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「仏教の女性観」. - J

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「仏教の女性観」. - J
仏 教 の女 性観
仏 教 は男 女 平 等 論 を 主張 す る の か、 は た ま た 男尊 女 卑 を 主
唱 す る 女 性 蔑 視 論 に 立 つのか は、 今 日 でも議 論 の分 か れ る と
ころ であ る。 釈 尊 は、 バ ラ モ ンの カ ー ス ト制 打 破を 唱 え、 人
類 は す べ て平等 で あ る と いう 原則 に 立 つて仏 教 を説 か れた と
(1)
香
川
孝
雄
く て、 あ る部 分 に は男 女 平 等 論 ら し く説 か れ て いる が、 ま た
他 の部 分 に は女 性 蔑 視 の ご とき論 も 出 て い るO そ こ で全 仏 教
の上 か ら、 こ の問 題 を 再 検 討 し よ う と思 う。
二
原始 経典 で男 女 平 等 を 説 いた も のと し て常 にあ げ ら れ る の
は、 パ ー り ﹃相 応 部 ﹄ の 一文 であ る。
と、実 にこの車によ って浬繋に至る であろう。
釈尊 は、かく のごとき車に乗る人は、女であ ろう と、男 であ ろう
いう。 し か ら ば 当然、 男 も 女 も平 等 の地 位 が認 めら る べき で
あ る が、 実 際 に仏 典 を経 く 限 り で は、 必 らず し も そう とば か
で女 性 は 男性 よ りも 低 い立場 で説 か れ て いる と こ ろが 多 い。
る と か、 女 性 に は障 り (五障)があ る と か、 そ の 他、 種 々の形
マー尼 は、 悪 魔 の誘 惑 であ る こと を 知 つて
とが で き な い と い つて禅 定 より 立 た し め よ う と す るが、 ソー
で は いく ら修 行 し ても 聖 者 に よ つ て達 せ ら れ た地 位 を 得 る こ
と説 か れ た。 また 悪 魔 波 旬 は禅 定 に ふ け る ソー マー尼 に、 女
(4)
り は 説 か れ てい な い。女 性 は 男性 に随 従 (三従)する も の であ
こ れら の こ と から 岩 本 裕博 士 は ﹁仏 教 は フ ェミ ニスト でな い
(2)
こ と は事 実 であ る﹂ と断定 さ れ た。 し か し ま た 横超 慧 日博 士
(5)
心がよく静まり、智慧があらわれたならば、
(3)
の よう に ﹁こ れら の こ とは、 男女 不 平 等 に対 す る自 覚 と 云う
正 しく 法 を 見 る も の に、 女 性 た る こ と に何 の障 り があ ろう か。
(6)
と 反論 し て いる。 こ の説 は ﹃長 老 尼 偶 ﹄ に も あ つて、 当時 の
四五
べき で、 女 性 解 放 の叫 びであ る﹂ と いう 見 方 も 出 てく る。 彪
川)
大 な仏 典 の中 に は、 統 一し た見 解 が 説 か れ て い る わけ で はな
仏 教 の 女性 観 (
香
-542-
し て、 比 丘 尼 は約 三 百 五十 戒 が 課 せ ら れ てい る。 そ れ でも な
四六
お 女 人 の出 家 を 許 し た が た め に、 正 法 が 千年 続 く はず の と こ
(8)
イ ンド社会 の女 性 蔑 視 に対 し て仏教 が これ に対 抗 した 発 言 と
川)
受 け と れ よう。 これ に対 し て女 性 の地 位 を低 く 見 て いる も の
ろ、 五百 年 減 じ て、 わ ず か に 五 百年 続 く の み とな つた と述 べ
仏 教 の 女性 観 (香
は公 平 に見 て平 等 論 より も は る か に多 い。 そ の例 を いく つか
