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相談場面における親面接のあり方をめぐって

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相談場面における親面接のあり方をめぐって
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 7
9∼8
6頁(2
0
1
2)
相談場面における親面接のあり方をめぐって
磯
邉
聡
千葉大学・教育学部
Some Considerations on the Counseling and Guidance for Parents
ISOBE Satoshi
Faculty of Education, Chiba University, Japan
教育臨床や心理臨床において親面接は重要な支援形態の一つである。本稿では,親面接の歴史,スタイル,目的に
ついて諸家の見解をまとめつつ,これらの整理と論考を試みた。その結果,親面接には,)いくつかの源流がありそ
れがわが国に導入される際にいくぶん未消化な形で取り入れられた経緯があったこと,*いくつかのスタイルがあり
それぞれに特徴があること,+親面接には多様な機能と目的があり重層性に富んでいること,が示され,援助者はこ
れらの点について熟知した上で親面接のありようを選択し決定することが重要であることが論じられた
キーワード:親面接(Parents) 相談(Counseling) 心理臨床(Clinical Psychology)
援助構造(Therapeutic Structure)
何を目的とすればよいのだろうか?(目標)
」
。さらに最
後に筆者なりの臨床上のヒントをまとめた。
¿.はじめに
筆者は,ある精神保健福祉センターで思春期相談チー
ムの一員として勤務した経験がある。事例の多くは長期
にわたる引きこもりなどで本人がなかなか登場せず,申
し込みや実際に足を運んでくるのはたいていが両親や家
族であった。また,現在どこの援助機関ともながってい
ないだけでなく,これまでの相談履歴の中で本人や家族
が傷ついてきたいわゆる「難治ケース」が多かった。そ
れでも相談に訪れるのは切羽詰まった状況が生じている
からであり,筆者を含めチームのメンバーは細い糸をた
ぐり寄せるように家族,そして本人へのアプローチを地
道に行った。その時の経験から,本人への直接支援だけ
でなく家族を支え,家族を入り口に関わってゆくことに
大きな意味があることを学んだ。
その後,教育臨床の現場に関わるようになったが,環
境を変える力に限りがある子どもたちを支える手段とし
て,家庭や保護者といった環境そのものに働きかけるこ
とが有効であることを改めて実感した。
問題の成り立ちを複数の視点から捉えようとする多要
因決定論(磯邉,2
0
0
9)に立つならば,保護者支援はあ
る意味で当然のことであるとともに非常に有効な支援方
法といえる。現在,親面接や保護者支援はさまざまな機
関で日常的に導入されているが,一方でそのスタイルや
目的などが臨床的な意義に照らして十分に整理されてい
ないだけでなく,適切に機能していないケースも見受け
られる。
そこで,本稿では諸家の見解をたどりながら相談場面
における「親面接」のあり方について整理と論考を試み
たい。本稿での主な関心事は以下の3点である。「親面
接はどのように発展してきたのか?(歴史)
」
「どんな形
態で行えばよいのだろうか?(スタイル)
」
「親面接では
連絡先著者:磯邉
À.心理臨床における親面接の2つの源流
クライエントや子どもに生じた問題を解決するにあた
り,その家族や親の協力を得ることは,それが「親面接」
という名前で呼ばれる遙か以前から実施されていたであ
ろうことは容易に想像できる。しかし心理臨床という文
脈で捉えた時,これらの歴史の中で「親面接」の機能と
重要性を特に強調した人がいるとしたらそれは,アン
ナ・フロイト(Freud, Anna, 18
9
5―1
9
8
1)とカール・ロ
ジャーズ(Rogers, Carl, 19
0
2―1
9
8
7)という二人の心理
臨床家の名を上げることができるだろう。
家族療法家の中村はアンナ・フロイトの親面接の概要
を以下のように記している。
……A. Freudは児童の治療をはじめ,数々の児童の精神分析的
な発達理論や防衛規制理論を充実させた。/彼女が児童を分析治
療し,その間,主にソーシャルワーカーが母親の相手をするとい
う構造が定着した。ソーシャルワーカーによる母親面接はあくま
で副として位置づけられたのは言うまでもない。ソーシャルワー
カーは家庭での児童のありようを聴取し,これらで得られた情報
を 分 析 医 に 報 告 し,治 療 の 補 助 と し て い た。(中 村,2006.p.
