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Re:原点 - NIKKEIBP Blog

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Re:原点 - NIKKEIBP Blog
2003 年度商学部学生懸賞論文
Re:原点
論文要項
マクドナルドが、この短い間で誰がこんなに変化していくと予想できただろう。マクド
ナルドはこの一年間でめまぐるしく変化した。59 円バーガーは予測できたであろう結果に
陥った。私たちは、その原因を探った。このように至った要因として、企業が外部の環境
の変化を受けることと、企業自身の問題の 2 つである。このようなことを総合的に考えて、
値下げのリスク、プライシングの問題点が浮き彫りになった。デフレ下のなか価格戦略は
企業にとって、とても重要であり、企業の成長を分割する。
また、安さが売りという共通点からダイエーに着目し、その共通点から企業がはまり易
い「あり地獄」を分析する。そこからの打開策として私たちは「原点にもどる」こと、こ
れこそが困ったときの救いの手であると考える。
(学籍番号・名前)
35011106 田渕 広美(タブチヒロミ・女) 37010786 佐々木 晴生(ササキハルヲ・男)
37011685 松山 有加里(マツヤマユカリ・女)35010240 江本 裕美子(エモトユミコ・女)
35010304 大西 公平(オオニシコウヘイ・男)
(住所)〒670-0955 姫路市安田 4-31-19
(電話)0792-81-1995
(メールアドレス)cil45080@rio. odn. ne.jp
<目次>
1章
マクドナルドのビジネス・システム
1-1
マクドナルドのビジネス・システム
1-2
59 円バーガーの効果と結果
2章
売上減少となった原因
2-1
内的要因
2-2
外的要因
3章
戦略なきプライシングの問題点
3-1
値下げのリスク
3-2
マクドナルドのジレンマ
4章
マクドナルドとダイエーの共通点
5章
私たちの考えるマクドの打開策
6章
Re:原点
1章
マクドナルドのビジネス・システム
1−1
マクドナルドのビジネス・システム
日本マクドナルド(以下マクドナルド)は、1971 年 5 月、米国のマクドナルドが 50%、
藤田商店藤田田社長が 25%、第一製パンが 25%をそれぞれ出資する合弁会社として設立
され、同年 7 月、銀座・三越に一号店がオープンした。その後急速に店舗展開が進められ、
1993 年には店舗数が 1000 店舗を超え、2000 年には 3198 店舗となった。それに伴って売
上もほぼ順調に拡大し、2000 年には 4000 億円を突破した。その結果、マクドナルドは、
1982 年から今日に至るまで売上高一位の座を保っている。親しみのブランドとして知られ
ているマクドナルドである。
・外食産業売上高ベスト5の推移
年度
1
2
3
4
5
1981 小僧寿司本部
日本マクドナルド
すかいらーく
日本食堂
プリンスホテル
1982 日本マクドナルド
小僧寿司本部
すかいらーく
ロイヤル
ダイエー外食部
1983 日本マクドナルド
小僧寿司本部
1984 日本マクドナルド
すかいらーく
1985 日本マクドナルド ダイエー外食部
すかいらーく
ほっかほっか亭
小僧寿司本部 ほっかほっか亭
ダイエー外食部
ロイヤル
すかいらーく
西部セゾン
ロイヤル
1986 日本マクドナルド
すかいらーく
ダイエー外食部
西部セゾン
日本 KFC
1987 日本マクドナルド
すかいらーく
西部セゾン
ダイエー外食部
日本 KFC
1988 日本マクドナルド
すかいらーく
西部セゾン
ダイエー外食部
日本 KFC
1989 日本マクドナルド
すかいらーく
西部セゾン
ダイエー外食部
日本 KFC
1990 日本マクドナルド
日本 KFC
すかいらーく
ほっかほっか亭
本家かまどや
1991 日本マクドナルド
日本 KFC
すかいらーく
ほっかほっか亭
小僧寿司本部
