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主要国・地域の合併規制について
Vol. 054 WTO/FTA Column 2009/9/29 Japan External Trade Organization International Economic Research Division 主要国・地域の合併規制について 日本企業による対外国企業 M&A が活発化し企業の成長戦略として定着しつつある中、各 国・地域の競争当局の合併規制(M&A の競争法適合審査)への対応がますます重要となって いる。日本国内における企業合併では、独占禁止法対策は公正取引委員会への事前相談に より処理されるケースがほとんどであるが、米国や EU、さらに中国でも一定規模以上の M&A は、法律に基づき当局への事前届出が必要である。各当局からの承認が得られない M&A は 原則実施できない。競争ルールは WTO の規律外であり、合併を検討する企業にとっては、 各国・地域ごとの届出の実務の把握が不可欠である。さらに合併規制の審査上のポイント となる基本概念(例えば「市場の画定」や「市場支配力」、「市場集中」など)も理解して おくことが望ましい。 はじめに グローバルな企業活動が進むに従い、業界内再編を伴う M&A(企業の合併および買収) が世界的に活発化している。世界のクロスボーダーM&A は 2004 年から拡大し、2006 年か ら 2008 年まで3年連続で1兆ドルを超えた。2008 年以降、先進国経済の後退から企業の M&A 活動もやや減尐している(注1)ものの、各業界で生き残りをかけた業界内再編の流 れは続いており、中長期的には今後も再編を伴う企業の大型化は進むとみられている。日 本企業による対外 M&A は 2008 年に 59.8%増の 652 億ドルと過去最高を更新した。M&A を活用して、規模の拡大と共に海外市場の獲得や新規分野への進出などを図る動きは企業 戦略として定着しつつある。 M&A 実施にあたっては、適正な買収金額の算出や、関連法規、税制など様々な考慮が必 要である。中でも、各国の競争法への十分な対応の必要性が高まっている。近年の大規模 M&A は各国国内市場における競争環境を歪曲させるとの懸念を生み、その結果それを取り 2008 年の世界のクロスボーダーM&A 総額は、前年比 25.0%減の1兆 2,131 億ドル、 2009 年上半期は前年同期比 64.5%減の 2,252 億ドル。 『2009 年ジェトロ貿易投資白書』 (ジェト ロ、2009 年9月) 1 1 締まる各国・地域の競争当局による合併規制(注2)の重要性が増している。例えば 2008 年はビール業界で、ベルギー・インベブが米アンハイザー・ブッシュを買収し、業界最大 手 ABI が誕生した。2009 年6月には資源最大手の豪 BHP ビリトンと業界2位の英リオ・ ティントが鉄鉱石部門の事業統合で合意した。この結合が実現すれば日本の鉄鉱石輸入の 6割を支配することになるなど影響力が大きいため、各国の競争当局は目を光らせている。 対象はこのような大型案件だけではない。後述するように米国の届出基準では 6,520 万 ドル(約 60 億円)超の株式あるいは資産の取得から審査の対象になっており、中規模の M&A であっても合併規制の対象から逃れることはできない。また、従来は米国および EU への対応で必要十分であったところ、2008 年以降、中国の競争法への対応も無視できない。 本稿では、主要国・地域(米国、EU、および情報の入手が可能な範囲で中国)と日本の比 較を交え、M&A における競争法上の問題を、合併規制を中心に概観する。 1.合併規制の意義と目的 <なぜ合併規制への注意が必要か> 世界的に競争法(カルテル規制や合併規制など独占禁止法分野の法制)を導入する国が 増加している。世界で競争法を導入済みの国・地域は 100 を越えた。アジアでは中国独占 禁止法(2007 年制定、2008 年8月施行)をはじめ、ベトナム競争法(2004 年制定、2005 年施行) 、シンガポール 2004 年競争法(2004 年制定、2006 年施行)、タイ取引競争法(1999 年制定・施行)など、過去 10 年で法整備が急速に進んでいる。東アジアで競争法制定が進 んだ背景としては 1997 年のアジア通貨危機の結果、経済安定化の施策のひとつとして IMF などの国際機関や日本をはじめ先進国の法整備支援が進められ、その中で競争法の制定が 。 重要な要素と位置づけられたことが挙げられる(注3) M&A において合併規制への注意が必要なのは、企業が M&A を実施するに当たって、多 くの競争当局は事前審査制度を導入しており、ひとつでも審査の結果 M&A の承認(以下、 クリアランス)を得ない場合、M&A の実施が困難になるためである。当局のクリアランス を得ずに合併を強行実施することは、当該国での市場を失うことに等しいため、原則とし て企業は関係当局のクリアランスを待って、合併を完了させる。そのため、M&A を計画す るにあたっては、どの当局から、場合によってはどのような条件付きのクリアランスが必 要か早期に確定しておく必要がある。入手しておくべき情報としては、①各当局の要求す る届出要件(一定額以上の株式または資産の取得や、管轄域内における売上高など) 、②二 次審査(詳細な審査を求められた場合)において当局に提供すべき企業情報の内容、③実 質審査基準(当該関連市場の画定方法、市場におけるシェアの基準など) 、④問題解消措置 の想定と対応策(条件付きでクリアランスが得られる場合、合併により影響を受ける競争 環境是正のために合併当事者が採る措置:特定の株式の保有制限、代償金の支払い、一部 2 合併規則は「企業結合規制」 、 「M&A 審査」などの用語が用いられる場合もあるが、本稿 においては、検討対象の呼称を「合併規制」に統一する。 3 「東アジアにおける競争法の整備状況」 (2008 年、公正取引委員会) 2 の事業部門の企業分割など)などが挙げられる。 <域外適用の理論> 現代の競争法の執行では、ある当局の管轄域内に、M&A 当事国の子会社・支店・駐在事 務所などを設けていない場合でも、合併企業の誕生により、当該域内に競争制限効果を及 ぼすと当局が判断する場合は、当該国の競争法が適用されることが一般化している。例え ば、EU 域内に輸出をしているだけであっても、合併によって、寡占環境が進み、当該産品 の市場価格に影響を及ぼすような場合には欧州委員会 EU 競争総局は、合併の規模に応じ て審査を実施する権限を有していることになる。従って、合併を実施する輸出企業は合併 の規模によっては、欧州委員会に事前届出を行う必要がある。このように、管轄領域内に 競争制限効果を及ぼし、それにより自国競争法の違反に該当する行為には自国競争法を適 用する立場を、効果主義による競争法の域外適用という。