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社会科の授業についての若干の提案

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社会科の授業についての若干の提案
社会科の授業についての若干の提案
「学ぶことは世界の見え方が変わること」
社会科でも、これまでにいくつもの素敵な学び
ついてのデータを調べる中で、子どもたちはその
に出会った。ときには授業の一部分のこともある
データの意味が理解できている。それは発表から
が、そこから学ぶことは少なくない。この機会に、
聴き取ったデータの意味を解釈する下地にもなる。
その例をいくつかあげながら、以下に社会科の学
(3)それぞれに完成した各国のデータが比較で
びについて提案してみたい。
きる資料をもとに、それぞれの考えを交流
1、いくつかの事例について考えてみる
して、皆で学び合い、さらに追究している。
事例ー1(中学校社会科)「豊かな国、貧しい国」
授業者 イルカ・エスコラ先生(NHK BS:2003 放映)
資料をもとにそれぞれに考えたことを交流し課
題に迫っていった。それは十数時間に及ぶ探究学
① グループ毎に南米の一つの国を選んで、その国のG
習のクライマックスともいうべき場面である。こ
NP、生産物、輸出品などについて調べてレポート
こで子どもたちは、じっくり考え、互いに考えた
を作成する。
ことを交流しながら「豊かな国」と「貧しい国」
② 調べたことをグループ毎に発表する。発表されたこ
を分けるものに迫っている。
とを聴いて、各自がワークシートに各国のデータを
一連の探究学習で授業者が説明して聞かせる場
まとめて一覧表にする。担当した国のことしか知ら
面は、放映された映像にはなかった。また板書す
なかった子どもたちは、ここで南米の国を比較でき
る場面も見られなかった。各グループの発表を聴
る資料を手にすることができる。
いて各国のデータを比較するためのワークシート
③ それぞれに完成した手元の資料をもとに、自分の考
を配布した他には、特に資料も配っていない。
えを述べ、さらに「豊かな国」と「貧しい国」を分
事例-2 中2社会科「長野県の入り口はどこか?」
けるモノは何かについて追究し、次第に問題が解明
されていく。
(十数時間の授業を約 13 分に編集されてい
るので詳細は不明だが、概要は十分に理解できる)
(1)資料は子どもたち自身が入手している。
グループで分担した国についての資料を子ども
たちが調べているところに注目したい。インター
ネットや社会科室の図書資料で調べるなど、それ
ぞれに GNP や貿易品や金額などを調べている。そ
のとき、教師は最小限のアドバイスしかしていな
授業者 堀口和也先生(南菅中学校)
① 長野県についてグループ毎にテーマを決めて調べ、
同一テーマ毎に廊下に用意されている袋に調べた
ことを入れていき、クラスをこえて資料を共有する
ようにしている。授業では、それを印刷して子ども
たちが手元に持っている
② 調べたことを発表し、授業者が追加した資料も合わ
せて「課題」を解決していく
③ 授業者が追加した資料
い。グループのなかでも、同じことを一緒に調べ
・中央高速で長野県に入る場面のビデオ(自作)
るのではなく、互いに違うことを調べている。
・長野駅で入手したディズニーランド、東京観光のパ
(2)発表されたことを聴き取って整理し、比較
するためのワークシートが効果的に使われた
それぞれのグループが調べたことを発表すると
ンフレット
・長野県の地図
グループ毎に自分たちのテーマに沿って調べたこと
を発表した。そのなかで「高速道路が通り、新幹線が、
きに、そこから聴き取って記入する一覧表をワー
開通して便利になったのに観光客が減っているのはな
クシートとして授業者が配布している。それまで
ぜだろう」という疑問が提起されたのがことに印象的だ
は、担当した国についてのデータしか知らなかっ
った。授業は発表されたことを授業者がつなぎながら進
た子どもたちは、発表を聴いて初めて担当した国
められた。主として授業者から質問が出ているはいる
以外の資料を入手し、各国の GNP や主な貿易品と
が、子どもたちは盛んにつぶやき、学び合いながら懸命
その金額を比較する表が完成する。担当した国に
に考え続けた。
(1)資料は子どもたち自身が入手している
長野県についてそれぞれに感じた疑問に沿って
・マグロの消費量についての都市別ランキング表
・発掘された江戸時代のマグロの背骨の一部の写真
子どもたちが調べている。調べて得た情報は、廊
・マグロの実物大写真
下に並べられている、それぞれの疑問毎に用意さ
・沼津の浜でマグロを獲る様子を描いた江戸時代の
れた袋に入れ、クラスをこえて共有できるように
絵図
している所が本時の特筆すべきところだろう。
・マグロを山梨に運ぶ様子を描いた江戸時代の絵図
本時に先立って、これらの資料が印刷されて、全
