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1525-35 年におけるミュンスターの社会運動と共同体への帰属意識 本

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1525-35 年におけるミュンスターの社会運動と共同体への帰属意識 本
1525-35 年におけるミュンスターの社会運動と共同体への帰属意識
2008 年度合同研究会 於東北学院大学 2008 年 8 月 30 日
東北大学大学院文学研究科
永本哲也
[email protected]
本報告の課題:1525-35 年におけるミュンスターの社会運動と共同体への帰属意識の関
係を分析にするにあたって用いた背後仮説や方法の根拠を明示すること。
・背後仮説 background assumptions:グールドナー。自明のこととして仮定されず、明
示もされない一連の仮説。理論の定式化とその結果生まれる研究に常に影響を及ぼす。
・分析を根拠づけるために、可能な限り分析で用いた背後仮説を明示し、その妥当性
を検証することを容易にすることが必要。
1. 研究史と課題
1.1. ミュンスター再洗礼派運動の研究史
・伝統的にミュンスター再洗礼派運動研究では、支持者の社会階層が重要。運動の担
い手の問題は、運動の性格の問題。
・貧民が担い手=窮乏による不満から、政治的・経済的目的で再洗礼派になった。
否定的評価:多数派
肯定的評価:マルクス主義者。
・キルヒホフ:再洗礼派=貧民中心=社会革命や反乱が目的という伝統的見方を覆す、
没収財産リストを用いた財産階層分析。特に貧民が多かったわけではない=社会革命
ではない=信仰、終末期待が重要だった。
・シリンク、倉塚:エリート間の権力争いに注目。
・シア、バッカー、クレツァー:市民のゲノッセンシャフト的伝統に注目。
・背後仮説:貧民は信仰ではなく、経済的・政治的目的で社会運動に参加するという
剥奪論的なモデル。 キルヒホフ以前と以後も、事実認識に違いはあっても、背後仮説
自体は変化していない。
・キルヒホフの研究には様々な問題があり信頼できないが、正面から批判し、乗り越
える研究を誰もやってこなかった。支持者の社会階層の問題は、ミュンスター再洗礼
派研究の土台に当たる問題なので再検討が必要。
1.2. 宗教改革運動の研究史
・メラー、ブリックレのテーゼの諸前提。
a) 社会階層にかかわらず都市や農村共同体の住民が、ゲノッセンシャフト精神あ
るいは共同体主義を共有していたこと。
b) 共同体による政治的・宗教的自治を根拠づける宗教改革の神学が、都市や農村
の住民の共同体主義と親和性があったこと。
1
c) 共同体主義と宗教改革の神学の親和性が、彼らが宗教改革運動を支持した主要
な要因であったこと。
・問題
a) 宗教改革神学は多様な解釈が可能であり、実際に多様な解釈がされていたので
必ずしも共同体主義と結びつくとは限らない。
b) 宗教改革運動での市民要求を行ったのは、直接的には一部の説教師やエリート
層。彼らが主張した要求を、それ以外の住民の要求と同一視しても良いかは不明。
・ルッツによる批判:平民 gemeiner man は、ゲマインデに属する家持ちで、ギルドに
属する男性市民のみを含む。
・ボブ・スクリブナーによる批判:都市でも農村でも大部分の住民が共同体の正規の
成員として認められておらず、内部に階層格差や利害対立が存在していた。
・メラーやブリックレのモデルでは、下層民や女性が運動に参加した動機は検討され
ていないにもかかわらず、都市共同体の成員や平民として市民層と同一視されている。
1.3. 課題
a) 社会階層による都市共同体への帰属意識の違いがあったかどうか。
b) 都市共同体への帰属意識が、宗教改革運動やミュンスター再洗礼派運動での態度決
定を規定していたか。
2. 分析方法
・都市住民の内面は直接観察できないので、先ず行動を検証の対象にする。ミュンス
