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No.146 - 小樽商科大学
O T A R U U N I V E R S I T Y O F C O M M E R C E GAKUEN DAYORI 19 MARCH 2007 No.146 小樽商科大学 本学の新たな伝統を 学長 秋山 義昭 題字は 秋山 義昭 学長 No.146 19 MARCH 2007 OTARU UNIVERSITY OF COMMERCE 小樽商科大学校歌 時 雨 音 羽 作詞 杉 山 長谷夫 作曲 (二) (一) きんりん びょうびょう なみ うた わこうど じ あ い かずかずひ みどり うた あお しゅんそく ひ おか うた みどり が い か おか 唄ほがらかの緑ケ丘よ むね かんげき ちから ひ にお みどり わこうど 感激みてる若人の ち し お 飛躍の力ひととき秘めて はな さ わがぼこう 凱歌はあがる我母校 栄冠迎うこの胸に ひ や く 銀翼みがき駿足秘めて 夢うるわしの緑ケ丘よ ほくとせい えいかんむこ ごだいしゅう 健腕拓く五大洲 はるかに仰ぐ北斗星 やま ぎんよく けんわんひら 蒼穹はてず道つきず 慈愛の山のふところに 涯なきのぞみ数々秘めて ゆめ かぜ (四) みち そうきゅう 梢をわたる風の唄 エルムの花に若人の はて しらかば こずえ あけぼの称う浪の唄 はな は 夕陽映える白樺の 金鱗おどる渺々の たと (三) ゆう ひ きよ おし ひ 血潮に清き教えを秘めて おか はるとこしえ 花咲き匂う緑ケ丘よ みどり おか 春永遠の緑ケ丘よ 若人逍遥の歌 高 島 茂 作詞 宮 内 泰 作曲 (一) 口上 ろうかんと りょっきゅう はるあけぼの さ ま よ 琅 融くる緑丘の 春曙を逍遥へば しゅんぷうさつさつ ろ ま ん さ ん が もや ら ん だ ひゃっかりょうらん ひゃくさんこう さくほく あんうんてんくう か おお あらし はくせつ て ん ち なか み わ れ ら おお ころ こ なや なに ぞ く せ なん かか あ さくほく ち うつ なん あ く む ただよ ちり とき いとほ きりきしお なみ とお ほ ば し 断崖落ちて波くだけ オタモイ遠く帆走れば ね ね ゆう さ ほ く と オタルの嶺々の夕あかね 冴ゆる北斗にうそぶきぬ いのち さ め あらなみ ごと たく くも き ゆ き じ ゆめ に なや し い たれ し かんしょう さくらがおか 感傷わろうことなかれ 桜ケ丘にたたずみて なみだ ち し お うた こ 流転の行旅夢に似て 悩みの思惟を誰か知る い あつ おも 秋粛条の思い濃き ポプラにかかる雲消えぬ も さかづき 打ち寄する荒波の如き熱き血潮を持って杯をかかげん しゅんしょう あかつき また あきしょうじょう ごと 今こそ悪夢より覚醒出でて よ くち (三) たいかい 我等その塵に何ぞ命を託さんや う うた みめ美はしきまなざしの 又なき時の愛しさ る て ん いま ささ わ れ ら 俗世の安楽冥利とは大海に漂う塵の如し ちり うみ もと あんらくみょうり わ れ ら ひら うる 何を悩み何をば求めん ぞ く せ まなびや なつしらかば 連山残雪に覆われし頃比の朔北の地に移りし我等なれば なに はる 夏白樺に囁やきて ハイネの詩を口ずさむ う その厳しき天地のすべ我等が俗世と何の関わりが有ろうか れんざんざんせつ ゆ (二) よ 紅山白山と化しその白雪の中に身を埋める きび さ く ら ふ ぶ き でんとうふる 龍田の朔北(と)なれば暗雲天空を覆い嵐を呼び こうざんはくさん こ と ば 伝統古き学舎に 展ける海のはてしなき てい 霧水来たりて百山紅を呈し りゅうでん かぜゆうきゅう 瀾朶の桜花吹雪つつ あわただしくも逝く春の せ い か 百花繚乱の盛夏となりぬ む す い き まちしず 浪漫の靄に街沈み 風悠久の言葉あり 春風颯々として山河をめぐり わ れ ら いのち 春宵の暁にいざいざいざ歌わんかな我等が命を ゆうしゅう お ち ば ゆ く え たと 泪ぼうだと憂愁の 落葉の行方 誓うかな (四) ひょうせつうみ かたむ つきさむ ひも 氷雪海に傾きて 月寒ければ翻とかむ かいめい こう ろ とお みなと お と め 晦冥行路遠けれど われに港の乙女あり りゅうせい お かげ ゆ せいしゅん あしおと 流星落ちて影もなし 逝く青春の足音に い の ち お わこうど えいごう つ き く 生命を惜しむ若人は 永却の杯酌まんとす CONTENTS 平成18年度卒業生諸君に 学 長 秋 山 義 昭 …………………………… 2 卒業生へ 緑丘会 理事長 篠 h 義 彦 ………………… 4 緑丘会からのお知らせ ………………………………… 5 副学長(総務担当) 山 本 眞樹夫 ………………… 6 副学長(教育担当) 和 田 健 夫 ………………… 7 卒業にあたって 経 済 学 商 学 企 業 法 学 社 会 情 報 学 科 山 本 真 礼 ……………… 8 科 小 川 亮 ……………… 9 科 岸 田 衣 未 ……………… 10 科 重 信 里 実 ……………… 11 修了にあたって 商学研究科現代商学専攻 魏 巍 ……… 12 商学研究科アントレプレナーシップ専攻 岩 井 啓 充 ……… 13 退任にあたって 特任教授 倉 田 稔 …………… 14 平成18年度 小樽商科大学就職状況 ………………… 15 国際交流 日本でのヨハンナ ……………………………………… 18 商大掲示板 平成18年度 学生表彰 ………………………………… 22 小樽商科大学 学生研究奨励事業 第1回 「学生論文賞」 ………………………………… 23 教員名簿 …………………………………………………… 24 卒業後に卒業証明書等が必要になったとき ……… 28 写真で見る小樽高商・商大小史⑬ …………………… 29 学園だより 146 01 平成18年度 卒業生諸君に 本学の新たな伝統を 卒業生の皆さん,卒業おめでとう。 本日授与された学位記は,一片の証書では ありますが,これは,長期間にわたる皆さん の弛まぬ研鑽の成果であって,大変重みのあ る価値の高い学業生活の集大成です。皆さん は,この証書の持つ深い意味を噛みしめ,心 を新たにして,それぞれの道に邁進してもら 学 長 秋山 義昭 いたいと思います。 さて,本学は,20世紀の開幕とともに迎え たわが国の産業革命の進展に伴って,産業の 振興と産業教育の必要が強く叫ばれていた 1911年に小樽高等商業学校として開校いたし ました。開校当時の小樽高商は,入学者72人, 渡辺龍聖校長以下,新進気鋭の教授6名,助教 授3名のスタートでしたが,以来,様々な困難 な問題に直面しながらも,教育・研究環境の 充実に努め,わが国の産業経済や教育文化の 発展に大きく貢献してきました。 また,本学の,語学を重視する学風と自由 な研究・教育を尊重するといった風土に惹か れ,全国から向学心に燃えた優秀な学生が集 い,戦前の高等商業学校,戦後の商科系単科 大学では珍しく,著名な作家,文化人,学者, 02 学園だより 146 芸術家など,産業界はもとよりのこと,実に に相応しい品格ある社会人に成長してもらい 多方面に多くの優れた人材を輩出してきたこ たいと願っています。 とが伝統であり,また誇りでもあります。 本学は,確かに,国立大学の中では規模的 に小さな大学です。しかし,小規模大学だか 本日卒業・修了される皆さんには,4年後 らこそ得られる大きな財産もあるのです。こ には100周年を迎えるかかる本学の歴史と伝統 の海を見下ろす緑丘の地で友人たちと過ごし の重みを改めて振り返り,それをさらに引き た学生時代,厳しい練習に明け暮れた運動部 継いでいくだけの気概をもって,こらから社 のサークル活動,ゼミの仲間や先生たちと 会に巣立っていって欲しいと思います。言い 時々開いた飲み会,就職活動で改めて感じた 換えれば,皆さんには,本学がこれまで築き 卒業生との絆の強さ,友情を育んだ緑豊かな あげてきた知的・精神的な資産を継承し,さ キャンパス。これらは,いくら時代が変わろ らに発展させることをおおいに期待しており うとも,本学には古くから一貫して変わらぬ ます。 光景です。本学には高商の時代から伝わる 「北に一星あり。小なれどその輝光強し」とい 現代社会は,高度に技術化し,多様な利害 うあまりにも有名な言葉がありますが,本学 が絡み合い,民族・国家間の対立が一層激化 は小さくてもきらりと光る個性豊かな大学を する複雑な社会です。複雑高度化した社会で 目指してきましたし,これからも存在感をき あればあるほど,本学で培った広い視野,多 ちんとアピールできる大学を目指してゆくつ 面的なものの見方,実践的な分析力,そして もりです。 グローバルな目で世界を見据える国際的感覚 は,社会に出ても必ずや各自の大きな味方と どうか皆さんには,本学で学び得たことを なり,有力な武器となることでありましょう。 十分に生かし,本学卒業生としての誇りと自 皆さんは,学業をこれで終わりとせず,これ 信を持って,ぜひ自らの手でこれからの伝統 からも次代を担う人材として,引き続き自ら を築きあげていってもらいたいと念願してお の資質と人格を磨き,伝統ある本学の卒業生 ります。 学園だより 146 03 祝 辞 社団法人 緑丘会 財団法人 小樽商科大学後援会 理事長 篠 h 義 彦 本日晴れてご卒業される皆様,誠におめでとうご ざいます。永年の研鑽の甲斐あって,今大きな夢と 希望を抱いて実社会に第一歩を踏み出さんとしてお られる皆様に心からお喜び申し上げます。 また永年指導に当たってこられた諸先生方ならび に,ひたすらご子弟の健やかな成長を願ってこられ たご家族の皆様のお喜びも一入のことと拝察し,こ こに小樽商科大学の同窓会である「社団法人 緑丘 会」を代表して一言,お祝いを申し上げます。 皆様ご高承の通り,最近のわが国経済は,昨年11 月に「いざなぎ景気」をこえて戦後最長の拡大とな ったあとも底堅く順調に推移しております。それを 反映して人手不足感に拍車がかかり,これまで回復 が遅れ気味であった地方,若者,そして中小企業に 対する有効求人倍率にも改善が見られるようになり ました。従って雇用情勢は現在,完全な売手市場と なっております。 しかし,このような好調な企業業績が未だ家計消 費に浸透せず,個人消費や消費者物価の指標が弱目 に推移していることは,「デフレ脱却」が正に重要 な岐路にあることに外なりません。 米国経済が失速をまぬがれ,緩やかな拡大軌道に 戻る公算が強くなってきた現在,わが国の戦後最長 6年目をこえる景気拡大,即ちより息の長い成長を 実現するためには,今後の政府の歳出削減と規制緩 和の着実な実行や,日銀の市場を読み誤らない利上 げのタイミング等が極めて重要な鍵となることは明 白であります。 このような時期に卒業されて実社会にはばたき, また更に上級の学習研究課程にすすまれる皆様には 大いに活躍することが出来る格好の場が与えられた ものと信じて疑いません。 最近は連日のように実業界における極めて不法な 経済行為並びに目をおおいたくなるような不祥事が 報ぜられ,所謂「国家の品格」が失われてしまった かのような感がいたします。 しかし,時間をかけても国全体の努力で悪弊は正 していかねばなりません。皆様は,その原動力とな るべく,旧来の慣行にとらわれない柔軟な思考力と 果敢な実行力を持ちながら,あくまでも遵法精神は 忘れずに,新しい環境に挑戦されますよう大いに期 04 学園だより 146 待いたしております。 小樽商科大学の同窓会である緑丘会は1939年(昭 和14年)に法人化され,全国に27の支部と,会員2 万名余を擁し,その会員は,国の内外を問わずめざ ましい活躍をいたしております。