1992 日本マクドナルド
日本 KFC
すかいらーく
ほっかほっか亭
小僧寿司本部
1993 日本マクドナルド
日本 KFC
すかいらーく
ほっかほっか亭 モス・フードサービス
1994 日本マクドナルド ほっかほっか亭
すかいらーく
日本 KFC
モス・フードサービス
1995 日本マクドナルド ほっかほっか亭
すかいらーく
日本 KFC
モス・フードサービス
1996 日本マクドナルド ほっかほっか亭
すかいらーく
日本 KFC
モス・フードサービス
1997 日本マクドナルド ほっかほっか亭
すかいらーく
日本 KFC
ダスキン
1998 日本マクドナルド ほっかほっか亭
すかいらーく
日本 KFC
ダスキン
1999 日本マクドナルド
すかいらーく
ほっかほっか亭
日本 KFC
ダスキン
2000 日本マクドナルド
すかいらーく
ほっかほっか亭
ダスキン
日本 KFC
図表2、(出所)日本マクドナルド[2001 b]
製品価格値下げ
マクドナルドが低価格戦略を採用したのはここ 2∼3 年前の話ではない。12 年前の 1987
年(昭和 62 年)からである。同年の 1 月にハンバーガーにポテト、ドリンクの 3 点をセッ
トにした「サンキューセット」
(390 円)を発売した。これは発売と同時にヒットした。と
ころが、当時業界第 2 位のロッテリアが同年 7 月に「サンパチセット」
(380 円)で対抗す
ると、マクドナルドも負けじと 1988 年 10 月に「サブロクセット」
(360 円)で対抗するな
ど、モスバーガーを除く業界他社は安売り競争に突入した。マクドナルドは「サンキュー
セット」や「サブロクセット」により成功を収めたが、他のハンバーガーチェーンも低価
格戦略をとって追随してきたために、
低価格で差別化することが困難になり、
1989 年 5 月、
「サブロクセット」を打ち切った。マクドナルドは低価格戦略から「てりやきバーガー」
など新商品導入へと方向転換したのである。
しかし、新商品導入をするが、1992 年、93 年と売上が伸びないという悩みがでてきた。
そこでマクドナルドは再び低価格戦略に乗り出した。1994 年にハンバーガー、ポテト、ド
リンクをセットにした 400 円前後の「バリューセット」を発売した。さらに、同年 9 月と
12 月に「100 円バーガー」キャンペーンを実施した。翌 95 年 4 月には、
「ハンバーガー」
が 210 円から 130 円へ、
「チーズバーガー」が 240 円から 160 円へ値下げした。さらに値下
げは加速し、同年 7 月、
「てりやきバーガー」は 280 円から 180 円へ、
「フィレオフィッシ
ュ」が 280 円から 240 円に値下げされた。2000 年 2 月には「ウィークデースマイル」とし
て平日だけハンバーガーを 65 円に、チーズバーガーを 80 円の半額セールを開始し、売上
が好調に伸びたi。
価格改定
マクドナルドは 2002 年 2 月平日半額セールを打ち切り、ハンバーガーを常時 80 円に、チ
ーズバーガーを 120 円にした。また、ダブルチーズバーガーを 270 円から 220 円に値下げ
した。これは、週末は値下げして子供や家族連れの集客を狙う一方で、平日は値上げによ
り収益確保を狙った。しかし、狙いは大きく外れ、深刻な客離れとなった。そこで、マク
ドナルドは同年 8 月、
「なっ得バリュー」と銘打って再度価格を変更した。ハンバーガーを
80 円から 59 円に、チーズバーガーを 120 円から 79 円にフランクバーガーを 150 円から 75
円にした。2 月の平日値上げによる客数減、売上減を取り返すことを狙ったものである。
これにより、
「一日あたりの最高客数を動員」したが、この効果は 8 月限定で 9 月以降は客
数、売上とともに前年比マイナスを記録した。また、フランクバーガーは同年 11 月に 75
円から 150 円に、2003 年 1 月には 150 円から 75 円に、2 月には再び 75 円から 150 円に戻
