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アイデアで勝負、阪急グループの創始者 「小林 一三 」

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アイデアで勝負、阪急グループの創始者 「小林 一三 」
資料NO.7
◎アイデアで勝負、阪急グループの創始者
こばやしいちぞう
「小林一三」
みなさんは、
「阪急」という言葉を聞いたことがありますか。例
えば三宮から宝塚や大阪、京都へ走る阪急電鉄やハーバーランドに
たからづかかげきだん
とうほう
ある阪急百貨店などです。これらに、宝塚歌劇団や東宝などを加え
き
そ
た阪急東宝グループの基礎を築いたのが、小林一三(こばやし
い
ちぞう)です。今からちょうど約 100 年前、次々に新しいアイデア
きぎょうか
を生み出し、「天才企業家」といわれた人物です。1873 年(明治 6
小林一三(阪急電鉄提供)
年)1 月 3 日小林一三は山梨県で生まれました。生後すぐに母親が亡くなり、父親とも生き
ゆうふく
別れましたが、裕福なおじ夫婦に育てられ、金銭的な苦労はなかったようです。逆に、当
ひんぷ
じょれつ
時は家の貧富が子供同士の序列にも表れていたので、ガキ大将的な存在であったようです。
その一方で、小説が好きな文学少年の一面も持ち合わせており、裕福でも、寂しい幼少期
であったと本人は振り返っています。
大学卒業後、新聞社への就職を希望するものの、すべて
れいぐう
不採用になり銀行に勤務しました。銀行では冷遇され、あ
まり恵まれませんでした。後に「この不遇の時代があって
耐え忍ぶ力を学んだ。」と本人は回想しています。その後、
ふにん
大阪での証券会社設立の話があり、家族を伴って赴任しま
開業当時の駅舎(阪急電鉄提供)
したが、経済不況の時代だったためその話は立ち消え、妻子を抱えて失業することになり
ました。一三の人生の前半はあまり恵まれていませんでしたが。新たなチャンスが来るの
を待ち続けることになります。
そして激動する時代の流れの中で数少ないチャンスが訪れることになります。阪急電鉄
みのお
の前身、箕面・有馬鉄道の再建の仕事のチャンスを手に入れました。箕面・有馬鉄道は、
田舎を走るために乗客が少なくどん底の状態でした。一三はその状態を逆手に取り、線路
用の土地を安く購入する計画を立てました。線路を敷く予定地を何日も自ら歩き、開発を
1
どのように進めるか調査・研究を粘り強くしました。線路用の土地の買収と周辺の宅地造
成開発を同時に行うことで、価値を高める工夫をします。日本で初めて、鉄道沿線の本格
的な一般大衆向けの住宅地開発です。そしてサラリーマンでも購入できるように当時は珍
げっぷ
しかった月賦(ローン)での販売という制度も確立します。電車の沿線に住宅地を作るこ
とで、自然と阪急電鉄を利用してもらえる、一石二鳥のアイデアでした。同時に大学等の
ゆうち
誘致も積極的に行い、学生の利用も増え、阪急電鉄の経営は大幅に改善されました。
また、駅ビルとして、駅前にデパートやアミューズメント施設(映画館など)を備えま
した。現在では JR にしても私鉄にしても駅ビルが当たり前ですが、これをはじめて行った
のは一三です。このような私鉄経営の基礎が、100 年前に考え出されたのです。
たいしゅうごらく
一三はその他にも大衆娯楽という分野で、新たな試みに取り組みます。みんさんご存じ
の高校野球です。中等学校全国野球大会を当時の朝日新聞社に協力を求め、第 1 回の大会
を実現させます。今も甲子園球場を舞台に続く、全国高等学校野球大会です。また、プロ
野球の創設にも深く関わり、自ら阪急ブレーブス(今のオリックスバッファローズ)とい
ごらく
うプロ野球球団を作りました。さらに、大衆娯楽の普及に努め、宝塚歌劇団の創設を行い
ます。女性だけの珍しい劇団ですが、女性のきめ細やかな表現力に目をつけ、大ヒットす
ることになります。
一三のアイデアは全てが成功したわけではわりません。多くの失敗の中で実績を残して
きた実業家だといえるでしょう。一三のアイデアは単なるひらめきや思い付きではなく、
入念な調査と研究が必ずその過程にありました。
「常に準備を怠らず、機が熟したときには
事を運べ。」が、一三の心掛けていた言葉だそうです。全てのアイデアの背景には、人には
見せない努力と探求心があったと言えるでしょう。また、一三は「逆境こそチャンスであ
り逆転の発想でピンチをチャンスに変える」という信念も持ち、前向きなプラス思考で、
み
す
失敗をチャンスに変えるバイタリィティがありました。常に先を見据え、粘り強い取り組
みを積み重ねたことにより、一三は企業家として大成功したのだと思います。さらに、神
戸のプロ野球球団オリックスブルーウェーブの前身の球団を創設し、また神戸と大阪の交
通を便利にするなど、神戸に関わりの深いアイデアマンでもあるのです。
2
◎まとめてみよう
1.一三が有馬・箕面鉄道(阪急電車)の開発で工夫したことについて(
)に語句
を入れましょう。
①田舎だったので線路用の(
②沿線に(
)を(
)購入した。
)を作り、電車の利用者も増えるという
(
)のアイデア
③サラリーマンも購入できる(
④(
)制度を確立した。
)として駅前に(
)や映画館などを備えた。
2.一三について、各問に答えましょう。
①一三は単なるひらめきで行動するのではなく、入念な調査や研究をした。
→ 一三の心掛け「
」
②一三は常に前向きなプラス思考で失敗をチャンスに変えるバイタリティがあった。
→一三の信念「逆境
」
3.100 年前のアイデアマン小林一三と神戸の関係について、書きましょう。
・三宮と大阪や京都を結ぶ(
)の基礎を築いた。
・神戸にも拠点を置いた(
(
)年(
)組(
)の前身の球団を創設した。
)番
名前(
3
)
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