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Title 宮古島の祭祀歌謡からみた女神 Author 上原, 孝三(Uehara, Kozo

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Title 宮古島の祭祀歌謡からみた女神 Author 上原, 孝三(Uehara, Kozo
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宮古島の祭祀歌謡からみた女神
上原, 孝三(Uehara, Kozo)
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション No.26 (2001. 4) ,p.75- 96
Departmental Bulletin Paper
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN10032394-20010430
-0075
宮古 島の祭祀歌謡 か らみた女神
上
1.
原
孝
三
は じめ に
宮 古 諸 島 の 神 行事 は , 近 年急 速 に消 滅 あ る い は形 骸 化 の傾 向 に あ る。 そ の大 きな要 因 に
は 近代 合 理 主 義 に 基 づ く経 済 の発 展 , そ れ に伴 う前 近 代 の社 会生 活 基 盤 の崩 壊 , 更 に は社
会 ・個 人 の価 値 基準 の 多 様化 ,教 育環 境 の 変化 等 が あ る と思 わ れ る。 無 論 , 問 題 は そ れ だ
け に還 元 され る もの で は な く, シ イマ(村)そ
の もの と個 人 に も問題 は 内 在す る。 村 の 神
役 と シ イマ ビ トゥ(村 人)と の両 者 の神 行 事 に 関す る意 識 の ズ レ。 あ る い は神 役 に選 出 さ
れ た に も 関 わ らず , そ れ を引 き受 け ず 拒 否 す る 現 象 が 宮 古 各 地 に み られ る の で あ る。 社
会 ・村 ・家 庭 ・個 人 レベ ル で の い ろ い ろ な 問題 が 複 雑 に絡 み 合 い, 神 行 事 が ス ム ー ズ に行
な え な い よ うに な っ て い る のが 現 状 で あ ろ う。 社 会変 化 に伴 う当然 の帰 結 との見 解 か らす
る と説 明 は容 易 で あ るか にみ え る。 だが , 事 は そ う単 純 で は な い。 村 の神 行 事 は, 伝 統 の
遵 守 と変 革 の狭 間 を振 子 の よ うに往 還 運 動 を行 な い, 最 終 的 に は神 行 事 の終 焉 を迎 え よ う
と して い る よ う だ。
神 行 事 が 消 滅 した村 は現 在 どう な って い るの で あ ろ うか 。 過 去 と現 在 の 変 化 の 相 違 は有
るの か な いの か 。 ま た, 神 行 事 を継 続 して い る シ イマ とそ うで な い シ イマ との 相 違 は有 る
の か な いの か 。 も しあ る とす れ ば, 何 が 違 うの か を検 討 す る必 要 が あ るの で は な いか 。
だ が 少 な くと も, 神 行 事 が 伝 統 的 な民 俗 宗 教 で あ るか らに は, そ こ に は(人 々 に は)何
らか の 宗 教 精 神 が あ るは ず で あ る。 神 行 事 を代 表 とす る伝 統 的 な民 俗 宗 教 が 解 体 ・消 滅 す
れ ば , 時 間 の 程 度 の 差 は あ れ , い つ れ 人 々の 民 俗 宗 教 精 神 も な くな るで あ ろ う。 心 の 拠 り
所 で あ っ た 宗 教 が な くな れ ば , 人 の 心 根 は 元 の そ れ とは 異 な るの は 道 理 で あ る。
伝 統 的 な 神 行 事 の 終 焉 を迎 え よ う と して い る現 在 で は あ るが , か つ て あ るい は 今 に至 っ
て もな お 神 行 事 の 中 心 的 存 在 ・象 徴 は カ ミ(神)で
75
あ ろ う と思 わ れ る 。 祭 祀 歌 謡 は 神 行 事
(祭祀)の
なか で , 唱 え られ た り謡 わ れ た りす る。 本 報 告 で は宮 古 島 の 狩 俣 の 祭 祀 歌 謡 に
み え る女 神 につ いて 触 れ て み た い 。
2.
宮 古 島狩 俣 村 落 の概 要
沖 縄 県 は , ア ジア 大 陸 の 東 側 , 日本 本 土 の 南 丙 に位 置 し,48の 有 人 島 を含 む 大 小 約160
の 島 々 か らな る 島 嶼 県 で あ る。 こ れ らの ほ とん どの 島 の 周 囲 に は 裾礁 タ イプ の珊 瑚 礁 が 発
達 し, 台風 時 に は 天 然 の 防波 堤 と もな り, ま た一・
方 で は魚 ・貝 ・海 草 な ど生 活 の糧 を得 る
漁 場 と もな っ て い る。
沖 縄 は地 理 的 に は, 沖 縄 諸 島, 宮 古 諸 島, 八 重 山諸 島, 大 東 諸 島 な ど に区 分 され る。 宮
古 諸 島 は,6つ の 行 政 区 に 分 か れ て お り, 県 総 人 口 の4.3%に
相 当 す る約51 ,000人 が 住
ん で い る。 全 島 が 隆 起 珊 瑚 礁 起 源 を主 とす る新 しい 石 灰 岩 で ほ ぼ 被 わ れ て い て 地 表 水 は 乏
しい 。 しか し,.地下 水 は 豊 富 で , 日本 で も珍 しい 地 下 ダム を建 設 して 農 業 用 水 に 活 用 して
いる。
狩 俣 は宮 古 島 の 北 端 に 位 置 し,行 政 的 に は 平 良 市 に 属 す る。 平 良 市 の 市 街 地 か ら
は ,13.5キ
ロ メ ー トル 程 離 れ て い る 。1999年3月
現 在 , 人 口800人
, 世 帯 数283戸
。宮
古 で は 比 較 的 規 模 の 大 き い 村 落 の 一つ で あ る 。 主 な 生 業 と し て , さ と う き び , 葉 た ば こ を
中 心 と す る 農 業 と , もず く養 殖 , 珊 瑚 礁 海 域 で の 漁 業 と を 営 む 宮 古 で も 古 い 村 落 の 一 つ で
あ る。
狩 俣 集 落 の 周 りはか って は石 垣 で 囲 まれ て い た とい う。 居 住 空 間 が 野 面 積 み の 石 垣 で 囲
ま れ て い た の で あ る 。 こ の よ う な 村 落 形 態 は 宮 古 で も 珍 し く, 居 住 空 間 が 固 定 さ れ て い た
と い う こ と は , 村 落 移 動 が あ ま りな か っ た こ と を 意 味 し よ う 。
集 落 の 北 側 は 海 抜50メ
ー トル 程 の 小 高 い 丘 陵 地 帯 と な っ て い る の で , 東 ・西 ・南 側 を
石 垣 で 囲 み 生 活 を 営 ん で い た 。 石 垣 と丘 陵 で 囲 ま れ た 所 を ミ.ヤ ー ク(宮
宮'占 の 漢 字 を 当 て る)と
い う。 現 世 ・こ の 世 な ど の 意 が あ る 。
集 落 に 出 入 りす る に , 東 ・西 ・南 の3ケ
所 に ト ゥ ー リ ャ(通
が , 南 側 の 門 は 現 存 し な い 。 東 の 門 は , ア ー イ ィ ゾ ー(東
も)と
古。現在 たいてい
り。 門)が
設 営 され て い た
門 。 ア ー イ ゾ ー/ア
ー ゾー と
呼 ば れ て い る が , 戦 後 , 馬 車 の 往 来 に 支 障 を き た す と い う こ と で 取 り壊 さ れ , 新 た
に コ ン ク リ ー トの 門 に 造 り直 さ れ た 。 西 の 門 は , ト ゥ ー ピ ト ゥ ユ ー ト ゥ と 称 さ れ
,石積み
の 門 の 上 に 一 枚 岩 を 乗 せ た 形 態 で あ り, 旧 態 を 残 し た ま ま だ と い う 。
居 住 地 域 の 北 ・西 側 は , 御 嶽 ・拝 所 な ど が 存 在 す る 聖 域 で あ り , 無 断 で 立 ち 入 る こ と は
76
宮 古 島 の 祭 祀 歌 謡 か らみ た.女神
図1
・⑪
奄 美 大 島
AmenuusMIinw
'
徳 之島
硫 黄鳥 島 し
1嚠1U・[匸
,「i§11[111≡
圏
恥
T⊂pkur1匸 〕slbln1E鬮
沖 永 良 部 島
`}ki「
阻層
「`ホ
血三x・.r.ll占
。
簾
聯.
沖#3L諸 局
”1'ukeiL.
北 大 東 島
E{iLこ
幽.{liti[L」
1丶.
台湾
0南
大 東 島
、1illi11ヒ1i.匸
lili1[1 [s.
池間島
大a: 諸 島
驫 欝 ・
沖 大 東 島
〔,ki.軋lililr卩
ls.
げ戸
17
許 さ れ な い 。 神 女 は そ の 地 域 を イ イ イ ヌ ヤ マ(.西 の 山)と か ニ シ イ マ(根
集 落 の 前 方 , 南 側 の 海 岸 線 に 墓 地 地 帯 が あ り , パ イ ヌ シ イマ(南
島
の 島)と1呼
..f7”
,〉と い う 。
ばれ て い る。
居 住 地 の 南 方 に 位s+IFi.す
る 故 の 名 称 で あ ろ う 。 狩 俣 の 人 々 は パ イ ヌ シ イマ.・帯 を 穢 れ た 場 所
と し て 忌 み 嫌 ら い , 余 程 の こ とが な け れ ば 近 づ く こ と は な か っ た 。
以..ヒの よ う に , 狩 俣 の 空 聞 は , 北 に は 神 々 の 世 界 の ニ シ イマ(根
77
島./子 島), 南 に は 死
池間島
宮
a
古
諸
島
ミヤー ク
一一
一__イ ズ ヌヤマ
(ニシ ヌヤマ)
一一一フ ンム イ
ー一
一
.一 一 テ ン ドウ
=
一 ・クル マ カ ン
ー
…
一一一 うスマ ヌ 又ス
下地
ア ーズヤ マ
ー …
/
.平 良
バイ ヌ ス マ
東'r安 名崎
へ
図2
者 の 世 界 で あ る パ イ ヌ シ イ マ(南
古)が
一噸スサ スグ
の 島), そ の 中 間 に 人 間 の 生 活 空 間 で あ る ミ ャ ー ク(宮
あ る , と い う 三 つ の 空 間 で 構 成 さ れ て い るD。
3.