した。フランクバーガーは 2002 年 8 月からみると、4 回も価格が変わった。そして、2003
年 2 月、チーズバーガーは 79 円から 120 円と値上げし、ダブルチーズバーガーは 220 円か
ら 179 円へと値下げした。
マクドナルドは 2003 年 7 月にハンバーガーを 59 円から 80 円に値上げした。また、2002
年 8 月から行っていた「なっ得バリュー」を打ち切り、新メニューの「スマート セービ
ング」を開始した。
「スマート セービング」とは毎月 1 日に特別価格のバーガーが入れ替
わり、バーガーに 100 円プラス(コンビ)するとポテト S、さらに 100 円プラス(トリオ)
するとドリンク S がついてくる。これまで「スマート セービング」に登場したバーガー
は、チーズバーガー(7 月)、てりやきバーガー(8 月)、フィレオフィッシュ(9 月)、ベ
ーコンレタスバーガー(10 月)、ダブルチーズバーガー(11 月)である。
このようなことから、
「マクドナルド」をデフレ型低価格派企業と位置付けできる。デ
フレ型低価格派企業として、マクドナルドが代表格である。マクドナルドの製品価格値
下げや価格改定で述べたように、マクドナルドは 2000 年に平日半額セールを打ち出し、外
食デフレの先鞭を着けた。
そして、マクドナルドのあとを追うようにして、リンガーハットは 2000 年 6 月、
「長崎
ちゃんぽん」を 500 円(東日本 500 円、西日本 480 円)から 380 円に値下げした。吉野家
は 2001 年 8 月、牛丼並 400 円を 280 円に値下げした。
コストリーダーシップ
競争優位
日本一のハンバーガーショップである
他社より低いコスト
差別化
マクドナルドは調達にすぐれ、コストリ
広いタ
ーダーシップという戦略をとっている。
コスト・リーダーシ
戦略
ーゲッ
コストリーダーシップとは、競合他社よ
ター
り低いコストを実現することで、より優
ゲッ
位な立場を獲得している状態、あるいは
トの
差別化
ップ
ト
そのための戦略である。
狭いタ
ーゲッ
コスト集中
差別化集中
幅
マクドナルドは世界各地からより安い
ト
原材料を求めて調達している。さらに、
図表 1、ポーターの基本戦略
大量の為替予約をしてハンバーガー原材料の価格引下げを実現した。
1−2
効果と結果
マクドナルドは集客の武器として 59 円バーガーを打ち出した。値下げ当日、環境を整
わせ満を持して仕掛けた初日に、売上高を前年度比2.4%と好調であった。そのため、昼
食時にサラリーマンの姿などが見られるようになった。マクドナルドが若者向けの店だと
思っていたが、新しい時代の風刺だと言える。
しかし、2002 年 8 月値下げ効果で前年度比 5%増となるが、9 月以降は再び前年度割れ
となり、一時的にしか効果を出せなかったといえる。
結果、売上は上がらず過去最悪となった。前 12 月期決済で 29 年ぶりの最終赤字となっ
たのである。そのため、マクドナルドは今期に 176 店舗閉鎖、新規出店は前年度の半分以
下に抑えるとした。今期の総店舗数が 71 年の創業以来初めて減少した。
値下げ競争は企業の体力競争でもある。値下げをしても利益の出る企業体質を作ること
が今後の課題とされ、各社とも食材の仕入れ、出店、配送、人件費など、あらゆる経費の
見直しを進めている。
やはり、チェーン店のように大きな組織でない企業の価格競争は困難である。
マクドナルドのように、大きな組織で体力がある企業であっても価格競争は困難であるこ
とが分かった。
2章
売上減少となった理由
このような結果に陥った原因として消費者のハンバーガーの飽きというのものまず第一
にあるが、2 つにわけるとすると。内的要因と外的要因に分けられる。
2−1
内的要因
円安による価格変更、プライスリーダーであるマクドナルドの油断が消費者の信頼を失
っていった。
為替レートの変動
主原料を輸入に頼るマクドナルドは円安に弱く、採算ラインは1ドル 135 円である。し
かし、平日半額 65 円バーガーの販売開始以降、円相場は1ドル 105∼125 円の円高だった