子どもたちがよくマグロを食べていることを確か
員に配られていた。子どもたちは、それを手持ち
め、マグロ摂取量全国2位の甲府市の平均 4kg/年人を
資料として、必要に応じて参照していた。
実感できるようにするところから始まった。次に、山
(2)具体的なモノが用意され、抽象的にならな
梨の人が海産物を食べていたことを調べるにはどうす
いように配慮されている
ればよいかをたずねた。絵図から昔はマグロをどうや
授業に先立ち、授業者自身が長野に足を運んで
って穫っていたのかを調べ、そのマグロがどうやって
資料を手に入れていた。長野県内の駅に置かれて
山梨まで運ばれたのかを考えた。最後に「なぜ山梨の
いたディズニーランドや東京、横浜観光のパンフ
人はマグロが好きなんだろう」ということについて考
レットもその一つだ。視点を変えて長野県の側か
え、それぞれにまとめる段階で授業は終了した。70 分
らみることができるように工夫されている。
に及ぶ授業中、子どもたちは最後まで集中して追究し
(3)子どもたちが発表したことをつなぐ問いが
続けた。
重ねられ、子どもたちはさらに深く考えた。 (1)子どもたちが魚について興味を持ったこと
あちこちでつぶやきが生まれ、地図を広げて近
くの子とささやき合っている姿が見られた。問い
を調べたレポートを綴ったものを資料と
して手元に持っている。
がもっぱら授業者から出されたところは気になる
「食料生産に携わる人々」の単元に入ると、漁業
が、それらの問いについて子どもたちが懸命に考
についてそれぞれに興味をもったことを調べ、レ
え続けたのが印象的である。
ポートを作成していた。それが「マグロ」の授業
そのなかで「新幹線が通り、高速道路が開通し
において、資料として使われた。子どもたちは議
て便利になっているのに、観光客が減っているの
論しながら、気になる場面に出会うと、そのレポ
はなぜだろう」という疑問が子どもたちのなかか
ートの綴りを繰って調べていた。
ら生まれてきた。便利になるようにしたことが逆
(2)実地の見学とつなぎ、物にふれ、リアリテ
にそこを通過点にしてしまったり、宿泊する必要
ィのある学びになるように配慮されている
性が少なくなって観光の内容が変質し、観光収益
甲府の人が平均して食べているというマグロの
が減少するという矛盾は、長野県に限った悩みで
4kg が、子どもたちが使っている辞書4冊分に相
はない。その問題に子どもたちが気づいたという
当することを秤で確かめた。データをただの数値
のはとても重要なことである。
として見るのを避けるようにしたのだ。また、マ
事例-3 小5社会科「海のない山梨でなぜマグロを
(たくさん)食べるのだろう」
授業者 古屋和久先生(身延町立大河内小学校)
グロの大きさについても実物大の写真を用意して
実感できるようにしていた。マグロの大きさを実
感していないと、それを 150 年前の社会で、山梨
① マグロ、魚について子どもたちが調べたことをまと
まで運ぶことの大変さが理解できないだろうし、
めたレポートを束ねたものを手元に持っている
山梨の人の何とかしてマグロを食べたいという気
② 焼津漁港を実地見学している
③ 教室には、世界地図、マグロをはじめとする魚を説
明する掲示物、図書資料が並んでいる
④ 授業者が追加した資料
持ちにふれることも難しいだろう。
焼津漁港の見学と授業を結びつけて考えている
ところも重要なことである。
(3)調べ方自体を子どもに考えさせている
(1)防塁の高さを実際に巻き尺で測って教師の
「山梨の人は昔から海産物を食べていたというが、
天井に近い高さであることを示し、実感で
それはどうやったら調べられるのだろう」とたず
きるようにしている
ね、調べ方自体までも子どもたちに考えさせてい
防塁の 2.5m という高さは子どもたちには実感で
る。そのことで、一次資料に当たることの大切さ
きていなかったようだ。巻き尺で実測しながら、
も分からせようとしているのだろう。
それが天井までの高さであることを見せられるこ
また、山梨(身延町)から静岡市までを授業者
が実際に歩いてみて、所要時間を調べているのも
とで、その建設の大変さと防塁にかけた期待を実
感できたようだ。
架空のことにしたくないという考えが滲んでいる。 (2)最後に「自分の考え」をまとめさせた
(4)授業者自身が民俗学の研究者であり、その
「『防塁』
『一所懸命戦った』
『暴風雨』の3つの言
研究を通して入手した資料を授業に投入し
葉を使って、日本が元軍を退けることができた理
ている。
由について、自分の考えをまとる」ことを求めた
授業者はまた民俗学の研究者でもある。その研
のは特筆したいことである。しかも、本時のキー
究のなかで入手したのであろう絵図が二点、本時
ワードである3つの用語を使用することを課し、
の学びで使われている。沼津でマグロを獲る様子
書き出しの文まで指定している。
を描いた絵図と焼津から山梨までマグロを運ぶ様
この課題に取り組むことで、グループや皆で学