さらに1960年(昭 和35年)には,財団法人小樽商科大学後援会を設立 し,以来,全国の国立大学としては他に例をみない 規模で母校を支援して参りました。 即ち母校の主たる創立周年には,募金活動を行い, 創立80周年にあたる1991年(平成3年)には,5億2 千万円を,さらに創立90周年にあたる2001年(平成 13年)には,1億5千万円の応募をいただきました。 また,2004年(平成16年)9月からはビジネスス クールの運営を支援するため「ビジネススクール支 援募金」を行い,現在までに約4,400万円の応募を いただいております。 母校はこれらの募金をもとに毎年2千万円以上の 助成を受けて,国際交流の促進,札幌サテライトの 開設,ビジネス創造センターの設置等,他大学には 例をみない特色ある事業を展開し,まことにめざま しい成果をあげて参りました。 ここで特に強調したいのは,小樽商科大学は皆様 が感じておられる以上に社会的に評価の高い大学で あり,その同窓会である緑丘会は,その実力と結束 力の強さは,実業界や大学関係者の間では,皆様が 想像される以上に高い評価を得ているということで あります。 今年は,本学ビジネススクールにてMBAを取得 した第2回生が卒業されますが,皆様によせられて いる各方面からの大きな期待に沿うべく今後も益々 研鑽を積まれますよう特にお願いいたします。 本日卒業される皆様は,全員(社)緑丘会正会員 として入会され,社会人として在学中に母校より頂 いたそのご恩に報いるべく活躍されることを期待い たしております。また当会の更なる活性化のために も是非若い力を貸して頂きたいと存じます。 いま緑丘から巣立たんとする皆様の洋々たる前途 を祝福し,併せて,御多幸と御健闘ならびに小樽商 科大学の一層の飛躍発展をお祈りしてお祝いの言葉 といたします。 小樽商科大学同窓会 (社)緑丘会 事務局よりのお知らせ 事務局長よりメッセージ 社団法人 緑丘会 常務理事 事務局長 小塚 邦夫 (昭和32年卒) 皆様,ご卒業誠におめでとうございます。 内外共に,多難な状況が続いておりますが,実社会へ大きな希望を抱いて,この残雪の丘を下る皆様へ 心からお慶びを申し上げたいと存じます。 小規模大学の伝統的な強みは,卒業生の結束が固いことです。激烈な競争の企業社会を通過してきた経 験から申し上げますと,この大学の先輩は,皆親切です。いろいろな局面で助けていただきました。人脈 の輪を広げて,視野を広げるためにも是非,緑丘会に入会することをおすすめいたします。 札幌駅西隣にオープンしております「新札幌サテライト」には,大学当局のご好意により,当(社)緑 丘会・本部札幌事務所及び札幌支部のスペースを提供していただいております。皆様のベースキャンプと してご利用下さい。 また,東京には緑丘会館があります。一寸小樽と母校の匂いのするオアシスとして,また東京での足場 として是非ご利用下さい。卒業生は勿論ですが,在学生及び教職員の方々,ご家族の皆様のご来館もスタ ッフ一同でお待ちしております。 業務日誌(抜粋) 2006年 6月15日 札幌支部総会 6月17日 第67回(社)緑丘会通常総会 東京支部総会 東京支部講演会 講師 東京大学大学院教授 高橋伸夫氏(昭和55卒) 6月19日 小樽支部総会 9月30日 東京支部講演会 講師 小樽商科大学教授 荻野富士夫氏 11月28日 小樽支部忘年会 12月 2日 東京支部講演会 講師 小樽商科大学大学院教授 中村秀雄氏 2007年 1月13日 東京支部新年交礼会 1月24日 札幌支部新年交礼会 (社)緑丘会本部,会館所在地 (入会及びその他の問い合せ) 〒170-6057 東京都豊島区東池袋3丁目1−1 サンシャイン60(57階) Tel 03−3981−2340 Fax 03−5396−4011 URL http://www.ryokyu-web.net/ E-mail [email protected] (社)緑丘会本部・小樽事務所(小樽商科大学事務棟2階) Tel 0134−27−5463(月∼金 午前10時∼午後4時) (社)緑丘会本部・札幌事務所 〒060-0005 札幌市中央区北5条西5丁目 sapporo55ビル(3階) 小樽商科大学札幌サテライト内 Tel 011−231−6900(月∼金 午前10時∼午後4時) 学園だより 146 05 副学長(総務担当) 山 本 眞樹夫 卒業(修了)おめでとう ―変革期の商大に学んだ諸君へ― 卒業(修了)おめでとう。われわれ教職員は,この学位記授与式を迎えるといつも, 諸君が本学を志望し入学した時の期待に応えたか,諸君の成長を支えることができたか, を自問します。また,本学は多額の税金が投入されている国立大学ですから,税金とい う形で国民から負託された使命,つまり社会に有為な人材を送り出しているのかも自問 します。 諸君の本学に対する個人的満足と本学が果たすべき社会的使命とは,大抵の場合一致 しますが,時には相反するように見えることもあります。たとえば,安易に単位認定す る授業は,それを喜ぶ一部学生の満足と大学の社会的使命が一致しないように見える例 でしょう。しかし,少し考えれば,そうした授業は学生を成長させることにはならず, 卒業後の不満足に結びつくことが分かります。では難解で厳しい授業が良い授業かとい うと,そうではありません。同じ学ぶなら興味が持て,好奇心を刺激し,知を成長させ る授業(楽しいとはかぎりません)が良いはずです。 いま商大は大きな変革期にあります。学部卒業生の多くは平成15年に入学しています。 入学以来,平成16年の法人化,ビジネススクールの設置,札幌サテライトの移転,平成 19年度からの博士課程の設置等,様々な変革を目にしたはずです。これらは表面に現れ た変革の例です。学生の満足と大学の使命とが一致した教育研究を行うことこそが,変 革の目的です。授業でもPowerPointや様々なメディアあるいはグループワーク等を用い た工夫がなされ,時には山ほど宿題を出されるなどを経験したと思います。これらは, 変革が進行しつつあることの証左です。 諸君は,変革期の商大に学びました。いわば新しい商大生像の「さきがけ」ともいえ ます。諸君は,これから企業で活躍する,公務員として地域社会に奉仕する,あるいは 大学院へ進学しさらに研究を深める等,様々な道をそれぞれが歩むことになります。商 大の変革の成否は,諸君の今後の活躍によって実証されることになります。諸君の活躍 を期待しています。 06 学園だより 146 副学長(教育担当) 和 田 健 夫 卒業生・修了生の諸君に 商学部及び大学院の卒業生・修了生諸君,ご卒業おめでとうございます。教職員一 同,諸君と大学生活を共にしたことを誇りに思います。 卒業生・修了生のなかには,外国から志を抱いて本学に入学し,学業を全うした留 学生の諸君,あるいは,生涯学び続けることに意義を見出し,それを実現した社会人 の方々がおられます。大変喜ばしく,皆さんの強い意志と目的を達成するために払っ た努力に敬意を表します。 日本社会は成熟段階にあります。かつてのような,社会全体を動かす集団エネルギ ーは望めそうにもありません。家族,学校,地域,政府,企業など,仕組みは変わり ませんが,自己責任とルールが支配する社会に向かっています。そこでは,「個」の役 割が重要になります。 小樽商科大学は,開学以来,社会の各層で指導的な役割を果たす人材の育成を行っ てきました。高い見識と倫理観をもち,価値を共有し,異文化を理解する能力をもっ た人材。これはまさに,自立した個人を育てることに他なりません。 もっとも,このような能力は,大学を出たからといって完全に身につくものではあ りません。大学卒の肩書きに頼っていてはいけません。その通用力は,以前ほど長続 きしないでしょう。社会に出ても,人との交わりを大切にし,自分自身を高め,変え ていく努力を怠らないようにしてください。 さようなら。入学式の日,冬枯れの景色をとどめ,残雪いまだ去らぬ地獄坂を昇って 校門をくぐったときのことを想い出して下さい。初めて聞く若人逍遙の歌にのせられ て,春の到来と新しい生活のはじまりを感じ,気持ちを奮い立たせた日。この日のこ とを忘れないでください。再び新しい生活に入る諸君に心よりお祝いを申し上げます。 学園だより 146 07 G r a d u a t i o n M e s s a g e 「大学に感謝」 ことになるが皆にはありがとうと言いたい。試合 結果以上に得たものは大きい。 4年の後半,部活が一段落してまた変化の無い 生活が待っていた。そこで私は,部活や授業で楽 しい思いをさせてくれた大学に何か貢献しようと 考えた。ちょうどその頃,就職支援サークルの募 集があったので良い機会と思い参加した。また商 大グッズの小樽緑丘の米を作る話もあり参加した。 山本 真礼 経済学科 就職支援サークルの方では人の将来を左右する 事なのでとても緊張しましたし,やりがいもかな りありました。これだけではとどまらず学外のイ ベントをも開催してやるという事までしてしまい まだ雪の残る4月の小樽,期待に胸をふくらま せてやってきた入学式。つい最近のように感じて 商大グッズの方では今まで体験する事の出来な いたがもう卒業。寂しさと感謝の気持ちを感じな かった田植えから稲刈り,お酒作りまで体験させ がら私のあっという間の4年間を書き綴りたいと てもらう事が出来た。おまけに恥ずかしいが新聞 思います。 に掲載までされてしまった。 入学して数日経ち,なんとなく過ごしていた毎 この2つの活動はさらに私の人間関係を広くさ 日でした。しかしこのような生活は当然楽しくな せてくれた。新しい同学年の仲間,農家の人,企 かった。そこで中学から続けていたバドミントン 業の人,就職活動中の3年生,酒蔵の人,さらに をまたやろうと部活に入りました。部活では日々 は教授,学長などと様々なお話や体験をする事が の練習はもちろんのこと,飲み会や遠征など様々 出来たことは私にとって財産となるでしょう。出 なことが経験できて毎日充実した生活を送る事が 来たての小樽緑丘を学長と乾杯できた事は忘れま 出来た。その中でも部活で得た最大のものは人と せん。 のつながりである。例えば私が2年生の時,全治 私は大学4年間で本当に多くの人と出会いまた 9ヶ月の大怪我をしました。私はもうバドミント その中で刺激を与えていただきとても成長できた ンを辞めようと考えましたが,仲間の「また一緒 と思う。小樽商科大学は規模が小さいがそのメリ にやろう」という言葉によってもう一度しっかり ットを強くいかしていると思います。それはやは 治してプレーしようと思い日々リハビリに励みま り人とのつながりであると私は感じました。本当 した。結果,昔と同じようにプレー出来るように に学生同士の関係が強くまた教員やもっと言えば なり試合の興奮をまた味わえる事ができた。今と 学長との距離も近いです。社会生活の上では人間 なっては本当に続けて良かったと思う。自分達の 関係がまず基盤となってくると思うのでこれを大 代になり1部昇格という目標を掲げ練習に励んだ。 学時代で磨けた事はとても大きいと思います。 しかし部活が上手くいかなくなり口論や時には殴 り合いのケンカまでした。また一方,試合で惜敗 最後に私が関わった商大グッズが1つでも多く あったりもした。1部昇格という目標は達成する 売れる事を願っております。みなさんよろしくお 事は出来なかったが,人と人とのつながりや関係 願いします。 らった。何より仲間の大切さがわかった。私的な 学園だより 146 社会に出ても大学で学んだ事を忘れずに頑張っ ていきたいと思います。 