきましょう﹂
﹁あのジョーイが⋮⋮初対面の時は、世間知らずで、アーパー扱い
男子三日会わざれ
って言うけど、本当なんだねぇ﹂
されたジョーイが、なんかまともになってる。
ば割礼して見よ
べた褒めだが、なぜか本人は不満顔である。
﹁お前ら俺のことなんか馬鹿にしてないか⋮⋮あと、ヒユキ、それ
﹃刮目﹄な刮目!﹂
◆◇◆◇
宿に到着したのが4時過ぎ頃、特に観光地もなく、日も暮れてき
たということで、部屋の中で今後の予定を話し合うこと5時間余り。
1271
夜の9時過ぎに、やっと夕食となった。
混み合った1階の酒場の隅にあったテーブルの椅子に、腰を下ろ
した緋雪が頬杖をついてため息を漏らした。
﹁なんだって、こんなに時間が掛かるんだろうねぇ﹂
緋雪にとっては普通の食事は嗜好品扱いで、主食は別なのだが、
それでも人間時代の慣習から三度の食事はとっているため、異国の
食事と言うことで楽しみにしていたのだが、ここまで時間が遅くな
ると流石に愚痴も言いたくなる。
﹁多分だけど、一度の支度で全員の分を用意するために、客が全員
揃うのを見計らってるんじゃないかな﹂
ジョーイに言われてみれば、狭い酒場の中には、兵隊や騎兵、商
人、御者⋮⋮このあたりは客とわかるのだが、他にも明らかに農民
や職人、商売女など近隣の住人も混じっていた。
﹁なるほどねぇ。少ない労力で賄おうってわけだね﹂
感心したようにも、呆れたようにも取れる表情で相槌を打つ緋雪。
ちなみに基本テーブルは8人掛けなのだが、明らかに浮いた4人
と同席する勇者は居ず、じろじろと珍獣を見るような目で眺めてい
るだけだった。
フィオレは落ち着かない様子でいたが、ジョーイは慣れているの
で軽く受け流し、緋雪も他人から見られるのが仕事みたいなものな
ワ
のでスルー、真珠はそもそも周りの人間をエサくらいにしか思って
ないので無関心といったところだった。
イン
やがて運ばれてきた食事︱︱固いパンに、水っぽくて酸っぱい葡
︵
萄酒、得体の知れない肉のスープに、粥、最後に炙った肉という、
いかにもな食事を、慣れ︵ジョーイ︶、無関心︵真珠︶、諦観
フィオレ︶、開き直り︵緋雪︶と四者四様で、無言で頬張るのだっ
1272
た。
2時間以上掛けて︵食事が単品で出てくるので時間が掛かる︶、
罰ゲームのような食事が終わり、三々五々と部屋に戻った緋雪たち
は、ベッドに腰を下ろし︵ちなみに2つあるベッドは緋雪とフィオ
レが使用して、ジョーイと真珠は床に眠ることにした︶、口直しに
持参のお菓子とジュースを口に運びながら、ほっとため息をついた。
﹁⋮⋮それにしても思っていたより、排他的だねぇ。ちゃんと正式
な国からの招待状もあるのに﹂
﹁まあ、コレが勇者の生まれ変わりとか言われても、誰も信じない
と思いますけど﹂
ふくれっ面でマシュマロを食べるジョーイを横目に、辛辣な感想
を口に出す真珠。
﹁まあ、市井の意識はわかったけど、肝心の上の方はどうなのかな﹂
﹁下がこうでは、上も推して知るべきかと﹂
﹁そうだねぇ﹂
これはイロイロ駄目かも知れないと、半ば見限る緋雪であった。
﹁⋮⋮まあ、別にイーオン聖王国の情報がなくても、現状困ること
もないと思うし、今後も係わり合いにならなければいいんだけどさ﹂
失敗覚悟で、そう結論付ける緋雪。
◆◇◆◇
1273
メラン・アリエス
﹃邪神﹄としか表現のしようのない偽黒羊を、さらに奇怪にしたよ
うな姿の人の背丈の3倍ほどもある石像に、一振りの長剣が刺さっ
ていた。
いまにも動き出しそうな石像の胸元に刺さった剣は、長い年月に
晒され、ボロボロに風化してはいても、不思議と静謐な存在感と鋼
の輝きを失ってはいなかった。
かいな
その剣の前に立つ15∼16歳と思える乙女がひとり。
その白い腕で剣の柄を握って、誰かと話をするかのように囁いた。
﹁ええ、やっと来るのね、あなたが待ち望んだ勇者が。それが来た
時こそ、あなたが再び自由を得る時⋮⋮もうすぐよ、待っていて﹂
1274
幕間 勇者不現︵後書き︶
ちなみに宿屋の庇に屋号を吊るすのはドイツですけど、特にモデル
にしたわけではございません。
当初のプロットでは、間違って﹃偽黒羊﹄の肉を食べて、ジョーイ
以外全員が嘘つきになるという予定でしたが︵食べるとウソしか言
えなくなります。某ゲームが元ネタです︶、緋雪と真珠に毒物が効
加筆・修正を行いました。
くわけないので止めました。
10/28
12/20 修正を行いました。
×乳白色をした髪をした少し気の強そうな美少女↓○乳白色の髪を
した少し気の強そうな美少女
1275
第二十五話 神人黄昏︵前書き︶
第5章のラスト。エピローグになります。
1276
第二十五話 神人黄昏
﹁︱︱以上が空中庭園でのシマムラと緋雪さんとの事の顛末になり
ます﹂
直立不動のまま、生真面目な顔で一部始終を語り終えたらぽっく
は、口を引き結んで眼前の男︱︱緋雪からは﹃黒幕﹄と呼ばれ、イ
ーオン聖教関係者からは﹃蒼神﹄と讃えられる、ある意味すべての
元凶︱︱の爬虫類の目を凝視した。
一歩下がった後ろには、タメゴローが男と視線を合わせないよう、
そっぽを向いて無言で控えている。
古代ローマ人のように一枚布の上着であるトーガを身に纏ったそ
の男は、豪奢な執務机と肘掛け椅子に座ったまま、青い鱗で覆われ
た半人半龍の異相を侮蔑の形に歪めた。
﹁ふん。あの出来損ないは無事に再封印されて緋雪のところか。大
方予想通りだが⋮⋮できれば手元に置いて、死なん程度に制裁を加
えて置きたかったな﹂
ヨートゥン
﹁さすがにあの状況下で、そこまでの余裕はありませんでしたね。
シマムラを封印した後の廃巨人もどきは、完全にコントロールを失
レイド
って⋮⋮いや、あれは﹃狂化﹄ですね。なおさら手が付けられない
状況で、俺達の他、緋雪さんとこの大規模戦闘級従魔が10匹以上
寄ってたかって、城を半壊させながら、どうにか斃せたってところ
で︱︱気が付いたら空中庭園は極点付近まで進んでいるし、ドサク
レイド
サ紛れにシマムラもどこかに運び込まれたし、周りは殺気だった大
規模戦闘級従魔が十重二十重に囲んでいるしで、命からがら脱出す
1277
るので精一杯でしたよ﹂
秀麗な眉をひそめて弁明するらぽっくを、値踏みするように見据
える男。
﹁ふふん。まあ、流石にその状況では手に余ったか。︱︱いや、逆
によく生きて帰れたものだ。最低でも1人は犠牲になるかと思って
いたが﹂
自分達を完全に捨石にしか考えていない男の態度に、タメゴロー
が密かに奥歯を噛み締め、らぽっくも片眉を吊り上げた。
﹁いえ、なし崩しに同盟⋮⋮いや、一時休戦をしたとは言え、共通
の敵であるシマムラの脅威がなくなったわけですから、自然と休戦
は破棄︱︱緋雪さんも即座に剣を向けてきました﹂
﹁ふむ。それでよく逃げ出せたものだ。緋雪の情にでも訴えたか?﹂
トラスト・ノー・ワン
ちらりと男の目に疑いの色が浮いた。
﹃誰も信じない﹄を地で行く男の性格を熟知しているらぽっくは、
ことさら軽い仕草で肩をすくめた。 ﹁ええ、条件を出されまして。俺と緋雪さんが一発勝負のガチンコ
対決をする。先に相手に1撃でも当てた方の勝ち。負けた方は相手
の言い分に従う⋮⋮という賭けですね﹂
﹁それでどうなった?﹂
面白そうに先を促す男。
﹁勝ちましたよ。︱︱でなきゃここに居ませんよ﹂
当然と言う口調で答えるらぽっくの言葉に、納得した顔で頷く男。
﹁ふん。まあ、そうか⋮⋮緋雪の奴も甘いことだ﹂
﹁そんなわけで有耶無耶のうちに事は終了って感じですね。勿論、
ユース公国には、まだシマムラの眷属が残っているでしょうから、
1278
その辺りの後始末も必要でしょうけど﹂
﹁そんなもんはNPCどもが適当に始末をつけるだろう﹂
自分の信徒を含めて、大陸に住む人間を﹃NPC﹄扱いする男の
傲慢さに辟易しながらも、表面上は殊勝な態度で相槌を打つらぽっ
く。
﹁そうなると他国領にいつまでも正規軍が進駐しているわけにもい
きませんね。そちらの後始末は帝国に任せることにして、聖騎士達
には帰還命令を出したほうが良いでしょうね﹂
﹁その程度の些事は教会の年寄りどもに任せておけばいい⋮⋮いや、
大教皇の暴走を見逃した前例もあるからな、いちおう釘は刺してお
け﹂
そう言って、もう用はないとばかりに、しっしっと犬を追い払う
ように手を振る。
さっさと話を切り上げたかったらぽっくは、渡りに船とばかり、
一礼してその場で男に背を向けた。
と︱︱。
それまで無言で居たタメゴローが、感情を押し殺した声で男に問
い掛けた。
﹁その前に、確認したいんだけど。亜茶さんの﹃命珠﹄の光が消え
てるのは、どーいうことなの?﹂
言われてはっと見てみれば、壁際に並んでいた命珠の一つ。亜茶
子を示す緑の炎が消えて、全体が真っ白に濁っているのが目に入っ
た。これが意味することは一つ。本人の命と存在が完全に消滅した
ことを指している。
﹁裏切ったので始末した﹂
だからどうした、という口調の男の態度に、発作的になにか叫び
1279
かけたタメゴローを、咄嗟に右手を上げて黙らせ、らぽっくは彼女
の肩を抱いて自分の背後に隠す形で一礼した。
﹁⋮⋮それでは、俺達は事後処理に回ります﹂
もはや関心はないとばかりに、無言のまま顔も上げない男の気が
変わらないうちに、揃って退出する二人。
完全にその気配が消えたところで、男は独りごちた。
﹁︱︱ふむ。やはり緋雪との接触で悪影響が出ているな。おかしな
動きをする前に、念のために潰しておくか﹂
ちらりと壁に掛かった﹃白銀﹄と﹃紫﹄の炎を宿した命珠に視線
をやる。
◆◇◆◇
一方、最上階から転移魔法陣で﹃蒼き神の塔﹄から、隣接する大
聖堂の隠し部屋に移動したらぽっくは、いまだ憤懣やるかたないと
いう風情のタメゴローの頭を、ぽんぽんと叩いた。
﹁無茶するなよ。生きた心地もしなかったぞ﹂
﹁だって、あんまりじゃない! そりゃ亜茶さん打算と下心で、ア
イツに媚売ってたからあたしはあんまり好きじゃなかったけど、そ
れでも仮にも自分の女でしょう! それをあっさり︱︱﹂
﹁奴にとっては彼女も俺達も、所詮は道具でしかないってことだ。
役に立たない道具や、自分が怪我をするような邪魔な道具は⋮⋮﹂
1280
言葉を濁すらぽっくだが、言葉にしなくてもその先は容易に想像
がつく。
ひょっとするとこの瞬間にも、自分の命に関わる命珠が、あの男
の気まぐれで壊されるかも知れないのだ。
インベントリ
﹁⋮⋮緋雪さんから貰った例のものは、肌身離さないようにしてお
けよ。収納スペースに入れておくのも危ない。いつでも使えるよう
にしておけ﹂
インベントリ
周囲をはばかって小声で注意するらぽっくの言葉に従って、タメ
ゴローは頷いて、収納スペースから、掌に乗るくらいの化粧瓶のよ
うなものを取り出し、中の赤黒い液体を確認してポケットにしまっ
た。
﹁わかってる。万一の時には一か八かコレを使う。せっかく緋雪さ
んが骨を折ってくれたんだから﹂
真剣な表情で頷いた後、ふと、悪戯っぽい笑みを浮かべるタメゴ
ロー。
﹁それにしても﹃勝ちました﹄とか、どの口がいうのかな、9剣全
部躱されておいて﹂
﹁⋮⋮少なくとも負けちゃいない。最低でも引き分けってところだ
ろう﹂
ぶ然とした表情で、いい訳じみた答えを返すらぽっくを、タメゴ
ローが生暖かい目で見る。
﹁まあ男の子だもんねー。女の子にケチョンケチョンにされたとか、
言えないわねー﹂
﹁だから負けてないって、言ってるだろう!﹂
小部屋の中、少女の含み笑いと、青年のムキになった声とが、し
ばしこだましていた。
1281
◆◇◆◇
﹁いや∼っ、ちょうどいいところへお嬢さんらが通りかかってくれ
て助かりましたわ∼﹂
影郎さんが我が家のように︱︱まぁ、実際ギルド・ホームなんだ
から我が家には違いないけど︱︱リラックスした様子で、虚空紅玉
城の客室に居座り、出された食事やお茶をパカパカと、馬のように
飲み食いしながら、気楽な調子で聞いてもいない諸事情を喋り捲っ
ていた。
周りを固める天涯たちも対処に困った風で、視線でボクに指示を
求めてくるけど、こっちだってわけがわからないので判断に迷う。
お役人
﹁いや、最近はほとぼりを冷ますために北部域で商売してたんです
けど、なんや自分の商売を詐欺だ騙りだ犯罪だと、偉い人たちが寄
ってたかって決め付けまして、危うく捕まるところでした。で、あ
たす
っという間に顔が割れて、どーしたもんかと天を仰いだらそこに空
中庭園が飛んでるじゃないですか! これぞ天の佑けだと思いまし
て、ここまで﹃糸﹄を飛ばして、えっちらおっちら登ってきたわけ
ですわ﹂
どこの﹃蜘蛛の糸﹄のカンダタだと思いながら、﹁商売ってなに
やってたの?﹂と、お付き合いで相槌を打った。
﹁いわゆるサイドビジネスですわ。まず金貨2枚の浄水魔具を購入
1282
して会員になって、その商品を人に紹介すれば1人につき銀貨50
枚のマージンが入るという﹂
﹁⋮⋮それってネズミ講じゃないの?﹂
﹁違います、マルチ商法です。架空の商品を取り扱ったりするわけ
やない、まっとうな商売ですわ﹂
心外だという風に右手を振る影郎さんの主張に、大いなる疑問を
抱きながら、取りあえずしまさんの件で、最後の助太刀をしてもら
ったことを思い出して頭を下げた。
﹁︱︱まあ、それはそれとして、どうせなんかのたくらみがあって
良いように利用されただけだとは思うけど、いちおう形式上はお礼
を言っておくよ。しまさんを封印できたのは影郎さんのお陰だと思
うので、ありがとうと取りあえず言っておく﹂
﹁⋮⋮ここまで心のこもらない感謝の気持ちも珍しいですなぁ﹂
そのあたりは日頃の行いだと思うよ。
﹁そういえば、シマムラさんの遺体はどうされたんですか?﹂
﹁遺体というか、仮死状態かな? 万が一にも蘇生しないように、
十三魔将軍数人がかりでも壊せない、マイナス500度の氷の棺を
作ってそこに冷凍保存して、空中庭園にあるファーザー・フロスト
コキュートス
やジャック・フロストとかのいる氷系モンスターの生息エリア、﹃
氷獄﹄に封じ込めてあるよ﹂
食後のお茶を飲みながら、影郎さんがボクの言葉に首を捻った。
﹁マイナス500度とか、物理法則無視してませんか?﹂
なにをいまさら。
﹁まあ、そんなわけで、これでしまさんの件はどうにか終了かな。
後はユース公国の残党整理と復興だけど、そこらへんはレヴァンと
1283
オリアーナ
鈴蘭の手腕に期待だね﹂
﹁⋮ははあ。いやでも、実際に表立って事に当たったことになって
るのは、帝国を主体とした聖王国との混成軍ってことになってます
よね? そのあたり盾に取られてあの坊ちゃんじゃ、下手したら皇
女様に丸め込まれて、ユースの領土を掠め取られるんじゃないです
か?﹂
﹁それか、復興とかだとお荷物になるんで、体よく押し付けられそ
うだねぇ﹂
まあ、それも良い勉強だろう。
﹁⋮⋮ところで、影郎さんはこれからどうするわけ?﹂
﹁いや∼、適当なところで降ろしてもらえれば、また商売を始めま
すけど﹂
わかっているんだか、韜晦してるんだかわからない笑顔のまま、
ぽりぽりと頭を掻く影郎さん。
﹁ふーん。⋮⋮じゃあ、私に雇われるってのもアリ?﹂
ボクの言葉に、天涯たちがギョッとした顔になる。
﹁まあ、条件と内容次第ですなぁ﹂
おそらく予想して︱︱というか、わざわざ売り込みのために顔を
出し︱︱たんだろう影郎さんは、飄々とした顔で思案するポーズを
とった。
﹁取りあえずは情報かな。蒼神︱︱いや、最大ギルド・メタボリッ
ク騎士団のギルマスだったデーブータさんが、なんでそんな風にな
ったか。それを教えて欲しいんだ﹂
﹁⋮⋮気が付きましたか﹂
﹁できれば否定して欲しかったけどねぇ﹂
ヒントは随分前から出てはいたんだけど、タメゴローさんが黒幕
1284
を﹁蛇男﹂って呼んだのが決定的かな。
知り合いのカンスト組の中でも﹁蛇﹂︱︱レア種族たる龍人に該
当して、なおかつ﹁青い鱗﹂なんて言ったら彼しか居ない。
だけど、あれほど優しくて面倒見が良かった彼が、伝え聞く血も
涙もない﹃蒼神﹄とはどうしても思えなくて、別の可能性を探って
いたんだけど、やはり最悪の予想が当たってしまったみたいだ。
﹁なにがあったかは知りません。気が付いた時には、完全に頭のネ
ジが吹き飛んでましたから﹂
﹁⋮⋮ふむ。やっぱり直接逢って確かめるしかないか﹂
ボクは遥か後方、大陸中央部にあるイーオン聖王国の聖都ファク
シミレの方を向いて、決意を新たに呟いた。
1285
第二十五話 神人黄昏︵後書き︶
影郎さんがなにげに居座ってますけど、あれぁ、予定になかった展
開が⋮⋮w
12/11 誤字修正しました
×別な可能性↓○別の可能性
1286
の一人称です。
幕間 薔薇羨望︵前書き︶
彼
1287
幕間 薔薇羨望
通路の向こう側からオープンチャットでの会話が流れてきた。
プルートー・ベア
﹁うわっ、猛熊がリンクした!﹂
オーガ・ベア
﹁オレもうHPレッドだよ。こりゃ、死に戻りするしかねーや﹂
イエロー・ゾーン
﹁待て待て、いま戻ったら絶対他のプレーヤーに鬼熊掻っ攫われる
ぞ。
相手のHPまだ注意領域も行ってないんだ、タゲ取られたらこれ
までの苦労がパーだろが﹂
﹁・・・なこと言っても、もう2人も死んでるんだし、3人じゃ無
タンク
理ゲーだっての﹂
﹁殴られ役がいないのが致命的だよなー。せっかく初のボス戦だっ
ていうのに﹂
オーガ・ベア
会話の内容からして5人PTが、現在、この﹃灼熱の迷宮﹄のダ
ンジョンボスたる﹃鬼熊﹄と交戦中のようだ。そして、そのうちの
2人がすでに死亡中で、残り3人で支えている︱︱けれど、全滅は
時間の問題なのだろう。
エターナル・ホライゾン・オンライン
図らずも会話を盗み聞きする形になってしまった僕は、どうした
ものかと思案した。
この﹃灼熱の迷宮﹄は﹃E・H・O﹄に山ほどあるダンジョン︵
現在77箇所発見されているけれど、まだ未発見のダンジョンが少
なくとも20箇所以上はあると運営から発表されている︶の中でも、
中級レベルのプレーヤーがPTを組んで攻略する、さほど難易度は
高くないダンジョンだ。
1288
オーガ・ストローク
モンスター
ただレアドロップの﹃鬼斬丸﹄︵無属性武器で鬼系のMobにプ
ラス補正が付く︶は、このレベル帯の武器としてはかなり高性能で、
上級になってもしばらくは重宝するほどなので、中級から上級にあ
ソロ
オーガ・ベア
がった位のプレーヤーが定期的にPTを組んだり、転売目的の高レ
ベルプレーヤーが単身で、鬼熊を斃すために籠もっていたりする︱
︱所謂﹃ボス張り付き﹄と言われる行為で、マナー的にはあまり良
ニュービー
い顔をされないが、システムやルール的には、許容されている︵処
エンカウント
罰の対象にならない︶︱︱ので、彼らのような見るからに初心者臭
いプレーヤーがBOSSと遭遇できたのは、僥倖以外のナニモノで
もないだろう。
とは言え、このままだと全滅は必至に思える。
そうして全滅した場合、限られたリソースを奪い合うMMORP
Gで、彼らがセーブPから死に戻りするまでの間、手負いのBOS
Sをわざわざ放置しておくお人好しはいないだろう。
なにしろゲームシステムによって、与えたダメージ量/総HP 50パーセント以上でなおかつ、最後にダメージを与えたものにド
ロップ物の所有権が移行することになっているのだから。
そして、いまの会話を聞いた限りでは、まだHPの半分を削って
イエローにも達していない様子なので、ここで彼らが全滅すれば、
せっかくの幸運も、その後から来たプレーヤー︵もしくはPT︶に
奪われることになる。また、得てしてそういう場合に、レアアイテ
オーガ・ベア
ムがドロップされたりするのが世の常だったりするので泣くに泣け
ない。
また、仮にHPが半分以上削られた状態で彼らが全滅し、鬼熊が
オーガ・ベア
放置されていたとしても、BOSSが時間湧きである以上、まずは
コイツを斃さないことには新しい鬼熊が湧かないので、見つけたプ
レーヤーは、コイツをさっさと斃してしまって、次に備えるのが効
率的というものだろう。
1289
つまり普通のプレーヤーであれば、彼らが全滅したとしても﹁ま、
これも経験だ﹂と割り切って、生暖かく見守るのが常⋮⋮というか、
下手に関わると﹃横殴り﹄︱︱先に戦っている人がいるモンスター
に後からつっこみ、攻撃する先の﹃ボス張り付き﹄同様に一般的に
マナーの悪い行為とされる︱︱と、受け取られて面倒なことに巻き
込まれる可能性があるので、避けたほうが無難なのだ。
︵とは言え、どこで誰が見ているかわからないからな。黙って見て
いるわけにもいかないか︶
アバター
良くも悪くも悪目立ちする、自分の分身を見て、僕はモニターの
前でため息をついた。
世間的には﹃温厚で優しく、面倒見の良い頼れる上級者﹄で通っ
ている自分のイメージ︱︱たとえそれが、仮想現実の中で初心者か
リアル
ら感謝されチープな自尊心を満足させることで、ニートでヒキコモ
リという現実から目を逸らすだけの欺瞞だとしても︱︱いや、だか
らこそ、なおさらそういう自分を演じ切らなければならない。
アバター
僕︵の分身︶は小走りに洞窟のようになっているダンジョンの角
を抜け、溶岩が流れる川に掛かった岩の橋を通って、目標︱︱小学
校の体育館ほどの広間にいる、ちょっとした二階建ての家ほどもあ
る、棹立ちした角の生えた巨大な熊と、その周りに5∼6頭いる眷
属の黒熊、そして向かい側の通路に半ば隠れるようにして、攻撃を
凌いでいる3人のプレーヤーを確認した。
広場の中には他に2人のプレーヤーが倒れて、その上に死亡を示
すアイコンが浮かんでいる。
オーガ・ベア
僕は部屋の反対側から、こちらに背を向ける鬼熊越しに、彼らに
話しかけた。
﹁あー、すみません。助けが要るようなら、手伝いますけど?﹂
1290
突然言われた彼らも面食らったのだろう、数秒沈黙した後、どこ
となく破れかぶれの調子で、PTのリーダーらしい人間の剣士が、
返事をよこした。
﹁︱︱頼む。周りの雑魚でいいのでタゲを取ってくれ!﹂
﹁いや、取りあえずしばらく壁になってますので、皆さんその間に
回復してください﹂
言いながら愛用のソードブレイカーを抜いて、ヒーターシールド
を構えながら躍り出る。
オーガ・ベア
完全にタゲ︵ターゲット︶が、あちらのPTにあるので、悠々と
イエロー・ゾーン
オーガ・ベア
背後に回りながら、素早く連続突きを鬼熊の背中に入れる。
ガクリとHPバーが下がって、一気に注意領域になった鬼熊は、
さっさとタゲをPTからこちらに変えて、重機ほどもある両方の爪
を振るってきた。
オーガ・ベア
これを手にしたヒーターシールドでガードする。
はっきり言って鬼熊ごときなら秒殺できるけど、これ以上、余計
なダメージを与えると横殴りと見なされる恐れがあるので、以降は
一切手出しをしないようにして、ひたすらタゲを取ることに専念す
ることになる。
プルートー・ベア
一方、窮地を脱したかに見えた初心者PTの方だけど、リンクし
た猛熊の相手をするのに手一杯で、肝心の回復を後回しにしている
ようだ。
﹁まずは回復に専念して! 攻撃は後回しだ!﹂
手際の悪い彼らに指示を飛ばしたところ、信じられない答えが返
ってきた。
1291
﹁ヒールポーション持ってないんですよ﹂
﹁俺も5個しかなかったから、もう使い切って﹂
エリクサー
﹁すんませんポーション持ってたら分けてもらえませんか。できれ
ば死んだ連中用に蘇生薬2個あれば助かるんですけど﹂
エターナル・ホライゾン・オンライン
あんまりと言えばあんまりな答えに絶句する。
リザポ
この﹃E・H・O﹄は往年のUO程ではないにしても、いまどき
のゲームとしては死亡ペナルティがかなり高い。特に蘇生薬は高額
課金アイテムで、見知らぬ他人においそれと渡せるものではない。
ニュービー
初心者にしても、あまりに厚かましいお願いに、内心キレそうに
なるのを我慢して、どう角が立たないように断ろうか考えていたと
ころへ、また第三者のオープンチャットが入った。
﹁あれ? なにしてるの、こんなところで。しかもソロなんて珍し
いねぇ﹂
アバター
見れば優美な半透明の長剣を握り、薔薇の花の咲き乱れる黒いド
レスを着た黒髪の小柄な少女型分身が、僕の入ってきた入り口から、
のこのこ入って来たところだった。
頭の上に表示されている名前を見るまでもなく、見覚えのあるそ
のプレーヤーの姿に、思わず唇が綻んだ。
﹁緋雪さん。ちょうど良いところへ。すみませんけど、そこら辺に
リ
転がっているプレーヤーの蘇生と、奥の彼らの回復をお願いできま
せんか?﹂
﹁いいけど。⋮⋮なに、ギルドの新人育成?﹂
ザレクション
エターナル・ホライゾン・オンライン
言いながら冷凍マグロみたいに転がっている連中に、手際よく完
全蘇生をかける︱︱吸血姫という種族以上に、﹃E・H・O﹄では
レア職業の﹃聖女﹄である︱︱彼女︵彼?︶。
1292
﹁いえ、今度の龍狩り用にハイヒールPを多めに用意しておこうと
思いまして、ここの﹃炎花﹄を採りにきただけです。で偶然ピンチ
に通りがかったので、壁役になってるだけですよ。︱︱緋雪さんこ
そ、どうしてまたここへ?﹂
︵ポロリもあるかも︶﹄の会場
﹁へえ、相変わらず人が良いね∼。私は今度の月末のギルドイベン
トの﹃ドキ☆男だらけの水着大会
にここのダンジョンがどうかと思って、下見に来ただけだよ。ちな
みに男性キャラ限定で水着で、革の鞭だけで熊狩りをする予定。私
はいざと言う時の回復役だねぇ﹂
﹁⋮⋮最弱武器で熊狩りですか。そちらも変わらず珍クエ好きです
ね﹂
バフ
話している間にも、すっかりHP・MPともに満タンに回復した
PT全員に、これでもかと補助魔法を重ね掛けする緋雪さん。
﹁すげー﹂
﹁聖女とかオレ初めて見たぞ﹂
﹁こんなにアイコン並んだの見たのも初めてだ﹂
唖然としている連中に声を掛ける。
﹁これでバックアップは充分でしょう。いまのうちに皆さんで斃し
てください﹂
オーガ・ベア
それで我に返ったらしい5人組が、一斉に鬼熊に、各々の武器を
構えて立ち向かっていった。
◆◇◆◇
1293
いつの間にか、椅子に座ったまま軽く居眠りしていたらしい。
オーガ・ストローク
男は夢の中で追走した、在りし日のなんと言うこともない出来事
を思い出して、自嘲気味の笑みを浮かべた。
ニュービー
︵⋮⋮結局あの後、案の定BOSSドロップで﹃鬼斬丸﹄がでて、
あの初心者PTが大モメにモメたんだったな︶
所有権が誰にあるかでグダグダになったところで、緋雪がオーク
ション価格より随分と高めに買取を提案して、その場で買い取って
オーガ・ストローク
5人全員に均等に代金を払ったことで、どうにか丸く収まったもの
だが。緋雪はいまもあの時の﹃鬼斬丸﹄を持っているんだろうか。
それともとっくに転売したかも知れんな。⋮⋮まあどうでもいい事
だが。
そういえば、その後が面倒臭かったな。
聖女である緋雪がギルマスと知って、連中、彼女のギルドに入れ
てもらおうと、何度断ってもしつこく頼み込んで辟易させていたっ
け。
エターナル・ホライゾン・オンライン
あ
ちょっとでも﹃E・H・O﹄ギルド事情を知っている人間なら、
そこ
そんな無謀なことなど口に出さないものだが︱︱なにしろ﹃三毛猫
の足音﹄は30人程度の中規模ギルドながら、ほとんどがカンスト
組で構成されていて、しかも爵位持ちが5人もいるという超有名ギ
ルドだ。
緋雪本人はどう思ってたか知らんが、初心者が冷やかしで入れる
ような敷居の低い所じゃなかった。その上、ほぼ全員が最後までギ
ルドを退会しなかったくらい結び付きが強かった。
基本的に来るものは拒まずで、いつの間にか最大ギルドなんて呼
1294
ばれたウチとは対照的だったな。でかいだけで団結なんてものはな
かったし、いくつかの集団に分かれて揉め事は始終あったし、毎日
誰かしらが退会してたし⋮⋮正直、緋雪のところが羨ましかったな。
いや、羨ましかったのは緋雪本人に対してかも知れんな。
あの当事の俺は、就職に失敗してその後何年も家でだらだらとゲ
ームばかりして、現実を見ないで⋮⋮だけど、アイツは俺と正反対
だった。俺なんかより余程辛い人生を送ってきたのに、ずっと前向
きで明るかった。だから俺は⋮⋮。
ふっ⋮⋮と、夢のせいか、いつにもなく感傷的になっていること
を自覚した男は、一つため息をつくと、手に持っていた二つの水晶
球︵内側に﹃白銀﹄と﹃紫﹄の炎のような光が揺れている︶を、し
ばし凝視してから、壁に向かって軽く放り投げた。
水晶は空中にレールがあるかのように、そのまま真っ直ぐに壁際
に設置してある燭台のような、台の上にピタリと乗った。
﹁⋮⋮緋雪に対して、連中が人質になるかはわからんが、とりあえ
ずは生かしておくか﹂
呟いた男の言葉が、誰も居ない無機質な部屋の中で溶けて消えた。
1295
幕間 薔薇羨望︵後書き︶
とりあえずは新章に入る前に、ちょっとだけ彼のバックボーンを出
しました。
1296
第一話 海賊被害︵前書き︶
第六章開始です。
1297
第一話 海賊被害
海︱︱生命はかつて海から生まれたという、母なる大地にして、
果てしなく広がる大海原。
時に豊穣の恵みをもたらす生命の揺り篭であり、時に人間のちっ
ぽけな命など、泡沫のように飲み込む大自然の猛威の象徴である海。
人間は常に海に寄り添い、海に挑んできた。
浪漫と野心が、冒険心と功名心とが渦巻くフロンティア、それが
海なのである。
⋮⋮ま、それはそれとして。
真っ白い砂浜がどこまでも続く広大なビーチ。
とんでもなく透明度の高いオーシャンブルーの水が、緩やかに足
元を寄せては返している。
遠浅の海はどこまでも透き通っていて、このまま歩いて水平線の
彼方まで行けそうなくらい穏やかだった。
くすぐったいような生暖かい南国の海はどこまでも穏やかで、不
純物の一切ない生のままの自然の景観がそこにはあった。
ま、一部汚点のようなモノが、我が物顔でクロールだのバタフラ
イだのしながら、玩具を与えられた犬の子みたいに、入り江の中を
行ったり来たりしているけど。
﹁いやー、やっぱ海はいいなー。まったく、海で泳ぐのは最高だぜ
ー﹂
どんだけ無駄に体力あるんだって感じで、ジョーイがもう1時間
以上休みなしで全開で泳ぎまくっていた。
1298
と、いい加減海を堪能したところで、波打ち際で蟹と戯れている
ボクに気付いたみたいで、ぐいぐい泳いで近づいて来ると、﹁よっ
⋮と﹂一気に立ち上がって目の前まで来た。
﹁なー、ヒユキ。泳がないのか?﹂
ちなみに黒のトランクスタイプの水着を着用している。当然上半
身は裸なので、普段の服の上から感じられる印象︱︱貧弱な坊や︱
︱とは違って、細身でもしっかりと鍛えられた体つきがダイレクト
に目に飛び込んできて、なんとなく落ち着かない気持ちで視線を逸
らせた。
う∼∼む、やっぱり、こういうのを見るとコンプレックスが刺激
されるねぇ。生前のボクは︵主に栄養状態のせいで︶筋肉とは無縁
で、女子より腕力なかったからねぇ⋮⋮オフ会の時に参加していた
女性陣︵上は○○歳のおねーさまから、下は12歳の小学生まで︶
全員に腕相撲で負けたのは、いまだにちょっとしたトラウマだよ。
﹁ああ、私はこのあたりで充分に海を満喫しているので、君は気に
しないで、泳ぎでも素潜りでも鰤の養殖でもなんでもいいから、海
を存分に楽しんでれくればいいさ。なにせ、せっかくの元王家のプ
ライベートビーチなんだからね﹂
まろうど
ちらりと浜辺を見ると、椰子の木陰の下、厳重にビーチパラソル
とタンクトップ、パーカーを着込んだ元所有者の稀人が、サングラ
ス越しにボクの視線を感じたのだろう、冷えたシャンパン片手にビ
ーチソファに横になったまま、軽く手を振ってきた。
見た感じアバンチュールを楽しんでる風だけど、日光に耐性があ
るとはいえ吸血鬼、さすがに南国特有の直射日光はキツイらしく、
ああして木陰で涼をとるのが精一杯らしい。
1299
まあボクも日焼け止め塗っているとはとはいえ、この日差しはか
なりキツイんだけどね︵肌が白くて薄いので小麦色に日焼けした吸
血姫なんぞという矛盾したシロモノにはならないけど、絶対に後で
火脹れになる︶。
ちなみに競泳水着を着た天涯たちは、ボクが教えたビーチバレー
に夢中になって、守備範囲が500メートルのアストロビーチバレ
ーで、異次元の戦いを繰り広げていたりする。
﹁いや、けっこう泳いだしさ、一緒に泳ごうぜ。ヒユキも泳ぐつも
りで来たんだろう?﹂
怪訝な顔でボクの恰好︱︱レースフリルのスカート付きビキニ︵
エターナル・ホライゾン・オンライン
当然、ローズ柄︶で、泳ぐのに邪魔にならないよう髪は三つ編にし
ている︱︱を確認するジョーイ。ちなみに水着は﹃E・H・O﹄の
装備品なので、こうみえても防御にかなりのプラス補正がつく。
﹁⋮⋮えーと。別に泳ぐのが目的じゃなくて、仕事︱︱そう、仕事
できたんだよ! だから遊び呆けている場合では﹂
﹁ひょっとして泳げないのか?﹂
喋ってる途中で、ジョーイがずばり核心を突いてきた。
﹁えーと⋮⋮そうそう、吸血姫は流れ水は渡れないので、種族的に
水に入れないんだよ﹂
﹁ウソつけ。単に泳げないだけのいい訳だろう﹂
ジョーイが間髪入れずに、真っ向から否定する。
︱︱なんで普段鈍いくせに、こういうことは鋭いんだろうねぇ。
﹁泳げなくても別に珍しくもないだろう。だいたい海辺の村でも泳
げない男も結構居るし、女が泳げないのは普通だし⋮⋮せっかくこ
んな遠浅の海岸を丸ごと使えるんだから、ちょっと練習してみたら
1300
どうだ?﹂
そう言いながらジョーイが、水際から5メートルほど離れた場所
まで移動したけど、なるほどそこでもまだ膝までの深さもない。
で、ネコの子でも呼ぶように手招きするのが、なんかシャクに触
ったので、なるべく平然とした顔でそこまで歩いて行った。
﹁すげえ、手足が同時に出てるし、全身から汗流してるし⋮⋮そん
な苦手、というか水が怖いのか?﹂
﹁へへん、なーにをいってるのかなきみは、わたいにこわいものな
んてあるわきゃないってーの、べらんぼーめ﹂
﹁口調も変になってるなあ⋮⋮﹂
﹁さ、これでいいでしょう。海は満喫したので、戻るからね!﹂
さっさとこの場を離れようとしたところで、ジョーイに腕を掴ま
れた。
﹁いや、まだ1分も経ってないし。せめてバタ足くらい覚えたほう
がいいんじゃないか? ︱︱取りあえず、もうちょっと沖まで行こ
うか﹂
バタ足⋮⋮つまり全身を水に浸けて、うつ伏せになって、足で水
を掻く、と。
﹁だ、大丈夫! いざとなれば私、脚力だけで水の上走ることでき
るし!﹂
だから泳げなくても平気!
﹁だから泳げなくても平気なわけないだろう。いざと言う時の為に、
最低限バタ足︱︱できれば犬掻きくらいはできるようにしておかな
いと﹂
そのまま沖の方まで引っ張って行こうとするジョーイと、綱引き
状態になるけど本気を出したボクに、STR︵腕力︶値で勝てるわ
1301
けがない。
﹁︱︱むっ﹂
強引に振り払おうとしたところで、ジョーイにひょいと両手で抱
え上げられた。いわゆる、お姫様だっこである。
﹁こ、こら、ジョーイ! なにすんの!﹂
慌てて離れようとした耳元に、﹁暴れると、頭から水に落ちるぞ﹂
と囁かれて、反射的にピタリ固まった。
﹁じゃあ、もうちょっと深いところで練習しようか﹂
そのままジャブジャブ波を掻き分けて、強引に沖合いまで連れて
行かれる。
﹁う∼∼∼っ﹂
涙目で睨むけど、ジョーイは気にした風もなく、妙にうきうきと
弾む足取りで止まる気配はなし。天涯たちの方へ救いを求めようと
して見れば、白熱したビーチバレーはいよいよ肉弾戦に突入して、
猛烈な砂煙が上がって気が付く様子もないし、最後の頼みの綱の稀
人は、ついに日射病で倒れたらしく、担架に載せられメイドたちに
よって運ばれていくところだった。
﹁このあたりでいいかな︱︱﹂
気が付けば、ジョーイの胸元あたりの深さの沖合いまで連れて来
られている。これ絶対ボクだと顔まで水に浸かるよね!
﹁じゃあ俺が掴んでるから、まずは水面に顔をつけて目を開けると
ころから始めようか﹂
﹁無理!﹂
﹁大丈夫だって。すぐに慣れるから﹂
﹁無理、無理、絶対、無理!﹂
﹁やってみれば、意外と簡単だって﹂
1302
﹁男はみんなそう言うのよ!﹂
﹁⋮⋮また、なんかおかしくなっているなァ。︱︱ま、いいか。い
くぞ﹂
一方的に宣言するり、その場で中腰になるジョーイ。
﹁ふきゃあっ︱︱!!﹂
当然、ボクの顔は水の中へと沈み込んだ。
さて、別にボクたちは海辺のリゾートを楽しみに来た訳ではない。
そんな風に見えるのは気のせいというか、現在生死の境を彷徨っ
ているので、軽く走馬灯で流してみれば、しまさんの騒動もひと段
落付いたほんの数日前に遡る︱︱。
◆◇◆◇
﹁海賊船ねえ﹂
イマイチぴんとこない顔で、緋雪が首を捻った。
一連の騒動も静まり、すっかり修復が済んだ空中庭園﹃虚空紅玉
城﹄の貴賓室の一つにて、定期交歓会のために訪れたアミティア共
和国のコラード国王と、クレス自由同盟国の盟主︵仮︶レヴァン、
そして今回初めてお忍びで訪問したグラウィオール帝国次期皇位継
承者オリアーナ皇女が、旧知の間柄のような態度で穏やかに雑談を
していた。
1303
オリアーナ皇女が今回訪問したのは完全なプライベートな緋雪か
らの誘いに乗った形であり、公式には郊外の別荘に静養に行ってい
インペリアル・クリムゾン
テレポーター
ることになっている︵実際は、このたび帝都に開設された、大使館
に該当する﹃真紅帝国駐在代表館﹄に設置された、転移門を使って
移動してきた︶。
そのため、お付の人数も気心の知れた最小限であり、この場に同
行したのは侍従と近衛兵の2名のみだったが、その彼らにしても虚
空紅玉城の規模と壮麗さに絶句して、半分魂が抜けた状態で皇女の
背後に控えているだけであった。
最初はさすがの鈴蘭皇女も気後れした様子だったが、緋雪はもと
から身分出自に斟酌することなく、一貫してマイペースを崩さない
人柄であり、コラード国王にしてもそのあたりを充分弁えた上で、
如才なくこなす才覚の持ち主であり、またレヴァンももともと貴族
制度とは無縁の獣人族出身で、今回は周りにいる全員が顔なじみと
いうこともあって自然体︱︱そんなわけで、普段は窮屈な宮殿暮ら
しを余儀なくされ、四六時中﹃皇女﹄という偶像の仮面を被ってい
るオリアーナも、周囲のざっくばらんな雰囲気にすっかり寛いだ様
子で、年相応の可愛らしい素顔を覗かせていた。
で、話題に出てきたのが先の﹃海賊船﹄である。
﹁ええ、ここのところ活動が活発になって、輸送船や海岸部の村々
にかなりの被害がでています﹂
憂慮してます、と書いた紙を貼り付けた顔で、コラード国王がた
め息をついた。
﹁いまのところ海上での被害は、中型から小型の商船、運搬船が主
で、さすがに大型船や魔導帆船などは被害を免れていますが、遠か
らず標的になるのは確かでしょうし、そうなった場合の人的・物的
被害はこれまでの比ではないでしょうね﹂
1304
﹁ほほぅ、大変だねぇ。同情を禁じえないよ﹂
紅茶を飲みながらの緋雪の合いの手に、コラード国王がなにか言
いたげな顔をしたが、そのまま話を続ける。
﹁対策としまして、海上の要所に要塞を設置、また海上貿易の要衝
であるキトーの駐留軍の増援、そして、我が国には現在、海軍と呼
べる規模の海上戦力がありませんので、これの整備を推し進める所
存です﹂
なるほど、コラード国王らしい手堅い布石だね、と思いながらも、
ふと疑問に思って緋雪が尋ねる。
﹁けど、どれも予算が大変そうだねぇ﹂
﹁そうなんですよ∼∼∼っ﹂
途端、情けない顔でがっくりと肩を落とすコラード国王。
﹁麦や米の収穫前、夏場のこの時期に増税とかできませんし、前王
朝の後始末の為、国庫もほとんど空の状態ですし、このままでは結
婚式も挙げられません﹂
うち
﹁それは残念だったね。取りあえずモゲろとは思うけど、で、なに、
本国の方に貸付でも申し込みにきたわけ?﹂
﹁⋮⋮金銭的な負担をお願いすると、後々大変そうなので、現在思
案中です﹂
﹁そうですわね。いかに属国とはいえ⋮⋮いえ、ならばこそ、無償
援助を施せば、自助努力を阻害する悪癖にもなり兼ねませんから。
それに見合う担保か、返済期間を設けての貸付という形にするのが
妥当でしょうね﹂
瞬時に問題点と対策を編み出すオリアーナ皇女の才覚に、驚嘆と
1305
警戒を強めながらも、うんうん頷くコラード国王。
﹁なので、現在、対案を検討してるんですけど、なかなか海賊相手
に後手に回るばかりでして﹂
うち
レヴァンが挙手をする。
﹁あの姫陛下。クレスの時の転移装置みたいに、金銭ではなくてな
んか、問題点を一掃するような代案はないんでしょうか? こうい
ってはなんですけど本国の皆さんなら、海賊ごとき物の数ではない
と思うんですけど﹂
﹁難しいかなあー。港や海、領空に四六時中モンスターを跋扈させ
たら、周辺住人や生態系にも影響がありそうだし、結局は後手に回
るしかないしねぇ﹂
第一、ウチの住人に海賊とその他の船と区別付くのかな? 下手
したら手当たり次第沈めまくるんじゃないだろうか? と思って難
しい顔をする緋雪。
﹁もっと抜本的な対策を講じねばなりませんね﹂
コラード国王も同意し、レヴァンは悄然とため息をついた。
わが国
﹁それにしても海賊ですか。グラウィオール帝国でも、最近その手
の被害が増加傾向にありますわね﹂
オリアーナ皇女の言葉に、全員の注目が集まる。
﹁特にここ数年は顕著ですけれど、天候不順や戦争被害を差し引い
ても、頻度、規模とも確実に増えています。ですが各個の連帯や統
制の様子は窺えませんでしたので、あくまで偶然の産物かと思って
いたのですが﹂
﹁ふむ。興味深いですね。大陸の西と東とで、同じように海賊の行
動が活発化しているとは。ひょっとすると裏で手引きしている者が
1306
いるかも知れませんね﹂
まあ、あくまで可能性ですが、と続けるコラード国王。
とは言え、実際にこうして角付き合わせて話し合わなければ、あ
くまで国内問題として処理していたところなので、大局に立った見
地から可能性を模索するのは悪いことではないだろう。︱︱そう思
った後で、考えてみればこの場に居るお姫様二人が示し合わせれば、
ほぼ世界を手玉に取ることが可能なことに気が付いて、密かに冷や
汗を流す。
︱︱やばい、世界やばい! こんな女の子二人が行く末を握って
いるとか。
みなごろし
そんなコラード国王の戦慄を余所に、息もピッタリに、和気藹々
と談笑をする二人。
﹁まあ取りあえずは海賊は見つけ次第、鏖殺と言うことで﹂
﹁そうですわね、一族郎党見せしめの為にもそうしないといけませ
んわね﹂
二人の美姫が微笑みながら歓談している様子は、一幅の名画のよ
うだが、話している内容はかなり血生臭いものであった。
﹁それにしても懸念があたり、海賊被害が今後ますます増えるとな
ると、こちらとしても本格的に海軍の増強を考えねばなりませんわ。
うち
先のユース大公国への出兵でも国庫の4分の1が空になったという
のに﹂
﹁その代わり復興はクレスで負担してますけどね﹂
皇女の慨嘆に対して、なんとなく不満そうな顔で口を挟むレヴァ
ン。
結局、領土交渉において、荒廃したユース大公国を押し付けられ
1307
た形で、妥協せざるを得なかった彼としては、文句の一つも言いた
いところなのだろう。
ちなみにより旨みの多いケンスルーナ国は、帝国に割譲された。
﹁あら、条約に調印なされたいまになってご不満ですか? 旧ケン
スルーナ領をほぼ等分する形での妥結ですので、帝国としてもかな
りの譲歩だと思いますけど﹂
悪戯っぽく微笑むオリアーナ。
実際は領土の拡張路線に限界が見えたので、インフラの整ったケ
ンスルーナ国を配下に治めて、手間と金の掛かりそうなその他の僻
地を、クレス自由同盟国に押し付けただけなのは見え見えなのだが、
交渉の席上さんざんやりあって、最終的にやり込められた立場のレ
ヴァンとしては、そこを引き合いに出されては黙り込むしかない。
気分を変えるためか、緋雪が話を戻した。
﹁それにしても海賊ねえ。対策をとるにしても、いまいちイメージ
が掴めないなぁ。どんなもんなのかな?﹂
﹁さて、私も報告書を読んだだけですので。後で詳しい資料はお渡
ししますが?﹂
﹁う∼∼ん﹂
それでもピンとこない顔をしている緋雪。
ふと、壁際に立っていた仮面の剣士︱︱稀人が口を開いた。
﹁なんなら一度、港にでも行って直接船主や被害者に話を聞いてみ
ればいかがですか? 確か貿易港キトーの傍に、王家⋮いえ、前王
家の別荘地があったはずですが?﹂
視線で水を向けられたコラード国王は、頷いて補足する。
﹁ええ、現在は閉鎖中ですが管理はされていますし、将来的にはプ
1308
ライベートビーチともどもリゾートホテルとして売却予定ですね﹂
﹁︱︱ふむ。なら我が国で直接購入するというのはいかがでしょう
か、姫?﹂
脇に控えていた天涯が、ちらりと緋雪に了解を求める。
どうやら以前言っていた、全世界別荘計画は着々と進行中らしい。
訊かれた緋雪は、なぜか難しい顔で頬に指をやった。
﹁海賊⋮⋮海⋮ビーチ付きの別荘ねぇ⋮⋮﹂
﹁まあ、購入されるかどうかはさておき、使用されるのであれば明
日にも使えるはずですので、準備させます。それと現地に詳しい冒
険者等もガイドとして用意させますので﹂
至れり尽くせりのコラード国王の言葉に、再度、﹁う∼∼ん﹂と
考え込み、周囲を不審がらせる緋雪なのであった。
1309
第一話 海賊被害︵後書き︶
ちなみに緋雪が泳げないのは、小中学校時代の家庭環境と、いじめ
で水に恐怖心を抱くようになったためです。
あと緋雪とオリアーナ二人で私掠船経営の話題を出そうかとも思い
ましたけど、黒くなり過ぎるので断念しました︵笑︶。
1310
第二話 港湾都市
﹁それは、チャンスですな﹂
影郎さんが訳知り顔で頷いた。
実り多い︱︱かどうかはさておき、オリアーナは随分とウチの国
テレポーター
を気に入ったみたいで、もっと頻繁に訪問したいとか、いっそ帝都
にある王宮の別館にでも、転移門を設置したいとか、割と本気で言
テレポーター
い出したりした一幕もあって、定期交歓会は始終和やかな内に幕を
閉じた。
⋮⋮もっとも転移門は、この世界の転移魔法陣と違って、いちい
ち個人登録しなくても目的地や石の中へ移動できる、完全なオーバ
ーテクノロジーなので、流石に相手の希望に沿うわけにはいかなか
ったけれど。
で、3人が帰った後で、本人曰く﹁あの坊ちゃんや皇女様の前に
ステルス
顔を出すとイロイロ面倒な上に、知らなくてもいい事まで教えない
とマズイ﹂ので、密かに﹃隠身﹄で話を盗み聞きしていた影郎さん
が姿を現し、茶菓子の苺のタルトとカタラーナを頬張りながら︵ち
なみにどちらもボクの手作り。オリアーナにも好評だったので、お
土産に両方ワンホール持たせた︶、先の台詞を口に出したのだった。
﹁チャンスってなにが?﹂
龍騎士デーブータさんの﹃E・H・O﹄
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁そりゃ勿論、デブのところに攻め込むチャンスですな。︱︱いや、
蒼神
美味いですわ、これ!﹂
デブというのは
の通称だったりする。⋮⋮ま、オフ会で逢った本人の実物も、実際
1311
にかなり肥満体だったのは確かだけどさ。
﹁なんで海賊とデーブータさんと関連するわけ? なんかあるの?﹂
名探偵に推理を聞く、トンマな助手になった気分で訊いてみた。
﹁おおありです。そもそもお嬢さんは、アイツのいる聖都ファクシ
ミレへ、どうやって潜入するつもりなんですか? ︱︱あと、お代
わりいただけますか?﹂
﹁普通に変装して、一般人に化けて⋮⋮﹂
﹁無理ですなあ﹂にべもなく却下された。﹁軍事統制下の独裁国家
で、なおかつ国民全員が狂信者みたいなもんですから、どうしたっ
て余所者は目立ちます。他国からの巡礼者もいないことはありませ
んけど、信者なら当然の聖典の暗唱や、祈り、挨拶だけでもとんで
もない数ですから、付け焼刃ではとてもとても誤魔化せるもんじゃ
ありません﹂
う∼∼む。隣国のシレントに行った時も、相当他国人には厳しか
ったけど、どうやらイーオン聖王国本国の排他性は、あれの比では
ないらしい。
テレポーター
テレポーター
﹁ちなみに自分らは専ら転移門で、直接アイツんとこに行ってたん
ですけど、自分の転移門は既に破棄されてて使えません﹂
命都が持ってきたお代わりに手をつけながら、握っていたスプー
テレポーター
ンとフォークとで、ペケとバツ印を作る影郎さん。
テレポーター
﹁そうなると他の連中が使ってる転移門を、利用することになりま
すが、らぽっくとタメゴローの両番頭さん達は、基本転移門を使わ
ずに、個人用の転送石を使ってたのでアテにはできません。
G・H
テレポーター
では、他に心当たりがないかというと⋮⋮実はあるんですな。各
ギルド・ホームに確実に固定転移門がある筈で、現在、残されたG
Hは亜茶さんの﹃花椿宮殿﹄と、ももんがいの旦那の﹃海底軍艦・
1312
カイテイオー
白鯨號﹄のみ﹂
﹁あの二人までいたの⋮⋮!﹂
初めて明かされた事実に唖然とするボクを、なぜか微妙な表情で
見る影郎さん。
らぽっく
﹁︱︱まあ、戦力としては、番頭さんや、兄丸さんほど脅威ではな
いので、あまり深刻に考えることはないと思いますけど、それはさ
て置きまして、先日確認したところ、亜茶さんの﹃花椿宮殿﹄はな
ぜか跡形もなく消失してました﹂
﹁位置を変えたってこと?﹂
﹁⋮⋮⋮。⋮⋮なら、まだいいんですが﹂
歯切れ悪く言葉を濁しながら、デザートを口に運ぶ。
カイテイオー
テレポーター
﹁まあ、こちらは現時点では棚上げして置きまして、そうなると残
る心当たりは白鯨號内の転移門ですな。これを押さえれば、敵さん
カイテイオー
の喉元へ楽々喰らいつけるってわけですわ﹂
﹁なるほどねえ⋮⋮。で、白鯨號の現在地がどこにあるのか、影郎
さんはわかっているの?﹂
影郎さんは食後の紅茶を飲み干しながら、あっけらかんと答えた。
﹁わかりませんなあ﹂
﹁意味ないじゃない!﹂
﹁ですから、ここで先の海賊騒動です﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁おや、ご存じない。ももんがいの兄さんの座右の銘は﹃七つの海
は俺の海﹄﹃海賊○に俺はなる!﹄ですよ﹂
あの人、そんな難儀な病気を併発してたのか。あんまし喋ったこ
1313
とないから気が付かなかったけど。
﹁つまり、今回の海賊騒動はももんがいさんが裏で手引きしている
ってこと?﹂
﹁そのものズバリ関わってるか、一枚噛んでいる程度かは不明です
が、可能性は高いと思いますよ。迂遠なようですけど、確認する価
値はあると思いますな﹂
う∼∼∼ん⋮⋮仮に関係なかったとしても、海賊騒動はなんとか
しないといけないし、やっぱり海に行かないと駄目か。
正直、水に関わる場所には、あんまし行きたくないんだけど、そ
うも言ってられないか。
﹁わかったよ。天涯、コラード国王に連絡して、キトーの別荘の使
用と、現地の案内人を手配するよう頼んでおいて﹂
﹁はっ。承知いたしました。現地へ同行する従者は、いつものよう
に私めで選定いたしますが、よろしいでしょうか?﹂
天涯の問い掛けに少し考えて、注文をつけた。
なにしろ、今回は事によると、勢いで敵の本拠地まで乗り込むこ
とになりそうなので、考えうる最強布陣を用意したほうがいいだろ
う。
そう言うと、空穂がうっそりと微笑んだ。
﹁では、円卓の魔将級全員での出陣ということでございますなあ﹂
その言葉に同調して、周囲に居た魔将たちがいきなり臨戦態勢に
なった。
武者震いだけで、城全体が振るえ、立ち込める闘気だけで窓が割
れる。
1314
﹁そういうことだ、神を詐称する愚か者に、姫が鉄槌を下す! 諸
君、これは戦ではない、制裁である!!﹂
レ
天涯が一同に言い渡すと、それに応じて魔将たちの鬨の声があが
り、衝撃で椅子ごとボクは引っくり返った。
イド
︱︱早まったかもしれない。プレーヤー2∼3人に対して、大規
模戦闘級従魔が20以上とか、なんかもうオーバーキル臭いんだけ
ど!
﹁なんかもう最初からクライマックスですなあ﹂
ガクブルしているボクの向かいでは、影郎さんが相変わらずのん
びりと、手ずから紅茶のお代わりをカップに注いでいた。
◆◇◆◇
ということで、準備が整ったボク達は、港湾都市キトーの傍にあ
る元王家の別荘へと、赴いたわけなんだけど⋮⋮。
﹁なんで、君が案内人なわけなのかなぁ?﹂
午前中、死ぬほどガッツリ泳ぎの特訓を受けて、どうにか5メー
トルほどビート板に捕まれば泳げるようになったボクは、案内人の
ジョーイに連れられて午後は街の方へ出てみることにした。
さすがにいつもの黒のドレスは見た目も熱いし鬱陶しいので、衣
装はパニエの上に胸元にフリルと、スカートにティアートがついた
白のサマードレスを着て、白の鍔広の帽子に、同じくレースリボン
のサマーシューズという、思いっきり夏仕様にしている。
1315
ちなみに三つ編は解いて、いつものストレートにしている。解い
ても一切癖がつかずに、一瞬で元に戻る髪は、便利なんだか不便な
んだか微妙なところだ。
﹁そりゃあ、俺がこの辺りの出身だからだろ﹂
当たり前の顔で、当たり前のようにボクの手を取って歩きながら、
ジョーイが端的に答えた。
なんでも、ここからもう少し山の方へ行ったところの僻村が生ま
れ故郷で、村の中で賄えないものや祭り、大きな買い物なんかがあ
った時には、子供ながらにここまでほぼ半日がかりで足を延ばした
らしい。
﹁なるほどねぇ。︱︱そういえば、今回はフィオレは一緒じゃない
んだね﹂
﹁ああ、フィオレはなんか来週、国家4級の魔術師試験があるとか
で、しばらく冒険者活動は休むそうだ。今回は結構、自信があるっ
て言ってたな﹂
﹁へえ、頑張ってるんだね。うまく合格してくれればいいけど﹂
﹁そうだな﹂
あれ、でもフィオレが国家試験に合格したら、その後は冒険者続
けるんだろうか? もともとそっちで挫折したから冒険者になった
って言ってたし、本道に戻るのかなぁ⋮⋮?
心配になったけど、パートナーのジョーイが特に何も考えてない
ようなので、あまり根掘り葉掘り聞くのもどうかと思って、話題を
変えることにした。
﹁そうそう故郷が近くなら、せっかくだから、この案内が終わった
ら、そっちに顔を出したらいいんじゃないの?﹂
1316
﹁⋮⋮そうだな。考えておくよ﹂
数呼吸の間を置いて、ジョーイがどことなくほろ苦い笑みを浮か
べて、そう答えた。
そういえば、以前、家が貧しくて食い扶持を減らすために家を出
て、アーラで冒険者を始めた︱︱そんな話をしていたのを思い出し
て、迂闊な話題を振ったことを、申し訳ない気持ちになった。
自然と俯いたボクの顔を、怪訝そうに覗き込んだジョーイは、首
を傾げ⋮⋮天頂付近で輝いている太陽を見て、何か得心いった顔で、
ポンと手を叩いた。
﹁そっか、もう昼過ぎだもんな。その辺で飯にしようぜ﹂
なんか勝手に気を回して落ち込んでたのが、馬鹿らしくなった。
◆◇◆◇
適当に目に入った小さな食堂に入ったんだけど、お昼時を過ぎて
いたせいか、他に理由があるのか、ボクらの他にお客さんはいなか
った。
で、座った途端になんか女将さんにやたら気に入られ、﹁どこの
お姫様さ!?﹂﹁なんて綺麗なんだい!﹂﹁まるで月の女神アルテ
様みたいだね∼っ﹂﹁あたしの若い頃を思い出すよ!﹂と散々持ち
上げられて、注文してない料理まで、どんどんテーブルに並べられ
たのだった。
1317
ちなみに最後の台詞に被せて、奥から旦那さんの﹁出鱈目言うな、
このオカチメンコが﹂という悪態が聞こえてきて、ニコニコ笑って
いた女将さんが一瞬にして修羅と化した。
﹁言ったね、このロクデナシが!﹂
バトル
﹁それがどうした、くそババア!﹂
そして始まる夫婦喧嘩。
こういう局面に慣れていないボクが仲裁しようかどうか、オロオ
ロしているのを尻目に、ジョーイは完全に無視して、テーブルの上
の料理に手を伸ばし始めた。
﹁ほっとけよ、ヒユキ。夫婦喧嘩なんて、関わると禄なことになら
ないんだから﹂
達観したような口調は、こういう場面に慣れ切った大人の風格さ
えあった。
促されてボクも席に着く。
﹁新鮮だから、けっこういけるぞ﹂
と、言われるまま名物と言う魚料理を食べてみるけど、奥で掴み
合いの喧嘩をしている食堂で、悠々と食事をしているジョーイとは
反対に、ボクの方は何を食べても味なんて感じなかった。
﹁⋮⋮なんか、慣れた様子だねぇ﹂
何のことを指しているのかすぐにわかったのだろう。またも、陰
のある笑みを浮かべるジョーイ。
﹁まあ、うちも毎日似たような状況だったからな。俺は長男だった
から弟妹を守って、仲裁に入って、ぶん殴られたり蹴られたり、家
の外に放り出されたりだったから⋮⋮﹂
う∼∼む。なんか、あまり嬉しい帰省ではないみたいだね。まあ、
捨てられた故郷なんだし当然か。
1318
﹁そういえばさ。さっき、女将さんに﹃月の女神アルテ様みたい﹄
って言われて思い出したんだけど、君と初めて逢った時にも﹃月の
女神様だ﹄って言われたよね﹂
途端、飲んでいた海鮮スープを喉に詰まらせ、目を白黒させなが
らジョーイは、げほげほむせる。
﹁ゲホゲホ⋮お⋮⋮お前⋮ゲホ、そんなの、まだ覚えて⋮⋮﹂
呼吸が苦しかったせいか、耳まで赤くなっているジョーイ。
﹁なかなか衝撃的だったからねぇ。ま、ぜんぜん女神でもなんでも
ないのがわかって、失望させたろうけど。︱︱にしても、月の女神
アルテってのは土着の信仰かなにかかい?﹂
明後日の方を向いて、いや、そんなことないぞ、俺にとってはお
前はずっと⋮⋮とか、なんか口の中でブツブツ言っているジョーイ
に代わって、ドスドスと足音荒く奥から女将さんが戻ってきた。
旦那さんの姿が見えないところを見ると、どうやらこちらが勝利
を収めたらしい。
﹁月の女神アルテ様は船乗りが崇める女神様さ﹂
言いながら勝手に空いている椅子に腰を下ろす。
﹁海神様と夜女神様との娘さんで星々を統べる女神様ってことで、
船乗りにとっちゃ、どれも同じくらい崇める対象さね﹂
なるほど。目印のない航海では、月や星が重要な目安だからね。
神格化されているってところだろう。
﹁この街にも祠があるんだけど、最近は海賊の被害も多いので、船
乗りがよくお参りに来ているよ﹂
何気なく世間話をしている女将さんだけど、﹃海賊﹄という単語
1319
に、少しだけ背筋が伸びる。
﹁へえ、海賊ってそんなに増えてるんですか?﹂
﹁増えてるねえ。まったくひどいもんさ﹂
厚い唇を歪める女将さん。
なんでも、海賊は最近活発になってきた、アミティアとクレスの
貿易航路に出没するようになったらしい。いまのところ大型船や魔
導帆船は船足が速く、武装も整っているので大きな被害はないが、
時を経るごとに海賊の規模や増え、またこの海域にも慣れてきたよ
うなので、遠からず被害にあうのではないか、というのが船乗り達
の一致した見解だそうだ。
﹁それじゃあ、やっぱり国の方でしっかり守ってもらわないと駄目
ですね﹂
なるべく世間知らずのお嬢様を装って、意見してみる。
﹁あんな連中アテにならないね。所詮は陸の軍隊だしねぇ。返り討
ちにあうのが関の山さ﹂
女将さんの声には露骨な侮蔑と、諦観とが混じっていた。
﹁そう⋮ですか。それにしても、どうして急に海賊が増えたんでし
ょね﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
女将さんは太い腕を組んで、口を曲げた。
﹁あくまで噂だけどね。ここらへんにいる海賊は、もともともっと
北の方にいた連中で、あっちでの縄張り争いに負けて逃げ込んでき
た負け犬連中って話だよ﹂
この話は初耳なので、思わずまじまじと女将さんの顔を確認する。
﹁それって本当なんですか?﹂
1320
﹁噂だよ噂。なんでも赤い帆を掛けた、見たこともない魔導船に乗
った海賊が、北の方で縄張りを広げているとか。そいつが真っ白い
化物魚を操っているとか⋮⋮ま、与太話みたいなものさね﹂
﹁﹁へーっ﹂﹂
半信半疑ところか、ほとんど信じていない口調の女将さんの話に、
ジョーイと二人揃って相槌を打ちながら、思いがけない収穫に、ボ
クは内心ほくそ笑んだ。
1321
第二話 港湾都市︵後書き︶
12/12 誤字修正しました。
×思うわずまじまじと↓○思わずまじまじと
12/24 ×らぽっくとラメゴローの両番頭さん達は↓○らぽっくとタメゴロ
ーの両番頭さん達は
1322
第三話 海賊襲来
アミティア共和国最大の貿易港である、港湾都市キトーは賑わっ
ていた。
大小様々な船︱︱商船らしい大型帆船から、運搬用のガレー船、
しぶき
船体のあちこちを鉄板で補強してあるのは軍艦だろうか︱︱がひし
めき、出入りする船の立てる飛沫の音、飛び交う海鳥の鳴き声、帆
を上げ下げするマストの軋みが、澄んだ青空に心地よくこだまして
いる。
着岸した中型船に板の渡しをかけ、その上を荷物運びの海の男達
が行き交う。また、港に入りきれない大型船には、小型船が接舷し
て荷物や客の運搬を行っている。かわされる挨拶と威勢のいい掛け
声。それら港の賑わいは海風に乗って、キトー市全体に伝わって生
き生きとした鼓動を刻んでいるようだった。
そんな港に程近い一角にある小さな食堂。
そこはいま戦場だった。
﹁ヒユちゃん、3番さん平目の白ワイン蒸し追加ね!﹂
オーダー
﹁はいはい、先にこの青魚のチーズ焼きが焼きあがったら調理にか
かります﹂
狭い店内を飛び回りながらの女将さんの注文の声に、使い込まれ
たフライパンを振り回しながら返事する。
﹁︱︱あの、女将さん、まだまだ外に一杯並んでいて、材料が足り
なくなりそうなんですけど﹂
エプロンを掛けたジョーイが、恐る恐る女将さんの背中に声を掛
1323
けると、途端に不機嫌そうな顔で振り返った。 ﹁だったらさっさと市場に買いに行きな! まったく、男ってのは、
うちの亭主と同じで気が利かないんだから﹂
﹁⋮⋮えーと、なに買ってくればいいんでしょうか?﹂
﹁んなもんあたしがわかるわけないだろう! ヒユちゃんに聞きな、
ヒユちゃんに﹂
かなり理不尽な女将さんの要求に、ジョーイが雨に打たれた子犬
みたいな目で、こっちに訴えかけてくる。
﹁じゃあ取りあえず、白身魚⋮えーと、平目とあと淡白な身の大型
魚があればいいかな。あと季節柄、香草焼きにしてもいいと思うか
ら香草を、あと種類は何でもいいから海老、それと貝類もお願い﹂
﹁わかった。何匹くらいあればいいんだ?﹂
﹁なんのためにアンタが人数確認したんだいスカポンタン?! そ
れくらい自分で判断しな! あとワインと火酒も足りなくなりそう
だし、そっちも追加だよ﹂
﹁いや⋮あの、市場はともかく、酒屋とかわかんないんですけど﹂
﹁あんたの頭は帽子の台かい?! その口は飾りかい!? わかん
なきゃ聞きゃいいだろう!﹂
持っていた木製のお盆で、ジョーイの頭をスパーンと叩く女将さ
ん。
それからポケットに手を入れて、ジャラジャラと何枚か硬貨を出
して、ジョーイに握らせる。
﹁︱︱あ痛っ。⋮⋮わ、わかりました。じゃあ行ってきます!﹂
﹁はい、いってらっしゃい﹂
﹁道草喰うんじゃないよ。これから夕方の書き入れ時なんだからね
!﹂
小走りに走り出すジョーイの背中を見送って、料理の続きに取り
1324
掛かる。人数が人数なので、休む暇もない⋮⋮けど、まだまだこれ
から夕食時の営業もあるので、頑張らないといけない。
ボクは気合も新たに握った包丁で、下ごしらえの為に魚の鱗を黙
々と取るのだった。
・
・
・
フライパンにオリーブオイルを入れ、平目を焼く、さらに裏返し
て火から放して余熱で焼いて⋮⋮。
﹁あれぇ? なんで私、ここで料理してるんだろう⋮⋮?﹂
ふと、正気に戻ったところで、今更ながら疑問を感じて、大きく
首を捻る。
﹁ヒユちゃん! ホロロ貝のパスタ注文が入ったよ! あと、さっ
きの3番さん平目の白ワイン蒸しできてるかい?!﹂
﹁あ、はい。いまできました﹂
勢いに押されて出来上がったばかりの料理をお皿に載せて、厨房
から顔を出して女将さんに渡す。
﹃うおおおおおおおおおっ!!!!﹄
顔を出した瞬間、なぜか店内及び出入り口に並んで様子を見てい
た、いずれも日に焼けた男達が、なぜか一斉に歓声みたいな声を張
り上げたけど、忙しいのでこっちはそれどころではない。
そんなわけで、ボクは一瞬前に感じた疑問はさっさと放り投げて、
再び厨房へと戻ったのだった。
◆◇◆◇
1325
あ⋮ありのまま今起こった事を話すぜ!
﹁食事を終えて、代金を支払って店から出たと思ったら、いつのま
にか厨房で料理をしていた﹂
な⋮何を言っているのか、わからねーと思うが 私も何をされたのかわからなかった・・・
頭がどうにかなりそうだった・・・
バイトとかお手伝いだとか
そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしい干物女子力の片鱗を味わったぜ・・・
・
・
ということで、夜になり店じまいした店内で、ジョーイともども
疲れきった身体を、テーブルと椅子に投げ出したまま、いまさらな
がら冷静になって、今日の出来事を振り返ってみた。
﹁⋮⋮ヒユキ、生きてるかー?﹂
﹁いちおう⋮⋮HPは残ってるねぇ﹂
﹁不思議なんだけどさ。なんで俺らが、仕事を手伝わないといけな
かったんだ?﹂
﹁奇遇だね。私も疑問に思ってたところだよ⋮⋮﹂
お互いに、のっそりと身体を起こして向かい合う。
それから、自然とその視線が、奥で今日の売り上げを、ホクホク
顔で数えている女将さんに向かった。
﹁確か、飯を食い終えて出ようとしたところで、女将さんの金切り
声がして、慌てて戻ったんだよな﹂
1326
﹁うん。そうしたら、女将さんが旦那さんを背負って、奥から突進
してきて﹂
地鳴りのような音と、切羽詰った女将さんの形相と巨体に押され
て、反射的に道を譲ったところへ、
﹁うちの旦那が腰を痛めたから、ちょいと罹り付けの薬師んとこ行
って来るっ。あんたら少しの間、店を見てておくれ!﹂
と一方的に言われて、返事をする間もなく、土煙を上げて去って
いく女将さんを見送るしかなかった。
で、しょうがない、どうせお客さんなんて来ないだろうと、密か
に周囲を固めている隠密部隊や親衛隊に断りを入れて、ジョーイと
二人でお店に戻ったんだけど、なぜか遠目に見ていた通行人が、ゾ
ロゾロと付いて来て、そのままテーブルやカウンターに座って注文
を始めた。
まあ、厨房に材料はあったので、ボクが適当にありあわせの料理
を作り、冒険者初心者の頃、この手のお店で手伝いをしていた経験
があるジョーイが給仕役をやって、女将さんが帰って来るのを待っ
ていた。
だけどなかなか戻ってこない上に、さらにお客さんが増えててん
てこ舞い。
二人ともほとんど忘我の境地でお店を回していたところへ、やっ
と女将さんが戻ってきたので、やれやれこれで一安心⋮⋮と思った
ら。店の繁盛具合に目を丸くした女将さんの顔が、次の瞬間、にや
りと悪どいものに変わり、﹁あんたら、まさか途中で投げ出すつも
りじゃないだろうね?!﹂というドスの利いた声とともに、揃って
襟首を掴まれて店に戻された。
そして、現在に至る。
1327
﹁⋮⋮なんで夫婦喧嘩のとばっちりで、私達がお店の手伝いとかし
なきゃいけないわけ﹂
﹁諦めろ。それが夫婦喧嘩ってもんだ。︱︱てゆーかさ、いまふと
思ったんだけど﹂
同時にため息をついたところで、ジョーイが小首を傾げた。
﹁うん?﹂
﹁旦那さんの腰、その場でお前が治せば、問題なかったんじゃない
のか?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
後悔って言葉は﹁後から悔いる﹂から後悔って言うんだよ。
思わず頭を抱えたところで、暖簾をしまった店の扉が、乱暴に表
から開けられた。
﹁悪いけど、今日はもう店じまいだよ!﹂
顔を上げた女将さんが断りを入れるが、
﹁おぅ、ここだここだ! なんでもえらい別嬪がいるらしいぞ﹂
まるっきり無視して、4∼5人の男達が店の中に入ってきた。
まだ宵の口だというのに、すでにかなりの酒が入っているようで、
全員顔が赤い。まだ若くて、身なりもそれなりに立派なものだけれ
ど、どことなく着崩したような、荒んだ雰囲気があった。
﹁︱︱こいつら堅気じゃないな﹂
男達が入って来たのと同時に、ボクと一緒に椅子から立ち上がっ
たジョーイが、軽く眉をしかめて呟いた。そのままボクを背中に隠
すように前に出る。うん男の子だねぇ。
﹁おっ! こりゃ凄え、確かにこんな上玉見たことないぜ。おい、
女、俺達の席について酌をしろ! ︱︱いや、こんな小汚い店じゃ
1328
なくて、もっと良いところ連れて行ってやる。ついて来い!﹂
下種な笑いを浮かべながら、最初に入ってきた男がボクに手を伸
ばしてくるのを見て、﹁うちの子になにするんだい!﹂と女将さん
が声を荒げ、ジョーイは無言のまま無造作にその手を払い除けた。
﹁この餓鬼っ。その女を渡せ!﹂
堂に入った恐喝の声に、女将さんが顔をこわばらせ、ジョーイは
﹁嫌なこった﹂と答えた。
﹁餓鬼が粋がるな! つまんねえ恰好つけると、痛い目にあうぞ!﹂
ハンガー
怒鳴り声と共に酒で赤い顔を更に赤黒くさせ、男は腰に下げてい
た護拳がついた片手長剣︵船乗りが使用する武器。短めのものを﹃
カトラス﹄と呼ぶ︶を抜いた。
﹁おい、店の中で剣なんて抜くなよ。危ないだろう﹂
うんざりした顔で忠告するジョーイの態度に、馬鹿にされたと思
ったのか、有無を言わせず男が斬りかかって来た。
﹁うるせえ!﹂
プロ
これが堅気の相手なら男の形相と、向けられた真剣に気圧され、
萎縮していたかも知れないけれど、ジョーイもこの道の玄人である
冒険者。軽く舌打ちして、男の無駄の多い動きを悠々と目で見て躱
しながら、手刀で男の手首を叩き、剣を叩き落した。
慌てて床に落ちた剣を拾おうと、反射的に屈み込んだ男の顔面に
膝蹴りを入れる。
﹁ぎゃあっ!﹂
戸口から外へ吹っ飛んだ男の進路上にいた、男の仲間らしき人相
の悪い連中が慌てて避ける。
1329
ハンガー
﹁あんたら仲間だろう。受け止めてやればいいのに﹂
そう言いながら男が落とした片手長剣を拾って、具合を確認する
ジョーイ。愛用の魔剣は給仕の邪魔になるので、厨房の奥に置いて
あるので、代用で使うことにしたのだろう。
﹁こいつ。舐めた真似しやがって!﹂
男の仲間が一斉に武器を抜いた。
﹁勝手に突っかかってきたのはそっちだろう。俺は煩いハエを追い
払っただけだ﹂
ジョーイも言うようになったねえ。
﹁ほざくな! 死ねっ!!﹂
一人が切りかかってきたが、やはり剣を力任せに振り回すだけで、
技と呼べるものはなかった。
﹁︱︱ゴブリンの方がマシだな﹂
ハンガー
空を切り裂く剣先を避けながら、ジョーイは端的に評すると、カ
ウンターで片手長剣を弾き返し、思わずよろめいた男の脇腹に蹴り
を入れて、先ほどの男同様、店の外に叩き出した。
﹁この野郎っ!﹂
﹁ただじゃおかねえ!﹂
﹁ぶっ殺してやる!﹂
店内の椅子やテーブルを蹴り倒しながら、いきり立った男達が一
斉に襲い掛かってきた。
﹁手伝う?﹂
背中越しに一応聞いてみたけれど、﹁こいつら隙だらけだ。つま
んねぇ﹂とジョーイは面白くもなさそうに答えた。
それじゃあ、しばらくか弱いお姫様役をすることにして、軽く肩
1330
をすくめ、邪魔にならないようジョーイから離れた。
これだけの騒ぎになっているのだから、野次馬も相当いるかと思
ったのだけれど、店の外はとっぷり暮れた闇の中に沈んで、人っ子
一人覗き見している気配すらなかった。
︱︱誰かが、なんかやってるね。
おそらく過保護な保護者達がなにかして、この場から余計な人間
を排除したのだろう。心当たりを探るうちに、また一人人相の悪い
男がジョーイに叩きのされて、店の外へと転がって行った。
同時に、叩き出された男の周囲に闇がまとわり付き、﹃コリコリ
コリコリ﹄と何かが何かを食べるような音が、微かに聞こえてきた。
﹁⋮⋮ねえ、ジョーイ、悪いんだけど、一人は聞きたい事があるん
で残しておいてくれるかな?﹂
外に出た3人に関しては、この場で尋問するのはもう無理だろう。
残った2人を相手にしていた、ジョーイは怪訝な顔をしながらも、
﹁わかった﹂軽く請け負って、瞬く間に一人を蹴り倒し、外へ放り
投げ、最後に残った男の剣を叩き落した。
﹁これでいいか?﹂
すっかり酔いが醒めた顔で、だらだらと脂汗を流している男の首
筋に剣先を当て、気負いのない調子でジョーイが聞いてきた。
﹁はい、お見事でした﹂
軽く拍手をしてその健闘を讃える。
シーリンクス
﹁︱︱て、手前、俺達にこんなことをしてただで済むと思ってるの
か? 俺たちゃ、泣く子も黙る海山猫団の団員だぞ!﹂
1331
この期に及んでふてぶてしく開き直る男。
どうだと言わんばかりの態度に、ジョーイと二人、思わず顔を見
合わせる。
﹁⋮⋮﹃だぞ﹄って言われても、聞いたこともないしな﹂
﹁⋮⋮というか、ウミネコなのかヤマネコなのかどっちなわけ?]
