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度かの平和の危機を乗り超えた今日、 部分的とは云え核停
程 に於 て、世 界 の良 識あ る世 いも のが あ る 弟 です。 持 ち、 着 実 に それ を実 行 籍 とは 、 誠 に意 藻 っ蓮 度 か の平和 の危機を 乗 り 超 えた今 日、部 分 的 とは云 え 核停 条約 の成 立を 見 る 窒 論 が 大 き な役 割 を果 し を と 考 え ます。 深 い 思 想 と 確 固 た る信 馨 し て いく 勇 気 を 持 ち た い と 、 自 覚 を 新 た に し、 義 O 気 を 申 し 上 げ て恥 か し い 限 り で 走・ りせ 薫 と お 許 し 下 さ い ( 呉 羽化学 工業株式 会社 ) .一=「 篭.一一 「畠邑 若輩 のく せ に大変 寒 す ・ 風 邪 で熱 の あ る 床 で 簿 一46一 .匿r.}㍗ 灘懲 洩罪 自 覚 を 新 た に 昭和三十三年率 平 野 芳 郎 八 月 十 五 日 は 十 八 年 目 の 終 戦 記 念 日 を 迎 え 、 全 国 一斉 に 戦 争 の 犠 牲 者 に 黙 疇 を 捧 げ ま 七 た 。 こ の厳 粛 な 一分 間 に 、 戦 争 の 恐 ろ し さ や 残 酷 さ を 思 い起 し 、 平 和 への願 い と 誓 い を 新 た に す る と 共 に 、 戦 後 十 八 年 間 の 我国 の 歩 み を 想 い、 今 後 の 我 国 の 将 来 の 重 大 さ に 鑑 み 、 私 達 の 使 命 と 責 任 の重 大 な る こと を 痛 感 せ ざ る を 得 ま せ ん で し た。 此 の 十 八 年 の間 に 、 我 国 の 経 済 は 戦 後 の 復 興 を み ご と に な し遂 げ 、 更 に欧 米 先 進 国 の技 術 を と り 入 れ 叉 独 自 の 技 術 を 開 発 し て、 所 謂 高 度 成 長 を 遂 げ て 今 日 に 至 り ま し た 。 こ れ は 日 本 民 族 の優 秀 さ を . 下す も の と し て世 界 に 誇 る べき こ と 、云 え ま し ょう 。 此 の 結 果 、 我 国 の 国 際 地 位 は 著 し く 高 ま り ま し た 。 I M F 八条 国 への 移 行 、 O E C D へ の加 盟 い ま す し 、 欧 州 で も 多 く の 国 が 日本 品 の輸 入 を 制 限 し て い ま す 。 これ ら 世 界 の 先 進 国 と の間 に 経 済 的 な 結 び つき を 強 め よ う と す る に は 、 根 気 あ る 交渉 を 必 要 と し ま し . oう 。 又 近 く で は 、 韓 国 や中 共 と の 間 に も 多 く の 複 雑 且 つ困 難 な 問 題 が あ り ま す 。 東 南 ア ジ ア、 ア フリ カ の後 進 諸 国 は 経 済 的、 文化 的 に遅 れ て いるば かりか 政 治的 にも 不安 定 で内 紛 も 多 い こと で す 。 更. に 東 西 の対 立 は 、 部 分 的 核 停 条 約 の 成 立 を 契 機 に 新 ら し い段 階 を 迎 え よ う と し て い ま す 。 此 の 様 な 世 界 の 状 勢 の中 で 、 我 国 の将 来 が 経 済 的 に は 勿 一 論 、 政 治 外 交 的 に 又 文 化 面 に 於 ても 誠 に 重 要 な 立 場 に あ る. 一 45 こと を 自 覚 し な け れ ば な り ま せ ん 。 此 の我 国 の 重 大 な 将 来 に あ って、 少 く と も 私 達 、 大 学 に 於 て 知 識 を 養 った 者 と し て 、 そ の使 命 と 責 任 の 重 要 で あ る こ と を 感 ず る の は 私 一人 で は な いと 思 いま す 。 よ く 、 ﹁イ ンテ リ の 日和 見 主 義 ﹂ と か ﹁ 無 気 力﹂ と か 言 わ れ ま す 。 着 て 我 国 を 大 平 洋 戦 争 への 悲 惨 な 道 へ歩 ま し た 一つの原 因 が こ の ﹁イ ン テ リ ー の 日 和 見 主 義 ﹂ や 、 ﹁無 気 力 ﹂ で あ った か な か った か の 議 論 は 別 と し て、 今 後 の 我 国 の 将 来 に 対 し て、 私 達 は 決 し て 日 和 見 主 義 や 無 気 力 で あ っ 等 、 名 実 共 に 世 界 の 先進 国 の 仲 間 入 り を す る 時 を 迎 え た の であり ま す。 、 . しか し世 界 は諸手 を挙 げ て成 長し た我 国 を歓 迎 し てい る ては なら な いと考 え ます。 第 二 次 大 戦 後今 迄 十 八 年 間 、 東 西 対 立 の厳 し い中 で、 幾 ・ と は 考 え ら れ ま せ ん 。 米 国 は ド ル危 機 に 見 舞 わ れ 、 ド ルの 流 出 を 防 ご う と し 、 又 日本 か ら の輸 入 を 規 制 し よ う と し て ﹂ 程 に於 て、世 界 の良 識あ る世 いも のが あ る 弟 です。 持 ち、 着 実 に それ を実 行 籍 とは 、 誠 に意 藻 っ蓮 度 か の平和 の危機を 乗 り 超 えた今 日、部 分 的 とは云 え 核停 条約 の成 立を 見 る 窒 論 が 大 き な役 割 を果 し を と 考 え ます。 深 い 思 想 と 確 固 た る信 馨 し て いく 勇 気 を 持 ち た い と 、 自 覚 を 新 た に し、 義 O 気 を 申 し 上 げ て恥 か し い 限 り で 走・ りせ 薫 と お 許 し 下 さ い ( 呉 羽化学 工業株式 会社 ) .一=「 篭.一一 「畠邑 若輩 のく せ に大変 寒 す ・ 風 邪 で熱 の あ る 床 で 簿 一46一 .匿r.}㍗