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精密工学会創立 75 周年に寄せて ―私にとっての精密工学会 - J

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精密工学会創立 75 周年に寄せて ―私にとっての精密工学会 - J
精密工学会創立 75 周年に寄せて
―私にとっての精密工学会―
第 30 代会長(2002 年∼2003 年)
森
勇
藏
精密工学会が創立 75 周年を迎えるにあたり,
元会長とし
と断言できるのですが,
それを模索する研究が始まったので
て一文を執筆せよとのことですが,
一会員として,
私にとっ
す.
その時,私は 25 歳,
今から 43 年前のことで,
それが EEM
ての精密工学会を振り返るわがままをお許しください.
私は昭和 38 年に大阪大学工学部精密工学科を卒業し,
恩
(Elastic Emission Machining)にたどり着く出発点だったのです.
そ
の成果を世の中に示すことができたのは,今から 20 年前の
師の命により直ちに助手に任官しました.そのときの研究
昭和 63 年,NHK 教育テレビの ETV 8「試される技術強国.
室が精密工作講座で,
先生方は田中義信教授(東京帝国大学造
①検証・日本の製造技術力」
で,EEM によるレーザジャイロ
兵学科卒業,
精機学会第 13 代会長)
,
津和秀夫助教授(第 19 代会長),井
の反射鏡の加工が H-Ⅱロケットの純国産化に貢献したとし
私の人生における精密工学
川直哉先生(第 26 代会長)であり,
て放映されたときです.
この番組を見て驚いたのは,
総解説
会との縁は切っても切れない運命にあったと思います.し
が吉川弘之先生(元
かも,大阪大学の精密工学科は精機協会が設立された昭和
長)であり,
もう一つの技術は,
吉田庄一郎先生(元 (株)ニコン社
8 年から 6 年後の昭和 14 年に創設され,初代教授の先生方
長,精密工学会第 29 代会長)がライフワークとして開発された(株)
は 8 人中 6 人が京都帝国大学の理学部の御出身で,田中義
ニコンのステッパーであったことです.現在では,
EEM は
信先生だけが東京帝国大学の造兵学科(後の精密機械工学科)の
SPring-8 の理化学研究所の 1 km のビームラインの硬 X 線
東大総長,現 産総研理事長,精密工学会第 25 代会
御出身という歴史がありました.さらに精密工学科という
反射鏡の加工に使われ,
ガン細胞 1 個の CTS を可能にした
名称は世界で初めて名付けられ,
Precision Mechanics とか
り,
EUVA(技術研究組合,極端紫外線露光システム技術開発機構)におい
Precision Machinery な ど は 英 語 と し て あ り ま し た が,
て次世代のステッパーの反射鏡の加工に使われたり,
40 年を
Precision Engineering は和製英語であったと聞いておりま
経てようやく世の中に役立ちつつあるところです.
す.
精密工学会関西支部の事務局が大阪大学の精密工学教
以上のように,
私の人生は,
大阪大学精密工学科での理学
室にあるのも,このような歴史的背景があってのことであ
と工学を融合した
“物づくり”
教育と
“物づくり研究”一筋の
ると思います.
また,
私が卒業した昭和 38 年から大阪大学
研究生活をおくらせてくれた精密工学会の賜物です.また
精密工学科は,
田中義信先生,
吉永弘先生(後に応用物理学会長)
結果的に精密工学会第 30 代会長を拝命することになった
によって改組拡充され,
本家は精密工学科として,
分家は応
のですが,
精密工学会への思いは,平成 15 年 1 月号の巻頭
用物理学科として発展していったのです.この改組拡充の
言
「精密工学会における
“物づくり”
の研究にもっと光を」
に
二年目の昭和 39 年に津和秀夫先生がミシガン大学留学中
書きましたように,本学会の研究成果は世間からもっと高
に教授に就任され,帰国後直ちに精機学会に超精密加工分
く評価されるべきだと思っております.その方策として具
科会を開設され,
その後専門委員会に移行し,
現在まで 43
体的な物をつくって示すのが一番です.
年間続いております.なぜ超精密加工という大胆な名称を
制御,表面物
大阪大学精密工学科では,材料,加工,計測,
付けられたかと申しますと,当時米国で宇宙開発に関連し
理,
計算物理の全領域が一体となって共同研究体制をとれ
た 加 工 の 論 文 が 数 多 く 発 表 さ れ,
Ultra-Precision
るようにし,
精密工学科の中で
“物づくり”ができるように,
Machining という言葉が使われ始めており,それに触発さ
一学科
(8 研究室)
を一講座にし,
平成 8∼15 年文部省 COE
れてのことです.
そのとき,
わが国は戦後の復興をとげ,
自
「完 全 表 面 の 創 成・超 精 密 加 工 研 究 拠 点
(研 究 リ ー ダ 森
勇 藏)
」,
平成
COE「原子論的生産技術の創出拠点(研究リーダ遠
動車や家電製品などが大量生産され始めたころですが,米
15∼20 年 21 世紀
国では先端技術分野において,
切削,
研削でサブミクロンの
藤勝義)」
,
平成
寸法・形状精度を実現しており,
日本の技術力はまだ低く,
ス教育研究拠点(研究リーダ山内和人)」
と連続して
欧米に追いつき,
追い越す必要を痛感されていたのだと思
れております.
私は精密工学会の中で,
学・学連携,
官・学連
います.私はそのとき 24 歳で超精密加工分科会の雑用を仰
携,産・学連携の共同研究を行う場ができればと考え,会長
せつかり,
研究も当然その方向を目指すことになったのです.
のときに板生清先生(東大名誉教授,精密工学会第 31 代会長)に御尽
当時,
精度の高い加工といえば機械加工であり,
超精密加
力をお願いして,精密工学会の産学協議会(精機学会 50 周年に
20 年∼グローバル COE「高機能化原子制御プロセ
工といっても寸法・形状精度で 0.1 mm,表面あらさで 0.01
開設)
を発展させ,
NOP
COE に採択さ
法人 PEN を立ち上げていただいた
mm 程度でありましたが,
機械要素の加工としては申し分の
つもりです.
社団法人精密工学会と NPO 法人 PEN の公益
ない精度でした.
しかし,
本学会内で超精密加工という言葉
性をうまく活用されて,
さらなる社会貢献を可能にし,精密
を使うのですから加工の極限を追求するべきだと考えたの
工学会がますます発展されることを祈念するものです.
です.人類が成し得る加工の究極といえば,
原子単位である
28 精密工学会誌 Vol.75, No.1, 2009
(もり・ゆうぞう
大阪大学名誉教授)
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