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緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 47〜83ページ抜刷り 2016年4月 *本稿は,緩和医療研究会機関誌『緩和医療』 通巻第32号(第23巻第1号, 平成28〔2016〕 年2月発行)掲載の誌面をもとにした電子版 抜刷り(カラー,B-5判)です。 *本稿の無断引用はお断りします。 *本稿についてのお問い合わせは当会事務局へ メールまたはFaxでお寄せください。 平成28(2016)年4月 緩和医療研究会© 緩和医療 研究会誌 第23巻第1号 通巻第32号 平成28(2016)年 2 月 発行,4 月抜刷り The Journal of Palliative Medicine, Vol.23 No.1, Feb. 2016 ‐ ISSN 1342‒3029 Kanwa iryo 編集・発行人 ©緩和医療研究会 齋藤信也 事務局 〒702‒8058 岡山市南区並木町2丁目27‒5 かとう内科並木通り診療所気付 Tel : 086‒264‒8855 Fax : 086‒264‒8846 URL: http://www.kanwa-okayama.jp/ e-mail: [email protected] 金融機関口座:伊予銀行岡山支店 普通口座 1478946 (名義:緩和医療研究会 事務局世話人 加藤恒夫) 編集制作協力:互恵印刷株式会社,渡辺芙時雄 講 平成27(2015)年11月21日 (土)14:30〜17:00 於:岡山県総合福祉会館(4F)大研修室 緩和医療研究会 第59回研究集会・講演会 演 高齢者医療の現状と終末期問題 第1部:講演 齋 藤 信 也 Saito Shinya 岡山大学大学院保健学研究科教授 座長:下 妻 晃 二 郎 Shimozuma Koujiro 立命館大学生命科学部生命医科学科教授,本会世話人 座長・下妻(本会世話人) 緩和医療研究会の 第59回研究集会を始めます。 第2部:特別講演 田 中 紀 章 Tanaka Noriaki 岡山大学名誉教授 座長:北 村 吉 宏 Kitamura Yoshihiro 国定病院院長,本会世話人 ▶▶■ ネブラスカ大学医学部の客員助教授,厚生省中国 四国地方医務局の医療課長,岡山大学医学部講師, 本日は研究集会ですので開会挨拶などはなしと 平成15年には国立療養所岡山医療センター外科医 のことで,私は本日の講演会第1部の座長を務め 長をお務めのあと,キャリアの道を若干変更され ます,立命館大学の下妻晃二郎です,よろしくお たとのことですが,平成15年に高知女子大学教授 願いします。 に就かれて大学院,社会福祉学部,看護学部など それではさっそく本日の講演の第1部, 「高齢 で教授され,平成20年から現職の岡山大学大学院 者医療とその制度」を岡山大学大学院保健学研究 保健学研究科教授に就任されています。また本年 科教授の齋藤信也先生からお話しいただきます。 度からは,岡山大学医学部の副学部長も兼務され 齋藤先生については,みなさまもうご存知でしょ ています。 うが,恒例によりまして齋藤先生のご略歴をかん たんに紹介いたします。 齋藤信也先生は昭和58年に岡山大学医学部医学 科を卒業され,その後,同大学院修了ののち米国 主な学会としましては,日本緩和医療学会,日 本生命倫理学会ほか多くの学会に所属してご活躍 です。 それでは齋藤先生,よろしくお願いします。 47 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 第1部●講演 高齢者医療とその制度 齋藤 信也 岡山大学大学院保健学研究科教授 ■◀ ◀ 〈齋藤スライド1〉 岡山大学の齋藤です,下妻 私の話の骨子はまず,高齢者医療制度の成り立 先生,ご紹介をありがとうございました。みなさ ちについて触れますが,それには数年前,後期高 ま,あらためてご挨拶申し上げます。 齢者医療制度の導入をめぐって世の中が騒然とし 私に与えられた課題は「高齢者医療とその制 たことがありました,それをちょっと振り返るこ 度」ということですが,本日の主眼は,このあと とによって,高齢者医療制度の歩みが整理されて 岡山大学名誉教授の田中先生がお話しくださる高 見えてくると考えています。それから,高齢者医 齢者医療についてのお話であります。ご自分が携 療制度の一般的な課題について触れ,そして田中 わってこられたなかで新たな治 〈齋藤スライド1〉 先生のお話につなぐにあたっては 験が得られたとのことで,「そ おそらく,医療の側だけでなく介 れをぜひみんなで共有したい, 護における高齢者ケアについても, 学習する機会を持ちたい」と本 かんたんに触れる必要があろうか 日の研究集会を企画しました。 と思います。 ただ,その前に話のつごう上, 〔以下スライド番号のみ記す〕 〈2〉 まず,高齢者医療制度の 現状の高齢者医療制度をさらっ ておく必要がある,田中先生のほうからからそれ 医療現場への現れ方についてですが,医療に対す を話すように言われました。 るもう一方のかたちとして必ず介護(福祉)が併 略歴紹介で触れてもらいましたが,私は岡山大 存します。現在も地域包括ケアセンターがつくら 学第一外科の出身で,田中先生は第一外科の前教 れて,みなさまももうご存知のように,医療と介 授でいらっしゃることから,第一外科の「美風」 護のシームレスなつながりを目指す,ということ として,内容がよくわからなくても「やれ」と言 が強く言われています。 われたら「はい」と答えて行動するところがあり 介護はもともとは,私の認識ですが,福祉の一 まして(笑),お引き受けした次第です。そうい 分野としてスタートした経緯があり,そのため主 うわけで,私の役目は田中先生のお話へスムース 治医意見書ひとつとっても,医師の側からみれば につなぐことでありまして,時間厳守でまいりま 当然,介護の現場には医師の関与が絶対に必要だ す。 と見なされています。 〈2〉 48 〈3〉 齋藤信也 高齢者医療とその制度 しかし,介護されているケアマネージャーさん 私の政治信条を吐露してしまうようですが,医 などに主治医意見書についての話をうかがうと, 師の数を1.5倍にするというところに私は感銘し 。 介護に役立つ意見はほとんど書かれていないなど, まして,このときは民主党に投票しました(笑) 無用の長物と化していることが多いようです。ま まあ,政治の混迷に一役買ったのかもしれません あ,福祉の分野に医療者がずかずかと入って欲し が…… くはないということもあるのかもしれませんし, 〈5〉 スライド5と6は,そのときの民主党マ もちろん,その間を乗り越えるシーンも多々見ら ニフェストのパンフレットに記されていた,後期 れます。制度は,そのような歪みを織り込みなが 高齢者医療制度についての主張の概要です。 ら作られているのであって,ときに綻びとして現 まず, 「75歳で区切るのはとんでもないことだ。 」 れることはあるのです。介護のほうも,その報酬 「年齢で差別している。」 に比べて利用が多くなり過ぎており,利用の回数 「年金は消えたまま,でも保険料はしっかり天 制限を設けたり内容制限したりと,それがみなさ 引き」──これについては当時の「消えた年金」 んの日々の高齢者ケアの悩みに繋がっているのか 問題というのがあったことに留意すべきで,長妻 もしれません。 さんが自民党政権を鋭くしつこく追及していまし 〈3〉 もう6年前のことになりますが,後期高 た。そのおかげか,長妻さんはその後に厚生労働 齢者医療制度の導入と廃止をめぐって大きな騒ぎ 大臣になりましたし,余波として,年金を扱って が起こりました。当時は民主党が政権を取りそう いた社会保険庁や国の医療保険を扱う政府管掌健 なときで,後期高齢者医療制度をつくったのは自 康保険(政管健保)という厚生労働省の外局組織 民党だということで,民主党はこれを徹底的に批 が解散させられ,年金については日本年金機構, 判したわけです。 医療保険のほうは協会健保という新組織がつくら 後期高齢者医療制度のもとでは,後期高齢者は れました。医療保険のほうは何もまずい問題は起 医療機関の窓口で支払う医療費が2倍になる,保 こしていなかったのにとばっちりを喰わされた感 険料を年金から天引きされる,滞納したら保険証 じでしたが,ともかく保険料はしっかり天引きさ を取り上げられる,月額6000円という治療費の上 れることが継続されることになりました。この点 限を設ける……自民党がつくったこうした後期高 は当時かなり問題になり,朝のテレビ番組でみの 齢者医療制度は,民主党が政権をとったら廃止す もんたさんがスライド3のような絵柄で「今月か ると訴えたのです。 らこんなに天引きされて,どうやって暮らせとい 〈4〉 民主党はそうした公約を,いまや懐かし い響きのするマニフェストとして, 「後期高齢者 医療制度の廃止し,医師の数を1.5倍にする」と 3番目に記しました。 〈4〉 うのか」と高齢者の立場で大きく取り上げ訴求し ていました。 〈6〉 それから,民主党の主張として,包括払 い制度で受けられる医療が制限されてしまう,と 〈5〉 49 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 いうのがあります。これは,冷静に考えれば他の のが全員に適用されるルールだと思うのですが, 分野にも包括払い制度がいろいろあると思うので どうも民主党の主張の言い方ですと,滞納してい すが,「後期高齢者診察料」というもので,これ ても保険でみてやれ,と主張しているとしかとれ は良い意味でとらえれば,それまでは高齢者のた ないのが残念です。 めにいろいろと時間をとってあげても診療報酬に 〈7〉 ここからは,制度の具体的な話です。 反映されていなかったのを,いわゆる相談料とし わが国は国民皆保険ということですが,医療保 て月6000円までなら支払われる,というふうに我 険制度を設けてそれを行っています。そして,一 われは理解していました。しかし裏側からみれば, つだけの医療保険制度ではなく2本立てになって 6000円以上は払わないよ,ということでもあり, おり,まず一般にいわれる医療保険の制度,その お年寄りの医療費を制限しようとするものだ,と 法律的根拠として「健康保険法」とか「国民健康 主張できるわけです。 保険法」 「船員保険法」などに基づいて運営され 同様に,終末期医療の決定も診療報酬として ているものがあります。もう一つは,後期高齢者 2000円を認めるということに対して,私たちはそ 医療制度があり,これも医療保険といえば医療保 れまで無報酬だったのが報酬対象となったと認識 険であり,「高齢者の医療の確保に関する法律」 していたのですが,高齢者の尊厳を無視するもの に基づいて行われています。 ではないかとの不安の声が大きいと主張しました。 ここらへんになると,いちゃもんに近いのではな いかと私は思っていますが…… ■◀ ◀ 〈8〉 一般の医療保険制度をまず説明しますと, 「保険者」は全国に3000強あります。ここでいう 保険者とは,保険を請け負う団体のことで,者と そして,低所得者は保険料を1年滞納すれば保 いっても団体を擬人化した言い方ですね。一方, 険証が取り上げられるということについて,民主 保険に加入している人のことを「被保険者」とい 党は,「貧しい高齢者は,医療にかかれません」 います。そして,約3000ある保険者は大きく2つ と言わんばかりだと主張しました。さきほどの略 に分けられ,まず,団体や組織に雇われている人 歴で私はごく短い期間,役所務めをしましたので たち(被用者) ,わかりやすくいえばサラリーマ 役人の立場だと言われると困るのですが(笑) , ンとその扶養家族が職場で加入する「被用者保 保険制度というルールですから,保険料を払わず 険」があります。これはさらに3つに分類でき, とも医療をうけさせろというのは,ちょっとどう 一つは大きな企業がそれぞれ独自に健康保険組合 かと私は思わざるを得ません。