ターにおける一連の社会運動で、都市住民に態度決定の違いがあったかどうかを検証
することで、都市住民の間で共同体への帰属意識があったかどうかを推測する。
根拠:メラー、ブリックレの前提 c では、共同体への帰属意識が共同体の成員の態度
決定を規定していたと前提しているから。先ずこの前提 c の正しさを前提として、検
討を加える。
・態度決定に違いが見られた場合の可能性
a) 前提 c は正しく、前提 a が間違っていた。
b) 前提 c は間違っており、前提 a の正しさは不明。
2.1. 方法上の課題
2.1.1. 都市住民の社会構造把握の問題
・最初は、統治機関への所属を指標にした社会階層によって都市住民を区分した。
・しかし、社会階層は統治機関への所属だけでなく、市内での政治的地位や経済的地
位を指標にして区分することもできるが、両者は必ずしも一致しないので、都市住民
を社会階層で分けるのは困難。
2
・社会階層、階級、集団を用いるときの問題。一つの指標で都市住民を区分すると、
検証できる属性が一つに限られる。個人が持つ多様な属性が検証されないままになる。
・社会階層、集団への所属、様々な属性を全て変数として捉えることで、同列に扱う
ことが可能。また、属性と態度決定との相関関係を個々に検証することで、どのよう
な属性が態度決定と相関しているか明確に把握できる。
・分析で用いる変数は、社会運動の参加者の属性として史料に現れたもの。
2.1.2. 分析の手順
1) 史料の記述を精査し、どのような属性を持つ主体が、社会運動の各段階でどのよう
な態度決定を行ったかを明らかにする。
2) 変数の統制。擬似関係や媒介関係の有無を検証するために、史料に現れた属性と強
い相関関係にあると思われる他の属性を考慮に入れて分析する。
ボーンシュテット&ノーキ『社会統計学』285 頁
3) 複数の属性が態度決定と相関していると思われる場合、可能な限りそれら複数の属
性の間に共通要因を抽出しようと試みる。
4) 共通要因が見いだせない場合、または共通要因だけでは態度決定を説明できない場
合のみ、複数の属性はそれぞれ態度決定と相関関係にあったと想定する。
5) 社会運動に参加した住民の比率によって、属性と運動での態度決定の相関関係の度
合いを測る。
2.2. 史料
・1534 年初頭の再洗礼派共同体が成立するまでの時期
-ヘルマン・フォン・ケルゼンブローク
-ニージンク女子修道院の年代記
-福音派の神学者の歴史記述
-諸侯や市当局、説教師たちが送った書簡、市民の日記
3
・1534 年以降の再洗礼派
-ハインリヒ・グレシュベクの目撃証言
-再洗礼派の審問記録
-未公刊の書簡
-後代のミュンスターの租税記録
・運動参加者個人
-キルヒホフがまとめたルター派人名リスト
-再洗礼派人名リスト
-『懺悔の書』
2.3. ミュンスターの統治構造
・市参事会:都市の最高統治機関。都市や市民の特権や利益、平和を守る義務を負う。
・全ギルド会議:都市の共同統治機関。全住民の利益を市参事会に対し代表する。
・ゲマインハイト:市民権保持者の集団。
・アインヴォーナー:市民権、政治的自治への参加権なし。
・女性:政治的自治への参加権なし。
3. ミュンスター住民の属性と社会運動における態度決定
3.1. 史料の表現による分析
3.1.1. 1525 年の騒擾
1) 史料から確認できる騒擾の支持者の属性:若者という年齢層、女性という性別、貧
困層という財産階層、ギルドへの所属、ゲマインハイトや全ギルド会議という統治機
関への所属
2) これらの属性と強い相関関係があると思われる属性(表 1)
3) 諸属性の中で実際に騒擾の支持と相関関係にあると思われる属性
a) 市参事会員という統治機関
b) 門閥市民層という政治的社会階層
・若者、多くの女性を含む貧民といった統治機関に所属していない階層とギルド、ゲ
マインハイトや全ギルド会議に所属する市民層では、騒擾に参加した動機が異なって
いた可能性がある。
表1
1525年反教権主義的運動
反教権主義
教会自治要求
なし
なし
あり
性別
男性
あり
?
