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別添1
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名:言語の脳機能に基づく獲得メカニズムの解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者: 酒井 邦嘉 (東京大学大学院総合文化研究科 准教授)
主たる共同研究者:
櫻井 彰人 (慶應義塾大学大学院理工学研究科 教授)
渡辺 英寿 (自治医科大学脳神経外科 教授)
牧
敦
((株)日立製作所基礎研究所 主管研究員)
3.研究内容及び成果
(1)研究課題全体の成果概要
本研究では、脳における言語機能獲得のメカニズムを解明するために、fMRI(機能的磁気共鳴撮像法)
や MEG(脳磁計測法)などの非侵襲的脳機能計測の手法を駆使して研究を行い、文法処理や文章理解に
おいて前頭葉の特定の領域が活性化するという脳における言語処理の普遍性が、日本語・英語・日本手話
のように異なる言語間で確かめられ、さらに第二言語の習得過程で脳活動がどのように変化していくかが明ら
かになった。これらの成果の概要を以下に示す。
①英語教育における脳活動の変化
本研究では、英語の習得過程を脳活動の変化として捉えるために、中学1年生に対し、英語のヒアリング能
力と文法運用能力の向上を促すトレーニングを2ヶ月間の授業時間に実施した。授業を受けた全生徒の中に
含まれる双生児に対して、トレーニングの前後における脳活動の変化を fMRI によって計測した。その結果、
英語の成績の向上に比例して、左前頭葉の一部(ブローカ野)に活動の増加が見られ、また、この活動変化
は中学1年生の双生児で高い相関を示した。この脳の場所は「文法中枢」の一部であり、日本語による同様の
課題で見られた活動の部位と一致した。本研究成果は、Cerebral Cortex 誌に発表された(2004 年)。
②文字の習得過程における脳活動の変化
本研究では、「文字中枢」の活動に正字法と音韻の2つの要因のどちらか一方のみで十分であるのか、そ
れとも両方の要因が必要であるかを明らかにすることを目標として、日本語を母語とする大学生等に対して、
ハングル文字と音の組み合わせのトレーニングを行い、成績の向上を確認し、さらにトレーニング中の脳活動
を fMRI で測定した。その結果、読字の成績の向上に比例して、左脳の下側頭回後部に活動の上昇が見ら
れ、また、この活動変化は新しく習得したハングル文字と音声を組み合わせたときにのみ見られた。既習の仮
名文字よりもハングル文字の方に強い活動を示した部位は、ハングル文字よりも仮名文字の方に強い活動を
示した領域と隣接していた。従って、文字が読めるようになると、新しく習得した文字に特化した「文字中枢」の
一部が活性化すると考えられる。本研究成果は、Neuron 誌に発表された(2004 年)。
③脳における言語処理の普遍性
ろう者・コーダ(日本手話と日本語のバイリンガル)・聴者の3グループを対象として、文章理解における脳活
動を fMRI により測定した。この結果を比較することによって、日本手話の場合も日本語と同様に左脳の言語
1
野が活性化することが明らかになり、脳における言語処理の普遍性が示唆された。本研究成果は、Brain 誌
に発表された(2005 年)。
④英語の熟達度による脳活動の違い
大学生を対象として、英語に関連する課題を行っている際の脳活動を fMRI で測定することによって、英語
の「熟達度」が高くなるほど文法中枢の活動が節約されていることが明らかになった。この結果と、英語習得を
開始したばかりの中学生では英語の成績の向上に比例して文法中枢の活動が増加するという結果を合わせ
ると、中学生から大学生にかけて英語が定着するに従って、文法中枢の活動が高進から維持、節約へと変化
するというダイナミックな変化が見られることが示唆された。本研究成果は、The Journal of Neuroscience 誌
に発表された(2005 年)。
⑤英語力の個人差に関係する脳部位
英語の習得期間が異なる2群の中高生を対象として、英語文の文法性に関する課題を行っている最中の
脳活動を fMRI で測定した結果、習得開始が中学1年の群では成績に比例して脳の「文法中枢」の活動が高
く、習得開始が小学1年の群では英語力が身につくほど「文法中枢」の活動が節約されていることが分かった。
小学生から中高生にかけての今回の結果と、中学生から大学生にかけての既知の研究結果を合わせて考え
ると、外国語としての英語力の定着は習得開始の年齢だけでは説明できず、6年以上にわたる英語接触量の
重要性が強く示唆される。本研究成果は、Human Brain Mapping 誌に発表された(2008 年)。
(2)サブグループ毎の役割と成果
① 櫻井 彰人 (慶應義塾大学大学院理工学研究科 教授)
脳内言語処理機構を合理的に説明する様々なモデルを組み立て、その妥当性を検証した。
② 渡辺 英寿 (自治医科大学脳神経外科 教授)
失語症患者の機能回復過程を光トポグラフィーで調べ、活動している脳部位が経時的に変化して言
語機能を再獲得していくことを明らかにした。
③ 牧
敦
((株)日立製作所基礎研究所 主管研究員)
複数の言語関連領野間の形態学的な関連性を検討し、左脳の外側運動前野、下前頭回の背側部、
下前頭回の腹側部間に直接的な神経線維束が存在することを示した(山本等、2006)。また、2領域間
を接続する神経線維束の割合である評価指数 SCI (Selective Connectivity index)を用いた形態学
的な結合性の評価手法を提案し(山本、2007),この指数に左優位性が見られることを示した。(山本等、
2008)。
4.事後評価結果
4-1.外部発表 (論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
本研究では、脳における言語獲得メカニズムの解明という困難且つ重要な課題に取り組み、文法処理に特
化した「文法中枢」がブローカ野に存在することを証明し、ブローカ野が文法判断を普遍的に司っていること
を日本語・英語・日本手話と異なる言語間で確認した。さらに、第二言語である英語の熟達度が文法中枢の
機能変化によって担われていることを示し、英語習得の初期の過程で文法中枢の活動が高まり、その活動が
2
維持され、文法知識の定着過程では活動を節約できるように変化することを見いだす等興味深い多くの研究
成果をCerebral Cortex誌、Neuron誌など質の高い学術誌に発表し、これら成果の一部はScience誌に総
説として発表している。このように本プロジェクト期間を通じて、当初の研究計画に沿って科学的レベルの極め
て高い研究成果を着実にあげており高く評価できる。
これらの研究成果は、論文(国内 6 件、国際 21 件)、学会発表(国内 3 件、国際 37 件)、招待講演(国内
81 件、国際 12 件)として発表した。また、国内1件、海外1件の特許申請をおこなった。本成果は22件の新聞
報道、7件のテレビ放映など広くメデイアで紹介された。
4-2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
文法中枢の同定及びその活性化の計測により第二言語の学習進行度を脳科学の手法で初めて定量的に
計測することに成功した。これらの成果により、今後、言語獲得メカニズムの解明が大きく進展することが期待
される。従来、英語力の個人差は対象年齢や課題の成績などの要因から分離することが困難であったが、本
研究成果は fMRI を用いて個人の学習の到達度を脳の働きとして直接的に測定できることを示したもので、
脳科学に基づいた科学的な語学学習法の提案につながることが期待される画期的な成果である。今後、本
研究成果を大きく発展させるには、一卵性双生児等を対象とした大規模コホート研究の実施などが考えられ
る。しかし、この研究は研究者個人の限界を越えるもので、長期的、戦略的取り組みが望まれる。
4-3.その他の特記事項(受賞歴など)
本研究は、研究のために特殊なトレーニングを実施するのではなく、学校における日常の学習活動をトレ
ーニングと位置づけて研究を行っている。今回得られた成果は脳科学研究と学校教育現場との連携によって
初めて可能となったもので、学校教育を対象とした初めての本格的脳研究である。
[受賞]
酒井邦嘉 : 第19回塚原仲晃記念賞 「脳機能マッピングによる言語処理機構の解明」
以上
3
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名: 高齢脳の学習能力と可塑性のBMI法による解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者: 櫻井 芳雄(京都大学大学院文学研究科 教授)
主たる共同研究者:
青柳 富誌生 (京都大学大学院情報学研究科 講師)
金子 武嗣
(京都大学大学院医学研究科 教授)
飯島 敏夫
(東北大学大学院生命科学研究科 教授)
小池 康晴
(東京工業大学精密工学研究所 准教授)
3.研究内容及び成果:
本研究は、運動出力系の劣化という制約を取り除くことができれば、高齢脳が本来持つ学習能力と神経回
路網の可塑性を発揮することが出来ると考え、脳の神経活動で機械を直接操作するブレイン-マシン・インタフ
ェース(Brain-Machine Interface,BMI)を構築し、高齢動物の運動出力系を機械出力系に置き換えること
で、高齢脳が本来備えていると思われる学習能力と可塑性を、神経活動の変化という機能面と、シナプスの変
化という構造面から明らかにすることを目指した。その結果、BMI につながった高齢ラットの脳が機能的な可
塑性を示すことを明らかにするとともに、サルの BMI システムを完成させた。これらの成果の概要を以下に示
す。
①ラット用 BMI システムの開発(櫻井グループ)
ラットの BMI 研究用に複数の行動課題を考案するとともに、多数のマルチニューロン活動を長期間記録で
きる特殊電極とマイクロドライブ装置を開発した。さらに、ICA(独立成分分析)によるマルチニューロン活動の
分離解析法を開発し、独自の BMI システムを完成させた。その BMI システムを用いて、ニューロン活動が行
動を代行し報酬を得るニューラルオペラント課題をラットに行わせたところ、ニューロンの発火頻度と発火同期
性が、報酬を得るために短期間で変化することがわかった。特に海馬において発火頻度の変化が大きく、同
時に同期発火も新皮質より変化しやすいことが明らかになった。
②BMI に応じる高齢ラットの神経可塑性(櫻井グループ)
開発したラット用 BMI システムを用い、2歳以上の高齢ラットにニューラルオペラント課題を行わせたところ、
ニューロン活動が、発火頻度と同期発火ともに、非高齢ラットとほぼ同じように変化した。同じ課題をニューロ
ン活動でなく行動で行わせると、高齢ラットは通常ラットよりもはるかに少ない報酬しか得ることが出来なかっ
たが、ニューラルオペラント課題では、非高齢ラットとほぼ同じ量の報酬を得ることが出来た。この結果は、高
齢ラットは筋肉骨格系の衰えにより行動も衰えているものの、ニューロン活動の可塑性は、非高齢ラットと同じ
ように備えている可能性を示唆している。
③神経情報としての同期発火の意義(櫻井グループ+青柳グループ)
BMI を高精度化するため、インタフェ-スで処理させる神経情報について実験と理論の両面から研究を
進め、ニューロン間の同期発火が意味ある神経情報となり得ることが示された。
4
④BMI によるシナプス構造の変化の解析(櫻井グループ+金子グループ)
BMI によりニューロン活動が変化した脳で生じた構造的変化、特にシナプスレベルの変化について、免
疫組織化学的方法により解析することを目標に、櫻井グループが行った BMI 実験後のラットの脳を取り出
し、電極周辺の神経回路網における興奮性神経終末の変化を検出するため、小胞性グルタミン酸トランスポ
ーター(VGluT)免疫活性を解析した結果、電極周辺の一部に VGluT1 陽性の細胞体が存在していることが
わかった。
⑤ サル一次運動野のニューロン活動による上肢運動の予測
(櫻井グループ+飯島グループ+小池グループ)
サルの BMI については、まず、視覚誘導性上肢到達課題を遂行しているサルの一次運動野のニューロ
ン活動、腕の動きの軌道、及び腕の筋電信号を同時計測した。次に、ニューロン活動から筋電信号を線形
回帰モデルにより再構築する過程と、筋電信号から腕の関節角度をニューラルネットワークモデルと比例微
分コントローラにより再構築する過程の2段階に分け、サルの腕の動きを予測する独自の解析法を開発した。
その結果、少数のニューロン活動だけからサルの腕の動きを、運動の開始位置と力加減も含め高精度に予
測することに成功した。
⑥サル一次運動野のマルチニューロン活動でロボットアームを操作する BMI システムの開発
(櫻井グループ+飯島グループ+小池グループ)
⑤の運動予測システムのうち、筋電信号から関節角度を推定するニューラルネットワークモデルに、姿勢制
御中のみの筋肉-骨格の関係を学習させ、その後段に新たに比例微分コントローラを付け加えることで、課
題遂行中の筋電信号から、運動時と静止姿勢時の両方の関節角度を推定することが出来た。さらに、サル
が腕を上下左右の4方向に動かし、各位置で一定時間静止させる課題においても、運動の開始位置、静止
時間、及び力加減を高精度に予測できることがわかった。そして、サル用特殊電極を開発し一次運動野に
埋め込むことで、数十のマルチニューロン活動を同時記録し、4方向運動課題を行っているサルの上肢運動
をリアルタイムで予測しロボットアームを動作させる BMI システムを開発した。
4.事後評価結果
4-1.外部発表 (論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
本プロジェクトは、BMI を開発し、そのシステムを活用して、高齢脳が本来備えている可塑性と学習能力を
明らかにすることを目指したもので、ラットの BMI については、独立成分分析法によるマルチニューロン活動
の分離解析法を開発し、高精度の BMI システムを完成させた。このシステムを用いて検討した結果、報酬獲
得学習に合わせ、ニューロンの発火頻度と同期発火共に短時間で変化することを発見した。さらに2歳以上
の高齢ラットでも、通常ラットとほぼ同じようにニューロン活動に変化が生じ、高齢動物は筋肉骨格系の衰え
により行動が衰えているものの、ニューロン活動の可塑性は非高齢動物と同じように備えていることを初めて
示す等顕著な成果をあげた。一方、サルの BMI 研究では、筋電位信号を介在させることで、ニューロン活動
だけから、サルの腕の動きを運動開始位置と力加減も含めて予測することに成功し、サルの上肢運動をリア
ルタイムで予測しロボットアームを動作させる BMI システムを開発した。このようなサルの BMI は国内初で、
その精度の高さは国際的にも優れたものである。このように、本研究では単に BMI の開発・応用という観点
の研究にとどまらず、BMI を活用して神経可塑性のメカニズムの解明に挑み、研究計画に沿って、着実に優
5
れた研究成果を出したことは、高く評価できる。これらの研究成果は、多数の論文(国内 5 件、国際 77 件)、
学会発表(国内 247 件、国際 70 件)、招待講演(国内:42件、国際:10件)として発表された。また、将来
BMI の応用・実用化の観点から特許の権利化も積極的に行い、国内 7 件の特許申請をおこなった。また、こ
れらの成果は 15 件の新聞報道で紹介された。
4-2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
独自に開発したラットの BMI を活用し、高齢ラット脳も非高齢ラット脳と同様の機能的可塑性を備えている
ことを示し、その神経活動の変化を計測できる BMI の構築に成功したことは、今後の脳機能研究に大きく貢
献するものと考える。また、本研究で身体運動と脳機能の関連性が明らかになったことから、リハビリテーショ
ンの意義をより明確にすることにつながるものと期待される。代表者等は、今後、本研究で開発したサルの
BMI システムをさらに進展させ、将来脊髄損傷や片麻痺の患者用の電動義手やパワーアシストスーツの開
発等への応用を計画している。これは大変有意義な研究で期待も大きいが、一方、この分野の研究は国際
的に激しい競争が展開されており、海外の研究の進展状況を常に認識して研究を進めることが望まれる。
4-3.その他の特記事項(受賞歴など)
代表者は、研究活動だけでなく、国際シンポジウムの開催をはじめ、一般向け講演、著書出版など研究成
果の情報発信活動を積極的に行い、国内における BMI 研究の理解・増進に努めた。
以上
6
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名 : 幼児脳の発達過程における学習の性質とその重要性の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者: 杉田 陽一 ((独) 産業技術総合研究所脳神経情報研究部門 研究グループ長)
主たる共同研究者:
端川 勉 ((独)理化学研究所脳科学総合研究センター ユニットリーダー)
3.研究内容及び成果
本研究では、サルを使って、脳機能が最も劇的に変化する生後発達初期に特殊な視覚体験をさせて、
「色」、「動き」および「顔などの複雑図形」の知覚に対する初期視覚体験の効果を明らかにし、さらに単一
細胞活動記録および組織学的方法で線維投射様式を解析し、視覚体験の効果を生理心理学的に解明す
ることを目指した。その結果、「色彩感覚」、「動きの知覚」、「視覚-運動協応」、「顔など複雑図形」の知覚の
どれに対しても明瞭な感受性期が存在していることが明らかになった。これらの成果の概要を以下に示す。
①色彩を見た経験がない動物の「色」の認識(杉田チーム)
生まれてから数年間、単色光だけで照明された環境でニホンザルを育てた。この間、網膜に入射する光
が、網膜の全ての光受容細胞を賦活するように配慮した。この後に、様々な視覚刺激に対する色見本合わ
せ課題や類似性判断を行い、「色」をどのように認識しているのか心理学的方法を用いて検討した結果、単
色光サルは、光の波長成分の違いを弁別することはできたが、「色の恒常性」に重篤な障害を持っているこ
とが明らかになった。正常サルを痲酔非動化して第1次視覚野から単一細胞活動記録を行った結果、方位
選択性細胞の多くがマンセル表色系に対して選択性を持ち、照明光の波長成分を大きく変えても選択性が
変わらない細胞が数多く存在していることがわかった。これに対して、単色光サルでは、マンセル表色系に
対して選択性を持つ細胞が極めて少なく、さらに照明光の波長成分を変えると選択性も変化した。これらの
結果は、「色の恒常性」にも感受性期が存在していること、第一次視覚野の方位選択性細胞も「色の恒常
性」に深く関わっていることを示している。
②左右逆転視野への順応(杉田チーム)
ヒトやサルは逆転眼鏡装着による視野の逆転に対して、40日程度の期間を経て円滑な行動の回復ととも
に順応した視空間認識を達成できる。ところが、生後6か月のニホンザルに逆転眼鏡を装着したところ、装着
した初日から活発に動き始め7日程度で順応が達成された。これらのサルに、1歳になった時と2歳になった
時に再び逆転眼鏡を装着すると、再び7日間程度の期間で順応した。一方、生後1年経過したサルに逆転
眼鏡を装着すると順応には40日程度の期間を要した。また、1歳半になった時と2歳になった時に再び逆転
眼鏡を装着しても、以前に順応した効果が認められず、40日程度の期間を経てようやく順応が達成された。
これらの結果は、「視覚-運動協応」にも、明瞭な感受性期が存在していることを示している。
③「動き」を検出する神経回路の発達(杉田チーム)
生まれて間もないサルを、1 年間、ストロボ光の照明だけで飼育し、なめらかな動きを知覚できないように
して育てた。これらストロボ光で育ったサルの視覚を検査したところ、点滅光の知覚は正常サルと変わらない
7
成績が得られたが、運動視に障害があることが明らかになった。ストロボ光サルは、静止しているものと動い
ているものの区別は可能だったが、動きの速度あるいは方向の判断をさせると、正常サルと比べて極めて劣
った成績しか得られなかった。機能的磁気共鳴撮像法(fMRI)によって脳活動を測定すると、グレーティング
やランダムドットを動かしても側頭葉 Middle Temporal (MT) 野の応答が全く見られなかった。ところが、チ
ェッカーボードパターンを点滅させると、MT 野が強く応答した。この結果は、1 年間、ストロボ光の照明だけ
で飼育したことによって、MT 野の応答特性が大きく変化したことを示している。 ストロボ光サルに動きを手
がかりにした形の判断(たとえば、枠が見えない 4 角形の枠内にあるランダムドットと枠外のドットが異なった
方向に動いていると、4 角形が明瞭に知覚される)をさせると、運動視に重篤な障害があるにも関わらず、正
常サルと全く変わらない成績が得られた。視野の動きが複数の経路で処理されていて、動きを見えないよう
に育てることで影響を強く受ける経路と影響をあまり受けない経路が存在している可能性を示唆している。こ
れらの結果は、「動き」の知覚にも感受性期が存在していることを示している。
④顔など複雑な図形知覚の発達(杉田チーム)
生後まもないサルを、親から離して「顔」を見せずに育てた。生後 16 日目には、正常な成人サルが示す
表情を全て表出させた。これらの表情は、文脈と無関係に無作為に表出させるのではなく、授乳者を呼ぶと
き、飲んでいるミルクを取り上げられるとき、驚いたときなどに応じて、正常サルと同じ表情を表出させた。
「顔」を見せずに長期間(1 年以上)育てても、適切な場面で適切な表情を表出させることが出来た。選択的
注視法を用いて、これら「顔」を見せずに育てたサルが、「顔」をどのように知覚するかを調べた。生まれてか
ら1度も「顔」を見ていないにも関わらず、サルの顔に対する成績には正常サルとの違いが全く認められなか
った。さらに、ヒトの顔に対する成績は、正常サルよりも正確に判断できることが明らかになった。ところが、ひ
とたびヒトもしくはサルの顔を見ると、見たことがある種の顔の相違は弁別できるが、他方の顔の相違を見分
けることが困難になった。これらの結果は、「表情」の表出が生得的に備わっていること、また、複雑図形とし
ての「顔」と「表情」の知覚には初期経験が不要であること、さらに顔の知覚にも明瞭な感受性期が存在して
いることを示している。
⑤高次視覚機能獲得過程に関する組織学的研究 (端川グループ)
本研究グループの課題は、杉田グループの生理学的解析に引き続き、神経回路の形態学的解析を行う
ことである。本課題の組織学的研究を遂行するために、まず、標識技術の開発に取り組んだ。特に、特定
の機能に特化する皮質・皮質間の視覚情報伝達様式を効率的に捕らえるため、安全、且つ信頼性の確保
できるウィルストレーサー標識法の開発を進め、信頼性の高い手法を開発した。
4.事後評価結果
4-1.外部発表 (論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
本研究により、単色光のもとで飼育し、色を経験しないように育てたサルは「色の恒常性」が備わっていな
いこと、生後6ヶ月及び1年経過したサルに逆転眼鏡を装着したところ、6か月で装着したサルは7日程度で
順応するが、1年経過後に装着したサルでは順応するのに40日程度の期間を要すること、ストロボ光のもと
で飼育し、「なめらかな動き」を見たことがないように育てたサルは静止しているものと動いているものの区別
は可能だが、動きの速度あるいは方向の判断能力がよく発達しないこと、さらに顔を見せずに育てたサルは
自らの表情表出や顔の認知は可能であったが、表情が表す情動あるいは社会的意味に対しては、正しい
応答を選択出来ないこと等、の新知見を得た。これらは、いずれも世界に先駆けた画期的な成果で高く評
8
価できる。これらの研究成果は、論文(国際 7 件)、学会発表(国内 8 件、国際 9 件)、招待講演(国内 3 件、
国際 1 件)として発表された。さらに、17 件の新聞報道で紹介された。これまでの発表論文数は、必ずしも多
くはないが、当初の研究計画に沿って着実に研究が進行中であり、近い将来未発表のデータも含めて、極
めてインパクトの大きい論文発表が期待できる。
4-2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
本研究は国内外を含めて誰もなしえていない極めて重要且つ独創的研究であり、本研究で、色彩感覚、
動きの知覚、視覚変化への運動適応のどれに対しても明瞭な感受性期が存在することを明らかにした。現
在進行している単一細胞活動記録と線維投射の解剖学的検討が遂行されれば、高次視覚機能の生後発
達及び可塑性についての理解が各段に進むものと期待される。また、サルの色知覚、運動視、顔や表情認
知の発達に及ぼす生後初期体験の重要性を示す本研究の成果は、自閉症などにおける顔認知や社会性
認知の障害の理解など臨床的研究につながり、さらに、将来神経科学的基盤に立脚した教育システムの
開発への貢献も期待される。
4-3.その他の特記事項(受賞歴など)
本研究の目的は、脳機能が最も変化し易い生後初期の子ザルに特殊な視覚体験をさせて、生後初期視覚
体験の高次脳機能発達に及ぼす効果を解明するという極めて困難な研究である。このような研究の重要性は
以前より広く認識されていたが、これまで実験の難度の高さのため国内外を含めて研究されたことはなかった。
本研究の遂行は、生後間もないサルを特殊な視覚環境下で育てる過程において、代表者をはじめ、研究室
のスタッフの長期間におよぶ大変な努力により、可能となったものである。
以上
9
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名 : 乳児における発達脳科学研究
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者: 多賀 厳太郎 (東京大学大学院教育学研究科 教授)
主たる共同研究者:
小西 行郎 (同志社大学大学院文学研究科 赤ちゃん学研究センター 教授)
牧
敦
((株)日立製作所基礎研究所 主管研究員)
3.研究内容及び成果:
本研究では、(1)覚醒時及び睡眠時の乳児に適用可能な機能的脳イメージング手法を確立し、生後約1
年間のヒト大脳皮質の機能発達の原理を解明する、(2)乳児の記憶と学習の発達の機構を行動計測や機
能的脳イメージングの手法により解明する、ことをめざした。この研究構想のもと、多賀グループが研究全般
にわたって基礎的な部分を担い、小西グループは、小児科学・周産期科学の臨床の立場をふまえた研究を、
牧グループは、乳児における脳機能イメージングの開発と応用を目指すという、領域架橋的な研究遂行の
計画を立てた。以下、本研究成果の概要について示す。
①近赤外光トポグラフィによる乳児の脳機能計測手法の確立
本研究では、乳児に特化した計測装置を開発し、乳児の脳機能イメージング手法を確立した。牧グルー
プは、睡眠中の新生児の脳表面全体の計測を行うための全脳型プローブ(56または72チャンネル)を試
作した。特に、平林ら (2008) は、未熟児の磁気共鳴イメージング(MRI) 画像を元にした頭部模型を制作
し、計測チャンネルの皮質上での位置を推定した。また、佐藤ら (2006) は計測中の体動によるノイズを検
出する方法を提案した。一方、多賀グループは、覚醒児に適用可能な軽量の鉢巻き型プローブ(94チャン
ネル)を作り、頭部の大きさによらず、脳領域に対する計測チャンネルの相対的な位置を保つ方法を考案し
た。特に、3ヶ月児の場合、光ファイバーの送受信部を2センチの格子状に配置したときに、信頼性の高い
信号が得られることを示した(Taga et al. 2007)。さらに、多賀グループは、2ヶ月から1歳の乳児について、
視聴覚刺激への応答を覚醒および睡眠時に調べ、覚醒時の感覚野におけるヘモダイナミクスの時間応答
は成人と質的に変わらないことを見いだした。
②知覚に関連する大脳皮質の機能分化
近赤外光トポグラフィを用いた多賀グループの一連の研究により、大脳皮質の各領域において、乳児期
初期から知覚・認知に関連した機能的活動が生じていること、月齢に応じて活動パターンが変化すること等
が明らかになった。例えば、3ヶ月児では、初期視覚野と連合野とが機能分化した活動を示し、従来の階層
説ではもっと後から機能し始めると考えられていた高次連合野も活動することが明らかになった(Watanabe
et al. 2008)。また、視覚刺激と聴覚刺激とが非同期的に呈示されたとき、視覚野と聴覚野とはそれぞれ独
立に刺激の処理を行うことを示唆する結果が得られた(Taga and Asakawa 2007)。一方、自然映像に伴う
音の有無が及ぼす影響を調べると、視覚映像のみの条件では、視覚刺激により聴覚野の活動の抑制が見
られる他、後頭葉および側頭葉の異種感覚連合野での活動が見られない。このように生後3ヶ月の時点で、
初期感覚野、感覚連合野、異種感覚連合野、前頭連合野の間で機能分化及び各領域間の相互作用が見
10
られることが明らかになった。
③言語発達の脳内機構
牧グループは、母語である日本語と外国語である英語とを呈示したときの反応を、全脳型近赤外光トポグ
ラフィを用いて計測した結果、新生児が母語の声に対して選択的な処理を行っていることを明らかにした。
一方、多賀グループの研究では, 3ヶ月児の右半球側頭-頭頂領域が韻律情報の処理に関わっていること
を明らかにした (Homae et al. 2006)。この領域が平板な声より抑揚のある普通の声に対してより強い反応
を示す傾向は新生児にも認められた。ところが、10ヶ月児では、この領域が平板な音声により強い反応を
示すという逆転現象が明らかになった (Homae et al. 2007)。さらに、声の抑揚の有る刺激と無い刺激、及
び時間的に逆の再生と通常の再生を組み合わせた刺激呈示を行い、3ヶ月児と6ヶ月児で比較した結果、
3ヶ月児では韻律情報の処理が優先されるが、6ヶ月児では音韻と韻律の両方が同時に処理されているこ
とが示唆された。
④乳児における知覚学習
多賀グループは、近赤外光トポグラフィを用いた大脳皮質の機能的活動の計測により、3ヶ月児の前頭葉
の反応が、繰り返し呈示された音声刺激に馴化し、新奇な音声刺激に脱馴化することを見いだした
(Nakano et al 2009)。また、3ヶ月児で、手がかり音と、遅延時間をおいて呈示される音声との連合を学
習し、手がかり音だけで前頭前野や側頭-頭頂領域が予期的活動を増加させるようになることを見いだした
(Nakano et al 2008)。これらの研究は、乳児の睡眠中に行われたもので、乳児では睡眠中に潜在的な学
習が生じていることを示唆している点でも興味深い結果である。
⑤環境との身体的相互作用を通じた学習
乳児の認知発達には、行為を通じた学習が重要な役割を果たしていると考えられる。多賀グループは、
モビール課題中の乳児の運動を詳細に分析することで、学習にともなう行動の動的パターンの変化
(Watanabe and Taga 2006)、環境変化への適応性(Watanabe and Taga 2009)、発達過程での学習行
動の質的な変化等を明らかにした。
⑥乳児における睡眠時の脳活動
本研究では、乳児の睡眠中の脳の活動に関わる研究を行った。牧グループは、脳波と近赤外光トポグラ
フィの同時計測をするための乳児用のプローブを試作し、新生児での計測を行った。その結果、脳波の特
定の周波数成分の変動とヘモダイナイクスの変動との間に相関があることを見いだした。また、対照実験と
して、成人での同時計測を行い、脳波で特定された睡眠移行と相関するヘモダイナミクス信号が得られるこ
とを示した(Uchida-Ota et al, 2008)。これら基礎的な研究の多くは、まだ乳児研究に充分に適用されて
おらず、今後の展開が期待される。
⑦発達障害への応用
牧グループは、脳機能計測の応用として、聴覚障害児における大脳皮質の活動を調べた。特に、伝音
性難聴のケースで、骨伝導刺激によって大脳皮質の応答が検出され、その有効性が示された。小西グル
ープでは、新生児期に見られる様々な行動が発達にともなって消失する現象に着目し、重度の脳障害によ
り脳性麻痺となった患者で、口の開閉運動の模倣が見られることを報告した(Go and Konishi 2008)。また、
11
レット症候群の患者に見られる体幹の常動的運動が、音楽のリズムに誘発されることを見いだしている。
4.事後評価結果
4-1.外部発表 (論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
本研究は、新生児から1歳までの乳児を対象とした、世界的に未知の領域への果敢な挑戦であり、研究の
進捗には困難が予想されたが、近赤外光トポグラフィによる乳児の脳機能計測法を確立し、1,000 名を越える
乳児の協力を得て、研究計画に沿って着実に研究を進めた。その結果、視覚、聴覚、音声言語刺激、さらに
は馴化・脱馴化等に関わる大脳皮質活動の時空間パターンの計測により、生後3ヶ月ごろには、知覚、言語、
記憶など様々な機能に関連して、大脳皮質の機能分化が起きることを世界で初めて実証的に示したことは高
く評価できる。これらの研究成果は、論文(国内:1件、国際:15件)、学会発表(国内 33 件、国際 40 件)、招
待講演(国内:19件、国際:9件)として発表された。また、国内 1 件、海外 3 件の特許申請を行い、知財の確
保に努めた。また、これらの成果の一部は、NHK スペシャルでの放映等、マスメディアでも広く報道された。
4-2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
乳児を対象とした近赤外光トポグラフィによる脳機能計測法を確立し、生後3ヶ月ごろには、知覚、言語、記
憶など様々な機能に関連して、大脳皮質の機能分化が起きることを初めて実証的に示した本成果は、これま
で行動計測のみに頼らざるを得なかった乳児発達研究において、新たな研究領域を拓くもので高く評価でき
る。また、睡眠中の3ヶ月児の前頭葉の反応が、繰り返し呈示された音声刺激に馴化し、新奇な音声刺激に
脱馴化することを発見しており、将来乳幼児の学習における睡眠の役割の解明につながることが期待される。