『御 嶽 由来 記 』 にみ え る御 嶽 由 来 説話
首 里 王府 が 編 纂 した 『琉 球 国 由来 記 』(1713年)の
下 巻(巻12∼21)は
,近世琉球の歴
史 ・御 嶽 ・諸 行 事 の 由来 を地 域 ご とに ま とめ た地 誌 とい うべ き もの で あ る。 沖 縄 諸 島,-宮
古 諸 島, 八 重 山諸 島の 各地 の 御 嶽 ・拝 所 や 祭 祀 に 関係 す る記 事 が 主 で あ り, 島 々村 々で 語
り継 が れ て きた古 伝 承 を今 に伝 えて い る。
宮 古 の 役 人が , 『
琉 球 国 由 来記 』 の 基 礎 資 料 と して 首 里 王 府 に提 出 した報 告 書 が 『御 嶽
山 来 記 』(1705年)で
あ る2)。宮 占最 古 の 文 献 『御 嶽 由 来 記 』 は25の 御 嶽 の 由 来 ・起 源 を
記 録 して い る。 そ の 文 献 に収 載 され た 由 来 説 話 を御 嶽 の 名 称 ・記 事 内 容 に つ き・
一覧 表 に ま
とめ て み る3)と 次 の よ うに な る(テ キ ス トは 『平 良 市 史 』 第3巻
劃
記
L漲
水 御嶽 由 来(a開
墨
内
闢神 話 , b祭 神 神 話=三
皇)広瀬型 墨由来,②与那覇勢頭豊見親の事蹟
中間御嶽
L
新城御嶽
.上 越
大城 御 嶽 由 来(三 輪 山型 説 話)
考
天降る神
天降 る神
一
≒諜
御黜 来
池間御嶽由来
嫐
野猿間御嶽由来
天 降る神
天降 る神
1中間御嶽由 来,②御嶽の神の功徳
瀾鱇 一
上
間御3
輪lll型説 話)
備
② 仲 宗 根 豊 見親 の 事蹟
広瀬御嶽
大城御嶽
容
を用 い た)。
78
宮 占 島 の 祭祀 歌謡 か らみ た 女神
一.一
一.
㎜.
島尻御嶽 由来
.島 尻鱇i
大御神御嶽
一一..
大御神御嶽由 来
舟1泣御 嶽
舟ii1/_御嶽 由 来
離
離
一.一
一
一
御嶽
一一一.宀
一一.一
一
御嶽由 来
山立御嶽
ll位 御 嶽 由 来
一一.一..
池 の御嶽
池0)御 嶽 由 来
一 一一iL幽'.」
高津 間御嶽
高津間御嶽由来
一.一
一
一
嶺 問御嶽
嶺
間御嶽由 来
一
一. 一一..}
一
.一一.一...一 一
浦底御嶽
一一一
一一 一.一
浦底御嶽由来
赤崎御嶽
赤崎御嶽由 来
西新崎御嶽
西新崎御嶽山 来
大泊御嶽
大泊御嶽由来
一
一
一一..
L一
一一一 」
一
一
一
一.一一 一 一.一.一
一一.一
川 峯御嶽
一一
一.
一
川 峯御嶽由 来
真t:
:御 嶽
一一
一
.喜
1く
御嶽山来
石城御嶽
di城 御 嶽 由 来
..一
一... 一一
一
一..一
一一.
喜伏真御嶽
喜佐真御嶽山来
繍 御嶽i
些墨地御嶽 」
※
. 乗瀬御嶽山来
一一.一 一一.一.一
皿
比屋地御嶽由来
.ヒの 表 中① ② とあ る の は , 同 ・御 嶽 に 関 し, 別 の 異 な る説 話 が あ る こ と を示 すJ
『御 嶽 由 来記 』 に記.載され た御 嶽 由来 の用 例 をみ てみ よ う。
西 新 崎 御 嶽 男 神 高 神 と唱
諸願に付来間村中崇敬仕候事
由 来 昔 神 代 に 右 神 新 崎 山 に 顕 れ 来 間 島 中 守 護 の 神 とな らせ 給 ひ た る よ し云伝 有 崇敬
仕候事
形 式 的 に は, 御 嶽 名 ・神 の 性 別 ・神 の 名(神 の 機 能)・ 祈 願 内 容 ・御 嶽 の 所 在 す る村
(島)・ 御 嶽 の 由来(説 話)と
い う記 載 様 式 に な って い る。 西 新 崎 の 御 嶽 の 由 来 は簡 潔 で
あ る 。 「高 神 」 が どの よ う な事 蹟 を した か は 記 され て な い。 伝 承 が 途 絶 え た 故 で あ ろ う か。
「離 御 嶽 」 は,
離 御嶽'女神 離 一
君 あ るす と唱
船 路 の 為 め崇 敬 仕 候 事
巾 来昔 神 代 に右 神 は な り山 に顕 れ船 守 の神 とな らせ 給 ひ た る よ し云 伝 有 崇 敬 仕 候 事
79
と記 され て お り, 「船 守 の神 」 つ ま り航 海 安 全 の神 と理 解 で きる。
『御 嶽 由 来記 』 に 記 載 され た御 嶽 が , どの よ うな基 準 で 選 択 ・採 用 され た か , そ の 理 由
は 記 録 され て な い が , 近 世 期 の 御 嶽 の こ と を 知 る に は貴 重 な 文 献 で あ る。 『御 嶽 由来 記 』
の 記 載 に 従 い , 御 嶽 の 起 源 を 整 理 ・分類 す る と次 の よ うに な る。
神 が 降 臨 ・顕 わ れ た場 所 が御 嶽 → 漲 水 御 嶽 ・中 間御 嶽 ・池 の御 嶽 ・浦 底 御 嶽 ・広 瀬 御
嶽 ・池 間御 嶽 ・野 猿 間御 嶽 ・大 御 神 御 嶽 ・離 御 嶽 ・
赤 崎 御 嶽 ・西 新 崎 御 嶽 ・大 泊 御 嶽 ・川 峯 御 嶽 ・石 城
御 嶽(14)
→ 大 城 御 嶽 ・船 立 御 嶽 ・山立 御 嶽 ・真 玉 御 嶽 ・喜 佐 真
住 居 あ る い は葬 所 が 御 嶽
御 嶽 ・比 屋 地 御 嶽(6)
根所が御嶽
→ 高 津 間 御 嶽 ・嶺 間 御 嶽(2)
衣 の 袖 を埋 め た 場 所 が 御 嶽
→ 乗 瀬 御 嶽 (1)
その他
→ 新 城 御 嶽 ・島 尻 御 嶽(2)
*()内
は 御 嶽 の 数 を示 す。
御 嶽 に つ い て の起 源 ・由 来譚 は , 内容 的 に大 き く二 つ に グ ル ー ピ ング で きよ う。 即 ち,
神 の 降 臨 と神 の 示顕 に よる御 嶽 の起 源 と,神 も し くは 人 間 の住 居 ・葬 所 ・根 所 ・袖 を埋 め
た場 所 を 御嶽 の そ れ とす る は な しで あ る。 御 嶽 の創 設 は神 に 由 来す る もの と 人 に 由来 す る
もの が あ る こ とが 『御 嶽 由 来記 』 か ら確 認 で きる。
さ て, 『御 嶽 由 来 記 』 に は25の 御 嶽 の 名 ・神 名 ・機 能 ・祈 願 目的 も記 され て い る。 御 嶽
名 ・神 名(機 能)・ 祈 願 目的 につ き ま とめ て み る と次 の よ う に な る(テ キ ス トは同 前)。
申
宇
御嶽名
.一...
漲水御嶽
凵}一
名(機
一
能)
首 里 天 加 那志 美 御 前
恋{;
:(女
(女 神)
島中諸船海 ヒ安穏之為,
一『
広瀬御嶽
一
大城 御嶽
真 し らへ
一
一
一 一一 『
船路 の為
豊見赤星
豊
見 赤 星 て た な ふ ら真主(女
中間御 嶽
一
一
禿
巨
二.原
頁 目 白
勺
恋 角(男
神)
船 路 の為 , 諸 願
赤
赤皿
皿0)赤
の 赤台 の 真 主(男 神)
船路の為
浜 の 里t
新城御 嶽
白鳥の舞
白鳥
の 舞 鳥 の津 か さ(女 神)
池 間御嶽
お らせ り くため なふ の 真 主(男
野猿間御嶽
きや ひか
船路の為,諸願
一
一
一
島尻御嶽
一
一
一.
神)
船路の為,諸願
(男 神)
お もい ま
(女神)
ま一}一
ひとま
(女 神)一
船路の為,諸願
船 路g∼■
為,鼇願
80
宮 占 島 の祭 祀 歌謡 か らみ た女 神
一 一..
大御神御嶽
一一..
船路の為,諸願
膣 濡讌 神
、.一
一一
...一
一
か ね との(男
船 立御嶽
一
一
一
一
神)
し ら こ にや す つ か さ(女 神)
』
離 御嶽」 」蠅
す(女 神),鰭
⊥ 船聖)為 ・諸願
り神・
船路の為
幽一
山 億卸嶽
1壓
池の御嶽
一
君 あ る す(男
の して た(男
高津間御嶽
.…
船路 の 為 ,
}
神)
きゆ らに や す(女
一.一.
一一.
一.」
はる(嫻
船路 の 為 ,』
神),(船 守 り神)
神)
船 路 の為 ,
一一
一.一
一..一
一}
「
嶺間御嶽
あ まれ ふ ら(女 神)
船路 の為,
泊{:(男 神)
一 一一
浦底御嶽
.一...
盛 大 との(男 神)
豊 見屋(女 神),(船 守 り神)
船路 の為
赤崎御嶽
大 世1豊
諸願
西新崎御嶽
高神(男 神)
(来 間 島 中 守 護 の 神)
一
.
一.幽
見屋(男
神)
諸願
一一一一.
大泊御嶽
お も い ま ら, まつ め か(汝
.一
川 峯御嶽
一.『'一
神)
世 の 主 か ね(男
金 め か(女
广俑
一
一
諸願
齟一一
神)
諸願
神)
一
一..㎝
真1ミ御 嶽
か ね との(男
神)
まつ め か(女
神)
一
一
}一.「
石城御嶽
あ か らせ と弓 矢 取 真ネ=.(男 神)
一
一 一 一 一一
一 凵.}一 皿.
