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未来に咲く花

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未来に咲く花
高校・小説・優秀賞
未来に咲く花
長かった式典も終わり、ようやく解放された生徒たちはそれぞ
【優秀賞】
れ思い思いに帰路へとついた。俺は人だかりの隙間を縫うように
していつもの路地へと抜け出した。
この道は、面している大きな屋敷の影になっていていつもどこ
か薄暗いせいかあまり人が近寄らないため、人ごみの苦手な俺に
飯田 美友紀 (神奈川県 鎌倉女学院高等学校) とっては絶好の抜け道となっていた。
期待していた通り、ここまで来ると先ほどまでの喧騒も遠ざか
りあたりはしんとした静けさに包まれていた。
静寂の中を悠々と歩く。まるでここだけ時間の流れが緩やかに
「人生はばらいろに輝いている」
なったような、そんな錯覚を覚える。
時折横をすり抜けていく風の心地よさに身を預けていると、ふ
こんなことを最初に言い出した人はいったい誰なのだろうか。 と道の脇の木陰からこちらを見つめる一つの見慣れぬ影があるこ
だいたい大人の言う「ばらいろの未来」なんて、勉強していい とに気がついた。
大学に入って一流の企業に勤めて……なんていったもので、ちっ 「……猫?」
とも夢や希望なんてありゃしない。そんなものが「ばらいろの未
それは、薄暗い路地の影に紛れ込んでしまうほどの黒々とした
来」だなんて笑わせるな。
毛並みを持った一匹の猫だった。
この春高校生になったばかりの俺はそんなことを考えていた。 猫はしばらくの間まるで品定めでもするかのようにこちらを見
校長が長い長い新入生歓迎の挨拶の中でそんなことを言っていた つめていたが、不意に一声、にゃあ、と鳴いた。
からだ。校長先生と呼ばれる人の話が無駄に長いのは中学も高校
そしてそのまま路地の奥へと歩き出したかと思うと、つい、と
も変わりはないらしい。
こちらを振り返りついて来いとでも言わんばかりにその黒々とし
た長い尻尾を一振りして、にゃあ、と鳴いた。
その声に釣られるように俺が猫のほうへと足を進めると、猫は
それでいいとでも言うように満足げに歩き始めた。
猫の長い尻尾が揺れる様子を眺めながら入り組んだ細い道を辿
る。途中、垣根を越えたり柵をくぐり抜けたりしながら猫の後を
追った。行き先などてんで見当もつかなかったが、不思議と引き
返そうと言う気は起きなかった。
『我が校の一員としての誇りを持って、ばらいろの未来へと歩
んでいってほしい』
それが校長の長い挨拶の最後を締めくくった言葉だった。
「輝かしい未来」だとか、「希望に満ちた人生」だとか、大人
の言う理想というものはなんともちゃちな言葉で表現されてしま
う。いや、大人が言うからこそとても矮小に聞こえるのかもしれ
ない。
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高校・小説・優秀賞
……それにしても、だ。
おい猫。ついてきてほしいんだったらもっと人間にあった道を
通ってくれないか。
おろしたての制服のいたるところに葉っぱやほこりがつき、思
わず心中で毒づく。
そんな俺の思いが伝わったのか、猫は一声、にゃあ、と鳴くと
生垣の中へと飛び込んだ。
その後を追って生垣へと顔を突っ込むと、急に視界が開けた。
開けた視界の先に見えたのは、色とりどりの大輪の薔薇が咲き
乱れる広大な薔薇園と、その奥にどっしりと構える重厚なつくり
のお屋敷だった。
「すっげぇ……なんだここ」
突然広がった現実離れした風景にあっけに取られている俺をよ
そに、俺をここに連れてきた張本人である黒猫は、にゃあ、と一
声あげて薔薇園の奥へと駆け出していった。
「あ、おい待てよ猫。ここは一体……」
慌てて生垣から這い出し、猫を追いかけて薔薇園を進む。一際
大きな株を抜けたところで、猫が誰かの影に抱えられるのが見え
た。
思わず足を止めた俺に、猫を抱えたその人がゆっくりと視線を
向けた。
透き通ったガラス玉のような綺麗な瞳をしたその人が、俺を見
て薄く微笑む。
「君は……ああ、ロゼが連れて来たんだね」
「ロゼ?」
「この猫の名前さ。体は真っ黒だけど、瞳が薔薇の花みたいに綺
麗な色をしているんだ。だから、ロゼ。良い名前だろう?」
そう言って彼は抱きかかえた黒猫をこちらへ向けた。
真っ黒な毛並みの中で輝きを放つその両目は確かにここに咲い
ている薔薇の花のように美しかった。
「こいつは何かというとすぐに人を惹きつけてしまう厄介なやつ
でね。今までにも何人かこの屋敷に連れて来たことがあるんだ。
困ったものだよ」
その言葉にはっとした。
俺、もしかしなくても不法侵入ってやつをしてしまったんじゃ
……
内心焦り出した俺に気づいたのか、彼はガラス玉のような目を
細めてふっと俺に笑いかけた。
「気にしないで。別に君のことを責めているわけじゃないし、不
法侵入者として警察に突き出すつもりもないから。そもそもロゼ
が連れて来てしまっただけで君は何も悪くはないしね。……その
代わりと言ってはなんだけど、僕と少し話をしていってくれない
かい?同年代のお客さんは久しぶりなんだ」
そうして、薔薇園の中にある東屋へと案内された俺は、どうに
