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Page 1 Page 2 プログラム ロジェ ・ ワグナー合唱曲集より 本日は、 私

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Page 1 Page 2 プログラム ロジェ ・ ワグナー合唱曲集より 本日は、 私
宝 塚混 声
タル
19
6年 10月 │126日
開演
ベガ
6:0 01PI M.
ホ ー ル ││
後
「
「「
「
貫
‐ 臀
量
:
:│「
(土 )
│
‐
│
興
「
][「 ,「 :場IIヒ
I団
一
■
■■
プ ロ グ ラム
メンデルス ゾー ン作 曲
Der.4 2 Psalm
指揮
大
ビア ノ
國 井 美
ソプラノ 門
アフ トン川 の流れ
アニー・ ロー リー
テナー
地
田 敦
大
森
地
村
田 朋
草
野
正
塩 子 弘
ロジ ェ・ ワ グナ ー合 唱 曲集 よ り
ロー レライ
指揮
ピア ノ
春 の 日の花 と輝 く
森
塩 佐 子
詩編
休憩
レ クイ エ ム
指揮
大
森
ピア ノ
山
本
テナ ー
バ リ トン
中
││
り
井
上
塩 子文光
稔作 曲
地 一
示裕 喜
三木
ごあ い さつ
本 日は、私 ども宝塚混声合唱団の音楽会へ お越 し頂 きまして誠にあ りが とうござい ます。
今回は、 メインステージに三木稔作 曲の レクイエ ム を歌 い ます。私 どもにとって、 レクイエ ムとい
えばフォー レやモ ー ッアル トなど西洋の曲がまず思 い浮かびますが、その ような西洋音楽 の世界 と少
なか らず異 なる曲想の レクイエ ム を歌 うことは、たいへ ん刺激的な体験であ りました。曲は技術的に
も難か しく、 このため臨時練習 も何 回 とな く重ねました。 また、 9月 には三木稔先生 をお招 きして直
接 ご指導い ただ きました。言葉の力が直裁 に胸 に迫って くるこの鎮魂歌 を、先の震災で彼岸へ 渡 った
多 くの魂のため、また、三木先生のお言葉 を借 りれば、 「現代 の恐 るべ き数 々の殺数 によって、天寿
を全うせず昇天 した魂」 に捧げたい と存 じます。
さて、宝塚混声 は、なが らく活動 を支えてい た市 民音楽祭が終息 した今、自らを鼓舞する新たな目
標 を持 つべ く模索 を続けてい ます。顧みます と、私 どもが好 きな歌を歌えるの も、 ご来場 の皆様方 を
始 め 日頃か ら私 どもを支えて下 さる数多 くの方 々のご好意 の賜物です。歌 わせていただいているとの
感謝 のこころ を確 かめ直す ことか ら新 しい道が始 まる、 ここにこそ私 どもの 目指すべ き方向があるの
ではないか、 との朧気 な予感を覚えます。音楽 を愛する皆様方に、私 どもの今後 の進み方 を暖か く見
守 っていただきたい と存 じます。
平成 8年
10月
宝塚混声合 唱団
曲 目解 説
詩編
42
メ ン デ ル ス ゾ ー ン作 曲
Der.42Psalm
バ ッハ や ヘ ンデ ルの音楽 に深 く学 び、 そ の上 演 や編 曲で 一 世紀前 の音楽 を当 時 の人 に再 認識 させ た メ ン
デ ルス ゾー ン (1809-47)は
自身 もす ぐれ た宗教 声楽 曲 を幾 つ も残 した。この カ ンター タ (1837
-38)も
人間 の苦悩 と神 の救 い を多彩 な美 しさで描 い て い る。
曲は旧約聖書 詩篇 42冒 頭 の 「鹿が清水 を求 めて 叫 ぶ ように…… …J とい う印象 深 い 歌 い だ し (ア ル
ト)で 始 まる。次 の 曲 か ら独唱が加 わ り、神へ の渇望 、嘆 き、そ して喜 び を歌 い あ げ聞 く者 の心 を打 つ 。
「 4.合 唱」 の 最初 (男 声 )の 「何 故悲 しむのか ………神 を待 ち望 め !」 は この詩篇歌 詞 の大 きな山で
「 7.終 曲の合唱」 の始 め に再 び現 われ る。 そ して テ ナ ーの 「ほめたた よ、主 イス ラエ ルの神 を ………J
が続 く。
それは各声 部で繰 り返 され 、合 唱 は フ レームが 大 き く華や かで力 強 い 、時 にヘ ンデ ル を思 わせ る ような
展 開 を見 せ 、終 わ りに向か って高揚 して行 く。神 へ の ゆる ぎない 信頼 と確信 を示 しなが ら。
(B.長 尾 )
Wie der Hirsch schreit nach frischen Wasser,
so schreit meine Seele,Gott,zu dir.