喜佐真御嶽
真 種r若
一
一
一一
諸願
諸願
諸願
按 ・1f亅(男神)
一-
.一 一
玉 め か(女
比屋地御嶽
豊 見 氏 親(男
一
請願
請
一.一
神)
神)
.
願
乗瀬御嶽
繁 占地 域 の 御 嶽 の 神 名 は , 明 らか に人 格 的 な ものへ の敬 称 , あ る い は 人 名 に属 す る 名 が
多 い 。 また , 男 神 ・女 神 の 区 別 が 記 載 され て い る。 これ は , 沖縄 地 方 の神 名 の つ け 方 とは
異 り, 地域 的 な 偏 差 で あ る と と もに宮 古 地 方 の特 徴 と もい え る だ ろ う4)。
前述 した よ うに ,御 嶽 の 数 は25で あ る。 そ の 内 の16は
「船 路 の為 」 を祈 願 の 目的 に し
て い る。 これ らの16の 御 嶽 は宮 占で もい わ ゆ る 古 い 集 落 に 存 在 し, 渚 の 近 辺 か そ こか ら
程 遠 くな い場 所 に現 在 も位 置 して お り, 「船 路 の 為」 つ ま り航 海 安 穏 目的 の祈 願 を叶 え る
に相 応 し い場 に あ る とい え る。16の 御 嶽 とは ,漲 水 御 嶽 ・広 瀬 御 嶽 ・大 城 御 嶽 ・中 間 御
嶽 ・新 城 御 嶽 ・池 間御 嶽 ・野 猿 間御 嶽 ・島 尻 御 嶽 ・大 御 神 御 嶽 ・船 立 御 嶽 ・離 御 嶽 ・山立
御 嶽 ・池 の 御 嶽 ・高 津 間御 嶽 ・嶺 間 御 嶽 ・浦 底 御 嶽 の 嶽 々で あ る。 つ ま り, これ らの16
の 御 嶽 に は航 海 安 全 の 神 が 祀 られ る と理 解 して よか ろ う。 そ の 内 の14の 御 嶽 は女 神 が 航
海 安 全 の そ れ に対 応 しよ う。
航 海 安 全 の 女 神 を祀 る14の 御 嶽 の 内 , 女 神 を航 海 安 全 の 神 と 明 記 して あ る の は , 離 御
81
嶽 の 「離 君 あ るす 」 ・池 の 御 嶽 の 「きゆ ら にや す」 ・浦 底 御嶽 の 「
豊 見屋 」 の3女 神 で あ
る。 他 の11の 御 嶽 の 「
船 守 の 神 」 の 神 は, そ れ ぞ れ の 御 嶽 に 明 記 され て い る 女 神 が 相 当
し よ う。 但 し, 池 間 御 嶽 ・高 津 間御 嶽 の 祀 神 は男 神 の み が 記 載 され て い る の で , 「船 守 の
神 」 は男 神 と なろ う。
沖縄 ・
般 で は 航 海 安 全 の 神 は 女 神 とい う観 念 が あ り, そ の意 味 に お い て池 間御 嶽 ・高 津
問 御 嶽 の 祀 神 は 男 神 が航 海安 全 の神 だ と され る の は検 討 課 題 とな ろ う。
『御 嶽 由 来 記 』 の 「大 安 母 み や まい りの 事 」(1707年
・首 里 王 府 へ の 追 補 報 告)に
よれ
ば ,上 記 の16の 御 嶽 で 「'首
里 天 加 那 志 美 御 前 御 為 併 島 中 作 物 お きな か な し上 下 船 々為 御
た かへ 大 安 母主 取 に て 嶽 々 のつ か さ相 勤 」 め た よ うで あ る。 この 文 脈 か らす る と, 「船 路
の為 」 の祈 願 は 「お きなか な し上 下 船 々為 」 に行 な う もの で あ った と考 え られ るの で あ る。
勿 論 他 の 船 旅 の 航 海 安 全 の 目的 の 為 に も祈 られ た で あ ろ う。
16の 御 嶽 は首 里 王 府 公 認 の 御 嶽 で あ り, 沖 縄 地 方 で い うい わ ゆ る クー ジ ウ タ キ(公 儀
御 嶽)で あ り, そ こで 祈 願 す る 「つ か さ」 は 首里 王 府 に 公 認 され た 地 方 の 神 女 とな ろ う。
「大安 母 み や まい りの 事 」 に は 「御 嶽 拾 六 御 前 御 座 候 津 か さ拾 六 人 有 之 候 」 と もあ る の で ,
原 則 と して 一一
つ の 御 嶽 に一 人 の 「つ か さ」 が 配 置 され た 形 と な る。 「つ か さ」=神
女は,
「お きな か な し上 下 船 々為 」 に各 自管 轄 の 御 嶽 で 「御 たか へ 」 を行 な った 。 「御 た かへ 」 は ,
航 海 安{の 神 へ の願 い 事(ニ
ガ イ フ チ ィ=願 い 口)で あ ろ う。 「お き な か な し上 下 船 々」
と は, 首 里王 府 へ の 貢 納 物 を積 ん だ 船 , 即 ち 「春 立船 」 と 「
仲 立 船 」 で あ る。 「大 安 母 み
や まい りの 事 」 に は, 「春 立 船 」 と 「仲 立 船 」 が い つ 沖 縄 に 向 け 出 航 す る とは 記 して な い
が , 春3月
と夏8月 の 年2回 の 沖 縄 旅 で あ っ た ろ う。 「船 路 の 為 」 の 祈 願 は 沖縄 旅 に向 け
て の航 海安 全 , 公 用 が 無事 終 了す る事 が 目的 で あ っ た と思 わ れ る。
さて , 『御 嶽 由 来記 』 には 狩 俣 村 の 御 嶽 も記 され て い て , 他 村 に比 べ る と そ の 記 裁 の 数
量 は 多 い。 狩俣 村 の新 城 御 嶽 の 由 来 は次 の通 りで あ る。
新 城 御 嶽 女 神 自鳥 の 舞 鳥 の 津 か さ と唱
船 路 の 為 井 諸 願 に付 狩 俣 村 中崇 敬 仕 候 事
由来 昔 神 代 に平 良 村 仮 屋 側 す み や 山 よ り白鳥 飛 出 漲 水 に揚 置 候 船 の 艫 に 飛 移 り狩俣
村 の 上 に舞 行 新 城 山 の 木 に留 りぬ と見 て 失 申候 其 後 狩 俣 村 い へ た の ま もい め か と印 人
に掛 り我 は 是 船 守 の 神 と な らせ 給 ひ候 由 神 託 有 て 拝 給 申 由 云 伝 有 り崇 敬 仕 候 事
「平 良 村 仮 屋 側 す み や 山 よ り」 飛 び 立 っ た 白 鳥 は, 漲 水 港 に揚 げ 置 い た船 の艫 に舞 い 降
82
宮 占島の祭祀歌謡か らみた 女神
りた。 そ の 後 , 白鳥 は再 び舞 い 上 が り狩俣 村 の新 城 山 の 木 に 止 まっ た か と思 う と忽 然 と消
えて しま った 。(自 鳥 は 神 に 変化 し)「 い へ た の ま もい め か」(女 性)に 憑 依 し(乗 り移 り),
「私 は船 守 りの 神 に な り ま した 」 とい う神 託 が あ り, そ れ か ら狩俣 村 中 で崇 敬 す る よ うに
な っ た。 以 上 が 記 事 の 大 意 で あ る。
白鳥 が 船 守 の 神 で あ る こ と は 「船 の艫 」 に 舞 い 降 りる こ とか ら もあ る 程 度推 察 され る。
例 え ば,
お 船 の た か と も に(ウ ニ ヌ
自鳥 が ゐ い ちや うん(シ
自鳥 や あ らぬ(シ
思 姉 お す じ(ウ
タ カ トゥム ニ)
ラ トゥヤ ガ
ラ トゥヤ リ ャ
ミナ イ
お船 の 高艫 柱 の上 に
ヰ チ ョ ン)白 鳥 が と まっ て い る よ
ア ラ ン)
ウ シ イ ジ)
い や あ れ は 白鳥 で は な くて
姉 の霊 神 な の だ
とい う琉 歌5)が あ る が , これ は 高艫 に羽 根 を休 め て い る の は 白鳥 で あ るが , 船 守 りの 神 で
あ る オ ナ リ神 の 化 身 した姿 で あ る , と理 解 され て い る。 新 城 御 嶽 に祀 られ る女 神 「白鳥 の
舞 鳥 の津 か さ」 が オ ナ リ神 で あ る か は ど うか は と もか く, 船 守 りの神 つ ま り航 海 安 全 の 神
で あ る こ とは確 か な こ とで あ る。 こ こ で も う一・
つ 留 意 した い こ とは, 神 が 人 間 「いへ たの
ま もい め か」 に憑 依 す る こ とで あ る。 憑 依 す る こ とに よ り, 神 か ら人へ の 言 葉 が 神 の 意 志
を人 間 に伝 え る こ とに な り, こ こ で は神 の機 能 を語 る形 に な っ て い る。 神 託 に よ り, 新 城
御嶽 の神 は航 海安 全 の神 で あ る こ とは 明 白 で あ る。 中 間御 嶽 も航 海 安 全 の 神 を祀 る 同様 の
記 事 内容 で あ る。
同 狩俣 村 の大 城 御 嶽 の祭 神 も航 海 安 全 の 女神 「豊 見赤 星 て た なふ ら真 主 」 と して お り,
由 来 は次 の通 りで あ る。
大 城 御 嶽 女 神 豊 見赤 星 て た なふ ら真 主
船 路 の為 井 諸 願 に付 狩 俣 村 中崇 敬 仕 候 事
由来 昔 神 代 に右 神 狩 俣 村 東 方 島 尻 當 原 と 印小 森 に天 降 して 狩 俣 村 後 方 大 城 山 に住 居