女性
政治的社会階層
都市貴族
一流の名望家
二流の名望家
財産階層
統治機関
市民
中層
ゲマインハイト
アインヴォーナー
全階層
アインヴォーナー
下層
全階層
下層
非所属
市参事会
上層
全ギルド会議
4
ギルド
非所属
都市共同体 教会共同体
所属
所属
非所属
結婚
子供
年齢層
既婚
あり
壮年・老年
未婚
既婚
未婚
なし
あり
なし
若年
壮年・老年
若年
カトリック
3.1.2. 1530-33 年の宗教改革運動
1) 史料から確認できる運動支持者の属性:市民層と二流の名望家という政治的社会階
層、 ゲマインハイトと全ギルド会議という統治機関、ギルドへの所属 、住民の大半。
2) これらの属性と強い相関関係があると思われる属性(表 2)
3) 諸属性の中で実際に宗教改革運動の支持と相関関係にあると思われる属性:門閥市
民層という政治的社会階層への所属。
・門閥市民層から成る市参事会員は、個人的信仰よりも、市参事会員としての役割に、
より強く態度決定を規定されていた。
表2
1530-32年7月宗教改革運動
教会共同体
性別
カトリック
男性
福音派
女性
1532年8月以降宗教改革運動
教会共同体
性別
カトリック
男性
福音派
女性
政治的社会階層
都市貴族
一流の名望家
二流の名望家
財産階層
統治機関
市民
中層
ゲマインハイト
アインヴォーナー
全階層
アインヴォーナー
下層
全階層
下層
非所属
政治的社会階層
都市貴族
一流の名望家
二流の名望家
財産階層
統治機関
市民
中層
ゲマインハイト
アインヴォーナー
全階層
アインヴォーナー
下層
全階層
下層
非所属
市参事会
上層
全ギルド会議
市参事会
上層
全ギルド会議
ギルド
非所属
都市共同体
所属
結婚
子供
年齢層
既婚
あり
壮年・老年
未婚
既婚
未婚
なし
あり
なし
若年
壮年・老年
若年
結婚
子供
年齢層
既婚
あり
壮年・老年
未婚
既婚
未婚
なし
あり
なし
若年
壮年・老年
若年
所属
非所属
ギルド
非所属
都市共同体
所属
所属
非所属
3.1.3. 1533-34 年の宗派分裂期
1) 史料から確認できる騒擾の支持者の属性:
a) カトリック派支持:門閥市民層という政治的社会階層
b) ルター派支持:市参事会、全ギルド会議、ゲマインハイトという統治機関への
所属
c) ロートマン派:特定の属性との相関関係を確認できず。
・都市住民の多数派はルター派、カトリック派とロートマン派は少数派。
2) これらの属性と強い相関関係があると思われる属性(表 3)
3) 諸属性の中で実際に宗派選択と相関関係にあると思われる属性
a) カトリック派:門閥市民層という政治的社会階層
b) ルター派:門閥市民層以外
c) ロートマン派:門閥市民層以外
・ルター派とロートマン派の宗派選択の違いは外交的危険性の評価の違いに基因。
・市参事会や全ギルド会議という統治機関の責務は個人的信仰よりも成員の態度決定
を強く規定していた。
・市参事会や全ギルド会議という統治機関が、自らの責務に基づき全住民の利益を考
慮していたのに対し、その他の住民は自らが所属する宗派の利益のみを考慮していた。
5
表3
1533-34年2月宗派分裂期
教会共同体
政治的社会階層
都市貴族
一流の名望家
性別
カトリック派
男性
ルター派
