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<史跡>和田岬砲台 神戸市兵庫区和田崎町1丁目三菱重工神戸造船所内

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<史跡>和田岬砲台 神戸市兵庫区和田崎町1丁目三菱重工神戸造船所内
◎神戸とコーヒーのつながり
ひ
わ
資料NO.43
缶コーヒー誕生秘話
(
)組(
)番 名前(
)
しょうひりょう
日本は世界の中で、コーヒーの 消 費 量 が第4位、輸入量が第
3位にランクされるコーヒー消費大国です。最近では街のあちらこちらでコーヒーショップを見る
ことができます。日本にコーヒーが伝来したのは、江戸時代の中頃で、オランダ人が長崎の出島に
伝えたとされています。その後、明治時代、開港により、
きょりゅうち
居留地 に多数の外国人が移住するようになり、彼らがコー
ヒーを好んで飲んだために、その影響を受け、神戸でも明
治の中頃には一般市民の口にも入るようになりました。当
こ
くさ
上島忠雄さん
初は単に焦げ臭 い印象を持ってしまう日本人が多かったの
しんとう
はんばい
ですか、徐々にコーヒーが浸透 し、貿易都市である神戸には、豆を輸入し加工・販売 する多くの
そうぎょう
企業が 創 業 しました。
うえしまただお
そうぎょう
うえしまただ お
その中で、上島忠雄さんが神戸で 創 業 したUCC上島珈琲(当時は上島 忠 雄商店)は「日本人
せいぞうぎじゅつ
の好みに合うコーヒー作り」を目指して、製造技術 の近代化に取り組み、レギュラーコーヒーの
ふきゅう
普及 に大きな役割を果たしていました。
びん
そんな、ある日上島さんが、列車が停車した駅の売店で、瓶 入りのミルクコーヒーを買って飲ん
でいたところ、列車が予定より早く出発することになり、飲み残したまま列車に飛び乗らなくては
びん
びん
へんきゃく
なりませんでした。当時は、瓶 入りなので、その瓶 を 返 却 する必要があったのです。これを非常
てがる
びん
にもったいなく思った上島さんが、「いつでも、どこでも手軽に飲めるように、瓶を缶にしよう」
と思いついたのです。さっそく社内に「缶コーヒー開発プロジェクト」が作られ、開発がスタート
ちゅうしゅつえき
しましたが、すぐにいろいろな問題や課題が出てきました。まず、コーヒーの 抽 出 液 とミルク
にゅういんりょう
ぶんり
さっきん
が分離してしまう問題です。これは、乳 飲 料 の技術を導入することでクリアしました。次に殺菌
こ
処理すると、味が変わってしまう問題です。コーヒーのエキスを濃くしたり、ミルク分を少なくし
びみょう
第1号の缶コーヒー
そうち
たりして、微妙 に調整したのですが、現在のように実験装置が発達しておら
みかく
しこうさくご
ず、すべて、担当者の感覚(味覚)に頼ったため、試行錯誤を繰り返しまし
た。さらに最大の問題がありました。コーヒーの成分のタンニンが缶の鉄分
と結合して黒くなってしまうのです。これを解決しなければ缶コーヒーは
まぼろし
幻 となってしまう可能性がありました。この問題に対しては専門家との協
とくしゅ
議を重ね、ついに、特殊 なコーティングをすることで見事に乗り越えました。
たいぼう
そして、ついに1969(昭和44)年4月、待望 の缶コーヒーが誕生しま
くしん
した。このように苦心の末できた缶コーヒーでしたが、当初はあまり売れませんでした。逆に「缶
べんり
コーヒーは正式ではない」などの批判を受けることになりました。それでも必ず、便利な缶コーヒ
じゅよう
ひやく
ーの需要 は高まり、販売も飛躍的に伸びることを確信して、販売ルートの開拓や営業方法の工夫
はくらんかい
てんき
を重ねました。そして、転機となったのが、翌年大阪で実施された万国博覧会 (EXPO‘70)
でした。国内外から約 6,400 万人もの人々が集まり、缶コー
さいてき
ヒーをPRするにはこれ以上ない最適のイベントとタイアッ
ばくはつてき
プできたのです。特に夏場になると爆発的 に売れ出し、生産
が追いつかない状態になりました。
ポートアイランドにあるUCCコーヒー博物館
こうして、缶コーヒーは一つの文化として全国に広がり、
現在販売されている缶コーヒーは年間数百種類、百億本に及びます。たった40年前の簡単なひら
めきとそれを実現しようとした執念と努力の結果です。コーヒーに関してもう少し知りたい人はポ
ートアイランドにコーヒー博物館がありますので見学してはどうでしょうか。
資料NO.43
◎まとめてみよう
1.コーヒーが日本に入ってきた頃のことについてまとめましょう。
・(
)時代の中頃に(
)人が(
・神戸では、明治時代の中頃には、(
・神戸は(
)の出島に伝えた。
)の口にも入るようになった。
)都市でもありコーヒー豆を(
)・(
)する
企業が誕生した。
2.缶コーヒーを開発する時に問題となったことを3つまとめましょう。
・コーヒーの抽出液と(
・(
)が(
)処理すると(
・コーヒーの成分の(
)する
)が変わってしまう
)が缶の(
)と結合し(
)くなる
3.缶コーヒーが開発され、普及した様子を150字程度でまとめましょう。
(
)年(
)組(
)番
名前(
)
資料NO.43
◎答え
1.コーヒーが日本に入ってきた頃のことについてまとめましょう。
・( 江戸
)時代の中頃に( オランダ )人が( 長崎
・神戸では、明治時代の中頃には、( 一般市民
・神戸は( 貿易
)の出島に伝えた。
)の口にも入るようになった。
)都市でもありコーヒー豆を( 加工 )・( 販売
)する
企業が誕生した。
2.缶コーヒーを開発する時に問題となったことを3つまとめましょう。
・コーヒーの抽出液と( ミルク
・(
殺菌
)が( 分離
)処理すると( 味
・コーヒーの成分の( タンニン
)する
)が変わってしまう
)が缶の( 鉄分 )と結合し( 黒
)くなる
3.缶コーヒーが開発されるきっかけや普及した様子を150字程度でまとめましょう。
上
島
忠
雄
さ
ん
が
駅
の
売
店
で
瓶
入
り
の
ミ
ル
ク
コ
ー
ヒ
ー
を
飲
ん
で
い
た
が
瓶
を
返
却
し
な
け
れ
ば
な
ら
ず
飲
み
残
し
た
。
こ
れ
を
残
念
に
思
い
、
い
つ
で
も
、
ど
こ
で
も
手
軽
に
飲
め
る
缶
コ
ー
ヒ
ー
の
開
発
に
取
り
組
ん
だ
。
様
々
な
問
題
を
乗
り
超
え
1
9
6
9
年
に
完
成
し
た
。
翌
年
の
万
国
博
覧
会
が
P
R
の
場
と
な
り
、
爆
発
的
に
売
れ
、
全
国
に
広
が
っ
た
。
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