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句の解釈 - 九州大学
去來の 句の解釈 本 兀 一 良 一 B 秋風やしら木の弓に弦張らん として、この句を最上のものとしている。とにかく、この句が虫来.の 足らなく感じました弐々﹂ はないであろう。 面目を最もよくあらわしているものの一つであるというζとには異存 れられていて、去来の名句の一つとして知られている。多くの丈学史 松隅隅膏々氏は ﹁思置鳥﹂ の穴正十四年六月山号の ﹁去臥止句小解︹十一︶﹂ しからば、この句は、どういうように騨釈されて來ただろうか。 黷スい欲求から、白木の弓に弦を∼張って見ようといふのである。白一 ﹁秋風の淋しき感じを受け・て、その淋しさに堪えず、緊張し霜曇に で、 や二番︻においCも去﹂釆に関しては.大概この句が,彼の代表句の一つ 去来の特色を発揮した作といふべきであらう﹂と述べられている。 もある。例えば、俳句⋮雑誌の﹁林表﹂ ︵註、大正十四年七月﹁犀鳥﹂よ 俳書のうちには、この﹁秋風﹂の句を、去来の最上の何だとする人 と解く。いかにも俳人らしい評釈であるが、この騨訳には、二つの疑 木の弓に弦をはるといふζとは実に高い緊⋮擁した感じである。﹂ その一つは.氏が﹁秋風の淋し費目ズ々﹂と、書っていらわることに 問が生ずる。 八九 ついて怨ある。淋しさの感に⋮堪えず緊張しなカに鯛⋮れたいという欲求 読物でありました。夏鳥六月号で完結したが、其巻末に去来の代表句 として十数句を港示せられてみる。私は、此中に、私が調て去来集中 ﹁天春静堂氏の去来研究︵註﹁倦鳥﹂に連載さわたもの︾は書置な り分離したもの︶の第二号に、戸田敷竹という人が、 鯛四 いて、この句と、 ﹁湖の水まさりけり五月雨﹂との二句を﹁共によく としてあげられているようである。頴原魁藏氏も﹁蕉門の人々﹂にお ﹁初秋﹂︵巻早早は、初秋、仲秋、暮款に分けられている。︶の部に入 の詠の逸せられしを聞き、典拙集を廉一しからずとせし如︹く、 いささか鴨 が逸せられてみるのを逡憾に思った◎彼の千載和歌集に西行が鴫立沢 獄風やしら木の穆に弦はらん の最好句と信ずる 橋 という句である。この句は. ﹁芭蕉七部集﹂の﹁阿羅野鼠﹂巻之四の 瓠て、解釈の対象となるその一句は さか所見.を述べる.ごととするO ζととして、本稿においては、たΨ彼の一句の解釈をめぐって、いさ 去来の伝記や、そρ俳譜更上の位置などについては、今は省略する 一 九〇 難しさよ白雨ながら入口かげ 湖の水まさりけり黒月雨 は一般の人々にもあり勝ちのことであり、まして敏感な詩人は一層そ の感を深うするものである。この限りでは氏の嘗わる渓通りである ︵融十四句である︶ 前にも蓮べたように、 ﹁初秋﹂の部に入れられているのである。こわ なけわぱならない。季感と言ふものを沿革的に調べて行くと.﹁瞬野﹂ わから、此句賦秋風と言ふ季感を確かりと掴んでみる点も注慧して見 など合駈十句載ってみる。虫来としては比較的初期の作であらう◎そ が、問題は﹁款嵐﹂の意味である。款風が淋しく感ぜられるのは、秋 は如何なるわけだろうか。青々氏に意いては、款風は淋しきものであ までより遡れない。 ﹁襟の目﹂に数句あるばかりで、それ以前になる .と、季語が単に句の一部をなしてみるに止野季感として全句面に被覆 も牛ばを過ぎて、むしろ暮秋の頃ではなかろうか。しかるにこの句は るとの伝統的先入観が、暗々裡に、この解釈に初いているのではなか る う函 力O 典的意義ある代表的句であることにも此旬は注意さるぺ蓉である。﹂ する如き事はないのである。如斯季語が季感として句にあらは.れた歴 については疑問の中心は﹁しら木の弓﹂であるが、 ﹁白木の弓﹂は、 疑問の第二は﹁しら木の弓に弦をはる云々﹂という点である。