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自己創出を生むコミュニティとしての学級

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自己創出を生むコミュニティとしての学級
千葉大学教育学部研究紀要 第5
9巻 1
8
3∼1
9
0頁(2
0
1
1)
自己創出を生むコミュニティとしての学級
蘭
千壽1)
千葉大学・教育学部
1)
高橋知己2)
岩手県滝沢村立篠木小学校
2)
Motivating autopiesis the classroom of communities.
ARARAGI Chitoshi1)
TAKAHASHI Tomomi2)
Faculty of Education, Chiba University
Shinoki elementary school in Takizawa Country, Iwate prefecture, Japan
1)
2)
キーワード:学級集団(classroom group) 創発型(emergence type) 自己創出(autopoiesis)
コミュニティ(community) 教育指導(educational leadership)
1.はじめに
学級経営は教師にとって大きな関心事の一つである。
学級経営がうまくいくことで生活指導や学習指導が効果
的におこなわれることが多く(岸田,1
9
8
4,竹村,2
0
1
0)
,
いわば学校生活の基底にあるものが学級経営だと考える
ことができ,多くの教師が学級経営に腐心している。そ
のため,教師は自分の学級経営をふり返ろうと,学級集
団に関する質問紙や諸テストなどのさまざまなツールを
使って学級を診断し,自分の学級について適切な指導法
を探索しようとしている。
Ë
伊藤(2
0
0
0)
は,学級経営を考える方法として学級風
土を一つの概念として考察し,質問紙作成の際に実施す
る学級観察に加え,生徒面接をおこなうことを提案して
いる。これによると,研究者が観察した事例と生徒面接
による報告はおおむね合致しており,いわゆる生徒の視
点から教師の学級経営を検討する方向性を示していると
考えることができる。実際に,当該学級の学級像を把握
すること,そのこと自体が問題解決の一つとなる。
2.学級状況の分類と変容にみる集団発達
これまで,蘭・高橋(2
0
0
8)は学生たちの学級経験に
ついての報告に基づき,学級タイプを図1のように分類
しており,その分類の妥当性について報告している。す
なわち,「開かれた―閉じられた」学級というキーワード
をもとに,学級事例を想起させたところ,そこに登場す
る生徒と教師の関係性や,記述者(学生)が感じた教室
の雰囲気やイメージは,次のように大別することができ
た。
それは,学級が「動的・活動的」―「静的・消極的」
という活動性の次元と,次に学級の活動が「生徒主導」
―「教師主導」という主導権の次元を設定できた。つま
り,学級の雰囲気がどうであったか,そうした学級の活
動をリードしていたのは生徒だったのか教師だったのか,
という2つの次元で,学級集団の体験事例は分類可能で
あった。このことは活動性からみた学級集団タイプとい
える。
連絡先著者:蘭
これらの2つの次元をもとに,4つの学級集団タイプ
に分類することができ,その特徴を以下に示す。
「創発・信頼型学級」
(タイプ¿)は,生徒主導で,活
動的な学級集団である。生徒たちは,主体的で自律的,
行動的であり,いろいろな活動に対して積極的に取り組
む学級である。このタイプの学級は生徒が中心となって
イベントに向けて取り組み,生徒同士が協力して自主的
に活動していく特徴がある。
「生徒階層型学級」
(タイプÀ)は,生徒主導的である
が,活動は静的で停滞気味である。人間関係は固定化さ
れており,そのため生徒集団に階層性があり,ときにい
じめが発生する。一部の生徒により学級集団がかき乱さ
れる。「学級でいじめがあり,特定の生徒に支配されて
いた」というように,一部の生徒により学級全体の雰囲
気や活動が管理され,階層性ができてしまった学級集団
のタイプである。
「教師専制型学級」
(タイプÁ)は,教師が中心的な学
級であり,無気力な教師,独裁的な教師の影響を受ける。
生徒たちが学級集団に無関心,受動的な態度である。
「教師が厳しく,逆らうことができなかった」などと,
学級全体が教師による専制的な管理によって統制されて
いるような学級集団のタイプである。
「教師リーダーシップ型学級」
(タイプÂ)は,教師が
アイディアをぶつける,イベントなどを仕組むことが多
い。このタイプの教師は生徒をぐいぐい引っ張っていき,
この教師の活動に生徒たちが巻き込まれ,学級全体とし
て活発になっていく。「教師がいろいろなアイディアで
私たちを引っ張っていった」というような記述者の表現
にいいあらわされる学級集団である。活動的な取り組み
が教師中心におこなわれている学級タイプである。
ここで注目したいのは,これらの特徴をもつ学級集団
の変容は集団発達の過程ということができる(図2,参
照)
。本研究は,こうした学級集団の位相が変容してい
く過程を,放任型(生徒階層型)
,安定型(教師専制型)
,
安心型(教師リーダーシップ型),創発・信頼型学級モ
デルの順に,次に考察する。
3.山岸の安心社会・信頼社会の考え
学校や学級において信頼感が重要な概念であることは,
千壽
1
8
3
千葉大学教育学部研究紀要 第5
9巻 ¿:教育科学系
図1