Meine Seele durs“
t nach Gott,nach dem
lebendgen Gotte l
「ann werde ich dahin kolninen,daS ich
ヽ
ヽ
Gottes Angesicht schaue?
涸 れた谷 に鹿が 水 を求 め る ように
神 よ、わ た しの魂 は あ なた を求め る。
神 に、命 の 神 に、 わた しの魂 は渇 く。
ぃ っ御前 に出て
神 の御顔 を仰 ぐこ とが で きるのか。
昼 も夜 も、わた しの糧 は涙 ばか り。
人は絶 え間な く言 う
「お前 の神 は どこにい る」 と。
Ⅳreine Tranen sind meine Speise Tag
und Nacht,well man Taglich zu mir saget,
rO ist nun dein Gott?
ヽ
ヽ
Wenn ich dess inne werde,so schitte
わ た しは魂 を注 ぎ出 し、思 い起 こす
喜 び歌 い 感謝 を ささげ る声 の中 を
祭 りに集 う人 の群 れ と共 に進み
神 の家 に入 り、 ひれ伏 した こと を。
ich mein Herz aus bei lnir selbst
Denn ich w01lte gern hingehen mit dem Haufen
und mitihnen wallen zum Hause Gottes,
mit FrOh10kken unt mid Danken
unter dem Haufen,die da feiern。
なぜ うなだれ るのか、 わた しの魂 よ
なぜ 口
申くのか。
神 を待 ち望 め。
わた しは なお、告 自 しよう
「御顔 こそ、 わた しの救 い Jと 。
ゎた しの神 よ。
ヽ
Vas betribst du dich,meine Seel,
und bist so unruhig in ilir?
Harre auf GOttl Denn ich werde ihm■ och
danken,da3 er mir hilft mit seinem Angesicht
Mein Gott,betriibt ist meine Seele in mir,
daruΠ l gedenke ich an dich!
Deine Fluten vauschen daher,da3 hier eine
わた しの魂 は うなだれ て 、あ なた を思 い起 こす。
ヨル ダ ンの 地か ら、 ヘ ルモ ンと ミザ ルの山か ら
あ なたの注 ぐ激流 の とどろ きに こた えて
深淵 は深淵 に呼 ばわ り
砕 け散 るあ なたの波 はわた しを超 えて行 く。
昼、主は命 じて慈 しみ をわた しに送 り
夜 、主 の歌がわた しと共 にあ る
わた しの命 の神へ の祈 りが。
Tiefe und dOrt eine Tiefe brausen;alle deine
ヽrasserrwOgen undヽ Vellen gehn tiber mich.
∼
Der Herr hat des Tages verhei3ё n seine Gi掟
,
und des Nachts singe ich zu ihm und bet〕 zu
dem Gote seines Lebens.
ヽ
Vas betrtibst du dich,meine Seele
und bist so unruhig in mir?