候 処 あ るや 若 男 に取 合 か と夢 を見 て 則 ち懐 胎 い た し七 ケ 月め に一 腹 男 女 生 み 出 父 な き
子 なれ ば初 め て 見 る もの を父 にせ ん とて 抱 出 候 得 は 山 の 前 成 瀬 に 大 な る蛇 這掛 り彼 子
を見 て 首 を揚 き尾 を振 舞 躍 申候 其 時 にて そ 最 前 の 男 は 蛇 の 変 化 に て あ る な らん と覚 申
候 此 人 よ り狩 俣 村 始 ま り候 由 言 伝 有 氏 神 と号 し崇 敬 仕 候 事
83
上 の 説 話 は ,蛇 が 若 い 男 に変 化 し, 「女 神 豊 見 赤 星 て た な ふ ら真 主」 の 許 に通 っ た とす
る所 謂 三輪 山型 の説 話 で あ る。 内容 は 天 降 る始 祖 , 狩 俣 村 の 始 ま り, 大 城 御 嶽 の 由来 を語
る もの の ,航 海 安 全 の 女神 と して の 厂豊 見 赤 星 て た なふ ら真 主 」 の 記 事 内 容 は見 当た ら な
い。 こ れ は どう した こ とで あ ろ うか 。 同一 村 の 御 嶽 即 ち新 城 御 嶽 ・中 間 御 嶽 ・大 城 御 嶽 で
は 「船 路 の 為 」 の 祈 願 を行 な うが , 新 城 御 嶽 ・中 間 御 嶽 は航 海 安 全 の 神 を祀 り, も う一
一方
の 大 城 御 嶽 は航 海 安 全 の 神 を祀 って い る こ と に な って い るが , 実 際 に は航 海 安 全 の 神 は い
ない 。 航 海 安 全 の 神 を祀 る御 嶽 で の 「船路 の 為」 の 祈 願 は 当 然 と して も,航 海安 全 の 神 を
祀 ら ない 御 嶽 で の そ れ は ,理 に合 わ ず必 然性 もな い。
つ ま り, 「豊 見 赤 星 て た なふ ら真 主」 を航 海 安 全 の 女 神 とす る の は 狩 俣 村 人 の 観 念 に は
な く, また 「豊 見赤 星 て た なふ ら真 剃
の事 蹟 か ら も航 海 安 全 の 女神 とは 言 い難 い。
「船 路 の 為 」 の 祈 願 は , 宮 占蔵 元 ひ い て は 首里 王府 に よる 宗 教 政 策 の 一 つ で あ ろ う と考
え られ る。 狩 俣 村 と は無 関 係 の 為 政 者 の 別 の 論 理 が 働 い て い るの で あ った 。 これ らの こ と
か ら, 『御嶽 由 来記 』 の大 城 御 嶽 の 山 来譚 は 狩俣 村 の神 話 と して 語 られ て い て,18世 紀 の
初 頭 に文 字 と出 会 い , そ の 上 に 行 政 の 側 か ら 「船 路 の 為 」 の 祈 願 を行 な う よ う指 示 され た
経 緯 が あ っ た もの と考 え られ る 。 そ の 意 味 に お い て 他 の 御 嶽 の 由 来 に 関 して もフ ィー ル ド
ワー クに よる 洗 い 出 しが 必 要 で あ る 。
大城 御 嶽 の 由 来 譚 は航 海安 全 の女 神 を語 る 為 に存 在 す る もの で は な か っ た。 女 神 と蛇 の
婚姻 で あ る 三輪ll亅
型 の説 話 を語 る こ とが ベ ー ス で あ り,主 眼 で あ っ た の だ。
さ て ,三 輪 山型 の説 話 は漲 水 御 嶽 の 由来 で も語 られ る。
漲 水 御 嶽 弁 才天 女
首 里 天 加 那 志 美 御 前 御 為 諸 船 海 上 安 穏 之 為 め 諸 願 に付 崇 敬 仕 候 事
(前略 ・引 用 者)平 良 内す み や と 申里 に富 貴 栄 耀 の ひ と有 一人 の 子 無 き こ とを 嘆 き
天 に 祈 げ れ ば神 徳 感 に 応 て 軈 て は なの 様 成 娘 を 儲(中 略 ・引 用 者 。 以 下 同)。 拾1儿1五
才 の 頃 不覚 懐 胎 の躰 相 見得 父母 打 驚 き是 は い か な る こ とそ と娘 得 相 尋 候 得 共 娘 紅 涙 を
流 し答 る言 葉 な く し(中 略), 頃 日誰 と も知 らぬ 白 く清 らか な る 若 男 錦 の 衣 身 に纏 ひ
匂 ひ香 々 して夜 な夜 な閨 中へ 忍 ひ入 か と見 れ ば こ ・う もこ ・う な らす 只 忙 然 忙 然 と夢
の 心 地 して 跡 方 も な く失 申候 と語 け りは父 母 不 審 に思 ひい か に も して 彼 もの の 行 方 を
知 らん と存 , 糸 緒 をT一尋 程 巻 其 先 に針 を結 ひ付 男 来 侵 入 候 は ・首 に差 へ くと娘 へ 相 渡
候 。 母 如 教 其 夜 針 を男 の 片 髪 に 差 付 置 夜 明 見 れ は 其 糸 漲 水 御 嶽 の 内 石 の 洞 に 引 入 申候 。
た と り行 見 れ は こ 三 丈 計 な る 大 蛇 の 首 に針 は 差 置 申 候 。(中 略)
84
宮 占島の祭祀歌謡か らみた 女神
娘 其 夜 の 夢 に右 の 大 蛇枕 本 に 来 り,我 は 是往 古此 島 草 創 の 恋 角 の 変 化 な り。此 島 の
守 護 の 神 を立 ん とて 今 爰 に 来 り汝 に お もい を掛 申候 。 か な らす 三 人 の 女子 産 みへ し。
其 子 三 歳 に もな るな らは 漲 水へ 抱 参へ し と夢 を見(中 略)。
凵充 月 満1'ケ 月 め に一・
腹 三 人 の 女子 を 産 み 申候 。(中 略)三 歳 に も罷 成 候 間 示 現 の
通 漲 水へ 抱 参 印候 。 父 の 大蛇 両 眼 は 如 日月 牙 は 剣 を立 た る や うに紅 の舌 を振 御嶽 の 中
よ り這 出 首 は 蔵 元 の 石垣 に仰 き掛 り尾 は 御 嶽 の石 垣 に振 掛 ,喚 き叫 し有 様 お そ ろ し き
(中略)
三 人 共當 島 守 護 の 神 とな らせ 給 ひ た る よ し御 嶽 の 内 に飛 入掻 消 様 に失 申候 。 父 の大
蛇 は光 を放 ち 天 に.1:
り申候 。
女 神 と蛇(男
神)の 婚 姻 を語 る大 城 御 嶽 の 由来 に対 し, 漲 水 御 嶽 の 伝 承 は恋 角(男 神)
と人 間 の 女性 との そ れ を語 る蛇 婿 入 りに な っ て い る もの の , 漲 水 御 嶽 の 伝 承 は, 大 城 御 嶽
の 由来 を語 る そ れ と話 のパ ター ン と して は 同… で あ る。
相 手 の男 の正 体 素 性 を知 ろ う とす る手 段 と して 針 糸 を 「男 の 片 髪 に差 付 」 け る, 苧 環 の
モ チ ー フが 漲 水 御 嶽 の 話 で はみ え, 大 城 御 嶽 の 伝 承 で はそ の モ チ ー フが み え な い。 この 点
にお いて 伝 承 は著 し く様 相 が 異 な る。 説 話 学 で い う蛇 婿 入 りの 話 型 で 苧 環 の モ チ ー フが 見
え な い大 城 御 嶽 の 伝 承 は, よ り古 態 を保 って い るの だ ろ うか 。 『
常 陸 国風 土記 』 『備 前 国 風
土 記 』 に も苧 環 の モ チ ー フ を持 た ない 伝 承 が あ るか らで あ る。
とこ ろで , 『
琉 球 国 由 来 記 』 巻20に み え る 「神 遊 ノ由 来 」s)は, 『御 嶽 由 来記 』 の 追 加 報
告 と思 わ れ るが , そ れ に は 『御 嶽 由 来 記 』 に は収 載 され て ない 記 事 が あ る。 以 下 に, 記 す 。
神 遊 ノ由 来
往 昔 , 狩 俣 村 東 方 , 島 尻 当 原 二 天 人 ニ テ モ ヤ ア ル ヤ ラ ン, 豊 見 赤 星 テ ダナ フ ラ真 主
ト云 フ 女 , 狩 俣 村 御 嶽 大 城 山 二 只 独 住 居 ス 。 赤 星 , 有 夜 ノ 夢 二 , 若 キ 男 閨 中 二 忍 入 ル
歟 ト驚 キ 居 ケ ル ニ , 只 ナ ラ ヌ 懐 妊 シ テ , 七 ケ 月 ニ ー・
腹 二 男 女 ノ子 ヲ産 出 ス 。 男 子 ヲバ ,
ハ ブ ノ ホ チ テ ラ ノ ホ チ 豊 見 ト云 。 此 人 ヲ 狩 俣 村 ノ 氏 神 ト崇 敬 仕 也 。 女 子 ヲ バ , 山 ノ ブ
セ ラ イ 青 シ バ ノ 真 主 ト云 。 此 者 十 五 六 歳 ノ 比 , 髪 ヲ 乱 シ 白 浄 衣 ヲ 着 シ テ , コ ウ ツ ト云
フ 葛 カ ヅ ラ帯 ニ シ テ , 青 シ バ ト云 葛 ヲ 八 巻 ノ 下 地 ノ 形 二 巻 キ , 冠 ニ シ テ , 高 コ バ ノ 筋
ヲ杖 ニ シ テ 右 ニ ッ キ , 青 シ バ 葛 ヲ左 手 二 持 チ , 神 ア ヤ ゴ ヲ 謡 ヒ , 我 ハ 是 , 世 ノ タ メ 神
二 成 ル 由 ニ テ ,大 城 山 二飛 揚 リ行 方 不 知 失 ニ ケ ル 。 依 之 , 狩俣 村 ノ女 共 , 年 二 一
一
一度 宛
大 城llf二 相 集 リ , フ セ ラ イ ノ 祭 礼 ア リ。 夫 ヨ リ漸 々 島 中 相 広 メ , ヨ ナ フ シ 神 遊 ト云 テ ,
85