なんか、海のものとも山のものともつかないんだけど。
シーリンクス
はかばかしくないボクたちの態度に焦れた様子で、男がさらに喚
く。
﹁てめーらど素人だろう! 海山猫団って言えば、北方のコルヌあ
たりじゃ、知らない者はいない海賊様だ!﹂
﹁﹁﹁海賊!?﹂﹂﹂
女将さんも合わせた全員の声が唱和する。
﹁じょ、冗談じゃない! ヒユちゃん、これ以上騒ぎを大きくさせ
ないでおくれ!﹂
血相を変えた女将さんが、ジョーイの魔剣を持って奥から出てき
た。そのまま放り投げるようにジョーイに剣を返す。
﹁︱︱海賊に目をつけられたら商売上がったりだ。悪いけどすぐに
出て行っておくれ!﹂
そのまま力づくでも追い出しそうな女将さんの懇願に、海賊の男
はしてやったりの表情を浮かべる。
﹁⋮⋮わかりました。私達はこちらのお店とは無関係の余所者です
から、なにかあればそれで通してください。また、それでも困った
ことがあれば、当市の衛兵や役人にでもご相談ください。決して悪
いようにはしないよう、確実に命令しておきますので﹂
1332
﹁はあ⋮⋮? 衛兵や役人に命令って⋮⋮ヒユちゃん、あんたいっ
たい⋮⋮?﹂
大きく目を見開く女将さんに一礼をして、
﹁先ほどは﹃うちの子になにをするんだい﹄と庇っていただきあり
がとうございました。嬉しかったです﹂
外したエプロンをテーブルの上に置き、海賊の男を後ろ手に締め
上げたジョーイともども、お店を後にした。
ちらりと振り返ると、なにか言いたげな顔の女将さんが、入り口
のところまで出てきて、こちらを見ているのが見えた。
シーリンクス
﹁お、おい! 聞いてるのか。俺の背後には海山猫団一家が控えて
るんだぞ。さっさと放せ!﹂
﹁うん。君にはそのあたり詳しく聞かせてもらうよ﹂
ため息をついて、相変わらず喚いている男の顔を見上げる。
少しだけイラついた気持ちが表に出ていたのか、その途端、男の
顔が強張った。
﹁⋮⋮まあ、心配することはないさ。他の仲間に比べれば、まだし
も君は幸運だったと思うから﹂
冷笑を浮かべたボクの言葉に、大きく唾を飲み込んだ男が見る見
る青褪め、今度こそ大人しくなった。
﹁取りあえず別荘に連れて行けばいいだろう。行こうぜ、ヒユキ﹂
さっさと先に立って進むジョーイ︱︱ひょっとして気を使ってく
れてるのかな︱︱の後に続く形で、小走に追い駆ける。
相変わらず周りでなにかしているのか、周囲には闇があるだけで
まだまだ宵の口だっていうのに、細い通りには猫の子一匹いなかっ
1333
た。
﹁そうだね。チャッチャと済ませないとね﹂
同意しながら、ふと、見上げた空には大きな満月が浮かんでいた。
1334
第四話 紅帆海賊
﹁︱︱癒着ですか﹂
ボクの話を聞いたコラード国王が、苦々しい顔で呻き声をあげた。
﹁そっ。けっこう前からズブズブだったみたいだよ。海賊とキトー
の役人の間では﹂
軽く肩をすくめてのボクの言葉に、コラード国王の眉間の皺が深
くなる。
イービル・アイ
それからより詳細に、あの日、海賊の一味の男から聞き出した︱
そろばん
︱別に拷問とかしたわけではなく、魔眼で聞き出しただけ。影郎さ
んや一部愛好者が嬉々として、﹃ファラリスの雄牛﹄とか﹃十露盤
板﹄とか﹃鉄の処女﹄﹃頭蓋骨粉砕機﹄﹃苦悩の梨﹄﹃審問椅子﹄
﹃ユダのゆりかご﹄﹃ワニのペンチ﹄などという、どこに用意して
あったのそんな悪趣味な道具?! という拷問用具を取り揃えて待
機してたけど︱︱そのことを、改めて口に出した。
シーリンクス
まず﹃海山猫団﹄とかいう珍妙な名前の海賊だけど、これはもと
もと西部域北部にあるコルヌ国を根城にしていた、大型船1隻を中
核として、その他、船足の速い中小型船数隻からなる、けっこう大
規模な海賊集団︵ま、ボクが捕まえたのはその一番末端だったけど︶
だった。
で、こいつらのやり方が狡猾で、単純に商船や運搬船を襲うので
はなく、地元のほとんどの役人に鼻薬を嗅がせ行動の自由を得てい
た。要するに役人は被害者からの訴えを握り潰し、国に対して海賊
の被害を過少申告することで、儲けに応じて海賊から定期的に高額
1335
な袖の下を貰い、懐に入れていたのだ。
さらに役人と海賊は、豪商や網元などに﹁決まった分の金額を納
めれば、商船や村を襲わないでやる﹂と持ちかけて金品を供出させ
ていたらしい。
インペリアル・クリムゾン
そんな関係が長年続いていたそうだけれど、ここにきて風向きが
変わってきたらしい。
第一に、アミティアとクレスがともに真紅帝国の傘下に収まった
ことで交易そのものが活発化したことで、旧来のキトー市に所属す
る船以外の外国船籍の船が増えてきたことで、隠蔽していた海賊被
害が表沙汰になり出した。
第二に、例の﹃赤い帆を張った魔導船﹄に乗った海賊の台頭で、
北部域の縄張りを追い出された海賊が流れてきて、飽和状態になり、
統制が取れなくなったこと、この二点が原因らしい。
﹁それにしても許せませんね。率先して法を守るべき役人が、より
によって海賊と裏取引をして賄賂をもらってたなんて!﹂
レヴァンが右手の拳を、パシッと左掌に当てて憤慨した。
﹁まったくです。これもひとえにすべて私の不徳と致すところ。︱
︱陛下、誠に申し訳ございません﹂
苦渋の表情で立ち上がって、頭を下げるコラード国王。
﹁あ、いや! 別にオレはコラード国王の責任を言ったわけじゃ⋮
⋮﹂
慌てて両手を振るレヴァンに併せて、ボクも﹃気にしないで﹄と
いう形にヒラヒラ手を振った。
﹁そうだね。誰が一番悪いかで言えば、海賊と現場の人間だし。大
体、管理責任とかになれば、最終的には私のところまでブーメラン
1336
が戻るわけだからねぇ﹂
﹁とは言え、至急、キトーには監査の手を入れ、徹底的に関係した
者共を厳罰に処さねばなりません﹂
一礼したコラード国王が再び席について、断固たる口調で言い切
った。
そうなるとかなりの大鉈を振るうことになるだろうけど、ぜひと
も頑張ってもらいたいところだ。
シーリンクス
﹁そうだね。ああ⋮あと、その夜のうちに﹃海山猫団﹄とかは潰し
ておいたし、連中が集めておいた財宝も没収したので、可能な限り
被害者の補填に使ってね。
詳しくはキトーの別荘の地下に海賊の親玉とか幹部連中を捕まえ
て、ウチの好き者連中が趣味の実践中だと思うので、そっちに確認
してもらうことにして。⋮⋮まっ、死んだ人の命には代えられない
けどさ﹂
喉の渇きを感じたので、グラスに注いであった鮮血を飲み干すと、
すかさず天涯がお代わりを注ぎ足した。
﹁⋮⋮姫陛下、いつになくお腹立ちのご様子に見受けられますが、
なにかございましたか?﹂
事後報告会だというのに、またもや時間を作って顔を出したオリ
アーナ皇女が、今日のお茶菓子のシュトゥルーデルとザッハトルテ
をフォークで切り分けながら、こちらの目を覗き込むようにして尋
ねてきた。
鋭いね、さすがに。
惚けようかとも思ったけれど、三人の視線に促されて、しぶしぶ
ボクは口を開いた。
1337
﹁腹立ちと言うか⋮⋮自分の馬鹿さ加減、いや見通しの甘さにつく
づく嫌気が差したってところかな﹂
﹁どういうことでしょう?﹂
ザッハトルテを一口食べて⋮⋮途端、目を輝かせてパクパク口に
運びながら、疑問を重ねるオリアーナ。
君は本気で聞く気があるのかね⋮⋮?
﹁さっき話に出ていた食堂だけどね、有名無名の嫌がらせがあった
みたいで、結局、お店は2∼3日後に閉店して、経営者夫婦の行方
は不明らしい。︱︱ま、そこから今回の役人との癒着が芋づる式に
判明したんだけどさ、保護を求める役人が海賊と同じ穴の狢だった
んだから、そうなるよねぇ﹂
﹁⋮⋮それはまた、なんとも遣り切れない話ですね﹂
と顔を曇らせたのはレヴァン。
﹁いや、まあ⋮⋮又聞きだけど、女将さんが旦那さんと家財道具一
切合財、荷物を引っ張って夜逃げするのを見たって人もいるみたい
だから、最悪のケースではない︱︱と信じたいところだけど﹂
﹁こちらでも捜索して、保護を行いますか?﹂
そういってくれるコラード国王の厚意はありがたいけど、ボクは
首を横に振った。
﹁いや、確かに私の不手際もあったけど、他人の人生に無闇矢鱈と
干渉するつもりはないよ。彼らには彼らの考えや生活があるんだし
ね﹂
﹁そうですわね。わたしたち為政者は国民の安寧と平和を庇護する
責任がありますが、それは国家と言う枠組みで執り行うものですか
1338
ら。特定一個人のために権力を乱用すれば、それが例え善意からの
行動であろうと、逆に差別と言うことになります。冷たいようです
が、個人の人生は本来、その個人が責任を負うべきものです﹂
オリアーナらしい割り切った物言いに、レヴァンが噛み付く。
﹁そう一概に言ってのけられるのは、恵まれた暮らしをしている人
間の傲慢に思えますけどね。地を這い明日の食べ物を案じて暮らす
辛さがわからないから、そんな風に上から見下ろした視線でものが
言えるんですよ﹂
﹁それこそ傲慢な考えでしょう﹂
オリアーナは食べ終えたフォークをケーキプレートに音を立てて
置いた。
﹁あなたは自国の国民一人ひとりの人生に責任を持てるのですか?
市井の人々も、日々嘆いて人生を送っていても、それでも生きて
いるではないですか!? それは、もしかしたらという希望を持っ
ているからです、そうした希望の灯を消さないよう務めるのが、わ
たしたちの使命でしょう!﹂
この二人のいがみ合いに、なんとなく毒気を抜かれて、コラード
国王の顔を見た。
彼も﹃やれやれ﹄という顔で苦笑いしていた。見解の相違はある
けれど、どちらも正論だけに、片一方の肩を持つわけにもいかない
ところだね。
﹁まあ、所詮は神ならぬ身だからね。全能にはなれないけど、それ
でも私達は無能というわけでもない。なら、多少なりともできるこ
とをするだけだね﹂
﹁その通りですね﹂
険悪になりかけた場の空気を換えるため、話を総括したボクの言
1339
葉に、コラード国王が同意してくれて、どうにか話はまとまった。
それにしても、どこの世界でも人間は変わらないものだねぇ。
デーブータさんもどうせ﹃神﹄を自称するなら、楽園のような世
界を作ればいいものを⋮⋮無能だなぁ。
いかるが
と、しみじみ慨嘆していたそこへ、白髪でベールを被った黒人の
美青年︱︱十三魔将軍の斑鳩︵人間形態︶が、きびきびした足取り
でやってきた。
﹁ご歓談中、失礼致します﹂
﹁どうした斑鳩、急ぎの用件か?﹂
天涯の問い掛けに、軽く頷く斑鳩。
﹁はい、例の海賊どもについてですが、影⋮もとい、担当官の指導
の下に行われた拷も⋮いえ、我々の熱心な質問に答えて、連中は実
に興味深い供述を行いました﹂
取りあえずツッコミは入れないことにして、報告の中身を聞くこ
とにした。
﹁まず、官憲との癒着構造についてですが、これは例の﹃紅帆海賊
団﹄︱︱まあ、自称ではなく、他の海賊が呼ぶ他称のようですが︱
︱が行っている手口の模倣、それも質の悪い猿真似のようです﹂
﹁ということは、本家の﹃紅帆海賊団﹄とやらは、もっと大規模に
行っているわけ?﹂
ボクの疑問に、﹁然り﹂と同意する斑鳩。
﹁ほとんど国家を丸ごと乗っ取って、さらに群小の周辺国を右から
左へと売り払っている模様です﹂
さすがにそこまでスケールの大きな話になるとは思わずに、国家
1340
元首級4人が揃いも揃って、半信半疑と言う顔で斑鳩の妖艶とも言
える整った顔をマジマジと凝視する。
﹁国ごととは、またずいぶんとスケールの大きな海賊だねぇ﹂
﹁それにしても、わざわざ手に入れた国家を、そのまま売り払うと
か、ずいぶんともったいない話に思えますけど?﹂
首を捻るレヴァンに向かって、﹁いや﹂とコラード国王が推測を
述べた。
﹁もともと海賊に国家経営の意欲はないのでしょう。買い手が居れ
ばさっさと売ってしまう方が確実でしょう。⋮⋮また、万一さらに
好条件の買い手が居れば、そこを再度攻め落として売り払ってもい
いでしょうしね﹂
﹁なるほど、基本的にわたしども国家が大義名分をつけて、他国を
侵略するのを、非合法に行っているようなものですわね。つまり、
国家並みの戦力があると仮定したほうが確実ですわ、その海賊は﹂
確かにね。やっぱり、その海賊って、ももんがいさんなのかな。
﹁ちなみに、その﹃紅帆海賊団﹄とやらが本拠地にしている傀儡国
家ですが︱︱﹂
斑鳩の視線が、ちらりとオリアーナに向けられた。
﹁グラウィオール帝国の北西部域植民国家インユリアとのことです﹂
期せずして息を呑んだ全員の視線が、オリアーナに集中した。
﹁⋮⋮まさか、そんな馬鹿なことが⋮⋮﹂
目を大きく見開いたオリアーナが呻いた。
1341
◆◇◆◇
﹁旦那様、お帰りなさいませ﹂
扇情的な恰好をしたバニーガール︱︱小間使い頭である兎人族の
18歳前後のなかなかの美少女︱︱が、騎獣︵1トンを越えるトド
に似た角の生えた海獣︶に乗って船に戻ってきた、﹃紅帆海賊団﹄
の船長に頭を下げる。
挨拶された彼︱︱癖のある赤毛にターバンを巻き、銀色の刺青が
彫られた褐色の肌の上半身に、赤いチョッキを着ただけの目付きの
鋭い青年は、手に持っていた硬い樫の木の箱を床に置いた。
スパイス
﹁ほらよ、欲しがっていた南方の香辛料だ。これだけでも船が1艘
買える値段だって言うんだから、馬鹿みたいな話だ﹂
仏頂面の青年とは対照的に、少女は花がほころんだ様な笑みを浮
かべた。
﹁まあっ、こんなに沢山の種類を用意していただけるなんて! あ
りがとうございます、旦那様っ!﹂
その声に誘われたのか、ぞろぞろと30人ほどの船員達が甲板に
出てくる。
なぜか全員10代後半から20代半ば頃までの美女・美少女ばか
りであった。
スパイス
香辛料の他にも、貢物として献上された貴金属類や外国の衣装な
どを、中腰になって嬌声を上げ、目の色を変えて吟味し合っている
仲間︵?︶達から、若干離れ︱︱なんとなく娘達にリビングを占領
されて、居場所のない父親のような哀愁を背中に背負ったまま︱︱
青年は船縁に腰を下ろして、遠い目で水平線の彼方を眺めた。
1342
﹁なんで海賊の船員が、俺以外全員女なんだ。ありえねえだろう、
普通﹂
呟いた自分の声に、苦味が混じるのを青年は抑えられなかった。
﹁それはやはり、﹃世界の海は俺の海。世界の女は全部俺のもの!
野郎はいらねえぜ!﹄と常日頃公言なされているのが原因なので
は?﹂
いつの間にか傍に来ていた小間使い頭の少女の言葉に、青年は頭
を掻き毟った。
﹁そりゃそうだけど、そりゃプライベートの話だろうが! 仕事の
時には片目にアイパッチを付けたハゲ頭の副官とか、片脚に義足を
付けた好漢とかが脇を固めて、﹃よし! 野郎ども、出撃だ!﹄と
かやるのが海賊だろうに! なんだこの女子高の担任ポジションは
?!﹂
﹁またまた、そんな心にもないことを﹂
獣人族という属性なのか、やたら馴れ馴れしい口調で、青年の魂
の叫びを一笑に付す少女。
シーリンクス
﹁﹃ハーレムは男の夢! 今度こそ目指せリア充! ハーレム王に
俺はなるっ!!﹄って、あたしを﹃海山猫団﹄から助けてくれた時
に、絶叫してたじゃないですか﹂
﹁⋮⋮若気の至りだ。いまは反省している﹂
﹁口ではなんとでも言っても、昨晩もベッドに機関長を︱︱﹂
﹁なっ! なぜ知っている?!﹂
﹁そりゃ狭い船内ですからね﹂
がっくりうな垂れる青年に追い討ちを掛ける少女。
﹁ここのところ女難かも知れん。次に陸に上がったら、海神にでも
1343
お参りしてこよう⋮⋮﹂
口では勝てないと悟って、話題を変えようとした青年だが、その
言葉に少女はぽんと膝を叩いた。
﹁そうそう、占い師のドナが言ってましたけど、近々ご主人様は﹃
月の女神様に刺される﹄から注意した方がいいそうですよ。行くな
ら月の女神様の方がいいですよ﹂
﹁なんじゃ、そりゃ?﹂
﹁さあ? どなたか騙された女に後ろから刺されるって隠喩じゃな
いですか?﹂
そう言われても心当たりが⋮⋮ありすぎて後ろめたさ満載の青年
は、思わず視線を逸らした。
﹁ま、せいぜいその時には誠心誠意謝罪することですね﹂
最後に一言念を押して、少女は仲間たちがたむろする集団へと戻
って行った。
やっと開放された青年は、辟易した顔で再び水平線を眺めながら、
ぶ然と呟く。
﹁︱︱月の女神ねえ﹂
神を自称する男なら知っているけど⋮⋮まあ、所詮は占いだろう。
気にしないことにして、船内へと戻って行った。
1344
第四話 紅帆海賊︵後書き︶
ももんがいさんは完璧なストレートなので、緋雪ちゃんはまったく
の守備範囲外です。で、ある意味異世界最高、俺TUEEEな主人
公体質ですね。
1345
第五話 魔導帆船
白波をかき分けて白塗りの魔導帆船ベルーガ号が、勇躍進路を西
にとり、グラウィオール帝国の大陸北西部域植民国家インユリアを
目指して、ひた走っていた。
周囲では屈強な海軍の兵士たちが、お互いに号令を掛け合いなが
ら、キビキビと無駄なく動き回っている。
こんな
素人が甲板ところに立っていたら、邪魔になるんじゃないかな。
そう不安に思っていたところへ、白いグラウィオール帝国海軍用
の軍服を着た、切れ長の目に彫が深い顔立ちをした︱︱若い頃はさ
ぞかし社交界で浮名を流したろう︵それとも現在進行形かも?︶︱
︱気品のある壮年のオジサマと、彼を二回り若くした︵つまりこち
らもやたら美形の︶15∼16歳くらいの、軍服に似ているけどち
ょっと違う制服を着た少年が、連れ立ってやってきた。
﹁こちらにいらしたのですか、姫陛下。いかがですかな、我が帝国
の誇る魔導帆船ベルーガ号の乗り心地は?﹂
慣れた仕草でその場で胸に片手を当て、左膝をたて片膝をつけ一
礼をするオジサマ。
併せて少年の方は若干ぎこちないながらも、貴公子として充分に
及第点を与えられる仕草で一礼をした。
﹁ええ、とても満喫していますわエストラダ大公﹂
船に乗るんだから、いっそセーラー服でも着てこようかと思った
んだけど、周囲の反対が強かったため、普段着のビスチェドレスの
シャーリングを絞り込んだデザインをしたスカートを抓んで、カー
テシー︵片足を後ろに引きもう片足の膝を曲げて行なう挨拶︶を返
1346
した。
﹁それは重畳でございます。それと、できれば艦の上では﹃大公﹄
ではなく﹃提督﹄とお呼びください﹂
そう言って悪戯っぽくウインクをするグラウィオール帝国大公に
して、帝位継承権3位という超VIP︱︱フェルナンド・イザイア・
ゾフ・エストラダ︵仰々しい名前だ。さすがは皇族︶。
﹁﹃提督﹄⋮⋮ですの。確か帝国元帥の位をお持ちと伺っておりま
すけれど?﹂
ちなみに提督は艦隊の司令官や、海軍の将官一般を指すので、そ
れより上の元帥号を持っているなら﹃元帥﹄と呼び習わすのが普通
だと思うんだけど⋮⋮。
﹁いやいや﹃元帥﹄なんて称号は七光りもいいところですよ。どう
にも落ちかないもので、どういうわけか海軍士官学校時代からあだ
名で呼ばれていた﹃提督﹄の方が、よほどしっくりくるもので、い
までも全員にそう呼ばせています﹂
その身分にそぐわない気さくな調子で、朗らかに笑うエストラダ
大公。
この社交的な人格と海軍を後ろ盾にした軍事力から、兄である現
皇帝よりもよほど皇位に向いているというのが、周囲のほぼ満場一
致した意見らしく︵呆れたことに現皇帝まで認めて、さっさと皇位
を渡して隠遁したいと常々口に出しているいるとか⋮⋮オリアーナ
がため息混じりに話していた︶、ちょっと彼がその気になれば、血
で血を洗うお家騒動もあり得たのだろうけど、賢明︱︱もしくは、
生まれながらに間近で権力に伴う裏表を見てきたため嫌気がさして
いたのか、早々に旗幟を鮮明に兄を支持することを公言し、ごたご
たの内紛を未然に防ぐばかりか、当時ほとんど陸軍を掌握していた
1347
宰相派に対抗して、大義名分、そして﹃武﹄という形で協力してく
れた大恩人であるらしい。
﹁伯父上がその気であるなら、わたしは甘んじて次期帝位をお渡し
する所存です﹂
と、あの現実主義者のオリアーナをして言わしめる程の人物なの
で、よほどの奸物かと思ってたんだけど、なんかアレだね⋮⋮単純
に船が好きなだけで裏表のない人物に思えるね。
﹁ところで、こちらに控えるのは我が息子のクリストフと申します。
みこと
たなばた
ご紹介してもよろしいでしょうか?﹂
ちらりと隣に控える命都と七夕を見る。
﹁よかしいでしょう。直奏並びに拝謁の許可を与えます﹂
命都が鷹揚に頷いた。 その言葉で顔を上げたクリストフ公子が、ボクの顔を見てはっと
息を呑み、それから夢から覚めたような顔で、もう一度一礼をした。
﹁お初におめもじ致します。姫陛下、フェルナンド・イザイア・
ゾフ・エストラダが一子、クリストフ・リントゼ・ジェム・エスト
インペリアル・クリムゾン
ラダと申します。このたびは拝謁の栄を賜り、身が引き締まり感激
の極みでございます﹂
﹁初めまして、クリストフ公子。真紅帝国の国主、緋雪です。今回
はあくまで非公式の訪問ですので、そんな形式ばらずに気軽に接し
てください﹂
こっちが肩が凝るしね。⋮⋮まあ、さすがに非公式とは言え第三
者がばっちりいる場なので、普段の口調ではなくて、どこぞの令嬢
みたいに振舞っちゃいるけどさ。
1348
﹁はははっ、そう言っていただけると助かります。それなりの教育
はしているつもりですが、息子はまだまだ若輩者ですので、いつメ
ッキが剥がれるかとヒヤヒヤしておりました。まことにもって、陛
下のご厚情に感謝いたします﹂
莞爾と笑う父親を、困ったような、なにか反論したいような顔で
睨むクリストフ公子。
﹁それと、息子は現在帝国士官学校に在籍中でして、親の欲目なし
になかなか優秀ですので、この航海中は私の代わりに姫陛下の案内
役を勤めさせたいのですが、よろしいでしょうか?﹂
なぜか意味ありげな視線をこちらに向け、それから息子に目配せ
するエストラダ提督。
﹁︱︱? ええ、私としては異論はありませんわ。ご迷惑をおかけ
しますが、よろしくお願いいたします。クリストフ公子﹂
握手しようと、そっと手を突き出す。
﹁ぉうぇ⋮はぃ、陛下﹂
照れた様子で、壊れ物でも扱うようにソフトタッチしてくる。
﹁あ、私のことは普通に﹃緋雪﹄でいいですよ。その代わり、私も
﹃クリストフ君﹄って呼びますから、お互い様ということにしまし
ょう﹂
初々しくて可愛いねぇ。
笑顔を向けると真っ赤になった美少年の手を無理やり両手で握っ
て、ボクはぶんぶん上下にシェイクした。
﹁いや、ありがとうございます。年も近いことですし、ぜひ末永く
お付き合い願えれば幸いですな﹂
そんなボクらの様子を微笑ましげに眺めながら、エストラダ提督
1349
が悪戯っぽく言葉を重ねた。
﹁そうですわね。お互いの︵国益の︶為にも、私からもお願いした
いですわ﹂
﹁あ、ありがとうございます。まだまだ未熟な僕ですが、必ずや緋
雪様に相応しい人間になってみせます!﹂
ボクの手をしっかり握り返して、きっぱり言い切るクリストフ君。
いや、別に友人関係でそこまで気負いしなくても、良いかと思う
んだけど、この辺りは軍人クオリティなんだろうか?
ふと、気が付くと甲板上に結構な人数が集まって、妙に優しい視
線でもってボクらを遠巻きに眺めていた。挙句、命都や七夕まで混
じって、子供の成長を見るような、母性愛・父性愛を滲ませた生温
かい視線でもって、口元を柔らかく曲げていた。
︱︱はて? なにか間違っただろうか?
そんな周りの好奇の視線にクリストフ君も気が付いたのだろう。
あせった様子で、両手を放すと提督の脇に戻り、生真面目な顔を作
って畏まった。
﹁いやいや、俺に似ないで堅物だと思っていたら、なかなかお前も
言うじゃないか。まあ気持ちはわからんではないが⋮⋮﹂
﹁ち、父上っ! 陛下の前であまりおかしな事をいわないでくださ
い。皇族として、軍人として、鼎の軽重が問われますよ!﹂
にやにや笑う父親に食って掛かるクリストフ君だけど、これは完
全に役者が違いすぎる。と同時に、遅ればせながら一連の遣り取り
の意味が見当付いてきた。
﹁⋮⋮ああ、なるほど、そういうことね﹂
1350
大陸最大国家の皇位継承権を持つ大公の一子と、それに次ぐ大国
の国主である未婚のお姫様。お付き合いするとなれば、決して悪い
話ではないだろう。
まあ、普通は魔物の国の吸血姫なんぞという、得体の知れないも
のは敬遠するかと思うけど、幸か不幸かこの二人はそういうこと一
切気にしないみたいだしねぇ。
ま、初対面のいまの段階でそーいうことは、ボクとしてはまった
くの埒外だけど、今後もこの世界で生きていくんだったら、将来的
には考慮に入れないとマズイのかも知れないねぇ⋮⋮。
﹁︱︱か、姫陛下。どうかなされましたか?﹂
おっと、いつの間にか考えに耽っていたみたいで、エストラダ提
督とクリストフ君が、心配そうにこっちを見ていた。
﹁ああ。いえ、少々今後の予定︱︱インユリア国での海賊対策につ
いて、思案しておりました﹂
適当に答える。
﹁なるほど。ですがご安心ください。いかな相手といえど、我がグ
ラウィオール帝国海軍の誇る魔導帆船艦隊8隻が、おめおめと遅れ
カテドラル・クルセイダーツ
をとることなどございません。文字通り大船に乗った気で、この船
旅をお楽しみください﹂
自信満々に断言するエストラダ提督だけど、聖堂十字軍もこんな
感じで、全滅フラグを踏んだんだよねぇ。
すっごい不安。まして、今回は海の上だし。落ちたら洒落抜きで
くおん
死ぬかもしれない。
﹃久遠、いざとなったら救助お願いね!﹄
1351
バハムート
ボクは従魔合身中の︻神魚︼久遠に念を押した。
今回は海上︵ひょっとして海中も︶での戦が想定されるので、久
遠に出陣してもらったんだけど。
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹃久遠! ちょっと、聞いてるの、久遠ーっ!?﹄
﹃⋮⋮⋮⋮は?﹄
﹃⋮⋮いま、寝てなかった?﹄
﹃いやいや、起きてましたぞ、姫様﹄
ウソだ。絶対にウソだ。
﹃ご心配召されるな。この儂がついている限り、大船に乗った気で
構えていてくだされ﹄
こいつもか!
﹁それでは、私は職分に戻りますので。クリストフ、姫陛下のお相
手をしっかりお勤めするんだぞ!﹂
﹁はいっ。わかりました!﹂
お互いに敬礼を交わして、エストラダ提督が艦内に戻って行った。
それを見送ったクリストフ君は、どことなく肩の力が抜けた笑み
を浮かべて、こちらを振り返った。
﹁無作法な父で、すみません陛︱︱いえ、緋雪様。取りあえず僕に
わかることでしたら艦内をご案内しますが、どこか見たいところと
かありますか?﹂
その質問に、ボクはさっきから気になっていた場所を、真っ先に
確認した。
﹁それでは、救命ボートの位置を教えていただけないでしょうか?﹂
﹁は、はあ? わかりました﹂
1352
第五話 魔導帆船︵後書き︶
ちなみに魔導帆船は通常の風力の他に、魔具を使って速力を上げる
ことが可能です︵燃費と魔術師の負担が半端でないので、通常は普
通の帆船同様ですけど︶。
1353
幕間 勇者無用︵前書き︶
やっと勇者編終了です。
1354
幕間 勇者無用
﹁はいチェンジ﹂
姫巫女だというどこか冷たい雰囲気のある薄い金髪の少女が、碧
眼でジョーイを一瞥した後、まばたきする間もなく一言吐き捨てた。
﹁ご苦労様でした。お帰りはこちらです﹂
約束されていた流れ作業のように、中年の巫女頭が即座に出口を
指す。
翌朝、宿の主人に勇者教の神殿に行く場所を聞いて、早々に4人
で街を散策しながら︱︱目立つ目立つ。朝の買い物の時間帯のせい
か、そこそこ人数がいたけれど全員が狸の群れに紛れ込んだレッサ
ーパンダを見るような微妙な目で見るので、辟易して︱︱早々に神
殿に辿り着き︵まぁ、見るべき観光地もなかったわけだけど︶、胡
散臭そうにこっちを警戒する受け付けに今回の招待状を渡し、お茶
一つ出されないまま2時間近く立ちっ放しで待たされた挙句、出て
きたのは先ほどのすげない一言だった。
﹁⋮⋮え?!﹂
﹁そっか、じゃあ帰ろう﹂
﹁予想通り無駄足でしたね﹂
﹁まあ、あたしはこれも経験だと思えば﹂
しず
やれやれ終わった終わった解散∼っ。という感じで、ゾロゾロと
出口へ向かう、ボク、真珠、フィオレの3人。
と、足音が3人分しかないのに気が付いて、振り返った。
﹁どうしたのジョーイ。いつまでもそこにいると邪魔だよ﹂
1355
なぜか呆然と突っ立っているジョーイに声を掛ける。
姫巫女と巫女頭がウンウン頷いて同意して、見習いらしい巫女た
ちがワザとらしくジョーイの周りを掃除し始めた。
﹁いやいや! おかしいだろうっ。俺が神託を受けた勇者ってこと
で、わざわざアミティアからこんな僻地のド田舎神殿まで来たのに、
そのわけわかんねぇ神様に確認もしないで、門前払いとかあり得な
いだろう!﹂
必死に食い下がるジョーイだけど、相変わらず空気の読めていな
い無神経発言の連発で、墓穴を掘り。様子を見ていた一部﹃いいの
かなぁ?﹄と疑問・同情があった、何人かの良心的な神殿関係者の
目から、見事にそうした感情を拭い去ることに成功していた。
﹁いや、どっちかというと君が﹃勇者﹄とか、どーかんがえても間
違いだと思うし﹂
﹁そうですね﹃勇者︵笑︶﹄なら、まだ理解できますが﹂
﹁あ、いえ、あたしにとっては師匠は勇者ですよ!﹂
﹁まあ、身の程を弁えない態度は﹃勇者﹄と言えるかも知れません
が、たまには鏡を見てご自分を客観視されたほうがよろしいかと思
います。これは本当に親切心から助言ですけど﹂
﹁無茶を言うなぁ、それができるくらいなら、﹃勇者﹄なんて甘い
言葉に釣られてホイホイここまで来たりしないよ﹂
﹁百歩譲ってもこの場で﹃お呼びでない﹄﹃ただしイケメンに限る﹄
と面と向かって言われた時点で、さっさと踵を返すのが賢明でしょ
うに﹂
﹁そ、それは確かに師匠は見た目はアレですけど、飽きの来ない味
のあるタイプだと思いますよ﹂
﹁お前ら、どっちの味方なんだ!?﹂
1356
ボクたちの率直な意見に対して、ジョーイが理不尽な怒りを爆発
させた。
ぎゃーぎゃー喚いているジョーイを面倒臭そうに見ていた姫巫女
だけど、疲れたような顔でため息をついた。
﹁⋮⋮まあ、確かに神託を蔑ろにするのも問題でしょう。無駄だと
は思いますが、﹃剣の試し﹄を受けさせますので、終わったらさっ
さとお帰りくださいね﹂
そう言って神殿の奥へ続く扉を指し示した。
◆◇◆◇
神殿の奥の院︱︱ご神体様を奉るその場所は、この規模の土着宗
教にしてはかなり豪壮な造りで、あっちこちに美術品やら宝物やら
が飾られていた。
姫巫女︵名前はエレノアというらしい︶に先導されて、奥に進む
けどジョーイは周囲の宝物が気になるらしく、勝手にフラフラと寄
り道しては物珍しげに近寄って見ていた。巫女頭さんも自慢の品々
らしく、誇らしげに説明を加えている。
﹁この壷はいまから500年前に稀代の陶工が我が宗派の教えに感
銘を受け絵付けを行った国宝級の逸品で⋮⋮勝手に触らないでくだ
さいませ! ひっくり返さないで! それと、その隣の皿は聖王国
から下賜された、これまた国宝級︱︱ですから片手で持たないで!
1357
ひっくり返すなと! そこのタペストリーは遥か南方のいまは滅
んだ国の⋮⋮ああああっ、なんで横糸引っ張って!? 違います!
エンシェント・ウエポン
ほつれているわけでは︱︱ぎゃあああ、古代遺跡の魔導器を分解
オーブ
するなんて!?! やめて! 古代武器級の槍を振り回して︱︱折
れたってどーいうことよ!! その宝玉はドラゴンの⋮⋮って落と
すなっ。割るな!!!﹂
絶叫して泡を吹いている巫女頭の女性を置いて、げんなりした顔
のジョーイが戻ってきた。
﹁なんかいちいち煩いから、先に行こうぜ﹂
背後の騒ぎをまったく意に介さない、いつもの平常運転で先を促
す。
そんなジョーイを見て、戦慄の表情でだらだらと冷や汗を流すエ
レノアさん。
どうやら彼女にもようやく彼の恐ろしさが理解できたらしい。
ボクも取り合えずジョーイをウチの城に連れて行くのは、絶対や
めとこうと決意した瞬間だった。
どんよりと背中に後悔と哀愁を乗せたエレノアさんに案内されて、
神殿の最奥らしい扉を開けると、そこには、どうみても﹃邪神﹄と
いう感じの触手の生えた羊の石像と、その胸に刺さった一本の古ぼ
けた剣が、祭壇の上に飾ってあった。
﹁これこそが我が教団の﹁これ引っこ抜けばいいんだろう?﹂﹂
声のトーンを変え、芝居が掛かった仕草で説明を開始しようとし
た彼女をガン無視して、両手に唾をかけて剣を握るジョーイ。
片脚を床に、もう片脚を石像に押し当てて、﹁せーの!﹂とやろ
うとしたところで、後ろからエレノアさんに蹴り倒された。
﹁ご神体に土足を掛けるなあ!!﹂
1358
蹴り飛ばされたジョーイが床の上から抗議する。
﹁いてーな! なにするんだ!?﹂
﹁それはこっちの台詞だわ! ご神体をなんだと思ってるのよ、こ
のタコッ!﹂
まあ、姫巫女として怒るのは当然かとも思うけど、いきなり蹴り
入れたり同レベルで罵声を浴びせたりと、第一印象と違ってけっこ
うこの人も駄目駄目なのかも知れないねぇ。
﹁というか、単純な疑問なのですけれど﹃ご神体﹄というのはその
剣の方で、石像ではないのでは?﹂
真珠の疑問の声に、一瞬なぜか﹃しまった!﹄という顔をして、
視線を浮かせたエレノアさん。
﹁えーと、その⋮⋮勿論、勇者の剣がご神体ですが、この勇者が退
治した邪神の像から引き抜くことが﹃剣の試し﹄ですので、これも
ワンセットでご神体と考えているのです﹂
なんとなく後付け設定みたいに付け加える。
﹁じゃあ、やっぱ俺は間違ってないじゃねーか﹂
懲りずに立ち上がって剣のところへ行こうとするジョーイを、必
死に阻止する。
﹁ただ単に引っ張れば良いと言うものではありません。勇者と巫女
が互いに手と手を合わせ、心を通い合わせてこそ、儀式として成り
立ち、剣を引き抜くことが可能となるのです!﹂
﹁んじゃ、二人掛りで引っ張るのか。早速やろうぜ﹂
軽く言ってエレノアさんの手を取って、剣の所に行くジョーイ。
1359
諦めたのか盛大にため息をついて、先に剣の柄に手を掛けたジョ
ーイの手の上に自分の手を乗せようとする。
﹁なんか、ウエディングケーキを切る新郎新婦みたいな恰好ですね﹂
フィオレの率直な感想に、ボクも同意する。
﹁そうだね。2人の初めての愛の共同作業って感じだねぇ﹂
ピクリと直前でエレノアさんの手が止まった。
﹁どーした?﹂
ジョーイの問いを無視して、ギリギリと錆びた歯車のような感じ
で、首を巡らせる彼女。
その目がなぜかボクを捕らえた。
﹁貴女⋮⋮見たところ聖職者のようですけれど、私の代わりに﹃剣
の試し﹄をお願いできないかしら?﹂
﹁はあ? なんで?﹂
﹁考えてみれば、この儀式では勇者と巫女とが﹃互いに心を通わせ
る﹄ことが前提条件ですけれど、どう考えても私には無理だと思う
ので、お仲間の貴女の方がよろしいかと思いますの﹂
いや、まあ、確かに彼女とジョーイでは、コーラとメントスくら
い合わなさそうだけどさ、だからって大切な儀式を部外者に丸投げ
していいのかな。
﹁⋮⋮まあ、いいけどさ。でもいいわけ、余所の神官がご神体に触
ったりして?﹂
﹁この際大目に見ましょう。それに初代巫女ももともとは単なる村
娘でした⋮⋮だったそうですから﹂
最初から失敗するのを見越して、投げ遣りに答えるエレノアさん。
1360
﹁なんでもいいから、さっさとやろうぜー﹂
ジョーイがのほほーんと催促する。
﹁︱︱ま。それで双方の気が済むのだったら構わないけどさ﹂
﹁誰でもいいのでしたら私もお手伝いいたしますが﹂
﹁せ、せっかくなので、あたしも参加します﹂
ふと気が付けば、真珠とフィオレも参加しての共同作業となった。
なんだろう、このカオスは⋮⋮?
﹁じゃあいくぞーっ、1、2、3! そぉれっ! ︱︱おっ。動い
た!﹂
じりじりと抜ける感触にジョーイが歓声をあげ、エレノアさんが
﹁うそ?!﹂と愕然とする。
まあ4人がかりで、うち2人が人外だからねぇ。実質、ボクと真
珠の2人掛りで、力任せに引っ張ってるんだけどさ。
﹁もうちょっとだ。ぬ、ぬ、ぬ⋮⋮⋮⋮抜けたぁ!!﹂
抜けた少年が間抜けな歓声を上げ、抜けた﹃勇者の剣﹄を高々と
差し上げてガッツポーズを取った。
歓んでるのはいいんだけどさ。いま鑑定で見たらその剣、﹃呪わ
れた剣:耐久度0﹄って表示されてるんだけど⋮⋮?
と、剣が抜けた瞬間、凝然と目を見開いていたエレノアさんの肩
が震えだした。
﹁⋮⋮⋮ついに⋮⋮⋮﹂
歓喜とも嘲笑ともつかぬ表情を浮かべたエレノアさんの口から、
妙にかすれた⋮⋮別人のような声が漏れてきた。
1361
はて?
﹁ついに我の封印が解けたぞ! 礼を言うぞ人間どもよ!﹂
狂ったかのような哄笑とともに、エレノアさんの口から発せられ
る、ひび割れた男とも女ともつかない声が奥の院全体に響き渡り。
なんか展開についていけずにポカーンとするボクたちを、置いてけ
ぼりにしていた。
﹁どういたしまして。じゃあ、これで俺は勇者ってことで、いいの
かな?﹂
ジョーイだけがマイペースに相手をしている。
そんなジョーイをムシケラを見るような目で見据えるエレノアさ
ん。
﹁くっくっくっ。そうだな、確かに貴様は勇者だな。あの﹃神﹄に
斃されて800年、精神のみを巫女に代々憑依させてこの日を夢見
ていたが、それを叶えてくれた貴様には礼をせねばな﹂
﹁いや、別に礼とかいらねーけど﹂
﹁そういうな。すでに我が新しい肉体は再生している。そこに我の
魂を融合させれば、完全に復活できるであろう。貴様らには礼とし
て、最初の獲物となる栄誉を与えてやろう。︱︱来いっ。我が肉体
よ!!﹂
なんかフルスロットの連続に、完全に傍観者と化しているボクら
の目の前でエレノアさん︱︱というか、本人の弁によれば憑依して
いる邪神らしい︱︱が、空中に素早く印を切ると、床に複雑な魔法
陣が浮かんだ。
﹁︱︱っ!! 召喚の魔法陣です!﹂
専門家のフィオレが警告をする。
1362
やがて魔法陣全体が光だし、そこから小山のような黒い獣の巨体
が浮き上がってきた。
メラン・アリエス
もともとここにあった石像にそっくりな、全身を真っ黒な毛に覆
われた偽黒羊に良く似た、だけど大きさが桁違いで背中から触手の
生えた﹃邪神﹄︱︱その生まれ変わった肉体と言うのが召喚された
のだ⋮⋮が。
満足げに己の新たな肉体を召喚したエレノアさんの顎が、かく︱
︱んと落ちた。
﹁⋮⋮死んでるじゃねーか﹂
﹁死んでるねぇ﹂
﹁死体ですね﹂
メラン・アリエス
﹁⋮⋮⋮﹂
その偽黒羊の怪物は、見事に首が切断され、何か他の魔物にでも
食べられたのか胴体の一部に、食べ残しの痕がついていた。
﹁な、な、な、なんだとぉ!?﹂
目を剥いたエレノアさんが、ふらふらと化物の死体に取りすがっ
て、叩いたり撫でたりしたけど、どーみても死後2∼3日経ってい
る死体は、ピクリとも動かなかった。
﹁まあ、取り合えず⋮⋮なんか変なの取り憑いてるみたいなので、
浄化してみようか﹂
はっと振り返ったエレノアさんに向かって、ボクは全力の死霊浄
化スキルを撃ち込んだ。
◆◇◆◇
1363
こうして、勇者の剣を巡る一連の騒動は収束した。
勇者の伝説もどこまでが本当で、どこまでが創作だったのかはわ
からないけど、なにはともあれ無事にエレノアさんも正気に戻り、
今回の騒動のお礼として︵というか、邪神を崇めていた邪教と糾弾
されるのを恐れた口止めの意味から︶転送ポイントの設置に尽力し
てくれることを約束してくれた。
なにはともあれ、実益は得られたので問題はないといったところ
だろう。
﹁でも、結局、勇者の剣でパワーアップとかはなかったなあ⋮⋮﹂
﹁人間地道に修行するのが一番だということだね﹂
帰り道、シレントには転移魔法陣がないということで、隣国まで
国境線を越えて歩くことになった。その途上で、目論見が外れたジ
ョーイががっくりと肩を落としていた。
﹁まあでも、邪神の復活を阻止できたんですから、まったくの骨折
り損というわけではないですよ師匠﹂
﹁阻止って、別に俺がなんかしたわけじゃないし⋮⋮魔物同士の縄
張り争いかなんかで死んでたんだろう、アレ﹂
﹁そーいえばそうだねぇ。そう考えると、あの近辺には邪神より強
力な魔物がいるということになるかな。大丈夫かな﹂
そう懸念を口に出した瞬間、なぜか先頭を歩いていた真珠が、木
の根にでも引っ掛かったのか姿勢を崩した。
﹁大丈夫?﹂
1364
﹁だ、大丈夫であります姫様。ま⋮まあ先のことなどわからないの
で、心配してもしかたありません。忘れましょう。そうしましょう。
きっともう居なくなりました!﹂
妙に力を込めて断言する真珠。
﹁まあ、確かに他国の問題だからねぇ。そうそう、ジョーイ。強く
なりたいようなら、知り合いに何人かコーチできる人材がいるんで
紹介できるけど?﹂
﹁ん∼∼。そうだなぁ、一度紹介してもらおうかな﹂
まろうど
﹁わかった。じゃあ国に帰ったら、話を通しておくよ。剣士だから
稀人かなぁ⋮⋮﹂
雑談をしながらボクらは一路、アミティア目指して帰り道を進む
のだった。
1365
幕間 勇者無用︵後書き︶
ジョーイと稀人が逢ったら、当然お互いに気に食わないということ
で、ひと悶着ありましたw
1366
第六話 海賊戦法
物々しい轟音を響かせて魔導機関を構成する、巨大なピストンが
シリンダー内で回転している。
案内役のクリストフ君の説明によれば、蓄えられた魔力を変換し
て、船体に取り付けられた外輪を回して加速を行う仕組みらしい。
ちょっと驚いた。まだスクリュー・プロペラの発明までには至っ
ていないけれど、初期の蒸気帆船並みの技術力があるってことだか
らね。正直、この世界の文明を中世∼近世程度に見積もっていたボ
クとしては予想外の技術力だった。
わたくし
﹁魔法を使って速度を加速させたり、攻撃したりするというお話な
ので、私はてっきり船底にゴーレムの漕ぎ手でも配置して一斉にオ
ールを漕ぐか、マストに向かって風の魔法でも放つのかと思ってお
りましたわ﹂
そんなわけで、自慢の宝物を披露する男の子の顔をしているクリ
ストフ君に向かって、ボクは苦笑しながら最初に﹃魔導帆船﹄って
聞いたとき思い浮かんだ子供っぽい予想を言ってみた。
﹁さすがにそれはないですね。いえ、実際黎明期にはそういった試
みもあったようですが、場所をとって非効率的だったり、魔術師の
消耗が激しく早い段階で淘汰されたようです﹂
澄んだ笑みを浮かべながら、こちらの無知を馬鹿にすることなく、
丁寧に解説してくれるクリストフ君。ちなみに命都と七夕の二人は、
ちょっと離れたところでこちらの様子を窺っている。
1367
﹁そうなんですか。クリストフ君は博識なんですね。恥ずかしなが
ら、私はこういったことには疎いもので⋮⋮ご面倒をおかけして申
し訳ありません﹂
﹁いえ、僕の知識は父や学校で教わった座学、それも通り一遍のも
のばかりですので、本当なら偉そうにどうこう言えるシロモノでは
ありませんから﹂
はにかんでそう答える仕草は、もとの美形と相まって非常に母性
本能をくすぐるものがある。かといって軟弱な訳ではなく、男らし
さも兼ね備えていて、エスコートもバッチリだし⋮⋮いやいや、こ
れは相当私生活でモテるんだろうねぇ。
そんな内心が表情に出たのだろう、クリストフ君が怪訝そうに聞
き返してきた。
﹁︱︱あの、なにか?﹂
﹁いえいえ。クリストフ君がとても謙虚で紳士なので感心しており
ました。さぞかしお国ではご令嬢方の注目の的なのでしょうね﹂
なるべく嫌味にならないように、思ったままを口にする。
﹁⋮⋮どうでしょうか。あまりそういうことは気にしたこともない
ですし、士官学校は男ばかりですが、友人達と馬鹿やっている方が
僕としては気楽ですね﹂
﹁あら、もったいない⋮⋮それとも、どなたか素敵な方がいらっし
ゃるの?﹂
﹁い、いえ、そんな女性はいません。本当です!﹂
なぜか断固とした口調で強弁するクリストフ君。
﹁そうなんですか、意外ですね。てっきり︱︱﹂
その先は言葉にならなかった。なぜなら、いきなり足元から突き
1368
上げるような振動がきて、ベルーガ号の船体が大きく跳ね上がった
からだ。
﹁きゃっ!﹂
完全に油断していたせいで姿勢を崩し倒れそうになる。
﹁︱︱っと?! 大丈夫ですか?﹂
覚悟していた衝撃はなく、代わりに耳元でクリストフ君の声がし
た。
倒れそうになったところを、咄嗟にクリストフ君が抱き止めらて
くれたらしい。意外と広くて鍛えられた胸の感触にドギマギしなが
ら、ボクは身を離して礼を言った。
﹁ありがとうございます。お陰で助かりました。︱︱でも、いまの
衝撃はいったい?﹂
﹁さ、さあ。この辺りは入り組んだ地形の海域ですので、岩礁にで
も乗り上げたんでしょうか﹂
お互いに照れて言葉を交わす。そんなボクらの疑問に答えるよう
に、どこからともなく乗組員達の切迫した叫びが聞こえてきた。
﹁海賊だ! 海賊の襲撃だ! 各員配置につけっ!!﹂
﹁例の報告にあった﹃紅帆海賊団﹄だ! 魔導機関全力!﹂
思わずクリストフ君と顔を見合わせた。
◆◇◆◇
1369
しま
テスタ
﹁帝国海軍だかなんだか知らねえが、俺の海域ででかい面はさせね
えぞ﹂
ロッタ
にやりと獰猛な面構えで嗤う﹃紅帆海賊団﹄の暫定旗艦﹃赤の一
番号﹄船長︱︱ももんがい。
事実上、彼の傀儡と化しているグラウィオール帝国の植民国家イ
ンユリア。
その総統府宛に届いた極秘文書の中身︱︱緊急査察の名目で、帝
国海軍の精鋭魔導艦隊が訪問予定との報を、ほぼトップアップで筒
抜けに受け取った彼は、勇躍配下の海賊船団を引き連れて、複雑に
岩礁と海流の交わるこの場所での奇襲を仕掛けたのだった。
﹁旦那様、疑問なのですが﹂
甲板上の操舵輪を操作しながら上機嫌のももんがいに向かって、
テスタロッタ
背後に立っている小間使い頭の兎人族の少女が尋ねた。
カイテイオー
﹁わざわざ﹃赤の一番号﹄や、旧式の船団を引き連れての奇襲を掛
けなくても、﹃白鯨號﹄を使えば、いかに軍艦といえども一撃なの
では?﹂
最強の剣と鎧を持っているのに、わざわざ相手の土俵に合わせて、
素手で殴り合いをするが如き行動に、不可解な表情で首を捻る少女
とは対照的に、ももんがいは苦虫をまとめて噛み潰したような顔で、
激しく首を振った。
﹁かああ∼∼∼っ! 嫌だねぇ、これだから女にゃ男の浪漫が理解
できねえんだよ。そんな約束された出来レースみたいな勝利になん
の意味がある!? お互いに五分と五分、知恵と勇気と根性で渡り
合ってこそ、海の男ってもんじゃねえか!﹂
﹁はあ⋮⋮相手の情報を掠め取って、前もって機雷を設置して奇襲
1370
を仕掛けた段階で、公平に欠ける気もしますけど⋮⋮﹂
少女のもっともな疑問に対して、ももんがいは悪びれた様子もな
く胸を張る。
パイレーツ・デュエル
﹁いいんだよ、そりゃ。そこらへんも含めての駆け引きなんだから、
パイレーツ・デュエル
条件は同じな。同じ。ナイフ一丁で渡り合う﹃海賊式決闘﹄みたい
なもんだ。知ってるか﹃海賊式決闘﹄? 左手の手首同士を革紐で
繋いで、右手に持ったナイフだけで戦う決闘だ。闘ってるどちらか
が死ぬか、屈服するまで続ける︱︱これぞ海賊! これぞ男の戦い
だねえ﹂
熱く語る主人を冷ややかに見詰める少女。んな阿呆なことは普通
の海賊はしないわ、とその目が語っていた。
その間にも接近した両艦隊の間で、戦いの火蓋が切って落とされ
ていた。まずは飛び道具︱︱石弓、弩、弓矢等︱︱の応酬が行われ
る。
火矢が飛び、火砲が唸り、魔術の炎や氷の塊が宙を駆ける。
﹁︱︱味方﹃春一番﹄大破しました。乗組員は絶望と思われます。
同じく﹃木枯らし一号﹄中破、乗組員の安否は不明です﹂
次々に飛び込んでくる味方の不甲斐ない戦況に、ももんがいがタ
ーバン越しに収まりの悪い頭を掻き毟る。
﹁一方的じゃねえか。なにやってやがる、あいつ等!?﹂
﹁まあ、もともと旦那様の下で甘い汁を吸いに来た寄せ集めですか
ら、正規軍相手ではこんなもんじゃないですか? 装備も士気も練
度も段違いですので﹂
1371
﹁⋮⋮ま、そんなところか﹂
身も蓋もない言い分だが、すべて事実なのでぶ然としながらも頷
くももんがい。
﹁しゃあねえ、ちょっくら俺が敵の大将を取ってくるんで、後のこ
とは副長に任せる。︱︱つーか、どこにいるんだ他の連中は?﹂
﹁船内にいるに決まってますよ。こんないつ流れ弾が飛んで来るか
わからない場所に、突っ立ってるわけないでしょう﹂
﹃阿呆ですか、あなたは﹄と言わんばかりの口調に、ももんがいは
口を尖らせる。
﹁⋮⋮お前はいるじゃねーか﹂
﹁ええ、目の前にちょうど良い弾除けがありますので。旦那様がい
なくなれば、すぐに船内に戻りますよ﹂
﹁⋮⋮お前、本当は俺のこと主人だと思ってないだろう?﹂
﹁まさか! それは下種の勘繰りですよ旦那様﹂
その表現がどう考えても主人に対するものとは違うなぁ、と思う
ももんがいであった。
﹁まあ、なんでもいい。兎に角、敵さんの総大将は帝国の大公様ら
しいからな、こいつを人質に取れば身代金もたんまりだろう。上手
くすればインユリアをそっくり、表立って俺のものに⋮⋮いや、マ
ズイか﹂
そもそも裏から北部域を支配して、パワーバランスを取るのが彼
に与えられた役割であり、現状でも逸脱気味なのは理解している。
本来なら、帝国の正規軍と表立って事を構えるなどせず、さっさと
逃げの一手を打つのが得策であり、この戦の勝敗に係わり合いなく、
1372
まず間違いなく自分はなんらかの制裁の対象となるだろう。
﹁だが、海の男がいちいち明日のことを考えてもしかたねえ!﹂
海に向かって絶叫するももんがい。
﹁またいつもの発作ですか﹂
慣れた様子でばっさり切り捨てながらも、甲板に準備しておいた
彼の騎獣の手綱を解いて渡す。
﹁おうっ、わりーな。︱︱んじゃ、ちょっくら行ってくるぜ!﹂
ももんがいは颯爽と騎獣に跨り、手綱を引いて一気に海面へとダ
イブした。
一際大きな水飛沫が上がり、数秒間の潜行の後、海面に浮かび上
がる。
ハ
そのまま全速力で敵艦隊の旗艦らしき、一際大きな魔導帆船目掛
けて突き進む。
﹁さてさて、帝国正規軍の腕前を見せてもらうぜ!﹂
ンガー
歓声を上げながら、ももんがいは片手に手綱、片手に抜き身の片
手長剣を構え、時折降って来る流れ弾や弓矢を払い除けながら、あ
っという間に旗艦の懐へと飛び込んで行った。
1373
第六話 海賊戦法︵後書き︶
11/6 魔導帆船の構造について、ご指摘がありましたので修正
しました。
×船尾に取り付けられた外輪↓○船体に取り付けられた外輪
×巨大なピストンやシリンダーが回転している↓○巨大なピストン
がシリンダー内で回転している
1374
第七話 海賊決闘
せつげん
﹃海賊戦法﹄別名、移乗攻撃や接舷攻撃とも呼ばれるこれは、要す
るに敵の艦船に橋や鉤付きの綱で戦闘員を乗り移らせ、白兵戦を仕
掛ける海戦術を指している。
海賊戦法と呼ばれる由縁は、海賊の襲撃目的は要するに、敵の撃
沈ではなく略奪や敵艦船の鹵獲であるため、もっぱらこの攻撃方法
が主流となっていたことからそう呼ばれたのであるが、実際には大
砲の発達する近代近くまで、正規軍の主要な攻撃手段であったので、
一概に海賊の専売特許というわけでもなかったりする︵そもそも海
兵隊というのが、そのための部隊であったので︶。
とは言え通常であれば、艦船同士の接舷を経て、戦闘人員の移動
を行うところを、ももんがいは単騎でもって一足飛びにそれを執り
行おうとしていた。
ハンガー
﹁︱︱よっと﹂
片手長剣を口に咥えて、何の道具も使わずに騎獣の鞍を足場にジ
ャンプ。さらに船の外板の継ぎ目を足場に空中で二段階ジャンプを
加えて、グラウィオール帝国の誇る大型魔導帆船ベルーガ号の喫水
線の遥か上、フォアセイル上部に達しようかと言う大ジャンプを慣
行する。
﹁おらおら! 邪魔だぁ!!﹂
水面からまるでロケットのように飛び上がってきた敵の姿に、唖
然とする海兵たちの只中に、雄叫びと共に踊り込むももんがい。
1375
虚を突かれた海兵たちだが、そこは痩せても枯れても帝国海軍。
即座に抜剣をして、ももんがいを取り囲んで押し込もうとする。
だが勢いに乗ったももんがいは、目にも止まらぬ身のこなしで、
手当たり次第にその包囲陣を突き破る。無論、海兵達も無抵抗でこ
れに応じていたわけでもないが、なにしろ相手は混戦の中、海面か
疾風怒濤
﹂腕の一振りで暴風を起
らの跳躍で楽々とこちらの旗艦へと突入してくる出鱈目な身体能力
を持っている上、﹁面倒だ!
こし、甲板上の海兵たちを薙ぎ倒すという規格外の怪物である。
﹁精霊使いか!?﹂
騒ぎを聞きつけ駆けつけた後続の兵士や魔術師が目を剥く。
ハンガー
慌てて距離を置いて、弓矢や魔術による攻撃で足を止めようとす
るが、片手長剣で薙ぎ払われ、強靭な手足で殴り飛ばされ、精霊魔
術で蹂躙され、グラウィオール帝国の誇る海兵隊たちが、たちまち
のうちに総崩れとなった。
ももんがいの突入で完全に機能不全に陥った旗艦を援護しようと、
他の艦が救助に向かおうとするが、大穴の開いた戦列に海賊船団が
入り込み、ものの見事に敵味方が入り混じる大混戦となった。こう
なると連携も何もあったものではない。やむなく数で勝る海賊船団
に対して、個々に対応せざるを得なくなり、他方に手を貸す余裕が
なくなってしまった。
一方、実に楽しげに思う存分暴れていたももんがいだが、気が付
けば甲板上に居た海兵をあらかた排除し終えたのに気が付いて、な
んとなく物足りなさそうな顔で周囲を見渡した。
﹁なんでえ、もう終わりか。司令官格は⋮⋮さすがにいねーか、ブ
ルって隠れてやがるか。しゃあねえなぁ、こっちから行ってやるか﹂
面倒臭そうに独りごちながら、すっかり人気のなくなった甲板を
1376
悠々と歩きながら、船内に続く扉のところまでいくと、無造作に扉
を開いた。
にっこり、と扉の向こうには12∼13歳位と思われる、ショー
トラインの黒と薔薇をあしらったドレスを纏った、長い黒髪の少女
が微笑んでいた。
御伽噺に出てくるお姫様か、物語の女神がそのまま現実に現れた
ような、愛らしさと神秘性を併せ持った美少女である。
夜の闇と星々の輝きを溶かし込んだかのような細く長い髪と、愛
らしくも妖しい輝きを秘めた真紅の瞳。優しさと儚さとが同居した
その容姿は、恐ろしいほど可憐で精巧な芸術品のようで、あまりに
も浮世離れしているため、見ていて落ち着かない気分に陥るほどで
あった。
バタン!と勢い良く開けたばかりの扉を閉め、見なかったことに
してその場で回れ右するももんがい。
次の瞬間、扉が内側から蹴り開けられ、蝶番ごと吹っ飛んだ扉と
ともに、巻き込まれたももんがいの体も宙を飛ぶ。
﹁うわあああっ!?!﹂
マスト
甲板上で2∼3度バウンドしながら、どうにか帆柱に掴まって体
勢を立て直すももんがい。
扉の方はクルクルと回転しながら海へと落ちていった。
﹁︱︱人の顔を見て、いきなり帰るなんて失礼じゃないかな﹂
笑顔はそのままに、扉を蹴り飛ばした姿勢から一歩、足を外に踏
み出す緋雪。
1377
その背後には命都と七夕がそれぞれ完全武装︵七夕の場合は普段
の露出過多の恰好に加えて、両手にタルワールと呼ばれる刀身が大
きく反った片刃剣を握っているだけだが︶で控えている。
さらにその後方で︱︱危ないので待機しているようにと緋雪が注
意したのだが、強引に付いて来た︱︱クリストフが、軽く目を見開
いて、装いも雰囲気も一変した緋雪を見ていた。
甲板へと出る直前、ちらりと彼に微笑を送る緋雪。
わたし
﹁はしたないところをお見せして失礼、クリストフ君。とは言え、
これから私は修羅へと変じますので、これ以上、幻滅したくなけれ
ばその場から動かないことをお勧めしますよ﹂
言い放つと、返事も聞かずに緋雪は飛び出していった。
命都と七夕も同時にダッシュする。
◆◇◆◇
﹁ちょっと待てえ?! なんでお前がここにいるんだ?﹂
ジル・ド・レエ
驚愕の表情を浮かべるももんがいさんに向かって、問答無用で手
にした﹃薔薇の罪人﹄を一閃する。プレーヤー相手に油断や無駄口
など叩く暇はないのだ!
﹁ちっ︱︱!?﹂
咄嗟に身体を投げ出すようにして、甲板を転がって避けるももん
がいさん。
1378
代わりに⋮⋮というわけじゃないけど、ボクの斬撃は勢い余って、
マスト
一瞬前まで彼が居た場所︱︱フォアマストとか呼ばれる船首に近い
帆柱︱︱を一刀両断した。
マスト
そのまま倒れ掛かってくる帆柱に向かって、七夕が跳躍しつつ空
中で踊るように二刀を乱舞させ、一瞬にしてそれを細い丸太へと変
える。
﹁むう、やっぱり船の上だと足場が安定しない分、一拍遅れるねぇ﹂
いまの一撃は完全に捕らえたと思ったんだけど、常時船が揺れて
いるのと、本気で踏み込んだら一発で床を踏み抜きそうな懸念があ
ったので、無意識のうちに余分な動きが混じってしまったらしい。
逆にももんがいさんの方は、船上の動きに迷いがなく無駄がない。
﹁ま、その分は手数で補えばいいか。いくよ命都、七夕。手足の5
ハンガー
∼6本吹き飛ばしても構わないから、ももんがいさんの動きを止め
るよ﹂
﹁はい、姫様﹂
﹁お任せください、姫様﹂
﹁ちょっと待て、ちょっと待て!﹂
身を起こしたももんがいさんが、片手長剣を甲板に突き立て、広
げた両手を盛んに振った。
﹁なに、降参?﹂
だったら話は早いんだけどねー。
俺TUEEE
﹁卑怯だろう! こっちは一人で、武器も出来合いの鋼鉄製、おま
けに従魔合身もしてないんだぞ!﹂
﹁⋮⋮いや、それ、君がプレーヤースキル使いまくって天下無双し
1379
た、海兵の皆さんも同じこと思ったと思うよ?﹂
どの口が言うんだって感じだねぇ。
﹁だからこっちもハンディつけたじゃねえか! 相手がプレーヤー
ならプレーヤーの装備と準備して相手してる!﹂
﹁だから? 準備するまで待てとか、戦場でぬるま湯みたいなこと
言い出すんじゃないだろうねぇ﹂
むっと一瞬黙り込んだところを見ると、どうやら本気の図星だっ
たらしい。
阿呆かな、この人。ぶっちゃけ個人的に話したことはほとんどな
パイレーツ・
かったけど、こんな香ばしい性格だったとは知らなかったよ。
デュエル
﹁だったらここは正々堂々、お互い男と男の意地を賭けて﹃海賊式
決闘﹄で勝負を決めようじゃないか!﹂
傲然と胸を張って、訳のわからない提案をするももんがいさん。
﹁は? オトコ⋮⋮?﹂
﹁おう!﹂
﹁⋮⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮あの。お前、男だったよな?﹂
急に不安になったような顔で確認してくるももんがいさん。
﹁︱︱あっ﹂
忘れてた。何ヶ月も24時間おにゃのこをやってたんで、最近は
すっかり忘れてたけど、そーいやそーだったわ。それにしても、緋
雪に転生だかしてからこっち、まともにオトコ扱いされたのって初
めてかも。ちょっと感動。
1380
パイレーツ・デュエル
﹁はいはい、オトコと男の意地ね。それで、その﹃海賊式決闘﹄っ
てなぁに?﹂
なんとなく新鮮な気持ちになったので、大いなる博愛の心でもっ
て、ももんがいさんの言うことに耳を貸すことにした。
﹁そうこなくっちゃな!﹂
ももんがいさんが両手を叩いて喝采を叫んだ。
パイレーツ・デュエル
で、説明してくれた﹃海賊式決闘﹄のやり方だけど、お互いに左
手首を革紐で繋いだ状態で、右手に持ったナイフだけで闘うという
野蛮この上ないものだった。
﹁まあ、お互いにナイフじゃそうそう死ぬことはないだろうから、
インベントリ
先に3撃入れた方が勝ちってことにしようぜ﹂
言いながら収納スペースからナイフを2本と革紐を取り出し、ナ
イフの一本を投げてよこした。
空中でこれをキャッチして、即座にそれをももんがいさん目掛け
て投擲する。
﹁︱︱なあ?!﹂
間一髪、手にしたナイフで捌かれた。やっぱボクの投擲スキルは
低いから、この程度の威力しか出せないか⋮⋮。
﹁なにしやがる、手前!? 決闘を反故にするつもりか?!﹂
﹁︱︱いや、そもそも承諾したつもりはないんだけど?﹂
なんで圧倒的に有利な状況で、わざわざそんな阿呆なことしなき
ゃいけないのさ?
1381
ももんがいさんの逃げ場を塞ぐ形で、命都と七夕が左右に分かれ
る。
﹁卑怯だぞ! 手前には男の誇りはないのか!!﹂
﹁もうないよ﹂
あったらミニスカート穿いて、こんなところで立ち回りしてられ
るかっての。
ジル・ド・レエ
手にしたナイフで防御しようとするももんがいさんだけど、そん
なもんでボクの﹃薔薇の罪人﹄が防げるわけがない。
上段からの一撃でバッサリ︱︱と、決まりかけたその瞬間、猛烈
な勢いで接近してきた赤い帆の大型魔導帆船が、こちらに向けて体
当たりを敢行してきた。
接近に気付いたベルーガ号が舵を切り、直撃コースを外れようと
する。
まさにその瞬間、ももんがいさんを斬りつけようとしたボクの体
ジル・ド・レエ
勢が崩れ、その一瞬の隙を見逃さず、体当たりしてきたももんがい
さんの背中に、﹃薔薇の罪人﹄を叩き込んだけど、無理な体勢から
だったために、背中の肉を一文字に斬っただけに留まった。
﹁﹁姫様!?﹂﹂
命都と七夕の悲鳴を聞きながら、そのまま揃って船縁を飛び出し、
ももんがいさんともつれ合うようにして、海の中へと落下する。
落ちる瞬間、誰かが水に飛び込んだような気がしたけれど、ほぼ
金槌のボクは成す術もなく、必死に手足をバタつかせるだけで精一
杯だった。
1382
第八話 海賊憂愁︵前書き︶
海賊編は一区切りですね。
1383
第八話 海賊憂愁
海面がもの凄い勢いで遠くなる。
おもり
必死に手足をバタつかせるけど、まるっきり効果なく身体に錘で
も付いているかのように、どんどんと暗くて深い海底へと引き摺り
込まれて行く。
﹁︱︱くぁwせdrftgyふじこlp!?!﹂
あぶく
声にならない悲鳴は泡となり、塩辛い海水が口と鼻からどんどん
と入って来て、それに比例するようにして意識が急速に遠くなって
きた。
**********
﹃⋮⋮ぎゃははっ! なんだよ、まだ早いだろう。せっかく俺が親
切にもお前のアタマ洗ってやろうってのに、なにもう顔を上げてる
よ
んだ。息止めて5分間は浸かってろよ。ホレ!﹄
**********
フラッシュバック
あ、なんか嫌な走馬灯が過ぎってる⋮⋮。
思えば水が嫌いになったのは、あの変態従兄のイジメが原因だっ
たっけなぁ。
てゆーか、そもそも伯父の家では水着を買ってもらえなかったか
ら、小中学校の水泳はずっと見学でプールに入ったこともなかった
し⋮⋮で、そんなことしてたら、﹁あいつ本当は女なんじゃないの
1384
か?﹂とか変な噂が立って、学校でもいじられ対象になって嫌な思
いをしたし。
⋮⋮う∼∼む、やっぱり、水場は鬼門だったのか⋮⋮も⋮⋮。
と、意識が途切れる寸前に、誰かがボクの身体をギュっと抱き締
めて、そのまますごい勢いで海面目掛けて浮上していく気がした。
﹁︱︱ぶはっ!! 大丈夫ですか、緋雪様!?﹂
明るい日差しと頬に当たる風の感触、そしてなにより切迫したク
リストフ君の叫びで、一気に意識が覚醒する。
﹁︱︱ごほっ⋮⋮ごほごほごほっ!! がは⋮⋮﹂
溜まっていた水を吐き出して、涙目で軽くうなずく。
ジル・ド・レエ
しばらく咳をして、ようやく呼吸が楽になったところで、自分の
恰好︱︱﹃薔薇の罪人﹄を持ったまま︵よく落とさなかったものだ
ジル・ド・レエ
インベント
ね︶、無意識のうちにクリストフ君の首に両手を回して取りすがっ
リ
ている︱︱のに気付いて、取り合えず﹃薔薇の罪人﹄を収納スペー
スにしまった。
﹁ありがとうございます、クリストフ君。お陰で助かりました﹂
で、そのまま超至近距離で、お礼を言う。どうやらさっき、もも
んがいさんと海へ落ちた直後、誰かが追いかけて飛び込んだのは気
のせいではなかったらしい。
﹁どういたしまして。お役に立てたようでなによりです﹂
クリストフ君が邪気のない笑みを浮かべた。
むうう、なんてゆーか⋮⋮ボクなんかの作り笑いとは違って、こ
ういう天然の笑みは反則だねぇ。普通の女の子だったらフラグ立ち
まくりじゃないだろうか?
1385
﹁姫様! ご無事ですか!?﹂
たなばた
みこと
そこへ背中から三対六翼の羽根を広げた命都と、白鳥の羽を生や
した七夕が舞い降りてきた。
﹁ああ、うん、大丈夫。クリストフ君のお陰で⋮⋮﹂
くおん
そう口に出したところで、ふと、思い出した。こういうときの為
に久遠と従魔合身してたんじゃないかい。なにしてるわけ?!
﹃久遠! ちょっと、なんで黙ってるわけ!?﹄
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹃⋮⋮まさか、また寝てるんじゃないだろうね?!﹄
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹃くーおーんーっ!!!﹄
﹃⋮⋮⋮⋮お?﹄
やっぱ寝てたな、この反応は!!