が、2001 年 12 月には 131 円台の円安になり採算ラインに近づいたことで平日半額 65 円バ
ーガーの打ち切りを決めた。ところが、最近の円高傾向で、再び値下げ傾向ができる環境
が整い 59 円バーガーを始めたのである。一方で消費者側からみると、マクドナルドはハン
バーガー平日半額から 80 円に値下げを行った。その後、59 円バーガーを打ち出すなど、
再三の価格変更が行われた。困惑した消費者は企業に振り回された形となり、信頼をなく
していったと思われる。
プライスリーダーである油断
マクドナルドは世間からデフレの勝ち組みと称され、過去の栄光にすがっていたと考え
られる。さらに、平日半額 65 円の成功がさらにマクドを油断させた。競合他社は 80 円か
ら 59 円の値下げに追随しなかったことから、今回の値下げはマクドナルド対マクドナル
ド、己との戦いであった。
2−2
外的要因
BSE、ミスタードーナツの事件の影響から消費者が、安全性・安心・健康のニーズを
重視するようになった。また、消費者が安さに慣れてしまった点があげられる。
BSE
2001 年狂牛病騒動は、牛肉を取り扱う業態を低迷させた。その後次々と明らかになった
食品業界の不祥事が、消費者の加工商品への不信感につながった。BSEをきっかけに牛
肉離れしていった。ハンバーガー業界だけだなく、焼肉屋や牛丼屋など外食産業に大きな
打撃を与えた。そして、ミスタードーナツを展開するダスキンの肉まん事件で、その対応
の誠意の無さが、外食に対する不安感を醸成したことは確かだろう。時代の要望と企業の
戦略とにズレが生じていると、考えられる。
健康志向
また、
肥満の原因となる食事をされたとしてアメリカのマクドナルドが訴えられていた。
結果はハンバーガーの食べすぎは本人の責任にあるとして、マクドの勝訴となったが、消
費者にとってマクドの商品はヘルシーではないという訴えでもあると言っていいだろう。
消費者のデフレ慣れ
日本経済は消費者物価の下落が続くデフレーション(デフレ)になっている経済不況が
長引くなかで、財布の口をこじ開けようとしているのかごとく、低価格をアピールする企
業が目立ってきている。外食産業も例外でなく、デフレに巻き込まれた。
外食デフレとは、牛どん・ハンバーガーなど外食産業、一連の値下げ競争のことである。
外食産業の値下げの影響が大きいといわれている。代表的なものとして、牛どん最大手、
吉野家ディー・アンド・シーが 2001 年夏に 400 円(並)を 280 円に値下げしたことであ
る。
値下げの結果、客数はそれまでの 2 倍以上に増えたようである。外食デフレの火付け役
になったのはマクドナルドが 2000 年 2 月に始めた「平日半額セール」。130 円のハンバー
ガーが平日は 65 円、160 円のチーズバーガーは 80 円である。
そんななか、安くしても売れないという状況に陥っている。そして、マクドナルドは価
格戦略に苦しんでいる。既存店売上高の減少にみまわれ値下げによる集客効果が薄れてき
ているのである。平日半額の登場に消費者は、その安さに驚き飛びついた。半額というほ
うが、安いというイメージがある。59 円は平日半額時より安いが、集客パワーはそれほど
ではないようだ。消費者は低価格というだけでは購入しなくなっている。
3章
3−1
戦略なきプライシングの問題点
値下げのリスク
今回のマクドナルドの「59 円バーガー事件?」から企業にとって価格決定はとても重要
なことで、
安易な価格決定は企業の命取りになることがわかった。
値下げのリスクとして、
以下のことがあげられる。
低品質のイメージ
まず一つは、ii低品質のイメージをあたえる。消費者は、一般的に製品に対する関与(関
心の度合い)は高いが、判断力は低く、少々高くても、高いだけによい商品なのであろう
と判断することが多かった。たとえば、牛肉を買う場合国産、輸入牛と違うと価格は大き
く異なるが、グラムあたり価格の高いほうが消費者は高品質だと認知する。逆を言うと低