生活がたいへんな をつくってそれが保険者になっているもの,一般 低所得者には別の枠組みで医療費が給付されるよ には「組合健保」といわれるもので,現在は1485 うになっているのですから,けっして低所得者は 組合あります。制度上では被保険者が約1000名い 医療をうけられないというわけではありません。 ればひとつの保険者になれるとのことですが,事 保険料を払う対価として保険診療をうけるという 務的なことがらを考慮すると被用者規模はもう少 〈6〉 50 〈7〉 齋藤信也 高齢者医療とその制度 〈8〉 し多いのが現実的だそうです。 たとえば,大規模病院で独自の組合健保をつく っているところがあるのではないかと調べたこと 〈9〉 わけではありません。保険者はあくまでも市町村 で,保険料は市町村が徴収しますが,運営の主体 は県が中心にしよう,という構想です。 がありますが,九州の久留米市にひとつありまし 〈9〉 そして,昭和58(1983)年に始まった70 た。しかし,ほとんどの大規模病院を含めて中小 歳以上の人の老人保険制度についてですが,法律 企業などは,全国規模の協会組織に加入するかた は老人保健法に基づいており,一般の医療保険の ちをとっており, 「協会健保」 (以前は政管健保と ほうから拠出金というのを提供してもらい,それ いっていました)と呼ばれています。 が原資全体の約7割とされていますから,原資の それから被用者保険の分類3つ目として, 「共 大部分にあてていました。保険とは本来は,加入 済組合」があり,これは主に国家公務員,地方公 者が出す保険料を原資とし,その原資の枠内でた 務員あるいは教育機関など公的組織が保険者とな とえば医療を提供する仕組みです。 っているものです。 しかし,一般の医療保険のほうから拠出金とし 以上の被用者保険の一方で,自営業者や年金生 て老人保健のほうへ原資が出ていくのですから, 活者が自分の居住する市町村単位で加入する「国 一般の医療保険の保険者は基本的にすべて赤字に 民健康保険」があります。この場合,保険者は各 ならざるを得ない。とくに健保組合は大きな不満 市町村で,全国の市町村の数だけあるということ をもち,当時「自分たちの加入者の高齢者の分だ になります。もう一つ, 「国保組合」というのが けなら拠出するが……」と言っていました。現役 あり,たとえば開業医,薬剤師,理容業,美容業 世代がほとんどの健保組合にそれを認めると老人 など国家資格の同業者が組合を組織して保険者に 保健が成り立たなくなりますので,どの保険者に なっているものです。 も高齢者が同じ割合でいると仮定して,拠出額を なお余談ですが,国民健康保険を県単位に移管 一律割合としたのでした。そのため一時は,キテ する動きがあると報道されていますが,これは微 ィちゃんで有名な子ども向け用品メーカーのサン 妙な話でして,けっして県が保険者になるという リオなどが不払い運動も起こしました。 〈10〉 〈11〉 51 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 1兆円を75歳以上の人に負担してもら 〈12〉 うということです。このとき,原資全 体の1割にしか相当しない額を「保険 料」と呼べるのか,ということが問題 になりました。 この75歳以上の加入者から保険料を とるということに,当時,民主党が激 しく批判して, 「これを廃止する」と マニフェストに記したのです。 〈13〉 私は民主党でもなければ自民 党でもないのですが,民主党の批判は 稚拙でイチャモンみたいなものだと思 いました。反論してみますと…… 〈10 ・ 11〉 そうした動きの結果,老人保険制度 ■◀ ◀ それまで10年にわたって議論されてきたもので, はその原資の7割を拠出金に頼っていてはもたな 法案はすでに2年前に成立しており,そもそも選 い,とわかってきまして,昭和58年から,3割だ 挙の場になって批判を持ち出すのはおかしい。 った公的負担を5割とすることになり,残り5割 ネーミングがおかしいということについては, を拠出金で賄うことにして,保険者の負担を減ら 人それぞれに言い分があるでしょう。たしか福田 しました。 内閣のときでした, 「長寿医療制度」などと言い これを別の見方でいえば,国や地方自治体が出 出したのは。 す公的負担は,国民の税金からですから,金の流 それから,75歳で区切ることについては,それ れを変えただけで,根本的な仕組みの改変にはな までの制度との連続性でそうしたのであり,世界 っていないと言えます。 的にみてもヤングオールド,オールドオールドの 〈12〉 それじゃあいけないということで,平成 区切りは75歳とされていますし,臨床に携わって 20(2008)年から,75歳以上を加入対象にした新 いるみなさんも,75歳前後で健康状態におおまか たな高齢者医療制度つまり後期高齢者医療制度が な線引きをできると実感されているのではないで 始まりました。これにおいては,原資への拠出と しょうか。ですから,区切ることへの批判は問題 いうことばを止めて支援とし,その額を原資全体 にならないと思います。 の4割に減らす一方,新たに保険料の枠を約1割 高齢者だけを別の制度にするのはおかしいとい と設けました。保険料とは,加入者が払うお金で う件について,これは一番もっともらしい批判と すから,制度全体の原資が10兆円ぐらいとすれば いえます。しかし,保険制度というものを考える 〈13〉 52 〈14〉 齋藤信也 高齢者医療とその制度 場合にいえることとして,いろいろな人がはいっ のでしょう,しかし,行き損ねました(笑)。 てリスクをお互いにシェアすることですから,な 〈14〉 そして選挙に勝った民主党は,後期高齢 んらかのカタチをとらざるを得ない。もし高齢者 者医療制度廃止,負担増は公費でとマニフェスト だけのワクをつくらないのなら,高齢者は国民健 どおりにしようとしたのですが,結局は民主党政 康保険にはいることになり,それなら自己負担割 権(2009〜2012年)のあいだにもできませんでし 合を少なくとも3割にしないと,国保がもちませ た。 ん。こういう話は要するに,自分の家の前をきれ 今それがあまり話題にならないのは,私は自民 いに掃いて,ごみは隣の家の前に掃き出すのと同 党びいきではありませんが,制度としてベストで じです,あまり意味のある議論とは思えません。 はないにしても落ち着いている,しかももし元の それならと,俗耳に入りやすいのが,高齢者の 老人保険制度に戻したら,今より保険料の増える ようなリスクの高い人だけの保険は成り立たない 人が大勢いるとの試算がありました。 ではないか,という批判ですが,後期高齢者医療 こういう制度上の議論は,あまり単純な論で押 制度はもともとは,福祉の体裁で無料だった老人 し切ろうとしたり,表面的なことを追いかけると, 保険制度からつながってきているものであり,75 こういう結果になるという見本のような問題でし 歳以上の人にとっては,一見,保険の体裁をとっ た。 ているように見えても高齢者医療制度なのです。 〈15〉 ここで,以上の話を整理して「わが国の 75歳以上だけで制度化するのはベストとは言えな 高齢者医療制度のあゆみ」を今一度概観しておき いまでも,まあセカンドベストなのではないでし ましょう。 ょうか。それに,国保から切り離すことで,国保 〈16〉 第一歩は,1956年の国民健康保険制度に を救うというねらいもないわけではないと思われ よる国民皆保険の実現でした。当初の自己負担割 ます。 合は5割でしたがそれは過大だとして,やがて3 また,天引きが悪いとみのもんたさんが言って 割になりましたが,それでも高齢者や低所得者に いましたが,それなら,お年寄りにコンビニまで は過大だといわれていました。また,医療機関へ 行って払ってもらうようにすればいいのか? 天 のアクセスのしやすさもあまりいいものではあり 引きしないことと保険料を払わないということは, ませんでした。 まったく別の話です。はっきりいえば,医療はう そこで自治体ごとに独自の取り組みをするとこ けたいが保険料は払いたくない,天引きも許さな ろがあらわれ,とくに有名なのは岩手県の沢内村 い,ということなのだろうとしか思えません。た で,高齢者の自己負担分を自治体で負担して実質 だ,これは政府も読み誤りがあって,介護保険を 無料化する先駆的取り組みがなされました。 天引きすることになったときはそれほど大きな批 その取り組み成果がよかったことと,日本の高 判はなかったので,それと同じで行けると考えた 度成長期と重なって歳入が増えたこととがあいま 〈15〉 〈16〉 53 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 後継として,後期高齢者医療制度に関 〈17〉 する議論を開始したのでした。それも, 継続がわるくならないように制度設計 され,平成18年(2006)に法案成立, 同20年(2008)年から施行されました。 後期高齢者医療制度は,一般国民の 医療保険から75歳以上を切り離して別 の医療保険にするという制度ですが, もちろんデメリットもあります。たと えば,突き抜け型といって,大企業の 保険者などが自分たちの加入者のお年 寄りはめんどうをみるというのに対し て,国保のほうはそれをやられたらた まりませんから,いろいろな折衷案が って,全国の都道府県単位で老人医療費の無料化 出されて4案にまとまり,最終的に現行制度案が が進みました。そして1973年,田中角栄内閣のと 採用されました。 きに,老人福祉法を根拠として老人医療費無料化 〈17〉 後期高齢者医療制度の制度設計にあたっ は国の老人福祉の一環としての制度になりました。 て,それまでの老人保険制度のどういう点を改正 ■◀ ◀ その結果,病院の待合室では「○○さんの顔を したか,もう少し細かい点に触れますと,既存の 見ないね」「どこか体の具合でもわるいのだろう 老人保険制度の問題点として下記のようなことが か」という笑い話がおきるような,いわゆる病院 あげられていました。 の老人サロン化を招きました。ただ,医療機関へ まず,保険料を集める保険者が,保険料を医療 のアクセスの容易さという点では,最高の状態だ 費として使う運用主体(市町村)が異なっていて, ったとはいえます。 財政・運営の責任が不明確だという点でした。集 しかし,その後1983年には日本の景気は高度成 めるところと使うところが別なのは,保険として 長に別れを告げ,よかったりわるかったりの緩や は問題があります。同一でなければ保険とは呼べ かな成長路線をたどるなかで,将来人口構成の予 ないし,メリットもないはずです。 測などから,福祉の一環としての制度では老人医 それから,若い人と高齢者の費用負担割合が不 療費無料化はもたなくなるとして,老人保健法を 明確である点でした。若い人が多い組合健保など 根拠とした老人医療保険制度に衣替えします。 から拠出金,支援金というかたちで高齢者のほう そして1990年代後半から,老人医療保険制度の 〈18〉 54 へ召し上げていくのですから。 〈19〉 齋藤信也 高齢者医療とその制度 また,加入する制度や市町村によって保険料額 にかなりの違いがある点でした。これはよくない ということで,高齢者を別枠にしたわけです。 高齢者人口の増加割合ほどには増えていない,と のことでした。 それはなぜか,ここは池上先生の実に卓見だと 〈18〉 それでは,高齢者医療制度の課題はどう 思うのですが,高齢者とくに平均寿命を超える高 なのかを取り上げていきますが,ここからの話は 齢者への濃密な医療を医療機関側が控えたり避け 私の論ではなく,他の論者の紹介,受け売りにな る傾向にあることが影響しているのではないか, ります。 と指摘されておられました。政策上そう誘導され 最初に,この3月に私たち緩和医療研究会の第 ているというのではなく,医師をはじめ医療者が 22回総会でご講演いただいた慶応義塾大学医学部 それを控えているのではないか,とおっしゃって 教授(現,同大学名誉教授)の池上直己先生のご いました。これについては,会場のみなさまもい 指摘を紹介します。