﹃⋮⋮海ですか。気持ちがいいですなあ、海は﹄
うわっ、駄目だこいつ⋮⋮。
てんがい
こんなことなら他の水棲従魔と合身しとけばよかった。いや、普
段どおりの天涯か四凶天王の誰かでも問題なかったよねぇ⋮⋮と激
しく後悔したところで、もう一点、気になったことをクリストフ君
に尋ねた。
﹁私と一緒に落ちたももんがい︱︱あのターバンを被った海賊はど
うなったかご存知ですか?﹂
﹁ああ、アレなら︱︱﹂
クリストフ君が答えるよりも早く、その当人の叫び声が離れたと
ころから聞こえてきた。
1386
﹁これで勝ったと思うなよ︱︱︱︱︱︱︱︱っっっ!!﹂
見れば、角の生えたトドみたいな海獣に跨ったももんがいさんが、
悔しげな顔で負け犬っぽい捨て台詞を残して、自分の船へと戻って
いくところだった。
﹁⋮⋮素であんなこと臆面もなく口に出せる人もいるんだねぇ﹂
感心している間に、ももんがいさんは自分の船へと辿り着いて、
大慌てで船内へと逃げ込んでいった。一瞬、バニーガールが出迎え
たような気がしたけど、多分気のせいだろうね。
◆◇◆◇
﹁旦那様、お帰りなさいませ﹂
どこの風俗だとツッコミを入れたくなるような挨拶と恰好をした、
いつもの兎人族の少女が出迎えるが、ももんがいはそんな彼女を無
視して、血相を変えて船室へと飛び込んで行った。
﹁? どうされました旦那様︱︱って、背中がばっさり斬られてま
すけど。珍しいですね﹂
追い駆けてきた少女が、ももんがいの背中に走った一条の刀傷を
見て軽く目を瞠った。
ワ
﹁ご主人様にこれほどの深手を負わせるような、凄腕の敵がいたん
ですか?﹂
ンマンハルマゲドン
﹁ああ。とんでもない奴が紛れ込んでやがった! 別名﹃漆黒の一
1387
リーサルプリンセス
人最終戦争﹄﹃天使の皮を被った罠﹄﹃最終兵器姫君﹄その他多数
! 奴を形容する言葉は数知れないという、恐ろしい相手だ!﹂
ゲーム時代、密かに流布されていた︵本人の知らない︶緋雪の形
容詞を口に出して、ぶるりと身震いしながら恐怖と絶望とに染まっ
た顔で振り返るももんがい。
カイテイオー
﹁兎に角、奴が出てきた以上は、三十六計逃げるが勝ちだ! お前
らはさっさとこの海域から逃げろ! 俺はすぐに﹃白鯨號﹄に転移
して、帝国海軍の始末だけして後顧の憂いを取り除いてから行くん
で、取りあえず⋮⋮この先のルス岬の先で落ち合おう﹂
カイテイオー
﹁はあ⋮⋮結局、﹃白鯨號﹄を使うんですか?﹂
カイテイオー
言うことがコロコロ変わるなあ、という顔で少女が曖昧に頷く。
テスタロッタ
﹁状況が変わったんだ! 落ち合ったらすぐに全員、﹃白鯨號﹄に
乗り移れ。﹃赤の一番号﹄はその場で破棄する。時間がない、すぐ
にトンズラできる支度をしておけ!﹂
﹁︱︱? 破棄するんですか? 帝国艦隊を叩き潰して行くんです
よね?﹂
﹁ああそうだ! たとえ艦隊ごと沈めたところで、奴が死ぬわけが
ない! あの化物がっ!!﹂
◆◇◆◇
1388
﹁︱︱くしょん﹂
むっ、着替えて身体も拭いた筈だけど、やはり北の海は冷たかっ
たのか、不意にクシャミが出た。
まあ風邪なんて引くことはないだろうし、引いたら引いたで自分
で治せばいいので、どうでもいいんだけど。
﹁大丈夫ですか、緋雪様?﹂
同じく着替えて︱︱と言っても士官学校の制服の代えはなかった
ので、下士官用の制服を借りている︱︱クリストフ君が心配そうに、
ボクの顔を覗き込んできた。
ちなみに現在はベルーガ号の甲板に戻って、負傷者の手当てをし
ている︵ただし死者の蘇生は行っていない。それができると世に知
られればこの世界のパワーバランスを崩す恐れがあるので、公表は
しないことにしている︶。
フォーメーション
そのお陰というわけでもないだろうけど、帝国軍の方はじりじり
オールレンジガード
と戦況を押し返しているようで、艦隊も艦隊形態を変え、旗艦のベ
ルーガ号を下げて全方位防御の態勢を取った。
要するに足をとめて周囲の有象無象を全て排除するつもりらしい。
事実、目に見える範囲でも、次々と海賊船団の大型船や小型艇が海
の藻屑と消えて行っている。
﹁ええ、ちょっとクシャミが出ただけで、特に身体に不都合はない
ですよ﹂
そう言うとクリストフ君は、見るからにほっとした顔で胸を撫で
下ろした。それにしても、彼には本当にいろいろとお世話になった
ねぇ。
﹁クリストフ君には、なにかお礼をしたいのですが、私にできるこ
とがあればなんなりとおっしゃってください﹂
1389
ひきだし
まあ相手は大国の大公の一子。大概の我儘は通せる身分だとは思
うけど、いちおうこちらの方が出来ることの抽斗は多いと思うので
訊いてみた。
﹁お礼⋮⋮ですか﹂
虚を突かれたような顔で瞳を何度かまばたきするクリストフ君。
﹁そんなものは︱︱あっ。
⋮⋮。⋮⋮あの、では厚かましいお願いですが、く、くち﹂
最初は遠慮しようとして、すぐになにか思いついたようで、ボク
の顔を見てなぜか頬を染めて、もごもごと何か言い掛けた︱︱その
時、
﹁なんだあれは!?﹂
回復した海兵の一人が、前方の海域を指差して驚愕の声をあげた。
反射的にそちらの方を向くと、海面がまるで火山の噴火のように
ぶくぶくと激しく泡立ち、続いてなにか巨大で黒い影が下から見え
たかと思った瞬間、海面を突き破って鋭角の塔のようなものが垂直
に浮上してきた。
その形状を目にしたボクの口から、自然とその単語が零れ落ちた。
﹁⋮⋮ドリル?﹂
◆◇◆◇
1390
カイテイオー
コントロールルーム
﹁行くぞ﹃白鯨號﹄っ。メカ戦だ、全速前進!﹂
カイテイオー
機械類で埋め尽くされた操縦席に陣取って、ももんがいが操縦桿
を操作するのに併せて、彼のギルドホーム﹃海底軍艦・白鯨號﹄が
白波を掻き分け、帝国艦隊へと突進して行く。
GH
ちなみに各ギルドホームとも操作は基本コントロールルームに座
って、目の前に表示されるタッチスクリーンで移動・外観内装変更
などを行う仕様であり、基本操作はどれも一緒で余分なモノは一切
ない。
はっきりいってここにある機械群はまったく意味がなく、彼の趣
味による単なる飾りである。
カイテイオー
ついでに付け加えるのなら、基本的にGHには武装は取り付けら
ドリル
れないので、外観がどうであれ丸腰であり、白鯨號の船首部分に取
り付けられた回転衝角も、一応回転するだけで地面に潜ったりはで
きない、床屋の看板みたいなものであった。
とは言え全長390メートルの巨体はその質量そのものが充分な
兵器であり、この世界の木造船などまさに木の葉のように蹂躙する
であろう。
﹁目標は敵旗艦だ、さっさと斃してバックレるぞ!﹂
﹃アラホラサッサー!﹄
自分自身と周囲に控える部下︱︱タ○ノコ的なノリで掛け声を返
カイテイオー
す半魚人、河童、船幽霊などの従魔︱︱を鼓舞しながら、最大速度
で敵味方入り乱れる戦場へと乱入しようとする﹃白鯨號﹄。
モニター越しでも相手方の激しい動揺が伝わってくるようだが、
逃げられるわけがない。
だが、勝利を確信したももんがいの顔︱︱いや、身体が︱︱いや、
1391
カイテイオー
﹃白鯨號﹄全体︱︱が、次の瞬間、下から猛烈な勢いで突き上げら
れ、風に舞う木の葉のように天高く舞い上がった。
﹁な︱︱なんじゃこりゃああああああっ!?!﹂
カイテイオー
混乱のまま絶叫を放つももんがい。
そして、放物線を描く﹃白鯨號﹄の巨体に向け、天空から雷撃の
プラ
嵐がシャワーのように浴びせられ、一瞬にして黒焦げになった船体
チナ
バハムート
が力なく自由落下し、海面で待ち構えていた全長数キロメールの白
金色をした魚とも龍ともつかない怪物︱︱十三魔将軍の︻神魚︼久
遠の背中へと落ちた。
﹁︱︱ふむ、天涯の坊主よ。この玩具壊さぬよう、ちゃんと加減し
たんじゃろうな? 儂が叩いた時に比べて、随分とみすぼらしくな
っておるようじゃが﹂
カイテイオー
ちらりと背中の﹃白鯨號﹄を確認した久遠が、頭上を見上げて確
認すると、蒼穹を割って降りてきた黄金色のドラゴン︱︱天涯が不
満そうな唸りを発した。
﹁無論だ。この私が仕損じることなどありはしない。それよりも、
ご老人こそ少々仕掛けるのが遅かったようだが﹂
﹁お主がせっかち過ぎるのよ。どうにもお前さんには余裕が足りん
のぉ﹂
◆◇◆◇
1392
水平線を挟んで口論するプラチナとゴールドのドラゴン。
カイテイオー
人知を超えた一連の出来事に唖然として、戦闘の手が収まった︱
︱と言うか、水中から久遠が﹃白鯨號﹄を跳ね飛ばした衝撃で発生
した高波に飲まれて、海賊の船舶はほとんどが沈んでしまったため、
自然消滅的に海戦は帝国艦隊の勝利で終わった︱︱魔導帆船ベルー
ガ号の甲板で、騒ぎに驚いて出てきたエストラダ提督に向かって、
ボクは頭を下げた。
﹁どうも申し訳ありません。身内の恥をこのような場で晒してしま
い、お恥ずかしい限りです﹂
狐に抓まれたような顔をしていたエストラダ提督だけど、ボクの
言葉で正気に返ったらしい、相変わらず空中から小言を放っている
カイテイオー
天涯と、海面でのらりくらい躱している久遠、さらにその背中に焦
げて落ちている﹃白鯨號﹄とを、交互に指差した。
﹁姫陛下⋮⋮これは、すべて陛下の⋮⋮?﹂
﹁ええ、無事に鹵獲できて幸いです﹂
テレポーター
まあ、これからあっちに乗り移って完全に制圧して、転移門を抑
えないことには成功とはいえないけど。
﹁なんと、まあ⋮⋮﹂
言葉に出来ないという感じで、緩く首を横に振るエストラダ提督。
﹁それでは、私はあの船に用事があるので、申し訳ありませんがこ
こでお暇させていただきます﹂
そう提督に別れの挨拶をしたところで、クリストフ君が何か言い
1393
たげな顔をしているのに気が付いた。
﹁そういえば、クリストフ君には先ほどのお礼の件をまだ聞いてい
ませんでしたね。ちょっといまは取り込む予定ですので、申し訳あ
りませんが後日、改めてお伺いしてお話を聞くということでよろし
いでしょうか?﹂
﹁あ、はい! ぜひお待ちしています!﹂
ぱっと顔を輝かせて何度も頷くクリストフ君。
そんな息子の顔を見て、なぜかニヤニヤ笑いを浮かべながらエス
トラダ提督が一言言い添えてきた。
﹁私も妻もお待ちしていますので、いつでもおいでください。心か
ら歓迎いたします。陛下﹂
﹁はあ? ありがとうございます﹂
よくわからないまま一礼をして、ボクは七夕が変じた大白鳥に乗
って、その場を後にした。
隣には命都が追随して飛行している。
﹁さて、これでなんとかなればいいんだけど﹂
独りごちながら、延々と不毛な口論をしている天涯たちの下へと
向かうのだった。
1394
第八話 海賊憂愁︵後書き︶
次回からいよいよ蒼神戦本編か、もうワンクッション置く予定です。
あと、カイテイオーはドリルなしの方向だったのですが、なんかあ
っさり終了したので、見栄え優先でつけました︵`・ω・´︶
大きさについては某海底軍艦のアニメ版準拠です。
1395
第九話 蒼神無窮
﹁︱︱よっ、と﹂
ひしゃく
最後に残った敵の残党︱︱柄杓を持った船幽霊︱︱を排除したと
ころで、コントロールルーム内にいた従魔は、あらかたいなくなっ
た。
﹁⋮⋮こんなものかな。天涯、他の場所の制圧具合はどう?﹂
ちょうど戻ってきた人間形態の天涯に確認してみる。
﹁はい。船内の各施設及び敵従魔の制圧は全て完了しております。
念のために親衛隊と七禍星獣各員を、船内の主要なブロックに配置、
また十三魔将軍を船外に待機させておりますので、万が一、造反や
逃亡の恐れがあった場合には、即座に対応する手筈を整えてござい
ます﹂
一礼して、全ての対応がつつがなく終わった旨を報告してくれた。
﹁︱︱と言うことらしいので、ももんがいさん。無駄な抵抗はやめ
て、いいかげん観念してこっちの言うことに従って欲しいんだけど﹂
両手でスカートの後ろを押さえながら、膝を閉じたまま爪先立ち
になり、踵の上にお尻を載せて腰をおろした姿勢で、オリハルコン
製のチェーンで床の上に簀巻きにして、猿轡を被せてあるももんが
いさんの顔を覗き込んで言い含めると、なぜか猛烈に怒った様子で、
水揚げされた魚みたいに跳ね回った。
1396
﹁ふるふぇえ! ふぁれふぁふぇふぇえふぉふーふおふふふぁ!!
︵うるせえっ! 誰が手前の言うことを聞くか!!︶﹂
﹁⋮⋮喜んで協力しますって雰囲気じゃないねぇ。まあ、別になに
か協力してもらうとかは、端から思ってはいないんで、そこで黙っ
て見ていてもらえばいいんだけどさ﹂
ボクは軽く肩をすくめて、その視線を受け流す。猿轡を外して話
をしたいところだけど、コマンド一つでスキルは発動するからねぇ。
安全の為にも迂闊な真似はできないところだね。
﹁ふぁ? ふあふふふぉふふふおーふふあ?︵なに? 何をするつ
もりだ?︶﹂
テレポーター
﹁多分、﹁どうする気だ?﹂とか﹁何が目的だ?﹂とか聞いてるん
だろうけど、別に大したことじゃないよ、この船にある﹃転移門﹄
を使わせてもらうだけだから﹂
テレポーター
ちなみに﹃転移門﹄は、ここコントロールルーム内の床の中央に、
でんと配置されていた。
︵これがスイッチになる︶があり、表
見た感じ直径2メートルほどのマンホールの蓋みたいな感じで、
中央に握り拳大の漆黒の珠
面には幾何学紋様のような溝が彫られている。
テレポーター
テレポーター
﹁ふぉらんふぉーふぁー?!︵転移門?!︶﹂
あ、これは何を言ったかわかった。﹁﹃転移門﹄?!﹂だね。
と、怪訝な表情を浮かべていたももんがいさんの目に理解の色が
浮かび、同時にその目がこぼれんばかりに見開かれた。
そのままフガフガ喚きながら、前にも増して水揚げされた海老み
たいに大暴れで、床の上で跳ね回るのを、面倒臭げに天涯が押さえ
1397
付けた。やっと大人しくなったももんがいさんだけど、その瞳に浮
かんだ感情の色は、果てしない恐怖と絶望だった。
テレポーター
﹁どうやら、この転移門の行く先はデーブータさんのところで間違
いないみたいだね。まあ、ここまで手筈整えてハズレとかだと洒落
にならないからねぇ﹂
実際、大変だったよ。オリアーナ皇女と協力して、表向きは帝国
艦隊が査察するという名目でインユリアの総統府宛に文書を送って、
実際に帝国の虎の子の魔導帆船団を出撃させる。
でも、裏ではすでに帝国の情報部と監査部隊がインユリアに潜入
して、どのルートで情報が漏れるかを確認して、﹃紅帆海賊団﹄を
おびき寄せるのと同時に、海賊に取り込まれていた上層部をほぼ一
網打尽にする二段構えの策だったりする。今頃は、インユリアの植
民市全体に帝国の手が入っていることだろう。
ということで、オリアーナはオリアーナで自分の仕事をきちんと
やり遂げてくれたんだから、こちらも負けずに目的を果たさないと
ね。
﹁取りあえず余計なことされるとマズイので、ももんがいさんは別
カイテイオー
の場所に移しておいて、それが終わったら当初の予定通り、円卓の
テレポーター
魔将を中心に突入班を編成。念のために﹃白鯨號﹄は動力部を破壊
テレ
してから、空中庭園へ移送してそこで転移門を使うことにするよ﹂
立ち上がって指示を出す。
﹁この大きさですと、何名か転移できない者もおりますな⋮⋮﹂
ポーター
ももんがいさんを押さえ付けたまま、天涯は2メートルほどの転
移門を睨んで難しい顔になった。
1398
まあ、確かに魔将には図体のでっかいのが多いからね。全員これ
カイテイオー
で転移できるわけないけど、それは最初から織り込み済み。その代
わり⋮⋮と言うわけでもないけど、わざわざこれから白鯨號を空中
庭園へ移動させるのには訳がある。
まろうど
くいん
要するに表立って動けない影郎さんを当て込んでいるからで、他
にも希望者がいれば︱︱多分、稀人とか九印あたりは率先して参加
するだろう︱︱お願いする形で、使える戦力は出し惜しみしないで
投入するためだ。
﹁まあ、最悪、空中庭園をイーオン聖王国の聖都ファクシミレ上空
に待機させておいて、いざと言う時にはそこから追加要員を降ろす
つもりだけど﹂
インペリアル・クリムゾン
ただそうなったらまず間違いなく真紅帝国とイーオン聖王国との
全面戦争ということになるだろう。
そしてそうなった時点でボクの負けは確定する。
いや、その気になれば聖王国全てを灰燼に帰することも可能だろ
インペリアル・クリムゾン
うけれど、そうなれば基本聖教が倫理や生活の基盤になっているこ
の世界。大陸に住む人々の怨嗟と憎悪は全て真紅帝国⋮⋮いや、私・
緋雪に向けられるだろう。
ボク
無論、そうした人々を全て屠り、力による支配を行うことも可能
ボク
だろう。だが、私はそんな血で血を洗う⋮⋮犠牲と恐怖で人を支配
するような蛮行を決して容認できない。私がなりたいのは、あくま
でも良き隣人であるのだから。
もてあそ
なので、勝利条件はただ一つ。神を名乗り、この世界を玩ぶデー
ブータさんを排除すること。それだけだ。
﹁まあ、取りあえず実際に転移するのはそれらの準備が整ってから
1399
⋮かな。ぶっつけ本番だけど、事前に試すわけにもいかないからね。
そんなわけで、見張りを残していったん︱︱﹂
決意も新たに、いったんこの場から撤収しようと踵を返しかけた
ところで、天涯に押さえ付けられているももんがいさんの動きが妙
なのに気が付いて首を捻った。
さっきまで往生際悪く跳ね回っていた筈が、いまはまるで石像に
でもなったようにピクリとも動かず、顔面を蒼白に変え一点を見詰
めていた。そして、その瞳にある色は、ただ絶望の一文字だった。
テレポーター
はっとしてその視線の先を見てみれば、転移門の紋様が青い光を
放っている!
﹁︱︱しまった。先手を打たれた!﹂
こちらからは操作していない。ならば、あちら側から誰かが転移
してきたということだろう。
偶然と言うにはあまりにもタイミングが良すぎる。おそらくあち
ら側でも状況を把握していたのだろう。誰が来る?! らぽっくさ
んか、タメゴローさんか、それとも亜茶子さんか?
テレポーター
臍を噛むボクの視線の先︱︱転移門の発する青い光の中で、光の
粒子が結合して人影のようなものの輪郭が徐々に鮮明になってきた。
︱︱誰?!
ボクは手をかざして眩しさに耐えながら目を凝らした。
らぽっくさんではない、身長も肩幅も違いすぎる。かといって、
タメゴローさんや亜茶子さんとも違う⋮⋮。
1400
彼
が立っていた。
やがて明滅した光は、一際大きな閃光となり、そして光が消えた
その場には、人間族ではない異形の種族である
﹁竜人族⋮⋮?﹂
天涯がぽつりと呟いた。
そう、素肌の上に直接トーガを纏っているので、露出した肌や顔
全体が青い鱗に覆われているのがわかる。2メートル近い長身に青
い長髪を流し、傲然と周囲を睥睨する彼は、確かに竜人族ではある
が、正確にはその最上位種族である真竜神族であり、ボクと同格の
存在で⋮⋮そして、古い顔馴染みでもあった。
﹁⋮⋮デーブータさん﹂
思いがけない再会に、ほとんど囁き声に等しい声が漏れる。
﹃なっ︱︱︱︱!?!﹄
エターナル・ホライゾン・オンライン
色めき立つ周囲をまったく無視して、デーブータさんはにやりと
︱︱かつて﹃E・H・O﹄内では一度として見せたことのない、傲
慢かつ冷酷な︱︱笑みを浮かべた。
﹁久しぶりだな、緋雪。逢いたかったぞ。
だが、もはや俺はかつての俺ではない。ゆえに俺のことは﹃蒼神﹄
と呼んでもらおうか﹂
一切の反論を許さない、それはまさに超越者の口調だった。
混乱した。話には聞いていたし、想像もしていたけれど⋮⋮けれ
ど、これは本当に彼なんだろうか? デーブータさんのキャラクタ
ーを使って、まったく別人が喋っているのではないだろうか?
あまりの変貌振りに、そう思ってボクは確認せざるを得なかった。
1401
﹁あなたが、あなたがもしデーブータさん本人だと言うなら、私も
参加したオフ会の会場の名前を覚えていますか?﹂
影郎さんやしまさんたちは言っていた。彼らはゲーム内のデータ
や会話ログを参考に作られた、プレーヤーのデッドコピーに過ぎな
いと。
ならば、ゲーム内では知りえない、リアルでの体験を確認するし
かないだろう。
ボクの問い掛けに、彼は一瞬、子供の我儘を聞く大人のような苦
笑を浮かべた。
﹁本来であれば俺を試すようなそんな口を利くことは許されんが、
まあ、お前なら特別に許してやろう。懐かしい話題でもあるしな。
︱︱確かあれは﹃薔薇園﹄という居酒屋だったな﹂
うん確かにそこで間違いはない。けど、場所くらいはゲーム内で
確認の為に口に出していた可能性が高いので、本番はこれからだ。
そう思って重ねて質問をしようとしたところ、彼の方が続けて言
葉を発した。
﹁お前は未成年だし、酒は呑めんというのでソフトドリンクだった
が、悪乗りした参加者がこっそりとグラスに酒を混ぜて、知らずに
それを飲んで悪酔いしたお前を、俺が手洗いまで運んで戻させた。
ハンカチが1枚では足りないので、俺のハンカチを貸したな。︱︱
後から洗ってアイロン掛けしたのを郵送で返してもらったが。
で、俺の隣の席でまだしばらく調子が悪くぐったりしていたお前
を、今度は女どもが寄ってたかってオモチャにして、俺はなんとか
止めようとしたが、周りの勢いに押されている内に、お前はロング
のウイッグを被せたり化粧をされたり⋮⋮似合っていたぞ。そう言
えば、そのまま一緒に記念撮影もしたな﹂
1402
こと細かに話す彼の口調にはありありとした臨場感があり、また
当人でしか知り得ない情報が満載されている。正直、前半部分で確
信した。彼は紛れもなくデーブータさん本人だということを。
きたむらひでき
﹁⋮⋮と。こんなところで、俺がかつてデーブータ⋮⋮北村秀樹と
あやせかなで
いう、つまらん男だったことに納得できたかな、緋雪? それとも、
綾瀬奏と呼んだほうがいいか?﹂
﹁︱︱っ!?﹂
かつての自分の名前を耳にして、自分でも意外なほどの動揺が全
身を走った。
そのせいで次のリアクションが大幅に遅れてしまった。
﹁まあ、積もる話もあるが、それよりも先に出来損ないの始末をつ
けねばならん﹂
呟いた彼の掌の上に、水晶球のようなものが乗っていた。その中
には赤い炎のような光が踊っている。
﹁!!!!﹂
ももんがいさんが声にならない絶叫を放った瞬間、彼はその球を
いとも容易く握り潰した。
ビクン!と一度だけ全身を反らせたももんがいさんの身体が力を
失い、たちまちその瞳から光が失われる。
﹁︱︱むっ。絶命しております﹂
リザレクション
天涯に言われるまでもない、生気の抜けたももんがいさんの遺骸
に、咄嗟に完全蘇生を掛ける。けど︱︱
1403
﹁な、なんで効かないの?!﹂
何回掛けても効果がない。
﹁無駄だ。命珠を砕いた以上、そいつの存在自体が﹃無﹄と書き換
えられた。故に蘇生は効かん﹂
握り潰した﹃命珠﹄とやらの欠片を床に落として、軽く掌を叩き
ながら彼︱︱蒼神が、事もなげに解説を加えて来る。
不意に、以前に影郎さんから聞いた話が、脳裏に甦った。
︱︱裏切り者には死、とかないわけ?
リザレクション
エリクサー
︱︱ありますよー。﹃死﹄というか﹃存在﹄を消されるので、こ
れやられると完全蘇生を唱えようが、蘇生薬を使おうが復活は無理
ですなあ。
カイテイオー
こくよう
ももんがいさんの死に連動して、彼のギルドホームであるこの﹃
白鯨號﹄の存在感が、急激に薄れてきた。
﹁︱︱さて、帰るとするか﹂
踵を返す蒼神。
﹁逃がさないで! 全員全力で攻撃っ!!﹂
﹃はっ!﹄
ボクの叫びに従って、室内に居た魔将全員︱︱影移動で刻耀も躍
り出てきた︱︱が、一斉に蒼神目掛けて、一切の手加減のない攻撃
を放った。
1404
カイテイオー
その余波で、消えかけていた﹃白鯨號﹄の艦橋部分が消し飛ぶ。
レイド
逃げ場のない密閉空間内で、大規模戦闘級従魔が複数で攻撃した
んだ。大抵のプレーヤーならこれで始末をつけられる筈だけど⋮⋮。
﹁︱︱ふむ。なかなかの攻撃力だ﹂
吹き曝しとなった艦橋部分に、何事もなかったかのように佇む蒼
神がいた。
ナーガ・ラージャ
鱗に傷ひとつ付いてないその姿に、天涯たちの表情が険しくなる。
﹁⋮⋮一撃では足りなかったか﹂
そう呟いて龍人形態から、さらに本来の姿である黄金龍の姿に変
じる天涯。
騒ぎに気が付いて集まってきた魔将たちが、蒼神を囲む形で十重
二十重に周囲を固めるけど、当人はまったく動揺もなく、涼しげな
顔で佇むばかりであった。
ふと、嫌な予感を覚えたボクは、鑑定で彼のステータスを確認し
て見た。
そうしん
種族:真竜神族↓創造神
きしかいせい
名前:デーブータ↓蒼神
称号:起死改正
HP:Indestructible
MP:Indestructible
▼
1405
﹁なっ?! なに、この﹃Indestructible︵破壊不
能︶﹄って表示は!?﹂
﹁そのままさ。俺にはあらゆる攻撃が通じん。天に唾を吐くような
ものだ﹂
軽く肩をすくめて答える蒼神。
﹁︱︱では、な﹂
﹁逃がすか︱︱っ!!!﹂
再び天涯たちが一斉に攻撃を加える。凄まじい閃光や爆発、衝撃
の向こうから、彼の平然とした声が聞こえてきた。
﹁そうそう、せっかくなのでこいつを渡しておく。この場で連れ去
ってもいいが、それでは興が乗らんからな。せっかくなので、お前
の方から俺を追い駆けてこい﹂
その言葉と共に、キラリと光りながら四角い金属製のプレートの
ようなものが、足元へと飛んできた。
﹁聖都への通行証だ。そいつがあれば他国人だろうが魔族だろうが
問題なく入国できる。ひょっとすると、聖都に来れば俺を斃す手段
も見つかるかも知れんぞ﹂
含み笑いとともにその気配が急に消えた。
天涯たちもそれに気が付いて攻撃の手を止める。
﹁逃がしたか⋮⋮﹂
苦々しげに吐き捨てる天涯だけど、この場にいた全員が理解して
1406
いた。
バハムート
ボクたちは蒼神に見逃された。負けたのだと。
﹃⋮⋮⋮﹄
重い沈黙が落ちる。
カイテイオー
くおん
すっかり白鯨號も消え去り、海面に浮かぶ︻神魚︼久遠の背中の
上で、ボクは転がったままの通行証を拾ってため息をついた。
﹁︱︱聖都か﹂
1407
第九話 蒼神無窮︵後書き︶
次話の前に幕間が入る予定です。
11/21 誤字訂正いたしました。
×生気の受けたももんがいさん↓○生気の抜けたももんがいさん
1408
幕間 公子事情︵前書き︶
クリストフ君の番外です。
1409
幕間 公子事情
休暇から戻ったクリストフ大公子の様子がおかしい。
その話は休暇開けの講義の合間に噂され、昼休みには学年全体に
広がり、放課後には士官学校のみならず、隣接する魔術学校の女子
生徒の間でも持ちきりとなった。
﹁なんか心ここにあらずって感じなんだよな﹂
﹁あいつが講義中や実技で上の空だったなんて初めて見た﹂
﹁教授陣も訝しがってたよな。︱︱ま、質問には完璧に答えてたけ
ど﹂
﹁ああ、でたまにニヤニヤ笑って⋮⋮まあ、それでも美形に見える
んだから一種の超常現象だよ﹂
﹁心配して聞いてみても何も言わないし﹂
﹁つーか、全体的に妙に上機嫌なんだよな。浮かれているってゆー
か﹂
﹁そうそう、話しかけると普段以上に気さくだし﹂
様々な憶測を呼んだ彼の奇行だが、最終的に全員が一つの結論に
達した。
﹃色ボ⋮もとい、あれは恋した男の目だ﹄
その推測は一大旋風を巻き起こし、光の速さで全校及び周辺校へ
と流布して、彼のファンである多数の女子生徒を打ちのめし、また
一部男子生徒をも悲嘆に暮れさせたのだった。
1410
◆◇◆◇
﹁ということで、そろそろ真相を喋ってもらおうか﹂
オブリージュ
ノブレス・
﹁ええ。人々は真実を求めています。それに応えることこそ高貴な
る義務と言えるでしょう﹂
突然、学生寮︵と言ってもちょっとした貴族の別荘ほどの広さの
屋敷だが︶の私室に押しかけてきた友人⋮⋮というよりも悪友とで
も言うべき二人の同級生、エルマーとルーカスを前に、クリストフ
は面倒臭そうな顔で、秀麗な眉をひそめた。
﹁︱︱藪から棒に、なんのことだい?﹂
﹁噂の真相ですよ﹂
と訳知り顔で、どことなく軽い雰囲気のある赤毛の優男、ルーカ
スが追求の矢を続けざまに放つ。ちなみに彼は代々グラウィオール
帝国本国の政策顧問をしているラーティネン侯爵家の直系親族に当
たるため、クリストフとは士官学校に入学する以前から面識がある。
﹁噂⋮⋮? なんのだそりゃ?﹂
本気で当惑した顔で、クリストフは首を捻った。
﹁またまた! 士官学校は元より隣の魔法学園、さらには近隣の付
属学校の女生徒、果ては神学校のシスターの卵までその噂で一喜一
憂しているというのに、その当人が知らないってわけはないでしょ
う。この罪作りが!﹂
1411
まるでオペラの登場人物のように大仰な身振り手振りを交えて、
﹃嘆かわしい﹄とばかりに悲嘆に暮れる猿芝居をするルーカス。
﹁⋮⋮だから、噂とか何のことだよ?﹂
いい加減面倒になってきたのか、対応がなおざりになってきた。
﹁噂と言うのは、お前がこの前の休暇にどこぞの御令嬢と逢引をし
て、恋仲になったという話だ。ぜんぜん耳に入らないわけじゃない
だろう?﹂
濃い金髪で知的な顔つきをしたエルマーが、ずばり直球で聞いて
きた。
彼の祖国であるヴィンダウス王国は帝国の属国にあたり、彼自身
も現国王の孫に当たる紛れもない王族の一員であるが、お互いに学
生と言う立場もあって立場や身分差などを超越した、気さくな関係
を築いていた。
ちなみに帝国の爵位は大まかに、皇帝>王≧大公>/>公爵>侯
爵>伯爵>子爵>男爵>/準男爵>騎士 となる。実際には一代名
誉職や、皇族などさらにややこしいのだが、基本的にはこの形にな
る。
もっとも気にしないのは彼ら自身だけで、数多くの大貴族、貴族、
諸侯の子息が在籍するこの帝国士官学校で、派閥や爵位の差に囚わ
れず良好な人間関係を構築できているのは、非常に稀な例であった
が。
﹁ああ、その噂か⋮⋮﹂
途端に辟易した顔でため息を漏らすクリストフ。
1412
﹁流石に知っていたか﹂
﹁嫌でも耳に入ってくるよ﹂
﹃ご苦労様﹄﹃まったくだ﹄とばかり、お互いに苦笑するエルマー
とクリストフの二人。
﹁おいおい、否定しないってことは本当なのか?!﹂
自分から話を振っておいてはいたものの、実は単なる与太話だろ
うと高をくくっていたルーカスが、目を丸くして座っているソファ
ーから半分腰を浮かせた。
﹁まさかっ。いちいち反論するのも面倒なので黙っているだけだよ﹂
即座に否定の言葉が返ってきて、逆にほっとした顔で再びソファ
ーに腰を下ろしたルーカスだが、
﹁だいたい半分も当たっちゃいないし﹂
続くクリストフの台詞で、危うくソファーから転げ落ちそうにな
った。
、、、、、
﹁ちょっと待て! それはつまり一部は正解があるってことだよな
?!﹂
﹁ど、どこの部分ですか!?﹂
聞き捨てならないとばかりに、いささか性急にクリストフに詰め
寄る二人。
クリストフは、口が滑った︱︱という顔で、視線を逸らせる。
﹁別にどうでもいいだろう。僕が誰を好きになろうが関係ない話じ
ゃないか!﹂
投げ遣りなその返事に、呆然と顔を見合わせる学友二人。
﹁⋮⋮それってつまり﹂
﹁⋮⋮好きな人ができたってことですよね﹂
1413
一呼吸置いて、示し合わせたかのように同時に叫んだ。
﹁﹁誰が相手だ?!﹂﹂
興奮する二人とは対照的に、ますます眉間の皺を深くするクリス
トフ。
くにもと
いいなずけ
﹁︱︱だから、なんでそんなこと気にするんだよ。普通の貴族だっ
たら、国許に許嫁や意中の相手の一人くらいいるだろう?﹂
さもありなんと頷くルーカス。
﹁普通ならそうでしょうね。ですが、貴方は帝国大公の一子であり
ながら、いまだに許嫁はおろか浮いた話一つ聞いた事のない朴念仁。
その帝国の誇る不沈艦を仕留めた御令嬢がいるとなれば、これは誰
だって気になるというものですよ!﹂
﹁どうもお前は自覚がないようだから言っておくが、そんなお前に
どれだけの御令嬢や御婦人方が、秋波を送っているか⋮⋮自覚がな
いわけじゃないだろう? ならばここは曖昧な情報で彼女達を混乱
させるよりも、旗幟を明確にしてきちんと対応した方が誠実という
ものじゃないのか﹂
エルマーも真剣な表情で、噛んで含めるように言い聞かせる。
そんなものかな?と一瞬納得しかけたクリストフだが、よくよく
考えてみると話の流れが妙なのに気付いて、二人の期待に満ちた顔
を睨みつけた。
﹁別に不特定多数に公開しなけりゃいけない話でもないだろう。あ
くまで僕の個人的な事なんだから﹂
﹁︱︱ちっ。慣れない状況に流されてポロっと喋るかと思ったのに﹂
ルーカスは残念そうに唇を尖らせて、口直しに侍女が煎れてくれ
たお茶を口に運ぶ。
1414
﹁まったく⋮⋮。だいたい、そんなことをすれば相手に迷惑だろう
?﹂
﹁そうか? 公然と天下のエストラダ大公家と縁を結べて喜ばん貴
族はいないと思うが。ひょっとして、相手の女性はよほど身分的に
釣り合いのとれない家柄なのか?﹂
﹁おいおい、まさかお相手は庶民とか言い出すんじゃないだろうな
?! 別に悪いとは言わないけど、お伽噺と違って﹃王子様に見初
められて、めでたしめでたし﹄で終わる話じゃないぞ﹂
一転して真面目な顔になって、好奇心を上回る気遣いでもって、
身を乗り出す二人の友人の態度に、クリストフは内心大いに感謝し
ながら、軽く片手を振った。
﹁そういう訳じゃないさ。どっちかというと僕の方が釣り合わない
くらいで︱︱﹂
ぽかんとする二人の顔を見て、またもや失言したのに気付いて、
クリストフは片手で額を押さえた。
︱︱自分では気が付かなかったけど、相当浮かれてるんだな僕は。
﹁お前の身分で釣り合わないなんて、どこの王族のお姫様だ?!﹂
﹁いや、大陸中見渡したってエストラダ大公家に匹敵する家柄の王
族なんていやしないぞ﹂
﹁つまり⋮⋮﹂
﹁まさか⋮⋮﹂
﹁﹁オリアーナ皇女が相手か?!﹂﹂
色めき立つ二人を白けた目で見て、クリストフは端的に否定した。
﹁違うよ﹂
1415
いとこ
実際、クリストフにとって従妹に当たるグラウィオール帝国第一
ゴシップ
皇女オリアーナ・アイネアス・ミルン・グラウィオールとの婚約話
や風聞は随分と前から、耳にたこができるほど周辺で囁かれている
状況だった。
よわい
せんだん
かんば
客観的に見てオリアーナは﹃鈴蘭の皇女﹄と呼ばれるに相応しい
佳人であり、齢13歳に過ぎないが、﹃栴檀は双葉より芳し﹄のと
おり、その才知・覇気ともにグラウィオール帝国の後継者に相応し
い自慢の従妹である︱︱が、彼自身にとってはあくまで身内であり、
恋愛の対象として見た事は一度もない。
確かに皇族の血統︱︱クリストフは彼女と同じ自分の白銀色の髪
をガシガシと掻いた︱︱や、帝国内の力関係を考えれば、自分とオ
リアーナとが結びつくのが自然な流れなのであろうし、父や皇帝陛
下がそれを望むのであればやぶさかではない。
というか政略結婚で意に沿わぬ相手と一緒になることを考えれば、
遥かに贅沢な話と言えるだろう。
とは言え、なぜかいまのところそういう話は出ていないのは、父
が皇族・貴族にしては珍しい恋愛結婚で、なおかつ側室の一人も置
かない愛妻家なせいかも知れない。だとすれば父にはどれだけ感謝
してもし足りない。
⋮⋮なにしろ、そのお陰で彼女に出会うことができたのだから。
物思いに耽るクリストフの脳裏を、長い黒髪がそよいだ。
︱︱今度はいつ逢えるだろうか。
1416
なおもしつこく食い下がる友人に対して、その後は頑なに沈黙を
守り、結果、翌日から派手な想像と憶測が関係者の間を席巻したの
だが、幸いと言うべきか真相に辿り着いた者は誰一人としていなか
った。 ◆◇◆◇
﹁お疲れ様でした叔父様。いえ、エストラダ大公閣下﹂
姪に当たるオリアーナ皇女のソツのない挨拶に、こちらも堂の入
った挨拶を返すエストラダ大公。
﹁レポートは読ませていただきました。素晴らしい成果で感服いた
しましたわ﹂
﹁ははっ、私の手柄と言うよりも、大部分が姫陛下のおこぼれのよ
うなものですが﹂
苦笑する叔父の言葉を謙遜と受け取って、微笑を返すオリアーナ。
それから、彼女にしては珍しい好奇心に満ちた子供っぽい仕草で、
身を乗り出して尋ねてきた。
﹁そうそう姫陛下と言えば⋮⋮どうでしたか、ご子息との相性は?﹂
もっともらしく腕を組んだエストラダ大公が頷く。
﹁アレにしては頑張った方かと。正直、あそこまで夢中になるとは
私も予想していませんでしたな﹂
1417
だが、オリアーナは心外だとばかり軽く肩をすくめた。
ひと
﹁あら、わたしは予想していましたわ。だって姫陛下ってあんなに
可愛らしい女性なんですもの。正直、わたしが男でなかったのをこ
れほど口惜しいと思ったことはございません。そうであれば、万難
を排してでも華燭の典へ漕ぎつけますのに﹂
﹁なるほど。息子はさしずめ陛下の代理というわけですか﹂
苦笑を深める大公。
﹁はっきり言ってしまえばそうですが、わたしの代わりが務まる器
量があると思えばこそですわね﹂
真顔でうそぶくオリアーナ。
﹁それは光栄です。それと肝心の姫陛下の方ですが⋮⋮私の主観で
すが、好感触だったと思いますよ。まあ、恋愛感情に発展するかど
うかは、アレのがんばり次第でしょうが﹂
微笑ましい少年少女の様子を思い出して、柔らかく微笑んだ大公
だが、微笑みはそのままに探るような瞳で、ニコニコと上機嫌で話
を聞いているオリアーナを見た。
﹁それにしても、今回の出兵はひょっとして海賊の殲滅と囮自体は
もののついでで、主目的は姫陛下と息子とを引き合わせる方だった
のではないですか?﹂
﹁そんなことはありませんわ。まあ、結果的にどちらも成功したの
ですから、わたしとしては大満足というところですけれど﹂
本心を巧妙に隠した彼女の態度に、大公は直裁に切り出した。
1418
﹁⋮⋮ふむ。これは帝国大公でも軍人でもない、一人の父親として
の質問ですが、国益の為にあの二人を結び付けようと考えていらっ
しゃるのかな?﹂
﹁国益とは違いますわね﹂
オリアーナはゆっくりと口に出した。
﹁どちらかといえば、世界の平和の為ですわね﹂
オリアーナの笑みは崩れない。鳩が豆鉄砲を食らったような顔を
しているエストラダ大公の顔を見て、くすりと微笑んで続けた。
﹁勿論、個人的にも姫陛下が大好きなのは間違いありませんけど﹂
﹁⋮⋮少々私の理解を越えますが。つまり、息子の頑張りが世界平
和に直結していると?﹂
大公は当惑した表情でため息をついた。
﹁そういうことですわ。姫陛下の傍に居るべきは、ああいったまと
もな感性を持った人間であるべきだと、わたしは確信しております﹂
なにしろあの方が本気で暴走したら、大仰でなしに全世界の終わ
りですからね。と、オリアーナは胸中で続けた。せめて健全な一般
人の感覚を備えた、それも発言力のある人材が傍にいないと、危な
っかしくてしかたがないですからね。
﹁期待していますわ、クリストフ大公子には﹂
本心からオリアーナはそう口に出した。
1419
幕間 公子事情︵後書き︶
一番黒いのはオリアーナ皇女だったりしますw
1420
幕間 妖鬼躍進︵前書き︶
またも番外編のイチジク編です。
1421
幕間 妖鬼躍進
ケルベロスとかいう三つ首を持つ巨大な犬が、その巨体からは想
像できない素早い動きで、俺に向かってダッシュしてきた。
ひと噛みで俺の胴体を喰い千切りそうな、鋭い牙の生えた顎が目
前に迫る。
その牙から滴る唾の臭いを嗅いで、本能的な危機感を感じた俺は、
咄嗟に正面からの迎撃を放棄して、ピカピカに磨かれた石の床の上
を転がって、間一髪その攻撃を躱した。
ガギン!!という硬質な音がして、勢いあまった魔獣の牙が俺の
背後にあった石柱︱︱俺が3人掛かりでようやく手を回せるくらい
の太さ︱︱を、ひと噛みで粘土細工みたいに削り取った。
さらによくよく目を凝らすと、奴の噛んだその部分の石が灰色か
ら黒く変質してボロボロに崩れ去り、そこから鼻が曲がるような嫌
な臭いが流れてきた。
︱︱やはり、毒を持っていたか!
それも途轍もない猛毒だ。掠るだけでもヤバイかも知れん。
こいつ相手に接近戦は不利だと判断して、俺は牙の届かない側面
に回りこもうとした。だが、なにしろ相手は三つ首。どこに行って
も、どれかの首がこちらを見ていてほとんど死角がない。その上、
即座に反応して姿勢を入れ替え、常に正面を向くように位置を入れ
替えてくる。
1422
︱︱厄介な相手だな。
歯噛みした俺は一旦距離を置くべく、相手に対して視線を外さな
いまま、後方へ向かって大きく跳躍した。しかし、この苦し紛れの
行動から俺の内心の焦りを嗅ぎ取ったのか、同時にケルベロスも俺
に向かって跳躍してきた。
﹁しまった!?﹂
カラドボルグ
逃げ場のない空中で敵の攻撃を受ける形になってしまった!
俺は咄嗟に右手に持っていた螺旋状の魔剣︱︱﹃螺旋剣﹄に魔力
を流し込み、ケルベロスの一番近い右端の首目掛け剣を振るった。
カラドボルグ
俺の意思に従い、一瞬にして形状を変えた﹃螺旋剣﹄の刀身が解
けて、リボンのようにうねりながら、大きく開いたその口に巻き付
いて強引に顎を閉じさせる。
さらに左手で練っていた爆炎の魔法を中央の首目掛けて放つ︱︱
直前に思い直して、自分の足元へ向けて放った。
その反動と床に炸裂した爆発とで、俺の身体が浮き上がり、ギリ
ギリ空中で軌道修正をして、残り2個の首の攻撃を避けることがで
きた。
足元を通過するケルベロスの頭を蹴って、その背中に着地すると
カラドボルグ
同時に両足の指だけで、奴の背中の鬣を掴んで姿勢を確保し、その
まま﹃螺旋剣﹄を両手で握って、全力の魔力を流す。
﹁﹁ぎゃん︱︱っ!!!﹂﹂
自由な2つの首が悲鳴をあげるが、構わずにそのまま回転する刃
1423
が右側の首の顔を両断。トドメに脳天に一撃を入れて、そのまま炎
の魔法剣として内側から完全に焼き尽くした。
﹁﹁︱︱がっ⋮⋮がるるるうるるる!!?﹂﹂
死に物狂いで暴れ、背中を床に擦り付けるケルベロス。さすがに
その位置を確保できなくなり、足を放したところへ、左側の首が一
瞬口内を膨らませたかかと思うと、勢いよく猛毒の唾液を水流のよ
うな勢いで放った。
﹁くっ︱︱ちいいいいいっ!!﹂
必死に躱すが、飛び散った飛沫が肌のあちこちに当たり、当たっ
カラドボルグ
たところが火脹れのようになり、ちょっと触っただけで血が流れ出
す。
﹁この、畜生が!﹂
叫びながら再び﹃螺旋剣﹄に魔力を通して、螺旋状に高速回転さ
せて、続けざまに放たれる猛毒の唾を弾き飛ばす。
﹁喰らえ︱︱っ!!﹂
更に回転を早めて突き出した刃の渦が、一直線にケルベロスの口
中へと吸い込まれ、一気に脳髄まで貫いた。
﹁ぎゃん!!﹂
悲鳴をあげる残った中央の首目掛けて魔法を放とうとしたところ
で、ケルベロスの身体が光に包まれ消え去った。
﹁⋮⋮?﹂
1424
突然のことに混乱している俺に向かって、ずっと傍観していたあ
の方が、なぜかため息をつきながら麗しい声を掛けてくださった。
﹁君の勝ちだよ。ヒットポイントが9割を切ったんで、あの子は城
へ強制転移で戻されたんだ。いまごろは治療中だと思うけど、それ
にしても30階のボスをほとんど無傷で斃すなんて、どんだけ規格
外なんだろうねぇ﹂
いや、結構手こずりましたし、全身から血も出てるんですけど?
﹁五体満足ならほとんど無事も同然だよ﹂
ニノマエ
呆れたように付け加えられた返答に、さらに離れた場所で俺たち
メンター
の様子を窺っていた仲間の一団︱︱一をはじめとする精鋭達︱︱に
カラドボルグ
混じっていたニャンコ導師が、コクコク首を振って激しく同意して
いた。
﹁はあ、そういうものですか﹂
取りあえず勝ったらしいので、俺は﹃螺旋剣﹄を直剣に戻して鞘
にしまい、勝利の雄叫びをあげる仲間の下に戻った。
◆◇◆◇
ゴブリン
オニ
ご無沙汰しております、イチジクです。
先日、晴れて小鬼から妖鬼にランクアップしたお陰で、狩場での
獲物の確保も楽になりました。
以前は手強かったリザードマンすら、ほとんど秒殺できるように
1425
なったほどです。
フロア
そのお陰か仲間達もすくすくと育ち、気が付けば2000匹近い
大集団となり、地下迷宮の3階層をほぼ独占状態で占有して、仲間
が﹃イチジク大帝国﹄という集団を作って俺を皇帝に祀り上げてく
れました。
ちなみに建国と国名を聞いたニャンコ導師は、なぜかその場で卒
倒。目を覚ましても、﹁儂は知らん。儂は無関係じゃ。儂の知った
ことではない﹂と集落の外れにあった巨木の洞に閉じこもって、出
てこなくなってしまいました。まあ、猫は死期を悟ると姿を消すと
いうので、その類いかも知れません。
オーガ
で、ニンゲンの冒険者集団が俺たちを排除するために、何度かか
なりの数を動員してきましたが、地の利となにより俺と大鬼のニノ
マエ、さらに馬鬼、牛鬼を始め上位種族に進化したゴブリン達、さ
らには俺たちに従うようになった他種族のモンスターの力の前には
なす術もなく、ニンゲンどもをことごとく屠り、返り討ちにしてき
ました。
⋮⋮そういえばその集団の中に、以前手合わせしたアホ面下げた
若い雄がいましたね。
まあ、いまではまったく問題としないほど力の差が開いたのです
けれど、毎回、一緒に行動している魔法使いの雌のせいで、もう一
歩でトドメというところで逃げられている状況です。それでも懲り
ずに、また次回も無謀に向かってくる⋮⋮という感じで、毎回、結
構な深手を負わせているはずなんですけどねぇ。どんな生命力して
るんでしょうか、アレは? 今度は頭を潰すようにしてみます。
そんな感じでブイブイ言わせていたのは良いのですが、どうやら
1426
ダンジョン
建国となにより国名がまずかったらしく︱︱やってきたこの迷宮の
お偉いさんは、﹁魔を統べる帝はただお一人である!﹂とか言い放
って︱︱俺の国と部下の大半、ことごとくを消滅させてしまいまし
た。
いや、本当に一瞬で消滅です。
世の中上には上がいるというか、所詮は井の中の蛙でしかなかっ
たというか⋮⋮。
とにかく気が付いた時には、俺以外はほんの十数匹⋮⋮それもほ
とんど半死半生で、辛うじて息をしているという状態でした。
そんな俺たちの様子を見て、やってきたそのお偉いさん︱︱全身
ア・プチ
くらま
に鈴の付いた飾りを付け、肩にフクロウを止まらせた翡翠の骸骨︱
︱十三魔将軍の︻死神王︼鞍馬とか名乗った方は、感心と歓喜がな
い交ぜになった哄笑を放って、どこからともなく先端に黒い石の穂
先が付いた槍を取り出しました。
﹁かっかっかっか! 手加減したとはいえ、このワシの攻撃を受け
てもまだ息があるとはのぉ。だが安心せい、このワシは慈悲深いの
ですぐさまトドメを刺してくれよう。それでは、まずは貴様からだ
な﹂
槍の先が真っ先に俺の心臓に狙いを定めました。
︱︱これで終わりか。あの方と交尾もできないで終わるのか!?
そう思った瞬間、
﹁ちょっと待った! 鞍馬、ストッープ!﹂
ついに幻聴と幻覚が見えたのかと思いました。
1427
あの方です! 天上の美貌を持つあの方が、どこからともなく風
の様に現れたのです!
﹁これは姫様! このようなムサ苦しい場所で、姫様のご尊顔を拝
す栄誉を賜るなど、この鞍馬望外の幸せにございます﹂
すかさず武器を消し去り、その場に両膝を付いて平伏すお偉いさ
ん。
転がっている俺たちのことなんてまったく気にもかけません。ど
うにでもなると思っているのが透けて見えます。
﹁⋮⋮まったく。知らせを聞いて来てみれば、なんでウチの身内は
手加減とか知らないんだろうねぇ﹂
困ったような顔でため息をつくあのお方。憂い顔も堪らなく魅力
的で、このまま交尾をお願いしたいところですが、残念ながら俺の
体も口もピクリとも動きません。
それと﹃知らせを聞いて﹄の部分で、ちらりと視線を動かした先
を見てみると、地面に這い蹲るようにして、ニャンコ導師が五体倒
地で震えていました。
﹁はあ⋮⋮これでもかなり手加減はしたのですが。それと、姫を差
し置いて皇帝を僭称した馬鹿どもに制裁を加えたつもりですが、な
にかこのワタシめが姫様の勘気に触れるような不始末をいたしので
しょうか?﹂
不安げな様子で髑髏の顔を上げるお偉いさん。
﹁いや、君が自分の仕事をきちんと行ったのは良くわかるし、私か
ら咎めるようなミスもないんだけど︱︱﹂
それから言葉を探すように、頬に指を当ててしばし思案するあの
方。
1428
﹁一応、前々から餌付けしたりして目を付けているので、さくっと
殺すのはちょっと勿体ないかと思う⋮かな?﹂
なぜか最後は疑問系でした。
﹁まあ、取りあえず生き残りは私の方で預かって、処分を決めたい
んだけど?﹂
あの方の言葉に、恭しく頭を下げる鞍馬とかいうお偉いさん。
﹁姫様のご決定とあれば、自分如きに否も応もございません﹂
◆◇◆◇
と言うことで、その後、あの方に傷を治していただいた俺たちで
す。
その際に今後の希望を聞かれたので、﹁無論、貴女様と交︱︱﹂
と言い掛けたところで、一瞬意識が途絶えました。
なんか一撃で、あの方に首を刎ねられたらしいです。
とか
体術
とかを学びたいと言ってみました。
なので第二希望としまして、前々から思ってました人間の使う
武術
その為の準備として、まずは現在の俺の力を確認したいと言われ、
ここ30層にあるボス部屋に連れて来られて、1対1でケルベロス
と戦うことになったわけです。
ふと気が付くと、いつの間にかあの方の背後に背の高い老人が立
1429
っていました。年寄りの癖にとんでもない迫力のある男です。
︱︱強い。
本能的に悟りました。
﹁どう、彼を鍛えることについては?﹂
オニ
﹁なかなか面白そうな小僧ですな。我流であれだけできれば大した
ものでしょう。また妖鬼というのも大変結構。すでに一人手元にい
ますが、基本構造は人間と変わらない上に、頑丈さや生命力は桁違
いですからな。遠慮なく殺人技を振るえるといるもので、楽しみで
仕方ありません﹂
そう言って含み笑いをする老人から、若干距離を置くあの方。
﹁︱︱ま、まあ取りあえずOKってことだね。そ、そうえばソフィ
アも進化してそっちにいるんだったっけ。二人とも獣王の弟子にな
って、正式に本国で修行するんだったら、それらしい名前とかも考
えたほうがいいかな⋮⋮﹂
﹁ま、そこらへんはご随意に﹂
軽く肩をすくめる老人から離れて、あの方は俺の方へとやって来
られました。
﹁そんなわけで、君の身柄は私の預かりで本国へと向かうことにす
オーガ
るよ。これからは、あの獣王を師匠として稽古を積んでもらうから
よろしくね。それと、他の皆は私の知ってる大鬼部隊へ編入になる
ので、今日中に出発できるよう準備しておいてね﹂
にこやかに伝えられた内容に、俺は頷きました。
1430
この方に見出され、この方に助けられたこの命、必ずやご期待に
応えてみせます!
全身全霊でもって俺は誓いの言葉を叫びました。
﹁そして、必ずや交尾を!!﹂
﹁⋮⋮結局、それかい﹂
ダンジョン
そんなわけで、俺は生まれ育った迷宮と仲間に別れを告げ、そし
て後に新たな仲間と名前を授かることになったのでした。
1431
幕間 妖鬼躍進︵後書き︶
ソフィア
琥珀との初対面とか、気に入られて逆貞操の危機︵鬼は猫と同じで、
雌に誘われたら雄に断る権利はない︶とかまで考えてましたけど、
それを描けるかは微妙ですねw
なお、宝箱は前回の騒動で上の知るところとなり、設定が変えられ
モンスターは取得禁止になりました。
1432
第十話 聖都消失
一見するとそれは白いドームのようだった。
霧?雲?白煙?⋮⋮とにかく正体不明の真っ白い蓋が、夢幻の聖
都と謳われるイーオン聖王国の首都ファクシミレ全体を覆っている
のだった。
﹁ざっと直径50∼60キロメートルってところかな?﹂
通常であればありえない高度まで空中庭園を下ろして︱︱下手を
すると風圧や気流の変化だけで地表を壊滅させる恐れがあるからな
コントロール・ルーム
んだけど、今回は場合が場合なのである程度の被害覚悟で決行した
︱︱玉座の間のモニター越しに地上の様子を確認する。
しちかせ
﹁あの白雲の直径は、現在52.654キロメートルですな。なお
も拡大を続けております﹂
いじゅう
ゲイザー
すさ
玉座の間に集った魔将中、もっとも探索・分析能力に秀でた七禍
星獣筆頭の︻観察者︼周参が、淡々と状況を解説してくれる。
﹁今後の被害予測は?﹂
ボクの問い掛けにも一瞬の遅滞なく、直ちに答えてくれる周参。
﹁現在と同じ速度で拡大すると仮定した場合、46時間52秒でほ
ぼイーオン聖王国全土を呑み込み、約359時間後︱︱およそ15
日で惑星を覆い隠すことになります。この大陸のみに限定した場合
は、8日と半日といったところですな。影響については内部の状況
が不明なため判断不明です﹂
﹁内部の様子は透視できないの?﹂
1433
﹁現段階では光学・魔術を問わず、私めの観測手段が全て表面で弾
かれております﹂
ピーピングトム
別名﹃見張る者﹄﹃ザ・覗き魔﹄と呼ばれる周参の邪眼を持って
しても見通せないとはねぇ。
いかるが
﹁むっ、現地で斑鳩様が能動的観測に踏み出たようですな﹂
周参に促されて見てみれば、巨大な光り輝く多面結晶体︱︱周参
ビーム
に匹敵或いは凌駕する観測能力を持つ、十三魔将軍筆頭︻ヨグ=ソ
トース︼斑鳩が、聖都を包む紗幕に向けて色とりどりの光線を照射
し始めた。
﹁⋮⋮赤外線、紫外線、可視光線、X線、高周波、電磁波、自由電
子、全て反射︱︱いえ、減衰のないままほぼ100パーセント上空
に向けて放射されております。これは面白い、どの方向から放たれ
たエネルギーも全て同一方向へ収束させられるとは、ひょっとする
と重力も遮断しているのか? だとすれば境界線上に滑車を置けば、
自然に回ることになり永久機関の完成となるのだが﹂
楽しそうに目を細める周参。
﹁通常の物理観測方法では不可能⋮⋮となれば、いよいよ斑鳩様の
奥の手でしょうか﹂
﹁奥の手?﹂
つーか、皆さん主人のボクより強いのはともかくとして、なんで
当たり前のように頭良くて、知らない引き出し持ってるんだろうね
ぇ?! 今更だけどさ!
﹁はい。次元波を使用した観測です。これであればいかなる存在で
あろうと、三次元世界にある限るその存在を偽ることは不可能︱︱
おっ、始まったようですな﹂
1434
見れば斑鳩の全身で蠢く触手の先端に光が燈り、一斉に白い幕に
向けると同時に、斑鳩の裂帛の気合のこもった叫びが放たれた。
﹁次元波動爆縮放射超弦励起縮退振幅重力波︱︱発射っ!﹂
﹁長い! てゆーか、なんてもったいぶった名前なの?!﹂
思わずツッコミを入れると、周参がご丁寧に解説してくれた。
﹁マイクロブラックホールを形成して騾馬粒子が時間反転した存在
である反粒子を瞬時に生成・加速し、空間そのものに干渉して次元
を射線上に展開することで時間と空間を跳躍した観測が可能になり
ます﹂
﹁なるほど﹂
まったくわからん。言葉の意味は不明だけど、とにかく凄い技を
使ったらしいことだけはわかった。
放射された次元︵中略︶重力波は、もちろん肉眼で見えるもので
はないので、ぼけーっと結果を待つくらいしかできない。
程なく、斑鳩の巨大な単眼がキラリと光った。
﹁徹った! これは︱︱なんだと?! 三次元空間とは隔絶した虚
数空間でコーティングだとぉ?!?﹂
珍しく斑鳩の動揺しきった声が揺れていたけれど、この時点では
ボクには理解不能だった。
◆◇◆◇
1435
インペ
﹁︱︱ということで、単刀直入に言いますがあと2週間ほどで世界
は滅びます﹂
テレポーター
聖王国の異変を観測した翌日。
リアル・クリムゾン
転移門等を使用して、緊急の呼び出しに応じて参加してくれた真
紅帝国傘下の国々と、個人的に親交のあった国の元首級の面々を前
に、虚空紅玉城の会議室でボクは現在確認されているイーオン聖王
国の異変について説明をした。
﹃はあ⋮⋮???﹄
途端に、属国である大陸西部域に位置するアミティア共和国のコ
ラード国王や南部域をほぼ所有するクレス自由同盟国の盟主レヴァ
ン代表、友好国である大陸最大国家東部域の覇者グラウィオール帝
国の次期皇帝オリアーナ皇女、さらにほぼ小国がひしめく北部域か
ら唯一参加したシレント国の姫巫女エレノアが一斉に顔一面に疑問
符を浮かべた。まあ、当然といえば当然の反応だろうねぇ。
きょむ
﹁これは誇張でも冗談でもありません。現在でも拡大中の謎の霧︱
︱私達は暫定的にこれに﹃虚霧﹄と名付けましたが︱︱はその後も
拡大を続け、すでに聖王国の半分に迫ろうかと言う勢いで範囲を広
げています﹂
それに併せて空中にリアルタイムでの鳥瞰図が表示された。
﹃︱︱っっっ?!?!﹄
さすがに自分の目で見ることで事態の大きさを実感できたのだろ
う。途端に色めき立つ各国の参加者達。
﹁この虚霧はあらゆる攻撃を防ぐ性質があります。物理攻撃、魔法
1436
むさし
てんがい
いかるが
いずも
攻撃、呪術攻撃あらゆる方法で確認を試みましたが、すべて失敗に
終わっています﹂
なにしろ生体爆弾武蔵の陽子爆発や、天涯・斑鳩・出雲の3強が
放つ三身一体攻撃︵後から周参に聞いたら、トータルのエネルギー
量は木星級惑星でも破壊できるくらいの破壊力だったらしい︶です
ら受け付けない鉄壁の防御力だ︵正確には受け流しているらしいけ
ど︶、ゆえに現状では打つ手なしというのがこちらの結論である。
と、ボクの説明を聞いて恐る恐るイーオンに隣接する、シレント
確認を試みた
というのは、もしや我が国の
国のエレノアが挙手して立ち上がった。
﹁あのォ、姫陛下。
首都からも見えた、昨日の轟音と震動、天に立ち上る巨大な光の柱
のことでしょうか⋮⋮?﹂
ちなみに彼女とは面識はあるけれど、正式に国主として逢ったの
はこれが初めてだったりする。以前に逢った時には、ちょっとゴタ
ゴタがあったせいで名乗り忘れていたんだけど、今回の招待と再会
てんがい
は彼女にとって晴天の霹靂だったみたいで、なんとなく態度が硬い。
インペリアル・クリムゾン
まあ、会議の前に真紅帝国・宰相を名乗った天涯が、元首級以外
の有象無象に対して、
﹁よいか。貴様ら如き卑俗かつ凡愚の輩が、天上人たる姫様の玉顔
を拝し、そのお声を耳にするなど言語道断、本来であればその場で
目玉を抉り出し、耳を引き千切るところであるが、現在は火急の場
合であり、また情け深い姫様のお志しにより、特別に列席を許すこ
と、努々忘れぬよう肝に銘じておけ!﹂
と、なんか無茶苦茶言ってせいでプレッシャーを感じているのか
も知れないけど⋮⋮。
というか、全体的に列席者が死人みたいな顔をしているのは、話
1437
デス・ナイト
グリム・リーパー
の内容にショックを受けているのか、広大な会議室のあちこちに点
在する死霊騎士や死神とかにビビってるのか、ちょっと判断につか
ないところだねぇ。
﹁⋮⋮えーと、まあ、多少目立つ騒ぎを起こしたのは事実だけど、
何事もトライ&エラーを繰り返さないと結果が出ないので、必要な
行為と認識しています﹂
まあ、一歩間違えると一発でこの世界が吹っ飛んだ可能性もあっ
たけど。
なにか言いたげなエレノアだったけれど、周囲を見回して︱︱ト
バッチリを恐れて一斉に視線を逸らす各国代表者の姿に︱︱ため息
をついて、無言のまま腰を下ろした。
﹁問題はこの雲︱︱﹃虚霧﹄でしたか?が及ぼす影響です。単に霧
に覆われるというわけではないのでしょうね⋮⋮世界の終わりと言
うからには﹂
普段は目や口元が常に微笑んでいて優しい感じと併せて、どこか
余裕のある表情をしているオリアーナも、さすがに今日は差し迫っ
た表情で口を開いた。
その隣には後見人ということで、エストラダ大公。さらに背後に
は侍従に混じってクリストフ君も来ていた。
視線に気付いたクリストフ君が、はにかみ笑いで軽く手を振って
きたので、なんとなくボクも小さく手を振った。
﹁︱︱こほん! 姫陛下、それで実際のところどのような事態が想
定されるのでしょうか?﹂
みこと
わざとらしく咳払いをするオリアーナに促されて、姿勢を正した
ボクに代わって、命都が前に進み出た。
1438
インペリアル・クリムゾン
﹁そのご質問にはわたくし、真紅帝国議長にして親衛隊総長たる命
都が答えさせていただきます﹂
超絶美青年だけど全身から尖ったナイフのような雰囲気を常時垂
セラフィム
れ流している天涯に代わり、いかにも優しげで物腰も柔らかな︵し
かも熾天使である︶命都の登場に、会議室の雰囲気が目に見えてほ
っとしたものに変わった。
﹁まず、こちらの観測に寄れば、﹃虚霧﹄と名付けたこの雲の正体
は物質ではなく、一種のシールド︱︱魔術障壁のようなものと考え
られます﹂
参加者たちは各々訳知り顔で頷いたり、難しい顔で腕組みしたり
する。
﹁このシールド内部は三次元空間とは隔絶した虚数空間に接続して
いるものと推測されます。時間は逆行しエントロピーも負の性質を
持つため、現在・過去・未来どことも言えぬ領域と化しています﹂
参加者全員が、﹃なるほど、わからん﹄という顔で眉を寄せた。
命都の方もそれを感じ取ったのか、﹁簡単に﹃異世界﹄とか﹃冥
界﹄とか考えていただいて結構です﹂とざっくりとした説明に変え
た。
﹁つまり﹃虚霧﹄に取り込まれた人は死んでいるわけですか?﹂
ますます表情を険しくしてのオリアーナの追求。
﹁観測できない以上、現段階では生きているとも死んでいるとも言
えない状態です。不可逆的は死ではありませんが、生命体として活
動できない状態であるので、死んでいると仮定しても間違いではあ
1439
りませんね﹂
話している内容は多分、ボク同様半分も理解できないと思うけど、
深刻な命都の表情と言葉から、最悪の状態に近いことを予想して、
会議室全体にどよめきが広がる。
﹁⋮⋮対策は。対策はないのですか?﹂
コラード国王がボクの顔を見て、すがりつくような目で聞いてき
た。
その隣には、先日正式に挙式した新妻のクロエが、難しい顔で目
を閉じて座っている。
ボクは彼の目を見て、ゆっくりと口を開いた。
﹁現状では﹃虚霧﹄を止める方法はないよ。できることはただ一つ、
幸い﹃虚霧﹄の高さは3000メートルほどで安定しているので、
3000メートル以上の高さの場所に避難するか。あとはこの空中
庭園を箱舟として、﹃虚霧﹄が晴れるまで大地を離れるか。︱︱た
だし、人数制限をさせてもらうよ。属国を優先して、最高でも10
万人を目処に締め切らせてもらう﹂
ボクの非情な決断に、参加者が強張った顔を見合わせる。
﹁国ごとの人数の割り当てはこちらで決めさせてもらうので、人選
その他は各国に任せるよ。取りあえず広がる﹃虚霧﹄に併せて、周
囲を旋回する形で空中庭園は移動するので、人選が終わり次第どん
どん移動させるように﹂
そう締めくくると、各国の参加者が慌しく立ち上がって、喧々囂
々と質問やら非難やらの口火を切り始めた。
1440
そんな中、あてがわれた席に座ったまま、強張った顔で何か考え
込んでいたオリアーナが、自分に言い聞かせるかのように小さく呟
いたことに、その時のボクは気が付かなかった。
﹁喪失世紀⋮それは、世界が滅び。過去・現在・未来が入り混じっ
た時間の概念が存在しなかった時代⋮⋮まさか⋮⋮!﹂
1441
第十話 聖都消失︵後書き︶
物理学なんてわからないのでインチキです︵´・ω・`︶
あと、3強が放つ三身一体攻撃は﹃ヒユキエクスクラメーション﹄
といって基本惑星上で放つのは禁じ手ですが、使ったからといって
別に魔将の資格が剥奪されたりはしません。
1442
第十一話 君主英断
ダイヤモンド
僅かに粘液質の音を奏でながら、金剛石を削り出して作られたワ
イングラスに真紅の液体が注がれる。
﹁地方貴族ですが17歳の貴族の長女、無論処女の血潮にございま
す﹂
一滴もこぼすことなくボトルを手前に戻した天涯が、恭しく一礼
をするのを横目に見ながら軽く一息でそれを飲み干す。
﹁やはり貴族でもある程度素食に慣れた田舎娘の方が味わいがある
ね。中央貴族はどうも脂っ気が多くて大味だからねぇ。ま、別に貴
族だから味が格別ってこともないけど﹂
﹁なるほど。そのお言葉を参考に致しまして、次回より品質により
細心の注意を払います﹂
血
鹿爪らしい顔で再度一礼する天涯の言葉に、そういえば今後は食
料の調達も大変になるんだなぁ、と思って陰鬱たる気持ちになった。
それからふと気になった。いつの間にかこうして血の匂いを嗅い
でも平気になり、主食としてああだこうだと割り切って見られるよ
うになったのって何時からなんだろうねぇ。
確か最初の頃は結構躊躇してたと思うんだけど、気が付いたら慣
れていたって感じかな。多分人間ってのは、どんな嫌なことや辛い
事があっても毎日ご飯を食べて日常を送っていれば、いつの間にか
それを忘れるものなんだろう。まぁ、これを強さと見るか弱さと見
1443
るかは人それぞれだけど。
﹁⋮⋮どうかされましたか、姫? 心ここにあらずのご様子ですが
?﹂
きょうそく
いつの間にか手にしていたグラスに追加が入れられていたみたい
で、脇息に片肘を付いた姿勢のままぼーっと考え事をしていたボク
の様子に、天涯が眉をひそめる。
﹁ああ、ごめん。今後のことを考えてね。地上が全滅するとなると、
空中庭園内に避難させた住人から血の方も採取しないといけないの
で、あまり贅沢もいえないなと思ってさ﹂
﹁その程度の瑣事、姫がお心悩ませるほどのこともありません。人
間など幾らでも増えますし、必要とあれば姫専用の食餌用として別
途確保及び繁殖させますので、ご安心くださいませ﹂
モンスター
あー⋮⋮やっぱ発想が鬼畜というか、とことんボク中心なんだね
ぇ。なんか空中庭園が、当初予定していた地上の人間の箱舟になる
のか、単なるボクの家畜小屋なのかわかんなくなってきたよ。
﹁まあその辺はあまりやり過ぎないようにね。お互いに不自由のな
い生活が送れればいいんだから﹂
﹁承知しております﹂
本当かなぁ⋮⋮?
﹁あのぉ⋮⋮お嬢さんが不自由ないのはいいんですけど。自分なん
か、凄く肩身が狭いんですけど⋮⋮﹂
どことなく不満げな口調で、虚空紅玉城のボクの私室の一つ︱︱
1444
広大な枯山水が広がる和風庭園に面した500畳くらいの和室︱︱
の一段低くなった下段の間の出入り口付近、座布団すら与えらずに、
手酌で一升瓶みたいな入れ物から、畳の上に直接置いたドンブリに
中身を注いで啜っていた影郎さんが、手にしたドンブリを軽く振っ
た。
﹁なんかこれ妙に生臭いというか⋮⋮いや、血なんですから当然っ
ていえば当然なんですけど、妙にもったりとしてそれでいてしつこ
くですけど、どんな出自の血なんですかねえ?﹂
勝手に顔を出して出された食餌に文句つける彼の態度に、天涯が
無表情のまま⋮⋮一応は慇懃な態度で説明をする。
﹁無論、この城にあるモノは厳選された処女・童貞の血液ばかりで
す﹂
﹁ふ∼∼ん?⋮⋮﹂
どことなく納得できない顔で、ドンブリを口に運ぶ影郎さん。
ロリコン
﹁ちなみにそれは38歳無職童貞、ハゲでデブで幼女趣味の男から
採集した血液です﹂
﹁︱︱ぶっ!!﹂
口に含んでいた血を思いっきり噴霧する影郎さん。
﹁なんちゅうもんを飲ませてくれたんや⋮なんちゅうもんを⋮﹂
感極まって︵?︶涙を流す彼を冷ややかに見据えながら、﹁出さ
れただけでもありがたいと思っていただきたいものですな﹂と吐き
捨てつつ天涯が合図を送ると、どこからともなく現れたメイド部隊
が、汚れた畳とかの掃除を始めた。
1445
﹁姫様、御寛ぎのところ失礼致します﹂
そこへ、相変わらず会議室で実務的な話し合いの音頭を取ってい
た命都が、一声掛けて部屋の中へと入ってきた。
下座でのた打ち回っている影郎さんと、その周りでせっせと雑巾
がけしているメイド達を目に留め、一瞬不審そうな顔になったけれ
ど、平然としているボクと天涯を見て、特に留意すべき事柄でもな
いと判断したのか、一礼して一段高くなった上段の間へと足を運ん
だ。
﹁各国のおおよその方針が決定しました。それに伴いまして、オリ
アーナ皇女、コラード国王及びレヴァン代表らが個人的に姫様とお
話したいとのことですが、いかがいたしますか?﹂
﹁そうだね、私も彼らとは個人的に話をしたいので、こちら︱︱﹂
と、思ったけど同席している影郎さんを思い出して︱︱まあ彼な
ら気配を悟らせるようなヘマはしないだろうけど、万一のこともあ
るし、そもそも彼らは和室は慣れてないだろうから︱︱場所を変え
ることにした。
﹁いや、別室に案内して。ばったり影郎さんに逢ったら卒倒するか
もしれないから﹂
思わずため息を漏らすと、縁側の方へ追いやられて口直しにお饅
頭を食べていた影郎さんが、ぽりぽりと人差し指で頬を掻きながら
軽く頭を下げた。
﹁お世話かけてすんません、お嬢さん﹂
﹁まあ、いいけどね。でも、この件が終わったらきちんと説明しな
きゃいけないだろうねぇ﹂
1446
十二単みたいな着物のまま︱︱実際にはなんちゃって五衣唐衣裳
で、一番上は白無垢に薔薇の紋様と雪の模様が入っている︱︱軽く
肩をすくめて、ボクは出口へ向かった。
﹁⋮⋮とはいえ、その機会があるかどうかが問題なんだけどね﹂
﹃虚霧﹄の件に関して、あの三人が口に出しそうな内容を予想して、
ボクは思わずため息をついた。
◆◇◆◇
﹁結論から申しまして、13歳から20歳までの健康で健全⋮思想
に偏りがなく、ある程度の身分のある男女を均等に選抜することで
意見の一致を見ました﹂
﹃身分﹄の部分で申し訳なさそうにオリアーナが目を伏せた。
﹁不公平なことは重々承知していますが、圧倒的に⋮虚しくなるほ
ど時間が足りません。いまから国民全員に周知することは不可能で
すので、帝都に戻り次第、わたしの一存で使者を立て、首都近郊に
いる該当者に密かに接触する予定です。勿論、本人の承諾なしに拉
致するようなことはできませんので、反対された場合はしばし⋮⋮
と言っても1週間ほどで﹃虚霧﹄は帝国全てを覆うので、その期間、
監禁もしくは監視状態に置く形ですけれど﹂
どこか吹っ切った表情で、微笑を浮かべる彼女の隣には、クリス
トフ君がついていた。
1447
﹁まあ、妥当な判断だろうね。そちらは国土が大きいから、どうし
たって﹃虚霧﹄で避難民とか、流言飛語の類い、それに混乱に乗じ
ての略奪や最悪武力蜂起の可能性もあるからね。秘密裏に事を進め
るのは正解だと思うよ﹂
それからなるべく自然な感じで尋ねた。
﹁で、鈴蘭︱︱君はいつこっちに移動するわけ?﹂
オリアーナの微笑が広がった。
﹁わたしは為政者として、最後までやるべきことを成し遂げたいと
思います。わたしの分の席は必要ありません。その代わり︱︱とい
うわけでもありませんが、クリストフ大公子をこのまま残して去り
ますので、どうかよろしくお願いいたします﹂
前もって話し合いをしていたのだろう。苦渋の表情で俯くクリス
トフ君の隣で、オリアーナが頭を下げた。
彼女の話が一段落ついたと判断して、クロエを随伴してきたコラ
うち
ード国王が、こちらも透明な笑みを浮かべた。
﹁アミティアの方は冒険者を主体にBランク以上の若手と、国家2
級以上の魔術師で将来性のありそうなのを見繕って説得する予定で
す。幸いわが国は﹃虚霧﹄の到来まで若干余裕もありますし、人数
制限もかなりの余裕がありますので、国民にはある程度の周知を行
う方針です﹂
﹁かなりの騒ぎになると思うけど?﹂
﹁覚悟の上ですよ。それで罷免されるならされた時で⋮⋮まあもと
もと腰掛けみたいなものでしたからね。国王なんて。陛下もまさか
﹃虚霧﹄の中まで追い駆けてきて、国王の椅子に縛り付けるわけじ
ゃないでしょうね﹂
笑いながら妻の肩を寄せる︱︱と言っても身長の関係で、クロエ
1448
が逆に抱きかかえるみたいな形になったけど︱︱コラード国王。
﹁⋮⋮二人とも避難するつもりはないんだね?﹂
わかっているけど一応確認する。
﹁すみませんね。お姫様の仕事をほっぽり出す形になっちまって。
だけど亭主が戦ってるのに、獣人族の女がトンズラこくわけにはい
かないんでね。親子3人、最後まで戦いますよ﹂
クロエの言葉に﹁3人⋮⋮?﹂と一瞬意味を掴めなかったけれど、
軽く腹部を触る彼女の仕草でいっぺんに理解できた。
はっとコラード国王を見ると、﹁いや∼∼っ、参りましたね﹂な
んて言いながら幸せ一杯の笑みを浮かべている。
︱︱出来婚かい!? 今度こそ正真正銘の!!