活動性からみた学級集団の類型
よく知られている。生徒が自分自身と他者に対して信頼
感をもつことは教育的徳目でもあり,信頼が対人関係や
社会の動きを円滑にする大きな要素であるからである。
山岸(1
9
9
5)は,安心と信頼について,社会的な不確実
性や機会コスト(費用)という概念に基づき社会心理学
的な興味深い考察をおこなっている。
それによると,集団主義社会は安心を生み出すが,信
頼を破壊し,その集団の枠を超えた一般的信頼の育成が
困難になる,と指摘している。つまり,固定化されたコ
ミットメント関係は社会的な不確実性を低減させ,その
ことが安心感を生む。しかし,メンバーの変化や状況の
変容をもたらす場合での信頼を醸成するわけではないと
いうのである。
いいかえると,社会的な不確実性が少なく,安定した
学級は「安心感」を生む。だが,それはその学級の限ら
れた人間関係の範囲内での信頼であり,本当の意味での
その学級の枠を超えた「一般的信頼感」を生んでいるわ
けではないのだ。信頼が必要になるのは,一般的に考え
られているとは逆に,安定していない状況のとき,安心
感が損なわれかねない不確実性のある状況においてであ
る。
に(あるいは独裁的に)作り上げた安心社会であるから
だ。しかし,このような学級は,教師にとって制御しや
すい安心感のある安定学級でしかない。自らルールを策
定し,生徒の突発的でイレギュラーな行動を抑え込むこ
とで安定状況をつくっているのは,教師にとっての複雑
性を縮減しているが故の安心でしかないのだ。
生徒が必要とする安心感は,自分たちの活動を保証し
てくれる安心感であり,教師の指導を受けながらも生き
生きと楽しく活動できる学級状況のことである。生徒た
ちは社会的な不確実さの低減のみならず,そこに自分た
ちの活動の満足さも望んでいる。学級担任は,教師に
とっての安定学級をつくりながらも生徒の活動性を担保
する,ある意味でバランスを欠いているかのような両局
面のはざまでつねに学級経営を試行していくスタンスが
求められているのだ。複雑系でいうところの「カオスの
縁」的学級状況の創り出しと,それへの柔軟なかつ配慮
的な対応を必要とされるといえよう。
4.学級集団のタイプと学級集団の位相の変容モデル
四月の学級開始期,教師の学級指導が十分に行き届か
ない状態で「安心」が希求されるのは,まさに,社会的
な複雑性を縮減したいという要求の表れであるといいか
えることができよう。級友がどういう人たちであるのか
が掴めず,担任教師の人間性や指導方針も十分に理解で
きていない状況は,複雑性に満ちており,教師の指導が
効果的におこなわれていない状態は放任型学級(タイプ
À)と呼ぶことができる。
放任型学級においては,生徒間には階層性が存在した
り,いじめが起こったりすることが多い。不安な状態に
いるためにその不安感の発露として暴力的になり,他の
生徒たちへの攻撃が始まるのである。
やがて,教師の介入や指導がこの学級におこなわれる
ことによって,表面的には安定するようになる。生徒
個々の自由なふるまいがある程度統制されてきた状態で
ある。教師によって生徒個々の行動が制限されるため,
複雑性が低減し,安心感が増してきた状態だといえる。
チャイムが鳴り,先生が授業を始め,掃除の時間は掃
除し,休み時間は教室・体育館・校庭で話をしたり遊ん
だり,そんな学級の日常的なリズムが形成され,安定し
た状態である。しかし,それが教師の強権的高圧的な指
学級集団における安心感と信頼感とは
安心感と信頼感は異なるも の で あ る。こ れ は 山 岸
(1
9
9
5)も指摘しているとおりである。しかし,学級集
団では,安心感が形成されることなく,信頼感が醸成さ
れることはないのだ。安心して生活活動や学習活動をお
こなうこと抜きに,信頼感は育たない。学級経営で難し
いのは,まさに,この点である。
学級集団は,教師が指導し介入することで,一見落ち
着いた安定した学級になる。だが,教師がそうした指導
態度を継続したりあるいは強化したりすることは,学級
に安心感を補強するよりは,むしろ委縮や追従させるこ
とになりかねない。この点において,山岸が想定する社
会集団と学級集団とでの大きな「場(field)
」の違いが
あるのだ。
学級集団においては安心感の増大すなわち社会的複雑
性の低減は,消極性や活動の不活発さにつながるのだ。
それは学級には教師が存在するためである。集団内部で
相互作用することで社会的な不安定さを解消していくの
ではなく,教師が生徒の保護を標榜してトップダウン的
1
8
4
自己創出を生むコミュニティとしての学級
図2
この安心型の学級に所属し,集団として成熟していく
と,生徒たちはより主体的に自分たちで学級集団のふる
まいを決定していきたいと考えるようになることがある。
教師の指導や支援によって活動するだけでは物足りなく
なり,自分たちの手で活動を創造しようという欲求が湧
いてくるのである。そこには,生徒と生徒の活動を見守
る教師の信頼関係,互いの活動を支える生徒と生徒の信
頼関係をベースにした,個人と個人との関係が次の個人
との関係性を形成していくというオートポイエーティッ
ク(autopoetic)な創発・信頼型学級(タイプ¿)が出
現していくと考えることができる(蘭・高橋,2
0
1
0a,
b)
。
学級集団とは,山岸(1
9
9
5)が指摘するように,外界
との関係性を遮断したような山間部のコミュニティでは
ないし,実験室のような固定的で一時的な環境でもない。
状況は刻々と変容し人間関係も変容する。友だちだった