本日ご参集の方にはそのお話 ろいろご意見があろうかと思いますので,それは を耳にされた方もいらっしゃるかもしれませんが, のちほど質疑で伺いたいと思います。 高齢者医療の問題をコンパクトにまとめた非常に 〈21〉 つぎに先生は,在宅医療推進の枕詞のよ いいお話でしたので,今一度取り上げる次第です。 うによく言われることですが,「調査の結果,日 〈19〉 まず,先生は「終末期にかかる医療費は 本国民の63.3%は自宅での看取りを望んでいる」 本当に高いのか?」と疑問を投げかけられていま ということについて,「それは本当なのか?」と した。池上先生はみずから全国のレセプトを点検 疑問を投げかけられました。その調査での回答選 され,死亡が転帰になっているのは3%に過ぎな 択肢は9つあり,その中の「自宅で療養して必要 いことを見出されました。死亡退院が退院の6% になれば病院に入院したい」 「自宅で療養して必 であることと,入院医療費が外来医療費の50%で 要になれば緩和ケア病棟に入院したい」 「自宅で あることを考え合わせると,その3%という数字 最期まで療養したい」の3つを全部合わせた数字 は妥当であり,終末期の医療費が医療費全体に占 が63.3%とのことでした。これ,ふつうに考えれ める割合はとくに高いわけではないのではないか。 ば,「自宅で最期まで療養したい」の10.9%だけ 終末期にかかる医療費は高いと流布している話は をとって, 「日本人の約1割は在宅での看取りを 違うのではないか,というのです。 望んでいる」というのが科学的態度ではないでし 〈20〉 さらに,終末期にかかる医療費がどんど ょうか。その調査が政策目的のためなのか,他の ん増えているという話についても,2007年と2010 2つの23%と29%を加えた計63.3%が,自宅療養 年の高齢者医療費の割合を比較したところ,むし で最期まで過ごしたいとされてしまったのではな ろ2010年のほうは下がっていた,とのことです。 いか,とのご指摘です。 もちろん,これには介護保険への置き換え効果を ただ,池上先生もおっしゃっていましたが,半 考慮しなければなりませんが,それを勘案しても, 数以上の人は病院を必要と感じている,いよいよ 〈20〉 〈21〉 55 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈22〉 というときには病院に入りたいと思っている,と 〈23〉 特養の死亡退居数,つまり特養で看取った人数 いうのが自然な見方であろうと私にも思われます。 を見ますと,一見増えているようですが,これに 〈22 ・ 23〉 池上先生のご指摘の「③そもそもど には,特養から病院に緊急搬送されてそのまま亡 こが在宅なのか?」と「④医療費・介護費抑制策 くなった人の数が含まれています。特養に入居し の是非」については,スライド22・23をご覧にな ている籍のままだからで,特養の死亡退居数がイ ってください。話を「施設での看取り」に急ぎま コール特養での看取りではないこと,とはいえ, す。 もちろん今後は特養での看取り数は現在の全死亡 〈24〉 この緩和医療研究会は3年前の創立20年 を機に,がんの緩和医療から,がんだけでなく高 ■◀ ◀ 数の3.2%から4.8%程度にまで増加していくだろ う,と池上先生は指摘されています。 齢者を対象とする緩和医療に趣旨を衣替えしまし ただ,それ以上大幅に増えることはないだろう, て,その後,特別養護老人ホームや老人保健施設 なぜなら,これはみなさんもよくご存知のように, を経営されている方々にお話ししていただく機会 特養ではそうとう長期間の入居療養のすえに亡く を何回か持ち,それらのお話のなかで,特養や老 なるケースが普通であり,看取りのときだけ入居 健でも看取りをすすめているところがあることを できるわけではないから,とのことも指摘されて 知りました。 いました。 特養では,介護保険に看取り加算ができており, 〈25〉 「老人保健施設での看取り」については 約3分の2の特養がその施設基準を満たしている スライド25を参照してください。特養についてと そうですが,要件として十分な看取り態勢ができ ほぼ同様のことがいえます。 ていることが必要とのことでこれがネックとなり, 実際に加算請求しているところは3分の1ぐらい 〈26〉 最後に,介護保険と高齢者医療について 触れておきます。 に止まっているのではないか,とのことです。要 高齢者に対しては,医療と介護を一緒に行おう は,急変して死亡した場合など,看取り加算をさ との理念で出発したのですが,現実には,医療は かのぼって請求できない,というわけです。 医療保険で,介護は介護保険ですすめられていま 〈24〉 56 〈25〉 齋藤信也 高齢者医療とその制度 〈26〉 〈27〉 す。もともとの枠組みが医療分野と福祉分野とい あれ在宅であれ医療を提供しないわけにはいきま うように異なるので,分離はやむを得ないのかも せん。 しれないと私は受け止めています。 そこで,医療ニーズの低い人を,医療の枠組み 〈27〉 ただ,介護施設での医療を提供するに際 しての問題点があります。 から介護の枠組みへ送り出そうと,医療制度を再 たとえば,特別養護老人ホームはあくまでも介 編しようとしています。たとえば,医療ニーズは 護の,つまり長期療養するための施設として設計 低いのに家庭・家族のつごうなどで長いあいだ病 されています。老人保健施設は,中間施設,つま 院に入院させている「社会的入院」がありました り医療機関から在宅へ戻る際の中間,リハビリテ が,そういう人には介護施設に移ってもらおうと ーション重視の施設としてスタートし,その後に いうわけです。 介護施設として利用されています。 また,介護療養型病床の削減,廃止については, いずれも,ある程度の医療資源は持っています。 ▶▶■ 当初はとっくに実施されていたはずなのですが, たとえば老健では,医師1名が常勤し,看護師も 政治的な配慮もあって延びており,今は平成30年 配置されていますが,ただ,この医師は,医療機 をめどに廃止という目標が打ち出されています。 関にいる医師とは意味合いが全く違うわけですし, このようにして,医療施設は医療ニーズのある 人だけを対象に特化しようというわけですが,し 看護師も,夜勤する病棟の看護師とは配置の意味 が違います。 かし,医療ニーズのない高齢者はほとんどいない しかし,介護施設という建前でいられた時代は わけですから,どういったところで,介護施設で 過ぎ,使えるものは何でも使うという姿勢への転 〈28〉 換が迫られて,老 健の医師や看護師 にも医療を提供す る役割を担っても らおうという方向 に向き始めたと思 われます。 もちろん,介護 施設としての本分 を守っている特養 や老健はまだまだ 多数を占めていま すが,潮流として 57 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 の勢いは,半々ぐらいでしょうか。 〈28〉 そうした医療と介護の施設と財源につい て整理したのがスライド28の表です。 もしないで死んでいけというのか」と反論したの ですが,広井先生の言っていたのはそうではない ですね,介護施設に入居している高齢者にも医療 介護保険でいう施設は右側からの3つ,介護老 は当然提供しなければならない,ただそれが,病 人福祉施設とはいわるゆ特養,従来型の老人保健 院でのパラダイム,病院医療をそのまま福祉施設 施設とはいわゆる老健,そして介護療養型老人福 にあてはめるのはおそらく間違っている,病んで 祉施設というのが医療も提供するし看取りも積極 いる高齢者には病院医療とは異なる医療が必要で 的に行っていこうという新しい老健のことです。 ある,ということだったと思われます。 さらに,介護保険で賄う医療機関の施設として, 介護療養型病床があります。 これについては,このあとの田中先生の講演で 詳しくお話しくださるはずです。高齢者医療は, そして,医療保険でいう施設は右側の2つ,一 一般病院の医療の希釈版や簡略版ではない,実際 般病床と医療療養病床で,これはいわば医療の必 の老人医療の現場で培われた,たとえば高齢者の 要度に応じた区別です。 予後予測や,高齢者の悪液質はがんによるものだ 介護施設のたとえば老健について要件を詳しく けではない,というお話に期待して,私の話を終 見ますと,医師1名,看護職員10名が必要とされ, わります。〔拍手〕 ■ 特養でも医師は必要数,看護職員は3名が必要と されています。この人たちは医療目的で配置され るわけではないのですが,今後は医療提供者にな ■◀ ◀ ってもらおうという動きがあるわけです。 ───ディスカッション─── 〈29〉 最後のスライドです。細かい制度上の話 はさておいて,介護施設でも医療ニーズはある, という現実を見つめる必要があると思われます。 1990年代後半のことですが, 『社会保険旬報』 座長(下妻) 齋藤先生,どうもありがとうご ざいました。では時間が少々残されていますので, 誌上で「福祉の看取り」論争というのがありまし 質問,ご意見を受け付けたいと思います……それ た。福祉施設でターミナルケアが必要だとの千葉 では私から一つ質問させてください。 大学の広井良典先生の調査報告に対して,老人病 私,社会福祉系の大学に5年ほど勤務していた 院を経営されていた石心会の石井暎禧先生が医療 ことがありましたが,そのときに福祉系の人たち の立場から激しい論争を挑まれた一件です。その が言っていたことで,おそらく多くの医師や医療 ときの石井先生の反論に私は理解はしつつも,広 職もそうだろうと思うのですが,大変驚いたこと 井先生の言い分をちょっと曲解しているのではな があります。彼らの多くが、「介護は福祉ではな いか,と感じました。石井先生は「高齢者には何 い」と言うのです。私がその社会福祉系大学へ行 〈29〉 ったときには, 「医療と介護の融合をめざす」と 考えて意気込んで行ったのですが,福祉が対象と するのは専ら障害者と低所得者で,介護は含まれ ない、ということでした。おそらく多くの医師も、 私と同じような勘違いをされているのではないで しょうか。そしておそらく,介護保険制度ができ たころからやっと,医療と介護の分離が新たに始 まって福祉との関係が始まったように私には思わ 58 齋藤信也 高齢者医療とその制度 れるのですが、いかがでしょうか。医療や介護と 座長(下妻) ほかに,会場のみなさま,よろ 福祉を橋渡しする役割の専門家であるケアマネー しいでしょうか……それでは時間がきましたので ジャーもそのころに始まっていますね。そのよう 終わらせていただきます。 な認識はいかがでしょうか。 齋藤 下妻先生のおっしゃることが妥当であろ ここで15分間の休憩をはさんで,15時半より, 第2部を特別講演を始めます。 ■ うと私も思います。医療と介護を一緒にしようと つくったという割には,なにか思うように動いて くれない,それぞれ別のプリンシプルで動いてい るようなところがありますね。 私も高知女子大学社会福祉学部にいたことがあ りますので,下妻先生のおっしゃることはよーく わかるつもりです(笑) 。ただ,介護も福祉だか らと構えることなく,福祉とはなんですかとその 分野の先生におそるおそる尋ねたものでした。そ うしたらやはり,福祉のメインの対象は生活保護 だとおっしゃっていました,貧窮貧困対策ですね, すごく大切なことだと思います。 高知県は最低賃金が全国レベルよりはるかに低 いのですが,生活保護の給付費はそれよりも上な ▶▶■ ので,それはおかしいとよく言われます。そんな ことを福祉の先生のまえで軽い気持ちで口にする と, 「それが間違ってる,最低賃金を上げるべき だ」と強く反論されます,それはそのとおりだと 思いました。そういうことで,社会福祉学部には 精神障害者の福祉をやっている先生もいますし, 犯罪者更正や少年非行の福祉をやっている先生も いましたが,高齢者の福祉や介護保険などの分野 の専門家はひじょうに少なかったです。福祉プロ パーの人から見れば,介護が後発であったせいも あるでしょうが,とても地味だったのではないで しょうか。 