母、 ゴ ー タ ミ ーが 出 家 を 懇 請 し た が、 な か な か許 さ れず、 ア
仏 とな る こ とが でき な いと いう の であ る。
説 かれ、 五障 と は、 女人 は 梵 天 王、 帝 釈、 魔 王、転 輪 聖 王、
それ は何 故 か と いう に、 女 性 には 五 障 があ るか ら で あ る と
(10)
ら れ て いる。
ー ナ ンダ の とり な し に よ つて 不 本意 な が ら 八敬 戒 を 守 る こ と
(9)
あ げ る なら ば、 ま ず 比 丘 尼 教 団 の成 立 事 情 があ る。 釈 尊 の養
を条 件 とし て女 性 の出 家 が認 め ら れた。 そ の八敬 戒 の内 容 を
(11)
さら に 女性 には 三 従 の掟 があ つ て、 女 性 の全 生 涯 は 男性 に
服 従 す べきも のと さ れ て いる。 これ は 中国 の儒 教 倫理 に顕 著
見るに
1 比丘尼 は半 月ごとに比 丘の指導を受けるべき である。
にあ ら わ れ て いる も の であ る が、 イ ンド の ﹃マヌ法典 ﹄ に も
このよ う に相 矛 盾 す る 説 が 述 べら れ て いる こと は、 そ の背
普 賢 行願 品﹄ な ど にも 説 か れ て い る。
(17)
とあ り、 そ の他 ﹃玉 耶 女 経 ﹄﹃法 句響 喩 経﹄﹃賢 愚 経﹄ ﹃華 厳 経
(14)(15)(16)
い、老 い ては則 ち 子 に従 う。
(13)
女人の礼 は幼にしては則 ち父 母に従い、少に し て は則 ち 夫 に従
(12)
2 比丘に従 って安居 をなす べきである。
比丘を罵 つてはならない。
こ の思 想 があ ら わ れ て いて、 一概 に中 国 思 想 の影 響 と は 云 え
比丘の罪をあげ、過 ちを説 いてはならない。
3 安居 が終 れば自 恣 の人を 比丘のなかに求 むべき である。
5
軽罪を犯 したときは、比丘に従 つて繊悔すべき である。
な いふ し があ る。 ﹃智 度 論 ﹄ に は
6
4 比丘に従 つて且ハ
足 戒を受 けるべきである。
7
8 出家受戒 してから百年を経 た比丘尼 であ つても、今 日受戒 し
(7)
が 複雑 に か ら みあ つ て いる こ と に帰 因 す る と思 わ れる。 そ こ
景 とな つた時 代、 地 域 の社 会 に おけ る慣 習 と のか かわ り 合 い
た比 丘を礼す べきであ る。
の八 で あ つて、 釈 尊 が 教 団 を 統 制 する た め に、 ま た風 紀 の乱
へ仏 陀 観 の発 達 が あ り、 覚 り を 得 たも の は誰 でも仏 陀 であ る
れを 憂 慮 さ れ こ と に 帰 因 す る こと もあ ろう が、 と も か く 比 丘
尼 は常 に比 丘 に従 属 す べき も のと いう 考 え が 基 本 に な つ て い
と す る考 え から す れば、 男 性 と同 じく 女 性 も 仏 陀 たり う る は
ず である。 ここ に仏 は 男 性 忙根 る と す る立 場 と、 女 人 も 成 仏
る。
さあ 起此 丘 は 二百 五十 戒 を 保 つこ とが 規 定 さ れ て いる に 対
-543-
男 の思 想 であ る と考 え ら れ るO こ の代 表 的 な 説 は ﹃法 華 経 提
を 満 足 せ しめ る た め の苦 肉 の策 と し て説 かれ た のが、 転 女成
でき る とす る 立場 が相 対 立 す る こと とな る。 こ の両者 の 立場
敬礼 せり。
人天 のた めに説法をなすを見 て、心に大 いに歓喜 し、悉く遙 かに
竜八部、人、非人、皆遙かに彼の竜女成仏して、普ねく時 の会 の
に、妙法を演説 するを見る。爾 の時、娑婆世界 の菩薩、声 聞、天
く の であ る が、 舎 利 弗 は こ の こと を信 じ難 ぐ、 次 のよ う に述
八歳 の竜 女 です ら菩 提 心を 起 し て速 や か に成 仏 する こ とを 説