価格は低品質と同じであると考えられる。つまり、価格には品質のバロメーター機能とい
うものが備わっているのだ。
59 円のバーガーといわれると、これは食べ物といえるのか?何の肉を使っているのだろ
う?あやしい?と、疑を抱くようになる。59 円という価格では製品に対する信頼は得るこ
とはできない。59 円バーガーの実現は企業の努力と、環境が整った上でのことだと思われ
るが、単に質を落としたと疑った消費者もいたとだろう。
参照価格の低下
二つ目に、iii単純な値引き販売は危険である。というのは一般的に、この製品なら価格
がどれくらいという参照価格という価格判断基準が存在する。単純な値下げ販売は、この
参照価格を低下させる危険性をもっており、これが低下するとこれ以上の価格は全て高い
と判断されてしまう。したがって、値引きするにしてもこの参照価格を低下させない工夫
が必要である。
かつて、缶ジュースが 100 円から 120 円に上がったことがある。そのとき私たちは、同
一商品なのに価格が上がったことに納得がいかなかった経験がある。参照価格が 100 円に
設定していたからである。マクドナルドの場合値段を引き下げるごとに、参照価格を低下
させたと考えられる。だから、値段を引き戻したときに消費者は高いと感じ、単なる値上
げととってしまった。
ブランド・イメージの低下
3つ目に、価格とブランドは結びつきことが多く、特に注意を要する。ルイヴィトンは
一定した価格設定をしており、その結果確固たるブランドを守っているiv。企業にとって、
ブランドとは、顔であり、信頼の証である。このことが、一番値下げによって被るリスク
である。マクドナルドは、確実にこの値下げによってブランドを失っていった。
まとめ
企業にとって、価格競争は「できればしたくない」と、いうのが本音である。しかし、
低価格化は時代の要望ということは事実である。気をつけないといけないのは、v価格優位
はほんの短期間だけでしか保てない。そして、消費者はもっと安いものへと急速にひき
つけられていく。価格競争をすればするほど消費者の価格基準は、時代と共に高度になっ
ていくのだ。
また、何よりも価格の引き下げは売上増加のための投資と考えられるべきであるvi。も
し、売上が増加しなければ、価格の値下げは単に利益を減少させるだけに終わる。歴史に
照らせば、最初に傷つき消滅するのは、価格戦争を自ら開始した企業であるということで
ある。
そして、価格競争はビジネス戦争のうち、最も野蛮で、最も破壊的なものであると見ら
れている。一方では売り手の利益を破滅し、他方では消費者の品質に対する信頼を破壊す
る。そのため価格戦争は、特に破滅的である。
また、商品やサービスのレベルでの差別化は、一つの弱点をもっている。その寿命が短
いと言うことである。つまり、顧客に適切な価格で適切な価値を提供できることが重要で
ある。
マクドナルドは、
「エブリデーロープライス」と歌っているがこれからの時代、
「エブリ
デーセイムロープライス(ESLP)
」であるべきなのであるvii。ここで一番重要なのは、
エブリデー という言葉の意味である。短期特価特売(SP)という意味では決してな
い。次に、 セイム という言葉である。毎日同じ価格であるということは、
「ある価格に
引き下げたら、元の値段には戻さない」という意味である。つまり、売価は変えてはいけ
ないのである。
3-2 マクドナルドのジレンマ
消費の二極化
昨今、消費者心理はめまぐるしく変化いてきている。デフレやBSEなどの環境変化か
ら消費者も変化していっているのだ。
「安くしても売れない」
「高くても売れるものはたくさんある」
「それでもやっぱり安い
ほうが……」
。明らかに「高いものには手をださない」といった類の消費不況ではない。だ
から、企業はもがいているのである。
安いだけでは消費者は満たされない。安い+ αで あれば、消費者にとって一番よいこと
である。+ αは、付加価値である。また付加価値とは外食産業で考えれば、よい品質であ
ったり、たのしい食事であったりする。付加価値の考え方は、人によって考え方が違うも