ロートマ
ン派
女性
二流の名望家
財産階層
統治機関
ゲマインハイト
上層
二流の名望家
市参事会
全ギルド会議
市民
市民
中層
ゲマインハイト
アインヴォーナー
全階層
アインヴォーナー
アインヴォーナー
全階層
アインヴォーナー
下層
全階層
下層
非所属
ギルド
非所属
都市共同体
所属
結婚
子供
年齢層
既婚
あり
壮年・老年
未婚
既婚
未婚
なし
あり
なし
若年
壮年・老年
若年
所属
非所属
3.2. ミュンスター再洗礼派の社会構造分析
3.2.1. 方法上の課題と解決の試み
・史料不足のためミュンスターにおける 1530 年代の人口や人口構成、財産階層分布は
全て把握不可能。原理的に言えば、当時のミュンスターの社会構造分析は不可能。
・後世のミュンスターや他の同規模の諸都市から、1530 年代のミュンスターの住民の
社会構造を推測する。
・厳密な値は把握不可能なので、推定値は一つの値ではなく、範囲で把握する。
利点:厳密な値が分からなくても、社会構造分析が可能になる
欠点:広い範囲を取るため、社会構造の特徴を検出する能力が低くなる。
3.2.2. 分析
3.2.2.1. ミュンスター再洗礼派の人数
・ミュンスター再洗礼派の数:洗礼開始後一週間の洗礼者数は約 1400 人
・人口推定:7000~10000 人(レトマーテ:1591 年の人口推定。キルヒホフ:住居数
1800×世帯当たりの平均居住者 4.25 人=7000~8000 人)
・成人:子供人口比=50~75 : 25~50%=3500~7500 : 1750~5000 人(レトマーテ:
1658/59 年のエギディ市区=63 : 37%、シューラー:15 世紀末フライブルク=52~61 :
39~48%、ディット:17 世紀末ヴェストファーレン、ラインラント=50~76 : 24~50%)
・成人洗礼導入直後に洗礼を受けた再洗礼派は、当時のミュンスターの全成人人口の
18.6~30%程度。
・ミュンスター出身の再洗礼派成人男性数:約 400~500 人
・全成人男性数:(4600~7500 人) ×(0.45~0.5)=(2070~3750 人)
・全成人男性人口に占める再洗礼派の比率:10.7%~24.2%。
・自発的に洗礼を受けた成人女性:(1 月 13 日までの洗礼者数 1400 人) - (3 月半ばでの
再洗礼派成人男性数 400~500 人) + (1 月 13 日以降洗礼を受けた成人女性数:不明)=
900~1000 人以上
・全成人女性に占める再洗礼派の比率:21.8~43.5%
6
3.2.2.2. 子供と未婚女性
・1534 年 10 月のミュンスタ-全人口:約 8000~9000 人
・1534 年 10 月の子供の数:約 1000~1200 人。全人口の 11-15%。
・子供が以上に少なかった理由
a) 家族の離散の際、夫が子供を連れて市外に流出
b) 元々子供を持たない未婚の若者、特に独身女性が再洗礼派支持者に多かった。
3.2.2.3. 再洗礼派統治期ミュンスターに残っていた地元成人男性の財産階層
・市内に残っていた男性は約 700~800 人。
・不動産を所有していなかった成人男性:292~353 人。全成人男性中の 49.6~63.5%。
・誰を貧困層と見なすか?不動産評価額をいかに解釈するか?
