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ホーマック、コーチャンフォーは釧路発祥 ~KFCカーネルサンダー像は
kitami kita primary school 3つの「あ」を大切に あいさつで人を大切に あんぜんで命を大切に あとかたづけで物を大切に ~学校だより~ 平成26/8/19 第15号(86号) まきの ~「まるいやねの学校」からの発信~ よしみつ (文責:牧野 喜充) 研修会や講演会に参加して勉強しました。深いい話を聞いてきたので紹介します。 釧路の研修会での講演(講師:サンエス電気通信株式会社代表取締役 富田 昌利氏)から ホーマック、コーチャンフォーは釧路発祥 ~ 今や全 道から 全国へ と進 出して いるこ の2つ の会 社、実 は釧路 がスタ ート だった ~ ホーマックの前進は、釧路の街中にあった傾きかけ た石黒商店という小さな金物店でした。2代目がアメ リカ視察の時に見た大型のホームセンターに触発さ れ、1976年、釧路市内に店名を石黒ホーマに変え て、小さなホームセンターを開店させたのが始まりで す。以後、イオングループと提携するなどにして、全 道、東北、関東にまで進出する大型店へと成長しました。 英記の Homac は、Home Amenity Center の略です。石黒金物店を知っている人は、今の成功を信 じられないと言っています。 コーチャンフォー「coach and four」とは 4 頭立ての馬車の意で、書籍・文具・ミュージック・カフ ェ(レストラン)の 4 施設を指しています。この社長さんは、元々夫婦で旅館勤めをしていました。その 真面目な働きぶりがダスキンの目に留まり、故郷の釧路に戻って、北海道で初めてのダスキンの代理店となった のをきっかけに、ダスキン系列のミスタードーナッツ店(小さな店舗)を釧路市内で開店したところ、1坪平均 売上高が世界1位になるなど順調に業績を伸ばしていきました。その後、当時倒産した市内のデパート内にあっ た本屋を買い取り、釧路市内に現在のコーチャンフォー1号店を開業し、現在では、道内だけでなく東京にまで 進出する企業に成長しています。 ~KFCカーネルサンダー像は、なぜ?おじいさんなのか~ 家を助けるため 10 才から農場に働きに出たサンダース少年は、学歴といえば 6 年生の 終了証だけ。その後は独学で学びながら多くの仕事につきます。機関士、判事助手、保 険外交員など 40 種に及びます。 そして、タイヤのセールスをしている時に出会った石 油会社の支配人から勧められてガソリンスタンドを始めたのは 30 代後半、「自分の将来 は自分で決めよう」と独立します。 注文の前に、ほこりだらけの車の窓をサービスで洗いラジエーターの水を調べる。 「他 の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」という信念の実践でし た。大恐慌と干ばつにより、農民に貸していたガソリン代が回収できずにスタンドはつ ぶれ、正に挫折の連続で半生が過ぎます。しかし、幾度失敗しても立ち上がるサンダース。晩年に私たちに遺し た言葉は、その経験から生まれました。 ガソリンスタンドを利用する人たちのために物置を改造して 6 席だけの小さなレストラン「サンダース・カフ ェ」を 1930 年に開業。片腕の自慢の息子を亡くすという不幸を乗り越えながら、スタンドはサービスの良さとカ フェは味で評判となります。その目玉が独特なフライドチキン。素材にまでこだわった手づくりの味と細やかな サービスに行列ができる繁盛店になりました。 人々への貢献により 1935 年にケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を授与されます。その後、火事や 新ハイウエーによる人の流れの変化など、苦難は次々と続きますが「猛然と働く意欲」と「サザン・ホスピタリ ティ」を忘れることはありませんでした。そして客席を回ってお客様にご満足しているかうかがいながら「私の 料理がもし美味しくなかったら、お代はいりません」と明言し、自分の料理への自信と愛情を隠しませんでした。 試行錯誤の末にフライドチキンのオリジナル・レシピを完成させたのが 1939 年。以降 65 年余、この味は変わる ことなく今に受け継がれているのです。しかし、新しいハイウエーの建設により車の流れが変って維持できなく なった店を手放し、負債を支払ったカーネルの手元にはいくらも残りませんでした。フライドチキンの調理法だ けが唯一の財産でした。 この時、65 才。しかし、不屈のカーネルは、それを教える代わりに売れたチキン 1 羽につき 5 セントを受 けるという FC(フランチャイズ)ビジネスを始めます。