これまで未知であった乳児の生後初期発達に関する本成果は、乳児をとりまく環境のあり方、睡眠等の生活
習慣、発達障害、育児、保育、早期教育の問題等に対して、科学的示唆を与えるものと期待される。今後、本
研究で確立した日本発の近赤外光トポグラフィによる乳児用脳機能計測法をブラッシュアップして、脳波
(EEG)や事象関連電位(ERP)との比較も含め、計測技術の精度・信頼度を更に高めることで乳児研究分野
に対する一層の貢献が期待できる。
4-3.その他の特記事項(受賞歴など)
本研究は、これまで全く実施されてこなかった未知の領域への挑戦であった。具体的には、乳児を対象に、
従来行われていた行動計測に加え、新たに脳機能計測を行い、新しい研究領域の構築を目指すものである。
本計画の遂行には、相当数の乳児(赤ちゃん)と母親等の保護者の協力が必須であり、その実施にはかなり
の困難が予想されたが、研究代表者は、そのような協力を得るために、創意・工夫を行うと共に、多数の関係
者の協力を得、早期に研究体制を構築し、最終的には 1,000 名を越える乳児において、本研究を遂行した。
[受賞]
・多賀 厳太郎: 第1回日本学術振興会賞 2005年
「人間の運動・知覚のメカニズムに関する発達脳科学的研究」
・牧
敦
: 文部科学大臣賞・研究部門 2007年
「光トポグラフィ法の創発とその応用に関する研究」
以上
12
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名 : コミュニケーション機能の発達における「身体性」の役割
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者: 中村 克樹(国立精神・神経センター神経研究所 部長)
主たる共同研究者:
川島 隆太(東北大学加齢医学研究所 教授)
泰羅 雅登(日本大学大学院総合科学研究科 教授)
河村 満 (昭和大学医学部 教授)
小嶋 祥三(慶応義塾大学文学部 教授)
正高 信男(京都大学霊長類研究所 教授)
中村 俊 (国立精神・神経センター神経研究所 部長 ~H19 年 3 月))
渡辺 富夫(岡山県立大学情報工学部 教授 ~H20 年 3 月)
3.研究内容及び成果:
(1)研究課題全体の成果概要
本研究は、コミュニケーション機能の発達における「身体性」の役割に焦点を当て、脳機能画像研究・神経
生理学的研究・神経心理学的研究・認知心理学的研究・行動学的研究を組み合わせ、発達メカニズムを探る
ことを目指した。その結果、子どものコミュニケーション障害に関して動作理解の障害が深く関わっていること
やこの障害は動作模倣の訓練などにより改善されることを明らかにした。また、この動作模倣の役割を考え、
「自他認識、自己認識といった機能がコミュニケーションの発達に重要である」ことが示唆された。これらの成
果の概要を以下に示す。
①乳幼児は養育者の動作に特に注目して多くの情報を受け取っている
本研究の成果として、乳児は自分の母親の笑顔に対して特異的に強い前頭葉の応答を示すことがわかっ
た。逆に、母親も自分の子の笑顔に強く反応し、それが可愛らしさの評定と相関することもわかった。こうしたこ
とは、三項関係(子と養育者と興味ある対象物)の基盤となる親子の愛着を築くために必要不可欠な動作(表
情)のやり取りであると考えられる。また、まだ発語が頻繁になる前の乳幼児がどこに注目しているのかを絵本
を用いて眼球運動を計測した結果、顔、その中でも特に目に注意を向けており、次いで、動作を示す手や足
に注目していることがわかった。こうした結果は、実際に乳幼児が発達過程において動作を中心としたさまざ
まな非言語コミュニケーションのシグナルに注意を払い、そこから情報を得ていることを示すと考えられる。
②コミュニケーションに障害のある子は動作の理解に問題がある
本研究では、コミュニケーションに障害のある自閉性障害児を対象に、動作模倣の能力と発語との関連を
調べた。無発語であるか否かで2群に分けた場合、動作模倣能力と発語能力の間には強い相関があること
がわかった。これらの結果は、コミュニケーションに障害のある子は動作の理解に問題があることを示唆する
ものである。
③動作理解の促進がコミュニケーション能力の促進につながる
13
応用行動分析が自閉性障害児の介入方法として有用であることが知られている。しかし、3 歳から1日8時
間の訓練を週5日実施しなければならないという非常に困難なものである。もっと効率的な方法を模索する
目的で、非言語コミュニケーションに有用な動作の理解や動作模倣に焦点を絞った応用行動分析法を試
みた。その結果、指さしや視線を手がかりとした共同注意行動も訓練が可能であることがわかった。こうした
動作に特化した介入も効果を示すことがわかった。
④親子の共同作業が子育てのストレスを軽減させ子どもの情緒に良い影響を与える
親子で調理をすることが、前頭葉を活性化させるとともに、親の子育てストレスを軽減し、親としての自分を
ポジティブに捕らえることができるような変化をもたらし、子どもには問題行動が減少し、子どもの情緒にポジ
ティブな影響をもたらす可能性が示された。これらの結果は、三項関係による親子のコミュニケーションが重
要であることを示す例である。
⑤情動コミュニケーションには扁桃核と前頭葉が重要である
本研究では、ニホンザルを対象としたニューロン活動の神経生理学的研究およびパーキンソン病患者を
対象とした神経心理学的研究、さらには母子を対象とした NIRS 研究などを実施した。その結果、サルの
扁桃核は、情動に関して「どのような種類の情動か」という情報だけでなく「誰の表出した情動か」という情報
も担っていること、視覚的なものだけでなく聴覚的なものも担っていることを明らかにした。また、扁桃核と前
頭前野の多くのニューロンが情動情報によって応答性を変化させることが分かった。また、パーキンソン病
患者では、扁桃核の応答が健常者と異なり、そのことが表情認知障害に関与していることが示唆された。ま
た、母親も子も、相手の笑顔に対して右の前頭前野が強く応答することが分かった。こうした結果は、表情
を中心とした情動コミュニケーションには扁桃核と前頭前野が特に重要であることを示す。
⑥社会性やコミュニケーションを研究するための実験動物としてマーモセットが有用である
社会性やコミュニケーション機能、およびそれらの機能の発達を研究する上で非常に有用と考えられるマ
ーモセットのコロニーを立ち上げた。
⑦ニホンザルで初めて指さしのニューロン研究を手がけた
応用行動分析の訓練方法に類似した手法でニホンザルを訓練し、アイコンタクトやものを要求する指さし
行動が行えるようにすることができた。
(2)サブグループ毎の役割と成果
①脳機能発達研究グループ(川島 隆太)
脳機能画像研究において幼児の脳機能発達の研究を分担した。特にコミュニケーションに重要である前
頭前野の発達に注目した研究を行った。また、親子のコミュニケーションを改善する活動に関する脳機能
画像研究に協力した。
②神経ネットワーク研究グループ(泰羅 雅登)
ニホンザルを用いた神経生理学的研究とヒトを対象とした脳機能画像研究によりコミュニケーション機能
や動作理解に関する研究を分担した。特に頭頂葉から前頭葉(運動前野)へのネットワークに関する研究
を行った。
14
③神経心理研究グループ(河村 満)
患者を対象に神経心理学的研究を分担した。特に、運動機能の障害を伴うパーキンソン病患者における
表情を中心とした非言語コミュニケーション機能の研究を行った。
④発達障害研究グループ(小嶋 祥三)
乳幼児の発達過程における脳機能研究及び自閉性障害児を対象とした行動研究と介入研究を行った。
⑤言語習得研究グループ(正高 信男)
乳幼児における行動研究を分担した。特にコミュニケーションに関わる視線や表情に関しての研究を行っ
た。
⑥神経発生研究グループ(中村 俊)
発達にとって非常に重要な神経系の特性である「臨界期」に関しての細胞レベルの研究を推進してもらう
予定であった。
⑦身体的コミュニケーションシステム開発グループ(渡辺 富夫)
発話に反応する Computer Graphics (CG) を用いたインタラクティブなシステムを用いてコミュニケーシ
ョン機能を促進するインターフェイスとなるような動画を提案してもらった。うなずきなどの役割を検討する
予定であった。
4.事後評価結果
4-1.外部発表 (論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
本研究は、多面的なアプローチで統合的に脳におけるコミュニケーション機能の解明をめざしたもので、特
に、コミュニケーション機能の発達において「身体性の要因」として母子共同注意行動の役割の重要性を明
らかにしたことは評価できる。また、自閉性障害児において模倣などの動作能力と発語能力が相関すること、
動作理解を促すことで自閉性障害児への効率的な介入が可能であることを示唆する等優れた成果を得て
いる。さらにパーキンソン病患者及びサルを用いた神経生理学的研究から、情動コミュニケーションには扁
桃核が中心的な役割を果たしていることを明らかにした点などは高く評価できる。一方、各サブグループが
実施したテーマについては、それぞれ興味深い成果が得られているが、本課題の中心的テーマである「コミ
ュニケーション機能発達における身体性の要因の解明」に関して、貢献度が不十分なグループが見られた。
また、グループ間の連携も不十分であった。霊長類研究施設の稼働が予定より大幅に遅れ、サルの研究が
計画通り進められなかったことは残念である。これらの研究成果は、論文(国内 15 件、国際 75 件)、学会発
表(国内 127 件、国際 106 件)、招待講演(国内:17件、国際:2件)として発表された。また、国内 6 件、海
外1件の特許申請を行い知財の確保に努めた。これらの成果は、6件の新聞報道で紹介された。
4-2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
自閉性障害児では、「自己」と「他者」つまり自他の認識が不十分であることが障害の一因であるという新
しい仮説を提唱し、実際に自閉性障害児の介入研究を実施、視線・指さし・動作模倣を促すことにより、効
率的な介入が可能であることを示したことは、高く評価できる。また、絵本を使った視線計測で、注意を向け
15
ている場所が、自閉性障害児と健常児とでは、大きく異なることを示した。これは、健常な発達を示している
か否かを早期に判断する手がかりとなる可能性があり、さらに自閉性障害児の早期診断につながることが
期待される。今回の研究で得られたヒトの乳幼児における行動指標を中心とした成果を、今後、脳機能計
測に展開するのは、技術的に難しいかも知れないが、代表者が立ち上げたマーモセットをモデル動物とし
て、発達初期の脳機能解析を行うことで、社会問題となっている子どものコミュニケーション力の発達基盤
やその障害の理解へ迫ることが期待できる。
4-3.その他の特記事項(受賞歴など)
なし。
以上
16
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名 : 小脳による学習機構についての包括的研究
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者:
平野 丈夫 (京都大学大学院理学研究科 教授)
主たる共同研究者:
黒田 真也 (東京大学大学院理学系研究科 教授)
船曳 和雄 (大阪バイオサイエンス研究所システムズ研究部門 副部長)
横井 峰人 (京都大学大学院医学研究科 助授 ~H20 年 3 月)
亀山 仁彦 (産業技術総合研究所脳神経情報研究部門 室長~H18 年 3 月)
3.研究内容及び成果
(1)研究課題全体の成果概要
本研究では、分子・細胞・組織・個体の各レベルでの研究を関連付け、小脳による学習機構の全体の仕組
みを包括的に解明することを目指した。具体的には、(A)学習の基盤と考えられるシナプス可塑性の発現・維
持・制御の分子機構解明と、(B)シナプス可塑性が小脳神経回路における情報処理および個体の運動制御・
学習においていかなる役割を果たしているか、を明らかにすることを目標とした。本研究では電気生理学・分
子生物学・細胞生物学・生化学・生細胞でのイメージング・行動解析・コンピューターシミュレーションなど多く
の研究手法を組み合わせて解析を実施し、小脳プルキンエ細胞上のシナプスで起こる可塑性の精緻な制御
機構を明らかにした。これら成果の概要を以下に示す。
(A)学習の基盤と考えられるシナプス可塑性の発現・維持・制御の分子機構解明
本研究では、小脳皮質唯一の出力神経細胞であるプルキンエ細胞へのグルタミン酸性興奮性シナプスお
よび GABA 性抑制性シナプスに焦点を絞って研究を行った。
①興奮性シナプスにおける可塑性について
プルキンエ細胞は二種類の興奮性シナプス入力を受ける。一つは小脳顆粒細胞からの平行線維入力で
あり、もう一つは下オリーブ核からの登上線維入力である。両者がほぼ同期して入力すると平行線維・プルキ
ンエ細胞間シナプス伝達が持続的に減弱することが知られている。このシナプス可塑性は小脳長期抑圧と呼
ばれ、運動学習の細胞レベルの主要なメカニズムと考えられてきた。長期抑圧の分子機構に関する研究では、
平行線維・プルキンエ細胞間シナプスに限局して存在するグルタミン酸受容体δ2 サブユニットが、PICK1 分
子との結合を介して長期抑圧に関与することを示した(Yawata et al., 2006, J Neurosci)。また、平行線維と
登上線維入力の統合を担う分子と推定されてきた C キナーゼαの長期抑圧誘導時の細胞内動態を明らかに
し、長期抑圧誘導に際して C キナーゼαは持続的に活性化する必要がないことを示した(Tsuruno &
Hirano, 2007, Mol Cell Neurosci)。また、Src 型チロシン基リン酸化酵素が長期抑圧発現に関与することを
示す結果も報告した (Tsuruno et al., 2008, Neurosci Res)。さらに、δ2 サブユニットと結合する分子として
同定されたデルフィリンを欠損させると、長期抑圧誘導に際しての Ca2+ 依存性が低減して、長期抑圧が引き
起こされやすくなることも明らかにした。なお、デルフィリン欠損マウスでは、視運動性眼球運動の適応(運動
17
学習)の亢進も認められた(Takeuchi et al., 2008, Plos ONE)。生後成長期における登上線維・プルキンエ
細胞間シナプスについても研究を行い、登上線維・プルキンエ細胞間の成体型シナプス結合パターン形成に
寄与すると推定される新規のシナプス可塑性を発見した(Ohtsuki & Hirano, 2008, Eur J Neurosci)。
②抑制性シナプスでのシナプス可塑性
プルキンエ細胞への抑制性シナプス入力は、登上線維入力等による脱分極により長時間増強される。このシ
ナプス可塑性は Rebound Potentiation (RP、脱分極依存性増強)と呼ばれる。RP の制御機構に関する解
析を行い、細胞と細胞外基質との接着を担うインテグリン分子が、Src 型チロシン基リン酸化酵素活性を介して
RP 制御に関わることを明らかにした(Kawaguchi & Hirano, 2006, Mol Cell Neurosci)。また、メタボトロピ
ックグルタミン酸受容体 mGluR1 の活性が RP を起こりやすくする形で作用することを示した(Sugiyama et
al., 2008, Eur J Neurosci)。さらに、GABAA 受容体と結合する細胞内タンパク質 GABARAP が、RP 発現
において中心的な役割を果たすことも突き止めた (Kawaguchi & Hirano, 2007, J Neurosci)。RP 制御の
複雑な細胞内シグナル伝達経路のモデルを構築して、コンピューターシミュレーションを行い、多くの実験結
果を再現した。さらに、モデル上で RP 誘導の閾値制御機構を検討して、フォスフォジエステラーゼ PDE1 が
重要な役割を果たすとの理論予測を行い、神経細胞を用いた電気生理学実験等で検証している。また、δ2
サブユニット欠損マウスで、神経回路の異常な活動パターンが定常状態で RP を引き起こし、RP が飽和状態
になっていることも明らかにした(Ohtsuki et al, 2004, J Neurosci)。
(B)シナプス可塑性の小脳神経回路における情報処理および個体の運動制御・学習における役割の解明
①δ2 サブユニット欠損マウス及びラーチャーマウス
δ2 欠損マウスおよびラーチャーマウスでは、反射性眼球運動の適応(運動学習)が起こらず、反射性眼球
運動の動特性にも異常が認められることを示した(Katoh et al., 2005, Eur J Neurosci)。また、δ2 欠損マ
ウスの運動失調はラーチャーマウスより重篤であることを示し、その一因として、δ2 欠損マウスで周期的な不
随意運動が起こることを見出した。さらに、不随意運動発生機構を検討して、δ2 欠損マウスにおけるシナプ
ス制御欠陥によりプルキンエ細胞が異常な活動電位発火パターンを示すことが原因であることを突き止めた
(Yoshida et al, 2004, J Neurosci)。また、δ2 欠損マウスで認められる反射性眼球運動の一つである視運