こわ ヘ へ あ とあって、青々氏におびる秋風の寂蓼感は、敷竹民にあっては款風の ヘ ヘ へ るがかこの軒合、何わの解釈が癒切であろうか。前に、この旬が﹁初 勤を趣となっているOこζに、秋風に対する感じの相学が幽て来てい いうまでもなく﹁塗木の弓﹂即ち塗弓に対する語である。塗弓は弓手 を漆で塗った弓で、これに対しで白・木の弓は漆の塗っていない、また れは暫く措いて、彼の解毒⋮や句風の上からこれを考えてみよう。 コ洛 や 婚﹂の部に入れられていることから、一寸この点に鯛⋮れかけたが、こ 藤をも巻かない生地のま蕊の弓をいうのである。去来の句には﹁しら 木の弓に弦張らん﹂とあるが、青々氏の解釈においては、た野、弓に あるが、彼は叔父久米諸左密門の感化を受けて隔子時から武芸を嗜ん 鳩舎去来先生導管﹂や﹁落柿先生行状﹂によると、彼¢父兄は儒医で 弦を張るという緊張感にのみ重点がおかれているようであって、何故 それが白木の弓でなければならないのか、という点については、なん 鐙着て疲劃ためさん土用干 元日や家に譲墾の太刀棚⋮かん 士らしい気慨Fのあるものが多い。 性絡⋮の一端に喰い入っていて、彼の代表作とされるもののうちには武 ⋮遊び、風雅の道に入っているのであるが、早歌期に於ける武歴は彼の 三十才に逡しない時に、臨に武人としての生活を捨て峯、芭蕉の門に で弓馬の湛に通じていた。尤も、武芸を拗んだのは少駄の時だけで、 ら解⋮答が鼠ハえられていないように思わ九uるのである。 の二点を心に持って、さらに他の騨親を探ってみよう。 ゐ 私は、以上の二りの疑問を青々氏の解釈から受けたのであるが、こ で、 この旬を去来の最好句とした戸’田敷竹氏は、前に伊仙げた文に次い ﹁雌の句は、実に・去来の人絡⋮をよく現はしてみると思ふ。白木の弓 ヘ へ も に弦を張る其の緊張した感じは去来自身の態度の緊張であり、款風の 勤・き趣と岡つになってみると思ふ。 ︵中略︶ ﹁壌野﹂には此他 等ぱ此の例であるOこれ等の旬をなした彼の句風から見ても、秋風に ついての感じは若竹氏の方に歩がありそうである。頴原退藏一氏も﹁曲焦 門の人々﹂ではコ秋風の句には去来の武士的な高潔さが感ぜらわ﹂と ﹁されどもそわばかりにては理窟の句にて、些の趣味無し。蓋し弓は 此の旬無造作に詠み閏でて男らしき処一失はず。綴り難電佳句な聾。﹂ をや。白色には紳聖の感あり、粛殺の愚あり◎散に秋の色は白とす。 り醸せて自ら無限の趣味を生ずるを見る。況んや典弓は由木の弓なる 昔時に茂ては紳聖なる武器にして、・戦楊に用いらるエは言ふ迄も無く はら 慕目などとて妖魔を擾ふの儀式もある位なわば、金気の粛殺挙るに取 いては青々氏と同様であって、なんらの示唆もないのである。た讐、 ていらわるようである。しかし、群竹氏も、私の疑問の第二の点につ とあり、前に.述べた鳴雪、青々、謹選氏の解⋮釈は、子規の鵠の踏襲で 端的・に述べられているが、言外には款風の戚塞感よりも勤き趣を感じ 氏が、この旬について、 ﹁季語が季感として句にあらはわた歴史的意 あったのである。款風と自木弓の性能との関係は﹁そればかりにては コ秋は空一気の乾燥する時季で、弓の張りが強く、手ごたへがあるか 原羅置型も、最近、 ﹁聖賢⋮七部集﹂で と、あって、貯木弓を塗弓と対比することてよって解かれている。萩 ︵昭和二十五年一月刊﹂ まして、秋風の吹くをや。﹂ 風巻く立たば弓も好くなるものなり。弓のκ仰嚢は白木のかた勝れり。 ﹁塗り木のあしき弓は、丑月雨のころ萎えて富バ夏には丁丁くなり、 露件の﹁町回籏野﹂である。岡欝には しかるに、この点を再び璽観して解釈にとり上げているのが、幸田 上らなかったので.あろう。 理窟の句﹂として子規に軽説せられたがために、それ等の人々の意に 義ある代表的句である﹂といわれているのは、問題とは直接関係はな いが,注目すべき書葉であろう。 