ら し め、 男 女平 等 の側 の主 張 を 文 殊 師 利 に 語 ら し め て、 結
と説 か れ て いる。 こ こで は 男尊 女 卑 の側 の主 張 を 舎利 弗 に語
(18)
婆 達多 品 ﹄ に 出 る竜 女成 男 の説 であ るO そ こ で は文 殊 師 利 が
べ て いる。
と転 女成 男 の思 想 が は つき り と説 か れ て いる。
と欲す れば、即ち男子 と作 る。
(22)
わが国中 に婦人、女人有る ことなからしめ、わが国中に来生せん
と は 云え な いが、 ﹃大 阿 弥 陀 経﹄ の第 二願 には
と 誓 わ れ て いる。 こ の文 で は積 極 的 に変 成 男 子 を 説 い て いる
を厭悪 せんに、寿終 の後、また女像 とならば、正覚を取 らじ。
(21)
女人あ つて、わが名字を聞 いて歓喜信楽 して菩 提心を発 し、女身
もしわれ仏を得 たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界 に、それ
成 男子 の願 と名 づ け ら れ て いる本 願 であ る が、 そ こ に は
(20)
法 然 によ つて 女人 往 生 の願 と 名 づけ ら れ、親 轡 に よ つて は変
(19)
人 往 生 の思 想 に も 通 じ て い る。﹃無 量 寿 経﹄ の第 三 十 五願 は
こ の転 女 成 男、 女 人 成仏 の思 想 は、 そ のま ま転 女 成 男、 女
は身 でも つ て示 め し た ので あ る。
局、 女 身 を 一旦 男 性 に転 じ て、 そ の後 に成 仏 す る こと を 竜 女
時に舎利弗 は、竜女 に語 つて言う。﹁汝 が久しから ずし て無 上道
を得ると謂う ことは信 じ難し。所以は何 ん。女身 は垢繊にし て、
是 れ法器に非ず。云何 んが能く無上菩提 を得 んや。仏道は懸暖に
して、無量劫を経 て、勤苦し、行 を積 み、具 さに諸度を修す。然
して後、乃ち成ずるなり。又、女人の身 に猶 お五障あり。 一には
梵 天王と作る ことを得ず。二には帝釈、 三には魔 王、四には転輪
あ たい
聖王、五には仏身 ︹と作る ことを得ず︺。云何 んが女身 にして、速
や かに成仏する ことを得んやと。
爾 の時、 竜 女 に 一宝 珠 有 り O 価、 三千 大 千 世界 に直 すO 持 し て以
たて
つて仏 に上ま つる。仏すなわ ち 之 を受 け たも う。竜 女は智積菩
薩、尊者舎利弗 に謂 いて言わく。﹁
我 れ宝珠を献 ず。世尊 納 受 し
たもう。是 の事疾なりや不や﹂。答う。﹁
甚 だ疾 し﹂。女言う。 ﹁
汝
の神力を以 って、我 が成仏を観ぜよ。復 た これより速やかなり﹂
これ ら の説 に よ る と、 女 性 にも 成 仏 ・往 生 の 可能 性 があ る
と。時に当り、衆会、皆竜女 の忽然 の間に変 じて男子と成 りて、
菩薩行を具し、即ち南方 の無垢世界に往 き て、宝蓮華に坐 し、等
四七
と いう こ と で全 人 類 の平 等 を主 張 す る 側 の論 者 を 一応 満 足 せ
川)
正覚を成じ、三十二相 八十種好あり、普 ねく十方 一切衆生 のため
仏 教 の女 性 観 (香
-544-
しめ る ばか り でなく、 他 方、 一旦 男 子 と な つて成 仏 ・往 生 す
根敗種子畢寛 じて生ぜず、女人残欠 の名字も亦た断 たんと、
説 く。 ⋮ ⋮ 我 が 国 土 を し て皆是 れ 大乗 一味、 平等 一味 なら し め、
四八
る と いう こと で、 仏 や浄 土 の衆 生 は 男 性 のみ であ る と いう 側
と し て、 女人 と根 欠 と二 乗 と は、 往 生 でき な い と 云う の では
川)
の論 者 を も 満 足 せ し め る こと と な る であ ろ うO 転 女 成 男 の説