a) 一般的基準:全財産の評価額 100 グルデン
b) キルヒホフ:不動産評価額 100 グルデン:動産を含めると 100 グルデン以上の財
産を所有していた者が数多く含まれていたはず
c) 全財産と不動産所持の関係は不明確。マシュケによるまとめ:1522 年ロストッ
ク全世帯の 57%、1440 年と 1442 年のドレスデンでは租税支払い義務のある者の
20~22%、1426 年ゲルリッツでは租税支払い義務者の 38.9%、1472 年には 47.7%が
借家住まい。
d) 二つの仮定による推測
1: 不動産を所有していなかった住民に加えて、50 グルデン以下の価値の不動産
を所有していた成人男性を貧困層だと見なす。不動産非所有成人男性 (347~508
人) + (17~27 人) = (364~535 人)。全不動産所有男性数は (292~353 人) – (17~27 人) =
(265~336 人)。
2: 100 グルデン以下の価値の不動産を所有していた下層民の数と不動産を持たな
い中層民の数が相殺され、不動産を所有していなかった成人男性のみを貧困層だ
と見なす。不動産非所有成人男性 (347~508 人)。全不動産所有男性数は (292~353
人)。
・当時のミュンスターの財産階層の推測:後世のミュンスターや同規模の人口規模の
諸都市の財産階層分布を参照。キルヒホフ:1539 年ミュンスターのエギディ市区の貧
民 35.1%。シア:ヒルデスハイム 1525 年 43.2%、エスリンゲン 1458 年 48.7%、ネルト
リンゲン 1579 年 52.5%。
・この貧困層の比率は女性を含む。配偶者を持たない女性の大多数は貧困層であった
ので、男性に限れば貧困層の比率はこれより下がると推測される。1539 年エギディ市
区:全貧困層 35.1%、男性の貧困者 27%。8%低い。ヒルデスハイム 1525 年 35%、エ
スリンゲン 1458 年 40%、ネルトリンゲン 1579 年 45%。
・当時のミュンスターの下層成人男性の比率:27~45%程度。
・中上層成人男性と下層成人男性の比率と数は:(73 : 27) = (1511 : 559)~(2738 : 1013 人)
から (55 : 45) = (1139 : 932)~(2063 : 1688 人) の間。中央値の 35%では、(64 : 36) =
(1325 : 745)~(2400 : 1350 人) 。
7
・各財産階層に属する再洗礼派統治直前のミュンスターの全成人男性中再洗礼派統治
期に市内に残った者の比率
仮定 1
・全中上層成人男性に対する市内に残った中上層成人男性の比率
55%:(265~336) / (1139~2063) = (12.8~29.5%)
64%:(265~336) / (1325~2400) = (11.0~25.4%)
73%:(265~336) / (1511~2738) = (9.7~22.2%)
・全下層成人男性に対する市内に残った下層成人男性の比率
45%:(364~535 人) / (932~1688 人) = (21.6~57.4%)
36%: (364~535 人) / (745~1350 人) = (27.0~71.8%)
27%:(364~535 人) / (559~1013 人) = (35.9~95.7%)
(中上層 : 下層 = 55 : 45) = 中上層 (12.8 ~ 29.5%)。下層 (21.6 ~ 57.4%)
(中上層 : 下層 = 64 : 36) = 中上層 (11.0 ~ 25.4%)。下層 (27.0 ~ 71.8%)
(中上層 : 下層 = 73 : 27) = 中上層 (9.7 ~ 22.2%)。下層 (38.5 ~ 95.7%)
仮定 2
・全中上層成人男性数に対する市内に残った中上層成人男性の比率
55%:(292~353 人) / (1139~2063 人) = (14.2~31 %)
64%: (292~353 人) / (1325~2400 人) = (12.2~26.6%)
73%: (292~353 人) / (1511~2738 人) = (10.7~23.4%)
・全下層成人男性のうち、再洗礼派統治期に市内に残った下層成人男性の比率
36%:(347~508 人) / (745~1350 人) = (25.7~68.2%)