のだと考える。人間、十人十色どこに価値を重視するかで異なるのである。
私は、安さと+ αは両極端に存在していると、私は考える。マクドナルドはコストリー
ダーシップ戦略をとっており、企業の強みとして安さであるので両立は難しい。
消費者の変化に対応するため、
カフェ需要に対応すべく導入された、
マックトーキョー、
プチパンケーキやサイドメニューを充実させ商品構成での多様化だが進められた。
しかし、
さほど効果のあがったものではなかったといえる。このことから、マクドナルドの迷走ぷ
りがうかがえる。
4章
マクドとダイエーの共通点
マクドナルドとダイエーには意外な共通点があった。なぜ業界の違うダイエーが取り上
げられたかというと、ダイエーにもカリスマ経営者がおり、業界においてトップに上りつ
めた実績をもっているからである。そして、最近いい話を聞かない企業でもある。
ダイエーの歴史
1957年大阪千林に産声をあげたダイエー。神戸を拠点とし全国へチェーン展開を進
めてきた。ダイエーの企業理念である「よい品をどんどん安く、より豊かな社会を Fo
r the Customers 」の実現のために挑戦をし、努力を積み重ねてきた。
1972年に小売売上高日本一を達成し、1980年には売上高一兆円を達成した。店舗
数・売上高ともわが国最大のスーパーストアに成長した。わが国の流通の歴史はダイエー
が作ってきたのである。しかし、多額の負債を抱える企業になってしまった。
間違った消費者ニーズの読み
多角化
経営難に陥ってしまった要因として、消費者が何を望んでいて、何を求めているのかを
把握することができなかった。多角化に重点おき、事業展開に力を注いでしまった。
ダイエー: 飲食店経営、ホテル事業、クリーニング屋経営など数多くの事業展開を行
った。
マクドナルド: 商品の多様化、
カフェブームに対応したマック東京などが挙げられる。
ダイエーとマクドナルドの事業展開内容は少し異なるが、時代の流れに対応するために
事業展開を行ったことに変わりない。事業展開は絶対不可欠なものであるが、周りを見
失ってしまい悪い方向へと導かれてしまった。
ワンマン経営
あと考えられるのが、カリスマ経営である。どちらの企業にもカリスマ性の高い創業者
が存在する。中内氏、藤田氏の影響力は凄まじいものであることは言うまでもない。企業
内に留まることなく業界に、日本に衝撃を与えたのである。中内氏は日本の流通を創った
人物であるといえる。
中内氏自身、戦争体験者ということもありロマン、夢追い人であった。そのため、拡大
のロマン。成功が自信につながり、歯止めが利かなかった。
中内は論理的な人であったため、1 を言うと 100 返ってくるという。中内をとめれる人
がいなかった。
(元社員にインタビュー)
ここでマクドナルド社長、藤田氏の語録を紹介することにする。中にはワンマン経営の
象徴ともとれる言葉がある。藤田氏の自信に満ち溢れた発言が目につく。
ここ数年の藤田語録
96年11月
「10年間は不況が続くから、今後も低価格戦略の効果は大きい」
(2000号店の記念式典で)
98年 7月
「デフレ傾向が強まる中、当社は先頭に立って価格を引き下げ、需要
を喚起する」
(日経新聞のインタビューで)
99年 4月
「寡占化が進行する中で、最後の一強になるまでがんばっていかなけ
ればならない」
(入社式のあいさつで)
00年 5月
「デフレ時代は、顧客が納得できる値段で売ることが大事だ」
(日経流通新聞のインタビュー)
01年 6月
「3年以内にインフレに転じる」
(日経新聞のインタビューで)
7月
「頭の中ではいろいろな事業を考えている。実行に移せばさらにあが
るだろう」
(ジャスダック上場会見で、初値は 4700 円、先週末は 1700 円)
12月
「安ければ売れる時代は終わった。経営環境は来年も楽観を許さない
状況にあり、これからも CEO として自ら戦略を立てていく」
(20 日の社長退任の発表会見で)
02年 1月
「外食産業だけじゃなく、日本全体のデフレが止まるかもしれない」