﹁だ、駄目ですよ! 赤ちゃんがいるのに犠牲になろうなんて! そんなの聖獣様もお許しになりませんよ、クロエさん!!﹂
いもうと
レヴァンに付いてきた彼の義妹のアスミナが血相を変えて詰め寄
るけれど、クロエの方は困ったような笑みを浮かべて、ポンポンと
軽く彼女の頭を叩いた。
﹁別に犠牲とかじゃないよ。あんたも獣人族の女なら大切な誰から
を守るため、どんな相手だろうがどんな場所だろうが立ち向かうだ
ろう? だから負けるつもりはないよ。勝つまで戦うだけさ﹂
わかっちゃいるけど納得できない。
理性と感情の狭間で板ばさみになって、﹁う∼∼∼っ!﹂と涙目
で唸っているアスミナの肩を、後ろからそっと叩いて引き寄せるレ
1449
ヴァン。
﹁もう止せ。相手の生き方を曲げることはできないし、やっちゃい
にい
にい
けないだろう。第一、それを言うなら、お前こそオレの言うとおり、
ここへ避難するべきだろう?﹂
﹁そんなことできるわけないでしょう、義兄さん! 義兄さんがい
るところが、あたしの居場所なんだから、たとえ﹃虚霧﹄の中だろ
うと、地獄の果てだろうと付いていくに決まっているじゃない!﹂
アスミナの威勢の良い啖呵に、クロエが満面の笑みを浮かべ、オ
リアーナ皇女が微笑ましいものを見た笑みを浮かべ、クリストフ君
は何か言いたげな顔でボクを振り返り︱︱はて?︱︱言われた当の
本人は、恥ずかしさ半分、もう半分はストーカーの恐怖に慄く⋮⋮
という複雑な顔になった。
そのレヴァンの肩に、コラード国王が訳知り顔で手を置いた。
﹁⋮⋮諦めたほうがいいですよ。どこまでいっても男は女性には勝
てないんですから﹂
その顔には同情と、どこかほの暗い︱︱﹃ようこそ、この底なし
の世界へ﹄とでも言いたげな︱︱同病相哀れむ笑みが浮かんでいた。
﹁︱︱つまり、二人とも同じく避難はしないってこと?﹂
最終確認でレヴァンに尋ねると、真顔になって力強く頷いた。
﹁はい、オレも獣人族の男なので、最後まで部族を率いる責任があ
ります﹂
真っ直ぐなその瞳に、ボクには続ける言葉が見つからなかった。
﹁⋮⋮ふん。馬鹿弟子が一端の口をききよる﹂
1450
と、いつの間にそこに来ていたのか、2メートルを越える白髪白
髭のローブを着た老人︱︱獣王が部屋の隅に立っていた。
﹁師匠?!﹂
﹁大叔父様!?﹂
目を丸くするレヴァンとアスミナ、さらにその場で戦士の礼をす
るクロエを無視して、獣王はボクの前まで歩いてくると、深々と一
礼をした。
﹁このような突然の申し出でまことに慙愧の念に堪えませぬが、本
日、ただ今をもちまして武術指南役の任を降ろさせていただきとう
ございます﹂
﹁⋮⋮理由は?﹂
と名乗る者として、最後に獣人族の行く末を見届ける義務が
﹁どうにもこやつ等半人前どもでは心もとないもので⋮⋮仮にも
獣王
あると、愚考いたします故﹂
多分、許可しなくても彼は行ってしまうのだろう。そう思えば許
可する以外に選択はなかった。
﹁わかりました。貴方には本当にお世話になりました、どうぞお健
やかで⋮⋮というのも変ですね﹂
ボクの別れの挨拶に、初めてみせる優しげな笑みで、一礼をして
立ち上がると、レヴァン達の方へ踵を返す獣王。
﹁⋮⋮師匠。オレ達を心配しいただけるのはありがたいのですが﹂
半人前扱いされて不満げなレヴァンに向かって、獣王は意外なほ
ど素直に頭を下げた。
﹁すまんな。本来であれば儂が負うべき労苦をお主等に負わせてし
1451
まった。だが、年寄りの我侭だ。最後は儂にその労苦を譲ってもら
いたい﹂
﹁師匠⋮⋮﹂
毒気を抜かれた表情で、レヴァンがアスミナと顔を合わせた。
ッ!!﹂
ふん
瞬間︱︱
﹁
獣王の拳がレヴァンの鳩尾に吸い込まれ、一撃で意識を刈り取ら
れた彼の体が崩れ落ちる。
﹁︱︱に﹂
咄嗟に駆け寄ろうとしたアスミナの首の後ろに、一見すると軽い
手刀が入ったかと思うと、ほとんど同時に彼女も意識を失って倒れ
そうになる。
ここまで1秒にも満たない早業だった。
床に崩れる前に、素早く二人の身体を両手で抱き止めた獣王は、
優しげな手つきで近くにあったソファーに二人を横たえると、再度
ボクの方へと頭を下げた。
﹁申し訳ありませんが、この二人はしばらくどこかへ閉じ込めてお
いていただけますかな。我欲と言ってしまえばそれまでですが、こ
やつ等には未来を託したいので﹂
おそらく気絶から覚めた時にこのことを知ったら、二人とも怒り
と悲しみに暮れるだろう。けれど恨みも嘆きも甘んじて受ける、鋼
鉄の意志がそこには込められていた。
うつほ
﹁︱︱空穂、この二人をお願いできるかな?﹂
なのでボクは背後に控えていた神獣︱︱白面金毛九尾の狐たる︱
1452
︱空穂に声を掛けた。
﹁お任せくだされ。我からもよく言い聞かせましょう﹂
いつもの巫女装束を着た空穂が前に進み出て、配下の聖獣・霊獣
の化身たちに命じて、二人をどこかに運び出した。
﹁⋮⋮結局、各国の王様は全員残るってことだね?﹂
ボクは部屋に残った面々を見回して、我ながら女々しいと思うけ
どもう一度確認をした。
﹁そうなりますね。まあ、姫陛下に湿っぽいのは似合いませんので、
別れの挨拶は止めておきます﹂
コラード国王が相変わらず空気を呼んで、気軽な調子で合いの手
を入れてくれる。
彼はわかっているんだろうね。ボクがどれだけ弱いのかを。だか
ら、こうしていつもの調子で言ってくれる。
﹁そうですな。慌しい別れになりましたが、まあ、馬鹿弟子連中が
残っているので、退屈はせんでしょう﹂
こちらもいつもの鉄面皮の獣王。
﹁わたしもお別れは言いませんよ。だいたい﹃虚霧﹄だかなんだか
わかりませんけど、姫陛下がいらっしゃるなら、そのうちなんとか
なりそうな気もしますし﹂
微笑むオリアーナが気楽にそんなことを口に出すと、他の面々も
口々に﹁そーいえばそうかも﹂なんて言い出した。
﹁⋮⋮気のせいか、みんな世界の破滅だってのに妙に気楽だねぇ﹂
そう言うと全員示し合わせたかのように顔を見合わせた。
1453
﹁いゃあ、なんかもうここまで来ると開き直りといいますか﹂
コラード国王が眼鏡の位置を直しながら、にこやかに答えた。
﹁あと姫陛下と知り合ったってことが大きいかな。あの一緒にいた
巫女のお嬢さんは、付き合いが短いせいか青い顔して本国に戻って
行ったけどね﹂
苦笑しながらクロエが後に続ける。
そっか、エレノアはもう帰ったのか。まあ、あそこはイーオンの
隣だし、本当のカウントダウン寸前だからしょうがないね。
﹁確かにそれは言えますね﹂オリアーナも尻馬に乗る。﹁姫陛下と
知り合う前なら重圧で押し潰されていたかも知れませんけど。なん
ていうんでしょうか⋮⋮世界の破滅に際して、姫陛下がこの場にて、
それでも及ばないというのでしたら、これはもう誰が何をしてもど
うしようもない⋮といのがわかってますので、一周回って平静にな
れた感じですね﹂
﹁なるほど違いない﹂
獣王の声にも笑いが含まれていた。
﹁それでは、いったん祖国へ戻ります。姫陛下、またお会いしまし
ょう﹂
その言葉を皮切りに、各々が簡単な挨拶をして部屋から出て行っ
た。
残されたボクは、急に広くなったような気がする部屋の中で、そ
っと唇を噛んだのだった。
1454
第十一話 君主英断︵後書き︶
クリストフ君もいったん親に別れを告げるため退室しました。
当初のプロットでは、影郎さんと合わせてしまむらさんも復活させ
て別働隊を結成させる予定でしたが、緋雪ちゃんの基準ではどー考
えても、罪の重さが取り返しの付かないレベルなので、復活はなし
になりました。
12/24 脱字を追加しました。
×恥ずかさ半分↓○恥ずかしさ半分
1455
第十二話 天星地花
﹁⋮⋮まったく。どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ﹂
テレポーター
全員が空中庭園から転移門で自国へ戻ったのを確認して、十二単
からいつものフリルとレース、そして薔薇のコサージュで彩られた
黒いドレスに着替えたボクは、和室の縁側に座って素足をぶらぶら
させながら、誰に言うともなく胸の内に渦巻くモヤモヤを口に出し
た。
﹁責任だか義務だか知らないけど、自分が死んだらお終いじゃない
グランド・ゼロ
か。自己犠牲なんて本気で反吐が出るよ。命をなんだと思ってるん
きょむ
だい。そんなに軽いものじゃないだろう﹂
わけがわからないよ。
デーブータ
だいたい蒼神もなに考えてんだか。﹃虚霧﹄の爆心地は間違いな
く、彼の本拠地︱︱影郎さんによれば﹃蒼の塔﹄という建造物がこ
の大陸の中心部にあるらしい︱︱そこなんだから、今回の騒ぎの元
通行証
を渡して招待しておいて、いきなり世
凶は十中八九、彼の仕業だろう。
わざわざボクに
界を滅ぼし始めるとか⋮⋮まあ、ぶっちゃけこちらからわざわざ罠
満載だろう、敵の本拠地に乗り込むつもりもなかったけどさ。ひょ
っとして人質のつもりなのかな。﹃さっさと来ないとこの世界の生
きとし生けるもの全てを滅ぼす﹄っていう。
そんなことしたって無駄なのに。
辿り着いてから1年もいないこの世界だ、大して愛着もありはし
ない。
1456
ここが駄目ならまた別な先を探して流離うだけさ。
﹁まあ人間ちゅうのは弱い生き物ですからなぁ。それを補うために
集団になって社会を形成する。でもってその社会を維持するために、
法律だの倫理だのの制限やら犠牲を必要とするのもやむなしってこ
とでしょうなあ﹂
隣で切ったスイカを口にしつつ、庭に向かって種を飛ばしながら
︱︱背後に控えている天涯の額に青筋が浮いているけど、まったく
気にした風もなく︱︱影郎さんが、同意してるんだか宥めてるんだ
か世間話しているんだか不明な、気楽な口調で相槌を打った。
﹁ふん。不完全な生き物だ。自己保存という本来の意味が形骸化し
ているではないか。まこと姫の仰られる通り、愚か者の極みである
な人間という生き物は﹂
影郎さんに文句を言うのは取りあえず後回しにしたらしい。天涯
が心底ウンザリした顔で吐き捨てた。
まあ基本魔物っていうのは個体でほぼ自立している生物だからね
ぇ。死ぬも生きるも自己責任って割り切れる強さを持っているので、
人間社会の複雑・曖昧さは歪に思えるんだろうね。
﹁まあ、だからこそ面白いって考え方もありますけどね﹂
お盆の上に乗ったスイカ全部に塩をかけながら、気楽にコメント
する影郎さん。
﹁まあそうなんだけどね。それにしたって、私の知り合いがほとん
ど全員地上に残って、見知らぬ他人を助けるとか、なんか本末転倒
なんだよねぇ﹂
1457
はっきり言っちゃえば、ボクとしては見知らぬ他人が1億死ぬよ
り、知ってる友人1人が助かるならその方を選ぶ。だけど人間は家
族とか友人関係とかがあるので、そうした分を換算して、なお多め
に見積もって10万人って指定したんだけど、肝心要のオリアーナ
やコラード君、獣王が、やれ責任だやれ義務だ⋮⋮といった形のな
い幻想に縛られて、身動きが取れなくなっている現状がどうにも釈
然としない。
﹁所詮、連中は姫の御慈悲を払い除け、滅びを選んだ愚か者。姫が
お心を悩ませる価値等ございません。それに、人間などせいぜい1
00年生きるのが精一杯な弱き生き物でございます。多少、寿命が
早まったと思えばよろしいのでは?﹂
と天涯。まあ、ほとんど寿命なんてあって無きが如くだからねぇ、
魔族は。
﹁まあ、人生長いか短いかじゃなくて、どんだけ満足したかですか
らな﹂
相変わらずスイカを食べながら、気楽な口調で人生を語る影郎さ
ん。
﹁⋮⋮そういう意味では、全員満足してるってことなのかなぁ。相
互理解って難しいね﹂
根本的に人間関係に疎い人生送ってたので、よくわからん。
ため息をついて、取りあえず気分転換にボクもスイカを取って、
一口食べた。
む
﹁!? ︱︱ぶはぁ!! しょっぱい! なにこれ?!﹂
途端、噎せる。
﹁なにって塩かけたんですけど? こうすると甘味が増すんですわ。
1458
お嬢さんご存じないんで?﹂
﹁知らないよ! 塩味しかしないじゃない! なんで甘いものに塩
とかかけるわけ?!﹂
﹁なんでと言われてもこの方が美味いからですわ。お嬢さんだって
昼に生ハムにメロン乗せて食べてたじゃないですか?﹂
﹁あれは生ハム主体だからいいの!﹂
﹁⋮⋮相互理解っちゅのは難しいですな﹂
影郎さんがしみじみ述懐した。
◆◇◆◇
︻アミティア共和国首都アーラ︼
ここ数日、冒険者ギルド本部3階にあるギルド長室に泊り込みで、
ほぼ不眠不休の業務を執り行っていたギルド長ガルテが、執務机の
上に置かれた香茶に気付いて一旦手を休めると、ちらりとそれを置
いた白い手の先︱︱秘書の猫人族ミーアの顔を見上げた。
きょむ
﹁やはり避難する気はないのかミーア。いい加減蒸し返すようだが、
あと3∼4日で﹃虚霧﹄とかいう、訳のわからん現象がこの国⋮⋮
いや、世界を襲うんだ。避難場所として姫陛下のお膝元へ行ける人
員は割り当てが決まっているそうだが、お前なら優先的に割り当て
られると、コラード⋮国王も推挙しているんだがなあ﹂
普段どおりの強面の顔に、さすがに張り付いたような疲れを色濃
く滲ませながら、ガルテが力なく翻意を促す。
1459
﹁いまさらですよギルド長。だいたい姫陛下のところへは、もとも
と結構な数の獣人族や亜人、魔物が避難済みらしいですし、いくら
個人的に顔見知りだって言っても、私はギルドランクもない単なる
事務屋に過ぎませんからね。例外を設けては示しがつきません﹂
﹁だがなぁ⋮⋮﹂
続けて説得しようとしたガルテだが、なぜかミーアがくすくすと
思い出し笑いしているのを見て、太い眉を寄せた。
﹁ああ、すみません。昨日、ジョーイ君も同じようなことを言って
いたのを思い出したので、他人のことはいえないなあと、自嘲して
いただけです﹂
﹁あの小僧がどうしたって⋮⋮?﹂
﹁いえ、彼と相方のフィオレさんもギルドランクは足りませんけれ
ど、姫陛下のところへ特例で避難できると、内密に受けていた言付
けを話したのですが︱︱﹂
本来、退避できる冒険者はBランク以上の若手もしくは、それに
準じる実績のある者となっており、現在Cランク冒険者のジョーイ
とDランク冒険者にして国家4級魔術師のフィオレは対象からは外
れている。
﹁彼ったら﹃そんなインチキで逃げ出すわけにはいかないぜ!﹄と
一考だにせず、要請を蹴りまして﹂
あの小僧らしいな、とガルテは苦笑いした。
そんな彼の顔を見て悪戯っぽい笑みと共に続けるミーア。
﹁それともうひとつ﹃この街を案内するっていうヒユキとの約束ま
だ果たしてないから、俺はこの街を守ります!﹄って言って剣を掴
んで、そのまま飛び出して行っちゃいました。フィオレさんもその
1460
まま追い駆けて行ったので、避難する気はないでしょうね﹂
話の内容と、お手上げという顔で両手を天井に向けるミーアの表
情に、ガルテはついに吹き出した。そのまま久々に腹の底から笑い
声を上げる。
﹁まったく、あの小僧ときたら、駆け出しの頃から変わってないな。
とうとう馬鹿は直らないでそのままか! 仕方のない奴だ・・・ま
ったく。だが、まあああいう馬鹿が一人くらいいないと面白くない
からな﹂
冒険者は兵隊じゃない、生き延びるのが第一だ、と最初に言い含
めたのはいつだったか。事実、機を見るに敏な冒険者達は、そのほ
とんどが大陸からの避難について、粛々と従っているというのに、
あの馬鹿は世界を飲み込もうという災厄相手に剣一本でどう立ち向
かうつもりだ?
﹁まったくですね。付き合わされるフィオレさんには同情します﹂
さばさばした様子で肩をすくめるミーアの態度に、複雑な心中の
まま次の言葉を探るガルテ。
﹁あぁその⋮なんだ。結局、フィオレは国家魔術師試験を通ったわ
けだが、相変わらずジョーイの奴と組んでいるようだが⋮⋮いいの
か?﹂
言葉足らずの問い掛けだが、ミーアは正確にその内容を察して苦
笑した。
﹁ええ。やはり私にとってジョーイ君は手の掛かる弟みたいなもの
ですから・・・それに、どうも将来性とか生活力に不安があります
1461
からねえ。お付き合いするなら、経済力と包容力のある年上の相手
を選びますよ﹂
﹁そ、そうか⋮⋮﹂
安堵と失望とが半々の顔で頷きながら、香茶を口に運ぶガルテの
傷だらけの顔を横目に見ながら、ミーアはあながち冗談とも言えな
い口調で付け加えた。
﹁ま、行き遅れたらギルド長にでももらっていただきますよ﹂
パチンとウインクされ、ガルテは思いっきりお茶を気管に入れて
噎せた。
◆◇◆◇
︻クレス自由同盟国聖地﹃聖獣の丘﹄︼
インペリアル・クリムゾン
切り立った断崖絶壁の台地の上。隔絶された聖地の中心部にある
広大な一枚岩。
いつの間に建てられたのかアステカ式のピラミッド︱︱真紅帝国
の肝煎りで造られた迷宮﹃聖獣の門﹄︵実は緋雪の別荘︶︱︱を背
後にして、獣王は集まった各部族の代表者達の顔ぶれを、満足げな
顔で見回していた。
誰も彼も一癖も二癖もありそうな歴戦の古豪ばかりである。
1462
かくしゃく
若い者でも中年以上、年配になると獣王すら上回る長老・古老ク
ラスがゴロゴロしている。とは言え全員矍鑠たるモノで、どの顔も
戦いを前にした高揚感から︱︱さしずめ年老いて牙も爪も欠けた空
腹の獣が、飢えていよいよ死を待つばかりとなったその瞬間、獲物
を見つけた時のような︱︱壮絶な笑みを浮かべていた。
﹁ここにおられたのですか、獣王様﹂
ン・ゲルブ
慣れ親しんだ声と気配に振り返る獣王。
﹁ジシスか、久しいな﹂
錆を含んだ呼びかけ声に、ジシス︱︱獅子族の相談役をしている
老人︱︱が恭しく一礼をした。
ン・ゲルブ
﹁お久しぶりでございます。本日ははばかりながら獅子族を代表し
て罷り越しました﹂
﹁ふふん。久方ぶりの実戦だ、腕は錆び付いていないだろうな?﹂
挑発するような獣王の言葉に、普段は温厚なジシスの目が鋭く光
った。
﹁さて、自分ではいまだに若長にも負けるつもりはございませんが
⋮⋮と、そういえばお礼が遅くなりました。よくぞ若長とアスミナ
様を止めてくださいました。重ねて御礼申し上げます﹂
﹁別にお主に礼を言われる筋合いはないぞ。儂にとっては馬鹿弟子
と兄の孫娘だからな﹂
﹁わたしめにとりましてもお二方とも孫のようなものでございます。
無事に生き延びられると知り、これほど嬉しいことはございません﹂
再度一礼してから、ジシスは背後を振り返り、集まった連中の顔
ぶれを確認した。
﹁それにしても⋮⋮これまた見事に、使い潰しても問題のない顔ぶ
1463
ればかり集めたものですのお﹂
ロートル
古豪・歴戦の勇士といえば聞こえはいいが、実態は全員第一線を
退いて久しい年寄りばかりである。
﹁お陰で気兼ねなく戦えるというものだ﹂
きょむ
まあ戦うといっても直接戦火を交えるのではなく、一人でも多く
の獣人族を逃がすため、﹃虚霧﹄の侵攻に合わせて周辺の部落を駆
け巡り、避難者や怪我人、迷子などの救出をするだけなのだが。
と、各部族の集団を割って、この顔ぶれに似つかわしくない若々
しい長身の男が、獣王の元に進み出てきた。
﹁虎人族族長﹃豪腕﹄アケロン︱︱だったかな﹂
名乗る前に言い当てられ一瞬、虚を突かれたアケロンだったが、
すぐさま満足げな笑みを満面に浮かべた。
﹁獣王様が自分如き若輩者の名をご存知とは、光栄の至りです﹂
﹁ふむ。若輩者とわかっているなら、なぜここにいるのだ? さっ
さと姫陛下の元へ行ってもらいたいのだが﹂
﹁そのことです。ぜひ私の参加を認めていただきたく﹁断る﹂﹂
取り付く島もない返答に、さすがに怒りと不満の眼差しとなるア
ケロン。
﹁この戦は最初から負け戦だ。お主のような未来ある若者が参加す
るようなものではないな﹂
﹁⋮⋮ですが、獣人族の族長として、このままなにもせずに尻尾を
巻くなど屈辱以外のナニモノでもありません﹂
1464
﹁別に黙って逃げろとは言っておらんさ。儂らが全滅した後の獣人
族の存亡はお主等の双肩に掛かっておるんだからな。そっちの方が
よほど大変な戦だぞ﹂
﹁︱︱随分と身勝手なお話に聞こえますが﹂
挑戦的なアケロンの眼差しと糾弾の言葉を、獣王をはじめその場
に集まっていた老戦士達が軽く笑って受け流す。
﹁当然だ。若い者に面倒事や厄介事を託して、とっとと先に死ぬの
は儂ら老人の特権というものだ。輝かしい過去の栄光は我々のもの。
益体もない未来はお主等若者のものだ﹂
身も蓋もない獣王の言葉に、周囲から同意の笑いが沸き起こる。
﹁そういうことで、ここは儂ら老人が最後に一花咲かせて、伝説の
幕引きとするので、お主は邪魔ということだな。せいぜい頑張って、
よりよい未来を築くことだ﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
ややぶ然とした面持ちで、アケロンは一礼をしてその場で踵を返
した。
その背中を見送る老人達の眼差しはどれも穏やかだった。
﹁未来を頼んだぞ⋮⋮﹂
獣王の呟きが聖地の風に乗って、遥かクレス自由同盟国全土へと
溶けて流れて行った。
1465
第十二話 天星地花︵後書き︶
グラウィオール帝国編を書く時間がなかったです;;
1466
第十三話 薔薇迷宮
︻虚霧発生から88時間後︼
インペリアル・クリムゾン
ポーター
テレ
真紅帝国空中庭園中央部に設置されている、100基にも及ぶ転
移門発着場。
ストーンサークル
イミテーション
直径30∼40メートル規模の環状列石状の金属柱が立ち並び︵
以前、クレスに置いた転移魔法装置の模造品は、ここから部品を流
テレポーター
用したものだったりする︶、通常なら巨大な祭祀場のような厳かな
雰囲気のあるこの場所だけれど、ここ数日は絶え間なく転移門が稼
動し、大陸各地から避難してきた人々で騒々しくごった返していた。
案内役の天使や獣人、人型魔物の指示に従って、不安げな表情を
した人々が、ぞろぞろと指定された避難場所へと案内されていく。
テレポーター
テレポーター
グラウィオール帝国に設置された転移門が光を放ち、新たに避難
してきた人々が、手荷物を持って、力ない足取りで転移門の外へと
出てきた。
ある者は大きく深呼吸をして、ある者は物珍しげに周囲を見回し、
ある者は知人を見つけて手を取り合う。
テレポーター
転移門を見詰めていたクリストフ君の唇が、不意にほころんだ。
﹁エルマー! ルーカス!﹂
マジック・アイテム
荷物を引き摺って︱︱と言っても大部分は、見た目の容積以上に
物品が入って重量が変わらない、魔具である収納バックに入ってい
1467
るみたいだけど︱︱好奇の目で、周囲の様子を窺っていた、クリス
トフ君と同じ学校の制服を着た濃い金髪と赤毛の少年二人が弾かれ
たようにこちらを向いて、笑みを浮かべた。
﹁クリストフ!﹂
﹁無事だったのか!﹂
お互いの無事を確認して、肩の力が抜けたのかお互いに肩を叩い
たり、その場で小突き合ったりと、小犬みたいにはしゃぐ3人。
ひとしきり交流を温め合ったところで、クリストフ君がおずおず
と切り出した。
﹁どうなんだ、帝都の様子は?﹂
途端に表情を引き締める2人。
﹁⋮⋮ひどいもんだ。難民が街の外まで溢れる状態で、そこかしこ
で暴動やら略奪やらが起こっているそうだ﹂
﹁商人達もこの機会に乗じて、商品の買い占めや、暴利での販売を
しているそうで、聞いたところでは白パンが1個銀貨1枚半だそう
ですよ。ざっといままでの50倍ですね﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
予想していたこととは言っても、人間のそういう浅ましい部分を
きょむ
身近な人間から知らされ、衝撃を受けているらしいクリストフ君。
﹁﹃虚霧﹄の影響か。市民にはどの程度周知されているんだ?﹂
﹁公式見解ではイーオンで行われた魔術実験が暴走して、有害な雲
が大陸全土に広まっている⋮⋮という形になっているな﹂
クリストフ君が﹃エルマー﹄と呼んだ金髪で知的な印象の少年が、
ため息混じりに答えた。
1468
﹁実際は﹃有害﹄どころではないんでしょうけど⋮⋮﹂
同じく﹃ルーカス﹄と呼ばれた赤毛のちょっと軽薄そうな少年が
続ける。
﹁しかたがない、真実を知らせればどれだけの騒ぎになることか。
⋮⋮実際、皇帝陛下を始め皇族の皆様が帝都に残っていらっしゃる
お陰で、民衆は﹃さほど大事ではないのでは﹄という希望的観測に
すがってどうにかギリギリの平和を保っている状況だからな﹂
﹁貴族連中はとっとと極東方面へ逃げたったいうのに⋮⋮まったく、
嘆かわしいですよ﹂
和気藹々⋮⋮というには少しだけ張り詰めた雰囲気のある3人の
学生の様子を、ちょっと離れて見ていたボクは、やがて人波が途切
れた頃を見計らって、命都とあと2人ばかりメイド︵どちらも人型
従魔。お出迎えはなるべく人間に近い姿の連中が担当することにな
っている︶を引き連れて、さりげなく顔を出した。
カーテシー
﹁こんにちは、クリストフ君のご学友ですね? はじめまして。ご
無事でなによりです﹂
両手でスカートの裾をつまみ、一礼する。
﹁あ︱︱は、はいっ。はじめましてレディ﹂
﹁はじめまして、ご丁寧な挨拶痛み入ります﹂
急に話しかけられて面食らったようだけれど、二人とも貴族の子
弟らしく慣れた様子で返礼してくれた。
それからなぜかギリギリと壊れたブリキの人形みたいに、揃って
妙に血色の良いクリストフ君のにこやかな顔を見て、またボクの方
を向いた。
﹁⋮⋮失礼。少々クリストフと個人的な話があるので、少しばかり
1469
席を外します﹂
エルマー君が丁寧に一礼する。
﹁︱︱? あ、はい。荷物が邪魔になるようでしたら、こちらでお
預かりしていますけれど?﹂
そう提案すると、﹁お願いします﹂と二人とも背後のメイド服姿
の3人をチラリ見て、手荷物をその場に置いた。
で、事の成り行きに対応しきれずほけっとしていたクリストフ君
テレポーター
の手を、両方で掴んでそのまま宇宙人でも連行するように、近くに
あった転移門の柱の陰へと連れて行く。
﹁︱︱どういうことだ?!﹂
﹁なにが?﹂
﹁あの美少女ですよ! なんですか親しげに﹃クリストフ君﹄とか。
どこのお姫様で、どんな関係なんですか?!﹂
押し殺して話しているみたいだけれど、この程度の距離なら余裕
で筒抜けになる。
﹁どんなって⋮⋮えーと、その⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ああ、なるほど。つまりそういうことか﹃クリストフ君﹄﹂
﹁なるほど。言わなくても、その顔でわかったぞ﹃クリストフ君﹄。
⋮⋮しかし、まあ、これが平時でなかったのが不幸中の幸いか﹂
﹁だなぁ、じゃなければファン倶楽部の御令嬢方が発狂したろうに
なあ⋮⋮﹂
﹁いや、結構貴族の御令嬢方も避難している筈だし、これは今後ひ
と波乱︱︱どころではなく荒れるぞ﹂
﹁世界の滅びよりも、そっちのほうが一大事かもしれないなぁ﹂
1470
深刻な様子で揃って乾いた笑い声をあげるエルマー君とルーカス
君だったけど、不意に笑いを止めると顔を見合わせ、﹁﹁はあ∼∼
∼っ﹂﹂と力ないため息をついた。
面白い友達だねぇ。学友って等しくこういうものなんだろうか?
◆◇◆◇
空中庭園は実のところ内部が複数層に別れていて、その中に様々
な環境︱︱灼熱の溶岩地帯や吐く息も凍る極寒地帯、淡水湖や海と
コロニー
見まごう広さの塩湖である基底湖︱︱の地区が存在して、生息の異
なる魔物たちの集落が形成されている。
正確な延べ床面積は不明だけど、多分トータルで文字通り小さな
国くらいの面積はあると思う。
ちなみに目に付く第一層は基本的に居城である虚空紅玉城を中心
テレポーター
として、背後に世界樹の広大な森が広がり、正面には城下町⋮⋮と
いうか商店街が軒を連ね、その他には先ほど使った転移門発着場な
ど、重要施設が軒を連ねている。
基本的に居住区は地下︵というか空中庭園が空に浮かんでいるの
で、この表現は微妙なんだけど︶第二層からになり、もともと住人
が1万程度︵まあ未確認の妖精とか妖怪とか住み着いてはいるらし
いけど、氏名の登録がある分としてはこの位らしい︶、地上との交
流を行うようになって住み着いた転居組が5000名程度なので、
デッドスペースはそれこそ山のようにあるため、もともと作ったは
1471
いいけど使わなかった居住施設を開放して、彼らにはそちらに移り
住んでもらう形にした。
エンペラー
キング
ヒューラー チェアマン
プレジデント
基本的にはこちらは反社会的な行動をしなければ放置と言う感じ
で、自然と各国で、皇帝、国王、総統、議長、大統領、その他大き
な権力を持った血族の関係者が、イニシアチブをとってまとめ上げ
ていたようだけど、基本的にこちらからはノータッチの姿勢で傍観
していた。
◆◇◆◇
そんなわけで、最大国家であるグラウィオール帝国の皇族である
クリストフ君も、本人が望むと望まないとに関わらず、いつの間に
か取り纏め役のような立場になり、あの後も多忙な日々を過ごして
きょむ
いたようで、落ち着いて話ができるようになったのは3日後。
いよいよ帝都アルゼンタムに﹃虚霧﹄が、差し迫ったという報が
届いた日のお昼時だった。
虚空紅玉城にある庭園のひとつ﹃薔薇迷宮﹄。
ハイエルフや植物系モンスターの庭師が毎日手入れをしている広
大な庭には、落ち葉一つ、枯れた花一輪すらない、年中さまざまな
種類の薔薇が咲き誇る、ボクのお気に入りの庭の一つ。
ちなみにもう一つのお気に入りは、延々と桜並木が続く﹃桜円環﹄
だけど、こちらは春のみのお楽しみになる。
あずまや
太い柱で四方を囲まれただけの吹き曝しの四阿。
1472
薔薇の生垣がぐるりと取り囲んで壁の代わりになっているその場
所で、簡単な昼食をともにしたクリストフ君は、スプーンとフォー
クを置くと、満足げにナプキンで口元を拭った。
﹁ご馳走様。美味しかったです﹂
﹁お粗末様です。お口にあったようでなによりです﹂
そう答えると、目を丸くして︱︱次いで狼狽えた様子で、綺麗に
空になった皿とボクの顔とを交互に見比べた。
﹁あの⋮⋮もしかして、これって姫陛下のお手製ですか⋮⋮?﹂
﹁ええ。全部ではありませんけど、私が作ったのはボロネーゼとカ
ルボナーラ、ぺペロンチーノのパスタ3種類とシーザーサラダ、チ
キンの赤ワイン煮込み、白身魚のバルサミコソース、トルティージ
ャ、デザートのパンナコッタってところですね﹂
とりあえずイタリアンで統一してみました。
引き続き唖然としているクリストフ君。
﹁⋮⋮おかしいですか、私が料理を作るのが?﹂
﹁あ、いえ、おかしいというか⋮⋮まさか緋雪様御自ら台所に立た
れるとは、ちょっと予想もしてなかったものですから﹂
﹁趣味みたいなものです。貴族のお姫様らしくなくて申し訳ありま
せんけど﹂
苦笑いすると、クリストフ君は慌てて首を横に振った。
﹁そんなことないです! それに実はうちの母もお菓子作りが趣味
でして、子供の頃から母の手作りのチーズを使ったお菓子を食べる
のが楽しみでした﹂
クリストフ君の横顔に隠しきれない望郷の念が浮かぶ。
1473
﹁⋮⋮心配ですか、ご家族のことが?﹂
聞いた後で、馬鹿なことを口にしたと反省したけれど、クリスト
フ君はほろ苦い笑みを浮かべただけで、特に明言はしないで、背後
︱︱薔薇垣に隠れて見えない出口の方を振り返った。
﹁ここは良いところですね。家の中に入れば暑さ寒さも調節できる
し、水も明かりも使い放題、食べ物も美味ばかり、見たことのない
娯楽も沢山あって﹂
年齢に似合わない、大人びた表情でため息をつく。
﹁でも、集まれば皆、故郷の話ばかりです。忘れようとしたって忘
れられない。きっと僕らが年老いて死ぬ瞬間まで、故郷のことを忘
れることはないでしょうね﹂
﹁⋮⋮こんなことを言うと不謹慎ですが。クリストフ君が少し羨ま
しいです﹂
クリストフ君が不思議そうな顔で首を捻った。
﹁私には懐かしく思える故郷も、温かな家庭の思い出もありません
から。⋮⋮きっと私の本質は空っぽなんでしょうね﹂
そんなボクを困ったように見詰めたクリストフ君。
﹁それは、ちょっと違うと思いますよ、緋雪様﹂
﹁?﹂
﹁思い出は思い出として大事ですけど、別にそれが唯一無二ってわ
けじゃないと思います。寄る辺がなければ自分で作ればいいですし、
温かい家族だって⋮⋮その﹂
なぜか意を決した顔で、ボクの顔を覗き込んできた。
﹁緋雪様なら絶対に作れますっ。空っぽなんてとんでもないです。
こんなに魅力的な方なんですから、きっと素晴らしい家庭を築けま
1474
す! な、なんでしたらその役目を僕が︱︱﹂
﹁姫様! ご歓談中のところ失礼いたします﹂
こはく
そこへメイド姿の鬼人・琥珀が慌しく駆け寄ってきた。
人手が足りないからということで駆り出されたんだけど、2メー
トルの巨体と王冠のような5本の角、服の上からでもわかる荒縄の
ような筋肉に、背中に背負った2本の巨斧と︱︱美人ではあるけれ
ど、どうみてもメイドというより百戦錬磨の人食い鬼です。本当に
ありがとうございました。
なんか熱っぽい瞳で話しかけていたクリストフ君も、さすがに毒
気を抜かれた⋮⋮というよりも、腰の引けた様子で黙りこくるけれ
ど、琥珀は気にした様子もなく、ボクの方だけ見て早口で用件を口
に出した。
テレポーター
﹁グラウィオール帝国の首都アルゼンタムが虚霧に飲み込まれまし
た。ただちに転移門を閉鎖する予定でしたが、原因不明の発光現象
が起き、現在、調査中です﹂
﹁な︱︱っ﹂
その報告に息を呑むクリストフ君の背後に、植え込みの下から赤
毛のルーカス君が飛び出してきた。
﹁なんだって?!﹂
﹁︱︱おいっ、ちょっと待て、なんでお前がここにいるんだ?!﹂
﹁それどころではないだろう、アルゼンタムのことだぞ﹂
同じく金髪のエルマー君が悠然と現れた。
﹁エルマー! お前まで覗きか!?﹂
﹁いや、一応俺は止めたんだが。さっきの場所へは妙な目の細い男
に案内されてな⋮⋮だが、まあ細かいことは気にするな。それより
1475
も事態を確認するのが先だろう﹂
全員の視線がなぜかボクに集まった。
テレポーター
﹁それじゃあ、全員で転移門の発着場へ向かいましょうか﹂
無言で頷くルーカス君とエルマー君。釈然としない顔で友人二人
を横目で睨みながら、クリストフ君も一拍遅れて頷いた。
◆◇◆◇
テレポーター
ストーンサークル
ボクたちが辿り着いた時には、転移門の異変は収まる寸前だった。
一際大きく閃光が放たれ、落雷のような稲妻が環状列石全体を走
り、眩しさにその場にいた者全員が目を閉じた。
雷が引き起こしたオゾン臭と、焦げ臭い臭いに眉をしかめながら、
瞳をこらす︱︱その目が、無意識のうちに大きく見開かれた。
人間、魔物、亜人の区別なく、その場にいた全員が即座に武器を
抜いて戦闘態勢を取る。
テレポーター
焼け焦げた白銀の鎧を身に纏った、金髪の20歳半ばと思われる
剣士がそこにいた。転移門の中心部に片膝をついている。
先ほどの異常な転移による影響なのか、身体のあちこちから焦げ
たような煙が立ち上っている。
元は純白だったマントがボロボロになり、身体の前に覆い被さっ
ていた。
1476
やがてマント自体が自重に耐え切れなくなり崩れ落ちた。
それに併せて白いものが青年の抱えた両手からこぼれ落ちた。息
を呑む。
それは腕だった。少女のものと思しい、白くて華奢な手だった。
﹁らぽっくさん⋮⋮?﹂
ボクは意を決して︱︱慌てて周りが止めるのも無視して︱︱彼に
近寄って行った。
無言で蹲るらぽっくさんの腕の中を確認する。
﹁︱︱︱︱っ!?﹂
思わず呻き声が漏れた。
らぽっくさんが両手で2人の少女を抱えていた。
1人は白銀の長い髪をした白いドレスの小柄な少女。
もう1人はそれよりも3∼4歳年上のワンピースを着た、菫色の
ショートカットの髪をした少女。
どちらも良く知っている顔だった。
﹁オリアーナ⋮⋮タメゴローさん⋮⋮﹂
閉じられた瞼にも、力なく投げ出された手足にも生気は欠片もな
い。
と、らぽっくさんがノロノロとボクを見上げた。
﹁皇女様の方は無理な転移の衝撃で心臓が止まったので、緋雪さん
がすぐに手当てすれば助かる。だが、タメゴローの方は⋮⋮﹂
呟いたらぽっくさんの身体が、力なくその場に崩れ落ちた。
1477
第十三話 薔薇迷宮︵後書き︶
らぽっくさんは中ボスの予定だったんですけどね。
なぜか予定外に動いてます。
11/15 誤字修正しました。
×なりほど↓○なるほど
ご指摘感謝です。
1478
第十四話 幻想皇帝︵前書き︶
緋雪ちゃんの出番がまったくありません︵´・ω・`︶
1479
第十四話 幻想皇帝
真っ白い紗幕が帝都アルゼンタムを呑み込もうとしていた。
姫陛下の説明によれば、雲の高さはおよそ3000メートルだそ
うだけれど、間近に眺めるそれはほとんど垂直の壁であり、見上げ
ゲーム
ても先端が見えず天まで届くかのような圧倒的な存在感を示してい
た。
きょむ
﹃虚霧﹄︱︱世界を滅ぼす悪魔、もしくは神の産物。
それを成したのは﹃神﹄を名乗る一人の人物だという。
ファナティック
姫陛下は彼︱︱聖典に謳われる﹃蒼神﹄をして、この世界を遊戯
と見なす狂信者であり、その実体は単なる人間であると断言してい
るけれど⋮⋮。
オリアーナ皇女は物憂げにため息をついた。
そんなものは言葉遊びに過ぎない。
メンタリティ
ヒト
あの方はご自分が同じ高みにいるせいで、ご自覚がないのだろう
けれど、結局は人間にとって相手の精神性など、人間かそれ以外か
を分ける重要なポイントになどならないのだ。
怪物
と呼ばれる。罰することもでき
人間を越えた力があるというだけで、それは異端の者であり、さ
らに超越した力の持ち主は
ない怪物相手に人間は無力であり、その行動を制御できるのはただ
ただ本人の意思のみだろう。
結局人間にできることはただ祈ることだけ。どうか我が身に災い
が降りかかりませんように、どうかその良心に従いますように⋮と。
1480
神
悪魔
と呼び、利益をもた
と呼ぶ。ただそれだけのことにしか過ぎない。
そうして、人々に害を及ぼす怪物を
らす怪物を
きょむ
もう一度﹃虚霧﹄を見上げ、オリアーナ皇女は皮肉な笑みを浮か
べた。
脳裏に浮かぶのは、友人である優しい怪物︱︱緋雪の最後に別れ
た時の顔だった。
﹁まったく⋮あんな迷子の子供みたいな顔をされては、せっかくの
決意が崩れそうでしたわ﹂
独りごちた声が閑散とした宮殿の廊下を木霊する。
住民の退避に伴って宮殿内の侍女や侍従たちも、さまざまな理由
をつけて去って行き、残っているのは根っからの譜代の貴族や、豪
胆な一部の職人くらいなものである。そういえば毎日の食事の味も
変わらないでいたけれど、料理人もいまだに留まって己の職務を全
うしているのかも知れない。
ふと中庭を見てみれば、庭師の老人が普段どおりの態度で、脚立
に乗って庭木の手入れをしていた。
緑が好きで、子供の頃から中庭を遊び場にしていた彼女にしてみ
れば、いつも同じ顔で同じ仕事をしている印象があった彼だが、ま
さかこの状況でも変わらず仕事をしているとは思わず、思わず足を
止めた。
そんな彼女に気付いたのか、老人は手を休めると、脚立から降り
て帽子を脱ぎ、恭しく一礼した。
オリアーナも軽く一礼をしてその場を離れた。
1481
気が付くと、口元に苦笑ではない、淡い微笑が浮かんでいた。
けして長いとは言えない人生だったけれど、いままで出会った人
々、そして名も知らない彼らに感謝しながら、彼女は離宮から中庭
を抜け宮殿へと足を進める。
閑散とした宮殿にまるで別の場所に来たような錯覚を覚えながら、
オリアーナはさらに足を延ばして、父である皇帝陛下のおわす離宮
へと足を運んだ。
﹃余人を交えず、ゆっくりと話がしたい﹄
伝言を受けて指定された時間に来たわけだけれど、この離宮にも
ほとんど人影というものはなかった。
皇帝陛下の居室だというのに衛兵の一人もいないことに、微かに
不満を感じながら︱︱表には出さずに︱︱軽く北方産の雪樫ででき
た扉をノックする。
まか
﹁皇帝陛下、オリアーナです。仰せにより罷り越しました﹂
﹁︱︱開いているよ。お入り、オリアーナ﹂
扉越しに父の優しげな声が聞こえ、彼女は少しだけ安堵した。
この期に及んで表舞台に立たない皇帝陛下に対して、民衆どころ
か大貴族の間にまで﹁皇帝はとっくに帝都を離れて逃げている。今
頃は大陸を脱出して諸島連合に泣き付いている頃だろう﹂などと、
根も葉もない流言飛語が飛び回っているのだ。
そんなことはないと思いながらも、今日まで直接顔を合わせる機
会がなかったため、オリアーナにも一抹の不安があったことは確か
である。
だが、間違いない父の声を耳にしたことで、ほっと胸を撫で下ろ
しながら、﹁失礼いたします﹂そっと扉を開けた。
1482
﹁⋮⋮⋮?﹂
扉を閉め、伏せていた顔を上げたところでまず最初に感じたのは
困惑だった。
皇帝の居室とは思えないほど簡素な室内には椅子と執務机、そし
て部屋の中央に描きかけの白いキャンバスがイーゼルに乗せられて
いるだけで、他には目立つような装飾品の類いは置いていない。
ここまでは見慣れた部屋なのだが、椅子に座ってにこやかに微笑
む父︱︱グラウィオール帝国第44代皇帝ヴァルファングⅦ世︱︱
だが、その他に見慣れない金髪の煌びやかな鎧とマントを纏った騎
士らしい青年と、魔法使いらしい薄い紫色のワンピースと杖を持っ
た少女とが、窓際に並んで同席していたのだ。
オリアーナの視線に気付いて、恭しく礼をする彼らから父に視線
を戻す。
マイリトルレディ
﹁よく来てくれたね私の可愛い姫。そんなところにいないで、もっ
と中に入りなさい﹂
机に座ったまま出入り口に立つ愛娘を私室に招き入れるヴァルフ
ァングⅦ世。
当たり前の話であるが、彼の弟である伊達男、エストラダ大公に
似ていた。そしてまた、オリアーナとも共通点が多い。つまり、ど
こからどう見ても美男子︱︱それも線の細い、ガラス細工に似た透
明な美貌︱︱であった。
オリアーナの記憶によれば、すでに30半ばの筈だけれど、ほと
んど日に当たらず室内にいるせいか、まだ20歳台に見える。
﹁︱︱ああ、彼らは私の知人でね。今回の件に関して少々無理なお
1483
願いをしたので同席を許可したんだ。取りあえずは気にしないで構
わないよ﹂
躊躇する娘の反応を見て、ごく簡素に付け加える。
説明になっていない説明に釈然としないものの、いつまでの皇帝
陛下を待たせるわけにもいかず、オリアーナは部屋の中へと歩みを
進めた。
﹁⋮⋮失礼いたします﹂
普段はあまり喜怒哀楽を表に出さない父皇帝が、珍しく目を細め
て笑いながら、近寄ってきた娘の姿を再度確認するかのように、じ
っと目を凝らして眺めた。
レディ
﹁︱︱どうかなさいましたか?﹂
﹁いや。もう立派な淑女だと思ってね。小さかった頃はさほどでも
なかったけれど、やはりこうして見ると皇妃に似てきたね﹂
﹁そうでしょうか? 多くの方々は、わたしを父親似とおっしゃっ
てくださいますが﹂
知らず口調に棘が混じる。オリアーナにとって実の母親は、自分
を生んだ女性というだけに過ぎず、一切の愛情を感じない︵それは
あちらもそうであろう︶相手であった。
もともとが父を傀儡とした摂政である大叔父の孫娘であり、父と
の結婚は政治的なものであったのは子供でもわかる事実であり、実
際に夫婦間の愛情など︵少なくとも母の側からは︶まったくなく、
それならそれで無関心を貫けば良いと思うのだが、これが支配欲と
物欲の塊のような性格で、父に側室を設ける事を決して許さなかっ
た。そのため、今上帝に直接の跡継ぎが自分しかないという面倒な
事態を招いた張本人である。
1484
同じく一子のみの弟エストラダ大公夫妻が、熱烈な恋愛結婚の結
果であるのと比べ、好対照も良いところであった。
ちなみに皇妃はとっくに荷物をまとめて、実家に避難している。
オリアーナの口調から、そうした一連の感情を読み取ったのか、
皇帝は寂しげな笑いを浮かべた。
﹁皇妃もあれで可愛いところもあったのだよ﹂
﹁左様でございますか﹂
知ったことではないと言わんばかりの愛娘の態度に、﹃この気の
強さは我よりも皇妃似だな﹄と言いたげな笑みを浮かべる皇帝。
なんとなく居心地の悪さを感じて、視線を転じて見れば、真っ白
だと思っていたキャンバスには、ありありと真っ白な雲の壁が描か
れていた。
きょむ
﹁これは、﹃虚霧﹄⋮ですか?﹂
﹁ああ、こんなものが間近に見られる機会など滅多にない⋮⋮いや、
喪失世紀以来かな﹂
危うく聞き流しかけたオリアーナが、弾かれたように父皇帝を振
り返る。
﹁さほど驚くようなことではあるまい。皇家に伝わる喪失世紀の伝
承を、君に教えたのは他でもない我であろう。ならば同じ結論に達
するのも自然と言うもの﹂
正直、父たる皇帝陛下は事態を正しく把握していないがために、
楽観視して帝都に残留していると予想していたオリアーナは、泰然
として微笑を浮かべている彼を瞬きして見詰めた。
﹁まあ完全に神話の再現かどうかは不明だが、どうやら蒼神は本気
1485
のようであり、天空の姫君もなす術なしとなれば、我ら俗人は従容
と世界の変貌を受け入れるしかあるまい﹂
今度こそオリアーナは目を剥いた。見目と人が良いだけで実務能
力に欠け、凡俗も良いところ⋮⋮と思っていた父が、まるで別な人
間になったかのように見えた。
皇帝
という記号に
﹁⋮⋮振り返れば、まるで長い夢を見ていたかのようだよ。父たる
先帝は苛烈な人柄で、後継たる我に対しては
徹することを求め、人間としての個性は認めなかった。長じれば摂
政たる叔父は我を人形と見なし、宰相は道具としての価値しか求め
なかった﹂
そこには怒りも悲しみもない、在りし日の日々を機械的に話すだ
けの平坦な声音であった。
﹁だから我はそれに応えた。故に我には何も無い。魔法装置が何も
考えずに定められた手順に従い、結果を出すが如く、我の中では一
切のものが価値が無いのだよ。善悪、身分、権力、人間の尊厳も生
命も、自分を含めて等しく等価︱︱全てゼロなのだよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
にこやかに語る父がまるで別な生き物のように思えた。
うっかり覗き込んだ深淵から見えたのは、底知れぬ虚無と絶望だ
った。
穏やかで人畜無害な凡人︱︱とんでもない。誰が死のうが生きよ
うが、世界が終わろうが知ったことではない、徹底的な無関心。そ
れが父たる皇帝の本質だったのだ。
﹁だが︱︱﹂
柔らかな表情は変わらないまま、どことなく戸惑ったような響き
がその声に混じった。
1486
﹁そんな我にも唯一と思えるモノができてしまった。正直、自分で
も信じられない気持ちだったのだが、そのモノが愛おしく掛け替え
の無い至宝であり、毎日の成長が楽しみでしかたがなかった﹂
胸を突かれた面持ちで、オリアーナは声にならない呻きを発した。
声を出せばそのまま泣き出して、崩れ落ちそうだった。
マイリトルレディ
﹁だからね。我は皇帝として、夫として失格であったけれど、最期
に父として君を守りたいのだよ、私の可愛い姫﹂
ついにオリアーナの口から堪えきれない嗚咽と、その瞳から大粒
の涙がこぼれ落ちた。
﹁ああ、泣かないでおくれ、愛し子よ。君の涙だけが我の心を乱す。
どうか生きて命を繋いでおくれ﹂
立ち上がった皇帝が、そっと彼女を抱き締め囁いた。
ワイバーン
しばしお互いに抱擁を交わした後、いまだ涙に濡れる瞳で、父を
見上げるオリアーナ。
きょむ
﹁ですがもう間に合いません。この場から飛竜でも使わない限り、
﹃虚霧﹄から逃げることは不可能でしょう﹂
あまりにもスケールが圧倒的過ぎて距離感が狂っていたが、虚霧
はまさに王宮を呑み込まんとするギリギリの距離まで迫っていた。
﹁大丈夫。その為の彼らなのだから﹂
超越者
プレーヤー
であり、彼の
その言葉で、思い出したかのように窓際の二人を振り返る。
﹁彼らは君の知っている言葉で言えば共に
蒼神の配下にして、君の良く知る薔薇の姫君の旧知でもあるそうな
のでね。ここを脱出後、即座に姫君の下へ転移する手筈になってい
1487
る﹂
続けざまに語られる衝撃の事実に呆然とするオリアーナに向かっ
て、ぽりぽりと頬を掻きながら口を開く金髪の剣士。
﹁まあ、もともと宰相派と平行して帝国内の勢力バランスを取るた
めに、影郎さんと別口で皇帝陛下に接触していたんですけどね。ほ
とんど無視されていたと思ったら、最後の最後にとんでもない依頼
が舞い込んできた⋮ってわけですよ﹂
親しげに話しかけてくる青年だが、立ち居地的には敵側である2
人に対して、警戒心からオリアーナは柳眉をひそめた。
﹁えーと、ね。怪しく思うのは確かだけど、今回は本当に個人的な
動機で動いているから、あたしたち二人とも貴女のお父さんも、緋
雪さんも裏切るようなことはしないよ。信じて﹂
魔法使いらしい16∼17歳と思える少女が、快活な口調で後を
引き取った。
なんとなくこの2人は信じても良いのではないか。なによりそれ
が父の願いであれば。
そう瞬時に判断したオリアーナが、一歩彼らの方へ踏み出そうと
した︱︱その瞬間、どこからともなく、ひび割れた男の声が聞こえ
てきた。
﹃︱︱ほう。それはつまり俺に対する裏切りと解釈していいわけだ
な?﹄
﹁︱︱っ! この声は!?﹂
﹁蒼神っ!!﹂
1488
咄嗟に窓際から2人が離れたのと同時に、離宮全体が一撃で崩壊
したのだった。
1489
第十四話 幻想皇帝︵後書き︶
1話で収まりきれませんでした。
タメゴロー
後半は蒼神対炎の女帝との対決となります︵
,,−`
。´−︶
1490
第十五話 炎乃女帝
暴風に吹き飛ばされる藁小屋のように、太い柱と石壁、そして恒
常的な魔法障壁まで張ってあった離宮が一撃の下に吹き飛ばされた。
咄嗟に覆い被さった父皇帝によって、床に這い蹲った形で難を逃
れたオリアーナ皇女が、恐る恐る顔を上げると自分達を守るように、
きょむ
8本の剣が空中に浮かんで壁になっているのが見えた。
﹁大丈夫かい、我が愛娘よ﹂
﹁はい、お父様のお陰で﹂
﹁我と言うよりも彼らのお陰であろうな﹂
この期に及んでもなお柔らかな笑みを崩さず、﹃虚霧﹄の方向を
向く皇帝。
つられて見れば︱︱その手前。自分達と虚霧とを塞ぐ形で、いつ
アイギス
の間に取り出したのか、中央に女性の顔が掘り込まれたカイトシー
ルド︵彼女は知らないが、超レアドロップ装備﹃無敵﹄と呼ばれる
ものである︶を左手に持ち、険しい顔で片膝を立てた青年騎士と、
その背後に隠れる形で、魔法使いの少女が、手にした杖と帽子とを
押さえて屈み込んでいた。
青年の影になった部分から放射状に床板が残る他は、300年以
上の歴史のあった離宮が影も形も無いほど無残に破壊されている。
青年とこの剣が守ってくれなかったら、いまの一撃で痛みすら感
じることなく死んでいたことだろう。
1491
﹁やれやれ⋮⋮せっかくの秀作だったのだが、消し飛んでしまった
な﹂
そう呟きながら立ち上がった父に手を借りて、同じく立ち上がる
オリアーナ。
一瞬、何のことかと思ったが、すぐにあの描きかけの絵だと思い
ついて、複雑な表情になる。
﹁絵の心配より命の心配をした方が良いと思いますよぉ?﹂
呆れたように言うのは、魔法使いらしい少女であった。室内でな
おかつ皇帝陛下の目前と言うことで、手に持っていたツバ広のトン
ガリ帽子を被る。
だが、その目は前方︱︱虚霧の方を向いたまま片時も離さない。
青年も、そして自分を抱き寄せる父も、その方向を向いていた。
途端、先ほど少女が叫んだ言葉を思い出して、愕然としながらそ
の視線の先を追う。
敵
なのは間違いないだろ
いつの間にそこにいたのか、虚霧を背後に黒い影が佇んでいた。
姿の見えないまま攻撃を仕掛けてきた
う。
黒いローブ付きのマントを目深に被り、手袋をした長身の人影に
見える。素顔はまったく見えないので断言はできないけれど、シル
エットは人型のようだ。
ただし、いつどこから現れたのか、まるで気配が感じられなかっ
た。こうして間近に接していても生身の人間を相手にしている気が
まったくしなかった。本当に実体としてそこに存在しているのかど
うか︱︱そう疑いたくなるほど躍動感に乏しい相手だった。
、、、、
﹁⋮⋮ほう。これはこれは。﹃神﹄というものが、まさか我の同類
1492
、、
、、、、、、
、、、、、
とはなんとも皮肉なこと。いや、いまだ中途半端な分、逆にたちが
悪いとも言えるか﹂
皇帝ヴァルファングⅦ世が皮肉とも、憐憫ともとれない眼差しを、
蒼神らしい黒マントに向けた。
﹃︱︱?﹄
怪訝そうな視線が飄々とした皇帝の端正な容貌に突き刺さるが、
本人にはそれ以上話すつもりはないらしい、同病相哀れむ目で黒マ
ントを見据えるだけだった。
﹁⋮⋮小賢しい。俺を理解したつもりか皇帝よ。その愚かしさと増
長の報いを受けるがよい﹂
フードの奥から陰陰滅滅たる声が流れてきた。
その視線が皇帝から、自身の配下だという騎士と魔法使いに向く。
﹁らぽっく、タメゴロー、即座に皇女を始末せよ。これに従わなけ
れば背信と見なす﹂
ピクリとオリアーナを抱くヴァルファングⅦ世の手が震えた。
﹁ふん。皇帝よ、貴様は自分が死ぬことには拘泥していないだろう
が、娘の命に対しては許容できまい? 愚かだな、俺が中途半端な
ら貴様は出来損ないだ。愛だ情などというくだらん精神錯乱に耽溺
するとは﹂
あからさまな嘲笑に対しても怒ることなく、ますます哀憐の眼差
しを深くする皇帝。
﹁なるほど、それほど愛や情を信じていたのか﹂
1493
﹁たわけたことを!﹂
皇帝の透明な眼差しを前にして、蒼神はフードの下、苛立ちを隠
せない口調で吐き捨てた。
そんな彼の様子を目の当たりにして、オリアーナは卒然と理解し
た。彼に具体的な何があったのかはわからない。けれどきっと彼は
裏切られ続けてきたのだろう。だから否定したいのだろう、﹃愛﹄
﹃情﹄﹃信頼﹄という人の持つ優しさを。
︱︱けれど、それは虚しい一人芝居にしか過ぎない。なぜなら否
定したいと思うこと自体が、それを信じている証拠なのだから。
﹁あんたさあ、なんだかんだご大層なこと言ってるけど、聞いてる
よ。緋雪さんのこと、﹃俺の嫁﹄だとか﹃伴侶﹄だとか、ストーカ
ーよか気持ちの悪いこと言ってるって。あたしとしては犬の糞よか
気持ち悪いけど、それって愛情と違うの?﹂
蒼神に﹃タメゴロー﹄と呼ばれた魔法使いの少女が、一気呵成に
食って掛かった。
﹁︱︱ふん、緋雪か﹂
思いがけなく話題に出てきた友人の名前に、目を瞬かせるオリア
ーナ。
﹁⋮⋮確かにな。俺は緋雪を愛している。どんな女よりもなぁ﹂
その瞬間、置物のように生命の息吹が伝わってこなかった蒼神が
全身から、凄まじいばかりの生気が迸った。
﹁そうともっ! 緋雪をこの俺の手で鷲掴みにして嬲り尽くし、全
身全霊で屈服させる・・・! そして、犯し!! 壊す!! 想像
するだけで、なんという愉悦っ! そうだ、忘れていたぞ、この感
1494
情︱︱これはエクスタシーだ!!!﹂
﹁!! あんた⋮⋮あんたって、マジ最悪だ︱︱︱︱っ! ざけん
タメゴロー
らぽっく
な! 緋雪さんも皇女様も、あたしが守るっ!!!﹂
その瞬間、激高した魔法使いの少女が、金髪騎士の背中から飛び
出した。
﹁いかん! タメゴローっ!!﹂
らぽっくの静止の声も無視して、一直線に立ち向かうタメゴロー。
﹁︱︱ふン﹂
その姿を鼻で嗤って、ローブの下から水晶球︱︱赤々と内部で炎
が揺れている︱︱を左手で取り出した。
﹁動くなっっ!!﹂
と、いつの間に集まっていたのか、自分達を取り囲むようにして
近衛騎士達がずらりと完全武装で整列していた。
まあこれだけの騒ぎである。王宮内にいまだ残っていた騎士達が
異変を察知して、この場に急行してくるのは当然と言えば当然であ
る。
﹁皇帝陛下、皇女殿下、この場から直ちに避難してください! 曲
らぽっく
タメゴロー
者ども。貴様らは武装を解除して、その場から動くな!﹂
近衛騎士総長の言う﹃曲者﹄には、金髪騎士と魔法使いの少女も
含まれている。
飛んできた騎士達に守られながら、皇帝は2人を指して警戒を解
1495
くように促した。
﹁ああ、彼らは我の個人的な知人だ。心配はいらない。それよりも、
あちらの賊を全力で排除したまえ﹂
けしか
気軽な調子で近衛騎士を蒼神に嗾ける。
﹁︱︱はっ。勅命承りました!﹂
近衛騎士総長の指示を受けて、騎士達が一斉に蒼神に向かい武器
や魔術の詠唱を始めた。
﹁⋮⋮お父様、幾らなんでも無茶です。彼らではむざむざ犬死する
ようなものです﹂
父皇帝に肩を抱かれながら、彼らの身を案じてこっそりと囁きか
けるオリアーナ。
ウイ・ジュ・スイ
﹁その通りだが、時間稼ぎ程度はできるだろう。ならば職務を全う
した事で無駄死にではないさ﹂
さらりと受け流され、なんともいえない表情になる娘を好ましげ
に見つめ、皇帝は相変わらず剣と杖とを蒼神に向かって構えたまま、
とこ
臨戦態勢を解いていないらぽっくとタメゴローの2人に呼びかけた。
ろ
﹁彼らが時間を稼ぐので、その間にオリアーナを薔薇の姫君の御座
所へ避難させてもらえるかな﹂
﹁ごめん。無理﹂
張り詰めた表情で端的に答えるタメゴロー。
﹁奴が握っている命珠を潰されたら、それで俺たちの命も一巻の終
わりだ。申し訳ないが、この状態では皇女を連れて逃げる余裕はな
い﹂
らぽっくも余裕のない表情で、それに付け加える。
1496
﹁成るほど。それは確かに難しい状況であるな。とは言え、あの者
が現在手にしている命珠とやらは1つだけ、ならば可能な限り時間
稼ぎをするので、2個目を潰す間に娘を連れて逃避することは不可
能かな?﹂
﹁﹁なっ⋮⋮?!﹂﹂
つまりオリアーナを助けるために、タメゴローと近衛騎士達をこ
の場で見殺しにして、さらにらぽっくも使い潰すと言っているのだ。
あまりにも非情な提案に、オリアーナとらぽっくが絶句するが、
逆にタメゴローと近衛騎士達はにやりと獲物を見つけた猛獣の笑み
を浮かべた。
﹁オッケー! いいじゃない。どっちにせよ一泡吹かせるつもりだ
ったんだから、皇女様を守ることもできて一石二鳥じゃない﹂
﹁我ら近衛騎士団、すべては帝国と皇家の為に身命を捧げた者。姫
様の御身をお守りするためとあれば、無上の喜びにございます﹂
﹁それでは任せるとしようか﹂
達人級
アデプト
の宮廷魔術師達が、渾身の
穏やかな皇帝の声に押されて、﹃はっ!!﹄騎士団が一斉に黒ロ
ーブの蒼神へと殺到した。
さらに人間レベルとしては
魔法でそれを援護する。
﹁⋮⋮浪花節か。くだらんな﹂
左手にタメゴローの命珠を握ったまま、右手をローブの下に這わ
せ、ズルリと無造作に取り出したのは、あり得ないサイズの一振り
の剣であった。
黄金色に輝く握りと刀身までのサイズはざっと2メートル。さら
にその刀身を芯にして最大で幅1メートル、全長3メートルあまり
1497
の水晶のような材質の透明な第二の刃が取り囲んでいる。
アマデウス
﹁︱︱神威剣﹂
エターナル・ホライゾン・オンライン
ぞくり、とその剣の姿と呟きにらぽっくが総毛立ったのは、仮に
も﹃E・H・O﹄中最強などと言われていた男の天分からだろうか。
﹁いかん! 離れろ!!﹂
必死の静止も虚しく、蒼神の持つ巨剣のひと薙ぎで精鋭の近衛騎
士達が、まるでゴミクズのように粉砕された。さらにその余波で王
宮のガラスがことごとく破裂し、歴史と伝統に彩られた建築の一部
も、無残な瓦礫と化した。
アイギス
﹁くっ!﹂﹁うぐっ!?﹂﹁きゃあっ?!﹂﹁これはこれは﹂
咄嗟にらぽっくの﹃無敵﹄と9剣、さらにタメゴローのファイア
ーシールドで威力を減衰させたが、それでも完全に防ぎきれずに4
人が大きく跳ね飛ばされる。
﹁なんだ、その剣は⋮⋮? 公式には見たことも聞いたこともない
ぞ?!﹂
アイギス
特にダメージが大きかったのが前衛で壁になっていたらぽっくで
あった。大きく亀裂の入った﹃無敵﹄を見て目を剥く。
﹁あいつの得体の知れなさにいちいち驚いてちゃ、やってらんない
わよ! どっちみちやるしかないんだから!﹂
混乱するらぽっくを尻目に、勢いよく飛び出したタメゴローの周
囲に燃え盛る火の玉が無数に浮かんでいた。
﹁﹃プロミネンス・バースト﹄か、確かに威力は火炎系魔術でも随
一だが、発動までに時間が掛かるのが難点だな﹂
1498
無感動に評する蒼神は、左手に握った命珠に軽く力を込めた。
﹁︱︱ぐっ⋮!﹂
大きく一条のひび割れが走るのに併せて、胸を押さえたタメゴロ
ーだが、闘志はそのままに新たな魔術を完成させる。
﹁ウインド・トルネード!﹂
その瞬間、プロミネンス・バーストの炎が到達するのとほぼ同時
に、蒼神の身体をすっぽりと覆う形で竜巻が巻き起こり、極温に熱
せられた火柱と化した。
﹁さらに、フレア・バスター!﹂
続いて炎のドームがそれを覆い、完全に外界から密閉された空間
とする。
﹁へへん。どーよ! あたしを炎だけの火炎馬鹿と思ったか! ま
さかこれが来るとは思ってなかったでしょう? あんたにどれだけ
のヒットポイントがあるんだかわからないけど、生物である以上、
酸素を呼吸しなきゃ生きていけない⋮⋮少なくとも意識は保てない。
なら、一瞬で内部の酸素を燃やし尽くすこれを喰らって無事で済む
訳が︱︱﹂
﹁⋮⋮なるほど出来損ないにしては考えた方か﹂
得意げなタメゴローの台詞に覆い被さるようにして、多少なりと
感情のこもった声が火柱の中から響いてきた。
同時に何かをパリパリと握り潰す音が続き、蒼白な顔色になった
タメゴローが、片手で胸を押さえてその場に両膝を付いて前屈みに
倒れ込んだ。
﹁タメゴローっ!?!﹂
﹁⋮⋮だから⋮あたしの名前は・・・﹃タメゴロー﹄じゃなく⋮て
1499
めい・いろは
﹃皐月・五郎八﹄だっつーの⋮⋮﹂
その背中が苦笑しているようにオリアーナの目には映った。同時
に、気のせいか片手で何かをポケットから出して、口元に運んだよ
うにも。
一際澄んだ音が響いた︱︱その瞬間、あれほど活発だった彼女の
全身から、あらゆる生気が抜け落ちた。
1500
第十五話 炎乃女帝︵後書き︶
他が頑張りすぎて、緋雪ちゃんの出番がないですw
1501
第十六話 剣王無慙︵前書き︶
久々の1日2話更新です♪
1502
第十六話 剣王無慙
﹁うおおおおおっ!! 蒼神、貴様よくも!!!﹂
血反吐を吐くような絶叫を放つらぽっくだが、その両手はまるで
別人が操っているかのように正確無比に動き回り、次々とその手に
持つ剣に必殺の光を纏わせる。
エターナル・ホライゾン・オンライン
レイド
一連の動きを淀みなく繰り返した彼は、最後に両手でしっかりと
愛剣にして、﹃E・H・O﹄中最強︱︱レベル120の大規模戦闘
級モンスターから極まれにしかドロップしない。全ての数値でプレ
グレートソード
ぜつ
ーヤーメイドの武器を上回る魔剣を、さらに8回の強化に成功した
︱︱奇跡の剣である大剣﹃絶﹄を握り締め、残り8剣を周囲に浮遊
させたまま、急激に勢いを弱める炎︱︱タメゴローの作った残り火
︱︱の中心に立つ、蒼神目掛けて全力で斬りかかった。
﹁︱︱メテオ・バニッシャー!!﹂
クリティカル・ヒット
自身のHP・MPの半分を犠牲にする代わりに、相手の防御・H
Pに関わらず3分の1の確率で致命傷を与える技。本来は1刀のみ
の単発スキル﹃奥義・ジャガーノート﹄を、9剣同時に扱うことで
可能とした、らぽっくのみが使えるオリジナルスキル。
それが蒼神目掛けて炸裂した!!
レイド
この技のこれまで成功した最高は、かつて大規模戦闘級モンスタ
ー﹃ヨグ=ソトース﹄を斃した時にできた、7連続クリティカルが
唯一無二の大記録である。だが、死んだタメゴローが味方してくれ
たのか、あるいは自身の気迫が乗り移ったのか、いまこの瞬間放っ
1503
た技は、その記録をも上回ったクリティカルの手応えを感じていた。
︱︱斃した!!