27%:(347~508 人) / (559~1013 人) = (34.3~90.9%)
45%:(347~508 人) / (932~1688 人) = (20.6~54.5%)
(中上層 : 下層 = 55 : 45) = 中上層 (14.2 ~ 31 %) 。下層 (20.6 ~ 54.6%)
(中上層 : 下層 = 64 : 36) = 中上層 (12.2 ~ 26.6%) 。下層 (25.7 ~ 68.2%)
(中上層 : 下層 = 73 : 27) = 中上層 (10.7 ~ 23.4%) 。下層 (34.3 ~ 90.9%)
・全ての場合で、中上層成人男性よりも、下層成人男性の方が市内に残る比率が高か
った。
・市外に所有地や財産を持つ門閥市民層や財産持たない下層民は、市外に逃亡するこ
とが、家持ち市民よりも容易。そのため、市内に残った非再洗礼派の住民には家持ち
の市民層が多かったと推測される。そのため、中上層成人男性が再洗礼派になった比
率と、下層成人男性が再洗礼派になった比率は、上記の比率の差よりも大きかったと
推測される。
・下層成人男性が再洗礼派になる比率は、中上層成人男性が再洗礼派になる比率より
も遙かに高かった蓋然性が極めて高い。
・上記の結論が反証される場合
a) 再洗礼派統治開始前のミュンスターで下層成人男性が、他の同規模の都市より
も著しく高い比率を占めていた場合。
b) 成人洗礼を強制された男性約 300 人のほとんどが貧困層に属し、貧困層に属す
る再洗礼派成人男性の数が少なかった場合。
8
c) 没収財産リストに現れない成人男性の多くが 100 グルデン以上の価値の動産を持
っており、なおかつ不動産を所有していたにもかかわらず 100 グルデン以下の財産
しか持たない成人男性よりも遙かに多かった場合。
・しかし、これらの反証を直接行うことは史料的に不可能であるため、上記の結論が
今のところ最も蓋然性が高いと判断できる。
3.2.2.4. 二流の名望家
・1532 年 7 月に福音派として活動していた男性 84 人中 46 人 (54.8%) が再洗礼派
・36 人委員会に選ばれた福音派指導者 29 人中 16 人 (55.2%) 。
・1533 年 3 月に選出された市参事会員 24 人のうち 8 人 (33.3%) が再洗礼派。
・1533 年度の選挙人では、10 人のうち 9 人 (90%) が再洗礼派。
・彼らの大部分は、二流の名望家に属する人々。
3.2.2.5. まとめ
1) 再洗礼派になる比率が高かった都市住民の属性:
a) 下層という財産階層
b) 女性という性別、子供を持たないという家族環境
c) 二流の名望家層という政治的社会階層
2) これらの属性と強い相関関係があると思われる属性(表 4)
3) 諸属性の中で実際に宗派選択と相関関係にあると思われる属性
・貧困成人男性、女性、子供を持たない成人女性:統治機関への非所属という属性を
共有。二流の名望家層は彼らと属性を共有していないので、両者が再洗礼派になった
要因は異なると推測される。
・貧困成人男性と子供を持たない成人女性:財産階層の下層に属し、未婚であり、子
供を持たず、若者であるという属性を共有。これらの属性は共通要因である統治機関
への非所属と再洗礼派支持の相関の度合いをより強めた属性。
・男性と女性では女性の方が再洗礼派を支持する比率が高かったので、女性という性
別も統治機関への非所属と再洗礼派支持の相関の度合いをより強めた属性。
・女性の中でも、既婚で子持ちの女性は、未婚で子供を持たない女性よりも顕著に再
洗礼派を支持する比率が低かったと思われるので、配偶者を持つことは統治機関への
非所属と再洗礼派支持の相関の度合いを弱めた属性。
・市民権保持を独占していた男性と市民権を持っていなかった女性では、女性の方が
再洗礼派になる比率が顕著に高かったこと、さらに市民権保持者の比率が著しく高か
ったと思われる財産階層の中上層成人男性と市民権保持者の比率が著しく低かったと
思われる下層民では、下層民の方が再洗礼派になる比率が顕著に高かった。そのため、
財産階層の下層、未婚であること、子供を持たないこと、若者であること、女性であ
ることは、個々の属性がそれぞれ再洗礼派支持と相関していたと考える以外に、これ
らの諸属性は統治機関への非所属という共通要因と直接的に相関しており、再洗礼派
支持とは媒介関係にあったとも解釈できる。
