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初期レヴィナスにおける存在についての諸論考

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初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
第
号
大阪大学大学院文学研究科哲学講座
年
月
目
次
《論文》
コギトの確実性 ― 様相の観点から ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ 上野
修( 1)
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
― サルトルにおける責任について ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧吉永
和加 ( 13)
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考 ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧西田
充穂 ( 27)
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
― 「観念」の本有性と神のア・ポステリオリな実在証明 ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧津崎 良典 ( 37)
実存論的構成としての頽落 ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ 中橋
誠 ( 49)
人間存在の気分と言葉 ― 言葉の根源へ向かうハイデガーの視線 ― ‧‧‧‧‧‧‧佐々木正寿 ( 61)
前期ハイデガーにおける形而上学の遂行 ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ 土井 理代 ( 75)
「存在は存在者なしには決して現成しない」 ― 「
『形而上学とは何か』
への後記」第四版と第五版との異同をめぐって ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ 西松 豊起 ( 89)
保存と増大 ― 『エチカ』におけるコナトゥスの自己発展性と
その必然性について ―‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ ‧‧河村
厚(101)
「下からの説明」を超えて
― メルロ=ポンティと「ある種の史的唯物論」―‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ ‧‧‧‧‧‧‧‧西村 高宏(115)
【彙報】 ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ (127)
【編集後記】 ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ (128)
Contents
> Theses <
The Certainty of the Cogito:From a modal point of view ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧Osamu UENO ( 1 )
Le nœud entre le moi et autrui qui s'éloignent dans le néant
― De la responsabilité chez Jean-Paul Sartre ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ Waka YOSHINAGA ( 13 )
A propos des premiers écrits sur l’être chez Lévinas ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ Mitsuho NISHIDA ( 27 )
Exercices spirituels ou philosophie cartésienne ― Sur l’innéité des idées
et les preuves a posteriori pour l’existence de Dieu ― ‧‧‧‧‧‧‧‧ Yoshinori TSUZAKI (37)
Verfall als eine existenziale Konstitution ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ Makoto NAKAHASHI (49)
Stimmung und Sprache des Menschseins
― Heideggers Sicht auf den Ursprung der Sprache ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧Masatoshi SASAKI (61)
Heideggers Vollzug der Metaphysik gegen Ende der 1920er Jahre ‧‧‧‧‧‧‧‧‧ Riyo DOI(75)
„Das Sein west nie ohne das Seiende.“
― Über die Differenz zwischen der vierten und fünften Auflage vom Nachwort zu
; „Was ist Metaphysik?“ ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ Toyoki NISHIMATSU (89)
Preservation and Increase ― On Self-development of conatus
and its necessity in Spinoza's Ethica ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧Koo KAWAMURA (101)
Transcender《une explication par le bas》― Merleau-Ponty et
《un certain matérialisme historique》 ― ‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧‧ TakahiroNISHIMURA (115)
DEPARTMENT OF PHILOSOPHY, GRADUATE SCHOOL OF LETTERS, OSAKA UNIVERSITY
OSAKA, JAPAN
コギトの確実性と不可能なもの
コギトの確実性
― 様相の観点から ―
上野 修
デカルトは何よりも「確実性」に取り憑かれていた。
『方法序説』の彼の知的遍歴を読むたびに、
この哲学者にとって真理の探究は確実性の探究とほとんど同義ではなかったかという印象を深く
する。コギト-「私は考える、ゆえに私はある」-は、その彼が逢着した「最も確実な (certissima)」
命題であった1。
「最も確実」ということで彼が何を言おうとしたのかは、しかしいまだ不明な点
が多い。われわれの獲得しうる認識には確実性のさまざまな度合いがあって、コギトはその中で
最も抜きん出ている、だから特権的だ、ということなのだろうか。そうではあるまい。われわれ
の見るところ、デカルトのいう「確実性」は、信念の正当化をうんぬんする文脈におけるよりむ
しろ必然・不可能といった様相に関わる文脈で出てくる。結局のところコギトの確実性とは、思
考する主体の存在に関わるある種の不可能性の露呈ではなかったか。これが本論考の見通しであ
る。
蓋然性と確実性
「確実性(certitudo)」というと、どうもわれわれは確信の度合いを考えてしまう。ある事柄につ
いてわれわれの持つ信念にどれほど根拠があるのか、
自分はどれほどの確信を持ち得ているのか、
というふうに。実際、命題が真か偽の二値しかとらないのに対し、確実性はデカルトにおいても
「同等の確実性」とか「より大きな確実性」
「最も確実」というふうな言い方がされる。
しかし、デカルトの「確実性」は信念の強さの話ではないはずである。信念の強さは、どんな
にそれが大きくても、
「蓋然的にすぎない認識」を特徴付けるだけだとデカルトは考えていた。こ
れに対してデカルトは「確実不可疑の認識 (cognitio certa & indubitata)」を対立させる。
「蓋然的
(probabiles)たるにすぎないすべての認識を斥け、完全に認識され疑い得ない(dubitari non potest)も
1
Principia Philosophiae I, 10, AT VIII, 8. 以下、デカルトの著作については通例に従って Oeuvres de Descartes
publiées par Ch. Adam & P. Tannery, Vrin, Paris, 1996 の巻と頁を示す。
-1-
コギトの確実性と不可能なもの
ののみを信ずるべきである」2。これが『精神指導の規則』以来の彼の変わらぬモットーだった。
「疑い得ないもの」でなければデカルトは確実とは呼ばない。
「疑われることができない」という
言葉は、文字どおり、ある種の不可能性を言い表している。根拠はともかく、端的に、疑うこと
が「できない」
。事態が自分の考えているのと別様であることは不可能である。デカルトが言って
いる「確実性」は、何かそういう不可能性のことではないか。
『方法序説』に語られる若きデカルトの「確実性」への異様な執着にも、そのことは見て取れ
る。彼は「人文学」を捨て去り、数学だけを取りのけておくのである。人文学は「その推理が慨
然的であるにすぎず、なんらの論証をも持たない」3。学院の哲学でさえ論証は「真実らしい」も
のにすぎず、
「いったい一人の言ったことで他の誰かがその反対を主張しなかったようなことはほ
とんどないのであるから、 依然としてわれらはそのいずれを信ずべきかを定めることができな
い」4。こういう学問では、同じ事柄について、言われているのと別様である可能性をいつでも想
定できてしまう。だが数学は違う、と言うのである。どこが違うのか。彼は『哲学原理』仏訳版
でこう述べている。
「もうひとつの種類の確実性は、事柄がわれわれの判断しているのと別様であることはまっ
たく不可能であるとわれわれの考えるときの確実性である。
」5
かかる確実性は数学において論証されるような事柄すべてに及ぶ、とデカルトは続ける。実際、
「2と3を足して5以上あるいは5以下になるとか、正方形が3辺しか持たないとかいったこと
は不可能だとわれわれは明晰に見ている」のだから、と。たしかに、
「2+3=5」や「正方形は
4つの辺を持つ」とかいった事柄について、われわれは、いやそうじゃないのではないかと疑う
ことはできない。イタリアの街に実はローマなんか存在していなかったという事態は想定しよう
と思えばできる。実践的確実性は、ひょっとしたらと疑うことができる6。しかし2+3が5にな
らないとか、正方形に3つしか辺がないとかいった事態がどんなものか、なぜか考えようとして
も考えられない。この不可能性のゆえに、
「2+3=5」であること、
「正方形は4つの辺を持つ」
ということは確実だ。そうデカルトは説明しているのである。ここからわかるように、
「すでに知
られた学問の中では、ただ《数論》と《幾何学》とのみが虚偽と不確実の欠点から免れている」7
とデカルトが言うとき、この除外の線引きは、われわれがどれほどの根拠でもって自分の信念を
正当化できるか、という認識論的な観点からなされているのではない。むしろ、どういうわけか
別様である可能性を考えることができないという、その思考不可能性がデカルトの確実性を特徴
2
3
4
5
6
7
Regulae ad directionem ingenii II, AT X, 362.
Discours de la méthode II, AT VI, 12.
Regulae ad directionem ingenii III, AT X, 367.
Principes IV 206, AT IX, 324. ここ、および続く箇所はラテン原文にないフレーズだが、校訂者にならって、
デカルト自身が訳者の Pico に挿入させたのであろうと考えておく。Cf. AT IX, Avertissement, p.X.
Principes IV 205, AT IX, 323.
Regulae ad directionem ingenii III, AT X, 364.
-2-
コギトの確実性と不可能なもの
付けているのである。
実際われわれは、そうでない事態を考えようとしても考えられないとき、疑う余地はないと言
う。Pが不可疑であるとは、非Pという事態の成立はあり得ない、非Pという事態はそもそも思
考不可能だ、ということである。そういう不可能性に思考が行き当たっているということ、これ
が、
「確実で疑い得ない認識」とデカルトが言うときの「確実性」であると思われる8。
そう見れば、数学がその特殊な領域を超えて哲学的探求の普遍的な規範となりうると、なぜ若
きデカルトが考えることができたか理解できる。
「真理への正道を求める者は、数論や幾何学の論
証に等しい確実性を獲得できないいかなる対象にも携わってはならぬ」9とデカルトは言う。その
「等しい確実性」の等しさとは、根拠づけの程度の等しさではなく、別様であることの不可能性
に思考が等しく行き当たるという意味での等しさなのである。
誇張的懐疑
こう考えると、なぜデカルトが学問の第一の基礎を発見するにあたり「誇張的懐疑」なしです
まされなかったのか、その理由もよくわかる。いわゆる「方法的懐疑」は、一見そう思われるよ
うに、われわれの認識能力の信頼性を吟味しているわけではない。むしろ、先の引用の言葉を借
りれば「事柄がわれわれの判断しているのと別様であることはまったく不可能である」ような、
そういう事柄がほんとうにあるのか、言い換えると、非Pが絶対に想定不可能であるような、そ
ういうPがほんとうにあるのか、デカルトは確かめようとしているのである。
よく言われるとおり、デカルトは疑わしいから疑うのではない。誤謬の生じる可能性を洗い出
すというよりは、
むしろ不可能なものに行き当たるかどうかが彼の問題なのである。
だからこそ、
到底疑わしいとは思われないような事柄をもデカルトはあえて疑う。こういう懐疑は単なる判断
停止ではない。誤らぬための慎重さということからすれば、真か偽かいずれともつかないと判断
を差控えておけばすむはずだが、デカルトにとっての問題は非Pが可能な事態として考えられる
か否か、である。だから、実はPではなく非Pだったというほとんどありそうもない事態でも、
それが想定可能でありさえすれば、非Pが真でPは偽とあえてみなす10。
「ほんのわずかの疑いでもかけ得るものは、それが偽であることを私が見極めた場合とまっ
たく同じように、ことごとくはらいのけることにしよう。
」11
8
Bennett の次の指摘。
「非Pが思考不可能であると見出すことと、Pであるということの発見とを、デカルトは等
しいものと見なすであろう」
。Jonathan Bennett, Learning from Six Philosophers: Descartes, Spinoza, Leibniz, Locke,
Berkeley, Hume, Vol.2, Clarendon Press, Oxford, 2001, p.68.
9
Regulae ad directionem ingenii II, AT X, 366.
10
Gueroult の言うように、デカルトの懐疑は事物の本性から出てきて懐疑論を生み出すような「真正の懐疑」では
ない。単に疑わしいものを「絶対的に偽なるもの」とみなし、ときに欺かれたことのあるものを「常に欺くもの」
として「普遍的に」投げ捨てる。(Martial Gueroult, Descartes selon l’ordre des raisons I: L’âme et Dieu, Aubier Montaigne,
1968, pp.40-41.)
11
Meditationes de prima philosophia II, AT VII, 24.
-3-
コギトの確実性と不可能なもの
偽と見なすというがどういう根拠で偽だと確信できるのか、という反論12はまったく的外れであ
る。真偽の正当化根拠の有無が問題なのではないのだから。
懐疑を導くのはしたがって、別様でもあり得ているのではないかという非Pの想定可能性であ
る。
『方法序説』の「仮想する(feindre)」という語もこのことをよく表している。
「それまでに私の
精神に入ってきたすべてのものは、私の夢の幻想と同様に、真ならぬものであると仮想しよう」13
とデカルトは決心する。デカルトの驚きは、その反対が真であると仮想できないような事柄は、
実はほとんどないということだった。私はずっと夢の中にいるのかもしれない。私のいる部屋は
存在せず、私がこんな顔や肢体を持っていることさえ幻かもしれない。
「私の見るものはすべて偽
であると想定しよう。偽り多い記憶の示すものは、何一つ、決して存在しなかったのだ、と信じ
よう。私はまったく感覚器官を持たない。物体(身体)
、形状、延長、運動、場所などは幻影にす
ぎない」
。これまでPだと思ってきたことはほとんどすべて、われわれの判断しているのと別様で
ある、非Pである、と想定できてしまう。想定できてしまう以上、どんなに荒唐無稽であろうと
それは不可能ではなく、
私の思いの外で、
実際にもそうなっていないという保証はどこにもない。
コギトの確実性が出現するのは、まさに、それだけはこんなふうに想定できないという例外的
な不可能性においてであった。
「私は、世界のうちには、天空も、大地も、精神も、物体も、全く何一つとしてないと自ら
を説得したのである。それならば、私もまたない、と説得したのではなかったか。いな、そ
うではない。 むしろ私が自らに何かを説得したのなら、私はたしかに存在していたのであ
る。
」14
「私もまたない」という想定だけは、どうやっても不可能である。
「私は身体を持たずいかなる世
界も存在せず、私のいる場所というものもない、と仮想することはできるが、しかしだからとい
って、私が存在しないとは仮想できない」15。それゆえ「私はある」
。
『方法序説』でも『省察』
でも、コギトの確実性はこのような不可能性とともに現われるのである。しかしそれは、
「2と3
を足して5以上あるいは5以下になるとか、正方形が3辺しか持たないとかいったことは不可能
だ」というのとどこが違うのだろうか。これが次の問題である。
数学的確実性と形而上学的確実性
確実性は信念の強さの度合いの話ではないというのと少し矛盾するようだが、明らかにデカル
トは数学的確実性とコギトの「形而上学的確実性」16とのあいだに違いを認めている。彼による
12
13
14
15
16
Cf. 7 Object. AT VII, 470.
Discours de la méthode IV, AT VI, 32.
Meditationes de prima philosophia II, AT VII, 25.
Discours de la méthode IV, AT VI, 32.
Discours de la méthode IV, AT VI, 38.
-4-
コギトの確実性と不可能なもの
と、無神論者はなるほど明晰に「三角形の三つの角の和は二直角に等しい」と認識してはいるが、
神の存在を認めるまでは自分がその明証性において絶対欺かれていないという確実性を持ってい
ない。対してコギトは、そんなふうに神の存在の認識をまたずとも確実に知られる、というので
ある17。いずれも明晰判明に知られる点では等しく、そこに違いはない。それでも確実性に違い
があるなら、その理由はやはりこの場合も明証性の度合いにではなく、別様であることの不可能
性――あるいは同じことだが、かくあることの必然性――の本性的な違いに求めねばならない。
デカルトによれば、
「三角形の内角の和が二直角に等しい」といった数学的真理でさえ、絶対的
に必然的なのではない。
「
[…]三角形の内角の和が二直角に等しくあるように欲したのは、神がそれとはちがったよ
うになりえないと認識したから、なのではないのです。そうではなくて逆に、
[…]神が三角
形の内角の和が必然的に二直角に等しくあるように欲したから、それゆえに今やそのことが
真なのであって、それと違ったようにはなりえないのです。
」18
たしかにわれわれは三角形の内角の和が二直角に等しくない事態を思い描くことはできない。
が、
だからといって、そういうことを神が為しえないとは言えない。
「われわれの想像力が神の力能と
同等の広がりを持つと考えるのは軽率」だからである。神は、もし彼が欲していれば、三角形の
内角の和が二直角に等しくないようにもできたであろう。
「神はある真理を必然的なものであるように欲したとはいえ、それは神がそれら真理を必然
的に欲したという意味ではありません。というのも、それら真理が必然的であるように欲す
るということと、神がそんなふうに必然的に欲する、あるいはそう欲するように必然的にな
っている、ということとは別だからです。
」19
いわゆるデカルトの「永遠真理創造説」である。数学的真理は必然的に必然的なわけではない20。
数学的真理は神がたまたま、そうであるよう欲したから必然的なのであって、事柄自体にはどう
してもそうであるべきだという必然性はない。別様でもあり得たのである。われわれにとって2
と3を足して5以上あるいは5以下になるとか、正方形が3辺しか持たないとかいったことが不
可能なのは、神がそう欲し、われわれの精神をそれが真理だと生得的に知覚するように創造した
17
18
19
20
2 Responsiones, AT VII, 140-141.
6 Responsiones, AT VII, 432.
Lettre à Mersenne, 2 mai 1644, AT IV, 118
永遠真理の身分を二重様相の観点から明らかにしたものとして、Cf. 石黒ひで「デカルトにおける必然性と不
可能性の根拠について」
、デカルト研究会編『現代デカルト論集 III 日本篇』
、勁草書房, 1996, p.51; エドウィ
ン・M・カーリー「デカルトの永遠真理創造説」
、デカルト研究会編『現代デカルト論集 II 英米篇』
、勁草
書房、1996, pp.258-9. [E. M. Curley, ‘Descartes on the Creation of the Eternal Truths’, The Philosophical Review, 4
(1984), 569-597, reproduced in Ethernal truths and the Cartesian circle, ed. by Willis Doney, Garland Publishing, Inc.,
New York & London, 1987,pp.353-5.]
-5-
コギトの確実性と不可能なもの
からにすぎない。
デカルトが誇張的懐疑の最終ステップで「きわめて有能できわめて狡猾な欺き手」を登場させ
るとき、際立たせられるのはこうした数学的真理の必然的に必然的なわけではない必然性と、コ
ギトの真理の必然性とのあいだにある違いである。
「私が2に3を加えるたびごとに、あるいは、
四角形の辺を数えるたびごとに、あるいは、ほかにもっと容易なことが考えられるならばそれを
するたびごとに、私が誤るように、この神は仕向けたのかもしれない」
。数学的真理についてはそ
ういう想定ができてしまう。しかし、
「それでも、彼が私を欺いているのなら、疑いもなくやはり
私は存在している」
。
「このようにして、私はすべてのことを存分に、余すところなく考え尽くしたあげく、つい
に結論せざるを得ない。私はある、私は存在する、というこの命題は、私がこれを言い表す
たびに、あるいは、精神によってとらえるたびごとに、必然的に真である、と。
」21
「2+3=5」も「私はある」も、そうなっていない事態をわれわれは思い描くことはできな
い。だが、その意味が違う。前者の場合は、5以外にどんな答えが出るのか思い描くことはでき
なくても、全能の存在ならそういう事態を思考し・実現することもありえたであろうと思い描く
ことができる。またこの可能性ゆえに、われわれは事態を別様にしているかもしれぬ「全能の欺
き手」という想定もできてしまう。この場合、別様であることをわれわれが思い描けないという
事実上の不可能性は、われわれの認識能力の限界を示しているだけかもしれない。だが後者の場
合、
「私は存在しない」と想定することは「全能の欺き手」の想定のもとでも不可能であるとデカ
ルトは言う。この不可能性は、われわれの側の認識能力の限界で説明できる類いの不可能性では
ない。全能の存在者の方でも、
「私は存在しない」を真にすることはできないのである。
「欺くならば、力の限り欺くがよい。しかし、私が自らを何ものかであると思考しているあ
いだは、決して彼は私を何ものでもないようにすることはできないであろう。
」22
なぜできないのか。デカルトはその根拠を明示してはいない。コギトの確実性がそれとともに出
現するところのこの不可能性、これはいったいいかなる不可能性であるか。以下、この問題を追
っていこう。
コギトは事物の真理ではない
デカルトによれば「私は存在しない」という反コギト命題は不可能である。同じことだが、
「私
は存在する」というコギト命題は「必然的に真」である。問題はこの必然性だろう。もちろんデ
21
22
Meditationes de prima philosophia II, AT VII, 25.
Meditationes de prima philosophia II, AT VII, 25.
-6-
コギトの確実性と不可能なもの
カルトは、自分が必然的に存在すると主張しているわけではあるまい。必然的に存在すると言え
るのは、デカルトにおいてもひとり神だけである。いうまでもなくデカルトはこの世に存在しな
いこともあり得たわけで、
「デカルトが存在する」は偶然的な事実の真理でしかない。コギトの必
然的真理はしたがって、デカルトという人物にかかわる真理ではない。
かといって、単に「思考するためには存在していなければならない」という論理的な必然性を
言っているのでもあるまい。
そういう必然性なら、
「歩くためには身体が存在しなければならない」
とか「形があるためには延長が存在しなければならない」とかいう必然性と変わらない。デカル
ト自身、
「思考するものは思考するあいだある」
ということはある種の永遠真理のひとつにすぎず、
われわれの思考の外にある実在について語っているわけではないと注意している23。そういう永
遠真理はコギトの「私」の真理ではない。この私が存在しようとしまいと、それは関係なく普遍
的真理でありつづけるだろうから。
したがって、コギト命題は「必然的に真である」とデカルトが言うとき、その必然性は事物の
存在の必然性でもなければ事物の本性にかかわる推論の必然性でもない。個体としてのデカルト
の存在は偶然的でしかないし、推論の必然性はコギト命題が「私」についての命題でなければな
らぬ必然性について何も語らない。したがって、デカルトの言っている必然性、いいかえれば、
そうでないことの不可能性は、世界に配備された事物の真理とは別なところ、まさに「私」と自
らを指す主体があらわれるところに探さねばならない。
反コギト命題の不可能性としての確実性
この点で、ヒンティッカの論文「コギト・エルゴ・スムは推論か行為遂行か」の示唆するとこ
ろは大きい。
「私はある、私は存在する」という命題は「私がこれを言い表すたびに、あるいは、
精神によってとらえるたびごとに必然的に真」だとデカルトは言っていた。この遂行的条件の挿
入は重要である。文字どおりにとれば、コギト命題は、それを言い表し・理解する主体との関係
で「必然的に真」となる、とデカルトは言っているのだから。
たとえばドゴールが「ドゴールは存在しない」と言うとき、ドゴールは自分を含めてだれをも
説得できない。
ヒンティッカによれば、
それはこの文自体が論理的に間違っているからではなく、
ドゴール自身がそれを言うからである。
不整合が内容的でなく、
行為遂行的であるという意味で、
ヒンティッカはこの文を「存在的に不整合(existentially inconsistent)」であるとする。
「誰々自身が
言う」という条件は、
「私」を主語にして「私は存在しない」にすれば、文に組み込まれて省略で
きる。この文は誰であろうと(心の中であれ)それを言うたびに背理になる文、すなわちそれ自
体で「存在的に不整合な文」である。するとこの「存在的に自己破壊的 (existentially self-defeating)」
な文を否定する文をつくれば、
「存在的に自己確証的(existentially self-verifying)」な文ができあが
ることになるはずだ。
「私は存在する」のように。これがコギト命題である。とすれば、
「私は思
考する、ゆえに…」の「思考する」は、私は何かを意識しているというただの事実ではない。
「私
23
Principia Philosophiae I, 49, AT VIII, 23-4; ibid., I, 10, AT VIII, 8.
-7-
コギトの確実性と不可能なもの
は存在しない」と私自身に信じさせることはできないという、今言ったような「存在的な不整合」
の否定を遂行している最中の、特権的な思考の行為をそれは指している。-およそこういう解釈
である24。
ヒンティッカの線でつめていくと、コギトの確実性がそれとともに出現するあの不可能性は事
物や論理に関わる不可能性ではなく、
〈話す存在〉に関わるある特殊な不可能性であることがわか
る。
「私は存在しない」という反コギト命題が不可能なのは、それが言語遂行的に自己破壊的だか
らである。
「私」という指標詞の指すところに間違いなく自分を置くことのできる〈話す存在〉以
外に、この不可能性に行き当たることができるものはない。だから「私ハ存在シナイ」と叫んで
いるオウムには不可能性の経験はない。余談だが、オウムは一種の自動機械にすぎず魂など持た
ないというデカルトのいささか性急に見える断定25も 、この意味で理解すべきである。
さてそうだとすると、
「私は存在する」という命題が必然的に真であるというときのその必然性
は、一見そう見えるように私という特権的な何かからやってくるのではなく、むしろ言語という
ものの本性に属する必然性であると言わねばならないのではないか。言語のないところ、
「話す存
在」もなく、あの「存在的不整合」が生じることはあり得ない。逆に、
「存在的不整合」
、つまり
反コギト命題の不可能性を、構造的に組み込んでいないような言語もまたあり得ない。それがど
のような言語であれ、
「私」と自分のことを指す話し手を持たないような言語は、とうていわれわ
れの解する人間の言語とは思われないからである。言語使用があるところ、そこには「私」と自
分のことを指す何ものかがあり、そこではじめて反コギト命題「私は存在しない」が存在的に不
可能になる。同じことだが、言語使用があるからこそ、
「私は思考する、ゆえに私はある」という
コギト命題が必然的に真になる。そう考えるべきではないか。そう考えないと、なぜコギトが「私
がこれを言い表すたびに、あるいは、精神によってとらえるたびごとに必然的に真」となるのか、
理解するのは難しい。
このことは、全能の欺き手が私を欺いているならやはり私はあるのだ、というくだりからも見
て取れる。これも一見そう見えるように、欺くものが欺くためには欺かれるものがいなければな
らないという事物の間の関係を述べているのではない。それだと、殴るものが殴るためには殴ら
れるものがいなければならないというのと大して変わらないであろう。欺きは、いうまでもなく
言葉の真正の意味に寄生してはじめて可能となる。したがって、もし私が欺かれているのなら、
私は私の理解している言語のうちにとどまっていなければならない。その限りで、
「私は存在しな
い」という遂行的に自己破壊的な文は不可能であり続ける。こうして、あのくだりを理解するこ
とができる。いかに全能の欺き手が欺こうとも、
「私が自らを何ものかであると思考しているあい
だ」
、すなわち私がその言語を理解し・その言語で自らに何かを説得しているあいだ、
「決して彼
は私を何ものでもないようにすることはできないであろう」
。
不可能性は言語とその使用からやっ
24
25
ヤーッコ・ヒンティッカ「コギト・エルゴ・スムは推論か行為遂行か」
、 デカルト研究会編『現代デカルト論集
II 英米篇』勁草書房、 1996, pp.21-35. [Jakko Hintikka, 'Cogito, Ergo Sum: Inference or Performance?' First published in
the Philosophical Review (Vol.71, 1962, pp.3-32); reprinted in Rene Descartes: Critical Assessments, Vol.II, Routledge, 1991,
pp.166-175.]
Discours de la méthode V, AT VI, 57-9.
-8-
コギトの確実性と不可能なもの
てくるのである。
以上のわれわれの考察が正しいなら、コギトの確実性は結局、およそ思考するものにとって、
「私」という指標詞が、そう言っている自分を指さないことはあり得ない、というそのあり得な
さに帰着するであろう26。コギトの確実性はこうした不可能なものが限る限界において出会われ
るのである。その境界の向こうでは、言語は空無化し、思考は崩壊する27。デカルト自身がこの
ことにはっきり気付いていたとは私は主張しない。もし気付いていれば、デカルトは「私は話す、
ゆえに私はある」と言うべきだっただろうが、そうはしなかった。それにはしかし、単に時代的
な制約とか実体論的な体系構想とかいった理由以上の理由があると思われる。これについては本
論考の最後のほうで触れることにする。
まとめと考察――コギトの真理は必然的に必然的か
「私は思考する、ゆえに私はある」
。われわれはこのコギトの確実性を、ある種の不可能性の露
呈として解釈した。
「私は存在しない」という反コギト命題の思考不可能性、これがコギトの確実
性の内実である。このような解釈にはいくつかのアドバンテージがある。
(1)ひとつはデカルトの確実性概念を、
「明晰判明」ないし「明証性」といった多かれ少なかれ
主観性を帯びた概念と別個に考察できるようになること。デカルトはコギトを、それと同じよう
に明晰判明な事柄が真であると言えるための基準として考えようとする28。明晰判明という点で
同じなら、コギトのそうした特権性を明証性で説明できるはずがない。デカルトは視覚とのアナ
ロジーで明証性を語るが、
「確実性」はこのアナロジーの守備範囲を超える。実際、反コギト命題
は不可能なものとしてあらわれ、まさにそのゆえに光のなかには何も見えないのである。
(2)また、デカルト的確実性を信念の正当化という認識論的な文脈から切り離して考察できる
ようになること。スピノザが『デカルトの哲学原理』で明確に指摘しているように、コギトは正
当化の根拠なしにそれ自身で知られねばならない。さもなければ第一原理となることはできなか
ったであろう29。不可能性はしかし、ひとつの証明なき事実性として、ポジティヴな根拠がなく
とも出会われることができる。
(3)いわゆる「方法的懐疑」の意義、とりわけ「欺き手」の想定の意義がよく理解できること。
懐疑が問題にしているのは誤謬の可能性よりもむしろ想定不可能性なのである。
(4)コギトをあらゆる心理主義的な解釈から待避させておけること。
「見ていると思われる」と
26
27
28
29
コギトが指標文である点に着目した論考として、Richard W. Peltz, ‘Indexical Sentences and Cartesian Rationalism’,
first published in Philosophy and Phenomenological Research (Vol. 27, no.1, September 1966, pp.80-4); reprinted in Rene
Descartes: Critical Assessments, Vol.I, Routledge, 1991, pp.259-262.
バーナード・ウィリアムズによる次の指摘。
「懐疑が引き返す正確な地点は、言語それ自体が一切の内容を空
しくする地点である」
。
(バーナード・ウィリアムズ「コギトの確実性」
、
『現代デカルト論集Ⅱ英米編』
、デカ
ルト研究会編、勁草書房、 1996, pp.68, 75.[B. Williams, «La certitude du Cogito» in Cahiers de Royaumont,
Philosophie No IV: La Philosophie Analytique, Minuit, 1962, 40-57.])
Meditationes de prima philosophia III, AT VII, p.35.
Cf. Spinoza, Principia Philosophiae Philosophiae more geometrico demonstrata, I, propositio 2, demonstratio, in Renati
Des Cartes Principiorum Philosophiae Pars I et II, Cogitata Metaphysica, Geb. I, p.152.
-9-
コギトの確実性と不可能なもの
いった内省だけでは「私」という指標詞の問題や「欺き手」の問題が見えてこない。
「私は意識し
ていると意識しているその意識を意識している」というような反省性は、コギトの確実性とは一
応別個の問題である。コギトの確実性は内省のなかで出会われる自明性ではなく、内省の限界と
しての思考不可能なものの出現なのだから。
(5)コギトの真理の必然性について様相的な考察ができるようになる。
「確実」
「不確実」とい
う特徴付けだけでは、
「不可疑」とか「必然的に真」とかいうことがどういう意味なのかよくわか
らない。
最後の論点について、残された紙幅で少しばかり考察しておこう。デカルトのコギトは、ライ
プニッツの「理性の真理」と「事実の真理」というよく知られた二分法30からの逸脱を示すもの
として興味深い。コギトの真理は必然的真理なのだから、その反対が可能であるような「事実の
真理」ではない。かといって、
「私」と言っているデカルトがあらゆる可能世界において存在する
わけではない以上、
「理性の真理」
(必然的な永遠真理)のようにあらゆる可能世界で成立してい
る事柄というのと同じ意味で必然なのではない。ライプニッツはコギトを「事実の真理」に数え
入れているようだが、それではデカルトの言う「必然的に真である」の意味は取り逃がされてし
まうだろう31。デカルトのコギトは、事物存在の偶然的真理でもなければ理性の必然的真理でも
ない、何か別な種類の「必然的真理」なのである。
デカルト自身はいわゆる永遠真理が必然的に必然的なのではないのと対比させて、コギトを必
然的に必然的な真理と考えたのだろう。しかし、実はその必然性は、デカルトが自分の思考をか
たちづくるおのが内声を言語であると信じ、
「私」が指しているのは間違いなく自分のことである
と信じている、という条件あっての必然性である。この信念そのものに必然性はない。言語の存
在に対して深刻な疑惑に陥った人が「私は存在しない」と確信しはじめることは十分あり得る32。
われわれはそれを訂正するすべを持たないだろう 。
今のことはこう言い換えてもよい。
「私は存在しない」という反コギト命題の不可能性は、言語
の存在を疑わないという、それ自体は必然的とは思われない禁止の上に支えられている。誇張的
懐疑があくまで「仮想」であって本物の狂気に至らないのは、この禁止のゆえであるとも考えら
れる。デカルトがやってみせたように、仮想された可能世界はこの禁止の上に展開する。天空も、
大地も、精神も、物体も、全く何一つとしてない世界は想定可能である。それが現実であっても
おかしくない。私は欺かれていて、自分のいる世界を取り違えているのかもしれない。しかしど
う想定するにしても、
「私のあるところ、そこが現実である」という点は動かない。コギトが必然
的なのは、
「もしそこが現実であるならそんなふうになっていただろう」と想定するためのいわば
30
31
32
Cf. Leibniz, Monadologie, 33.
ライプニッツは「コギトの命題を必然真理ではなく、事実真理の筆頭と見なす」
(松田毅「デカルトとライプニ
ッツ-直観か論理か」
、 湯川佳一郎/小林道夫編『デカルト読本』
、法政大学出版局, 1998, pp.187-8)
。ライプ
ニッツをはじめ多くの哲学者にとって永遠真理は必然的真理であったが、
「永遠真理創造説」をとるデカルトは
この点でも逸脱している。
Cf. Jonathan Harrison, ‘The Incorrigibility of the Cogito’, originally published in Mind, Vol. XCIII, 1984; reprinted in Rene
Descartes: Critical Assessments, Vol.II, Routledge, 1991, p.208.]
- 10 -
コギトの確実性と不可能なもの
現実指標の機能として、
「私はある、私は存在する」があらゆる可能世界に随伴しているからであ
る、と考えることもできるかもしれない。想定可能などの世界も、そこではそこが現実であると
いう点で等しいのだから。
ともあれ、
コギトの真理はデカルトが言うように必然的だが、
必然的に必然的なわけではない。
もし言語が存在していないのなら、反コギト命題が不可能になるところの私も存在していないだ
ろうからである。デカルトが「私は話す、ゆえに私はある」と言わなかった深い理由と先に述べ
たのは、このことである。われわれ〈話す存在〉は、言語存在の根源的な偶然性が露呈せぬよう
に、
「これは言語でない」というありうる事態が露呈せぬように、禁止のもとに開設されているか
らである。ちなみに、デカルトの「誠実な神」の裏面にはつねに「把握不可能な無限者」33の深
淵がのぞいているのだが、いつ何時でも真理を変更できるのにしないでおく全能者というデカル
ト的な神概念は、こうしたコギトの必然性そのものの持つ密かな偶然性と無縁であるとは思われ
ない。が、これは当面の論証の範囲を超えるので他日に譲りたい。
(うえのおさむ 哲学哲学史・教授)
33
Meditationes de prima philosophia III, AT VII, 45, 52.
- 11 -
The Certainty of the Cogito
The Certainty of the Cogito
― From a modal point of view ―
Osamu UENO
The philosophical works of Descartes are marked with a passionate quest for
certainty that led him to Cogito, ergo sum, a proposition he believed to be the first and most
certain of all. His idea of certainty, somewhat difficult to fit in an epistemological argument of
justified belief, may be better construed from a modal point of view, i.e. it being impossible
that something should be otherwise than we think it to be. Drawing upon Hintikka's
interpretation of the Cogito, the present paper proposes to understand the necessity Descartes
ascribes to the proposition 'ego sum, ego existo' not as necessity de re nor as necessity de dicto
but necessity de loquendo. The absolute certainty of the Cogito reveals itself in the
impossibility that a thinking being that cannot fail to indicate itself by the indexical ego could
ever make sense of saying 'non sum'. The persistence of the Cogito against the ‘doute
hyperbolique’ shows the limit of our possible thinking of a possible world which can possibly
be an actual world.
「キーワード」
コギト、真理、確実性、必然、不可能
- 12 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
― サルトルにおける責任について ―
吉永和加
はじめに
サルトルの他者論は、いわゆる「まなざし理論」によって代表される。彼は『存在と無』
の他我に関する考察の中で、志向性の変形といえるまなざしを介した自己と他者の関係を
論じた。その議論の特色は、自己と他者が「まなざす-まなざされる」という関係の相克
と考えられたことである。だが、この「まなざし理論」は、真正の他者に至ることの不可
能を宣言し、愛の挫折を導くという致命的な欠陥をもつものであった。それゆえ、サルト
ルの他者論は、フッサール流の他者把握の破綻を描いた、既に乗り越えられた議論と見な
されることが多い。その元凶はもちろん、一種の志向性である「まなざし」を擁したこと
自体にある。しかしながら、サルトルの議論の前提には、興味深い概念が含まれており、
その内容は意外な射程をもっている。
そのことは、サルトルとは逆に、志向性を否定して愛を根幹に据えた他者論がいかなる
道程を辿ったかを見ると明らかになる。例えばシェーラーは、無宇宙論的人格愛を最高の
状態として、さまざまな共同感情の位階を設けることによって自己と他者の関係を論じた。
彼は、自己と他者の一体化をもって他者把握の最高の段階だと考えていたのである。だが、
真正な他者把握が自己と他者との一体化であると考えることは、自己と他者の個体性を無
くして行くことである。事実、シェーラーは、自己と他者の個体性、すなわち自己の自己
性と他者の他者性を危機に晒すことになった1。こうした事情は、
(志向性や知覚の構造を他
1
もっともシェーラーは、共同感情に位階を設けることで、自己と他者との距離を量ってもいた。つまり、
シェーラーにおいては、一方で自己と他者の融解を説き、他方で自己と他者の個体性の確保を目指して
もいたのである。ただし、シェーラーの情感性は、アンリによっていまだ志向性を含むとして批判され
ている。詳しくは、拙著『感情から他者へ――生の現象学による共同体論――』
(2004 年、萌書房)第
一部第二章を参照されたい。
- 13 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
者経験に敷衍する議論を批判して)志向性の代わりに情感性を基盤として他者経験を論じ
る議論に共通するものである。すなわち、情感性を他者経験の基盤とする議論には、共感
による自己と他者の一致が真正な他者経験だという前提がある。その究極の形が愛におけ
る自己と他者の一体化であることは言うまでもない。しかし、一体化とは自己と他者の非
-差異化であるから、真正な他者経験は、自己と他者は区別をなくしてしまうだろう。他
者性の喪失である。これは、志向性による他者把握が、他者を自己の既知の事柄から構成
するため、他者の他者性を剥奪してしまう、という事態と結果的には同じである。つまり、
志向性による他者経験の議論と、それを批判して構築された情感性による他者経験の議論
とは、別の方向から同じ問題に突き当たるのである。
その他にも、愛を頂点とする他者経験の議論には、指摘すべき問題点が三つある。第一
に、情感性は自己と他者の一体化にのみ向かうものではないことである。ルソーが述べて
いるように、自己が他者に相対するときには、
(感情を力として) 引力とともに斥力も働
く2。この引力は愛や共感に、斥力は憎悪や反感に相当するであろう。だとすれば、件の議
論には、斥力、言い換えれば憎悪や反感という観点が抜け落ちていることがわかる。そし
て、このことと連動して第二に、情感性を基盤とする他者経験の議論が、引力として働く
愛に類する感情以外の、多様な感情については論じないことである。自己は他者と遭遇し
て何らかの感情を抱く。しかし、それが共感やましてや愛であるとは限らない。そして、
一方が引力を、他方が斥力をそれぞれ感じるということもありうるだろう。つまり、自己
と他者とは感情の齟齬を感じることがありうるだろう。その齟齬について、件の他者経験
の議論は語ることができない。そして、第三に、シェーラーやアンリに見られるように、
情感性を基盤とする他者経験を主張する場合、その一体感を保証するものとして、生/生
命という形而上学的な装置を必要とすることである。
実は、ここで論じようとするサルトルも、「まなざし」という志向性のみを他者経験に適
用したのではない。それどころか、
「まなざし理論」は、羞恥という感情に代表される情感
性によって支えられている。その意味では、サルトルは、
「まなざし」という志向性の変形
を前面に押し出した議論を構築しつつ、他方で他者経験における情感性の原初的性格に十
分留意していたといえる。注目したいのは、サルトルのこの志向性と情感性の使い分けで
ある。アンリの考えでは、志向性と情感性とは完全に対立する。それというのも、志向性
は自己と他者の現象学的な距離を前提とし、情感性はそうした距離を否定するからである。
この考え方からすれば、サルトルの議論は、志向性の残滓を引き摺った中途半端なものだ
と切り捨てられるだろう。しかし、情感性を擁した他者経験の議論の問題点として先に指
摘したように、情感性には斥力の契機が考慮されるべきであり、そしてその斥力とは自己
と他者の距離を開こうとする働きであるとすれば、サルトルの情感性と志向性の採用法は、
この自己と他者の距離という問題に示唆を与えるものとして現われてくる。
2
Rousseau,Jean-Jacques. Rousseau juge de Jean-Jacques Dialogues,Œuvres complètes,Éditions
Gallimard,1959.p.805.
- 14 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
サルトルがそもそも「まなざし理論」を展開したのは、自己と他者が無によって隔てら
れていると考えたからである。したがって、彼が考える情感性は、決して一体化の方向に
は進まない。その意味で、サルトルの他者論が自己性と他者性を確保できる可能性は高い。
そして彼は、自己と他者がまなざしの相克の関係にあって、一方が他方のまなざしの対象
になるときに、それが一方通行の関係ではないことを明示している。まなざしの相互性で
ある。そして、一方が他方のまなざしの対象になったとして、その対象化された像を引き
受けることをサルトルは「責任」と呼び、対象化を通じて自己と他者は「共同責任者」で
ある、と述べている。つまり、自己と他者とが隔絶して存在した上で、相互を結びつける
ものとして、サルトルは「責任」という概念を持ち出すのである。
それゆえ本稿の目的は、サルトルの「責任」の来歴を明らかにし、それが存在論的、さ
らには倫理的にどのような意味をもつのかを詳らかにすることである。これは、情感性に
よる他者把握が逃した他者性を確保しつつ、いかにして自己と他者が結び合うかを考える
第一歩になるはずである。
1
存在と責任
まず、
『存在と無』3において、自己がどのように捉えられるか、その自己に対して他者が
いかに現われ、両者の関係がいかなるものかを概観する。そして、その関係の中で「責任」
がどのような仕方で出来してくるかを調べよう。
サルトルは、『自我の超越』4 において、フッサールを批判して、意識の中から超越論的
<我>(Je transcendantal)を取り除き、意識の志向性の規定のみを採用した。そのことによっ
て、意識は対象によってのみ成立することになった。他方で、超越論的<我>は、世界を
統一し、構成するという権限を失った5。『存在と無』でサルトルは、この着想を引き継ぎ、
さらに、フッサールの意識の志向性の規定と、ヘーゲルの即自-存在と対自-存在の規定
とを融合して、他の意識(=他者)との関係を構想する。それを簡単に見ると次のように
なる。
サルトルは、意識が何ものかについての意識である、というフッサールの志向性の規定
を次のように展開させる。「意識とは、その存在がそれとは別の一つの存在を巻き添えにす
る限りにおいて、それ自身にとって、その存在においてその存在のことを問題にするよう
な一つの存在である」(EN 29)6。サルトルは、まさにこの意識の巻き添えとなる「存在」と
して他者存在を想定する。そのために、サルトルはヘーゲルの即自-存在(l'être-en-soi)と対
自-存在(l'être-pour-soi)の区別を参照して、ここに他者存在が参入する場を設けようとする。
まず、即自-存在は、自己自身と寸分の隙もなく合致する、肯定せざるをえない事実的
3
4
5
6
Sartre,Jean-Paul, L'être et néant,Gallimard,1955. 以下、この文献からの引用、参照個所については、EN
の略号と共に頁数を記す。
Sartre,Jean-Paul, La transcendance de l'Ego, J.Vrin, 1966.
