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1.写本の時代
1.写本の時代 書物は長いあいだ手で書かれていた。これらの書物は、ヨーロッパにおいては修道 院、つまり俗世間を離れ禁欲的なキリスト教の戒律のもとに集団生活を営む人々(修道 士)のための施設で生産された。修道院の多くは写本室を設け、そこでは写字生とよば れる人々が、宗教書をはじめとする様々な文献を筆写し、挿絵を書き入れていた。写 字生は高い尊敬をうけており、例えば 7~8 世紀のアイルランドでは写字生を殺した者 への刑罰は、高位の聖職者である司教を殺した場合と全く同じだったといわれている。 写本を行う際には、椅子に座り、傾斜した書写台に身をかがめて口述される文章を 筆記するか、原本を見ながら筆写した。数人が手分けして 1 冊の本を書き写すことも あった。筆写し終わった文章は、原文と照合するためにもう一度通して読まれた。 筆写の道具は、植物性インク、羽ペン、ペン先を削るナイフ、木製定規、コンパス、 羊皮紙などである。活動的な写本室は、自らの修道院のために写本を作るだけでなく、 今日の出版社にも似た役割を果たしており、各地の君主や教会に写本を提供する場合 もあった。 写本室には厳しい規則がしかれていた。人工的な明かり(ロウソクなど)は火事の恐 れがあるために禁じられ、気を散らさぬよう沈黙が求められた。このため意志の伝達 はジェスチャーによってなされた。もし写字生の一人が一冊の本を必要とした場合に は、両手をひろげてページをめくる動作を、ミサ典書(カトリック教会のミサ聖祭に用 いられる祈祷書)は十字を切る仕草で、詩篇は頭の上に王冠の形を作った手を置いて示 した。 12 世紀末以降、ヨーロッパ各地で都市が勃興し、大学が設立されるようになると、 民間の写本工房も生まれ、それまでは修道院が独占していた書物の生産をめぐる状況 に変化が訪れる。読者層は、法律家、商人、大学関係者など、聖職者以外にまで広が り、そのジャンルについても、騎士道物語、歴史書、演劇の台本など宗教書以外のも のも増えた。とはいえ、中世末期になっても、宗教書が写本のかなりの部分を占めて いたことには変わりがない。とくに、信徒が個人的に使用するための祈りの書である じとうしょ 「時祷書」は、14~15 世紀に最も大きな成功をおさめ、広く出回った。 写本の歴史とともに華やかな装飾の技法も発達し、細密画(ミニアチュール)と呼ば れる挿絵が写本を彩った。文字を装飾する技法もさまざまに考え出される。イニシャ ルと呼ばれる、単語や文章や段落の最初の文字の装飾については、もともとは単に文 字を大きくして目立たせたものに過ぎなかったのだが、次第に人物や動植物や幾何学 模様などが取り入れられるようになった。また、本文やページ全体を縁取り引き立た せる枠組の装飾には、植物の茎や蔓のモチーフがよく用いられた。写本装飾は民間の 工房の出現とともに都市に住む写本装飾師の仕事となった。その多くは女性であった という。 富裕な市民や王侯貴族の注文で制作された写本のなかにはたいへん豪華で美しい ものもある。また、文学や書物の歴史を語るうえで貴重な写本もある。このコーナー ではこのような美しい写本や貴重な写本を出展している。