動性眼球運動での顕著なタイミング遅れの原因を調べ、登上線維入力の亢進がプルキンエ細胞の発火タイ
ミングを狂わせていることが一因であることを明らかにした(Yoshida et al., 2007, Eur J Neurosci)。
②デルフィリン欠損マウス
長期抑圧が起こりやすくなっているデルフィリン欠損マウスでは、一部の運動学習が促進されることを示し
(Takeuchi et al., 2008, Plos ONE)、シナプス可塑性制御が動物の学習能力に大きな影響を及ぼすこと
を明示した。
(2)サブグループ毎の研究成果
① 黒田 真也 (東京大学大学院理学系研究科 教授)
小脳長期抑圧に関してモデルを用いたシステムバイオロジー研究を行い、長期抑圧誘導時の細胞内
Ca2+ 濃 度 制 御 に お い て IP3 受 容 体 が 重 要 な 役 割 を 担 う こ と を 示 し た ( Doi et al., 2005, J
Neurosci)。
18
② 船曳 和雄 (大阪バイオサイエンス研究所システムズ研究部門 副部長)
δ2 欠損マウスの視運動性眼球運動タイミング制御に関する研究に大きな貢献をしたが、その他の遺伝
子改変動物に関しても眼球運動解析を行って成果を挙げた(Sato et al., 2008, Nat Neurosci)。また、
蛍光標識した脳深部の神経細胞から電気的活動記録を行う新技術の開発も行い、特許申請した。
③ 横井 峰人(京都大学大学院医学研究科 助授)
特定の神経回路・神経経路のみを可視化できる遺伝子改変マウスの作成を行って、それまで不十分な
報告しか存在しなかった神経経路を明らかにした(Sano and Yokoi, 2007, J Neurosci)。
④ 亀山 仁彦(産業技術総合研究所脳神経情報研究部門 室長)
グルタミン酸受容体のシナプス後膜への輸送にδ-catenin が関与するメカニズムの研究等で成果を
挙げた(Ochiishi et al., 2008, Mol Cell Neurosci)。
4.事後評価結果
4-1.外部発表 (論文、口頭発表等)、特許、研究を通じての新たな知見の取得等の研究成果の状況
本プロジェクトは、小脳の運動学習機構を包括的に解明することを目指したもので当初の計画に沿って
様々な角度からの研究が実施された。分子・細胞レベルの研究では、シナプス長期抑圧時におけるグルタミ
ン酸受容体δ2 サブユニットの関与機構、C キナーゼαの長期抑圧誘導時の細胞内動態を明らかにする、
など小脳のプルキンエ細胞上シナプスでおこる可塑性に関して、世界をリードする優れた成果を得た。また、
δ2 サブユニット欠損マウスでは、運動学習および運動制御不全が認められること、さらに、δ2 サブユニット
と結合するデルフィリンを欠失させると、小脳長期抑圧が起こりやすくなり、視運動性眼球運動の適応(運動
学習)が亢進することを見いだすなど顕著な成果をあげた。また、代表者のリーダーシップのもと、各共同研
究者が有機的に活動しチームとしての相乗効果を発揮し、且つ各サブグループともに質の高い成果を出し
ており、高く評価できる。これらの成果は、論文(国内:1件、国際:42件)、学会発表(国内 51 件、国際 5 件)、
招待講演(国内:12件、国際:2件)として発表された。また、国内1件の特許申請をおこなった。成果の一部
は、4件の新聞報道で紹介された。
4-2.成果の戦略目標・科学技術への貢献
分子・細胞レベルの研究により、小脳プルキンエ細胞上シナプスで起こる可塑性の発現・維持・制御の分
子機構の理解が飛躍的に進んだ。また遺伝子改変マウスを用いた個体レベルの研究で、デルフィリン欠損
マウスではある種の運動学習が亢進していることを発見した。これらの成果は、学習の基盤と考えられるシナ
プス可塑性の微妙な調節が学習能力に影響を及ぼすことを示唆したもので、人の学習メカニズムの解明に
貢献すると共に、将来学習効率の向上や効率的なリハビリテーション法の開発につながることが期待される。
今後、細胞レベルと個体レベルの研究をつなぐ神経回路レベルの研究を進めることで、大きな発展が期待さ
れる。また、今回の一連の研究で、モデルを使用したコンピューターシミュレーションによるシステムバイオロ
ジー研究で得られた理論予測と実験による検証、分子生物学手法で作成した蛍光分子融合タンパク質を利
用した FRET イメージングと電気生理学実験の組み合わせ等、分子・細胞神経科学分野の研究を大きく進
展させうる手法を確立した。
19
4-3.その他の特記事項(受賞歴など)
今回の CREST 研究において、共同研究者の黒田真也は本研究期間中に東京大学教授に就任し、また新
たな CREST 研究チームの代表者になった。船曳和雄は京都大学の特任准教授から大阪バイオサイエンス
研究所システムズ研究部門の副部長に異動し、船曳和雄グループの研究員であった林勇一郎は 2008 年度
にさきがけ研究の代表者になった。このように、参加メンバーのキャリアーアップも多く見られ、CREST のチー
ム型研究の特徴を十分に活かした代表者の指導力は高く評価できる。
以上
20
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名:神経回路網における損傷後の機能代償機構
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名
研究代表者
伊佐 正(自然科学研究機構生理学研究所 教授)
主たる共同研究者
尾上 浩隆((独)理化学研究所分子イメージング科学研究センター チームリーダー)
大石 高生(京都大学霊長類研究所 准教授)
肥後 範行((独)産業技術総合研究所脳神経情報研究部門 研究員)
小島 俊男((独)理化学研究所基幹研究所 副チームリーダー)
3.研究実施概要
本研究課題では、中枢神経系に損傷を受けた後に生じる機能代償のメカニズムを解明するために、ヒトに
近い脳と身体構造を有するマカクザルを用い、運動出力系の障害の例として、皮質脊髄路(CST)を頚髄
C4/5 レベルで損傷した場合および大脳皮質一次運動野(M1)手指領域を損傷した場合の手指の精密把持
運動の機能回復機構について解析を行い、さらに感覚入力系の障害の例として大脳皮質一次視覚野損傷
後の機能代償機構についても検討を行った。これまでに得られた主要な成果は以下のようにまとめられる。
(1)
(2)
運動出力系:脊髄損傷と一次運動野 (M1) の損傷
C4/C5 レベルでの CST 損傷、及び M1 損傷のいずれの場合においも、手指の精密把持運動は一時
的に障害を受けるが、訓練により、2〜3週から2〜3ヶ月を経て回復が見られる。その際の大脳皮質レ
ベルでの機能回復機構を陽電子断層撮影法 (PET) によって解析したところ、頚髄損傷の場合、回
復初期(1ヶ月)では両側の M1、回復安定期(3〜4ヶ月)では傷害反対側の M1 の拡大した領域と両
側の運動前野腹側部 (PMv) が機能回復にかかわることが明らかになった。これらの領域が実際に機
能回復に貢献していることを薬物による局所的機能ブロック法によって確認した。
② さらに、M1、 PMv において発達関連タンパク質 GAP-43(神経回路再編のマーカー分子)の発現の増
加が確認され、神経突起の伸長を伴う可塑的変化がこれらの領域で起きていることが示唆された。
③ 一次運動野の損傷後、初期には両側の PMv と一次、二次体性感覚野 (S1、 S2) が、安定期には傷害
同側の PMv、 S1、 S2 が、活動を増加させることが明らかになった。このように損傷部位によって機能代償
機構はやや異なることが示唆された。
④ 電気生理学的手法を用い、M1 の局所フィールド電位と手指の多数の筋電図の活動を解析したところ、損
傷前に観察されていたβ帯域にピークをもつ大脳皮質-筋間コヒーレンスは消失して回復しないが、γ帯域に
ピークをもつ筋 筋間コヒーレンスが機能回復とともに広範な上肢筋間に出現することを見出した。このような
γ帯域で共振する神経回路はおそらく脳幹か脊髄に存在し、機能代償を担うものと推察される。
(3)
感覚入力系:大脳皮質一次視覚野の損傷
一次視覚野の障害後、障害視野への眼球サッケード運動は2ヶ月程度で機能回復する。回復後、中脳上
丘を機能阻害するとサッケードは遂行不能になる。
また、PET によりサッケード遂行にかかわる部位を解析すると頭頂連合野の外側頭頂間野 (LIP) 領域が
重要な役割を果たすと推定された。機能回復後、視覚信号の明るさの検出は上昇し、運動の細やかな制御
は失われているが、一方でボトムアップ型の注意、トップダウン型の注意、及び視覚対象の位置を短時間記
憶する作業記憶の能力は維持されていることが明らかになった。
21
この作業記憶に対応する持続的神経活動は上丘で記録されることから、健常動物では前頭連合野や頭頂
連合野などが有している機能の一部を、上丘が担うようになる可能性が示唆された。
4.事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
本研究では、マカクザルを用いて、運動出力系の損傷モデルとして(1)皮質脊髄路の頸髄レベルでの損傷、
(2)大脳皮質一次運動野の損傷後における精密把持運動の機能回復過程、さらに、感覚入力系の損傷モデ
ルとして(3)一次視覚野損傷後の視覚運動機能の代償機構を、電気生理、PET による脳機能イメージング、
行動解析、遺伝子発現解析、免疫組織化学など多様な手法を組み合わせて総合的に解明することを目指し
ている。
本研究チームは、伊佐グループと肥後グループが行動実験、伊佐グループが覚醒行動下ないしは麻酔下
で の 電 気 生 理 実 験 、 尾 上 グ ル ー プ が PET に よ る 脳 機 能 イ メ ー ジ ン グ 、 肥 後 グ ル ー プ が in situ
hybridization 法による遺伝子発現解析(主に大脳皮質)、大石グループが免疫組織化学による成長関連タ
ンパク等の発現解析(主に脊髄)、さらに、小島グループがマイクロアレイによる遺伝子発現の網羅的解析を、
それぞれ分担して行った。
これまでに、脊髄損傷モデル、一次運動野損傷モデルおよび一次視覚野損傷モデルにおいて、それぞれ
の機能代償機構に関する優れた研究成果をあげている。特に、脊髄損傷モデルの機能代償機構において、
回復初期(1ヶ月)では両側の M1、回復安定期(3〜4ヶ月)では傷害反対側の M1 の拡大した領域と両側の
運動前野腹側部 (PMv) が機能回復にかかわることを見いだし、これら領域の機能代償への関与を、薬物
(ムシモルの注入)による局所的機能ブロック法によって実証した。
さらに、この機能回復に損傷直後の訓練が重要であることも明らかにした。また、頸髄損傷後の回復時に M
1の興奮性ニューロンにおいて遺伝子 GAP-43 の発現が変化することを見いだした。また、視覚系損傷モデ
ルにおいて、サッケード機能の回復には上丘が不可欠な役割を担っていることを明らかにした。
本研究チームは、各グループともに優れた成果をあげ、且つ研究代表者のリーダーシップのもと、初期の
研究目標達成に向け有機的に統合し、目標を上回る成果をあげたことは高く評価できる。
これらの研究成果は、原著論文(国内 2 件、国際 44 件)、招待講演(国内 34 件、国際 8 件)、口頭発表(国
内 42 件、国際 12 件)、ポスター発表(国内 69 件、国際 69 件)で公表された。論文発表は、Science をは
じめ定評のある学術雑誌に着実に発表しており高く評価できる。特許出願は国内 2 件、海外 0 件で、本研
究成果の一部はマスメディア(新聞・テレビ)でも紹介された。(32 件)
下記に主要な成果論文と要約を示す。
脊髄損傷モデルサルを用いて、指先が動かなくなったサルは指先で小さい物体をつまむリハビリテーシ
ョン訓練を繰り返すことにより1~3ヵ月後には指先が元通りに動き出す。その際、回復にともなって回復に
かかわる脳の部位が変化していくことを突き止めた。具体的には、PET による脳機能イメージング法などを
用いて、指先を動かすために本来働いている脳の部位とは別の部位の活動が高まり、失われた機能が補
われるメカニズムを明らかにした。(Nishimura Y et al., Science 2007)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
サルを用いて脊髄損傷モデル、大脳皮質一次運動野および一次視覚野損傷モデルの機能代償機構を
PET イメージング、細胞活動記録、遺伝子発現解析など、多様な手法を用いて、遺伝子からシステムレベ
ルまで系統的に研究し優れた成果をあげた。
本研究成果は独創的で、学問的価値は国際的にも群を抜いた高いレベルである。特に、ヒトに近いサル
を用いた脊髄損傷モデルの研究は、中枢神経系損傷後の機能回復モデルとして世界的に注目を集めて
おり、中枢神経系の再生メカニズムにおける神経回路面での理論的考察に大きく貢献することが期待でき
る。
また、本成果は、モチベーションを含めヒトのリハビリテーションの科学的根拠を明らかにするとともに、そ
22
の開始時期や手法に関して貴重な示唆を与えるものと期待される。
本研究は、当領域の戦略目標に良く合致しており、得られた成果は、領域の戦略目標達成に大きく貢献
するものである。
4-3.総合的評価
当初の研究計画に沿って各共同研究者が有機的に連携し、多様な手法を使って遺伝子からシステムレベ
ルまで系統的に研究を進め、当初目標を上回る優れた成果をあげたことは高く評価できる。特に、サル脊髄
損傷モデルの回復過程における神経回路再編機構を解明したことは、画期的な成果である。
本研究の成果は、脳脊髄損傷後の機能回復機構について多くの示唆を与えるとともに、脊髄損傷や脳梗
塞などの患者のリハビリテーションにおいて新しい方策の開発につながることが期待される。
また、機能回復過程に関与する遺伝子の発見など当初計画にない興味深い知見も得られており、今後の
発展が期待できる。
以上
23
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名:ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名
研究代表者
大隅 典子(東北大学大学院医学系研究科 教授)
主たる共同研究者
井ノ口 馨(富山大学大学院医学薬学研究部 医学部 教授)
吉川 武男((独)理化学研究所 脳科学総合研究センター チームリーダー)
真鍋 俊也(東京大学 医科学研究所 教授)
3.研究実施概要
脳を構成するニューロンやグリアは、脳室帯に存在する未分化な神経幹細胞が増殖・分化することにより産
生される。このようなニューロン新生は胎生期に爆発的に起きるが、生後脳においても側脳室上衣下層
(SVZ)および海馬歯状回顆粒細胞下層(SGZ)などの特定の部位で生じていることが近年明らかになってき
た。さらに、ニューロン新生は過ストレス状態において低下し、逆に適度な刺激のある環境において増加する
ことや、新たに産み出されたニューロンが実際に神経ネットワークに組み込まれて機能することが報告されて
いる。しかしながら、認知、記憶等の脳の高次機能への影響はまだ不明な点が多い。一方、統合失調症、自
閉症、気分障害などの精神疾患は、社会的に大きな問題とされているが、モデル動物を用いた研究システム
の確立が立ち遅れている。
そこで本研究では、遺伝子レベルの研究に最適な齧歯類をモデル動物として用い、ヒト遺伝学から得られ
る知見と併せることにより、胎生後期から成体に至る発生・発達過程におけるニューロン新生および精神疾患
的症状に影響を与える遺伝的因子、環境因子を明らかにすることを目指して行われた。
具体的なテーマとしては、1)遺伝学的および分子生物学的アプローチによるニューロン新生の分子機構
の解析、2)ニューロン新生因子と精神疾患の関連解析、3)ニューロン新生と神経機能の関わりについての解
析を中心に研究を展開した。これまでに得られた主要な成果は以下のようにまとめられる。
① 神経発生の鍵因子 Pax6 はニューロン新生に必須である(大隅グループ)
神経発生のさまざまな局面で重要な働きをする Pax6 が、生後の海馬ニューロン新生においても神経幹細胞
の増殖と分化を制御することについて、Pax6 変異ラットの解析から明らかにした。
② Pax6 の下流因子 Fabp7 は神経幹細胞の増殖維持に必須である(大隅グループ)
マイクロアレイ解析により、ラット胚において Pax6 の下流因子として見出した脂肪酸結合タンパク質 Fabp7
は、胎生期神経幹細胞の増殖維持に必須であることを見出した。
③ Fabp7 は海馬ニューロン新生を制御し、統合失調症の発症に関わる可能性がある(大隅・吉川グループ)
ノックアウトマウスの解析により、Fabp7 が海馬ニューロン新生において神経幹細胞の増殖維持に必須であ
ることを見出すとともに、ヒト遺伝学的解析から Fabp7 が統合失調症のリスク因子であることを明らかにした。
④ Pax6 の変異はグリア細胞の腫瘍形成に関係する可能性がある(大隅グループ)
マウス成体脳において Pax6 は神経幹細胞や一部のニューロンだけでなく、脳に大量に存在するグリア系細
胞、アストロサイトにおいて発現していることを見出した。Pax6 が神経幹細胞の場合とは逆に、アストロサイト