も居心地の悪さを感じながらもロゼを膝に抱えて薔薇園を眺めて
いる彼とそれなりに言葉を交わした。
会話をしていた時間は決して長くはないが、それでも彼につい
て幾つか分かったことがある。
どうやら彼はどこぞの御曹司だそうで、この広い屋敷は彼のた
めに与えられたものなのだそうだ。彼の両親は仕事で国内外問わ
ず飛び回っているため、普段はロゼと二人で暮らしているらし
い。
それと、もう一つ。
「君のその制服、桜山高校のだよね。一年生?」
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高校・小説・優秀賞
桜山高校というのは、俺が今日から通い始めた高校の名前だ。
「ああ、今日が入学式だった。知ってるのか?」
「知ってるも何も。僕も今日その学校に入学したばかりだもの」
ん?それってつまり……
「僕も君と同じ桜山高校の一年生なんだ」
なんと、どうやらこいつは俺と同級生だったらしい。
桜山高校は初日には入学式だけが行われ、クラス毎の自己紹介
なんかは二日目以降になる。だからか入学初日の今日の段階では
こいつが同級生ということに全く気づかなかった。でもまああれ
だけの人の中でこいつの存在を覚えていろっていう方が無茶な話
だろう。こいつもそれを分かっているのか、
「まあ知っているはずがないよね。僕だって君がその一年生歓迎
の花を付けてなかったら分からなかったもの」
そういって、俺の胸元に咲いているピンクの花をつついた。
これは新入生が上級生からプレゼントされる造花で、式の間制
服の胸ポケットに差していたものだ。そういえば外すのを忘れて
いた。
「もしかしたら、明日から同じクラスかもしれないね。そうなっ
たらその時はよろしく」
「あ、ああ。こちらこそ」
彼はぎこちなく会釈する俺に微笑むと、薔薇園の方へ目を向け
た。
「そういえば、校長先生の話覚えているかい?」
「校長の話?」
正直長すぎてほとんど聞き流していた。
「ほら、あのばらいろの未来がどうこうってやつ。聞いてなかっ
た?」
「ああ、あれか」
「そう、あれ。良かった、覚えてたんだ」
「まあ、一応それなりに話は聞いてたしな」
「そっか。で、どう思う?ばらいろの未来」
ばらいろ――
「……ばらいろの未来なんてくだらない。そんなの大人がただ大
学だ就職だっていう自分の理想を子供に押し付けて、好き勝手言
うための言葉だろ。『ばらいろ』なんてよくわからない色で、不
確かな未来についての話なんてされてもわかるわけないじゃん。
まあ要するに大人が自分にもわからないような曖昧なものを綺麗
な言葉で言いたいだけなんじゃないの。そんなもの押し付けられ
たって余計に分からなくなるだけなのに」
そう、所詮は大人の言う綺麗事だ。どんなに良い言葉で取り
繕っても、それはただ決めたレールを走らせるための方便でしか
ないのだから。
そう言うと、目の前の彼はどこか寂しそうな顔をして笑った。
「曖昧、ね。確かに薔薇は一つの色には染まらないし、一本の薔
薇にだって様々な色がある。ほら、この薔薇を見て」
そう言って彼は近くに咲いていた薔薇に触れると、その花をこ
ちらへと向けた。
熟れたような深い赤色をしたその薔薇は、中心へ向かうにつれ
てその赤みを増していき、光を透かした花びらが輝きを纏ってそ
れを覆っていた。
「花びら一枚だって同じ色には染まらない。どれも全て微妙に色
合いが違う。それがばら色。薔薇の花は決して一つの色には定ま
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高校・小説・優秀賞
らないんだ。未来だってそれでいいんじゃないかな。誰かが決め
た色になんか染まる必要はないんだ。何か一色に染まることだっ
てない。自分で自由に選び抜いてこその未来じゃないかな」
言いながら彼は薔薇園の中へと進むと、
「君はまだまだ自由だよ。進路だとか就職だとかそんなものは誰
かが決めるものじゃない。焦って決めるものでもない。周りに合
わせる必要もない。大人の言うことだからって大人しく従う必要
もないさ。やりたいようにやればいいよ。今は何もわからなくて
も、いつしかしっかりと色づいて行くんだから」
ザアッと風が薔薇園を通り抜けた。
風に煽られた花びらが一斉に空を舞った。
色とりどりの花びらに囲まれた彼は、どうしようもなく美し
かった。
透き通ったガラス玉が俺を捉えた。
――君の未来には何色の薔薇が咲いている?
そう言った彼の影に沢山の薔薇の姿が溶け込んで、とても美し
く彩られていた。沢山の薔薇の色が移っても、それでも彼は何色
にも染まらなかった。それがただひたすらに印象的だった。
「ほら。行きなよ。君はもう大丈夫。しっかりと薔薇の色が見え
ているだろう?」
彼の言葉に背中を押されるように、俺は駆け出した。
色とりどりの薔薇の花が視界一面に咲き乱れる。
この中に、俺の描く未来の色はあるのだろうか。
そんなことはわからない。でも分からなくてもかまわないと
思った。
俺は、俺の、俺だけの、薔薇色の未来を……
誰もいなくなった薔薇園の中で、少年が猫へと微笑みかける。
――ねえロゼ。今日もまた一輪、薔薇の花が色付いたよ。
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