Harre auf Gottl Denn ich werde ihm noch danken,
da3 er meines Angesichtt Hllfe und mein Gott ist
Preis sei dem Herrn,dem Gott lsraels,
von nun an bis in Ewigkeit.
わた しの岩 、わた しの神に言お う。
「 なぜ、わた しをお忘れになったのか。
なぜ 、わたしは敵 に虐げられ
嘆 きつつ歩 くのか。」
わた しを苦 しめる者 はわた しの骨 を砕 き
絶 え間なく嘲って言 う
「お前の神 はどこにいる」 と。
なぜ うなだれるのか、わた しの魂
なぜ呻 くのか。
神 を待 ち望め。
わた しはなお、告白 しよう
「御顔 こそ、わた しの救 い」 と。
わた しの神 よ。 (新 共同訳新約聖書 より引用 )
注 :メ ンデルスゾ ー ンの作 曲 では詩篇 の一部が変更 されて い る 。
ロ ジ エ ワ ー グ ナ ー合 唱 曲集 よ り
ロー レライ
もとの意味は 「妖精 の岩」。 ドイッ西部 ライン川中流右岸
(フ
ランクフル トの西約 7
0Km)に 突 き出た
132mの 岩山。 昔 は船の難所でこの ような物語詩がつ くられ、 この 曲で世界 にその名 を知 られる.
│1下
り
りの観光船か らはここの他、渓谷 の古城・教会 ・町並み・ プ ドウ畑の丘など 中世 ドイッさなが らの美 しい
光景が展 開す る。
(B.長 尾 )
春 の 日 の 花 と輝 く
春 の 日は花 と輝 きの詞で始 まるこの 曲は 日本では堀内敬三氏の訳で良 く知 られてい ます。 この 曲の 内容
は「あなたの美 しさは色あせたが 、私の愛は変わる ことはない。Jで すが、 特 に詞のなかの「我が′
、
は変
と
わる日な く御身をば慕 いて」 の部分にその心が こめ られてい るような気が します.人 生の半ばを過 ぎ50代
に足 を踏み入れ ようとしている私には色 々と考えさせる歌 詞です。 こに歌 詞の ような誠実 さをもって生 き
て行け るよう努力 したい と思 ってい ます。本 日の歌詞は原語ですが、この歌詞をかみ じめお聞きください。
(T.草 野 )
ア フ ト ン川 の 流 れ
スコツ トラ ン ド南西部、グラス ゴーの 町の南方に AttOn Waterと 言 う名の川がある 。定 かではないが 、
これが この歌 のアフ トン川かと思われる。 高い丘に取 りまかれた狭 く深い谷間の小屋で、愛す る乙女メア
リーが まどろんでい る、小 鳥たちよ、そのさえず りで メア リーの眠 りを妨げない で くれ。 羊飼 い の若者 の
優 しい気持 ちが アフ トンの水 の流れにのせて歌われる。
(B.井 上 )
ア ニ ー・ ロ ー リ ー
アニー・ ロー リー は実在 の女性で、 1862年 スコッ トラ ン ド生 まれ。絶世 の美女 といわれ、いったんは恋
人のウイリアム・ ダグラスと愛 を誓ったが 、結局お金持 ちの別人 と結婚 して しまった。あの マ ックスウェ
ル トンの丘で、あの時 アニーは確かに約束 して くれたのに……、 ウイリアムが切 々たる想 い を歌にして、
アニー と共 に音楽史に名 を残す こととなった。
(A.井 上 )
レクイ ェ ム
三木
稔作 曲
三木稔先生からこの演奏会 にお言葉を寄せていただ きました。
33年 目の レ ク イ エ ム
三木 稔
戦中を知る私にとっては、 大平洋地域に散った巨大なさまよえる魂たちに安息 を、と祈 り続けることは
