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機関誌 16号

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機関誌 16号
カ障連大阪
フレンドリー
フレンドリー ニュース
2011年2月号
第16号
(発行) フレンドリー代表 蔭○○○(市岡)
(編集)
広報担当 吉○○○(住吉)
ホームページのURL h t t p : / / f r i e n d l y . d e s u . j p
メーリング http://groups.yahoo.co.jp/group/kafriendly/
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
巻頭言「ありがとう」
障害者権利条約から学ぶ
自分に何ができるか
お便り
フレンドリーの皆さま
「共ミサの講話から」Vol.2
トルコ旅行Vol.1
フレンドリーの予定とお知らせ
西 ○ ○ ○
田 ○
○
下 ○ ○ ○
高 ○ ○ ○
山 ○ ○ ○
増 ○ ○ ○
谷 ○ ○ ○
(事 務 局)
1ページ
2ページ
4ページ
5ページ
5ページ
5ページ
7ページ
8ページ
「ありがとう」
カ障連大阪フレンドリー会計
西 ○ ○ ○(玉造教会)
ありがとうとしか言えないときがある
あふれる感謝の思いを伝えたくて、あれこれことばを捜しても
結局ただひとこと 、「ありがとう」としか言いようのないとき。
あなたが助けてくれたこと
あなたが支えてくれたこと
あなたが受け入れてくれたこと
何よりも、あなたがいてくれたこと。
それがいかにうれしかったかを具体的に伝えたいけれど
ことばでいくら説明したところで、心にあふれる思いは
とても表しきれないというとき
結局たったひとこと言う「ありがとう」
「ありがとう」を言うためにこそ、人は存在しているのだし、そんな「ありがとう」を受け
とめるために、人は生まれてくるのである。であるならば、最もありがたく、最もありがとう
と言わなければならない対象は、実は、本来いなかったかもしれないこのわたし、自分自身な
のではないか。
自分自身に「ありがとう」を言う。しかしそれが、多くの人にとって難しいことであるのは
事実だ 。だれにとっても 、真に自分自身を受け入れることがいちばん困難なことだから 。特に 、
拒否されて育ち、自らを否定して生きてきた人にとっては、決して、できないと思い込んでい
ることのひとつだろう。ときには、むしろ自分なんかいないほうがいい、消えてしまったほう
がいいと思っていることさえある。そんな自分に、どうしてありがとう、などと言えようか。
だからこそ、このことばがあるのだ。そのことば自体で成立していることば。
- 1 -
それを言うため、それを聞くためにわたしは生まれてきたということば。
そのひとことで、生きていけることば。どうか、一度でもいい、このことばを信じて
自分自身に向かって、そっと言ってほしい。 「ありがとう」と。
晴佐久 昌英著 「生きるためのひとこと」より (中略と構成の変更あり)
わたくしが 今一番言いたい「ことば」なので晴佐久神父様の本から使わせていただきまし
た。
皆さんにありがとう
そして「主」に「ありがとう」
感謝のうちに
障害者権利条約から学ぶ
田
○
○(泉南教会)
第9回カ障連研修セミナーの参加報告
カ障連フレンドリー勉強会 2010年10月24日(日)
今日の話しの要点
① 第9回カ障連研修セミナーの内容
② 障害者の権利条約について私が考えること
※( 研修内容に私の意見を加えていますので、文章に一
人称と三人称が混在していることをご承知おきくださ
い )それと、私は勉強中ですので、 難しい質問はしない
で くださいね。
①『障害者権利条約と私』 山○○○さん(前カ障連会長)
かつて、 教会内では人権という言葉は発しにくかった と思います。まして、 障害者の人権を
真摯に考える環境は乏しかった と思います。 愛があればという感覚的なものであった かもしれ
ません。 カ障連内には、頑張れ頑張れの精神論への反発や、障害のお恵み論的指導に違和感を
もつ方もいました。
山田さんの言葉が心に残りました 。「 私の信仰感は、どんな人でも、 この世に生まれて良か
ったと思える人生をつくること、それを、イエスを通じて学ぶことだと思っています」。
障害者の権利条約とは何か?