款風と白木弓との関係について、この句において、もし﹁白木の弓﹂ が呪塗P木﹂の弓であったとしたらどうであろう。この句のよさはも とより破擾されてしまうに違いない。この点に.ついては、早や、内隠藤 鳴雪氏が﹁七部集俳零話釈﹂ ︵俳譜入門叢書第九編、明治三†八年︶ において、﹁︵註この句の上五と以下とは︶理想的の配合で、且つ古来 支那には秋の色を白と定めてみる﹂と述べていで、四季感と色彩感と の関係からその緊密性乞設いていられるが、この﹁白木の弓﹂は単に あろうか。或いは、また,更に秋風と白木弓の性能との間に何か密接 した人で、.今は京の落補舎に隠棲し、弓矢を捨て瓦みるが、款風が冷 ら、弦をかけて引いて見ようかといふ意である。作者は弓馬の蓮に達 秋は白だ象微されるという聯想上の修飾のみで律し去り得らわるので 不可分の関係があって、そこにこの・句の温感が潰 憾なく表現されてい るなり、数に秋風甲と置けり﹄ とある。露俘や望月氏において、手規が嘗て、理窟なり、として斥け けるものである。款風と白木の弓との取り合はせがよく利いてみる﹂ らう。白木の弓は漆をかけない弓のことで、普通の塗り弓より強く引 たく吹くにつれ、昔が恋しくなり、弓を引いて見る気になったのであ るのではなかろう・か。この疑問を解いて呉れたのはやはり.子規であ へ明治二十八年︶ つた。子規は﹁俳譜大要﹂で この句を解して、 にかユ ﹁夏時白木の弓に弦甲張ルば膠が剥げるとて款冷の候,を待ちてす とある◎さすがに、子規は卓見である。しかし、そ劃に謂いで、 九一 る。 た白木弓の性能が再びとり上げられて来ているのは、注類すぺをであ 九二 の武器と武裟﹂︶ から、奈良朝時代には、その逡晶から見て、宋だ合 つたかは、今日正確に判明しないが、源頼政の歌に 成弓は出現していないとしなけねばならぬ。これの発生が何時瞑で多 頼政集︶ 思はずや手ならす弓に伏す朽の一夜も君にはなるべしやは︵源§位 白木弓の性能に関聾して、次に問題となるのは、下五の﹁弦張ら ん﹂の意味である。 たらしい。この伏竹の弓は、木の一面に竹を合せた舎馬弓なのであ というのがある、ζの歌によると、呈上時代には既に伏竹の薦︾溝.あっ 露伴や羅月氏の解釈では、単に弓に弦を張るばかりでなく、更に弓を 引くという意が含まれでいるようである。しかるに子規においては えば、Kぺがゆるんだり、沸いたりして離れ易いのである。それで、 接合点がにべ︵謬或いは腰︶で貼りつけてあるので、雨露や暑気にあ 張らん﹂は、羅宇通り、弦を張るその事にありとする。この両者の解 にかは ﹁夏時、白木の弓に弦を張れ憾膠が剥げるとて云々﹂とあって、 ﹁弦 釈の相違は、この句の解釈にとっては狸穴であって、薗に、この句が .﹁監護﹂の部に入わられているのを指摘したが、私は子規の解釈に従 オ、その威力を発揮さすためであったるうが、この弓は木と竹と.の る。伏竹の弓が︷茶出﹄せられたのは、当時の蝿取ゐ八の武器である弓のL刀を うことによって、このことが剣つきりするのではないかと思う。しか も ヵ である。黒木和歌抄にも知家卿の歌として、 ﹁あひおもふ﹂の題のも 頼政の歌においては、 ﹁伏竹﹂が肖るの割勘として使用されでいるの とに しながら子規の言う﹁膠が剥げる﹂とは如何なる意味であろうか。こ 一体、宵代の弓には﹁記紀﹂によると、梓弓、槻弓、柘弓、檀弓の る。霧時、いかに木と竹との間が離れ易かったかが想馳壊せられるので とあって、こ瓦でも縁語になっているのは、頼政の揚脅と同様であ 弓﹂なるものがあり、宣長は﹁古事記[伝レにおいては、,ζれを鹿を射 ある。同じく、未木和歌抄の琳賢法師の ⋮梓弓末までとほすふせ驚けのはなれがたくも契る申かな る大なる弓としている。