相手の命脈を断ち切った確かな手応えを感じ、らぽっくの顔に笑
みが広がる。
だが︱︱
﹁無駄だ﹂
どこか気だるい声と共に、薄い膜のようになった火柱を断ち割っ
て、巨大な刀身が横薙ぎに繰り出されてきた。
﹁くっ︱︱!﹂
反射的に﹃絶﹄他9剣を盾にしたらぽっくの身体が、氷を砕くよ
うな音と共に軽々と弾き飛ばされ、同時に粉砕された9剣の刀身が
ボタン雪のように周囲に降り注ぐ。
がらがらと壊れた宮殿まで飛ばされたらぽっくの身体の上に、崩
れた瓦礫が折り重なる。
﹁⋮⋮くそ⋮⋮﹂
折れた愛剣﹃絶﹄を杖代わりにして、瓦礫を払い落としながらよ
レッドゾーン
ろよろと立ち上がるらぽっくだが、先ほどのスキルの反動とカウン
ターを受けて、そのヒットポイントは危険領域へと突入していた。
﹁なんなんだ、その剣は⋮⋮?﹂
かすむ目でほとんどダメージらしいダメージを負っていない︵ロ
ーブに穴が開いている程度︶蒼神と、﹃絶﹄を含む9剣を一撃で粉
砕した剣とを見比べる。
1504
アマデウス
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁ふん。この神威剣が気になるか? こいつは貴様の
ジル・ド・レエ
自称・最強
ではなく、﹃E・H・O﹄システムにおいて、真に最上位に位置
する最強剣だ。
貴様の﹃絶﹄や緋雪の﹃薔薇の罪人﹄如きでは及びもつかん。
キャンセル
その攻撃力は使用者のレベルに併せて天井知らず、さらに装備す
アビリティ
ることで一切の状態異常、攻撃魔法、弱体魔法、特殊攻撃を無効化
キャンセル
する。さらにこれで攻撃を加えた場合、対象の特殊能力、防御能力、
付加魔法をすべて無効化する、当然回復も不能だ﹂
﹁⋮⋮完全にゲームバランスを崩してるじゃないか。そんなチート
な武器が、本当にゲーム内に存在していたのか?﹂
驚愕よりも当惑の顔で唸る。そのらぽっくの問い掛けに、蒼神は
軽く肩をすくめた。
GM
﹁当然、お前達は知らんだろう。本来がゲームマスター用の武器だ
からな﹂
その言葉に、固まるらぽっく。
﹁GMだと?! まさか、お前︱︱!?!﹂
﹁⋮⋮どうでもいいことだ﹂
彼の狼狽を無視して、ローブの下から先ほど握り潰したものと同
アマデウス
じ命珠︱︱ただしこちらは内部に白銀色の炎が揺れている︱︱を取
り出し、足元へ転がした。
﹁時間稼ぎにもならなかったな﹂
無感動に呟いてコロコロと転がる命珠目掛けて、神威剣の剣先を
向ける。
1505
﹁︱︱くっ。すまんタメゴロー⋮⋮﹂
文字通り刀折れ矢尽きた状態のらぽっくが、倒れ伏した彼女の死
体を見て奥歯を噛み締めた。
と︱︱。
﹁なんの真似だ皇帝?﹂
らぽっく、オリアーナともにその場から一歩も動けないで居た、
死屍累々たる屠殺場のような戦場の只中に、まるで散歩中のような
悠然たる足取りで進み出た皇帝ヴァルファングⅦ世が、転がってい
たらぽっくの命珠を、ヒョイと抱え上げた。
﹁なに、他のものが動けないようなのでな、手の空いている我自ら
が動いただけだよ、蒼神﹂
﹁⋮⋮無駄なこと。この距離であれば、貴様如き命珠諸共塵一つ残
さず消し飛ばせる﹂
アマデウス
神威剣の剣先が皇帝の心臓を向いた。
﹁それはそれは﹂
だが、明確な死を前にしても彼の表情は微塵も揺るがない。
それは豪胆だからではない、彼にとって生も死も等価値であるが
故に、生を望まず、また自ら死に至る事もない、だから何の気負い
もなくその場に立っていることができるのだった。
﹁お⋮⋮﹂
その背中に必死に呼びかけようとするオリアーナだったが、それ
は声にならない嗚咽となった。聡い彼女には、もう全てが手遅れな
のが理解できた︱︱できてしまった。
1506
﹁くだらんくだらん。実に無価値で不完全だ、お前等は﹂
爪先で蟻を潰す程度の力加減で、剣先をそのまま押し込もうとす
る蒼神。
そんな彼に向かって朗らかに︱︱いっそ勝利者のような笑みを浮
かべ︱︱皇帝が告げる。
﹁我はここで死ぬであろう。だが、全てに絶望した我にとって死は
逆説的な喜びである。だが、汝はどうであるかな? 人としての業
を忘れぬまま、この無限地獄に取り残されたまま、孤独を抱え永遠
に流浪する⋮⋮蒼神よ。我らは先に逝く。せいぜいいつまでもその
場に足踏みしていることだ﹂
﹁貴様っ︱︱︱︱貴様ァァァ!!﹂
怨嗟に満ちた叫びがフードの奥から漏れる。激情に任せてその剣
を振り抜きたい思いと、それをすることで彼の思惑通りに事をなす
手助けをするという理性の狭間に立って、剣先がブルブルと震えた。
﹁︱︱では、頼んだぞ﹂
その僅かばかりの躊躇いの瞬間に、皇帝は手にした命珠を、らぽ
っくの方へと放り投げた。
その後の一連の出来事は、オリアーナにとってまるで音のない夢
を見ているようだった。
僅かに舌打ちした蒼神が巨大な剣を振るい。
振り返った父皇帝が微笑み。
幻のようにその姿が消え去り。
満身創痍のらぽっくの胸から赤い髪をした天使が飛び出し。
空中にあった命珠を素早く掴んで両手で携え。
翼を力の限り振り一直線にその場から離れる。
1507
たちまち小さくなるその背中に向かって蒼神が剣を振るった。
見えない刃が残っていた王宮の屋根を吹き飛ばす。
避けようとした天使の背中が柘榴にように裂け片羽根が千切れ飛
ぶ。
そのまましっかりと身体で命珠を抱いたまま天使が落ちた。
その後を確認する暇もなく、呆然と立っていたオリアーナと傍ら
の地面に横たわっていたタメゴローの死体とを無理やり抱えると同
時に、らぽっくが蒼神に背を向けて駆け出した。
気が付いた蒼神が追撃しようとしたところで、
﹁︱︱むっ﹂
地面を割って折れた9剣が同時に襲い掛かってきた。
土煙がもうもうと立ち上り視界を塞ぐ。
﹁小細工を﹂
間を置かずに残った9剣の柄の部分を全て破壊したところで、ら
ぽっく達の姿が完全に見えなくなっているのに確認して、蒼神は不
快そうに鼻を鳴らした。
きょむ
それからフードの下、首を巡らせ命珠が落ちたあたりを眺め、独
りごちる。
﹁手応えはあった。なら程なく虚霧に飲み込まれるだろう。せいぜ
い緋雪のところにでも御注進することだな﹂
アマデウス
きょむ
神威剣を再び懐へ仕舞うと、そのままその場で踵を返した。
その身体が青い光の膜に包まれると、虚霧が二つに別れ真っ白な
道のようなものができた。
メッセージ
﹁⋮⋮くだらん時間を費やした。労力に見合った成果とは言えんが、
まずは緋雪に対しての警告にはなったか。あとは賭けるだけ⋮か﹂
1508
賭け
か。久しく使わなかった言葉だな﹂
自分で口に出した言葉に、微かに背中を震わせる蒼神。
﹁
きょむ
その背中が虚霧の中へと消えて行った。
◆◇◆◇
しわぶき
城の客室に寝せられたらぽっくさんが語る内容に、全員が咳一つ
せずに聞き入っていた。
テレポーター
きょむ
﹁⋮⋮その後は皇女様の指示に従って、転移門のところまで行って、
移動呪文を唱えて転移しようとしたんですけど、ほぼ同時に虚霧が
殺到してきて⋮⋮どうにか門が作動したのは奇跡のようなものです
ね﹂
ちなみに門は無差別に使えない様に、前もって登録してある何人
かが起動呪文を唱える必要がある。
今回は幸いオリアーナを登録しておいて、呪文も教えておいたの
が幸いしたようだけど、確かに危ないところだった。
﹁そういえば皇女様は⋮⋮?﹂
﹁無事だよ。いまは親族がついて別室で休ませているよ﹂
﹁そうですか。親族がいたんですか。よかった⋮⋮﹂
肩の荷が下りた表情でため息をつくらぽっくさん。それから、は
っとした顔でボクに向かって頭を下げた。
1509
﹁すみません、ご迷惑をかけて。本来なら緋雪さんに顔向けできる
立場ではないですけど﹂
﹁気にしないで良いよ。しまさんの時にはこっちもお世話になった
しね﹂
﹁そうそう、昔のことは水に流すっちゅうことで。番頭さんも反省
してますから﹂
ひょいと顔を出した影郎さんが、他人事みたいにボクの肩を気安
くぽんぽん叩きながら言う。
﹃お前が言うな!﹄と、ツッコミを入れたいところだけれど、その
前にらぽっくさんが、影郎さんの顔を見て幽霊でも見た表情になっ
た。
⋮⋮そういえば、教えてなかったっけ。
﹁︱︱なっ⋮なんでお前が生きてるんだ?!﹂
﹁いや∼っ、反応が初々しくていいですなぁ。やっぱりこうでない
と﹂
してやったりの表情を浮かべる影郎さん。きっとこれがやりたい
がために、ずっと出番を待ってたんだろうねぇ。
﹁まあ話せば長いんですけど、実はお嬢さんがお二人に渡した薬⋮
吸血鬼化に必要な神祖の血を、あん時に自分も服用してまして、そ
んなわけで現在吸血鬼ですけど、元気に生きてます﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
続く言葉が見つからないという風に絶句したらぽっくさんだけど、
じわじわと喜色が浮かんできた。
﹁じゃあ、同じく命珠を壊されたタメゴローも復活するんですね?﹂
1510
﹁いまのところ唯一の成功例だけど、他に実例がないからねぇ。通
常の眷属化でも100パーセント成功するわけでもないから、安請
け合いは言えないね﹂
﹁わかってます。ですが、成功する可能性があるのを知っただけで
も救われました﹂
﹁まあ結果が出るまでに3日3晩くらいは掛かると思うよ﹂
ボクの言葉になぜか暗い顔をするらぽっくさん。
﹁3日ですか。では、その時俺は確認できませんね﹂
﹁なんでさ?﹂
﹁俺の命珠は、多分まだ帝都に転がっている筈ですからね。程なく
虚霧に飲み込まれるでしょう﹂
﹁ほほう。なら番頭さんも自分の仲間になるわけですな。無事に眷
属化したあかつきには、取って置きの血を一升瓶丸ごとプレゼント
しますで。ほとんど手をつけてませんからな﹂
その中身に身に覚えのある天涯が、あらぬ方向へと視線を逸らす。
かえで
﹁そういえば楓のことでも緋雪さんに謝らないといけませんね。す
みません、俺の力足らずで﹂
楓というのは、らぽっくさんの従魔の天使だけど、もともとはレ
ア個体でボクが同時に2体捕獲に成功したんだけど、当時は他の従
魔の育成とかてんてこ舞いだったので、1体をらぽっくさんに譲っ
た経緯があった。
﹁いいえ、ラポック様。妹は最後の最後まで主の為に働けて幸せだ
ったと思います。どうかお顔を上げてください﹂
と、その時に同時に捕獲して引き続きボクの従魔をやっている、
1511
もみじ
姉に当たる天使の椛が前に進み出た。
長い髪をポニーテールにしている以外、外見上楓と見分けが付か
ない彼女の顔をじっと見て、らぽっくさんは無言のまま頭を下げた。
﹁⋮⋮それとお願いなのですが﹂
頭を上げたらぽっくさんが再びボクの方を向いた。
﹁多分、あと何時間かで俺の命珠は壊れると思います。それで、も
し⋮もしも俺が居ない間に、タメゴローが復活できなかったら、俺
のこともそのまま眠らせてください。お願いします﹂
らぽっくさんの言葉に影郎さんが口を尖らす。
﹁なんや、イケズですなぁ番頭さん。お嬢さんの為に頑張ろうって
気概はないんでっか?﹂
﹁⋮⋮すまないとは思います。ですが、逆の立場ならタメゴローも
同じ事を言ったと思いますから﹂
揺るぎのないその瞳に、こちらとしては﹁はい﹂と言うしかなか
った。
﹁まあ仕方ないですな。その時には、自分がしっかりとトドメ刺し
ますんで、安心して往生してください﹂
インベントリ
カテドラル・クルセイダーツ
沈痛な口調とは裏腹に、嬉々として収納スペースから白木の杭と
か、いつの間にチョロマカシタのか聖堂十字軍の聖剣・十字剣とか
を取り出す影郎さん。
﹁⋮⋮気のせいか随分と嬉しそうに見えるが﹂
﹁気のせいですわ。別に最強剣士をこの手でぶち殺せるんで楽しみ
とか、そんなこと寸毫たりとも思ってませんわ﹂
嘯きながら、らぽっくさんの枕元に次々と武器を並べていく影郎
1512
さん。
﹁取りあえず吸血鬼化も含めて後の処理は自分がしますので、お嬢
さんは皇女様の見舞いでも行った方がいいんと違いますか?﹂
影郎さんの好意︱︱だよね?知人を手に掛けたりする汚れ仕事を
率先してやろうという気遣いだよね?︱︱に甘えることにして、ボ
クは一度オリアーナの様子を見に行くことにした。
クリストフ君が傍についている筈だけど、女の子同士︵?︶傍に
居た方が心強いだろう。
﹁番頭さん。首刎ねるのと、心臓ぶち抜くのとどっちが好みですか
?﹂
﹁お前、本当は本気で楽しんでるだろう?!﹂
部屋を出る時に聞こえた遣り取りに懐かしさを覚えながら、ボク
は天涯たちを伴って廊下に出た。
それから一面ガラス︵に似た強度の高い謎物質︶越しに、常に闇
に覆われている空中庭園の空を見上げた。
この空の向こう。大地の上では蒼神が世界を無に帰そうとしてい
る。
そしてその狙いはやはりボクらしい。
彼の言うことがどこまで本当で本気なのかはわからないけれど、
確実にボクを誘っているのは確かだろう。
﹁負けっぱなしってのも悔しいかな⋮⋮﹂
﹁︱︱は? なにか?﹂
自然とこぼれた呟きを聞きとがめた天涯に、なんでもないと答え
てボクはオリアーナの休む客室目指して歩みを進めた。
1513
第十六話 剣王無慙︵後書き︶
明日は通常通り1話更新です︵´・ω・`︶
1514
第十七話 姫君決意
きょむ
ほとんど180度⋮⋮どころか、体感では270度くらい視界を
占める真っ白な虚霧を前に、さすがに気押されるものを感じて、1
0メートルほど手前で歩みを止める。
﹁見た感じ、単なる雲か綿の塊みたいなんだけどねぇ﹂
普通に付き抜けて行けそうな感じもするんだけど、普通の霧とは
違ってその領域から先は一寸たりとも見通すことができなかった。
まあ現在の視力は普通の人間並なせいかも知れないけど。
すさ
ふと気付くと虚霧が随分と手前まで迫ってきていた。周参の観測
では領域面積が広がったせいで、若干拡大速度は鈍ったらしいけど、
人間レベルから見れば充分な脅威だよ、これは。
取りあえず手にした長剣︱︱硬度を高めることを追求しただけで、
切れ味は二の次になっているナマクラも良いところだけど、頑丈さ
にかけてはかなりの自信作だとドワーフの刀工が胸を張っていた︱
︱を、虚霧の中へと突き入れる。
グラインダー
軽く研削機にでもかけているような手応えを感じて、すぐさま剣
を引き抜くと、先端部分がカットされたかのように消え去っていた。
﹁おぉ怖っ﹂
下手に手を突っ込んだら死ぬねこれは。
﹁︱︱でも、敢えて突っ込んでみる﹂
1515
目前にまで迫っていた虚霧に向かって、ボクは無造作に歩みを進
めた。
真っ白い壁を付き抜けた途端、その身体が細かい光の粒に取り囲
ほど
まれ、間もなく異変が生じた。
身体が、衣装が解けていく。
溶けているのではなく、なんていうのだろうか⋮⋮まるで一本の
糸で編まれたセーターを解いていくかのように、衣装や髪の毛が端
から分解され、糸状に伸びて虚空へと消えていく。
たちまち衣装が消え去り、露出した身体の末端から同じように糸
状にほつれ、内部骨格も同じ運命をたどってトロけていき、ここで
ボクの意識も途切れた。
◆◇◆◇
﹁︱︱何秒持ったの、周参﹂
しちかせいじゅう
ゲイザー
コントロール球から手を放して、隣に控えるでっかい目玉のモン
スター、七禍星獣№3にして筆頭︻観察者︼周参に確認してみた。
﹁突入から0.021秒で魔導人形№2との接続が断たれました﹂
淡々とした周参の返答に首を捻る。 ﹁⋮⋮体感では10秒くらい持った気がしたけどねぇ?﹂
まあ、あの周囲に自分の分身体を幾つも放って、多角的に検証し
1516
ている周参の観測に間違いがあるとは思えないけどさ。
﹁内部と外部では時間の経過が異なるために、外界からの観測結果
と乖離するのも当然かと。ちなみに私自身の分身体を突入させたと
ころ、計7031回の試行の結果、最長時間が6.796秒で、最
短が0秒でした。条件を変えても結果に共通性が見当たらぬことか
ら、まったくのランダムのようですな﹂
バフ
﹁それって、たとえ膨大なヒットポイントを持っていようが、何重
にも補助魔法を掛けようが無駄ということ?﹂
﹁左様にございます。これを突破するには既知の物質・攻撃・魔術
を用いた方法では、現時点で不可能と言えるでしょう﹂
改めて伝えられた絶望的な事実に、思わず腕組みする。
﹁つまり、未知の物質か、未知の技術か、未知の魔法がなければ無
理ってことだねぇ﹂
インベントリ
無理ゲーだね。詰んだ︱︱と両手を上げたいところだけれど、一
プレート
つ心当たりがあったボクは、収納スペースから、蒼神に渡された﹃
通行書﹄を取り出した。
見た感じ、手帳サイズの青みがかった金属板なんだけど⋮⋮。
﹁未知の物質に、未知の術式が埋め込まれているため、未知の作用
が予想されます﹂
一瞥した周参が、身も蓋もない分析結果を算定してくれる。
マジックアイテム
﹁ただし術法的には﹃防御﹄と﹃解放﹄に似ていますな。以前に姫
様がこの世界の防御結界を無効化する稚拙な魔具を手にしておられ
ましたが﹂
ああ、当時のアミティアの王都カルディアに潜入する時に、コラ
ード君からもらったものだね。なんだかんだで懐かしいな。
﹁効果としてはあれに似ていますな﹂
1517
﹁つまり、これを持っていけば虚霧に入れるってこと?﹂
﹁可能性は高いと思われます﹂
﹁周参っ。貴様、姫を危険に晒すつもりか?!﹂
満面に怒気を漲らせる天涯。
﹁無論、畏れ多くもそのような考えなど微塵もございません。です
が、姫様がお望みとあらば私はそれにお応えするのみにございます﹂
﹁なにを馬鹿なことを! 姫がそのような愚かな決断をなされるな
ど︱︱﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁姫⋮⋮?﹂
◆◇◆◇
セメタリー
空中庭園北西部︱︱虚空紅玉城の正門からみて裏手にある自然区
域。世界樹の森を抜けた更に先に、﹃墓地﹄と呼ばれる区画があっ
た。
もともと死者を弔うという概念がない魔物にとっては不必要な場
所であったが、1年近く前に緋雪の肝煎りで作られ、ほとんど利用
者もなかったが、地上との交流を経て、ぽつぽつと墓標が目立つよ
うになってきた。
1518
まろうど
ふと、真新しい墓標に薔薇の花束が献花されているのに気付いて、
稀人は足を止めた。
﹃ヴァルファング・アドルファス・カール・グラウィオール﹄
名前の他は生没年が書いてあるだけの簡素な墓標は、とうてい世
ゴブリン
界最大国家の皇帝の陵墓とは思えないが、製作者の性癖を考えれば
なるほどと頷ける。彼女にとっては皇帝だろうが小鬼だろうが、変
わらぬ命なのだろう。
苦笑して墓に向かって一礼をすると、稀人はやや足早に目的地に
向かった。
なんとなく予想していた通り、その見晴らしの良い丘の上に立つ
墓標の前に、黒い喪服を着た緋雪が蹲っていた。ヘッドドレスのリ
ボンや薔薇のコサージュまで黒で統一したドレス姿の緋雪は、生来
の長い黒髪と白い肌との対比もあって、ぞっとするほど妖艶でこの
世のものとも思えぬほど美しく、普段から見慣れているはずの稀人
であっても、迂闊に近づくことを躊躇うような、近寄りがたい気品
と淡雪のような儚さを漂わせていた。
﹁⋮⋮たまに思うんだよ﹂
稀人が後ろに来ているのは当然わかっているだろう。緋雪は献花
した目前の墓標に向かって語りかけるように、正面を向いたまま話
し始めた。
﹁あの時にアシル王子と手を取り合っていれば。彼女の誘いに従っ
て別荘に同席していれば。いや、いっそ好奇心から舞踏会の招待に
乗らなかったら⋮⋮なにかが違っていたら、アンジェリカは死なず
に済んだんじゃないか。そして、君を甦らせたのは、贖罪でも哀れ
1519
みでもなく、ただただ中途半端だったそんな自分を恨んで欲しかっ
たからじゃないかなってね﹂
立ち上がって振り返り、背後に立つ稀人の目を見る。
無言のまま仮面を外した稀人︱︱アシル・クロード︱︱は、困っ
たように苦笑した。
﹁誰かを恨まなければいけないとしたら、まずは愚かだった自分自
身でしょうね。姫様には感謝しています。俺と妹の魂、なによりア
ミティアを救ってくださって﹂
前に進み出た彼に道を譲る形で脇に避けた緋雪の前を通って、稀
人は手にしていた花束の一つを妹︱︱アンジェリカ・イリスと書か
れた︵共和国になった国に対するけじめの為、あえて﹃アミティア﹄
の姓は刻まなかった︶︱︱の墓前に捧げた。
それから視線を転じて、妹の墓に隠れるようにして建つ、もう一
つの墓標にも、緋雪の手になる花束が供えられているのを確認して、
秀麗な顔を綻ばせた。
無言のまま、﹃ジャンカルロ・エリージョ・ベルトーニ﹄と刻ま
れたそちらの墓にも献花する。
しばし黙祷を捧げ、それから困ったように緋雪を振り返る。
﹁考えてみればここは天上ですし、祈るべき神も敵らしいですし、
どこに何を祈ればいいんでしょうね?﹂
﹁心の中に居る、亡くなった人に対して祈ればいいんじゃないの﹂
緋雪のごく真っ当な意見に、﹁それもそうですね﹂と頷いた稀人
が、再度両方の墓前に祈りを捧げた。
1520
一通り気持ちの整理をつけたところで、稀人は立ち上がった。
﹁⋮⋮いまさらですが、ここに二人の埋葬を許可してくださいまし
て、ありがとうございます。⋮⋮そういえば、グラウィオールの皇
帝陛下の墓標も立てられたのですね﹂
﹁まあね。勝手なことをと怒られるかとも思ったけど、オリアーナ
には感謝されたよ。まあ、あれから3日だからね。本人は健気に動
き回っているけど、なかなかね⋮痛々しくてかける言葉がないねぇ﹂
﹁俺の時には結構キツイ事言われた気もしますけど⋮⋮﹂
﹁ああ、私は女尊男卑だからね﹂
堂々と開き直られて苦笑いの稀人。
﹁ま、俺なんてあのバイタリティーには脱帽しますよ。彼女がいま
何をやってると思います? 虚霧が解消した後の国作りの骨子を描
いて活動中ですよ﹂
﹁あらまぁ⋮⋮彼女らしいって言えばらしいねぇ。気宇壮大という
か﹂
エクストラ・インペリ
他人事みたいに能天気に笑う緋雪を、なぜか同情の眼差しで見つ
める稀人。
アル・クリムゾン
﹁一応話を聞いたところ、目標は世界統一国家で、国名は﹃真紅超
帝国﹄で恒久絶対国主として﹃緋雪神帝﹄を頂くそうです﹂
﹁︱︱なにそれっ?!?﹂
本人の預かり知らない間に、とんでもない御輿に乗せられかけて
いることを知らされ、緋雪の声が裏返った。
﹁ちなみに鈴蘭の皇女様は超帝国旗下の帝国の女帝に就任、俺は超
1521
帝国の侯爵あたりにならないかと打診されています﹂
﹁⋮⋮打診って、誰から?﹂
頭を抱えて非常に嫌な予感を覚えながら、恐る恐る尋ねる緋雪。
てんがい
﹁あちこちからですね。昨日は天涯様からも話が出てましたから、
この流れだと本決まりになりそうですね﹂
﹁天涯って⋮⋮聞いてないよ?!﹂
﹁ああ、言っちゃ不味かったでしょうかね。円卓会議ではほとんど
満場一致で同意がなされたそうなので、おそらく姫様を内緒にして
いて、ビックリさせるつもりだったんじゃないでしょうか?﹂
﹁ビックリしたしたよ!! 危うくショック死するところだったよ
!﹂
顔を真っ赤にして怒る緋雪様も可愛いな、と呑気な感想を思いな
がら稀人は何気ない風を装って付け加えた。
﹁まあそんなわけで、我が国は挙国一致で新たな国作りの為に邁進
していますので、姫様にはなにがなんでも無事にお帰り願わないと、
倒れるのは屋台骨どころではないので、お願いいたします﹂
軽い口調に隠された切実な想いを感じ取って、気勢を削がれた緋
雪が、困ったような顔で背の高い稀人の顔を見上げた。
﹁⋮⋮まったく、そんなに私は顔に出やすいのかな﹂
﹁皆、俺同様、姫様を好きでずっと見てますからね、変化があれば
すぐにわかりますよ﹂
甘い表情で甘い言葉を囁く稀人を半眼で見据える緋雪。
﹁そーいえば、初対面でいきなりプロポーズした誰かさんだけど、
1522
おかぼ
あだなさけ
随分と女の子を泣かせてるって、私の耳にも届いているんだけどね
ぇ﹂
﹁いやいや、そこはそれ⋮⋮岡惚れ徒情という奴でして、ご婦人方
からの熱意をすげなく袖にするわけにもいかないので、俺としても
苦慮しているところですよ﹂
目を泳がせた稀人の説得力皆無の言い訳に、さらに眼差しを氷点
下以下まで凍らせた緋雪がため息をついた。
﹁はあ∼∼っ⋮⋮考えてみれば、こんなのが、唯一まともに告白し
てくれた相手なんだからねぇ。説得力に欠けるわ﹂
やっぱり今からでも女の子相手にした方がいいかなぁ⋮とか、呟
く緋雪。
一方、稀人はその態度から、いまだ緋雪には特定の意中の相手が
居ないことを察して、密かに闘志を燃やした。
ジョーイ
九印
クリストフ
︱︱無事に姫様が戻ってきたら、今度こそ本気で愛を伝えよう!
アホ餓鬼とか、直結鬼とか、ぽっと出には負けん!!
﹁ああ、そうそう。一応伝えておくけど、万一の場合に備えて、空
中庭園のコントロール権を一時的に影郎さんが使えるようにしてお
いたので、私の帰りが遅くなった時には、彼をフォローするのをお
願いするね﹂
思い出したように付け加えられた依頼の中身の重要さに、稀人は
眉をしかめた。
﹁影郎って言うと、あの姫様とは別口の吸血鬼ですよね。いいんで
すか、ラポック殿やタメゴロー殿でなくて?﹂
ほんの数時間前に、同属︱︱それも同じ親を持つ眷族︱︱として
1523
甦った2人のプレーヤーの方が、この場合適任に思えたのだが、緋
雪は困った顔で頬を掻いた。
﹁まあ、そうなんだけどね。いざという場合を考えた場合、彼ほど
臨機応変に対応できる人はいないからねぇ。第一、なにがあっても
死にそうにないし﹂
苦笑する緋雪だが、そこには影郎に対するある意味全幅の信頼が
垣間見えて、稀人は密かに嫉妬と危機感を覚えた。
︱︱荊州には伏龍と鳳雛あり⋮とか言うけど、これは、ひょっと
して思わぬところに伏兵が潜んでいたのか!?
まったくノーマークだった男だが、緋雪の中での存在感を考えれ
ば、自分達は周回遅れである気さえする。
﹁︱︱お兄様、しっかりなさいませ!﹂
ふと、妹の叱咤激励する声が聞こえた気がして、稀人は反射的に
背後の墓標を振り返った。
無論、そこには花で飾られた墓石があるだけである。
﹁どうかした?﹂
怪訝な緋雪の言葉に、そのままゆるゆると頭を振る稀人。
﹁いえ、なんでもありません﹂
﹁そうかい。なんか私はいま、アンジェリカの﹃しっかりして!﹄
って声が聞こえた気がしたよ﹂
軽く肩をすくめる緋雪。
1524
驚いて振り返った稀人は、ゆっくりと・・・満足げに頷いた。
﹁ええ。俺にも聞こえました﹂
﹁そう。︱︱なら、しっかり頑張るしかないね﹂
﹁そうですね﹂
セメタリー
微笑み合いながら、緋雪と稀人は迷いのない足取りで墓地を後に
した。
1525
第十七話 姫君決意︵後書き︶
アンジェリカちゃんのお墓について、出そう出そう幕間にでも書こ
うと思って3ヶ月。やっと登場できました、、、
次回からいよいよクライマックスです。
1526
第十八話 万白一紅
きょむ
相変わらず虚霧は視界のほぼ全てを占有し、こぼれたジュースが
テーブルクロスに染み渡るように、僅かに残った大地をじわじわと
侵食していた。
﹁︱︱ふむ?﹂
取りあえず魔導人形を使った時と同じように、歩いて虚霧へと向
かう。もちろん今度は生身だけど。
で、同じく10メートルほど手前で立ち止まり、ボクは左手を前
に伸ばしながら呼びかけた。
ソーン・オープン
﹁薔薇の棘﹂
アイゼルネ・ユングフラウ
キーワードを唱えると、左手装備﹃薔薇なる鋼鉄﹄の表面に巻
き付いている薔薇の蔦が解放され、数本の鞭となって地面に広がる。
﹁よっ︱︱と!﹂
手首のスナップだけでそれを虚霧へと向かって振るう。
ただの霧を相手にしているかのように、なんの手応えなく吸い込
まれた︱︱それを素早く手元に引き戻したが、僅かに手応えが軽く
なった気がして見ると、案の定、霧に突入した部分が綺麗に削ぎ落
とされていた。
﹁やっぱり、Lv99装備でもほぼ瞬殺だね。本当に大丈夫なのか
な⋮⋮?﹂
1527
不安半分⋮どころか九分九厘の心持で首を捻りながら、蒼神が寄
越した﹃通行証﹄を掲げて、虚霧へともう何歩か近づいてみた。
﹁⋮⋮⋮﹂
ブルー・フラッシュ
はしたなくも生唾を飲み込み、あと3∼4メートルほどで虚霧に
こくよう
ステルス
触れる︱︱と思った瞬間、﹃通行証﹄から青い閃光が迸り、ボクの
てんがい
身体を包み込む泡のような丸い光の膜が形成され、
﹁ぐおっ⋮⋮!!﹂
﹁!!﹂
﹁あ痛︱︱っ!﹂
﹁︱︱くっ﹂
従魔合身していた天涯、影の中に潜んでいた刻耀、﹃隠身﹄で姿
あまり
を消してストーキングしていた影郎さん、空気中の水分と見分けの
付かないレベルでまとわり付いていた零璃の4名が、一斉に膜の外
へと押しやられた。
﹁と、とととと。︱︱みんな、大丈夫?!﹂
慌てて何歩か後退すると、光の膜がシャボン玉みたいに消えた。
ナーガラージャ
﹁大丈夫です。いきなり弾き飛ばされた衝撃に戸惑っただけです﹂
黄金龍形態の天涯が、一声咆えて人間形態になると、軽く全身に
付いた土埃を払いながら一礼した。
ステルス
﹁︱︱にしても、自分の隠身はともかく、従魔合身も無効ですか。
これは厳しいですな﹂
影郎さんも珍しく渋い顔だ。
すさ
﹁やはり駄目でしたか。どうやらどのような手段を用いようとも、
姫様以外はフィルタリングされるようですな﹂
悪い結果がでるにはでたけれど、予想していたという口調で周参
1528
コクヤングティ
しおり
が淡々と分析する。それから、十三魔将軍でネイティブ・アメリカ
糸
の方はいかがですかな?﹂
ンの衣装を纏った半人半蜘蛛の︻蜘蛛女神︼始織に視線を巡らす。
﹁姫様に付けた
﹁防御膜の展開と同時に全て消滅いたしました﹂
申し訳なさそうに頭を下げる始織。
﹁︱︱結局、私以外はお呼びじゃないってわけね﹂
あからさま過ぎる罠だねぇ。
やから
﹁やはり反対です! このような姑息かつ悪辣な仕掛けを施す輩が
待ち構える場所へ、姫がお一人で行かれるなど到底容認できません
!!﹂
﹁そうだなあ。ただでさえアイツは緋雪さんに異常な執着を見せて
たんだ、文字通り鴨葱も良いところだ。止めておいたほうがいい﹂
﹁そーよ! アイツがどんだけ変態で異常でキモいか教えてあげた
でしょう! 女の子になってから日が浅いからピンと来ないかも知
れないけど、身体と心に刻まれた傷はそりゃもう一生拭い去れない
痛みなのよ!﹂
﹁逃げましょう、お嬢さん。世界の果てまでも。なに、自分の稼ぎ
でお嬢さん一人くらいは食わせていけます﹂
この結果を受けて、天涯、らぽっくさん、タメゴローさん、影郎
さんが口々に蒼神との直接対決を思いとどまるよう進言し、詰め寄
ってきた。
まろうど
くいん
がいじん
こはく
あと、影郎さんがどさくさ紛れに手と手を取り合って、そのまま
駆け落ちしようとしたけど、稀人や九印、凱陣、琥珀も一緒になっ
た一団に取り囲まれて、タコ殴りされていた。
﹁てめーっ、この野郎、オレたち非公認ファンクラブの前で抜け駆
けしようなんざ、いい度胸だ!﹂
1529
﹁死ね、このボケっ!!﹂
﹁おおおおぅ! なんかドサクサ紛れに関係ない奴まで参加してる
んと違いますか?!﹂
⋮⋮取りあえず、見なかったことにして話を進める。
﹁まあ、私としても率先して係わり合いになりたい相手ではないん
だけどさ﹂
というか、知らずに済んでいれば、どれほど心穏やかであったこ
とか⋮⋮。
﹁相手の方から喧嘩を売ってくるんだからね。やり返さないわけに
はいかないでしょう﹂
﹁ですが、状況を鑑みるにいささか不利かと⋮⋮﹂
普段であれば決して口に出さない気弱な発言が出てくるというこ
とは、天涯も勝ち目がないのはわかっているんだろうね。
まあ、客観的に考えて有利な要素がなーんにもないからねえ。
アウェー
なにしろ相手は一切の攻撃を受け付けない上に、GMの持つ最強
武器まで持っていて、なおかつこちらは身一つで敵地での対戦。ぶ
っちゃけ幼稚園児が目隠ししてパンチ一発で、ボクシングのヘビー
級チャンピオンを倒せって言う位かそれ以上の無茶振りだろうね。
﹁まあ結果がどうなるかはわからないけど、だからといって目を閉
じて、家に閉じこもっているってのも業腹だしね。一発位ぶん殴ら
ないと気がすまないからさ。それに第一、空中庭園にいれば安全な
んて保証もないしね﹂
軽く肩をすくめて付け加える。
多分、蒼神が本気になれば、空中庭園も危ないんじゃないかな。
きょむ
今のところは生殺しで、じわじわボクを追い立てている段階だけど。
この世界が虚霧に覆われた次は、直接乗り込んでくる公算が高い気
1530
がするよ。
そのボクの言葉に制裁の手を休めた︱︱というか、気が付いたら
いつの間にか殴られていた筈の影郎さんが消え去り、代わりに制裁
リンチ
対象が九印に入れ替わっていた︵けど全員気が付かないフリをして
私刑を続行している︶︱︱稀人が、懐かしげな表情で相槌を入れて
きた。
﹁変わらないですねえ、姫様。俺の時もそれでやりあったんでした
っけ﹂
﹁そーいうこと。いちいち先のことを気にして、何もしないのは私
の流儀に反するからね。間違っているかも知れないし、後悔するか
も知れないけれどね。でも、やっぱり逃げ回るのは嫌だからね。だ
から自分らしく行くことにしたのさ﹂
結局は我儘だとわかっている。こういえば皆、納得はできないま
でも止めることができないことも承知だ。だから、
﹁︱︱ごめんね﹂
そう言うしかなかった。
﹁⋮⋮お嬢さん、それは掛ける言葉が違いますわ﹂
いつの間に復活したのか、影郎さんがけろりとした顔で人差し指
を振った。それからその指で、周囲を取り囲む、ボクを心配して見
送りに来てくれた面々を指差した。
てんがい
ナーガ・ラージャ
四凶天王。
みこと
セラフィム
天涯︻黄金龍︼
うつほ
命都︻熾天使︼
空穂︻白面金毛九尾の狐︼
1531
こくよう
ダークナイト
刻耀︻暗黒騎士︼
いかるが
十三魔将軍。
いずも
斑鳩︻ヨグ=ソトース︼
びゃくや
出雲︻アザゼル︼
がもん
白夜︻ハヌマーン︼
むさし
シャローム
牙門︻テューポーン︼
しず
武蔵︻沈黙の天使︼
しんら
真珠︻デモゴルゴン︼
しおり
コクヤングティ
森螺︻バロン︼
なち
始織︻蜘蛛女神︼
くおん
バハムート
那智︻ジャバウォック︼
くらま
ア・プチ
久遠︻神魚︼
いずみ
フェイ
鞍馬︻死神王︼
きら
テルキーネス
泉水︻守護精霊︼
綺羅︻鍛冶王︼
あまり
七禍星獣
いき
ソードドック
零璃︻水の最上位精霊︵番号外︶︼
そうじゅ
グリーンマン
壱岐︻魔剣犬︵欠番︶︼
すさ
ゲイザー
双樹︻緑葉人︵欠番︶︼
くらし
周参︻観察者︼
ごうん
ごうん
蔵肆︻翼虎︼
むつ
はくたく
五運・五雲︻麒麟の麒︵雄︶・麟︵雌︶︼
たなばた
陸奥︻白澤︼
ほずみ
うんがいきょう
七夕︻アプサラス︼
ここのえ
きがんだいそうじょう
八朔︻雲外鏡︼
九重︻鬼眼大僧正︼
さかき
その他にも、親衛隊長榊を始めとした、親衛隊の面々。
1532
くいん
がいじん
こはく
かぐや
しんや
強引についてきた、九印、凱陣、琥珀、それに輝夜と震夜親子。
そして、もっと沢山の空中庭園の仲間。
近くには眷属の稀人や、まだ本調子でないらぽっくさん、タメゴ
ローさんも掛け付けてくれている。
そして、危険なのでここへは来てないけど、最期まで心配してい
たクリストフ君とオリアーナ皇女、レヴァンとアスミナ。
まだ各地で戦っているであろう、コラード国王夫妻やジョーイ、
獣王たち。
さらに、ここまで命のバトンを繋いで亡くなった多くの人達。
全員が優しい目をしていた。まるで我が子を見つめる父や母、兄
や姉のような慈しみのこもった瞳で、微笑んでボクを見ていた。
⋮⋮ああ、そうだね。結局、ボクはいつの間にか彼らが傍に居て
過ごすこの時間が、掛け替えのない宝物になっていたんだね。
素直にそれを認めた時に、胸の奥にストンと気持ちが落ちてきて、
私
としてここ
謝罪じゃない。言うべき言葉が自然と口からこぼれていた。
﹁ありがとう。皆のお陰で、皆に守られて、私は
に生きてこられたと思う。だから、今度は私が皆を守る番だよ。本
当にありがとう。私は、みんなの事を本当に大好きだよっ!﹂
彼ら全員を抱擁できないのが本当に残念に思いながら、ボクは両
手を精一杯に広げ、その場に居た全員に、心からの笑みを送る。最
後に腰を折って一礼をして、間近に迫っていた虚霧へと向き直った。
﹁それじゃあ、行って来るよ。後のことはお願いね、影郎さん﹂
1533
﹁はいはい、お嬢さん。なるべく早く帰ってきてくださいな﹂
傍らに立ていた影郎さんが、おどけた様子で、そんなボクを気軽
に送り出してくれた。
インベントリ
﹁そうだね。相手の都合もあるからなんとも言えないけど。︱︱な
るべく、ご期待に沿えるよう頑張るよ﹂
ジル・ド・レエ
それに答えて、軽く肩をすくめ。念のため、収納スペースから﹃
薔薇の罪人﹄を先に取り出しておく。中で出せませんでした⋮⋮じ
ゃあ洒落にならないからねぇ。
ぜつ
まあ、話に聞いた限りでは、らぽっくさんの﹃絶﹄でも勝負にな
らなかったらしいので、あれより劣るこの子じゃ勝てるわけもない
けど、蟷螂の斧でもないよりはマシだからね。第一、この子も苦楽
を共にした相棒だから、感傷だけど最期まで一緒に戦いたいし︵ち
なみに他の装備はすでに決戦用本気装備に着替え済み︶。
ジル・ド・レエ
右手に﹃薔薇の罪人﹄、左手に﹃通行証﹄を持ったまま、虚霧へ
近づく。すると再びボクの全身が青い光の膜に覆われた。
さらにもう一歩近づくと、まるで見えない手で紗幕を開くかのよ
うに、虚霧が押し退けられ白くて細い道ができた。
恐る恐るその道へ足を一歩乗せる。
﹁⋮⋮⋮﹂
特に身体に変化がないのを確認して、半透明の膜越しに背後を振
り返り、安全をアピールするために片手を上げ、さらにもう一歩、
もう一歩と歩みを進めてみた。
1534
◆◇◆◇
緋雪の姿が完全に虚霧の中へと消えるのに併せて、その進行上に
発生していた道も消えた。
その場に集まった全員が、その後姿が消えたあたりを注視したま
ま、身動ぎ一つせずにその場に留まっていた。
﹁⋮⋮どうする気じゃ、天涯。この後は?﹂
大きなため息をついた口元を扇で隠した空穂が、その場に根を生
やしたかのようにじっと佇む天涯を横目に見た。
﹁無論、姫がお帰りなるまでこの場で待つのみだ﹂
﹁待つといっても、虚霧は相変わらず拡大しているので、場所を移
動する必要がありますね﹂
梃子でも動きそうにない天涯に、命都が柔らかく言い募る。
﹁私はここに残る。お前達は避難しろ﹂
聞く耳を持たない天涯の様子に、空穂がため息をついた。
﹁⋮⋮やれやれ、まるで駄々っ子じゃな。そんなことをしても何も
ならぬぞ。しゃんとせぬか。姫様のご不在の間、空中庭園を守るの
はお主の役割であろうが!﹂
﹁わかっている⋮⋮わかってはいる⋮⋮だが、なんだ、この無力感
は⋮⋮﹂
空穂の叱責を受けて、普段であればいきり立つ彼が、力なく俯い
た。
1535
これには口に出した空穂も命都も驚いたようで、顔を見合わせ⋮
⋮次いで掛ける言葉が見つからず、同じく無言になった。
しばし、沈黙が支配したその場に、不意に朗々としたテノールの
美声が響いた。
﹁姫様は我々に守られていたと言ったが、それは間違いだったとい
うことだ。この1年近く、そして暗黒の100年、さらにそれ以前
の戦いの日々も、我々はいつでも守られていたのだ。姫様のあの手
があれば、我らは恐れるものはなかった。どんな危険な道でも、ど
んな暗闇でも、あの手が我らを導いてくれたからだ。だから天涯よ。
皆よ、恥じることはない。ただ今は少しだけ自分の足で歩いて、今
度はこちらからあの手を見つければ良いのだから﹂
はっと胸を突かれた面持ちで、天涯たち四凶天王3人の視線が、
美声の主︱︱四凶天王の刻耀を見詰めた。
﹁⋮⋮そうか。そうであったな。自分を見失うところであった、礼
を言うぞ、刻耀﹂
礼を言って右手を差し出す天涯。その手が、パンと音を立てて刻
耀の右手と打ち合わされた。
﹁今後は交代制で姫の帰還をお待ちするために、このポイントを維
持したまま虚霧の監視を執り行う。取りあえず今日のところは四凶
天王からは刻耀、十三魔将軍は真珠と那智、七禍星獣は周参を残し
て、全員、空中庭園へ帰還せよ。戻り次第、今後の予定を決定する
ために円卓会議を開催する。なお、現地の指揮は周参に一任する。
︱︱以上、なにか質問等はあるか?﹂
その言葉に誰も反応しなかった。と言うか、その場にいた全員の
視線がただ一点︱︱刻耀に向けられていた。
1536
この瞬間、四凶天王以外、驚愕の表情を浮かべた全員の脳裏に浮
かんだ感想はただ一つ。
こいつ
﹃刻耀、喋ることできたのか?!!﹄
これだけだった。
1537
第十八話 万白一紅︵後書き︶
十三魔将軍今回全員名前が出ました。
やっとですけど、もう出番も描写もないんです︵ノ︳・。︶
1538
第十九話 霧中夢中
﹁⋮⋮ホント、わけがわからないねぇ﹂
オズの魔法使いにでてくる﹃黄色いレンガ道﹄ならぬ、白い霧の
細道を延々と歩いてきたわけだけど、いつの間にか周囲の様子が変
わっているのに気付いて、一度足を止めて改めて状態を確認してみ
た。
きょむ
歩いてきた足元の道︱︱薄闇の虚霧に見るからに頼りなく伸びる、
光る白い道が延々と伸びている。その幅はボクの肩幅よりも狭い位
で踏み心地はなんとなく丸木橋を連想させる硬さと弾力だ。
視覚的にも似たようもので、上下左右とも果てが見えない霧の中
に細い道が架かっている感じなので、高所恐怖症の人間や気の小さ
な人間だったら、おそらく最初に足がすくんで身動きができないだ
ろう。
この道から足を踏み外したらどうなるか、と若干興味が湧いたけ
れど、この期に及んで命がけでトライ&エラーを行うほど酔狂では
ないし、どうにも碌な結果が待ってそうにないので、そうした好奇
心には蓋をすることにして、着実に道を外れないように前に進むこ
とに神経を集中することにしたんだけれど⋮⋮。
虚霧の中はそもそも時間感覚が完全に狂っているそうなので、時
計の類いは持ってきていないけれど、体感的には4∼5時間も何も
ない真っ白な世界を歩いてきただろうか︱︱そういえば人間が持つ
7つの感覚︵視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、平衡感覚、温度感覚︶
のうち、より能動的な視覚、聴覚、嗅覚、触覚を完全に遮断した状
1539
態で放置されると、通常半日も経たずに精神が変になるって言うけ
ど︱︱予備知識なしに、この状態でよく取り乱すことなく平静で居
られたもんだと、我ながら自分の図太さに感心してしまった。
まあ単純に感情が麻痺していたのかも知れないけれど。
兎にも角にもここに来て周囲の景観に変化が生じたことで、スリ
ープモードだった意識が通常に復帰した⋮⋮って感じだった。
見れば霧の一部が変化してかなりの速度で、この道の周囲をぐる
ぐる飛び回っている。
フラクタル状のそれらは意味や法則がありそうでないものばかり
で、あえて形を認識しやすいものを探せば、回転する渦巻や、半透
明のスライムのようなもの、くねくねと直角に曲がりながら飛び回
る大蛇、互いに喰らい合いながら膨らむ丸い風船、翼を広げた巨大
な蝶、あちこちに乱舞する炎の塊のようなもの、回転する円盤群⋮
⋮。
﹁幻影なのか実体なのか、区別がつかないけど、いちおう実体とし
て心得ていた方が安全だろうねぇ﹂
ジル・ド・レエ
右手に握った愛剣﹃薔薇の罪人﹄を振り回すのに︱︱いちおう片
手でも取り回しはできるけれど、分類上は両手剣のカテゴリーなん
だよね︱︱邪魔になりそうな、左手に握ったままの﹃通行証﹄を、
恐る恐るポケットに仕舞う。
きょむ
幸い剥き身でなくても効果がなくなることはなく、淡い光の膜は
ボクを中心に虚霧を弾いていた。
ジル・ド・レエ
﹁︱︱さて、鬼が出るか蛇が出るか﹂
呟きながら﹃薔薇の罪人﹄を右手で一振りして、慎重に足を進め
る。
1540
でめきん
と、まるでそれを待っていたかのように、不意に横手から霧で出
来た2メートルほどもある出目金のような魚が飛び出してきて、あ
っさりと光の膜を通過してぶつかってきた。
反射的にこれに斬り付けると、手応えもなくあっさりと2枚に下
ろされ、片方の半身は悠々と目前を通過して行き、もう片方は勢い
あまってボクの身体と半ば重なる形で、通り過ぎていった。
︱︱ちなみに、後ろ暗くないことは、何かしたんでしょうか?
︱︱顔も覚えていないような知り合いに襲われて、危なかったん
だけどなんとか切り抜けて、そこでばったり昔、とても親しくして
いた男に会って、詳しい話をしようとしたら逃げられた。
﹁︱︱っ?!﹂
その瞬間、いつかどこかで見て感じた光景が、ありありと目の前
に広がって、すぐに消えた。
﹁⋮⋮いまのはアスミナ? なんだったんだろう⋮⋮幻覚?﹂
それにしてはずいぶんと生々しかったけど。
﹁というか、このわけのわからない連中が幻影なのか、実体なのか
は不明だけど、どーにも実害がありそうだねぇ﹂
その場に棒立ちになって考え込んだところへ、螺旋状に飛び回る
甲虫と青虫を掛け合わせたみたいな気持ち悪い虫や、巨大な目玉の
怪物、光るスライムなどが次々と襲い掛かってきた。
奇怪な怪物は細い道の上で躱せるだけ躱して、どうしても捌き切
1541
れないものは、迎撃することにする。
﹁⋮⋮リンクするね。魔法はマズイか﹂
先手必勝で、距離のあるうちに魔法で撃墜しようとしたところ、
それまで無関心にふよふよ漂っていた、周囲の霧の怪物たちが雪崩
をうってこちらに迫ってきた。
舌打ちして直観暴力に切り替えると、多少は穏やかになったので、
以後はひたすら斬り捌くことだけに集中する。
いちじく
︱︱じゃあ君の名前は﹃九﹄にしよう。
ニドヘック
︱︱馬鹿ですか、貴方は!?
︱︱わかった。全力で廃龍を消滅させて!
︱︱ちょっと待った。寝てる私にどうやって飲ませたわけ?
霧の怪物を切り裂き、その飛沫が身体にかかるたびに、在りし日
の出来事がありありと再現される。
今のところほとんど一瞬なので、さほど影響はないけれど、例え
ばこれ丸ごと正面から衝突した場合、どれだけの効果があるんだろ
うね。
この魔物に対しては蒼神の防御膜も効果がないみたいだし、ずっ
とこの状態が続けば、なにしろ細い道だから、そのうち集中力が切
れるか、幻惑に囚われて足を踏み外す危険性がある。
とは言えその場に踏み止まれば、襲ってくださいと言うようなも
のだし、いまさら来た道を引き返すわけにもいかない。だいたい戻
っても帰り道があるかどうか。
1542
結局は躱せるだけ躱して前に進むしかない。そう覚悟を決めて、
ボクは慎重に足を進めたのだった。
・
・
・
・
どのくらい進んだろうか。とっくに体感時間すら不明瞭になって
いたボクの前に、巨大なクマに似た怪物が立ち塞がっていた。
できれば回避していきたいところだけれど、なにしろこいつは道
の先にでんと待ち構えているんだから、無視して行くわけにもいか
ない。
で、さらに周囲を燕のような羽を持った蛇のようなモノが、見た
感じ100羽くらい飛び回っている。このためクマ相手にこの距離
から魔法で攻撃した場合には、周りの飛蛇が一斉にリンクする可能
性が高いわけで、そうなった場合は目も当てられない。
確実に斃すには、やはりこの手の剣で斬り捨てるしかないわけだ
ね⋮⋮。
ボクはしぶしぶと、道を塞ぐ3メートルほどもあるトランペット
と太鼓を叩いたテディベアに向かって、剣を構えた。
﹁はあ⋮⋮。こりゃ、くまったねぇ﹂
つぶらな瞳に大いにやる気を殺がれながらも、ずんどこ近寄って
くるクマ目掛けて、唐竹割りの要領で頭上に構えた剣を真下まで振
り下ろして、真っ二つにする。
他の魔物同様、手応えのないまま二つになったクマだけど、知ら
ない間に手心が加わっていたのか、ギリギリ背中の皮一枚で繋がっ
1543
ていたそれが、無理やり自分の身体を抱きかかえるようにして、一
塊のままボクへと正面衝突してきた。
﹁しまった!﹂
ジル・ド・レエ
咄嗟にボクは右手の﹃薔薇の罪人﹄を再度一振りするのと同時に、
細い光の小道の上から落ちないように、その場に片手片膝をついて
蹲った。
◆◇◆◇
﹁やばいっ、このままじゃ転校初日から遅刻だ!﹂
ちくわ
トーストと竹輪を口に咥え、いかにも﹃寝坊してすぐに飛び出し
じょうい
ました﹄という感じの、真新しい制服をだらしなく着こなしをした
15歳の少年・成偉が、すでに通学時間のピークを過ぎて、随分と
閑散とした住宅街の路地を大慌てで駆けていた。
﹁えーと、この道で間違いないんだろうな⋮⋮﹂
ミア
前回、転校の手続きに来た際に、保護者同伴ということで付いて
きてくれた姉の美亜が、万一の為に書いてくれた近所の地図を、ポ
ケットから取り出して確認する。
折り畳まれたメモ帳の表には、割と正確な筆致で日本地図が描か
れ、その一部に赤丸と矢印が付けられ﹃ココらへん﹄と走り書きが
してあった。
1544
﹁︱︱大雑把過ぎる! これだから外資系企業のOLってのは!﹂
世界をまたに駆けて飛び回っている姉のスケールの大きさと迂闊
さに内心頭を抱えながら、成偉は地図を畳んでポケットに戻した。
代わりにスマホを取り出す。
﹁えーと、﹃私立ホライゾン学園﹄の位置は︱︱﹂
ちなみに姉は現在、アルジェリアに出張中なので、成偉はマンシ
ョンに一人住まいである。
姉のその前の出張先はキプロスで、その前がスーダン、北アイル
ランド、シエラレオネ、アフガンなど聞いたこともない場所ばかり
で、ほとんど日本に戻ってくることがないため一人暮らしは慣れた
ものだが、今回は環境自体が変わったせいで油断してしまったらし
い。
それにしても、いまさらながら姉はいったいなんの商売をしてい
るのだろうか? 両親の死後、幼かった自分を女手一つで養ってく
れた姉には感謝しているが、いまだに仕事の話になると口を噤むの
が不思議と言えば不思議だ。
そんな風に余所見をしていたせいだろうか、角を曲がった瞬間、
死角になっていた向こう側から、同じように脇目も振らず走ってき
た女子生徒と正面衝突してしまった。
﹁︱︱ぅおっと!﹂
﹁ほげええええっ!?﹂
色気のない悲鳴だなぁと思いながら︵咄嗟に﹁きゃっ!﹂と言え
る訓練された女子はなかなかいない︶、柔らかな感触と女の子の素
1545
敵な匂いに動揺した成偉は、思わず食べかけのトーストを落として
しまった。
﹁あいたた⋮⋮﹂
見れば同じ﹃私立ホライゾン学園﹄の校章をつけた黒髪の小柄な
女子生徒が、地面に尻餅をついていた。
﹁おい、大丈夫か?﹂
慌てて手を差し伸べる。
﹁大丈夫、じゃないわよ! どこ見てたのよ、あなた! だいたい
スマホは校則で禁止されてるの知らないの?!﹂
顔を上げたその子︱︱やたら綺麗な顔立ちをした、ちょっと幼い
じょうい
外見の美少女︱︱が、光の加減で濃淡を変える特徴的な緋色の瞳を
怒らせて、成偉の顔を睨みつけた。
﹁そうなのか? 悪い、俺って今日が転校初日なんで、全然知らな
かったんだ﹂
﹁知らないで済めば警察はいらないわよ。生徒手帳にも書いてある
でしょう! いいこと、無知は罪なんですからね!﹂
ポンポンと好き勝手言われて、さすがにムッとした成偉は、差し
出した掌の形をパーからチョキに変えた。
﹁悪かったな。あと、いつまでも水色見せてるつもりだ?﹂
その指摘で、はっと気が付いた少女が、真っ赤な顔でスカートを
押さえた。
﹁きゃあああああああっ!!﹂
1546
﹁おっ、今度はまともな悲鳴だな﹂
素直な感想を口に出した成偉の横っ面が、バネ仕掛けみたいに立
ち上がった少女の平手で、思いっきり叩かれた。
﹁馬鹿ーっ!! 最低っ! この変態、竹輪男っ!!﹂
全身で絶叫した少女は、いまだ竹輪を咥えたまま呆然としている
成偉を置いて、脱兎のようにその場から駆け出した。
﹁いてて⋮⋮見かけと違って凶暴な女だなぁ﹂
叩かれた頬を擦って、残った竹輪を口に放り込みながらぶ然と呟
いた成偉だが、少女が走っていった方向を見て、納得したように頷
いた。
﹁やっぱ学校はあっちか﹂
ため息をついてその方向へと足を進めようとしたところで、ふと
地面に落ちた食べかけのトーストの下に、なにかが隠れるようにし
てあるのが目に止まった。
何の気なしに拾ってみれば、赤い薔薇の刺繍と﹃HIYUKI﹄
とネームの入った白いレースのハンカチだった。
﹁ヒユキ? ひょっとして、いまの子の落し物か?﹂
面倒臭いことになりそうだと思いながらも、捨てるわけにもいか
ずに、成偉はそれをポケットに捻じ込んだ。
﹁まあ、同じ学校みたいだからな、そのうち会うこともあるだろ﹂
くっきりと紅葉の形に手形の付いた頬のまま、成偉は転校先へと
大急ぎで駆けて行った。
1547
◆◇◆◇
﹁︱︱なによ、このベタな展開は?!﹂
思わず叫んだ自分の声で、はっと我に返った。臨場感のありすぎ
る幻覚︵?︶のせいか、すっかり役に嵌り切って、一瞬自分がどこ
きょむ
ジル・ド・レエ
にいて誰なのか混乱したけれど、落ち着いて周囲を見回してみれば、
相変わらず虚霧の真っ只中にいて、片膝をついて﹃薔薇の罪人﹄を
支えに、光る小道の上に蹲った姿勢のままでいた。
﹁どーいう幻覚なんだろうねぇ。いままでの過去の再生とは違うみ
たいだし⋮⋮﹂
無意識の願望とかなら笑えるけど、どっちかというとボクにとっ
ては学校ってのはトラウマにしか過ぎないので、悪夢に近いねぇ。
まして主人公がアレでは⋮⋮。
﹁⋮⋮う∼∼む。まあ、幻覚を見ている間に道から転げ落ちなかっ
たのが幸いかな﹂
無理やり納得することにして立ち上がって前を見た。
すると、さっき最初にクマが立っていたあたりに、今度は木製の
扉が立っているのが見えた。
一見するとマホガニーの扉で、真鍮製のドアノブも付いている。
ただし何もない進路上にポツンと扉だけが立っている様子は、ま
1548
るで⋮⋮。
﹁どこ○もドア?﹂
某青狸の有名な秘密道具を当然連想しながら扉の前に立つ。
﹁︱︱どー考えても罠だろうねぇ﹂
とは言えこれを通らないとこのクエストは消化できないのは確か
なので、ボクは警戒しながら扉を開けた。
◆◇◆◇
そこは一面の花が咲き乱れる野原だった。
太陽は柔らかな光を放ち、空気は適度な湿り気を帯び、気温は春
の陽気で過ごしやすく、このままこの場に寝転がって昼寝をできた
ら最高だろうと思える、うららかな光景が眼下に広がっていた。
﹁これはまた判断に迷う景色だねぇ。幻覚なのか、どこかに移動し
たのか?﹂
念のために振り返って見れば、案の定、通り抜けてきた扉はなく
なっている。
きょむ
もしもまだあの虚霧の中の道にいるんだったら、ここで不用意に
足を踏み出すと、現実には真っ逆さまに転落する危険があるわけだ
けど。
まあさっきのベタなラブコメみたいな時みたいに、本体は突っ立
っていて意識だけが、ここで動いている可能性もあるわけだけどね。
1549
どうしたもんかと悩んでいたところへ、不意に背後から少年のも
のらしい怪訝な声が掛けられた。
﹁なあ、お前なにやってんだ、こんなところで?﹂
見れば15歳くらいのヤンチャそうな少年が立っていた。
﹁︱︱だれ、君? 幻覚かモンスターの擬態?﹂
﹁なんだそりゃ? いや、﹃誰﹄とか俺が聞きたいんだけどさ﹂
困惑と不審が混じりあった顔で、こちらに近づいて来る少年。
着ているものは簡素なシャツとズボン、それにベストだけれど小
奇麗で不潔感はない。
同時に、ボクはあることに気が付いて周囲を見回し、ソレを確認
して密かにため息をついた。
だ﹂
﹁言っとくけど俺は怪しい者じゃないからな。ファクシミレに住む
何でも屋
悪意はないという風に両手を上げて自己紹介を始める少年。
﹁ファクシミレ? イーオンの聖都ファクシミレのこと?﹂
﹃何でも屋﹄とか気になる単語があったけれど、それよりも重要な
ヒントに思わず少年へと詰め寄った。
ミレ
﹁イーオン⋮⋮って、なんだそりゃ? 聖都ファクシミレは間違い
ニアム
ないけど、イーオンなんて名前は知らないな。ここの国名は﹃千年
神国﹄だし﹂
首を捻りながら、少年は胸ポケットから金属製のプレートを取り
1550
出して、こちらへ表面を見せてくれた。
ミレニアム
﹁千年神国国民証。ジョニー・ランド。聖暦2108年生まれ、1
5歳。ファクシミレB級市民。職業自由業﹂
﹁基本的に神官以外は自由業になるんだ﹂
声に出して読み進めるボクに、ジョニーがフォローしてくれた。
﹁聖教徒レベルF。カルマ値プラス63。特記事項なし。⋮⋮そう
いえば漢字使ってるんだね﹂
しんせいまな
﹁カンジ? ﹃神聖真字﹄のことか? 聖典の原本とか、神官が普
通に使うけど﹂
﹁⋮⋮なんか間違い探しをしている気分だねぇ﹂
思わずため息が漏れる。
取りあえずわかったのは、この世界にも聖教があって暦では今年
が2123年なこと、そしてどうやら︱︱。
﹁なあ、お前ってどうみても外国人だろう? ひょっとして迷子か
なにかか? 困っているようなら、俺のウォークラダーで聖都まで
案内してやるけど﹂
どーにもまだクエストが続いているらしいんだよねぇ。
1551
第十九話 霧中夢中︵後書き︶
ちなみに途中のは番外編﹃吸血鬼は生徒会の夢をみる﹄用に書いて
いた下書きを流用したものですが。ぶっちゃけ、ジョーイがとても
人気がないのでお蔵入りしたものですw
1552
第二十話 千年神都
踏み締めた大地の感覚はある。
暖かな日差し、風のそよぎ、小鳥のさえずり、花々の甘い匂いも
周囲に充満している。
きょむ
まるで虚霧なんてものはなくて、大陸のどこか見知らぬ場所に迷
い込んだような錯覚に陥りそうな平和な光景が、周囲を高速で流れ
ていた。
﹁⋮⋮考えてみたら、君にお礼をしようにも、この地の貨幣をもっ
ていないんだけど﹂
﹃ウォークラダー﹄という、二足歩行のバイクみたいな魔法機械の
ジル・ド・レエ
ラ・ヴィ・アン・ローズ
後部シートに両膝を揃えて腰を下ろし、落ちないように両手で︵﹃
薔薇の罪人﹄と背中の﹃薔薇色の幸運﹄は流石に邪魔になるので収
納した︶ジョニーの肩に掴まり、手慣れた動作で操縦しているその
背中へ話しかけた。
オーブ
﹁いや、別に金なんていらないぜ。単に俺のお節介だからな﹂
メギン
ハンドルは付いているけど、ほとんど飾りで、中央にある制御球
マジックアイテム
に神通力︵多分、魔力と同じものだろう︶を流して操作していると
いう、ジョニーが気楽に答えた。
ジル・ド・レエ
この魔法機械に限らず、ボクが魔具である腰のリボン型ポシェッ
トに﹃薔薇の罪人﹄を仕舞っても、特に驚いた様子もないところを
見ると、少なくとも魔法を使った文明は、ここは﹃大陸﹄よりも随
分と進歩しているように思える。
1553
聖都ファクシミレへ送ってもらうついでに、ダメモトで街の案内
を頼んだところ、二つ返事で了解してくれた彼の鷹揚な態度に、内
心警戒しながら聞いてみた。
﹁ふーん⋮⋮失礼だけど、﹃何でも屋﹄って、そんなに儲かる商売
なの?﹂
﹁本当に失礼だなぁ。いや、まあ趣味みたいなものだから、儲けに
はならないけど。︱︱けど別に儲かるとかなんとかじゃなくて、な
んでもいいから善行を積まないと﹃カルマ値﹄が上がらないだろう
?﹂
﹁カルマ値ってなに?﹂
そういえばさっき見せてもらった﹃国民証﹄にそんな項目が書い
てあったね。確かジョニーは﹃プラス63﹄だったような⋮⋮。
﹁⋮⋮そこから説明しないと駄目か﹂
ため息をつくジョニー。
で、道々に説明を受けた内容を要約すると︱︱。
ミレニアム
千年神国の国民は、生まれたときに洗礼を受ける。
それに併せて﹃国民証﹄が発行される。
国民は全員が聖教信徒であり、これによって管理・保護される。
基本的に身分の上下は無いが、聖職者はA級市民として一般市民
であるB級以下の国民を指導・監督する権利と義務がある。
﹃カルマ値﹄は個人が日常どれほど善行・悪行を積んだかで自動的
に計上され︵常に神が見ているとのこと︶、数値が多いほど神の御
許に近い信者とされ尊敬・優遇される。
1554
ルティ
ペナ
と言うことらしい。ちなみにポイントがマイナスになると、罰則
規定が適用され、軽微な場合はプラスになるまで奉仕活動が義務付
けられ、殺人などの重罪を犯した場合には、﹃終わりなき魂の修道
院﹄という施設に収監され、魂を浄化されるらしい⋮⋮けど戻った
人間が居ないので、詳細は不明とのこと。
ミレニアム
それと、千年神国以外には、ほとんど文明国はないみたいで、ジ
ョニーもボクがどこから来たのか不思議に思って訊いてきたけれど、
こっちも良くわからないので曖昧に答えるしかなかった。
まあ、普通だったら絶対不審者扱いされるところだろうけど、
﹁これもきっと、蒼神様のお導きだろう﹂
と最終的に自分で口に出したそれで納得してしまうんだから、人
が良いというか無用心と言うか⋮⋮判断に迷うところだね。
◆◇◆◇
程なくたどり着いた聖都ファクシミレの景観に、ボクは目を細め
た。
あちらの世界の聖都へは、しまさんとのゴタゴタの際に上空を通
過したくらいで、直接行ったことはなかったけれど⋮⋮一見しただ
けでも、こちらの世界の聖都はあちらとは明らかに違っているのが
わかった。
見たこともない、継ぎ目のない螺鈿細工のような華美な壁で造ら
れた高層建築が立ち並び、建物と建物の間には優美な橋のような物
1555
が架かっている。大通りなど交差する場所は空中の広場のようにな
り、鮮やかな草花や緑が植えられていた。
道も全て整理されていて、ジョニーの乗る﹃ウォークラダー﹄に
似た二足歩行の魔法機械の他、円形のタイヤのついた自動車みたい
なのが盛んに行き来していた。羽ばたきの音に上を見てみると、昆
虫の羽根のように震動する翼を持った個人用の飛行機械が、建物の
間をスイスイと飛行している。
﹁立派な都だねぇ﹂
ボクの感想にジョニーが我が事のように胸を張った。
﹁そうだろう。すべて蒼神様のお陰だ﹂
そう言って指差す先には、周囲の高層建築から比較してもまった
く問題にならないくらいに巨大で、まさに天を衝くような巨大な青
い塔が見えた。
﹁もしかして﹃蒼き神の塔﹄?﹂
﹁おっ、流石に知ってたか!? そうさ。蒼神様がいらっしゃるこ
の世界の中心だ!﹂
﹁︱︱ふ∼∼ん。そうなんだ﹂
なるほどねえ。やはり蒼神の意図が働いているわけだね。
そんなことを話しながら、街の一角︱︱たぶん駐車場︱︱に﹃ウ
ォークラダー﹄を停めたジョニーの案内に従って、適当に街の中を
散策してみた。
︱︱妙に活気がないねぇ。
1556
と言うのが、ぱっと浮かんだ感想だった。
街は繁栄しているし、人も大勢居る。見た感じ、行き交う街の人
々の栄養状態も良さそうで、生活も豊かそう⋮⋮なのに、なぜかボ
クの目にはアーラやウィリデ、いや辺境の小国であったシレントの
首都リビティウムよりも更に活気がないように映った。 ﹁そういえば腹減ってないか? 近くに美味い飯屋があるんだけど、
一緒に行こうぜ。奢るから﹂
﹁︱︱そうだね。では、お言葉に甘えてご馳走になるよ﹂
特にお腹が空いているわけじゃないけど、そのお誘いに乗ること
にした。こうして外から眺めているだけじゃわからないことも、直
接接すれば何かわかるかも知れないからね。
食堂に入るとお昼時らしく結構人が入っていた。
﹁いらっしゃーい。悪いけど混んでいるから相席になるんだけど、
いいですか?﹂
﹁しょうがないな。︱︱どうする緋雪?﹂
﹁私なら構わないよ﹂
女給さんに案内された8人掛けのテーブル席には、先客で4∼5
人の男性がいて、お酒こそ入っていないものの﹁蒼神様が﹂﹁さす
がは蒼神だ﹂と盛り上がっていた。
﹁こんにちわ。この街にははじめて来たんですけど、皆さん楽しそ
うですね﹂
なるべく気軽な様子で、お喋りと食事に興じている男達に近づい
て挨拶をしてみた。
﹁おっ、嬢ちゃんえらい別嬪さんだな。どこから来たんだい?﹂
﹁見たことのない恰好だな。ひょっとして他国人なのかな﹂
1557
﹁巡礼かい? 若いのに偉いな﹂
﹁ああ、遠慮しないで座りな。聖都の飯は美味いぞ﹂
﹁それじゃあ、失礼します﹂
カルマ値の影響なのか、元から人がいいのかわからないけれど、
ジョニー同様、ほとんど詮索することなく、あっさり余所者を受け
入れてくれる警戒心のなさに、元の世界の鎖国制度をとり異教徒と
人間種以外を徹底的に弾圧・排斥している聖王国とその国民とを比
較して、内心複雑な気持ちになりながらも、表面上はにこやかに席
についた。隣にジョニーも一言挨拶して座る。
即座に、周囲のお客さんたちも巻き込んで、人懐っこく彼らがボ
クの周囲に集まってきた。
◆◇◆◇
﹁たいした幸せっぷりだねぇ﹂
遠慮したんだけど、半ば強引にあれやこれや同席した彼らにご馳
走になり、他愛のない世間話に花を咲かせたボクだけど、適当なと
ころで切り上げて、ジョニーと一緒にお店を出た。
﹁ああ、ここは蒼神様の御加護があるからな﹂
歩きながら何の疑問もなく同意するジョニーの態度と、さっきま
で同席していた食堂の男達の会話とで、なんとなくこの街全体に感
じていた倦怠感の正体が掴めた気がした。
1558
彼らの話はほとんどが蒼神に対する賞賛だった。
﹁蒼神様がいらっしゃれば安泰だ﹂
﹁蒼神様は我々に幸福をもたらしてくださる﹂
﹁どんなものでも蒼神様が与えてくれる﹂
﹁飢饉? ここじゃあ祈れば年に5回だって収穫できるぞ﹂
﹁以前に蛮族が侵攻して来たことがあったそうだが、蒼神様が一撃
で撃退してくださった﹂
﹁天災なんて起こるわけがない。なにしろ天の主がここにいらっし
ゃるんだからな﹂
そして、最後に口を揃えて言う。
﹃蒼神様がいらっしゃる限り、この国は安泰だ。そして現世で善行
を積めば、死後の世界でも永遠が約束される﹄
それが当然であるかのように平和を享受している彼らの様子に、
辟易して店から退出したというのが正直なところだ。
﹁︱︱あっちと違って、こっちでは神様っぷりを発揮してるみたい
だけど⋮⋮極端なんだよね。匙加減を完全に間違えてるよ﹂
﹁間違えてるって、蒼神様のことか?﹂
微かな呟きを聞きとがめたらしい、ジョニーが疑問と不快の混じ
った表情になった。
聞こえたんなら仕方ない。
開き直って、ボクは思ったことを口に出した。
﹁わからないかな? この都市の人間の活気のなさ、街全体に立ち
込める黄昏のような雰囲気。これって人々が蒼神の庇護を当たり前
だと享受しきっているせいだよ﹂
絶対者が常に与えてくれる。
1559
強大な力を持った者が守ってくれる。
それに安心しきった人間は進歩をやめてしまう。困難があっても
﹁蒼神様に祈ればなんとかしてくれる﹂、難題に直面しても﹁蒼神
様のお導きだ﹂と思考停止してしまう。
結局、自分達で作り上げた平和ではなく、他人任せの与えられた
安穏な生活は、たやすく人間を堕落させるという典型だろう。
﹁俺が︱︱俺たちが間違っているっていうのか?﹂
流石に不愉快な表情になるジョニーに向かって、ボクは首を傾げ
た。
﹁さあねえ。そもそも蒼神がなにを考えてるのかが不明だからね。
ただ、私は蒼神のやり方は間違ってると思うよ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
無言で数秒間ボクを睨んでいたジョニーだけど、プイと背を向け
ると苛立たしげな口調で、
﹁だったら直接、蒼神様に尋ねてみればいいだろう。付いて来い、
塔に案内してやる﹂
そう言って足早に街の中心部︱︱﹃蒼き神の塔﹄目指して歩き始
めた。
﹁いいの、他国人が勝手に入っても?﹂
﹁別に禁止されてるわけじゃない。ただ蒼神様に逢えるのは、よほ
どカルマ値が高くないと無理だって話だから、無駄足になる可能性
は高いけどな。⋮⋮だけど、なんとなくお前なら逢えそうな気がす
る﹂
振り返って、そう付け加えるジョニー。
もっけ
﹁ふ∼∼ん。まあ、蒼神に逢えるなら勿怪の幸いだけど﹂
1560
まあ遅かれ早かれ﹃蒼き神の塔﹄には、足を運ぶつもりだったか
ら、都合がいいといえば都合がいいね。
それからふと思いついたことを事を聞いてみた。
﹁ところでさっきの食堂で聞きそびれたんだけど。﹃グラウィオー
ル﹄って名前か、一族を知らないかな?﹂
怪訝そうに、ジョニーが瞬きをして考え込んだ。
﹁グラウィオール? いや悪いけど知らな︱︱いや、確か似たよう
な名前で﹃グラヴィア﹄とかいう一族がいたかな。えーと、確か⋮
⋮10年位前に、東方の蛮族が聖教に帰依した時、蒼神様がそんな
名前を与えて、頭首に祝福を与えたんじゃなかったかな。⋮⋮で、
その証拠だかで、頭首の一族が白銀色の髪の毛になったとか。⋮⋮
ひょっとして、お前そっちの出身か?﹂
﹁いや、その一族と個人的な親交があるだけだよ﹂
適当に答えて、ジョニーに並ぶ。
そんなボクを探るような目で見たジョニーだけど、これ以上聞い
ても無駄と判断したのか、再び半歩前に出て歩き始めた。
それを追い駆けながら、ボクは胸の中で独りごちた。
﹁確かグラウィオール帝国の歴史が800年以上で、現在のイーオ
ンが1000年だったかな﹂
発音が若干違うけど、ジョニーの言葉が事実であるなら、特徴か
ら考えてあの一族でまず間違いないだろう。
中心にそびえる﹃蒼き神の塔﹄を見たときから、薄々感づいてい
た事実を確認して、ボクはため息をつく。
1561
﹁⋮⋮つまり、ここはイーオン聖王国の聖都ファクシミレで間違い
ないけど、時間を800∼1000年遡っているってことだね﹂
訳のわからない展開に、ボクは再度﹃蒼き神の塔﹄を見上げてた
め息をついた。
1562
第二十話 千年神都︵後書き︶
﹃終わりなき魂の修道院﹄の施設の一部が残って、﹃罪人の塔﹄と
なりました。
1563
第二十一話 聖都混迷
ジョニーの先導で聖都の中心部へと向かうボクだったけど、塔に
近づくにつれて妙に空気がざわついている気がして首を捻った。
ちらりと見れば、ジョニーも怪訝な表情で﹃蒼き神の塔﹄の方角
︱︱もうすでに塔の土台くらいしか視界に入らないけど︱︱を見て、
目を細めている。
﹁なんだ⋮⋮? なんか雰囲気がおかしいな﹂
その瞬間、爆発音のような音と振動が、塔に隣接する通りの向こ
うから響いてきた。空気や歩道を伝って身体がビリビリと揺れる。
﹁︱︱じ、地震か?!﹂
﹁じゃないね。事故か爆発か⋮⋮なんらかのトラブルが原因だろう
ね﹂
ジル・ド
2本ほど通りを隔てた向こう側から立ち上る黒い煙と、微かな悲
・レエ
ラ・ヴィ・アン・ローズ
鳴にボクは即座に腰のリボン型拡張ポシェットから、愛剣﹃薔薇の
罪人﹄と背中装備﹃薔薇色の幸運﹄を取り出して装備した。
﹁ちょっと見てくるよ。危ないと思うので、君はここで待ってた方
がいいと思うけどね﹂
﹁︱︱えっ?! いや、待てよ。危ないんだったら俺も行くぜ!﹂
﹁ご随意に。先に行くんで、勝手について来ればいいさ﹂
返事は待たずに、ボクはその場から騒ぎの現場目指してダッシュ
1564
した。
当然、一瞬でジョニーは置いてきぼりを食らう。
舗装されている道路なんだし、一気にトップスピードに乗りたい
ところだけれど、すでに通りという通りは大騒ぎになっていて、悲
鳴と逃げ惑う人波で揉みくちゃになっていた。
﹁︱︱仕方ない﹂
道沿いに行くのは諦めて、ショートカットをすることにし、その
場から三角跳びの要領で、高層建築の壁や街路樹、さらに空中回廊
の手すりなどを利用して、三次元的な移動方法へと移行する。
幸いと言うべきか、逃げ惑う人々は他を見る余裕はないみたいで、
余計な騒ぎや邪魔をされることなく、目的地へとたどり着くことが
できた。
騒ぎの中心部︱︱そこはほとんど﹃蒼き神の塔﹄のお膝的といっ
た場所だった。
くら
聖職者や教徒、巡礼者向けの商店が立ち並ぶ通りのそこかしこに、
明らかに人間と異なる異形の人影が蠢いている。
﹁化物だーっ!﹂
﹁蒼神様、お助けください!﹂
﹁助けてっ。蒼神様!﹂
オーク
コボルト
オーガ
サイクロプス
恐怖に駆られ、慌てふためく人々を嬲るように、愉悦の昏い笑み
を浮かべた半人半獣達︱︱豚鬼や犬精鬼、大鬼や単眼巨人など︱︱
が、我が物顔で狼藉の限りを尽くしていた。
﹁この︱︱ッ!!﹂
5階建てくらいの高さの建物から落下しながら、見た感じ一番脅
1565
サイクロプス
威度が高そうな単眼巨人を袈裟斬りにして、ほぼゼロ距離から﹃ホ
サイクロプス
ーリー・ディスクラプション﹄をお見舞いする。
﹁早く、逃げて!﹂
ほぼ一撃で上半身が消し飛んだ単眼巨人から距離をおき、次のモ
ンスターに立ち向かいながら、逃げ遅れた人たちに声を掛けた︱︱
けど、
﹁お助けください、お助けください!﹂
﹁蒼神様、どうぞ助けてください﹂
逃げるのはまだしもましな部類で、腰を抜かしたのか、現実から
逃避しているのか、そうブツブツ唱えながら蹲っている人々が大半
だった。しかも、服装を見るにどうやら大半が聖職者臭い。
﹁祈る前に行動して!﹂
そう叫んでも、行動に移る様子はなく、見ている間にもどんどん
と喰われ、斬られ、嬲られて行く。
目前に明確な生命の危機が迫っているというのに、戦うことも逃
げることもしないで、ただただ﹁お助けください﹂と、蒼神にすが
るだけというのは⋮⋮なんて言うか、情けないを通り越して、抑え
切れない殺意の波動すら湧いてくる不甲斐なさだ。
こいつら命をなんだと思ってるんだろうねぇ。
どんな平和な国に生まれ生活していても、人間誰しも明日の来な
い可能性はあるし、いつか死ぬって意味じゃ命は等価だろう。そこ
には子供も老人も金持ちも貧乏人も差はない。
そりゃ環境に応じて、生きられるだけのリソースに差はあるだろ
1566
うけど、生きるか死ぬかのボーダーラインなんてのは案外簡単にそ
こらに転がっているものだし、その選択が迫られた状況で、あっさ
りと自分の命を他人任せにできるなんて狂ってるとしか思えない。
﹁皆の者、抵抗してはいかん! これらの異形の者は全て﹃蒼き神
の塔﹄より現れた。すなわち蒼神様の思し召しである。抵抗せずに
受け入れるのじゃ!!﹂
と、いかにも高位聖職者らしい老人が、やたら大きな声で周囲を
煽動し始めた。
﹁あ、阿呆ですか?! 死にたいの!?﹂
思わずツッコミを入れるけど、老人は傲岸な態度で堂々と言い放
った。
﹁それが蒼神様のご意思であれば、従うのみである! 蒼神様を信
じる全ての者達よ、さすれば天上楽土は約束されたも同じであるぞ
!﹂
その叫びを耳にした逃げ遅れの人々はもとより、どうやら話が伝
播したか、他でも同じような世迷言を主張している馬鹿がいるのか
は知らないけれど、一度逃げた人々が続々とこちらへと戻ってきて、
その場に蹲り祈りの姿勢になった。
敬虔な信徒
たちをその手に掛ける。
当然、格好のエサを前にしたモンスターたちは、なんら躊躇なく
そうした
﹁アホらしい、バカらしい、やってらんねー、コンチクショー﹂
オーク
ゴブリン
思いっきりテンションを駄々下げにしながら、発情して向かって
くる豚鬼や小鬼を斬りまくる。
1567
﹁緋雪!⋮⋮はあ、はあ、やっと追いついた。はあ、足はやいな⋮
⋮﹂
荒い呼吸を繰り返しながら、そこへジョニーが人の群れを縫うよ
うにしてやって来た。
﹁あら、逃げればよかったのに。それとも他の信者同様に、ここで
自殺するつもりできたの?﹂
﹁︱︱なんだそりゃ? つーか、この化物ってなんなんだ?﹂
周囲の惨状︱︱雲霞のように続々と塔から溢れ出てくるモンスタ
ーと、粛々とその場に留まって餌食にされている信者たち︱︱を見
渡し、目を白黒させるジョニー。
モンスター
﹁なにって魔物だよ。一部、亜人もいるみたいだけど⋮⋮ひょっと
して、知らないの?﹂
モンスター
﹁魔物って︱︱蒼神様が、煉獄に封じたって聖典にある化物のこと
か?!﹂
﹁ほほう。そういう扱いなんだ。︱︱うん。多分それで間違いない
と思うよ﹂
﹁ど、どうすればいいんだ⋮⋮?﹂
﹁どうって言われてもねえ﹂
天涯とか他の魔将がいれば一気に殲滅することもできただろうけ
ど、ボクの場合は火力がないし、そもそも従魔合身してない素の状
リジェネレート
態では、いくら相手が雑魚で、こちらがほぼ永久機関のHP・MP
自動回復スキルを使っても、基本紙装甲なボクでは囲まれてダメー
ジを受けては、確実にアウトになる。
1568
モンスター
そして、魔物の湧く速度は、見た感じ確実にボクの殲滅速度を上
回っている。
モンスター
﹁どーしようもないねぇ。せめて塔の中に入って、魔物の出てくる
原因を掴めれば、対抗策も出てくるかも知れないけど﹂
モンスター
どう考えてもこの魔物の流れに逆らって、塔の中に入るのは自殺
行為だろう。
﹁⋮⋮蒼神様の塔に入れればいいんだな?﹂
難しい顔で考え込むジョニー。
モンスター
しつこく向かってくる魔物を叩きのめしながら、
﹁いや、入ってもどーなるものでもない可能性が高いけど﹂
正直な感想を口に出した。
﹁それでも可能性があるなら、俺に心当たりがある。付いて来い!﹂
自信有りげに頷いて、踵を返すジョニー。
﹁⋮⋮⋮。︱︱ま、しゃあないか﹂
やむなくボクもこの惨劇の現場を後にすることにした。
◆◇◆◇
みかん箱みたいな粗雑な作りの屋根付きゴンドラが、ゆっくりと
1569
﹃蒼き神の塔﹄目掛けて進んでいた。
﹁こちらスネーク、性欲をもてあます﹂
﹁欲求不満か?﹂
洒落に真顔で聞き返されて、ボクはとりあえずため息をついた。
﹁⋮⋮単なるお約束なので気にしないで﹂
﹁そうか? 我慢できないようなら、いつでも協力するから言って
くれ﹂
﹃なにを﹄﹃どう﹄協力してくれるのか、ツッコミは入れないこと
にして、ボクは遥か下、地上の様子を申し訳程度に付いているガラ
スの入った丸穴から見下ろした。
距離がありすぎて流石に個別に確認はできないけれど、かなり大
型の魔物も出現したみたいで、聖都のそこかしこを右往左往してい
るみたいだ。
﹁⋮⋮これってもう少し早く移動できないの?﹂
﹁無茶言うな。この専用リフトは、とっくに使わなくなって廃棄さ
れたものだ。前に何でも屋の仕事で、偶然動かす機会があったから
使えるのは知ってたけど、実際に動かしたのは俺だって初めてだし﹂
﹁︱︱ちょっと待った! まさか途中でワイヤーが切れたりしない
だろうね?!﹂
この距離から落ちたら流石に死ぬよ!