4
1
0)
アンナ・フロイトは子どもを対象とした児童分析を開
発したことで広く知られているが,その一方で,保護者
や教員といった子どもの周囲にいる大人や環境にも積極
的に働きかけ,成長促進的な環境を整えることで子ども
の問題解決を目指した。つまりアンナ・フロイトの親面
接は子どもをより適切に支援するための情報収集と親ガ
イダンスの場としての機能を持っていたといえるだろう。
このようにアンナ・フロイトは子どもそのものへのアプ
ローチに加えて親面接が適切に行われることを重視して
聡
7
9
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 ¿:教育科学系
おり,両者が車の両輪のようにかみ合うことで効果的な
援助が行われた。
では,ロジャーズの親面接はどのようなものであろう
か? ロジャーズがクライエント中心療法という自らの
立場を確立する契機となった有名な事例を以下に引用す
る。
健康を研究していこうということでつくられた施設です。そのと
き,親に会うのはソーシャルワーカー,子どもに会うのはプレイ
セラピストというような分業システムをアメリカから取り入れた。
これが親子並行面接です。こどものは面接とは言えないかもしれ
ませんが,別々の人が担当する。これは,アメリカでは非常に普
及しているやり方ですが,日本では何となく,それほどの必要性
も必然性もわからずに取り入れたのだと思います。教育相談関係
私は乱暴な息子をもった知能の高い母親と取り組んでいました。
の人でも,この別々の人が担当するやり方を当たり前のこととし
問題は,母親がその子を幼児期に拒否したことにあることははっ
て,そういうものだと思いこんでいる人が多いようです。
(村瀬,
きりしているのですが,何回となく面接を重ねても,そのことを
7)
19
85.p.56―5
母親に洞察させることはできませんでした。……とうとう私もさ
村瀬によると当時の国立精神衛生研究所では,親を
ケースワーカーそして子どもをプレイセラピストがそれ
ぞれ担当する並行面接が行われていたという。このスタ
イルはほぼアンナ・フロイト流の面接といってよいだろ
う。しかし同時に村瀬は,その後それぞれの役割分担や
目的が十分に認識されないままに,ただ母子並行面接と
いうスタイルのみが形式的に取り入れられてしまったと
いう現実も記している。わが国の親面接をめぐる混乱や
問題ははこのあたりに一つの端を発しているといえるか
もしれない。親面接のスタイルと目的の混乱について,
前出の中村も以下のように指摘している。
じを投げてしまいました。2人で一生懸命やってみましたけれど
どうも失敗したようだし,面接を中止してもよいのではないか,
と彼女に話しました。彼女は私に同意しました。そこで私たちは
面接を終わり,握手し,彼女は扉の方へ歩きかけました。その時
彼女は振り返り,“先生はここで大人のカウンセリングをおやりに
なりませんの”と尋ねました。やっています,と私が答えると,
“じゃあわたくし,受けてみたいんです”といって,去りかけた
椅子に戻りました。そして,彼女は結婚生活に絶望していること
や,夫との関係が困難をきわめていることや,失敗と混乱の気持
ちなどを訴え始めたのです。それは彼女が前に語った役に立たな
い“生活史”とは全然違ったものでした。真のセラピィがそこで
始まったのです。そしてついに非常な成功をおさめました。(ロー
ジャズ,1967.p.13―14)
わが国ではいつごろからか母親に対しても母親個人の内面を探
求する個人療法的なアプローチが取られるようになり「母子並行
面接」と呼ばれるに至った……。この形式は児童相談所や教育相
この事例を通じてロジャーズは,「どうなりたいかを
談所などを中心に比較的全国的に広まり,母親担当と子ども担当
知っているのは,まさにクライエント自身なのである」
という枠がはじめから作られていた機関も多いように思える。こ
という彼の臨床姿勢における中核的な発見に至るのであ
れらの二人の担当者は母子それぞれのconfidentialityをどのように
るが,本稿ではこの事例の中で子どもの面接に訪れた母
ケース検討の中でも維持したらよいものかについてかなりの葛藤
親への支援が,「問題を持つ子どもの親」ではなく「一
状況を醸成していたものと推察している。
(中村,200
6.p.410―
人の人間」としてその人の内面を探求するというオリエ
4
11)
ンテーションですすめられた結果,非常な成功をおさめ
たという点に注目したい。つまり,本事例においては
「親そのものがクライエントとなった」ことに大きな臨
本来アンナ・フロイトの親面接は,あくまでも子ども
床的な意義がある。しかし,よく読むとわかるのだが,
面接が主であり,親面接ではケースワーカーが子どもに
この面接では「問題を持つ子の親の相談」から「親自身
ついての情報を聞くとともに環境調整を行うものであっ
がクライエントとなる相談」へとそのスタイルを転換す
た。一方,ロジャーズの親面接は,明確なインフォーム
るにあたり,治療契約を再度結び直している(いいかえ
ドコンセントに基づいて親自身の問題を扱うというもの
れば仕切り直しをしている)点を見過ごすわけにはいか
であった。しかしわが国ではいつの間にか親面接も心理
ない。本事例ではクライエントもカウンセラーも十分な
士やカウンセラーが担当し,親子並行面接というスタイ