諸村 ヨキ 女 共 毎 年 十 月 ヨ リ十二 月 マ デ , 月 二五 日ケ宛 精 進 潔 斎 , 山 ノ ブ セ ラ イ ノ裳 束
ノ ヤ ウ ニ シ テ ,昼 中ハ 野 山 二 閉籠 リ,晩 景 ニハ 諸 村 根 所 ノ嶽 々 二馳 セ集 リ, 臼太 鼓 ノ
ヤ ウ ニ立 備 ヒ ,神 ア ヤ ゴ トテ ウ タ ヒ, 世 ガ ホ ウ ヲ願 ヒ神 遊 仕 タ ル処 , 何 比 ナ ラ ン御 法
度 ア リ。
(『琉 球 国 由来 記 』1713年)
『御 嶽 由 来記 』 と同 内容 の 三 輪 山 型 の 説 話 が 前 半部 分 に は 述 べ ら れ る の だ が , 後 半 部 分
は 「豊 見 赤 星 テ ダナ フ ラ真 主 ト云 フ女」 の 子(二 世)で あ る 「フ セ ラ イ」 と 「フ セ ラ イ ノ
祭 礼」, そ れ に 「ヨ ナ フ シ神 遊 」 につ い て 語 られ て い る。 「神 遊 ノ由 来」 の 「神 遊 」 は 「ヨ
ナ フ シ神 遊 」 で あ る が , そ れ は 「精 進 潔 斎 」 した 「女 共 」 が , 「毎 年 十 月 ヨ リ十 二 月 マ デ ,
月 二五 ケ 日宛 」 御 嶽 に籠 る秘 儀 と して の 祭 祀 で あ った 。
「フセ ラ イ ノ祭 礼 」 を 「夫 ヨ リ漸 々 島 中 相 広 メ」 と あ る が , も し字 義 通 り 「島 中 相 広
メ」 た の で あ れ ば , そ こ には 狩 俣 の 「フセ ラ イ ノ祭 礼 」 の 実 見 者 とそ の 祭 礼 を伝播 ・普 及
させ た 者 の 存 在 と他 村 へ の 介 在 者 を必 要 と し よ う。 現 在 で こそ 他村 落 の 祭 祀 を 知 る こ とが
で きる が , 前 近 代 社 会 に お け る 祭 祀 は 他村 に は うか が い 知 られ る こ とが な く,秘 密 を 原則
とす る の で 考 え 難 く容 易 に 首肯 で きな い。 実 際 に は宮 古 各地 に 「フ セ ラ イ ノ祭 礼 」 ・ 「ヨ
ナ フ シ神遊 」 と同 じ内容 か も し くは類 似 の祭 祀 が あ っ た と考 え られ る。 そ れ を 「島 中相 広
メ」 と記 した の で は な か ろ うか。 現 在 , 「ヨ ナ フ シ」 とい う名 称 を冠 す る祭 祀 は 寡 聞 に し
て知 らな い。
「フセ ラ イ ノ祭 礼 」 は 文 脈 上 「ヨナ フ シ神 遊 」 に包 含 され るが , そ れ は 現 行 祭 祀 で は 何
に対 応 す るか と い う と, 「毎 年 十 月 ヨ リ十 二 月 マ デ , 月 二 五 ケ 日宛 精 進 潔 斎 」 す る こ と,
「白 浄 衣 ヲ着 シテ , コ ウ ツ ト云 フ葛 カ ヅ ラ帯 ニ シ テ, 青 シバ ト云 葛 ヲ八 巻 ノ 下地 ノ形 二 巻
キ , 冠 ニ シ テ, 高 コ バ ノ筋 ヲ杖 ニ シ テ右 ニ ツ キ ,青 シバ 葛 ヲ左 手 二 持 チ , 神 ア ヤ ゴ ヲ 謡
ヒ」 とい う点 か ら, 「ウ ヤ ガ ン祭 祀 」(ウ ヤ ー ン と もい う)と 確 定 で き る。 『琉 球 国 由 来
記 』 で は 「ウ ヤ ガ ン祭 祀」 を 「ヨ ナ フ シ 神 遊 」 と記 載 して あ る 。 「ヨ ナ フ シ 神 遊 」 と は
「世 ガホ ウ ヲ願 ヒ神 遊 」 す るの だ か ら, 「ヨナ フ シ」 は 「世 直 す/世 稔 す 」 の 意 で あ る し,
即 ち 豊穣 祈 願 を 目的 の一 つ と して い たの で あ っ た。
4.狩
俣 の ウヤ ガ ン祭 祀
狩俣 に は 九 つ の ム トゥが(元)あ
る。 元 は 血 縁 集 団 の 宗 家 に 相 当 し, 現 在 は拝 所 と も
86
宮古 島の祭祀歌 謡か らみ た女神
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狩俣の拝所
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な っ て お り, 宗 教 儀 礼 を 実 施 す る 場 と も な っ て い る 。 ウ プ グ フ ム ト ゥ(大
ム ト ゥ〈 大 元 〉 と も い う)は
村 建 て の 神 々 を 祀 り, ナ ー マ ム ト ゥ(仲
神 々 を 祀 り, シ ダ デ ィ ム ト ゥ(志
元)は
立 元)は
に な っ て い る 。 そ の 他 , マ イ ニ ャ ー ム ト ゥ(前
フ 元)の
間 元)は
航海安全の
五 穀 豊 穣 の 神 々 を 祀 り, ナ ー ン ミム ト ゥ(仲
水 の 神 を 祀 る 。 こ れ ら の 四 つ の 元 を ユ ー ム ト ゥ(四
ア ラ グ フ ム ト ゥ(新
城元。単 にウプ
元)と
い い , 狩俣 の 代 表 的 な 元
の 家 元), ニ シ イ ニ ャ ー ム ト ゥ(西
城 元), カ ニ ャ ー ム ト ゥ(カ
嶺
ニ ャ ー 元), イ チ ィ カ フ ム ト ゥ(イ
の 家 元) ,
チ ィカ
五 つ の 元 が あ り , 都 合 九 つ の 元 が 存 在 す る 。 マ イ ニ ャ ー ム ト ゥ ・カ ニ ャ ー ム ト ゥ
は , ウ プ グ フ ム ト ゥ の 分 か れ(分
家 筋)だ
と い わ れ る 。 狩 俣 の 祭 祀 は 基 本 的 に は ム ト ゥ祭
祀 が 原 則 で あ る。
狩 俣 の 神 祭 りは , 夏 祭 り と 冬 祭 り に 二 分 さ れ る 。 「旧 暦 一 月 の 正 月 願 い か ら , 旧 暦 卜月
の ウ ト ゥ ガ ウ フ ナ ー(大
威 部 ム ヌ と も い う)ま
で の 祭 り」7)が 夏 祭 り で あ り
, そ れ以 降 は
冬 祭 り で あ る 。 夏 祭 り は そ れ ぞ れ の 九 つ の 元 や 御 嶽 ・拝 所 を 中 心 に 行 な わ れ る が , 冬 祭 り
は , ウ プ グ フ ム ト ゥ ・マ イ ニ ャ ー ム ト ゥ ・ニ シ イ ニ ャ ー ム ト ゥ の 三 つ の 元 や 御 嶽 ・拝 所 で
実 施 さ れ る 。 ウ ヤ ガ ン祭 祀 は , 旧 暦10月
か ら12月
に か け て 行 な わ れ る の で , ウ ヤ ガ ン=
冬 祭 りの観 を 呈 して い る。
ウ ヤ ガ ン と は 親 神 , つ ま り祖 先 神 の こ と で あ る の で , ウ ヤ ガ ン 祭 祀 は 祖 先 神 に 深 く関.与
す る 祭 祀 で あ る 。 ウ ヤ ガ ン 祭 祀 は , 狩 俣 の 他 に 大 神 ・島 尻 で も 伝 承 さ れ る 。 ウ ヤ ガ ン 祭 祀
は , ジ ー プ バ ナ(杖
つ さ), イ ダ シ ィ カ ン(出
す 神 。 新 し い ウ ヤ ガ ン ・神 女 の 選 出)
ト ゥ ガ ヤ ー(マ
ト ゥ ガ ヤ ー 家 で の 儀 礼 。 シ イ マ バ イ ウ ヤLン
ア ー ブ ガ ー(ア
ー ブ ガ ー で の 儀 礼 。 ユ ー ク イ 〈 世 乞 い 〉 の 儀 礼 も 含 む)ト
じ上 げ?。
終 了)の
と もい い
,マ
, 村 を 清 浄 に す る),
五 回 に わ た っ て 行 な わ れ る 。 各 行 事 の 目 的 と 冂時 は
ゥ リ ャ ー ギ(閉
, 以 下 の通 りで あ
る8)。
ジー プ バ ナ は く 神 迎 え 〉
旧 暦10月
初亥 の 日か ら午 の 日 まで の4泊5日
イ ダ シ ィカ ン〈 新 神 女 の 選 出//成 巫 儀 礼 〉
旧暦11月
初 酉 の 冂か ら 巳 の 日 まで の5
泊6凵
マ トゥガ ヤ ー 〈村 の清 浄 〉
旧暦11月
申の 日か ら子 の 日 まで の4泊5日
ア ー ブ ガ ー 〈 世 乞 い 〉 〈か つ て の 住 居 の 訪 問 〉
旧 暦11月 寅 の 日か ら辰 の 日 ま で の
2泊3凵
トゥ リ ャー ギ 〈 神 送 り〉
旧 暦12月
初 申 の 日か ら寅 の 日 まで の4泊5B
88
宮 占 島の 祭 祀 歌謡 か らみ た女 神
五 回 に わ た る ウ ヤ ガ ン祭 で 各 回 の 儀 礼 に 共 通 す る 行 為 は , 「ウ ヤ ガ ン と 称 す る 神 女 た ち
が ム ラ か ら聖 森 イ ズ ヌ ヤ マ へ 入 り, そ こ に 数 日 間 籠 っ て 所 定 の 儀 礼 を 務 め た の ち , 再 び ム
ラ へ 降 臨 す る と い う 行 動 の パ タ ー ン 」8>が み ら れ る と い う こ と で あ る 。 こ れ は , 「村 人 た ち
の 共 通 の 祖 先 神 で あ る ウヤ ガ ンた ちの 降 臨 を儀 礼 的 に 表 現 す る こ とに よっ て , ム ラの 再 生
を は か り, 豊 穣 を 予 祝 す る 」9)こ と を 意 味 す る も の で あ る 。 つ ま り, ウ ヤ ガ ン(祖
先 神)