二人がけんかをしたり,昨日まで口もきかなかったよう
な生徒同士が一緒に活動したことをきっかけにして仲良
くなったりし,休み時間に遊ぶ相手と学習中に話をする
相手は違うことも多い。そんなことは,われわれだれし
もが経験していることである。いつどんな反応をするの
か予想もつかないようなそうした学級の中の複雑な状況
においてさえ,なおかつ積極的に活動を創っていくよう
な学級像を指すのだ。そうした社会的に不安定な複雑な
状況の中で活動をおこなうためには,生徒間,生徒―教
師の信頼関係が不可欠なのだ。
実際に収集した事例には,教師はあくまでサポート役
となり,生徒が中心となってルールを策定し自主的に
コーディネーター役を取りながら,学級集団を運営して
いる学級の事例が数多く含まれていた。もちろん,課題
によって中心となって活躍する生徒たち(コア・グルー
プ)は異なり,またその活動を助け,協力する生徒たち
(アクティブ・グループ)も違うのである。
それではこうした状況の不安定さや複雑さの中で信頼
感を醸成し,創発・信頼型学級を形成するにはどうした
らよいのだろうか。
学級集団の位相の変容モデル
導による場合には,一見落ち着いた学級にみえても生徒
たちは受け身的に指導を受け入れているだけに過ぎない
安定型学級(タイプÁ)である。前述した社会的な不確
実性の低減された状態とは,タイプÁ型の学級において
教師の高圧的な指導態度によって,一見安定しているよ
うにみえる状態を説明するときに有効である。
だが,安定学級には教師に制限された限定的な保証さ
れた安全はあるが,安心感は高くはない。周囲の生徒に
対する一定の安全が確保されたとしても,それは教師の
指導に従わされているだけであり,それはどの生徒に
とっても同様である。そのため,学級活動の多くが教師
の価値判断に沿ってなされるようになることで停滞し,
生徒たちは自らの活動が教師によって制限されるために
消極的になってしまう。教師の顔色を伺いながら行動す
るようになる。
ここでいう「安心」とはこの状態ではない。個人個人
の生徒たちの自由な活動をおびやかすような他の生徒の
勝手な行動が統制されるだけではなく,教師が効果的な
指導で学級集団をリードしながら学級経営をおこない,
それによって生徒たちの活動性が向上してきた状態を安
心型学級(タイプÂ)と呼ぶのである。
安心型学級の教師はいわゆる教師の権力で生徒たちを
押さえつけようと考えてはいない。そのような指導の仕
方が生徒たちの活動性を奪い,積極性を喪失してしまう
ことを知っているからだ。この学級の教師はリーダー
シップを発揮しながら生徒たちの積極性や活動性を高め
ていくような手立てを講じることに腐心する。教師の配
慮的,支援的な関わりのもとで,生徒たちは安心して活
動をおこなうことができるのである。
5.学級集団を共同体(コミュニティ)と考える
われわれは,生徒が自主的に活動し,相互に高めあう
グループとして成長させるための『
「学級」というコミュ
ニティ』へと視点を変え,集団づくり・コミュニティづ
くりをおこなうことを考察する。
「コミュニティ・オブ・プラクティス(実践コミュニ
ティ)
」はウェンガーら(Wenger, E., McDermott, R., &
Ì
Snyder, M., 20
0
2)
によって紹介された「共通の専門ス
キルやある事業へのコミットメントによって非公式に結
びついた人々の集まり」を指す(p.1
2)用語である。
自発的なイベント等への参加を促し,生徒の活動を保証
するような学級経営をおこなうこと,学級をコミュニ
ティ化することは大きな意義がある。
担任教師がよくリーダーシップを発揮して,指導に工
夫を凝らし,生徒たちが安心して活動できるような安心
型の学級集団になったとしても,それは教師主導の集団
から脱却していないといわざるをえない。安心型学級か
1
8
5
千葉大学教育学部研究紀要 第5
9巻 ¿:教育科学系
ら生徒が自律的に活動する創発・信頼型学級への転換は
それほど容易なことではない。それを可能にするヒント
が学級経験を集めた事例にある。
創発・信頼型学級を経験した学生の報告には,学校行
事やイベントに対する生徒たちの「コミュニティ」への
参加の様子が語られることが多かったし,教師の多くが
経験していることでもある。それは,生徒のかってみら
れなかった積極的な行動や様子が交絡する場なのである。
それは興味深いことに,安定していない,社会的に不
確実性の低減した状態ではない瞬間なのである。それこ
そが生徒による主体的な学級経験を感得させる状況であ
り手段であるのだ。コミュニティ論を敷衍した学級集団
論は,新たな集団論の地平を開く可能性があるのだ。
ところで,コミュニティは,ときに一つの共同体のよ
うに単体として考えられることが多いが,じつは複数形
で存在するものだ。前出のウェンガーらの著書の原著版
タイトルは『Cultivating communities of practice』で
あり,「コミュニティーズ」と複数形で表現されている。
翻訳する場合には,こうしたニュアンスはうまく伝わら
ないが,著者らが想定しているのは複数形のコミュニ
ティであることは明白である。ここでいうコミュニティ
(ーズ)とは,一つの目的の下に集ったメンバーで成立
しているコミュニティでも,その参加メンバーの背景に
あるコミュニティをも含んだコミュニティである,こと
を表している。
これまでの学級集団に対する考え方は,学級の構成メ
ンバーである子どもたちの個性を認めながら,教師が学
級という一つの集団を指導し支援しながら運営していく
