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和の風景を描く
平 和 の風 景 を描 く 巻頭瞳 挙 一 尤〇秒間で語る平希構基 きし もり はじめ 。 、 九 人七 年 外務 省 入省 九九年 二月 東 京大 学卒 業 後 一 。 よ り を ジ ュネ ー ブ 国 際 機 関 日 本 政 府 代 表 部 に勤 務 一一 ︱︱︱自連大学オープンキャンパスにて 麟摯 一 〇 月 より 一 〇〇 一 年一 年 間 UN HC R執 行 委 員 会 の ラ ポ 。 、 ルト ウー ル ︵ 本 会 議 への 報 告 者 ︶を 務 め る そ の 後 在 、 タ イ 王 国大 使 館 一 等 書 辺 官 を 経 て 〇 五年 六 月よ り 現 。 F UN ︵日 本 U NH C R︲ NG O 辞 議 会 ︶共 同 議 職 J︰ 。 長も 務 め る 、 を磨 く ことであり それが平 和 に繋 。 がるのではと訴えた 平 和 構 築 は今 ちょっとしたプーム 。 だ 日本が平和 の創 り手 として国際 ⑥ ボンガ難民キヤンプ( エチオピア) 社 会 で責 任 あ る役 割 を 果 たす こと 、 は重 要 であ る。同 時 に 平 ④ ホズ アメル難民キヤンプ( チャ ド) 和 構 築 は国 連 や政 府 やN GOと いった特 別 な 人に任 ③ アフガニスタンに帰還途中の難民たち せてお けばいいも のではな 、 。 い 私 たちにも でき る ﹁平 和 を つく ること ﹂とは何 だ つ。 ろヽ その日はいつも より少 し 、 早く帰 宅 して 妻 の手料 理 日の出 来 事 を 食べな がら 一 。 について一 緒 に話 した 少 な く とも 私にとって世 界の平 、 和 と は 家 族 や仲 間 を 慈 ャ 、 ロ の 昨│ ロ し む 心 の延 長 にあ るも の 。 だ 、 貴 方 なら 九 〇秒 間 で 平 和について何 を語ります 。 か ① イリデイミ難民キヤンプ( チャ ド) ② カブールの学校に戻つた少女たち( アフガニスタン) 、 、 ヽ ヽ ナーは そん 今 年 三月 二五日午 後 東 京 青 山 で語 る平 和 構 築 ﹂セヽ 、 コマである。 にある国連 大 学にて バリトイ バスの な風 景の一 タント・ ホールの舞台 の上 薄 暗 いウ・ 歌 声 を背 景 に東 ティモールやルワン ト レード 珈 排 が飲 め る には男 女 二体 のマ不キンが置 かれて ダ のフェア・ 、 、 。 オープン・ カフエがオープンし ﹁学 園 いる 登壇 者 は皆 サるアナがデザイ 。 ク ロ特 製 Tシャツを 手 に 祭 ﹂が始 ま った 広 島 大 学 を拠 点 と ンし た 〓 一 。 す る平和構築 人材 育成パイ ロット事 持 っている そ こには ﹁手 を つな ご 、 、 業 の集 大 成 であ る ﹁東 京 平 和 構 築 う ﹂ ﹁深 い呼 吸 ﹂ 翌 日 段 着 の平 和構 、 き 、 シンポジウム2008﹂のアウトリー 築 ﹂ ﹁ 火 種 と火 消 し﹂ 生 る力 ﹂ ﹁ 、 イベントである。 チ・ 等 思 い思 いの平 和 のキーワードが書 。 かれている そ のTシャツを マみキン 、 に被 せ 九 〇 秒 間 で平 和 への想 いを 、 。 五ち ても らつた 一三ハ人 の登壇 者 は 、 、 、 女 優 歌 人 写 真 家 元 難 民 の大 使 、 クロやABCクッキ やデザイナー 〓 一 、 、 ング・ スタジオ等 の企業 NGO 外 務 、 、 、 省 J ICA 有 識 者 メディアと多 、 。 岐 にわたる 出 色 は 国 連 大 学 の清 掃 を十 八年 間担 当 してき た大 泉 村 。 子さんだろう 掃 除をす ることは心 普 段 は生 徒 も 授 業 も ない国連 大 学 は敷 居が高 いと巷 で囁 かれている らしい。でも 、 この日の午 後 は平 和を 。 合 言葉 に一 般 に開放 された 国 際 機 、 J IC 関 やNGO 国 際 協 力 機 構 ︵ 、 A︶等 専 門家 の議 論 に加 え て 学 生 、 たちも平和 の行 動 計 画を 発表 し ツ アーを 企 画 して国 連 機 関 の仕 事 場 を公 開した。 UNHCRが主 宰 した ﹁ 九 〇秒 間 砧 KO FORtlM姫 │