﹁⋮⋮落ちないことを祈るしかないな﹂
ボクの問い掛けに、困った顔で肩をすくめるジョニー。
1570
そんなこんなで、もの凄く心臓に悪いゴンドラでの空中散歩もど
うにか終了。
関係ないけど、あの空飛ぶ翅の付いた機械での移動はできなかっ
たのか聞いたところ、﹁免許持ってない﹂﹁そもそも塔の周辺は飛
行禁止﹂と制約があるので無理とのこと。
﹁いや、無免許でも見よう見まねで動かすくらいはできるけど⋮⋮
オーニソプターを探してくるから、やってみるか?﹂
﹁こんなクリティカルな状況で、そんな危ない橋渡るわけないでし
ょう!﹂
と言うことで、こっちの移動手段を採ったんだけど、こっちはこ
っちで文字通りの﹃危ない橋﹄だったりする。
それでも小一時間かけて、どうにか無事に到着した場所は、塔の
最上階から20∼30階下の場所だった。
﹁ここからは階段しかないけど大丈夫か?﹂
主に精神的な疲れから、げんなりしているボクの様子を見て、ジ
ョニーが心配そうに聞いてくる。
﹁大丈夫、体力的には問題ないから、さっさと行こう。︱︱上がれ
ばいいわけ?﹂
ため息をついて、ボクは塔の中心にあるもの︱︱螺旋階段を見上
げた。
この螺旋階段を中心にして、放射状に小部屋が区切られているみ
たいだけど、まったくと言っていいほど人気はなかった。
﹁ああ。蒼神様にお会いするには、最上階の神殿にある祭壇に向か
えばいいって聞いている﹂
1571
﹁︱︱ふん。なんとかと煙は高いところを好むって言うからねぇ﹂
ジョニーが頷くのを確認して、ボクは螺旋階段に足を掛けた。な
にか言いたげな顔でジョニーが付いてきた。
大方、蒼神の奴はワイングラス片手に毎夜、地上を見下ろして﹁
てんじょうてんが
くくく、愚民どもが﹂とかやって悦に耽っているんだろう。
そう想像を逞しくする私︱︱﹃天嬢典雅﹄こと、空中庭園の主が
ここにいた。
◆◇◆◇
螺旋階段を上りきると、そこは広い空間になっていた。
天井が高く、飾り付けられた石の柱が等間隔に並び、磨き抜かれ
た石畳の青い床は鏡のようで、見下ろせば髪の毛の先まで映って︱
︱って!?
ジル・ド・
バッ!とスカートを押さえるのと同時に振り返ると、もの凄い勢
いでジョニーが明後日の方を向いた。
﹁⋮⋮見た?﹂
レエ
返答によっては、この場で目玉くり抜こうと思って、﹃薔薇の罪
人﹄の剣先を頬の辺りに当てる。
﹁見てない! 俺はなんにも見てない! ずっと前を見ていただけ
だ︱︱未来永劫!﹂
ダラダラと脂汗を流しながら言い切る彼の目は、きっちり床と平
1572
行になっていた。
﹁だったらいいんだけどね﹂
なかなか賢明な態度に、こちらとしても矛を収めざるを得なかっ
た。
さて、視線を転じて見れば、一段高くなったところに祭壇らしき
ものがあった。そこからうっすらと白い霧のようなモノが流れ、床
の上を這い円形の神殿に点々と配置されている、丸いマンホールの
蓋のようなものの中へと吸い込まれていっていた。
テレポーター
きょむ
モンスター
ボクにとっては、どちらも見覚えのあるシロモノだ。
﹁転移門⋮⋮それに虚霧? ひょっとしてあの魔物って、虚霧から
発生して、地上に送られているの?﹂
﹁お、おい。どうなんだ、これ止められるのか?!﹂
祭壇から際限なく湧き出す虚霧を見て、不安げな様子で周囲を見
回すジョニー。いつの間に準備したのか、小剣と鉈の中間くらいの
長さの剣を握っていた。
﹁さて、ね。単純に祭壇をぶっ壊せばいいのかなぁ。それやって、
逆に一気に虚霧が噴出したら、ここの世界も終わりそうだけど⋮⋮
まあ、現状でもほとんど全滅っぽいので、一か八かやってみようか
?﹂
﹁気楽に言うなよ! なんとかならないのか?!﹂
﹁なんとかと言われてもねえ⋮⋮肝心の蒼神がねぇ﹂
ボクはガランと人気のない祭壇を一瞥してから、ジョニーを振り
1573
返った。
﹁ところで、その剣は鋼鉄製なのかな?﹂
﹁ん? ああ、護身用に一応持ってきたんだけど、それがどうかし
たか?﹂
﹁いや、どうかしたかというか。これからどうかするんだけど︱︱
ね!﹂
﹁はァ︱︱なに⋮⋮が?!﹂
刹那、不意を打って叩き込んだボクの横斬り︱︱距離が詰まって
いたので、左手を刀身に添えて圧力を増した技︱︱が、ジョニーの
短剣に阻まれて、彼の身体を弾き飛ばすだけに止まった。
﹁︱︱なっ?! 何の真似だよ緋雪!?!﹂
ジョニーはどうにか転倒だけは避けた姿勢で、驚愕の表情を浮か
べている。
デーブータ
﹁何の⋮⋮って、いい加減、お芝居は辞めたいんだけどさ﹂
﹁何言ってるんだ⋮⋮おかしくなったのか?!﹂
﹁おかしいのは君の方だと思うよ、ジョニー︱︱いや、蒼神さん﹂ ﹁はあ?? なにがどうすれば、俺が蒼神様になるんだ?!﹂
﹁なかなか迫真の演技だけど、本気の私の攻撃を防げる腕があるの
がおかしいし︱︱まあ、攻撃を受けちゃったら﹃破壊不能﹄属性が
ジル・ド・レエ
バレるので、咄嗟に防御したんだろうけど⋮⋮そもそも、たかが鉄
剣でこの﹃薔薇の罪人﹄を防ぐなんてあり得ないよ﹂
困惑した表情のジョニーが、下を向いて黙りこくった。
1574
まだ猿芝居を続けるつもりかな︱︱と思ったんだけど、顔を上げ
たジョニーの表情は、これまでの人の良さそうな少年のものから、
顔形こそ変わらないものの、老獪な大人のものに変わっていた。
﹁まさかバレているとはな。いつからわかっていた?﹂
同じ声でありながら、底冷えのする響きを伴った問い掛けが、そ
の口から流れた。
﹁割と最初からかな。この世界、良く出来てるけど明らかに変だっ
たからねぇ﹂
﹁ほう。どこがだ?﹂
ジョニー
余裕の表情で、短剣を下ろした蒼神に対して、こちらは最大限の
警戒をしながら、思い出したところを口に出す。
﹁綺麗過ぎるんだよ。例えば最初に出たところの草原だけどさ。普
通、ああいう場所に居たら、蝿や蚊、虻なんかがもの凄い勢いでた
かるものだよ。
それと君を含めて街の人間にも、ほとんど体臭や垢の臭いがなか
っただろう。︱︱あり得ないんだよ、毎日お風呂に入って石鹸と化
学洗剤で、身体や衣類を洗いでもしない限りはね﹂
実際にあちらの世界で街へ行って、一番閉口したのが臭いだね。
殺菌については魔法の﹃洗浄﹄があるので大丈夫とは言え、お風
にんにく
呂に入らないから汚れて臭いのはどうにもならない。それと香辛料
は高価なので、料理には主に大蒜が使われるので、誰もが口臭が途
轍もない。そしてトドメに洗濯する場合、漂白剤に人間や動物の○
○を使ってるから、服が臭いの何のって!
﹁要するに、君はこの上から眺めた地上世界しか知らないから、そ
うしたケアレスミスをするんだよ。ちょっとは市井の人間に混じれ
1575
ば、違うものも見えただろうし、間違うこともなかったろうにね。
︱︱ああ、確信したのは君が私を﹃緋雪﹄と呼んだ時かな、私は君
に自己紹介してなかったからねぇ﹂
ジョニー
慨嘆混じりのボクの答えに、どうにも掴みどころのない笑みを浮
かべて、蒼神は大きく両手を広げた。
﹁こいつは一本取られたな。わざわざお前の油断を誘うために、こ
の姿を選んだんだが⋮⋮無駄だったか﹂
﹁ふーん。やっぱり、ジョーイをモデルにしたわけだ﹂
﹁まあ、そういうことだ。スキミングの結果、お前が一番気を許し
ジョニー
ている相手だと判断したんだが﹂
苦笑する蒼神。
﹁スキミングねえ。やっぱり、あの霧の魔物とか、クマが分析器だ
ったわけかな?﹂
ジョニー
﹁さて、それはどうかな⋮⋮﹂
にやりと嗤った蒼神の姿が一瞬、ノイズのような歪みに覆われ、
次の瞬間、その場に立っていたのは、上半身金属鎧に腰に魔法剣を
下げた冒険者︱︱ジョーイとまったく同じ姿と装備に替わっていた。
ジョーイ
﹁とっくの昔に入れ替わって⋮⋮いや、ひょっとすると初めて会っ
た時から、俺はこの姿で、お前の傍に居たのかも知れないぞ︱︱な
あ、ヒユキ﹂
﹁︱︱っ!?﹂
蒼神の口三味線だと理性では理解しているんだけれど、ジョーイ
そのモノの笑顔と声とで呼び掛けられ、僅かな瞬間だったけれど、
ボクの心に疑念と戸惑いが生じた。
1576
ジョーイ
蒼神はその笑顔のまま、祭壇に向かって一気に走り込んだ。
﹁まっ︱︱!﹂
即座に追い駆けようとしたところへ、見覚えのある光の魔法剣が
正面から飛んできた。
後から考えれば躱せば良かったんだけど、感情的になっていたん
だろう。ボクはそれを即座に叩き落した。
ジョーイ
はっと気が付いた時には、蒼神の姿は虚霧の中へと消えていくと
ころだった。
﹁追って来い、緋雪! この先で俺は待っているぞ。お前がどんな
選択をして、どんな姿で現れるのか楽しみにしている!﹂
哄笑を最後に、蒼神の姿が完全に虚霧に消えた。
﹁どこへだって行ってやるさ。ここまでコケにしてくれたんだ、1
発殴るだけじゃ足りないからね!﹂
勢いに任せて、ボクもその後を追う。
虚霧に近づくにつれて、再び青い防御膜が周囲を覆い、それを確
認してボクは祭壇の奥へと飛び込んだ。
1577
第二十一話 聖都混迷︵後書き︶
○○は近代ヨーロッパまで実際に使われていました。
大蒜は地域によって使うところと使わないところがあったそうです
が、食堂とかだと慣れない人間は︵当時でも︶閉口していたそうで
す。
1578
第二十二話 緋蒼之夢
すぐ近くの通りで耳を劈くような急ブレーキの音と、ガラガラと
重いものが落ちる音。そして足元を揺らす震動とが断続的に伝わっ
てきた。
﹁事故だ!﹂﹁トラックが﹂﹁荷台から鉄骨が崩れて歩道に﹂﹁危
ねえ、間一髪だったぜ﹂﹁誰も居なかったのか?!﹂
どうやらトラックが事故を起こして、荷台に積んであった荷物が
散乱したらしい。
携帯でどこかへ連絡する人、写真に撮ろうとする人、単純に現場
を見に行く人など、野次馬が大勢でボクの進行方向へと向かって行
く。
特に興味がなかったボクは、ため息をついてその場から踵を返し
て、少し遠回りになるけれど迂回することにして、いま来た道を戻
った。
朝から降っている雪道に難渋しながら、ボクは時計を確認して待
ち合わせの場所へと急いだ。
◆◇◆◇
1579
ラ・ローズレ
オンライン
エターナル・ホライゾン・
﹃薔薇園﹄と看板の出ているそのお店は、1年ほど前に﹃E・H・
O﹄のオフ会で行っただけで、うろ覚えだったのだけれど、前もっ
てメモしていた地図と看板のお陰で、どうにか約束の時間に遅れず
にたどり着くことができた。
木製の扉を開くと、軽やかな鈴の音とともに豊潤なコーヒーの匂
いが漂ってきた。
冷えた外気が入らないように、急いで店の中に入ると、ボクは閉
じたビニール傘を洒落た傘立てに仕舞って、ほっと一息ついた。
身を切られるような外界とは違い、充分な暖房を利かせた店内は、
暖色系の照明と柔らかな木目調の内装と相まって、体の芯まで温か
くなるような居心地の良い空間を演出している。
前回は夜で、なおかつ1階は素通りし、2階の大部屋を使ったの
で気が付かなかったのだけれど、どうやらこの店の1階は昼間は喫
茶店として営業しているらしい。それもかなり本格的な喫茶店のよ
うで、年季の入ったカウンターの奥には、水出し珈琲のウォーター
ドリッパーが並んで、ポタポタと時を刻むかのように透明感のある
音を立てながらコーヒーが滴り落ちていた。
﹁いらっしゃいませ。一名様ですか?﹂
そのドリッパーを背後にして、コーヒーカップを磨いていた初老
の男性が声を掛けてきた。
痩身に白いシャツ、蝶ネクタイに黒ベストでビシッと決めた、今
や絶滅した﹃純喫茶店のマスター﹄という風貌の男性だけど、その
格好があざとくないのは、昨日今日の付け焼刃ではなく、きちんと
趣味や信条として長年着こなしてきた本物のもつ風格によるものだ
ろう。
1580
﹁えーと⋮待ち合わせなんですけど⋮⋮﹂
きょろきょろと店内を見回す。
カウンターも含めて20人くらいで一杯になりそうな小さな店な
ので、入り口に立てば一目で店内のすべてを見渡すことはできるん
だけれど、見た感じ相手の特徴的な巨体は見当たらなかった。
まだ来てないのかな?
仕方ないので、どこか適当な席について連絡しようかと思ったと
ころで、背の高い観賞植物に遮られて、ちょっと見えにくくなって
いる奥のテーブル席から声が掛かった。
﹁あっ。緋雪さん、こっちこっち。こっちだよ!﹂
﹃緋雪﹄呼ばわりにちょっと焦ったボクは、下を向いて早足でその
席へと向かった。
﹁ちょっと、デーブ⋮⋮じゃない、北村さん。あんまりヒユ﹂
抗議しかけた声が相手の顔を見た途端に止まった。と言うか、相
手のあまりの変貌振りに全身が硬直した。
エターナル・ホライゾン・オンライン
ほんの1年前に逢った彼︱︱﹃E・H・O﹄最大ギルド﹃メタボ
きたむらひでき
リック騎士団﹄の元ギルド・マスターであり、創設者であったキャ
ラクター名﹃デーブータ﹄さんこと、北村秀樹さん︱︱は、キャラ
クター名そのままに0.1トンを越えるドラ○もん体型だった。
それが、この1年あまりでどんなダイエットを敢行したものか、
かつての︵横に広がった︶巨体はどこへやら、どう見ても目方が半
分程に減っていたのだ!
1581
以前の肥え⋮⋮もとい、福福しい印象が強いだけに、ひょっとし
て標準よりも細いんじゃないの?という、いまの姿は衝撃的だった。
﹁ど、どうしたの、この姿は?! 肉は⋮肉はどこにいったの!?
なんで今日は着ぐるみ脱いでるわけ!?!﹂
ムッ○が毛皮を脱いだら、それはもう○ックじゃない!という感
じで、我ながら理不尽な混乱状態のまま、彼に詰め寄った。
﹁いゃあ、実はいまの仕事が激務でして、気が付いたらこんな風に
なってました﹂
こればかりは変わらない人懐っこい笑みを浮かべて、北村さんは
頭を掻いた。
﹁緋雪さんは相変わらず⋮⋮と言うか、ますます可愛らしくなりま
したね﹂
ほっとけ! ◆◇◆◇
きょむ
薄明の虚霧の中を延々と伸びる光る道を前に、ボクはため息をつ
いた。
﹁⋮⋮また、これかい﹂
いま自分の顔を︱︱一応、なんとなく好意を抱いているとわかる
1582
まろうど
イチジク
︱︱クリストフ君や稀人に見られたら、百年の恋も一度で冷めそう
な、さぞかしひどい顔をしていることだろう︵九印は性欲優先なの
で関係ないかも知れなさそうだけど︶。
そんな思いっきりのしかめっ面のまま、ボクは祭壇の奥に続いて
いた回廊を、重い足取りで歩き始めた。
さて、今度はなにを用意してるんだろうねぇ⋮⋮と、ウンザリし
ながら歩いていたところ、体感で30分もしない内に早くも変化が
見られた。
﹁︱︱また扉ァ?﹂
道の真ん中に木製の扉が立っていた。
ただし、いままで1本だった道が、二股に分岐していて、片方は
黒い扉が、もう片方には赤い扉が掛かっている。
﹁なんだろうね、片方が天国への扉で、片方が地獄とかかな? 心
理学とかでありそうだねぇ﹂
分かれ道の前で考え込む。
こういうのって定石としては、他に抜け道とか第三の道とか﹃冴
えたやり方﹄があるのが常なんだけど⋮⋮それってないのかな? と思って調べてみても、それらしいヒントは見つからなかった。
考えても駄目なら力押しで︱︱と、攻撃魔法を放ったが、まるで
幻のように攻撃がすり抜けてしまう。
どうやらどちらかを選択しないと駄目のようだ。
﹁仕方ない、じゃあせっかくだからこの赤の扉を選ぶよ﹂
1583
と、虚空に呼びかけ︱︱その実、フェイントを掛けて、素早く黒
い扉を開けた。
◆◇◆◇
取りあえず上着とマフラーを外して、向かい合わせの席についた
い
なウェイトレスがやってきて、注文を聞かれたので、無難
ところで、紺のワンピースに白いエプロンを掛けた、これまた
かにも
にブレンドを注文した。
デーブータ
温かいおしぼりで手を拭きながら、ボクは改めて頬骨の浮き出た
北村さんの顔を見た。
﹁仕事でって。それって⋮⋮大丈夫なの?﹂
真っ黒な企業じゃないの?と言いたいけど、さすがに不躾かと思
って言葉を濁す。
デーブータ
そんなボクの内心を慮ってか、北村さんが苦笑して、とりなすよ
うに続けた。
﹁ああ、まあ⋮⋮いちおうマトモなベンチャー企業ですよ。﹃テク
ノス・クラウン﹄ですから﹂
﹁﹃テクノス・クラウン﹄って︱︱エタホリの運営をしている、あ
のっ?!﹂
これには驚いた。
1584
はいっ
﹁ええ。もともとゲーム関係で、個人的にお付き合いもありました
デーブータ
し⋮⋮去年の今頃、バイトで入社して、3ヶ月ほど前に正社員にな
りました﹂
照れと晴れがましさが一緒くたになった笑顔で、頬を掻く北村さ
ん。
とは言え、その説明でボクとしても納得できるものがあった。
﹁ああ、それでギルマスを辞めたわけなんだね﹂
﹁はい。さすがに運営の人間が表舞台に立つのもどうかと思いまし
て﹂
﹁なるほどねぇ﹂
そこへ注文していたコーヒーが運ばれてきた。
﹁何にしてもおめでたいことだね。⋮⋮でも、あまり無理しないで
ね﹂
﹁ありがとうございます。まあ、いままでが親に迷惑をかけていた
ので、多少なりとも親孝行になるかと思えば、この程度どうという
ことはありませんよ﹂
﹁そういうものかな⋮⋮?﹂
親孝行とかそういう機会がなかったボクとしては、実感としてピ
ンとこないけど、間接的に﹃無理をしている﹄と認めた彼の様子に、
危うさを感じた⋮⋮とは言え、これ以上踏み込むほど親しい間柄で
もないので、無言のままコーヒーを口に運んだ。
﹁それと、この機会に俺の恩人でもある緋雪さんに御礼を言ってお
きたくて、無理を言って誘ったんです﹂
﹁恩人?﹂
1585
覚えがないボクは首を捻った。
﹁ええ。1年前の俺は本当に駄目な奴でした。就職に失敗したこと
でヒキコモリ、人生に挫折したつもりになって、ゲームに逃避して
⋮⋮﹂
デーブータ
自嘲を込めた笑みを浮かべる北村さんだけど、どこか付き抜けた
明るさがあった。
﹁そんな事情を隠して参加した1年前のオフ会でしたけど、緋雪さ
んは気が付いてたんですよね?﹃なんか無理してるみたいだけど、
我慢しないほうがいいよ﹄って、酔って具合が悪いのに俺のことを
心配してくれて﹂
⋮⋮あったけ、そんなこと? あの時の事は、かなり記憶が曖昧
デーブータ
だからあんまし覚えていないんだよねぇ。トイレで吐いた時に付い
て来てくれた北村さんと、気を紛らわすために雑談してた気もする
けど。
﹁その時に同じようなことを言ったら﹃別にいいんじゃないの。辛
いこと苦しいことは誰にでもあるけど、比較できるものではないか
らねぇ。いまこの瞬間の痛みは誰にも理解できないことだから、逃
避して時間を掛けて癒すのは間違ってないと思うよ﹄って言ってく
れて、それから﹃物事は考え方次第だからね。ゲームが得意なら思
い切って、それを生かせる仕事にチャレンジしてみればいいんじゃ
ないの。やるだけはただだよ﹄その一言が切っ掛けになって、俺は
いまの仕事に就けたんです﹂
﹁うわーっ、ボクそんな偉そうなこと言ったわけ?!﹂
酔っていたとは言え、なんて青臭くて無責任なこと言って煽った
1586
んだろうね。当時のボクがいたら正座させて、説教したいところだ。
﹁だから緋雪さんは、俺の恩人ですね﹂
デーブータ
きっぱりと言い切る北村さんだけど、ボクの方としては黒歴史を
抉られた気持ちで前を見られない。
照れ隠しで誤魔化すために、残ったコーヒーを一息に飲み干した。
◆◇◆◇
﹁やあ、雪もやんだようですね﹂
その後、お互いのゲーム内での雑談や、ボクのバイト先での出来
事、運営の裏話とか取り止めもなく雑談をして、2杯もコーヒーを
お代わりしたところで、陽も傾いてきたので帰ることにした。
デーブータ
涼やかな鈴の音を背中で聞いて、揃って外に出ると空は夕日に染
まり、降り積もった雪が緋色に輝いていた。
﹁これが本当の緋雪ですね﹂
﹁︱︱ふむ﹂
眩しげに目を細めてそんな駄洒落を言った北村さんの首に、ボク
は背伸びをして持っていた毛糸のマフラーを掛けた。
﹁え、なんですか⋮⋮?﹂
﹁いや、考えたら就職祝いをなにも用意できないからね。こんなも
ので悪いんだけど、編んだばかりで今日初めて下ろしたマフラーだ
1587
し、良かったらあげるよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。い、いいんですか?! で、でも、俺がもらったら緋
雪さんの分が︱︱﹂
﹁大丈夫。まだ毛糸はあるし、前に編んだ奴も残ってるからね﹂
基本、貧乏なボクは気に入った柄のセーターやマフラーを買うお
金がないので、100均の毛糸で編むのが普通だったりする。
﹁あ、ありがとうございます。一生大事にします!﹂
﹁いや、別にそこまで大袈裟なものでもないから⋮⋮﹂
と言うか、男が編んだ手編みのマフラー貰ってそんな嬉しいもの
なのかな?
デーブータ
しばし、並んで歩きながらにこにこ笑っていた北村さんだけど、
不意に真顔になると一歩追い越して、何かに急き立てられるかのよ
うな表情で、立ち止まってボクの顔を︵身長の関係で︶見下ろした。
アパート
﹁緋雪さんは、これからどう過ごすつもりですか?﹂
﹁どうって、家に帰って﹂
﹁そうじゃなくて、生活とか仕事です﹂
いきなりヘビーな話題だねぇ。
﹁⋮⋮ん∼、正直そこまでは考えてないかな。取りあえず、大検の
合格を目指して頑張るだけだねぇ﹂
デーブータ
その答えに、しばし沈黙していた北村さんは、決意を込めた瞳で
ボクの手を取った。
﹁もし、もし良ければ、俺と同じく﹃テクノス・クラウン﹄で働い
てみませんか? なんならバイトでも良いです、緋雪さんなら有名
1588
人ですから俺が口を聞けば、確実に働けると思います﹂
﹃テクノス・クラウン﹄ねえ⋮⋮。ボクの場合は、できれば趣味と
仕事は分けて考えたいんだけど。
その想いが顔に出たのだろう、握られた手に力が込められた。
エターナル・ホライゾン・オンライン
﹁﹃E・H・O﹄も5年です。基本、MMORPGは5年を目安に
採算を見極める損益分岐点を設定します。幸いエタホラはいまのと
ころ黒字ですが、それでも一時期に比べれば収益が下がっているの
が現状です。いまは大丈夫でも、2年後、3年後はどうなるかわか
らない。だけど、俺はエタホラにはまだまだ伸び代がある⋮⋮ゲー
ミ
ムを楽しんだ俺達が知恵を絞れば、もっともっとエタホラは繁栄す
レニアム
ると思います。だから、一緒にもっともっとより良いエタホラの黄
金時代を築きませんか?﹂
情熱的な︱︱なんとなく愛の告白でもされているような、妙な錯
覚を覚える︱︱申し出は、確かに魅力のある提案だけど、即答する
にはちょっと難しい問題だった。
﹁⋮⋮少し性急過ぎて考えがまとまらないので、もうしばらく考え
させてくれないかな?﹂
デーブータ
困惑を含んだボクの返事に、北村さんが夢から醒めた顔で、握っ
ていた手を放した。
﹁そ⋮そうですね⋮⋮すみません。こんな大事なことを勢いに任せ
て⋮⋮﹂
﹁いや、北村さんもボクのことを心配して言ってくれたんだろうし
⋮⋮どちらにしても、今後の生活の選択肢の幅ができたので感謝し
てます﹂
1589
﹁すみません。自分でもなんでか急に⋮⋮さっきまで、あんまり幸
せだったので、本当はこれは夢じゃないか。緋雪さんは本当はここ
に居なくて、相変わらずヒキコモっている俺の頭がいよいよおかし
デーブータ
くなって、現実の俺は精神病院にでもいて、幻覚と会話してるんじ
ゃないかって、不安になったもので⋮⋮﹂
切ないような、遠い目をしてそんなことを言う北村さん。
﹁胡蝶の夢ですねぇ。蝶になったのが夢か、これが蝶の見ている夢
か⋮⋮まあ、せいぜい幸せな方を現実だと思ったらいいんじゃない
ですか﹂
﹁⋮⋮そうかも知れませんね。夢︱︱俺にとってはさっき言ったの
が、夢ですけど。緋雪さんにとっての夢ってなんですか?﹂
真剣な目で問い掛けられ、ボクはしばし考え込んだ。
﹁夢⋮⋮ボクにとっての﹂
ふと、目の前に一片の雪が舞い降りた。
﹁⋮⋮多分、そんなたくさんのものは必要ないと思います﹂
降り積もった雪に覆われ、銀世界と夕日に彩られた街から視線を
上げ、風に飛ばされてきた小さな雪の結晶を見て、ボクは答えた。
﹁ボクが夢見る薔薇色の未来は︱︱﹂
その瞬間、ボクの視界は真っ白な霧に覆われた。
1590
第二十三話 吸血聖母
﹁⋮⋮どうあっても、その子を産むおつもりですか?﹂
意を決して口を開いたオリアーナが一歩踏み出して、咎めるよう
な︱︱それ以上に相手を心配し、諌めるような口調で緋雪に詰め寄
った。
﹁ええ。何度繰り返しても同じです、私の意思は変わりません﹂
窓際の椅子に腰を下ろした緋雪が、淡く微笑みながら、それでも
断固とした態度でそれに応えた。
いまや帝国の女帝となったオリアーナに対して、いささか礼を欠
いた態度とも思えるが、そうした姿勢をとっている理由は一目瞭然
だった。
いとお
彼女が愛しげに撫でる腹部は膨らみ、妊娠20∼23週を示して
いた。
おそらくこの時期であれば、すでに胎動を感じているであろう。
産み月までにはまだ間がある︱︱とは言え、緋雪自身がもともと
小さく、抱き締めれば折れてしまいそうなほど華奢なため、その存
在はあまりにも大きく、明らかな負担にしか見えない。
事実、かつての輝くばかりの美貌はやつれ、拭いきれない色濃い
疲労がその面相に浮かんでいる。だが、それとは反比例して、母親
特有の柔らかさと包容力が増している︱︱その痛々しくも崇高な姿
に、オリアーナは沈痛な面持ちで唇を噛み締めた。
1591
どれほど言葉を重ねてもおそらくはこの頑固で優しい友人は、我
が子を犠牲にすることを是としないであろう。だがそれでも、オリ
アーナは親友として言わずにはいられなかった。
﹁わたしも女です。安易に子供を堕胎しろなどと、本来であれば口
が裂けても言えません。ですが、その子供は別です。誰からも望ま
れず生まれ、世界から拒絶され、呪われた子と蔑まれ、苦しみを背
負うことになる⋮⋮そんな過酷な人生が約束されているのですから﹂
真正面からその言葉を受け止める緋雪だが、その微笑みは変わる
ことなく。逆に弾劾するオリアーナの方が苦しげですらあった。
﹁いえ、それだけならばわたしもここまで反対いたしません。望ま
れない子供など、この世には幾らでもおりますから。ですが、その
子はあまりにも危険すぎます。︱︱聞いているのですよ、貴女がそ
こまで衰弱している理由を。その子はまだ胎児の段階でありながら
凄まじい力を秘めている。その力が暴走しないように、貴女は常に
ご自身に弱体化魔術を行使し、その力を抑え込んでいる⋮⋮そんな
危険な存在がこの世に産まれたらどうなることか。そして、己の出
生を知ればどうなるか、火を見るより明らかです。自身の存在とこ
の世界を恨むことでしょう。そして、破壊を目論めば、最早止める
事ができるものが存在しないのですよ!﹂
もうその時には、もう貴女はいないのだから!︱︱と、言葉にな
らない視線で訴える。
妊娠が判明してから、緋雪は日に日にやつれていった。当初は精
みこと
神的なものと思われていたが、どんな魔法治癒や霊薬を用いても衰
あまり
弱は治まらず︱︱ほぼ一日付きっ切りで治癒術を行使している命都
と零璃が、﹁まるで底の抜けたバケツに水を汲んでいるかのよう﹂
と口を揃える状態で︱︱着実に生命力を磨り減らしていた。そして、
1592
その原因は一目瞭然だった。
お腹の子供に母体の生命力が吸い尽くされている。
最初にそれを聞き、そして実際に緋雪の弱り切った姿を見た時か
ら、オリアーナの目にはもはやそれは慈しむべき生命ではなく、お
ぞましい悪腫であり、寄生虫にしか思えなかった。
そんなオリアーナを、まるで慈母のような静かで澄んだ瞳で見つ
める緋雪。
﹁どうしてこの子が世界を恨み、憎しみに囚われると思うのですか
? それに勝る愛や喜びを知れば、おのずと苦しみや悲しみに負け
ない人間になるでしょう。確かにこの子は生れ落ちたその瞬間から、
苦難を背負い込むことになるでしょう。ですが、およそこの世に生
きる人⋮⋮いえ、たとえ魔物や禽獣であろうと苦しみ、悲しみのな
い世界に生きる者はおりません。ですがそれに負けずに生きている。
この子も同じです。私はそれを信じています﹂
きっぱり言い切る友人に一瞬、気圧され言葉を詰まらせたオリア
ーナだが、哀しげに首を横に振ってため息をついた。
﹁貴女からそんな楽観論がでるとは思いませんでした。この世界は、
人間はもっと残酷で無慈悲です。世界を滅ぼしかねない異端のもの
を、普通の人間と同じように許容できるほど堅牢ではありません。
産まれた子が成長し、世界を破滅に導こうとしたその時に貴女は責
任を取れますか? 産んだだけで放置して、それで他人任せにする
のは、あまりにも無責任ではないですか﹂
﹁︱︱できる限り、私はこの子の支えになるつもりですが?﹂
﹁できるわけないでしょう! いまだってどれほどの負担が掛かっ
1593
ているのか、この状態で出産などしたら耐えられるわけが⋮⋮! いまなら間に合います。お腹の子を処理してください! もう充分
でしょう、貴女ばかりがこんな苦しい思いをする必要なんてないん
です!﹂
身を切るような叫びで懇願するオリアーナを、困ったように見詰
める緋雪。
﹁オリアーナ。別に私は自分を不幸だと思ったことも、この子が重
荷だと思ったこともありませんよ、それどころか、かけがえのない
大切な宝物だと思っています﹂
納得できない顔で、ほとんど睨みつけるように自分を見詰めるオ
リアーナから、緋雪は視線を逸らせて、背後に並んだ見舞い客の一
組︱︱コラード国王夫妻の妻クロエが抱いている、この春産まれた
ばかりの赤ん坊を見た。
﹁思えば私はずっと中途半端で何かに欠けていた気がします。です
が今は本当に満ち足りた気持ちなのです。女として母として子を生
すことで、本当の意味でこの世界の一員になれる。こんなに嬉しい
ことはありません。ありがとう、心配してくれて。本当に感謝して
います﹂
まるで遺言のようなその言葉に、オリアーナは泣き怒りのような
顔で、反射的に口を開いて反駁しかけた︱︱その背に、クロエの落
ち着いた声が掛けられた。
﹁皇女様︱︱いや、いまは女帝様だったかい。まあ言い慣れてるの
で﹃皇女様﹄って言わせてもらうよ︱︱皇女様、子供を産むってこ
とは、どんな女でも命がけなんだよ。だけどねえ、ひとつの命をこ
の世に送り出せるなら、母親はどんな苦難にも耐えられるもんさ﹂
1594
実感を伴った揺ぎ無い言葉に、悔しげに俯いたオリアーナは、﹁
やはりわたしは納得できません﹂と小さく呟いた。
そんな彼女に代わり、我が子を抱いたままクロエが前に出てきた。
コラード国王もそれに続く。
﹁姫陛下、陛下にもしも迷いがあるようなら、あたしも皇女様と同
じことを言ったんだけどね。⋮⋮どうにもあたしから言うことはな
さそうだね﹂
緋雪は苦笑するクロエに軽く感謝の礼を送り、それからふと、思
いついた顔で夫妻の顔を見た。
﹁そうそう。お二人に勝手なお願いがあるのですが、聞いていただ
けますか?﹂
﹁どのようなことでしょう?﹂
怪訝な表情でコラード国王が眉を寄せ、クロエは何かを察したの
か無言のまま頷いた。
﹁私に万が一のことがあれば、産まれた私の子を、お二人にお預け
したいのです﹂
﹃!!﹄
その場にいた全員に緊張が走った。
ただ一人、クロエは予期していたのか、驚きはなかった。
﹁本当なら私一人だけでも育てたいところですが。先ほどのお話で
はありませんが、実際に子を産むとなれば、なにがあるかわかりま
せんから﹂
1595
気負いもなく毅然とした態度も終始変わらないものの、この会見
が始まった当初に比べ、明らかに消耗している緋雪の様子に気付い
て、慌てて命都と零璃が治癒術を掛けながら、﹁姫様、あまりご無
理をされないほうが﹂と休憩を勧める。
﹁ありがとう、ずいぶんと楽になりました。でも、もう少しだけ話
させて﹂
ゆるゆると首を振って、当惑した顔のコラード国王を見詰める。
﹁ご迷惑なら無理にとは申しません。ただ、お二人の人柄とアミテ
ィアという土地柄が、子供を育てるのに最適だと思われたものです
から。空中庭園にいるだけでは、子供が世間知らずの籠の鳥になり
かねませんので﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁任せておきな! あたしらなんかをそれだけ信頼してくれるんな
ら、文句はないし、文句を言う奴は張り倒してやるよ。あんたもそ
うだろう?﹂
懸念を口に出しかけた亭主の背中を、片手でバンと叩いて、クロ
エは屈託なく笑った。
﹁︱︱はいはい。わかりましたよ。まあ、そうなったらたとえ陛下
の御子様でも、分け隔てなく育てますよ? よろしいですね?﹂
叩かれた背中を丸めて、涙目で確認してくるコラード国王に、緋
雪は深々と頭を下げた。
﹁ありがとう。それこそが私の望みです﹂
それから周囲を見回して言い添える。
﹁我が国の力も衰えました。いまやほとんどの魔将も消え失せまし
たが、それでもアミティアを守る程度の力はあるでしょう。何かあ
1596
れば遠慮なく申し出てください﹂
◆◇◆◇
その後、緋雪の体調を見かねた一同が自主的に退席をしたことで、
自然消滅的に会見は終了となった。
命都たちに付き添われて寝室に移動した緋雪は、用意してあった
鮮血をワイングラス1杯飲むと、大きくため息をつき、着替えもそ
こそこに崩れるようにベッドに横になった。
﹁流石に少し⋮⋮疲れました⋮⋮﹂
﹁姫様⋮⋮﹂
命都が先ほどのオリアーナと同じような顔で、悲しげに緋雪の顔
を見た。
﹁命都、もしも私がこの子を残していなくなったら︱︱﹂
﹁姫様っ!!﹂
﹁⋮⋮もしもの話です﹂
そう横目で笑いかける緋雪。
ほずみ
﹁その時にはこの子と空中庭園をお願いします。もう円卓の魔将で
残っているのは、あなたと八朔、それと零璃だけですからね。コン
トロール権は影郎さんに譲渡してあるので、私がいなくなって消え
ることはないと思いますが⋮⋮多分、影郎さんはもう戻ってこない
1597
と思います﹂
この時ばかりは、緋雪の瞳が哀しげに揺れた。
﹁彼には辛い役目を押し付けてしまいました。空中庭園を維持する
ために、死ぬことも許されず放浪するさだめを背負って、ただ一人
生きなければいけない。これだけが私の心残りです﹂
﹁姫様⋮⋮﹂
﹁あなたは決して殉死しようなどと思わないでください。天涯を筆
頭に主だった魔将や力のある列強たちはもういない。あなただけが
頼りです﹂
きょむ
あの日。虚霧が消えるとの引き換えに、意識をなくし無残な姿で
戻ってきた緋雪を目の当たりにした、天涯をはじめとする魔将のほ
とんどと、らぽっく、タメゴローを含む賛同者︱︱その総数100
00騎に達する軍勢︱︱が怒髪天を衝き、世界を滅ぼさんばかりの
勢いで、大陸の中心に唯一残っていた﹃蒼き神の塔﹄へと襲撃を敢
行した。
大地が震え、天が割れ、河川は血に染まった。
ハルマゲドン
3日3晩続いたまさに最終戦争は唐突に収まり、そして、誰一人
として帰ってこなかった。
後の調査では、跡には何一つ残らず︱︱﹃蒼き神の塔﹄すらも消
え失せていた︱︱ことから、彼らは蒼神と相討ちになった、という
のが大方の見解である。ただし、後ほど意識を取り戻した緋雪は、
﹁彼は結局すべてに失望して、この世界に興味を失ったんでしょう﹂
と異なる感想を述べたが。
1598
﹁それがご命令とあれば私は従いましょう。ですが、私の主人は未
来永劫、姫様ただお一人です﹂
苦しげに命都が答えた。
事実上、産まれてくる子供にはタッチしないという宣言に、緋雪
は苦笑して首肯した。
﹁姫様、私はずっと姫様と一緒⋮だから、姫様がいなくなれば、私
も消える﹂
隣に居た零璃が、選択の余地のない当然と言う口調で言い切った。
﹁別に、私に囚われずに自由になってもいいのですよ?﹂
﹁自由にしていいのなら、それが私が決めた自由﹂
﹁⋮⋮ふう。仕方ないですね﹂
説得を諦めて、緋雪はため息をついて目を閉じた。
﹁しばらく眠ります。あなた達も他の者と交代をして、休んでくだ
さい﹂
﹁︱︱はい。姫様﹂
半分夢見ながら緋雪は続けた。
﹁それと、この子の名前ですが。男女どちらであっても良いように、
双方の意味合いをとって﹃︱︱﹄と決めました﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
夢うつつの中、緋雪は己の中にある命に呼びかけた。
﹁︱︱。どうか、あなたの前に美しい世界がありますように﹂
1599
◆◇◆◇
はっと気が付くと、なぜか
赤い扉
を閉めたところだった。
﹁⋮⋮黒い方を開けた筈なのに、なんで赤い方に居るんだろうねぇ﹂
というか、さっきまで見ていた白昼夢︵?︶は、なんなんだろう。
また蒼神が見せた何らかのトラップなのは間違いないだろうけど、
今回は妙にリアルというか最初に見せられた臭い学園漫画みたいな
作為的なものでなく、まるで実際にあったことを追体験したような
⋮⋮兎に角違和感のない体験だった。
﹁どーいうことなのかなぁ﹂
改めて来た道を戻って分岐のところに立つ。
﹁扉はまだあるし、まだ閉まっている。つまりもう一度どちらかを
開けろってことだろうけど⋮⋮﹂
開けたらまた同じことの繰り返しなんだろうか? それとも、ま
た別な体験をすることになるのか?
しばし悩んでいたが、ふと足元の光る小道の光量が落ちてきたよ
うな気がして、後ろを振り返って見れば、延々と続いていた道が、
向こうの方から徐々に崩れて近づいて来た。
﹁さっさと選べってことか。まったく︱︱﹂
とは言え、どちらかを選ぶかはとっくに決めてある。
﹁いい加減、ボス部屋に続いていてよ!﹂
1600
ボクは選んだその扉を開くと同時に、崩れかけた小道から、その
中へと駆け込んだ。
その瞬間、視界が暗転し、ふと誰かが耳元で﹁ありがとう﹂と囁
いた気がしたけれど、確認する間もなく、ボクは蒼神の待ち構える
その地へと降り立ったのだった。
1601
第二十三話 吸血聖母︵後書き︶
次回からがラストステージです。
1602
第二十四話 緋蒼神戦
闇の向こうに四角い出口のような光が見えた。
反射的にそこを抜けた瞬間、身体の芯︱︱いや、魂すら震えるよ
うな痛みとも快感ともつかない衝撃が全身を駆け巡り、刹那の瞬間
に身体を構成する素粒子まで分解され、その場で再生されるのを、
ボクの意識はどこか遠くからぼんやりと俯瞰し、そして新たに構成
された肉体へと受肉を果たしたのだった。
リ・ボーンズ
再誕。もしくは覚醒。
イニシエーション
多くの宗教で通過儀礼と呼ばれる形而上的概念を、実際に知覚し
ながら通過した︱︱誰に教わらなくても本能的に理解した︱︱ボク
は、ゆっくりと閉じていた瞼を上げて、いまいるその場所を確認し
た。
印象としては﹃蒼き神の塔﹄の螺旋階段を登り切った神殿に近い
だろうか。
高い天井と並んだ柱、磨かれた石畳の床。ただし大きさ的にはあ
れよりも一回り小さく、四方に窓が開いていて︱︱夜なのだろうか
?︱︱そこから暗黒の空が覗き見える。
オーブ
がらんとした室内にはこれといった装飾品はないけれど、見覚え
のある水晶球に似た球体︱︱命珠が、等間隔で丸い室内を囲む形で
配置されていた。
そのほとんどはひび割れ、粉々に砕け、白濁して無残な姿を晒し
ていたけれど⋮⋮。
1603
そして部屋の一番奥、神殿では祭壇のあった場所に、これだけは
デーブータ
生活観を感じさせる巨木をそのまま削り出して作り上げたような、
継ぎ目のない執務机に座った半人半龍のこの部屋の主、蒼神が瞑目
して座っていた。
気配に気が付いたのだろう。爬虫類の目をゆっくり開いた彼は、
ボクを一瞥すると安堵か失望か、あるは両方なのか、深々とため息
をついた。
﹁⋮⋮そちらを選んだか﹂
﹁︱︱?﹂
言われた意味がわからず瞬きをするボクの顔を、嘲笑と諦観混じ
りの表情で見詰める蒼神。
﹁自分の姿を確認してみろ﹂
なんのことやらと思いながら、鏡のように磨かれた床を覗き込ん
で自分の顔を見る。長い黒髪、緋色の瞳、小ぶりの顔、華奢な身体
に黒色に赤薔薇のミニのドレス。パンツに付いたリボンの色も特に
変わっていない。
﹁別に普段と変わりないけど?﹂
ジル・ド・レエ
何かのハッタリかと思って、手にした﹃薔薇の罪人﹄を構える。
蒼神の方は座ったまま、面倒臭そうに人差し指を突き出した。
﹁それだ。お前の言う﹃変わらない﹄というのが、すでに変わって
しまったのだ﹂
﹁⋮⋮別に禅問答しにきたわけじゃないんだけどねぇ﹂
1604
、、、、、、、
﹁ふん。まあ付き合え。どうせもう結果は確定したんだ。なら、つ
じつま合わせを聞いておいた方が、多少なりともお前も納得できる
だろう⋮⋮いや、別にどうでもいいのだが、俺も退屈なのでな、単
なる暇つぶしだが、まあ聞く気がないなら始めるが?﹂
右手で頬杖をついた蒼神が、ランチの主食をパンにするかライス
にするかレベルの気軽さで、戦いを始めるかどうか訊いてきた。
﹁⋮⋮⋮﹂
こちらの無言を会話を続ける意思ありと取ったのか、あるいは額
面通りどうでもいいと思っているのか、蒼神はその姿勢のまま無感
動に続けた。
﹁この場所は本来、物質世界とは隔絶した半ば精神世界に属してい
る。らぽっくたち人形は﹃蒼き神の塔﹄の最上階だと思っていたよ
うだが、事実は若干違う、最上階のさらに上の次元に存在する隠し
部屋のようなものだ﹂
そこで言葉を切った蒼神に、﹁外を見てみろ﹂と促されて、窓際
に近寄ってみてみると、夜空だと思っていたのは、本当の意味で何
もない漆黒の宇宙であり、その場にこの部屋がぽっかりと浮かんで
いるだけだった。
﹁さすがに普段、連中が出入りする場合には、通常空間にある塔の
最上階と入れ替えをしていたが、本来のこの状態であれば、いくら
塔を登ったところで永遠にこの場にはたどり着けない。︱︱仮にた
どり着いたところで、連中の観測能力では自己を定義できず、その
場で消滅するのがオチだしな﹂
1605
﹁言っている意味が不明なんだけど?﹂
﹁ふむ⋮⋮そうだな、﹃シュレーディンガーの猫﹄というのを聞い
たことがあるか?﹂
﹁え∼と、確か箱の中に半殺しの猫を入れて蓋をして、次に開けた
時に生きてるか死んでるか当てるゲームのことでしょう﹂
﹁⋮⋮別な例えにしよう﹂
ボクの答えになぜか話を変える蒼神。
ダウンロード
﹁ここにパソコンがあるとする。ネットからゲームをDLしてプレ
イしようとしたが、データ量が多すぎてパソコン自体がフリーズし
てしまう。仕方がないので、基本データだけで、グラフィック等を
大幅に削った廉価版どころかお試し以前のデータで動かしている、
これがあの世界の住人の容量や処理能力の限界だ、俺達とはスパコ
ンとゲーム機ほどもレベルに差がある。俺は簡単にこれを﹃魂の差﹄
﹃カルマ値の限界﹄と呼んでいる﹂
﹁魂ねぇ⋮⋮﹂
いきなりオカルトな話になったねぇ。まあ、今更だけど。どーに
も胡散臭いんだよねぇ。
﹁まあ信じようと信じまいとお前の勝手だが、この領域に来られる
人間はそれだけのキャパと処理速度を持っているということだ。そ
して、その上で﹃自己﹄というキャラクターをエディットして、ゲ
ームに参加することができる﹂
﹁ほうほう﹂
なるほど、まったくわからん。
1606
あやせかなで
﹁この場での﹃自己﹄というのは、﹃自分がこうである﹄と認識し
た姿に準じる。つまりお前は自分を男の﹃綾瀬奏﹄としてではなく、
女の﹃緋雪﹄として認識しているということだ﹂
蒼神の説明にボクは首を捻った。 な
は私なんだからさ。適当なレッテル貼られて理解
緋雪
﹁いや、別に自分のことを男だとか女だとか、人間だとか吸血姫だ
緋雪
とか、いまさら明確に線引きしたことないけど? 私は
んだし、
した気になられても迷惑だねぇ﹂
正直なボクの感想に、蒼神は棒を飲んだような顔になり、続いて
なぜだか軽く肩を震わせ、含み笑いを漏らした。
一瞬、むっとしたけれど、その笑いに含まれた生の感情を感じて、
不意にいまはじめてデーブータさん本人と話をしている気がして、
瞠目した。
正直、直接間接的に接した彼の言動や態度は、かつての情緒豊か
な彼の人間性からあまりにも乖離した︱︱というか、どこか作り物
めいた気がしていた。言うなれば、人間とは根本的に喜怒哀楽の違
う存在が、人間の皮を被って、人間の感情を模倣しているような、
気持ちの悪さを感じていたのだ。
だけど、今現在の姿を見るに、完全にかつての人間性を捨ててし
まったわけではないらしい。まあ、かなり歪んで希薄にはなっては
いるけれど。
﹁その姿で現れた時点で、お前のことは見限ったつもりだったのだ
が。どうしてどうして、お前はいつも俺の意表を突いてくれる﹂
1607
なんでこう上から目線なんだろうねぇ、と思いながら一応ツッコ
ミを入れる。
﹁見た目がどうこういうなら、自分だって気持ち悪い爬虫類のまま
じゃない?﹂
﹁ああ、これか﹂
右手を頬から離して、鱗の生えた腕を一振りする。すると一瞬に
して、それは滑らかな人間の腕に変わった。
﹁初心者のお前は無意識にその姿を保っているが、慣れれば意図し
てこのように変化させることも容易い。まあ、あまりにも自己の認
識から乖離し過ぎると、自他の境界線が曖昧になるが⋮⋮まあ、人
間を堕落させるのは﹃蛇﹄と決まっているからな。この姿でいる方
がなかなかエスプリが効いているだろう?﹂
﹁へえ、自覚があったんだ。人間を堕落させる存在だって﹂
ボクの憎まれ口にも特に動じた様子もなく、蒼神は気怠げな態度
のまま再びため息をついた。 ﹁さて、俺が堕落させるのか、人間が堕落するのに俺という存在が
必要なのか。因果律などというが、原因と結果、果たしてどちらが
先にあるのかは、俺にもわからん。だが、運命と言うものがあるの
なら、俺はそれを構成する空虚な歯車にしか過ぎん﹂
そうこぼした彼の姿は、まるで疲れ切った老人のようにも見えた。
﹁そして、それはお前にも当て嵌まる。︱︱お前は選択した。俺と
お前の戦いの結末を。ならば約束された結果へと、運命は収束され
る﹂
﹁生憎と運命論とか宿命論とかは嫌いなんだよ﹂
1608
ジル・ド・レエ
全身の無駄な力を抜いて、自然体でボクは﹃薔薇の罪人﹄を構え
た。
それに応じるかのように立ち上がった蒼神の手には、どこから取
り出したのか小山のような、透明の刀身を持つ両刃の巨剣が握られ
ていた。
﹁運命などではない、確定した未来だ。俺と戦うということは、お
前は俺に打ち倒され、犯され、蹂躙される。抗う術はない﹂
﹁いや、理屈つけてゴチャゴチャ言ってるけど、結局は君の意思な
んじゃないの? ここで剣を引けば私も君を飽きるまでぶん殴るだ
けで、あとは問題なく終わるんだけど?﹂
﹁それが無駄な考えだというのだよ。お前は過去・現在・未来は直
線的なものだと思っているだろうが、実際は円環的構造であり、虚
数空間で過去に遡ろうと、三次元空間で未来へ向かおうと、基本的
に行き着く場所は同じだ。ならば、お前が選択し、垣間見た未来は
観測した以上、ほぼ確定している。どのような抵抗を行っても、結
局は辻褄が合う⋮⋮個人の意思とは無関係にな。ならば、既定され
た未来に即した行動を取ったほうが効率が良いというものだ。だが、
それでも抵抗するのか?﹂
﹁確定された未来って、さっき私が選んだ﹃赤い扉﹄で最初に見た
幻覚のこと? それなら安心していいよ。全然信じていないから﹂
瞬間、ダッシュと同時にほぼ最高速に乗ったボクの突きが、蒼神
の肩を掠めた。
﹁︱︱ふん!﹂
1609
追撃の刃が振るわれ、爆発的な衝撃波となって背後に迫るけど、
壁と天井を使ってジグザグに走り、それを躱す。
﹁それといまの話を聞いて、なおさら腹が立ったからね!﹂
背後を取って袈裟懸け︱︱着ていたトーガは裂けたけれど、鱗に
は傷ひとつ付いていない。
﹁ほう。理由は何だ? 俺が運命や未来やらを語ったことかな?﹂
アマデウス
問い掛けながら巨剣︱︱﹃神威剣﹄とかいうチート武器︱︱を振
るう蒼神。
この剣、確かに威力は絶大だけど、バカみたいな大きさのせいで
軌道が見え見えだし、そもそも蒼神の剣技そのものが力押しで一本
調子なために、ある程度の広さと足場のあるこの場所では、逃げ回
るには都合がよかった。
だから、縦横無尽に跳ね回りながら、ボクは攻撃の合間に答えた。
﹁それもあるけどね。一番頭に来たのは︱︱﹂
ライト
剣聖スキル発動︱︱と見せかけて、光術、それも極限まで圧縮し
た﹃光芒﹄を、蒼神の目前で解放する。
刹那、眩い閃光が炸裂して、一瞬全てが白に覆われた。
反射的に目をかばった蒼神の喉元目掛け、渾身の突きを放った。
﹁義務だの、効率だので、好きでもない相手を抱こうとするな︱︱
っ!!!﹂
スキルもなにもない︵どうせ無効化されるんだから︶、力任せの
攻撃が蒼神の身体を弾き飛ばした。
1610
氷のリンクのような床を滑った蒼神の身体が、後方にあった執務
机と椅子を巻き込んで破壊する。
反撃を警戒して、素早く位置を変えたところで、案の定と言うか
⋮⋮机の成れの果ての中から、無傷の蒼神が立ち上がった。
さすがにズタボロになって素肌にぶら下がるようになっていたト
ーガを、無造作に片手で破いて取り除く。
たちまちその場で全裸になった蒼神は、少しだけ感心した様子で
こちらを見た。
﹁驚いたぞ。まさかここまで食い下がるとはな。事によるとらぽっ
くよりも戦闘力は上かも知れん﹂
﹁あー、はいはい。なんでもいいから、さっさと代わりの服を着て
くれないかな﹂
露出狂と戦うのは嫌だなぁ⋮⋮。
﹁︱︱ふむ。どうせ俺にとっては服など飾りに過ぎん。すべては空
虚に過ぎん。ゆえにこのままでも問題はないが?﹂
﹁こっちが嫌なんだよっ!﹂
次の瞬間の行動は、自分でもまったく無意識のものだった。
ジル・ド・レエ
ほとんど瞬間移動とも言える速度で蒼神に肉薄したかと思うと、
﹃薔薇の罪人﹄の切っ先を下にして床に突き刺し、開いた右手が大
きくバックスイング。フルスイングのパンチが蒼神の頬骨を深く抉
る。
残像を残しながら身体ごと転がる勢いで仰け反った蒼神の顔が、
瞬間、今度は反対側から殴られ、辛うじて原型を残していた机の部
品を粉砕しながら、床の上を二転三転した。
1611
﹁さっさと服を着て!﹂
﹁⋮⋮面倒な奴だ﹂
ブツブツ言いながら立ち上がると、どこから取り出したのか軍服
のような濃紺の衣装を手に取り、その場で着替え始める蒼神。
どーでもいいけど、なんで下半身を最期まで剥き出しにしてるん
だろうねえ。
1612
第二十四話 緋蒼神戦︵後書き︶
序盤から最終決戦とは思えない戦いに。なぜでしょう⋮⋮?
11/24 誤字修正しました。
×入れ替えをしたいたが↓○入れ替えをしていたが
1613
第二十五話 創世神話
アマデウス
ようやく裸族を止めた蒼神が、ボク同様に床に突き刺していた﹃
神威剣﹄の柄に手をやって、仕切り直しの姿勢を取った。
ジル・ド・レエ
併せてボクも﹃薔薇の罪人﹄を握る。
さて、どうしたものかな⋮⋮。と、これまでの一当てでわかった
事を頭の中で整理してみた。
一つは、﹃こちらの攻撃は相手の肉体にダメージを与えられない﹄
点。
これは事前に予想できたことだけど、実際に斬って殴っての手応
えから推測するに、肉体そのものが﹃不可侵﹄というわけではなく
て、﹃ダメージを瞬時に回復する﹄というのが真相に近い気がする。
とお
事実、相手は仰け反ったり吹っ飛んだりしているので、瞬間的に
は攻撃は徹っている手応えがある。らぽっくさんも9剣での﹃メテ
オ・バニッシャー﹄の手応えはあったけど、服に穴が開いただけで
平気で反撃してきたって言っていたし。要するに、こちらの攻撃に
よるダメージが生じる以上の回復力で、瞬時に再生しているのだろ
う。
例えて言えばものすごく大きな川から、バケツで水を汲み出そう
としているけど、それ以上に上流から流れ込む水量が大きいので、
川全体では見た目に変化がないように感じる⋮⋮というところか。
そうなると対策としては、川ごと蒸発させるような攻撃か、大本
1614
の支流を一個一個潰すしかないんだけど⋮⋮﹃メテオ・バニッシャ
ー﹄でも斃せなかった以上、ボクの最大奥義の﹃絶唱鳴翼刃﹄でも、
多分通用しないだろう︱︱というか、スキルがキャンセルされるの
で、現状では打つ手がないんだよねぇ。
アマデウス
そして、もう一つは、﹃神威剣の脅威度が予想よりも低い﹄とい
うこと。
おそらくは最初に宣言したとおり、蒼神はボクを殺すのではなく、
アマデウス
死なない程度のダメージを与えて、不埒な行いをするのが目的なの
だろう。その為、神威剣では、もともと紙装甲のボク相手ではオー
バーキルになる。どうしても手加減せざるを得ないのだろう。
アマデウス
で制圧されることだろう。だが、
での攻撃に終始しているために、ボクとしては、
面
おそらく本気で神威剣を振るわれれば、この程度の限定された空
線
間では、逃げる場所などなく
いまのところ
相手の反応速度を上回る速度と、身体の小ささ、柔軟性を駆使する
ことで、互角に勝負を演じている︱︱ように見せかけているけれど、
実質的には時間稼ぎ以上の意味は持っていない、ということだ。
﹁⋮⋮さて、どうしたもんかな﹂
以上を踏まえて、どーにも勝てる手がないというのが、現在の状
況だった。
﹁どうした、無駄な抵抗は諦めたのか? 結果は同じなのだからな、
アマデウス
さっさと剣を置いて、素っ裸で降参した方が傷も浅いと思うのだが﹂
どうにも感情の籠もらない態度と口調で、手にした神威剣を肩に
掛ける蒼神。
﹁冗談じゃないねぇ。生憎とここから清い体で戻って、将来的に好
きな相手と結婚するつもりなので、ご期待には応えられないよ﹂
1615
と軽口で返してみたけれど、相手を出し抜く手立ては︱︱実は2
つばかり思いついた。けれど、どちらも自分の安全を度外視してい
る上に、完全な賭けなので︱︱かなり分が悪い。
いっそのこと、蒼神はこちらを生かしたまま辱めを与えるのを目
的にしているのだから、この場で自害でもした方が、相手の思惑を
外すことになるんじゃないか︱︱と、一瞬捨て鉢な考えもちらりと
過ぎった。
︱︱そんなことはできないねぇ。皆が待っているのだから。
けど、そんなことは論外だ。
勝って帰らないと。
その意思を込めて蒼神を睨み付ける。
﹁愚かだ。お前がそこまで愚かだとは思わなかったぞ。︱︱いや、
黒の扉を選択しなかった時点で、わかっていたことではあるが﹂
こだわ
﹁どーにも拘るねぇ。あんなものは幻想だろう? 現実には私はあ
の日事故で死んだし、そもそも君に逢う予定もなかったんだから。
︱︱そういえば、あれのバックボーンってどの程度正確なわけ?﹂
どうにも先ほどの虚霧内での最期の選択で、ボクが赤い扉を選ん
だことを再三に渡ってなじられている気がして、ダメモトで聞いて
みた。
﹁既に確定したことだが⋮⋮まあいい。恨み⋮そうだな、俺の望ま
ぬ選択をしたお前に対する失望からくる怨みの念が、確かに俺の中
にはある。⋮⋮いや、事によると単なる愛情の裏返しなのかも知れ
1616
んが、やはり怨み節の一つくらいは言っておこう﹂
失望だの怨みだの言う割りに、相変わらず淡々とした口調で続け
る蒼神。
こちらを甘く見ているのか、自信過剰なのかは知らないけれど、
ここで時間稼ぎができるのはありがたかった。時間が経てば経つほ
ど思いついた奥の手の1つを使える可能性が増えるのだから。
ボクは見た目は涼しげに、蒼神の話に耳を傾けるフリをして、そ
の実、じりじりと増大してくる体内の感覚に身を委ねていた。
﹁まず最後に現れた扉は﹃お前が辿る未来﹄と﹃俺が望んだ過去﹄
の象徴だ。俺が望んだ世界をひっくり返されたんだ、腹を立てる権
利はあるだろう?﹂
﹁︱︱いや、そこで私の責任にされてもねぇ。自分のことなら自分
でなんとかしようよ。男でしょう? いや、仮にも神を名乗ってる
んでしょう?﹂
﹁生憎と神といえ俺もこの世界に包括されている以上、万能という
訳にはいかん。波動関数の不確定性原理により、あらゆる世界には
常に変動する可能性が偏在している。どうあっても全知全能の唯一
神にもラプラスの魔にもなり得ん﹂
﹁???﹂
﹁⋮⋮要するに、どんな世界にはイレギュラーな事態があり、いか
なる神でも魔でも予測し得ないということだ﹂
﹁へえ、それは⋮⋮良かったねぇ。退屈しないじゃない。完璧なん
てつまらないよ﹂
ボクの感想を聞いて、苦笑じみた表情を浮かべる蒼神。
1617
﹁そこでそう思えるお前だからこそ、俺には眩しく憧れたのだろう
な。だが、いまでは︱︱心底忌々しいと思える﹂
﹁そこでこちらに矛先を向けられてもねえ⋮⋮単なる八つ当たりに
しか思えないけど﹂
﹁確かにそうだな。俺のこれは八つ当たりだ⋮⋮だが、その引き金
を引いたのも、トドメを刺したのもお前なんだ、多少理不尽でも共
犯者として責任は取ってもらおうじゃないか﹂
﹁?﹂
﹁ふん、さっきの話の続きだが︱︱﹂
◆◇◆◇
かつての俺はヒキコモリのニートだった。これはもう話したな。
そしてお前の言葉と姿に触発されて、﹃テクノス・クラウン﹄で
働き始めた。その1年間で50キロほど痩せたのも確かだ。
ペルソナ
ああ、激務だったのもあるが、人間関係が最悪だったな。
﹃親切で温和な人格者﹄というネット上での仮面とは違い、ろくに
社会にも出ずまともな人間関係も構築できなかった俺には、毎日が
地獄だった。また、会社の奴らもゲーマー上がりの俺のことを、と
ことん馬鹿にして社会不適応者扱いしていた。
せめて親不孝をした両親への罪滅ぼしと、歯を食いしばって耐え
ていたが⋮⋮両親にとっても、ゲーム会社などで働くのは﹁遊びの
1618
延長﹂でしかなく、﹁なにをやっても駄目な奴﹂﹁死んだほうがマ
シなクズ﹂とも言われたな。︱︱ふん、そんな顔をするな、もはや
俺の心には怨みも悲しみもない、ただただ空虚なだけだ。
だからかな、当時の俺に残された最期の拠り所は、あの日のお前
との思い出だけに思えた。
俺よりも余程辛い人生を送ってきた筈なのに、いつも前向きだっ
たお前に負けまい。もう一度お前に会った時に、胸を張って自慢で
きる人間になりたいと⋮⋮ただただ、それだけを心の支えにしてい
た。
だが、その願いも容易く崩壊した︱︱︱︱そうだ、お前の死によ
ってな。
事故のニュースを知って、お前の名前を見た瞬間、俺の頭は真っ
白になった。
テクノス・クラウン
おそらく感覚が麻痺して、感情が追いつかなかったのだろう。朝
になり、普段のようにコンビニで買った朝食を食べ、会社に出勤し
ていた。
そこで俺は気が付いた。お前は死んでもここにはお前が遺したデ
ータがあるではないか、と。
コピー
それに気が付いた俺がやったのは、寝食も忘れ、数日掛けて﹃緋
雪﹄に関する会話ログ、画像などを、管理者権限で全て複製し︱︱
コピー
ああ、目くらましの為に、爵位持ちのデータを何人分か同じように
複製しておいたな︱︱そして、時限式の仕掛けでサーバ内のゲーム
データは全て破棄して、俺の知っている限りのバックアップも破壊
していた。おそらく、復旧はできなかったろうが⋮⋮まあ、実際ど
うだったのかは知らんし、いまさらどうでもいいことだ。
1619
エターナル・ホ
なぜ? 当然だろう。同じものが幾つもあっては唯一無二の存在
ライゾン・オンライン
ではなくなるからな。それになにより、お前の居なくなった﹃E・
H・O﹄などには意味がないし、お前の死後、同じ容姿のプレーヤ
ーが存在するようになるのは、耐え難い冒涜だからな。
そうして、気が付いた時にはお前が死んだ現場へと辿り着いてい
た。
雪が降っていた。
道路の脇には赤い薔薇の花束が置いてあるのを見て、俺は初めて
お前が死んだことに実感が持てたのだろう。
気が付けば後生大事に持っていたデータと共に、ふらふらと車道
へと飛び出し大型トラックに跳ね飛ばされ︱︱。
◆◇◆◇
﹁⋮⋮気が付いたらゲーム内の﹃デーブータ﹄として転生していた
ってわけ?﹂
蒼神の独白を引き受けて、ボクはどうにも複雑な心境で相槌を打
った。
エターナル・ホライゾン・オンライン
努力を認めてもらえなかったり、家族にも人格を否定されたりと、
同情の余地はそりゃあるけれど、だからと言って、﹃E・H・O﹄
を破壊したり、自殺したりするのはやり過ぎだよ。
ため息をついた。
1620
だいたい、﹁なんで勝手に死んだんだ!?そのせいで人生が狂っ
たぞ!﹂︱︱って文句言われてもねぇ。ボクだって好きで死んだわ
けじゃないし⋮⋮︵まあ、リアでボクが死んだことを悲しんでくれ
る人なんていないと思ってたので、ちょっとだけ嬉しいといえば嬉
しいけど︶。
と、ボクの問い掛けに対して、意外なことに蒼神は頭を振った。
セーフェル・イェツィラー
﹁いや違う。俺の魂は死後、直観宇宙を管理監修する﹃形成の書﹄
によってサルベージされ、その1頁としてこの世界を創世・管理す
る権限を与えられたのだ﹂
﹁えーと⋮⋮日本語でおk?﹂
セーフェル・イェツィラー
こちらの困惑を無視して続ける蒼神。
﹁﹃形成の書﹄とは何なのか、それは俺にも全容は掴めん。文字通
り遥か上位の存在が作り上げたシステムなのか、あるいは人類外の
文明の遺産なのか⋮⋮どちらかといえば、俺の認識ではその起源は
人類の未来社会にあるのではないかと思える。
すなわち高度に情報化社会が発達し、宇宙へと文明圏を広げた人
類がタイムラグなしで、お互いの情報を遣り取りするために、三次
セーフェル・イェツィラー
元空間ではない虚数空間︱︱ディラックの海へと設置した、巨大で
超高度の情報ネットワークシステム、それが形成の書の実体だろう
というのが、俺の考えだ﹂
﹁ん∼∼っ。なんかピンとこないけど、そもそも未来のものが、な
んで現代の君にコンタクトとったわけ?﹂
﹁ディラックの海の中では時間は逆行し、エントロピーの属性も変
セーフェル・イェツィラー
わるからな。現在・過去・未来、どの時間にも属さず普遍している
と言える。そして俺をサルベージした理由だが、形成の書の目的に
1621
合致しているから⋮⋮というのが理由らしい。意識に直接伝達され
たため、口頭で説明するのは難しいが、奴の最終目的は﹃人間の理
想郷を創世する﹄ことらしい。
どうにもバカらしいが、そのための雛形として、無数に独立した
世界を管理しているらしい。異なる文化・思想を基に、より複雑高
ふざけ
度化していく過程や結果、要因を取捨選択することで、理想の世界
エターナル・ホライゾン・オンライン
を構築する試金石にするため︱︱という巫山戯た理屈だったが、俺
は奴の提案を受け入れ﹃E・H・O﹄のデータを元に、この世界を
作り上げた﹂
突拍子もない話にボクは思わず唸った。
セーフェル・イェツィラー
この話が本当だと仮定したら、この世界は⋮⋮いやそれどころか、
元の世界そのモノすら、ひょっとして﹃形成の書﹄が作り上げた、
理想郷の為の雛形なのかも知れない。
﹁俺は喜び勇んで、まず最初にお前のデータを元に複製を作り出そ
うとした。俺の考えた理想郷など唯一つ、俺とお前がアダムとイブ
となった新世界しかなかったからな﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
エデンの園。この蒼神と二人で素っ裸で、キャッキャウフフして
いる姿を想像して全身に鳥肌が立った。
﹁だが、どうした訳か!? お前に関するデータが全て消えていた
のだ!﹂
蒼神の目が、この部屋の隅に原型を留めて唯一残っていた命珠︱
︱中には何もない、本物の水晶球のように透明なそれ︱︱を見据え
た。
1622
﹁わかるか、その失望を?! 他の者のデータで再現してみれば、
問題なく作られたというのに、またもや肝心なモノが手に入らない
その虚しさが! くだらんっ。無意味だっ。なにが理想郷だっ。な
にが新たな世界だっ。こんな世界、俺にとっては地獄に過ぎん! 全てが出来損ないだ!!﹂
血反吐を吐くような口調で言い放った蒼神の、虚ろな瞳がボクの
顔を改めて見据えた。
﹁そんな絶望の中、お前は現れた。俺が作ろうとした代替品ではな
い、本物のお前が! 俺が管理できる世界は1つ。だから、俺はこ
の世界を消去して、新たにあの日からやり直そうとした︱︱だが、
なぜ選んでくれなかったんだ緋雪? この世界にとって異物である
お前の意思を無視して、やり直しを行うことはできなかった。だか
ら、苦しみ悲しみのない、理想の現実を選んでくれると信じていた
のに、なぜこんな下らん世界に固執したんだ?!﹂
考えるまでもなく、ボクの口は答えを紡いでいた。
﹁この世界が、人々が好きだからだよ﹂
狂化
発動!
理解不能という顔で呆然とする蒼神に向かって、ボクは猛然と走
った。
同時に、これまで我慢していた衝動を解放する︱︱
このためにここ1週間近く吸血を控えていたんだ。そのため理性
が飛びそうになるのを、辛うじて制御して、爆発的に上昇したステ
ータスに物を言わせて一気に蒼神へと肉薄し、
﹁はあああっ!!﹂
全力の回し蹴りを、速度差で棒立ちになっているように見える蒼
神へと叩き付け、一撃でその身体を窓の外︱︱何も存在しない亜空
1623
間の彼方へと︱︱蹴り飛ばした。
1624
第二十五話 創世神話︵後書き︶
﹃デーブータは2度と神殿へは戻れなかった⋮。鉱物と生物の中間
の生命体となり永遠に亜空間をさ迷うのだ。そして死にたいと思っ
ても死ねないので︱︱そのうちデーブータは、考えるのをやめた﹄
というラストが!︵ヾノ・∀・`︶ナイナイ
と言うことで、ファンタジーと思っていたら根本はSFだったりし
ますけど、裏設定に近いので普通にファンタジーと思ってくださっ
て大丈夫です︵`・ω・´︶
11/26 誤字修正しました。
×とうか、スキルがキャンセル↓○というか、スキルがキャンセル
1625
第二十六話 死中求活
蒼神の身体が窓の外︱︱星すらない漆黒の亜空間へと投げ出され、
そのまま自由落下するように軌道を離れて遠ざかって行った。
﹁︱︱くっ!﹂
なおも抑え切れない吸血の衝動に意識が呑まれる寸前に、ボクは
剥き出しの自分の右手に噛み付いた。
あとコンマ何秒放置すれば、完全に理性が吹き飛ぶ。
兎に角、喉の渇きを潤さなければ︱︱処女の血?目の前にあるじ
ゃない!︱︱半ば本能的に、窮余の策として自分の動脈に噛み付い
た⋮⋮のだけれど、結果、一気に理性が吹き飛んだ!
︱︱なんじゃこれは?!
モノ
﹁お⋮⋮美味しいっ!! なにこれ、絶品なんてもんじゃないじゃ
ない!﹂
あまりの美味に恍惚として、全身に震えが走った。
空腹のせいもあったけれど、これまで飲んだどんな血液よりも遥
かに芳醇で濃縮な血潮に、我を忘れて舌鼓を打つ。うまーっうまう
ま、女将を呼べ!⋮⋮あ、でも、これってある意味自給自足という
か、下世話な言い方をすれば、自慰行為に近いのかも知れないなぁ、
とか理性が囁いたけど、無我夢中でちゅーちゅー飲んだ。
そんな感じで飲み過ぎて、逆に貧血を起こしてフラフラになった
ので、さすがにそこで理性を取り戻し、後ろ髪を引かれる思いで中
1626
インベントリ
断して、代わりに収納スペースから、ワインボトルに入った鮮血を
取り出して、はしたないけどラッパ飲みした。
インベントリ
﹁⋮⋮う∼∼ん。不味くはないけど⋮⋮なんか薄い﹂
収納スペースに入っている物は、時間の経過による劣化がないは
ずなので、これも絞りたての健康ピチピチな乙女や、栄えある童帝
君の血のはずなんだけど、いま飲んだ自分の血と比べるとなんか味
気なく感じる。
まろうど
かげろう
まさか、こんだけ自分の血が美味しいとは思わなかったわ。
たまに稀人や影郎さん、吸血鬼の眷属になったばかりのらぽっく
さんや、タメゴローさんまでも、妙にギラギラと熱い視線を向けて
いるなぁ︱︱とか思う時があったけど、いま初めてわかった。あれ
は食欲を我慢している目だったんだねぇ。超納得。
取りあえず飲み干した瓶を床の上に放置。
﹁さて、取りあえずこの部屋を破壊すれば、もう蒼神も戻りようが
ないだろうから、さくっと壊しておかないと。︱︱もっとも脱出口
がないと、私も永久にこの場所に放置になるんだけどね﹂
攻撃が効かない蒼神相手の対応として咄嗟に思いついた策がこれ。
斃すんじゃなくて、相手の自由を奪う方法。
この場だと亜空間に放り出すのが手っ取り早いと思ったんだけど、
元々STR︵腕力︶値が低いボクとしては、一か八か大幅に全ステ
ータスを増幅させる﹃狂化﹄を使うしかなかった。
アマデウス
とは言え完全に理性を無くしていたら、何も考えずに真正面から
の立ち向かって行って、﹃神威剣﹄相手に力負けしていたことだろ
う。ギリギリ理性が吹き飛ぶ寸前で踏み止まれたので、どうにか思
惑通りに進むことができたけれど。
1627
それと問題なのは、この場所︱︱蒼神が言うところの、通常空間
から一段上の亜空間︵多分、空中庭園が普段待機している漆黒の空
間と似たようなものなんだろう︶から帰る術があるかどうか、そこ
らへんが不明なところなんだよねぇ。
テレポーター
﹁転移門か、同じ亜空間なら空中庭園に連絡が付くなら、迎えに来
てもらうところなんだけどさ﹂
独りごちた声に背後から返事があった。
﹁どこへ行こうというのかね?﹂
反射的に床を蹴ったけれど、半歩間に合わずに一直線に放たれた
衝撃波によって、ボクの身体は独楽みたいに回転しながら壁に叩き
付けられ、さらに追撃の一撃を受けて崩れた壁と一緒に、虚空に投
げ出された。
︱︱落ち⋮⋮っ!?
覚悟した真空の息苦しさも絶対零度の極限状態もなく、ふと気が
付くと最初にこの部屋に入ってきた場所に立っていた。
﹁⋮⋮へっ?!﹂
困惑するボクに向かって、5メートルほどの距離を挟んで対面に
立っていた蒼神が、気だるげな眼差しを向けていた。
﹁この空間は閉鎖されている。例えるならディラックの海に発生し
た渦巻のようなものだ、囚われた木の葉がクルクルと留まるように、
この場を維持している俺を斃さない限り逃れることはできない。そ
1628
れと外部からの進入も不可能だ。俺とお前以外の因子は、自動的に
フィルタリングされるようになっているからな。⋮⋮そうだな、機
能的には音丸が使ったデュエルスペースと、まあ似たようなものだ﹂
ジル・ド・レエ
音丸って誰だっけ⋮⋮?と一瞬疑問に思ったけど、取りあえず気
にしないことにして、自分にヒールを掛けつつ﹃薔薇の罪人﹄を構
えた。
﹁︱︱まあ、確かに⋮あの程度で終わるのは、ちょっと虫が良いか
な、とは思ってたんだけどね﹂
とは言え参ったね。内からも外からも脱出不能で、手持ちの札だ
けで相手するには、かなりキツイねぇ。
﹁いい加減やせ我慢をするのはやめたらどうだ? 勝てもしない勝
負を挑み、逃げ出したい恐怖に震えながら立ち向かう意味はないと
思うがな﹂
﹁⋮⋮だから?﹂
﹁最初から言っているだろう、俺のオンナになれ。そうすればこの
世界の半分をくれてやろう﹂
どこのラスボスだ!? というベタな提案をしてくる蒼神。これ
うっかりイエスと答えたら、いきなりレベル1に戻される罠じゃな
かろうか?