してともに涙を流したり,お互いのプレーを称え ということに関してはとても良い経験をさせても 08 ました。 小樽商科大学よ!ありがとう。 G r a d u a t i o n M e s s a g e あとはここから 全力で走り出すだけです 主将をしていた時1人で抱え込むことが多かった ので,言葉や行動で伝えるようになって部員に与 える印象も変わり,随分気持ちの面で楽になった ことを覚えています。部活での経験は大学生活で 一番の宝物です。 CDPとは4年生メンバーを中心に活動している 就活支援サークルです。私が3年生の時,前CDP の諸先輩の方々に書類の添削や企業研究のアドバ 小川 亮 商学科 イスなど多くの手助けをしていただきました。私 はそんな手助けを受けて,「俺も内定が出たらこの 活動をしたい!」と思っていました。自分が就活 した証ともいえる“スケジュールがびっしりで真 私にこのような文書を書く機会を与えられたこ っ黒な手帳” “何度も書き直したエントリーシート” と自体が大変恐縮なのですが,私なりに大学生活 などのグッズはすべて保存して時が来るのを待っ を振り返ってみました。大学に入って新しい環境 ていました。活動自体は,イベントの準備や情報 で多くのことを体験しましたが,その中でも陸上 交換会での食事の配膳など想像以上に力仕事が多 競技部とキャリアデザインプロジェクト(CDP) く,足は鍛えているが腕はあまり鍛えていない私 という2つの活動は,私を大きく成長させてくれた はいつも筋肉痛と戦っていました。しかしそれ以 と思います。 上に,こんな自分を頼りにしてくれる就活生がい 部活の陸上競技は,中学時代から10年近く続け てくれたことの喜びが,私に疲れを忘れさせまし ていたので,大学に入学してからもあまり深く考 た。CDPメンバーとして,将来を真剣に考える3年 えず流されるように入部しました。中・高の部活 生と関わりあえたことに対して大きなやりがいを と比べて,大学の部活動で痛感したのは人間関係 感じました。心から,就活を一生懸命にやって良 の難しさです。私の部は顧問や監督といった指導 かった,CDPに入って良かったと思っています。 者が不在の部でしたので,部員たち自らが部の運 最後に,この場を借りて今の私を支えてくれた 営を行わなければならない環境でした。私を含め 多くの方々に感謝を申し上げます。私は幸せなこ 大学生ともなると, 「自分が部に貢献できているか」 とに,身体は健康で就職もできて大事な友人をも 「自分の成長が部活を通じて望めるか」「部活以外 ち笑顔で大学を去ることができます。すべてなる にもやるべきことがあるのでは」など,純粋に活 ようになってきたと思います。あとはここから全 動するだけではなく様々なことを考えるものでは 力で走り出すだけです。 ないでしょうか。私は運動部でしたので,競技に 集中したいにもかかわらず,なぜ他のことで頭を 悩ませなければならないのかと初めのうちは非常 に戸惑いました。そんな環境の中で学んだことは, 周囲の話や考えをよく聴いて自分の考えを「言葉」 と「行動」で伝える努力をするということです。 「言葉」と「行動」を強調するのは,しっかり周囲 に対してアピールすることが大切だと思うからで す。ただ想っていても伝わらない,想いは見える 形で表現してはじめて伝わるものだと思います。 学園だより 146 09 G r a d u a t i o n M e s s a g e 「人とのつながりを大切に」 た。物流会社の人事部に配属され,学生の立場か ら新入社員研修を企画・立案するという課題を頂 き,その会社の新入社員研修に実際に参加したり, 北大の前で街頭100人アンケートに挑戦したりと普 段では決してできない経験をしました。街頭アン ケートは二度としたくありません・・・。最終的に人 事部の方々の前でプレゼンテーションを行ったの ですが,そのときも事前に営業の方に指導をして 岸田 衣未 企業法学科 もらい,営業ならではの提案術を学びました。 4年生ではゼミ仲間,就職支援団体のみんなとの つながりが特に濃いものとなりました。ゼミ仲間 とは本当に色々なところに行きました。旭川,函 卒業にあたってこの4年間を振り返り,気づいた 館,帯広,知床・・・等々。夜中に登山というすこぶ ことは「人とのつながりは自分を変える」という る危険なこともしたりでしたが,常に笑いが絶え ことでした。新しい出会いがあって,楽しいこと なく,友達の大事さを再認識しました。就職支援 もあれば辛いこともあり,結局それが自分の成長 団体では,恥ずかしながら代表という役割を果た につながっていることに気づきました。 させていただき,メンバーに本当に迷惑をかけた 1年生の時,2つの部活に所属していました。人 気がします。そして,人をまとめる難しさを嫌と 生で初めての部活経験だったので集団生活の楽し いうほど知りました。一つのイベントを企画する さや上下関係のおもしろさ・難しさを学んだいい ときも企業の方と打ち合わせを行い,メンバーと 機会でした。結局2つとも1年次に辞めてしまった も打ち合わせを行い,実際に運営を行う前の準備 のですが,そのときの同期や先輩は今でも交流が が一番大変だと知るとともに,終了後の達成感が あります。 こんなにもいいものかということも知ることがで 丁度この時期に初めて長期のバイトも始めまし た。それが予備校と居酒屋のアルバイトでした。 私は元来,高校を卒業して公務員になろうと勉 予備校での主な業務が模試監督ということもあり, 強していたので商大に来なかったかもしれない人 多いときには200人ほどの生徒の前で進行役を務め 間です。しかし,途中で路線変更をし,1年浪人を たので,すごく度胸がつきました。そして,ここ 経て商大に来て,「本当よかった」と今は心から思 でアルバイトをしなければ出会うことのなかった います。卒業後それぞれの道を歩みますが,出会 たくさんの他大学生との出会いが新鮮でした。 うことのできた人とのつながりはずっと消えない 居酒屋のアルバイトは本当に多くのことを学び ました。接客という仕事は難しく,初日ですでに 辞めたいと感じるほどでした。しかし,そこで出 会った社員の方の叱咤激励により接客の楽しさに 気づかされ,自分目当てでやってきてくれる常連 のお客様ができたときは「やってよかった」と心 底思いました。言葉使い,目線,笑顔,声を始め, 働く上で最低限必要なマナーは少なからず学べた のではないかと思います。 3年生のときは,インターンシップに挑戦しまし 10 学園だより 146 きました。 ものであってほしいと思います。 G r a d u a t i o n M e s s a g e たくさんの友人に支えられて した。最初は「自分の仕事は自分でやらないと」 と1人で何でも抱え込んでいましたが,いつの間に か私の周りには,愚痴を聞いてくれたり,仕事の フォローをしてくれたり,アドバイスをしてくれ たり‥‥‥そして何より,私の行動に対して理解 を示し,賛同してくれる友人達でいっぱいになっ ていました。誰の助けもなく1人きりで仕事を抱え 込んでいたら,私は何度も壁にぶつかり,数え切 重信 里実 社会情報学科 れないほどの挫折を味わっていたでしょう。多く の友人の支えがあったからこそ,私は職務を無事 全うすることができたと思っています。 4年次には就職課からの勧めで就職活動支援サー 「小樽商大はクラスがないから友達がなかなか できない」 クルに加入しましたが,そこでも新しい交友関係 が広がりました。ここでできた友人達と過ごした これは,私が大学に入学する前からよく聞いて 時間は短かったものの,後輩達の就職活動の手伝 いた話です。実際,入学してから授業関係で仲良 いを通じて,濃密な付き合いができたと思ってい くなった友人は数えるほどしかいません。私は室 ます。このサークルには,今まで出会った友人達 内管弦楽団というサークルに加入し,そこでも友 とはタイプの違う人が多く,彼らと付き合いを深 人ができましたが,それでも大学で新しくできた めることで,新しい物事の見方・考え方を知り, 友人は十数人程度,といったところでした。そう 自分の視野が狭くなりがちであったことに気づか いった中で,勉強をして,音楽を続けて,なんと されました。4年次というのは,特に新しい出来事 なく4年間が過ぎ去っていくものだと入学当時の私 もなく,卒業論文を提出して卒業を待つだけの1年 は思っていました。 間だと思っていましたが,彼らと知り合えたおか そんな状況が一変したのは,1年次の秋に音楽芸 術団体連合会(音芸連)の役員となってからです。 げで,また少し自分を成長させることができたの ではないかと思います。 初めは「少しは友達が増えればいいな∼」という この4年間で私は,入学時には想像もつかなかっ 程度の気持ちで役員になったのですが,先輩から たほど多くの経験をし,充実した大学生活を送る の勧めで会計職をも務めることとなり,それが大 ことができました。そして大学生活のどの場面で きな転機となりました。 も,必ず私の周りにはたくさんの友人がいて,そ 右も左もわからない状態で引き受けてしまった れが私の支えとなってくれていました。同じ時間 大きな役職ではありましたが,当時はとにかく自 を過ごし,辛さも喜びも分かち合うことのできた 分のやれることをやろうと,がむしゃらに突っ走 友人達には,どれだけ感謝をしてもし足りないく っていた気がします。仕事をしていくうえで,自 らいです。彼らがいたからこそ,今のこの自分が 分の責任において大金を扱ったり,先輩方に対し あるのだと強く感じています。そんな素晴らしい て会計監査を行わなければならなかったり,音芸 友人達に恵まれ過ごすことのできたこの4年間は, 連や外局でのイベント運営に携わったりと,心労 他のどんなものにも代えられない,最高の財産で が溜まることが多くありました。自分の力不足の す。 せいで,何度も悔しい思いをしたり悩んだりしま したが,そんな私を支えてくれたのは,サークル の友人達や音芸連に入って新しくできた友人達で 学園だより 146 11 G r a d u a t i o n M e s s a g e 大学院 商大で勉強できることは 貴重な機会と一生の誇り めて日本に留学して,その先進国の金融知識を学 んで,中国に帰ったら,金融業界の問題を解決さ せて,自分の人生の中にもいい事業ができるよう になるじゃないですかと考えました。 2002年の夏に私は人生の貴重なチャンスを迎え ました。交換留学生の一員として小樽商科大学に 一年間の留学することができました。学部に在学 した時も東北財経大学の友好大学の小樽商科大学 魏 巍 商学研究科現代商学専攻 のことを良く耳にしました。国立大学として長い 歴史を持っている小樽商科大学は,日本商学,経 済学などの研究に先駆的な役割を果たした極めて 優れた教官陣がいらっしゃることがよく知ってい 月日の経つのは早いです。今年で私の日本留学 ます。留学期間にこの勉強のいい機会を大切にし は3年目を迎えました。今年の3月に私は念願の修 て最も関心を持っている金融問題に力を入れまし 士号を取り,社会人として新しいスタートを切り た。しかも商大で勉強すればするほど自分が金融 ました。長いような,短いような3年でした。 知識にまだまだ勉強する必要という緊迫感が出て この3年間は私の人生にとって,かけがえのない きました。国内の同じ財経類の大学と比べると豊 貴重な3年間でした。3年前にただただ勉強したい, 富な理論知識体系とかなりレベルの高い教授に出 学位を取りたいという好奇心と功利心を持って日 会って,経済大国の日本の金融システムについて 本留学に来た私は,日本の大学で,先生がたの指 の理解も一層深めたし,中国と日本の金融管理水 導のもとで,学問の厳しさに磨かれ,勉強するこ 準の段差も実感しました。 