障害者への新しい権利を作って、障害者を特別扱いしなさいという条約ではなく、人類が長
い歴史のなかで、様々な生きる権利を生み出してきた仕組みを、障害者にもきちっと保障しま
しょうってことです。 カ障連が司牧的な活動を中心にスタートしたなかで 、山○さんは、障害
者がもつべき権利が損なわれている現状を変えたいとの思いから、社会に向けて具体的な運動
を展開されていかれました。 教会及びカ障連の活動のあり方を課題提起されたと思います 。山
○さんは、カ障連の設立と全国的な展開、DPI日本会議(障害者インターナショナル)設立参
加、障害者の権利条約への取り組みを進めてこられました。 2006年に障害者権利条約が国連
総会で採択されましたが、国内での批准については、多くの 国内法や行政習慣の整備 が求めら
れています。きちっと法的強制力をもったものに仕上げねばなりません 。(人権を条約として
成立) 障害者の概念が 医療モデルから社会モデル へ転換しています。障害は本人の機能障害の
詳細(医者のさじ加減、現行の障害認定を要件)に着目されるだけではなく、 社会に完全かつ
効果的に参加することを妨げられることによって、障害をもたらされていることを明確に位置
付けるべきです。 障害者が施設での生活を余儀なくされ、刑務所のように束縛された生活を長
い期間強要されたとすれば 、それは大きな人権問題です 。障害認定されず 、年金も受けられず 、
仕事ができず生計が維持できない障害者がいることを忘れてはいけません。 ヨーロッパでは、
社会の中で生活するためには何が障害になり ますかという考え方が中心です。 ソーシャル・
フル・インクルーシブ(共生社会)の概念、合理的配慮の概念を理解しなければなりません。 常
に一番弱い人の立場を考えることを優先したいと思います。
- 2 -
合理的配慮の概念 を推し進めると、一人ひとりが大切にされる社会があたりまえに出来上が
っていくと思います。その為には、これまた一人ひとりの気づきが大切です。
この実現には時間とお金が必要。カ障連の活動もこれらの支えが課題になります。 (カ障連
会員は団体資格か個人資格か?の問題もあるが、フレンドリーとカ障連の関わり方をどう考え
ていくかを明確にしたいと思います 。)
②『人権はキリスト教から』 橋○○○さん(カ障連顧問)
橋本さんを作った四つの要因の紹介
■ 敗戦 (知らせれた真実)
戦時中は嘘ばかりの報道を信じさせられてきました。
■ 戦後デモクラシー (新制中学)
点字の教科書を初めてもらいました。全ての国民が新憲法を知り、人間の尊厳、基本的人権
を学んだ時代です。
■ 失明 (少ない情報)
見えないと情報は入ってこない、わずかな情報をたてに一生懸命考える習慣がつきました。
■ 結核 (療養生活)
療養といっても治療ではありません。8年間の入院では散歩しかできず、暇にまかせて一つ
の疑問をずっと考えました。
人間の尊厳は 、本来、人がもっているもの、 人に譲れない、才能のあるなしに関係なく、
人についている尊いものです 。橋本さんが 、戦後すぐに 、先生に『 何故 、人間は尊いのですか? 』
と聞くと答えられなかった。 天皇中心主義のなかで生きた人たち は、価値観についてはやたら
教えられないものだったのです。橋本さんは人権について素直に学んでこられました。お話を
聞いていると、深く熟慮されてきたことがわかります。敗戦と戦後と、失明と結核が、橋○さ
んを神に近づけました。試練は恵みというイタリア人神父の話があります。 試練はどうすれば
神の恵みと理解できるようになるのか? 橋本さんは、 内的、霊的な飛躍しかないと言っておら
れます。 苦しみ→試練→喜び→恵み
橋○さんはそれを頼りに、ものを考えるようになりました。しんどいけれど、努力して噛み
砕いていかれました。ある意味、目が見えなかったことは良かった、活用できたと言っておら
れます。現代キリスト者の課題
■信仰に基づいた生活が大切ですが、霊性、成熟した人間性が求められています。
単に聖書を語るだけでなく、 自分の生活、行動からにじみでた信仰を語る ようにならなけれ
ばなりません。
■人権は左翼的なものでなく、キリスト教的意味合いが強い。人間の尊厳は普遍的なことで、
皆が認めなければならないものです。 では、何故人間は尊いのか?
