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チェーホフの『かもめ』における家族像

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チェーホフの『かもめ』における家族像
2007 年度ロシア文学会
2007/10/27
発表者 千葉大学大学院
内田 健介
チェーホフの『かもめ』における家族像
1. なぜ家族に注目するのか?
Нехорошо, если кто-нибудь встретит ее в саду и потом скажет маме. Это может огорчить маму...
もし誰かが庭でニーナに会ってママに言うと良くないな。ママを悲しませるだろうから・・・。
(トレープレフの最後の台詞 ⅩⅢ:591)
■この自殺直前の台詞でトレープレフはなぜ母親について語るのかという疑問から
・なぜニーナがアルカージナを悲しませるのか
⇒ニーナはかつてトリゴーリンを奪ったことで母親を悲しませた過去がある。
・最後の最後まで母親について心配をしているという点。
※トレープレフにとって母アルカージナという家族はどんな存在だったのだろうか?
2. 母親トレープレフと息子アルカージナの関係
■トレープレフにとってのアルカージナ
トレープレフが登場後、母親に関して語る台詞
Бесспорно талантлива, умна, способна рыдать над книжкой, отхватит тебе всего
Некрасова наизусть, за больными ухаживает, как ангел;...
確かな才能があり、賢くて、本を読んですすり泣くこともできる。
ネクラーソフの詩をどこからだって暗誦できる。病人を看病させれば天使のようだ。
(ⅩⅢ:7)
↓
母との花占い
↓
Я люблю мать, сильно люблю;...
僕は母を愛している、強く愛している。(ⅩⅢ:8)
↓
кажется, будь это обыкновенная женщина, то я был бы счастливее.(ⅩⅢ:8)
もし母が普通の女性だったら僕はもっと幸せだったんじゃないかって思うよ。
・トレープレフはアルカージナに対して、愛情と不快感の感情を持っている。
・その不快感の原因は、彼女が普通の女性ではない(女優である)ことである。
⇒トレープレフは母親としてのアルカージナを求めている。
()内のローマ数字はА. П. Чехов. Полное собрание сочинений и писем в 30-ти томах.における巻
数を示し、アラビア数字はページ数を示している。
1
1
■アルカージナにとってのトレープレフ
・息子の作った劇に野次をいれ、中断に追い込んでしまう。
> なぜか? → 女優として生きる自分の舞台を否定するものだったから。
⇒アルカージナにとっては息子よりも女優としての自分が大切である。
・ アルカージナの持つ立場の優先順位
劇中劇中断後のアルカージナ
Ради шутки я готова слушать и бред, но ведь тут претензии на новые формы,
на новую эру в искусстве.
新しい形式なんて、ちっともありゃしない。(ⅩⅢ:15)
↓
Я не Юпитер, а женщина.
私はジュピターじゃありません。女です。(ⅩⅢ:15)
↓
За что я обидела моего бедного мальчика?
どうして可哀想なあの子を侮辱したのだろう(ⅩⅢ:16)
↓
マーシャがトレープレフを探しに行く
舞台の話→恋の話→息子の心配(結局自分では探さない)
第 2 幕の一番最初の場面
Кто из нас моложавее?
マーシャとどっちが若く見えるのか尋ねる。
(女優として)働いているから、
(自分の方が若く見える)
。(ⅩⅢ:21)
↓
私が若さを保っているのは、絶対にだらしない女にならないようにしているから。
小説に触発されて、トリゴーリンとの恋の話
↓
あの子は、コースチャは一体どうしたんでしょう?(ⅩⅢ:22)
(女優として)働く自分→女としての自分→息子の心配(一瞬で忘れてしまう)
女優としての自分
>
恋する女性としての自分
>
母としての自分
3. 夢を抱く2人の若者トレープレフとニーナ
■ニーナもトレープレフと同じく片親(母)を亡くしている。
・ニーナにとっての父親はどんな存在なのか?
→トレープレフにとってのアルカージナのように愛情と不快感の両義的な感情の対象?
2
■亡き家族と彼らの夢の関係
・トレープレフは亡き父から平民という身分を受け継ぎ、貴族である母と比べる。
⇒自分が何者なのかという問いから、作家という夢を抱く。
・ニーナは母から財産を受け取れず、家の中での居場所を奪われる。
⇒家を離れるために、女優になるという夢を抱く。
■2人が作った劇中劇
・親に対する反抗 トレープレフは母とその愛人に向けて、ニーナは家を抜け出して
・ニーナ一人で演じる孤独な舞台 「孤独だ」 2人の孤独さを示す
4. トレープレフとニーナの運命に対する家族の影響
■かもめの結末(トレープレフの自殺 ニーナの旅立ち)
なぜトレープレフは死なねばならず、ニーナは耐えて生きていくことができたのか?