・アインヴォーナー層、女性、財産階層の下層、未婚、子供なしという属性は、それ
ぞれ市民権、市民共同体への所属、財産、結婚と子供という都市社会の主要な社会的
資源から排除されているという共通点を持っている。そのため、これらの諸属性が直
9
接相関しているのは、都市の社会的資源からの排除であり、再洗礼派支持とは媒介関
係にあると解釈することも可能である。つまり、都市の社会的資源からの排除が、再
洗礼派支持と相関する共通要因であったと見なすことが可能。
・宗派分裂は既に 1533 年秋頃には深刻化していたが、史料からは、中上層市民と下層
成人男性や女性の宗派選択の違いは把握できなかった。ミュンスター再洗礼派運動の
ように、運動の全参加者を把握できるような史料が残っている特殊な場合でないと、
下層成人男性や女性の態度決定は、ほとんど把握できない。
表4
1534年2月11以降
教会共同体
性別
カトリック派
再洗礼派
男性
政治的社会階層
都市貴族
一流の名望家
財産階層
統治機関
ゲマインハイト
上層
二流の名望家
市参事会
全ギルド会議
ルター派
市民
中層
ゲマインハイト
再洗礼派
アインヴォーナー
全階層
アインヴォーナー
下層
全階層
下層
非所属
女性
ギルド
非所属
都市共同体
所属
結婚
子供
年齢層
既婚
あり
中年・老年
未婚
既婚
未婚
なし
あり
なし
若年
中年
若年
所属
非所属
4. ミュンスターの社会運動と共同体への帰属意識
4.1. アブダクションと仮説選択
・アブダクション。チャールズ・パース。
・アブダクションの定式化
a) 驚くべき事実 C がある。
b) しかし H ならば、C である。
c) よって、H である。
・論理学の「後件肯定の誤謬」をおかしている。
・しかし、間違う可能性は常にあるが、演繹的推論では不可能な、「拡張的(発見
的)」機能を備えている。
・仮説選択。仮説を採用する際に、幾つかの基準を設け、複数の仮説のうち何を採用
するのが最適かを判断する。
・仮説選択の基準
A.チャールズ・ パースによる基準
(1) もっともらしさ (plausibility)
(2) 検証可能性 (verifiability)
(3) 単純性 (simplicity)
(4) 経済性 (economy)
B. 人工知能研究による基準 (John R. Johnson and Susan G. Josephson)
(1) 仮説 H が対立仮説 H' よりも決定的にすぐれていること。
(2) 仮説 H それ自身が十分に妥当であること。
(3) データ D が信頼できること。
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(4) 可能な対立仮説 H' の集合を網羅的に比較検討していること。
(5) 仮説 H が正しかったときの利得とまちがったときの損失を勘案すること。
(6) そもそも特定の仮説を選び出す必要性があるかどうかを検討すること。
・アブダクションの特徴
a) 仮説はそれ自体正しさを保証しない。ただし、演繹的推論と、帰納的な検証を
重ねることで、もっともらしさを高めることが出来る。
b) 特定の仮説の選択は、他の仮説との比較によって行われる。仮説選択は、その
時点で提示されている仮説の中に限定されているので、より新しい仮説によって取
って代わられる可能性を常に孕んでいる。
・アブダクションという推論形式は意識されていなくても、基本的な考え方は歴史学
研究にも当てはまるのでは?
4.2. 都市宗教改革運動研究における仮説選択
・メラー、ブリックレ、キルヒホフ:社会階層による態度決定の違いをそもそも想定
していない。
・シリンク、倉塚、クレツァーらのモデルは、ゲノッセンシャフト的精神の担い手で
あったはずの市民層が、再洗礼派になる比率が低かったことを説明できない。
・既存の研究のモデルは、全て「もっともらしさ」に問題がある。新しい仮説が必要。
・態度決定に違いが見られた場合の二つの可能性 (2. 分析方法参照)
可能性 a) :共同体への帰属意識は宗教改革運動における都市住民の態度決定を規
定していたため、都市住民の共同体主義の相違が、態度決定の相違として顕在化し
た。 ただし、ルター派と再洗礼派の宗派選択では、神学の違いの影響は不明。
可能性 b) :共同体への帰属意識は宗教改革運動における都市住民の態度決定を規
定していなかった。そのため、都市住民が共同体への帰属意識を共有していたかど