子を描いた絵図である。いずれも江戸時代のもの
び合ったことをもとに、自分で考えることを求め
らしい。その絵図に見入る子どもたちもなかなか
ている。
「学び合い」は誰かの考えに寄りかかるこ
だ。絵図の片隅に添えられている文も見逃さない
とではない。学び合うことで、ひとりでは解決で
で読んでいる。普段から資料をどう読むのかを学
きない課題に挑み、それぞれに自分の考えを深め
んでいるからできることである。
ていくところに意義がある。
マグロを焼津から山梨まで馬で運ぶ様子を描い
授業の最後に「自分の考え」をまとめるように
た絵図を見るとき、マグロの大きさについて知っ
したのはその点でとても大切なことである。その
ていることが生きていた。
とき、三つの用語を指定したことで、この用語が
事例-4 小6社会科「武士の世の中
元寇の役:なぜ
元軍を退けることができたのだろう」
授業者 八木康太先生(小牧小学校)
① 資料は全て授業者が用意した。
それぞれの子どもの脳裏で一つの物語として関係
づけられていくことにつながる。
事例ー5 中1社会(歴史)
「律令国家の形成」
授業者 前橋 浩先生(宮内中学校)
・
「蒙古襲来絵巻」の輪郭線を描きだしたイラスト
授業開始5分から12分ぐらいまでの間の子どもたち
・元軍の進入ルートを示す地図 ・元軍の構成の内訳
の姿が印象に残る。教科書にも写真が出ている資料、現
② それぞれの資料をグループで読み解き、それをもと
在の「戸籍」といえるような古文書を、グループで読み
に皆でさらに検討するという活動が重ねられた。イラス
解く場面である。明朝体に打ち直された「戸籍」が配ら
トは授業用に作成されたものだが、子どもたちはそこに
れると「何?これ。意味が分からない」という戸惑いの
込められたことを読みとった。防塁の 2.5m という高さ
声があちこちから聞こえた。やがて「これ人の名前じゃ
を教室の天井に近い高さであることも確かめて実感で
ない?」「これは年齢だよ」と読み解き始めた。4~5
きるようにした。元軍の構成表から「元が戦っているん
分もすると、ほぼ解読できた。その間子どもたちは身を
じゃなくて・・・」と気づいた子どももいた。
乗り出すように資料を見つめ、つぶやいた。
「『防塁』『一所懸命戦った』
『暴風雨』の3つの言葉を
続いて発表し、授業者の説明が始まると、それまでの
使って、日本が元軍を退けることができた訳について自
子どもがどこかに行ってしまったのが残念だが、グルー
分の考えをまとめる」という課題で授業を締めくくった
プで古文書を読み解いている場面では、子どもたちが持
のがことに印象に残る。
っている力が感じられた。
(1)グループで挑むことで、最初は何が何だか
事例-1では、イルカ・エスコラ先生が用意し
よくわからなかった資料を読み解くことが
たのは、それぞれのグループで調べたことを比較
できた。
できるようにする一覧表であった。それが実に効
漢字ばかりで書かれた「古文書」が配られると、
子どもたちは、はじめ「何これ」
「意味わかんない」
果的に使われている。
事例-4、5では資料は全て教師が用意してい
とつぶやいていた。しばらくして「これ名前じゃ
る。本時でもそうだった。ただ、事例-4の元軍
ないの?」
「これは歳だよ」と読み解き始め、やが
と鎌倉武士の戦闘場面のイラストは、竹崎季長が
て「相互関係」
「身体や顔の特徴」が書かれている
描かせたという「蒙古襲来絵巻」の輪郭線をなぞ
ことを読み解いていった。そしてそれがどうやら
ったものだろうが、簡潔な絵図になった代わりに、
現在でいう「戸籍」に相当するものらしいと推測
もとの「蒙古襲来絵巻」に含まれている「多様な
できるようになった。グループで挑むのでなけれ
情報」が失われているというところが気になる。
ば、諦める子がたくさん出てきて、とてもここま
余計な情報がズレを生み、そこから追究が深まっ
で読み解くことなどできなかっただろう。
ていることがあるからだ。
この課題は難しい。課題のレベルが高いから、
(2)グループの学び合いと全員での追究がうま
く組み合わされて追究が深まっている
逆に、自然に学び合いが生まれたのだといえる。
(事例-1、2、3、4)
このときの子どもたちの姿は注目に値する。身を
乗り出すようにして、グループに1枚ずつ配られ
①
発表しておしまいにしていない
た資料を、わずかな手がかりから、次第に読み解
どの事例をみても、グループで学び合ったこと
いていた姿は忘れられない。
を「発表しておしまい」にしてはいない。グルー
2、事例が語っていること
プだけでは、行き詰まることもある。有力な子ど
(1)子どもたち自身が調べて資料を手に入れて
もの意見に流されることもある。メンバーの考え
①
いる(事例-1、2、3)。
が似てきて、追究が深まらなくなる可能性もある。
子どもたちが入手した資料を中心に学びが
わかったつもりになって追究が停滞してしまうこ
展開された
とがあるかもしれない。