ただし,ただ医療の人たちには,福祉たる介護 の領域にずかずかと入ってきて欲しくない,とい う感じはところどころで,おりおりに遭遇しまし た。 お互いに手を携えて進めるべきことなのですが, 何かちょっと違うところがあるなと思いつつ未消 化のまま,私は高知を後にしてしまいました。 * 59 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 第2部●特別講演 高齢者の看取り 〜終末期予後予測と悪液質〜 田中 紀章 岡山大学名誉教授 座長(北村) それでは,緩和医療研究会第59 回研究集会の第2部,田中紀章先生による特別講 演「高齢者の看取り~終末期予後予測と悪液質~」 日本緩和医療学会の監事、がんの悩み電話相談室 おかやまの室長をお務めです。 それでは田中先生,よろしくお願いします。 を始めます。第2部の座長は,岡山県浅口郡里庄 町にある医療法人萌生会国定病院の北村が務めさ せていただきます,よろしくお願いします。 田中先生はご高名でいらっしゃいますし,本会 でもたびたび講演していただい てきていますが,あらためてご ■◀ ◀ 〈田中スライド1〉 北村先生,紹介をありがと うございました。みなさん,土曜午後の貴重なお 時間を割いてこの研究集会にお集まりいただき, ほんとうにありがとうございま 〈田中スライド1〉 す。研究集会はもう59回を数え 略歴を簡単に紹介いたします。 るとのことで,主に加藤恒夫先 田中紀章先生は県立岡山朝日 生のご努力のもと,ずいぶん会 高校から岡山大学医学部に進学 を重ねてきたものだと思います。 され,卒業後は倉敷中央病院や さて,緩和医療というのは, 日本鋼管福山病院,それから国 病気の人が苦しむ,その苦しみ 立岩国病院などの外科で研鑽を にどう対処するかということで, 積まれたのち岡山大学に戻られ,平成8年から岡 最初はホスピス医療として始まりました。あるい 山大学第一外科教授に就任されました。国立大学 は昔は,ターミナルケアといっているときがあり の組織再編ののちには,ひきつづき大学院医歯薬 ましたが,今日に至って,緩和医療ということば 学総合研究科消化器腫瘍外科学教授としてお務め で国民多くのみなさんに認知され,理解されるよ になり,平成20〜21年は同研究科科長も兼務され うになっています。とくにここ数年,がん対策基 て21年3月末に退官されました。その4月から25 本法ができてからの普及はめざましいものがあり 年3月までの4年間は鳥取市立病院院長を務めら ます。 れ,その間に鳥取市病院事業管理者も兼務されま ただ,あくまでも緩和医療というのは,病気の して,このときに高齢者の医療と諸問題に深く関 人が抱えている苦しみ,体が痛いというだけでは わるようになったとのことです。26年6月になっ なくて,精神的な問題や生活上の問題もあり,そ て,広島県尾道市にある介護老人保健施設「シル れらを包含した苦しみに対処するのが,緩和医療 バーケアヨシハラ」の施設長に赴任され,現在に の課題,テーマであります。 至っておられます。本日は鳥取時代以降の経験か さきほどご紹介いただいた国立岩国病院にいた ら得られた高齢者医療の新たな知見をお聞かせい 頃,1人の高齢者の肺がんを治療したことがあり ただけるはずです。 ます。手術は難しい,いずれ気管支閉塞による肺 なお,学会等の関与ですが,主だったところは, 炎になると推測されたので,気管支動脈に抗がん 日本癌学会の評議員,日本緩和医療学会の理事, 剤を入れる治療をしました。しばらく入院で経過 そして日本再生医療学会の理事を経て、現在は, を見る予定でしたが, 「わしはもう家に帰る」と, 60 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ 抗がん剤を入れた3日後に,島根県との県境にほ うだ,言葉も発せずに,ベッドで固まっている, ど近いご自宅に戻って行かれました。抗がん剤を 一人ひとりがこの詩に詠まれているような苦しみ 入れていますから,術後10日目頃でしたか,私は を抱えているのだ,とあらためて気付かされたの その方の家を訪ねていきました。お会いして,び です。 っくりしました,病院ではよろよろしていた老人 〈3〉 そこで,本日は高齢者の終末期医療のお が,まさに一家の主然とした姿で迎えてくれたの 話をいたします。最初に,誤嚥性肺炎と胃ろうに でした。やはり自宅にいるということはいいです ついて,次に,高齢者の終末期の予後予測と悪液 ね。そういうことを念頭に置いた治療計画を立て 質の問題,それから,悪液質の指標である体重減 なければいけないと反省させられました。 少について,私が介護施設で調査しましたので, さて,大学を退職してから鳥取市立病院に赴任 その結果を報告し,最後に,高齢者の看取りにど しました。直前に調べて知ったのですが,同院の う備えるかについてお話しさせていただきます。 患者の6割は高齢者で,そのうちの8割は後期高 齢者でした。 〔以下スライド番号のみ記す〕 〈2〉 鳥取市立病院の病棟最上階のフロアには 1.誤嚥性肺炎と胃ろう 理髪店がありまして,あるとき順番待ちで椅子に 腰かけて,本棚から取り出したのが,この病院の 看護師だった岡川祐美子さんの『詩集 灯り消す 〈4〉 まず,誤嚥〈4〉 とき』 (幻冬舎ルネッサンス,2007年)でした。 性肺炎と胃ろうの問 そのなかの一つ, 「あなたの言葉を」という詩を 題から始めます。 紹介します〔スライド2を参照〕。 ▶▶■ 〈5〉 日本人の死 私はそれまで,この詩に詠まれているような高 亡原因,かつては脳 齢者の姿は見知ってはいたのですが,その人の苦 血管疾患がトップで しみがどのようなものか,想像することはありま したが,今は減ってきて,がんが飛びぬけての1 せんでした。この詩を読んで感じ入りました。そ 位,2位が心疾患,肺炎が最近増えてきて3位, 〈2〉 脳血管疾患は4位に下がってい ます。この肺炎の背景には,脳 血管疾患,認知症による摂食嚥 下障害の問題があります。 〈6〉 藤田保健衛生大学の才 藤栄一先生によりますと,脳卒 中急性期には30%の人に誤嚥が 〈3〉 61 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈5〉 〈7〉 〈6〉 〈8〉 ■◀ ◀ みられ,その対策として,経管栄養をしながらリ 繰り返す場合です。これは喉に溜まった唾液を誤 ハビリをすることになります。 嚥するからで,脳卒中の後遺症,あるいは認知症 こういった適切な治療をすればほとんどの例で 末期にみられる誤嚥です。そういう唾液誤嚥を含 改善するものの,約50%に,ムセない誤嚥すなわ めてすべての誤嚥性肺炎に,もし胃ろうを造って ち不顕性誤嚥が残るとのことです。食事のときに いくとどうなるか,それが問題です。 ムセなくても,眠っている間に唾液の誤嚥がある のです。 〈7〉 食べられない,あるいは誤嚥性肺炎を起 こす,だから,口から食べなくても良いように胃 〈8〉 日本での胃ろうの造設数は2014年で25万 6000人,年間実施数は2011年の9万6000件から, 2014年には11万9000件に増えているという数字が あります。 ろうを造る,日本ではどんどんそうされてきたわ それから,病院や施設ごとの患者さんや入所者 けですが,そこは2つに分けて見ることが必要で で胃ろう造設している人の割合は,急性期病院で す。 7%,慢性期病院で30%,そして特養で9%,老 まず,実際に食べられない場合です。神経難病 健で7%です。 や咽頭がん・食道がんなどでは長く続くかもしれ これらの数字を国際比較すると,単位人口あた ませんが,脳卒中では回復期に一時的にみられる りの胃ろう造設数はなんと英国の12倍になります。 ことが多いのです。 もう一つは,食べられるけれども誤嚥性肺炎を 62 〈9〉 認知症の場合の胃ろう造設については, 欧米での評価は,誤嚥性肺炎の予防にはならない, 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ 〈9〉 〈11〉 〈10〉 〈12〉 ▶▶■ 栄養状態も改善しない,予後も延長しない,と報 全日本病院協会が行った調査報告によりますと, 告されています(1999年,米国医師会雑誌) 。こ 在院日数をめぐる病院の都合や,受け入れ施設の ういう論拠もあって,欧米では胃ろうを造ること 医療上の制約,そしてさきほど述べた介護負担な は少ないようです。 どのために,病院や施設のそれぞれの事情に合わ 〈10〉 日本での評価は実際どうなのか,家族と せて胃ろうは造られているようです。 介護職を対象にした調査報告があります。家族の この調査報告の指摘するもう一つの問題点は, 約4人に1人が, 「術前の医師の説明と違う結果 胃ろうを造るという選択の意思決定です。本来な になった」という感想を持っています。要するに, ら本人の承諾決定が望ましいのでしょうが,それ 「再び口から食べられるようにはならなかった」 が出来ないケースが多いので,結局は家族と医師 「生活の質・人生の質は高まらなかった」などと のあいだで話し合って決めることがほとんどで, いう評価です。 本来の意思決定支援がなされていないことです。 それから,介護職の評価ですが, 「胃ろうはで 〈12〉 その頃,私が考えたことは,胃ろうの是 きるだけ避けるべき」という人が70%, 「自分な 非はともかくも,その前になすべきことがあるの ら,してほしくない」が80%で,やはり,患者さ ではないかということです。それは,摂食嚥下障 んを実際にお世話する立場の人からすると,胃ろ 害の評価とリハビリ,そして,肺炎を予防するた うは望ましいものではないのです。 めの口腔ケアであります。 〈11〉 胃ろうの社会的,倫理的問題について, 〈13〉 1999年Lancet誌に掲載された米山先生 63 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈13〉 〈15〉 〈14〉 〈16〉 ■◀ ◀ の報告では,専門的な口腔ケアにより,施設での 肺炎発症率を半分弱に減らす効果があるとのこと です。 〈14〉 そこでまず,口腔ケアのレベルを上げる この病床は発足当初,私が担当し,2011年から は新設の総合診療科の担当となりました。 〈15〉 なお,摂食嚥下障害評価については, 2013年中央社会保険医療協議会での審議において, ため,2009年に歯科を設置しました。翌年「地域 嚥下機能評価なしに胃ろう造設したケースが 支援緩和病床」を設定し,ここに,誤嚥性肺炎な 22.9%,そして,経口摂取に戻る可能性があるの どにかかった認知症高齢者を受け入れることにし に,嚥下機能訓練すなわちリハビリを受けていな ました。 いケースが19.1%と報告され,このあと,摂食嚥 そして口腔ケア,栄養サポート,リハビリを始 めとする院内の全ての医療チームに直接関わるよ 下障害のアセスメントが義務付けられ,胃ろう造 設の診療報酬が引き下げられました。 うにとお願いしました。介入評価して,必要なけ 〈16〉 スライド16は,鳥取市立病院の2009年以 れば撤退し,問題を見つければ関わりを続けると 降の胃ろう造設件数を3カ月ごとに示したもので いう仕組みです。 すが,年間にして100件から120件台のペースから, また,入院時と退院時の支援も含めて,高齢者 2013年春には年間30件台まで下がりました。 総合評価,摂食嚥下機能評価,口腔ケアとリハビ しかし,肺炎での再入院率が高いので,2014年 リなどについて,スライド14の写真のようにケア からは歯科の訪問診療を開始し,これにより再入 カンファレンスを週1回持つようにしました。 院率は確実に低下しました。これらのことについ 64 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ ては,2015年の日本老年医学会で発表しました。 〈18〉 2.高齢者の終末期と予後予測 〈17〉 鳥取での単〈17〉 身赴任を4年間で終 わり,2013年春に岡 山に戻りました。