﹁返答はどうだ?﹂
﹁勿論ノーに決まっているよ﹂
﹁ふん、まあ予想通りか。⋮⋮一応、理由を聞いておこう。なぜだ
?﹂
いや⋮⋮半分、ゲーマーのノリで反射的に言っただけなんだけど
1629
さ。
﹁理由は二つあるよ﹂
取りあえず適当に前置きをして考える。
﹁一つは、そもそもこの世界は君のものではないからね。取っ掛か
ボク
りはそうかも知れないけれど、今はここに生きる人々や命あるもの
のものだからね﹂
よし、第一のハードルクリア。さあ、どうする、考えろ私!
﹁二つ目⋮⋮それは、私は君に腹を立てているからだよ。君は理不
尽に踏みにじられる辛さ、苦しさを知っている、それなのにそれを
他人にも強いている、そんな相手の言うことなんて絶対に聞けない
からだよ!﹂
そう言って、蒼神を指差した。
まあこれも半分その場の思い付きだけど、本音なのは確かだね。
言うだけ言ってすっきりしたボクは、八方塞の状況だけど腹をく
くって、もうひとつ︱︱いや、やることを考えたら2つある︱︱思
い付いた、先ほどの﹃狂化﹄よりもよほどリスキーな、思い付きを
実行することに決めた。
︱︱確かにこの世界が﹃エターナル・ホライゾン・オンライン﹄
に準拠したものなら、元ゲームマスターだった蒼神には、システム
上勝てることはできないだろう。けど、彼は知らないことがある。
ゲームではなくリアルになったために、本来あり得ない変質を遂げ
たシステムがあることを。
﹁ご立派なことだ。なら当初の予定通り話し合い以外の方法を取る
ことにしよう。下手にダメージを与えると、﹃狂化﹄や﹃狂戦士化﹄
する恐れがあるので、取りあえず手足を切り取って達磨にしてから
だな﹂
1630
アマデウス
そう言うと、蒼神は無造作に踏み込みながら、﹃神威剣﹄を振る
ってきた。
ジル・ド・レエ
らぽっくさんの﹃絶﹄でさえ一撃で砕けた一閃だ、これを受けた
らボクの﹃薔薇の罪人﹄も同じ運命をたどるだろう。
剣同士を打ち合わないようにして、とにかく距離を置いて一撃離
脱を繰り返す︱︱ここまでは先ほどと同じだった。
﹁ふむ。姫君は追いかけっこがお好みか。なら﹂
瞬間、蒼神の姿がブレた。︱︱いや、あまりの速度に目が追いつ
かずに残像だけを捕らえたのだ。
﹁え? なっ?!﹂
たった一歩でこちらとの距離を詰めた蒼神が、いきなり目の前に
現れた。
﹁どうした、こんな程度か?﹂
アイゼルネ・ユングフラウ
反応もままならずに、閃光のような速度で突き出された蒼神の一
撃を、左手の長手袋︱︱盾装備﹃薔薇なる鋼鉄﹄で受けるのが精一
杯だった。
飾り付けられた薔薇の花と蔦とが、ズタズタに切り裂かれて散る。
力負けしたボクの身体は空中で弾かれて後方へと飛ぶ。
﹁遅い﹂
おはこ
それよりも先に突進の運動ベクトルを殺さず︱︱すなわち、ボク
の十八番の三角跳びを行って︱︱進行方向を変えた蒼神が、さらに
弾丸のような速度で追撃してくる。
頭上に振り上げた巨剣が、何の駆け引きもてらいもなく、一直線
1631
に降り抜かれた。
﹁くっ!﹂
ジル・ド・レエ
ラ・ヴィ・アン・ロ
空中で身を捻り、錐揉みする形で﹃薔薇の罪人﹄を床に付き立て、
急制動を掛ける。
ーズ
瞬間、ほとばしった斬線が、ボクの背中の漆黒の翼﹃薔薇色の幸
運﹄を寸断し、勢いあまって床と壁をスパッと豆腐みたいに斬った。
あ、危なかった∼∼っ。もうちょっとで、身体ごと真っ二つにな
るところだったじゃないの! 手足どころか、正中線狙いだったよ
いまのは! 殺す気!?
と思って蒼神を睨み付けると、平然と嘯かれた。
GM
HSM
﹁まあ、殺す気でないと戦闘力を奪えそうにないからな。それにし
ても、ゲームマスター専用のハイスピードモードを使っても、完全
に捕らえられんとは、つくづく大したものだ﹂
どうやらいまの超速度はGMの専用スキルみたいなものらしい。
どこまでチートなんだか。
舌打ちする間もなく、蒼神が距離を縮めてきた。
同時にこちらも床を蹴って、相手に詰め寄る。一瞬、蒼神の顔に
アマデウス
意外そうな表情が浮かんだけれど、無言のままお互いの距離がほぼ
ゼロの状態で、神威剣を横薙ぎに振るう。同時に閃光が幾つも生ま
れた。
相手の速度とリーチがこちらを上回る以上、距離を置いてのこれ
まで通りの戦いは逆に危険。ならば、懐に入って両方を封じるしか
ない。
そう判断して選択した超接近戦だったけれど、これまたどう考え
1632
ても自分の方が一方的に不利な戦いだった。
なにしろ相手は攻撃のみに専念して、防御を捨て、身の安全を省
みないで破壊することのみを考えて、容赦なく攻めれば良いのに対
して、こちらは1撃でもクリーンヒットを受ければ即終了。ひたす
ら躱すしかない。
﹁どうしたどうした、攻めてこないのか? 無駄とわかって諦めた
か?﹂
薄氷の上を踏むような緊張を強いられる膠着状態が何合続いただ
ろうか。密着しての攻防はすでに5分を越え、その間に繰り出され
た攻撃は100を超えるだろう。
見た目一進一退に見える均衡だけれど、その間ずっと受身になら
ざるを得なかったボクの身体は、細かい傷が付き、補給したばかり
の血潮を流しながら後退を強いられていた。
と、勢いに押されて下がった足が、思いがけず硬いものに当たっ
て止まった。
いつの間にか壁際まで下がっていたらしい。逃げ場がない状態で
アマデウス
無理に攻撃を躱そうとして膝が落ち、体勢が崩れ隙が生まれる。
﹁終わりだ﹂
蒼神の手にした神威剣が真っ直ぐに振り落とされる。この体勢か
らでは完全には躱し切れない︱︱その自信に溢れた一撃だった。
ジル・ド・レエ
刹那、ボクの手から﹃薔薇の罪人﹄が転がり落ちた。同時に、崩
れたフリをして曲げた膝から爪先までのバネを総動員して、爆発的
な推進力を作って一気に解放した。
﹁︱︱このォ!﹂
1633
アマデウス
神威剣の先端が届くよりも速く、蒼神の懐へと飛び込んだボクの
剄
を放った。
掌打が、その心臓部分へと撃ち込まれると同時に、さらに全身のバ
ネと関節を総動員して、ありったけの
﹁ふん、この程度何ほどの︱︱なに?!﹂
インパクトの瞬間こそ仰け反ったものの、その後は蚊にでも刺さ
れた表情で、軽く一歩踏み出そうとした蒼神の足が、継続する剄の
ダメージの影響で、本人の意思を無視してガクリと落ちた。
勝機は今!この瞬間しかなかい!
アマデウス
再び腕が届く間合いに飛び込んだボクは、反射的に左手で心臓を
押さえ、右手一本で振り下ろす、蒼神の握る神威剣の柄頭を弾いて
頭上に飛ばした。
アマデウス
同時に跳躍して、空中で神威剣を掴んだ。
そのまま柄を握って振り回す。見た目と裏腹に羽毛のように軽い
!︱︱思った通りだ。GM用の装備ってレベル制限がないので、普
通にボクでも使うことができる!
ゲーム内では制限がかかっていて、多分プレーヤーでは使えなか
った武器。だけれど、この世界ではその手の制限が撤廃され使える
んじゃないかと推測してたけれど︱︱案の定だ。
ジル・ド・
思い起こせば、以前に兄丸さんに襲われた時に、ボクの専用装備
レエ
としてゲーム内では他人が持つことができなかった筈の﹃薔薇の罪
かんしょう
ばくや
人﹄をジョーイが握ったり、兄丸さんの死後、同じくロックが掛か
っていた筈の専用装備﹃干将﹄﹃莫耶﹄をレヴァンに渡したら、普
ビンゴ
通に装備できたので、そのあたりの制限がなくなっているんじゃな
いか⋮⋮と前々からアタリをつけていたけれど、どうやら正解だっ
たらしい。
1634
ズブリ︱︱という骨肉が断たれる音と鈍い手応えがして、蒼神が
驚愕に見開かれた目でボクを仰ぎ見た。
アマデウス
神威剣の巨大な刀身が蒼神の背中を貫き、右肺を貫通して、切っ
先が床へと突き刺さっていた。
真上に飛ばされた剣を空中で掴んで、切っ先を下にして技も何も
なく、手の力と勢いだけで下に落としたのだけれど、思った以上に
上手くいったらしい。
絶対の防御を誇るGMの肉体も、同じく絶対の攻撃力を誇るGM
専用武器には、アドバンテージにならなかったらしい。数瞬の間を
置いて、蒼神の胸の傷から噴水のように血が流れた。
夥しい飛沫が、ボクが流した細かな流血の上を覆い隠す。
◆◇◆◇
この時、緋雪も蒼神も気付かなかったが、二人の流した血の飛沫
が、壁際に並んでいた命珠の一つ︱︱唯一無傷透明で残っていたモ
ノ︱︱に付着してその一瞬、命珠は淡い光を放ったのだった。
1635
第二十六話 死中求活︵後書き︶
過去の伏線がやっと回収されましたw
当時から指摘されたらどうしようと思ってた専用装備のロック機能
です。
バレなくてよかったw
1636
第二十七話 喪神壊天
蒼神は自分の胸元から生えた剣先と、半ば分断された己の上半身
を確認して薄く笑った。
﹁⋮⋮運命をひっくり返したか。流石は緋雪だな⋮⋮そう、未来は
直線ではない。いかに確率が高かろうと未確定の事象であり⋮⋮お
前は自分の望んだ未来をその手にできた。過去を振り返ってばかり
の俺とは違う⋮⋮見事だ﹂
アマデウス
穏やかな表情と口調でそう言われ、神威剣を押し込む手が一瞬止
まった。
ぬる
﹁︱︱だが、まだまだ温いな﹂
蒼神は笑ったまま床に落ちているものを掴むと、串刺しになった
まま片手で無造作にそれを放り投げてきた。
ジル・ド・レエ
アマデウス
それはボクが手放した愛剣﹃薔薇の罪人﹄だった。
ジル・ド・レエ
顔面目掛けて飛んできたそれを躱すため、咄嗟に神威剣から手を
放す。
間一髪、顔の脇を通過した﹃薔薇の罪人﹄が、澄んだ硬い音を立
てて天井へ突き刺さった。
その瞬間、こめかみの辺りに強い衝撃を受け、ボクの意識が、二
呼吸ほどの間刈り取られる。
さっきとは逆だ。わざと追い込まれたフリをして隙を作り、動き
を単調にして誘い込み、相手の武器を利用して反撃した。ボクの手
と同じ。
1637
ジル・ド・レエ
そう、相手の武器が使えるなら、蒼神にとってもそれは同じこと。
これ見よがしにボクの﹃薔薇の罪人﹄を使って見せて、動揺して動
きが雑になったところを、素手で殴り飛ばされたのだ。
﹁甘い。さっさとトドメを刺せば良いものを、どこかで手心を加え
ようとするから、こうなる﹂
胸元を貫通させたまま、刀身を掴んで床から抜き出し、立ち上が
った蒼神がさらに力を込めて、剣を抜こうとする。
﹁させないっ!﹂
アマデウス
痛みを無視して叫びながら突進したボクは、抜き取られようとす
る神威剣の刀身を鷲掴みして、掌が切れて血が流れるのも構わず、
そのまま力任せに真横︱︱蒼神の心臓を両断する手応えを感じなが
ら︱︱へと、一息に押し込んだ。
アマデウス
蒼神の身体をほぼ胸の部分で分断し、自由になった手の感触でよ
うやく一時の興奮状態が治まったボクは、神威剣の刀身から手を放
した。
アマデウス
甲高い音を立てて神威剣が床へ落ちる。
蒼神の傷からとめどなく流出する血潮が床にこぼれ、黒のローフ
ァーを履いたボクの足元を真紅に染めていった。
﹁くはははっ! まったく⋮⋮手間取らせてくれたものだ﹂
途端、瀕死の蒼神の口から吐血と哄笑が漏れる。
その余裕の声に、ボクの中の警戒感が再び高まった。
バックステップで距離を置くボクを、いまだ立ったままの蒼神が
1638
目で追い駆けながら、軽く苦笑を漏らした。
﹁安心しろ。俺の命脈は断たれた。俺の負けだ、従容と滅びを受け
入れるのみ︱︱今更、再戦など挑まん﹂
ほっと肩の力が抜けたけれど、ボクの安堵は次の一言で吹き飛ん
だ。
﹁多少不安な面もあるが、まあ兎に角お前は﹃神殺し﹄を成し遂げ
イニシエーション
た、古い神を殺してより強く若い神が成り代わる、﹃金枝篇﹄でも
お馴染みの通過儀礼だが、これでお前が俺の居た座に就かざるを得
ない⋮⋮おめでとうというか、ご愁傷様と言うべきか⋮⋮まあ、後
のことは任せるぞ﹂
﹁ちょっ、どういうこと!? 神に成り代わるとか、そんなの望ん
じゃいないし、お断りだよ!!﹂
慌てて詰め寄るも、蒼神は安らいだ︱︱いっそ相好を崩して答え
た。
﹁そう言われても、な。先に言ったろう﹃この場を維持している俺
を斃さない限り逃れることはできない。﹄と、維持する者が居なく
なれば俺の世界は崩壊する。
地球世界のように、個々人のカルマ値が高く意識・無意識の観測
で世界を定義し、神不在であっても確固たる法則を築いて揺るぎが
ない、ある意味完成された世界と違い、まだまだ幼く脆弱なこの世
界には﹃神﹄が必要なのだ。そのため先代の神︱︱まあ、魔王でも
呼び名はどちらでも良いが︱︱が斃されれば、自動で斃した勇者が、
その座を受け継ぐようになる。受け継がねば、世界は早晩崩壊する
だろう﹂
なにその、いきなり死んだ親の莫大な借金を背負わされるような
理不尽な展開は?!
1639
しかもキャンセルしようにも、怖いお兄さんたちがバックに居て、
詰んでる状態からどーにかしろっていう投げっ放し感は!!
﹃この場﹄って言うから、てっきりこのメンタルとタイムの部屋み
たいな空間だけを指しているんだとばかり思っていたら、﹃世界﹄
そのものなんて詐欺だ︱︱っ!!!
﹁永かった⋮⋮﹂
心臓を両断された状態で相当苦しいはずだけど、朗らかに笑いな
がら蒼神は続けた。
セーフェル・イェツィラー
﹁﹃形成の書﹄によって世界構築のシステムに組み込まれた俺は死
ぬことも出来ず、またシステムにとっては社会や生態、価値観の多
様性の観測とデータの収集こそが重要であり、それを総括した﹃世
あやせかなで
ひゆき
界﹄そのものにこそ関心はあれど、個々人の生命など計上するもの
ではないとの認識から、﹃綾瀬奏﹄もしくは﹃緋雪﹄個人を復活さ
せるという、俺の個人的な願いは叶わなかった﹂
セーフェル・イェツィラー
﹃形成の書﹄の傲慢さを責めるべきか、﹃世界﹄を創るという命題
を無視して、死んだ人間を個人の都合で勝手に生き返らせようとし
た蒼神の身勝手さを責めるべきか、どっちもどっちと思えて、ボク
は黙って話を聞いた。
それにしても、いまさらだけどここにいるボクって何者なんだろ
うねぇ? 蒼神が作った複製じゃないとは思う︵まあ、自分が本物
だと信じている偽者の可能性もあるんだけど︶けど、この場に居る
ということは、誰かの明らかな作為を感じるねえ。
﹁⋮⋮とは言え実体として存在する以上、いつまでもただ独りでは
1640
よし
セーフェル・イェツィラー
いられなかった。まあ、主観時間で5000年程は人間の存在しな
い世界にいたのだが、それを由としない﹃形成の書﹄の干渉により、
一部の動物が進化し獣の特徴を持った人類に酷似した種族が生まれ
たため、やむなく俺は人間の存在する世界を構築した。せめて醜い
争いと無縁でいられるように、他種族と競合しないよう手厚く保護
し、惜しみない助力を与え。だが、そうした場合必ずと言っていい
ほど、人間は堕落するか無気力となって衰退していった⋮⋮﹂
蒼神は大きくため息をついた。
﹁ならばと規範や道徳を宗教という形で浸透させ、さらに目に見え
る数値として﹃カルマ値﹄を設定したが、これまた時間の経過と共
に個人・民族間の差別を助長する温床へとなった。
人間同士がわだかまりを捨て手を取り合う方法はないのか? 俺
エターナル・ホライゾン・オンラインモンスター
は人間以外の外敵を作ることで協力体制を構築できるのではないか
と、﹃E・H・O﹄のMOBデータを元に、魔物を作り出しこれと
敵対するよう仕向けた⋮⋮だが、いつも同じだ。その場しのぎの対
処療法にしかならず、人間は必ず堕落し、相争う。何度壊し、やり
直したことか⋮⋮まるで砂時計を毎度引っ繰り返すように、変わら
ぬ毎日の繰り返し。
いつの間にか、理想の世界を作るという目的は見失い、惰性で日
々を過ごしていた。死にたくても俺と言う存在は世界のシステムに
組み込まれ、不可分と化しているためにそれすらできない。可能性
としては﹃神殺し﹄が存在するのであれば、俺は解放される⋮⋮だ
が、脆弱なこの世界からそうした者が生まれる可能性は、ほぼゼロ
に等しかった﹂
﹁︱︱って、ちょっと待った! なんか妙に君の言動と感情がチグ
ハグ⋮⋮﹃俺のモノ﹄とか﹃オンナになれ﹄とか言うわりに、どー
にもやる気がないというか、ぶっちゃけ欲情してる様子がなかった
1641
けど、つまるところ私のことなんてなんとも思ってなくて、ただ単
に怒らせて自分を殺させ、嫌な役目をバトンタッチするのが目的だ
った︱︱ってことだよね、それって!?﹂
こんだけ堕落したこの馬鹿者のことなんて1ミリたりとも好きじ
ゃないけど、好きでもないのに﹁好きだ﹂と連呼されて、﹁嘘ぴょ
ーん﹂って、なんかそれはそれでムカつくねえっ!
ボクの不本意そうな顔を見て、蒼神︱︱いや、デーブータさんは
ほろ苦く笑った。
﹁いまさらだが、俺にとって君は特別なひとだ。だから⋮⋮変わら
ぬ君がこの世界に現れた時、思った。君にこの世界を託そうと。君
は俺が間違っていると言ったが、その通り⋮⋮俺は間違っていたの
だろう。だが、間違いを正していまさら善人面をするには、俺の手
は汚れ過ぎている。⋮⋮だから、最後に全ての過ちと、全ての罪を
背負って俺は逝く。迷惑を掛けることになるが、どうかこの世界の
行く末を頼む﹂
そう言うと、デーブータさんは力尽きたのか、その場に崩れ落ち
た。
﹁⋮⋮⋮﹂
段々と命の火が消えかけているのだろう。苦しい息の下、俯いて
肩を震わせているボクを見て、蒼神が満足げに微笑んだ。
﹁⋮⋮泣いてくれるのか。だが悲しむことはない。また、君に罪は
ない。あるのは神の名を騙る罪人が1名消え去り、この世界の不幸
が終わるのだから﹂
穏やかなその言葉に、とうとう我慢できなくなったボクは、顔を
1642
上げて倒れ伏すデーブータさんの胸元を引っ掴んで、無理やり上半
身を引き上げた。
﹁だから君は駄目なんだよっ!!﹂
怒りに震えるボクの剣幕に、棺桶に身体の9割方突っ込みかけて
いたデーブータさんが、戸惑った顔で続く言葉を飲み込んだ。
﹁なんでそう安易に諦めるわけ! 自己完結で全部決めるの!? この世界に生きる人をどうして信じないの!! だいたいねぇ、皆
が皆、自分に出来ることを背一杯頑張っているっていうのに、狭い
世界に属して、なに満足してるわけ!? なにが﹃この世界の不幸
が終わる﹄だ! 知った口をきいて! 自分で前に進まず、他人任
せにして⋮⋮怖いから目をつぶっていただけじゃない! 最期は死
リザレクション
に逃げ? それも面倒事は人に任せて!﹂
ボクは右手に﹃完全蘇生﹄の魔法の光を灯した。
﹁このまま状況に流されて、おちおち死ねると思わないことだね!
死ぬなんて許さない︱︱君には生きて償ってもらうよ!﹂
宣言するなり有無を言わさず右手をデーブータさんに向ける。
ボクの本気を感じたのだろう、唖然とした彼の顔が、困惑、苦悩、
煩悶⋮⋮と次々に変化して、最後に諦めに変わった。
﹁まあ、それほど難しく考えることはないさ。さっきの話じゃない
けど、半分くらいは私が肩代わりしてあげるから。︱︱あ、オンナ
になるとかいうのはナシでね﹂
リザレクション
ボクの言葉に苦笑して、デーブータさんは目を閉じて頷いた。
安心して完全蘇生を彼に掛けようとした︱︱瞬間、ゾブッという
鈍い音が自分の体内から響いてきて、同時に猛烈な熱さを下腹部辺
りに感じた。
1643
﹁⋮⋮え⋮⋮?﹂
アン・オブ・ガイアスタイン
見れば、デーブータさんの半ば断ち切られた傷口から、細い男の
右手が蛇のように伸び、一撃でLv99の戦闘ドレス﹃戦火の薔薇﹄
を貫手がやすやすと貫いていた。ボクの背中に鋭い爪の先端が現れ
ている。
﹁が︱︱はあっ!?﹂
これらを認識した途端、カッと燃えるような猛烈な痛みとともに、
口から大量の血が流れた。
ブン!と、まるでゴミでも掃うかのように一振りされた腕によっ
て、軽々と放り投げられたボクの身体が、近くにあった石柱に叩き
リジェネレート
付けられて、ずるずると血の跡を残しながら床へと落ちた。
﹁ぐ⋮⋮く⋮⋮う﹂
レッドゾーン
通常のヒールでは足りないので、上位呪文の連発プラス自動回復
スキルの重ね掛けをして、一息に危険領域に突入する勢いで減少し
かけていたヒットポイントを、多少手間取りながらも満タン状態に
アン・オブ・ガイアスタイン
戻し、風穴を開けられたお腹の傷も消すことができた︵まあ、穴の
開いた﹃戦火の薔薇﹄は修理するしかないけど︶。
それから投げられた衝撃でふらふらしながらも、立ち上がったボ
クの目の前で、デーブータさんの肉体の殻を破って、白い手︱︱い
つの間にか左右両手に増えていた︱︱が、メキメキと傷口を上下に
軋ませながら、さながら昆虫が脱皮するが如く、割れ目を押し広げ、
筋肉繊維や血管を引き千切り始める。
あまりのグロテスクさに目を背けたくなるのが我慢して見詰める
1644
間に、すでに意識のない︵死んでいる?︶デーブータさんの抜け殻
を破り捨て、一人の男が上半身を持ち上げた。その男は、青い長髪
を一振りして、ボクの顔を見ると、にやりと嗤い下半身も引き抜い
て、軽やかな仕草で床の上へと舞い降りた。
見た目は20歳前後の青年に見える。人種は不明。身長は185
センチ前後ってところだろうか。等身は高くて手足が長い、無駄な
筋肉やまして贅肉など一切ない野生動物のようなプロポーションだ
った。
瞳は海のような蒼で、彫りの深い顔立ちは中性的で、そこには男
性の逞しさと女性の優しさ、同時に男の暴力性と女の残酷さが混在
していた。
﹁まったく、どこまでも使い物にならない出来損ないだ。︱︱お陰
で、この俺が表に出ないとならんとは﹂
面倒臭そうに言うデーブータさんから出てきた謎の男は無視して、
リザレクション
ボクは事切れているデーブータさんへ向けて、改めて中断していた、
完全蘇生を掛けようとした。その瞬間、魔法のように︵ま、実際魔
法なんだろうけど︶、男の掌の上に、部屋の隅に1個だけ残ってい
た無色透明の﹃命珠﹄が現れた。
リザレクシ
﹁おっと。俺が居る状況で、この馬鹿を復活させるのは二重存在の
矛盾を生じさせる。そいつは御免こうむらせてもらう﹂
ョン
意味不明な戯言を無視して、ボクはデーブータさんへ向け完全蘇
生を放つ。
リザレクション
パキン!と軽い音を立てて、男の手の中にあった命珠が粉砕され、
同時に完全蘇生がデーブータさんの身体を包んだ。
1645
けれど︱︱
﹁効かない?! なんで?﹂
リザレクション
﹁命珠を破壊したからな。存在自体が消え去ったんだ、完全蘇生は
効果がない﹂
手の中に残った命珠の残骸を、デーブータさんの死体の上に投げ
捨てながら、男は軽い口調で答えた。
﹁命珠って⋮⋮なんで、それって⋮⋮?﹂
疑問が多すぎて言葉にならないボクを見て、男はサメのように尖
った歯を見せて嗤った。
﹁奴はこれをお前︱︱いや、﹃エターナル・ホライゾン・オンライ
ン﹄の﹃緋雪﹄のデータが入っていた抜け殻だと思っていたようだ
が、事実は違う。奴は何度も自分のことを﹃空虚﹄と言っていたが、
まさにその通り、この﹃透明の命珠﹄こそが奴自身の命珠だったの
さ﹂
リザレクション
足元に落ちているデーブータさんだった遺体を見下ろし、哄笑を
放つ謎の男。
彼の言葉を無視して、何度か完全蘇生を掛けたけれど、宣言通り
効果がないのを実感して、ボクは諦めて意識の矛先を、この謎の男
へと向けた。
﹁︱︱で、そういう君はいったい誰なのかな?﹂
ボクの問い掛けに青年はニマニマ笑いながら、おどけた調子で肩
をすくめた。
1646
セーフェル・
﹁見ての通り、このデブの﹃中の人﹄って奴だ。いまさらだが、ハ
イェツィラー
ジメマシテと言うべきかな緋雪ちゃん? 俺が蒼神であり、﹃形成
の書﹄に世界創造を委託された、この世界の真の創造主となる﹂
そう大仰に両手を広げて堂々と宣言する自称・真の蒼神。
確かに見た目は神々しくはあるんだけれど⋮⋮なんでこいつも素
っ裸のまま、恥ずかしげもなく見せびらかすんだろうねぇ!?
ボクはなんかいろいろ一杯一杯のせいか、どうでもいいことを考
えて、ため息をついた。
1647
第二十七話 喪神壊天︵後書き︶
中の人登場ですが、ラストスパート。
1648
第二十八話 暴虐之神︵前書き︶
大詰めとなります。
1649
第二十八話 暴虐之神
﹁状況はいかがですか?﹂
いつでも退避できるよう︵とはいえ、どんな不測の事態が起きる
くらし
か不明な以上、あくまで気休めにしかならないのだが︶、全長10
きょむ
メートルを越える翼のある虎︱︱七禍星獣№4、蔵肆の背中に乗っ
たままのオリアーナ皇女が、大陸の7割方を呑み込んだ虚霧を前に
気遣わしげな表情で、左右に控える護衛役の魔将たちに尋ねた。
ごうん
ちなみにその後ろにはクリストフ大公子が同乗し、少し後方にレ
ごうん
ヴァンとアスミナがそれぞれ七禍星獣№5︻麒麟︼の五運︵雄︶と
五雲︵雌︶に跨って、同じく真剣な面持ちで虚霧を見詰めている。
本来は全員、空中庭園で待機しているべきところだが、本日、天
む
涯達が大挙して地上へ出撃したという知らせを聞いて、居ても立っ
てもいられずに無理を言って付いて来たのだった。
はくたく
問い掛けられた面々も困惑した顔で顔を見合わせる。
つ
と、白い獏︱︱瑞獣である白澤にして、同じく七禍星獣№6、陸
うんがいきょう
ほずみ
奥の背中に乗った赤い着物を着た10歳ほどの黒髪の少女︱︱七禍
星獣№8の︻雲外鏡︼八朔が、恥ずかしげに手にした鏡のキューブ
をカチャカチャと動かした。
ちなみに彼女の場合は、緋雪と陸奥以外の誰に対してもこんな調
子である。
途端、彼らの周囲の空中に、四角い鏡が大量に現れた。
1650
﹁これは⋮⋮?﹂
様々な角度で虚霧の前や上空に控える魔将たち。さらに避難指示
をしている獣王たち獣人族。避難民の救助や支援をしているジョー
イたち冒険者。限界ギリギリまで人々を乗せて大陸を離れる帝国海
軍魔導帆船︱︱﹁ベルーガ号!﹂クリストフが短く歓声を挙げた︱
︱などの様子が、あたかも窓越しに覗いているような鮮明さで、次
々とオリアーナたちの目前に表示された。
﹁ほむぅ。虚霧の拡大は姫様が突入してから、ピタリと止まってい
るんだな。あれから3日経ってるけど、小康状態のままだから、避
難もかなり進んでいるようだね﹂
眠たげな口調で陸奥が解説する。
﹁姫陛下が⋮⋮姫陛下はご無事なのでしょうか?﹂
すさ
﹁いまのところ確認はとれてないけど、均衡状態になっているって
ことは、大丈夫じゃないかってのが、周参たちの分析だねぇ﹂
﹁⋮⋮そう、ですか。きっと姫陛下があそこで戦ってらっしゃるの
ですね。⋮⋮きっと勝利をして、この未曾有の事態を収束させてく
だるでしょう。︱︱とはいえ、黙ってここで見ているだけというの
も歯がゆく思われます。もっと他に出来ることがあるのではないか
と⋮⋮﹂
同感とばかり強く頷くレヴァンたち。
これ
﹁⋮⋮ねえねえ、ところでさぁ。虚霧って、いまのところ動いてな
いけど、実は嵐の前の静けさってゆーかさ、バネみたいに力溜めて
いて、いきなり、ポン!と弾けるとかの前兆だったりしないかな?
1651
なーんてね。てへぺろ☆﹂
と、並んで飛んでいた見た目は花の女神としか形容できない、白
いトーガを着た、ほんわかした雰囲気の美女が、やたら軽い笑顔と
口調で、空気を読まない発言をする。
﹃⋮⋮⋮﹄
フェイ
いずみ
その場にいた全員が聞かなかったフリをして、八朔の作り出した
ひとり
ライブ映像へと視線を戻す。
十三魔将軍の一柱、︻守護精霊︼の泉水。空中庭園でも屈指の美
貌と、息を飲むほど優美な曲線を誇示する佳人ではあるが、見た目
とは裏腹に底抜けに軽く明るい性格のため、イロイロと台無しな女
性であった⋮⋮。
にい
﹁それはそうと、レヴァン義兄様。こうして雌雄一対の麒麟様のお
背中に乗せていただけるなんて、これはもうお互いに比翼の鳥、連
理の枝と認められたようなものだと思うんですけど?﹂
﹁錯覚だ﹂
一方、アスミナはアスミナで相変わらず、ブレない発言でここだ
け異次元空間を構築していた。
﹁天涯様たちが虚霧の上空に集合されていらっしゃるようですが、
なにが始まりますの?﹂
﹁おおぅ、なんかスルーされて、自然な流れで展開を変えられた!
?﹂
﹁ああ、周参が虚霧の一番弱そうな場所を見つけたって言うんで、
全員で攻撃する手筈になっているんだよ﹂
なんか衝撃を受けている泉水は無視して、会話を続けるオリアー
ナたち。
1652
さかき
気を利かせたのか、天涯をはじめ四凶天王全員と十三魔将軍、空
中要塞とでも呼ぶべき超重装備の親衛隊長榊などの実力者たちが、
虚霧の真ん中︱︱元凶ともいえる﹃蒼き神の塔﹄が真下にあったあ
たり︱︱へと終結している映像が映った鏡が、一番手前に寄せられ
た。
なゆた
﹁効果が期待できるのですか?﹂
﹁どうかな、気休め程度⋮⋮那由他分の1程度の確率で、内部まで
影響を及ぼせる可能性がある、といった程らしいねぇ。それもどん
な結果がでるか不明らしいし﹂
とは言え、緋雪が消えて3日。座視できず何かしらの行動を起こ
さずにはいられないという彼らの気持ちは、痛いほど良くわかった。
﹁刺激した結果、ポンッ!とトドメを刺しちゃったりして∼﹂
ほんの冗談のつもりで言ってるのだろう、泉水の合いの手に嫌∼
な顔を見合わせる、その場の他の面子。
﹁まあ、その可能性も無きにしも非ずであるな。念の為、攻撃が始
まった際には、各々方は空中庭園まで退避されるがよろしかろう﹂
麒の五運がため息混じりにそう提案した。
﹁⋮⋮はじまった﹂
鏡を操作していた八朔が、ポツリ呟いた。
◆◇◆◇
1653
警戒するボクを宥めるように、デーブータさんの中から出てきた
真の﹃蒼神﹄を名乗る青年が、にこやかに微笑みながら、口を開い
た。
﹁ああ、はじめましてとご挨拶しましたけれど、俺はずっとこいつ
の中に居て情報を共有してましたので、まったくの別人というわけ
ではありませんよ。そもそもこの場は緋雪さんと俺以外の因子は入
れないようフィルタリングされてますので、外部から進入したわけ
ではありません。もともと内包されていたものです﹂
おわかりですか?と首を傾げる蒼神。
﹁この男は実に下らん人間でしてね﹂
それから胸元で分断されたデーブータさんの遺骸を顎で指した。
﹁社会が成熟し、この世界の人間が一定の文化・文明を持ち、明瞭
な自我に目覚めるようになり、原始的な宗教における崇拝の対象か
ら︱︱一方的に畏れ敬われた対象から、神学における体系化された
神と見なされ、教義に縛られ、不完全ながらも対話による交渉相手
と看做され、頻繁に人間と対峙するようになると、すっかり引き篭
もりになりましてね⋮⋮まあ、もともと底の浅い下らん人間でした
から、メッキが剥がれるのを危惧したのと、被造物であるこの世界
の人間が、創造主である自分より高尚な思想を持つようになったこ
とを認められないコンプレックもあったのでしょう。
その結果、生み出したのが自分の変わりに面倒事に対応する、自
分の理想とする自分の﹃蒼神﹄ですよ。学生時代や社会に出て思い
ませんでしたか、﹃自分の代わりに学校や職場に行ってくれるコピ
ーロボットがいればいいな﹄って? あれですよ。︱︱まったく。
1654
救いようがない﹂
思い出して肩を振るわせる蒼神。
﹁その辺りはまったくの同感だけどさ。その作られた筈の君が、ど
ういうわけで主客逆転しているわけ?﹂
ボクの質問に、蒼神がよくぞ聞いてくれましたとばかり微笑む。
まったくなんとも思っていなくても、無意識に胸が高鳴る微笑みだ
った。
俺
という自我が確立するに従い、彼と無意識領域で主
﹁もともと彼とは記憶の共有ができる仕様になっていたのですが、
いつしか
導権争いが起こりまして。︱︱ご存知ですか。解離性同一性障害の
場合、主観的体験を全て包括した主人格と、部分的に切り離された
交代人格があることを?
本来であれば後発で人工的に生み出された俺が、元々の人格に対
して優位に立つことは、まずあり得ないのですが⋮⋮この馬鹿の精
神的なモロさといったら。いや、本当にあっという間に逆転するこ
とができましたよ。本当に笑うしかない愚かさですね﹂
軽く肩をすくめる蒼神だけれど、その話を聞いてボクは首を捻っ
た。
﹁主人格と交代人格の立場が逆転したのはわかったけど、﹃創世神﹄
としての権能を与えられたのは、元々のデーブータさんだったわけ
じゃないの? 彼が居なくなったのに、どうしてこの場が維持され
ているわけ?﹂
セーフェル・イェツィラー
﹁ああ、オリジナルも言ってましたが、﹃形成の書﹄にとっては﹃
1655
個人﹄などというものは計上するほどの価値がないのですよ。です
から、彼=俺という形で権能は使用できる。ただし、同じパスワー
ドで二重ログインできないようなもので、どちらか片方しか使用で
きませんので、用済みの彼にはさっさと退席していただきました﹂
そこで不意に笑みの形をそれまでの人畜無害なものから、獲物を
前にした猛獣のそれに変えた。
﹁それともう一つ。緋雪さんが俺に勝って、無事にここから出られ
るなんて未来はあり得ないんですよ。その辻褄あわせの為に、俺と
いう存在が顕在化した⋮⋮いや、ひょっとするとこの日の為に、俺
が配置されていたのかも知れませんね。鶏が先か卵が先か︱︱まあ、
パラドックスですけど、さっさと歴史を修正させていただきます﹂
その瞬間、ぞく、と悪寒がして、ボクは反射的に身を屈めた。空
アマデウス
気どころか光すら分断する勢いで、いつの間に手にしていたのか、
﹃神威剣﹄︱︱だろう、水晶のような透明の3×1メートル程の刀
身を外し、2メートルほどの黄金に輝く諸刃の長剣と化したそれ︱
︱が、横薙ぎに疾っていた。
ヴァーサス・アマデウス
﹁ちなみにこいつは﹃真神威剣﹄。鞘を外した本来の姿です﹂
いつの間にか背後を取られていた!︱︱身体を捻ってその場から
距離を置こうとする。その瞬間を狙って、横腹を思い切り蹴り上げ
られた。呼吸が止まると同時に、肋骨の何本かが圧し折れる音を聴
いた。
成す術なく空中に身体が浮き、喜悦を放つ蒼神の顔が見えた。
同時に顔を殴られ、首が捻じ切れそうになる。ツンとした鉄の匂
いが鼻の奥に広がり、目を見開いているのに、目前の光景がチカチ
カとフラッシュに包まれわからない。
1656
﹁が⋮⋮は⋮⋮﹂
リジェネレート
気が付けば冷たい石畳の床の上に仰向けに倒れていた。先ほどの
HP・MP自動回復スキルのお陰で、じわじわと回復はしているけ
れど、痛みと衝撃はなかなか収まらない。
知らない間に、ポタポタと涙が流れていた。
そこへ裸足の足が近づいてくる。ボクは勘だけで見当をつけて、
相手の顔目掛けホーリーライトを放った。
瞬間、蒼神の姿が消えて、まったくの逆方向から蹴り飛ばされた。
床の上を2転3転して、うつ伏せになる。
ハイスピードモード
︱︱H S M!
デーブータさんが使っていた時には、あくまで直線的な動きで凌
駕しているに過ぎず、瞬間的な反応や曲線的な動きには対応できな
かったのだが、この蒼神は完全にその能力を使いこなしていた。
﹁手癖が悪いな。悪い子にはお仕置きが必要だな﹂
蒼神の声が聞こえたかと思うと、右肩のあたりを片脚で押さえら
れ、右腕を掴まれた︱︱と思った瞬間、そのまま一気に背中向けで
捩じ上げられた。ボキッ、と嫌な音がして、骨が折れたのがはっき
りとわかった。
﹁︱︱っっっ!!﹂
声にならない悲鳴が口から漏れ、とめどなく涙が流れる。
意識が遠くなる寸前に、また蹴り飛ばされ、仰向けにさせられた。
左手でなんとか起き上がろうとしたけれど、頭を殴られ、胸の中心
1657
を踏みつけられ息が止まった。
﹁さて、そろそろいただくとするか﹂
どこか粘着質な響きのあるその言葉に、本能的にゾクリと全身に
震えが走り、必死にその拘束から逃れようとしたが、
﹁なかなか往生際が悪い。いや、これはこれで躾け甲斐があるとい
うものかな。︱︱とは言え、まだ立場がわかっていないらしいな﹂
嘲笑を放ちながら、蒼神はボクの左手を取ると、無造作に人差し
指を捻り折った。
﹁あああーっ!﹂
リジェネレート
腕の骨を折られた時よりも、さらに凄まじい痛みに、全身が痙攣
を起こした。自動回復スキルは効いている筈だけど、継続して与え
られるダメージが大きすぎるのか、いつまで経っても痛みはなくな
らない。
続いて中指も折られ、痛みの凄まじさに意識がふっと遠くなった。
﹁こんなものか﹂
ひゅうひゅうと口元から漏れる自分の呼吸の音だけが、やけに耳
につく。
ヴァーサス・アマデウス
アン・オブ・ガイアスタイン
スカートの下から冷たいものが胸元まで差し込まれた。それが抜
き身の真神威剣だと気付く間もなく、下着ごと﹃戦火の薔薇﹄が一
気に切り裂かれ、最後に残ったショーツも無造作に剥ぎ取られた。
﹁ああああ⋮⋮﹂
自分の身になにが起きようとしているのか。理解した途端、自分
の口から出たとは思えない、弱弱しい子供みたいな悲鳴が、他に誰
も居ない室内に響いた。
1658
◆◇◆◇
ゲイザー
すさ
虚霧の天頂付近に浮遊しながら、数多の分身体を配置していた七
禍星獣№3にして筆頭たる︻観察者︼周参は、刻々と変化する虚霧
の流れを観察しながら、その場所を探し出すため、かつてない集中
を強いられていた。
一見、単なる雲か霧にしか見えない虚霧であるが、これが閉鎖さ
れた虚数空間であるのは判明している。
ウイークポイント
あらゆる攻撃を受け付けないこの虚霧だが、発生した以上、基点
となる場所は存在する筈。そしてその場所が唯一の弱点となる可能
性は高いと判断している。
だが、常に虚霧の表面は変動していて、それに併せて基点自体も
移動している。ゆえに砂漠に落ちた針を探すのに等しい作業だが、
3日3晩の観測によりある程度の法則性︱︱と言ってもほとんど山
勘に等しいが︱︱を見出した周参は、その場所を特定し最大限の攻
撃を加えるべく、魔将のほとんど全員をこの場へと招集していた。
まあその際に鳴り物入りで魔将たちが集結したため、一部関係な
い連中も参加して、総数10000名余りの大所帯になってしまっ
たが⋮⋮取りあえず、手が多いに越したことはないだろう。
ダイヤモンド
︱︱稚拙な例えだが、金剛石に特定の角度から適切な力を加えれ
ば、金槌で壊すことができるのと同じことだ。場所がわかったとこ
1659
ろで、問題はどれほどの力を加えれば良いのかは不明だからな⋮む
っ!
その瞬間、周参本体と分身体の視線が、大地を覆い尽くす虚霧の
一点へと集中した。
﹁見つけたぞ! ここだっ!﹂
刹那、周参の単眼から赤い光線が延び、基点たる虚霧のその部分
きら
に当たった。攻撃力はまったくない、合図の為だけの光線である。
﹁綺羅殿っ!!﹂
﹁承知!﹂
打てば響く調子で、虚霧の上を浮遊していた半人半魚︱︱いわゆ
る人魚に似ているが、大きさと気品、何より優美な鎧と顔には白い
トライデント
仮面を被った姿は優美さよりも、猛々しさを感じる︱︱が、空中を
泳ぐように移動して、周参が示した場所に向け、手にした三叉槍を
投擲した。
トライデント
通常の武器であれ、緋雪の持つLv99装備であれ、一瞬で消滅
する虚霧ではあったが、彼女が投擲した三叉槍は、虚霧の表面でピ
タリと止まり、飲み込まんとする虚霧相手に雷光を発し、ギリギリ
の抵抗を見せていた。
それがし
﹁各々方、お急ぎくだされ。某の鍛えし対虚霧用槍でござるが、不
トラ
本意ながらさほど抗えるものでもございませぬ! 急ぎ攻撃なされ
よ!﹂
テルキーネス
イデント
鍛冶王の異名に掛けて、この時の為に作り上げた標識たる己の三
叉槍を指差す綺羅の声に応えて、その場に集結していた円卓の魔将
をはじめとする魔物たち全員が、自分の持つ最大の攻撃を、その場
1660
所目掛けて撃ち込んだ。
トリプル・ラグナ・スプライト・ブレス
ディメンジョン・スラッシュ
﹁崩滅放電咆哮三重連撃!!﹂
グラビティ・アクチュエータ
﹁次元断層斬!!﹂
﹁重力加速消滅波!!﹂
﹁喰らうがよい、大極無限演舞!!﹂
﹁うおーっ! 日輪落しーっ!!﹂
﹁獅子聖光瀑咆!!﹂
・
・
・
・
・
離れていても大地が震え、閃光が乱舞するその光景の凄まじさに、
鏡越しとは言え、さすがに肉眼では直視できなくなり、オリアーナ
たちは目を逸らせた。
ハッとして八朔が慌てて鏡を消す。
しょんぼりして下を向いた彼女は、自分を乗せている陸奥の様子
がおかしいのに気付いて、首を捻った。
﹁⋮⋮どなたかな⋮⋮夢経由で、僕に話しかけてくるのは⋮⋮懐か
しいような⋮知らないような⋮⋮﹂
宙に浮かんだまま、睡魔と戦う形で夢うつつで誰かと話し続ける
陸奥。
﹁姫様が危ない⋮⋮? それでは⋮⋮どうすれば⋮⋮﹂
﹁おい! どうした、陸奥?﹂
1661
異常を察して近寄ってきた蔵肆を眠たげに見て、陸奥は力なく答
えた。
﹁⋮⋮僕はこれから眠りに入らないといけない。夢は現在・過去・
未来に囚われない⋮⋮姫様を助けるには⋮⋮夢を経由するしか⋮⋮
ない。だから、僕を⋮もっと攻撃の近くに⋮⋮運んで⋮⋮﹂
そう言うと完全に眠りに落ちて、そのまま地面に崩れ落ちそうに
なるところを、蔵肆は慌てて前脚と口で咥えた。
﹁連れて行けって言われても、お客さんもいることだしなぁ﹂
ちらりと背中のオリアーナとクリストフを見る。
﹁わたしたちのことはお気になさらないでください! 姫陛下の危
機とあらば、即刻向かうべきです!﹂
﹁そうです。それで何かあろうとも、緋雪様を救えるなら本望です
!﹂
二人の言葉に、レヴァンとアスミナも同調する。
﹁勿論、オレたちも行きます! 何かの役に立つかも知れませんか
ら﹂
﹁役に立たなくたって応援くらいはします! 兎に角、急いだ方が
いい︱︱そんな気がします!﹂
4人の熱意と巫女であるアスミナの言葉。何よりも緋雪の危機と
聞いて、じっとしていられるものではない。
無言のうちに魔将たちは頷き合った。
﹁わかりました。なにがあろうと、わたくしたちが命の限りお守り
いたします﹂
1662
決意を込めた五雲の言葉に、オリアーナたちは力強く頷いた。
1663
第二十八話 暴虐之神︵後書き︶
本編は次話で終了予定です。
あとエピローグになりますが、そこまで一気に書き進められるかは
微妙なところですね。
1664
最終話 夢薔薇色
森閑とした空間に、しばし、びりびりと乱暴に布を破り捨てる音
がして、それが収まると﹁ふっ﹂と満足げな男の吐息がこぼれた。
余人を介さない閉鎖された神殿。
この世界の創世神にして、この神殿の主である青い髪の青年︱︱
蒼神は、己の身体の下で小さく震える乙女︱︱緋雪の姿を見下ろし、
喜悦の表情を浮かべた。
柔肌に引っ掛かるようにして残っていた、全ての衣装と装飾品を
投げ捨てられ、一糸纏わぬ姿にされた彼女は、まるで生まれたての
小鹿のように震え、それでも必死に束縛から逃れようとしている。
だが、体格、体重、腕力。全てが大人と幼稚園児ほども差がある相
手から逃れられるわけがない。
薔薇のコサージュが床に散乱する中、ほっそりと白くて瑞々しい
ヴァーサス・アマ
細腕と、褐色の肌に筋肉が浮き出た自分の腕が絡みつく対比に、青
デウス
インベントリ
年は征服感と加虐心を満足させながら、手にした長剣︱︱﹃真神威
剣﹄︱︱を収納スペースにしまい込み、再び無造作な仕草で少女の
指を折った。
﹁かあああ︱︱っ!!﹂
とめどなく涙を流しながら、痛みに背筋を反らせる緋雪の胸をぎ
ゅっと掴み、必死の抵抗を片手で封じる。
1665
リジェネレート
﹁そろそろ自動回復スキルの効果も切れてきた頃合でしょうかね?
折れる指がある内におとなしくしてもらいたいものですが﹂
優しげに言い含めるように喋りながら、さらにもう一本指を折る。
緋雪の口からはもう悲鳴は出ず、ぐったりと仰向けに横たわるだ
けの人形と化した。
ジル・ド・レエ
虚ろに見開かれた瞳に映っているのは、白々とした光を放つ石の
天井と、その一箇所に突き刺さったままの愛剣﹃薔薇の罪人﹄の輝
き。
﹁そう、それでいい﹂
満面の笑みで囁きながら、蒼神は改めて緋雪の華奢な肢体を間近
で眺め、余すところなく視線を行き来させる。
完成された成人女性の官能的な体つきとは違うが、まさにこれか
ら花開く寸前の大輪の蕾を連想させる、未完成ゆえの儚さと、凛と
張り詰めた処女雪の静寂がここにはあった。
片手ですっぽりと覆える小振りの乳房はいまだ固めながら、形良
く新雪の如き白い山肌に散る桜色の頂の、なんと可憐なことか。片
手で握っただけで折れそうな細くくびれた腰つきと、丸みを帯びた
腰に至るなまめかしさ。ひっそりと咲く花弁の奥に湛えられた蜜は、
どれほどの芳醇な芳香を放つのだろうか。
狂躁状態だった蒼神が、ごくりと唾を飲み込んだ。
﹁元男性でゲームデータを元に作られた肉体というバックボーンを
知ってはいても、魅せられるものですね。まあ、もともとデーブー
タという男自体が、生身の貴方に恋慕し邪な気持ちを持ってました
からね。女性と化した以上、誰はばかることなく想いを遂げられる
1666
というものです﹂
僅かに興奮で荒い息になりながら、蒼神は緋雪の下肢に手を伸ば
した。
愛撫と言うには荒々しい手つきで蹂躙され、緋雪の柳眉が苦しげ
に歪められる。
そのまま無理やり事に及ぼうとした︱︱瞬間、蒼神は微震のよう
な僅かな揺れを感じて、不快げに顔を上げた。
﹁⋮⋮なんだ? 虚数空間に設置されたこの場に影響を及ぼす攻撃
だと?﹂
きょむ
インペリアル・クリムゾン
パチリと指を鳴らすと、天井が全面スクリーンのように変化して、
いままさに渾身の力で虚霧に向かって攻撃を加えている、真紅帝国
旗下の従魔や協力者たちの姿が映し出された。
﹁ふん。ゴミどもが主同様、往生際が悪い﹂
鼻を鳴らしてその必死の様子を嘲笑う。
﹁マグレで閉鎖空間を揺らす程度はできるだろうが、虚霧を散らす
には到底足りん。虚しいあがき⋮⋮いや、見上げた忠誠と言うべき
かな? なあ緋ゆ︱︱くっ?!﹂
その自信に満ちた態度が、思いがけない衝撃で中断される。
ジル・ド・レエ
背中に突き立ったそれ︱︱僅かな衝撃によって天井から落ちてき
た、緋雪の﹃薔薇の罪人﹄︱︱を見て、蒼神のイラつきが頂点に達
した。
1667
ジル・ド・レエ
﹁薔薇の罪人⋮⋮こんなナマクラ!﹂
刹那、一連の出来事を受けて瞬間的に生気を取り戻した緋雪は、
身体を捻った蒼神の背中に向けて、指の折れた手を伸ばした。
﹁ぐっ︱︱貴様っ!﹂
慣れ親しんだ愛剣の柄を握ると同時に、蒼神に蹴りを入れて半ば
這うようにして距離を取る。
1回の回復量は全ヒットポイントの1割強であるものの、クール
タイムの短いヒールを連発して、折れた体中の骨を繋ぐ。
ヴァーサス・アマデウス
﹁ふん、そんな玩具で俺の真神威剣と勝負になると思っているのか
インベントリ
? おめでたいな!﹂
収納スペースから、輝く黄金の長剣を取り出して哄笑を放ちなが
ら、無造作に緋雪との距離を詰める蒼神。
、、、、
ようやく回復した緋雪は立ち上がると、踵を返してその場所目掛
けて裸のまま走り出した。
﹁ははははっ。尻を振りまくって、誘ってるのか?﹂
ハイスピードモード
ヴァーサス・アマデウス
瞬間、蒼神の姿が消えた︱︱瞬間移動にも等しい、H S Mで
ある。
あっという間に追いつくと、その足首目掛けて真神威剣を薙いだ。
﹁まずはその足癖の悪い足だな!﹂
風を切る音がして、ぎらり、とした閃光が足元を掬う。
1668
ぎりぎり一歩速く、床に両手をつけた前転の形でそれを躱した緋
雪は、近くにあった柱を足場にして、弾丸のような速度で蒼神目掛
け空中を直進しながら突きを放った。
だが、プレーヤーの持つ武器などでは自分にダメージを与えられ
るわけもない。余裕の表情でその場に立ち、真正面から受け止めよ
うとした蒼神の目が、緋雪の手にした武器を見て愕然と見開かれた。
ジル・ド・レエ
緋雪が手にしているのは薔薇の罪人である。それは間違いない。
確かにプレーヤーメイドの武器としては最高レベルに達している剣
ではあるが、GM特権として﹃Indestructible︵破
ジル・ド・レエ
壊不能︶﹄属性を帯びている自分の身体に通用するわけがない。
だがしかし、いま緋雪が手にしている薔薇の罪人には、本来の刀
ヴァーサス・アマデウス
身の上に巨大な水晶塊のような刀身が被せられている。言うまでも
アマデウス
ない、それはもともとこの本体である真神威剣に被せられていた鞘
にして、神威剣の刀身であった。
ハッと気が付いて見れば、傍らにはデーブータの遺体が転がり落
ちている。
アマデウス
無闇に逃げていたわけではない。緋雪は最初からここを目指して
いたのだ。そして、言うまでもなく神威剣はGMの肉体であろうと
斬り裂くことができる!
ハイスピードモード
﹁︱︱この、クソアマーッ!!﹂
ヴァーサス
この距離と体勢ではH S Mでも避ける事は難しい。下手に無
・アマデウス
防備な姿を晒せば致命傷になる。そう瞬時に判断した蒼神は、真神
威剣での迎撃を選択した。
シャア
﹁はあああ︱︱っ!!!﹂
﹁殺ーっ!!﹂
1669
二つの影が交差し、キーン!と澄んだ音と、ザシュッ!という鈍
い音が同時に奏でられた。
ジル・ド・レエ
アマデ
肩甲骨の当たりから斜め一文字に切り裂かれた緋雪の小さな身体
ウス
が、デーブータの遺体の上に、血と薔薇の罪人ごと両断された神威
剣と一緒に崩れ落ちた。
﹁⋮⋮つくづく、とんでもない奴だ﹂
アマデウス
血の気を失い︱︱それでも満足げに微笑んでいる緋雪の顔を見て、
蒼神は憎憎しげに独りごちた。
その視線が、自分の鳩尾辺りに刺さったままの神威剣の両断され
た先端部分に移る。
﹁確定された未来がなければ俺が負けていたかも知れないな﹂
ため息をついた口から、鮮血がこぼれ落ちる。
セーフェル・イェツィラー
﹁やはりお前の存在はイレギュラーだ。⋮⋮いや、やはり腑抜けた
デーブータの代わりに﹃形成の書﹄が用意した後釜なのだろうな。
アマデウス
既存のシステムをバージョンアップする為のアップデートファイル、
おそらくはそれがお前の役割だろう﹂
納得した顔で頷きながら、胸元から神威剣の刀身を引き抜き、両
手で挟んで粉々に砕いた。
﹁だが、運命は俺に味方した。決定された未来へと収束される⋮⋮﹂
半分熱に浮かされたように呟きながら、倒れたままの緋雪の元に
歩みを進める蒼神。デーブータ、緋雪、蒼神3者から流れ出る血潮
が交じり合い床を斑に染める。
ふと、足元で何かを踏んだ手応えを感じて見てみると、砕けたデ
ーブータの命珠の破片だった。
1670
血で赤黒く染まったそれを一瞥して、そのまま歩みを進めようと
する蒼神。だが、その瞬間、散らばった命珠の破片が、赤と青の輝
きを同時に放ち︱︱やがて混じり合い、紫色の光を発しながら、一
斉に倒れ伏す緋雪の、その下腹部︱︱子宮の辺りへと飛び込むと、
緋雪の身体全体が眩い紫色の光を放った。
﹁なっ、なんだ、これはっ?!?﹂
あまりの光量に思わず足を止め、両手で目をガードする蒼神。
◆◇◆◇
くらし
きょむ
むつ
同時刻、同僚の蔵肆をはじめとする面々に連れられ︵というか口
に咥えられて運ばれ︶て、虚霧の真上へときていた陸奥が、眠りの
中、夢うつつに通り過ぎる長身の人影へと向かって、静かに語りか
けた。
彼
の頼もしい後姿に、陸奥は
﹁⋮⋮道は作りましたぞ、御子様。姫様をお願いいたします⋮⋮﹂
それに応えて、しっかりと頷く
この上ない笑みを浮かべた。
◆◇◆◇
1671
ようやく光が収まり蒼神は瞼を開いた。
変化がないはずなのに、どこか色褪せて見える周囲の光景に鼻白
みながら、視線を戻したその目が驚愕に見開かれた。
﹁貴様、何者だ?! どこから入ってきた!?﹂
そこにいたのは15∼16歳と思える背の高い少年であった。髪
ヘテロクロミア
の色は黒に、一房だけ前髪に色違いの銀髪が混じっている。瞳の色
は右が緋色で左が青色の金銀妖瞳。鍛えられた肉体に、黒の軍服の
ようなコート付きの衣装を纏っている。顔立ちは一目見て忘れられ
ないような美貌だが、現在はどこか不機嫌そうなやぶ睨みの目つき
が全てを台無しにしていた。
﹁ここに入れるのは俺か緋雪のみ! それ以外の因子はフィルタリ
ングされて拒絶される筈。どうやって入った?! いや、緋雪はど
こへ消えた?﹂
見れば、本来その少年のいた位置に居た筈の緋雪とデーブータの
遺体、その両方の姿が消えていた。
﹁⋮⋮どこにも行かない。ここにいるさ﹂
自分の胸を指しながら、少年は背中に背負った鞘から、黄金に輝
く長剣を抜いた。
ヴァーサス・アマデウス
﹁真神威剣だと?! 馬鹿な!﹂
自分が手にしている剣と寸分違わぬそれを確認して、蒼神に狼狽
が走る。
﹁貴様、まさかゲームマスターか!?﹂
1672
﹁違う﹂
ヴァーサス・アマデウス
手にした真神威剣を正眼に構えて、少年は言下に否定した。
ただ立っているだけでも、自分を圧倒するエネルギーを少年に感
じて、対峙する蒼神の額に汗が浮かんだ。
﹁貴様は言ったな。この場はフィルタリングされ、自分と彼女の因
子以外は侵入できない、と。なら逆を言えばその因子を併せ持つ存
在ならば、この場にあってもおかしくはないということ。⋮⋮まだ
わからないのか、愚かな俺の半身の暗黒面よ﹂
静かに語られるその言葉に、怪訝な表情を浮かべた蒼神ではあっ
たが、やがてその表情に理解の色が浮かんできた。
﹁⋮⋮まさか。まさかお前は俺と緋雪の⋮⋮?﹂
喘ぐように問い掛ける。
少年は無言で肯定した。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁馬鹿な! 矛盾している。なぜ未来に存在するお前がここにいる
?!﹂
狂乱ともいうべき蒼神の取り乱し様をつぶさに観察しながら、少
年はどこか誇らしげに答える。
﹁母の愛が俺を産んでくれた。養父母たちの慈しみが、たくさんの
人々の思いやりが俺を育ててくれた。そして、今を生きる全ての存
在が道を切り拓いてくれた。︱︱この場は時空間から隔離されたデ
ィラックの海に浮かぶ特異点なのだろう? そして未来が確定して
いるならば、時間の前後関係は関係なく、俺という因果律の結果が
存在することになんの矛盾もない﹂
1673
﹁それが⋮⋮それが仮に事実だとして、貴様が俺に剣を向ける理由
はなんだ?! いや、無駄だ、親殺しのパラドックスによって、貴
様が俺を殺すことはできん!﹂
話している間に正気を取り戻したのか、蒼神が勝ち誇った口調で
そう言い切って、同じように少年に向け剣を向ける。
﹁いいや。すでに俺という存在が観測され確定している以上、直線
的因果律を解脱し、円環状のさながらウロボロスの蛇として因果律
に俺の存在が組み込まれている。故にこの場でお前を斃したところ
で、自分の存在を抹消することはない﹂
少年の揺るぎのない言葉に、再び蒼神の顔に恐怖が宿った。
﹁馬鹿な! そんなことをして何の意味がある?! 仮に貴様が俺
を斃した場合、創造神としての権能は無限ループの因果律に内包さ
れ、有名無実となるぞ!? いわば神不在に等しい! 世界を滅ぼ
すつもりか!?﹂
﹁滅ぼすんじゃない。世界の権利を世界に帰すだけだ。それが母の
ヴァーサス・アマデウス
願い。薔薇色の未来は誰かが作るんじゃない、自分たちで茨を切り
拓きながら作るんだ﹂
ハイスピードモード
﹁この脆弱な世界にそんな力はない!﹂
絶叫しながら蒼神がH S M全開で、少年に向けて真神威剣を
振り下ろした。
だが迎え撃つ少年の踏み込みと剣閃は、それを遥かに上回った。
﹁⋮⋮人の力を信じられない。それが父達よ、あなた方の限界だ。
人間は強く逞しい。そして世界は広い。どこでだって生きていける﹂
1674
その言葉が聞こえていたのかいないのか。一瞬の交差の後、存在
ヴァーサス・アマデウス
核の全てを破壊された蒼神の姿が、素粒子レベルで破壊され拡散し
た。後には真神威剣だけが墓標のように突き立っているばかりだっ
た。
同時にこの部屋︱︱いや、空間自体が地震の様な、猛烈な震動に
包まれる。
﹁奴が死んだことで亜空間が不安定になったか﹂
呟く少年の身体にもノイズのような歪みが走った。
セーフェル・イェツィラー
﹁どうやら俺がこの時間軸に居られるのも僅かなようだ。とは言え
今現在なら﹃形成の書﹄にアクセスして、創造神としての権能が使
える筈。最後に1つ⋮⋮いや、2つばかり﹃奇跡﹄を起こしておか
ないと﹂
ヴァーサス・アマデウス
半眼になった少年の手から真神威剣が消え、代わりに光り輝く赤
い球が生まれ、両掌で抱えるような形で徐々に成長し、一定の大き
さになったところで弾け飛んだ。
﹁これで虚霧は消えた筈。あとは⋮⋮﹂
その少年の姿は随分と薄れ、いまにも消えそうな電灯のように存
在が希薄になってきていた。
再度、広げた両手の間に、30センチほどの紫色の柔らかな光の
塊が発生した。
﹁これをどうするのかは母さん、貴女に任せます。ですが、貴女が
俺を信じてくれたように、俺も貴女を信じています。︱︱ありがと
う母さん、俺を産んでくれて﹂
1675
その感謝の声を最後に、少年の姿は消え、入れ替わるように緋雪
が︱︱この部屋に入ってきた時と変わらぬ姿と衣装を纏った姿で︱
︱現れ、目を閉じたまま、ゆっくりと崩壊して行く蒼神の神殿とと
もに、真っ白な空間へと落ちて行った。
ヴァーサス・アマデウス
緩やかに胸の前で組み合わされた両腕の中には、少年が最後に生
み出した紫色の光と、黄金色に輝く長剣﹃真神威剣﹄が握られてい
た。
⋮⋮完全に神殿が虚空へ消える寸前、緋雪は愛しげにその名を呟
いた。
しおん
﹁︱︱紫苑﹂
◆◇◆◇
インペリアル・クリムゾン
虚霧の突然の変化に、その場に集結していた真紅帝国の万を数え
る精鋭たちが、最大限の警戒体勢で一斉に距離を置いた。
﹁何事だ?!﹂
すさ
﹁不明です。これまでにないエネルギーの変動を感知。いや、これ
ナーガラージャ てんがい
はまた別の正体不明のエネルギーが?﹂
一団のリーダーである︻黄金龍︼天涯の問い掛けに、周参が夥し
い数の分身体とリンクしながら、冷静に答えた。
虚霧の表面に真紅の輝きが斑点のように現れ、見る間にその面積
を拡大していく。
1676
﹁赤︱︱これは、もしや姫陛下がなにかされているのでは?!﹂
くらし
急上昇で上空に待機した蔵肆の背中から、この様子を逐一観察し
ていたオリアーナ皇女が、咄嗟に浮かんだ想像を口に出した。
﹁⋮⋮だとしたら、どちらが勝ったんだ﹂
同じく上空に逃れていたレヴァンが、奥歯を噛み締めながら誰に
ともなく問い掛ける。
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
無論、誰も応える者もいない。
やがて全員が見守る中、虚霧全体へと広がった赤い光が一瞬、強
い輝きを放ったかと思うと、あっけなくシャボン玉が割れる感じで、
虚霧が消え去った。
﹃⋮⋮消えた?﹄
一目瞭然の事実だが、思わず⋮⋮という感じで、全員が力の抜け
た呟きが漏らした。
﹁︱︱姫っ! 姫はご無事か?!﹂
はっと我に返った天涯が、血相を変えて周囲を見回す。
虚霧が消えた大陸中央部、そこは見渡す限りの鬱蒼とした大森林
と化していた。地平線の彼方まで続く緑の樹海と、広大な大河、群
れ集う鳥や獣達。
かつての文明の痕跡すらない、手付かずの自然を前に呆然として
いた一同だが、天涯の叫びで正気を取り戻すと、次々と地上へと飛
1677
び降りて緋雪の捜査を始めた。
﹁姫様、見つけた﹂
﹁発見しました。この真下です﹂
﹁ご無事でございます!﹂
ほずみ
しおり
探査系の能力の持ち主である、八朔、周参、始織が、同時に歓声
を上げた。
その言葉に緊張していた場の空気が緩み、続いて、その意味する
ところ︱︱緋雪が勝利を収めたこと︱︱を理解した彼らが、一斉に
喝采と勝利の雄叫びを上げた。
﹃うおおおおおおおおおおおおおっ︱︱︱︱っ!!!! 姫様万歳
っ!!﹄
﹃インペリアル・クリムゾンよ、永遠なれ︱︱っっっ!!!﹄
﹃勝利は常に姫様とともに!!!﹄
﹃姫様! 我らが姫様!! 我らが光!!!﹄
その勢いの凄まじさに、周囲数十キロ圏内の魔物や動物たちは、
スタンピート
一斉に逃げ出し一時騒乱状態になった。仮に近くに人里があれば、
おそらく﹃暴走﹄に巻き込まれてひとたまりもなかったことだろう。
◆◇◆◇
地鳴りのような聞き覚えのある騒音に、ボクはまどろみから無理
やり意識を覚醒させられた。
1678
︱︱眠い。疲れた。今日くらいゆっくり眠らせてよ⋮⋮。
なんとなく横になっている場所が、ベッドではなくもっと固いよ
うな気がしたけれど、眠気が先に立って自堕落に、ごろりと姿勢を
変えて横になる。
その拍子に何かがお腹の上から落ちて、もぞもぞと動き回り、顔
の方へと近づいて来たかと思うと、ぷにぷに頬を軽く触ったり、つ
んつん髪の毛を引っ張ったりして、ちょっと鬱陶しいかなぁ⋮⋮と
思ったところで、
︱︱ちゅっ。
唇に甘い感触を感じて、ボクは慌てて目を見開いた。
﹁なっ︱︱誰っ?!﹂
見れば、まだ生後4∼5ヶ月くらいに思える赤ん坊が、慌てふた
めくボクの顔を不思議そうに見ていた。
﹁⋮⋮って、本当に誰?﹂
勿論、赤ん坊が答えるわけもない。けどなぜかニコニコ笑いなが
ら、這い寄ってくるので反射的に抱き上げた。
どうやら男の子のようだ。まだ赤ん坊だっていうのに、将来が楽
ヘテロ
しみな整った顔立ちをしている。黒髪に前髪のところに一部銀髪が
クロミア
混じっている。特徴的なのは瞳の色で、右が緋色で左が青色の金銀
妖瞳だった。
﹁なんか中二病満載な特徴の子だねぇ。親はどこかなぁ﹂
1679
途方に暮れるボクの困惑など知ったことじゃないとばかり、その
子はなぜか安心しきった顔でこっくりこっくり船を漕ぎ出した。
思わず振り仰いだ空は晴れて、どこまでも澄んだ青が広がってい
た。
改めて周囲を見回してみれば、ジャングルの中にぽっかりと円形
に空いた更地︱︱まるで、何かの建物があったのが消え去ったかの
よう︱︱のど真ん中の地面に座り込んでいる。
はっとして自分の恰好を確認してみたけれど、虚霧に乗り込む前
ヴァ
の装備と変化がない。虚霧も消えていて、まるで夢のようだけれど、
ーサス・アマデウス
夢じゃない証拠にボクの傍らには、2メートルほどの黄金の剣﹃真
神威剣﹄が転がっている。
﹁結局、どーなったのかなぁ?﹂
最期は、蒼神相手に相討ち狙いで剣を振るった覚えがあるけれど、
その先は記憶にない。虚霧が消えているってことは、撃退できたっ
てことなんだろうけれど、そうであるなら﹃創造神﹄となっている
筈。けど、そんな実感はまるでない。わけのわからない状況に、ボ
クは首を捻った。
やがて、ボクを呼ぶ大勢の声が天空や四方八方から聞こえてきた。
どうやら空中庭園の皆もこの場に集まっているらしい。
最悪、また別世界にでも来たんじゃないかと心配していたけれど、
どうやらそういうこともないようで、ボクは安心して赤ん坊をあや
しながら立ち上がった。
それから、もう一度青空を眺めて目を細めた。
1680
﹁今日もいい天気らしいねぇ﹂
取りあえず変わらぬ今日があるだけで幸せだと、自然と微笑が浮
かんでいた。
1681
最終話 夢薔薇色︵後書き︶
@1話、エピローグを入れる予定です。
1682
エピローグ
︻鈴蘭女帝オリアーナの備忘録︼
﹃あの日、世界は一変しました。
きょむ
大陸を覆う虚霧が消えた跡には、手付かずの広大な森林が広がり、
多くの命が育まれていました。
ですが失われた人命は戻らず、概算ですが大陸の人口は全盛期の
6割程度に落ち込んだものと見られています。
大陸中央部から発生した虚霧の規模と拡大速度を考えれば、この
程度の被害で済んだのはまだしも幸運と言えるでしょう。これもひ
とえに人命救助の為に奔走した各国の冒険者達と、草の根で活動を
インペリアル・クリムゾン
した有志の方々、そして民族・種族・社会の垣根を越えて、惜しみ
ない援助を施してくれた真紅帝国の力添えがあればこそと言えます。
とは言え国家と個人が受けた損失は計り知れなく、その後、数年
間にわたり領土問題に関する国家間の諍いや、民間人の衣食住問題、
有事の際に国民を見捨てて逸早く逃れた各国首脳部に対する怨嗟の
声に後押しされた革命、諸島連合による大陸への侵略など、一日と
して休まる暇なく様々な問題が発生し、忙殺されてきました。
﹁こうしたやり方は好かないんだけどねぇ﹂
渋い顔をしながらも配下の魔将たちを率いて、姫陛下がその都度
介入されなかったら、おそらく人間社会に深刻な影響が出て、復興
には数百年規模での時間が掛かっていたことでしょう。
1683
姫陛下としては完全に自立した社会の構築の為には、ある程度の
犠牲と時間も止む無し︱︱と思っていた節もありましたが、生憎と
わたしは人間⋮⋮それも自他共に認める現実的な俗物ですので、そ
のような悠長なことは考えられません。使えるモノはハナクソでも
使うのがわたしの流儀ですので、当然、彼女のような便利で使い減
りのしない相手を放置しておくわけがありません。
時には舌鋒鋭く。時には情に訴え。時には人に言えない取り引き
を行い。彼女を説き伏せることで、こうして10数年あまりで、な
んとか形の上では世界を安定に導くことに成功した、と自画自賛な
がら自負しております。まあ、通常の場合であれば、いかにわたし
しおん
が説き伏せようと、あの姫陛下がそう簡単に首を縦に振るものでは
ありませんでしたが、幸いにも紫苑ちゃんの存在が大きく、親馬鹿
と化している姫陛下に、﹁陛下は紫苑ちゃんのために平和な世界を
作りたくないのですか?﹂と殺し文句を言えば、ころりと態度を変
節してくださいましたので、どちらかといえばわたしよりも、紫苑
ちゃんのお手柄と言えるかもしれませんね。
いまさらですが、紫苑ちゃんはあの日、姫陛下が虚霧を払って帰
還された際に伴われていた赤子です。
当初は姫陛下の隠し子かと、一時あの場がパニックとなったので
すが、身元不明で親の居ない子供ということで、ゴタゴタしました
が、最終的に姫陛下が養子にするということで収まりました。
正直、未婚で赤ん坊の相手をしたこともないという生粋の︵わた
しが言うのもなんですが︶箱入り娘である陛下に子供の相手ができ
るとも思えず、当然、乳母に預けっ放しになるかと思われたのです
が、
﹁いや∼、なんか私以外だと全然懐かなくて。オッパイを飲ませる
1684
のも、最初に私のを含ませてからでないと飲まないので︱︱いや、
勿論母乳とか出ないんだけどさ︱︱なんか安心するみたいで、私も
なんかそうしてると本当の子供みたいな気がしてねぇ。なんか最近
は本気で胸も張ってきたし。添い寝したりして、可愛いものだねぇ﹂
と、蕩けるような笑顔で言われる子煩悩ぶりで、ほとんど一日過
ごされていました。
そのせいで陛下を恋慕する殿方の嫉妬と羨望が凄まじいものにな
ったようですが、赤ん坊相手に勝負になるわけもなく、夜な夜な枕
を濡らしたとか⋮⋮関係ないですが、クリストフ大公子はいまだに
独身で、毎回のように姫陛下に結婚を申し込まれています。一途な
のは結構ですが、姫陛下の目には紫苑ちゃんしか映っていないのを
いい加減認めて、さっさと正妻を娶って家督を継いだ方が建設的だ
と思うのですが。ままならないものです。
エクストラ・インペリアル・クリムゾン
国と言えばわたしが正式にグラウィオール帝国の皇帝として戴冠
するのに先立って、正式に大陸を統一した﹃真紅超帝国﹄を発足さ
せました。
ちなみに北部を保護領とし、基本的に我が東部グラウィオール帝
国と西部アミティア連合王国とが委託統治を行う形とし、南部はク
レス自由連合に統治させた形で基本的に、超帝国は﹃君臨すれども
統治さず﹄を基本方針として、不干渉を標榜し︵まあ、面倒事を丸
ぶりょう
かこ
投げとも言いますが︶余程のことがない限り社会に介入することは
ありません⋮⋮まあ、たまに無聊を託って姫陛下や魔将の皆様が騒
動を起こすこともございますが、現在は暗黒大陸と大陸中央部を占
める大樹海︱︱通称﹃闇の森﹄︱︱の探索を、冒険者と競合したり
時には協力したりして行っているようで、まずは平和だと言えるで
しょう。
個人的な近況としましては、わたしは5年前に結婚しまして、既
1685
に2児の母親となっております。お相手は元ヴィンダウス王国の王
族でもあったエルマー卿であり、聞くところによればクリストフ大
公子とは士官学校で同期の親しい友人だったとかで、人間の意外な
結びつきを感じるばかりです。
アミティアのコラード国王夫妻には既に7人のお子様方がいらっ
しゃるそうで、こちらも姫陛下に負けず劣らずの子煩悩ぶりを発揮
しているとか。そういえば、クロエ王妃は一時紫苑ちゃんの乳母も
やっていらしたそうで、長女のジル王女と紫苑ちゃんとは乳兄妹と
いうことで、第二の家族のような形で親交があるそうです。
そうそう乳兄妹といえば、クレスの正式盟主に着任されたレヴァ
ン代表とアスミナ様ですが、大方の予想通りアスミナ様の怒涛の攻
勢が功を奏し、もう十年も前に正式なご夫婦となられましたが、い
まだにレヴァン代表はちょくちょく失踪されては、先代獣王様と武
者修行と称して雲隠れされるそうで、その際に敷かれる﹃アスミナ
捜査網﹄は、クレスの風物詩と化しています。
とは言え、そんな無茶が実ったせいでしょうか、昔姫陛下から下
賜された武具の発動に成功されたとか。で、その際に正式に﹃獣王﹄
を名乗ることを許可されたとかですが、その報を耳にされた姫陛下
が、﹁どのくらい強くなったか試してみよう﹂と嬉々として即位式
に参加され、結果、レヴァン代表の足腰が立つようになるまで式が
延期されたのは、何と言えばいいのか⋮⋮。
さらに問題なのは紫苑ちゃん︱︱いえ、もう成人した15歳です
から紫苑皇太子と呼ぶべきでしょう︱︱が、何を考えているのか姫
陛下は、本人にも自分の身分を偽って、揃って﹃闇の森﹄の中で半
ば隠遁生活を送っていますので、おそらくいまだに自分と姫陛下の
立場を理解してはいないでしょう。
1686
﹁愛だよ愛。そういう余分な付属品のない、愛のある生活を送らせ
てあげたいからねぇ﹂
と、陛下はおっしゃっていましたが、単に悪ふざけが過ぎた結果
にしか見えないのは、わたしの気のせいでしょうか?