な く て、 極楽 浄 土 に は女 人 及 び根 欠 な ど の名 字 も な い。 か の
仏 教 の女 性 観 (香
は、 お そら く こ の両 者 の主 張 を 傷 つけ る こ となく、 満 足 せ し
(26)
め る た め に発 生 し た説 であ ろ う と考 え る O こ の説 は イ ンド の
こ の解 釈 のた め に は転 女 成 男 の思 想 が介 在 し て いるも の と見
国 の衆 生 はす べて平 等 一味 で あ る と いう 義 に理 解 し て いる。
(23)
弥 陀 の本 願 力 によ る と さ れ て いるO し か し曇 鷲 にあ つ ても善
と説 か れ、 女 身 を 転 じ て 男子 と な つて往 生 する の は、 じ つに
云わぱ、これは是 れ妄説なり。信ず べからず。
(27)
を得 べからず。或 は道俗あ つて女人は浄 土 に生ずる ことを得ずと
力に因 らずんば、千劫万劫恒沙等 の劫 にも終 に女人を転ずる こと
の大会に入 つて無生を証悟す。又、 一切の女人は若 し弥陀 の名願
接 し、菩 薩は身 を扶け て宝華 の上に坐 し、仏 に随 つて往生 し、仏
命終 る時、即 ち女身を転じて男 子と成 ることを得 る。弥陀は手を
乃 ち弥陀 の本願 力に由るが故 に、女人は仏 の名号を称 して正しく
ま た 善 導 は ﹃観 念 法 門 ﹄ に
な く ては な ら な いQ
社 会 で は ︼応 成 功 し た模 様 で大 乗 経 典 の いた る と ころ に説 か
れ、 広 く仏 教徒 の間 に浸 透 し た よ う であ る。
三
中 国 にお け る仏 教 の女 性 観 は、 お お む ね 五 障、 三 従 の思 想
が 強 く 作 用 し て男尊 女 卑 の傾 向 にあ つた よう に思 わ れる。 と
く に著 し い のは 律 の系 統 であ る O た と え ば 道 宣 は そ の最 た る
も の で ﹃浄 心誠 観法 ﹄ 上 には、 誠 観 女人 十 悪 如実 厭 離 解 脱 法
よう に厭 う べき も の であ るか ら ﹁能 く 観 じ、 能 く遠 ざけ て浄
な る 一章 が あ つて、 そ こ には 女 人 の十 悪 を あ げ、 女人 は こ の
心を 得 よ﹂ と いう の が そ の趣 旨 であ る。 け れど も そ のよう な
導 にあ つても 男 女 が 現 世 に お い て対 等 の地 位 にあ ると いう の
(24)
それ ら は前 記 の転女 成 男 の思 想 に よ つ て 説 か れ る も の で あ
で はな い。 こ れを 現 世 にお い ても 平 等 の地 位 に位 せし め た の
女 性 蔑 視 論 ば か り で はな く、 女 人 成仏、 女 人往 生論 もあ り、
る。 た とえ ば 曇 鷺 は、 世 親 の ﹃往 生 論 ﹄ の女 人 と 及 び根 欠 と
は、 じ つに わ が国 の鎌 倉仏 教 に お い て であ つた O
(25)
四
二乗 と の種 は 生 ぜ ず の偶 を 釈 し て
仏もと何が故 ぞ此 の願を興 されたる。あ る 国 土を 見 る に仏、 如
来、賢聖等 の衆あり と錐も、国濁るに由る が故に 一を分ちて三と
-545-
説 であ るO 法 然 の女 性 観 を 導 いた のは ﹃無 量 寿 経﹄ の第 三 十
鎌 倉 時代 に お いて、 ま ず注 目 さ れ る の は、 法 然 の女 人往 生
へか らす。 こ の願 を た の み。 こ の行 を はげ む へき 也。 念 仏 の ち か
行 を い へは。 一念十 念 を も てす。 こ れ によ て五 障 ・三従 を う ら む
抑 O 機 を い へは。 五逆 重 罪 を え ら ばず O 女 人 ・閲 提 を も す てす。
の道 を 開 いて は い るが、 未 だ女 性 蔑 視 の跡 があ る。 そ れ を さ
な い こと であ るO 転 女 成 男 の思 想 は、 一応 女 人 に成 仏 や往 生