し かし,手足が曲がり, 体が縮こまって,固 〈19〉 まり,お腹には管がはいっている高齢者の姿が脳 裏から消えません。あの岡川さんの詩でうったえ ている,その苦しみを抱えたまま施設に帰って行 ったお年寄りのその後のことは病院にいてはわか りません。そういう思いから,今度は尾道市の介 護老人保健施設で働くことにしました。尾道市と いっても向島で,スライド17にある絵のように, ▶▶■ 海があって,海岸に学校があり,その近くに私た ちの老健があります。 〈18〉 話を戻しまして,胃ろうの評価について, 2012年の日本からの論文を紹介します。この論文 むことの障害がじわじわと進んでいき,それとと をみましてもやはり,PEG(経皮内視鏡的胃瘻造 もに,栄養状態が低下していきます。 設術)にADL向上や肺炎予防は期待できないし, 転帰も不良だ,との否定的結論を出しています。 この調査での胃ろう造設後の1年生存率は58% このことについて,私はこれまでこう思ってい ました──食べられなくなるから痩せていく,そ して,死んでゆくのだと。 ですが,平均生存期間は518.5±471.7日とバラツ 〈19〉 尾道市の施設で仕事をするようになって キが大きく,期待を裏切られたケースが多いと推 1年ほどたったころでした。100歳の女性の患者 定されます。胃ろうの適応を適切にするため,高 さんを看取ったので,終末期の9カ月間のデータ 齢者終末期の病態をもっと調べてみる必要がある をまとめてみました。 と,私は考えました。 体 重 は, 1 月 に43.2kg, 4 月 に36.7kgで, 東京都健康長寿医療センター研究所の枝広あや 15%も減っていました。そして4月から5月にか 子先生によりますと,アルツハイマー型認知症全 けて食事摂取量が減っていき,8月には口の中に 経過の後半5年間となると,歩行がそろそろ覚束 食べ物をためて呑み込めなくなりましたので,8 なくなり,それから,食事などを含めて身の回り 月末,ご家族にお話しして看取りの方向へ舵をき のことが自分で出来なくなっていきます。最後の りました。 1年半の期間で,食事自立度が低下し,介助が このデータを整理しながら思い出しました。食 徐々に増えていきます。食事を摂ること,呑み込 事の時間中に私は入所者を見て回ることが多いの 65 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈20〉 〈23〉 ■◀ ◀ 〈22〉 〈21〉 〈24〉 ですが,1月から4月のころ,この方は食事を全 無効というわけではなく,当初は補助栄養が効く 量食べていたのです。それなのに,体重が15%も かもしれませんが,経過がすすめば栄養無効です。 落ちている,おかしいなと思いました。 認知症終末期の高齢者にはこのカヘキシアの人が 〈20〉 そこで,この方を含めて,経口摂取を出 来る限り続けて亡くなられた5人の方について, 改めて調べてみました。まず,全例に体重減少が 多いのではないか,と考えたのです。 カヘキシア 〈22〉 ここからは,悪液質と予後予測の関係の 話になります。 ありましたが,そのうち4例は,食事摂取量が低 〈23〉 はじめに,がんの予後予測についてお話 下する前から体重減少を起こしていました。全例 しします。予後予測のために何を指標にしている でその死を見とどけることが出来ています。これ かというと,まず日常生活活動度すなわちADL に対し同じ期間に経管栄養を続けて亡くなられた とか,日常生活の制限の程度すなわちPS(Perfor- 方は7例で,このうち4例は,心肺停止発見,朝 mance Scale)といったものです。次に呼吸困難, 行ってみたら亡くなっていたという最期でした。 浮腫(むくみ),せん妄などの臨床症状。そして, 〈21〉 以上から,高齢者の終末期については, 経口摂取量,栄養指標としてのアルブミン値,炎 経口摂取に関わるプロセスには2つあるのではな 症反応であるCRP(C反応性蛋白)値など,これ いかと考えました。一つは,食べられなくなって, らの指標ががんの予後予測指標として用いられて 痩せる,というプロセス。これは,飢餓のプロセ います。 スといえます。もう一つは,食べていても,痩せ 〈24〉 その一つ,Palliative Performance In- る,というプロセスで,これは, 「カヘキシア」 , dex は,PSを3段階で評価,そして経口摂取量 日本語で「悪液質」と呼ばれる病態に相当します。 を3段階,それから浮腫があるかないか,安静時 飢餓であれば,栄養補給は有効です。でも,悪 液質であれば栄養は補給しても無駄です。100% 66 呼吸困難があるかないか,せん妄があるかないか, これらを点数づけすることにより,3週間以内の 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ 〈25〉 〈27〉 〈26〉 〈28〉 ▶▶■ 死亡率を出せるようにしています。 動度です。がんの患者さんは,最後までPSが比 〈25〉 もう一つ,Inflammation-Based Prog- 較的よく保たれていて,死亡前の2,3カ月で急 nostic Index は,血液検査を用いた比較的シンプ 速に低下します。一方,認知症の患者さんは,す ルな方法です。PS指標とGPSスコアからなり, でに長期間にわたって要介護4ないし5といった GPSスコアはCRPとアルブミンの値を組み合わせ 状態です。 て指標としたものです。 〈26〉 これらの報告を含めて,がん終末期の予 このように,予後予測におけるPS指標の重み が,がんと非がんでは異なり,高齢者終末期予後 後予測の評価方法についてはほぼ確立しています。 予測の難しさの一因となっていると考えられます。 これに対し,認知症高齢者の予後予測は未確認と 〈28〉 とはいいましても,アメリカやイギリス されています。ブラウンの2012年の総説によりま のホスピス導入基準を見ますと,まず,アメリカ すと,進行認知症高齢者の6カ月死亡に関する予 ではアルツハイマー型認知症のPSを示すFAST 後予測については,多くの文献をあたっても信頼 (Functional Assessment Staging)分類で7d以上 にたる指標は見出せない,とされているのです。 となっており,これは全介助を要する状態のこと 〈27〉 そこで,予後予測の評価において,がん です。これに,老年症候群として,体重減少が6 と非がんを分ける要因は何かと考えてみますと, カ月で10%以上,アルブミン値が2.5g/dl以下で 両方に共通している指標でいちばん重要だとされ あること,誤嚥性肺炎や尿路感染を繰り返して発 ているのは,ADLあるいはPSなどの日常生活活 熱している,などの条件が加えられています。イ 67 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈29〉 〈30〉 では,サイトカインがどのようにして悪 液質を発症させるのか,その機序は非常に複雑で す。スライド30の図中の円で囲んだ部分は,サイ トカインの末梢性の働きを示していています。ま ず,筋肉にはたらいて蛋白質の合成を阻害し,一 方で,筋蛋白の分解を促進します。肝臓にはたら いて,アミノ酸からの糖の新生を促し,他方で, 腫瘍組織では,嫌気性解糖により非効率的に糖が 消費されます。またアルブミンの合成を低下させ, 炎症マーカーであるCRP(C反応性蛋白)を増や します。また脂肪組織にはたらいて脂肪を分解し, ギリスの有名なセントオズワルドホスピスでも同 トリアシルグリセロール(中性脂肪)や脂肪酸を 様で,FAST分類で7以上,体重減少10%以上, 増やします。 褥瘡,繰り返す肺炎,これが入院基準とされてい ます。 ■◀ ◀ 〈31〉 サイトカインは,また,脳の視床下部に もはたらきかけて,食欲を低下させます。視床下 このように,欧米のホスピス導入基準を見ます 部には,食欲をコントロールし,また体のもつ基 と,まず日常生活活動度,次いで,体重減少,低 礎代謝のレベルをコントロールする2つの重要な 栄養,炎症の繰り返しなどの項目が挙げられでい 機能があり,前者にはたらいて食欲を低下させ, ます。このうち,さきほど述べましたように,認 後者にはたらいて交感神経を刺激して基礎代謝を 知症の人は早い段階から日常生活活動度は低いの 増やします。 で,認知症の人に限れば,日常生活活動度である 健康な状態であれば,胃から分泌されるグレリ FASTは予後判定には有力ではないといえます。 ンが視床下部にはたらいて食欲を増やし,脂肪組 そうすると重要視すべきは,体重減少,低栄養, 織から分泌されるレプチンが増えて食欲を低下さ 繰り返される炎症,ということになり,この3つ せ,体重を一定にコントロールします。 の指標が高齢者終末期の予後予測に重 〈30〉 要と考えられます。この3つの要素を も つ 状 態 と は, こ れ は ま さ に カヘキシア 「悪液質」です。 では,悪液質とはどういうものか, また,どのようにして発症するのかを 次に説明させていただきます。 〈29〉 悪液質とは,体重減少ならび に食欲不振を主徴とし,疲労感・筋力 低下・虚脱感などを伴い,がん・慢性 炎症・臓器不全などが背景にあって発 症する病態で,その原因の主要なもの はIL-1(インターロイキン1)や IL-6 (インターロイキン6)などのサイト カインとされています。 68 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ 〈32〉 悪液質の状態では,グレリンは増え,レプチン 〈33〉 とが起こるのです。 は減って,末梢からは「しっかり食べるように」 このような悪液質のメカニズムの解明から,そ との情報を中枢に送りますが,サイトカインがこ の治療法として,炎症を抑え,サイトカインの分 れをブロックし,結果的に痩せるということにな 泌を抑えるような薬剤を使うことが考えられ,そ ります。 の試みとして, 「消炎鎮痛剤(COX)は体重減少 食餌摂取量とエネルギー消費量を司る視床下部 を示すがん患者の代謝を改善する」という報告が の中枢は,別々の部位にあります。ということは, あります。 サイトカインが働くにしても,先に食欲が落ちて 悪液質の治療に関する研究は世界で進められて から体重が減ることもあれば,あるいは逆に,体 おり,薬も数多く開発されています。しかし,悪 重が減ってから食欲が落ちることがあっても,不 液質発症の機序はあまりにも複雑なので,まだま 思議ではないということになります。こういうわ だ臨床に使われるまでにはなっていません(スラ けで「がん患者では代謝が亢進しているが,代償 イド30・31)。 するほど食餌摂取量は増加していない」というこ 〈31〉 〈32〉 ヨーロッパ緩和ケア学会(EPCRC)で は,がん悪液質の臨床診断基準を提案して います。まず体重減少については,過去6 カ月間に,体重減少が5%以上,痩せてい る人や筋肉量が落ちている人なら2%以上 とし,加えて,経口摂取が落ちて,炎症反 応を伴っていること,これを悪液質の診断 基準としています。 〈33〉 なお,この基準では悪液質の進行 に応じて,栄養補給や薬剤で悪液質の進行 をある程度抑えることが可能な状態を「前 悪液質」 ,異化(エネルギー代謝)の状態 が亢進し,治療の効果がなく,PS 3~4の 寝たきりで,予後は3カ月以内の状態を, 「不応性悪液質」と分けて考えています。 69 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈35〉 〈37〉 〈36〉 〈38〉 ■◀ ◀ 92.6歳の人たちについて調査しました。 まず,2014年中に亡くなった人について,死亡 3.介護施設に於ける調査 前1年間の「体重減少」と「栄養摂取量減少」の 有無を調査しました。 「体重減少」は悪液質を念 頭に,BMIが20未満の場合には6カ月間で5%以 〈34〉 話をもとに〈34〉 戻しますと,私は, 上,BMI 20以上の場合には10%以上の体重減少, としました。 