反対に、法律の効果をその国の 領域内のみに適用され、外国には及ばないという原則を属地主義という。企業活動のグロ ーバル化によって、競争法の適用を属地主義の立場でのみ執行したのでは、国際カルテル などの反競争的行為を十分に取り締まることができないなどの観点から、米国、EU はじめ 尐なからぬ国(とりわけ OECD 諸国)が、効果理論の立場を採用している(注4)。日本も 公正取引委員会の独占禁止法渉外問題研究報告書(1990 年)が、 「外国企業が日本国内に物 品を輸出するなどの活動を行っており、その活動が我が国独占禁止法違反を構成するに足 る行為に該当すれば、独占禁止法に違反して、規制の対象となると考えられる。 」として効 果理論を認めている。実際、2008 年には BHP ビリトンとリオ・ティントの合併計画につ いて、公正取引委員会は日本鉄鋼連盟などの要請を受けて,同案件の独占禁止法違反被疑 。合併が独占禁止法第 10 条(会社の株式保有の制限)に違反し,日本 審査を行った(注5) の鉄鉱石およびコークス用原料炭市場における競争を実質的に制限しているとの疑いであ る(合併撤回により審査は途中打ち切り)。外国企業同士の M&A に対して独占禁止法上の 審査手続きが開始された初めての事例である。公正取引委員会は増加する「国際的企業結 合案件の審査」について、今後も「積極的で厳正な法執行」を行っていく方針を示してい る(注6) 。 このように競争法の域外適用が、理論から実践へ発展していったことは、M&A を実施す る企業にとっては、クリアランスを得なければならない当局が増えることを意味する。も ちろん、現実的には国際的な企業合併に対して審査を行う競争当局は限られており、日米 EU など主要国・地域は、これまでの取組から合併規制はある程度の収斂がみられるため、 4 「2008 年版不公正貿易報告書」 (経済産業省、産業構造審議会)349 ページ。 BHP ビリトン、リオ・ティントの両社は日本子会社を有しているため厳密な意味で域外 適用に当たるかはともかく、日本子会社に帰属する国内売上高が非常に小さく、現行独占 禁止法上の事後報告の対象(国内売上高 10 億円以上の外国会社、改正前独占禁止法 10 条 4 項)にならなかったにもかかわらず審査手続きに踏み切った。狛文夫・阿江順也「M&A に 関係する改正独禁法の概要」MARR2009 年9月号、12-19 ページ。 6 2009 年3月 10 日、竹島公正取引委員長は日欧産業協力センターセミナー「グローバル経 済と EU 合併審査」における講演において、方針を示した。 5 3 審査への準備の全てが個々の当局毎の対応ということではない。とはいえ、主要国の審査 にはそれぞれ特徴があり、それぞれ十分な準備が必要となることに変わりはない。 <合併規制の目的の変化> 合併規制の目的は市場の集中を防止することにより、反競争的行為や競争が阻害されや すい環境の形成を防ぐことであると考えられる。市場の集中とはある商品市場や特定地域 (地理的市場)において、競争者が減る、もしくは競争者のシェアが高まる状況を意味す る。市場の集中には、独占の形成はもちろんのこと、寡占の強まりも含む。複数社の場合 でも各社のシェアが高まることで寡占協調(カルテルの存在有無に関わらず、暗黙に価格 引き上げなどの反競争的行為をとる動機が働く場合も含む)が生じ、当該市場における価 格が上昇し、消費者に悪影響を及ぼすからである。 一方では、企業規模を大きくすることによって経営の効率化が達成されることもあり、 合併が経済厚生の観点からメリットを生む場合が尐なくない。他方、産業育成の立場から は巨大資本の形成は、中小企業の市場参入の機会を損なうとの見方もある。合併規則の執 行は、このような多様な価値のバランスの上に成り立っている。 合併規制の目的の変化は競争法の発展の早かった米国をみると分かる。合併規制の規定 であるクレイトン法(1914 年制定、1950 年改訂)第7条が、シャーマン法第1条(カルテ ル・談合等水平的制限行為の規制)では合併を十分規制できないため、規制を強化する目 的で立法された(注7)過程もあり、規制の適用基準を、 「競争を実質的に減ずる可能性(may be substantially to lessen competition)」のある合併としているように、当局に広く規制を 行う権限を与えていると読める。1960 年代までは、中小企業保護の立場や、特定企業への シェアの集中(市場の集中)が高まるほど価格引き上げに結びつくという伝統的産業組織 論からクレイトン法が厳格に適用される方向にあった。 これに対し、1970 年代以降の米反トラスト法の適用は、規制を緩和し合併を広く容認す る立場へと移っていった。背景には米国経済の競争力が鈍化するにつれ、経済効率を重視 する理論(シカゴ学派)の影響力が増大したことが挙げられる。シカゴ学派は、新規参入 が阻害されていなければ、独占企業といえども参入を想定した価格を設定せざるを得ず、 実質的には競争状態と変わらない、また、独占や寡占を規制すると企業競争が働かないた め当局は過剰介入となってはならない、というのが基本的な立場と整理できる(注8)。シカ ゴ学派の立場では、市場のコントロールが働かない状況下では、合併により市場の集中が 高まったとしても合法とする。 実際、1992 年(1997 年改訂)米国合併ガイドラインでは、 「市場支配力」 (Market Power) を形成・増幅する合併(のみ)を阻止することを目的としている(注9)。市場支配力とは、 滝川敏明『日米 EU の独禁法と競争政策(第3版) 』(青林書院、2006 年)182 ページ 2009 年7月 28 日公正貿易センターセミナー「米国オバマ政権下における反トラスト法執 行の新方針」における松下満雄教授の解説による。同解説はシカゴ学派の独占に対する立 場に関してであるが、大枠ではこの説明は合併規制についても該当すると考えられる。 9 “... Mergers should not be permitted to create or enhance market power or to facilitate its exercise.” US Department of Justice & Federal Trade Commission, Horizontal 7 8 4 日本の企業結合ガイドラインでは、 「価格等をある程度自由に左右することができる状態」 と表現されている(注10) 。ブッシュ政権下でシカゴ学派のスタンスは加速したと評価され ており、米最高裁判決もこの立場に基づいた判例法が形成されている(注11) 。 市場支配力を形成・強化する合併を禁止することを目的とする立場は、今日では米国だ けでなく EU や日本においても共通となっているとみられる(注12)。