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【第4回】 国際資金市場―ユーロ・カレンシー市場とオフショア市場 【ユーロ

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【第4回】 国際資金市場―ユーロ・カレンシー市場とオフショア市場 【ユーロ
【第4回】 国際資金市場―ユーロ・カレンシー市場とオフショア市場
【ユーロ・カレンシー市場】
(1)ユーロ・カレンシーの概念:母国以外の国・地域で保有・取引される通貨。
(ユーロダラー、ユーロ円、ユーロユーロ、ユーロ人民元など)
(2)発生の契機:東西冷戦。第 2 次世界大戦後、社会主義諸国(ソ連、東欧、中国など)は
ニューヨークの銀行に保有しているドル預金が米国によって凍結・没収される可能性を懸念し、
ドル預金をニューヨークからロンドンなど欧州の銀行に預け替えた。⇒
ユーロダラーの発生
…現在では欧州以外でも「ユーロ」と称される。
(3)特徴:
母国(ユーロダラーの場合は米国)の銀行規制・金融規制(預金準備率など)の適
用を受けない。⇒
市場原理に基く市場を形成。
(4)ユーロダラーが果した歴史的役割:ブレトンウッズ体制の崩壊との関連
参照:経済企画庁「年次世界経済報告・転機に立つブレトンウッズ体制」1971 年 12 月 14 日
第 1 章 1971 年の世界経済
4. アメリカからのドル流出激化 (要旨)
(1) 長期にわたるアメリカの基礎収支赤字⇒ドルの信認の低下
アメリカの基礎収支の赤字幅は 60 年代前半には年平均 7 億ドル程度であったが、べトナム戦争
の本格化した 65 年には 18 億ドル、69 年には 29 億ドル、70 年にも 30 億ドルの規模を記録。
さらに 71 年第 1 四半期 52 億ドル、第 2 四半期 126 億ドル(いずれも年率)と爆発的に拡大。
基礎収支赤字拡大の理由は、
①1969 年、共和党が民主党に代って政権につき、民主党政権時代のドル防衛措置の一つである
海外直接投資規制を 69 年、70 年と 2 度にわたって緩和した結果直接投資の純流出が激化。
②71 年に入り、ドル不安の高まりから 70 年までは純流入であった間接投資(株式,社債など)が第
2 四半期には純流出に転じた。
③1965 年以降の持続的インフレによるアメリカの価格競争力の長期的低下と、71 年の景気回復
に伴う輸入の増大による貿易収支の悪化。
(2) 大規模化した国際短資移動
アメリカが引締めに転じた 69 年、低利の資金を求めて米銀はユーロダラーを借り漁り,ユーロダ
ラーの金利は 69 年の下半期には 11%前後という異常な高水準に。1970 年に入ってアメリカが
景気回復をねらって急激な金融緩和政策を推進したのに対して、ヨーロッパでは概して景気過
熱を防止するために引締め政策が維持され、大量のユーロダラーがアメリカからヨーロッパヘ
還流し、為替市場を通じて各国の外貨準備を大幅に増加させた(西ドイツの外貨準備は 69 年末
の 71 億ドルから 70 年末の 136 億ドルヘ急増)。
大規模なアメリカからのドル流出が続き、70 年以降アメリカの国際収支は破滅的に悪化。世界
中に過剰ドルをまきちらすことになった。68 年 3 月にフランスを除く主要 10 カ国とアメリカ
の間で合意に達した金の二重価格制でアメリカ以外の主要国はアメリカからの金購入を自主的
にさしひかえることになっていたため、これらの過剰ドルはほとんどそのまま,国際流動性とし
て積み増された。そのためアメリカ以外の主要国は 70 年にはそろって,国際収支の黒字幅を拡大
した。71 年に入るとドル不安の高まりからアメリカからの短資流出はいっそう激化し、総合収
支の赤字幅は破滅的な規模に達した。
アメリカの対外短期債務と準備資産との差が拡大するにつれ、60 年代を通じて傾向的に低下し
ていたドルの信認が急速に揺らぎだした。金利差をねらっていた短資の移動は 1971 年の春頃か
ら投機的色彩を帯び、西ドイツは 5 月 5 日為替市場を閉鎖し、同 10 日市場再開とともに変動相
場制に移行。米国はドルと金の兌換停止に追い込まれ、ブレトンウッズ体制が崩壊へ。
(5)自由な市場であることから生ずる特質と問題点
① ベンチマーク性(指標性):需給をフルに反映した実勢レート。
(例:LIBOR)
金利規制時代の円の実勢金利:ユーロ円
② 母国の金融規制・経済政策が及ばず ⇒ Prudential Rule
の必要性と BIS の
役割、自国通貨の国際化・資本取引規制の是非
【オフショア市場】国境を越えて行われる資金取引に対して、金融・税制上の制約を少なくし、
主に非居住者取引のために設けられた国際金融市場。源泉所得税が課されないのが一般的。
(1)代表的オフショア市場:ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、香港。また国策によ
ってオフショア市場を作り、金融機関を誘致しているケースもある。(タイ・マレーシア)
(2)日本のオフショア市場:1986 年 12 月に東京オフショア市場(JOM:Japan Offshore
Market)創設。日本の金融機関が JOM で取引を行う場合には通常の国内資金取引とは区別を行
う必要がある(「外-外取引」を原則)
。
(3)オフショア市場の形態:ロ ン ド ン 型
⇒
オフショア市場と国内金融市場とを一体
化して、居住者非居住者を問わず金利規制、源泉徴収税を撤廃して取引。
ニュ-ヨ-ク型
⇒ 国内金融市場と遮断し、
「外-外」の取引に限り規制を撤廃し、国内金融
市場規制は残す。JOM はこのタイプ。
(4)アジアのオフショア市場:①キャピタル・フライト市場、透明性の高いブッキング市場と
しての性格もある。(香港・シンガポール)
②アジア通貨危機とタイ・マレーシアのオフショア市場
参照:村上 美智子「東アジアの国際金融センター」FRI Review Vol.1 No.3 1997/10
(http://www.fri.fujitsu.com/open_knlg/review/rev013/review5.html)
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