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『南相馬で、見た・聞いた・考えた』
平成 26 年 7 月 6 日 『南相馬で、見た・聞いた・考えた』 東日本大震災被災地 活動報告 1、日 時:平成 26 年 6 月 21 日(土) 2、場 所:福島県南相馬市 3、活動内容:個人宅訪問・仮置き場視察・真野川漁港訪問など 4、参 加 者:協働隊 小柏 5、活動詳細:6 月 21 日(土) 09:00:橲原高線量地区 いつもの定期訪問。今回も水、2ℓ×6 本×5 ケースを届ける。生活に少 し変化があったようだ。道路向こうに住んでいるお孫さんが、近く、福 島市へ引っ越すことになったという。もともと、そこで仕事をしている のだが、かなり忙しく、帰宅が深夜になることも多く、この際、あちら へ越して暮らすことになった。おばあちゃんには寂しい話だが、仕事優 先の若者だけに、仕方ないと思っている。 この近辺には、野生の動物が多く生息する事は以前から書いているが、 今日は、少しびっくりする話を聞いた。おばあちゃんが、家の近くの斜 面で草取りをしている時の事だ。直ぐ近くの茂みから仔馬が飛び出てき た。 「あれ、仔馬だ。 」と思っていると、その仔馬が、ぴょんぴょん跳ね ながら道向こうの茂みに消えていった。その時は、変な走り方をする仔 馬だなぁ、と思ったそうだが、特別気にもかけず家に帰った。後で、娘 さんに話をしたところ、 「ばあちゃん。そりゃ仔馬じゃないよ。カモシカ だよ。 」と言われたと言う。カモシカということは、あの、ニホンカモシ カという事だ。特別天然記念物のニホンカモシカが身近に生息すると は!猿や猪にしてもそうだが、テレビや動物園で見た事はあっても、野 生の姿を目にした事はない。その、特別天然記念物のニホンカモシカま でがここに住んでいる。凄い場所だ。おばあちゃんの話によると、震災 前には、けっこう良く見かけたそうだ。沢水の出が悪くなったので、取 水口を点検している時、近くで身動きもせず、じっとこちらを見ていた こともあったと言うし、山菜取りの帰りに、後ろをつけられたこともあ ったと言う。 「なぁに、何にも悪さするわけでねぇからな、別にいいんだ けどもな、なんかな、ちょっと怖い感じもするな。なにせ、こちらを見 たまま、ピクリともしねぇんだからなぁ。大きな目で見られてっからな、 魂取られるような気がしたもんだ。 」おばあちゃんの考えに依ると、震災 から 4 年目に入り、山も、少しずつ元の姿に戻り始めているのかもしれ ない。初年度に葉の出が一月ほど遅れた欅も、今年はいつも通り、見事 な若葉を茂らせた。木々や草花、森の生き物たちも、ようやく落ち着き を取り戻し、今までの生活サイクルで暮らしだした。そういう事らしい。 帰りがけ、 「今日は、山菜おこわを作るから、また寄ってくれ。」と声を かけられた。勿論、ご馳走になる。このおこわも絶品。帰りが楽しみだ。 10:00:川房地区仮置き場 上の写真は、川房地区公会堂前の線量計。0,69μシーベルトを指してい る。以前測定した時は、線量計の数値と隣の田んぼの上の数値には、倍 の開きがあった。線量計は、コンクリートで固めた土台の上にあるので、 下からの線量の影響を受けにくいと考えられる。今も同じ状態だとすれ ば、この地点の線量は、この数値の倍、1,4μシーベルトくらいあるのか もしれない。 前回はカンカン照りだったが、今回は曇り空。幾分暑さも和らいでい る。それでも暑いことに変わりはない。作業員を乗せてきた車が、あち こちに停まっているのも同じだ。 仮置き場は、かなり成長していた。言い方としてはおかしいかもしれ ないが、 『成長した』というのが一番適切な表現だと思う。黒いフレコン の山が、広く高くなっているのだ。壁の高さの倍ほどにも積み上げられ たその姿は、何か異様なものを感じさせる。勿論、田畑の除染が大変な 仕事でありそれなくして地域の復興は始まらない、という事は間違いな いのだが、それでも、田園風景の中に出現した仮置き場の姿は、どうし ても違和感が先に立ってしまう。特に、この場所のそれはあまりにも巨 大で大き過ぎる。しかも、これだけ広大な敷地ですら『仮置き場』に過 ぎない。