ただし EU の場合は、 「域内共同市場の実現」という別の目的もあるため、域内での業界再編を伴う M&A を促進 する方向にあり、この点は合併規制の位置づけとして EU 独自の性格といえる。また中国 では、後述するように合併規制を国内の産業保護的な目的で活用する傾向がみられる。 <合併規制の対象となる M&A> M&A は概念的にはすべて合併規制の対象となるが、届出対象は当局によって異なる。EU や中国の場合は合併および企業支配の取得が届出対象となる。米国の場合は、一定額以上 の株式や資産の取得が対象であり、合併や支配の有無は関係ない。 M&A は「合併と買収」であるが、今日では M&A は、必ずしも経営の統合を伴う資本関 係に限らず、大口の株式や資産の取得を広く M&A データとして扱う場合も尐なくない(注 13) 。本稿では合併とは、当事者の尐なくとも一方の独立性が失われる程度の企業の結合関 係を指し、持ち株会社の設立なども含む。つまり A 社と B 社が持ち株会社(C 社)を設立 し、C 社が A 社、B 社の株式を所有するような統合も対象となる。株式や企業資産の取得 が尐数資本参加に当たる場合は買収に当たる。実際には、合併という結果を生む場合でも、 株式や資産の取得という行為自体は買収と呼んでいることも多い。逆に公正取引委員会、 米国反トラスト法、EU 競争法においては、買収を含む規制対象を総称して「合併(Merger) 」 と呼ぶ場合もある。なお(3. )で後述するように EU 競争法では一定規模以上の合併およ び企業支配の取得のみを所管し、それ以外の取引は加盟国の競争当局が所管する。 合併規制において、対象となる合併の形態は水平合併(Horizontal Merger)と垂直合併 (Vertical Merger) 、さらにその混合(Conglomerate)に3分類されてしばしば説明され る。水平合併とは、同一市場における競争者間の合併である。いわゆる競争他社との合併 であり、最も多い合併の形態である。垂直合併とは、取引の川上、川下の関係にある企業 間の合併である。例えば自動車メーカーと部品メーカー(または販売ディーラー)の合併 Merger Guidelines (1992, revised 1997) Section 0.1: Purpose and Underlying Policy Assumptions of the Guidelines 10 白石忠志『独禁法講義(第4版) 』 (2009 年、有斐閣)では、市場支配力を「競争変数(価 格、品質、数量、その他各般の条件)が左右され得る状態」と説明している。 11 ただし、オバマ政権下ではヴァーニー反トラスト局長が、2009 年5月の演説で反トラス ト法の執行強化を提唱しており、シカゴ学派からの転換を意図したものとして注目されて いる。 “Vigorous Antitrust Enforcement in this Challenging Era”, Christine Varney (May 11, 2009) 12 滝川、前掲注7、214 ページ。 13 トムソン・ロイターの M&A データは、5%以上の株式が移動した案件(株式の取得) 、 もしくは取引金額が1件 100 万ドル以上でありかつ3%以上の株式が移動した案件を含む。 すなわち、大口資本参加や、一部事業部門の売却なども M&A データに該当する。 5 が垂直合併にあたる。垂直合併の場合は、川上企業が川下企業を押さえることにより、取 引制限(供給抑制)や排他的取引の強要など支配的地位の濫用に繋がり得ることが問題で ある。垂直合併は米国では規制例が多いが、EU では 2008 年に非水平合併ガイドラインが 導入された(2008/C265/07)ばかりであり、実例の蓄積は尐ない。混合合併は、異なる産 業間での合併である。混合合併は米 EU では規制があるが、日本では混合合併に関する規 制自体、合併規則の中に見当たらない。混合合併は、競争制限効果はあるとしても間接的 であり、規制の必要性は薄いとみられている(注14) 。 いずれの形態でも、実際に競争が制限されるのは該当する水平市場に対して(つまり競 合他社への競争制限効果)であることに変わりはないので形態による分類自体は形式的な 整理の意味合いが強いとみられる。以下では、主に水平合併を念頭において検討する。 2.市場の画定と市場集中度 <市場とは、合併規制において何を意味するか> 今日の合併規制は、市場の集中を防止することで、競争市場における価格よりも高い価 格を維持することなど競争条件をコントロールできる力(市場支配力)の行使を防ぐ目的 で運用されている。しかし「市場(注15)」の範囲が明確に画定されない限り、市場支配力 を認定することは不可能である。 例えば飲料メーカー同士の水平合併によって誕生した X 社は、清涼飲料市場におけるシ ェアは 20%だが、炭酸飲料市場においては 50%のシェアを持つとすると、いずれの市場を 検討対象とすることが妥当なのかが問題となる。これが商品市場の画定である。また、X 社 は EU 域内のある加盟国において 50%のシェアを持つが、EU 全体では 20%のシェアであ るとする場合も市場をどう定義づけるかによって競争市場への影響(また EU の場合所管 する競争当局)は変わってくる(地理的市場)。このように、合併規制の適用においては、 商品市場の画定と、地理的市場の画定が重要となる。 さらに、すでに前節・合併規制の目的で検討したとおり、寡占市場においては市場支配 力の程度を計るには当該合併企業のシェア(市場占有率)だけでなく、市場集中度(上位 何社でどれだけの市場シェア累計があるか)が問題となる。すでに述べたように、寡占状 態の形成が実質的に市場支配力を及ぼす場合があるためである。 <どのように市場を画定するか(SSNIP テスト)> 市場の画定は、基本的には需要者にとっての代替性という観点から判断される(企業結 合ガイドライン第2の1) 。需要者にとっての代替性とは、ある商品を求める需要者が、ど の程度それに近い商品であれば代替品として受容できるか(例えば炭酸飲料を求める人が 果汁飲料を代替品とみるかどうかなど) 、もしくは購入先としてどこまでの範囲(A 店で購 14 滝川、前掲注7、181 ページ 白石、前掲注 10、23 ページによれば、 「市場」とは「複数の供給者が、同一の需要者に 対して、商品役務を供給しようとする場」と定義される。また公正取引委員会「企業結合 審査に関する独占禁止法の運用指針(企業結合ガイドライン)」では、市場を「一定の取引 分野」と表現している。 15 6 入できない場合、徒歩圏内までであれば買いに行くか、電車で数駅までか、など)といっ た需要者にとっての選択肢の広さのことである(注16)。需要者にとっての代替性を量る指 針としてしばしば用いられる基準が SSNIP(Small but Significant and Nontransitory Increase in Price)テストである。