生 きている間の自分の義務だ と考えている。
1963年 のこの (レ クイエム)に 続 き81年 には、 二十絃筆 と邦楽器群のために コンチェル ト・ レ
く
クイエ
ム〉を書いた。
演奏する側にも、逝ける人へ の思い を日本語で歌い、 日本の楽器でも奏でられる (レ クイエム)が あっ
てもいいのではなかろうか。 「楽 しむ」 ことが全てで、暗い もの を一切避ける現世天 の 日本なのに
国
、幸
か不幸か、 この二つの (レ クイエム)は 、 それぞれ度々の上演チャンスに深 く人々の
胸をゆす り続けて来
た。 哀悼の情を持ちつつ も、歌うこと弾 くこと、そして聞 くことに一種の楽 しさを
付加できてい るのだと
すれば作曲者冥利に尽 きる。
ところでこのレクイエムは、南太平洋マンガイヤ島の素本卜
で力のある葬送の詩に触発されて作曲したが、
33年 間方々で演奏されたにも拘わらず、そのことを重要視 して機関紙などで
掘 り下げたのは、寡聞にして
今回力'初 めてである。 欧米にしか向いていなかった合唱界にも、明らかに変化 のときが きたのかと
興味が
ある。
大森 さんとい うすばらしい指揮者 に導かれる宝混の好演は確信 してい るが 、 音楽での達成 とは
別に、昨
年 の震災の犠牲 者 の霊安かれと歌 う方 も多かろ う。 その地その時に くレクイエ ム 力 かされることは
〉 '生
、
それ もまた作 曲者 のひそかな願 い。
この レクイエ ムの出版に際 して寄せ られた「作 曲者 の ことばJに よると 三
、 木稔氏は、 芸大の学生時
代、神田の古書店で、 この 曲の題材 となったポ リネシア・マ ンガイア島住民の 「ヴェ ラを悼む
葬送 の歌」
の原詩をみつ け、「率直にレクイエ ムと して表現 しよう」 と考えた。若
き日の三木氏 をそのように感動 さ
せた詩 とはどの ようなものなのか、 幸 い宝塚混声 の団員 の一人が学生時代学んだ
史学 のテキス トの中に、
おそ らくそれと覚 しき詩が あ ったの で、全文を以下に転載する。 あわせて、 この テキス の
ト 著者の書か
れた解説ならびにマ ンガイア島の位置 を示 した略図 も引用 させていただいた
。
原詩 を読み進んでい くにつ れて、私たちの意識の深層には精霊の世界 との交感 の遠 い
記憶が眠ってい る
のか も知れない と思わ される。その記憶 を揺 さぶ り起 こすかの ように呼びか て
け くる言葉のただならぬ力
をそのままに、歌に表わすことがで きればと願 う。
上)
(B.井
…… 大林
太良氏 「葬制 の起源」 よ り引用
……・
これはヴェ ラの挽 歌である。ヴェラは南ポ リネシアのマ ンガイア島の
酋長 の甥であ った。彼が 1770年 頃死
んだと き、はなやかな葬儀が催 され、この挽歌が うたわれた。
この挽歌は、ヴェラの精霊が、他 の精霊たちの一群 を島のまわ りをぐる と
り 案内 し、 海 を越えて精霊 の
国であるあの世にお もむ くさまを描 き出 してい る。 この哀悼の精霊たちの一群 を追 うのは
、死者の父が先
導する親族や友人たちだ。精霊たちは、 しば しば、道中の疲れをいやすために足 をとめる
。 鋭 い石や岩で
足 をいためたか らだ。 ・…・悲劇的な合唱 と独吟の対話 の うちに、突如 として挽歌 の途中の合唱が ェ
ヴ ラと
しばしのあいだ同一 とな り、死者に発言の機会 を与 えて、心 をゆさぶるような哀悼の意
を表現 してい る。
(独 吟
)
)
(独 吟)
(合 唱
‐
聞 こえるかヴェ ラ、潮騒の音が ?