この節で触れる、『自我の超越』から『存在と無』に至る自我の分析については、前掲の拙著、第一部
第一章を参照されたい。
下線を付した強調はサルトルによる。
- 15 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
な存在である。しかし同時に、これは、何らの他なる存在者から根拠付けられもせず、存
在理由ももたず、ただ偶然的に存在するものにすぎない(EN 33)。この即自-存在の事実性
と偶然性は耐え難い。そこで、こうしたあり方を脱して、根拠付けようとするのが対自-
存在である。サルトルは、対自-存在について二つの規定を施す。まず第一に「対自とは、
それがあるところのものではない、対自はそれがあらぬところのものである」(EN 429)。こ
の否定的な作用によって、対自は、即自に対して本源的な無化を施し、即自を逃れつつ、
その根拠を追求する。第二に、「対自は、自己の存在であるべきであるという仕方で存在す
る」(ibid.)。こうした対自は、即自を超越して、自らの投企(projet)となる。
この間隙に参入するのが、他者存在である。なぜなら、他者存在とは、「彼が自己である
ことによって、私を排除するものであり、私が私であることによって、私が排除するもの
である」(EN 292)からである。これは、対自の即自に対する第一の規定にある、否定性と重
なり合う。さらに、他者存在とは、この私を超越するものとして存在している。そして、
(議
論を先取りするならば)他者は私を「まなざし」、私の像を作り出す。その意味では、他者
存在はやはり、対自の第二の規定にも合致する。それゆえ、次の結論が導かれるであろう。
「他者は自由なものとして、私の即自存在の根拠である」(EN 430)。あるいはまた、「対自
は、自己自身として、それがその存在において他者ではないものとして問題になる限りで、
他者存在を自己の存在のうちに含む」(EN 343)。つまり、即自を根拠付け、即自を超越して
投企する対自のあり方のうちに、他者存在が参入する可能性が開かれるのである。このこ
とを、サルトルは、「他者の出現は、対自をその核心において射抜く」(EN 429)と表現して
いる。
かくして、他者存在は、自己の存在そのものに関わるものとして現われる。この限りで、
サルトルにとっては、他者存在は確かに最初に対象であるのではない(EN 309)。「…他者の
存在は、偶然的かつ還元不可能な一つの事実という本性をもつ。人は他者に出会うのであ
って、他者を構成するのではない」(EN 307)7。しかしながら、重要なことは、対自が即自
に対してなす否定と、他者が(私の)即自に対してなす否定との間には、内的な繋がりが
何もないことである。「他者がそれによって自らを私の他なるものとする否定と、私がそれ
によって自らを他人の他なるものとする否定との間には、いかなる内的否定の関係も存在
しない」(EN 433)。サルトルにとり、自己の存在は、偶然の事実にすぎないが、他者存在も
また同様であり、さらに、自己と他者の関係自体もそうである。「意識個体は互いに、乗り
越えがたい一つの無によって分離されている」(EN 444)。
これが、「まなざし」理論の素地となる自己と他者の関係である。つまり、他者は、無に
よって自己から分離されているから、自己の対自-存在に働きかけるとはいえ、自己との
直接的な関係をもちえない。ましてや、自己と他者との一体化はありえない。ゆえに、他
者は「まなざし(regard)を向けている者」(EN 315)として、私の対自-存在を対象化するもの
として現われる。この他者による対象化は、私を或る対象-私に凝固させ、私の自由を制
7
下線を付した強調はサルトルによる。
- 16 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
限する。これが他有化(aliené)であり、奴隷化(esclavage)である。私はこのまなざしに対して
無防備であり、常に他有化され奴隷化される危険に晒されている。そして、このまなざし
による凝固は、全く他者の自由によってなされ、私のなすすべはないところから、他者に
よって創出された私の「像」は、私にとっては偶然的なものでしかない。しかしながら、
重要なことなのだが、私はこの私にとっては偶然的なものでしかない対象-私の「像」を
引き受ける。
ここにサルトルの「責任」が出来する。そもそも、サルトルにおいて「責任」の主体に
なる自己は存在しない。というのも、サルトルにとり、超越論的<我>には既に「私」は
存在せず、「私」は無でしかないからである。それでも、「私」が意識され、言い換えれば
自己性がありうるのは、他者が存在し、私がこの「他人であらぬもの」である限りにおい
てであり、さらには、この他者が私に対してなす否定によってである。私は、私自身がな
したのではない「対象-私」を引き受ける。この「対象-存在」を引き受けるというこの
一点においてのみ、私は「他者であらぬ」ことができ、他者は他者として存在しうる(EN 345)。
その意味で、
「この他有化され、拒否された<私>は、他者に対する私の絆であり、同時に、
我々の絶対的な分離の象徴なのである」(ibid.)。そして、サルトルは、この分離の「責任」
を自己自身に課す。
「私は私の存在において永久にこの分離の責任者(être responsable)」なの
である(ibid.)。さらに、他者もまた、我々の根源的な分離の「共同責任者(être coresponsable)」
だと言われるのである(EN 345-346)。
2
感情と責任
かくして、自己は、「まなざし」の対象化の際の「対象-私」を「引き受ける」ことにお
いて、「責任」をもつ。さらに、自己と他者は、この「対象-私」を創出し、それを引き受
けるという仕方で、この「対象-私」に関する「共同責任者」となっている。そのことに
よって、自己と他者とは、互いに自己性を保ちつつ(つまり完全に分離しつつ)
、結び合う
ことができる、と考えられたのである。こうした「責任」は、自己と他者の主体があるこ
とを前提にして互いに課されるものではない。
「自由」でしかありえない自己と他者が、
「責
任」を引き受けることと同時にその自己性(主体性)を意識せしめるというところに、こ
の責任論の特色がある。では、この「責任」はどのような仕方で、自己と他者に感じられ
るのだろうか、それを感情との関係で調べよう。
上で、「まなざし」による自己の他有化について見、そこでサルトルに独特の「責任」が
働くことを見出した。しかし、こうした他有化は、奴隷化とも称されるように、自己の自
由を制限し、奪ってしまう。自己の自由は奪い返されなければならない。そのためには、
今度は逆に自己の自由によって他者を「まなざし」、対象化しなければならない。つまり、
「まなざし」による主-客の転倒である。このことを否定という観点から見ると、次のよ
うになる。
まず、「まなざし」は他者を現前させ、私を対象化する。これが、第一の否定である。こ
のとき、私に「責任」はない。だが、次に今度は、他者を対象化する段階が来る。これが
- 17 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
第二の否定である。この私による他者の否定は、私が第一の否定を捉えていることが前提
となっている。この否定を捉えることのうちに、私についての意識が出現する、とサルト
ルは述べる。「…私もまた、私自身の可能性である他者の否定を行う責任者である限りで、
私は、私についての一つの明らかな意識をもつことができる」(EN 347)。しかも、私につい
ての意識は、他者による否定を捉え、そのことがまた、他者を否定する可能性でもあると
ころに「責任」が出来する。換言すれば、私に「責任」のない他者による否定を捉えるこ
とのうちに、他者を否定する可能性が含まれ、そのことは私の他者に対する「責任」を既
に含意しているのである。
そして、この第一と第二の否定の間に存して、第二の否定を促す動因となるのが羞恥
(honte)や恐怖(peur)や自負(fierté)といった感情である。なかでも最も根源的な感情とされる
羞恥とは、私を対象とする他者の現われと私自身についての意識との端緒である。サルト
ルは、この羞恥を、覗き穴を覗いている即自-存在が、廊下の足音を聞いて感じられる感
情、と描写している。この時、私は、他者から「まなざし」を受け、対象化されるという
形で、他者を不可欠の媒介者として、他者の対象として現われている私自身について恥じ
るのである。たとえ足音が錯覚であったとしても、事情は同じである。つまり、サルトル
によれば、羞恥とは、「私が私の存在を外部にもっていて、この私の存在が、別の存在の内
に絡め取られ、そのようなものとしていかなる防御ももたずに、一つの純粋直観から流出
する絶対的な光によって照らされている、という本源的な感情」(EN 349)8なのである。羞
恥とは、自分自身が他者にとって対象である、ということの直接的な承認である。そして、
羞恥は私の自由な意識が、他者によって他有化され、或る可能性に凝固させられる経験で
あり、私が他者の仲介を通してのみ私でありうるという失墜の感情でもある。それゆえ、
この感情はまた、「私を対象としている主観が対象でありうる」という克服の反応を動機付
けるのである(EN 350)。
この羞恥を基盤とした感情として、サルトルは自負を挙げている。これは、私が対象で
あることを認めて、
「これこれでしかあらぬこと」に甘んじる感情である(EN 351)。そして、
この羞恥や自負の経験は、それ自体で、他者からの評価を受け取るということを含んでい
る。「まさしく、羞恥あるいは自負によって、私はこれらの評価が不当なものではないこと
を承認すると同時に、私は、これらの評価をあるがままのものとして、すなわち所与から
諸可能性へ向かう一つの自由な超出として受け取る(prendre)ことをやめない」(EN 326)。こ
うした、他者の自由によって、自分の可能性が一つの形をとること、そしてそれを受け取
らざるをえないことは、恐怖である。「私が他者を捉えるのは、他者が私の行為をどう見な
すのかを私がはっきり見極めてのことではなく、まさしく、私のすべての可能性を両義的
なものとして生きる一つの恐怖のうちにおいてである」(EN 323)9。他者は、恐怖の中で体
験される。そして、この恐怖を感じるとき、その恐怖とともに「他者に見られる自己」を
8
9
下線を付した強調はサルトルによる。
下線を付した強調はサルトルによる。
- 18 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
引き受ける。
「…羞恥や怒りや恐怖によって、私は自分をそのようなものとして引き受ける
こと(s'assumer)をやめないからである。しかも、私はやみくもに自分を引き受けることをや
めない、というのも、私は、自分の引き受けるところのものを、認識していないからであ
る。私は、ただ単に、私の引き受けるところのものである」(ibid.)10。この「引き受ける」
という語句は原義からしても、またこれまでの検討からしても「責任」の負荷をもつ。次
の叙述がそのことを明確に示している。「それ[私の対他-存在]は、したがって、偶然的
な所与ではあるが、私がそれの責任者であるような一つの所与という形式の下で、私に現
われる…」(EN 431)11。
さらに、こうした感情によって、他者を対象とする反転が動機付けられ、実際に私が「ま
なざし」を他者に向け変えると、今度は、私は他者存在に関する「責任者」となる。「…私
がこの自己性を実現するために私自身に向けて私を投企する限りで、他者の存在の責任者
はまさに私なのである」(EN 348)。無論、他者も、私が「対象-私」を引き受けなければな
らなかったように、私によって構成された「対象-他者」を受け取らなければならない。
このとき、
「事実、他人と私は、他人の存在に関する共同責任者(être coresponsable)である…」
(ibid.)ことになるのである。
かくして、自己と他者は偶然的な無によって隔絶しつつ、互いにその存在の根拠となっ
ている。「…他者の自由は、私の存在の根拠である。しかし、まさに私は他者の自由によっ
て存在するゆえにこそ、私はいかなる安全ももたず、私は、他者のこの自由において、危
険に晒されている」(EN 433)。この状況は、自己にとっても他者にとっても同等に課せられ
ている。つまり、私は他者によって、他者は私によって、存在を根拠付けられるが、その
根拠付けはあくまでも自分ではない他者の自由に委ねられている。それゆえ、そこには不
安が付き纏う。逆に言えば、それは「まなざし」を向ける側は、向けられる側に必ず不安、
恐怖を感じさせることになるのである。換言すれば、「まなざし」の第二の否定の契機にお
いて、「責任」をもって対象-私を引き受けた私は、相手を「まなざす」ことで、自分の不
安、恐怖と同じものを相手に帯びさせることになる。
このことをサルトルは、罪(culpabilité/péché)の概念と結びつける(EN 481)。私が罪責ある
者であることを、サルトルは二点において挙げている。一つは、私が私自身の他有化を、
引き受けるべき失墜として体験することにおいてである。二つは、私が他者にまなざしを
向け、他者を対象として構成し、他者が引き受けなければならない他有化をもたらすこと
においてである。それゆえ、
「原罪(péché originel)とは、他人が存在している一つの世界にお
ける私の突然の出現である…」(EN 481)。こうして、「責任」をもって対象-私を引き受け
ること、そしてネガティブな感情をもって「まなざし」を相手に向け返ること、そうした
こと自体が「罪」である。あるいは、「原罪」が他人の存在している一つの世界における私
の出現なのだとしたら、自己と他者の絆となっている「責任」自体が「罪」と結び合って
10
11
下線を付した強調はサルトルによる。
括弧内の補足は引用者による。
- 19 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
いることにはならないだろうか12。
3
アンガジュマンと責任
3-1
受動性と能動性
ここまで、存在論的な次元でのサルトルの「責任」について検討してきた。だが、サル
トルの議論を離れると、「責任」とは、例えば、刑事的責任、法的責任、道義的責任など、
さまざまな外延をもって現実社会の中で機能する概念である。サルトルもまた、責任を存
在論的な次元の議論に留めることなく、倫理的な次元で論じることを目指している。そこ
で、次に、サルトルの責任概念がいかなる射程をもちうるのかを考察しよう。
サルトルにおいて、責任の前提となっているのは、自由である。サルトルによれば、自
由とは、自己自身が偶然に存在することに由来し(EN 450)、さらに「[自由の]特徴は、世
界に対して超越的であることである」(EN 463)13。これは、自由の説明であり、同時に存在
そのものの定義でもある。これまで検討したような他者との関係について見るならば、「…
私の存在は、それ[他者の自由]から、絶え間ない受動的(passif)な自己への脱出を受け取
る」(EN 433)14。換言すれば、これは、責任の引き受けにほかならない。この自由において
「必然的」に対他-存在を引き受けるというとき、その責任の引き受けは、アンリの言う
「絶対的受動性」15に近い。そのことは、他者のいない自己自身のあり方に関する記述を見
ると明らかになる。「他人がいなければ、私は私の運命であるところの、自由であるという
この恐ろしい必然性を、完全に、ありのままに捉えるのであり、つまり、私は存在するこ
とを自分で選んだ訳ではなく、私は生まれたのであるにも拘わらず、私は、自分を存在さ
せる気遣いを、ただ私だけにしか委ねる(se remettre)ことができないというこの事実を、完
全に、ありのままに捉えることになる」(EN 450)。ここでは、他者の介在しない場合の、自
己の自由と責任の関係が表わされている。このとき、自己は、自己自身の自由を制限のな
いものとして捉え(他者は常に制限するような形で現れ、自己は常に他有化に晒されてい
るから)、対自の投企のみを受け取る。逆に言えば、他者の存在のおかげで、自己はこうし
た事実を他者の存在を介して受け取る。それは、自己が他者によって守られていることだ
とも言い表される(ibid.)。
しかし、このようなあたかも絶対的な受動性の様相を呈する「責任」の把握の一方で、
サルトルはこの「責任」の「引き受け」を単なる受動性とは考えていない。そのことは、
サルトルが、たとえ侮辱を受けたとしても、それを身に引き受けることによって、それは
12
13
14
15
『真理と実存』の中でサルトルは、無垢と罪のなさと責任の不在とを同一視している。無垢とは、無知
の一形態であるが、無知の道徳は、無責任性と同義である。これは裏を返せば、罪あることと責任とが
少なくとも同じ次元の問題であるということであろう。Sartre,Jean-Paul, Vérité et Existence, Édition
Gallimard,1989. p.99-101. 以下、この文献からの引用、参照個所については、VE の略号と共に頁数を
記す。
括弧内の補足は引用者による。
括弧内の補足は引用者による。
アンリによれば、生けるものは、自分の意志とは関わりなく生まれさせられ生きさせられているという
意味で、そして、生の発現としての感情をもつという意味で、絶対的受動性を担っている。
- 20 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
受動的であることをやめる、と述べることからも伺われる(EN 25)。侮辱を前にした自己は、
受動的であるか能動的であるかの二者択一に迫られる。すなわち、「私は私の存在において
受動的ではなくなり、たとえまず最初には私がその起源ではなかったとしても、私が私の
感情の根拠になるか――あるいは、私は受動性によって私の存在まで浸され、私の存在は
授けられた[だけの]存在であり、それゆえすべては無となってしまうか、どちらかであ
る」(ibid.)16。
しかも、この二者択一は、実はパスカルの賭けのように、結局は選ぶことが許されてい
ない。自己が被る受動性はまた、同等に他者の受動性も要求するのであるが、それでいて、
「受動性は、一つの存在と他の一つの存在との関係であり、一つの存在と一つの無との関
係ではない」(ibid.)。さらに、
「相対性と受動性という二つの規定は、存在の仕方には関わり
うるが、いかなる場合にも、存在[それ自体]には適用されえないだろう」(EN 27)17。だが
何故、相対性と受動性は、存在の仕方に関わるのみで、存在それ自体には適用されないの
か。それは、こうした「まなざし」の引き受けが、対自-存在の次元に存するからである。
想起するならば、他者存在は対自-存在に対して働きかけ、自己存在を保証するものであ
った。それは逆に言えば、他者の「まなざし」が対自-存在には働きかけるとしても、即
自-存在には働きかけえないことを意味している。対自-存在においてのみ受動性が発現
することを、サルトルは一般化して次のように述べる。「…私は、世界の中の諸対象に対し
て、私を受動的なものにするが、世界の中の諸対象が私に現われるのは、この受動性の観
点からであり、この受動性のうちにおいてであり、この受動性によってである」(EN 461)。
つまり、対自-存在は、受動的であることを余儀なくされている。他方で、即自-存在の
あり方について、サルトルは次のように述べる。「存在とは、自己を実感しえない一つの内
在であり、自己を肯定しえない一つの肯定であり、働きかけえない一つの能動性である」(EN
32)18。つまり、即自-存在は存在と無の狭間で、能動性を背負わされている19。それゆえ、
サルトルの「責任」の能動性の起源は、この即自-存在に求められるであろう。
さらに、この能動性は、即自-存在を基底付けようとする対自-存在のあり方にも発現
する。確かに、他者は対自-存在に介入しはする。しかし、「他者という資格での他者にと
って本質的なものは、対象性であり、生命ではない」(EN 297)。それゆえ、「まなざし」に
よって他者から働きかけられる私もまた、対象性という要素を他者に捉えられるにすぎな
い。つまり、対自-存在には他者から捉えきれない何らかの剰余がある。そのことを裏付
けるように、対自-存在による即自-存在の否定と、他者存在による即自-存在の否定と
16
17
18
19
括弧内の補足は引用者による。
下線を付した強調はサルトルによる。また、括弧内の補足は引用者による。
下線を付した強調は引用者による。サルトルは、この引用の直前に、即自-存在は能動でも受動でもな
い、とも述べている。
サルトルにとり、人間が生きるということ自体が、能動性を要請する。
「人間の現実は何ものをも受動
的に受け取ることはできず、常に征服しなければならない…」(VE 46)。また、受動性は内在には関わ
らないことも確言される。「誤謬は停止であり、延長された瞬間であり、受動性であり、それはあらゆ
る受動性と同様に、外部から条件付けられている」(VE 57)。
- 21 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
の間に内的な関係はない(EN 433)。そしてまた、そもそも対自-存在は、「自己の存在であ
るべきであるという仕方で存在する」(EN 429)。換言すれば、対自は即自を超越して、自ら
の投企として存在する。このような存在の仕方は、一種の能動性ということができる。
かくして、私が対自-存在において、「対象-私」を(サルトルの言う)責任として引き
受けるとき、それを被る点では受動性であるが、それをまさに「引き受け」ることにおい
てそれは能動性に転化する。そして、その能動性はそもそも自由で無である即自―存在に
端を発し、対自-存在の投企という仕方に連動する。こうして、責任という概念のうちに、
受動性と能動性とが含まれることになる。これは存在が存在であるために、決して逃れる
ことのできない責任の両義性である。それは、存在させられたことに対する絶対的受動性
であると同時に、存在するための絶対的能動性とでも言うべきものである。それゆえにこ
そ、「私の存在は、常に受動性を越えたところに位置している」(EN 25)のである。
こうした受動と能動が同時に働くときに、存在は、自己を拘束し、他者に、さらには世
界に向かって開示される。これがアンガジュマン(engagement)と呼ばれる事態にほかならな
い。サルトルのアンガジュマンとは、彼の倫理学を象徴する言葉であるが、このような仕
方で存在論的に基礎付けられるのである。「私はアンガジェしたものとしてのみ存在し、ま
た、私はアンガジェしたものとしてのみ、存在するという意識をもつ」(EN 352)。そこで、
最後にこのアンガジュマンと責任について検討することにしよう。
3-2
アンガジュマン
『存在と無』の存在論は、『実存主義とはヒューマニズムである』20の行為論(倫理学)
に一応の結実を見る。サルトルは、この書の中でいっそうはっきりと神の不在を打ち出す21。
そのことは、人間の現実について、二つの帰結をもたらす。一つは、人間が目的論的に規
定されないということである。すなわち、「人間はまず最初に存在し、世界において出会わ
れ、世界において突然現れ、その後に定義されるものである…」(EH 21)。これが、実存は
本質に先立つ、と言われるサルトルによる人間の条件の規定である。このことはさらに、
人間は投企としてしか存在しないことを含意している。「人間はまず、自らかくあろうと投
企したところのものになるのである」(EH 23)。そしてこのとき、責任が出来する。
「実存主
義の第一の手続きは、あらゆる人間に、自らあるところのものを把捉させ、自らの存在[実
存]についての全責任(responsabilité)をその人間自身に負わせることである」(EH 24)。ただ
し、「全責任を負わせる」ことについては、補足が必要である。それが神の不在からの二つ
目の帰結と関係している。神の不在によって、人間は決定論によって規定されなくなる。
そのことは、人間を完全に自由なものにする。神が存在せず人間が自由であることは、人
間が自分の行いについてそれを正当化する価値や命令を見出せないことを意味している。
「したがって我々は、我々の後方であれ前方であれ、明らかな価値の領域において、正当
20
21
Sartre, Jean-Paul, L'existentialisme est un Humanisme, Éditions Nagel, 1952. 以下、この文献からの引用、参
照箇所については EH の略号と共に頁数を記す。
『存在と無』でももちろん神の不在については語られていたが、例えば羞恥について叙述する際、また
愛の成就の境地を描出する際、神が絶対的他者として仮定されていた(EN 350,495)。
- 22 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
化の根拠も弁明の余地ももたないのである」(EH 37)。ここにおいて、何故人間が自らの実
存について「全責任」を負わされるのかが説明される。人間は、創造主をもたずして生み
出され、自由であるが孤独であるからである。それゆえ、人間はあるべき自己を求めて投
企しつつ、それを受け取る。これがアンガジュマンである。そうして出来上がっていく自
己について人間は責任をもたなければならない。このとき、この投企は具体的な行為に結
び付けられて、次のように言われる。「人間は自らの投企以外の何ものでもなく、人間は自
己を実現する限りにおいてのみ存在する、それゆえ、人間は自らの行為の全体以外の、彼
の生活以外の何ものでもない…」(EH 55)。
このアンガジュマンの行動のうちに、不安(angoisse)が現れる。不安が感じられるのは、
私の行動、私の選択が、正当化されないということと、それに巻き込まれる他人に対して
責任があることによる(EH 33, 100)。それゆえ、サルトルによれば、不安とは、行動の前に
感じられるものではなく、まさに行動の一部なのである(EH 33)。サルトルはこの不安と責
任感とを結びつけて次のように述べる。「自分をアンガジェし、自分は自分がかくあろうと
選ぶところのものであるだけでなく、自分自身と同時に全人類をも選ぶ立法者でもあるこ
とを理解する人間は、全面的で根源的な責任感情(sentiment de la responsabilité)を逃れること
ができないだろう」(EH 28)。このとき、サルトルの言う責任感情と不安とはほとんど同時
に体験されるであろう。サルトルにおいて、責任感情に関する記述は多くないが、少なく
ともこの記述からは、責任が感情として現れうること、さらにそれが人間が自由であるが
ゆえに感じる不安と結びついていることがわかる。
かくして、アンガジュマンと責任とは不可分な関係にある。しかし、責任に関してサル
トルが最終的に「我々が人間は自ら自身について責任をもつと言う時、それは、人間が厳
密にその個人自身について責任をもつという意味ではなく、全人類に対して責任をもつと
いう意味である」(EH 24)という規定を与えるとき、この規定には、いくつか問題点がある
と思われる。
一つ目は、この議論からは具体的な他者の存在が抜け落ちていることである。なるほど、
サルトルは、
「コギトによって直接自己自身に達する人間はまた、すべての他者をも発見す
るのであり、しかも他者を自己の存在の条件として発見するのである」(EH 66)と述べてい
る。この限りで、この記述と『存在と無』において他者が対自-存在のレヴェルに働きか
けるとされていたこととの間に矛盾はない。しかし、他者存在によって全面的責任を負う
ことから「守られていた」はずの対自-存在がここでは、事実上、他者存在との関係を断
たれて、孤独な側面ばかりが強調されている。
『存在と無』では「まなざし」の出現と孤独
の関係について、次のように言われている。「他者のまなざしの出現は、私にとって、孤独
においては原理的に獲得することができなかった一つの《体験(erlebnis)》22を通して、すな
わち同時性の体験を通して現れる」(EN 325)23。つまり、他者のまなざしを受け取る限りに
22
23
原文のまま。
下線を付した強調は引用者による。
- 23 -
隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
おいて、私は孤独ではない。そして、いかなる時も私が他者のまなざしに晒されていると
すれば、この孤独はいわば(ルソーが創出した自然状態のように)仮構でしかないといえ
るであろう。このことは、『実存主義とはヒューマニズムである』が講演と討論であったこ
とを割り引いても、少なからぬ問題を含んでいる。
二つ目の問題は、まさにこの具体的な他者の欠如から導出される。サルトルは、このよ
うな孤独な地歩に立たされた人間について、
「物事は人間がそうあるよう決めた通りになっ
ていく」(EH 54)と述べる。ここでは、他者からなされる規定が自己にとって全く偶然的に
なされ、それを引き受けなければならないことが考慮されていない。よしんば、その偶然
の規定を引き受けるということによって、それを必然に転換しえたとしても、この記述は、
常に他有化に晒されて自由を剥奪される不安と恐怖を感じている『存在と無』での人間の
記述とは相容れないと言わざるをえない。
さらに三つ目の問題として、孤独のうちで世界に対峙した人間が、世界に対して全責任
を負う、とされることが挙げられる。そのことを称してサルトルは、
「かくして、我々の責
任は、我々が予想しうるよりもはるかに大きい、というのも我々の責任は人類全体をアン
ガジェするからである」(EH 26)と述べている。しかし、
「自分自身をアンガジェする」こと
が、「全人類を選ぶ立法者」たるという記述、あるいは、「すべての投企は、いかにそれが
個人的なものであれ、普遍的価値をもっている」(EH 69)24という記述には、個人のなす選択
がそのまま普遍に繋がるという考えが見られる。これは、サルトルが忌避しようとした神
と単独者の図式そのものではないのか。あるいは、これは、サルトル自身が批判したカン
トの自由な行為主体と普遍立法の関係とどこが違うのか、という疑問が湧く25。他方、サル
トルは神の存在を既に否定してしまっている。そこで、アンガジュマンが絶対化されるこ
とになる。「自由に存在するということ、投企として、すなわち自らの本質を選ぶ存在とし
てあるということと、絶対であるということとの間には何の相違もない」(EH 72)26。しかし
ながら、このような自己の――正確に言えば、対自-存在の――絶対化こそ、サルトルが
『自我の超越』以来、超越論的<我>の否定という形で批判してきたものではなかったの
か。確かに、ここで絶対化されているのは超越論的<我>ではない。だが、その代わりに、
アンガジュマンという仕方で自己存在の絶対化が図られている。つまり、サルトルは、独
我論を導く近代的自我を批判するという自身の意図に反して、最終的にはまさしく絶対的
な自我(の働き)を創出し独我論に近づいていったといえる。次の叙述はそのことをよく
表わしている。「人間的世界、人間的主体性の世界以外に世界は存在しない」(EH 93)。
24
25
26
「実を言えば、人は常に『もしもすべての人がそのように振舞ったらどうなるか』と自問するべきで
あり、一種の欺瞞によってしか、人はこの不安な思考を免れない。
『すべての人がそのように振舞うの
ではない』と公言することによって嘘をつき、弁解をする人は良心にもとる人間である」(EH 28-29)。
我々が選ぶものは常に善であり、我々にとって善であるのに万人にとっては善でない、というものは何
もありえない」(EH 25-26)とサルトルが述べるとき、その善を選ぶための前提は何かという問題が起こ
る。もちろん、サルトルはカントのようにそれを理性だとは言わないが、ここにも人間の普遍化が見ら
れる。
下線を付した強調は引用者による。
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隔絶した自己と他者とを繋ぐもの
では、このような問題の原因は何か。それは、『存在と無』で、「まなざし」を介して他
者との関係を、責任によって結びつけておきながら、その責任を次にその個々の「引き受
け」から一足飛びに、全世界への責任とすることである。確かに、
『存在と無』においても、
存在とは、元来「余計なもの」でしかなく、だからこそ、他者の存在を介して責任を「引
き受け」ることはそのまま、自己自身の存在を存在たらしめる契機となるのであった。ま
た、責任の引き受けは、他者に向かって自己の存在を開示することになる。そればかりで
はない。責任の引き受けは、さらに自己を取り巻く世界という無に対して自己の存在を開
示することにもなる。それが、
「…人間は、自由であることを余儀なくされているのだから、
全世界の重みを自らの双肩に担っている。人間は、存在の仕方における限りで、世界と自
己自身の責任者である」(EN 639)という叙述に表わされている。
しかし、他者に対する責任と世界に対する責任とでは、その次元が異なり、そこで意味
されている「責任」にはずれがある。前者は、対自-存在が他者からの「まなざし」を引
き受けるという責任であるのに対して、後者は自己自身の無へ向かっての投企を引き受け
るという責任であるからである。この両者をサルトルは架橋していない。後者において全
世界を持ち出した時点で、それは容易に普遍性に結びついてしまうであろう。さらに、そ
もそも自己と他者を結びつける「責任」を「引き受けなければならない」必然性が、サル
トルによっては明示されていない。この「責任」を引き受けることが、自己の同一性の確
保を可能にし、他者の存在を見出す端緒となっているにも拘わらず、である。
とはいえ、サルトルの「責任」は徹頭徹尾、自己と他者とが無に隔てられていることに
基づき、一体化を拒みつつ27、自己と他者を結びつけるところに意義がある。それが、最後
に破綻を来たす「まなざし」の授受の要となっているとしても、この「責任」を介して両
者の立場は対等であり、互いによって存在と自己性が保証される。しかも、この「まなざ
し」の授受のまさに成立の場で、「責任(感情)
」と「罪悪(感情)」とが結びつけられたこ
とは、意味深長である。そこでは、確かに神なき後の、倫理学の一つのあり方が示されて
いると考えられるからである。その意味でやはり、サルトルの存在論と倫理学は近代性を
引き摺るとはいえ、ポストモダニズムの幕開けでもあったのである。
(よしながわか
27
哲学哲学史・助手)
『嘔吐』で、サルトルは、
「私は魂の交感は望まない。そこまで落ちぶれたくはない」と主人公ロカンタ
ンに語らせている。Sartre, Jean-Paul, La Nausée, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, 1981. rééd. 1987.p.126.
- 25 -
Le nœud entre le moi et autrui qui s'éloignent dans le néant
Le nœud entre le moi et autrui qui s'éloignent dans le néant
― De la responsabilité chez Jean-Paul Sartre ―
Waka YOSHINAGA
Jean-Paul Sartre dans son traité sur l'autre ego, Le transcendance de l'Ego,
assimile la relation entre moi et autrui à celle du regardant et du regardé. Cette relation est
fondée sur l'objectivation réciproque du moi et de l'autre. Mais l'objectivation de l'autre
conduit à le saisir comme un objet et non pas comme une personne. Sur la base de cette
critique, Max Sheler et Michel Henry soutiennent que l'autre doit être saisi, non pas comme
une sorte d'intentionnalité, comme un《regard》, mais immédiatement par l'affectivité et le
sentiment. Cependant Jean-Jacques Rousseau qui était un précurseur et qui a cherché à
connaître autrui par l' affectivité, n'y a pas réussi. La cause de cet échec, à mon avis, réside
dans le fait que le recours à l'affectivité implique une non-différenciation dans l'amour et la
sympatie ; elle entrâine une négation de l'altérité.
Il est certain que l'expérience de l'autre passe d'abord par l'affectivité. Mais à part
l'amour ou la sympathie, quelle type d'affectivité peut-il nouer le moi à l'autre dans l' altérité?
Nous irons chercher du côté du sentiment de responsabilité chez Sartre. Cet essai a pour but
d'analyser sa notion de responsabilité pour refonder l'approche de l'autre.
En premier lieu, nous examinerons l'idée que dans la négation de l'être pour-soi,
l'autre surgit en même temps que le moi est établi. Sartre appelle《responsabilité》le fait que le
moi s'assume comme image de l'être pour-soi-pour-autrui. Quand le moi est aliéné par le
regard de l'autre subjectivité et essaie de reprendre sa propre subjectivité, l'échange entre le
regardant et le regardé engendre des sentiments tels que la honte, la peur et la fierté. Et quand
le moi s'assume son propre image, apparaît le sentiment de culpabilité, de péché .
En second lieu, nous mettrons en évidence que dans la responsabilité sartrienne,
s'unissent la passivité de la naissance et la activité de la vie. Cette ambivalence se rattache au
concept sartrien d'《engagement》 ; un homme est responsable de tous les hommes et du
monde. Mais n'est-ce pas là confondre la responsabilité dans l'être pour-soi et celle dans le
projet ? Nous montrerons que le concept de responsabilité chez Sartre soulève des problèmes
mais qu'il peut être un premier pas vers une étique après la mort de Dieu.
「キーワード」
責任、まなざし、感情、原罪、アンガジュマン
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初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
西田 充穂
レヴィナスの哲学において、
「責任」に代表されるいわゆる「倫理」的な概念が表立って論じられ
るようになるのは 1950 年代以降のことである。倫理的な議論の前景化は、存在論批判というレヴィ
ナス哲学の方向性が明確にされるのと軌を一にしている。
本論では倫理的な概念が主題化される前の論考を取り上げ、レヴィナスの存在観といったものを
確認する。レヴィナスは、後に西欧哲学全体を「存在論」1と一括し、それを批判の的として存在に
対する倫理という構図を打ち出す。そのような議論が展開される以前の、つまり、存在についての
初期の議論を辿ることで、存在についての議論の枠組みを概観し、存在の問題系に関するレヴィナ
スの解釈の基本型を取り出すことが出来よう。
存在からの逃走
レヴィナスは、完全なる存在を善として肯定する議論、他なるものの一切を主体の権能の下へと
還元することになる同一者の理論を一括して「存在論」と見なす。それを批判対象と目するレヴィ
ナス哲学の特徴の一つとして、そのように解釈された存在論における存在からの離反の試みを指摘
することが出来よう。存在からの離反を存在からの「逃走」として考察した『逃走論』はそのよう
な試みの端緒となっている2。そこで問われているのは、存在における「完全-不完全の区別」を超
えた「存在するという事実そのもの」
、
「存在は存在する」という事実である(DE93)。
存在という問題をどのようにして捉えていくのか。以下には存在についてのレヴィナスのおおよ
1
2
レヴィナスが「全体性」と称して、批判する対象は二つの型に大別できるという(関根、「レヴィナスの全体性
批判」をもとに改編)。
全体性 A:自己拡張型 権能の主体の拡張 フッサールへの認識論批判
全体性 B:自己消失型 非人称の普遍的な存在への解消 ハイデガーの存在論批判
レヴィナスは、いわゆる存在論(全体性 B)だけでなく、認識論(全体性 A)の議論もまた、
「存在論」として批
判する。
レヴィナスは、
「逃走」というモチーフを文芸批評から借用したと述べている。その際、
「逃走」を現代文学が明
らかにした「奇妙な不安」であり、
「存在の哲学に対する最も根底的な糾弾のようなもの」と解釈している (DE94)。
- 27 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
その考え方が示されている。
「存在(existence)は他の何ものにも準拠せずに自己を肯定する絶対者である。それは同一性であ
る。しかし、この自己自身に準拠することにおいて、人間は一種の二元性を見分ける。…自我の
同一性において、存在の同一性は繋縛(enchaînement)というその本性をあらわにする。というの
も、自我の同一性の中で、存在の同一性は苦痛(souffrance)として現れ、逃走へと誘うからである。
したがって、逃走は自己自身から脱出しようとする欲求であり、言い換えると、もっとも根底的
で、もっとも仮借のない(irrémissible)繋縛、自我が自己自身であるという事実を断ち切ろうとす
る欲求である。
」(DE98)
自我が自己自身であるという自我の同一性において、存在の同一性が苦痛として現れるため、そ
れから逃れること――逃走が求められる。そもそも、存在の同一性は絶対的に充足しており、他の
何ものにも準拠していないので存在すること自体に付加されるべきものは何もない。そのため、存
在するという事実は端的に肯定されている(DE93)。レヴィナスの主張は、このような存在の同一性
に二重性を見るというものであり、問題はこの存在の同一性がはらむ二重性とは何かということで
ある。
『逃走論』の「逃走」とは、自我の同一性のうちにある存在の同一性の繋縛から逃れようという
「欲求(besoin)」として規定される。欲求は、後の考察では欲望(désir)と対比される概念であるが3、
ここでは同一性へと回収されることのない何ものか、何ごとかへの希求であるという点を確認して
おく。一般的に、欲求とはその解消が追求される限りでは、満たされるべき何らかの欠如を前提と
した概念である。しかしながら、レヴィナスは欲求を欠如とは関係づけない。レヴィナスによれば、
欲求とは積極的な何ものかとの関係である。仮に、欲求の基底に何がしかの欠如が見い出されると
しても、さらに、欲求が存在と密に結びついているとしても、欲求によって見出される欠如は存在
の欠如を意味していない、とレヴィナスは言う(DE101,105)。
先の引用において、レヴィナスは存在の同一性を示す様相として「苦痛」を挙げていた。したが
って、欲求とは存在の同一性としての苦痛からの解放を求めることとなる。しかし、苦痛は欲求を
満たすことによっては解消されない。なぜなら、欲求の基底にあるものが存在の欠如ではなく、存
在の充溢(plénitude)であるからである(DE120)。そしてこの存在の充溢は、存在の根底における自分
自身にとっての重荷であり(DE106,114)、自己自身に釘付にされ、自己自身に閉ざされている存在の
肯定そのものである、とレヴィナスは考えるのである(DE115-6)。
存在を超える善、存在における悪
『逃走論』では、存在の同一性である苦痛からの解放を目指すことが論じられていたのであるが、
3
『全体性と無限』では、他者への希求である「欲望」と他なるものへの希求である「欲求」とが区別される。欲望
についての議論は、同著の第一部第一章から始められている(TI pp. 21 et ss)。
- 28 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
『実存から実存者へ』では、存在をめぐるレヴィナスの善-悪についての考えが明確に打ち出され
る。その冒頭では、まず善についての言及が見られる。同書の課題が善を論じることにあるとの表
明に続いて、 レヴィナスは善についての 「もっとも一般的で、もっとも空 虚 な 指 標 」 と し て
「<善>を存在の彼方に位置づけるプラトンの形式」を参照項に挙げている。レヴィナスはしばし
ば、プラトンの観念に訴えて「存在に対する<善>の超越」
、
「<存在>の彼方なる<善>」(TI326)
を目指して超越を論じるのであるが、それはもっぱら「形式」としてのことにすぎない。その形式
の意味するところは次のように述べられる。
「存在者を善の方へと導く運動は、存在者を高次の存在へと高める超越ではなく、存在とそれ
を記述する様々なカテゴリーから外へ出ること、つまり、過ぎ越し(ex-cendance)であるというこ
とである。しかし、過ぎ越しも幸福も存在に根ざしており、それゆえ、存在することは存在し
ないことよりもよいのである(être vaut mieux que ne pas être)。
」(EE 序文、強調引用者)
ここですでにレヴィナスが論じるべき問題の困難が窺える。先に見た逃走は、存在の充溢とそれ
による拘束がその出発点であった。それと同様にここでも、何ものにも準拠することのない存在が
まず議論の出発点になるのである。すなわち、存在のカテゴリーからの逸脱を目指しながらも、そ
の逸脱自体が、そもそも存在を前提せざるを得ない、という当然の事実が確認される。
存在は非存在との比較を通じて優位にあるという意味で、上位の価値「よりよい」と評されるの
ではない。レヴィナスにおいて、存在をめぐって立てられる善-悪は価値判断ではない。また、
「よ
りよい」というあり方は、完全性における存在の追求ではなく、存在者と存在との関係性において
示されるものである。加えて、よりよいというあり方は、世界と存在の主体と化した存在者との関
係性においてではなく、他者と存在者との関係性に求められる。レヴィナスにおいて、世界との関
係に肯定的な価値を認めることができるのは、その関係の基盤として、他者との関係があるためで
ある。したがって、善とは、他者との社会的な関係において追求される問題になっているのである。
このような善に対し、
「存在における悪」についての言及が見られるのは同じく『実存から実存者
へ』の序章においてである。その際、批判の対照項として挙げられているのはハイデガーの存在論
である。それは「存在と無の弁証法」の下にあり、
「悪を欠陥、欠乏、つまり、存在の欠如すなわち
無」と解しているという点で批判される(EE20)。これに対して、レヴィナスが問い質そうとするの
は「悪が欠如であるという観念」であるという。レヴィナスは「存在はその限界や無とは異なる瑕
疵(vice)を含んでいないだろうか。存在の積極性そのものには何らかの根本的な悪(mal foncier)がない
だろうか」(ibid.)と言う。つまり、存在の欠如を悪とみなすのではなく、存在そのものに悪があるの
ではないか、と問うのである。
すなわち、存在をめぐる善-悪について、存在と非-存在、あるいは、存在の完全性と不完全性
といったことが問題とされるのではない。レヴィナスが論じるのは、存在自体に悪が見出されると
いう問題であり、存在論批判はこの点から始められる。
そもそも「存在するという事実はすでに完璧である」(DE101)と考えられている以上、存在論にお
- 29 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
いて悪となる存在の欠如や不完全な存在ということは意味をなさない。レヴィナスが存在の欠如や
有限性を悪とみなさないのはこのためである。そしてレヴィナスは「存在とは存在するという悪(le
mal d’être)である」と断言する(EE28)。これはレヴィナス自身の存在観の表明であると言えよう4。だ
からこそ、レヴィナスが問い質すのは、存在するということに含まれている「自分自身にしか準拠
しないこの肯定の絶対的性格」(ibid.)なのである。
存在と存在者の関係について――契約と文法
『存在から存在者へ』
、
『時間と他者』においても、先に確認したようなレヴィナスの存在観を基
にして、消極的な仕方で存在との関係性を論じる別の手続きが示される。ここでも、議論のポイン
トはハイデガーに抗してなされる存在者と存在の関係についての解釈にある。
レヴィナスの議論はまず存在論的差異についてのハイデガーの議論を確認することから始められ
る。そして、ハイデガーの議論をなぞるように、存在者と存在の分離(séparation)を維持することの困
難さ、存在を存在者の中で考える傾向を認めた上で、レヴィナスは次のように述べる。
「
『存在者』と『存在』の関係は独立した二項の結びつきではない。
『存在者』は既に存在と契
約しているので、それを切り離すことはできない。
」(EE16)
ここで言われている「契約」とは、存在と存在者との間に、債務の履行を要請するような義務関
係を見ることである。レヴィナスは契約という観点から、存在者が存在することにおいて、存在し
なければならないという義務を取り出す(EE31-2)5。
レヴィナスの存在論批判は、単に退けるべき悪として存在の否定を目指すものではない。その批
判はつねに批判対象である存在の根深さをまず認めることから始められる。そのうえで、件の存在
をどのようにして捉え直すのかが論じられるのである。それゆえ、ここにおいても、批判の対象と
なる存在が議論の出発点としてまず取り出されているのである。
さらに、存在者と存在の関係は、文法概念によっても解釈される。
『存在から存在者へ』では、存
4
5
レヴィナスの存在をめぐる善-悪は以上のように設定される。しかし、レヴィナスの言う善-悪とは、果たして
存在にそもそもそなわっている価値なのだろうか。というのも、レヴィナスの批判する従来の形而上学が存在を善
とみなしていたのと同様に、存在それ自体が悪であり、一方、存在を超えることを善とみなすのはともに自明なこ
とではない。
この存在と悪との同一視は、レヴィナス哲学の根本的なテーゼである。しかし、
「存在一般、つまり、イリアの
本来的邪悪さは、証明不可能である」と言われている(Didier Franck, Dramatique des phénomènes,PUF,2001, 90-91)。
ところで、レヴィナスはイリアをそこから存在者が成立するという意味において、物質ないし質料と同一視して
いるようである。だとすれば、存在一般であるイリアに悪を見出すのはそれほど突飛な着想・主張ではないと言え
るだろう。
また、レヴィナスが「他者」や「倫理」を論じる仕方について、谷徹氏は「それなりの《理由》
」
、
「それなりの
《正当性》
」を認め、イリアを悪となすレヴィナスの構えを「原罪の形而上学」と名付けている(谷徹『意識の自然』
勁草書房、1998 年、588 頁、653 頁)。
D.フランクは、この「契約」という言葉の意味が、
「不安定で、曖昧で、矛盾してさえいる」と強調する。そして、
存在者と存在との間に契約関係を見ることは、
「なぜ無よりもむしろ存在があるのか、という問いを私は存在する
権利を持つのかという問いに従属させることになる」と言う(Didier, op.cit. 80)。
- 30 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
在と存在者との差異を動詞と実詞との差異を重ねて考えるということである。そうすることによっ
て、レヴィナスは両者の間に支配関係を見るのである。つまり、主語ないし実詞である存在者の属
詞(…デアル)への関係は、存在するという動詞への主語による支配である。そしてこのような支
配-被支配の関係が存在者から存在に向けても作用しているという6。
すなわち、このような存在と存在者との関係は既に確認したように、その分離の維持が困難なも
のである。そこで、レヴィナスの存在についての考察は、両者が密接な関係をもって与えられるあ
る瞬間、始まりという瞬間へと向かう。レヴィナスはこの始まりの考察の後に、始まりの瞬間以前、
存在者の成立以前のイリアへと遡及する。以下ではその順を追って行く。
存在の引き受けをめぐって――怠惰、努力、疲労
存在者が存在し始めるという瞬間を、レヴィナスは存在を拒絶する出来事として論じる。これは存
在の引き受けという意味での行為をめぐる瞬間についての考察である。存在との関係は、始まりの
瞬間において分節化される出来事として、怠惰(paresse)、努力(effort)、疲労(fatigue)といった概念を通
して論じられる。
この始まりについての考察はまず、始まらない、始めないという開始の否定から着手される。こ
の否定は、自ら始めることはできないという開始の不可能性でもある。そのため、行為の始まりに
結びついており、かつ、行為の開始を拒否する怠惰がこの考察の起点とされる。怠惰は「行為への
拒否」
、すなわち存在を引き受けることの拒否である限りで存在の「開始の不可能性」(EE34)である。
しかし、怠惰は行為の不可能性ではない。というのも、怠惰はある行為をしなければならないとい
う義務、つまり、存在しなければならないという義務を前にした行為の開始への拒否である。しか
し、怠惰はそれが克服可能であるからこそ、後ろめたさをともなっている(EE33)。怠惰が「
〔人を〕
まいらせ、無為が重くのしかかり、煩わしい」(EE37)のはそのためである。こうした後ろめたさや
煩わしさが行為の開始のための努力を生じさせる。つまり存在しなければならないという義務が課
せられており、その拒否には後ろめたさがともなうため、存在することの努力が強いられるのであ
る。
レヴィナスは始まりについて次のように述べている。
「始まりの瞬間には既にして何かしら失うべきものがある。というのも、――たとえそれがこ
の瞬間それ自体でしかないとしても――何ものかが既に所有されているからである。始まりは
ただ単に存在するだけではなく、自分自身への回帰において自らを所有する。行為の運動は目
的に向かうと同時に自らの出発点の方へ屈折し、そうしてこの運動は存在すると同時に自らを
所有する。
」(EE35-6)
ここでレヴィナスは、存在の始まり、それを引き受けて存在するという行為の開始において、存
6
このような関係は現象学的分析では解明できないとされる(EE16)。
- 31 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
在することと自らの存在を所有することとに二重化した事態として理解している。この二重化をは
たす「自己回帰」
、
「出発点への屈折」は、怠惰に反して始まりの瞬間を成立させる努力とそれを弛
緩させる疲労――これについては後に述べる――によってもたらされる。
存在の引き受けを拒むことで開始を拒否する怠惰に対し、努力は存在を引き受けることによって
行為の開始を遂行する。しかし、怠惰によって始まりが回避されているために、努力は「担うべき
瞬間への遅れ」(EE48)をもって存在を開始する瞬間を成立させる。
努力によって成立したこの瞬間を現在という時間へと結びつけるのが疲労である。しかし、
「疲労
の根本形式」は「存在が自分自身の執着しているものと不断にますます食い違っていく」(EE42)こ
とにある。つまり、疲労とは「存在と自分自身との食い違い」(EE43) 7であり、存在を始める時点で
すでに、怠惰に由来する遅れ、食い違いが疲労となっているのである。
この始まりについての考察で言われていること。それは、存在とは、積極的に引き受けられるの
ではなく、むしろ可能であるならば、その引き受けを、存在を回避したいということである。しか
し、存在の拒否を貫くことはできない。というのも、存在には義務が含まれているからである。そ
して、この拒否は覆すことができる、つまり、消極的な仕方ではあれ、存在は引き受けることがで
きるために、この拒否には後ろめたさがある。ここから、存在の引き受けへの努力が導かれるので
あるが、存在の開始には「担うべき瞬間への遅れ/自分自身の執着しているものとのずれ」がある。
そのため、存在するという行為の始まりにおいて既に存在者は疲労しているのである。
以上の考察から理解しうるのは、やはり、存在という問題についてのレヴィナスの姿勢である。
つまり、存在することを端的に肯定すること、存在を善とみなすことはできない。だからといって、
存在とまったく無縁であることもできない。そのために、積極的な仕方ではないものの、存在には
関わらざるをえない、ということである。
存在という恐怖について――イリアの経験と実詞化
存在の引き受けを経ることで、存在者は成立する。したがって、存在者の成立が論じられるのは、
以上で考察された存在の引き受けをめぐる始まりの瞬間の後に生じる出来事としてである。存在者
の成立は存在することの主語(=実詞)の成立である。このとき、存在の主体となる存在者は、存在
を支配する主人であると同時に、義務契約の履行として存在を引き受ける存在の従属者でもある。
レヴィナスはこの存在者の成立について「動詞によって表現される行為が実詞によって示される存
在となる出来事」を示す言葉(EE141)として、
「実詞化(hypostase)」という文法上の概念を当てる。
この実詞化が出来事として生じる場は「イリア(il y a)」と規定される。このイリアは一切の存在が
無くなったと仮定する「想像的破壊」(TA25)によって取り出される(cf.EE93)。存在するもの一切の
無化の果てに、もはや否定することの出来ない何ものかがあるという。仮説に基づいて取り出され
るこの「何ものかがある」とは、誰のものでもない存在という意味で、存在者なき存在、剥き出し
の存在である。そのため、この存在のありようは主語であるような誰かとは無縁な仕方であり、実
7
疲労は後に、存在を中断させる能力として、
「睡眠」や「無意識」として展開される(EE107 et ss)。
- 32 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
詞となるような何ものもなく、不確かではあるが「何かが起こっている」という仕方で述べられる。
「イリアは人称的形式をなすことの拒否において『存在一般』である」(EE94)。この意味で、イリ
アとはこれまでに見てきた存在論批判の出発点をなす存在の謂いである。
レヴィナスはさらに、仮説から導かれたこのイリアを経験する可能性を問い、それを夜の経験に
なぞらえる。存在者が身を置く世界経験もまた、イリアを取り出すための手続きである想像的破壊
を経ることによって無化されている。こうして無効化された経験は、輪郭や形式の消失・溶解とし
て述べられる。
その一方で、仮説によってイリアが取り出されたように、一切の無化の後にも否定しつくされる
ことのない経験が確保される。この経験については奇妙な沈黙や圧迫が言われる。
「それは空虚の密度のようなもの、沈黙の呟きのようなものである。何もない、けれど何かし
らの存在が力の場のようにしてある。闇はたとえ何もないとしても作用するであろう存在の働
きそのものである。
」(EE104)
イリアは誰のものでもない力の場、重苦しい雰囲気、それを否定しても普遍的なものとして回帰
する存在である(EE95)。レヴィナスはこのようなイリアの経験を恐怖であると言う。それは名状し
がたい何ものかに触れ、それにとらわれることの恐怖である。しかし、イリアは存在者の成立以前
へと遡ることで得られた境位であり、一切の無化が想定された時点で、恐怖を覚える主体といった
ことはもはや考えられていない。したがって、イリアの恐怖とは、非人称の存在の回帰が純然たる
恐怖であることを意味している。この恐怖は、
「ハイデガーの不安が見出す純粋な無」8に対置され、
レヴィナスは存在そのものに恐怖を見るに到る(EE102)。
恐怖とは、その解消が求められるような否定的な価値をおびた経験である。イリアの経験や存在
そのものが恐怖とされるのは、イリアが確保された次元のためである。イリアは存在者の成立以前
にあり、イリアへの遡及は、非人称の存在そのものへの遡及である。このようなイリアの経験は、
存在者にとってそれ以前に具わっていると考えられる主体の主体性、存在者の個別性を覆す経験と
なる(EE100)。つまり、イリアの恐怖はレヴィナス自身が設定する仮説の構造によるものである。
イリアはさらに、存在に恐怖を見出すという点にも関連している。非人称の存在であるイリアが
存在一般と解されるのは既に確認した通りである。そのうえでレヴィナスは、イリアと存在者との
関係を普遍と個との関係と捉えるのである。ところで、個別的な存在者を普遍的な存在一般へと還
元するあり方こそ、レヴィナスが全体性と称して批判する事態である。ここで問題となっているイ
リアは、存在一般であり、非人称の存在の遍き拡がりとして不断に回帰する。存在者にとって、そ
の回帰は普遍的な存在との一体化、普遍的な存在への解消を意味する。このようなイリアの解釈か
ら、存在そのもの経験はイリアのそれと同一視され、恐怖と目されているのである。
8
無は虚偽概念として退けられているわけではない。レヴィナスは無を存在の否定や限界ではなく、普遍的な存在
に生じる「間」あるいは「中断」として考えており、この間ないし中断は、実詞化という概念によって述べられる
存在者の成立の条件になっている。
- 33 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
恐怖がそこからの回避が求められる経験であるように、イリアの恐怖もその解消が求められる。
この恐怖の解消をはかるのは、存在者の成立を示す実詞化である。というのも、
「実詞化によって、
無名の存在はイリアとしての性格を失う」(EE141)からである。つまり、実詞化とは、仮説によって
無効にされた存在者の個別性や主体性を回復させる仕組みになっているのである。したがって、実
詞化と想像的破壊によるイリアへの遡りとは、非人称の存在をめぐって、存在者の成立とその解体
というような対をなす関係になっているのである9。
イリアないし存在に見出された恐怖の解消は、実詞化に求められる。しかし、これは存在者にと
っての恐怖がまったく無くなるということを意味してない。というのも、実詞化が存在者の成立と
いう出来事を示す概念であるのは、存在の主人であると同時に存在への従属者としてのことであっ
た。つまり、実詞化によって存在者と存在とが切り離されるのではない。実詞化とは、あくまでも
存在と存在者の両義的な関係を意味する概念である。したがって、実詞化は非人称の存在からの解
放として、存在の恐怖を鎮める方途ではある。しかし、それは存在そのものにある恐怖については
いかなる変更ももたらさない。
存在論批判として整えられて行くレヴィナス哲学は、当然のこととして、独自の哲学を展開する
その予備的な段階から存在を問うものであった。これは、従来の存在についての議論が自明視して
いた前提を疑問視することから始められた。つまり、完全なる存在を善と見なすことは、存在に対
する一つの態度ではないのか、と。したがって、レヴィナスの議論において、存在は無条件に肯定
されるものではない。そこで、存在についてのレヴィナスの考察は、存在の同一性に苦痛を見出し、
存在の欠如や不完全性にではなく、存在それ自体の充溢に悪を認めることになる。だからといって、
存在は容易に否定したり、無化しうると考えられているわけでもない。存在は極めて消極的な意味
をもつ出来事として取り出されるのみである。レヴィナスの初期の論考では、この点が様々な仕方
で繰り返し確認される。
そして、存在者が存在することにおいても、存在の否定や拒否が求められるのではない。そもそ
もそれは不可能なことである。レヴィナスがまず認めるのは、存在が払拭しがたいということ、存
在と存在者との関係が不可分であるということである。法的関係や文法的関係によって、あるいは、
行為の開始という場面を用いて、存在者と存在との関係を考察することから導かれたのはこのこと
である。さらには仮説によって、決して否定しえない存在の次元を見出し、イリアの概念を得る。
レヴィナスはこの概念を手にしたことで、 批判の的として定める存在のあり方――存在の同一性
――とその淵源を定式化した。存在についてのこのような議論を重ねることで、存在の同一性とい
うあり方からの解放を指向するものとしてレヴィナス哲学は確立されるのである。
9
イリアは仮説によって得られた次元であるのだが、そこから実詞化が生じる理由を問うことは出来ず、実詞化の意
味を述べるだけであるとレヴィナスは言う(TA31)。
- 34 -
初期レヴィナスにおける存在についての諸論考
Emmanuel Lévinas の著作略記号
DE:De l’évasion (1935) Fata Morgana, 1982
EE:De l’existance à l’existant ,VRIN (1963, 1977, 2e éd. augumentée )1990
TA:Le temps et l’Autre (Fata Mrgana,1979) PUF, 1983
TI:Totalité et Infini (Martinus Nihhoff,1961) KLUWER ACADEMIC, 5éd.,1993
参考文献
池上明哉「レヴィナスにおける存在論から倫理への移り行き」、『哲学』(三田哲学会)87、1988、
12
―― 「レヴィナスの「存在」観」、『哲学』(三田哲学会)91、1990、12
関根小織「初期レヴィナスの現象学研究-『全体性と無限』形成への観点から」、
『現象学年報』 19、
2003
――「レヴィナスの全体性批判-フッサール、ハイデガ-批判における全体性の二義性」、『現
象学年報』14、1998
Catherine Chalier, “Ontologie et mal”, in Emmanuel Lévinas, L’éthique comme philosophie première, Cerf,
1993
(にしだみつほ 哲学哲学史・博士後期課程)
- 35 -
A propos des premiers écrits sur l’être chez Lévinas
A propos des premiers écrits sur l’être chez Lévinas
Mitsuho NISHIDA
Le prima de l’éthique par rapport à l’ontologie, voilà la formule courante par
laquelle on résume la philosophie de Lévinas. Toutefois, avant de préciser sa pensée en tant
qu'éthique, avant d'insister sur l’éthique, pour lui, au départ, il y avait l’être. Dans cette étude,
nous allons nous intéresser aux premiers écrits de Lévinas concernant l'être et en examiner la
forme fondamentale et caractéristique.