とはただ単なる知識の獲得,また学位の獲得だけ 2005年から私は大学院生をして大矢教授のご指 ではなく,人生を追究することであると分かるよ 導を受けるようになりました。このような豊富な うになりました。 専門知識を持っていて教え方もうまい教授につい 私は中国の東北財経大学において4年間経済と金 て勉強できることはとても貴重な機会でした。小 融の知識を学んできました。東北財経大学は中国 樽商科大学大学院で勉強できることは私この一生 の経済,金融科の専門大学である,在学期間に多 の貴重な機会と一生の誇りです。 くの金融と経済の基礎知識に触れることができま また,日本に来ていろんな国の友達ができてと した。大学時代の勉強に通じて,ますます金融と ても楽しいです。日本の文化と社会への理解を深 銀行業界に対する関心が高まってきたと同時に中 めるのには,勉強だけでなく友達との旅行や交流 国の経済高速発展の中に金融機関の管理不足,不 をすることが大切だと思います。商大はいい環境 良債権などの問題も考え始めました。大学の教科 作りをすることで,充実して新鮮な日々を過ごし 書には,日本の金融システムと銀行の制度が良く ています。私は日本という国が大好きです。将来 案例として挙げられているので,印象の中に日本 も母国の中国と日本の友好のために微力ながら留 の金融と銀行の制度は先進国の代表として強く刻 学の成果を生かして努力したいです。 まれました。授業を受ける時もたまたま日本では 同じ大学生たちは金融と銀行についてはどんな先 進な理論知識を受けているかなと考えたこともあ りました。課程の資料を調べる時も多く書かれた のは日本の金融制度の案例でした。その時私は始 12 学園だより 146 G r a d u a t i o n M e s s a g e 大学院 「すばらしい2年間に感謝」 た。実は前年の8月に,旭川市で開催された農業セ ミナーで,偶然瀬戸先生と同席させていただく機 会があり,そこでOBSの存在を教えていただいた からである。OBSに入学してからは,知識に対す る飢えを満たすように,授業にのめり込んだ。勉 強して新しい知識が入ると,混乱していた脳みそ に仕切りついて,どんどん片付けられていく。整 理された脳みそは飽きたりず,また新しい知識を 岩井 啓充 商学研究科 アントレプレナーシップ専攻 要求してきた。今までになかった経験である。 さらに2006年4月,別の縁があって医療業界に転 職した。そこでは1年間医療の専門学校に通わせて もらえることになった。そうすると,朝の9時から 大学を卒業して以来,18年ぶりに学校で授業を受 夕方の5時までは医療専門学校の授業,夕方の6時 けるという機会に恵まれた。職場でもセミナーや から10時まではOBS,帰宅して課題作成という生 勉強会など,国内国外を問わず受講する機会があ 活パターンが出来上がった。私も医療という未知 ったのだが,やはり学校で学友と一緒に授業を受 の業界に挑戦したばかりであったから,がむしゃ けるというのはずいぶん違う。私にとってこの2年 らに知識を身に付けようと努力した。 間は,実に自分自身のなかにイノベーションの湧 き起こった2年間であった。 ところで,学友とは数え切れないくらい飲みに 行った。饒舌で自己主張の強いタイプの人も多い 子供のころの勉強というのは,自主的にやると から,2時間や3時間はあっという間に過ぎてしま いうよりも,成績があがれば褒めてもらえるとか, う。朝まで飲み続けたことも多い。いつも朝まで プラモデルを買ってもらえるとかのインセンティ 付き合ってくださる先生もいた。こういう集まり ブによるところが多いと思う。私もほとんど親に が楽しい。もしかしたら,こういう場で議論しあ のせられて受験勉強に励み,私立中学に入学した。 ったことのほうが,自分に強い影響力を与えてい 中学・高校時代は受験勉強がなかったので,青春 るかもしれない。OBSで学ぶ理由はスキルの習得 を謳歌し,大学では物理学を選んだが,決して熱 だけではない。もしそうであれば自分自身のイノ 心に学ぶ学生ではなかった。 ベーションにはつながらなかったと思う。 社会人になってからは,流通の仕事が面白くて 最後に,この2年間家族にはたくさん迷惑をかけ 仕方がなくなり,自分の成長欲を充足させるもの た。妻や子にしてみればわからない事だらけだっ は,なんでも貪欲に吸収していった。商談も,出 たようだ。「お父さんは急に引きこもりになって勉 張も,会議も,飲み会や観楓会ですらも学習の場 強を始め,大量の本を読みだした。どうも徹夜で のように考えた。実際そうすることによって,ス 宿題しているようだ。でも,そういうわりには毎 キルが高まり,仕事はうまく運ぶし,自分のキャ 晩酔っ払って帰ってくる。小樽の授業の日にはな リア形成にも役に立った。しかし,時間が経つに ぜ小樽に泊まるのだろう?」 ごめんなさい。春か つれて,そういった経験的な知識だけでは足りな らは,またみんなとの時間が持てるからね。あり いと思う場面が多くなってきた。こんな薄っぺら がとう。 な知識では,これから先通用しないのではないか という不安が募ってきた。どうにかしてこの雑多 な知識を整理整頓して進化させる必要があった。 2005年2月,縁あってOBSを受験することができ 学園だより 146 13 定年にあたって 小樽商科大学を去る 特任教授 倉 田 稔 かつて,定年になった時, 『学園だより』 (139 号)で,「小樽商科大学と私」の題で書いたの で,その続きを草する。 商大のすぐれた点は,実力で教師を採用する ことにある。日本ではほとんどコネ採用である。 私の授業の狙いは,とにかく目茶苦茶に面白 日本の大学でこれをすれば,一気に大学がよく い(interesting な)話をすることであった。学 なり,これが一番の大学改革であろう。自分の 生に勉強が好きになってもらうこと,現代社会 知っている人をとるだけだったら,商大はオシ に興味をもってもらうことにつきた。大学教師 マイになる。 の任務は,よい授業をすることである。なにし ろ給料はそれで貰っているのだから。 私は3年半ほど附属図書館長をした。この仕 事は私は好きだが,やめさせてもらった。お金 いま10年連続でおこなっている札幌の社会人 のかからない当面の改革は全部やった。貴重書 講座には考えさせられた。大学の学部の講義と 展示会をしたら,学生が商大を誇るようになっ は一体何なのか,と。とにかく熱心なのである。 た。 自分の懐から受講料を払うからでもある。 私の半生で,個人生活で嬉しかったのは,日 私はヒルファディング研究者として出発し 本社会事業大の助手になった時である。オース た。その後,読書界ではハプスブルク史の書き トリア政府給費生になった時もかなり嬉しかっ 手と思われた。処女作『金融資本論の成立』 た。楽しかったのは,初めのアムステルダム留 (青木書店)は一生懸命書いた。この 20年は毎 学,その後2回のウィーン留学である。勉強三 年1冊づつ本を出しているが,私が死んでから 昧になれる。社会との関連では,ベトナム戦争 は,この本の著者だったということになるので が終った時である。 はないか。日本人として,ヨーロッパだけでな 商大は授業料を上げると必ず没落するだろう く,日本研究も必要だと考えた。小樽にいて, から,そうしないように後の先生にお願いした 有利なので,多喜二研究を少ししてみた。 い。若い時に,良い勉強をしっかりしておいて 学者は象牙の塔に閉じこもることもいいが, 現代では大衆向けにも本を出すのは悪くない と,思う。 頂きたいというのが,学生へのお願いである。 小樽で半分弱の人生を送った。よい学生と知 り合い,同僚諸先生や職員の皆様にはお世話に 地方都市では,東京とは違って新聞社の存在 なり,心から感謝したい。特別の事情が起きな が近い。これはよいことで,随分利用した。小 い限り,小樽にいるつもりであり,商大の今後 樽市内で知人を作ることも大切である。 を楽しみに拝見したいし,商大の発展を祈るば 商大教官の研究費については,長谷部図書館 長がよい改革をしたことを忘れられない。昔は 14 研究費が少なかった。 学園だより 146 かりである。 平成18年度 小樽商科大学就職状況 (平成19年3月5日現在) 1.進路状況 ■商学部 昼間コース 区 分 1.卒業者数 2.就職希望者数 (内訳)内定者数 (内訳)未定者数 3.非就職者数 4.進学者数 内定率 男子 女子 241 211 207 4 22 8 98.1% 202 186 185 1 12 4 99.5% 夜間主コース 計 443 397 392 5 34 12 98.7% 男子 女子 52 47 45 2 1 4 95.7% 47 34 34 0 9 4 100% 合 計 計 99 81 79 2 10 8 97.5% 男子 女子 293 258 252 6 23 12 97.7% 249 220 219 1 21 8 99.5% 計 542 478 471 7 44 20 98.5% ■大学院 現代商学専攻 区 分 1.修了者数 2.就職希望者数 (内訳)内定者数 (内訳)未定者数 3.既就職者数 4.進学者数 帰国者 アントレプレナーシップ専攻 合 計 男子 女子 計 男子 女子 計 男子 女子 計 4 0 0 0 0 2 2 3 1 1 0 1 0 1 7 1 1 0 1 2 3 27 2 2 0 24 1 0 4 3 2 1 1 0 0 31 5 4 1 25 1 0 31 2 2 0 24 3 2 7 4 3 1 2 0 1 38 6 5 1 26 3 3 2.産業別・学科別状況 区 分 農業・林業・漁業・鉱業 建設業 製造業 電気・ガス・熱供給・水道業 情報通信業 運輸業 卸売・小売業 金融・保険業 不動産業 飲食店・宿泊業 教育・学習支援業 複合サービス事業 サービス業 公務 就職決定者数 進学者数 その他 卒業者数 経済学科 0 4 16 1 11 7 13 55 0 3 2 5 7 10 134 3 15 152 商学科 企業法学科 1 1 20 5 12 7 24 51 3 2 6 2 14 5 153 6 20 179 0 5 14 2 7 5 12 26 3 0 2 3 7 12 98 10 12 120 合計 社会 情報学科 人数 0 1 12 0 29 3 6 23 2 0 0 1 6 3 86 1 4 91 1 11 62 8 59 22 55 155 8 5 10 11 34 30 471 20 51 542 % 0.2 2.3 13.2 1.7 12.5 4.7 11.7 32.9 1.7 1.1 2.1 2.3 7.2 6.4 学園だより 146 15 3.