あの小 さなバ ンダヌスの本 の彼方 の、大岩 の うえで飛び散る波の音だ一一
さあ、お別れの時が 来た
おれたちの着物 は喪服 に花だ。
さあ行けあそ この平 らな岩まで、そ こで順風 (お いて)の 来るの を待て、
!
お まえを海の向こうに渡す風 を、
心配そ うにおまえの親父 (お や じ)さ んが そ こで こちらを見 てい る一―
おまえがつれて行 く別離 の精霊たちを。
(合 唱 )
I(独 吟) 聞えるか、愛するヴ上 ラよ、
おまえは哀れな旅人、 もうあんな所 まで一一
(合 唱 ) 海 の音楽が ?
ああ、あそ こに行 く―一
(独 吟)
もう精霊の国に向かってい る。
へ
い
こ
た墓
の通路だ一
大口あ
穴がそ
さあ、おまえたち友人よ、お別れの時が来た
おれたちの着物 は喪服 に花 だ。
(合 唱 )
Ⅱ (独 吟)お れは眼 をうつ して、
ほかの陸地 をながめよう。
(合 唱 )
(こ こで合唱はヴェ ラと同一 になる)
ほかの場所でおれの精霊が安まるように。
ここでは石 は ぐらぐらし、おまけに断崖のへ りときてい る一―
(独 吟)入 口には一―
この深 く暗黒 の断崖
(合 唱 )
おれの道 は海に近い あのまっ黒な岸壁の上を走 ってい る。
でこぼこの切 り立った岩の上 を、
この ひ弱な精霊 の群れをおれはつれて行 く。
おれたちをここまで追いやる ものは何 だ ?
おれたちは待 とう
首を長 くして待 っていたあの
(独 吟 )南 東 (み なみひが し)の
(合 唱 )風 、 それがおれたちを吹いてこの広 い海 を渡 して くれる。
あちこちとおれたちはさ迷った。
潮に洗われた岩の上 も転 々と跳 んで―
で こはこな岩 を越 えておれたちは来 た。
幽暗の気 に圧 (お )さ れておれたちはす わ り、そ して泣 く。
(独 吟 )お お、涙 にみちた一行、それを引 きつ れるのは、おお ヴェ ラ、おまえか
時お りかか る湿 つぽい霧の ヴェールが 、内陸の高山を視野か らか くし、
ときには潮の飛沫 (し ぶ き)が 吹 き付ける一―
さあ、お まえたち友人 よ、お別れの時力'き た
おれたちの着物 は喪服 に花 だ。
(合 唱)
Ⅲ (独 吟 )急 げや急げ
(合 唱 )船 出のために。 気 をつ けろ、足 をふみはずすな。
(独 吟 )あ れが船着 き場だ。
その入 リロはなかなか見 つ か らない。 おや、あれ はおれの親父 (お や じ)だ 。
(合 唱)
(独 吟 ) 親父 はおれたちを見 まもってい る。 日は沈む、一― も少 し待 とう。
(合 唱 )
岩道でおれたちは足 を痛めた。 あれが陰気 な洞窟 ラウパ だ。 ゆっ くり歩かせて くれ
おれたちは友 を失った亡霊 だが、道 の半分 までやって来た。
見 ろ東 を一一、見 ろ西を一― ! 太陽の沈むのを見 ろ
ああ、おまえの親父 はおれたちのす ぐあ とを追いかけ、
(独 吟)
おれたちに引 き返せ と頼 む。 ここでちょっ と待 たせて くれ。一一
さあ、おまえたち友 だちよ、お別れの時が来た
おれたちの着物 は喪服に花だ。
(合 唱 )
Ⅳ (独 吟)お まえの足は、おおヴェラ、
おい しげる蔓草 (つ る くさ)に か らまれた。
(合 唱 )
おまえ、精霊 の 国にはい る用意 はいいか ? い まこそ
(独 吟)泡 だち沸 る (た ぎる)海 原 をこえて、
(合 唱 ) 行 こう とす るのか ?