うかは不明。
・検証と選択
(1) もっともらしさ:共同体への帰属意識が宗教改革運動における都市住民の態度
決定を規定していたことは、市民層に関しては既に多くの実証研究があり、ミュン
スターの宗教改革運動でも確認されている。また、可能性 b) が現段階では宗教改
革運動における都市住民の態度決定を説明できないのに対し、可能性 a) は説明が
可能である。可能性 a) の方が有利。
(2) 検証可能性:可能性 a) では、共同体への帰属意識を態度決定から推測すること
によって仮説の検証が可能。可能性 b) を検証するには、本稿で用いたのとは異な
る方法が必要になるので、現時点では検証可能性が低い。可能性 a) の方が有利。
(3) 単純性 (4)経済性:可能性 a) は、既存の宗教改革運動研究の基本モデルを引き
継いでいるので、モデルの再構築は容易。可能性 b) は、既存のモデルの全面見直
しを求めているので、新たな仮説構築が必要になり、説明コストが大きい。可能性
a) の方が有利。
・以上の理由で、可能性 a) を選択することがより好ましいと判断できる。
11
・可能性 a) に基づいた仮説
a) 門閥市民層:カトリック支持。騎士身分を模倣し、土地領主化しつつあるなど、
都市共同体の成員から領邦・貴族身分へと移行しようとしていたが、彼らのこのよ
うな志向は、一連の社会運動で見られた聖職者を含む領邦諸身分に対する彼らの友
好的な態度と一致している。
b) 市参事会は、市民の利益、都市の特権、自治を守る義務を負っていたが、彼ら
は一連の社会運動で一貫してこの義務に忠実であった。
c) 全ギルド会議は、市参事会に対し都市の全住民の利益を代表する義務を負って
いたが、彼らは都市と市民の利益を守るためにルター派を支持する一方で、少数派
のロートマン派住民の利益もある程度考慮するなど、彼らの義務に忠実であった。
d) 一般市民層は、既存の都市宗教改革史研究で指摘されてきたように、一連の社
会運動で一貫して都市共同体による教会自治権拡張を求めるなど共同体主義的傾向
を示していた。
e) 貧困成人男性、女性、特に未婚女性:ロートマン派・再洗礼派になる比率は、
都市の社会的資源からの排除の度合い、都市共同体との利益共有度と相関。彼らに
とって、都市共同体の利益や損害は自らの利益や損害と直結しているとは感じられ
なかったため、外交的危険性よりも、自らの魂の救済をより重視して個人主義的に
態度決定を行った。そして、市内で最も説得力のある説教を行うベルンハルト・ロ
ートマンを支持し続けた。また、彼らの共同体への帰属意識の弱さが、都市の既存
の人的紐帯を解体して、個人の決断によって新たに作られる再洗礼派共同体と親和
的だったために、彼らは再洗礼主義を受け入れやすかった。
・各社会階層の共同体への帰属意識は、一連の社会運動における彼らの態度決定や宗
派選択と一致しており、両者の間には密接な相関関係があったという仮説は、これま
で検討した歴史過程と矛盾しない。そのため、現時点では、十分なもっともらしさを
有していると判断し、本仮説を選択することが最善であると結論づける。
5. 総括と課題
・社会階層による宗派選択の違いを考慮に入れておらず、ゲノッセンシャフト的伝統
とロートマン神学の親和性を再洗礼派が都市住民に支持された要因だと考えてきた従
来のミュンスター再洗礼派研究の根拠は崩れた。階層間の態度決定や共同体への帰属
意識の違いを考慮してミュンスター再洗礼派運動を全面的に再検討することが必要。
・ゲノッセンシャフト的精神や共同体主義は、市民階層特有の帰属意識であり、門閥
市民層やゲマインデの一員ではなかった貧困男性や女性には共有されていなかった可
能性が高い。そのため、共同体宗教改革は、都市や農村の宗教改革運動を包括して説
明するモデルではなく、多様な宗教改革運動の一類型であると考えた方が適切。ゲル
ツの宗教改革諸運動モデルをより包括的なモデルとして捉えられるのではないか。
・さらなる仮説の検証:アブダクションで重要視されるのは、帰納的に仮説を検証し、
仮説のもっともらしさを上げること。特に、貧困成人男性や女性の共同体への帰属意
識、そして帰属意識と態度決定の関係は、直接観察されたものではないので、より具
体的に検証することが必要。
12
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