よく食べているお年 それから,「栄養摂取量減少」の目安ですが, 寄りが,やがて痩せ これについては,栄養摂取カロリーが基礎代謝基 て看取りにはいると 準値以下,たとえば70歳以上では21.5 Cal/kg未 いう姿に気づいたの 満となったときに, 「栄養摂取量減少」と判断す ですが,これは本当だろうか,もう少し広く調査 ることにしました。 してみようと考え,私の関係する鳥取の施設で調 査させていただきました。 〈36〉 調査結果です。老健96名のうち12人,特 養70名のうち16人が2014年の死亡者で,このうち 〈35〉 この施設「はまゆう」は規模が大きく, 「体重減少」が認められた人は,それぞれ9人 老健と特養を含めて3施設,入所者は全部で240 (75%)と12人(70.6%),あわせて死亡者28人の 名,その中の,老健96名,特養70名,平均年齢 うち75%にあたる21人に体重減少を認め,死亡す 70 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ 〈39〉 〈41〉 〈40〉 〈42〉 ▶▶■ るまでの期間はそれぞれ7.7カ月と6.2カ月で,体 で26人,特養で24人,合計50名,そのうち36名, 重減少の平均値は6カ月間で約5kgでした。 76%の人が約7~8カ月後に亡くなっています。 このような体重減少は始まってすぐに気付けな 一方,体重減少がなかった人は90名で,このうち いとしても,2,3カ月も経てば気付くことはで 亡くなった人は11名,12.2%でした。76%と12% きるのではないでしょうか。 の数字の開きにはやはり意味があると思います。 〈37〉 「体重減少」と「栄養摂取減少」の関係 〈40〉 この調査をさらに2年間に延長して検討 ですが,体重減少が先で,栄養摂取減少があとの しました。この間の老健,特養の死亡者は合計69 場合,その逆の場合,それから同時に減少する場 人で,このうち55人,79.7%に,死亡前1年間に 合,それぞれ約3分の1を占めました。 おける「体重減少」を認めました。 〈38〉 体重減少が先行した人たち9例について 〈41〉 以上から,高齢者の死亡予測は,体重の 詳しく見ますと,体重減少が始まって死亡するま 減少の推移を見ていればわかるのではないかとい での全経過が8.6カ月です。そして,栄養摂取が うことです。すなわち,一定の疾患を背景に,活 基礎代謝の基準値を下回るようになるまでには 動度,パフォーマンスが低下しており,著しい体 5.2カ月です。その後,死亡するまでに約3.3カ月 重減少がみられ,それに食餌摂取量が低下すれば です。これに対し,栄養摂取減少先行例では,死 終末期とみなしてよい,すなわち,体重減少に注 亡までの全経過が6.6カ月と短くなっています。 意することにより終末期の予測は可能である,と 〈39〉 同じ期間で体重減少があった人は,老健 いうことになります。 71 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈43〉 〈44〉 〈45〉 よる体重減少です。悪液質がなぜ体重減少をおこ すかというと,さきほどからお話ししてきました ように,各種の疾患により産生されたサイトカイ ンの働きにより,代謝機能が失調するからです。 〈43〉 それには,がんと炎症と臓器不全があり, 炎症では,昔なら結核,今ならリウマチ,COPD (慢性閉塞性肺疾患)などを入れてもいいでしょ う。これらが昂じると代謝不全と免疫不全をおこ ■◀ ◀ し,やがて栄養を取り込めなくなって悪液質とな り,ガクンと体重減少をおこします。 〈44〉 疾患別に悪液質がおこる頻度はどうかと 〈42〉 高齢者の体重減少で注意すべきことがあ いうと,アメリカでの報告ですが,AIDSで35%, ります。高齢者の体重減少は3段階で進むと考え がんで30%,COPDで20%,腎不全で40%,リウ られます。 マチ性関節炎で10%,心不全で20%,ナーシング まず「フレイル(虚弱) 」という第1段階では ホームに入所している人では20%となっています。 生理的予備能が低下します。自分ではしっかり動 これらの数字は各種疾患で悪液質をおこしている いているつもりだけれども,たとえば躓いたとき 患者さんの割合ですが,その多くは終末期に入っ にサッと体を立て直すことができなくなっている, ていると考えられます。 そういう能力が下がっている段階のことです。そ 2012年の日本老年医学会の立場表明では,高齢 うなると,こわくなって,あまり体を動かさなく 者にはいろいろな病気があって,余命の予測は困 なる,そうして活動度が低下し,筋肉が減少して, 難として,「終末期」の定義はうちだされません 結果として体重が落ちてくると考えられます。 でした。しかし,疾患はいろいろ異なっても,そ それから,第2段階は「サルコペニア」です。 れぞれの疾患で悪液質となった人の多くは予後不 これはたとえば男性でいえば,男性ホルモンが減 良ですから,悪液質と判断すれば終末期と考えら ってくることにより筋肉量も減ってくる状態です。 れるのではないでしょうか。 内分泌の生理的な問題で筋肉量が低下し,運動機 能が低下して,体重減少につながります。 最後の第3段階は「カヘキシア(悪液質) 」に 72 〈45〉 そのためには,がんにおける「不応性悪 液質」というものを高齢者終末期にも考えること です。つまり,体重減少が食餌摂取量に先行して 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ おり,補助栄養の効果もないという「異化亢進状 〈47〉 態」であるかどうか,そして,活動度が寝たきり であるかどうか,さらには,誤嚥性肺炎や尿路感 染症などを繰り返しているか,そこまで顕著では なくても採血ではCRPが高値である,こうしたこ とが揃えば,終末期と考えてもいいのではないで しょうか。 4.終末期の備えと看取り 〈48〉 〈46〉 〈46〉 ここからは, 終末期にどう備える か,どう看取りする か,についてお話し させていただきます。 〈47〉 まず,みな さん「よい看取りとは」どういうふうに考えてい ▶▶■ らっしゃるのでしょうか。 「特別養護老人ホーム における看取りガイドライン」 (2007年3月)と か「介護老人保健施設における看取りガイドライ ン」 (2012年3月)というのが出ていますが,そ ンの看護職は,「終末期はケース毎に異なり,そ れらをまとめますと, 「なじみの人や慣れ親しん の定義は難しいかもしれないが,共通の理解をも だ環境の中で,その人らしく人生の最期を暮らす っていなければ,話し合いは難しい。終末期の定 こと」 ,また, 「生命の経過を見極め,無益な延命 義が必要である」と考えています。訪問看護師は, 治療をせず,苦しみを緩和し,穏やかで安らぎの 病院と在宅と介護の3つの現場と関わっている職 ある日々を」。これらは緩和医療の考え方に合致 種ですから,どうしても,これらの職種共通の理 したものですね。 解がなければ話し合いができない,というのは理 〈48〉 「高齢者の終末期の看取りに関するガイ 解できますね。 ドライン作成のための調査報告書」では,いろい 〈49〉 そこで,看取りの開始時期はどう判断す ろな職種から看取りに関する具体的な意見をまと るのか,についてですが,3つのケースに分けて めてありますので,紹介します。 対処するのがいいと考えます。胃ろうや経鼻胃管 介護保険施設とグループホームの看護職が看取 などの人工栄養を行わない場合と,すでに人工栄 りをどう考えているかというと, 「徐々に食べら 養が行われている場合,そして,心不全などの臓 れなくなった時,痰が多くなり,発熱した時に, 器不全がある場合,それぞれに看取り開始時期の 看取りの計画を立て始める」とあります。まさに 判断が異なるということです。 そうですね。 これに対し医療側,病院や訪問看護ステーショ 〈50〉 まず,第1のケースでは,認知症あるい は老衰で歩けなくなり,座ることもできなくなっ 73 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈49〉 〈51〉 〈50〉 〈52〉 ■◀ ◀ て,FAST分類でいえば7d,あるいは,近いうち 吸引の刺激は,胃や食道の逆流を誘うかもしれ にそのレベルになるのが確実な方で,しかし,積 ず,不測の事態も予想されます。そうなると,人 極的な人工栄養を望まない場合,食べられなくな 工栄養から撤退する,それも早めにそうすべきと って,だるいと訴え,一定の体重減少があって, いえます。 栄養指標のアルブミン値も下がっているなら,こ れはもう看取り開始の時期といえます。 加えて,臓器不全が重なったら,さらに危険で す。慢性心不全であれば,腸の動きも悪くなりま 〈51〉 それから,第2のケースは人工栄養がす す。自分の口で食べている場合は,体調がわるけ でに行われている場合です。胃ろう造設後,次第 れば食べませんが,人工栄養だと,体調にかかわ に痰が増えてきます。胃ろうが造られた後も嚥下 らず注入されれば,嘔吐,逆流誤嚥の不測の事態 障害は進むためです。初め唾液は呑み込めていた を招くかもしれません。 のに,次第にできなくなって,唾液が喉に貯留し, 〈52〉 第3のケースは,心不全,呼吸不全,腎 唾液誤嚥を惹き起こすわけです。唾液の分泌量は, 不全などの臓器不全の末期の場合です。その判断 普通1日に1ないし1.5リットルともいわれます にも悪液質の診断が根拠になりますが,それぞれ から,その貯留がしだいに増え,吸引も頻回とな の専門医も治療限界から看取り時期の判断を下し り,1日に数回から十数回となっていけば,看 ます。 護・介護はギブアップですが,それより患者さん の苦しみを考えてみてください 74 こういうことがありました。私が尾道市立市民 病院に心不全の患者さんを紹介したところ, 「今 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ 〈53〉 〈55〉 〈54〉 〈56〉 ▶▶■ までいろいろやってきた患者さんですが,もうこ いるなど,それを動かすと本人がどれだけ苦しむ れ以上の治療はできません」とはっきり言われて かをわかってもらえます。そういう終末期介護の 返してこられました。それなら,ご自宅に戻りま 現場をご家族はほとんど知らないと思いますので, せんかとお話しして,施設から帰宅して3日でお それを知ってもらうことにより,ご家族の心の準 亡くなりになられました。長らく施設に居られた 備も進みます。 方も,そうとなれば自宅を選ばれるのです。 〈55〉 次に,苦痛の緩和です。苦痛といっても 〈53〉 次に,看取りの準備について,私の思い 「がん」のような痛みではありません。食べる苦 をお話しします。まず,ご家族のいる方について しみです。具体的にはまず,食べられるものを食 は,ご家族とケアを共有するようにすることが大 べられるだけにして,それ以上は無理をしないこ 切,そして,苦痛の緩和です。 とです。人工栄養をしているなら,減量するか中 〈54〉 まず,ご家族とスタッフによるケアの共 止することです。それから,痰の吸引が頻回にな 有についてですが,平素からご家族との信頼関係 るのなら,水分補給も減量するか絶つこと。痰を を築いておくことが大切なのは言うまでもありま 減らす方法は他にはありませんから。 せん。看取りについていろいろと説明したあと, 呼吸困難になったら酸素吸入ですが,終末期の できれば食事介助,おむつ交換,吸引などをご家 人は酸素マスクの装着自体をとても嫌がります。 族にも一緒に介助してもらうことです。そうすれ 首をヨコに振って嫌と意思表示するのを,理解し ば,体が硬くなっている,脚が交差してしまって てあげていいのではないでしょうか。 75 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈57〉 〈59〉 〈58〉 〈60〉 ■◀ ◀ 〈56〉 看取りの準備として,あらためて,人工 護士連合会から「成年後見制度に関する改善提言 栄養を減量あるいは中止するときのことをまとめ ~医療同意能力がない者の医療同意代行に関する ておきます。 