南相馬市の一集落でこれだけの敷地が必要になるのだから、市 全体ではどれくらいの規模になるのか。被災地全体ではどうなのか。中 間貯蔵施設や最終処分場はどうなるのか…。除染は簡単ではない。 上右の写真は、農地の除染の様子。表土を 5 センチくらいパワーショ ベルで剥ぎ取り、その上から砂を敷いていく。作業は手慣れた様子でテ ンポよく進んでいく。草地では、人力で草を刈り取り、それを集積して フレコンに詰めていくのだが、このフレコンに詰める作業が大事。フレ コンは、階段のついた囲いの中に吊るされ、上から草などが入れられて いくのだが、そのままではふわふわな状態なので、人手で踏み込まなけ ればならない。写真を撮ろうとしたのだが、元受企業の現地責任者から 「環境省の了解を取って欲しい。」と、やんわりと拒否されてしまった。 ので、以下に図解する。 草などを入れる。 足で踏み固める。 フレコン フレコン拡大図 この作業は、4 人一組で順次交代しながら行われていた。作業をしてい る人に話を聞いたところ、 「踏み固めないと、嵩張ってしまってフレコン の数だけが増えてしまう。 」と言っていた。それにしても、前回は何の問 題もなく写真に収められたのに、今回はどこでも現場責任者から「私で は判断できないので、現場事務所に問い合わせて欲しい。」と異口同音に 言われてしまった。現場の写真を撮るボランティアがいる、という事が 問題にされたのだろうか? 11;00:井田川地区~角部内 井田川地区でも鉄骨などの瓦礫が集積され、重機が何台か動いていた。 しかし、除染が始まったという印象はない。 井田川地区から沿岸部に行くと角部内になるが、そこでは護岸工事が かなり進んでいた。沢山のテトラポットが作られていたし、堤防の基礎 工事もかなり広範囲で行われている。この後、防潮林や道路の整備が行 われると聞いている。津波で壊されたものはこういう形で修復すること が出来るが、それが出来ないものもたくさんある。決して元に戻せない ものは、どうすることも出来ない。それを受け入れ、耐えるしかない。 人にはわからない、理解してもらおうとしても叶わない。そういう人の 思いにどう応えればいいのか。今も答えが出ない。 12;00:真野川漁港 ここの整備も加速度的に進んできている。現在は、港湾内部の工事は ほとんど終わり、港湾接続部の工事に移っているようだ。岸壁から続く 平地部の舗装や、排水溝の設置など、来る度に景色が変化している。話 では、今年の秋ごろをめどに終了するそうだ。 社長さんは留守だったので、話は聞けなかった。こういう日もあるが、 それはそれでいい。話を聞けても聞けなくても、漁港は静かに復元して いるのだし、造船所も、人手不足に悩まされながらも操業を続けている。 それでいいと思う。 12;30:北右田公会堂跡地 今回も跡地に立った。以前と変わらず、仮設のゴミ集積場だけがポツ ンとあった。変わらない場所の変わらない風景。それを撮り続けること に意味があるのか。時々そう自問する事がある。しかし、意味があろう となかろうと、ここを撮り続けることは、私がここで活動を続けること の原点だ。それはつまり、私が南相馬へ行き続けること自体の意味を問 う事と同義だと思っている。人には分かっては貰えないとは思うが、こ こへ来ることこそが私の活動そのものなのだと思う。何も変わらない、 変えられない、何も出来ていない。それが私の活動だ。 12;40:懐かしい家 いつもと道を変え、住宅の建設現場へ立ち寄る。以前、話を聞いた方 の家だ。この家は、震災に会ったその場所に建てられている。建物の土 台の高さは、津波の高さと同じだ。ここへ家を建てることを決めた事も さることながら、人の居ない場所でどう暮らしていくのか、その事も心 配なのだが、残念ながら会う事は出来なかった。また立ち寄るつもりだ。 13;10:鹿島区農家 太陽光発電のその後を聞きにお邪魔する。しかし、農地転用の許可が 進まず、未着工だと言う。そのせいか、心なしか元気がなかった。80 歳 を過ぎているのだが、いつもシャキッとした物腰で穏やかに話す。この 土地で米を作り、農家として暮らしてきた自負のようなものが、言葉の 一つ一つから感じられる。 「農家はな、我慢なんだよ。