Son argument sur l’être se fonde sur l’idée du mal de l’être ou du mal qui est au
fondement de l’être. Cette idée du mal en l'être est examinée de la façon suivante : d’abord
Lévinas questionne “l’idée que le mal est défaut”, l'idée qui considère l’être parfait comme
bien. Et puis, il se demande s’il n'y a pas «quelque mal foncier» dans la positivité même de
l’être. Mais ses considérations sur l’être ne le conduisent pas à le nier. Parce que Lévinas dit
que “le fait d’être est d’ores et déjà parfait”, et admet que l’être est indéniable. Mais ce n’est
pas affirmation entière de l’être, Lévinas n’affirmant l’être que négativement. Ainsi la
philosophie lévinasienne cherche l’évasion hors de l’être comme une fuite hors du mal.
A partir de cette conception de l’être, il traite à plusieurs reprises l’être indéniable
comme mal ou comme quelque chose de négatif. Lévinas considère le problème de l’être non
pas en fonction d'une comparaison avec le néant ou le manque d’être, mais le traite en tant
que commencement de l’être appréhendé du point de vue de l’action. En outre, en utilisant les
termes grammaticaux et la notion de contrat, il traite la relation entre l’être et l’êtant. Il y
trouve l'être assigné comme devoir ou obligation, l'être inévitable. Chez Lévinas, c’est aussi la
question du sujet/sujetion de l’être, pour laquelle il introduit des notions nouvelles : il y a et
hypostase. La notion de il y a désigne le fait d'«être en général» ou d'être antérieur à la
formation du sujet; celle de hypostase, désigne un événement qui est l'orientation du sujet né à
partir de «il y a ». En outre, ces notions sont conduites sur la base de l'hypotèse d'un moment
négatif, la destruction imaginaire de toute chose. C’est au travers de cette négativité, de cette
destruction que Lévinas tire la notion de il y a, ordre de l’être antérieur à la formation du sujet.
「キーワード」
存在、イリア、実詞化
- 36-
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
― 「観念」の本有性と神のア・ポステリオリな実在証明 ―
津崎良典
かつてピエール・アドはその著作1において、古代ギリシア哲学と比較しつつ、<精神の修練
(exercices spirituels)>を鍵語に採り、デカルト哲学の生成と展開を読み解く可能性を示したが、
例えば『省察、並びに反論と答弁』の如何なる場面において、如何なる<精神の修練>が問題
となるだろうか。この問いのために、
「第五省察」で披瀝される神のア・プリオリな実在証明が、
「第一答弁」において以下の三段論法に纏められることに一瞥を加えることから始めよう。
「明
晰にかつ判明に私たちが、或る事物の真で不変な本性、或いは本質、或いは形相に属すると知
解するところのものは、その事物について真理をもって肯定されうる[――大前提]。しかし、
十分に事細かく私たちが神の何たるかを探査したのちは、明晰にかつ判明に私たちは、神は実
在する、ということが神の真なる不変の本性に属することを知解する[――小前提]。ゆえに、
そのとき真理をもって私たちは神について、神は実在する、と肯定することができる[――結
」(VII,115-116)2。ここで注目すべきは、三段論法の論理形式に照らして論理的に不要であり、
論]
したがって三段論法の論理的部分とは言い難いもの(「十分に事細かく私たちが神の何たるかを
)が小前提に含まれていることである3。この小前提はしかし、神の観念につい
探査したのちは」
て何らかの<探求>が既に成就されていることを明らかに要請し、三段論法はその成果を論理
形式のうちに取り込んでいる。ア・プリオリな実在証明が言及されるその他の箇所(cf. VI,3622-23;
VII,6521-23; 16322-23; VIII-A,111-2)においても、この<探求>が、いま『省察』本文に対応する箇所
を探すならば、神のア・ポステリオリな実在証明を成す、
「第三省察」における形而上学的思索
の一連の過程として、より厳密には、<神は実在する>と結論されるに先立って、<私>が予
め混然と抱いていた神の観念が「探査」されるという、思索の一部分として、要請される。こ
1
2
3
Cf. Hadot, P., Exercices spirituels et philosophie antique, Paris: Albin Michel, 2002, p. 280; 299; 311.
デカルトの著作からの引用は、Descartes, R., Œuvres de Descartes, éd. par Adam, Ch. et Tannery, P., Paris: J. Vrin,
11 vol., 1964-1974 に拠り、ローマ数字で巻数を、アラビア数字で頁数、
(場合により)その次に小文字で行数
を表し、典拠を明示する。引用に際して、論者による補いは[]で、強調は下線で明示する。
Cf. Gouhier, H., La pensée métaphysique de Descartes, Paris: J. Vrin, 1962, p.155.
- 37 -
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
の「探査」を支える精神の働きの詳細を<精神の修練>として描き出すこと、それが本稿の目
的である。思索行の始まりと終わりで検討される所謂<観念三分類>説の、思索の歩みにおけ
る位置価に注目することが我々の論究の始点であり、この説によって見定められる(神の)
「観
念」の本有性の意味するところを先ず目指すことが我々の論究の針路である。
■
デカルトは「第三省察」において、神の実在をア・ポステリオリに二つの仕方で証明したの
ち、
「残るところ、どのような仕方で(qua ratione)そうした[神の]観念を私が神から受け取っ
た(accipere)のか」を吟味する(VII,51)。神の観念は先ず、
「決して期待もしていない私に到来す
る(advenire)ことはない」ため「外来観念(idea adventitia)」ではなく、次いで、
「私によって作り
成された」のではないため「作為観念(idea a me ipso facta)」でもない。
「したがって残るところ」
、
それは、
「私に、あたかも私自身の観念がまた私に本有的(innata)であるのと同じように、本有
的である」(ibid.)。神の観念の本有性を見定めるデカルトの吟味をここで導く<観念三分類>説
は、
「第三省察」にあって初出ではない。観念がその起源に着目されて三様に区別されるのは、
神の実在証明が着手される前のことである(cf. VII,3729-404)。
この区別は、一方で、複数の区分に同時に振り分けられるような観念が想定されない点で、
分類として網羅的かつ排他的であり4、他方で、それが語られる文脈によっては、観念の真なる
起源が未知であるため暫定的とされるが、神の実在証明を導くために積極的な役割を果たす点
で確定的である。後者の点については、この区別の目的について述べたデカルトの次の文言か
ら確認される。
「神の観念が私たちによって作られた、或いは神について語られるのを聞くこと
によって獲得された、と言いうる人々の意見を予め斥けるためであり、次に、私たちが神につ
いて有する観念以外にそれほど確実であると私たちに知らしめる観念は何もないことを示すた
めに、全ての観念は他のところから来ると思惟するように私たちを説得する確実性は極めて乏
しい、と主張した」(V,354)。デカルト研究の示すところによれば、<観念三分類>説は、神の
ア・ポステリオリな実在証明に際して予め異論を以下のように斥ける目的がある5。第一に、或
る事物の「作為観念」でもこれはその事物の何らかの本質を表示し(cf. V,160)、神の観念もまた
神の本質を表示する点で作為観念との差異が解消され、神の観念をそれと同列に論じても、
<私>の内にある神の観念から神の実在を証明する論拠が損なわれない。第二に、
「外来観念」
の批判により、その起源の確実性が疑われ、また、起源とされた外的事物と観念の類似性も疑
われることで、外的事物が実在するという含意が観念から剥がされ、観念は「言わば事物(res)
の像」(VII,37)ではなく、事物を「表象する」(VII,40)ものとして捉えられる途が開かれる。こ
の途を辿ることで、
「対象的実象性(realitas objectiva)」(VII,40)を基軸とした神の実在証明の論拠
が確保される。<観念三分類>説は、或いは「作為観念」に、或いは「外来観念」に神の観念
4
5
Cf. Williams, B., Descartes : The Project of Pure Inquiry, Hassocks: The Harvester Press, 1978, p.133.
Cf. 村上勝三『観念と存在 デカルト研究Ⅰ』
、知泉書館、2004 年、114-116 頁.
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<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
を振り分ける途を神の実在の証明に際して予め塞ぎつつも、分類としての網羅性と排他性から
神の観念の本有性を主張しうるために、神の実在証明の終了を俟たねばならない。この主張を
目指して神の実在を証明し終える、
という<精神の修練>が積まれることの理由を問うために、
観念の本有性そのものに以下で注目しよう。
「観念」の本有性は「本有観念」と直ちに換言可能
な概念ではない。この本有性が<本有観念の受容>の問題構制として以下で問われる。
『省察、並びに反論と答弁』において、観念が「質料的(materialiter)には知性の作用だが、対
象的(objective)にはその作用によって表象されたものである」(VII,8)と二義的に解されることか
ら、
「本有観念」もまた二義的に解されよう。本有観念は先ず、
「何かを表象するという知性の
作用」(VII,232)により、そのような観念を「形造る(efformare)」ために人間精神に本有的な「能
力」と解される(――「本有観念」の第一義)
。
『掲貼文書への覚書』をここで参照しつつ、こ
の「能力」に着目するならば、
「周囲の状況」に関わることを除いて「精神に本有的でなかった
何ものも私たちの観念の内にはない」(VIII-B,358)。経験に関わる事柄の想定は、思惟に現前し
ている(præsentes)、あれこれの観念を外的事物へと「引き戻し」
、それに関係付ける「判断」に
よって導かれる。この「引き戻し」は、
「自らに本有的な能力としてそれら観念を形造るための
機会を、精神に与えた」ところのものが外的事物によって「送り込まれた」ことと表裏一体で
ある(VIII-B,358-359)。かの「判断」を捨象し、かの「機会」の与えられうる「精神」のみを抽
出して、その能力に観念の発生の原因を求めれば、全てが本有観念とみなされうる。永遠真理
に他ならない公理や三角形の観念のように思惟実体としての<私>の本質に属するもの(cf.
III,3838-20; VII,382; 46419-23)と、神の観念のように被造実体としての<私>の本質に刻み込まれる
もの6は言うまでもなく、外来観念とされるものも、その発生に関して、精神の何らかの能力を
想定せずに外的事物の因果性だけでは充分に説明できず、その限りで本有観念である。何らか
の遠隔原因より派生、或いはそれに附随しながらも、近接原因としての、かの「知性の作用」
によって形成される「派生的(occurent)観念」7、或いは「付随的(episodic)観念」8として、
「事物
の観念」(VII,44)、「直接に精神によって知得された全てのもの」(VII,181; cf. III,29523; 3832-3;
39214-15)、そして「思惟される全てのもの」(VII,366)が本有観念と解される(――「本有観念」
の第二義)
。
観念が本有的と言われるときの、或いは、観念を「形造る」能力が本有的と言われるときの、
その本有性が次に問われる。この問いは、
「神の観念は、本有的である私たちの思惟する能力
(cogitandi facultas)によって私たちにおいて在る」(VIII-B,359-360)とデカルトが主張するときの、
その<在り方>に関わる。一方で「第三答弁」によれば、
「或る観念が私たちに本有的であると
言うとき、私たちはその観念が私たちに常に顕現している(obversati)とは解さない」(VII,189)。
もしそうであれば、いかなる観念も本有的でなくなるからである。或る観念が本有的であると
は、
「私たちがただ、私たち自身の内にその観念を誘い出す能力(facultas eliciendi)を有する」(ibid.)
6
7
8
Cf. Gilson, É. [Descartes], Discours de la Méthode, texte et commentaire, Paris: J. Vrin, 1987[1925], p.328.
Flage, D. and Bonnen, C., ‘Innate Ideas and Cartesian Dispositions,’ in :International Studies in Philosophy, XXIV/1,
1992, p.65 et passim.
Kenny, A., Descartes : A Study of His Philosophy, New York: Random House, 1968, p.105.
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<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
ことにすぎない。他方で「第四答弁」によれば、この「能力」は、
「働き(actus)」に、つまり「作
用(operatio)」にもたらされて初めて「現実的に(actu)意識」される(VII,246-247)。自明なことと
して、
「思惟するものである限りの精神の内には、それについて意識されないものは何もありえ
ない」(VII,246)。なぜなら、
「私たちの内にはそれが私たちの内に在るのと同じ瞬間にそれにつ
いて私たちが意識しないようないかなる思惟もありえない」(ibid.)からである。
「能力」を<働
き>の相において捉えねばならない。それは現実的に働くことによってのみ、
「現実的に意識さ
れる」
。逆に、現実的に作用しなければ、
「単に可能的な在る(esse potentialis)は本来的に言えば
無である」(VII,47)から、能力の存在は否定されうる(cf. VII,2471-2)。したがって、一方で観念の
本有性は、それが意識に常に顕在的とは限らないことを意味する。その本有性は、思惟作用に
伴う意識に対する観念それ自体の先行性ではなく、精神が「適当な反省」9を行う際の、この意
識における潜在性である10。他方でこの観念を「誘い出す」能力の本有性は、それが現実態に
おいて<働き>にもたらされず、可能態において潜在的である(cf. VIII-B,3613-7)ことを意味する。
そして、
「能力とともに観念は私たちに本有的である」(ibid.)ならば、観念の本有性は、精神に
おける能力の本有性との相関において問われうるだろう。 能力の<働き>と本有観念の<受
容>の相関性の探索を次に目指して、我々の論究の針路を取らねばならない。
メラン神父に宛てられた書簡によれば、
「あれこれの観念を受け容れることは魂における受動
(passion en l’âme)」(IV,113)であり、魂(精神)の意志作用のみが能動的働き(actions)である。観
念が精神に措かれる途は三つあり、第一は「感官に触れる対象」により、第二は「脳内におけ
る印象」により、そして第三に「魂そのものにおいて先立つ按配(dispositions)や、その意志の動
き(mouvements)」による(IV,113-114)。第三の途について、
「按配」と「意志の動き」との並列に
注目し両者を厳密に分別して、<本有観念の受容>を明らかにする。
本有観念は第一に、精神において「按配」として先在するところのものにより措かれる。デ
カルトによれば、一方で、
「全ての人々は神の観念を、少なくとも潜在的な(implicita)ものとし
て自らの内に有する、つまりそれを顕在的に(explicite)知得する(percipere)ための適性(aptitudo)
[仏訳では「按配」
]を自らの内に有する」(III,430)と言われ、神の観念そのものがこれを顕在
的に知得するための適性と換言される。
他方で、
「神が私を創造するに際して、
その観念を私に、
それが自分の作品に刻み込まれたあたかも製作者のしるしであるかのように、植え込んだ
(indere)」(VII,51; cf. IV,11210-12)と言われる。以上より、あれこれの本有観念が精神に措かれるこ
とは、
「可能態として私たちに常に内実在する(inexistens)観念」(VIII-B,361)を現実態にもたらす
「或る按配(dispositio)ないし能力」(VIII-B,358)が精神において設えられることと解されよう。
観念を顕在的に覚知するように精神は按配され、その覚知を目指してそのための能力を働かせ
つつあるとき、その能動的な<働き>において、未だ顕在化されず潜在的なものとして、つま
り本有的なものとして観念が先ず受容される(――<本有観念の受容>の第一段階)
。この「按
配」と「能力」の<働き>の関係を更に掘り下げるために、
「
『思惟(cogitatio)』という表現の曖
9
10
Cottingham, J., Descartes, Oxford: Basil Blackwell, 1986, p. 145.
Cf. McRae, R., ‘Innate Ideas,’ in :Cartesian Studies, ed. by Butler, R. J., Oxford: Blackwell, 1972, p.41.
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<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
昧さ」に関するデカルトの次の詳解に一瞥を加えよう。
「思惟、つまり人間精神の本質を成り立
たせていると私の考えるところの思惟する本性は、あれこれの思惟する働きと大いに異なり、
精神は、あれこれの思惟する働きを誘い出すこと(elicere)[=仏訳では「作用する(exercer)」
]
」
を自らに因る」(V,221)。銘記すべきは、思惟が思惟様態の「作出因(causa efficiens)」(ibid.)に比
されることである。思惟は、
「諸々の思惟様態がそこから発し現われ(exurgere)、かつ、そこに
内在する」(VIII-B,349; cf. X,34215-17)ところの、
「精神、つまり思惟の内的原理(interim principium)」
(ibid.)である。人間精神の本質を構成する「内的原理」たる思惟は、「例えば有意運動(motus
voluntaris)が思惟を原理として有している」(VII,160)ように、もろもろの思惟様態を「使用」し
て、それらを「働き」へと誘い出す作用のことである。この原理を根拠に、人間精神は「或る
能力を使用しよう(utor)と態度を構える(accingere)」(VII,246)、つまり、思惟様態を使用して実効
的な働きへともたらすよう自らを「按配」するであろう(――<精神の修練>の第一段階)
。
本有観念は第二に、その受容の第一段階を経てから、顕在的な覚知として、つまり明晰な表
象として魂に措かれることになる(――<本有観念の受容>の第二段階)
。精神の能動的な<働
き>が、潜在的な本有観念を「誘い出し」
、顕在化する作用に他ならないからである。観念を「誘
い出す」ことは、これを知性作用の「前に‐持ち来たらす(pro-ducere)」11ことであり、明証知
を「産出する(produire)」(IX-A,147)ことである。これら一連の過程を可能にする能力が意志作
用である。<本有観念の受容>の第二段階において、観念の顕在化が如何に明晰化であるのか
(――<精神の修練>の第二段階)
、その点を次に詳らかにする。
出発点は、
「事物の真理そのものに関する秩序(ordo)」(VII,8; cf. 22616-17)と「私の知得(perceptio)
に関する秩序」(VII,8; cf. 22617-18)の区別である。この区別は、
『規則論』に既出の次の区別に相
当しよう。一方は、事物が「実際に実在するのに従って」(X,418)語られる場合の領野であり、
他方は、
「単純本性」及びその必然的結合からなる「単純命題」(X,383)であるところの、直観
によって明証的に理解される(cf. X,368; 383; 407, etc.)単純な対象の成立する地平、つまり「私た
ちの認識に関する秩序」(X,418; cf. 39519; 39923)である。前者では、対象が「事物の本性」(VII,8)
に内存するかどうか(cf. VII,2026)問われ、後者では、純粋知性の対象である明晰で判明な知が成
立するか問われる。後者において成立する明証知は、
「第一答弁」の記述に従うなら、
「知性の
内に対象的に在る(objective esse in intellectu)という限りでの、思惟された事物」(VII,10221-22)、つ
まり観念である(cf. VI,559)。この<対象的な在り方>について、「知性の対象(objectum ejus)
[=intellectus] が通常そうであるような仕方(modus) で知性の内に在る ことを意味する」
(VII,10224-26)と説明される。観念が顕在化されるとは、知性の内に「実在する(existere)」(ibid.)、
その対象として成立することであり、その成立は「認識の秩序」において在ることである。そ
して、精神に本有的な観念がそこにおいて顕在化される場である認識の秩序へ誘い出されるの
は、観念が「或る仕方で私によって随意に(ad arbitrium)思惟される」のであれば、意志作用に
拠るだろう。この意志作用は、より正確には、
「注意」(III,42415; VII,13812; VIII-A,376-7, etc.)の作
11
Laporte, J., Le rationalisme de Descartes, Paris: P.U.F., p.117.
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<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
用である。これこそが、潜在的な観念を顕在化し(V,153)、更に「
[人間精神をして]観念を自分
自身に対して判明に表象」(IV,188 ; cf. V,153; 138)させ、明証知として成立させる。
「
[純粋に知
性的に]理解するとき、精神は自らを自分自身へと或る仕方で振り向け、精神そのものに内在
する諸観念のうち或るものを振り返り見る」(VII,73)。精神に内在する観念は、
「言わば私の精
神の宝庫」(VII,67)に内在する観念であり、それを「引き出す(depromere)」(ibid.)ことで、その
観念を「振り返り見る」ことが、つまり「魂が自らに対して反省する」(II,598)ことが行われ、
その結果、明証知として「あらゆる知を魂は獲得する」(ibid.)と解されよう。
■
本有観念の受容が二つの段階に分けられ、その受容の段階に対応しつつ、観念の受容に際し
て働く<精神の修練>も二つの段階に分けられる。対応関係にある其々の段階に注目すること
で、
「第三省察」における神のア・ポステリオリな二つの実在証明の辿る歩みを照射できる。
<神の観念の精錬>を目指す第一証明から第二証明への移行12が、<精神の修練>の第一段階
からその第二段階への移行に対応すると考えられるからだ。その実際を其々の証明の歩みに即
して具体的に詳らかにすることが以下の課題である。 ア・ポステリオリな実在証明において
<精神の修練>が何を目指すのか、その点から確認しよう。
この<精神の修練>の第一段階は、
「精神によって無限で、あらゆる拡大の不可能な存在に触
れるということから、全体として同時に(tota simul)」(VII,371; cf. 3685-8)神の観念を受容すること
を目指す。無限な実在者との接触とは、神の無限性の知解のことである。いかなる制限も見出
されない「真なる神の観念」が「把握される」(ibid.)のは、無限なものに触れるという人間精神
の能力の<働き>による。第二段階は、神の観念によって表象される個々の諸完全性の判明化
を目指す。神の「全体を同時に心によって包括する(complecti)」(VII,114)、つまり「包括的に理
解する」(VII,113)途ではなく、
「
[神の]個々の諸完全性に心を向け、
[中略]自己の知性の全力
を挙げてそれらの観想に専念しようと努め」(VII,114)、神の観念の表象するところを認識の秩
序に引き出す途が採られる。神の諸完全性の探求は、無限性の知解による神の観念が受容され
てから、個々の完全性に注意して「それらを捉え(capere)ようとするより、それらによって捉え
られる(capi)[――<本有観念の受容>の問題構制!]」
(ibid.)という、
観念の判明化に他ならない。
「[神の]観念が増大されるのではなく、ただ単にいっそう判明で(distinctior)いっそう明確に
(expressior)されるにすぎない」(VII,371)。
<精神の修練>の第一段階から第二段階への移行に際して、<無限なもの(神)は包解不可
能だが、何故、それは明晰判明でありうるのか>(cf.VII,468-28)という、
「まことに自然に立ち現
われる」(VII,112)問いが考察されねばならない。その基点は、
「事物の充全な概念(conceptus rerum
adæquatus)」(VII,365)と「私たちの知能(ingenium)の尺度に適合した認識」(VII,114; cf. 3651-2)の
12
Cf. 持田辰郎「デカルトにおける神の観念の精錬と、神の実在のア・プリオリな証明」
(デカルト研
究会編『デカルト論集Ⅲ 日本篇』所収、勁草書房、1996 年、199-203 頁)
。
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<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
デカルト哲学における区別である。前者について、
「神や、人間より完全な他の知的本性」と異
なり(VII,36810-11)、人間精神は、
「無限なものについてだけでなく、他のどれほど小さなものに
ついても」(VII,365)、充全な認識を決して有さない。無限なもの、つまり神に関する「思惟不
可能性(incogitabilis)」
、或いは「概念不可能性(inconceptibilis)」は、それを充全に包解する際の
「認識」
、或いは「概念」について言われる(cf. VII,1402-5; 18917-18)。神は「充全に知解されない」
、
つまり神において知解されうるものの全体が包解されない(――無限なものの包解不可能性
(incomprehensibilitas))
。後者について、それは「私たちが無限なものについて有していると、各々
が自らにおいて充分経験する」(VII,365)ところのものであり、それで「神が実在すると認識す
るには充分」(VII,140)とされる。
「或るものが、いかなる制限もその内に見出されないものとし
てあることを明晰かつ判明に知解する」(VII,112; cf. 36816-20)。神の観念にその完全性の一つで
ある<実在>が含まれることは、
「神についての充全な認識なしに知解され」(VII,115)、その限
りで「神について明晰で判明な認識」(VII,114)が成立する(――無限なものの明晰判明な認識
可能性)
。
区別された二つの次元の結節点は、無限なものに関する<充全な認識>の不可能性、そのこ
とを知解する、より正確には、この不可能性が「無限なものの形相的根拠(ratio formalis infiniti)」
(VII,3683-4; cf. 4621-23; 36725-3682)に含まれる、その包摂関係を知解する、という結構に設えられ
た人間精神の<経験>に求められる(cf. VII,4623; 11223-25; 3653)13。そして、この形相的根拠こそ
が、一方で、人間精神の限界を示すための条件である。この限界を<私>に示すのが、
「無限性
(infinitas)」(VII,113)、或いは無限な神と有限な<私>との対照性だからである。それは他方で、
「人間の観念によって表象される(repræsentari)べき仕方において」(VII,368)表象された神の観念
が、
「私の内にある全ての観念の内で[中略]分けても明晰かつ判明である」ための条件である
(VII,4621-28)。
ところで、神のア・ポステリオリな実在証明は、その第一証明から第二証明にかけて、神に
関する形而上学的思索である、かの<経験>を、<精神の修練>を通じて<私>の内に定着さ
せる過程である。その具体的な歩みを其々の証明に即して明らかにする。第一証明の枢要は、
無限な実在者との接触を試みる能力、つまり「
[神の]観念を形成する(formare)能力」(VII,133;
cf. 10519-20; 26-27) の <働き> において、 神の観念がその全体として受容されることに存する
(――<精神の修練>の第一段階)
。証明に先立って想定された「欺く神」(VII,211-3)の形象を
支える「最高の力について予め抱かれていた意見」(VII,36)に対抗しつつ、神の諸属性が二度に
渡って枚挙される。神の観念について、先ず、
「最高の何らかの神、永遠で無限で全識で全能の
神、そして自己以外の実在する全てのものの創造者」(VII,4016-18)が、次いで、
「何らかの無限で
独立した最高に知があり最高に力があり、そして私自身と、他の何かが実在しているなら、実
在している限りの全てを創造するところの実体」(VII,4511-14)が挙げられる。それから、観念に
よって表象される、全ての諸属性について格別の「注意」が要求される。
「これらの全ては、私
13
Cf. Beyssade, J.-M., Descartes au fil de l’ordre, Paris: P.U.F., 2001, p. 133-167.
- 43 -
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
が入念に注意すればするほど、私のみから由来しえたとは思われない」(ibid.)。この「注意」の
作用が神の観念を判明にする(――<精神の修練>の第二段階)
。
「注意」が払われるべきは、
枚挙された諸完全性の「全て」(ibid.)であろうが、何よりも先ず、それらの筆頭に挙げられる無
限性であり、二回目の枚挙以降は主に無限性について、それが継起的拡大性を容れる<可能無
限>ではなく、無限の完全性の同時性かつ現実性を容れる<現実無限>を意味するという結論
を目指し(cf. VII,4717)、考察が進められる(cf. VII,4519-4628)。第一証明は神の無限性と<私>の有
限性との対照性が基礎である(cf. VII,4016-20)。その点が確認されれば、神の無限性から最高の知
と最高の力をその個々の完全性として引き出して、
「より完全である存在の観念」(VII,462)、或
いは「最高に完全で無限である存在の観念」(VII,4611-12)について、<知>と<力>を問う後の
議論は、
「注意」の作用である「自然の光」(VII,4021; 4715-16)によって明瞭である。
<精神の修練>の第二段階は、
「私自身」
、並びに「私の起源」としての<私>の原因につい
て考察する第二証明に引き継がれる。この証明について、
「いかなる事物についても、予めそれ
が何であるか(quid sit)が知解されない限り、それが在るか(an sit)問われるべきではない」
(VII,107-108)という命題が条件として課される。<神は実在する>と結論される前に、<何で
あるか>を十分に認識する過程、つまり観念の判明化が要請される。判明にすべきは、神の「全
能」に相当する、
「自己自身によって実在する力(vis)」と「あらゆる完全性を現実に所有する力」
(VII,50; cf. 1686-7; 9; 27)である。この全能という完全性が、その無限性において捉えられ、具体的
に分析される。そこから、第一証明で属性として列挙されながらも、
「注意」の向けられなかっ
た神の自存性、独立性、創造者性(「神が私を創造した」(VII,5119))が無限性の知解のもとに位
置付けられる。更に、神の「主要な完全性のうちの一つ」である「一性、単一性、言うなら神
の内にある全てのものの不可分離性」ではなく(VII,5016-18)、それ以外の諸完全性と共にそれを
も包括する、<絶対的な一性>としての「全ての属性を包括する一性」(VII,137; cf. 5019-20)が、
神の観念の判明化の過程において、その観念によって気付かれる(cf. IV,1199-11)。この一性の果
たす機能について、ここでは二点を銘記しよう。これは第一に、
「神と私たちに一義的に(univoce)
適合するものは何もない」(VII,137)ことが認識される根拠である。この根拠により、神の属性
である無限性が単なる一つの属性ではなく、神の諸属性に共通な一つの性格として規定され、
個々の完全性について、神のそれと被造物のそれとの間に絶対的な差異が設定される。それは
第二に、
「全く何ら類例のないもの」(VII,137)であり、人間知性のような「私たちの内に何らか
の痕跡を認知する神の属性」(ibid.)とは異なり、被造的完全性を根拠として獲得される
(VII,12424-28)ことのない完全性である。以上の二点を通じて、人間知性が諸完全性を「私たちに
おいて知得するように、神においても個別的に考察」せざるをえない(VII,13719-22)事実が示され、
人間精神に「欠陥」(ibid.)の認められるという本性が、神にその諸完全性の個別的に在りえない
という本性が割り当てられ、其々の本性の意味するところが正しく理解される。
神の実在の第一証明の前半において、無限なものの観念が先ず受容され、後半から第二証明
にかけて、その観念が判明化されて<絶対的な一性>が気付かれることで、<精神の修練>が
完遂する。しかし、この一性について銘記すべき上述の二点のうち、後者が、<精神の修練>
- 44 -
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
の第二段階に関して、以下の点を最後に考察することを求める。
「第二反論」
、
「第三反論」
、並
びに「第五反論」において、神の観念が、神の実在なしに(cf. VII,12310-12)、或いは神から独立
に形成されうるかを論点として、その可能性が主張される。いまその反論の骨子を本論の関心
に照らして再構成すれば、次の通りとなろう。知性と意志を有した事物として「私自身の観念」
を基点に定め、
「最高に知があり最高に力がある実体」(VII,4512-13)として神の観念が形成されう
る。そのためには、<私>の知性能力と意志能力に関して、其々その完全性の度合を「無際限
に(indefinite)押し広げ(extendere)」(VII,188; cf. 1423-7)ればよい。また、神の個々の完全性につい
ては、
「人間の諸完全性を見て、
[神の]観念を形造る」(VII,287; cf. 28630-2872; 30512-14)ことがで
きる。人間精神は被造的完全性を可能な限り「知解し、集結し(colligere)、拡大し(amplificare)」
(VII,295; cf. 12321-24)、または「或る段階の[被造的]完全性」を土台に「完全性を積み重ね」(VII,123)、
この一連の操作を通じて「神は永遠である、全能である、全知である、最善である、至福であ
る」(VII,287)と言明しうる。したがって、神について特別な観念が本有的にあることは求めら
れない。
デカルトは、神の観念を形成する能力、つまり「あらゆる人間の完全性を、それらは人間的
なもの以上であると認識されるに至るまで拡大するこの力」(VII,370-371; cf.13919-22; 36515-17)を
<私>が有し、この能力を用いて、被造的完全性を<素材>に神の観念を、より正確には「い
っそう完全な存在の観念」(VII,46)を形成する途を承認する(cf. III,6410-12; VII,13317-19, etc.)。この
承認はしかし、少なくとも以下の二点を考察せずには、困難である。
第一に、人間精神が神の観念を形成するとき、それは能動的であるはずだが、このことは、
神が創造に際して全的な作出因であること(VII,4022-23)と両立しないのではないか。否、精神に
設えられた結構たる「按配」そのものが、神によって創造されればよいだろう。
「私の内にこの
ような[神の]観念を形成する能力が在ることは、私が神によって造られたのでない限り、生
じえない」(VII,133)。その形成に際して、
「按配」たる能力そのものが近接原因として働くとし
ても、それを<私>に設えた神が遠隔原因として働き、その限りで精神は受動的である。精神
はしかし、能力を誘発する限りで能動的である14。 この能動性にこそ<本有観念の受容>と
<精神の修練>の其々の第一段階が対応すると考えられる。
第二は、
「それから何かを除去したり、それに何かを付加することは全くできない」(VII,51)
という、観念の本有性の性質に関わる。観念は事物の本質を表象し、その本質は不可分である
(cf. VII,37110-12)。この不可分性は、
「何かが付加されたり、除去されれば、直ちに他のものの観
念となる」(ibid.)ことの根拠である。だが本有的な神の観念について、付加や除去の可能性が排
除されるわけではなく、人間精神はその点で全く自由ではないのか。しかし先ず、神の観念は
この作用を通じて直ちに他のものの観念となり、それを神の観念と解すれば、質料的虚偽は避
けがたい(cf. V,156; VII,23316-21)。
「明晰に認識された真なる神」について、
「人間精神が何らかの
偽なるものをそこに帰属させる」ことは本来的には不可能だが、その試みが可能なのは「偽な
14
Cf. Flage and Bonnen, op. cit., p. 73; 77.
- 45 -
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
る神々」についてか、真なる神から「ただ混雑してしか思惟されない」場合に限られる
(IV,6331-6428)。
「ひとたび真なる神の観念が把握されたのち」(VII,371)、なお「偽りの神」(ibid.)
を語ることは、自己撞着である(cf. VII,13814)。次に、かの作用は、神の観念の量的な拡大可能
性を認め、また、神の観念の内に何か<可能的な/潜在的なもの(res)>を想定し、これを顕在
化させる偽りの途を採る。
「神の観念には可能的な(potentiale)ものは何もない」(VII,49)。全ての
観念には<現実的なもの>が対応し、観念の量的な増大はそれを新たに創造することで、この
ことは神の一性を脅かす。個々の完全性が互いに全体性を構成し、それら全てが必然的に結合
しているとき、神の観念は<現実的なもの>を表象する15。いずれの場合も結局は、観念の判
明化に先立つ「真なる神」の観念が本有的に人間精神に受容される段階に関して、十分に考察
されていないのである。
■
神の実在証明に際して積まれる<精神の修練>の内実は、神の観念の受容の仕方の実際と対
応関係にあるだけでなく、前者の<経験>こそが観念の本有性の何たるかを正しく理解させう
る点で、入子構造の関係にもある。両者が特に入子構造の関係にあるとする我々の第一の結論
は、
「第二答弁」を参照したとき、堅固になろう。
「第二答弁」は、
「第三省察」の一文(VII,5129-522)
を次のように不正確に引用する。
「
[神の実在を証明する]論証の全ての力は、私の内にこのよ
うな[神の]観念を形成する能力が在ることは、私が神によって造られたのでない限り、生じ
えないという点に存する」(VII,133; cf. III,6412-20)。論拠は、
「第三省察」では<私>自身の実在、
「第二答弁」
では<私>に内在する神の観念を判明に形成する能力の在ることであり、
結論は、
前者が神の実在、
後者が神による<私>自身の創造である、
という相違が先ずは指摘されよう。
本論にとって注目すべきはしかし、この一文が「第三省察」では第一証明と第二証明の両方に
対応し、
「第二答弁」では第一証明に対応しているという、その位置価であり、更に、
「第一答
弁」ではこの能力の存在が第一証明と第二証明の結節点を果たす(VII,10524-1065)という、その
機能価である。神の観念を形成することは、神の観念を本有的/潜在的に受容し、これを顕在
化/判明化させることである。この過程は、第一証明において<精神の修練>が二分され、神
の観念が表象するところを判明にする過程に先立って、それが潜在的に精神に受容される過程
が先ず辿られるという事態に正確に対応している。したがって、
「第二答弁」は、二つの過程を
厳密には経ない第二証明にではなく、両者を経る第一証明にこそ、問題の一文を対応させたの
である。
我々の第二の結論は、 神のア・ポステリオリな実在証明の一連の思索を支える <精神の修
練>を経て、
人間精神の到達しえた自己了解に関わる。
神の<絶対的な一性>に気付くことが、
神の諸完全性の位置を正確に把握させるだけでなく、この把握を目指す<精神の修練>を通じ
15
Cf. Van De Pitte, F., ‘Descartes’s Innate Ideas,’ in :Kantstudien, LXXVI, 1985, p. 376.
- 46 -
<精神の修練>としてのデカルト哲学(1)
て、人間精神を新たな自己了解(「私自身に精神の眼を私が眼を向けている際に」(VII,5123-24))へ
と導く。「第二答弁」において、神の一性は、一方で「全く何らの類似のないもの」(VII,137)
であり、他方で「あたかも自己の作品に刻印された制作者のしるし」(ibid.)のようなものである
とされる。<私>が自らに類似しないものに気付くことは、一方で、それが<私>と絶対的に
異他なる存在に由来することに気付き、他方で、そのように気付きうること、そのこと自体が
「製作者のしるし」であると気付くことでもある。新たな自己了解が後者に関わる。
「私が不充
全で他に依存するものであること、そしてより大きく、いっそう大きく、ないしはより善なる
ものへと際限なく私が希求するものであることを私は知解する」(VII,5124-26)。この自己了解は、
神と<私>の非類似の論拠である人間精神の不充全性に依拠しない(cf. VII,37317-21)。
「顕在的に
は私たちは自分の不完全性を神の完全性より先に認識する(cognoscere)」(V,153)ことは可能だが、
それは「注意」が神より先に自分に向けられるにすぎないからである。本有的である神の観念
の顕在化/判明化の過程をア・ポステリオリな実在証明を通して見届けた<私>はいま、その
本有性の意味するところを次のように解しうる。
「潜在的には常に神とその完全性の認識が、私
たちと私たちの不完全性の認識に先立たねばならない」
、なぜなら「事柄そのものにおいては神
の無限の完全性が私たちの不完全性より先にある」(ibid.)からだ。
「第五答弁」によれば、神に
おいて在るものを「私が希求しようとする」点に類似性の論拠が求められ、この論拠が、神に
おいて在る「いっそう大きなものに似た何ものかが私の内にある」ことを示す(VII,37321-25; cf.
II,6283-9)。新たな自己了解は、その「何ものか」
、つまり「神の無限の完全性」を<私>が希求
するという意志作用を根拠に、その「無限な[人間の]意志」(II,628)を蝶番に<私>が神の似
姿に向けて造られ、その似姿に神の観念が含まれることを示す(cf. VII,5626-5715)。
この意志の規定についてはしかし、自由論、或いは誤謬論の文脈において、<私>の更なる
自己了解が探求されるはずの「第四省察」を俟たねばならない。
『省察』全体が、<人間精神の
本性に対して本有的/潜在的であった、つまり前‐反省的に前提されていた諸観念――事物、
真理、思惟、実体、神、自由など16――に注意を向け、これを顕在化/判明化させる>ことを
目指すならば(cf. III,43013-22)、この顕現を支える<精神の修練>の内実が「第四省察」において
如何であったか、この問いが我々の次なる論究を導くであろう。
(つざきよしのり 哲学哲学史・博士後期課程)
16
Cf. McRae, op. cit., p. 40.
- 47 -
Exercices spirituels ou philosophie cartésienne
Exercices spirituels ou philosophie cartésienne
― Sur l’innéité des idées et les preuves a posteriori pour l’existence de Dieu ―
Yoshinori TSUZAKI
Dans la Troisième Méditation, pourquoi Descartes n’examine-t-il la façon dont
est acquise l’idée innée de Dieu qu’après les preuves a posteriori pour l’existence de Dieu ?