イメージであった。
学級の活動は多岐にわたる。日常の生活指導,学習に
関すること,学校行事への対応はもちろんのこと,とき
には家庭や地域との連携を必要とすることを要請される
ことも多い。そうした場面に対して,教師は個々の生徒
の適性を考慮しながら集団運営をおこなうことが求めら
れる。勉強の得意な生徒,運動の得意な生徒がいる。合
唱の指揮が上手な生徒,劇の大道具づくりが得意な生徒
もいる。それらの特性を見極め,さらに彼らが育ってき
た多様なバックグランドとしての家族とその歴史的な背
景をも理解し,理解しようとする態度をもちながら,集
団として効果的に成果を上げられるように判断して指導
をおこなうことは難しいが,重要な指導や支援の観点が
含まれているといえる。
コミュニティの視点から考える学級経営
蘭・高橋(2
0
1
0a, b)を参考にして,学級経営を効
果的におこなえない教師は二つのタイプがあげられる。
タイプÀ型の学級でよくみられる放任型教師がその一つ
の典型である。このタイプの教師は,学級経営に関心や
自信がなく,生徒に対する適切な指導をおこなわず,放
任してしまうのだ。
一方で,教師としての使命を強く感じる教師がある意
味陥りやすいタイプÁの安定型教師像がある。このタイ
プの教師は,自分が何とかしなければと思い,過剰に指
導することを意識してしまい,生徒を管理し,教室が安
定するように導いてしまう。その結果,生徒たちの反発
1
8
6
や無気力が生じ,学級経営がうまくいかなくなるのであ
る。
こうした二つのタイプの教師は,子どもたちの背景に
ある家族を含めたコミュニティに対する理解が十分では
ない,ということができる。教室内で教師が感じている
状況は,生徒が表出するメッセージの一部でしかないし,
その表出もまた生徒たちのコミュニティの一部でしかな
い。感じ方や考え方を共有しようとする営為や努力なし
に,教室の場面への介入を忌避したり,自らの意志のみ
を優先して学級のコミュニティのルールとして統制した
り審級しようとしても,それでは効果的な学級経営をで
きないことが予想される。
これまで,学級における教師のスタンスが学級経営を
考察するとき,管理する立場やときには統治する立場か
らのものが多かったことは制度上やむをえないであろう。
しかしながら,そうした立場からの指導では学級経営が
成功しないことは,蘭・高橋(2
0
0
8)の指摘からも明ら
かである。多くの教室で教師たちが悩んでいる学級経営
を改善するためには,「視点変更」が必要である。すな
わち「学級という共同体(コミュニティ)への参加」と
いう視点が。
多様性を活かす
学級集団状況に参加する主体である生徒や教師は複数
であり,多様な存在である。そこで生じる関係性も複雑
であり,多様である。そうした複数の主体が集まること
で一つの社会,学級コミュニティを形成する。そのため,
学級集団は複雑性が極めて高く,その集団におけるコ
ミュニケーションの方向性や強度もつねに可変する。だ
が,教師は,学級経営をおこなうとき,生徒の安全を管
理するためにまた教師自身の安心のために,教室内のコ
ミュニケーションのありようやコミュニティとしての学
級社会をある一定の方向へと統制しようとしてきた。多
様な学級社会に一つの一方的な教師の視点をもち込むの
である。
多様で複雑なコミュニティーズの集まりである学級集
団にあっては,各自の参加様式は変わり続けることが基
本である。一人の生徒がすべての場面において中心的な
役割を果たすことはないし,今日と同じ顔(面)を明日
もみせるとは限らない。積極的に教師に協力してくれる
生徒が,次の瞬間背を向けて離れていくことはそう珍し
いことではない。それが教師にとって都合が悪いと感じ
るのは,教師にとって都合のいいことだけが起こること
を期待する視線があるからである。むしろ,学級集団と
いうコミュニティにあっては,変わり続ける参加の仕方
があることが当然であるし,成員のアイデンティティも
変化し,発達していくことを銘記しておくことが求めら
れるのではないだろうか。集団は決して一様なふるまい
をおこなうことはないし,一つの視点から眺めることも
眺められることもない集団なのである。
集団発達という観点からも同様のことがいえる。従来
の研究においては,学級集団発達については直線的で一
義的な発達過程が想定されていた(広田,19
5
8など)
。
これもある意味において,四月に始まり三月には完結せ
ざるをえない時間的な制約のもとに編成された集団の特
自己創出を生むコミュニティとしての学級
性に起因するものである。だが,このことが教師の一義
的な集団観や統制への過度な信頼を生んできたともいえ
る。
コミュニティには一義的な発達はないし,内部ではつ
ねに変化が生じている。特定のリーダー(学級において
は多くは教師がこの役割を担うのであるが)
,彼らの意
図に反して,内部において自律的なオートポ イ エ ー
ティックな活動が生じている(蘭・高橋,2
0
0
8)
。そう,
学級という多様性を抱えたコミュニティには中心は,な
い。いわゆる一義的で恒久的な中心性はむしろ排除する
ことが望ましい。
「生徒が中心の学級づくり」と標榜する学級において,
生徒が中心の学級をつくろうとしているのは教師である。
肝要なのは,いつ,どこで,だれが中心的な役割を担っ
てコミュニティに参加するのか,それに対して周辺から
他の参加者はどのように対応し,関わりをもっていくの
かということではないだろうか。
コミュニティという「場」を活用する
コミュニティとして学級集団を捉えることは,学級集