現身 (う つ そみ)の ない精霊 のお気 に入 りの場所、
バ ンダヌスの林 の間を縫 って、
!
│
!
!
!
!
(独 吟)
平 らな入 り江 は潮 に洗 われ 、
コオロギ も鳴いて、お まえが通 る
磯べ の叢林 (し げみ)の 径 (こ み
ち)を 案内する。
死者の精霊の さ迷 う径だ。
おおヴエラ、
ひるが える髪 を洗え
――ああ朝 の光 よ、
おれに新 しい生 命 をくれ
さあ、おまえたち友だちよ、
お別れの時が来た
偉大 なる国王の息子
恵まれたやつ だ、おまえは、
天か らの順風 (お い て)に 乗 っ
て、 この浜 に運ばれた。
では、さようなら
一一 かえっておいで
わが 家 の神様、 しば しとどまれ
甘 い香 の花 の芽 で飾 られ、
佳 (よ )い 匂 いのする葉 も
添えた
さあ、おまえたち友 だちよ、
お別れ の時が来た
おれたちの着物 は喪服 に花だ。
アイツタキ
●マヌアエ
ウレイア→
能
√ 声税
!
マンガイア
!
!
V(独 吟
)
(合 唱)
!
..:ケ ラウ
● ウベア
!
!
(独 吟)
!
!
(合 唱 )
ポリネシア
プ ロ グ ラム
メンデルス ゾー ン作 曲
Der.4 2 Psalm
指揮
大
ピアノ
國 井 美
ソプラノ 門
ロ ジ エ・ ワ グ ナ ー合 唱 曲集 よ り
ロー レライ
指揮
春 の 日の花 と輝 く
ビアノ
アフ トン川 の流れ
アニー 。ロー リー
テナー
森
地
田 敦
塩 佐 子
詩編
大
森
村
田 朋
子
草
野 正
弘
地 塩
休憩
レ クイ エ ム
三木
稔作 曲
指揮
大
森
ピア ノ
山
テナ ー
バ リ トン
中
本 京
川 裕
上 喜
井
地 塩
子
文
光
ごあ い さつ
本 日は、私 ども宝塚混声合唱団の音楽会へ お越 し頂 きまして誠にあ りが とうござい ます。
今回は、 メインス テージに三木稔作 由の レクイエ ム を歌 い ます。私 どもにとって、 レクイエ ムとい
えばフォー レやモ ー ッアル トなど西洋の 曲がまず思 い浮かびますが、その ような西洋音楽 の世界 と少
なか らず異 なる曲想 の レクイエ ム を歌 うことは、 たいへ ん刺激的な体験であ りました。曲は技術的に
も難か しく、 このため臨時練習 も何 回 とな く重ねました。 また、 9月 には三木稔先生 をお招 きして直
接 ご指導いただ きました。言葉の力が 直裁 に胸 に追って くるこの鎮魂歌 を、先の震災で彼岸へ 渡 つた
多 くの魂 のため、また、三木先生 のお言葉を借 りれば、 「現代 の恐るべ き数 々の殺数 によって、天寿
を全うせず昇天 した魂 」 に捧げたいと存 じます。
さて、宝塚混声は、なが らく活動 を支えていた市 民音楽祭が終息 した今、自らを鼓舞する新たな目
標 を持 つべ く模索 を続けてい ます。顧みます と、私 どもが好 きな歌 を歌 えるの も、ご来場 の皆様方 を
始 め 日頃か ら私 どもを支えて下 さる数 多 くの方 々の ご好意 の賜物です。歌わせていただいているとの
感謝 のこころ を確 かめ直す ことから新 しい道が始 まる、ここにこそ私 どもの 目指すべ き方向があるの
ではないか、 との朧気 な予感を覚えます。音楽 を愛する皆様方 に、私 どもの今後の進み方 を暖か く見
守 っていただきたい と存 じます。
平成 8年
10月
宝塚混声合唱団
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