インフォームドコンセント(治療契約)を行ったうえで, ルのもとで明確なインフォームドコンセントがなされな
相談の方向性を共有しているのであり,はじめから親を
いまま親自身の内界を探求するアプローチが採られると
クライエントにしているのではない。
いう,あたかも同時に2つの心理療法が展開しているよ
このようにアンナ・フロイトとロジャーズの親面接は, うなスタイルが定着していった。その結果,親が知らぬ
親を「親として」扱うか,
「クライエントとして」扱う
間に自分の問題を語り(あるいは語らされ)
,不必要な
かという方向性において差異があるものの,いずれも親
退行を起こしている例も少なくないのではないだろうか。
との面接を重視するという点では一致している。
これはいわばアンナ・フロイト流の親面接とロジャーズ
では,子どもの相談における親面接はわが国にどのよ
流の親面接の混合物といってよいだろう。
うに取り入れられたのだろうか。この点について,方法
このように,親面接には大きな2つの源流があるのだ
としての親面接をわが国に最初に取り入れた一人である
が,わが国では必ずしもその目的と機能が十分に認識・
心理臨床家の村瀬は当時の様子を次のように記している。 検討されないままやや形式的に実践されているという現
状が一部に見受けられる。
私は国立精神衛生研究所というところに……おりました。その
研究所の創設は昭和26年ですから,もうずいぶん昔のことになり
ますが,日本で初めてアメリカのやり方を大いに取り入れて心の
8
0
相談場面における親面接のあり方をめぐって
り方をモデルとしてもらう場合も生じる。また……セラピスト間
Á.どのようなスタイル親面接を行うか
の連携がうまくできにくい職場では一人のセラピストが母子を
次に,親面接のスタイルについて考えてみたい。子ど
もが何らかの問題を抱え親とともに相談に訪れたとき,
いくつかの面接スタイルが考えられるが,担当の仕方と
会い方によって,一般的には次の4つのスタイル*1をあ
げることができるだろう。
表1
名
称
一つのユニットが形成されスムーズに治療が流れていくことも多
い。……これらのことをセラピストが認識し,並行面接か単独で
の担当かを対象の背景を見立てて選んでいく必要があろう。
(今泉,
5) *〈
2
0
0
0.p.94―9
親子面接の主なスタイル
子どもには子ども担当者,親には親担当者
がそれぞれつき,別の部屋で相談を行う。
一般的には同時間帯に行うことが多い。
親子合同面接
子どもには子ども担当者,親には親担当者
がつき,同じ部屋で合同で相談を行う。
親子同席面接
子どもと親を一人の相談者が担当し,親子
同席で相談を行う。
〉内は筆者による補筆。以下同。
今泉の指摘は要点を簡潔に押さえておりこれ以上の説
明を必要としない。親と子の担当者を別にする場合と同
一人物が担当する場合のメリット,そしてデメリットが
それぞれ臨床現場に即した形で述べられている。
また,前出の村瀬は別の担当者による相談を並行面接,
同一人物が親子を担当することを独行面接と呼び,それ
ぞれの特徴を次のように記している。
スタイルの概要
親子並行面接
親子分離面接
別々の日に会う形でも受け持ったほうが治療に有効な場合もある。
母親と子どもがセラピストにポジティブな感情を持った場合には,
まず,並行面接の利点から申し上げますと,並行では一対一で
すから,相手から見るとこの先生は私のことをわかってくれる,
子どもと親を一人の相談者が担当し,それ
ぞれ別の時間帯を設定し相談を行う。ある
時間帯の前半を親面接,後半を子ども面接
などと区切ることもある。
私の先生だという気持ちになる。……これは秘密の保持というこ
とにも関係します。……また,たとえばカウンセラーにもクライ
エントに対して,得意不得手があって,子供には向いているが親
は苦手というカウンセラー(治療者)と,その逆の人とが2人で
クライエントとどのような形式で会うのかということ
がらは援助構造(磯邉,2
0
0
4)を構成する重要な問題で
あり,これによって相談のあり方が大きく決定づけらる。
翻っていえば,援助者はそれぞれのスタイルの特徴を
知った上で,目の前のクライエントにもっとも適した会
い方を選択し決定する必要がある。
では,面接スタイルによって臨床上どのような特徴が
あらわれるのだろうか。心理臨床家の今泉は子どもと親
を同じ人が担当するのか,別の人が担当するのかによっ
て生じる効果や留意点について次のように述べている。
組んでカウンセリングを行う方が,それぞれが1人で親子を抱え
親と子の担当者を別々にするか,同一セラピストが両者を担当
すし,私も大体そうです。……並行か独行かの問題は,どちらが
込むよりはうまくいく確率が高いでしょう。
……では,2人で会う場合の欠点は……2人のカウンセラー相
互間に十分信頼感がない場合,……ひどいのは2人の性格,気持
ちが合わないときです。……あんな人に任せておけるかと思いな
がら,そういえずにお互いが勝手にカウンセリングを進めている
といった場合になってしまっては,当然うまく行くはずがない。
……2人の人間が2人の人間に会って,そしてお互いにやってい
ることを十分に伝え合い,息を合わせていくのは相当大変なこと
です。
……重症なケースほど1人でやる,というカウンセラーがいま
するかはかなり難しい問題である。思春期の子どもなどで……
絶対に良いとか,こうでなければいけないという原則はないので,