キリストの血のあがないと、神に似せてつくられたものというところに帰すると思います。
歴史のなかでは、人間がひしめきあい権利と権利が対立しました。人間の尊厳は他者とどう折
り合いをつけるのか? 人間は一人ひとりの尊厳が保たなければならない、という考え方はキリ
スト教からでたものだと思います。(他宗教にはそのような考え方がみられません)戦前は障
害者が仕事に就きたいと言っても難しい状況でした 。しかし、多くの犠牲を伴いながら人権
が改善されてきました。 世界人権宣言(1948)では、当初、 思想の自由 、 表現の自由 が明示
されました。その後、 恐怖からの解放 、 欠乏からの解放 が加わりました。これらの歴史的蓄積
はまさにキリスト教の思想そのものです。 障害者運動が発展できたことは、多くの障害者の努
力が実ってきものだと思います。 今後、更に障害者の権利を確保していくためには、同じだけ
霊的な運動が必要です。人権運動を広げること霊的思想を深めること、ともに大切です。 信仰
と生活の接点には祈りと思索が不可欠です。
最後に 、(分かち合いの材料として) 障害者の権利条約は、お役人だけが決めたものではな
く 、議決権がないものの障害関連の多くの非政府機関(NGO)が特別委員会での審議に参加
されました。 私たちは人任せではいけないと思います。条約の国内的効力と実効性の担保を確
実なものにする必要 があります。障害は誰でももつ可能性があります。現在の日本の障害制度
- 3 -
では、 病名があてはまっていない、病状に波があるなどの理由で障害が認定されない ことがあ
ります。 心身の機能のみに着目して障害をとらえようとする考え『医学モデル』 を是正しない
といけません 。(肝臓障害と糖尿病を持ち仕事が出来ない方が生活ほごを打ち切られ自宅で餓
死するという事件があったなど) 難病などによる日常生活上のあらゆる制限・差別の横行があ
ります。就職差別、就学差別ほか、社会参加上の制限がかかっている人が、障害者手帳のある
なしで区別されてはいけないと思います。 生活のニーズ、障害者の権利条約の趣旨に即したも
のに改正していく必要があります。これらは条約の実効性を高める国内法の整備になります。
前述の『医学モデル』ではなく、 社会環境を整備していくことを重視する『社会モデル』の考
え方を取り込んだ『相互モデル』が重要視 されています。
『 相互モデル 』とは、障害は本人の機能障害の詳細に着目するだけでなく、態度上、環境上
の障壁との関係に着目されています。条約で差別問題を考えるとき 、下記の区分けができます 。
直接差別 (例えば催しものなどに障害者を参加させない)
間接差別 (同様に制限はしないが何ら対応しない)
■ 更に合理的配慮を行わないことも差別になります 。
合理的配慮とは何か?
障害者が何かを行うときに、その障害者にとって必要な制度や設備の変更や調整ということ
です。点字や手話通訳、要約筆記などの準備などが身近な配慮です。
■ 合理的配慮を行わないことを禁止する法律や制度が必要です。DPI日本会議では、障害者の
差別が何かを明確にして、それを禁止して、差別を受けた人を救済する法律 『障害者差別禁止
法』が必要 であること長年訴えています。
■ まず、障害のある当事者が、自分にとって何があれば社会活動ができるようになるかを考え
る必要があります。
■ 『 合理的配慮 』は、障害の違いや障害のあるなしに関わらず、すべての人が社会でお互い
に尊重しあいながら、ともに暮らしていくための大切なものです。
私が日々痛感することですが、 厳しい企業競争のなかで、従業員の就業意識や労働環境は、
心身ともにかなり苦しいものがあります。生活の為には我慢といいたいところですが、人間の
尊厳(人権)を見失うようなことになってはいけません。
障害者は、求職及び就業条件がますます厳しくなり、体力的、精神的な負担はますます悪化
します。そのような社会環境は新たな障害者を日々生み出していくと思います。それらの悩み
と対応を教会共同体で話し合える場が必要です。?