(2 月からの平日半額打ち切りについて、日経 MJ のインタビューで)
8月
「59 円の値付けはデフレ志向への対応というよりも、注目を集めるた
めのマーケティング戦略の一環」
(ハンバーガーの 59 円への値付けについて、日経 MJ に寄せたコメン
トで)
03年 1月
「依然として不安定な社会情勢下にあるが、最善は必ず最悪の中から
生まれるもの。全社結束し、まい進していきたい」
(年頭あいさつで)
官僚主義
最後に、歯車化した社員。事務的、お役所を想像して、あたえられた仕事しかやらない。
つまりは、このことから商人性の喪失が伺える。商人の本来あるべき姿を見失ってしまっ
たのである。
ところで、本来あるべき姿である商人性とは何なのだろうか。商人にとって一番重要な
ことは「自分で仕入れて、自分で売る」といったごく単純なものである。このことが原点
である。しかし、簡単のように見えるが、この言葉のもつ意味はとてつもなく大きいので
ある。商人の目指すところはこの言葉でなければならない。
なぜ、これが必要なのかというと、1 つ目は当たり前のことであるが、
「自分で仕入れた
商品は必死に売るから」である。苦労して仕入れた商品ほど必死で売る。人というのはそ
ういうものである。2つ目に、
「自分が仕入れたのだから、その商品のことをよく分かって
いる」
。だから、販売に説得力がでる。 3つ目に、
「売っている人はお客様のことが分か
っている」
。分かっている人が仕入れるのだから、お客様とのミスマッチという意味での選
定ミスが非常に少ない。4つ目の優れたポイントは、
「意思疎通のコストが限りなくゼロの
近い」ことである。他人とやれば、会議の時間もその場所も紙もすべてコストであるが、
そういうものが必要ない。5つ目に、
「仕入れというのは仮説である。販売というのは実施
である。仕入れて、販売して結果を見るのが検証である。
」6つ目に、「失敗は自分のせ
いであり、責任転嫁ができない。
」問屋のせいにすることもできないし、当然、お客様のせ
いにすることができない。すなわち、逃げ道がなくなることである。
小売商人には資質として商人性というものを持っていなければならない。売りたいと思
わないものを、薦められるままに、何となく売るといった悪い方向。商人性を持っていれ
ば、
消費者に提供したいと思うものを、
自分で購買して自分の手で売るという方法をとる。
つまり、店のコンセプトをはっきりさせて仕入れて並べて売り、消費者をかえたいと思う
ものが商人性である。そのような行いが、消費者に対して信頼性を生むことは確かだ。と
ても基本的なことだと思うが今、小売商には欠けている。大規模のチェーン店では全ての
決定が本部に集中し、各店舗は本部の決定に従属状況が従業員の活力低下の要因となって
いるのが現状である。本来、小売業では従業員の個性・熱意が顧客吸収のおおきな武器に
なるというのにもかかわらず、自主性を発揮できず単なる歯車化したものとなってしまっ
ている。小売商人が商人性を発揮させるためには、商人性をつくる仕組みを構築する必要
がある。
そのなかでも、ドンキホーテが、売り場ごとに自主裁量権を店員に与えるという、自分
が店をつくるといった意識をもたせる仕組みづくりをとっている。ユニクロの柳井正は、
「小売商業として生き残ろうと思ったら、最大の政策は店長を店主にすることです」と述
べているように、独立した経営者のように従業員を取り扱うことによって、小売企業に従
事するものが持っているべき商人のしての商人マインドを大切にし、ここの従業員のモチ
ベーションを企業全体の活力に結束することは、成功する小売企業のカギとなることは間
違えないだろう。
5章
マクドナルドの行方
迷走からの打開策としてリストラ策などをマクドナルドはすすめているが、
「ブランドの
再構築」こそが、一番重要な打開策ではないかと考える。
マクドナルドに変調が感じられたのは 02 年の 2 月に 2 年間続けてきた
「平日半額セール」
の打ち切りからである。
「平日半額」をやめたときの藤田田会長(当時社長)の説明は「デ