の成熟を亢進させる働きがあり、Pax6 の働きが失われることにより、神経膠腫の発症につながる可能性がある
ことを明らかにした。
⑤ アラキドン酸はラット海馬ニューロン新生を促進し、精神疾患様行動異常を改善する。
(大隅グループ)
野生型仔ラットにアラキドン酸(ARA)やドコサヘキサエン酸(DHA)含有餌を4週間にわたり投与したところ、
ARA によって海馬ニューロン新生が向上した。また、野生型仔ラットに細胞増殖低下薬を投与しニューロン新
24
生を低下させると、成体になってからプレパルス抑制(PPI)が低下した。さらに、Pax6 変異ラットにおける PPI
の低下を ARA 投与により部分的に回復させることができた。
⑥ ニューロン新生の低下は注意欠陥多動性障害(PTSD)の発症に関係する可能性がある。
(井ノ口グループ)
遺伝学的ならびに X 線照射により海馬ニューロン新生を低下させたマウスを用い、ニューロン新生の低下に
より恐怖記憶の海馬依存的な時間が延長すること、すなわちニューロン新生が低下すると恐怖の記憶が消去
しにくいことを見出した。
⑦ Pax6 は自閉症発症に関係する可能性がある。(大隅・吉川グループ)
自閉症患者サンプルの遺伝子解析から、新たに Pax6 遺伝子に有意な関係のある SNP(一塩基変異多型)
を同定した。
4.事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
本研究では、Pax6 を基軸にニューロン新生の制御機構の解明を進め、Pax6 が生後の海
馬のニューロン新生に必須であること、その下流因子である Fabp7 の発現を制御していこと、Fabp7 が胎仔期
神経幹細胞の増殖維持に必須であること、さらに、Pax6 の下流因子である ephrin-A5 が神経幹細胞の増殖・
分化および脳内微細血管機能の調節に関わることを見いだし、ニューロン新生の分子基盤を明らかにしたこと
は大きな成果である。
統合失調症では、周囲の不必要な雑音などを意識に上らないようにシャットアウトする感覚フィルター機能が
弱まることが知られており、この感覚フィルター機能は、驚愕音への反応を弱めるプレパルス抑制(PPI)という生
理学的な検査で評価することができる。本研究で、Fabp7 が PPI に関与する遺伝子であること、ニューロン新生
が低下すると PPI が低下すること、さらに、不飽和脂肪酸がニューロン新生を促進し、精神疾患様行動を改善さ
せることを発見し、「不飽和脂肪酸 - ニューロン新生 - 統合失調症」の関連を示した。
加えて、統合失調症の研究に有用と考えられる発症脆弱性動物モデルを作成し、ニューロン新生の低下は
海馬依存的な恐怖記憶の消去を延長するという画期的な発見をした。
本研究では、研究代表者のリーダーシップのもと、各グループが有機的に連携し、研究計画に沿ってニュー
ロン新生の制御機構の解明を進め、ニューロン新生の意義を明らかにし、研究代表者らが当初提唱した「ニュー
ロン新生の低下が精神疾患発症の脆弱性に関わる」という仮説を支持する成果を得たことは高く評価できる。
これらの研究成果は、原著論文(国内 0 件、国際 109 件)、招待講演(国内 102 件、国際 44 件)、口頭発表
(国内 47 件、国際 12 件)、ポスター発表(国内 118 件、国際99件)で公表された。論文発表は、Cell をはじめ
定評のある学術雑誌に着実に発表しており評価できる。特に共同研究者の井ノ口グループの発表は高く評価
できる。特許出願(国内 3 件、海外 5 件)も積極的に行った。また、本研究成果はマスメデイア(新聞・テレビ)で
広く紹介された。(115 件)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
Pax6およびその下流にある Fabp7, ephrin-A5 などのニューロン新生における機能について、新規性の高い
発見を積み重ねており高く評価できる。また、ニューロン新生の分子機構解明の進展に伴い、当初想定してい
なかった新たな展開が見られ「不飽和脂肪酸 - ニューロン新生 - 統合失調症」との関連性を示唆したことは、
将来、統合失調症の病因解明および予防に貢献することが期待される。
また、これまで栄養学的に不飽和脂肪酸が脳の発達に重要であることは知られていたが、
そのメカニズムは不明である。本成果は、このような栄養学的知見に分子・細胞レベルからひとつの示唆を与え
るもので、脳の発生・発達における遺伝的プログラムと栄養という環境因子の相互作用の解明に貢献することが
期待される。
マウスで発症脆弱性動物モデルを作成し、そのマウスを用いて、ニューロン新生の促進
25
により、恐怖記憶の海馬依存的な期間が短くなることを明らかにしたことは、ニューロン新生の意義について大き
なインパクトを与える発見である。
本成果は、将来、統合失調症の病因解明および予防をはじめ、脳の健やかな発達に必要な遺伝的・環境的
因子の解明に貢献することが期待され、領域の戦略目標達成に大きく貢献するものである。
4-3.総合的評価
当初の研究計画に沿って、各共同研究者が有機的に連携し、ニューロン新生の分子機構を次々に明らかに
し、さらに、当初計画時に想定されていなかった「不飽和脂肪酸 - ニューロン新生 - 統合失調症」の関連性を
示唆したことは高く評価できる。
今後、多様な行動テストバッテリーを用いて、これまでに得られた知見をさらに発展させることで、将来、統合
失調症の病因解明、精神疾患の予防に貢献することが期待される。
一方、不飽和脂肪酸がニューロン新生を向上させうるという点に関し、基礎的知見としては興味深いが、ヒトへ
の適応などについては、慎重に行うことが望まれる。
研究代表者は、研究活動を広く市民に伝える目的で、ニュースレター「Brain & Mind」を年 2 回刊行した。
本冊子は市民向けに分かり易く編集されており、領域主催の公開シンポジウムなどで多数の市民に配布した。
このような活動は「研究成果を育児や教育の現場をはじめとする様々な場に提供することを目指す」とする領域
の戦略目標に貢献するもので高く評価できる。
以上
26
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名:発達期および障害回復期における神経回路の再編成機構
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名
研究代表者
鍋倉 淳一((独)自然科学研究機構生理学研究所 教授)
主たる共同研究者
加藤 宏之(国際医療福祉大学病院神経内科 教授)
塚田 秀夫(浜松ホトニクス(株)中央研究所 PET センター長)
福田 敦夫(浜松医科大学医学部生理学第一講座 教授)
橋本 浩一(東京大学大学院医学研究科 准教授)
3.研究実施概要
脳発達の最終段階において、神経回路の広汎な再編成が観察される。この現象は主に遺伝子に組み込まれ
た情報にガイドされて形成された未熟な回路の再構築によって、学習や記憶などの高次機能を含めた脳機能を
発現できる成熟回路を形成する過程と考えられる。この過程は既に脳として機能している回路の変化であるため、
しばしば行動やリズムなど個体としての脳機能の変化として表現される。このように、発達脳では、広汎な機能回
路がまず形成され、その後、より細かな機能回路単位の絞込みが行われ、成熟した回路が完成する。
一方、成熟した脳の障害後の回復期には、多くの未熟期に特有な回路特性が再現することが明らかになって
きている。このことから再生回路の再編成においても、発達期と同様のプロセスが再現されることが想定される。
したがって、発達期における回路再編成の制御機構を検討することは、機能回復を目的とした回路再構築に向
けた方策にも重要な示唆を与える。
本研究では神経回路再編機構について、ヒトおよびモデル動物において検討するとともに、その背景にある
神経回路再編メカニズムの理解を深めるために発達期におけるモデル回路の成熟機構の解明をも目指した。こ
れまでに得られた主要な成果は以下のようにまとめられる。
① ヒトにおける機能回復過程について軽度片麻痺患者では、発症後急性期に両側大脳半球の
広い領域の活動が起こり、その後活動領域の絞込みが生じ障害後の機能回復と活動領域の
変化の時期が密接に関連していることが明らかになってきた。(加藤グループ)
② 脳虚血障害サルを対象に、脳活動とリハビリテーションによる機能回復について陽電子
断層撮影法 (PET) を用いて検討した結果、リハビリテーション群において有意に運動機能の回復および
脳障害エリアの縮小が認められた。さらに回復に向けたリハビリテーションには「臨界期」の存在が示唆された。
(塚田グループ)
③ 神経回路再編機構を生体で観察するために、多光子励起顕微鏡の生体応用および技術改良を行い大脳
皮質深部レベルまで微細構造観察可能な技術を構築した。この生体イメージング法を大脳虚血障害モデル
マウスに適用した結果、障害回復期には脳梗塞周辺部位でシナプスの再編成が亢進していることが判明した。
このシナプス再編機構について、脳障害時に活性化するミクログリアのシナプス監視機構が存在することを見
出し、障害後にはミクログリアによりシナプス除去が誘発されることが判明した。また、片側体性感覚野梗塞障
害後には、対側の感覚野においてシナプス再編が限られた期間に起こり、その後、障害によって失われた機
能を代償する神経回路活動が対側半球の相同領域に生じることを発見した。(鍋倉グループ)
④ 神経回路の機能発達および障害後変化をもたらす基盤として、シナプス除去とGABA機能の脱分極―過
分極スイッチを制御する細胞内機序について検討を行なった。GABA 作用は細胞内 Cl-濃度に依存する。主
要細胞内 Cl-汲み出し分子 K+-Cl-共役担体(KCC2)は、障害時には脱リン酸化による機能喪失、細胞膜に
おける発現低下、さらにタンパク質自体の発現消失が起こり、GABA作用は抑制性から興奮性に変化するこ
とが判明した。(鍋倉・福田グループ)
27
⑤発達・再生時に広範囲な神経回路で起こる余剰回路の除去のモデルとして、未熟期小脳プルキンエ細胞に
入力する余剰な登上線維の除去の検討を行なった。発達に伴い残存する一本の登上線維の終末のみプル
キンエ細胞の樹状突起へ移動し、神経細胞体に残存入力するその他のシナプスは除去されること、および余
剰シナプス除去には P/Q 型 Ca2+チャネルが関与していることが判明した(橋本グループ)。
4.事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
本研究を遂行するにあたり、マウス、サルの梗塞モデルを作成し、さらには生きたマウスで神経回路微細構造
を大脳皮質深部まで可視化できる革新的な生体イメージング技術(多光子励起顕微鏡)を構築した。この生体イ
メージング技術を用いて、障害回復期における神経回路の再編成過程の解明を進め、優れた成果をあげた。
特に、シナプスとミクログリアの相互作用を可視化することによってミクログリアがシナプス除去に関与することを
明らかにしたことは画期的な成果である。
また、虚血による脳障害サルを用いて、陽電子断層撮影法(PET)で検討した結果、回復期におけるリハビリテ
ーションの効果には「臨界期」が存在することを示唆したことは、大変興味深い成果である。今後、リハビリテーシ
ョンの開始時期の違いと神経回路の再編成の関係など「臨界期」に関するメカニズムの解明が期待される。
一方、神経回路再編のメカニズムの追求という点では、神経回路機能発達と障害後神経回路再編成におけ
る共通のメカニズムとして、成体において過分極作用を示す GABA が、生後発達初期及び傷害後回復期には
脱分極作用を示すこと、この変化は細胞内塩素イオン汲み出し分子 K+-Cl- 共役担体(KCC2)の脱リン酸化に
よる機能低下や発現消失によることを明らかにした。
このように、脳障害後の回復過程において、GABA の抑制―興奮スイッチやシナプス連絡の再編などによる
神経回路の機能変化が、障害回路または代償回路におこること、および早期に適切なリハビリテーションを行う
ことで機能回復に向けた神経回路再編が促進されることを示唆した本研究成果は、ヒトの脳血管障害後の機能
回復のための治療戦略を考える上で重要な情報となるものである。
本研究では、大脳皮質の深部まで可視化できる生体イメージングシステム(多光子励起顕微鏡)を構築し、脳
障害からの機能回復過程の解明に挑み、研究計画に沿って着実に優れた研究成果をだしており、高く評価で
きる。ただ、各共同研究者の研究成果は、それぞれに興味深いが、本課題の目標達成に向け貢献度が不十分
なグループが見られたのは残念である。
これらの研究成果は、原著論文(国内 10 件、国際92件)、招待講演(国内 85 件、国際 27 件)口頭発表(国
内 104 件、国際 5 件)、ポスター発表(国内 100 件、国際 74 件)として公表された。
全体としてはランクの高い学術誌に発表されており評価できる。また未発表の成果もあり、今後インパクトの高い
論文発表が期待される。これらの成果の一部はマスメディアで(新聞・テレビ)で紹介された(29 件)。また、特許
出願(国内1件)もなされた。
下記に主要な成果論文と要約を示す。
独自に改良した多光子励起顕微鏡を用いて、生きたマウスの脳内を撮影した結果、ミクログリア細胞は正常な
脳でシナプスに定期的に接触していることを明らかにした。接触は1時間に1回、接触時間は5分間であった。一
方、脳梗塞などで障害をうけた場合には、1時間以上、シナプス全体を包み込むように触ることがわかった。また、
ミクログリア細胞による接触後、しばしばシナプスが消失することが観察された(Wake H et al., J. Neurosci.,
2008)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
独自に改良・構築した多光子励起顕微鏡イメージングシステムは、生体において大脳皮質深部を可視化でき、
28
且つ同一個体で同一部位を数ヶ月にわたり繰り返し観察できる画期的なもので、神経微細構造変化を解析する
研究領域における本装置の科学的貢献度は極めて大きい。
本装置を用いて、ミクログリアがシナプスを常時監視し障害のあるシナプスを除去し再編成を促している様子
を可視化することに成功した。この発見は、従来よくわかっていなかった脳障害からの機能回復過程におけるミ
クログリアの役割を明らかにした画期的な成果である。
サル「虚血再還流モデル」を用いた研究で、リハビリテーションを開始するタイミングが運動機能改善効果と相
関があることを見いだし、いわゆる「臨界期」が存在することが示唆された。また、マウスを用いた研究で、脳梗塞
後の機能回復過程では、脳梗塞とは反対側の脳の神経回路の再編と機能回復が順序よく起こること明らかにし
た。
これまでヒト脳血管障害後の運動機能回復を目指したリハビリテーションは、経験的な部分が多く、特に運動
機能回復と脳機能回復との関係について不明な点が多かった。本成果は、ヒトの脳血管障害後の機能回復の
ための治療戦略を考える上で貴重な情報を与え、リハビリテーションの方法や実施時期・期間などに関し、あら
たな方策の開発につながることが期待され、領域の戦略目標達成に大きく貢献するものである。
4-3.総合的評価
本研究では、研究計画に沿って着実に優れた成果を得ており高く評価できる。特に多光子励起顕微鏡によ
る生体イメージングの研究は、国際的に激しい競争が展開されている中、大脳皮質の深部まで可視化できる生
体脳イメージング技術を構築し、神経回路の修復とミクログリアの関連性を可視化したことは国際的にインパクト
の高い画期的な成果である。
以上
29
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名:情動発達とその障害発症機構の解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名
研究代表者
西条 寿夫(富山大学医学薬学研究部システム情動科学 教授)
主たる共同研究者
森 寿(富山大学大学院医学系研究科 教授)
鈴木 道雄(富山大学医学部医学科精神神経医学教室 教授)
関野 祐子(国立医薬品食品衛生研究所 薬理部 部長)
Carlos Tomaz(ブラジリア大学霊長類研究センター 教授)
3.研究実施概要
情動には 2 つの側面があり、1 つは中性の条件刺激と罰または報酬などの非条件刺激との連合を学習する
機能である。この機能(連合学習)自体は昆虫からヒトまで共通に備わっており、同過程の亢進は注意欠陥多
動性障害(PTSD)や不安およびうつ病に関連している可能性のあることが示唆されている。もう一つは、特に
霊長類で発達している他者の表情などの社会的刺激を検出する能力(社会的認知機能)であり、ヒトでは思
春期まで発達することが示唆されている。この機能の発達障害が自閉症であり、その喪失が統合失調症であ
るとの仮説がある。本研究チームでは、連合学習及び社会的認知能力という切り口で、情動発達とその障害
発症機構を、ヒトおよび動物を用いて遺伝子、分子、細胞、行動レベルで総合的に解明することをめざした。
これまでに得られた主要な成果は以下のようにまとめられる。
②
社会的認知機能の発達とその障害
① サルを用いて視線方向および表情の識別に関する膝状体外視覚系及び扁桃体のニューロンの応答性を