↓
■2人の夢の質の違い
・トレープレフの立場(息子として 小説家として 男性として)
最初の自殺未遂まで
トリゴーリンに作家として負ける
↓
トリゴーリンにニーナを奪われ、男性としても負ける
↓
最初の自殺未遂
↓
最後に残った息子という立場にすがる
(ママをたまらなく愛しているんだ。ママ以外、もう誰もいない。)
2 年後の自殺まで
小説家としての立場を得ている
↓
母親は息子の作品が掲載された本を開いてすらいない
↓
ニーナはトリゴーリンを未だに愛していると語る
↓
原稿を破いて棄てた後、自らに自殺する
なぜ小説家としての立場がありながら死んでしまったのか?
・ニーナの立場(娘として 女優として 女性として 母親として)
3
トリゴーリンとモスクワで関係を持つ
↓
女優としてデビューする
↓
トリゴーリンの子どもを産む
↓
赤ん坊は死に、トリゴーリンにも棄てられる
↓
女優としては落ちぶれてしまう
↓
トレープレフと会い、再び大女優を目指して耐え忍び生きることを選択し去っていく
なぜ女優として落ちぶれながらも彼女は耐え忍ぶことができたのか?
・2人の夢(小説家と女優)を選択した理由
トレープレフは、作家という夢をある意味で他の立場を得るために叶えようとしている。
母(家族)に認められるために、男として母を取り返すために作家を選んだ。
ニーナは、家族から離れ、女優という夢を叶えるために女性としての立場を利用もしている。
父(家族)から離れるために、女優という夢を抱き、その夢を叶えた。
⇒トレープレフの夢は家族関係などの他の立場に支えられていたため、他の立場を完全に失った
とき彼を支える力を持たなかった。それに対し、ニーナの夢は家族関係を断ち切るためのもので依
存を目的にしたものではなかった。それゆえ、彼女の夢は耐え忍ぶことのできる支えになったので
はないか。
結論
『かもめ』に描かれた家族関係は登場人物に大きな影響を与え、その未来を左右するほど強力なも
のである。そして、最終的に家族に依存したトレープレフは死に、家族から旅立とうとしたニーナ
を生かして終わらせた部分に、チェーホフの家族観が強く現れているのではないだろうか。チェー
ホフ自身女優として生きるオリガと結婚し、彼女が仕事をやめることを許さなかった。女性に自ら
の力で歩んで欲しい、そうしたメッセージが『かもめ』には含まれている。
【参考文献】
М.А.Волчкевич. «Чайка» комедия заблуждений. М., Музей человека. 2005.
池田健太郎『
「かもめ」評釈』中央公論社、1981。
浦雅春「チェーホフ-その「家」のクロノトポス」
(
『ポリフォニア』第 2 号、東京工業大学、1989)
。
浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」
(
『ロシア手帳』第 34 号、ロシア手帳の会、1992)
。
ベールドニコフ(芹川嘉久子訳)
『劇作家チェーホフ』未来社、1965。
堀江新二『演劇のダイナミズム ロシア史のなかのチェーホフ』東洋書店、2004。
宮崎章夫『チェーホフの戦争』青土社、2005。
渡辺聡子『チェーホフの世界・自由と共苦』人文書院、2004。
渡辺守章『演劇を読む』放送大学教育振興会、1997。
4
【はじめに】
今回、論じるのはチェーホフの戯曲『かもめ』に登場する家族についてです。
『かもめ』は、2 人の若者が夢や恋に翻
弄される悲劇的な物語ですが、その物語の中で家族という関係に注目し、その関係がどのように描かれているのか、
論じていきたいと思います。なぜ家族という関係に注目するのかということですが、その原因には様々ありますが、
最も大きな理由としては、トレープレフの最後の台詞にあります。
【トレープレフの自殺】
トレープレフは自殺する直前に次のように言い残しています。(もし誰かが庭でニーナに会ってママに言うと良くな
いな。ママを悲しませるだろうから・・・。
)このように、彼は自殺直前に母親を心配した台詞を残しています。しか
し、ニーナが来ていたことを知ると、アルカージナはなぜ悲しむのでしょうか?そして、どうしてトレープレフは母
親が悲しむと考えたのでしょうか?ここでは息子が死ぬ前にニーナと会っていたと知って、アルカージナが悲しむと
トレープレフが考えたという可能性もあります。
しかしながら、ニーナとアルカージナの関係を考えれば、かつて愛人のトリゴーリンを奪い、彼の子どもまで産んだ