を 斎 く神 女 が , 祭 祀 の 中 で は 祖 先 神 ウ ヤ ガ ン そ の も の と し て 顕 現 す る こ と に 大 き な 特 徴 が
あ る。
ウヤ ガ ン祭 の 神 女 達 の扮 装 は , フセ ラ イの扮 装即 ち
「白 浄 衣 ヲ 着 シ テ , コ ウ ツ ト云 フ 葛
カ ヅ ラ 帯 ニ シ テ , 青 シ バ ト云 葛 ヲ 八 巻 ノ 下 地 ノ 形 二 巻 キ , 冠 ニ シ テ , 高 コ バ ノ 筋 ヲ杖 ニ シ
テ 右 ニ ツ キ , 青 シ バ 葛 ヲ 左 手 二 持 チ 」 と い う 容 姿 と ほ と ん ど 異 な ら な い 。 と な れ ば , 「フ
セ ラ イ ノ 祭 礼 」 と は ウ ヤ ガ ン 祭 の 何 回 目 の 儀 礼 に 対 応 し よ う か 。 「我 ハ 是 , 世 ノ タ メ 神 二
由 ニ テ , 大 城lll二 飛 揚 リ 行 方 不 知 失 ニ ケ ル 」 と記 述 さ れ て い る こ とか ら, フ セ ラ イ が
城 山 」 に 行 く の は 確 か な こ と で あ る 。 ウ ヤ ガ ン の2回
の で , 「フ セ ラ イ ノ 祭 礼 」 は
「大
目 は 「大 城 山 」 を 含 め た 聖 域 に 行 く
「イ ダ シ ィ カ ン 〈 新 神 女 の 選 出 〉 」 と 考 え ら れ る 。
さ て , ウ ヤ ガ ンが い つ の 頃 か ら 開 始 さ れ た か 不 明 で あ る が , ウ ヤ ガ ンの 祭 祀 構 成 が 上 記
の よ う に 当 初 か ら五 回 に わ た っ て 行 な わ れ て い た か ど う か は 疑 問 が 残 る 。
た と え ば , 『与 世 山 親 方 宮-占島 規 模 帳 』(1767年)に
よ れ ばlo),
諸村嶽 々之儀故佐渡 山親方被召定候通可致崇敬之処其外無謂嶽 々崇敬二而造作仕候由
不宜候 間向後可召留事
とあ り, 各 村 の 御 嶽 で の 祭 祀 を不 要 な もの と して 禁 止 して い る。 ウヤ ガ ン祭 もそ の 例 外 で
は なか った 。
狩俣 村 の 儀 五拾 歳 以 上 之 女 三拾 人 程 白 衣 裳 二 而 神 之真 似 い た し十 一 月 は 神 出 十 二 月 は
送 と 〆毎 年弐 度完 昼 夜 三 日山奥 二 隠 居夜 更候 時 分 人 目を忍 大 城 本西 之 家 本 両所 江 寄 合
躍 候 旧例 有 之 由 不宜 候 間 向 後可 召留 事
禁 止 され た祭 祀 名 は記 され て な い もの の, 内容 か らウ ヤ ガ ン祭 で あ る こ とが 判 明す る。
興 味 深 い こ とに は, 「十 一 月 は 神 出 十 二 月 は 送 」 と記 述 して い る こ とで あ る。 「神 出」 は,
新 しい神 女 を出 す こ と,即 ち イ ダ シ ィカ ン(出 し神)の
89
こ とで あ ろ う し, 「送 」 とは 神 送
りの 意 で あ ろ う。 神 送 りが あ る とい う こ と は, 神 迎 えが なけ れ ば な ら ない 。 これ らの こ と
か ら,18世 紀 中葉 の ウ ヤ ガ ン祭 の 祭 祀 構 成 は,
10月 く神 迎 え>
11月 く新 神 女 の 選 出/成 巫 儀 礼>
12月 く 神 送 り〉
と推 察 で き よ う。 マ トゥガ ヤ ー 〈 村 の 清 浄 〉 とア ー ブ ガ ー 〈世 乞 い/か つ て の 住 居 の 訪
問 〉は 後 世 新 た に 付 加 した の で あ ろ うか 。
5.
巡 行 す る女神
大 城 御 嶽 は , 「豊 見 赤 星 て た なふ ら真 圭 」 が 「住 居 」 した場 所 で あ る。 そ して 狩 俣 村 の
始 りの地 で もあ る。 「豊 見 赤 星 て た な ふ ら真 主 」 は, ンマ テ ィ ダ(母 太 陽。 テ ィ ダは 神 の
意 。 母 な る神)と
も称 され 大 城 元 に祀 られ る。
「豊 見 赤 星 て た な ふ ら真 主 」 は, 島尻 東 方 に あ る小 森 に 天 降 りす るの だが , 狩 俣 村 の 大
城 山 に移 動 す る。 そ の 理 由 につ い て は文 献 資 料 は何 も記 して ない 。 しか し, 口 頭 伝 承 で は
移 動 ・移 住 の い き さつ につ い て も語 って い る。
昔 , ン マ テ ィ ダ と い う 母 神 が ヤ マ ヌ フ シ ラ イ(山
神 を 連 れ て , テ ィ ン ヤ ・ウ イ ヤ(天
界)に
屋 ・上 屋=天
で 命 運 つ き て 死 ん だ 神)と
上 界)か
ら ナ カ ズ マ(中
い う娘
島=地
ヒ
降 臨 した 。 しか し, 二 神 が 降 臨 した 地 は飲 み 水 が な く, そ こか ら西へ 移 動 して
カ ン ナ ギ ガ ー(湧
泉)を
探 しあ て た 。 そ こ の 水 は 飲 ん で お い し か っ た が 水 量 が 乏 し
か っ た 。 そ れ で 再 び 西 へ 移 動 し て ク ル ギ ガ ー(湧
泉)を
探 しあ て た。 そ こ は水 量 は 豊
富 だ っ た が , 飲 ん で お い し く な か っ た 。 そ こ で さ ら に 移 動 し て ヤ マ ダ ガ ー(湧
泉)を
探 しあ て たが , そ こ の水 に は海 水 が 混 じっ て い た。 そ れ で さ らに西 へ 移 動 し, 今 の 狩
俣 の 後 方 で イ ス ガ ー(湧
泉)を
探 し あ て た 。 そ こ は 水 量 も豊 富 で 飲 ん で お い しか っ た
の で , そ の 近 くの ウ プ フ ン ム イ(大
国 森)に
小 屋 を建 て て住 み つ くこ と を考 え たが ,
小 屋 を 建 て る 途 中 で ヤ マ ヌ フ シ ラ イ が 怪 我 して 死 ん だ 。
ン マ テ ィ ダ は ひ と りで 暮 ら し て い か な け れ ば な ら な く な り, 長 い 月 凵 が た っ た 。 ン
マ テ ィ ダ は ウ プ フ ン ム イ か ら ナ カ フ ン ム イ(中
国 森)へ
住 居 を 移 して 暮 らす よ う に
な っ た が , そ こへ 移 っ て か ら 不 思 議 な こ と が 起 こ っ た 。 毎 夜 , 枕 一Lに ひ と りの 青 年 が
座 る と い う夢 を 見 て , ン マ テ ィ ダ が 懐 妊 し た の で あ る 。(中 略 ・引 用 者)
90
宮llゴ
島 の 祭 祀 歌 謡 か らみ た 女神
そ の 晩 , い つ も の よ う に そ の 青 年 が ン マ テ ィ ダ枕 一Lに現 れ , 自分 は テ ィ ン ヤ ・ウ イ
ヤ か ら 降 臨 し た 神 だ が , 必 ず 男 の 子 が 生 ま れ る だ ろ う と言 っ て 消 え た 。 そ の 後 , 数 ヶ
月 して 本 当 に男 の子 が 生 ま れ たが , そ の朝 , 大 蛇 は七 光 を放 ち, 天 上 へ 舞 い上 が っ て
消 え た 。 後 世 , こ の 大 蛇 は ア サ テ ィ ダ と呼 ば れ る よ う に な っ た 。
ア サ テ ィ ダ と ンマ テ ィ ダ と 間 に 生 ま れ た 子 は テ ィ ラ ヌ プ ー ズ ト ゥユ ミ ャ と 名 づ け ら
れ , す くす く育 っ て 立 派 な 若 者 に 成 長 し た 。 しか し狩 俣 に は 妻 と す る べ き 女 性 が い な
か っ た 。 そ こ で テ ィ ラ ヌ プ ー ズ ト ゥユ ミ ャ は 八 重Illへ 渡 り, ヤ ー マ ウ ス ミ ガ と い う 女
性 をめ と って 帰 って きた 。 両 神 の 問 には 二 男 ・
一・
女 が 生 まれ た 。
(「宮 古 狩 俣 の ウ ヤ ガ ン 祭 祀 」 本 永
清)
上 記 の 話 は 狩俣 の 神 女 が 日 頭 で 語 っ た 話 で あ る 。 大 雑把 に 言 え ば , 基 本 的 に は 『御 嶽 由
来記』や 『
琉 球 国 由 来 記 』 の そ れ と同 じ よ うな創 始 神 話 で あ る 。 こ こ で ,創 始 神 話 の構 成
要 素 を確 認 した い 。
(1)ン マ テ ィ ダ(母
上 屋=天L界)か
神)が
ヤ マ ヌ フ シ ラ イ(娘
ら , ナ カ ズ マ(中
(2)母娘 に よ る 巡 行 と三 つ の カ ー(井
島=地
泉)の
神)』 を 連 れ て テ ィ ン ヤ ・ウ イ ヤ(天
上 界)に
屋 ・
降臨
発 見 と移 動
(3)イ ス ガ ー の 発 見 と ウ プ フ ン ム イ で の 村 建 て
(4)ヤマ ヌ フ シ ラ イ の 怪 我 死
(5)ンマ テ ィ ダ の ナ カ フ ン ム イ へ の 住 居 の 移 転
(6)青年 の 登 場 と ン マ テ ィ ダ の 懐 妊
(7)男の 子 神 テ ィ ラ ヌ プ ー ズ トゥ ユ ミ ャ の 誕 生
