Comments
Description
Transcript
1730 - 東京都隊友会
ハンニバル国際戦略力セミナー10周年記念 チュニジア大使館レセプション特別招待者(ご案内) #1 #1 ○趣旨:チュニジアと日本の交流 大使ご配慮特別レセプション (チュニジアの古今の理解と日本の交流) ○希望者;本資料等通じたチュニジアの理解と交流 ○参加希望申し込み:# 記入 ○申込締切日:2016年9月30<各個人ごと>・・ML送付・#4様式 :Ml:[email protected] ○参加可否の連絡日:2016年10月18日頃・・ML連絡 ○特別招待人数:若干名<申込順> ○当日:2016年11月2日(水)1730~2030 ○場所:在日チュニジア大使館:#3 NPO法人国際戦略シナジー学会 ハンニバル戦略力研究所 #2 ●ハンニバル とは? ポエニ戦争でローマを苦しめたカルタゴの将軍。戦象を率いてアルプスを越え、前216年、カンネーの戦 いでローマ軍を破ったが、ザマの戦いではスキピオのローマ軍に敗れた。 古代カルタゴの将軍。第2回ポエニ戦争で戦象を率いてアルプスを越えてイタリア半島を転戦し、カン ネーの戦いでローマ軍を破って脅威を与えた後、カルタゴ近郊のザマの戦いでローマのスキピオに敗れた。 父のハミルカルもカルタゴの将軍で、第1回ポエニ戦争でローマ軍と戦い、その後カルタゴで傭兵の反乱 を鎮圧して名を挙げた。その子ハンニバルは父の築いたカルタゴの植民地のスペインで育ち、父の死後、 26歳でカルタゴ軍を率いる将軍となった。前218年第2回ポエニ戦争が起きるとスペインのカルタゴ=ノ ヴァ(カルタヘナ)を出発し、ロー戦象30、歩兵5万、騎兵9千を連れてピレネー山脈を越え、さらに冬のア ルプスを超えてローマ領内に攻め込んだ(アルプス越えのルートには諸説あって明らかではないが、ロー マの歴史家ポリビオスによれば15日かかかったという)。その後イタリア半島を転戦、ローマの将軍ファビ ウスの持久戦法に悩まされたが、ヴァビウスが元老院で罷免された後の前216年、ローマ軍が決戦を挑 んでくると、カンネーの戦いで巧みな戦法を駆使して大勝した。ハンニバルはローマの同盟市が反乱を起 こすことを期待したが、その動きはなく、また長期の遠征でカルタゴ軍も疲弊し、ローマ軍スキピオが本国 を攻撃した知らせに急遽カルタゴに戻り、前202年のザマの戦いで敗れた。ハンニバルはその後もカルタ ゴの将軍の地位にとどまったが、親ローマ派が台頭したため脱走し、小アジアのアンティオキアに亡命。な おも各地で反ローマ連合を働きかけたがはたさず、ローマの追跡を受け、前183年自殺した。 ○ハンニバル→カエサル→ナポレオン(わが師・デビッド画・アルプス超え・記銘碑) 魅惑のチュニジア ● THE ノーベル賞 LURE ●Ichkeul ●Eljem ● TUNISIA #3 ハンニバル ~ノーベル平和賞・・世界遺産・・ワイン・・ハンニバル~ Nobel Praze・World Heritage ・Wine・Hannibal、 Nobel Praze チ : 地中海 ロマン・グルメ・ワイン Sea gground ユ ●Carthago ●Dougga Roman 、Cooking 、Wain : ゆったりの時・無窮の空 Gentle time、 Endless sky、 ニ : にっこり微笑アラビアンビーナス Smile arabian venus ジ : 8世界遺産・3000年ヒストリ~SF ●Kerkuare ●Scusse 8World Heritage3000year・Since Fiction ア : 明日の平和を創るハンニバル~ノーベル賞 Tomorrow peace :to Nobel Praze from Hannnibal ●keruare ●Tunis ●在日チュニジア共和国特命全権大使 #4 ●大使館レセプション(概要) ○氏名:カイス・ダラジ 1730:受付開始 1755:大使ご挨拶 1800:チュニジア国紹介 1840~2020:大使主催レセプション ○生年月日:1966年5月15日 ○言語:アラビア語、フランス語、英語 ○1994:オックスフォード大学(外交学修了) ○1989:マニューバー大学(修士号) ○言語:アラビア語、フランス語、英語 ○2015:在京チュニジア共和国 全権特命大使 ○2012~2015:在ワシントンDC。 