兎にも角にもお二人が平和に暮らしているのであれば、わたしか
ら⋮⋮﹄
と、そこまで書いたところで、私室の扉をノック音がして、オリ
アーナはペンを持つ手を休めて顔を上げた。
﹁入りなさい﹂
﹁失礼致します﹂
侍従の一人が恭しく一礼して入室する。
﹁先ほど超帝国から使者が来訪されました﹂
オリアーナの顔に緊張が走った。定期御前会議の連絡の他、こち
らから使者を遣わすことはあっても、あちらから予定外の使者が来
ることはほとんどない。あるとすれば、よほどの緊急事態だろう。
﹁本国からですか? なにか使者の方は言っておられましたか﹂
侍従の顔に困惑が広がった。
﹁はあ⋮⋮その⋮⋮﹃紫苑様が家出された。姫陛下とも連絡がつか
ないので、至急協力を依頼する﹄とのことです﹂
その言葉の意味を理解したオリアーナの全身から血の気が引き、
続いて一度下がった血が一気に沸騰した。
﹁な︱︱っ!? い、一大事なんてものではありません!! すぐ
1687
に全軍⋮⋮いえ、関係閣僚も招集して対応策を検討します! 可及
的速やかに準備なさい!﹂
その勢いに押されて、侍従は返事もそこそこに踵を返した。
オリアーナは侍女に命じて本国の使者に会う身支度を整えながら、
イライラと唇を噛み締めた。
﹁本当に、なにを考えているのよ、二人とも!﹂
◆◇◆◇
﹁﹁くしょん!!﹂﹂
大型騎竜の鞍の上で、大小二つの影が同時にクシャミをした。
﹁むう。春先とはいえまだ肌寒いね。もっと暖かい格好をしないと
駄目だよ、紫苑﹂
鈴を鳴らすような澄んだ少女の声がして、後ろに座っていた小柄
な影が背伸びして、掛けていたマフラーを外して、前に座って手綱
を握っている長身の男性の首にそれを掛けた。
﹁ちょっ、やめろよ! そっちが風邪引くだろう﹂
慌てて首に巻かれたマフラーを外そうとする彼︱︱15∼16歳
と思える黒いコートに軍服のような黒い革製の上下を着た美男子︱
︱の手を、後ろからやんわりと制するこちらは見た目13∼14歳
のふんだんにレースやコサージュがあしらわれた黒いドレスを着た、
長い黒髪の絶世の美少女。
1688
﹁いいから付けといて。私はちょっとやそっとじゃ風邪なんて引か
ないんだから﹂
軽く押さえられているだけにしか見えないが、関節を取られてピ
クリとも動かない自分の手を見て、少年が苦々しく眉をしかめる。
ヘテロクロミア
こちらも少女に負けず劣らずの美貌であるが、特に人目を引くの
は黒髪に一房だけ入った銀髪と、右が緋色で左が青色の金銀妖瞳で
あった。
﹁⋮⋮いつまでも子供扱いするなよな﹂
ため息をついて手を引っ込めたのを見て、少女も手を放した。
﹁そうは言ってもねぇ。まだまだ半人前だし、心配するもんだよ﹂
﹁だから、一人前になる修行の為に旅に出たんだよ! なのになん
で付いて来るんだ?!﹂
﹁なんでって、別に問題はないんじゃない?﹂
﹁大ありだ︱︱っ!!﹂
思春期の少年としては、同じ屋根の下に育ての親とはいえ、妙齢
かつ絶世の美姫が同居している状況に、日々悶々と耐えがたいもの
を感じて、置手紙一つ置いて出奔したというのに、元凶が後ろに付
いて来るというのは、どう考えても本末転倒である。
﹁まあまあ、こう見えても私は結構顔が広いからね。旅先とかでも
不自由はさせないよ﹂
﹁⋮⋮それは知っている﹂
だが、その﹃顔が広い﹄相手が毎回、各国の国王とか代表者クラ
スなのは、どういう交友関係なのだろう? 毎回聞いても﹁古くか
1689
らの友人﹂としか答えないし、あちらに聞いても露骨にすっ呆けら
れるし⋮⋮15年間暮らしているが、いまだに謎だらけの養い親で
あった。
﹁それともあれかな⋮⋮ひょっとして、紫苑は私のことが嫌いにな
ったのかな?﹂
どこか途方に暮れた口調でそう言われ、少年は咄嗟に反論した。
﹁そんなわけないだろう! むしろ好きすぎて︱︱﹂
はっと口を閉じて、恐る恐る振り返って見れば、少女が輝くばか
りの笑顔を浮かべていた。
﹁うん。私も紫苑が大好きだよ!﹂
その無邪気な笑みに陶然となり⋮⋮赤くなった頬を見られないよ
うに前を向いた少年は、話を逸らすべく思い付いたことを問い掛け
た。
﹁そういえば、ここを真っ直ぐ行けばグラウィオール帝国の首都だ
っけか?﹂
﹁そうだよ。新首都の帝都ケイスケイ︱︱鈴蘭って意味。ここにも
知り合いがいるので、着いたら宿の心配はないね﹂
なるほど、と聞き流しかけた少年は、秀麗な眉をしかめてまた振
り返った。
﹁その知り合いって、まさかまた国王とかじゃないだろうな? い
い加減仰々しいのは嫌なんだけど﹂
﹁ああ、違うよ。国王じゃないよ﹂
1690
あっさり否定され、少年はほっと胸を撫で下ろした。
﹁だったらいいんだ。そういえば、ケイスケイって海にも近いんだ
っけか?﹂
﹁海というか、大河の脇だからね。大型の魔導帆船とかも行き交っ
ているよ。知り合いにそっち方面の関係者もいるので、良ければ乗
海
を想像して、少年は軽く身震いした。
れるように交渉してみるけど?﹂
﹁船か⋮⋮﹂
そしてまだ見ぬ
﹁いいな。行ってみたいな﹂
﹁じゃあ、着いたらそっちにも顔を出すようにしようか﹂
少女の言葉に少年は大きく頷いた。
それから地平線の彼方に視線を移し、年相応の微笑を浮かべた。
﹁世界って広いんだな﹂
﹁そうだよ。旅は始まったばかりなんだから、これから沢山のもの
が見られるよ﹂
少女のその言葉を咀嚼しながら、逸る心を抑えて少年は手綱を握
る手に力を込めた。
それから、ふと茶目っ気をだして上半身を捻って、きょとんとし
ている少女の腰︱︱両掌を回しただけで、簡単に一周する細いそれ
︱︱を掴んで、軽々と引っこ抜くと、そのまま無理やり自分の前に
座らせる。
﹁きゃっ︱︱なに?!﹂
﹁こうすればお互いに寒くないだろう?﹂
1691
マフラーの端を解いて少女の首に回し、胸元ですっぽりと覆い隠
すようにコートの位置を整え、改めて手綱を握った。
﹁う∼∼、なんか照れるねぇ。でもまあ、ありがとう﹂
﹁お互い様だ。旅は道連れって言うし、俺だっていつまでも⋮⋮﹂
大型騎竜の鞍の上で、1つになった影が軽口を叩きながらゆっく
りと街道を進んで行く。
まだ見ぬ世界を夢見て。
1692
エピローグ︵後書き︶
終わりました。
これにて緋雪ちゃんの冒険は一区切りとなります。
2013年8月12日開始で、11月30日、全150話と区切り
の良いところで終了させていただきます。初めての長編、初めての
連日更新、思いがけない反響と、はじめてばかりの﹃薔薇﹄ですが、
お陰様で途切れることなく無事に終了となりました。応援してくだ
さった皆様、読んでくださった皆様、まことにありがとうございま
す。
取りあえず一区切りとなりますが、エピローグでもあるようにまだ
まだ旅は続いていますので、いつかまた緋雪ちゃんのその後を描け
れば、と思っています。
それでは、皆様には感謝の意を表しつつ、ここで幕を閉じさせてい
ただきます。また次回作をお楽しみ願えれば幸いです。
追記:イラストコンテスト﹃Crafe﹄に関しまして。さっこ様、
狛蜜ザキ様素敵な緋雪ちゃんのイラストありがとうございました。
1693
番外編 閑話休題︵前書き︶
連載終了から半年です。
記念にふと思い立って書いてみました。
1694
番外編 閑話休題
しおん
﹁紫苑ともう3日も連絡が取れないんだよ!﹂
﹁⋮⋮はあ、そうですか﹂
この世の終わりのような表情をしている緋雪を前に、侯爵なんぞ
まろうど
という地位を与えられ、﹃禁断廃園﹄と呼ばれる大陸中央に位置す
テネブラエ・ネムス
る広大な私有地の管理人を任されている稀人は適当な相槌を打った。
ちなみにこの地は大陸に住まう住人からは﹃闇の森﹄なんぞと呼
ばれて、人跡未踏の地と呼ばれて恐れられているが、かつての︽蒼
きょむ
神︾が本拠地としていたイーオン聖王国の首都ファクシミレを中心
として、大陸の半分ほどを覆った虚霧が消えた跡地に生まれた樹海
を整備したものである。
さすがに面積が広大すぎたので、さらに3分の2ほどを円卓メン
バーで焼き払って人が住めるようにして、現在のこじんまりとした
︵それでも大陸の3割程度を占める大樹海ではあるが︶森を残した
のが現在の﹃禁断廃園﹄の先駆であった。
インペリアル・クリムゾン
元から居た野獣や魔物の他、希望する真紅帝国の国民や魔物を移
住させた結果、原住民は迂闊に足を踏み入れられない、やたらと剣
呑な場所と化した気もするが、中央にそびえる虚空紅玉城の別館で
インペリアル・クリムゾン
ある︽瑠璃宮︾の威容も併せて︵ちなみにこれも現地では﹃魔皇宮﹄
などと呼ばれているらしい︶、真紅帝国の住民にとってはちょっと
した別荘地感覚で、頻繁に訪れる者も多い場所である。
かく言う稀人自身もここ五十年ほどは、本国よりもこちらで過ご
している時間が多い。まあ、理由としては割りと緋雪が顔を出す機
1695
会が多く、今日のように余人を交えずに会話ができるからとか、気
に入った人間や住人が住む街が近くになるからとか、たまにふらり
と大陸の各地に足を延ばせるからとか⋮⋮様々な理由はあるが。
それはともかく、ここのところしばらく⋮⋮と言っても数ヶ月ほ
どだが、顔を出さなかった緋雪がやって来て最初にこぼしたのが、
最大の恋敵に関する愚痴である。
稀人でなくても白けた反応になろうというものだ。
ちなみに永久の命を持つ本国の魔物たちは、年数による時間の経
人間
だった昔日の想
魔
過にはけっこう無頓着である。そのあたりは限られた寿命で生き急
ぐ人間とは感性が違うのだろう。
としての自覚が乏しいのか、それとも
いや、本来は自分もそうであるべきなのだろうが、まだまだ
物
いがいまだ忘れがたいのか⋮⋮ほろ苦い笑みを浮かべながら、ふと
稀人はそんなことを思った。
﹁⋮⋮なにが可笑しいのかな、君は? 人が真剣な悩みを抱えてい
るというのに﹂
ふと気が付くと、緋雪がジト目で睨んでいた。
﹁あ、いえ。違いますよ、ちょっと他の事を考えていただけで、別
に姫の悩みを蔑ろにしていたわけでは︱︱﹂
﹁上の空の時点で、充分に蔑ろにしていたような気はするけどねぇ。
どうせ女の子のことでも考えていたんだろう。例の雑貨屋のアレに
遊び感覚で手を出したら、いくら君でも赦さないからね﹂
﹁そんなことはしませんよ。第一、俺の本命は永久に姫様ただお一
人ですから﹂
﹁説得力のない言葉だねぇ。まあ、兎に角、アレともう一人の娘は
私にとって紫苑同様、私の子供のようなモノなので手を出さないこ
1696
と、じゃないと酷い目にあわせるよ。いいね?﹂
﹁はいはい。わかってますよ︱︱って言うか、酷い目って具体的に
はどんなことですか?﹂
特に考えていなかったらしい。
﹁⋮⋮⋮﹂
うすい
考え込んだ緋雪は、しばし呻吟していたが。
﹁⋮⋮えーと創作話が好きな笛吹の取材に応じて、君の事を本にし
インペリアル・クリムゾン
て今度の夏のイベントで配るとか﹂
うすい
ちなみに笛吹というのは真紅帝国の広報担当官のバンシーで、別
名﹃ザ・プロパガンダー﹄或いは﹃芯まで腐った女﹄と呼ばれ恐れ
られている存在である。
なぜ味方にまで恐れられているかと言うと、趣味が漫画を描く事
で、大好物が﹁男同士の禁断の友情を描くもの﹂と公言してはばか
らないからである。
うすいほん
稀人も以前、親友との美談をトンデモナイ形に歪曲されて彼女の
本︱︱別名﹃笛吹本﹄に載せられるところだったのを、さすがに危
惧した緋雪の鶴の一声でなかったことにされたという、思い出すの
も恐ろしい思い出があるのだ。
それを今回は解禁するという。
﹁ちょ︱︱っ、ちょっとそれ洒落になりませんよ! やめてくださ
い!!!﹂
本気で嫌がったのがわかったのだろう。
﹁わかればいいんだよ、わかれば﹂
案外あっさりと引いてくれたのに、心底安堵して稀人は心からた
め息をついた。
1697
﹁その話はやめましょう。それで、王子の件でしたか? たかだか
三日くらい連絡がないくらいで、それほど心配することはないと思
いますけれどねえ﹂
まして潜在能力だけなら、この世界の支配者である目の前の少女
を遥かに上回る能力の持ち主である。心配するだけ損だと思うのだ
が。
﹁⋮⋮そりゃ、私だってちょっとは過保護かなぁ、とは思うけれど。
今回、紫苑が向かった先が、いまだ謎の多い﹃未確認大陸﹄だよ。
何があるか確認のしようがないじゃない﹂
拗ねた様な焦った様な顔で俯く緋雪の愛らしい姿に、猛烈な庇護
セラフィム
欲を駆られた稀人が、思わず抱き締めようと両手を広げかけたとこ
ろで、
﹁︱︱こほんっ﹂
みこと
お目付け役として同行していた、いつものメイド服姿の熾天使︱
︱命都が、さりげなくそれを制した。
﹁⋮⋮そ、そうですね。確かに心配ですね。確かあの大陸には得体
の知れない結界が張られているんでしたっけか?﹂
﹁うん、そうなんだ。目には見えないけどドーム上の結界があって、
能力が高いものほど顕著に効く⋮⋮具体的に言うと、能力が制限さ
れて弱体化する上、無理に魔力を放つと反動がくる。それも能力に
比例するので、高レベルの者ほど弱体化したり、自爆する可能性が
高い﹂
﹁厄介な結界ですね。円卓の皆様の力でもどうにもならないんです
か?﹂
1698
水を向けられたと思ったのか、命都が一歩前に出てきた。
﹁難しいですね。外側から術自体を中和したり、力技で解除するの
は施術者でなければ無理でしょう。︱︱まあ、大陸ごと消し飛ばせ
といわれれば可能でしょうけれど﹂
緋雪も苦笑いで続ける。
﹁さすがにそれは最後の手段にしたいからねぇ﹂
それでも最後の最後になったら、やる気なんですね、と思った稀
人だったが、ここでツッコミを入れると、自分を比較的常識人と疑
いもなく信じているらしい緋雪の機嫌を損ねそうな気がしたので、
適当に思いついた質問に切り替えた。
﹁施術者ですか⋮⋮蒼神の置き土産でしょうかね?﹂
﹁可能性は高いと思うけど、なんとも言えないねぇ。それにしては
微妙にスケールが小さい気がするし﹂
大陸ひとつを丸ごと隔離して﹃小さい﹄という緋雪の物言いを頼
もしく思いながら、稀人は軽く肩をすくめた。
﹁それにしても、なんでまた王子様は﹃未確認大陸﹄なんぞに向か
ったんですか?﹂
、、
﹁さあ? なんか帝都で冒険者と知り合いになったらしいんだけれ
ど、その冒険者がどうもあのジョーイの子孫らしくてねぇ。聞かれ
るままにジョーイのことを喋ったら、なんか興味を持ったみたいで、
彼の足取りを追って⋮⋮﹂
﹁それで未確認大陸ですか。そういえば奴の最後の消息もあそこで
ぷっつり切れてましたね﹂
﹁知ったのは随分と後になってからだけどね﹂
1699
まあ、当時は慣れない子育てで悪戦苦闘していたので、それどこ
あちら
ろではなかったのは家臣のものであれば知らない者はいない事実で
ある。
いちじく
﹁奴らしいというか⋮⋮そうすると、王子は単独で未確認大陸に?﹂
﹁いや。面白がって九も同行している。彼もジョーイとはいろいろ
と因縁があったからね、気になってたんだろう﹂
﹁なるほど⋮⋮﹂
それなら戦力的にかなり安心かな、と稀人は胸を撫で下ろした。
﹁まあ、心配されるお気持ちもわかりますが、たかだか三日ですし、
あの二人ならケロリとして戻ってきますよ﹂
﹁⋮⋮だったらいいんだけど。問題は最後の連絡の言葉が妙でねぇ﹂
﹁と言いますと?﹂
イービル・アイ
﹁﹃見つけた! 見つけましたよ、彼を!﹄という興奮した声を最
後に、念話も使い魔も魔眼のバイパスすら届かなくなったんだ﹂
深刻な事態を前に驚くより先に、稀人は顔色を変えた。
﹁ちょっ︱︱ちょっと待った! ﹃見つけた﹄って、まさか奴を見
つけたわけじゃないですよね!?﹂
﹁そこまではわからないけれど、あの興奮の様子は尋常じゃなかっ
たね﹂
﹁いや、だって⋮⋮あれから百年以上ですよ!? 仙化しているオ
リアーナ女帝はともかく、普通の人間が生きているわけがないでし
ょう?! ましてや未開の大陸で!﹂
興奮する⋮⋮というよりも混乱して、自分に言い聞かせるように
喋る稀人を前に、緋雪も困惑した様子で首を捻った。
1700
、、
﹁そう⋮⋮なんだけどさ。なにしろ相手はあのジョーイだよ? 何
があってもおかしくないような気がするのは、私の感覚が変なのか
なぁ⋮⋮?﹂
、、
言われて呻る稀人。
﹁⋮⋮確かに。あのジョーイですからねえ。可能性はゼロでない気
がします﹂
﹁だろう?﹂
﹁﹁う∼∼む⋮⋮﹂﹂
揃って腕組みをして眉根を寄せる。
そんな二人の苦悩とは無関係な世界で、命都は穏やかな笑みを浮
かべているのであった。
大陸はある意味、今日も平和である︱︱。
1701
番外編 閑話休題︵後書き︶
ブタクサ姫を更新した後、わりと一瞬で書けてしまいました。
こそこそと裏話的な設定的なお話となっています。
1702
番外編 冒険者は新婚を夢みる1︵前書き︶
えーと、なんか書籍化作業の合間の気紛れで書いてみました。
基本、本編の1年後を描いた後日譚です。
1703
番外編 冒険者は新婚を夢みる1
﹁ただいまー﹂
自宅の玄関を開けると、いつも通り温かな明かりと空気、食欲を
掻き立てる夕食の匂い、そしてなによりも光り輝くような妻の微笑
が俺を出迎えてくれた。
﹁おかえりなさい、あなた。今日は早かったのね﹂
動きやすいように長い髪を後ろで縛っていたヒユキが、手馴れた
仕草で俺の手荷物を受け取りながら、上機嫌にそう言う。
﹁ああ、西の山に黒竜が住み着いたっていうんで討伐依頼がかかっ
たんだけど、巣穴に行く前に相手の方が山裾へ降りてきたんで、余
計な手間がかからなかったよ﹂
あとは一発だったしな。と付け加える。
﹁それで予定より早かったのね。それにしても一人で黒竜を斃すな
んて、さすがはアミティア一⋮⋮いえ、大陸でも三本の指に入る冒
険者ね。私も鼻が高いわ﹂
﹁はははっ。でも、有名になったせいであっちこちの国から依頼が
くるからなあ。お前を残して留守にするのは正直嫌なんだけどな﹂
﹁仕方ないわ。そんな風に頑張っているあなたが好きで、私は一緒
になったんですもの﹂
妻
朗らかに微笑むヒユキ。
出会った頃のどこかふてぶてしくて気紛れな猫のような雰囲気が
なくなり、いまではすっかりと打ち解けて穏やかで家庭的な女性と
なっている。
1704
EX
絶世の美人で家事一切が万能。そのうえ家庭的で常に夫である自
分を立ててくれるまさに理想の妻だ。
そして、いまでは大陸に三人しかいないという超級冒険者となっ
た自分。
その稼ぎで王都の一等地に一軒家も持てたし、温かな家庭を手に
することもできた。
広い庭にはペットも飼えたし︱︱﹁にょわあああああッ﹂庭から
件のペット・フンババの鳴き声が聞こえる︱︱一生安泰な財産も手
に入った。
まさに成功者。まさに薔薇色の人生である。
﹁∼∼∼∼∼∼∼∼っ﹂
俺は世界一の果報者だ。
とてつもない幸福を改めて噛み締めるそんな自分に向かって、ち
ょっとだけ悪戯っぽく笑ったヒユキが訊ねてきた。
﹁それで、ご飯にする? お風呂にする? それとも⋮⋮タ・ワ・
シ?﹂
﹁ん。じゃあタワシから﹂
幸せ一杯の頭で何も考えずに適当に答える。
途端、
﹁︱︱ジョーイ。ボケにボケで返されると、対応に憂慮するんだけ
どねぇ﹂
とろとろに蕩けた表情から一転、真顔になったヒユキがヤレヤレ
と視線を外して、これ見よがしのため息をついた。
あれ? なんか微妙に違和感が⋮⋮。
1705
◆◇◆◇
しおん
みこと
てんがい
最近テケテケ歩くようになった紫苑を命都らに預けて、天涯と七
禍星獣を何名か連れて、視察を兼ねた暇つぶしにアミティア共和国
のギルド総本部に顔を出したボクだけど、そこでいきなり待ち構え
ウイザード
ていたガルテ副ギルド総長、秘書のミーアさん、Dランク冒険者で
魔法使いのフィオレによって、有無を言わさず別室へと拉致⋮⋮も
とい案内された。
﹁姫陛下、ちょっとご相談が﹂
﹁神帝様、個人的なことで恐縮ですけれど、内密のお話がございま
すのでぜひこちらへ﹂
﹁ヒ、ヒユキ様。ヒユキ様だけが頼りなんですぅ﹂
で、挨拶もそこそこに切り出されたのが︱︱。
﹁は? ジョーイが変になった? ︱︱いやそんなのいつものこと
じゃない?﹂
なにをいまさら、という視線を投げると、ガルテ副ギルド総長が
渋い顔でため息をついた。
﹁そりゃそうなんですけどね。姫陛下が思ってらっしゃる意味とは、
多分ちょっと違ってますぜ﹂
歯に衣着せぬ物言いは変わらないけれど、この一年で随分と白髪
が増えた頭を掻くガルテ副ギルド総長。
⋮⋮なんとなくアレだね。この全身から醸し出される管理職の悲
ほうふつ
哀というか、イジメてくださいオーラは、出会った頃のコラード国
王︵現在一児の父親で、かなりの馬鹿親︶を髣髴とさせる枯れ具合
だねぇ。
1706
う∼∼む。やっぱり人間偉くなるとシガラミとかで心労とか増え
るものなのだろう。
と憐憫の目でみたら、じろりと不機嫌な目で返された。
﹁なんスか、その生温かいような小馬鹿にしたような眼差しは?﹂
﹁いや、偉い人は大変なんだろうな∼と思ってさ。同情するよ﹂
ちなみに副ギルド総長という役職は、アミティア国内の冒険者ギ
ルドを統一して作ったもので、彼の事は本来はギルド総長に据える
予定だったけれど、本人が断固として辞退したのでナンバーⅡにし
て、ナンバーⅠは直属部隊長と兼任でクロエ︵アミティア国王妃で、
実質旦那より偉い影の国王と呼ばれている︶にお願いしている。
﹁そう思うんでしたら、さっさとこんな面倒な役職は解任してもら
いたいところなんですな。つーか、偉いとかなんとか言うんでした
ら、姫陛下こそ大変な立場だと思うんですけど。大陸を統一した皇
帝⋮⋮いや、神帝サマでしたっけか? すべてを統括する天上人と
いうことで、迂闊にフラフラ出歩ける立場ではないと思うのですけ
ど、そのあたりの自覚とかおありで?﹂
﹁︱︱うっ⋮⋮!﹂
痛いところを突かれたボクが思わず視線を逸らせると、視界の片
隅でミーアさんと天涯が同時にウンウン頷いているのが見えた。
﹁ま、まあ私の事はいいんだよ。問題はジョーイだよ、ジョーイ。
どこがどう変なわけ?﹂
慌てて話題を変えるものの、天涯もガルテ副ギルド総長もミーア
さんも、もう一言二言ツッコミを入れたそうな顔でボクの顔を見返
1707
してきた。
アウェーだ。なんか完全にアウェーにいる。
世界征服してその頂点に立っている筈なのに、思いっきり世間と
身内がアウェーだった!
﹁あ、はい。それなんですか﹂
と、周りの雰囲気にも流されず、張り詰めた表情で悄然と俯いて
いたフィオレが、ソファーから立ち上がって懸命に訴えかけてきた。
ナイス、フィオレ!
﹁三日ほど前に師匠が依頼を受けて、一人で闇の森に出かけたので
すけれど﹂
﹁︱︱ちなみに依頼内容は﹃アズロの実を所定の容器一杯に採集し
てくる﹄というものです﹂
パイナップル
素早くミーアさんがフォローしてくれる。
﹁アズロの実?﹂
﹁最近、闇の森で発見された果物で、鳳梨に似た形と大きさですけ
れど、皮は椰子の実に似た感じです。そのままでは食べられません
が、焼いて食べるとホクホクして美味しいです。ちょっと香りにク
セがあるので評価は分かれますけれど﹂
﹁ほーっ﹂
あとで試食してみよう。
﹁食べるとなにか幸せな気分になれるとか、生のまま砕いて何種類
かの香辛料と一緒に使うと、なぜか病み付きになってまた食べたく
なるとか﹂
﹁それ麻薬だよッ! すぐに取り締まらないと!﹂
﹁あ、大丈夫です。その店は店主が試食のし過ぎで﹃俺は神だ! クァーッカッカカカカカ!﹄とか錯乱して騒いで潰れましたので﹂ 1708
いや、そもそも食べるのを禁止しようよ。
﹁それを採りに行った師匠が翌日になっても戻らなかったので、あ
たしも仲間と捜索に行こうかとしていたのですけど⋮⋮﹂
﹁仲間?﹂
﹁あ、はい。二月くらい前からパーティを組む仲間がふたりできま
して﹂
﹁へえ、ジョーイのお守りでは大変じゃないの? 今度挨拶したい
ねー﹂
そう言うと、なぜか半笑いを浮かべたまま硬直するフィオレ。
﹁えええ⋮⋮と⋮⋮その⋮⋮﹂
オレ
﹁⋮⋮勘弁してください姫陛下。副ギルド総長に逢った時でさえ、
緊張してひとりはテンパリ、ひとりは卒倒したくらいなんですから、
陛下となったら洒落抜きで心臓が止まりますぜ﹂
救いを求めるような視線を受けて、げんなりした顔で取り成すガ
ルテ副ギルド総長。
そう言われちゃ引き下がるしかないけど、なんかハブられている
みたいで面白くないねえ。
今後はこっそり名前とか変えて出歩くようにしようかな。謎の聖
女とか。
エミュー
﹁えーと、それで、皆と打ち合わせしているところへ、師匠を乗せ
た騎鳥が戻ってきたわけなんですけど﹂
﹁けど?﹂
﹁⋮⋮なんというか、もう見るからに師匠が変になってました﹂
﹁???﹂
1709
頭を抱えて言葉を探すフィオレの様子を見かねて、ミーアさんが
助け舟を出してきた。
﹁言葉で説明するよりも実際に見てもらったほうが早いと思います。
ジョーイ君はギルドに併設された施療院にいますので﹂
この冒険者ギルド総本部はちょっとした城くらいの敷地があり、
中には練習場とか厩舎とか魔術実験棟とか、犯罪者収容所など多岐
に渡った施設が併設されている。
施療院もそのひとつで、基本冒険者ギルドの会員で会費を払って
いる者であればかなりの優遇措置がとられし、割と最前線で戦う冒
険者が相手なので技術も高い。
そこに入院しているのならかなり高度な医療・治癒術が用いられ
たと思うんだけれど⋮⋮ひょっとして洒落抜きで重篤なのかな、ジ
ョーイ。
にわかに心配になったボクは、ミーアさんに促されるまま席を立
ち、足早にその後に続いて歩き出した。
1710
番外編 冒険者は新婚を夢みる1︵後書き︶
たぶん3∼4話で終わります。
1711
番外編 冒険者は新婚を夢みる2︵前書き︶
えらく遅くなりました。そしてまだ続いています、、、。
1712
番外編 冒険者は新婚を夢みる2
清潔なシーツが敷かれたベッドの上で、頭に紅白のチューリップ
を咲かせたジョーイが、大口を開けて寝ていた。
﹁むにゃむにゃ⋮⋮喰いねえ喰いねえ、アーラっ子だって? 駆け
つけドンブリ三杯って⋮⋮むにゃむにゃ﹂
﹁⋮⋮ナニコレ?﹂
さんざんぱら周囲を不安と混乱に陥れておいて、この能天気な姿。
涎を垂らして、﹁もう食えねえよ⋮⋮三十六段重ねのケーキとか
無理⋮⋮むにゃむにゃ﹂と、寝言を呟いているのを見ると軽く殺意
が湧くけど、さすがに前後不覚で昏睡している人間を足蹴にするわ
けにはいかないので、イラッとした気持ちをぐっと堪えて押さえ込
む︱︱
﹁姫にご足労いただいた眼前で、寝床のままとはいい身分だな、小
僧っ!﹂
ボクはそれで済んだけど、煽り耐性ゼロでボクに関することでは
可燃性ガスより簡単に火が点く天涯が一瞬の躊躇も斟酌もなく、寝
ているジョーイをベットごと足蹴にした。
爪先で蹴られたベッドは一瞬でバラバラに砕け、それに併せて空
中に飛んだジョーイは、錐揉みしながらもんどりうって床に倒れた
けれど、﹁流しパスタか∼? 三回転とかちょっと激しいなー﹂と、
やたらマイペースに寝言の続きを呟いている︵怪我ひとつないとか、
どんだけ悪運が強いんだろうねぇ︶。
1713
⋮⋮てゆーか、これ本当は起きてるんじゃないの? ウケ狙って
ない?
﹁冗談にしか見えないけどねぇ⋮⋮﹂
﹁こんなくだらない冗談で神帝陛下にご足労を願うほど我々も命知
らずではございません﹂
きっぱり言い切るミーアさん。ガルテ副ギルド総長もうんうん頷
いて同意している。
どーでもいいけど、最近ボクに付けられるようになったこの﹃神
帝﹄って通り名はなんなわけ? 天涯をはじめとした円卓の魔将と
かは﹁まあまあですな。姫様の偉大さを知らしめるためにはもう少
々修飾語に欠ける気もしますが、無知蒙昧な民衆どもに多くを期待
しても無駄でしょう﹂と満足してるし、影郎さんとかは面白がって
いる向きがあるけど、﹃神﹄なんて誰が好き好んで名乗るもんかい。
蒼神の二番煎じみたいで縁起でもない。
とはいえ世間的には﹃実は邪神だった蒼神﹄と、それに騙されて
いた﹃元信者﹄となった聖教の影響力とイーオンの残党はまだまだ
残っているので、これから時間をかけて洗脳︱︱もとい、思想教育
を施す必要がある⋮⋮というのは、コラード国王やオリアーナ女帝
などの共通見解だ。
﹁そういった工作は得意ですわ﹂
﹁教育を充実させることは国家百年の計ですからね﹂
やたら嬉しそうな顔で黒い笑みを浮かべていたふたり。
なにか、こう⋮⋮教育って名の美辞麗句に飾られたマインドコン
トロールが行われようとしている気がするのはボクの考えすぎだろ
うか?
1714
悩むボクに向かって、
﹁まあ、手っ取り早いのは宗教には宗教で対抗することですね﹂
と打開策を口に出したのは、そのイーオンで聖教の表も裏も実質
取り仕切っていた、らぽっくさん。
﹁いっそこのまま緋雪さんを教祖か御神体にして宗教を立ち上げま
せんか? ま、それに反対する人間も当然いるでしょうから、理想
としては対抗する教義のふたつの宗教があったほうが、バランスよ
く取り込めるのですけどね﹂
冗談めかしていたけど、どことなくこちらを値踏みするような目
つきが気に食わない。
これはなにかたくらんでいる目だね。
﹁宗教の親玉とか面倒臭い。パスッ!!﹂
﹁パス2っ! あたしもやだな。もう抹香臭いのはコリゴリよ﹂
露骨に顔をしかめて即座に断るボクとタメゴローさんの態度に、
説得は難しそうだと判断したのか、らぽっくさんは軽く肩をすくめ
てその話を切り上げた。
と思ったところで、
﹁︱︱ちなみにですが、お嬢さんならどーいう名前の宗教がいいで
すかねー?﹂
面白がって混ぜっ返すのは影郎さんだ。
﹁﹃ネコの肉球ぷにぷに教﹄﹂
教義の基本は一日、ヌコを構ってまったりするというもの。
﹁宗教戦争が起きたら、敵側がイの一番で﹃猫シールド﹄とか﹃捨
1715
て猫バズーカ﹄とか使って攻撃してきそうですなー﹂
はっはっはっはっと陽気に笑う影郎さん。
﹁姫様の思し召しとあらば!﹂
と、バカ話のはずが他の面子が本気で行動に移り始めたので、慌
てて止めるのに奔走する羽目になったし。ほんと、洒落が洒落で通
じないところがこの世界の怖いところである。
ということで回想終わり。
相変わらずぐーすか寝ているジョーイの太平楽な様子に業を煮や
した天涯が、片手でパジャマの襟首を掴んでガクガクと前後左右に
揺らす。
見舞いに来たはずが一方的に無慈悲な暴力を振るう天涯の傍若無
人さに、止めたいんだけど、立場と実力の関係でどうすることもで
きず、さっきから顔色を失って声にならない悲鳴をあげ続けている
フィオレ。
ソードドッグ
いき
はくたく
普通の人間には聞こえない周波数での悲鳴だけど、同行している
むつ
獣系の七禍星獣︵番外︶の︿魔剣犬﹀壱岐やナンバー六で︿白澤﹀
の陸奥とかには聞こえるみたいで、鬱陶しげに耳をパタパタ動かし
ていた。
それでも起きることなく熟睡しているジョーイの幸せそうな頭の
上で、チューリップがぶらぶら揺れている。それにしても、トロけ
そうな寝顔とアホみたいなチューリップが怖いほど似合う。生まれ
た時から付いてたみたいだなぁ⋮⋮と、揺れるチューリップを見な
がらそんな感想が浮かんだ。
ピシリ、と天涯の頭の上に比喩ではなく雷光が乱舞して、睨み付
1716
ける目が据わってきた。
﹁まあまあ、抑えて天涯。相手は病人なんだし、前後不覚なんだか
ら、答えようがないよ﹂
﹁たとえ病身であろうと、危篤であろうと、姫様がお声を掛けられ
れば返答するのが道理というものでございます!﹂
うん、その道理はうちのマイルールなので、他所では通用しない
と思うよ。そもそもまだ声掛けていないわけだし。
なので、一応声を掛けてみた。
﹁あー、もしもし、ジョーイ。大丈夫? 私の声が聞こえる?﹂
床で涎を垂らしたままのジョーイの耳元に囁きかけると、ピクリ
と指先と表情が動いた。
﹁﹁﹁おっ⋮⋮!﹂﹂﹂
黙って成り行きを見ていたフィオレ、ガルテ副ギルド総長、ミー
アさんが期待を込めた目でそれを見る。
﹁⋮⋮うひひひひっ⋮⋮ぐふふふふふっ⋮⋮いいじゃないか、緋雪。
もう夜なんだし﹂
気持ち悪い笑みを浮かべたジョーイが、寝ぼけながら幸せそうな
顔で、天涯の腕に頬擦りして、即座に床に放り投げられた。
ぞわん! と名指しで指名されたボクの全身に寒イボが発生する。
天涯が無言のまま、据わった目つきで片足を振り上げて、ジョーイ
の太平楽な顔を潰そうと狙いを定めて踏み抜こうとする。
1717
﹁殺す﹂
﹁﹁﹁﹁ま、ま、ま、ま、待った待った!!﹂﹂﹂﹂
やばい! この勢いだと跡形もなく抹消される。そうなったらさ
すがに蘇生はできない。
慌てて止めに入るボクと副ギルド総長、ミーアさん、フィオレ。
あと、どーでもいい顔でぼけっと突っ立っていた随員である七禍
星獣に、
﹁みんなも見てないで天涯を止めてよっ!﹂
と、ボクが注意したことで、﹁あ、止めるのか?﹂と気が付いた
風で天涯を押さえにかかった。
◆◇◆◇
﹁ぎょえええええええええええええええええええええええええええ
ええええええええええっ!!!﹂
ジョーイの頭の上のチューリップが、絞め殺されて断末魔のガマ
ガエルみたいな絶叫を放っていた。
﹁おーえす、おーえす! ⋮⋮なんか綱引きみたいになってきたね
ぇ﹂
ジョーイの体︵というか首から上︶を押さえる組と、しっかりと
根を張ったチューリップを力任せに引き抜こうとしている組︵ちな
みにボクが先頭︶。
いろいろと頑張ったんだけど、結局、有効な治療法が見つからな
1718
かったので、
﹁こんなもん力づくで引っこ抜けばいいんじゃないの? でーじょ
ぶだ、死んでも私が生き返らせるから﹂
匙を投げたボクの投げ遣りな提案に従って、現在、荒療治を実行
中という流れになっている。
なにげに天涯の暴力とたいして変わらないような気がするけど、
この場合は治療するための前向きな暴力なのでノーカウントだろう。
﹁ぎょえええええええええええええええええええええええええええ
ええええええええええっ!!!﹂
﹁ふむ、これは⋮⋮マズイかも知れませぬな、姫﹂
グリーンマン
そうじゅ
謎のチューリップが放つ悲鳴に耳を傾けていた七禍星獣︵番外︶
で︿緑葉人﹀の双樹が、難しい顔で首を横に振りながらポツリと警
告してきた。
﹁どうやらこやつは宿主の脳に寄生する妖草の一種のようですな。
宿主を眠らせて無抵抗のまま養分を吸収する。それ自体はそう珍し
くないのですが、同時に精神にも干渉しておるようで、無理に引っ
ぺがすと良くて廃人、悪くすると脳味噌が初期化されてパー⋮⋮ト
コロテン状態へなりますのぉ﹂
﹁﹁﹁﹁えっ⋮⋮!?﹂﹂﹂﹂
その言葉に、思わずボクをはじめとする一部が引っ張る手の力を
抜いた。
刹那、無関係に引っ張ったり押さえたりしていたほかの面々がバ
ランスを崩して、ジョーイを道連れに病室の壁をぶち破って外へ転
がっていった。
1719
﹁﹁﹁﹁あ⋮⋮⋮⋮﹂﹂﹂﹂
呆然と見詰める視線の先で、なぜかこの期に及んで怪我ひとつな
いジョーイの頭の上のチューリップが、﹁けけけけけけけっ!!﹂
勝ち誇ったように笑っていた。
1720
番外編 冒険者は新婚を夢みる2︵後書き︶
次回でいよいよ舞台は夢の中に行きます。
あと1話か2話で終えます。たぶん・・・。
1721
番外編 冒険者は新婚を夢みる3
天涯の﹁ついカッとなってやった、後悔はしていない。むしろ物
足りない﹂的な衝動で砕け散ったベットの残骸を手分けして片付け
た後、動かせる家具や荷物をどかせて空いたスペースにマットを敷
いて、その上に昏睡というか熟睡状態のジョーイ︵寄生チューリッ
プ付き︶を適当に転がした。
﹁周りがこんだけ大騒ぎしているのに、当人がのほほーんと寝てい
るだけっていうのは、不可抗力だとわかってはいてもムカつくもん
だねぇ﹂
そんなボクの愚痴をあざ笑うかのように、ジョーイの頭の上の妖
草チューリップが、﹃ケケケケケケッ!﹄と身をくねらせた。
ああ、引っこ抜きたい!
この際、ジョーイの脳味噌がトコロテンになっても構わないんで、
もう一度力任せに引っこ抜いてみたい。もともと容量の小さいジョ
ーイのオツムならさほど変わらないかもしれないし!
﹁うううううっ⋮⋮師匠、なんて不憫な姿に﹂
そんなジョーイの姿にヘイト値を貯めまくっているボクとは対照
的に、フィオレは肩を落として悄然とジョーイの前髪を手櫛で整え
たり、パジャマの皺を延ばしたりと甲斐甲斐しく動き回っている。
そういえば、ジョーイがこの状態になってから数日経過している
そうだけど、こうして血色も良くて割と元気そうなのはフィオレが、
1722
上から流動食を食べさせたり︵口移しではなく、普通に食べ物をス
プーンで口元へ持っていくと、無意識のうちに意地汚く食べるとの
こと︶、あとオムツで下の世話までしているお陰だとか。
文字通りの世話女房だねぇ。余すところなくすべてを赤裸々にフ
ィオレに見られていたと知った時のジョーイの反応がいまから楽し
みだ。
﹁とは言え、さすがに流動食だけでは体力と健康が維持できません
ので、専用の霊薬を併用して現状維持に努めています﹂
ミーアさんがついでとばかり補足してくれる。
ああ、なるほど。現代地球なら生命維持装置とか点滴とかが必要
な処置をポーションで担っているわけだね。
﹁へーっ、ポーションってそういう使い方もあるんだね。てっきり
冒険者御用達だけかと⋮⋮いや、むしろこっちの方が本来の使い方
かな?﹂
﹁ええ、そうですね。ですが問題もあって⋮⋮いちおう冒険者割引
は適用されていますが、いまジョーイ君に使われているのは本来は
上位冒険者がダンジョンに挑む際に、保険として二∼三本購入する
ほど高額なものです。ですから、それを連日使用しているジョーイ
君の貯金はすでに底を突いて借金生活に突入しているわけで⋮⋮﹂
薬ひとつで生命維持ができるんだから、そう考えるとこの世界の
医学も捨てたものじゃないけど、効果に見合った代金は掛かるのは
現代医療と一緒か。世知辛いねぇ。
1723
﹁⋮⋮いや、まあ、足りないお金は私が立て替えておくけどさ。て
か、以前預けた虹貨がまだ残ってなかったっけ?﹂
いろいろあってコロッと忘れてたけど、あれって当初はジョーイ
に報酬として渡したものなんだから、こーいう時にこそ使うもんじ
ゃないかな。
﹁いいんですかい?﹂
躊躇しながらも、どこかほっとした態度で確認するガルテ副ギル
ド総長に向かって、ボクは﹁いーのいーの、どうせ使わないお金だ
から﹂と気軽にパタパタ手を振って答えた。
﹁⋮⋮ここで緋雪様のお金に手をつけると、また師匠との繋がりが
増して、今度こそ師匠がとられることに⋮⋮﹂
その隣でフィオレが複雑な表情でブツブツと呟いていた。
いや、別にとらないけどさ。
﹁とりあえず対処療法は当面それで何とかするとして、根本的に原
因を取り除かないと、どちらにしてもジリ貧だよね?﹂
ばく
最後を締めくくるようにそう発言したボクの言葉と視線とに促さ
むつ
れて、集まった全員の視線が腹ばいになった白い獏︱︱七禍星獣ナ
ンバー六・陸奥の横っ腹を枕代わりにして、高鼾をかくジョーイを
見下ろす。
﹁﹁﹁﹁﹁う∼∼む⋮⋮﹂﹂﹂﹂﹂
途端、めいめいが眉間に皺を寄せたり、腕組みしたりして慨嘆し
た。
1724
﹁︱︱で、その為には外からでなくて内側。つまり同じ夢を見て、
夢の中で元凶を倒せばいいってわけ?﹂
腹ばいになったまま、陸奥が眠そうな口調で、
﹁はい∼、そ∼なりますねえ∼。で∼も、他人の精神の中に入って
∼干渉するわけですから、当∼然っ、この夢を見せている元凶が∼
なんらかの形で妨害しますし∼、また∼、夢を見ている当人も∼、
異物の精神への侵入には∼、心を閉ざしてガードするなり∼、排除
しようと無意識に働くとぉ∼思われま∼す﹂
解説しながら、ボクらの顔ぶれを一瞥した。
で、最終的にボク、フィオレ、ミーアさんの三人の顔を見て、大
きく頷いた。
﹁僕が見たところ∼、この少年が∼、心を開いて無防備に夢に入れ
るのは∼、この中では姫とそっちの魔法使いのお嬢ちゃんと、猫の
娘さんだけですね∼﹂
﹁⋮⋮なんちゅうか、見事に若い娘ばかりじゃのォ﹂
﹁がはははっ、まあ男だからな。察してやれ﹂
呆れたように首を横に振る双樹と、口元から牙を剥き出しにして
バカ笑いをする壱岐。
﹁手前ッ、ジョーイ! さんざん目をかけてやった恩を忘れて、俺
を拒絶するたあどういう了見だ!?﹂
天涯とかが除外されるのは良くわかるけれど、古くからの知り合
いで冒険者養成所の教官でもあったはずが、見事にハブにされたガ
1725
ルテ副ギルド総長が、憤懣やるかたないという風情でジョーイの肩
を力任せに揺すっていた。
﹁姫を小僧の夢の中とはいえ、こちらの目の届かない場所にお連れ
するなど看過できることではないぞ。︱︱夢の中に元凶がいるとい
うことであれば、お前が消し飛ばせば済むことではないのか?﹂
明らかに気乗りしない口調で、天涯が横たわるジョーイと陸奥を
見比べながら端的に尋ねた。
﹁まあ⋮⋮通常なら∼どうとでもなるんですけど∼、なんというか
∼この妖草が少年の精神に根を張っている感じで、がんじがらめの
状態なんですよー。だからぁ、無理に外そうとすると∼、妖草も抵
抗するから⋮⋮僕と妖草と少年の精神が争う形になって∼、そうな
るとまず間違いなく、真っ先に一番抵抗力の弱い少年の精神が壊れ
るというか、消滅しますねー⋮⋮一か八かやってみます?﹂
﹁よし、やれ! 私が許す﹂
﹁許さないよ! やめれっ!!﹂
即座に首肯する天涯と、言われるままに行動しようとした陸奥を
ボクが慌てて止める。
﹁なんでもかんでも力ずくでどーにかしようとするのは良くないよ
! とにかく、やれることはすべて試してから、最後に力ずくとい
うことにしないと!﹂
﹁﹁﹁やっぱり、最後は力ずくなんだ!?﹂﹂﹂
きちんとモノの道理と因果を言い含めるボクの背後で、ガルテ副
1726
ギルド総長、ミーアさん、フィオレがなぜか戦慄したような声で唱
和した。
◆◇◆◇
そんなわけでジョーイを中心に右手側にボク、左手側にフィオレ、
陸奥を挟んで背中合わせになる格好でミーアさんが横になった。
ちなみにパジャマ姿のジョーイ以外は普通に普段着のまま。
別に昼寝を楽しむわけじゃないからねぇ。
﹁︱︱で、このまま眠ればジョーイの夢の中に入れるわけ?﹂
はくたく
夢のスペシャリストである︿白澤﹀︵獏は悪夢を見せる妖怪だけ
ど、白澤は予知夢とか神託を夢で見せる聖獣︶の言葉を疑うわけじ
ゃないけど、直接、物理的な腕力とか魔術とかを使うわけではない、
他人の夢の中に入らなければならないというもって廻った⋮⋮とい
うか、はなはだ迂遠な解決方法に思わず半信半疑のまま再度確認を
した。
﹁そうです∼。夢の中では時間感覚とか関係ないので、ある程度ば
らばらに眠りに付いても、同じところに同じタイミングで入れます
けど、さすがに何時間も違うとはぐれる可能性があるので∼、なる
べく全員同じようなタイミングで眠ってください∼﹂
﹁いや、そんな、こんな時間にこんな状態で即座に眠りに付くとか、
あや取りと射撃が特技の小学生でもなけりゃ無理だと思うよ﹂
いちおうカーテンは閉めて薄暗くしているとは言え、まだ午前中
で、しかも衆人環視の中で眠るとか、どんな羞恥プレイだって感じ
1727
だよねぇ。
と、傍らに控えていた天涯が、いつもの仏頂面だけど微妙に嬉々
とした雰囲気で一歩前に出ると、
﹁それでは、僭越ながら私めが心地よい眠りを誘う子守唄など︱︱﹂
そう提案しつつ、どこからともなくマイクを取り出した。
インペリアル・クリムゾン
途端、真紅帝国関係者全員が、顔面を蒼白にして仰け反った。
﹁全員就寝っーーーーーっっっ!! 耳を塞いで三秒以内に眠るん
だーっ!﹂
インペリアル・クリムゾン
ボクの絶叫に、事情︱︱真紅帝国最大の脅威にして、最凶のイベ
ントと呼ばれる﹃天涯リサイタル﹄︱︱を知らないガルテ副ギルド
総長たちが面食らった顔を見合わせる。
咄嗟に両耳に手を当てるよりも早く、天涯の自慢の喉︵!?!︶
を聞かされ、瞬時にボクらの意識は根元からばっさりと刈り取られ
たのだった。
ついでに付け加えると部屋の中にいた全員も後を追うように倒れ、
さらにはこの日、調子に乗って四時間ほどぶっ続けで続けられた﹃
天涯リサイタル﹄によって、首都アーラの都市機能はほぼ麻痺した
とのこと。
あと、当然ながらボクたちをフォローするはずだった陸奥も白目
を剥いて倒れ、結果的にボクら三人はジョーイの夢の世界の中、独
力でどーにかするしかなくなった⋮⋮。
1728
番外編 冒険者は新婚を夢みる4
頭上には底抜けに青い空が広がっていた。
﹁阿呆みたいに青い空だ﹂
足元には緑の草原と色とりどりの花畑が続いている。
﹁よく見ると色違いなだけで、デザインは全部一緒だねぇ﹂
細かいところまではフォローしきれないんだろう。花は具体的に
﹃コレ﹄というものではなくて、タンポポとコスモスと︵腹が立つ
ことに︶チューリップを混ぜて間違えた⋮⋮風で、たぶん自然には
生えていない種類のものだろう。まあいいけど。
﹁ここが師匠の夢の中ですか?﹂
﹁まあ、それっぽいと言われればそれっぽいですけど⋮⋮﹂
興味半分不安半分で周囲を見回すフィオレと、ボク同様に苦笑を
浮かべているミーアさん。
気が付いたらこの何もない草原に三人揃って突っ立ってたんだけ
れど、前後の状況からあわせて考えてみれば、ここがジョーイの夢
の中なのは確実だろう。
﹁あと、なんで三人ともウエディングドレスなんでしょうね? 着
替えた覚えはないんですけど﹂
不思議そうに自分の服装︱︱薄いピンクのエンパイアラインのウ
エディングドレス︱︱を確かめるフィオレ。
1729
戸惑いつつもはにかんだように目元と口元を緩めているのはやは
り女の子だからだろう。
﹁そうですね、ブルーのマーメイドラインとか、自分の時ならせい
ぜい三回目のお色直しくらいだと思いますから、個人的な願望の反
映ではないと思いますし﹂
こちらは薄水色のマーメイドラインのドレスを纏ったミーアさん
が、苦笑ながら肩をすくめた。
﹁え⋮⋮!? お色直し三回とか、ミーアさんのお相手って⋮⋮﹂
同情を禁じえないという顔でフィオレが絶句するけど、口に出し
た当人のほうは﹁?﹂怪訝な顔で小首を傾げるだけ。
で、ちなみにボクもいつの間にかプリンセスラインのウエディン
グドレスに着替えさせられていたわけだけれど⋮⋮。
﹁なんで私だけ色が黒なわけ!? 普通に白でしょうっ!﹂
漆黒のバルーンスカートを持ち上げて憤慨する。
と、そんなボクの叫びを耳にして、
﹁⋮⋮この方って女子力を趣味と物好きに全振りしているのかと思
ってました﹂
﹁やっぱり結婚には夢見る女子だったみたいね﹂
なにやらフィオレとミーアさんが感慨深げに耳打ちしながら、ア
イコンタクトで頷きあっていた。
﹁とにかく、なにがなんだかわからないけどジョーイが悪い! さ
っさと起こして帰ろう!﹂
そう結論付けて、その場から離れようとした︱︱けど、周囲は3
1730
60度見渡す限り草原ばかり。
むつ
﹁どうやってジョーイ君を起こすんですか、陛下?﹂
むつ
﹁その辺は本当なら陸奥にガイドしてもらう予定だったんだけど。
︱︱おーい、陸奥。聞こえる? 生きてる?﹂
はくたく
呼びかけても肝心の︿白澤﹀陸奥からレスポンスがない。これは
完全に天涯のリサイタルで機能不全になっているね。
﹁⋮⋮どうやら自力でなんとかしないといけないみたいだ﹂
﹁困りましたね。⋮⋮まあ夢の中ですから、おなかが減ったり怪我
をしたりすることはないでしょうけど﹂
と、楽観的に悲観するミーアさん。だけど、果たしてそれはどう
かな⋮⋮?
﹁︱︱なんですかその目は、陛下?﹂
﹁いや、呼び名は緋雪でいいけどさ。こーいうパターンだと、精神
が死んだら肉体も衰弱死するとか、デスゲームっぽく、精神の傷が
肉体に還元されるとかありそうだなぁ、と﹂
﹁不吉なこと言わないでくださいよぉ、ヒユキ様∼っ﹂
プロの冒険者らしく少し離れた場所で様子を見て回っていたフィ
オレが、ぎょっとした顔で小走りにボクらのほうへ戻ってきた。
﹁⋮⋮つまり夢の中だと安易に考えずに、現実と同じと考えて注意
したほうがいいということですね?﹂
﹁だねぇ。いちおう何が出来るのか、事前に確認しておいたほうが
いいと思うよ﹂
1731
そして体感時間で一時間後︱︱。
﹁あたしの魔法はだいたい使えますね﹂
ジル・ド・レエ
﹁眠る前にポケットに入れていた私物は消えています﹂
﹁私も同じ。なぜか︽薔薇の罪人︾は出せるけど他の装備は全滅。
あとスキルも一部を除いて使用不能﹂
﹁ヒユキ様だけ弱体化が著しいですね。どういうことでしょうか?﹂
﹁ん∼∼っ、多分、ジョーイの夢の中だからじゃないかな?﹂
﹁???﹂
﹁ああ、なるほど。ジョーイ君の知らないモノや魔法・魔術の類い
は再現できないということですね﹂
﹁そんなところだろうね﹂
ひととおりの検証を終えたボクたちはそう結論付けた。
ミーアさんはもともと戦闘に関しては埒外なので問題ないとして、
ボクのほうは戦闘スキルがほとんど使えなくなっている上に、腕力
や脚力、スピードも本来の2割程度しか出せなくなっている。
﹁ということで⋮⋮﹂
﹁こうなった以上⋮⋮﹂
﹁﹁切り札はフィオレ︵さん︶ということ︵だ︶ね﹂﹂
任せた。という風にボクとミーアさんがポンポン肩を叩くと、
﹁は? はあぁぁぁぁあああああ?!?﹂
フィオレが素っ頓狂な声を張り上げた。
﹁な、なんであたしなんですか!?﹂
﹁いや、だって、私の攻撃力は激減だし、自分の認識との乖離が下
手をすれば命取りになるからねぇ﹂
1732
﹁その点、フィオレさんは十全の力を発揮できます。さすがに同じ
パーティのリーダーとサブリーダーだけのことはありますね。お互
いの技能は知り尽くしているというわけですね﹂
﹁妬けるね。ひゅーひゅー﹂
囃し立てると羞恥か怒りか真っ赤になるフィオレ。
﹁そ、そんなこと⋮⋮って、そういえば小耳に挟んだんですけど、
4
ラグナロク・ワー
ヒユキ様は前に師匠の家に一時、同棲していたとか﹂
具体的には﹃吸血姫は薔薇色の夢をみる
ルド﹄の書き下ろしSSとか、P310∼313あたりである。
﹁ど、同棲じゃないよ。同居だよ﹂
﹁あと、ミーアさんはたまに昼食や夕食を手作りして師匠を餌付け
しているとか﹂
ライバル
﹁だって、ジョーイ君ほっとくと平気で腐った肉とかでも食べるん
ですもの﹂
﹁もしかして、この機会にあたしを矢面に立たせて、恋敵を亡き者
にしようとか考えているのでは?!﹂
﹁﹁いや、それはない!﹂﹂
恋する乙女の邪推を言下に切り捨てる。
それにしてもいまさらだけど、この娘ジョーイのどこがいいんだ
ろう? 謎だ。一緒に冒険しているから吊り橋効果とか、ストック
ホルム症候群とかにかかっているのかも知れない。
そのうち精神科か、気分が落ち着く薬とか与えたほうがいいかも
知れないなぁ⋮⋮。と思案していたところで、その当人が、
﹁あっ!!﹂
1733
と言ってこっちを指差したので、ちょっと驚いた。
﹁兎です﹂
その指先はよく見ればちょっとボクから外れていて、その先を辿
って振り返って見れば、どこか間抜けた顔をした白兎が一匹︵一羽
?︶、草むらから後ろ足で立ち上がってこちらを眺めていた。
﹁ウサギだね﹂
﹁魔物ではない普通のウサギですね﹂
﹁美味しそうですね﹂
フィオレの冒険者らしい身も蓋もない感想が聞こえたせいか、兎
は文字通り脱兎の勢いで逃げ出す。
﹁⋮⋮って。追わないと!﹂
はっと我に返ったボクが走り出すと、ほかのふたりも不得要領の
表情ながら勢いに押される形で、後に続いて走り出した。
﹁な、なんですか、なんですか、ヒユキ様!?﹂
﹁そんなにお腹がすいているんですか、陛下?﹂
﹁違う∼∼っ! こういう不思議空間で白兎を見かけたら絶対にキ
ーパーソンなんだから、なんだから追いかけないとマズイの!﹂
﹁︱︱そうなんですか?﹂
﹁そうーいうもんだよ。だいたい、こんだけ何もないところでいき
なり現れたウサギとか、胡散臭いにもほどがあるでしょう。絶対に
なにかあるよ!﹂
1734
重ねてそう訴えかけると、フィオレは半信半疑で、ミーアさんは
なるほどという顔になった。
それなりに本気になったふたりとともに、草原と花畑の中をひょ
こひょこ走る白兎を追いかけて、シンデレラが舞踏会の会場からト
ンズラする時みたいに、ボクたちは三人揃って長いスカートを両手
で持ち上げて走るのだった。
◆◇◆◇
﹁アランド村へようこそ﹂
﹁⋮⋮あの、ここってどこの国にある村なんでしょうか?﹂
﹁アランド村へようこそ﹂
﹁てゆーか、草原と花畑からいきなりワープしたみたいに感じたん
だけど、どういう構造になってるわけ?﹂
﹁アランド村へようこそ﹂
﹁今日はよい天気ですね?﹂
﹁アランド村へようこそ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮⋮﹂﹂﹂
白兎を追いかけていて、ふと気が付くと目の前に木の柵と土壁で
囲まれた中規模の村があった。
入り口にいた、フルプレートで完全武装のお城の衛士みたいな門
番に話しかけたところ、何を聞いてもテンプレの回答しか戻ってこ
ない。
﹁⋮⋮とりあえず、人間かどうか確認するのに斬ってみるか﹂
ジル・ド・レエ
中身がいるのかどうか確認するのに、取り出した︽薔薇の罪人︾
1735
を振りかざしたところ、慌てたミーアさんとフィオレに取り押さえ
られる。
本当ならこのふたりに抑え込まれるわけはないんだけれど、弱体
化しているせいで思うように振りほどけない。
﹁まあまあ、陛下。ここは押さえて中へ入りましょう﹂
﹁そ、そうですよ。それに﹃アランド村﹄って、いかにも師匠に関
係ある村だと思いますよ。ほら、手がかり手がかり﹂
そうやって門前で騒いでいるというのに門番はピクリとも動かな
い。
﹁アランド村へようこそ﹂
ジル・ド・レエ
なんとなく馬鹿にされているような気がしながら、ボクはしぶし
ぶ︽薔薇の罪人︾をしまって、ふたりに引き摺られるようにしてこ
の村︱︱ジョーイと同じ苗字の︱︱アランド村へと足を踏み入れた。
﹁まさかと思うけど、住人全員がジョーイと同じ顔とかいうオチは
ないよねぇ⋮⋮?﹂
本物を探せ系のクイズだったらどうしよう思いながらそう呟くと、
フィオレとミーアさんもそれを想像したのか、﹁うっ﹂と呻いて冷
や汗を流す。
そうして重い足取りのまま、ボクらはのろのろと先へ進むのだっ
た。
1736
番外編 冒険者は新婚を夢みる5
エミュー
ケンタウロス
石畳で舗装された道路を馬車や牛車や騎鳥や半馬人が行き来して
いる。
行き交う人々は普人と亜人が半々くらいで、昼間の都市部並みに
人数と活気があった。
﹁⋮⋮普通ですね﹂
﹁村と言うにはちょっと規模が大きいですけど、まあ、普通ではな
いでしょうか﹂
﹁見た感じ老若男女普通にいるねぇ﹂
ぱっと見、ごく普通の光景が門をくぐったところに広がっている。
﹁実はジョーイ君の夢の中というのは間違いで、寝ている間にどこ
か知らない場所に魔法で飛ばされたとかのオチじゃないですよね?﹂
あまりにもリアルでうららかな光景に、ミーアさんが周囲を見回
しながら疑い深く呟く。
うち
﹁そんなことはない⋮⋮と思うけど、真紅帝国の連中の洒落は洒落
できかないところがあるからねぇ⋮⋮﹂
まさかとは思うけど、このごに及んでなんちゃってオチで済ませ
るわけじゃないだろうね?
猜疑心に駆られたボクとミーアさんは、確認するために自然に頬
をつまんでつねっていた。
1737
﹁いたーっ⋮⋮痛い? あれ? 痛いような痛くないような⋮⋮あ
れ?﹂
いっせーのせーで、両方の頬っぺを抓られたフィオレが抗議をす
る。
その反応を確認したボクたちは頷き合って手を離した。
﹁やっぱり夢みたいだね﹂
﹁そうですね。本気で抉り取るつもりだったのですけど、この程度
ですからね﹂
﹁なんで当然のようにあたしの頬で試すんですか!? 自分でやれ
ばいいでしょう!﹂
涙目のフィオレのことは当然のように無視して、ボクとミーアさ
んは村の中心部目指して歩みを進める。
﹁これからどうしますか、陛下?﹂
﹁まずは聞き込みかな。定石通りに酒場で情報収集ってところじゃ
ない?﹂
﹁もしくは冒険者ギルドですね﹂
﹁だね﹂
﹁ちょっと! 放置しないでくださいよぉ!﹂
◆◇◆◇
ありがちなカップと皿が描いてある看板の下に、﹃バカサのさか
1738
ば﹄と書かれた金釘流の文字が踊っている。
﹁⋮⋮最近は大陸の共通語に漢字も併記させているのに、まだ覚え
ていないみたいだねぇ、ジョーイは﹂
﹁まあ、いまのところ漢字は基本的に超帝国と各国の首脳部との公
文書に使用しているだけですから﹂
﹁いちおう魔術学校では授業に取りいれています。あたしはまだま
だ百字くらいしか覚えていませんけど﹂
カタカナとひらがなの看板を見上げながらため息をつくと、ミー
アさんが、まあまあという感じに取り成して、フィオレが勤勉なと
ころを見せた。
﹁一般まで浸透するまであと百年くらいかかりそうだねぇ﹂
ぼやきながら扉を開けると、ものすごーくありがちなカウンター
付きの酒場があって、マスターらしい二メルトを越える熊の獣人が
皿を磨いていた。
かぶきもの
入ってきたボクら三人︱︱いずれも結婚式場から直接乗り込んで
きたような花嫁姿のほとんど傾奇者である︱︱を一瞥し、無言のま
ま軽く眉を上げただけで、そのまま何事もなかったかのように仕事
を続ける。
豪胆なのか、プロに徹しているのか、夢の中だからなのかはわか
らないけど、説明するのも面倒なのでツッコミがないのは助かると
ころだ。
他には昼間からテーブルで酒を飲んで、カードゲームをしている
冒険者風の男たちが数人いたけれど、さすがにこっちはあり得ない
ものを見たような顔でざわついている。
1739
にならないと、
周囲の視線はガン無視して、ボクはカウンターの前まで行ってマ
スターに単刀直入に尋ねた。
﹁聞きたいことがあるんだけど、ジョーイ⋮﹂
お客さん
﹁客じゃないなら帰ってもらおうか、お嬢ちゃん﹂
不愛想に言い切るマスター。
﹁ヒユキ様、こういう場合は注文をして
世間話とかできないんですよ﹂
フィオレに袖を引かれて囁かれた。
面倒臭いなぁと思いながらボクらはカウンターに三人揃って座っ
た。
﹁ご注文は?﹂
﹁味噌汁﹂
﹁え、えーと、ミルクで﹂
﹁夢の中で食べて大丈夫かしら? とりあえずお水ね﹂
バラバラに注文を伝えるとマスターが露骨に嫌な顔をした。
﹁お嬢さん方、うちは酒場ですぜ﹂
つまりアルコールを注文しろといことだろう。
﹁じゃあ酒粕のあら汁﹂
﹁ブランデー入りのボンボン・ショコラください﹂
﹁アルコールを飛ばしたホットワイン﹂
1740
嫌な客だな、をい︱︱と露骨に口に出しながら、マスターが背中
を向けてなにやら作り始める。
まさか本当にあるのか、味噌汁とかあら汁とか? と、興味津々
待っていると、目の前にノンアルコールカクテルのシャーリーテン
プルが置かれた。
、、、、
﹁生憎ご要望の品がないんで、これでどうですかお客さん﹂
紆余曲折あったけど、どうやらお客扱いされたみたいだ。
喜んでグラスを傾けているフィオレと、警戒しながら匂いをかい
でいるミーアさんを横目に見ながら、ボクもグラスに口をつけた。
﹁カクテルなら、個人的には鮮血みたいに赤いブラッディ・マリー
を飲みたいところなんだけど⋮⋮まあ、いいや﹂
軽く肩を竦めるマスター。
﹁⋮⋮それで、話は変わるんだけれど、このあたりで﹃ジョーイ・
アランド﹄って冒険者を見たこととか、聞いたことはないかな、マ
スター?﹂
﹁俺のことはバカサって呼んでくれ。この店の主だ。︱︱で、ジョ
ーイ・アランドって⋮⋮まさか、お嬢さん方知らないのか? あの
冒険王、または︿グレート・ブレイバー﹀のことだろう?﹂
グレート・ブレイバー
﹁﹁﹁はぁ!? ﹃偉大な勇者﹄?!﹂﹂﹂
なにそれ!? と、揃って飲んでいたシャーリーテンプルを吹き
出しそうになった。
﹁うわ∼∼っ、いくら夢の中とはいえ、自分で自分の事を﹃冒険王﹄
1741
だとか﹃グレート・ブレイバー﹄とかないわ∼﹂
ドミュナス
思わずそう口に出すと、フィオレはちょっとむっとした顔で、
﹁それを言うなら︿神帝﹀様とか言われているヒユキ様は⋮⋮あう
ぅ、す、すみません! つい、その⋮⋮他意はないんですっ﹂
﹁︱︱いや、別に怒っちゃいないけどさ。私の場合は他称だからね
ぇ。自称しているジョーイと一緒にされるのもちょっとアレかなぁ﹂
﹁夢の中の人物が吹聴している場合も自称になるんでしょうか? 興味深いですね﹂
﹁︱︱あんたらもしかして︿グレート・ブレイバー﹀の知り合いな
のか?﹂
マスターのバカサ氏が小首を傾げた。
1742
番外編 冒険者は新婚を夢みる6
﹁知り合いか知り合いでないかと聞かれると、残念ながら知り合い
なんだよねぇ⋮⋮﹂
きわめて遺憾なことにこの世界の人間の中では、一番の腐れ縁と
言ってもいい。もしかして、ボクの交友関係って転生前も転生後も
ロクなもんじゃないんじゃ⋮⋮うん、この話題は深く追求しないこ
とにしよう。
﹁はあ⋮⋮? 知ってるならなんで俺なんかに聞くんだ?﹂
﹁こっちのジョーイがどうなっているのか、特に現在どこにいるの
かが知らないから聞いてるんだよ。知らない?﹂
﹁﹃こっち﹄ってなんだ?﹂
﹁いろいろあるんだよ﹂
﹁いろいろか⋮⋮ふむ﹂
﹁そう、いろいろ。問題が山積みで特に現状は根本から間違ってい
るんだよ。だからこっちまでやってきて元通りに清算しなきゃいけ
ないんだよ﹂
﹁そうか、関係の清算か。なるほど、そうか⋮そういうわけか﹂
ボクら
ボクの嘆息混じりの慨嘆に、バカサ氏はグラスを磨く手を休めて、
合点がいったという顔で深々と頷いた。
それから順々にウエディングドレス姿の三人組を眺めて、痛まし
そうに眼を逸らす。
﹁英雄、色を好むって言うからなァ⋮⋮。とはいえ、娘さん方にし
たらたまったもんじゃねえだろう。確かにこんな関係は間違ってい
1743
るな。罪な男だぜ︿グレート・ブレイバー﹀﹂
﹁⋮⋮なにか間違った理解をされた気がするんですけど﹂
猫みたいに舌先でシャーリーテンプルを舐めていたミーアさんが
眉をしかめた。
﹁いいんだ、バーテン生活二十五年。俺もいろんな人生を眺めてき
たからよくわかる。何も言わなくていい﹂
やんわりとミーアさんの抗議を躱すバカサ氏。
と、外野で興味津々とボクらの会話を盗み聞いていた酔っ払いの
集団から、
﹁︱︱ちなみに、誰が︿グレート・ブレイバー﹀の本命なんだ?﹂
﹁は⋮⋮あぁ!?﹂
興味本位のバカな質問に思い切り目を剥いたのはなぜかボクだけ
で、ミーアさんとフィオレは無言で顔を合わせた後、示し合わせた
かのように、真っ直ぐにボクを指差した。
﹁ちょっと待てーーーーい! なんなの、その手は!?﹂
﹁いや、だってジョーイ君の本命って言ったら⋮⋮ねえ?﹂
﹁そーですね。客観的に言ったらこうなりますね⋮⋮はあ⋮⋮﹂
指こそ下ろしたもののミーアさんもフィオレも前言を翻す気はな
さそうだ。きちんと後でシメ⋮⋮もとい、話し合ったほうがよさそ
うだね。
﹁それで︿グレート・ブレイバー﹀だが、噂じゃ冒険者ギルド本部
からの依頼であちこち飛び回っているそうだ。詳しくは冒険者ギル
ドで聞いたほうがいいだろうな。ちなみに冒険者ギルドの建物はこ
1744
こを出たところを右に曲がって五軒目だ﹂
﹁ふーん、なるほど。参考になったよ。ありがとう﹂
﹁お役に立ててなによりだ﹂
話が一段落したところで、ちょうど飲んでいたグラスも空っぽに
なった。味は美味しかったような気もするけど、ホント、夢の中で
飲み食いしているような感覚で微妙にボヤけているのが残念だ。
横を見ればミーアさんとフィオレもほぼ同時に飲みきったみたい
で、目線で次の目的地である冒険者ギルドへ行こうと促してくる。
﹁それじゃあ、冒険者ギルドへ行ってみるよ﹂
カウンターの椅子から立ち上がったところで、目の前に大きな肉
球のついた掌が差し出された。
﹁ああ、代金は三百カッパーだ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
当然のように代金を請求され、思わず横目でミーアさんとフィオ
レを覗うと、ふたりとも何も言わずに視線を逸らせる。つーか、通
貨単位が現実と微妙に違うねぇ⋮⋮。
﹁えーと、ツケってわけには⋮⋮﹂
﹁一見の客にツケは効かねえ﹂
雰囲気で察したものか、バカサ氏の態度が露骨にぞんざいになっ
た。
1745
﹁働いて返すというのは⋮⋮﹂
﹁生憎と人手は足りている﹂
ミーアさんの提案もけんもほろろに断られる。
ジル・ド・レエ
﹁と、とりあえず手持ちのものを代金代わりに渡して、後から交換
というわけには⋮⋮﹂
﹁手持ちって、めぼしいものはせいぜい私の︽薔薇の罪人︾くらい
しかないじゃないか!? 絶対に嫌だよ!﹂
フィオレが恐る恐る提案したことはボクが即座に拒否した。結果
︱︱
﹁つまり⋮⋮てめーら、食い逃げか!?﹂
野生さながらに吠える熊の獣人を前に、ボクは冷静に話し合いを
試みる。
﹁払わないとは言っていないよ。いまは手持ちがないから、この場
では払えないって言ってるだけだろう﹂
﹁それを食い逃げってつーんだーーーーっ!!!﹂
話し合いは物別れに終わった。
﹁選べ! 自分から衛兵の詰め所に行くか、俺が力ずくでふん縛っ
て行くか、ふたつにひとつだ!!﹂
ジル・ド・レエ
全身の毛を逆立て、筋肉をモリモリさせるバカサ氏に対抗して、
ボクも︽薔薇の罪人︾を取り出して戦闘態勢になる。
1746
﹁だから後から払うって言ってるだろう! たかだか熊の獣人ごと
きがこの私に勝てるわけないんだから、恥をかく前にやめたほうが
いいよ?﹂
﹁陛下、それは火に油を注ぐようなものですよ! てゆーか、もう
この状態は無銭飲食ではなくて、居直り強盗なのでは?﹂
せい
﹁うわ∼∼ん、ごめんなさいお父さんお母さん、お祖母ちゃん、お
姉ちゃん。悪い友達の影響でフィリアは犯罪者に︱︱!!﹂
冷静にツッコミをするミーアさんと、パニックに陥って泣き叫ん
でいるフィオレ。
﹁上等だーっ!!﹂
完全にやる気になって殺気をたぎらせるバカサ氏。対峙するボク
の脳裏を、﹃三毛別﹄とか﹃絶天○抜刀牙﹄とかの謎の単語が過ぎ
る。
センチネル
センチネル
一触即発のその時、どこからか、
﹁衛兵だ、衛兵が来たぞっ!﹂
誰かの叫びが聞こえてきた。
﹁︱︱ちっ。誰か衛兵を呼びやがったか﹂
忌々しげに舌打ちしたバカサ氏の気勢が下がる。
﹁ヒユキ様∼∼っ。ど、どうしましょう?﹂
﹁︱︱ふん、たかだか村の青侍ごときが束になってかかってきたと
しても、ものの数ではないさ﹂
﹁完全に悪役の台詞ですね﹂
ジル・ド・レエ
︽薔薇の罪人︾の先端を酒場の入り口へと向き直すのとほぼ同時
に、村の入り口で見かけたフルプレートの騎士姿が三人︱︱見かけ
1747
はまるっきり同じで区別はつかない︱︱重装備とは思えない足取り
で店の中へと入ってくると、無言のまま手にした剣を抜き放った。
30分後、蓑虫みたいにロープでグルグル巻きにされるという、
なんか屈辱的な格好で拘束されたボクがいた。
﹁⋮⋮おかしい。なんでただの衛兵が目からビームとか出すんだろ
う?﹂
みょ∼∼ん、と音が出るみたいな感じでグルグル回るビームが当
たった瞬間、目を回して意識を失ったボクらは、気がついたら四方
をなんかヌメヌメした弾力と湿度のある壁で囲まれた、狭い部屋に
三人揃って閉じ込められていたのだ。
ミーアさんとフィオレは拘束こそされていないものの、どこにも
出口らしいところもなく、ボクを縛る縄もギチギチに固結びされて
ジル・ド・レエ
いるということで、手を使ったり、フィオレの魔術で焼ききろうと
したり、無造作に転がっていた︽薔薇の罪人︾で切ろうとしたり、
とひと通りチャレンジした後、どれも無駄になったのであきらめて
膝を抱えて座っている。
﹁まあ夢の中ですからね。陛下の権威も神通力も通じないんじゃな
いでしょうか?﹂
されこうべ
諦めたようにぼやくミーアさん。その視線が部屋の隅に転がって
いる髑髏︱︱よく見ると、あちこちに肋骨だの大腿骨だののパーツ
がバラバラに転がっていた︱︱に向けられる。
﹁それにしてもここってどこなんでしょうね? 普通なら衛兵の詰
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め所かなにかだと思いますけど﹂
小首を傾げたフィオレの質問に、当然誰も答えられない⋮⋮と思
ったところ、
﹁ここは陸鯨の腹の中さ﹂
不意にどこからか回答があった。
﹁﹁﹁?!?﹂﹂﹂
慌てて周囲を見回すボクら。
﹁︱︱ここだよ、ここ。お嬢さん方の足元さ﹂
されこうべ
カタカタとカスタネットが鳴るような音と声に導かれて見て見れ
ば、声の出所は、さっきミーアさんが見ていた髑髏が喋っているも
のだった。
﹁⋮⋮なんだ骨か﹂
﹁まあ、陛下のところの感覚ではそうでしょうね﹂
喋る人骨とか、別に珍しくもないので思わずそうがっかりしなが
らコメントすると、なぜかミーアさんに同情的な目で見られた。
﹁⋮⋮あー、なんかよくわかんねーけど話が通じるみたいでなによ
りだ。で、だ。詳しい説明をする代わりに、できればあっちこちに
転がっている俺の骨を集めてくれないか? 首だけってのも落ち着
かなくてな﹂
されこうべ
なんか偉そうに要望を口にする髑髏。
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番外編 冒険者は新婚を夢みる6︵後書き︶
4月3日。今後の展開が感想で予想されていて、それがあたりだっ
たので追加で加筆しました。
4月5日、訂正しました。名前﹁フィオレ﹂︵;゜д゜︶<わ、忘
れちまったい
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n1136bt/
吸血姫は薔薇色の夢をみる
2016年7月13日08時58分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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