このテストでは、合併の結果、想定される最小単位の市 場(例えば炭酸ソーダ飲料)において市場支配力を有する独占企業が誕生したと仮定する。 この仮想独占企業が、小幅ではあるが実質的で一時的ではない程度(通常は5%程度を想 定し、産業特性によって調整する)値上げを行った場合に、その値上げによる仮想独占企 業の利益を失わせるだけの数の顧客が他の商品(隣接製品、例えば果汁飲料)に移行する のであれば、その隣接製品も同一製品市場に加えるというテストである。このテストを繰 り返して、隣接製品への乗換えが起こらなくなった場合に、商品市場が画定される(注17) 。 米国では 1982 年の合併ガイドライン以降、市場画定において SSNIP テストを導入して いる。EU でも 1997 年市場画定ガイドラインで、日本でも 2004 年に公正取引委員会の「企 業結合ガイドライン」で、それぞれ SSNIP テストを市場確定の基準として導入している(た だし SSNIP 基準は唯一の基準ではなく、商品の機能および効用の同種性からも関連商品市 場を画定する(注18) ) 。中国商務部が 2009 年1月に発表した「関連市場の画定に関するガ イドライン(草案) 」においても、第 10 条で SSNIP テストを導入している。 地理的市場の画定においても SSNIP テストが適用される。商品市場においては商品別で 最小単位の市場を想定したように、仮想独占企業が商品を供給する最小区分の地域市場を 想定し、SSNIP テストを繰り返して、仮想独占企業が行う値上げに対して、その利益を失 わせるだけの数の顧客が隣接地域の企業の商品へ乗り換えない範囲が、地理的市場となる。 もっとも、地理的市場の場合は、輸送費や顧客の移動費用、地域による税制等規制の差異 など、商品金額以外の要素の考慮が必要となる。地理的市場の最大単位は世界市場である 。つまり外国企業を競合他社として検討することもある。 (注19) <市場集中度の判定(ハーフィンダール・ハーシュマン指数)> 市場における競争状態をみるには市場占有率(シェア)だけでなく、市場集中度をみる 必要があることについて、例を挙げて検討してみる。例えば、ある商品市場に ABCD の4 社が競争環境にあるとし、各市場占有率を A:45%、B:30%、C:15%、D:10%とする。 このとき、C 社と D 社が合併すると、合併 CD 社のシェアは 25%で、当該市場での各社の 売り上げ順位に変動はない。一見すると CD 社単独では価格の上昇に結びつく市場支配力 を有していないように考えられる。しかし、競争者が減ったことで、価格を引き下げる市 場競争よりも、高い価格を維持する行動が利益となる環境が形成される場合がある。言い 16 企業結合ガイドラインでは「供給者にとっての代替性」という概念もある。これは例え ば、電気機器メーカーがテレビゲーム市場に参入できるかといった、隣接製品への参入の しやすさである。しかし基本的には市場の画定は需要者にとっての代替性に基づく。 17 越知保見『日米欧独占禁止法』 (商事法務、2005 年)456-457 ページ参照。 18 公正取引委員会「企業結合ガイドライン」第2の2(12-13 ページ) 19 コダック事件では、写真フィルムの地理的市場が世界全体であると米国控訴裁判所が判 断した。United States v. Eastman Kodak Co., 63 F. 3d 95 (2d Cir. 1995) 7 換えれば、市場の寡占化が進んだことで、カルテル等の明示的な協調行動がなくても、実 質的に市場支配力が高まり価格を引き上げる可能性が生じるとみるべきである。 このような暗黙の寡占協調の可能性は、市場の集中度が高いほど高まる。当該市場にお ける各社の市場シェアから市場の集中度を計る指標として、日米 EU のガイドラインで導 入されているのがハーフィンダール・ハーシュマン指数(HHI:Herfindahl -Hirschman Index)である。HHI は、各社のシェアの2乗の合計で表される。例えばある市場に競争者 が 10 社で、各社のシェアが 10%だったとすると、HHI は 1000 ということになる。米 EU では、HHI1000 以下では暗黙の寡占協調の可能性は低く、市場集中の問題はないと規定し ている。また HHI が増加すると、市場集中度が高まったことになる。しかし、合併前の市 場において HHI の数値が高くても、 増加分が小さければ市場の競争状態に変化は生じない。 つまり、HHI をみる場合は、絶対値と増加率の両方をみる必要がある。前の事例では、次 のとおりとなる。 CD 合併前の HHI=45×45+30×30+15×15+10×10=3250 CD 合併後の HHI=45×45+30×30+25×25=3550 現行のガイドラインでは、日米 EU とも、HHI を採用しているが、適用水準はそれぞれ 異なる。例えば、日本の企業結合ガイドラインでは、「競争を実質的に制限することとなる は通常考えられ」ない場合、すなわち安全圏の合併のひとつとして、「企業結合後の HHI が 2,500 を超え、かつ、HHI の増分が 150 以下である場合」を挙げている。先ほどの例で は、HHI は 2,500 を上回っており、かつ、増分は 300 であるので、競争を制限しないとい う通常の推定は働かない、つまり競争が制限されるおそれのある合併にあたり、さらなる 検討が必要ということになる。 もちろん、安全圏に該当しないというだけでは、市場支配力の形成もしくは増幅を判定 する要素足りえないため、企業結合ガイドラインでは市場シェアや順位、新規参入の容易 さ、輸入圧力など他の要素から総合的に判断するとしている。特に、新規参入がどの程度 容易に可能であるかは重要な要素である。市場集中度が高くても、新規の参入可能性が確 保されていれば、市場支配力を行使できないというのが、前述のシカゴ学派の立場であり、 実際そのようなケースもありうる。従って、HHI は競争状態の変化をみる一つの要素では あるものの、絶対的な指標ではないが、実際、米国、EU、また日本のガイドライン・合併 規則で採用されている以上、ある程度有力な指標であるとみるべきである。 <米国・EU の HHI 適用基準> 以下では、米 EU の合併ガイドラインにおける HHI の適用基準を紹介する。基準の目的 は主に、 「安全圏」を示すことによって、合併を検討する企業への予見性を高めることにあ るとみられる。日本の場合と同様、指数の上では安全圏に該当しない場合でも、HHI 基準 以外の種々の要素も含め、総合的に市場支配力の形成・増幅が判定されることになる。 米国の 1992 年水平合併ガイドライン(1997 年改訂)では以下のとおりの一般的な基準 を示している(注20) 。 