解析した結果、扁桃体はアイコンタクトの検出に重要な役割を果たしていること、また顔表情の識別は、体験
に基づく学習により促進されることが明らかになった。さらにアイコンタクトの情報は、膝状体外視覚系を介す
る皮質下のルートにより、扁桃体に直接伝達されることが示唆された。(西条グループ)
② ヒト健常人脳の形態発達を主に磁気共鳴イメージング(MRI)を使って調べたところ、社会的認知機能と関
連の深い側頭葉内側部(扁桃体, 海馬体)の体積が思春期に増大することが明らかになった。(鈴木グルー
プ)
③ ラット視床では、扁桃体と密接な線維連絡を有する視床の聴覚副経路中継核(視床後外側核,内側膝状
体帯部領域)が過去の報酬体験と将来の報酬予測を符号化していることなどが判明し,従来大脳で処理され
ていると考えられていた記憶や報酬予測などの認知機能が,視床レベルでも行われていることが明らかにな
った。(西条グループ)
④ 大脳皮質下領域の役割を明らかにするため、幼若期のオマキザルを用いて上丘を破壊し、社会的認知
機能発達に及ぼす効果を解析している。これでまでに、社会行動の低下、他の幼若サルに対する社会的ラン
クの低下およびヘビなどの嫌悪動物に対する嫌悪反応の低下などの特徴を呈することが明らかにされつつあ
る。(Tomaz グループ)
⑤ 3-9 ヶ月齢の乳児を用いて、近赤外線分光法(NIRS)により解析した結果、乳児は他者の目の領域を有
意に長く固視し、そのとき前頭前野の前部領域(前頭極)を中心とした領域の活動が増大することが明らかに
なった。さらに乳幼児では、情動機能と認知機能発達には正の相関があり、とくに身体的ストレス下におかれ
ている乳児において相関が強いことなどが明らかになった。一方、社会行動が障害される統合失調症では、
これらの領域を含む前頭葉領域の体積が減少しており、獲得した社会的知識の喪失が示唆された。(西条グ
ループ、鈴木グループ)
30
⑥ ノックアウトマウスを用いた研究を行い、DNA メチル化、血小板由来成長因子β受容体、および NMDA
受容体などが扁桃体、海馬体などの発達に重要であることが明らかになった(森グループ)。
(2)情動学習(連合学習)とその異常
① 報酬刺激を用いた神経生理学的研究では、サル、ラットおよびマウスの扁桃体、海馬体、島皮質等に報酬
予測的応答が認められ、これらの予測応答にはドーパミン D1 および D2 受容体が重要であることが明らかに
なった。(西条グループ)
② 麻酔下マウスを用いた罰刺激の研究で、聴覚刺激と連合して電気ショックを与えると、扁桃体における聴
覚誘発電位の振幅が増大し、ジアゼパムの腹腔内投与により、その振幅増大が抑制されることを明らかにし
た。さらに扁桃体内の連合学習の神経ネットワークを解析するために、扁桃体スライス標本を作製し、光学的
計測法で解析した。また、画像データの定量的処理解析法を開発した。(西条グループ、関野グループ)
4.事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
サルを用いた研究で、扁桃体ニューロンがアイコンタクトに強く応答すること、表情識別能は生後の体験に依
存すること、さらにラット用いた研究で、扁桃体と密接な関係を有する視床の特定の核に存在するニューロンが、
過去の報酬体験と将来の報酬予測を符号化していることを発見し、記憶や報酬予測などの認知機能が視床レ
ベルでも行われている可能性を示唆した。
さらに、社会的認知機能発達に及ぼす皮質下領域の役割を明らかにするために、幼若期のオマキザルの上
丘を破壊し、行動学的解析をおこなった。その結果、正常サルに比べ、社会行動の低下、社会的ランクの低下、
嫌悪反応の低下などが生じることを明らかにしつつある。
視覚情報が脳の視覚系をどのように賦活するかを、3―9 ヶ月齢の乳児で、近赤外分光法を用いて解析した
結果、乳児は他者の目の領域を長く注視し、その時には前頭前野の前部領域(前頭極)を中心とした領域の活
動が増大することを明らかにした。一方、社会的行動が障害されている統合失調症では、前頭葉領域の体積が
減少していることを発見し、社会的行動における前頭葉の重要性を再確認した。
情動学習とその異常の研究では、動物脳や動物脳から作成した脳切片標本を使用し、扁桃体の活動が、電
気ショックなどで動物に不安学習を起こすと増大することなどを見出し、情動学習における扁桃体の重要性を示
した。
このように、当初の研究計画に沿って多彩な実験設定を行い、興味深い多くの知見を見いだしたことは十分
評価できる。ただ、研究方向が拡散傾向にあり、個々の興味深い知見を系統的に検証し、結びつけるまでに至
っていないのが残念である。各共同研究グループは、それぞれ興味深い成果を挙げており、また動物実験とヒト
の研究を結びつけるグループ構成は評価できる。ただ、研究代表者の目標達成に関して、グループ間の連携
が明確でなく、成果への貢献度も不十分である。
これらの研究成果は、原著論文(国内 12 件、国際 199 件)、招待講演(国内 48 件、国際 51 件)、口頭発表
(国内 159 件、国際 33 件)、ポスター発表(国内 164 件、国際 89 件)で公表された。論文発表数は多いが、本
研究の中心的結果の論文が未発表なのが残念であり、今後に期待する。
特許出願は(国内 1 件、海外 0 件)であった。また、本研究成果の一部はマスメディア(新聞・テレビ)で紹介さ
れた。(8 件)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
本研究は、多面的なアプローチで統合的に情動発達およびその障害の機構の解明を目指した遠大なテーマ
への挑戦である。サルを用いて視線方向および表情の識別に関する膝状体外視覚系のニューロンの応答性を
解析し、顔認知という社会性に重要な認知機能における上丘→視床枕→扁桃体の投射系の役割を明らかにし、
さらにラットを用いた研究で、記憶や報酬予測などの認知機能が視床レベルでも行われていることを明らかにし、
扁桃体など皮質下核が、情動や注意だけでなく脳発達や学習・記憶に関わっていることを示唆したことは高く評
価できる。
31
研究代表者の独自の視点からの膝状体外視覚系の解析やドーパミン受容体ノックアウトマウス扁桃体からの
ニューロン活動の記録など極めてユニークな興味深い研究が進行しており、今後、研究の集約化・緻密化をは
かり、十分な検証を行うことによりインパクトのある成果につながることが期待される。
情動発達のメカニズムの解明は、ヒトにおける心の発達の理解に貢献するとともに、現代社会において増加傾
向にある情動障害を中心とする精神障害の理解や治療法の開発、さらには学習意欲の解明などにつながる重
要なテーマであり、領域の趣旨とも良く合致しており、本研究成果は領域の戦略目標達成に貢献した
4-3.総合的評価
扁桃体を中心とした情動発達に関する研究で、扁桃体など皮質下核が情動や注意だけでなく大脳皮質の発
達や学習・記憶に関わっていることを示唆すると共に、顔認知という社会性に重要な機能における上丘→視床
枕→扁桃体の投射系の役割を明らかにしたことは高く評価できる。また、研究計画に沿って多面的アプローチ
から多彩な実験を行い、新しい知見を数多く見いだしたことも評価できる。ただ、サルの訓練に長期間を要した
こと、グループ間の連携が十分でなかったことなどにより、研究期間内で、個々の成果を検証し結びつけるには
至らなかったのが残念である。本研究テーマは時代の要請もあり、その重要性は今後増していくことが考えられ、
本成果をもとに大きく発展していくことが期待される。
以上
32
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名:臨界期機構の脳内イメージングによる解析と統合的解明
2.研究代表者名及び主たる研究参加者名
研究代表者
ヘンシュ 貴雄((独)理化学研究所脳科学総合研究センター
チームリーダー)
主たる共同研究者
橋本 光広((独)理化学研究所脳科学総合研究センター ユニットリーダー)
吉原 良浩((独)理化学研究所 脳科学総合研究センター チームリーダー)
Neal A Hessler((独)理化学研究所 脳科学総合研究センター チームリーダー)
3.研究実施概要
哺乳類の中枢神経系は出生時には未熟で、生後発達初期の特定の時期「臨界期或いは感受性期」に自己
の経験を通じて急速に機能を発達させる。この臨界期には経験や環境からの刺激に応じて、神経回路は柔
軟に改変、再構築され、成体になるとこのような神経回路の可塑性が少なくなる。
本研究では、マウスを用いて臨界期における可塑性の分子メカニズムを解明し、可塑的変化に誘導される
形態的変化を可視化することを目標に研究を行った。さらに、得られた結果を異なる動物種であるキンカチョ
ウの発声行動発達における臨界期に当てはめることで普遍的メカニズムを明らかにすることを目指した。 こ
れまでに得られた主要な成果は以下のようにまとめられる。
① マグネットを付着したアデノウィルスベクターを作成し、脳の外から磁石によって制御することで、特定の
領域の神経細胞にのみ、このベクターを導入することに成功した。さらに、これまでの研究で臨界期の形成
に関わると報告されている Parvalbumin (PV) 陽性細胞に特異的に発現するウィルスベクターを作成す
ることに成功した。しかし、このウィルスベクターは活性が低く、in vivo での形態観察には至らなかった。
(橋本グループ)
② 視覚野における臨界期の可塑性では、スパインの剪定が起こることを明らかにした。このスパイン剪定は
抑制性機構が引き金となり、タンパク質分解酵素、組織型プラスミノーゲンアクチベータの作用により起こる
ことがわかった。(ヘンシュグループ)
③ テレンセファリンは樹状突起フィロポディアに高濃度存在し、成熟したスパインでは発現が減少しているこ
と、テレンセファリン過剰発現による樹状突起フィロポディア形成には、テレンセファリンの細胞外及び細胞
内の両方の領域が必要であること、テレンセファリン遺伝子欠損マウスでは樹状突起フィロポディア数が野
生型マウスに比べて有意に少なく、スパインへの移行が加速されていること、ERM ファミリーアクチン結合
蛋白質群(Ezrin /Radixin /Moesin)がテレンセファリン細胞内領域の膜近傍アミノ酸配列に結合し、樹状
突起フィロポディア形成を司ることを明らかにした。さらにテレンセファリンの上流遺伝子を解析することによ
り終脳特異的発現エンハンサーを同定し、これを用いたトランスジェニックマウスを作成した(吉原グルー
プ)。
④ マウスとは異なる神経回路システムを持つキンカチョウの歌学習において GABA 抑制性機構を薬物(ベ
ンゾジアゼパム)により早期に増強すると歌学習が阻害されること、この阻害は感覚学習の臨界期が早期
に終了したためであることが形態学的、電気生理学的実験から明らかになった。このことから異なる動物
種やシステム間でも臨界期の形成機構に GABA 抑制が関与するという普遍的な部分があることが示唆さ
れた。(ヘスラーグループ ・ ヘンシュグループ)
⑤ 自閉症モデルマウスである Ca2+-dependent activator protein for secretion 2 (CAPS2)ノックアウトマ
ウスでは、Parvalbumin (PV) 陽性細胞の成熟の遅れにより GABAA 受容体を介した抑制の低下が起き、
これにより眼優位可塑性の臨界期のタイミング異常がおきていることが示唆された。(ヘンシュグループ)
33
4.事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
大脳皮質視覚野錐体細胞のシナプス入力部である樹状突起スパインが「臨界期」のマウスの片目遮蔽によっ
て減少すること(スパイン剪定)、このスパイン剪定にはタンパク質分解酵素の一種である組織型プラスミノーゲン
アクチベータ (tPA) が関与していること、さらに、この錐体細胞の形態的可塑性は、抑制性機構の発達が引き
金となり起こることを示した。
また、大脳皮質神経細胞の樹状突起に特異的に発現する膜タンパク質「テレンセファリン」は、発達期のニュ
ーロンにおいて樹状突起フィロポデイアの形成・維持に重要な役割を果たし、柔らかなシナプス構造・機能を保
つことに関与する分子であることを明らかにした。
視覚野の GABA ニューロンは約半数の PV 陽性細胞とそれ以外の数種の細胞に分けられるが、眼優位可塑
性には、特に PV 細胞が重要であることがこのチームによって以前に報告されていた。本研究では、細胞の同定
が難しい細胞外記録に代わり、詳細な発火パターンから同定が可能な細胞内記録法を生体内で確立し、PV 細
胞自身が入力遮断に対して錐体細胞とは大きく異なる可塑的変化を示すことを明らかにした。
また、キンカチョウの歌学習、音域学習の「臨界期」には、GABA 抑制が重要であることを発見するとともに、
その脳内メカニズムの一端を解明した。この結果は、異なる動物種や異なるシステム間において臨界期の形成
機構には普遍的なメカニズムが存在し、臨界期の形成に GABA 抑制が重要な働きをしていることを示した。
さらに、当初の研究計画にはない新たな展開として自閉症と臨界期との関連性を示唆したことは基礎的研究
から応用に至る明確な道筋を示したもので、今後の研究の発展が期待できる。
本研究では研究代表者のリーダーシップのもと、吉原グループが樹状突起スパイン形成過程におけるテレン
セファリンの役割の解明、橋本グループがアデノウィルスベクターを用いたマウス胎仔脳への局所的遺伝子導
入技術の開発、へスラーグループがキンカチョウを用いて歌学習における GABA 抑制の役割の解明研究を分
担し、各グループが本研究の目標を良く理解し、学際的・有機的に融合し、インパクトのある成果をあげたことは
高く評価できる。
これらの研究成果は、原著論文(国内 0 件、国際 16 件)、招待講演(国内 20 件、国際 19 件)、口頭発表(国
内 5 件、国際 2 件)、ポスター発表(国内 24 件、国際 23 件)で公表された。論文発表は Nature はじめトップレ
ベルの学術雑誌に着実に発表しており高く評価できる。特許出願は国内、海外とも 0 件であったが、基礎的研
究に重点をおいた研究であるため、やむを得ないと判断する。また、本研究成果の一部はマスメディア(新聞・テ
レビ)にも紹介された。(16 件)
下記に主要な成果論文と要約を示す。
マウスを用いて、臨界期に片目を閉じると、10 種類以上あるとされる抑制性細胞の中の1つ Fast-Spiking 細
胞が、錐体細胞とは逆に、2~3日後では閉じた目の方により強く反応し、14 日後には開いている目の方により
強く反応するというダイナミックな眼優位性の逆転的変化が起きることを明らかにした。また、この Fast-Spiking
細胞の視覚反応の変化が、Fast-Spiking 細胞から情報を受け取る錐体細胞の視覚反応に影響をもたらし、神
経回路全体の可塑性を制御していることを明らかにした(Sugiyama Y et al., Nature 2009)。
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
臨界期におけるシナプスの微細構造変化を明らかにしたこと、その変化に関与する機能分子(テレンセファリ
ン、tPA など)を特定したこと、さらに臨界期に生物種を超えた共通のメカニズムが存在する可能性を独創的な
方法で示唆したことなど当初の研究計画に沿って、数々の優れた成果が得られており高く評価できる。
また、10 種類以上ある抑制性細胞の中でも PV 陽性細胞の成熟が、臨界期の開始に必要なことを発見し、さ
らにマウス視覚野の神経回路を構成する抑制性細胞のうち PV 陽性細胞の視覚反応の変化が、神経回路全体
の働きを制御し、従来知られている眼優位性の可塑性に関与していることを明らかにしたことは、画期的な成果
である。
34
さらに、自閉症と臨界期との関連性を示唆したことは、今後、特定の抑制性細胞の臨界期における役割、その
メカニズムを解明することで、弱視だけでなく、精神疾患や発達異常の治療などにも新しい知見をもたらすことが
期待できる。
また、本領域の趣旨に合致した方向で研究が進捗しており、学習の基盤をなす脳の可塑性メカニズムのさらな
る解明が期待でき、本領域の戦略目標達成に大きく貢献した。
4-3.総合的評価
本成果は、これまで謎とされてきた臨界期形成の分子メカニズムの研究に扉を開いたもので、国際的に見ても
独創性の高い優れた研究成果で高く評価できる。また、当初の研究計画にない新たな展開として臨界期と自閉
症との関連を示唆した本成果は、自閉症発症メカニズムの研究に手がかりを与えるもので、脳発達障害研究へ
の展開が期待できるなど、社会への貢献度は極めて大きいと思われる。
以上
35
研究課題別事後評価結果
1. 研究課題名: 応用行動分析による発達促進メカニズムの解明
2. 研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点):
研究代表者
北澤 茂 (順天堂大学大学院医学部 教授)
主たる共同研究者
中野 良顕(NPO 法人 教育臨床研究機構 理事長)
瀬川 昌也(瀬川小児神経学クリニック 院長)(平成18年4月~)
3. 研究実施概要
コミュニケーションと社会性等の発達障害である自閉症の予後は不良とされていたが、応用行動分析