の思 想 が 見 え て いる が、 法然 の場 合 は、 か か る言 葉 は見 当 ら
あ ろ う はず が な い。す べ て の衆 生 は、 残 ら ず 一味 平等 であ る
る と いう凡 夫 観 に徹 し て いて、 そ こに は男 女 の区 別 な ど は、
善 人 も悪 人 も、 智者 も愚 者 も、 と も に同 じく 下機 の衆 生 であ
と説 か れ る ご とく、 法然 の立 場 か らす れば、 女人 も 閲 提 も、
らんと。行住坐臥 に名号を とな ふべし。
(29)
に 五障 を 消 し。 三念 に三 従 を 滅 し て。 一念 に 臨終 の来 迎 を かう ふ
ら に あ らす は O善 人 なを む ま れ か た し。 いは んや 悪 人を や O 五念
五願 であ る と とも に、 曇 鷺 や 善 導 の女 性 観 が介 在 し て い る こ
とは事 実 であ る O し か し、 こ こで 注意 す べき は、 善 導 の説 に
よ り な がら も、 全 く そ のま ま では な いと いう こと であ る。 善
ら に 一歩進 め て、 完 全 に男 も 女 も、 とも に同 じ く 平 等 に往 生
と いう こと にな る ので、 転 女 成 男 の必要 も な い ので あ るO
導 の場 合 は ﹁女 人 を 転 ず る ﹂ と いう言 葉 が あ つて、 転 女 成 男
す る と説 く と こ ろに 法 然 の特 色 が あ る。 た とえ ば ﹃禅 勝房 に
と こ ろ で同 じ 浄 土門 でも 親 鷺 の場 合 は ﹃無 量 寿 経﹄ 第 三十
五願 を 変 成 男 子 の願 と解 し て いる こと は上 述 の通 り で、 た と
し めす 御 詞 ﹄ に は つぎ の よう に語 ら れ て いる。
念仏申す機は。むまれ つき のま Σにて申す也。さきの世 の業 によ
え ば ﹃浄 土 和 讃 ﹄ に
女 人 往 生 を 説 い て い る。 す な わ ち
﹁五 障 三 従 ノ女 人 ﹂ と 口 に す る が、 変 成 男 子 と は 云 わ な い で
と こ ろ で あ る が、 同 じ く 親 鷺 の 系 統 で も、 蓮 如 は、 し き り と
と あ る。 こ の 点、 女 人 往 生 の願 と 理 解 す る 法 然 の 立 場 と 異 る
願 ヲ タ テ。 女 人 成仏 チ カ ヒ タ リ。
(30)
諸仏 ノ大悲 フカケレ ハ。仏智 ノ不 思議 ヲアラワシテ。変 成男子 ノ
り て。今生の身 をぱうける事なれば。この世にてはえなをしあ ら
ため ぬ事也。たと へば女 の男子にならばやとおも へども。今 生の
うちには男子 とならざるがごとしO智者は智者にて申 し。愚者 は
愚者にて申 し。慈悲者 は慈 悲あり て申しO樫貧 者は樫貧 ながら申
す。 一切 の人み なかく のごとし。さ れば こそ阿弥陀 ほとけは十方
(28)
衆 生とてO ひろく願を ぱをこしましませ。
こ の世 で女 が 男 に変 ろ う と て でき るわ ざ で は な い か ら、 女
レ ヲ ク ハシ クタ ツヌ ル ニ。 ステ ニ十 方 ノ諸 仏 ト申 ハ。イ タ リ テ ツ
抑。 諸仏 ノ悲 願 二。弥陀 ノ本願 ノ スク レ マ シ マシ タ ル。 ソ ノイ ハ
四九
は女 の ま ま、 愚 者 は愚 者 のま ま で念 仏 す れ ば往 生 でき る と説
川)
かれ て い る。 ま た ﹃念 仏 往 生要 義 抄 ﹄ に は
仏 教 の女 性 観 (香
-546-
仏 教 の女 性 観 (香
川)、
五〇
(34)
と法 を 得 る こ とが 大事 で あ つて、 男 女を 論 ず べき でな い と 云
シイ ツレモ得法 ヲ敬重 ス ヘシ。男 女 ヲ論 スル コトナカ レ。
コノ ユ ヘニ諸 仏 ノ願 二。阿 弥 陀 仏 ノ本願 ハスク レタ リ ト マウ スナ