20 “Horizontal Merger Guidelines”, 前掲注9、 Section 1.5: Concentration and Market 8 a. 合併後の HHI が 1000 未満の場合は、当局は市場の集中が存在しないと判定し、通常 は他の観点からの分析を行わない。 b. 合併後の HHI が 1000 以上 1800 以下の場合は、当局は緩やかな市場集中が存在すると みなす。ただし、合併前比で、HHI の上昇が 100 以下(less than)の場合は、反競争 的な影響は認めにくいため通常は他の観点からの分析を行わない。100 以上(more than)の上昇が認められる場合は、さらなる検討が行われる。 c. 合併後の HHI が 1800 以上の場合は、当局は高い市場集中が存在すると判断する。た だし合併前比で、HHI の上昇が 50 以下の場合は反競争的な影響は認めにくいため通常 は他の観点からの分析を行わない。 上昇が 50~100 の場合は、さらなる検討が行われる。 上昇が 100 を超える場合は、合併によって市場支配力が形成もしくは増幅されたこと、 すなわち違法性を推定する。ただし、他の要素の検討によっては合法となる場合もある。 このように HHI に基づいて、第一次的な市場支配力の判定が行われ、その結果に応じて HHI に基づく市場集中度以外の要素も検討される。とりわけ重要となるのは新規参入がど の程度容易であるか、という点である。シカゴ学派の理論では新規参入が阻害されていな ければ実質的な競争状態が維持され、合併企業は市場支配力を有しない。また、経済効率 の向上という観点も考慮されるため、実際には HHI が 1800 を大きく上回るケースにおい ても、合併が合法と認められる場合が尐なくない(注21) 。 以上は、寡占協調における市場支配力の形成にかかる基準であるが、単独での市場支配 的な地位の目安としては、米国の場合は市場シェア3分の2程度とみられる(注22) 。 次に、EU の 2004 年水平合併ガイドライン(注23)においても、市場集中の安全圏の目 安となる HHI レベルを明示している(19~20 項) 。 19 項 合併後の HHI が 1000 未満の場合は、競争上の問題は存在しないと判定し、詳細な 分析は行わない。 20 項 合併後の HHI が 1000~2000 かつ合併による増加分が 250 未満の場合、また、2000 以上かつ合併による増加分が 150 未満の場合は、原則として競争上の問題は存在しないと 判定する。ただし、例外として合併当事者の一方が 50%以上の市場シェアを有する場合、 などを挙げている。 21 項では、HHI レベルは第一次的な判定基準であって、競争上の問題性の有無の推定に 直結するものではないとしている。 Shares(1.51 General Standards) 21 滝川、前掲注7、190 ページによれば、2001 年のハインツ事件控訴裁判決を例に挙げ、 「近年においては、反トラスト当局と裁判所の双方が、合併の効率抗弁に配慮する姿勢を より明確にしてきている」 。 22 柴崎洋一弁護士資料(2009 年3月 16 日国際商事法研究会)によれば、米国司法省のレ ポートでは、米国における市場支配的な地位とは 50%以下での「私的独占」を認めず、66% を基準とし、 “substantially disproportionate to any pro-competitive effects(あらゆる競 争環境に対して実質的に不均衡な影響を及ぼす:筆者意訳)”ことを指す。 23 “Guidelines on the assessment of horizontal mergers under the Council Regulation on the control of concentrations between undertakings” (2004/C 31/03), Official Journal of the European Union 9 またガイドライン 17 項では、市場支配的な地位(dominant position)の目安として市 場シェア 40~50%、場合によっては 40%未満でも市場支配的な地位の形成もしくは増幅に つながると述べている。 EU 競争法においても、市場支配的地位は市場集中度や市場シェアだけでなく、新規参入 (68 項)や、バイヤーパワー(64 項、需要サイド優位の市場環境であれば、供給者サイド のシェアや市場集中度が高まっても市場支配力は形成されないという観点)など他の要素 も考慮される。 中国の企業結合関連文書では、これまで公表されている範囲では、HHI 基準への言及は 明示されていないとみられる。 3.届出基準 前節では規制の実質的な規制対象となる合併の範囲を、市場の画定と市場集中という、 市場支配力を判定するために重要な2つの要素から検討した。これらの要素を判定するの は競争当局側であり、企業としては、実際の実務としては、当局によって定められた届出 基準に従い、事前届出を行うことが義務となる。もちろん、市場の画定や市場集中度は、 届出の中でもある程度の説明が求められる上、届出の結果、審査が行われる際の争点にな るため、事前の情報収集や内部での検討を行っておくことが望ましい。 <届出基準の概要> 各当局は、企業が当局に対して合併実施に先立って(注24)届出を行うべき合併の規模を 法律や規則において明示している。届出義務の対象とならない取引であっても、当局が管 轄域内への競争環境への影響を考慮して必要と判断した場合は、当局によって審査が開始 されることもある。同じく、届出が行われなかった取引(外国企業間の合併など)に対し ても、当局が独自に審査を行うケースもある。合併当事者が届出義務を怠った場合、制裁 金等が賦課される。 以下では米国と EU の制度を中心に届出基準を概観する。米国と EU では、そもそも届 出の対象となる行為が異なる。EU の場合、合併理事会規則に基づく届出であり、合併規制 の対象は合併または企業支配の取得を意味する企業の「集中化(concentration)」である(注 25) 。ただし「集中化」は必ずしも議決権過半数を意味しておらず、実質的に支配が及んで いるかという観点が問題になる。これに対し米国では、米反トラスト法(クレイトン法) に基づく届出であって、企業合併に限らず、一定規模以上の株式(正確には議決権付き証 券)あるいは資産の取得を当局に届け出る必要がある。つまり米国の場合は、合併や支配 の取得に当たらない尐数資本参加なども届出対象となっている。 24 日本は会社の株式の取得については事後届出制度をとっていたが、諸外国の制度と調和 を図るために、平成 21 年度改正独占禁止法(2009 年6月公布、2010 年前半に施行)では、 株式の取得についても他の企業結合と同様に事前届出に変更されることになった。 