法律大綱~」が提案され,2012年には日本老年医 減量,あるいは,中止するのは,あくまでも人 学会から「高齢者ケアの意思決定プロセスに関す 工栄養が苦しみとなるときであることに留意して るガイドライン~人工的水分・栄養補給の導入を ください。注入したものが胃から逆流したり,唾 中心として~」が提案されています。 液や痰の貯留が増えて吸引を繰り返すようになる 〈58〉 いま,高齢世帯の割合が31%あり,その と,それは本人には苦しいのです。また,熱発, うち一人暮らし高齢世帯が30%を数えるような時 誤嚥性肺炎を繰り返すときもそうです。それから, 代になっています。そのような高齢で認知症にな 心不全の進行によって,栄養注入が腸管の負担に り,身寄りがないとなれば,どうなることか。 なって吐気を誘うことがあります。これらの問題 さきほど触れた成年後見制度の拡充,とくに医 を見過ごすと,逆流誤嚥,心肺停止と続き,死後 療同意代行を早く整備しないといけません。人工 に発見されることになります。こうした不測の事 呼吸からの撤退を現場と関係者の判断で実施して, 態を招かないよう,注意してください。 刑事事件に問われるなどの事例がいくつもあるの 〈57〉 最後に,看取りの準備として大切な「終 ですから。欧米諸国ではもうとっくに整備されて 末期」の意思決定支援についてお話しします。こ いるのに、日本では法制化には至っていません。 れに関する重要な指針としては,2011年に日本弁 〈59〉 では,これまではどうやって医療方針な 76 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ 〈61〉 〈62〉 〈63〉 定支援の問題に備えて,具体的な状況を取り上げ て適切な支援が出来るよう策定されたもので,最 初に取り上げられたのが「人工的水分・栄養補 給」でした。この提案は法曹界の権威者からも賛 同が得られたそうです。 〈62〉 もう一つ,看取りのこころの準備として, スピリチュアルケアについて触れておきたいと思 います。村田久行先生のスピリチュアルケアの理 論によれば,人の存在は時間性,関係性,自律性 の次元から成り立っています。認知症終末期のス ピリチュアルケアとは,私は次のように考えてみ どの意思決定をしてきたのかというと,本人は認 知症で,事前指示書もありませんから,家族と医 師の間で相談され,決められてきたのです。 〈60〉 しかし最近では,意思決定能力低下に備 えて「アドバンス・ケアプランニング( 事前ケ ました。 まず,自律性については,代理意思決定により その人の尊厳が守られます。時間性については, 予後予測のもとに看取りの時が守られることにな ります。 ア計画) 」という,事前の話し合いで本人の意思 残る関係性についてですが,これが問題であり を確認し,そして記録を残すことが提唱されてい 重要ですね。みなさん,「ユマニチュード」(フラ ます。このことの法的な意味合いを示すものとし ンス語 Humanitude)という言葉を聞いたことあ て次の判例があります。 りますか? 認知症の人に対する新しいケアの技 〈61〉 平成24年3月に横浜地裁から次のような 術のことで,見る,話す,ふれる等のコミュニケ 判決が出ています──「原因となる病気があって, ーションの要素を組み合わせ,ステップを踏んで しかし回復の可能性が無く,これ以上の治療行為 関係性を築くものです。 をするのは患者に負担をかけるだけであり,治療 しかし,看取りのプロセスで困惑するのは,こ 義務はないと判断して治療行為を中断することに のようなコミュニケーションがほとんど取れない は法的違反性はない。ただし,患者の意思表示が ことです。この段階で私たちに必要とされること 必要。しかし,家族による推定意思でもよい」 。 は,もの言わぬ人との対話です。宗教や哲学の支 日本老年医学会のガイドラインは,この意思決 えが必要になります。ケアするとき,人は自ずと 77 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 〈64〉 〈66〉 〈65〉 〈67〉 ■◀ ◀ 次のような関係性の中にあるのです。 るのかもしれません。一方で,独居や家族の高齢 〈63〉 それは,イエスの教えや,マザーテレサ 化がありますので,自宅で看取ってもらうことも の実践が示す「隣人」という関係性,ジャンケレ なかなかできず,在宅死を増やすのは困難です。 ビッチの「二人称」の関係性,ブーバーの「我と つい先日の毎日新聞にこんな記事が載っていま 汝」の関係性です。このような関係性の「場」の した──見出しが「「自宅死」割合に大異変 1位 中にある人のこころ,たとえば,それはスライド 東京」というものです。昔は長野県がトップでし 63の詩に良く表れていると思います。岡川由美子 たが今は13位だそうです。なぜ,東京が自宅死で さんの詩集の見開き扉に掲げられているものです。 トップなのでしょうか。この記事での「自宅」死 祈りの詩です。 〈64〉 最後に,「終の棲家」と題してまとめま す。 〈65〉 日本はこれから,後期高齢者の死亡が急 速に増えていきます。その一方で,ベッド数を削 減する動きも急ですから,どうなっていくのでし ょうか。 亡は,ほんとうの自宅での死亡なのでしょうか。 東京では無届の老人ホームや高齢者専用の集合住 宅を自宅とせざるを得なくなっていた人が,一人 でひっそり亡くなっているケースが急速に増えて いるそうです。 〈66〉 こういう状況ですから,今ある介護福祉 施設での看取りを増やさなければならないと思わ 2030年には,47万人の看取りの場所が不足する れます。最近では看取り加算がありますから,少 とされています。私ももしかしたらその一人にな しはやりやすい環境にはなっていますが,特養に 78 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ は施設数,入所者数に限りがあり,いくらがんば っても10%にも達していません。老健であれば, 在宅復帰機能を発揮して,在宅・居宅での終末期 ───ディスカッション─── 療養をいつでも支援し,必要になれば看取りを引 き受けることができます。 〈67〉 最後に申し上げたいのは,地域での看取 りの条件として,在宅や施設の側から病院へ情報 を発信しなければならないことです。施設では1 座長(北村) 田中先生,ありがとうございま した。 年2年とその人をみてきているわけですから,い 田中先生のお話は,まず摂食障害と胃ろう・経 ざ病院へ紹介するというとき,長期間にその人が 管栄養の問題から始まりまして,高齢者の終末期 どう変化してきているのか,などの情報です。た では,食べられなくなって痩せるということだけ とえば,体重が6カ月間でこれだけ変わってきて でなく,食べることができているのに体重減少す いるという情報です。そういう情報が病院に届け る場合があって,それが悪液質であり予後予測と ば,専門医も考えます「専門医療はもう手をひく 看取りへの重要なサインになるというお話,そし ときか」と。 て最後には終末期の意思決定支援や終の棲家に関 このように,地域と病院とで共通の指標を持ち, する提言まで,大切で幅広いお話をしていただき 長期の経過の中でのその人の今を知るよう努めて, ました。 きちんと評価する,これをまとめることが出来る ここからは,時間は十分にとっておりますので, のはやはり総合医でしょう。病院の時代が始まっ みなさまからのご質問ご意見を受けていただき, てこのかた,日本の医療は専門医の世界です。欧 ディスカッションしたいと思います。 米 の 医 療 は い ち 早 く 一 般 医(General Practi- 総合診療の評価を tioner)を制度化してきました。しかし,日本で も今,地域包括ケアの理念がうたわれ,地域医療 会場O(病院医師) 私は総合医として在宅診 のシステムが整いつつあり,その中で,総合医が 療にあたっており,末期のがん患者さんをいま3 活躍する機運にあります。地域と病院,これらが 人,ほかに20人ほど抱えております。田中先生の 互いに情報を発信しあって,地域包括ケアが機能 お話を聞きまして,ひじょうに違和感を持ちまし すれば希望はあります。 た。 ということで私の話を終わらせていただきます。 〔拍手〕 ■ といいますのは,体重が3カ月で下がって痩せ るというのであれば,私どもでは体重減少の原因 がどこにあるか,悪性疾患なのか甲状腺なのか, あるいは胃腸の疾患なのか,それを一所懸命考え ます。そのうえで,老衰などどうしようもないグ ループのわずかな人を除いて,原因はけっこう分 かることが多いと思います。つい先週も,90歳の おばあさんが突然おかしくなりまして,とりあえ ず胃カメラをしてみたところ,アスパラカリウム 錠をシートのまま呑んでいて,幽門にひっかかっ ていました。取り除いて,今はかなり元気になり ました。 79 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 老健や特養にいる方が,体重減少があるから悪 繰り返しますが,全体評価をやらなければなら 液質だ,だからターミナルが近い,みんなで看取 ない。けれども,総合的に評価する人がいない, りの話し合いをしておこうじゃないか,とのこと みんな専門医だからです。これはやはり,総合医 ですが,ただ私はそれよりも,たとえば循環器の を育て,そして,地域包括ケアの場に配備するこ 専門医に相談しても心臓疾患はありませんという と。それがなければ,日本の医療はこの先だめだ, だけで,だれも全体をみる責任をとろうとしない, と私はこの頃は思うようになりました。 まあ,みることができる医師も少ないとは思うの ちなみに,鳥取市立病院では岡大からの内科医 ですが,そういう総合的な診察をすることが大切 の派遣が減り続けて,鳥取大学,自治医科大学か ではないか。もちろん,田中先生のお話は終末期 らの支援で専門医療を維持していますが,この専 の根幹に触れるご指摘だという印象は持ちました。 門医の減少を私はどう考えたかというと,虚弱で ■◀ ◀ 田中 食べられなくなるとか体重減少を起こす 複数の疾患を抱えた後期高齢者が入院の半数を超 というのは,どう考えても基本的にはまず消化器 える病院ですから,専門医の減少を補うのは総合 の疾患があると考えるのが普通でしょうし,高齢 医だと考えました。いま中堅,若手の総合診療医 者でいえば口腔や嚥下の問題がありますから,当 が8名います。 然それらのことは考えるでしょう。それから,全 さて,このような総合医が看取りをするとどう 身に炎症性疾患などの問題があれば当然,食欲も なるか,日本では未知数ですが,英国の終末期医 おちるでしょうから,そういうことも考えます。 療戦略であるGold standard frame workによると, ですから無論,O先生のおっしゃることはその通 英国のGPの下す死亡診断は,がん25%,臓器不 りでして,私が言うのはそれをやったうえでの話 全33%,虚弱・認知症33%となります。 「虚弱・ です。 認知症」に対応する日本での診断が「老衰」にあ いちばん最初にお話しした,胃ろう造設数の2 たるとすれば。2012年の日本の死亡者のうち老衰 割位は,その人の嚥下障害の評価なしに造られて は4.8%ですから,両国における高齢者終末期の きた実態があります。ですから,O先生のおっし 認識の差には大きなものがあると考えられます。 ゃられるように,個別の診断評価をきちんとやら 胃ろうの功罪と悪液質 なければいけないというのは,その通りだと思い ます。 会場O もう一つ,胃ろうについて教えていた それと,もう一つ思いますのは,高齢者になれ だきたいのですが,胃ろうを造った人も造らなか ば現在進行形の病気を4つ5つは抱えています。 った人も生命予後は変わらなかったという論文を しかし,胃がんが見つかれば,これを治療したい 挙げられていましたが,食べられない人は胃ろう と思うでしょう。