障害者の災害対応も十分ではありません。最優先で有事対策の確立が求められます。私たち
が動かないと いけません。私たちは、教会で、カ障連大阪フレンドリーの活動で、私たちの
考え方、取り組み姿勢、行動を変えていかないといけないと思います。ご清聴ありがとうござ
いました。
自分になにができるか
下
○
○
○(玉造教会)
振り返れば仕事、仕事の会社人間を卒業し長い求道生活から還
暦でやっと受洗しましたが 、まだまだ勉強の毎日が続いています 。
一昨年の五月にフレンドリーの会員になり名前だけの会員では意
味のないと、みなさんと一緒に楽しくできることがないだろうか
と考えました。
総会に、黙想会に、クリスマス会に、教会バザーに参加し、少
しずつわかってきたような気がします。
初めて参加した関目教会での「 共にささげるミサ 」から 、池田 、泉佐野 、田辺 、今福 、仁川 、
神戸中央、香里、網干、豊中教会と巡礼し、ミサに与かり、交流会ではもてなしにあずかり、
わかち合い、みなさんと一緒になってひと時を過ごし、いくつものすばらしい出会いを経験さ
- 4 -
せていただきました。これからも共ミサ巡礼はつづきますが都合がつく限り参加し、自分にで
きることをやっていきたいと思っております。
聖書の中で人を愛することを教えています。行った先々でのいろんな場面を思いおこし、み
なさんとの時間を大切にし 、これからも参加させていただきたいと思います 。どうぞよろしく 。
お便り
「小さきテレジアの会」の総会と交流会のお祝いをいただき
恐縮しております。リスナーとボランティアのお弁当と交通費
の1部に使わせていただきました。大変ありがたく感謝してい
ます。
「フレンドリー」のご発展と充実を心からお祈りしつつ……
・お礼まで
高○○○
フレンドリーの皆様
要約筆記ボランティア
山○○○(芦屋教会)
この度、息子山○○○ 司祭叙階に際しまして、美し
く立派な綠のストラをいただきほんとうにありがとうご
ざいました。
9月23日の叙階式当日は雨のなか大勢の皆様にご参
列いただき、イエズス会入会以来一緒の3人が揃って新
司祭の誕生となりました。お恵みと思っております。
翌日、新司祭のレジデンスで家族だけの初ミサをあげ
ささせていただき、いただいたストラを着けさせていた
だきました。ほんとうに感謝いたします。皆様のために
祈りました。その時の写真同封します。
今後、計り知れない困難にも謙虚さを祈りのうちに立
ち向かってくれますことを祈ります。どうぞお祈りと応
援よろしくおねがい致します。
フレンドリー10周年には、必ずミサを皆様と共にさ
さげてくれますよう頼んであります。
お礼まで
寄稿「共ミサの講話から」Vol.2
増
○
○
○(垂水教会)
前回、特に申しあげたかったこと、則ち 、“等身大”のおつきあいを通して信頼関係が生じ
てくる……。ということ。
さて、今回お話しするに当たりまして、1つ申しあげておかなければ、いけないことがあり
ます。
それは釜ヶ崎で“出会いの家”を通して日雇いの人達と深く、関わっておられる在世フラン
シスコ会のWさんと言われる方のことです。
Wさんは、ある方のご依頼で 、「釜ヶ崎のことを話してください 。」という言葉に強く反発
されて 、「釜ヶ崎のことは、話すことではなく、そこに一緒に住んでみてわかる……」と言わ
- 5 -
れました。
私も、そう言いたい……。精神病のことは話すことではなく、当事者になってみて、また、
精神病院に入院してみて、初めてわかる……と。
そこで、私は、今回は障害のことはあまりお話しせずにおこうと思いました。今回は、私の
目から見た教会というもののことを書きたいと思います。
もう8年ほど前のことです。共に暮らしているYさんが、足の大腿骨を骨折され、アパート
の2階から1階へ移られる時のことです。当時、退院して来られるに当たり退院の日までに、
すべての準備を私は頼まれました。
そこで教会に呼びかけて、人手が欲しいと申し出ました。何日までに、男手何人、女手何人
……。と言いました。
しばらくしての返事は「 今 、時間の空いている男性は 、皆年配で 、腰が痛い 、足が痛い…… 、
で重いものは皆、持てない 。」でした。
困り果てている時、Yさんが受けておられる在宅介護のケアマネさんが 、「シルバー人材セ
ンターに電話してみたら、安くできるかも知れません」とのことでした。で、早速電話をしま
した。すると、70歳代のおじさんが来られ 、「全部で、4万円……」とのことでした。