ハッキリ境界を引きたいという例では並行面接が妥当だと思われ
それぞれの状況を考え,カウンセラーと子どもの相性,カウンセ
る。しかしそこにもセラピスト間の連携の問題がある。親も子も
ラーの能力など,いろいろなことを考慮に入れて,時には1人,
自分個人の問題として各セラピストに向かい合い,綿密な連携が
できれば1人も並行も両方できるようになっていくとよいです。
あまり必要でない例もある。/〈一方〉セラピスト間の感性や問
0)
(村瀬,1
9
85.p.57―6
題のとらえ方や治療観,相性がうまくいかずに,治療構造がちぐ
はぐになってしまう例も見られる。また,一般的には,親担当者
が子ども担当者より年配で支配関係がセラピスト間にあり,子ど
も担当者が自分の個性を伸びやかに発揮できない例も観察される。
親担当者から子ども担当者への情報のフィードバックがなくて,
子ども担当者は遊戯療法の展開の意味もつかめず惰性で会ってい
ることも聞かれる。
一方,セラピスト一人で親子を担当する場合はどうであろうか。
……母子分離不安が強い幼児の場合には母子が同室し母親を媒介
としてセラピストに慣れていってもらう段階が必要な子がいる。
また…セラピストが母子で遊ぶのを援助したりセラピストの関わ
*1
村瀬は,子どもと親に対して別の担当者がつくのか,
あるいは同じ担当者があたるのかによってそれぞれメ
リットとデメリットがあることを指摘した上で,援助者
がどちらのスタイルの面接もできるようにしておくこと
が望ましいことを提言している。また,重いケースほど
一人で担当するとしている点は氏の臨床経験がにじみ出
た言葉であり考えさせられるところが多い。
しかし,このような論考にもかかわらず,インテーク
段階で親担当者と子ども担当者がすでに決まっており,
半ば機械的に親子並行面接が設定されるケースが少なく
これらの名称は臨床家によって異なる場合がある。また,家族療法では,家族そのものを1つのユニットとして捉え,誰の担当と
決めずに援助者が複数入ることがあるため,必ずしもこの表の中に位置づけられないが,あくまでも一般的なスタイルとしてこの4
つをあげた。
8
1
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 ¿:教育科学系
ないこともまた経験的によく知られた事実である。そし
てその場合には今泉や村瀬が指摘しているようにいくつ
かの深刻な問題が発生する恐れがある。このように機械
的に別担当をつけることに対して,心理臨床家の伊藤と
吉田は次のように注意を喚起している。
子どもに何かメリットがあるということでしょう。
(セラピストの
メリットとして)子どもがプレイ場面でお母さんを参加させるこ
とで,家庭での母子の関わりの断面を見ることができます。次に
お母さんがプレイの場面に一緒にいると,私の子どもへの関わり
を見ることになります。それは関わりの一つのモデルとなりま
す。/私は全てのケースを親子ともに一人で担当しているわけで
継続面接の合意が治療者とクライエントとの間で得られれば,
はありません。しかし,最近では多くのケースでそうなっていま
66)
す。
(田中,1
9
9
3.p.15
2―1
原則として週一回一時間のペースで,母親と子どもに別々の担当
者がつき,並行面接が行われることが多い。しかし,この場合,
母子が二人だから二人担当者がつくものだと機械的に思い込むの
は好ましくない。あくまでもクライエントの問題に即して面接形
態を考えるのが本筋である。場合によっては,一人で母子双方の
面接を担当したほうが治療展開が円滑に進む場合もあるのである。
(伊藤・吉田,1997.p.15―16)
親子で相談に訪れたから別担当をつけるのではなく,
このクライエントにはどのようなスタイルの支援がより
適切であるのかについて見立てを行い,その上で援助ス
タイルを選択し決定するというプロセスの重要性がここ
でも強調されている。大切なのは,あくまでも相談者を
中心として援助スタイルを考えるという姿勢であり手順
なのであるが,実際のところは機関の時間的制約(親子
並行面接は時間効率にすぐれ回転がよい)
,援助者の特
性の問題(親しか担当できない,あるいは子どもしか担
当できない援助者もいる)
,物理的問題(同席面接や合
同面接にふさわしい相談室がない)
,機関の性質に起因
する問題(援助者の養成機能を持つ相談機関では初学者
が子ども担当,ベテランやスーパーバイザークラスの人
が親担当となる場合がある)
,そしてなによりもこれら
のスタイルの諸特徴に対する理解の不足といった援助機
関側に由来する要因によって親子並行面接が半自動的に
選択されている場合があるのではないだろうか。もちろ
ん理想論だけを掲げるつもりはなく,それぞれに事情が
あるだろうことは十分にわかるのだが,それを斟酌した
としてもこれでは本末転倒といわれかねないだろう。
また面接のあり方には柔軟性も必要である。心理臨床
家の田中は豊富な幼児児童臨床の経験を通じて,相談ス
タイルを援助者側からのみ押しつけるのではなく,相談
者や子どもの声を聞きながらしなやかに作り出していく
という協働プロセスが重要であることを次のように記述
している。
どのように会うのかについて,子どもの声を聞きなが
らともに決めてゆく。そしてそれは固定化されたもので
はなくある種の幅や柔軟性を持った,より大きく安全な