女性と顔をあわせれば母親が悲しむだろうとトレープレフが考えたのだとも考えることができます。そう考えると、
トレープレフは最後の最後まで母親について考えを巡らせていた、ということを意味しています。結果を先に言って
しまえば、母親への強い愛情を持ちながらも愛されないことを認識しているからこそ出る台詞だということが出来ま
す。
【トレープレフとアルカージナの関係】
そこで、劇中の母アルカージナと息子トレープレフの関係がどのように描かれていたのかトレープレフから見たアル
カージナ、アルカージナから見たトレープレフの2つの観点に分けて見ていきたいと思います。しかし、その前にこ
の家族の特徴について踏まえておく必要があります。図を見れば分かりますが、トレープレフの父は死んでおり、ア
ルカージナが唯一の肉親だということです。トレープレフの母親に対する感情は、こうした背景によるものか、強く
依存しているように見えます。彼は舞台に登場すると、母親の嫉妬深さやお金に執着していることを非難すると同時
に「確かな才能があり、賢くて、本を読んですすり泣くこともできる。
」と母親を賞賛し、愛しているとまで語ります。
つまり、トレープレフは母親に対して愛情と不快感の入り混じった感情を持っていることが分かります。
では、なぜ母親を不快に思っているのか、その原因が「もし母が普通の女性だったら僕はもっと幸せだったんじゃな
いかな。
」という台詞から分かります。トレープレフはアルカージナに女優でも誰かの愛人でもなく、自分の母親であ
って欲しいと考えているのです。では、アルカージナにとってのトレープレフはどのようなものなのでしょうか。ト
レープレフは女優であることや、愛人であることを非難していましたが、
『かもめ』の中での行動を分析すると、彼女
にとってそれは息子よりも大切であることが分かります。それが端的に現れているのが、息子の劇に野次を入れて中
断に追い込む行為です。彼女にとって女優としての自分は何よりも大切なものです。それゆえ、その自分が女優とし
て生きる舞台を否定するような、息子の劇は許せなかったのです。もちろん、自分以外の女性が舞台に立っているこ
とへの嫉妬もあったでしょうが、アルカージナの劇に対する非難が演出に対してであることを考えると、やはり敵意
はニーナよりもトレープレフに対するものだと考えられます。アルカージナには、これまで見てきたように、母親と
して、女(愛人)として、女優として、この 3 つの立場がありますがこの 3 つの立場の優先順位が劇中の彼女の行動
の順番で表現されています。このことを、まず第 1 幕の劇中劇が中断された後のアルカージナの行動から確認したい
と思います。まずアルカージナはトレープレフの言う新形式を否定して舞台の話を始めます。次にドールンの冗談に
怒って、自分が女であることを主張します。部隊を中断してどこかに行ってしまったトレープレフのことを心配する
のはその後で、さらに探しに行くのはマーシャです。第 2 幕の最初の場面でも、アルカージナは、まずマーシャと見
比べさせることで女優として働くことの大切さを訴えます。次に女としての身だしなみの大切さをマーシャに説き、
恋の話に、最後にトレープレフのことを気にかけます。アルカージナにとってトレープレフが大切な存在ではないと
は言いませんが、優先順位としては、女優として、女性として、そして、母親としての順番になっています。母親を
求めるトレープレフと女優としての誇りを持ったアルカージナが噛み合わないことによって、2 人の不仲は生み出さ
れています。
【夢を持つ 2 人の若者、その共通点と差異】
さて、ここで少しトレープレフからヒロインであるニーナに目を向けたいと思います。トレープレフにとってそうで
5
あったように、彼女も片親を亡くしています。母親を亡くした彼女にとって、残された父親はトレープレフにとって
の母親のような存在であると考えられます。
ニーナの父親は舞台に登場せず、
他の登場人物から非難がなされるため、
ニーナの父親に対する感情が分かりづらくなっていますが、劇が中断された後、ニーナが帰ろうとするときに父が待
っていることを説明する部分や、第 3 幕でトリゴーリンについてモスクワに行くことを決意した時、彼女は父の元を
離れるという表現を使っていることなどから、彼女にとっての父親も大きな意味を持っていると分かります。最初恋
人同士という関係にある2人ですが、彼らは家族に関していくつかの共通点を持っています。片親を亡くしているこ
となどについては既に話しましたが、その亡き親からマイナスの影響を受けている点です。トレープレフは父親から