団を社会的なものとして関与の仕方やふるまいを考察し
ていくことになる。それは,これまで学級に生起する問
題を教師や生徒個々の問題であるとしたり,あるいは生
徒間および生徒と教師の相互作用であるとした分析を傍
系に置くものである。実際に,学級の諸問題をみると,
生徒たち個々の行為者たちが意識していない形で顕現化
している事例が多い。
「初源の偶発性」や「ミクロな変動」が学級集団の変
容を引き起こしているという蘭・高橋(2
0
0
8)の指摘の
ように,わずかな集団内の変容が学級全体に及んでいる
ことが多い。例えば,友人同士の何気ない悪ふざけがい
じめへと変容し,やがて学級全体がぎすぎすした険悪な
人間関係に満ちあふれ,教師が気づいたときにはすでに
修復不可能な事態に陥っていたなどは,学校現場で実際
によく聞く話である。しかも重要なことは,当事者たち
からこうした事態に陥った原因やそのプロセスの詳細が
事細かに語られることがほとんどないということである。
彼らは何も気づいていないか,当事者の語りが十分な事
実を語っていないことが多い。そのため事例の詳細につ
いては,事後に,学校関係者などの事例検討者が参加し
た議論における分析を待つほかない。
上述の例でいうと,仲の良かった友人同士が始めた悪
ふざけがいじめへと変容していった理由は,実のところ,
彼らでさえよくわかってはいない。例えば,友人との
ゲームの貸し借りから二人の関係性が変化していったと
しよう。部活動や学級集団の一員として一緒に行動して
きた友人同士である二人にとって,ゲーム仲間である側
面は,一側面に過ぎない。だが,ゲームを一緒にやった
りする関係性は一側面でしかないが,それは決して関係
性の単純さを表しているわけではない。ゲームを通して
二人に共通の友人が増えたり,学級の話題の中心になっ
たりすることもある。
すると,これらゲームから派生した関係性は,学級集
団というコミュニティにとってそれぞれ異なる人間関係
の展開(関係性)を観察できることになる。多くの友人
1
8
7
をもつ人間,話題の中心人物,人気者として認知されて
いるかもしれない。もともとの個人から考えてみると,
集団との関わり方については何も変わってなかったとし
ても,その個人のもつ多様な関係性は大きく変容してい
くのである。この視点は,いわゆるニア・ソシオメト
リック・テストなどの学級集団における関係性の構造に
関する追求からは分析できないやり方である。全体の関
係性の変容(変質)を分析しようという試みである。コ
ミュニティという自由に関係性が交絡する場を活用しよ
うというのだ。
6.実践共同体としての学級
こうした発想は,実践と知識のありようについてこれ
までの一般的な考え方に対する疑義とともに大きな提案
をおこなったレイブとウェンガー(Lave, J., & Wenger,
E.,1
9
9
1)正統的周辺参加理論(Legitimate peripheral
participation: LPP)による状況論の展開と通底してい
る。彼らは「多様な成員をもった,公的な,あるいは
「隙
間に生じる(interstitial)」実践共同体に対して,学校
そのものが社会的に編成されていくしくみに疑問を提
供」し,そうした研究が「カリキュラムとか教授実践そ
のものを研究するよりも,生徒が何を学ぶのか,何を学
ばないのか,何が彼らにとって意味あるものになるのか
を明確にする」と指摘している(前掲著p1
8)
。
つまり,知識や技能が伝達されることよりも実践共同
体の中で学習者がどのような位置や関係性をもち,その
立ち位置の変容こそが学習であるとしている。教師や教
材からもたらされるものとして学習を位置づけていたこ
とを,学習者がどのような実践としてその属する共同体
の一員として学ぶ営為を意味づけているか,ということ
の重要性を突きつけているのだ。
では,学級集団においてはどうであろうか。
依然として,基本的には教師がどういう学級にしたい
のか,そのためにはどういう方法を選択し方向づけてい
けばよいのだろうか,に議論が集中している感は否めな
い。現状の関係性を改善するための方策の検討も必要な
ことではあるが,そうした対処療法的なやり方には,閉
塞感が漂っている。
なぜなら,そもそも人間関係を前向きに捉え,教室内
の関係性を良好に維持することを,かつてほど子どもも
親も重視しなくなってきた現実があるからだ。互いに多
少のいさかいはガマンしながら譲り合う風潮は,近年大
きく後退しつつある。他人と無理して関わり合いをもつ
くらいなら個人で過ごした方がよいし,ささいな友人関
係のトラブルに対してもことさらに騒ぎ立て,個人の権
利の主張が強まってきている。
「学級集団に所属しているからといって,それがどう
した」
「友人と一緒に居たって楽しくないのに,なぜ仲
良くしなければならないのか」などの考え方に向き合わ
なければ,所詮教師の対応はその場しのぎにしかならな
いのではないのだろうか。
Mくんを共同体の一員に
学習にとって内発的な動機づけが考えられるように,
千葉大学教育学部研究紀要 第5
9巻 ¿:教育科学系
集団に対してもその参加意識や関与への欲求が高まらな
ければ,その集団の維持や活性化はおこなわれない。そ
のためにはどうすればよいのか。LPP理論が目指したも
のは,知識を獲得するための学習そのものを目的とする
現在の学校教育ではなく,何かを(実践)するための必
要な手段として,または学習を通して社会や共同体への
コミットメントを深めていく意識の高まりが意欲を向上