援助構造としてあくまでも援助者の埒内に存在し続ける。
相談という時空間を共同で創出し,状況に応じて柔軟に
変化させるという田中のかかわりは,まさに臨床の知恵
に満ちており,学ぶべきところが多い(加えていうなら,
親子を一人で担当することが多くなったと述べている点
も村瀬に通じるものがあり興味深い)
。いずれにせよ親
子面接のスタイルは一度決定したら変えられないという
固定化されたものではない。ときに並行面接,ときに同
席面接,あるいはときに合同面接,ときに分離面接と,
面接の進み具合やタイミングに応じて変化させることで
重要な展開が得られることがあり,援助者には文脈を読
む力やしなやかさ,そして確かな技術が求められる。
このように親子面接にはさまざまなスタイルと特徴が
ある。参考までに各スタイルの特徴を表2として示した。
表2
スタイル
親子合同
面
接
分離不安が強い時に効果的
親子のコミュニケーションを直接観察できる
援助者が関わりのモデルを示すことができる
担当者同士の関係性や相性が面接に影響するこ
ともある
面接が深まりにくいこともある
ケースマネージメントが困難な場合がある
親子同席
面
接
親子のコミュニケーションを直接観察できる
援助者が関わりのモデルを示すことができる
一貫性のある姿勢や方針で関わることができる
ケースの全体像を俯瞰しやすい
中立性をどう保つかという問題がある
二者関係を深めるには不向き
親子分離
面
接
一貫性のある姿勢や方針で関わることができる
ケースのの全体像を俯瞰しやすい
それぞれの面接を深めやすい
守秘や中立性をどう保つかという問題がある
ケースマネージメントが困難な場合がある
援助者への負担が大きくなることがある
レイセラピーを開始する際に,子どもたちに「お母さんと一緒が
遠慮して言うということとは違うようです。
幼児の場合には,単純にお母さんと一緒だと安心だということ
が大きな要因でしょう。この場合には,数回のプレイの後に安心
できるようになると「お母さん,別の部屋でいいよ」といいます。
……しかし,このような母親同席は,児童期の子どもでも希望す
る子どもがほとんどです。……この場合にも,数回の後に,「もう
いいよ」と子どものほうからお母さんと一緒でなくてよいという
ようになるのですが,このことは,お母さんを同席させることで
8
2
徴
親子並行
面
接
幼児・児童期治療においては,母子併行面接という形で別々の
が一様に「一緒がいい」と答えるのです。これは,子どもが親に
特
自分の担当者がいるという安心感がある
それぞれの面接を深めやすい
秘密保持の度合いが高くバウンダリーが明確
担当者同士の関係性や相性が面接に影響するこ
ともある
担当者間の情報共有が不十分なことがある
姿勢や目標の不一致になることがある
治療者を置くというのが従来のアプローチです。しかし実際にプ
いいかしら,別々がいいかしら」と尋ねると,ほとんどの子ども
親子面接のスタイルと特徴
相談場面における親面接のあり方をめぐって
摘にあるように半ば機械的に親面接が親自身の心理療法
の場になってしまっているケースがあることもまた事実
である。もちろん,親自身が抱えているさまざまな心理
的な問題の解決が子どもの問題の解消につながりうるこ
とは否定しないが,見立てとインフォームドコンセント
が不十分なままに親がクライエントになってしまう(さ
れてしまう)ことに筆者は危惧と疑問を覚えている。親
自身をクライエントとするにはそれ相応の見立てと手続
きが必要であろう。援助者は専門的なトレーニングを受
けているがゆえに,ややもすると親の心理的問題に目を
奪われがちである。しかしそのことと目の前の親をクラ
イエントとすることは別の問題である。親を「親として」
扱うか,「クライエントとして」扱うかという問題の難
しさを心理臨床家の高野は教育相談の立場から次のよう
に論じている。
Â.何のために親面接を行うか―親面接の目的と機
能―
では親面接にはどのような機能があり,その目的は何
であろうか。次にこの問題について考えてみたい。
アンナ・フロイトの行った児童分析において親は情報
提供者であるとともに重要な共同支援者でもあった。援
助者は親に助言やアドバイスを積極的に行い,環境調整
を行うことで子どもの成長を促し問題解決を目指した。
このように児童分析では親自身の内面や葛藤を分析した
り,親そのものを治療するのではなく,あくまでも「親
としての機能」に焦点を合わせた親面接が展開される。
心理臨床家の森はアンナ・フロイトの親面接の特徴を次
のように記している。
A.フロイトは現実の両親と子どもとの関係に注目して,積極的
な治療参加を両親にも求めた。実際には両親に対する治療を行う
保護者面接の過程で保護者自身の育ってきた歴史,価値観,自
のではなく,実生活の中で子どもに関わる両親の役割をサポート
身の親子関係,夫婦の関係などがその苦しさの背景に見え隠れす
し,養育環境を整えるという目的に基づいて,母親面接ないし父
ることも少なからずあり,保護者自身の課題が話題となることは
母面接を設定する。しかも,養育者への面接が子どもの面接を並
避けられないことともいえる。…そうしたことも視野に入れつつ,
行して行われるので,子どもの治療への両親の理解も深まり,そ
「子どものための相談」という軸足をぶれさせずに保護者面接を
の結果児童分析が守られ,支えられることにもなる。(森,2
0
05.
