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出産をめぐる地域のつながりと船霊信仰
平成 26 年度みんぱく若手研究者奨励セミナー 発表要旨 出産をめぐる地域のつながりと船霊信仰 ――香川県伊吹島を事例として―― 日本学術振興会特別研究員(PD)伏見 裕子 本発表は、香川県観音寺市伊吹島を事例とし、船霊信仰が出産をめぐる地域のつながりに与えた影響 とその変化について明らかにするものである。 先行研究において、地域の信仰と出産文化との関わりが主題とされることは稀であったが、地域の寺 社への信仰や民間信仰が出産のありように与える影響は決して小さくない。特に、信仰が出産のけがれ 観と関わる場合、産婦は隔離や忌避の対象になりやすい。本発表では、こうした傾向が顕著にみられる 地域の例として伊吹島を取りあげ、出産をめぐる人々のつながりの変化を船霊信仰との関連で検討する。 香川県の西端に位置する伊吹島は、周囲 5.4km、面積 1.05 ㎢の小さな島である。漁業が非常に盛んで、 イリコの島として知られる。2010 年現在の人口は 590 人であるが、人口が最も多かった 1950 年には、 4325 人にも達していた(国勢調査)。 伊吹島では、戦前期から打瀬船をはじめとする無動力船によって漁が行われており、漁業は島の暮ら しの中心であるとともに死と隣り合わせの営みでもあった。こうした状況下で、漁の安定と安全を願う 漁師の船霊信仰は大変篤く、船霊が嫌うとされる出産のけがれを避けることが、いわば島の掟であった。 島の女性たちは、出産すると出部屋と呼ばれる島共有の産屋に入り、新生児とともに産後の約 1 ヶ月間 を過ごした。出部屋は男子禁制で、女性が出部屋に入る際には親類や近隣の女性が荷物を運び、普段は あまり食べることのできない米を出産祝いとして持って来てくれた。そして女性の家族は、貴重品であ る水や燃料を出部屋に運び込んだ。同時期に出部屋で過ごした者同士には、 「出部屋友達」という特別な 関係が生まれ、女性が約 1 ヶ月間の出部屋生活を終えて帰宅すると、家族は出産祝いをくれた人全員に 「出部屋飯」をふるまった。出部屋を中心とした女性たちのつながりは、十分な人手や経済的余裕のも とに成り立つものであり、伊吹島の漁村としての繁栄と密接に関わっていたのである。 そして、戦後に漁船の動力化が本格的にすすめられても、1950 年代頃までは、産後の女性が出部屋に 行くことが当然視されていた。普段姑と同居する女性の多くは産後の出部屋生活を満喫していたが、出 部屋に違和感をもつ女性などもおり、そうした女性をも利用者として取り込みながら出部屋が存続して きたのは、出産のけがれというものが長らく島全体の規範として作用していたことの証左である。 しかしながら、漁船の動力化によって漁の安全性が向上すると、漁師の船霊信仰は徐々に弱まり、ま た漁法の発達と過当競争が水産資源の減少を招いて、漁業不振にもつながった。1950 年代後半には、漁 師が艀運送業などに転業して、夫婦で神戸や大阪へ出稼ぎに行くケースも目立つようになる。そして、 実家の「跡取り」夫婦が出稼ぎ等で不在になった場合、その姉妹にあたる女性は産後気兼ねなく実家で 過ごすことが可能になった。女性たちは、実家を代替として徐々に出部屋から離れていったのである。 このように、島の産業構造と家族形態の変化によって、出産のけがれ観から生み出された島内の規範は 個人の意識の問題へと変化した。1960 年代中頃になると、女性たちは家族の事情を勘案しながら、出産 場所や産後の居場所を自ら選択するようになったのである。 そして 1970 年の春を最後に、出部屋を利用する人はいなくなった。女性が産後を実家で過ごすように なると、家のことも身の回りのこともすべて実母に世話してもらえるため、従来けがれゆえに禁じられ ていた神棚へのお供えなどをする必要はなく、けがれが意識されることも少なくなっていった。 以上のように、伊吹島においては、船霊信仰と深く関わる出産のけがれ観が規範として働いていたか らこそ、出産が地域の関心事となっていたのであり、船霊信仰の影響力が弱まって出産が家族のものに なると、けがれ観が潜在化するケースもみられるようになったのである。