さて、当日、来た方々は、全て、70歳代から後半にかけての年配の方ばかりでした。テキ
パキとことを進め、無事終了し、きっちり4万円で上がりました。
その時、私は、おじさん達への感謝と、4万円というお金が、手元にあったことがありがた
く……そして教会に関しては 、“ああ、みんな旦那様、奥様ばかりなんだ……。肉体労働を経
験してきた人はいないんだ…… 。”と思いました 。また 、教会で 、青年達がたむろしていた時 、
「あの子たちは、どうでしょう」と言ったら 、「あの青年達は、他の教会の子ばかりですから
…… 。」
という返事に驚きを禁じ得ませんでした。今の日本の政府の、この仕事は厚労省、ここから
は、文科省。という線引きのもとに何も進まない政策と同じだ!……と。
また 、私も 、脚が悪くなり 、2人共 、動けない時 、犬の散歩をどうしようと思っていました 。
幸い、近くに犬を散歩させることで、幾らかのお金をもらっている人がいました。その方にお
願いすることになりました。
その方が家に来て、マリア様のご像を見て 、「カトリック?……私、エホバ……!」と言い
ました。そして「カトリックは、こんなこともしてくれへんの? うちら頼んだら、どんな遠
くでも、支部を通じて必ず、してくれるんよ 。」とのこと。
そして、その人の知り合いの74歳のおばあさんにお願いすることになりました。
エホバの人に対しては、恥ずかしさと情けなさの混じった何とも云えない気持ちになったの
は確かです。
また、これは別の教会でのことです。K神父様に会いにフレンドリーの人と行きました。そ
の時、自分の障害のことを言って自己紹介する段になりました。それで 、「精神障害の増本と
申します 。」と言ったら、ミサ後、年配の方がやって来られて 、「あなた、えらいわぁ。なか
なか言えないことを……。えらいわぁ…… 。」とおっしゃいました。
“私は視覚障害者です ”“私は聴覚障害者です”という人に 、「えらいわぁ」という人がい
るでしょうか……。あぁ、そういう視線で見られているのかと思うと情けなくなりました。
確かに私たちは 、人を疲れさせるかも知れません 。常識はずれのことをするかも知れません 。
別れた主人からは 、「俺は、お前ほど、恥かいたら、もう、生きてはおらん 。」と言われまし
た。
私は、ただ『生は運命より高し』という、リルケの言葉だけで、今日の日まで生きてきまし
た。
最後に、もう1つお話し、します。
1人で、教会の中庭を歩いていた私は、車止めに足をひっかけ、ころげてしまいました。立
とうと思っても、なかなか立てません。お聖堂の方の建物には何人かの日本人の信者さんが、
- 6 -
反対側には4~5人のベトナムの人がいました。
その時、かけ寄って来てくださったのは、ベトナムの人達でした。3人くらいで、私を抱き
起こし立たせてくださいました 。そして1人が私のお尻をパタパタはたき 、そしてもう1人は 、
「タバコ……いる?」と言ったベトナムの人達……。私のよきサマリア人は、ベトナムの人達
でした。
寄稿「トルコ旅行」Vol.1
谷
○
○
○(夙川教会)
「えっ!師走に主婦が海外旅行に?!」との声
を後に12月7日、関西空港より飛び立ちまし
た。飛行機は『空の五つ星』と云われるカター
ル航空で、サービスはなかなかのものです。し
かし、格安旅行のため、直行便ではなくドーハ
で乗り換え、15時間でイスタンブール空港に
到着。日本との時差は7時間です。そこで、ト
ルコ・リラに両替し(1リラ=約60円 )、バス
に。現地ガイドの方と合流。彼女は日本の岡山
県で、日本語を勉強したそうです。車窓から眺
(トプカプ宮殿)
めると、約50メートル間隔にイスラム教のモ
スクが建っています。トルコはイスラム圏には珍しく、政教分離の国で、戒律は穏やかに守ら
れているそうです。
まずは、トプカプ宮殿へ。一歩中に入ると、縦につながった絵はがきや写真入りの本を、数
人が日本語で「8冊1000円!」と叫びながら売っています。当時の王様の宝物でいっぱいの
宝物殿では、びっくりするほど大きな宝石がはめ込まれた、金色に輝く剣や食器や椅子などが
並んでいます。一番の宝物は、目も眩むような輝きの86カラットのダイヤです。その上、モ
ーセの杖、アブラハムの鍋、ヨゼフのターバンなるものもあり、皆で顔を見合わせて「ほんも
の?」
3日目は、船でダーダネス海峡を渡り、イスタンブールのヨーロッパ側からアジア側へ上陸
し、あの有名な世界遺産のトロイへ。途中のレストランでのランチは、焼きサバに、付け合わ
せはお米です。日本にいるかと錯覚しそうでした。