内視鏡下で胃がんの粘膜切除を をしなかったらすぐ死亡に至りますね。というこ したのはうまくいったけれど,尿路感染症から敗 とは,胃ろうをせずに代替的にどういうことをし 血症になってショックに至った事例をありました。 たのか,経管栄養したのか,IVH(中心静脈栄養) なんとか立ち直って施設に帰ってきましたが,も をしたのか,あるいは点滴のみだったのか,何も う体は手術前の状態ではない,おそらく戻りませ しなかったのか……日本老年医学会が立場表明を ん。 出してからというもの,胃ろうを造ってきたもの 反省すべきことは,一つの専門治療に入るまえ に,全体の評価をして,複数の疾患と障害を抱え たこの人にとってどういう治療をすれば適切なの としてそこらへんをどうするのか迷うことがあり ます。 田中 O先生のご質問は,私もいちばん悩んだ かを,多職種協働で総合的に考えることなのです。 問題です。それで今日は,その問題に焦点を合わ 80 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ せてお話しする機会をつくって欲しいとお願いし さい。急性期病院では患者の体重を計っていない て,お話しさせていただきました。 のではないかというお話がありましたが,私ども おっしゃる通りで,すなわち,胃ろうを造って の外来では,来院ごとにほとんどすべての患者さ 効果のある人たちも大勢いらっしゃいます。でも, んの体重を計っており,すぐにグラフが出るよう 胃ろうを造っても効果のない人も大勢いる。それ にしています。それから,入院患者は週1回全員 をきちっと評価して,適応を考えて胃ろうを造れ 計っております。まあ,むずかしい人は計れない ば効果が得られるわけです。とくに,先天性の食 こともありますから,注意してフォローしており 道閉鎖のある子どもたちには胃ろうがすばらしい ますが。 効果を発揮します。 田中 O先生のお話を聞いて安心いたしました, しかし今日お話しさせていただいたように,痩 O先生の病院から,いいデータが出てくるのでは せて,体が悪液質になっていては,胃ろうを通し ないでしょうか(笑)。ぜひ,よろしくお願いし ていくら栄養を補給しても効果を発揮しない。翻 ます。 って,そもそもこの人はなぜ悪液質になったのか, 介護老人保健施設の問題点 ベースになっている疾患が解決されない限り,悪 液質は解消しません。たとえば,食事を摂れなく 座長(北村) 私から一つ質問させていただき なって胃ろうを造れば,さしあたり食べる問題は ます。田中先生はいま介護老人保健施設の施設長 胃ろうに任せることはできるけれども,嚥下障害 をされておられるわけですが,最近の制度改正で, はそのままですから,唾液誤嚥は避けられない。 老健にも在宅復帰強化型,どんどん自宅に返そう そうすると,慢性的に気道炎症を繰り返すことに という老健と,一方で先生がいらっしゃるような なります。そして,慢性的な炎症疾患が悪液質を 看取り強化型のところもあります。ちょっと両立 起こすのです。 しないのではないかと私などは感じているのです これは緩和医療の問題ですが,生命予後の延長 が,そのあたりはどうなのでしょうか。 をはかるためにはどんなことをしてもいいのか, 田中 はい,その通りですね。いま私がいると という問題になります。そうではない,というの ころは,実は有床診療所と2つの老健がある医療 が緩和医療の主張です。すなわち,本人の苦しみ 法人です。一つの老健は在宅復帰強化型で,入所 を緩和することがひじょうに重要だ,ということ 者さんもどちらかといえば軽症の人がほとんどで です。がんに関しては痛みが問題でしたが,高齢 す。もう一方の私が担当している施設は平均介護 者の苦しみは何かと申しますと,冒頭で読ませて 度4.6で,実際にいま看取り態勢をとっている方 いただいた詩です,あれを読めば高齢者の苦しみ が2人,看取りの説明をすませている人は10人以 はすべて分かります。いま病院で目の前に横たわ 上います。 っている高齢者はみなさん,そういう苦しみを持 っているのです。 このように機能分化をするのがいいのだろうと 当初は思っていたのですが,私の担当する看取り ということで,O先生のご質問に戻りますと, 型老健では,現在のスタッフでそこまで重症の人 O先生の言われることを評価する医学的な基準を をめんどう見るのは,ちょっと無理があるなとい 我われが確立しなければいけないのではないでし うのが私の率直なところです。すなわち,もしか ょうか。 したらスタッフが「夜逃げする」かもしれない 体重計測の重要性 会場O わかりました。もう一つ言わせてくだ (笑),だから,ほどほどにしたほうがいいなと思 います。でも,だからこそ,介護職が不安なく看 取りができるように,自然な死のプロセスに従っ 81 ▶▶■ 緩和医療研究会誌 第23巻第1号通巻第32号 2016年2月 た緩和ケアを考えるのです。 日本の後見人制度では現在のところ,財産の後見 座長(北村) ありがとうございました。では, しかできない,生命に関わる後見はできない,と ほかにどなたか…… 施設看取りと死をめぐる諸課題 会場K(診療所医師) 田中先生,どうもあり いう法的制約があります。ここのところの問題を, これから我われはしっかり議論していかなければ ならないと思います。 そういうことで,田中先生のお話の背景には, がとうございました。意見を述べさせていただき やはりきちんとした評価があったうえでの看取り, ます。 それから看取りをされる側の生活の質,QOLが 老健には,看護師が常駐していますね,それな あって当然,という背景があると私は理解して受 のに,介護スタッフが「夜逃げする」くらいであ け取っておりましたので,私個人としては田中先 れば,他の介護施設,それにサービス付き高齢者 生のお話には違和感はありませんでした。 住宅(サ高住) ,あるいは有料老人ホームなどの 田中 一言いわせてください。最近よくいわれ 介護スタッフは,もっと早く夜逃げすることでし る,平穏死とか自然死とか自然な看取りとかいろ ょう。 いろ言われますが,それは科学的にどう考えれば, 私たちがよく往診しているサ高住のスタッフに, つまり評価,診断すればいいのか,あるいはその 「最近は看取りはしているのですか?」と尋ねま ■◀ ◀ 方法論があるのか,という問題にもなります。 した, 「いやー,できないんです」 「どうしてです たとえば,人が死ぬのは,心臓が止まる,循環 か?」「看取りをすると,介護職が集まらないん 機能が止まる,それからは分単位の問題になりま です」 ,これが現在の実状,私たちのいる岡山県 す。それから,私は臓器移植にも関わったので, 南部でのことですが,実状だと考えていいと思う 脳死が問題でした。脳死判定すれば,その人の生 のです。県北部のほうでは,三村先生などが活躍 命はそのままでも1週間か2週間で死ぬ,だから しておられるのですが,三村先生は,看取りをし 脳死は人の死だとして,臓器を提供する,という ないと高齢者住宅とはいえない,と言っておられ プロセスです。 ます。このように,地域によって施設での看取り には現状では差があると言わざるを得ません。 しかし,脳死の人は脳は死んでいるけれど,ど うして体全体が死ぬのか,脳死では体全体の死の さきほどO先生が田中先生におっしゃった論点 説明にはならないのではないか。そこで調べまし についてですが,齋藤先生が講演第1部で触れら たところ,関連する論文が数編ありました。何が れた,平成9年の石井暎禧先生と広井良典先生と 報告されていたかといえば,高サイトカイン血症 の論争そのものにつながっているのではないか, であり,いろいろな組織で細胞のアポトーシスが との印象が私にはあります。 見られる,というものです。すなわち,脳死も全 その中で私が大事だと思う問題点は, 「人間は 死ぬんだよ」ということが大前提であり,だから, 体としてはそのような死,なのですね。 では,老衰はどうか。老衰でなぜ死ぬのか,ど あなたは死ぬときにどう死にたいのか,というこ のように死ぬのか……アポトーシス,サイトカイ とに尽きると思います。そこで,田中先生がおっ ンであり,悪液質を疑いますが,その根拠を示し しゃった「アドバンス・ケアプラン(事前のケア て,人びとの共通の理解としたい。ここに,これ 計画) 」なり事前指示書を,どういうふうに扱っ からの医学の課題があると思います。 ていくのか。さらには,事前指示書を書けなくな った人には,どのように医療の代理人なり後見人 を選定するのか,の問題になっていくと思います。 82 予後情報の開示と死の医学教育を 会場K ありがとうございました。もうちょっ 田中紀章 高齢者の看取り ~終末期予後予測と悪液質~ と言わせていただきますと,自然死や老衰には医 発ならなんで熱が出たのか,食べられなくなった 学的論拠がないと田中先生はおっしゃいましたが, のならなんで食べられなくなったのか,動けない 私はその過程は,経験値でいいと考えます。 のならもしかして骨折があるのではないか,そう 慶応義塾大学名誉教授の池上直己先生がいろい いう原因追究は当然です。ただ,高齢者のように ろなところでお話しされているのは,医師がきち 疾患を複数かかえるようになると,この人たちの んと予後,さきゆきを開示してあげれば,患者は 今がどうなのかを適切に評価して,ピンポイント 自ずから方向性を選ぶ,そういうふうに言ってお で治療をすることが必要で,やはり総合医だと私 られます。 は思います。 実は私は今日,間質性肺炎の高齢患者さんを私 先日,私の施設が担当するが在宅訪問看護でま のところへ入院させました。ある病院で治療した わっていた患者さんが亡くなられました。8月に のですがとても辛い思いをして自宅に帰り,悪化 胃ろうを造ったばかりなのに10月にはもうお亡く しまして私のところに来られたのです。もう一度 なりになったのです。いったい何を評価して胃ろ 病院に戻るかなど複数の提案をしたところ,もう うを造ったのか,いったい,どこの,だれが,何 病院には戻りたくないとのことで,可能なかぎり を評価したのか,と考えるとこころが重くなりま 我われのところで治療・療養する方向で,死とい す。長期の経過のなかの今を知ること,それに基 うものを視野に入れながら過ごしていく,という づく医療技術の選択と適応が大切であると,繰り 選択をされました。 返し言わせていただきます。 ただ,情報の開示に至るまでの,田中先生がお * っしゃる十分な評価,説明のしかたができていた 座長(北村) 田中先生,どうもありがとうご かどうかは,私にも自覚できません。そういう面 ざいました。我われ医療職や介護職にしてみれば, での教育が,今後の重要な課題になっていくので 少しでも早く悪液質になっている人に気づいてい はないか,と私は考えています。 きたいと思いますし,介護スタッフにはPSレベ 田中 おっしゃる通りです。実際にはK先生の ルが下がっていく人にしっかりと向き合いながら, やり方でベストなのではないかと思います。やは これからの高齢者ケアに携わっていってもらいた り死の根拠・論拠は必要ではないかと思います。 いと思います。 それなのに,日本老年医学会は立場表明では終末 それでは,時間もおしてきましたので,このへ 期の判断基準を出さなかったということは,それ んで本日の緩和医療研究会第59回研究集会を終わ だけこの問題が難しい,ということであろうと思 ります。みなさま,どうもありがとうございまし われます。 た。〔拍手〕 ■ ただ,あまり難しく考えなくてもいいのではな いか,というのが今日の私の話の趣旨であり,要 は,体重を計って評価すればいいし,それは欧米 ではごく当たり前のことで,スライド28でも触れ ましたように,全米緩和ケア協会ではホスピス導 入基準に記していますし,かの有名な英国のセン トオズワルドホスピスの入所基準も同様です。で すから世界基準で考えれば,そう間違ってはいな いのではないか,と思っています。 もちろん,基本的な医療・治療は大切です,熱 83