(8)テ ィ ラ ヌ プ ー ズ ト ゥ ユ ミ ャ の 成 長 と 八 重 山 娘 と の 結 婚
(9×8)の両 神 の 間 に お け る 三 人 の 子 神 の 誕 生
この 神 話 の 主 題 は 時 間 で あ ろ う。 天 降 る 始 祖 とそ の 子 と孫 の 連 な り。 神 々の 結 婚 と神 の
系 譜 語 り。 水 を 求 め て の さす らい 。 定 住 。 娘 の 死 。結 婚 と出 産 。 様 々 な 難 難 辛 苫 を 嘗 め 尽
く した村 建 て の 困 難 さ。 村 建 て に従 事 した祖 神 の労 苦 を 時 間 を 軸 に 語 っ て い る 。
上 記 の 口頭 伝 承 の 神 話 で は , 『御 嶽 由 来 記 』 や 『琉 球 国 由 来 記 』 で 触 れ る こ とが な か っ
た大 切 な事 柄 が 述 べ られ て い る。 女 神 「豊 見赤 星 て た なふ ら真 ↑三
」 の 島尻 か ら狩俣 へ の移
住 は, 実 は水 を求 め て の移 動 だ っ た とい う こ とで あ る。 水 は あ らゆ る もの に とっ て必 要 不
91
可 欠 な大 切 な もの 。 水 は また 村 建 て に も祭 祀 に も必 要 で あ った 。 だ か ら, 女 神 「豊 見 赤 星
て た なふ ら真 主 」 は 各 地 を経 巡 り, 質 量 と もに 満 足 に 足 る 井 泉 ・湧 泉 を探 す こ とに な る の
で あ る。 この 女 神 の 事 蹟 は , 「祓 い声 」 と して ウ ヤ ガ ン祭 の 儀 礼 中 に謡 われ る11)。
祓 い声
1や ふ あ だ りる
は らい
むむかん
は らい く 以 ド略 〉
な ゴ だ りる
2て
ゆなオさ
いんだオノ
み オぷ ぎ
や ぐみ ゅ一 い ノ
3あ
み オぷ ぎ
穏 や か な7.「
神
く囃 子。 祓 い祓 い , の 意 〉
和 やか な世 直 さ く大1翫の 名 〉
天 道 のお 陰 で
フサ の根 口声(序 章)
恐 れ多 い神 のお 陰 で
み オぷ ぎ
父太陽のお陰で
み オぷ ぎ
親太陽のお陰で
4ゆ
さて いだ ノ
うや て いだ ノ
一チキ
み うふ ぎ
ゆ 一 て いだ ノ
5に
み うふ ぎ
夜の月のお陰で
夜 の 太 陽 く 月 〉の お 陰 で
だ りノシ
わんな
根 、Zて主 の わ た しは
や ぐみ か ん
わんな
恐 れ 多 い 神 の わ た しは
6ゆ
一 む と うぬ
ゆ一にびぬ
か ん み ょ一
7か
んま
ぬっさ
8ん
か ん み ょ一
四元の神は
四威部の神は
や ふ あた りる
率
申は 毛
慧や カ・
に
ぷ ゆ た りる
主1よ青
争
・
カ、Oこ
まぬかん
わんな
や ぐみ うふ か ん ま
母 の 神 で あ る わ た しは
チゆ
あ らけ ん な
恐 れ 多 い 大神 は
一一
番 新 し くは
いチ ゆ
ぱず み ん な
一一
番 初めには
9い
10た
一
ば りジー ん
う りて い
タバ リ地 〈地 名 〉 に 降 りて
かんぬ ジーん
う りて い
神 の 地 に 降 りて
み じゅ オ
カ ナ ギ 井戸 の 水 を
み じゅゆ
神の井戸の水 を
llか
な ぎか 一 ぬ
かんぬか一ぬ
12シ
る まふ チ
う きて い
自い 真lIに 受 けて
か ぎ まふ チ
う きて い
美 しい 真 口 に受 け て(み
13か な ぎか 一 ぬ
みず ざ
カナ ギ 井 戸 の 水 は
かんぬか一ぬ
みず ざ
神の井戸の水ほ
14み ず
女 神 の 地 ヒへ の 降 臨
カナ ギ ガー の 発 見
る と)
うふ さや イ シが
水量は多いけれ ども
ゆ一
うふ さや イ シが
湯 く 水 〉量 は 多 い け れ ど も
15み ず
あ ふ あ さや りば
水 は 淡 い く 味 が 薄 い 〉の で
あ ぱ さや りば
湯く水〉は淡いく味が薄い〉ので
ゆ一
16シ
と うギ みず
い ノ イ みず
な らん
な らん
17ま ば ら
むチ か い し
あ だか
かみかい し
味が淡い
↓
粢 水 に は な らな い
↓
移
動
粢 水 に は な らな い
祈 り水 に は な らな い
ま ば らに持 ち返 し
あ ん な に(頭 に)載 せ 返 し
18う す な う し
んめ い
押 しに押 し参 られ て
ぬ イ なぬ り
んめ い
乗 りに乗 っ て参 ら れ て
19く
水 量 多 いが
る ぎか 一 ぬ
みずゆ
ク ルギ 井 戸 の 水 を
かんぬか一ぬ
みずゆ
神 の 井戸 の 水 を
92
ク ルギ ガ ーの 発 見
味 は 旨い が
宮 占島 の 祭 祀 歌 謡 か らみ た 女神
20シ
る まふ チ
う きて い
白 い真 口 に受 け て
か ぎ まふ チ
う きて い
美 しい真 凵 に受 け て(み る と)
21く
る ぎか 一ぬ
みず ざ
ク ル ギ.井戸 の水 は
か んぬ か 一ぬ
みず ざ
神 の 井戸 の水 は
22み ず
ん ま さや イ シが
水 は 旨 い けれ ど も
ゆ一
ん ま さや イ シが
湯 く水 〉 は 旨 い けれ ど も
23み ず
い き りゃが りば
水 量 は少 ない の で
い き りゃカ{りはゴ
湯 く水 〉量 は少 ない の で
ゆ一
24シ
と うギ み ず
い ノ イみ ず
ならん
な らん
↓
粢 水 に は な ら ない
↓
移
動
粢 水 に は な ら ない
祈 り水 に は な ら ない
25ま ば ら
む ちか い し
まば らに 持 ち返 し
あだか
かみかい し
あ ん な に(頭 に)載 せ 返 し
26や
水 量少ない
まだ が 一 ぬ
み ジざ
山田井戸の水は
かんぬか一ぬ
みず ざ
神の井戸の水は
水 量多 い が
海水混 じり
27み ず
うふ さや イ シが
水量は多いが
ゆ一
うふ さや イ シが
湯 く水 〉 量 は 多 い が
28い ん き ら り
み ず りば
海 に 通 う水 な の で
シー き ら り
み ず りば
潮 が 通 う水 な の で
な らん
粢 水 に は な らな い
29シ
と うギ みず
い の イみず
30ま
な らん
ばら
む ちか い し
ま ば らに持 ち返 し
か みか い し
あ ん な に(頭 に)載 せ 返 し
シなオ し
んめい
押 しに押 し参 られ て
ぬ イなの り
んめい
乗 りに乗 っ て参 られ て
32シ
ま シず ざ
さ だみ
島の 頂 を定 め て
ふ ん シず ざ
さ だみ
国 の 頂 を定 め て
33い
ソが ジー ん
う りて い
磯 芹の 地 に降 りて
か んぬ か 一 ん
う りて い
神の 丿
卜戸 に降 りて
ソが か 一 ぬ
み ジざ
磯の井戸の水 を
かんぬか一ぬ
み ジざ
神 の 井戸 の 水 を
34い
35シ
る まふ チ
う きて い
白い 真llに 受 け て
か ぎ まふ チ
う きて い
美 しい 真 口 に 受 け て(み る と)
36い
↓
粢水 に は な らな い
↓
移
動
祈 り水 に は な らな い
あだか
31う
ヤ マ ダガ ー の 発 見
シが か 一 ぬ
みず ざ
磯 の井戸の水は
かんぬか一ぬ
みず ざ
神の井戸の水は
イス ガー の 発 見
37み ず
い き り ゃが りば まい
水量は少ないけれ ど
水量少ないが
ゆ一
い き り ゃが りば まい
湯 く 水 〉量 は 少 な い け れ ど
味は旨い
ず
ん ま さや りば
水 は旨いので
ゆ一
ん ま さや りば
湯 く 水 〉は 旨 い の で
38み
39シ
と うギ みず
い の イみ ず
40ジ
ジむゆ一イ
ジジざキん
な りよ
な りよ
の よ りよ 一
↓
粢 水になるのだ
祈 り水 に な る の だ(そ こ で)
頂 杜 に登 っ て
ノ ゆ りよ 一
頂 崎 に登 っ て
まにまイ
トりょり
島 根 の 方 を と って
むらにまイ
トりょり
村 根 の 方 を と って
41シ
42う
粢 水になる
イジみ さや イ シが
居 り心 地 は よ いの で あ るが
ふ ん ジみ さや イ シが
踏 に心 地 は よい の で あ るが
93
↓
定
住
43と
う らぬ ふ あぬ
かんぬに一ぬ
44い
か じぬ
か じぬ
寅 の 方 の風 が(吹 い た ら)
神 の 根 の風 が(吹 い た ら)
んなイぬ
オ トロ
海 鳴 りが恐 ろ しい
シ ー な イぬ
オ トロ
潮 鳴 りが恐 ろ しい
」
(引用 は 「南 島 歌謡 大 成 皿宮 占 篇 』)
「祓 い声 」 の 内容 は, 水 を求 め て の 移 動 で あ り,最 終 的 に は 狩俣 の イ ス ガ ー を発 見 す る。
イス ガ ー の 水 量 は 少 な い け れ ど,水 が 旨 い の で住 む に適 した条 件 な の で そ こ に住 む決 意 を
す る 。水 量 は 少 な い け れ ど,水 が 旨 い の は ク ル ギ ガ ー も同 じ条 件 な の に, 何 故 そ こ に は住
まな か っ た の か。 イ ス ガ ー の水 は粢 水 に な る(神 酒 造 りに適 して い る)が , ク ル ギ ガー の