企業等別就職・進学人数 区分 企業等名 農業 農業(自営) 建 設 業 製 造 業 ガ電 ス気 等・ 情 報 通 信 業 16 ミサワホーム北海道 石川島播磨重工業 積水ハウス 大成ロテック 大和ハウス工業 大和工商リース 竹中工務店 土屋ホーム 東日本ハウス DNP北海道 JFE商事 NECインフロンティア アサヒビール アステラス製薬 アベテック エーザイ オンワード樫山 カンディハウス キッセイ薬品工業 クボタ ケンウッド コトブキ製菓 サッポロビール ダイナックス ピーエス ロイズコンフェクト 旭化成グループ 岡村製作所 吉野石膏 古河電気工業 佐藤水産 三菱重工業 三菱電機 山崎製パン 出光興産 松下電工 新日本製鐵 須田製版 西海水処理 川崎重工業 大崎電気工業 大日精化工業 中外製薬 久光製薬 田辺製薬 渡辺パイプ 東芝 凸版印刷 日産自動車 日本新薬 日立プラントテクノロジー 富士ゼロックス北海道 北海道コカ・コーラボトリング 田中酒造 北海道ガス 北海道電力 HBA ITS NECソフトウェア北海道 NTTコムウェア NTTデータ NTTドコモ北海道 NTT東日本 SCC SOC STVラジオ TKC アクティス 学園だより 146 人数 1 1 1 1 1 2 2 1 1 1 2 1 1 1 1 1 1 2 1 1 1 1 1 1 1 1 2 1 1 1 1 1 1 1 3 1 1 1 2 1 1 1 1 2 1 1 2 3 3 1 3 1 1 4 1 2 6 2 1 5 1 1 2 2 2 1 1 1 1 情 報 通 信 業 運 輸 業 卸 売 ・ 小 売 業 アジェンダ エス・エフ・シー エヌ・ティ・ティ・システム開発 クオリカ クリーク・アンド・リバー社 コア 北海道カンパニー システムデザイン開発 ジャパンテクニカルソフトウェア ソフトハウス パピルス ビーコンシステム ベネッセコーポレーション リコーソフトウェア 学習研究社 大塚商会 都築電気 東京コンピュータサービス 東京三菱インフォメーションテクノロジー 日本オフィス・システム 日本システムウエア 日本ユニシス 日本アイビーエム・ソリューション・サービス 日立ソフトウェアエンジニアリング 富士通FIP 北海道エヌエスソリューションズ 北海道新聞社 北海道電子計算センター 北海道日立情報システムズ 毎日新聞社 明治安田システムテクノロジー JALスカイサービス センコー 札幌通運 全日本空輸 日本通運 北海道空港 北海道中央バス 北海道旅客鉄道 CAN NEC イオン エムエフノースジャパングループ コスモ石油 サッポロドラッグストアー ジュエリーフォンド セイコーマート セブン・イレブンジャパン タカキュー どんぐり ト一屋 ナシオ ニチモウ ニトリ バロー ホーマック ほくやく ホシザキ北海道 ポスフール ムトウ ヤマダヤ ユニクロ ワールドストアパートナーズ ワンゾーン 丸井今井 丸紅 兼松 光和 佐鳥電機 札幌トヨタ自動車 三万石 十勝三菱自動車販売 小樽オルゴール堂 贈答の富士 2 1 1 2 1 1 1 1 1 1 1 1 3 1 1 1 1 1 2 1 1 1 1 1 2 4 1 1 1 1 1 2 2 3 3 2 5 4 1 1 2 1 1 1 1 3 2 1 1 1 2 1 1 1 2 1 1 2 1 1 1 2 1 2 1 1 1 1 2 1 1 1 1 卸 売 ・ 小 売 業 金 融 業 保 険 業 不 不 動 動 産 産 業 業 飲 食 店 ・ 宿 泊 業 大丸藤井 大木 日産プリンス札幌販売 日本アクセス 富士メガネ 北一硝子 北海道JR商事 北海道エア・ウォーター 六花亭製菓 SFCG オリックス マリンバンク みずほフィナンシャルグループ ライフ 旭川信用金庫 空知信用金庫 国民生活金融公庫 札幌銀行 札幌信用金庫 三井トラストフィナンシャルグループ 三井住友銀行 三菱UFJ証券 三菱UFJ信託銀行 三菱東京UFJ銀行 七十七銀行 室蘭信用金庫 住友信託銀行 商工組合中央金庫 信金中央金庫 帯広信用金庫 大和証券 中央三井信託銀行 中小企業金融公庫 東海東京証券 東北労働金庫 苫小牧信用金庫 日興コーディアル証券 日本銀行 農林漁業金融公庫 農林中央金庫 北海信用金庫 北海道銀行 北海道信用農業協同組合連合会 北海道労働金庫 北洋銀行 北陸銀行 野村證券 ニュートン・フィナンシャル・コンサルティング 共立 三井住友海上火災保険 三井生命保険 住友生命保険 損害保険ジャパン 太陽生命保険 大同生命保険 第一生命保険 東京海上日動火災保険 日本興亜損害保険 日本生命保険 明治安田生命保険 アクティオ オープンハウス スクエア・ワン ゼファー セントラルリーシングシステム レクシオ 住友不動産販売 アレフ デニーズジャパン プロントコーポレーション 侍 日本マクドナルド 1 1 1 1 2 1 1 1 1 2 5 1 6 1 1 5 1 3 3 1 3 4 3 6 1 1 1 2 2 1 2 1 2 1 1 3 3 1 2 1 1 7 1 4 19 4 1 3 1 3 1 2 3 1 4 5 15 1 6 3 1 1 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 教 育 ・ 学 習 支 援 業 複 合 サ ー ビ ス 業 サ ー ビ ス 業 公 務 進 学 NOVA ワオ・コーポレーション 共育舎 札幌大学職員 秀英予備校 北海道大学職員 練成会 JA共済 JA北海道信連 JA北海道中央会 ホクレン農業協同組合連合会 日本郵政公社 北海道信用保証協会 ANAセールス北海道 HKIアクシス JTB北海道 VSN オリックス自動車 ジュリアンヌ センチュリー・リーシング・システム ダイナム ダイヤモンドリース トップツアー マルハン リクルートHRマーケティング 加森観光 近畿日本ツーリスト 住商リース 松山総合法律事務所 新日本監査法人 新和グループ 西尾レントオール 東京都競馬 日本原燃 芙蓉総合リース 平成観光 畑田削蹄 札幌国税局 旭川市役所 経済産業省北海道経済産業局 国税専門官 札幌市役所 札幌中央道税事務所 小樽社会保険事務所 池田町役場 苫小牧市役所 美幌町役場 防衛庁 北海道警察 北海道庁 一橋大学大学院経済学研究科 小樽商科大学アントレプレナーシップ専攻 小樽商科大学大学院現代商学専攻(博士前期課程) 大阪大学大学院国際公共政策研究科 北海学園大学大学院法務研究科 北海道大学公共政策大学院 北海道大学大学院経済学研究科 北海道大学大学院法学研究科 1 1 2 1 1 1 3 1 1 1 4 3 1 1 1 3 1 2 1 2 1 3 1 1 2 1 2 2 1 1 2 1 1 1 1 1 1 4 1 1 2 7 1 1 1 2 1 1 4 4 2 1 10 1 2 1 2 1 【大学院修了者進路先】 ジョンソン・エンド・ジョンソン 興銀第一ライフ・アセットマネジメント 三菱東京UFJ銀行 キリンビール スターツグループ 小樽商科大学大学院現代商学専攻(博士後期課程) 学園だより 146 17 国際交流 留学生から見た日本 日本でのヨハンナ【第5回∼第7回】 ドイツの地方紙『バイエルン ルンドシャウ』に掲載された本学交換留学生ヨハンナ 「日本のヨハンナ」第5回目(日本語訳は秋山義昭学長による) 第5回 文化と天皇 世界的都市の魅惑:ヨハンナ レッシ ュが東京を探訪した。 クルムバッハ/東京。奨学金を得て 10月から日本で生活しているクルムバ ッハの学生ヨハンナ レッシュにとっ ては,発見すべき多くのことがある。彼女は,数人の学友達 と冬休みを利用して首都を訪れた。世界的都市の魅惑と ともに,天皇一家の登場も,21歳の彼女に強い印象を残し た。これは,その報告である。 「冬休みは,私たちにとって,数日間北海道に背を向け, 日本本土を探訪する時でした。それで,列島の最大の島,本 州への旅が自発的に計画されました。ー目的地は東京で す。飛行機の切符はすでに売り切れていたので,私たちは フェリーでの渡航を決めました。 南へ向かった私たちの旅は,小樽から本州の西海岸新潟 まで,フェリーで全部で18時間かかりました。新潟からは, 翌朝東京まで列車に乗らなければなりませんでした。最 初は雪には遭わないと考えていたのですが,すぐにこの考 えが誤りであったことを思い知らされました。さんざん な気候状況のもとで,200キロの行程を8時間もかかってし まいました! しかしながら,東京ではまぶしいほどの陽光と穏やかな 気温で歓迎されました。あるインターナショナルホステ ルに部屋を確保した後,まず渋谷の首都探索に出かけまし た。そこは,“Lost in Translation”という映画の大部分が 撮影されたところです。地下鉄を降りると,すべての歩行 者用信号機が一斉に青になり,それに従い歩行者がまっす ぐだけでなく,道路の角から反対側へも対角線状に移動し, 日本の旅行案内の写真で知ったネオンサインに囲まれた 独特な大きな交差点と,そこにそびえ立つ数えきれないビ ル群の真っ只中に出ました。東京都心での第一印象は,強 烈なものでした! 翌日のプログラムは文化でした。私たちは,東京の北に ある小都市,日光を訪れました。そこの玉虫色に輝く建築 物を擁する寺院地区は,ユネスコの世界文化遺産です。そ して,そのことはまったく正当です。というのは,細かな細 工を施した金で装飾された寺院や数100年を経た彫像は, 18 学園だより 146 レッシュの日本滞在記 古い時代の伝統的な日本を物語ってくれるからです。雰 囲気は無類のもので,日本の諺にも「日光を見ずして,壮 麗と言うなかれ」とありますが,まさにそのとおりです。 翌日は,東京を歩き回りました。それ自体都市のシンボ ルである地下鉄に乗って,さまざまな巨大都市の街角を観 察してきました。一方で,新宿,六本木,銀座のような現代 的な商店買物地区にはビルやデパートが聳え立ち,他方で, 例えば,有名な明治神宮や靖国神社の近くのように,都会の 中の緑のオアシスもたくさんあります。北海道と比較し て特に目についたのは,100万都市の国際度です。食通に とっては,確実にあらゆる種類の西洋料理が見つかります し,ほとんどの人々が英語をしゃべります。したがって,東 京で正しい道を見つけるについては,何の問題もありませ んでした。 しかし,地下鉄が原則として深夜走っていないことがわ かったとき,いささか不思議に思いました!。ところが,幸 運なことに,大晦日には,日本ではにぎやかに祝うわけでも ないのに,例外でした。私たちは,花火なしに比較的静かに 新年の挨拶をかわしました。‐そして,それは,あたかもこ の日以外は躍動している街が一瞬呼吸を止めたかのよう に思われました。というのは,路上には誰一人見当たらな かったからです。むしろ西欧的な特徴をもった六本木で 数あるバーのひとつでついに夜を明かしたときは,そうで はありませんでした。 1月2日は,天皇一家が国民の前に姿を現す2日のうち の1日です。私たちも,天皇明仁がバルコニーから手を振 るのを見るために,皇居に向かいました。ほんの数分間,旗 を振る人々が天皇一家に歓呼することが許されたかと思 うと,天皇一家はすぐに皇居に引き返してしまいました。 この変化に富んで,にぎやかで,魅惑的な都市について多 くの印象を残し,私たちは,再び北への旅につきました。し かし,特に幸運だったわけではありませんでした。:列車 とフェリーで36時間かかった帰路,激しい嵐に遭遇したば かりでなく,小樽駅から宿舎へ戻る途中のタクシーが,2メ ートル以上も積もった雪にはまってしまいました。わく わくするような私たちの旅は,こうして十分に冒険的に終 わりを遂げたのでした。」 26・1・2006 日本でのヨハンナ ドイツの地方紙『バイエルン ルンドシャウ』に掲載された本学交換留学生ヨハンナ レッシュの日本滞在記「日本のヨハンナ」第6回目 (日本語訳は秋山義昭学長による) 第6回 辛いカレーと黄金の仏像 ヨハンナ レッシュ:春休みにタイでの冒険 クルムバッハ/小樽 半年前から日本の小樽で学んでいる クルムバッハのヨハンナ レッシュは,春休みを利用してタイ に旅行をした。バイエルン ルンドシャウの読者には,今日,こ の冒険について報告する。 「スプリング ブレーク― 待ちに待った春休みだ! 2月の 終わり,最後のレポートを書き上げ,宿舎中に旅行の準備が始ま りました。ほとんどすべての留学生たちは,日本やアジアの別 の地域を探索するために,この講義から解放された時間を利用 します。