ことに事例-1では子どもたちが調べて得た資
そういう状況になっているときには、グループ
料(担当した国の GNP、輸出品など)を中心に学び
での学び合いをいったん中断し、全員で「行き詰
が組み立てられており、各グループが調べて発表
まっていること」や「いま考えていること」を交
したことをつなぐことで、中心の課題について考
流することが大切である。そうやって、学級で議
えることができるようにデザインされている。
論し、学び合うことによって、これらの問題が克
事例-2では、共通するサブテーマについて調
服されていく。グループで行き詰まっていたとこ
べたことが、学級をこえて共有されており、それ
ろが、他のグループの考えにふれて視点が転換さ
を綴ったレポートが各学級での追究の資料として
れる。それまでぼんやりとしていた問題がくっき
使われている。
りとしてくる場合もある。似た考えにまとまりか
事例-3では、子どもたちがそれぞれに興味を
けていたり、有力な子の考えに流されかけている
もった事柄について調べたレポートを綴ったもの
のが、他のグループの考えにふれて変わっていく
を資料として手元に持っていて、それを繰りなが
ことも期待できる。
ら考えている。
②
教師が吟味した資料を追加している
この切り替えをするには、子どもたちの学びの
様子を感じ取ることが求められる。
「学び合い」に
事例-3では、古屋先生自身が民俗学の研究者
よって学びが深まり、皆がそこに参加できるよう
でもあることを生かして入手し、吟味した資料が
にするには、子どもの学びの姿を感じ取る繊細さ
投入され、子どもの追究をいっそう深くしている。 が教師には求められる。
グループで学び合ったことを、ただ「発表」す
通しているのは、課題のレベルの高さである。資
るだけでは、発表されたことが羅列されていくば
料もていねいに読み解かなくては意味がつかめな
かりで、深まっていかない。
「発表」されたことの
い。だから自然に相談したくなる。浮かんだこと
「ずれ」が疑問を生み、探究を引き出す。このと
をつぶやきたくなる。一人の何気ないつぶやきが
き重要なのが教師による「つなぐ」
「もどす」とい
打開の手がかりになることもある。ぎりぎりのと
うはたらきかけである。資料につなぎ、もどす。
ころで考えているから、自然に智恵を寄せ合うこ
違う着想や発言とつなぐ、前の着想や発言にもど
とにもなる。
す、期待する発言をグループに戻して皆で共有す
る。そうすることで子どもたちの思考が広がり深
まる。また全員がその過程に参加することができ
るようになる。
②
一人ひとりの学びが深くなることを基本に
している
事例-1~4に共通しているのは、それぞれの
子どもの考えが深まることを求めていることだ。
それは授業を、教師が想定したゴールに向かっ
グループの意見をもとめてはいない。グループで
て先へ先へと一方向的に進めることをやめ「行き
学び合いながら、あくまで個人の考えを求めてい
つ、戻りつ」することを大切にすることであり、
る。
「学び合い」はグループの考えを求めることで
時間の流れを多層化することでもある。
はない。誰かの有力な意見を自分の考えにして「わ
②
子どもたちが気づいたことを気軽に発言し
かったつもり」になることでもない。グループで
ている。
学び合い、皆で学び合いながら、求めるのは個人
いずれの事例でも、身を乗り出すようにして学
び合い、懸命に考えている時、子どもたちは脳裏
の学びが深くなることだ。
事例-1では、グループで調べたことを発表し、
に浮かんだことを言葉にしている。それは、他者
それを一枚のワークシートに整理し、比較しなが
に話しかけているようでもあるし、独り言のよう
ら「豊かな国、貧しい国」を分けるモノは何かに
でもある。自ずと声も小さくなる。それが「つぶ
ついて、個人の考えを求めている。事例-3でも、
やき」だ。
グループで追究しながら、最後に授業者は個人の
グループで学び合っているとき、つい授業者は
考えを求めている。
それぞれのグループで交わされていることを拾い
事例-4では、まとめでも個人の考えを求めて
集めたくなる。それをもとに次の展開をしたくな
いる。最後に「一所懸命戦った」
「防塁」
「暴風雨」
る。そこに落とし穴がある。子どもたちの学びの
の3つの言葉を使って「なぜ元軍を退けることが
姿から離れて、授業者の手の平で授業を展開しよ
できたのか、自分の考えをまとめてください」と
うとする誘惑にとらわれ、ダイナミックな学びが
指示している。このことを通じて、この 3 つの言
生まれる機会を損なう可能性があるのだ。
葉がばらばらに記憶されるのではなく、それぞれ
だが、皆で考えているときにも浮かんだことを
に一つの物語を伴って記憶されていく。
「レンガを
気軽に「つぶやく」ことができれば、子どもたち
集めても建物はできない。そこに構造があっては
の発言は自然につながっていく。
「つぶやき」は子
じめて建物になる」という言葉があるが、
「なぜ元
