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「Joy of Music in八ヶ岳」開催レポート
「Joy of Music 」 in 八ヶ岳 聴講レポート 2006 年 4 月 4 日 岡田一美 八ヶ岳、清里で 3 月 26 日~4 月 2 日まで行われた田崎悦子先生の公開ピアノセミナー。 私は後半の 30 日から JOM を聴講するため、29 日に東京に 1 泊した。30 日朝早く東京を 離れ、お昼前、清里に着く頃には雪が降っていた。何かが始まる予感。数分タクシーに乗 り、林をくぐり抜けると、ぽつりとたった 1 軒、まるで、イギリスの田舎の重厚な B&B を思い出させる素敵なホテルだった。そーっと薄暗い玄関に入ってみると、フロントには 誰もいない。静かにスリッパに履き替えていると、遠くからコーヒーの香りと共に田崎先 生らしい賑やかな声と練習室から聞こえるピアノの音。先生が私の気配を気付いて下さっ たのか、優しく、おおらかに迎えてくださり、ダークスーツに身をまとった恰幅のある 4 人の紳士に次々と紹介してくださった。 ホテルのオーナーから部屋に案内されると、それは一人では贅沢なほど広いツインの部 屋で、アンティーク風のクローゼットやドレッサーが置かれ、どっしりと柔らかい大きな カントリー風のソファが横たわっていた。とても落ち着けるアットホームな部屋で、すぐ に気に入り、これから 4 日間を大好きな音楽と共にここで過ごすのかと思うと、なぜか少 女のようにワクワクした。 さて、午後からいよいよ後半の公開レッスンが始まる。林の中を枕木が並べられ、たど り着いた別館には、こげ茶色の梁が力強く張り巡らされた吹き抜けのホール。正面に置か れたグランドピアノの向こうは、大きなピクチャーウィンドーが一面に張られ、まだ 1 枚 の葉も付けない閑散とした中にも、ほんのわずか春の芽吹きが感じられる林が広がってい た。 この日は 6 名の公開レッスン。最年少の中学 2 年生のシューマン「アベッグ変奏曲」か ら始まり、高校生のショパン、大学生のベートーヴェン、プロコフィエフ・・・と大曲が 続く。そのプロコフィエフのソナタ 2 番の 3 楽章を聴いた時、窓に映る、雪が激しく降る 林の絵が絶妙に重なり、ロシアの作曲家はたぶんこのような景色の中で自身の苦悩や葛藤 を作品に描いたのであろう・・・とふと、タイムスリップしたかのような哀愁を覚えた。 それはまさしく、10 年前のちょうど今頃訪れたウクライナ、キエフでの国際コンクール の選手村そのものだった。キエフの町からバスで 1 時間ほど走ると、ヴォルゼルという村 があり、地平線の果てまで続く真っ黒に肥えた畑と、途轍もない林が広がる。手編みのス カーフで頬かぶりをした牛を引く老婦人、壊れかけた塀の向こうではヤギや鶏を放し飼い にしているあばら家が点在している・・・その林の一角に、かつてロシアの古き良き時代 に建てられたであろう、作曲家が避暑のために集い、創作活動を行った20余りのコテー ジがある。今では忘れ去られた廃虚のようになってしまっている。夜になると、コテージ に灯されたほのかなランプと、満天の星の明かりだけが唯一の頼りだ。 「残された、作曲家のたった 1 編の楽譜から音符の裏の心を読み取る」演奏者の使命だ。 レッスンでは田崎先生が 6 人の受講生と共に、マラソンを走るかのように、体ごとぶつか りながら進められていく。先生の質問に生徒はしっかり答えながら、作品を真剣に見つめ、 それを可能な限り表現しようとする一途さに感動せずにはいられなかった。 うらへ レッスンが終わると、ホテルのシックなレストランで田崎先生を囲んでの夕食会。最後 まで思いっきり走りぬいたレッスンの後の夕食はまた格別のもの。盛り付けや味も最高。 普段の何気ない話題や恋の話まで、フレンドリーな会話が弾む。 食事の時間しばらくすると、田崎先生はワイングラスでベルを鳴らされる。セミナーの もうひとつのねらい、ディスカッションの時間の始まり。受講生がその日の体験の中で感 じたことなど自由な角度から話し合い、お互いを高め合い、自己を見つめる。その中で、 「感 じる心」や「自己表現力」が養われていく。 翌朝 31 日、田崎先生の夫で音楽家向けスピーカー製作をされている、八木光裕さんによ るリスニングワークショップを聴講した。音楽の喜びを存分に味わうためには、音を聴き 分ける耳の訓練も必要ということで、今まで体験したことのない面白い講座だった。CD で 同じ曲を聴き比べ、感じたことを話し合う時間もあったが、まだ自分の耳に自信がないの か、少し意見を言うのに躊躇していたようだ。今まで培った自分の感性や知識で、もっと 素直に表現しても良いのではなかろうか? 午後からは残りの 6 名の公開レッスンを聴講した。昨日同様、年齢もレベルも様々だが、 一人一人に的確なアドバイスをされるのには流石だと思った。 パッションだけではなく、ピアニストは一方では職人としてコツコツじっくり時間をかけ 練習しなければならない。また、その上で作品の時代背景、国柄、気候、文化、言語、ま たその作曲家のキャラクターなどといった、つまり、もう一歩踏み込んだ「様式」を踏ま えた演奏を望みたいと思ったし、それをさりげなくおっしゃっていることに受講生はまだ 理解が及ばないのか、少しもどかしさを感じたのも正直なところである。 さて、毎回 4 時間以上に及ぶレッスンはいつも熱い想いで、無我夢中で聴くことができ、 あっと言う間だった。いよいよ最後の日はファイナルコンサート。それぞれの受講生にと ってファイナルコンサートは、自分の持ち曲を 7 日間の体験を通した想像力と感性で、力 の尽くせる限り表現する最後の挑戦である。とにかく胸が苦しくなるほどグーンとくる感 動だった。先生もそっとハンカチで涙を拭われるシーンも何度かあり、男性も涙するのを この目で見た。この感動は言葉では到底説明できない。 「この気持ちってなんだろう・・・?」 ここに居合わせた者だけが感じることのできる、何か。 奈良で開催できる喜びと誇りを感じた一瞬だった。 村人が集い、踊るため、アフリカの原住民は木で太鼓を作った。誰かを呼ぶとき、笛を 吹いた。 「音楽は人間どうしが繋がるためにある」とこの JOM では教えてくれる。自然と音楽に浸 り、田崎先生のおおらかで、情熱的な人柄に触れ、導かれる中で等身大の自分をさらけ出 し、裸になることで、真のコミュニケーションが生まれていく・・・そんな、素晴らしく 幸せな時間だった。