中国に万里の長城訪問,カンボジアに観光,それともハ ワイに旅行? 日本からは,早く,そして比較的安く,いろいろ な夢の目的地に達する可能性が多くあります。 決断を下すのは容易ではありませんでした。しかし,パック 旅行にすべきでないことは決めていました。私は,“リュック サック族”(Backpacker)として,独力でアジアの国を訪れてみ たかったのです。間もなく,旅行の同伴者として,ニュージーラ ンドから来たクリスティが見つかりました。彼女は,私とまっ たく同じく,このアイデアに夢中になり,友人の助言でタイに決 めました。 最初の滞在地はバンコクでした。数日間の暑さにはほとほ と閉口しました。しかし,嬉しいことに,やっとのことで私たち の冬のコートをサロンやTシャツと交換することができ,“リ ュックサック族”の集まる賑やかなバングランプー地区の雑 踏に身を寄せました。雑然とした市場や街路がここでの情景 です。;いたるところに,犬,猫,子供がおり,さらにあちこちに 典型的なオレンジ色の僧服をまとった修道僧がいます! 私 たちのホテルから数本隔てたところに,“The Beach”の映画 で有名になったカオ サン通りがあり,バーやレストランが立ち 並ぶこの通りをぶらつくことができます。 タイの首都には,しかし,とても面白い見るべきものがたくさ んあります。この国特有のトウクトウクー当地でタクシーの 機能を果たす3輪車がこう呼ばれているーで少し走ると,400 を超えるワット(寺院)のひとつを通りかかります。私たち は,この仏教施設のうちの4つを訪れ,そのきらびやかな建造物 に驚きました。印象的だったのは,例えば,フォー寺院の金箔を 貼った“横たわる仏”のような,46メートルもある!仏像でし た。 次に,私たちは,夜行列車で北のチャンマイに向かい,そこで 料理コースに参加しました。その土地の料理人が私たちを市 場に連れて行ってくれ,5種類のメニューの調理を手伝ってく れました。それ以来,辛いカレーと美味しい麺類のタイ料理は, 私のお気に入りになっています! 私たちの計画した3日間の徒歩旅行の準備のために訪れた 博物館で,タイの山岳民族についての情報を得ました。ミヤン マーの国境に近い隔絶された村に住む種族は,今なお固有の文 化,言語,芸術,宗教を守り続けています。私たちの現地のガイ ド自身も,カーレン族に属する方たちだったのですが,行動様式 のいくつかに習熟していました。 最初に,私たちは,女性が5歳から25歳までの年齢ごとに首を 長くするための輪を首につける首ながカーレン族を訪れまし た。この伝統は,美しさのシンボルとして,気品の高い美人を崇 拝することに基づくものです。そこから,ジープで山につれて 行かれました。急勾配の地形を渡り歩く旅行は,本当にしんど かったです。;その代わり,他に比べようもない花畑の世界と アッと息を呑むような景色で報われました。 夕方,リス村に着きました。おおよそ200人の村民が,そまつ な家に住んでいます。いたるところに,豚,鶏,猫,犬がいます。 隣の学校までは7キロありますが,子供たちは歩いて行かなけ ればならないのだと,案内人のスーシンが説明してくれまし た。かまどの上で食事の準備をする婦人とアヘンを吸いなが ら日没を見つめるその夫を見かけました。リスの住民は,他の 民族と同様,米やバナナ,とうもろこしの栽培など,ほとんど自 給自足の生活をしているのです。旅行者に村を開放すること で,例えば,給水施設を改良するためのお金を稼いでいます。政 府も,政治的に長い間放置してきた山岳民族を支援するように なりました。 竹でできた小屋のひとつで短い夜を過ごし,早朝鶏の鳴き声 で目を覚まして,次の村へ向かいました。冒険に満ちた徒歩旅 行の途中,倒木をよじ登り,川を渡りましたーあるときは,私た ちのすぐ隣で,水牛の群が草を食べていました! 数時間後,行 程の一部で象に乗ることができました。目的地に着くために, 私たちは,最後の数キロ,メーテン川を竹のいかだで進まなけれ ばなりませんでした。私たちの宿,すなわち3階建ての竹の小 屋は,直接川岸に面していました。夜は,キャンプファイヤー で,おいしいタイ料理と現地の人々との楽しいおしゃべりで過 ごしましたー忘れられない体験でした。 旅の第2部は南方でした。そこでは,カオソクの国立公園に ある熱帯雨林で数日間過ごしました。最後に,サムイ島とタオ 島を探索しました。特に,タオ島は観光からまったく隔絶され たパラダイスです。:白い砂浜がココヤシの木の下に,トルコ ブルーの海に沿って延々と延びています。そこで,私たちは,さ らに1週間,砂浜と太陽を満喫し,カレンダーの日付を忘れるほ ど,快適な日を過ごしました。」 27・3・2006 学園だより 146 19 日本でのヨハンナ ドイツの地方紙『バイエルン ルンドシャウ』に掲載された本学交換留学生ヨハンナ レッシュの日本滞在記「日本のヨハンナ」第7回目 (日本語訳は秋山義昭学長による) 第7回 ハイテクと桜 母親と友人たちとの日本周遊の旅 東京/クルムバッハ ドイツからの訪問! 秋以来日本で 学んでいるヨハンナ レッシュは,彼女の友人たち,そして少し 遅れて彼女の母親が東京へ来た時,大喜びをした。21歳のクル ムバッハの学生は,今日,共にした体験について報告する。 「確かに,旅行者にあっては,いわゆるカルチャーショック は,日本に住んでいる私たちのようにさほど深刻ではないとし ても,私はすぐに日本に来たばかりの時に立ち戻ったような感 じを受けました。“なぜあんなに多くの人たちがマスクをして いるのか?”といった疑問,自動的に開くタクシーのドアや暖 房の入った便座の驚きー日本の文化の中で,その特色とともに 生活することが,いかにこの間に普通になってきたかが,はっき りしてきました。しかし,同時に,いつまでも絶対になじめない だろうことは結構あります。 多くの文化面での謎解きと同時に,私たちは主として観光と 買い物に専念しました。あらゆる趣味嗜好に対応するものが ありました。秋葉原のゴルフーシュミレーションや最新のハ イテク機器,浅草の神社,大都市の郊外にある大規模な施設を備 えた温泉(オスパ)でのくつろぎ。とりわけ新宿の摩天楼や 東京都庁の243メートルからの眺めは印象的でした。45階か らは,5000平方キロ以上に広がった,高い人口密度の首都圏の 果てしなく輝くビルの海が見渡せます。隅田川の船下り,この 種のものとしては世界一の大きさを誇る築地の魚市場見学と, 私たちのスケジュールは完璧でした。 次の週,母親と私は,日本学を専攻している専門的な案内のも とで,伝統的かつ時代時代の日本をより深く洞察するために,ド イツ人の団体旅行に加わりました。私にとっても発見すべき ことがたくさんありました。というのは,多くの日本人は,目を パチクリさせて北の島をすでに日本に属していないとみなし ていると思われるほど,北海道は,首都圏の都市とは大きく違っ ているからです。 最初に訪れたのは鎌倉でした。太平洋岸にあるこの地は,12 世紀の終わりには最初の将軍家の居城があった所で,その歴史 的な重要性から,今日もなお良く保存された数々の文化的な建 造物を誇っています。それで,私たちは,長谷寺と“大仏”を訪 れました。富士箱根国立公園への途中,風景はそうでもないが, クレーターから硫黄の蒸気が吹き上げている大湧谷に立ち寄 りました。そこには,熱い温泉のお湯でゆで,長生きの効果があ るといわれている黒味がかった卵が売られていました。 翌日,西に向かう前に,日本の象徴,富士山を望むことができ ました。3776メートルの円錐形の山(“ふじやま”としても 20 学園だより 146 知られている)は,実に美しい絵のような眺めで,したがって, それが最も好まれる絵葉書のモチーフになっているのも,理由 のないことではありません。 日本人旅行者にとっても,姫路城はスタート地点です。それ は,1993年にユネスコの世界文化遺産に指定されました。姫路 城は,確かに日本で一番美しく大きな城なのですが,残念なが ら,私たちの団体旅行参加者の誰もががっかりしたように,これ 以外はまったく灰色でひっそりした街の唯一の輝きです。そ れだけになおさら,とりわけハイテクに関心のある参加者たち は,最高時速300キロで,信じられないような短時間のうちに広 島まで運んでくれた新幹線には感動しました。本州の南西の 100万都市は,多くの人々にとって,1945年にアメリカによって 原爆投下がなされたところで知られています。広島は,今日,特 に活気のある現代的な都市ですが,いわゆる原爆ドーム,博物 館,そして広々とした平和公園にある多くの記念碑は,なおも人 間に対する世界初の原爆投下による10万人以上の犠牲者を思 い起こさせてくれます。 有名な,海の中に建っている厳島神社の鳥居で知られた聖な る宮島への旅および8世紀の日本の最初の首都奈良での1日 は,日出ずる国での旅行の頂点でした。奈良公園の人に慣れた 鹿がとても可愛かったです。 最後の京都ほど,文化の豊かさを上回るところはありません でした。信じられないような1600を数える多様な仏教寺 院,400もの神社,数えきれない禅庭園や公園は,京都が第2次大 戦で攻撃を免れたおかげです。金閣寺や美しい公園施設を備 えた中国の影響を受けた平安神宮は,もっとも有名な名所で す。いくつもの寺院のある“哲学者の道”を散歩していて,幸 運にも最初の桜を楽しむことができました。 ところで,桜の白やピンクの華麗さは,日本では崇拝の対象で もあります。:テレビでは熱心に開花予想が報じられ,公園に 大勢の人たちがカメラを携えてあつまります。“花見”は,日 本人の長い伝統を有する慣習で,友人や会社の同僚とピクニッ クをし,お酒を飲みながら桜を愛でることに意義があります。 」 11・05・2006 ※ 伊 藤 整 ︵ 本 学 大 正 11 年 入 学 ︶ 伊 藤 整 ﹁ 詩 集 雪 明 り の 路 ﹂ ︵ 大 正 15 年 12 月 椎 の 木 社 ︶ よ り い つ ま で も 無 く す ま い と 考 へ て い た 。 こ の 緑 の の び る 朝 の 目 覚 め の 善 良 さ を 風 邪 気 味 の 鼻 を つ ま ら し す も も の 匂 に や っ ぱ り 此 の 世 は 良 い 所 だ と 思 っ て 人 ほ ど 良 い も の は 無 い の だ と 思 ひ ひ と つ ひ と つ 祝 福 し た い 微 笑 み で 思 ひ 浮 べ 記 憶 の 表 に ふ れ た す べ て の 心 を 私 の 知 っ て 来 た 数 か づ の 姿 い ろ ん な 人 た ち の 事 を 思 っ た 。 目 に い っ ぱ い 涙 を た め て な ぜ か そ の 透 き と ほ る 緑 に 触 れ そ の 匂 に 胸 ふ く ら ま し 雨 あ が り の 野 道 を 歩 い て 来 て 今 朝 ぼ く は 快 い 眠 り か ら の 目 覚 め に 良 い 朝 学園だより 146 21 平成18年度 学生表彰 学生表彰は,①学業の成果が特に優れていると認められる者として,学部の場合,最短修業年限で卒業する者の 中から,毎年,成績上位者3名,大学院の場合,現代商学専攻は修士論文の成績が特に優れた者,アントレプレナ ーシップ専攻は最短修業年限で修了する者の中から,毎年,成績上位者1名 ②課外活動の成果が特に顕著であり, かつ,本学の課外活動の振興に功績があったと認められる団体又は個人 ③本学の名誉を著しく高めたと認められ る者 ④学長が特に表彰に値すると認めるものに対し,その功績を讃え,今後の励みとなるよう表彰するものです。 被表彰者の選考は,指導教員や顧問教員等の推薦に基づき,学生委員会及び教務委員会で審議の上,教授会で決 定されます。 