どもたちが夢中で考えていることの現れでもある。 軍を退けることができたのか、3 つの言葉を使って
先にあげたいずれの事例でも、子どもたちの間か
それぞれに自分の考えをまとめる」という活動は、
ら盛んに「つぶやき」がもれている。
この3つの言葉をそれぞれに関係づけ、自分なり
(3)ひとりで考えていたのではたどり着けない
の物語のなかに納めるということでもある。
高いレベルの学びが生まれている
①
1時間の最後に「ふりかえり」を書かせる授業
(事例-1、2、3、4)
によく出会うが、そのほとんどはたんなる感想や
課題のレベルが高い
「○○君の発言がよかった」というようなことを
本時もそうだが、事例-1から5のすべてに共
書かせている。それだけのことに授業の最後の5
分近くを充てるのは無駄であろう。事例-4のよ
うなまとめ方にすることの意義は大きい。
③
ひとりで考えることを求めない
事例-3で、古屋は、
「昔の甲府の人がマグロを
たくさん食べていたのかどうかを調べるにはどう
やって調べるとよいか」とたずねている。子ども
繰り返しになるが、誤解の多いところなので念
たちからは「遺跡」
「発掘」などと並んで「昔の人
のためにふれておく。いずれの事例においても「ま
の日記」などという意見が出た。そのときは、そ
ずひとりで考える」ことは求めていない。グルー
れ以上「調べ方」について考えることはしなかっ
プであれ、学級であれ、まず学び合うなかで自分
たが「調べ方」を考えることは、学び方を学ぶ大
の考えが次第にくっきりしてくるようにすること
きな機会でもある。
を第一にしている。それを欠けば、高いレベルの
(4)吟味した大きな「問い」が課題として設定
課題を前にして多くの子どもが脱落し、じっとそ
されている(事例-1、3、4)
の時間を耐えてやり過ごすことになる。かといっ
①「大きな問い」が掲げられている
て「ひとりで考えられるレベルの課題」にすれば、
この3つの事例ではいずれも「大きな問い」が
得意な子は退屈する。ひとりで考える時間は、苦
設定されている。ことに事例-1では 10 時間近い
手な子にとっては「忍耐」を、得意な子にとって
授業を貫く「豊かな国と貧しい国を分けるものは
は「退屈」を経験する機会になりかねない。
何か」という「大きな問い」が設定されている。
④
わかったつもりにさせていない
4つの事例にほぼ共通しているのが「わかった
つもり」にしていないことだ。ことに古屋は「わ
事例-3でも「海のない山梨でなぜマグロをた
くさんたべるのだろう」という、数時間を貫く「大
きな問い」のもとで学んでいる。
かったつもり」でいることに厳しい。例えば事例
事例-4では、一こまではあるが「なぜ元軍を
-3がそうだ。4㎏という甲府市の市民が一年間
退けることができたのだろう」という「大きな問
に食べるマグロの量も単なる数値で済ませていな
い」が掲げられている。
い。秤で4㎏の重さのモノを計測し、体感させて
事例-2では「便利になったのに、観光客が減
いる。古屋の教室を訪問すると小さなこともおろ
っているのはなぜだろう」という大きな問いが子
そかにせず、わかったつもりにさせない厳しさが
どもたちの中から生まれてさえいる。
隅々まで染みわたっている。
資料の細部を大事にすることも、また資料に基
づいて発言することも重要なことだ。我々大人も、
②「大きな問い」を解決するために必要な基礎
的な事項を子どもたちが調べている。
(事例-1、2、3)
ついわかったつもりで曖昧にしていることがたく
事例-1では、グループごとに担当した国につ
さんある。
「わかったつもり」になって済ませてし
いて子どもたちが調べている。事例-2では、そ
まう、わかろうとしないで思考を途中でやめると
れが学級をこえて展開されている。事例-3では、
ころから、現在の多くの問題が生まれているとい
漁業に関係があることで、自分が興味を持ったこ
っても過言でないだろう。
とを調べてまとめたレポートを手元に持っている。
⑤
モノ、コトを大事にし、リアリティのある
そのとき、教科書も資料として活用され、読み込
学びを実現しようとしている。
んでいる。教科書に記述されていることを、教師
(事例-2、3、4、5) が説明しておしまいにはしていない。事例-5で
事例-2では長野駅に置いてあった横浜、東京
扱った「戸籍」は、教科書にあるものだ。それを
方面の観光パンフレットを持ち込み、具体的に長
説明して済ませるのではなく、子どもたちに読み
野県民の視点から見られるようにしている。
込ませている。そのとき、グループで取り組むか
事例-3ではマグロやその背骨の実物大の写
真も持ち込んでいる。
④
調べ方自体も考える機会を設けている
ら、読み込むことができたといってよいだろう。
3、社会科の学びをどうデザインするか。
て解決していくべき課題群としてカリキュラムを
(1)プロジェクト学習
編成したい。片々とした事項を時間順に並べて教
先にあげた事例の内①~③は、いずれも数時間