させているというものであった。学級集団づくりにして
もLPP理論が目指すことと同様の観点が重要である。
学校現場では,教師は生徒たちが学校または学級にお
ける諸処の集団に属することを当然視し,学校行事など
では「集団で協力して活動すること」を目的の一つとし
て計画するなど,集団やグループでの協同活動を目的と
してカリキュラムを計画することが多い。そのため,集
団やグループでの活動を得意としない生徒やその学級集
団になじめない生徒は問題視されることが少なくない。
例えば,次のような例がある。
(Mくんの事例)
小学5年生のMくんは成績も悪くなく,学級でもあ
まり目立つことのない,ごく普通の少年だった。彼に
は双生児の弟と中学3年生でスポーツに優れた兄がい
た。5年生に進級した4月頃から,学級内の友人たち
ともめ事を起こすようになり,ささいなことでケンカ
して暴力をふるった。
担任教師はMくんの行動対策を考え,彼と休み時間
や放課後,個別に相談したり話を聞いたりした。ある
時期までは,Mくんはそうした担任教師の行動に安心
したのか落ち着いた様子だった。だが,しばらくする
と,また暴れるようになってきた。再び担任教師はM
くんと話をしようとしたが,今度はそんな担任教師に
拒否反応を示してしまうMくんだった。やがて拒否反
応はエスカレートし,担任教師と一緒にいることをい
やがり始め,教室にも入らなくなり校舎内をうろつく
ようになった。
担任教師は彼をなんとか落ち着かせようと席替えを
したり,話をする場を設けようと工夫したりした。だ
が,事態はいっこうに改善しなかった。友人と集団で
活動をさせようとしたが自分の気に入った友人とグ
ループにならない限りはことごとくケンカをし,その
グループに入ろうとはしなかった。学級の他の生徒た
ちが,暴力的でうろついて歩いたり,自分のわがまま
をいったりするMくんをしだいに避けるようになって
いった。やがて,そんな彼の様子をみていた周囲の男
子生徒の数人がしだいに担任教師の指示を聞かなくな
り始めたのであった。
困り果てた担任教師は学校側に相談した。その結果,
学年全体でMくんを含めた学級に対するケアを考え,
対策を講じることになった。その学年は2学級であっ
たため,隣の学級と合同で活動する機会を増やすこと
にしたのである。
隣の学級の担任教師は,協力して活動することを意
図してはいたが,Mくんの担任教師とは違って特定の
グループをつくることを企図してなかった。活動に
よって,グループ構成も男女比も変えるし,人間関係
に配慮したグループをつくることに腐心しながらも,
1
8
8
それを教師主導でおこなったようにみせることはな
かった。偶然のように,グループの構成を提案しなが
らもそれは計算されていた。グループで活動すること
が目的であるならば,固定化した構成員でさまざまな
活動に取り組ませることが効果的である。活動を有効
に遂行するためにグループを編成するならば,そのと
きに編成されたメンバーで協力して活動に取り組むこ
とに意味があると考えていた。
隣の学級の担任教師の授業スタイルは,リズムを大
事にし,テンポの良さが持ち味であった。ときに雑談
を混ぜながらも生徒を授業に集中させることが得意で,
知らず知らずに生徒は学習や活動に参加している感じ
であった。その反面,忘れ物や宿題忘れの点検はそれ
ほどうるさくなく,教室にはいわゆる点検表の一覧の
たぐいは一切なかった。教師は基本的に規律を重視し
てはいたが,学級目標もお便りのタイトルなども完全
に生徒たちの意見で決めていた。生徒が「お楽しみ会
がしたいですけど」とか「七夕の飾り作りがしたい」
などの希望をだしたときには,学級会でそれが決議さ
れると,ほとんど生徒たちに任せてそれらの会や作業
がおこなわれていた。生徒には,現在日本や世界で話
題になっているニュースを話したり,中学や高校,と
きには大学の話をしたり,いろんな情報を与えていた。
そんな隣の学級と学校行事や算数の時間に混合して
授業活動するようになった。Mくんは当初授業に参加
できないでいた。自分の思い通りのグループ構成では
ない集団に所属させられたのだから当然である。授業
活動が始まり,いつものように一人で教室を出ていこ
うとしたが,隣の学級の担任教師はそれを認めない。
Mくんが所属するグループの生徒たちもそれを許さな
かった。自分たちが協力しなければ活動が遂行できな
いからだ。やがてグループ内では生徒同士が教師の指
示がなくともMくんの逸脱を制限するような方策を講
じていた。Mくんの行動に目を光らせ,「一緒にやっ
て」
「早くしないと他のグループに負けちゃうよ」な
どと声をかけたり,隣に座ったりする役割を決めたり
して,自分たちでMくんを含めたグループの活動を効
率よくする方法を考え,実行したのだ。Mくんは否応
なしに授業やさまざまな活動に巻き込まれ,しだいに
みんなと一緒に行動するようになっていったÍ。
(Mくんの事例の考察)
この例のMくんの担任教師はグループでの活動を重視
し,Mくんをみんなと一緒に行動させようとした。そう
した指導は常識的であるし,妥当な指導であったと思わ
れる。しかし,Mくんはそれに対して拒否反応を示した。
すると担任教師は妥協し,Mくんのいい分を聞いて席替
えやグループ替えをしてしまった。それをみていた周囲
の生徒は不満を募らせ,学級集団が全体としてぐらつい
ていったのである。これに対して,隣の学級の担任教師
は,活動の遂行を目的として活動によって可変しても対
応できる個人やグループ,学級集団づくりをおこなって
いた。男子だろうが女子であろうが,だれがいつどのよ