有効に機能させるためにはどのような構造でどのようなスタンス
p.16)
を保ちつつ相談をすすめることが必要なのだろうか。
〈心理面の問題が主訴である場合は〉
,保護者の子どもに対する
子どもの臨床において,特にクリニックモデルの機関
では問題に苦しむ当の子どもが一人で相談の扉を叩くこ
とはまれで,むしろ親が主導し子どもを連れくるという
形が一般的である。逆にいえば,親が面接に拒否感を抱
き,子どもを連れてこなくなってしまえば子どもへの支
援も途絶えてしまう。このように,親はケースのマネー
ジャーという側面も持っており,親が相談に対して肯定
的な態度を持つことで初めて子どもへの支援を安定して
行うことができる。そう考えると親面接にはいくつもの
機能が内包されていることがわかるだろう。精神科医の
大井は親面接の持つ4つの機能について次のように論じ
ている。
思いや家族の在りようを見直す作業が保護者面接の大きな柱とな
る。しかし,その作業は保護者の「親」としてだけでなく,「個人」
としての自分を見つめることとつながり,ややもすると保護者面
接が「本人面接」の様相を呈し,そのままその流れで保護者面接
とすり替わってしまう危険もある。保護者に対して「子どもの支
え手」という視点をないがしろにしては,子どもへの援助を主軸
に据えた教育相談としては偏った援助となってしまう。保護者が
自分の問題にかかりきりになり,子どもや家庭の機能の回復を顧
みないことになれば,それは本末転倒といわざるを得ない。とく
に,保護者のみが来談し子ども本人への直接の援助が難しい場合,
保護者を支え,家庭での援助者としての機能を高めることを通じ
て,子どもへの間接的な心理・教育的援助を行うことが教育相談
31)
の役割である。
(高野,2
0
0
6.p.428―4
児童精神科臨床において,子どもの治療に並行して親の治療が
親面接においては,まず子どもの生活を維持する家庭
機能が保たれることがなによりも重要であり,その意味
で優先されるべきはケースワークあるいは心理教育的な
視点や関わりである。主に医療場面で精神分析的な観点
から子どもおよび親支援を行っている精神科医の小此木
も親面接の機能を4つに分類した上で,同様の指摘を
行っている。
必要であることは全ての治療者が認めるところであろう。…とこ
ろで,親の治療は子どもの治療をすすめてゆく上で,どのような
意味を持つのであろうか。第一に,子どもの治療を継続するため
に親とのラポールが成立しなければならない。……親に治療継続
の意志がなければ子どもの治療は成り立たない。第二に,子ども
の問題を理解するために,親からの正しい情報伝達が得られなけ
ればならない。……親からの正しい情報を得るために親との関係
を深めてゆく必要がある。第三に,親自身の苦悩を理解し,親自
身を安定させることが子どもの治療にとって重要である。親自身
児童に対して適切な診療を行うためには,われわれは次のよう
の葛藤状態に子どもはもろに巻き込まれやすく,親が自らの葛藤
な役割を期待してその家族にかかわるのが常である。¸児童の診
を乗り越えることが子どもの治療を展開させることにつながって
療関係を維持する……/¹児童に関する情報を得る……/º児童
ゆく。第四に,……家族治療の仲介的役割を母親に期待すること
の治療に協力してもらう……»心理的環境を適正化し改善する
2)
になる。(大井,1981.p.20
1―20
……とりわけ家族関係の病理が児童の病理と治療に否定的影響を
及ぼすことが明らかな場合には,この目的のための家族との関わ
このように親面接には複数の意味や機能が存在してお
り,親自身の内面を探求することは多様な親面接の機能
のうちの一つにしか過ぎないのであるが,先の中村の指
りがどうしても必要になってくる。/
並行父母面接の基本的な目的と機能は,患者の診断と治療を達
成させることにあるという意味で,あくまでも患者中心のオリエ
8
3
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 ¿:教育科学系
ンテーションをもった家族との関わりである(patient oriented)
。
b
平均よりやや下,あるいはそれ以上の知能をもっている。
この点で父または母そのものに対する個人精神療法とも区別され
c
カウンセリングの場面において,遊具,または他の手段で,
るし,同時に父母と患者の相互関係そのものを対象とする同席面
自分の態度を表現できる程度の年齢に達している。通常,こ
接などによる家族療法ひいては複数のメンバー,あるいは全体と
れは4歳以上の年齢を意味している。
しての家族を治療の対象とする家族療法(family therapy)とも
……〈いっぽう,
〉これらの条件のいずれか一つが存在するなら
区別される。/……その実践においては……精神分析的ないし解
ば,どんな種類の心理療法よりも,環境調整的な手段を主に用い
明的(exploratory)であるよりは,支持的(supportive)なかか
た方が十分に効果的であろう。
わりを主にする場合が多い。/
1
精神分析的な方向付けをもった面接者が……並行父母面接の機
……環境が変わらないかぎり……個人の健康や能力,資質に
悪影響を与え続ける。
能を遂行していく過程で,必然的に起こってくるのが父母の内面
2
における自己自身に関する内的洞察であり,自分と配偶者,自分