25 集中化とは、合併または企業支配の取得(merger and acquisition of control)を意味す るとされている。越知保見「日米欧の企業結合審査手続と日本の手続の改正についての示 唆」国際商事法務 Vol.35, No.7(2007)、898 ページ。 10 <米国の事前届出基準> 米国の合併事前届出は、クレイトン法第7A 条を追加するハート・スコット・ロディノ法 (HSR 法)により 1976 年に導入された。現行法は 2008 年1月の改訂によるが、届出基準 となる金額自体は、2005 年以降、年度ごとの国民総生産に応じて毎年更新されており、現 基準は 2009 年1月に改訂されている。届出対象となる合併(株式または資産の取得)は、 HSR 法に従い連邦取引委員会および司法省反トラスト局双方(案件に応じて担当がいずれ かに振り分けられる)に対して届出を行い、かつ所定の待機期間が経過するまでは、取引 を完了してはならない(7A 条(a)) 。待機期間は、追加の情報提供を求められない場合(つ まり合併二次審査の対象とならない届出)は、通常 30 日間である(現金による公開買い付 けの場合は 15 日間) (7A 条(b)1) 。 。 届出基準は大きく2段階に分かれている(7A 条(a)2) ① 2億 6,070 万ドル超の株式(voting securities)あるいは資産(assets)を取得する場 合は無条件で届出が必要。 ② 6,520 万ドル超、2億 6,070 万ドル以下の株式あるいは資産を取得する場合は、当事者 の規模に応じて追加の基準に従い、以下の i)~iii)に該当する場合に、届出が必要となる。 i) 年間純売り上げ(annual net sales)あるいは総資産が 1,300 万ドル以上の、製造 業に従事する者の株式あるいは資産を、年間売り上げあるいは総資産が1億 3,030 万ドル以上の者が取得する場合 ii) 総資産が 1,300 万ドル以上の、非製造業に従事する者の株式あるいは資産を、年 間売り上げあるいは総資産が1億 3,030 万ドル以上の者が取得する場合 iii) 年間売り上げあるいは総資産が1億 3,030 万ドル以上の者の株式あるいは資産を、 年間売り上げあるいは総資産が 1,300 万ドル以上の者が取得する場合 2000 年の改正法以降は米国における資産だけでなく、海外資産の取得の場合にも適用さ れることとなっている。前提条件として米国における通商(commerce)に携わっている、 あるいは米国内の通商に影響を与える活動である取引に限定されてはいる(7A 条(a)1)も のの、合併もしくは大口の株式あるいは資産取得を行う場合は、まずは HSR 法上の届出が 必要で可能性があることを考慮すべきである。 ただし、10%以下の株式あるいは資産の取得で、純粋に投資目的で行われるもの (acquisitions, solely for the purpose of investment)や、通常の動産・不動産の取得、関 係会社間取引(intra-person transaction)など、届出の対象とならない取引もあり、7条 A(c)1-12 に列挙されている。 HSR 法に違反(注26)した場合(届出義務を怠って合併を完了させた場合のほか、虚偽 報告など) 、違反行為1日あたり 16,000 ドルの民事制裁が課せられる(2009 年2月改訂)。 従前の 11,000 ドルから大幅な増額となった。 HSR 法の遵守は実質的遵守(substantial compliance)が求められ、完全な遵守(absolute compliance)までは求められていない。届出が不完全な場合は当局の求めに応じて情報を 補完することが認められる。越知、前掲注 17、704 ページ参照。 26 11 HSR 法に基づく報告フォームの情報は連邦取引委員会の HSR 法関連情報ウェブサイト (http://www.ftc.gov/bc/hsr/index.shtm)から入手可能である。情報としては、取引内容を はじめ、財務資料、市場シェア、競合他社、競争へのインパクトに関する評価などが求め られる(注27) 。 <EU の事前届出基準> EU の届出基準は合併規則第1条(注28)に規定されている。EU の場合、加盟国競争当 局との管轄権が問題となるが、「共同体規模(Community dimension)」の企業集中 (concentration)が EU 委員会競争総局への届出対象となり、その場合は加盟国の競争当 局への届出は必要ない。それ以外の場合は、各加盟国の競争当局の管轄に服する。ただし、 「共同体規模」に該当しない合併であっても、加盟国の競争当局が EU 委員会に移管する こともできる(第4条5)ほか、逆に「共同体規模」の案件でも、特定の加盟国の市場へ の関係性が強い場合は、委員会が加盟国の競争当局に移管することもできる(第9条)。そ の意味では、管轄権の問題は柔軟に対処されている。 また、EU 競争法の適用範囲は EU-EFTA 間の FTA に基づき、スイスを除く EFTA を 含めた EEA(European Economic Area)全体が対象となっている。 届出基準に該当する「共同体規模」の企業集中とは2つの類型がある。 ① 合併後の世界全体での売り上げの合計が 50 億ユーロ以上であり、かつ、合併参加企業 の尐なくとも2社の域内(EEA:EU プラススイスを除く EFTA)での売り上げがそれ ぞれ2億 5,000 万ユーロ以上であること。 ② A)合併後の世界全体での売り上げの合計が 25 億ユーロ以上であり、B)尐なくとも3つ 以上の加盟国における合併後の売り上げ合計が各1億ユーロ以上であり、C)その3つ以 上の各加盟国における合併参加企業の尐なくとも2社の売り上げがそれぞれ 2,500 万ユ ーロ以上であり、D) 合併参加企業の尐なくとも2社の域内での売り上げがそれぞれ1 億ユーロ以上であること、の4要件を満たすこと。 ただし、①②いずれの場合でも、各当事者の域内売上高の3分の2超が同一加盟国内で ある場合を除く。 欧州委員会競争総局への届出を怠った場合、世界全体の総売り上げの 10%までの制裁金 が賦課されるため、合併を計画している当事者は競争総局への事前相談を活用して届出の 必要性も含めて十分な検討を行う必要がある。 届出 内容 (Form CO) は委 員会 合併施 行規則 ( Commission Regulation (EC) No 802/2004)に基づき、当事者および合併に関する情報、市場画定に関する情報、市場の構 造、競争者、サプライヤー、生産・販売など多岐にわたる(注29)。基本情報は EU ウェブ サイトから入手することができる。 秋山真也『米国 M&A 法概説』 (2009 年、商事法務)239 ページ参照。 