車で各地を回る強行軍ながらビジネスは成功。73 才の時 にはチェーンは 600 店を超えていました。ここで権利を譲渡し、その後は、自分の調理法が正しく行われ美味し いフライドチキンがきちんと提供されているか、各地の店舗をみて回ります。その旅は世界各地に及び、年間数 十万キロにまでなりました。日本には 3 回来日しています。数々の慈善活動をはさみながら意欲的に店舗を回っ たカーネルは、いつも「日本の KFC が一番気に入っている」と言うのでした。 「私の考えていた通りのやり方を守 り、理想のかたちを受け継いでくれている」というのがその理由。オリジナルチキン生みの親が太鼓判を押した 日本の KFC なのです。カーネルサンダーの像を店頭に置いてあるのは日本だけです。カーネルへの敬意の表れで す。 (フライドチキンを食べるとき、この話をしてあげてください。 ) Tvh 毎週木曜日夜10時「カンブリア宮殿」は、ニュースが伝えない平成の経済界に革命を起こした 経済人(トヨタの社長、サントリーの社長など)と村上龍氏とのトークショーです。毎週欠かさず見ている番組 ですが、近いうちにホーマックやコーチャンフォーの社長も出演するのではないかと思っています。 夏休みの読書 「偉い人の伝記を読んで生き方を学びなさい」とよく言われます。 昔の偉人・伝記といえば、昔の学校には、二宮金次郎の銅像が必ず校庭にありました。子 どもたちに人となりを見習って、勤勉で向上心のある人物になってほしいという意図があっ たようですが、図書館の伝記コーナーに行くと、昔と違ってさまざまな人物の伝記がありま す。 “あんな人になりたい”と将来に大きな夢を持つこと、目標に向かって努力すること、 伝記からは多くのことを学ぶことができます。 世界有数の企業トヨタの豊田章男社長がカンブリア宮殿に出演したときこう言いました。 「トヨタの原点とは、 “クルマづくりを通じて社会に貢献する”という創業の理念そのものであり、私流に言えば 『もっといいクルマをつくろうよ』という一言につきる。 」 成功する人は、私利私欲のためにやっていないとい うことです。学ぶところはたくさんあります。この話をした講師は最後に“勉強とは生き方を学ぶことである。 子どもたちに夢と希望を与える教育をお願いします。 ”と締めくくりました。 あいさつで人を大切に*** *** 札幌駅で待ち合わせをしていると、「あれ?校長先生がいるよ!」、 「いつも子どもがお世話になっております。」と声をかけられました。まさ か札幌に来てまで、北小の子に会うとは思いませんでしたが、丁寧なあいさつに感心しました。 おまつりや各種行事会場でも、子どもや保護者、そして、卒業生から丁寧にあいさつされるとうれしいものです。 また、仲よく家族一緒に楽しんでいる姿を見ると安心します。休み中に九州佐世保で女子高生の悲惨な事件が起き ました。これからも「のびのび子育て」を続けていきます。家庭教育の参考にしてください。 ラジオ体操ではなくテレビ体操 ◇▼□ ◇▼□ 休みに入ってすぐ家の近所のラジオ体操に参加しようと、6時30分 頃近くの公園に出かけてみると人影が全くありません。せっかく早起き したので近くを散歩して帰ろうとすると7時頃、子どもたちがラジオ体操のカードを首に下げて歩いています。 後を付いていくと商店街の角の店先に20人くらいが集まり、 学区の担当者がラジカセのスイッチを押しました。 ライブ放送ではなく、みんなが集まったのを見計らって、CDをならすのです。「なるほど今はこうやってやる んだ?」と納得。昔と変わらないのは、終わると一列に並んでカードにスタンプを押してもらう光景です。 休み中の校長会議で、「ラジオ体操に参加したら、次の日、体が痛かった。」と言っていた校長に同調しまし た。子どもたちの体力低下が心配されています。子どもに運動をすすめる立場の校長が、これではいけないと思 い、せめて夏休みの間だけでも、ラジオ体操をすることにしました。ところが朝6時25分から35分までEテ レビでテレビ体操(みんなの体操とラジオ体操)をやっているのを知り、夫婦でテレビを見ながら毎朝、体操を 続けました。利点はテレビのお手本を見ながらするので、正しい動きができることです。「歳をとるとこのくら いの運動がちょうどいい。」と妻は言っています。 夏休み中、各学区でラジオ体操に取り組んでいただき、ありがとうございまし た。夏休みは終わってもテレビでラジオ体操を続けてみませんか? (ただし、 参 加賞のお菓子はもらえません。) 事故・事件の報告は受けていませんが、楽しい夏休みを過ごしたことと思いま す。しばらくは、お得意様サロンも賑わいそうです。 夏休み中、ブログへのアクセス数が7,000を越えました。明日から、夏休み作品 展を紹介していきます。