えていくという授業はそろそろ変えてみてはどう
にわたる「大きなトピック」を中心に学びが展開
だろう。
「学ぶことで世界の見え方が変わる」社会
されている。その中核にそれぞれの子どもの「対
科は、そのことが実感できる教科であるはずだ。
象との対話」が据えられ、質の高い探究過程に全
②
その単元の中心は何か、その課題の社会科
ての子どもが参加できるようにしているところに
としての面白さがどこにあるかを分析し、
特徴がある。その過程が仲間との「共同」によっ
そこを子どもたちが経験できるように学び
てしっかり支えられてもいる。
をデザインする。
大きなトピックのもとで「対象と対話」しなが
トピックが決まれば、そのトピックの社会科と
ら考えるなかで、学んだことがそれぞれの子ども
しての面白さはどこにあるのかということをしっ
の内部で網の目のようにつながり、ネットワーク
かり分析しておきたい。その社会科としての面白
が構成され、固有の「物語」として学ばれている。
さを子どもたちが経験できるように学びをデザイ
そこでは、子どもたちの能動的な探究活動を通し
ンする必要がある。そこには、教師も子どもたち
て学ぶべき内容が経験されているということがで
の探究に同行する面白さもある。
きる。まさに「精神とは活動する身体である」
(中
「プロジェクト学習」を試みようとしても、なか
村雄二郎「臨床の知とは何か」岩波新書)
。
なか急には変われないかもしれない。さし当たり、
もちろん教師の説明には、その教師の「物語」
がある。教科書の記述には「論理」がある。問題
一つか二つの単元で実施しながら事例研究し、経
験を重ねていってはどうだろう。
は「説明」によるだけではその「物語」も「論理」
③「考えながら調べ、調べながら考える」学び
も子どもに伝わることはまれだというところにあ
事例-1、2、3では必要な資料の多くを子ど
る。
「社会科では教えなければいけないことがたく
もたちが調べている。資料集や地図、図書、新聞
さんあって、考える時間がとれない」
「考えること
も活用される。整備が進んでいるICT環境も利
を大事にしていたら年間計画が消化できない」そ
用できる。もちろん教科書も優れた資料である。
ういう意見をよく耳にする。だが、まず基礎的・
教科書にある事柄を教師が説明するのとは違い、
基本的事項を教えて、その後に考えるという授業
大きなテーマに沿って子どもたちがそれぞれに読
の多くは「基本的な事項を教えているうちに考え
んでいくことになる。考えながら調べ、調べなが
る時間がなくなる」あるいは「基本的な事項」を
ら考える。その過程で小さな疑問が生まれ、大き
教師が説明しているうちに、子どもたちは意味を
なテーマから派生するサブテーマが次々に生まれ
見失い、学びからそれていくという事態に陥って
てくる。考えながら調べ、調べながら考えるとい
いる。
「基本的な事項」を順に教えていく授業では、 うのはそういう活動なのではないだろうか。その
「知識」のネットワークも形成されない。知識を
過程で、一つひとつの事項がそれぞれの子どもの
羅列的に習得する学習では、新たに学んだことは、 内部でつながり、意味のネットワークが形成され
既習の知識に、単に追加されていくだけだといえ
る。網の目に組み込まれていないから、忘れられ
るのも速い。
①
カリキュラムをいくつかのプロジェクトで
構成する
ていくのではないだろうか。
このとき、図書室で授業をしたり、図書室の関
連する資料を教室に持ち込んで教室を「分室」の
ようにすることも考えられる。
教師があらかじめ用意した資料はその過程で子
「教えたい事項」の羅列で年間計画を編成するの
どもの探究をいっそう深めていくことにつながっ
ではなく、各学年、各単元の本質に沿ってプロジ
ていくようにしたい。
ェクトを構成し、子どもたちが調べ、智恵を絞っ
(2)対話を中心に据えた学びをつくる
①
対象との対話
「授業研究入門」岩波書店)個人的な経験のレベ
ルを下げることなく、また誰もが学びに参加して
学ぶことによって「そういうことだったのか」
いけるようにするには「仲間」との対話が欠かせ
と眼が開かれ、見慣れた事柄が違って見えるよう
ない。
「資料や事実と対話」しようとしても、ひと
になる。それは「学ぶことによって世界の見え方
りでは対話できない子どももいる。ひとりで対話
が変わる」ということでもある。そういう学びは、
できているように見えても、深く資料と対話する
資料と対話し、事実をもとに考えることによって
のは難しい。深い充実した対話をするには、多様
実現される。
「考えながら調べ、調べながら考える」 な見方が欠かせない。そこに異なる考え方や経験
こと自体が、対象と対話することでもある。
大きなテーマのもとで、それを解決するために
を持つ他者が加わるとズレが生まれ、視点が多様
化され、資料との対話が深くなっていく。
考えながら調べ、調べながら考えていると、補助
思考が深くなるほど「対話」は、独り言に近い
的なテーマ、小さな問題が生まれてくる。その一