ミ フカ キ衆 生 ト、 五 障 三 従 ノ女 人 ヲ ハ。タ スケ タ マ ハサ ル ナ リ。
つて いる と こ ろは、 彼 の仏 性論 か ら し ても 当 然 の こと であ ろ
う。
す な わ ち仏 教 の理想 と す る と こ ろ は男 女 平 等 であ り、 これ
よう な こと が 云え る ので は な いか と 考 え て いるO
以 上 の大 ざ つば な考 察 で は あ る が、 大 局 的 に見 て私 は 次 の
五
リ。 サ テ弥 陀 如 来 ノ超 世 ノ大 願 ハ。イ カ ナ ル機 ノ衆 生 ヲ ス ク ヒ マ
シ マ スソト マウ セ ハ。十 悪 五 逆 ノ罪 人。 五 障 三従 ノ女 人 ニイ タ ル
マテ モ。 ミナ コト コト ク モ ラサ スタ スケ タ マ ヘル大 願 ナ リ。 サ レ
(31)
ハ 一心 一向 ニワ レヲ タ ノ マ ン衆 生 ヲ ハ。 カナ ラ ス十 人 ア ラ バ十 人
ナカラ。極楽 へ引寄 セント ノタ マ ヘル他 カノ大誓願力 ナリ。
と、 弥 陀 の本 願 は諸 仏 の本 願 よ りす ぐ れ て いて、 五障 ・三従
の女 人 も こと ご とく 往 生 で き う る こ とを述 べて いる が、 変 成
男 子 の語 は見 当 ら な い。
な か つた し、 ま た そ の社 会 的慣 習 に迎合 し た こ とも あ つた。
の 一般 的 風潮 によ つて容 易 に こ の理 想 を実 現 す る こと が でき
が 本義 であ つた であ ろう。 し か し、 教 団内 部 の事 情 や、 社 会
て、女 人 成 仏 を 説 く の であ る が、 必ら ず し も ﹃法 華 経 ﹄ の説
日蓮 は ﹃法 華 経 提 婆 達 多 品 ﹄ の竜 女 成 仏 の文 を 教 証 と し
のよう に、 竜 女 成 男 を 文 字 通 り 解 釈 せず に、 ﹃撰 時 抄﹄ に は
ず、 漢 訳 経 典、と く に ﹃六 方 礼 経 ﹄・﹃善 生 子 経﹄・﹃中 阿含 経 ﹄
ストで は、 夫 婦 の立場 が対 等 に説 か れ て い る に も か か わ ら
た と え ば善 生 経 類 の諸 本 を 比較 対 照 す る と き、 パ ー り文 テ キ
(32)
所 収本 で は著 し く婦 人 の 立 場 が従 属 的 に改 変 され て いる 点 が
五障 ノ竜女 ハ蛇身 ヲアラタ メスシテ仏 ニナル。
と され、 ま た ﹃開 目 抄﹄ に は ﹁諸 大 乗 経 に説 く 女 人 成 仏 は改
指摘 さ れ るO こ の問 題 は別 稿 に ゆ ず る が、 仏 教 の流 伝 し た 社
(33)
ろ 否 定 し て い る よ う に 受 け 取 る こ と が で き る。
会 背景 が、 大 き く影 響 し た こと は 事 実 であ るO し か し 法 然 は
転 の 成 仏 で、 一念 三 千 の 成 仏 で な い ﹂ と し て 転 女 成 男 を む し
道 元 は ﹃正 法 眼 蔵 ﹄ 巻 八、 礼 拝 得 随 に
キ タ リ テ礼 拝 問 法 セ ン ニ。比 丘尼 コノ礼 拝 ヲウ ク ヘシ。 男児 ナ ニ
女 平等 論 であ る と こ ろ に特 色 があ る。 こ の意 味 で釈尊 以来 の
男 子 ・転 女 成 男 と いう 中 途 半端 な 説 ではな く て、 徹底 し た 男
よ く こ の障 害 を克 服 し て男 女平 等 論 を主 張 し た。 そ れ も 変 成
ヲ モ テ カ貴 ナ ラ ン。 虚 空 ハ虚 空 ナ リ。 四 大 ハ四 大 ナ リ。 五纏 ハ五
大 理想 は、 わ が鎌 倉 時 代 に 至 つて、 は じ め て実 現 さ れ た と 云
正法 眼 蔵 ヲ伝 持 セ ラ ン比 丘尼 ハ。 四果 支 仏。 オ ヨヒ三 賢 十 聖 モ。
纏 ナリ。 女 流 モ マタ カ ク ノ コト シ。 得 道 ハイ ツ レ モ得 道 ス。 タ タ
-547-
Vesala.