うに参加しても誰もが受け入れるような雰囲気づくりを
おこなっていた。生徒だけでなく,ときには担任教師以
外の教員を入れて授業活動をすること(TT:ティーム・
自己創出を生むコミュニティとしての学級
ティーチングを含む)も多かった。そのような活動を通
じて,学級集団やグループという共同体への参加意識や
関与の度合いを高める指導がなされていたのである。ま
ず集団に所属することありき,とする学級経営の考え方
を前提とし,その上で学習や活動を仕組んでいく発想で
はなく,学級集団に所属することの意義や楽しさ,相互
に関与し合うことの楽しさを指導の中心としていた。こ
うした指導はまさにLPP理論に通底する,共同体への関
与の仕方を効果的に用いた実践であるといえよう。
ともあり,学級の様子を俯瞰的に分析できる観点をもつ
ことになる。ウェンガーらも,優れたコミュニティ設計
をおこなうためには,知識を開発し世話する潜在能力が
コミュニティにどれほどあるかを理解することが大事だ
(内部の視点)
。メンバーがこの可能性を理解するため
には,部外者(外部)の視点を取り入れなくてはならな
い,と指摘している(p.9
8)
。
º さまざまなレベルの参加
生徒の中には,積極的に参加する子もそうでない子も
いる。そのためには活発ではない(例えば,途中からグ
ループに入ってきたMくんのように)生徒を活動に入れ
ようとするリーダー的な生徒の役割が必要である。どん
なレベルの参加の仕方でも,コミュニティへの参加者と
して受容することがコミュニティの柔軟性を高めること
にもつながる。なにも必ず全員が積極的な参加者である
必要はないことを理解した上で,コミュニティを運営す
ることが大切である。
ウェンガーらは,計画的なものであれ,自発的なもの
であれ,活溌なコミュニティにはイベントを計画し,メ
ンバーを結びつける「コーディネーター」がいる。次に,
積極的に参加する,少人数の「コア・グループ」の人々
がいる。彼らがコミュニティの取り組むべきテーマを特
定し,活動する中心的存在である。コミュニティ活動が
成熟するにつれて,彼らと協力して活動する「アクティ
ブ・グループ」の人々が出現し,その周りには大多数の
「周辺メンバー」が傍観したり,見守ったりしている,
0
0)
。
などの参加レベルの区分をしている(p.9
9―1
» 公と私の空間
ウェンガーらは,メンバー同士の個人的なつながりは,
じつは重要である。公的な空間だけではなく,私的にも
豊かな人間関係を築くことが,活動を活発にし,活発な
活動によってまた人間関係を強化することにつながって
いく,と述べている(p.1
0
2―1
0
4.)
。学級の生徒たちは
それぞれの家族文化背景やこれまでの活動文化背景を
担っている存在である。彼らを繋ぐことは,彼らの文化
背景を接続することで豊かな活動を創り出していくこと
になり,それと同時に活動を利用して彼らの関係や絆を
強めていくことになるのだ。
¼ 価値づくり
ウェンガーらによると,コミュニティに参加している
メンバーに対して,このコミュニティに所属することの
価値を伝えていかなければならない。実践コミュニティ
の場合は,メンバーの当面の問題やニーズに焦点を当て
ることから価値を産み出すことが多い(p.1
0
4―1
0
6.)
。
しかし,学級集団のような所与の集団の場合,その学
級独自のイベントを仕組んだり,活動したりすることに
よって,学級のアイデンティティを高める教師もいるが,
それはこうした価値づくりをおこなっているということ
ができる。さまざまな活動やその人間関係を通して潜在
的な価値の発現を促し,それを発見し共有する方法を見
つけ出していかなければならない。この事例学級では,
教師はつねにそうした価値づけを見い出すことができる
ように,学習活動を組み,それを成功裏に導き出すこと
で,相互の協力関係や信頼関係を伴った学習達成感,そ
れへの工夫などの感得を生徒たちにもたらし,生徒たち
コミュニティづくりのポイント
共同体への参加を生徒に意識づけることを集団指導に
活用するためには,どうすればよいのだろうか。
共同体(コミュニティ)として実践をおこなうことで
多くの人間が個々に保有していた暗黙知を交流し合い,
それによって成果を上げていくというウェンガーら(注
Î)によると,コミュニティづくりのための原則として
7点を挙げている。
¸
¹
º
»
¼
½
¾
進化を前提とした設計をおこなう。
内部と外部それぞれの視点を取り入れる。
さまざまなレベルへの参加を奨励する。
公と私それぞれのコミュニティ空間を作る。
価値に焦点を当てる。
親近感と刺激とを組み合わせる。
コミュニティのリズムを生み出す。
これらの7つのポイントは,コミュニティづくりから
学級集団を分析するときにも有効な視点である。ウェン
ガーら(2
0
0
2)の原則について少し説明を加え,それに
前出の事例の共同体への参加意識を育てることで学級集
団への関与を高めている「隣の学級」を例にして考察し
てみよう。
¸ 進化を前提とした設計
コミュニティをいろいろな活動に応じて可変させてい
き,あらためて組織づくりをおこなうことは,参加者の
個々の特性にみんなが注目し,それを触媒としながら
次々とコミュニティを発展させていくことにつながる。
とくに,教師は生徒個々の特質を見抜きながら学級に新
しい方向性を与えるための触媒となる役割を取らねばな
らない。それは固定化した共同体とは大きな相違点があ
る。
ウェンガーらは,「生きた」コミュニティは,絶えず
自らの構成要素を省み,設計を改めているという(p.