Council Regulation (EC) No 139/2004 of 20 July 2004 on the control of concentrations between undertakings (the EC Merger Regulation) 29 ヨナス・コポネン、木村智彦「EU 企業結合規制における欧州委員会の意思決定プロセ スの展開(上) 」国際商事法務 Vol.37, No.6 (2009)、738 ページ参照。 27 28 12 (http://ec.europa.eu/competition/mergers/overview_en.html) 米 EU のほか、中国の届出基準は、EU 同様世界売り上げと中国域内売り上げを基準とし ている( 「企業結合届出基準に関する国務院規定」) 。日本の独占禁止法上は、現行法では買 収会社については「会社並びにその直接の国内の親会社及び子会社の総資産の合計額 100 億円超」など、被買収会社については「単体総資産 10 億円超(国内会社の場合)」と、総 資産を基準としている。しかし、平成 21 年度改正独占禁止法施行後(2010 年以降)は、 国内売上高に基づく届出基準に変更される(表参照)。 表 日米 EU 中の合併規制における事前届出基準 表 日米EU中の合併規制における事前届出基準 米国 EU クレイトン法第7A条 根拠法令 理事会規則139/2004第1条 (ハート・スコット・ロディノ法) 届出基準 備考 中国 日本 企業結合届出基準に関する国務 独占禁止法第15条3項② 院規定第3条 ①2億6,070万ドル超の株式あるいは資産 の取得、または ②6,520万ドル超、2億6,070万ドル以下の 株式あるいは資産の取得であり、当事者 規模要件(被買収者の製造業、非製造業 別に、総資産額および国内年間純売上高 に基づく)に該当する場合。 ①買収側・被買収側の世界全体での総売 上高が50億ユーロ超、かつ、EU域内での 総売上高が2億5,000万ユーロ超、または ②世界総売上高が25億ユーロ超、かつ3 カ国以上の加盟国での売上高が1億ドル 以上、かつ少なくとも2当事者の3加盟国 での売上高が2,500万ユーロ超、かつ少な くとも2当事者の域内売上高が1億ユーロ 超。 ①当事者の前会計年度における世界全体 での売上高合計が100億元超、または ②当事者の前会計年度における中国域内 での売上高合計が20億元超の場合。 買収会社の中に、国内売上高の合計額が 200億円を超える会社があり、かつ、被買 収会社及びその子会社の国内売上高の 合計額が50億円を超える場合。 同一グループ内での企業再編については 届出を免除。 基準額は毎年見直されるため、最新の要 件は連邦取引委員会 (http://www.ftc.gov/bc/hsr/)より確認す る必要がある。 ①②とも各当事者のEU売上高の3分の2 超が同一加盟国内である場合を除く。 基準を満たさない場合は、「共同体規模」 ではないため、原則として各加盟国の管 轄となる。 ①②とも少なくとも2当事者の前会計年度 における中国域内での売上高が4億元を 超える場合に限る。 要件を満たさない場合でも、商務部が必 要と判断する場合、調査を開始する(第4 条)。 平成21年度改正独占禁止法(2010年施 行)に基づく。同改正により、会社の株式 取得についても、合併と同様に事前届出 の対象とした。届出基準は旧法では総資 産を基準にしていたが、改正法では国内 売上高に変更となった。 〔資料〕公正取引委員会、米国連邦取引委員会、欧州委員会、中国商務部資料より作成。 4.米中 EU の審査状況の概観 3.では主に米国と EU の事前届出の概要を、届出要件を中心に概観した。事前届出は 当局による書類審査(一次審査)を経て、多くの場合は問題なく承認(クリアランス)を 得られる。米 EU の当局資料に基づけば、一次審査クリアランスの実績は以下のとおりで ある。米国の届出は合併に当たらない株式あるいは資産の取得も対象となる上、手続き自 体ことなるため、横並びでみることは難しいが、90%以上は無条件でクリアランスを得ら れている。 当局がより詳細な審査が必要と判断した場合には、二次審査に進む。米・EU の審査は、 通常、一次審査(事前届出)段階における企業負担は EU のほうが、負担が大きいといわ れている。しかし、二次審査においては、米国の審査書類(第二次請求)の負担は EU よ りはるかに大きく、提出資料は「ダンボール数十個から数百個」 、資料準備に「最低でも4 。 カ月程度」が必要といわれる(注30) また、問題解消措置の履行を条件とした条件付き承認の決定がなされる場合もある。EU の場合、一次審査後、二次審査後の両方で認められている(表の「条件付き承認」は一次 審査のプロセス) 。当初の合併スキームの変更や事業の一部譲渡など様々な措置(注31)が、 越知保見「欧米の企業結合届出手続き実務の最先端」国際商事法務 Vol.36, No.12 (2008)、 1549 ページ。 31 公正取引委員会への事前相談に対する回答としては、他の供給者が牽制力を持つよう他 の供給者に工場等の資産を譲渡する、他の供給者にとって必須の原材料がコストベースの 平等条件で提供されるような仕組みを作る、などの問題解消措置がみられる。白石、前掲 30 13 委員会の決定に基づきとられる。最終的に当局によりクリアランスが得られず、裁判に持 ち込まれるケースはそれほど多くはないのが実情である。とはいえ、特に EU では、欧州 委員会が、2008 年 10 月に「合併の問題解消措置に関する改正告示」を採択したように、 問題解消措置を積極的に活用し、合併への現実的な対応をとる姿勢を示していることが挙 げられる。告示は 2004 年の現合併規則を実施する委員会規則 802/2004 を修正するもので ある。告示により、欧州委員会による審査の結果、特定の問題解消措置をとるという条件 付きで合併が認められる場合の条件や具体的措置が明確化された。告示によって合併当事 者にとっては、合併に伴い EU においてとるべき代償の内容や、M&A が承認されないケー スを予測しやすくなった。米国でも従来から、問題解消措置は広く活用されている。 表2 米 EU の事前届出クリアランス実績 年 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 HSR届出 4642 4926 2376 1187 1014 1454 1675 米国 第二次請求 111 98 70 49 35 35 50 裁判所付託 19 20 7 4 7 5 2 届出 276 330 335 277 211 247 313 無条件承認 225 278 299 238 203 220 276 EU 条件付き承認 16 26 11 10 11 12 15 二次審査 20 18 21 7 9 8 10 禁止 1 2 5 0 0 1 0 〔資料〕米国司法省反トラスト局および連邦取引委員会資料、欧州委員会競争総局資料より作成 2006 1768 45 10 356 323 13 13 0 (単位:件数) 2007 2008 2201 1726 63 41 2 14 402 347 368 307 18 19 15 10 1 0 総じて、米国および EU では、ときに問題解消措置を伴う「条件付き承認」を活用して、 競争環境の是正と、自由な企業活動の保障という二つの価値のバランスをとっていると評 価することができよう。