「つぶやき」に変わっていく。それは他者に話し
つひとつを解決していくように学びが展開されて
かけているようでいて自分自身に語りかけている
いくと、子どもたちが身を乗り出すようにして資
ようでもある。
「つぶやき」は子どもたちが対象と
料や事実と対話し始める。そのとき、資料に手を
深く対話している姿のあらわれだといえる。そこ
加えながら考えることで違うことが見えてくる。
に仲間との対話「学び合い」の意義がある。
それまで見えなかったことが見えてくることもあ
「ひとりで考える」
「自力思考」「まず自分の考え
る。数学や理科ではおなじみの方法だが、どうい
を持ってから話し合う」という考えが今なお根強
うわけか社会科では見かけることが少ない。
くある。そこに大きな誤解がある。ひとりで考え
例えば、二つの資料を重ねてみるとどだろう。
られるようにしようとすると、ひとりで考えられ
最近「百姓一揆や打ち壊しが起きる理由と背景を
るレベルに課題の質を下げるか、苦手な子どもが
考えよう」というテーマの授業を見る機会があっ
脱落するのを放置するか、あるいは教師が「アド
た。配られた資料の中に、一揆や打ち壊し件数の
バイス」することになる。いずれも学びの質か全
年代変化と気候の年代変化のグラフが含まれてい
ての子どもの学びを保障することからそれていく。
た。このとき、同じ年代変化を横軸にとって、こ
子どもたちの学ぶ姿を見れば、その結果は一目瞭
の二つのグラフを重ねてみれば、気候変動と百姓
然だろう。
一揆や打ち壊しとの関連が見えやすくなる。
仲間との対話には二種類ある。一つは「グルー
もう一つ、授業とは異なるが、印象深い例を一
プによる学び合い」だ。男女が市松模様の席に着
つあげてみよう。総人口に占める老人人口の比率
くグループで資料と向き合えば、多様な読みが交
が年々高くなることが強調され、老後保障と福祉
流される。つぶやくように交わされるメンバーと
水準の引き下げはやむを得ないとする風潮を批判
の対話は、資料をいろいろな視点から見ていくこ
した伊東光晴氏の論説(「経済学は現実にこたえう
とにつながる。上に述べたように、それは一人ひ
るか」岩波書店)である。伊東は、19 歳以下の人
とりが資料と深く対話することにつながる。とは
口と 65 歳以上の人口の合計を求め、生産人口に占
いえ、4人のグループの「多様性」には限界があ
める割合がさほど変化していないことから、問題
り、行き詰まることもある。有力なメンバーの考
の本質がどこにあるかを見誤ってはならないと指
えが支配的になってしまうこともある。
摘している。一読して目を覚まされた。それは見
そのタイミングをとらえて設けたいのがグルー
慣れたデータを、日本の現状に適うようにちょっ
プをこえた仲間との対話である。それは仲間との
と加工したことで見えてきたことだった。
もう一つの対話だということができる。グループ
②
仲間との対話
「学びは本質的に個人的な経験である」
(佐藤学
をこえて気づいたことを交流して共有したり、行
き詰まっているところについて一緒に打開策を探
ってみることで、グループ内で支配的になってい
まず、教材研究の内容を変える必要がある。教科
た考えを転換したり、別の着想が生まれてくるこ
内容に関する「研究」に留まらず、それについて
とが期待できる。行き詰まりを打開する着想が生
子どもたちはどのような考え方をするだろうかと
まれたり、別の視点が共有できたりしたところで、 いうことを分析しておく必要がある。また伝えた
再びグループの「学び合い」にもどすとよい。グ
い事柄だけでなく、子どもたちから生まれてくる
ループの「学び合い」と全体での「学び合い」の
ふとした疑問やつぶやきの意味やその背景にある
往復のなかで追究が深まっていく。
「理」を読むことができるだけの幅と深さも求め
グループの「学び合い」では深い追究が生まれ
られる。その点で、先の事例の授業者の一人の古
ているのに、全体としてはあまり深まらないとい
屋が何気なくつぶやいた言葉が忘れられない。古
う場面に出会うことが少なくない。その多くは、
屋は「以前は、いっぱい教材研究してそれを子ど
グループでの「学び合い」のなかで、それぞれに
もたちに伝えるのが楽しみだった。最近は自分が
考えたことを発表していくばかりで、
「羅列」する
研究したことをもとに課題を提示したとき、子ど
ことに留まっている。グループの「学び合い」と
もたちがどのように考えるのかということが楽し
「皆での学び合い」がうまく組み合わせられると、 みになってきた」という意味のことを言った。
そこが違ってくる。
③
クラスをこえた「共同」と「学び合い」
②
臨機応変の対応
授業は予想外の出来事で満ちている。教師がそ
事例-2の堀口の「長野県」の授業にある「子
の出来事に開かれていないと、子どもたちが対象
どもたちがクラスをこえて調べたことを共有する
と対話する学びは生まれない。つぶやきも生まれ
活動」が示唆していることもこれからの学びに生