生 ま れに よ って賎 し い人 とな る の で はな い。
Sn.
I.
7.
う べ き で あ る。
1
生 ま れ によ って バ ラ モ ンとな る の で はな い。
行 為 によ って 賎 し い人 と もな り、
9
X.
1,
6.
p.
256.
﹃摩 詞 僧 紙 比 丘 尼 戒本 ﹄ 二九 〇 戒 (大 正 二 二、 五 五 六1)
﹃四 分律 ﹄ 四 八 (大 正 二 二、九 二 三 a)、
﹃中 阿 ﹄ 二八 (大 正 一、
Cullavagga,
﹃中 阿﹄ 二 八 (大 正 一、六 〇 七 b) ﹃増 一阿 ﹄ 三 八 (大 正 二、
六〇 七 b)
皿
﹃五 分 律﹄ 二九 (大 正 二 二、 一八 六 a) ﹃妙 法 華 経﹄ 四 (大 正
七 五 七 c)
九、 三 五 c)﹃超 日明 三 昧 経 ﹄ 下 (大 正 一五、 五 四 一b) ﹃大 智
行 為 によ って バ ラ モ ンとも な る の であ る。
度 論 ﹄ 二 (大 正 二 五、 七 二b)、九 (一二 五 a)、五 六 (四 五九
IIに
Iも
.右 9
と同 様、 生 ま れ によ る ので は な く て
p.
255.
﹃孔 子家 語 ﹄ 六 ﹁三従 の道 あ り。 幼 に し て は 父 兄 に 従 い、既
中 野 義 照 訳 ﹃マ ヌ法典 ﹄ = 二九 頁 ﹁幼 年 に は 父 に 従 属 す べ
に嫁 し て は夫 に従 い、 夫 死 し て は 子 に従 う。﹂
く、 青年 に は そ の手 を執 り し (夫) に、 夫 の 死 後 は そ の 子 に
14
13
﹃法 句 響 喩 経﹄ 一 (大 正 四、 五 八 四 c)
﹃玉 耶 女 経﹄ (大 正 二、 八 六 四 a)
﹃大 智 度論 ﹄ 九 九 (大 正 二 五、 七 四 八 b)
(従属 す る)、婦 女 は決 し て独 立 す る こと を 得 な い。
﹂
15
12
兄 に従 い、 嫁 し ては 夫 に従 い、 夫 死 し て は 子 に従 う。
﹂
﹃礼 記 ﹄ 二、 郊 特性 ﹁婦 人 は人 に従 う者 な り。 幼 に し て は 父
a)
そ の他、Sn.
岩 本 裕 ﹃仏 教 入 門﹄ (
中 公 新 書) 一〇 八ー 一 一八 頁。
横 超 慧 日 ﹃仏 教 と 女性 ﹄ (﹃大 谷 学 報 ﹄ 第 四十 四 巻、 第 三号、
p﹃
.
雑阿
3﹄
3二
.二 (大 正 二、 一五 六 a)
4.
p. ﹃雑
1阿
2﹄
9.
四 五 (大 正 二、 三 二 六 a- b)
217
1,
p.
11
行 為 に よ ってす べ てが決 定 さ れ る こ と が説 か れ て いる。
2
3
SZ.I.
SN.
六 八- 七 〇 頁)
4
I.
5
Therg.
X.