平民という卑しい身分を受け継いでしまい、貴族でもあり有名な女優でもある母親と比べて自分が何者なのかという
問いを持っています。それゆえ、作家になろうとしている夢の理由の一つに、父から受け継いでしまった卑しい身分
が考えられます。ニーナも母親から財産を受け取れず、家での居場所を失ってしまいました。彼女が女優としてこの
地を離れていこうとするのは、そうした背景が色濃く影響しています。そして、2人にとって夢の第一歩である劇中
劇は、
残された親に対する反抗でもあります。
トレープレフは女優としての母親と愛人の小説家に対する挑戦として、
ニーナは両親に閉じ込められている家を抜け出して、2人の劇は始まります。このトレープレフの作った象徴的な劇
ですが、アルカージナには単なるデカダンで茶番としてしか映りませんでしたが、いったいどのような意味があるの
でしょうか? もちろん色々な意味を含んでいるとは思いますが、これまで注目してきた家族という視点から見ると、
トレープレフとニーナの孤独感を表現したものであると考えられます。台詞の中には、まさに「孤独だ」という言葉
がありますが、ニーナもトレープレフも、家族という関係の中で孤独です。トレープレフは母親離れて暮らし、ニー
ナは一緒に暮らしていますが疎んじられています。それゆえ、トレープレフにはニーナしか、ニーナにはトレープレ
フしかいませんでした。2人が惹かれあい恋人同士になるのも当然のように思われます。しかし、その関係はアルカ
ージナとトリゴーリンによって壊されていきます。
【2人の運命】
最終的にトレープレフは自殺し、ニーナは辛い境遇に置かれながらも耐え忍び生きていくことを選択して『かもめ』
は終わります。
なぜニーナは苦難に耐えることができ、トレープレフはできなかったのでしょうか? 最後にこの点を家族という問
題から論じて、この発表を終わりたいと思います。アルカージナについて見たとき、彼女の様々な立場に分けました
が、トレープレフとニーナも同じように分けていくことが可能です。トレープレフは、息子として、作家として、男
性として、ニーナは娘として、女優として、女性として、そして、トリゴーリンとの間に子どもが生まれたため母と
しての立場も得ています。
『かもめ』ではトレープレフとニーナはこの立場を失っていきます。トリゴーリンには既に
母親を奪われ、
ニーナも奪われてしまいます。
そうしたことが重なってトレープレフは最初の自殺未遂を起こします。
2 年後の第 4 幕でも、息子としての立場は最初から失われており、男性としての立場もニーナに否定されてしまいま
す。最終的に彼には小説家としての立場しか残りませんでした。こうしたことは同じようにニーナの身にも 2 年間の
間に起こっています。トリゴーリンを追ってモスクワに行ったニーナですが、トリゴーリンに棄てられ、地方周りを
するような女優まで落ちぶれてしまいます。2人とも職業的な立場しか残らなかったという部分は共通しています。
しかし、生と死という正反対な結果を選択していることから、2人の職業的立場が異なっていると考えられます。こ
の部分にやはり家族の存在が関係していると思います。そもそもトレープレフは、なぜ作家になろうとしたのか考え
ると、家族(つまり母親)に認められようとしたという出発点があると思います。特に2年後に劇作家でなく、トリ
ゴーリンと同じ小説家になっていることなどは、もし作家としての名声を得れば母と昔の恋人は自分の方をもう一度
向いてくれるかもしれないというように捉えられないでしょうか。こうして家族に認められようとするために、トレ
ープレフが作家になろうとしているのに対して、ニーナが女優を目指すのは、住む家を離れ、自分の居場所を探すた
めです。父親からも継母からも邪魔者だった彼女に居場所はなかったためです。最終的に彼女は父親から娘という立
場を奪われ、トリゴーリンに捨てられ女性という立場も失い、子どもが死に母親という立場も失いました。しかし、
ニーナには女優になるという夢が残っています。ニーナには女優という夢しか残らず、トレープレフも小説家として
の自分しか残りませんでした。しかし、その小説家であることを支えていたものは、息子という立場や男という立場
を取り戻すため、つまり、それ以外の立場に依存しているのです。それゆえ、彼の夢は彼を支えるほどの力を持って
はいません。 →結論
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