Parce que c’est en suivant un mouvement de pensée ordonné, celui des démonstrations a
posteriori, que l’âme cartésienne peut arriver à saisir correctement ce qui est l’innéité de l’idée
de Dieu. Autrement dit, l’âme cartésienne fait en quelque sorte les exercices spirituels non
seulement pour terminer ces preuves, mais aussi pour considérer cette innéité comme
disposition de l’âme pour concevoir explicitement l’idée implicite. Ces exercices nécessaires
pour les preuves consistent dans deux stades : 1° l’âme reçoit l’idée de Dieu, de l’être infini
tout entière et tout à la fois, mais implicite, dans la mesure où la faculté de l’âme, c’est-à-dire
sa volonté n’est pas en puissance mais en opération, en exercice pour commencer de
démontrer l’existence de Dieu. Ce moment constitue surtout la première preuve. La deuxième
vise à un autre stade : 2° l’âme rend l’idée innée de Dieu plus distincte et plus explicite pour
achever cette démonstration, d’autant plus les essences que cette idée représente comme
perfections divines doivent être toutes contenues dans cette même idée déjà reçue à travers le
premier mouvement de pensée. Après que l’âme a reçu cette idée innée, elle devient disposée
pour concevoir celle-ci explicitement. Ces deux exercices, ces deux preuves a posteriori
correspondent, nous semble-t-il, exactement aux mouvements de pensée requis pour que
l’âme cartésienne puisse accepter l’idée innée en général : recevoir une idée comme implicite
et la rendre plus explicite. Ils peuvent lui servir à se rendre compte de ce que signifie l’innéité
de l’idée, et à s’habituer à acquérir cette idée correctement.
「キーワード」
神、本有観念、神の存在証明、精神の修練、意志
- 48 -
実存論的範疇としての頽落
実存論的構成としての頽落
中橋 誠
はじめに
ハイデガーはおのれの課題である存在の問いを問うには、
理解という仕方で存在を所与のもの
としている現存在の探求が第一に必要であると考えている。現存在の「基礎的存在論的諸性格」
としてハイデガーが挙げているのは「実存性(Existenzialität)・事実性(Faktizität)・頽落存在
(Verfallensein)」(SZ,191)である。このとき、頽落は、実存性・事実性と同等に扱われている。
この頽落に関して、マカンは「頽落は本当に実存論的構造なのか。すくなくとも情態性・理解
1
と同等の実存論的構造なのか」 との疑問を投げかけている。情態性(Befindlichkeit)が、「現存在
が存在するという事実(Dass es ist)」、つまり、現存在の「その現への被投性」――「委譲
(Überantwortung)の事実性」(SZ,135)――において現存在がおのれを見いだす(sich befinden)あり
方であること、他方、理解(Verstehen)が、「投企(Entwerfen)」、「現存在が諸可能性としてのお
のれの諸可能性である(ist)現存在の存在様式」(SZ,145)であり、これを意味するのが実存である
ことに留意するなら(SZ,231)、頽落が「情態性・理解と同等の実存論的構造なのか」と問うマカ
ンは、
頽落が実存性・事実性と同等であるというハイデガーの記述を疑問視していることになる。
2
マカンの疑問は他の解釈者にも共有されている 。このように、ハイデガーの思惟を解釈して
1
2
Christopher Macann, Who is Dasein? Towards an ethics of authenticity, Martin Heidegger. Critical assessments IV,
Routledge, London and New York, 1992, p.219.
ドレイファスも、「すべての実存範疇のうち、頽落はもっとも焦点が合わせにくいものである」と述べてい
る(Hubert L. Dreyfus, Being-in-the-World. A Commentary on Heidegger's Being and Time, Division I, Cambridge MA,
The MIT Press, 1991, p.225.)。頽落の「焦点」に悩んだドレイファスは頽落を、情態性・理解と等根源的な実
存範疇と、本来的現存在の特徴をなさない非実存範疇とに区別することで、頽落の整合的な把握を試みる
(Ibid., p.227.)。
もっとも、頽落を二つに区別するドレイファスの解釈に対しては、すでに、「〈頽落を表現する Sein-bei の〉
そのような区別はハイデガーの論述の中に見出せない」という批判が寄せられているし(轟孝夫「『存在と
時間』における"Sein-bei"の契機について」、東京大学大学院人文社会系研究科哲学研究室編『論集 17』、
1999 年、所収、75 頁)、そもそもドレイファスの解釈には整合性が認められない。なぜなら、ドレイファ
スは、『存在と時間』第 35~38 節の頽落を実存範疇、第 45 節以下の頽落を非実存範疇と区別するにも関わ
- 49 -
実存論的範疇としての頽落
いるにも関わらず、ハイデガーの記述に反した頽落把握が生じるのは何故か。ハイデガーによる
頽落の概念形成が不十分だったのか。しかし、わたしの考えでは、以上のような解釈(疑問)は、
ハイデガーの思惟における頽落の位置づけの無理解に起因する。それゆえ、本論は、マカンの疑
問の解明を通じた、ハイデガーの思惟における頽落の位置づけの明瞭化を目標としたい。これを
通じて同時に、ハイデガーの思惟における存在の問いの動機が呈示されるはずである。
1 実存論的構成としての頽落
マカンの疑問を検討するに先立ち、まずは、ハイデガー自身による頽落の把握を確認しておき
たい。『存在と時間』第 38 節「頽落と被投性」において、ハイデガーは頽落を次のように説明
している。
「〈頽落という〉否定的評価を表現しているのではないこの名称が意味すべきは、現存在が
さしあたってそして大抵、配慮的に気遣われた『世界』のもとに存在している(das Dasein ist
zunächst und zumeist bei der besorgten >Welt<)ということである。このような何かのもとでの
没頭は大抵、《ひと》の公共性への被喪失存在という性格をもつ。現存在は本来的自己存在
可能たるおのれ自身からさしあたっていつでもすでに脱落し、『世界』へと頽落している。
『世界』への頽落性が意味しているのは、饒舌・好奇心・曖昧性により導かれているかぎり
での共相互存在への没頭である。」(SZ,175)
この引用における「『世界』のもとに存在している」こと、つまり頽落が意味する「何かのもと
での存在(Sein bei ...)」は、実存が意味する「おのれに先だって(Sich-vorweg)」と、事実性が意味
する「何かの内に既に存在していること(Schon-sein-in ...)」と共に、現存在の存在である気遣い
を構成する(SZ,249f.)。気遣いはこれら三契機を合わせ持ち、「(内世界的に出会われる存在者)
のもとでの存在として、おのれに先だって、(世界)のうちで既に存在していること
(Sich-vorweg-schon-sein-in- (der Welt-) als Sein-bei (innerweltlich begegnendem (Seienden))」(SZ,192)
と定式化される。この表現は、気遣いが実存・頽落・事実性の単なる寄せ集めであるとの印象を
与えるかもしれない。しかし、気遣いの構成契機である実存の意味が将来(Zukunft)、事実性の意
味が既在性(Gewesenheit)、頽落の意味が現在化(Gegenwärtigen)として(SZ,327f.)、それゆえ、気遣
いの意味が「時間性」という「既在しつつ現在化している将来として統一的な現象」(SZ,326)と
して解明されるが故に、気遣いは一つの統一態として把握される。このとき、ハイデガーの思惟
らず(Dreyfus, op. cit., p.226)、第 35 節の「上で特徴づけられた仕方で閉鎖する饒舌は、根底を奪われた現の
存在様式である」(SZ,170)という記述をうけて、「注意したいのは、この引用における『饒舌』は『誹謗的
意味』で用いられているのであり、もはや『日常的な現存在の理解のあり方を構成する積極的現象を意味し
ている』のではないということである。饒舌は、真正で平均的な理解さえも閉鎖する」(Dreyfus, op. cit., p.231)
と述べ、実存範疇と自ら見なしていたはずの、饒舌という頽落の一様態を否定されるべきもの、非実存範疇
と見なすからである。しかも、これは、第 35 節の冒頭における「『饒舌』という表現はここでは誹謗的意
義で用いられるべきではない」(SZ,167)というハイデガーの記述とも矛盾している。それゆえ、本論では、
考察の対象をマカンの疑問に制限したい。
- 50 -
実存論的範疇としての頽落
において、実存・事実性・頽落は等しく現存在の存在を構成する、つまり、同等の実存論的構成
であると結論づけられる。
2 非実存論的構成としての頽落
以上の、ハイデガーによる、実存・事実性・頽落の同等性の説明にも関わらず、マカンがこれ
を疑問視した根拠は何か。マカンはこの根拠を『存在と時間』第 1 部第 1 編第 5 章の構成に求め
3
ている 。第 5 章は A「現の実存論的構成」と B「現の日常的存在と現存在の頽落」との二部構
成であり、A は情態性・理解(解釈)・語りを、B は饒舌(Gerede)・好奇心(Neugier)・曖昧性
(Zweideutigkeit)を扱う。饒舌・好奇心・曖昧性が、前者において扱われる「語り(Rede)・視(Sicht)・
解釈(Auslegung)の日常的存在様式」(SZ,167)であり、「日常性の存在の根本様式」(SZ,175)が頽
落であるが故に、B においては、語り・視・解釈の頽落的様態が、さらに、情態性・理解(解釈)・
語りの頽落的様態が存在すると推測される。
マカンのような、B「現の日常的存在と現存在の頽落」に注目する解釈に対しては、日常的現
4
存在の考察を「まったく頽落し分別を失った連関」 として無視する解釈が反論としてあげられ
るかもしれない。しかし、ハイデガーが日常性を必要としたのは、「存在的、存在論的にまず第
一に与えられたもの」(SZ,15)ではない「現存在への接近様式」(SZ,16)としてである。つまり、
ハイデガーの考えでは、現存在は日常性においてこそ接近可能となる。このとき、日常性を無視
する解釈は正当化されえない。それどころか、現存在が日常性においてこそ示され、頽落が「日
常性の存在の根本様式」であるとき、現存在の存在のすべてが頽落的なあり方において示される
のはもっともだと考えられる。これは、頽落が「情態性・理解と同等の実存論的構造なのか」と
いうマカンの疑問を正当化するように思われる。
3 マカンの解釈の検討
ハイデガーの説明における頽落は実存・事実性と同等の実存論的構成である。他方、マカンの
解釈における頽落は、理解(実存)・情態性(事実性)の様態であり、実存・事実性と同等では
ない。マカンのこの解釈の根拠は、現存在への接近様式という日常性の規定、ならびに、日常性
の存在の根本様式という頽落の規定に求められる。それぞれの規定の解釈を通じて、マカンの解
釈の正当性をさらに検討したい。
3-1 現存在への接近様式としての日常性という規定
ハイデガーは日常性を次のように説明している。
「それゆえ、現存在の分析論は、存在への問いにおいて第一に求められるものである。その
とき、現存在へと導く接近様式の獲得・確保という問題がますます火急のものとなる。消極
3
4
Macann, op. cit., p.218.
Thomas Rentsch, Interexistentialität. Zur Destruktion der existentialen Analytik, Heidegger. Technik-Ethik-Politik, hrsg.
v. Reinhard Margreiter, Karl Leidmair, Würzburg, Königshausen und Neumann, 1991, S.147.
- 51 -
実存論的範疇としての頽落
的にいえば、どんなに『自明』であろうとも、〈現存在という〉この存在者には、存在・現
実性についての任意の理念が構成的・独断的に押しつけられてはならないのであり、そのよ
うな理念によって前もって定められた『諸範疇』が現存在に存在論的な吟味もなく強制され
てはならない。むしろ、この存在者がおのれ自身に即しておのれ自身からおのれを示し得る
ように接近様式・解釈様式が選択されていなくてはならない。しかも、この接近様式・解釈
様式がこの存在者を示すべきは、この存在者のさしあたってそして大抵(zunächst und
zumeist)のあり方、つまりその平均的日常性においてである。日常性に即して説明されるべ
きは、任意で偶然の諸構造ではなく、事実的現存在のあらゆる存在様式において存在を規定
するものとして一貫して保持されている本質的な諸構造である。」(SZ,16f.)
この引用に従えば、日常性において現存在は、「任意の理念」の押しつけを逃れた、「おのれ自
身に即しておのれ自身からおのれを示し得る」ようなあり方、つまり、「さしあたってそして大
抵のあり方」をする。これは、「その特殊化されない(indifferent)《さしあたってそして大抵のあ
り方》」、「非特殊様態(Indifferenz)」(SZ,43)とも表現される。なるほど、これは、恣意的な解
釈を排斥する、あるべき接近様式であろう。しかし、「おのれ自身に即しておのれ自身からおの
れを示し得る」「非特殊様態」が具体的に意味するのは何か。非特殊様態という表現は様態その
ものの拒絶を意味するかのような印象を与えるものの、
現存在の実存は一定の様態を欠いては不
可能であるが故に、非特殊様態と表現されようとも、日常性における現存在は一定の様態をとる
はずである。それはどのようなものか。
この点の解明は、ハイデガーが日常性を詳述しないため、不可能であると思われるかもしれな
い。しかし、「日常的非特殊様態」が「平均性」と名づけられていること(SZ,43)、ならびに、
「もっとも身近で平均的な存在様式の内にいるが故に、現存在はさしあたって歴史的でもある」
(SZ,21)という記述に着目するなら、現存在の日常性は歴史的なものとして、そして、「歴史性
(Geschichtlichkeit)」が「現存在そのものの『生起(Geschehen)』の存在態勢」(SZ,20)を意味するが
故に、ある種の生起として把握されているはずである。この点に関して、次の記述を参照された
い。
「現存在は、大づかみにいえば、そのつどおのれの将来から『生起する』というおのれのあ
り方において、おのれの過去である。現存在はおのれのそのつどの存在の仕方において、そ
れゆえ、おのれに属している存在理解とともにも、伝来の現存在解釈のうちへと成長し、そ
してそのうちで成長した。この伝来の現存在解釈から現存在は、さしあたってそして一定の
範囲内でつねにおのれを理解している。この理解が現存在の存在の可能性を開示し、そして
規制している(regeln)。現存在に固有の過去――いつでも現存在の『世代』を意味する――
は、現存在に後続するのではなく、そのつど既に現存在に先行する。」(SZ,20)
この引用における「さしあたってそして一定の範囲内でつねに(zunächst und in gewissem Umkreis
- 52 -
実存論的範疇としての頽落
ständig)」は、日常性の特徴をなす「さしあたってそして大抵」と同義である。これは、「さし
あたってそして大抵」において示される現存在、つまり、日常性において示される現存在と、
「さ
しあたってそして一定の範囲内でつねに」理解される現存在、つまり、「伝来の現存在解釈」か
5
ら理解される現存在とをハイデガーが区別していないことを意味する 。
だが、
日常性と伝来の解釈とは同一視されうるのか。
日常性と伝来の解釈とを区別しないとき、
ハイデガーは同時に、日常性の現在性と伝来の解釈の過去性とを、そして、日常性の「さしあた
ってそして大抵」と伝来の解釈の「規制」とを区別していないはずである。これはどのようにし
て可能なのか。この点の解明のためには、伝統(Tradition)として展開される伝来の解釈のあり方
が手がかりを与えてくれる。ハイデガーが把握する伝統は、「伝来物を自明性へと委ね、伝承さ
れた諸範疇や諸概念が部分的に真正な仕方で汲み取られた根源的な『諸源泉』への接近路をふさ
ぐ」もの、「その様な由来を総じて忘れさせる」もの、それゆえ、「この伝統が『引き渡す』も
のを接近可能にするよりは、遮蔽する」もの、「そのような遡行の必然性の理解をも不必要なも
のにする」もの(SZ,21)、端的には、その源泉・由来が忘却されるほどに自明視された理解であ
る。このように、その源泉・由来が忘却されるほどに自明視されたものは、過去において生じた
ものでありながら、それが過去のものであるということが忘却され、現在も働いている。この点
において、日常性の現在性と伝来の解釈の過去性とは区別されない。また、「自明視」されたも
のは自然なものであると見なされ、そこに「規制」が働いているとしても、それとしては気づか
れず、その限りにおいて、「さしあたってそして大抵」のあり方であると見なされる。このよう
な伝統として把握された伝来の解釈から理解される現存在は、現存在の様態としては、日常性に
おいて示される現存在と区別されない。
以上からは、日常性が、その非特殊様態という表現にも関わらず、実は、過去の理解により「規
制」されたあり方であると結論づけられる。それゆえ、「規制」がそれとして気づかれたとき、
つまり、日常性の意味が把握されたとき、日常性は、「実存の一定のあり方(ein bestimmtes Wie)」
(SZ,370)であることが判明し、「〈日常性という〉現存在の実存論的分析論の第一の着手にとっ
て『自然な』地平は、自明に見えるにすぎない」(SZ,371)と述べられる。日常性は、現存在への
接近様式である以上、存在の問いにおいて積極的に評価される必要がある。しかし、日常性にお
いて示される現存在は何らかの「規制」のもとにある。
3-2 日常性の存在の根本様式としての頽落という規定
では、日常性における「規制」とはどのようなものか。ハイデガーの考える、存在に関して、
その源泉・由来が忘却されるほどに自明視された「規制」がギリシア存在論であることは、「さ
まざまに継承され、歪められつつも、今日いまだに哲学の概念性を規定しているギリシア存在論
5
この点は、日常性の特徴である非特殊様態と対照されるべき特殊様態としてハイデガーが挙げているのが、
「哲学的心理学・人類学・倫理学・
『政治学』
・詩作・伝記・歴史記述」(SZ,16)を通じて示された現存在の様
態であり、これらが、特殊様態として多様でありながら、伝来の現存在解釈として一括して把握されうる点、
つまり、伝来の現存在解釈は、ハイデガーの挙げる特殊様態とはそのあり方が異なるが故に、非特殊様態と
して把握されうる点に、その傍証を見いだすことができよう。
- 53 -
実存論的範疇としての頽落
とその歴史」(SZ,21)という記述に示されている。では、この「規制」の内実はどのようなもの
か。ギリシア存在論の地盤を解釈したとき、次のことが示されるとハイデガーは述べる。
「ここで明らかになるのは、存在者の存在の古代の解釈が『世界』ないしは最広義の『自然』
に定位し、実際、存在の理解を『時間』から獲得しているということである。このことに対
して表面的に証拠となるのは――もっとも、
これが表面的な証拠にすぎないことは言うまで
もないが――存在の意味を παρουθία ないし ούθία とする規定である。παρουθία ないし ούθία
は、存在論的、テンポラールな『現前性(Anwesenheit)』を意味する。存在者はその存在にお
いて『現前性』として把握されている。すなわち存在者は、『現在(Gegenwart)』という一
定の時間様態を顧慮して理解されている。」(SZ,25)
この引用に従えば、ギリシア存在論は「『世界』」「『自然』」に定位し、存在理解の基盤は現
在である。「『世界』」「『自然』」への定位は、第一節で確認された「『世界』のもとに存在
している」と、また、存在理解の基盤としての現在は、この「『世界』のもとに存在している」
ことの「テンポラールな意味」(GA21,413)としての、「現前者(Anwesendes)を現在へ遭遇せしめ
ること」(GA21,192)としての、ならびに、頽落の実存論的な意味としての「現在化(Gegenwärtigen)」
(SZ,338)と同義である。つまり、ハイデガーは、ギリシア存在論を頽落的なものとして把握して
いる。しかも、頽落に関するこの把握は、ウーシアという概念を「証拠」としているが故に、ハ
6
イデガーの考えでは、ハイデガーの独断ではなく、ギリシアの思惟に即している 。ここからは、
日常性における「規制」の内実が頽落であること、「日常性の存在の根本様式」が頽落であると
いう、日常性に与えられた規定が、ギリシア存在論に由来することが確認される。
以上においては、マカンの解釈を可能にしていた、現存在への接近様式である日常性がギリシ
ア存在論の「規制」のもとにあること、ならびに、この「規制」の内実が頽落であることが示さ
れた。頽落的なあり方をするギリシア存在論が日常性の「規制」として働いている以上、日常性
において示される現存在の存在は、実存・事実性を含めてすべて頽落的なあり方においてのみ示
されるはずである。このとき、頽落を実存・事実性と同等に扱う解釈は成立しない。ここからは、
ギリシア存在論に依拠するかぎり、マカンの解釈は正当であるという結論が導かれる。
4 存在の問いの動機と頽落
日常性にのみ依拠した分析を手がかりとするが故に、マカンは、日常性を、そして、日常性を
「規制」するギリシア存在論を自明視していると考えられる。しかし、ギリシア存在論を自明視
すると同時に、日常性について論じること、さらに――日常性は存在の問いにおいて問題とされ
6
ハイデガーは、
ギリシア存在論の頽落的規定を、
さらに、
ギリシア人のロゴスへの定位に求めている(SZ,26)。
もっとも、本論の問題設定を超えるため、この点の詳述は控えたい。なお、ロゴス(語り)と頽落との連関
については次を参照されたい。
Günter Figal, Martin Heidegger.Phänomonologie der Freiheit, Frankfurt am Main, 1991, S.189.
- 54 -
実存論的範疇としての頽落
るが故に――存在の問いを問うことは可能なのか。というのは、自明視は問いを不必要なものと
するのみならず、ハイデガーは、「本探究の冒頭では、存在への問いの不必要性をつねに新たに
育成・培養する先入見について詳細に究明することはできない。これらの先入見はその根を古代
存在論自身に有する」(SZ,2f.)と述べているからである。この引用に従えば、ギリシア存在論は
存在の問いを抑圧している。つまり、ギリシア存在論を自明視するマカンの解釈は、存在の問い
の内部で日常性を扱っているにも関わらず、存在の問いを抑圧し、存在の問いを問うことはでき
ないのではないか。他方、存在の問いを問うことができたとき、ハイデガーは、ギリシア存在論
を自明視してはいないはずである。それは、どのような点においてか。
ハイデガーは自明性に潜む謎の探求を、カントを引き合いに出して、「哲学者たちの仕事」と
(SZ,4)、そこで探求されるべきものを「テンポラリテート(Temporalität)」と名づけている(SZ,23)。
これに従えば、自明視されたギリシア存在論に関しても、その時間理解こそが問題とされなくて
はならないはずである。ハイデガーが、ギリシア存在論における「テンポラールな意味」を現在
化に求めていることはすでに示された。このどこが問題なのか。ギリシア存在論の時間理解に関
して、ハイデガーは、『存在と時間』執筆時の 1926 年の講義において次のように述べている。
「 ギ リシ アの 存 在論 は世 界 の存 在論 で ある 。存 在 は現 前性 (Anwesenheit) ・ 恒 常 性
(Beständigkeit)として解釈される。存在が概念把握されるのは現在から、素朴にも、時間と
いう現象からである。しかし、現在は、時間という現象のうちの一様態(ein Modus)にすぎな
い。問いは、現在がこの優位を有するがどのようにしてか、である。過去・将来は同じ権利
を有するのではないか。
存在は時間性の全体から概念把握される必要があるのではないか。
」
(GA22,313f.)
この引用において、ハイデガーは、まさに時間理解に関して、ギリシア存在論を問題視している。
もっとも、これは、ギリシア存在論の全面的廃棄ではない。存在が時間から理解されているとい
う点に関してはギリシア存在論は正当であるからである。いや、それのみならず、先の引用に見
られたように、現在という時間からの存在理解の証拠がウーシアという語である以上、ウーシア
という語から読みとられるギリシア存在論こそが、
存在と時間との連関への洞察をハイデガーに
7
可能にしていると考えられる 。それゆえ、存在の問いにおいて、ギリシアの思惟における時間
8
概念の検討は不可欠である 。しかし、存在と時間との連関が洞察されたとき、「存在は時間性
7
8
この点に関しては、次を参照されたい。
「存在、ούθία を恒常的現前性(beständige Anwesenheit)とするこの解釈が論拠を欠くとしたら、『存在と時
間』の問題連関を展開し、根本的に問うための手掛かりを欠くであろう」(GA31,74)。
「時間はすでに『存在と時間』において άλήθεια(非隠蔽性)への連関において、そしてギリシアの ούθία
(現前性)から思惟されている」(SD,31)。
この点は、
『存在と時間』の記述が「後世の時間把握すべてを規定してきた」
「時間に関するアリストテレス
の論文」(SZ,26)に向けられていた点――『存在と時間』の構成の最後に位置する第 2 部第 3 編に予定されて
いたのは「古代存在論の現象的基礎と限界の試金石たる時間についての、アリストテレスの論文」(SZ,40)
- 55 -
実存論的範疇としての頽落
の全体から概念把握される必要があるのではないか」という問いが生じ、ウーシアという語から
読みとられるギリシア存在論は、時間のうち現在にのみ定位するという、その一面性に関して問
題視されるに至る。ハイデガーが、「とうの昔からありきたりのものとなっている」(SZ,2)存在
の問いを新たに問いえた、存在の問いの動機はこの問題視に求められるのではないか。
さて、以上で確認されたギリシア存在論の一面性は、存在理解が現在にのみ定位し、そのさい、
将来・過去(既在性)が排除されているという点に存する。この一面性は、頽落の意味が現在化、
実存の意味が将来、事実性の意味が既在性であったことを想起するなら、実存・事実性の排除を
意味すると考えられる。そして、ギリシア存在論に見られるこの一面性は、ギリシア存在論が日
常性を「規制」するが故に、日常性にも見いだされるはずである。実際、ハイデガーは次のよう
に述べている。
「なるほど、気遣いは現存在態勢の構造全体の全体性であると主張されてはいた。しかし、
解釈への取りかかりにおいてすでに、現存在を全体として見てとる可能性に対する断念が
潜んではいないか。なぜなら、日常性はまさに生誕(Geburt)と死(Tod)との『間』の存在なの
だから。」(SZ,233)
「生誕と死との『間の』存在者がはじめて求められた全体を表現する。それゆえ、分析論
の今までの定位は、実存的全体存在へのあらゆる傾向に関わらず、そして、死への本来的・
非本来的存在の純粋な説明にも関わらず、『一面的(einseitig)』であった。」(SZ,373)
日常性の一面性は、日常性が「生誕と死との『間』」であるが故に、生誕・死の排除に求められ
る。そして、「生誕」が「被投性」(SZ,374)を、それゆえ事実性を、他方、「死」が「本来的実
存」(SZ,424)を意味するが故に、日常性の一面性は、予想通り、実存・事実性の排除を意味する。
以上からは、日常性において示される現存在の存在は、ギリシア存在論の存在理解同様、実存・
事実性を排除するという意味で一面的であるとハイデガーが考えていることが判明する。そし
て、ギリシア存在論の考察において判明したように、この一面性の問題視が、ハイデガーの思惟
における存在の問いを動機づけているが故に、日常性の一面性を問題視せず、日常性にのみ依拠
するマカンの解釈は、ハイデガーの思惟の解釈としては正当化され得ない。マカンは本来、ハイ
デガーの考える存在の問いを問うことも、それゆえ、日常性について語ることもできなかったは
ずである。
では、マカンの解釈が斥けられたのち、頽落はどのように扱われるべきか。だが、これは、日
常性、ならびに、ギリシア存在論の一面性への批判に既に示されているのではないか。ハイデガ
ーは、ギリシア存在論を、存在理解における現在の「優位」という点で批判し、「〈将来・過去
(既在性)・現在という〉時間性の全体から」の存在の「概念把握」の試みを提示していた。日
常性も、実存・事実性を排除し、その存在の根本様式を頽落とし、それが「現存在を全体として
である――にその傍証を見いだす。
- 56 -
実存論的範疇としての頽落
見てとる可能性」を「断念」せしめるという点で批判されるなら、「現存在を全体として見てと
る可能性」は実存・事実性・頽落からの現存在の存在の把握に求められよう。これは、「実存性・
事実性・頽落性という気遣いを構成する諸契機の統一が、現存在の構造全体の全体性をはじめて
存在論的に画定する」(SZ,316)(強調――引用者)という記述にその証拠を見いだす。このとき、
頽落は、実存・事実性と同様、気遣いという現存在の存在を構成すると考えられる。だが、この
把握は、改めて考察するまでもなく、すでに第 1 節で確認された、ハイデガー自身による頽落の
説明そのものである。以上からは、ハイデガーの記述のどおり、実存・事実性・頽落が現存在の
存在の全体を構成すると結論づけられる。つまり、頽落は、実存・事実性を覆うものとしてでは
なく、実存・事実性と同等の、現存在の存在を構成する実存論的構成の一つとして位置づけられ
9
る。
マカンの考えでは、頽落は実存・事実性を覆う。これは、日常性において示される現存在のあ
り方に依拠したときには正当である。そして、日常性は現存在の接近様式であり、そのものとし
て積極的に肯定される必要がある。しかし、そのようにして示された現存在は――誤りではない
ものの――一面的なものでしかない。それゆえ、日常性は、その一面性に関しては、すなわち、
その一面性が気づかれていないとしたら、その点では批判される必要がある。この批判がハイデ
ガーの存在の問いを動機づけているが故に、この動機を見落とすかぎり、日常性の存在の根本様
10
式である頽落の、ハイデガーの思惟における位置づけが判然となることはないであろう 。
9
10
実存・事実性と同等に扱われた頽落は、たとえば、次のように表現されている。
「それに対して、何かのもとでの頽落的存在という、気遣いを構成する第三の契機にはそのような標識が欠
けている。これは、頽落が時間性のうちにも基づかないということを意味するべきではなく、配慮的に気遣
われた手許存在者・眼前存在者への頽落が第一に基づく現在化が、根源的な時間性の様態においては、将来・
既在性に包囲されているということの概略を示しているはずである」(SZ,328)。
頽落は、ハイデガー自身により拒絶されているにも関わらず(SZ,167,175f., KM,235, GA20,378,391)、道徳的、
宗教的、その他の意味で否定されるべきものとして把握されることが多い。このような把握に対しては、既
に 1970 年にゲルヴェンが、
「ハイデガーを実存的道徳家として読むことに固執する人びとがいることはさけ
られないであろう。ハイデガーならびに鋭敏な批評家によっても以上のような〈ハイデガーの記述を道徳批
判とする〉解釈が禁止されていることを考慮するなら、以上のような妥協を知らない人物に直面したときは、
あらゆる抗議が聞く耳を持たない人びとに影響するわけではないと結論づけるしかない」(Michael Gelven, A
Comentary on Heidegger's Being and Time, Haper & Row, 1970, p.109f.)と述べている。ゲルヴェンの述べるよう
に、ハイデガーの記述に反する解釈を無視することも一つの態度ではあろう。しかし、頽落、そして日常性
が、どのような意味で存在論的に扱われているかを判然とさせなくては、道徳的、宗教的、その他の意味で
否定されるべきものとする頽落把握は繰り返されるであろう。なるほど、頽落に関連する表現は否定的な印
象を与える。そして、実際、頽落は、その優位が気づかれないかぎり、その点においては批判される必要が
ある。しかし、それは、頽落そのものへの批判ではない。頽落への批判は、頽落が実存論的構成の一つであ
りながら、他の実存論的構成に対して優位を有する点に存する。
- 57 -
実存論的範疇としての頽落
註 Vittorio Klostermann 社のハイデガー全集(Gesamtausgabe)からの引用箇所は、GA の後に巻数
と頁数をつけることで記す。その他の本の略号は以下の通り。なお、引用者による補足は〈 〉
で表現する。
KM : Kant und das Problem der Metaphysik, Frankfurt am Main, 5., Aufl., 1991.
SD : Zur Sache des Denkens, Tübingen, 3., Aufl., 1988.
SZ : Sein und Zeit, Tübingen, 16., Aufl., 1993.
(なかはしまこと 現代思想文化学・助手)
- 58 -
Verfall als eine existenziale Konstitution
Verfall als eine existenziale Konstitution
Makoto NAKAHASHI
In der Seinsfrage von "Sein und Zeit" wird die Sorge, d.h. das Sein des Daseins,
als die Einheit von Existenzialität, Faktizität und Verfall verstanden. Das bedeutet, dass
Existenzialität, Faktizität und Verfall als gleichrangig betrachtet werden sollen, was Macann
zu der Frage veranlasst, ob Verfall tatsächlich mit Existenzialität und Faktizität gleichgestellt
werden kann. Seine Frage entzündet sich daran, dass bei Heidegger alle existenzialen
Konstitutionen wie Existenzialität und Faktizität in der Alltäglichkeit, die sich wiederum aus
dem Verfall konstituiert, analysiert werden. Das führt dazu, dass der Verfall als der Ort,
anhand dessen alle existenzialen Konstitutionen aufgezeigt werden, fungiert, d.h. dass Verfall
selbst keine existenziale Konstitution ist. In dieser Hinsicht ist Macanns Frage überzeugend.
Begeht Heidegger aber dann einen fundamentalen Fehler in der Frage nach der angemessenen
Stellung des Verfalls innerhalb der Seinsfrage?
Macanns Frage ist zwar berechtigt, er übersieht aber die Einseitigkeit der
Alltäglichkeit. Heideggers Verständnis von Alltäglichkeit wird durch das griechische
Seinsverständnis bestimmt, in dem das Sein als Gegenwart aufgefasst wird. Demgegenüber
behauptet Heidegger, dass das Sein nicht nur durch die Gegenwart als ein Moment der Zeit,
sondern durch alle Momente von Zeit verstanden werden solle. Das bedeutet, dass das
griechische Seinsverständnis, das immer noch unser Seinsverständnis bestimmt, Heidegger
zufolge einseitig ist, und dass er durch die Überwindung dieser Einseitigkeit neu nach dem
Sein zu fragen beginnen konnte. Die Gegenwart nimmt nach Heidegger im griechischen
Seinsverständnis eine vorrangige Stellung ein, demzufolge Zukunft und Gewesenheit
(Vergangenheit) als dessen konstituierende Momente ausgeschlossen sind. Dementsprechend
schließt die Alltäglichkeit Existenzialität, deren existenzialer Sinn die Zukunft ist, und
Faktizität, deren existenzialer Sinn Gewesenheit ist, aus. Das bedeutet, dass nur der Verfall,
dessen existenzialer Sinn die Gegenwart (das Gegenwärtigen) ist, als das das Sein des Daseins
konstituierende Moment der Alltäglichkeit fungiert, worin sich die Einseitigkeit der
Alltäglichkeit zeigt.
Macanns Frage erhält dadurch Berechtigung, dass die gesamte existenziale
Konstitution des Seins von Dasein nur in der Alltäglichkeit, deren Grundart Verfall ist,
gezeigt wird. Doch da die Einseitigkeit der Alltäglichkeit die Frage nach dem Sein verdeckt,
ist es erforderlich, dass sie als solche wahrgenommen wird, was wiederum die Voraussetzung
ihrer Überwindung bildet. Um nach dem Sein fragen zu können muss man von daher den
Verfall nicht als Ort, anhand dessen Existenzialität und Faktizität aufgezeigt werden, sondern
als eine der Existenzialität und Faktizität vergleichbare existenziale Konstitution betrachten.
「キーワード」
頽落、ウーシア、日常性、時間
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人間存在の気分と言葉
人間存在の気分と言葉
― 言葉の根源へ向かうハイデガーの視線 ―
佐々木正寿
はじめに
詩人大岡信は、言葉と人間の関わり方について次のような見解を示している。
「自分が言葉を所有している、と考えるから、われわれは言葉から締め出されてしまうの
だ。そうではなくて、人間は言葉に所有されているのだと考えた方が、事態に忠実な、現
実的な考え方なのである。人間は、常住言葉によって所有されているからこそ、事物を見
てただちに何ごとかを感じることができるのだ。
」
(
『現代芸術の言葉』(1967 年)「あとがき」
)
人間が主体として言葉を使いこなしていると考える者にとって、
〈言葉が人間を持っている〉と
いう捉え方は、まさに意表をつくものであろう。しかし大岡によれば、このように考えたほう
が人間の実情をよりよく理解することができるというのである。これは、或る意味で絶えず言
葉と格闘している詩人なればこその発見かもしれない。ところが、このような〈人間が言葉を
持っているのではなくて、言葉が人間を持っている〉という洞察を私たちはまた、すでにハイ
デガーの思索のうちに見出すことができる。彼は、奇しくも詩人ヘルダーリンの詩作について
の講義のなかで、こう述べているのである。
「言葉は、人間が他の能力や道具とともに持っているものではなくて、人間を持ち、然々
の仕方でその現存在そのものを根本から接合し規定するものである。
」(GA39, 67)
詩人としての大岡の見解とヘルダーリンの詩作の解釈にもとづくハイデガーの思索が、はから
ずも一致して示している〈言葉が人間を持っている〉という洞察は、言葉と人間とのいかなる
関係を捉えているのであろうか。かつてアリストテレスが、動物や植物と比べて人間に固有の
- 61 -
人間存在の気分と言葉
能力を「ロゴスの働き」に認めて、人間を「ロゴスを持っている動物」1と規定して以来、概ね
私たちは、人間は言語能力を持ち、言葉を使いこなしているのだと考えてきたと思われる。こ
のような考え方にしたがえば、言葉は人間の所有物・道具であり、人間は言葉を使用する主体
なのである。大岡とハイデガーの洞察は、このような人間中心主義的な立場に反省を促すもの
として受け取ることもできるであろう。そしてそのとき、言葉と人間存在との関わりをめぐる
新たな問題圏が開かれるのだといってもよい。
そこで本論文では、まずハイデガーによる人間的現存在の現象学的探究のうちに、言葉のあ
り方や根源についての解釈を確認し、次いで詩作をめぐる哲学的探究のなかに、言葉の本質に
対するハイデガー独自の洞察を捉えることによって、言葉のあり方や根源、本質に対する彼の
新たな視線――従来の視線の転換――を見出す。そしてさらに、ハイデガーにみられる〈詩作
の言葉〉のほうから言葉の本質を捉えようとする立場が、人間存在の直接的な〈生の言葉〉を
聞き取る立場として、いわば自己疎外の窮境にある現代の人間にとってひとつの積極的な実存
的意義を持っているということを示したい。
1 人間の存在と気分の現象
1-1 「事実的な生」と気分
初期フライブルク時代の諸講義においてハイデガーは、ディルタイの「生の哲学」から受け
継いだ「生」に対する問題意識のもとで、フッサールの現象学を哲学的探究の方法的態度とす
ることによって、人間の「事実的な生」のあり方を現象学的に解釈することを試みた。そのよ
うな探究をハイデガー自身は、
「生の根源学」あるいは「事実性の解釈学」として性格づけてい
る2。こうした現象学的探究をつうじて、
「生」の問題圏のうちに表明的に見出されたのは、生
の事実的なあり方としての「事実性」という事象領域である。そしてハイデガーは、この「事実
性」の問題領域において、ひとつの特徴的な事態を明らかにした。それは、事実的な生が「世界
の内に在ること」は「世界の内で気分づけられていること」にほかならないということ、
換言すれ
ば、事実的な生においてそれ自身の存在が第一次的に「気分」という現象をつうじて見出されて
いるという事態である。例えば 1919/20 年冬学期講義『現象学の根本諸問題』のなかで彼は、
生と世界との出会い方を次のように捉えている。
「このような周囲世界、共同世界、自己世界、
(一般に周囲世界)の内で私たちは生きてい
る。私たちの生は私たちの世界である。――そして、私たちは[世界に]眼を向けることは
めったになくて、つねに、たとえまったく目立たず隠されていても、私たちはそこに『居
合わせている』のである。すなわちそれは、
『とらわれて』
、
『不快感を覚えて』
、
『楽しんで』
、
『あきらめて』という仕方においてである。
『私たちはつねに何らかの仕方で[世界に]出会
われている』
。
」(GA58, 33f.) ([ ]内は引用者による補足。
)
1
アリストテレス、
『政治学』
、第 1 巻、第 2 章ほか。
2
Vgl. M. Heidegger, GA58, S. 81; GA63, S. 7 u. S. 14ff.
- 62 -
人間存在の気分と言葉
ここで示されているのは、日常において私たちは世界を世界として対象化して見ているので
はなくて、そのつど或る特定の仕方で世界のもとに居合わせているということであり、しかも
その出会い方は、けっして際立ったものではなくて、いわばなんらかの「気分」的なあり方をつ
うじてのものだということである。このことは換言すると、私たちが「世界の内に在る」とい
うことは「世界の内で気分づけられている」ということにほかならない、ということだといっ
てよい。あるいはまた、1920/21 年冬学期講義『宗教の現象学への入門』では、
「私」の自己の
経験について次のように述べられている。
「私は事実的な生の内で自分自身を、……私が果たしたり被ったりするもの、つまり私に
出会われるものにおいて、
また、
憂鬱状態や高揚状態などの私の諸状態において経験する。
私自身は、けっして私の自己を目立った状態において経験するのではなくて、私はつねに
周囲世界に、とらわれるような仕方で居合わせているのである。
」
(GA60, 13) (……は引用者による省略)
。
ここでもやはり、事実的な生において「私」は自己を、「気分」のうちで経験しているという洞察
が示されているといってよい。
このようにハイデガーは、事実的な生のあり方を現象学的に解釈することをつうじて、生と
世界との出会い、あるいは生それ自身の自己の経験が、
「気分」というあり方をとおして遂行さ
れているということを見出した。しかもこのような気分は、ハイデガーの解釈にしたがえば、
同時に事実的な生に特徴的な存在性格を露わにしている。彼は、例えば 1921 年夏学期講義『ア
ウグスティヌスと新プラトン主義』のなかで、アウグスティヌスにおける「モレスティア
(molestia)」の経験を解釈して、生が事実的な「自分自身を持つこと」にもとづくものであるか
ぎり、それは「辛い」という気分をつうじて理解されるということを指摘している3。また、同
じくアウグスティヌス解釈にもとづいて彼は、事実的な生の遂行意味として理解される「テン
タチオ(tentatio)」を可能性の経験として捉え、この可能性が私たちには「重荷(Last)」として受
け取られるということを示している4。
こうして「気分」は、事実的な生と世界との出会い方、あるいは事実的な生の存在とその存
在性格を第一次的・直接的に開示する現象として――それゆえ「事実的な生」に関する現象学
の第一次的な所与として――理解される。こうした理解を私たちは、
「気分」という現象の哲学
的意味の発見として認めることができる。
1-2 パトスの現象
ハイデガーはまた 1924 年夏学期講義『アリストテレス哲学の根本諸概念』のなかで、アリス
トテレス哲学におけるパトス概念の解釈をつうじて、人間的現存在の存在と気分との根本的な
3
Vgl. M. Heidegger, GA60, S. 243.
4
Vgl. ebd., S. 248f.
- 63 -
人間存在の気分と言葉
関わりについて主題的に述べている。この講義において彼は、
「パトス」――“Befindlichkeit“(情
態)という訳語を充てている――をアリストテレス哲学の根本概念のひとつとして位置づけ、
パトスの現象そのものへと遡及しつつ、パトス概念の解釈を試みているのである。その際ハイ
デガーは、とりわけアリストテレスの『弁論術』における探究を「現存在の解釈学」として理
解し、そこで示された諸解釈を人間的現存在の現象学的分析論という自らの問題圏のうちに取
り入れて考察している。
「パトス」という概念によって捉えられている現象それ自体は、ハイデガーの解釈にしたが
えば、心的なるものの状態などではなく、
「世界の内に生きるものの情態」(GA18, 122)にほか
ならない。そしてそれは、人間的現存在の存在の仕方、つまり世界の内に存在するというあり
方、他者と共に存在するというあり方の規定の基礎をなしている。
「問題になっているのは、
『肉体的な随伴現象』をともなった『心的な状態』ではなくて、
パトスは、人間全体を世界におけるその情態の点で性格づけているのである。
」(GA18, 192)
つまり、パトスは、世界の内に存在する人間の存在全体の性格を表している基礎的な現象とし
て理解されるのである。
しかもこのようなパトスは、身体をその質料としている。つまり、パトスの現象を共に構成
している契機は、生というあり方、すなわち世界の内に存在するというあり方を具体的に可能
にしているものとしての身体である。したがってパトスは、身体を持った人間存在全体――心
身の統一態として――の現象として捉えられねばならない。
そして、このようなパトス(情態)は、人間的現存在が自らの世界-内-存在としての自己に
ついて知る仕方である。情態としての「ヘードネー(快)
」についてハイデガーは、次のように
述べている。
「世界-内-存在というものが私が同時に持っているような存在であるかぎり――この場合、
『持っている』とは『それについて知っている』ということを表す表現である――、ヘー
ドネーは世界-内-存在の基礎的な規定にほかならない。私が私の世界-内-存在について解明
を持っている、つまり私が私の世界-内-存在を持っているのは、ヘードネー、すなわち気
分的に自己を見出すこと(Sichbefinden)においてである。私は同時に私の存在の規定、私の
存在の仕方を持っている。
」(GA18, 244)
このように「パトス」として捉えられる情態という現象は、世界-内-存在としての――しかも
身体を持った――自己を知る基礎的なあり方として解釈されるのである。
1-3 現存在と情態
『存在と時間』においてハイデガーは、
「存在の意味への問い」を表明的に哲学の根本の問い
として位置づけ、この「存在の問い」を問いとして仕上げることを目指している。このような
- 64 -
人間存在の気分と言葉
存在論の問題圏において彼は、人間的現存在の実存論的分析論を、存在論に基礎を与えるもの
として捉え、それを「基礎的存在論」とよんだ。こうして、初期フライブルク時代の諸講義に
おいて展開された「事実的な生」の現象学的解釈は、現存在の現象学的分析論――「現存在の
現象学」――として引き継がれ、存在論の一契機として遂行されるわけである。
ハイデガーは『存在と時間』において、現存在の根本体制を「世界-内-存在」として規定し、
その「内-存在」という構造契機を現象学的に解釈している。その際彼は、現存在の「現(Da)」
を「開示態(Erschlossenheit)」として理解しているが、これは、いわば事柄が露わになる場所的
な性格を持ったあり方と考えてよい。このような開示態を構成している契機としてハイデガー
は、
「情態」と「理解(Verstehen)」
、
「語り(Rede)」という現象を挙げており、この「情態」とは、
私たちが一般に「気分」ないし「感情」として知っている現象を指している5。この「情態
(Befindlichkeit)」という概念には、初期フライブルク講義における探究のうちで見出されていた、
「世界の内に在ること」は「世界の内で気分づけられていること」であるという解釈が含意さ
れていると考えられる。そして、この用語にはもちろん、“sich befinden“ という表現が「在る」
という意味と同時に「然々の様態である」という意味で用いられるというドイツ語の語法が生
かされている。こうして「気分」という現象は、現存在の分析論において、現存在の開示態を
構成するひとつの契機として位置づけられるのである。
ハイデガーの分析にしたがえば、
「現存在はそのつどすでにつねに気分づけられている」(SZ,
134)のであり、このような気分すなわち情態の本質的な性格として、三つの点が挙げられる6。
第一に、情態は現存在を、その特定の世界へ委ねられているという「被投性(Geworfenheit)」に
おいて開示しており、しかもそれは、そのようなあり方を避けるという仕方においてである。
つまり、現存在とは「現へと委ねられて在ること」であり、このようなあり方が「重荷」とし
て気分のうちで経験されているのである。第二に、情態はそのつどすでに、世界-内-存在を全
体として開示するものである。したがって、現存在の志向的な態度もまた、そのつど気分にも
とづいている。第三に、情態は実存論的に現存在の世界開性(Weltoffenheit)を構成している。つ
まり、現存在にとって世界内部の存在者が出会われるということは、現存在に固有の「気分づ
けられる」
というあり方にもとづいて可能になっているのである。
――こうした解釈によれば、
情態すなわち気分は、第一次的に現存在の固有の存在の仕方、つまり被投性を、とりわけ「重
荷」として露わにするものであって、このような情態がつねに現存在のあり方を規定している
のである。
◆
以上にみたようにハイデガーは、事実的な生ないし現存在のあり方を現象学的に解釈するこ
とをつうじて、この事実的な生ないし現存在の存在が「気分」の現象のうちに開示されている
ということ、そして同時にその固有の存在性格が――辛い、重いものとして――露わにされて
いるということを明らかにした。しかもこの場合、そのような気分は、事実的な生ないし現存
5
Vgl. M. Heidegger, SZ, S. 134.
6
Vgl. M. Heidegger, SZ, S. 136ff.