216;
6
Cullavaga,
﹃パ ー リ律 ﹄ 一
ご 一 一戒 (Sutta-vibhanga,
﹃摩詞 僧 祇 律 ﹄ 三 〇 (大 正 二 二、 四 七 一a- b)
﹃十諦 律 ﹄ 四 七 (大 正 二 三、 三 四 五 c)
﹃五分 律 ﹄ 二 九 (大 正 二 二、 一八 五 c)
﹃四分 律 ﹄ 四 八 (大 正 二 二、 九 二 三 a- b)
7
8
﹃華 厳 経 普 賢 行願 品 ﹄ (四 十 巻 本) 二八、 (大 正十、 七 九〇 b)
21116
) ﹃賢 愚 経﹄ 四 (
大 正 四、 三 七 四 c)
17
64-5.
﹃四分 比 丘尼 戒 本 ﹄ 三 四 八 戒 (大 正 二 二、 一〇 三〇 1)
p.
﹃五 分 比 丘尼 戒本 ﹄ 三七 三 戒 (大 正 二 二、 二 〇 六ー)
Kern
五 一
法 然 ﹃無 量 寿 経 釈 ﹄ (﹃漢 語 燈 録 ﹄ 一、浄 全九、 三 二〇- 二
一〇 六 a)
﹃妙 法 華 経﹄ 四 (
大 正 九、 三 五 c)﹃正法 華 経 ﹄ 六 (大 正九、
19
18
川)
﹃十 諦 比 丘尼 波 羅 提 木 叉 戒 本﹄ 三 五 四 戒 (大 正 二 三、 四七 九
1)
仏 教 の女性 観 (
香
-548-
仏 教 の女性 観 (香
﹃無 量 寿 経﹄ 上 (大 正 一二、 二 六八 c)
親 黛 ﹃浄 土和 讃 ﹄ (大 正 八 三、 六五 七 c)
川)
20
頁)
21
﹃阿 弥陀 三耶 三 仏 薩楼 仏 檀 過 度 人 道 経 ﹄ 上 (大 正 一二、 三 〇
一 a)
22
転 女 成男 の思 想 に つい て は平 川 彰 ﹃初 期 大 乗 仏 教 の研 究 ﹄ 二
六 ニー 二 八 三頁、 藤 田 宏達 ﹁転 女 成 男 の思 想﹂(
﹃三 蔵﹄ 38、 39)
2
3
26
25
24
﹃和 語 燈 録﹄ 四 (浄 全 九、 五 七 四 頁)
善 導 ﹃観 念 法門 ﹄ (浄 全 四、 二三 三 - 四頁)
曇 鷺 ﹃往 生論 註 ﹄ 上 (浄 全 一、二 二 八 頁)
天 親 ﹃無 量 寿経 優 婆 提 舎 願 生偶﹄ (浄 全 一、 一九 二頁)
道 宣 ﹃浄 心誠 観 法﹄ 上 (大 正四 五、 八 二四 a)
に詳 し く論 述 さ れ てい る。
27
﹃浄 土 和 讃﹄ (大 正 八 三、 六 五 七 c)
28
30
日 蓮 ﹃撰 時抄 ﹄ (大 正 八 四、 二 三 三 b)
﹃蓮 如 上 人御 文 ﹄ 三 帖 目 (大 正 八 三、 七 八 八 cー 七 八九 a)
﹃和 語 燈 録﹄ 二 (
浄 全 九、 五 〇 二頁)
31
29
32
﹃開 目抄 ﹄ 下 (大 正 八 四、 二 二 六 b)
道 元 ﹃正 法 眼 蔵﹄ 八 (
大 正 三 二、 三 五 b)
ヘシO
テ。 竜 女 成 仏 ハ末 代 ノ 女 人 ノ 成 仏往 生 ノ道 ヲ フ ミア ケ タ ル ナ ル
ノ成 仏 ニア ラ サ レ ハ。有 名 無 実 ノ成 仏 往 生 ナリO 挙 一例 諸 ト申
仏 往 生 ヲ ユ ルス ヤ ウ ナ レト モ。 或 は 改 転 ノ成仏 ニシテ 一念 三 千
法 華 已前 ノ諸小 乗 経 一
一ハ女 人 成 仏 ヲ ユルサ ス。 諸 大 乗経 ニ ハ成
竜 女 ガ成 仏 此 レ 一人 ニア ラ スO 一切 ノ女 人 ノ成 仏 ヲア ラ ワ ス。
33
34
五二
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