チュニジア共和国大使館主席公使 (地中海グルメ+ワインパーティ) 1825:謝辞 1 ●大使館所在地 ■住所〒102-0074 東京都千代田区九段南3-6-6 ■電話/ファックス TEL : 03-3511-6622 FAX : 03-3511-6600 ■受付時間 当日:1730~ 交通アクセス 以下の4駅より徒歩10分となります JR市ヶ谷駅/都営新宿線市ヶ谷駅市ヶ谷駅/ 営団地下鉄有楽町線市ヶ谷駅/営団地下鉄南北線市ヶ谷駅 最寄駅となる”市ヶ谷”からのアクセスマップは上の地図をクリックすると 拡大画面で表示されます。 プリントアウトも可能です。 拡大地図 #5 チュニジア大使館レセプション参加希望者(個人申し込み書) 所属組織 1 2 3 4 5 氏名 ML アドレス Tel 申し込み 月日 備考 「講師プロフィール」 奥出阜義 #6 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』<抜粋> 奥出 阜義(おくで あつよし、1944年- )は、元防衛大学校教授、日本の戦略教育の第一人者。 特に古代カルタゴの将軍ハンニバルの戦略研究のスペシャリスト。 東海高校卒業後1964年防衛大学校に第12期生として入学し、零戦の開発者として知られる堀越二郎教授に師事する。同期生には、先崎一(元統合幕 僚長)、勝山拓(元自衛艦隊司令官)、瀬井勝公(元防衛大学校教授)などがいる。 卒業後、陸上自衛隊に入隊し、航空操縦士となる。飛行隊長として、雪山遭難者など数々の人命救助を成功させる。 陸上自衛隊航空学校教官、幹部学校教官を歴任し、米国海兵隊にも研修入隊する。 1998年から防衛大学校教授を務め、防衛大学校生や防衛庁幹部に対して戦略・戦術の理論や実践の教育訓練にあたる。 2000年からマップマヌーバー(図上戦略演習)を用いた戦略演習法を国内では先駆的に開発し、首都大学東京OU、早大院等で1000名超にその普 及に努める。 NPO法人国際戦略シナジー学会の設立に携わり、一般学と戦略学とを総合・相乗させるリーダーの育成を目指して、講演・演習や執筆などの活動を行 なっている。 防衛大学校元教授 (弁)フェニックス戦略主席研究員 日本経済大学大学院特任教授 NPO国際戦略シナジー学会理事 日本チュニジア友好協会理事 [編集] 略歴 1968年 防衛大学校卒業 1983年 陸上自衛隊幹部学校教官 1991年 防衛庁陸幕幕僚 1994年 戦闘ヘリコプター隊長 1998年 防衛大学校教授 2000年 防衛庁退官、富士重工業戦略アドバイザー 2005年 NPO法人国際戦略シナジー学会専務理事 2007年 弁護士法人フェニックス戦略研究員 2015年 ハンニバ戦略力研究所 所長 •2016年:防衛大学校同窓会人材バンクに推薦・登録。 •外部リンク[編集] •防衛大学校同窓会人材バンク •国際戦略シナジー学会 〔著作} ハンニバル戦略思考:ダイヤモンド社・2011・03 #7 NPO法人 国際戦略シナジー学会 ~文武両道グローバルサムライの育成~ 2006~2016.06 当学会は、外交・防衛の経験知とビジネス一般社会の経験知を融合することにより、より高度な戦略を生み出し、 ノブレスオブリュウジュ的スピリットで国際社会で活躍できる人材育成を行い、日本社会をさらに進化させることを目的とします 顧問 西元徹也(元統合幕僚会議議長) 岡田邦彦(亜細亜大学客員教授) 井上東(あずさ監査法人) 会長:伊藤博(弁護士法人フェニックス代表社員))、 副会長:嘉村孝(弁護士) 理事 秋本修志(ブロボノ代表) 奥出阜義(元防衛大教授) 桶田幸宏(テクノアーツ代表) 小野安昭(元チュニジア大使)、 香山俊巳(ケイズビュ代表) 佐竹有幾(CKS代表) 杉之尾宜生(元防衛大教授) 袖山正美(元日生顧問)、 西山春之(弁理士)、 宮迫圭秀(弁護士・事務局) 監事 濱崎純也(アオキミツル副社長) 事務局 〒102-0073 東京都千代田区九段北4-1-5 市ヶ谷法曹ビル202号 Email: [email protected] 会則抜粋 ●この法人は、次に掲げる事業を行う。 (1) 研究大会・講演会・研究部会を運営し、外交・防衛上の経験・知識と、 一般的な学問の経験・知識が相乗効果を発揮することを研究する事業 (2) 研究年報・機関誌を発行し、外交・防衛上の経験・知識と、一般的な 学問の経験・知識が相乗効果を発揮することを普及・啓発する事業 ●主要講座・研究会:2015年 ・5月、8月、11月、実施 ●陸上自衛隊幹部学校AGS学生論文研修支援講座: <文→武>・・・各理事講師 2007年~ <幹部学校長から感謝状拝受・2013年11月) ●首都大学東京OUハンニバル戦略MM講座(推薦) <武→文>・・・奥出講師 2007年~<チュニジア大使館研修・レセプション> チュニジア大使館