(ABA)を用いて早期(5 歳以前)に週 40 時間の高密度治療を 2-3 年行うと、通常の社会生活ができる迄に回
復する例が約半数あると報告され、注目を集めてきた。本研究では、臨床心理学、精神医学、神経生理学を
組み合わせた学際的研究チームにより、ABA による自閉症治療の効果を検証するとともに、同じ手法をサル
に適用して生理学的研究を行い、ABA による発達促進の脳内メカニズムの解明を目指した。これまでに得ら
れた主要な成果は以下のようにまとめられる。
① 中野グループは、無作為化比較試験デザインを用い、ABA に基づく週 20-40 時間の高密度治療を 2 年
間適用する高密度治療群 5 名と、ABA に基づく治療訓練を受けた親が専門家のコンサルテーション(月 2 回
最大 6 時間)を受けながら ABA を 2 年間適用するコンサルテーション群 7 名を用意して、それらを過去の順
天堂小児科の症例から初期の条件をマッチして設定した非 ABA 治療群 21 名のデータと比較し、ABA 治療
の有効性を検討した。その結果、発達速度に関して高密度治療群とコンサルテーション群の間に有意差はな
く、非 ABA 治療群は有意に低いという結果が得られた。
② 瀬川グループは、ABA 治療の効果を自閉症の諸徴候とともに、睡眠―覚醒リズム、ロコモーションおよ
び臨床神経学的所見の改善に注目して検討した。その結果、日常生活上の環境要因を正し、睡眠―覚醒
リズムの改善とロコモーションを改善させることが ABA の効果の良否と相関することが示唆された。さらに、
同年代正常小児との接触と直立二足歩行を行う機会をつくることを ABA 治療と並行して確保することが ABA
の治療効果をあげることにつながることが示唆された。
③ 北澤グループは ABA の治療効果を客観的に評価する指標の開発を進め、約 80 秒のビデオ画像を見る
際の視線位置の時系列データから正常群と自閉症群を分離する定量指標を導くことに成功した。一方、治療
効果の客観的評価法の開発では、当初予定していた静音型 MRI の開発を技術的困難性と費用の観点から
断念し、近赤外スペクトロスコピー装置を用いることに方針を変更した。本装置を用いて、プローブ装着の容
易な額からの計測を行い、成人の精神疾患の鑑別に使われている言語流暢性課題に伴う信号変化が、ほぼ
すべて額の血流の変化を反映しているという結果を得た。また、応用行動分析の手法をサルに適用して発達
促進の実験モデル開発を進めた。特に、予後と相関することが知られている模倣獲得に注目し、模倣しないこ
とが定説であったニホンザル 3 頭に 20 種類以上の模倣課題を習得させることに成功した。さらに、「ABA によ
る治療効果が、試行ごとに生じるドパミン放出を原因として大脳基底核と大脳皮質で並行して生じる」という
作業仮説を検証するために、ドパミン放出を計測するためボルタメトリ法の特殊な電極を開発し、サルの線
36
条体から報酬応答を検出することに成功した。
4. 事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
本研究は自閉症という現代社会で大きな問題となっている疾病の治療に使われる ABA の有効性を検証し、
さらにその発達促進の脳内メカニズムの解明を目指した挑戦的テーマである。
本研究チームは、中野グループと瀬川グループが自閉症患者を対象に ABA の有効性を検証し、北澤グル
ープが1)ABA 治療効果を客観的に評価する指標の開発、2)ABA の手法をサルに適用して発達促進動物
モデルの開発および開発した動物モデルを用いた発達促進の脳内メカニズムの解明を分担した。
ABA の有効性検証は、患者で行うという困難な研究であったが発達速度に関して高密度治療群とコンサル
テーション群の間に有意差はなく、非 ABA 治療群は有意に低いという結果が得られた。現時点では、検討例
数が少なく慎重に判断しなければならないが、ABA に基づく治療訓練を受けた親が専門家のコンサルテーシ
ョンを受けながら ABA を実施するという治療モデルの有効性を示唆するデータは大変興味深い知見である。
治療効果を評価するための客観評価指標の開発では、約 80 秒のビデオ画像を見る際の視線位置の時系
列データから定型発達群と自閉症群を分離する定量指標を導くことに成功した。またスリット視の研究で自閉
症成人は部分的な情報を総合して全体像をつかむ能力に障害があることを示す証拠を発見した。
発達促進の実験動物モデル開発研究では、ニホンザル 3 頭に 20 種類以上の模倣課題を習得させることに
成功した。現時点では新しい行動をすぐに真似できる般化の傾向は認められないが、本研究からサルの模倣
獲得速度は自閉症児の初期の模倣の学習速度に比べ圧倒的に遅いこと、サルは事物を使った模倣の獲得
に比べ粗大運動の模倣の獲得に大きな困難を示すことを明らかにした。さらにドパミンを計測できるボルタメト
リ法を開発し、サルの線条体から報酬応答を検出することに成功した。
本研究チームは、研究代表者のリーダーシップのもと、初期の研究目標達成に向け有機
的に統合し、質の高い優れた成果をあげたことは高く評価できる。
これらの研究成果は、原著論文(国内17件、国際24件)、招待講演(国内50件、国際13件)、口頭発表(国
内 3 件 、 国 際 1 件 ) 、 ポ ス タ ー 発 表 ( 国 内 3 3 件 、 国 際 3 3 件 ) で 公 表 さ れ た 。 論 文 発 表 は 、 Nature
Neuroscience をはじめ定評のある学術雑誌に着実に発表しており高く評価できる。また、特許がでにくい研
究テーマにもかかわらず5件の国内特許出願を行ったのは評価できる。本研究成果の一部はマスメディア(新
聞・テレビ)でも紹介された。(13件)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
ABA 検証研究で得られた知見は、ABA による自閉症治療効果に関する我が国初の科学的データとして
貴重であり、今後、自閉症児の発達促進を促す方法の改善につながることが期待される。特に、ABA に基づ
く治療訓練を受けた親が専門家のコンサルテーションを受けながら ABA を実施するという治療モデルの有効
性の発見は、慎重な解析が必要ではあるが、自閉症に限らず発達障害児の支援計画を設計し実践する際の
示唆を与える極めて貴重な知見である。
本研究で ABA 治療に参加した患者を追跡調査することで、ABA の評価検証が更に進むことが期待される。
また、定型発達群と自閉症群を視線計測に基づく客観指標により区別できることを示した本成果は、自閉症
の早期スクリーニング方法として期待される。
本研究で模倣に近い行動を訓練したサルを使って、今後「模倣」に関する神経メカニズムの解明が進めば、
模倣が苦手とされている自閉症のメカニズムの解明、治療法改善に示唆を与えることが期待される。
37
4-3.総合的評価
本研究はこれまで良く知られている遺伝学的アプローチとは異なる新しい研究戦略に基づき基礎から臨床
にいたる学際的なチームを編成し質の高い優れた成果をあげたことは高く評価できる。特に、ABA に基づく
治療訓練を受けた親が専門家のコンサルテーションを受けながら ABA を実施するという治療モデルの有効
性を示したことの社会的意義は極めて大きい。今後、ABA 治療に参加した自閉症患者の追跡調査を含め、
本研究を継続することで自閉症の早期診断、予防、治療法の改善などに示唆を与える社会的インパクトのあ
る成果が期待できる。
なお、ABA の検証研究では、スタッフが月曜から土曜まで自閉症児の家庭を訪問し午前 3 時間、午後 3 時
間、最大週 30~40 時間の個別訪問指導を2年間行ったのをはじめ、新人 ABA セラピストの訓練、自閉症児
の親への ABA 治療訓練・コンサルテーションの継続実施、自閉症児の幼稚園通園時の付き添いなど、研究
員、スタッフの長期間におよぶ大変な努力により可能となったものであり、これらの努力も高く評価したい。
以上
38
研究課題別事後評価結果
1.研究課題名: ドーパミンによる行動の発達と発現の制御機構
2. 研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点)
研究代表者
小林 和人(福島県立医科大学 医学部附属 生体情報伝達研究所 教授)
主たる共同研究者
高田 昌彦(京都大学 霊長類研究所分子生理研究部門 教授)
宮地 重弘(京都大学 霊長類研究所行動神経研究部門 行動発現分野 准教授)
籾山 俊彦(東京慈恵会医科大学 医学部 薬理学講座 教授)
那波 宏之(新潟大学 脳研究所分子神経生物学分野 教授)
曽良 一郎(東北大学 大学院医学系研究科 神経・感覚器病態学講座 教授)
3. 研究実施概要
ドーパミン神経系は大脳皮質前頭前野と大脳基底核をめぐる神経回路の機能調節を介して行動の発現や
組織化を制御する。ドーパミン神経系の活動は発育期の脳に影響し、行動の学習や発達制御に極めて重要
な役割を担い、この回路異常は統合失調症や注意欠陥多動性障害(ADHD)などの発達障害に結びつくこと
が知られている。本研究では、先端的な遺伝子改変技術を利用し、げっ歯類から霊長類(サル)までを対象と
した総合的研究をとおして、ドーパミンによる行動の発達と制御の神経機構およびドーパミン神経とそれに依
存する神経回路の形成と発達の分子機構の解明に取り組んだ。
これまでに得られた主要な成果は以下のようにまとめられる。
① 小林グループは、イムノトキシン細胞標的法を中心とした最先端の遺伝子改変技術により、ドーパミン神
経伝達に依存し、行動を制御する神経回路の仕組みの解明、特に、中脳ドーパミン系が主要な役割を持
ち、前頭皮質、線条体、側坐核が関与する運動や学習の制御を制御する神経回路の機構の解明に取り
組んだ。また、イムノトキシン細胞標的法を発展させ、特定ニューロンタイプの神経伝達を一過性に抑制
するための新しい遺伝子改変技術(イムノテタヌストキシン伝達抑制法)を開発し、線条体投射路の機能
解析に応用した。さらに、霊長類の脳神経回路の研究に発展させるために、高頻度な逆行性輸送を示す
新規レンチウイルスベクター系を世界に先駆けて開発し、これを応用した特定神経回路の機能解析技術
へ発展させた。このベクター系は、げっ歯類および霊長類においてドーパミン系が関連し、行動制御に重
要な役割を担う神経ネットワークの仕組みの解明に有益なことを示した。
② 高田グループは、小林グループと連携して優れた逆行性輸送能を有するレンチウイルスベクターを開発
し、それを用いたサル脳への遺伝子導入を行い、イムノトキシン神経路標的法を確立した。また、サル脳
内に正確なベクター注入を行うため、MRI ナビゲーションシステムを利用したベクター注入技術を確立し
た。これらの技術を利用して、中脳から大脳基底核や前頭前野に投射するドーパミン神経路を選択的に
除去したサルを作製し、この神経回路が報酬に基づく強化学習にどのように関与するかの研究に取り組
んだ。宮地グループは、高田グループと共同して、サルを用いた研究を担当した。
③籾山グループは、ラット・マウス脳スライスを用いた電気生理学的解析に取り組み、前脳基底核アセチルコリ
39
ン性ニューロンへのシナプス伝達機構、興奮性シナプス伝達におけるドーパミン D1 型受容体と P/Q 型カルシ
ウムチャネルとの選択的共役、その共役の生後発達変化を明らかにした。
④那波グループは、種々の神経栄養因子を検索して新規に中脳ドーパミン神経細胞に直接作用する可能性
を持つ因子として上皮成長因子(EGF)とニューレグリン 1(NRG1)の生理活性を培養系で明らかした。これら
の神経栄養因子は、末梢から未熟な脳血液関門を通って中枢神経系に作用し、中脳ドーパミン神経の発達
と軸索走行を障害することにより、プレパルスインヒビションや社会行動異常などの認知行動変化を引き起こ
すことを実証した。
⑤曽良グループは、ドーパミントランスポーターを欠損したドーパミン神経伝達過剰マウスを ADHD の動物モ
デルとして用い、前頭前野皮質においてノルエピネフリンによるドーパミン神経伝達の制御が本疾患の病態
へ関与していることを示唆する結果を得た。
4. 事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
本研究では、まずドーパミン神経系解析システムの開発に取り組み、国際的にトップクラスの新規な標的神
経細胞機能制御法および遺伝子改変モデル動物の開発に成功したことは高く評価できる。具体的には、1)
特定ニューロンタイプの神経伝達を一過性に抑制する新しい遺伝子改変技術(イムノテタヌストキシン伝達抑
制法)の開発、2)サルの脳内に適用するために高頻度に遺伝子導入を可能とする融合糖タンパク質を用い
た新規逆行性輸送レンチウイルスベクター系の開発、3)サルの脳内に正確に遺伝子導入するための MRI ナ
ビゲーションシステムを利用したベクター注入技術の確立、などいずれも革新的技術である。これらの技術を
用いて、げっ歯類モデルを作製しドーパミン伝達が関係する行動制御の神経回路機構の解明に取組み1)薬
物誘導性の運動亢進作用における視床下核の役割、2)弁別学習における線条体黒質路・淡蒼球路の役割、
3)逆転学習における線条体コリン作動性介在ニューロンの役割など、ドーパミン神経系に依存する学習や経
験に基づく行動の獲得、発現、制御の基盤となる神経機構について多くの知見を得た。
本研究チームは6グループから構成され、中間評価の段階ではグループ間の連携が懸念されたが、その
後、研究代表者のリーダーシップのもと役割分担の明確化、連携強化がなされ、また当領域の大隅チームと
合同で研究会を開催し相互研鑽を行うなど、CREST の特徴を活かし、当初の計画に沿ってチームとして優
れた成果をあげたことは高く評価できる。
これらの研究成果は、原著論文(国内0件、国際103件)、招待講演(国内53件、国際14件)、口頭発表(国
内3件、国際1件)、ポスター発表(国内135件、国際86件)で公表された。論文発表は定評ある学術雑誌に
着実に発表しており質、量ともに高く評価できる。新規なレンチウイルスベクター系に関する特許出願(国内 3
件、海外1件)は高く評価できる。また、本研究成果はマスメデイア(新聞)でも紹介された。(5件)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
本研究で確立したげっ歯類からサルまで適応可能なドーパミン神経系解析システムは国際的にトップレベ
ルのもので、既に多くの研究グループに提供するなど神経科学や脳神経疾患の研究の発展に大きく貢献す
るもので高く評価できる。特に、新規な逆行性輸送レンチウイルスベクター系を用いて、サルの黒質線条体系
や皮質視床下核系などにおいて、特定の神経回路の選択的除去に成功したことは、これまで解析手法の限
40
られていた霊長類の高次脳機能の解明に革新的なアプローチをもたらすものである。さらに遺伝子導入効率
を格段に向上させた逆行性輸送レンチウイルスの開発は、遺伝子治療技術への応用につがることが期待され
る。
これまで脳の深部に位置し研究が困難であったドーパミン神経路を分子レベルで追求可能な独創的な技術
開発を行いドーパミン系の機能についての理解を進展させたことは、将来ドーパミン神経系の異常によるとさ
れている統合失調症、自閉症や ADHD などの病態理解につながるもので領域の戦略目標の達成に大きく貢
献するものである。
4-3.総合的評価
ドーパミン神経系の機能解析に焦点を絞って多面的チームを編成し、チームとしての効果を十分に発揮し
質の高い優れた成果をあげたことは高く評価できる。特に、本研究で開発したサルに適応可能な遺伝子導入
効率を飛躍的に向上させた新規逆行性輸送レンチウイルスベクター系は霊長類を用いた高次脳機能解明の
有力なツールとして神経科学や脳神経疾患の研究、治療の発展に大きく貢献することが期待できる。
以上
41
研究課題別事後評価結果
1. 研究課題名: 大脳皮質視覚連合野の機能構築とその生後発達
2. 研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点):
研究代表者
藤田 一郎(大阪大学 大学院生命機能研究科認知脳科学研究室 教授)
主たる共同研究者
吉村 由美子(自然科学研究機構 生理学研究所 教授)
Guy N. Elston(Centre for Cognitive Neuroscience, Australia, Director)
3. 研究実施概要
心のできごとの多くは大脳皮質の正常な発達と働きに依存する。大脳皮質の神経回路やその発達に関する
研究の多くはげっ歯類で行われ、非ヒト霊長類における知見は非常に乏しい。ヒト脳の発達とその異常の理解、
ヒトの病態を真に反映した精神・神経疾患モデル動物の作成、創薬や iPS 細胞治療法開発における非ヒト霊長
類の知見の意義を考えると、この大きな空白を埋めることは、心のできごとを支える脳のしくみを明らかにすると
いう科学的課題としてのみでなく医学的応用にとっても重要である。本研究では、サルの大脳皮質視覚野とその
関連領域に焦点をあて、神経細胞の生理学的性質(視覚反応性と細胞膜の電気生理学的性質)と形態、局所
神経回路、機能構築、およびこれらの生後発達過程の解明を目指した。これまでに得られた主要な成果は以下
のようにまとめられる。