このように弓材や用途の上からいろいろの名 の﹁まエきの弓この実態については、屋代白面︹の﹁古︻隠事画稿﹂など いかにせんま蕊選の雪のともすれば引はなちつエあはぬ心を 名があり、この名称は、ζれ等の木が弓の材料として用いられたこと 称があるのであるが.その構造の上から見れば、何れ.も丸木弓であ にはいろいろと論ぜられているが、伊勢亀丈の如く、これな仁慈の一 それで、白竹の弓は主に的弓として用いられ、軍扇としては丸木弓が 種︵貞丈雑記︶と見わぱ、更にこのことが張聴せられるわけである。 後世までも使用せられていたことは義経聾にもあるとおりであ の発生については、.後藤守一氏は、,正倉院の御物の二十七張の弓を調 後世に見る様式のもの二一張もないと報告せられている ︵﹁原始時代 査せら劃て、それが悉く丸木製であり、 ︵梓弓三眠、温田弓二十四張︶ ・函南ではなく、単に木を立つただけの単・木弓を言うのである。合成弓 る。丸木弓とは、後世の弓のように木と竹とを貼り合せたいわゆる合 をあらわしている。また、やはり﹁誰々﹂には﹁天麻迦古弓、天鹿下 れには∼まず、弓の構造の歴史について一考する興趣がある〇 にかは 僧唄 しげ る。弓に漆を塗っ潅り、或いは藤を重く巷くζとは弓を回忌にするた へ ら めに丸木弓にも用いられたであろうが、合成弓ではにべ離れを防ぐた めに、特にその必嬰があったのであるう。踊子や重藤はかくして生れ たのであろう。一理弓はその後、木の両面に竹を貼った三枚打の弓と なり、更に中央に弓胎を持つ形式に発展して、構蓬としては一まず完 ひ ご 成せられて、今日へと伝っているのである。この完成期は大体、室町 後期から近世初期と推定せらわているO ︵斎藤直芳氏﹁日本弓遣史﹂︶ 以上、弓の構造の歴史につい℃蓮べたが、要するに..合成弓は木と のうちでも、塗弓や重藤の弓より白木弓の方がその可能性が大であ 竹との貼り合せのところが離れ易いものである。そして、同じ合成弓 る。 扱て、去来の句の中の﹁白木の弓﹂はか瓦る構造を持った白木の弓 なのである。では、このように破損し易い白木の弓が、何回好まれた かというと、的弓では、軍射とちがって、単に射当てるということよ りも、射の気分とか風格とかを害うものである。こ玉に多分に芸撹と しての⋮性絡が生接て来ている。尤も、この気分とか風格とかは、多く 射術の巧拙から生ずるもので、単に弓具の如何ばかりによるものでは も ゐ ゐ へ ないが、塗︸弓は白木の弓に比べると鈍重の感が・ずるものである。弓の 冴⋮えとか弦晋を昧うには白木の方に限るの噂ある。露伴が﹁弓の仇き は白木のかた勝れり﹂というのは、このことであろう。しかる匹、白 太﹁は繭にも述べたように、雨応路に弱し・、殊に暑気に破損し易いもので あるから、事心ある射手は夏期には弓を張らないのである。子規が﹁弦 を張れば膠が剥げる−とて秋冷の候を待ちてするな夢﹂というのは右の にあは 理由によるのである。かく見ると、 ﹁弦張らん﹂は、や健り子規の観 くように、丈亭通りに解しなくではならぬ。 夏期長らく弦を休めていた白木の弓に、駄風が立ち初めると’共に、最 右のような解釈のもとに、この句の創作意図をうかがって一見るに、 に会っ潅ようななつかしさをもって、と見こう見する、という瞬時の 初の弦をかけて、その張り類や調子を、あだかも長らく別れでい驚人 に入わられている意﹂義も了鰯⋮せられるのではないかと患⋮う。 情感を形象化したのではなかろうかσア.の句が、とくに﹁初秋﹂の藻 東京女子大学教授 執筆者紹介 笹淵友 一 福二学芸大学教授 九三 還州大学大学院特別研究座 九州大軍機掌院特書写究生 九州大学丈学部研究生 大阪市立大学講師 熊本師範徴・回教一 大阪学芸大学助教授 福岡女手大聖助教授 福岡県立八女高等掌聖教鍮 李 井秀 日 永 井 目加田さくを 横 画 秋四 正 次 橋本元二郎 石 井和 男 重松泰 誰 立川昭二郎 寛 正