個人は,よい機会に恵まれて配慮されても,自分の感情や問
題を表現する手段を見いだせない場合には,カウンセリングを
と子ども,配偶者と子ども,子ども同士などの家族関係に関する
受けることができない……。
洞察の成立と発展である。……しかし,ここで強調せねばならな
3
環境調整的処置のほうが,直接の援助的アプローチに比べ,
いのは,それにもかかわらず,この洞察があくまでも児童治療の
より簡単で効果的である。この条件はおそらく,問題の発生し
継続を支持する範囲に限定されるという事実である。この枠が破
た状況がほとんど環境的なものであったときにのみ,該当する
綻したり,範囲が拡大しすぎてしまう場合は,父母自身の個人精
だろう。
神療法を改めて設定するか,あるいは家族関係を対象とするより
4
個人が,何らかの直接的なタイプの援助的処置を受けるには,
本格的家族精神療法を設定する必要が起こってくる。(小此木ほか,
あまりに幼すぎたり,高齢すぎたり,知的能力が低かったり,
1
982.p.257―263)
あるいはあまりに不安定である。
(ロジャーズ,2
00
5.p.72―73)
小此木らも必要に応じて親の心理療法が必要になるこ
とがあることは認めているが,その場合であっても,子
どもの面接が依然として主であることを逸脱しない範囲
にとどめること,そしてその範囲を拡大する時には治療
の再契約が必要になることを指摘している点は注目に値
する。また,この再契約の必要性に関して,異なる理論
的立場のロジャーズもまさに同じプロセスを踏んでいた
ことは決して偶然ではあるまい。
さて,ロジャーズの名前が再び出てきたので,ここで
親面接についてのロジャーズの見解をもうひとつ紹介し
たい。たしかに前述の事例でロジャーズは,親との面接
において親自身の生き方や未解決の問題を扱うことに
よって,すなわち親自身がクライエントとなることに
よって,親自身だけではなく子どもの問題の解決に至っ
たことを鮮やかに記している。しかし,そのロジャーズ
が別の論文で親面接のあり方について以下のように記述
していることもまたわれわれは知っておかねばならない
だろう。
ロジャーズは問題の質やさまざまなリソースを十分に
アセスメントした上で,必要に応じて環境調整を目的と
したケースワーク的な親支援と,親の問題に焦点を合わ
せた親への心理療法とを使い分けていたのであり,われ
われはこのことを深く心に留めておく必要がある。
このように親面接にはさまざまな機能やバリエーショ
ンがある。危機介入のように敢えて親の内面に踏み込ま
ず現実的な問題解決を目指すことが重要なケースがある
一方で,親への心理療法が不可欠なケースもある。この
ようなバリエーションについて田中は,フライバーグに
よる乳幼児の母子臨床における危機介入,ガイダンス,
精神療法という3つのアプローチを紹介しつつそれぞれ
の特徴を論じている。
母子治療の三つのタイプがフライバーグによって提示されてい
ます。それらは互いに重なり合う部分を持ちますが,短期の危機
介入,発達ガイダンス,乳幼児―親精神療法,です。
短期の危機介入とは,……3回ほどの面接によって,家族が危
機的な状態から抜け出せるように援助する方法で,問題が外界の
親と子どもへの直接な心理療法が,それぞれ別のカウンセラー
出来事に対するストレス反応として生じ,かつ親の心理的な能力
によって実施されることは,次の条件がすべて満たされている場
に問題がない場合に適用されます。
合に適しているようである。
発達ガイダンス・支持療法は,両親に情緒的な支持を与え,親
1
子どもの問題が,かなりの程度,その親子関係に基づいている。
としての能力を強化し,親子の心理的な絆を強化することを目指
2
子どもが情動的あるいは物理的に家族から十分に独立してい
して行われるものです。……この発達ガイダンス・支持療法は,
ない。
3
主に自我支持的で自我強化的な治療を選び,それと一緒に子ども
親子のいずれか(多くは前者)が援助の必要を感じており,
の健康な発達を促進するために,発達に関する情報やアドバイス
その状況に取り組む機会を作ろうとしている。
4
が与えられます。
……原則として親子間の葛藤の解釈は行いません。
親が,次のような意味で,いずれかといえば援助可能である。
a
親子関係以外に社会的関係や夫婦関係,或いは個人的な目
乳幼児―親精神療法は,親自身もしくは親子間に容易ならざる
ほどの葛藤がある場合に適用されます。この治療の目的は,親と
標達成という点で何らかの満足を得ている。
子どもの安定した絆の発展を妨げていたり,他の特別な領域で子
b
適度に安定している。
どもの発達を妨げているような親の心理的葛藤をはっきりさせる
c
平均よりやや下,あるいはそれ以上の知能をもっている。
ことと,親の葛藤の原因を明らかにして,解釈する過程を通して,
d
ある程度の適応力を持つような若さである。
66)
葛藤を解決していくことです。
(田中,1
9
93.p.15
2―1
5
子どもが次のような意味で,いずれかといえば援助可能である。
a
広義のカウンセリングと同様に,親面接もガイダンス
器質的な不安定さからある程度解放されている。
8
4
相談場面における親面接のあり方をめぐって
図1
親面接のバリエーション
や危機介入といった現実的な問題解決から,内省的な心
理療法までグラデーションを持ったものであり(図1)
,