平成18年度の学生表彰は,3月19日挙行の学位記授与式において,次の方々と団体に対し,賞状のほかに記念品 を贈呈して行われます。 1.本学における学業の成果が特に優れていると認められる者(表彰規程第2条第1号) ■学部 (学生番号順) 学生番号 2003015 2003821 (早期卒業) 2004452 氏 名 あま の 天 野 おお ひろ 大 廣 やま ぐち 山 口 とも 友 学 科 み 経済学科 みどり 商学科 へい 商学科 美 翠 こう 耕 平 ■大学院 学生番号 200535 氏 名 むら 村 やま 山 ひろ 宏 学 科 ゆき 幸 アントレプレナーシップ専攻 2.課外活動の成果が特に顕著であり,かつ,本学の課外活動の振興に功績があったと認められる団体又は個人 (表彰規程第2条第2号) 団 体 名 トランポリン競技部 推 薦 内 容 「第41回全日本学生トランポリン競技選手権大会」において優秀な成績を収めた。 ①大学対抗戦(男子) 3位 ②Bクラス(男子)団体 優勝 ③Bクラス(男子)シンクロナイズド 準優勝 ④Cクラス(男子)団体 準優勝 3.学長が特に表彰に値すると認めるもの(表彰規程第2条第4号) 団 体 名 小樽商科大学 中国留学生学友会 推 薦 内 容 本学国際交流週間における日中シンポジウムの開催,後志管内地域教育フォーラムや本学一日教 授会での意見発表,小樽観光推進のための中国語通訳や翻訳への協力及びその支援等,日中友好 の架け橋となるべく各種交流活動を展開し,本学のみならず地域の活性化に多大な貢献をした。 ヘルメスの杖ペーパーナイフ 「ヘルメスの杖ペーパーナイフ」は学生表彰で個人表彰を受け た学生に対して贈呈されるものです。ペーパーナイフの頭部分は, 本学の学章「ヘルメスの翼に一星」 をデザインしたものです。 ヘルメス(Hermes)は,ギリシャ神話の神の一人で伝令の神, また商業,学術の神とされています。ローマではマーキュリー (Mercury)。 ヘルメスは,2匹の蛇がからみついた翼のついた杖をもち,伝 令の神として世界 を飛翔します。 一星は,本学の前身である小樽高等商業学校以来,本学のシン ボルとして用いられてきました。 「北に一星あり。小なれどその輝光強し。」と謳われた本学の 伝統を象徴します。 22 学園だより 146 小樽商科大学 学生研究奨励事業 第1回 「学生論文賞」 昨年度まで実施されていた「学生懸賞論文」は,今年度から 小樽商科大学 学生研究奨励事業「学生論文賞」として生まれ変わりました。 ■総評 小樽商科大学ビジネス創造センター 研究部主任 前田 東岐 「学生論文賞」第1回目である今年度は,学部生部門に35編,院生部門に2編の,合計37編の応募がありました。昨年と 比べて倍近い応募となっております。またここ数年の応募状況と比較しても,多数の応募がありました。学部生部門で の応募者は,3・4年生のみでした。所属に関しては,商学科が過半数を占めていますが,経済学科,企業法学科,社会 情報学科からの応募も増加しています。研究テーマとしては文学・言語の分野も含まれ,本学らしく多岐に渡っていると いえます。 二段階の厳正な審査の結果,院生部門では,佳作1編が入賞し,学生部門では,大賞1編,優秀賞2編,佳作3編,奨励 賞17編の入賞となりました。 審査が二段階方式になった結果,第2次審査の対象となった論文は,形式面での不備を指摘されるものが殆んどありま せんでした。第1次審査が行なわれたことも,論文水準の向上に繋がったと考えられます。 上位入賞者の論文は,特に第2次審査において査読担当者から高評価を得ている傾向があります。これらの論文は,方 法論の妥当性,論理構成の確実さなどの点で優れていたようです。奨励賞の該当論文は,先行研究のサーベイ不足,論 理構成の弱さが指摘されているものがあります。また幾つかの論文では,ユニークな着眼点を示したものの検証が十分 でないため,思いつきに留まる・客観性に欠けている等の指摘がありました。学生諸君には,論文作成の基本的な作法の ほか,テーマのユニークさを客観的・一般的な水準に高めるための「学術的な裏づけ」も修得されることを望みます。そし て,より高い水準で研究に取り組んでくださることを希望します。 さて,「学生論文賞」では二段階の審査のどちらにおいても,応募者への評価のフィードバックを行なっています。こ れは,論文執筆のノウハウや研究能力のレベルアップに寄与するものですので,是非 真摯に受け止め 今後に役立てて欲 しいと思います。本事業への応募には年次による制限はありません。今後は,3・4年生は勿論のこと,1・2年生からの応 募にも期待しています。 尚,最後になりましたが,本事業の実施に対しまして,株式会社 北洋銀行様より多大なるご支援を頂戴いたしました。 記して感謝の意を表します。 [学生部門] 審査結果 [*順不同 G=グループ] 〈大 賞〉 井原 香織 零細小売商のエスノグラフィー ―鮮魚店の存立基盤に関する考察― 〈優秀賞〉 前田 容子 女性労働者に対する意識と制度の変化∼ダイバーシティ・マネジメントという考え方∼ 中 祐規G(2名)国債ポートフォリオのリスク管理 〈佳 作〉 小川 亮 想像力を持ったCSR人材の必要性 小林 沙織G(4名)4つの立場から見る観光問題の本質 ∼小樽市の事例をもとに∼ 阿部さとみ オーケストラに学ぶプロフェッショナル組織におけるリーダーシップ 〈奨励賞〉 高山 博貴 大学におけるeラーニングシステム構築の可能性 吉田 友弘 動的筋力トレーニングにおけるレペティション法の改善 佐藤 正典G(3名)仮説検証型発注システムの弱点 ―セブンイレブンを事例として― 森 浩輝G(4名)踊る報酬 ∼人はなぜYOSAKOIソーラン祭りで踊るのか∼ 屋敷 美奈G(3名)グッズ販売事業を素材とした広報活動の重要性 萱森 美緒G(4名)ポイントカード戦略による大通駅エリアの活性化 高田 禎久 ロングテール分析とその活用 中島 啓G(2名)エキゾチックオプション組み込み債権の収益性 藤原 佑輔 刑法における公務の保護 岸 藍子 緑陰の形成に着目した街路樹配置に関する研究 北村 知子G(4名)地球に優しい3R ∼資源枯渇への対策とその心構え∼ 山本 あみ 携帯電話における効率的な文字入力方式の検討 筒井由香里 携帯電話を利用したATM利用時間の短縮 小路奈美絵 サービス業におけるマニュアル経営の実態 ∼定食屋チェーンA店の事例∼ 山本 絢子G(3名)福住地区高齢化の理由とこれからのまちづくり∼老年者にとっての福住の魅力とは∼ 小笠原義人G(4名)バイオエタノールの可能性と経済効果 林 襟奈 ウイングベイ再・再建!! [院生部門] 〈大 賞〉( 該 当 者 な し ) 〈優秀賞〉( 該 当 者 な し ) 〈佳 作〉 大友奈奈子 Effective English Teaching in Elementary Schools 〈奨励賞〉( 該 当 者 な し ) 学術研究奨励金/大賞:10万円, 優秀賞:5万円, 佳作:3万円, 奨励賞:1万円 審査担当教員 海老名 誠,寺坂 崇宏,横田 宏治,船津 秀樹,柴山 千里,佐野 博之,藤生 源子,江頭 進,小田 福男,乙政 佐吉,白 貞壬,高田 聡, 大矢 繁夫,田中 幹大,プラート・カロラス,高宮城 朝則,道野 真弘,石黒 匡人,今本 啓介,片桐 由喜,佐山 公一, 木村 泰知,阿部 孝太郎,沼澤 政信,大津 晶,中川 喜直,田野 有一,宝福 則子,マーク・A.B.ホルスト,ヨン・ステファンソン, 中村 秀雄,旗本 智之,出川 淳,奥田 和重,近藤 公彦,下川 哲央,玉井 健一,齋藤 一朗,小林 敏彦(以上 39名。 順不同) 学園だより 146 23 《 教員名簿 》 学 長 秋 山 義 昭 副学長(総務担当) 山 本 眞樹夫 副学長(教育担当) 和 田 健 夫 平成19年3月19日現在 (ダイヤルイン 0134-27-内線番号) − 商 学 部 − 経 済 学 科 基礎経済学 教 授 今 西 一 5301 教 授 遠 藤 薫 5302 助教授 坂 柳 明 5339 助 手 馬久地 路 子 5346 企 業 法 学 科 基 礎 法 教 授 加 藤 睦 洋 5303 教 授 花 田 功 一 5308 教 授 石 黒 匡 人 5359 平 井 進 5323 教 授 佐古田 彰 5362 教 授 山 本 賢 司 5309 教 授 結 城 洋一郎 5358 助教授 江 頭 進 5300 助教授 一 原 亜貴子 5373 寺 坂 崇 宏 5315 助教授 今 本 啓 介 5369 松 家 仁 5321 助教授 齋 藤 由 起 5356 助教授 遠 山 純 弘 5375 鵜 沢 秀 5310 助教授 新 村 と わ 5368 柴 山 千 里 5313 助教授 林 誠 司 5363 澁 谷 浩 5314 助 手 松 浦 ゆかり 5372 教 授 助教授 助教授 応用経済学 教 授 教 授 教 授 企 業 法 教 授 角 野 浩 5316 教 授 船 津 秀 樹 5318 教 授 片 桐 由 喜 5367 佐 野 博 之 5304 助教授 河 野 憲一郎 5379 助教授 中 村 健 一 5317 助教授 多 木 誠一郎 5374 助教授 藤 生 源 子 5311 助教授 玉 井 利 幸 5360 廣 瀬 健 一 5365 助教授 道 野 真 弘 5361 助教授 横 田 宏 治 5324 助教授 本 久 洋 一 5364 助教授 和 田 良 介 5319 助 手 國 本 さおり 5320 助教授 助教授 社会情報学科 計画科学 教 授 小笠原 春 彦 5376 教 授 中 村 隆 志 5377 穴 沢 眞 5328 教 授 行 方 常 幸 5382 伊 藤 一 5329 助教授 石 井 利 昌 5389 教 授 大 矢 繁 夫 5327 助教授 大 津 晶 5395 教 授 a宮城 朝 則 5330 中 濱 隆 5331 Neil Clymar 5337 Praet Carolus 5349 Ludovicus Constantinus 白 貞 壬 5334 助 手 飯 田 浩 志 5394 助 手 佐 藤 剛 5396 商 学 科 商 学 教 授 教 授 教 授 助教授 助教授 助教授 経 営 学 教 授 持 田 泰 昭 5386 助教授 阿 部 孝太郎 5378 助教授 酒 井 弘 一 5383 助教授 平 澤 尚 毅 5397 社会と情報 教 授 小 田 福 男 5333 教 授 金 鎔 基 5335 教 授 加 地 太 一 5390 教 授 高 田 聡 5336 助教授 木 村 泰 知 5388 助教授 田 中 幹 大 5340 助教授 佐 山 公 一 5391 助教授 前 田 東 岐 5348 助教授 沼 澤 政 信 5385 助教授 三 谷 和 史 5392 助 手 榛 葉 聡 5398 会 計 学 24 組織と情報 教 授 渡 邊 和 夫 5343 助教授 乙 政 佐 吉 5341 学園だより 146 ロシア語 一 般 教 育 等 助教授 哲 学 教 授 久保田 顕 二 5401 中 国 語 心 理 学 助教授 杉 山 成 5402 文 学 教 授 中 村 史 5404 荻 野 富士夫 5405 社 会 学 教 授 教 授 助教授 萩 原 正 樹 5435 教 授 裴 崢 5436 日 本 語 高 野 寿 子 5434 応用言語部門 倉 田 稔 5406 教 授 a 井 收 5439 宝 福 則 子 5407 助教授 Clankie M.Shawn 教 育 学 教 授 教 授 教 授 歴 史 学 教 授 山 田 久 就 5437 上 野 耕三郎 5400 岡 部 善 平 5418 数 学 比較言語文化部門 教 授 君 