トロイに着くと、まず初めに木馬が飛び込んできます。でも、これは、ごく最近造られたも
ので、感動するのは、野外の円形劇場や生け贄をささげた所、当時の日干し煉瓦などの遺跡で
す。トルコの他の遺跡を比べるとそうでもないそうですが、ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩
「イーリアス」に描かれた所ということで、世界遺産になったと説明がありました。
4日目、聖書に登場するエフェソスの遺跡では、野外劇場、浴場、ケルスス図書館、あのメ
ドゥーサが彫られたハドリアヌス神殿などがあり、公衆トイレまで完備されていました。ツア
ーのメンバーの中に牧師様がおられ 、「あの柱のところでパウロは宣教し、さっきの野外劇場
で多分糾弾され捕まったのではないかと思います 。」と、教えてくださいました。
パウロが歩いたかも知れない道を通り、パウロが説教したその場所に立つことができ、感慨
ひとしおでした。遺跡はそれぞれ、すばらしい彫刻がほどこされ、当時の技術、芸術性の高さ
が偲ばれました。夜は、古代の温泉保養地パムッカレのホテルで、日本と違い水着を着て、温
泉に入りました 。(次号につづく)
フレンドリーからのお知らせ
◆「フレンドリー
定期総会第4回を前に」書記から
- 7 -
11年度の総会が6月に開くに当たって 私書記担当長○よりまた皆様にお願いがあります
のでいつもながらとお思いでしょうが書かせていただきました。
日程が決まり次第事務局よりご案内の連絡があります。お一人でも多く参加していただきた
く思います。
次にまた4月~5月初めに障害者1名につき20まいのハガキ(青い鳥)が発行されます。
これをお近くの郵便局に身体障害者手帳と印鑑を持って 、「青い鳥ハガキをください」と申し
出ていただければ郵便局で書類を作成し追って通知があり、青いハガキが送られて来ます。
フレンドリーでは、皆様よりいただいた会費を有効に使わせていただくため、この青い鳥の
ハガキを行事の案内や催しのお知らせのために利用させていただきたいと思います。
皆様のお手元に届いた青い鳥のハガキを自分で使われる分を差し引いて、残ったハガキをフ
レンドリーへお送りいただければ幸いです。
2010年11月7日 フレンドリーでの本田哲朗神父さまの黙想会がありました。しかし、
録音したテープは、録音状態が悪く、皆様にお聞きいただく状態ではありませんでした。改め
てニュース・ホームページなどに記しますのでよろしくお願いいたします。その他活動の一環
としての議事録をはじめ、昨年はカトリック障害者連絡協議会の学習会、また各障害者別の障
害者の人権に関わる学習会などの資料もありますので必要な方は書記の長須まで(072-2
36-7581まで)ご連絡いただきますればと感じています。
まだまだこれから暖かくなるには程遠い事でしょうが御身体にはくれぐれもご自愛下さり、
総会の時には元気な声が聞けますように、私も楽しみにしています。
◆カ障連大阪フレンドリーの予定
3月6日(日)
共にささげるミサ
阪神地区
尼崎教会
9時30分~
5月開催の予定
共にささげるミサ
神戸地区
三田教会
詳細は追って
6月5日(日)
カ障連大阪フレンドリー総会
オリーブの集い
精神障害者の当事者と家族の集い 毎月1回司教館で14時~
開かれています。問い合わせは、メールまたはFAXで
大阪大司教館
14時~
(変更になる可能性もありますのでご注意ください)
◆カ障連大阪フレンドリー連絡先 (入会申込み及びご相談など)
540-0004 大阪市中央区玉造2-24-22
大阪大司教区気付け
事務局e-mail josephkasamatsu☆miracle.ocn.ne.jp
(アドレスは、☆を@に変えてメールをください 。)
ホームページhttp://friendly.desu.jp(最新の情報があります)
■広報担当よりのお願いです。 機関紙への投稿を宜しくお願い致します。
連絡先はメール yassan.yoshikawa☆nifty.com (フレンドリー広報吉川)
(アドレスは、☆を@に変えてメールをください 。)
●今回多数の投稿がありました。ありがとうございます。
紙面の都合で、以下は、次号6月号に掲載させていただきます。
有○さんの「翔風高校、福祉科での話」
佐○さんの「入院日誌」
谷○さんの「トルコ旅行記Vol.2」
- 8 -
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