援助者は適切な見立てをもとに支援計画を立てなくては
ならない。このように見てくると,親面接の目的や機能
は多様で重層性を持っており,あくまでもケースごとに
そのありようや目的が吟味されなくてはならないという,
ある意味で至極当然な結論に到達する。
・
「子どもを連れてくる」役割,「家庭では母(父)親(ある
いは妻・夫)である」ことに常に配慮する
・親面接でまず大切なのは,ねぎらいとエンパワーメント。
心の荷物を降ろしてもらい,休息と充電を心がける。親が
孤立せず,支えられつながっている感覚を持てること
・批判ではなく安らぎを。親のものがたりにも思いを寄せる。
適度なユーモアも隠し味
・保護者自身が,自分らしくいられる時間,ホッとできる場
所,息抜きなどがあるかどうかにも関心を寄せる。往々に
Ã.臨床上のヒント
して来談する保護者が扇の要になっていることがある
ここまで親面接の経緯・スタイル・目的について考え
てきた。振り返りの意味も込めて簡単にまとめると,
「親面接には,)いくつかの源流がありそれがわが国に
導入される際にいくぶん未消化な形で取り入れられた経
緯があったこと,*いくつかのスタイルがありそれぞれ
に特徴があること,+親面接には多様な機能と目的があ
り重層性に富んでいること」
,を諸家の見解をたどりつ
つ論じた。
実際に相談場面で親面接を行うに際は,このような親
面接のさまざまな特徴や側面を十分に知った上で目の前
のクライエントを見立て,どのようなスタイルで,何を
目的とした面接を行うのかについて「選択」し「決定」
することが重要である。一方で,十分な吟味を経ること
なく自動的あるいは機械的にスタイルや目的を設定する
ことには慎重でありたい。さらにこれらの面接が固定化
せず,状況に応じて柔軟にそのスタイルや機能を変化さ
せることもまた大切である。このように,親面接は豊か
で深みを持ったものであり,援助者はさまざまなかかわ
りができるようにその技術を磨き続ける必要があるだろ
う。
本稿の最後として,筆者が親との面接に臨む際に特に
留意している点を列挙した。何かの参考になれば幸いで
ある。
・親が変わると,子どもも変わってゆく。本人が登場しなく
とも援助は可能
・保護者に,Co-Therapist(協同治療者)になっていただく
・直面化や厳しい助言は十分な信頼関係を築いてから
・保護者からの不満,攻撃,要求に対し即座に弁解したり反
論するのではなく,
その行為の「意味」を読み取ろうとする
・子どもと親の間に立ち,中立性を保つことの大切さと困難
さを自覚すること
・単一決定論への誘惑や逆転移感情が生じた時は要注意。何
が起きているのか?
・子どもの問題に対して,言葉に出さなくとも罪悪感や自責
を感じている親は多い。援助者が子どもの良さや魅力をど
れだけ掛け値なしに感じ取れているか
・子どもを批判することは親を批判すること。子どもを認め
ることは親を認めること
・親は子どもを育てもするが,同時に傷つけもする存在。よ
い悪いではなくそういうもの
・どんなに苦境でも,援助者が家族の持つ不思議な力を素朴
にそして最後まで信じようとすること
Ä.文
献
今泉雄岳 2
0
0
0 病院という場で考えた遊戯療法。日本
遊戯療法学会(編)
『遊戯療法の研究』
。誠信書房。8
5―
1
0
0
磯邉 聡 2
0
0
4 「治療構造論」と学校臨床。千葉大学
教育学部研究紀要。5
2。1
4
1―1
4
7
磯邉 聡 2
0
0
9 学校臨床における「子ども理解」とか
かわり―スクールカウンセラーの立場から―。学校健
康相談研究。6。1
3―1
9
伊藤研一・吉田道弘 1
9
9
7 遊戯療法。サイエンス社
森さち子 2
0
0
5 症例でたどる子どもの心理療法。金剛
出版
・親面接を柔軟に,そして自由にとらえる(そして,これは
子どもの面接でも同じこと)
・見立てと臨床現場のありように基づいて,どのようなスタ
イルがよいのか,担当は誰がよいのか(役割分担),どのよ
うな目的や進め方にするのか,などを決めてゆく
・別々の担当者による並行面接を行う場合は,援助者間の信
頼関係とこまめなコミュニケーションが不可欠
・親に対するインテンシブな心理療法(つまり,親をクライ
エントとする)には,)一定の時間,*技量,+安定し守
られた構造,,お互いの覚悟,が必要
8
5
千葉大学教育学部研究紀要 第6
0巻 ¿:教育科学系
村瀬孝雄 1
9
8
5 親と子のカウンセリング―基本と実
際―。親子関係の診断と治療。安田生命社会事業団。
3
7―7
4
中村伸一 2
0
0
6 特集に当たって。精神療法。3
2。4
0
9―
4
1
3
小此木ほか 1
9
8
2 児童・青春期患者と家族とのかかわ
り―とくに並行父母面接の経験から。加藤ら(編)
『講
座 家族精神医学3 ライフサイクルと家族の病理』
。
弘文堂。2
5
5―2
8
0
大井正己 1
9
8
1 親の治療。白橋・小倉(編)
『児童精
8
6
神科臨床2 治療関係の成立と展開』
。星和 書 店。
2
8
2
0
1―2
ロージャズ 1
9
6
7 ロージャズ全集 1
2 人間論。岩崎
学術出版社
ロジャーズ 2
0
0
5 ロジャーズ主要著作集1。岩崎学術
出版社
高野久美子 2
0
0
6 教育相談での試み。精神療法。3
2。
p.4
2
7―4
3
3
田中千穂子 1
9
9
3 母と子の心の相談室。医学書院
Fly UP