- 65 -
人間存在の気分と言葉
在の存在・存在性格を、他の何よりも直接的に、つまり第一次的に開示しているのだといって
よい。その意味で気分は、人間存在の根本現象として特徴づけられよう。このように考えてよ
いとすれば、気分という現象こそは、
「生」の問題圏における現象学にとって、根本的な第一次
的所与として理解されねばならない。
2 気分の現象と言葉
2-1 気分的理解の分節
『存在と時間』における現存在の現象学的分析にしたがえば、現存在の遂行する理解の働き
は、つねに気分づけられている。つまり、現存在の理解は「情態的な理解」である。言い換え
れば、理解はつねに気分(情態)をつうじて遂行されるのであり、このことは、現存在の気分
という現象がそれ自体、理解のあり方にほかならないということを示している。しかも、先に
みたように現存在の存在・存在性格が直接的・第一次的に気分のうちに開示されているのだと
すれば、このような気分は、現存在それ自身の存在についての直接的・第一次的な理解――つ
まり、現存在の自己理解――のあり方として解釈されるであろう。こうした気分的理解は、い
わゆる知的な理解というものではなく、生の遂行そのものをつうじての理解、つまりひとつの
遂行知あるいは実存的理解であり、その意味で一種の直覚的な自己理解であるといってよい。
もっとも、こうした直覚的な気分的理解は、表明的な理解として仕上げられるためには、分
節されて表明化(言語化)されねばならないはずである。それでは、そうした気分というあり
方における実存的理解は、どのような仕方で表明的に――言葉へと――分節されるのであろう
か。
『存在と時間』における現存在の現象学的分析によると、情態的な理解の内容は、
「解釈」
に先立ってすでに、
「語り(Rede)」という働きをつうじて分節される。ここでいわれる「語り」
というのは、解釈や言明に先んじてその根底で働く分節化であって、この「語り」が外部へと
言表されたものが言葉(Sprache)であるとみなされる。
「語りは、情態と理解と実存論的に等根源的である。理解内容(Verständlichkeit)はまた、わ
がものとする解釈に先立ってつねにすでに分節されている。語りは、理解内容の分節
(Artikulation)である。したがってそれは、すでに解釈や言明の根底に存している。
」(SZ, 161)
「語りが外へと言表されたもの(Hinausgesprochenheit)が、言葉である。
」(ebd.)
あるいは、次のように述べられている。
「世界-内-存在の情態的な理解内容は、語りとして言表される。この理解内容の意義全体
が、語(Wort)になる。意義から語が生まれてくるのである。
」(ebd.)
ここに示されているようにハイデガーは、言葉としての表明化に先立って情態的な理解内容を
分節するあり方というものを認め、それを「語り」という実存論的概念で捉えている。つまり、
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人間存在の気分と言葉
この「語り」というあり方は、世界-内-存在についての情態的な理解内容を、意義に即して分
節するということである。直覚的な情態的理解の内容はこうして、
「語り」という現存在の根源
的な構成契機をつうじて分節され、それが外的に表明されるとき「言葉」となる。このような
ハイデガーの解釈にしたがうかぎり、語り出された「言葉」というものはまさに、そのつどの
現存在の情態(気分)の表明的なあり方にほかならない。つまり、人間の語る言葉は、そのつ
どの現存在の気分から生まれ出ているのである。その徴表となる、言葉の上での現象を私たち
は、例えば抑揚や転調、話す速さなどとして知っている。
ハイデガーによる現存在の現象学的解釈にしたがって考えれば、人間の語る言葉の根源は、
気分のうちに認められるといってよい。しかもこの場合、そのような気分が人間的現存在の存
在の直接的・第一次的な開示態であるとすれば、こうした気分から生まれ出る言葉というもの
は、人間存在の開示態の表明化にほかならず、まさに人間存在そのものにもとづく根源的な現
象として理解されねばならない。
2-2 パトスとロゴス
気分(情態)と言葉との根本的なつながりをハイデガーは、すでに 1924 年夏学期講義のうち
で、やはりアリストテレス哲学におけるパトス概念を解釈することをつうじて示している。
まずハイデガーの理解にしたがえば、そもそも「話す」ということは、相手に対して・相手
と共に話すということとして「相互存在(Miteinandersein)」のあり方であり、その際、話し手の
見解に対して聞き手がどのように判定するかを決定づけるという点で、話し手の「エートス」
と共に聞き手の「パトス」が重要な契機と見なされる7。
アリストテレス自身『弁論術』第 2 巻第 1 章において、他人の見解に対して私たちの下す判
定がそのつどの気分によって左右されるということを指摘している。それゆえアリストテレス
によれば、話し手は聞き手を納得させるように聞き手のパトスを導いてゆく必要があるのであ
る。こうした点にもとづいてハイデガーは、次のように述べている。
「このように自制心を失うことにおいて共に襲われているのは、クリネイン、すなわち『区
別すること』
、
『態度を決定すること』である。つまり、世界について、あるいは世界の内
でわきまえている仕方というものが、このようにパトスによって襲われる場合には、共に
要求されているのである。こうしたことによって、パトスとロゴスとの内的な連関が取り
出されている――この場合ロゴスとは、クリネインの遂行の仕方としてのロゴスである。
」
(GA18, 248)
ここに示されているように、聞き手の判定、つまりロゴスは、必然的にパトスによって影響を
受けるのであり、こうしたことから、パトス(情態)とロゴス(言葉)との根源的な連関が浮
かび上がってくる。
さらにハイデガーは、いっそう表明的に気分と言葉との連関を指摘している。彼の分析によ
7
Vgl. M. Heidegger, GA18, S. 161.
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人間存在の気分と言葉
ると、日常性の領域のうちには、
「人を話すことへともたらすような情態」として、
「不安」と
呼ばれる恐れの現象――その際、私たちは不気味に感じ、自分が何を恐れているのかわからな
い――が見出されるのである。
「私たちにとって不気味(unheimlich)であるとき、私たちは語り始める。これは、現存在に
みられる話すことの発生、つまり、話すことが、不気味さによって性格づけられている現
存在自身の根本規定とどのように関連しているかということ、このことに対するひとつの
指示である。
」(GA18, 261)
ハイデガーの解釈にしたがえば、不安の情態において不気味に感じ、何を恐れているのか自分
でもわからないようなとき、人は話し始める。このことはまさに、不安という気分のうちで言
葉が生まれてくるという事態を示している。しかもこの場合、不安における不気味さは根源的
に、
人間の現存在にとって根本的である事実的なあり方――被投性――による不気味さであり、
その意味で不安という情態は、
現存在の根本的な情態として特徴づけられる。
つまりこの場合、
現存在の根本情態のうちで、言葉が生じているのである。
たしかにアリストテレスは『弁論術』のなかで、弁論においてパトスの持つ意義を強調し、
パトスとロゴスとの根本的な関連を示唆しているが、
ハイデガーはよりいっそうラディカルに、
ロゴスに対してパトスの持っている決定的な意義を際立たせ、現存在におけるパトスの実存論
的な意味を明確にしているといってよい。彼は次のように述べている。
「パトスが心的な出来事の付属物であるばかりではなく、そこから話すことが生い立ち、
そのうちへと言表されたものが再び生まれてゆくような地盤であるかぎり、パトスそれ自
身は、現存在が自分自身を第一次的にわきまえる、すなわち自己を気分的に見出す根本可
能性である。現存在の世界における存在を第一次的にわきまえていること、明らかにする
ことは、知的に知ること(Wissen)ではなく、気分的に自己を見出すこと(Sichbefinden)であり、
これはそのつど存在者の現存在の仕方に応じてさまざまに規定されうるのである。
」(GA18,
262)
ここで明確に示されているようにハイデガーは、パトスをロゴスの生い立つ根源的な地盤とし
て捉えている。つまり、ロゴスはパトスから生まれ出て、またそのうちへと到達するというの
である。このことは具体的には、人が気分にもとづいて話し、そしてその言葉が自分や相手の
気分へと働きかけてゆくという事態を指し示していると考えてよいだろう。そして、このよう
にパトスがロゴスの根源的な地盤として認められるからこそ、そのようなパトスは現存在の第
一次的な自己理解の仕方として解釈されるのである。
こうして私たちは、ハイデガーによるアリストテレスのパトス概念の解釈にしたがって、パ
トスとしての情態、すなわち気分が現存在の存在を第一次的に開示するものであること、そし
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人間存在の気分と言葉
て、そのような気分からロゴスとしての言葉が生まれ出てくるということを、理解することが
できる。
3 言葉と詩作
3-1 言葉の根源としての詩作
なるほどハイデガーは『存在と時間』のなかで、
「情態の実存論的諸可能態の伝達、つまり実
存の開示は、
『詩作する』語りの独自の目標となりうる」(SZ, 162)と述べており、さまざまな気
分を言葉として伝えることが詩作の目指すことであるということを認めている。そのかぎりで
は、現存在の存在が気分のうちに開示され、そのような気分から言葉が生じており、この言葉
が詩作を構成している、ということになるであろう。
ところが 1930 年代以降ハイデガーは、
こうした言葉と詩作との関係をいわば逆転させた洞察
を示している。つまり彼は、むしろ言葉の根源ないし本質を詩作のうちに見出しているのであ
る。一連のヘルダーリン講義に先立って、すでに 1931 年夏学期講義『アリストテレス、
「形而
上学」第 9 巻第 1‐3 章。力の本質と現実性について』のなかで、彼は次のように述べている。
「言葉の力のうちに在ること――、この場合、言葉とはもちろん言明や伝達の手段として
あるばかりではない。なるほど言葉はまたそのようなものでもある。しかしそればかりで
はなくて言葉は、世界の明らかさと情報がそもそも出現し存在するところである。したが
って言葉は、根源的に本来的に詩作のうちにある。この詩作というのはもちろん、著述家
の生業として受け取られるべきものではなくて、言葉は、神の呼びかけ(Anruf)に対する世
界からの叫び(Ausruf)としての詩作のうちにあるのである。
」(GA33, 128f.)
ハイデガーの所論によれば、言葉とは本来、世界が明らかにされ知らされる場であり、このよ
うに理解されるかぎり、言葉の根源は本来、
「世界からの叫び」としての詩作のうちに求められ
る。
こうした詩作の問題は、つとに知られているように、一連のヘルダーリン講義・講演のなか
で主題的に論じられている。例えば 1934/35 年冬学期講義『ヘルダーリンの讃歌《ゲルマーニ
エン》と《ライン》
』では、
「言葉の最も純粋な本質は、原初的に詩作のうちで展開される。詩
作は、民族の原言語(Ursprache)である」(GA39, 64)と述べられており、言葉の本質が表明的に
詩作のうちに求められている。
ヘルダーリンの詩作を哲学の問題圏において解釈することをつ
うじてハイデガーは、
原初において言葉の本質が詩作のうちに存しているということを捉えた。
そして彼によると、
日常的な言語使用から出発する言語哲学はむしろ詩作を例外と見なしてお
り、その点で本末転倒しているのである。ハイデガーはまた、とくにヘルダーリンの詩作を問
題にする場合、
「民族」という観点を表明的に持ち出しているが、このような立場のもとで詩
作は、
「民族の原言語」として特徴づけられている。
このように言葉の本質をむしろ詩作のほうから理解しようとする立場をハイデガーは、講演
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人間存在の気分と言葉
『ヘルダーリンと詩作の本質』(1936 年)のなかで明確に示した。
「詩作は、存在とすべての事物の本質とを建立して名づけること(das stiftende Nennen)であ
る――それは、任意の言うこと(Sagen)ではなくて、私たちがやがて日常語のうちで語り扱
うものすべてをはじめて開かれたもののうちへと入らせるものである。
したがって詩作は、
けっして言葉を眼前にある素材として受け取るのではなくて、詩作自身がはじめて言葉を
可能にするのである。詩作は、歴史的な民族の原言語である。それゆえに、逆に言葉の本
質が詩作の本質から理解されなければならない。
」(GA4, 43)
ここに示されているように、ハイデガーの所論にしたがえば、詩作は原初的に日常言語以前の
次元において、存在の出来事を「存在」と名づけ、あらゆる事物を「存在者」として明らかに
して、そうした「事物」として存在させる。このような解釈にしたがうかぎり、原初的・根源
的に詩作によってはじめて言葉が民族本来の「言葉」として可能になっているのである。こう
した事情にもとづいて、むしろ「言葉の本質」が「詩作の本質」のほうから理解されなければ
ならない。
3-2 言葉と人間の存在
こうしてハイデガーの解釈のもとで詩作は、言葉の原初的・根源的なあり方として捉えられ
ている。そして、そのような詩作が日常言語に先立って、あらゆる事物を存在者として明らか
にし、そして事物として存在させるのだとすれば、事物と関わりあう人間の現存在もまた、根
源的には詩作にもとづいて可能であると見なされよう。こうした詩作は、卓越した「言葉の出
来事」にほかならない。
「詩作それ自体はただ、その力のうちに人間が歴史的なものとして立っている言葉の出来
事のうちで、卓越した生起である。詩的なものは、歴史的な現存在の根本接合(Grundgefüge)
であり、このことはいまや、言葉そのものが人間の歴史的な存在の根源的な本質をなして
いるということを意味する。……人間の存在の根源的な本質は、言葉それ自体である。詩
作と言葉は、二つのものではなくて、これらは共に歴史的な存在の同じ根本接合である。
」
(GA39, 67f.) (……は引用者による省略)
。
詩作、したがって言葉は、人間の歴史的な現存在を根本的に構成しているものである。それゆ
え私たちは、言葉そのものを人間の歴史的な存在の根源的な本質として捉えることができる。
つまり、根源的にみれば、言葉によって人間は歴史的に存在することができるのである。
ところでハイデガーは、ヘルダーリンの詩『ゲルマーニエン』の解釈にもとづいて、
「私たち
はひとつの対話(Gespräch)である」(GA39, 69)と述べており、人間の存在は「対話」として生起
するという洞察を示している。彼の解釈によれば、
「対話」のうちで言葉が生起し、この生起が
本来的に言葉の存在である。つまり、言葉の生起する原初的な対話が詩作にほかならず、この
- 70 -
人間存在の気分と言葉
ような詩作という対話のうちに、人間の歴史的な現存在はその根拠を持っているのである。
こうしたハイデガーの解釈にしたがえば、人間は、言葉の生起する「対話」として存在する
ことによって、
「存在者」として明らかにされている存在者のうちへと晒し出され(ausgesetzt)、
そのことによって存在者の「存在」そのものに出会っている。というのも、すでに示されたよ
うに詩作、したがって言葉は、存在の出来事を「存在」と名づけ、事物を「存在者」として明
らかにして、それを「事物」として存在させるものだからである。人間は、このような「存在
者への晒し出し(Aussetzung)」を遂行するものとして、
「歴史的」だと解釈される。その意味で
言葉は、人間の歴史を可能にする根拠にほかならない8。
3-3 詩作の根本気分
すでに私たちはハイデガーによる現存在の現象学的解釈のうちに、現存在の存在が第一次的
に気分現象のなかに開示されているということ、そして、そのような気分から言葉が発生して
くるということを確認した。いまや詩作の哲学的解釈という問題圏では、言葉の根源は詩作の
うちに求められているのであるが、先に見出された気分と言葉との根源的な連関はもはや認め
られ得ないのであろうか。
例えば 1934/35 年冬学期講義のなかでハイデガーは、
「詩人は或る気分から語るのであり、こ
の気分は、詩的に言うことが存在を建立する根底と地盤を規定し、その空間を一貫して気分づ
けている」(GA39, 79)と述べ、そうした気分を「詩作の根本気分」と名づけている。そして、
この根本気分は、
「詩的に言うことにおいて存在の刻印を受け取る世界を開く」(ebd.)のである。
つまり、ハイデガーの解釈にしたがえば、詩人は、詩作――存在という出来事を「存在」と名
づけるとともに、存在者の出会われる世界を開き示す――を根底から規定している「根本気分」
から、言葉を発しているのである。そのかぎりで、言葉を原初的に可能にしている詩作は、そ
れ自体根源的には、
「気分」にもとづいているといってよい。このように詩作の哲学的解釈の問
題圏においてもまた、気分と言葉との根源的な連関は認められるのである。
「詩作の根本気分」としてハイデガーが、例えばヘルダーリンの『ゲルマーニエン』から取
り出すのは、
「聖なる悲しみ(heilige Trauer)」である9。彼の解釈によれば、
『ゲルマーニエン』
に謳われている呼びかけの持つ痛み、嘆きは、
「悲しみ」という根本気分から発現しており、し
かもこの根本気分は、何ごとかに対する任意の悲しみではなく、
「聖なる」悲しみである。そし
て、このような根本気分は、存在者全体、つまり世界を、本質的な仕方で開き示す。
「古き神々を呼ぶことを断念するのは、無しで済ませようとすることの決意である。……
このような決意は、悲しみという根本気分の内的な優越から発現している。というのも、
この悲しみは、すべての些細な多くの事物を無関心のうちへと押しやり、一なるものの触
れ難さのうちにのみ留まるからである。……このような根源的な悲しみは、大いなる痛み
の持つ端的な優しさの慧眼な卓越性(die hellsichtige Überlegenheit der einfachen Güte eines
8
Vgl. M. Heidegger, GA39, S. 72-74.
9
Vgl. ebd., S. 81ff.
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人間存在の気分と言葉
großen Schmerzes)である――これが、根本気分である。それは、存在者全体を別様に、本
質的な仕方で開く。ここでおそらく熟慮されねばならないのは、気分としての気分が存在
者の明らかさを生じさせる、ということである。
」(GA39, 82) (……は引用者による省略)
。
「悲しみ」という根本気分は優越したものとして、その他の細々とした多くの事物をどうでも
よいものとして押し退けてしまう。こうしてこの根本気分は、全体としての存在者、つまり世
界を、これまでとは異なる仕方で、しかも本質的な仕方で開き示すのである。ハイデガーの所
論にしたがうと私たちは、気分によって存在者を存在者として明らかに経験し、しかも根本気
分をつうじて存在者全体を新たに本質的に経験するのである。
結語 ― 詩作とパトスの「生の言葉」 ―
ハイデガーによる人間的現存在の現象学的解釈にしたがえば、現存在の被投的な存在・存在
性格は第一次的に気分の現象のうちに開示されており、そのような気分による現存在の自己理
解が分節され外的に表明されて言葉となる。この点で私たちは、人間存在の開示態ないし現象
化様態としての気分の分節化に、言葉の発生を認めることができる。その一方で 1930 年代以降
のハイデガーにおける詩作の哲学的解釈によれば、言葉の根源は詩作のうちに求められ、その
ような詩作は「民族の原言語」と特徴づけられる。ここに私たちは、言葉の本質をむしろ詩作
の本質のほうから理解しようとする視線の転換を見出すことになる。このような立場から見れ
ば、民族の根源的な言葉としての詩作によってはじめて、民族本来の言葉が可能となるのであ
る。しかしハイデガーによれば、言葉を原初的に可能にする詩作は、それ自体根源的には「根
本気分」から生まれるのであるから、言葉の生起はあくまで、人間的現存在の存在を第一次的
に明らかにしている「気分」にもとづいているといってよい。このような意味で言葉とは根本
的に、人間的現存在の存在の表明化様態にほかならない。
こうした理解に近い立場として、人間存在の開示態としての気分のうちに「言葉」を認めよ
うとする解釈を、ミシェル・アンリの現象学のうちに見出すことができる10。彼によれば、生
は「パトス」として現象化され、この現象化様態のうちで生は自己自身について語るのであり、
その言葉が「生の語」――「生の言葉」――である。例えば、
「苦悩」はひとつの語である。と
いうのも、苦悩する肉体をつうじて、この苦悩が私たちに語るもの、つまり生が明らかにされ
るからである。アンリの理解にしたがえば、
「生の言葉」としての「絵画の言葉」は、ハイデガ
ーのいう詩人の言葉と同じである。ただし私たちは、ハイデガーとアンリとの違いを認めなけ
ればならない。すなわち、アンリのいう「生の語」は、生の現象化様態としてのパトスのうち
で生が自己を直
直接的に〈語っている〉ものであり、これはハイデガーが問題にしている分節さ
れた言葉以前の次元に留まっているものだと考えなければならないのである。
〈言葉が人間を持っている〉――この洞察は、詩人大岡信と、ヘルダーリンの詩作を解釈し
10
Vgl. Michel Henry, Pathos und Sprache, in: Ekkehard Blattmann, Susanne Granzer, Simone Hauke, Rolf Kühn (Hg.),
Sprache und Pathos. Zur Affektwirklichkeit als Grund des Wortes, Freiburg/München 2001, S. 353ff.
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人間存在の気分と言葉
たハイデガーが偶然に一致して、言葉を人間存在の本質として捉えたものであった。この洞察
は、言葉こそが人間の存在を可能にして規定しているということ、つまり、人間は言葉のなか
に生まれ、言葉のなかに生きているということを意味していると考えてよい。ハイデガーの理
解にならえば、言葉によって私たちは、存在という出来事を「存在」と名づけ、したがって事
物を「存在するもの(存在者)
」として、そして「事物」そのものとして経験することができる
のである。このような仕方で言葉によって私たちが存在者としての事物と関わりあう事態をハ
イデガーは、
「存在者への晒し出し」として捉えたのであった。
しかも、ハイデガーの言語理解の立場においては、言葉は本来、原初的には詩作のうちに見
出される。およそ言葉はそれぞれの民族に固有であり、そしてそれぞれの民族にはやはり固有
の形式の詩歌が認められるように、根源的には詩作のうちにこそ民族本来の言葉が尖鋭化した
かたちで生起していると考えることもできるのではなかろうか。詩人は根本気分から語るのだ
とすれば、その詩人の言葉は、アンリの言うような、パトスのうちに〈語られている〉はずの
「生の語」を表明的に語っているにちがいない。したがって、詩作のうちに私たちは、歴史的
な人間の「生の言葉」を聞くのである。
「生の言葉」として絵画が、見えざるものを描き出すよ
うに、詩作の言葉は、およそ世人には聞こえない「生の語」を表明的に語っているのだといえ
る。それゆえ詩作は、人間の歴史的な現存在の原初的な解釈として、まさに〈ヘルメーネウエ
イン〉にほかならず、この世人には聞こえない「生の語」を私たちに〈伝える〉という行為で
あるといってよい。アンリの言うように現代の人間は自己から遠のいているのだとすれば、詩
作をつうじてパトス――つまり、気分――のうちで〈語られている〉はずの「生の語」を聞き
取ることは、本来の自己を取り戻すひとつの契機となることであろう。
【文献】 本文および注において、ハイデガーのテクストの引用ないし参照箇所は、次の略号のあとに頁数を
併記して示している。
GA4: Erläuterungen zu Hölderlins Dichtung, Gesamtausgabe, Bd. 4, Frankfurt a. M. 1981.
GA18: Grundbegriffe der aristotelischen Philosophie, Gesamtausgabe, Bd. 18, Frankfurt a. M. 2002.
GA33: Aristoteles, Metaphysik Θ 1-3. Von Wesen und Wirklichkeit der Kraft, Gesamtausgabe, Bd. 33,
2. Aufl., Frankfurt a. M. 1990.
GA39: Hölderlins Hymnen >Germanien< und >Der Rhein<, Gesamtausgabe, Bd. 39, 2. Aufl., Frankfurt a. M. 1989.
GA58: Grundprobleme der Phänomenologie (1919/20), Gesamtausgabe, Bd.58, Frankfurt a. M. 1993.
GA60: Phänomenologie des religiösen Lebens, Gesamtausgabe, Bd. 60, Frankfurt a. M. 1995.
GA63: Ontologie (Hermeneutik der Faktizität) , Gesamtausgabe, Bd. 63, 2. Aufl., Frankfurt a. M. 1995.
SZ: Sein und Zeit, 15. Aufl., Tübingen 1984.
(ささきまさとし 神戸女学院大学非常勤講師)
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Stimmung und Sprache des Menschseins
Stimmung und Sprache des Menschseins
― Heideggers Sicht des Ursprungs der Sprache ―
Masatoshi SASAKI
In der heideggerschen phänomenologischen Hermeneutik des faktischen Lebens
oder Daseins wird das Phänomen der Stimmung, d. h. der Befindlichkeit, als seine
Erschlossenheit interpretiert. Die Stimmung selbst zeigt sich schon als eine primäre Weise der
Selbstauslegung des Daseins. Auch in der heideggerschen Interpretation des aristotelischen
Pathos-Begriffs lässt sich das Phänomen des Pathos als „Sichbefinden“ in der Welt zeigen.
Phänomenologisch gesehen, ist das Sein des menschlichen Daseins primär in der Stimmung,
d. h. in der Befindlichkeit, erschlossen.
Diese Erschlossenheit des Daseins, mit anderen Worten, die befindliche
Verständlichkeit des Daseins, wird Heideggers Interpretation nach durch die
„Rede“ artikuliert, und das Hinausgesprochene dieser Artikulation zeigt sich als Sprache. Den
Ursprung der Sprache erkennt man daher in der Befindlichkeit (Stimmung). Ebenso wird in
der heideggerschen Interpretation des aristotelischen Pathos-Begriffs
das Pathos
ursprünglich als der Boden für den Logos angesehen. Gemäß phänomenologisch hermeneutischer Betrachtung wird der Ursprung der Sprache eigens in der Stimmung erkannt,
in der das Sein des menschlichen Daseins primär erschlossen ist. Statt dessen findet
Heidegger mit der philosophischen Interpretation der Dichtung den Ursprung der Sprache in
der Dichtung selbst und versucht das Wesen der Sprache insbesondere aus deren Wesen zu
verstehen. Seiner Meinung nach ermöglicht die Dichtung anfänglich die Sprache, die den
Grund des geschichtlichen Daseins des Menschen ausmacht, denn mit der Sprache ist der
Mensch inmitten des Seienden ausgesetzt und ist als Vollzug dieser Aussetzung geschichtlich.
Trotz des heideggerschen Perspektivenwechsels kann man den Ursprung der Sprache
anfänglich in der Stimmung sehen, weil der Dichter, Heideggers Interpretation zufolge, aus
einer Grundstimmung spricht.
Von diesem Gedanken Heideggers ausgehend kann man von daher die das Sein
des menschlichen Daseins primär offenbarende Stimmung als Ursprung oder Boden der
Sprache betrachten. Vor allem die Dichtung, die die Sprache eigentlich anfänglich ermöglicht,
könnte sich als das Auslegen des „Wortes des Lebens“ (Henry), d. h. gerade als ihr
„hermeneuein“, zeigen. In diesem Sinne dürfte man in der Dichtung als „Ursprache eines
Volkes“ eine existenzielle Bedeutung erkennen.
「キーワード」
Heidegger, Hermeneutik, Stimmung, Befindlichkeit, Sprache
ハイデガー、解釈学、気分、情態、言葉
- 74-
前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
前期ハイデガーにおける形而上学の遂行
土井理代
はじめに
ハイデガーにおける形而上学(Metaphysik)の概念は、彼の思想全体を通して見れば二義的であ
るように見える。確かに彼は西欧的思惟の歴史を形而上学という観点で一括し、その歴史を存
在忘却の極まりゆく一繋がりの展開として批判的に解釈しつつ、それを真に超える「別の思惟」
の道を示すことを試みた1。だが、そのような否定的とも言える形而上学概念が彼の用語法の中
で定まってきたのは、彼の思惟の歩み半ば、1930 年代(とりわけニーチェとの対決の途上)以
降においてである。そこで意味される形而上学は、自然科学の隆盛期であったカントの時代に
すでに疑義が表明されていたような伝統的学科としての形而上学とは違い、われわれの時代に
あってもいまだ誰もそこから抜け出せないような包括的な歴史的現象としてのそれであり、そ
の点で時代批判的、現代的意義を持っている。しかし彼が形而上学概念に独自の意味づけを与
え直すことを試みたのは、初めは必ずしもそのような文明批判的な色彩を帯びた否定的な文脈
においてのことではなかった。前期の主著である『存在と時間』
(前半部)公刊(1927)後、1920
年代末期のハイデガーにおいて思惟のキーワードとして前面に出された「形而上学」は、やは
り伝統的な形而上学概念とは違い、これから根源的に意味を与えられようとする積極的、いや
少なくとも中立的な概念だった。
したがって 1930 年代以降に歩まれる中期から後期にかけての
ハイデガーの思惟から照らせば、
この 1920 年代末期の形而上学概念は異質なものに見えるので
ある。ハイデガーは、存在忘却という根本経験すら忘却されていく西洋的思惟の支配圏を形而
上学と呼び、そこから外へ出ること(根源へ還ること)を求めた。しかし一時期彼自身の思惟
の表題として形而上学という語が選ばれた。別の思惟ではなく形而上学という表題が。
以下の叙述ではこの点に関し、
後の形而上学批判はこの 1920 年代末期の形而上学概念の彫琢
1
1930 年代以降の著作で散見される「別の思惟(das andere Denken)
」(WME:381)という言葉は、内容的には、
存在者としての存在者しか表象しない形而上学に対し存在(原存在 Seyn)を問う存在歴史的思惟を指す。
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前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
を経てこそ理解可能であること、初期から彼の思惟のうちに強くある眼前性(Vorhandenheit)の存
在論の伝統を解体するという考えが、基礎的存在論および形而上学の遂行を経て後の形而上学
批判へといわば名を変え具体化されていく、という見通しを持って、絡まりの多い前期ハイデ
ガーの思惟の道筋を解きほぐしながら、そこに内在する問題を指摘することにしたい。
1 現存在と形而上学の分かち難さ
『存在と時間』(SZ)において人間を現存在(Dasein)と術語化し、その現存在の分析論としての
基礎的存在論を展開したハイデガーは、マールブルク大学での講義活動等を通して基礎的存在
論を練り直しながら、論文「根拠の本質について」(WG)や著書『カントと形而上学の問題』(KPM)
を公表した。そしてその後再び移ったフライブルク大学での就任講演「形而上学とは何か」
(WM)2や講義『形而上学の根本諸概念』(GA29/30)ではいずれも「形而上学」という語がキーワ
ードとして前面に出されることになった。この時期がハイデガーの思惟の発展において形而上
学期と呼ばれることがあるのもそのためである3。だが、この時期においてもすでに形而上学概
念は、
『存在と時間』期における存在論の概念と同様、語としてあるいは形式的概念としては一
つであっても、その意味内実は二義的であった。すなわち、伝統的に受け継がれてきた表題と
しての形而上学と、これから思惟の遂行によってその内実を与えられようとしている形而上学
である。根こぎにされた形而上学と、根源へと向かおうとする形而上学。この二義性とはどの
ようなものなのか。
1-1 全体への問いとしての形而上学
初期フライブルク時代から哲学の生き生きとした理念を獲得することを目指してきたハイデ
ガーにとって、形而上学の概念を蘇らせることは、単に伝統的な意味での形而上学を復活させ
ることではなかった。彼の求める形而上学は、
『存在と時間』で展開された基礎的存在論によっ
て確保された「基礎(Fundament)」(KPM:225)4に踏み留まりながら、
「存在」の理解(投企 Entwurf)
を本質とする現存在の存在(実存 Existenz)だけでなく、その現(世界)において情態的に開
示されてくる「全体において在るもの(das Seiende im Ganzen)」5の存在へと問い進めること、そ
2
3
4
5
引用の際は表題を示す略号を用いるが、頁番号はその収録先である『道標』のものである(
「根拠の本質に
ついて」も同様)
。なお、略号 WME はこの講演の 20 年後に付された序論を示す。
以下ではこの時期を、上記の著作が出版され、就任講演が行われた 1929 年にしばしば代表させる。
「基礎的存在論(Fundamentalontologie)」は、その遂行性格(形式的暗示という遂行指示性格)から切り離さ
れた内実だけが学説として受け取られるべきものではない。ハイデガー自身その点についてさまざまな形で
注意しているが、誤解を招きやすいのは「基礎」および「存在論」という語だろう。学の基礎、あるいは根
底[根拠]としての現存在は、
『存在と時間』で既に明らかにされているように(根源的な意味で)有限的、
時間的でありそれ自身脱底的である。そのようなものとして自らの実存に耐えつつその現象を隠れから取り
出す(むしろ隠れるものとして指し示す)歩みは、たとえ学的体裁をとったとしても(実際とったのである
が)
「体系化」とは異質である。それは人間存在を分析しているからといって単に人間学でないことは言う
までもなく、それ自身一存在論ですらない(cf. WME: 380)。ハイデガーの思惟がやがて単に思惟(Denken)と
してしか自己表現しなくなるのは、事柄に即して当然のことと言うべきだろう。
「全体において在るもの[全体における存在者]」とは「ピュシス」概念の再解釈から取り出された意味契機
である。勿論これは諸学の対象領域としての「歴史」や「自然」のいずれかに該当するものではなく、むし
ろ存在者の諸領域成立以前にそのつどわれわれに開示され、そこからそれらが可能となるような全体である。
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前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
してその中で同時に自己の存在(実存)を問い直すことを意味している。それはすなわち、こ
の問う者自身と全体において在るものという二つの契機を統一的に保持しつつ、存在への問い
を模索し続けていくことである。
このような 1929 年の形而上学を特徴づける言葉をいくつか引いておこう。
「形而上学とは問
うことであり、その問いにおいてわれわれは全体において在るものの中へ問い入り、その際問
う者であるわれわれ自身も共に問いの中に立てられる」(GA29/30:13)。すなわちそれは「全体
へと出て行くと同時に実存を隈なく把捉する、という二重の意味で全てを含む(inbegrifflich)思
惟」(GA29/30:13)であり、
「形而上学は現存在における根本生起である」(WM:122; GA29/30:12)。
このような「形而上学は、人間といったものの事実的実存と共に生起する、存在者の中への破
り入り(Einbruch)における根本生起である」(KPM: 235)。
このように特徴づけられる形而上学とは、すでに基礎的存在論で明らかにされた現存在の存
在体制すなわち世界‐内‐存在(世界への超越)の動性を――それに固有の見えにくさと絶え
ず闘いながら――自覚的に(問う態度で)把捉しつつ、そこで全体として漠然と経験されるこ
とを解明していくことにほかならない。不安や退屈等の根本気分のうちで、事実として現存在
が全体において在るものに(あるいはそのような全体の動性と共におのれを示す無に)晒され
る瞬間があるとすれば、そしてわれわれが個々の存在者に態度をとることができるためにはこ
のような全体の開示がそのつど共に働いているのだとすれば、そこからさらに「現存在はいか
にして、全体において在るものの中へそのように立てられることができるのか。この「全体に
おいて」がわれわれを取り囲む時そこでは何が働いているのか」(GA29/30:251)ということ――
世界への問い――が形而上学的に問い深められなければならないだろう。
1-2 伝統的形而上学への疑義
しかしこの時期のハイデガーは「形而上学」という伝統的概念を決して肯定的に評価してい
たわけではない。むしろそれが根源語ではないこと、そして、アリストテレスにおいてすでに
問われるべき事柄として現れていたことへの真の理解のないまま、文書編纂上の前後関係とい
う外的な事情から生まれた語であること、
「メタ」の意味が単に「後で」(post)だけでなく「超
えて」(trans)の意味へ転化した際その「超えて」の意味(どこへ向けて超えるのか、その超え
て在るものはどこに、どのような仕方で在るのか、超えられるものとの関係はどうなっている
のか等)が真に統一的に思惟されることのないまま中世のスコラ学において教義的に体系化さ
れてしまったこと、形而上学を乗り越えたはずの近世以来の認識論(超越論哲学)もまた、こ
のような伝統において立ち塞がれ曖昧にされたままの存在理解の上に立っているということ6
等が指摘されつつ、それでも敢えて(もはや「存在論」ではなく)
「形而上学」という語が選ば
れるに至ったわけだが、この語の選択およびハイデガーによる新たな意味づけ(1929 年段階で
6
近世的特徴として、全体――全体において在るものではなく在るものの総体として眼前に見出される「世界」
ないし「自然」――への問いと共に、問う者自身が問題圏の中心となることが指摘されるが、その際「自我
や意識はまさに最も確実で疑問の余地のない基礎としてこの形而上学の根底に置かれる」(GA29/30:84)点で、
ハイデガーの形而上学とは根本的に区別される。
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前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
の)には、彼独特の巧妙さがある。ちょうど「現存在(Dasein)」という伝統的な語に、存在(Sein)
へと開かれている(Da=開示性)
、という独自の意味づけが与えられたように、
「形而上学」と
いう伝統的な語も、万物(ピュシス)を「超えて」在るという現存在に特有の超越の動性――
そのつど世界7へ向けて(世界を形成・投企しつつ)
、私自身を、そして全体において在るもの
をも共に超え行く在り方――を示すものとして解釈され直している。
上にも簡単に見たように、
このハイデガーの形而上学概念にとっては、世界‐内‐存在(超越)という存在体制を持つ現
存在の概念がそうであるように、その統一的構造(体系の統一性ではなく実存の統一性)
、まさ
にその全体性が本質的なのである。
それに対して伝統的な形而上学概念にはそのような統一性が欠けている。この問題の直接の
端緒はアリストテレスにおける第一哲学の二義性のうちに見出される。アリストテレスは、後
に『形而上学』と題され編纂されることになる論考の中で彼が「第一哲学」と呼ぶ探究を性格
づけ、それを「存在者としての存在者(オン・ヘー・オン)
」への問いと「神的なもの(テイオ
ーン)
」への問いという二重性のうちで示した(第 6 巻)
。そしてこの二つの契機は、中世にお
ける「一般形而上学」
(存在論)と「特殊形而上学」
(宇宙論、心理学、神学)8の体系化へと発
展した。しかし元々同じ一つの事柄を特徴づけたものだとしても、存在者としての存在者――
存在者を存在者たらしめるもの(存在者の存在)――と神的なもの――全体において在るもの
――とは、ただちに同一視されうるものではない。確かに両者に共通しているのはそれが存在
者を何らかの仕方で「超えて」いるということであり、だからこそ文書編纂時に導入された「メ
タ」が内容的な意味へと転化した。だが、個々の存在者を「超えて」いる普遍的規定(或るも
の、一性、多性、他者性等の諸範疇)としての存在(本質)は、超感覚的というよりはむしろ
非感覚的な方向へ超え出ていると見なされるべきである。なぜならそれは「感覚を超えたとこ
ろに独自の存在者として在るもの」(GA29/30:68)すなわち中世キリスト教の神のように、文字
通り超感覚的なもの9の方へ「超えて」いるということと同じではないはずだからである。にも
かかわらず、それらが混同されたまま体系化へ至った形而上学にとっては、もはやそういった
問題が問題として見えない、とハイデガーは批判する。
では、このように問題をはらむ形而上学の二重性はハイデガーにおいてどのように調停され
るのだろうか。ハイデガーはその二重性を、彼が基礎的存在論において分析した現存在の存在
7
8
9
現存在の存在体制に属する現象としての世界は、初期以来ハイデガーにおいて多義的(多重的)であるが、
この時期においては、それはしばしば現存在自身の目的(Umwillen)の全体性という意味で用いられる。目的
全体性とは現存在の存在可能(その最も極端なものは死ぬという可能性)の全体性のことである。現存在は、
現存在として存在する限り、存在へと開かれたその独自の存在様式を引き受けなければならないが、目的と
は、そういう意味で現存在が現存在自身であるために(Umwillen seiner)、ということである(cf. WG:157f.)。
体系の統一性を持たないアリストテレスの『形而上学』が、中世(ハイデガーが重視するのはトマスよりも
スアレスである)における体系づけ、すなわち存在論としての「一般形而上学」と、宇宙(自然)
・魂(精
神)
・神の各領域的存在を扱う「特殊形而上学」という区分へともたらされたという歴史的経緯は、この時
期のハイデガーの著作や講義録において頻繁に指摘される(GA24:112; GA26:13,33,223; GA27:245; KPM:2f.