てこなくなる。だからまず子どもを感受すること
かしていきたい。学校には、子どもたちの作品と
が欠かせない。子どもが何気なくつぶやいた疑問
並んで「注意」や「スローガン」
「目標」を記した
や着想の価値を素早く判断し、背景にある「理」
掲示物があふれている。学びの過程に関わる掲示
を読み、それを取り上げるかどうか意志決定する
を見かけることはほとんどない。
のは教師である。ひとりの発言が他のどの発言と
もし、子どもたちが「考えながら調べているこ
つながっているか、資料のどことつながっている
と」や「探している資料」あるいは「行き詰まり
か、その子の前のどの考えをつながっているか。
を打開する着想」を気軽に交流できるような掲示
それを眼の前で生起する出来事のなかで判断し、
ができたらどうだろう。学校にやってくる保護者
意志決定するにはそれなりの見識が必要である。
の目にもふれ、その参加を得られるかもしれない。
臨機応変は「行き当たりばったり」とは違う。
クラスをこえ、子どもたちだけでなく、多彩な大
子どもたちの学びに応じて臨機応変に対応してい
人との交流が、今学んでいることを通して生まれ
くには、その単元の中心は何か、その課題の教科
てくるかもしれない。その萌芽を堀口の「長野県」 としての面白さはどこにあるのかを踏まえていな
の授業は示している。
MIT のメディアラボでは、研究者がその着想や疑
問 を 落 書 き す る壁 が 所 内 の 随 所 に あ る と い う
くてはならない。子どものつぶやきや発言の意味
をそのなかで位置づけ、判断しなければならない。
それは極めて高度な能力である。
(「TED スーパープレゼンテーション」ETV 毎月曜
つぶやきが漏れる教室は子どもたちがリラック
日放映中)
。堀口が「長野県」の授業で試みたこと
スした教室でもある。従前の「効率」と「秩序」
はそれに似ているといえなくもない。
を柱にした教室とはその点でも異なる。つぶやき
(3)教師の役割
は、それが大切にされることを子どもたちが知っ
①
子どもの考え方に沿った教材研究へ
ているから生まれる。子どもたちがリラックスし
授業を以上のような方向に転換しようとすると、 ている教室とはどのような教室なのか、そこでは
自ずから教師の役割も変わることが求められる。
どのような「作法」が必要なのだろう。
②
数時間から10時間単位でデザインする
課題を提示し、探究(考えながら調べ、調べな
参考授業記録ビデオ
1、「豊かな国、貧しい国」
がら考える)し、交流しながら課題解決にいたる
イルカ・エスコラ(フィンランド
一連の活動を、授業を 45 分(小学校)あるいは 50
ンマー中学校 NHK BS 放映 2003 年)
分(中学校)のひとこま単位の授業で完結させよ
うとすると、充実した学びを組織することは難し
ボイヨ
2、古屋和久
①「養蚕のあたりを求めて」
2006 年
い。数時間から十数時間をひとまとまりと考えて
(身延町立久那土小学校)
学びをデザインする必要がある。実際、事例-1
②「海のない山梨県でなぜマグロが食べられ
は十時間近いプロジェクトだったようである(本
ているのか」
(身延町立大河内小学校)
来はもっと長い時間をひとまとまりとしていたら
しい)
。事例-2、3もそうである。
3、「長野県の入り口はどこだろう」
されてはいない。子どもに開かれた学びを展開し
4、
「武士の世の中
元寇の役:なぜ元軍を退ける
ことができたのだろう」
2012 年
八木康太(小牧市立小牧小学校)
ようとすれば、時間は行きつ戻りつするのが当た
り前である。子どもから出た一つの疑問に沿って
2002 年
堀口和也(川崎市立南菅中学校)
また、一こまの授業でも、時間は、スタートか
らゴールに向かって一様に流れる時間として展開
2012 年
5、「律令国家の形成」
2012 年
追究の方向が変わることもあるし、グループで行
前橋 浩(川崎市立宮内中学校)
き詰まったことを交流するなかで見えた打開の手
6、「幕末:なぜ百姓一揆が増えたのか」2013 年
がかりをもとに、もう一度前の疑問に戻ることも
伊澤 潤(川崎市立玉川中学校)
ある。
教室の「出来事」に開かれた学びを展開するに
なお、2-②、4,5については授業者とともに
「川崎学びの会」で事例研究した
は、時間は決してゴールに向かって一様に流れて
いくということにはならない。
参考文献
1、「授業研究入門」
このように授業を変えていくことで、子どもたち
が疎外された授業は、子どもが主体となった学び
として再生してくるだろう。それは「学ぶことで
世界の見え方が変わる」授業をつくっていくとい
うことでもある。
稲垣忠彦・佐藤学 岩波書店
2、「学校を変える力」
デボラ・マイヤー 岩波書店
3、「学校見聞録」
佐藤学 小学館
4、「カリキュラムの批評」
佐藤学 世織書房
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