9
6)
。Mくんの所属学級担任も彼の変容を期待していろ
いろ手を尽くしてはいたが,根本的な部分であくまで教
師主導であったきらいがあり,組織の変容にはつながら
なかった。
¹ 内部と外部の視点
上記事例の学級集団においては,まず教師がその学級
に集合している生徒の特質を見抜くことが不可欠である
(内部の視点)
。「みる」ことによってコミュニティをよ
り活性化させる方策を考えることができる。同時に,教
師一人ではなく,外部からの教師,さきの事例ではTT
教員の意見を聞いたりして(外部の視点)参考にするこ
1
8
9
千葉大学教育学部研究紀要 第5
9巻 ¿:教育科学系
も所属する充実感を抱いた。
½ 親近感と刺激
教室において生徒と教師の関係性は親近感と刺激のバ
ランスが難しい。生徒と親密になり距離感が近すぎると
友だち感覚となる。そのため規律や自律を養うことが困
難になる場合が多い。刺激的なイベントを組み合わせ,
生徒や教師が違った面をみせ合うことはコミュニティを
活性化させ,一体感を醸成する。活動に応じたグループ
づくりで刺激しあうことは,一緒に行動する「密度」を
あげていく。ウェンガーらも成功しているコミュニティ
について,同じような指摘をしている(p.1
0
6―1
0
7)
。
¾ コミュニティのリズム
コミュニティは,いつもの恒常的な活動だけでは停滞
する。活気あふれるコミュニティにはリズムがある。安
定したゆっくりしたリズムと刺激的で緊張感のあるリズ
ムを組み合わせることが学級集団というコミュニティに
も必要である。
実践の収集を含め,本研究の一部は科学研究費補助
金(課題番号2
2
9
0
7
0
1
4)
(研究代表者 高橋知己)の
助成を受けた。
Î 蘭・高橋の「いかにして創発型学級集団は生成され
るのか―オートポイエーシスを発動する「公共性」と
いう場(field)―」を参考。
Í
引用文献
蘭
コミュニティとしての学級集団観
コミュニティの観点から学級集団をみることは,これ
までの固定的な学級集団観から解放してくれるであろう。
教師が統制しあるいは放任する学級集団のタイプから脱
して,これからの学級集団には生徒とともに共同体を形
成していくイメージが上述したように必要な視点である。
学級共同体を創るにはいくつかの原則がある。それは,
Î
によると,「公」と「私」を媒介する
蘭・高橋(2
0
1
0)
「公共」という場である。そこには,斉藤(2
0
0
0)のい
う「official,open,common」に 加 え て「belief」と い
う4つの特性が必要である。これらの特徴は,タイプ¿
型の創発・信頼型学級にも共通する特徴であった。つま
り生徒が自律的・自主的に活動するための場には「公共
性」という特性が必要であることを示唆しているのであ
る。創発とコミュニティは共振的な関係にある。そうし
た点を勘案すると,学級集団をコミュニティづくりとい
う観点から考えるとき,公共性という概念と教育の特性
を検討することで,新たな学級集団指導観が提案できる
のではないだろうか。
Ë 「教師発達と学級経営」
(2
0
0
0)のタイトルでおこな
われたシンポジウムで発表された。
Ì ウエンガー,H.ら,野村恭彦(監修)
,2
0
0
2『コ
ミュニティ・オブ・プラクティス』翔泳社.
1
9
0
千壽・高橋知己 2
0
0
8『自己組織化する学級』誠信
書房
蘭 千壽・高橋知己 2
0
0
8『キャリアップ 学級経営力
パプンスタンス・トレーニング』誠信書房
蘭 千壽・高橋知己 20
1
0a「学級集団の移相にみる発
達課題」千葉大学教育学部研究紀要,第5
8巻,2
3
3―2
3
7
蘭 千壽・高橋知己 2
0
1
0b「いかにして創発型学級集
団は生成されるのか―オートポイエーシスを発動する
「公共性」という場(field)―」千葉大学教育学部研
究紀要,第5
8巻,2
3
9―2
4
5
伊藤亜矢子 2
0
0
0「教師発達と学級経営」日本教育心理
学会第4
7回総会発表論文集
岸田元美 1
9
8
4「よく遊び,よく学び」学級づくり(学
力を高める〈特集〉
,子どもの学力を高める学級経営)
児童心理,3
8(1)
,6
1―6
6.
河本英夫 1
9
9
5『オートポイエーシス ―第三世代シス
テム―』青土社
河本英夫 2
0
0
0『オートポイエーシスの拡張』青土社
ジーン・レイヴ,エティエンヌ・ウェンガー(著)
(佐
伯胖(訳)1
9
9
3『状況に埋め込まれた学習 ―正統的
周辺参加―』産業図書)
斉藤純一 2
0
0
0 シリーズ思考のフロンティア『公共性』
岩波書店
竹村重和 2
0
1
0 理科教員を1万名増員し,読書力を養
い,教師の授業力と学級経営力を高め,学力調査に理
科を入れる 現代教育科学,5
3¼,5
0―5
2.
カール・E・ワイク(著)遠田雄志(訳)1
9
9
7『組織化
の社会心理学』文眞堂
Wenger, E., McDermott, R., & Snyder, W.M. 20
0
2 Cultivating communities of practice. Harvard business
school press.(ウエンガー・マクダーモット・スナイ
ダー(著)
,野村恭彦(監修)
,櫻井祐子(訳)2
0
0
2『コ
ミュニティ・オブ・プラクティス』翔泳社)
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