水 は粢 水 に な れ な い, と水 質 を 問題 に し, イ ス ガ ー を選 択 して い る。
「祓 い 声」 で は蛇 との 婚 姻 につ い て は 謡 っ て い な い 。 狩 俣 の 祭 祀 歌 謡 の な か に は 蛇 , つ
ま りアサ テ ィダ(父 太 陽 。 父 な る神)は 登 場 して こ ない 。 文 献 ・口 頭伝 承 で 語 られ るの み
で あ る。 い ず れ にせ よ, 「祓 い声 」 は創 始 神 話 そ の もの の 内容 を伝 承 して い る。
狩 俣 の ウヤ ガ ン祭 は時 を経 て も神 行 事 の 中 で 繰 り返 され た 。 時 は 未 来へ 向 か うの に 祭 り
は常 時 く始 ま り〉 に 立 ち返 る。 ウ ヤ ガ ン祭 の 本 質 は 始 原 へ の 回 帰 に あ る。 ウ ヤ ガ ン祭 で
「祓 い声 」 を謡 うこ とは, 始 原 へ の 回 帰 , つ ま りは 自 らの 出 自の 再 確 認 で あ る と と もに ウ
ヤ ガ ンが 祭 祀 で 再 生 す る こ とで もあ る。 女 神 ンマ ヌ カ ンは始 原へ 回帰 す る装 置 の基 軸 で あ
る よ うだ。
注
1)
本 永 清 ,1973「.三 分 観 の 一考 察 一 平 良 市狩 俣 の 事 例 」 『
琉 大 史学 』 第4号
琉球大学史学 会
本 永 清 ,1991「 宮 占狩 俣 の ウヤ ガ ン祭 祀 」 『
神 々の 祭 祀 』 所 収 く環 中国 海 の 民 俗 と文 化 二 〉凱 風
社
2)
平 良 市 史編 さん 委 員 会 ,1981『 平良 市 史 』 第 三巻 資 料 編1前 近 代
平 良.市教 育 委 員 会
引 川 に 際 し, 旧 漢 字 は 新 漢 字 に , カ タ カナ は ひ らが な に改 め た 。 また 句 読 点 も施 した 。
3)
波 照 間永 古 ,1998「 『
琉 球 国 由 来 記』 の 説 話 関 連 記 事(覚
書)」(「沖 縄 学 』2号
沖縄学 研究
所)を 参 考 に 表 を作 成 した 。
4)比
嘉 政 夫 ,1976「 『
琉 球 国 由 来 記 』 に み る 地域 差一 御 嶽 の 神 名 な どを め ぐっ て 」 南 島 史 学 会 編
「南 島一 そ の 歴 史 と文 化1』 国 書 同行 会
5
引 用 は , 島 袋盛 敏 ・翁 長俊 郎 ,1968『 標 音 琉 歌 全集 』(武 蔵野 書 院)を 用 い た 。
ρ0
引 川 は, 外 間守 善 ・波 照 間栄 吉編 ,1997『 定本
78
外 間守 善 ・新 里 幸昭 編 ,ユ978「南 島歌 謡 大 成 皿宮 占篇 』 角 川書 店
8
日 本放 送 協 会[編]1990『
日本 民 謡 大観(沖 縄 ・奄 美)宮 占諸 島篇 』 日本放 送 出版 協 会
Qゾ
本 永 清1991, 「宮 占狩 俣 の ウヤ ガ ン祭 祀 」 植 松 明 石 編 「
神 々 の 祭 祀 』<環 中 国 海 の民 俗 と文 化
二 〉凱 風 社
10)
琉 球 国 由 来記 』(角 川 書 店)を 用 い た。
注2)に1司
じ
94
宮 占 島 の 祭祀 歌謡 か らみ た 女神
11)
「祓 い 声 」 は, ウヤ ガ ンの2[111[1の イ ダ シ ィカ ン と5回 目の トゥ リ ャー ギ で ウヤ ガ ン(ア ブ ン
マ)に
よ り謡 われ る。 イ ダ シ ィカ ン と ト ゥリ ャー ギ で 謡 わ れ る こ と は, 「祓 い 声 」 と儀 礼 との 強
い 結 び つ き を意 味 しよ う。 こ の こ と は,18世 紀 中 葉 の ウ ヤ ガ ン祭 の 祭 祀 構 成 を, 「10月 く 神 迎
え>11月
く 新 神 女の 選 出/成 巫 儀i礼>12月
また , 『南 島 歌 謡 大 成m宮
く 神 送 り〉」 と想 定 した 筆 者 の 仮 説 を保 証 しよ う。
占篇 』 所 収 の 「解 説
宮 占の 歌 謡 」(外 間 守 善)で は, 「祓 い 声 」 は
52節 で 終 わ っ て い るが , そ の 後 に も詞 章 が あ った と し, 「とこ ろ が そ こ は 潮 風 が 当 た る の で ,
南 の 方 に 家 を移 した と い う の で あ る。(中 略 ・引 用 者)お そ ら くさ い この1,2節
は脱 落 した の
で あ ろ う。 伝 説 と して は そ の あ と の 部 分 も伝 わ っ て い る」 と 明 記 して い る。 内 川 順 子 氏 は
「1995年11月2gil」
の神歌
の イ ダ シ ィカ ンで の 演 唱 で そ の 詞 章 が あ る こ とを 立証 し た(『 宮Ilf島狩 俣
そ の 継 承 と創 成 』 参 照)。
【付 記 】
本 稿 は ,2000年10月29凵(凵)に
慶 應 義 塾 大 学 地 域 研 究 セ ン タ ー'1三催 の 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム
「東 シ ナ 海 周 辺 の 女 神 信 仰 』 で 口 頭 発 表 し た も の で あ る 。
宮 占 方 言 は , 原 則 と して カ タカ ナ表 記 を 川 い た。 特 殊 な 音
【1】【訂】 【t訂】 は イ ィ ・シ イ ・チ ィ と
した。
参 考 文 献[五 十 音順]
稲村 賢敷
1957『 宮.占島 庶民 史 』稲 村 賢 敷 発 行
一 1962『 宮 占 島 田 記 並 史 歌 集解 』琉 球 文 教 図 書
上 原 孝三
1990「 女 神 “山 の フ シラ イ” を め ぐっ て」 「沖縄 文 化 』 第73号
内 田 順r
2000『 宮 占 島 狩俣 の 神歌 一 一 そ の継 承 と創 成 』 思 文 閣 出 版
岡本恵昭
1971「 宮llf島の祖 神祭 … 一 狩俣 ・島尻 を 中心 と して」 『まつ り』 第17号
奥 濱幸r
1997『 暮 ら し と祈 り一r琉 球 弧 ・宮 占 諸 島 の 祭 祀llヒ
界 』 ニ ラ イ社
一
一..一1998「 祭 祀 と環 境 一
一 一
宮 占 狩俣 村 落(ス マ)の
2号
沖縄 文 化 協 会
, まつ り同 好 会
神 行 事 を通 して」 『沖 縄 女性 史研 究 』 第
沖 縄 県教 育委 員 会
狩 俣 康.∫・1991「
狩俣 の神 歌」 『南lI本 文化 』 第23号
島袋 盛 敏 ・翁 長俊 郎
新 【1聖
幸昭
鹿 児 島 短 期 大学 付 属 南 日本 文 化研 究所
1968『 標 音 琉 歌 全 集』 武 蔵 野1曇1:
院
1978「 狩 俣 部 落の 神 祭 りと 年 中行 事 」 外 間守 善 ・新 里 幸 昭編 「南 島歌 謡 大 成IH宮llf篇 』
角川 書店
一.一 一
一 1980「 狩 俣 の 神 々一一 ター ビ ・ピ ャ ー シ を も と に」 『
沖 縄 文化 研 究 』7法
政 大学 沖縄 文
化研究所
日本 放 送 協 会[編]
波照間永吉
比嘉政夫
1990『 日本 民 謡 大 観(沖 縄 ・奄 美)宮 占諸 島篇 』II本 放 送 出版 協 会
1998「 「
琉 球 国 由 来記 』 の 説 話 関 連 記.事(覚 書:)」「
沖 縄 学 』2}ナ
1976「 「琉 球 国 由 来 記 』 にみ る地 域 差 一
一 南 島 史 学 会 編 『南 島
比嘉康雄
そ の 歴 史 と文 化1』 国 書 刊行 会
1991『 遊 行 す る祖 霊 神[ウ ヤ ガ ン ・宮 占島]』 〈 神 々の 古 層 三〉 ニ ラ イ社
平 良 市史 編 さん 委 員 会
古橋信孝
沖縄学研究所
御 嶽 の 神 名 な ど をめ ぐって 」
1981「'r良ll∫史』 第 三巻 資 料 編1前 近 代
平良市教育委員会
1991「 神 謡 ・神 話 の 発 生一一一
」
宮 占島 狩俣 を中 心 に 」 「現 代 詩 手帖 』10月 号
95
思潮社
外間守善
1978「 宮 占の 歌 謡 」 外 間 守 善 ・新 弔幸 昭 編 『南 島 歌 謡 大 成 皿宮 占篇 』 角 川 書:
店
一 一 一 一1978『 南 島 歌 謡 大 成m宮 古 篇 』 角 川 書 店
外 間 守 善 ・新 里 幸 昭 編
外 間 守 善 ・波 照 間 永 吉 編
本永
清
1972「 宮 古 島 の 神 歌 』 三 一・
書房
1997『 定 本琉 球 国 由 来 記 』 角 川 書 店
1973「 三 分 観 の ・・
考 察一 …平 良 市 狩俣 の 事 例」 『
琉 大 史学 』 第4号
一 … 一 一1991
琉 球 大学 史学 会
,「
宮 占狩俣 の ウヤ ガ ン祭 祀」 植 松 明 石 編 『
神 々 の 祭 祀 』 〈 環 中 国 海 の 民 俗 と文 化
二 〉 凱風 社
一
一1994,
「神 話 ・儀 礼 ・神 歌 一
宮 古 狩俣 の 事 例 か ら」 古 橋 信 孝 他 編 『
都 と村 』 〈 古 代 文
学 講座 三〉勉 誠社
96
Fly UP