フレは底をついた。これからはインフレに転じる。マクドナルドはその傾向を先取りする」
という強気のものであり、その後も「安さだけでは動かなくなった。消費者に価格以外の
もので魅力を訴え、利益の向上につなげる」という政策をとったが、減収減益から抜け出
せず、赤字決算となった。
マクドナルドがお客を失った原因は、主力商品の価格の操作だけで支持をつなぎとめよ
うとしたところにある。思えば、戦後の商業は一貫して「いかに安くするか」が最大のテ
ーマであった。お客の要望する価格であれば価格が低いことはお客の価値になる。同一商
品であれば品質に対するお客の要望は逐次高まるものである。
マクドナルドは、銀座に 1 号店を出すことによって、ビーフハンバーガーをメインとす
る洋風ファーストフード文化を定着させた。ねらいは日本人の健康と体位の向上にあり、
日本にハンバーガー・エイジといわれるライフスタイルを導いた。これこそがマクドのブ
ランドである。
ところがマクドナルドは、
「健康」と「美味」と「ファッション」の追求を中途半端にし
たのである。
最大の誤りは主力商品の出血価格である。食べ物の出血サービスは素材に疑問をもたれ、
味を疑わしくさせてお客の信頼を失う。
マクドナルドはファーストフード業界で長らく1強百弱といわれたトップ・ブランドの
地位を占めていながら、プロセスの革新と素材開発革新と、その組み合わせによる利益の
出るビジネスモデル革新が見られず、肝心のお客の支持を失っていった。マクドナルドの
ブランド知名は残るが、現在のマクドナルドにもはやかつてのブランドはないと言ってい
い。つまり消費者から見て、健康・美味・手軽・新鮮というイメージをマクドナルドから
くみ取ることはできないように思える。
利益が減っている分人件費の必要であるが、企業理念が示しているように『新しい食文
化の創造と拡大』という原点に戻るべきではないはないだろうか。
「初心忘るべからず」困
ったときは、この言葉を思い出すべきである。
また、マクドナルドの価格を引き下げたり戻したりしたことは、消費者のことを考えれ
ば、そのようなことはしないだろう。フォー・ザ・マインな行動である。企業の体質が現れ
たといえるviii。
しかし、一度失った信用・信頼を戻すことはとても困難である。人間の付き合いでも難
しいことである。これが、企業となるとさらに困難であろう。しかし、これをないがしろ
にすると最悪の結果に、これは大げさな話かもしれないが、マクドナルドが亡くなる日が
訪れるかもしれない。
6章
Re:原点
「原点に戻るべきだ」このことは、ほかの企業にも言うことができる。先ほど述べたダ
イエーにも言えることである。時代の流れにのらず、トップ・ブランドであるだけに胸を
はって、横綱相撲をとればいいのだ。つまり自社の強みは何かということを見失ってはい
けないのである。言い換えれば、
「コアに戻ろう」である。自社の本業とはダイエーであれ
ば小売、小売なら小売を集中化していくべきなのである。マクドナルドは、これぞハンバ
ーガーというものを作っていけばいい。銀座にオープンした当初のように、ハンバーガー
とコカコーラを手にし銀座を歩くといったことがファッションだったあのころのように、
本来のマクドナルドに戻るべきなのだ。
===参考文献===
i上田隆穂(2003)価格戦略・入門
有斐閣、日経レストラン 2002 年 9 月号 デフレの終
焉P.27、
ii上田隆穂編
ケースで学ぶ 価格戦略・入門 P4
iii上田隆穂編
ケースで学ぶ 価格戦略・入門 P6
iv上田隆穂編
ケースで学ぶ 価格戦略・入門 P5
vM・Rツィンコウタ 小田部
正明 「マーケティング戦略」P178
viM・Rツィンコウタ 小田部
正明 「マーケティング戦略」P178
vii商業界 2003
1月号 〈巻頭提言特集〉2003 年「価格」の決め方P26
viii商業界 2003
「人類史上極めて異質な消費者」の心理
5 月号 〈インタビュー特集〉
P27.30
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