等)。
ハイデガーはここに、形而上学の対象が、位階秩序の差はあれ眼前存在者の一領域(感覚を超えたところに
在るもの)として外面化されているのを見る(GA29/30:63f.)。
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前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
へと重ね合わせる。すなわち、存在(存在者としての存在者)の学という方向と神的なもの(ハ
イデガーは天空、包摂するもの、卓越したもの等と訳す)の学という方向が、実存と被投性
(Geworfenheit)の二重性に対応する問いの方向として解釈される(GA26:13)ことで、今や形而上
学の概念はその統一の基盤を得る。それによってハイデガーは、体系の統一性ではない生きら
れる統一性10を形而上学に確保すると共に、現存在における根本生起と見なされた形而上学は、
全体への問いとして、その遂行性格を色濃くするのである。
1-3 差異
こうして伝統的な形而上学と袂を分かちながら、ハイデガーの形而上学は、人間という存在
者を現存在(現‐存在)という独自の存在様式を持つ存在者へと変貌させること(Verwandlung)
を要求する。人間を現存在へと変貌させる、とは、後にも見るように、現存在とは本質的に異
なった存在様式を持つ存在者から読み取られたと考えられる「眼前性(Vorhandenheit)」の概念か
ら自由になること、われわれ自身をそのような「存在」概念による平均化から解き放つこと、
を意図していると言ってよいだろう。平均的な存在理解に基づいて、人間自身が他の存在者と
並んで世界に存在(眼前存在)する一つの存在者のように見なされる一方でそれが理性や自己
意識等の能力を持っているという点で他の存在者から際立たせられても、存在(存在そのもの)
に開かれて在る、というわれわれ自身に固有の存在様式は捉えられない。したがってまた、存
在そのものへの問いを遂行するための通路(現存在)は立ち塞がれたままである。むしろ、現
存在とはそれ自身世界を開きつつあるもの(世界‐内‐存在)として、そこにおいて存在者の
存在があらわになる――存在者と存在の差異が生起する――特異な存在者である、という事実
が際立たせられなければならない。
この差異をハイデガーは 1927 年講義で「存在論的差異(ontologische Differenz)」と名指し、そ
の後も再三触れている11。この『存在と時間』から形而上学期にかけての現存在を起点とする
思惟の遂行の中で、現存在の存在に関わる根源的現象としていくつかの問題が集中的に取り扱
われているが、それは例えば次のようなキーワードで彩られた問題圏である。すなわち超越、
世界‐内‐存在、存在論的差異、無、自由、有限性、時間性、根本気分、投企等。ハイデガー
にとってそれらはすべて同じ一つの(唯一の)事柄をめぐっていわばさまざまな角度から照ら
し出され解釈し出された問題であると言えるが、なかでも存在論的差異、すなわち、存在者と
存在との差異――存在者
「として」
の存在者へと態度をとることを可能にしているもの――は、
存在への問いを模索的に遂行するハイデガーにとって中心的な概念であり続ける。だが、例え
ば 1929/30 年講義において、すでに「存在論的」という形容詞(
「存在論」という概念)の使用
自体が躊躇われていることからも窺えるように(GA29/30:521f.)、われわれが 1-2 で見たような
伝統的存在論においてはこの差異が見て取られることはなかった、とハイデガーは一貫して主
張する。ここには形而上学というものは存在そのもの(存在者と存在のこの原初的な差異)を
10
11
「現存在の形而上学的解釈にとっては現存在の体系など存在しない」(GA29/30:432)。むしろその概念的連
関は現存在自身の連関、その歴史の連関である点をハイデガーは強調する。
この時期における萌芽的な言及としては例えば GA24:22, 109, 454 ; GA26: 200; GA27: 210, 223 等を参照。
- 79 -
前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
思惟したことがないとする後の形而上学批判に通じる見方がある。
2 形而上学の遂行のうちで現れる全体
以上のように、前期ハイデガーの形而上学とは、現存在においてそのつどすでに開示されて
くる全体において在るものへと問い入りつつ、問う者自身の存在をも問いへもたらすことであ
る。全体において在るものは、思惟の各対象領域を合わせたものとしての存在者の総体に先立
つ。したがって「世界」への問いは、真にその全体性、統一性において問われるべきであるな
らば、同時に現存在自身への問いとして遂行されなければならないだろう。全体において在る
ものがそのようなものとして開示されることは、存在理解を本質とする、すなわち存在者と存
在との差異へと本質上開かれている現存在においてのみであり、現存在自身の存在様式(被投
的投企)においてこそ初めて可能となるからである。ここに形而上学の統一性がある。
しかしそうだとしても、差し当たり大抵そのようないわば裸の自己の姿はそれとして見て取
られることがない。そしてその空いた自己像が別の像で置き換えられながら、われわれは人間
についての一定の理解を持ち、他人や人間以外のさまざまな物へと日常的に関わっている。人
間から現存在への変貌が求められるのは、基礎的存在論の言葉で言えば、現存在がこのように
差し当たり大抵頽落している(verfallend)からである。基礎的存在論では、世界‐内‐存在(超
越)という存在体制を本質とする現存在においては、それがたとえ日常的な在り方であっても
常にすでに周囲世界(Umwelt)12がやはり全体として開示されており、そこから世界内部の存在
者(第一次的には道具)がそれとして存在することができる、という洞察が示された。しかし
ハイデガーが強調したのは、むしろそのような現存在の構造全体性がその当の日常的現存在に
は見えないということ、それと同時に、それ自体は世界‐内‐存在という存在体制を持たない
――1929/30 年講義の言葉で言えば、世界が無い(weltlos)、および世界が乏しい(weltarm)――存
在者の存在様式と、現存在自身の存在様式との本質的相違が曖昧とならざるをえない、という
ことである。このような日常の頽落的な在り方から一瞬でも自己を現存在としてことさらに経
験することへと転換することが、現存在への変貌として、形而上学の問いの遂行のために要求
される。では、この変貌において現存在すなわち問う者自身の存在はいかなる変様を被るのか
(2-1)、その際現存在において経験される全体における在るものには、非現存在的な存在者が含
まれてくるわけだが、それらのものの存在13はどのように位置づけられうるのか(2-2)。
2-1 問う者自身における変貌――裸の現存在
われわれはいわば常に存在者のほうに釘付けになっている。それに対し、それら存在者が全
体において意味をなさなくなるような卓越した気分が、形而上学の手がかりとされる。そうし
た気分の呼び覚ましの中で人間は現存在へと変貌し、それと同時に、いわばもっぱら存在者へ
12
13
周囲世界分析はハイデガーにとって世界への問いの最初の手がかりとなったが、世界問題の全てではない。
ハイデガーはこの時期、基礎的存在論をその一段階として含む「現存在の形而上学」
(基礎的存在論の根源
化)の構想を抱いていたと同時に、世界内部で出会われる存在者の存在へと具体的に問い進む「メタ存在論」
(GA26:199)についても言及している。
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前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
結びついていた視線が解かれるその隙間において、それでもなおそこで何かがわれわれを縛っ
ているという事実がおのれを告げ知らせると考えられるからである。
例えばハイデガーの言う現存在の根本気分としての不安はそのような働きを持つものとして
呼び起こされる。それは無をことさらに開示する気分であり、そこでは存在者が全体として沈
み行く(眼前から消えるのではなく、ただ意味を持たなくなりよそよそしくなる)と同時に、
主観としての私であるということすらどうでもよくなり、
「裸の世界‐内‐存在」(GA20:402)、
「純粋な現‐存在」(WM:112)であるもの(自己)だけが、いわば根底から――それは脱底的
(abgründig)であるのだが14――姿を現す。このような現象はハイデガーによれば現存在の、した
がってわれわれ人間の本質(Wesen―動詞的な意味での)に属している事柄でありわれわれに
おいて絶えず生起しているはずだが、日常性とは、そのような現象がことさらに経験される瞬
間からの絶えざる方向転換と見なされる。
全体において在るものへと問い進めようとするハイデガーはさらに、不安だけでなく退屈と
いう根本気分に焦点を当てるが、そこにおいてもわれわれは、在るものが全体において意味を
持たなくなると同時に自分自身が「無差別な誰でもないもの」(GA29/30:203)になることを経験
する。しかしそのような自己のいわば非人称化は、勿論現存在が自己性を失って非現存在的な
(無世界的な)物になることを意味するのではなく、それはむしろ超越(脱自)という現存在
の本質に属する事柄として明らかにされる。一瞬世界が、そしてまた自己自身が空虚になると
しても、そこにあるのはいわゆる端的な無ではなく、ただ私にとってどうでもよくなった(言
うことをきかない)存在者全体の広がりである。そして、不安の分析の際にも明らかにされた
ように「そのようなこと全てにおいて意味がなくなってしまっている現存在の自己は、だから
といってその規定性を喪失するのではなく、逆にこの「何となく退屈だ」と共にわれわれの人
格[人称]に関して起こるこの独特の乏しくなることが初めて自己を、現に在りその現‐存在を
引き受けてしまっている自己としてこの上なく赤裸々にそれ自身へともたらす」(GA29/30:215)。
このように人間が現存在へと変貌することにおいて、この私であることもまた全体において
在るものと共に意味を失い、世界‐内‐存在としての現存在であることだけがいわば剥き出し
になる。しかし、日常の頽落的な在り方からのこの自己の取り戻しにとっては、おのれの死と
いう際立った可能性――そこからはもはや世界内部の他のものへのいかなる指示性も共に開示
されてはこないような――をことさらに掴み取ること(不安はその際の気分である)が必要と
されたように、そこでは同時に現存在の実存の各自性、すなわち実存とはそのつど私のもので
ある、という事実が最も極まる。実際、死や決意性という語には何か極めて個人主義的、主体
主義的な響きがあるようにも思える。しかし、
「これらの概念――死、決断、歴史、実存――の
いずれにおいても、この[現‐存在への]変貌が要求されており、しかもそれは、概念把捉され
14
現存在の「脱底[深淵]」ないし根拠の無性についての前期ハイデガーの言及としては GA20:402; SZ:285;
GA26:234; WG:174; WM:118 等を参照。全体において在るものと共に迫ってくる無とは、存在論的差異に開
かれた現存在が、その差異の生起のためにそのつど絶えず――世界へと――超越するなかで経験される、
(存
在者との差異における)存在である。
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前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
たものを後からいわば倫理的に応用することとしてではなく、概念把捉しうることの次元を先
行的に開くこととしての要求である。これらの概念は真正に獲得されている限り、常にただこ
のような変貌の要求が呼びかけるようにさせるだけであるが、これらの概念がそれ自体でこの
変貌を引き起こしうるわけではないから概念は暗示するのである。概念は現存在の中へと指し
示す。しかし現‐存在は常に――私がそれを理解しているように――私のものである。概念は
この暗示に際して確かにその本質上、そのつど人間における単独の現存在の具体化の中へと指
し示すが、それがすでに内実における具体化までも伴っているということはないために、概念
は形式的に暗示するのである」(GA29/30:428f.)。要するに、ハイデガーがわれわれ人間の本質
的な姿として示す現存在――存在論的差異に開かれた、
特異な存在様式を持つ存在者――には、
事実として「私である」
(代替不可能性)という側面と、論理学以前、人称以前的な「誰でもな
い」
(主観性、自我性の消失)という側面とが相即している。例えば感情移入(Einfühlung)論は、
本質上世界‐内‐存在であり共存在である現存在の存在を根本的に誤解することに基づいてい
ると見なされる一方で(SZ:124; GA29/30: 298f.)、哲学に関して一貫してその遂行性格が強調され
るように(したがってその言明は「形式的暗示的」15なものでしかない)
、現存在の存在(実存)
が事実的にはあくまでそのつど私のものでしかありえないことが強調される。しかしハイデガ
ーにとってこれらの二側面は矛盾的ではない。すなわち、非現存在的な存在者から、まさしく
現存在という人間の本質的な存在様式が浮き彫りになる時、この裸の現存在においては同じ一
つの存在体制、同じ一つの特異な構造が見て取られるはずだが、その「同じ」はあくまで各自
の存在において見出されるにすぎないのである。いわば、生きられる現存在としての存在内実
は多様なままでありながらも、現存在という存在体制がその中で透視(瞬視)される時、その
多様性を可能にする同一のものが現れる、という見方がそこにはある。
2-2 全体において在るもの――自然物の存在論的位置の問題
以上見たように、
現存在と呼ばれるべき存在者と非現存在的な存在者との間の本質的相違は、
ハイデガーの思惟において常に堅持される。実存疇(Existenzialien)と範疇(Kategorien)という、存
在者の存在を解釈記述する際の二つの枠組みが基礎的存在論において導入された(SZ:44)のも
そのことによる。1-2 でも見たように伝統的な形而上学(存在論)に対して根本から疑義を抱
くハイデガーは、そこでの存在論が眼前存在の存在論であること、すなわち、もともとは非現
存在的な存在者から読み取られた存在概念――現存在が日常的に関わっている道具(制作され
たもの)が、古代ギリシアの存在論において暗に存在者の範例的モデルとなったとハイデガー
は解釈する――が曖昧なまま用いられ普遍化されてしまったことを明らかにし、そのような概
念の枠組み(範疇)における対象記述から、それとは本質的に異なる“対象”を記述するため
の新しい範疇(実存疇)を峻別しようと試みたのである。
(この実存疇は、今や形而上学の根本
概念と呼ばれるべきであろう)
。
15
形式的に暗示すること(das formale Anzeigen)という方法的理念は、哲学の概念に特有の性格(各自の生=実存
における遂行性格)を表すものとして、初期フライブルク時代から用いられてきた。
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前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
事物が理論的主観の対象として、その眼前性において客観的に見出されることに対するハイ
デガーの批判的解釈は、初期フライブルク時代にまで遡る16。勿論事物は理論的主観の対象た
りうる。しかし事物が理論的主観の対象たりうるのは、そもそもそれがまずもって何らかの仕
方で、例えば差し当たり大抵は身近な周囲世界の道具として、すでに与えられているからであ
る。そしてそのことと同時に、つまり世界内部の存在者として道具が現存在において身の回り
に配されうるという事実と共にあらわになっているのは、現存在の超越構造にほかならない。
ハイデガーはこうして、学以前・理論以前の日常的経験のうちに、事物とのより根源的な関わ
りを見出す17。哲学が事実的生から生い立ってこなければならない、とされた初期以来の考え
方がここにある。それゆえ、基礎的存在論での周囲世界分析でも、そこでは現存在が日常にお
いて身近に関わる非現存在的な存在者(道具)が主題とされているにもかかわらず、それを記
述するための概念は実存疇とされた。なぜなら日常性とは現存在の或る一定の在り方であり、
それに基づいてこそ他の存在者も世界の内部で、
その存在において一定の仕方で開示される
(例
えば何々のための道具として使用される等)と見なされるからである。すなわち、本質上世界
‐内‐存在である現存在は、常にすでに存在者の只中でおのれを見出し、その中で存在者へと
態度をとっているわけだが、世界内部にそのように存在者を在らしめているのは現存在自身の
存在構造だからである。
しかし世界の問題は今見たような周囲世界分析に尽きるものではない。
1929/30 年講義では、
この問題に関して比較考察的方法が導入される。すなわち、石と動物と人間というそれぞれ存
在様式の異なった存在者の存在を、世界との関わりという点から特徴づけ、それを介して世界
の問題へと改めて接近していくという方法である18。日常的現存在の分析から出発した基礎的
存在論では、世界は差し当たり周囲世界として、
「全体において」は有意義性(およびそれと現
存在自身の目的性との連関全体)として明らかにされたが、1929 年の形而上学では、文字通り
そこでは(身の回りの道具だけでなく)万物がその全体においてわれわれに開示されるという
形而上学的経験に基づいて世界の問題は捉え直されることになる。そして今や世界は「全体に
おいて在るものが在るものとして開示されていること(Offenbarkeit des Seienden als solchen im
Ganzen)」(GA29/30:412)という形而上学的規定を得る。とはいえ世界の問題は問題であり続け
る。というのも、すでに見たように、形而上学の遂行において現存在は「全体において在るも
の」といったものに、おのれの存在と共にそのつど絶えずことさらに晒し出されるが、その際
起こっている事柄はあくまで多角的に解明されねばならないからである。世界の問題はその一
つの契機にすぎず、これと絡み合う諸契機(
「として」すなわちロゴス、開示性すなわち真理、
16
17
18
よく知られているように、基礎的存在論において展開された周囲世界分析は、1919 年戦時緊急学期の講義
においてその原型を得た(cf. GA56/57:70ff.)。
初期フライブルク時代から、理論的な生に対して前理論的事実的な生は、派生的なものに対する根源的なも
のの位置に置かれている。したがって、理論的態度は脱生化や脱世界化という観点から否定的に性格づけら
れる。
基礎的存在論から 1929 年の形而上学期における世界問題との取り組みとしては、ハイデガー自身、
『存在と
時間』期の周囲世界分析と「根拠の本質について」での世界概念の史的考察、そして 1929/30 講義での比較
考察の 3 つの道をあげている(GA29/30:261)。
- 83 -
前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
投企等)の全体から明らかにされなければならない。しかしその点に触れる前に、この時期の
ハイデガーにおいてそもそも非現存在的な存在者――基礎的存在論においては主題としてほと
んどその位置を見出せなかった存在者――をも包括した、文字通り全体において存在者があら
わになることが、世界の問題との脈絡でどのようにイメージされるのかを簡単に見ておこう。
まず、全体において在るもの(存在者)とは、目的性19へ向けての現存在のそのつどの超越
の中で越え(überschreiten)られるとされる(WM:118; GA26:212 等)。存在者の只中にあってそれら
と関わりつつも、現存在がそのつど存在者をその全体において越えるのは、ただ現存在である
ため、すなわち存在(存在者と存在の差異)へと開かれた存在者であるためである。そしてま
た、全体における在るものが開示されては無へと沈み込むという、不安において開示された動
性は超越の動性にほかならないが、この動性における存在者と現存在との連関は次のようにも
言い表される。すなわち、現存在(世界‐内‐存在という性格を持つ存在者)が存在者の中へ
と破り入る(einbrechen)(WG:159; WM:105)、あるいはまた存在者のほうが世界の中へと入って行
くこと(eingehen, Eingang)(GA26:249f,280f; WG:159)。
(前者が後者を可能にする)
。
基礎的存在論においてもそうであったように、全体へと問う形而上学的思惟においても、こ
のように、現存在(現‐存在)の存在(超越)がなければ世界もない、すなわち、存在者が存
在者として世界の内部へ入って行きそのつど全体において開示されるという可能性もない、と
見なされる。したがって世界とはあくまで人間的なものであり、そのつど全体性においてある
が、例えば自然(非現存在的なもの)は世界の中へ入って行くこと(開示されること)をそれ
自身の本質とはしない。ただ現存在が存在する限りにおいて、自然といったものも開示されう
る、つまり世界の中へ、現存在とは異なる存在者として入って行くことができるとされるだけ
である(GA24:240; GA26:251)。
1929 年の世界概念に話を戻そう。存在様式の異なる存在者の存在を世界という観点から比較
する考察では、全体において在るものが在るもの「として」開示されることが世界の差し当た
りの規定とされた。この「として(als)」は『存在と時間』期以来扱われてきたロゴスの契機で
ある。基礎的存在論においては解釈学的な「として」と命題的な「として」の派生関係が示さ
れた(SZ:158)が、この講義では、存在と存在者の区別(差異)の間(Zwischen)へと破り入り存在
者の存在をあらわにすることとしての投企(GA29/30:529)が、あらゆる「として」の発源すると
ころとして捉え直される。ここでも、
「として」すなわちロゴスの契機と、投企(およびそれに
よってあらわにされた全体において在るものへ晒されていること、被投性)というロゴス以前
的契機の派生関係が見て取られるが、世界問題にとって本質的であるのは今やそこにロゴスの
契機があるかどうかである。そのことは、この講義における「動物には世界が欠けている」と
いうテーゼをめぐる独特の解釈を見れば明らかである。動物も環境(Umgebung)を持っている。
すなわち、動物もやはり人間と同じように世界(周囲世界)のようなものに開かれていること
(Offenheit)、存在者と関わって行動すること(Benehmen)、また自己性のようなものを持っている
19
脚注 7 参照。
- 84 -
前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
こと(Eigentum)20が明らかにされるが、それらすべての点で動物(生)が現存在から区別される
のは、動物は存在者「としての」存在者へと態度をとっているわけではないからである。例え
ば、確かに蜜蜂は蜜へと態度をとっているように見えるし、それらはどちらも同じように眼前
存在しているから蜜蜂もまた蜜を眼前存在的なもの「として」それに関わっているように見え
るが、そのように見えるのはむしろ、われわれが曖昧な存在概念を持って、存在者をその存在
においていわば無差別に捉えてしまっていることによるのであり、蜜蜂自身は、ハイデガーに
よれば、存在者を存在者「として」決して受け取らない。したがって動物はおのれの環境を持
っている、つまり自然の中で他の存在者と関わって生きているにもかかわらず、世界と言える
ような広がりがほとんど無い(欠けている)
、と見なされるのである。
このように、全体において在るものの中に含まれてくる、それぞれの存在者に独自な存在を
も、現存在の――あるいは、そこにおいておのれを告げ知らせる存在そのものの――視点から
理解するという或る種の同化は、特に、現存在とは根本的に異なる他の存在者(自然)の存在
を捉えようとする際にも行われるならば、その存在を多角的かつ積極的に捉えることを困難に
するだろう。確かに自然についての諸科学(例えば動物学)がその対象領域(動物)を持つ以
前に、われわれはそのつど全体において在るものに晒されながらそれぞれの存在者へと本来的
に関わる、すなわち存在者ではなくその存在へ眼差しを向ける、ということはできるかもしれ
ないし、存在への問いの遂行においてそのような態度が要求されている。しかしそのような存
在論的態度をとる者へと語りかけてくるものはどこまでも漠然とした全体的なものでしかなく、
また、同じ現存在という存在者ならばまだしも、それとは本質的に異なる存在者が、それに固
有の存在においておのれを示すことなどできないのではないだろうか。実際ハイデガーは基礎
的存在論において、生の存在論を現存在の存在論の欠如態として遂行するという見通しを示し
(SZ:50)、1929 年の形而上学においてそれは遂行されたが、その試みは成功しているとは思われ
ない。しかしハイデガーにおいては、全体において在るものの、在るもの「として」の開示性
の問題は、形而上学の問題として、やがてその歴史的性格づけにおいてますます具体化されて
いくと同時に、自らの思惟はむしろ別の思惟21としてその歴史から距離をとり始める。そして
全体において在るものが在るものとして開示される中でそれぞれの存在者がどのように存在さ
せられるかという問題は、やがて技術への問い(ないし芸術作品への問い)として捉え直され
るであろう。その道行きに同行しつつ、われわれが自然という「他者」への関わり合いのある
べき方向をいかに見出すことができるのか、という点については別稿の課題としたい。
20
21
たとえ反省の能力がなくても(GA29/30:340f.)、動物(広くは有機体あるいは生きているもの全て)は自己
性を持っていることをハイデガーは認めるが、現存在の自己性からは区別される。
脚注 1 参照。
- 85 -
前期ハイデガーにおける「形而上学」の遂行
文献
Martin Heidegger, Sein und Zeit (SZ), Max Niemeyer, 198616.
―, Kant und das Problem der Metaphysik (KPM), Vittorio Klostermann, 19734.
―, Wegmarken, Vittorio Klostermann, 19963.
―, Gesamtausgabe (GA), Vittorio Klostermann.(引用の際には略号の後に巻数と頁数を並記)
(どいりよ 哲学哲学史・博士後期課程単位取得退学)
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Heideggers Verständnis der Metaphysik gegen Ende der 1920er Jahre
Heideggers Verständnis der Metaphysik gegen Ende der 1920er Jahre
Riyo DOI
Die vorliegende Abhandlung thematisiert Heideggers Begriff der “Metaphysik”,
den er besonders gegen Ende der 1920er Jahre entwickelt hat. Der späte Heidegger kritisiert
das europäische Denken als “Metaphysik”, womit er das nur Seiendes als Seiendes
vorstellende Denken meint Seine kritische Verwendung des Begriffs “Metaphysik” kann
man allerdings nur verstehen, wenn man seiner ersten und neuen Auslegung dieses
traditionellen Begriffs in 1920er Jahren nachgeht, die sich von der als einer Disziplin oder
eines Systems unterscheidet und mit der er den Grund (Abgrund) des überlieferten Begriffs
aufzeigen möchte. .
Im Zeitraum kurz nach der Veröffentlichung von Sein und Zeit wird die
fundamentalontologische Fragestellung in die metaphysische radikalisiert, so dass nicht nur
nach “dem Sein” (Existenz od. Ek-sistenz) des fragenden Daseins im Menschen selbst,
sondern auch nach dem
Seienden im Ganzen, das im Da mit der Transzendenz
(In-der-Welt-sein: Weltbilden) je schon in die Welt eingeht, gefragt wird und so das Denken
als Seinsfrage konkreter vollzogen wird. Denn gerade mithilfe dieses Verständnisses von
Metaphysik kann “das Sein” des nichtdaseienden Seienden wie des Steins (materieller Dinge)
und des Tieres (Leben) erneut thematisiert werden. Wie steht es mit dem Seienden, das sich
von der Seinsart des Daseins grundlegend unterscheidet und mit der Natur, wenn wir uns
durch die Verwandlung ins Da-sein aus dem vagen Verständnis von Sein als Vorhandenheit
(Vorhandensein) befreit haben? Dies ist ein Problem, das Heidegger später zur Frage nach
der Technik weiterentwickelt hat. Heideggers Metaphysik der 1920er Jahre ― sie steht
schon fast außerhalb der grundlosen metaphysischen Tradition, weil sie zum Grund des
Abgrundes (Da-seins) vorgedrungen ist ― sollte dann noch weiter zu der Phase radikalisiert
werden, in der sie sich, auf das Ganze der Geschichte der Metaphysik (des gewesenen
Da-seins) ausgreifend und sie auslegend, als von dieser völlig verschieden betrachtet.
「キーワード」
形而上学、人間、超越、現‐存在、世界
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「存在は存在者なしには決して現成しない」
「存在は存在者なしには決して現成しない」
― 「
『形而上学とは何か』への後記」第四版と第五版との異同をめぐって ―
西松豊起
1929 年に行なわれたハイデガーのフライブルク大学就任講義『形而上学とは何か』の第四版
(1943)に付加された「後記」と第五版(1949)以降のそれとの間には、しばしば議論の的になる異
同がある。すなわち、第四版の「後記」では、存在の真理には「存在は確かに存在者なしに現
成(wesen)する」ということが属していると言われていたが(GA9,306,Anm.2)、第五版の「後記」
では、この箇所は、
「存在は存在者なしには決して現成しない」というように全く正反対のこと
を述べている記述に変更されたのである。本論考では、この変更をめぐっての二、三の論者の
解釈を検討し、最後に我々自身の解釈を提示する。まずは準備考察から始めよう。
1 区‐別としての存在それ自身
『存在と時間』(1927)だけを読んでいる限りでは、存在と存在者とを区別したのはハイデガ
ーが最初であって、彼以前の形而上学はあたかも存在と存在者との区別を知らなかったかのよ
うに思われてくるが、それは見当違いである。プラトンのイデアにせよ、ニーチェの「力への
意志」にせよ、存在者の存在を名指している、というのがハイデガーの形而上学解釈である。
ただ、ハイデガーにとって決定的な問題であるのは、形而上学が存在者の存在として思惟して
いるものが、彼から見ればまだ存在者でしかないということである。それは、形而上学の「存
在‐神論」(Onto‐Theologie)ないしは「存在‐神‐論」(Onto‐Theo‐Logik)と呼ばれる体制に
おいて存在が存在者へと置き移されることに起因する。形而上学は確かに、存在者が存在なし
には存在しないということを承認しはするが、しかしそう言うか言わないうちに存在を再び一
つの存在者へと置き移してしまう(NⅡ,347)。形而上学は存在者そのものを思惟しつつ飽くまで
存在から関わられていながら、しかし存在を、存在者を目掛けて存在者の方から思惟するが故
に、形而上学そのものは最上位に存在している根拠という意味での神的ナルモノ(θειον)を言表
(λέγειν)せざるを得ない。その意味で形而上学はそれ自身において神論(Theologie)である。それ
は、形而上学が存在者としての存在者を言い表す限りにおいてである。すなわち、存在論は同
- 89 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
時に必然的に神論なのである(NⅡ,347f.)。以上は「ニヒリズムの存在史的規定」(1944/46)にお
ける叙述であるが、
「形而上学の存在‐神‐論的体制」(1956/57)では、形而上学の存在論的局面
と神論的局面とに関して次のようにまとめられている。形而上学が、如何なる存在者そのもの
にも共通の根拠に着目して存在者を思惟する場合には、形而上学は存在‐論(Onto‐Logik)とし
ての論理学(Logik)である。他方、形而上学が、全体としての存在者そのもの(das Seiende als
solches im Ganzen)を、すなわち一切を基礎づける最高の存在者に着目して思惟する場合には、
形而上学は神‐論(Theo‐Logik)としての論理学である(ID,63)。ここで》Logik《という名称は、
全体としての存在者そのものを到るところで根拠(Λóγος)としての存在から根拠究明し
(ergründen)且つ基礎づける(begründen)思惟を表わす名称として理解されている(ID,50)。
存在‐神
‐論(Onto‐Theo‐Logik)はこのような意味での Logik である。形而上学は存在者そのものを思
惟する際に存在を見遣りつつ(hinsichtlich)存在者を思惟するという限りにおいては、存在は存在
者の形而上学的な根拠なのであるが、しかしこの根拠としての存在は飽くまで存在者を思惟す
るために存在者の方から立てられた根拠にすぎないのであり、従って根拠としては存在者を根
拠づけ(gründen)ながらも、それ自身存在者によって基礎づけられることを要求する――但しそ
れは、
根拠にふさわしい仕方での基礎づけであり、
最高の存在者による原因づけであるが――。
つまり、存在‐神‐論的体制においては、存在が存在者を根拠づけ、最高度に存在するもの(das
Seiendste)としての存在者が存在を基礎づけるわけである。そして、存在はこのように基礎づけ
られた限りで、
「最高の」という留保つきではあっても一つの存在者であることに変わりはない
ものへと移行する。このようにして存在者へと置き移された限りでの存在を、ハイデガーは存
在者の「存在者性」(Seiendheit)と名づける。
このような存在‐神‐論的体制は、その本質由来を「分け担い(der Austrag)」のうちにもって
いる(ID,60)。そこで、こう言われる。
「分け担いとは、一つの回転であり、存在と存在者とが互
いに相手をめぐって回転することである」(ID,62)。こうした事情から、存在‐神‐論的体制に
おいては存在と存在者とは相互に入り混じり、俄には識別し難い状態になっている。それ故、
中期以降のハイデガーが「存在」と言うとき、形而上学が問うてきた存在者の存在、すなわち
存在者性を指しているのか、それともそのように形而上学的に思惟された存在とは異なって、
ハイデガーが自らの思惟の事柄とする存在を指しているのか両義的であるが、それに応じて、
中期以降「存在者」と言われる場合にも、我々に身近に出会ってくる一般の存在者が常に一義
的に指されているとは限らず、存在者性という意味での存在者が指されていることがある。ハ
イデガーが「存在者」という語で存在者性を指している場合があることは、
『哲学への寄与』
(1936/38)の次の一節によって確証される。
「ピュシス(φύσις)は、アレーテイア(άλήθεια)として現
れ出るが、しかし同時に、アレーテイアを通してそのものとして認取され得る(vernehmbar)よう
になる存在者にかまけて忘却され、最高度に存在する存在者へと、すなわち存在者の一つの、
そして最高の仕方へと解釈し変えられる。ここに同時に、なぜ存在論的差異がそのものとして
は知られないのかという根拠がある。というのは、根本においては常にただ存在者と存在者(最
高度に存在するものども)との間でのみ区別づけが必要とされているからである」(GA65,466)。
- 90 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
従って、ハイデガーの中期以降のテクストで存在者に言及されるとき、それによって存在者
性が指されているのではないかと注意深く熟慮してみる必要がある。このことを念頭に置いた
上で、
『思惟とは何の謂いか』第二部(1952)の次の一節に注目してみよう。
「現前それ自身とは、
まさしく現前するものの現前(Anwesen von Anwesendem)である。我々が現前それ自身の諸々の
動向を際立たせる場合であっても、現前それ自身はどこまでもそれに留まるのである」
(WhD,144)。現前(Anwesen)とは、人間への近接(An‐)における存在の現成(Wesen)を指している。
従って、この箇所で言われていることは、
「存在それ自身とは、存在者の存在(Sein von Seiendem)
である」ということとほぼ同義と見做して差し支えない。問題は、この「の(von)」という強調
された前置詞をどう解釈するかである。強調なしに単に「存在者の存在」というのであれば、
それは形而上学の方から見られた存在、すなわち存在者性を指すにすぎない。そこで、この強
調された前置詞》von《を「~からの」と解してみよう。そうすると、
「存在それ自身とは、存
在者からの存在である」となる。だが、
「存在者からの存在」とは何を意味し得るであろうか。
それは、存在者からの存在の超越を指すことにならないであろうか。全体としての存在者から
超越した存在へと当の存在者を乗り越えることは、形而上学の根本動向であり、従ってこの場
合の存在は再び存在者性へと逆戻りする。それが、ハイデガーの思惟の事柄である存在それ自
身であるはずがない。しかし、先に我々が注目したことに従って、ここで言われている存在者
とは存在者性を指していると解釈する可能性がまだ残されている。その解釈を採ると、
「存在者
性からの存在」と解される存在それ自身とは、存在者性から自らを分離する存在を指すものと
して考えることができる。つまり、存在は歴史上、イデア、エネルゲイア、アクトゥアリタス
(actualitas)、被表象性(Vorgestelltheit)、定立(Position)、絶対精神、力への意志というように様々
な存在者性という形を取って現れてきたが、
存在それ自身はそのつどそれらから自らを分離し、
存在史の推進力となるのである。かかる分離の生起を、我々は我々の言葉で、存在者性からの
「存在の自己差異化」と呼ぶことにしたい。しかし、直ちに付け加えておかなければならない
のは、この存在の自己差異化においては、存在が従来の存在者性から自己を単に分離するだけ
ではなく、同時にその存在者性に向かい合ってもいるということである。この「分離されつつ
‐向かい合って(auseinander‐zueinander)」という微妙な不即不離の関わり合いは、
「形而上学の
存在‐神‐論的体制」で、
「区‐別(Unter‐Schied)」という語によって指し示されている。
「超
来(Überkommnis)と到来(Ankunft)とが向かい合わせに保持され、つまり分離されつつ‐向かい合
わせに担われているところの間(das Zwischen)を、区‐別が初めて授け、分けて保持するのであ
る。存在と存在者との差異は、超来と到来との区‐別として、両者の露現しつつ‐蔵し匿う分
け担いである」(ID,56f.)。
「超来」とは、存在が全体としての存在者の共通にして且つ最高の根拠としての存在者へと
移行することを意味している。その存在の超来によって、存在者はそれ自身からして非覆蔵的
なものとして初めて到来する(ID,56)。例えば、プラトンのイデアを思い起こしてみればよい。
イデアとは、オントース・オン(őντως őν, 真ノ存在(者))へと超来した存在である。それに対
して、メー・オン(µη őν, 非存在(者))とされる感性的事物は、メテクシス(µέθεξις , 分有)と
- 91 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
いう仕方でイデアに関わることによって、イデアからそれなりの存立を与えられているのであ
る。従って、ここでは区‐別は存在者性と存在者とが分離されつつ‐向かい合わせに保持され
ているという関わり合いを指しているにすぎないが、この不即不離の関わり合いは存在と存在
者性との間にも統べているものでなければならない。なぜなら、両者の向かい合わせの契機を
抜きにして存在が存在者性から単に分離されるだけであるならば、存在は直ちに存在者性へと
転倒せずにはいないからである。
2 区‐別の思惟に到るまでの迷いの道
しかし、ハイデガーが存在それ自身をこのような区‐別という関わり合いとして思惟するよ
うになるまでには長い歳月を要した。当初、この関わり合いにおける向かい合わせという契機
は彼の視野には入ってこず、専ら分離の契機だけが強調される嫌いがあった。ハイデガーは、
一時期》Seyn《
(原存在)という旧書法を導入したことがあるが、それが用いられ始めた当初に
は、明らかにその傾向があった。この「原存在」への言及は、既に 1929 年の『根拠の本質につ
いて』第一版の欄外註に見られる。そこでは、
「必然的に存在的‐存在論的に分岐した、真理一
般の本質」(GA9,134)という記述の「分岐した」という箇所に、次のような欄外註が付されてい
る。
「ここでは真理の本質は、確固とした標示としての『区別』の方から、
『分岐した』として
概念的把握されているが、これとは反対に、原存在の真理の本質に基づいて『区別』を超克す
ることは為されておらず、あるいは『区別』を最初に原存在それ自身として思惟し、そして原
存在それ自身において原存在の原存在者(das Seyende des Seyns)――もはや存在者の存在として
ではなく――を思惟することは為されていない」(GA9,134,Anm.c)。
ここで「区別」と言われているのは存在論的差異を指すものと考えられるが1、この時点では
まだ「為されていない」と言われている「
『区別』を超克すること」は、
『哲学への寄与』(1936/38)
に到って達成されることになる。
「原存在を原存在史的に問い質すということは形而上学の逆転
ではなく、この逆転がなおもまたそのうちに保持されざるを得ないところのかの区別づけ
(Unterscheidung)の根拠の企投としての決‐断(Ent‐scheidung, 脱‐区別づけ)である。そのよう
な企投で以て、この問うことは、存在者と存在とのかの区別づけのそもそも外部へと到る。そ
してその決‐断(脱‐区別づけ)は、従ってまた存在(Sein)を今や『原存在(》Seyn《)』と表記
する。これは、存在がここではもはや形而上学的には思惟されないということを告示せんとす
るものである」(GA65,436)。
この箇所では「区別づけ(Unterscheidung)」に言及されているが、我々はこれを、
「区‐別(Unter
‐Schied)」から峻別しなければならない。区‐別には、区別づける主体は関与しないが、区別
づけは悟性の表象作用によって行なわれるのである。そして、1940 年のニーチェ講義『ヨーロ
ッパのニヒリズム』では、
「存在者性と存在者との区別づけが、形而上学の本来的な骨組みを形
1
1969 年のル・トールでのゼミナールでは次のように言われている。
「1927 年から 1936 年までの、存在論的
差異への不断の関係もまた、先取りして必然的な迷いの道(Holzweg)として見られなければならないであろ
う」(VS,104)。
- 92 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
成している」(NⅡ,222)とされる。それ故、同講義では「区別づけ」に対する批判的な観点が提
出されている。
「
『区別づけ』は『差異』という名称によって名指される方が一層適切である。
この『差異』という名称のうちで告示されているのは、存在者と存在とが何らかの仕方で相互
に‐分けて‐担われ(aus-einander-getragen)、分かたれ、それにも拘らず相互へ関連づけられてお
り、しかも自ずからそうなのであり、
『区別づけ』という一つの『行為』に基づいて初めてそう
なっているのではないということである。
『差異』としての区別づけは、存在と存在者との間に
は或る分け担いが存立しているということを意味している」(NⅡ,209)。
「我々が分け担いを形
式的に『区別づけ』として思惟し、そしてこの区別づけのために、区別づける『主体』の一つ
の『行為』を見つけ出そうとするならば、分け担いは把握され得ない」(NⅡ,210)。
尤も、分け担いは後の「形而上学の存在‐神‐論的体制」の時期から見られるならば、まだ
存在と存在者との差異の本質そのものではなく、その「手前の場所」(Vorort, ID,59,64)だとされ
るのであるが、それはさておき、この 1940 年の講義で敢行されている、区別づけから分け担い
への「退歩(Schritt zurück)」は、先の『哲学への寄与』からの引用に関連づけて言えば、区別づ
け(Unterscheidung)を脱することとしての決‐断(Ent‐scheidung, 脱‐区別づけ)に呼応している。
「存在者性と存在者との区別づけが、形而上学の本来的な骨組みを形成している」とされる限
り、脱‐区別づけとしての決‐断は、存在がもはや形而上学的には思惟されないということを
告知せんがために、存在(Sein)を「原存在(Seyn)」と表記することを要請する。その際、原存在
は、区別づけの主体の関与しない差異における一方の項に当たるが、しかしこの時期のハイデ
ガーは、その原存在だけを一面的に強調し、これを他方の項である存在者性から分離するだけ
の傾向に陥っていた。例えば、
『哲学への寄与』では、
「
〔別の原初への〕移行は、原存在の台頭
と、現存在のうちに原存在の真理の根拠を据えることとを、存在者のあらゆる出来と認取
(Vernehmen)とから分かつ」
(GA65,177.〔 〕内は引用者)と言われている。この箇所では、存
在者は、
「もはや形而上学的には思惟されない」
原存在と対比して言及されているのであるから、
従来の形而上学が問うてきた存在、すなわち存在者性を指すと解すべきである。このように原
存在を存在者性から截然と分離する考え方は、重大な誤りを招くこととなった。それが、冒頭
に述べた「
『形而上学とは何か』への後記」の記述の変更に関わっているのである。
3 「後記」の記述の変更をめぐる様々な解釈
この変更に関して、ヴァルター・シュルツは次のような解釈を与えている。
「存在は確かに存
在者なしに現成する」とは、私を徹頭徹尾統べている意味としての存在が決して私の力のうち
にはないということを告示している。
「それが与える」
ところのこの意味は自らを私に贈与する。
そのように私を私に与えるものとして存在は決して私に依存していない。それは既に常に「私
なしに」現成する。しかし、この「私なしに」ということは、私によって言表された、存在へ
の私の関連の言表である。それは私の自己理解の言表である2。他方、存在は「私なしには」決
2
Walter Schulz, Über den philosophiegeschichtlichen Ort Martin Heideggers, in:Heidegger. Perspektiven zur Deutung
seines Werkes, Dritte,ergänzte Aufl., hrsg.v.Otto Pöggeler, Belz Athenäum Verlag, Weinheim 1994, S.118f.
- 93 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
して現成しないとは、存在は私から分離されてそれ単独で出来するのでは決してないというこ
とである。
「私なしに」というこの否定もまた私によって言表された、私の存在関連の言表であ
る3。つまり整理して言えば、
「現存在がそのつど既にそこから自らを理解するところのものは
現存在の自由裁量のうちにはない。すなわち、存在は存在者なしに現成する。しかし、このそ
こからのそこは決してそれ単独では出来しない。すなわち、存在は存在者なしには決して現成
しない」4。従って、
「第四版と第五版とは同じことを言い表している」5ということになる。こ
のように解釈するに当たって、シュルツは「存在者」を現存在という卓抜した存在者に局限し
ているわけであるが、それは「我々の経験する限りでは、人間のみが脱‐存(Ek‐sistenz)の歴運
の内へと放ち入れられている」(GA9,324)が故に、人間にのみ脱‐存は固有なものであるという
ハイデガーの説明に鑑みてのことであるという6。それに応じて、シュルツは、私は存在と存在
者とそれらの関連に関しては現存在という存在者からのみ反省できるとする7。従って結局のと
ころ、シュルツの解釈によれば、レーヴィットが言うように、第四版の「後記」と第五版の「後
記」における異なった表明は、私の「自己理解」を異なった側面から表明したものだというこ
とになる8。
しかし、私は存在と存在者とそれらの関連に関しては現存在という存在者からのみ反省でき
るとするこの解釈の基盤になっている考え方は、人間が存在へと一方的に関わるという主体主
義に陥っているのではなかろうか。存在と現存在との関連は、
「人間への存在の関わり」の側面
からも省察されなければならない。つまり、
「存在への人間の関連」という前期ハイデガーの主
体主義的傾向に「人間への存在の関連」を対置し、バランスを取り戻すことが必要なのである。
我々は、細川亮一の見解に従って、これが 1930 年代に遂行された「転回(Kehre)」であると解
釈する。細川は、
「転回=思惟の転換」とする解釈が前提としている「思惟の転回」あるいは「思
惟における転回」という表現は、
『ヒューマニズム書簡』においても、他のハイデガーの著作、
講義等においても見当たらず、ハイデガーは「思惟の転回」ではなく、
「転回の思惟」を語るの
だと指摘し、この「転回の思惟」という表現は、転回が「思惟の転換」ではなく、
「思惟される
べきもの」であることを言い表していると述べている9。細川のこの見解は、何よりもハイデガ
ー自身が、リチャードソン宛ての書簡のなかで、
「転回はまず第一に、問う思惟における出来事
ではありません」(BR,ⅩⅠⅩ)と明言していることによって裏付けられる。転回とは、
「原存在
は、それが現成するためには人間を必要として用い(brauchen)、そして人間は、彼が現‐存在と
しての自らの究極の使命を成就するように原存在に属している」(GA65,251)という『哲学への
寄与』の言葉が言い表しているように、
「人間への存在の関連」と「存在への人間の関連」とが
3
4
5
6
7
8
9
Ebenda, S.119.
Ebenda, S.120.
Ebenda, S.119.
Ebenda, S.120.
Ebenda, S.118.
K.レヴィット『ハイデッガー――乏しき時代の思索者――』杉田泰一・岡崎英輔訳、未来社、1991 年、
77 頁。
細川亮一『意味・真理・場所』
、創文社、1992 年、21 頁。
- 94 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
「共属(Zusammengehören)」のうちに担い保たれているという事態を指す。共属ということが意
味しているのは、細川が言うように、これら二つの関連が一方向的でなく、相互的、相補的で
あるということである10。同様に、エーミール・ケッテリングも、肝要なのは、人間本質と存
在、存在と人間本質とが交互に向転(Zukehr)することを見て取ることであると述べている11。転
回のこの相互性、相補性、ないしは交互向転は、リチャードソン宛ての書簡でハイデガーが
1937/38 年冬学期講義の第一草稿から引用している一節の最後の転回の定式のうちで表現され
ている。
「存在への関連における人間――すなわち転回のうちに、人間への関連における原存在
とその真理」(BR,ⅩⅩⅠ;GA45,214)。前半が「人間による存在の企投すなわち存在理解」を表
わし、後半が「存在の真理の内への人間の脱‐存」に対応する。
『ヒューマニズム書簡』によれ
ば、脱‐存とは「存在の真理の内へと外へ‐出て‐立っていること(Hin‐aus‐stehen)」(GA9,326)
を意味するとされるが、しかしそれは人間が存在の真理の内へと能動的に出て立っているとい
うことではなく、
むしろ存在の真理の内へと曝されていること(Ausgesetztheit)を意味しているの
であり(vgl.GA9,192)、すなわち「人間への存在の関連」である。シュルツは、ハイデガーの前
期の思索における現存在は「全体性」として自らを基礎づけようと意志しつつもこの意志の挫
折を経験し、
しかもその無力において自己主張するが、
この自己主張の意志を現存在が放棄し、
存在によって「曝されている」ものとして自らを甘受するようになるところに転回を見ている12。
しかし、この曝されているものとしての現存在の自己理解において「人間への存在の関連」が
「存在への人間の関連」
を圧倒し、
これに取って替わるのだとシュルツが考えているとすれば、
それは彼の誤解である。
「存在への人間の関連」と「人間への存在の関連」とが相互に補い合っ
て転回が性起するのであり、そのどちらか一方だけを強調することはできない。それ故に、
『根
拠の本質について』第一版(1929)の欄外註で、原存在の真理をその転回の点で遮蔽したままで
現‐存在を思惟することが虚しい試みだと言われているのである(GA9,174,Anm.a)。
他方、レーヴィットの解釈もまた不十分である。彼の解釈は次のようなものである。
『存在と
時間』においては、存在は確かに「端的な超越者」と呼ばれて終始一貫して存在者から区別さ
れるが、しかし決して存在者から引き離され、あるいは絶対化されるわけではない。存在は「存
在者の存在」であり、飽くまでもそれに留まるのであって、存在が超越者であるのも、現存在
という存在者が世界へ向かって自らを超出することによってなのである。それに対し、後にな
ってハイデガーは存在を、あらゆる存在者、従って現存在からも引き離すことにおいて絶対的
なものとして据えるが、このことは彼が存在的‐存在論的差異を、存在者とその存在者性ある
いは存在の仕方との区別を越えてこの両者(存在者とその存在者性)と存在それ自身との区別
にまで追い立て、このようにして存在それ自身の無制約的な優位を、とりわけかつて方法的優
位を有していた超越する現存在に対してさえも、そうした優位を確立することが必要だと見做
10
11
12
前掲書、27 頁。
Emil Kettering, NÄHE. Das Denken Martin Heideggers, Günther Neske, Pfullingen 1987, S.332.
W.Schulz, op.cit., vgl.S.116.
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「存在は存在者なしには決して現成しない」
「後記」における
したということを意味するにすぎない、とレーヴィットは述べる13。つまり、
記述の変更についての彼の解明は、彼なりの解釈における「転回」を基軸とするものであると
見られる。しかし、先ほど明確にした我々の転回解釈の立場からすれば、現存在に対して「存
在それ自身の無制約的な優位を確立すること」を転回と捉えるレーヴィットの解釈は維持でき
ない。それに、彼の解釈に従うならば、第四版の「後記」での「存在は確かに存在者なしに現
成する」という記述は、第五版の「後記」での「存在は存在者なしには決して現成しない」と
いう記述の改訂であることになるはずであり、順序が全く逆転してしまう。結局、彼は「存在
は本質的に、我々の乏しい人間存在を必要ともせず、頼りにしてもいないのではなかろうか」14
として、
「存在は確かに存在者なしに現成する」という考え方に付く立場を示していると考えら
れる。ここでもやはり「存在者」は現存在と捉えられているのであるが、その問題はさしおく
として、存在は現存在なしに現成すると考えるのは正当であろうか。存在の覆蔵性を覆蔵性そ
のものとして明け開き存在の非‐覆蔵性を見護る人間が存在しなければ、存在は覆蔵されたま
まに留まり、決して現成することはできないであろう。
「後記」の記述の変更に関する問題を解明するに当たって、E.ケッテリングは、存在と存在
者との関わりには三通りの観点の下で取り組むことができると提唱する。
(1)差異の「極(Pol)」
(存在)としての存在から。この「極」は存在者から区別されたものとして存在者に依存して
いる。
(2)差異の統一的根源(原存在)としての、すなわち区‐別としての存在から。この区
‐別は存在と存在者との区別性(Unterschiedenheit)に先行しており、従って存在者には依存して
いない。
(3)差異の「極」としての存在者から。この「極」は、他方の「極」
(存在)という
意味においてであろうと、差異の根源(原存在)という意味においてであろうと、常に存在に
依存している15。以上の三つの観点を提示した上で、ケッテリングはマックス・ミュラーによ
る解釈を紹介している。
ミュラーの解釈とは次のようなものである。存在自体は存在者に対する差異を「もっている」
のではなく、差異「であり」
、そして差異とともに、差異づけられたもの(das Differente)を同時
に自らのうちに担っていることによって、存在は確かに存在者なしに現成することになる16。
この意味での存在は、
存在と存在者という二つの極の内へと自らを離し置く統一的根源である。
それに対して、存在を極として考察し、つまり存在者に対する「他者」として考察する場合に
は、存在は存在者を必要とし、従って存在は存在者なしには決して現成しないということにな
る17。ハイデガーは暫くの間、存在はそれ自身からの考察のうちで把握され得るのであって、
存在者からは把握され得ないという仕方と、存在はそれ自身からして或るときは「根源」とし
て現れ、或るときは「極」として現れるという仕方とを、既に「原存在」と「存在」という表
13
14
15
16
17
Karl Löwith, Heidegger. Denker in dürftiger Zeit, S.Fischer Verlag, Frankfurt am Main 1953, S.40.
Ebenda, S.42.
E.Kettering, op.cit., S.86.
Max Müller, Existenzphilosophie im geistigen Leben der Gegenwart, 3.,wesentlich erweiterte und verbesserte Aufl.,
F. H. Kerle Verlag, Heidelberg 1964, S.43.
Ebenda.
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「存在は存在者なしには決して現成しない」
記法において区別しようと試みていた18。従って、ミュラーの解釈によれば、ハイデガーが存
在を原存在として思惟する場合には、彼は差異の統一的根源を念頭に置いているのであり、そ
れ故に「存在は確かに存在者なしに現成する」
(第四版)ということになる。それに対して、存
在ということで差異の一方の極としての存在のことが考えられている場合には、存在は存在者
に依存するから、
「存在は決して存在者なしには現成しない」
(第五版)ことになるのである。
ミュラーのこの解釈は、1976 年の全集版において公表されたハイデガーの欄外註によって確
証されるとして、ケッテリングは概ねミュラーの解釈に賛意を表している。そして、ケッテリ
ングは次のような欄外註を列挙する。すなわち、第四版において「存在」という語に付された
「原存在の意味において」(GA9,306.Anm.d)、
「確かに」という語に付された「存在の真理にお
いては、差異の本質としての原存在が現成する。原存在としてのこの原存在は差異に先立って
性起であり、それ故に存在者なしにである」(ebd.,Anm.g)、そして第五版において「現成しない」
の「現成」に付された「存在の現成、すなわち原存在、区別 …」(ebd.,Anm.e)、以上の欄外註
である19。しかし、差異の統一的根源としての原存在は存在と存在者との区別性に先行してお
り、従って存在者には依存していないとするケッテリングの指摘、および「存在は確かに存在
者なしに現成する」における「存在」は原存在として捉えられており、差異の根源が念頭に置
かれているというミュラーの解釈は正当であろうか。彼らは、先に引用した 1940 年のニーチェ
講義で言われていたことを忘れてしまっているのではないだろうか。
「
『差異』という名称のう
ちで告示されているのは、存在者と存在とが何らかの仕方で相互に‐分けて‐担われ
(aus-einander-getragen)、分かたれ、それにも拘らず相互へ関連づけられており …」(NⅡ,209. 下
線は引用者)
。つまり、差異においては存在と存在者との分離の局面だけでなく、両者の相互関
連の契機も重要なのである。
先にも言ったように、
存在が存在者から単に分離されるだけでは、
存在は直ちに存在者へと転倒するだけなのである。ところが、ミュラーもケッテリングも差異
における分離の契機だけを強調し、
存在と存在者との相互関連の契機を見落としているが故に、
第四版の記述を容認することができるのである。差異における相互関連の契機を見落としてい
ることからの帰結として、ミュラーは「存在は存在者なしには決して現成しない」における「存
在」を差異の「極」としての存在としか解釈できないのであるが、実はそれとは反対に、ここ
での「存在」こそ、存在と存在者とが分離されつつ‐相互へ関連づけられているという、差異
の根源としての原存在を指しているのであって、決して差異の「極」としての存在を意味して
いるのではない。ケッテリングが、第五版における「現成しない」の「現成」に付された「存
在の現成、すなわち原存在、区別 …」という欄外註に注目するとき、ミュラーの解釈が明らか
に誤りであることに気づかなかったはずはないのであるが、それにも拘らず、第五版での「存
在」を差異の「極」として解釈するミュラーの見解に同意するのは理解に苦しむところである。
18
19
Ebenda, S.44.
E.Kettering, op.cit., S.86f.