いつも思い通りに行くわけじゃないからな。 日照りで我慢し、雨続きで我慢し、不作や凶作でも我慢しなきゃなんね ぇ。それが出来なきゃ、農家は務まらないんだよ。許可が下りないんだ からな、下りるまで我慢するしかないんだ。こういう事には慣れている からな。どれ、ジャガイモ掘るか?」 そう言って、おじいさんは軽トラックを出してきてくれた。家の前の 田んぼは、きれいに耕してあった。 「ここはな昨日やったんだ。そんで、向こうとその向こうは一昨日だ。 いくら米作らないからってな、田んぼをほっとくわけにはいかんないん だ。こうしてな、いつでも作れるように準備しとかにゃなんねぇ。それ でもな、前みたくたくさん採れないしな、食味も落ちる。売れるかどう かもわかんねぇ。農家はな、そういうもんだ。」 ジャガイモの収穫は小学生以来だ。この畑には、メイクイーンと男爵 が植わっている。しかし、見分けはつかない。 「良く見てみろ。葉の色が少し違うだろ?この畝は男爵。向こうがメイ クイーンだ。どうだ?違いが分かったか?」 言われれば、何とかなく違うような違わないような‥。ジャガイモを 掘ると言うのでついてきたのだが、道具が何もない。シャベルもスコッ プもないのだ。 「これ、どうやって掘るんですか?」 「うん?どうもこうも、手で掘るんだよ。見てな。 」 おじいさんは、手慣れた様子で茎を少し倒しながら根本の土を掘り始め た。そして、器用に土の中からジャガイモを掘り出して見せた。 「小さいのはそのまま埋めておくんだぞ。これくらいのは掘っていいか らな。 」 手で掘るのか…と思いながら挑戦する。のだが、見るとやるとは大違 いで、おじいさんのように簡単には掘れない。土が意外に硬い。ジャガ イモも、そう簡単に出てきてくれない。しかも滑る。途中で、中指の爪 を少し剥がしてしまった。それでも、20 個ばかりのジャガイモを収穫で きた。 「タケノコ採るか?」 真野川の土手に自生する孟宗竹の筍だそうで、大きめの姫筍という感じ。 取り方はいたって簡単。生えているのを、先の方から折るだけ。わずか 5 分足らずで袋一杯に採れた。おじいさんからは、大根や白菜など、季節 の野菜を貰う。当たり前だが、どれもとびきり美味しい。この筍も楽し みだ。 16;00:再び橲原 山菜おこわを頂戴する。以前にもいただいたのだが、すこぶる美味し い。味付けが上品で、いくらでも入る。南相馬でいろいろな物を貰うが、 自然の賜物というようなものばかりだ。それらのいくつかは、もうここ では取れなくなってしまったのが残念だ。 いつもは話を聞いていることの多い娘さんが話し出した。 「この前、隣組の話したでしょう?ここに残るのがはっきりしているの は 3 軒だけだって。元々8 軒しかない所だからね、それがさらに減ってし まうから困ることがたくさん出てくるのよ。私なんかはね、子供達にも 言ってあるんだけど、私が死んだら、身内だけで葬式してくれればいい よってね。だって、しょうがないでしょ?これしかいないんじゃ、以前 のようには出来ないものねぇ。何するにも人がいないんだから、同じよ うには出来ないからね。だからね、私はそれでいいと思っているんだけ ど、ばあちゃんは違うと思うの。ちゃんと、以前のようにみんなが集ま って欲しいんじゃないかと思うんだけど‥。でもねぇ、こればかりはね ぇ‥。 」 地域に暮らす人達が助け合い、繋がりあって暮らしてきた部落の存在 自体が崩壊しつつある。それはここだけの話ではない。良く耳にする『限 界集落』という言葉があるが、ここでは、それすら現実を表していない。 一般的に『限界集落』は、 「65 歳以上の割合が 50%を超す集落」と捉え られているようだが、南相馬の実態はそんなものではない。65 歳以下の 割合が 10%や 20%という集落も珍しくないと思う。 「集落としての機能を 果たせない‥」どころか、 「集落としての存続が難しい」のが現実だ。部 落や集落という単位で物事を考える余裕がない人がほとんどだと言う事 もある。自分たちで生きていくのが精一杯なのだ。それも、家族単位で はなく、個々人単位の場合も多い。家族が離れて暮らさなければならな いのは当たり前。そういう暮らしから見えてくるものはなんなのか?答 えの出ない問いかけを見つめていきたい。