米国・EU 当局の審査への対応は、M&A を実施する企業には事務 的に負担ではあるものの、これまでの実例を通じて、ある程度、結果の予測が可能な内容 となっている。 日本の場合は、ほとんどの事例が、法律の規定する手続き以前に、公正取引委員会に対 する企業からの事前相談とその回答というプロセスで解決されている。事前相談において 独占禁止法違反のおそれがあると回答された場合、企業側が問題解消措置を設計し、公正 。この慣行に 取引委員会にその措置で違反のおそれが解消されるかを再度相談する(注32) 慣れているため、日本企業は海外当局の法的なプロセスに戸惑う場合があるとみられる。 今、世界的に注目されているのは 2008 年8月に独占禁止法が施行されてまだ日の浅い中 国の審査への対応である。2009 年3月、中国商務省反独占局は米コカコーラ子会社による 中国の飲料メーカー匯源果汁買収計画を禁止する決定を下した。中国の競争当局が外国企 業の M&A を禁止した初めての事例である(注33) 。 注 10、111 ページ。 32 白石、前掲注 10、110-111 ページ。公正取引委員会への事前相談事例と企業の申し出る 問題解消措置は、公正取引委員会ウェブサイト「主要な企業結合事例」を参照。 (http://www.jftc.go.jp/ma/jirei.html) 33 独占禁止法施行以前の制度(2006 年9月施行「外国投資家による国内企業買収規定」 ) 下では、2年間で M&A の禁止措置はゼロ。ただし審査が長期化して事実上中止となった案 件が1件ある。 14 2009 年4月には、三菱レイヨンによる英ルーサイト買収に対して反独占局は条件付きで 買収を承認した。条件としてはルーサイト中国法人の年間生産能力の 50%を分離し、一括 して第三者に売却することや、買収後5年間は中国国内の同業他社を買収しないこと、さ らに買収後5年間の工場新設の禁止などが課せられた。条件付き承認は ABI の買収案件に おいて、ABI による中国ビール会社の株式保有を制限するなどの条件を付したのに続き2 件目となった。条件の内容は中国企業の保護を目的とした産業政策的な要素が強いことが 特徴である(注34) 。 独占禁止法施行以来 2009 年6月末現在、 商務部は 58 件の企業結合届出を正式に受理し、 審査の完了した 46 件のうち、禁止はコカコーラ案件1件、条件付き承認は三菱レイヨン、 およびベルギーのビール大手インベブと米国アンハイザー・ブッシュの合併の2件のみで、 残りの 43 件では M&A を無条件承認している(商務部ウェブサイトによる)。その限りで は、決して当局の対応が不当な介入であるとはいえない。他方、インベブ、コカコーラ、 三菱レイヨンいずれの事例でも、決定に至った十分な理由付けが欠如しており、現状では、 企業にとって当局の審査手法の予見性は乏しいところに問題がある。また、買収後5年間 の工場新設禁止という将来の投資に及んで規制する問題解消措置が発令されたことに、中 国への投資を行う企業が警戒感を持っているようだ。現在草案段階の各細則の施行と、今 後の事例蓄積の中で手続きが確立されていくこととなる。2009 年1月に公布された「企業 結合届出に関する指導意見」 、 「企業結合届出文書資料に関する指導意見」 、また 2009 年5 月に制定された「関連市場画定ガイドライン」などの実施規定の内容は欧米の審査と比べ ても広範かつ詳細な情報提供を企業に要求していると評されている。8月には独占禁止法 施行一周年を迎え、今後の中国当局の動向が注目されている。 結び 競争法分野のハーモナイゼーション(国際的調和)の必要性が国際的に唱えられる中、 WTO のドーハラウンドで「貿易と競争政策」が交渉議題から除外されたように、競争政策 は国家の経済面での主権に関わり、当局間の収斂は容易ではない。その中で、合併規則は 実務上の基準などは異なるものの、規制の目的や、事前届出方式の採用など、米国で先行 して実績が蓄積され、他の地域がそれに近づく形で一定の収斂がみられる(注35) 。 現在注目されている中国も、競争法の体系は EU を中心に、米国や日本の制度を参考に している部分が大きい。中国は独占禁止法の実施体制を急ピッチで整備しており、これま での審査の内容は不透明な点がぬぐえないものの、今後の実績の中で企業にとっての予見 性が高まっていくことが望まれる。 国際的に活動する企業にとって、合併に伴い多くの国への事前届出を提出しなければな 西村あさひ法律事務所リーガルフォーラム「企業結合と独禁規制」(2009 年5月 21 日) における川合弘造弁護士の講演によれば、工場新設の禁止は問題解消措置として、他に見 たことのない措置であり、産業政策的な面が強く、当局の審査の「恣意的な運用の懸念」 のおそれがあるとのこと。 35 独占禁止法分野の中で合併規則が、米 EU 日本における規則基準共通化が最も進んだ分 野であるとの見方もある。滝川、前掲注7、178-180 ページ参照。 34 15 らない現状は負担が大きい。この点、競争当局間の意見交換のフォーラムである国際協力 ネットワーク(International Competition Network: ICN)において、合併規則のハーモナ イゼーションは主要テーマのひとつとして議論されてきた。ICN では合併届出手続きに関 する推奨プラクティス(Recommended Practice for Merger Notification Procedures)を 発表し、ワーキンググループの作業で必要な改訂を進めている。現状は推奨にとどまり、 拘束力を持つものではないが、特にアジアなどの途上国における今後の競争法の発展にお いて、合併規制が企業活動の足かせとならないよう、手続きの調和が望まれ、このような 取組は有意義なものであると考えられる。 合併規制は、事務負担はあるものの、当局もほとんどの場合、現実の経済活動に即した 対応をとっており企業活動を損なうような性質のものではない。ただし、M&A 実務に不慣 れな企業にとっては、事前に十分な情報収集を行い、必要な届出や情報提供の準備を行う ことが不可欠である。本稿で参照した専門文献などを通じて理解を深める足がかりとなれ ば幸いある。 国際経済研究課 安田啓(やすだ あきら) 16