- 97 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
4 「存在は存在者なしには決して現成しない」
我々の解釈を示そう。第四版での欄外註でハイデガーが「原存在としてのこの原存在は、差
異に先立って性起であり、それ故に存在者なしにである」と書くとき、彼は「差異」というこ
とで悟性の表象作用による「区別づけ(Unterscheidung)」のことを考えていたのであると思われ
る。つまり、第四版の時点では、原存在は確かに差異の根源を指しているが、但しそれは区‐
別における分離の局面としてしか未だ捉えられておらず、従ってこのように把握された限りで
の原存在は悟性によって区別づけられた存在者性なしに現成するというわけである。それにし
ても、
「差異」という語で「区別づけ」のことを指すというのは不用意な言葉遣いであり、ここ
には言葉の使い分けの上での混同が窺えるが、それは「差異」と「区別づけ」との相異が思惟
され始めたこの時期には致し方のないことなのかもしれない。実例を挙げよう。先に引用した
1940 年のニーチェ講義では、
「我々が分け担いを形式的に『区別づけ』として思惟し、そして
この区別づけのために、区別づける『主体』の一つの『行為』を見つけ出そうとするならば、
分け担いは把握され得ない」(NⅡ,210)と明言されていながらも、他方で「
『差異』としての区
別づけは …」(NⅡ,209)とか、
「我々が軽率に、区別づけ、すなわち存在と存在者との間の分け
担いと名づけているものは …」(NⅡ,210)といったような、語の使用の上で厳密さに欠ける言
い方が為されている。つまり、この時期のハイデガーにおいては、
「差異」あるいは「分け担い」
と「区別づけ」とは、事柄の上では区別されてはいたものの、用語の使い分けとしてはまだ両
者の間に揺れ動きが見られるのである。それに対して、第五版の時期には、用語の使い分けも
定着し、
「区別づけ(Unterscheidung)」と「区別(Unterschied)」が峻別されて、
「存在の現成、すな
わち原存在、区別 …」という欄外註が付される。ここでの「原存在」は、もはや存在と存在者
との分離の契機だけから思惟されてはいない。第五版と同年の 1949 年に出版された講演『真理
の本質について』
第二版に付加された終節の註記には次のようにある。
「本質の真理への問いは、
本質(Wesen)を動詞的に理解しており、この語において、なお形而上学の表象作用の内部に留ま
りながらも、原存在を、存在と存在者とを統べている区別として思惟している」(GA9,201)。区
別が存在と存在者とを統べているとは、単に両者を分離しているというだけでない。そうでは
なく、それは分離しつつ‐向かい合わせていることを表わしているのである。この分離しつつ
‐向かい合わせるものは、
『真理の本質について』第二版の翌年 1950 年には、
「区‐別」として
明瞭化される。すなわち、
「アナクシマンドロスの箴言」に次のような欄外註が第一版(1950)で
付されているのである。
「区‐別は、どこまでも存在者の存在(Sein des Seienden)に留まるあらゆ
る存在からは限りなく異なっている。従って、区別をなおも『存在(Sein)』――それが y を伴っ
ていようと、いまいと――で以て名指すことは飽くまでも不適切である」(GA5,364.Anm.d)。
この時点で「区‐別」として明瞭に把握されているものは、1949 年の段階ではまだ「y を伴
った存在」
、すなわち「原存在」と名指されているが、しかしここでの原存在は、もはや存在と
存在者性とを分離するだけには留まらず、同時に両者を向かい合わせるものとして思惟されて
いる。それ故に、
『形而上学とは何か』第四版の「後記」での「確かに」に付された第四版の欄
外註に更に第五版で付加された欄外註では、
「性起としての原存在からの予示(Vordeutung)であ
- 98 -
「存在は存在者なしには決して現成しない」
るが、しかしそこでは(第四版では)理解されていない」(GA9,306.Anm.g)と言われているので
ある。つまり、
「存在は確かに存在者なしに現成する」という考え方は、未だ区‐別における分
離の局面としてしか把握されていなかった限りでの原存在からの「予示」に留まっており、そ
れに対して原存在が存在と存在者性との「分離されつつ‐向かい合って」という区‐別の十全
な意味において捉えられるならば、
「存在は存在者なしには決して現成しない」ということにな
るのである。このように見るならば、第四版の「後記」での記述から第五版の「後記」での記
述への改訂は、ハイデガーにおける原存在の把握の深化を物語っていると言うことができるで
あろう。第五版と同じ 1949 年に『根拠の本質について』の第三版に付加された序言では、
「存
在者に対する無い(das Nicht)としての存在」(GA9,123)と言われている。このことが意味してい
るのは、存在は、存在者性では無いという限りでの無として、飽くまでも存在者性に向かい合
いつつ、
そこから分離されるという区‐別の関わりにおいてしか現成しないということである。
ハイデガーのテクストからの引用・参照指示は以下の略号を以って行なう。
全集版(Gesamtausgabe, Vittorio Klostermann, Frankfurt am Main)
GA5
Holzwege 1997.
GA9
Wegmarken 1976.
GA45
Grundfragen der Philosophie. Ausgewählte 》Probleme《 der 》Logik《, 2.Aufl. 1992.
GA65
Beiträge zur Philosophie (Vom Ereignis), 2.,durchges.Aufl. 1994.
単行書
NⅡ
NietscheⅡ, 5.Aufl., Günther Neske, Pfullingen 1989.
WhD
Was heißt Denken?, 5.Aufl., Max Niemeyer, Tübingen 1997.
ID
Identität und Differenz, 10.Aufl., Günther Neske, Stuttgart 1996.
VS
Vier Seminare, Vittorio Klostermann, Frankfurt am Main 1977.
BR
Brief an W.J.Richardson vom April 1962. in: W.J.Richardson: Heidegger. Through Phenomenology to Thought,
Phaenomenologica 13, Martinus Nijhoff, The Hague 1963, ⅤⅢ-ⅩⅩⅢ.
(にしまつとよき 現代思想文化学・博士後期課程単位取得退学)
- 99 -
„Das Sein west nie ohne das Seiende.“
„Das Sein west nie ohne das Seiende.“
― Über die Differenz der vierten und fünften Auflage desNachwortes zu : „Was ist
Metaphysik?“ ―
Toyoki NISHIMATSU
Heidegger schreibt an einer Stelle der vierten Auflage des Nachwortes zu :“Was
ist Metaphysik?“, „dass das Sein wohl west ohne das Seiende“, ändert diese Stelle aber in der
fünften Auflage ab in : „dass das Sein nie west ohne das Seiende“. Um zu verstehen, was
Heidegger mit dieser Änderung beabsichtigte, ist es notwendig, sich über die von ihm eine
Zeitlang verwendete Schreibweise „Seyn“ klar zu werden, die das Verhältnis des auseinanderund zueinander Getragenwerdens von Sein und Seiendem im Sinne der vom Sein
unterschiedenen Seiendheit, d.h. den Unter-Schied beschreibt.
Die Randbemerkung zum „Sein“ an der vorliegenden Stelle der vierten Auflage
lautet : „im Sinne von Seyn“. Dabei versteht Heidegger dieses Seyn meiner Ansicht nach
nicht als Unter-Schied, sondern nur vom Aspekt des Auseinander des Unter-Schiedes und
meint deswegen, dass das Sein ohne das Seiende west.
Im Unterschied zur vierten Auflage versteht Heidegger das Seyn in der fünften
Auflage jedoch als Unter-Schied. Das Seyn und das Seiende, d.h. die Seiendheit, sind nun
nicht mehr nur auseinandergehalten, sondern auch zueinander getragen. Wird das Seyn in
diesem umfassenden Sinne vom Unter-Schied her verstanden, ergibt sich, dass das Sein nie
ohne das Seiende west. Entsprechend dem oben Ausgeführten lässt sich an dieser Stelle des
Nachwortes von der vierten zur fünften Auflage eine Vertiefung von Heideggers Denken
über das Seyn ablesen.
「キーワード」
存在それ自身、原存在、区‐別、区別づけ、現成
- 100-
保存と増大
保存と増大
― 『エチカ』におけるコナトゥスの自己発展性とその必然性について ―
河村 厚
序
本稿の目的は、スピノザの主著『エチカ』(1675)における、コナトゥス(conatus)概念を概観し、
コナトゥスの持つ「必然的自己発展性」という特性を確認することである。コナトゥス概念の
『エチカ』での初出は第3部定理6である。しかし、この定理6の直前の2つの定理から、つ
まり有限様態の自己破壊の不可能性のみから、定理6の「自己保存のコナトゥス」を論証しよ
うとしたら、もう一つの大切な軸となる論証を失ってしまうことになる。つまり、人間も含め
た万物に神の力が浸透していることの証としてのコナトゥスという側面が見失われてしまう。
そこで本稿は、有限様態の自己破壊の不可能性からの論証にも注意しつつ、やはりコナトゥス
は神の無限な力に由来するというもう一つの論証の重要性を再確認し、そのことによって、後
者の論証の中から、コナトゥスの持つ「必然的自己発展性」という特性を見出すということを
目的とする。またこの「コナトゥスの必然的自己発展性」こそが『エチカ』の倫理学説や社会
哲学を考える上で極めて重要な役割を持っているということも最後に示したい。
1 「水平の因果性」の真相
「あらゆる個物、すなわち有限で、定まった存在を有するものはどれも、同様に有限で、定
まった存在を有する他の原因から存在するようにまたは作用するように決定されるのでなくて
は、存在することはできないし、作用をするように決定されることもできない」(E/I/28)という
スピノザの言明からは、
個物つまり有限様態が自己の存在に固執する必然的傾向性としての
「自
己保存のコナトゥス」1は、他の有限様態との関係からしか論証できないかのように思われる。
しかしスピノザは他方で、
「或る作用をするように決定されたものは、神から必然的にそう決
1
『エチカ』では、
「自己保存のコナトゥス(conatus sese conservandi)」という表現自体は第 4 部定理 22 (類
似の表現は第 4 部定理 18 備考及び定理 4 証明)になって初めて現れるが、本稿では第3部定理6と 7 の
「自己の存在に固執しようとする努力(傾向性)
」も「自己保存のコナトゥス」として論じることにする。
- 101 -
保存と増大
定されたのである。そして神から決定されないものは自己自身を作用するように決定すること
ができない」(E/I/26)とも、
「神はものが存在し始める原因であるばかりでなく、ものが存在す
ることに固執する原因でもある」(E/I/24C)とも言う。ここからは、
「自己保存のコナトゥス」は、
神を原因として説明することによってしか論証できないかのように思われる。この二つの因果
性の間に存在しているように見える矛盾を、スピノザは「限りにおける神(Deus quatenus)」とい
う独特の概念によって解決している(河村,2000,pp.75-79)。それによると、先の「有限な個物を
存在や作用に決定する他の有限な個物」とは、実は「定まった存在を有する有限な様態的変状
によって様態化した限りにおける神」(E/I/28D)であるから、
「各個物は他の個物から一定の仕方
で存在するように決定されているとはいえ、各個物がそれによって存在することに固執する力
(vis)は、やはり神の本性の永遠なる必然性から生じる」(E/II/45S)ということになる。
ここから判明するのは、
「自己保存のコナトゥス」は、有限様態同士の因果関係(水平の因果
性)のみでは論証できるようなものではなく、その論証には必ず神の存在を用いなければなら
ないということである。しかし、リンも指摘するように近年の多くの研究者たちは、
「自己保存
のコナトゥス」定理(E/III/6)の証明における神の存在の重要さを忘却し、それはただ「自己破壊
の不可能性」
(第 3 部定理 4 と定理 5)のみから論証できる定理であると誤解している(Lin,
S.21-22)。そこで次に、そのような解釈の代表であるベネットの説を検討する。
2 「自己保存のコナトゥス」の論証過程における「横滑り」
(飛躍)の問題
ベネットは、第 3 部定理 6 の「自己保存のコナトゥス」原理が先行定理より導出される論証
過程の不十分さを、定理 6 証明の後半を分析することによって明らかにしている。ベネットに
よると、この証明後半の中の定理 4 への言及は余計なものであり、真の論証は定理 5 のみから
行われている。そこで定理 6 の論証過程を以下に順に示して検討する(Bennett,p.240-242)。
ⅰ「いかなるものも、外部の原因によってでなくては、破壊されえない。
」
(第 3 部定理 4)
ii 「(a)ものは一方が他方を破壊しうる(potest destruere)限りにおいて相反する(contrariae)本
性を有する。言い換えれば、(b)そうしたものは同じ主体の中に在ることはできない。
」
(第 3 部定理 5)
iii「いかなるものも、その存在を除去しうるもの全てに対抗する(opponitur)。
」
(第 3 部定理 6 証明の中で用いられている定理 5 の変形バージョン)
iv「各々のものは、それ自身においてある限り、自己の存在に固執しようと努力する。
」
(第 3 部定理 6)
v 「各々のものには可能な限り自己の活動力能を増大させようと努力する必然的傾向性が
ある。
」
(本稿のコナトゥスの必然的自己発展性テーゼ)
vi「なぜなら、個物はそれによって神の属性が或る一定の仕方で表現される(exprimuntur)
様態である(第1部定理 25 系により)
。言い換えると(第1部定理 34 により)
、それに
よって神が存在し、また活動するその神の力能を、或る一定の仕方で表現するものであ
る。そのうえいかなるものも自らが破壊されうるような或るものを、あるいは自分の存
在を除去するような或るものを、自らの中に有していない(この部の定理 4 により)
。む
しろ各々のものは自分の存在を除去しうる(potest tollere)もの全てに対抗する(前定理に
より)
。したがって各々のものは、できるだけ、またそれ自身においてある限り、自己の
存在に固執しようと努力する。
」
(第 3 部定理 6 証明)
- 102 -
保存と増大
ベネットは、iii と iv は同じ事態を意味しているから、ii (a)から、iii と iv が同時に導出される
という論証構造になっていると考えている2。この論証過程の中で彼が問題視するのは、ii (a)
から iii (iv)への進行には或る横滑りが潜んでいるということだ。つまり、たんなる本性上の「相
反する(contraries)」という性質が、いつのまにか「対抗する(opponi)」という全く別の意味へと
「横滑り」してしまっているのだ。しかしスピノザは、定理 5 から定理 6 への進行において、
ii (b)を自ら拡大解釈して作った(実際は定理 6 証明では不使用の)
「定理 5 の強められたバージ
ョン」を念頭においていたので、この横滑り(飛躍)を自覚しなかったとベネットは考える。
ベネットは、ii (b)を「全くもって曖昧な節」と断罪し、「同じ主体の中に在ることができない」
のは、
「相反する本性」の性質 x と y なのか、それとも「相反する本性」の事物 x と y なのかと
疑問を呈した上で、この両方が解釈可能であるとしている。ここで問題が生じる。つまり、ii (b)
を「相反する本性」を持つ二つの性質 x、y についての言及であると解釈すると(α)、
「同一主
体の中に在ること」とは、性質 x、y 各々が「たった一つの事物によって(例)示されること」
を意味することになるが、ii (b)を「相反する本性の事物 x、y そのものへの言及であると解釈す
ると(β)、
「同一主体の中に在ること」に対する意味――例えば、x と y はたった一匹の動物の
諸器官のような「より大きな或る事物の諸部分である」というような――を新たに考案しなけ
ればならなくなるのだ。ベネットによると、定理5の証明過程を見れば、ii (b)は、ただ「一つ
の事物は複数の本性を(例)示しえない(持ちえない)
」ということを意味しているにすぎない
という解釈が強力な根拠を持つ。これに対して、(β)の解釈をとれば、
「x が y を破壊しうる」
という事実からは、
「x と y はそれらより大きな事物 Z の二つの部分ではありえない」というこ
とが結論されない。この場合、Z は外部からの援助なしに自らの一部を破壊しうることになる
が、このことは定理4には反しない。なぜなら、自らの一部を破壊することは、自分自身を破
壊することではないからだ。定理5の証明はこのように説得力のない論証の表明としても読解
できてしまうのだ。ベネットによると、定理 6 証明(vi)における定理5(ii)の用いられ方は、ス
ピノザ自身による ii (b)の読解はこのようなものであったいうわずかな疑念を残したままにす
る。
こうして、ベネットの言う「定理 5 の強められたバージョン」とは、
「x と y が共に個体(有
機体のような何か)であり、かつ y が x を破壊しうる場合、それらのいずれよりもずっと大き
な個体でなければ、この x と y は共にそのただひとつの個体の部分ではありえない」というよ
2
アリソンによると、この iii から iv への移行にこそ「不正な横滑り」があるとする批判的解釈が見逃して
いるのは、
『エチカ』における個物はあくまで「活動」の中で捉えられているという事実である。つまり
「個物が活動している限り、それを破壊しそうなもの全てに対するこのような対抗(opposition)は、現実=
活動的抵抗(actual resistance)として表現される」し、
「個物にとっては、自らを破壊しそうなもの全てに抵
抗するように活動することは、自己維持(保存)的に活動することなのである」(Allison,pp.133-134)。またア
リソンは、iv と v の間に一見存在するかに思える矛盾(飛躍)も、活動力能を、有機体が自らの環境の中で、
他の諸物体=身体との相互作用を通して、自己の存在(その内部での運動と静止の特有の比・割合)を維持
コナトゥス
する力つまり生命力として捉えるならば、自己の存在に固執しようとする有機体の 努 力 は、その完全性、
コナトゥス
活動力能、存在力、生命力のレベルを増大させようとする 努 力 と全く同じものであることが判明するの
で、実際は「矛盾」
(飛躍)ではないとする。しかしそれだけでは、
「コナトゥスの必然的自己発展性テー
ゼ」への存在論的な説明としては不充分ではなかろうか(Allison,pp.135-136,本稿注 7)。
- 103 -
保存と増大
うなものである。ここでは相対的なサイズの規定が必要になる。つまり、宇宙はスピノザ的な
意味での個体であるが、定理 5(ii)は、x が y を破壊しうる場合は、x と y は同じ宇宙の中に共存
できないということを意味しないであろう。
ではより小さなサイズで考えるとどうか。
例えば、
y が人物 x を破壊しうるような人物であったとしても、
x と y は同じ国家に属することができる
であろう。これに対してスピノザは反論するかもしれない。そのような x と y が同じ村や家族
に属することは、それらが外部の援助なしに自らを破壊しうるという(村や家族といった)個
体にとってはありえない状況を生み出してしまうと。そして、このような「定理 5 の強められ
たバージョン」から、スピノザは、
「y が x を破壊しうる場合は、x と y は常に相互に或る距離
を保っていなければならない。それは、もし両者が接近しすぎると、両者はたった一つの個体
の内部で結びついてしまい、そのことにより、その個体が自己破壊可能な状態に陥るという危
険を冒してしまうことになるからだ」という合理的な推論をしたのだろうと、ベネットは解釈
する。そして、ここからスピノザは、x に求められるのは、y との安全な距離を保つということ
であると推論し、更にそこから、定理 6 証明においては、
「先制攻撃はしないまでも、y を寄せ
付けないようにしつつ、x は y からの脅威を減じるようなものは何であれ常に行うだろう」と
いう考え方へと滑り落ちて
(ii (a)から iii への
「横滑り」
)
しまったのであると(Bennett,pp.240-242 )。
3 神の力からのコナトゥスの論証、人間のコナトゥス
上述のように、ベネットは定理 6 証明の後半を「紛れもなく誤った論証」と批判するのであ
るが、いずれにせよ、彼のような解釈からは神の存在が抜け落ちてしまっている。そして、
「自
己保存のコナトゥス」定理(E/III/6)を「自己破壊の不可能性」
(第3部定理 4 及び定理5)のみ
から証明しようとすることには初めから無理がある。リンによると、
「自己破壊の不可能性」は
確かに「自己保存のコナトゥス」定理の証明(E/III/6D)の後半で一定の役割を果たしている。し
かし、
「有限な個物は神の力能を表現する」という前提からなされる証明前半部分の方がより説
得的な論証であり、これによって補われなければ、
「自己破壊の不可能性」のみでは決して十分
な論証にはならない。というよりむしろ、定理 6 証明前半部分による論証の方が、スピノザに
とっては究極的にはより重要であり、コナトゥス原理はこの前提(論証)からの自然で当然な
結論なのである(Lin, S.21-22)。本稿はリンのこの主張に全面的に賛成する。ただし、コナトゥ
スが「持続」の中で、実効的な自己保存力 (活動力能) として現実化されるには、他の有限
様態からの働きかけ(限定)が不可欠であることも忘れてはならないであろう(本稿 IV)
。以
上を踏まえた上で本章では、
「自己保存のコナトゥス」を神の力能との関係から論証する。
『エチカ』におけるコナトゥスは、有限様態としての万物に備わっている「自己保存の傾向
(努力)
」である(E/III/6・D,7・D)。その本質に存在が含まれない有限様態としての個物は、自
己の「本質」──それは「現実的本質(essentia actualis)」であると同時に、神から「与えられた
本質(essentia data)」である──としてのコナトゥスによって「神=自然」の無限なる力能を「表
現する(exprimere)」あるいは「説明=展開する(explicare)」限りにおいてのみ、神の力能(=本
質=存在)を享受して初めて現実的に存在し活動することができる(E/I/24,25C,36D, III/6D,IV/4D)。
- 104 -
保存と増大
このことは、つまり、有限様態の存在と活動の究極的な原因と根拠が「神=自然」の無限なる
力能に求められているということである(E/I/24C,II/45S)。
ここで、有限様態としての人間は「自然の一部(naturae pars)」であるから3、他の自然の個物
と同じく「共通な自然の諸法則」に従い、その感情も全く「同様の自然の必然性と力から」生
じる。実はこの「自然の必然性と力」を「表現・展開する」ものこそが人間のコナトゥスであ
る。このように「自然の一部」としての人間にもコナトゥスが当然の帰結として認められるこ
とになるのだが(E/III/Ad1Ex,IV/18D)、スピノザは、人間が例外なく「自然の一部」であること
の証明を、人間のコナトゥスによって「説明=展開」されることによって有限化・現実化され
た「神=自然」の力能が元の「神=自然」の無限なる力能の一部分であるという事実から証明し
ている。
「人間が自己の存在を保存する力能(potentia)は─中略─人間の現実的本質〔コナトゥス〕
によって説明=展開されうる(explicari potest)限りにおける神あるいは自然の力能そのもの
である(第1部定理 24 系、第 3 部定理 7 より)
。したがって人間の力能は、それ自身の現
実的本質〔コナトゥス〕によって説明=展開される限りにおいて、神あるいは自然の無限
なる力能の一部である。
」(E/IV/4D)
こうして、人間本性をありのままに見る態度、つまり人間の(意志の)力を特権化し、人間
を自然の法則に超越する存在として、
「国家の内なる国家」とみなすような見方を徹底的に拒絶
し、人間をあくまで「自然の一部」とみなすスピノザの態度は、
「自己保存のコナトゥス」とい
う万人共通の自然本性(E/III/9,58D,Allison,p.134)への洞察に支えられていることが判明する4。
以上に考察したのは、存在論的位相におけるコナトゥス、つまり「自己保存のコナトゥス」
であるが、このコナトゥスは、人間にあっては、現実生活におけるさまざまな位相において、
「活動力能(potentia agendi)」という現実的な力能として現れるようになる。活動力能という現
実的な力として現れた<限りにおけるコナトゥス(conatus quatenus)>は、例えば認識という位相
においては「認識能力」であり(E/III/37D,59D,IV/26D)、感情という位相においては「欲望」で
あり(E/III/9S,58D,Ad1Ex,IV/18D)、社会(政治)という位相においては「自然権」である (E/IV/
37S1,TP/II/5)。 ここで重要なのは、このような活動力能として現れた<限りにおけるコナトゥ
ス>にはその「増減可能性」が認められ5(E/III/37D,43D,57D,河村,1997,pp.31-36)、人間にとっ
ては、自己のこの活動力能を可能な限り増大させようとする恒常的な傾向性がその本性の必然
3
4
5
(E/ IV /2,4,57S,Ap6・7・32,TP/II/5・8,TTP/III/32,IV/44,XVI/191)
「私はこれら一切を人間の本性(それがどのように考えられようと)の必然性から、すなわち万人に普遍的
な 自己保存のな自己保存のコナトゥス(conatus sese conservandi)から証明したということである。そしてこ
のコナトゥスは無知なる者であろうが賢者であろうが全ての人間に内在する」(TP/III/18)。
ただ、ここで留意すべきは、各様態(各人)のコナトゥスそのものには、増減はありえないということである。
よって次章で考察するような「コナトゥスの必然的自己発展性」とは、コナトゥスそのものの量的拡大を意
味しはしないのである。
- 105 -
保存と増大
性であるという事実である。
4 「コナトゥスの自己発展性とその必然性」
コナトゥス
自己の存在を全力の限りを尽くして維持・保存しようとする人間の努 力 は根源的欲望にして、
人間の本質であった。しかし、以下に引用する『エチカ』第 3 部感情理論の二つの定理を、そ
れが導出される証明の筋を遡りながら考察すれば、単に感情理論的な含意を有したものである
に留まらない存在論的にも極めて重要なコナトゥスについての或る事実が浮かび上がってくる。
「我々は、喜びに寄与すると我々が想像(表象)する全てのものを促進=実現しようと努
力する(conamur promovere)。反対に、それに矛盾しあるいは悲しみに寄与すると我々が想
像(表象)する全てのものを遠ざけあるいは破壊しようと努力する。
」(E/III/28)
「悲しみは人間の活動力能を減少させあるいは阻害する―中略―人間が自己の存在に固
執しようと努力するコナトゥスを減少させあるいは阻害するのである。したがって悲しみ
は(この部の定理 5 により)このコナトゥスに相反するものである。そして悲しみによっ
て触発されている人間が努力する(conatur)ことの全ては、悲しみを除去することに向けら
れる。─中略─それゆえ悲しみがより大きいに従って、人間はそれだけ大きな活動力能をも
って悲しみを除去しようと努力するであろう。─中略─喜びは人間の活動力能を増大しある
いは促進するから、喜びによって触発されている人間は喜びを保存することを何よりも欲
し、しかも喜びがより大きいに従って、それだけ大きな欲望〔コナトゥス〕をもってそれ
を欲する。
」(E/III/37D)
今ここに示した二つの定理は――最初の定理中の「想像(表象)する」という言葉からも分
かるように――(少なくともその瞬間には)
「受動感情に隷属している人間」の特性について述
べたものである(E/III/57S)。この第 3 部定理 28 からは、受動的人間には、単に自己の存在を維
持・保存する傾向性だけではなく、自己に「喜び」をもたらすようなものを可能な限り獲得し
ようと努力し、
「悲しみ」をもたらすようなものを可能な限り破壊しようと努力する傾向性があ
ると、スピノザは考えているということが明らかになる。定理 28 では、受動的人間のこのよう
な傾向性は、
「精神は身体の活動力能を増大しあるいは促進するものを可能な限り想像(表象)
しようと努力し(conatur)」
、
「身体の活動力能を減少しあるいは阻害するものを想像(表象)す
る場合、そうしたものの存在を排除する事物を可能な限り想像しようと努力する」(E/III/12,13)
という定理まで遡ってそれを根拠に証明されている6。ここには、
「喜び」は人間(精神と身体)
の活動力能(自己の存在に固執しようとするコナトゥス)を増大・促進し、
「悲しみ」は逆にそ
6
ここには或る種の「飛躍」がある。つまり定理 12,13 では単に「想像(表象)しようと努力する」であったの
が、定理 28 では「促進(実現)あるいは破壊しようと努力する」に発展しているからだ。しかし、これらの
両定理の証明にはいずれも
「心身平行論」
が強く効いており、
「飛躍」
はみせかけにすぎない(木島,pp.108-112)。
- 106 -
保存と増大
れを減少・阻害させるような感情であるという、
「喜び」
、
「悲しみ」
、活動力能(コナトゥス)
の三者の関係についてのスピノザの考え方(E/III/37D,57D)を補って考えなければならないであ
ろう。つまり、人間が喜びをもたらすものを促進・実現しようと努力するのは、
「喜び」が自己
の活動力能(コナトゥス)を増大・促進させる感情であるからであり、悲しみをもたらすもの
を遠ざけあるいは破壊しようと努力するのは、
「悲しみ」が自己の活動力能(コナトゥス)を減
少・阻害させるような感情であるからなのだ。けれどもここから更に、では人間が活動力能(コ
ナトゥス)を増大・促進させるものを求め、活動力能を減少しあるいは阻害するものを回避し
破壊しようと努力するのはなぜかが問われなければならない(E/III/12,13,37D)。それをスピノザ
は、この第 3 部定理 12 の証明後半において、
「精神が我々の身体の活動力能を増大しあるいは
促進するものを想像(表象)する間は、身体はその活動力能を増大しあるいは促進するような
仕方で触発される(この部の要請1を見よ)
。したがってまた(この部の定理 11 により)その
間は、精神の思惟能力は増大しあるいは促進される。それゆえに(この部の定理 6 または 9 に
より)精神はそうしたものを可能な限り想像(表象)しようと努力する」というように、定理
6 つまり「各々のものは、それ自身においてある限り、自己の存在に固執しようと努力する」
(E/III/6)という「自己保存のコナトゥス」定理とそれを精神に適用させた定理 9 にまで遡らせて
証明している。
しかし、この単に「自己の存在に固執しようと努力する(in suo esse perseverare conatur)」傾向
性から、
「活動力能として現れた〈限りにおけるコナトゥス〉
」の減少をもたらすようなものに
可能な限り抵抗し、その増大を可能な限り求めようとする傾向性が証明されているのはなぜだ
ろうか(Allison,p.135)7。ここでは二つの点が重要である。その第一点は、
「各々のものがそれに
よって単独であるいは他のものと共に(cum aliis)或ることを行い、あるいは行おうと努力する
(agere conatur)力能ないしコナトゥス、言い換えれば(この部の定理 6 により)
、各々のものが
それによって自己の存在に固執しようと努力する力能ないしコナトゥスは、そのもの自身の与
えられた本質あるいは現実的本質にほかならない」(E/III/7D)と述べられているように、スピノ
ザが言う「自己の存在への固執」とは、ただ自己の存在や状態を最低限度に維持・保存すると
いうものではなく、
「活動すること(agree)」しかも「自己以外のものと協働して活動すること」
までをも本来的に含意するような概念であるということである(Allison,pp.133-134)。
第二点は、その本質には存在することが含まれない有限様態としての個物が(E/I/24)、この「自
己の存在へ固執しようと努力する傾向性」を持つのはなぜかという問題を考える中で明らかに
なる。この問題に対する証明は――本稿 II と III で見たように――人間も含めた有限なる個物
は、外部の諸原因を考慮せず「それ自体で見られる限り」
、自らを滅ぼすようなものを自己の内
7
アリソンによると、人間も含めた有限様態は全て「ただ自らの存在の現実的=活動的レベル(actual level)
を保存するだけのために、自己の力能を増大させようと絶え間なく努力しなければならない」という問題
については、スピノザは、ホッブズの『リヴァイアサン』第1部第 11 章の、人間が力を求めることを止
めないのは「彼(人間)が現在持っているよく生きるための力と手段を確保しうるためには、それ以上〔の
力〕を獲得することが不可欠だからである」という思想から影響を受けている(Allison,p.136,p.235,n.13)。
しかし、アリソンのこの説明は存在論的な基礎づけが余りにも乏しい(本稿注 2)
。
- 107 -
保存と増大
には一切有せず(E/III/4・D,5)、神から「与えられた本質」としてのコナトゥスによって、神が
存在し活動しているその永遠で無限なる力能を「表現する」ことで存在し活動している様態で
あるということを根拠にしてなされていた(E/III/6D,7D,cf.I/21,IV/4D)。この一連の論証過程から
帰結されるのは、有限様態を「自己の存在に固執しようとさせる駆動力としてのコナトゥス」
は、
「限定された(finitum)時間ではなく無限定な(indefinitum)時間を含んでおり」(E/III/8)、各有
限様態は外部の原因によって妨害されることがなければ、現に有しているのと「同一の力能
(eadem potentia)」を持って常に存在し続け(E/III/8D,IV/Prae)、外部の原因によって妨害されれば、
その妨害の原因となるものに可能な限り
「対抗・抵抗する(opponi)」ということである(E/III/6D)。
そして、神から「与えられた本質」であるがゆえに、
「それ自体で見れば」絶対的な自己肯定
でしかありえなかったこのコナトゥスによって表現・展開されることによってのみ、神の永遠
で無限なる力能は有限様態自身の現実的な自己保存力(活動力能)となるのであるから
(E/IV/4D)、コナトゥスによってなされ、コナトゥスそのものがその証しとなっている「有限様
態の内への神の無限なる力能の浸透」には、
「それ自体で見れば」限界はありえない。つまり、
神の無限なる力能の浸透に、当の有限様態自身によって或る限界を設定するということは、上
に見たコナトゥス(=与えられた本質)そのものの「絶対的自己肯定性」という性質上、不可
能なのである。
しかし、
「自己保存のコナトゥス」のこの無制約の「絶対的自己肯定性」は、あくまで外部の
諸原因を考慮せず「それ自体で見られる限り」という条件の中でのみ有効であることを忘れて
はならない。現実には、有限様態(としての人間) は、有限様態同士の相互作用のただ中にお
いては(E/V/37S)、外部の諸原因(自己以外の有限者)から二重の意味での「限定」を受けて存
在しているのである。その第一の限定とは、有限様態は他の有限様態から「存在と作用へと決
定(限定)される(determinari)」ことによって初めて現実に存在することができる8という肯定
的「限定」である(E/I/28)。第二の限定とは、有限様態が自己の存在へ固執する力は、それを無
限に凌駕する外部の原因の力によって「境界確定(限定)される(definiri)」から、有限様態(と
しての人間)の(自己の存在に固執する)力は、常に外部の原因によって破壊される可能性に
晒されているという否定的「限定」9である(E/IV/Ax,2-6)。このような二重の「限定」によって、
コナトゥスそのものの「無制約性」に制限が加えられ、そのことによって初めて、コナトゥス
は「持続」の中での自己の存在への固執の努力・傾向として「現実化」10 されるのである
8
9
10
もちろん、個物がこのいわゆる「水平の因果性」の中で、他の個物から存在と作用へと「決定(限定)
」
されているということは、
「垂直の因果性」において「限りにおける神」から存在と作用へ「決定」され
ているということと同一事態である(E/I/26-29,本稿 I)。
ただし、この外部からの否定的「限定」に対する、各々の存在の「対抗・抵抗」を、
「否定の否定」と捉
えて、むしろこの外部からの否定に対する対抗(否定)によって初めて、コナトゥスは時間(持続)の中で現実
化されるとするヴァルターのような解釈もある。本稿注 12 を参照。
ここに「各々のものが、それによって自己の存在に固執しようと努力するコナトゥスはそのもの自身の現
実的本質(actualis essentia)にほかならない」(E/III/7)と言われる場合の「actualis(現実的)」の意味を見て取る
こともできよう(本稿注14 参照)。
しかし先に引用したこの定理の証明(E/III/7D)を見れば一目瞭然のように、
この“actualis”は、
「行う・活動する(agree)」力能というコナトゥスの側面を表現してもいるという意味で
も「actualis (活動的)」であるのだ。そもそもコナトゥスが「与えられた、あるいは現実的=活動的本質
- 108 -
保存と増大
(E/III/8D,IV/Prae)。
このうちの二番目の、否定的「限定」が与えられれば、それに可能な限り「対抗・抵抗する
(opponi)」というコナトゥスの必然的傾向性を人間の場合で説明したのが、本章冒頭に提示した
第 3 部定理 37 証明の前半である。この証明前半では、まず人間のコナトゥスがそのコナトゥス
(活動力能)自身を減少・阻害するもの(悲しみ)の除去に向かうのはなぜかということが論
証されていなければならないはずだが、スピノザは、第 3 部定理 5(
「ものは一方が他方を破壊
しうる限りにおいて相反する本性を有する。言い換えればそうしたものは同じ主体の中に在る
ことはできない」
)を挙げて、コナトゥスに「相反する(contraries)」という悲しみの性格を示し
ているに過ぎない。しかし、この論証を完全なものにしようと思えば、スピノザは更に、第 3
部定理 6 証明の中の「
(前定理により)いかなるものも、その存在を除去しうるもの全てに対抗
する(opponitur)」という「第 3 部定理 5 を語りなおしたテーゼ」を論拠として持ち出すべきで
あったろう11。そうすることで初めて、そのコナトゥス(活動力能)自身を減少・阻害させ、
その者を破壊しうるようなもの、つまり自らに「相反するもの」に、人間のコナトゥスは可能
な限り抵抗・対抗し、それを必然的に除去しようとするという事実12と、その阻害要因(悲し
み)の大きさに比例して、それに抵抗・対抗するコナトゥス(活動力能)の大きさも増大する
という、両者の間にある緊張関係と「弁証法的」ダイナミズム13が明らかにもなるのだ。
11
12
13
(data,sive actualis essentia)」(E/III/7D)であると言われる場合の、神から「与えられた(data)」という事態は、
個物の側から捉えるならば――この証明が参照を促す第 1 部定理 36 のその証明からも明らかなように
――有限な個物が神の「存在し活動する」力能=本質を「表現する」ことによって、神のその力能を有限
のレベルにおいて享受しているという事態である。ここで、神においては、存在することと活動すること
は同じくその本質であるから(
「神の活動的本質(Dei actuosa essentia)」
)(E/I/34D,II/3S)、
「与えられた本質」
は「活動的本質」でもあるのだ。
第 3 部定理 6 証明中の、この「相反する」から「対抗する」への横滑りについてはすでに本稿 II で述べた。
確かに『エチカ』ではいかなるものも「その存在を除去しうるもの全てに対抗する(opponitur)」(E/III/6D)
という、
「自己」に対する「他者」あるいは「外界」からの脅威とそれへの反発という緊張関係の事実が、
「自己保存のコナトゥス」の証明には示されている。ここではヴァルターの弁証法的なコナトゥス解釈を
紹介する。ヴァルターは、コナトゥスを否定の否定として、また差異における同一性として見ている。ヴ
ァルターによると、
「
〔各々の〕ものは、外的な作用によってそのものを除去しようとする企てに、その本
質=存在(Wesen)の実在性によって抵抗する。存在を脅かしている外的な原因からの作用を断固として否定
することによって初めて、本質=存在は、時間的に存在する個体のうちで、自己保存の努力あるいは固執
の努力、つまりコナトゥスとなる。―中略―現実的本質あるいは与えられた本質(vgl. EIII,7,dem;146,29)と
いう概念において、存在を否定する作用の否定として具体的に与えられた本質(Wesenheit)がコナトゥスで
ある。それゆえ、コナトゥスという概念のうちには、本質=存在と存在する個体との差異と同時にそれら
の同一性がある。─中略─ 存在している個体は、確かに存在しているものとしてのその個体とその個体の
本質=存在との差異であると同時にそれら両方の同一性へ向けての努力である」(Walther, S.102-103)。
しかし、ヴァルターのようにコナトゥスの「否定の否定」という側面のみを強調した弁証法的な解釈を
とると、
「自己の存在に固執する努力としてのコナトゥス」の定理の証明(E/III/6D)のうちの半分を全く見
落としてしまうことにならないだろうか。つまり、本稿 III 及び本章でも示したように、有限様態の存在
と活動の究極的な原因と根拠が「神=自然」の無限なる力能に求められているというコナトゥスの「直接
的肯定性」の側面を看過してしまうことにならないだろうか(E/I/24C,II/45S)。
ドゥルーズによるコナトゥスの第三の規定。神から「与えられた本質」としてのコナトゥスそのものは増
減も変化もしない。しかし各個物、各人の「現実的本質」であるコナトゥスが、他者との関係の中で現実
に発揮されたものとしての「活動力能」は増減し、
「より小さなあるいはより大きな完全性への移行」は
存在する。ドゥルーズは、コナトゥスに三つの規定を設けることでこのような複雑な事態を丁寧に説明す
メカニック
る(Deleuze,pp.135-143)。
「第一の規定」(力学的定義):自己の存在への固執・維持・保存の傾向(E/Ⅳ/39)。
「第
- 109 -
保存と増大
しかし、コナトゥス(活動力能)に対する阻害因子へのそのようなダイナミックな「抵抗・
対抗」も、コナトゥス(活動力能)に対する促進因子へのコナトゥス自身のポジティブな獲得
反応も(E/III/12,13,37D)、コナトゥス自身の「絶対的自己肯定性」という性質から生じている。
ここで重要なのは、このコナトゥスの「絶対的自己肯定性」という性質が、神の永遠で無限な
力能にその起源を持ったということである。私は先に、
「有限様態の内への神の無限なる力能の
浸透」という表現14によってこの事態を表した。この表現が意味するのは、人間も含めた有限
様態のコナトゥス(活動力能)の淵源が神の永遠で無限な力能にある以上(E/I/24C,II/45S,IV/4D)、
有限様態(人間)の側に何らかの「阻害要因」
(拒み)がない限りは、この「神の無限なる力能
の浸透」は止むこと(限界)を知らないはずであり、その限りにおいて、有限様態(人間)の
側での神の力能の「表現」が最高度に行われ続け、それによって有限様態(人間)の活動力能
として現れた〈限りにおけるコナトゥス〉も最高度まで上昇・増大し続ける15であろうという
ことである(cf.Schrijvers,p.69,pp.76-77)。しかし実際は、人間の場合は特に、さまざまな促進因子
や阻害因子との「偶然的出会い=遭遇」に晒されて存在し、生きる中で(E/II/29S)、この「浸透
=表現」の達成に制限が課せられてしまう。この制限は各人によって異なるし、また同一人物
ディナミック
二の規定」(力 動 的 定義):触発に対する「適応能力=適応度(aptitude)」を維持し最大限に発揮しようとする
ディアレクティック
14
15
傾向(E/Ⅳ/38)。
「第三の規定」( 弁 証 法 的定義):喜びをもたらすものを実現して活動力能を増大させよう
とし、悲しみをもたらすものを遠ざけ破壊しようとする努力(E/III/28)。
Schrijvers はコナトゥスの本質的特徴の一つとしてその「拡張性(expansivity)」を挙げ、それを「圧縮され
たバネ」の比喩で表現している。彼の解釈は本稿との共通点も多いので、以下に簡単に紹介する。Schrijvers
によると、個物はその本質に存在が含まれないというテーゼは(E/I/24C)、本質だけでは存在の十全な原因
にはならないということを意味しているに過ぎない。個物はその存在の根拠を「外的原因」と「内的原因」
の協力に負っている。例えば画上に円を描くには、道具や身体だけでなく円の本質についての観念が必要
なように。内的原因は個物の本性=本質を、永遠のこのかたそれがそうであるかのように規定(限定)する
から、個物は、それ自体で見られる限り、否定性(可滅性)を含まず、むしろその「永遠の本質」によって
「現実化」を求めている。ここから、現実性に固執する力としてのコナトゥスの究極の正当化が生まれる。
しかしこのことは、
「永遠の本質」が「現実化」へ向けて努力するということを意味しない。コナトゥス
は「永遠の本質」のレベルでは正当化されないのだ。神の永遠なる存在力を表現するものである個物は、
「現実に」存在し始める限りにおいてのみ、まさにその瞬間に、保存を切望するようになり、自己の存在
に固執するコナトゥスとして現れるのである。コナトゥスが「現実的本質」である所以は、個物の永遠な
る存在力は、現実においては、自己を破壊しうるような他の個物との終わりなき闘争に対応しているから
である。つまり、個物の現実存在の内的な保証人としてのコナトゥスは、外部からも規定(限定)されると
いうことだ。現実化のための必要条件を本質によっては満たせないので、個物は外的な力の諸条件へと開
かれたままであるように内的に強制されている。その中には、自己を破壊しうるような強大な力もあるこ
とになる。しかし、定義上、個物に課せられる限界内で、個物の永遠なる力能は「存在の絶対的肯定」と
して自らを発揮する。この「存在の無条件(無制約)の内的肯定」は、現実には、外部から完全に規定(限定)
されてもいるのだが、この事態を「圧縮されたバネ」のイメージによって視覚化できよう。この「圧縮さ
れたバネ」は内部から拡張していく力を持つが、その場合の拡張の実効的な範囲は――それがポジティブ
なものであれネガティブなものであれ――外的な諸要因に依存しているのである。こうして、個物が、そ
うするように内的に規定(限定)されたことに、好ましい外的条件の下で成功した瞬間は、自己保存の成就
が同時に拡張的な運動にもなっているというような瞬間であることが分かる。
「より多く(more)」への欲望、
つまり存在力の最大化への欲望は(E/III/28,IV/38)、ガリレオの慣性原理に基づいて完全に説明できるのであ
る(Schrijvers,pp.66-69)。
第 3 部定理 5 において、一方による他方の「破壊」可能性として語られた「相反する(contraries)」という
性質は、後続箇所では「活動力能(自己保存のコナトゥス)の減少・阻害」をもたらすものとして語りなお
されている(E/III/37D)。このことが意味するのは、活動力能を減少・阻害させるようなものは、決して各々
のもの(有限様態)それ自身の内には存在しえないということである(E/IV/30D,cf.III/4,5)。
- 110 -
保存と増大
でもそのつど異なる。これが、活動力能として現れた〈限りにおけるコナトゥス〉の各人にお
ける度合いの相違とアポステリオリな増減可能性として現れてくるのである。
こうして「自己保存のコナトゥス」定理(E/III/6)から、自己の「活動力能として現れた〈限り
におけるコナトゥス〉
」を可能な限り増大させようとする、コナトゥスそのものが有する必然的
傾向性が導き出されることになる。そしてこれが有限様態としての人間に適用されたものが、
以下に私が「コナトゥスの必然的自己発展性=エゴイズムの原理」と呼ぶものである。
5 「コナトゥスの必然的自己発展性の原理」の倫理学、社会哲学への適用
第4部に入ってからスピノザは、この「コナトゥスの必然的自己発展性=エゴイズムの原理」
から直接に、
「各人はその善あるいは悪と判断するものを自己の本性〔コナトゥス〕の法則に従
って必然的に欲求しあるいは忌避する」(E/IV/19)という定理を導き出しているが、そこから更
に、
「真に徳に従って働きをなす(agere)とは、我々においては、理性の導きに従って働きをなし、
生き、自己の存在を保存すること(この 3 つは同じことを意味する)
、しかもそれを自己に固有
の利益を求めるという根本原則から行うことにほかならない」(E/IV/24)とも言っている。ここ
に言う「自己に固有の利益を求める根本原則」は、別の箇所では「各人は自己の利益を求める
ようになっているというこの原理」(E/IV/18S)とも表現されているが、これらは「コナトゥスの
必然的自己発展性=エゴイズムの原理」が、
「理性の導きに従って生きる人間」の場合にもそっ
くりそのまま持ち越されていることを示すものである16。この原理が「受動感情に隷属する人
間」のみならず「理性の導きに従って生きる人間」にも妥当するのは、コナトゥスが、理性に
よって導かれるか(能動)
、感情に従属しているか(受動)にかかわらず、言い換えれば「賢者」
であるか「無知なる者」であるかにかかわらず万人に普遍的に内在する人間の「自然本性=本
質」である17からだ(E/III/9,58D, TTP/XVI/189-190, TP/II/5・8,III/18,Allison,p.134)。
以上から、
『エチカ』では、受動感情に隷属していようが、理性の導きに従って生きていよう
が、各々の人間は、単に自己の存在を最低限に維持・保存しようとする傾向性だけではなく、
自己にとっての「善(bonum)」
、つまり自己に「有益で(utilis)」あり、
「喜び」をもたらし、自己
の「活動力能として現れた限りにおけるコナトゥス」(欲望)を増大させてくれるものを
(E/III/12,13,28,37D, 39S,IV/D1・2,8D,18D,19,29D)、可能な限り獲得しようと努力する傾向性を有
16
17
ただし理性人にとっての「自己利益」とは受動人のそれとは質的に異なるものであり、そこからは「利他
的行為」や「社会形成」の可能性が生まれるようなものである(E/IV/35C1,37・S1,71D,Ap4)。
しかし、自己認識との関係で見た自己保存(のコナトゥス)は、受動的人間と理性的人間では大きく異なる。
ヘンリッヒによれば、自己意識と自己保存の統一というストア派の基本モチーフこそが、西欧の近代哲学
の基本構造を規定した。ストア派によると、
「自己熟知(Vertrautheit mit sich)によって初めて人間の自己保存
の可能性は生まれ、自己保存を行う限りにおいてのみ人間は自己を熟知している」(Henrich,S.114)。このよ
うに自己意識と自己保存という二つの「反省的=再帰的 reflexiv」関係は相互的連関のうちにある相互依存
関係なのである(ibid.S.120-123)。果たして、これはスピノザの「自己保存のコナトゥス」にも当てはまる
だろうか。スピノザ自身は、
「受動感情に隷属する無知なる者」は自己自身を知らないままに自己保存を
行っているが、
「理性的人間」は自己自身を十分に知った上で自己保存を行っていると考えている
(E/IV/56D)。後者の自己認識には、
「共通概念」による、自己と自己以外のものに「共通なもの」
、つまり
自己にとって有益なものの認識も含まれる。ただし自己の「個別的本質」を真に認識するには「直観知」
を待たなければならないであろう(E/IV/D1,30,31,V/24,25D,36S)。
- 111 -
保存と増大
していると考えられていることが判明した。
また、自然権をコナトゥスによって規定している『政治論』にもこの「コナトゥスの必然的
自己発展性=エゴイズムの原理」は適用される。というよりむしろこの原理は、
『政治論』にお
ける国家形成に存在論的説明を与えてくれるようなものなのである。こうして「コナトゥスの
必然的自己発展性の原理」は、『エチカ』の倫理学説における諸問題を考察する際にも(河
村,2000,2001)、スピノザ社会哲学における社会化の問題を考察する際にも(河村,2004)、極めて
重要な、或る意味でそれらの支柱となるような原理なのである。
〈文献表〉
スピノザのテクストはゲープハルト版全集(Spinoza Opera,im Auftrag der Heidelberger Akademie der Wissenschaften
hrsg. von Carl Gebhardt, C. Winter, 1925)を用い、引用に際しての略号は慣例に従った。略例を以下に示す(本稿文
中の下線による強調、
〔 〕による挿入は全て、著者河村による)
。
(E/IV/57S2)=『エチカ』第4部定理 57 備考2。
(TP/II/5)=『政治論』第2章第5節。
(TTP/XX/240)=『神学政治論』第 20 章 240 頁。
(EP/19)=『往復書簡集』第 19 書簡。
Allison,H.E., Benedict de Spinoza :An Introduction, Yale University Press,1987.