1)視覚反応性の生後発達
①ニホンザル視覚連合野(TE)の神経細胞の視覚反応性は生後の長期にわたって徐々に成熟し、7ヶ月齢
でもまだ成体型の反応にはならない。一次視覚野(V1)の発達はそれにくらべて早い。
2)電気生理学的性質の領野間比較と生後発達
①成体の V1 細胞は TE 細胞に比べて以下の特徴を示した。膜時定数が短い、入力抵抗が高い、脱分極性
サグ電位が大きい、活動電位幅が短い、活動電位閾値が低い、発火順応が強い、最大発火頻度が高い、注
入電流への感受性が高い。すなわち、V1 は TE よりも、入力の時間変化に対して敏感にかつ広いダイナミッ
クレンジで情報を伝えることのできる性質を有している。
②V1、TE とも出生直後は速い時間情報を伝えることができないが、1年以上かけて高い時間精度を持つよう
に成熟する。膜時定数・脱分極性サグ電位・活動電位幅・発火順応・最大発火頻度・注入電流への感受性が
生後変化を示し、この変化は V1 で先に起こる。
③この生後発達変化の結果、V1 細胞はバンドパス時間フィルター特性を持つようになり、一方、TE 細胞はロ
ーパス時間フィルター特性を示す。
3)細胞形態の領野間比較と生後発達
①上記の機能発達と電気生理学的性質の発達は、樹状突起やスパインの形成と刈り込みを伴っている。スパ
イン密度と総数は V1、V2、V4、TEO、TE、前頭葉 12 野すべてで、生後3-4ヶ月の時に最大となり、その後、
減少に向かう。スパインの形成と刈り込みの程度は領野により大きく異なり、V1、V2、V4 の細胞は誕生時、成
体よりも多くのスパインを持ち、一方、TEO、TE、12 野では成体の細胞の方が多くのスパインを持つようにな
る。
②樹状突起の広がり、分枝は出生直後にすでに領野間差異を示す(高次領野ほど大きく、枝分かれが多い)
が、その後、領野特異的な発達過程を経て成体型の特徴を獲得する。
③TE 細胞は V1 細胞に比べ、スパイン密度が高く、スパインの平均サイズとサイズのばらつきが大きい。この
違いは両領野の神経回路の情報容量の違いとして反映されていると思われる。
4)局所神経回路の領野間比較と生後発達
①3層錐体細胞に生じるシナプス電流の時間経過は V1 の方が TE に比べて速い。また、シナプス入力分布
にも違いがある。シナプス電流の時間経過は顕著な生後変化を示さない。
42
5)2光子イメージング法の霊長類大脳皮質への適用
①2光子イメージングを霊長類へ適用する技術開発を行い、V1 と V4 への適用に成功した。
②カルシウムシグナルに逆相関法を適用して、V1 細胞の受容野構造を決定した。
4. 事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
本研究は、サルの大脳皮質に存在する多くの視覚領野が、それぞれどのような構造的、機能的特徴を持つか
を明らかにし、それらの特徴が発達する過程の解明を目指したものである。
本研究チームは藤田グループが、1)視覚連合野細胞の視覚反応性と生後発達の解明、及び2)2光子励起
イメージング法のサル大脳皮質への適用技術の開発研究を分担するとともにチーム全体を統括した。吉村グル
ープはサル大脳皮質スライス標本を用いたケージド化合物による局所刺激法の開発、それを用いて大脳皮質
内局所回路の入出力関係の解明を、Elston グループはホルマリン軟固定大脳皮質細胞への蛍光色素注入法
を用いた樹状突起の可視化技術の開発、それを用いて樹状突起形態の生後発達の解明研究を分担した。
これまでに、当初の計画に沿ってサル大脳皮質へのインビボ2光子励起イメージング技術の確立、サル大脳
皮質スライス標本作製による神経細胞膜の電気生理学実験手法、脳軟固定組織標本における細胞内染色技
術、など高度な技術の開発を行い、十分な成果をあげたことは高く評価できる。
サルの大脳皮質の構造と個々のニューロンの持つ電気生理学的性質は、脳全体で一様ではなく、領野によ
って著しく異なることを見出した。例えば、一次視覚野ニューロンは入力の時間的変化に追従できる高い時間精
度を持つが、連合野ニューロンは入力の時間積分を行うのに適した電気生理学的性質を持っている。また、こ
の差異は出生直後にすでに存在するが、その後、一年以上の長期間にわたる発達過程を経て成体型へと成熟
していくことを明らかにした。
また、サルの大脳皮質の神経回路の精密化の過程は、大脳皮質の中の領域によって異なることを明らかにし
た。具体的には高度な情報処理に関わる大脳皮質の部位ほど、生まれた時から多くのシナプスを持ち、生後に、
より多くのシナプスを形成し、さらにその後、より多くのシナプスが刈り込まれることを突きとめた。
本研究チームは、それぞれ高い技術を持つ共同研究者が明確な役割分担のもとに編成されている。研究開
始後は研究代表者のリーダーシップのもと各グループがそれぞれに質の高い成果をあげ、研究代表者の目標
達成に大きく貢献したことは高く評価できる。特に Elston グループとの共同研究は極めて効果的であった。
これらの研究成果は、原著論文(国内 0 件、国際27件)、招待講演(国内23件、国際13件)、口頭発表(国内
16件、国際3件)、ポスター発表(国内43件、国際44件)で公表された。論文発表は、定評のある学術雑誌に着
実に発表しており高く評価できる。特許出願(国内1件、海外0件)。本研究成果はマスメデイア(新聞・テレビ)で
広く紹介された。(43件)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
サル大脳皮質各領野における神経細胞の形態と機能の相違及びその生後発達の解析の重要性は以前より
認識されてはいたが、技術的困難さのため十分な研究がなされていなかった。本研究では、極めて難度の高い
実験手法の開発に取り組み、インビボ2光子励起イメージング法のサル大脳皮質への適用に成功したのをはじ
め、複数の革新的な技術を開発したことは高く評価できる。
これらの高度な技術を駆使して、1)大脳皮質視覚経路を構成する様々な領野は、特有の視覚反応特性と入
出力を持ち、これらの領野は細胞レベルさらには樹状突起スパインレベルにおいて特化していることを発見し、
2)その違いは出生時にある程度存在するもののその後の領野特異的な発達過程を経て、領野特異性が強調さ
れた成体型形質を獲得することを明らかにした。
本研究の成果は、これまでよくわかっていなかったサル大脳皮質視覚野の機能構築とその発達メカニズムの
解明の突破口となるもので、神経科学分野の進展に大きく貢献することが期待される。
4-3.総合的評価
43
技術的に困難な課題に挑戦し、インビボ2光子励起イメージング技術を適用しサルの大脳皮質
の活動の計測に成功したのをはじめ、複数の革新的技術を開発し、これまでよくわかっていなか
ったサル大脳皮質視覚野の機能構築とその発達メカニズムについて、新規性の高い知見を明ら
かにしたことは高く評価される。本研究でサルへの適用に成功したインビボ2光子励起イメージン
グ技術は国際的にもほとんど類を見ず、最先端技術としてさらなる発展が期待される。
研究代表者は CREST 研究期間を通じて小中高生、一般市民、教職員などを対象に脳科学研
究のアウトリーチ活動を積極的に行ったことは評価できる。
以上
44
研究課題別事後評価結果
1. 研究課題名: 脳発達を支える母子間バイオコミュニケーション
2. 研究代表者名及び主たる研究参加者名(研究機関名・職名は研究参加期間終了時点):
研究代表者
和田 圭司(国立精神・神経医療研究センター 部長)
主たる共同研究者
吉川 正明(大阪大学大学院工学研究科 フロンテイア研究センター 特任教授)
3. 研究実施概要
胎児・乳児脳の健やかな発達には母子間のふれあいが重要であるという認識は一般に広く受け入れられて
いるが、科学的に見た場合、その物質的な実体は明らかでなく科学的根拠が十分でないことから、その解釈
は多様で、時に俗説が流布する素地を作っている。
本研究では、母体由来の生理活性物質が胎児・乳児脳に作用しその健やかな発達に寄与することを動物・
ヒトにおいて実証し、母子間に存在する物質的コミュニケーションの実体解明を行う。すなわち、胎児・乳児脳
の健やかな発達に関して科学的根拠を提出し、さらにはヒト脳の健全な発達に寄与する新規の医学的根拠を
提供することを目指した。
これまでに得られた主要な成果は以下のようにまとめられる。
1)母子伝達物質の同定:計6種の母子伝達物質を同定した。
①母体から胎児へ伝達される物質
・ グレリン:妊娠中ストレス環境下で飼育した母体胎仔の G 蛋白質共役型受容体遺伝子発現とその内在
性リガンドの母体から胎仔への移行性を解析した結果、グレリンは移行する生理活性物質であるこ
とをマウスで見出した。妊娠時のグレリン連続投与実験から、グレリンは産仔の生後のストレス反応
性に関与することが示された。
・ Brain-Derived Neurotrophic Factor(BDNF):BDNF 欠損ヘテロマウスの交配による胎仔の解
析からホモ接合体胎仔においても BDNF が存在することが示され、母体側 BDNF が胎仔に移行
することを見出した。
②母乳・牛乳から乳児へ伝達される物質
・ -ラクトテンシン:牛乳-ラクトグロブリンの消化により派生するβ-ラクトテンシンがニューロテンシン NT2
受容体のリガンドであること、及び学習促進作用、抗不安作用を示すことをマウスで発見した。経
口投与でも有効であり、-ラクトテンシンを含有する機能性食品の開発に今後結びつける。
・ Tyr-Val-Leu-Ser-Arg(YVLSR):牛乳・-カゼイン由来の YVLSR が経口投与で抗不安作用を示すこ
とを見いだした。中枢のオピオイド系を間接的に活性化する結果を得ており、本ペプチドにも学
習促進作用が期待される。また最近、摂食調節作用に関わる作用も見いだしたので、本ペプチド
の実用化に向け国内特許出願を済ませ、さらに国際特許申請の手続きを進めている。
・ ラクトメジン1:ヒト母乳の主要タンパク質ラクトフェリンに由来する低分子の補体 C5a 受容体アゴニストペ
プチドで、経口投与により免疫促進作用と抗不安作用を示すことを見出し、免疫系と神経系の新
しいクロストークを明らかにした。ラクトメジン 1 はヒトラクトフェリンの一次構造中にのみ存在し、ウシ
型ラクトフェリンには存在しない。現在、ウシ型ラクトフェリンが粉ミルク中に添加されているものもあ
45
るが、ウシラクトフェリンからはラクトメジン1に相当する補体 C5a 受容体アゴニストペプチドは派生
しない。今後、本ペプチドが乳児の脳機能発達にどのように寄与しているか詳細な検討が重要で
ある。
・ ラクトプリル:すべての哺乳動物のラクトフェリンから派生する新規のアンジオテンシン変換酵素阻害ペ
プチドであるが、今回、マウスに対する記憶増強作用を同定した。
2)母体の生活習慣、特に食環境が子の脳機能発達に影響することを見いだした。
①高脂肪食飼育
妊娠前から離乳まで高脂肪食で飼育した雌マウスの産仔は幼若期に海馬における過酸化脂質の蓄積、
BDNF の発現低下、神経新生の低下を示すことを見出した。新生神経細胞の樹状突起の形状も変化して
おり、空間学習能も獲得過程に遅延を認めた。ただしこれらの変化は可逆性を有しており、産仔が通常食
を取った場合は成体期には諸変化は消失した。
②食餌制限
授乳中の雌マウスを70%の摂餌量制限で飼育した場合、産仔は幼若期から成体期にかけて不安様行
動の増加を示すことを見出した。なお、この変化も可逆性で産仔が通常食を取った場合は成体期以後に不
安様行動の変化は認めなかった。
③Enriched 環境
妊娠前から母体を enriched 環境下で飼育すると胎仔の海馬における神経新生が特に雌で影響を受け
ることを見いだした。行動についても不安様行動の亢進が特に雌で示唆された。この原因・機序は現時点
ではまだ不明であるが、脳機能発達の性差(sexual dimorphism)を考える上で重要であると考える。
4. 事後評価結果
4-1.研究の達成状況及び得られた研究成果(論文・口頭発表等の外部発表、特許の取得状況等を含む)
本研究では、母体由来の生理活性物質を介した母子間コミュニケーションが胎児・乳
児の脳機能発達に影響を及ぼすという新しい視点に立って、主に物質面から、動物、ヒトで科学的検証を加
えることを目指したものである。具体的には、1)母体由来生理活性物質(母子間伝達物質)の同定・解析を行
うとともに、2)母体の生活習慣、特に食環境の影響について検証を加えた。
本研究チームは、和田グループが全体の研究を統括し、吉川グループが母子伝達物質の中のヒト母乳お
よび大型動物乳腺分泌物由来の物質の同定・解析を分担した。
これまでに、母子間の物質的コミュニケーションを担う生理活性物質の同定に取り組み、グレリン、脳由来神
経栄養因子(BDNF)、-ラクトテンシン、YVLSR(牛乳-カゼイン由来の低分子ペプチド)、ラクトメジン1およ
びラクトプリルの6種類の同定に成功した。マウスを用いた実験でグレリン、BDNF が妊娠中の母体から胎仔
に移行することを見いだし、グレリンは産仔の生後のストレス反応性に影響を及ぼすことを明らかにした。また、
ノックアウトマウスを用いて BDNF が母子間伝達物質であることを明らかにした実験手法は評価できる。
マウスを用いた研究で、牛乳由来の YVLSR が経口投与で不安様行動を軽減すること、牛乳由来の-ラク
トテンシンが経口投与で学習促進作用、抗不安作用を示すこと、ヒト母乳由来の低分子ペプチドであるラクトメ
ジン 1 は経口投与で免疫促進作用と抗不安作用を示すこと、さらに、すべての動物のラクトフェリンから派生す
るラクトプリルが学習促進作用示すことを見いだした。
46
一方、母体の摂食量やその内容と胎仔の脳機能発達について解析した結果、1)妊娠前から離乳まで高脂
肪食で飼育した雌マウスの産仔には、幼若期に海馬における過酸化脂質の蓄積、BDNF の発現低下、神経
新生の低下、新生神経細胞の樹状突起の形状変化、さらには幼若期において空間学習能の獲得過程に遅
延が認められること、などを見いだした。2)授乳中の雌マウスを70%の摂餌量制限で飼育した場合、産仔は
持続的な脳重量の低下を招き、また幼若期から成体期にかけて不安様行動が増加することを見いだした。
本研究でグレリンをはじめ研究代表者が当初定義した母子間伝達物質と呼べる物質を6種類同定、解析し
たことは評価できる。本研究により「母体由来の生理活性物質が胎児期・乳児期に作用し、生後の行動発達
などに影響を与える」とする研究代表者の計画時の仮説を支持する成果が得られており、今後の発展が期待
される。
これらの研究成果は、原著論文(国内0件、国際22件)、招待講演(国内13件、国際0件)、口頭発表(国内
15件、国際5件)、ポスター発表(国内30件、国際7件)で公表された。論文発表は学術雑誌に着実に発表し
ており評価できる。YVLSR に関する国内特許出願(国内1件)は評価できる。本研究成果の一部はマスメディ
ア(新聞)でも紹介された。(5件)
4-2.研究成果の科学技術や社会へのインパクト、戦略目標への貢献
これまで胎教や母体環境の子供の脳発達に及ぼす影響などに関する科学的データはほとんどなかった。本
研究では母子間バイオコミュニケーションという全く新しい概念に基づき未開拓の研究分野を立ち上げ、母子
間生理活性物質を同定する実験手法を開発し、それを用いて得られたデータは貴重な成果として、今後、こ
の分野の発展に大きく貢献するものと期待される。特に、母子間生理活性物質としてのグレリン、BDNF の発
見は、母子間バイオコミュニケーションという新しい概念の研究発展の突破口となるもので評価できる。また、
牛乳由来の YVLSR が抗不安様作用をもち、経口投与(マウス)で有効であることを確認し、その作用機序を
解明した成果は大変興味深く、今後、サル、ヒトでのさらなる検証が必要であるが、将来臨床応用につながる
ことが期待される。
一方、高脂肪食摂取で飼育した雌マウスの産仔は、海馬に酸化脂質の顕著な蓄積が認められ様々な脳機
能変化が観察されること、また授乳中の雌マウスを70%の摂餌量制限で飼育した場合、産仔は幼若期から成
体期にかけて不安様行動が増加することを明らかにした。これらの知見は、母体の食習慣が子供の脳発達に
及ぼす影響を分子レベルで明らかにした初めてのもので社会的意義のある成果である。
4-3.総合的評価
母子間バイオコミュニケーションという新しい概念に基づき未開拓の研究分野を立ち上げ、研究計画に沿っ
て研究手法を確立し母子間生理活性物質を6種類同定したこと、さらに母体の食習慣が子供の脳発達に
様々な影響を与えることを分子レベルで初めて示唆した成果は評価できる。サル、ヒトでの研究に遅れがある
ものの新規に同定された母子間生理活性物質はいずれも興味深い物質であり、今後、これらの物質のヒトで
の解析が進むことで、社会的インパクトのある成果が期待される。
研究代表者が提案した母子間バイオコミュニケーションという概念は重要で、本研究成果がきっかけとなり、
今後この分野の研究が発展し、長い経験に基づいて行われてきた「子育て」に科学的示唆を与えることが期
47
待される。
本研究成果に対する一般の関心は非常に高いと思われるので、成果の発表に際しては誤解を生じないよう
に慎重な配慮が望まれる。
以上
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