羅 久 則 5440 教 授 高 橋 純 5441 教 授 兼 岩 龍 二 5409 助教授 米 田 力 生 5413 保健管理センター 杉之原 立 史 5411 所 長 物 理 学 助教授 教 授 化 学 教 授 八 木 宏 樹 5410 保健体育 教 授 浅 沼 義 英 5265 片 岡 正 光 5412 生 物 学 教 授 5419 田 野 有 一 5414 教 授 中 川 喜 直 5415 教 授 花 輪 啓 一 5416 助教授 石 h 香 理 5408 ビジネス創造センター 教 授 海老名 誠 5444 助 手 今 野 茂 代 5325 アントレプレナーシップ専攻 教 授 相 内 俊 一 5403 教 授 奥 田 和 重 5387 教 授 近 藤 公 彦 5326 教 授 下 川 哲 央 5448 教 授 瀬 戸 篤 5306 教 授 出 川 淳 5384 教 授 中 村 秀 雄 5357 大 島 稔 5420 教 授 西 山 茂 5307 教 授 杉 村 泰 教 5421 教 授 松 本 康一郎 5344 教 授 山 本 久 雄 5425 教 授 山 本 充 5381 羽 村 貴 史 5424 教 授 李 濟 民 5338 吉 田 直 希 5426 助教授 小 林 敏 彦 5423 Caluianu Daniela 5422 助教授 齋 藤 一 朗 5345 助教授 Mark Anthony Backer-holst 助教授 玉 井 健 一 5332 5443 助教授 籏 本 智 之 5347 横 村 栄 美 5438 助教授 松 尾 睦 5353 助教授 Jon Thrandur Stefansson 言語センター 個別言語部門 英 語 教 授 助教授 助教授 助教授 助 手 ドイツ語 教 授 大 塚 譲 5427 教 授 鈴 木 将 史 5428 教 授 副 島 美由紀 5429 フランス語 教 授 江 口 修 5430 助教授 尾 形 弘 人 5431 5354 教育開発センター 助 手 辻 義 人 5297 スペイン語 教 授 山 田 眞 史 5432 学園だより 146 25 一 生 懸 命 な 君 に は 、 そ れ が 許 さ れ て い る か ら 26 学園だより 146 若 者 よ 、 時 に は 休 も う そ の 熱 く 燃 え る 心 が 、 ボ ロ ボ ロ に な る の を 恐 れ ず 若 者 よ 、 さ あ 未 来 に 向 か お う そ の 健 康 な 身 体 が 、 汗 と 泥 に ま み れ る ま で 若 者 よ 、 さ あ 前 に 進 も う そ の 若 さ 故 の 激 し さ と 、 喜 び を 結 実 す る さ せ る た め に 若 者 よ 、 さ あ 飛 び 出 そ う 卒業式のギター演奏者 浜田隆史さんからのメッセージ 楽な道なし 私は一応皆さんの先輩の一人ですが,他の人よりはち 振り返って,緑丘の自然豊かな学び舎で送った青春の ょっとユニークな人生を送っているようです。私の話は 日々。もっと勉強しておけば良かったとか,逆にもっと あまり参考にならないかも知れませんので,その点はま 遊んでおけば良かったとか,人は後から思ったりもする ず最初にお断りしておきます。 ものですが,私たちは確かにここで,その当時できる限 私は商大(小樽人は「樽商」なんて言いません!)卒 り懸命に生き,勉学にいそしんだはずです。そしてその 業後,幸いにも某電機メーカーに就職,事業グループの 勉強も,卒業してはい終わり,これで安心というもので 予算編成業務を担当するという,大きな仕事に参加させ はありません。 てもらっていました。同じく商大卒の厳しいながらも良 私の例は極端ですが,これからが本番です。 き先輩に恵まれ,一生懸命働きました。 社会の中で私たちは,いつであっても,どの分野でも, しかし,私はアイヌ語の勉強がどうしても本格的にや どんなに勉強しても,必ず手持ちの知識や技術の範囲を りたくて,ついに8年勤めた後,会社を辞めてしまいま 超えたものを要求されます。また,何をやるにしても楽 した。その後,札幌に引っ越して2年ほどアイヌ語を勉 な道というものはありません。人は一生,勉強しては悩 強した後,アイヌ語は愛好家として側面から支援してい み,また勉強するということの繰り返しなんだろうと思 くことにして小樽に戻り,生業は学生時代から続けてい います。 たギターの道を選びました。 皆さんのこれからの人生,どうせ楽な道がないのです。 ミュージシャンをお気楽な職業だと思う向きもあるか 苦しくてもすぐにあきらめてしまうのではなく,これだ も知れませんが,私を含め大多数のミュージシャンの生 と思う何かをつかんだら,それを一生かけて誠実に続け 活は人並み以下。本当に好きでもなかなか生活が続いて ていってください。 いかない世界です。一般に人生のコースを左右するとい そして,私たちの故郷を,学び舎で われる大学卒業の後からが,実に紆余曲折あった人生だ 送った日々を,いつまでも忘れない と我ながら思います。 でください。 浜田 隆史さん [プロフィール] アコースティック・ギタリスト。1964年生まれ,北海道小樽市 出身,小樽商科大学,昭和62年卒。 1996年秋からプロのギタリストとなり,自主制作CDを多数発 表している他,1999年に「TAB Guitar School」 (主宰・打田十紀夫 氏)から『クライマックス・ラグ』のCDと楽譜集を発表し,日本 におけるラグタイム・ギターの第一人者として評価されました。 小樽運河でのストリート演奏,日本全国でのライブツアーなどの 演奏活動を続けています。2001年夏にはアメリカのNAMMショー (楽器フェア)でデモンストレイターとして演奏,2006年にはアメ リカの作曲家・ピアニスト David Thomas Roberts の日本ツアーを プロデュースして好評を得ました。 なお,アイヌ語研究家としても知られ,3ヶ月に1度アイヌ語ペ ンクラブ(会長・野本久栄氏)が発行しているアイヌ語新聞・アイ ヌタイムズの編集責任者を務めています。 学園だより 146 27 卒業後に卒業証明書等が 必要になったとき 1 請求方法 1.郵送を希望する場合 次の事項を記入した申込書(自由書式)と本人を確認できる証明書(運転免許証,健康保険証 等)のコピー,返信用封筒(長形3号・返信用切手貼付)を同封のうえ,下記請求先宛に送付し てください。本学に到着後,翌日には発送します。(土,日,祝日をはさむ場合は,その翌日発 送になります)お急ぎの場合は,速達でお申込ください。その場合は返信用封筒にも速達料金の 切手を貼付願います。なお,各種証明書の発行手数料はかかりません。 ① 学生番号(わかる場合) ,氏名(フリガナ)※,生年月日,連絡先,入学年度,卒業(修了)年度 ② 証明書の種類(卒業・修了証明書,成績証明書等) ③ 英文,和文の区分及び必要枚数 ④ 使用目的 ※卒業後に改姓した場合は,卒業時の姓(旧姓)を記入してください。また,本人を確認できる証明書と一緒に, 改姓を証明できる戸籍抄本のコピーを添付して請求してください。 ※英文証明書の場合には,氏名の英文表記を記入してください。 ※証明書の厳封を希望される場合には,その旨を申込書に記入してください。 返信用封筒の切手料金 定型郵便物 定型外郵便物 国内速達郵便 合計枚数 料 金 3枚まで 80円 8枚まで 90円 9枚∼ 140円 上記金額に一律270円を加算してください (平成18年3月現在) 2.窓口に取りにこられる場合 上記事項を事前に電話,FAX又はEメールで,お申込の上,学生センターへお越しください。 翌日午後には発行します。 (土,日,祝日をはさむ場合は,その翌日午後からの発行になります) 2 請求者 卒業生本人(代理人が請求する場合は,卒業生本人から請求委任された文書と本人との関係を 明記したものを同封してください。 ) 3 請求先 住所 〒047‐8501 小樽市緑3丁目5番21号 小樽商科大学学務課学務企画係 TEL 0134-27-5236・FAX 0134-27-5243 アドレス[email protected] ※上記の内容は大学のHPでもご覧になれます。申し込み用紙のダウンロードもできます。 http://www.otaru-uc.ac.jp/hgaku1/seikyuu.html 28 学園だより 146 村 田 實 さ ん か ら 寄 付 さ れ た 卒 業 証 書 で あ る 。 卒 業 最 初 の 写 真 は 、 昨 年 の 二 〇 〇 六 年 一 〇 月 二 日 に 卒 業 証 書 ▲1940年卒、村田實さんの卒業証書(2006年10月2日、ご本人寄贈) が か わ り に 用 い ら れ 、 証 書 そ の も の を 就 職 先 に 持 職 は そ の 後 ど の よ う に な っ た だ ろ う か 。 由 の 詳 細 は 分 か ら な い が 、 彼 の 就 職 、 あ る い は 転 願 い は か な え ら れ な か っ た 。 こ の 卒 業 生 の 申 請 理 遺 失 、 何 レ ノ 場 合 ニ モ 再 交 附 不 致 ﹂ と あ り 、 彼 の そ の 返 信 の 写 し 、 控 え に は 、 ﹁ 焼 失 、 流 失 、 紛 失 、 卒 業 証 書 学 位 記 は 、 現 在 で は 各 種 の 証 明 書 な ど 業 生 は カ リ キ ュ ラ ム の 科 目 を す べ て 受 講 し て い る 。 下 附 願 ﹄ が 綴 ら れ て い て 、 当 時 の 対 応 が 分 か る 。 六 年 の ﹃ 秘 文 書 綴 ﹄ に 卒 業 生 か ら の ﹃ 卒 業 証 書 再 の で 、 一 九 四 〇 年 の 卒 は 一 九 四 一 年 度 か ら な げ 卒 業 が 実 施 さ れ た の あ る 。 因 み に 、 繰 り 上 生 は 英 語 の 岩 田 一 男 で 小 樽 高 商 で の ゼ ミ の 先 大 学 へ 進 学 し て い る 。 と も に 旧 制 神 戸 商 業 ) っ て い く 、 と い う こ と は お そ ら く ほ と ん ど な い 。 ( し か し 、 高 商 期 に お け る 教 職 員 の 人 事 記 録 で は 、 ) 履 歴 書 お よ び 成 績 証 明 書 に 加 え て 卒 業 証 書 の 絵 ( ︵ つ ま り コ ピ ー ︶ が 職 員 に よ っ て 用 紙 に 描 か れ 綴 じ 門 ︵ 第 四 代 学 長 ︶ ら と に 卒 業 し た 伊 藤 森 右 衛 い に に に だ ア 村 る よ 関 は い ル 田 。 る し 、 た バ メ て 写 。 ム さ モ 村 真 こ も ん も 田 の の 一 は 記 さ い ア 緒 、 さ ん く ル に 同 れ 自 つ バ い じ て 身 か ム た 年 ▲苫米地校長あて「卒業証書再下附願」およびその返信控え ( 『秘文書綴』1936年) な る か 。 一 九 三 失 わ れ た ら ど う 何 ら か の 理 由 で き た が 、 万 一 、 大 切 に 扱 わ れ て 間 、 卒 業 証 書 を る ま で の 六 六 年 母 校 に 寄 贈 さ れ 村 田 さ ん は 、 思 わ れ る 。 扱 い が あ っ た と 場 で も 、 同 様 の 当 時 は 、 他 の 職 こ と が 分 か る 。 な ど に 提 出 し た 物 を 手 続 き の 際 ら れ て お り 、 現 学園だより 146 29 学園だより第146号 ●発行/小樽商科大学学務課 〒047-8501 小樽市緑3丁目5番21号 TEL0134―27―5237 新 た スな テる ー ジ へ 。