Bennett,J., A Study of Spinoza's Ethics, Hackett Publishing Company,1984.
Deleuze,G., Spinoza :Philosophie pratique ,Minuit,1981.
Henrich,D., Selbstverhältnisse :Gedanken und Auslegungen zu den Grundlagen der klassischen deutschen
Philosophie,Reclam,1982,1993.
Lin,M., “Spinoza's Metaphysics of Desire:The Demonstration of IIIP6, in :Archiv für Geschichite der Philosophie,
86Band,Walter de Gruyter,2004.
Schrijvers,M., “The Conatus and the Mutual Relationship Between Active and Passive Affects in Spinoza”, in :Desire and
Affect : Spinoza as Psychologist,ed.by Yovel,Y.,Little Room Press,1999.
Walther, M.A., Metaphysik als Anti-Theologie, Felix Meiner,1971.
河村厚,1997,「コナトゥスから救済へ─スピノザにおける救済の根底的基礎としてのコナトゥスについて─」
『待
兼山論叢』31 号,大阪大学文学会,1997 年.
河村厚,2000,「コナトゥスをめぐる二つの倫理学─レヴィナスのスピノザ批判に対して─」,『HUMANITAS』第
25 号,奈良県立医科大学一般教育紀要,2000 年.
河村厚,2001,「スピノザ『エチカ』における利他的行為の可能性について」,日本倫理学会 第 51 回大会研究発
表原稿,2001 年 10 月 14 日, 於東京大学.
河村厚,2004,「スピノザ社会哲学における国家成立の問題─『エチカ』と『政治論』の連続と不連続─」,『政治
哲学』第2号 ,レオ・シュトラウス政治哲学研究会,2004 年.
木島泰三,2003,「スピノザの人間論における『目的』概念の適正な定位─『エチカ』第 3 部定理 12 と定理 28 の
検討」,『スピノザーナ:スピノザ協会年報』第 4 号 ,スピノザ協会,2003 年.
(かわむらこう 関西大学法学部非常勤講師)
- 112 -
Preservation and Increase
Preservation and Increase
― On Self-development of conatus and its necessity in Spinoza's Ethica ―
Koo KAWAMURA
The purpose of this paper is to take a general view of the concept of conatus in
Spinoza's Ethica (1675) and to confirm the characteristic of “necessary self-development”of
conatus. The first emergence of the word “conatus” in Ethica is from proposition 6 or 7 in
part III (IIIP6 or IIIP7). However, if one interprets the demonstration of “conatus”(the effort
for self-preservation) in IIIP6 as an argument only from two propositions just before IIIP6,
simply from the impossibility of self-destruction of modus finitus (and indeed many recent
commentators do so), he (or she) would lose another argument which is an important axis for
the overall argument of the conatus doctrine. In other words, he (or she) would lose sight of
one aspect of conatus as a proof of the penetration of God's infinite power into all things
including human beings, a fact that all things (modus finitus) express this God's infinite power
through their own conatus as an actual essence (actualis essentia) and only through that
expression can all things exist and act.
So, in this paper, while paying attention to the argument from the impossibility of
self-destruction of modus finitus, I would like to reconfirm the importance of “another more
important argument” which claims that conatus has an origin in the infinite power of God.
And from that perspective, I determine the characteristic of “necessary self-development”of
conatus using the process of the latter argument as a key.
Finally, I point out that it is this characteristic of“necessary self-development”of conatus that
plays a very important and central role in the ethical theory (especially on the possibility or
impossibility of altruism) and social philosophy (especially on the problem of socialization or
formation of the state).
「キーワード」
自己保存、水平の因果性、コナトゥスの必然的自己発展性、神の無限な力
- 113-
「下からの説明」を越えて
「下からの説明」を超えて
― メルロ=ポンティと「ある種の史的唯物論」 ―
西村高宏
序
「要するにわれわれは、
(戦争をとおして)歴史を学んだのであり、これを忘れてはならない
と主張しているのだ」(SNS,265)。
モーリス・メルロ=ポンティは、
「戦争」
(第二次世界大戦)の経験をとおして、
「偶然的で純
粋に非合理的な一要素」を内包した「歴史の信じがたいほどの力」を目の当たりにし、それま
でわれわれが求めてきた「自由」
、
「真理」
、
「幸福」
、そして「人間のあいだの透明な関係」など
といった「1939年のわれわれの諸価値」(SNS,268)をあらためて「実際の歴史」のなかで「成
就」させる必要がある、と言っている。
前期のメルロ=ポンティにおいては、その作業は、
「価値の秩序」が具体的な「事実の秩序」
に「侵入」しており、またそれらが「不可分なものとして保持」(S,287)されているような歴史
的なヒューマニズム(具体的なヒューマニズム)の現実化においてのみ達成されうる、とされ
る。そしてその際、何にもましてわれわれに課せられる任務は、
「実際の歴史を読み取ること」
(HT,57)、
「歴史の知覚を獲得する」(HT,105)こと、あるいは「現在のできるかぎり忠実で完全な
読解」(SNS,299)にほかならず、さらには、われわれの抱いてきた「価値」をあらためて「歴史
的闘争のなかで支えていくことを任務とする人々を選びとる」(S,279)、という作業でなければ
ならないとされる。したがってここから、前期のメルロ=ポンティは、
「人間の意志や思想」な
どといった「つねにあいまいさのつきまとう原理のほかに、それとは異なる別な支えを見つけ
だし」(S,281)、それを逞しくしていかなければならないとして、
「ある種の史的唯物論」(SNS,185)
あるいは「広義の史的唯物論」(MS,100)に関する解釈を自身の歴史理論の中心に据えつけよう
とする。メルロ=ポンティ自身、
「歴史の論理という考え方からは、その必然的な帰結としてあ
る種の史的唯物論が生じてくる」(SNS,185)、とさえ明言している。具体的にその作業は、
「1
844年のフォイエルバッハ-マルクス」からの影響や、また前期のメルロ=ポンティ自身の
「歴史の実存的把握」(PP,201)といった観点などから、きわめて〈人間主義〉的な歴史理論とし
- 115 -
「下からの説明」を越えて
て展開されていく。
本稿では、メルロ=ポンティ自身によって展開される「動機づけ」の概念や、
「社会的実存の
歴史という単一の歴史」観(PP,200)をもとにしながら、メルロ=ポンティが、いかなるかたちで、
「経済的下部構造を唯一の原因」だとみなそうとする「下からの説明」(S,290)や「
〈
〔基底〕還
元的〉な考え方」から「史的唯物論」を救い出し、自身における「ある種の史的唯物論」にか
んする解釈を逞しくしていくのかをあきらかにする。そこでは、いわゆる「歴史の現実の主体」
が「単なる経済的な主体、あるいは生産要因としての人間」(PP,200)のうちに切り縮められてし
まうことなどけっしてない。それどころか、メルロ=ポンティは、下部構造と上部構造とのあ
いだが「原因」と「結果」で結ばれているとする「経済による一つの因果的説明」(AD,41)を乗
り越え、
「史的唯物論」にかんするあらたな「説明」のすがたを提案しようとしているのである。
1 史的唯物論と「因果的思考」
科学主義的なマルクス主義は、いわゆる下部構造と上部構造との関係を「原因と結果」とい
った切り口から「説明」しようとする。しかしながら、そもそもこのようなかたちで「史的唯
物論」を「経済史」
、もしくは「経済中心の社会観」として捉え返すことなど可能なのであろう
か。あるいはまた、言いかたをかえれば、
「史的唯物論」もしくは「唯物史観」1をとおしてマ
ルクスとエンゲルスが意図していたことは、
「経済的下部構造を唯一の原因だと考える」
(MS,100)ようにわれわれを促すことにあったのであろうか。メルロ=ポンティは、このような
マルクス主義を「歴史をその経済的骨格に縮めてしまう『痩せ細ったマルクス主義』
」(SNS,225)、
あるいは「皮相なマルクス主義」(SNS,185)にほかならないものとして徹底して斥け、それに対
して、
「実存主義的な探求」に接続されることによってのみはじめて達成されうる「生きたマル
クス主義」(SNS,143)を対置しようとこころみる。この「生きたマルクス主義」のうちでこそ、
「史的唯物論」
はマルクスとエンゲルスが抱いていたその本来的意図を獲得することができる。
したがって、メルロ=ポンティにおける「ある種の史的唯物論」解釈の可能性について考察す
るまえに、あらかじめ、この「史的唯物論」と「因果的思考」との関係の(不)可能性を文献
学的な観点から再確認しておく必要がある。この作業のなかにおいて、すでに、メルロ=ポン
ティにおける「ある種の史的唯物論」解釈の方向性が透かし見えてくる。
そもそもマルクスとエンゲルスは、下部構造と上部構造とのあいだが「原因」と「結果」に
よって結ばれているなどとは考えてはいなかったのではないか。というのも、
「マルクス・エン
ゲルスが主張しているのは、旧来の史観では、政治や理念
神の次元
ヘーゲルで言えば国家や絶対精
が社会の主導的契機として考えられてきたが、
それはイデオロギー的顛倒であり、
歴史の究極的な基底因子は物質的生活の生産・再生産の次元に存するということ、さしあたり
このことまでであって、上部構造と下部構造とのあいだに悟性的因果関係を読み込むのは誤解
1
この「唯物史観」と「史的唯物論」といったことば遣いについては、鷲田小彌太、
『唯物史観の構想』
(批評
社、1893年)
、20-4頁、あるいは64-9頁に詳しく書かれている。
- 116 -
「下からの説明」を越えて
というよりもむしろ曲解である」2、と言えるからである。
このような解釈をその根底でささえているものは、間違いなく、
「エンゲルスによるヨーゼ
フ・ブロッホ宛の書簡」
(1890年9月21日)であろう3。そのなかでエンゲルスは、ブロ
ッホに向けて「経済的な契機が唯一の規定的契機」だと解するならば、それによって展開され
る歴史観は「抽象的で馬鹿げた空文句」にしかなりえない、と言い、むしろこれら両者の関係
は「相互作用(Wechselwirkung)」として捉えられるべきである、と主張している。エンゲルスは
この「書簡」のなかで、そのことについて、具体的につぎのように言っている。
「唯物史観によれば、歴史における究極的な基底的契機は現実的な生の生産と再生産であ
る。それ以上のことはマルクスも私も主張したためしがない。しかるに、もし経済的契機
が唯一の規定的契機だというようにねじまげられてしまうと、先の提題は無内容な、抽象
的で馬鹿げた空文句になってしまう。経済的状態は土台であるが、上層建築のさまざまな
契機
階級闘争の政治的諸形態やそれの結果、つまり、勝利した階級によってその戦勝
後に制定される制度や憲法など、法の諸形式や当事者たちの頭脳における現実の階級闘争
の反射、政治的・法律的・哲学的な諸理論、宗教的直観とそれを教養体系にまとめあげた
もの、こういったものが、歴史的闘争の途上、発展に影響を及ぼし、多くの場合、とりわ
けその形態を規定する。これらすべての契機の一つの相互作用なのであって、ここにおい
ては結局のところ、無数の偶発事を通じて、経済の運動が必然的なものとして自己を貫徹
するのである。
」4
ここには、あきらかに、法制的・政治的等の機構的諸制度ならびに宗教的・芸術的・学問的等
のいわゆる精神文化的諸形態としての「上部構造」が、逆に、経済的状態もしくは「土台」と
しての「下部構造」に対して「反作用」の関係を拓いていることが見てとれる。すなわち、そ
れが単純に「経済的な契機が唯一の規定的契機」だとして捉えられてはいないことは明白であ
る。それどころか、エンゲルスは、それ以前の『反デューリング論(オイゲン・デューリング
氏の科学の変革)
』
(1878年)のなかでも、すでに、
「原因と結果とも、個々のケースに適用
されるときにだけそのままあてはまる観念であって、個々のケースを全世界との全般的連関の
なかで考察すれば、
すぐに両者は結びあい、
普遍的な交互作用という見かたに解消してしまう。
この交互作用では、原因と結果とが絶えずその位置を換え、いま・あるいはここで結果である
ものが、あそこで・あるいはつぎに原因になり、またその逆も行われるのである」5、として、
「原因と結果」という「悟性的な因果律(Kausalität)」に対して「弁証法的な相互(交互)作用」
のカテゴリーを対置していたことを忘れてはならない。このような対置の背景には、マルクス
2
3
4
5
廣松渉、
『廣松渉著作集 第九巻』
(岩波書店、1997年)
、431-3頁。
廣松渉、
『今こそマルクスを読み返す』
(講談社現代新書、1990年)
、68-9頁。
Marx-Engels Werke.Bd.37.S.463.
フリードリヒ・エンゲルス、
『反デューリング論 上』
(秋間実訳、新日本出版社、2001年)
、37頁。
- 117 -
「下からの説明」を越えて
とエンゲルスが「カント流の因果概念の非弁証法性」を斥けつつ、ヘーゲルから引き継いだ、
いわゆる弁証法的な「因果観」や「法則観」がはたらいていることはあらためて言うまでもな
い6。
また、メルロ=ポンティ自身も、
「エンゲルスのフランツ・メーリング宛書簡」
(1893年
7月14日)や、
「エンゲルスのシュタルケンベルク宛書簡」
(1894年)のなかの言葉を引
用してみせながら、
「経済」を「原因」とする「因果的思考」が「抽象的」なものでしかありえ
ない、としてつぎのように批判している。
「
『経済的状況が原因であり、それだけが能動的なのであって、他のすべての現象は受動的
な結果でしかないというのは正確ではない』
(
「エンゲルスのシュタルケンベルク宛書簡」
)
。
因果的思考は、他のすべてのばあいと同様にここでも不十分である。
『原因と結果を厳密に
対立する二極と見る通常の考え方』
(
「エンゲルスのフランツ・メーリング宛書簡」
)は抽象
的なのである。
」(SNS,234)
しかしながらメルロ=ポンティは、エンゲルスが、このようなかたちで一貫して弁証法的な
「相互作用」論を気にかけていたということだけを理由にとって、いわゆる科学主義的なマル
クス主義における「史的唯物論」の「因果的思考」を斥けることができる、などとは到底考え
てはいない。なぜなら、ここで言われている「弁証法は、歴史やさらには自然について、ここ
に『相互作用』とか『質的な飛躍』とか『矛盾』があるというだけの、ある種の記述的特性の
単なる確認にすぎない」(AD,95)程度のもの、という可能性がきわめて強いからである。それど
ころかそこでは、
「歴史」と「自然」という「このふたつの領域の区別さえなされてはおらず」
、
「哲学」ですらも「一個の特殊科学、思考法則を研究する特殊科学」にまで貶められてしまう。
そして、とくに後期のエンゲルスにいたっては、もはや「哲学」は「科学の諸成果を根源的弁
証法のしかるべきところに位置づけるという権利」さえも完全に剥奪されてしまっているあり
さまなのである(ibid.)。したがって、科学主義的なマルクス主義は、
「世界を変革するであろう
行為」
、すなわち、
「もはや哲学と技術に分かつことのできないような実践」としての「下部構
造の運動」を、たんに「橋を構築する技師の行為とおなじような技師的タイプの行為」(AD,96)
にまで歪めてしまうことになる。そして前期のメルロ=ポンティは、
「実践」としての「下部構
造」にかんするマルクスとエンゲルスの本来的な意図を救い出すために、
「1850年以前のマ
ルクス主義」
それは、
「哲学」を「余分でもあれば不可能なもの」として斥けようとするも
のではなく、むしろ逆に「哲学を統合しようとするマルクス主義」
、すなわち「生きたマルクス
主義」
6
へとふたたびたち還っていこうとするのである。
廣松渉、
『廣松渉著作集 第九巻』
(岩波書店、1997年)
、433頁参照。
- 118 -
「下からの説明」を越えて
2 前期メルロ=ポンティにおける「経済」観
「人間の生産」としての「経済」
したがって、この「下部構造」としての「経済機構」の「運動」をはたしてどのようなもの
として捉え返していくのか、がもっとも重要な鍵となる。
メルロ=ポンティが、科学主義的なマルクス主義の展開する「経済」観のうちでとくに危惧
しているものは、それが、下部構造としての「経済機構」から、もともとマルクスがその本来
的ありかたとしてそのうちに読み込んでいた「物によって媒介された人と人との関係」が削ぎ
落とされてしまい、
「ほとんど完全に一つの物」にまでなりさがってしまう(ibid.)、という事態
であった。そしてメルロ=ポンティは、そのような解釈に対して、そもそもマルクスが、
「物質
が実践の支点および身体として、人間生活に介入してくる」(SNS,231)際のその「様式」を問題
にするために導き出していた「実践的唯物論」といった観点から、あらためて、下部構造とし
ての「経済機構」のありかたを問いなおし、下部構造と上部構造との関係を「実践」といった
切り口から組みかえようとこころみるのである7。
きわめて一般的ではあるが、
「史的唯物論(唯物史観)の公式」としては1859年に刊行さ
れた『経済学批判』
「序文」におけるマルクスの記述8をあげることができる。しかしながら、
より厳密なかたちでその形成過程を把握しようとするならば、その青写真はすでに、1846
年に刊行された『ドイツ・イデオロギー』のためにエンゲルスが準備していた「基底稿(Urtext)」
のなかに描かれていた、とも言える9。そして、さらにこの「史的唯物論(唯物史観)
」が具体
的なかたちで確立されていく思想的な背景のうちには、いわゆる「分業(Teilung der Arbeit)」の
論理を軸としながら、マルクスとエンゲルスが『ドイツ・イデオロギー』において「
『人間』の
問題から『社会』の問題へと思索をすすめ」10ていったこと、つまりは「疎外論の地平から物
象化論の地平への飛躍」11といった経緯を見定めることができる。そこでは、もはや「歴史の
推進力」が「人間」の発展過程からのみでかたられることなどけっしてなく、むしろ、その「人
間自身の行為が人間にとって疎遠な、
対抗的な威力となり、
人間がそれを支配するのではなく、
この威力が人間を〈支配する〉圧迫する」ようになる、といった「諸個人の社会的協働関係の
自然発生的な在り方」
、すなわち、
「社会的活動の自己膠着」が「歴史の発展過程における主要
7
8
9
10
11
ちなみに、メルロ=ポンティは別のところで、マルクスのこの「実践」概念を「人間や自然が他人と取り結
ぶ諸関係を組織化していくばあいのいろいろな作用の交錯(entrecroisement)によってひとりでに出されるそ
の〈意味〉
」(EP,69)とし捉え返すことをとおして、
「経済機構」を実体化してそれを「物質(自然)の存在論」
にまで仕立てあげてしまうような解釈を徹底して斥けようともしている。そして、このような作業をその背
後からもっとも推し進めてくれるものこそが、前期のメルロ=ポンティにとっては「歴史の実存的把握」に
ほかならない、と見なされるのである。
「しばしばお祭りさわぎの種にされてきたイデオロギーと経済の関
係にしても、イデオロギーが依然として『主観的』なものであり、経済が客観的過程と考えられていて、両
者が全体的な歴史的実存のうちで、またこの歴史的実存を表現している人間的対象のうちで交流させられる
のでないかぎり、神秘的で、前論理的で、想像もつかないものでありつづけよう」(SNS,232-3)。すなわち、
前期のメルロ=ポンティにとっては、
「史的唯物論」に込められている本来的意図は、イデオロギーと経済
との両者が「歴史的実存」のうちで「交流」させられることなくしては見定めることなどできないもの、と
して理解されることになるのである。
『マルクス・エンゲルス全集 第十三巻』
(大月書店版)
、6-7頁。
廣松渉、
『廣松渉著作集 第九巻』
(岩波書店、1997年)
、325頁。
同上、360頁。
同上、407頁。
- 119 -
「下からの説明」を越えて
な契機」と見なされることになるのである12。
しかしながら、前期のメルロ=ポンティは、この「社会の自己膠着」や「物象化」という概
念を中心軸としながら自身の「史的唯物論」を展開しているわけではない。そのことには十分
に気をくばっておく必要がある。前期のメルロ=ポンティにおける「ある種の史的唯物論」解
釈は、むしろ「人間の具体的な運動、実践」(SNS,138-9)、
「人間の共存の体系」(SNS,229)、あ
るいは「相互人間的な諸関係」(PP,200)を軸に展開される。その理由としては、メルロ=ポンテ
ィにおける「歴史の実存的把握」にも深く影響をあたえることになる、
「1844年のフォイエ
ルバッハ‐マルクス」
(
『経済学・哲学草稿』13)における「人間」の存在規定が深くかかわっ
ていることはあらためて言うまでもない。そこにおいてマルクスは、フォイエルバッハが、
「人
間」という存在を一方で「自然的・対象的・感性的存在として、すなわち苦しみを受け、制約
され、制限された存在」
(
『草稿』
、206頁)であると見なしておきながら、その対象的世界に
対する人間の態度(対象的世界の所持)を「実践的な活動」として捉えようとはせず、逆にそ
れを「直観」へと訴えかけようとした、と批判している。そして、
「類的本質」といえども、そ
れがフォイエルバッハのように人間の内面的な性質(能力)にのみ限定されてはならず、逆に
そのうちに、
「類」としての共同を具体的に「現実化」していくような人間の外的な活動、すな
わち具体的な人間による「社会的な」活動としての「労働」
、あるいは、
「人間の実践」などと
いった側面をも併せて読み込まなければならない、として「人間」の存在規定を大幅に組みか
えようとするのである。
メルロ=ポンティ自身も、このような「1850年以前のマルクス主義」に見受けられる〈人
間主義〉的な観点にもとづきながら、自身の歴史理論をよりいっそう逞しくしていく。そして
その際に、とくにメルロ=ポンティの「史的唯物論」観をその根底で支えていたものが、マル
クスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』
(1845年)における「第一テーゼ」であったこ
とはおそらく間違いはない。なぜなら、メルロ=ポンティが、
「過去のあらゆる唯物論の主要な
過ちは、……そこでは、対象・現実・感性的世界が客観ないし直観の形でのみ捉えられていて、
人間の具体的運動、
実践としては捉えられず、
主観的な仕方では捉えられていないことである」
、
という『フォイエルバッハに関するテーゼ』
(
「第一テーゼ」
)を引用してみせながら、そのうち
に、
「歴史の要因としての主観性」の重要性をあらためて見いだし(SNS,138-9)
、さきにふれた
「上」と「下」との「相互作用」の本来的なすがたを抽出しようとこころみているからである。
「史的唯物論」は、
「人間の具体的な運動、実践」として、すなわち「主観的な仕方」で捉え
られているのでなければならない。
「痩せ細ったマルクス主義」は、マルクスとエンゲルスが「史
的唯物論」の視座を確立した『ドイツ・イデオロギー』のなかで、歴史の推移を「幾重にも倍
化された」
「人間の生産力」によって「進展」していくものとして捉えていたことを忘れている。
12
13
マルクス/エンゲルス、
『新編輯 ドイツ・イデオロギー』
(廣松渉編訳・小林昌人補訳、岩波文庫、200
2年)
、59-66頁、69-70頁。
〈 〉内は削除箇所。
K.マルクス、
『経済学・哲学草稿』
(城塚登・田中吉六訳、岩波文庫、1964年)
。なお、マルクスの『経
済学・哲学草稿』からの引用箇所については、以下『草稿、頁』として記す。
- 120 -
「下からの説明」を越えて
たしかに、一般的にみれば、
「経済」というもののうちには生活手段の〈生産〉と〈配分〉と
いう二つの契機を見いだすことができる。マルクスとエンゲルスにおいても、
「経済」には「生
産」と「流通」の二契機が見定められているが、やはり第一次的にはそれを「人間の生産」を
意味するものとして捉えておく必要がある。というのも、マルクスとエンゲルスにとってはこ
の「人間の生産」こそが、単なる社会観の次元を超えて、人間の存在論的規定に関わる基礎的
なカテゴリーにほかならないものだからである。メルロ=ポンティ自身も、自らの〈人間主義〉
をささえるものとしてマルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』
(
「第一テーゼ」
)を引き
あいにだしていたように、
「経済」もまた「人間の具体的運動」
、
「生産」
、あるいは人間の「実
践」として捉えられているのでなければならない、というわけなのである。
それでは、ここにおける「生産」とははたしてどのようなものとして見定められているので
あろうか。あらためて言うまでもなく、それは、同じく『フォイエルバッハに関するテーゼ』
(
「第一テーゼ」
)でも述べられているように、 第一には、
「人間」による本源的な「対象的活
動」14、すなわち「生産的な労働」15にほかならないと言える。メルロ=ポンティの表現をかり
て言えば、それは、
「自然変革的(transnaturel)
」(SNS,230)な活動あるいは「自然的歴史的状況」
の「引き受け(assumer)
」
、ということになる。またこの「対象的活動」としての「生産」は、
同時に「複数の諸個人の協働」という「社会的」なもの、すなわち「間主体的・歴史的な協働
としての対象的活動」16であることも当然忘れてはならない。
事実マルクスとエンゲルス自身も、
『ドイツ・イデオロギー』のなかで、
「複数の諸個人」に
おける間主体的な「協働」の様式として捉えられた「生産諸力」
(
「産業および交換」
)の歴史と
の連関からでしか、いわゆる「
『人類の歴史』は研究されえもしないだろうし、また論じられう
ることもないであろう」
、とまで言っている17。したがって、このように、
「間主体的・歴史的
な協働としての対象的活動」といった視点から歴史を捉えようとしたことがマルクスとエンゲ
ルスの本来的な意図であったことを思い起こすならば、
「唯物史観(史的唯物論)
」において想
定される「歴史の現実の主体」が「単なる経済的な主体」ではないことはあきらかなことであ
る。そして、さらにメルロ=ポンティは、そのようなかたちで「史的唯物論」を救い出すこと
だけでは満足せず、まさにマルクスとエンゲルスが「史的唯物論」のうちで想定していた「歴
史の主体」こそが、自身が「実存論的な歴史理解」において捉え返した「歴史の主体」にほか
ならないとして、最終的にそれをつぎのように言いかえようとするのである。
14
15
16
17
マルクス/エンゲルス、
『新編輯 ドイツ・イデオロギー』
(廣松渉編訳・小林昌人補訳、岩波文庫、200
2年)
、230-1頁。
ここで言う「生産的労働」とは、実践的な投企であり、また、対象変様的かつ自己変様的な一種の創造的活
動と言える。
廣松渉、
『廣松渉著作集 第十一巻』
(岩波書店、1997年)
、429頁。
マルクス/エンゲルス、
『新編輯 ドイツ・イデオロギー』
(廣松渉編訳・小林昌人補訳、岩波文庫、200
2年)
、54-5頁。ちなみに、メルロ=ポンティ自身も、
『意味と無意味』のなかで、人間の「生産力がな
ければ、与えられた自然的諸条件の活動にしても経済やましてや経済史を出現させたりはしないだろう」
(SNS,228-9)、と言っている。
- 121 -
「下からの説明」を越えて
「歴史の現実の主体とは、単に経済的な主体、生産要因としての人間ではなくて、もっと
一般的に、生きた主体、生産性としての人間、つまり、自分の生活を形態化しようとし、
愛し憎しみ、芸術作品を創ったり創らなかったり、子供をもったりもたなかったりするか
ぎりでの人間、なのである。
」(PP,200)
これらの「人間の活動」18は、まさに「実存」といった切り口でこそよりあきらかにされう
る。このように、
「唯物史観(史的唯物論)
」における「歴史の現実の主体」が「実存論」的な
観点から捉え返された「生きた主体」あるいは「具体的な主体」であるとするならば、その点
からも「史的唯物論」がたんなる「経済史」ではありえないことは明白となる。つまりそれは、
「歴史を経済化」してみせるようなものではけっしてない。またこの「歴史の現実の主体」で
ある「生きた主体」が、たんなる「認識論的な主観」ではないこともあらためて言うまでもな
い(ちなみにそこでは、
「認識」ですら「実践によって底荷(パラスト)
」をつけられている)
。
その「主体」は、
「不断の弁証法によって、おのれの状況に即して思考し、おのれの経験と接触
しながらそのカテゴリーを形成し、この状況やこの経験をおのれがそこに見いだす意味によっ
て変様していく人間的な主体」である。さらにこの「主体」は、
「同じような状況のうちに置か
れた多くの他の意識のただなかにあり、それは対他的に存在し、そうすることによって対象化
を受け、類的主体になる」(SNS,237)ところのものでもある。そして、前期のメルロ=ポンテ
ィにおいては、最終的に、この「類的主体」を軸に展開される「社会的実存の歴史」(PP,200)
こそが、自身における「ある種の史的唯物論」を「説明」してくれるものにほかならない、と
見なされることになるのである。
「史的唯物論は、ひたすら経済だけを追う因果論ではない。む
しろ、歴史ならびに思考様式をば、生産ならびに労働様式の上にではなく、もっと一般的に、
存在および共存の様式の上に、相互人間的諸関係の上に基づけようとするものなのである」
(PP,200)
。
3 「上」と「下」とを繋ぐもの
互いを「動機づけ」合う関係性
とかく「客観的な過程」として考えられがちな「経済」でさえも、それがあらためて「相互
人間的諸関係」のうちで、すなわち、
「生きた主体」もしくは「具体的な主体」が拓く「社会的
実存の歴史」のうちで捉え返されるのでなければ、それは、歴史のうちでなんらかの「意味」
をもつことすらできない、とメルロ=ポンティは言う。とはいえ、ここでの「具体的な主体」
(
「生きた主体」
)が、すぐさま、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』のなかで展開させた「現
実的な諸個人」とまったく同一のものなのか、という問いは当然起こりうる。まさにこの問題
こそが、
「メルロ=ポンティが行おうとするマルクス読解について批判されるべき点」にほかな
18
メルロ=ポンティは、これらの「人間の活動」を、
『ドイツ・イデオロギー』から引用して、
「人間が『日々
彼らの生をつくり直す(refondre)』
」活動と言い換えていた。当然のことながらそれは、
「われわれがそれを内
側から生きる」ことによってしか「歴史」を獲得することはできないという、メルロ=ポンティ自身の「生
きられる歴史」観(
「実存的な歴史理解」
)を考慮してのことである。
- 122 -
「下からの説明」を越えて
らない、とも言える。
いわゆる「
『知覚の現象学』で問題になっていた『世界』
」は、かならずしも、即座にそれが
「変革されたり生産されたりする世界」
、すなわち「生産と労働の領域」と同一のものとは言え
ないのではないのか。もしかりにそうでないとするならば、
「
『住まうこと』や素朴に『出会う
こと』の世界としての自然的世界というこのような考え方が、生産の領域についてのマルクス
の分析と生産関係としての社会関係という定義のなかにどうして再発見される可能性がありえ
ようか。まさにこれこそが、疑いもなくメルロ=ポンティが行おうとするマルクス読解につい
て批判されるべき点である。
・
・
・メルロ=ポンティにとって実存という語が意味しているのは、
主観性は受肉していなければならず、世界のなかに拘束されているものとして考えられなけれ
ばならないということだけではなく、主観性は決定論には屈服しないし、この意味で私たちが
出発しなければならないのはまさに主観性からであって客観的状況からではないということも
また意味しているのである。
『外部の何ものかが私を規定=限定(この語の二重の意味で)しう
るためには、私は一個の物でなければならないであろう』(PP,496)
。したがって、起点として
の主観性を断念するのではなく、
『歴史の神秘』(SNS,195)が内面性と外面性という古典的二者
択一を超出させる受肉ないし表現の神秘と同じものであるということを理解しなければならな
いのである」19。
そして、まさにこの「内面性と外面性とを繋ぐもの」として、メルロ=ポンティが、別のと
ころで「動機づけ」という概念を密かに注入していたことを見逃すわけにはいかない。メルロ
=ポンティは、さきにふれた「相互人間的諸関係」のうちでの〈捉え返し〉を、別のところで
「自覚化 (la prise de conscience)
」(PP,199)として捉え返し、
「歴史の横糸」のなかに「動機づ
け」20というより人間的な営為を導入しようとしているのである。
「史的唯物論にあって歴史の土台とされている経済は、古典的な科学におけるような客観的
諸現象の閉じた円環ではなく、むしろ生産諸力と生産諸形態との一つの対決であり、しかもそ
の対決がその終極に達するのは、生産諸力がその無名性を脱して己れ自身を自覚し、かくして
未来を形態化することができるようになったときだけだ、とされているのである。ところで、
この自覚化とはあきらかに一つの文化的現象であって、これによって歴史の横糸のなかに、あ
らゆる心理学的動機づけが導入されることができるわけだ」(PP,199)
。
この心理学的な「動機づけ」概念を「導入」する「自覚化」を、メルロ=ポンティは別のと
19
20
Cf. Sichère, Bernard., Merleau-Ponty ou le corps de la philosophie. (Paris:Éditions Grasset & Fasquelle,1982) p.121-2.
現象学における〈動機づけ〉概念は、これまで批判されてきたような自然主義的な「因果性」とはまったく
異なった概念である。なぜならば、
〈動機づけ〉とは、構成される志向的世界の連関のなかにのみ所属する
ものなのであり、またその世界のなかでのみその意味をもちうるものでしかないからである。すなわちそれ
は、いわゆる自然主義的な世界のうちにではなく、志向的世界のなかでのみその意味を獲得できるようなも
のとして捉えられるのである。ちなみに、
「身体的な主体」を軸に自身の哲学を展開したメルロ=ポンティ
においては、
〈動機づけ〉は「一種の作動的理由(raison opéronte)」(PP,61)として捉えられている。具体的に言
えば、メルロ=ポンティにおける〈動機づけ〉は、
「或る現象が他の現象を発動させる場合、自然の出来事
のあいだをつないでいるような或る客観的な効果によってではなく、その現象が提供する意味によって行わ
れるものであって、そこに見られるのは、諸現象の流れを方向づけながらもそれらのどの一つにもあからさ
まに措定されることのないような存在理由、一種の作動的理由」(ibid.)とされるのである。
- 123 -
「下からの説明」を越えて
ころで「意志的な引き受け」(PP,202)
、とも言っている。つまりメルロ=ポンティにおいては、
「生産諸力と生産諸形態との一つの対決」としての「経済」が歴史を動かす「推進力」あるい
は「要因」となっていることは確かではあるが、それが一つの「歴史の要因」となりうるのは
「人間の意識を経由して」(SNS,186)のことである、と見なされているのである。
前期メルロ=ポンティにおける歴史理論もしくは政治理論をかたる上で、この「自覚(化)
」
という概念は「人間的な共存の体系」への〈組み入れ〉という意味において極めて重要な概念
と位置づけることができる。たとえば、前期のメルロ=ポンティにおいて「歴史の要因」の一
つとして数えられる「階級」もまた、そのうちでの人間の「自覚化」がなければ「要因」にす
らなりえないものである、とされる。
「マルクスは、生産の循環過程における個人の位置という
ことで、階級の客観的定義を与えている。しかし彼は他方では、個人が自覚しない限り、階級
は歴史と革命の決定的要因とはなりえないだろう、とも言っている。彼はさらに付け加えて、
この自覚はそれ自身、社会的動機をもっているのだ、と言っている。してみれば、歴史の要因
としての階級は、単なる客観的事実でもなければ、かといって孤独な意識によって任意に選び
取られた単なる価値でもなく、いわば価値としての事実、受肉せる価値のごときものであり、
その論理はこれから仕上げられなければならないのである」(SNS,139-140)
。
とはいうものの、このような「歴史の実存的把握といえども、経済的状況からその動機づけ
としての力を奪うものではない。実存とは人間が或る事実的状況を自分なりに捉え直し引き受
ける不断の運動のことだとするならば、彼の思想のいかなるものも、彼の生きている歴史的文
脈から、とりわけ彼の経済的状況から、まったく切り離されてしまうことはありえない」(PP,
201)
、と言える。
「経済が閉じた世界ではなく、歴史の深部で一切の動機づけが結び合わさって
いるからこそ、外面的なものは内面的なものとなり、内面的なものは外面的なものとなるので
あって、われわれの実存のどのような分力も、けっして乗り越えられることはありえない」の
である。すなわち、法律観、道徳、宗教、経済構造などはすべて「社会的事象の〈統一体〉
」の
なかで互いを「動機づけ」合い、また「意味し合う」関係にあるのであって、
「どこで歴史の諸
力がおわり、どこからわれわれの諸力がはじまるのかを語る」ことなどもはや不可能なことで
ある。あえて言えば、
「経済史」も「文化史」もまた、この「社会的実存の歴史という単一の歴
史」を、各々が別々に「抽象的」なかたちで「表現(expression)
」しているにすぎないのである、
ということになろう。したがって、そういった意味からしても、メルロ=ポンティにとってマ
ルクス主義の「偉大さ」は、
「経済を主要な原因ないしは唯一の原因として扱ったところにある
のではなく、むしろ文化史と経済史をただ一つの過程(
「社会的実存の歴史という単一の歴史」
)
の抽象的な二面として扱ったところある」(SNS,189)
、ということになる。そしてまた、最終的
にメルロ=ポンティの展開する「ある種の史的唯物論」もしくは「
『広義』の史的唯物論」は、
まさに以上のことを「完全に考慮に入れ」たものである、と見なされることになるのである。
- 124 -
「下からの説明」を越えて
注
本稿においては、メルロ=ポンティの著作について以下のような略号を用いた。引用に際しては、文中で次
の略号の後に原書頁(アラビア数字)を表記した。
[AD]
Les aventures de la dialectique (Gallimard,1955)
[EP]
Eloge de la philosophie (Gallimard,1953)
[HT]
Humanisme et terreur
[MS]
Merleau-Ponty à la Sorbonne, résumé de cours 1949-1952
[PP]
Phénoménologie de la perception
[S]
Signes
[SNS]
Sens et non-sens
(Gallimard,1947)
(1988)
(Gallimard,1945)
(Gallimard,1960)
(Gallimard,1946)
(にしむらたかひろ 神戸学院大学非常勤講師)
- 125 -
Transcender《une explication par le bas》
Transcender《une explication par le bas》
― Merleau-Ponty et《un certain matérialisme historique》 ―
Takahiro NISHIMURA
Maurice Merleau-Ponty (1908-1961) a été le témoin, par son expérience de la
guerre, durant la Deuxième Guerre Mondiale, de l’incroyable puissance du hasard et de
l’irrationalité dans l'histoire. Mais il dit qu’il est toujours nécessaire de rechercher dans cette
histoire l’accomplissement de ces valeurs qu'on cultivait encore en 1939, la liberté, la vérité, le
bonneur et la transparence dans les rapports entre les hommes.
Merleau-Ponty considérait dans sa première période que l’ordre des valeurs
pénétre celui des faits, parce que l’accomplissement de l’humanisme historique (l’humanisme
concret, qui tient ces deux ordres pour inséparables) rendait la chose possible.
Notre mission est de faire une lecture effective de l'histoire et du présent, aussi
complète et fidèle que possible. Nous devons toujours choisir de transporter dans la lutte
historique les valeurs que l’on défend.
Merleau-Ponty affirme que 《l'idée d'une logique de l'histoire a pour conséquence
inévitable un certain matérialisme historique》. En conséquence, dans sa première période, il
essaie de placer au coeur de sa théorie historique un certain matérialisme historique, ou en tout
cas la conception qu'il s'en fait, afin de trouver un appui plus solide que des principes toujours
équivoques comme les idées ou la volonté indivituelle. Sa théorie historique est une théorie
extrêmement humaniste comme le montre son《Feuerbach-Marx 1844》
(Economie politique
et Philosophie)et sa conception existentielle de l'histoire.
Dans cet article, conformément avec la conception de la motivation et l’idée de
l’histoire sociale que se fait Merleau-Ponty, nous montons comme il a reinterprété le
matérialisme historique en l'attachant à un principe d'explication par le bas, celui qui fait de
l'infrastructure économique son unique causalit
「キーワード」
史的唯物論、実存、経済、メルロ=ポンティ、人間
- 126-
【彙報】
○ 哲学哲学史
現在、専門分野・哲学哲学史には、学部生として2年生4名、3年生7名、4年生11名が在籍
しており(哲学・思想文化学所属)、また、大学院生としては博士前期課程6名、後期課程8名が在籍
して研究に従事している。本年度からは、上野修教授と舟場保之助教授がスタッフに加わり、入江
幸男教授、吉永和加助手とともに、専門分野・文化基礎学や現代思想文化学や臨床哲学所属の各教
員と連携しつつ、教育・研究指導に当たっている。
本年度の講義・演習は「問答の意味論的分析Ⅰ,Ⅱ」
「Quin を読む」(入江教授)、
「真理と主体Ⅰ,
Ⅱ」
「ライプニッツを読む」
「フランス近・現代哲学史概説」(上野教授)、
「コミュニケーション論の
諸問題Ⅰ,Ⅱ」
「カント『純粋理性批判』を読むⅠ,Ⅱ」(舟場助教授)という題目で行われている。
またその他に、現代思想文化学の教員・学生と合同で、修士論文や博士論文の作成演習が定期的に
開かれ、活発な発表、討論がなされている。
また、非常勤講師としては、伊豆蔵好美先生(奈良教育大学)、大橋容一郎先生(上智大学)、鹿野忠
良先生(本学理学部)、藤本温先生(名古屋工業大学)、美濃正先生(大阪市立大学)をお招きし、先生方
にはそれぞれ、
「ホッブズと17世紀哲学の諸問題」(伊豆蔵先生)、
「カント哲学の世界概念と認識地
平」(大橋先生)、
「文科と理科に橋は架かるか第6講“橋を落とすものは誰か?”」(鹿野先生)、
「西洋
中世哲学史」(藤本先生)、
「現代の哲学的行為論」(美濃先生)という題目で御講義頂いている。
(吉永)
○ 現代思想文化学
現在、専門分野・現代思想文化学には、学部生として2年生4名、3年生7名、4年生11名(哲
学・思想文化学専修所属)
、大学院生として博士前期課程に5名、後期課程に4名が在籍している。
浅野遼二教授が、2004 年 3 月 31 日付けで退職され、名誉教授になられた。溝口宏平教授と望月太
郎助教授は、2004 年4月 1 日付けで大学教育実践センターに配置換えとなったが、文学研究科の併
任教員として引き続き学生の教育、研究の指導に当たっている。同じく4月1日付けで中橋誠が助
手に着任した。また 2004 年 10 月 1 日付けで須藤訓任が教授に着任した。これまでと同じく、哲学
哲学史や臨床哲学と連携しつつ、教育・研究指導に当たっている。
本年度の講義・演習は、
「ハイデガー哲学と解釈学の諸問題」
「哲学とグローバリゼーションの諸
問題」
「E・フッサール『イデーン』読解I、Ⅱ」
(溝口教授)
、
「現代哲学史概説」
「哲学と家族」
「ニ
ーチェを読む」
(須藤教授)
、
「フランス近代哲学史概説」
「フランス哲学基本文献読解Ⅰ」
「17 世紀
フランス思想研究Ⅰ、Ⅱ」
(望月助教授)という題目で行なわれている。
(中橋)
○ 臨床哲学
大学院(臨床哲学)には、看護・介護職などからの社会人入学者を含め前期課程11名、後期課
程5名の合計16名、学部(倫理学)は2年生6名、3年生6名、4年生11名の計23名が在籍
していおり、鷲田清一、中岡成文、本間直樹、紀平知樹の各教員が哲学哲学史、現代思想文化学の
各教員と連携しつつ、教育・研究指導に当たっている。
本年度の講義・演習は、
「コミュニケーションの臨床(3)
(4)
」
(全教員)
「臨床哲学研究(3)
」
(中岡)
「臨床哲学研究(4)
」
(本間)
「邦語論文購読演習」
(鷲田)
「モード論」
(鷲田)
「ひとは何
を欲求するかⅠⅡ」
(中岡)
、
「無意識、社会、身体」
(本間)
「現代倫理思想の諸問題Ⅲ」
(本間)
「倫
理学と環境倫理学」
、
「プラグマティズムと哲学史」
(紀平)
、
「ベルクソン『道徳と宗教の二つの源泉』
の研究」
(加藤講師)
「コミュニケーション倫理学の思想史的文脈」
(霜田講師)
「遺伝子と人間」
(霜
田講師)
「ガダマー『真理と方法』における対話論ⅠⅡ」
(高田講師)
「科学技術と倫理ⅠⅡ」
(稲葉
講師他)
「医療・生命の倫理」
(霜田講師他)
「生と死と生活の現場から」
(霜田講師他)
。
なお4月1日付けで、鷲田清一が大阪大学副学長に着任した。また、紀平が講師に昇任した。
(紀平)
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【編集後記】
今回、装丁を一新し、割付も横組み一段に変更しました。最初は、若干の違和感もあるかも
しれませんが、欧文引用や論理式の表記や編集作業などを考えて、横組みといたしました。そ
のきっかけは、予算の削減の中で今回から編集作業と版下作りまでの作業を編集委員会で行う
ことにし、印刷製本だけを業者に依頼することにしたことです。
なお、今回の『メタフュシカ』第 35 号には、
『別冊』として、里見軍之先生と浅野遼二先生
の退官記念号を合わせて公刊いたしました。
(入江幸男)
【編集委員会】
『メタフュシカ』第 35 号編集委員
委員長 入江幸男(哲学哲学史・教授)
上野 修(哲学哲学史・教授)
中岡成文(臨 床 哲 学 ・教授)
補佐 吉永和加(哲学哲学史・助手)
メタフュシカ 第 35 号
2004 年 12 月 20 日 印刷
2004 年 12 月 25 日 発行
編集兼発行者
大阪大学大学院文学研究科哲学講座
〒560-8532 豊中市待兼山町1-5
印刷所
株式会社 ケーエスアイ
〒557-0063 大阪市西成区南津守7-15-16
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